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またまたテレビ放映情報です。

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
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今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
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基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

近々放映されるテレビ番組の情報です。

10min.ボックス(現代文)「道程(高村光太郎)」

NHKEテレ 2014年10月2日(木)25時20分~25時30分=10月3日(金)午前1時20分~1時30分

『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
 
この回は、朗読にこだわる。同じ作品でも、解釈の違いが朗読にあらわれる。様々な人にこの詩を自由に解釈してもらい、その人なりの朗読を聞かせてもらう。
 
出演 加賀美幸子
 
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繰り返し何度も放映されています。ネットで見ることもできてしまいます。
  

日曜美術館「アートの海に飛び込め ヨコハマトリエンナーレ2014」

NHKEテレ 2014年10月5日(日)  9時00分~9時45分 
再放送 2014年10月12日(日)  20時00分~20時45分
 
海外からも多くのアーティストが参加する現代アートの祭典「ヨコハマトリエンナーレ」。美術家・森村泰昌が中高生と会場を巡る。アートとの出会いが生む驚きと発見の冒険。
 
3年に1度、横浜を舞台に開かれる現代アートの祭典「ヨコハマトリエンナーレ」。今回、美術家の森村泰昌がアーティスティック・ディレクターを務め、「忘却」をテーマに、海外からも多くの作品を集めた。その会場で、森村と中高生がアートを巡る冒険を繰り広げる。時に難解といわれる現代アートの世界、しかし一歩踏み出して飛び込んでみれば、驚きと発見が待っている。最先端のアートを紹介しながら、冒険の様子をドキュメント。
 
出演 森村泰昌 井浦新 伊東敏恵
 
 
横浜美術館さんで開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」が取り上げられます。同展には、「大谷芳久コレクション」というコーナーがあり、光太郎の詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)を含む、戦時下の文芸書、17点が展示されています。そこにふれるかどうかわかりませんが、とりあえず紹介しておきます。
 
 
実はBS日テレさんで先日放映された「ぶらぶら美術・博物館」という番組でも、「ヨコハマトリエンナーレ2014」が取り上げられましたが、「大谷芳久コレクション」は紹介されませんでした。
 
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月28日
 
昭和25年(1950)の今日、詩文集『智恵子抄その後』初版の稿料として30,000円を受けとりました。
 
この年の日記は現存が確認無題できておらず、書簡等の発受を記録した「通信事務」というノートの記述に依りました。
 
澤田伊四郎氏より三〇、〇〇〇円小切手(「智恵子抄その後」初版の礼として寸志) 同氏より校正刷 同氏より川根茶
 
版元の龍星閣は明確な印税制をとらず、その都度払いでした。
 
『智恵子抄その後』はこの年1月の雑誌『新女苑』に発表された同名の連作詩、「元素智恵子」「メトロポオル」「裸形」「案内」「あの頃」「吹雪の夜の独白」の六篇を根幹に、他の智恵子に関する詩文、山小屋生活に関する詩文を集めて編まれ、この年11月に刊行されました。

テレビ放映情報です。 

ETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」

NHKEテレ 2014年9月19日(金)24:00~25:15 = 9月20日(土) 午前00時00分~1時15分
 
福島県南相馬市で農業再生に取り組む農家を1年追ったドキュメンタリー。放射能に対する不安を抱えながら研究を続け、今年2月にはチェルノブイリの農家を訪ねる旅に出た。
 
番組内容
原発20キロ圏の内と外にまたがる南相馬市太田地区。ここでは農家自らが放射性物質の移行を究明しようと田の水や土を細かく調べ研究者と共に試験田を作ってきた。さらに収入確保のために太陽光パネルを設置、売電事業を始めるなど農業の火を消さないよう努力を続けている。今年2月にはウクライナを訪問、チェルノブイリ原発事故で被災した農家に会い農業再生のヒントを探った。30年後の「ふるさと」を見据えた農家の取り組み。
 
語り 上田早苗
 
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再放送です。本放送は9/13のやはり深夜にありました。番組内容の説明等に光太郎や智恵子の語がないのでノーマークでしたが、番組の感想をつづったツイッターの投稿などから、番組最後に光太郎の「道程」が引用されていたという情報を得ました。まあ、それがメインではないので、番組内容の告知にそれが入っていないのは仕方がないでしょう。
 
こういうケースは結構あります。テレビ番組に限らず、イベントやコンサートなどにしてもそうですが、終わってから光太郎智恵子に絡む内容だったというのが判明するケースです。終わった後で事前の告知をネットで見つけてみても、詳細が書かれておらず、光太郎智恵子に絡む内容であることが事前にわかりようがなかったりします。
 
今回のように再放送があればいいのですが、そうでない場合はそれっきりです。イベントにしても同様ですね。そういう場合には、「こんなイベント(テレビ番組)がありました」と、このブログでご紹介するのをためらいますし、紹介しないで済ませてしまうこともたびたびです。事前の告知をきちんとやらないということで、制作者なり主催者なりの意気込みがそれほどでないのかな、と判断し、そういうものを紹介する気にならないというスパイラルです。
 
つい先日も、ある伝統芸能の公演でそういうことがありました。それを観た方のブログでそういう公演があったと知り、事前告知的なページを探したところ、やはり詳細が書かれていなかったケースです。その方のブログには「例によって特にコレといって宣伝も告知もされていなかった印象で、ガラガラというほどでもないけど、スカスカという感じ。「○○回記念公演」というには、いささか寂しい」「素朴なギモン的に、 それで結局、いったい何のためにやっているのだろう?やっぱし思い出作りかな?」といった文言が並んでいました。「例によって」とあるので、いつものことなのでしょう。しかし、終わった後に新聞では紹介されています。主催者はそういうところにあぐらをかいているのではないかとうがった見方をしてしまいます。
 
「仲間うちでこぢんまりとやる」とか、それこそ自分たちの「思い出づくりのためにやる」というのならいいのですが、だったら「公演」と銘打つなと思います。
 
話がそれましたが、「ETV特集」、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月18日
 
平成5年(1993)の今日、埼玉県加須市の福祉会館大ホールで、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生の講演「与里と光太郎の時代」がありました。
 
「与里」とは斎藤与里。明治45年(1912)、岸田劉生や光太郎らとヒユウザン会(のちフユウザン会)を結成し、日本洋画の革新を目指した画家です。
 
加須は与里の故郷で、この日の講演は「斎藤与里記念館建設をすすめる会」の報告会の一環でした。他に光太郎詩の朗読、合唱、資料展示なども行われたとのことです。

テレビ放映情報です。  

土曜スペシャル「東北縦断700キロ!名峰・名湯を巡る旅」

 テレビ東京 2014年8月16日(土)  18時30分~20時54分
 
番組内容
渡辺正行と秋本奈緒美のドライブ旅、第4弾!ゲストは舟山久美子。今回の舞台は、日本の原風景が残る東北地方!宮城・松島をスタートし、世界遺産平泉~八幡平~田沢湖~乳頭温泉~白神山地~十和田湖~奥入瀬渓流~八甲田山を巡る!道中には夏限定の絶景や名湯、美味がズラリ!
 
出演者
渡辺正行、秋本奈緒美、舟山久美子 ナレーター キートン山田


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ニッポン絶景街道 十和田・奥入瀬水神街道「大和朝廷も恐れたみちのく謎の文化とは」 

BS朝日1 2014年8月21日(木)  22時00分~22時54分
 
番組内容
昨今話題となっている国内最大級の縄文集落跡が発見された三内丸山遺跡。ここ10年で発掘が進み、注目を浴びているこの場所で、かつて存在した縄文王国に思いを馳せます。その後、二人は八甲田山へ。緑深いブナの森を抜けると、神秘的な雰囲気の中にひっそりとたたずむ蔦沼が現れます。美しい景色を堪能した後は、十和田名物・バラ焼きで腹ごしらえ。鉄板で焼く牛肉の香ばしい香りが食欲をそそります。さらに、避暑地として人気のスポット、奥入瀬渓流へ。十和田湖から流れ出た水が長い歳月をかけ、千変万化の美しい流れを形成しています。その流れに沿って歩くと、緑豊かな樹木や大小様々な滝に癒されます。歴史散策の最終地点は十和田湖。約2千年前にできた美しい湖には、地元に根付く深い信仰がありました。みちのくの地に古くから伝わる文化や信仰の秘密に触れ、奥入瀬水神街道の絶景が物語る歴史を体験する旅です。
 
出演者
鵜川真由子(写真家)、梶本晃司(歴史街道案内人)
 
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どちらも十和田湖が扱われます。少しでも光太郎に触れてくれればいいなと思っております。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月16日
 
昭和20年(1945)の今日、詩「一億の号泣」を執筆しました。
 
   一億の号泣
 
 綸言一たび出でて一億号泣す
 昭和二十年八月十五日正午
 われ岩手花巻町の鎮守
 島谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
 天上はるかに流れ来(きた)る
 玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
 五体わななきてとどめあへず
000
 玉音ひびき終りて又音なし
 この時無声の号泣国土に起り 普天の一億ひとしく
 宸極に向つてひれ伏せるを知る
 微臣恐惶ほとんど失語す
 ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
 荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
 鋼鉄の武器を失へる時
 精神の武器おのずから強からんとす
 真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
 必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん
 
 
この詩は、翌日の『朝日新聞』『岩手日報』に掲載されました。
 
ここには、戦時中、日本の正当性をひたすら信じ、天皇の神格をかたくなに疑わず、一途に国民の戦意昂揚に努めてきた光太郎の、目的を失った衝撃がよく表されています。
 
この後、花巻郊外太田村の山小屋での農耕自炊に入り、厳しい自然の中での生活が、光太郎をして自己の戦争責任の省察へと向かわせます。
 

同じ終戦の日の玉音放送を題材にした「終戦」という詩が書かれたのは、昭和22年(1947)。こちらは20篇から成る連作詩「暗愚小伝」の中の1篇です。
 
   終戦
 
 すつかりきれいにアトリエが焼けて、001
 私は奥州花巻に来た。
 そこであのラヂオをきいた。
 私は端坐してふるへてゐた。
 日本はつひに赤裸となり、
 人心は落ちて底をついた。
 占領軍に飢餓を救はれ、
 わずかに亡滅を免れてゐる。
 その時天皇はみづから進んで、
 われ現人神(あらひとがみ)にあらずと説かれた。
 日を重ねるに従つて、
 私の目からは梁(うつばり)が取れ、
 いつのまにか六十年の重荷は消えた。
 再びおぢいさんも父も母も
 遠い涅槃の座にかへり、
 私は大きく息をついた。
 不思議なほどの脱卻のあとに
 ただ人たるの愛がある。
 雨過天青の青磁いろが
 廓然とした心ににほひ、
 いま悠々たる無一物に
 私は荒涼の美を満喫する。
 
 
日を重ねるに従つて/私の目からは梁(うつばり)が取れ、」は、戦時中の光太郎をつき動かしていた軍部主導の国家倫理です。そこから自由になったことで「不思議なほどの脱卻」が訪れたというのです。
 
しかし、光太郎は他の多くの文学者のように、無邪気に民主主義を謳歌するというわけではありませんでした。同じ「暗愚小伝」の終曲、「山林」という詩では、以下のように謳っています。
 
 おのれの暗愚をいやほど見たので、
 自分の業績のどんな評価をも快く容れ、
 自分に鞭する千の避難も素直にきく。
 それが社会の約束ならば
 よし極刑とても甘受しよう。
 
他の多くの文学者たちが、戦時中に書いた戦意昂揚の作品を「あれは軍の命令で仕方なく書いたものだ」と言い訳していたなか、光太郎はこのように述べているのです。こうした自らの過ちを潔く認め、さらに自らを罰することを実践する(花巻郊外太田村での過酷な独居生活、彫刻の封印は7年に及びました)、そういう点こそ、光太郎の素晴らしさだと考えられます。
 
こうした戦後の光太郎の内面に眼を向けず、光太郎自身が否定した戦意昂揚の作品のみに眼を向け、「御用詩人」と断じるのはどうかと思います。逆に「これこそ大和魂」などと、戦時中の光太郎を賛美するのは論外ですね。
 
晩年の光太郎は、「終戦」の末尾の「いま悠々たる無一物に私は荒涼の美を満喫する。」の句をよく色紙などに揮毫していました。まさに当時の心境をよく表す句だったのでしょう。
 
