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新刊雑誌です。昨日、買ってきました。

『芸術新潮』2013年6月号「特集夏目漱石の眼」

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〈年譜〉芸術と歩んだ49年
 
〈一〉名作をいろどる絵画たち
絵で読み解く漱石の理想の女性像と芸術 【文】古田亮
〈再録〉 文展と芸術(抄) 
“門外漢”の美術時評 大正元年(1912)第六回文展評「文展と芸術」より
〈コラム〉イメージの連鎖 漱石から宮崎駿へ 【文】古田亮
 
〈二〉漱石とゆく、ぶらり明治の東京散歩
路線図でたどる文豪の足跡
漱石の目に映る、変りゆく都市東京 【文】黒川創
 
〈三〉
技あり「漱石本」総覧
漱石本を解剖する 【文】岩切信一郎
 
〈四〉
お手並拝見 先生の書画
趣味の効用 【文】夏目房之介
 
「漱石」といえば「文豪」の代名詞ですが、美術批評でも活躍していました。特に目次にもある大正元年(1912)の文展(文部省美術展覧会)の評は有名です。これに光太郎がかみついて、不興を買ったことも知られています(この件に関しては項を改めて書きます)。
 
また、そういうわけで美術にも造詣が深く、書画も制作していますし、自作の小説の中に古今東西のさまざまな名画が登場します。
 
そのあたりにスポットをあてた特集です。かなり読み応えがありそうで(他用が多くまだよく読んでいません)、熟読するのが楽しみです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月26日

昭和17年(1942)の今日、丸の内産業組合会館で行われた日本文学報国会の創立総会に出席、詩部会会長に就任しました。
 
「報告」でなく「報国」。戦時の国家総動員に関わる文学者の統制団体です。

今日も上京、2件用事を片付けてきました。001
 
1件目は乃木坂の国立新美術館で開催中の第109回太平洋展を観ること、もう1件は原宿アコスタディオさんで開催されたモンデンモモさんのライブに出演することです。2件の場所が近かったので、まとめました。
 
今日はまず太平洋展のレポートを。
 
「一般社団法人太平洋美術会」さんの団体展で、この団体は明治末に日本女子大学校を卒業した智恵子が所属していた「太平洋画会」の後身です。高村光太郎研究会に所属され、連翹忌などのイベントに欠かさずご参加くださる坂本富江様がこちらの会員で、坂本様の作品も並ぶとのことで、見に行って参りました。
 
当方、美術館にはよく足を運びますが、ほとんどは個人作家、それも光太郎と縁のあった作家-したがって少し前の時代の作家-の企画展です。考えてみると、団体展、それも現代の、となると初めて観ました。
 
油絵、水彩画、版画、染織作品、彫刻の五部門が一堂に会し、とんでもない点数の作品が並んでいました。
 
絵画が中心でしたが、ほとんどが100号前後の大きなもの。圧倒されました。圧倒はされましたが、不快なものではありませんでした。意外とわかりやすい具象の作品が多かったせいだと思います。
 
また、版画や染織の作品にも非常に好感が持てました。002
 
さて、坂本様の作品。これも100号の大きな絵です。
 
題して「智恵子抄の里(二本松市)」。桜と針葉樹のある野の道、その向こうに安達太良山、その上には「ほんとの空」。昨年、坂本様の出版なさった「スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅」と同一のモチーフです。
 
100号もあって自宅に飾るのは不可能ですが、先週リニューアル成った花巻の高村光太郎記念館や、今日、このあとに行ったモンデンモモさんのライブ、それからもちろん連翹忌などでこうしたものが飾られるといい感じだな、と思いました。
 
しかし、「美」を生み出そうとする人間のエネルギーというか、意欲というか、そういうものを非常に感じた展覧会でした。自分も絵心があれば、挑戦してみたいと思うのですが……。
 
会期は5/27(月)までです。
 
明日のブログでは、この後行った、原宿でのモンデンモモさんのライブについてレポートします。
 
【今日は何の日・光太郎】5月19日

明治26年(1893)の今日、智恵子の両親斎藤今朝吉・セン夫妻が、センの養父長沼次助と夫婦で養子縁組、数え8歳だった智恵子も斎藤姓から長沼姓になりました。
 

先日、日暮里での野村朗氏のリサイタルに行った際、やはりご来場の『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』の著者、坂本富江様からご案内をいただきました。
 
日本女子大学校卒業後の智恵子が在籍した太平洋画会の後身、太平洋美術会の定期展です。

河北抄第109回 太平洋展

開催期間   2013年05月15日(水)~2013年05月27日(月)
        10:00~18:00 【最終日は午前10時~午後3時30分】
展示会場  六本木 国立新美術館 港区六本木7-22-2
巡回展   福岡・大阪・名古屋・神奈川・千葉
 
 
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坂本様の作品も展示されるとのこと。やはり智恵子をモチーフとした作品だそうです。
 
当方、来週、花巻に行きますので、その帰り道に寄ってみようかなと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】5月10日003

