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題名に記しました「千葉東葛(とうかつ)地区」とは、千葉県の北西部、元は東葛飾郡と言っていた地域で、現在の松戸市、柏市、流山市、野田市などを指します(茨城県の一部も含むようですが)。「葛飾」という地名は東京都葛飾区が有名ですが、本来はかなり広いエリアで、北は埼玉県で「北葛飾郡」が現存していますし、東は千葉県の東葛飾郡だったわけです。

さて、その東葛エリアに、先週、それから昨日と、2回に分けて足を運びました。自宅兼事務所のある千葉県香取市からは車で1時間半くらいのところです。

時系列とは逆に、まず昨日。柏市に行っておりました。

きっかけは、一昨日の『朝日新聞』さん千葉版。「温泉本・グルメ…多彩な足跡 旅行作家の草分け・山本鉱太郎さん、柏で作品展」という記事が出まして、拝読し、「あっ、これは行かねば」と思った次第です。
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山本氏、平成元年(1989)初演の「オペラ智恵子抄」の脚本を書かれた方です。作曲は仙道作三氏、そして監修は当会顧問であらせられた、故・北川太一先生でした。
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その山本氏の足跡を辿る展示がなされているということで、当方、仙道氏、それから智恵子役を演じられた本宮寛子さん、和田タカ子さんとも親しくさせていただいておりますが、山本氏とはお会いしたことがなく、おそらく会場にいらっしゃるのではなかろうかと思い、行ってみた次第です。

会場は柏市の花井山大洞院さんという寺院内の「大洞院ギャラリー」。柏でも古くから栄えていた地区、野田方面に延びる旧道から少し入ったところにあります。
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立派な本堂。
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その前には、イチョウの巨木。神社ではないのでご神木、というわけではありませんが、江戸時代には既にランドマークだったそうです。色づいたらさぞ見事でしょう。
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ギャラリーは本堂と繋がっていました。
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一室のみで、あまり広くはありません。その空間に、山本氏の足跡が、これでもかとてんこ盛り。
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「オペラ智恵子抄」関連の資料も複数、並んでいました。
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KIMG4966山本氏直筆の脚本原稿、何度か各地で公演されたその時々のパンフレットやチラシ、ポスターなどなど。

案の定、山本氏がいらしていたので、お話しをさせていただきました。まずは北川太一先生のこと。山本氏、千駄木の北川先生宅にも行かれたそうで、そうした思い出など。

それからもちろん作曲の仙道氏についても。山本氏、「オペラ智恵子抄」以外にも、仙道氏とタッグを組んでのお仕事をなさっています。

そして、話は宮城県女川町に。女川町でも「オペラ智恵子抄」が上演されたことがあり、その際、山本氏も女川に行かれていたそうで、勧進元だった故・貝(佐々木)廣氏のお話、オペラ上演のきっかけとなった女川町の光太郎文学碑の話などなど。

また、山本氏、最近は女川に行かれたことはないそうで、東日本大震災から10年経って、女川がどう変わったのかなども。スマホでこのブログから、最近の女川の様子をお見せすると、興味深そうにご覧下さいました。
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こちらが山本氏。

「オペラ智恵子抄」以外にも、山本氏の筆は光太郎に及んでいます。ご自身、流山ご在住で、やはり東葛エリアの手賀沼関連。ここには光太郎も名を連ねた『白樺』の面々が移り住み、一種の芸術村が形成されました。
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その関連の展示。

こちらは山本氏ご著書『白樺派の文人たちと手賀沼 その発端から終焉まで』
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特に、バーナード・リーチとのからみで、光太郎について詳述されています。

あつかましくもこの書籍を持参、サインしていただきました(笑)。
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「オペラ智恵子抄」の楽譜にも。

さて、展覧会の詳細をご紹介します。

熱血の旅行作家 山本鉱太郎展

期 日 : 2021年4月10日(土)~4月18日(日)
会 場 : 大洞院ギャラリー 千葉県柏市花野井1757
時 間 : 10:00~16:30
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

旅行作家山本鉱太郎の著作やそれに関連したものの展示をします。4月11日は「人生思い立った日が青春」の朗読と講演を行います。4月18日は山本さんの台本によるラジオ放送劇「宮沢賢治」の一部の朗読、趣味のハーモニカ演奏などを楽しみます。
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会期残り僅かとなってのご紹介で面目次第もありませんが、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十時頃、花巻の子供賢治の会の連中(二十人余)来る。照井氏と同夫人とが引率。


昭和22年(1947)6月15日の日記より 光太郎65歳

「花巻賢治子供の会」は昭和22年(1947)に結成され、第一回公演が光太郎の山小屋前の野外。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎だそうです。賢治実弟・清六息女の潤子さんなどもメンバーでした。

太田村での公演は、光太郎の慰問がメインの目的だった部分もあったようです。
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3月28日(日)、メインの目的だった「潮見佳世乃起雲閣コンサート 歌物語×JAZZ」を、いよいよ拝聴。会場は熱海市指定有形文化財の起雲閣内に設けられた音楽サロンです。大きな窓から庭園や木立が見え、鳥の囀りが中まで聞こえてきますが、車の音などは無し。都心などでは、こうはいかないでしょう。
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ピアノはベーゼンドルファー。通常のピアノより低音方向に鍵が多いのが特徴です。
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第一部が「智恵子抄」。まずは枕的にご挨拶を兼ねて「智恵子抄」以外の光太郎詩の朗読を、ピアノ・沢村繁氏の即興演奏(?)に乗せて。
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「道程」(大正3年=1914)と「激動するもの」(昭和5年=1930)でした。「道程」は人口に膾炙した作品ですが、「激動するもの」はマイナーな詩で、「これを持ってくるか、さすがに光太郎詩集を隅々まで読まれているな」という感じでした。
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永らく初出掲載紙が不詳でしたが、10年程前、判明しました。甲府で発行されていた『線』という同人誌の第4号(昭和5年=1930  1月)でした。

この後、「智恵子抄」。潮見さんのお父さまの故・高岡良樹氏が始められた「歌物語」というスタイルで、オリジナルの曲に乗せた歌と語りによって、さまざまなジャンルの文学作品等を表現するものの一環です。
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当方、平成27年(2015)に、都内大森で開催された潮見さんの「歌物語コンサート「智恵子抄」」を拝聴しましたが、基本的な構成は同一でした。

曲目は「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」/「風にのる智恵子」(昭和12年=1937/昭和10年=1935)、「値ひがたき智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「亡き人に」(同)。それぞれに叙情性豊かな音楽と、確かな歌唱力に裏打ちされた表現で、「智恵子抄」の、透徹でやるせない、しかし不思議に明るくもある世界観が現出されていました。

第二部は雰囲気ががらりと一変、ジャズのスタンダードナンバー。「east of the Sun」、「You are the sunshine of my life」、「You'd be so nice to come home to」など。
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コロナ禍による公演中止等が相次ぎましたし、趣味で取り組んでいた自分の音楽活動もやめてしまいましたので、この手のコンサートを聴くのは1年数ヶ月ぶり。やはり生演奏はいいものです。

まだ詳細が発表されていませんが、潮見さん、6月20日(日)、千葉市でも「歌物語 智恵子抄」を演(や)られるとのこと。次回は邦楽系の方々ともコラボなさるそうです。近くなりましたら、またご紹介します。

以上、神奈川・静岡レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

ウソの声きこえる。   昭和22年(1947)4月22日の日記より 光太郎65歳

「ウソ」は「嘘」ではなく野鳥の「鷽」。光太郎、大正14年(1925)に、木彫でウソを作りました。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。
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これはかなりの自信作だったようで、自分で懐に入れて持って歩いたそうですし、「まだ健康だつた頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。」(「木彫ウソを作つた時」より 昭和11年=1936)そうです。

もしかすると、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村でウソの声を聞き、智恵子に思いを馳せていたかも知れません。

無観客によるコンサート、そしてオンライン配信の情報です。

蒔田尚昊 歌の世界〜アヴェ・マリアからウルトラマン賛歌まで〜

期 日 : 2021年3月30日(火)
会 場 : 紀尾井ホール
時 間 : 開演15:55
料 金 : ライブ配信/アーカイブ配信 ともに1,000円

作曲家「蒔田尚昊」またの名を「冬木透」・・・歌曲、合唱曲、賛美歌ほか純音楽の世界に ウルトラセブンをはじめ劇版音楽の世界に 数々の名曲とともに燦然たる足跡を刻む 日本を代表するマエストロの「珠玉の歌の世界」

2019年5月に「ウルトラマエストロ冬木透音楽選集」と題し「ウルトラセブン」はじめ幅広いジャンルの音楽が『冬木透60年の軌跡』として収められた10枚組CDが日本コロムビアから発売されました。その機会に、純音楽作曲家「蒔田尚昊」として大切にしてきた魅力溢れる声楽作品を集めた本公演が、くにたちカンマーコールのOBを中心に、親交の深い合唱団に関わる仲間たちによって計画されました。コロナ禍により当初の計画より大幅に開催が延期されましたが、出演者や関係者の心意気と、ファンの皆様のご期待により紀尾井ホールの素晴らしい響きの中で実現することとなりました。

当日は無観客で公演を実施し、ステージの模様をライブ、アーカイブ配信で皆さまにお届けいたします。

【第1部】
ガリラヤの風かおる丘で ノートルダム清心学園中・高等学校校歌 Ave Maria Ⅰ 3つの聖母頌歌より Ⅲ AVE REGINA 管弦楽と室内楽による組曲「アルプスの少女ハイジ」より Ave Maris Stella
【第2部】
神保幸子の詩による歌曲 海/貝/海の子守歌/秋
高村光太郎-詩 智恵子抄 より 樹下の二人/レモン哀歌
若山牧水による三つの歌曲 なつかしき城山の 鐘なりいでぬ・・・/ふるさとの 尾鈴の山の悲しさは・・・/幾山河 越えさり行かば 寂しさの・・・
【第3部】
半田亨雄-詩 きみの笑顔に寄り添って  中山知子-詩 アンデルセン組曲「ある母の物語」より 赤い靴/真珠と人魚/えんどう豆はぜろ/ほか ゾフィのバラード/ウルトラの母のバラード/ウルトラマン賛歌 中山知子-詩 合唱組曲「ハーモニーの輪」

出演
井上由紀(ソプラノ) 大野光彦(テノール) 藤川泰彰(テノール)
江尻弘子(オルガン) 服部容子(ピアノ) 岩波佳代子(ピアノ)法嶋晶子(ピアノ)
レジェンドール(合唱) スターウィンド(合唱・ビデオ出演)
えびな少年少女合唱団(合唱) くにたちカンマーコールOB(合唱)

井上英二(構成・演出/司会)
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蒔田尚昊(まいた・しょうこう)氏。別名が冬木透氏。クラッシック系の作曲の際には「蒔田尚昊」、映画・テレビ関係での作曲では「冬木透」と、お名前を使い分けていらっしゃいます。

一般には「冬木透」での方が有名なのではないでしょうか。何と言っても、「ウルトラセブン」以後しばらくのウルトラシリーズの音楽を手がけてらっしゃいますので。
メインテーマもさることながら、挿入歌の「ULTRA SEVEN」が、放映当時、子供心にも「カッコいい!」と思ったものですし、今聴いても、そのクオリティーには舌を巻きます。
また、「帰ってきたウルトラマン」の挿入歌。通称「ワンダバ」。正式には「MATのテーマ」というそうですが。

当方の中では、「ROCKY」と「燃えよドラゴン」のそれぞれのメインテーマと並び、これを聴くと、いやが上にもやる気を喚起させてくれる名曲です(笑)。

その冬木氏が「蒔田尚昊」名義で、歌曲「智恵子抄」全5曲を作曲されています。「I 樹下の二人」「II あどけない話」「III 同棲同類」「IV 千鳥と遊ぶ智恵子」「V レモン哀歌」です。なかなか「ウルトラシリーズ」の世界と「智恵子抄」が結びつかないのですが、それだけ幅広くやられている点には脱帽ですね。

YouTubeでは「II あどけない話」を見つけました。
今回のコンサートでは、
「I 樹下の二人」と「V レモン哀歌」がプログラムに入っています。そちらは拝聴したことがなく、また、楽譜も刊行されていないようですので、ぜひ聴きたいと思っております。

このコンサート、元々は昨年の3月に開催予定でした。しかし、コロナ禍のため、昨年の12月に延期と発表されました。ところが、この時期はコロナ感染者数の最も多かった時期で、再度延期。三度目の正直で、「今度こそ聴ける、紀尾井ホール、久しぶりだな」と思ったのですが、やはりまだコロナ禍明けやらぬということで、無観客での開催、オンライン配信となってしまいました。当方、この手の配信系には弱く、聴けそうにはありません。残念です。もっとも、一番残念だと思っていらっしゃるのは、蒔田氏ご本人でしょうが……。

視聴できる環境にある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

雨、春雨らし。雪面より水煙立ちのぼり靄となりて雪原を覆ふ。

昭和22年(1947)4月9日の日記より 光太郎65歳

幻想的な風景ですね。

静岡からコンサート情報です。

潮見佳世乃起雲閣コンサート「歌物語×JAZZ」

期 日 : 2021年3月28日(日)
会 場 : 起雲閣 静岡県熱海市昭和町4-2
時 間 : 開場 14:00 開演 14:30
料 金 : 前売券 4,000円 当日券 4,500円

3月28日(日)熱海・起雲閣にて「歌物語×JAZZ」コンサートを開催いたします。
とうとう!語りとジャズを遠征して行います。(笑)
起雲閣は、熱海市指定有形文化財。
1919年に別荘として築かれ、1947年に旅館として生まれ変わり、日本を代表する文豪達に愛されました。
とても素敵な空間です♥️
1部は、高村光太郎の「智恵子抄」
2部は、JAZZライブ
ご一緒させていただきます素敵なミュージシャンは、ピアニスト沢村繁さん。
沢村さんの叙情的なピアノの調べにのせて語り歌います。
春の熱海観光と合わせて、お出かけいただければ幸いです♥️
ご予約お待ちしております。
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潮見さん、連翹忌にご参加下さったこともおありで、以前から「歌物語コンサート智恵子抄」の公演をなさっています。当方、平成27年(2015)、都内大森での公演を拝聴しました。また、令和元年(2019)には、上野の旧平櫛田中邸アトリエでも上演なさいました。

形態的な大枠を変えずに演(や)る、ということであれば、「智恵子抄」所収の詩10篇程を、オリジナルの曲に乗せ、一つの物語のように紡ぐというスタイルでしょう。

ちなみに会場の起雲閣は、大正時代に三菱財閥岩崎家の別荘として建てられ、戦後は旅館として使われていました。太宰治や志賀直哉、谷崎潤一郎などが宿泊したそうです。現在は熱海市の所有となり、こうしたイベント等にも貸し出されているとのこと。