「一億の号泣」の方は、終戦直後のまだ自己省察が進んでいなかった頃に、頼まれて揮毫することがありましたが、のちにはこれも戦意昂揚の詩の延長としてとらえるようになりました。
 
花巻に「一億の号泣」の詩碑を建立する、という話が起こった時、そうした光太郎の意を汲んで、光太郎の実弟・豊周や、過日亡くなった令甥・規氏、北川太一先生らが抗議、一旦は勝手に建てられた碑が撤去されたという経緯があります。しかし、撤去された碑はいつのまにか勝手に元に戻されてしまっています。別に光太郎の汚点だから無かったことにしろ、というわけではありませんが、残念です。

光太郎に関わる(関わるかも知れない)テレビ放映がぽつぽつあります。 

とことん歴史紀行2時間スペシャル「宮沢賢治~イーハトーブに見た夢~岩手・花巻」

BS11 2014年8月8日(金)  19時00分~21時00分
 
「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「000グスコーブドリの伝記」など数々の名作を遺した宮沢賢治。彼の作品は今なお多くの日本人の心を掴んで離さない。今回は宮沢賢治が理想郷・イーハトーブとして描き、こよなく愛した岩手県花巻市を中心にゆかりの地を訪ねながら、宮沢賢治の素顔と知られざるエピソードに迫ります。さらにに「銀河鉄道の夜」に影響を受けたという漫画家・松本零士さん。宮沢賢治への想いを熱く語ります。番組では林風舎、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、大沢温泉、羅須地人協会、石と賢治のミュージアムや賢治が通ったそば屋・やぶ屋、小岩井農場なども訪れます。また「銀河鉄道の夜」をイメージした客車の"SL銀河"の勇壮な走りもお楽しみください。
 
ナレーション:石丸謙二郎
 
 
光太郎も 愛した大沢温泉が扱われます。さらに光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」詩碑などが紹介されれば、と思います。
 

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014年8月9日(土)003  12時00分~13時55分
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる !!
 
出演 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年(2006)2月24日に金曜プレステージの枠で、地上波フジテレビさんが放映した2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。
 
原作は内田康夫さん。昭和61年(1986)に刊行された浅見光彦シリーズの第10作です。
 
こちらのドラマはかなり原作に忠実に作られています。 

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年8月11日(月)  6時35分~6時45分 再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたいコミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、歌舞伎/「ドンタッポ」、はい!ここで名文/僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
出演 中村勘九郎,中村いてう,中村仲助,小錦八十吉,おおたか静流 ほか
 
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「はい! ここで名文」のコーナーで、「道程」が扱われます。このコーナーは、
 
ヨシタケシンスケさんのほんわかイラストと、名文が出会ったら、こんな楽しい世界になりました。日常生活のさりげないひとコマにどんな名文が出てくるのでしょう。みなさんも当ててみてくださいね。
 
だそうです。004
 
 
それぞれ、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月5日
 
平成2年(1990)の今日、群馬県草津温泉に、光太郎詩「草津」の詩碑が除幕されました。
 
温泉街から少し離れた囲山公園に建てられたこの碑は、推敲の跡が激しく残る光太郎自筆原稿をもとに、鋳金家の西大由がステンレスパネルを制作、自然石に嵌め込んだものです。
 
当方、初めてここに行った時は真冬で、こんな感じでした。
 
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注文しておいた書籍が届きました。NHK Eテレさんで放映中の「日曜美術館」で司会を務められている、俳優の井浦新さんのエッセイ集です。 
2014年8月6日 青幻舎 定価1,600円+税
 
素顔のエッセイ
ポートレート満載、書き下ろしコラムも掲載
自分が興味をもったことに対して、
とことん突き詰めていく面白さを、
この本を通じて、体感してもらえると嬉しいです。
歴史・美術・日本の手仕事を、心から愛する井浦新が、
NHK「日曜美術館」での感動体験から人生観までを語りました。
紹介作家 本阿弥光悦、鈴木其一、河鍋暁斎、河井寛次郎、植田正治、藤城清治、ムンクほか全18篇。
特別コラム 「崇徳院が僕に舞い降りた」「展覧会の僕的見方」、「実はメモ魔なんです」ほか収録。
 
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井浦さんが司会に抜擢された昨年からの放映で、特に心に残っている18本について、それぞれの作家や作品を軸に、軽妙なエッセイが展開されています。
 
昨秋放映の「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」も取り上げて下さいました。ありがたや。
 
その際には渋谷のNHKさんで、スタジオ収録に立ち会わせていただいたのですが、光太郎の彫刻に対する井浦さんの的確な表現に感心しました。今回もそれが生かされています。
 
ブロンズの『手』は、「関節のゴツゴツした感じや肉感が、ものをつくる人の手に見えてくる。職人の手というか、働いている人の生々しい手で、リアルさに迫力を感じます。」。
 
木彫の「鯰」には、「《鯰》の愛嬌のある顔と、木彫なのに、ヌメッとしているような皮膚感覚がたまりません。」。
 
同じく木彫の「蟬」では、「《蟬》の表現は、鋭い観察眼によるものですが、なんともさらっと彫られているところが凄い。」。
 
などなど。
 
特に感心したのは、「十和田湖畔の裸婦群像」(通称乙女の像)に対してです。番組の中では、十和田湖で実際に見て、なぜこの像がここのためにつくられたのか、違和感を感じたとおっしゃっていました。今回もそういう記述がありますが、それだけでなく、こうも書かれいています。
 
 だけど、今回の「日曜美術館」で、その違和感の理由が少しわかったような気がします。
 光太郎の生涯をとりまいていた、しがらみを一切脱ぎ捨てて、ひとりの人間として智恵子に向かった証でもあり、智恵子と自分のためだけに《裸婦像》をつくった。だから、人に見せるための「作品」になっていないのではないでしょうか。
 
十和田湖畔の裸婦像に対しては、以下のような、十和田の自然と一体化しているという評が一般的です。
 
 構想のすばらしさと、その大きさからくる重量感と、更にこの像の背景に原始林と湖のあることを念頭においたとき、私は宇宙性をもった或る深い「詩魂」を感じた。この像の立体感は、おそらく十和田湖の水面に対して過不足あるまい。
 (亀井勝一郎「美術と文学(二)」『群像』 講談社 昭和30年=1955)
 
 自然の中に置く彫刻はむずかしい。自然の大変な圧力を持ちこたえるだけの力のものか、あるいは自然の力の中に溶けてしまつているのだけが、美を感じさせる。湖畔の樹木の間に立っている緑青(ろくしよう)の二人の若い女は、自然の中にそれを見る者の心を反撥させることなく、調和していた。日本では、これだけに外の自然の中に出しておける彫刻は他に一つもない。ヨーロッパにだって滅多にない。
 (高田博厚「十和田湖像が意味するもの」『東京新聞』 昭和35年=1960)
 
しかし、井浦さんは、逆に十和田湖の風景の中のこの像に違和感を感じたそうです。それは、この像が智恵子の顔を持つことに由来し、個人的な制作動機も背景に持つことを鋭く見抜いているからで、ある意味、慧眼です。
 
光太郎自身も、公共の彫刻であるこの像に、個人的な制作動機が入っていることに後ろめたさを感じている部分があったようです。
 
 なお、東京のアトリエのことなどを相談しているうちに、「智恵子を作ろう」と、ひとりごとのように高村さんはいわれた。それはこんどの彫刻に対する作者自身の作意を洩されたものであつたが、高村さんはその言葉のあとで、そんな個人的な作意を十和田湖のモニユマンに含ませることは、計画者の青森県にすまないような気がすると、そんな意味の言葉を申し添えられたのである。
(谷口吉郎「十和田記念像由来」『文芸』臨時増刊号 河出書房 昭和31年=1956)

 
というわけで、なかなか鋭い井浦さんのご著書。ぜひお買い求めを。
 
光太郎以外にも、岡倉天心、宮澤賢治(藤代清治さんの影絵にからめて)、朝倉文夫など、光太郎と関わりの深い人物にも言及されています。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月2日
 
明治37年(1904)の今日、新詩社清遊会で赤城山を訪れた与謝野鉄幹、三宅克己、石井柏亭、伊上凡骨、大井蒼梧、平野万里を案内しました。
 
光太郎は前月から赤城山に滞在、後から来た一行を迎えての案内でした。
 
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左から、大井、鉄幹、伊上、光太郎、石井、平野、撮影は三宅です。

テレビ放映情報です。

日曜美術館 「野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平~」

NHK Eテレ 2014年8月3日(日) 9時00分~9時45分 
        再放送 8月10日(日)20時00分~20時45分
 
去年、生誕120年を記念した展覧会が開かれたのを機に注目された画家、宮芳平。知られざる魅力に迫る。
 
司 会  井浦新,伊東敏恵
ゲスト   ドリアン助川
 
 いま、一人の無名の画家の絵が、人々の共感を集めている。長野の高校で美術を教えながら、生涯で数千枚に及ぶ油絵を残した宮芳平(みや・よしへい 1893~1971)。
生誕120年を記念して去年から始まった初めての大規模な回顧展が全国を巡回。すると「澄んだ魂から生まれたような絵」「自然、植物への愛情の深さを感じた」「これまででいちばん心にしみる絵画」といった感動の声が無数に寄せられ、都内で開かれた展覧会をアートシーンで紹介すると、「作品をじっくり見たい」「画家のことが知りたい」といった声が番組宛にも届いた。
宮が描いたのは、鮮やかな色と抽象的な形がおりなす長野の自然風景。優しさに満ちた母子の肖像。そして深い精神性を感じさせる、聖書を題材にした聖地巡礼のシリーズ。こうした絵の背景には、若き宮を愛した文豪・森鴎外との交流。教師と画家の狭間で揺れながら、独自の表現へと至る苦悩の日々が秘められていた。家族や教え子の証言、画家自身の言葉から知られざる実像に迫る。
 
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宮芳平は新潟生まれ、東京美術学校卒の画家。歌人の001宮柊二の叔父にあたるそうです。森鷗外の短編小説「天寵」の主人公としても知られています。
 
光太郎とも縁がありました。
 
宮芳平自伝』に、まだ学生の宮が、大正8年(1919)、腸チフスで駒込病院に入院していた光太郎を見舞ったという記述があります。また、宮の遺品の中から、この頃と推定される、光太郎からの葉書も見つかっています。
 
此間はだしぬけにお目にかかつたので却つて大変よろこびを感じました。
お葉書で今のあなたの生活をうらやましいほどにおもひます。 秋頃になつたら一度行つて遊びたくおもつてゐます。 砂の上をころがり廻らない事もう二年余になります。皆さんによろしく
 
そして昭和9年(1934)、信州諏訪で開かれた宮の個展の発起人に、光太郎も名を連ねました。
 
さらに、のちに宮の妻となる駒谷エンが、光太郎彫刻のモデルを務めたこともあるということです。
 
はっきりいって、マイナーな画家でしたが、昨年が生誕120年にあたり、各地で企画展「生誕120年 宮芳平展-野の花として生くる。」が巡回中で、ここにきてスポットがあたっています。同展は長野茅野市美術館、練馬区立美術館、島根県立石見美術館、新潟県立近代美術館と廻り、現在は安曇野市豊科近代美術館さんで開催中です(また稿を改めて書きたいと思っています)。
 
さて、「日曜美術館」。宮と光太郎とのかかわりが、少しでも紹介されればいいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月29日
 
昭和6年(1931)の今日、智恵子が母・センに宛てて長い手紙を書きました。
 
智恵子の実家、長沼酒造は昭和4年(1929)に破産、一家は離散しています。僅かに残った山林の所有権をめぐり、セン、智恵子、弟の啓助の間に内容証明郵便が行き交い、骨肉の争いとなっていました。
 
この頃、センは、中野にあった智恵子の妹セツの嫁ぎ先、齋藤新吉の住まいに、のちに智恵子を看取る智恵子の姪・春子とともに身を寄せていました。しかし、智恵子はこのことを光太郎には秘密にしていたそうです。
 
直後に光太郎は『時事新報』の依頼で、紀行文執筆のため約1ヶ月の三陸旅行に出ます。その間に駒込林町のアトリエを訪ねてきたセンとセツが、智恵子の「異状」に気づきます。
 
