カテゴリ: 東北以外

神奈川県鎌倉市から、企画展情報です。

没後35年 高田博厚展

期 日 : 2023年1月21日(土)~1月31日(火)
会 場 : 鎌倉芸術館 神奈川県鎌倉市大船6-1-2
時 間 : 午前10時から午後5時まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

 本市ゆかりの彫刻家・高田博厚の没後35年を記念し、高田博厚展を鎌倉芸術館において開催します。高田博厚は、昭和41年に鎌倉市に住居とアトリエを構え、昭和62年に亡くなるまで多くの彫刻作品を創作した彫刻家です。
 本展覧会では、多くの優れた作品を生み出した高田博厚の生涯を、3つの時代(渡仏前、パリ時代、東京・鎌倉時代)に分け、それぞれの時代の作品を展示することで、作品の変遷を辿ります。中でも、生涯を通じて多数制作されたトルソを主に、高田の言葉と共に紹介することで、彼のトルソに対する想いや、個々の作品の細やかな違いを楽しめる他、作風に影響を与えたロダン等、他作家の彫刻作品も展示します。
 ロダン、ブールデル、マイヨールらヨーロッパ近代彫刻家についての研究を通じ、彫刻についての思索を深め、高い精神性が込められた作品を数多く残した、高田博厚の世界をぜひお楽しみください。
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早世した碌山荻原守衛を除き、戦前の光太郎が唯一深い交流を持っていた彫刻家・高田博厚。光太郎の援助もあって昭和6年(1931)に渡仏し、以後、光太郎と直接会うことは叶いませんでしたが、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に帰国するや、光太郎顕彰活動の一端を担ってもくれました。

帰国後にアトリエを構えていた鎌倉で開催される歿後35年記念展だそうで、光太郎胸像(昭和34年=1959)も展示される予定です。同型のものは各地に存在しますが。
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『毎日新聞』さんの神奈川版に、予告記事が出ていました。光太郎の名も出して下っています。

高田博厚の世界たどる 没後35年展、鎌倉で21日から 胴体彫刻など50点/神奈川

002 晩年を鎌倉市で過ごした彫刻家、高田博厚(1900~1987年)の没後35年展が21日から鎌倉芸術館ギャラリーで開かれる。生涯を通じて多く制作されたトルソ(胴体彫刻)のほか、西田幾多郎、萩原朔太郎らの頭像、デッサンなど約50点が展示される。
 高田は石川県生まれ。幼いころから、語学に優れ、文学や芸術に親しんだ。18歳で上京後、高村光太郎の勧めで彫刻を学び、31歳でフランスに渡った。作家のロマン・ロランや画家のポール・シニャックらと交流。第二次世界大戦中も帰国せず、新聞記者として活動し、パリ外国人記者協会の要職を勤めた。
 展示では、渡仏前▽パリ時代▽東京・鎌倉時代――の3期に分け、作品の変遷をたどる。胴体部分をクローズアップしたトルソを中心に「君は指で思索する」とロマン・ロランに称賛された高田博厚の世界が楽しめる。31日まで。無料。


ロダンやマイヨールの作も並ぶということですし、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后内田文子さん指圧の女性同伴くる、指圧をうける、


昭和31年(1956)2月8日の日記より 光太郎74歳

昭和30年代、40年代、故・浪越徳治郎氏の「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の名言と共に展開された普及活動もあって、指圧は民間療法として流行していました。

しかし、余命2ヶ月となった光太郎には焼け石に水だったようです。

光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝だった髙村豊周の作品が出ています。

かねは雄弁に語りき 石川県立美術館の金属コレクション

期 日 : 2023年1月4日(水)~2月5日(日)
会 場 : 石川県立美術館 石川県金沢市出羽町2-1
時 間 : 午前9時30分から午後6時まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般600円(500円) 大学生400円(300円) 高校生以下無料 ( )内団体料金

