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都内から、ちょっと変わった演奏会の情報です。

和編鐘コンサート in 代々木能舞台 響きにつつまれていのちの煌めきの中へ 智恵子抄 愛と絆の調べ

期 日 : 2021年10月31日(日)
会 場 : 代々木能舞台 東京都渋谷区代々木4-36-14
時 間 : 開場13:00 開演13:30
料 金 : 前売り4,000円 当日4,500円

出 演 : ゆきね(和編鐘) 河崎卓也(朗読) 田中泉代賀(箏)
演 目 :
 第一部 和編鐘で奏でる日本の音風景「日本の詩と季節の音風景」
   一、水の源 二、春ざわめく 三、音紋様 四、時つもりゆく 五、呂律の調べ
 第二部 智恵子抄「愛はすべてをつつむ」
   一、僕等 二、樹下の二人 三、千鳥と遊ぶ智恵子 四、レモン哀歌 五、亡き人に

今なぜ智恵子抄なのか?
 今、人を愛するという私たちが持つ自然な情動が、己の「いのち」を守るという生存のため、他人の命を脅かさないため、大きな枷をはめられています。しかしだからこそ、私たちは心の触れ合いという愛の形と、深い愛情から生まれた心の絆が、大きな安らぎと幸福、そして強さをもたらしてくれることを、智恵子と光太郎の詩に見いだすことができるのです。私の若き日の愛読書であった智恵子抄。今も愛することの凄さと、尊さを教えてくれます。
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「和編鐘」というのは、中国2400年前の祭器、編鐘(へんしょう)を日本的にアレンジしたものだそうで、枠に逆さに吊り下げた銅合金製の39個の鐘(3オクターヴ)を、マレット等で叩いて音を鳴らすものだとのこと。

今回演奏されるゆきね氏が、現在の形に確立されたそうです。


幻想的な中にも、郷愁を誘う響きですね。

この調べに乗せての「智恵子抄」。さらに箏曲演奏も入るようで。いったいどういう感じになるのか、楽しみです(当方、チケット購入いたしました)。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

「せんてつ」の鈴木氏松雲閣の女中八重樫さんと同道来訪、詩稿のこと、林檎等もらふ、これはねながら話す。


昭和26年(1951)2月21日の日記より 光太郎69歳

001せんてつ」は当時の国鉄の仙台鉄道管理局が発行していた社内誌のようなもの。「鈴木氏」はその編集に当たっていた鈴木肆郎。光太郎に詩の執筆依頼にやって来ましたが、これは断られ、代わりに旧作を転載することは了承を得たようです。

八重樫さん」は八重樫マサ。光太郎がたびたび泊まった花巻温泉松雲閣の仲居さんでした。松雲閣の宿泊客等を、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に案内する役目をたびたび務めました。

その労苦に応え、光太郎は八重樫に書の揮毫を贈ったりもしています。

左端が八重樫、右の二人は、仙台ご在住の佐久間晟氏、すゑ子氏ご夫妻。この年11月の撮影です。晟氏は前田夕暮門下の歌人で、その後、宮城県歌人協会の会長も務められました。すゑ子夫人も歌人。お二人とも歌誌「地中海」同人で、光太郎訪問の貴重な回想を書かれました。


今月16日、今年度の重要無形文化財保持者(人間国宝)認定の答申がありました。

「共同通信」さん。

人間国宝に新たに4人、琉球舞踊初認定 文楽勘十郎さんも

 文化審議会は16日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に、琉球舞踊立方の宮城幸子さん(87)=那覇市=と志田房子さん(84)=東京都練馬区=ら4人を認定するよう萩生田光一文部科学相に答申した。琉球舞踊の分野からの人間国宝は初めて。
 他の2人は人形浄瑠璃文楽の人形遣いの桐竹勘十郎さん(68)=大阪市=と茶の湯釜の角谷勇圭さん(78)=大阪府東大阪市。政府は秋にも答申通り告示し、人間国宝は計114人となる。
 琉球舞踊は2009年に国の重要無形文化財に指定されたが、その技術を体得した個人を認定する人間国宝はいなかった。今回踊り手の「立方」2人が選ばれた。
 勘十郎さんの父は人間国宝の故宮永豊さん。勘十郎の名は父から継いだ。同じく人間国宝で女形遣いとして定評があった吉田簑助さんに師事し、立役(男役)が得意な父からも学んだことで役柄を広げた。伝統工芸の茶の湯釜は、保持者の死去で09年に解除されて以来となる。角谷さんは父も茶の湯釜の人間国宝だった。
 文化審はこのほか、指定済みの重要無形文化財の保持者団体構成員として、一中節保存会(東京・港)の1人の追加認定も求めた。一中節は三味線音楽の一種。

今回、認定のための答申があった4名の方のうち、文楽の桐竹勘十郎さん。NHK Eテレさんで放映中の「にほんごであそぼ」に準レギュラーとして時折出演され、文学作品の一節等を人形を遣いながら演じられています。

光太郎詩も、複数回。『智恵子抄』から、「人に」(大正元年=1912)と「あどけない話」(昭和3年=1928)。
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『日本経済新聞』さん。

「常に新しいことを」文楽・桐竹勘十郎さん人間国宝に

 「師匠からは電話で『おめでとう』と5回。大変うれしかった」人形浄瑠璃文楽の人形遣い桐竹勘十郎さんは認定を受けた喜びとともに、今年4月に引退した人間国宝の師匠吉田簑助さんへの思い、感謝の言葉を繰り返した。「その後、師匠の奥様から『現役の時に一緒になりたかったな』とおっしゃっていたとうかがいました」
 1953年、大阪生まれ。父は立役を中心に遣い豪快な芸風で鳴らした、二代目勘十郎さん。14歳の時、人形遣いになりたいと話すと父は屈指の女形遣いである弟弟子、簑助さんへの入門を指示した。父と師匠、2人の人間国宝の芸を継ぎ、立役、女形問わず命を吹き込む表現力、チャリ(笑いを誘う滑稽な演技)も我が物とする芸域の広さが高く評価される。
 54年間、芸を磨いてきた日々を「役、人形、文楽自体を好きになることが上達への一番の近道だった」と振り返る。「若い人たちにもそう伝えている。これからは後進の指導・育成を第一に。もっともっと力を入れていきたい」。次代への継承を担う責任と覚悟も新たにする。
 若い頃から他ジャンルとの交流や子供向けテレビ番組への出演、文楽では珍しい新作の執筆など魅力発信にも積極的に取り組んできた。今後も「文楽の未来のために(多くの人に)見に来て、喜んでいただける新作は必要だと思う」。「常に何か新しいことをやりたい。もうこれは性分。そのために健康で長く続けたい」とさらなる活躍を誓う。
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関西テレビさん。

人形浄瑠璃 文楽 桐竹勘十郎さん人間国宝に認定へ

 人形浄瑠璃文楽の桐竹勘十郎さんが国の重要無形文化財「人間国宝」に認定されることになりました。
 桐竹勘十郎さん(68)は、女方・立役を問わず抜きん出た表現力を持つ人形遣いで文楽の上演に欠かせない存在です。
 後進の育成にも尽力するなど業績が評価され秋にも「人間国宝」に認定されることになりました。
【桐竹勘十郎さん】
「日に日に身が引き締まるといいますか、これはえらいことになったなという感じです」
 師匠で人間国宝の吉田簑助さんは今年4月に引退したばかりでした。
【桐竹勘十郎さん】
 「おめでとうおめでとうおめでとう、ずっとおめでとうを言ってくれはったんです。それがものすごく嬉しかったんです」
 勘十郎さんは8月3日まで大阪の国立文楽劇場の公演に出演しています。
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今後とも、さらなるご活躍をなさることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

