カテゴリ: テレビ/ラジオ番組等

昨夜、NHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽんトレッキング100」を拝見しました。

昨秋、番宣的な特集番組「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」放映され、そこでベスト10として紹介した山々を、今年に入ってからおのおの30分で詳しく取り上げています。

昨日は「「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」。

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かつてバスがなかった時代、麓の新島々から上高地までは、徒歩で登るしかなかったわけで、そのルートを2日かけて改めて歩く、というコンセプトでした。

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ナビゲーター役は、ファッションモデルの仲川希良さん。登山ガイドの方と一緒に歩かれました。

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このルートは、大正2年(1913)、翌年に結婚する光太郎智恵子も歩いたルートということで、途中の岩魚留小屋に着いたあたりで、その話が出ました。

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小屋の傍らに聳える推定樹齢数百年という桂の巨木。

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後に、光太郎智恵子それぞれが、この木の思い出を書き残しています。

「徳本峠の山ふところを埋めてゐた桂の木の黄葉の立派さは忘れ難い。彼女もよくそれを思ひ出して語つた」(光太郎 「智恵子の半生」昭和15年=1940)
「絶ちがたく見える、わがこの親しき人、彼れは黄金に波うつ深山の桂の木」(智恵子 「病間雑記」大正11年=1912)

智恵子の言葉は番組で引用されました。ただ、「晩年」と紹介されていましたが、そう言うにはちょっと早いのですが……。

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その他、日本アルプスの魅力を海外に発信し、さらに国内に近代登山を広めたウォルター・ウェストンのエピソードがふんだんに紹介されました。ちなみに光太郎智恵子もウェストンと会っています。

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予定では来月はじめまで、各地の紅葉風景を紹介されます。

また紅葉の季節が近づいた頃、再放送していただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私の苦しみはこれから本当にしん身の苦しみになるに違ひない 私の悩みは私に死力を出さないでは置かないに違ひない 私の悲しみは私をしばしば濡れしぼませるに違ひない しかし、私の喜は私の生(いのち)を意識する時たちまち強大な力となつてあらはれるに違ひない 

詩「よろこびを告ぐ ――TO B.LEACH――」より
 
大正2年(1913) 光太郎31歳

上高地で智恵子と夢のような日々を過ごし、新機軸の団体展「ヒユウザン会展」を無事に終え、ますます意気軒昂だった時期の言葉です。

「B.LEACH」は陶芸家のバーナード・リーチ。ロンドンで光太郎と知り合って、光太郎より一足早く来日し、奮闘していました。同じリーチに宛て、2年前には「廃頽者より――バアナアド・リイチ君に呈す――」という詩を贈った光太郎。その頃はデカダン生活からの脱却はまだ不完全でしたが、智恵子との邂逅を経て、ようやく自分の道を見つけたという「よろこび」を語っています。

テレビ放映情報です。

にっぽんトレッキング100「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」

NHK BSプレミアム 2017年1月25日(水)  19時00分~19時30分 

北アルプスの玄関、長野・上高地。今ではバスで直行できるこの場所も、かつては徒歩で二日かけて歩いた。そんなクラシックルートを辿り、知られざる穂高岳の絶景に出会う。

穂高や槍ヶ岳の玄関口として知られる上高地。そこへ向かうかつての登山道は、今「クラシックルート」と呼ばれ、脚光を浴びている。目の当たりにしたのは、七色に染まる峡谷の山肌。日本の近代登山の父と呼ばれるウォルター・ウェストンは、それを「驚嘆すべき色彩の響宴」と評した。さらにその先には「日本で一番雄大な眺望」とたたえた絶景が待っているという。著名な登山家たちが愛した風景を辿り、手付かずの大自然を満喫する。

出演 仲川希良  語り 渡部沙弓

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昨秋、番宣的な特集番組「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」放映されました。その中でも、大正2年(1913)に婚前旅行で上高地を訪れた光太郎智恵子にちらっと触れられました。そこでベスト10として紹介した山々を、今年に入ってからおのおの30分で詳しく取り上げています。

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そして上高地クラシックルート編が、来週水曜日の放映。

事前に制作会社さんからレファレンスがあり、岩魚止に聳え、後に光太郎智恵子が共にその思い出を語っている、桂の巨木についてご教示申し上げました。そのあたりは一昨年、山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました。尺の都合などでカットされなければ、そういった話が出るものと思われます。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

おれの魂をつかんでくれ おれの有り様(やう)を見つめてくれ 「夜目遠目笠のうち」 そればつかりは真平(まつぴら)だ

詩「カフエにて」 大正元年(1912) 光太郎30歳

「夜目遠目笠のうち」は、よく見えないものを、実際よりずっと美しいものに仕立ててしまうものだということ。買いかぶらずに、醜さや汚さも内包した生身の「高村光太郎」を見てくれ、という内容です。

誰に? やはり、智恵子に、でしょう。

テレビ番組の放映情報です。

鉄道・絶景の旅 「あったか料理!名湯!人情!雪景色のみちのく紀行」

BS朝日 2017年1月10日(火)  19時00分~20時54分

日本国内の人気鉄道路線とその車内外からの絶景、名所、食事処、温泉宿など、沿線の魅力を余すところなく紹介。鉄道ファンならずとも楽しめる鉄道紀行番組の決定版!

八戸名物!朝市▽版画家・棟方志功ゆかりの地▽奥入瀬渓流&十和田湖▽雪見の露天風呂▽石川啄木の故郷で文学の原点にふれる▽縄文時代の暮らし体験▽雪景色を施した岩手山

みちのくの名湯を満喫!▽人情と味覚を満喫!日本一元気な朝ご飯▽みちのく・岩手に受け継がれる伝統文化!▽様々な飛行機がズラリと並ぶ三沢航空科学館▽岩手の郷土料理「ひっつみ」とは?▽雪のベールが色を添える広大な陸奥湾▽ユニーク!けつめい茶のワッフル&ラテ▽青森の冬の風物詩!オオハクチョウ▽八甲田山の険しくも美しい山並み▽小川原湖・しじみすいとん▽あったか鍋と陸奥湾の幸▽IGRいわて銀河鉄道▽青い森鉄道

ナビゲーター 峠恵子(ナレーション・挿入歌歌唱)

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検索ワード「十和田湖」でひっかかりました。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されるといいのですが……。

続いてもBS朝日さん。5分間番組ですが、こちらはキーワード「高村光太郎」「二本松」でヒットしました。

暦を歩く #99「冬の詩人」(福島県二本松)

BS朝日 2017年1月15日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」
「冬の詩人」と呼ばれる高村光太郎。冬を人生の困難な時期にたとえ、そこに強く立ち向かう詩を多く詠みました。福島県二本松出身の女性、智恵子と出会い、作風が大きく変わります。冬は立ち向かうものではなくなり、愛する人と二人で過ごす冬をやさしく歌い、「あたたかい雪」という言葉まで使うようになりました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

無法な雷(らい)は今も鳴る 細かい文明の情緒を踏みつけて鳴る 野蕃なる自然よ
詩「泥七宝(二)」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

この頃から詩の中に「自然」の語が目立つようになります。後の「道程」で「ああ、自然よ」と謳われた「自然」。ちまちまこせこせした面倒くさい人間社会の対極として位置づけられているようです。

大晦日にNHK総合さんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編を拝見しました。

雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子をモデルとしたドラマで、昨年4月から10月にかけての本放送では、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとしてくりかえし使われ、『青鞜』主宰の平塚らいてうも登場していましたが、総集編でもそれらのシーンがふんだんに使われていました。

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さて、NHK BSプレミアムさんでも放映があります。

前編 NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  12時45分~14時15分
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編の前編。1週目、ととから託された約束を胸に、家族を守る決意をした常子は、断絶した祖母と母の絆を奔走して取り戻し、さらに新たな人生の決断をする。女性のための雑誌をつくろうとする前の、常子の少女時代・青春時代を描きます。

後編 NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  14時00分~15時28分
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編の後編。11週から26週間までを網羅。常子が戦中の経験を経て出版社を起こし、戦後の日本で奮闘する一家の姿を描く。魂のパートナー花山伊佐次との出会いと別れを主軸に描く。

出演 高畑充希 西島秀俊 木村多江 相楽樹 向井理 片岡鶴太郎 大地真央 坂口健太郎 秋野暢子 ピエール瀧 平岩紙 杉咲花 川栄李奈 浜野謙太 佐藤仁美 上杉柊平 阿部純子 石丸幹二 野間口徹 矢野聖人 伊藤淳史 奥貫薫 古田新太 唐沢寿明 ほか

語り 壇ふみ

ぜひご覧下さい。


ところで、『青鞜』。

昨年末に、明治45年(1912)6月発行の、第2巻第6号を入手しました。

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前年9月の創刊号と同じ、智恵子の作品を表紙に使っています。

さらに、この号は智恵子が書いた「マグダに就て」という文章が載っています。

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『青鞜』には智恵子の表紙絵は2種類(少しだけデザインの異なるものを含めれば3種類)、のべ8回使われましたが、文章の寄稿はこれが唯一のものです。
「マグダ」は、島村抱月の文芸協会が上演した演劇で、松井須磨子が主人公・マグダを演じ、自立しようとする女性像を描いたものでした。ただし、智恵子にしても、平塚らいてうにしても、やや批判的な評を載せています。

文章自体は『高村光太郎全集』別巻などに再録されていますし、基本、この手のものは蒐集の対象にはしていないのですが、安く売りに出ていたので購入しました。やはり、再録された資料で読むよりも、当時の刊行物ですので、何やら智恵子の息吹のようなものが感じられます。

展示等でお貸しすることも可能ですので、必要とあらば、このブログコメント欄(非公開設定可)にて連絡ください。


【折々のことば・光太郎】

自然に向へ 人間を思ふよりも生きた者を先に思へ 自己の王国に主たれ 悪に背(そむ)け
詩「声」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

詩「声」は、二人の人物の論争という形式で書かれています。一人は自然志向、アウトドア派で、都会の生活に否定的。「みじんこ生活の都会が何だ」「すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い」と誘います。

もう一人は都会派。「そんな隠退主義に耳をかすな」「絵に画いた牛や馬は綺麗だが/生きた牛や馬は人間よりも不潔だぞ」と、警告を発します。

上記のことばは、自然志向の人物が発した言葉です。このことばの通り、この年、光太郎は酪農を営みつつ芸術を生み出す生活を夢見て、実際に北海道に渡りました。

昨日、大晦日と年明けに総集編がオンエアされる、NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」についてご紹介しました。

今日は出版関連で。

連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の撮影に密着してきた「NHKステラ」が、ドラマ全26週を写真やインタビューで振り返る!
[内容]
 ●  常子の思ひ出ノオト
 ●  独占ラストインタビュー ヒロイン・高畑充希
 ●  全26週のあらすじとシーン写真
 ●  名場面クローズアップ!
 ●  〈とと姉ちゃん〉の衣♪食♪住!(衣装、消え物、セット&小道具紹介)
 ●  ステラインタビュー セレクション(+本誌未掲載 はみだしトーク♪)
 ●  物語を彩る 音楽の世界
 ●  貼り絵&実写で描く タイトルバックの世界&主題歌「花束を君に」歌詞
 ●  登場人物”ほぼ”全紹介
 ● 壇ふみ特別エッセイ〈とと姉ちゃん〉とわたしのはなし
 ●  〈とと姉ちゃん〉モチーフ  大橋鎭子と花森安治が『暮しの手帖』にかけた夢
 ●  脚本家・西田征史インタビュー
 ●  チーフプロデューサー・落合将メッセージ  
 ☆ 特別付録:小橋3姉妹仲よしピンナップ

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このドラマでは、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとして使われ、後半には真野響子さん演じる平塚らいてうが登場しました。

そのあたりにも触れられています。

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ちなみに、余談になりますが、「とと姉ちゃん」、他に光太郎智恵子がらみの仕事をなさった俳優さんが、何人か出演されていました。

常子(高畠充希さん)一家が、一時寄寓していた弁当屋・森田屋の若女将、照代役の平岩紙さん。平成24年(2012)、渡辺えりさん制作の舞台「月にぬれた手」で、智恵子役を演じられました。

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常子と共に『あなたの暮し』を作った花山(唐沢寿明さん)の戦友の父親を演じた寺田農さん。

1990年代に発売されたVHSビデオ「日本文学紀行 名作の風景 智恵子抄」でナレーションを務められました。


常子の妹・鞠子(相良樹さん)と結婚した水田(伊藤淳史さん)の母親役・高橋ひとみさん。

平成3年(1991)、やはりNHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、光太郎(小林薫さん)のアトリエの隣に住む炭屋の女将を演じられました。

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このドラマのラストシーンは、小林稔侍さん演じる旦那さんと、光太郎歿後、「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」を訪れるシーンでした。

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それぞれをなつかしく思い出しながら、「とと姉ちゃん」を拝見していました。

さて、『とと姉ちゃん メモリアルブック』。人気ドラマだっただけに、まだ大きな書店さんでは店頭に並んでいますし、もちろん、ネットでも購入可能です。総集編のオンエアともども、お楽しみ下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

さびしさに執れば先づ成る俳諧歌われなる者を筆に傷みぬ
明治36年(1903) 光太郎21歳

いよいよ今年も最終週となりました。この【折々の歌と句・光太郎】のコーナーも、あと僅かです(来年は別のコーナーに意匠替えします)。

これまでに360余の短歌、俳句、川柳などを一つずつご紹介してきましたが、それらに対する作者光太郎のスタンスは、「歌は随時よみすてゝゆきます。書きとめてもありません。うたは呼吸のやうなものですから、その方が頭がらくです。」(昭和21年=1946 喜田聿衛宛て書簡)というようなものでした。ここで自作を「俳諧歌」としているのも、同じ感覚でしょう。

しかし、どうしてどうして、それぞれに味わい深い作ばかりだったように思われます。残りあと5作品も、期待していて下さい。

今年4月から10月にかけ、NHKさんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の総集編が、地上波で大晦日に、年明けにはBS放送でオンエアされます。

連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編

前編 NHK総合       2016年12月31日(土) 8時45分~10時15分  
   NHK BSプレミアム    2017年1月8日(日)  12時45分~14時15分
後編 NHK総合       2016年12月31日(土) 10時20分~11時48分  
   NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  14時00分~15時28分

