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地方紙『岩手日日』さんに載った記事を2本。

まずは何度かお伝えしている、花巻高村光太郎記念館さんの女性スタッフの方々による手作り光太郎マスクの件で、6月6日(土)の掲載です。 

共感呼ぶ「非常の時」 手作りマスク人気 高村光太郎記念館 一節印字した紙片同封も 【花巻】

 緊急事態宣言解除など002を受け1日から再開した高村光太郎記念館(花巻市太田)で、同館スタッフ手作りのマスクが人気を集めている。花巻空襲時の救護者をたたえた光太郎詩「非常の時」の一節を印字した紙片を同封し、コロナ禍という「非常の時」を生きる来館者の感動を呼んでいる。
 同館では2019年秋、光太郎が山口小学校(現在は花巻市立太田小学校と統合)に贈った「正直親切」の文字とイラスト、館名などを染めた手拭いを製作。今春のコロナ休館期間を利用し手拭いを裁断、各地で品不足となっていたマスクに作り替えた。
 製作に当たったスタッフ9人は、感染拡大という混乱を戦時下の苦難になぞらえ、紙片同封を発案。11年の東日本大震災発生時にも人々の共感を呼んだ「人安きをすてて人を救ふは難いかな 人危きを冒して人を護るは貴いかな」の文字で、奮闘する医療者らに感謝を伝えている。
 手拭いのデザイン画は、花巻高村光太郎記念館職員の三上昭子さんが担当。消しゴムはんこの技法で描かれた図柄がかわいらしく、手拭い裁断の位置によっては「正直親切」の文字がマスク上できれいに確認できる。「職員全員で意見を出し、何パターンも試作して出来上がった。コロナが流行し始めた頃から『非常の時』とリンクする部分を皆が感じ、製作することになったマスク。リピーターも多い」と喜ぶ。
 マスクは1枚300円。開館は午前8時30分~午後4時30分。問い合わせは同館=0198(28)3012まで。

この記事が載ったことで、「さらに相乗効果的に売り上げが伸び、翌日には15セットも売れたそうです。

「非常の時」と手作りマスクに関しては、以下の過去記事をご参照下さい。

 光太郎の食卓カレンダーとマスク型紙・素材(手ぬぐい)セット。もう1件、昨日も同じ『岩手日日』さんに光太郎がらみの記事が出ました

高村光太郎詩「雲」掲載 70年以上前の雑誌発見 【花巻】

 花巻ゆかりの詩人で彫刻家003・高村光太郎作の詩「雲」が掲載された雑誌が花巻市内で見つかり、関係者の関心を集めている。発行から70年以上が経過したとは思えないほど保存状態が良く、資料的価値も高いとみられている。
 雑誌は1946(昭和21)年7月発行の「週刊少国民」。紙面はカラーページやイラスト、写真も多く、明るさを取り戻しつつある戦後世相を感じさせる。花巻市内の民家で発見されたことから、全国的に見ても相当数が発行されていたことが推測される。
 「雲」は、同年6月14日光太郎の制作とされる詩。20行足らずの短さだが「太陽に色どられた空中のパレツト」「光とかげとの運動会」といったイメージ豊かな表現が印象に残る。発見に携わった同市中北万丁目のAct21主宰・菅原唯夫さん(71)は「70年前にこのような作品を生み出したことがすごい」と話す。
 昭和21年の光太郎は、同詩のほか「絶壁のもと」などを制作。光太郎の体調が思わしくなかった頃で、比較的詩作の少なかった年という。


ニュースバリューということを問題にすると、ものすごく稀少な雑誌ではないので、それほどの件ではないのですが、「発行から70年以上が経過したとは思えないほど保存状態が良く」というあたり、それから、作品が書かれた花巻で見つかったというあたりに価値があるような気がします。

『週刊少国民』、「少国民」の語からして怪しさが漂いますが、お察しの通り、戦時中に創刊された子供向け雑誌です。版元はなんとまあ、朝日新聞社さんでした。戦時中から光太郎はたびたび寄稿していました。確認できている光太郎の寄稿は以下の通りです。



このうち、「神風」のみ散文で、あとは詩です。当然のように戦時中のものは、少年向けの翼賛詩。「君たちも早く成長してお国のために命を捧げなさい」的な……。残念ながら読むに堪えない「痛い」ものばかりです(ところがこの手の詩こそ光太郎の真骨頂だと、涙を流してありがたがる愚か者がいまだにいるのですが)。

さすがに「雲」は戦後の作で、翼賛色はなくなっています。ただ、戦後になって「少国民」でもあるまい、ということで、この年の9月には廃刊となっています。あるいはGHQの指導が入ったかもしれません。

記事の最後に「昭和21年の光太郎は、同詩のほか「絶壁のもと」などを制作。光太郎の体調が思わしくなかった頃で、比較的詩作の少なかった年という。」とあり、確かにそういう面もあったとは思いますが、それよりも、翌年に発表した己の半生を綴りつつ戦争責任を懺悔した、20篇からなる連作詩「暗愚小伝」の構想、執筆にかかっていたのも、発表作の少なかった理由と考えられます。

そうした思いを抱きつつ、光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋(高村山荘)、そして隣接する花巻高村光太郎記念館さん、6月1日(月)から再開しました。コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ足をお運びいただき、光太郎の思いに触れていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

ぼくは、あそこでだんだんやつているうちに、これが本当の生活で、東京の連中は、みんなうその生活をしている。ここが世界の中心だと思うようになり、あそこを世界のメトロポリスにしようと考えた。それであそこに短波を備えつけて、どことでも通信できるようになれば、東京にいるよりもよほどいいと思つた。

座談会筆録「詩の生命」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

「あそこ」が、花巻郊外旧太田村です。「短波を備えつけて」云々は、いわば「テレワーク」、「リモート会議」といったことに繋がるでしょうか。そういう部分での先見性も、光太郎は持ち合わせていました。

今年一月、新国立劇場で上演された「鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演『る・ぽえ』」がDVD化されるそうです。

発売元で、昨年亡くなった滝口幸広さんが出演された「智恵子抄」を含む朗読劇、「僕等の図書室」(平成24年=2012)も手がけられた「る・ひまわり」さんのサイトから。 

『ウエアハウス-double-』『る・ぽえ』DVD発売決定のお知らせ

2020年1月25日(土)~0022月2日(日)に新国立劇場小劇場にて公演された鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演舞台『ウエアハウス-double-』と『る・ぽえ』のDVD発売が決定しました。
 
6月8日(月)12:00 より、る・ひまわりオンラインショップにて販売いたします。是非、お求めくださいませ。
 
<発売日>
6月8日(月)12:00 より、る・ひまわりオンラインショップにて発売。

『る・ぽえ』DVD
<販売価格> 6,500 円(税別)
<収録内容>本編映像:約91分
      特典映像:約5分(キャスト座談会)
<上演台本・演出>鈴木勝秀
<出演>碓井将大、辻本祐樹、木ノ本嶺浩、林剛史、加藤啓
<内容>
 高村光太郎「智恵子抄」をモチーフにした夫婦の話
 萩原朔太郎「月に吠える」をメインにした多趣味な朔太郎の奇想天外な話
 中原中也の人生と恋愛を通して描くダイアログ
 “詩”を通して描く3人の詩人の物語。

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ご興味のある方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

立派な詩を書くにはもつと自由が許されなければならぬのではないでせうか……

座談会筆録「詩と文学」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

最愛の妻・智恵子が亡くなって2週間後に行われた座談会での発言から。

前年には日中戦争が勃発、光太郎も「智恵子抄」所収の珠玉の詩篇と並行して徐々に翼賛詩に傾倒していった時期で、自分の詩を「戦争詩」とは呼ばないで欲しい、銃後の国民の心構えを謳ったもので「銃後詩」とでも呼んでほしい、などといった発言も見られます。

そうした流れの中で、検閲等のため「負傷兵が倒れてゐるところなんか普通には書いていけない」という現状に対し、上記の発言が為されました。

5月26日(火)、いわき市立草野心平記念文学館さんの企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」を拝見したのち、茨城県の東海スマートICで常磐道を降りました。

次なる目的地は大洗町の山村暮鳥詩碑。昭和2年(1927)の建立で、除幕式には光太郎も参加しています。詩碑そのものには光太郎の名は刻まれていませんが、説明板に光太郎の名が記されているというのを知り、いわきと方角的には同じということで、立ち寄った次第です。

山村暮鳥は光太郎より一つ年下の明治17年(1884)生まれ。出生地は群馬県ですが、幼少期の家庭の事情や、長じてからはキリスト教の伝道などのため、各地を転々。晩年は大洗の借家で過ごし、大正13年(1924)、数え41歳の若さでここで亡くなったため、詩碑が建立されています。

光太郎と暮鳥、生前に直接会ったことは一度しかないと、光太郎が書き残しています。以下、以前に書いた記事からのコピペです。

暮鳥の歿した大正13年(1924)12月、地方紙「いはらき」に載ったという光太郎の文章。

 山村暮鳥さんとは数年前上野池の端の電車の中で初めに会ひ、又それが最後の事になつてしまひました。
 あんなに人なつこかつたこの詩人に其後会ふ機会をつくらなかつた事を残念に思つてゐます。常に遠くから親密の情は捧げてゐたくせに。
 晩年の彼の詩の深さにはうたれます。

この文章が載った「いはらき」が未見です。したがって、掲載月日も不明。昭和10年(1935)刊行の『暮鳥研究』第一輯に転載されたということで、筑摩書房『高村光太郎全集』では、そちらを底本としています。

「いはらき」は水戸の茨城県立図書館にマイクロフィルムが所蔵されているのですが、そちらは欠号が多く、この文章は発見できませんでした。情報をお持ちの方は、ご教示いただければ幸いです。

さて、暮鳥詩碑。鹿島灘に面した松林の中に、ひっそりと佇んでいました。

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刻まれている詩は、暮鳥歿後に出版された詩集『雲』に収められた詩の一節です。

暮鳥、雲、といえば、「おうい雲よ/ゆうゆうと/馬鹿にのんきさうぢやないか/どこまでゆくんだ/ずつと磐城平の方までゆくんか」が有名ですが、暮鳥はたくさん雲の詩を残しています。碑に刻まれた一節を選んだのは、盟友・萩原朔太郎でした。

光太郎と暮鳥、直接会ったのは一度だけでも、朔太郎等(おそらく当会の祖・草野心平も)共通の詩友がいたり、朔太郎や暮鳥の出していた雑誌『卓上噴水』に光太郎が寄稿したりで、そういう意味では近しい間柄でした。また、光太郎は暮鳥詩ワールドにシンパシーを感じていたようで、戦後には暮鳥全集の刊行をすべきという発言を書簡で繰り返し語っています。

そんなわけで、昭和2年(1927)、詩碑の除幕式にも駆けつけたのでしょう。下記が当時の『読売新聞』に載った除幕式の写真。

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不鮮明なので光太郎がどれだか不明ですが、何となく、中央やや右の和服着流し姿っぽいのがそれかな、という気がします。

ちなみに文字の揮毫は茨城出身の日本画家・小川芋銭(うせん)。


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光太郎は昭和14年(1939)に「芋銭先生景慕の詩」を書いていますし、同年、やはり茨城の取手にある長禅寺さんに建てられた「小川芋銭先生景慕之碑」の題字は光太郎が揮毫しています。

そして説明版には、光太郎の名。

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90余年前、ここに光太郎も居たかと思うと、やはり感慨深いものがありました。

ところで、この碑のすぐ近くに、平安時代創建の国幣中社、大洗磯前(いそさき)神社さんが鎮座ましましていらっしゃいます。

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当方、きちんとした神社の静謐かつ清澄な空気は大好きでして、これは寄らない手はないなと思い、参拝して参りました。
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社殿等は江戸時代前期のものだそうですが、装飾彫刻が見事でした。

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楼門。鹿島灘の波濤でしょう。

本殿には彩色で、雉子、鴛鴦、燕、猛禽(鷹?)など鳥の彫刻がいろいろ。

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大洗はアニメ「ガールズ&パンツァー(GIRLS und PANZER)」(通称・ガルパン)の舞台にもなっており、その関係で、キャラクターをあしらった巨大絵馬も。

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アニメやドラマ、漫画などの舞台を巡る、いわゆる「聖地巡礼」がブームとなっていましたが、さすがにコロナ禍の明けやらぬ中、それっぽい人はいませんでした。

さて、当方は光太郎智恵子光雲等の「聖地巡礼」、今後も続けていく所存で居ります。

以上、常磐レポート、終わります。


【折々のことば・光太郎】

昔の放送局は相当に頭がふるく、定評のあるもの以外はめつたに放送しなかつたものであつて、詩の朗読でも、北原白秋、三木露風あたり以後の詩は決して取り上げなかつたが、昭和九年に、照井君はどう説きつけたか知らないが、はじめて私の詩を五六篇一度にBKから放送した。これが当時の新しい詩の朗読放送の最初であつた。それから段々次代次々代の詩が放送されるやうになつたのである。

散文「照井瓔三君のこと」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

昨日もご紹介した盛岡出身の声楽家・朗読家の照井瓔三についての別の文章から。

5月26日(火)、いわき市立草野心平記念文学館さんに参上し、企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」を拝見しましたが、そちらで入手したものをご紹介します。

昨日もちょいちょいご紹介しましたが、まず同展図録。A4判8ページの簡素なものですが、よくまとまっており、オールカラーで見やすく作られています。頒価300円でした。


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光太郎が題字を揮毫した心平詩集『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(同26年=1951)の画像も載っています。

企画展拝見後、トイレに向かったところ、途中の掲示板にポスター。智恵子の故郷・二本松で開催されている「高村智恵子生誕祭」のそれでした。

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同一デザインのチラシも置いてありましたので、GET。生家2階部分の特別公開は終了していますが、「上川崎和紙で作る智恵子の紙絵体験」は今週末の30・31日に土日に最後の開催です。


もう一点。JR東日本さんの車内誌『トランヴェール』の2020年3月号が置いてありましたので、そちらもいただいてきました。特集が「常磐線、文学つまみ食い途中下車の旅」。東日本大震災による原発事故から永らく寸断されていたJR常磐線が3月14日(土)に全線復旧し、上野から仙台までまた繋がりました。それを受けての企画のようです。「高村光太郎」の文字は見あたりませんでしたが、光太郎と関わりの深かった面々の顕彰を行う文学館さんが紹介されていました。

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千葉県の我孫子。手賀沼のほとりに、柳宗悦、バーナード・リーチら白樺派の人々が移り住み、一種の芸術村となっていました。現在は志賀直哉の旧居、白樺文学館さんなどがあります。

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それから草野心平記念文学館さん。だから置いてあったのですね。

心平に関しては、常磐線沿線というわけではありませんが、川内村の天山文庫についても紹介がありました。

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その他、取手駅で柳田國男記念館苑さん、磯原駅で野口雨情記念館さん、勿来駅で勿来関、小高駅で埴谷雄高・島尾敏雄記念文学史料館さん、そして終点・仙台駅で仙台文学館さんが紹介されています。

緊急事態宣言も解除されたことですし、これらの文学館さん等もおいおい再開しているか、これからするかでしょう。まだまだ油断は禁物ではありますが、ぜひ足をお運び下さい。


ところで、全くの別件ですが、ラジオ放送の情報です。 

石丸謙二郎の山カフェ 選「春の山を感じよう!」8時台

NHKラジオ第一 2020年5月30日(土) 001午前8時05分~8時55分

山の日だまりで、朝日に輝く山々や森をながめつつ、コーヒーをいれてほっと一息・・・。そんなひとときをイメージしたラジオ番組が、「山カフェ」です。カフェのマスターこと、パーソナリティをつとめるのは、登山歴40 年になる石丸謙二郎。山を愛する多彩な方々をお客さまに迎え、飾らないトークを楽しみます。

山小屋や今まさに山に登っている方々と電話をつなぐ「山からおはよう」や、古今東西の山岳図書を紹介する「マスターの本棚」などのコーナーも。皆さんからの、心に残る山のエピソード、とっておきの写真も大募集しています。土曜の朝、いっしょに山に想いをはせてみませんか?

