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一昨日、「智恵子講座’13」のため福島・二本松に行きました。はるばる大阪から高村光太郎研究会所属の西浦基氏もおいでくださいました。
 
午前中でそちらが終わり、午後、西浦氏が二本松は初めてだというので、当方の車にて二本松の光太郎・智恵子ゆかりの地をざっとご案内しました。
 
これから二本松方面に光太郎・智恵子探訪に行かれる方、参考になさってください。
 
まずは「智恵子講座」会場の二本松市交流センターに近い二本松駅前からスタートしました。
 
平成21年に建てられた銅像「ほんとの空」。智恵子がイメージされています。すぐ近くには、昭和51年に作られた「あどけない話」の一節「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」を刻んだ詩碑。
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その後、車で北上、二本松城址へ。ここには昭和35年に建立された詩碑があります。
 
もともとあった「牛石」という大きな石にブロンズのパネルがはめ込んであり、1枚は「あれが阿多多羅山 あのひかるのが阿武隈川」、もう1枚に駅前の詩碑と同じ「あどけない話」のワンフレーズ。さらに草野心平の筆になる碑陰記もついています。
 
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その近くには、蓮の花が咲く池があり、ほとりには立派な藤棚があります(もう藤は散ってしまっていますが)。説明版によれば、この藤は智恵子の生家の庭にあったものを移植したとのこと。
 
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ちなみに、この日のNHK大河ドラマ「八重の桜」。帰ってから録画で見ましたが、サブタイトルが「二本松少年隊の悲劇」。史実かどうかわかりませんが、綾瀬はるかの八重がかつて射撃を教えた二本松藩士の子供たちによる二本松少年隊が薩長軍に撃破されるというストーリーでした。
 
そうした戊辰の頃にも思いをはせながら、二本松城址を後にし、旧安達町エリアへ。
 
こちらでは智恵子の生家、智恵子記念館、裏手にある智恵子の筆跡を刻んだ「熊野大神」碑、さらに裏手にある「樹下の二人」碑、そして長沼家菩提寺の満福寺にある長沼家の墓所などを廻りました。

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この辺りの画像は、以前に訪れたときのものです。
 
そして西浦氏が宿を取られた安達太良山中腹の岳温泉へ。当方も日帰り入浴させていただき、帰途につきました。
 
二本松、何度行ってもいい場所です。是非、足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月18日

明治34年(1901)の今日、智恵子の妹・セツが誕生しました。
 
昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が身を寄せたのが、九十九里に住んでいたセツのもとでした。

昨日は福島県二本松市、二本松市民交流センターにおいて行われた「智恵子講座’13」の第3回で、講師を務めて参りました。
 
今年度は年間テーマが「高村光太郎に影響を与えた人達」ということで、昨日の第3回で、当方が与えられたテーマが「岡倉天心と東京美術学校」でした。質疑応答を含め、2時間ほどしゃべって参りました。
 
岡倉天心は東京美術学校校長として、一介の町の仏師であった光雲を教員として取り立てたり、横山大観ら後進を育てたり、その運営に大きく貢献した人物です。
 
天心以外にも、光太郎在学前後の東京美術学校は多士済々。教員や学生で、名をなした人々がたくさんいます。アーネスト・フェロノサ、橋本雅邦、菱田春草、後藤貞行、石川光明、板谷波山、本山白雲、長沼守敬、黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治、岡本一平……。もちろん、光雲、光太郎親子。美術家以外でも、森鷗外も専任外教員として教壇に立っていました。
 
昨日はノートパソコンとプロジェクタを持ち込み、それらの人々の作品などを紹介し、併せて美術学校在学中の光太郎についての概略を説明いたしました。はからずも、明治中期から末期の日本美術界の概要、という感じになりました。ただ、少し前にそういう発表はすまい、などと書いておきながら、スクリーンに映した画像頼みの内容になってしまったいたのではないかな、と反省しきりです。

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聴きに来てくださった方は、約30名。ありがたいことです。
 
「智恵子講座’13」は、以下の通り今年度、あと4回の開講です。1回ごとの申し込みも出来るそうですので、よろしくお願いいたします。連絡先は二本松市油井八軒町の熊谷さん 0243-23-6743です。
 
10/14 (月・祝)10:00~ 「ロダンと荻原碌山」 久慈伸一氏(福島県立美術館学芸員)
11/17(日) 10:00~ 「与謝野鉄幹と水野葉舟」 澤正宏氏(福島大名誉教授)
12/15(日) 10:00~ 「草野心平と宮沢賢治」 小野浩氏(いわき市くらしの伝承郷館長)
  〃     13:00~ 「高村光太郎を語るつどい」 閉講式 文集配布
 
【今日は何の日・光太郎】 6月17日

昭和62年(1987)の今日、光太郎に私淑した彫刻家・高田博厚が歿しました。

『朝日新聞』さん。昨日の「天声人語」で安達太良山と「あどけない話」を取り上げてくださいましたが、今日はそれを受けて投書欄に以下の投稿が。
 
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山開きが19日の日曜だったのですね。当方、中腹のスキー場には行ったことがありますが、山頂まで登ったことはまだありません。標高約1,700㍍。一度登ってみようかと思いました。
 
それにしても、「少し楽しめそう」という題名。「少し」という副詞が無くなる日が早く来てほしいものです。
 
ついでに、光太郎・智恵子には関わらないかもしれませんが、来週のテレビ放映で二本松が取り上げられますので一応ご紹介します。 

にほん風景遺産「会津・二本松 二つの城物語」

BS朝日1 2013年6月4日(火)  21時00分~21時54分 
 
大河ドラマの舞台として注目される福島県会津地方。戊辰戦争で落城した二本松城跡や、鶴ヶ城とその城下町を風景案内人 加藤千洋さんが歩き、歴史と人々の暮らしに触れる。

番組内容
大河ドラマ「八重の桜」人気でにぎわう会津若松。まず加藤さんは新島八重生誕の碑に足を運ぶ。七日町通りでは、会津漆器の店や郷土料理の店を訪ね、大正浪漫あふれるレトロな町並みを散策。桜満開の鶴ヶ城では、戊辰戦争時にこの城が置かれたいきさつや、会津藩の歴史をたどる。天守閣からは眼下に広がる会津若松市内の景色を楽しみ、白虎隊ゆかりの地・飯盛山も訪れた。さらに、かつて丹羽氏の居城だった二本松城(霞ヶ城)。戊辰戦争で命を落とした隊士たちをしのぶ「二本松少年隊像」や箕輪門など、城内各所を巡る。激動の歴史と伝統工芸が息づく会津若松、二本松の物語をたどる。

出演者 風景案内人 加藤千洋(同志社大学大学院教授)
ナレーション  下平さやか(テレビ朝日アナウンサー)


【今日は何の日・光太郎】 5月28日

大正9年(1920)の今日、光太郎編訳『続ロダンの言葉』が叢文閣から刊行されました。
 
同5年(1916)に005行された正編と合わせ、美術を学ぶ学生にとってはバイブルに等しいものとして受け入れられたそうです。
 
ところで、画像は表紙です。金の箔押しで題字と花のイラストが描かれています。
 
「彫刻家・高村光太郎展」にからんで、千葉市美術館の学芸員さんから質問されたのですが、この装丁が誰の手によるものかわかりません。
 
原書にはクレジットが入っていませんし、光太郎に関する基本的な文献にも記述がありません。
 
千葉市美術館の学芸員さん曰く「岸田劉生風の絵」。確かにそうです。
 
手がかりは花の茎の左に描かれたサイン? のようなもの。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
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変にスペースが余ってしまったのでもう一言。
 
今夜、居住地域から夜行バスに乗り、明朝、京都に着きます。京都は嵯峨の大覚寺さんで新たに見つかった光雲作の木彫三点を観てきます。
 
その後、大阪・堺に移動、与謝野晶子の忌日・白桜忌に参加してきます。
 
帰ったらレポートします。

今朝の『朝日新聞』さんの「天声人語」に、光太郎が登場しました。
 
先月2日、連翹忌当日の「天声人語」にも光太郎の名が出ました。2ヶ月連続で「天声人語」に光太郎が登場するのは初めてではないか、と思います。
 
しかし、今回は手放しで喜べない内容です。
 
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福島・安達太良山のレポートに始まり、お約束で「あどけない話」が扱われています。
 
「近くの観光施設では子どもたちの姿が戻らないと嘆いていた。」とありますが、毎週月曜日に1ページ費やされる「伝える 東日本大震災」というページには、安達太良山の麓、岳温泉の若女将が紹介されています。
 