 美術館活動の核はコレクション(収蔵品)です。日本では、全国約5700館のミュージアムがそれぞれ独自のミッションのもとで作品を収集し、研究・展示・活用を行っています。ある分野に特化した美術館も多い中、石川県立美術館のコレクションの特色は、幅広い分野・時代の作品を所蔵していることです。「石川ゆかり」をキーワードに、古美術・工芸・絵画・彫刻などを網羅する作品群が、1959年の開館以来、今日まで受け継がれています。
 このたび、当館コレクションの魅力を発信する事業として本展を開催します。「金属」というテーマのもと、古美術から現代までの作品が一堂に会します。ふだんは時代や技法ごとに別々の展示室で紹介されている作品を同時に紹介する内容は、当館としては新たな試みとなります。「用途」「技巧」「素材」という3章構成で、音や重さ、“超絶技巧”など、様々な視点から金属の魅力に迫ります。冷たい、無機質などとイメージされることも多い金属ですが、実は色彩豊かで様々な表情をみせる素材であることをご体感いただけることでしょう。
 本展は、金属の魅力を紹介するとともに、コレクションの魅力をこれまでとは異なる視点から発信する機会となります。当館コレクションを見慣れた方も、そうでない方も、新たな発見を楽しんでいただければ幸いです。
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ネット上に出品目録がアップされていました。さらに「デジタル図録」も。
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豊周作品は「朱銅三筋文花入」。昭和40年(1965)の作品です。
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それから、豊周の弟子筋にして、光太郎歿後に光太郎ブロンズ作品を多数鋳造された、故・齋藤明氏の作品も。
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左が「青銅壺」、右は「朧銀斜交細文壺」。

豊周作品、齋藤氏作品、ともに金属でありながら、不思議な温かみが感じられます。それをいえば、優れた金工作品には共通する属性なのかもしれませんが。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる過北川太一氏くる、デユボンネ2本もらふ、 自民党某といふ人くる、病気の旨のべる、

昭和31年(1956)1月30日の日記より 光太郎74歳

デユボンネ」は、現代では「デュボネ」と表記することが多いようですが、フランス系のワインです。

自民党某」については、その場にいらした故・北川先生(当会元顧問)の証言が残っています。

あるとき、自由党の偉い人が来て、党の詩の選出を高村さんに頼みにきたことがあったんです。そのとき、晩年の高村さんは「今自分は身体が悪いから」と断ったんです。そしたら「いくつか選んでくるから、その中から一つを選んでくれればよいので」って言ったんです。それを聞いた高村さんは声を荒げて「詩の選をするなら、全部読んでその中からよいと思うものを選ぶので、君たちが選べばよいものをみんな落としてしまう」と答えた。声を荒げた高村さんはそのとき見ただけですが、上の人に対してそんな態度をとる一方で、僕ら青二才が行ってもまともに答えてくれるのは、すごい人だなと思ったんですよね。

北川先生の証言では「自由党」となっていますが、前年に「自由党」と「日本民主党」がいわゆる保守合同で「自由民主党」となり、55年体制が確立しました。

光太郎、戦前や戦時中に、雑誌の投稿詩の選者を務めたことが複数回あって、そのうち、編集部が一次審査的に選別してから光太郎に廻すというスタイルの場合もありました。それで、自分がいいと思う作品が落とされていたという経験があったのかもしれません。

それにしてもこの日の光太郎の塩対応、痛快ですね(笑)。

沖縄から企画展情報です。

美ら島おきなわ文化祭2022関連特別展「宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室の美と沖縄ゆかりの品々」

期 日 : 2023年1月20日(金)~2月19日(日)
会 場 : 沖縄県立博物館・美術館 沖縄県那覇市おもろまち3丁目1番1号
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般¥800(¥640) 高校・大学生¥500(¥400) 小・中学生¥200(¥160)
      ( )内は前売券または20名以上の団体料金。

