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2件ご紹介します。

放映順に、まず、ローカル放送で申し訳ありませんが…… 

ちば見聞録 #45 九十九里紀行 

チバテレ第2(チバテレミライチャンネル) 2021年10月20日(水) 7:05~7:30

三方を海に囲まれ、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた千葉県。それぞれの地域で独特かつ多彩な文化を育んできました。美しい自然・伝統文化・郷土史を美しい映像とともに“ふるさと千葉”を伝えます。

千葉県の象徴でもある九十九里浜を屏風ヶ浦から南下し、伝説や名所などを紹介。
[エリア]九十九里
[ポイント]〆粕、飯岡助五郎、定慶寺、矢指ヶ浦海水浴場、あさひ砂の彫刻展美術、いわし資料館、干鰯、百人塚、千人塚、太東埼灯台
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「ちば見聞録」は、平成26年(2014)から同28年(2016)までに、計78本が制作された30分番組で、千葉県各地の歴史紀行的な内容。昭和48年(1973)から平成16年(2004)にかけて制作された「房総プロムナード」の後継番組です。これまでも繰り返し放映されております。

「#45 九十九里紀行」は、平成27年(2015)初回放映。昭和9年(1934)に智恵子が半年余り療養生活を送った片貝海岸に立つ、昭和36年(1961)除幕の「千鳥と遊ぶ智恵子」詩碑が紹介されます。
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動画投稿サイトYouTubeで見られるのですが(14:43頃から)、DVD等に収めたいという方、ぜひどうぞ。千葉県内だけでなく、隣接都県の一部でも視聴可能です。


もう1件、BS放送です。おそらく光太郎智恵子には関わらないと思うのですが……。

ニッポンぶらり鉄道旅「JR横須賀線 なるほど!ナットク」

NHKBSプレミアム 2021年10月21日(木) 19:30〜20:00 
           再放送 10月23日(土) 07:45〜08:15


全国の鉄道に乗って沿線の魅力を紹介!井上拓哉さんが「JR横須賀線」に乗って、横浜から久里浜まで「なるほど!ナットク」を探す旅。グルメから不思議な電子楽器も登場!

JR横須賀線で、井上拓哉さんが横浜から久里浜まで「なるほど!ナットク」を探す旅。【横浜】シューマイ売り出し大作戦!中華街で考案のシューマイ鍋!【鎌倉】元アナウンサが伝える紙芝居の世界へご招待!【逗子】電子楽器「テルミン」と「茶道」の世界の意外な共通点とは?【衣笠】日本ならではの季節の行事に合わせたお供え・しつらいの研究家の願いとは?【久里浜】ヨットで世界一周!冒険家の不屈の精神にあるものとは?

【リポーター】井上拓哉,【語り】TARAKO
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これまで光太郎智恵子オマージュのコンサート等を何度か開催して下さった、テルミン奏者の大西ようこさんがご出演。

「電子楽器「テルミン」と「茶道」の世界の意外な共通点」とありますが、大西さん、茶道裏千家準教授でもあらせられ、テルミンは「意識が内に向く感覚がお茶と似ている」だそうで。

リポーターの井上拓哉さん、やはりNHKさんの連続テレビ小説「あさが来た」では、波瑠さんが演じた主人公・あさ(智恵子の母校・日本女子大学校創設に寄与した広岡浅子がモデル)の娘婿の啓介(工藤阿須加さん)の親友役、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」では、ブルーインパルス隊員の役を演じられました。
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ちょっぴり不思議ちゃんの要素もお持ちの(笑)大西さん、イケメン井上さんと、どういう化学反応を起こしたのか、興味深いところです。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

朝会計をすまし、山にゆかんとせしがリユツクが重すぎるので花巻駅にゆき、伊藤屋にて中食、ハイヤーをたのみて院長さん宅に来る。二三日又滞在のつもり。

昭和26年(1951)2月2日の日記より 光太郎69歳

湯治的に10泊した大沢温泉を引き払い、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に帰ろうとするも、宿痾の結核性肋間神経痛がまだ治らず、花巻町に出て、花巻病院長・佐藤隆房宅に向かいました。

この年はずっと体調がすぐれず、「死」を意識し始めたのもこの頃ではないかと思われます。そのことが、翌年、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を引き受けることにつながったような……。

伊藤屋」は、建物は建てかわったものの、現在も花巻駅前に健在です。

沖縄から演奏会情報です。

沖縄県立芸術大学音楽学部第32回洋楽定期公演~沖縄から発信する現代の音楽~

期 日 : 2021年10月2日(土)
会 場 : 沖縄県立芸術大学奏楽堂ホール 
       沖縄県那覇市首里当蔵町1-4 首里当蔵キャンパス内
時 間 : 18:00開場 18:30開演
料 金 : 無料(要整理券)

演目・演奏
 柴 佑:Rondo for Violin and Piano
  Violin 古藤 千晶 Piano 玉木 日菜
 油田 燿:Endless Cycle
  Marimba 宮里 凛花 Horn 仲尾 蘭 Piano 名護 茉里奈
 金城 亜美: "If the doors open someday" for string quartet
  Violin I 阿波根 由紀 Violin II 田場 尚子 Viola 佐渡山 安哉 Cello 城間 恵
 江幡 侑奈:《冬が來た》高村光太郎の詩による
  Soprano 山本 奏美 Piano 坂田 歩
 杉山 湧生:《線香花火》―弦楽四重奏のための―
  Violin I 阿波根 由紀 Violin II 田場 尚子 Viola 佐渡山 安哉 Cello 城間 恵
 安元 麦:《光の道》 ―ピアノとヴァイオリン、チェロのための―(2020/2021年改訂)
  Violin 田場 尚子 Cello 城間 恵 Piano 上田 勇貴
 土井 智恵子:HAJICHI BLUE (委嘱新作・世界初演)
  歌三線 新垣 俊道 琉球笛 入嵩西 諭 Violin 岡田 光樹 Cello 林 裕 Piano 新崎 誠実
 塚本 一実:Increasing lights 〜for solo flute〜
  Flute 飯島 諒
 ヤニス・クセナキス (1922-2001/アニバーサリー作曲家没後20年)
  :Psappha pour Percussion Solo(1975)
  Percussion 屋比久 理夏
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沖縄で「冬が来た」。まぁ、土地柄はあまり関係ないのかもしれませんが。当方、20年近く前、12月の暮れに沖縄に行きましたが、チョウチョが舞っていましたし、石垣島の海でダイビングをしました。海に入ると、海水温が冷たいと感じ、思わず「冷てっ!」と言ったら、インストラクターさんに「気のせいです、ここは沖縄ですから」と返されました(笑)。

ちなみに光太郎には「琉球決戦」(昭和20年=1945)という実に陰惨な翼賛詩がありますが……。

閑話休題。今回の演奏会、主催は沖縄県立芸術大学さん、企画は同大音楽学部音楽表現専攻 作曲理論コースさんだそうで、そちらの教職員の方々、学生の皆さんによる演奏会のようです。

公式サイトには「本公演の実施方法については、検討中です。決定後は本ページにてお知らせします。」とあり、やはりコロナ禍の影響なのでしょう。9月25日(土)に同じ会場で行われた別の演奏会は無観客で実施、後日、動画配信だったそうで。

今回の演奏会、有観客だったとしても、動画配信していただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

胸から脇腹にかけての赤はれとぶつぶつは寄生虫か、腫物か、丹毒類か不明。わるくもならず、よくもならず、 天気になり次第花巻にゆきて院長さんに見てもらふつもり、ともかく三年前かひたるサルゾールをつづけてのむ。

昭和25年(1950)12月31日の日記より 光太郎68歳

昨日も書きましたが、光太郎日記、前年1月22日から、この年12月30日までの分が失われています。どこかにひっそりと残っていないものでしょうか。

「ぶつぶつ」は帯状疱疹だったようです。

歌手の方々に関するニュースを2件。

まずは「千の風になって」などで知られる、秋川雅史さん。趣味で木彫をなさっていましたが、このほど、二科展で入選を果たされたそうで。

『日刊スポーツ』さん。

テノール歌手秋川雅史「二科展」彫刻部門で入選 芸能界初の快挙

 テノール歌手秋川雅史(53)が、21年第105回記念「二科展」に出品し1日、彫刻部門で入選した。関係者によると、彫刻部門での入賞は、芸能界では初めてだという。
 秋川が木彫刻を趣味にしていることは広く知られていたが、公募展に出品するのは今回が初めて。作品は「木彫楠公像(楠木正成像)」。
 秋川は「入選いたしました。ありがとうございます。もちろん私は、歌手なんですが、木彫刻も本気で取り組んでおりまして、二刀流ではございませんが、実はすでにお寺の方にも私の製作した仏像を奉納させていただいております。昨年はコロナの影響でほとんどのコンサートがなくなってしまい、その間はステイホームで家で彫刻を彫る毎日でした」とコメントした。
 秋川によると、だんじり彫刻では有名な愛媛県西条市の出身であることから、子どもの頃から、素晴らしい彫刻を目にして育ったという。また、11年前に仕事で訪れたドイツで「鷹」の彫刻を買って帰り、それを眺めていたら自分でも彫れるんじゃないかと思ったのが、本格的に始めるきっかけになったという。
 今回製作した「楠木正成像」は皇居前にある銅像に影響を受けて製作。秋川は「皇居前の像は下から見上げるのですが、私は木に落とし込む訳ですから上からも眺める姿になります、なので馬の尻尾の形状や、顔の目線を上に向く様にしたり、自分なりのエッセンスを入れ込んだ、秋川雅史の、木彫楠公像として作品に仕上げました。また、この作品は一木から掘り出しており、細かい彫刻刀が届かないところなどは特注の彫刻刀を作ってもらったりなど、こだわりにこだわり3年掛かって完成させました」。
 最後に、「彫刻家としてはこうして二科展で入選いただきましたが、歌手としての登板は、8日に東京オペラシティで行います。そちらの方も是非お越しください(笑い)」とコメントした。

◆第105回記念「二科展」 
▼会場 国立新美術館 
▼会期 9月1日~13日。(7日は休館日)
▼時間 午前10時~午後6時
▼主催 公益社団法人 二科会
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日テレさん。

テノール歌手・秋川雅史 二科展、彫刻部で入選「ステイホームで生活は彫刻家」

 「千の風になって」などで知られる、テノール歌手の秋川雅史さんが、第105回記念「二科展」彫刻部に出品し、初入選をしたことを所属事務所が発表しました。彫刻部での入選は芸能界では初めてだということです。
 彫刻が趣味だという秋川さんは「今回、第105回『二科展』彫刻部で、私の製作した「木彫楠公像(楠木正成像)」が入選いたしました。ありがとうございます」と喜びを明かしました。
 さらに「みなさんは秋川雅史というと『歌手』だと思っている方が多いと思います。もちろん『歌手』なんですけれども、実は『二刀流』じゃありませんけれども、彫刻の方も本気で取り組んでいまして、すでに3つのお寺さんの方にも私の仏像を奉納させて頂いているくらい彫刻家としての活動も行っております。昨年はコロナの影響で8割・9割の歌の仕事がなくなってしまったので、まさにステイホームで生活は彫刻家といった感じでこの作品を作りあげました」と語りました。
 今回入選したのは『木彫楠公像(楠木正成像)』。秋川さんは作品について「皇居前にある楠木正成像の銅像に影響を受けて製作したのですが、銅像って目の上の位置に飾られているので、下から見上げる形で制作をするんですけれども、今回はそれを木に落とし込むということで、上から眺める姿ということで、少し馬の尻尾の流れを上向きにしたりとか、顔の目線を遠くに持っていったりとか、自分なりのエッセンスを組み込んでいって、そして秋川雅史の『木彫楠公像』という作品に仕上げました。また、この作品は一木から掘り出しており、細かい彫刻刀が届かないところなどは特注の彫刻刀を作ってもらったりなど、こだわりにこだわって3年掛かって仕上げた作品であります」と、熱い思いを明かしました。
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入選作は、「木彫楠公像(楠木正成像)」。東京美術学校として依頼を受け、光太郎の父・光雲が主任となって制作され、明治33年(1900)、皇居前広場で除幕された「楠木正成像」をモデルになさいました。

秋川さん、光雲愛が半端なく、光雲の木彫を入手されたりもされていて、この作も光雲へのオマージュですね。

『日刊スポーツ』さんの記事に有る通り、第105回二科展、六本木の国立新美術館さんで、13日までの開催です。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

さらに、訃報を一つ。今日の朝刊を見て、「ありゃま」と思いました。いわば、秋川さんの大先輩の方でして。

「時事通信」さん。

西脇久夫さん死去 コーラスグループ「ボニージャックス」、85歳

007 コーラスグループ「ボニージャックス」のメンバー、西脇久夫(にしわき・ひさお)さんが8月30日午前8時50分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。85歳だった。宮城県出身。葬儀は近親者で済ませた。
 早稲田大グリークラブ出身の男性4人でグループを結成し、1958年にボニージャックスとしてデビュー。トップテナーを務めた。
 ボニージャックスは、童謡の「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」やロシア民謡の「一週間」など5000曲以上の幅広いレパートリーを持ち、63年から3年連続でNHK紅白歌合戦にも出場した。

『東京スポーツ』さん。

「ボニージャックス」西脇久夫さん死去でメンバーが追悼

 4人組コーラスグループ「ボニージャックス」の西脇久夫さんが、肺がんのため8月30日、午前8時50分に都内の病院で亡くなった。85歳。故人を悼みメンバーがコメントを寄せた。
 バスの玉田元康は「ボニージャックスは63年、グリークラブ時代を含めると67、8年になります。長い長い付き合いでした。肺癌という重い病気と頑張って闘った。最後まで歌おうとしていた姿が忘れられません。長い間ご苦労様でした」。
 バリトンの鹿島武臣は「昨日から解散しないでくれという電話が鳴りっぱなしです。西脇は根っからのリードボーカル、生まれながらのテノール馬鹿でした。目立ちたがり屋、キザ、我儘、スター意識ギンギラギン。しかし、コーラスグループにはテノール馬鹿が必要なのです」と追悼。続けて「これからは残された3人で頑張ります。我々には定年がない代わりに仕事がこなくなったらおしまい。連日パラリンピックが教えてくれています。『失ったものを数えるな。残っているものを数えろ!』往生際の悪いのは僕らの売りです」と決意を新たにした。
 また、ともに活動していた「ベイビーブー」のリーダー・ユースケは「先日、宮崎の童謡コンサートでご一緒させて頂いたばかり。あまりに突然の訃報で現実を受け入れきれずにいます。生涯歌い続けてこられたそのお姿と歌声、目に耳に残っています。今はただ、西脇さんのご冥福を心よりお祈りしております」とコメントを寄せた。

当方、ボニージャックスさんの2枚組CDを1点、所持しています。コロムビアさんから平成9年(1997)リリースの「ボニージャックスの日本の唱歌」。下の画像、右から二人目が、亡くなった西脇さんです。
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こちらには、光太郎作詞の戦時歌謡「歩く歌」(飯田信夫作曲)が収められています。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