朝のみそ汁にハウレン草、山東菜を入れる。山東菜相当に育ち、間引にして汁に丁度よし。
昭和23年(1948)5月16日の日記より 光太郎66歳

「山東菜」は、白菜の仲間だそうです。育ちすぎるのを間引いて、汁の実にする、かしこいですね。

012先月、南青山の銕仙会能楽研修所さんで、山本順之師の謡と舞台への思いを聴く会」を拝見、拝聴しました。昭和32年(1957)、武智鉄二構成演出、観世寿夫らの作曲・作舞「新作能 智恵子抄」が抜粋連吟で演じられたもので。

その前後、「新作能 智恵子抄」についていろいろ調べている中で、能楽評論家の堀上謙氏著『能面変妖』(平成4年=1992 朝日新聞社という書籍に、写真が載っているという情報を得、古書店から購入しました。刊行当時の定価で5,100円もした豪華本です。帯が欠けているのと、背ヤケがあり、1,500円ほどで入手できました。

130ページあまりがカラー版で、古典から新作まで、さまざまな能面を種類別に取り上げ、面、それから演目の解説が為されています。工芸としての能面の持つ妖しい魅力に打たれます。

「新作能 智恵子抄」の面の写真、見開き2ページにわたり、ドーンと掲載されていました。分類上は「若女」面になるそうで。
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ボキャブラリーが少ないもので、陳腐な表現になり申し訳ありませんが、「幽玄」感が半端ないですね。

いつ、何処での撮影、というキャプション等がなかったのですが、演者は観世流・梅若晋矢氏。平成9年(1997)7月24日、赤坂日枝神社で行われた「日枝神社薪能」の中で「新作能 智恵子抄」が演じられた記録があり、その際に梅若氏が智恵子役をなさいましたが、本書の刊行はそれより前ですので、他の機会ということになります。
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解説がこちら。平成4年(1992)時点では、能としての上演は初演の昭和32年(1957)のみで、ダイジェスト版の「舞囃子」としてはたびたび上演されていたとのこと。したがって上記写真は、いずれかの機会で舞囃子として演じられた際のもの、ということになります。

「新作能 智恵子抄」制作に際し、多大な影響を与えたのが、古典の「安達ヶ原」(「黒塚」とも)。智恵子故郷の二本松に伝わる鬼女伝説が元となっています。今年4月に、NHK Eテレさんでオンエアされた「にっぽんの芸能 人、鬼と成る〜舞踊“安達ケ原”〜」で、面を付けない「素踊り」としての上演が放映されました。で、『能面変妖』。本来の面の写真も。
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まさに「鬼気迫る」ですね。特に完璧モンスターである上の「般若」より、下の「痩女」の方。夢に出て来そうです(笑)。演者はどちらも故・観世栄夫氏。昭和32年(1957)の「新作能 智恵子抄」初演で光太郎を演じた故・観世寿夫氏の実弟です。

こうなると、「安達ヶ原」、それからもちろん「新作能 智恵子抄」も、ちゃんとした形で観てみたいものだと思いました。そうした機会が訪れることを期待します。

今日は、都内六本木の新国立美術館さんにて、書道展「第40回日本教育書道藝術院同人書作展」を拝見して参ります。光太郎詩を書かれた作品が複数出ている、という耳寄りな情報を得ました。明日、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

今日、大沢温泉にゆかんと思ひしが昨夜の吹雪の為に中止。雪つもれると、まだ降雪中にて電車不便の疑あり。 枕下に雪つもる。


昭和23年(1948)2月2日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から大沢温泉に行くには、4㌔㍍ほど歩いて、当時走っていた花巻電鉄の二ツ堰駅、または神明前駅から乗車、6㌔㍍ほど山道を揺られる必要がありました。

5月30日(日)、目黒の「反転する光」展会場を後に、南青山に向かいました。次なる目的地は、銕仙会能楽研修所さん。こちらで「山本順之師の謡と舞台への思いを聴く会」を拝見・拝聴して参りました。


南青山ですので、瀟洒な建物が建ち並び、道行く人々も一様にシャレオツ、走る車もポルシェにアウディにフェラーリにBMW(笑)。その一角に突如、古風なたたずまい。しかし、さほど違和感はありません。
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この2階に能舞台。ここは異世界、という感じではありました。
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こちらがプログラム。
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基本、観世流シテ方の山本順之氏を中心に据えた構成で、氏が地謡(じうたい)の名手であらせられることから、謡がメイン。したがって、面を付けての能楽はありませんでした。

プログラムの最初が、いきなり「連吟 智恵子抄」。昭和32年(1957)、武智鉄二構成演出、観世寿夫らの作曲・作舞で演じられた「新作能 智恵子抄」が元になっています。「新作能 智恵子抄」は、光太郎詩歌10篇から成っていました。「僕等」、「樹下の二人」、「あどけない話」、「人生遠視」、「風に乗る智恵子」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「山麓の二人」、「レモン哀歌」、「荒涼たる帰宅」、そして短歌「光太郎智恵子はたぐひなき……」。このうち、「風に乗る智恵子」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、短歌「光太郎智恵子はたぐひなき……」が、山本氏を中心とした5人の方々の連吟で演じられました。
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日本の古典芸能には、西洋音楽のようなハーモニーという概念がないため、西洋音楽風に言えばユニゾン。しかし、5人の声質は全く同一ではないため、それが合わさることで太い川(たとえば阿武隈川)の流れのような、あるいは寄せては返す波(まるで九十九里浜)のような、そんな感じでした。そして、最初から最後までトゥッティーではなく、要所要所はソロ。それが全体の流れに変化をもたらし、メリハリがきちんと付いています。また、皆さん、当然のように暗譜。以前、アマチュア音楽活動をしていた頃、楽譜を見ながらでなくては不安でしょうがなかった自分が恥ずかしくなります(笑)。

ちなみに5人のうちのお一人、清水寛二氏は、先月、江戸川区のタワーホール船堀さんで開催された「もやい展2021東京 3.11から10年 語り継ぐ命の連綿」のステージパフォーマンスの部でも、「智恵子抄」の朗誦をなさいました。
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上記画像は、以前に入手した西洋音楽の楽譜に当たるもの。素人の当方、これを見てもよくわからなかったのですが、実際に初めて聴いてみて、なるほど、そういうことかと得心しましたし、これは凄い、と感動しました。

また、プログラムと共に受付で頂いた資料には、「新作能 智恵子抄」についての解説がかなり詳しく載っており、興味深く拝読しました。
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さらに、第二部の山本氏と竹本幹夫氏(能楽研究者、早稲田大学名誉教授)の対談の中でも、「智恵子抄」に触れられ、そちらも「なるほど」でした。例えば、「新作能 智恵子抄」では、どちらかというとシテが智恵子、ワキが光太郎だったものが、抽出して演じられる舞囃子などの形式ではそれが逆転するとか。ダイジェスト版の舞囃子としてもあまり演じられる機会が多くなく、いい作品なのに残念と思って、今回のプログラムに入れられたとか。

ただ、解説に「能形式での再演はなく、すべて舞囃子、能舞という部分演奏形式で……」とあるのですが、手元の資料に拠りますと、平成9年(1997)7月24日、赤坂日枝神社で行われた「日枝神社薪能」の中で、「新作能 智恵子抄」全体が演じられたという記録があるのですが……。