出演 高畑充希 西島秀俊 木村多江 相楽樹 向井理 片岡鶴太郎 大地真央 坂口健太郎 秋野暢子 ピエール瀧 平岩紙 杉咲花 川栄李奈 浜野謙太 佐藤仁美 上杉柊平 阿部純子 石丸幹二 野間口徹 矢野聖人 伊藤淳史 奥貫薫 古田新太 唐沢寿明 ほか

語り 壇ふみ

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このドラマでは、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとして使われました。主人公・小橋常子(高畠充希さん)、その妹・鞠子(相良樹さん)、親友の綾(阿部純子さん)、恩師の東堂先生(片桐はいりさん)、そしてもう一人の主人公ともいうべき花山伊左次(唐沢寿明さん)らに、その人生の節目節目で大きな影響を与えるという扱いでした。

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また、後半には、真野響子さん演じる平塚らいてうが登場。常子らの発行していた『あなたの暮し』に、特別に寄稿してくれる、という展開でした
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007今年、生誕130年だった智恵子とらいてう、ある意味それぞれにいい供養になったのではないでしょうか。

また、戦時中に戦意高揚のための文章を書いたことを恥じ、一度はペンを折った花山のエピソードは、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に7年間蟄居した光太郎に通じるものがあります。


総集編では、これらのエピソードがどの程度使われるか不明ですが、それぞれに大事なシーンですので、それなりには扱われるでしょう。ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり

昭和22年(1947) 光太郎65歳

花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に蟄居していた際の作です。

メートル単位で雪に覆われる山小屋。さすがにこの季節は訪れる人も少なく、唯一の同居人(笑)、鼠も吹雪の今夜は現れなかった、というわけです。

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来週、ATV青森テレビさんで、下記の番組が放映されます。

「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~

ATV青森テレビ 2016年12月29日(木) 16時55005分~17時25分

「乙女の像」の制作はなぜ、高村光太郎に依頼されたのか、実写映像など貴重な資料をもとに辿ります。

 十和田湖が1936年(昭和11年)2月1日に国立公園に指定されてから、今年で80年を迎えました。
 十和田湖休屋の畔にたたずむ「乙女の像」は、国立公園指定に向けてさまざまな取り組みをした3人の功労者を顕彰すると共に、国立公園指定15周年を記念して昭和28年に建てられたものです。製作は彫刻家で詩人としても名を馳せていた高村光太郎に依頼されました。
 番組では「乙女の像」の制作がなぜ高村光太郎に依頼されたのか、当時を知る関係者の証言を中心に描きながら、高村光太郎が鉛筆で走り書きした最初の「乙女の像」の構想スケッチや制作中の実写映像など貴重な資料を織り交ぜながら構成していきます。

出演 ◆小山田久・十和田市長 ◆奈良秀則・青森県観光コンベンション協会会長 ◆高村規(高村光太郎の甥・故人) ◆北川太一(文芸評論家・高村光太郎研究の第一人者)◆小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)


同局から協力要請があり、先月30日と今月1日、都内での取材・撮影に同行いたしました。文京区の光太郎アトリエ跡、実家、当会顧問・北川太一先生のお宅でインタビュー、さらに中野区の光太郎終焉のアトリエ。その際に当方へのインタビューも撮影されましたので、尺の都合でカットされていなければ、映るでしょう。

光太郎の令甥である故・高村規氏の部分は、平成25年(2013)に、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんが、『十和田湖乙女の像のものがたり』を刊行するためにお話をお聞きした(その折も同行させていただきました)際の映像が転用されるようです。

追記・残念ながらその部分はカットでした。

青森限定での放映というのが残念ですが、青森にお知り合いのいらっしゃる方、録画をお願いしてみてはいかがでしょうか。

こちらにはDVDが届くことになっております。拝見するのが楽しみです。届きましたらまたレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

火はあかし雪は白しのことわりにかしこや諸手(もろで)胸にくむ世ぞ

明治34年(1901) 光太郎19歳

「かしこ」は「畏」の字を宛て、「畏れ多い」といった畏怖の気持ちを表します。神社の祝詞で使われる「畏み申さく」なども同源です。

ここでは火を赤く、雪を白く創り上げた大いなる自然の力への畏怖、といった意味でしょうか。

火といえば、新潟糸魚川の火災、大変な状況です。亡くなった方はいらっしゃらないようで、不幸中の幸いと存じますが、焼け出された方々、さぞや大変だろうと胸が痛みます。謹んで御見舞い申し上げます。

改めて、火の取り扱いには畏れをもって接したいと思いました。

今朝、犬の散歩から帰ると、妻が「今、「乙女の像」がテレビで紹介されていたよ」とのたまいました。光太郎の名も紹介されていたとのこと。

テレビ朝日さん系列の「朝だ!生です旅サラダ」でした。サブタイトルが「女優・手塚理美が冬の青森で感激!!香港最新(秘)グルメ初公開 !?」。

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時折あるのですが、前日までネットにも詳細な内容が紹介されず、放映当日を迎えるパターンだったようで、まったく情報をえていませんでした。残念……。


今日は、午後からNHK BSプレミアムさんで先月放映された「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」の再放送があります。来年1月10日から、やはりNHK BSプレミアムさんで放映が始まる「にっぽんトレッキング100」の、ある意味番宣のための番組です。

ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!

NHK BSプレミアム  2016年12月10日(土)  13時30分~15時00分

山好き必見!日本の秋を満喫するベスト10を大公開!

トレッキングにぴったりの秋到来。日本の秋を満喫する、お勧めコースベスト10を大公開! 真っ赤に染まる紅葉、黄金色に輝く草原、そして心まで温まる癒やしの温泉! 女優の宮澤佐江さんは雄大な北海道・雌阿寒岳へ。モデルの仲川希良さんは上高地へと向かう知られざるクラシックルートを。タレントの田代さやかさんは紅葉真っ盛りの八幡平温泉へ。他にも黒部峡谷、奥日光、四万十川、雲仙など、北海道から九州まで深まる秋を体感!

出演 パトリックハ-ラン 宮澤佐江 田代さやか 仲川希良 青山草太 高橋庄太郎 小林千穂,
司会 森下絵里香
語り 渡部紗弓 柴崎行雄

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本編は来年1月25日(水)ですが、今回もちらっと光太郎智恵子が紹介されます。


もう1件。

あらすじ名作劇場 「銀河の詩人・宮沢賢治「風の又三郎」「雨ニモマケズ」」

BS朝日1 2016年12月14日(水) 22時00分~23時00分 

名前は聞いたことあるけど、実は読んだことがない…
でも、いまさら知らないなんて、恥ずかしくて言えない…
そんなアナタに!
「読むヒマないなら、観ればいい!」
新感覚の番組が誕生!王道・定番・世界の名作文学の“あらすじ”を、オリジナル「再現ドラマ」でわかりやすく超解説!あの有名な物語が伝えたかったこと、隠された裏話、作者にまつわる秘話も紹介。時にはゆかりの地を、ぶらりと歩くことも。
これでアナタも文学ツウ!時を超えて語り継がれる名作は、あらすじにしても名作なのです。

「観て学ぶ。名作は、あらすじだけでも面白い」をコンセプトに、文学・落語・歌舞伎・童話…あらゆる“名作"の「あらすじ」をオリジナルの超訳ドラマや朗読でわかりやすく解説!作者の知られざるエピソードや、その作品が生まれた時代背景など、裏話・秘話もあわせて紹介!

ストーリーテラー:平泉成  MC:本仮屋ユイカ

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「雨ニモマケズ」は、その「発見」の現場に光太郎が立ち会い、その後半部分を刻んだ石碑が、賢治の最初の詩碑として光太郎の揮毫により花巻に立てられました。現在も賢治の命日・9月21日に、その碑の前で「賢治祭」が開催されています。今年は当方もスピーチを仰せつかりました。

そのあたりの、光太郎と賢治の交流に関するエピソードが紹介されればいいのですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

ヤツガレハスコシオクレテサンズベシズブロクグデンノタカムラサイウ
明治44年(1911) 光太郎29歳

そろそろ忘年会シーズンということでこの歌を。

漢字平仮名交じりで表記すれば「僕(やつがれ)は 少し遅れて 参ずべし ずぶろくぐでんの 高村砕雨」。

『高村光太郎全集』に漏れていた短歌で、『短歌研究』第十三巻第五号(短歌研究社 昭和31年=1956 5月)に所収の、堀口大学「白い手の記憶 ――高村光太郎の思い出――」に載っていたのを今年、見つけました。

堀口曰く、
 
  それは初夏の頃だったと記憶するが、一夜百首の徹夜の歌会が新詩社で催された。常に待たれる人、高村さんは、その夜もみんなに待たれたが、仲々姿は現われなかった。十時頃に電報が来た。鉄幹先生が披露された。《ヤツガレハスコシオクレテサンズベシズブロクグデンノタカムラサイウ》――
  「高村君は今夜もヨカロウらしい。」鉄幹先生がぽつんと言われた。誰やらが発信局を尋ねた。――「浅草本局です。」 ヨカロウも浅草本局も、二つながら雷門の近くにあった。その夜、会者十数人の中、百首の結字が全部出詠出来たのは晶子先生ただお一人だった。待たるる人、高村さんは遂に翌朝になっても見えずにしまった。鉄幹先生ばかりか私もがっかりしたことを覚えている。

この年の暮れに長沼智恵子と運命的な邂逅を果たす光太郎は、前年に吉原河内楼の娼妓・若太夫(真野しま)に失恋、この頃は浅草のカフェ・よか楼の女給だった「お梅」に入れあげていました。

 「ずぶろく」も「ぐでん」も泥酔状態を表す語で、「ぐでん」は現代でも「ぐでんぐでんに酔っぱらう」などと使われますね。「ずぶろく」の方は、当方、存じませんでした。

「砕雨(さいう)」は新詩社に於ける光太郎の雅号。欧米留学からの帰朝(明治42年=1909)以降も使用例が見られ、矛盾しません。

昨日ご紹介したカキの歌にしてもそうですが、巫山戯た歌を詠んで完全に師・与謝野鉄幹をないがしろにしていますね(笑)。しかしそんな光太郎を鉄幹はかわいがっていました。

一昨日、昨日と、ATV青森テレビさんの撮影で、都内の光太郎ゆかりの地を歩き、光太郎本人を知る方々へのインタビューに同行しました。

予定では暮れも押し詰まった12月29日(木)、16:55から、同局で「乙女の像への追憶――十和田湖国立公園80周年記念」という30分番組が放映されることとなり、旧知の同局アナウンサー、川口浩一氏がレポーター役でご出演、当方に協力要請があった次第です。

十和田湖周辺が国立公園指定80周年というわけで、同じく15周年を記念して制作された、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を特集する番組です。これまでに十和田湖、花巻でのロケが終了、そして東京で、というわけです。

ゆかりの場所の全てをまわったわけではありませんが、さながら都内光太郎文学散歩的な2日間でした。

一昨日、上京して来られる青森テレビさんと上野駅で待ち合わせ。予算の関係で、クルーはディレクター氏と川口氏のお二人だけです。ディレクター氏おん自らカメラを回すとのこと。それでも青森の局が東京まで取材に来るというのは異例のことだそうです。

上野で昼食を摂りました。どうせですので、光太郎の父・光雲が制作主任を務めた西郷隆盛像近くのお店に入りました。

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スカイツリーとのツーショット。

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上野公園内、紅葉と、それから画像ではわかりにくいのですが、桜も咲いていました。

JR、東京メトロ千代田線と乗り継いで、光太郎が永らく住んだ文京区千駄木に向かいました。

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団子坂を上って右に曲がり、旧駒込林町、光太郎のアトリエ跡地へ。

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現在は一般の民家が建っています。

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すぐ近くの光太郎実家。
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こちらは現在も高村家です。光太郎が幼い頃からあったという椎の木も健在。

団子坂方面に戻ります。天保年間創業のそば屋・巴屋さん。よく光太郎実家に出前を届けたそうです。

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青鞜社跡地、それから現在は記念館となっている森鷗外旧宅跡地。
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団子坂を下りると、明治8年(1875)創業の「菊見せんべい」さん。

光太郎も買いに来たという話がありますし、少年期、ここの看板娘さんが気になって気になってしょうがなかったそうで、美術学校への行き帰り、顔が赤くなって困るので、わざわざ遠回りしたそうです。光太郎、ウブでした(笑)。

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そして、やはり千駄木の、当会顧問・北川太一先生宅に。こちらで北川先生と当方のインタビューを収録しました。

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北川先生には、インタビューというより、事前に「こういうお話を……」と伝えておき、カメラは回しっぱなしで自由に語っていただきました。おん年91歳ですが、語り出したら止まらないもので(笑)。結局この日も、1時間以上、光太郎について熱く語って下さいました。やはり、生前の光太郎本人をご存じの方のお話は違います。

この日はここまで。


翌日(昨日)は、朝、中野駅で待ち合わせ。光太郎終焉の地にして、「乙女の像」が制作された中西家アトリエへ。

昭和23年(1948)、新制作派所属の水彩画家・中西利雄が建てたアトリエですが、中西自身が早逝してしまい、昭和27年(1952)から光太郎が借り受けました。光太郎の前には、やはり彫刻家のイサム・ノグチも借りていました。ノグチの妻は、一昨年亡くなった李香蘭こと山口淑子さんでした。

そしてここは、光太郎一周忌の昭和32年(1957)、草野心平らの呼びかけにより、第一回連翹忌が開かれた場所。いわば当会発祥の地です。

まずは旧桃園川だった緑道(現在は暗渠)から撮影。

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中に入れていただき、中西画伯の子息・利一郎氏に取材。氏は「乙女の像」制作中の光太郎を間近にご覧になっていた方です。

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中西家に遺る、光太郎ゆかりの品々も撮影させていただきました。

左・中西夫人と光太郎。右・花巻郊外太田村から中西夫人に宛てた葉書。「これからお世話になります」的な。

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左・中西夫人に託した買い物メモ。右・利一郎氏ら、お子さんたちへのお年玉の熨斗袋。といっても、原稿用紙を折りたたんで作られています。こういう生活臭のある物、いいですね。