十時松庵寺。院長さん夫人、宮沢老人、勝治さん来集。


昭和23年(1948)10月9日の日記より 光太郎66歳

「松庵寺」は、花巻市街に現存する寺院です。花巻及び郊外太田村在住時代、ほぼ毎年、この時期に、光雲、智恵子、そして母・わかの法要を営んで貰っていました。

「院長さん」は、花巻病院長・佐藤隆房、「宮沢老人」は賢治の父・政次郎、「勝治さん」は光太郎を太田村に誘った元分教場教師・佐藤勝治です。

平成30年(2018)、ドラマ「アンナチュラル」のテーマ曲「Lemon」が大ヒットし、その後も精力的な活動を続けられているJ-POPアーティスト米津玄師さん。

インタビューの中で「Lemon」は、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアがあるかも知れない、と、御自身でおっしゃっています。

その米津さんが、インテリアグッズを展開する「REISSUE FURNITURE」(リイシュー ファニチャー)を立ち上げられたとのこと。

第1弾アイテムとして、「Lemon」をはじめ、これまで発表してきた楽曲「Flamingo」「海の幽霊」「馬と鹿」「Pale Blue」をイメージしたフレグランス「Room Perfume」(ルーム パルファム=部屋用香水)の発売を発表なさいました。

Room Perfume - Lemon REISSUE FURNITUREシリーズ#1

楽曲「Lemon」をイメージしたルームパルファム。

「米津玄師 2018 LIVE / Flamingo」「米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃」の演出で使用した香りで、レモンの爽やかさとほろ苦さが、部屋をやさしく包み込んでゆきます。クリスタルの形をしたガラスボトルは、光によって表情を変え、エレガントなひと時を演出します。

ボトルカラー Lemon Yellow Designed by Kenshi Yonezu ¥5,830(税込)
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米津さんのコメント。

非日常が日常へと変化しそうになっているこの頃、自宅で過ごす時間の重要性を見直さなければならないと感じています。ライブツアーがおいそれと組めなくなって以来、何か新しい軸を一つ作りたいと思い、今回REISSUE FURNITUREを始めることにしました。
部屋は自分の精神とシンメトリーな部分があると思います。部屋がほんの少し豊かになることで、健やかに日々を生きる一助になることを願います。

ボトルは米津さん御自身のデザインだそうで、そういえば、米津さん、御自身のアルバムのジャケット等もデザインされています。

ご興味のある方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

ひる前に余は揮毫。桶屋さん(大橋大人)の為に「木竹諧和」と書き宮崎鯉軒翁喜寿のために「天地寿」と書く。


昭和23年(1948)10月1日の日記より 光太郎66歳

「大橋大人(たいじん)」は大橋喜助。花巻一の桶作りの職人で、宮沢賢治の父・政次郎、花巻病院長・佐藤隆房、そして蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の村人達の厚意で光太郎に贈られた風呂桶を制作しました。「諧和」は「やわらいで親しみあうこと」の意。木や竹などの材料を「諧和」させる見事な匠の技へのオマージュですね。

「宮崎鯉軒」は宮崎仁十郎。茨城取手の素封家で、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚した宮崎稔の父親です。戦前から光太郎と交流がありました。
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さらにこの後、完成した風呂場を「無可有殿」と名付け、横書きにした書も書きました。「無可有」は中国の古典「荘子」が出典で、「自然のままで何も作為がないこと。また、そのような状態や境地」といった意味です。いかにも光太郎が好みそうな言葉だと思います。
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画像はその際の書を木の板に写したものです。

テレビ放映情報です。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2021年8月23日(月)  17:58〜18:54

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!

「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ
「東京のバスガール」初代コロムビア・ローズ&二代目コロムビア・ローズ
「ガード下の靴みがき」大石まどか
「アルペン・ミルクマン(山の人気者)」関大八
「巴里の空の下 セーヌは流れる」かいやま由起
「枯葉」美川憲一040
「個人授業」晃(フィンガー5)
「可愛い真珠」西崎緑
「黒ネコのタンゴ」皆川おさむ
「おんなの出船」松原のぶえ
「男の港」鳥羽一郎
「女の港」大月みやこ
「舟唄」八代亜紀

<司会>合田道人/伍代夏子

昨年亡くなった、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞 戸塚三博作曲)がラインナップに入っています。

不定期に放映されている番組のようで、過去の日本歌手協会歌謡祭のアーカイブ映像を再編集したものです。

今年1月の放映は、昨年亡くなった歌手の皆さんのそれを特集したもので、やはり二代目ローズさんの映像が使われました。
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ローズさんの映像は、昭和57年(1982)の第5回歌謡祭から。
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再びこの回の映像が使われるのか、他の年のものなのか、不明ですが。

ちなみに、8月27日(金)放映分では、今月14日に亡くなったジェリー藤尾さんの歌唱映像が流れるそうです。ジェリーさん、一昨年には『智恵子抄』もモチーフとして使われたドラマ「やすらぎの刻~道 テレビ朝日開局60周年」にご出演されていました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

テレビ放映ということで、もう1件、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。来週には、今年6月に放映された、光太郎詩「道程」を扱った回が再放送される予定でしたが、高校野球の雨天順延が続き、無くなってしまいました。残念です。

【折々のことば・光太郎】

朝食後ハガキ書、及(花巻新報)といふ文字を揮毫。


昭和23年(1948)8月25日の日記より 光太郎66歳

『花巻新報』は、『岩手自由新聞』『岩手大衆新聞』『読む岩手』を統合して誕生した地方紙ですが、戦前にあった『花巻新報』の名を踏襲しました。

その題字の揮毫を光太郎が依頼されたというわけです。光太郎筆の題字、昭和35年(1960)の終刊号まで使われました。

創刊号(復刊号)のコラム「伯楽茸」でこの題字に言及されています。

◆本紙の題字は高村光太郎先生の筆だが、先生は本職の木彫のほか詩文、書画にも最高境地を示す日本文化界のえがたい宝だ◆稗貫郡太田村山口部落の山中に農民の飾りない敬いと親しみをうけて手作りの小家で天地草鳥を見つめ世界の大勢を案じている姿には大芸術誕生の脈動を感ずる◆所が世間はガサツなもので「私は遠方の者ですが、今度この辺へ用字があつて来たので一寸ツイデに寄りました」ナドと、寸暇をおしんで芸術に精進する老先生の大切な時間をムダにさせる文化人があるなどは、同じ「文化人」でも原子爆弾と竹ヤリほどのちがい

「用字」は「用事」の誤植ですね。

同じ号には光太郎の「希望 親切な案内役を」という談話筆記も掲載されました。
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若干、先の話ですが、コロナ禍による中止/延期、又は無観客開催などの発表があるやもしれませんので、その前に。

東京混声合唱団特別演奏会~田中信昭と共に~東混オールスターズ

期 日 : 2021年8月31日(火)
会 場 : 東京芸術劇場 東京都豊島区西池袋1-8-1
時 間 : 19:00 開演(開場18:00)
料 金 : 一般:4,500円 学生:1,500円

【プログラム】
パレストリーナ:『教皇マルチェルスのミサ』より「サンクトゥス」
西村朗:混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』より「レモン哀歌」
上田真樹:混声合唱とピアノのための組曲『夢の意味』より「夢の意味」「夢の名残」
野平一郎:混声合唱のための幻想編曲集『日本のうた』より「ずいずいずっころばし」
小山清茂:「誕生祭」
ブラームス:「祝祭と格言」
シェーファー:「ガムラン」「ミニワンカ」
ラフマニノフ:『晩禱』より 第2曲、第9曲
三善晃:混声合唱曲『小さな目』より

【指揮】:田中信昭 / 山田和樹 / キハラ良尚 / 松原千振 / 大谷研二 / 水戸博之
     山田茂 / 髙谷光信
【ピアノ】:中嶋香 / 萩原麻未
【合唱】: 東京混声合唱団

WEBサービス『カーテンコール』にて公演のLIVE配信を行います!
価格 1,500円(税込み) 購入・視聴はこちら 
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田中信昭氏は、指揮者にして東京混声合唱団の創設者。おん年93歳です。平成元年(1989)、赤坂草月ホールで開催された仙道作三氏作曲のオペラ「智恵子抄」初演の際、伴奏の10人編成管弦アンサンブルの指揮をして下さったりもしました。

今回、田中氏の指揮で、西村朗氏作曲の「レモン哀歌」(平成21年=2009)がプログラムに入っています。この曲は、全3曲から成る「混声合唱とピアノのための組曲『レモン哀歌』」の最終曲。当方の把握しているところでは、全日本合唱連盟さん主催の「平成30年度(第71回)全日本合唱コンクール」の高校Bグループ(33人以上の大編成)に出場なさった九州地区代表・鹿児島高等学校音楽部さんが、この曲を自由曲に選ばれていました。

そちらを御紹介した時には気づかなかったのですが、YouTube上に、この曲がアップされていました。ただ、あまりバランスのいい演奏ではありませんが、楽譜を見ながら曲の感じを掴むのにはいいのかな、という動画です。


「混声合唱とピアノのための組曲」ですから、ピアノは単なる伴奏ではなく、ウェイトがかなり大きいと、ここしばらくの流行ですね。ただ、上記の動画ではピアノが大きすぎて歌詞がよく聴き取れません。

東混さんのコンサートでは、絶妙のバランスでの演奏が聴けることと存じます。

ご興味のある方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、足をお運び下さい。また、WEBでのLIVE配信も用意されているとのことですので、ご活用下さい。

【折々のことば・光太郎】

二三日前の夜関上場の娘さん寒沢川にはまつて死んだ由、狐のわざといふ。


昭和23年(1948)8月17日の日記より 光太郎66歳

「関上場」は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の地区名です。狐の件、光太郎は無論のこと信じなかったでしょうが、村人の中には、まことしやかにそう噂する人がいたようで、戦後になってもそうだったのだなぁと思いました。

都内からコンサート情報です。

林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)

期 日 : 2021年7月24日(土)
会 場 : トッパンホール 東京都文京区水道1-3-3
時 間 : 開場 14:00 開演 14:30
料 金 : 前売4,000円(全席指定) 当日4,500円

出 演 : 竹田恵子(歌) 井口真由子(pf)

曲 目 : 林 光(詩:宮沢賢治):序詞《注文の多い料理店》より
      林 光(詩:宮沢賢治):すきとおるものが一列
      林 光(詩:与謝野晶子):初夏
      林 光(詩:まどみちお):ハコベのはな
      林 光(詩:林 光):月の船の歌《万葉集》による
      林 光(詩:佐藤 信):ほんとうの空へ
       他

今回のコンサートの副題は、「ほんとうの空へ」。「フェイクの時代」だからこそ、「ほんとう」が気になります。それはどこからやって来るのでしょうか。「正しさ」をめぐる言葉のバトルとは違って、もっと底の底にある感情の出どころ。そこには「ほんとうのたべもの」の賢治がいます。まど・みちおや与謝野晶子、そして万葉集やこどもたち。
感染予防の対策には万全を期すつもりです。2回のワクチン接種もコンサート前に終える予定でいます。今回はYouTubeの配信もありませんので、ぜひ会場に足をお運びいただければ幸いです。
落ち着かない日々が続きますが、どうぞご自愛の上、当日お目にかかれることを心より願っています。
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竹田恵子さんという方、故・林光氏の歌曲を歌い継がれることも、活動の柱となさっているようで、その一環としてのコンサートです。

副題が「ほんとうの空へ」ということですが、同名の曲がプログラムに入っています。これは、平成7年(1955)に福島県で開催された、第50回国民体育大会(国体)の際に「ふくしま国体讃歌」として作曲され、開会式で、福島県内の高校生による合唱、福島県警察音楽隊によって演奏された曲です。


上の動画で、6:35頃から、バックに流れているのがそうでしょう。林氏というと、ちょっと難解な現代音楽、というイメージが当方にはあるのですが、こちらはこういう機会での音楽だけあって、素直なメロディーラインのようです。

国体自体のキャッチフレーズも「友よ ほんとうの空に とべ!」でした。

言わずもがなではありますが「ほんとうの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイア。本来「ほんとの空」ですが、時折、「う」の入った形で二次使用されています。特に東日本大震災、それに伴う福島第一原発の事故後、福島の復興の合い言葉として、一人歩きを始めた感がありますが、福島国体は平成7年(1995)。こうした例の最も早いものの一つではないかと思われます。

コンサートでは、他に、光太郎と交流のあった宮沢賢治や与謝野晶子の作品に曲を付けたものも演奏されるそうです。

コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午後一時より横湯橋渡初式に出かける。三時頃に漸く式はじまる。それまで草原で休みゐたり。
昭和23年(1948)5月22日の日記より 光太郎66歳

「横湯橋」は「おうゆばし」と読み、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋から南に1㌔あまりの、現在は県道37号線(花巻平泉線)の寒沢川にかかる橋です。

昨日は千葉市文化センターで開催された「潮見佳世乃歌物語コンサート 智恵子抄・羽衣伝説」を拝聴して参りました。
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ジャズシンガーの潮見さん、お父さまの故・高岡良樹氏が始められた「歌物語」というジャンルも引き継がれています。様々な文芸作品等をそれぞれ数十分のステージで、歌や語りで紡ぐというものです。昨日はそのうちの「羽衣伝説」と「智恵子抄」。

前半が「羽衣伝説」。現在の千葉市に残る羽衣伝説を元にしたものです。全国各地に残るそれと異なり、のちに「千葉氏」の姓を賜ったという平常将、その子・平常長ら実在の人物が登場します。
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休憩を挟み、後半が「智恵子抄」。

「歌物語」に入る前に、ア・カペラで光太郎詩の朗読二篇。昭和11年(1936)作の「鯉を彫る」と、同7年(1932)作の「もう一つの自転するもの」でした。

「もう一つの……」は、前年の満州事変勃発などを背景に、どんどんきな臭い方向に進む世情に抗し、「もう一つの自転するもの」が自分の中にあるのだ、と宣言する内容(しかし、数年後には抗しきれず、智恵子の死に伴う空虚感などもあって、一気に大政翼賛の方向に梶を切ることになりますが)。

「鯉を彫る」は、新潟長岡の素封家・松木喜之七に依頼された木彫の鯉を制作している様子を詩にしたもの。つい先だって、その関係で長岡に行って参りましたので、奇遇に驚きました。
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朗読に続いて、いよいよ歌物語。

当方、3回目の拝聴となりましたが、それぞれ伴奏の楽器が異なっていまして、曲や全体の構成は同じでも、全く違うステージという感じでした。

最初に聴いた時の伴奏はキーボードとアコースティックギター。そこで、ニューミュージックやジャズのテイストが強く感じられました。今年3月、熱海で拝聴した際には、ピアノ一本。するとクラシック音楽に近い感じでした。

今回は、ピアノ(TATOO)に加え、尺八(小湊昭尚)、そして箏(市川慎)。いやがうえにも「和」。間奏的にインストゥルメンタルの部分もかなり長くあったりし、アレンジが大変だったのでは、と思いましたが、終演後、潮見さんとお話ししたところ、そこは皆さんプロフェッショナル、ツーとカーで、けっこうひょいひょいできてしまったとのこと。素晴らしい!

