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3件ご紹介します。

まず、智恵子の故郷・福島の地方紙『福島民報』さん、6月2日(日)の一面コラム。

あぶくま抄

「日本百名山」の出版に先立つ1960(昭和35)年の晩秋、著者の深田久弥さんは安達太良山に登る。万葉集や高村光太郎の詩にうたわれる文学性に憧れていた。岳温泉の食堂の2代目で安達高山岳部OBの佐藤龍一郎さんと、後に郡山市長を務める藤森英二さんの青年2人が案内した▼中腹のくろがね小屋で温泉に漬かって1泊すると、翌朝は雪。霧にも包まれた中、的確な先導で登頂を果たす。著書「わが愛する山々」につづられている。今、食堂を守る3代目が店先に立てた看板には、同伴した父の誇らしげな山男姿の写真がある▼父子の絆は二本松の酒蔵にも受け継がれている。蔵元の男性は安達太良山の古名にちなむ酒「甑峯[こしきみね]」を背負い、今年も山開きに参加した。亡くなった先代がぜひ、その名を冠した酒を造りたいと願っていた。先代は明治大山岳部で冒険家の植村直己さんの後輩だった。仕上がった酒の味わいは山好きの思いを映し、「晴れた空のよう」とも評される▼あれが阿多多羅山―と、光太郎は妻智恵子の郷里を慈しんだ。名峰がよこすやまびこは、たくさんの面影を乗せてくる。百名山の中でもひときわ輝く光を放って。安達太良山のほんとの空に。

かの『日本百名山』で安達太良山も選出し、今回の『福島民報』さん同様「樹下の二人」(大正12年=1923)や「あどけない話」(昭和3年=1928)を引用してくれた深田久弥。地元の人々との交流もひとかたならぬものがあったのですね。

続いては、『山陰中央新報』さん、6月1日(土)の掲載分。

きょうの歴史

▽「青鞜社」設立(1911年)

 女性運動家の平塚らいてうら女性5人が東京の駒込で発起人会を開き、文芸集団「青鞜社」を設立した。9月に日本初の女性文芸誌「青鞜」を創刊。

智恵子がその表紙絵を描いた『青鞜』。発刊は明治44年(1911)9月でしたが、発起人会は6月1日だったそうですが、あまりその日付は意識していませんでした。

ちなみに会場は「東京の駒込」とありますが、当時の本郷区駒込林町の物集和子邸。跡地(現在はマンション)には文京区教委による「青鞜社発祥の地」の案内板が建っています。和子の父は国文学者・物集高見でした。現在は駒込というより千駄木です。JRの駒込駅からはそこそこ離れています。山手線だと日暮里駅や西日暮里駅の方が近い感じです。かつての森鷗外邸・観潮楼(現・文京区立森鷗外記念館)はすぐ目の前、光太郎智恵子の愛の巣のアトリエ兼住居も、翌年、彼我の距離に竣工します。
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発起人は5人。らいてう、物集、木内錠子、保持研子、中野初子。おそらくこの席上では智恵子に表紙絵を依頼することは決まっていたのだと思われます。

最後に埼玉県東松山市の広報誌『広報ひがしまつやま』今月号、市民の皆さんの投稿文芸欄。
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短歌の部の二首目、「主夫として家事に勤しむ連翹忌歩行器の妻の後ろを歩む」。「連翹忌」の語を入れて下さいました。ありがたし。

同市は亡くなった元教育長の田口弘氏が光太郎と交流があり、さらにそこに氏と意気投合した高田博厚がからんで、光太郎関連のもろもろが同市に残されていますので、「連翹忌」の語も意外と自然に出てくるのではないかと思われます。それでも「「連翹忌」って何?」という方のために選者氏が「連翹忌は四月二日の高村光太郎の命日」と解説して下さいました。

よく書いていますが、「「連翹忌」って何?」程度ならともかく「高村光太郎って誰?」という世の中にならないよう、活動を続けていきたいものだとあらためて思っておりますので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

暗愚は暗愚なりに書きたいものを書く外ありません。


昭和22年(1947)11月23日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎65歳

この年発表した、自らの生涯を振り返り、戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」が念頭に置かれています。何だかんだ言いながら結局筆を折ると言うことをしなかった光太郎、つくづくクリエイティブな人間だったんだな、と思います。

5月19日(日)、当方が智恵子の故郷・福島二本松で開催された「高村智恵子生誕祭」に参加しておりました同日、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山は第70回山開きでした。今年のキャッチフレーズが「絵になる、詩になる、ほんとの空。」。ありがたし。

同日、NHK福島放送局さんのローカルニュース。

安達太良山で山開き

 二本松市や猪苗代町などにまたがる安達太良山で、19日、山開きが行われ多くの登山客でにぎわいました。
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 磐梯朝日国立公園内にある安達太良山は、標高およそ1700メートルで、「日本百名山」の1つに数えられ毎年、多くの登山客が県内外から訪れます。
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 19日は今シーズンの山開きで、二本松市の奥岳登山口では午前8時から安全祈願祭が行われ、地元の関係者らが玉串をささげて登山の安全を祈りました。
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 訪れた大勢の登山客は山頂を向かって登り始め列をつくって進んでいきました。
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 19日は雲の切れ間から青空も見え、山の中腹では、安達太良山の山頂と周囲に連なる山々の風景や眼下に望む町並みなどを写真におさめて楽しんでいました。
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 千葉県から訪れた70代の女性は「気持ちいです。ことしは70回目の山開きということで、楽しみして来ました」と話していました。
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 また、仙台市から訪れた50代の男性は「智恵子抄でいう“ほんとの空”が見えたなと思いました。山登りは苦しいですが、景色を見ると疲れがとれます」と話していました。
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 二本松市によりますと昨シーズンの奥岳登山口からの登山者は9万7000人余りで、今シーズンも10万人ほどを見込んでいるということです。
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翌日の地方紙『福島民友』さん。

安達太良山、70回目の山開き 「ほんとの空」と絶景満喫

013 二本松市などにまたがる日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)で19日、第70回山開きが行われた。節目の年となった今回は県内外から昨年を千人ほど上回る約5千人が訪れた。登山道や岩場を踏みしめながら山頂を目指し、眼下に広がる絶景のパノラマを満喫した。
 青空が広がる中、登山者は新緑が生い茂る雄大な景観を眺めながら歩みを進めた。山頂では安達太良連盟が70回記念のピンバッジとペナントを登頂者に配布した。二本松市から毎年訪れている根本和子さん(64)は「汗をかきながら登ってきた。頂上で食べるお弁当が楽しみ」と笑顔で話した。
 安全祈願祭は安全面などを考慮し、会場を山頂から奥岳登山口(二本松市)に移して行われた。安達太良連盟会長の三保恵一市長、安達太良山観光大使でタレントのなすびさん(福島市出身)らが無事故を願った。

同紙ではYouTubeさんに動画もアップして下さいました。


途中の薬師岳パノラマパークに聳える「ほんとの空」木柱が取り上げれています。多謝。
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『福島民報』さん。

本格的な登山シーズンの到来、多彩な行事で祝う 安達太良山開き 「ミズあだたら」に橋本さん(福島県三春町)

 日本百名山の一つ、安達太良山(1、700メートル)で19日に行われた山開きでは、本格的な登山シーズンの到来を多彩な行事で祝った。登山者は〝ほんとの空〟の下、美しい自然の中を歩いて山頂を目指した。
【安全祈願祭】奥岳登山口で二本松市の塩沢神社の滝本和栄宮司による神事に続き、安達太良連盟会長の三保恵一二本松市長が「安達太良山の春はツツジやシャクナゲ、様々な草花、秋は紅葉、冬は雪山と四季を通じて楽しめる。多くの人に楽しんでほしい」とあいさつした。
【山頂】県内外からの登山客でにぎわった。家族連れやグループが昼食を取ったり、眼下に広がる雄大な景色を背に記念撮影する姿が見られた。福島市出身のタレントで安達太良山観光大使のなすびさんとの写真撮影も行われ、登山客が列を作った。
【ミズあだたらコンテスト】出場した女性38人の中から「ミズあだたら」に選ばれた三春町の主婦橋本由香里さん(54)は「I LOVE 安達太良山」と書かれた特製ボードを用意して審査に臨んだ。「70回の節目に選ばれてうれしい。また参加したい」と笑顔を見せた。
【ペナント】山頂で70回記念のピンバッジとペナントを配った。バッジは直径2・5センチで、残雪の安達太良山の写真に「70th 安達太良山 山開き 標高1700M 2024.5.19」と記されている。
【あだたらマルシェ】奥岳登山口で初開催し、周辺の観光案内、軽食、アクセサリーなど11のブースが並んだ。登山客に二本松食や魅力をアピールした。
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ところで、山開きは終わってしまいましたが、こんなイベントが開催されます。

第23回オリエンテーリングあだたら高原大会・あだたら高原ロゲイニング大会

期 日 : 2024年6月2日(日) 雨天決行
会 場 : あだたら高原・岳温泉周辺(福島県二本松市)
時 間 : 7:15 ロゲイニング5時間受付
       8:00 ロゲイニング5時間スタート
       8:15 開 場
       9:15 ロゲイニング3時間スタート
       9:45~グループクラス初心者説明(※)
       10:00~オリエンテーリング個人スタート
       10:15 オリエンテーリンググループスタート
       13:30 フィニッシュ閉鎖(予定)
       14:30 閉 場
料 金 : 
 オリエンテーリング
  個人クラス 2,200円(大学生以下1,700円、当日申込は3,000円)
  グループクラス・個人初心者クラス
  小中学生 500円/名(当日申込は700円)※未就学児は無料
  高校生以上 1,000円/名(当日申込は1,200円)
  個人初心者 1,500円/名(当日申込は2,000円)
  Eカードレンタル (※個人クラス、個人初心者クラス)300円
 ロゲイニング  中学生 1,000円 高校生以上 3,000円

 今年も、オリエンテーリング(ミドルディスタンス競技と家族・グループ向けのスコアO)とロゲイニング(3時間、5時間)と多彩な内容で皆様の参加をお待ちしています。
 恒例の「温泉無料券」の配布と「宿泊助成券」が当たる抽選会も予定しています。
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キャッチコピーが「歩いて 楽しんで 「ほんとの空」を探そう」。「ほんとの空」の語を冠されてしまっては、紹介しないわけに参りません(笑)。

申込は今日まで。我こそはと思う方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彫刻の正当な製作物が資材の関係でまだ三四年は得られないので少々遺憾ですが、小生はあせりません。人体に対する渇望は嘔吐をもよおすほど強いのですが、今はこらへてゐます。そして健康と精力との涵養につとめてゐます。七十歳を目当にしてゐます。


昭和22年(1947)9月29日 水澤澄夫宛書簡より 光太郎65歳

この頃から、彫刻は封印、という方向に梶を切り始めたようです。

5月18日(土)、翌日の二本松市での智恵子生誕祭が午前9時開会と早めだったこともあり、郡山市に宿泊しました。そこでこの日は少しゆっくりめに千葉の自宅兼事務所を出、寄り道しながらの行程でした。

立ち寄り先は田村郡小野町の「ふるさと文化の館」さん。
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こちらの一角に、同町出身の作詞家・丘灯至夫を顕彰する丘灯至夫記念館が含まれています。
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丘灯至夫の代表作は、舟木一夫さんが歌った遠藤実作曲「高校三年生」。それ以外にも、令和2年(2020)に放映された朝ドラ「エール」で効果的に使われた共に古関裕而作曲の「長崎の鐘」や「高原列車は行く」、さらにはアニソンで「ハクション大魔王」、「みなしごハッチ」などの作詞も手がけるなど、幅広く活躍しました。

そして昭和39年(1964)には、二代目コロムビア・ローズさん歌唱の「智恵子抄」。
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安達太良山が謳い込まれ、二本松市ではソウルソングとして防災無線の正午のチャイムにも採用されています。5月19日(日)にもちょうど光太郎詩碑のある鞍石山で聞きました。

記念館には「智恵子抄」に関わる展示も為されていて、平成25年(2013)に一度お邪魔いたしました。

今回は、今年、丘灯至夫の伝記漫画が出版されたということで、そちらにも「智恵子抄」に関わる部分があるだろうと思い、それをゲット出来ないかと考えての訪問でした。

小野町の広報誌『広報おのまち』今月号の記事。
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伝記漫画は、B&G財団さんの助成を受けて刊行。同じシリーズで昨年、岡山県赤磐市さんで、光太郎と交流のあった詩人・永瀬清子のそれが刊行されています。B&Gさん、広く全国で「ふるさとゆかりの偉人マンガ」シリーズの助成を行っています。

丘灯至夫の伝記漫画に関して、先月出た『福島民報』さんの記事。

丘灯至夫さんの伝記漫画完成 故郷の福島県小野町でお披露目 「高原列車は行く」「高校三年生」など作詞

 福島県小野町の名誉町民で作詞家の丘灯至夫さん(1917〈大正6〉年~2009〈平成21〉年)の伝記漫画が完成し、町が27日に町内でお披露目した。「高原列車は行く」「高校三年生」などの国民的ヒット曲を世に送り出した人生が描かれており、町民の郷土愛を育むために活用される。
 漫画は「小さな巨人」のタイトルでB6判100ページ。幼少期は病弱だった丘さんが新聞記者となり、詩人の西條八十さんや作曲家の古関裕而さん(福島市出身)らと出会いながら作詞家として活躍していく姿を伝える。小野町の豊かな自然も描かれている。
 町民らでつくる製作実行委員会が構成を考え、シナリオを高見沢功さん(猪苗代町)、作画を吉川むつみさん(郡山市)が担当した。3500冊を作り、全戸に配布するほか、町の図書館にも配置。小中学生の授業で教材として活用し、郷土の将来を担う人材育成に役立てる。秋には作詞コンクールを計画している。
 B&G財団(本部・東京都)の「ふるさとゆかりの偉人マンガ製作と活用事業」に採択され、費用の一部について補助を受けた。同財団のホームページで漫画を無料公開し、全国の人に見てもらう。
 27日は丘さんの記念館を併設する町ふるさと文化の館でお披露目式が行われ、村上昭正町長や丘さんの長男西山謹司さん(千葉県)らがテープカットした。西山さんは「私が知らない父の姿も描かれている。漫画になって里帰りでき、父も光栄だと思う」と謝意を述べた。漫画の完成を記念し、館内で8月25日まで丘さんの特別記念展が開かれている。
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「小野町ふるさと文化の館」内には町立図書館さんもあり、そちらに置いてありまして、拝読。予想通り「智恵子抄」に関する部分がありました。しかも、これは予想外でしたが、当会の祖・草野心平とのからみがそこにありました。それは後述します。

「よっしゃ」と思い、「これ、販売はしてますか?」ところが、答は「NO」。「では、コピー取れますか?」するとこちらも「NO」。残念ですが、いたしかたありますまい。8月頃にB&G財団さんのサイトで公開が為されるそうですので、その頃またご紹介します。

代わりに、というわけではありませんが、こんな書籍を無料で下さいました。『あの青春(ゆめ) この詩(うた) 丘灯至夫生誕100周年』。A4判100ページ程の豪華なものです。
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平成28年(2016)の刊行でしたので、以前に足を運んだ際にはこれはありませんでした。

こちらにも「智恵子抄」関連の記述。
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二本松出身の大山忠作画伯(女優・一色采子さんのお父さま)の描いた安達太良山の絵に、丘が歌詞を書き込んだ作品、こちらは記念館に展示されています。

下半分は、「智恵子抄」リリースの翌年、昭和40年(1965)に行われた「丘灯至夫・郷土訪問リサイタル」関係。二代目コロムビア・ローズさんもいらしたとのこと。写真に写っていますね。

丘灯至夫とローズさん、前年には二本松も訪れています。「智恵子抄」がそこそこヒットしたのを受けて日本コロムビアが発行したソノシートブック「智恵子のふるさとを訪ねて」。全26頁で、ソノシートが4枚付いています。
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この中に……
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ちなみにローズさんは智恵子生家、二本松霞ヶ城の光太郎詩碑、安達太良山などもご訪問。
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ところで上半分に戻りますが、「智恵子抄」リリースに際しては、すんなり行かなかったという記述があります。「高村光太郎を顕彰する会から作品化の許可がなかなかおりず、世に出るまでに大変な苦労がありました。しかし詩人・草野心平の助言などにより、『智恵子抄』(二代目コロムビア・ローズ:歌)は昭和39年に世に送り出されたのです」。

『あの青春(ゆめ) この詩(うた) 丘灯至夫生誕100周年』後半には丘自身の回想も。平成20年(2008)、福島ペンクラブの会合の中でで行われた座談会的な催しの一節、聞き手は元NHKアナの宇田川清江さんです。

酒飲まされて作った「智恵子抄」

宇田川 先生、「智恵子抄」は二代目コロムビア・ローズですね。この曲はレコード会社から言われたというより、先生がご自分で書きたいと思われた歌、と伺いましたが…。
丘 これは二本松の歌ですから高村光太郎の詩集「智恵子抄」から頂いてこしらえたものです。実は二本松には「高村会」というのがあって、高村先生の銅像とか作品の碑とかを守っていこうという会なんです。その会から「智恵子抄を歌にするのは罷りならん」と言われたんです。高名な詩集をモチーフにした歌謡曲をぜひ出したい、という思いが強かったんです。そしたら高村会の中に先輩詩人の草野心平さんがいたんです。そこで心平さんに頼みに行ったら「まず、酒を飲め」という。この酒がただものじゃないんです。口に入れると火の出るような、燃えるような酒。「これを一杯飲んだら許してやる」ってんで飲みました。酒を飲んで作詩したのはこれが初めてです。そして「この詩ならいいだろう」と許しを受けました。二代目コロムビア・ローズさんもよくて、これが紅白歌合戦にも出ました。