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昼になったところで辞去。昨年も中西家にお邪魔してお話を伺いましたが、今回、その際には出なかったお話も聞け、実に有意義でした。

この他にも、光太郎が学んだ日暮里尋常小学校(現・第一日暮里小学校)や東京美術学校(現・東京芸大)、智恵子が学んだ日本女子大学校(現・日本女子大)、智恵子終焉の地・ゼームス坂病院跡(南品川)、駒込染井霊園の高村家墓所などなど、ゆかりの地をあげればきりがありませんが、さすがにそこまで廻る余裕はありませんでした。

番組は先述の通り、12/29のオンエアです。また近くなりましたら詳細をお伝えします。


【折々の歌と句・光太郎】

うづだかき泥をひねもすこねしかばかひな太ももふとりて張りけり
大正15年(1926) 光太郎44歳

「泥」は彫刻用の粘土です。駒込林町のアトリエで、彫刻制作に脂の乗っていた時期の短歌です。

少し前にもこのブログでご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。東日本大震災の翌年に作られ、劇中に、智恵子の故郷・安達太良山の空を謳った光太郎詩「あどけない話」が使われています。

12月4日(日)から「人権週間」ということで、兵庫県のローカルテレビ局・サンテレビさんで放映があります。

親子テレビ ほんとの空

サンテレビ  2016年12月4日(日) 11:00~11:45 (45分) 

出演 白石美帆  鳥羽潤  湯浅美和子  浦上晟周  石川大樹  (他)

あらすじ

向井弓枝(白石美帆)は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇(鳥羽潤)に訴える。

弓枝の一人息子の輝(浦上晟周)は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えてしいて 友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き 輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。

輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太(石川大樹)が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里(湯浅美和子)が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だったが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。

学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者 千代子とタイ人 ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。

輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□ークとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知った輝は、廊下の鉢植えを割ったことを謝り、勇も偏見を持っていたと告げる。握手をする勇と□ーク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまつた草木染めがあることに気づく。

ノイから 草木染めを譲ってもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが… 。

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先日もご紹介しましたが、輝役の浦上晟周君は、現在、NHK大河ドラマ「真田丸」で、堺雅人さん演じる主人公・真田信繁(幸村)の嫡男・大助役で活躍中です。浦上君、今は立派な若武者役ですが、この「ほんとの空」は、4年前の制作ということで、まだあどけない子供の役です。

浦上君演じる輝は「空オタク」という設定で、同じマンションに引っ越してきた、やはり空が好きな転校生の龍太に、光太郎の「あどけない話」が福島の空を謳ったものだと教えようとします。しかし龍太は「知ってる、俺、住んでたから……」。輝は龍太が福島から避難してきたことを、その時点では知りませんでした。

その後、龍太は「原発いじめ」にあい、輝の母親・弓枝も深く考えずにとった心ない行動で、龍太の一家を傷つけるという展開になります。

非常に考えさせられる内容です。


兵庫県の方、ぜひ、ご覧下さい。もっとも、兵庫はドラマの制作地で、テレビ放映も初めてではないようですし、自治体主催の行事や学校などでも、かなり上映されているようですが。

このドラマの件について触れるときにはほぼ必ず書いていますが、全国ネットのテレビでも、ぜひ放映していただきたいものです。

追記 未明のうちに上記を書きましたが、午後になって、主演の白石美帆さんと、V6長野博さんのご結婚が報じられました。おめでとうございます。


テレビといえば、明日、明後日と、ATV青森テレビさんのロケに同行し、都内千駄木の光太郎アトリエ跡、当会顧問の北川太一先生宅、光太郎終焉の地・中野アトリエなどを廻ってきます。青森テレビさんで、来月、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を紹介する特別番組を放映するそうで、そのロケです。当方も出演予定です。また詳しくお知らせいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うかびてはまたも消えゆくゐのこ雲ながめはてよとさそふ心か
明治35年(1902) 光太郎20歳

若き日の光太郎も、秋の空を見上げていました。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」を拝見しました。

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大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れ、二人で歩いた島々から岩魚留、徳本峠を越える「クラシックルート」が扱われました。

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レポーターはモデルの中川希良さん。

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事前に制作会社さんからレファレンスがあり、岩魚止に聳え、後に光太郎智恵子が共にその思い出を語っている、桂の巨木についてご教示申し上げました。

ところがその話が出ず、「あれっ?」と思っていたところ、今回の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」は、来年1月10日から、やはりNHK BSプレミアムさんで放映が始まる「にっぽんトレッキング100」の、ある意味番宣のための番組で、「上高地クラシックルート」として改めて1月25日に放映があるそうです。その中で、詳しく扱われるのでしょう。

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今回の番組の中でも、ちらっと光太郎智恵子に触れられはしました。

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また、上高地で光太郎智恵子とも宿を共にした、日本近代登山の父、ウォルター・ウエストンについては、今回からある程度詳しく紹介されていました。1月の放映ではさらに詳しい話が出るものと期待します。

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また近くなりまして、詳細な情報が入りましたらご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

いみじくもふかき地中のこゝろより天然の湯は湧きてあふるる
大正9年(1920) 光太郎38歳

昨日の放映では、各地の温泉も紹介されていました。

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温泉の恩恵を受けられる日本に生まれて、本当に良かったと思います。

光太郎もやはり日本人(笑)、温泉は大好きで、温泉を詠んだ短歌も多く残しています。

テレビ放映情報です。

ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!

NHK BSプレミアム  2016年11月26日(土)  21時00分~22時30分

山好き必見!日本の秋を満喫するベスト10を大公開!

トレッキングにぴったりの秋到来。日本の秋を満喫する、お勧めコースベスト10を大公開! 真っ赤に染まる紅葉、黄金色に輝く草原、そして心まで温まる癒やしの温泉! 女優の宮澤佐江さんは雄大な北海道・雌阿寒岳へ。モデルの仲川希良さんは上高地へと向かう知られざるクラシックルートを。タレントの田代さやかさんは紅葉真っ盛りの八幡平温泉へ。他にも黒部峡谷、奥日光、四万十川、雲仙など、北海道から九州まで深まる秋を体感!

出演 パトリックハ-ラン 宮澤佐江 田代さやか 仲川希良 青山草太 高橋庄太郎 小林千穂,
司会 森下絵里香
語り 渡部紗弓 柴崎行雄

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上記紹介にあるとおり、信州上高地が扱われます。しかも、トレッキングということで、車の通れない、島々から岩魚止、徳本峠を越える昔のルート。

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ここは、大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れた場所。先に上高地に滞在していた光太郎が、後から追ってきた智恵子を迎えに岩魚留まで下りていきました。岩魚留には有名な桂の巨木があり、光太郎智恵子共々、後にこの木の思い出を語っています。

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そのあたり、昨年発行された山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました。上記桂の写真も『岳人』さんから。そこでキャプションに「件(くだん)の」とあります。

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さて、花巻高村光太郎光太郎記念会さんを通し、今回放送される番組の制作会社さんから問い合わせがあり、件の桂の木についてレクチャーいたしました。尺の関係などでカットされなければ、そういう話が出るはずです。

ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

天然の湯に身をひたし人の世のこゝろのことを君は思ふか
大正9年(1920) 光太郎38歳

土曜日放映の「ザ・プレミアム」、テーマは「紅葉」と「温泉」だそうです。寒くなってきましたので、ゆっくり温泉に浸かりたいものです。

今月7日にNHKラジオ第二で放送された「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「高村光太郎」」の再放送があります。  

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス

NHKラジオ第2  2016年11月14日(月) 午前10:00~午前10:30(30分)

この番組では、NHKが保有する貴重な「ラジオ・アーカイブス」の中から、作家を中心にセレクトし、懐かしい声を蘇らせます。自作朗読や文学・人生談義などを語る作家らの人間味あふれる魅力を肉声を通して伝えていきます。

「朝の訪問」(1952年3月30日放送)聞き手・詩人の真壁仁(花巻市にて)
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883-1956)。彫刻家・光雲の長男に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米留学。帰国後、駒込にアトリエを開いた。長沼智恵子と結婚し、その死別後に詩集『智恵子抄』を出版した。戦後は岩手県花巻郊外の山荘で独居自炊生活を送った。今回の番組は1952年3月に放送した「朝の訪問」で、この山荘での生活ぶりや十和田湖畔に作った「乙女の像」について語っている。聞き手は詩人・真壁仁。

出演 大村彦次郎(元・文芸誌編集長) 宇田川清江アナウンサー

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7日の本放送を拝聴しました。光太郎と真壁仁の対談は11分ほどで、前後半に分けて流されました。その前後と合間に、雑誌『婦人倶楽部』、『小説現代』、『群像』などの編集に当たられていた大村彦次郎氏の解説が入ります。なかなかよく調べられており、感心させられました。

ただ、解説ではなく、番組としての説明の中で、録音場所を花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)と説明していましたが、花巻温泉の松雲閣別館の誤りです。

一般の方は、なかなか光太郎の肉声録音を聴ける機会はないと思いますので、ぜひお聴き下さい。


もう一件、訃報です。

りりィさん死去=64歳、「私は泣いています」の歌手、女優

009 「私は泣いています」で知られる歌手で女優のりりィ(本名鎌田小恵子=かまた・さえこ)さんが11日午前、肺がんのため死去した。
  64歳だった。福岡市出身。葬儀は近親者のみで行う。
  1972年デビュー。女性シンガー・ソングライターの先駆けとして注目され、74年に出したシングル「私は泣いています」が大ヒットした。女優としても活動し、映画「夏の妹」(大島渚監督)などに出演。近年も映画「パークアンドラブホテル」(熊坂出監督)に主演した他、「3年B組金八先生」「半沢直樹」「ラヴソング」などテレビドラマにも多数出演した。
  長男のJUONさんはミュージシャンで、「DREAMS COME TRUE」の吉田美和さんの夫。 
(時事通信 11/11(金) 13:42配信)


昨年公開された小栗康平監督映画「FOUJITA」に出演されていました。同映画は、光太郎と東京美術学校西洋画科で同級生だった画家・藤田嗣治を主人公とし、光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が劇中に使われていました。

りりィさんの役は、戦時中に藤田が疎開していた先の農家の主婦・「おばあ」。加瀬亮さん演じる小学校教師の息子に召集令状が届き、戦争画の制作などで国策協力をしていた藤田は複雑な思いで彼を見送る、という設定でした。

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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、当方、本日から1泊2日で福島浜通りに行って参ります。今日は川内村での「第6回天山・心平の会 かえる忌」、明日はいわき市の草野心平生家で没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」に出席します。「心平忌」の方では、講話を仰せつかっております。

帰りましたらレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うすぐらき二階にならぶCOGNAC(コニヤツク)の瓶に火をもすCINEMA(シネマ)の明り                          
明治42年(1909) 光太郎27歳

舞台は浅草と思われますが、ことによるとこの年7月まで過ごしたパリを回想しているのかも知れません。   

りりィさんの歌にでも出て来そうな、アンニュイな雰囲気ですね。

ラジオ放送の情報です。光太郎生前の肉声が流れます。 

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「高村光太郎」

NHKラジオ第2  2016年11月7日(月) 午後8:30~午後9:00(30分)

この番組では、NHKが保有する貴重な「ラジオ・アーカイブス」の中から、作家を中心にセレクトし、懐かしい声を蘇らせます。自作朗読や文学・人生談義などを語る作家らの人間味あふれる魅力を肉声を通して伝えていきます。

「朝の訪問」(1952年3月30日放送)聞き手・詩人の真壁仁(花巻市にて)
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883-1956)。彫刻家・光雲の長男に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米留学。帰国後、駒込にアトリエを開いた。長沼智恵子と結婚し、その死別後に詩集『智恵子抄』を出版した。戦後は岩手県花巻郊外の山荘で独居自炊生活を送った。今回の番組は1952年3月に放送した「朝の訪問」で、この山荘での生活ぶりや十和田湖畔に作った「乙女の像」について語っている。聞き手は詩人・真壁仁。

出演 大村彦次郎(元・文芸誌編集長) 宇田川清江アナウンサー


「NHKラジオアーカイブス」。当方寡聞にして、現在こういう番組が放送されていることを存じませんでした。NHKさんならではの貴重な取り組みですね。

今回放送される光太郎の肉声は、光太郎が花巻郊外太田村に在住時の昭和27年(1952)、やはりNHKラジオで放送されたものです。3月27日に、山形出身の詩人・真壁仁との対談で、花巻温泉の松雲閣別館で録音されました。オンエアは3月30日でした。

これに先立つ3月21日には、太田村の山小屋(高村山荘)に、建築家の谷口吉郎、詩人の藤島宇内が、佐藤春夫からの手紙を携えて訪ねてきています。青森県で計画が進んでいた、十和田湖の国立公園指定15周年記念モニュメントの制作依頼のためです。これが「十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)」として結実します。

対談の中で、「十和田湖」「裸婦像」といった単語は出て来ませんが、既に光太郎、乗り気になっていることがわかります。「今年あたりからいよいよ始まるですな、仕事が。」「これからは無駄なことをしないで猛烈にやるつもりですよ。」といった発言が見られます。

この対談、NHKサービスセンターさんの発行、BMGビクターさんの発売で、平成8年(1996)にCD化されています。

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他に昭和30年(1955)の草野心平との対談、自作詩朗読、それから室生犀星の肉声も収録されています。

文字にも起こされており、筑摩書房『高村光太郎全集』第11巻に収められています。

さて、「NHKラジオアーカイブス」。ラジオがうまく受信できないという方も、最近はよくしたもので、インターネットでリアルタイムの聴取が可能です。スマートフォン、タブレット、もちろんパソコンで、「NHKネットラジオらじる★らじる」のページからです。

また、リアルタイムで聴けなくとも、ストリーミングというわけで、過去の放送が聴けるようになっています。いずれ光太郎の回もアップロードされるでしょう。

ぜひお聴き下さい。


ラジオついでにテレビの件を。

昨日、とちぎテレビさん制作の「とちぎ発!旅好き! 感動!歴史と伝統の街~福島県二本松市~」が、提携している千葉テレビさんで放映されたので、拝見しました。

智恵子の故郷・二本松を取り上げるもので、光太郎智恵子にからむ内容かどうか、観るまでわからなかったのですが、いきなり冒頭近くで取り上げて下さいました。

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また、現在開催中の菊人形に関しても。

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当方は初日にお伺いしましたが、その際にはなかった光太郎人形が、智恵子人形の傍らに立っています(右の画像)。