箏も、当初は通常の十三弦のみの予定だったのが、十七弦も加えてみよう、ということで、市川氏、二面を行ったり来たりでした。
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全体に、かなりドラマチックな構成で、初めて聴いたと思われるお客さんが当方の周囲にいらっしゃいましたが、演者の皆さんの織り成す世界にぐいぐい引き込まれているな、というのがよくわかりました。

構成は、「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」/「風にのる智恵子」(昭和12年=1937/昭和10年=1935)、「値ひがたき智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「亡き人に」(同)。これらが、メロディーのついた「歌」、そうかと思うと「語り」のみ、また、それらを交えた形で、そして先述の通り、インストゥルメンタルの間奏(以前拝聴した2回より長いものでした)と、実に変化に富んでいました。

今後も折に触れ、演じていただきたいものです。

以上、レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

中島中将開墾地放棄の由。


昭和23年(1948)1月4日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れた村人たちとの、茶飲み話に出て来た話題です。

中島という人物、海軍中将だったそうで、ネットで調べてみたのですが、該当する人物が見つかりませんでした。下の名前も分かりません。光太郎が花巻疎開に際し、世話になった佐藤隆房の遠い姻戚らしいようです。光太郎が山小屋で暮らし始めた後、近くにの開拓地に入りました。

典型的、ステレオタイプの愚かな軍人だったようで、村人たちの助言には聞く耳を持たず、馬鹿なことをいろいろやって、自分で自分の首を絞めていたとのこと。

例えば、草を刈るにしても、軍刀を力任せに振り回して斬ろうとしていたそうで、村人が「それじゃ、切れません。片手で草を束ねて、もう一方の手に持った刃物で切れば楽に切れますよ」的なアドバイスをしても、「これがわしのやり方じゃ!」。

家を建てる際も、縄文時代の竪穴住居のように、地面に穴を掘って「板の節約じゃ!」。山の麓なのですぐ水が湧き、到底無理でした。

積極的に村人の助言を聞き、皆に敬愛されていた光太郎とは真逆ですね。結局、2年ほどで開墾地を放棄し、何処かへ消えていったようです。光太郎はこの人物を冷ややかに見ているだけでした。

こんな馬鹿な将校に率いられて進めた戦争で、先述の松木喜之七ら、徴発された兵らがあたら貴い命を落としていたわけで……。

畠山智行氏。俳優兼「津軽弁ロックシンガー」だそうです。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)インスパイアの曲を作られ、動画投稿サイトYouTubeにアップなさいました。
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昨年567(コロナ)が始まってあまり歌えなかったこの歌 今年も歌って行きます 津軽弁ロックシンガー始めて6年目に突入しました 色んな事がありました 全国車で下道で移動 歌も活動も全て獣道でした その思いを高村光太郎さんの道程を津軽弁で朗読し(道、津軽弁でけんどと言います)歌にしました

内容は 他人と同じ人生は嫌で生きて来た だから自分が切り開いた自分の道(人生)だ 今振り返った時辛い時苦しい時 あなたが私を支えてくれた この道はみんなの道だ こんな内容の歌です
畠山氏ブログより)


実際の投稿動画がこちら。


歌の前に、津軽弁による「道程」朗読が入ります。

わのめさけんどねぇ                                           僕の前に道はない
わの後さけんど出来ら                                       僕の後ろに道は出来る
うおりゃ!!自然よ                                                  ああ、自然よ
とっちゃよ                                                                父よ
わがおがらへでけだ                                   僕を一人立ちにさせた
うんだでぐでっけぇとっちゃよ                                      広大な父よ
わがらまなぐばはなさねんでまもてけ              僕から目を離さないで守る事をせよ
むったどとちゃの気迫ば                                            常に父の気魄を
わさぁぱんぱんにしてけ                                              僕に充たせよ
この果でねぇけんどの行ぎさぎさぁ                            この遠い道程のため
このめねぇ生様の行ぐどごさぁ                                  この遠い道程のため

その後の歌も、「going my way」的な内容で、だから最初に「道程」か、という感じでした。

津軽弁ということもあり、高木恭造の詩を想起しました。

畠山氏の作品の方が、格段にポジティブですが、DNAを揺さぶられるというか、何というか、そういう部分では同じ根っこを感じます。

ちなみに今日は、ジャズシンガー・潮見佳世乃さんの「歌物語コンサート 智恵子抄・羽衣伝説」を聴いて参ります。

こうした2次創作によって、光太郎智恵子の世界を広めていただくことは大歓迎です(健全な精神に基づくリスペクトが伴うことが条件ですが)。各分野の表現者の皆様、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】003

「智恵子抄」三冊白玉書房より届く。


昭和23年(1948)1月3日の日記より
 光太郎66歳

白玉書房版『智恵子抄』。昭和19年(1944)太平洋戦争の激化により、オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)版元の龍星閣が休業、昭和25年(1950)に再興し、翌年には『智恵子抄』復元版を出版しますが、その間、昭和22年(1947)から白玉書房版が刊行されていました。昭和25年(1950)の第5刷まで確認できています。
 
オリジナル『智恵子抄』に、「松庵寺」(昭和20年=1945)、「報告」(同21年=1946)の2篇が補われましたでした。どちらも智恵子の命日(10月5日)に書かれたものです。
 
ただ、白玉書房社主の鎌田敬止は、そもそもの版元である龍星閣の澤田伊四郎と十分に連絡を取っていなかったようで、この出版には若干のトラブルが生じました。

千葉県からコンサート情報です。

潮見佳世乃歌物語コンサート「智恵子抄・羽衣伝説」

期 日 : 2021年6月20日(日)
会 場 : 千葉市文化センター 6階・スタジオⅠ 千葉市中央区中央2-5-1
時 間 : 【昼の部】開場14:00/開演14:30(SOLD OUT)
      【夜の部】開場16:45/開演17:15
料 金 : 前売 4,000円 当日4,500円

出 演 : 潮見佳世乃(歌と語りと鳴り物) 
TATOO(ピアノ) 
      市川慎(箏) 小湊昭尚(尺八)


市制100周年を記念して、6月20日(日)千葉市文化センター6階 スタジオ1にて、歌物語コンサートを開催いたします。語ります物語は、千葉市の伝説「羽衣伝説」そして、高村光太郎の「智恵子抄」。歌物語で文学の名作・伝説を体感して下さい。どうかあたたかい応援をよろしくお願いいたします。只今チケット発売中です。

「歌物語」とは、父高岡良樹が創りだした、文学、演劇、音楽を融合させたこれまでにない芸能ジャンルです。琵琶法師や浄瑠璃など、物語を語る先人たちの伝統を引き継ぎながら、創作した物語に演劇的要素と音楽を取り入れ、奏でる音楽は、ジャズ、フォーク、ポップスなどを独自にアレンジしたもの。
ぜひ、この機会にご鑑賞ください。

※新型コロナウイルス感染拡大防止対策の為、定員数を減らし開催させていただきます。
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当方、潮見さんの「歌物語 智恵子抄」、2度拝聴しました。1度目は平成27年(2015)、都内大森のライブハウスで。2度目は今年3月、熱海の起雲閣さんで。どちらも素晴らしいものでした。

オリジナルの曲に乗せて、「智恵子抄」所収の詩10篇弱を、歌と語りで紡ぐという基本的な構成は変わらないのだと思いますが、今回はピアノに加え、箏や尺八と、和楽器を伴奏として演(や)られるそうです。箏は一般的な十三絃にプラスして十七絃も使ってみようか、というお話でした。当方、十七絃を使った演奏は一度、拝聴したことがありますが、単に音域が広いというだけでなく、低音域の響きがベースギターのようにしっかり支えていると感じました。

「智恵子抄」以外に「羽衣伝説」。静岡三保松原のそれが有名ですが、東京湾岸の千葉にもあったのですね。千葉県民でありながら存じませんでした(汗)。もっとも、「羽衣伝説」は日本国内だけでなく、西アジアのあたりが発祥らしく、ヨーロッパ、東南アジア、なんとアフリカや北米にもあります。そういった部分でも、非常にロマンを感じます。

新型コロナ感染症対策として、キャパを減らしての実施だそうで、既に昼の部は完売だそうですが(すみません、当方も昼の部で申し込みました(笑))、夜の部はまだ余裕があるようですし、昼の部もキャンセル等が出るかもしれません、上記リンクまでお問い合わせ下さい。

【折々のことば・光太郎】

終日雨、小雪、あられ等。時々鼠出る。 朝八時頃までねすごす。


昭和22年(1947)12月2日の日記より 光太郎65歳

「朝八時頃までねすごす」。「山中暦日なし」とはいいますが、光太郎、その日の日付がわからなくなることはあっても、体内時計の時間はかなり正確で、朝寝坊はめったにしませんでした。農閑期に入り、少し気が抜けていたようです(笑)。

都内から演奏会の情報です。

平松混声合唱団 第36回定期演奏会 明日へ向かって発つ~心ひとつに~

期 日 : 2021年5月21日(金)
会 場 : 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール 東京都渋谷区桜丘町23-21
時 間 : 開場 6:15pm 開演 7:00pm
料 金 : ¥3,000(全席自由)

指 揮 : 平松剛一  合唱 : 平松混声合唱団   ピアノ:金井信

第36回定期演奏会は感染症に対策しつつ開催いたします。

曲目
 群青(福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生/詩) 小田美樹/曲
 景色がわたしを見た 寺島尚彦/曲
 混声合唱組曲 「レモン哀歌」 より 平吉毅州/曲
 カイト 米津玄師/曲
 旅立ちの日に 坂本浩美/曲
 You Raise Me Up R. Lovlant/曲
 瑠璃色の地球 平井夏美/曲  
  他
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平松混声合唱団さんは、昭和57年(1982)に結成されたアマチュア合唱団ですが、これまでに全国合唱コンクール金賞受賞、海外での公演も行うなど、ハイレベルな団です。

故・平吉毅州氏による混声合唱組曲「レモン哀歌」は、同団の委嘱作品として作曲され、「あどけない話」、「山麓の二人」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、そして「レモン哀歌」の全4曲です。
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全4曲の初演は平成5年(1993)。その後、音楽之友社さんから楽譜集、フォンテックさんからCDも発売されました。
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楽譜集に掲載された、作曲者、故・平吉毅州氏の言葉「哀切なる,その愛」。

 平松混声合唱団の主宰者であり指揮者である平松剛一氏から、新作依嘱のお話をうかがった時、詩は作曲者が選んでよい、とのことだった。
 その条件は、作曲する側にとってとても嬉しいことであると同時に、仲々厄介なことでもある。
 世の中に、素晴らしい詩は沢山あるのだけれど、いざ、合唱組曲のための……となると、その選択は容易でない。極端な云い方をすれば、詩が決まった時点で作曲の仕事の半分は出来たみたいなもの、なのである。
 この曲の場合も、詩が最終的に決するまでに多くの時間を必要とした。
 詩を、小説や評論などと共に乱読したのは、私の場合、10代から20代にかけての頃だったように思う。その後も、今に至るまで、年に一度くらいは、新宿の紀伊国屋あたりで何時間も立ち読みをしては、1冊2冊と買い込んできてしまう。
 しかし、やはり若い頃に読んだもの程心の中に残っているようで、特に「智恵子抄」は、いつか、作曲してみたい、と思い続けてきた詩である。
 「そんなにも、あなたはレモンを待っていた……」の一節は、ずっと私の胸の中にすみついていたような気がする。
 光太郎の詩は、決してきれいごとではない、日常生活における生身の人間の、痛切な愛をうたったものである。作曲するにあたって、あらためて「智恵子抄」を読み通し、最終的に選んだ4篇を、彼等夫婦の、人生の景色の順序に従って組曲とした。光太郎の世界にどこめで踏み込めたのかどうか、私にはわからない。しかし、私なりに充実した仕事をさせていただいたという実感は確かにある。
 智恵子の作った数々の紙絵の、その見事なかたちと色彩は、今も私の網膜に鮮やかに写っている。時に口汚く声高に夫を罵しるかと思えば、療養地で作りためたそれらの紙絵を、はにかみながらそっと夫に差し出す智恵子の姿が、夫婦の間の、愛憎の葛藤に身を灼かれているようで、何とも痛々しい。
 狂気と正気の間を生き抜いた智恵子、それを一緒に生きた光太郎。哀切としかいいようがない。
 おわりに、この曲を書かせて下さった平松剛一氏と、感動的な初演をして下さった平松混声合唱団の皆さん、そして出版に御尽力いただいた音楽之友社の市川徹氏に、心からの感謝の意を表する次第である。


ひさしぶりにCDを聴いてみました。

めまぐるしく変わる拍子とテンポ、散りばめられた複雑な和音(時に不協和音)、非常に細かく指示されたディナミーク、いかにも現代音楽ふう、と思いきや、M1「あどけない話」からM4「レモン哀歌」まで一貫してイ短調(終末部はハ長調)、「なるほど」と思いました。

また、平吉氏がこだわったであろう「狂気と正気の間を生き抜いた智恵子」を表すような、不安定な音型が随所に現れ、逆にありのままの智恵子の一切をを包み込む光太郎を表現したであろう部分では、ポリフォニーを避け、ホモホニックな展開。難易度はなかなか高めです。

さて、今回の演奏会。「混声合唱組曲 「レモン哀歌」 より」となっていますので、抜粋での演奏なのでしょう。

会場の渋谷区文化総合センター大和田さくらホールさん、キャパは367席だそうですが、コロナ感染対策として50㌫までの入場制限とのこと。感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

四時半頃賢治の会会場にゆく。「生必」二階。余も十五分ばかり話。会衆多し。後鹿踊を前庭にて見る。


昭和22年(1947)9月21日の日記より 光太郎65歳

昭和8年(1933)のこの日に亡くなった宮沢賢治を偲ぶ賢治祭。岩手在住時の光太郎、ほぼ毎年欠かさず参加していました。

「生必」は「生活必需品組合」。戦時中に全国的に組織された、配給等を管轄するためのもののようです。戦後も配給制度が続いたため、まだ存続していたのですね。

題名に記しました「千葉東葛(とうかつ)地区」とは、千葉県の北西部、元は東葛飾郡と言っていた地域で、現在の松戸市、柏市、流山市、野田市などを指します(茨城県の一部も含むようですが)。「葛飾」という地名は東京都葛飾区が有名ですが、本来はかなり広いエリアで、北は埼玉県で「北葛飾郡」が現存していますし、東は千葉県の東葛飾郡だったわけです。

さて、その東葛エリアに、先週、それから昨日と、2回に分けて足を運びました。自宅兼事務所のある千葉県香取市からは車で1時間半くらいのところです。

時系列とは逆に、まず昨日。柏市に行っておりました。

きっかけは、一昨日の『朝日新聞』さん千葉版。「温泉本・グルメ…多彩な足跡 旅行作家の草分け・山本鉱太郎さん、柏で作品展」という記事が出まして、拝読し、「あっ、これは行かねば」と思った次第です。
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山本氏、平成元年(1989)初演の「オペラ智恵子抄」の脚本を書かれた方です。作曲は仙道作三氏、そして監修は当会顧問であらせられた、故・北川太一先生でした。
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その山本氏の足跡を辿る展示がなされているということで、当方、仙道氏、それから智恵子役を演じられた本宮寛子さん、和田タカ子さんとも親しくさせていただいておりますが、山本氏とはお会いしたことがなく、おそらく会場にいらっしゃるのではなかろうかと思い、行ってみた次第です。