「酒」はたぶんウオッカだと思うのですが、むちゃくちゃですね、心平(笑)。「1日に摂取していた平均アルコール量は、一般の約3倍」だそうでしたから、これ以外にも、酔いつぶれた心平が目を覚ますと駒込林町の光太郎アトリエのベッドで、ベッドの下にはゲロを吐いた跡がきれいに拭き取られ、光太郎はアトリエのソファーで冬なのに毛布一枚で寝ていたとか、心平が一時期勤めていた『東亜解放』(光太郎が斡旋?)の取材で秋田に行った際、早くも1日目で取材費を呑み尽くし、光太郎に電報為替で金を送ってもらったとか、中原中也・心平がタッグを組んで、太宰治・壇一雄のコンビと居酒屋で大乱闘を演じたとか、酒にまつわるエピソードには事欠きませんが。

二本松の高村会というのは誤りで、おそらく東京の高村光太郎記念会のことでしょう。理事長は光太郎実弟の豊周、事務局長は当会顧問であらせられた北川太一先生、心平もメンバーでした。このころ記念会では、花巻の「一億の号泣」詩碑の問題「智恵子抄裁判」のゴタゴタなどで、神経を尖らせていました。

ところで丘作詞の「智恵子抄」。つい先週『サンケイスポーツ』さんに載った記事に記述がありました。

美貴じゅん子が新曲発売イベント 来年6月にデビュー30周年パーティー開催

000 演歌歌手、美貴じゅん子(50)が15日、東京・六本木クラップスで新曲「海峡流れ星」の発売イベントを開催した。
 タイトルにちなみ流れ星がデザインされた着物姿で登場し、同曲や「放浪(さすらい)かもめ」など全15曲を熱唱。初めてリクエストコーナーを行い、千葉紘子(79)の「折鶴」や二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を披露して会場を沸かせた。
 2021年に17年ぶりのシングル「土下座」で復帰したことにふれ、「新曲が出せない時期が長くあったので、新曲を出せることには人一倍強い思いがあります」と力を込め、「新曲を出せない時期にお世話になり励ましてくれた方々に少しでも恩返しができるよう頑張ります」と誓った。
 デビュー30周年パーティーを来年6月22日に東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開催予定であることも発表し、「女手一つで育ててくれた84歳の母に報告します」と喜んだ。

他紙でも同一イベントは紹介されていましたが、「智恵子抄」に触れられていたのはサンスポさんだけだったようです。

美貴じゅん子さん、先月NHK BSさんでオンエアがあった「新・BS日本のうた」でも「智恵子抄」を歌われました。持ち歌の一つとして下さっているという感じなのでしょうか。ありがたいところです。
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同じく持ち歌にして下さっていた森昌子さんは引退なさり、「智恵子抄」CDもリリースされた「三代目コロムビア・ローズ野村未奈」さんは「コロムビア・ローズ」を返上なさり、本名である「野村美菜」さんに改名され、「智恵子抄」は歌われていないようですし。

先述の通り、二本松市では防災無線の正午のチャイムは「智恵子抄」ですが、それ以外の部分でも、さまざまな人間ドラマの詰まった「智恵子抄」、歌い継がれていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

そしていはゆる「詩」からの脱走はますます意識的に烈しくなるでせう。いはゆる「詩」をますますふみにじるでせう。それが別個の詩を生むか生まないか、それはずつと後の人が知るでせう。


昭和22年(1947)9月29日 水沢澄夫宛書簡より 光太郎65歳

昨日も同じ書簡の中の別の部分を取りあげましたが、この年雑誌『展望』に発表した連作詩「暗愚小伝」20篇に対し、直接光太郎に書簡を送って「詩的情調に欠けている」的な批判をした美術評論家・水澤への返信の一節です。

元々、そういう意識が強かったのですが、翌年には詩「おれの詩」で「おれの詩は西欧ポエジイに属さない。/二つの円周は互に切線を描くが、/つひに完くは重らない。」と書き、やや後の昭和25年(1950)には「藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。」(「詩について語らず――編集子への手紙――」昭和25年=1950)とも書いています。

無論、15年戦争中、愚にもつかない翼賛詩を連発してしまったことへの悔恨、そこからどう立て直していけばいいのだろうという意識も込められた発言です。

一昨日、昨日と、一泊二日で福島県に行っておりました。

メインの目的は、智恵子の故郷・二本松市で昨日開催されたイベント。地元で智恵子顕彰にあたられている智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催の「第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~」でした。
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昨年もほぼ同一のイベントが行われたのですが、市内、特に智恵子生誕の地の旧安達町エリアを中心に、智恵子ゆかりの場所を見て回るというイベントです。ちなみに今日・5月20日が智恵子の誕生日です。

智恵子生家近くで開会式。
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6月1日(土)オンエア、東北6県向けの「ウイークエンド東北」という番組内で、光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存の件、さらに光太郎智恵子顕彰にあたる東北の人々というコンセプトで10分程の放映が行われるそうで、そのロケも入りました。

ちなみに4月2日(火)、当会主催の連翹忌の後、ご案内をお送りしたもののご欠席だった方々などに当日の配布資料等を後日発送したのですが、その中に今回のイベントの案内も同封しましたところ、静岡で文芸同人誌『岩漿』を主宰なさり、光太郎智恵子にも触れた文章を書かれている小山修一氏御夫妻もいらして下さいました。ありがたし。

智恵子生家。
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午前中はよい天気で、「ほんとの空」という感じでした。
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二本松市さんとしては、先月末から「智恵子生誕祭」期間。5月26日(日)までです。土日には紙絵制作のワークショップや通常非公開の生家2階部分の特別公開が行われています。
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一階の座敷を横目に土間を通り抜け、二階へ。階段を上ってすぐ、かつての智恵子の部屋です。
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奥は弟妹の部屋的な。
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生家裏手の智恵子記念館。紙絵の実物展示が5月12日(日)までだったのが少し残念でしたが。
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左の窓に映っているのは、昨秋の「高村智恵子レモン祭」期間中に開催されたワークショップ「みんなで作るシンメトリー展」で来場者の方々が作られた作品だそうです。

その後、夢くらぶさん会員の方々の車輌に分乗、ゆかりの地を巡りました。智恵子母校の油井小学校さん、JR東北本線安達駅前の智恵子像「今 ここから」(故・橋本堅太郎氏遺作)、満福寺さんの智恵子実家・長沼家墓所、生家裏手の鞍石山の詩碑など。
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最後は二本松市街、霞ヶ城。
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敷地内に昭和35年(1960)に建てられた光太郎詩碑。
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遠景には、安達太良山。
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銅板のプレートは三面あり、正面と背後は光太郎自筆を写しています。
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碑陰記的なプレートは、当会の祖・草野心平筆。
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ついでにご紹介しますが、この碑の近くには戊辰戦争で名を馳せた二本松少年隊を顕彰する碑も。
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レリーフ原型は橋本堅太郎氏父君の橋本高昇です。高昇、堅太郎氏父子共々、光太郎の父・光雲の流れをくみます。高昇は二本松出身、堅太郎氏は東京出身でしたが、のちに二本松市名誉市民に認定されました。 

さて、光太郎詩碑前で、参加者による光太郎詩朗読。
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泉下の光太郎智恵子も眼を細めているような気がしました。

この後、この場で昼食のお弁当をいただき、解散。

地味な活動ですが、アップデートしつつ継続していっていただきたいものです。

智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さんでは、この後もいろいろとイベント等企画されています。
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また近くなりましたらご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

貴下の絶対否定のお言葉をよんでなるほどと思ひましたが、小生はやはり貴下に憫れまれながら死ぬまで詩を書くでせう。詩は、小生内部からの自己爆破に備へる為の安全弁の作用をするので已むを得ません

昭和22年(1947)9月29日 水沢澄夫宛書簡より 光太郎65歳

水沢は美術評論家。光太郎がこの年雑誌『展望』に発表した連作詩「暗愚小伝」20篇に対し、直接光太郎に書簡を送って「詩的情調に欠けている」的な批判をしたようで、それに対する返答の一部です。

安全弁」云々は、遠く明治期の留学帰朝後からの光太郎の持論でした。

愛車を駆って一泊二日で福島県に来ております。

昨日は途中の田村郡小野町に立ち寄り、宿泊は郡山市郊外でした。

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昨夕、宿の近くから見た安達太良山です。

今日はこれから北上し、智恵子の故郷・二本松で開催される「高村智恵子生誕祭」に参加させていただきます。

詳しくは帰りましてからレポート致します。

明治19年(1886)5月20日、福島県安達郡油井村(現・二本松市)に生を受けた智恵子を偲ぶイベントです。

第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~

期 日 : 2024年5月19日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館とその周辺 福島県二本松市油井漆原町35
時 間 : 9:00~14:00
料 金 : 2,000円(お弁当付き)
主 催 : 智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~


高村智恵子ゆかりの地を説明付きで巡ります。霞ヶ城公園の「智恵子抄」詩碑前で参加者の詩朗読。
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昨年も参加させていただきました。要項に記載がありませんが、主催の「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」の方の車輌に分散しての移動です。行程はほぼ同一ですが、それぞれの場所で智恵子や光太郎の息吹が感じられますので、なかなかよい試みかと。

特に智恵子生家は現在、通常非公開の二階部分(智恵子居室や光太郎も泊まった部屋)の公開が為されています。智恵子の実家・長沼家は裕福な造り酒屋だったですので、しつらえのあちこちに工夫が垣間見えして、古建築好きの方にもおすすめです。
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ちなみに智恵子の父・今朝吉は、家業の造り酒屋以外にも、同じ福島の白河にあった白河醸造の監査役も務めていました。まぁ、名誉職のようなものかも知れませんが。
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その父・今朝吉が大正6年(1917)に歿し、弟・啓助があとを継ぐと家業はどんどん傾き、昭和に入ると恐慌のあおりで破産してしまいましたが。

昨年と異なるのは最後の「参加者による詩の朗読」の場所。昨年は生家/記念館裏手の鞍石山にある「樹下の二人」詩碑前でしたが、今年は二本松城(霞ヶ城)内の智恵子抄詩碑前で行うそうです。

昨日書いた安達太良山間の山開きが同日で、どちらに参加しようか迷ったのですが、こちらを選びました。

話せば長いことながら、光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動の関係で、とりまとめ役の曽我貢誠氏がNHKさんに連絡をとったところ、仙台放送局のディレクター女史が4月2日(火)の連翹忌にご参加下さり、アトリエ保存の件、さらに光太郎智恵子顕彰にあたる東北の人々というコンセプトで6月1日(土)、東北6県向けの「ウイークエンド東北」という番組内で10分程の放映が行われることになりました。そのロケも入ると云うことで、こちらに参上しようと決めた次第です。

他に光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に料理を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの取材も為されたとのこと。

この件はまたのちほど詳しくご紹介いたします。

さて、第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

待望のクマゼミ到着、感謝に堪へません。よく捉へられたものです。小生は先年つひに失敗、今まで熟覧出来なかつた蟬です。実に美しいので今夏中に彫刻したいと思つてゐます。


昭和22年(1947)8月6日 東正巳宛書簡より 光太郎65歳

東は三重県在住。光太郎の求めに応じ、東日本では珍しいクマゼミ標本を送りました。

さらに東からは彫刻用の椿の木材、ヤギという珊瑚の一種なども送られ、光太郎はこれらで蟬を彫ったようです。ただし、作品として発表することはせず、技倆を鈍らせないための鍛錬などのためという側面が強かったようです。

実際に蟬の彫刻の目撃談が複数あり、宮沢賢治実弟・清六の妻に木彫(?)の帯留めも贈りました。ただし現存が確認できていません。

この頃の短歌で「太田村山口山の山かげに稗をくらひて蝉彫るわれは」という歌もあり、揮毫した色紙等も複数残されています。
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智恵子のソウルマウンテン、福島は二本松の安達太良山で山開きです。

第70回記念 安達太良山山開き 絵になる、詩になる、ほんとの空。

期 日 : 2024年5月19日(日)

奥岳登山口(あだたら高原スキー場)でのイベント
 ①安全祈願祭【午前8時~】
  1年間の安達太良山登山の無事を参加者で祈願します。
  (荒天時はランデブー内で実施します)
 ②あだたらマルシェ【午前9時~(予定)】
山頂でのイベント
 ➀ペナント配布【午前9時30分~】
  先着3,000枚を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ②70回記念ピンバッジ配布【午前9時30分~】
  先着500個を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ➂ミズあだたらコンテスト【午前11時~】

福島県出身のタレントなすびさん(安達太良山観光大使)が今年の70回記念山開きに参加!! ぜひ一緒に登山を楽しみましょう!!(記念撮影可能)
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二本松市さん発行の『広報にほんまつ』今月号にも情報が。
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同誌では、市長さんのコーナーでも山開きをメインに。「智恵子抄」にも触れて下さいました。ありがたし。
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今年のキャッチフレーズも「絵になる、詩になる、ほんとの空。」ということで、「智恵子抄」にからめて下さっています。多謝。

当方、コロナ禍前の令和元年(2019)に参加しました。翌年からはコロナ禍のため、大幅に規模を縮小しての開催が続き、昨年、4年ぶりに旧に復しました。

今年、久しぶりに参加しようかと考え、それにも使えるようにとワークマンさんで気合いの入った靴も買ったのですが(笑)、同じ日に二本松で智恵子顕彰団体・智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催のイベントがあり、天秤にかけた結果、そちらに参加することに致しました。

そちらについては明日、ご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

今夏東京の酷暑のひどかつた事は聞いていましたが、おてがみをよんで夏に弱い小生などたまらない気がしました。東京都の設計には気候調節の顧慮が必要のやうです。例へばラングーンの森林都市といふやうな。


昭和22年(1947)8月28日 安藤一郎宛書簡より 光太郎65歳

「ラングーン」は現・ヤンゴン。旧ビルマ(現・ミャンマー)の首都で、森の多い都市でした。

光太郎は安藤の骨折りで英文雑誌『リーダーズダイジェスト』を購読しており、そのあたりから情報を得ていたようです。

智恵子の故郷、福島二本松でのイベントです。二本松市さんの主催で、期間中、さまざまなコンテンツが用意されています。

高村智恵子 生誕祭

期 日 : 2024年4月25日(木)~5月26日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 水曜 ※祝日の場合は翌日
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料金

「智恵子の生家」は、明治初期に建てられた造り酒屋で、酒銘は「花霞」と言いました。智恵子は明治19年5月20日にここで生まれ、育ちました。

明治、大正、昭和と激動の時代を生きた智恵子の愛と美の軌跡をぜひご覧ください。

智恵子の生誕日5月20日(月)に来館された方には紙絵マグネットをプレゼントいたします。

 智恵子の生家 二階特別公開
  公開日 4月27日(土) ~4月29日(月) 
      5月3日(金)~5月6日(月) 11日(土)・12日(日)
      18日(土)~5月20日(月) 25日(土)・26日(日)
  通常公開していない「智恵子の居室」を特別に公開いたします。

 
奇跡といわれる「紙絵」実物展示
  展示期間 4月25日(木)~5月12日(日)
  展示場所 智恵子記念館展示室
 
 上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験
  開催日 5月18日(土)・19日(日)・25日(土)・26日(日)
  開催場所 智恵子生家
  上川崎和紙を使用し、智恵子の紙絵をモチーフとしたグッズを作成できます。

 みんなで作るシンメトリー展~展示編~
  開催日 4月25日(木)~5月26日(日)
  開催場所 智恵子記念館
  昨年開催の“レモン祭”で作製いただいた皆様のシンメトリー作品を展示いたします。
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これとは別に、地元の智恵子顕彰団体・智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さんが、「第17回高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂のつどい~」を5月19日(日)に開催します。また、同日は安達太良山の山開きも行われる予定です。それらはまた近くなりましたら詳細をご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

つい昨年まで水野君からいろいろの野菜の種子などをもらつてゐましたが、今年播種期になつて、もう水野君が居ないのだと強く悲しく思ひました。鶴首南瓜の種子も絶え、ブンズウ豆やセリフオンの種子だけはどうやら形見にのこりました。


昭和22年(1947)6月10日 押尾孝宛書簡より 光太郎65歳

「水野君」は水野葉舟。明治後期の第一期『明星』以来、光太郎の一番の親友でした。大正12年(1923)の関東大震災以後は東京を離れ、千葉の遠山村(現・成田市)で半農生活に入り、その意味では光太郎の大先輩でした。

先週から始まっています。

状況をわかりやすくするために、地方紙『福島民報』さん記事から。

桜の名所、巡って当てて 4月1日から「春のにほんまつドライブスタンプラリー」 福島県二本松市

 福島県二本松市の桜の名所を満喫する「春のにほんまつドライブスタンプラリー」は1日から30日まで催される。二本松城、安達ケ原、中島の地蔵桜、合戦場のしだれ桜、岳温泉桜坂など18のスポットを巡り、取得したスタンプの数に応じて豪華賞品が当たる。
 にほんまつDMOの主催、日本自動車連盟(JAF)福島支部の協力。スマートフォンの位置情報を使って各スポットでスタンプを集める。賞品は岳温泉宿泊券、安達太良山満喫コース(ロープウエー往復券とバーベキューセット4人分)、牛肉、特産品詰め合わせなど。
 スポットは次の通り。
 二本松城、蓮華寺、鏡石寺、本久寺、円東寺、安達ケ原ふるさと村、万燈桜(道の駅安達下り線)、智恵子の杜公園、ムトーフラワーパーク、合戦場のしだれ桜、道の駅さくらの郷、道の駅ふくしま東和、中島の地蔵桜、祭田の桜、岳温泉桜坂、日向の人待地蔵桜、島山・稚児舞台の桜、愛蔵寺の護摩ザクラ
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というわけで、智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園もスタンプ押印地点の一つに。
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数年前から桜の街で自薦している二本松市。東北はこれからが桜の本番ですし、また近くなりましたら詳細をご紹介しますが、今月末には毎年恒例の智恵子生家二階部分の特別公開、智恵子紙絵の実物展示などが始まります。
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ぜひ足をお運びの上、豪華賞品ゲットにチャレンジなさって下さい。