その他、グルメ情報なども満載でした。

提携関係にある以下の各局で、これから放映されます。該当地域の方、ぜひご覧下さい。

群馬テレビ 2016/11/05(土) 午前11:30~
KBS京都  2016/11/06(日) 午前9:30~

埼玉のテレ玉さん、兵庫のサンテレビさんも提携はしているのですが、特別番組等のため、この回の放映はないようです。


また、年に1~2回、再放送されている2時間ドラマの放映もあります。

浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件~福島‐島根、高村光太郎が繋ぐ殺人ルート!智恵子抄に魅せられた男が想いを託した首の女の謎

BSフジ 2016年11月8日(火)  12時00分~13時58分

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。
光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

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初回放送はもともとは平成18年(2006)。岩手花巻の、現在は使用されていない、元の高村記念館(ただしドラマでは花巻という設定ではありませんが)、福島二本松の智恵子の生家・智恵子記念館などでロケが行われました。

ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

腹へりてさびしくなりぬ空を見ん十一月のうらけき空を
大正13年(1924) 光太郎42歳

今日から11月ですね。関東は「うらけき空」とはいかず、雨模様です。

テレビ放映情報です。

まずはテレビ東京系で人気の「開運!なんでも鑑定団」の姉妹番組。BS放送です。   

極上!お宝サロン 開運!なんでも鑑定団

BSジャパン 2016年10月27日(木) 21時00分~21時54分

ただひとつのジャンルに、こだわり続けるコレクターがいます。
彼らは、それがどんなに高価であろうと労苦を厭わず金に糸目をつけず、あくなき探究心でお宝をゲットしていきます。
この番組は稀代のコレクターたちの「お宝の魅惑のトーク」と「秘蔵のコレクション」を披露する番組です。
舞台は、お宝コレクターたちが集うサロン。サロンの主人は、博覧強記にして多彩な趣味を持つ石坂浩二。毎週、自慢のお宝を持ったゲストと鑑定士、コレクターがやってくる。主人のさりげないもてなしから、コレクターたちが熱弁を振るいだす…。

ゲストは作家の松山猛。クォーツ式時計全盛の1970年代から機械式時計を愛好している。雑誌の編集者として機械式時計の素晴らしさを日本人へ伝えてきた。海外の時計師を取材し、友好を深め、ついたアダ名が「時計王」。40年以上の収集歴で投資額は「忘却」。 手元に残した選りすぐりの100点から、機械式時計の機能や魅力を伝えていく。

本日のコレクター≪七福神木彫≫ 収集歴38年。恵比寿大黒像だけでも458体あり、目標は500体収集だというコレクター。しかし中々気に入った恵比寿大黒には出会えないと言います。眼鏡にかなう木彫とは?「木」にこだわった自慢のお宝や、「変わり種恵比寿大黒」などを紹介。宮大工の流れをくむ職人の腕が光る、木彫りの魅力を語ります。極上の逸品には、高村光雲の師匠が彫ったという自慢のお宝を紹介。

出演者 サロンの主人 石坂浩二   コンシェルジュ 松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト  松山猛
鑑定士 川瀬友和(「ケアーズ」代表取締役)、大熊敏之(富山大学大学院芸術文化学研究科教授)


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「高村光雲の師匠」は、高村東雲。文政9年(1826)に生まれた江戸の仏師です。元々「奥村」姓でしたが、幕末に独立する際、師匠の高橋鳳雲から「雲」の字と、さらに「高橋」姓の「高」の字を貰い、「高村」姓を創出しました。歿したのは明治12年(1879)でした。

ちなみに光雲は元々「中島」姓。明治7年(1874)に独立しましたが、同じ年、徴兵忌避のため、子供のいなかった師匠の姉・悦の養子となり、高村姓となりました。明治初年の徴兵制では長男は対象外でしたが、光雲には大工だった異母兄がいたため、そのままでは徴兵にかかるおそれがあったのです。

東雲は明治12年(1879)に歿しましたが、嫡子栄吉が「東雲」を襲名、孫が「晴雲」、さらに「三代東雲」と号しました。そのさらにお孫さんが、三代晴雲として、現在もご活躍中です。

初代東雲の木彫、時折、市場に出てきます。ただ、50代で亡くなり、しかも明治初年の廃仏毀釈のあおりをもろに受け、遺っている作品は決して多くありません。

今回、どんなものが出るか楽しみです。

余談になりますが、姉妹番組のテレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」。スタジオ収録以外に「出張!なんでも鑑定団」というコーナーがあり、当方自宅兼事務所の所在地、千葉県香取市で12月3日(土)に収録があります。

自宅兼事務所には光太郎がらみの「お宝」がごろごろしていますが、特に鑑定していただかなくても価値はある程度わかっていますので、鑑定依頼はしませんでした。ただ、せっかくですので、文化会館での収録観覧希望の往復ハガキは投函しました。抽選に当たることを祈っております。

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もう1件。旅番組系です   

とちぎ発!旅好き! 感動!歴史と伝統の街~福島県二本松市~ 

とちぎテレビ  2016年10月27日(木)19:30~20:00 10月31日(月)19:00~19:30
東京MXテレビ 2016年10月30日(日)17:30~18:00
チバテレビ   2016年10月31日(月)10:30~11:00

【訪問先】福島県二本松市 【旅人】菊池元男
日本100名城に選定されている二本松城を始め安達太良山や阿武隈川を有し自然の中で、伝統文化を感じることができる二本松市の感動スポットを求めて菊池元男が巡る。

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とちぎテレビさん制作の番組で、同局の本放送は昨日オンエアされていました。ただ、再放送、さらに提携関係にある各地のローカル局での放映があります。上記以外にも、埼玉のテレ玉さん、群馬テレビさん、KBS京都さん、兵庫のサンテレビさんで放映があるようですが、来月以降になるようです。残念ながら福島では放映されないようです。

安達太良山にからめて光太郎詩、智恵子生家などの紹介があるといいのですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

裏町は提灯暗き祭かな        大正中期(1910頃) 光太郎40歳頃

上記画像、二本松の提灯祭りですね。そろそろ各地の秋祭りも一段落でしょうか。

俳句の関連で4件ほど。

NHKEテレさんで日曜日の朝に放映している「NHK俳句」という番組。毎回お題を指定し、視聴者からの投句を募るというものです。

昨日のお題は「渡り鳥」。さまざまな投句があった中で、二席に輝いた作品は、智恵子の故郷、二本松と同じ福島県中通り地方にある西郷村の黒澤正行さんの句。光太郎詩「あどけない話」へのオマージュです。

見た目にはほんたうの空鳥渡る

どきっとさせられる句ですね。ぱっと見は本当の空、しかし、いまだ消えない放射線……。「見た目」だけでない、本当の「ほんたうの空」が戻る日は、いつになるのでしょうか……。

9/7、水曜日には再放送があります。ご覧下さい 

NHK俳句 題「渡り鳥」

NHKEテレ 2016年9月7日(水)  15時00分~15時25分

選者は正木ゆう子さん。ゲストは鳥類学者の樋口広芳さん。樋口さんは渡り鳥に送信機をつけ、人工衛星を使って渡りのルートを解明している。題は「渡り鳥」。今回は樋口さんにさまざまな鳥の渡りについてお話を伺う。

司会 岸本葉子(エッセイスト) 選者 正木ゆう子(俳人) ゲスト 樋口広芳(東京大学教授)

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同じく昨日、青森県の地方紙『陸奥新報』さんにも、「智恵子抄」からインスパイアされた句が載りました。「日々燦句」という、おそらく折々の句を紹介するコラムでしょう。

檸檬放る智恵子の空の只中に(聖雪)

解説が附いていました。

高村光太郎の「智恵子抄」は、汚れを知らぬ病妻へおおらかないとおしみを綴(つづ)った詩歌文集で知られる。智恵子は「東京には空がない」と阿多多羅山(あだたらやま)の空を恋い、〈檸檬(れもん)〉を口に含んで、トパアズいろの香気の中で他界したと言う。掲句は「智恵子抄」に取材して〈智恵子の空〉を愛のかたちに広げている。「新青森縣句集」から。


さらに先週の『朝日新聞』さん。005

「朝日俳壇」のページでしたが、句そのものではなく、俳人の恩田侑布子さんによる「俳句時評」というコラムに、光太郎の名が。

オウム真理教事件で死刑判決を受けた中川智正死刑囚が、独房で詠んだ句を引きつつ、光太郎に触れてくださっています。

曰く、「いったんこの世にあらわれた美は決してほろびないと高村光太郎も川端康成もいった。

71年前の原爆の閃光、22年前の狂信的な犯罪、そして5年前からの原発事故の放射線……。人間の罪業の深さ、しかし、人間にしかできない反省や贖罪……。

五七五というたった十七音から、いろいろと考えさせられるものです。


そして、光太郎の句。

【折々の歌と句・光太郎】

五十五年青いぶだうがまだあをい 

          昭和26年(1951) 光太郎69歳

光太郎晩年、五十五年ぶりに少年時代の木彫作品に再会した際の吟です。

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詩人・菊岡久利の回想から。

僕はそれを鎌倉の古物店で見つけたのだが、人々は、まだ塗らない鎌倉彫の生地のままの土瓶敷ぐらゐに思つたらしい。一五センチ四方、厚さ二センチの板にすぎないのだから無理もなく、ながくさらされてゐたものだ。
(略)
当時まだ岩手の山にゐた高村さんに届けると、『どうしてかゝるものを入手されたか、不思議に思ひます。確かにおぼえのあるもので、小生十三、四の頃の作』と書いて来、レリーフの裏に、
 五十五年
 青いぶだうが
 まだあをい
と詩を書いてよこしてくれたものだ。

右上の画像、左側に「明治廿九年八月七日 彫刻試験 高村光太郎」の署名。この年、下谷高等小学校を卒業した光太郎は、東京美術学校の予備校として同窓生たちが作った共立美術学館予備科に入学、中学の課程を学んでいます(翌年には東京美術学校に入学)。その頃の懐かしい作品がなぜか鎌倉からひょっこり現れ、入手した菊岡が光太郎に鑑定を依頼、まちがいなく自作だということで、新たに句を裏書きしてくれたというわけです。

筑摩書房『高村光太郎全集』にはなぜか脱漏している句です。

光太郎の実家のある東京都文京区では、「区民チャンネル」というケーブルテレビの配信を行っています。内容的には区の施策や行事、区の文化遺産などの紹介が中心です。個人でも加入できる他、公民館的な区の施設で視聴できたり、インターネット配信も行っていたりしています。

その中で、文京区ゆかりの文人の歴史や. 古き良き文京区の町並みを辿る「ぶんきょう浪漫紀行」という番組があり、先月から今月にかけ、前後編2回に分けて「高村光太郎」が放映されました。おのおの10分間、計20分間です。

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ナビゲーター役に、文京区ご在住の、当会顧問北川太一先生、同じく光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の令孫・髙村朋美さんと髙村達氏姉弟がご出演。

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豊富な画像と共に、光太郎の生涯が紹介されました。

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父・光雲や、妻・智恵子についても言及。

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光太郎の生の軌跡を知る入門編として、非常に良くできています。

動画配信サイト「youtube」にアップされており、そちらで視聴できます。ぜひご覧下さい。



全国放映のテレビ番組でも、ぽつりぽつり光太郎智恵子がらみがあり、有り難い限りです。最近放映されたものをご紹介します。

BS日テレさんで8月11日に放映された「イチオシ!2泊3日の旅 青森・奥入瀬~八甲田…水と緑の絶景!」。

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美容家の佐伯チズさんと、タレントの南美希子さんが、青森の奥入瀬渓流から十和田湖を経て、八甲田山までの旅。「乙女の像」もご紹介下さいました。

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NHKさんの「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」。先週のサブタイトルが「鞠子、平塚らいてうに会う」。

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雑誌編集者として、壁にあたって悩む相良樹さん演じる鞠子(主人公・小橋常子-高畠充希さん-の妹)。

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書架から取り出したのは、かつて眼を開かされた『青鞜』。表紙のデザインは智恵子です。

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あてにしていた作家の原稿が落ち、急遽、真野響子さん扮する平塚らいてうに原稿執筆を依頼。

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曲折はあったものの、無事、執筆してもらうことに成功。

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NHKBSプレミアムさんでオンエアされた「新・BS日本のうた」。

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司会は千昌夫さんと森昌子さん。

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森さんが、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を熱唱。

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こちらは明後日(8/19)、16時30分~18時00分にまた放映されます。同じくBSプレミアムさんです。

今後もこうした流れが続いてほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

空晴れぬ赤城は高し上つ毛の多胡(たこ)の夏ぐさ真青(まさを)の風や

明治37年(1904) 光太郎22歳

今朝の関東は台風一過、抜けるような青空です。

鉄幹与謝野寛等とともに、赤城山に登った折の作。というか、登る前に麓の多胡から見上げた、赤城山を謳っています。バックはよく晴れた夏の青空。啄木の「空に吸はれし十五の心」を彷彿とさせられます。

現在NHKさんで放映中の「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」。これまでも智恵子がその表紙を描いた雑誌『青鞜』が、一つのモチーフとしてドラマの中で効果的に使われてきました。


来週のサブタイトルが「鞠子、平塚らいてうに会う」です。8月8日(月)~10日(水)あたりで、平塚らいてうが登場するようです。

連続テレビ小説 とと姉ちゃん「鞠子、平塚らいてうに会う」

第109回 2016年8月8日(月)
 水田(伊藤淳史)からのプロポーズに答えを出せない鞠子(相楽樹)。大学まで出たのに中途半端なまま仕事をやめる決心がつかない鞠子は仕事で成果を出そうと奮闘するが…。常子(高畑充希)が理由を尋ねると、大学まで出してもらったのに出版の仕事もままならず引け目を感じているのだと言う。東堂(片桐はいり)からの助言もあり、鞠子はまず仕事で成果を出そうと奮闘する。ある日、突然作家がおりてしまい予定の原稿に一つ穴があいてしまう。他に良い作家はいないかと花山(唐沢寿明)に言われ皆が悩む中、鞠子がある提案をする…。