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そして1面や社会面には、茨城県東海村の原子力研究施設での放射能漏れについての報道。これでいいのでしょうか、我が国は。
 
来月、約半年ぶりに二本松に行って参ります。復興の現状を見て参ります。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月27日

昭和26年(1951)の今日、帝国劇場で舞踊家・藤間節子のリサイタルが開かれ、パンフレットに散文「山より」を寄せました。
 
藤間節子(のち黛節子)は戦時中から光太郎と交流があり、戦後、昭和24年(1949)と25年(1950)には「舞踊 智恵子抄」を発表、光太郎は昭和30(1955)年まで計6回、藤間の公演のパンフレットに散文を寄せています。

隣町・成田の家電量販店でプロジェクタとノートパソコンを買ってきました。
 
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プロジェクタはパソコンの画面やDVDの映像などをスクリーンに映写する機械です。企業などではいわゆる「プレゼン」でよく使われますね。
 
光太郎智恵子について、人前で話す機会が多く、今まではせいぜい紙に印刷したレジュメを用意する程度でしたが、やはりこういうものを活用することで発表のクオリティーが上げられると考え、思い切って買ってしまいました。連翹忌などでも活用できるかな、とも思っています。
 
発表する側でなく、聴く方の側もよく体験していますが、やはり画像等が大写しになっていると、理解の助けになります。レジュメの小さい、しかもモノクロの画像で説明されてもわかりにくい、ということが多々あります。或る意味「百聞は一見にしかず」ですね。
 
手始めに来月16日(日)、二本松で行われる智恵子講座。「光太郎に影響を与えた人々」という連続講座の2回目で、岡倉天心と東京美術学校について話してくれとのことですので、早速、パワーポイントを使って資料を作ってみます。
 
しかし、これから先、以下の点に注意しようと思っています。
 
必要もないのに使わないこと
プロジェクタなどを使うと、それを使うことに満足してしまい、それを使う必要があったの? という発表にあたることがあります。しゃべる内容をただ文字にして大写しにしているだけ、または逆にアニメーションとかを駆使し、いろいろな動きがあるけれど、だから? のような。そういう使い方はしないよう心がけたいと思います。
 
画像などに頼らないこと
画像などを大写しにすれば、確かに理解の手助けにはなりますが、そこに頼ってしまう内容の薄い発表では仕方がありません。そうならないよう注意したいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月24日

昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、PTA主催の講演会を行いました。
 
その中に、こんな一節があります。
 
ありったけの力で最善を尽くせばいいのです。自分を捨ててかかればいいのです。僕はお金も名誉も望みません。世の中の役に立てばいいのです。一日一日、緩みのない生活でありたいのです。何がほんとうであるか、わかるようにと努めることです。あしたのことを考えても、そのとおりにはならないので、その日、そのときに最善を尽くすことだと思います。
 
いいですね。

新潟から入ったイベント情報です。

シーズン&アート第29章 「高村光太郎-安達太良山と智恵子」

 季節にあった文学の朗読・解説と、音楽の生演奏をお楽しみいただく「シーズン&アート」。
 今回の文学は、彫刻家であり偉大な詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子への想いを綴った愛の詩集《智恵子抄》です。
『智恵子抄』は、高村光太郎の智恵子への深い愛情が、美しい東北の風景や千葉の九十九里浜の砂山の情景と重なり、絵的な美しさを感じさせる作品です。
今回は、高村光太郎の詩集『道程』、『智恵子抄』を、元NHKアナウンサーの高山憲治さんが朗読し、文芸評論家の若月忠信さんが解説します。
 二期会会員のソプラノ歌手・吉田友子さんが、朗読にあわせて歌曲『智恵子抄』より「あどけない話」や「レモン哀歌」などを歌います。
鈴木賢太さんのピアノ演奏でお楽しみいただきます。
 死後も光太郎の心に生き続けた智恵子の姿。詩からあふれる二人の愛の美しさを感じてください。
 
開催概要
日時  平成25年6月1日(土曜) 午後1時から午後3時(開場:午後0時30分)
会場  新潟市江南区文化会館 音楽演劇ホール 新潟市江南区茅野山3丁目1-14 
定員  120名 (先着順) 

文学  高村光太郎 『智恵子抄』、『道程』 
出演者 朗読     高山 憲治 (元NHKアナウンサー)
 解説 
  若月 忠信(文芸評論家)
    歌        吉田 友子(ソプラノ、二期会会員)
    ピアノ   鈴木 賢太(新潟大学教育学部音楽科准教授)
料金  一般1,000円
お申込み方法  新津美術館あてに電話、FAX、メールいずれかで「代表者の住所、氏名、電話番
号、参加人数」をお伝えのうえ、お申込みください。(先着申込順、4月26日より受付開始)
 電話:0250-25-1300 FAX:0250-25-1303
 メール:museum.ni@city.niigata.lg.jp 

公演プログラム
朗読 高村光太郎 『智恵子抄』 より
    樹下の二人 、あなたはだんだんきれいになる
    あどけない話 (智恵子抄「あどけない話」 (清水脩作曲)の演奏とともに )
    千鳥と遊ぶ智恵子
    山麓の二人
    レモン哀歌 (智恵子抄「レモン哀歌」 (清水脩作曲)の演奏とともに)
    案内 ほか
    高村光太郎 『道程』 より 道程
演奏 歌 吉田友子(ソプラノ) ピアノ 鈴木賢太
朗読にあわせて
 あどけない話 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
 レモン哀歌 (清水脩作曲 「智恵子抄」より)
歌 砂山 
  九十九里浜
  浜千鳥 (鹿嶋鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲 童謡)
  オペラ 「トスカ」より 歌に生き、恋に生き 
ピアノ  ドビュッシー 「月の光」 
     テクラ・バダジェフスカ 「乙女の祈り」 ほか
注) プログラムは変更になる場合があります。
 


早速、当方、申し込みました。
 
【今日は何の日・光太郎】5月8日
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校で、運動会を見物しました。
 
光太郎、なんと、前の年の運動会(残念ながら詳細な日付が不明)では、「老人の部」の「瓶つり競走」に参加しています。

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旧山口小学校(現在は取り壊されてしまって見ることができません)

昨日に引き続き、福島二本松周辺での各種イベント等の報道です。

夫や家族の生涯解説 二本松で「智恵子講座」開講

 詩集「智恵子抄」で知られる高村智恵子の出身地・福島県二本松市で顕彰活動を行っている智恵子のまち夢くらぶの「智恵子講座2013」は20日、同市の市民交流センターで開講した。 
 智恵子の夫・高村光太郎に影響を与えた人をテーマに12月まで7回の講座を開く。県北地方を中心に郡山、白河、田村、南相馬各市から30人が受講している。 
 初回は夢くらぶの本多長幹事があいさつした後、熊谷健一代表が「父高村光雲と家族」について講話した。光太郎の「私は何をおいても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある」との言葉から、彫刻の大家だった光雲の生涯、親子の葛藤などを説明した。 
 次回は5月19日で「第九回智恵子生誕祭~好きです智恵子青空ウォーク」として他の参加者も募り、智恵子の生家やゆかりの地を巡る。 
 問い合わせは熊谷代表 電話0243(23)6743へ。 
福島民報社
 
昨年からこのブログでも何度かご紹介していますが、二本松で地道に続いている講座です。6月には当方も講師を務めます。

常設作品展示替え 大山忠作美術館

 福島県二本松市の大山忠作美術館は常設展の展示替えをした。故郷への思いを込めた大作や初公開作品など36点を11日から9月29日まで公開する。
 同美術館は所蔵作品を半年に1度入れ替えている。第8期の今回は、安達太良山とススキを背景にした「智恵子に扮(ふん)する有馬稲子像」など、初期から晩年までの作品を並べた。初展示の書「花」や小品の「桜」など、展示期間の季節に合わせた作品もある。
 入館料は一般400円、高校生以下200円。時間は午前9時半から午後5時(入館は午後4時半)まで。問い合わせは同美術館 電話0243(24)1217へ。
福島民報社
 
JR二本松駅前にある、日本画家・大山忠作の美術館です。こちらには智恵子をモチーフとした絵画が何点かあります。 

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こちらは以前同館で入手したクリアフォルダとポストカードです。
 
