カテゴリ:彫刻/絵画/アート等 > 工芸

昨日のこのブログの訪問者数が、「631人」。普段の10倍近い数字になりました。

特に午前9時半頃の時点で、既に300件ぐらいカウントされており、驚きました。昨日の記事を書きはじめた9時少し前には10数件だったのに、投稿が終わって、左の窓を見ると、数字が跳ね上がっていました。

時折、反原発的なことも書きますので、そういう記事を見つけた幼稚なネトウヨが「反日」レッテルでも貼って拡散し、いわゆる「炎上」の状態になったのか、などとも思いましたが、そういう場合にあり得るコメントは全く入っていなかったので、それはありませんでした。しかし、なぜ、というのがさっぱりわからず困惑したまま昨日が終わりました。

YAHOO!ブログの場合、日付が変わって朝になると、前日のアクセス状況の解析が出来ます。早速、解析ページに飛んでみると、5月29日(日)に書いた「紀尾井町福田家インターネットオークション」という記事にアクセスが集中していました。

光太郎も訪れ、さらにその前には岩手太田村に蟄居していた光太郎に援助の手をさしのべていた東京紀尾井町の老舗料亭・福田家さんが、移転に伴い、店の調度品や食器などをオークションに出品、売り上げは千代田区の桜再生事業に寄付する、というニュースの紹介でした。

なぜ、この記事に? と思い、さらに調べてみると、昨日朝、テレビ朝日さんの「羽鳥慎一モーニングショー」で、このニュースを取り上げていたことが分かりました。まさに訪問者数が跳ね上がった時間帯でした。 

超レア食器1円から!?話題のオークション・鑑定士驚く文豪の皿

いま調度品の数々がネットオークションに出001品され話題を呼んでいる。
出品したのは「福田家」(東京・千代田区紀尾井町)で1円からスタートされる。
福田家は1939年に割烹旅館として創業した。
ノーベル賞作家・川端康成、ノーベル物理学賞・湯川秀樹など多くの著名人に愛された店。
アドバイザー的存在だったのが芸術家・北大路魯山人。
料理を盛り付ける皿にも魯山人の作品を使用しているという。
5月に移転したのをきっかけにオークションに出品することを決めた。
戦後、地域のためにと先々代が始めた桜の苗木を植える「千代田区・区のさくら再生事業」への取り組みに収益を充てたいという。
オークションへの出品は11回に分け300点以上になるという。
鑑定士(株)かぐら堂・八木康介、福田家代表取締役・福田貴之のコメント。
店内に飾られた魯山人の作品、川端康成から譲られた飾り皿。


さらに、『読売新聞』さんにも昨日、記事が出たようです。 

ヤフオクで高級料亭の品 「福田家」出品

◆川端、魯山人…ゆかりの調度など300点
 歴代首相が利用した応接間のソファに、川端康成から譲り受けた角皿――。千代田区紀尾井町の高級料亭「福田家」が、今月9日に移転したのを機に、300点以上の調度品をインターネットのオークションサイト「ヤフオク!」に出品している。収益の一部は、区が取り組んでいる桜の再生事業に寄付するという。
 福田家は1939年に港区虎ノ門で 割烹(かっぽう) ( 旅館として創業し、45年に紀尾井町に移転した。ノーベル賞を受賞した川端康成や湯川秀樹、彫刻家のイサム・ノグチが定宿にしたほか、池田勇人、佐藤栄作といった元首相をはじめとする政治家がこぞって利用したことで知られる。
 同店は「外国人にも、日本文化を伝えていく店」を目指し、同じ紀尾井町にあった築80年の木造の別館を約2年がかりで改装。そこに移転し、今月9日から営業を始めている。
 移転にあたり、一部の家具や器などを整理することにしたが、4代目の福田貴之さん(39)は、「何か社会に役立てる方法はないか」と思案。64年頃、2代目社長が店のあった真田 濠(ほり) ( (江戸城の外堀の一部)跡に桜の苗木100本を寄贈したことに触発され、区が2004年から千鳥ヶ淵や真田濠跡などで続けている桜の再生・維持活動に、収益を寄付することにした。
 出品しているのは、日本の歴代首相や外国の政治家らを通した応接間にあったソファと振り子時計のほか、川端康成や北大路魯山人から譲り受けた器など、計300点以上。オークションは16日から始まっており、11回に分けて7月31日まで行う予定。既に終了している回もあり、ソファは9万8000円、振り子時計は16万6000円でそれぞれ落札されている。
 福田さんは、「大切にしてきた調度品の数々が、店が代々お世話になってきた真田濠の桜に役立てばうれしい」と話している。


ついでに、オークション開催元の「ヤフオク!」さんによる紹介記事も引用させていただきます。 

先々代から受け継がれる桜への想い〜紀尾井町 福田家

北大路魯山人の「美」と「味」の調和を大切にしてきた老舗料亭「紀尾井町 福田家」。店舗移転の際に整理した調度品を出品して、千代田区の「さくら再生事業」を支援いたします。

北大路魯山人の「美」と「味」の調和を
昭和14年虎ノ門にて開業。
その後紀尾井町へ移り、川端康成、湯川秀樹、イサム・ノグチら文化人、政財界の方々が利用されました。 また深い交流のあった北大路魯山人から得た「美」と「味」の調和を大切にいたしております。
この春、別館として営業していた日本家屋に移転。変わらぬおもてなしでお客様をお迎えしております。

歴代首相や海外の国賓も「おもてなしの心」で
これまでには、歴代首相や海外からもフランスのミッテラン大統領やジョージ・ブッシュ大統領(副大統領時)、第6代のガリ国連事務総長など、海外からもさまざまなお客様を迎えさせていただきました。
料亭とは、四季に恵まれた日本独自の文化です。
美しいしつらいとお料理をゆっくりお楽しみ頂ける空間を提供いたしております。 時代とともに料亭の数は少なくなってきておりますが、今後も引き継いで守っていきたいと思っております。

「器は料理の着物」
福田家では、「器は料理の着物」と説いた北大路魯山人から譲り受けた貴重な器類や花器をはじめ、椅子や調度品に至るまで細部にこだわりのある品々が使われています。この度、店舗移転に伴って整理した器や調度品を出品することにしました。

出品期間:5月16日(月)〜7月31日(日)、商品数:300点以上
 *商品は、週毎に約30点ほどの出品を予定しております。
・第1弾:5月16日(月)〜5月22日(日)

・第2弾:5月23日(月)〜5月29日(日)無題
・第3弾:5月30日(月)〜6月5日(日)
・第4弾:6月6日(月)〜6月12日(日)
・第5弾:6月13日(月)〜6月19日(日)
・第6弾:6月20日(月)〜6月26日(日)
・第7弾:6月27日(月)〜7月3日(日)
・第8弾:7月4日(月)〜7月10日(日)
・第9弾:7月11日(月)〜7月17日(日)
・第10弾:7月18日(月)〜7月24日(日)
・第11弾:7月25日(月)〜7月31日(日)

先々代から受け継がれる桜への想い
先々代社長の故 福田彰(ふくだ あきら)は、昭和39年頃に13回忌にあたる母への想いとともに、戦後の復興途上の姿であった江戸城外濠 真田濠にさくらの苗木100本を献木しました。
千代田区に文化をつくり、伝統として守り磨き上げてほしいとの思いから継続した寄付を続けてきました。
今回の調度品を販売して集まった資金は、この先々代からの桜への想いを受け継ぎ、千代田区の「区の花さくら再生事業」へ寄付させていただきます。*一部、運営費を除く

【寄付先】千代田区「区の花さくら再生事業」
 千代田区では、多くの人の思いで引き継がれてきた「さくら」を、今、さらに美しい「さくら」として未来に引き継ぐため、「区の花さくら再生計画」を策定し、さくらサポーターの方々と再生事業を推進しています。
 「区の花さくら再生事業」: http://goo.gl/D5ur0b

記事にある先々代社長の母、というのが、太田村の光太郎に食料を贈った福田マチですね。

光太郎が福田家さんを訪れたのは、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、再上京した昭和27年10月。当日の日記が残っています。

十月二十日 月
午後一時半主婦之友より迎へ、紀尾井町福田家、川島四郎博士、竹内てるよさんと座談会、七時頃かへる、

座談会の模様は「簡素生活と健康」の題で『主婦之友』に掲載されました。十日前まで暮らしていた岩手太田村での食生活についての話が中心で、蛙まで食べた、などという話も飛び出しました。


ちなみにオークションで集める目標金額は100万円ということで始められましたが、既に集まっている金額は5,227,789円、目標額の5倍を超えています。この調子で7月末までにいくら集まるのか、非常に興味深いところです。そして、それをそっくりさくら再生事業に寄付する、というのですから素晴らしい話ですね。

敗戦後の混乱期に、見ず知らずの光太郎へ食料を贈った先々代の母・福田マチの精神が今も息づいているということなのでしょう。


ところでYAHOO!ブログ、訪問者数が多いと、Tポイントがもらえます。当方、福田家さんほどの気前の良さはありませんが、たまったTポイントは寄付にまわしています。先般の熊本の震災時にも、それまでにたまっていた分をそっくり寄付しました。ネット上でその操作ができるので楽です。昨日のアクセスの多さに対しても、ポイントが加算されるはずですので、またそうした寄付できる機会があったら応じようと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

船のせて船には人のおもひのせて刀根の夕かぜ長うもわたる
明治35年(1902) 光太郎20歳

昨日に引き続き、「常陸の旅の歌の中に」という詞書きがついたうちの一首です。

下記は、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市を流れる利根川です。光太郎、ここを汽船で通ったのではないかと思われます。

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先週、NHKさんの首都圏版ローカルニュースをたまたま見ていて、気になるニュースに出会いました。 

老舗料亭が文化人ゆかりの調度品競売 収益は桜再生に

文豪、川端康成などの文化人が通ったことでも知られる東京・千代田区の老舗の料亭が近くに移転縮小するのに伴い、調度品の数々をオークションで販売して、その収益を地元の桜並木の再生事業に役立てることになりました。
千代田区紀尾井町にある「福田家」は昭和14年の開業以来、ノーベル文学賞を受賞した川端康成や物理学賞の湯川秀樹などの文化人のほか、歴代の総理大臣も通ったことで知られる料亭です。
今回、近くに移転し、規模を縮小することから由緒ある調度品およそ300点をインターネットのオークションで販売することになりました。
このうち、川端康成から譲り受けた角皿はかつて、かっぽう旅館だった料亭に本人が宿泊した際に気に入られていた先代のおかみが渡されたものだということです。
また、芸術家で美食家としても知られる北大路魯山人から譲り受けた湯飲みもあります。
このほか、店で使われてきた鉄瓶や高さ2メートル50センチもある振り子時計など、いずれも歴史の重みを感じさせる品々です。
収益の一部は古くなって傷んだ地元の桜並木を再生する区の事業に寄付されますが、先々代の経営者も桜への愛着が深く、桜の名所として知られる真田濠に植えた桜の苗木100本を寄贈した経緯もあるということです。
オークションはすでに始まっていて、ことし7月31日まで行われる予定です。料亭を経営する福田貴之さんは「祖父が寄贈した桜も年を重ねたので、寄付金で整備してもらい、多くの観光客に楽しんでもらえたら」と話していました。


紀尾井町の福田家さん。一昨年のこのブログでご紹介しました。昭和27年(1952)の10月に、光太郎と、元陸軍少尉にして栄養学者の川島四郎、詩人の竹内てるよによる座談会「高村光太郎先生に簡素生活と健康の体験を聞く」が行われ、翌年1月の『主婦之友』に掲載されました。昭和27年(1952)10月といえば、光太郎が十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、岩手花巻郊外太田村から再上京したばかりです。

その際に、この年5月に亡くなった福田家さんの先代女将、福田マチが、太田村在住時の光太郎に大量の食料を贈っていたことが判明しました。判明、というと変ですが、贈り主が福田家の女将だったと判明したということです。

以前にも引用しましたが、もう一度、『主婦之友』の記事から。

「この世は美しいよ。やつぱりいゝことはするもんだなあ」
 と感激性のH記者。老詩人高村光太郎先生を囲む座談会から先生を送つて帰社するなりひどく感心した様子で語り出した――
 座談会は、千代田紀尾井町の福田家といふ旅館で開いたが、座に着いた高村先生
「僕の山の家へね、食糧不足のころ、二度も沢山の食物を送つてくれた人があるんです。紀尾井町の福田さん……この家ぢやないかな」
 と感慨深さう。
 女中さんに聞いてみると、やつぱり先生の推察どほり、贈主は、この五月に亡くなつた先代主人福田マチさんだつた。
 福田さんは隠れた篤行で、これまでもしばしば話題になつた人、新聞か雑誌で高村先生の御生活を読んだことから、慰問品を送つたものらしい。
「お礼も云はず失礼したが……」
 高村先生は滅多に書かれない筆をとつて、福田家さんのために「美ならざるなし」と色紙に認め、心からほつとした面持。
 偶然選んだ会場ながら、思はぬ美しい因縁話で、かくはH記者を感心させた次第だつた。


一度目は、昭和25年(1950)9月でした。この年の光太郎日記は大半が失われていますが、郵便等の授受を記録した「通信事項」というノートが残されており、そこに記述がありました。

福田マチさんといふ人より書留小包(抹茶、茶筌、牛肥菓子一折、放出ものスープ2罐、焼きのり一罐、つけもの一瓶)

前日には封書が届いた旨の記述もあります。

福田マチさんといふ人よりテカミ(よみうりを見たといふ事)

おそらく、『読売新聞』あたりに光太郎の山小屋生活を報じる記事が出、それを読んだ女将が食料を贈ったということなのでしょう。

008光太郎、小包を受け取った日に、すぐに礼状を返信しています。

また、もう一度、同程度の食料が届いたようですが、こちらは翌年以降のようで、昭和25年(1950)の「通信事項」に記述がありません。「通信事項」は日記が失われている昭和24年(1949)、25年(1950)の分のみ、『高村光太郎全集』第13巻に掲載されています。

のちに福田家さんがマチの顕彰のために私家版刊行した冊子に、光太郎から贈られた色紙の写真が掲載されています。


さて、その福田家さんが、調度品類約300点をオークションに出品とのこと。

調べてみましたところ、Yahooさんのオークション「ヤフオク!」に、【紀尾井町福田家】ということで、さまざまなものが出品されています。

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報道では「およそ300点」とありますが、300点、一気に出品というわけではなく、小出しにしているようです。そこで、「ことし7月31日まで行われる予定」ということなのでしょう。もしかすると、昭和27年(1952)に光太郎がこちらを訪れた際に使用した椅子や食器なども含まれているかも知れません。

「収益を地元の桜並木の再生事業に役立てる」というのが素晴らしいですね。調べてみたところ、この桜並木は、マチの13回忌を記念して、昭和39年(1964)に献木されたそうです。

川端康成から贈られた皿なども出品されたようで、もしかすると、今後、完全に光太郎がらみの品も出て来るかも知れません。注意していたいと思います。

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【折々の歌と句・光太郎】

石像に雨ふる日なり衣がへ       明治42年(1909) 光太郎27歳

5月ももうすぐ終わり、6月の声を聴くことになります。となると、衣替えですね。

ただ、昨今は「クールビズ」とかで、5月にはノータイ、上着無しという職場も多いようですし、中高生の制服も、昔のように杓子定規でなく、5月末から6月はじめは夏服でも冬服でも、という柔軟な対応が為されているようです。