第110回 2016年8月9日(火) 
 予定していた原稿に突然穴があき、騒然とする編集部。鞠子(相楽樹)は、平塚らいてう(真野響子)に原稿を依頼してはと提案する。信頼している編集者としか仕事をしないというらいてう。鞠子は門前払いを受けるも、担当編集者の元に何度も足を運び交渉を続け、やっと会うことができたらいてうに『青鞜』で自分が感動した様な女性に向けての言葉を寄稿してほしいと依頼する。しかしらいてうが提案してきたのは意外な内容だった…。

第111回 2016年8月10日(水)
 平塚らいてう(真野響子)からの原稿を無事受け取り帰社した鞠子(相楽樹)は、原稿を読んだ花山(唐沢寿明)から、すばらしい言葉を書かせたと褒められる。仕事に一区切りつけられたと感じた鞠子は、その帰り道、水田(伊藤淳史)にプロポーズを受けることを伝える。水田が小橋家に結婚の挨拶に行くと、常子(高畑充希)たちも大喜びで二人を迎える。早速結婚式の準備を始めた水田と鞠子は、花山に媒酌人を依頼するのだが…。


らいてうに扮するのは真野響子さん。前作「あさが来た」では元AKB48の大島優子さんが、日の出女子大学校(日本女子大学校)時代の小生意気ならいてうを演じられていました。成長した(笑)らいてうを、真野さんがどのように演じられるのか、楽しみです。


平塚らいてう、といえば、らいてうの生涯を追ったドキュメンタリー映画が上映されます。 

京橋映画小劇場No. 34 ドキュメンタリー作家 羽田澄子

会  期 : 2016年8月9日(火)−8月28日(日)
会  場 : 東京国立近代美術館 フィルムセンター小ホール 東京都中央区京橋 3-7-6
定  員 : 151名(各回入替制 観覧券は当日・当該回のみ有効)
料  金 : 一般520円/高校・大学生・シニア310円/小・中学生100円
                          障害者(付添者は原則1名まで)、
キャンパスメンバーズは無料

フィルムセンターは《京橋映画小劇場》第34回企画として、2009年の「ドキュメンタリー作家 土本典昭」以来7年ぶりに、日本の優れたドキュメンタリー映画監督の歩みを回顧する特集を開催します。今回は、1950年代から現在まで、幅広い対象を粘り強くとらえ続け、日本の社会や文化に新たな視座を提供している羽田澄子監督を取り上げます。

本特集は、羽田監督のデビュー作から最新作まで、計26作品を18プログラムに組んで上映し、その足跡をたどる格好の機会となります。ぜひご来場ください。

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上映26作品の中に「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(140分)が含まれています。 

元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯

1911年,女性だけによる文芸誌『青鞜』の創刊により日本の女性解放運動の先駆けとなった平塚らいてう(1886-1971)。「その名をきくと,すべての女性の心に灯りがともる」という羽田が,らいてうの思想形成の原点になった禅の体験から説き起し,らいてうの一人称の語りとスチル写真によって,彼女を突き動かした時代の姿を再構築した。企画は1998 年に「平塚らいてうの記録映画をつくる会」から高野悦子を通じて羽田に持ち込まれた。平和運動に帰結したらいてうの生き方は,軍国主義の時代に青春を送った羽田の反戦への思いと重なる。
2001 企画:平塚らいてうの記録映画をつくる会 製作:自由工房
(140分・16mm・カラー)

8 / 13(土)11:00am  8 / 25(木)2:00pm


らいてうは日本女子大学校家政学部で、智恵子の1級上の先輩でしたが、早生まれのため、生年は智恵子と同じ明治19年(1886)。したがって、智恵子と同じく、今年が生誕130周年にあたります。それを記念してのイベント等も企画されているようですので、また折を見てご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

小刀(こがたな)みな研ぎをはり夕闇のうごめくかげに蝉彫るわれは
大正13年(1924) 光太郎42歳

テレビ放映の情報です。 

新・BS日本のうた

NHKBSプレミアム 2016年8月7日(日)  19時30分~21時00分

今回は「もう一度逢いたい」「味噌汁の詩」「智恵子抄」「私が生まれて育ったところ」「夜空ノムコウ」「他人船」「奥入瀬」「不思議なピーチパイ」「帰らざる日々」「男の背中」【スペシャルステージ】は「兄弟仁義」「博多の女」「加賀の女」「函館の女」「矢切の渡し」「長崎の鐘」「夕霧岬」「男の勝負」「与作~秋田草刈唄入り~」【イマオシ!】は西方裕之、森昌子、千昌夫、北島三郎&藤あや子。

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6/23、神奈川県座間市での公開収録だったそうです。「智恵子抄」は、昭和39年(1964)、2代目コロムビアローズさんの歌唱でリリースされたものですが、森昌子さんがカヴァーして持ち歌にされています。今回も森さんの演奏です。森さんは千昌夫さんと共に司会も務められるそうです。
 

人権啓発映画「ほんとの空」(字幕スーパー)

RNC西日本テレビ(地上波) 2016年8月5日(金)  10:25~11:05

高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これらに共通する根っこの部分は、誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」である。誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解している。その一方で、自分や身近な人に関わる出来事には敏感に反応するが、それ以外のことは他人事のように感じたりする。また、自分や家族の生活を守るために、あるいは誤解や偏見に気付づかず、他者を排除したり傷つけたりしがちである。 誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うこと。 すべての人権課題を自分に関わることとしてとらえ、日常の行動につなげていくようにと訴える。

出演  白石美帆 鳥羽潤 湯浅美和子 浦上晟周 石川大樹

RNC西日本テレビさんは、香川県に本社を置くローカル局。香川・岡山の両県で視聴可能です。

このブログで何度かご紹介してきました「ほんとの空」。光太郎詩「あどけない話」を一つのモチーフに、兵庫県人権啓発教会さんによる企画、県教委の協力で、東映さんが制作したものです。制作当初は各地で上映会が行われ、現在も時折学校さんなどで上映されています。DVDの個人向け貸し出しも行われており、それを活用して拝見しましたが、なかなか考えさせられる内容です。

香川・岡山両県の皆さん、ぜひご覧下さい。


ところで、昨日のNHK Eテレさんの「アートシーン」(「日曜美術館」とセットの番組)で、信州安曇野の碌山美術館さんで開催中の「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」。をご紹介いただきました。

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今週末の日曜日(8/7)には当方の記念講演もあります。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

どこに口があるかわからぬこの蝉に何をあたへんあたふるものなし

大正13年(1924) 光太郎42歳

本日はテレビ放映系のネタをいくつか。

7/13(水)、岩手盛岡少年刑務所での第39回高村光太郎祭での講演を仰せつかり、市街内丸の北ホテルさんに宿泊しておりましたが、その朝、NHKさんの「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」で、智恵子がその創刊号表紙絵を描いた『青鞜』に触れられました。

この番組で『青鞜』ネタになるのは都合3回目。最初は、高畑充希さん演じる主人公・小橋常子(モデルは『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子)や妹の鞠子(相良樹さん)、親友の中田綾(阿部純子さん)らが女学校時代、片桐はいりさん扮する東堂先生に『青鞜』の存在を教えられ、影響を受けたというエピソード。2回目は、戦後、没落した綾が常子と再会、苦しい時も『青鞜』を心の支えとして頑張ってきたと語るシーンでした。

そして3回目。

大橋鎭子と共に『暮しの手帖』を刊行した花森安治がモデルの花山伊左次(唐沢寿明さん)が、過去を語る場面。亡くなった花山の母がやはり『青鞜』を精神的支柱としており、そこから、花山は言葉で人の心を豊かにすることを考えて、編集者の道を歩み始めたと語られました。

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しかし、戦争が始まり、事態は一変。花山は言葉によって、ある意味、国民を死に追いやることに加担したと述べます。その反省から、ペンを置くことにしたのだ、とも。

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このあたり、光太郎を彷彿とさせられます。

光太郎も戦時中の翼賛活動を恥じ、悔い、花巻郊外太田村の粗末な山小屋に7年間蟄居しました。ただし、その間、光太郎が置いたのはペンではなく、彫刻刀。光太郎は自身で「私は何を措いても彫刻家である」と語っていましたので、その本業である彫刻を封印することで、自らを罰したわけです。

他から許されないうちは、自分でも自分を許さないと決めた光太郎でしたが、7年後に、青森県から十和田湖の国立公園指定15周年記念事業としてのモニュメント制作の話があり、自らの死期がそう遠くないことも考え、依頼を受けます。それが「乙女の像」として結実するわけです。

結局花山は、困窮する常子一家の現状を見、さらに荒廃した人心を再び豊かにすることを考え、常子に協力して再びペンを執ることを選ぶところで、先週の放映が終わりました。


今後も『青鞜』はこのドラマの一つのモチーフとして活かされ続けるようです。というか、平塚らいてうが登場します。

昨日の『スポーツニッポン』さんの記事。 

「とと姉ちゃん」平塚らいてう役に真野響子 最後の追加出演者発表、古田新太ら出演

 女優の高畑充希(24)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(月~土曜前8・00)の最後の追加キャストが15日に発表され、作家の平塚らいてう役を女優の真野響子(64)が務めることが分かった。俳優の筧利夫(53)、上杉柊平(24)、古田新太(50)、野間口徹(42)、矢野聖人(24)、石丸幹二(50)、吉本実憂(19)も出演する。

 昭和初期から高度経済成長期を背景に、亡き父親に代わり、一家の大黒柱として母親と2人の妹を守る「とと(=父)姉ちゃん」こと小橋常子(高畑)が戦後の東京で女性向け雑誌を創刊する姿を描く。モデルは雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子(しずこ)。

 真野は高畑演じる常子が女学校時代、夢中になって読んだ雑誌「青鞜」創刊メンバーの中心人物、平塚らいてう役。常子の妹・鞠子(相楽樹)から雑誌「あなたの暮し」への寄稿をお願いされる。

 古田は雑誌「あなたの暮し」で自社製品の評価が低かったことに激怒する電化製品メーカーの社長役。朝ドラ初出演となる吉本は、鞠子の長女で常子の最初のめいとなる水田たまきを演じる。常子に性格が似ていて、のちに「あなたの暮し」出版に入社する。

 筧は水田正平(伊藤淳史)の父、上杉は宗吉(ピエール瀧)が経営する「キッチン森田屋」のコック、野間口は古田演じる電化製品メーカー社長のおいで会社の部下、石丸は新聞記者を演じる。

 制作統括の落合将氏は「日本が戦争の傷跡から立ち直り、豊かになっていく時代の中でも、常子と花山(唐沢寿明)の“庶民の暮らし”を守るためのスタンスは変わりません。追加の豪華キャストの方々と、この物語の最後で常子と花山がどんなドラマを繰り広げるか、最後まで見守っていただければと願います」とコメントした。


前作、「あさが来た」では、終盤、日の出女子大学校(日本女子大学校)時代の小生意気ならいてうを、元AKB48の大島優子さんが演じていました。

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戦後になって成長した(笑)らいてうを、真野響子さんが演じるとのこと。レギュラー出演者ではないにせよ、朝ドラ2作続けて同一人物が描かれるというのは、例がないのではないでしょうか。楽しみです。


さて、テレビ放映系のネタということで、もう1件。明日のオンエアです。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2016年7月18日(月)  19時30分~20時00分

福島県の安達太良山は、ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しい素顔と山麓に広がる新緑の森が対をなし、変化に富んだ景観で登山者を魅了する。今回は1泊2日の山旅だ。

安達太良山は、磐梯山と並んで福島を代表する名峰だ。ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しさと山麓に広がるたおやかな樹林帯が対をなし、変化に富んだ景観が登山者を魅了する。今回は山の東側、塩沢登山口から1泊2日のコース。1日目は、初夏にふさわしい爽快感を味わえる新緑の森と渓谷沿いを進む。宿泊は「くろがね小屋」。2日目は、荒々しい岩石が連なる尾根を進み、大迫力の巨大噴火口跡の沼ノ平から絶景の山頂に。

出演 佐藤哲朗    語り 鈴木麻里子   テーマ曲「空になる」さだまさし

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この番組では、昨年にも安達太良山が取り上げられ、その再放送が今年3月にありました。再々放送かな、と思ったら、新作のようです。

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昨年のオンエアでは光太郎の「あどけない話」が取り上げられましたが、今回はどうなることか。ちょっとでもいいので触れて欲しいものです。


また、来週には十和田湖をメインで取り上げる番組もありますが、またのちほどご紹介いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

海にして太古(たいこ)の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと
明治39年(1906) 光太郎24歳

かなり前にご紹介しましたが、明治39年(1906)、海外留学のため横浜から出航したカナダ太平洋汽船の貨客船、アセニアン船上で詠んだ短歌のうち、最も有名な作であり、光太郎自身も気に入っていたものです。「海を見て」となっているバージョンも存在します。

現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。5月の「第7週  常子、ビジネスに挑戦する」では『青鞜』がらみのエピソードがありました。その際には、高畠充希さん演じる主人公・常子の女学校の担任、東堂チヨ先生(片桐はいりさん)が、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号に載った平塚らいてうの「原始、女性は実に太陽であつた」という文言を生徒たちに語りました。その後、常子や妹の鞠子(相良樹さん)、親友の中田綾(阿部純子さん)らが、『青鞜』に大きな影響を受けた、という話の流れでした。

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今週放映されている「第14週 常子、出版社をおこす」で、中田綾が再登場しました。戦前、女学校を出て、すぐに
医者に嫁いだ綾でしたが、その夫は軍医として大陸に出征し戦病死、裕福だった実家も空襲で全焼、今は老母と幼い男児を抱え、苦労しています。

そして昨日のオンエアで、再び『青鞜』がでてきました。綾が、柳行李から取り出して常子に見せ、苦しい生活の中でもずっと心の支えにしてきた、と語るという場面でした。

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見逃された方、NHK BSプレミアムで、7/6(土)、一週間分の再放送があります。この回は朝10:00~のオンエアです。ご覧下さい。