この手紙も、文脈はおかしくないものの、非常に追い詰められている様子がうかがえます。
 
母上様
 きのふは二人とも悲くわんしましたね。しかし決して決して世の中の運命にまけてはなりません。われわれは死んではならない。いきなければ、どこ迄もどこ迄も生きる努力をしませう。皆で力をあはせて皆が死力をつくしてやりませう。心配しないでぶつ倒れるまで働きませう。生きてゆく仕事にそれぞれとつかゝりませう。私もこの夏やります。やります。そしていつでも満足して死ねる程毎日仕事をやりぬいて、それで金も取れる道をひらきます。かあさん決して決して悲しく考へてはなりません。私は勇気が百倍しましたよ。やつてやつて、汗みどろになつて一夏仕事をまとめて世の中へ出します。悲しい処ではない。そしてそれが自分の為であり、かあさん達の為にもなるのです。
(中略) 
 力を出しませう。私、不幸な母さんの為に働きますよ 死力をつくしてやります。金をとります。いま少しまつてゐて下さい。決して不自由かけません。もしまとめて金がとれるやうになつたら、みんなかあさんの貯金にしてあげますよ。決して悲観して(は)なりません。けふは百倍の力が出てきました。それではまた。

 
のちにセンともども、齋藤一家は九十九里に転居。昭和9年(1934)には、智恵子がここに転地療養することになります。

テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 2014年5月29日(木)  21時54分~22時00分
     再放送
 2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
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5分間番組です。とはいえ智恵子をメインにあつかっていただけるので、ありがたい限りです。
 
放送予定が変更になったようで、実は2週間ぐらい前にこの内容が予告で出たのですが、すぐに取り消されました。「まさかお蔵入りか?」と思ったのですが、無事放送されるようで何よりです。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月24日000

平成7年(1995)の今日、日本放送出版協会から『みちのく文学散歩』が刊行されました。

当時、NHK-BSで放映されていた同名の30分番組全20回を出版化したものです。
 
メディアプロデューサー・残間里江子氏による「高村光太郎-『詩集・典型』を含みます。この項では、詩集『典型』(昭和25年=1950)が編まれた、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)をメインに、十和田湖も取り上げられています。
 
当時、この放送を見逃してしまいました。NHKさんの過去の番組は、一部のものが埼玉川口のNHKアーカイブス施設などに行けば「番組公開ライブラリー」ということで視聴可能なのですが、この番組は入っていません。販売用DVD等にもなっていません。
 
同じ番組の石川啄木を取り上げた回は、昨年、やはりBSの「プレミアムアーカイブス」という枠で再放送されました。これはNHKさんのBSや総合テレビで放送された番組の中から、反響の大きかったものをもう一度放映するというもの。光太郎の回もぜひ放映してほしいものです。
 
また、他にも光太郎智恵子を扱った番組が多数ありますので、そちらも観たいものです。

昨日、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館000」を拝見しました。
 
日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」展にリンクして制作されており、非常に見応えがありました。
 
同展出品作の中から、主に3つが大きく取り上げられました。
 
まず、安藤緑山作の牙彫「筍」。明珍一派の手になる自在置物、西村総右衛門による刺繍絵画「孔雀図屏風」。
 
それぞれ、現在も類似の作品を作っている工芸家の方にインタビューしたり、技法を再現してもらったりしながら紹介されており、興味深い内容でした。
 
それらの方々や、コメンテーターとしてご出演なさった同展監修者の山下祐二明治学院大学教授の語録です。
 
「人の手で出来る限界を追求している」
「人間3Dプリンター」
「誰が見たってびっくりする凄いもの」
「スポーツ選手が技の極限に挑戦するアスリート的な意識に似ている」
 
言い得て妙、です。
 
また、MCの井浦新さんが、自在置物の数々を実際に手にとられていました。画像の「蛇」など、すべての接合部が可動する仕組みになっており、どれだけ手間がかかっているんだと、舌を巻く思いでした。それは「筍」や「孔雀図屏風」にもいえることです。「孔雀図屏風」は、人間国宝の福田喜重氏によれば、「制作に3年かかるだろう」とのこと。
 
ちなみに自在置物の作者、「明珍」は、甲冑師の家系です。江戸時代になって、甲冑の需要が激減したことにより、その技術を応用してこうした自在置物に転じたとのことです。
 
ただ、明珍一派の全てが自在置物に転じたかというとそうではありません。東京美術学校で光太郎の一学年下だった明珍恒夫は、光雲の元で仏像彫刻の技術に磨きをかけ、卒業後は奈良美術院で古仏修復の仕事にあたりました。
 
こうした「工芸」の数々。評価が難しいところだと思います。技術的には本当に素晴らしいもので、まさに「超絶技巧」です。日本の職人の「ものづくり」に対する精神の極致といえるでしょう。
 
しかし、「芸術」という観点からみたらどうなのでしょうか。
 
光太郎晩年の談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)の中に、おそらく自在置物を指すと思われる次のような一節があります。
 
 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。
 
その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。
 
一言で言えば、方向性の違いだと思います。
 
光太郎は具象彫刻の作家だと言われますが、「人間3Dプリンター」のような方向性ではなく、具象の中にも抽象的な表現を取り入れています。それこそ蟬の羽根の厚さに対する処理などです。
 
それに対して安藤緑山の牙彫や明珍一派の自在置物などは、具象の極致。そこには「芸術」という意識はないのかも知れません。すると、どちらが上、どちらが優れている、そういう議論は不毛のような気がします。目指すものが違うのですから。
 
ともあれ、三井記念美術館さんで開催中、さらには来年まで全国巡回されるこの展覧会、ぜひご覧頂きたいと思います。
 
また、「日曜美術館」、今回の内容が来週日曜日、午後8時00分から再放送されます。ご覧になっていない方はこちらもお見逃しなく。同展に出品されている光雲作の木彫について言及されていなかったのが残念ですが……。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月12日

平成10年(1998)の今日、広島県立美術館において「南薫造展―イギリス留学時代を中心に」が開幕しました。
 
南薫造は広島出身の画家。東京美術学校卒、光太郎と同年です。明治末にイギリス、フランスに留学。ロンドンでは光太郎と留学の時期が重なり、同じく画家の白瀧幾之助を交え、よく行き来していました。
 
同展では、明治40年(1907)と推定される光太郎から南に宛てた絵手紙も出展されました。
 
昨夕引越し申候。
ポリテクニツクの直ぐ側に候へば学校の御帰りがけにても御寄り披下度候。午後二時頃には小生大抵帰宅致し居候。夜は大方在宅の筈に候。
高村光太郎
 
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テレビ放映情報です。 

日曜美術館 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」

NHKEテレ 2014年5月11日(日)  9時00分~9時45分 再放送 5月18日(日)  20時00分~20時45分
 
万国博覧会などを舞台に西欧に輸出され、爆発的な人気を誇った「明治の工芸」。時代が変貌する中、危機に見舞われた職人たちが、技の限りを尽くして生み出した驚異の世界。
 
象牙で作られた本物そっくりのタケノコ。体が自由自在に動く金属のヘビ。刺しゅうで描かれた巨大なクジャク。激動の時代、日本人の技と誇りをかけて生まれた驚異の世界がある。「明治の工芸」。万国博覧会などを通して西欧に輸出されたため、作品の多くが海外のコレクターの手に渡った。日本では長く忘れ去られた存在だったが「現代では再現不可能」とまで言われる超絶技巧にいま注目が集まっている。技の再現に挑み、秘密に迫る。
 
出演 明治学院大学教授…山下裕二, 司会 井浦新,伊東敏恵
 
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日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」に関連しての番組です。出展中の光雲作木彫「西王母」「法師狸」も紹介されるといいのですが……。
 
ところで、番組公式ページに依れば、同展の巡回情報が更新されています。期日未定だった山口県立美術館さんが2015年2月21日~4月12日、さらに巡回先が一つ増えています。富山県水墨美術館さんで2015年6月中旬~8月上旬だそうです。
 
展覧会、番組ともにご高覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月5日

大正5年(1916)の今日、雑誌『婦人週報』に、智恵子のアンケート回答「女なる事を感謝する点」が載りました。
 
曰く、
 
 私に恋愛生活(現在の)が始まつてから、始めてさういふ感じを意識しました。これは一つの覚醒です。其の他にはまだ私には経験がありません。「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。
 
いかにも智恵子らしい発言ですね。

テレビ放映情報です。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年4月28日(月)  6時35分~6時45分 
      再放送 2014年4月28日(月)  17時15分~17時25分 
 
コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、「ドンタッポ」、 「道程」、 うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけけることができます。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、歌舞伎/「ドンタッポ」、はい!ここで名文/僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
中村勘九郎,中村いてう,中村仲助,小錦八十吉,おおたか静流 ほか
 
この番組オリジナルの坂本龍一さん作曲「道程」が使われると思います。しつこいようですが今年、平成26年(2014)年は「道程」100周年。100年経っても色あせず、幼い世代にも語りかけているのですね。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月22日

大正10年(1921)の今日、叢文閣からエリザベット・ゴッホ著、光太郎訳『回想のゴツホ』が刊行されました。
 
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エリザベット・ゴッホは画家のフィンセント・ファン・ゴッホの妹です。内容的には題名の通り、ゴッホの評伝が根幹です。
 
光太郎の翻訳になるこの書籍、元々はカバーが附いた状態で発行されましたが、現在、なかなかカバー付きのものに出会えません。当方が持っているのも裸本です(上記画像)。
 
たまにカバー付きが古書市場に出ても、カバーが大きく破損しているものが多いのです。カバーはこんな感じの筈。色合いはよくわかりません。
 
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完品を安く手に入れたいものです。当方、古書の場合、状態にはそれほどこだわりませんが、光太郎本人の著作は、できるだけ光太郎が手に取った状態に近いものであるにこしたことはありません。

福島は安達太良山関連のテレビ放映情報です。 

特集 小さな旅「山の歌」

2014/04/12(土)15:05~16:00 【NHK総合1・福島】
 
各地の山を訪ね、雄大な景色と峰に思いを寄せる人々の姿を見つめる「小さな旅・山の歌」総集編。花の名山、北海道の夕張岳。神戸の背後にそびえ、近代登山のはじまりとされる兵庫県の六甲山地。山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)の思いに触れる秋の尾瀬。智恵子抄の「ほんとの空」の舞台、福島県の安達太良山。滝雲がりょう線を覆う新潟県の越後駒ヶ岳など、多彩な山々の映像美と、山人たちが織りなす物語をつづります。
 
出演者 語り 国井雅比古,山田敦子
 
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昨秋放映された「シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」を含む総集編のようです。
 
光太郎・智恵子の話を枕に、澄み切った青い「ほんとの空」と、安達太良山を訪れたり、そこで働いたりしている人々の横顔。美しいだけでないこの国の現状が凝縮されていました。
 

旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」

2014/04/13(日)15:00~16:00 【BSフジ・181】
 
首都・東京と岩手県盛岡を結ぶ全長575.7kmの東北本線。北の玄関口・上野駅からは寝台特急が出発、旅情をかきたてます。大宮、宇都宮と北関東の都市を結びつつも日光、そして那須高原へと東京の奥座敷、観光地への移動手段でもあります。高村光太郎の詩で有名な安達太良山や、吾妻山、蔵王連峰を眺めながら福島を南北に抜け、桜の名所で有名な白石川堤では毎年春、桜の花に染められた景色の中を列車が走ります。
 
ナレーター 八木早希
 
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番組説明の中で光太郎の名が出ていますので、少しは紹介されると思います。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月9日

明治45年(1912)の今日、京都府立図書館で開催され、光太郎も賛助出品していた津田青楓作品展が閉幕しました。
 
津田青楓は京都在住の洋画家。光太郎は留学先のパリで津田と相知り、帰国後もしばらくは交流が続きました。

 
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このブログでたびたびご紹介してきた、宮城県女川町の「いのちの石碑」――同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトに関するドキュメントです。
 
 
当方、文字情報をいろいろと見てきましたし、過日は東京表参道山陽堂ギャラリーさんで行われた「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」のトークイベントを拝聴して参りましたが、映像で観るのはまた違うものでした。
 
「千年後のいのちのために」と、頑張る中学生達の姿には、素直に感動させられました。プロジェクトが始まった頃にはまだまだ子供っぽい顔つきだった彼らが、一基めの石碑を完成させる頃にはたくましい顔立ちになっていきます。若い世代のこうした姿を見ると、この国もまだまだ捨てたものではないな、と感じます。
 