いつもいつもオチの一言はこれですが、「ぜひ足をお運びください」。
 
【今日は何の日・光太郎】4月26日

昭和33年(1958)の今日、花巻郊外高村光太郎山荘敷地内に立つ光太郎詩碑「雪白く積めり」の銅板プレート(高村豊周・西大由制作)が完成、花巻に届けられました。

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しばらくニュース検索の結果をご紹介しないでいたら、溜まってしまいました。特に福島二本松周辺での各種イベント等の報道が多くあり、まとめてご紹介します。

道の駅「安達」下り線オープン 地場産品の直売人気

 二本松市米沢の国道4号下り線沿いに5日オープンした「道の駅『安達』智恵子の里下り線」は、初日から大勢の利用客でにぎわい、地場産品の農産物直売場や土産物売り場などが活気であふれた。
 オープンに先立ち行われた完成式では、三保恵一市長らと先着500人の利用者も加わった大テープカットが行われ、関係者らが新たな観光拠点の誕生を祝った。同市のトランペット奏者でNoby(ノビー)の愛称で知られる長屋伸浩さんの演奏も披露された。
 施設内には、にほんまつ未来創造ネットワーク(安斎文彦会長)による「合戦場のしだれ桜」など市内の桜の名所写真19点と桜マップが展示され、利用者へ春の観光情報を発信していた。
 また、風船で犬などに模したバルーンアートプレゼントや、奥の松酒造(同市)の甘酒試飲なども家族連れに好評を博した。
(2013年4月6日 福島民友トピックス)
 
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「万燈桜」ライトアップ 道の駅「安達」智恵子の里下り線

 二本松市米沢の道の駅「安達」智恵子の里下り線の入り口にあり、桜の名所となっている「万燈桜(まんとうさくら)」のライトアップは25日まで行われる。同下り線オープン記念の一環で、期間中は「万燈桜まつり」も開催される。
 同所で11日に点灯式が行われ、三保恵一市長があいさつした後、スイッチを押して点灯。高さ約15メートルで樹齢約270年の高く伸びた枝ぶりが美しい1本桜が、幻想的に映し出された。ライトアップの時間は午後6時30分から同11時まで。
(2013年4月13日 福島民友ニュース)
 

あぶくま抄(4月16日)

 二本松市米沢の4号国道沿いに「万燈[まんとう]桜[ざくら]」がある。福島市との境に近い。推定樹齢270年のエドヒガンの一本桜は今が花盛り。5日にオープンした道の駅「安達」智恵子の里下り線のシンボルだ。
 昔、この地に住む旭長者が無病息災を願い、一万の塚を築き、灯明をともした伝説に由来する。残雪の安達太良山を背景に咲く姿は、多くの人に愛されてきた。国土交通省と二本松市は道の駅整備に際して、万燈桜の保護と景観に配慮した。駐車場の面積を予定よりも狭くし、桜の周囲を芝生広場にした。
 道の駅「安達」は東北地方で初、4号国道でも唯一、上下線両方にある。既設の上り線に次ぐ下り線の完成は当初の計画から2年遅れた。着工目前に大震災があった。直後は、浜通りからの避難者が上り線にあふれた。災害時の一時避難や情報発信の役割が一層高まった。下り線の駅は、停電の際に補う太陽光発電設備を備える。
 休憩だけでなく、特産品の買い物や周辺の観光、歴史・文化に触れようという人々でにぎわう。いざというときは、避難所としての機能を発揮する。地域を災害から守ろうと祈った旭長者の思いを継ぐように、万燈桜が見守る。

「春らんまん号」出発 二本松の桜の名所など巡回

 二本松市内の桜の名所などを巡回する臨時バス「春らんまん号」は6日、運行をスタートした。28日までの土、日曜日の計8日間、1日8本のバスを運行し、春の観光シーズンを迎えた同市内を巡る。
 コースはJR二本松駅前を出発点に本町から亀谷坂(坂の駅露伴亭)、智恵子の生家を経て、霞ケ城公園や大隣寺を巡って駅前に戻る。料金は大人(中学生以上)が170~520円、子どもは90~260円。1日フリー乗車券は大人(同)500円、子ども250円(乳幼児無料)。1日フリー乗車券の提示で、同市の大山忠作美術館と智恵子記念館の入館料が割り引きされる。
 問い合わせは福島交通二本松営業所(電話0243・23・0123)か二本松観光協会(電話0243・55・5095)へ。JR二本松駅前の発車時刻次の通り。
 午前=10時10分、11時、11時40分▽午後=0時30分、1時15分、2時10分、2時50分、3時35分
(2013年4月7日 福島民友ニュース)
 
他にも二本松周辺の報道がありますので、明日ご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】4月25日

明治44年(1911)の今日、築地精養軒で行われた親友で画家の柳敬助、橋本八重の結婚式に出席しました。

柳夫妻はこの年、光太郎と智恵子の出会いのきっかけを作りました。

本日もいただきもののご紹介です。
 
福島二本松の現代詩研究会様より雑誌『現代詩研究』第70号。
 
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「編集後記」で光太郎について触れられています。
 
続いて花巻の財団法人高村記念会様より「高村記念会山口支部報」。
 
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4月2日の連翹忌当日、花巻の太田地区にある高村山荘周辺で行われた詩碑前祭のレポートです。こうした地域に根ざした活動には本当に頭が下がります。
 
それから、きたる5月15日(水)の高村祭の案内も掲載されています。開始は午前10時。講演の講師は女優の渡辺えりさんとのこと。
 
送っていただいた皆さん、ありがとうございました。
 
【今日は何の日・光太郎】4月15日

明治43年(1910)の今日、神田淡路町に日本初の画廊、琅玕洞(ろうかんどう)を開店しました。
 
光太郎と交友のあった新進の画家の作品を並べたりした、時代の先端を突き抜けたこの試みは世間には受け入れられず、ちょうど1年後の明治44年(1911)の今日、琅玕洞は閉店しています(後に知り合いに譲渡、コンセプトを変更して再オープンされました)。
 
名目上の店主は光太郎の次弟、道利でした。ちなみに今日、4月15日はその道利(と双子の妹・しづ)の誕生日でもあります。

当方刊行の『光太郎資料』や連翹忌関連の資料(当日配布したものの残部)などをあちこちに発送しました。
 
だからというわけでもないのかも知れませんが、逆にあちこちからいろいろな資料が届きます。ありがたいことです。
 
先日、雑誌『歴程』№583が届きました。この中に執筆されている伊武トーマ氏から戴きました。
 
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「十一月十七日、かえる忌、雨……」という題のエッセイで、昨秋の草野心平忌日・かえる忌の模様のレポートです。
 
こちらには当方も参加させていただきまして、文中には当方の名も。その際に当方が持参した光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」碑拓本にからめ、次のように書かれています。
 
……道程の詩人の「僕の前に道はない。僕の後に道は出来る。」、目の当たりにしている賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」、まだ耳に残っている心平さんの「どこまでつづくまっ暗な。電燈ひとつついてやしない底なしの。くらあい道を歩いてゆく。」…。《光太郎・賢治・心平》この三巨星の有名なフレーズが一つの空間となり詩的宇宙の扉が開かれ、胸の奥底から熱いものが迸った。
 
『歴程』は昭和11年(1936)、草野心平が創刊した雑誌ですが、光太郎とも因縁浅からぬものがあり、その創刊号をはじめ、戦後の復刊を含め、光太郎の文筆作品がたくさん載りました。
 
時を超え、その同じ『歴程』誌上にこうして賢治も含め、ゆかりの深い詩人達の名が連なるのは感慨深いものがあります。
 
【今日は何の日・光太郎】4月12日

昭和31年(1956)の今日、『東京新聞』夕刊に光太郎追悼記事「高村光太郎の生き方-伊藤、今泉氏に質問したいこと」が掲載されました。

「伊藤」は詩人の伊藤信吉、「今泉」は美術史家の今泉篤男。ともに光太郎に私淑していた人々です。

昨日は福島二本松の安達文化ホールで、多摩童謡友の会合唱団・多摩ファミリーシンガーズさんによる「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」が開催されました。指揮者の高山佳子様からのメールでは盛会だったとのことで、良かったと思います。
 