また、来週放映の「第15週 常子、花山の過去を知る」でも、『青鞜』がらみのシーンがあるようです。「花山」は、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次。のちに常子ともども雑誌『あなたの暮らし』を創刊します。モデルとなったのは、花森安治。実際に『美しい暮しの手帖』(のち『暮しの手帖』)を創刊、編集と、毎号の表紙絵を担当しました。

予定では7/13(水)放映の回で、その花山を女手一つで育ててくれた母が、やはり『青鞜』創刊号のらいてうの言葉を心のよりどころとしていた、というエピソードが語られるという設定になるようです(ただ、いわゆるネタバレサイトでの情報ですので、変更があるかも知れません)。こちらもご覧下さい。

ちなみにさらに先の放送で、片桐はいりさんの東堂先生も再登場するようです。

ところで、一昨年上期の朝ドラ「花子とアン」では、翻訳家の村岡花子、その親友の歌人・柳原白蓮が登場、それぞれ吉高由里子さん、仲間由紀恵さんが演じられました。すると、古書業界でちょっとした花子、白蓮ブームが起こり、その頃発行された古書店の目録には、二人の関連商品――書籍や自筆もの――が数多く載っていました。

このところ手元に届く古書目録には、「とと姉ちゃん」を受けて、花森安治の関連商品が目立ちます。明日から行われる明治古典会さん主催の「七夕古書大入札会2016」の目録にも載っていました。

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あたたかみのある、いい絵ですね。

その花森、戦後すぐは、戦時中の戦意高揚プロパガンダへの協力(有名なコピー「ほしがりません勝つまでは」の選定にも関わっているそうです)を恥じ、筆を折っていました。このあたり、光太郎を彷彿とさせられます。その点が「とと姉ちゃん」でどう描かれるか、楽しみです。


【折々の歌と句・光太郎】

葦の葉に君は笹舟たくみなりわれは流れの淀に棹さす
明治34年(1901) 光太郎19歳

今日は七夕、ということで何となくそれっぽい短歌をご紹介します。

朝の時点で、自宅兼事務所周辺はよく晴れていますが、夜はどうなることでしょうか。田舎なので光源が少なく、ほんとに快晴の晩には、天の川が見える時もあります。

昨日の続きになります。光太郎が晩年の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村に建つ、高村光太郎記念館を運営されている花巻高村光太郎記念会さんからのいただきものをご紹介します。

旧太田村の高村光太郎記念館とは別に、花巻市街桜町、光太郎が碑文を揮毫した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑近くに桜地人館があります。光太郎没後すぐ、現在の花巻高村光太郎記念会を立ち上げた総合花巻病院長だった故・佐藤隆房氏のコレクションなどが展示されています。今年5月に行われた花巻市主催の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の行程にも入っており、久々に訪問いたしました。その際のレポートがこちら

そちらのパンフレットも新しいものが作られ、送られてきました。A4判横長三つ折り、両面カラー印刷です。


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佐藤隆房と直接親交があった光太郎・賢治の関連の品々、それ以外にも岩手を代表する芸術家ということで、萬鉄五郎や舟越保武の作品などが展示されています。また、パンフレットには紹介されていませんが、光太郎・賢治と繋がっていた草野心平の書、館の前庭には高田博厚作の佐藤隆房像なども。


それからもう一点、今年2月に放映されたテレビ岩手さんの情報番組、「5きげんテレビ」を録画したDVDもいただきました。前述の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の際に拝見し、「下さい」とお願いしておいたものです。

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この番組は、平成25年(2013)にNHKさんで放映された連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した架空のテレビ局・「岩手こっちゃこいテレビ」制作という設定の架空の番組「5時だべ わんこチャンネル」のモデルとも云われています。

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岩手県ご出身の福田萌さんが、司会者の福田萌さん役で(笑)ご登場なさっていました。


さて、本家「5きげんテレビ」。賢治生誕120年にちなむシリーズの一環で、「賢治と光太郎」という切り口での放送でした。レポーターは六串しずかさんという方。

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まずは旧太田村の高村光太郎記念館の紹介。

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「賢治と光太郎」ということで、展示品の中のこんなものも。

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賢治の実弟・清六と光太郎が編集し、装幀・題字も光太郎が手がけた日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』です。テロップが誤っており、発行は昭和21年(1946)~24年(1949)です。こちらは元々当方の蔵書で、記念会さんにお貸ししています。

昨年のNHKさんの「歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」の回では、やはり当方がお貸しした『智恵子抄』が写りましたが、妙な気分です。

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閑話休題。続いて記念会さんで取り組んだ、光太郎日記を元にした、光太郎の食事の再現。

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これで朝昼晩の三食分ですが、そば粉パンやら馬肉入りの汁物やら、なかなか豪勢です。

さらに記念館に隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)からのレポート。当時を知る地元の方々もご出演なさり、光太郎との思い出を語って下さっていました。

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こんなコーナーもありました。

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視聴者の皆さんは、リモコンの赤青黄のボタンを押す、ではなく、電話で参加。スタジオにオペレーターさんたちがいらっしゃる、という点で笑えました。

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さて、問題は……。

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これだけだと、①、②、③、全て正解ですが、光太郎が好きで、なおかつ旧山口小学校の校章デザインに使われた、という条件がつきます。おわかりでしょうか。

正解はこちら。

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上記の幔幕は、詩集『典型』(昭和25年=1950)が第2回読売文学賞に選ばれた際の賞金が化けたものです。デザインの原案も光太郎です。

締めは高村光太郎記念館、高村山荘の案内。

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ぜひとも全国ネットでも放映してほしいような内容でした。


上記の桜地人館ともども、ぜひ足をお運び下さい。



【折々の歌と句・光太郎】

少女等よ眉に黛(すみ)ひけあめつちに爾の如く醜きはなし
明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学からの帰国直後、昨日も同趣旨の短歌をご紹介しましたが、日本人女性をこきおろす短歌が数多く作られました。

女性の皆さん、気を悪くなさらないで下さい。あくまで光太郎独自の感想ですので、当方の見解とは異なります(笑)。

昨日、紀尾井町福田家さんについてこのブログでご紹介しましたが、その記事の執筆のため、『高村光太郎全集』第13巻の、昭和24(1949)、同25年(1950)に書かれた「通信事項」という項を繰っておりました。

紀尾井町福田家さんの女将、福田マチに関する記述を探すのが目的でしたが、別件で、思いがけない名前を発見しました。

大橋鎭子。NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、高畑充希さん演じるヒロイン・小橋常子のモデルとなった人物です。鎭子に関しては、2週間ほど前のこのブログでご紹介しました。その際はドラマで『青鞜』が取り上げられるということを書きました。

その他、光太郎とのからみとして、戦前に鎭子が編集に当たっていた『日本読書新聞』に、光太郎が寄稿していることを書きました。それ以上のかかわりが、2週間前の時点ではつかめていませんでした。

ところが、昨日、改めて『高村光太郎全集』第13巻の「通信事項」を調べていて、鎭子の名を見つけ、驚いた次第です。「通信事項」は、日記が失われている昭和24(1949)、同25年(1950)の分のみ、日記の代わりとして『高村光太郎全集』第13巻に掲載されている、郵便物等の授受の記録のノートです。

なぜ昨日まで気付かなかったのか、これにはわけがあります。言い訳がましくなりますが、弁解させて下さい(笑)。当会顧問・北川太一先生が中心となって編まれ、平成10年(1998)に完結した増補版『高村光太郎全集』。全21巻+別巻1の構成で、別巻にはさまざまな索引が載っており、その中で、「人名索引」もあって、常に活用させていただいています。ところが、この「人名索引」には漏れがあるのです。「漏れ」というより、意図的にそうした編集方針を採ったのですが、「通信事項」の部分に表れる人名はカットされているのです。これは、「通信事項」の部分がほぼ人名の羅列だからということで、ここに書かれている人名までカウントすると、「人名索引」が現在の倍くらいになってしまうという判断だと思います。

たとえば光太郎と縁の深かった草野心平。縁が深かっ005ただけに、別巻の「人名索引」では右の通り、すでにかなりのスペースですが、ここに「通信事項」の第13巻415ページから542ページまでの分を入れると、さらにスペースを拡大しなければなりません。全ページに心平の名が載っていれば「415~542」で済みますが、実際にはとびとびに名が出て来ますので、「417,421,431,436,438~440,442……」などとなってしまい、煩雑です。

そこで、「通信事項」は「人名索引」の対象にしていないというわけです。

ところが、ここで困ることが一つ。「通信事項」にしか名前が出てこない人物がいるのです。昨日ご紹介した福田マチもそうでしたし、大橋鎭子もまたしかり。そういう場合も「人名索引」には名が載っていません。

福田マチに関しては、「通信事項」に名が載っていることを記憶していましたが、鎭子の名が載っていたことは完全に覚えていませんでした。というより、「大橋鎭子」の名を当方がしっかり認識したのは、「とと姉ちゃん」の放映が決まってからで、ここ1年くらいの話です。「通信事項」全体をちゃんと読み返したのは、1年以上前、花巻高村光太郎記念会さんの依頼で、『高村光太郎 山居七年 年譜』を執筆していた頃でしたので、その時点では鎭子の名はスルーしていました。不覚。


さて、「通信事項」に書かれた鎭子の名。まずは昭和25年(1950)7月6日です。

大橋鏡子さんよりテカミ(来訪の由)

「鏡子」となっていますが、「鎭子」の誤りです。この時期に光太郎が受け取った書簡のほとんどは、当会顧問・北川太一先生の手元にあり、おそらくそれと照合した結果、「鏡子」でなく「鎭子」と判断されたのでしょう。「鏡」の脇に「(鎭)」とルビが振ってあります。

「来訪」ということは、この後、鎭子が花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に、光太郎を訪ねたのだと考えられます。この時期の光太郎日記が失われているのが、かえすがえす惜しいことです。


続いて7月12日。

大橋鎭子さんよりテカミ

ここからは正しく「鎭子」となっています。おそらく、「先日はお忙しいところ、お邪魔いたしました」といった内容なのでは、と思われます。


さらに7月25日。

クラシの手帖より電報(原稿の事)

これは当時、鎭子が編集に当たっていた『美しい暮しの手帖』のことと思われます。ちなみにこの頃はまだ送りがな等のルールが確立して居らず、「暮らし」ではなく「暮し」です。


8月23日にも。

大橋鎭子さんよりテカミ(原稿の事)


そして8月30日。

大橋鎭子さんへ返ハカキ (略) 大橋鎭子さんより「くらしの手帳」八冊

光太郎から鎭子への発信の記録はこれだけです。


翌8月31日。

大橋鎭子さんよりテカミ

おそらく、「別便で『美しい暮しの手帖』八冊送りました」的な内容と思われます。


最後に少し飛んで、11月9日。

大橋鎭子さんよりテカミ(原稿の事)


見落としがなければ、以上です。ただし、『高村光太郎全集』には掲載されていませんが、翌年以降も「通信事項」ノートは継続されていますので、そちらにも鎭子の名があるかも知れません。


以下、推理です。

昭和25年(1950)7月上旬、鎭子が花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に光太郎を訪ね、『美しい暮しの手帖』への寄稿を依頼。戦前の『日本読書新聞』の関係で、2人は面識があったと思われます。ところが光太郎は生返事。そこで鎭子は「こんな雑誌です」ということで、『美しい暮しの手帖』のバックナンバーを送附。しかし気乗りしない光太郎、断りのハガキ。諦めない鎭子はまた依頼の書簡を送るも、光太郎は無視。

こんなところではないかと思われます。

『美しい暮しの手帖』への光太郎の寄稿は、確認できていません。ただ、未確認の寄稿がもしかするとあるかも知れませんし、時折、ハガキがそのまま載せられているというケースもありますので、調べてみます。

同時に、先述の通り、この時期の光太郎に宛てた書簡類、さらに昭和26年以降の「通信事項」ノートは、当会顧問・北川太一先生の手元に残っているはずですので、問い合わせてみます。

逆に昭和25年(1950)、8月30日に光太郎が鎭子に送ったハガキ、どこかに残っていないかな、と期待する次第です。また、鎭子の書いたものの中に、光太郎に関する記述がないかも気になります。


さて、「とと姉ちゃん」。先々週のオンエアで、『青鞜』がらみの展開となりました。

昭和11年(1926)、ヒロイン・常子(鎭子)の女学校での新しい担任・東堂チヨが、生徒の前で平塚らいてうの『青鞜』創刊の辞をぶちあげ、女性の自立を促しました。片桐はいりさんの熱演(怪演?)はさすがでした。

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衝撃を受けた常子は、東堂先生から『青鞜』を借ります。

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智恵子デザインの表紙です。前作「あさが来た」でも、終盤に大島優子さん演じる平塚らいてうが登場、小道具として使われました。

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「とと姉ちゃん」に戻ります。

常子はすっかり『青鞜』にはまります。

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そして、進学希望を打ち明けられず、悩んでいる妹の鞠子(相良樹さん)にまた貸し。鞠子もすっかりとりこになります。

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さらに、阿部純子さん演じる常子の親友の中田綾も、独自のルートで『青鞜』を入手、影響を受けたらしいことが語られます。

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常子、鞠子、綾は、戦後、『美しい暮しの手帖』(ドラマでは『あなたの暮し』)を立ち上げることになり、そのバックボーンになったのが『青鞜』だったという設定ですね。

今後の展開が楽しみです。


【折々の歌と句・光太郎】

衣かへてジヨツトの塔に登りけり    明治42年(1909) 光太郎27歳

「ジヨツトの塔」は、イタリア・フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘楼です。

光太郎がここを訪れたのは、明治42年(1909)3月末から4月はじめ。「衣かへ」は真冬の服装から春物への衣替えと思われますが、やはり「衣替え」といえば今の時期の季語ですので、今日、紹介させていただきます。

昨日、『青鞜』がらみの演劇公演をご紹介しましたので、さらに『青鞜』つながりで。

現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」から。 

連続テレビ小説 とと姉ちゃん 第7週 「常子、ビジネスに挑戦する」

NHK総合       (月~土)8:00~8:15  再放送 12:45~13:00
NHKBSプレミアム (月~土)7:30~7:45  再放送 23:00~23:15
                             (土) 9:30~11:00[1週間分]