オリジナルのステーショナリーグッズなどを製造・販売している「花籠や」さんという企業?があります。

そちらの商品の画像をインスタグラムで見つけ、「おお、これは!」と思い、サイトにたどり着き、商品をいろいろと取り寄せました。

すべて「文豪」というシリーズの商品です。サイトには「おやまあ、教科書で、便覧でみたことあるような顔、顔、顔…!お気に入りはだれですか?」という説明がありますが、個々の名は出ていません。ナントカ権の問題でしょうか。したがって、このブログでも伏せ字を使わせていただきます。


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縦11㌢、横9㌢の台紙。木版画風の絵で、左上が、太○治、2段目、左から、中○○也、○目○石、武者○路○篤、3~4段目に2段抜きで宮○賢○、3段目中央が与謝○○子、右には○川啄○、4段目中央に芥○龍之○、そして右下隅は我らが○村光○郎。


続いて「文豪バッヂ」。

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「新文豪しゐる」にあった宮○賢○の代わりに、正○○規が入っています(右下隅)。当方、苦労して伏せ字「○」を使いましたが、委託販売店?の中には全員の実名を晒している(笑)ところもあったりします(笑)。

こちらはバラ売りで、当方、我らが○村光○郎のみ購入しました。

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さらに「文豪ポストカード」。

これも我らが○村光○郎のみ購入しましたが、「新文豪しゐる」、「文豪バッヂ」の10名全員のバージョンがあります。

我らが○村光○郎バージョン、顔以外に光○郎の木彫、白○鳥もあしらわれています。5枚購入し、1枚は保存用。1枚は既に荒野愛子さんへの連絡に使いました。残り3枚もそのうちに、お仲間のどなたかの所に行くでしょう。届いた方、棄てずにとっておいて下さい(笑)。

「文豪」シリーズ、他にも一筆箋や便箋、ラッピング用の紙などのラインナップがありますが、そちらはどうも光○郎がカットされているようなので、購入しませんでした。

ところが、改めて今日また花籠やさんのサイトを見ると、光○郎もいるマスキングテープもあることに気付きました。これも買わねばなりません(笑)。

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「花籠や」さん、「文豪」シリーズ以外にも、いろいろとおしゃれで面白い商品を取りそろえていらっしゃいます。ネットでも購入可能ですし、店頭販売の取扱店も増加中。ぜひお買い求め下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

疲れきつて二階の汝の部屋にゆけば童子のごとくものの食べたし

大正13年(1924) 光太郎42歳

「汝」は、おそらく昨日130回目の誕生日を迎えた智恵子でしょう。

今日は智恵子の故郷・二本松にぶらりと行って参ります。

過日、日比谷松本楼さんで執り行った第60回光太郎忌日・連翹忌の集いに、全国から約80名の方がご参集下さいました。

参会の皆さんに、ということで資料をお持ち下さった方も多く、また、運営委員会代表の当方に、ということでいただきものもしてしまいました。

チラシなどに書かれていた情報(ソフト)的な部分は順次ご紹介しますが、もの(ハード)としていただいたものの中からいくつかご紹介します。

作曲家・野村朗氏から、今年1月に名古屋で行われたコンサート「Gruppo Giglio Vol.8」の模様を撮影したDVD。参会者全員分用意して下さいました。

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野村氏作曲、第60回連翹忌で演奏をご披露下さった森山孝光・康子ご夫妻の演奏による連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六編より」が収録されています。

コンサート当日は当方、他の用事のため足を運べなかったもので、ありがたく存じました。


冊子『高村光太郎入村70年記念 ~思い出記録集~ 大地麗』。

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花巻市太田地区振興会さんの発行で、同会の佐藤定氏が当方に、ということでお持ち下さいました。

昨年10月、花巻郊外太田村時代(昭和20年=1945~同27年=1952)の光太郎を知る皆さんの座談会が行われた、その記録です。70年前から65年前の話で、当時を知る方が少なくなり、変な話ですが、残った方もご高齢。今のうちに皆さんの記憶を記録に残そうという試みでした。

これまで活字になったことがないのではないか、というようなエピソードや、当方も初めて見る写真などが掲載されており、非常に貴重な記録です。

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上記は大田村役場落成記念に撮られた集合写真。昭和25年(1950)11月25日です。この際に光太郎は、「大地麗(だいちうるわし)」と書いた大きな扁額を村に贈っており、冊子の題名はここから採られています。


高村光太郎研究会発行の雑誌『高村光太郎研究37』。連翹忌当日の発行です。

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当方も寄稿しているため、1冊戴きました。当会顧問の北川太一先生の玉稿、昨秋行われた、「第60回高村光太郎研究会」で発表をされた田所弘基氏、西浦基氏などの論考等が掲載されています。


その他、光太郎には直接関わりませんが、連翹忌でスピーチをお願いした、鋳金家の後藤信夫様から鋳金関係の書籍を3冊戴きました。

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後藤氏は光太郎の実弟・豊周、その弟子筋に当たる故・西大由氏、故・斎藤明氏の流れをくむ方です。光太郎のブロンズ彫刻は前記の人々らにより鋳造されています。戴いた書籍を読んで、鋳造方面について勉強させていただきます。


連翹忌には、顧問の北川太一先生が高校教諭をなさっていた頃の教え子の皆さんも多数参加下さっています。「北斗会」という名前で、毎年、北川先生を囲む新年会をなさったり、8月の宮城女川光太郎祭にご参加下さったりしています。

その「北斗会」さんの中心で、箔押(書籍の表紙や背などの文字に金箔などを施す特殊印刷)の会社を経営されている小川義夫さんから、こんなものを。

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小川さんが唄っている演歌のCDです。なぜ印刷会社の社長さんが……というと、『歌の手帖』という雑誌のコピーが添えられていました。


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心臓病の予後のリハビリのためにカラオケに取り組み、大会などに出場するうちに、あれよあれよと歌手デビューなさったそうです。失礼ながら、齢(よわい)70を過ぎてからこういうこともあるのですね。当方も芸能界入りを目指そうかと思いました(笑)。


逆に当方から参会の皆様にお配りしたもの。

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年2回発行している、手製の冊子です。

「光太郎遺珠」から 第九回 詩人として(二)
  『高村光太郎全集』に収録されていない光太郎作品集成です。
・光太郎回想・訪問記 『読売新聞』より
  明治大正期の『読売新聞』さんに載った光太郎の記事です。
・光雲談話筆記集成 『味覚極楽』より「四谷馬方蕎麦」(その一)
  光太郎の父・光雲の談話筆記です。
・昔の絵葉書で巡る光太郎紀行 浅虫温泉・蔦温泉(青森)
  題名の通りです。
・音楽・レコードに見る光太郎 「新穀感謝の歌」(その一)
  昭和16年(1941)、信時潔によって作曲された儀式歌「新穀感謝の歌」に関する論考です。
・高村光太郎初出索引
・編集後記

当会名簿に記載のある個人・団体様には順次発送しています。その他でご入用の方、こちらまでご連絡下さい。送料のみでお分けします。


【折々の歌と句・光太郎】

春の水小さき溝を流れたり      明治42年(1909) 光太郎27歳

何のひねりもない句に見えますが、詠めそうでいてなかなか詠めない句だと思います。

今週月曜日の「しんぶん赤旗」さんの記事です。 智恵子の故郷、福島二本松から。 

平和な故郷願って 福島に生きる 『風船爆弾になった和紙』冊子にまとめた 安斎克仁さん(79)

 「原発両稼働も、安保関連法(戦争法)にも反対です」。福島県二本松市の安斎克仁(あんざい・かつに)さん(79)は、今の政治を許さない決意をそう語ります。

■ほんとの空守れ
 「私たちは安達太良山を『お母さんの山』と言っています。原発は『母さんの山』にふさわしくないのです」と安斎さん。山頂に乳首のような突起があり、別名「乳首山」とも言われています。
 高村光太郎の『智恵子抄』で「安達太良山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だ」と詠われました。
 安斎さんは言います。「母なる山が原発事故で汚されました。『ほんとの空』を守るためには自然エネルギーに転換しないといけません」
 安斎さんの次男の妻と当時7ヵ月だった孫は2年間長野県に避難しました。
 「古里に戻るためには平和でないと」と考える安斎さん。このほど『風船爆弾になった和紙』を冊子にまとめました。
 安斎さんが住む二本松市上川崎地域は「千年以上の歴史を誇る手漉(す)き和紙の産地」でした。
 平安時代に「みちのく紙」と呼ばれました。紫式部や清少納言たちに愛された「まゆみ紙」は上川崎地域で漉かれたと伝えられています。
 戦中、上川崎村には和紙製造工場は239戸ありました。
 1944年から45年にかけて軍用紙の生産割り当てがなされました。福島県への割り当て枚数は50万枚。そのうち上川崎村は約40万枚を納めたと記録されています。
 須賀川市史には、「陸軍の依頼で、コンニャク糊(のり)塗り加工作業に須賀川町第二国民学校高等科生徒男女百五十名が動員された」と書かれています。「機密保持のためか、上川崎村で漉かれた和紙とは、知らされても、書かれてもいない」
 安斎さんがこうした郷土の歴史に関心を持つようになったのは「国民学校」3年生の時の戦争体験でした。
 45年7月12日深夜、何十機もの米軍機が飛来し、照明弾が投下され、その後に農家を狙って焼夷(しょうい)弾の爆撃が繰り返されたのです。
 全焼した農家は2戸、ボヤ2戸。幸い死傷者はありませんでした。「紙漉きの村がなぜ爆撃されたのか」。安斎さんの長年の疑問でした。当時は「誤爆」だったと言われてきました。

■自分が加害者に
 安斎さんは、関係郷土史と米国側の資料などを研究。それらを総合すると「和紙は風船爆弾の第一番の材料。その生産地となった和紙の里をねらってアメリカが報復爆撃した」のが真相ではないか?と推論しました。
 風船爆弾は44年11月から福島県勿来、茨城県大津、千葉県一宮から飛ばされました。計9300個飛ばされて偏西風にのってアメリカ大陸に到達した数は推定1000個とみられています。
 45年5月5日、オレゴン州の村で5人の子どもと、牧師の妻が風船爆弾で死亡しています。
 「オレゴンの悲劇」と言われ、上川崎村への爆撃はそれから2カ月後のことでした。
 「戦争の被害者とばかり思っていたのが知らぬ間に加害者の立場になっていたのかもしれません。戦争は二度と繰り返してはなりません」  (菅野尚夫)



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東日本大震災に伴う福島第一原発の事故に、「ほんとの空」の語をからめるのはよくあります。それがメインの記事かなと思って読んでいたら、さにあらず。特産の和紙が戦時中の兵器「風船爆弾」に使用されたかもしれず、その報復的な意味合いであろう空襲を受けた、とのこと。この件は当方、全く存じませんでした。当方、二本松に行った際、便箋などの上川崎和紙の製品をよく買っています。

ちなみに「風船爆弾」を飛ばした場所のうち、記事にある「千葉県一宮」は、昭和8年(1933)、智恵子が療養していた九十九里浜の南端です。この件は知っていましたが、その材料の和紙が二本松の上川崎和紙だった可能性が高いというのは驚きでした。

そう考えると、本当に戦争は憎しみの連鎖を生み出すものだ、と感じました。現代においても空爆とテロのいたちごっこが続いています。そこに我が国も荷担せざるを得なくなるような法整備は、断じて許してはいけないと思いますね……。

放射線も戦闘機も飛んでいない、「ほんとの空」が世界中に広がってほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

草青しロムバルヂアの大平        明治42年(1909) 光太郎27歳

「ロムバルヂア」はイタリア北部、スイスとの国境に接するロンバルディア州です。107年前の今頃、光太郎は留学先のパリを発って、スイス経由のイタリア旅行に出ました。

雑誌の新刊です。 

月刊『美術手帖』2016年3月号「超絶技巧!!宮川香山と明治工芸篇」

2016/02/17 美術出版社 定価1,600円+税

SPECIAL FEATURE 超絶技巧!! 宮川香山と明治工芸篇 山下裕二=監修
PART1 “美しい畸形”の陶芸家を再発見せよ! 宮川香山
PART2 極限の技が炸裂する、職人魂に驚嘆! 明治工芸の“必殺”仕事人!!
PART3 3人の現代作家が迫る、技巧と表現の世界 現代の超絶技巧

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少し前から再評価が進んでいる明治工芸、いわゆる「超絶技巧」の特集です。

メインで取り上げられているのは、真葛焼の陶工・宮川香山ですが、「PART2 極限の技が炸裂する、職人魂に驚嘆! 明治工芸の“必殺”仕事人!!」で、光太郎の父・光雲も取り上げられています。

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また、光雲が代表作の一つ、「老猿」を出品した万国博覧会や、光雲も任ぜられた帝室技芸員制度などにも触れ、非常に示唆に富んでいます。

京都清水三年坂美術館さんの収蔵品による、いわゆる「超絶技巧」の数々を集めた企画展。光雲の木彫も展示され、一昨年の日本橋三井記念美術館さんを皮切りに、静岡佐野美術館さん、山口県立美術館さん、福島郡山市立美術館さん、富山県水墨美術館さんと巡回し、昨年末の岐阜県現代陶芸美術館さんでとりあえず終わりました。その間にはNHKさんの「日曜美術館」でも取り上げられています。

一過性のブームで終わることなく、今後も広く取り上げられてほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

ちちのみのちち老いましてよねんなくしごとしたまふ春あさき日を
昭和8年(1933) 光太郎51歳

晩年の光雲を謳った短歌です。「ちちのみ」は「父のみ」。光雲妻・わかに先立たれたことを表します。

13日日曜日にお邪魔しました花巻高村光太郎記念館

受付脇には物販コーナーがあり、書籍や複製の色紙などなど、さまざまな光太郎グッズが並んでいます。行くたびに新商品が増えているのも感心させられます。

定番のポストカード。新たなものがラインナップに入っていました。

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毎年5月15日に敷地内で行われている高村祭会場の「雪白く積めり」詩碑前広場を描いた水彩画。

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光太郎最後の大作、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を描いたものもありました。

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それから、最近流行のA4判クリアファイル。

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半分の大きさのA5サイズのものもありました。

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なかなかもったいなくて使えないのですが(笑)。

その他にもTシャツやら手ぬぐいやら、一筆箋にマグネットなどなど、いろいろと取りそろっています。ほとんどすべて、ここ以外では入手できません。

それから、隣接する高村山荘の無料パンフレットも新しくなっていました。A4判三つ折りです。

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ぜひ足をお運びの上、ゲットして下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月18日

昭和24年(1949)の今日、蕨登という人物に書を発送しました。

この時期の日記は現存が確認できていないのですが、郵便物の授受を記録したノートが残っており、そこに「蕨登といふ人へ揮毫(子供は地上の星云々)」という記述が見えます。