明治33年(1900)の今日、上野公園竹の台五号館で始まった彫塑会第一回展覧会に、塑像「観月」を出品しました。
 
この「観月」、確認されているものとしては一番目か二番目に古い塑像です。残念ながら現存確認できていません。
 
光太郎曰く、「坊さんが月を見上げて感慨に耽ってゐるところ」(「美術学校時代」 昭和17年)。
 
さらに同じ「美術学校時代」では、こうも述べています。
 
彫刻をするについても非常に文学的に考へてゐたので」「それが当時の彫刻会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
 
要するに、謎めいた題名やいわくありげなポーズに頼る文学的な彫刻、ということです。後に光太郎はこういう方向性を否定し、彫刻には純粋に造形美のみを求めるようになっていきます。

昨日、日暮里での野村朗氏作品リサイタル002に行く前に、東京駅丸の内北口の東京ステーションギャラリーさんに寄りました。 

現在、「東京ステーションギャラリー再開記念 生誕120年 木村荘八展」を開催中です。
 
木村荘八(しょうはち)は明治26年(1893))生まれ。光太郎より10歳年下です。岸田劉生と交流を深め、西欧の後期印象派や岸田の影響を受けつつもそこからの脱却をはかり、東京の景物をモチーフにした絵で独自の境地を開きました。
 
大正元年(1912)、斎藤與里の呼びかけで岸田らとともにヒユウザン会(のちにフユウザン会)の結成に参加、やはり同人として参加した光太郎と知り合います。
 
大正2年(1913)には、雑誌『近代の洋画』第17号として、光太郎、劉生と3人で、「後期印象派」を刊行しています。
 
また、挿絵画家としても活躍、朝日新聞に連載された永井荷風の「濹東綺譚」などの挿絵を担当しました。今回の展覧会では、この「濹東綺譚」の挿絵原画がたくさん出品されています。
 
荘八はもともと牛肉屋「いろは」の息子です。異腹を含め、きょうだいが多く、兄たちも光太郎と関わっています。
 
四男で作家の荘太(『四』の字を嫌って四画の『太』の字を付けたそうです)は、吉原の娼妓、若太夫を巡って光太郎と争いました。その経緯は荘太の自伝的小説『魔の宴』に詳述されています。
 
五男、荘五は武者小路実篤が「新しき村」の出版部門として大正9年(1920)、池袋に近い長崎村に作った出版社、曠野社にいて、たびたび光太郎作品を掲載した雑誌『生長する星の群』などを刊行していた関係で、光太郎とも親しかったようです。
 
当方、昨年、荘五宛の光太郎書簡を二通、入手しました。
 
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さて、「生誕120年 木村荘八展」。5/19(日)まで東京ステーションギャラリーさんで、その後、5/25~7/7に豊橋市美術博物館さん、7/13~8/25で栃木の小杉放菴記念日光美術館さんを巡回します。
 
光太郎も愛したある意味エキゾチックな江戸情調があますところなく表現されています。是非ご覧ください。
 
【今日は何の日・光太郎】5月5日

昭和57年(1982)の今日、盛岡市川徳デパートで開催されていた高村規写真展「高村光太郎彫刻の世界」が閉幕しました。

川徳さんでは昭和25年(1950)、智恵子の紙絵展覧会が開催されています。

たびたび御紹介しております昨年刊行された『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』
 
著者の坂本富江様から『都政新報』という地方紙の2/26日号が届きました。東京の自治体専門紙だそうです。その中に坂本様のお書きになった「私と智恵子」という記事が。これは「ブログに載せなさい」ということだと思いますので、載せます(笑)。
 
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智恵子に対する熱い思いが伝わってくるいい文章です。
 
コピー等ご入用の方は坂本様まで。こちらにご連絡いただければ仲介は致します。また、都政新報社様から現物が購入可能かも知れません。
 
坂本様、今度は3/15に、光太郎の母校である第一日暮里小学校(旧・日暮里尋常小学校)で6年生対象にお話をされるそうです。ご活躍の由、何よりです。
 
【今日は何の日・光太郎】3月2日

昭和6年(1931)の今日、光太郎が表紙の文字を書いた雑誌『詩之家』第7年第3号が発行されました。
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「La maison de la poesie」。仏語で雑誌名の『詩之家』を表したものです。
 
と、ここまで書いて、「今日は2日だったか」と思いました。光太郎忌日・連翹忌まであと1ヶ月ということになったわけです。おかげさまでご参加お申し込み、たくさんいただいておりますが、とにかく裾野を広げたいので、新規のお申し込みもお待ちしております。詳しくはこちらをご参照下さい。

一昨日、昨日に引き続き、あちこちの美術館、文学館等での企画展で光太郎作品が展示されているものをご紹介します。  

佐々木一郎展~岩手の雪に魅せられて~

期 日 : 平成25年1月26日(水)~3月24日(日)
会 場 : もりおか 啄木・賢治青春館 岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 毎月第2火曜日 ただし、第2火曜日が祝祭日の場合は開館
料 金 : 無料

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盛岡出身の画家、佐々木一郎(大正3年=1914~平成21年=2009)の展覧会で、同館でシリーズとして行っている企画展「発掘・盛岡ゆかりの画家シリーズ」の一環です。

佐々木は、岩手大学教授や岩手美術協議会会長等を歴任、戦後、花巻郊外太田村在住の頃の光太郎と交流がありました。その関係で、光太郎日記(『高村光太郎全集』第12巻・13巻)に名前がよく出てくるほか、光太郎からの書簡も数多く残っており、『高村光太郎全集』第21巻に収録されています。
 