また、近くには來宮神社さん。境内にある、摂社の扱いの來宮弁財天さんには、光太郎の父・光雲作の木彫弁財天像が祀られてます。光雲作では稀な彩色彫刻です。ただ、通常は非公開のようですが。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

二時頃より踊はじまる。甚だ古風な口上などもあり、踊も古風。かなり烈しい身振りの踊なり。子供達や村人等室に充満す。


昭和22年(1947)3月7日の日記より 光太郎65歳

場所は蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村にある高橋家。「田植踊」という民俗芸能の公演があり、それを見に行きました。実際に見て、かなり興味を惹かれたようで、この踊りを元に「田植急調子」という詩を書いています。

福島市で開催され、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアで、「ほんとうの空」の語を冠して下さっている声楽アンサンブルコンテスト。

第1回は平成20年(2008)でした。平成23年(2011)は東日本大震災直後ということあり、中止。平成25年(2015)から、サブタイトルに「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が使われるようになりました。福島の皆さんの切実な思いが込められているように感じられます。そして昨年はコロナ禍のため中止。今年、2年ぶりの開催となります。ただし、コロナ禍明けやらぬ中、一般客への公開は無く、オンライン配信だそうです。

一昨日の『福島民報』さんから。

あぶくま抄 声楽アンコン

 合唱曲「大地讃頌[さんしょう]」は全国で歌い継がれている名作の一つだ。〈母なる大地を讃[たた]えよ、褒めよ、讃えよ土を〉。平和を祈り、土の恵みに感謝する。戦時中、浪江町に身を寄せた詩人大木惇夫の実体験が歌詞の底流にある。
 この雄大で力強い名曲を使い、全日本合唱連盟は実験を試みた。歌声とともに口から出る飛沫[ひまつ]はどこまで飛ぶのか。合唱団員二十人が歌い、最長飛距離は男性が六十一センチ、女性が五十七センチだった。では、ドイツ語のベートーベン「第九」だとどうか。大合唱で知られる曲だけあり、百十一センチを記録した。
 声楽アンサンブルコンテスト全国大会が十八日に福島市で開幕する。新型コロナウイルス感染対策として、ステージ上の出演者は互いに二メートル以上の間隔をとる。実験結果を根拠とする連盟のガイドラインを参考にした。消毒なども徹底し、より安全な環境を目指す。
 昨年は全国規模の主な合唱大会が相次いで中止となった。コロナ禍で歌う喜びを分かち合う方法をみんなで探ってきた。その一歩を合唱王国・福島から踏み出す。一般客は入場できないが、動画を配信する。歌声に込められた情熱と感動は、距離を置く人と人の心を結ぶ。

コンテストの詳細はこちら。

第14回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に。 -

期 日 : 2021年3月18日(木)~21日(日)
      3月18日(木)中学校部門 3月19日(金)高等学校部門
      3月20日(土・祝)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月21日(日)各部門金賞受賞団体による本選
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1 

一般入場券は販売しません。客席へ入場できるのは、当日出演する団体で出演者入場券をお持ちの方のみとします。有料でライブ配信及びアーカイブ配信を行います。

 声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。
 全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催、今大会で第14回目を迎えました。
 本大会の特色として、伴奏楽器及び伴奏の形態が自由で多様な合唱音楽を追求、部門、年代を越えて演奏し合います。また、海外の合唱グループも公募し、音楽を通じて交流を図ります。

 なお、今大会は規模を縮小し、感染拡大防止策を講じながら開催する予定ですが、今後の新型コロナウイルス感染症の感染状況によっては、大会の中止又は内容を変更する場合があります。
※外国人審査員の招聘、海外団体の募集、特別企画(スペシャルコンサート)、プレコンサート、交流会等は実施しません。
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下記は一昨年の第12回大会、本選のダイジェスト。実にハイレベルなのがよく分かりますね。

ただ、苦言を呈させていただければ、以前からそうなのですが、出演団体は発表されるものの、それぞれの演奏曲が事前にわかりません。「この団体が出るから聴きたい」という方も多いのでしょうが、「この曲を演奏する団体があるのなら聴きたい」というニーズも少なくはないと思うのですが、どうでしょうか。

【折々のことば・光太郎】

一五五番地の規君より写真いろいろ届く。自家撮影の小型写真。

昭和22年(1947)2月28日の日記より 光太郎65歳

「一五五番地」は駒込林町一五五番地、光太郎の実家です。「規君」は、実弟・豊周の子息で、後に写真家となった故・髙村規氏。この時満14歳、この頃から既に写真に親炙していたのですね。

『朝日新聞』さん。2面に連載されている「ひと」というコラムがあるのですが、昨日の同欄でフルート奏者の吉川久子さんが取り上げられました

(ひと)吉川久子さん 47都道府県の子守歌を動画配信したフルート奏者

004 子守歌には、その土地の気候や音、方言、風俗といった独特の文化が息づいている。その魅力をフルートの音色に乗せて、お母さんやおなかにいる赤ちゃんに届けたい。こんな思いから、2017年に全国ツアーを始めた。
   三重、千葉、秋田、山梨など10県を回ったところで、コロナ禍により中断を余儀なくされた。そこで、47都道府県に伝わる子守歌を演奏した動画の配信を始めた。曲の歴史を調べると、各地の多様な文化に驚かされた。
 「寝ない子には人さらいがくるよ」。そんな内容の子守歌を祖母や母親が歌ってくれたというおぼろげな記憶が、ライフワークとなるきっかけになった。
 東京都世田谷区生まれ。小学生のころは鳥のさえずりや人の笑い声、救急車のサイレンまでリコーダーでまねた。卒業祝いに買ってもらったのがフルートだった。
 音楽大学で学び、プロへの夢を抱きつつレコード会社で働いていたころから、マタニティーコンサートを続けてきた。それから35年、演奏会は1500回を超えた。娘連れの母親から「この子がおなかにいる時も聴きに来ました」と声をかけられる。
 癒やされるのは親子ばかりではない。「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた。子守歌を聴いて童心に戻ってくれたらと願っている。

吉川さん、かつて「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいました。平成25年(2013)には「こころに残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」。平成27年(2015)には「作曲:野村朗・フルート:吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~」。さらに同年、「智恵子抄」限定でなく、宮沢賢治系や東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」などを含め、東北全般への思いを込めた「こころに残る美しい日本のうた 東北、その豊穣の大地に遊ぶ」。また、平成26年(2014)の第58回連翹忌で演奏をお願いしました。

昨年からはコロナ禍でコンサート開催が減ったことで、動画配信に力を入れられ、記事にもあるとおり47都道府県の「子守歌」にチャレンジなさっています。当方、Facebookで繋がっており、新しい配信があるたび通知が入り、ヘッドホンでBGMとして聴きながらこのブログを書いたりしております。

最新の配信がこちら。「おしんの子守歌」だそうで。
「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた」。やはり音楽には人の心を揺さぶり、癒やす力が厳然としてあるのだと思います。こんな時だからこそ、それがさらに増幅するのかもしれません。

吉川さん、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

朝は日がさしたれど、朝食中に雪となる。やや大きめの雪さかんに降り、木々につもる。

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4月中旬なのに、ですね。

テレビ放映情報です

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2020年1月14日(木) 17時58分~18時50分

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!今回は感謝を込めて、貴重な想い出シーンをお届けします!

「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「いつもの小道で」梓みちよ・田辺靖雄 「モンパリ」真帆志ぶき 「ガード下の靴みがき」宮城まり子 「幸せは樹のように」宮城まり子 「悪魔がにくい」セルスターズ 「秋葉の火祭り」野澤一馬 「山の人気者」ウイリー沖山 「子供ぢゃないの」弘田三枝子 「人形の家」弘田三枝子 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「僕は泣いちっち」守屋浩 「しらけ鳥音頭」小松政夫 「親父の名字で生きてます」小松政夫

おそらく、1月1日(金)に放映された「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」のダイジェスト版ではないかと思われます。

梓みちよさん、宮城まり子さん、弘田三枝子さん、守屋浩さん、小松政夫さん、皆さん、昨年亡くなった方々ですね。そして二代目コロムビアローズさんも。

元日の12時間歌謡祭では、ご生前の映像。ナレーションは追悼的なもので、新しいテイクでした。
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さらに初代ローズさんとの競演の映像、そして初代ローズさんが二代目ローズさんを悼むインタビュー。
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005二代目ローズさん、享年78歳。いつまで生きれば「早い」と言われないのか、正解はないのでしょうが、初代ローズさんは昭和8年(1933)1月4日のお生まれで、88歳。10歳年下の二代目に先立たれ、お力落としのご様子が伝わってくるインタビューでした。

「智恵子抄」、二代目ローズさんの追悼的な意味合いもあったのでしょうか、1月6日(水)にはラジオ福島さんの「スマイル」という番組で、翌7日(木)にはNHKラジオ第一さんの「武内陶子のごごカフェ3時台 カフェトーク/ごごカフェご当地紅白歌合戦」で、それぞれ流れました。東日本大震災からもうすぐ10年ということもあり、「復興の願いをこめて」という意味合いもあったようです。
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「智恵子抄」、末永く愛され続けてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

土間の北側に雪吹き入る。壁などに点々と雪がつく。椽の下より雪吹き上げる。


昭和21年(1946)2月4日の日記より 光太郎64歳

「椽」は「たるき」、一般には「垂木」と書きます。光太郎の小屋には天井板は張られておらず、杉皮の屋根が内側からもむき出しでした。「壁などに点々と雪」、外壁ではなく、屋内です……。
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テレビ放映の情報です。

まずは過日、訃報が伝えられた二代目コロムビア・ローズさんのご生前の映像が使われる番組を

日本歌手協会新春12時間歌謡祭 第二部

BSテレ東 2021年1月1日(金)  15時00分~18時00分

今年も12時間一挙放送! 170曲以上の名曲の数々、豪華歌手の夢の競演!


曲目1「さらば赤城よ」東海林太郎 「夢淡き東京」藤山一郎 「夜霧のブルース」ディック・ミネ 「ダンスパーティーの夜」林伊佐緒 「玄海ブルース」田端義夫 「ドミノ」ペギー葉山 「柿の木坂の家」青木光一 「小島通いの郵便船」一条貫太 「月がとっても青いから」菅原都々子 「連絡船の唄」市川由紀乃
曲目2「仕方ないのさ」青山新 「長良川悲恋」大城バネサ 「愛し君へ」中川昌也 「鳳仙花」小沢あきこ 「人形の家」弘田三枝子 「VACATION」伊東ゆかり 「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「ヘイ・ポーラ」田辺靖雄・九重佑三子 「ガード下の靴みがき」大石まどか
曲目3「アルペン・ミルクマン(山の人気者)」関大八 「悪魔がにくい」セルスターズ 「ハチのムサシは死んだのさ」セルスターズ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「東村山音頭」下谷二三子 「巴里の空の下 セーヌは流れる」かいやま由起
曲目4「枯葉」美川憲一 「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾 「知床旅情」加藤登紀子 「帰ってこいよ」松村和子 「帰れないんだよ」津軽ひろ子 「南部蝉しぐれ」福田こうへい 「大漁唄い込み」原田直之 「花笠音頭」大塚文雄 「相馬盆踊唄」原田直之・大塚文雄・福田こうへい
曲目5「チャンチキおけさ」三城ゆり子 「名月赤城山」小野由紀子 「のぞみ(希望)」琴けい子 「筑波の寛太郎」福田こうへい 「埼玉県のうた」はなわ 「空港」星星 「東京音頭」三沢あけみ 「さくら貝の歌」倍賞千恵子 「武田節」彩青 「旅姿三人男」白根一男
曲目6「椰子の実」ボニージャックス 「長良川艶歌」五木ひろし 「千曲川」五木ひろし
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続いて、光太郎智恵子には直接関わりませんが……

【連続テレビ小説】エール 総集編003

前編 NHKBSプレミアム 2020年12月29日(火) 7時30分~8時53分
   地上波NHK総合 2020年12月31日(木) 14時00分~15時23分

「エール」の感動をもう一度! 裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)、二人が音楽と出会い、運命に導かれるように結婚し、ともに歩み始めるまでを一挙に見せます!

福島で呉服屋の長男として生まれた裕一(石田星空)は、父三郎(唐沢寿明)のレコードを聴いて西洋音楽を好きになる。豊橋では双浦環(柴咲コウ)の歌を聴いた音(清水香帆)が歌手を夢見る。裕一は作曲の才能を藤堂先生(森山直太朗)に見いだされる。裕一(窪田正孝)は銀行に就職するが、国際コンクールで裕一の曲が受賞したことがきっかけで音(二階堂ふみ)と文通が始まる。そして出会った二人は…


出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 柴咲コウ 古田新太 菊池桃子 光石研 三田和代 志村けんほか

後編 NHKBSプレミアム 2020年12月30日(水)  7時30分~8時58分
   地上波NHK総合   2020年12月31日(木) 15時28分~16時56分

戦争で大切な人たちを失った裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)は、仲間たちとともに平和を願い、新しい時代にエールを送る曲を生み出してく。

日本が戦争に突入し、裕一(窪田正孝)は戦時歌謡でヒットを曲を作り、次第に戦争に巻き込まれていく。そして慰問に訪れたビルマで恩師藤堂先生(森山直太朗)に再会する。しかし、裕一の目の前で藤堂は戦死。戦争の真実の姿を目撃した裕一は作曲できなくなってしまう。戦後、音(二階堂ふみ)は再び歌手への夢を追い始める。劇作家の池田(北村有起哉)がどうしても裕一にラジオドラマの曲を作曲してほしいと依頼する。

出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 中村ゆり 志田未来 北村有起哉 古田新太 菊池桃子 吉岡秀隆ほか

福島出身の作曲家・古関裕而を主人公・古山裕一(窪田正孝さん)のモデルとした「エール」総集編。後編の方で、戦時体制に飲み込まれ、国民を鼓舞する数々の戦時歌謡を発表、戦後になって激しい自己嫌悪と贖罪の念に囚われる古山、それから歌い手であった山崎育三郎さん演じる佐藤久志(二本松の南・本宮町出身の伊藤久男がモデル)らの姿が描かれます。やはり戦後、花巻郊外旧太田村の粗末な山小屋に7年間の蟄居生活を送った光太郎の姿にダブります。

ちなみに山崎さん、平成29年(2017)にWOWOWプライムさんで放映されたドラマ「宮沢賢治の食卓」では、光太郎とも交流があった藤原嘉藤治の役でした。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜はじめて小屋でねる。寒くなし。