他の演目は、やはり新作系で芥川龍之介の未発表詩に曲を付けた「相聞」(山本氏独吟)、後進の方々を交えた仕舞(面を付けない演舞)で古典作品の「嵐山」「西行櫻」「井筒」「天鼓」、闌曲(らんぎょく)「玉取」(山本氏独吟)。そして第二部が対談でした。

山本氏、智恵子が亡くなった昭和13年(1938)のお生まれですので、御年82歳。失礼ながら、張りのある謡のお声も、ピタリと頭を動かさない舞の所作も、それを感じさせないものでした。さすが重要無形文化財保持者と思いました。

終演後、山本氏や清水氏とお話しさせていただこうかとも思ったのですが、意外と観客が多く、密の状態が怖いので、早々に失礼しました。

今後、できれば「智恵子抄」全10曲を聴いてみたいものですし、やはり「新作能 智恵子抄」として観てみたいとも思いました。そうした機会があることを期待いたします。

【折々のことば・光太郎】

宮崎稔氏に千円小為替送り置きて買物に備ふ。油脂類を頼む。ラケットの値段を問合せる。フタバヤ指定。


昭和22年(1947)11月3日の日記より 光太郎65歳

「宮崎稔氏」は、智恵子の最期を看取った智恵子の姪で看護婦だった春子の夫。茨城取手在住で、岩手では入手出来にくいものなどを、このようにして送ってもらっていました。

で、唐突に「ラケツト」。調べたところ確かに「フタバヤ」というテニス用品メーカーがかつてあり、そこの製品のようです。なぜ岩手の山中で、数え65歳の光太郎がテニスラケットを必要としていたのかと思ったら、自分のためではなく、村の青年達に寄付するため、と、書簡に記載がありました。なぜ「フタバヤ指定」かは謎ですが。

さしもの光太郎でも「エア・ケイ」はできなかったでしょう(笑)。

都内から能楽系の公演情報です。

山本順之師の謡と舞台への思いを聴く会

期 日 : 2021年5月30日(日)
会 場 : 銕仙会能楽研修所舞台 東京都港区南青山4-21-29
時 間 : 13時15分開場 14時開演
料 金 : 3,000円
主 催 : 順翁会 稲門観世会

第一部
 ★連吟 智恵子抄
  山本順之 清水寛二 西村高夫 安藤貴康 高橋輝久
 ★独吟 相聞 山本順之
 ★仕舞 嵐山 安藤貴康
 ★仕舞 西行櫻 清水寛二
 ★仕舞 井筒 山本順之
 ★仕舞 天鼓 西村高夫
 ★独吟 玉取(闌曲) 山本順之

第二部
 対談 舞台への思いを聞く 竹本幹夫 山本順之
 
「連吟 智恵子抄」。光太郎が歿した翌年、観世寿夫、武智鉄二により作られた新作能「智恵子抄」が元になっています。
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最晩年の光太郎、「智恵子抄」を能にすることに興味をそそられ、結局、実現はしませんでしたが、面を自分でデザインしようと描いたスケッチが残っています。
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近年はダイジェスト版ともいうべき舞囃子として演じられることが多いそうですが、さらに今回は謡のみの連吟で、動きはないのだと思います。

山本順之(のぶゆき)氏は、観世寿夫に師事し、銕仙会さんの理事を務められている重鎮です。やはり観世寿夫、それから山本氏に師事した清水寛二氏は、先月、江戸川区のタワーホール船堀さんで開催された「もやい展2021東京 3.11から10年 語り継ぐ命の連綿」のステージパフォーマンスの部でも、「智恵子抄」の朗誦をなさいました。

その際は、当方、都合がつかず観に行けませんでしたし、平成30年(2018)に国立能楽堂であった公演「国立能楽堂夏スペシャル 開場35周年記念」で舞囃子「智恵子抄」が演じられた際は、申し込んだところ既に満席。結局、この系列の「智恵子抄」はまだ観たことも聴いたこともありません。そこで、今回の公演を申し込みまして、コロナ感染には十分気をつけつつ、行って参ります。

拝見後、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

午前八時院長さんと同道、光徳寺にゆく。英霊二百数十柱遺骨伝達式なり。遺族多く集まる。

昭和22年(1947)10月10日の日記より 光太郎65歳

光徳寺さんは、光太郎ゆかりの松庵寺さんのすぐ隣です。遺骨伝達といっても、遺骨そのものが戻ってきたわけではなく、死亡が判明し公報が出た戦死者の遺族に神道式の霊璽(仏式の位牌にあたるもの)などが渡されたという取り組みです。敗戦から2年あまり、まだまだ戦争の傷跡は深かったというのがわかりますね。

光太郎、自らの翼賛詩文を読んで戦地に赴き、散っていった多くの若者がいたことを、改めて噛みしめたのではないでしょうか。

智恵子の故郷、福島二本松に伝わる鬼婆伝説。能「黒塚」の原作となり、広く知られています。

舞台となった場所は、二本松市北部の安達ヶ原。現在は「安達ヶ原ふるさと村」という施設が出来、隣接する観世寺さんには、鬼婆が住んでいたという岩屋や、少し離れた場所には鬼婆の墓といわれる「黒塚」も残っています。

大正9年(1920)、智恵子の父・長沼今朝吉の三回忌法要のため、光太郎も智恵子の実家を訪れ、先に帰省していた智恵子と合流しました。この際に実家附近を二人で歩き回り、その体験が、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)のモチーフとなったようです。歩いた場所は、智恵子実家の裏山や、安達ヶ原。「樹下の二人」には詩本体の前に「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」という短歌一首が附されています。また、最晩年の「高村光太郎聞き書」には、当会顧問だった故・北川太一先生の「「樹下の二人」も『明星』ですね。その頃のことをうかがいたいのですが」という問いに対し、「「樹下の二人」の前にある歌は安達原公園で作ったんです。僕が遠くに居て智恵子が木の下に居た。」と答えています。光太郎智恵子が安達ヶ原を訪れたのは間違いありません。

光太郎、その折にでも、鬼婆伝説のことを聞いたのかもしれません。あるいは既に能「黒塚」を知っていて、予備知識があったとも考えられます。のちに智恵子の心の病が昂進してからの詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)では、「意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて/のがれる途無き魂との別離」と、唐突に「鬼」の語が現れますが、あるいは安達ヶ原の鬼婆が頭をかすめたのではないでしょうか。

さて、鬼婆関連。

まずはテレビ放映の情報です。

にっぽんの芸能「人、鬼と成る〜舞踊“安達ケ原”〜」

NHK Eテレ 2021年4月23日(金) 21:00~21:55
再放送   2021年4月26日(月) 12:00~12:55

福島県・二本松市、安達ケ原に伝わる鬼女の伝説を舞踊にした作品「安達ケ原」を、3月に行われた特別日本舞踊公演からお送りします。出演は花柳寿楽、若柳壽延、猿若清三郎ほか。シテ(老婆実は鬼女)を演じた花柳寿楽のインタビューを交えてお楽しみいただきます。歌詞や演出は能「黒塚」から取られており、振り付けは二世花柳壽楽。前半は改心を見せている鬼の姿をしっとりと、後半は怒りに満ちた様子を描いた、舞踊の大作です。