ネットで報道されていないかな、と思い調べてみましたが、残念ながら現時点では見つかりませんでした。
 
しかし、別件で以下のニュースを見つけました。福島の地方紙・福島民報さんの報道です。

「二本松市民の歌」できた 声高らか披露式 郷土愛、心のよりどころ

 二本松市は23日、「二本松市民の歌」を制定し、同市コンサートホールで披露式を行った。平成17年12月に一市三町の合併により誕生した新・二本松市の歌として初めて作られた。
 市民の郷土愛を育み、一丸となって東日本大震災の発生前より素晴らしいまちを築くため、心のよりどころにするのが目的。
 歌詞は公募し、寄せられた70点の中から朝倉修さん(札幌市)の詩が採用され、郡山市出身の作曲家湯浅譲二さんが補作して曲をつけた。三保恵一市長は「幅広い世代に愛されるような明るい曲になった」と紹介した。湯浅さんは「寿泉堂病院長だった父は『二本松少年隊』の歌を作詞した。父とともに見た安達太良の峰や阿武隈の清流は、幼いころの原風景として残っている」と作曲した思いを語った。
 披露式では、同市出身のテノール歌手樋口達哉さんが独唱、二本松一中合唱部が二部合唱、あだたら混声合唱協会が混声四部合唱でそれぞれ歌い上げた。
 「二本松市民の歌」はCDに収め、近く市内の学校や公民館、各種団体などに配布するほか、市住民センターを通して個人にも貸し出す。


■二本松市民の歌    作詞 朝倉修   補作詞 湯浅譲二   作曲 湯浅譲二

一、安達太良の峰 陽に映えて  阿武隈の水 清らかに
  四季も華やぐ このまちに  希望奏でる 朝がある
  ああ 光あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある
二、青空に舞う 花ふぶき  やさしく歌う うぐいすよ
  生命輝く このまちに  幸せ運ぶ 風がある
  ああ 理想あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある
三、霞が城の しろあとに  揺れる提灯 囃子の音
  文化煌めく このまちに  明るい笑顔 夢がある
  ああ 浪漫あふれる 二本松  ほんとの空が ここにある  
( 2013/03/24 11:55 )
 


リフレインの「ほんとの空が ここにある」。いいフレーズですね。
 
二本松のみならず、福島、いや、東北、そして日本全体が胸を張ってそういえるようであってほしいと思います。

さて、話は変わりますが、明日は光太郎の命日。東京日比谷松本楼様では第57回連翹忌を開催いたします。
 

遠くは岩手や四国などから、ご参加申し込みくださった方は約70名。お気をつけてお越しください。

【今日は何の日・光太郎】4月1日

明治28年(1895)の今日、数え13歳の光太郎が、第四回内国勧業博覧会の審査員だった光雲に連れられて京都に行きました。

3/28のブログで御紹介しました合唱002曲「ほんとの空」。
 
今日、二本松の安達文化ホールで、この「ほんとの空」をはじめとする合唱による「東日本大震災復興支援コンサート ほほえみをあなたに」が開催されます。
 
3/28のブログにも書きましたとおり、CDと楽譜が日本童謡協会様から発行されていると知り、連絡を取ったのですが、既に完売。そこでダメもとで演奏してらっしゃる合唱団の多摩ファミリーシンガーズ様に問い合わせたところ、作曲者の髙山佳子(たま・みゆき)様ご本人と連絡が取れ、コピーですがCDと楽譜を速達で送ってくださいました。ありがたいことです。
 
早速聴いてみました。原発事故という重いモチーフでありながら、モール(短調)ではなくAドゥア(イ長調)の明るい響きです。児童合唱ということで、平易なメロディーながら、中間部でDドゥア(ニ長調)に転調、最後に元に戻ったり、ソリ(少人数のパート)やソロのオブリガートが入ったり、基本は二部ですが部分的に三部になったりと、非常に工夫されています。
 
明後日は光太郎の命日・連翹忌です。日比谷松本楼様で連翹忌の集いを開催いたしますが、ご許可がありましたのでその席上にて参会の皆様にも聴いていただきます。
 
以下、昨年の3.11に寄せて書かれた作曲者の髙山佳子(たま・みゆき)様の言葉です。

『ほんとの空』 ~3月11日に寄せて~ 

 今、日本人が心の底から怒ってる事。思ってもいなかった核の恐怖におびやかされたこの数ヶ月。福島の詩人後藤基宗子さんから『空を切る』という詩が送られてきました。
 福島にある、高村光太郎の「智恵子抄」で智恵子が「ほんとの空」と云った安達太良山、その美しい空が、忌まわしい放射能汚染におびやかされ、心の安まる日がないという。そこで『ほんとの空』というタイトルで福島の人々の思いを合唱曲にしました。
 今年の3月11日、震災から一年目の日、府中の森劇場で、社団法人日本童謡協会の『子どものコーラス展』で児童合唱団多摩ファミリーシンガーズで初演されました。この曲は、ぜひ福島の、特に児童合唱団に歌ってほしいものです。
 冬の磐梯山では長年スキーを楽しみ、猪苗代湖で白鳥と戯れ、秋は紅葉の五色沼、会津鶴が城、沼尻スキー場、など心を癒してくれる私にとって第二の故郷、福島に何か出来るならと、心をこめてこの曲を作りました。詩人の叫びを音にして皆様に届けたいと思っております。よろしくお願い致します。楽譜をおいりようの方はご連絡下さい。  2012.春
 
復興支援ソングというと、NHKさんの肝いりで出来た「花は咲く」が有名で、当方の所属する合唱団も持ち歌にしていますが、この「ほんとの空」も広まって欲しいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】3月31日

大正15年(1926)の今日、光雲が長年勤めた東京美術学校を退職しました。

本日のテレビ放映情報です

八重の桜ツアー「ただいま、東北」 ▽早春編

2013年3月29日(金) 22時55分~23時19分  再放送 2013/04/01(月)10:05~10:30  
NHK総合1・東京
 
大河ドラマ「八重の桜」の出演者たちが、旬の東北を旅する情報バラエティ。今回は、黒木メイサと白羽ゆりが会津と二本松を訪ね、未知のグルメや史跡に福島の魅力を見出す。

番組内容

大河ドラマ「八重の桜」の出演者が、旬の東北を旅する情報バラエティー。今回は、黒木メイサ(中野竹子役)と白羽ゆり(山川登勢役)が、福島県会津若松市と二本松市へ。旅は、同県の観光大使を務める白羽が、“福島初心者”の黒木を案内する形で進行。会津では名物の珍しいまんじゅうや天ぷら、山国ならではのクルミを使った絶品料理の数々に舌鼓を打つ。二本松では、戊辰戦争で壮絶な最期を遂げた少年隊士たちの足跡をたどる。
 
智恵子の故郷、二本松からのレポートもあります。「八重の桜」がらみなので戊辰戦争での二本松少年隊を大きく扱うようで、智恵子の名が出るかどうか微妙です。ただ、光太郎の詩碑や智恵子の生家にあったという藤棚が移植されている二本松霞ヶ城は取り上げられるでしょう。
 
今、かの地の桜はどんな感じなのでしょうね。
 
さて、過日、名古屋に行った際、高速バスと新幹線の連絡時間の関係で、八重洲にある福島県のアンテナショップ「福島県八重洲観光交流館」に寄りました。福島まで行かなくても、ここで買い物をすれば福島の復興に少しでも役に立ちますし、愚妻が福島名産の「ゆべし」を好きなので、購入しました。
 
その際、情報コーナーで下記のパンフレットを戴いて帰りました。
 
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二本松市内の桜の名所が30カ所以上紹介されています。智恵子がらみの場所もたくさん載っています。
 
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万福寺さん無題2長沼家の菩提寺、油井小学校さんは智恵子の母校です。智恵子生家の裏山一帯は「智恵子の杜公園」、もちろん霞ヶ城にも桜がたくさん。ライトアップもされるそうです。
 
さらに生家にほど近い安達ヶ原公園(鬼女伝説で有名な黒塚などもあります)、少し離れていますが安達太良山の山麓に位置する岳温泉などにも桜が。
 
やはり復興支援には実際に訪れることが大切です。ぜひ足をお運び下さい! 
 