昭和20年(1945)11月17日の日記より 光太郎63歳

この日から、約7年間に亘る山小屋生活が始まりました。「寒くなし」。いや、粗壁に障子、天井板も張っていない杉皮葺きのあの小屋では、11月中旬には既に寒かったと思います。ただ、冬をこよなく愛した光太郎には苦にならなかったのでしょう。
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最近いただいた書籍、2点ご紹介します。

まず、文芸同人誌『青い花』第95号。詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様から。
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これまでも光太郎智恵子に関するエッセイや論考等を同誌にたびたび寄稿なさっていて、今号もエッセイ「巴里 パリ PARIS(三)」が掲載されています。
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昨年の6月、フランスに行かれたそうで、そのレポートです。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎が暮らしたカンパーニュ・プルミエルのアトリエや、詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳ったノートルダム大聖堂などが取り上げられています。

奥付がこちら。
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もう1冊、作曲家の仙道作三氏から『音響詩人 宮沢賢治』。氏は平成元年(1989)、オペラ「智恵子抄」なども作曲なさっています。
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音楽家の眼から見た賢治、というコンセプトで、特にコロナ禍の今こそ賢治作品だ、的な。光太郎智恵子にもちらっと触れて下さっています。
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装画はお嬢さんでパーカッショニストの仙道さおりさん。コロナ禍の今、ということでアマビエ様です。
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奥付はこちら。
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それぞれご入用の方、奥付画像をご参照の上、ご対応下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前、西鉛奥の部落からマタギが来る、熊の膽をかつた事のある人。熊の話などきく。

昭和20年(1945)8月3日の日記より 光太郎63歳

「西鉛」は、6月に滞在した西鉛温泉。その際に知り合ったマタギが、光太郎疎開先の宮沢家に訪ねてきたということでしょう。マタギや熊、そして鉛温泉は賢治の童話「なめとこ山の熊」にも登場します。

一週間後の8月10日には、花巻空襲。7月からたびたび空襲警報のサイレンが鳴ったことが日記に記されていますが、まだ呑気に構えていました。バッハの「ブランデンブルグ」レコード(賢治の遺品でしょうか)を聴いたり、賢治実弟の清六らと映画鑑賞に出かけたり……。

昨日、歌手の二代目コロムビア・ローズさんが8月に亡くなっていたというニュースが出ました。

真っ先に報じた『デイリースポーツ』さん

二代目コロムビア・ローズさん8月に死去していた…15年から闘病

008 「智恵子抄」「二十四の瞳」などのヒット曲を持ち、1964年の第15回NHK紅白歌合戦にも出場した、歌手の二代目コロムビア・ローズ(本名・宗紀子)さんが、今年8月16日に心不全のため神奈川県大和市内の病院で死去していたことが7日、分かった。78歳だった。米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていたが、近年は体調を崩し帰国。入退院を繰り返していた。葬儀・告別式は、親族らによる密葬で執り行われた。
 昭和の音楽史の1ページを飾ったスター歌手が、また1人天国へと旅立った。
 関係者によると、米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていた二代目コロムビア・ローズさんは、体調を崩したことから2015年夏に帰国。日本で闘病生活を送っていた。その後は入退院を繰り返していたが、今年8月16日に心不全のため、その生涯に幕を閉じたという。
 体調を崩す直前の2014年11月に日本で出演した「第41回日本歌手協会音楽祭」が、最後のステージとなった。その時はデビュー曲「白ばら紅ばら」、初代コロムビア・ローズと一緒に「東京のバスガール」を元気に歌唱した。
 二代目ローズさんは1942年4月29日生まれ。初代の引退により行われたオーディションで1位となり、62年8月に「白ばら紅ばら」でデビュー。同年11月に初代のヒット曲「東京のバスガール」をリリースし、初代の名を継ぐ人気スターとなった。64年には高村光太郎の詩集をモチーフにした「智恵子抄」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。その後も文芸路線の「二十四の瞳」がヒットした。
 また歌手活動と平行し大学で児童心理学を学び、卒業後は海外に留学。その後はロサンゼルスに拠点を置き、音楽活動に加え後進の指導などを行っていた。年に数回来日しコンサートや「NHK歌謡コンサート」などの音楽番組に出演。なお、二代目ローズさんが最後に出演した14年のステージの模様は、21年元日のBSテレ東「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」の中で追悼企画として放送される。

初代が追悼「年上の私よりも先に逝くだなんて…」

 二代目と長きにわたり親交があった初代コロムビア・ローズは「二代目を選ぶ時、一番声がきれいな子として選んだのが彼女でした。ロスにいた時も『お姉さま元気?』とよく電話をいただいた。先日もふと会いたいな~と思っていたのに、まさか10歳近く年上の私よりも先に逝くだなんて…。心が清らかでやさしい芸能人らしくない子。私より数倍しっかりした女性でした。本当にお疲れさま。ゆっくり休みなさいね」と話した。

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ローズさんというと真っ先に出てくる「智恵子抄」。昭和39年(1964)1月のリリースで、かなりのヒット曲となり、ローズさん、この年の紅白歌合戦にこの曲でご出演なさいました。作詞は智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町ご出身の故・丘灯至夫氏、作曲は故・戸塚三博氏でした。
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翌年にはこのトリオで「二十四の瞳」をリリース。B面が「智恵子のふるさと」でした。
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平成11年(1999)には「智恵子抄」と「智恵子のふるさと」を一本にまとめたカセットテープも発売されました。
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「智恵子抄」のヒットを受け、昭和39年(1964)8月にはソノシートブックが発行されています。題して『智恵子のふるさとを訪ねて◆コロムビア・ローズ愛唱歌集◆』。ちなみに「智恵子抄」は二本松で、現在も防災無線の正午の音楽にも使われています。
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昭和30年代の二本松とその周辺の風景がふんだんに掲載されており、貴重な資料でもあります。
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当時は人手に渡っていた智恵子生家。二本松駅も。
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霞ヶ城址の智恵子抄詩碑。
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阿武隈河畔と岳温泉の鏡ヶ池。
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安達太良山。

「智恵子抄」のヒットにより、観光客増加に貢献ということで、ローズさん、丘氏、戸塚氏へ市から表彰がなされた場面も。
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大隣寺さんにある二本松少年隊の墓、そして昭和9年(1934)に智恵子が療養していた千葉九十九里浜も。

ローズさん、最近、テレビで見かけないとは思っていましたが、アメリカご在住ということで、時折帰国なさってコンサートテレビの歌謡番組などにご出演されるというスタイルだったため、まさか日本で闘病生活をなさっているとは思いませんでした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

午前北上川畔イギリス海岸といへる河原に千代田さんとゆく、焚火などす、


昭和20年(1945)7月3日の日記より 光太郎63歳

「イギリス海岸」は、宮沢賢治が名付けました。ここで亡き賢治を偲んだのでしょう。「千代田さん」は、光太郎同様に宮沢家に疎開していた編集者で、戦後には吉本隆明とも交流がありました。

「智恵子抄」系の音楽情報を2件。

まずはテレビ放映情報です

無料 米津玄師 MV特集

エムオン!HD(CS 203ch) 2020年12月6日(日) 22時00分~23時30分

『米津玄師特集』…8月にリリースしたアルバム『STRAY SHEEP』が大ヒット記録している米津玄師。映画監督の是枝裕和がミュージックビデオの監督を務めた楽曲「カナリヤ」など、彼のミュージックビデオを放送!

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このブログでは、CS放送は基本的に紹介していないのですが、月に1度(第1日曜日前後)の無料放送の日の番組ですので、ご紹介します。

細かな曲目が挙げられていませんが、おそらく米津さん最大のヒット曲、「Lemon」もラインナップに入っていると思われます。2ヶ月程前の同様の放映ではそうでした。以前にも書きましたが、米津さんご自身、この曲は光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)へのオマージュ的な要素もあるとのこと。

MVはYouTube等でも視聴可能ですが、容易にDVDにダビングできるのがテレビ放映の長所。この手の音楽番組、愛車でドライブのお供に活躍しています。ただ、米津さんのものは、2ヶ月程前に録画したものの、ダビングの際にハイビジョンモードとかの余計な設定にしてしまったら、カーナビのDVDプレーヤーで再生出来ませんでした。今回は通常モードでやってみます。

もう1件、9月に発売されたCDをご紹介します

ハーモニカ~心に届く郷愁の音色~

2020年9月24日 コロムビア 税込定価9,900円

宮田東峰が率いてハーモニカの普及に尽力し貢献してきた歴史的バンドのミヤタ・ハーモニカ楽団による楽しい合奏と、長年にわたり“歌うハーモニカ”とも呼ばれ多方面で活躍しプロ活動を続けている達人、大石昌美による名演奏集。青春時代の懐かしい思い出を蘇えらせてくれる心のメロディー“全100曲”をお届けします。
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Disc1 古関裕而&古賀メロディー
 1 船頭可愛や / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 2 高原列車は行く / 大石昌美(オーケストラ)
 3 長崎の鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 君の名は / ミヤタ・ハーモニカ楽団002
 5 夢淡き東京 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 三日月娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 月のキャンプ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 あこがれの郵便馬車 / 大石昌美(オーケストラ)
 9 雨のオランダ坂 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 フランチェスカの鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 影を慕いて / 大石昌美(オーケストラ)
 12 丘を越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 13 人生の並木路 / 大石昌美
 14 湯の町エレジー / 大石昌美(オーケストラ)
 15 誰か故郷を想わざる / 大石昌美(オーケストラ)
 16 新妻鏡 / 大石昌美(オーケストラ)
 17 青春日記 / 大石昌美
 18 男の純情 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 青い背広で / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 三百六十五夜 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc2 日本の抒情メロディー
 1 荒城の月 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 2 真白き富士の根 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 出船 / 大石昌美(ピアノ伴奏)004
 4 青葉の笛 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 5 美しき天然 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 浜千鳥 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 浜辺の歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 宵待草 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 船頭小唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 10 山は夕焼け / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 箱根八里 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 12 椰子の実 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 里の秋 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 紅葉 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 15 平城山(ならやま) / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 16 みかんの花咲く丘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 朧(おぼろ)月夜 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 十五夜お月さん / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 叱られて / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 月の砂漠 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
Disc3 懐かしのメロディー
 1 逢いたかったぜ / 大石昌美(ギター伴奏)
 2 高原の旅愁 / 大石昌美(オーケストラ)
 3 異国の丘 / 大石昌美(ギター伴奏)
 4 上海の花売娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 悲しき竹笛 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 恋の曼珠沙華 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 7 リンゴの唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 8 純情二重奏 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 人妻椿 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 東京の屋根の下 / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 別れの磯千鳥 / 大石昌美(ギター伴奏)
 12 一杯のコーヒーから / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 港シャンソン / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 別れのブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 東京ラプソディ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 東京ブギウギ / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 17 旅の夜風 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 私は街の子 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 ひばりの渡り鳥だよ / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 20 人生劇場 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc4 思い出のメロディー
 1 青い山脈 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 あざみの歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 山小舎の灯 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 雨に咲く花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 哀愁波止場 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 あの丘越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 7 おんなの宿 / 大石昌美(オーケストラ)
 8 未練の涙 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 若い君 若い僕 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 ほんきかしら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 津軽のふるさと / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 北帰行 / 大石昌美(ギター伴奏)
 13 愛の讃歌 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 14 智恵子抄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 林檎の花咲く町 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 花咲く乙女たち / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 東京の人さようなら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 新宿ブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 絶唱 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 東京だョおっ母さん / 大石昌美
Disc5 青春のメロディー
 1 高校三年生 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 若いふたり / 大石昌美(オーケストラ)
 3 アンコ椿は恋の花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 十七才は一度だけ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 女学生 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 涙の連絡船 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 学園広場 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 さよなら列車 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 青葉城恋唄 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 10 なごり雪 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 11 神田川 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 岬めぐり / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 13 北国の春 / 大石昌美
 14 マリモの唄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 襟裳岬 / 大石昌美(オーケストラ)
 16 贈る言葉 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 17 時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 18 少年時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 酒よ / 大石昌美(ギター伴奏)
 20 乾杯 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)

作詞者・作曲者等明記されていませんが、「Disc4 思い出のメロディー」に「智恵子抄」。おそらく二代目コロムビア・ローズさんによる、丘灯至夫作詞、戸塚三博作曲の、昭和39年(1964)にヒットした「智恵子抄」でしょう。

「Disc1 古関裕而&古賀メロディー」。先週放映が終わったNHKさんの連続テレビ小説「エール」で取り上げられた楽曲が多く、タイムリーだなと感じました。

「エール」といえば、劇中でも使われ、最終回のスペシャルコンサートで薬師丸ひろ子さんが熱唱された「高原列車は行く」は、「智恵子抄」と同じ丘灯至夫の作詞です。残念ながらドラマには丘らしき人物は登場しませんでしたが。
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モデルになった「高原列車」は「磐梯急行電鉄(通称・沼尻鉄道)」だそうで、これは昭和8年(1933)、心を病んだ智恵子の療養のため、東北、北関東の温泉巡りをした折、磐梯山の川上温泉にも立ち寄り、その際に利用したと考えられます。
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ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

オルガンの低音部のEに故障を生じかけた。湿気を防ぐに由なき日本室にこんなものを置くのは、東京の動物園に河馬を放飼する様なものだ。

明治43年(1910)9月13日の日記より 光太郎28歳

音楽といえば、光太郎、オルガンやマンドリンの演奏はある程度出来たようですし、留学前にはヴァイオリンも習っていました(あまりものにならなかったようですが(笑))。「こんなものを置くのは」って、置いたのは自分だろ? と突っ込みたくなります(笑)。

注目すべきは「東京の動物園に河馬を放飼する様なもの」。のちの「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)に見られる発想がすでにここに記されています。

同じ年には「智恵子は東京に空が無いといふ」の、「あどけない話」が書かれており、駝鳥にとっての動物園=智恵子にとっての東京という構図も成り立つかもしれません。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「エール」。作曲家・古関裕而をモデルとするドラマです。コロナ禍で収録が中断、再放送が為されていましたが、先月半ばから再開しました。