会場は柏市の花井山大洞院さんという寺院内の「大洞院ギャラリー」。柏でも古くから栄えていた地区、野田方面に延びる旧道から少し入ったところにあります。
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立派な本堂。
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その前には、イチョウの巨木。神社ではないのでご神木、というわけではありませんが、江戸時代には既にランドマークだったそうです。色づいたらさぞ見事でしょう。
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ギャラリーは本堂と繋がっていました。
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一室のみで、あまり広くはありません。その空間に、山本氏の足跡が、これでもかとてんこ盛り。
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「オペラ智恵子抄」関連の資料も複数、並んでいました。
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KIMG4966山本氏直筆の脚本原稿、何度か各地で公演されたその時々のパンフレットやチラシ、ポスターなどなど。

案の定、山本氏がいらしていたので、お話しをさせていただきました。まずは北川太一先生のこと。山本氏、千駄木の北川先生宅にも行かれたそうで、そうした思い出など。

それからもちろん作曲の仙道氏についても。山本氏、「オペラ智恵子抄」以外にも、仙道氏とタッグを組んでのお仕事をなさっています。

そして、話は宮城県女川町に。女川町でも「オペラ智恵子抄」が上演されたことがあり、その際、山本氏も女川に行かれていたそうで、勧進元だった故・貝(佐々木)廣氏のお話、オペラ上演のきっかけとなった女川町の光太郎文学碑の話などなど。

また、山本氏、最近は女川に行かれたことはないそうで、東日本大震災から10年経って、女川がどう変わったのかなども。スマホでこのブログから、最近の女川の様子をお見せすると、興味深そうにご覧下さいました。
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こちらが山本氏。

「オペラ智恵子抄」以外にも、山本氏の筆は光太郎に及んでいます。ご自身、流山ご在住で、やはり東葛エリアの手賀沼関連。ここには光太郎も名を連ねた『白樺』の面々が移り住み、一種の芸術村が形成されました。
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その関連の展示。

こちらは山本氏ご著書『白樺派の文人たちと手賀沼 その発端から終焉まで』
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特に、バーナード・リーチとのからみで、光太郎について詳述されています。

あつかましくもこの書籍を持参、サインしていただきました(笑)。
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「オペラ智恵子抄」の楽譜にも。

さて、展覧会の詳細をご紹介します。

熱血の旅行作家 山本鉱太郎展

期 日 : 2021年4月10日(土)~4月18日(日)
会 場 : 大洞院ギャラリー 千葉県柏市花野井1757
時 間 : 10:00~16:30
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

旅行作家山本鉱太郎の著作やそれに関連したものの展示をします。4月11日は「人生思い立った日が青春」の朗読と講演を行います。4月18日は山本さんの台本によるラジオ放送劇「宮沢賢治」の一部の朗読、趣味のハーモニカ演奏などを楽しみます。
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会期残り僅かとなってのご紹介で面目次第もありませんが、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十時頃、花巻の子供賢治の会の連中(二十人余)来る。照井氏と同夫人とが引率。


昭和22年(1947)6月15日の日記より 光太郎65歳

「花巻賢治子供の会」は昭和22年(1947)に結成され、第一回公演が光太郎の山小屋前の野外。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎だそうです。賢治実弟・清六息女の潤子さんなどもメンバーでした。

太田村での公演は、光太郎の慰問がメインの目的だった部分もあったようです。
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3月28日(日)、メインの目的だった「潮見佳世乃起雲閣コンサート 歌物語×JAZZ」を、いよいよ拝聴。会場は熱海市指定有形文化財の起雲閣内に設けられた音楽サロンです。大きな窓から庭園や木立が見え、鳥の囀りが中まで聞こえてきますが、車の音などは無し。都心などでは、こうはいかないでしょう。
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ピアノはベーゼンドルファー。通常のピアノより低音方向に鍵が多いのが特徴です。
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第一部が「智恵子抄」。まずは枕的にご挨拶を兼ねて「智恵子抄」以外の光太郎詩の朗読を、ピアノ・沢村繁氏の即興演奏(?)に乗せて。
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「道程」(大正3年=1914)と「激動するもの」(昭和5年=1930)でした。「道程」は人口に膾炙した作品ですが、「激動するもの」はマイナーな詩で、「これを持ってくるか、さすがに光太郎詩集を隅々まで読まれているな」という感じでした。
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永らく初出掲載紙が不詳でしたが、10年程前、判明しました。甲府で発行されていた『線』という同人誌の第4号(昭和5年=1930  1月)でした。

この後、「智恵子抄」。潮見さんのお父さまの故・高岡良樹氏が始められた「歌物語」というスタイルで、オリジナルの曲に乗せた歌と語りによって、さまざまなジャンルの文学作品等を表現するものの一環です。
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当方、平成27年(2015)に、都内大森で開催された潮見さんの「歌物語コンサート「智恵子抄」」を拝聴しましたが、基本的な構成は同一でした。

曲目は「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」/「風にのる智恵子」(昭和12年=1937/昭和10年=1935)、「値ひがたき智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「亡き人に」(同)。それぞれに叙情性豊かな音楽と、確かな歌唱力に裏打ちされた表現で、「智恵子抄」の、透徹でやるせない、しかし不思議に明るくもある世界観が現出されていました。

第二部は雰囲気ががらりと一変、ジャズのスタンダードナンバー。「east of the Sun」、「You are the sunshine of my life」、「You'd be so nice to come home to」など。
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コロナ禍による公演中止等が相次ぎましたし、趣味で取り組んでいた自分の音楽活動もやめてしまいましたので、この手のコンサートを聴くのは1年数ヶ月ぶり。やはり生演奏はいいものです。

まだ詳細が発表されていませんが、潮見さん、6月20日(日)、千葉市でも「歌物語 智恵子抄」を演(や)られるとのこと。次回は邦楽系の方々ともコラボなさるそうです。近くなりましたら、またご紹介します。

以上、神奈川・静岡レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

ウソの声きこえる。   昭和22年(1947)4月22日の日記より 光太郎65歳

「ウソ」は「嘘」ではなく野鳥の「鷽」。光太郎、大正14年(1925)に、木彫でウソを作りました。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。
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これはかなりの自信作だったようで、自分で懐に入れて持って歩いたそうですし、「まだ健康だつた頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。」(「木彫ウソを作つた時」より 昭和11年=1936)そうです。

もしかすると、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村でウソの声を聞き、智恵子に思いを馳せていたかも知れません。

無観客によるコンサート、そしてオンライン配信の情報です。

蒔田尚昊 歌の世界〜アヴェ・マリアからウルトラマン賛歌まで〜

期 日 : 2021年3月30日(火)
会 場 : 紀尾井ホール
時 間 : 開演15:55
料 金 : ライブ配信/アーカイブ配信 ともに1,000円

作曲家「蒔田尚昊」またの名を「冬木透」・・・歌曲、合唱曲、賛美歌ほか純音楽の世界に ウルトラセブンをはじめ劇版音楽の世界に 数々の名曲とともに燦然たる足跡を刻む 日本を代表するマエストロの「珠玉の歌の世界」

2019年5月に「ウルトラマエストロ冬木透音楽選集」と題し「ウルトラセブン」はじめ幅広いジャンルの音楽が『冬木透60年の軌跡』として収められた10枚組CDが日本コロムビアから発売されました。その機会に、純音楽作曲家「蒔田尚昊」として大切にしてきた魅力溢れる声楽作品を集めた本公演が、くにたちカンマーコールのOBを中心に、親交の深い合唱団に関わる仲間たちによって計画されました。コロナ禍により当初の計画より大幅に開催が延期されましたが、出演者や関係者の心意気と、ファンの皆様のご期待により紀尾井ホールの素晴らしい響きの中で実現することとなりました。

当日は無観客で公演を実施し、ステージの模様をライブ、アーカイブ配信で皆さまにお届けいたします。

【第1部】
ガリラヤの風かおる丘で ノートルダム清心学園中・高等学校校歌 Ave Maria Ⅰ 3つの聖母頌歌より Ⅲ AVE REGINA 管弦楽と室内楽による組曲「アルプスの少女ハイジ」より Ave Maris Stella
【第2部】
神保幸子の詩による歌曲 海/貝/海の子守歌/秋
高村光太郎-詩 智恵子抄 より 樹下の二人/レモン哀歌
若山牧水による三つの歌曲 なつかしき城山の 鐘なりいでぬ・・・/ふるさとの 尾鈴の山の悲しさは・・・/幾山河 越えさり行かば 寂しさの・・・
【第3部】
半田亨雄-詩 きみの笑顔に寄り添って  中山知子-詩 アンデルセン組曲「ある母の物語」より 赤い靴/真珠と人魚/えんどう豆はぜろ/ほか ゾフィのバラード/ウルトラの母のバラード/ウルトラマン賛歌 中山知子-詩 合唱組曲「ハーモニーの輪」

出演
井上由紀(ソプラノ) 大野光彦(テノール) 藤川泰彰(テノール)
江尻弘子(オルガン) 服部容子(ピアノ) 岩波佳代子(ピアノ)法嶋晶子(ピアノ)
レジェンドール(合唱) スターウィンド(合唱・ビデオ出演)
えびな少年少女合唱団(合唱) くにたちカンマーコールOB(合唱)

井上英二(構成・演出/司会)
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蒔田尚昊(まいた・しょうこう)氏。別名が冬木透氏。クラッシック系の作曲の際には「蒔田尚昊」、映画・テレビ関係での作曲では「冬木透」と、お名前を使い分けていらっしゃいます。

一般には「冬木透」での方が有名なのではないでしょうか。何と言っても、「ウルトラセブン」以後しばらくのウルトラシリーズの音楽を手がけてらっしゃいますので。
メインテーマもさることながら、挿入歌の「ULTRA SEVEN」が、放映当時、子供心にも「カッコいい!」と思ったものですし、今聴いても、そのクオリティーには舌を巻きます。
また、「帰ってきたウルトラマン」の挿入歌。通称「ワンダバ」。正式には「MATのテーマ」というそうですが。

当方の中では、「ROCKY」と「燃えよドラゴン」のそれぞれのメインテーマと並び、これを聴くと、いやが上にもやる気を喚起させてくれる名曲です(笑)。

その冬木氏が「蒔田尚昊」名義で、歌曲「智恵子抄」全5曲を作曲されています。「I 樹下の二人」「II あどけない話」「III 同棲同類」「IV 千鳥と遊ぶ智恵子」「V レモン哀歌」です。なかなか「ウルトラシリーズ」の世界と「智恵子抄」が結びつかないのですが、それだけ幅広くやられている点には脱帽ですね。

YouTubeでは「II あどけない話」を見つけました。
今回のコンサートでは、
「I 樹下の二人」と「V レモン哀歌」がプログラムに入っています。そちらは拝聴したことがなく、また、楽譜も刊行されていないようですので、ぜひ聴きたいと思っております。

このコンサート、元々は昨年の3月に開催予定でした。しかし、コロナ禍のため、昨年の12月に延期と発表されました。ところが、この時期はコロナ感染者数の最も多かった時期で、再度延期。三度目の正直で、「今度こそ聴ける、紀尾井ホール、久しぶりだな」と思ったのですが、やはりまだコロナ禍明けやらぬということで、無観客での開催、オンライン配信となってしまいました。当方、この手の配信系には弱く、聴けそうにはありません。残念です。もっとも、一番残念だと思っていらっしゃるのは、蒔田氏ご本人でしょうが……。

視聴できる環境にある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

雨、春雨らし。雪面より水煙立ちのぼり靄となりて雪原を覆ふ。

昭和22年(1947)4月9日の日記より 光太郎65歳

幻想的な風景ですね。

静岡からコンサート情報です。

潮見佳世乃起雲閣コンサート「歌物語×JAZZ」

期 日 : 2021年3月28日(日)
会 場 : 起雲閣 静岡県熱海市昭和町4-2
時 間 : 開場 14:00 開演 14:30
料 金 : 前売券 4,000円 当日券 4,500円

3月28日(日)熱海・起雲閣にて「歌物語×JAZZ」コンサートを開催いたします。
とうとう!語りとジャズを遠征して行います。(笑)
起雲閣は、熱海市指定有形文化財。
1919年に別荘として築かれ、1947年に旅館として生まれ変わり、日本を代表する文豪達に愛されました。
とても素敵な空間です♥️
1部は、高村光太郎の「智恵子抄」
2部は、JAZZライブ
ご一緒させていただきます素敵なミュージシャンは、ピアニスト沢村繁さん。
沢村さんの叙情的なピアノの調べにのせて語り歌います。
春の熱海観光と合わせて、お出かけいただければ幸いです♥️
ご予約お待ちしております。
009
潮見さん、連翹忌にご参加下さったこともおありで、以前から「歌物語コンサート智恵子抄」の公演をなさっています。当方、平成27年(2015)、都内大森での公演を拝聴しました。また、令和元年(2019)には、上野の旧平櫛田中邸アトリエでも上演なさいました。

形態的な大枠を変えずに演(や)る、ということであれば、「智恵子抄」所収の詩10篇程を、オリジナルの曲に乗せ、一つの物語のように紡ぐというスタイルでしょう。

ちなみに会場の起雲閣は、大正時代に三菱財閥岩崎家の別荘として建てられ、戦後は旅館として使われていました。太宰治や志賀直哉、谷崎潤一郎などが宿泊したそうです。現在は熱海市の所有となり、こうしたイベント等にも貸し出されているとのこと。

また、近くには來宮神社さん。境内にある、摂社の扱いの來宮弁財天さんには、光太郎の父・光雲作の木彫弁財天像が祀られてます。光雲作では稀な彩色彫刻です。ただ、通常は非公開のようですが。

ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

二時頃より踊はじまる。甚だ古風な口上などもあり、踊も古風。かなり烈しい身振りの踊なり。子供達や村人等室に充満す。


昭和22年(1947)3月7日の日記より 光太郎65歳

場所は蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村にある高橋家。「田植踊」という民俗芸能の公演があり、それを見に行きました。実際に見て、かなり興味を惹かれたようで、この踊りを元に「田植急調子」という詩を書いています。

福島市で開催され、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアで、「ほんとうの空」の語を冠して下さっている声楽アンサンブルコンテスト。

第1回は平成20年(2008)でした。平成23年(2011)は東日本大震災直後ということあり、中止。平成25年(2015)から、サブタイトルに「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が使われるようになりました。福島の皆さんの切実な思いが込められているように感じられます。そして昨年はコロナ禍のため中止。今年、2年ぶりの開催となります。ただし、コロナ禍明けやらぬ中、一般客への公開は無く、オンライン配信だそうです。

一昨日の『福島民報』さんから。

あぶくま抄 声楽アンコン

 合唱曲「大地讃頌[さんしょう]」は全国で歌い継がれている名作の一つだ。〈母なる大地を讃[たた]えよ、褒めよ、讃えよ土を〉。平和を祈り、土の恵みに感謝する。戦時中、浪江町に身を寄せた詩人大木惇夫の実体験が歌詞の底流にある。
 この雄大で力強い名曲を使い、全日本合唱連盟は実験を試みた。歌声とともに口から出る飛沫[ひまつ]はどこまで飛ぶのか。合唱団員二十人が歌い、最長飛距離は男性が六十一センチ、女性が五十七センチだった。では、ドイツ語のベートーベン「第九」だとどうか。大合唱で知られる曲だけあり、百十一センチを記録した。
 声楽アンサンブルコンテスト全国大会が十八日に福島市で開幕する。新型コロナウイルス感染対策として、ステージ上の出演者は互いに二メートル以上の間隔をとる。実験結果を根拠とする連盟のガイドラインを参考にした。消毒なども徹底し、より安全な環境を目指す。
 昨年は全国規模の主な合唱大会が相次いで中止となった。コロナ禍で歌う喜びを分かち合う方法をみんなで探ってきた。その一歩を合唱王国・福島から踏み出す。一般客は入場できないが、動画を配信する。歌声に込められた情熱と感動は、距離を置く人と人の心を結ぶ。