 
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【今日は何の日・光太郎】3月29日

明治42年(1909)の今日、欧米留学を締めくくるためのイタリア旅行で、ヴェニスに到着しました。

昨日、京都の大覚寺で光雲作の木彫3点の発見を報じたニュースを御紹介しましたが、やはり昨日、ニュース検索でもう1件ヒットしました。

東日本大震災:福島の空うたった詩 多摩で作曲、感動呼ぶ 2合唱団、二本松で31日に支援コンサート

毎日新聞 3月27日(水)11時9分配信
 
 多摩地域で活動する合唱グループ「多摩童謡友の会」と児童合唱団「多摩ファミリーシンガーズ」が合同で31日、福島県二本松市で東日本大震災復興支援のコンサートを開く。同市の仮設住宅や借り上げ住宅には約50キロ離れた同県浪江町から避難してきた約2500人が暮らしている。団員らは「避難して来ている人たちや二本松市民が歌で心を癒やして元気になってくれたら」と期待する。
 
 きっかけは東京電力福島第1原発事故の翌月のことだった。テレビ番組で「歌のお姉さん」を務めたことがあり、両合唱団を主宰する高山佳子さん=多摩市在住=の元に、詩人の後藤基宗子(きそこ)さん=福島県郡山市在住=から一編の詩が送られてきた。作曲の依頼だった。
 
 <空をよごしたのは誰 誰 誰>
 <阿多々羅山(あだたらやま)の向こうに磐梯山が見える街>
 <ほんとの空だけ君に残したい>
 事故後の心の移ろいが表れた詩に胸を打たれ、「ほんとの空」という合唱曲が出来上がった。高山さんは「阿多々羅山(安達太良山)のふもとの二本松市は(詩人の)高村光太郎の妻智恵子さんの古里。智恵子抄に出てくる『東京に空がない。阿多多羅山の上の青い空がほんとの空』という一節に思いを重ねた」と振り返る。

 昨年10月。多摩ファミリーシンガーズが多摩市の音楽会で披露したこの歌に、聴きに来ていた二本松市出身で東京多摩ロータリークラブの高野隆夫さん(72)が感動。「仮設に住むお年寄りに聞いてもらいたい」と高野さんが現地の「二本松あだたらロータリークラブ」に連絡をとり、両クラブ主催のコンサート開催が決まった。
 高山さんは2月末には童謡友の会の主婦らと二本松市を訪ね「ふるさとは心の中に」という歌も作った。「古里に帰ることができない浪江町の人たちに、心の中の古里をよりどころに明日に向かって歩いてほしいとの気持ちを込めた」という。

 31日は二つの合唱団の10~90代のメンバーら54人が両曲を合唱するほか、童謡25曲を歌う。入場無料。問い合わせは二本松あだたらロータリークラブ事務局(0243・23・3211)。
〔都内版〕3月27日朝刊
 

東日本大震災復興支援コンサート

ほほえみをあなたに 童謡は心のふるさと

 心いやすなつかしく温かい歌で ともに歌い ともにほほえむ
さぁ~あつまろう! 元気がでるよ!!
公演案内より
     震災の復興支援として、福島で行われるコンサートに出演します。
 
     プログラム
     故郷 我は海の子 早春賦 月の沙漠 虹の彼方に 荒城の月 波浮の港 
     トルコマーチ コキリコのうた ほんとの空 ほか
 
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気付いたのが昨日で、予定が合わず行けません。残念です。お近くの方はぜひ足をお運び下さい。
 
また、「ほんとの空」を収録した楽譜とCDも販売されていたのですが、発行元の日本童謡協会様に問い合わせましたところ、すでに品切れとのこと。これも残念です。
 
【今日は何の日・光太郎】3月28日

昭和31年(1956)の今日、雑誌『新潮』に連載の随筆「アトリエにて」の最後の一枚を書きました。リアルタイムで発表されたものとしては絶筆となりました。

たびたびこのブログでご紹介している映画「希望の国」。

 
主演の夏八木勲さんが、この映画によって文化庁の芸術選奨文部科学大臣賞に輝きました。素晴らしい!
 
「反原発」の映画ですので、ある意味問題作。それが芸術選奨文部科学大臣賞というのは意外と言えば意外ですが、文化庁も懐の深さを見せたのでしょうか。賞の性質上、エンターテインメント性の強いものには与えられないと思いますが。
 
一昨日の朝日新聞の記事です。
 
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「智恵子」役の大谷直子さんにも賞をあげたいな、と思っていましたら、ちゃんと他の賞が出ていました。
 
まず「第67回日本放送映画藝術大賞」の優秀助演女優賞。惜しくも最優秀ではありませんでしたが、これも素晴らしい!
 
それから映画「希望の国」のオフィシャルサイトによれば「東京新聞映画賞特別賞」ということだそうですが、こちらは東京新聞さんのサイトを見ても記載がありません。どうなっているのでしょうか?
 
いずれにせよ、こうした受賞を通してもっともっとこの映画が話題になってほしいものです。
 
ところでやはり一昨日の朝日新聞、一面に載った写真です。
 
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これもある意味、ものすごい写真ですね……。
 
【今日は何の日・光太郎】3月15日

明治36年(1903)の今日、智恵子が福島高等女学校を卒業しました。卒業式では卒業生総代として答辞を読みました。
 
同校では、例年、卒業生総代として答辞を読むのは「声のいい生徒」とする習慣だったそうですが、この年に限り、智恵子の成績があまりにも群を抜いていたので、声の善し悪しうんぬんではなく、智恵子にやらせるしかない、ということになったそうです。

「あの日」から2年経ちました。言わずと知れた東日本大震災です。
 
宮城では、光太郎顕彰活動に関わっていた方が津波に呑まれ、亡くなりました。そのお仲間で、ご家族を亡くされた方もいらっしゃいます。
 
福島では、原発事故の影響で、今も不自由な毎日を過ごされている方々がいらっしゃいます。
 
さて、おそらくこの時期に合わせたのでしょう。以前にこのブログで御紹介した映画「希望の国」(園 子温監督)のDVDとブルーレイが発売されました。 
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大谷直子さん演じる主人公の妻「智恵子」には高村智恵子のイメージが投影されています。
 
その大谷さんや、主人公役の夏八木勲さん、その息子役の村上淳さん(NHK大河ドラマ「八重の桜」の土方歳三役)ら、キャストの方々、さらに園監督はじめスタッフの皆さんの本音が収まったメイキングのディスクも付いています。
 
本編ももちろん、このメイキングのディスクがすごい内容でした。福島の原発周辺、宮城の石巻や気仙沼など、ロケ地となった場所の映像、そしてそこに暮らす人々の肉声……。
 
特に、被災地に行かれたことのない方にはぜひご覧いただきたい内容です。
 
今年の連翹忌でも、被災地の方々からの参加申し込みが届いております(当方の生活圏も一応被災地ですが)。復興の現状、復興されていない現状など、語っていただきたいと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】3月11日

大正2年(1913)の今日、読売新聞社で第2回フユウザン会展が開かれ、光太郎は塑像「男の首」を出品しました。
 
このフユウザン会展は、公設の展覧会に反旗を翻す新進作家達のアンデパンダンとして注目されました。第1回展はその前年秋。しかし、同人間の価値観の違いから、2回で終焉となりました。

いろいろなところから、いろいろな案内、刊行物等届いております。順次御紹介します。

二本松市 智恵子のまち夢くらぶ主催 智恵子講座 '13

智恵子の故郷、福島・二本松で地道に活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。
 
この講座も長く続いています。今年は光太郎とその周辺人物をテーマに行うとのことです。
 
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当方にも講師の依頼があり、お受けすることにしました。
 
申し込み等の詳細は、上の画像をご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】3月5日

昭和41年(1966)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の太田村時代の素描集『山のスケッチ』が刊行されました。

一昨日、新春恒例の「歌会始の儀」が皇居・宮殿「松の間」で開かれました。今年のお題は「立」。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、国内外から寄せられた1万8399首から選ばれた入選者10人、選者らの歌が披露されました。
 
入選者の中で、福島県郡山市の郵便事業社員・金沢憲仁さんの作品は、光太郎の『智恵子抄』に関係するものでした。
 
 安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む
 
金沢さんのコメントです。
 
「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」。
 
両陛下からは「ご苦労が多かったですね」とねぎらわれたそうです。
 
こういうところでも光太郎作品のオマージュがなされるのは嬉しいことですが、原発事故による「ほんとの空」の消失が題材であるわけで、手放しでは喜べません。複雑な気持です。
 
歌会始といえば、昭和39年(1964)、光太郎の実弟、豊周が「召人」として参加しています。「召人」は広く各分野で活躍し貢献している人々から選ばれ、今年は歌人の岡野弘彦氏でした。豊周は鋳金の分野で人間国宝でしたが、『露光集』(昭35=1960)、『歌ぶくろ』(同41=1966)、『おきなぐさ』(同44=1969)、『清虚集』(同48=1973)の四冊の歌集を上梓するなど、短歌の分野でも大きな足跡を残しています。血は争えませんね。
 
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 『露光集』 扉(左)      口絵(右)
 
 
短歌といえば、光太郎も明治末の『明星』時代から、晩年まで断続的に多くの短歌を作りました。いずれ、光太郎と短歌に関しても折を見てこのブログで書こうと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】1月18日

明治44年(1911)の今日、上野精養軒で開かれた雑誌『スバル』と『白樺』の関係者会合に出席しています。

12/30のこのブログで御紹介しました園 子音(その しおん)監督作品の映画「希望の国」の原作本です。 
 2012/9/19 園子音著 リトルモア 2012/9/19 定価1500円+税

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「原作」といっても、映画と同時進行で執筆されたもののようで、著者は園氏ご自身。いわゆる映画の「メイキング」的な内容と、シナリオ風に描かれた園氏の脳裏に展開する物語の舞台「長島県大葉町」での出来事が混在するいっぷう変わった構成になっています。
 
帯に印刷されたコピーから。
 
約何万人が死んだ、苦しんだ。 文学なら、映画なら、正確に数え上げろ! たった一つの何かを無視するな!
 