「蕨登」という人物、1980年代の『千葉日報』に光太郎の親友・水野葉舟がらみの寄稿をしていることは解りましたが、それ以上、よくわかりません。

また、「子供は地上の星云々」という書も、他に類例が確認できません。

情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。

一昨日、今年度の文化勲章・文化功労者の発表が行われ、染織家の志村ふくみさんが文化勲章を受けることになりました。 

文化勲章:紬織り、現代的に表現…志村ふくみさん

2015年10月30日 『毎日新聞』

◇志村ふくみさん(91)=染織家
 「たいへん重く受け止めております」。穏やかな語り口に責任感をにじませる。
 母の手ほどきを受けてこの道に進んだのは60年前。ゲーテの「色彩論」に出合ってから哲学的な思索も深め、紬(つむぎ)織りの奥深さを現代的に表現してきた。貫いてきたのは「植物から命をいただき、色をいただく」という謙虚な姿勢だ。
 東日本大震災を経た今、その思いを次世代に伝えることに注力する。2年前に始めた芸術学校「アルスシムラ」では、自然に対する感性を養い、平和の大切さを強調する。手応えが大きいことは、多忙を極めるのに生き生きとした表情からうかがえる。「若い人から元気をいただいています。私にとっては機を織ることが休みなんです」【岸桂子】


志村さんには『白夜に紡ぐ』(平成21年=2009 人文書院)というご著書があり、その中で光太郎についてふれて下さっています。10ページあまりの「五月のウナ電」というタイトルのエッセイです。

「五月のウナ電」という奇妙なタイトルは、そのまま昭和7年(1932)の雑誌『スバル』第4巻第2号夏季号に発表された光太郎の詩のタイトルです。


   五月のウナ電

アアスキヨク」 ウナ」 マツ」
アオバ ソロツタカ」コンヤノウチニケヤキハヲダ セ」カシノキシンメノヨウイセヨ」シヒノキクリノキハナノシタクヨイカ」トチノキラフソクヲタテヨ」ミヅ キカササセ」ゼ ンマイウヅ ヲマケ」ウソヒメコトヒケ」ホホジ ロキヤウヨメ」オタマジ ヤクシハアシヲダ セ」オケラナマケルナ」ミツバ チレンゲ サウニユケ」ホクトウノカゼ アメニユダ ンスルナ」イソガ シクテユケヌ」バ ンブ ツイツセイニタテ」アヲキ トウメイタイヲイチメンニクバ レ」イソゲ イソゲ 」ニンゲ ンカイニカマフナ」ヘラクレスキヨクニテ」

当時の電報のスタイルで書かれた詩で、題名の「ウナ電」、冒頭の「ウナ」は速達電報のこと。詳しくはこちら。同様に「マツ」は「別使配達」の意味だそうです。当時の技術では電文はすべてカタカナ。濁音の後には必ずスペースが入るので「ニンゲ ン」というふうになるわけです。

無理を承知で書き下してみます。


地球(アアス)局」ウナ」マツ」
青葉、揃つたか。 今夜のうちに欅(けやき)、葉を出せ。 樫の木、新芽の用意せよ。椎の木、栗の木、花の支度よいか。 栃の木、蝋燭を立てよ。 ミズキ、傘させ。 ゼンマイ、渦を巻け。 うそ姫、琴弾け。 頬白、経読め。 おたまじくしは足を出せ。 おけら、怠けるな。 蜜蜂、レンゲ草に行け。 北東の風、雨に油断するな。 忙しくてゆけぬ。 万物、一斉に立て。 アヲキ、透明体を一面に配れ。 急げ、急げ。人間界に構ふな。 ヘラクレス局にて

「ヘラクレス」はギリシャ神話のヘラクレス神というより、星座としてのヘラクレス座でしょう。宇宙の彼方から、地球の木々や鳥、虫たちに届けられた電報、というわけです。


自然界のさまざまな素材から「色」を紡ぎ出す志村さん。光太郎詩「五月のウナ電」に謳われた草木や小動物への語りかけにいたく共鳴したのでしょう。染織した布を使って、ブックデザイン――というより、美術工芸品としての書籍製作――も手がける志村さん、この詩に啓発され、シンジュサン工房の山室眞二氏と組んで、平成16年(2004)には、『配達された五月のウナ電』という書籍も作られています。『白夜に紡ぐ』所収の「五月のウナ電」には、そのあたりの経緯も記されています。

また、この詩が書かれた昭和7年(1932)の時点での光太郎智恵子(前年から智恵子の心の病が顕在化)、さらに二人を取り巻く社会状況(軍部の台頭)などについても。

志村さん曰く「この詩の背景にはこれほどの時代と人間の相克があり、高村光太郎という詩人の魂にふれてしびれるように感動した。」。

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『配達された五月のウナ電』は65部限定。山室氏と交流のあった、当会顧問・北川太一先生がお二人に「五月のウナ電」のレクチャーをなさったことから解説を執筆されています。当方、北川先生から、カラーコピーで複製されたものを戴きました(右上画像)。表紙に使われているのは、志村さんの手になる裂(はぎれ)です。先の「しびれるように感動した」云々は、ここに収められた北川先生の解説を読まれてのことです。


さて、志村さん。おん年91歳です。この受賞を機に、これからもまだまだお元気でご活躍戴きたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月1日

大正元年(1912)の今日、智恵子が扉絵を描いた雑誌『劇と詩』第26号が発行されました。

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光太郎の絵画「食卓の一部」も掲載され、数少ない光太郎智恵子両名の作品が同時に載ったケースです。

昨年の東京三井記念美術館さんから始まり、これまで静岡佐野美術館さん、山口県立美術館さん、郡山市立美術館さん、富山県水墨美術館さんを巡回した展覧会が、岐阜で開催されます。
 
全国巡回6館目の開催となりますが、とりあえずこれで終了のようです。

超絶技巧! 明治工芸の粋

場  所 : 岐阜県現代陶芸美術館 岐阜県多治見市東町4-2-5
期  間 : 2015/09/12~2015/12/06休催日月曜日(休日の場合は翌平日)
時  間 : 10:00~18:00(入館は17:30まで)
料  金 : 一般800円、大学生600円、高校生以下無料
主  催 : 岐阜県現代陶芸美術館

近年、メディアでも取り上げられ注目を集める明治の工芸は、激動の時代に花開き、精緻きわまりない超絶技巧で私たちを魅了します。しかしその多くは当時輸出用として制作されていたため、海外で高い評価を得ながら、日本国内においては全貌を目にする機会がこれまでほとんどありませんでした。
忘れかけた明治工芸の魅力を伝えるべく、今や質・量ともに世界随一と評されるコレクションを築き上げたのが村田理如氏です。本展では村田氏の収集による京都・清水三年坂美術館の所蔵品から選りすぐりの逸品を一堂に公開します。
並河靖之らの七宝、正阿弥勝義らの金工、柴田是真・白山松哉らの漆工、旭玉山・安藤緑山らの牙彫、そして薩摩、印籠、刀装具、自在に刺繍絵画。多彩なジャンルにわたる約一六〇点の優品を通して、明治の匠たちが魂を込めた精密で華麗な明治工芸の粋をお楽しみください。

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【関連企画】
1、特別ギャラリートーク  2015年9月12日(土)10:30~11:30
本展作品所蔵者・村田理如氏(清水三年坂美術館館長)により、作品のみどころをお話しいただきます。

2、トークイベント「明治工芸の魅力を語る」 2015年10月31日(土)14:00~15:30 (セラミックパークMINO 国際会議場)
本展監修者・山下裕二氏(明治学院大学教授)と本展チラシでイラストを手掛ける気鋭の現代美術家・山口晃氏による記念対談。 
定員300名(先着順・要事前申込)、参加費無料。
※9月1日(火)10:00より、お電話(0572-28-3100)にてお申込みください。

3、ギャラリートーク
毎週日曜日13:30より当館学芸員によるギャラリートークを行います。会期中の催しにより、変更される場合があります。当館ホームページなどでご確認ください。

その他、会期中、美術館では様々な催しを予定しています。内容や日程、申込方法などの詳細は当館ホームページにてご案内します。


これまでの各会場とと同じく、光雲の木彫「西王母」「法師狸」が並ぶはずです。

他にも七宝、金工、自在置物、薩摩焼、象牙彫刻、漆工、刀装具などの逸品ぞろいです。お近くの方、ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月20日000

昭和16年(1941)の今日、アトリヱ社から『ミケランヂエロ彫刻集』が刊行されました。

光太郎が序文「ミケランヂエロの彫刻写真に題す」を執筆しました。

ちなみに全く同じ昭和16年(1941)8月20日には、龍星閣から詩集『智恵子抄』、道統社から評論集『美について』が刊行されました。

『智恵子抄』と『美について』が同じ日の刊行ということには気づいていましたが、この『ミケランヂエロ彫刻集』も同じ日だったとは、改めて知りました。

一昨日、昨日と、新聞報道について書きましたので、今日もその流れで。

光雲、光太郎の名がちらっと出た記事をご紹介します。

まず、『産経新聞』さん。

22日の文化面、「【自作再訪】 澄川喜一さん「そりのあるかたち」 錦帯橋の美しさに惚れ込んで」という記事。

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元東京芸術大学学長で東京スカイツリーのデザイン監修者として知られる彫刻家、澄川喜一さん(84)。47歳のときに誕生した代表作「そりのあるかたち」は、ライフワークとして取り組んできたシリーズだ。反った曲線が特徴の抽象彫刻は、どこか懐かしく親しみがある。代表作誕生の背景には、日本の伝統文化が深く関わっている。

と始まり、昭和53年(1978)、平櫛田中賞を受賞した抽象彫刻「そりのあるかたち」についての話、さらに岩国の錦帯橋、法隆寺の五重塔、東京スカイツリーなどの古今の造型に触れています。

その中で、光雲が主任となって原型が作られた、上野の西郷隆盛像にも言及されました。

公共の場には、周囲の環境に合った作品を創らなければなりません。多くの人が目にするのですから、ひとりよがりの彫刻では駄目なんです。高村光雲は、東京の上野公園の西郷隆盛像を創りました。戦後、軍国主義を一掃するために軍人の銅像がことごとく撤去される中で、西郷さんは残りました。造形もさることながら着流しで犬を連れた庶民的な姿にしたアイデアも良かった。後世に残るものもあれば消えてしまうものもあります。彫刻家の社会に対する責任は重大です。

最後の一文、まさしくその通りですね。


『産経新聞』さん、翌日の教育面には、光太郎の名が。

インテリアデザイナーの小坂竜氏と、お父さんの彫刻家、故・小坂圭二氏を紹介する「父の教え 創作への情熱教わった師匠」という記事です。

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故・小坂圭二氏は、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作に際し、光太郎の助手を務めた彫刻家です。

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その圭二氏の紹介文で、光太郎が引き合いに出されています。

【プロフィル】小坂圭二
 こさか・けいじ 大正7年、青森県生まれ。中国と南太平洋のラバウルで兵役に服す。昭和25年に東京芸術大彫刻科卒業。青山学院中等部の美術教師をしながら彫刻家として活躍。阿部合成や柳原義達らに師事し、高村光太郎の助手を務めた。74歳で死去。


同じくプロフィールの紹介で、光太郎を引き合いにしたのが、『京都新聞』さんの先週の記事。陶芸家バーナード・リーチに関連する記事でした。

東西陶工の縁、百年越え 京都・宇治の一族、リーチ工房に

 20世紀を代表する陶芸家の1人、バーナード・リーチ(1887〜1979年)の母国・英国の工房で登り窯を造った京都・宇治の陶工の一族がこの春、リーチの工房で新たな作陶に挑んだ。近代陶芸の礎を築いた巨匠の工房で、約100年の時を経て再び生み出された東西の美の結晶が27日から京都市内で展示される。
 英国で陶芸に取り組んだのは、宇治で代々続く窯元「朝日焼」の次期当主、松林佑典さん(34)。リーチの工房を支えた陶工松林靏(つる)之助(1894〜1932年)は、13代当主だった曽祖父の弟にあたる。
 靏之助は京都市立陶磁器試験場付属伝習所(現・京都市産業技術研究所)で、後の人間国宝、濱田庄司らに師事。1922年、28歳で英国留学した。リーチと濱田は英南西部セントアイブスで工房を開いたが窯が壊れ、靏之助に窯の築造を依頼した。靏之助は半年がかりで日本式登り窯を造り、京都の陶芸の知識をリーチの弟子たちに教えた。窯は半世紀にわたり使われ、世界で評価される多数の作品が生まれた。
 靏之助は25年に帰国後、38歳の若さで亡くなり、ほぼ無名の陶工だった。京都女子大の前?信也准教授(日本工芸史)が大英博物館で靏之助の茶碗を発見したことから、近年に研究が進んだ。前?准教授は「靏之助がいなければ、今日、私たちの知るリーチはなかった」と高く評価する。
 今年3〜4月の約1カ月間、リーチの工房に滞在した佑典さんは、今も工房の道具が日本由来だったり、釉薬(ゆうやく)の名前が日本語だったりして驚いたという。100年前の姿が残る石造りの工房で、宇治と英国の土を混ぜ、地層や年輪のような味わいのある茶碗など30点を制作した。「異質なものが混ざり合って多様なハーモニーが生まれる。東洋と西洋が交わる普遍的な美を目指した」と話す。
 展示は京都市中京区衣棚通三条上ルの「ちおん舎」で、29日まで。入場無料。28日午後4時半から、前?准教授の講演会もある。朝日焼TEL0774(23)2511。

 ■バーナード・リーチ 英国の陶芸家。幼少期を日本で過ごし、英国に留学中の詩人高村光太郎と出会い、20代で版画家として再来日した。日用品に美を見いだす民芸運動を提唱した柳宗悦と親交が深く、在日中に陶芸にのめり込んだ。東西の美や哲学を融合した作品を発表した。


小坂圭二にせよ、バーナード・リーチにせよ、その紹介に縁の深かった光太郎が引き合いに出され、ありがたいかぎりです。「高村光太郎? 誰、それ?」という状況になってしまうと、こうはいきません。そうならないように、光太郎の名を後世に残す活動に取り組み続けたいと思っています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月29日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を訪れた歌人の伊藤岩太郎の持参した画帖に「悠々たる無一物に荒涼の美を満喫せん」と揮毫しました。

伊藤は当時、岩手郡大更村(現・八幡平市)に住んでいました。その後、盛岡に居を構え、自宅の庭に先達の偉業を偲ぶとともに、自分の50年に及ぶ歌道精神の総決算の意味で石川啄木、若山牧水、長塚節、斎藤茂吉、木下利玄、北原白秋の歌碑を建立しました。

伊藤と光太郎のかかわりは、この日の日記にしか確認できませんが、もう少しいろいろあったように思われます。画帖の現物も確認できていません。今後の宿題とします。

「悠々たる……」はこの年に書かれた連作詩「暗愚小伝」中の「終戦」にある「悠々たる無一物に私は荒涼の美を満喫する」の変形。漢文調に語順を変え、送りがなを廃したバージョンの揮毫も複数存在します。

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昭和23年(1948)、光太郎と交流のあった彫刻家・笹村草家人を介し、神田小川町の汁粉屋主人・有賀剛に贈ったと推定されるもの。

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同じ頃、隣村に疎開していたチベット仏教学者・多田等観に贈ったもの。