ちなみに豪華賞品は以下の通り。

 A賞 スタンプ18個で応募 岳温泉宿泊券3万円分 抽選で2名様
 B賞 スタンプ15個で応募 安達太良山満喫コース 抽選で3名様
  ロープウェイ往復券・レストハウスで使えるバーベキューセット券がそれぞれ4人分
 C賞 スタンプ15個で応募 エム牧場生体熟成和牛焼肉 抽選で3名様
 D賞 スタンプ10個で応募 二本松詰め合わせセット(1万円相当) 抽選で5名様
 E賞 スタンプ5個で応募 二本松詰め合わせセット(3,000円相当) 抽選で10名様
 F賞 スタンプ3個で応募 肌とうじ1枚 抽選で30名様
  「純米酒」と美肌の湯で有名な岳温泉の天然温泉を配合した、フェイシャルマスク

羊頭狗肉ではなく、実際に豪華ですね。応募方法など詳細はこちら

また、高村光太郎記念館さんを含む花巻市での同様のスタンプラリーも今月末に始まるようです。そちらも後ほどご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

桜温泉入浴から始まり、連日の御もてなしに心のびのびと数日を送り、せんかん楼のあつき褥に身を横たへて実に命ののびる思をしました。又山下新太郎の画に誘はれて思ひがけぬリンゴの詩を得たのも喜でした。


昭和22年(1947)5月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から花巻町市街地に出、太田村移住前に厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房邸に数日滞在、山に帰ってから送った礼状の一節です。

「桜温泉」は、佐藤邸の所在地が桜町だったためのもじり、「せんかん楼」は「潺湲楼」で、光太郎が太田村移住直前の1ヶ月起居していた佐藤邸離れです。

「リンゴの詩」は、佐藤邸で見せられた留学仲間・山下新太郎の絵を見てインスパイアを受け、即興的に作った詩。即興詩ではありますが、光太郎自身気に入ったようで、最晩年の昭和30年(1955)、交流の深かった美術史家・奥平英雄に贈った書画帖『有機無機帖』にもこの詩を書きました。
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リンゴばたけに 雨ふりて 銀のみどりの けむるとき リンゴたわゝに 枝おもく 沈ゝとして あかきかな

智恵子の故郷・二本松系の情報を。

まず、二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』。同市では毎月末に来月号をサイト上にアップしていまして、4月号です。

ここ数年、「桜の街」を謳っている同市ですので、毎年4月号は市内の桜関係の情報が満載。表紙も二本松城(霞ヶ城)の桜です。
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令和元年(2019)に同市で開催された「2019全国さくらシンポジウム」のキャッチフレーズ「ほんとの空にさくら舞う」が使われ続けています。
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市内の銘木紹介。智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園の桜が紹介された年もあったのですが、今年はありません。
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桜がらみのイベント情報。

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臨時バス情報。こちらは智恵子生家/智恵子記念館も行程に入っている「二本松春さがし号」にも触れられています。
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ただし、思いのほか開花が遅れたということで、3月29日(金)~4月7日(日)だった当初運行予定が変更となり、1週間先送りで4月5日(金)~4月14日(日)となったそうです。広報では訂正が間に合わなかったようです。
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過日ご紹介した周遊観光タクシーともどもご利用をご検討下さい。

二本松系でもう1件、テレビ番組の放映情報です。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 2024年3月30日(土) 03:00~03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は福島県、岳温泉「奥岳の湯」「花かんざし」、宮城県、鬼首温泉「ホテルオニコウベ」、温湯温泉「佐藤旅館」。

【旅人】秦瑞穂 【ナレーション】丸山未沙希
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安達太良山の登山口にある奥岳の湯さん、中腹の花かんざしさん。

奥岳の湯さんはこの番組で平成30年(2018)にもが取り上げられ、光太郎智恵子の名を出して下さいましたが、使い回しの映像なのか、新作なのか、というところです。花かんざしさんは初の登場です。

ちなみに令和2年(2020)8月放映の那須塩原温泉・塩の湯柏屋旅館さんが取り上げられた回では、光太郎智恵子が泊まった宿というご紹介をして下さいました。
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今回、「ほんとの空」「智恵子抄」といったワードが出てくるかどうか微妙なところですが……。

というわけで、二本松、岳温泉、ぜひ足をお運びいただき、桜と温泉をご堪能ください。

【折々のことば・光太郎】013

写真たくさん届きました。みんなにあつたやうな気がしました。中々よくとれてるのもあります。笑つて居るのはみんないいです。ありがと。ツマゴといふのは雪の中を歩くワラグツです。小生のは特大です。


昭和22年(1947)3月3日
 髙村規宛書簡より 光太郎65歳

令甥の故・髙村規氏宛の絵手紙です。後に写真家となられた規氏、このころはまだ高校生でしたが、既に趣味的に写真撮影に取り組まれていました。おそらく御家族(父君は光太郎実弟・豊周)の写真を光太郎に送ったのでしょう。戦争末期、豊周一家は光太郎の花巻疎開より前に長野に疎開していたため、2年以上会っていませんでした。

3件ご紹介します。

まず地方紙『福島民報』さん連載から。

福島県 今日は何の日 3月19日 1957(昭和32)年3月19日 二本松市で映画「智恵子抄」のロケ始まる004

 東宝映画「智恵子抄」の二本松ロケが、高村智恵子の生家があった安達村油井(現二本松市油井)の旧長沼家で始まった。
 旧長沼家のロケは熊谷久虎監督のメガホンで、地元のエキストラ数十人が総出演。華やかだった当時の旧長沼家の造り酒屋「花霞」の面影を再現した。約2000人の見物人が訪れた。

智恵子役が原節子さん、光太郎を山村聰さんが演じられた東宝映画「智恵子抄」。昭和恐慌のあおりで破産、一家は離散し既に人手に渡っていた智恵子生家でのロケも敢行されました。昭和32年1957)の時点ではまだ明治期の面影がかなり残っていたようです。
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ここに映っている人々は、ほぼ現地で募集されたエキストラ。おそらくご存命の方も多いのではないでしょうか。
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平成28年(2016)、二本松で開催された「高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」の際、当時のこの手の新聞記事や、当方がお貸ししたポスター、パンフ、スチール写真などが展示されました。

智恵子生家がらみでもう1件。二本松市さんのサイトから。

「二本松周遊観光タクシー」でお得に観光名所を巡りませんか?

観光誘客PR及び観光客数の増加を図るため、市内の観光名所を巡る観光タクシーが期間限定で通常料金の半額で利用できます。

対象期間 令和6年4月1日から令和7年1月31日まで
※対象期間中でも予算上限に達し次第通常料金の半額での利用は終了となります。

利用方法
 対象タクシー会社に事前に連絡し、利用日時、コース名、人数をお伝えください。また、対象期間中でも予算に達し次第通常料金の半額での利用が終了となりますので、通常料金の半額での利用が可能かご確認ください。

対象タクシー会社
 昭和タクシー(株) TEL:0243-22-1155 住所:二本松市成田町一丁目753番地3
 丸やタクシー(有) TEL:0243-22-2744 住所:二本松市金色久保226番地15

対象コース及び利用料金
 ※利用料金については、助成適用後の金額を記載しています。
 ※乗車可能人数は普通車が4人、特大車(ジャンボタクシー)が9人です。

注意事項
 交通事情や当日の天候により所要時間は異なります。
 料金についてはタクシーの運行料金のみ含まれております。
 入館料・入園料等は別途支払いが必要です。
酒蔵見学は利用される方自身で申し込みください。
 ※詳細についてご質問がある際は、対象タクシー会社にご質問ください。

実施主体
 二本松地区ハイヤータクシー経営者協議会
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令和3年(2021)から一昨年(2022)にかけても同様の試みが行われていました。その際は全15コースだったのが、今回は21コースに増えています。21コース中、智恵子生家/智恵子記念館を含むプランにつき、上記画像で赤枠で囲んでおきました。

路線バスや電車等の公共交通機関では回りにくく、さりとて自家用車で現地までとか現地でレンタカーとかも厳しい、という方々にはありがたいのではないでしょうか。

ついでというと何ですが、もう1件。こうした旅のお供に……ということで。

まっぷる'25 最新版 福島

2024年3/15 昭文社 定価1,050円+税

さまざまな魅力があふれる福島の今、行きたいおすすめの旅をお届け!  レトロ感あふれる会津若松、蔵とラーメンの街・喜多方、円盤ぎょうざが人気の福島タウン、自然の絶景が楽しめる磐梯高原・猪苗代、日本最大級のボディスライダー「ビックアロハ」があるスパリゾートハワイアンズなどの人気観光地&スポットを詳しく紹介。大判付録は街歩きに便利な「会津若松街歩きMAP」と旅の計画に役立つ「福島プランニングMAP」

【注目1】七日町通り&野口英世青春通りレトロさんぽ
 歴史的な街並み 伝統の技を感じるおしゃれ雑貨 食べ歩きが楽しいスイーツ おすすめみやげ
【注目2】会津若松ふるさとグルメ
 伝統が生きる郷土料理 人気爆発!会津ソースかつ丼
 清冽な水と新鮮な地元産の粉で打つ会津そば 地酒がおいしい居酒屋
【注目3】喜多方ラーメン頂上決戦
 世代交代も進むご当地ラーメンの雄・喜多方ラーメンのおすすめ店舗を一挙紹介
【注目4】エリア別特集
 福島タウン 必食!ふくしま円盤餃子
 いわき スパリゾートハワイアンズ/環境水族館アクアマリンふくしま
収録エリア
 会津若松/磐梯高原・猪苗代/喜多方/大内宿/福島タウン/郡山・白河/いわき
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おそらく昨年版などと較べても、それほど大きく内容が変わっているわけでもないのでしょうが、今回の版では『智恵子抄』所収の光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語が多用され、そのため当方の検索網に引っかかってしまい(笑)、ついつい購入してしまいました。

福島市を中心とした中通りの「福島エリア」中に、安達太良山や智恵子生家などが取り上げられています。
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そのメインのページでは正しく「詩集「智恵子抄」に出てくる「ほんとの空」……」とあるのですが、目次ページのすぐ後、サムネイル的な箇所で、昭文社さん、やらかしちゃっています(笑)。
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詩人・智恵子抄が、この山の上には「ほんとの空」があると詠った……」(笑)。

ま、これもご愛敬ということで(笑)、ぜひお買い求めの上、二本松に足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

水野君は小生と同年、小生が三月生れ、水野君が四月生れです。初期「明星」の頃水野蝶郎といつて若々しい歌を書いてゐた時分からの友達です。いろいろな時代を経て、最後まで親友であり得た事がせめてもの慰めですが、小生が七十歳頃からそろそろ始める本当の仕事をつひに見てもらへなくなつたのが残念です。

昭和22年(1947)2月10日 宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

親友・水野葉舟の死に際し、葬儀の代参に行ってもらった姻戚・宮崎宛の書簡から。無二の友を失った喪失感がよく伝わってきます。そう思える友を持てたことは幸せだったのでしょうが。

今年ももうすぐ3.11、あの日から13年ですね。

智恵子の故郷、福島二本松の南、郡山でのイベントです。

光太郎智恵子に直接関わるものではないようですが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠して下さっていますので、ご紹介します。

3.11ふくしま集会 原発事故は終わっていない

期 日 : 2024年3月10日(日)
会 場 : 郡山市労働福社会館大ホール 福島県郡山市虎丸町7-7
時 間 : 13:30~
料 金 : 無料

2024年3月11日(月)、「3.11ふくしま集会 原発事故は終わっていない」を開催します。ほんとの空の下で語られる本当の声を聴きに来てください。

講演 「福島原発事故は人々に何をもたらしたのか」
 講師  関礼子さん(立数大学社会学部教授)

パネルディスカッション 「原発事故から13年を語る」
 コーディネーター 関礼子さん
 パネラー 
  ふるさとを返せ津島原発所訟原告団、子ども脱被ばく裁判原告団、福島原発被害井護団

女川原発差し止め訴訟からの報告

福島の取り組みからの報告
 福島原発事故被害から暮らしと健康を守る会
 市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会
 小児甲状腺がん支援グループ あじさいの会
 請戸テントひろば
 汚染水の海洋投棄を止める運動連絡会

お問い合わせ
 3.11原発いらない福島実行委員会 080-6220-0996(藤井)
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13年が経ちますが、いまだに複数町村で「帰還困難区域」が存在する現状。これで「原発事故はもう終わった話」とは言わせないぞ、と思います。
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また、光太郎ゆかりの地、宮城県女川町の原発再稼働に関しても議題に。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

遠くから見てゐると東京では随分無駄な動きに人々が喘いでゐるやうです。


昭和21年(1946)10月28日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村に移住してからまる一年、花巻町疎開から数えれば約1年半。すっかり地方からの視点になっています。

昨日は現代アート系で『智恵子抄』オマージュ、レモンの描かれた作品をご紹介しましたが、本日は智恵子の故郷・福島二本松からグルメ系で。

地方紙『福島民友』さん、2月21日(水)の掲載記事です。

高村智恵子にちなんだ「れもん味噌」 甘くてさっぱりした新商品

 二本松市振興公社は詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子にちなんだ新商品「れもん味噌(みそ)」(350円)を発売した。
 防腐剤などを使っていない広島県安芸津町産のレモンを使用し、少し甘くてさっぱりとした味が特徴。とんかつやカキフライ、なす焼きや魚の塩焼きなどのほか、おにぎりに塗ってもおいしいという。
 二本松市の道の駅安達では、れもん味噌を使った新メニュー「れもん味噌添え大葉とチーズのチキンかつ丼」(800円)を上り線で、「れもん味噌添えアジフライとカキフライ定食」(800円)を下り線で販売している。問い合わせは二本松市振興公社(電話0243・61・3100)へ。
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同じ件でさらに一般社団法人にほんまつDMOさんのサイトにも告知が。

智恵子をイメージした、レモン商品第5弾が登場!

 道の駅安達で、高村智恵子をイメージさせるレモンを使った商品の第5弾が14日、登場しました。広島県産レモンと地元の味噌を組み合わせた「れもん味噌」で、ちょっと甘くてさっぱりした爽やかな風味が特長。上下線の食堂では同日かられもん味噌を使った定食もメニュー化しています。
 智恵子抄の「レモン哀歌」に智恵子と光太郎の純愛がつづられていることから、智恵子の里にある同駅はレモンサブレやレモンケーキ、レモンライスの素など、レモンにこだわったオリジナル商品を販売しています。
 れもん味噌は75g入り、350円。トンカツや魚フライをはじめ、おでん、青菜和え、おにぎりなどと相性抜群で、幅広いメニューに活用できます。また、食堂でもサービスが始まり、上り線は大葉とチーズのチキンカツ、下り線はアジフライとカキフライの各定食にれもん味噌を添えて提供しています。問い合わせは道の駅安達(電話0243-61-3100)へ。
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確かに揚げ物に添えるとさっぱりしそうですね。

他のレモン系グルメ商品はこちらをご参照ください。

【折々のことば・光太郎】

山林では今茸の出さかりで路傍の草むらにいろいろの食茸が面白いほど出て居り、それをとつて朝のみそ汁などに入れます。智恵子が居たらと時々思ひます。

昭和21年(1946)10月11日 秋広あさ子宛書簡より 光太郎64歳

もう少し経つと「智恵子はしかも実存する。/智恵子はわたくしの肉に居る。」(詩「元素智恵子」昭和24年=1949)という境地に達するのですが……。

昨日、「智恵子抄」系 のオンライン講座と音楽ライブをご紹介しましたので、「智恵子抄」つながりで。

まず、智恵子の故郷・福島県二本松市に隣接する大玉村、先月の『広報おおたま』さんから。

おおたまいどばた会議 with地域おこし協力隊 大玉村地域おこし協力隊の小川・遠藤による村民の方々とのトーク・セッション 大玉村が映し出す姿 第4回毛利良之さん(yy vineyard)「大玉村のテロワールを」

1.二拠点生活とワイン作り
 奥さんの故郷である大玉村に家を建てたのは2012年のこと。毛利さんにとって故郷と言える場所がなかったため、福島にいる親戚の存在は大きく、震災によって被害を被ってしまった福島への思いが強くなったのがきっかけだそうです。横浜との二拠点生活をしながら、自然豊かな大玉村で農作物を作る楽しさに触れ、もともと好きであったワインを2016年から大玉村で作り始めました。
2.OOtama blue誕生と苦悩
 ワインが初めてできたのは2022年。高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる有名なフレーズの青い空からブランド名を「OOtama blue」と名付けたそうです。しかし、自然相手には思い通りにいかないことが多く、昨年はハクビシンに実を食べられ、今年は高温障害、病虫害により実が萎縮してしまったそうです。だからこそ、ワインができた時の喜びは大きく、たりがいを感じていると話しています。
3.これからのOOtama blue
 現在、約700本のブドウの木を育て、年間1000本のワインボトルを生産することを目標に励まれています。ワインは100%ブドウの果汁からできており、OOtama blueでは大玉村の土地の味(テロワール)ともいえます。OOtama blueが大玉村の特産品となり、大玉村の魅力をさらに幅広く伝えていきたい。そして、村民の方にも大玉村にはOOtama blueがあるよと言ってもらえるようになりたいと話しています。
対談を終えて
 毛利さんはよく大玉村が全国的に認知され、大玉村に住んでいることを誇りに思える人が多くなれるようにしたいと話されています。これまでNPOの活動で多くの地域と交流をし、「地域おこし」に関わっている大先輩である毛利さんの言葉には重みがあり、私は常に勉強させられてばっかりです。OOtama blueは桜が咲く頃に出来上がります。ぜひみなさんも生まれ育った大玉村のテロワールを感じてみてください。
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ワイナリーyy vineyardさんのサイトはこちら。「OOtama blue」についてはこちら。