【司会】高橋英樹,【アナウンサー】中條誠子,
【出演】花柳寿楽,若柳壽延,猿若清三郎,杵屋勝四郎,杵屋巳之助,杵屋勝四助,
    杵屋栄八郎,松永忠一郎,杵屋勝十朗,福原百七,堅田新十郎,堅田喜三郎,
    住田長十郎
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物語の舞台としての二本松の紹介の中で、光太郎智恵子に触れていただければありがたいのですが……。

舞踊で「安達ヶ原」といえば、一昨年には、「にほんまつart fes」というイベントの一環で、親しくさせていただいている女優の一色采子さん(お父さまが二本松ご出身で智恵子の絵も複数描かれている故・大山忠作画伯)と、福島市出身の舞踊家・二瓶野枝さんによるコンテンポラリーダンス「妖艶 Bewitching」の公演があったりもしました。この際は、当方、これを観に行く途中で愛車が故障、泣く泣く引き返し、後に報道で様子を知った次第です。

また、平成28年(2016)には、現代アートの「福島ビエンナーレ」の一環として、智恵子生家を会場に、小松美羽さんによるインスタレーションが行われ、やはり鬼婆伝説がモチーフとされました。

平成30年(2018)には、二本松で公開収録されたNHKさんの「民謡魂 ふるさとの唄」で、「あまちゃん」や「八重の桜」、「いだてん」などにもご出演された大方斐紗子さんが鬼婆役でご出演。ただし、この鬼婆は智恵子と光太郎の仲を取り持とうとする、いい鬼婆(笑)でした。
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さて、「にっぽんの芸能」、ぜひご覧下さい。

さて、やはり鬼婆がらみの別件、地方紙『福島民友』さんから。

怖くて...うまい!「おにばばソフト」 「酪王いちごオレパフェ」も

007 二本松市振興公社は今月から、二本松市の安達ケ原ふるさと村と道の駅安達「智恵子の里」下り線で、独自商品の「酪王いちごオレ」ソフトクリームをベースにした新スイーツを発売した。
 ふるさと村は、「安達ケ原の鬼婆」伝説をモチーフにしたオリジナル商品開発の第3弾となる「おにばばソフト」(600円)。「怖くて...うまい!」をキャッチフレーズに、出刃包丁や骨の形をしたクッキーをトッピングし、血をイメージしたいちごソースを使った。食事処のよってっ亭で販売している。
 道の駅では、いちごオレのパフェを考案した。酪王いちごオレソフトに、カラフルな色合いのあられの一種「おいり」をトッピングし、かわいらしいスイーツに仕上げた。あられの食感がおいしさを引き立てる。道ナカ食堂で400円で販売している。
 同公社は「同じソフトクリームをベースにする商品のギャップを楽しんでもらいたい」としている。

同じ件、福島テレビさんでも報じられていました。

恐怖を覚えるおいしさ!?鬼婆伝説の地・安達ケ原に誕生したソフトクリーム

二本松市振興公社・吉清水朋子さん:「安達ヶ原の鬼婆は、この土地ではとても有名で、この鬼婆伝説を皆さんに知って頂きたいと」
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福島県二本松市の『安達ヶ原ふるさと村』
この地に伝わる鬼婆伝説をPRし、コロナ禍で減少した観光客を呼び戻そうと令和2年8月8日に、「オニババプロジェクト」が立ち上がった。
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鬼婆のリアルさ怖さを、ありのまま売り出していこうというプロジェクトで、第1弾は、トートバッグや缶バッジを制作。第2弾は、出刃包丁を模したハンバーグがのっている「オニババ出刃ーグカレー」
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そして、第3弾。4月5日に発売されたのが…
黒い角に白い髪の毛、しわしわで牙のはえたこわ~い表情!血のついた出刃包丁や骨…その名も「おにばばソフト」。
◇「おにばばソフト」600円(税込)
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二本松市振興公社・吉清水朋子さん:「ふるさと村で大人気商品の『酪王いちごオレソフト』を土台にして、鬼婆の顔をプリントしたクッキー、生クリームで表現した鬼婆の髪の毛、角、出刃包丁のクッキー、骨のクッキー、意味ありげに赤いソースがかかっています」
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試行錯誤を重ね、出来上がるまでに4ヵ月ほどかかったそう。
二本松市振興公社・吉清水朋子さん:「鉛筆で何度もデッサンをして、クッキーに焼いたときにいかに簡単にきれいに顔にでるかっていうのを何枚も何枚もクッキーを作って、型を作ってプリントクッキーが仕上がりました」
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二本松市振興公社・吉清水朋子さん:「”おにばばソフト”を知って頂いて、鬼婆っているんだってこと、それがさらに二本松のPRにつながることが一番だと思っています。『怖くてうまい!』ソフトクリームを楽しんで頂けたらと思います」
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<二本松市の安達ヶ原に伝わる鬼婆伝説>
病を抱えるお姫様の乳母だった女性は、お姫様を助けるためには妊婦のお腹の中にいる子どもの生き肝を飲ませる必要があった。ある日やってきた妊婦のお腹を切りましたが、なんとその妊婦は自分の娘だったのです…ショックのあまり、鬼婆になってしまったという…
<安達ケ原ふるさと村> 福島県二本松市安達ケ原4-100

当方は「ちょっと、無理……」という感じですが、度胸のある方、ぜひどうぞ(笑)。

【折々のことば・光太郎】

「展望」に原稿着の由にて臼井吉見氏より一五、〇〇〇圓小為替により送り来る。

昭和22年(1947)6月23日の日記より 光太郎65歳

「原稿」は、自らの生涯と戦争責任を綴った連作詩「暗愚小伝」です。「臼井吉見」は掲載紙『展望』の編集長でした。

「暗愚小伝」、18ページに亘る掲載ではありましたが、その稿料が15,000円というのは、当時の物価から換算すれば破格の金額のように思われます。当方、現代でも15,000円の原稿料を貰えることはほとんどありません(笑)。

能の公演情報です。

しかし、観に行こうと思っていましたが、ほぼほぼ発売と同時に完売。ただ、もしかするとキャンセル等があるかもしれません。  
時 間 : 午後6時30分開演(終演予定午後8時30分頃)
場 所 : 国立能楽堂 東京都渋谷区千駄ヶ谷4丁目18-1
料 金 : 正面=6700円 脇正面=5600円(学生3900円) 中正面=4400円(学生3100円)
演 目 :
舞囃子新作 智恵子抄(ちえこしょう)  鵜澤久  櫻間金記
高村光太郎が、妻智恵子へのひたむきな愛を詠んだ『智恵子抄』。
武智鉄二が原作から選んだ詩と短歌で
構成して、昭和32年に発表した新作能を舞囃子で上演します。
狂言小謡 花の袖(はなのそで)  野村又三郎(和泉流)
独吟 泰山府君(たいさんぷくん)  松野恭憲(金剛流)
仕舞 小歌(こうた)  宝生和英(宝生流)
一調 放下僧(ほうかぞう)  岡久広  曽和正博
袴狂言 釣狐(つりぎつね) 前(まえ)  野村万作(和泉流)
一族を猟師に狩られた古狐は猟師の伯父に化け、狩りを止めるよう猟師のところへ意見に行きます。 大曲「釣狐」の緊迫感溢れる前半を、今回は袴狂言でご覧いただきます。

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能の「智恵子抄」については、以前にもちらっと書きましたが、上記解説に有るとおり、武智鉄二構成、観世寿夫により、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に初演されました。