「山カフェ」3月14日「春の山を感じよう!」8時台の再放送です。みなさんの好きな春の山、おススメや思い出のお便りをご紹介しました。マスターの朗読で春山気分を味わう「空想登山」を、もう一度、登山気分でお楽しみください。「山からおはよう」は丹沢蛭ヶ岳山荘から。「マスターの本棚」は高村光太郎「山の春」をご紹介しました。

【司会】石丸謙二郎 山本志保

やはり新型コロナの影響でしょうか、「選」ということで、3月14日(土)に放送されたものの再放送です。当方、本放送は仙台からの帰りの愛車内、カーラジオで拝聴しました。司会の石丸氏による光太郎随筆「山の春」(昭和26年=1951)の朗読があります。

ぜひお聴き下さい。


【折々のことば・光太郎】

放送局ではその頃まで詩の朗読といへば必ず藤村、晩翠、白秋、露風といふやうな詩人の詩ばかり放送してゐて、それ以後の者の詩はまるで問題にしなかつたのでした。

散文「照井瓔三の思出」より 昭和24年(1949) 光太郎67歳

照井瓔三(本名・栄三)は盛岡出身の声楽家・朗読家。「その頃」は昭和9年(1934)。JOBK(大阪放送局)制作の「詩の夕」というラジオ番組で光太郎詩の朗読を照井が行ったことを指します。実際にはそれに遡る昭和4年(1929)には既にやはり照井により光太郎詩の朗読がラジオで放送されていましたが。

照井は光太郎以外にも、心平や宮沢賢治の詩の朗読も行ったそうです。

新型コロナ感染症に伴う緊急事態宣言の解除を受け、一昨日、当会の祖・草野心平を顕彰する福島県いわき市の草野心平記念文学館さんへ行って参りました。4月11日(土)にはじまり、一週間後に休館となって中断していた企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」が再開し、拝見して参りました。


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心平というと、「の詩人」または「富士山の詩人」というイメージが強いのですが、もう一つ、重要なモチーフとして繰り返し取りあげていたのが「天」。心平自身「私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天が出てくる。或ひは空とか星雲とか天体のさまざまな現象などが。(略)富士山の詩を私は永いあひだ書いてきたやうに思ふが、もともと富士山などといふものは天を背景にしなければ存在しない。」(「天に就いて」昭和26年=1951)、と述べています。ということで、「天」にスポットを当てる展示内容です。

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光太郎とのからみでは、光太郎が題字を揮毫した心平詩集『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)。久しぶりに現物を見ましたが、いい字です。


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その他、「天」に題を採った書や絵画なども。勝手な思いこみかも知れませんが、心平が書や絵画をよくしたのも、光太郎の影響に依るところが大きいのではないでしょうか。

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ロビーのガラスには、以前から掲げられているのですが、心平詩「猛烈な天」(昭和15年=1940)。心平の愛した故郷の阿武隈山系、そしてその上に広がる「天」をバックに、というか、「天」に刻みつけられているようにも見えますね。

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おまけ、駐車場に生えていた朴の木です。見事な花が咲いていました。


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【折々のことば・光太郎】

小刀を研いだり木を彫つたり粘土をいぢつたりする時間は素よりいい。晴れた日近所の原で空を仰ぐのもいい。日に干した寝床に横になつてああらくだと思ふ時もいい。

散文「私の好きな時間」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

心平同様、光太郎も「空を仰ぐ」のが好きでした。

新型コロナにより、先月7日から出されていた緊急事態宣言は今日にも全面的に解除となる見通しだそうです。それに先立って首都圏の一都三県、北海道以外は解除されていましたが、ようやく全国でということになります。

こうした中で、全国の博物館、美術館、文学館等も少しずつ再開。花巻の高村光太郎記念館さんは6月1日(月)から再開、二本松の智恵子の生家/智恵子記念館さんは5月20日(水)には既に再開しているそうです。

当会の祖・草野心平を祀るいわき市の草野心平記念文学館さんも、5月21日(木)に再開しました。地方紙『福島民友』さんの記事から。 

【いわき】草野心平記念文学館が再開 「天」テーマの企画展、6月28日まで

 新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため臨時休館していたいわき市草野心平記念文学館は21日、再開した。4月11日に始まった企画展「天へのまなざし」を引き続き6月28日まで開く。
 同館は4月18日から休館し、朗読サロンなど一部のイベントが中止となった。本年度最初の同企画展には心平の詩に深く関係のある「天」をテーマにした詩集や絵画など約46点が並ぶ。
 新型コロナ感染拡大防止のため、来場者同士の距離を取ることや入場票への記入、同館への出入り時に消毒をしてもらうなどの対策を取る。問い合わせは同館へ。

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記事にある通り、4月11日(土)から企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」が始まりましたが、わずか1週間で休館となっていました。

光太郎が題字を揮毫した心平詩集『天』(昭和26年=1951)が展示されるなど、わずかながら光太郎との関わりもありますし、招待券も頂いてしまっているので、明日にでも行ってこようと思っております。もちろん感染予防に気をつけながら、ですが。

これから徐々に各種施設の再開、さらにはイベント等も行われ始めると思われます。まだ予断を許さない状況ですが、よろこばしいことだと存じます。

あと一息、頑張りましょう!


【折々のことば・光太郎】

今までこんなに全体の抱和した芸術を日本でみたことのない気がします、私はまだ詩について何事も公けに言はない時に居ますが後に詩の事について書く時、此の集が実に重要なものである事を感じます。

雑纂「萩原朔太郎詩集「月に吠える」に就て」全文
 大正6年(1917) 光太郎35歳

初出は雑誌『感情』第二年第四号。朔太郎に宛てた書簡の一部抜粋です。

「抱和」は「飽和」でなく「抱和」、原文の通りで当方の誤字ではありません。明治大正期には意外と使われていた言葉のようで、「融合」と類義のようです。

『月に吠える』は、3年前に刊行された光太郎の『道程』同様、自費出版でした。この2冊の詩集により、日本の口語自由詩が確立したと言っても過言ではありますまい。

まだ海のものとも山のものともつかない朔太郎をこの時点で絶賛していた光太郎、のちの心平や宮沢賢治に対してもそうでしたが、本物の才能を見分ける力は確かでした。

テレビ放映情報です。 

クラシック音楽館 N響 第1934回定期公演

NHK Eテレ 2020年5月24日(日) 21:00~23:00

N響第1934回定期公演▽指揮はパーヴォ・ヤルヴィ▽【曲目】1.バイオリン協奏曲第1番~プロコフィエフ 2.交響曲第2番~ラフマニノフ

▽N響首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィによる、ロシアン・プログラムです。▽曲目は、激動の帝政ロシア末期に作られた2つの作品、プロコフィエフ作曲のバイオリン協奏曲第1番とラフマニノフ作曲の交響曲第2番です。▽ソリストは、スペイン出身で注目のバイオリニスト、レティシア・モレノ▽管弦楽・NHK交響楽団でお聴きいただきます。コンサートαは、山田耕筰、武満徹ほかの日本人作曲家による、心温まる歌曲の数々です。

出演
管弦楽団…NHK交響楽団,指揮者…パーヴォ・ヤルヴィ,バイオリニスト…レティシア・モレノ,
オペラ歌手…小林沙羅,テノール歌手…山本耕平,ピアニスト…河原忠之


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メインはN響さんの定期公演ですが、番組最後の「コンサートα」というコーナーにおいて、1月25日(土)に開催された福島県棚倉町での公開収録「~小林沙羅&山本耕平デュオ・リサイタル」から抜粋で放映されるそうです。

元々はNHK FMさんの「ベスト・オブ・クラシック」の公開収録で、ラジオでは2月24日(月)に放送されました。また、BSプレミアムさんの「クラシック倶楽部」という早朝の番組で3月27日(金)にオンエアされています。

抜粋される曲目は以下の通り。

「この道」山田耕筰 作曲 北原白秋 作詞 (小林/河原)
「或る夜のこころ」中村裕美 作曲 高村光太郎 作詞 (小林/河原)
「四行詩」泉谷閑示 作曲 中原中也 作詞  (山本/ 河原)
「小さな空」武満徹 作詞作曲 (小林/山本/河原)

ソプラノの小林沙羅さん、ピアノで河原忠之さんによる、光太郎詩に中村裕美さんという方が曲を付けた「或る夜のこころ」が含まれています。

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新型コロナの影響で各種コンサートは軒並み中止や延期となり、緊急事態宣言の解除地域では少しずつ再開の動きもあるようですが、「三密」だなんだと、いろいろなことを気にしながらではなかなか楽しめないという皆さんも多いことと思われます。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

音楽は遊芸の一種と考えられ勝ちだが大きな誤りだ。すぐれた音楽はどんなに生活を楽しくすることか。

対談「新しき岩手の創造」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

対談の相手は当時の岩手県知事・国分謙吉です。ここでは岩手が民謡の宝庫であるという話の流れからの発言ですが、西洋音楽にももちろん当てはまる内容ですね。

1週間ほど前、久しぶりに地域の新刊書店さんに行きました。なぜ久しぶりだったかというと、まぁ、外出自粛の要請に応じ、というのが一つ。それから、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な、回りまわっての理由で足が遠のいていました。すなわち、「生活圏外で光太郎智恵子がらみのイベントや展覧会等が催される」→「新幹線や高速バスで移動」→「その車中で読むための新刊書籍(頭を使わなくて済む時代小説、推理小説等)が必要」→「新刊書店に行って購入」というサイクルだったのですが、最初の「生活圏外で光太郎智恵子がらみのイベントや展覧会等が催される」が無くなってしまったため、以下も無くなっていたわけです。

ところが、あまり長く新刊書店さんに行かないでいると、出版界の情報に取り残される、というか、時代小説や推理小説を買うついでに他のコーナーを見ると、意外と光太郎智恵子がらみの新刊が知らずに出ているのに気づけない、というわけで、1週間ほど前、久しぶりに地域の新刊書店さんに行きました。

案の定、知らずに出ていた光太郎智恵子がらみの書籍を発見。まずはムックです。 

2020年3月31日 山と渓谷社編刊 定価1000円+税

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今年こそ、日本一美しい上高地の高原を歩きましょう!
一冊まるごと上高地号。

■特集 「最も美しい上高地へ」
●巻頭グラフ 上高地、折々の景
●上高地周辺登山地図
●上高地誕生のヒミツ
●第1部 上高地を歩く(大正池、河童橋周辺、小梨平、明神、徳沢)
・ルポ 春の愉快な仲間たち
・ルポ 夏の上高地自然散歩
・イラストマップ 大正池・田代池・田代湿原エリア/河童橋エリア/明神エリア/徳沢エリア/横尾エリア
・ルポ  岳沢トレイルへGO!
・コラム 上高地施設案内 上高地郵便局、インフォメーションセンター、ほか
・ビジターセンタースタッフに聞く、上高地の楽しみ
・エッセイ 斎藤由香〈父・北杜夫と訪ねた上高地の思い出〉
・インタビュー 明神館 梨子田満さん
●第2部 上高地の自然
・上高地は自然の宝庫
・上高地の森と生き物(植物・樹木/哺乳類/鳥類)
・フィールド昆虫記
・グラフ 上高地 春を歓ぶ声
●第3 部 上高地周辺の山々へ
・上高地の古き守り人、陰の立役者たち
・ルポ 焼岳ワンデイハイキング(中の湯〜焼岳〜上高地)
・ルポ 蝶ヶ岳、はじめての北アルプス(徳沢〜蝶ヶ岳往復)
・人物 徳本峠道を守る人々
・上高地から歩く登山ガイド
 霞沢岳、蝶ヶ岳、焼岳、徳本峠越え、涸沢、奥穂高岳、北穂高岳、西穂高岳、前穂〜奥穂
・穂高岳の岩壁
・グラフ 70's~80's  あの日、ボクらはあの山で…、誌面でふり返る涸沢・穂高・上高地
・ノウハウ 穂高の歩き方 安全に楽しむためのTips13
●第4 部 上高地旅の情報
・上高地、穂高宿泊案内
・アクセスガイド
・上高地ランチ&カフェMAP
・上高地を知るためのブックガイド
●特別企画
お~い蕎麦だよ 「乗鞍、奈川、稲核」に在来そばの名店を訪ねて


上記目次の色を変えた項に、光太郎智恵子の名が。

まず、「インタビュー 明神館 梨子田満さん

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次に「上高地の古き守り人、陰の立役者たち」。

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それから、「上高地から歩く登山ガイド」中の「徳本峠越え」。

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最後に、「上高地を知るためのブックガイド」。

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このブログでかつてご紹介した書籍が2冊、紹介され011ています。まず、『紀行とエッセーで読む 作家の山旅』。同じ山と渓谷社さんで出している「ヤマケイ文庫」の一冊で、同社の編とクレジットされています。光太郎作品は、上高地での感興を題材とした詩「山」(大正2年=1913)、「狂奔する牛」(大正14年=1925)、それから戦後の「岩手山の肩」(昭和22年=1947)の三篇の詩、それからエッセイ「智恵子の半生」(昭和15年=1940)からの抜粋が載せられています。

さらに同じ「ヤマケイ文庫」ラインナップ中の『名作で楽しむ上高地』(大森久雄氏編)。こちらにも「狂奔する牛」全文と「智恵子の半生」の抜粋が載っています。

『名作で楽しむ上高地』の方は、巻末の広告ページにも。

ところで、上高地というと、昨夜のNHKさんのニュースで取り上げられていました。  

宣言解除 上高地へ路線バス再開

北アルプスの玄関口、長野県松本市の上高地では、緊急事態宣言が解除されて初めての週末となった16日、運行を休止していた路線バスがおよそ1か月ぶりに再開しました。

緊急事態宣言を受けて長野県は観光地の宿泊施設などに休業への協力を依頼していましたが、16日から緩和されました。
こうした中、先月18日から運休していた上高地に通じる路線バスが運行を再開し、松本市内のバス停では、午前8時40分の始発に登山客とみられる数人が乗車しました。
運行会社によりますと、感染防止のため車内にアルコール消毒液を置いて利用を呼びかけるほか、客席と運転席との間には飛まつを防ぐシートを設置したということです。
また、運行本数は当面、通常の5分の1の1日3往復に減らし、岐阜県側から上高地に入るバスは県をまたぐ移動をともなうため運休を続けることにしています。
例年、いまの時期は多くの観光客で混雑する上高地ですが、16日は午前中から雨が降り、訪れる人の姿はまばらでした。
松本市に隣接する塩尻市から訪れた71歳の男性は「ことしは初めて来ました。いつもより静かな上高地を楽しむことができました」と話していました。
バスを運行するアルピコ交通の辻善弘・新島々営業所長は、「運休の継続も考えましたが、地元で働く人の足を確保するため再開しました。対策を徹底しながら、段階的に運行していきたい」と話していました。


とりあえず上高地に足を踏み入れることはできるようになったようですが、まだまだ油断は禁物。やはりNHKさんのニュースでは、長野県内の宿泊施設で、感染予防にものすごく神経を使っている、という件も報じられていました。

いつもおなじようなことを書いていますが、コロナに関し、何の心配もなく移動ができるような日が、遠からずやってくることを祈念いたしております。

さて、『山と溪谷2020年5月号増刊 「最も美しい上高地へ」』、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

自然直伝  短句揮毫  戦後期?