一昨日からの流れがありますので、光雲ネタをもう一日続けます。

富山からの企画展情報です。 

チューリップテレビ開局25周年記念 超絶技巧! 明治工芸の粋

会 期 : 2015年6月26日(金曜)~8月16日(日曜)
会 場 : 富山県水墨美術館 富山市五福777番地
主 催 : 明治工芸の粋実行委員会(富山県水墨美術館・チューリップテレビ)
休館日 : 月曜日(ただし、7月20日は開館)、7月21日(火曜)
  : 午前 9時30分から午後5時まで(入室は午後4時30分まで)
観覧料 : [前売り]一般のみ800円 [当日]一般1,000円 大学生700円 高校生以下無料
関連行事 : 日本美術応援団(山下裕二団長・本展監修者)のメンバーによるトークショー
       会場 富山県水墨美術館映像ホール 定員 120名 日時未定

 鋭い観察眼から生まれた本物と見まがうほどのリアリティ、文様をミリ単位で刻み、彩色し、装飾を施す繊細な手仕事。明治時代、表現力・技術ともに最高レベルに達した日本の工芸品は、万国博覧会にも出品され海外の人々を驚嘆させました。しかし、その多くは外国の収集家や美術館に買い上げられたため、日本で目にする機会にはほとんど恵まれませんでした。
 その知られざる存在となりつつあった明治の工芸の魅力を伝えるべく、長年をかけて今や質・量ともに世界随一と評されるコレクションを築き上げたのが村田理如(むらたまさゆき)氏です。本展では、村田氏の収集による清水三年坂美術館(京都)の所蔵品から選りすぐりの逸品を一堂に紹介します。並河靖之(なみかわやすゆき)らの七宝、正阿弥勝義(しょうあみかつよし)らの金工、柴田是真(しばたぜしん)・白山松哉(しらやましょうさい)らの漆工、旭玉山(あさひぎょくざん)・安藤緑山(あんどうろくざん)の木彫・牙彫をはじめ、京薩摩の焼きものや印籠、刺繍絵画など、多彩なジャンルにわたる約160点の優品をとおして、明治の匠たちが魂をこめた、精密で華麗な「超絶技巧」の世界をお楽しみください。

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昨年の東京三井記念美術館さんから始まり、これまで静岡佐野美術館さん、山口県立美術館さん、郡山市立美術館さんを巡回した展覧会です。

これまでと同じく、光雲の木彫「西王母」「法師狸」が並ぶとのこと。

他にも七宝、金工、自在置物、薩摩焼、象牙彫刻、漆工、刀装具などの逸品が目白押しです。


ちなみに会場の富山県水墨美術館さんは、平成15年(2003)には「高村光太郎と智恵子の世界」展を開催して下さいましたし、光太郎のブロンズ「薄命児男子頭部」(明治38年=1905)、「裸婦坐像」(大正6年=1917頃)を所蔵しています。


お近くの方、ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月16日

昭和28年(1953)の今日、東京中野の料亭ほととぎすで、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」原型完成の報告会に出席しました。

像の制作のため、「十和田国立公園功労者顕彰会」という組織が結成され、光太郎のバックアップがなされました。そのメンバーに対しての報告会で、青森からは副知事の横山武夫が上京し、他に佐藤春夫夫妻、土方定一、藤島宇内、草野心平、小坂圭二、谷口吉郎が参加しました。

この時、光太郎が行った報告のためのメモ書きが現存しています。

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昨年4月から、全国を巡回中の「超絶技巧!明治工芸の粋」展。日本橋の三井記念美術館さんを皮切りに、静岡三島の佐野美術館さん、山口県立美術館さんと、巡回されました。

当初の予定では、先月、山口展が終わった後、間が空いて、6月から富山県水墨美術館さんに行く予定だったのですが、その前に、福島の郡山市立美術館さんが入りました(もしかすると、もともとどこかしらで開催する予定ではいたものの、会場が未定だったのかもしれませんが)。

そういうわけで、郡山の情報に気づくのが遅れ、もう始まってしまっています。 
会 期 : 2015年4月21日(火曜日)~6月14日(日曜日)
 間 : 午前9時30分から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日 : 毎週月曜日(5月4日(月曜日・祝日)は開館、5月7日(木曜日)休館)
主 催 : 郡山市立美術館
協 力 : 清水三年坂美術館
監 修 : 山下裕二(明治学院大学教授)
 力 :  広瀬麻美(浅野研究所)
  : 一般:1000(800)円高大500(400)円()内は20名以上の団体料金
        中学生以下、65歳以上、障がい者手帳をお持ちの方は無料

明治時代、表現力・技術ともに最高レベルに達した日本の工芸品は、万国博覧会に出品され海外の人々を驚嘆させました。ところが、それらの実物を日本国内で見ることはほとんどできません。それは、明治の工芸品の多くは海外輸出用であったためです。
本展では、村田理如(まさゆき)氏の収集による京都・清水三年坂美術館の所蔵品のうち、並河靖之らの七宝、正阿弥勝義らの金工、柴田是真、白山松哉らの漆工、旭玉山、安藤緑山らの牙彫をはじめ、驚くべき技工が凝らされた薩摩焼や印籠、近年海外から買い戻された、ほとんど未紹介であった刺繍絵画など、選りすぐりの約160点を紹介します。
鋭い観察眼から生まれたリアリティ、ミクロ単位で刻まれた文様、繊細な手仕事……海外の人々を驚愕させた明治の日本人たちの真の底力をぜひ感じとってください。

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関連行事

対談 「再発見、明治工芸の粋」
講師:村田理如(まさゆき)さん(清水三年坂美術館館長) 山下裕二さん(本展監修者、明治学院大学教授)
日時:2015年4月29日(水曜日・祝日)午後2時から 会場:多目的スタジオ(参加無料)
※終わってしまいました。すみません。

美術講座「知られざる明治工芸の魅力」
講師:当館学芸員
日時:2015年5月23日(土曜日)午後2時から
会場:講義室(入場無料)

ギャラリートーク
講師:当館学芸員
日時:2015年5月9日(土曜日)、6月6日(土曜日)午後2時から
会場:企画展示室(観覧券が必要です)

 

チラシには書いていないようですが、電話で確認したところ、これまでの巡回先と同様に、光雲の木彫2点「法師狸」、「西王母」が展示されています。

それ以外の七宝や牙彫、自在置物なども目を見張るものばかりです。

特に福島の方、お見逃し無く。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月2日

昭和5年(1930)の今日、詩「春の一年生」を執筆しました。

いい香(にほひ)がする、
あたらしい香がする。
この学校の香かしら、003
このカバンの香かしら、
この本の香かしら。
おなか一ぱい息を吸ふと、
しんからうれしくなるやうな、
こんないい香がする。

小学校はもう昔、
今日から新規の一年生。
ほんとに新規、ほんとに始まり。
どんなお話や、どんな学科や、
どんな遊戯や、どんなお友だちが、
この学校に待つてるのかしら。
おもしろい、たのしい、
さうして、少しはむづかしい、
まだ聞いたこともない事がたくさん、たくさん、
あの原つぱの草の芽のやうに青々と、
桜の花の蕾のやうにあかあかと、
きつとみんなを待つてゐる。
みんなといつしよに勉強するのはいいな。
声をあはせてうたふのはいいな。
組をそろへて遊ぶのはいいな。
今日から新規の一年生、
立派な新規の一年生。

空には春かぜ、地には希望、
少年少女は春のやうだと、
ラヂオのをぢさんが言つてゐた。
春のやうならたのしいな。
春は何でもきれいで明るい。
私が春ならどうしよう。
うそは決してつくまい、
正しい人にならう、真理を究めよう、
すなほに、やさしく、のびのびと、
朝日のやうにいきいきと進まう。
ああ、ほんとにいい香がする。
おなか一ぱい息を吸ふと、
ひとりでうれしくなるやうな、
こんないい香がする。


右上の画像は光太郎の手許に残された草稿です。欄外に「冨山房教科書一年生用のために。」と書き込みがあります。ただ、この詩が載った当時の教科書がまだ確認できていません。

「一年生」といっても、「小学校はもう昔」とあるので、小学一年生ではありません。当時の教育制度に鑑みると、小学校卒業後に進む、旧制中学校(5年制)や高等女学校などの一年生です。使われている語句も、その年代の子供が対象と考えて矛盾はありません(「遊戯」がひっかかるのですが……)。

情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。

山口県から企画展情報です。

昨年4月から7月に、東京日本橋の三井記念美術館さんで開催された企画展で、その後、10月から12月に静岡の佐野美術館さんを経て、三館めの巡回になります。さらに6月から富山県水墨美術館さんに廻るそうです。

※ 2015/5/2 追記 富山県水墨美術館さんの前に、郡山市立美術館さんが入りました。

光雲の木彫2点「法師狸」、「西王母」が展示されます。 

特別展 超絶技巧!明治工芸の粋―これぞ、明治のクールジャパン!!

2015年2月21日(土)〜4月12日(日) 山口県立美術館 山口市亀山町3-1
[開館時間] 9:00〜17:00 (入館は16:30まで) [休館日] 月曜日(ただし3月2日、4月6日は開館)
[観覧料] 一般1200(1000)円/学生・シニア1000(800)円
◎コレクション展セット券〈当日券のみ〉 一般1300(1100)円/学生1100(900)円

※シニアは70歳以上の方、( )内は前売りおよび20名以上の団体料金。※18歳以下および高等学校、中等教育学校、特別支援学校に在籍の方等は無料。
※前売り券はローソンチケット(Lコード66380)、セブンチケットおよび県内各プレイガイドでお求めください。
[主催] 山口県立美術館、朝日新聞社、yab山口朝日放送 [協力] 清水三年坂美術館 [監修] 山下裕二(明治学院大学教授)
[企画協力] 広瀬麻美(浅野研究所) [特別協力] 山口県職業能力開発協会、エフエム山口
[協賛] 公益財団法人やまぐち産業振興財団、一般社団法人山口県発明協会

思わず息をのむ、細密さ。目を疑うような、リアリティ。
近年、メディアでも盛んに取り上げられ、注目を集めている明治の工芸。激動の時代に花開いた、精緻きわまりない超絶技巧の数々は、眩暈(めまい)がするような衝撃をもって私たちを魅了します。しかしその多くは当時輸出用として制作されたため、海外で高い評価を得てきた一方、日本国内において全貌を目にする機会はこれまでほとんどありませんでした。忘れられかけた明治工芸の魅力を伝えるべく、長年をかけて今や質・量ともに世界随一と評されるコレクションを築き上げたのが、村田理如(まさゆき)氏です。本展では、村田氏の収集による京都・清水三年坂(きよみずさんねんざか)美術館の所蔵品から厳選した、七宝(しっぽう)、金工、漆工、牙彫(げちょう)など、多彩なジャンルにわたる作品を一堂に公開します。160点以上にのぼる優品を通して、明治の匠たちが魂を込めた、精密で華麗な明治工芸の粋(すい)をお楽しみください。

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関連行事

入門講座 初めての明治工芸
本展の担当学芸員による入門講座。
作品にまつわる背景と見どころを交えながら、展覧会と明治工芸の魅力をご紹介します。
[日時]3月7日(土) 14:00〜15:00
[講師]岡本麻美(山口県立美術館 専門学芸員)
[会場]山口県立美術館 講座室
[定員]80名(当日先着順)、聴講無料

トークイベント「日本美術応援団 明治工芸を応援する! in 山口」
「日本美術応援団」団長を務める本展監修者・山下先生と、NHK『日曜美術館』の司会者としてもおなじみの新・応援団員、井浦新氏。
一昨年の「五百羅漢図展」に引き続き、日本美術を応援する二人が明治工芸の魅力をあつく語ります。
[ゲスト]井浦 新氏(俳優、クリエーター)、山下裕二氏(本展監修者、明治学院大学教授)
[日時]3月21日(土・祝) 14:00〜15:30 
[会場]山口県教育会館 大ホール 
[定員]300名(先着順・要事前申込) 
[料金]トークイベントのみ:500円 
◎セット料金(トークイベント+展覧会観覧券):一般1500円/学生・シニア1300円
※18歳以下および高等学校、中等教育学校、特別支援学校に在籍の方等は無料。
【お申し込み】「明治工芸展トークイベント参加希望」として、
①代表者氏名 ②年齢 ③住所 ④電話番号 ⑤参加人数を明記の上、下記の申込フォームより、もしくは往復はがきにて、美術館までお申し込みください。当館より折り返しご連絡いたします。


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お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月4日

昭和22年(1947)の今日、明治末の新詩社時代からの親友だった作家、水野葉舟死去の報に接しました。

当日の日記から。

郵便物の中に電報あり。水野葉舟死去と見ゆ。(ヨウシウシス」シキ五ヒヒミヅノ)とあり電文脱字あれど死去確かなり。驚く外なし。肺か癌か。ゆきたけれど今はゆきがたし。

葉舟の死は2月2日。死因は肋膜炎でした。

9月も下旬となりました。10月に行われる光太郎智恵子、光雲関連のイベント等を順次紹介していきます。 
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平成26年10月4日(土)~平成26年12月23日(火)
 
佐野美術館 〒411-0838 静岡県三島市中田町1−43 TEL:055-975-7278 FAX:055-973-1790
 
入 館 料  一般・大学生1,000円 小・中・高校生500円 ※毎週土曜日は小中学生無料
開館時間 10:00~17:00(入館の受付は16:30まで)
休 館 日  木曜休館
主  催  佐野美術館、三島市、三島市教育委員会、静岡新聞社・静岡放送
後  援  静岡県教育委員会
助  成  医療法人社団清風会 芹沢病院
協  賛  伊豆箱根鉄道株式会社
協  力  清水三年坂美術館
監  修  山下裕二(明治学院大学教授)
企画協力 広瀬麻美(浅野研究所)
 
鋭い観察眼から生まれた本物と見紛うほどのリアリティ、文様をミリ単位で刻み、彩色し、装飾を施す繊細な手仕事――明治時代、表現力・技術ともに最高レベルに達した日本の工芸品は、万国博覧会に出品され海外の人々を驚嘆させました。多くは外国の収集家や美術館に買い上げられたため、日本で目にする機会はほとんどありませんでした。
その知られざる存在となりつつあった明治の工芸に魅了されたのが村田理如(むらた まさゆき)氏です。村田氏は1980年代後半、出張先のニューヨークの骨董商で日本の印籠に出会ったことをきっかけに収集を始め、2000年京都に清水三年坂美術館を設立。現在、1万点を超えるコレクションを築き上げています。
本展は、村田コレクションから並河靖之(なみかわ やすゆき)らの七宝、正阿弥勝義(しょうあみ かつよし)らの金工、柴田是真(しばた ぜしん)・白山松哉(しらやま しょうさい)らの漆工、旭玉山(あさひ ぎょくざん)・安藤緑山(あんどう ろくざん)の木彫・牙彫をはじめ、京薩摩の焼きものや印籠、刺繍絵画など厳選した約160点により、明治の工芸家たちの気概を表した「超絶技巧」の世界を展観します。
 
 
関連イベント
 
日 時 2014年10月25日(土) 14:00~15:30 
講 師 村田理如(清水三年坂美術館館長)、山下裕二(本展監修者・明治学院大学教授)
会 場 佐野美術館講堂
定 員 60名
参加費 500円
申 込 要申込・先着順
一万点を超えるコレクションを築いた清水三年坂美術館の館長・村田理如氏と、「超絶技巧! 明治工芸の粋」展の監修者・山下裕二氏が、明治工芸について熱く語ります。
コレクターと研究者と、立場の違うお二人から、どんな話題が繰り出されるのか、どうぞお楽しみに。
 