下記画像は、昭和37年(1962)、名古屋の愛知文化講堂での公演「中日五流能」のパンフレットから。

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その後もちょぼちょぼ演じら001れた記録がありますが、決してその回数は多いものではありません。

この新作能に関しては、生前の光太郎も乗り気で、自ら面のデザインを考えていたほどでした。亡くなる前年の昭和30年(1955)頃のスケッチブックに、そのラフスケッチが残されています。結局、光太郎生前の上演は叶わず、光太郎デザインの面も実現しませんでしたが……。

昭和30年(1955)と翌年の光太郎日記から。

武智鉄二が「智恵子抄」を能でやりたい由、面会は不必要と返事、
(10月4日)

藤島宇内氏くる、武智鉄二氏の話を伝言、面のスケツチを示すこと、京都の或職人がそれによつて面打をすること、「智恵子抄」能形式演能のこと、(10月9日)

夕方藤島宇内氏くる、武智鉄二氏のテカミ持参、「智恵子抄」能楽化のこと、(1月8日)


武智の回想も残っています。昭和32年(1957)の『婦人公論』に載った「座談会三人の智恵子」という記事。武智が司会を務め、それぞれ舞台、映画、テレビドラマで智恵子役を演じた水谷八重子、原節子、新珠三千代が参加した座談会の記録です。

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武智  能のほうは能面でしょう。だからどうしていいか困りましてね。私、はじめは高村さんに智恵子という能面を作って下さいと云ってお願いしたんですよ。そうしたら大分その気持になられたらしかったんですが、いまは病気で駄目だから、五、六年待ってくれれば彫ると云われたんです。私のほうとしては、先生の健康状態がどういうふうだかよく分りませんでしたが、五、六年待っても智恵子の面が出来てからやるほうがいいと思っていたのです。しかし「自分の身体のために何年もの間待って貰うわけにいかないだろうから、それだったらほかの変な職人に彫らさないで、昔からの能面を使ってやってくれ」と云ってらしたんですよ。結局古い能面を使ってやることになったけれども、この間高村豊周さん(光太郎氏令弟)にお会いしてお話をうかがったら、光太郎先生もずいぶんと能のことを気にされて、能面のデッサンは描かれたんだそうです。それは私、まだ拝見してないんですけれども、あるんですって。それから智恵子は、いつもセーターを着てズボンをはいていることが多かったから、そういう恰好で能をしてくれという話で……。
水谷  エンジのセーターで、黒いズボンをはいていらしたそうですね。
武智  それで、奥村土牛さんに衣裳をお願いしたのですが、ともかくセーターにズボンを能の中でどういうふうに生かすかですね。何しろ足が二本ニューッと出てるのは、いままでの能にないんですよ。ですからやる人はとてもやりにくいらしいですね。
水谷  二人の智恵子が出るそうですが、どういうのですか?
武智  つまり、智恵子と気が狂った智恵子の二人が出るんです。美しい智恵子というのは高村さんの詩の中で歌(うた)い上げてる永遠の女性像の智恵子で、もう一人の智恵子は現実に追いつめられて気が狂うという……その二人をドッペルゲンガーみたいに一緒に出すんです。それは能だから出来るんですね。面(めん)をカブっていればいいんですからね。で、一人のは、気が狂ったような顔をした面で、衣裳も同じ模様の衣裳で、色が違うだけです。


ここまで書き写してみて、やはり観たかった、という思いが強く湧きました。ごく普通にチケットが買える状況で観られるよう、しょっちゅう演じられることを期待しますが、なかなか難しいのでしょうね……。


【折々のことば・光太郎】

世界諸国語の中でも日本語はよほど風変りである。日本の詩人はよく、「言(こと)だまの幸(さきお)う国」といつて日本語の美しさをたたえているが、これは、自国語はどこの国の人でもよく分るからそう思うのであつて、ドイツ人はドイツ語が世界でいちばん美しい国語だというし(ケーベル博士)、フランス人、イギリス人もそれぞれフランス語、イギリス語でなければ微妙な表現はできないと思つているようで、決して日本だけが、「言だまの幸う国」ではないのである。ただ日本人にとつては日本語でなければあらわせない美があるということに外ならない。

散文「日本詩歌の特質」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

戦後9年、もはや翼賛の呪縛から解き放たれた光太郎にとっては、「日本」は特別に敬愛すべきものでも、ことさらに唾棄すべきものでもない、世界の中の「日本」と化していることが伺えます。

純邦楽のコンサートです。
会   場 : 紀尾井ホール 東京都千代田区紀尾井町6番5号
時   間 : 18時30分開場 19時開演
料   金 : 3,000円(全席自由)
主   催 : オフィス朝香
後   援 : 公益財団法人 日本伝統文化振興財団
出   演 : 朝香麻美子   賛助出演 鈴木璋子(歌・箏)
曲   目 : 奥組 初音曲(山田検校 作曲)  那須野(山田検校 作曲)
        樹下の二人(高村光太郎 作詩 小山清茂 作曲)
        遠野(柳田國男 作歌 唯是震一 作曲)

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箏曲奏者・友渕のりえさんの委嘱による昭和50年(1975)作曲の「樹下の二人」がプログラムに入っています。初演もこの年でした。

作曲者の故・小山清茂氏のことば。

 此の曲を作曲するに当って、私は、出来るだけ自然な節回わしであり度いと願った。そして、幸福な二人を表現するため、音域を中庸に保つ様に気をつけた。
 昭和五十年作曲以来、何十回うたってくれたことでしょう。今、友渕さんの歌うのを聴けば、総べては全く自然そのもの、音符はおおよその目安にすぎなくなって「彼女のもの」になって居ることを感ずる。

その後、いろいろな方が取り上げられ、CDに収められたり、コンサートの演目になったりしています。


当方、平成26年(2014)、この曲が演奏された箏曲奏者の故・浜根由香さんのコンサート「浜根由香 東北を謳う」を聴きに、福島県南相馬市に行って参りました。その後、その際のライヴ録音のCDも入手。例によって連翹忌の宣伝をし、いずれ連翹忌で演奏していただきたいものだと思っておりましたが、浜根さん、昨年6月に亡くなられたそうで、ショックでした。

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改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

あの欲情のあるかぎり、 ほんとの為事は苦しいな。 美術といふ為事の奥は さういふ非情を要求するのだ。 まるでなければ話にならぬし、 よくよく知つて今は無いといふのがいい、 かりに智恵子が今出てきても 大いにはしやいで笑ふだけだろ。

連作詩「智恵子抄その後」中の「吹雪の夜の独白」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

「あの欲情」は、性欲を指します。「枯淡の境地」といいますが、そこに至るまでに乗り越えてきたものの大きさが重要だと思います。元々枯れていた、ではやはり深みがありません。紆余曲折や多大な犠牲があっての「枯淡」。そういう意味での「非情」なのでしょう。

今年10月に、福島県南相馬市で行われた邦楽奏者・浜根由香さんのコンサート「東北を謳う」のライブ録音CDが届きました。コンサートのレポートはこちら
 
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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したものです。
 
協賛チケットという形で、一口1,000円を振り込むと、こちらが送られてきます。当方、当日のコンサートも拝聴しましたが、CDも欲しかったので申し込みました。復興支援を兼ね、コンサート当日の分と合わせて、収益は市社会福祉協議会に寄付されたそうです。
 