これもどういうシチュエーションで書かれた言葉なのか当方は存じませんが、おそらく、自らの芸術(特に造型)のありようについての言ではないでしょうか。余計なことをして自然の美しさを損なうことなく、そのまま再現すべし、と。

簡単そうでいて実は難しいことのように思われます。対象物の構造から何から、丸ごとに把握しなければならないわけですから。

一昨日ご紹介した『岩手日報』さん掲載の記事「「非常の時」共感呼ぶ 高村光太郎が花巻空襲後に詩作 勇敢な医療者たたえる」の関連記事が、やはり同紙に出ました。 

「非常の時」に将来重ね 花巻高看 高村光太郎学ぶ

 花巻市東町の花巻高等看護専門学001校(大島俊克校長)は14日、1年生の文学の授業で、彫刻家で詩人、高村光太郎(1883~1956年)を取り上げた。終戦5日前の花巻空襲の負傷者の救護に当たった医師や看護学校生らの勇敢さを讃えた詩「非常の時」も紹介。新型コロナウイルス感染症拡大の現状で、学生は非常時に何をなすべきか、将来の看護師としての自身の姿に思いをはせた。
 文学の授業は約40人が受講。非常勤講師の阿部弥之さん(73)が、宮沢賢治(1896~1933年)の作品紹介に尽力した光太郎の功績、総合花巻病院の前身、花巻病院院長の佐藤隆房博士(1890~1981年)との関わりを説いた。
 「非常の時」について阿部さんは「花巻空襲で動揺したりうろたえたりせずにやるべきことをやった医師や看護学校生に感激して書いた詩」と述べ「こういった学校の歴史を知ってほしい」と呼び掛けた。
 授業を受け関心を高めた学生。阿部菜月さん(18)は「非常時に、人のために行動できる看護師になれるよう勉強を重ねたい」と誓った。石田あかりさん(18)は「宮沢賢治や高村光太郎といった偉人と関わりのある病院や学校で学べるのは誇り」とかみしめた。
 光太郎が疎開先の花巻に向けて東京・上野をたった1945年5月15日にちなんで、例年5月15日に高村山荘詩碑前(花巻市太田)で高村祭が開かれ、看護学校生が「非常の時」を朗読するが、今年は新型コロナウイルスの影響で同祭が中止となった。


記事にある通り、例年せあれば昨日は高村祭でした。やはり記事にあるように看護学校の生徒さんが「非常の時」を朗読して下さり、それから昨日もご紹介した「手づくり光太郎マスク」を贈られた太田小学校・西南中学校の児童生徒さんによる群読や音楽演奏、そしてこのところ、花巻農業高校鹿踊り部さんの演舞なども盛り込まれていました。

ここ5年間の様子、以下にリンクを貼っておきます。

 平成27年(2015)  平成28年(2016) 平成29年(2017) 平成30年(2018) 令和元年(2019)


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いつも書いていますが、来年以降、旧に復することを祈念して已みません。

そして、看護学校生の皆さん、この大変な時期に敢えて看護の世界に生きていこうとするその決意には、花巻空襲の際に奮闘した医療関係者を光太郎が讃えたように、敬意を表せざるを得ません。彼らの未来に幸福あれ、とも祈念いたします。


【折々のことば・光太郎】

詩魂万機  短句揮毫  戦後期?

光太郎の言う「詩魂」とは、いわゆるポエムを作り出すためのものというだけでなく、「物事の本質を十分に見極め、さらに端的に美しく表現する精神」といった意味だと思われます。

「彫刻の本性は立体感にあり。しかも彫刻のいのちは詩魂にあり。」 (略)しかし彫刻にはもつと肝腎な根本生命がある。詩の魂である。立体感を重んずる余り、一にも二にも其事ばかりで彫刻を律してゐると、いつの間にか彫刻の生命が無機的なものとなる。芸術の総勘定としての生命が卻つて圧しつぶされてしまふ。(略)立体感をまでも生かすのは彫刻家の内にある詩の魂である。此所に詩と云ふのは、必ずしも文学的の謂ではない。所謂「詩的」なといふ事ではない。(略)人間の内にある名状し難い無限への傾きのやうなもの、結局「詩」とでも言ふより外言ひ様の無い、あの一つのものの事である。此があるからこそ、そもそも彫刻もはじまるのである。此の根本無くして何の立体感ぞ。詩の魂は翼を持つ。(「彫刻十個條」大正15年=1926)

そして「万機」。どんな機会にもその「詩魂」を見出しうるということでしょう。空襲という極限状況下でも、敢然と負傷者の救護に当たった花巻の医療関係者たちの精神も「詩魂」。現代の新型コロナ禍に対し、最前線で闘っておられる皆さんの精神も「詩魂」です。

先月27日、花巻高村光太郎記念館さんの女性スタッフの皆さんによる「手作り光太郎マスク」寄贈の件、『岩手日報』さんでは早々に報じて下さいましたが、5月2日(土)には『岩手日日』さん、そして昨日、『朝日新聞』さんの岩手版で報道されましたので、ご紹介します。

まず『岩日』さん。 

真心つなぐ善意の輪 光太郎先生の教え今に

 新型コロナウイルスの感染予防に役立ててもらおうと、花巻高村光太郎記念会(大島俊克会長)の有志は4月27日、手ぬぐいを使った手作りマスクを花巻市の太田小学校と西南中学校に寄贈した。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の詩「非常の時」を添えて助け合いの思いを伝えるとともに、児童生徒の健やかな成長を願った。
 1945年4月の空襲で東京のアトリエを失った光太郎は花巻に疎開し、終戦後は旧太田村山口の山小屋(現高村山荘)で約7年間、独居自炊の生活をしながら住民と交流した。つながりは現在も受け継がれ、同市太田の太田小学校は「正直親切」など光太郎の筆跡を校内に掲示し、6年生児童は「高村光太郎先生に学ぶ会」で地域ゆかりの先人に理解を深めている。
 この日は同市太田の新渕和子さん、高橋順子さんが同校を訪れ、高学年用と低学年用のマスク計100枚を梅木康行校長に手渡した。同記念会が新商品として製作した「正直親切手ぬぐい」を使用し、耳に掛ける部分はストッキングを活用するなど工夫。光太郎が花巻空襲の際、総合花巻病院の医師や看護師の奮闘をたたえた詩「非常の時」の一節を添えた。
 新渕さん、高橋さんは「光太郎先生は困った人を助けることは尊いことという意味で『非常の時』を書いている。私たちもその精神を引き継ぎ、何かの役に立てればとマスクを作った」と説明。梅木校長は「子どもたちの安全第一に使わせていただく」と感謝した。
 同市轟木の西南中学校には、同市の障害者支援ボランティアグループあおぞらから無償提供された花巻まつり用手ぬぐいで製作したものも含め、全校生徒分のマスク158枚を贈った。

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校長先生、早速かわいらしいリス柄のマスクを着用して下さっています(笑)。

ちなみに先日、同館の玄関付近の木にエゾリスらしき姿が現れたそうで、下記はその画像です。

エゾリス


続いて、『朝日』さん。 

岩手)手作り「光太郎マスク」、小中学校2校に寄贈 記念会、職員手づくり

 一般財団法人花巻高村光太郎記念会が、花巻市内の小中学校2校に職員手作りのマスクを寄贈した。
 高村光太郎記念館で4月から発売予定だった手ぬぐいなどを使いマスク約260枚を作り、光太郎が「心はいつでもあたらしく」などの書を贈ったことがある太田小と西南中に届けた。包みには花巻空襲の際、危険を顧みず負傷者の救護にあたった医師や看護師をたたえて光太郎が作った詩「非常の時」の一節「人危きを冒して人を護るは貴いかな」と記したカードも添えた。
 「光太郎精神を引き継ぎ、何かお役に立てればと思った」と職員代表の新渕和子さん。太田小の梅木康行校長は「絶対に感染は起こさないと心を新たにしました」と話した。

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同館女性スタッフによるブログサイト「森のたより」によれば、その後、太田小学校児童の皆さんからのお礼の手紙も届いたそうです。

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新型コロナ禍、まだまだ収束には時間がかかるかと存じますが、こうした善意の輪、広げていきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

天人満堂  短句揮毫  戦後期?

「満堂」は「堂の中に満ちていること。また、堂の中にいるすべての人。満場」。昨日ご紹介した「天人充満」とほぼ同義でしょう。やはり自らを手厚く遇してくれた花巻周辺の人々に対する謝意と思われます。

コロナ禍に揺れている今こそ、この国が「天人満堂」という状態であってほしいものです。

このブログ、一昨日から、偶然ですがコロナ禍に関する地方紙報道シリーズとなっています。本日は『岩手日報』さん。 

「非常の時」共感呼ぶ 高村光太郎が花巻空襲後に詩作 勇敢な医療者たたえる

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、東京をたち疎開先の花巻に向かった1945年5月15日から75年を迎える。終戦5日前に遭った花巻空襲で、負傷者の救護に当たった医師、看護学校生らの勇敢さをたたえた詩「非常の時」の情景が、新型コロナウイルスの感染リスクと闘う医療従事者の姿と重なるとして、共感が広がっている。非常時に人間は何をなすべきか、詩は訴えかけてくる。

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人安きをすてて人を救ふは難きかな。
非常の時
人危きを冒して人を護(まも)るは貴いかな。
非常の時
身の安きと危きと両つながら忘じて
ただ為すべきを為すは美しいかな。

 「非常の時」は冒頭、こうつづる。非常事態時、自分の安全な状態を捨て、危険を冒して救護に当たることは難しく、貴い。身の安全や危険を意識の外に追いやり、なすべきをなすことは美しい―。
 光太郎は45年5月、花巻中心部の宮沢賢治の実家に疎開。同年8月10日に花巻駅周辺などが空襲を受け、花巻市が把握するだけで犠牲者は48人を数えた。光太郎は同日、宮沢家で初期消火を手伝ったとされる。
 「非常の時」は終戦後の9月に病院職員の表彰式に出席した光太郎が救護班として活動した勇敢な少女らをたたえ、祝辞に代えて朗読した。同市の高村山荘詩碑前で例年5月15日に開かれる高村祭では花巻高等看護専門学校生が朗読する。今年は同感染症の影響で中止し、山荘近くの高村光太郎記念館も休館している。
 花巻高村光太郎記念会長で同校長の大島俊克・公益財団法人総合花巻病院理事長は「医療人はコロナ禍でも、ある程度の危険は覚悟の上、携わっている。博愛の精神で患者に向かう姿勢は今にも通じる」と受け止める。
 同記念会は4月、光太郎ゆかりの太田小と西南中に贈った手作りマスクに詩の一節を書いたカードを添えた。活動の中心を担った井形幸江さんは「感染症をうつさない、うつさせない、うつらないためにできることは何か、と考えさせられる」と詩に向き合う。
 顕彰活動を行う高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表=千葉県香取市=は「非常の時」を「倫理を失わず、なすべきことを実践した病院関係者への畏敬の念が込められている」と解釈し「医療関係者への差別や偏見がなくなればと願い、この詩を紹介したい」と胸に刻む。


    非常の時   高村光太郎

 非常の時000
 人安きをすてて人を救ふは難いかな。
 非常の時
 人危きを冒して人を護るは貴いかな。
 非常の時
 身の安きと危きと両つながら忘じて
 ただ為すべきを為すは美しいかな。
 非常の時
 人かくの如きを行ふに堪ふるは
 偏に非常ならざるもの内にありて
 人をしてかくの如きを行はしむるならざらんや。
 大なるかな、
 常時胸臆の裡にかくれたるもの。
 さかんなるかな、
 人心機微の間に潜みたるもの。
 其日爆撃と銃撃との数刻は
 忽ち血と肉と骨との巷を現じて
 岩手花巻の町為めに傾く。
 病院の窓ことごとく破れ、
 銃丸飛んで病舎を貫く。
 この時従容として血と肉と骨とを運び
 この時自若として病める者を護るは
 神にあらざるわれらが隣人、
 場を守つて動ぜざる職員の諸士なり。
 神にあらずして神に近きは
 職責人をしておのれを忘れしむるなり。
 われこれをきいて襟を正し、
 人間時に清く、
 弱きもの亦時に限りなく強きを思ひ、
 内にかくれたるものの高きを
 凝然としてただ仰ぎ見るなり。



昨夜まで、断続的にメールや電話で取材を受けておりました。意外と言えば意外だったのが、詩の文語体が一般の方にはわかりにくい、という指摘。なるほど、そう言われればそうかもしれません。そこで、全文の口語訳を、と頼まれまして、無理くり訳し、メールにて送信しました。記事の冒頭近くにある「非常事態時、自分の安全な状態を捨て」云々(「うんぬん」です。「でんでん」ではありません。念のため(笑))は、そこからの抜粋です。

ついでですから、送った全文訳を以下に。新型コロナの関わりもあり、かなりの意訳にせざるを得なかったので、その点はご了承ください。また、当方、古文は専門外ですので、助詞、助動詞などの扱いに問題があるかもしれませんが、あくまで意訳ということで。

 非常事態の時に
 人が安全な状態を捨てて人を救うのは難しいことである。
 非常事態の時に 
 人が危険を冒して人を守ろうとするのは貴いことである。
 非常事態の時に 
 自分の身の安全や危険といったことを意識の外に追いやり
 ただ為すべきことをなすのは美しいことである。
 非常事態の時に
 人がこういうことを行えるのは
 ひとえに平常心が心の中にあって
 人をしてこのような行いをさせるのである。
 たとえようもなく大きいのであろう、
 常に心の中にしまわれている使命感は。
 盛んに発揮されるのだろう、
 人の心の中に潜んでいる責任感は。
  (花巻空襲のあった)その日、爆撃と銃撃にさらされた数時間は
 たちまちのうちに街を血みどろにし
 岩手花巻の街はそのために大混乱に陥った。
 病院の窓はことごとく爆撃のために破損し、 
 飛んできた銃弾が病棟を貫いた。
 この時、実に冷静に怪我人を運び
 この時、取り乱すことなく病人の看護に当たったのは
 神ではないわれらの隣人、
 与えられた場所を守って動じなかった病院職員の諸氏であった。
 神ではなく、しかし神に近かったのは
 医療関係者として職責を果たす使命感が自らの身を案ずる意識を忘れさせたためである。
 私はこのことを聞いて襟を正し、
 人間というものが時に清く、
 本来弱い者が時に限りなく強くなることに思いを馳せ、
 心に刻みつけられている使命感の実に高いことを
 ただじっと仰ぎ見るのである。