この企画展では、佐々木の作品以外にそうした光太郎からの書簡、光太郎が書いた岩手県立盛岡美術工芸学校開校式祝辞などが展示されているようです。
 
と、一昨日から3連発で各地の企画展で光太郎作品も展示されているものを御紹介しましたが、まだまだこの手のものはあるかも知れません、光太郎がメインでないと、なかなか情報を得るのが困難です。今後開催予定のものを含め、情報をお持ちの方はお知らせいただければ幸いです。

 
【今日は何の日・光太郎】2月23日

昭和28年(1953)の今日、芝・伊皿子の松で、雑誌『中央公論』掲載のための座談「敗けた国の文化」(『高村光太郎資料』第三集)を行いました。

他の出席者はバーナード・リーチ、柳宗悦、濱田庄司、石川欣一でした。

昨日に引き続き、あちこちの美術館、文学館等での企画展で光太郎作品が展示されているものをご紹介します。   

期 日 : 平成25年1月26日(土)~3月24日(日)
会 場 : 神奈川県立近代美術館葉山館 神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
時 間 : 午前9時30分から午後5時
休 館 : 月曜日(ただし祝日および振替休日の場合は開館)
料 金 : 一般 900円(団体800円)20歳未満・学生 750円(団体650円)65歳以上 450円
      高校生 100円


「保存、修復という作品の知られざる部分に光をあてることによって、近代日本美術の問題点を探り、新たなる発見を浮かび上がらせようとする展覧会」だそうで、岸田劉生、藤田嗣治、松本竣介などを中心に明治期から昭和前期までの約60名による油彩画、水彩画、約170点が並んでいるそうです。
 
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光太郎の作品は大正2年の油絵「上高地風景」1点。また、約60名ということで、光太郎と交流のあった画家の作品も数多く展示されています。黒田清輝、岸田劉生、藤田嗣治ら有名どころもいれば、あまり観る機会の多くない村山槐多、柳敬助、南薫造らの作品も並んでいるそうです。
 
別件ですが「上高地」ということで、先月のブログで御紹介したBSフジのテレビ番組「絶景百名山 「秋から冬へ 上高地・徳本峠」」、再放送があります。2013/03/01(金)22:00~22:55 です。見逃した方はぜひご覧下さい。光太郎・智恵子のエピソードが約3分間あります。
 
【今日は何の日・光太郎】2月22日

昭和24年(1949)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、村人の好意で初めて電灯がともりました。
 
光太郎がこの小屋に入ったのが昭和20年(1945)の秋ですから、約3年半、電気のない生活を送っていたのです。

昨日のブログで御紹介しました坂本富江さんの 『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』 原画展と講演会が、『産経新聞』さんの城北版下町版に報道されました。 

板橋区職員が自費出版した「スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅」の講演会開催

~智恵子の足跡を訪ね歩いた17年を語る~

高村光太郎の妻・智恵子ゆかりの地を自ら訪ね、感じた様子を文章と絵でつづった書籍「スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅」を自費出版した板橋区職員の坂本富江さん(63)。2月9日、その著書にまつわる講演会が、板橋区立赤塚図書館(赤塚6丁目)で開催された。
坂本さんは、中学生の時に高村光太郎の詩「道程」に感動し、「智恵子抄」を読み、智恵子の人物像にひかれ、休日や休暇を利用しては、智恵子の故郷の福島県安達町(現:二本松市)や、縁のある地である青森、岩手、千葉、長野、山梨、東京など30箇所以上を約17年に渡り訪ねた。水彩画や油絵で現地の様子を描き、訪れて感じた智恵子への思いを書きつづった原稿用紙は約500枚、スケッチブックで16冊に及び、「スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅」を自費出版。
講演では、出版の経緯や智恵子の人物像やエピソードの紹介、縁の地を訪れた感想や旅でのハプニングを語り、スライドショーでは、旅先で撮影した数々の写真とともに、その時の様子なども紹介した。
板橋区在住の坂本さんは、板橋区に勤務し、保育園園長で定年退職。現在は、くらしと観光課いたばし観光センターで再任用職員として勤務している。
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【今日は何の日・光太郎】2月11日

明治44年(1911)の今日、光太郎が経営していた神田淡路町の画廊・琅玕洞(ろうかんどう)で、画家・濱田葆光(しげみつ)の個展が開幕しました。

昨日、板橋区の赤塚図書館に行って参りました。昨年刊行された『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』の著者、坂本富江さんによる同書の原画展と、講演会が目的でした。
 
原画展は2/7から同館の視聴覚室で開催され、昨日の正午まででした。中央のテーブルにはスケッチブックが置かれ、自由に手に取ってみることが出来ました。たった2日半の開催ではもったいない気がしました。もっと多くの皆さんに見ていただきたいと思います。
 
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書籍としてた印刷されたものを見るのもいいのですが、やはり自筆のものだと作者の筆遣いや息吹、その場の空気などが感じられ、また違った良さがありました。
 