コンテストの詳細はこちら。

第14回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に。 -

期 日 : 2021年3月18日(木)~21日(日)
      3月18日(木)中学校部門 3月19日(金)高等学校部門
      3月20日(土・祝)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月21日(日)各部門金賞受賞団体による本選
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1 

一般入場券は販売しません。客席へ入場できるのは、当日出演する団体で出演者入場券をお持ちの方のみとします。有料でライブ配信及びアーカイブ配信を行います。

 声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。
 全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催、今大会で第14回目を迎えました。
 本大会の特色として、伴奏楽器及び伴奏の形態が自由で多様な合唱音楽を追求、部門、年代を越えて演奏し合います。また、海外の合唱グループも公募し、音楽を通じて交流を図ります。

 なお、今大会は規模を縮小し、感染拡大防止策を講じながら開催する予定ですが、今後の新型コロナウイルス感染症の感染状況によっては、大会の中止又は内容を変更する場合があります。
※外国人審査員の招聘、海外団体の募集、特別企画(スペシャルコンサート)、プレコンサート、交流会等は実施しません。
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下記は一昨年の第12回大会、本選のダイジェスト。実にハイレベルなのがよく分かりますね。

ただ、苦言を呈させていただければ、以前からそうなのですが、出演団体は発表されるものの、それぞれの演奏曲が事前にわかりません。「この団体が出るから聴きたい」という方も多いのでしょうが、「この曲を演奏する団体があるのなら聴きたい」というニーズも少なくはないと思うのですが、どうでしょうか。

【折々のことば・光太郎】

一五五番地の規君より写真いろいろ届く。自家撮影の小型写真。

昭和22年(1947)2月28日の日記より 光太郎65歳

「一五五番地」は駒込林町一五五番地、光太郎の実家です。「規君」は、実弟・豊周の子息で、後に写真家となった故・髙村規氏。この時満14歳、この頃から既に写真に親炙していたのですね。

『朝日新聞』さん。2面に連載されている「ひと」というコラムがあるのですが、昨日の同欄でフルート奏者の吉川久子さんが取り上げられました

(ひと)吉川久子さん 47都道府県の子守歌を動画配信したフルート奏者

004 子守歌には、その土地の気候や音、方言、風俗といった独特の文化が息づいている。その魅力をフルートの音色に乗せて、お母さんやおなかにいる赤ちゃんに届けたい。こんな思いから、2017年に全国ツアーを始めた。
   三重、千葉、秋田、山梨など10県を回ったところで、コロナ禍により中断を余儀なくされた。そこで、47都道府県に伝わる子守歌を演奏した動画の配信を始めた。曲の歴史を調べると、各地の多様な文化に驚かされた。
 「寝ない子には人さらいがくるよ」。そんな内容の子守歌を祖母や母親が歌ってくれたというおぼろげな記憶が、ライフワークとなるきっかけになった。
 東京都世田谷区生まれ。小学生のころは鳥のさえずりや人の笑い声、救急車のサイレンまでリコーダーでまねた。卒業祝いに買ってもらったのがフルートだった。
 音楽大学で学び、プロへの夢を抱きつつレコード会社で働いていたころから、マタニティーコンサートを続けてきた。それから35年、演奏会は1500回を超えた。娘連れの母親から「この子がおなかにいる時も聴きに来ました」と声をかけられる。
 癒やされるのは親子ばかりではない。「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた。子守歌を聴いて童心に戻ってくれたらと願っている。

吉川さん、かつて「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいました。平成25年(2013)には「こころに残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」。平成27年(2015)には「作曲:野村朗・フルート:吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~」。さらに同年、「智恵子抄」限定でなく、宮沢賢治系や東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」などを含め、東北全般への思いを込めた「こころに残る美しい日本のうた 東北、その豊穣の大地に遊ぶ」。また、平成26年(2014)の第58回連翹忌で演奏をお願いしました。

昨年からはコロナ禍でコンサート開催が減ったことで、動画配信に力を入れられ、記事にもあるとおり47都道府県の「子守歌」にチャレンジなさっています。当方、Facebookで繋がっており、新しい配信があるたび通知が入り、ヘッドホンでBGMとして聴きながらこのブログを書いたりしております。

最新の配信がこちら。「おしんの子守歌」だそうで。


「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた」。やはり音楽には人の心を揺さぶり、癒やす力が厳然としてあるのだと思います。こんな時だからこそ、それがさらに増幅するのかもしれません。

吉川さん、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

朝は日がさしたれど、朝食中に雪となる。やや大きめの雪さかんに降り、木々につもる。

昭和21年(1946)4月15日の日記より 光太郎64歳

4月中旬なのに、ですね。

テレビ放映情報です

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2020年1月14日(木) 17時58分~18時50分

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!今回は感謝を込めて、貴重な想い出シーンをお届けします!

「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「いつもの小道で」梓みちよ・田辺靖雄 「モンパリ」真帆志ぶき 「ガード下の靴みがき」宮城まり子 「幸せは樹のように」宮城まり子 「悪魔がにくい」セルスターズ 「秋葉の火祭り」野澤一馬 「山の人気者」ウイリー沖山 「子供ぢゃないの」弘田三枝子 「人形の家」弘田三枝子 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「僕は泣いちっち」守屋浩 「しらけ鳥音頭」小松政夫 「親父の名字で生きてます」小松政夫

おそらく、1月1日(金)に放映された「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」のダイジェスト版ではないかと思われます。

梓みちよさん、宮城まり子さん、弘田三枝子さん、守屋浩さん、小松政夫さん、皆さん、昨年亡くなった方々ですね。そして二代目コロムビアローズさんも。

元日の12時間歌謡祭では、ご生前の映像。ナレーションは追悼的なもので、新しいテイクでした。
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さらに初代ローズさんとの競演の映像、そして初代ローズさんが二代目ローズさんを悼むインタビュー。
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005二代目ローズさん、享年78歳。いつまで生きれば「早い」と言われないのか、正解はないのでしょうが、初代ローズさんは昭和8年(1933)1月4日のお生まれで、88歳。10歳年下の二代目に先立たれ、お力落としのご様子が伝わってくるインタビューでした。

「智恵子抄」、二代目ローズさんの追悼的な意味合いもあったのでしょうか、1月6日(水)にはラジオ福島さんの「スマイル」という番組で、翌7日(木)にはNHKラジオ第一さんの「武内陶子のごごカフェ3時台 カフェトーク/ごごカフェご当地紅白歌合戦」で、それぞれ流れました。東日本大震災からもうすぐ10年ということもあり、「復興の願いをこめて」という意味合いもあったようです。
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「智恵子抄」、末永く愛され続けてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

土間の北側に雪吹き入る。壁などに点々と雪がつく。椽の下より雪吹き上げる。


昭和21年(1946)2月4日の日記より 光太郎64歳

「椽」は「たるき」、一般には「垂木」と書きます。光太郎の小屋には天井板は張られておらず、杉皮の屋根が内側からもむき出しでした。「壁などに点々と雪」、外壁ではなく、屋内です……。
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テレビ放映の情報です。

まずは過日、訃報が伝えられた二代目コロムビア・ローズさんのご生前の映像が使われる番組を

日本歌手協会新春12時間歌謡祭 第二部

BSテレ東 2021年1月1日(金)  15時00分~18時00分

今年も12時間一挙放送! 170曲以上の名曲の数々、豪華歌手の夢の競演!


曲目1「さらば赤城よ」東海林太郎 「夢淡き東京」藤山一郎 「夜霧のブルース」ディック・ミネ 「ダンスパーティーの夜」林伊佐緒 「玄海ブルース」田端義夫 「ドミノ」ペギー葉山 「柿の木坂の家」青木光一 「小島通いの郵便船」一条貫太 「月がとっても青いから」菅原都々子 「連絡船の唄」市川由紀乃
曲目2「仕方ないのさ」青山新 「長良川悲恋」大城バネサ 「愛し君へ」中川昌也 「鳳仙花」小沢あきこ 「人形の家」弘田三枝子 「VACATION」伊東ゆかり 「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「ヘイ・ポーラ」田辺靖雄・九重佑三子 「ガード下の靴みがき」大石まどか
曲目3「アルペン・ミルクマン(山の人気者)」関大八 「悪魔がにくい」セルスターズ 「ハチのムサシは死んだのさ」セルスターズ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「東村山音頭」下谷二三子 「巴里の空の下 セーヌは流れる」かいやま由起
曲目4「枯葉」美川憲一 「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾 「知床旅情」加藤登紀子 「帰ってこいよ」松村和子 「帰れないんだよ」津軽ひろ子 「南部蝉しぐれ」福田こうへい 「大漁唄い込み」原田直之 「花笠音頭」大塚文雄 「相馬盆踊唄」原田直之・大塚文雄・福田こうへい
曲目5「チャンチキおけさ」三城ゆり子 「名月赤城山」小野由紀子 「のぞみ(希望)」琴けい子 「筑波の寛太郎」福田こうへい 「埼玉県のうた」はなわ 「空港」星星 「東京音頭」三沢あけみ 「さくら貝の歌」倍賞千恵子 「武田節」彩青 「旅姿三人男」白根一男
曲目6「椰子の実」ボニージャックス 「長良川艶歌」五木ひろし 「千曲川」五木ひろし
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続いて、光太郎智恵子には直接関わりませんが……

【連続テレビ小説】エール 総集編003

前編 NHKBSプレミアム 2020年12月29日(火) 7時30分~8時53分
   地上波NHK総合 2020年12月31日(木) 14時00分~15時23分

「エール」の感動をもう一度! 裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)、二人が音楽と出会い、運命に導かれるように結婚し、ともに歩み始めるまでを一挙に見せます!

福島で呉服屋の長男として生まれた裕一(石田星空)は、父三郎(唐沢寿明)のレコードを聴いて西洋音楽を好きになる。豊橋では双浦環(柴咲コウ)の歌を聴いた音(清水香帆)が歌手を夢見る。裕一は作曲の才能を藤堂先生(森山直太朗)に見いだされる。裕一(窪田正孝)は銀行に就職するが、国際コンクールで裕一の曲が受賞したことがきっかけで音(二階堂ふみ)と文通が始まる。そして出会った二人は…


出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 柴咲コウ 古田新太 菊池桃子 光石研 三田和代 志村けんほか

後編 NHKBSプレミアム 2020年12月30日(水)  7時30分~8時58分
   地上波NHK総合   2020年12月31日(木) 15時28分~16時56分

戦争で大切な人たちを失った裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)は、仲間たちとともに平和を願い、新しい時代にエールを送る曲を生み出してく。

日本が戦争に突入し、裕一(窪田正孝)は戦時歌謡でヒットを曲を作り、次第に戦争に巻き込まれていく。そして慰問に訪れたビルマで恩師藤堂先生(森山直太朗)に再会する。しかし、裕一の目の前で藤堂は戦死。戦争の真実の姿を目撃した裕一は作曲できなくなってしまう。戦後、音(二階堂ふみ)は再び歌手への夢を追い始める。劇作家の池田(北村有起哉)がどうしても裕一にラジオドラマの曲を作曲してほしいと依頼する。

出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 中村ゆり 志田未来 北村有起哉 古田新太 菊池桃子 吉岡秀隆ほか

福島出身の作曲家・古関裕而を主人公・古山裕一(窪田正孝さん)のモデルとした「エール」総集編。後編の方で、戦時体制に飲み込まれ、国民を鼓舞する数々の戦時歌謡を発表、戦後になって激しい自己嫌悪と贖罪の念に囚われる古山、それから歌い手であった山崎育三郎さん演じる佐藤久志(二本松の南・本宮町出身の伊藤久男がモデル)らの姿が描かれます。やはり戦後、花巻郊外旧太田村の粗末な山小屋に7年間の蟄居生活を送った光太郎の姿にダブります。

ちなみに山崎さん、平成29年(2017)にWOWOWプライムさんで放映されたドラマ「宮沢賢治の食卓」では、光太郎とも交流があった藤原嘉藤治の役でした。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜はじめて小屋でねる。寒くなし。


昭和20年(1945)11月17日の日記より 光太郎63歳

この日から、約7年間に亘る山小屋生活が始まりました。「寒くなし」。いや、粗壁に障子、天井板も張っていない杉皮葺きのあの小屋では、11月中旬には既に寒かったと思います。ただ、冬をこよなく愛した光太郎には苦にならなかったのでしょう。
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最近いただいた書籍、2点ご紹介します。

まず、文芸同人誌『青い花』第95号。詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様から。
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これまでも光太郎智恵子に関するエッセイや論考等を同誌にたびたび寄稿なさっていて、今号もエッセイ「巴里 パリ PARIS(三)」が掲載されています。
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昨年の6月、フランスに行かれたそうで、そのレポートです。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎が暮らしたカンパーニュ・プルミエルのアトリエや、詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳ったノートルダム大聖堂などが取り上げられています。

奥付がこちら。
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もう1冊、作曲家の仙道作三氏から『音響詩人 宮沢賢治』。氏は平成元年(1989)、オペラ「智恵子抄」なども作曲なさっています。
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音楽家の眼から見た賢治、というコンセプトで、特にコロナ禍の今こそ賢治作品だ、的な。光太郎智恵子にもちらっと触れて下さっています。
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装画はお嬢さんでパーカッショニストの仙道さおりさん。コロナ禍の今、ということでアマビエ様です。
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奥付はこちら。
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それぞれご入用の方、奥付画像をご参照の上、ご対応下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前、西鉛奥の部落からマタギが来る、熊の膽をかつた事のある人。熊の話などきく。

昭和20年(1945)8月3日の日記より 光太郎63歳

「西鉛」は、6月に滞在した西鉛温泉。その際に知り合ったマタギが、光太郎疎開先の宮沢家に訪ねてきたということでしょう。マタギや熊、そして鉛温泉は賢治の童話「なめとこ山の熊」にも登場します。

一週間後の8月10日には、花巻空襲。7月からたびたび空襲警報のサイレンが鳴ったことが日記に記されていますが、まだ呑気に構えていました。バッハの「ブランデンブルグ」レコード(賢治の遺品でしょうか)を聴いたり、賢治実弟の清六らと映画鑑賞に出かけたり……。