もう1件、今度は万年筆です。「日本全国お取り寄せ手帖」さんというサイトから。

創業100年の老舗が福島の美しい星空を表現「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」

 今回、編集長アッキーが気になったのは、万年筆などの筆記具を中心にノートや便箋、カードなど、ペンとノートのある暮らしを彩る福島の「文房具のお店 Pentonote」。まもなく創業100年という株式会社文化堂 代表取締役社長の中野義久氏に商品の人気の秘密を取材陣がうかがいました。

―会社の沿革を教えてください。
中野 創業は1926年、会社設立は1953年です。父が他界し、私が代表になったのは2010年11月ですが、就任して4ヶ月後に東日本大震災がありました。当時、建物の被害はあまりなかったのですが、去年の3月の地震で建物が被災し、現在取り壊して再建中です。2回の大きな地震には耐えましたが、3回目でとうとう駄目になってしまいました。
 再建にあたってクラウドファンディングを行いました。今、街中ではないところに仮店舗として営業しています。これまでは商店街に属していましたが、現在は郊外で営業しているため、わざわざ足を運んでもらう理由が必要でした。そこでベーグル屋を立ち上げ、ベーグル目的のお客さんが店舗にも来ていただくことを目指しました。ベーグルは2ヶ月前ぐらいからオンラインでも販売しています。

―創業から100年、会社として変わらない思いはございますか。
中野 老舗と言われますが、今の時代、商売として老舗が有利ということはありません。ただ、100年築いてきた信用はあります。その信用を伸ばしていくことは大事だと考えています。

―万年筆はどういった方が購入されていますか。
中野 50年くらい前は営業マンが万年筆を持ち歩いて販売することもあるくらいメジャーでしたが、今は万年筆を好きな人だけが使うようになりました。手書き離れが進んだ後に、あらためて手書きの良さが再認識され、ブームとまではいかないですが、万年筆が好きな人たちが増えています。購入される年代で多いのは30~40代の女性です。青やピンクなどたくさんの色のインクを出したことで興味を持っていただくことが増えました。

―今回発売された「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」はどういった商品ですか。
中野 地元・福島の星空をイメージしています。吾妻山の浄土平からは「ほんとの星空。」が見えます。夜も終わり、朝が漂い始める頃、黒が薄まり青になっていく、その時の空のインクを作ってみようと思いできたのが「ほんとの星空。」です。福島の美しい景色を多くの方に届けたいという思いを込めました。低重心タイプで、重心が下にあるとその重さで力を入れないで書くことができるのも特徴です。万年筆は5万円ぐらいまでは小刻みに構造にグレードがあります。5万円を超えてくると、装飾へのこだわりで価格が変わってくるので、この商品の構造のグレードは最高級です。
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―どういった方に使っていただきたいですか。
中野 こちらはヘビーユーザー向けの商品です。普通の万年筆を使っていた人がよりよい書き心地を求めて購入されることを想定しています。

―今後のビジョン、展望などをお聞かせください。
中野 メーカーとしてオリジナル商品を作っていきたいと考えています。Webサイトやインスタを運営していると、オリジナル商品の強みを感じます。一方、福島へのこだわりはあまり考えておらず、文房具としての機能性とデザイン性、個性を重視した商品を構想中です。
 実店舗では、来年の5月に新しい建物が完成します。県庁通り商店街にあるので商店街のイベントや弊社のイベントができるよう、1階部分は半分ぐらいイベントスペースとして設けています。街や商店街の盛り上がりをイベントスペースを通じて、作っていければと思っています。
 ECに関しては、商品の使い方や詳しい説明など、お客様が知りたいことをブログ記事にしています。最近はYouTubeも始めたので、お客様の層を広げていきたいと考えています。

―貴重なお話をありがとうございました。

「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」
価格:¥55,000(税込)
店名:文房具のお店 Pentonote
電話:024-573-1590(10:00~17:00 土日祝除く)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
オンラインショップ:https://pentonotelife.com/

※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。変更もしくは販売が終了していることもあります。

<Guest’s profile>
中野義久(株式会社文化堂 代表取締役)
1979年生まれ、福島県福島市出身。株式会社文化堂 代表取締役
県庁通商店街振興組合 理事長 株式会社建堂工業 代表取締役 趣味:ゴルフ・麻雀・筋トレ

サイトを覗いてみましたところ、万年筆以外にインクも「ほんとの星空。」ブランドで販売されていました。
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ワインといい、万年筆といい、なかなかシャレオツですね。こういったもののお好きな方、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

一昨二十四日の午後は此の部落のおつさんはじめ青年達の慰労会があり、数十人の饗宴が田頭さんといふ家に開かれ、小生も招待せられてさされる盃を皆うけてのみ、いささか酒の手並をあらはしました。


昭和21年(1946)6月26日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村に移り住んで初めての村民たちとの飲み会。欧米留学中や在京時の文壇画壇の仲間たちとのそれと異なる、単なる近所の人々との飲み会というのも、生涯初だったのではないかと思われます。





まず、仙台に本社を置く『河北新報』さん、12月6日(水)のコラムから。

デスク日誌(12/6):光るレモン

 自宅で育てている鉢植えのレモンが先月下旬にようやく色づいた。夏の猛暑の影響なのかどうか、いつもより1カ月近く遅い。
 この少し前、二本松市の智恵子記念館を訪ねた。レモン祭と銘打って開かれていた催しに引かれた。
 詩集「智恵子抄」で知られる高村光太郎が、死の際にあった妻智恵子をうたった詩「レモン哀歌」にちなんだ企画。レモン忌と称される智恵子の命日の10月5日から1カ月半、生家のライトアップや智恵子の「紙絵」作品が展示された。
 レモン哀歌では、光太郎に手渡されたレモンを「がりりと」かんだ智恵子が目にかすかな笑みを浮かべ、深呼吸を一つして息を引き取る様子が描かれる。
 痛切な作品だ。宮沢賢治の「永訣(えいけつ)の朝」と共に「近代挽歌(ばんか)の双璧」ともいわれる。切なさが胸に迫るが、重苦しい暗さはない。光太郎が「すずしく光る」と形容したレモンの視覚効果だろうか。
 ビタミンカラーのレモンは見ているだけで元気が出る。家のレモンは色づいたものから順に収穫し、これから味わう。ハイボールにでも浮かべて英気を養い、師走を乗り切ろう。

福島総局長の方が書かれたコラムです。同県二本松市にある智恵子生家/智恵子記念館さんを会場に、10月5日(木)~11月19日(日)の日程で様々なコンテンツが用意された「高村智恵子レモン祭」に足をお運びいただいたそうで、有り難い限りです。

レモン祭に関してはこちら。
高村智恵子レモン祭。
レモンの日(レモン忌)。
智恵子生家ライトアップ/テレビ放映情報。

当方もライトアップ期間に伺うつもりでおりましたが、この時期、他にいろいろ行くべき所が多く欠礼いたしました。おそらく来年以降もライトアップを行ってくださるだろうという期待の元に、と考えてのことでしたが。

続いて山口県の『宇部日報』さん、12月8日(金)の記事。

島木健作に贈った「山羊の歌」 中也の自筆署名入り本を特別展示、10日まで

002 山口市湯田温泉1丁目の中原中也記念館(中原豊館長)で、中原中也(1907~37年)の第1詩集「山羊の歌」が刊行された日に合わせた特別展示として、中也が作家の島木健作宛てに贈った自筆献呈署名入りの本が公開されている。10日まで。
  同作は1934年12月10日に文圃堂書店から限定200部(市販150部)が発行された。装丁は詩人の高村光太郎。
  島木は、権力による共産主義への弾圧から思想を捨てた過程や苦悩を描いた転向作家。小説「生活の探求」で知られる。中也が詩を発表した雑誌「文学界」の同人で、37年ごろ互いに鎌倉の雪ノ下に住み、交流した。
  多くの署名本が右に宛名、その左下にフルネームの署名が配されているのに対し「中原」と署名が名字だけなのは特徴的だという。
 奥付の通し番号は139番。3桁台での署名本は、第100部の小林秀雄宛てを除き、著名人や知人はほとんどいない。記念館は谷崎潤一郎宛てなど13冊を所蔵している。
 展示では合わせて中也の遺品である島木の名刺も並べている。
 今年9月の中原中也の会第28回大会で講演した秀明大の川島幸希学長が寄贈した。
 中原館長は「『文学界』の同人とはいえ、中也と転向作家の島木健作では作品の傾向が異なる。島木は中也追悼文『追悼』で、島木の作品を読み感想を述べる中也の姿を伝えており、中也が島木の作品に興味を持ち、評価していたことは間違いない。その交友の一端を具体的に示す資料として大変、興味深い」と話している。

数々の装幀も手がけた光太郎ですが、そのうち最も有名になった書籍の一つが『山羊の歌』でしょう。自らも味わい深い字を書けた中也が「高村さんのような字が好きなんだ、あれはいい字だよ」と語ったそうで、その目の確かさは流石ですね。
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ちなみに昨年は谷崎潤一郎宛署名の入った『山羊の歌』が、大阪の一般の方から寄贈されて同様に特別展示されたそうです。その際も『宇部日報』さんが報じていましたが、そちらには光太郎の名が書かれていませんでした。

寄贈者の川島幸希氏、『日本古書通信』さんにこの手の署名本に関する考察をたびたび発表なさっています。また、ご自身が学長を務められている秀明大学さんでそれらを展示なさったこともあり、当方、2回ほど拝見に伺いました。最初は光太郎の『道程』特装本が出品された平成26年(2014)の学祭・飛翔祭。その際には三好達治ら宛の署名が入った『山羊の歌』も出ていました。

今回寄贈された島木健作宛は奥付の番号が139番。昨年展示された谷崎宛は18番。他に谷川徹三に16番、仏文学者の中島健蔵へ19番、志賀直哉宛で20番がそれぞれ贈られています。三角関係等いろいろあった腐れ縁の小林秀雄には100番でした。他は当方の専門ではないので存じません。

で、当然、光太郎宛もあったと推定され、おそらく1桁の番号だったのでしょう。しかし、それ以前に光太郎が処分したり、誰かが借りパクでもしたりしていない限り、昭和20年(1945)4月13日の空襲で光太郎アトリエ兼住居共々焼失したと推理できます。返す返す戦争の愚かさを感じます。

戦争の愚かさといえば、予想通り一昨日の12月8日(金)、太平洋戦争開戦の日には、SNS上で光太郎詩『十二月八日』を引用して「大日本帝国バンザイ!」的な書き込みをしている愚か者が目立ちました。超迷惑です。

【折々のことば・光太郎】

今日の明治節を迎へて感慨無量です。明治大帝に対して申わけなき次第、言上すべき言葉もありません。


昭和20年(1945)11月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

終戦から3ヶ月弱、まだ皇国史観から抜け出せていなかったことが見て取れます。ただし「申わけなき次第」は、米英に敗れてしまったことを指すわけではなく、勝ち目のない無謀な戦争を仕掛けたことを指すと思われます。

当会の祖、草野心平。今年生誕120周年を迎えて、地元福島では様々に顕彰活動等が行われました。そんな中から、地方紙『いわき民報』さんが組んだ「草野心平生誕120周年特集」 が、「ふるさと新聞アワード優秀賞」に輝いたとのこと。

まず先月7日の同紙報道。

いわき民報「草野心平生誕120周年特集」 ふるさと新聞アワード優秀賞

 メディア業界紙「文化通信」を発行する文化通信社(東京都千代田区、山口健代表取締役)が主催する「ふるさと新聞アワード」の第3回の受賞記事が決まり、いわき民報元日号掲載の「草野心平生誕120周年記念特集」と、心平も利用したJR小川郷駅の駅舎解体にかかる一連の報道が、「ひと」(一部「もの」)部門で優秀賞に輝いた。同部門での受賞は3年連続となる。
 文化通信社が創業75周年に合わせて、一昨年に創設した賞で、地域紙の持つ〝地域ジャーナリズム〟を全国に発信するとともに、各紙の権威と価値の向上、記者のやりがいにつなげるために毎年開催している。
 各分野で活躍する著名な外部審査員が記事を選考しており、今回も昨年と同様に、歴史家・作家の加来耕三、放送作家・脚本家の小山薫堂、中川政七商店会長の中川政七、温泉エッセイストの山崎まゆみ、ディスカバー・ジャパン代表取締役社長の高橋俊宏・各氏が参加した。18紙から寄せられた約200本の記事をまず、社内選考で各部門10本に絞った後、外部審査員が投票して各賞を決めた。
 優秀賞を受賞した正月版の特集は、今年生誕120周年を迎えた小川出身の詩人草野心平の偉業を振り返る内容で、心平の縁戚で弊紙連載「雜学ゼミナール」を担当する関内幸介さんをはじめ、市立草野心平記念文学館の学芸員、いわき地域学會の吉田隆治顧問、心平が立ち上げた「歴程」同人の齋藤貢氏らがテーマごとに、作品の魅力や人となりに迫った。
 また、心平が利用した往時の姿を残すJR小川郷駅の木造駅舎について、解体へとかじを取るJR側と保存を模索する住民たちの話し合い、解体を惜しむ声や、本紙の報道をきっかけに、福島高専の布施研究室がデジタルアーカイブを作成するなど、一連の動きを追った報道も合わせて受賞対象となった。
 審査員の高橋氏は、受賞作について「地元の偉人を『ゆかりの地域ならでは』の切り口で深掘りできるのが地域紙の強み。草野心平を丁寧にひもといた筆致はさすがだと思った」などと評価。個人的に天山文庫を訪れたこともあるといい、「(正月号は)そのロケーション、建物の佇まいに大感動したことを思い出しながら読ませていただいた」とコメントした。
 今回グランプリを受賞したのは、和歌山県新宮市の地方紙「熊野新聞」の記事「嗚呼壮絶かな、観光合戦!!」。表彰式は12月1日、東京都台東区の東天紅上野本店で行われる。

続いて表彰式に関して、やはり同紙から。

ふるさと新聞アワード表彰式 いわき民報社の草野心平特集に優秀賞

 メディア業界の専門紙「文化通信社」(東京都千代田区、山口健代表取締役)主催の第3回「ふるさと新聞アワード」の表彰式が1日、東京都台東区の東天紅上野本店で開かれた。Google News Initiative、PR TIMESの協賛。
 同アワードは同社創業75周年を記念し、2021(令和3)年から設けられた。地元に根差しながら社会、経済、文化などを日々伝える中で、独自の視点で掘り下げた優れた記事を表彰し、その努力に光を当て、地域紙の存在を広く発信することを目的にしている。
 いわき民報社は、今年の元日号(1月1日付)に掲載した「草野心平生誕120周年記念特集」が、「ひと」部門の優秀賞に選ばれた。この特集では、元市立草野心平記念文学館副館長の関内幸介さん、市教育文化事業団の渡辺芳一さん、同館専門学芸員の長谷川由美さん、同学芸員の馬目聖子さん、小泉屋文庫主宰の緑川健さん、いわき地域学會前代表幹事の吉田隆治さん、いわき賢治の会会長の小野浩さん、「歴程」同人の斎藤貢さんらの執筆協力を得て、紙面構成するなどあらためて郷土が生んだ、詩人草野心平の業績などを紹介した。
 審査員の高橋俊宏ディスカバー・ジャパン代表取締役は「地元の偉人をゆかりの地域ならではの切り口で、深掘りできるのが地域紙の強みである。草野心平を丁寧にひもといた筆致は、さすがだと思った。かなり力を入れて作られたことをひしひしと感じた」と評している。
 いわき民報社は、2021年に「シリーズ震災10年―未来へのメッセージ」が「ひと」部門最優秀賞、2022年に「『最後の詩』など直筆を紙面公開」が「ひと」部門最優秀賞、「常磐炭礦に女子野球チームの活躍」が同優秀賞を受賞している。
 表彰式には約30人が出席し、山口社長が「地域紙には、まだまだ大きな可能性を持っている。今後もこの取り組みを続けていきたい」とあいさつ。いわき民報社は、鈴木淳代表取締役社長が表彰状を受け取った。
 グランプリは、地元の鉄道路線の赤字状況を起点に、熊野の観光、交通の活性化などのヒントを探った熊野新聞(和歌山県新宮市)「嗚呼!!壮絶かな、観光合戦!!」が選ばれた。
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当該記事「草野心平生誕120周年特集」は今年元日の正月版に載ったものだそうですが、光太郎の名も記されていました。
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草野心平生誕120周年特集

 1903(明治36)年、卯年の5月12日、後に「蛙の詩人」として知られる草野心平は、5人きょうだいの二男として福島県岩城郡郡上小川村(現いわき市小川町)に産声を上げた。
 実祖父は渋沢栄一を師に仰ぎ、自由民権運動家の河野広中と親交のあった実業家で政治家の白井遠平。父親が叔父に養子入りした縁から、義理の祖父母に育てられた。幼少時は腕白で癇が強い子供だったというが、県立磐城中学校(現磐城高校)を中退し上京後、慶應義塾大をへて中国に渡り、詩や短歌を志す。
 酷い貧困を味わう中で新聞記者、屋台の焼き鳥屋、出版社の校正係などで食い扶持(ぶち)を繋(つな)ぎ、28(昭和3)年初の活版印刷の詩集「第百階級」を発表する。“ふるさと”への想いを心層深くに抱え、あらゆる人々とともに生きようという高い理想を掲げて蛙、富士山、天、石などを主題に次々と詩を生み出す一方、高村光太郎、萩原朔太郎、中原中也、北原白秋らと親交を深め、中央詩壇の発展に寄与。ふるさとで文学を志す猪狩満直、三野混沌、吉野せいとも心の会話を繰り返した。現在の日本詩壇に天才がゐるとしたなら、私はその名誉ある「天才」は宮澤賢治だと言ひたい――賢治を世に出すため、夭折後も力を尽くしたことは広く知られている。
 昭和59年にはいわき名誉市民、62年には文化勲章を受章。生涯1400篇余の詩を残したが、心平について語ることのできる市民はそう多くない。若い世代はなおさらだ。「『ケルルン クック。』の人だね」。国語の教科書に掲載されている「春のうた」で、かろうじて分かる程度か。本市にはいわき市立草野心平記念文学館をはじめ、全国に誇る心平ゆかりの財産が多く残る。生誕120周年を機に、あらためて心平が残した偉業を振り返り、後世に伝えていきたい。