BS放送、CS放送でも再放映されます。ご覧になっていない方、ぜひ。
BS日テレ        2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24  2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
映像もいいのですが、やはり実際に見てみたいものです。今年も8月9日には女川光太郎祭があるはずですが、その前に、智恵子のふるさと、福島は二本松で活動されている「智恵子のまち夢くらぶ」さんが、6月に研修旅行で女川に行かれるそうで、同道させてもらおうかと思つています。皆様もぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月8日

明治34年(1901)の今日、東京美術学校校友会倶楽部で、「彫塑会第二回展覧会」が開幕しました。 
 
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光太郎は石膏レリーフ「003仙」と「まぼろし」を出品しています。どちらも残念ながら現存が確認できておりません。

「まぼろし」については、光太郎自身、のちにこう語っています。
 
その頃初めて泥をいぢくり出し、例へば坊さんが月を見上げて感慨に耽つてゐるところや女の浴衣が釘にぶら下つてをるといふ妖気の漂ふ鏡花式みたやうなものを無闇に作つたが、それが当時の彫塑会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
(「美術学校時代」昭和17年=1942 『知性』)
 
光太郎自身が後に否定する「文学的な彫刻」というわけです。

上の画像、『彫塑生面』は、この展覧会の図録的な冊子です。「仙」「まぼろし」の画像はここから取りました。
 

ひさびさにテレビ放映情報です。

NNNドキュメント'14 3・11大震災 シリーズ 千年後のあなたへ 15歳…いのちの石碑

地上波日本テレビ系  2014年4月6日(日)25:20~25:50=4/7(月)午前1:20~1:50
BS日テレ      2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24 2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
 千年後の命を守りたい…「地震がきたらこの石碑よりも上に逃げてください」と刻まれた“命の石碑”が津波の最大到達地点に建った。建てたのは宮城県女川町の中学生だ。今後、女川の21の浜のそれぞれの最大到達地点に21基建てる計画だ。必要な資金も自分たちで集めよう。修学旅行先や、企業へ出向いて募金を呼びかけた。1千万円を超える資金を彼らは集めきった。一基目の石碑にこう刻んだ。「夢だけは 壊せなかった 大震災」。
 
ナレーター 沢城みゆき
制作  宮城テレビ
 
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このブログでたびたびご紹介してきた宮城県女川町の「いのちの石碑」に関するドキュメントです。
 
 
同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。
 
明日は第58回連翹忌。高村光太郎、58回目の命日です。その直前にこの番組放送の情報を得、かつて毎年のようにご参加下さっていた女川光太郎の会事務局長だった故・貝(佐々木)廣氏――高村光太郎文学碑の建立に奔走され、2011年3.11の津波にてご逝去――のお導きかと思っております。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月1日

明治45年(1912)の今日、早稲田文学社主催装飾美術展覧会に、塑像「紫朝の首」を出品しました。
 
「紫朝」は盲目の新内語り、柳家紫朝。残念ながらこの彫刻はおそらく現存が確認できていません。
 
ちなみにこの展覧会には、智恵子も油絵を出品しています。

2月も今日で終わり、明日から3月です。そして近づく3・11……。というわけで、あちこちで関連イベントや出版物の刊行などがいろいろと企画されているようです。昨日ご紹介した銀座永井画廊さんの「高村智恵子紙絵展」もそうした一環です。
 
さて、地上波NHK総合で、月~金の午前8時15分から9時54分まで放映されている「あさイチ」。その中に9時台放送のレギュラーコーナーとして「ピカピカ☆日本」というコーナーがあります。
 
公式サイトより。

「地方を見回せば、そこかしこにキラリと光るピカピカのアイデアがあり、そこにはピカピカの笑顔があります。全国各地の元気な場所から日替わり生中継、「行ってみたい」「買ってみたい」情報満載でお届けします。」
 
やはり3・11が近づいてきたということで、来週は「バスで!列車で!アッキーがゆく“復興の地”」と題して被災地の宮城から福島、茨城がレポートされます。昨年も同様の企画で北海道から宮城までが扱われていたそうですが、その時は気づきませんでした。
 
公式サイトより。

「東日本大震災以降、たびたび被災地を訪問してきたアッキーこと篠山輝信さんの出会い旅。1年前は北海道根室市から宮城県石巻市までを、バスや列車を乗り継いで訪ね歩きました。今回は、その石巻市からスタートし、海沿いに宮城県から福島県へ。原発事故による帰還困難区域を前に、内陸部を経て再び沿岸へ。最後は茨城県へと至ります。」

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放送予定は以下の通りです。
 
3/3(月) 石巻市 → 3/4(火) 名取市 → 3/5(水) 相馬市・南相馬市・浪江町 → 3/6 (木)福島市・二本松市
 
このブログで何度もご紹介してきました光太郎・智恵子ゆかりの地を廻ります。光太郎・智恵子に直接言及されるかどうか不明ですが(おそらくその可能性は低いと思いますが)、被災地の「今」を知っていただき、さらに3年目を迎える3・11に思いをはせるためにも、ご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月28日

昭和28年(1953)の今日、東京中山文化研究所の婦人文化講座で「炉辺雑感」と題して講演を行いました。
 
この講演の筆録は「美と真実の生活」という題名で、この年6月発行の雑誌『婦人公論』に掲載され、『高村光太郎全集』第10巻に収録されました。ところが数年前、同じ月に発行された雑誌『女性教養』に載った「炉辺雑感」を読んだところ、「美と真実の生活」は「炉辺雑感」を7割ほどの分量にカットしたものだと判明しました。しかもカットされた部分にかなり重要な示唆があります。
 
アンカット版は昨年4月に高村光太郎研究会から発行された『高村光太郎研究(34)』中の、当方編集「光太郎遺珠⑧」に全文掲載いたしました。

テレビ放映情報です

美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』

BSジャパン 2014年2月19日(水)  22時54分~23時24分
 
毎回一作品にスポットを当てそこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は荻原碌山(守衛)『女』。天才彫刻家が追い求めた芸術の境地とは?
番組内容
今日の作品は、“東洋のロダン"と呼ばれた彫刻家・荻原碌山(守衛)作『女』。高さ98cmのブロンズ彫刻。早世した荻原碌山の遺作であり、日本近代彫刻の幕開けといわれる作品です。両手は後ろに組まれ、地面に埋まるような足。顔は天を見上げ、苦悶の表情を浮かべています。この不思議なポーズが意図するものとは…?また苦悶の表情の正体とは…?二つの運命の出会いによって生み出された天才彫刻家の最高傑作をご紹介します。
ナレーター 小林薫
音楽
<オープニング・テーマ曲> 
 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン 
 <エンディング・テーマ曲> 
 「終わらない旅」 西村由紀江

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1/25に地上波テレビ東京系で放映されたものです。その折は直前まで気づかず、放映前にご紹介できませんでした。

紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。ミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成で、光太郎役は俳優の大浦龍宇一さんが演じられています。
 
地上波テレビ東京系は全国的に系列局が少ないのですが、今回はBS放送ですので全国で視聴できます。ただし、BS放送視聴の加入契約をしていないと不可能ですが。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月14日

平成6年(1994)の今日、テレビ東京系で「日本名作ドラマ 智恵子抄」が放映されました。
 
単発の2時間ドラマでした。キャストは光太郎役は滝田栄さん、智恵子役が南果歩さん、光雲役に昨年亡くなったすまけいさん、智恵子の母・センを渡辺美佐子さん、水野葉舟で中丸新将さんなど。「智恵子抄」の映像化は何度かなされていますが、この南さんの演じた智恵子は出色だったと思います。
 
この「日本名作ドラマ」、第1期(平成5年=1993 5~9月)と第2期(同10月~平成8年3月)に分かれ、第1期は前後編各2回にわけての連ドラ枠での放送でした。森鷗外「雁」に始まり、若き日の木村拓哉さん主演の川端康成「伊豆の踊子」、夏目漱石「門」、太宰治「斜陽」などのラインナップで、こちらはVHSテープで販売もされました。
 
「智恵子抄」は、樋口一葉「にごりえ」、織田作之助「夫婦善哉」などと同じ第2期で、こちらは不定期の単発2時間ドラマとしての放映でした。第2期に関しては残念ながら映像ソフト化がされていません。当方は当時のテレビ放映を録画したものを持っていますが。

こんなものを手に入れました。
 
『日曜美術館新聞』新春特別号。A2判二つ折り、全4頁です。
 
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NHKEテレさんで、日曜日の朝(本放送)と夜(再放送)に放映されている「日曜美術館」のPR誌のようです。
 
同番組では昨秋、「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」と題し、光太郎をメインで取り上げて下さいまして、当方もアドバイザーとして参加させていただきました。
 
最近も、1/19の放映で東京美術学校で光太郎と同級生だった藤田嗣治を取り上げて下さっています。
 
で、『日曜美術館新聞』。この中で、現在東京国立博物館で開催中の「人間国宝展-生み出された美、伝えゆくわざ-」が大きく取り上げられています。
 
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曰く、
 
工芸は時代に合わせて、伝統的な技の上に創作性や個性的なデザインが加わり、変化し広く受け入れられてきた。作家の創意工夫によって多様化した日本の工芸。“クラフト”でなく、世界に誇る日本の“コーゲイ”の奥行き有る美しさを再発見し、伝統の枠組みを超え未来へ託される可能性を展望する機会となるにちがいない。
 
まさしくその通りですね。
 
以前にも書きましたが、同展では光太郎の弟で鋳金家の高村豊周、その弟子で光太郎ブロンズ彫刻の鋳造を手がけた斎藤明の作品も展示されています。
 
会期は来月23日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月29日

明治44年(1911)の今日、智恵子の祖父・長沼次助が歿しました。
 
次助は新潟県南蒲原郡田上町の出身。郷里に妻子を残し、杜氏として二本松に来ていた際に、智恵子祖母の安斉ノシと所帯を持ち、長沼酒造を興しました。智恵子の母・センはノシの連れ子。したがって智恵子と次助に血のつながりはありません。それでも次助は智恵子をかわいがってくれたそうです。
 
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前列左端が次助、その後ろが智恵子。明治41年頃、長沼家の庭で撮られた一枚です。

最近放映されたテレビ番組のレポートを書きます。
 
まずはBS朝日さんで1/21(火)にオンエアされた「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」。

 
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作家の島田雅彦氏が、光太郎と親交の深かった蛙の詩人・草野心平のゆかりの地を歩きました。心平の故郷・福島県いわき市小川地区、そしてモリアオガエルが縁で心平が愛した地・川内村。
 
川内村では、同村商工会長にして、天山・心平の会代表の井出茂氏が島田氏を御案内なさっていました。モリアオガエル生息地の平伏(へぶす)沼や、村人が心平のために建ててあげたという天山文庫、そして草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」の会場となっている、井出氏が営む小松屋旅館さん。
 
その囲炉裏端で、井出氏が語られた、原発事故による全村避難を思い出して語られた言葉には、ぐっときました。村境の峠から川内村を振り返り、涙が止まらなかったというお話、「無くなっていい場所、無くなっていい故郷なんてどこにもない」というお言葉……。重たいものがありました。
 
それから、放映を見るまでまったく知らなかったのですが、昨秋の「かえる忌」の様子も映りました。テレビカメラが入っていたのには気づいていましたが、てっきり福島のローカルニュースか何かだと思っていました。当方の姿も約20秒。自分の姿をテレビ画面で見るというのは妙な気分ですね。それも映ると知らなかったのでなおさらです。


続いて、昨夜9時からBS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #32 雪煙舞う厳冬の安達太良山」。

 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、ナビゲーター役の女優・春馬ゆかりさんのレポートがありました。
 
この番組は登山系の番組なので、そのあとは最後まで春馬さんの登山の様子のレポートでした。
 
昨秋、NHKさんで放映された「小さな旅 シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」では、やはり「智恵子抄」にからめ、錦秋の安達太良山が紹介されました。
 
今回は厳冬期。アイゼンを付けなければ登れないとか、樹氷ができていたりとか、同じ山でも季節が変わるとここまで違うのか、という感じでした。それが日本という国の良さでもありますね。
 


さらに連続して10時から、地上波テレビ東京さんの「美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』」。

 
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実はこの放送があるというのは、朝、新聞のテレビ欄を見るまで気がついていませんでした。この番組はほぼ毎週欠かさず見ており、次週の内容を知らない、ということは滅多になかったのですが、たまたま先週の土曜日はテレビ東京系の局がない岩手県に逗留していたため、そうなったわけです。したがって、このブログで事前に紹介出来ませんでした。すみません。しかし、テレビ東京系BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。
 