CDと一緒に入っていた文書から抜粋引用します。
 
浜根由香~東北を謳う~南相馬コンサートのCDが完成しましたのでお届けします。
 
皆様のご支援のおかげで10月19日(日)、暖かな日差しとお客様に恵まれて無事にコンサートを終える事が出来ました。
 
そして協賛チケットの総売り上げは323枚、全国の皆様からのあたたかいご支援の気持を南相馬に届ける事が出来ました。後日、社会福祉協議会から感謝状を戴きました。
 
御協力いただき本当にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 
 
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それから、「南相馬公演を終えて~今、改めて思う事~」という文書も同封されていました。
 
コンサートの打ち上げで、改めて世話人の方々に震災の話を伺いました。
 
その方達は避難せずに現地に留まった、正しくは事情があって避難出来なかった方達でした。いち早く避難した友人に「早く逃げろ」と言われても逃げるわけにはいかなかった。
とはいえ、地震直後の混乱の中では避難した方々にも正しい情報が届かないため、避難場所が南相馬よりも放射能の高い場所だったとは知らず、そこで沢の水を飲んだ人も居た…という生々しい話も沢山聞きました。
 
以前、除染のボランティアで南相馬を訪れた際、「他の場所にはボランティアはたくさん来るけれども放射能が怖いから此所にはあまり来ない。なんでわざわざ南相馬に?」との質問がありました。
「何かせずにはいられなかった。」と率直に気持を伝えましたが、
「なぜ?」の答えになっていないなぁ…と東京に帰ってからも考え続けていました。
 
「なぜ他ではなく、南相馬だったのか?」
 
今改めて考えると、原発が危ないものだと薄々知っていたのに声を上げなかった自分が許せなかったのですね。だから「何かせずにはいられなかった。」見えない放射能が残したものを自分の目で確かめなければ。と除染作業に参加したのです。それがきっかけとなり10/19のコンサート、そしてこのCDをお届けする運びとなりました。
 
今も電力が足りない訳ではないのに各地の原発が次々と再稼働を始めようとしています。今回の事故で明らかになったように人間はまだ原子力を扱いきれません。大都市の電力を賄う為に地方に原発を作るのは自分だけ良ければいいという都会的・身勝手な発想であり、政治的発想です。政治家は政治が仕。音楽家は音楽が仕事ですから、専門外の人の仕事は任せておけと言う風潮もありますが、どんな職業についてもその前に人間です。
人としてやってはいけない事には声を上げなくてはなりません。
音楽家は炭坑のカナリアと似ています。危険に気が付いたら真っ先に声を上げなければいけない、音楽の修行だけやっていればよい訳ではないと思うのです。
 
そんな思いが大層なチラシを全国に配る原動力となり、本当に多くの方達の後押しで気持ちを形にすることが出来ました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
 
東日本大震災から3年9ヶ月が経ちました。しかし、まだまだ「被災」は終わっていません。浜根さんのように、それぞれの皆さんが、それぞれの立ち位置で、できることをしていっていただきたいものです。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月12日
 
大正3年(1914)の今日、雑誌『美術新報』に、散文「バーナード リーチ君に就いて」が掲載されました。
 
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昨日、箏曲奏者の下野戸亜弓さんの新しいアルバム「万葉の恋歌 箏歌〈Koto Uta〉をうたう」をご紹介しました。
 
他にも光太郎がらみの箏曲作品などを収めた音盤、楽譜類がいろいろあるのでご紹介します。

日本の唄 友渕のりえの世界

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平成3年(1991)リリースのCDです。廃盤となっており、入手は困難かと思います。
 
下野戸さんの「万葉の恋歌 箏歌〈Koto Uta〉をうたう」にも収録されている小山清茂作曲「樹下の二人」が収められています。唄と箏は友渕さん。
 
もともとこの曲は昭和50年(1975)、友渕さんにより委嘱されて作られたものです。
 
その楽譜がこちら。

赤土になる妹・樹下の二人

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昭和52年(1977)全音楽譜から刊行。こちらは現在でも入手可能です。
 
 
楽譜、といえば当方、こんなものも入手しました。

坂本勉作曲箏曲楽譜 地上のモナ・リザ

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光太郎の詩「地上のモナ・リザ」に曲を付けたもので、楽譜自体の刊行は昭和54年(1979)。初演は光太郎存命中の昭和30年(1955)に京都で行われたそうです。解説によると、「独唱・合奏からなり、さらに洋楽器を加えた、邦楽的なオーケストラと、合唱のための曲」とのこと。
 
カセットテープも販売されています。
 
この時のプログラム、パンフレット等を探していますが、なかなか見つかりません。情報をお持ちの方はご教示いただけると幸いです。
 
先述の「樹下の二人」の楽譜はまがりなりにも五線譜で書かれています(それでも一般的な器楽や声楽の楽譜とはいろいろ異なりますが)ので、判読できます。しかしこちらは箏用の楽譜で、さっぱりわかりません。暗号のようです(笑)。

 
もう一点、別の曲が収められたCDです。

人間国宝 米川敏子 箏の魅力~オリジナル作品編

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題名の通り、人間国宝に認定された箏曲奏者・米川敏子さんのCDです。こちらも廃盤ですが、通販サイトなどでぎりぎり在庫が残っているようです。平成9年(1997)の発行。元はアナログレコードだったものの覆刻のようです。
 
やはり光太郎存命中の昭和28年(1953)に作曲され、その年の芸術祭奨励賞を受けた「千鳥と遊ぶ智恵子」が収められています。演奏は箏高音・米川敏子、十七絃・米川裕枝、ソプラノ・長門美保となっています。

さらにもう一点。

現代箏曲 清水脩作品集

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LPレコードで、発行年は不明です。
 
昭和34年(1959)に作曲された「智恵子抄より」が収められています。箏・松尾恵子、伴奏・ルビーノ・アンサンブル、歌詞ではなく朗読で竹脇無我さんと栗原小巻さん。ラインナップは「人に」「晩餐」「樹下の二人」「狂奔する牛」「千鳥と遊ぶ智恵子」「梅酒」です。復刻版CDが出ているようです。

 
さまざまな方が光太郎智恵子の世界を表現して下さっていて、ありがたいかぎりです。

 
【今日は何の日・光太郎】 9月12日

昭和54年(1979)の今日、『読売新聞』で、千駄木の高村家から光太郎の姉・咲の膨大な画稿と光太郎の臨画5点が発見されたことが報じられました。
 
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光太郎の臨画は全て明治30年(1897)前後のもの。東京美術学校に入学したのが明治30年、数え15歳。その前年には美校の予備課程的な共立美術学館に通っています。その頃に学校の課題として描いたものと推測されますが、少年の作品とは思えない出来ですね。

先月リリースされたCDです。 

万葉の恋歌 箏歌<KotoUta>をうたう

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箏曲奏者・下野戸亜弓さんの新作です。昭和50年(1975)に、作曲家・小山清茂によって作られた光太郎詩「樹下の二人」が収録されています。
 
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下野戸さんは山田流箏・三味線・歌、古典からオリジナルを含めた現代曲までさまざまな曲を演奏されているそうです。特に宮澤賢治の詩に曲を付けたものを多く手がけられているようです。
 
「樹下の二人」は下野戸さんの平成17年(2005)のライヴ録音CD「下野戸亜弓箏曲リサイタル2005」にも収録されており、当方、そちらも持っていますが、今回のものとは別テイクです。
 
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先日のこのブログの「今日は何の日・光太郎」で、戦時中に箏曲奏者の今井慶松が光太郎の「真珠港特別攻撃隊」に曲を付け、演奏した旨書きましたが、光太郎作品が箏曲で取り上げられるケースが意外にたくさんあります。
 
