あの日、女川光太郎の会事務局長であらせられた貝(佐々木)廣さんが、津波に呑まれて亡くなってから、はや10年……。月日の経つのは早いものです……。
その貝さんが奔走されて、平成3年(1991)、女川町の海岸公園に建てられ、津波で横倒しになった後、昨年再建された光太郎文学碑について、昨日の『夕刊フジ』さんが大きく取り上げて下さいました。
【ぶらり、ぶんがく。本と歩く】津波被害からの復興に思い巡らす 高村光太郎「三陸廻り」 宮城県女川町・高村光太郎文学碑


<ストーリーズ>1000年先の命を守る碑に/鈴木智博さん(21)宮城県女川町
テレメンタリー2021「“3.11”を忘れない83 震災家族〜遺された父と子の10年〜」
地上波テレビ朝日 2021年3月7日(日) 04:30〜05:00最愛の人を失い、遺された父と子どもたちは震災とどう向き合い、どう生きてきたのか。彼らを支えたものは何だったのか。ある家族の10年を見つめ、震災遺族の今を伝えます。
智博さん、昨年も「NNNドキュメント東日本大震災9年 約束 ~それぞれの道~」に出演されました。その際には、平成31年(2019)の台風19号の際、被災地のボランティアをなさっていたことも取り上げられ、頭の下がる思いでした。

news every.特別版 未来へつなぐ〜私たちの10年〜
地上波日本テレビ 2021年3月6日(土) 16:00〜16:55東日本大震災から10年▽取材記者が見た被災地の歩み▽宮城・女川町「千年後の命を守る〜いのちの石碑」▽岩手・大槌町「心の支えは震災の年に生まれた双子〜自転車店の10年」▽福島・大熊町“じじい部隊”リーダー語る「原発は憎めない〜複雑な胸中」
緒方太郎(福島中央テレビキャスター)
一昨日発行の女川町さんの広報誌『広報おながわ』でも紹介されました。表紙にドーンと草彅さんと吉田羊さん。自治体の広報誌らしからぬ、ですが(笑)。
それぞれ、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
昨夜ポスターカラーで描いた紙製の日ノ丸の旗を雪の中に立てる。
詩「この年」(昭和25年=1950)にも同様の記述があります。

以前、この詩をご紹介した時の記事からコピペします。