写真は心平の村民の皆さんが建ててくれた別荘、川内村天山文庫で撮影されたもののようです。

引用部分は「特集」の冒頭ページの一部。おそらくこの他に複数ページあったか、その後、さまざまな切り口から「特集」の記事が掲載され続けたのではないでしょうか。上記表彰式の記事に「この特集では、元市立草野心平記念文学館副館長の関内幸介さん、市教育文化事業団の渡辺芳一さん、同館専門学芸員の長谷川由美さん、同学芸員の馬目聖子さん、小泉屋文庫主宰の緑川健さん、いわき地域学會前代表幹事の吉田隆治さん、いわき賢治の会会長の小野浩さん、「歴程」同人の斎藤貢さんらの執筆協力を得て、紙面構成」とあり、それぞれご執筆なさったのではないかと思われます。このうち半数程の方は当会主催の連翹忌にもご参加下さったことがおありです。

ちなみに昨年のこの賞では、同紙の心平がらみの記事が最優秀賞を受賞なさっていました。光太郎の名が出て来なかったので気づきませんでしたが。

心平の未発表にしておそらく最後の詩の発見についてで、『福島民報』さんなどでは今年に入ってから報じられていました。

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今後とも心平顕彰の一翼を担っていっていただきたいものです。心平は当会の祖ですので、当方も及ばずながら力をお貸ししていかねばならないのですが。

【折々のことば・光太郎】

お言葉の通りおなじみ深かつた駒込林町の拙宅もつひになくなり、あの当時を偲ぶよすがも消え去りました。小生はそのうち近村の山中に移住して開墾と仕事とに専念する気です。小屋も九分通り出来上りました。新文化の創造に努めます。厳寒零下二〇度の由ですが、冬に強い小生の事とて大に意気込んでゐます。 東京へはめつたに出かけないでせう。


昭和20年(1945)10月2日 日野岩太郎宛書簡より 光太郎63歳

心平も足繁く訪問した駒込林町のアトリエ兼住居は4月13日の空襲で灰燼に帰し、花巻の宮沢賢治実家に疎開。戦後になっても、結局「めつたに」どころか7年半も上京せずにいました。

新聞記事から2件ご紹介します。

まず、光太郎も登場する小説、柳川一氏の『三人書房』書評。今月初めの『読売新聞』さんから。

『三人書房』柳川一著  乱歩謎解き 賢治・大観ら鍵 評・金子拓(歴史学者・東京大教授)

 今年は江戸川乱歩が大正12年に「二銭銅貨」でデビューして100年という節目の年である。乱歩こと平井太郎は、デビュー前の大正8年2月から翌年10月にかけ、二人の弟と「三人書房」なる古本屋を営んでいた。自製のスクラップブック『 貼雑はりまぜ 年譜』によれば、店は本郷区駒込林町の団子坂上にあった。
 本書の書名にもなっている表題作「三人書房」は、そこに持ちこまれたある謎を解く物語であり、語り手はこの店に身を寄せていた乱歩の友人井上勝喜である。 本篇ほんぺん により作者はミステリーズ!新人賞を受賞した。本書にはその続篇4篇が併録され、いわゆる連作短篇集の体裁になっている。続篇のうち3篇が書き下ろしであり、すべて語り手が異なるという工夫がなされている。
 二作目の「北の詩人からの手紙」には宮沢賢治が謎解きの重要人物として登場する。『新校本 宮澤賢治全集』第十六巻下によると、賢治は大正7年から翌年3月まで妹トシの看病のため在京しているから、三人書房開業とかろうじて重なる。乱歩と賢治に接点があったかも、という設定にワクワクする。
 それだけでない。有名どころでいえば、宮武外骨や横山大観、高村光太郎も登場する。大観が語り手の一人となる一篇「秘仏堂幻影」は、デビュー直後の大正12年が舞台である。153 頁ページ からページをめくった瞬間、そうか、と驚かされた。この年は乱歩にとってだけでなく、大観にとっても重要な年であったわけか。
 あの謎や、登場人物のあの行動が、乱歩ののちの作品にこうつながってくるという仕掛けも巧妙で、語り口も乱歩のそれを強く意識しているとおぼしく、大正の雰囲気がただよう。本書は物騒な謎というより日常の謎に近い謎解きの物語であるが、そんな謎に 嬉々きき としてたわむれる乱歩の姿が 頬笑ほほえ ましい。その兄の姿を羨望のまなざしで見つめる二人の弟。次弟通は平井蒼太の筆名で小説を書いたことでも知られる。二人のことをもう少し知りたい人には、鮎川哲也の名著『幻の探偵作家を求めて』を薦めたい。(東京創元社、1870円)

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もう1件、過日、ちらっとご紹介しましたが、『福島民報』さんから。

創作に励み切磋琢磨 福島県いわき市の東日大昌平高文芸部 県文学賞入賞、活躍続く

 いわき市の東日大昌平高文芸部が近年、県文学賞で入賞を果たすなど目覚ましい活躍を遂げている。現在部員5人が在籍し、今年で顧問17年目を迎える斎藤久子教諭と切磋琢磨(せっさたくま)しながら短歌や俳句の創作に打ち込む。
 2000(平成12)年の開校とともに創部した。部員に短歌や俳句、小説などの指導をしながら斎藤教諭も創作をする。
 県文学賞では、2020(令和2)の第73回で当時の3年生が短歌部門で青少年奨励賞、2021年の第74回で斎藤教諭が短歌部門で準賞、昨年の第75回で仁田かのんさん(2年、当時1年)が短歌部門で青少年奨励賞をそれぞれ受賞。今年の第76回では猪狩冴空さん(2年)が詩部門、根本悠平さん(3年)が俳句部門でそれぞれ青少年奨励賞に輝き、同部としては4年連続入賞を果たした。
 県高校文芸コンクールでの活躍も顕著で、猪狩さんは今年の散文、短歌の両部門で優秀賞を受け、短歌部門で来年の全国高校総合文化祭への出場が内定している。
 創作に向かう感性を磨こうと、部員は市内外の美術館や偉人の生家での研修にも励む。二本松市出身の洋画家・高村智恵子の生家では「智恵子抄」を朗読したり、「レモン哀歌」にちなんで実際にレモンをかじったりして作品の世界に触れた。斎藤教諭は「現場に行かなければ分からないことがある。実体験を大事にしている」と話す。
 現在、部員は来年3月に発行する部誌「閃光」の編集作業を進めている。今後の活動について仁田さんは「さまざまなジャンルに挑戦し、うまく言語化できるようにしたい」、渡辺紗月さん(1年)は「多くの人に読んでもらえるような作品を作りたい」と目標を語った。
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高校の文芸部というと、過日、このブログで岩手県立花巻南高等学校文芸部さんについてご紹介しましたが、こちらは智恵子の故郷・福島県。ただし、同県の地区区分は沿岸部が「浜通り」、山間部が「会津」、その中間が智恵子の生まれた二本松を含む「中通り」で、記事にある東日本国際大学附属昌平高さんは「浜通り」のいわき市にあります。いわきと云えば、当会の祖・草野心平の出身地。そこで、記事にある「部員は市内外の美術館や偉人の生家での研修にも励む」とある中には心平生家も含まれているのかな、と思います。

それが浜通りの智恵子生家まで足を運んで下さり、「「智恵子抄」を朗読したり、「レモン哀歌」にちなんで実際にレモンをかじったりして作品の世界に触れ」て下さったそうで、すばらしいですね。顧問の先生の「現場に行かなければ分からないことがある。実体験を大事にしている」というお言葉に全てが集約されているような気もします。

今後ともさらなるご活躍を、と祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

子供等を何とかして純粋に聡明に育てなければ日本の今後があやぶまれます。又昔の状態に逆戻りするのでは情けない事ですから是非とも心ある者の努力が必要です。

昭和20年(1945)9月12日 水野葉舟宛書簡より 光太郎63歳

終戦から約1ヶ月、少しずつ「戦争」への省察が始まっています。やがてその矛先が自らの戦争責任へと向かっていき、連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)などに繋がります。

で、「子供等を何とかして純粋に聡明に育てなければ日本の今後があやぶまれます」。戦前からそういう考えはありましたが、特に戦後は具体的な行動でそれを実現しようともしていきます。この後移住する旧太田村の山小屋では、近くの山口分教場(のちに山口小学校)や太田中学校、盛岡だと県立美術工芸学校や生活学校(現・盛岡スコーレ高校さん)などにたびたび通い、若い世代へのエールを送り続けました。

智恵子の故郷、福島から写真コンテストの応募案内です。キャッチコピーが「“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」す。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。

第7回 ふくしま星・月の風景 フォトコンテスト作品募集

“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。
 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

 2023年11月5日(日)締切です!

作品テーマ 福島県内で撮影された、星・月の風景
※星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
※月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、"星や月を感じられる"風景写真を広く対象とします。

【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。(カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)

応募締切 2023年11月5日(日) ※消印有効

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号
郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

審 査 員
【全体審査】
 鈴木 一雄 氏 (自然写真家/福島県出身)
 渡部 潤一 氏 (天文学者・名誉館長/福島県出身)
 郡山市ふれあい科学館長

選 賞
【大賞】1点(副賞5万円) 
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度  
【入賞】30点程度
※表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

応募規定/応募形式
・カラープリント 四つ切(254×305mm)、ワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
※今回から応募はプリントのみの受付となります。
※トリミングの有無を応募用紙に記入してください。
※画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。

・応募点数に制限はありません
※発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストで発表の場合、当該コンテストの規定等をご確認の上で応募ください。

・応募者のプロ・アマを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側にセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
・写真展での展示(今後予定している巡回展を含む。)
・主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
・科学館事業における写真使用
・今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のための印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
選出作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ウェブサイトなどで氏名とともに発表いたします。また、令和5年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景 Vol.7」に掲載します。

※選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

個人情報の取り扱い
応募に際していただいた個人情報は、郡山市ふれあい科学館が管理し、本コンテストの実施運営に関わる作業のみを目的として使用いたします。個人情報は、契約に基づく委託先を別として断りなく第三者には提供いたしません。

審査結果を発表する際には、表彰者の賞名、作品、作品タイトル、氏名、住所(市町村まで)を公表いたします。

主 催 郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
協 賛 (株)シグマ (株)ケンコー・トキナー
後 援 福島県 一般社団法人郡山市観光協会 福島民報社 福島民友新聞社 
    朝日新聞福島総局 毎日新聞福島支局 読売新聞東京本社福島支局 NHK福島放送局
    福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島 ラジオ福島
    ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
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前回の第6回は令和2年(2020)に募集でしたので、約3年ぶりとなります。その際までは、漫画家の故・松本零士氏が名誉館長でしたので、審査員に名を連ねられていました。

当方、平成28年(2016)開催の第4回の際は、郡山で入賞作品展を拝見して参りました。

かなりのハイレベルですが、腕に覚えのある方、ぜひ福島の「ほんとの空」(ただし「星・月の風景」ですから基本的に夜間でしょうが)の素晴らしさを広めるためにも、お力をお貸し下さい。

【折々のことば・光太郎】

それでは二十六日にはそのつもりで居ります、暗いうちから支度しようと思つてゐます、電車の都合ではここから上野駅まで歩かねばならないかも知れません、話はただ平常思つてゐることをとりとめもなく話す外ありません、


昭和19年(1944)3月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎62歳

宮崎の父で、素封家だった仁十郎が檀家総代を務めていた、茨城取手の長禅寺で行われた講話に関わります。
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長禅寺には戦時中、錬成所という社会教育のための機関が置かれていたとのことで、ここで光太郎の講話が行われました。聴衆は40名程。それを聞いた稔の姪の話では「母というのはいいものだ」というような話があったということです。

10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなみ、「高村智恵子レモン祭」として様々なコンテンツを展開中の二本松市智恵子生家/智恵子記念館さん。

新たな試みとして行われた生家のライトアップに関し、報道されています。

地元紙『福島民友』さん。

智恵子の生家...浮かぶシルエット 福島・二本松、幻想的な投影で彩る

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館でライトアップイベントが行われた。生家に智恵子のシルエットが浮かび上がり、背景を幻想的なプロジェクションマッピングで彩った。
 「高村智恵子レモン祭」の一環として実施。生家内や庭園は竹あかりや和紙ランプシェードで演出され、来場者はゆったりとした時を感じながら、智恵子への思いをはせた。
 11月19日まで開かれるレモン祭では、生家2階の特別公開など多彩なイベントを実施する。入館料は高校生以上410円、小中学生210円。問い合わせは同館へ。
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彼の地の友人から送られてきた画像。プロジェクションマッピングが為されており、智恵子シルエットの背景がどんどん変わるとのこと。
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右上は期間限定公開中の生家内部です。

ライトアップは11月6日(月)~19日(日)にも行われるそうで、この頃、一度行ってみようと思っております。

さて、ついでというと何ですが、二本松系のテレビ番組のご紹介。

日本最強の城▼秋の絶景!城ハイキング▼あなたも絶対行きたくなる!魅力の城

NHK総合 2023年10月9日(月) 22:00〜22:45

城は誰もが楽しめるアミューズメント・スポット。全国に3万以上もあると言われる城の中から、えりすぐりの名城をピックアップ。驚きの秘密や知られざる魅力に迫ります!

秋、城へハイキングに出かけよう!絶景望む城のディープな魅力を堪能▼「平戸城(長崎)」異国情緒あふれる港町を見下ろす城。幕府も一目置いた海の覇者の本拠▼「二本松城(福島)」みちのくの要衝抑える城からは名峰・安達太良山。見事な石垣の大パノラマ▼「春日山城(新潟)」山全体を要塞化した上杉謙信の壮大な山城。目前に広がる日本海に強さの理由が!“最強の城”を決めるのはアナタ!HPで投票をお待ちしています。

出演者
【司会】恵俊彰 赤木野々花
【出演】高橋英樹 春風亭昇太 村井美樹 千田嘉博 
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「智恵子抄」詩碑や、もと智恵子生家にあった藤棚などのある、二本松霞ヶ城が取り上げられます。「ほんとの空」、智恵子抄ゆかりといった話になるといいのですが……。

もう1件。

ミステリー・セレクション・湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿1 露天風呂に浮かぶ遺体の謎…22年ぶりの兄妹対面で起こった兄殺し欲望渦巻く故郷で迎えた驚愕の結末とは!!

BS-TBS 2023年10月10日(火) 09:59~12:00

高校生の娘と中学生の息子を持つシングルマザー・桜庭さやかは、ベテランバスガイド。しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱい仕事へと飛び出していく。今回のツアーは、猪苗代湖〜安達太良山〜会津若松を巡り、山形へと向かう旅。大盛り上がりのサンライズ商店街御一行様を前にさやかの名調子が冴える。ツアー客の中にはフラワーショップを営む佐野雄二と香織の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で22年ぶりに兄・修一に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その兄が安達太良山で死体となって発見される。

出演者 萬田久子、葛山信吾、酒井美紀、石橋保、大浦龍宇一、未來貴子、伊藤洋三郎、
    斉藤暁、徳井優、竜雷太(他)
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初回放映は平成21年(2009)。年に何度か再放送されています。

安達太良山が第一の事件現場という設定で、「智恵子抄」にもちらりと触れられます。
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それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

いかにしても此の役目は小生に不向きにて とても つとまりかぬる事 明らかと存候に至り 文部省へは 右おうけいたし難き旨 返事さし出し候


昭和16年(1941)5月30日 平櫛田中宛書簡より 光太郎59歳

官設美術展「新文展」に関わります。光太郎の父・光雲に師事した平櫛田中が、光太郎を同展審査員に推挙。しかし若い頃から官展には拒否反応を抱いていた光太郎、やはり断ります。大政翼賛会文化部の任、さらにもう少し後には日本文学報国会詩部会長は受けたものの、ゆずれない一線は残っていました。

昨日は智恵子忌日「レモンの日」でした。「レモン忌」とも称しますが、「××の日」としていただけると、取り上げられやすいように感じます。皆様のSNS等拝見しますと、カーナビが「今日は「レモンの日」です」としゃべったりだそうですし。

さて、「レモンの日」がらみで、信州松本平地区で発行されている『市民タイムス』さんの一面コラム「みすず野」。このコラム、「中の人」が光太郎智恵子ファンなのでしょうか。高い頻度で夫妻に触れられています。多謝。

2023.10.5 みすず野

 ともに明治生まれで、50代で亡くなった2人の女性に思いをはせる。新刊コーナーの『杉田久女全句集』(角川ソフィア文庫)は帯書きに〈師・虚子による破門後、未発表の句も収録〉とある。図書館へ行かなくても手元に置けるようになった◆編者の坂本宮尾さんが句の背景や味わいどころを挙げた〈十五句鑑賞〉には、もちろん代表句の〈紫陽花に秋冷いたる信濃かな〉が入っている。城山公園に句碑が立つ。随筆選から漏れたが、これを機に父のふるさと松本への愛着をつづった佳文も読まれ、もっと多くの市民が〈女性俳句の先駆者〉ゆかりの地を誇れたらいい◆もう一人は高村智恵子。夫・光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた〈レモン哀歌〉にちなみ、きょうはレモン忌。光太郎は滞在中の上高地から―徳本峠で待っていても同じなのに―岩魚留まで迎えに行った。待てなかったのだ。汗を拭い、顔をほころばせる智恵子が目に浮かぶ◆峠道の復旧に汗をかく人たちがいる。何かお手伝いができないだろうか。日本近代登山の黎明期を支えた古道だから1人の名というわけにはいくまいが、ひそかに「智恵子の道」と呼びたい。