 
この詩を通して、とにかく訴えたいのは、現在、最前線で闘い続けられている医療関係者の皆さんに対する感謝、エールです。新型コロナによる日本の死者数が少ないのは、ひとえに医療関係者の皆さんのご尽力によるもの。政府の手柄ではありません。しかしながら、真逆に、医療関係者の皆さんが感染源となりかねない、との偏見が横行している現状には実に胸が痛みます。

医療関係者の皆さんへの感謝の意を示すため、各地の建物が青色(NHS=国民保健サービスのシンボルカラー)にライトアップされるなどの取り組みがアメリカで始まり、日本にも波及しています。しかし、日本での謝意表示はまだまだですね。もともと高度な医療を実践してきた日本では、医療関係者の皆さんの苦闘もあたりまえのように受け止められているのかもしれません。

「非常の時」が、そのような現状に対する警鐘として機能すれば、泉下の光太郎も喜ぶことと思われます。お読み下さった方、この詩の拡散を希望します。よろしくお願い申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

天人充満  短句揮毫  昭和25年(1950) 光太郎68歳

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どういうシチュエーションで この句が書かれたかまでは存じませんが、リンゴ農家で賢治とも親交のあった故・阿部博氏旧蔵の書です。想像ですが、自らを親切に遇してくれる花巻の人々を天人に例え、ここは天人が満ちあふれているような素晴らしい街だ、ということでしょうか。

「花巻」を「病院」に置き換え、この句もまた、医療関係者の皆さんに贈りたい言葉です。

花巻高村光太郎記念館さんに展示されている昭和20年代の光太郎が暮らした頃の花巻とその周辺、花巻電鉄沿線のジオラマを作製してくださった石井彰英氏。

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石井氏、ジオラマを撮影し、ナレーションやお仲間と演奏された音楽を入れたDVDを制作されることをなさっており、光太郎ジオラマについても以前に作製されています。

氏から、新作のDVDが届きました。今回は、光太郎がその第一詩集『山羊の歌』(昭和9年=1934)の表紙題字を揮毫した、中原中也。題して「中原中也ジオラマDVD ダダさん」。

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まず、中也の故郷・山口の風景が中心です。光太郎ジオラマを作っていただいた時もそうでしたが、現地でロケハンもなさったそうで。

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その他、中也終焉の地・鎌倉やゆかりのあった都内、川崎なども。

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さらには代表的な詩の数々。お仲間の皆さんの朗読やBGMが入ります。

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中也とサーカスは切っても切り離せないということで、サーカス風景も。

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光太郎ジオラマDVDも素晴らしいクオリティでしたが(ちなみに当方手許にも在庫があります。ご入用の方、コメント欄等からご連絡下さい)、光太郎詩よりも叙情性、感覚性に優れ、妖しげでメランコリックな中也詩の世界と、ある意味憂愁を帯びた映像が非常にマッチしていると感じました。特にこのサーカスのシーンなど。

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今回、当方は何のお手伝いもしていないのですが、なぜかエンドロールに当方の名(笑)。

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こりゃ、「宣伝しろ」ということかと思い(笑)、宣伝させていただきます。

山口の中也記念館さん、昨年から先月まで、光太郎にも関わる「開館25周年記念展(文学表現の可能性 後期)清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」を開催して下さっていました。その報道を見るにつけ、ぜひ伺いたいと思っておりましたが、結局、コロナ禍で行けずじまいでした。

ただ、7月末から『山羊の歌』などに焦点を当てた「令和2年度特別企画展「中也詩集の装幀」(仮)」が予定されているようですので、今後の状況を見て、考えたいと思っております。


【折々のことば・光太郎】

    
豊耳聡明  巨眼帯露

短句揮毫 昭和21年(1946)/昭和23年(1948) 光太郎64歳/66歳

時期の異なるものを二つ並べましたが、ワンセットということで。

両方とも、花巻で世話になった花巻病院長・佐藤隆房のお孫さんの誕生記念に送った言葉です。前者は貞之氏に。おそらく耳が特徴的な赤ちゃんだったのでしょう。後者は泰之氏に。こちらはお目々あクリッとしていたということではないでしょうか。

昨秋、八重洲ブックセンターさんで手に入れた書籍です。最新刊、というわけではないのでご紹介していませんでした。 

平成28年(2016)4月1日 荒井とみよ著 編集工房ノア刊 定価2,200円+税

敗戦の中でことばはどのように立ち上がったか。与謝野晶子、高村光太郎、三好達治、横光利一、臼井吉見、高見順、宮本百合子の戦争敗戦の文学について考察する。同人誌『水路』掲載を書籍化。

目次
 「歌は歌に候」――与謝野晶子
 後日ノート――晶子の手紙
 「わが詩をよみて人死に就けり」――高村光太郎
 後日ノート――『智恵子抄』をめぐる物語
 「なつかしい日本」――三好達治
 「夜汽車が木枯の中を」――横光利一『夜の靴』
 「常念岳を見よ」――臼井吉見『安曇野』
 「私の日記は腐ってもいい」――高見順『敗戦日記』
 「歴史はその巨大なページを音なくめくった」――宮本百合子『播州平野』
 後日ノート――百合子の手紙
 あとがき


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4年前の刊行で、光太郎について2章も割いている書籍に気づかなかったというのも情けない話ですが、言い訳させていただけるなら、版元の編集工房ノアさん、大阪で「社主の涸沢純平さんが奥様とお二人でやっているミニ出版社。関西で活動を行っている作家、詩人にとって方舟のような存在。活動を開始して35年を超えるが、いまだに家内制出版を守る。」(はてなキーワードより)だそうで、自前のHPもなく、大がかりな宣伝もしていないようでして……。

閑話休題。著者の荒井とみよさんという方、昭和14年(1939)のお生まれで、元大谷大学さんの教授だそうです。そういうわけで、本書は分類すれば評論なのでしょうが、一般的な評論というより、エッセイの要素も強い感じがしました。タイトルが示す通り、文学者たち(「詩人」というのは広義の意味ですね)が、どのように戦争に向き合ってきたかというところに主眼が置かれなかなか鋭い着眼も随所に見られます。

光太郎に関しては、『智恵子抄』所収の詩篇と、大量に書き殴られた愚にもつかない翼賛詩が平行して書かれていた矛盾、そして戦後になってそれをどう総括したのか、的な進め方です。戦時中に関しては、柿本人麻呂になぞらえていらっしゃり、「なるほど」と思わせられました。戦後に関しては、書簡や日記、さらに花巻病院長・佐藤隆房による『高村光太郎山居七年』(昭和37年=1962)に紹介されたエピソードなどをひきつつ、考察されています。

章題に使われている「わが詩をよみて人死に就けり」は、連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)の構想段階で書かれ、自らボツにした作品。光太郎の戦争観を考える上で、多くの論者が参考にしているものです。

   わが詩をよみて人死に就けり1009

 爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
 電線に女の大腿がぶらさがつた。
 死はいつでもそこにあつた。
 死の恐怖から私自身を救ふために
 「必死の時」を必死になつて私は書いた。
 その詩を戦地の同胞がよんだ。
 人はそれをよんで死に立ち向かつた。
 その詩を毎日読みかへすと家郷へ書き送つた
 潜行艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。


以前にも書きましたが、「必死の時」は、昭和15年(1940)の詩。


    必死の時

 必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、002
 その時こころ洋洋としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。
 
 人は死をいそがねど
 死は前方から迫る。
 死を滅すの道ただ必死あるのみ。
 必死は絶体絶命にして
 そこに生死を絶つ。
 必死は狡知の醜をふみにじつて
 素朴にして当然なる大道をひらく。
 天体は必死の理によって分秒をたがえず、
 窓前の茶の花は葉かげに白く、
 卓上の一枚の桐の葉は黄に枯れて、
 天然の必死のいさぎよさを私に囁く。
 安きを偸むものにまどひあり、
 死を免れんとするものに虚勢あり。
 一切を必死に委(ゐ)するもの、
 一切を現有に於て見ざるもの、
 一歩は一歩をすてて003
 つひに無窮にいたるもの、
 かくの如きもの大なり。
 生れて必死の世にあふはよきかな、
 人その鍛錬によつて死に勝ち、
 人その極限の日常によつてまことに生く。
 未練を捨てよ、
 おもはくを恥ぢよ、
 皮肉と駄々をやめよ。
 そはすべて閑日月なり。
 われら現実の歴史に呼吸するもの、
 今必死のときにあひて、
 生死の区区たる我慾に生きんや。
 心空しきもの満ち、
 思い専らなるもの精緻なり。
 必死の境に美はあまねく、
 烈々として芳しきもの、
 しずもりて光をたたふるもの
 その境にただよふ。
 
 ああ必死にあり。
 その時人きよくしてつよく、
 その時こころ洋々としてゆたかなのは
 われら民族のならひである。



昭和15年(1940)といえば、太平洋戦争はまだ始まっていません。そこで、「わが詩をよみて人死に就けり」で、爆弾が落ちる中、この「必死の時」を書いたというのはおかしいじゃないかと、エラいセンセイが指摘しています。「光太郎はこの詩を自分でいつ作ったのか忘れている、けしからん」と。こういうのを浅い読み方、といいます。光太郎は「「必死の時」を必死になつて私は書いた。」と書いていますが「「必死の時」を必死になつて私は作つた。」とは書いていません。

詩の右に載せた画像は、花巻高村光太郎記念館さん所蔵の、政治学者・富田容甫に宛てた昭和18年(1943)の書簡ですが、「必死の時」の一節が書かれています。「「必死の時」を必死になつて私は書いた。」は、こういうことを指しているのだと考えれば、何らの不思議もありません。

残念ながら、荒井とみよさんも「自分史として正確でない」としているのは、この点だと思われます。また、他にも事実に反する記述(残っている光太郎日記は昭和21年(1946)以降、としていますが、昭和20年(1945)のもの、さらに言うなら断片的には明治期のものも残っています)があったり、ある市民講座での参加者の頓珍漢な発言(智恵子が入院していたゼームス坂病院で格子が嵌められた部屋に閉じこめた的な)を訂正せず(ゼームス坂病院は当時としては画期的な開放病棟が採用されていました)に引用したりと、いろいろ問題があるのですが、そういう点を差し引いても、なかなかの好著だとは思いました。

光太郎以外の章、与謝野晶子はじめ、取り上げられている人物すべて、光太郎と交流のあった面々ですので、興味深く拝読しました。臼井吉見(光太郎の『暗愚小伝』掲載時の筑摩書房『展望』編集者)の章では、光太郎に触れられています。

Amazonさん等で、入手可能。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

不可避の道  短句揮毫 戦後期  光太郎70歳頃

いろいろ見方はあるかと存じますが、光太郎にとって、戦後7年間の花巻郊外旧太田村での蟄居生活は、「不可避の道」だったように思われます。

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ネタ不足で悩んでいるという嘆きに反応して下さり、各地から「こんな情報が」と、メール等で提供いただいています。ありがたいかぎりです。

今日は光太郎第二の故郷ともいうべき花巻からの情報です。

過日ご紹介しました、花巻高村光太郎記念館さんの手作り布マスクの件。光太郎が戦後の七年間を暮らした山小屋(高村山荘)のある太田地区の、太田小学校さん、それから西南中学校さんの、それぞれ児童生徒さん一人に一枚ということで、女性職員の皆さんが突貫作業で制作、寄贈されたそうです。

昨日、『岩手日報』さんが報じて下さいました。 

光太郎の思いマスクに 記念館が2校に寄贈西南中学校2

 花巻市の花巻高村光太郎記念会(大島俊克会長)は27日、詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の顕彰活動に取り組む同市の太田小(梅木康行校長、児童97人)と同市轟木の西南中(千葉龍太郎校長、生徒138人)に手作りマスクを寄贈した。
 新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けた取り組み。太田小には新渕和子さん、高橋順子さん、井形幸江さんが訪れ、梅木校長に児童の人数分のマスクを手渡した。
 光太郎が詠んだ「非常の時」の一節が書かれたカードも添えた。1945(昭和20)年の花巻空襲で、医療活動に西南中学校1励んだ総合花巻病院の医師や看護師らをたたえた詩。新型コロナの医療現場で奮闘する医師らの思いを子どもたちに伝える狙いがある。高橋さんは「感染症が早く終息してほしいという思いを込めて作った。喜んでもらえるとうれしい」と思いを込めた。梅木校長は「子どもたちの安全が第一。貴重なマスクを使わせていただき、感染者を出さないようにしたい」と礼を述べた。


画像、上二枚は西南中学校さん、一番下が太田小学校さん太田小学校1での贈呈の様子。他紙も取材にいらしていたそうで、記事が出ましたらまたご紹介します(またこれでネタ的に助かります(笑))。

両校共に、毎年5月15日の高村祭(今年はコロナ禍のため中止となりましたが)にご参加下さり、音楽演奏や詩の朗読などで、祭を盛り上げて下さっています。

太田小学校さんは、かつて光太郎の山小屋近くにあった山口小学校を併合した関係で、山口小学校に光太郎が楽器を贈った縁を踏襲し、もちろん当時の楽器ではありませんが、今でも楽器演奏を披露して下さっています。

西南中学校さんも、光太郎が住んでいた頃の太田中学校を併合した関係で、太田中に光太郎が贈った言葉「心はいつも新しく」を歌詞に盛り込んだ「精神歌」を演奏して下さっています。

下記は昨年の高村祭です。

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それから、『岩手日報』さんでは、マスクに添えられたカードに一節が引用されている光太郎詩「非常の時」(昭和20年=1945)について、改めて新型コロナとの関連で記事にするそうで、一昨日、メールでレファレンス依頼があり、昨日、返答しておきました。こちらも記事が出ましたらまたご紹介します(これでさらにネタ的に助かります(笑))。

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花巻からはもう1件、全く別件の情報提供がありましたが、貴重なネタは小出しに、ということで、また後ほどご紹介します(笑)。


【折々のことば・光太郎】

心はいつでもあたらしく 毎日何かしらを発見する

短句揮毫 昭和24年(1949) 光太郎67歳

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上の方にも書きましたが、太田中学校に校訓として贈った言葉です。前半部分は翌年、盛岡少年刑務所さんにも贈りました。光太郎自身、気に入った言葉だったのでしょう。

当会の祖・草野心平を顕彰するいわき市立草野心平記念文学館さんからご案内を頂きました。

企画展「草野心平の詩 天へのまなざし」

期 日 : 2020年4月11日(土)~6月28日(日)
会 場 : 
いわき市立草野心平記念文学館 
       福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日(5月4日は開館)
料 金 : 一般 440円(350円) 高・高専・大生 330円(260円) 小・中生 160円(130円)
       ( )内は20名以上団体割引料金