先週土曜日の『朝日新聞』さんの一面コラムで、最近の「エール」について記述がありました

天声人語 朝ドラの凄惨

朝ご飯を食べながら読んでいる方もいるだろうと思いながらいつもコラムを書いている。残酷な描写はできるだけ避けているが、あえて書く場合もある。戦争の悲惨さを伝えたいときだ▼NHK連続テレビ小説「エール」の作り手も同じことを考えたのではないか。今週放映された太平洋戦争の戦闘場面はあまりに凄惨(せいさん)だった。主人公の作曲家、古山(こやま)裕一が慰問先のビルマで銃撃に巻き込まれ、兵士たちの死を目の当たりにする▼古山のモデルは作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)で「六甲おろし」「長崎の鐘」などで知られる一方、戦中は多くの軍歌を作った。ドラマで戦場の主人公は、戦争の現実を「何も知らなかった」と半狂乱にになる。自分の曲が若者を戦争に駆り立て、命を奪ったと悩む▼実際の古関は実践には巻き込まれなかったが、慰問などで3度従軍し襲撃を受ける寸前まで行った。自分の曲を口にしながら戦った人のことを思い「胸が痛む」と語ったこともある。ただドラマのように激しく自分を責めたのかは、自伝では判然としない▼芸術家や文学者、マスコミの戦争協力は何度も反芻(はんすう)せねばならないテーマだ。自責の念にさいなまれた人も、そうでなかった人もいる。ドラマは、もしかしたら古関の内面にあったもの、あるいはこうあってほしかった古関の姿を描こうとしているのではないか▼フィクションはときに歴史の本質に迫る力を持つ。戦後の古関は人々に希望を与える曲を作り続けた。来週以降どう描かれるかが楽しみだ。
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先週から今週にかけての「エール」、戦争を真っ正面から描き、実にいろいろ考えさせられました。窪田正孝さん演じる主人公・古山裕一の姿に、光太郎がダブるようでした。

裕一のモデルだった古関は音楽、光太郎は詩文と、ジャンルこそ違えど(光太郎にも戦時歌謡の作詞が数曲ありますが)、国民の士気を鼓舞するための作品を大量に世に送り出した点は同じです。
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そして裕一は、ビルマ(現在のミャンマー)へ。そこで、森山直太朗さん演じるかつての恩師と再会します。恩師は予備役の将校として駆りだされていました。
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即席の楽団を編成し、慰問演奏会を開こうとするものの、敵襲。銃弾を受けた恩師は裕一の腕の中で息絶えます。
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ちなみにこの戦場のシーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でした。
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そして終戦。さらに裕一の元に、ショッキングな知らせ。二階堂ふみさん演じる妻の音(おと)の主宰する音楽教室の元生徒で、裕一を慕っていた近所の少年が戦死とのこと。少年は「若鷲の歌」に触発されて予科練に入隊していました。
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このあたり、光太郎が戦後に書いた連作詩「暗愚小伝」の構想段階で書かれた断片「わが詩をよみて人死に就けり」を彷彿とさせられます。

自責の念から作曲が出来なくなった裕一に、 北村有起哉さん演じる劇作家の池田(菊田一夫がモデルですね)が詰め寄ります。
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こうして生まれたのが、「鐘の鳴る丘」。史実では、もっと早く作曲を再開しているのですが、このあたりはドラマ上の演出ということで。
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さらには「長崎の鐘」、夏の甲子園のテーマ曲「栄冠は君に輝く」と繋がっていくのですね。

智恵子を既に喪い、独り身の光太郎は、戦後、花卷郊外旧太田村の粗末な山小屋で7年間の蟄居生活を送り、それを「自己流謫(るたく)」と称しました。「流謫」は「流罪」に同じ。公的には戦犯とされなかった光太郎でしたが、自らを罰したのです。

詩作は続けましたが、自ら「私は何を措いても彫刻家である」と宣言していた彫刻は封印。考え得る最も過酷な罰だったのではないでしょうか。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」で、その封印を解くまでに7年。長かったのか、短かったのか……。

戦時中、翼賛活動に関わったすべての芸術家が、心の中ではすべてそうだったと思いたいものです。

ちなみに先述の通り、「エール」のビルマでの戦闘シーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でしたが、まだ戦前だった先月の放映では、自宅兼事務所から車で5分ほどの寺院でのロケがありました。音の妹・梅(森七菜さん)と、のちに夫となる五郎(岡部大さん)のシーンです。のべ3日間、使われました。
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こちらがその寺院、妙光山観福寺さん。
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こちらは平成26年(2014)のやはり朝ドラ「花子とアン」(吉高由里子さん主演、そういえば窪田正孝さんもご出演なさっていました)でもたびたび使われましたし、本堂は平成25年(2013)の大河ドラマ「八重の桜」(綾瀬はるかさん主演)で、京都の会津藩本陣・金戒光明寺として使われました。

郷土の偉人・伊能忠敬の参り墓(地元の遺族がお参りするための墓。正式な墓は都内です)などもあり、いいところです。昨日ご紹介した、新たに重要文化財に指定される犬吠埼などとも同じ圏内、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】009

日本の芸術といへば外国人はすぐに浮世絵とか三味線といつたものを連想する、珍しいもの、変つたものだけが日本の芸術だと思つてゐる

談話筆記「(日本の芸術といへば)」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

日本にも素晴らしい芸術がたくさんあるんだ、と、まあその通りですね。

ここで終わっていればいいのですが、この後、「これだから日本の国威が外国に宣揚されないのです、もつと日本芸術の本当の厚みとか深さといふものを彼等に知らせて精神的な圧力を加へてやりたい、このために日本芸術による国威を海外に示したいものだ」と続き、やはり戦時だなぁ、と思わせられます。

今日の朝刊に、元歌手の守屋浩さんの訃報が出ていました

守屋浩さん死去 「僕は泣いちっち」

 守屋浩さん(もりや・ひろし、本名邦彦〈くにひこ〉=歌手)19日、前立腺がんで死去、81歳。葬儀は近親者で営んだ。
 59年発売の「僕は泣いちっち」が大ヒットし、60年から4年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。ホリプロ(当時は堀プロダクション)の第1号タレントで、76年に引退した後は、同社(当時はホリプロダクション)の取締役宣伝部長に就いた。2年前に前立腺がんであることがわかり、静岡県伊東市
の施設で療養していた。
朝日新聞 2020/09/24


芸能関係者は一般紙よりスポーツ紙の方が詳しく出ますので、調べてみると
、『日刊スポーツ』さんがかなり詳しく報じていました

ホリプロ第1号タレント守屋浩さんが死去 81歳

017 1959年発売「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られ、歌手として活躍した守屋浩(もりや・ひろし)さんが19日に前立腺がんで亡くなっていたことが23日、分かった。81歳だった。
 守屋さんは57年にウエスタンバンド「スイング・ウエスト」にバンドボーイとして加入。58年に同バンドのリーダーだった堀威夫氏(87)からボーカルに抜てきされた。初ステージで一躍女性ファンの注目を浴びて人気メンバーとなった。
 59年に「泣かないで帰ろう」でソロデビューし、同年「僕は泣いちっち」が大ヒットしたことで、60年に同曲で紅白歌合戦に初出場。そこから4年連続で出場を果たした。映画にも20作以上出演した。
 大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントでもあった。60年に堀氏が立ち上げた「堀プロダクション」(現・ホリプロ)に所属。76年に引退後はホリプロ社員に転身し、宣伝部長などを歴任。榊原郁恵(61)深田恭子(37)綾瀬はるか(35)石原さとみ(33)らを発掘した、現在にも続く同社の柱事業「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の立ち上げに携わり、第1回実行委員長を務めた。
 ホリプロによると、2年前に前立腺がんが発覚。自宅のある静岡県伊東市内の施設で療養していたが、19日午後6時30分に亡くなったという。22日に近親者のみで家族葬を執り行った。

◆守屋浩(もりや・ひろし)1938年(昭13)9月20日生まれ。1959年「泣かないで帰ろう」でデビュー。ホリプロ第1号タレント。76年に引退し、ホリプロ社員に転身した。

守屋さん、昭和39年(1964)に、クラウンレコードから「磐梯山の智恵子」という曲をリリースなさいました。モチーフは「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインが印象的な光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)です。
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B面は苅田千賀子さんという方の「智恵子」。こちらは「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)からのインスパイア。
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作詞は坂口紀さん、作曲は瓜生田和孝さん。ともに当時、東大生だったそうです。残念ながらそれほどヒットしなかったようで、YouTubeなどには見あたりませんでした。

昭和39年(1964)というと、二本松市民のソウルソング、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)も同じ年です。たまたま同じような企画がかち合ってしまったらしいのですが、その件について当時の『週刊朝日』が報じています。

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ちなみにこの号、表紙は水泳の故・木原光知子さん。裏表紙はこの年開催の東京オリンピックを見据えてカラーテレビの広告でした。時代を感じますね(笑)。
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それにしても守屋さん、引退後にスカウト系の方に行かれていたというのは存じませんでした。それから、離婚されたということで訃報に記述がありませんが、佐藤春夫作詞による、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を題材にした「湖畔の乙女」を歌われた本間千代子さんは元の奥様だったとのこと。奇縁を感じます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

宮沢賢治さんはノーベル賞を受けられてもいいほどの人です。日本から文学方面のノーベル賞候補者をあげようという場合、宮沢さんを推薦しようと考えています。
談話筆記「高村光太郎先生説話 十」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

9月21日(月)は、賢治の命日ということで、本来であれば花巻で賢治祭が開催されているはずでしたが、例によってコロナ禍で中止だそうで……。

ノーベル賞、故人には贈られないという規定がありますが、光太郎、それを知らなかったのか、あるいはその規定が出来たのはこの後だったのか、そのあたりは判然としませんが……。

昨日の『沖縄タイムス』さんの記事から

沖縄の実力派アイドルら舞台躍動 魅力オンラインでの生配信、笑顔届ける

 「GFO(GiRLS FES OKiNAWA)」が12日、那覇市のOutput(アウトプット)であった。無観客、オンラインでの生配信ライブで県内女性アイドルグループや歌手、ダンスクルーら4組が画面越しのファンに笑顔とクオリティーの高いパフォーマンスを届けた。(学芸部・西里大輝)
 
 「RYUKYU IDOL」のまいちゆう(26)、こうあ(17)、まり(22)、はるぱん(18)、しゅり(19)の5人はスマイル満開で、オリジナル曲「ミライ」など計9曲を40分間ノンストップで歌い、ステージを躍動。沖縄発アイドルの実力を見せつける。
 続くMATSURI(18)は透明感のある歌声と確かな歌唱力で存在感を示す。詩人・高村光太郎の詩をアレンジしたオリジナル曲「最低にして最高の道」は切ない語り口で心を揺さぶった。
 静かな余韻は、hanaとmionの激しいダンスで一転する。レゲエや洋楽、K・POPの曲を息の合ったキレのある動きでエモーショナルに踊りきり、ライブに熱気をもたらす。
 最後は「Lollipop(ロリポップ)」の比嘉琉那(17)と花城奈央(15)が「Alright」「Let’s」などノリノリのダンスチューンでステージを彩る。笛を吹き、タオルを回してのコール&レスポンス。爽やかさな笑顔でファンの声援に応えた。
 GFOはテレビ番組のディレクターでイベントプロデューサーの金城光生(てるみち)によるプロジェクト。県内で活躍するガールズユニットや女性シンガーらのライブを定期的開催し、魅力を発信してきた。金城プロデューサーは「みんな実力が高く、金の取れるパフォーマンスをしている。そのことを知ってほしい」とし、今後も若いアイドルのステージを提供していきたいと力を込めた。
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017MATSURIさんという方が、光太郎詩「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)に曲を付けた歌を歌われたそうです。

この詩、光太郎詩の中ではそれほど有名な作品ではありませんが、クラシック系の歌曲にもなっていたり、朗読CD(小林稔侍さん森田成一さんなど)にも収められたりしています。また、今年はコロナ禍のため中止となりましたが、毎年5月の花巻高村祭でも、花巻高等看護学校の生徒さんが、やはりこの詩に曲を付けた歌を斉唱なさったりもして下さっています。

さて、MATSURIさんの「最低にして最高の道」。動画投稿サイトYouTubeにアップされていました。最初、『沖縄タイムス』さんの記事を読んだ時、サムネイルの画像がグループアイドル系さんが歌って踊って的な(一番上の画像)だったので、「最低にして……」もシャカシャカ系かと思っておりましたが、さにあらず。しっとり系のバラードでした。記事にも「切ない語り口で心を揺さぶった」とありましたね。

動画ありのバージョン。
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動画無しのバージョンもあり、カバー動画を募集しているそうです。



作曲されたKAITOさんという方が歌われているバージョンも。



詩としての「最低にして……」は、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のある翼賛詩なのですが、そういう背景を抜きにして読めばそれなりにいい詩です。

逆に言うと、「八紘一宇」だ、「大東亜共栄」だ、「進め一億火の玉だ」といった言葉を使わなくともそういう意図を表してしまえる光太郎の詩才に舌を巻かされますが……。

残念ながらCDにはなっていないようで、CD化を希望します。

【折々のことば・光太郎】

木彫のものはオノでわって、ストーブにくべてしまいました。石膏などであったら、一撃を加えて跡形もなくなってしまいます。そんなものでしたから、いまに残っている作品は少ないのです。これは僕のひとつの病気とでもいうものだったんでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 九」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

気に入らない制作はどんどん壊す。芸術家あるある、ですね(笑)。クオリティーを保つためには必要なことなのかも知れません。

さらに言うなら、昭和20年(1945)の空襲で、残っていた作品のほとんども焼けてしまいました。

新着情報系、無くはないのですが、一旦休止しまして、2~3日、「最近手に入れた古いもの」をご紹介します。

本日は、昭和43年(1968)発行のソノシート。

発端は、当会会友にして劇作家・女優の渡辺えりさんがご出演なさったテレビ番組「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺えり×石原正康」。8月22日(土)、BS朝日さんでオンエアされました。

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渡辺さん、お父様が光太郎と交流があり、幼い頃から光太郎の詩を聞かされて育ったとのことです。そしてご実家に飾られていた光太郎の肖像写真を、実のおじい様だと思いこんでいたそうで(笑)。ご自身も光太郎を主役とした演劇「月にぬれた手」を作られたり、連翹にも足繁くご参加下さったりしています。

そのお父様の件が話題になるかな、と思って拝見していましたところ、案の定でした。

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渡辺さん、お父様と光太郎の件は、これまでもさまざまなメディア等で語られていました。

ところが、今回の番組では、それに加えてまったく別の文脈から光太郎の名。それは……

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小学生の頃から、沢田研二さんの大ファンだったそうで……

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「あれする」というのは、「応募券的なものを集めて送る」という意味のようです。

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「ソノシート」とか「ちっちゃいプレーヤー」とか、1960年代「あるある」ですが、若い人はおわかりになるかどうか(笑)。