原画展は正午で閉幕、同じ会場に椅子を並べて午後2時から坂本さんの講演会が始まりました。定員30名で募集したのですが、申し込みが多く、40名に殖えていました。

訪れた地でのエピソードや、昔、光太郎智恵子がそこでどうしたのかといったお話があり、会場の聴衆は熱心に聴き入っていました。
 
坂本さん、始まる前は「緊張しちゃって、どうしましょ」とおろおろされていましたが、どうしてどうしてなかなか堂に入ったお話ぶりで、感心しました。
 
後半はコンピュータのスライドショーをスクリーンに映してのご説明。やはり訪れた地の画像が写されました。当方もほぼ同じ場所を訪れていますので、その意味では懐かしく拝見しました。
 
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ついでに例によって4/2・連翹忌の宣伝をさせていただきました。営業も大事な仕事です。
 
こういうと失礼かも知れませんが、意外と手軽に出来る感じですので、各地で光太郎智恵子顕彰を行っている皆様、イベントの際には坂本さんにお声がけなさるのもよいかと思います。
 
別件です。ブログの閲覧数が9,000件を突破しました。ありがとうございます。
 
昨日、光太郎と縁があったかも知れない蒸気機関車C61-20号機、「おいでよ銚子&佐原号」について書きましたところ、昨日だけで500件以上の閲覧がありました。普段の10倍以上です。
 
暮れに光太郎が送った鉄道荷札、光太郎も乗った花巻電鉄について書いた時も閲覧数が跳ね上がりました。やはり鉄道ネタは強し、です。
 
【今日は何の日・光太郎】2月10日

明治35年(1902)の今日、雑誌『白虹』に、現在確認されているもっとも古い詩「なやみ」が掲載されました。

昨年のブログで御紹介した、坂本富江さんのお書きになった『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』
 
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その原画展と坂本さんの講演会が開催されます。
 
以下、会場の板橋区立赤塚図書館さんHPから。

<スケッチで訪ねる《智恵子抄》の旅 原画展と講演会> 

日時:原画展 2013年2月7日(木)午前11時から午後5時
          2013年2月8日(金)午前11時から午後5時
          2013年2月9日(土)午前10時から12時
    講演会及びスライドショー
          2013年2月9日(土)午後2時から午後3時30分
場所:視聴覚室
講師:坂本 富江 (板橋区くらしと観光課 観光センター職員)
講演会定員:30名(申込先着順・入場無料)
お申込:1月19日(土)より、カウンターまたはお電話にて承ります。
 
高村光太郎の妻・智恵子ゆかりの地を訪ね、長年にわたり描き続けたスケッチや油絵の作品を展示いたします。
最終日には著者の坂本富江さんによる講演会及びスライドショーを開催します。

板橋区立赤塚図書館は、東武東上線下赤塚駅北口下車、徒歩15分 または、東武東上線成増駅下車、北口から赤羽駅西口行バス「赤塚庁舎」下車 だそうです。
当方、早速申し込みを致しました。皆様もふるってご参加ください。

【今日は何の日・光太郎】1月22日

明治32年(1899)の今日、前日から一泊で、弟の道利と共に横須賀に軍艦見物に行っています。

昨日から引き続き、上高地での光太郎智恵子を追いかけます。
 
智恵子没後の昭和15年(1940)に光太郎が書いた「智恵子の半生」(『高村光太郎全集』第9巻)から。
 
大正二年八月九月の二箇月間私は信州上高地の清水屋に滞在して、その秋神田ヴイナス 倶楽部で岸田劉生君や木村荘八君等と共に開いた生活社の展覧会の油絵を数十枚画いた。其の頃上高地に行く人は皆島々から岩魚止を経て徳本峠を越えたもので、かなりの道のりであつた。その夏同宿には窪田空穂氏や、茨木猪之吉氏も居られ、又丁度穂高登山に来られたウエストン夫妻も居られた。九月に入つてから彼女が画の道具を持つて私を訪ねて来た。その知らせをうけた日、私は徳本峠を越えて岩魚止まで彼女を迎えに行つた。彼女は案内者に荷物を任せて身軽に登つて来た。山の人もその健脚に驚いてゐた。私は又徳本峠を一緒に越えて彼女を清水屋に案内した。上高地の風光に接した彼女の喜は実に大きかつた。
 
テレビ放送「絶景百名山 「秋から冬へ 上高地・徳本峠」」で、俳優の小野寺昭さん一行も苦労していた約20㎞の山道を、智恵子は身軽に登って来たそうです。「恋」する女のパワーでしょうか。
 
それから毎日私が二人分の画の道具を肩にかけて写生に歩きまはつた。彼女は其の頃肋膜を少し痛めているらしかつたが山に居る間はどうやら大した事にもならなかつた。彼女の作画はこの時始めて見た。かなり主観的な自然の見方で一種の特色があり、大成すれば面白からうと思つた。私は穂高、明神、焼岳、霞沢、六百岳、梓川と触目を悉く画いた。彼女は其の時私の画いた自画像の一枚を後年病臥中でも見てゐた。その時ウエストンから彼女の事を妹さんか、夫人かと問はれた。友達ですと答へたら苦笑してゐた。
 
「ウエストン」はウォルター・ウェストン。イギリス人宣教師で、「趣味としての登山」という概念を日本にもたらした人です。上高地にある彼のレリーフをご存じの方も多いでしょう。
 