映画『希望の国』原作“半ドキュメンタリー”小説 鬼才、園子音監督のもとに、福島の思いが集まり、やがて、原発事故に揺れる家族の物語が生起する。
 
「皆が想像できる単純な物語を更に深めたい」決意した園子音は福島に何度も何度も通う。描くべき人々は、すべてその道中にいた。小野泰彦も、智恵子も、洋一も、いずみも、鈴木健も、めい子も、ミツルも、ヨーコも、犬のペギーも、役所の志村も、加藤も、警官も、自衛官も……。みんな、福島から生まれた。これは映画『希望の国』をつくる、園子音という映画監督の物語――
 
大谷直子さん演じる主人公の妻・智恵子。認知症となり、あどけない童女のようという設定ですが、高村智恵子がある種のモデルです。さらに書籍によれば園氏の母君が実際に認知症ということで、そのイメージも投影されているそうです。
 
作中、「原発」を「戦争」に置き換え、もはやどうにもな003らない状況に陥りながら戦争推進の詩を書き続けた光太郎を批判する一節があります。その点に関してはグウの音も出ませんが、同じ項で、ある別の詩人を、戦争推進に必死で抵抗したと紹介しています。確かにその詩人は、一般には権力におもねる詩文を書いていないという評価が定着しているようですが、櫻本富雄著『日本文学報国会 大東戦争下の文学者たち』(平成7年=1995 青木書店)によれば、その詩人もちゃんと(?)戦争推進的な詩文を書いていますし、ある文学者大会で述べたそうした演説の内容もちゃんと残っています。もっとも光太郎のように積極的であったかは何とも言えませんが。
 
話がそれますが、ご寛恕の程。一部の文学者に関しては、戦時中に書かれた戦争推進的な内容の作品を抹殺し、全集等にもあえて収録しない、という風潮があります。それが当人の意志であったり、没後であれば熱心なファンの仕業(とあえて表現します)であったりします。結果、「誰々は戦争推進の作品を一切書いていない。すばらしい」ということになっているのです。それでいいのでしょうか?
 
我々光太郎顕彰者は、そうした方針は採らず、たとえとんでもない内容のものであっても無視せず、すべてを明らかにしようとしております。過ちは過ちとして隠蔽したりせず、それをどのようにカバーしていったのか、そういう点を明らかにすることこそ重要なのではないのでしょうか。
 
逆に戦時中の詩文をことさらに取り上げ、「これぞ大和魂の真骨頂」と賛美する愚か者がいるのにも困りものですが……。
 
【今日は何の日・光太郎】1月9日

昭和27年(1952)の今日、光太郎の住む花巻郊外、太田村山口の山小屋で、マイナス10.4℃を記録しました。
 
もっと寒い日もあったようですが、とりあえず、「今日」の出来事、ということで……。

NHK大河ドラマ「八重の桜」がスタートしました。綾瀬はるかさん演じる福島・会津藩士の娘、山本八重(後の新島八重)が主人公です。 
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1回目のオンエアは、おもに八重の少女時代の話でしたが、すでに芯の強い、ある意味頑固な、しかし柔軟に新しい物に興味を示す性格が描かれています。生まれ育った地域は少し離れています(八重は会津、智恵子は中通り)が、同じ福島県の女性ということで、智恵子にも通じる一面を感じます。
 
当方、幕末もの、特に新選組やらの敗者の視点から描かれたものは大好きですし、戊辰戦争では二本松藩も関わってきますから、一年間観つづけたいと思っています。
 
昨年のこのブログでちらっと紹介しましたが、福島の出版社・歴史春秋社刊行の『ふくしま女の時代』という書籍があります。近代福島出身の女性19人の簡潔な評伝が載っており、智恵子、そして八重も扱われています。改めて八重の項を読んでみました。大河ドラマのネタバレになるので詳しい事は書きませんが、まさに波瀾万丈の生涯です。智恵子も智恵子で波瀾万丈ですが、それ以上ですね。
 
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他の17名もそれぞれに凄い生き方をした女性達です。目次から抜粋します。「日本で最初の女子留学生-鹿鳴館の名花- 大山捨松」、「世界を舞台に歌一筋に生きた名プリマ・ドンナ 関屋敏子」、「困窮のなかから名作『洟をたらした神』を生み出した 吉野せい」、「中国人留学生の母とよばれる 服部マス」、「貧困者の救済と教育に身を捧げた行動の人 瓜生岩子」……。
 
福島には何かしらこういうスーパーウーマンの生まれる土壌みたいなものがあるのでしょうか。
 
【今日は何の日・光太郎】1月7日

光太郎、昭和22年(1947)の今日、自己の戦争責任とそれまでの生涯を振り返る20篇の連作詩「暗愚小伝」のタイトルを思いつきました。
 
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「暗愚小伝」についてはまた稿を改めて詳しく書こうかなと思っています。

今日は新宿に出かけてきました。映画鑑賞のためです。
 
希望の国」。園 子温(その しおん)監督作品。大手配給会社のものではないので、当方生活圏では上映していません。
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物語の舞台は、「東日本大震災から数年後」の「長島県大葉町」という架空の町です。M8.3の大地震に見舞われ、津波による被害、そして福島の教訓が生かされることなく、再び起こった稼働中の原発のメルトダウン。
 
夏八木勲さん演じる酪農を営む主人公・小野泰彦の暮らす家の敷地内に、「半径20㎞」のラインが引かれ、ラインの内側だった隣家の人達は半ば強制的に避難させられます。主人公の家屋部分は「半径20㎞」外なので、当初は放っておかれたものの、やがて届く「強制退避命令」、牛たちの「強制殺処分命令」。息子夫婦は避難させたものの、思い出深い家を捨てられず、以前から認知症だった妻・智恵子は環境の変化に弱いこともあり、小野は智恵子ともども退去せず残ります。しかし、避難を勧めるため家にやってくる役場職員に申し訳ないという思いも。そして小野の下した決断は……。




今すぐにでも、日本のどこかで起こりうる話です。日本中の原発のほとんどが運転停止中ですが、運転停止であって廃炉ではありません。各原発の核燃料が撤去されたわけではなく、それらが漏れ出さないという保証はないのです。
 
パンフレットには「すべて福島で現実に起こっていることに基づいて『希望の国』は制作しました」とあります。ロケはその福島や、津波に襲われた町のシーンでは、実際に津波の被害の大きかった石巻が使われていました。
 
あどけない童女のような、大谷直子さん演じる妻の「智恵子」は、「高村智恵子」をイメージしています。ラスト近く、立ち入り禁止区域内にある夫婦の思い出の場所で、雪の中、盆踊りを踊るシーンは、九十九里浜で千鳥と遊んでいた「高村智恵子」とオーバーラップします。
 
「高村智恵子」はまがりなりにも夫・光太郎に最期を看取られ、病院のベッドでその一生を終えましたが、映画の「智恵子」は……。
 
大手配給会社の作品ではなく、上映館が限られていますが、ぜひとも御覧いただきたい映画です。くり返しますが、今すぐにでも、日本のどこかで起こりうる話です。他人事ととらえてほしくないものです。

福島二本松の智恵子のまち夢くらぶさんから、今年行われた「智恵子講座’12文集」をいただきました。このところ毎年送っていただいていますが、いつもながらに頭の下がる思いです。
 
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今年の活動記録、主宰者の熊谷氏、講師を務められた方々、参加者の皆さんなどの文章などが載っています。
 
いろいろなところで同じことをしゃべったり書いたりしていますが、こういう地方の顕彰活動のもつ意義、力というのは大きなものです。その意味では東京出身の文化人はあまりにも多く、東京で光太郎顕彰、といっても難しいものがあります。
 