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「声」は、沢田さんの声です。

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するとここで、光太郎。

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なるほど。

この話は初めて伺いまして、気になって調べてみました。

すると、「某製菓」は「明治製菓」さん。昭和43年(1968)頃にザ・タイガースさんのソノシートがもらえるというキャンペーンを展開していたそうです。ソノシートは5種類、ザ・タイガースさんのメンバーが5人でしたので(岸部一徳さんがリーダーでしたね)、それぞれが「主役」のもの1種類ずつだったようです。

沢田さんは「あなたにささやくジュリー」。音声が動画サイトYouTubeにアップされていました。



光太郎の件は、0:42あたりから。

さて、そうなると、このソノシート自体も手に入れたいと思い、探してみましたら、意外にあっさり見つかりました。

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B面が「お部屋でおしゃべりタイガース」。5人のメンバー総出演です。おそらく5種類共通なのでしょう。こちらも聴いてみましたが、残念ながら誰が誰だか分かりません(笑)。渡辺さんなら、「あ、これがジュリーよ!」とすぐわかるのでしょうが(笑)。さらにおそらく当時の明治製菓さんのCMソングも入っていました。

そしてA面が「あなたにささやくジュリー」。

いやー、レトロです(笑)。

それにしても、タイガースさんより少し後の、西城秀樹さん野口五郎さんなどにも光太郎がらみのお仕事がありましたが、昔の歌手の皆さんはそうだったのですね。まあ、昔に限らず、そういうテイストが桑田佳祐さん米津玄師さんあたりに受け継がれているのかも知れませんが。

明日も「最近手に入れた古いもの」シリーズで行かせていただきます。


【折々のことば・光太郎】

人が見てゐなければどんな事でもする。法律に触れなければどんな不都合でもはたらく。露見しないうちはどんな賄賂でもとる。此の一聯の卑屈な、被圧迫民的、劣等感所有者的、素町人的な非倫理的根性が国民の間に瀰漫してゐるうちは、文化について云々する事すら馬鹿げてゐると思ふほどやり切れない気持に時々襲はれる。

散文「倫理の確立」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

現代においても状況は殆ど変わっていないような……。いや、「法律に触れなければ」でなくて「法律に触れようが」だったり、「法律に触れるなら法律の方を変えて」だったりする分、悪質化しているのかも知れません。

J-POPアーティスト・米津玄師さんのニューアルバム「STRAY SHEEP」を購入しました。

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ブルーレイ/DVD、アートブックなどの付録がいろいろ選べるさまざまな「○○盤」が出ていますが、CDのみの通常盤を買いました。

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米津さんご自身が、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっている「Lemon」をはじめ、「カムパネルラ」、そして表題作の「迷える羊」など、近代文学の香りがプンプンします。

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念のため書いておきますが、「カムパネルラ」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の登場人物、「迷える羊(STRAY SHEEP)」は夏目漱石の「三四郎」で、ヒロインの美禰子が口にするセリフです。さらに遡れば元ネタは「聖書」ですが。また、蛇足ながら美禰子のモデルは、智恵子に『青鞜』の表紙絵を依頼した日本女子大学校の先輩・平塚らいてうとも言われています。

その他、ドラマやCMのタイアップソングが多いので、いつの間にか耳にしていた曲がいろいろ収録されており、コアなファンの皆さんにとっては「何を今さら」なのでしょうが、当方など、「ああ、この曲も米津さんだったか」というものが複数ありました。

 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

アルバム全体を貫く一本の芯のようなものと、それぞれ違った彩りを見せる各曲のテイストと、そのあたりのバランスが絶妙だな、と感じます。そういう意味では、優れた詩人の「詩集」にも通じるところがあるのではないでしょうか。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

このさき、どうして金をとつて勉強していゝか、初めて世の中へ抛り出されて途方に暮れながら、第五街の下宿の窓から、街路の突き当たりに、まんまろく出た満月を見て、故郷の父母弟妹のことを思ひ、止度(とめど)なく涙の出たのを忘れません。

アンケート「私が一番深く印象された月夜の思出 文芸家三十六氏の回答」より
大正11年(1922) 光太郎40歳

雑誌『主婦之友』第六巻第十二号掲載。アンケート全体の題名以外に、各回答者の回答に小題が別に付けられています。光太郎の項は「紐育の満月」。明治38年(1905)、3年半にわたる海外留学の、最初に落ち着いたニューヨークでの思い出です。

無理くりですが、米津さんの歌の歌詞になりそうなシチュエーションですね(笑)。

J-POPアーティスト米津玄師さんのニューアルバムが発売されます。 

2020年8月5日(水) ソニーミュージック

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通常盤 CD only ¥3,000+税  おまもり盤 初回限定CD+ボックス+キーホルダー ¥4,500+税
アートブック盤 初回限定CD+Blu-ray or DVD+アートブック ¥6,800+税


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CD
 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

Blu-ray・DVD(「アートブック盤」のみに収録)
 LIVE VIDEO 米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃
  01. Flamingo / 02. LOSER / 03. 砂の惑星 / 04. 飛燕 / 05. かいじゅうのマーチ /
  06. アイネクライネ / 07. 春雷 / 08. Moonlight / 09. fogbound / 10. amen / 11. Paper Flower /
  12. Undercover / 13. 爱丽丝 / 14. ピースサイン / 15. TEENAGE RIOT / 16. Nighthawks /
  17. orion / 18. Lemon / EN1. ごめんね / EN2. クランベリーとパンケーキ / EN3. 灰色と青

MUSIC VIDEO
 01. Lemon / 02. Flamingo / 03. TEENAGE RIOT / 04. 海の幽霊 / 05. パプリカ / 06. 馬と鹿


問題は(って、問題があるわけではないのですが(笑))、「Lemon」。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。


ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

唯のほほんとした明るさでは困るが内に確かな覚悟を持つた上、百難を踏み越える心の明るさをほのぼのといつも身につけてゐることは、今日のやうな時代には殊に望ましい。その明るさはおのれ自身を好ましいものにさせると同時に、その周囲にゐるものをまで何となく心ゆたかにさせる。真の明るさは無敵である。

散文「『職場の光』詩選評 十二」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「今日のような時代」は戦時中という意味ですが、コロナ禍の現在にも通じるような気がします。

都内からコンサート情報です。 

期 日 : 2020年8月10日(月・祝)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 14:00~16:00 開場13:30
料 金 : 一般5,500円 学生席2,700円 全席指定

出 演 : 小林沙羅(Sp)  河野紘子 (Pf)  見澤太基 (尺八)  澤村祐司 (箏)

曲 目 :
 武満徹 : 小さな空 (詩:武満徹)
 山田耕筰 : この道 (詩:北原白秋)
 山田耕筰 : 赤とんぼ (詩:三木露風)
 山田耕筰 : ペチカ (詩:北原白秋)
 中田章 : 早春賦 (詩:吉丸一昌)
 越谷達之助 : 初恋 (詩:石川啄木)
 武満徹 : 死んだ男の残したものは (詩:谷川俊太郎)
 中村裕美 : 「智恵子抄」より (詩:高村光太郎)
          或る夜のこころ  あなたはだんだんきれいになる  亡き人に
 早坂文雄 : うぐひす (詩:佐藤春夫)
 瀧廉太郎 : 荒城の月 (詩:土井晩翠)
 宮城道雄 : せきれい (詩:北原白秋)
 宮城道雄 : 浜木綿 (詩:宮城道雄)
 井上武士 : うみ (詩:林柳波)
 橋本国彦 : お六娘 (詩:林柳波)
 橋本国彦 : 舞 (詩:深尾須磨子)
 小林沙羅 : ひとりから (詩:谷川俊太郎)

CDアルバム「日本の詩」制作のきっかけとなったのは、2018年8月浜離宮朝日ホールでのランチタイムコンサートでした。私にとって、そして日本語を母国語とする私たちにとって、日本の歌は魂に結びついたとても大切なものなのだということを、強く感じたのでした。今回、アルバム「日本の詩」発売記念リサイタルを、浜離宮朝日ホールで開催できる日を、心から楽しみに思っています。 3月に開催予定だったこのリサイタルが延期となり、演奏会のない毎日を過ごす中で、どれだけ音楽が、歌が、私にとって大切なものであったか、生で演奏会を開き、お客様と一緒に時間と空間を共有する事がどれだけ掛け替えのない事であったのかを、改めて感じます。8月10日に演奏会を開催する事ができ、お客様皆さまとお会いできる事を心から願っています。 皆さまどうぞご自愛ください。そしてコンサート会場でお会いしましょう!8月10日のコンサートが、祈りと感謝と喜びに満ちたコンサートになりますように。

本公演は2020年3月12日(木)に予定されておりました公演の振替となります。当初、中止となった公演のチケットをお持ちの方はそのままご入場いただけますとご案内いたしましたが、ソーシャル・ディスタンスの観点により、お座席の間隔を空けての実施となりましたので、3月の公演チケットではご入場いただけません。3月のチケットをお持ちの方は払戻手続きの上、新たに本公演のチケットをお買い求め下さい。

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上記説明にある通り、昨秋リリースされた3rdアルバム「日本の詩(うた)」のリリース記念として、3月に開催予定だった公演が新型コロナの影響で延期となったものです。光太郎詩に曲をつけられたものも、「或る夜のこころ」はCDにも入り、福島県棚倉町でのNHKさんの「クラシック倶楽部 小林沙羅&山本耕平 デュオ・リサイタル」公開収録でも演奏されましたが、それ以外に「あなたはだんだんきれいになる」と「亡き人に」もラインナップに入っています。作曲は中村裕美さんという方です。



ご都合の付く方、コロナ対策を充分になさった上で、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

愛こそは詩を生む母胎である。感情に甘えてはいけないが―。

散文「『職場の光』詩選評 十」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

小林さんの演奏された「或る夜のこころ」。『智恵子抄』所収の詩篇が元ですが、大正元年(1912)、智恵子への揺れ動く「こころ」を謳った詩です。光太郎数え30歳、遅まきながら初めての真摯な恋愛「感情」に「甘え」ることなく、必死で抑えようとして抑えられない、そういった苦悶も見て取れます。

本日も「最近手に入れた古いもの」シリーズです。

本日はアナログレコード。昭和38年(1963)リリースの「高石かつ枝愛唱集」。

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過日ご紹介した「野口五郎 増刊号」同様、LPレコードです。レーベルはコロムビアさん。

全8曲中の「初恋」という歌が、「智恵子抄」、安達太良山、阿武隈川、そういった内容になっています。

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作詞は丘灯至夫。智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町の出身です。二代目コロムビア・ローズさんのヒット曲にして、二本松市民のソウルソング「智恵子抄」も丘の作詞でした。

ところが「智恵子抄」は昭和39年(1964)のリリースで、それより1年早く、この「初恋」を含む「高石かつ枝愛唱集」が出ています(「初恋」はシングルカットされていません)。いわば「智恵子抄」の原型のような感じですね。

「初恋」、平成22年(2010)発売の「青春スター~ときめきのヒロイン~3 高石かつ枝 旅の夜風」というCDに収録されており、以前に入手しているので、聴いたことはあったのですが、やはりオリジナルのレコードがほしい、と思って購入しました。

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それから昨日気付きましたが、Youtubeにもあがっていますね。


ところで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」への讃歌として昭和28年(1953)に佐藤春夫が作詞し、本間千代子さんの歌でレコード化された「湖畔の乙女」(昭和39年=1964)という歌があります。当初は本間さんではなく、高石さんの歌でレコーディングまで済んでいたのが、高石さんの移籍(コロムビア→クラウン)に伴い、歌手が変更になったとのこと。



どちらもコテコテの「懐メロ」という感じですね。コテコテついでに(笑)二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」も貼っておきます。



ところで高石さん、「おとめの像」(昭和39年=1964)という歌も歌われています。こちらは十和田湖の乙女の像ではなく、北海道稚内にたつ「九人の乙女の像」(昭和20年=1945 8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑)をモチーフとした歌です。像(レリーフ)は、光太郎のDNAを受け継ぐ彫刻家の一人、本郷新が制作に当たりました。

NHKさんの朝ドラ「エール」で、この手の(現在のところ、もう少し前の時代ですが)懐メロに光が当たっています。ある部分では「文化遺産」的な要素もあるわけで、いずれは「保存」とか「伝承」とか「××遺産」とかいう話になっていくのでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

美いづくにありや 美腹中にあり 
短句揮毫 戦後期 光太郎65歳頃

花巻温泉で色紙に揮毫した句です。

新型コロナの影響で、各種イベント等の中止や延期が相次ぎ、またしてもネタ不足に陥っています。

そこで、少し前にもこれでしのぎましたが、「最近手に入れた古いもの」シリーズ。特に急ぎの情報が入らなければ、しばらく続けます。

今日ご紹介するのは、昭和6年(1931)5月1日発行『童謡詩人』(大分市大道町五丁目  童仙房内 新興日本童謡詩人会 編輯兼発行者後藤楢根)復刊第一号通巻第二十五冊。


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こちらに、筑摩書房さん『高村光太郎全集』、その補遺たる「光太郎遺珠」ともに未掲載の光太郎の文章が載っていました。題して「藻汐帖所感」。過日ご紹介したブロンズ彫刻の代表作「手」に関する散文「手紙」(大正8年=1919)と同様のケースです。


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若干長いのですが、全文をご紹介します。

 童謡は深く到つた詩人であつてはじめて書ける。童子の無心の作に、時に魂をうつものゝある事は事実であるが、此は問題外とせねばならぬ。此は自然に於ける風の声、水の音と等しい芸術以外の神韻である。童子は間も無くその天籟を失ふ。地上に落ちる。落ちる事が即ちわれわれの問題圏内に突入する事である。

われわれ」は繰り返し記号「〱」を使用していますが、横書きのこのブログでは表記できません。

ここにあるように、子供が時折、大人をはっとさせるような言語表現をすることがありますが、それを「天才詩人」としてしまうのは危険です。まだ言語体系がしっかり身についていない子供だからこそ、大人が思いつかないような比喩やオノマトペなどを自然と口にするのであって、意識してのものではないからです。光太郎、その点、よくわかっていますね。

 天性的に、生涯、童子の性情を失ひ切らぬ者がある。かゝる種類の詩人こそ、天成の童謡詩人で、童謡とは本来斯の如き詩人にのみ許された詩の一ジヤンルであつて、斯の如き詩人以外の詩人の筆のすさびに成る、童子の発想法を模倣した片言まじりの詩の如きは、極言すれば童謡の冒涜に過ぎない。