草野心平の創作における代表的な主題の一つが「天」でした。
「神はおれから遠ざかり。/近づいたのは石と天。」という詩の一節も、巨視から微視まで自在に対象を射抜いたまなざしによるものです。
本展では、心平の天の詩をあらためて取り上げ、自筆原稿、随筆、書籍などの関連資料を展観しながら、作品の奥深い魅力をあらためて紹介します。

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関連行事等

 ギャラリートーク 5月9日(土) 6月6日(土) いずれも14:00~14:30
 
 同時開催 スポット展示 猪狩満直


フライヤー裏面に、心平詩集『天』の画像。昭和26年(1951)、題字揮毫は光太郎です。

心平と「天」といえば、最晩年、昭和60年(1985)発行の書道雑誌『墨』(芸術新聞社)53号「特集 高村光太郎 書とその造型」に、「光太郎書に就いての漫語」という散文を寄せ、「天」について書いています。

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「天」を愛した心平が勝手に「五001天」と命名した、敬愛する芸術家達の「天」に関する作品のコレクション五点の話が枕です。川端康成、棟方志功、村山槐多、福沢一郎、そして光太郎。光太郎のものは、詩集『天』の題字ではなく(カラー写真が掲載されているのですが)、「天人満堂」と書かれた揮毫とのこと。

心平の「天」へのこだわり、「ほんとの空」を求めてやまなかった、同じ福島出身の智恵子にも通じるような気がします。

同時開催のスポット展示で取り上げられる猪狩満直は、やはり光太郎と交流のあった詩人です。昨年もスポット展示で取り上げられていましたが、展示内容は変わるのではないでしょうか。

フライヤー、ポスター、招待券と共に、平成29年度分の『いわき市草野心平記念文学館年報』もお送り下さいました。このブログでご紹介した同年度の企画展「草野心平の詩 料理編」、その関連行事として行われた、料理研究家の中野由貴さんによる「心平さんの胃袋探訪~創作料理の試食と解説」などについて詳細な報告が為されており、興味深く拝読しました。

さて、「天へのまなざし」、会期も長いので、都合を付けて、新型コロナ感染拡大には十分気をつけた上で行ってこようと思っております。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

此の方は限定された質問ではないので、答へ易く、知人のせゐか黄瀛君にひどく嘱望してゐます。此の外にも名は挙げられますが、まだよく知らないので遠慮します。

アンケート「十四年度作品批評」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

質問は掲載紙『日本詩人』に記録されていないのですが、おそらく新進詩人に関するものだったと推定されます。ここで心平の名を挙げず、黄瀛を推しているのが意外と言えば意外ですが、黄瀛に連れられて心平が初めて光太郎に会ったのがこの年で、どうも「此の外にも名は挙げられますが、まだよく知らない」というのが心平を指しているように思われます。

気づくのが遅れ、もう先々週の号ですが、『週刊文春』さんの3月12日号。ノンフィクションライター・中村計氏による「「金足農業、燃ゆ」 甲子園秘話」という記事が、5ページにわたって掲載されています。

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リード文より。

公立、過疎地、雪国……不利な条件満載でも、彼らは「普段はパッパラパーだけど、野球だけは本気だった」(女子マネ)。「奇跡のナイン」に惚れ込み、追いかけ続けた中村計氏による『金足農業、燃ゆ』が発売。春のセンバツ高校野球が中止になった今こそ読みたい、カナノウの「その後」の物語。

金足農業さんといえば、現在、北海道日003本ハムファイターズの吉田輝星投手を擁して一昨年夏の甲子園で準優勝を果たし、「カナノウフィーバー」を巻き起こしました。ただ、「なぜ今?」感があったのですが、中村氏が記事のタイトルと同じ『金足農業、燃ゆ』という書籍を文藝春秋さんから刊行されたので、そのためでした。

私立の強豪校とは異なり、潤沢な資金もなく、いわゆる野球留学の選手は皆無、「雪国」というハンデもある。そんなチームが全国準優勝に輝いた裏には、選手たちや監督の型破りな、しかし、裏をかえせば既成概念にしばられず、自分たちでよく考えて、真摯に、それでいて楽しみながら実践する姿勢があったのだなというのが、記事を読んでよくわかりました。

そして末尾の一節が、こちら。

高村光太郎風に言えば、金足農業の前に道はなく、金足農業の後ろに道ができた。だが、彼らがつくった道をたどる者は、おそらくもう現れない。

たしかに光太郎が現代に生きて一昨年の夏の甲子園を観ていたら、金農さんを応援したような気がします。造型でも文芸でも、既成概念にしばられず、自分でよく考えて、真摯に、それでいて楽しみながら実践したのが光太郎ですので。

だが、彼らがつくった道をたどる者は、おそらくもう現れない。」は、高野連による投手の球数制限ガイドラインが出されたことを背景にしています。吉田投手、最後の一週間で、4試合、570球も投げたそうで、もはやそれはありえなくなるということです。

しかし、それはそれとして、強烈な個性を持った型破りなチームが活躍できる土壌は、たしかに作られつつあるような気はします。また、そうでなければいけないような気がします。


【折々のことば・光太郎】

言葉といふ不思議な生きものの先の知れない深い生活はあらゆる方面から迫り、拓いてゆく可きものと思ひます。

アンケート「言葉の深い生活――口語歌観――」より
大正12年(1923) 光太郎41歳

上記金足農業さんの記事にも引用された詩「道程」(大正3年=1914)を含む詩集『道程』(同)で、我が国に口語自由詩を確立させた光太郎ならではの言です。余技としながらも、光太郎は短歌の方面でも、口語や俗語を巧みに取り入れた革新的な吟詠を行っていました。

昨日、『朝日新聞』さんの教育面に、以下の記事が出ました。 

休校中の子へ、詩集をどうぞ コールサック社、1千冊を無料配布


 新型コロナウイルスの感染拡大による一斉011休校で不安に駆られている子どもたちを励ましたいと、コールサック社(東京都板橋区)は、200人がつづる「少年少女に希望を届ける詩集」を1千冊、無料で贈呈する。作品は谷川俊太郎さんや新川和江さんといった著名な詩人から、いじめや不登校に苦しんだり、身近な人の自死を経験したりした無名の人のものもある。
 対象者は小中高などの教育関係者、保育園、幼稚園、障害者施設などの従事者、子ども食堂などでボランティアをしている支援者ら。送料も同社が負担する。鈴木比佐雄社長は「子どもたちにとって、今こそ、心の栄養が必要だと感じた。ぜひ、詩集を読んであげてほしい」と話す。
 申し込みは、FAX(03・5944・3238)かメール(suzuki@coal-sack.com)へ、氏名、団体名、住所、電話番号を書いて送る。問い合わせは同社(03・5944・3258)へ。



同書は、平成28年(2016)の刊行です。その当時、けっこう各種メディアで紹介されました。

『少年少女に希望を届ける詩集』。
『少年少女に希望を届ける詩集』 その2。
『少年少女に希望を届ける詩集』 その3。

光太郎の「道程」(大正3年=1914)、「冬が来た」(大正2年=1913)を含む古今の詩人の詩、それから現在各方面で活躍されている方々のエッセイなどが収録されています。作曲家・野村朗氏、光太郎と交流のあった詩人・野澤一の子息・俊之氏、同書の編集に当たられた詩人の曽我貢誠氏など、連翹忌ご常連の方々の作品も。連翹忌といえば、記事にある同社社長の鈴木比佐雄氏もご参加下さったことがあります。

さらに昨日、同社からメールが来まして、この件に関し報道各社にニュースレターを配信した旨が記されていました。抜粋します。 

 編集部より 『少年少女に希望を届ける詩集』を子供たちの心に届けたい。鈴木比佐雄

各種新聞・メディア記者に、子供たちを励ますために『少年少女に希望を届ける詩集』合計1,000冊を寄贈したいというニュースレターを送ったところ、本日の朝日新聞3月17日朝刊で下記のように紹介されました。

(略)

『少年少女に希望を届ける詩集』にご参加くださった200名の皆様の詩篇が、全国の1,000もの施設で読まれることになる可能性があります。
困難な状況だからこそ、活字の詩の言葉から生きる力である希望が少年少女たちに湧いてくることを願って活用してもらうことを考えました。
他の新聞社からも紹介したいとの連絡があり、少しでもこの輪が広がって欲しいと願っています。


ニュースレターの載ったサイトがこちら

拡散していただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

タイサンボクの花。花は何でも好きですが、此花の気品には殊にうたれます。

アンケート「好める花」全文 大正8年(1919) 光太郎37歳

光太郎が「連翹忌」の由来となったレンギョウの花を好むようになったのは、最晩年。終焉の地となった中野の貸しアトリエの庭に咲いているのを見てのことです。それまで「レンギョウ」という名前も知らなかったとのこと。

ちなみに当方自宅兼事務所にある、そこから株分けしたレンギョウはもう咲いています。

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かつてはアンケート回答の通014り、泰山木(たいさんぼく)が好きだったそうで、もしかすると「連翹忌」が「泰山木忌」になっていたかもしれません(笑)。何だかしっくり来ません(笑)。「連翹忌」と名づけたのは、佐藤春夫や草野心平。語呂もよく、よくぞそのように命名してくれたと、感謝しております。

ちなみに泰山木というと、当方、事故で頸髄を損傷、手足の自由を失い、筆を口にくわえて詩画をかき続ける星野富弘さんの「泰山木」という詩を思い出します。


 ひとは 空に向かって寝る
 寂しくて 空に向かい
 疲れきって 空に向かい
 勝利して 空に向かう

 病気の時も
 一日を終えて床につく時も
 あなたがひとを無限の空に向けるのは
 永遠を見つめよと
 いっているのでしょうか

 ひとは 空に向かって寝る

 
 


第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。ただし、現在、関係各方面と開催か中止か協議中です。ご意見のある方、コメント欄(非公開も可能です)よりお願いいたします。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

昨年11月から山口市の中原中也記念館さんで開催中の「開館25周年記念展(文学表現の可能性 後期) 清家雪子展――『月に吠えらんねえ』の世界」につき、一昨日、NHKさんのローカルニュースが取り上げていました。 

漫画で描く中原中也の世界

山口市出身の詩人、中原中也をモデルにしたキャラクターが登場する漫画を通じて、中也の詩の世界を紹介する企画展が山口市で開かれています。

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山口市の中原中也記念館では、近代の詩人たちの作品からイメージされたキャラクターが登場して、近代日本の世界を独創的に描いた漫画「月に吠えらんねえ」の作者、清家雪子さんの作品を通じて、中原中也の詩の世界を紹介しようという企画展が開かれています。
展示されているのは、パネルや原稿などおよそ60点で、このうち清家さんが4年前に記念館に寄稿した「夕焼けめぐり」という短編の漫画は、結核のため2歳で亡くなった息子との思い出を中也が回想した詩をもとにしています。
この中では、中也が生前の息子と2人で飛行機の形をしたアトラクションに乗り込んで、夕暮れの町並みを眺める様子が切なく描かれています。

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このほか漫画の中で中也をモデルにしたキャラクターが、かつての恋人と再会し、失恋の痛みがよみがえるシーンにあわせて、失恋をテーマにした中也の詩も紹介されています。
大分市から訪れた20代の女性は、「漫画の作者は詩をきちんと読んで、自分の感じたことを絵にする力がすごく、詩のたん美な世界観がよく表れている」と話していました。
この企画展は来月12日まで山口市の中原中也記念館で開かれています。

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主要登場人物についてのパネル展示もなされており、光太郎をモチーフとした「コタローくん」も。

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NHKさんの映像にもちらっと映っていました。

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新型コロナウィルスの影響で、文学館、美術館、博物館等の閉鎖も相次ぐ中、貴重な機会かと存じます。ただ、「ぜひ足をお運び下さい」と言えるか、というと、難しいところです。「そんなことを言って、もし新型肺炎に感染したら、お前が責任を取れるのか?」と言われたら、「取れません」と答えるしかありませんし……。


【折々のことば・光太郎】

すべて美しきものの鑑賞に時所の制限はある可からず。美は人心を高からしむ。
アンケート「取締を帝国美術院に――裸体美芸術の解放――」より
大正8年(1919) 光太郎37歳

「現代の日本人に裸体美芸術を公008開するの可否並に之に就ての御意見」という問いに対しての回答の一部です。

明治期には、ヌードを描いた作品等は「春画」扱いされて「特別室」に押し込められたり、一部を布で隠して公開されたりといったことが行われていましたが、大正半ばの時点でも、まだ「裸体美芸術を公開するの可否」が論争の種になっていたのですね。

ちなみに光太郎、回答の最後に「但し裸体芸術は排斥すべし」と述べています。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。ただし、現在、関係各方面と開催か中止か協議中です。ご意見のある方、コメント欄(非公開も可能です)よりお願いいたします。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

新刊です。 

彼女の知らない空

2020年3月11日 早瀬耕著 小学館(小学館文庫) 定価680円+税

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ぼくは、自分の正義を貫くことができるのか
憲法九条が改正され、自衛隊に交戦権が与えられて初めての冬。航空自衛隊佐官のぼくは、千歳基地に配属され、妻の智恵子と官舎で暮らしている。しかし、智恵子は全く知らない。ぼくが、一万二千キロ彼方のQ国の無人軍用機を遠隔操縦し、反政府組織を攻撃する任務に就いていることを。トリガーを引いたら、ぼくは自衛隊史で初めての殺人者になる。それでも智恵子は、いつものように優しい声で「おかえりなさい」と言ってくれるだろうか――(「彼女の知らない空」)

いつの間にか、私たちは戦争に加担している。

化粧品会社の新素材の軍事転用をめぐり、社員夫婦が抱えてしまった秘密(「思い過ごしの空」)、過重労働で心身を蝕まれていく会社員と老人の邂逅(「東京駅丸の内口、塹壕の中」)他、組織の中で生きる人々のジレンマを描いた7編。

ぼくは、あの日誓った正義を、貫くことができるのだろうか。

『未必のマクベス』著者が、今を生きる私たちの直面する危機について問いかける短編集。

〈 編集者からのおすすめ情報 〉
日々流れてくるニュースに希望が持てない時、働くことに疲れた時、組織の中で自分を無力に感じた時……。手に取っていただきたい1冊です。


目次002
 思い過ごしの空
 彼女の知らない空
 七時のニュース
 閑話 | 北上する戦争は勝てない
 東京駅丸の内口、塹壕の中
 オフィーリアの隠蔽
 彼女の時間
 解説 瀧井朝世


七篇の短編を収めていますが、連作というわけではなく、しかし、別個の内容でもなく、それぞれがゆるやかに繋がっています。舞台は「憲法九条が改正され、自衛隊に交戦権が与えられた」日本。近未来というか、パラレルワールド的な世界というか、そんな感じです。

最初の「思い過ごしの空」で、1ページ目からいきなり光太郎。「智恵子抄」所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)がモチーフとして使われています。

主人公「ぼく」は大手化粧品会社の本社でスタッフ部門、妻は同じ会社の研究・開発部門に勤務しているという設定です。その妻が化粧品用に開発した技術が、軍事技術に転用できることが判明、実際にその技術がステルス爆撃機に使われていることを「ぼく」が知り、しかし、妻は知らない(実は知っていたのですが)という話の流れです。