CDや楽譜等も複数販売されており、明日はその辺りをご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月11日

大正3年(1914)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』に、智恵子の詩「無題録」が掲載されました。
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  無題録
 
 いとほしい髪の一すじより
 感情のはげしい瞬刻の閃光まで
 私にとつては宝玉だ
 抜きさしならない玉條だ
 よろこびは朗らかに魂身に燃え
 日輪は大なるひまはり草に祝福す
 いのちは一切の生にとゞまる
 抹殺と添削との卑穢な人間の想像こそは痛ましけれ
 そのアツピアランスの魂こそは痛ましけれ
 われを嘆けば
 あまくいたきアマリリスの赤さ
 直覚をすつるは
 罪悪に値す
 きりぎりす
 すいつちよう
 啼くはわれのみかは
 君ゆゑに
 あひたさゆゑに
 つくづくし
 うらの森にしぐれふる
 青いしぐれ――
 散る木の葉
 
現在確認できている智恵子の唯一の詩です。

コンサート情報です。 

第八回邦楽器とともに―新しい日本歌曲の夕べ― 新作歌曲を揃えて

【日時】2013年8月30日(金)18:00開場、18:30開演
【会場】津田ホール(東京・千駄ヶ谷)
【料金】全席自由3,500円
【後援】日本作曲家協議会、日本現代音楽協会、邦楽ジャーナル
 
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プログラムの中に、光太郎関連で以下があります。トリのようです。
 
「荒涼たる帰宅」
 詩:高村光太郎、曲:田丸彩和子、歌:小畑秀樹
 篠笛・尺八:設楽瞬山、薩摩琵琶:岩佐鶴丈
 
「一般社団法人 波の会日本歌曲振興会」さんは、日本における芸術歌曲の一層の普及、振興を図るという理念のもと、日本歌曲の創作、演奏及び普及に関する事業を行っているそうです。
 
「荒涼たる帰宅」作曲者の田丸彩和子さんのHPはこちら
 
当方、ぜひ聴きに行きたいのですが、当日は岡山に行っておりますので残念ながら欠礼いたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月18日

昭和10年(1935)の今日、渡航したまま20年近く音信が途絶えがちだった弟、道利を神戸に迎えに行きました。
 
光太郎は長男、道利は次男です。さらにその下の三男・豊周の回想によれば、道利ははじめ軍人志望だっったのを光雲に反対され断念、東京外語学校を卒業したものの定職に就かず、見かねた光太郎が画廊・琅玕洞の店主に据えたものの、店自体が長続きせず、その上結婚も光雲に反対されて、大正の中頃に半分ヤケになって渡欧したそうです。
 
欧州では何か執筆をして糊口をしのいでいたようですが、詳細は不明。結局、フランスの慈善病院のようなところに入院、日本大使館から「送還するので引き取ってほしい」的な連絡が高村家にあったとのこと。
 
その道利は昭和20年(1945)に事故死しますが、非常に謎の多い人物です。

今朝になって気づきましたが、本日、13時27分からNHK総合テレビで放映の「スタジオパークからこんにちは」が、「アンコール特集 渡辺えり」です。少し前に放送されたものの再放送で、当方、本放送は見逃したのですが、えりさんのお父さんと光太郎の交流に関する話も含まれていたとのこと。ご覧下さい。
 
さて、話は変わって、檜書店さんという出版社が刊行している月刊誌で『観世』というものがあります。その名の通り、能楽観世流の機関誌のようなものではないかと推察します。
 
その『観世』の今月号に、「観世寿夫と『智恵子抄』」という記事が載っています。
 
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千葉市美術館の学芸員さんから情報を得、早速取り寄せました。
 
著者は宗教学者の山折哲雄氏で、同誌の連載「能を考える」の第十七回。6ページにわたって掲載されています。
 
題名にある「観世寿夫」は観世流のシテ方でしたが、昭和32年(1957)に新作能「智恵子抄」を作り、上演しています。構成・演出は映画監督の武智鐵二。観世寿夫自身も光太郎役で出演しています。
 
初演は昭和32年ですから光太郎没後ですが、生前からこの話が進んでおり、光太郎の日記に武智の名と能楽「智恵子抄」に関する記述があります。また、それなら、と、能面のデザインも光太郎が手がけようとし、そのためのスケッチも残っています。ちなみにこの能面のスケッチ、現在開催中の千葉市美術館の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」で展示中です。ただ、光太郎デザインの能面は結局実現しませんでした。
 
さて、『観世』の記事。観世寿夫を祖とする「銕仙会」に残る能楽「智恵子抄」の録音を、山折氏が聴いたことが書かれています。
 
曰く、
 
観世寿夫の声をきいているうちに、『智恵子抄』の言葉の一つひとつがまるで能舞台の上に這いのぼってくるような光景がみえはじめ、それがまぼろしのごとく揺らぎはじめていることに気がついた。起伏に富む現代詩の言葉が能の詩章の海にほとんど融けこんでしまっている。その両者のあいだをへだてる障壁が、それと気づかせないうちに取り払われていたのである。光太郎の詩の言葉が謡のリズムのなかに吸いこまれてしまったのか、謡の調べが詩の言葉の流れに融解してしまっているのか、それが判然としない…。
 
要するに何の違和感もなく、光太郎の詩句が謡曲として成立しているということですね。
 
そして山折氏、この新作能の背景には、謡曲「安達原」が色濃く影響していると指摘しています。それはそのとおりでしょう。
 
「安達原」は有名な鬼女伝説を元にした能の演目で(観世流以外では「黒塚」)、その舞台となったのがまさに智恵子の故郷、二本松の旧安達地区です。
 
平安時代の『拾遺和歌集』には平兼盛の作として、この安達ヶ原の鬼女伝説をモチーフにした次の歌が載っています。
 
陸奥の安達の原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか
 
そして光太郎はそれを受けて、詩「樹下の二人」の冒頭に、詞書のように次の短歌を添えています。ある意味、本歌取りのようです。
 
みちのくの安達が原の二本松松の根方に人立てる見ゆ
 
「樹下の二人」は、この後、有名なリフレイン「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」と続くのです。
 
この「樹下の二人」、能「智恵子抄」でも使われています。山折氏によれば、観世寿夫は先述の光太郎短歌の背後に、謡曲「黒塚」があることを読み取っていたはず、というのです。それはその通りでしょう。
 
話は変わりますが、今月28日(水)に、国立能楽堂で行われる「能楽座自主公演」の演目に、「舞囃子「智恵子抄」」の文字が見えます。
 
当方、能にはそれほど詳しいわけでもなく、これが観世寿夫作曲のものなのかどうか、判断できません。詳しい方、ご教授いただければ幸いです。
 
【今日は何の日・光太郎】 8月5日

昭和30年(1955)の今日、ラジオで日米対抗水泳大会の中継を聴きました。

昨夜、当方の住む千葉県香取市にある香取神宮にて開催された薪能を観て参りました。
 
演目は狂言「附子(ぶす)」、能「葵上(あおいのうえ)」。光太郎智恵子とは直接関係ありません。
 
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香取神宮には朱塗りの楼門があり、その下は幅広で長い石段があります。その石段と、石段下のスペースにパイプ椅子を並べて客席としていました。着物を着ていったので、石段ではちょっと困るな、と思ったら、幸い、椅子席にありつけました。
 