大正2年(1913)夏、先に上高地に滞在していた光太郎が、後を追って入山してきた智恵子を迎えに行った件について触れて下さいました。この後、二人は一夏を上高地で過ごし、結婚の約束を果たします。

ひそかに「智恵子の道」と呼びたい」道はクラシックルートとも呼ばれる旧道。たびたび土砂災害に見舞われ、今も「峠道の復旧に汗をかく人たちがいる」。ありがたいことです。

さて、「レモンの日」ということで、今週に入ったあたりから、全国の学校さん、各種施設さん等での給食などで、レモンを使ったメニューの提供が相次ぎました。こちらもありがたいことです。

その中で福島県福島市の平田小学校さん。昨日はずばり「レモンの日献立」。自校給食で同校独自のものだったのか、センター給食で複数校に提供されたのかわかりかねますが、同校サイトから。

レモンの日献立。〔給食〕

本日はレモンの日献立で「さばの味噌煮・レモン和え・ざくざく汁・ごはん・牛乳」でした。レモンの日は、安達町(現在の二本松市)出身の洋画家・高村智恵子さん、夫で詩人の高村光太郎さんにちなんだ日だそうです。智恵子さんが好きだったさばの味噌煮、二本松の郷土料理「ざくざく」が提供されました。さっぱりとしたレモン和えとともに美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
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智恵子さんが好きだったさばの味噌煮」の出典が不明なのですが……。「ざくざく」は当方も何度か口にしましたが、「福島県の」あるいは「中通りの」ではなく、「二本松の」郷土料理なのですね。

「レモンの日」の定着、そこから波及して光太郎智恵子の世界が世の皆さんに広く知られていくことを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

今度はたつた三日間限りの委員でありますから何の提案も出来ないでせう、


昭和15年(1940)12月6日 小野綾子宛書簡より 光太郎58歳

この月16日から18日にかけて開催された大政翼賛会臨時協力会議に関わります。光太郎は岸田国士のたっての薦めで委員に就任し、翌年まで都合3回、会議に出席しました。

この時の会議では「何の提案も出来ない」と云いつつ、「芸術政策の中心」「国宝、特別保護建築物の防空施設」などについて発言しました。

ニュース映像が残っています。どこかに光太郎が映り込んでいるかもしれません。


智恵子を亡くした後の空虚感を埋めるため、さらには「芸術家あるある」の俗世間とは極力交わらない生活が智恵子を追い詰めたという反省、さらにはそんな生活をしていては自分も精神の危機を迎えるかも知れないという危惧もあったのでしょう、光太郎は一転して社会と向き合う方向に梶を切りました。その社会の方がおかしな方向にどんどん突き進んでいたのが、光太郎にとっての大きな悲劇でした。

智恵子の故郷・福島二本松。智恵子生家/智恵子記念館さんでは、智恵子忌日の今月5日(木)から「高村智恵子レモン祭」ということで、さまざなまコンテンツが用意されていますが、それ以外の件を。

まず、『読売新聞』さん福島版から。

レモンサワーの素人気 二本松「奥の松酒造」 1か月半で3500本達成

 二本松市の「奥の松酒造」が7月に売り出した「二本松のレモンサワーの 素もと  すっかいがな」が、印象的な名前と爽快な酸味で人気を呼んでいる。発売7か月で3500本を売る目標を、1か月半で達成した。市の補助金を活用して開発した新商品で、21日に市役所で報告会が開かれた。
   「すっかいがな」は、地元の方言で「すっぱいもの」を意味する。濃縮レモン果汁や同社のかすとり焼酎が原料で、アルコール度数は25%。炭酸水と1対3の割合で割って飲むのがおすすめという。
 50万円を上限に事業費の3分の2を支援する市新事業チャレンジ補助金を活用し、同社がにほんまつ観光協会と協力して開発に取り組んだ。レモンサワーにしたのは、詩人・高村光太郎が同市出身の妻・智恵子を詠んだ詩「レモン哀歌」にもちなんでいる。
 この日、市役所を訪れた奥の松酒造の遊佐丈治社長は「猛暑も売り上げ好調の追い風となった」と喜び、三保恵一市長は「ふるさと納税の返礼品にすることも検討する」と応じた。
 市内の「道の駅『安達』智恵子の里」など、県内各地で販売中。500ミリ・リットル入りの瓶で、希望小売価格は税込み1430円。
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奥の松酒造さんの「すっかいがな」、発売当初に「ほう、こんなの出たんだ」と気づいてはいましたが、「レモン哀歌」がらみとは明言されていませんでした。「何だ、やっぱりそうだったんかい」という感じです。

続いて地元紙『福島民報』さん。智恵子生家/智恵子記念館さん最寄り駅のJR東北本線安達駅関係です。

30日から「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」

 「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」は30日、福島県二本松市のJR安達駅東西自由通路西口1階コンコースで始まる。1917(大正6)年の開業から2016(平成28)に新駅舎に引き継がれるまでの歴史を写真などで振り返る。
 あだち観光協会の主催。和紙産業と駅誘致の経緯に始まり、駅の発展、出征、無人化反対運動と大規模な町民旅行などの写真パネル約30点を展示。観光協会が保管している旧駅舎の切符売り場、当時使われていた用品などもある。
 29日に内覧会を開いた。加藤和信協会長が「安達駅は地域の大きな核であり、ますますにぎやかになっていくよう努める」とあいさつした。地元関係者が「懐かしい」などと熱心に見入った。同展は観覧無料で10月29日まで。10月9日午後1時30分から会場でトランペットとピアノの「ほんとの空」コンサートを催す。
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「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」および「ほんとの空コンサート」についてはこちら
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「ほんとの空コンサート」、トランペッターのNoby氏、もう10年前になりますが、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているモンデンモモさんのコンサート等でご一緒しました。ピアノは一昨年に設置された駅ピアノを使うようです。

「芸術の秋」となり、紹介すべき事項が溜まりつつあるので、もう1件。二本松市の『広報にほんまつ』今月号から。

智恵子講座2023 「智恵子抄」全作品を熟読するパート2~その背景と意味を読み解く~

美と愛に生涯を捧げた高村光太郎と智恵子。2人の波乱万丈の生涯を赤裸々に表現した「智恵子抄」。その核心に肉迫します。

会 場 市民交流センター  
講 師 智恵子のまち夢くらぶ代表 熊谷健一 氏
定 員 20人
参加料 3,000円(全3回分、テキスト代含む)
申込方法 下記までお申し込みください。
◎問い合わせ・申し込み…智恵子のまち夢くらぶ事務局☎(23)6743(受付:9:00~18:00)
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「智恵子講座」。以前は外部から講師を招いてということで、当方も何度か務めさせていただきました。このところ、主催の智恵子のまち夢くらぶさん熊谷代表が講師となって開催されています。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今月十日に父の七回忌、智恵子の三回忌を一しよに法要しました。五日には小生だけお墓まゐりしました。智恵子の事を友達はよくおぼえてゐてくれました。

昭和15年(1940)10月30日 長沼セン宛書簡より 光太郎58歳

千葉九十九里浜在住だった智恵子実母宛です。

10月5日(木)が智恵子の命日「レモンの日」ということで、その故郷、福島県二本松市での顕彰事業もろもろが、今年から「レモン祭」と名付けられました。新しい取り組みも含まれています。

高村智恵子レモン祭

期 日 : 2023年10月5日(木)~11月19日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井漆原町35
休 館 : 水曜日(祝日の場合は翌日)
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円
      子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

■みんなで作るシンメトリー展 ~作製編~
 智恵子も数多く生んだシンメトリー作品を、オリジナルで作成できます。
 作成いただいた方には、粗品(今季限定)をプレゼントいたします。
 皆様の作品は、ひとつの作品に仕上げ、次回自主事業開催時に展示いたします。
 実施期間 10月5日(木)~11月19日(日)

■蘇る智恵子 ~生家のライトアップ~
 智恵子の命日に生家がライトアップされます。
 ライトアップを堪能するとともに、智恵子への哀悼の意を表しませんか?
 実施期間 10月5日(木) 午後5時~午後8時 11月6日(月)~19日(日) 開館時間内

■智恵子の生家 2階公開
 公開日
 10月7日(土)~9日(月)、14日(土)~15日(日)、21日(土)~22日(日)、28日~29日(日)
 11月3日(金)~5日(日)

■奇跡といわれる「紙絵」の実物展示
 展示期間 10月5日(木)~17日(火)
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例年行われている智恵子居室を含む生家二階部分の公開、智恵子紙絵の実物展示に加え、新たな取り組みとして、生家のライトアップ、シンメトリー紙絵の制作体験が盛り込まれました。

心を病んで入院していた智恵子によって南品川ゼームス坂病院で作られたシンメトリーの紙絵はこんな感じです。
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光太郎の回想が残っています。

模様の類は紙を四つ折又は八つ折にして置いて切りぬいてから紙をひらくと其処にシムメトリイが出来るわけである。さういふ模様に中々おもしろいのがある。はじめは一枚の紙で一枚を作る単色のものであつたが、後にはだんだん色調の配合、色量の均衡、布置の比例等に微妙な神経がはたらいて来て紙は一個のカムバスとなつた。十二単衣に於ける色襲ねの美を見るやうに、一枚の切抜きを又一枚の別のいろ紙の上に貼はりつけ、その色の調和や対照に妙味尽きないものが出来るやうになつた。或は同色を襲ねたり、或は近似の色で構成したり、或は鋏で線だけ切つて切りぬかずに置いたり、いろいろの技巧をこらした。此の切りぬかずに置いて、其を別の紙の上に貼つたのは、下の紙の色がちらちらと上の紙の線の間に見えて不可言の美を作る。(「智恵子の切抜絵」昭和14年=1939)

下の紙の色がちらちらと上の紙の線の間に見え」るという「切りぬかずに置いて、其を別の紙の上に貼つたの」は、たとえばこれ。
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智恵子の並々ならぬ造型感覚が見て取れますね。

こうしたシンメトリーの紙絵(もうちょっとシンプルなものだったとは思いますが)、智恵子が心を病む前から手がけていたという証言が残っています。光太郎智恵子と親しかった詩人の尾崎喜八の回想から。

智恵子さんは後の紙絵の大家で、立派な工芸家だと思いますがとっても折り紙がお上手だったんです。我々が作る幼稚な折鶴とか云ったものでなく、とってもすばらしいもので、それをもうすでにいわゆる、そのシンメトリカルに紙をたたんでシンメトリカルに切ると、あるきそくに立派な模様ができる。ああいうものをすでにやっていらした。それを三つになる女の子のために作って下さった。オバチャマに頂いた、とそれをもって帰って来た事があります。(「尾崎喜八氏聞き書き―智恵子三十年忌―」  請川利夫著『高村光太郎論』昭和44年=1969所収)

三つになる女の子」は、尾崎の長女・榮子さん。平成28年(2016)までご健在で、当方も智恵子の思い出を聴かせていただいたことがあります。大正14年(1925)のお生まれでしたので、「三つ」ということは、数えなら昭和2年(1927)、満なら同3年(1928)、いずれにしてもまだ智恵子の心の病が誰の目にも顕在化する以前です。

それにしても、ゼームス坂病院で作られた智恵子のシンメトリーの紙絵、まさに光太郎の云う通り「紙は一個のカムバスとなつた」状態ですね。複数のシンメトリー作品を組み合わせたものなど、まさにこの紙絵が奇跡と云われる所以の一つでしょう。

残念ながら智恵子を偲ぶレモン忌の集いは、主催されていた智恵子の里レモン会さんが解散してしまったため無くなりましたが、当方も期間中に一度足を運ぼうと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

先年智恵子が造つて置いてくれた梅酒をのみました、感慨無量です、彼女はまだ生きてゐます、


昭和15年(1940)3月29日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎58歳

『智恵子抄』所収の詩「梅酒」の光景です。光太郎手控えの草稿に依れば、この書簡の2日後に書かれています。

    梅酒013
 
 死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
 十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
 いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
 これをあがつてくださいと、
 おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
 もうぢき駄目になると思ふ悲に
 智恵子は身のまはりの始末をした。
 七年の狂気は死んで終つた。
 厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
 わたしはしづかにしづかに味はふ。
 狂瀾怒濤の世界の叫も
 この一瞬を犯しがたい。
 あはれな一個の生命を正視する時、
 世界はただこれを遠巻にする。
 夜風も絶えた。

智恵子の故郷・福島二本松でのイベントです。

観月の宴~十五夜~

期 日 : 2023年9月29日(金)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3-1
時 間 : 18:00~19:30
料 金 : 500円(お茶菓子代)

十五夜の当日に、抹茶と和菓子を楽しみながら、箏(こと)の音色と共に月見をいたします。「ほんとの空」に輝く仲秋の名月を眺めてみませんか?

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直接は光太郎智恵子には関わらないと思いますが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使われては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

ただし、定員30名、既に埋まっているという話でした。それでもキャンセル等あるかもしれませんので、一応。

今年の十五夜は9月29日(金)なのですね。智恵子が亡くなった昭和13年(1938)の十五夜は智恵子葬儀の執り行われた10月8日だったようで、その日の模様を後に回想して謳った詩「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)の最終行は、「外は名月といふ月夜らしい。」でした。何だか智恵子がなよたけのかぐや姫のように、月へ帰っていったような気がします。

当日、晴れるといいですね。

【折々のことば・光太郎】

おたよりと桃一箱昨日頂戴、まことに忝く存じました、今年はお盆にも別に何もいたしませんが、智恵子が好きだつた桃を見て感慨に堪へません、早速智恵子に供へました、まだ小生智恵子が死に去つたといふやうな気がしません、この桃も一緒に食べるやうな気がします、


昭和14年(1939)7月10日 水野葉舟宛書簡より 光太郎57歳

光太郎、智恵子の陰膳的にビールをコップ二つに注いでおくと、いつのまにかそちらも無くなっているという回想を残しています。絶対、自分で飲んで居るんですけれど(笑)。

地方紙『福島民友』さんから。

日本人は星より月の文化 渡部潤一さん「季節ごと違い楽しんで」

000 国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)は17日、福島市で「日本人はいかに宇宙を愛(め)でてきたか」と題して講演し、日本人の宇宙への向き合い方について解説した。
 国際天文学連合(IAU)の「アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議(APRIM)」が7~11日に郡山市で開催されたことを記念し、県文化振興財団が企画した。
 渡部さんは「日本は季節感が明瞭なため、方位や季節を知る目的で星を見る必要がなかった」とした上で「日本人は星よりも月の文化」と紹介。小説や短歌にも月が登場することに触れ「季節ごと、時間ごとの月の違いを楽しみ、積極的にめでてほしい」と語った。
 月への信仰にも触れ、江戸時代、旧暦23日と26日に人々が集まり、寝ずに月の出を待ち祈る「月待ち行事」が流行したと説明。県内にも行事を記念して造られた月待ち塔が数多く残るとし「オールナイトで大宴会したようだ。楽しみの一つだったのだろう」と思いを巡らせた。
 渡部さんは「県内は天文施設も充実しており、日新館天文台跡(会津若松市)などの貴重な史跡も残っている」と解説。詩人高村光太郎の詩集「智恵子抄」の「ほんとの空」を例に挙げ「福島にはほんとの夜空がある。月や星を見上げ、自由に思いをはせてほしい」と話した。

この講演会、福島県歴史資料館さんで開催中の企画展示「収蔵資料展 空を眺めて-江戸・明治時代の天文・大気現象など-」の関連行事だったとのこと。
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福島ご出身の渡部氏、昨年やはり福島市で開催された「写真展 138億光年宇宙の旅」(同氏ご監修)で「ほんとの空」の語を使って下さいましたし、郡山市ふれあい科学館さんで過去6回開催された「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト “ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。」で審査員を務められたりもなさいました。

今後とも福島の「ほんとの空」の伝道師として、ご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

ちゑさんの病気はどうか気ながに御看護下さい。今度は二十一日に参上いたし一泊御厄介になつて二十二日に帰京したいと存じてゐます。薬もその時持参します。父の方は今の処かはりありません。


昭和9年(1934)5月16日 長沼セン宛書簡より 光太郎52歳

心の病の療養のため智恵子を預けた九十九里の智恵子実母宛。「」はホルモン剤の「オバホルモン」。ほとんど効果はなかったのではないかと思われますが……。「父の方」は、光太郎の父・光雲が胃潰瘍で帝大病院に入院していたことを指します。
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紹介すべき事項が多すぎて、もう始まってしまっていますが、智恵子の故郷・福島二本松からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/29(土)開幕! インスタ映えメニューが多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2023年7月29日(土)~9月18日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。
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 今年で12年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションが光り輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、昨年好評だった「夏の大三角形」「カシオペア座」などに加え、「てんびん座」「さそり座」「いて座」といった夏の星座が新たに加わりスケールアップした星座のイルミネーションです。そのほか、「ADATARA LOVE」をテーマにした「ハートのオブジェ」や「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。

また、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 さらに、食堂「富士急レストハウス」では夏ならではのメニューが多数登場いたします。昼には、暑い日にぴったりのピリッと辛い「冷やし担々麺」や、かき氷がたっぷりのった「かき氷そば」、雪のようなふわふわ食感のあだたらスノーアイス」など、ひんやり冷たいメニューが充実。また、おやつにおすすめなのが「岳」の文字型をした「岳チュロス」。その新シリーズとして、今夏「空チュロス」が登場いたします。夜には、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながらスイーツを味わえます。