昨日、歌手の二代目コロムビア・ローズさんが8月に亡くなっていたというニュースが出ました。

真っ先に報じた『デイリースポーツ』さん

二代目コロムビア・ローズさん8月に死去していた…15年から闘病

008 「智恵子抄」「二十四の瞳」などのヒット曲を持ち、1964年の第15回NHK紅白歌合戦にも出場した、歌手の二代目コロムビア・ローズ(本名・宗紀子)さんが、今年8月16日に心不全のため神奈川県大和市内の病院で死去していたことが7日、分かった。78歳だった。米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていたが、近年は体調を崩し帰国。入退院を繰り返していた。葬儀・告別式は、親族らによる密葬で執り行われた。
 昭和の音楽史の1ページを飾ったスター歌手が、また1人天国へと旅立った。
 関係者によると、米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていた二代目コロムビア・ローズさんは、体調を崩したことから2015年夏に帰国。日本で闘病生活を送っていた。その後は入退院を繰り返していたが、今年8月16日に心不全のため、その生涯に幕を閉じたという。
 体調を崩す直前の2014年11月に日本で出演した「第41回日本歌手協会音楽祭」が、最後のステージとなった。その時はデビュー曲「白ばら紅ばら」、初代コロムビア・ローズと一緒に「東京のバスガール」を元気に歌唱した。
 二代目ローズさんは1942年4月29日生まれ。初代の引退により行われたオーディションで1位となり、62年8月に「白ばら紅ばら」でデビュー。同年11月に初代のヒット曲「東京のバスガール」をリリースし、初代の名を継ぐ人気スターとなった。64年には高村光太郎の詩集をモチーフにした「智恵子抄」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。その後も文芸路線の「二十四の瞳」がヒットした。
 また歌手活動と平行し大学で児童心理学を学び、卒業後は海外に留学。その後はロサンゼルスに拠点を置き、音楽活動に加え後進の指導などを行っていた。年に数回来日しコンサートや「NHK歌謡コンサート」などの音楽番組に出演。なお、二代目ローズさんが最後に出演した14年のステージの模様は、21年元日のBSテレ東「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」の中で追悼企画として放送される。

初代が追悼「年上の私よりも先に逝くだなんて…」

 二代目と長きにわたり親交があった初代コロムビア・ローズは「二代目を選ぶ時、一番声がきれいな子として選んだのが彼女でした。ロスにいた時も『お姉さま元気?』とよく電話をいただいた。先日もふと会いたいな~と思っていたのに、まさか10歳近く年上の私よりも先に逝くだなんて…。心が清らかでやさしい芸能人らしくない子。私より数倍しっかりした女性でした。本当にお疲れさま。ゆっくり休みなさいね」と話した。

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ローズさんというと真っ先に出てくる「智恵子抄」。昭和39年(1964)1月のリリースで、かなりのヒット曲となり、ローズさん、この年の紅白歌合戦にこの曲でご出演なさいました。作詞は智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町ご出身の故・丘灯至夫氏、作曲は故・戸塚三博氏でした。
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翌年にはこのトリオで「二十四の瞳」をリリース。B面が「智恵子のふるさと」でした。
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平成11年(1999)には「智恵子抄」と「智恵子のふるさと」を一本にまとめたカセットテープも発売されました。
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「智恵子抄」のヒットを受け、昭和39年(1964)8月にはソノシートブックが発行されています。題して『智恵子のふるさとを訪ねて◆コロムビア・ローズ愛唱歌集◆』。ちなみに「智恵子抄」は二本松で、現在も防災無線の正午の音楽にも使われています。
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昭和30年代の二本松とその周辺の風景がふんだんに掲載されており、貴重な資料でもあります。
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当時は人手に渡っていた智恵子生家。二本松駅も。
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霞ヶ城址の智恵子抄詩碑。
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阿武隈河畔と岳温泉の鏡ヶ池。
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安達太良山。

「智恵子抄」のヒットにより、観光客増加に貢献ということで、ローズさん、丘氏、戸塚氏へ市から表彰がなされた場面も。
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大隣寺さんにある二本松少年隊の墓、そして昭和9年(1934)に智恵子が療養していた千葉九十九里浜も。

ローズさん、最近、テレビで見かけないとは思っていましたが、アメリカご在住ということで、時折帰国なさってコンサートテレビの歌謡番組などにご出演されるというスタイルだったため、まさか日本で闘病生活をなさっているとは思いませんでした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

午前北上川畔イギリス海岸といへる河原に千代田さんとゆく、焚火などす、


昭和20年(1945)7月3日の日記より 光太郎63歳

「イギリス海岸」は、宮沢賢治が名付けました。ここで亡き賢治を偲んだのでしょう。「千代田さん」は、光太郎同様に宮沢家に疎開していた編集者で、戦後には吉本隆明とも交流がありました。

「智恵子抄」系の音楽情報を2件。

まずはテレビ放映情報です

無料 米津玄師 MV特集

エムオン!HD(CS 203ch) 2020年12月6日(日) 22時00分~23時30分

『米津玄師特集』…8月にリリースしたアルバム『STRAY SHEEP』が大ヒット記録している米津玄師。映画監督の是枝裕和がミュージックビデオの監督を務めた楽曲「カナリヤ」など、彼のミュージックビデオを放送!

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このブログでは、CS放送は基本的に紹介していないのですが、月に1度(第1日曜日前後)の無料放送の日の番組ですので、ご紹介します。

細かな曲目が挙げられていませんが、おそらく米津さん最大のヒット曲、「Lemon」もラインナップに入っていると思われます。2ヶ月程前の同様の放映ではそうでした。以前にも書きましたが、米津さんご自身、この曲は光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)へのオマージュ的な要素もあるとのこと。

MVはYouTube等でも視聴可能ですが、容易にDVDにダビングできるのがテレビ放映の長所。この手の音楽番組、愛車でドライブのお供に活躍しています。ただ、米津さんのものは、2ヶ月程前に録画したものの、ダビングの際にハイビジョンモードとかの余計な設定にしてしまったら、カーナビのDVDプレーヤーで再生出来ませんでした。今回は通常モードでやってみます。

もう1件、9月に発売されたCDをご紹介します

ハーモニカ~心に届く郷愁の音色~

2020年9月24日 コロムビア 税込定価9,900円

宮田東峰が率いてハーモニカの普及に尽力し貢献してきた歴史的バンドのミヤタ・ハーモニカ楽団による楽しい合奏と、長年にわたり“歌うハーモニカ”とも呼ばれ多方面で活躍しプロ活動を続けている達人、大石昌美による名演奏集。青春時代の懐かしい思い出を蘇えらせてくれる心のメロディー“全100曲”をお届けします。
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Disc1 古関裕而&古賀メロディー
 1 船頭可愛や / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 2 高原列車は行く / 大石昌美(オーケストラ)
 3 長崎の鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 君の名は / ミヤタ・ハーモニカ楽団002
 5 夢淡き東京 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 三日月娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 月のキャンプ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 あこがれの郵便馬車 / 大石昌美(オーケストラ)
 9 雨のオランダ坂 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 フランチェスカの鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 影を慕いて / 大石昌美(オーケストラ)
 12 丘を越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 13 人生の並木路 / 大石昌美
 14 湯の町エレジー / 大石昌美(オーケストラ)
 15 誰か故郷を想わざる / 大石昌美(オーケストラ)
 16 新妻鏡 / 大石昌美(オーケストラ)
 17 青春日記 / 大石昌美
 18 男の純情 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 青い背広で / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 三百六十五夜 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc2 日本の抒情メロディー
 1 荒城の月 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 2 真白き富士の根 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 出船 / 大石昌美(ピアノ伴奏)004
 4 青葉の笛 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 5 美しき天然 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 浜千鳥 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 浜辺の歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 宵待草 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 船頭小唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 10 山は夕焼け / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 箱根八里 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 12 椰子の実 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 里の秋 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 紅葉 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 15 平城山(ならやま) / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 16 みかんの花咲く丘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 朧(おぼろ)月夜 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 十五夜お月さん / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 叱られて / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 月の砂漠 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
Disc3 懐かしのメロディー
 1 逢いたかったぜ / 大石昌美(ギター伴奏)
 2 高原の旅愁 / 大石昌美(オーケストラ)
 3 異国の丘 / 大石昌美(ギター伴奏)
 4 上海の花売娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 悲しき竹笛 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 恋の曼珠沙華 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 7 リンゴの唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 8 純情二重奏 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 人妻椿 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 東京の屋根の下 / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 別れの磯千鳥 / 大石昌美(ギター伴奏)
 12 一杯のコーヒーから / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 港シャンソン / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 別れのブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 東京ラプソディ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 東京ブギウギ / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 17 旅の夜風 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 私は街の子 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 ひばりの渡り鳥だよ / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 20 人生劇場 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc4 思い出のメロディー
 1 青い山脈 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 あざみの歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 山小舎の灯 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 雨に咲く花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 哀愁波止場 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 あの丘越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 7 おんなの宿 / 大石昌美(オーケストラ)
 8 未練の涙 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 若い君 若い僕 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 ほんきかしら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 津軽のふるさと / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 北帰行 / 大石昌美(ギター伴奏)
 13 愛の讃歌 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 14 智恵子抄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 林檎の花咲く町 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 花咲く乙女たち / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 東京の人さようなら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 新宿ブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 絶唱 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 東京だョおっ母さん / 大石昌美
Disc5 青春のメロディー
 1 高校三年生 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 若いふたり / 大石昌美(オーケストラ)
 3 アンコ椿は恋の花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 十七才は一度だけ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 女学生 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 涙の連絡船 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 学園広場 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 さよなら列車 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 青葉城恋唄 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 10 なごり雪 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 11 神田川 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 岬めぐり / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 13 北国の春 / 大石昌美
 14 マリモの唄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 襟裳岬 / 大石昌美(オーケストラ)
 16 贈る言葉 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 17 時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 18 少年時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 酒よ / 大石昌美(ギター伴奏)
 20 乾杯 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)

作詞者・作曲者等明記されていませんが、「Disc4 思い出のメロディー」に「智恵子抄」。おそらく二代目コロムビア・ローズさんによる、丘灯至夫作詞、戸塚三博作曲の、昭和39年(1964)にヒットした「智恵子抄」でしょう。

「Disc1 古関裕而&古賀メロディー」。先週放映が終わったNHKさんの連続テレビ小説「エール」で取り上げられた楽曲が多く、タイムリーだなと感じました。

「エール」といえば、劇中でも使われ、最終回のスペシャルコンサートで薬師丸ひろ子さんが熱唱された「高原列車は行く」は、「智恵子抄」と同じ丘灯至夫の作詞です。残念ながらドラマには丘らしき人物は登場しませんでしたが。
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モデルになった「高原列車」は「磐梯急行電鉄(通称・沼尻鉄道)」だそうで、これは昭和8年(1933)、心を病んだ智恵子の療養のため、東北、北関東の温泉巡りをした折、磐梯山の川上温泉にも立ち寄り、その際に利用したと考えられます。
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ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

オルガンの低音部のEに故障を生じかけた。湿気を防ぐに由なき日本室にこんなものを置くのは、東京の動物園に河馬を放飼する様なものだ。

明治43年(1910)9月13日の日記より 光太郎28歳

音楽といえば、光太郎、オルガンやマンドリンの演奏はある程度出来たようですし、留学前にはヴァイオリンも習っていました(あまりものにならなかったようですが(笑))。「こんなものを置くのは」って、置いたのは自分だろ? と突っ込みたくなります(笑)。

注目すべきは「東京の動物園に河馬を放飼する様なもの」。のちの「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)に見られる発想がすでにここに記されています。

同じ年には「智恵子は東京に空が無いといふ」の、「あどけない話」が書かれており、駝鳥にとっての動物園=智恵子にとっての東京という構図も成り立つかもしれません。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「エール」。作曲家・古関裕而をモデルとするドラマです。コロナ禍で収録が中断、再放送が為されていましたが、先月半ばから再開しました。

先週土曜日の『朝日新聞』さんの一面コラムで、最近の「エール」について記述がありました

天声人語 朝ドラの凄惨

朝ご飯を食べながら読んでいる方もいるだろうと思いながらいつもコラムを書いている。残酷な描写はできるだけ避けているが、あえて書く場合もある。戦争の悲惨さを伝えたいときだ▼NHK連続テレビ小説「エール」の作り手も同じことを考えたのではないか。今週放映された太平洋戦争の戦闘場面はあまりに凄惨(せいさん)だった。主人公の作曲家、古山(こやま)裕一が慰問先のビルマで銃撃に巻き込まれ、兵士たちの死を目の当たりにする▼古山のモデルは作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)で「六甲おろし」「長崎の鐘」などで知られる一方、戦中は多くの軍歌を作った。ドラマで戦場の主人公は、戦争の現実を「何も知らなかった」と半狂乱にになる。自分の曲が若者を戦争に駆り立て、命を奪ったと悩む▼実際の古関は実践には巻き込まれなかったが、慰問などで3度従軍し襲撃を受ける寸前まで行った。自分の曲を口にしながら戦った人のことを思い「胸が痛む」と語ったこともある。ただドラマのように激しく自分を責めたのかは、自伝では判然としない▼芸術家や文学者、マスコミの戦争協力は何度も反芻(はんすう)せねばならないテーマだ。自責の念にさいなまれた人も、そうでなかった人もいる。ドラマは、もしかしたら古関の内面にあったもの、あるいはこうあってほしかった古関の姿を描こうとしているのではないか▼フィクションはときに歴史の本質に迫る力を持つ。戦後の古関は人々に希望を与える曲を作り続けた。来週以降どう描かれるかが楽しみだ。
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先週から今週にかけての「エール」、戦争を真っ正面から描き、実にいろいろ考えさせられました。窪田正孝さん演じる主人公・古山裕一の姿に、光太郎がダブるようでした。

裕一のモデルだった古関は音楽、光太郎は詩文と、ジャンルこそ違えど(光太郎にも戦時歌謡の作詞が数曲ありますが)、国民の士気を鼓舞するための作品を大量に世に送り出した点は同じです。
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そして裕一は、ビルマ(現在のミャンマー)へ。そこで、森山直太朗さん演じるかつての恩師と再会します。恩師は予備役の将校として駆りだされていました。
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即席の楽団を編成し、慰問演奏会を開こうとするものの、敵襲。銃弾を受けた恩師は裕一の腕の中で息絶えます。
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ちなみにこの戦場のシーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でした。
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そして終戦。さらに裕一の元に、ショッキングな知らせ。二階堂ふみさん演じる妻の音(おと)の主宰する音楽教室の元生徒で、裕一を慕っていた近所の少年が戦死とのこと。少年は「若鷲の歌」に触発されて予科練に入隊していました。
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このあたり、光太郎が戦後に書いた連作詩「暗愚小伝」の構想段階で書かれた断片「わが詩をよみて人死に就けり」を彷彿とさせられます。

自責の念から作曲が出来なくなった裕一に、 北村有起哉さん演じる劇作家の池田(菊田一夫がモデルですね)が詰め寄ります。
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こうして生まれたのが、「鐘の鳴る丘」。史実では、もっと早く作曲を再開しているのですが、このあたりはドラマ上の演出ということで。
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さらには「長崎の鐘」、夏の甲子園のテーマ曲「栄冠は君に輝く」と繋がっていくのですね。

智恵子を既に喪い、独り身の光太郎は、戦後、花卷郊外旧太田村の粗末な山小屋で7年間の蟄居生活を送り、それを「自己流謫(るたく)」と称しました。「流謫」は「流罪」に同じ。公的には戦犯とされなかった光太郎でしたが、自らを罰したのです。