 
今年4月から7月にかけ、日本橋の三井記念美術館さんで開催されていた同じ企画展の巡回です(その後、山口県立美術館さんが2015年2月21日~4月12日、さらに富山県水墨美術館さんで2015年6月中旬~8月上旬だそうです)。
 
三井記念美術館さんに観に行ったレポートにも書きましたが、光雲作の木彫、「西王母」と「法師狸」が並びます。
 
その他、七宝、金工、漆工、薩摩焼、刀装具、自在置物、牙彫、印籠、刺繍絵画……まさしく「超絶技巧」が目白押しです。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
 
当方、本日は国分寺に、テルミン奏者・大西ようこさんとギタリスト三谷郁夫さんによるコンサート「もう一つの智恵子抄」を聴きに行って参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月20日
 
昭和15年(1940)の今日、昭森社から森谷均編、『風経』が刊行されました。
 
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光太郎をはじめ、富本憲吉、北園克衛、土方定一、佐藤惣之助、倉田叕、蔵原伸二郎ら、美術家、文学者20余名の寄稿による書籍です。表紙は棟方志功。
 
光太郎の作品は、散文「鷗外先生の「花子」」。ロダンのモデルを務めた日本人女優、花子を描いた鷗外の短編小説「花子」について述べています。

千葉県は我孫子市にある我孫子市白樺文学館。先週、行って参りました。4年ぶり、4回目ぐらいの訪問でした。
 
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現在、下記の企画展が開催中です。 

柳宗悦展-出会いと絆の地、我孫子-

7月3日(木曜日)から9月28日(日曜日)まで
午前9時30分から午後4時30分 休館日は月曜日。月曜日が祝祭日の場合は開館し、次の平日が休館日。
一般 300円、高校生・大学生 200円
〒270-1153 千葉県我孫子市緑2-11-8
 
 宗教哲学者、思想家、美学者、そして民藝運動の父、柳宗悦。宗悦は、1914(大正)3年9月初旬25歳の時に我孫子へ移住し、1921(大正10)年3月までを過ごしました。我孫子での活動は、宗悦にとってかけがえのないものであったといえます。
 『白樺』同人として西洋美術の積極的な紹介に努め、特にロダンとの交流により手に入れた彫刻は、朝鮮半島で教員をしていた浅川伯教を我孫子に導き、民藝運動の基礎となる朝鮮陶磁器「秋草文面取壺」との出会いをもたらします。
 陶芸家バーナード・リーチとの絆を深め、浜田庄司との出会いもここ我孫子の地でした。そして『白樺』同人である志賀直哉、武者小路実篤を我孫子に導き、生涯にわたる絆をここで結んだといっても過言ではありません。また我孫子の地は、宗悦にとって妻兼子との新婚時代を過ごした地であるとともに、初めて自らの家庭を築いた地、つまり家族の絆を築いた場所です。
  柳宗悦にとって我孫子は「出会い」と「絆」の地であったといえます。
 本企画展では、我孫子来訪100年を記念し、「出会い」と「絆」をコンセプトに、日本民藝館所蔵品を中心に宗悦の我孫子時代の活動を紹介します。
 
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光太郎は『白樺』の準同人のような立ち位置でした。大000正期にロダンを紹介する上で、光太郎と白樺派との接点が大きかったので、白樺派の面々と親しく交わっていました。右はロダンの「鼻のつぶれた男」。今回の企画展でも展示されています。
 
特にバーナード・リーチはロンドンでの光太郎との出会いが大きな機縁となって来日、以後も交流を続けましたし、武者小路実篤などとも晩年までつきあいが続きました。他にも有島兄弟、長与善郎、木下利玄、岸田劉生、そして柳宗悦。今回の展示では、これらの人々の集合写真で、光太郎が写っているものも並んでいました。
 
ただし、白樺派の面々が移り住んだ、この我孫子には光太郎の足跡は残っていないようです。
 
文学館のすぐはす向かいが、志賀直哉の旧宅跡。書斎として使用していた棟のみ残り、市の文化財に指定されています。母屋があった場所には、基礎部分をかたどった敷石が敷き詰められています。
 
 
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また、やはりすぐ近くの手賀沼には、昭和49年(1974)に建立されたリーチの碑も。
 
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リーチの描いた巡礼者の絵と、英文の詩が刻まれています。傍らには解説の碑。
 
我孫子には他にもジャーナリスト・杉村楚人冠記念館、柳の旧宅跡、柳の叔父の嘉納治五郎別荘跡など、文学散歩にはもってこいです。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月12日
 
昭和20年(1945)の今日、親友の作家・水野葉舟にあてて、花巻郊外太田村の山小屋の図面入りの長い手紙を書きました。
 
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現在、「高村山荘」として保存されているものですが、もともと鉱山の飯場小屋だったものを買い取り、村人の協力で解体移築、翌月から7年間、この小屋み住むことになります。
 
上記画像に見える当初の構想では、「月見台」などと洒落たものを作る予定でしたが、これは実現されませんでした。また、「総板敷(彫刻製作のため)」とあります。やはり当初はここで彫刻にいそしむ予定だったのですが、戦争協力に対する深い反省から、彫刻は封印されます。簡単なものは作ったようですが、彫刻らしい彫刻は一点も作りませんでした。
 
その封印を解いたのは、7年後。青森県から委嘱された十和田湖畔の裸婦像、通称乙女の像の制作でした。

愛知は碧南市から企画展情報です。
 
昨年、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の巡回があった、碧南市藤井達吉現代美術館さんで、以下の企画展が始まります。 
 
光太郎の代表作の一つ、ブロンズの「手」も並びます。
 
9/13追記 残念ながら光太郎の代表作の一つ、ブロンズの「手」は、高岡展では展示されましたが、碧南には出ないそうです。すみません。

メタルズ!-変容する金属の美-

会  期 平成26(2014)年9月11日(木)から10月19日(日)まで
観覧時間  10:00-18:00
休 館 日 月曜日(ただし、9月15日(月・祝)及び10月13日(月・祝)は開館、翌日は休館)
観 覧 料 一般800(640)円 高校・大学生500(400)円 小学・中学生300(240)円
 
    ※()は20名以上の団体
 
関連イベント
■記念講演会 
日  時 2014年9月27日(土) 午後2時~3時30分 
講  師 村上隆氏(高岡市美術館館長/京都美術工芸大学教授)
内  容 「変容する金属の美」
場  所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
定  員 先着60名 (定員になり次第締切)
 
■ 美術講座
日  時 2014年10月4日(土) 午後2時~3時30分 
講  師 土生和彦(碧南市藤井達吉現代美術館学芸員)
内  容 「ブロンズによる人の姿」
場  所 大浜まちかどサロン2階(美術館向かい)
定  員 先着60名 (定員になり次第締切)
 
■ 工場見学と企画展観覧
ステンレスの製造工場を見学した後、担当学芸員とともに市内の野外彫刻、企画展を観覧します。
日  時 2014年9月28日(日) 午後2時~3時30分
対  象 中学生以上
昼 食 代 500円(企画展観覧には別途観覧料金が必要です。団体割引料金を適用します。)
定  員 先着20名 (定員になり次第締切)
 
■ ワークショップ 
銅板に好きな図案を鉄筆で描き、レリーフを作ります。
日  時 2014年10月5日(日) 
 1 小学生対象(12名まで):午前10時から正午まで
 2 一般(中学生以上12名まで):午後1時30分から4時30分まで
テ ー マ 銅のいぶしレリーフ
講  師 小島雅生氏(造形作家/東海学園大学准教授)
参 加 費 小学生:500円 一 般:2500円(展示用額付)
場  所 美術館地下1階創作室
 
■野外彫刻散歩
美術館周辺の野外彫刻を担当学芸員とともに歩いて巡ります。
日  時 2014年10月11日(土) 午前11時から12時30分まで
行  程 美術館出発→臨海公園野球場前→臨海体育館・水族館解散
参 加 費 不要
 
■ギャラリー・トーク
当館学芸員が展示作品の解説を行います。
日  時 9月:13日(土)、20日(土) 10月:11日(土)、18日(土)
 午後2時より(約30分)

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ぜひ足をお運びください。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月25日
 
昭和18年(1943)の今日、詩人、佐藤惣之助の追悼文集『佐藤惣之助おぼえ帖』が櫻井書店から刊行されました。001
 
佐藤惣之助(明23~昭17)は、句誌『とくさ』、文芸誌『テラコツタ』などに依った詩人です。
 
作詞家としても活躍、「赤城の子守歌」(作曲・竹岡信幸/歌・東海林太郎)、「大阪タイガースの歌」(現・「阪神タイガースの歌」、通称「六甲おろし」 作曲・古関裕而)などをてがけました。
 
光太郎の「詩魔佐藤惣之助氏」が掲載されています。抜粋します。
 
個人的に往来する間柄でなかつた私にも、佐藤氏の寛𤄃な気性と、清濁併せ呑む気宇と、内に包蔵する取つて動かぬ 耿介の精神とにはいつも心を惹かれてゐた。山ほどあつたであらう其の為残した仕事を抱いたまゝ急逝された事は惜しい上にも惜しい。

最近、このブログでご紹介した企画展につき、報道がなされていますので、2件、ご紹介します。いずれも光太郎の名前が入っているものです。
 
まずは、金沢で開催中の「中村好文 小屋においでよ!」 について。 

暮らし、12平方メートルに凝縮 金沢で中村好文の「小屋」展

『朝日新聞』 2014年7月9日 無題
 
 人が暮らせる最小限の空間を追求した建築展「小屋においでよ!」が、金沢市の金沢21世紀美術館で開かれている。建築家の中村好文が寝食、調理、風呂、トイレの機能を12平方メートルに凝縮した。
 
 中村が作った「小屋」は、幅3メートル、奥行き4メートル。だが天井が3メートルと高いせいか、内部は広く感じる。間取りはワンルーム。居間の窓際にソファベッドが造り付けられ、寝室を兼ねている。右手奥に台所があり、勝手口に通じる。左手奥にはシャワーとトイレ。小さなクローゼットもある。
 
 中村は武蔵野美術大在学中から、住宅の設計に興味を持った。悪条件であるほど建築家の能力が問われると考え、いわゆる狭小住宅を好んで設計してきた。今回の作品は「建築というより営巣」。「小屋をテーマに住宅の本質をあぶり出したい」と話す。
 
 設計には、名作といわれる小屋を見てきた経験が生きている。建築家ル・コルビュジエの「休暇小屋」、詩人で彫刻家の高村光太郎が晩年に住んだ岩手県花巻の「山荘」。アメリカの文筆家ソローが「森の生活」で描いた小屋も参考にした。
 
 裏テーマは「エネルギー」だという。屋根に太陽光発電パネルをつけ、一つしかない電灯の電源を賄う仕組み。屋根の上の樽(たる)に雨水をため、シャワーは太陽熱で温めたタンクの水で、炊事は七輪の炭火で。「この家を見て、暮らしを考え直してもらうのが目的。質素で簡素な暮らしを『いいな』と思ってもらえれば」
 
 設計段階のスケッチや図面、ル・コルビュジエ、高村光太郎らの「名作小屋」の模型なども展示している。(安部美香子)
 
 
続いて、高岡市美術館の「メタルズ!-変容する金属の美-」展について。

金属の機能切り口に メタルズ!展-村上隆高岡市美術館長に聞く(下)

北日本新聞』 2014年7月8日003
 
■既成概念取り払う
 高岡市美術館で開かれている「メタルズ!-変容する金属の美」展は、全国の美術館や博物館が所蔵する古代から現代までの約100点の金属造形作品がそろう。企画・監修した村上隆高岡市美術館長がこだわったのは、その「見せ方」だ。時間軸にとらわれず、金属の機能性にスポットを当てた展示とし、これまでにない展覧会を実現させた。

 二条城に飾られていた国宝の釘隠(くぎかくし)、法隆寺伝来の重要文化財「金銅小幡(こんどうしょうばん)」、国内で唯一出土した金製の勾玉(まがたま)…。会場には、歴史的に価値が高い古代や中近世の名品が並ぶ。京都国立博物館学芸部長を務めていた村上館長のネットワークで、高岡に初めてこうした逸品が集うことになった。

 近現代の作品も、美術の教科書でおなじみの高村光太郎「手」や、芥川龍之介が「この首は生きている」と語った逸話が残る中原悌二郎「若きカフカス人」など、多様な作品がそろった。

 村上館長は「美術館、博物館という枠組みを取り払いたかった」と意図を説明する。一般的に、美術館は明治時代以降、博物館は明治以前の作品を展示するケースが多いが、そうした枠組みにとらわれると、金属の多様な美は紹介できない。目指したのは、既成概念に縛られない自由な展覧会だ。

 「お勉強の場にはしたくない」と、時代や年代別に並べることはせず「金属が持つ機能性を大事にして展示の構成を考えた」。金属は硬く強いだけでなく、独特の光沢があり、振動や熱を伝えるなどの特性を持つ。企画展会場の三つの展示室のうち、古代から近代までの金属造形を集めた第2室は「飾り」「響き」「器」など機能別に並べた。

 近現代の作品は機能ではくくりにくいため、第1室に工芸作品と具象彫刻、第3室は抽象的な造形作品を集めた。「時代とともに、金属は道具だけでなく自己表現の素材として用いられるようになる。機能で分けられなくなるのは当然」とし、それぞれの展示室の中で見せ方を工夫した。

 日本の金属造形史を美術館的な手法で俯瞰(ふかん)する「メタルズ!」展は、金工のまち・高岡を出発点に全国4市を巡回する。村上館長は「日本人の生活の中で、金属造形がどういう意味合いを持ってきたかを見てもらう場。新たな発想を生むためにも、いろんな見方をしてほしい」と語った。■第1室「二度楽しめる空間」
 村上隆館長が「メタルズ!」展の展示で最も苦労したのは、近現代の工芸作品と具象彫刻を集めた第1室だ。

 工芸は、伝統的な金工技術を踏襲しつつ新しい方向性を追求した作品群。芸術表現の素材として金属を用いた彫刻とは、性質が全く異なる。村上館長は「両者のせめぎ合いを目の当たりにし、本当に悩んだ」と振り返る。

 そこで考えたのが、二つの世界の良さを生かす展示。壁面のガラスケース内には工芸作品を並べ、中央の開けたスペースに彫刻を展示した。

 彫刻は、村上炳人(へいじん)「つめこまれたちえぶくろ」を中心に、12点を円形に配置した。時計や十二支を意識したという。にらみ合うネコ(朝倉文夫「眈々(たんたん)」)とカラス(柳原義達「道標 鴉(からす)」)など、それぞれの作品の目線の先も意識して鑑賞すると面白い。中央の「つめこまれたちえぶくろ」は正面がない全方位的な作品で、磨き上げられた金属部分が周囲の作品を映し出す効果もある。

 村上館長は「一つの空間で2度楽しめる展示になったと思う。ぜひ足を運んで展示の秘密を読み解いてほしい」と話した。(高岡支社編集部・荒木佑子)

 「メタルズ!」展は8月31日まで。高岡市美術館開館20周年・北日本新聞創刊130周年記念。高岡の後、碧南市藤井達吉現代美術館(愛知)、北九州市立自然史・歴史博物館(福岡)、新潟市新津美術館(新潟)を巡回する。
 