二篇目にして表題作の「彼女の知らない空」。こちらは航空自衛隊員夫婦の話。夫の三佐は、「集団的自衛権」の行使により、中東の「Q国」の空を飛ぶ無人爆撃機(これに「思い過ごしの空」に出てきた技術が転用されています)を日本から遠隔操縦し、民間人も巻き込むと知りつつ反政府組織の拠点を空爆、それを妻は知らない(今度は本当に知りません)という設定です。妻の名が「智恵子」ですが、こちらでは光太郎の名や「智恵子抄」がらみの記述はありません。しかし、作者の早瀬氏、当然、「空」がらみで意識して付けたネーミングでしょう。

他に、過労死レベルを遙かに超えるサービス残業をアスリートのドーピングにたとえ(成果は上がるが、リスクも大きいということで)、心身をむしばまれていくキャリアウーマンやサラリーマン、そうした「戦い」からドロップアウトしたであろうホームレスの話などをはさみ、最終篇「彼女の時間」では、宇宙飛行士を目指しながら挫折したNSADA職員の話で終わります。ちょい役として最初の「思い過ごしの空」の夫婦が登場し、物語が連環しているわけです。

軍事とは最も遠い、という理由で化粧品会社を就職先に選んだのに、否応なしに自分の開発した技術が戦争に使われたり、何とかしてやらないで済む方法を模索しながらも、結局はミサイルのトリガーを弾かなければならなかったりといった登場人物たちの苦悩や葛藤などの心理描写が実に見事です。また、現実に起こりうる話でもあるというところに、恐ろしさを感じます。

そして、夫婦にまつわる話が多いのも特徴です。そこにはある種の極限状況に置かれても、お互いを気遣う優しさや、反面、相手を冷徹に観察する眼なども描かれ、考えさせられます。

暗い話ばかりではなく、シェイクスピアの「ハムレット」をモチーフに、ウィットに富んだ会話が交わされる「オフィーリアの隠蔽」などは、救いのある話でした。

ちなみに早瀬氏へのインタビューがネット上にアップされています。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

敬愛する詩人も、尊崇する詩人も尠くありません。

アンケート「詩人の好める詩人及び詩風」より
 大正8年(1919) 光太郎37歳


「尠く」は「すくなく」と読みます。

光太郎、造型作家(特に同時代の)に対しては、実名を上げての手厳しい評を厭いませんでしたが、なぜか詩人に対してはそれがほとんど見られません。彫刻を本業と捉えていた矜恃がそうさせていたのかもしれません。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。ただし、現在、関係各方面と開催か中止か協議中です。ご意見のある方、コメント欄(非公開も可能です)よりお願いいたします。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

被災規模に於いて東日本大震災とは比較になりませんが、我が千葉県、昨年の台風15号では、気象庁観測史上1位の最大瞬間風速57.5㍍を記録し、住宅約74,000戸の損壊、停電約64万戸、そして2名の方が亡くなりました。

それが上陸したのが9月9日というわけで、今月9日には半年が経過。それを受けて同日の地元紙『千葉日報』さんの一面コラムが以下の内容でした。 

忙人寸語「智恵子は東京に空が無いといふ、」

 「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」。高村光太郎の詩集『智恵子抄』に収められた「あどけない話」の一節だ▼ふと早春の空を見上げる。智恵子が望んだ故郷・福島の安達太良山の青空に負けず劣らず、我が故郷・千葉の青空も心を晴れやかにしてくれる。昨年9月9日に荒れ狂った空が同じだとは思えない▼同日未明、房総半島台風と先月命名された台風15号が千葉市付近に上陸。同市で観測史上第1位となる最大瞬間風速57.5㍍を観測するなど、暴風が県内を襲った。電柱の損壊や倒木で最大約64万戸が停電。給水ポンプ停止による断水もあり、毎日、四苦八苦された方も多かろう▼二転三転した東京電力の復旧見通しに、停電が解消したとされる地区に点在した「隠れ停電」。翻弄(ほんろう)された日々を思い返しつつ、いかに私たちの生活が電気に頼っているのか改めて実感する▼そして建物被害。屋根が吹き飛んだ住宅、ひしゃげた農業用ハウスの骨組み。生活の基盤を、活計の道を一夜にして失った人にとって再建は端で考えるほど、甘いことではないだろう▼15号上陸から今日で半年、光太郎は力強く歩む牛をテーマにした詩も書き残している。「牛は後ろへはかへらない 足が地面にめり込んでもかへらない」。物心ともに被災地の、被災者の復興が少しでも前に進むことを願ってやまない。

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まったくその通り、と思いました。

千葉県北部に位置する当方自宅兼事務所は、54時間の停電に見舞われたくらいで、幸いに建物への損害はほとんどありませんでした。しかし、南の方では未だに傷跡が残り、生活を立て直すめどが立たずにいる方々も多いのが現状です。

上記一面コラムの上に載った、一面トップの記事がこちら。

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最初に書いた通り、被災規模では比較になりませんが、東日本大震災の時も、津波被害の大きかった地域はこんな感じだったんだろうな、と思いつつ拝読しました。人的被害が少なかったのが、まだしも不幸中の幸いだったと思います。しかし、頻度ということを問題にすると、津波より台風の方が多いわけで、そのあたりが見出しにもある「町に残るか、離れるか…」という悩みにつながっているようです。

とにもかくにも「忙人寸語」の末尾のように、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)の如く、「のろのろと」でも、一歩ずつ進んで行くしかないのかも知れません。ちなみに「牛」全文はこちら(閲覧注意、102行もある詩です)。


【折々のことば・光太郎】

建築家は工芸家はじめ彫刻家、音楽家、園芸家等と一緒に仕事す可き性質のものです。提携などゝ言ふのはまだるい程密接す可きものと思ひます。

アンケート「建築家と工芸家との提携に就きて」より
 大正8年(1919) 光太郎37歳

「光太郎37歳」で思い出しましたが、今日、3月13日は光太郎の誕生日です。生誕137年となります。上記の【折々のことば・光太郎】は、数え年で光太郎の年齢を表記していますので1年ずれています。

閑話休題。作例は少ないものの、駒込林町のアトリエ兼住居など、自分でも建築設計にかかわった光太郎ならではの発言です。

当方自宅兼事務所はミサワホームさんの建築です。築20年近くになりますが、建立当時「阪神淡路大震災で1軒も全壊しなかった」というのが売りでした。宣伝ではありませんが、なるほど、確かに台風15号の際もびくともしませんでした。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。ただし、現在、関係各方面と開催か中止か協議中です。ご意見のある方、コメント欄(非公開も可能です)よりお願いいたします。
来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

現在発売中の『週刊新潮』さん(3月12日号)。作家・五木寛之氏の連載「生きぬくヒント!」が、「高村光太郎の国民歌」というタイトルです。

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ちなみに五木氏、一昨年も同じ連載で光太郎に触れて下さっています。

今回取り上げられているのは、昭和15年(1940)に光太郎が作詞し、飯田信夫が作曲、徳山璉(たまき)の歌唱でヒットした「歩くうた」。

当時の日本放送協会が、「国民歌謡」というラジオ番組を放送しており、その中で流すために光太郎に作詞を依頼したものです。同番組のテキスト第76輯に楽譜が収められ、のち、東亜音楽出版から単独の楽譜も刊行されました。

  歩くうた015
                                                 
 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 南へ、 北へ、 あるけ。 あるけ。
 東へ、 西へ、 あるけ。 あるけ。
 路ある道も、 あるけ。 あるけ。
 路なき道も。 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 目ざすは、 かなた、 あるけ。 あるけ。
 けぶれる、 ゆく手、 あるけ。 あるけ。
 果てなき、 野づら、 あるけ。 あるけ。
 こごしき 磐根、 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 身をやく、 日照り、 あるけ。 あるけ。
 塩ふく、 背中、 あるけ。 あるけ。
 身を切る、 吹雪、 あるけ。 あるけ。
 凍てつく、 目鼻、 あるけ。 あるけ。

 あるけ。 あるけ。 あるけ。 あるけ。
 思ひは、 高らか、 あるけ。 あるけ。
 大地の、 きはみ、 あるけ。 あるけ。
 海さへ、 空さへ、 あるけ。 あるけ。
 吾等を、 とどめず。 あるけ。 あるけ。

当時は4番まである歌は珍しくなかったので、「あるけ」が計48回(笑)。詩としてはしつこいと感じたのでしょうか、のちに詩集『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)に収められた際、歌の3番部分をカットし、全三連に改訂しています。しかし、歌としての「歩くうた」は光太郎の意図とは関係なく、その後も全4番で歌い継がれています。





飯田信夫は東京帝国大学工学部卒という変わった経歴を持つ作曲家ですが、他に有名な「隣組」(岡本一平作詞)などの作品もあり、戦時歌謡作曲の第一人者でした。

ビクターから徳山の歌によるレコードが2種発売され、それなりにヒットしました。徳山は「隣組」や「侍ニツポン」(西條八十作詞、松平信博作曲)なども歌っています。


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また、歌のないインストゥルメンタルバージョン、合013唱のみのバージョンも発売されています。

当方、徳山歌唱の2枚と、インストバージョンの計3枚を手に入れましたが、合唱のみのバージョンが未入手です。ただ、国立国会図書館さんのデジタルデータ「歴史的音源」の中に収録されていますので、聴いたことはありますが。

昭和7年(1932)生まれの五木寛之氏、戦時中、登下校の際に口ずさんだり、学校の授業の一環としての映画鑑賞(原節子さんも出演された「ハワイ・マレー沖海戦」だったそうですが)の際に映画館まで行進しながら皆でうたったりなさったそうです。

同様のご体験があったということを、故・髙村規氏や、故・金田和枝さんからも聴いたことがあります。

また、故・小沢昭一さんもおそらく似たようなご経014験をお持ちのようで、平成20年(2008)リリースのCD「昭一爺さんの唄う 童謡・唱歌」の中で、「歩くうた」の解説として「当世、メタボばやりのようですので、歩いたらいいじゃありませんか」と語られています。

五木さんも「最近、歩くことがきわめて少なくなった。一日一万歩どころか、千歩、いや五百歩も歩ていないのではないかと思う。昔は本当によく歩いたものだった。」という書き出しで、「歩くうた」の紹介につなげられています。そして末尾では、編集者に「コロナ・ウィルスが大流行ですから、あまりウロウロされないほうがいいですよ。」と言われてしまったというオチ。笑えませんね(笑)。

ところで『週刊新潮』さん。3.11関連で、グラビアページは東日本大震災がらみの、「復興の桜」「復興と月」という特集を組んでいます。被災地の桜や月を田中和義氏の美しい写真で紹介するものです。

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ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

靴は英吉利、サツマ下駄は太い丈夫な小倉の鼻緒。

アンケート「書名家の「頭」と「足」に関する趣味」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

「あるけ、あるけ」と語った光太郎、靴はイギリス製のものを愛用(靴に限らず、彫刻用の作業着や椅子なども英国製が好みでした)、普段は幅広の薩摩下駄だったようです。赤城山などの山歩きも下駄だったそうで。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、十分に感染防止に留意した上で、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。さらに再放送が2月17日(月)~21日(金)でした。

今度は新作で、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を取り上げて下さいます。 

にほんごであそぼ 「レモン(1)レモン哀歌」

NHK Eテレ 2020年3月2日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた「レモン哀歌」高村光太郎、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/瀬を早み岩にせかるる瀧川の われても末に逢はむとぞ思ふ(崇徳院)、童謡「鉄道唱歌」、うた「うれしや歌舞伎 ~三人吉三・髪結新三~」

出演 美輪明宏 中村勘九郎 中村勘太郎 小錦八十吉 おおたか静流 池田鉄洋 中村いてう 中村仲助 ほか


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3月2日(月)~3月5日(木)までが「レモン」の特集だそうで、その初日に「レモン哀歌」。ありがたいところです。関係者と思われる方のブログで、1月に収録があったという話を読み、近々放映があるだろうと思っていたところではありました。

それから、3月6日(金)の放映では、「道程」(大正3年=1914)が取り上げられます。こちらは「リクエスト」ですので、以前の映像の使い回しかも知れません。

にほんごであそぼ 「リクエストより」

NHK Eテレ 2020年3月6日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分

ひこうき山陽たんけんたい/「恩讐の彼方に」菊池寛、ヨシタケシンスケのはい!ここで名文/「道程」、野村萬斎/「梟山伏」その二、名台詞かるた/一目見ん、うた「うれしや歌舞伎 ~髪結新三~」

出演 野村萬斎 野村裕基 神田山陽(三代目) 中村勘九郎 中村勘太郎 おおたか静流 万作の会 中村いてう 中村仲助 ほか



ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

「道程」を書いたことは私のその頃の本当の気持をぶち込んだだけ自分としては記念のものであるが、詩としては穉いものだ。

談話筆記「『道程』の思ひ出――芸術院授賞に際して――」より
 昭和17年(1947) 光太郎60歳

前年創設された帝国芸術院賞の第一回受賞者と作品は、小磯良平の戦争画「娘子関を行く」、川田順の歌集『鷲』及び『国初聖蹟歌』、そして光太郎の『道程』でした。

大正3年(1914)刊行の『道程』に対し、今さら感が拭えませんが、昭和15年(1940)には『道程改訂版』が刊行されており、この時期、再び『道程』に脚光が当たっていたのは事実です。

ただ、大政翼賛会協力会議の議員や、日本文学報国会詩部会長などを歴任していた光太郎に対する箔付けといった意味合いが濃かったようにも思われます。

第64回連翹忌――2020年4月2日(木)――にご参加下さる方を募っております。詳細はこちら。新型コロナウイルス対策でイベントの中止等が相次いでおりますが、今後、パンデミック的な事態になってしまった場合は別として、今のところ予定通り実施の方向です。

来る4月2日(木)に日比谷松本楼様に於いて予定しておりました第64回連翹忌の集い、昨今の新型コロナウイルス感染防止のため、誠に残念ながら中止とさせていただくことに致しました。

昨日に引き続き、新刊情報です。 

マンガ名詩・短歌・俳句物語 2 名詩 下

2020年2月24日 目黒哲也企画・編集 学研プラス 定価3,600円+税

今もなお心に響く、すぐれた作品を残した詩人・歌人・俳人の物語をオールカラーのマンガで描く。2は、宮澤賢治、島崎藤村、新美南吉、高村光太郎ら10人の人生と詩を紹介する。巻末に「詩人」ミニ事典も収録。


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目次 
 宮澤賢治 作画・米田錦   島崎藤村 作画・兎谷しぇばこ 新美南吉 作画・ひらん
 高村光太郎 作画・北田ゆきと  北原白秋 作画・水木シュウ  
 萩原朔太郎 作画・柴田のぞみ   上田敏 作画・ノガミ陽  山村暮鳥 作画・糸永山藤
 吉野弘 作画・桜井ゆき  三好達治 作画・九条M+  「詩人」ミニ事典