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光太郎画 木立と山(上高地風景) 大正2年(1913)
 
光太郎と智恵子が上高地で夢のような日々を送っていた時、下界ではちょっとした騒ぎが巻き起こりました。写真週刊誌ならぬ『東京日日新聞』に、次の記事が載ったのです。
 
美くしい山上の恋 洋画家連口アングリ
 
信州鎗ヶ岳の麓の上高地温泉、此附近には文士の窪田空穂氏や美術学校の生徒などがゐる、或日の事此美術家の群が遊びにいつて麓の道を見下してゐると一人の美人が二人の強力に荷物を背負はせ乍ら登つてくる、其姿がいかにもいたいけである、どこからどこへこの美人はゆくのであらう、近くなつたら手を引いてやつて山中には珍らしい美人から感謝の言葉を戴かうと思つてゐると今度は山上から一人の青年が強力を連れてとぼとぼと下りてくる、と下から美人、上から青年、ハタと視線が合うと握手して手を引き乍ら俄に元気づいて温泉の方へ向つて上つていつた。美術家連は唖然として狐につまゝれたよう、此男女こそは誰あらう彫刻家の泰斗高村光雲氏の息高村光太郎氏と青鞜社員で女流洋画家の長沼智恵子である。二人が相愛の仲は久しいもので今では「別居結婚」をしてゐる仲ぢやもの、二人して日本アルプスの大景に接し乍ら文展の製作を急がうと、その企てから智恵子が早く滞在してゐる、光太郎氏を訪ふたものと知れた――と岡焼からの便りがあつた。

寄稿したのは、上高地清水屋旅館で同宿だった歌人・窪田空穂と推定されています。窪田、自分で「文士の窪田空穂氏や美術学校の生徒などがゐる」などと書き、執筆者がわからないような細工をしましたが。

光太郎は「智恵子の半生」で次のように書きます。
 
当時東京の或新聞に「山上の恋」といふ見出しで上高地に於ける二人の事が誇張されて書かれた。多分下山した人の噂話を種にしたものであらう。それが又家族の人達の神経を痛めさせた。(中略)
 それ以来私の両親はひどく心配した。私は母に実にすまないと思った。父や母の夢は皆破れた。 所謂 (いはゆる ) 洋行帰りを利用して彫刻界へ押し出す事もせず、学校の先生をすすめても断り、然るべき江戸前のお嫁さんも貰はず、まるで了見が分らない事になつてしまつた。実にすまないと思つたが、結局大正三年に智恵子との結婚を許してもらうように両親に申出た。両親も許してくれた。
 
結局はこの記事が決め手の一つになり、二人は結婚するわけで、何が功を奏するかわかりませんね。
 
この上高地での記憶は、光太郎にとって忘れがたいものだったようで、後々まで詩の中にくり返し謳われます。明日はそのあたりを。
 
【今日は何の日・光太郎】1月13日

明治17年(1884)の今日、光太郎の祖母、すぎが歿しています。

今朝の朝日新聞に、以下の記事が載りました。智恵子が表紙の絵を描いた雑誌『青鞜』に関するものです。 

雑誌「青鞜」の原本49冊、都内の古書店で発見

朝日新聞デジタル 1月9日(水)18時22分配信
 
【杉原里美】女性運動家の平塚らいてう(1886~1971)が1911年に創刊した雑誌「青鞜(せいとう)」の原本49冊が東京都内の古書店で見つかった。原形をとどめた原本が大量に見つかったのは初めてという。

 「元始、女性は太陽であった」で有名な「青鞜」は、与謝野晶子や伊藤野枝など当時の女性文化人が参画した文芸誌。1916年までに計52冊刊行された。

 創刊号は1千部が発行され、最盛期は3千部にのぼったが、完全な形の原本はなく、ほかの号も隅を裁断して合本したり、穴が開いたりした原本しか見つかっていなかった。NPO法人「平塚らいてうの会」が調査したところ、女性関連の雑誌を収集する都内の古書店で発見し、購入した。2010年にあった古書の入札会に出品されていたものを同店が落札したという。
 
ネット配信のものは抜粋でして、記事そのものはこちらです。
 
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記事中にあるNPO法人「平塚らいてうの会」の折井美耶子氏からいただいた年賀状に、この件が書かれていました。「復刻とは違う味わいがあります」とのこと。その通りでしょう。
 
それにしても『青鞜』ほどの有名な雑誌でさえ、ほぼ完全な形で残っていたものが今まで見つかっていなかったというのは少し意外でした。
 
NPO法人「平塚らいてうの会」は、長野県上田市で「らいてうの家」という記念館を運営なさっています。当方、一昨年にお伺いし、大変お世話になりました。そのあたり、明日、書いてみようかなと思っています。
 
ちなみに朝日新聞、今回の記事の隣には与謝野晶子の、全集等未収録を含む短歌103首の直筆原稿の発見の記事が載っています。数日前には夏目漱石の全集等未収録作品の発見も報じられました。漱石、晶子レベルでもまだ埋もれていた作品が見つかるのですね。
 