特に昨年から今年にかけ、福島のみなさんは原発事故の被害で大変な思いをされています。そうした中でも文化的な活動を続けるということに、人間の崇高さを感じます。
 
さて、来年の活動計画も掲載されていましたので、抜粋して御紹介します。予定でしょうから、変更の可能性もあるかと思いますが。
 
 高村光太郎連翹忌出席 4/2 (ありがとうございます)
 智恵子講座’13 全7回 4/21~12/15 (おそらく当方も講師をやらせていただきます)
 智恵子のふるさと二本松探訪 岩代エリア名木巡り 4/21
 第9回智恵子生誕祭 「好きです智恵子青空ウォーク」 5/19
 第9回研修旅行 信州上高地 7/21・22
 智恵子純愛通り記念碑 第5回建立祭 9/15
 高村智恵子レモン忌出席 10/6 (主催は「智恵子の里レモン会」…他の団体です)
 智恵子のふるさと二本松探訪 東和エリア里山巡り 10/14
 
再来年(平成26年)11月にはパリ研修旅行も計画なさっているとのことです。
 
今後もがんばってほしいものです。

昨日まで全8回にわたり、11/24(土)に行われました第57回高村光太郎研究会にての当方の発表、「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」、昭和17年(1942)10月15日発行『海運報国』第二巻第十号に載った光太郎の随筆「海の思出」の検証について書きました。
 
その間に、別件でお手紙をいただいたり、光太郎がらみのテレビ放送があったりしまして、今日はその辺を御紹介します。
 
11/17に福島・川内村で行われた草野心平の忌日・かえる忌に関し、かわうち草野心平記念館長・晒名昇氏から『読売新聞』さんの記事コピーが届きました。翌日の全国版に載ったそうです。
 
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また、川内村では来年から米の作付けを再開するという記事も同封してくださいました。明るい話題ではありますが、「農家がどれだけ作付けを再開するかは不透明」「作っても売れるのか、という不安が残る」という記述もあり、手放しでは喜べませんね。
 
さらに、福島在住のかつて草野心平が刊行していた詩誌『歴程』の伊武氏から、今年7月の天山祭(やはり心平を偲ぶ催し)について書かれた『歴程』のコピーをいただきました。ありがたいことです。
 
福島といえば、「智恵子抄」。
 
11/29には、テレビ東京系の「木曜8時のコンサート~名曲にっぽんの歌~」に、二代目コロムビア・ローズさんがご出演。昭和39年(1964)のヒット曲、「智恵子抄」を披露されました。ローズさん、アメリカ在住で、時々帰国なさるとのこと。連翹忌にもご参加いただきたいものです。
 
翌30日には、BSジャパンの「小林麻耶の本に会いたい<本に会える散歩道 日比谷>」。評論家・山田五郎さんのナビゲートで、日比谷界隈の文学散歩でした。その中で約7分にわたり松本楼さんでのロケ。大正元年にこの松本楼を舞台に作られた詩「涙」の解釈と、作品に登場する氷菓(アイスクリーム)のレポートでした。松本楼の小坂哲瑯社長もご出演なさいました。昔ながらのアイスは、山田さん曰く「正しいバニラアイス、This is vanilla iceだね」。ただ、毎年ここで連翹忌が開かれているという話がなかったのが残念でした。
 
同番組、明日12/7の22:30~23:00で、再放送されます。見逃した方は是非ご覧下さい。

金曜の朝に東京・府中を出発し、福島・二本松、同じく川内村、そして府中まで、2泊3日、600㎞以上を運転しました。レンタカーのワゴン車、モンデンモモさん曰く「智恵子抄号」。
 
同乗者はモンデンモモさん、ピアニストの砂原ドルチェ嘉博さん、ヘアメイクの手塚祥子さん、モモさんのお弟子さんの茉那さん。当方、手塚さん、茉那さんとは初めてでした。道中、モモさん、砂原さんの業界の裏話やら、若い茉那さんの恋バナやらで盛り上がり、しっかり者の手塚さんがしっかり締め、楽しい珍道中でした。
 
行く先々でも新しい出会いがいろいろとあり、人の輪というのはこうやって広がってゆくんだな、と実感させられました。二本松信用金庫の皆さん、川内村天山心平の会の皆さん、お世話になりました。
 
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川内村小松屋旅館にある草野心平の書
光太郎の詩「晩餐」の一節です。
 
 
また、旧知の皆さんともお会いでき、さらにつながりを深められたと思っております。二本松では智恵子のまち夢くらぶの熊谷さん夫妻、詩人の木戸多美子さん、川内では元筑摩書房の編集者でかわうち草野心平記念館長の晒名昇氏、川内村教育長の石井芳信氏。
 
特に石井氏には、今朝、お宅にお邪魔して、奥様ともども川内の現状などに関する貴重なお話をお聞かせいただきました。津波の被害とはまた違う、目に見えない放射線の被害、しかし、あえて書きますがその補償を巡る金銭的などろどろした部分などなど……。
 
明日はまた上京して、原宿アコスタディオさんでのモモさんのコンサートです。なにやら当方にも出番が作ってあるとか。まぁ、光太郎智恵子の世界をひろめるためには労はいといません。
 
このブログをお読みの方で、「こういうことをやりたいのでてつだってほしい」という方、お声がけ下さい。

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今日も携帯からの投稿です。

現在地は福島県川内村。高村光太郎と親交のあつかった詩人、草野心平ゆかりの地です。こちらの旅館、小松屋さんを会場に、第2回天山心平の会「かえる忌」が行われました。

草野さんの命日は12日ですが土曜日にあわせての開催のようです。天山心平の会代表で小松屋さんのご主人、井出氏、かわうち草野心平記念館長・晒名氏、川内村長の遠藤氏他のお話、福島県議団と一緒にチェルノブイリ視察に行かれた地方紙河北新報記者の中島氏のレポート、そしてモンデンモモさんのミニコンサートなどがありました。

ところでなぜ「かえる忌」なのかといいますと、いくつか理由があります。草野心平が蛙をモチーフにした詩をたくさん書いたこと。川内村は、モリアオガエルの生息地であること。ここまでは事前にわかっていましたが、他にもありました。

原発事故で全村避難を余儀なくされ、しかし今年に入ってそれも解除、みんなで村に「帰る」という意味。

さらに川内村より原発に近く、帰るに帰れない区域の人々を受け入れ、村を「変える」というメッセージも込められているそうです。
「蛙」「帰る」「変える」。深いですね。

明日は移動日で東京に帰り、明後日は原宿アコスタディオさんでモンデンモモさんの「モモの智恵子抄2012」です。

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福島は二本松に来ています。

高村光太郎の詩に曲をつけて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサートツアーに帯同、今、演奏中です。

今日は二本松信用金庫さんの主催で、パーティー/イベントホール二本松御苑さんでの開催です。「レディースコンサート」と銘打ち、定番のシャンソンやポピュラー系がメインです。光太郎詩の曲も「樹下の二人」「あどけない話」などもプログラムに入っています。

百人ちょっとの集客を見込んでいたそうですが、フタを開けてみれば二百近いお客様。被災地福島でも、平日の夜に音楽を味わえる余裕ができてきたということでしょうか。

明日は同じく福島の川内村に回ります。

一昨日、昨日と、二代目コロムビア・ローズさんについて御紹介しましたが、今日まで同じネタで行かせていただきます。
 
下の画像は昭和39年(=1964)8月、日本コロムビア発行の冊子「智恵子のふるさとを訪ねて」です。全26頁で、ソノシートが4枚付いています。おそらく「智恵子抄」のヒットを受けて発行されたものだと思います。
 
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26頁にわたってローズさんの写真がたくさん載っていますが、興味深いのは二本松周辺で撮影された写真が多いこと。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状が出され、その贈呈式のため二本松を訪れた際のものです。
 
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智恵子の生家や安達太良山、阿武隈川河畔、二本松霞が城など、智恵子のゆかりの地でのショットも多く、特に生家では昭和30年代に撮影された写真は他でほとんど見たことがなく、貴重なものだと思います。
 
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この当時、というか、とっくの昔に長沼家は人手に渡っており、建物も結構荒れていたようです。それが80年代終わりの頃の竹下内閣のときのふるさと創成事業で全国のすべての自治体に1億円が給付され、それを使って現在の形に整備されました。それがなかったらもはや朽ち果ててしまっているのではないかと思います。そう考えると、当時の安達町の英断には感心します。
 