ところで、また見落とすところでしたが、「メタルズ」展、昨年、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展を開催した、愛知碧南藤井達吉現代美術館にも巡回されるのですね。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月11日
 
明治28年(1895)の今日、光雲が、京都で行われた第四回内国勧業博覧会に木彫「氷室翁」を出品し、妙技二等賞、「天鹿馴兎」「睡猫置物」で妙技三等賞を受賞しました。

富山県高岡市から企画展の情報です。

高岡市美術館開館20周年記念 メタルズ!-変容する金属の美-

期 日 : 2014年6月28日(土)~8月31日(日)
会 場 : 高岡市美術館 富山県高岡市中川1丁目1番30号
時 間 : 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
料 金 : 
一般1,000円(前売・団体・65歳以上800円)、
      高校・大学生700円(団体560円)
 小中学生300円(団体240円)

休 館 : 月曜日(月曜日が祝・休日の場合は開館し、翌平日に休館)
 
 金属器生産の長い歴史を持つ高岡から発信する展覧会。古代から現代に至るさまざまな金属造形・金属工芸作品を展示します。展示構成は、時間軸にとらわれずに、輝き、彩り、音など、金属の持つ特性や機能性に着目するなど、これまでにない切り口とします。
 
 本展は、400年にわたる金属器生産の歴史を持つ高岡からの発信として、高岡市美術館が企画し、金属産業とゆかりの深い地域の博物館・美術館と連携して開催します。各地の博物館・美術館のご協力のもと、古代から現代に至るさまざまな金属造形作品、金属工芸作品をご覧いただきます。
 その構成は、時間軸にとらわれずに、例えば、輝き、彩り、音など、金属の持つ特性や、道具、装飾などの機能性に着目するなど、これまでにない切り口とします。博物館・美術館がそれぞれの枠組みを超えて連携するのは画期的であり、美術界、さらには産業界に対しても「明日への提言」となる展覧会です。
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関連行事
 
○展覧会鑑賞と鋳造メーカー・作家アトリエ見学ツアー
第1回 7月11日(金)午後1時~5時
内容:展覧会鑑賞(学芸員による解説)/大澤美術鋳造所/般若鋳造所/畠春斎家
第2回 7月18日(金)午後1時~5時
内容:展覧会鑑賞(学芸員による解説)/株式会社老子製作所/平和合金株式会社/中村美術工芸
集合・解散 いずれも高岡市美術館  参加料 観覧券が必要
申込み 7月1日(火)午前9時30分から受け付け 
     電話(0766-20-1177)先着12名まで受付け 1回のみの参加も可能
 
○連続講演会
(1)「近代作家の工芸表現について」 7月19日(土)午後2時~3時30分
  講師 諸山 正則氏(東京国立近代美術館工芸館 工芸室長)
(2)「変容する金属の美」 7月26日(土)午後2時~3時30分
  講師 村上 隆(高岡市美術館長)
いずれも 高岡市美術館BF ビトークホール (聴講無料・申込不要)
 
○シンポジウム ・トークショー 「メタルズ!展を語ろう」
井浦 新氏(俳優、NHK日曜美術館キャスター)×村上 隆
パネルディスカッション「金属の美について語ろう」
 コーディネーター:村上 隆(高岡市美術館長)
パネリスト:大澤 光民氏(人間国宝 金工作家)  能作 克治氏(株式会社能作 社長)
      原田 一敏氏(東京藝術大学大学美術館 教授)
      平戸 香菜氏(金屋町金属工芸工房かんか 金工作家)
とき 8月10日(日)午後1時30分~4時10分(開場 午後1時)
ところ 高岡市生涯学習センターホール(高岡市末広町1番7号ウイング・ウイング高岡4F)
参加料 無料


富山県高岡市は、鋳造による「高岡銅器」の街として有名です。そちらで館長の村上隆氏自らが企画・監修されたという企画展です。約100点の、古代から現代に至るまでの金属造形作品が展示されているそうです。ネット上で出品目録が見つかりませんが、光太郎作のブロンズ彫刻「手」も出品されているとのこと。
 
また、関連行事ではNHK「日曜美術館」でおなじみの俳優・井浦新さんもご登場。
 
お近くの方、ぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月8日
 
昭和27年(1952)の今日、盛岡の岩手県公会堂で、ジャーナリスト・下村海南の講演会を聴きました。

昨日、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館000」を拝見しました。
 
日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」展にリンクして制作されており、非常に見応えがありました。
 
同展出品作の中から、主に3つが大きく取り上げられました。
 
まず、安藤緑山作の牙彫「筍」。明珍一派の手になる自在置物、西村総右衛門による刺繍絵画「孔雀図屏風」。
 
それぞれ、現在も類似の作品を作っている工芸家の方にインタビューしたり、技法を再現してもらったりしながら紹介されており、興味深い内容でした。
 
それらの方々や、コメンテーターとしてご出演なさった同展監修者の山下祐二明治学院大学教授の語録です。
 
「人の手で出来る限界を追求している」
「人間3Dプリンター」
「誰が見たってびっくりする凄いもの」
「スポーツ選手が技の極限に挑戦するアスリート的な意識に似ている」
 
言い得て妙、です。
 
また、MCの井浦新さんが、自在置物の数々を実際に手にとられていました。画像の「蛇」など、すべての接合部が可動する仕組みになっており、どれだけ手間がかかっているんだと、舌を巻く思いでした。それは「筍」や「孔雀図屏風」にもいえることです。「孔雀図屏風」は、人間国宝の福田喜重氏によれば、「制作に3年かかるだろう」とのこと。
 
ちなみに自在置物の作者、「明珍」は、甲冑師の家系です。江戸時代になって、甲冑の需要が激減したことにより、その技術を応用してこうした自在置物に転じたとのことです。
 
ただ、明珍一派の全てが自在置物に転じたかというとそうではありません。東京美術学校で光太郎の一学年下だった明珍恒夫は、光雲の元で仏像彫刻の技術に磨きをかけ、卒業後は奈良美術院で古仏修復の仕事にあたりました。
 
こうした「工芸」の数々。評価が難しいところだと思います。技術的には本当に素晴らしいもので、まさに「超絶技巧」です。日本の職人の「ものづくり」に対する精神の極致といえるでしょう。
 
しかし、「芸術」という観点からみたらどうなのでしょうか。
 
光太郎晩年の談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)の中に、おそらく自在置物を指すと思われる次のような一節があります。
 
 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。
 
その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。
 
一言で言えば、方向性の違いだと思います。
 
光太郎は具象彫刻の作家だと言われますが、「人間3Dプリンター」のような方向性ではなく、具象の中にも抽象的な表現を取り入れています。それこそ蟬の羽根の厚さに対する処理などです。
 
それに対して安藤緑山の牙彫や明珍一派の自在置物などは、具象の極致。そこには「芸術」という意識はないのかも知れません。すると、どちらが上、どちらが優れている、そういう議論は不毛のような気がします。目指すものが違うのですから。
 
ともあれ、三井記念美術館さんで開催中、さらには来年まで全国巡回されるこの展覧会、ぜひご覧頂きたいと思います。
 
また、「日曜美術館」、今回の内容が来週日曜日、午後8時00分から再放送されます。ご覧になっていない方はこちらもお見逃しなく。同展に出品されている光雲作の木彫について言及されていなかったのが残念ですが……。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月12日

平成10年(1998)の今日、広島県立美術館において「南薫造展―イギリス留学時代を中心に」が開幕しました。
 
南薫造は広島出身の画家。東京美術学校卒、光太郎と同年です。明治末にイギリス、フランスに留学。ロンドンでは光太郎と留学の時期が重なり、同じく画家の白瀧幾之助を交え、よく行き来していました。
 
同展では、明治40年(1907)と推定される光太郎から南に宛てた絵手紙も出展されました。
 
昨夕引越し申候。
ポリテクニツクの直ぐ側に候へば学校の御帰りがけにても御寄り披下度候。午後二時頃には小生大抵帰宅致し居候。夜は大方在宅の筈に候。
高村光太郎
 
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テレビ放映情報です。 

日曜美術館 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」

NHKEテレ 2014年5月11日(日)  9時00分~9時45分 再放送 5月18日(日)  20時00分~20時45分
 
万国博覧会などを舞台に西欧に輸出され、爆発的な人気を誇った「明治の工芸」。時代が変貌する中、危機に見舞われた職人たちが、技の限りを尽くして生み出した驚異の世界。
 
象牙で作られた本物そっくりのタケノコ。体が自由自在に動く金属のヘビ。刺しゅうで描かれた巨大なクジャク。激動の時代、日本人の技と誇りをかけて生まれた驚異の世界がある。「明治の工芸」。万国博覧会などを通して西欧に輸出されたため、作品の多くが海外のコレクターの手に渡った。日本では長く忘れ去られた存在だったが「現代では再現不可能」とまで言われる超絶技巧にいま注目が集まっている。技の再現に挑み、秘密に迫る。
 
出演 明治学院大学教授…山下裕二, 司会 井浦新,伊東敏恵
 
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日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」に関連しての番組です。出展中の光雲作木彫「西王母」「法師狸」も紹介されるといいのですが……。
 
ところで、番組公式ページに依れば、同展の巡回情報が更新されています。期日未定だった山口県立美術館さんが2015年2月21日~4月12日、さらに巡回先が一つ増えています。富山県水墨美術館さんで2015年6月中旬~8月上旬だそうです。
 
展覧会、番組ともにご高覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月5日

大正5年(1916)の今日、雑誌『婦人週報』に、智恵子のアンケート回答「女なる事を感謝する点」が載りました。
 
曰く、
 
 私に恋愛生活(現在の)が始まつてから、始めてさういふ感じを意識しました。これは一つの覚醒です。其の他にはまだ私には経験がありません。「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。
 
いかにも智恵子らしい発言ですね。

一昨日、東京国立博物館で光雲作「老猿」、光太郎作「老人の首」を観た後、日本橋の三井記念美術館さんに行きました。こちらでは「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」が開催中です。
 
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上記はチラシですが、ここにあるとおり、「七宝」「金工」「漆工」「薩摩」「刀装具」「自在」「牙彫・木彫」「印籠」「刺繍絵画」の各テーマ別に、百数十点の作品が並んでいます。
 
どれもこれも舌を巻くような技巧がこらされ、しかも趣味がいい作品ばかりです。副題にある「村田コレクション」とは、京都・清水三年坂美術館館長の村田理如氏の収集による同館収蔵品ということです。
 
明治期のこうした工芸については、近年まで正当な評価がされてきませんでした。一つには、主に輸出用に作られたため、国内に現物があまり残っていないという理由があります。村田氏は海外から買い戻したりして収集にあたられたとのこと。頭が下がります。
 
また、一部には度を超して技巧を凝らしすぎた作品があったのも事実です。そのため、永らくゲテモノ扱いされていたという部分があります。
 
そうした経緯は同展図録に掲載の村田氏「明治の工芸に魅せられて」、それから同展監修者の明治学院大学教授・山下裕二氏「超絶技巧の逆襲――明治工芸の再評価に向けて」に詳述されています。
 
1970年代刊行の日本美術史の書籍では、明治期の工芸はほとんど黙殺。「明治以降を専門領域とすることなど、アカデミックな研究者としてはいかがなものか、というような空気がたしかにあった」というのです。
 
上記画像のタケノコの作者、牙彫の安藤緑山などは、未だに生没年すら不詳ですし、弟子もとらなかったとのことで、その着色の方法もよくわかっていないそうです。昨年、テレビ東京系「美の巨人たち」で取り上げられ、興味深く拝見しました。
 
明治の工芸に光があたるようになって20年くらいでしょうか。当方、平成7年(1995)3月刊行の『芸術新潮』を持っていますが、「日本人が見捨てた明治の美「置物」彫刻の逆襲」という特集記事が載っています。
 
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第一部が「明治の木彫王高村光雲ものがたり」32ページ、第二部が「異人さんに買われていった明治輸出工芸の底力」27ページ。
 
この頃から、ようやく明治期の工芸が無視できない風潮になってきましたが、この時点では、まだゲテモノ扱いです(光雲作品は違いますが)。曰く、
 
悪趣味なまでに大胆、過剰なこのデザイン! これでもか、これでもかと持てる技巧を尽くしたこの出来ばえ……明治の職人たちが生き残りを賭けて生んだ異形の工芸品は、それが輸出用であったがために日本では忘れ去られて、欧米で静かに眠り続けてきた。
 
その後、平成5年(1993)に開館された宮内庁三の丸尚蔵館の収蔵品に注目が集まるようになり、昨年には京都国立近代美術館で「皇室の名品-近代日本美術の粋-」展が開催され、それをもとにNHKさんで「皇室の宝「第1夜 日本の危機を救った男た救った男たち」「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」」が放映され、ここにきてとみに明治工芸に注目が集まっています。
 
確かに悪趣味なまでに装飾過剰のものも存在したのですが、000そうではない佳品もたくさん存在するのです。今回の三井記念美術館さんの展覧会を観ればよくわかると思います。ぜひ足をお運び下さい。
 
さて、今回、光雲の木彫が2点並んでいます。「西王母」(昭和6年=1931)、 「法師狸」(制作年不詳)です。大作の「老猿」とはまた違った、小品ならではの魅力に富んでいます。
 
以前にも書きましたが、下記日程で巡回されます。

佐野美術館(静岡県三島市) 
 2014年10月4日(土)~12月23日(火・祝)
山口県立美術館(山口市)
 2015年2月末~4月下旬
 
さらに、NHKさんの「日曜美術館」、5月11日の放送が「知られざる明治工芸の超絶技巧」という副題ですので、この展覧会を扱うものと思われます。同番組MCの井浦新さんは、この展覧会の関連行事のトークイベント「日本美術応援団 明治工芸を応援する!」で、山下氏とともにご出演されるそうです。
 
「日曜美術館」については、新たな情報が入りましたらまたお伝えします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月2日

明治37年(1904)の今日、神田の高折周一音楽講習所でヴァイオリンのレッスンを受けました。
 
日記によれば、四月からレッスンに通い始めたとのこと。束脩(入門料)は1円、月謝は1円50銭。自転車の荷台にバイオリンをくくりつけて通ったそうです。
 
高折周一は東京音楽学校出身のヴァイオリニスト。のちに渡米し、明治45年(1912)、有名なポトマックの桜の植樹式で、高折の曲が演奏されたという記録があります。
 
ポトマックの桜をアメリカまで運んだのは、日本郵船の阿波丸(Ⅰ世)という船。この船は、かつて明治42年(1909)、欧米留学から帰る光太郎が乗った船です。不思議な縁を感じます。

東京日本橋の三井記念美術館さんで、光雲の木彫作品が展示される企画展が、今日から始まります。 

超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―

会期 : 2014年4月19日(土)~7月13日(日)
主催 : 三井記念美術館 朝日新聞社
協力 : 清水三年坂美術館
時間 : 10:00~17:00 金曜日は19:00まで
 : 一般1,300円 大学、高校生800円 中学生以下無料
 