詩作は続けましたが、自ら「私は何を措いても彫刻家である」と宣言していた彫刻は封印。考え得る最も過酷な罰だったのではないでしょうか。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」で、その封印を解くまでに7年。長かったのか、短かったのか……。

戦時中、翼賛活動に関わったすべての芸術家が、心の中ではすべてそうだったと思いたいものです。

ちなみに先述の通り、「エール」のビルマでの戦闘シーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でしたが、まだ戦前だった先月の放映では、自宅兼事務所から車で5分ほどの寺院でのロケがありました。音の妹・梅(森七菜さん)と、のちに夫となる五郎(岡部大さん)のシーンです。のべ3日間、使われました。
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こちらがその寺院、妙光山観福寺さん。
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こちらは平成26年(2014)のやはり朝ドラ「花子とアン」(吉高由里子さん主演、そういえば窪田正孝さんもご出演なさっていました)でもたびたび使われましたし、本堂は平成25年(2013)の大河ドラマ「八重の桜」(綾瀬はるかさん主演)で、京都の会津藩本陣・金戒光明寺として使われました。

郷土の偉人・伊能忠敬の参り墓(地元の遺族がお参りするための墓。正式な墓は都内です)などもあり、いいところです。昨日ご紹介した、新たに重要文化財に指定される犬吠埼などとも同じ圏内、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】009

日本の芸術といへば外国人はすぐに浮世絵とか三味線といつたものを連想する、珍しいもの、変つたものだけが日本の芸術だと思つてゐる

談話筆記「(日本の芸術といへば)」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

日本にも素晴らしい芸術がたくさんあるんだ、と、まあその通りですね。

ここで終わっていればいいのですが、この後、「これだから日本の国威が外国に宣揚されないのです、もつと日本芸術の本当の厚みとか深さといふものを彼等に知らせて精神的な圧力を加へてやりたい、このために日本芸術による国威を海外に示したいものだ」と続き、やはり戦時だなぁ、と思わせられます。

今日の朝刊に、元歌手の守屋浩さんの訃報が出ていました

守屋浩さん死去 「僕は泣いちっち」

 守屋浩さん(もりや・ひろし、本名邦彦〈くにひこ〉=歌手)19日、前立腺がんで死去、81歳。葬儀は近親者で営んだ。
 59年発売の「僕は泣いちっち」が大ヒットし、60年から4年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。ホリプロ(当時は堀プロダクション)の第1号タレントで、76年に引退した後は、同社(当時はホリプロダクション)の取締役宣伝部長に就いた。2年前に前立腺がんであることがわかり、静岡県伊東市
の施設で療養していた。
朝日新聞 2020/09/24


芸能関係者は一般紙よりスポーツ紙の方が詳しく出ますので、調べてみると
、『日刊スポーツ』さんがかなり詳しく報じていました

ホリプロ第1号タレント守屋浩さんが死去 81歳

017 1959年発売「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られ、歌手として活躍した守屋浩(もりや・ひろし)さんが19日に前立腺がんで亡くなっていたことが23日、分かった。81歳だった。
 守屋さんは57年にウエスタンバンド「スイング・ウエスト」にバンドボーイとして加入。58年に同バンドのリーダーだった堀威夫氏(87)からボーカルに抜てきされた。初ステージで一躍女性ファンの注目を浴びて人気メンバーとなった。
 59年に「泣かないで帰ろう」でソロデビューし、同年「僕は泣いちっち」が大ヒットしたことで、60年に同曲で紅白歌合戦に初出場。そこから4年連続で出場を果たした。映画にも20作以上出演した。
 大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントでもあった。60年に堀氏が立ち上げた「堀プロダクション」(現・ホリプロ)に所属。76年に引退後はホリプロ社員に転身し、宣伝部長などを歴任。榊原郁恵(61)深田恭子(37)綾瀬はるか(35)石原さとみ(33)らを発掘した、現在にも続く同社の柱事業「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の立ち上げに携わり、第1回実行委員長を務めた。
 ホリプロによると、2年前に前立腺がんが発覚。自宅のある静岡県伊東市内の施設で療養していたが、19日午後6時30分に亡くなったという。22日に近親者のみで家族葬を執り行った。

◆守屋浩(もりや・ひろし)1938年(昭13)9月20日生まれ。1959年「泣かないで帰ろう」でデビュー。ホリプロ第1号タレント。76年に引退し、ホリプロ社員に転身した。

守屋さん、昭和39年(1964)に、クラウンレコードから「磐梯山の智恵子」という曲をリリースなさいました。モチーフは「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインが印象的な光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)です。
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B面は苅田千賀子さんという方の「智恵子」。こちらは「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)からのインスパイア。
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作詞は坂口紀さん、作曲は瓜生田和孝さん。ともに当時、東大生だったそうです。残念ながらそれほどヒットしなかったようで、YouTubeなどには見あたりませんでした。

昭和39年(1964)というと、二本松市民のソウルソング、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)も同じ年です。たまたま同じような企画がかち合ってしまったらしいのですが、その件について当時の『週刊朝日』が報じています。

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ちなみにこの号、表紙は水泳の故・木原光知子さん。裏表紙はこの年開催の東京オリンピックを見据えてカラーテレビの広告でした。時代を感じますね(笑)。
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それにしても守屋さん、引退後にスカウト系の方に行かれていたというのは存じませんでした。それから、離婚されたということで訃報に記述がありませんが、佐藤春夫作詞による、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を題材にした「湖畔の乙女」を歌われた本間千代子さんは元の奥様だったとのこと。奇縁を感じます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

宮沢賢治さんはノーベル賞を受けられてもいいほどの人です。日本から文学方面のノーベル賞候補者をあげようという場合、宮沢さんを推薦しようと考えています。
談話筆記「高村光太郎先生説話 十」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

9月21日(月)は、賢治の命日ということで、本来であれば花巻で賢治祭が開催されているはずでしたが、例によってコロナ禍で中止だそうで……。

ノーベル賞、故人には贈られないという規定がありますが、光太郎、それを知らなかったのか、あるいはその規定が出来たのはこの後だったのか、そのあたりは判然としませんが……。

昨日の『沖縄タイムス』さんの記事から

沖縄の実力派アイドルら舞台躍動 魅力オンラインでの生配信、笑顔届ける

 「GFO(GiRLS FES OKiNAWA)」が12日、那覇市のOutput(アウトプット)であった。無観客、オンラインでの生配信ライブで県内女性アイドルグループや歌手、ダンスクルーら4組が画面越しのファンに笑顔とクオリティーの高いパフォーマンスを届けた。(学芸部・西里大輝)
 
 「RYUKYU IDOL」のまいちゆう(26)、こうあ(17)、まり(22)、はるぱん(18)、しゅり(19)の5人はスマイル満開で、オリジナル曲「ミライ」など計9曲を40分間ノンストップで歌い、ステージを躍動。沖縄発アイドルの実力を見せつける。
 続くMATSURI(18)は透明感のある歌声と確かな歌唱力で存在感を示す。詩人・高村光太郎の詩をアレンジしたオリジナル曲「最低にして最高の道」は切ない語り口で心を揺さぶった。
 静かな余韻は、hanaとmionの激しいダンスで一転する。レゲエや洋楽、K・POPの曲を息の合ったキレのある動きでエモーショナルに踊りきり、ライブに熱気をもたらす。
 最後は「Lollipop(ロリポップ)」の比嘉琉那(17)と花城奈央(15)が「Alright」「Let’s」などノリノリのダンスチューンでステージを彩る。笛を吹き、タオルを回してのコール&レスポンス。爽やかさな笑顔でファンの声援に応えた。
 GFOはテレビ番組のディレクターでイベントプロデューサーの金城光生(てるみち)によるプロジェクト。県内で活躍するガールズユニットや女性シンガーらのライブを定期的開催し、魅力を発信してきた。金城プロデューサーは「みんな実力が高く、金の取れるパフォーマンスをしている。そのことを知ってほしい」とし、今後も若いアイドルのステージを提供していきたいと力を込めた。
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017MATSURIさんという方が、光太郎詩「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)に曲を付けた歌を歌われたそうです。

この詩、光太郎詩の中ではそれほど有名な作品ではありませんが、クラシック系の歌曲にもなっていたり、朗読CD(小林稔侍さん森田成一さんなど)にも収められたりしています。また、今年はコロナ禍のため中止となりましたが、毎年5月の花巻高村祭でも、花巻高等看護学校の生徒さんが、やはりこの詩に曲を付けた歌を斉唱なさったりもして下さっています。

さて、MATSURIさんの「最低にして最高の道」。動画投稿サイトYouTubeにアップされていました。最初、『沖縄タイムス』さんの記事を読んだ時、サムネイルの画像がグループアイドル系さんが歌って踊って的な(一番上の画像)だったので、「最低にして……」もシャカシャカ系かと思っておりましたが、さにあらず。しっとり系のバラードでした。記事にも「切ない語り口で心を揺さぶった」とありましたね。

動画ありのバージョン。
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動画無しのバージョンもあり、カバー動画を募集しているそうです。



作曲されたKAITOさんという方が歌われているバージョンも。



詩としての「最低にして……」は、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のある翼賛詩なのですが、そういう背景を抜きにして読めばそれなりにいい詩です。

逆に言うと、「八紘一宇」だ、「大東亜共栄」だ、「進め一億火の玉だ」といった言葉を使わなくともそういう意図を表してしまえる光太郎の詩才に舌を巻かされますが……。

残念ながらCDにはなっていないようで、CD化を希望します。

【折々のことば・光太郎】

木彫のものはオノでわって、ストーブにくべてしまいました。石膏などであったら、一撃を加えて跡形もなくなってしまいます。そんなものでしたから、いまに残っている作品は少ないのです。これは僕のひとつの病気とでもいうものだったんでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 九」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

気に入らない制作はどんどん壊す。芸術家あるある、ですね(笑)。クオリティーを保つためには必要なことなのかも知れません。

さらに言うなら、昭和20年(1945)の空襲で、残っていた作品のほとんども焼けてしまいました。

新着情報系、無くはないのですが、一旦休止しまして、2~3日、「最近手に入れた古いもの」をご紹介します。

本日は、昭和43年(1968)発行のソノシート。

発端は、当会会友にして劇作家・女優の渡辺えりさんがご出演なさったテレビ番組「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺えり×石原正康」。8月22日(土)、BS朝日さんでオンエアされました。

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渡辺さん、お父様が光太郎と交流があり、幼い頃から光太郎の詩を聞かされて育ったとのことです。そしてご実家に飾られていた光太郎の肖像写真を、実のおじい様だと思いこんでいたそうで(笑)。ご自身も光太郎を主役とした演劇「月にぬれた手」を作られたり、連翹にも足繁くご参加下さったりしています。

そのお父様の件が話題になるかな、と思って拝見していましたところ、案の定でした。

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渡辺さん、お父様と光太郎の件は、これまでもさまざまなメディア等で語られていました。

ところが、今回の番組では、それに加えてまったく別の文脈から光太郎の名。それは……

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小学生の頃から、沢田研二さんの大ファンだったそうで……

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「あれする」というのは、「応募券的なものを集めて送る」という意味のようです。

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「ソノシート」とか「ちっちゃいプレーヤー」とか、1960年代「あるある」ですが、若い人はおわかりになるかどうか(笑)。

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「声」は、沢田さんの声です。

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するとここで、光太郎。

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なるほど。

この話は初めて伺いまして、気になって調べてみました。

すると、「某製菓」は「明治製菓」さん。昭和43年(1968)頃にザ・タイガースさんのソノシートがもらえるというキャンペーンを展開していたそうです。ソノシートは5種類、ザ・タイガースさんのメンバーが5人でしたので(岸部一徳さんがリーダーでしたね)、それぞれが「主役」のもの1種類ずつだったようです。

沢田さんは「あなたにささやくジュリー」。音声が動画サイトYouTubeにアップされていました。



光太郎の件は、0:42あたりから。

さて、そうなると、このソノシート自体も手に入れたいと思い、探してみましたら、意外にあっさり見つかりました。

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B面が「お部屋でおしゃべりタイガース」。5人のメンバー総出演です。おそらく5種類共通なのでしょう。こちらも聴いてみましたが、残念ながら誰が誰だか分かりません(笑)。渡辺さんなら、「あ、これがジュリーよ!」とすぐわかるのでしょうが(笑)。さらにおそらく当時の明治製菓さんのCMソングも入っていました。

そしてA面が「あなたにささやくジュリー」。

いやー、レトロです(笑)。

それにしても、タイガースさんより少し後の、西城秀樹さん野口五郎さんなどにも光太郎がらみのお仕事がありましたが、昔の歌手の皆さんはそうだったのですね。まあ、昔に限らず、そういうテイストが桑田佳祐さん米津玄師さんあたりに受け継がれているのかも知れませんが。

明日も「最近手に入れた古いもの」シリーズで行かせていただきます。


【折々のことば・光太郎】

人が見てゐなければどんな事でもする。法律に触れなければどんな不都合でもはたらく。露見しないうちはどんな賄賂でもとる。此の一聯の卑屈な、被圧迫民的、劣等感所有者的、素町人的な非倫理的根性が国民の間に瀰漫してゐるうちは、文化について云々する事すら馬鹿げてゐると思ふほどやり切れない気持に時々襲はれる。

散文「倫理の確立」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

現代においても状況は殆ど変わっていないような……。いや、「法律に触れなければ」でなくて「法律に触れようが」だったり、「法律に触れるなら法律の方を変えて」だったりする分、悪質化しているのかも知れません。

J-POPアーティスト・米津玄師さんのニューアルバム「STRAY SHEEP」を購入しました。

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ブルーレイ/DVD、アートブックなどの付録がいろいろ選べるさまざまな「○○盤」が出ていますが、CDのみの通常盤を買いました。

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米津さんご自身が、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっている「Lemon」をはじめ、「カムパネルラ」、そして表題作の「迷える羊」など、近代文学の香りがプンプンします。

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念のため書いておきますが、「カムパネルラ」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の登場人物、「迷える羊(STRAY SHEEP)」は夏目漱石の「三四郎」で、ヒロインの美禰子が口にするセリフです。さらに遡れば元ネタは「聖書」ですが。また、蛇足ながら美禰子のモデルは、智恵子に『青鞜』の表紙絵を依頼した日本女子大学校の先輩・平塚らいてうとも言われています。

その他、ドラマやCMのタイアップソングが多いので、いつの間にか耳にしていた曲がいろいろ収録されており、コアなファンの皆さんにとっては「何を今さら」なのでしょうが、当方など、「ああ、この曲も米津さんだったか」というものが複数ありました。

 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

アルバム全体を貫く一本の芯のようなものと、それぞれ違った彩りを見せる各曲のテイストと、そのあたりのバランスが絶妙だな、と感じます。そういう意味では、優れた詩人の「詩集」にも通じるところがあるのではないでしょうか。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

このさき、どうして金をとつて勉強していゝか、初めて世の中へ抛り出されて途方に暮れながら、第五街の下宿の窓から、街路の突き当たりに、まんまろく出た満月を見て、故郷の父母弟妹のことを思ひ、止度(とめど)なく涙の出たのを忘れません。