花巻では昭和20年から光太郎が7年間暮らした山小屋が「高村山荘」として保存されています。ところが千葉の九十九里にかつてあった、智恵子が昭和9年に療養していた家(田村別荘)は、しばらくは移築されて保存されていたのに、地元の無理解と感情的な行き違いから解体されてしまいました。残念なことです。何でもかんでも古いものを保存すべきとも思いませんが、だからといって、これもどうかと思います。高村山荘やら智恵子の生家やらが残ることによって、光太郎智恵子の記憶が残り続ける契機になるわけですから。
 
「断捨離」などという言葉が流行りですが、同じことは古い書籍やレコードなどにもいえると思います。今回紹介した「智恵子のふるさとを訪ねて」なども、よくぞ残っていた、という感じです。明日はその辺を。

昨日のブログで歌手の二代目コロムビア・ローズさんにふれました。今日も追加で。
 
ローズさん、「智恵子抄」のヒットで、その後、「文芸歌謡」路線で行ったようです。「たけくらべの歌」(昭和39年=1964)、「二十四の瞳」(同40年=1965)などの歌をリリースしています。「二十四の瞳」のB面は「智恵子のふるさと」という歌です。これらはみな作詞・丘灯至夫、作曲・戸塚三博とのトリオで制作されました。
 
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智恵子のお膝元、二本松では「智恵子抄」と「智恵子のふるさと」を一本に収録したカセットテープが、平成11年に販売されました。
 
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「智恵子抄」、いろいろな方がカバーしています。
 
昭和45年(1970)には西尾和子さんの歌でリリース。これはTBS系で放映されたドラマ「智恵子抄」(木村功・佐藤オリエ主演)の主題歌として新たに録音されたものです。
 
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また、平成17年には三代目コロムビア・ローズさんの歌で、シングル「異国の華~お春物語~」のカップリングになっています。
 
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その他にも歌として、あるいはインストゥルメンタル(歌なし)で、いろいろな方がカバーしています。そのあたりはいずれ当方発行の冊子『光太郎資料』にて詳述したいと思っています。

昨日に引き続き、テレビ放映の情報です

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~

地上波テレビ東京  2012年11月15日(木) 19時58分~20時54分

番組概要
演歌・歌謡曲を中心に、1時間たっぷりとお送りします。 歌は時代を映す鏡……。歌を聴くと、自分の青春時代や、懐かしい結婚当初の頃、子どもとの思い出など、その時その時を思い出させてくれます。 視聴者の方が、懸命に生きてきた時代を思い出しながらじっくり聴けるよう、トークは控えめに、名曲の数々をお届けします。

出演者
ゲスト 大月みやこ、小柳ルミ子、三船和子、大川栄策、三笠優子、二代目コロムビア・ローズ、笹みどり、木村友衛、石川ひとみ、麻倉未稀、伊藤敏博、大泉逸郎
司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)

曲目(1)
『お久しぶりね』小柳ルミ子 『孫』大泉逸郎 『女の駅』大月みやこ 『さざんかの宿』大川栄策
『夫婦舟』三笠優子 『浪花節だよ人生は』木村友衛
『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』麻倉未稀 『下町育ち』笹みどり

曲目(2)
『サヨナラ模様』伊藤敏博 『だんな様』三船和子 『まちぶせ』石川ひとみ
『智恵子抄』二代目コロムビア・ローズ 『わたしの城下町』小柳ルミ子 『白い海峡』大月みやこ

というわけで、二代目コロムビア・ローズさんがご出演。昭和39年(1964)のヒット曲、「智恵子抄」を歌います。
 
二代目コロムビア・ローズさん。昭和37年に「白ばら紅ばら」でデビュー、「智恵子抄」でブレイクし、紅白歌合戦出場を果たしました。当時は紅白に出る、というのは大変なことでした。現在は米国・ロサンゼルスにお住まいで、時折日本に帰ってきてテレビ出演等をされています。
 
「智恵子抄」。作詞は故・丘灯至夫氏(大正6年=1917~平成21年=2009)。舟木一夫さんの「高校三年生」やアニメ「ハクション大魔王」主題歌なども手がけています。智恵子の郷里、二本松に近い福島県・小野町の生まれです。郡山商工学校卒業後、戦前には二本松電気株式会社や毎日新聞福島支局に勤務していた経験もあるそうです。そうした縁もあるのでしょうか? 二本松・旧安達町地区ではこの歌が防災無線の時報チャイムに使われたり、小学生でも歌えたりします。
 
下の画像は昭和39年発売のオリジナル版EPレコードのジャケットです。 
 
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当方、ローズさんに関しては過去の映像として見たことはありますが、リアルタイムでは存じません。興味があるので「木曜8時のコンサート」、見てみようと思っています。皆様もぜひどうぞ。

一昨日のブログで御紹介しました11/17(土)、福島川内村でのイベントです。
 
川内村では光太郎を敬愛してやまなかった詩人・草野心平を名誉村民に認定しています。心平についてはいずれまた詳しく書きたいと思っています。
 
心平は蛙をモチーフにした詩をたくさん残しました。その名もずばり「蛙」という題名の詩集まであります。下の画像は函で、文字は光太郎の筆跡です。

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川内村は原発事故で一躍有名になってしまった村ですが(先頃、天皇皇后両陛下が訪問されました)、もともとモリアオガエルの生息地ということで、「蛙の詩人」心平とゆかりができ、蔵書3000冊を村に寄贈、「天山文庫」として親しまれています。
 
さて、11/17(土)は、午後2:30から、村内の小松屋旅館さんで、心平を偲ぶ「かえる忌」が開かれます。心平の命日は11/12ですが、土曜日にあわせて行うようです。当方、初めての参加で、勝手がわかりませんが、おそらく紅葉も美しく色づいていることと思い、楽しみにしています。そのイベントの中で、モンデンモモさんのライブも入るとのこと。光太郎、心平、そして宮澤賢治の詩に曲をつけて歌います。会費2,500円だそうです。
 
こういうイベントへの参加も被災地復興のための一つの方策だと思います。お時間のある方、ぜひお越しを。

別件です。テレビ放送の情報を1件。

2012年11月7日(水) 20時00分~20時54分 テレビ東京系
 
野村真美と小林綾子が秋の青森を巡ります!紅葉の名所、奥入瀬渓流、十和田湖や今注目の「もみじ山」へ!さらに「酸ヶ湯温泉」ランプの宿「青荷温泉」など名湯も堪能!

番組内容

秋の青森の紅葉スポットめぐり!錦色に染まる奥入瀬渓流は「雲井の滝」など水の流れと紅葉の彩りが鮮やか。遊覧船で楽しむ「十和田湖」も見ごたえ十分。夜は川のせせらぎが心地よい温泉宿に宿泊。夕食は地元のリンゴをふんだんに生かしたリンゴ会席を堪能。2日目はオトクで新鮮な海鮮丼が人気の市場や千人風呂で有名な「酸ヶ湯温泉」、今注目の名所「中野もみじ山」、秘湯「青荷温泉」のランプの宿などを満喫。秋のオススメ旅!

出演者
 旅人 野村真美、小林綾子  ナレーション 大和田伸也

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ぜひご覧下さい。

昨日のブログで速報したものについて、何回かに分けて詳報します。
 
まず、「宇宙人」シャンソン歌手、モンデンモモさんのコンサート。

期 日 : 2012年11月16日(金)
会 場 : 二本松御苑 福島県二本松市金色久保222-7
時 間 : 18:00~
料 金 : 500円(コーヒー&ケーキ付)

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光太郎の「智恵子抄」の詩にご自分で作曲なさった曲をつけ、歌われているモモさん。本業はシャンソンです。

この「まつしんレディースクラブ特別企画 モンデンモモ ♪谷間に三つの鐘が鳴る♪」では、シャンソンやポピュラー系を中心に、「智恵子抄」の曲も織り交ぜて、というコンセプトだそうです。
 
「まつしん」は「二本松信用金庫」。上記のチラシでは「まつしん各営業店窓口にて入場整理券を購入してください」となっていますが、地元でない方など、直接モモさんにお問い合わせ下さい。コーヒー、ケーキ付きで500円だそうです。5,000円じゃありませんよ、500円、ワンコインです。
tel080-6772-3746  fax 042-316-7223   mondenmomo@mac.com
 
曲目は 百万本のバラ ラストダンスは私と 誰よりも君を愛す 愛の讃歌 聖母たちのララバイ 谷間に三つの鐘が鳴る ハナミズキ 夜明けの歌 カーネーション など。伴奏はピアニスト、砂原嘉博さんです。 
 
会場はパーティー/イベントホールの二本松御苑さん。
 
秋の夜、素敵な歌声とピアノの調べに身をゆだねてみませんか?

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