ここで具体名は書かれていませんが、他の文章では「童子の性情を失ひ切らぬ」詩人の例として、光太郎は盟友・北原白秋の名を挙げています。

 元来童子は成人しようとする猛烈な意慾を持つて居り、決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。常に年齢以上の智慧と知識と情感とにあこがれ、一日も早く人生の全幅にその視野をさらさうとしてゐるものである。その全力を傾けて自然と人生とに間断無き探求をつゞけてゐるのが、あの童子特有の「なぜ」であり、「それから、それから」である。この張り切つた力の間からこそ童子の天籟たるあの自作童謡も生れる。
 童子は決して、詩人が童子の稚態を模倣揣摩したやうな、力をぬいた童謡をありがたいとは思はない。さういふものを弄ぶ事はあらう。けれどしんから其に喜を感じはしない。全力をあげて詩人自身が詩人自身の生活を生きる時、その裸心から生れたやうな詩にのみ真の満足を得る。尠くともさういふ童子のみがたのもしい。
 詩人の境地も亦一度天籟を失ふ。落ちる。落ちてから詩人の真の鍛錬がはじまる。心と技との鍛錬である。この鍛錬に耐えた詩人はつひに再び童子の前に恥ぢなくてもいゝ境涯を獲得する。転落以前の天籟に比して、この以後の境涯こそ人間にとつて一層親密であり一層喜の大なるものである。

当方、子供の頃、子供におもねるような易しい絵本は嫌いでした。子供心に「子供と思ってなめるなよ!」という反発心があったのです。まさに光太郎の言う通り「決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。」というわけで、少し難しくても、しっかりと内容のあるものが好きでした。今でもよく覚えているのは、4、5歳の頃好きだったスサノオとヤマタノオロチの神話の絵本です。

それから、文章ではありませんが、ミニカー。子供向けにデフォルメされたそれには見向きもしませんで、精巧な何十分の一スケールといった本物そっくりのものを好んでいました。

これら、異論はありましょうが。

 平木二六君の「藻汐帖」を通読して感ずるものは、其が徒に童子の言葉をかりて童子の心を迎阿するやうな詩でない事である。此は確に平木君のつきつめた詩であり、しかも其が同時に童子の心を含むものである事である。童子は此等の詩によつて甘やかしてもらへないであらう。けれど童子は此等の詩によつて叡智の満足を得るであらう。又は叡智に滴る詩情への促歩を感ずるであらう。平木君の此等の詩の謡はれてゐるミリユウは平木君独特の俳諧的風趣、田園侘住居的情趣に満ちてゐる。此は平木君の生活自身から必然に生れたのであつて、容易く第三者の容喙し得ないところである。平木君は更に廣い人生に果敢の歩を進めてゐる。「藻汐帖」一巻は此気稟高き詩人の或る期間に於ける好個の記念となるに違ひない。私はかゝる境涯を既に持ち得た者の今後の前進をたのしく見守つてゐる者である。

ここからが本題で、題名にある『藻汐帖』。平木二六(じろう 本名は同じ字で「にろく」)という詩人の詩集です。その名は『高村光太郎全集』にありませんで、当方、寡聞にして存じませんでしたが、室生犀星に師事した詩人だそうです。『藻汐帖』は、『童謡詩人』巻末に広告が載っており、それによれば『童謡詩人』とおなじ童仙房から昭和5年(1930)に刊行されています。副題的には「平木二六童謡集」とのこと。

ミリユウ」は「環境」を意味する仏語「milieu」です。

(作品について一言すると、材題のひろく感情移入の強い第一部のものも面白いが、第二部の日常茶飯詩に深い、巧みな表現があり、更に第三部の幽遠な俳諧に至つてはまつたくユニツクな境地を拓いてゐる。
   霜に割れる
   谺
   月に
   届く
 といふ「寒村餅搗図」の如きその好適例である。)

これで全文です。

この手の光太郎の評論、実によく対象の本質を捉え、的確に表しています。書評とはかくあるべし、ですね。

『童謡詩人』、主宰していたのは後藤楢根なる人物。こちらも『高村光太郎全集』人名索引にはその名が無く、未知の人物でした。大分で教師の傍ら児童文学作家としても活躍していたそうです。同誌には三木露風、与田準一らも寄稿していたとのこと。

光太郎の寄稿もこの「藻汐帖所感」のみではなく、昭和4年(1929)11月20日号にも「佐藤実遺稿童謡集『茱萸原』読後」なる短評を寄せていました。そちらは『高村光太郎全集』第20巻に既収です。もしかすると、まだ未知の文章が『童謡詩人』の他の号に載っているかも知れません。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

無二無三の道  短句揮毫 昭和15年(1940)頃 光太郎58歳頃

言い換えれば、唯一の道、でしょう。己の進むべきベクトルをこう表現できるというのも、ある意味、凄いことかなと思います。ただ、この後は太平洋戦争という魔物が口を開けて待っていたのですが……。

栃木県小山市の広報誌『広報おやま』の今月号に、光太郎の名。 

シリーズ小山の歴史199 紀元二千六百年 昭和15(1940)年

 「日本書紀」の記述を西暦におきかえると、神武天皇が東征して大和(やまと)を平定し、橿原(かしはら)宮で即位したのが紀元前660年にあたります。昭和15年は神武天皇の即位以来2600 年にあたる年だとして、奉祝記念行事が行われました。神話に登場する神武天皇が、 建国の神祖として称揚されました。泥沼化した日華事変(日中戦争)で国力を消耗し、 予定されていたオリンピックも万国博も返上した日本が、内外に向け国威発揚を企図したこの「紀元二千六百年奉祝」でした。
 日華事変下の奉祝昭和15年は紀元二千六百年一色に染め上げられた一年でした。「〽金鵄(きんし)輝やく日本の栄えある光身にうけていまこそ祝えこの朝(あした)紀元は二千六百年ああ一億の胸はなる」と、奉祝国民歌「紀元二千六百年」がラジオから流れていました。またこの年、高村光太郎作詞の「歩くうた」も、戦時下に歩くことが奨励され、シンプルな文句をリズミカルな曲で、かなりのヒット曲となりました。神武天皇即位の聖地・畝傍山(うねびやま)(奈良県)の麓の橿原宮では社殿が修復され、「建国奉仕隊」と称する勤労奉仕団が全国からくり出し、その数は延べ百二十万人に達しました。約50万平方メートルの敷地をもつ神宮外苑が造られ、橿原文庫、大和歴史館、総合グラウンド、森林公苑などがここに生まれました。

(以下略)
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長いので全文は引用しませんが、この後、小山市での紀元2600年の様子が少し紹介され、さらに皇居での式典の様子が述べられています。

その枕として、この年のヒットソングというわけで、光太郎作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱の「歩くうた」が取りあげられています。当時はオリコンチャート○位、といったものはなかったと思われますので、どの程度のヒットだったのかは何ともわかりませんが……。ただ、確認できている限りレコードはインスト版も含め、4種類も発売されています。ま、何はともあれ、光太郎の「負の遺産」の代表格ですね。

作曲者・飯田信夫は、他に同じ徳山が歌った「〽とんとん とんからりと 隣組 」の「隣組」(岡本一平作詞)などでも有名な作曲家です。現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「エール」の主人公、窪田正孝さん演じる古山裕一のモデル、古関裕而とも交流があり、ドラマでも取りあげられた古関作曲による早稲田大学応援歌「紺碧の空」のレコード(戦後の昭和26年=1951)は、飯田が編曲しています。

「エール」といえば、現在は新型コロナの影響なのでしょう、今週からスピンオフ的な回が続いていますが、おそらく、今後、戦時の話となり、古関作曲の「負の遺産」である「露営の歌(〽勝ってくるぞと勇ましく……)」、さらには「若鷲の歌(予科練の歌、〽若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨……)」なども取りあげられるのではないかと思われます。既に伏線は張られているようです。二階堂ふみさん演じる裕一の妻・音の実家「関内馬具店」が軍用の馬具を制作しているという話の流れで、音は間接的に戦争に荷担していることにしこりを感じ、裕一は「でも、馬具が兵隊さんを守ってくれてるんだから……」的なことを言って慰めるシーンがありました。おそらく後の軍歌や戦時歌謡を暗示していたのでしょう。

また、やはり「エール」と言えば、昨日放映のスピンオフ「環のパリの物語」では、「智恵子抄」を連想してしまいました。音の師にして、三浦環をモデルとする双浦環(柴咲コウさん)の若き日の物語。オペラ「蝶々夫人」の主役の座を射止めた環に対し、恋人の売れない画家・嗣人(金子ノブアキさん)は売れない画家のまま……。嗣人は環の成功を素直に喜べず、あまっさえ嫉妬したり、環に歌をやめてくれと身勝手な懇願をしたり……。音楽と絵画、ジャンルは違えど同じ「芸術」という土俵にいる者同士で結ばれてしまったがゆえの悲劇でした。

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無論、すべての芸術家カップルがそうだとは言いませんが、光太郎智恵子の場合も、似たようなことがあったように思われます。彫刻家として、詩人として、徐々に世に認められてゆく光太郎に対し、やはり売れない画家だった智恵子も嫉妬を感じていたことは想像に難くありません。それが心の病を引き起こした要因の一つと言ってしまっても過言ではありますまい。

ちなみに光太郎、明治末に三浦環の公演をその目で観ています。が、そちらは改めてご紹介するとして、今日はこの辺で。


【折々のことば・光太郎】

御企てについての印刷物拝誦、良心と精覈とを以て事に当らば十分意義ある仕事と存じます、しかし経済的に成立せしめるには余程の手腕がいる事と考へられ、御志を壮とします。

散文「創刊に寄する諸家の言葉」全文 昭和12年(1937) 光太郎55歳

昭和12年(1937)8月22日発行『詩報』第一年第一号(二)面に掲載された短文です。『詩報』は「全日本/詩人の新聞」の副題を持ち、のちに光太郎が題字を揮毫した詩集『山川秘唱』(昭和19年=1944)の著者・村上成實が編刊にあたっていました。

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ちなみにこの項、筑摩書房さん『高村光太郎全集』第一巻から言葉を拾い続けて参りましたが(日記、書簡、翻訳、短歌、俳句等は割愛)、少し前に最終巻の別巻まで拾い尽くし、その後、『全集』未収録の座談会筆録、談話筆記を文治堂書店さん『光太郎資料』第三巻、第六巻から拾い、そして、それらの補遺たる『光太郎遺珠』から拾い始めました。したがって、当分の間、『高村光太郎全集』に漏れていた新発見作品から引用していきますのでよろしく(何が「よろしく」なのだかよく分かりませんが(笑))。

キーワード検索「乙女の像」でヒットしました。おそらく新商品だと思われます。 

スコップ三味線「乙女の像」(シングル)オリジナル15 鉄製 スコップ三味線ストラッププレゼント中!

〜話題のスコップ三味線〜
1本1本手作りで制作しております。専用スタンド、バチはサービスでお付け致しております。
通信販売はヤフーショッピングでのみ販売中。ご注文はヤフーショッピングよりお願いいたします。

【カラー】
  取っ手:パープル+ブラック
  金具:グリーン+ブラック
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【サイズ】 約(高さ)100×(最大幅)26cm
【重量】 約2.1kg

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そもそも「スコップ三味線」とは何か? といいますと、津軽三味線の楽曲に合わせて、雪かき用のスコップを三味線に、鉄製の栓抜きをバチに見立て、スコップを叩いて演奏するというジャンルです。

1980年代に生まれ、のちに世界大会まで開かれるようになりました。



エアギターと似た、あくまで「シャレ」の世界ですが、エアギターと異なり、実際に音を出す点はパーカッションに近いのかな、という気がします。したがって、上記画像でペグ(弦を締めたり緩めたりするネジ)も写っていますが、実際に弦は張られていないので、これは無意味な飾りです(笑)。

また商品説明欄に「バチはサービスでお付け致しております」とありますが、つまりそれは栓抜きだろ? と、まぁ、突っ込みどころ満載ですね(笑)。

で、「乙女の像」。最近はただのスコップでなく、デザイン性を重視し、「津軽」、「八甲田」などの「号」をつけたものがいろいろ出ているようです。笑えますね。それにしても光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を使っていただき、ありがとうぞざいます(笑)。

興味のある方、ぜひどうぞ(笑)。


【折々のことば・光太郎】

およそ学の庭にていとも楽くかつは勇しくしかも互の交誼をますます厚くむすばるゝは修学旅行にまさるものあらじ。

雑纂「日光遠足の記」より 明治31年(1898) 光太郎16歳

この年10月の、東京美術学校本科一年彫刻科の修学旅行について書かれた未完の文章の書き出しです。2泊3日の行程で、行き先は日光でした。

全国の学校等、今日から再開というところも多いようですが、今年度は大変ですね。授業の遅れを取り戻すために行事等の削減もかなり進むでしょうし、そうなると子供たちにとっては味気ない学校生活となりかねませんし……。

まだ新着情報不足がつづいていますので、今日も最近手に入れた古いものシリーズです。

昨日は、光太郎詩「道程」を元にした詩の朗読を含む昭和58年(1983)にリリースされた野口五郎さんのLPレコードをご紹介しましたが、やはりLPレコードをもう一枚。

野口さんのアルバムの前年、昭和57年(1982)、キングレコードさんから発売された「映画音楽・佐藤勝10」。

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平成11年(1999)に亡くなった、作曲家・佐藤勝氏の映画音楽001を集成した10枚組シリーズの1枚です。

佐藤氏といえば、「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」などの黒澤明監督作品、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)公開の「太陽の季節」などの石原裕次郎主演作品、山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」などを手がけた方ですが、それ以外にも「これも佐藤作品か」、「えっ、こんなものまで」というような映画(日本映画史上に残るような)の音楽もたくさん作られています。10枚組シリーズの収録曲一覧、右画像をご覧下さい。

そして、昭和42年(1967)公開の、中村登監督作品「智恵子抄」(松竹)。岩下志麻さんが智恵子、故・丹波哲郎さんで光太郎でした(過日、コロナ禍に関する記事でもこの映画をご紹介しました)。「映画音楽・佐藤勝10」には、この「智恵子抄」の音楽が収録されています。

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当方、この「智恵子抄」は1度拝見しただけですが、各シーンで効果的に使われていた佐藤氏の音楽、印象的でした。

その10年前に製作された原節子さん、山村聰さん主演の「智恵子抄」(東宝)はVHSテープで市販されましたが、松竹の「智恵子抄」は販売用ソフトになっていません。ぜひDVD化を望みます。

ちなみに佐藤氏の作品集成のうち、「智恵子抄」が収められたもの、CD版ではかなり以前に入手しました。アナログレコード版とはまたラインナップの組み方が異なっています。

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今回佐藤氏について改めて調べたところ、当方存じませんでしたが、映画音楽以外にも、有名な「若者たち」や由紀さおりさんの「恋文」なども作曲されているそうで、驚きました。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「エール」で、古関裕而、古賀政男山田耕筰らの作曲家に光が当たっていますが、佐藤氏についてももっと知られていいと思います。