B5判145ページがオールカラー。10人の詩人につき、10人の漫画家の皆さんが、10数ページずつのマンガになさっています。評伝的にその生涯をたどる作品(賢治、南吉、光太郎、白秋)もあれば、代表的なエピソード一つに的を絞ってその詩人を描く作品(藤村、朔太郎)もあり、さらに詩人自身は登場せず、代表作を現代人が鑑賞するといったコンセプトの作品(上田敏、暮鳥、吉野弘、三好)もあって、なかなかバリエーションに富んでいます。

光太郎は16ページ。

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イケメンに描いて下さるのはありがたいのですが、もう少し似せてもいいような(笑)。

内容的にはダイジェストながら、押さえるべき点はしっかり押さえられていて感心しました。欧米留学によって新しい真の芸術に開眼し、父・光雲を頂点とする旧弊な日本彫刻界と対立を余儀なくされたこと、そのため、胸中の鬱屈を彫刻に反映させないよう、詩作に取り組んだこと、智恵子との生活のくまぐま、その歿後の翼賛活動、それを悔いての戦後の隠遁生活、そして十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)……。

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最後のコマのネームが言い得て妙です。曰く「悩み苦しみ抜いた彼の人世こそが、彼の最も尊い最高傑作なのかもしれない」。

しかしながら、突っ込みどころもいろいろありまして(笑)。例000えば戦後の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村の山小屋。元々は鉱山の飯場小屋だった建物でしたが、やけに立派な家に描かれています。また、ニューヨーク留学中に、メトロポリタン美術館でガットソン・ボーグラムの彫刻を見て感心し、弟子入りを志願することを決意するシーン。光太郎が見たのはギリシャ神話の「ディオメデスの馬」の彫刻だったのですが、どうもそこまで調べがついていなかったようで、それが描かれていなかったりします。こういう点に関しては、依頼があればいくらでもお答えするのですが……。ただ、逆に、テキトーな彫刻の絵を描くよりは、わからないものはわからないから描かないという選択は評価されるべきでしょう。

このシリーズ、全4巻で、詩が下2巻、短歌俳句でそれぞれ1巻ずつとなっています。小中学校さんの図書室等にあると、なかなか使いでがあるように思われます。全国の先生方、どうぞよろしく。また、もちろん、一般の皆さんもぜひお買い求め下さい。

ただ、今日の時点で版元の学研プラスさんのサイトには掲載されていません。しかし、Amazonさん等にはすでに出ています。


【折々のことば・光太郎】

私が心身を傾倒するのは自然そのものになり、触目の自然が包むその奥所こそ私の祭壇なのである。私はあくまでも人間を作り、自然を描く。

散文「お経を聞いて」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳


自分は父・光雲とは異なり、敬虔な仏教徒ではないので、そんな自分が仏像を彫ると仏様に失礼だから彫らない、という話の流れの中での言葉です。

ところが最晩年の「乙女の像」には、観音像の要素も含まれているわけで、そのあたりの心境の変化が興味深いところです。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。2月3日(月)~7日(金)まで、光太郎特集を組んで下さいました。ほぼ過去の映像の使い回しでしたが、それだけに「ああ、こんなのもあったっけな」という感じでした。また、当方が存じ上げなかっただけかも知れませんが、新作(?)もあったような……。

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で、来週、2月17日(月)~21日(金)で、再放送があります。 

にほんごであそぼ

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

「高村光太郎(1)冬が来た」
2020年2月17日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、絵あわせ百人一首/山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗于朝臣)、歌舞伎/舞づくし「京鹿子娘道成寺」より、投稿ごもじもじ、童謡「ペチカ」、リクエストより・うた「ベベンの冬が来た」「道程」
出演 美輪明宏 中村勘九郎 小錦八十吉 おおたか静流 うなりやベベン ほか

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「高村光太郎(2)人に」
2020年2月18日(火) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ひこうき山陽/いやなんですあなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、野村萬斎/立春、絵あわせ百人一首/淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)、童謡「早春賦」、はんじえ/ふじばかま→めじろ、うた「道程」
出演 野村萬斎 三代目神田山陽 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(3)道程」
2020年2月5日(水) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ヨシタケシンスケのはい!ここで名文・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、絵あわせ百人一首/人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(後鳥羽院)、ぎお~んごー/歩く、童謡「早春賦」、投稿ごもじもじ、うた「道程」
出演 美輪明宏 三代目神田山陽 小錦八十吉 おおたか静流 白A ほか

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「高村光太郎(4)あどけない話」
2020年2月6日(木) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、絵あわせ百人一首/君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)、投稿ごもじもじ、童謡「早春賦」、うた「道程」
出演 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 おおたか静流 ほか

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「高村光太郎(5)牛」
2020年2月7日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
牛はのろのろと歩く「牛」高村光太郎、野村萬斎/摺り足、リクエストより・うた「ことわざしりとり」
出演 美輪明宏 野村萬斎 小錦八十吉 ほか

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「うた」のコーナーの「道程」は、やはりこれまでにも放映された坂本龍一さん作曲のものですが、長短2バージョンあり、両方とも放映されます。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩を本気に書く気になつたのは後年巴里に行つてボオドレエルとヴエルレエヌとに強く打たれたからの事である。

散文「紐育より巴里へ」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

明治41年(1908)、パリへ移った光太郎は、プルースト研究家であったマリー・ノードリンガーという女性に、フランス語を教わりました。マリーがテキストに使用したのがボードレールやヴェルレーヌの詩。はじめ光太郎はそれらを童謡かと思ったとのことです。

しかし、そうでないと知るや、詩とはこんなにも平易な日常語で書いていいものなのだと思ったそうです。

昨日は福島県の浜通り、双葉郡富岡町に行っておりました。こちらで開催された「福島大学うつくしまふくしま未来支援センターシンポジウムin 富岡 ~ほんとの空が 戻る日まで~」拝聴のためです。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠した、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)さんの主催による同様のシンポジウムは、これまでも全国で9回開催されてきており、今回で10回目です。なかなか日程等が合わず、参加できないでおりましたが、今回初めて伺うことができました。

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会場は、富岡町の文化交流センター学びの森さん。

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富岡というと、桜の名所です。特に有名なのが、夜の森地区の桜。しかしその近辺は、福島第一原発事故による帰還困難に指定されたままです。

そこで、ロビーには桜の写真や絵。

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地元の皆さんが、ほんとうの桜を心ゆくまで楽しめる日が一刻も早く訪れる事を願ってやみません。

さて、会場へ。

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午後1時、開会。

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平日にもかかわらず、けっこう多くの方がご参加。地元の行政関係の方が出張扱いでいらしているケースが多かったようです。

基調講演は、(公社)中越中越防災安全推進機構統括本部長・稲垣文彦氏。

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平成16年(2004)の新潟県中越地震の事例、特に山間部の山古志村での取り組み、さらに東日本大震災時に郡山市のビッグパレットふくしまに開設された避難所の支援に当たられたご経験などを話されました。

その中で、東日本大震災時に、福島の浜通りから新潟に避難した女性のエピソードが、象徴的でした。氏が女性に「一番つらいことは」的なご質問をされ、しばらく考えた末に返ってきた答えが「青い空が見えなくなったことかな」。太平洋側の冬は抜けるよう青空となりますが、日本海側は曇天、もしくは雪空。まさに「ほんとの空」を失われたわけで……。

しかし、各地での復興に向けての力強い取り組みなどの様子を知り、救われる思いもしました。

休憩後、パネルディスカッション。まず4人のパネラーの皆さんが、それぞれの地域での現状や課題などを発表され、その後、討議というスタイルでした。

最初のパネラーが、旧知の川内村村長・遠藤雄幸氏。同村は当会の祖・草野心平を名誉村民として下さっています。今回、氏がパネラーということもあり、ぜひ参加せねばと思った次第です。下は受付で無料配付されていた川内村の観光案内的なパンフレットから。

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毎年7月の天山祭会場となっている(昨年は雨天のため村民体育センターでしたが)、川内村での心平別荘として村人の皆さんが建ててあげた「天山文庫」等の紹介。設立協力委員であった、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝・髙村豊周の名も記されています。

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他のパネラーは、秋元正國氏(双葉地方町村会常務理事兼事務局長)、牧ノ原沙友里氏(一般社団法人ならはみらい主任)、仲井康通氏(FURE相双地域支援サテライト長)。モデレーターとして初沢敏生氏(FUREセンター長)、さらに基調講演をなさった稲垣氏も加わり、こちらもさまざまな事例等の報告がなされ、興味深いものでした。

終了後、遠藤氏と少しお話をし、会場を後にしました。家庭の事情もあり、ほぼとんぼ返り。余裕があれば町内各所の様子を詳しく見て回りたかったのですが。

それでもこんな風景も。何もなければほんとにのどかな町だったのでしょうが……。

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しかし、現実には、右画像の通り。020国道6号線ですが、ここから先はしばらくゴーストタウン状態です。

FUREさん、「福島大学は「福島の地にほんとの空が戻る日まで」、このセンターを拠点に「福島」の復旧、復興を支援いたします。」と謳って下さっています。

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一刻も早くその日が来ることを願ってやみません。

【折々のことば・光太郎】

荒れ狂ふ風と、霙と、波と、もとつ外の眼に見えない天然素のやうなものとが、実に思ふ存分な真似をしてゐた。力一ぱいな事をしてゐた。船なんか、人間なんか、まるで眼中になかつた。

散文「遙かにも遠い冬」より 昭和2年(1927)
光太郎45歳 明治39年(1906)


海外留学のため、横浜から乗船したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアン号船上での体験――アリューシャン沖でとてつもない荒天に見舞われ、船が沈没の危機に陥ったこと――の回想です。

まったく天災には抗しようがない時があります。しかし、人災となると、話は別ですね。

朗読系イベントです。 

梅花の朗読会

期 日 : 2020年2月15日(土)
会 場 : 
守谷中央図書館 3階 視聴覚室 茨城県守谷市大柏937番地の2
時 間 : 午後2時から午後3時30分
料 金 : 無料

読み聞かせ研修(朗読)講座を受講した方々が、 その成果をお披露目します。
楽しい朗読と群読。あなたの心に届きますように。


司会 澤 則子
 1 『道程』          高村 光太郎/著    出演者 全員
 2 『ラブ・ミー・テンダー』 江国 香織/作   鬼形 允子
 3 『ざしき童子のはなし』  宮沢 賢治/作
小川 政江・草野 美津子・小磯 節子・下拂 有子  
 4 『梅のにおい』      夢野 久作/作   青木 明子・神田 綾子・遠藤 その子
 5 『日本は二十四時間』 松谷 みよ子/作    青井 雅代
 6 『青春とは』        サムエル・ウルマン/詩  
髙橋 博子・平沢 琴路・福住 孝子・藤沢 由美
 7 『お祭り』         北原 白秋/著   ~開場の皆様 全員で


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光太郎詩の代表作の一つ「道程」(大正3年=1914)が、オープニングで取り上げられています。ありがとうございます。

当方が市民講座等でこの詩に触れる際には必ず申し上げていますが、執筆から既に1世紀以上経っていながら、少しも古くささを感じさせず、現代の我々、特に若い世代へのエールとして、少しも色あせていないように思います。

全国の朗読愛好者の皆さん、光太郎詩はあまり朗読向きではないと思われがちなところもあるようですが、そのようなことはありません。どんどん取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

僕は一度やり出したら、碁でも将棋でも何でもわれを忘れて打ち込みさうで、あぶなくてならないんです。ゆゑにこいつに深入りしてはならないといふ臆病な考へから、自ら警戒して自重してゐるために、何でも好きだが、何にもしないといふ妙な具合になつてしまつたのでせう。

談話筆記「何でも好きだ」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

彫刻、絵画、書、詩、翻訳、評論、短歌、俳句など、実にマルチな才能を随所に発揮した光太郎ですが、さりとて「趣味」といえるのものは特になかったようです。

まずは今朝の『朝日新聞』さん。 

(天声人語)いちばんの寒波

冬という季節に力強さを見ようとするのが、高村光太郎の詩「冬が来た」である。〈きつぱりと冬が来た〉〈きりきりともみ込むやうな冬が来た〉。草木が枯れ、虫もいなくなる寒い季節を、詩人は両手を広げるように歓迎する▼〈冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ〉。高村のように「冬が来た」と高らかにうたうには、遅すぎる時節ではある。日本列島はきのうになって、この冬いちばんの寒波に見舞われた▼「僕に来い」と待ちわびていたのは、雪不足のスキー場や雪まつりの会場だろう。伝統行事の「かまくら」を控える秋田県横手市では周辺から雪をかき集め、かまくらを何とかこしらえていた。それがようやく自前の雪で仕上げができるようになったという▼和歌山県串本町から届いた知らせは、雪や氷でなく「海霧(うみきり)である。この土地の冬の風物詩で、冷たい空気にさらされて海から霧がのぼる。島影が浮かび、幻想的な景色が生まれるという。今年は暖冬でふるわなかったが、きのうはきれいにたちのぼった▼汗ばむような日もあり、居心地の悪さすら感じていたこの冬である。そのせいだろうか、厳しい寒さがすこしうれしいような気にもなる。春はすぐそこだという心の余裕もあるのかもしれない。寒風のなか、紅梅がほころんでいるのを見かけた▼冒頭の詩で高村は、冬の鋭さを〈刃物のやうな〉とも表現した。刃こぼれをしているような感じがした今年の冬も、今ようやく研ぎ澄まされた。

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光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)。この手の一面コラムでしばしば紹介されますが、おおむね11月から12月に取り上げられることがほとんどです。平成28年(2016)11月の『東奥日報』さん、平成30年(2018)12月の『河北新報』さん、昨年11月の『中国新聞』さんなど。

ところが、今年になって1月に『山陽新聞』さんがこの詩を取り上げ、「ずいぶん遅い『冬が来た』だなあ」と思っていたところ、今日になって『朝日』さん(笑)。たしかにこの冬の暖冬傾向は異常といえば異常でした。光太郎と違って寒さを苦手とする当方としては、過ごしやすくていいのですが(それでも先週末から昨日くらいまで風邪気味でした)。

ちなみに自宅兼事務所のある千葉県では、既に菜の花も咲き乱れています。北国の皆さん、すみません(笑)。

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もう1件。先月末の『高知新聞』さん。 光太郎の名は出ていませんが。

小社会 言い訳

 文豪には人間の弱さを抱え、失敗も絶えない人が多いようで、さまざまな言い訳を駆使した書簡が残っている。例えば、夏目漱石。友人あてのはがきに〈十銭で名画を得たり時鳥(ほととぎす)〉。

 中川越さん著「すごい言い訳!」によると、漱石はこの友人にあてた絵はがきに切手を貼り忘れた。切手代を取られた友に謝りつつ、自らが描いた「名画」を手に入れたとして感謝を強要したユーモアだという。漱石の絵は、といえば名画にはほど遠い素朴さだった。

 新聞連載の原稿執筆が遅れてしまった泉鏡花が、催促してくる編集者にあてた手紙もある。〈涼風たたば十四五回もさきを進めて其(そ)のうちに一日も早く御おおせのをと存じ…〉。

 簡単にいえば、締め切りを守れないのは暑くてかなわないからだと言っているだけ。ところが、苦しい釈明は美しく流麗な文体で書かれている。中川さんは「編集者は、この言い訳にも原稿料を支払いたくなったのでは」。