この番組、毎回、作品の紹介・解説の部分と、作品にまつわるミニドラマの部分が交互に進む構成になっています。紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。これも事前に知らされていなかったので、驚きました。そしてミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成でした。
 
光太郎役は俳優の大浦龍宇一さん。実は昨秋、大浦さんのブログで「一日だけ高村光太郎さんになってきます。」という記述を見つけ、いろいろ検索したのですが、舞台、映画等の情報も引っかからず、「?」と思っていました。その疑問が氷解しました。オンエア情報も。
 
相馬良は夫の愛三とともに、新宿に、かの中村屋を開いた人物です。守衛は少年時代から良に惹かれ、しかし相手は人妻。その苦悶が彫刻「女」に表されているというのが通説です。そのあたりを武井氏は実にうまく解説されていました。また、光太郎は良に対していい感情を持っておらず、ある意味、守衛の夭折は良のせいだと考えていたふしがあります。ミニドラマでは、そのあたりの光太郎の複雑な思いもよく表現されていました。光太郎は写真を撮られるのが好きではなかった、という小ネタも「そのとおり」、という感じでよく調べているな、と感心しました。
 
先述の通り、BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。22:54~のオンエアです。
 
短い間に光太郎に関わる番組がたくさん放映され、有難い限りです。もっともっと増えてほしいものですが。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月26日

大正15年(1926)の今日、築地小劇場で上演されていた、ロマンロラン作・片山敏彦訳の演劇「愛と死の戯れ」が千秋楽を迎えました。
 
初日は同月20日。公演期間中、毎日、光太郎を含む十人の講演者が、毎日二名ずつ交代で講演をしたそうです。

前回からの続きです。
 
福島市を後に、再び東北新幹線に乗って、次なる目的地、花巻を目指しました。途中、仙台を過ぎても平地には雪がほとんどありませんでしたが、やがて岩手県内に入ると徐々に雪が積もっている様子が目につくようになりました。新花巻駅に着いた頃は、すっかり白銀の世界でした。
 
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新花巻駅の観光案内的なコーナーでは、光太郎が出迎えてくれました。
 
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普段、花巻に行く時は、北上で東北新幹線から在来の東北本線に乗り換えることが多く、新花巻駅に降り立ったのは久しぶりでした。そのため、こういうコーナーがあることを存じませんでした。
 
新花巻駅から雪道を歩くこと約15分、花巻市博物館に到着しました。
 
 
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こちらでは、企画展「佐藤隆房展―医は心に存する―」が開催中です(2/11まで)。
 
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佐藤隆房は明治23年(1890)、栃木那須の生まれ。千葉医専(現・千葉大学医学部)卒業後、医療施設の少なかった東北での医療活動に従事することを志願、縁あって大正12年(1923)、花巻に花巻共立病院(現・総合花巻病院)を開業しました。
 
地元の有力者だった宮澤家も開院に協力、その関係で賢治晩年の主治医を務め、その最期を看取りました。賢治の詩「S博士に」は佐藤のことを描いたものだそうです。
 
さらに宮澤家の関連で、光太郎とも知遇を得、交流を深めました。宮澤家の意向を受けて既に戦時中に東京で光太郎に会い、花巻疎開を勧めたといいます。
 
光太郎が花巻に来てからは、旧太田村の山小屋に移る前、一時、自宅の離れに光太郎を住まわせたり、その後も折に触れ、行き来をしていたりしました。
 
光太郎歿後は財団法人高村記念会を創設、花巻での顕彰活動を牽引し、昭和54年(1979)歿。現在は子息・進氏が理事長を務めています。
 
企画展では佐藤の生涯と業績をたどる品々の他、賢治の草稿や光太郎の揮毫、彫刻なども展示されていました。一見の価値はあります。ぜひ足をお運びください。
 
その後、新花巻駅に戻り、そこから無料送迎バスでその日に泊まる鉛温泉藤三旅館に向かいました。そちらについてはまた明日。
 

 
BS-TBS 2014年1月25日(土)  21時00分~21時54分
 
「阿多多羅山(あだたらやま)の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。」
安達太良山は、高村光太郎の『智恵子抄』に歌われたことで広く知られるようになりました。
 
南北9キロに渡って連なる安達太良連峰のひとつで、標高は1700メートル。なだらかに美しい稜線を引き、山頂には突き出た岩峰があるため遠目には女性の乳房のようにも見え、別名「乳首山(ちちくびやま)」とも言われています。
 
智恵子のふるさとの山であり、また、そのたおやかな山容から女性的なイメージを持たれる山ですが、実際に登って見るとまた別の姿を見せます。北西からの季節風が遮られることなく吹き付けるため、この時期の稜線は突風が吹き荒れます。また、連峰の山頂部には大きな火口跡があり、荒々しい景観が広がっています。安達太良山は火山活動によって生まれた山で、最近では明治時代に爆発を起こしています。
 
厳冬期の安達太良山を雪山初挑戦の女優の春馬ゆかりさんが目指します。雪の状態を見極め、アイゼンとスノーシューを履き替えながらの山行となりました。
 
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さすがに標高1700㍍の山ですね。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月21日

昭和3年(1928)の今日、丸の内中央亭で開かれた第一回詩人協会総会に出席しました。
 
この席上、光太郎は年鑑編纂委員、評議委員を引き受けたそうです。同年6月には実際に『詩人年鑑1928』がアルスから刊行されました。
 
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いわゆる詩壇の大御所とは深いつきあいをしなかった光太郎ですが、この「詩人協会」はどちらかというと若い詩人を中心に結成されたもので、この時期の光太郎は若い詩人達にカリスマ的存在と見られていました。
 
しかし、その活動は長くは続かず、昭和6年には解散してしまいます。年鑑も1回限りの刊行でした。

昨日も自宅でテレビ三昧でした。
 
16:00からBS朝日さん放映の「惜櫟荘ものがたり」。岩波書店創業者の岩波茂雄が、昭和16年、熱海に建てた別荘「惜櫟荘」の解体修復を追ったドキュメントでした。
 
番組公式サイトで光太郎もここを訪れ、滞在したことがある由、記述がありました。ところが『高村光太郎全集』や、その他当方所有の文献にはおそらく「惜櫟荘」に関する記述がありません。
 
しかし番組内で、しっかり「惜櫟荘」で撮られた光太郎の写真や、岩波書店本社に保管されているという「惜櫟荘」訪問者の芳名帳に残る光太郎の名が映されました。
 
気になったのでさらに調べたところ、「惜櫟荘」現在の所有者である時代作家・佐伯泰英氏のエッセイ集『惜櫟荘だより』(当然のように岩波書店刊行)が出版されており、早速注文しました。

 


 
19:00からはNHKBSプレミアムさん放映の「皇室の宝 第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」。
 
現在、京都国立近代美術館にて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、今回は彫金の海野勝珉、日本画の竹内栖鳳をメインに取り上げていました。番組終わり近くになって、光雲の 「猿置物」(大正12年=1923)が映りました。
 


 
このあとも、光太郎がらみの番組がいくつか放映されます。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014/01/08(水)8:40~8:50、17:15~17:25
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程。
出演者 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか
 
おそらく坂本龍一さん作曲の「道程」がオンエアされると思います。この番組では昨年末にも「道程」や「冬が来た」を扱って下さいましたが、おそらくまた新作だと思います。

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014/01/09(木)12:00~13:55
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!
 
出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年2月24日に金曜プレステージの枠で放映された2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~スペシャル

テレビ東京 2014/01/09(木)19:58~21:48 004
 
新春最初の放送は2時間スペシャル。「モクハチ歌う新年会」ではゲストが好きな歌を続々披露。名曲の数々をたっぷりとお楽しみください。
 
ゲスト 大月みやこ、梶光夫、金沢明子、小金沢昇司、伍代夏子、ささきいさお、城之内早苗、城みちる、千昌夫、高田美和、田川寿美、新沼謙治、二代目コロムビア・ローズ、氷川きよし、藤あや子、水森かおり、宮路オサム、森進一、吉幾三、ロス・インディオス(50音順)  司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
 
曲目 「きよしのソーラン節」氷川きよし 「北国の春」千昌夫 「伊勢めぐり」水森かおり 「襟裳岬」森進一 「大東京音頭」金沢明子 「女人高野」田川寿美 「津軽恋女」新沼謙治 「イルカにのった少年」城みちる 「鳴門海峡」伍代夏子 「なみだの操」宮路オサム <モクハチ新年会> 「ペッパー警部」「夜霧よ今夜も有難う」「曼珠沙華」「Dream」「別れても好きな人」「時の流れに身をまかせ」「嫁に来ないか」「わが愛を星に祈りて」「おひまなら来てね」「宇宙戦艦ヤマト」「夢の中へ」「智恵子抄」「リンゴの村から」 「ひとひらの雪」小金沢昇司 「乱れ花」大月みやこ 「満天の瞳」氷川きよし 「海峡しぐれ」藤あや子 「酒よ」吉幾三 「富士山」森進一
 
二代目コロムビア・ローズさん、アメリカ在住ですが、時折帰国して演歌番組等にご出演なさっています。曲目は「智恵子抄」。昭和39年(1964)、ちょうど50年前のヒット曲です。

10min.ボックス(現代文)「道程(高村光太郎)」

NHKEテレ 2014/01/10(金) 午前1:40~1:50

『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
 
こちらも何度も放映されています。ネットで見ることもできてしまいます。

 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月3日

昭和21年(1946)の今日、雑誌『ポラーノの広場』臨時発行新年号に、「消息二」が掲載されました。
 
 何もかも生れてはじめての新年を迎へました。祖国の運命は開闢以来の難関にさしかかつてゐるし、私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけで、毎年必ず自分の家の神だなの下で祖先を偲びながら、お雑煮をいただいたものでした。
 しかし私は今、希望に満ちてゐます。
 山に来てから健康は倍加するし、未来の仕事は大きいし、独居自炊孤坐黙念、胸のふくらむ思です。
 謹んで諸兄に年頭の賀をおくります。
 
 光太郎、花巻郊外太田村山口の山小屋に移って初めての新年でした。しかし、「私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけ」は間違いで、明治末の欧米留学で日本を離れていたことを忘れていますね(笑)。

年が改まりました。この時期、テレビでは意外といい番組の放映が続きます。
 
昨日は、暮れのこのブログでご紹介したNHKBSプレミアムさんの「皇室の宝 第1夜 日本の危機を救った男たち」を観ました。
 
現在、京都国立近代美術館さんにて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、光雲も取り上げられるかな、と思って観ましたが、昨夜に関しては名前のみの紹介でした。
 
メインで紹介されたのは、七宝の並河靖之、織物の川島甚兵衞。この二人は京都出身ということで、「作品が京都に里帰り」的な観点がありました。NHK京都さんの制作ですので、まぁしょうがないかな、と思いました。しかし、殖産興業の国是の中で、外貨獲得や万博で好評を得るといった、明治期工芸の流れがよくまとまっていました。
 
今夜は「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」が放映されます。予告編では、海野勝珉「蘭陵王置物」が大きく取り上げられていました。海野は京都ではなく水戸の出身です。光雲もぜひ取り上げてもらいたいものです。
 
その後、地上波NHK総合さんでオンエアされた「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市~」を観ました。以下、NHKさんサイトから。
 
今から100年前の1914年(大正3年)、東京で最新の西洋文化を紹介する「東京大正博覧会」が開かれた。大観衆を集めた博覧会は、明治のエリートが独占していた西洋文化を急速に大衆化させていくきっかけとなる。同年、日本橋に三越新館が誕生し、日本初の常設エスカレーターが登場、大衆消費社会の幕開けに花を添える。東京駅の開業、日本初の流行歌、いずれも1914年に誕生した。浅草の活動写真、銀座ファッション、都市の大衆文化が一斉に開花し、東京は新興のモダン都市へと生まれ変わっていく。しかし、その9年後には関東大震災が襲い、当時の街並みは幻と化した。

 7年後のオリンピック開催が決まり、今もこれからもダイナミックに発展・変容していく東京。現代東京の“ルーツ”ともいえる100年前の東京の街と人々の暮らしをドラマと4Kの高精細VFXを駆使して再現・再発見し、新しい年の始まりに、日本の来し方行く末に思いを馳せる。