【折々のことば・光太郎】

彼は過激を欲しない。彼は律度を欲する。彼は異様を欲しない。彼は正順を欲する。
散文「寸言 ――シヤヷンヌについて――」より
 大正5年(1916) 光太郎34歳

「シヤヷンヌ」は、フランスの画家、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。印象派の面々と世代的に同じですが、奇を衒わず、しかし守旧に堕することもなく、独自の芸術をつきつめました。そうした部分で光太郎、かなり共鳴する部分があったようです。

この手の評論的な文章での光太郎の常ですが、他の芸術家を好意的に評するとき、それが光太郎芸術の目指すある面を表していることが多くあります。「過激を欲しない」「律度を欲する」「異様を欲しない」「正順を欲する」、たしかに光太郎芸術にも当てはまります。

最近手に入れた古いものシリーズです。

今回はアナログレコード。昭和58年(1983)にリリースされた野口五郎さんのLP「野口五郎 増刊号」です。野口さん自選のベストアルバム的なコンセプトで、「私鉄沿線」「19:00の街」など14曲の他、野口さんによる朗読4篇が収められています。

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ラストが光太郎詩「道程」(大正3年=1914)を元にした「GOROの道程」朗読。

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無理くり感がありますが(笑)。まあ、このあたりが「昭和」の感覚ですね。

他に光太郎と交流のあった宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、中原中也の「サーカス」、それから島崎藤村の「千曲川旅情の歌」のパロディ朗読も収められています。

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ライナーノート(という言葉は当時はなかったか、あっても一般的ではなかったように思いますが)的な部分に、こちらも無理くり感がありますが、「道程」が引かれています。

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「高村太郎」となっているのはご愛嬌(笑)。

それにしても、野口さん、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)のお生まれだったのですね。

野口さんの一つ年上で、さらに郷ひろみさんを加えて「新御三家」と称された故・西城秀樹さん。三回忌となりましたが、脳梗塞から復帰後は、朗読劇にも挑戦されるようになり、やはり「道程」(雑誌『美の廃墟』初出掲載の102行バージョン)を取り上げて下さっていました。

ちなみに現在発売中の『週刊現代』さんに、西城さんの3回忌ということで、その当たりにも触れられた記事が出ています。題して「西城秀樹 いまだから言える話 もう三回忌なんですね」。

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ただ、「高村光太郎」とか「道程」とかの文字はありませんでした。

ところで、今さらアナログレコードを買って、聴けるのか? とお思いの方がいらっしゃいましょうが、大丈夫です。EP、LP、それからSPまで聴け、さらにUSBでPCと接続し、デジタルデータが作れるレコードプレーヤーを持っています。光太郎作詞の戦時歌謡や、光太郎詩の朗読が収められたSPを聴く都合があり、購入しました。

明日も最近入手したアナログレコードをご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

此の人等は、しん底から自分の立つてゐる地面を考へたことがあるでせうか、そして、今、世界の人間がどの位の芸術境に立ち入つてゐるかを見渡した事があるでせうか。
アンケート「日本画と四画伯について」より
大正元年(1912) 光太郎30歳

「四画伯」は、竹内栖鳳、寺崎広業、横山大観、下村観山。けちょんけちょんですね(笑)。海外留学からの帰朝後まだそれほど経っていない時期ですので、西洋で見た最先端の芸術と比較した時、日本画の古臭さ、そこから発展しようとしない閉鎖性などが許し難かったのだと思われます。

しかし、大観や観山は日本画の革新を目指し、いわゆる「朦朧体」などに挑戦していました。ところがこれなども光太郎にとっては小手先だけの工夫に過ぎない、という感覚だったのかもしれません。


テレビ放映情報です。 

クラシック音楽館 N響 第1934回定期公演

NHK Eテレ 2020年5月24日(日) 21:00~23:00

N響第1934回定期公演▽指揮はパーヴォ・ヤルヴィ▽【曲目】1.バイオリン協奏曲第1番~プロコフィエフ 2.交響曲第2番~ラフマニノフ

▽N響首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィによる、ロシアン・プログラムです。▽曲目は、激動の帝政ロシア末期に作られた2つの作品、プロコフィエフ作曲のバイオリン協奏曲第1番とラフマニノフ作曲の交響曲第2番です。▽ソリストは、スペイン出身で注目のバイオリニスト、レティシア・モレノ▽管弦楽・NHK交響楽団でお聴きいただきます。コンサートαは、山田耕筰、武満徹ほかの日本人作曲家による、心温まる歌曲の数々です。

出演
管弦楽団…NHK交響楽団,指揮者…パーヴォ・ヤルヴィ,バイオリニスト…レティシア・モレノ,
オペラ歌手…小林沙羅,テノール歌手…山本耕平,ピアニスト…河原忠之


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メインはN響さんの定期公演ですが、番組最後の「コンサートα」というコーナーにおいて、1月25日(土)に開催された福島県棚倉町での公開収録「~小林沙羅&山本耕平デュオ・リサイタル」から抜粋で放映されるそうです。

元々はNHK FMさんの「ベスト・オブ・クラシック」の公開収録で、ラジオでは2月24日(月)に放送されました。また、BSプレミアムさんの「クラシック倶楽部」という早朝の番組で3月27日(金)にオンエアされています。

抜粋される曲目は以下の通り。

「この道」山田耕筰 作曲 北原白秋 作詞 (小林/河原)
「或る夜のこころ」中村裕美 作曲 高村光太郎 作詞 (小林/河原)
「四行詩」泉谷閑示 作曲 中原中也 作詞  (山本/ 河原)
「小さな空」武満徹 作詞作曲 (小林/山本/河原)

ソプラノの小林沙羅さん、ピアノで河原忠之さんによる、光太郎詩に中村裕美さんという方が曲を付けた「或る夜のこころ」が含まれています。

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新型コロナの影響で各種コンサートは軒並み中止や延期となり、緊急事態宣言の解除地域では少しずつ再開の動きもあるようですが、「三密」だなんだと、いろいろなことを気にしながらではなかなか楽しめないという皆さんも多いことと思われます。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

音楽は遊芸の一種と考えられ勝ちだが大きな誤りだ。すぐれた音楽はどんなに生活を楽しくすることか。

対談「新しき岩手の創造」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

対談の相手は当時の岩手県知事・国分謙吉です。ここでは岩手が民謡の宝庫であるという話の流れからの発言ですが、西洋音楽にももちろん当てはまる内容ですね。

平成10年(1998)に完結した筑摩書房さんの『高村光太郎全集』に漏れている光太郎文筆作品等の紹介である「光太郎遺珠」を連載させていただいている、高村光太郎研究会さん発行の雑誌『高村光太郎研究(41)』。執筆に際しお世話になった方々にお送りしたところ、そのうちのお一人、兵庫ご在住の池田辰彦氏からメールが届きました。光太郎、それから太平洋画会で智恵子とも交流のあった画家・挿絵画家・漫画家、池田永治のご子息です。

お世話になっております。
「高村光太郎研究(41)」をお送りいただきましてありがとうございます。読ませていただきました。
ご逝去後七十年近くなりますが、ご研究のかたはししも分からぬ私にも高村光太郎先生のご功績の大きさと深さが伝わる気持ちがいたします。
お礼を申し上げるのが遅れましてたいへん申し訳ございません。

このたび、WEB版『画家池田永治の記録』を作ってみました。本の中の誤りを直したり、「作品一覧」に引用写真を増やしたりしました。
何の役にも立たぬすさびごとですが、お暇な折にご笑覧ください。


辰彦氏、父君に関するサイト「画家池田永治の記録」を立ち上げられたとのことで、早速拝見してみました。作品(洋画、俳画、漫画、挿絵、商業美術等)、年譜、写真、交流のあった人々からの書簡など、豊富な画像とともに紹介されており、クオリティの高いものです。

「光太郎遺珠」で紹介させていただいた、光太郎揮毫のチョッキ(昭和20年=1945)に関しても大きく取り上げられています。また、太平洋画会で智恵子と共に学んだことも年譜の中に記されています。

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おおむね、昨年刊行された書籍『画家 池田永治の記録―その作品と年譜―』とかぶる内容で、おそらくご出版に際しデータ化したものを使われているのだと思われます。紙媒体の書籍として残すことも大切ですが、ネット上で広く発信することも重要だと、改めて感じました。

当方、辰彦氏への返信メールには、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が折に触れておっしゃっていた「どんなにすばらしい芸術家でも作品でも、放っておいてその業績が自然と残ることはない。次の世代の人々が、その業績を正しく理解し、さらに次の世代へと語り継ぐ努力をしなければ、あっという間に歴史の波に呑み込まれ、忘れ去られてしまう」というお言葉を引かせていただきました。


もう1件、昨日、散歩中にシャンソン系歌手にして、「智恵子抄」などの光太郎詩にオリジナルのメロディーをつけて歌われているモンデンモモさんから、スマホにショートメール。

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youtubeに動画を上げた、ということでしたので、こちらも早速拝見。




第1弾は光太郎智恵子に関係ない歌でしたが、今後、「智恵子抄」系もアップされるそうで。

こうした音楽も、CD等に残すことも大切ですが、やはりネット上で広く発信することも重要だと、改めて感じました。

当ブログサイトもそうした考えのもと、今後も継続していくつもりで居りますので、よろしくお願いいたします。


【折々のことば・光太郎】

著者は曾て印象派を讃美した。今は通過した。

雑纂『印象主義の思想と芸術』初版序」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

『印象主義の思想と芸術』は、光太郎初の評論集として出版されました。マネ、モネ、シスレー、ピサロ、ルノワール、ドガ、セザンヌらについて詳述しています。

光太郎自身も明治末から大正初めにかけては油絵をかなり描きましたが、どちらかというとポスト・インプレッショニズム(「後期印象派」と訳されますが、「後期」というより「後継」です)的なフォービズムの影響を受けているようです。

3月27日(金)、NHK BSプレミアムさんで放映された「クラシック倶楽部 小林沙羅&山本耕平 デュオ・リサイタル~福島県棚倉町公開収録」。NHKさんの動画配信サービス「NHK オンデマンド」で、単品220円(税込み)でダウンロードできるようです。4月9日(木)までの期間限定だそうですが。

当方、オンエアを録画して拝見しました。

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ご出演は、ソプラノ・小林沙羅さん、テノール・山本耕平さん、ピアノ・河原忠之さん。曲目は、1月に行われた公開収録の中から抜粋でした。

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小林さんの歌、河原さんの伴奏による、光太郎詩「或る夜のこころ」(大正元年=1912)に、中村裕美さんという方が作曲なさったものはカットされずに放映され、ラッキーでした。

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平成27年(2015)9月、晴海の第一生命ホールさんでの「ライフサイクルコンサート 雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第3回 小林沙羅 麗しきソプラノの旅」で、この曲をを拝聴した際にも感じましたが、ドラマチックな構成と、小林さんの圧倒的な歌唱力で、歌曲と言うよりはオペラのアリアのようでした。

この曲を含む小林さんのアルバム「日本の詩(うた)」が発売中です。是非お買い求めを。

他に、山本さんのソロや、お二人のデュエット。

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合間にお三方でのトーク、棚倉町の紹介なども。

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ご覧になっていない方、最初に書きましたが、NHKさんの動画配信サービス「NHKオンデマンド」をご利用下さい。


【折々のことば・光太郎】

所帯じみない妻君。永遠に心若く溌剌とした女性。

アンケート「永遠に若き人――妻として何ういふ女性を求むるか――」全文
大正14年(1925) 光太郎43歳

そう言う意味では、光太郎にとっての智恵子、理想の妻だったのではないでしょうか。「或る夜のこころ」執筆から十数年経た大正末の段階でも、智恵子は「所帯じみ」ることなく「心若く溌剌とし」ていたように思われます。

ただ、昭和に入ると、実家の造り酒屋の経営が決定的に傾き、その心労が智恵子を蝕んで行くこととなります。

テレビ放映情報です。

クラシック倶楽部 小林沙羅&山本耕平 デュオ・リサイタル~福島県棚倉町公開収録

NHK BSプレミアム 2020年3月27日(金) 午前5:00~5:55

~2020年1月25日棚倉町文化センター倉美館~

「この道」北原白秋:作詞 山田耕筰:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ) 河原忠之 (3分00秒)
「くちなし」 高野喜久雄:作詞 高田三郎:作曲
 (テノール)山本耕平、(ピアノ) 河原忠之 (3分00秒)
「或る夜のこころ」 高村光太郎:作詞 中村裕美:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)河原忠之 (5分10秒)

「四行詩」 中原中也:作詞 泉谷閑示:作曲
 (テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (2分25秒)
「小さな空」 武満徹:作詞 武満徹:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (3分30秒)
「喜歌劇「ほほえみの国」から「きみはわが心のすべて」」 レハール:作曲
 (テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (3分10秒)
「喜歌劇「チャールダーシュ姫」から「ハイヤ!山こそわが故郷」」 カールマーン:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)河原忠之 (3分00秒)
「歌劇「椿姫」から「燃える心を」」 ヴェルディ:作曲
 (テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (3分20秒)
「歌劇「椿姫」から「さようなら 過ぎ去った日よ」」 ヴェルディ:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(ピアノ)山本耕平 (4分20秒)
「歌劇「椿姫」から「パリを離れて」」 ヴェルディ:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (3分30秒)
「歌劇「椿姫」から乾杯の歌「友よ さあ飲みあかそう」」 ヴェルディ:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (2分30秒)
「Con Te Partiro (Time to say goodbye)」 クアラントット:作詞 サルトール:作曲
 (ソプラノ)小林沙羅、(テノール)山本耕平、(ピアノ)河原忠之 (3分30秒)


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昨年、CDアルバム「日本の詩(うた)」をリリースされたソプラノ歌手の小林沙羅さんがご出演。同CDにも収録されている、光太郎詩「或る夜のこころ」(大正元年=1912)に、中村裕美さんという方が作曲なさったものがラインナップに入っています。

1月25日(土)、福島県棚倉町文化センター倉美館さんで公開収録が行われ、ラジオでは2月24日(月)にオンエアされました。

この曲を含む小林さんのリサイタルが、3月12日(木)に予定されていましたが、新型コロナウイルス感染予防ということで、8月に延期だそうです。プログラムの変更がなければ、この際には「或る夜のこころ」以外にも、同じ中村裕美さんが「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)、 「亡き人に」(昭和14年=1939)に作曲されたものも演奏される予定です。

新型コロナによる延期/中止といえば、昨日はそれに伴う4月2日(木)に予定していた第64回連翹忌の集いの中止を告知させていただきましたが、他にもいろいろとあり、心を痛めております。