近年、美術雑誌・テレビ番組などで頻繁に取り上げられるようになった明治の工芸。 中でも、超絶技巧による、精緻極まりない作品が注目を集めています。しかしながら、 それらの多くが海外輸出用の商品であったため、これまで日本国内でその全貌を目ににする機会は、ほとんどありませんでした。
本展では、村田理如(まさゆき)氏の収集による京都・清水三年坂美術館の所蔵品のうち、並河靖之(なみかわやすゆき)らの七宝、正阿弥勝義(しょうあみかつよし)らの金工、柴田是真(しばたぜしん)・白山松哉(しらやましょうさい)らの漆工、旭玉山(あさひぎょくざん)・安藤緑山(あんどうろくざん)らの牙彫をはじめ、驚くべき技巧がこらされた薩摩や印籠、近年海外から買い戻された刺繍絵画など、選りすぐりの約160点を初めて一堂に展観いたします。
 
質・量ともに世界一の呼び声が高い、村田コレクション秘蔵の名品が三井記念美術館に勢ぞろいします。
 
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出品目録によれば、光雲の木彫作品が2点並びます。「法師狸」(制作年不詳)と「西王母」(昭和6年=1931)。 
 
他にも七宝や金工、牙彫、自在置物などで、明治期を代表する名工の作品がずらっと並ぶようです。東京美術学校の関係で光雲や光太郎と縁のあった作家の作も含まれます。石川光明、海野勝珉など。
 
これはぜひ観なければ、と思います。
 
また、以下の通り関連イベントも開かれます。 
 
 
トークイベント「日本美術応援団 明治工芸を応援する!」
出演: 井浦 新氏(俳優、クリエーター)、山下裕二氏(本展監修者、明治学院大学教授)
日時: 5月10日(土) 14:30~16:00
 
対談 「村田コレクションの来し方、行く末」
出演: 村田理如氏(清水三年坂美術館館長)、山下裕二氏(本展監修者、明治学院大学教授)
日時: 6月7日(土) 14:00~15:30
 
NHKさんの「日曜美術館」でおなじみ、井浦新さんもご登場です。
 
さらにこの企画展、以下の日程で全国巡回です。
 
佐野美術館(静岡県三島市) 2014年10月4日(土)~12月23日(火・祝)
山口県立美術館(山口市)  2015年2月末~4月下旬
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月19日

昭和56年(1981)の今日、山梨県北巨摩郡長坂町(現・北杜市)に、清春芸術村が開村しました。
 
「清春白樺美術館」を中核とする施設で、武者小路実篤、志賀直哉など『白樺』の同人が大正年間に建設しようとして、その夢を果たせなかった幻の「白樺美術館」を実現させようと作られたものです。
 
基本設計は建築家の谷口吉郎。「十和田湖畔の裸婦群像」台座や周辺の設計にも関わった人物です。
 
清春白樺美術館では、現在3点しか現存が確認されていない智恵子の油絵のうちの1点「樟」を所蔵しています。

こんなものを手に入れました。
 
『日曜美術館新聞』新春特別号。A2判二つ折り、全4頁です。
 
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NHKEテレさんで、日曜日の朝(本放送)と夜(再放送)に放映されている「日曜美術館」のPR誌のようです。
 
同番組では昨秋、「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」と題し、光太郎をメインで取り上げて下さいまして、当方もアドバイザーとして参加させていただきました。
 
最近も、1/19の放映で東京美術学校で光太郎と同級生だった藤田嗣治を取り上げて下さっています。
 
で、『日曜美術館新聞』。この中で、現在東京国立博物館で開催中の「人間国宝展-生み出された美、伝えゆくわざ-」が大きく取り上げられています。
 
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曰く、
 
工芸は時代に合わせて、伝統的な技の上に創作性や個性的なデザインが加わり、変化し広く受け入れられてきた。作家の創意工夫によって多様化した日本の工芸。“クラフト”でなく、世界に誇る日本の“コーゲイ”の奥行き有る美しさを再発見し、伝統の枠組みを超え未来へ託される可能性を展望する機会となるにちがいない。
 
まさしくその通りですね。
 
以前にも書きましたが、同展では光太郎の弟で鋳金家の高村豊周、その弟子で光太郎ブロンズ彫刻の鋳造を手がけた斎藤明の作品も展示されています。
 
会期は来月23日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月29日

明治44年(1911)の今日、智恵子の祖父・長沼次助が歿しました。
 
次助は新潟県南蒲原郡田上町の出身。郷里に妻子を残し、杜氏として二本松に来ていた際に、智恵子祖母の安斉ノシと所帯を持ち、長沼酒造を興しました。智恵子の母・センはノシの連れ子。したがって智恵子と次助に血のつながりはありません。それでも次助は智恵子をかわいがってくれたそうです。
 
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前列左端が次助、その後ろが智恵子。明治41年頃、長沼家の庭で撮られた一枚です。

昨日は都内に出かけました。
 
まずは、上野の東京国立博物館平成館で15日に始まった「日本美術の祭典 人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ―」を観て参りました。
 
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同館の資料館には調べ物で時々行くのですが、展示を見に行ったのは久しぶりでした。
 
ちなみに平成館のある一角は、大正6年(1917)から同11年(1922)まで、帝室博物館総長だった森鷗外の執務室があった区画だと言うことで、説明板があります。
 
さて、展示ですが、いわゆる「人間国宝」、正しくは重要無形文化財保持者のうち、工芸技術分野の歴代150余人の作品がずらっと並びました。どの作品をとっても、舌を巻くような技術、そして技術のみならず、この日本という国にはぐくまれた芸術性を感じさせるものばかりで、非常に見応えがありました。
 
光太郎の弟で、鋳金家だった豊周も人間国宝の一人、「鼎」が展示されていました。そしてその豊周の工房で主任を務めていた斎藤明氏の「蠟型吹分広口花器「北辛」」も。斎藤氏は連翹忌ご常連でしたが、昨秋に亡くなられました

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昨年の連翹忌にて、氏より「こんなものがあるんですが……」と、渡されたのが、平成9年(1997)に花巻で行われた第40回高村祭の記念講演「高村光太郎先生のブロンズ鋳造作品づくり」の講演筆録。各地に残る光太郎ブロンズ作品を実際に鋳造された経験が記されていました。一読して、美術史上、大変に貴重なものであると確信し、昨年10月に刊行した『光太郎資料40』に掲載させていただきました。
 
その直後に氏の訃報に接し、残念な思いでいっぱいでした。今回の展示も、存命作家の作品を集めたコーナーに並び、氏が昨秋亡くなった由、キャプションが追加されていました。
 
ちなみに氏の作品は、銅と真鍮、異なる金属を使っての鋳金です。その境界(といっても、継いであるわけではないのですが)の部分の微妙な味わいは、不可言の美を生み出しています。
 
画像は図録から採らせていただきました。この図録、2,300円もしましたが、300頁余で、近現代の日本工芸の粋がぎっしり詰まっており、観ていて飽きません。
 
実際の展示を観ながらもそう思ったのですが、光太郎と関連のあった人物で言えば、陶芸の濱田庄司、富本憲吉など、「この人も人間国宝だったんだ」という発見(当方の寡聞ぶりの表出ですが)もいろいろありました。
 
ところで人間国宝の制度ができて60年だそうで、もっと早くこの制度があったら、光雲やその門下の何人かは間違いなく選ばれていたでしょう。
 
光雲といえば、東京国立博物館には光雲の代表作の一つ、「老猿」も収蔵されています。ただ、展示替えがあるので常設展示ではなく、昨日は並んでいるかなと思い、本館にも寄りましたが、残念ながら並んでいませんでした。
 
そういうわけで国立博物館を後にし、その後、池袋に向かいました。過日のブログでご紹介したイラストレーターの河合美穂さんの個展「線とわたし」を観るためです。

こちらの会場は要町のマルプギャラリー。普通の民家と見まごう建物で、すぐに見つかりませんでした。
 
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中に入ると、やはり普通の民家を改装007してギャラリーにしてある風で、玄関で靴を脱いであがる様式でした。展示スペースは5坪ほどでしょうか、ペンと水彩を中心にしたかわいらしい作品が20点ほど掛かっていました。
 
宮澤賢治や中原中也へのオマージュ的なイラストに混じって、光太郎の「梅酒」をモチーフにした作品が一点。琥珀色の梅酒で満たされたガラス瓶の周りに微妙な色のグラデーションで描かれた梅の実が三つ。詩の中の「早春の夜ふけの寒いとき」のイメージでしょうか、背景の一部に使われた群青色もいい感じでした。
 
受付に賢治の「銀河鉄道の夜」による作品のポストカード的なものがあり、一枚、頂戴して参りました。これもあたたかみのあるいい絵ですね。「梅酒」のイラストもポストカード的なものにしてくださってあればなおよかったのですが……。
 
さて、賢治、光太郎と来れば花巻。今日から1泊2日で花巻方面に行って参ります。途中で福島市に寄り、調べ物。午后には花巻に入り、花巻市立博物館の企画展「佐藤隆房展―醫は心に存する―」を観て参ります。
 
それからもちろん、この冬から通年開館となった郊外旧太田村の新装高村光太郎記念館にも行きます。この季節に訪れるのは初めてで、どれほど厳しい環境なのか、確かめて参ります。
 
定宿の大沢温泉さんがとれず、今回はさらに奥地で、やはり光太郎が何度か訪れた鉛温泉さんに宿を取りました。詳しくは帰ってからレポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎 補008遺】 1月18日

平成16年(2004)の今日、角川春樹事務所刊行の「ハルキ文庫」の一冊として「高村光太郎詩集」が上梓されました。
 
解説は詩人の瀬尾育生さん。歌人の道浦母都子さんのエッセイ「七.五坪の光と影」も収録されています。「七.五坪」とは、旧太田村の光太郎が七年暮らした山小屋ですね。
 
最近は売れっ子作家の小説などが文庫書き下ろしで続々刊行されていますが、こうした古典的な作品も、文庫のラインナップとして残していって欲しいものです。
 
帯には「道程」の一節が印刷されていますね。しつこいようですが、今年は「道程」執筆100周年、詩集『道程』刊行100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年です。

展覧会情報です。 
 
上野の東京国立博物館と東京都美術館のコラボレーションにより、両館で開催される三つの展覧会を結ぶプロジェクト「日本美術の祭典」が開催されますが、その中の一つがこれです。
 
人間国宝に認定された全物故作家の作品約100件、さらに存命中の作家の作品も並ぶとのことで、光太郎の弟で、鋳金家の高村豊周、そしてその弟子で光太郎ブロンズ作品の鋳造を多数手がけられた斎藤明氏(本年ご逝去)の作品も展示されます。

日本伝統工芸展60回記念 人間国宝展 ―生み出された美、伝えゆくわざ―

会期  2014年1月15日(水)~2月23日(日) 午前9時30分~午後5時 月曜休館
会場  東京国立博物館 平成館 
 
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(12/4 朝日新聞)
 
以下、公式サイトより。
 
日本では、伝統の「わざ」を受け継ぐ優れた工芸家を重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定しています。工芸大国日本ならではの制度といえるでしょう。陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の各分野で多くの人間国宝を育ててきた「日本伝統工芸展」の6 0回記念として、「人間国宝展」を開催いたします。
全物故作家の作品約100件、さらに古代から、中世、近世へと連綿と伝えられてきた国宝や重要文化財を含む工芸品約30件を向き合わせて展示し、卓越したわざの美をご覧いただきます。伝統と現代とのつながりを見る、これまでにない画期的な展覧会です。

 
同じ東京国立博物館での「クリーブランド美術館―名画でたどる日本の美」、東京都美術館で開かれる「日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』」を併せた「日本美術の祭典」としては以下のように紹介されています。
 
 2014年、上野の新春は「日本美術の祭典」で幕を開けます。
 東京国立博物館と東京都美術館のコラボレーションにより、両館で開催される3つの展覧会を結ぶ特別なプロジェクトが実現しました。
 時代を超えて輝きを放つ絵画や工芸の名品に触れることで、さまざまな日本の美を再発見していただこうという新しい試みです。
 東京国立博物館では2つの特別展を同時開催します。「クリーブランド美術館―名画でたどる日本の美」は、全米屈指といわれる同館の日本美術コレクションから、仏画や肖像画、花鳥画、山水画などを選りすぐって公開するものです。日本伝統工芸展60回記念「人間国宝展―生み出された美、伝えゆくわざ―」では、歴代の人間国宝や先人が残した古典の名作を展観し、日本が誇る工芸の精華を紹介します。
 一方、東京都美術館で開かれる「日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』」には、近代日本画の巨匠たちの代表作が勢揃いします。
 日本美術の粋が集結するまたとないこの機会、素晴らしき三重奏をお楽しみください。


ぜひ足をお運び下さい。

 
【今日は何の日・光太郎】 12月19日

平成16年(2004)の今日、下北沢のザ・スズナリで上演されていた、光太郎智恵子演劇「れもん」が千秋楽を迎えました。
 
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光太郎役が柄本明さん、智恵子役が石田えりさん。キャストはそれだけの二人芝居でした。

鋳金家で人間国宝の齋藤明氏の訃報が出ました。 

鋳金作家の人間国宝、齋藤明さん死去

 齋藤明さん(さいとう・あきら=鋳金作家、人間国宝)が16日、老衰で死去、93歳。通夜は20日午後6時、葬儀は21日午前10時30分から東京都練馬区春日町4の17の1の愛染院会館で。喪主は長女愛子(あいこ)さん。
 父の指導を受けて伝統的な金属の鋳造技術を習得。伝統を踏まえながら近代感覚にあふれる造形を追求し、1993年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。
(朝日新聞)
 
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文中にある「父」は齋藤鏡明(きようめい)(明23=1890~昭13=1938)。東京・巣鴨で鋳物工房を営む鋳金家でしたが、明氏18歳で他界。以後、明氏は父の弟子や友人等の指導を得て研鑽を積んだそうです。
 
昭和24年(1949)に、光太郎の弟で無題やはり鋳金家の高村豊周の工房に入り、主任として実績を積み上げ、平成5年(1993)には重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されました。
 
その間、光太郎の塑像の鋳金をたくさん手がけ、長野・碌山美術館や花巻の高村光太郎記念館に収められている光太郎作品は、ほとんど氏の鋳造になるものです。したがって、現在愛知碧南の藤井達吉現代美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に並んでいる作品にも、氏が鋳造なさったものが含まれています。また、十和田湖畔の裸婦像の修復等にもあたられました。
 
昨年の連翹忌ではスピーチをしていただき、今年の連翹にも元気にご参加くださいました。また、その席上で「以前、こんな講演をしました」ということで、平成9年(1997)5月15日、花巻の高村山荘で行われた第40回高村祭記念講演の筆録を渡されました。題して「高村光太郎先生のブロンズ鋳造作品づくり」。
 
一読して、美術史上、非常に貴重な記録であると確信し、当方の刊行している冊子『光太郎資料』の今年10月発行分(第40集)に収録させていただきました。ご希望の方には送料のみでお分けしています。下記コメント欄等からご連絡下さい。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
実は、気がつくのが遅れて紹介しなかったのですが、今年3月には日本詩人クラブ会長を務められた詩人の寺田弘氏、6月にはやはり鋳金家の西大由氏と、相次いで生前の光太郎を知る方が亡くなっています。
 