 100年前と現代を行き来するサラリーマン夫婦を演じるのは新進俳優・淵上泰史と長澤奈央。主題歌「カチューシャの唄」を歌うのは、実力派のボーカリスト、UA。
 
1914は大正3年。光太郎が第一詩集『道程』を上梓し、智恵子との結婚披露を行った年なので、もしかしたらちらっとでも紹介されるかな、と思ってみました。しかしこちらも空振り。ただし、智恵子が表紙を描いた『青鞜』や、光雲が出品鑑査官、審査員を嘱託された東京大正博覧会が紹介されました。その他、シーメンス事件や第一次世界大戦による好況、モダン都市化した東京の様子など、当時を知るには非常にいい番組でした。
 
今年は東京駅開業100周年にもあたるので、例年より「100年前」が注目されているようです。その流れの中で、詩集『道程』100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年を取り上げてほしいものです。
 

さて、本日夕刻には、BS朝日さんで以下の番組が放映されます。  

BS朝日1 2014年1月2日(木)  16時00分~17時54分
 
日本の歴史的建築物「惜櫟荘(せきれきそう)」を守るため、歴史作家・佐伯泰英が立ち上がった。70年の時を経て、岩波茂雄、吉田五十八という二人の天才の夢が引き継がれる…

番組内容
日本の歴史的建築物を守るために立ち上がった歴史作家・佐伯泰英の情熱の物語。「惜櫟荘」という、日本を代表する数寄屋造りの取り壊しから修復・再建までを追いかけた、2年以上にわたるドキュメンタリー。

出演者 ナビゲーター 三上博史

昨年5月にオンエアされたものの再放送です。その時点で気づかなくて、このブログでは紹介しませんでしたが、番組サイトでは光太郎の名が記されています。
 
昭和16年9月。真珠湾攻撃の3か月前、一軒の小さな別荘が熱海に建てられた。 その名は惜櫟荘(せきれきそう)。ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。
 
もとはといえば、岩波書店の創業者・岩波茂雄の別荘だった。 この家を設計したのは、吉田五十八(よしだいそや)。歌舞伎座や吉田茂邸、文学賞の舞台である築地新喜楽などで知られる近代数寄屋建築の名手である。
 
あれから70年。
売却の憂き目に会おうとした惜櫟荘を、一人の作家が救った。時代小説で1500万部という人気を誇る、作家・佐伯泰英。名建築が無くなるのは忍びないと、私財を投じ、番人を買って出た。
 
日本の教養文化を育んだ出版人、岩波茂雄と稀代の建築家、吉田五十八。 二人のぶつかり合いから生まれた惜櫟荘の、解体から復元までの3年間を追いながら この30坪の小さな家に秘められた昭和のドラマを描きます。
 
後でこういう番組があったことを知り、残念に思っていたのですが、再放送されるということで、ありがたいかぎりです。
 
『高村光太郎全集』には岩波茂雄の名も何度か出てきますが、この惜櫟荘に関する記述が見あたりません。番組サイトにある「ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。」という事実もこちらでは確認できていません。どういうことなのか、放映をよく見てみようと思っています。

 追記 惜櫟荘で撮影された光太郎の写真を見つけました。

他にも光太郎に絡む、または絡みそうな番組の放映が続きます。そのあたりはまた明日。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月2日

昭和28年(1953)の今日、年下の友人達のために揮毫書き初めをしました。
 
美術史家の奥平英雄に「うつくしきもの」、詩人の宮崎稔が保管していた智恵子紙絵の箱に「高村智恵子遺作紙絵」、北川太一先生所蔵の『智恵子抄』特製本に詩「樹下の二人」の一節(画像参照)、同じく詩「晩餐」の一節をそれぞれ書きました。
 
書、さらに書き初めというのも日本の素晴らしい文化、そして風習ですね。当方は悪筆なのですが、いずれは取り組んでみたいと思っています。
 
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光雲の作品も出品され、京都国立近代美術館で開催中の「皇室の名品-近代日本美術の粋」展が、テレビで大きく取り上げられます。

皇室の宝「第1夜 日本の危機を救った男たち」「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」

NHKBSプレミアム 2014年1月1日(水)  19時00分~20時00分
NHKBSプレミアム  2014年1月2日(木)  19時00分~20時00分
 
豪華けんらん、唯一無二。皇室が収集してきた究極の宝が京都に集結。美術品に課せられた使命とは?かつて日本を救った職人たちの物語に女優の栗山千明が迫る。
 
宝石のように輝く七宝、再現不可能とされる謎の金属置物。明治以降、皇室が収集してきた究極のコレクションが京都に集結している。そんな名品ぞろいの展覧会を取材することになったのは新人ディレクターの宮崎京子(栗山千明)。静まり返った会場で不思議な光景を目にする。なんと作品たちが動き出したのだ!美術品に託された国家の命運、かつて日本の危機を救った職人たち。作品たちが物語る秘話に次第にのめり込んでゆく。
 
出演 栗山千明 井上順 山崎樹範 飯尾和樹 語り 國村隼
 
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NHKさんサイトから
 
現代技術では再現不可能と言われる色を放つ「七宝」、世界に衝撃を与えた超細密「金属工芸」、世界初の技術を駆使して織り上げた豪華絢爛「西陣織」など、明治から昭和にかけて皇室が集めた秘蔵コレクション。
 
これらの美術品が生まれたのは開国間もない明治時代。諸外国の干渉を退け、急速に近代化を推し進めるには、日本は工業も未成熟で、まだ体力が足りなかった。
 
そこで美術品を輸出し、大量に外貨を獲得しようという国家プロジェクトがあった。いわば国策によって生まれた究極の美術品たち。
 
しかしその後日本が成長し、西洋文化が入り込むにつれ、美術品とそれを作り上げた匠たちの技や思いは薄れていった。
 
番組は、ドラマ仕立ての中で、実際に取材したVTRを紹介する形で進行。主人公は、栗山千明さん扮する「宮崎京子(みやざききょうこ)」。京都にある架空の番組制作会社「京都町家(きょうとまちや)テレビ」に勤務するアシスタントディレクター。
 
その京子が、「京都町家テレビ」の社長兼プロデューサー・藤田(井上順)の命令で、先輩ディレクター・池田浩一(山崎樹範)と共に、京都国立近代美術館で開かれる「皇室の名品」展の取材にいく所から番組は始まる。
 
美術館の広報担当・林(飯尾和樹)の案内をうけ取材を進めていくと、突然、美術品たちが動き、京子にしゃべり出す。そこで語られるのは、美術品に駆使された高度な職人技や、生み出した職人達の埋もれた秘話。2夜連続でお伝えする。
 
番組サイトでは、二代 川島甚兵衞の綴錦「百花百鳥之図壁掛」、川之邊一朝、海野勝珉、六角紫水ほかによる「菊蒔絵螺鈿棚」、海野勝珉「蘭陵王置物」、並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」などの画像が使われています。
 
番組では光雲作品も取り上げていただけると有り難いのですが……。ちなみに光雲がらみの出品物は以下の通りです。
 
「矮鶏置物」(明治22年=1889)、「鶴亀置物」(明治40年=1907、竹内久一と合作)、「萬歳楽置物」(大正5年=1916、山崎朝雲と合作)、「猿置物」(大正12年=1923)、「松樹鷹置物」(大正13年=1924)。
 
新春を彩る絢爛たる世界。ぜひご覧下さい。
 
「皇室の名品-近代日本美術の粋」展についてはこちら。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月29日

昭和27年(1952)の今日、浅草のストリップ劇場「フランス座」に行きました。
 
数え70歳の光太郎、性的な関心というより、美しいものを観たいという欲求なのでしょう。ある意味、尊敬します。

先日、代官山のクラブヒルサイドサロンで行われた、編集者・絵本作家で、光太郎と交流のあった彫刻家・故舟越保武氏のお嬢さんでいらっしゃる末盛千枝子さんによる「読書会「少女は本を読んで大人になる」第6回高村光太郎『智恵子抄』」の模様が、主催のクラブヒルサイドさんのサイトにアップされましたので、ご紹介します。当方レポートと併せてご覧下さい。

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それから、一昨日ご紹介したけせんぬまさいがいエフエムさんの「水上洋甫のポエムディスカバリー」。3回に分けて光太郎を取り上げて下さり、そのうち2回分が動画サイト「youtube」にアップされましたのでご紹介しましたが、残る1回分も投稿されました。

2021/05/09 追記 その後、削除され、現在は見られません。
  
太平洋戦争から終焉までの光太郎生涯の解説と、詩「案内」の朗読で構成されています。
 
こちらもご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月18日

昭和63年(1988)の今日、静岡県立美術館で開催されていた「近代日本彫刻の歩み展 西欧との出会い」が閉幕しました。
 
光太郎彫刻が4点出品されました。

一昨日、今年最後の二本松行きでした。なんだかんだで今年は7回二本松を訪れまして、通算では何回になったかわかりません。非常に愛着のある街です。
 
一昨日は雪雲に覆われていて、安達太良山は見えませんでしたが、よく晴れた日の安達太良山は、それは見事なものです。その上に広がる「ほんとの空」も。
 
さて、本日はその安達太良山関連の情報を。
 
まずはテレビ放映情報です。 

BSジャパン 2013年12月24日(火)  22時54分~23時24分

番組内容
福島県本宮市。古くは奥州街道と会津街道が交わる宿場町として栄えました。本宮市郊外にある「蛇の鼻遊楽園」にある「蛇の鼻御殿」は、明治末期に土地の豪農が8年の歳月をかけて建てた別荘で、その贅を尽くした造りが、当時の農村の繁栄を今に伝えています。そして今でも、駄菓子屋さんに映画館、コッペパンが売り物のパン屋さんなど、どこか懐かしい、昭和の情緒が息づく風景と共に暮らす人々がいます。

◆ナレーション  荻野目洋子
 
本宮市は二本松市の南に隣接しています。東北自動車道では、二本松ICの一つ手前が本宮ICです。当方、今の今まで「本宮町」だと思いこんでいましたが、6年前に「本宮市」になっていました。
 
二本松まで行ってしまうと、かえって近すぎて安達太良山の山容がよく見えなかったりします。その点、山裾にある本宮から見る安達太良山は、非常に美しく見えます。
 
002昭和41年(1966)には、この本宮を舞台にした映画「こころの山脈」が公開されました。右の画像は、当方の持っているポスターです。
 
以下、『福島民友』さんのデータベースから。
 
映画「こころの山脈」(本宮市)
 
 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 ここはあなたの生れたふるさと

 阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら産休補充教師の本間秀代が教え子の清に「智恵子抄」(高村光太郎著)の詩の一節を語る。旧本宮町を舞台に教師と児童の心温まる交流を描いた映画「こころの山脈」(1966年)のワンシーンだ。
 作品は、良質な映画を子どもたちに見せようと、旧本宮町の母親たちが中心となりつくった「本宮方式映画製作の会」が、近代映画協会の協力で制作した。脚本は本県出身の千葉茂樹さん。映画監督吉村公三郎さんがメガホンをとり宇野重吉さん、山岡久乃さん、吉行和子さん、殿山泰司さんら一流俳優と本宮小の児童が出演。65(昭和40)年秋、本宮小、昭代橋などで撮影が行われた。
 「心豊かな子どもたちが育つようにと始めた。行動力はすごかった」と同会事務局の本田文子さん(84)は振り返る。撮影で使う着物や米びつなどを持ち寄り、運動会シーンでは町民が重箱を持ち大勢集まるなど町ぐるみで支援。制作費を集めるため全県にチケット購入を呼び掛けたという。本田さんは「この映画は本宮の一つの文化財」と話す。
 昭代橋のシーンでは問題児だった清が「先生、おれこれからうんと勉強する」と誓うと、本間先生が「子どもにはね、無限の可能性がある。清君のこと楽しみにしてるよ」と励ます。本宮の母親たちが映画を通して子どもに託した思いは、今も変わらない。
 
上記「みんなのまち」はその本宮を紹介する番組です。ぜひご覧下さい。
 
もう1件、来年のイベントです。 

日本百名山そしてあの有名な智恵子抄で御馴染みの安達太良山を走り抜けてみませんか?
 