 この人の言い訳はどうだろう。国会で「桜を見る会」を巡る疑惑追及が続く。安倍首相は答弁で「歴代内閣も」「鳩山首相も」。追い詰められると「あの人だって」となるのは、どうも成熟した政治家の弁明とは思えない。

 国会はちゃんとした政策論争を、という声も出ている。ただ、「桜」は公文書の廃棄など民主主義の根幹に関わる問題だ。まずは美しい言い訳…ではなく誠実に説明責任を果たす方が先だろう。


昨年刊行され、光太郎も取り上げて下さった中川越氏著『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』を引き合いに、今国会を皮肉っています。ある意味痛快ですが、反面、「ないものねだり」というか、「高望み」というか……。末尾の「美しい」も「見苦しい」だろ、と突っ込みたくなります(笑)。あの人の辞書には、「冬が来た」にある「きっぱりと」という単語は載っていないのだと思います(笑)。

明日も新聞記事系から。


【折々のことば・光太郎】

私のからだの中には確かに手におへない五六頭の猛獣が巣喰つてゐる。此の猛獣のため私はどんなに苦んでゐるか知れない。私をしてどうしても世人に馴れしめず、社会組織の中に安住せしめず、絶えず原野を恋ひ、太洋を慕ひ、高峰にあこがれ、野蛮粗剛孤独不羈に傾かしめるのは此の猛獣共の仕業だ。私は人一倍人なつこく、温い言葉と春のやうな感情とに常に飢ゑてゐるのだが、この猛獣のおかげで然ういふ甘露の味を味ふ事が実にすくない。

散文「私の事」より 大正9年(1920) 光太郎38歳


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光太郎、実は「春のやうな感情とに常に飢ゑて」いながら、それを得られず、「冬」を愛さざるを得なかったというわけですね。

大正13年(1924)には、前年の関東大震災によってあらわになった社会矛盾を痛烈に批判する連作詩「猛獣篇」の制作が始まります。光太郎の生前に単行詩集としてまとめられることはなかったのですが、没後、昭和37年(1962)になって、当会の祖・草野心平が鉄筆を執り、ガリ版刷りで刊行されました。

雑誌系、2件ご紹介します。

まず、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』2020年2月号。平成29年(2017)から花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は詩「平和時代」(昭和3年=1928)が紹介されています。

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画像はクリックで拡大します。お読み下さい。


もう1点。JR東日本さんで発行している『大人の休日倶楽部』2020年2月号。「詩とあるくふくしま」という特集が16ページ組まれています。

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当会の祖・草野心平が大きく取り上げられています。光太郎に関する記述もあるのでは、と思って入手しましたが(例によってネットオークションです)、残念ながら光太郎の名は出てきませんでした。

その代わり、詩人の和合亮一さん、いわき市立草野心平記念文学館さんの学芸員・渡邊芳一氏、川内村商工会長であらせられる井出茂氏など、旧知の方々のお名前が。

心平に関しては、記念文学館さん、心平生家、菩提寺の常慶寺さん、そして心平を名誉村民に選定して下さった川内村などが取り上げられています。

「詩と歩くふくしま」という題名でしたら、「智恵子抄」がらみで「ほんとの空」のある安達太良山、阿武隈川、磐梯山なども取り上げていただきたいところですが……。今後に期待します。

ちなみに『大人の休日倶楽部』さんでは、平成25年(2013)、当時為されていた「一枚の手紙から」という連載で、光太郎から津田青楓に送られた明治44年(1911)の葉書を取り上げてくださり、その際には当方もライターの方に協力させていただいております。こちら、ご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

東京は今、日の色の大変いい時です。樹の幹のかがやく時です。枝がみんな脈をうつて来てゐます。それが空の中で動いて空が網の目のやうに輝やいて居ます。
散文「千駄木より」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

今日から2月ですが、この文章での「今」というのは3月、上記「平和時代」同様、住居兼アトリエのあった本郷区駒込林町が舞台です。したがって、若干早いのですが、しかし温暖な千葉県では「枝がみんな脈をうつて来てゐる」という感覚はありますね。

自宅兼事務所の裏山では梅が咲き始めました。

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空も、「光の春」と称される2月らしく、清澄な中にも暖かさがほの見えます。本格的な春の到来が待ち遠しいところです。

NHK Eテレさんで放映されている「にほんごであそぼ」。来週1週間、光太郎特集を組んで下さいました。ありがたし。ただ、10分間の番組ですが、全編が光太郎、というわけではないようです。 

にほんごであそぼ

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。

「高村光太郎(1)冬が来た」
2020年2月3日(月) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、絵あわせ百人一首/山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(源宗于朝臣)、歌舞伎/舞づくし「京鹿子娘道成寺」より、投稿ごもじもじ、童謡「ペチカ」、リクエストより・うた「ベベンの冬が来た」「道程」
出演 美輪明宏 中村勘九郎 小錦八十吉 おおたか静流 うなりやベベン ほか

「高村光太郎(2)人に」
2020年2月4日(火) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ひこうき山陽/いやなんですあなたのいってしまふのが「人に」高村光太郎、野村萬斎/立春、絵あわせ百人一首/淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守(源兼昌)、童謡「早春賦」、はんじえ/ふじばかま→めじろ、うた「道程」
出演 野村萬斎 三代目神田山陽 おおたか静流 ほか

「高村光太郎(3)道程」
2020年2月5日(水) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
ヨシタケシンスケのはい!ここで名文・ひこうき山陽/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、絵あわせ百人一首/人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(後鳥羽院)、ぎお~んごー/歩く、童謡「早春賦」、投稿ごもじもじ、うた「道程」
出演 美輪明宏 三代目神田山陽 小錦八十吉 おおたか静流 白A ほか

「高村光太郎(4)あどけない話」
2020年2月6日(木) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、絵あわせ百人一首/君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな(藤原義孝)、投稿ごもじもじ、童謡「早春賦」、うた「道程」
出演 竹本織太夫 鶴澤清介 三世桐竹勘十郎 おおたか静流 ほか

「高村光太郎(5)牛」
2020年2月7日(金) 午前6時35分~午前6時45分/ 午後5時00分~午後5時10分
牛はのろのろと歩く「牛」高村光太郎、野村萬斎/摺り足、リクエストより・うた「ことわざしりとり」
出演 美輪明宏 野村萬斎 小錦八十吉 ほか


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ラインナップを見ると、どうもここ数年間で放映されたものの再編集のようです。昨年には同様の企画で、当会の祖・草野心平が1週間取り上げられていました。ちなみに「うた」のコーナーの「道程」は、やはりこれまでにも放映された坂本龍一さん作曲のものでしょう。

こうしてみると光太郎詩、あえて子供向けに書かれたものでなくとも、子供にもある程度理解できる内容のものが多いのだな、と感じました。逆に、あえて子供向けに書かれたもの(戦時中に多いのですが)には、ほとんどろくなものがありません。「少年飛行兵の夢」(昭和18年=1943)とか、「ぼくも飛ぶ」(同)とか……。

閑話休題、「にほんごであそぼ」、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

男女が一緒になれば、自然に家事が出来ます。正当に住むによい様にする為めには、女は女だけの仕事がありませうが、力業を要する事は男子のするのが当然で、それをするので職業の妨げになるといふのは、怠慢を弁護する申分でせう。
談話筆記「妻君の位置」より 大正4年(1915) 光太郎33歳

ここで云う「家事が出来ます」は、やらなければならないことが生じる、という意味でしょう。

光太郎、当時としては家事の分担をかなり担っていた方だと思われます。ただ、「力業を要する事は男子のするのが当然」ということは、「力業を要しない事は男子がやらなくともよい」ということになり、「女は女だけの仕事がありませう」あたりと併せ読むと、まだまだその辺の意識は不十分だったようにも思えます。

しかし、「力業を要しない事は女子がやるのが当然」とは云っていませんのでよろしく。

申し込み締め切りがとりあえず明日でした

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)さんの主催により、これまでも全国各地で開催されてきた東日本大震災からの復興支援シンポジウムで、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠して下さっています。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターシンポジウムin 富岡 ~ほんとの空が 戻る日まで~

期 日 : 2020年2月13日(木)
会 場 : 
富岡町文化交流センター学びの森 福島県双葉郡富岡町大字本岡王塚622-1
時 間 : 13:00~16:00
料 金 : 無料

東日本大震災から9年が経過しようとする中、住民の期間が思うように進まないなど被災地域は今なお多くの課題を抱えています。被災地域の「これから」について「コミュニティの再生」という面から、首長をはじめとする関係者が一堂に会し議論します。

基調講演 住民自らが取組むコミュニティの再生 (公社)中越防災安全推進機構統括本部長 稲垣文彦氏

パネルディスカッション 被災地域におけるコミュニティの再生
 モデレーター  初沢敏生氏(FUREセンター長)
 コメンテーター 稲垣文彦氏(基調講演講師)
 パネリスト      遠藤雄幸氏(川内村長)
         秋元正國氏(双葉地方町村会常務理事兼事務局長)
         牧ノ原沙友里氏(一般社団法人ならはみらい主任)
         仲井康通(FURE相双地域支援サテライト長)


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これまでも全国各地で行われてきたこのシンポジウム、このブログでご紹介するたびに「いずれ参加せねば」と思っておりましたが、今回、ディスカッションのパネリストに、旧知の川内村長・遠藤雄幸氏の名があるもので、申し込ませていただきました。ちなみに遠藤氏、平成29年(2017)に新潟で開催された際もパネリストを務められていましたが、その際は欠礼いたしました。

申込期限は明日ですが、これまでの例ですと、定員に達せず、追加申込期間が設定されることがほとんどでした。3.11も近いことですし、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

今朝汽車の中から暁の晴れた空と薄緑の草原と遠い地平線の雪を頂いた連山とを見た時には本当に蘇生した様な思ひをした。

散文「ルセルンの旅舎より」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

雑誌『女子文壇』に発表されたのが大正3年(1914)ですが、内容的には欧米留学の最後の頃、明治42年(1909)3月から4月にかけ、スイス経由でイタリア旅行に出た際の、ルツェルンでの様子を書簡体で綴ったものです。宛先は親友だった水野葉舟。実際に葉舟に送った書簡そのままなのか、それを思い返して新たに書いたのか、または葉舟に手紙を書いたということ自体がフィクションなのか、そのあたりは判然としません。

生涯、大自然の美しさに惹かれ続けた光太郎でしたが、欧米留学中はほとんど都市部にばかりいたため、久々に接した雄大な自然に「蘇生した様な思ひ」を抱いたようです。

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安達太良マウンテンガイドネットワーク公募企画ツアー

公募企画は、安達太良マウンテンガイドネットワークが自信をもってお勧めする、お任せタイプの公募型登山ツアーです。
2020年冬のシーズンの始まりです。安達太良山は来春までは積雪期のアクテビティをお楽しみください。安心して冬山トレッキングをするには地元を知るプロの登山ガイドにお任せください。
「智恵子抄」で詠まれているほんとの空がある安達太良連峰。安達太良山は北から鬼面山、箕輪山、鉄山、安達太良山、和尚山がほぼ南北に並ぶ複合火山です。東からの眺めはなだらかな裾野が広がる一見女性的な穏やかさですが、西側は火口が開き、火山活動によって変質した頂上付近には植物すら生えない荒々しい男性的景観を示しています。その美しい山々をめざすスタート地点の登山口は7つ。この内、最も多くの登山者に利用されているのが、安達太良スキー場のリフトを利用できる奥岳コースです。ゆっくりと稜線の醍醐味をお楽しみになりたい方、温泉のある小屋「くろがね小屋」に泊まる方、野地温泉までの安達太良山縦走もございます。ご自分のレベルに合わせてご参加ください。


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自然のままの山を滑る楽しさを味わえる、バックカントリー実技編‼️ in安達太良山
リフトやスキー場の雑音が届かない手つかずの大自然を滑るバックカントリーは近年脚光を浴びています。地形を読み、雪を読み、リスクと向き合い、そして自然の恩恵を感じながら滑る究極のスポーツがバックカントリーです。経験豊かなガイドと一緒に安心してバックカントリーを楽しんでいただけるツアーです。

*初中級者(ゲレンデスキーでシュテムターンができる方SAJ2級程度)を対象としたツアーです。
*バックカントリーで使うギアの使い方や、疲れにくい歩き方、雪と地形を読み安全に考慮したルートセッティングをわかやすレクチャーします。
*準備物:冬装備、バックカントリーを滑走するのに必要な道具を持参する。
開催日 : 2月11日(祝)  3月8日(日)  
集合場所:あだたら高原スキー場レストハウスに9時集合(解散予定15時)
締め切り:開催日の5日前までにお申込みください。
参加費 7,000円(リフト代、保険料別途)

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厳冬の安達太良山縦走ツアー‼︎ 2日間(秘湯くろがね小屋泊)
1日目は奥田岳(あだたら高原スキー場)から標高1350m(標高差400m)にある温泉つきのくろがね小屋泊までの行動になります。(行動時間2h)
2日目はくろがね小屋を出発して山頂をめざします。峰の辻から火山源が見られる牛の背稜線に出て沼の平を経て安達太良山の峰に立ちます。お天気次第では飯豊連峰や蔵王連峰を望むことが出来るかと思います。
*スノーシューレンタルします。アイゼン10本爪以上必須です。
*お友だちが3人揃ったらツアー以外の日程でも催行しますのでご相談ください。
期日 :  2020年2月16日(日)〜17日(月)  3月 8日(日)〜 9日(月)
 郡山駅10時集合(現地集合🆗) 2日間  
*参加申込み〆切催行10日前迄
参加費 15,000円(ガイド料) 他、諸経費14,500円(登山口までの移動費、山小屋2食代、下山後温泉代、保険料) 総額29,500円になります。




魅力満載の稜線歩き〜厳冬・残雪の安達太良山ツアー! 日帰り(郡山駅集合です)

奥田岳登山口(あだたら高原スキー場)からリフトに乗って1350mの薬師岳へ。ここから眺める白銀の安達太良山には目を奪われそうです。積雪状況によりスノーシューやアイゼン装着して山頂まで約2時間半の稜線歩きを堪能してください。
*スノーシューレンタルします。アイゼンは10本爪以上必須です。
*お友だちが3人揃ったらツアー以外の日程でも催行しますのでご相談ください。
開催日 : 2月24日(月) 3月15日(日)
*参加申込み〆切催行5日前迄
参加費 10,000円(ガイド料) 他、諸経費5,000円(登山口までの移動費、リフト代、温泉代、保険料) 総額15,000円になります。

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この時期の安達太良山、なかなか厳しい自然環境でしょうが、生涯「冬」を愛した光太郎など、大喜びで参加しそうです(笑)。若い頃の智恵子も新潟の友人宅に滞在して、我が国に紹介されて間もないスキーに興じたことがありましたし。

ご都合のつく方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】
見て少しも不自然な人工的の表情がなく、夫れで居てヴアイオリンの最高調の音を聞く様な気持を起こさせる――玆まで行かなければ表情の極地とは云はれません。

談話筆記「女の顔と表情」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

日本女性はとにかく表情に乏しい、という話から、しかし欧米人のように大袈裟な身振り手振りや目をひんむくような表情でも困る、といった流れの中での結論です。

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