同じく4月2日(木)、毎年、花巻高村光太郎記念会さんの方で、光太郎が戦後の7年あまりを過ごした旧太田村での詩碑前祭、市街松庵寺さんでの連翹忌法要が行われてきましたが、中止。毎年3月15日発行の『広報はなまき』に案内が出ていたのが今年は出ず、もしやと思ったらやはりそうでした。

当会の祖・草野心平の母校である磐城高校さんが出場予定だったセンバツ高校野球も中止。こちらは代替措置として、東北からの出場校3校(磐城高校さん、仙台育英さん、鶴岡東さん)による「東北限定センバツ」を、来月実施の方向だそうです。

そして昨日発表された、オリンピック/パラリンピック。当然、聖火リレーも延期もしくは中止となるわけですね。このうち、青森県では6月12日(金)、十和田湖の観光交流施設ぷらっとさんから光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」までの約1㌔㍍もコースに入っていました。そして、その際に行われるセレモニーでは、三村申吾青森県知事のごあいさつで、光太郎や「乙女の像」に触れられる予定でした(「これで間違ってないか」ということで、こちらにその原稿が回ってきまして、チェックさせていただきました)。また、詳細は未定でしたが、当方にも光太郎や「乙女の像」についてちらっと話をしてくれ、という依頼も。残念です。

他にも今月に予定されていて紹介しようと思っていた演奏会、映画の上映などの延期もいろいろ……。関係者の方々のご苦労、断腸の思い等、しのびてあまりあります。来月以降に予定され、やはり紹介しようと思っている企画展やイベント等も多いのですが、この状態が続くようですと、大変なことになりますね……。

さて、話を戻しますが、「クラシック倶楽部」、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

どんな人でもせめて家庭の中では自由で、自然で、赤裸で、お互に言ひたい事を言ひ合つて、お互に為たい事を為合つて、それで少しもお互の心を傷け合はないのみか、その故に却つてお互の魂を育て合ふ様な生活を為たいものと思ふ。

アンケート「新時代の家庭におくる言葉」より
 大正13年(1924) 光太郎42歳

新型コロナの影響で、各家庭にいる時間が長くなっているケースが多いでしょう。それがストレスになる、ということの無いようであってほしいものです。

こういう刊行物があったとは存じませんでしたが、うたごえ新聞社さん発行の『うたごえ新聞』。「にほんのうたごえ全国協議会機関誌」だそうで、昭和30年(1955)創刊とのこと。

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タブロイド判8ページ、週刊だそうで、上記は同社サイトから採らせていただきましたが、現物はモノクロ印刷です。合唱系をメインに、全国の演奏会情報や講習会などのイベント紹介、また、合唱に限らず、独唱歌曲系、器楽系、そしてうたごえ喫茶などに関する記事も載っています。

で、その3月16日号に「私とこの歌 「智恵子抄巻末のうた六首」」という記事が載っているという情報を得まして、取り寄せてみました。

「私とこの歌」は、アマチュア合唱団等で歌われている方からの寄稿のようで、今回は宮城県の医療のうたごえ合唱団セデスさんに所属されている、横田渉氏が書かれています。

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「智恵子抄巻末のうた六首」は、故・清水脩氏により、昭和39年(1964)、愛知の合唱団・東海メールクワイヤーさんの委嘱で、男声合唱曲として作曲されました。のちに混声版も出ています。題名の通り、詩集『智恵子抄』に収められた短歌六首がテキストです。

ひとむきにむしやぶりつきて為事(しごと)するわれをさびしと思ふな智恵子
気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる
わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき
この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず
光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき


当方、レコードやCD、それから平成24年(2012)、千葉県合唱祭で、船橋の合唱団・HGメンネルコールさんが演奏されたのを聴いたことがあります。

最近も、ぽつりぽつりと取り上げられています。
 所沢メンネルコール 第30回記念演奏会~歌は心のよろこび。
 コーロ・カンパーニャ 第7回コンサート/米津玄師さん「Lemon」。
 北海道教育大学札幌校グリークラブ・混声合唱団 OB・OG演奏会。

今後も歌い継がれていってほしいものです。

また、故・清水氏、これ以外にも、昭和30年代から、光太郎詩をテキストとしてさまざまな楽曲を作曲して下さいました。合唱(混声、男声)、独唱歌曲、箏曲など。こうした傾向も現代の作曲家さんたちに、受け継いでいっていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

沢山あつて困ります。日本のを一人だけお答へしませう。
一、弟橘比売命。
二、姫の御歌をよめば理由は申上げるまでもないと思ひます。
「真嶺(さね)さし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」

アンケート「私の好きなロマンス中の女性」全文
 大正9年(1920) 光太郎38歳

アンケート設問の「一」は、「好きなロマンス中の女性」、「二」は「その好きな理由」です。

弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は、『古事記』や『日本書紀』に登場する神話上の人物ですが、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻です。夫の東征に際し、現在の東京湾・馳水(はしりみず)で、暴風雨を鎮めるために、自ら生け贄となって海中に身を投じました。引用されているのはその際の辞世の歌です。

のちに光太郎芸術世界の構築のため、自ら「生け贄」となった智恵子を彷彿とさせる、というと、牽強付会に過ぎましょうか?

現在発売中の『週刊新潮』さん(3月12日号)。作家・五木寛之氏の連載「生きぬくヒント!」が、「高村光太郎の国民歌」というタイトルです。

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ちなみに五木氏、一昨年も同じ連載で光太郎に触れて下さっています。

今回取り上げられているのは、昭和15年(1940)に光太郎が作詞し、飯田信夫が作曲、徳山璉(たまき)の歌唱でヒットした「歩くうた」。

当時の日本放送協会が、「国民歌謡」というラジオ番組を放送しており、その中で流すために光太郎に作詞を依頼したものです。同番組のテキスト第76輯に楽譜が収められ、のち、東亜音楽出版から単独の楽譜も刊行されました。

  歩くうた015
                                                 
 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 南へ、 北へ、 あるけ。 あるけ。
 東へ、 西へ、 あるけ。 あるけ。
 路ある道も、 あるけ。 あるけ。
 路なき道も。 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 目ざすは、 かなた、 あるけ。 あるけ。
 けぶれる、 ゆく手、 あるけ。 あるけ。
 果てなき、 野づら、 あるけ。 あるけ。
 こごしき 磐根、 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 身をやく、 日照り、 あるけ。 あるけ。
 塩ふく、 背中、 あるけ。 あるけ。
 身を切る、 吹雪、 あるけ。 あるけ。
 凍てつく、 目鼻、 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 思ひは、 高らか、 あるけ。 あるけ。
 大地の、 きはみ、 あるけ。 あるけ。
 海さへ、 空さへ、 あるけ。 あるけ。
 吾等を、 とどめず。 あるけ。 あるけ。

当時は4番まである歌は珍しくなかったので、「あるけ」が計48回(笑)。詩としてはしつこいと感じたのでしょうか、のちに詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)に収められた際、歌の3番部分をカットし、全三連に改訂しています。しかし、歌としての「歩くうた」は光太郎の意図とは関係なく、その後も全4番で歌い継がれています。





飯田信夫は東京帝国大学工学部卒という変わった経歴を持つ作曲家ですが、他に有名な「隣組」(岡本一平作詞)などの作品もあり、戦時歌謡作曲の第一人者でした。

ビクターから徳山の歌によるレコードが2種発売され、それなりにヒットしました。徳山は「隣組」や「侍ニツポン」(西條八十作詞、松平信博作曲)なども歌っています。


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また、歌のないインストゥルメンタルバージョン、合013唱のみのバージョンも発売されています。

当方、徳山歌唱の2枚と、インストバージョンの計3枚を手に入れましたが、合唱のみのバージョンが未入手です。ただ、国立国会図書館さんのデジタルデータ「歴史的音源」の中に収録されていますので、聴いたことはありますが。

昭和7年(1932)生まれの五木寛之氏、戦時中、登下校の際に口ずさんだり、学校の授業の一環としての映画鑑賞(原節子さんも出演された「ハワイ・マレー沖海戦」だったそうですが)の際に映画館まで行進しながら皆でうたったりなさったそうです。

同様のご体験があったということを、故・髙村規氏や、故・金田和枝さんからも聴いたことがあります。

また、故・小沢昭一さんもおそらく似たようなご経014験をお持ちのようで、平成20年(2008)リリースのCD「昭一爺さんの唄う 童謡・唱歌」の中で、「歩くうた」の解説として「当世、メタボばやりのようですので、歩いたらいいじゃありませんか」と語られています。

五木さんも「最近、歩くことがきわめて少なくなった。一日一万歩どころか、千歩、いや五百歩も歩ていないのではないかと思う。昔は本当によく歩いたものだった。」という書き出しで、「歩くうた」の紹介につなげられています。そして末尾では、編集者に「コロナ・ウィルスが大流行ですから、あまりウロウロされないほうがいいですよ。」と言われてしまったというオチ。笑えませんね(笑)。

ところで『週刊新潮』さん。3.11関連で、グラビアページは東日本大震災がらみの、「復興の桜」「復興と月」という特集を組んでいます。被災地の桜や月を田中和義氏の美しい写真で紹介するものです。

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ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

靴は英吉利、サツマ下駄は太い丈夫な小倉の鼻緒。

アンケート「書名家の「頭」と「足」に関する趣味」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

「あるけ、あるけ」と語った光太郎、靴はイギリス製のものを愛用(靴に限らず、彫刻用の作業着や椅子なども英国製が好みでした)、普段は幅広の薩摩下駄だったようです。赤城山などの山歩きも下駄だったそうで。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

一昨日、当会の祖・草野心平関連で記事を書きましたが、今日も心平関連で。

昭和3年(1928)から翌年にかけ、心平が暮らした群馬県の地方紙『上毛新聞』さんの記事から。ちなみに記事にもありますが、心平は昭和4年(1929)に約半年間、上毛新聞社さんで校正部員として、月給28円で働いていました。そのかたわら、伊藤信吉萩原恭次郎など群馬の詩人たち と交流、光太郎も寄稿した詩誌『学校』を発行したり、第一詩集『第百階級』(序文・光太郎)を出版したりしていました。

高崎高の校歌 60年以上前に制作の楽譜を吹奏楽部員が発見

 伝統校の高崎高(群馬県高崎002市八千代町)で、60年以上前の校歌制定時に作曲家、芥川也寸志(1925~89年)が直筆したとみられる楽譜や、作詞した前橋市ゆかりの詩人、草野心平(03~88年)の直筆とみられる原稿用紙に書かれた歌詞などの資料が見つかった。現在も歌い継がれている校歌で、校内で埋もれていたところ、生徒が偶然見つけた。同校は貴重な資料として、楽譜を額装して校内に展示する。


◎手紙や会議録も同封 曲への思いもつづる

 昨年11月、吹奏楽部の練習終了後、音楽準備室で道具探しをしていた2年の菅家太一さん(17)と大橋弘典さん(17)が大量の資料の中から、ひもでとじられた厚紙を見つけた。

 表紙に「創立60周年記念事業 新校歌制定資料」とあり、中には楽譜や、歌詞が書かれた原稿用紙が入っていた。校長に宛てて芥川が期日が遅れたことをわびる手紙、制定の経緯を記した会議録なども含まれていた。

 「草野先生の立派な詩を頂いただいて仕合はせでした。時に荘厳に、時に元気溌剌(はつらつ)に、時にはまたロマンチックに、自由に歌い上げて」(芥川)、「伝統のある高崎高等学校の校歌ですので力を入れてつくりました。声高らかに歌っていただければ光栄です」(草野)などとする2人の思いもつづられていた。

 菅家さんと大橋さんは発見時、「すぐに価値あるものと思った」と振り返る。

 同校は1897年創立。1957年に制定された現在の校歌が3代目とされる。在職9年目の音楽担当、黒岩伸枝教諭は「楽譜は芥川さん専用の用紙で書かれていた。変ホ長調で作られ、斬新で躍動感がある校歌。直筆の楽譜を探していた」と発見を喜ぶ。加藤聡校長は「楽譜は学校の玄関に飾りたい」と話している。

 芥川は作家、芥川龍之介の三男。草野は昭和初期、上毛新聞社に勤務したこともある。芥川、草野とも県内他校でも校歌を手掛けた実績がある。



こういうこともあるのですね。「発見」した二人の生徒さん、お手柄です。


高崎高校さんの校歌、Youtubeさんにアップされていました。




歌詞はこちら。なかなか書けそうで書けない表現が散りばめられ、心平の特異な才が見て取れます。

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2番の歌詞に赤城山が出てきますが、心平、群馬時代の昭和4年(1929)、光太郎や高田博厚、岡本潤らと共に赤城山に登っています。校歌の執筆は光太郎が亡くなった翌年の昭和32年(1957)だそうで、心平の脳裏にその時の思い出がよぎったかもしれません。

ちなみに心平は、やはりゆかりの地の川内中学校さんなど、各地の学校の校歌をかなり作詞していまして、故郷・いわき市の草野心平記念文学館さんでは、一昨年、ズバリ「草野心平の校歌」という企画展も開催しました。

光太郎は、というと、戦後になって依頼は山のようにあったのですが、結局、生涯に一篇も校歌は作詞しませんでした。自由に作れないというのもあったでしょうし、戦時中の翼賛活動への悔恨から蟄居生活を送っている最中ということで、遠慮したというのもあったように思われます。

ただ、校歌ではない団体歌的なものは、2篇だけ作っています。

まず、昭和17年(1942)、岩波書店の「店歌」として、「われら文化を」。作曲は信時潔でした。もう1曲は、「初夢まりつきうた」(昭和25年=1950)。こちらは正式な団体歌というわけではありませんし、詳しい経緯が不詳なのですが、おそらく花巻商工会議所からの依頼で作った、いわば「商店街の歌」的なものです。邦楽奏者・杵屋正邦により作曲されています。

故・北川太一先生から名跡を引き継ぎ、当方が編集発行しております『光太郎資料』という冊子にて、それぞれ詳しくご紹介しています。「われら文化を」に関しては、第48集(平成29年=2017)~第50集(平成30年=2018)で、「初夢まりつきうた」に関しては、この4月に発行予定の第53集で扱っています。ご入用の方はコメント欄からご一報下さい。


【折々のことば・光太郎】

山の生活を始めるのに私は人間として最低の線まで行つてそこから出発して見ようと思つていた。

談話筆記「山の生活」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年半ぶりに帰京し、東久留米の自由学園で行った講演の筆録から。花巻郊外旧太田村の、ある種、壮絶な山小屋生活のディテールが語られました。

やはり「最低の線」の生活をしている自分が、「校歌」という「ハレ」の歌を作るわけにはいかない、という思いがあったように思われます。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

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