 この夏は、標高1,700mと夏でも涼しく、日本百名山の一つに数えられる安達太良山の絶景と幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

「あだたらイルミネーション」概要
 ・開催期間 2023年7月29日(土)~9月18日(月祝)  
  ※8月28日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
 ・営業時間 19:00~21:00  
  ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
 ・料金  入場料:中学生以上700円、小学生以下500円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,500円、小学生以下1,000円
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■LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】
 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。

・開催日 8月12日(土)、15日(火)、19日(土)、26日(土)、9月2日(土)、
     9日(土)、16日(土)、17日(日)
・時間 18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金 4,000円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法 各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定
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■夏の爽やかメニューが多数登場!
 富士急レストハウスでは、暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。ピリッと辛い「冷やし担々麺」や、かき氷がたっぷりのった「かき氷そば」、雪のようなふわふわ食感の「あだたらスノーアイス」、「あだたらかき氷ソフト」、「あだたらソーダ」もご賞味いただけます。
 さらに、今春に販売開始した人気の文字型チュロス「岳チュロス」に、新たに「空チュロス」も仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!
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■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。

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個人的には「空チュロス」が非常に気になります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ちゑ子は追々よろしくなりましたが此頃お目にかかりたいやうに申して居ります。まだ頭が疲れて居る様子で外出が出来ませんので母上に勝手ながら一二泊のおつもりでおいで願へれば幸に存じます、


昭和8年(1933)5月11日 長沼セン宛書簡より 光太郎51歳

前年の睡眠薬アダリン大量摂取による自殺未遂から身体的には恢復し、心の病の方も小康状態でした。智恵子の実家、二本松の長沼酒造は既に破産、一家はちりぢりになっており、母のセンはこの頃、世田谷に逼塞していました。「ほんとの空」を見ることが叶わなくなったのが、心の病の大きな要因の一つだったと思われます。

まずは7月8日(土)に行われた、川内村さんの第58回天山祭りについて。

『福島民報』さん。当方の名も出して下さいました。

福島県いわき市出身の詩人草野心平さんしのび献花や朗読 川内村で天山祭り 児童生徒が自作の詩披露

 福島県いわき市出身で、川内村名誉村民の詩人草野心平さんをしのぶ第58回天山祭りは8日、村内の村民体育センターで開かれ、村民やファン、現代詩誌「歴程」の同人らが心平さんに思いをはせた。
 実行員会の主催。村、村観光協会などの共催。福島民報社などの後援。村内外から100人以上が参加した。井出茂実行委員長、遠藤雄幸村長があいさつした後、歴程同人の斎藤貢さんと渡辺一夫村議会議長が祝辞を述べた。
 献花に続き、心平さん自身が朗読する「富士山 作品第肆」と「青イ花」のCDが流れた。川内小中学園6、7年生が歴程同人から指導を受けてつくった詩を披露した。歴程同人による朗読では、参加者が心平さんの詩の世界に浸った。
 心平さんの生誕120周年を記念し、高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表が「草野心平と高村光太郎 魂の交流」と題して講演した。アトラクションでは、村に伝わる西郷獅子や紙芝居が披露された。
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同じ件で『福島民友』さん。

草野心平しのび詩朗読 生誕120周年、川内で天山祭り

 福島県川内村の名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平(いわき市出身)を顕彰する「天山祭り」が8日、同村で開かれた。今年は心平の生誕120周年に当たることから、関係者が詩の朗読などを通じて心平をしのんだ。
 雨模様だったため、会場を心平の蔵書を収めた「天山文庫」から、村民体育センターに移して開催した。会場には村民に加え、心平らが創刊した同人詩誌「歴程」の同人が集まり、実行委員会の井出茂委員長らが心平の写真に献花した。
 祭りでは、川内小中学園6、7年生による連詩「川内村の未来を創る」が朗読された。「か」から「る」までの文字を最初の一文字に、児童生徒14人が作詩したもので、川内での生活をみずみずしい言葉で詠み上げた。
 このほか、伝統芸能の西郷獅子や紙芝居なども披露された。
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続いて、『福島民報』さんの連載「福島県 今日は何の日」。

7月9日 1991年(平成3年)7月9日 智恵子の生家修復 仮オープン

001 二本松市の高村智恵子の生家が修復され仮オープンした。
 旧国道4号沿いにある智恵子の生家は造り酒屋で、1883(明治16)年に建てられた。木造2階建て延べ300平方㍍。智恵子は1886年に生まれ、女学校に進むまでこの家で生活した。
 しかし、智恵子の生家の長沼家は大正末期に没落し建物は人手に渡っていた。前年、ふるさと事業の一環として建物の永久保存を決定。建物を買い取るなどし修復していた。
 外観は全面的に化粧直しされ、醸造していた清酒「花霞」の大看板を設け、新酒のできたことを知らせる直径70㌢の杉の玉「酒林」も軒下に下げた。

ただし、民報さん、ネットに出た記事の見出しで1年間違えています。「1991年」は合っているのですが、カッコして「平成2年」。1991年は正しくは平成3年です。
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カッコの位置も変ですし、担当された記者? の方、かなりテンパッていたようですね(笑)。

調べてみましたところ、翌月の8月14日、当方、初めて智恵子生家を訪れていました。
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翌年4月には生家裏手に智恵子記念館がオープン。

まだ二本松市と合併する前の旧安達町の時代で、一連の事業には当時の竹下内閣の「ふるさと創成事業」で全国各市町村に配られた1億円が使われました。平成7年(1995)には、旧建設省が主催し、その1億円の使い方がナイスだったという自治体などに贈られた「手づくり郷土(ふるさと)賞」が安達町に授与されてもいます。
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バブル景気真っ盛りとはいえ、1億円をドブに捨てるような(死語ですかね(笑))使い方をした自治体も少なくない中、旧安達町の英断には頭が下がりました。それまで長沼家に関しては、初代の次助が流れ者だったこと、智恵子を含めた一家の悲惨な末路等もあり、この地域ではタブー扱いされていた面がありましたし……。

川内村さんの心平顕彰を含め、今後とも、継続して行っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

用事でちゑ子の帰京が二十日頃迠のびたため友の会の小旅行が月末まで出来なくなりました。 残念ながら此事ご報告まで。


昭和3年(1928)6月7日 今井武夫宛書簡より 光太郎46歳
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智恵子実家の長沼酒造は智恵子の弟・啓助があとを嗣いでいましたが、経営がどんどん傾き、この年にはどうしようもない状態になっていました。「智恵子は東京に空がないといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」の「あどけない話」が書かれたのが5月11日ですが、長沼酒造は不動産登記簿によれば、前日の5月10日に家屋の一部が福島区裁判所の決定で仮差し押さえの処分を受けています。翌昭和4年(1929)には、長沼家の全ての家屋敷は人手に渡り、実家の家族は離散、智恵子は帰るべきふるさとを失います。

友の会」は「ロマンロラン友の会」。「東方」の文字は、この年刊行された「友の会」メンバーによる雑誌『東方』の題字と同一の木版です。「あどけない話」も『東方』に掲載されました。

7月7日(金)、都内で「ろうどくdeおもてなし 七夕公演~会えば何かがはじまる~【夜公演】」、「三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』」をハシゴして拝聴、拝見後、最終の高速バスで千葉の自宅兼事務所へ(都心から2時間近くかかる田舎です)。

入浴、仮眠後、明けて7月8日(土)、午前4時半過ぎに起床、猫と自分との朝食を作って一緒に食べ(笑)、5時半には愛車を北に向けて出発。目指すは福島県川内村です。

この日は当会の祖にして、生前の光太郎と最も親しかった草野心平を顕彰する第58回天山祭りで、光太郎と心平の交流についてべしゃくれ、ということで、行って参りました。
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遅れてはいけないと思い、早く出たら早く着きまして、まず、川内村での心平の別荘・天山文庫に。以前も書きましたが、ここの建設委員には、光太郎実弟にして心平と親しかった髙村豊周も名を連ねました。
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本来、こちらの広場的なスペースが天山祭り会場なのですが、途中でスマホにメールが入り、天候が怪しいのでこちらではなく、村民体育センターで、ということで、そちらに移動。
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当方、天山祭り参加は6回目くらいですが、結局、天山文庫では2回だけ、あとはやはり雨天時会場での開催でした。
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ステージ前の祭壇的な。心平のこよなく愛した酒がたくさん供えられていました。

開会に先立ち、アトラクション的に音楽演奏。
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そして開会。
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実行委員長・井出茂氏や遠藤雄幸村長らのご挨拶等。コロナ禍もあったため、お二人にお会いするのも実に久々でした。
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献花。
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小中一貫となった川内小中学園の子供たちによる自作詩の朗読。
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かつて心平が主宰していた『歴程』同人の伊武トーマ氏による心平詩の朗読。
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氏とも超久しぶりで、今回はとにかく懐かしい面々にお会いでき、嬉しゅうございました。ただ、同じく『歴程』同人で、天山祭りご常連だった新藤凉子氏が昨年亡くなったのは残念でしたが……。

ここで休憩を挟んで、当方の講演。「草野心平と高村光太郎 魂の交流」と題し、二人のつながり等を30分程でお話しさせていただきました。
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今年、光太郎は生誕140周年(ちょっと半端ですが(笑))、ちょうど20歳年下の心平は生誕120周年。お互いに師匠・先輩←→弟子・後輩ではなく、年上の友人←→年下の友人として長いつきあいをし、さらに光太郎歿後は最晩年まで光太郎顕彰に力を注いでくれた心平について、ご紹介いたしました。
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レジュメには、最近、国会図書館さんのデジタルデータリニューアルで見つけた、当方もそれまで知らなかった心平の光太郎回想から抜粋で筆写しておきました。いずれも昭和戦前の出来事で、酔いつぶれた心平が目を覚ますと駒込林町の光太郎アトリエのベッドで、ベッドの下にはゲロを吐いた跡がきれいに拭き取られ、光太郎はアトリエのソファーで冬なのに毛布一枚で寝ていたとか、心平が一時期勤めていた『東亜解放』(光太郎が斡旋?)の取材で東北に行った際、早くも1日目で取材費を呑み尽くし、光太郎に電報為替で金を送ってもらったことなど。まったく心平は豪快です(笑)。

その後、地元の子供たちなどによる、伝統芸能「西郷獅子」演舞。
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やはり地元の子供たちらによる心平モチーフの紙芝居披露。
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うるっと来てしまいました。

閉会後、井出氏のご自宅、小松屋旅館さんへ。
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コロナ禍もほぼ落ち着いたということで、11月には心平を偲ぶ「かえる忌」の集いを復活させたいということで、その打ち合わせ。
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さらにその後、村内下川内牛渕地区に新たにオープンした古民家カフェ的な秋風舎さんで昼食。
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古民家・古建築好きの当方としては、アゲアゲでした(笑)。
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店内には心平の書も。
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さらに書庫があり、当方のべしゃくりでも触れた、光太郎が題字を揮毫した心平詩集。
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さらにアガりました(笑)。

先述の通り、また秋にはお邪魔いたしますが、川内村、実にいい所です。皆様もぜひ足をお運び下さい。

以上、レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

あの詩集の原稿はまだドラ社に廻つてゐません。 紛雑なノオトの中から集めるので、時間の少いため遅れてゐるのです。原稿さへまとまれば、印刷はぢき出来るさうです。 既に御払込の由、御気の毒に思ひますが、決して無責任な事はしません。此事一寸、

昭和2年(1927)10月31日 堀久松宛書簡より 光太郎45歳

07fe8679あの詩集」は、『猛獣篇』。人口に膾炙した「ぼろぼろな駝鳥」などを含む連作詩です。早くから心平の手で出版される計画があったのですが、結局、光太郎生前にはそれが実現せず、没後の昭和37年(1962)になって、心平が鉄筆を執り、ガリ版刷りで発行されました。

心平はその刊行に際し、ハードカバーのきちんとした書籍として、と云ったことも考えましたが、いやまてよ、ここは初期の『銅鑼』などの精神で、一周回ってガリ版刷りだ、と決めました。

ガリ版刷りの手製ですが(制作には当会顧問であらせられた北川太一先生もご協力)、現在、1万数千円くらいで市場に出ています。

光太郎の書いた心平詩集『蛙』や『天』などの題字もほれぼれしますが、この『猛獣篇』の心平筆跡にも心を奪われますね。

ちなみに葉書は当方手持ちのもの。絵葉書で、写真面はノートルダム大聖堂のエクステ彫刻です。
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当会の祖・草野心平が生前に愛し、心平没後は心平を祀る意味合いも込められるようになったイベントです。

第58回天山祭り

期 日 : 2023年7月8日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は村民体育センター 川内村大字上川内字小山平15
時 間 : 午前10時~12時40分
料 金 : 500円

故草野心平先生の遺徳をしのび、7月の第2土曜日に毎年開催されています。詩の朗読や伝統芸能の披露など文化的なお祭りとなってます。これを機に、川内村の伝統にふれてみてはいかがでしょう。

今年は草野心平生誕120周年ということもあり、村の子どもたちによる発表なども予定されておりますので、ぜひお越しください。

お問い合わせ先 川内村教育委員会 電話:0240-38-3806
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まぁ、ほんのおまけのような扱いなのでしょう、要項等に記述がありませんが、当方の講演も予定されています。題して「草野心平と高村光太郎 魂の交流」。
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以前にも似たような話をあちこちでさせていただいておりますので、その焼き直しのような……。

同祭、何度か参加させていただきました。最後はコロナ禍前の第54回(令和元年=2019)。コロナ禍中の第55回(令和2年=2020)は例によって中止となり、一昨年の第56回は福島県内在住者に限っての参加で実施、昨年の第57回から再び広く参加を呼びかけるようになりました。ただ、今年もそうですが、以前のように名物のイワナ付きお弁当が饗されるところまでは旧に復していないようです。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

東京は四十年来といふ寒さで、此間零下八度六分。彫刻の粘土を凍らせないやうにするので厄介です。ロンドンは割に暖かなのでせう。霧はどうですか。

昭和2年(1927)1月27日 中野秀人宛書簡より 光太郎45歳

中野秀人は編集者・詩人。この頃ロンドンに居ました。

零下八度六分」は間違いでも誇張でもなく、この年1月24日に東京地方で記録され、気象台開設以来の寒波として記録に残っています。

これで思い出されるのが、『智恵子抄』所収の詩「金」。前年の大正15年(1926)に書かれたものです。
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 工場の泥を凍らせてはいけない。
 智恵子よ、
 夕方の台所が如何に淋しからうとも、
 石炭は焚かうね。
 寝部屋の毛布が薄ければ、
 上に坐蒲団をのせようとも、
 夜明けの寒さに、
 工場の泥を凍らせてはいけない。
 私は冬の寝ずの番、
 水銀柱の斥候(ものみ)を放つて、
 あの北風に逆襲しよう。
 少しばかり正月が淋しからうとも、
 智恵子よ、
 石炭は焚かうね。

「工場」は「こうじょう」ではなく「こうば」。アトリエのことです。「泥」は彫刻用の粘土ですね。

こういうところが、『智恵子抄』が「智恵子不在」とか「モラハラ野郎」とか云われる所以なのでしょうが……。

テレビ放映情報です。

出川哲朗の充電させてもらえませんか?【村上佳菜子&ケンコバ<奥州街道>SP】

地上波テレビ東京 2023年7月1日(土) 18:30〜20:54
【見逃し配信】https://video.tv-tokyo.co.jp/degawacharging/

■行くぞ<奥州街道>116キロ■福島<東北のお伊勢さま>からゴールは宮城の名湯<遠刈田温泉>ですが■村上佳菜子が超天然でケンコバはドシャ降り!ヤバいよ×2SP■

 福島・郡山市「みちのくのお伊勢さま」開成山大神宮をスタートして宮城・蔵王町の遠刈田温泉を目指す充電旅。開成山大神宮にお参りした出川と熊谷Dは電動バイクで旅をスタート。奥州街道を北上していると、ゲストの村上佳菜子と合流する。ショーが近いので髪の毛をオレンジ色にしたという村上に、出川は「ファンキーな方なんで」と驚く。初バイクの村上と出発すると、本宮駅付近でソースかつ丼のお店が有名と知り、行ってみる。
 出川はあいもり丼、村上はカツ丼を頼むも、熊谷Dのソースカツ丼が気になってカツ交換。熊谷Dの丼がちょっとだけ残念な感じに…。この先に伝説の鬼婆がいた場所があると聞いて向かっていると老舗和菓子店を発見、冷凍生どら焼きを購入する。その後、高村智恵子の生家を発見するも、出川は鬼婆伝説と混ざって混乱してしまう。その後、鬼婆伝説の寺に到着した3人は、鬼婆の恐ろしさを知ることになる。
 再び出発すると熊谷Dと出川のバッテリーが切れ、村上がひとりで充電場所探しへ。充電させていただいたお宅と鬼婆伝説の寺に繋がりがあるとわかり、ご縁を感じる。充電後、現れない熊谷Dを心配しながら出川と村上は福島市の中心部へ。すると村上は急に自分の姿を恥ずかしがる。熊谷Dと合流し、名物の円盤餃子が食べられるお店で「妖怪サラダおばけ」とよばれる村上と円盤餃子やねぎそばなど福島名物を満喫。
 今晩の宿探しへ向かおうとするも、外はまさかの雨。温泉街へ向かおうとしていた3人は急遽作戦会議をする。翌朝、宿で村上と別れ、出発した出川と熊谷Dはどしゃ降りの中に佇むゲストのケンドーコバヤシと合流。飯坂温泉の公衆浴場で撮影交渉するも入れず、紹介してもらった日帰り入浴のある旅館で湯船がおかめの温泉に入浴。すると、出川が体の一部を吸われてしまう。湯あがり後は、カフェでラヂウム玉子のパスタをいただく。
 宮城・白石市でケンコバのバッテリーが切れ、出川と熊谷Dは充電場所探しへ。民家で充電させていただき、白石うーめんのお店へ向かうもまさかの閉店後。しかし、お店の方のご厚意に3人は感激する。その後も強まる雨の中、発見した温泉で体を温め、男性の背中を流す。英気を養った3人は、ゴールの遠刈田温泉を目指すのだが、強雨の中、出川が「人の声が聞こえる」と言い、ケンコバを怯えさせる。はたしてゴールできるのか!?