開催日 2014年8月24日 (日) 
開催地 福島県(安達郡大玉村)
エントリー期間  2013年12月18日 0:00~2014年7月20日
主催 緑豊かな福島路を走ろう会
種目・参加資格 25km
男女別18歳以上 制限時間:6時間
参加料 6400円
 
だいぶ先の話なのですが、明日から受け付け開始ということで……。
 
まだまだ復興途上の福島県。もっともっと盛り上げていきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月17日

昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエに、花巻のリンゴ農家・阿部博からリンゴが届けられました。
 
リンゴの美味しい季節になりました。コタツでミカンもいいものですが、当方、ルーツは信州ですのでリンゴも大好物です。
 
それはさておき、阿部博は花巻農学校の卒業生で、晩年の宮澤賢治とも知遇を得ていた人物。昭和21年(1946)、賢治の命日に宮澤家へリンゴを届けた折に光太郎を紹介され、以後、親しく交わるようになりました。光太郎が花巻を離れてからもリンゴを送り続けたとのこと。
 
昭和24年(1949)頃、光太郎は、「酔中吟」という即興の詩を阿部に贈っています。その自筆揮毫を刻んだ碑が花巻市石上に現在も続く阿部家のリンゴ園に建てられています。
 
 奥州花巻リンゴの名所
 リンゴ数々品ある中に
 阿部のたいしよが手しほにかけた
 国光紅玉デリシヤス

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宮城県気仙沼市のローカルFMで、「けせんぬまさいがいエフエム」という局があります。
 
そちらで「水上洋甫のポエムディスカバリー」という番組がオンエアされているそうです。
 
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その中で、今年10月に光太郎が扱われました。さすがに当方の住む千葉県では宮城のFMは受信できませんが、動画サイト「youtube」にアップされましたのでご紹介します。全3回のうち、2回分ですね。

2021/05/09 追記 その後、削除され、現在は見られません。

第1回は10/16オンエアで「道程」、第2回は10/30オンエアの「レモン哀歌」。それぞれ詩の朗読だけでなく、その頃の光太郎について解説がなされています。
 
気仙沼といえば、このブログでたびたび紹介している女川や石巻同様、昭和6年(1931)に光太郎が『時事新報』の依頼で紀行文を書くために訪れています。平成5年(1993)には、旧唐桑町に、短歌「黒潮は 親潮をうつ 親潮は さ霧をたてゝ 船にせまれり」を刻んだ歌碑が作られました。当方、10年以上前になりますが、ここを訪れたことがあります。
 
 
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当時はのどかな漁村の風景を楽しんだのですが、やはり東日本大震災による大津波……。
 
その気仙沼で、光太郎を扱ったラジオ番組ということで紹介させていただきました。
 
この碑は健在だそうですので、また折を見て、行ってみようと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月16日

昭和27年(1952)の今日、丸ビル内の中央公論社画廊でこの年11月に開催された「高村光太郎小品展」御礼として一万円を受け取りました。
 
光太郎生前に開かれた唯一の個展です。
 
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 そういえば、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。昨日をもって全国3館巡回、全て終了しました。またそちらについては書きますが、ご来場下さった皆様、本当にありがとうございました。

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」。12月に入007り、いよいよ大詰めとなってきました。おそらくあと2回で最終回だと思います。智恵子と同じく福島出身の女性・新島八重が主人公ということもあり、欠かさず見続けています。
 
二本松を舞台にした回では、八重役の綾瀬はるかさんが「あれが安達太良山」とつぶやくシーンもありました。
 
昨日放映の第48回は、明治22年(1889)から翌23年(1890)が舞台でした。既に光太郎・智恵子は生誕し、光雲が東京美術学校に奉職しはじめた時期です。
 
というわけで、「八重の桜」登場人物の中には、光太郎や光雲と縁の深い人物が何人かいます。
 
まず、吉川晃司さんが演じていた西郷隆盛。直接面識はなかったと思われますが、光雲が制作主任となって、明治東京美術学校総出で上野にその銅像が造られました。竣工は明治31年(1898)です。
 
それから光雲がらみでいうと、伊藤博文。キャストは加藤虎ノ介さん。こちらも光雲と直接面識があったかどうか微妙ですが、昭和7年(1932)に朝鮮の京畿道京城府に伊藤の菩提を弔うべく建立された博文寺の本尊は光雲の作です。
 
 
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左端が光雲、右端に伊藤の遺影が写っています。
 
光雲と直接面識があったのが確かなのが、反町隆史さん演ずる大山巌。西郷像の制作に関わり、会っています。
 
光太郎がらみの人物としては、蘇峰徳富猪一郎(キャスト・中村蒼さん)。光太郎が詩部会長を務めた日本文学報国会(昭和17年=1942結成)の会長を務めていて、『高村光太郎全集』にもその名前が散見されます。
 
それから非常に細かい話ですが、前々回の第47回で、オダギリジョーさん演ずる新島襄が、東京で財界人相手に同志社大学設立のための募金呼びかけを行ったシーン。参加者の名簿の中に大倉喜八郎の名がありました。大倉はホテルニューオークラなどの大倉財閥を築いた人物。昭和2年(1927)に、光雲が大倉の肖像を木彫で作っています。さらに肖像をやや苦手としていた光雲のために、原型はその前年に光太郎が粘土で作成。その時の様子を光太郎は、のちに詩「似顔」(昭和6年=1931)に書いています。曰く、「九十一歳の鯰」(大倉のこと)、「このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝国主義発展の全実歴」等々。
 
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左が光雲作の木彫、右はその原型として光太郎が作った塑像をブロンズに鋳造したものです。
 
とりあえず気づいたところではこんなところですが、あと2回のオンエアでさらに関連する人物が出てくるかもしれません。
 
逆に「八重の桜」キャストをみると、以前に光太郎がらみの映像作品等に出演されていた方がたくさんいらっしゃいます。以前に連続テレビ小説「あまちゃん」に関して同じようなことを書き、好評でしたのでまた書いてみます。
 
まず主演の綾瀬はるかさん。平成21年(2009)に映画「おっぱいバレー」でやはり主人公の寺島美香子を演じられました。この映画は光太郎の詩集『道程』が重要なモチーフになっていました。
 
同じ「おっぱいバレー」で、綾瀬さんの少女時代を演じていたのが大後寿々花さん。「八重の桜」では、同志社女学校の生徒・小松リツ 役でしたが、かつて会津戦争で薩摩藩士だった父親を八重に射殺されたという設定でした。
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続いて会津藩家老・西郷頼母役の西田敏行さん。平成0086年(1994)オンエアの連続ドラマ「いつも心に太陽を」で主演。これはやはり光太郎の詩集『智恵子抄』が重要なモチーフになっていました。ちなみに準主役の観月ありささんは「智恵子」という役名でした。
 
会津藩がらみでいくと、藩主・松平容保(綾野剛さん)の姉・照姫(稲森いずみさん)の侍女・滝瀬役の筒井真理子さん。昨年公開の反原発映画で、やはり『智恵子抄』へのオマージュにもなっていた「希望の国」にご出演。故・夏八木勲さん演じる主人公の隣人で、原発から20キロ圏内に自宅があって強制的に待避させられる役でした。
 
同じ「希望の国」では、「八重の桜」で土方歳三役だった村上淳さんが、主人公の息子役で出演されていましたし、避難民役の並樹史朗さんも共に会津藩士役で「八重の桜」に出演なさっていました。 

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さらに会津藩勘定役・中野平内の長女で、娘子隊を率いて薙刀をふるい、壮絶な戦死を遂げた中野竹子役の黒木メイサさん。平成22年(2010)にユニクロのCM「何処もかもだ」篇にご出演。これは光太郎詩「冬の詩」を使っていて、かなりインパクトのあるものだったので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
 
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ユニクロのCMで黒木さんと共演した松田龍010平さんは「あまちゃん」でミズタクこと能年玲奈さん演じる天野アキのマネージャー・水口琢磨役でしたが、以前にこのブログで「あまちゃん」について書いた時にうっかり失念していました。追記しておきます。
 
やはり会津藩大砲奉行で壮絶な戦死を遂げた林権助役は風間杜夫さん。TBS系の「浅見光彦シリーズ」で沢村一樹さん演じる浅見光彦の兄にして警察庁刑事局長の浅見陽一郎役をなさっていました。このシリーズでは平成21年(2009)に、連ドラ枠として「浅見光彦 最終章」がオンエアされましたが、その最終回が「草津・軽井沢編」。光太郎の彫刻の贋作を巡る事件が扱われました。
 
その際に犯人役を演じたのが清水綋治さん。「八重の桜」では新島襄の父親・新島民治役で重厚な演技を見せて下さいました。
 
浅見陽一郎といえば、フジテレビ版の中村俊介さん演じるシリーズでは榎木孝明さんが演じられています。フジテレビ版でも光太郎の贋作を巡る「「首の女」殺人事件」がオンエアされました(平成18年=2006)。榎木さんは「八重の桜」では井伊直弼役でした。
 
とりあえず思いついたのは以上です。
 
さて、「八重の桜」。本編はあと2回でしょうし、例年通りなら年末に総集編が放映されるはずです。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月2日

昭和18年(1943)の今日、光太郎が委員として関わり、東京都美術館で開催されていた藤島武二遺作展覧会が閉幕しました。
 
藤島は、黒田清輝などとともに、光太郎が留学直前の明治38年(1905)に再入学した東京美術学校洋画科で教鞭を執っていました。
 
光太郎の同級生には藤田嗣治、岡本一平(岡本太郎の父)などがいました。教師も生徒も錚々たるメンバーですね。

注文していた楽譜が届きました。  

「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」

作詞 高村光太郎  作曲 鈴木輝昭
2013/12/10(奥付記載) 音楽之友社 定価 2,000円+税
 
高村光太郎の詩集『智恵子抄』による女声合唱とピアノのための作品。智恵子の死の瞬間を詠った〈レモン哀歌〉に始まり、智恵子の死後を連綿と綴った〈亡き人に〉〈裸形〉へと続く全3曲から成る組曲。
「音楽は、調的な背景を媒質として成立しているが、その中にあって狂気を含む逸脱した音群、劇性の強い増幅された表現が色濃く投影される。また、冒頭ピアノによって提示される上行音形は、組曲全体の気配を象徴する統一主題として、持続の中で反復、循環して語られる」(作曲者)
福島県立橘高等学校により委嘱、初演された。(指揮=大竹隆/ピアノ=鈴木あずさ)
(同社サイトから)
 
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作品紹介にあるとおり、福島県立橘高等学校合唱団による委嘱作品です。以前にも書きましたが、橘高校さんは、智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
これも以前にも書きましたが、同校合唱団は、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、平成21年(2009)から3年間、全日本合唱コンクール全国大会に出場し、上位入賞しています。
 
第62回大会 平成21年(2009) 高等学校部門Bグループ 自由曲「レモン哀歌」 金賞
第63回大会 平成22年(2010) 高等学校部門Bグループ 自由曲「裸形」 銀賞
第64回大会 平成23年(2011) 高等学校部門Bグループ 自由曲「亡き人に」 銀賞
 
全国大会に出場するだけでも大変だと思いますが、なおかつ上位入賞を続けているというのはものすごいことだと思います。その後も橘さんは、光太郎がらみの曲ではありませんが、昨年、そして今年も同大会で銀賞に輝いています。
 
それぞれのライブ録音が、ブレーン株式会社発行のCDで発売されています。
 
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また、同じく橘高校さんの演奏で、ライブではないホールでの録音によるテイクを収めたCD「鈴木輝昭 合唱の地平」も、日本アコースティックレコーズさんからリリースされています。
 
で、今回の楽譜出版。あらためて上記CDを、楽譜を見ながら聴いてみました。
 
はっきり言って、非常に難易度の高い組曲です。同社サイトでは「[対象]中学生・高校生・一般合唱団」となっていますが、この曲の演奏、一般のアマチュア合唱団にはまず無理ですね。
 
細かくみていきます。
 
1曲目、「レモン哀歌」。女声四部です。通常、女声合唱はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの三部ですが、ソプラノがⅠ、Ⅱに分かれています。さらに歌い出しは5拍子ですが、途中でめまぐるしく拍子が変わり、2拍子から6拍子までが混ざり合っています。
 
2曲目、「亡き人に」。ドッペルコールです。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトでワンセットとして、それが二組、さらにパート内で2部に分かれ、最大7声になっている箇所があります。また、「レモン哀歌」ほどではないものの、やはり変拍子があります。
 
3曲目、「裸形」。これも四部。「♯」「♭」「♮」が雨あられで、一貫した「調」が存在しないという感じです。やはり変拍子も雨あられで、なんと2.5拍子とか3.5拍子、さらには1.5拍子という小節があります。
 