光太郎に関しても、当方、最近また埋もれていた書簡をけっこうたくさん入手しました。いずれ「光太郎遺珠」にて公表いたします。
 
【今日は何の日・光太郎】1月10日

昭和54年(1979)の今日、講談社から津村節子、高村規編『智恵子から光太郎へ』が講談社文庫ATの一冊として刊行されました。

智恵子晩年の紙絵写真50余葉、津村氏による智恵子評伝が掲載されています。
 
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今日は和歌山県の田辺市立美術館に行000って参りました。9/17、9/27のブログで御紹介しました企画展「詩人たちの絵画」展を観るためです。ついでに獲れたて海鮮のお寿司を食べ、南紀白浜温泉にもゆっくり浸かって参りましたが、そちらはあくまでついでです。念のため(笑)。 
 
会期は11/4(日)までということで、本当はもう少し早く行ってレポートし、宣伝しようと思っていたのですが、いろいろ都合が付かず今日になってしまいました。
 
いい意味で、シンプルな企画展でした。時折、特に大資本を背景に持つ私設の美術館等で出くわすのですが、「これでもか、これでもか」という出品点数の多さで、見終わって食傷気味になるような企画展があります。ところが田辺の企画展は良い意味で、非常にすっきりしていたな、という感じです。
 
学芸員の三谷氏曰く「金がたりない、人手がたりない、時間も足りない、で、この程度しかできないんです」とのことでしたが、いやいやどうして、押さえるべきところはきちんと押さえ、落ちついてゆったりと観られる企画展でした。
 
光太郎の作品は油絵と素描が二点ずつ、そして彫刻の「手」。いずれも初めて見るものではありませんでしたが、何度見てもいいものです。特に油絵二点は以前にも見ているはずですし、手持ちの資料で画像としてはよく見ているはずなのに、改めて見ると「ああ、こんな感じだったんだ」と思いました。やはり画像ではわからない筆致がよくわかったりとか、あたりまえですが実物大で見るとまた違って見えたりとか、新たな発見でした。
 
「詩人たち」ということで、他にも10人の作品が展示されています。下の画像は図録の裏表紙に印刷された出品作家の肖像写真。左上から片山敏彦、立原道造、難波田龍起、村山槐多、木下杢太郎、光太郎、西脇順三郎、小熊秀雄、佐藤春夫、中川一政、富永太郎です。

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このうち半分以上は光太郎とも縁の深かった人で、実は当方、そういう人々の作品を実物で見るのはほとんど初めてで、ある意味、光太郎作品より興味深いものでした。
 
再び三谷氏曰く、11人に絞らざるを得なかったということですが、手を広げすぎでごちゃごちゃになるよりずっとよかったと思います。しかし、「誰々がラインナップに入っていないのはけしからん」などという声もあったそうです。そんな話を伺いながら「それなら、すぐには無理でも何年後かにまたやったらいいじゃないですか」と申し上げたところ、既にそのおつもりでいるとのこと。佐藤春夫のお膝元、和歌山ということで、「文学関係にも強い美術館」というコンセプトでやっていきたいそうです。頼もしい限りです。
 
田辺市立美術館、和歌山県下では唯一の市立美術館だそうです。いろいろ大変だとは思いますが、頑張って欲しいものです。というと失礼ですね。頑張っているので、それを継続して欲しい、というべきですか。
 
さて、「詩人たちの絵画」、11/4(日)までです。お近くの方、是非足をお運び下さい。また、お近くでなくとも、実は羽田から隣町の南紀白浜空港まではわずか1時間のフライトです。当方、今日も日帰りでした。東日本の方もぜひお越しください。

昨日のブログで引用した光太郎の書いた散文「与謝野寛氏と江渡狄嶺氏の家庭」。続きを載せます。
 
 中には、夫婦の間で、いつもそんなに争ひや波瀾が起つてゐるやうでは何にも仕事ができなくて困るだらう、とお考へになる方があるかも知れません。しかし、与謝野先生御夫婦は、あの多勢のお子さんの上に、人一倍沢山の仕事を世に出してゐらつしやる。それでお子さんに対しての心遣ひなども実によく行き届いてゐて、あれでいけなければ子供の方がよくないのだと思ふくらゐです。或人はいひます。与謝野さんたちくらゐの体格と健康とを持つてゐれば、あの盛んな生活力も精神力も不思議ではないと。けれども私はそれを逆にほんたうに強い精神力が、あの若々しい健康を保つてゐるのだといひます。その證拠には、以前の晶子さんは随分弱々しい病身な人でしたから。大概の夫婦は五十の声を聞くとすつかり、もう年寄りぶつて、ほんとの茶のみ友達になつて納つてしまふのが普通です。さういふ東洋風な淡白さ、例へば大雅堂の夫婦のやうに、主人が旅から帰つて自分の奥さんをすつかり忘れてしまつて、改まつて挨拶したといふやうなのも勿論面白いと思ひますが、生涯を通じて夫婦の愛に対する情熱、その魂の情熱を失はないといふことは、何かといへば早くから老い込み勝ちな日本の人々に、殊に望みたいと思ひます。
 
逸見久美先生のご講演にもありましたが、とかく与謝野夫婦にはいろいろとゴシップ的な文章が残されています。しかし、近い立ち位置から見た光太郎のこの文章、夫妻の姿をよく捉えていると思います。