戦前の静岡県遠州。繊維のまちで育った主人公・小橋常子(10)は三人姉妹の長女。染物工場の営業部長で子ども思いの父と優しい母を茶目っけたっぷりに「とと」「かか」と呼びながら、鞠子(まりこ)(9)と美子(よしこ)(4)という二人の妹の面倒をみるしっかりものの娘。 

経済的に不自由なく幸福な生活を送っていた常子たちだったが、父・竹蔵が結核にかかったことで生活は一変する。死の間際、竹蔵は常子だけを呼び寄せ「ととのいなくなったあとは、常子が自分の代わりに家族を守ってほしい」と遺言。常子はその言葉を胸に、二人の幼い妹と、母を守って生きていこうと、胸に誓う―。

そんな遠州での生活も、染物工場からの援助が閉ざされたことで、たち行かなくなり、母・君子(きみこ)は、仲違いしている東京・深川の母(三姉妹の祖母)に頭を下げて一家で上京することを決意。東京で待っていた祖母・滝子(たきこ)の援助を受けながら、三姉妹と君子は激動の時代を懸命に生きていく。

第37回 2016年5月16日(月)001
あと1年で女学校を卒業する学年になった常子(高畑充希)は、僅かでも給料の良い就職先を探していた。そんな折、新担任の東堂チヨ(片桐はいり)の演説に衝撃を受ける。

昭和11年春。常子(高畑充希)は女学校最高学年の五年生となる。クラスの同級生の大半が嫁いでいく中で、家族の食いぶちを稼ぐため、少しでも給料の高い仕事を探していた。そんな折、新たな担任としてやってきた東堂チヨ(片桐はいり)に出会う。「女性とはこうあるべき」という固定観念に捕われず、自分の気持ちに正直に挑戦する大切さを教わる。一方、鞠子(相楽樹)は進学したい思いを誰にも相談できず、深いため息をつく…。


第38回 2016年5月17日(火)000
悩む鞠子を心配し、常子は東堂から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は東堂に助言を受け、何かに挑戦したい気持ちになる。そんな時、災いを呼ぶ男・鉄郎が現れて…。

どこか元気のない鞠子(相楽樹)を心配し、常子(高畑充希)は、東堂(片桐はいり)から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は、女性だからという理由だけで尻込みせず、挑戦することが大切だと東堂から助言され、何かを始めたい気持ちが湧き上がる。一方、時代は次第にきな臭くなり、青柳や森田屋も不況の波が押し寄せ、自粛ムードが漂っていた。そんな折、鉄郎(向井理)が森田屋に現れ、どんちゃん騒ぎが始まってしまい…。


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連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。妹たちと共に、女性のための情報誌『暮しの手帖』を創刊した編集者・大橋鎭子をヒロイン・常子のモデルとしています。

『暮しの手帖』の創刊は戦後ですが、その契機の一つとなるエピソードとして、『青鞜』の影響が描かれるわけですね。また、妹の鞠子はらいてうに傾倒する、という流れになるようです。

実際にそういうことがあったのかどうか存じませんが、来週の物語の舞台は昭和11年(1936)、『青鞜』は明治44年(1911)に、平塚らいてうの編集、智恵子の手になる表紙絵で創刊され、その後、伊藤野枝に委ねられて大正5年(1916)に廃刊になっています。時期的にかなりの開きがあるので、おそらくドラマとしての演出なのでは、と思われます。

ちなみに常子のモデルとなった大橋鎭子は、東京府立第六高等女学校を昭和12年(1937)卒業、いったん銀行に就職しますが、日本女子大学校に入学し直します。智恵子の後輩となぅたわけですが、結核のためほどなく退学。その後、日本読書新聞社に入り、『日本読書新聞』の編集に当たります。それが太平洋戦争前のことで、朝ドラではどう描かれるかと期待しています。

光太郎、戦後の『暮しの手帖』への寄稿は確認できていませんが、『日本読書新聞』には、昭和17年(1942)から19年(1944)にかけ、たびたびエッセイや詩、アンケート回答を寄せています。

前作「あさが来た」では、光太郎智恵子と関わりのあった、広岡浅子や成瀬仁蔵が登場しましたし、一昨年の「花子とアン」でも、ヒロインのモデル・村岡花子や、作家の長谷川時雨など、光太郎と関わった人物が登場しました。しかし、光太郎智恵子は登場せずじまい。「とと姉ちゃん」では、どうなることでしょうか……。

5/30追記 光太郎と大橋鎭子について、さらに追記しました。ご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

乳色のぎやまん皿と赤茄子のうしろに光る初夏の風
明治43年(1910) 光太郎28歳

ここでの「赤茄子」はトマトのことのようです。前年に欧米留学から帰った光太郎、食習慣はかなり洋風になったとのことで、朝はパン食が多かったようです。

ラジオパーソナリティーとしても長年にわたりご活躍された、評論家の秋山ちえ子さんの訃報が出ました。 

秋山ちえ子さん死去 ラジオ「談話室」 99歳

 日本の女性放送ジャーナリストの草分けで、40年以上に000わたってラジオ番組のパーソナリティーとして活躍した評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名橘川ちゑ〈きっかわ・ちえ〉)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都目黒区の自宅で死去した。99歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 仙台市出身。ろうあ学校教師などを経て、48年のNHKラジオ「婦人の時間」で戦後女性の視野を広めるためのリポーターを担当。54年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
 57年に始まったTBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」(スタート時は「昼の話題」)は、暮らしのささやかな話題から時事問題まで扱うコラム的番組として人気になり、02年まで1万2512回も続く長寿番組となった。
(『朝日新聞』)
 

<秋山ちえ子さん死去>ラジオから反戦訴え

 放送ジャーナリストの草分けで、ラジオ番組「秋山ちえ子の談話室」(TBSラジオほか全国で放送)を45年間続けた評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名・橘川ちゑ=きっかわ・ちえ)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都内の自宅で死去した。99歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は次男宣夫(のぶお)さん。

 ◇評伝 「談話室」45年

 市民の視点から生活実感のある評論でラジオによるルポルタージュという新分野を開拓した秋山さん。1948年からNHKラジオ「婦人の時間」のリポーターを務め、54年に第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 57年から45年間続いた「秋山ちえ子の談話室」は、放送回数1万2512回を数えた。番組終了後も定期的にラジオに出演した。「国際間のもめごとを戦争で解決しないこと、置き去りにされる人のいない国づくり」のために語り続けた。

 菊池寛賞、東京都文化賞、エイボン女性年度賞などを受賞。華々しい功績を残す一方で、「それぞれができる小さなこと」を大事にする人だった。

 67年からは終戦記念日の8月15日に、東京・上野動物園で戦時中に餓死させられた象の物語「かわいそうなぞう」(土家由岐雄作・金の星社)の朗読を続け、戦争の悲惨さを訴え続けてきた。この朗読も、娘が持ち帰った児童書に収録されていたのを見つけたのがきっかけだった。

 弱い者の立場に立ち、子どもを慈しんだ。戦前には国立東京聾唖(ろうあ)学校教諭を務めた経験もある。スタジオの外に飛び出し、社会から置き去りにされた障害児支援に取り組み、毎日新聞小児がん征圧キャンペーンのコンサートにも足を運び、子どもたちを励ました。

 秋山さんの自宅を訪ねたのは2007年夏だった。「戦争の惨めさを知らない人が増えて、ちょっと勢いを得たように、憲法改正なんてとっても簡単におっしゃる。私は怖いのね」と声高ではなく、穏やかに語り、第1次安倍晋三内閣の政権運営を案じていた。

 昨年夏も、自宅で収録した「かわいそうなぞう」をラジオを通して読み聞かせた。「最後まで庭の草花を見ながらこの家で」と願った秋山さんは、最期も暮らしの中にいた。【本橋由紀】
(『毎日新聞』)


昨年までの3年間、このブログでは【今日は何の日・光太郎】というコーナーを設け、365日×3年間、毎日光太郎関連であった出来事をご紹介して参りました。その中で、昨年の5月4日に、秋山さんのことを書かせていただきました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月4日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに、ラジオパーソナリティ・秋山ちえ子さんが訪問。ラジオ番組の録音を行いました。

当日の日記です。

晴、涼、 (略) NHK録音班3人と秋山ちゑ子さんくる、録音、

秋山ちえ子さんといえば、TBSラジオで放送されていた「秋山ちえ子の談話室」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。こちらは平日の朝、昭和32年(1957)から平成14年(2002)まで45年間もの長きにわたって放送されていました。

光太郎の談話が録音された昭和29年(1954)当時、秋山さんが担当していたのは、NHKさんの「私の見たこと、聞いたこと」という番組です。この時期の光太郎日記は記述が簡潔で、オンエアを聴いたという記述は見あたりません。当時のテープなどが残っていればと思うのですが、難しいでしょう。


というわけで、光太郎とも面識のあった秋山さん。今頃は空の上で、「その節は……」「いやいや、どうも」などと光太郎とお話ししているのでは、などと想像してしまいます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々の歌と句・光太郎】

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
昭和13年(1938)頃 光太郎56歳頃

昭和20年(1945)の今日、太平洋戦争の空襲で、001東京駒込林町の光太郎アトリエが全焼しました。

大正の初めから智恵子と共に暮らした思い出深いアトリエと共に、多くの光太郎作品などが灰になりました。亡き智恵子が遺した紙絵は、それ以前に花巻、山形、茨城取手に分散疎開させていたので無事でした。

光太郎はその後、一時的に近くにあった妹の婚家に身を寄せ、さらに1ヶ月後、宮澤家の誘いで花巻に疎開、そのまま戦後もとどまり続け、昭和27年(1952)に、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再び上京するまで、岩手で暮らしました。

再上京した翌日、まだ更地だったこのアトリエ跡地を訪れ、感慨深そうにしていた光太郎の様子が、令甥の故・高村規氏の回想に記されています。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。主人公・白岡あさのモデルとなった広岡浅子を始め、成澤泉こと成瀬仁蔵、田村宜こと井上秀など、光太郎智恵子と縁のあった人々が登場しています。

昨日のこのブログで書きましたが、光太郎の父・光雲と縁のあった人物も既に登場しています。松坂慶子さん演じる大隈綾子です。

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昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』という書物があります。大正11年(1922)から、光太郎と、光太郎の友人で作家の田村松魚が光雲の談話を聴き、田村がそれを書き留めたものが中心になっています。

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その中に、「大隈綾子刀自の思い出」という一項が設けられています。田村による聞き取りが行われていた大正12年(1923)、綾子が亡くなったことを受け、ちょうどいいい機会だから、と語ったものです。

それによると、綾子は御徒町に住んでいた旗本・三枝家の娘で、その三枝家が光雲の師匠・東雲の得意客であったことに端を発します。

一度は東雲が間に入って綾子が大工棟梁の家に嫁いだり(程なく不縁となり、出戻りましたが)、東雲が三枝家の屋敷を買い取ったり(移築されて、後に徴兵逃れのため光雲の養母となる東雲の姉・悦が暮らしました)、綾子の兄で当主の竜之介が東雲に大黒様の像を彫って貰ったところ、間もなく綾子と大隈重信の結婚がまとまり、大黒様の御利益だと評判になって、三枝家の親類筋からも大黒様の注文が入ったり……若き日の光雲はそうした経緯をそばで見聞きしていました。

また、綾子が大隈家に嫁いだ後、綾子が実家に残した厖大な「南無阿弥陀仏」の願文を、光雲が師匠に命じられて、川施餓鬼の時に、二、三時間かけて吾妻橋から隅田川に流したこともあるそうです。

光雲の綾子評。

噂に聞けば大隈夫人綾子と云ふ人は、大層よく出来た人だとの評判であるが、成程、娘時代からあれ丈けの辛抱をして心を錬つて居られた丈あつて、今日天下一二と云はれる政治家の夫人となつてもやはりその妻としての役儀を立派に仕終せるといふは、心掛けがまた別なものであるかと感心したことでありました。

綾子が亡くなった後、綾子の過去に関する誤った風聞――光雲曰く「元、料理屋の女中であつたなど、誰々の妾であつたなど」――が広まり、それを憂えた光雲が、懐古談の中で、特に綾子の話をしたというわけです。

ところで、年令の関係ですが、光雲は嘉永5年(1853)の生まれ。綾子は2つ上の嘉永3年(1851)生まれです。ちなみに広岡浅子は嘉永2年(1850)生まれ。浅子の方が年上です。

「あさが来た」では波瑠さん(あさ)と松坂慶子さん(綾子)で、どう見ても綾子の方が年上に見えますが、そこはドラマの演出上、仕方がないのでしょう。


ところで光雲の語った「大隈綾子刀自の思い出」、「青空文庫」さんで読むことが出来ます。ぜひお読み下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

春をりをり雨の寒さよ一人旅       明治42年(1909) 光太郎27歳

やっと暖かくなったと思ったら、寒の戻りで冷たい雨。「三寒四温」とはよく言ったものですね。

昨日に引き続き、NHKさんの「連続テレビ小説 あさが来た」ネタです。

新刊のムックをご紹介します。 

日経BPムック 広岡浅子のすべて 仕事と生涯

2016/02/20 日経BP社発行 定価815円+税

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約250点の写真、初公開史料、関係者インタビューで綴る「本当の広岡浅子」。
浅子の姉・春(ドラマでは「はつ」)、嫁いだ天王寺屋の末路は?
浅子死す! ―― その“最期”の状況は?
ドラマでは語られていない「真実」が、この1冊に!