開演は午後六時。開演に先立って篝火に火が入り、三分咲きの桜、霞んだ空にはうっすらと月。いい感じでした。観衆もざっと見たところ400~500くらいいたのではないかと思いました。こうした伝統芸能のイベントに多くの人が集まるというのは素晴らしいと思います。手前味噌になりますが、「小江戸」と称され、伝統文化を大切にしている香取という街だからかと思います。
 
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はじめは狂言「附子」。昨今のテレビのお笑いなどと較べると、テンポが非常にゆったりとしています。しかし、それがいいと思いました。
 
続いて能「葵上」。狂言から一転、幽妙な世界に。囃子方や地謡の方々を含め、総勢20名程で、かなり本格的でした。遠目にも、前シテの六条御息所の生霊の泥顔面、後シテの般若面など、鬼気迫るものがありました。
 
ところで、光太郎には能に関する文章がいくつかあります。そのうち、昭和19年(1944)に書かれた「能の彫刻美」という評論では、次のように語っています。
 
能はいはゆる綜合芸術の一つであるから、あらゆる芸術の分子がその舞台の上で融合し展開せられる。その融合の微妙さとその展開の為方の緊密にしてしかも円転自在な構成の美しさとに観る者は打たれる。しかし私のやうな彫刻家が能を観るたびにとりわけ感ずるのはその彫刻美である。他の舞台芸術に絶えてないほど能には彫刻的分子が多い。能は彫刻の延長であるもののやうな気さへしてくる。
 
さて、昨日の「葵上」の演者は観世流の皆さんでした。観世流といえば、光太郎とも関連があります。
 
昭和32年(1957)に、映画監督・演劇評論家の武智鉄二作、観世寿夫作曲で新作能「智恵子抄」が作られているのです。
 
それを思い出してネットで調べていましたら、近々「智恵子抄」が上演されることが判りました。やはり薪能で、岡山県倉敷市の不洗観音寺さんというお寺で、5月17日(金)の18:00開演です。
 
(追記4/10)上記の部分、訂正です。こちらは数年前の情報との事。岡山在住の方からご指摘を頂きました。曜日が同じなのでてっきり今年と思いこんでいました。問い合わせ等されてしまった方、申し訳ありませんでした。
 
能にしても狂言にしても、日本の誇る伝統芸能。こうしたものの火を絶やさないようにしてほしいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】3月24日

昭和14年(1939)の今日、十字屋書店版『宮沢賢治全集』出版のための相談会に出席しました。
 
光太郎、そして草野心平らのこうした活動の結果、生前には無名だった宮沢賢治が世に知られていくことになるのです。

歌舞伎俳優の十二代市川團十郎さんの訃報が駆け巡りました。
 
光太郎は、十二代團十郎さんの曾祖父に当たる九代團十郎のファンで、青年期にはよく舞台を観に行っていましたし、2度、彫刻を手がけています(残念ながら2点とも現存しません)。
 
一度目は東京美術学校(現・東京芸術大学)在学中の明治37年(1904)。当時の日記に記述があるのですが、油土を使ったレリーフでした。
 
二度目は昭和12年(1937)から翌13年(1938)にかけて。この時は粘土の塑像でした。しかし、未完成に終わっています。光太郎曰く「それから九代目團十郎の首を作りはじめたが、九分通り出来上るのと、智恵子の死とが一緒に来た。團十郎の首の粘土は乾いてひび割れてしまつた。今もそのままになつてゐるが、これはもう一度必ず作り直す気でゐる。」(「自作肖像漫談」昭和15年=1940『高村光太郎全集』第9巻)。しかし、昭和20年(1945)の空襲で、アトリエもろともこの像も焼けてしまいました。
 
二度目の像を作っている最中に書いた散文や詩も伝わっています。
 
まず散文「九代目團十郎の首」(昭和13年=1938『高村光太郎全集』第9巻)から。
 
 九代目市川團十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終つたわけである。彼は俳優といふ職業柄、明治文化の総和をその肉体で示してゐた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。
(中略)
 私は今、かねての念願を果たさうとして團十郎の首を彫刻してゐる。私は少年から青年の頃にかけて團十郎の舞台に入りびたつてゐた。私の脳裏には夙くすでに此の巨人の像が根を生やした様に大きく場を取つてしまつてゐた。此の映像の大塊を昇華せしめるには、どうしても一度之を現実の彫刻に転移しなければならない。私は今此の架空の構築に身をうちこんでいるけれど、まだ満足するに至らない。
(後略)

さらに「團十郎像由来」という詩(昭和13年=1938『高村光太郎全集』第2巻)も書かれました。
 
   團十郎像由来
 
 不動の剣をのみこそしないが001
 おびただしい悪血をはいたわたくしは
 おこさまのやうに透きとほつてしまつた
 精神に於けるオオロラの発光は
 わたくしを青年期高層圏の磁気嵐に追つた
 明治文化の強力な放電体
 九代目市川團十郎にばつたり出あつた
 巨大な彼の凝視に世紀のイデアはとほく射ぬかれ
 腹にこたへる彼のつらねに幾代の血の夢幻は震へ
 彼のさす手ひく手に精密無比の比例は生れ
 軽く浮けば有るか無きかの鷺娘
 山となれば力の権五郎
 一切の人間力の極限を
 生きの身に現じたこの怪物は
 無口なやさしい一個の老人
 品川沖に絲を垂れ
 茅が崎の庭でおでんをくふ
 わたしは捉へ難きものに捉へられ
 茫茫として春夏秋冬を粘土にうもれ
 あの一小舞台から吹き起る
 とめてとまらぬ明治の息吹を
 架空構築にうけとめようと
 新らしい造血作用を身うちに燃やして
 今は絶体絶命の崖の端まで来てしまつた
 
「昭和」に入って「明治」を懐かしみ、「明治」を代表する人物の一人して、九代團十郎を作ろうと思ったようです。
「平成」も25年。「昭和」の名優がまた一人亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎】2月6日

昭和16年(1941)の今日、JOAKラジオ(現・NHK東京)で、光太郎作詞の歌曲「歩くうた」が柳兼子の歌で放送されました。

柳兼子は白樺派の美学者・柳宗悦の妻です。

新しい資料ではありませんが、最近入手したものを紹介します。 

「横笛物語 第三巻」福原一笛 CDアルバム 定価2381円+税

  
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横笛奏者、福原一笛さんのCDです。
 
「智恵子と空」「霞ヶ城幻想曲」という曲が収録されています。流行りの言葉で言えば智恵子へのオマージュといったところでしょうか。平成8年(1996)のライブ録音だそうです。
 
福原さんのHPを拝見しましたが、人間国宝の横笛奏者、故・寶山左衛門(たから・やまざえもん)氏に師事なさったとのこと。
 
寶氏のCD「笛のこころ」は以前から持っており、そちらにも「智恵子と空」が収録されています。
 
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「霞ヶ城幻想曲」の方は、福原さんの作曲で、笛以外にシタール、タブラが使われており、不思議な感覚の曲です。ちなみに「霞ヶ城」は二本松霞ヶ城、智恵子の故郷にある城ですね。
 
こういったものも、誰かが気をつけて情報や現物の収集をしておかないとなりません。少し前に、戦時中の光太郎作詞の歌曲について、SPレコードやら楽譜やら、当時出たものをいろいろ調べていたのですが、たかだか数十年前の話なのに難航しました。
 
現代のものでもまだまだ当方の知らないものがいろいろあるようです。こんなものもある、という情報をお待ちしております。

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