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さて、このところ与謝野夫妻がらみの光太郎新資料をいくつか見つけています(逸見先生の御著書に助けられました)。それらは「光太郎遺珠」(『高村光太郎全集』補遺作品集)で紹介し続けています。どんなものがあるかというと……
 
・光太郎画、晶子短歌揮毫の屏風絵2点(明治44年=1911)
・寛書簡に記された光太郎短歌3首(大正8年=1919)
・光太郎も連名の第二期『明星』発刊案内(大正10年=1921) 
・光太郎から晶子への書簡(大正13年=1924)
・光太郎、与謝野夫妻他連名の木版師伊上凡骨遺作展案内(昭和9年=1934)
 
などです。
 
また、つい最近になって、国立情報学研究所さんのデータベースで、明治39年(1906)に刊行された晶子作品を含む歌集の装幀が光太郎であると登録されていることを知りました。こちらで把握していないもので、鋭意調査中です。もし本当なら、光太郎が装幀を手がけたもののうち、最も古いものということになります。ただ、出版の経緯等、いろいろ問題のある書籍でして、調査が難航しそうです。
 
いずれまとまりましたらご報告いたします。

9/17のブログで御紹介した和歌山県田辺市立美術館の「詩人たちの絵画」展。
 
連翹忌に御参加くださっている学芸員の三谷氏から、図録、チラシ、招待券まで戴いてしまいました。誠に恐縮です。

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図録
 
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 チラシ
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図録に関しては「稚拙なものでお恥ずかしい」などとお手紙にありましたが、どうしてどうして美しい出来です。信濃デッサン館長の窪島誠一郎氏の巻頭言も読みごたえがありますし、全体にコンパクトながら要所要所がよくまとまっています。
 
出品されているのは以下の人々の作品です。
 
高村光太郎   木下杢太郎  佐藤春夫 中川一政 西脇順三郎 村山槐多 片山敏彦 富永太郎 小熊秀雄 難波田龍起 立原道造 
 
光太郎作品は、「庭」(油絵・明治43年=1910)、「室内」(同・明治末)、十和田湖畔の裸婦像のためのデッサン(昭和27年=1952)、そして彫刻の「手」(大正7年=1918)です。

光太郎は明治42年(1909)に海外留学から帰ってしばらくの間、父・光雲を中心とする旧態依然の彫刻界との対立から、彫刻制作より絵画の方に情熱を傾けていました。「庭」「室内」ともにその時期の作品です。彫刻制作から離れての代償行為とか余技といったレベルではなく、西洋で学んだ美の表現の在り方がきちんと反映されており、いい絵だと思います。
 
他の出品作家の作品も、図録で見て、それぞれに個性的で面白いと思いました。村山槐多や難波田龍起は絵画が本職ですので当然ですが、西脇順三郎や立原道造が、ここまで玄人はだしの絵を描いているとは知りませんでした。
 
お近くの方、是非お越しください。
 
当方、今回はパスするつもりでしたが、今、予定表を見ながら、かつて紀伊田辺駅前で食べたマグロ海鮮丼を思い出し、非常に心が動いています(笑)。

二本松ネタで2~3日まかなおうと思っていましたが、新着情報がいろいろありますので、そちらを。
 
ニュース検索結果から。 

日枝神社例大祭:「火伏の神輿」伊勢佐木町を練り歩く /神奈川

毎日新聞 9月16日(日)13時22分配信
 「お三さま」と呼ばれ親しまれる日枝神社(横浜市南区山王町)の例大祭が15日、横浜市中区のイセザキ・モールなどで始まった。16日まで。
 初日は、西郷隆盛像などで知られる高村光雲氏(1852~1934年)が彫刻を施した「火伏(ひぶせ)の神輿(みこし)」を、白装束の氏子たちが担いでイセザキ・モールを練り歩いた。関東大震災と横浜大空襲で被害をまぬがれたことから「火伏の神輿」と呼ばれ、普段は県立歴史博物館に展示されている。
 16日はいずれもイセザキ・モールで、町会が所有する「平成神輿」を担いで練り歩く「町内大神輿渡御」(午後1時)、高さ約3・7メートルの「千貫神輿」をトレーラーでけん引する「大神輿奉安」(同5時)などが予定されている。
 伊勢佐木町1・2丁目商和会副理事長の津田武司さん(73)は「(平成神輿は)150~200人の担ぎ手を必要とする。それだけの迫力があるので、ぜひ見てほしい」と話している。【山下俊輔】

9/13のブログで紹介した光雲作の神輿についてですね。
 

「詩人たちの絵画」展:高村光太郎作品など60点--田辺 /和歌山

毎日新聞 9月16日(日)15時16分配信
 田辺市立美術館(田辺市たきない町)で15日から「詩人たちの絵画」展が始まった。文学と美術の双方に才能を発揮した近代日本の詩人11人の作品約60点を展示。11月4日まで。
 高村光太郎「庭」(油彩、1910年)▽木下杢太郎「自画像」(水彩、11年)▽佐藤春夫「下里風景」(油彩、制作年不詳)▽小熊秀雄「夕陽の立教大学」(油彩、35年)▽西脇順三郎「伊太利旅行(イタリーの麦畑)」(油彩、60年代)--などを展示。明治から昭和にかけての近代日本の文学と美術の結びつき、絵画表現の豊かな広がりが展望できる。10月20日午後2時からは、同館学芸員や市立図書館司書による「詩の朗読会」も開かれる。
 月曜(9月17日、10月8日を除く)と9月18日、10月9日は休館。観覧料600円(学生と18歳未満は無料)。問い合わせは同館(0739・24・3770)。【野原隆】
 