アンケート「私が一番深く印象された月夜の思出 文芸家三十六氏の回答」より
大正11年(1922) 光太郎40歳

雑誌『主婦之友』第六巻第十二号掲載。アンケート全体の題名以外に、各回答者の回答に小題が別に付けられています。光太郎の項は「紐育の満月」。明治38年(1905)、3年半にわたる海外留学の、最初に落ち着いたニューヨークでの思い出です。

無理くりですが、米津さんの歌の歌詞になりそうなシチュエーションですね(笑)。

J-POPアーティスト米津玄師さんのニューアルバムが発売されます。 

2020年8月5日(水) ソニーミュージック

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通常盤 CD only ¥3,000+税  おまもり盤 初回限定CD+ボックス+キーホルダー ¥4,500+税
アートブック盤 初回限定CD+Blu-ray or DVD+アートブック ¥6,800+税


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CD
 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

Blu-ray・DVD(「アートブック盤」のみに収録)
 LIVE VIDEO 米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃
  01. Flamingo / 02. LOSER / 03. 砂の惑星 / 04. 飛燕 / 05. かいじゅうのマーチ /
  06. アイネクライネ / 07. 春雷 / 08. Moonlight / 09. fogbound / 10. amen / 11. Paper Flower /
  12. Undercover / 13. 爱丽丝 / 14. ピースサイン / 15. TEENAGE RIOT / 16. Nighthawks /
  17. orion / 18. Lemon / EN1. ごめんね / EN2. クランベリーとパンケーキ / EN3. 灰色と青

MUSIC VIDEO
 01. Lemon / 02. Flamingo / 03. TEENAGE RIOT / 04. 海の幽霊 / 05. パプリカ / 06. 馬と鹿


問題は(って、問題があるわけではないのですが(笑))、「Lemon」。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。


ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

唯のほほんとした明るさでは困るが内に確かな覚悟を持つた上、百難を踏み越える心の明るさをほのぼのといつも身につけてゐることは、今日のやうな時代には殊に望ましい。その明るさはおのれ自身を好ましいものにさせると同時に、その周囲にゐるものをまで何となく心ゆたかにさせる。真の明るさは無敵である。

散文「『職場の光』詩選評 十二」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「今日のような時代」は戦時中という意味ですが、コロナ禍の現在にも通じるような気がします。

都内からコンサート情報です。 

期 日 : 2020年8月10日(月・祝)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 14:00~16:00 開場13:30
料 金 : 一般5,500円 学生席2,700円 全席指定

出 演 : 小林沙羅(Sp)  河野紘子 (Pf)  見澤太基 (尺八)  澤村祐司 (箏)

曲 目 :
 武満徹 : 小さな空 (詩:武満徹)
 山田耕筰 : この道 (詩:北原白秋)
 山田耕筰 : 赤とんぼ (詩:三木露風)
 山田耕筰 : ペチカ (詩:北原白秋)
 中田章 : 早春賦 (詩:吉丸一昌)
 越谷達之助 : 初恋 (詩:石川啄木)
 武満徹 : 死んだ男の残したものは (詩:谷川俊太郎)
 中村裕美 : 「智恵子抄」より (詩:高村光太郎)
          或る夜のこころ  あなたはだんだんきれいになる  亡き人に
 早坂文雄 : うぐひす (詩:佐藤春夫)
 瀧廉太郎 : 荒城の月 (詩:土井晩翠)
 宮城道雄 : せきれい (詩:北原白秋)
 宮城道雄 : 浜木綿 (詩:宮城道雄)
 井上武士 : うみ (詩:林柳波)
 橋本国彦 : お六娘 (詩:林柳波)
 橋本国彦 : 舞 (詩:深尾須磨子)
 小林沙羅 : ひとりから (詩:谷川俊太郎)

CDアルバム「日本の詩」制作のきっかけとなったのは、2018年8月浜離宮朝日ホールでのランチタイムコンサートでした。私にとって、そして日本語を母国語とする私たちにとって、日本の歌は魂に結びついたとても大切なものなのだということを、強く感じたのでした。今回、アルバム「日本の詩」発売記念リサイタルを、浜離宮朝日ホールで開催できる日を、心から楽しみに思っています。 3月に開催予定だったこのリサイタルが延期となり、演奏会のない毎日を過ごす中で、どれだけ音楽が、歌が、私にとって大切なものであったか、生で演奏会を開き、お客様と一緒に時間と空間を共有する事がどれだけ掛け替えのない事であったのかを、改めて感じます。8月10日に演奏会を開催する事ができ、お客様皆さまとお会いできる事を心から願っています。 皆さまどうぞご自愛ください。そしてコンサート会場でお会いしましょう!8月10日のコンサートが、祈りと感謝と喜びに満ちたコンサートになりますように。

本公演は2020年3月12日(木)に予定されておりました公演の振替となります。当初、中止となった公演のチケットをお持ちの方はそのままご入場いただけますとご案内いたしましたが、ソーシャル・ディスタンスの観点により、お座席の間隔を空けての実施となりましたので、3月の公演チケットではご入場いただけません。3月のチケットをお持ちの方は払戻手続きの上、新たに本公演のチケットをお買い求め下さい。

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上記説明にある通り、昨秋リリースされた3rdアルバム「日本の詩(うた)」のリリース記念として、3月に開催予定だった公演が新型コロナの影響で延期となったものです。光太郎詩に曲をつけられたものも、「或る夜のこころ」はCDにも入り、福島県棚倉町でのNHKさんの「クラシック倶楽部 小林沙羅&山本耕平 デュオ・リサイタル」公開収録でも演奏されましたが、それ以外に「あなたはだんだんきれいになる」と「亡き人に」もラインナップに入っています。作曲は中村裕美さんという方です。



ご都合の付く方、コロナ対策を充分になさった上で、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

愛こそは詩を生む母胎である。感情に甘えてはいけないが―。

散文「『職場の光』詩選評 十」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

小林さんの演奏された「或る夜のこころ」。『智恵子抄』所収の詩篇が元ですが、大正元年(1912)、智恵子への揺れ動く「こころ」を謳った詩です。光太郎数え30歳、遅まきながら初めての真摯な恋愛「感情」に「甘え」ることなく、必死で抑えようとして抑えられない、そういった苦悶も見て取れます。

本日も「最近手に入れた古いもの」シリーズです。

本日はアナログレコード。昭和38年(1963)リリースの「高石かつ枝愛唱集」。

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過日ご紹介した「野口五郎 増刊号」同様、LPレコードです。レーベルはコロムビアさん。

全8曲中の「初恋」という歌が、「智恵子抄」、安達太良山、阿武隈川、そういった内容になっています。

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作詞は丘灯至夫。智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町の出身です。二代目コロムビア・ローズさんのヒット曲にして、二本松市民のソウルソング「智恵子抄」も丘の作詞でした。

ところが「智恵子抄」は昭和39年(1964)のリリースで、それより1年早く、この「初恋」を含む「高石かつ枝愛唱集」が出ています(「初恋」はシングルカットされていません)。いわば「智恵子抄」の原型のような感じですね。

「初恋」、平成22年(2010)発売の「青春スター~ときめきのヒロイン~3 高石かつ枝 旅の夜風」というCDに収録されており、以前に入手しているので、聴いたことはあったのですが、やはりオリジナルのレコードがほしい、と思って購入しました。

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それから昨日気付きましたが、Youtubeにもあがっていますね。


ところで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」への讃歌として昭和28年(1953)に佐藤春夫が作詞し、本間千代子さんの歌でレコード化された「湖畔の乙女」(昭和39年=1964)という歌があります。当初は本間さんではなく、高石さんの歌でレコーディングまで済んでいたのが、高石さんの移籍(コロムビア→クラウン)に伴い、歌手が変更になったとのこと。



どちらもコテコテの「懐メロ」という感じですね。コテコテついでに(笑)二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」も貼っておきます。



ところで高石さん、「おとめの像」(昭和39年=1964)という歌も歌われています。こちらは十和田湖の乙女の像ではなく、北海道稚内にたつ「九人の乙女の像」(昭和20年=1945 8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑)をモチーフとした歌です。像(レリーフ)は、光太郎のDNAを受け継ぐ彫刻家の一人、本郷新が制作に当たりました。

NHKさんの朝ドラ「エール」で、この手の(現在のところ、もう少し前の時代ですが)懐メロに光が当たっています。ある部分では「文化遺産」的な要素もあるわけで、いずれは「保存」とか「伝承」とか「××遺産」とかいう話になっていくのでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

美いづくにありや 美腹中にあり 
短句揮毫 戦後期 光太郎65歳頃

花巻温泉で色紙に揮毫した句です。

新型コロナの影響で、各種イベント等の中止や延期が相次ぎ、またしてもネタ不足に陥っています。

そこで、少し前にもこれでしのぎましたが、「最近手に入れた古いもの」シリーズ。特に急ぎの情報が入らなければ、しばらく続けます。

今日ご紹介するのは、昭和6年(1931)5月1日発行『童謡詩人』(大分市大道町五丁目  童仙房内 新興日本童謡詩人会 編輯兼発行者後藤楢根)復刊第一号通巻第二十五冊。


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こちらに、筑摩書房さん『高村光太郎全集』、その補遺たる「光太郎遺珠」ともに未掲載の光太郎の文章が載っていました。題して「藻汐帖所感」。過日ご紹介したブロンズ彫刻の代表作「手」に関する散文「手紙」(大正8年=1919)と同様のケースです。


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若干長いのですが、全文をご紹介します。

 童謡は深く到つた詩人であつてはじめて書ける。童子の無心の作に、時に魂をうつものゝある事は事実であるが、此は問題外とせねばならぬ。此は自然に於ける風の声、水の音と等しい芸術以外の神韻である。童子は間も無くその天籟を失ふ。地上に落ちる。落ちる事が即ちわれわれの問題圏内に突入する事である。

われわれ」は繰り返し記号「〱」を使用していますが、横書きのこのブログでは表記できません。

ここにあるように、子供が時折、大人をはっとさせるような言語表現をすることがありますが、それを「天才詩人」としてしまうのは危険です。まだ言語体系がしっかり身についていない子供だからこそ、大人が思いつかないような比喩やオノマトペなどを自然と口にするのであって、意識してのものではないからです。光太郎、その点、よくわかっていますね。

 天性的に、生涯、童子の性情を失ひ切らぬ者がある。かゝる種類の詩人こそ、天成の童謡詩人で、童謡とは本来斯の如き詩人にのみ許された詩の一ジヤンルであつて、斯の如き詩人以外の詩人の筆のすさびに成る、童子の発想法を模倣した片言まじりの詩の如きは、極言すれば童謡の冒涜に過ぎない。

ここで具体名は書かれていませんが、他の文章では「童子の性情を失ひ切らぬ」詩人の例として、光太郎は盟友・北原白秋の名を挙げています。

 元来童子は成人しようとする猛烈な意慾を持つて居り、決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。常に年齢以上の智慧と知識と情感とにあこがれ、一日も早く人生の全幅にその視野をさらさうとしてゐるものである。その全力を傾けて自然と人生とに間断無き探求をつゞけてゐるのが、あの童子特有の「なぜ」であり、「それから、それから」である。この張り切つた力の間からこそ童子の天籟たるあの自作童謡も生れる。
 童子は決して、詩人が童子の稚態を模倣揣摩したやうな、力をぬいた童謡をありがたいとは思はない。さういふものを弄ぶ事はあらう。けれどしんから其に喜を感じはしない。全力をあげて詩人自身が詩人自身の生活を生きる時、その裸心から生れたやうな詩にのみ真の満足を得る。尠くともさういふ童子のみがたのもしい。
 詩人の境地も亦一度天籟を失ふ。落ちる。落ちてから詩人の真の鍛錬がはじまる。心と技との鍛錬である。この鍛錬に耐えた詩人はつひに再び童子の前に恥ぢなくてもいゝ境涯を獲得する。転落以前の天籟に比して、この以後の境涯こそ人間にとつて一層親密であり一層喜の大なるものである。

当方、子供の頃、子供におもねるような易しい絵本は嫌いでした。子供心に「子供と思ってなめるなよ!」という反発心があったのです。まさに光太郎の言う通り「決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。」というわけで、少し難しくても、しっかりと内容のあるものが好きでした。今でもよく覚えているのは、4、5歳の頃好きだったスサノオとヤマタノオロチの神話の絵本です。

それから、文章ではありませんが、ミニカー。子供向けにデフォルメされたそれには見向きもしませんで、精巧な何十分の一スケールといった本物そっくりのものを好んでいました。

これら、異論はありましょうが。

 平木二六君の「藻汐帖」を通読して感ずるものは、其が徒に童子の言葉をかりて童子の心を迎阿するやうな詩でない事である。此は確に平木君のつきつめた詩であり、しかも其が同時に童子の心を含むものである事である。童子は此等の詩によつて甘やかしてもらへないであらう。けれど童子は此等の詩によつて叡智の満足を得るであらう。又は叡智に滴る詩情への促歩を感ずるであらう。平木君の此等の詩の謡はれてゐるミリユウは平木君独特の俳諧的風趣、田園侘住居的情趣に満ちてゐる。此は平木君の生活自身から必然に生れたのであつて、容易く第三者の容喙し得ないところである。平木君は更に廣い人生に果敢の歩を進めてゐる。「藻汐帖」一巻は此気稟高き詩人の或る期間に於ける好個の記念となるに違ひない。私はかゝる境涯を既に持ち得た者の今後の前進をたのしく見守つてゐる者である。

ここからが本題で、題名にある『藻汐帖』。平木二六(じろう 本名は同じ字で「にろく」)という詩人の詩集です。その名は『高村光太郎全集』にありませんで、当方、寡聞にして存じませんでしたが、室生犀星に師事した詩人だそうです。『藻汐帖』は、『童謡詩人』巻末に広告が載っており、それによれば『童謡詩人』とおなじ童仙房から昭和5年(1930)に刊行されています。副題的には「平木二六童謡集」とのこと。

ミリユウ」は「環境」を意味する仏語「milieu」です。

(作品について一言すると、材題のひろく感情移入の強い第一部のものも面白いが、第二部の日常茶飯詩に深い、巧みな表現があり、更に第三部の幽遠な俳諧に至つてはまつたくユニツクな境地を拓いてゐる。
   霜に割れる
   谺
   月に
   届く
 といふ「寒村餅搗図」の如きその好適例である。)

これで全文です。

この手の光太郎の評論、実によく対象の本質を捉え、的確に表しています。書評とはかくあるべし、ですね。

『童謡詩人』、主宰していたのは後藤楢根なる人物。こちらも『高村光太郎全集』人名索引にはその名が無く、未知の人物でした。大分で教師の傍ら児童文学作家としても活躍していたそうです。同誌には三木露風、与田準一らも寄稿していたとのこと。

光太郎の寄稿もこの「藻汐帖所感」のみではなく、昭和4年(1929)11月20日号にも「佐藤実遺稿童謡集『茱萸原』読後」なる短評を寄せていました。そちらは『高村光太郎全集』第20巻に既収です。もしかすると、まだ未知の文章が『童謡詩人』の他の号に載っているかも知れません。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

無二無三の道  短句揮毫 昭和15年(1940)頃 光太郎58歳頃

言い換えれば、唯一の道、でしょう。己の進むべきベクトルをこう表現できるというのも、ある意味、凄いことかなと思います。ただ、この後は太平洋戦争という魔物が口を開けて待っていたのですが……。

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