【出演】 出川哲朗、熊谷D 【ゲストライダー】 村上佳菜子、ケンドーコバヤシ
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福島・郡山から宮城・遠刈田温泉への電動バイク旅。智恵子の故郷・二本松では、智恵子生家に立ち寄られるそうです。
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出川さんと村上佳菜子さん、智恵子実家の長沼酒店のはっぴ姿の画像が公開されています。

また、鬼婆伝説の観世寺さんでのやりとりが予告編としてYouTubeに。


出川さんを上回る村上さんの天然ぶりが何とも云えません(笑)。

試聴可能な方、是非ご覧下さい。地上波テレ東さん系、放映されていない地域の方、ネットでの見逃し配信もあるそうです。

【折々のことば・光太郎】

二ケ月ばかり手許を離れて東京 大阪等の奉讃展覧会に出品せられをり候拙作彫刻、やうやうく昨日無事返還いたされ候。 貴下におゆづり申上候「なまづ」も何等損傷無く、僅かに着色に少しばかりの変化ありたるのみに候。 ついては二三日手許に置きて調色いたしたる上、尚外箱を造りて 直接貴下宛発送いたす可く候間 此段御承知置被下度候。


大正15年(1926)7月31日 小沢佐助宛書簡より 光太郎44歳

奉讃展覧会」は、「第一回聖徳太子奉賛美術展」。文展などの官設の展覧会には出品しようとしなかった光太郎が、ブロンズ「老人の首」(大正14年=1925)、木彫「鯰」(大正15年=1926)を出品し、「高村が展覧会に彫刻を出した!」と周囲を驚かせました。

同展が無審査の展覧会だったためで、それならば出品もやぶさかでない、という考えでした。この後も昭和2年(1927)と翌年に開催された、やはり無審査の「大調和展」にも作品を出しています。

ちなみにこの時出品された「鯰」は現在、竹橋の国立近代美術館さんの所蔵です。
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今年、光太郎は生誕140周年を迎えました。そして当会の祖・草野心平は光太郎のちょうど20歳下になりますので、生誕120周年。

140より120の方が区切りがいい感じもあるのでしょうか、生誕120周年でけっこう頻繁に取り上げられています。いろいろあるのですが、これはと思う報道を3件。

まず『いわき民報』さん。心平の誕生日5月12日(金)の記事です。

草野心平 きょう生誕120年迎える 小川の生家にカエルのキャンドル並ぶ

 〝蛙の詩人〟として親しまれている、小川町出身の草野心平(1903~1988)は12日、生誕120年を迎えた。少年時代を含め20年ほど暮らした生家には、母校の小川小と、地元小玉小の4年生が作成したカエルのキャンドル約60個が展示された。
 キャンドルは、心平が生家で生活していたころと、同世代の子たちの古里を思う気持ちを育むため、市立草野心平記念文学館が依頼した。ウインクをしたり、ひげをたくわえたりと、チャーミングな姿に、来場者たちも思わずほっこりした気持ちに包まれている。展示は6月25日まで。
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かわいらしいキャンドルですね。一瞬、ピ○チュウかと思ってしまいましたが(笑)。

続いて『福島民報』さん。こちらは文学史上、重要な発見を報じています。誕生日翌日の5月13日に報じられました。

草野心平自筆「最後の詩」か 最晩年の未発表原稿 寄り添った女性への感謝著す

 12日に生誕120年を迎えた福島県いわき市出身の詩人草野心平(1903~1988年)が最晩年に書いたとみられる未発表の自筆原稿1枚があることが分かった。病に伏せる晩年の心平に寄り添った山田久代さん(故人)への感謝の気持ちをうかがわせる内容で、原稿を保管する元いわき市草野心平記念文学館副館長の関内幸介さん(75)=市内在住=は「心平の『最後の詩』の可能性がある。心平の最晩年や2人の関係を理解する上で貴重だ」としている。
 久代さんの遺族が保管していたものを関内さんが2012(平成24)年に譲り受けた。久代さんは心平と筆談したメモや書簡など100点以上を残しており、保管状況や筆跡から原稿は心平の直筆と判断できるという。1987(昭和62)年ごろ、東京都東村山市の自宅で書いたとみられる。
 原稿は「何も言はない。」で始まり、「何も言ふべきことない。」「声をだすな。許せ。」「いろいろ言うべき多し。許せよ」などとつづられている。最後は「かんベン かんベん! ありがたう。」で終わる。
 「草野心平日記」などによると、心平は病の影響で1987年7月ごろから言葉が不自由になり、周囲と筆談でやりとりしていた。最後の詩集が出版されたのは1986年で、1987年4月の詩誌「歴程」で発表した詩が最後の詩とみられていた。心平を約20年研究する市教育文化事業団の渡辺芳一さん(49)は「言葉がうまく出ない苦しさや、相手を大事に思いながらもささいなことで口論してしまう心境を表現しているのでは」と指摘する。
 久代さんは1949年に東京の酒場で心平と出会い、心平の妻の死後は籍を入れないまま一緒に暮らした。心平の日記には「チャ公」との愛称で登場する。2011年5月、89歳で亡くなった。
 関内さんは心平の親戚に当たる。「籍を入れなかった2人だが、形式にとらわれない絆や愛の深さがあったことを後世に残したい」と話し、久代さんの遺族から譲り受けた資料を同文学館などへ寄託できるかどうか検討しているという。
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かんベン かんベん! ありがたう。」、いかにも心平が照れ笑いを浮かべつつ言いそうな……。

最後に仙台に本社を置く『河北新報』さん。5月28日(日)の記事です。ちらっと光太郎にも触れて下さいました。

東北の文化人と親交深く いわき出身・草野心平 生誕120年 <リポート2023>

 いわき市出身の詩人草野心平(1903~88年)が12日に生誕120年を迎えた。旺盛な創作の傍ら、東北の多彩な文化人たちと親交を深めた。詩人で童話作家の宮沢賢治を世間に広め、板画家棟方志功とは共著の詩画集を出した。写真家土門拳の「助手」も務めた。草野心平記念文学館(いわき市)が所蔵する本人の所持品と残した文章から、交流の軌跡をたどる。(いわき支局・坂井直人)

宮沢賢治、棟方志功、土門拳… 「良いものは良い」
 「現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私はその名誉ある『天才』は宮沢賢治だと言いたい。世界の一流詩人に伍(ご)しても彼は断然異常な光りを放っている」
 草野は、花巻市出身の宮沢賢治(1896~1933年)を激賞した。きっかけは1924年4月に自費出版で1000部刊行した詩集「春と修羅」との出合い。愛蔵書の背表紙は欠け、ぼろぼろになったほどだ=写真(1)=。
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 「彼の詩集と一緒に何度か旅をし、数十回読み返した。そんなに恥(はず)かしい感激を私は日本で彼の詩集にだけ経験した」。ほれ込み具合は相当なものだった。
 自身が手がける同人詩誌「銅鑼(どら)」に賢治を誘い、13編の作品を載せた。ただ、会うことなく、「天才」は無名のまま早世。花巻の宮沢家に弔問に訪れて初めて、遺影で対面した。膨大な未発表の遺稿に驚き、没後1~2年で編集のほとんどを担った賢治の選集的全集を刊行。作品を世に知らしめた。
 青森市出身の棟方志功(03~75年)とは同い年。児童文学雑誌の仕事を通じて縁が芽生えた。66年には、草野が主題の一つとした「富士山」のタイトルで共著の詩画集を出した=写真(2)=。
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 「彼はいつもフイゴのように熱っぽく火達磨(だるま)のようにぐるぐるしている」「彼の近眼も底なしの善意もケタ外れであり仕事の独自性もケタ外れである」。その人柄を愛し、終生の友として家族ぐるみで付き合った。
 草野は右目、棟方は左目が見えなかった。インド旅行に出かけた際、2人で一人前だなと大笑いした。帰国後、2度目の共著を編集中に棟方が亡くなり、その後に詩画集「天竺(てんじく)」が出版された。
 草野が創刊に携わった詩誌「歴程」は、酒田市出身の土門拳(09~90年)の撮影した写真が表紙を飾ったことがある=写真(3)=。
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 被写体は草野と親交のあった高村光太郎の彫刻作品。土門の指示で、草野らはまぶし過ぎるライトの光を遮断する役割をさせられた。
 草野はある時、文学賞でもらった時計を質に入れた。土門に撮られた自身の写真を質屋に見せ、信用獲得に役立ったといい、「首実検の結果まんまととほった(通った)」と明かす。
 草野心平記念文学館の長谷川由美専門学芸員は「良いものは良いという確かな目を持ち、きちんと伝えられる強さを持っていた」と、詩作にとどまらない草野の人間的魅力を指摘する。

土門拳撮影の光太郎彫刻は「黄瀛の首」。大正15年(1926)の作です。黄瀛は日本人の母と中国人の父の間に重慶で生まれ、千葉県で育った詩人。心平を光太郎に紹介しました。その後、心平の主宰した『歴程』同人として活躍します。

賢治、黄瀛らを世に出す労を惜しまなかった心平、その本物を見分ける確かな眼には驚かされます。既に詩人として名を成していた光太郎に対しても、『銅鑼』『学校』『歴程』などに寄稿を求め、さらに名を高からしめる一助。まぁ、光太郎詩文や挿画が載っているということで、それらの詩誌の売り上げや評価も上がったでしょうから、ギブアンドテイクだったようにも思われますが。

ところで、心平と言えば、来月、心平を名誉村民に認定して下さっている福島県川内村で58回目となる「天山祭り」が開催されます。村民の皆さんが心平のために建ててくれた別荘的な天山文庫が会場です。郷土芸能等の披露があり、生前の心平が愛した祭り、心平没後は心平を偲ぶ行事とも成り、さらに東日本大震災後は復興祈念の意味合いも付与された感があります。

で、心平生誕120周年、ついでに(笑)光太郎生誕140周年なので、そのあたりを語れ、という依頼がありまして、記念講演をさせていただきます。詳細はまた後ほど。

【折々のことば・光太郎】

チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよつと抱いてやりたい気のする子でした。


大正9年(1920)2月12日 田村松魚宛書簡より 光太郎38歳

新協劇団が行った公演「青い鳥」(メーテルリンク作)を観ての感想です。「チルチルになつた子」は、子役時代の初代水谷八重子。のち、昭和32年(1957)、北條秀司作の演劇「智恵子抄」で智恵子役を演じることになります。光太郎が難色を示し実現しませんでしたが、光太郎生前からその話があり、その際に水谷と光太郎を仲介したのも心平でした。
水谷八重子

一昨日は智恵子の故郷、福島二本松に聳え、「智恵子抄」にも謳われている安達太良山の山開きでした。報道をご紹介します。

まずFTV福島テレビさんのローカルニュース。

「いい思い出に」日本百名山・安達太良山で4年ぶり山開き 約4000人が登山を楽しむ

 日本百名山の一つの安達太良山は、毎年5月の第3日曜日に山開きをしている。山開きをした21日は、約4000人の登山客が訪れた。山頂では関係者が、山の事故が無いように今シーズンの安全を祈願した。
 通常どおりに山開きが開かれたのは4年ぶりで、登山客は山頂からの美しい眺望を楽しんでいた。登山客は「とても良い登山でした。孫たちも途中疲れたって言っていたんですけど、最後まで頂上まで登れて楽しかったみたいです。良い思い出になりました」と話した。
 福島県警察本部によると、2023年に入り県内では19件の山岳遭難が発生していて、入山する際には登山届の提出や十分な食料や水分などを備えるよう注意を呼びかけている。
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同じくTUFテレビユー福島さん。

安達太良山で4年ぶり山開き 観光大使なすびさんも参加

 本格的な夏山シーズンがやってきます。21日、福島県の安達太良山で山開きが行われ、大勢の登山客が山頂を目指しました。
  岳温泉観光協会・二瓶明子会長「多くの方々が安達太良山を目的に遠いところから来ているので、コロナの事は気にせずに思う存分安達太良山を楽しんでもらえるのかなと思う」
 今年は4年ぶりに通常の山開きとなった安達太良山。登山のスタートとなる「あだたら高原スキー場」のロープウェイ乗り場には、朝から多くの登山客が訪れました。
 21日の福島県内は晴れて登山日和となり、登山客は、残雪や安達太良山の自然を楽しみながらそれぞれのペースで山頂を目指していました。
 山頂では、先着順に山開きを記念したペナントが配られたほか、県内出身のタレントで、安達太良山の観光大使のなすびさんも登山に参加し、山頂を訪れた登山客と写真を撮るなどして交流しました。
 登山客「すごい天気も良くて気持ちよく登れた」
 登山客の子ども「(登るのが)辛いけど、高さがそんなに無かったからこれは楽だった」
 23日は尾瀬で、5月28日には磐梯山で山開きが行われることになっていて、福島県内はこれから本格的な夏山登山シーズンを迎えます。
 岳温泉観光協会・二瓶明子会長「安心安全に登れる山ではありますが、事故も時々起こるので、安全に次の目的地にたどり着くまで気を緩めることなく安達太良山を楽しんでもらいたい」
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続いて新聞系。まずは『福島民友』さん。

爽やかな薫風...4000人が山頂目指す 安達太良山で山開き

 福島県二本松市などにまたがる日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の山開きが21日、同山頂付近で行われ、約4000人の登山者が爽やかな薫風を受けながら山頂を目指した。山頂では安全祈願祭に加え、記念ペナントの配布や「ミズあだたらコンテスト」など山頂行事全てが4年ぶりに通常開催された。
 登山者は山頂に達すると「やったー」と叫び、壮大な眺めを写真に収めるなどした。東京都内から家族で訪れた根本結衣さん(10)は「岩登りが楽しかった。まだ疲れていない」と余裕の表情を浮かべた。親戚と登頂した田村市の会社員大河原循子さん(58)は「登山者同士であいさつして、気持ちよく登れた」と笑顔で話した。
 安全祈願祭には観光関係者や登山者に加え、安達太良山観光大使でタレントのなすびさん(福島市出身)も出席し、無事故を願った。
 ミズあだたらコンテストには49人が参加し、登山に適した格好かどうかを競った。2度目のミズに輝いた桑折町の公務員平野恵梨華さん(30)は「選ばれてびっくり」と話し、準ミズの本宮市の中村嶺那さん(9)=岩根小4年=は「安達太良山は校歌にも登場する好きな山」と喜んだ。
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『福島民報』さん。

日本百名山の安達太良山で新緑満喫 4年ぶりに通常規模の山開き 福島県内外から4000人

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)は21日、山開きした。福島県内外からの登山者約4千人が新緑を満喫し、山頂付近の残雪を踏みしめながら山頂を目指した。山頂付近での記念ペナント配布とミズあだたらコンテストが復活し、4年ぶりの通常開催となった。
 山頂で神事を執り行い、安達太良連盟会長の三保恵一二本松市長らが登山者の安全を祈願した。先着3千人に記念ペナントを配布した。奥岳登山口では限定50個の缶バッジを販売した。
 山頂に着いた登山者は仲間と記念撮影をするなどして雄大な景色を満喫していた。福島市出身のタレントで安達太良山観光大使のなすびさんも大使として初めて山開きに参加した。
 安達太良山の中腹にある山小屋「くろがね小屋」が建て替えのため休業していることを受け、岳温泉の安達太良自然センターは、くろがね小屋前に試験的に1日限定で携帯トイレを設けた。
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さらに仙台に本社を置く『河北新報』さんも。

青空広く、山頂で達成感 安達太良山で山開き

 日本百名山の一つとして知られ、二本松市などにまたがる安達太良山(1700メートル)で21日、山開きがあった。晴天に恵まれ、県内外の登山愛好家らでにぎわった。
 登山者はロープウエーで山頂駅に向かい、汗を拭いながら約1時間半かけて尾根などを歩いた。周囲から突き出ていることから「乳首(ちちくび)山」とも呼ばれる山頂に着くと、美しい風景を写真に収めた。
 山頂付近では先着3000人に記念ペナントが配布され、安全祈願祭が開かれた。登山に適した格好を審査基準とするコンテストもあった。新型コロナウイルス禍の影響で中止や規模縮小していた山頂イベントの通常開催は2019年以来、4年ぶりとなった。
 姉2人と山頂からの眺望を楽しんだ仙台市宮城野区の会社員大内みな子さん(68)は「遠くに磐梯山がうっすらと見えて良かった。疲れもあるが、達成感が上回る」と満足そうに話した。
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最後に、二本松市長・三保恵一氏のツイート。「智恵子抄」「ほんとの空」の語を使って下さっています。ありがとうございました。
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当方も登ったコロナ禍前の令和元年(2019)には約9,000人の人出でしたが、この日は約4,000人だそうで、半減してしまいましたが、来年以降またじわじわと増え続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

暖炉には薪が音を立てゝ燃えてゐます 外はまつくらですが クリスマスにふさはしい霙がふつてゐます やがて雪になるでせう 明日の朝世界が真白な景色につゝまれてゐるかも知れないと思ふと子供のやうなうれしさを感じます 私は雪が犬の子のやうに好きですから 雪がつもるとすぐ外へ出て歩き廻ります

大正7年(1918)12月25日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

30年近く後、花巻郊外旧太田村で1年の3分の1は雪に包まれる生活を送ることになろうとは、この時点ではまったく考えていなかったでしょう。

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