同館は平成20年(2008)、企画展「智恵子抄 光太郎・智恵子と佐藤春夫」を開催しました。そのご縁で学芸員の方には連翹忌にご参加いただいております。

 
それから、たまたまネットサーフィン(死語?)中に見つけたのですが、福岡で舞台公演があります。
★第一部『愛ガ咲ク コンサート』
  第二部『智恵子抄』(高村光太郎への愛を一生貫き、罵り、叫び、崩れていった、女の半世)
●一般¥3000 学生¥2000 (全席指定)
 ★10/7(日)14時/18時 ふくふくホール(福岡市中央区荒戸3-3-39)
 ★10/13(土)14時 E ternity (福岡市博多区中洲3-7-7 ロックハリウッドビル)

 
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当方、10/13のチケットを購入しました。福岡まで行ってきます。
 
成田からANAで福岡空港まで飛びますので、実は意外に早く着きます。平成20年(2008)に和歌山田辺の企画展「智恵子抄 光太郎・智恵子と佐藤春夫」を見に行った時も、羽田から南紀白浜に飛んだので、十分日帰り可能でした。
 
当方、福岡は初めてです。学生時代に関門海峡まで車で行き、対岸を観て「あれが福岡か、いつか行くぞ」と思っていたのが、約30年ぶりに果たせます。 

7月に刊行された『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』。
 
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お書きになった坂本富江さんから、「あちこちの新聞などで御紹介いただいています」というお知らせがありましたので、「それならブログで紹介しますので、コピーでもお送り下さい」と申しましたところ、昨日、届きました。各紙とも、非常に好意的に紹介しています。
 
6/24(?) 陸奥新報     
6/30  岩手日報
7/10  福島民報
7/26  山梨日日新聞
8/7   都政新聞
8/11  読売新聞(都民版)
8/28  東京新聞(夕刊)
 
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その他にも、ネット上でもいろいろ報じられています。
 
智恵子の足跡のある所をくまなく扱われているので、地方紙も積極的に取り上げて下さっているようです。無論、書籍として素晴らしいものであるという前提条件がありますが。
 
是非、お買い求めを。
 
また、他の近刊などで「ここにこんな風に紹介されてるよ」という情報が有れば、ご提供いただければ幸いです。

新刊情報です。 

スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡

坂本富江著 牧歌舎 平成24年7月10日 定価1,800円+税

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これも楽しみにしていた書籍の一つです。著者の坂本様から6月下旬に刊行予定と御案内を頂いておりましたが、少しずれ込んだようです。昨日届きました。
 
著者の坂本様は、若かりし頃の智恵子も所属していた太平洋画会の後身、太平洋美術会の会員(智恵子に惚れ込むあまり入会されたそうです)。高村光太郎研究会や福島の智恵子の里レモン会の会員でもあられます。
実は当方、タイトルの「スケッチで訪ねる」という文言から、勝手に単なる画集のようなものだろうと思いこんでいました。しかし、さにあらず。確かに坂本様のスケッチもたくさん載っていますが、それだけでなく、光太郎・智恵子ゆかりの地を訪れたレポートがびっしり書かれています。思わず一気読みしてしまいました。
 
画像でお判りになるかと思いますが、帯には渡辺えりさんの推薦文が掲載されています。曰く、「坂本さんのスケッチは温かく、まるで智恵子を抱きしめているように思える。智恵子自身が、故郷の山や川や植物を坂本さんと一緒に描いているようだ。」なるほど、その通りです。
 
驚いたことに、全ページカラー刷りの豪華な造りです(鉛筆スケッチはともかく、水彩でのスケッチはカラーでなければしょうがないといえばそれまでですが)。収められたスケッチは150点近く。その点数の多さもさることながら、訪れられた場所も実に多方面にわたっていて、その御労苦に頭が下がります(なんと、17年分のご成果だそうです)。定番の二本松、犬吠埼、十和田湖などはもちろん、智恵子が短期間暮らしていた雑司ヶ谷周辺や、1ヶ月程入院していた九段坂病院、人里離れた福島の不動湯温泉(光太郎直筆の宿帳が今も残っています)などなど。
 
そして文章を読むと、いろいろな場所で体当たり的取材を敢行されているバイタリティーにも感心させられました。さらに行間から滲み出る智恵子への愛惜の思いの深さ……。素晴らしい!
 
肝心のスケッチは、150点近くも収められていながら決してゴテゴテせず、全編を通して何というか、一つの統一された流れを感じました。時々、全ページカラー刷りというと「飲み屋街のネオンか?」と突っ込みたくなるようなけばけばしい書籍がありますが、この本はそういうことはまったくありません。表紙や見返し、年譜のページなど、智恵子が好きだったというエメラルドグリーンが非常に効果的に使われ、爽やかな感じです。さすがに絵心のある人は違いますね。羨ましい限りです。
 
是非とも第二弾「スケッチで訪ねる光太郎の旅」を出していただきたいものです。

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