今から約100年前、日本の経済、社会の豊かな発展と女性たちの輝かしい未来を祈った女性がいました。その人の名は、広岡浅子。

時代が大きく転換した幕末から明治の時代を駆け抜け、歴史に名を残す偉人に劣らぬ功績を、いくつも残した女性実業家でした。広岡浅子の生涯は今なお色褪せることのない学びや人生哲学に満ちています。

約250点の豊富な写真、初公開の最新史料、関係者インタビュー。そこから見える「広岡浅子」のすべてを、お伝えします――。

≪主な内容≫
NHK朝ドラのヒロインは“広岡浅子”がモデル
『あさが来た』で注目! 「白岡あさ」の物語

【第1章】 広岡浅子が生きた「九転十起」の人生
【第2章】 浅子が守った「加島屋」と文明開化の日本
【第3章】 浅子の仕事と明治の偉人たち
【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」


B5判104頁で、なかなか読みごたえがありました。メインは実在の広岡浅子の紹介ですが、NHKさん提供のスチール写真もふんだんに使われ、番組の紹介も充実しています。

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さらに「【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」」の中で、日本女子大学校つながりの智恵子も紹介されています。

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その他、光太郎智恵子と関係の深い平塚らいてう、小橋三四子、井上秀(ドラマでは田村宜)、一昨年の朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子らの紹介も充実しています。

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ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

夕ばえや氷河下界に流れ去らず      明治42年(1909) 光太郎27歳

春とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。インフルエンザ等も流行中。皆様もご自愛ください。

明治の女性実業家・広岡浅子を主人003公としたNHKさんで放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。 いよいよ女子大学校設立に向けての話になって参りました。モデルとなっている学校は、智恵子の母校・日本女子大学校。「日の出女子大学校」という仮名で扱われます。再来週の第23週で、ついに女子大学校開校が扱われるそうです。

同校の開校は明治34年(1901)、智恵子の入学は同36年(1903)。智恵子と浅子、さらに光太郎、そして初代校長・成瀬仁蔵(朝ドラでは成澤泉)との関わりについては、昨年末のこのブログでご紹介しました。

成瀬仁蔵(成澤泉)役の瀬戸康史さんも、なかなかはまり役ですね。ヘンデル作曲の「O' load correct me」を唄うシーンがありましたが、この歌は日本女子大学校の愛唱歌として受け継がれているそうです。「智恵子抄」などの光太郎の詩にオリジナル曲を付けて歌われているモンデンモモさんは、同校の附属高等学校のご出身ということもあり、「智恵子抄」を扱うコンサートではよくこの曲を歌われています。


あさの娘・千代(広岡亀子)の親友で、吉岡里帆さん演じる田村宜のモデルは、同校一回生にして、のちの第4代校長となる井上秀。秀と光太郎智恵子の関わりについても、昨年のこのブログでご紹介しました。

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秀の同級生である一回生には、他にも小橋三四子、柳八重、服部マスなど、光太郎智恵子と関わりの深い人物がたくさんいます。また、ゲスト的に出演なさった三宅裕司さん演じる渋沢栄一は、のちに同校の第3代校長になります(秀が就任するまでの短期間、つなぎのような感じだったようですが)。

また、あさと、既に亡くなってしまった五代友厚(ディーン・フジオカさん)との会話の中で、自転車に関する話題が何度かありました。

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同校ではいち早く自転車を取り入れました。そのための伏線なのでは、と思って見ていましたが、考えすぎでしょうか。ちなみに智恵子のいた寮では智恵子が一番乗りでマスターしたそうです。

今後も目が離せません。


【折々の歌と句・光太郎】

おたがひにおとしめなげく人間のあぢきなきゆゑ寂しさきはまる
大正13年(1924) 光太郎42歳 

朝ドラ「あさが来た」では、女子大学校の開校までの道のりがかなり険しかったこともきちんと描かれています。今朝の回は、あさが刺されて入院している場面でしたが、じっさいにそういうことがあったそうです。お互いに貶め、嘆く悲しき人間の性(さが)と言ってしまえばそれまでですが。

テレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2016年2月10日(水)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程

出演 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか

この番組では、時折光太郎作品を取り上げて下さっています。昨年暮れに亡くなった浪曲師・国本武春さんの歌による「ベベンの冬が来た」が定番の一つでしたが、もう一つ定番で、「道程」がよく取り上げられます。

子役たちの朗読によるバージョンと、坂本龍一さん作曲のうたによるバージョンとがありますが、今回の放映はどちらになるか不明です。また、過去の映像の使い回しか、新作かもわかりません。

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ついでに光太郎の周辺人物に関わるテレビ番組をご紹介しておきます。 

黒柳徹子のコドモノクニ 「宮沢賢治が残したメッセージ 童話から広がる宇宙への旅」

BS朝日 2016年2月10日(水)  22時00分~23時00分

BS朝日開局15周年特別企画▽大正から昭和にかけて発刊され、一流画家や詩人、作曲家がこぞって作品を寄せた伝説の絵雑誌『コドモノクニ』。藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、野口雨情、北原白秋…。絵画、詩、童謡など様々なジャンルで、子どもたちのために本気になった大人たちの思いとは?黒柳徹子が今、未来へ続くメッセージを届ける。現代の芸術家・著名人が『コドモノクニ』からインスピレーションを得て生み出す新作にも注目!

宮沢賢治は、後に「イーハトーブ」と名付ける自然豊かな故郷、岩手県花巻で野山を散策して石を集め、満天の星空に思いをはせて少年時代を過ごした。このときの「夢」が賢治の童話の世界を生み出すことになった…。賢治と同様に、石を集めることを趣味とする写真家・浅井愼平が賢治の作品の世界を探る。

死の2年前、小さな手帳にメモのように書き記した「雨ニモマケズ」。2011年の東日本大震災では、被災された方々へのエールとして多くの人々が「雨ニモマケズ」を朗読した。今も受け継がれる賢治の魂をたどる。

出演 黒柳徹子 浅井

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プレミアムカフェ(1)猫を愛した芸術家の物語(2)迷宮美術館 猫の展覧会

NHKBSプレミアム 2016年2月11日(木)  9時00分~11時13分  再放送 2月19日(金) 午前1時30分〜

(1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功
(2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会

特集 愛すべきパートナー・ねこ (1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功(初回放送:2011年)女と猫の画家とも称された藤田嗣治。天才の孤独を癒やした猫たちとの物語 (2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会(初回放送:2005年)名画に登場する猫たちがスタジオに集合!専門家を招き、猫学の視点から画の謎を読み解く

司会  段田安則,住吉美紀
 ゲスト 高木美保,吉村作治,濱田マリ,川崎麻世,千代間咲恵,中村有志

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ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

何ならん人間界に立ちまじるこのうつそ身の外なるものは
大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎は関東大震災後の、不穏な世の中、さまざまな社会の矛盾に対しての怒りを露わにします。詩ではそうした荒ぶる魂――人間界に立ちまじるうつそ身の外なるもの――をさまざまな猛獣に託した「猛獣篇」の連作が書かれました。

昨日、予約注文しておいたDVDが届きました。

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 《米沢~大間崎編》

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太川陽介&蛭子能収のコンビにマドンナ1名を迎え、男女3人が路線バスだけを乗り継ぎ3泊4日で目的地を目指すガチンコ旅。今回はマドンナとしてさとう珠緒を迎え、山形は米沢市から本州最北端・青森県大間崎を目指します。道も無い! 宿も無い! バスもそれほど走ってない!! 魅惑の酒造やバラ園を尻目に、ひたすら続くのは炎天下の徒歩の旅!? 数々の超絶トラブルを乗り越えて、果たして三人は大間のマグロにたどり着けるのか!? 蛭子とエビ子の迷(?)コンビも必見です!!

出演 太川陽介、蛭子能収、さとう珠緒、キートン山田(ナレーション)

特典
蛭子能収描きおろしイラストジャケット仕様 旅の経路マップ封入
<音声特典>  オーディオコメンタリー(太川陽介×蛭子能収×さとう珠緒)
<映像特典>  ・歴代マドンナ集合!大感謝祭 未公開映像集 <後編>
                        ・太川&蛭子DVD発売コメント
                        ・「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE」予告編
本編収録時間 : 約109分
定価 : 3,800円+税

テレビ東京系の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の第15弾として、平成25年(2013)8月31日にオンエアされた《米沢~大間崎編》を核に、特典映像をおさめたものです。

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太川陽介さん、蛭子能収さんのお二人と、毎回変わる「マドンナ」――この回はさとう珠緒さん――が、路線バスを乗り継いで目的地を目指すというコンセプト。毎回、3泊4日という時間制限があり、さらに路線バス以外の交通機関利用禁止というルールがあります。

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この回は、山形県の米沢から本州最北端の青森県大間崎を目指す、走行距離約510㌔というものでした。

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4日目(最終日)の朝、一行は秋田の大湯温泉を出発、十和田湖に立ち寄っています。

光太郎関係の展示もある観光交流センターぷらっと(放映当時にはまだオープンしていませんでした)のすぐ前にあるバスターミナルに到着。

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続いて焼山行きのバスに乗り換える予定でしたが、待ち時間を利用して、このブログでもご紹介した喫茶店「茶房憩い」さんで一休み。

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光太郎作の「乙女の像」も写りました。

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その後、当方も何度か利用したJRさんのバス「みずうみ号」に乗り、奥入瀬渓流を通って先を目指します。

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果たしてゴール成るか、というところですが、それはご購入してのお楽しみ。

通常の旅番組と異なり、ある意味行き当たりばったりの珍道中。それでいて、訪れた場所の魅力もしっかり表現され、また、お三方の掛け合いも絶妙です。

テレ東さんのサイトから購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

あしきもの追儺(やら)ふとするや我船を父母(ちちはは)います地より吹く風
明治39年(1906) 光太郎24歳

今日は節分。各地の寺社などで豆まきなどが行われます。当方事務所兼自宅近くの香取神宮には大相撲の錣山親方(元寺尾関)と豊真将関、成田山新勝寺には市川海老蔵さん、横綱白鵬関、大関稀勢の里関、NHK大河ドラマ「真田丸」にご出演の草刈正雄さん、高畑淳子さん、西村雅彦さん、藤本隆宏さん、藤岡弘、さんなどがいらっしゃいますが、インフルエンザウィルスをもらいに行くような気もしますので行きません。

ところで節分は、元々は季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの儀式であった宮中の伝統行事・「追儺(ついな)」に端を発します。「追儺」は「鬼追儺(おにやら)い」などとも称されました。

さて、明治39年(1906)の今日、光太郎は横浜港からカナダ太平洋汽船のバンクーバー行き貨客船アセニアンに乗り、出港。4年にわたる海外留学に出発しました。

まるで自分が邪鬼で、日本から追われるように感じたというところですね。

近々放映されるテレビ番組情報です。再放送も含みます。 
NHK Eテレ 2015年12月13日(日)  9時00分~9時45分
                     再放送 12月20日(日) 20時00分~20時45分

1月に閉館する神奈川県立近代美術館・鎌倉は“カマキン”の愛称で親しまれてきた。鶴田真由さんと最後の展覧会を訪ね、美術館の意義、収蔵作品や建物の魅力を紹介する。

“カマキン”の愛称で親しまれてきた神奈川県立近代美術館・鎌倉が、1月に閉館する。65年前日本最初の公立美術館として誕生、クレーやムンクを初めて本格的に紹介するなど先端的な存在であり続けた。番組では、幼いころからカマキンに親しんできた鶴田真由さんとともに最後の展覧会「鎌倉からはじまった。」を訪問。坂倉準三設計の建物の“ひかれる場所”を写真撮影しながら、美術館が人の心にどんな贈り物をしたのか振り返る。

司会 井浦新,伊東敏恵003

ゲスト
鶴田真由さん(女優)
長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
酒井忠康さん(世田谷美術館館長)
水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)


10月のこのブログでご紹介した、光太郎彫刻・油彩画も展示されている神奈川県立近代美術館・鎌倉館「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」」からの番組内容です。

出演者のうち、水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)、長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)は、昨年の連翹忌にご参加下さいました。

実は今日、水沢館長のギャラリートークがあるというので、「カマキン」さんにお邪魔する予定でした。しかし、急遽、秋田横手の雄物川郷土資料館さんに行く先を変更しました。第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」を拝見してきます。  

宿泊は花巻。花巻高村光太郎記念会の方々と、いろいろ打ち合わせ、さらに明後日は高村光太郎記念館企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見してきます。
 

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~「宮城県女川町 勝又愛梨さん」

NHK総合 2015年12月14日(月)  23時20分~23時25分

東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県女川町の高校生、勝又愛梨さんは、大好きだったそう祖父母を奪った津波の怖さを後世に伝えるために災害の教材づくりに取り組む。

12/7(月)の昼間に本放送があり、今回は再放送です。同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」プロジェクトなどが取り上げられます。5分間の短い番組ですが、感動ものです。
 
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にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか


こちらも再放送。本放送は12/3(木)でした。

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英雄たちの選択「藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実」

NHKBSプレミアム 2015年12月17日(木)  20時00分~21時00分

戦前、フランスに渡った藤田嗣治は、「乳白色の肌」の裸婦で高い評価を受け、本場の画壇で成功を収めた。しかし、時代が戦争へ傾くと、戦火を避け帰国、軍の要請を受諾し戦争画を制作する。1943年(昭和18年)、藤田が描いた「アッツ島玉砕」。藤田が、この戦争画にこめた思いは?戦意高揚のプロパガンダなのか、あるいは芸術なのか?「アッツ島玉砕」制作の真実に迫る。

司会  磯田道史,渡邊佐和子,
出演  一ノ瀬俊也,中野信子,高橋源一郎,三浦瑠麗,
語り  松重豊

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光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)が取り上げられる映画「FOUJITA」が公開中で、やはり我が国を代表する小栗康平監督作品ということもあり、関連番組も多く作られています。おそらく今回も映画「FOUJITA」の紹介があるでしょう。

光太郎は詩文による戦争協力、藤田は絵による戦争協力。そこには相通じるものがあるように感じます。そうした話が出ればなおよいのですが……。


以上、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月12日

慶応元年(1865)の今日(旧暦ですが)、江戸浅草で大火がありました。

現在の駒形あたりから出火、強風にあおられて燃え広がり、浅草のランドマーク、浅草寺の雷門も焼け落ちました。

数え14歳だった光雲は、師匠・高村東雲のもとで年季修行中。師匠の家も焼け、命からがらの目に遭ったことが、昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』に記されています。画像は『光雲懐古談』に載った類焼地域の図です。

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ところでこの大火の日付ですが、ネットで調べると「12月12日」と「12月14日」と、2種類あります。『光雲懐古談』では14日。しかし、当時のかわら版などによると、どうも12日が正解のようです。浅草寺さんのHPなどでも12日説を採っています。

なにはともあれ、火の用心、ですね。

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