寺田氏は光太郎が序文を書いた「傷痍軍人詩集」(昭和18年=1943)の編集にあたったり、光太郎とともに座談会に参加したりしています。
 
昭和20年(1945)4月、空襲で駒込林町の光太郎アトリエが炎上した時に真っ先に駆けつけたのが寺田氏だそうで、その時の回想が昨年刊行された『爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言』に掲載されています。
 
西氏は高村豊周の弟子にあたる鋳金家。かつて行われていた造型と詩、二部門の「高村光太郎賞」を昭和38年(1963)に受賞されました。
 
花巻の光太郎山荘近くに立つ「雪白く積めり」、成田三里塚に立つ「春駒」、群馬草津に立つ「草津」などの光太郎詩碑パネルの鋳造を手がけたのも西氏です。

 
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併せてご冥福をお祈り申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月20日

明治43年(1910)の今日、日本橋大伝馬町の三州屋で開かれたパンの大会に世話人として参加しました。
 
この時には有名なエピソードが二つありました。
 
まず一つ、光太郎が長田秀雄、柳敬助の入営祝の幟(のぼり)に黒枠を書きました。この出来事は『萬朝報』に「非国民」と叩かれ、「黒枠事件」と称されました。光太郎自身は深い意図はなかったとうそぶきましたが、本当はどうだったのでしょうか。
 
もう一つ、この頃光太郎が「モナ・リザ」と呼んで入れあげていた吉原河内楼の娼妓・若太夫に、作家の木村荘太がそれと知ってちょっかいを出し、さらに光太郎を挑発、決闘になりかけました。谷崎潤一郎は木村に味方し、介添えに付いてやると息巻いたそうですが、その場になってみると何も起こりませんでした。光太郎はそういうこともあるだろうと若太夫をあきらめ、木村は自分の子供っぽい行為を反省。しかし若太夫は木村を選びました。

昨日から愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館において、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が開幕しました。
 
ところで館の名前に冠されている「藤井達吉」とは? 今日はそのあたりを書いてみます。
 
一言で言うなら、明治・大正・昭和三代に活躍した工芸家、ということになるでしょうか。
 
生まれは明治14年(1881)、現在の碧南市です。光太郎より2歳年上になります。
 
専門の美術教育は受けておらず、17歳で七宝工芸の店に入ります。折からの博覧会ブームで、明治36年(1903)には内国勧業博覧会、翌年にはセントルイス万国博覧会に出品。そうした中で新しい美術工芸への目を開かれ、店を辞め、作家として立つ道を選びました。
 
明治44年(1911)には、光太郎が経営していた日本初の画廊・琅玕洞に藤井の作品が並んでいます。琅玕洞の名目上の経営者は、光太郎の次弟・道利で、主にその道利の手になる琅玕洞の出納帳的なものが残っています(『高村光太郎全集』別巻に掲載)。そこには藤井作の「土瓶」「茶碗」「湯呑」「茶道具」などが記録されています。
 
さらに藤井は大正元年(1912)に結成されたヒユウザン会(のちフユウザン会)に加わっています。光太郎は同会の中心メンバーの一人でした。
 
実は、光太郎本人と藤井とのつながりはこの辺りまでしかたどれません。『高村光太郎全集』で藤井の名が出てくるのは先の琅玕洞文書だけなのです。光太郎から藤井宛の書簡なども確認できていません。ただ、今後、出てくる可能性がありますので、期待したいところです。
 
ただし、藤井はその後、光太郎の三弟で、鋳金家の豊周と密な関係になります。藤井も豊周も、工芸界の革新運動に取り組み、装飾美術家協会、无型(むけい)などの団体で歩を同じくしています。
 
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写真は昭和2年(1927)の无型第一回展同人。後列中央が藤井、前列左端が豊周です。
 
昭和43年(1968)に刊行された豊周の『自画像』、平成4年(1992)から刊行が始まった『高村豊周文集』(全五巻)には、藤井の名があちこちに出てきます。以下、『自画像』から。
 
富本憲吉のほかに、新興工芸の啓蒙期に忘れられない恩人は藤井達吉と津田青楓である。
(略)
藤井達吉も、伝統やしきたりに拘泥しないで、自由に材料を使って自分の作りたいものを作った。確か三笠という美術店で藤井達吉の個展を見たが、壁掛けに大変打たれた。それまで壁掛けというと、みんなエレガントな貴族趣味のものばかりだったが、藤井達吉の壁掛けは全く庶民的で、生地には普通の木綿やビロードやコールテンなどの端切れを、はぎ合わせたものが無造作に使われている。壁掛けのアップリケに竹の皮が使われているのを見て、私はあっと思った。模様も実に自由で、蝶々とか、とんぼとか、いろいろな野の草を表現し、今まで人が振り返りもしなかった題材や材料を使って、非常に新鮮な面白い効果をあげている。
(略)
藤井達吉のものは、ヨーロッパの影響はまず考えられない。彼は非常に多才な人で、染織も、刺繍も、木彫も、七宝もやった。木彫も全然今までの木彫のやり方に拘泥しないで、まったく自分の感じ方だけでやっている。新しい生命を吹き込むというか、作られたものは何も彼も生き生きとしていた。この人たちは、ようやく胎動期に入った新興工芸の先駆者とも恩人ともいうべきで、私たちばかりでなく、当時新しい工芸の行き方に煩悶していた若い工芸家に大きな影響を与えたといえよう。
 
今年の6月、京都国立近代美術館で開催された企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観て参りました。光太郎の水彩画が並んでいるというので行ったのですが、思いがけず藤井の作品もずらっと出ていました。当方、藤井の作品をちゃんと見るのはこの時が初めてでしたが、そのバリエーションの豊かさに驚きました。同展図録から画像を拝借します。
 
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いかがでしょうか。
 
さて、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展、碧南市藤井達吉現代美術館で開催中ですが、四室中の一室のみ、常設展ということで藤井の作品も見られます(なんだか庇を借りて母屋を乗っ取っているようで心苦しいのですが)。併せてご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月2日

昭和45年(1970)の今日、TBS系テレビで「花王愛の劇場 智恵子抄」の放映が始まりました。
 
光太郎役は故・木村功さん、智恵子役は佐藤オリエさんでした。佐藤さんは光太郎を敬愛していた彫刻家・佐藤忠良のお嬢さんです。
 
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放映は月から金の13:00~13:30。この年大晦日が最終回だったそうです。
 
主題歌は西尾和子さんで「智恵子抄」。昭和39年(1964)の二代目コロムビア・ローズさんのカバーです。
 
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「流行歌」とか「テレビ映画」という語に昭和の薫りが色濃く漂っています(笑)。

8/25のブログで紹介した高島屋横浜店さんにおいて開催中の「東と西の出会い 生誕125年 バーナード・リーチ展」に行って参りました。
 
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図録(\2,000)
 
当方、リーチの作品をまとめて観たのは初めてで、感動しました。素朴な作品が多いのですが、それが稚拙とか凡庸というわけではなく、温かみやしっかりと個性を感じさせるものでした。
 
ゴテゴテした装飾過剰に陥らず、外連味(けれんみ)や奇をてらうといったこともなく、「用の美」の精神が具現されていると感じました。光太郎も「用の美」の重要性をよく説いていました。ただし、光太郎の場合、戦時中の戦闘機などの機能美にそれを見ていたこともあるのですが……。
 
逆に、奇抜といえば奇抜なアイディア-たとえばアルファベットや数字を絵付けする-も秀逸だと思いました。それが違和感なく調和しており、しかし日本の陶芸家がこれをやると外連味と感じられるのかも知れません。
 
平日にもかかわらず会場はにぎわっていました。NHKさんの「日曜美術館」で取り上げられた影響もあるかも知れません。「これ、テレビでやってた作品だね」などと話しながら見ている老夫婦もいらっしゃいました。当方もテレビで得た知識が理解や鑑賞の手助けになりました。
 
にぎわっていたのはテレビの影響だけではないでしょう。もちろん、横浜という大都市だということもあります。しかし、美しいものを見たい、という欲求があるからこそ人が集まるのでしょう。そういう欲求が持てるのも人間の特権の一つだと思います。
 
忙しさに追われて日々を送っている皆さん、たまには美術館に足を運びませんか? 
 
リーチ展、以下の日程になっています。
 横浜・高島屋横浜店:9月19日~10月1日
 大阪・高島屋大阪店:10月10日~10月22日
 京都・高島屋京都店:10月31日~11月11日

昨日のブログで、バーナード・リーチの写真を載せるため、彼の『東と西を超えて 自伝的回想』(福田陸太郎訳 日本経済新聞社 昭和57年)を引っ張り出しました。

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ついでに光太郎に関する記述がある部分を読み返してみましたところ、ちょっと面白いエピソードがあったので紹介します。

 私の最初の日本人の友、高村光太郎が今私の心に甦って来る。私はいまでも、初めの頃の彼の手紙をいくらか持っている。
 (中略)
 最近一九七三年にもなって、彼についてある事柄が起こった。それは私が、秩父宮妃殿下の催された小さな親しい茶席に招待された時のことである。妃殿下自身も陶器をお造りになり、芸術の後継者であられた。わずか八人が出席しており、ある一刻、私にだけお話しをされた。たまたま、私の古い友人の高村の詩がお好きであると言われた。私は驚いて、妃殿下の方を向いて言った。「高村はわれわれが二人とも学生であった頃のロンドンでの私の初めての友人です。私はご存知のように日本語は読めませんが、数行が心に浮かんで来ます。
 
  秩父おろしの寒い風
  こんころりんと吹いて来い
 
妃殿下は驚いて私の方を向かれた。こんなに驚いた人を私は知らない。一度だけ私の記憶が正確だったのだ。そして、何と奇妙なことに高村は、妃殿下の土地-秩父-の名を使ったのである。

 まず「秩父宮」は昭和天皇の弟君、秩父宮雍仁親王。社会活動としてスポーツの振興に尽くし「スポーツの宮様」として広く国民に親しまれ、秩父宮ラグビー場にその宮号を遺しています。国民の人気も高かったのですが、昭和28年、50歳の若さで急逝。その際、光太郎は「悲しみは光と化す」(『高村光太郎全集』第6巻)という散文を書いて哀悼の意を表しています。 
 
 勢津子妃殿下は平成7年、85歳までご存命でした(会津藩主松平容保の孫だったそうで、これは当方、存じませんでした)。
 
「秩父おろしの寒い風/こんころりんと吹いて来い」は、リーチ来日中の大正元年、『白樺』に発表された詩「狂者の詩」の一節。正確には「秩父おろしの寒い風/山からこんころりんと吹いて来い」で、この詩の中でリフレインされています。
 
 話の流れからすると、妃殿下はリーチと光太郎の関係をご存じなかったのではないかと思います。光太郎歿して17年。二人の間に秩父おろしの風のようにさっと吹いた光太郎の思い出。いい話だな、と思いました。
 
 これも妃殿下がご存知だったかどうか不明ですが、秩父宮家と光太郎の関連はもう一つ。昭和3年のご成婚を祝し、「或る日」という詩を発表しています(『全集』第2巻、初出不詳)。これに関しても面白いエピソードがあるので、明日、紹介します。 

昨日、高島屋でのバーナード・リーチ展についてお知らせしましたので、光太郎の書いた文章の中から、リーチに関する記述を紹介します。
 
まず、昭和8年に『工芸』という雑誌に発表された「二十六年前」という散文から。
 
ロンドンの名物のひどい濃霧になやませれてゐる時だつたから、むろん冬の事である。多分一九〇七年の十一月頃だつたらう。「ロンドン スクウル オブ アアト」のスワン教授の教室で素描に熱中してゐた私は、性来の無口と孤独癖とから、あまり他の生徒等との交渉を好まなかつたにも拘らず、その学校に於けるたつた一人の日本人の学生であつたところの私に何らかの興味を持つてゐるらしい幾人かの同級生のある事に気がついてゐた。休み時間に私がトルストイの「芸術とは何ぞや」を読んでゐると、後ろからそれをのぞきこんで、「君は彼をどう思ふ」など質問する者もゐた。(中略)或日その背の高い痩せた生徒がたうとう思ひ切つたやうに私に向つて口を切つた。「君はなぜ日本風な素描を描かないのか。」私は即座に返事した。「ヨオロツパの美術家が感ずるものを理解したいと思つて私はヨオロツパに来た。私は今此所で日本画を描かうと思つてゐない。それはずつとあとの事だ。」「なるほど、さうか。私は日本人が此所でどんな素描を描くかと思つて大きな興味を持つてゐたが、実は君の描くものが更に日本風でないので理解に苦しんだ。」私は此の背の高い、鼻の高い、眼のやさしい善良な生徒と、此日以来友達になつた。此がバアナアド リイチだつた。
 
いわゆるジャポニスムの流行はピークを過ぎた時期ですが、リーチは個人的に日本に惹かれていました。昭和26年に『中央公論』に発表された「青春の日」から。
 
リーチが僕のところにやつて来た時、たまたま僕がマンドリンをその頃習つていたので、それをいじつていた。何の気もなく、日本の民謡の「一つとや」をやつたら、リーチはそのメロデイをおれは知つていると言う。いや、これは日本の唄で、君が知るわけはないと言うと、リーチは香港で生れ、小さい時分に京都にも来たことがあるそうで、そのころに聞いたことが分つた。そんなことで、だんだん日本に熱を上げて、どうしても日本へ一度行くと言う。事実、リーチは間もなくそれを実行した
 
そしてリーチは日本で陶芸と出逢い、独自の境地を作り出します。やはり光太郎の「リーチ的詩魂」(昭和28年・『毎日新聞』)から。
 
リーチは焼物を日本で勉強したので、東洋の美はリーチの細胞にまでなつているが、その細胞にはまたリーチの血脈である西洋の美がみなぎつていて、東洋人ではちよつと出せない質がそこにある。器の把手などの面白い扱いはなどはリーチ自身も無意識だろうが、これは確に西洋の美だ。東洋と西洋とはリーチの中にひとりでにとけている。それがまことに愉快である。
 
これこそが国際交流、という気がします。

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バーナード・リーチ 『東と西を超えて 自伝的回想』
バーナード・リーチ著 福田陸太郎訳 日本経済新聞社 昭和57年 より
 
このところ、中韓との領土問題や、シリアでの日本人ジャーナリストの殉職など、国際的な事件が頻発しています。こういう時こそ、国境を超えて東と西の融合を図った先人の業績に思いを馳せるべきではないかと思います。そういうことが「歴史に学ぶ」ということなのではないのでしょうか。

今朝の『朝日新聞』さんを広げて知りました。 

東と西の出会い 生誕125年バーナード・リーチ展

会期情報000
東京・日本橋高島屋:2012年8月29日~9月10日
横浜・高島屋横浜店:9月19日~10月1日
大阪・高島屋大阪店:10月10日~10月22日
京都・高島屋京都店:10月31日~11月11日

バーナード・リーチは、イギリスの陶芸家です。元々、香港の生まれで、幼い頃には京都に暮らしていたこともありました。明治41年、ロンドン留学中の光太郎と知り合い、日本熱が高まって来日します。その後、たびたび来日、長期の滞在もあり、白樺派の面々、富本憲吉、浜田庄司らと親しく交わり、陶磁器の作成に独自の境地を展開しました。光太郎との交流も後々まで続いています。
 
さて、今回の展覧会では光太郎と直接関わる出品物があるかどうかわかりませんが、関東で開催中に1度行ってみようと思っています。

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