3曲ともソプラノの最高音はb(シの♭)。五線を突き抜けています。ポリフォニー(パート間で異なるリズム)、2度や7度のぶつかる音程はあたりまえに出てきます。逆に平易な当たり前の和音だったり、全くのユニゾン(全てのパートが同じ音程)の箇所もあったりして、そのギャップがまた効果的です。
 
これほどの曲をしっかり歌え、全国上位入賞を果たした橘高校合唱団さん、本当に凄いと思いました。
 
一般のアマチュア合唱団は無理だと思いますが、プロの方々、アマでもコンクール全国大会を目指しているような団体の皆様、レパートリーに加えてみてはいかがでしょうか。
 
 
音楽ネタついでに、テレビ放映情報です。

クラシック倶楽部 第82回 日本音楽コンクール~作曲部門~

NHKBSプレミアム 2013年12月6日(金)  6時00分~6時58分
 
第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽59作品の応募の中から7作品が本選に進出▽2013年10月30日 東京オペラシティコンサートホール

番組内容

第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽佐原洸/引地誠/今野哲也/杉本友樹/中村ありす:RCH(NH2)COOH for Clarinet in B♭ & Piano forte/松波匠太郎:DISSOLUTION for Flute,Clarinet,Horn and Piano/網守将平:Drunky Jet Addiction -for 6 players-

出演者

  • 佐原洸,引地誠,今野哲也,杉本友樹,中村ありす,松波匠太郎,網守将平,ソプラノ…佐竹由美,テノール…布施雅也,指揮…安良岡章夫,小鍛冶邦隆,演奏…アール・レスピラン

過日、このブログでご紹介した「第82回日本音楽コンクール本選会」の録画です。
 
今野哲也氏の「『智恵子抄』への月影─「慈悲深き箴言」を擁する」もエントリーされましたが、残念ながら1~3位には入りませんでした。12/6は抜粋で放送されるようです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月1日

昭和30年(1955)の今日、雑誌『新潮』のために散文「生命の創造」を書きました。

もう1日、十和田ネタで書きます。
 
一昨日、BSジャパンで「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」が放映され、湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が紹介されましたが、来週も十和田湖周辺がテレビ放映で扱われます。 

美しい日本に出会う旅 憧れの紅葉 絶景スペシャル~京都・日光・奥入瀬・北アルプス

BS-TBS 2013年12月4日(水)  19時00分~20時54分
 
美しい日本に出会う旅に出かけましょう!行ってみたい、あこがれの地。この目で見てみたい、あの絶景。味わってみたい絶品料理の数々。日本の美しい魅力を訪ねます。
 
日本全国、紅葉の大絶景を楽しむスペシャルです。北アルプス、立山黒部アルペンルートではロープウェイで紅葉を天空散歩。雄大な立山連峰を彩る錦の紅葉に出会います。青森、十和田湖から奥入瀬渓流へ。清流の流れと紅葉の彩りを堪能します。秘境蔦温泉では絶景の沼めぐり。秋田では角館武家屋敷散策と乳頭温泉を楽しみます。日光、世界遺産輪王寺の庭園「逍遥園」で安らぎの庭園美を感じます。“もみじ”日本一の名所と言われる愛知、香嵐渓。山を彩る4000本のもみじは圧巻の絶景です。紅葉の京都では、和菓子や和紙細工など、職人の手仕事からも季節を感じ、寺社仏閣の彩りを満喫します。
 
旅の案内人 中村勘九郎
 
また裸婦像が紹介されるといいのですが……。
 
ところで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんからいただいたペットボトル入りの「十和田湖美水」、おいしくいただいております。そのまま飲むもよし、珈琲やお茶を淹れるのに使うもよし、で、重宝しております。
 
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ついでにもう1件、テレビ放映情報です。ただ、過去に放送されたものの使い回しかも知れません

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2013年12月2日(月)  8時40分~8時50分 再17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、野村萬斎/冬至、うた/冬景色、道程
 
出演 小錦八十吉,野村萬斎,おおたか静流
 
【今日は何の日・光太郎】 11月28日007

大正3年(1914)の今日、『時事新報』に彫刻制作のモデル募集広告を出しました。
 
●モデル  体格よき婦人を求む当方彫刻家 午前在宅(本郷区駒込林町二十五 高村光太郎)
 
彫刻制作において、モデルの手配には常に苦労していました。依頼を受けての肖像彫刻であればその本人をモデルにすればよいのですが、そうでなければ友人知己を拝み倒してモデルになってもらったり、智恵子をモデルにしたりしています。
 
008変わったところでは、大正6年(1917)作の「裸婦坐像」。画像は光太郎令甥にして写真家・髙村規氏の撮影になるものです。詳しいいきさつが不明なのですが、駒込林町のアトリエに一時かくまった横浜のチャブ屋(外国人相手の売春宿)で働いていた百合子という女性をモデルにしています。
 
この彫刻のモデルを智恵子だと勘違いしている記述を時折見かけますが、違います。
 
また、ある時雇った男性のモデルが、いわゆる露出狂で、宴会などの席上で得意になって全裸になるなどということがあり、結局は光太郎曰く「日比谷公園の入口に立つて演説をはじめ、火星から地球攻撃の軍隊が来るといつて絶叫し、つひに病院に入れられて、そこで死んださうである。」とのことでした(「モデルいろいろ-アトリエにて6・7-」昭和30年=1955)。
 
同じ文章によれば『時事新報』の広告も、応募者はたくさんあったものの、よい体格の者がおらず、逆に「めいめいに窮迫した身上話などを長々と述べ立てて、是非使つてくれといふやうに要請されるので、これを断るのに骨が折れ、おまけにその日一日分の日当を払はなければ、気の毒でかへせなかつた。」ということでした。

 
湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が約20秒紹介されtました。最近、十和田湖周辺を紹介する番組があっても、この像は紹介されないケースが多かったので、よかったと思います。

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その他にも十和田湖周辺に関する豆知識が満載で、「そうだったのか」という点が多くありました。地元の方にはあたりまえなのかもしれませんが、十和田湖が二重カルデラ湖だとか、紅葉のシーズンには遊覧ヘリコプターが出るとか、当方の知らないことばかりでした。
 
まさに「錦秋」の映像も美しく、この番組のコンセプトである「空撮」がうまく活かされていました。公式サイトはこちら

この番組、好評だった回はDVD化されて販売されています。今回の2週にわたる青森編もそうなることを望みます。
 
ところで、以前にご紹介した「十和田湖畔遊歩道の愛称募集」、結果が出ました。以下、十和田湖国立公園協会さんのページから。 

十和田湖畔遊歩道の愛称決定!

経過概要
十和田湖畔遊歩道の愛称募集は8月から9月末の間で募集して参りましたところ、465件のご応募をいただき、愛称選考委員会による審査の結果、下記のネーミングが最優秀賞に決定いたしました。
たくさんのご応募をいただき、誠にありがとうございました!

最優秀賞
 
乙女の湖道 (おとめのこみち)

応募総数
 全国39都道府県から465件の応募がありました。

決定理由

親しみやすいこと、呼びやすいこと、幅広い年代層に受け入れられること、周辺観光スポット名(十和田神社から乙女の像~御前ヶ浜~開運の小道~桂ヶ浜)と調和すること、オリジナリティであること等を基本として選考いたしました。

 
「乙女の湖道」、いいセンスですね。
 
これを機に錦秋の十和田湖、さらに「空から日本を……」でも少し紹介されましたが、2月には「十和田湖冬物語2014」というイベントも開かれます。ぜひ足をお運び下さい。当方も機会を見て行って参ります。
 
ちなみに下の画像は昔のテレホンカードです。今、こんな感じなのでしょうね。
 
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【今日は何の日・光太郎】 11月27日

大正5年(1916)の今日、光太郎翻訳『ロダンの言葉』が刊行されました。
 
光太郎が敬愛していた彫刻家、オーギュ007スト・ロダンが折に触れて語った言葉を、近しい人々が筆録していたものを集めての翻訳です。したがってロダンの母国・フランスに『ロダンの言葉』という書籍があったわけではありません。
 
版元は北原白秋の弟・鉄雄が経営していた阿蘭陀書房。右がその画像ですが、保存のためのパラフィン紙を函にかけてあるので薄ぼけています。すみません。題字は光太郎の書です。白抜きの文字にする籠書きという手法で、光太郎はこれを得意にしていました。味のある文字ですね。
 
光太郎はさらに大正9年には『続ロダンの言葉』を翻訳刊行、正続併せて後に普及版や文庫版などが出て、美術を専攻する若者に大きな影響を与え続けました。
 
特に舟越保武、佐藤忠良ら、一世代後の彫刻家達は、こぞってこの本に大きく影響を受けたと公言しています。

今週火曜日、BSジャパンにて放送された「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」を拝見しました。
 
八戸からスタートし、十和田市、奥入瀬渓流が詳しく紹介されていました。そしていよいよ十和田湖へ、光太郎作の裸婦像が映るかな、と思ったところで番組終了。なんと青森編は2週連続でした。
 
というわけで、来週火曜日の放送内容をご紹介します。 

空から日本を見てみよう+ 絶景! 紅葉の青森県十和田湖から雄大な秋田県八幡平へ

BSジャパン 2013年11月26日(火)  20時00分~20時55分
 
紅葉の最盛期を迎える青森県十和田湖の絶景を堪能し秋田県へ。鉱山で栄えた小坂町や鹿角市を経て雄大な山並みの広がる八幡平まで、不思議な発見をしながら眺めて行きます。
 
全国屈指の人気紅葉スポット十和田湖からスタート。色づく紅葉と青い湖のコントラストが織りなす絶景を眺めて行きます。湖に突き出る半島の断崖や鱒の養殖場、70年を超える歴史を誇る木造三階建ての十和田ホテルなどを見ながら、山を越えて鉱山で栄えた秋田県小坂町の中心へ。かつての栄華を今に伝える味わい深い娯楽施設などを見て行きます。その後鹿角市では田んぼの中に不思議なストーンサークルを発見。十和田南駅からJR花輪線に沿って飛んで行きます。きりたんぽ鍋を味わいさらに進むと、巨大な煙突が建つ一角が。ここも鉱山の跡地。日本で最も多い採掘量を誇った時期もある尾去沢鉱山は鉱脈に沿って掘り進んだ地下トンネルが実に総延長700kmにも及ぶ、想像を絶する規模です。紅葉の美しい湯瀬渓谷沿いの温泉を経て、雄大でなだらかな山並みの八幡平へ。山頂からの絶景を堪能します。

出演者

伊武雅刀(くもじい) 柳原可奈子(くもみ)
 
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ついでにもう一つ、テレビ放映情報です。  

もっと温泉に行こう! #49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」

フジテレビNEXT 2013年11月28日(木)  23時00分~24時00分
 
今回訪れるのは、福島県二本松市にある岳温泉と福島県福島市にある土湯温泉。 岳温泉の泉質は無味澄透で無臭、天然湧泉の中でも珍しい酸性泉で、他の温泉では体験することのできない湯上り後の爽快感を、心ゆくまで感じてほしい温泉である。 土湯温泉は、古より湯治場として利用されており、自然環境にも恵まれ、豊富な泉質・湯量が特徴の温泉地である。
 
#38の「花巻編」を以前にこのブログでご紹介しました。番組紹介では「かの文豪、宮沢賢治や高村光太郎も愛した温泉地として知られる。」と紹介され、花巻の風景として、光太郎が碑文を揮毫した宮澤賢治の「雨ニモマケズ」詩碑が映ります。こちらは不定期に再放送され続けています。
 
で、今回の#49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」は最新作で、初公開になります。岳温泉は智恵子の愛した安達太良山の「ほんとの空」の下にあり、土湯温泉は光太郎智恵子そろって訪れています。
 
以前にも書きましたが、この番組は「※撮影のためバスタオルを着用しています」というテロップが出ません。そのテロップを出す必要がない珍しい番組です。そのためオンエアは深夜限定。ただし、有料のCS放送ですので、契約していないと見られません。007
 
【今日は何の日・光太郎】 11月22日

昭和27年(1952)の今日、中野のアトリエにガスを引きました。
 
炊事、それから暖房にも使用していたようです。
 
花巻郊外太田村山口の山小屋では、右の画像のように囲炉裏で生活していたわけで、それから考えると雲泥の差ですね。

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