 復帰50年を節目として行われる国民文化祭「美ら島おきなわ文化祭2022」の一環として、沖縄で初めて皇室に伝えられた美術工芸品の展覧会を開催します。
 宮内庁三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれてきた美術品などが平成元年(1989)に国に寄贈されたの機に、皇居東御苑に平成5年に開館した施設です。
 この度、三の丸尚蔵館が所蔵する沖縄ゆかりの油彩画や工芸品と、皇室に伝えられた名品の数々を紹介します。
 絵画や写真を通して、皇室に伝えられた沖縄の姿をご覧ください。

沖縄ゆかりの品々
 明治20年(1887)頃の沖縄を写生した山本芳翠の連作画をはじめ、旧桂宮家に伝えられた「琉球塗料紙箱・硯箱」、昭和天皇や秩父宮家に献上された沖縄ゆかりの作家による作品や沖縄に根ざした特色ある工芸品を展示します。
 また、宮内庁が所蔵する明治時代の古写真の中から沖縄ゆかりの人物写真や明治20年の沖縄を写した写真、明治34年撮影の「沖縄県内各学校写真帖」をパネルで紹介します。

皇室の美 北斎の肉筆画、沖縄で初披露
 三の丸尚蔵館が所蔵する名品から、江戸時代に活躍した円山応挙「張飛図」と葛飾北斎「西瓜図」を紹介します。
 また、明治時代初期に記録のために作成された「雅楽図」や、高村光雲・山崎朝雲「萬歳楽置物」、綴織による大型の壁掛けなど、皇室がその伝承に深く関わってこられた雅楽を主題とした作品や儀式で用いられた伝統的な装束、着物など、高貴で優美な染織美をご覧ください。
このほか、皇室の御慶事の折に記念品として作られてきた愛らしいボンボニエールなどを紹介します。
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三の丸尚蔵館さんといえば、今年年秋に再開館予定でリニューアル中。そこでその間、収蔵品を全国各地のこうした展覧会に出張させています。この手の展覧会で光雲作が出たものが、下記の通りです。

今回は、九州国立博物館特別展「皇室の名宝 ―皇室と九州を結ぶ美―」でも出品されたブロンズの「萬歳楽置物」(大正4年=1915)が展示されます。木彫原型が、光太郎の父・光雲と、その高弟・山崎朝雲の作、螺鈿の施された台座部分の制作者は、由木尾雪雄という蒔絵師です。大礼(即位式)に際して貴族院から大正天皇に献上されたものです。
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当方、一度、現物を拝見しましたが、実に見事な作でした。何より皇室で大切に保管されてきただけあって、状態がいかにもよく、まるで最近作られたばかりのようでした。

沖縄で光雲作品の展示というのはめったにありませんし、他にも逸品ぞろいです。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

后浅沼政規氏くる、余の談話筆記の原稿をあずかる、ヰスキーソーダを出す、

昭和31年(1956)1月19日の日記より 光太郎74歳

004浅沼政規氏」は、昭和27年(1952)まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山口小学校校長を務めていた人物。光太郎にかわいがられた子息の隆氏は今も山荘近くにお住まいで、光太郎の語り部を務めて下さっています。

余の談話筆記」は、昭和23年(1948)から同27年(1952)までの、山口小学校で行われた各種の行事や会合などでの光太郎のスピーチ、職員室での茶飲み話の際の発言などを浅沼が記録したもの。平成7年(1995)、ひまわり社さん発行の浅沼の回想録『高村光太郎先生を偲ぶ』に全34篇、50ページ以上にわたって掲載されています。高村光太郎研究会さん発行の『高村光太郎研究』中に当方編集の「光太郎遺珠」として連載を持たせていただいている中で、全篇を転載させていただきました。

浅沼は活字にすることを希望して、光太郎の元に原稿を持ち込みましたが、光太郎は個人的な発言のものであったり、必ずしも光太郎がしゃべった通りになっていなかったりということで難色を示し、光太郎生前には実現しませんでした。

新年早々残念な話題ですが……。
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千葉県銚子市犬吠埼の老舗旅館・ぎょうけい館さん。明治7年(1874)創業で、大正元年(1912)夏には、結婚前の光太郎が写生旅行のため滞在、それを追ってきた智恵子も宿泊し、愛を確かめ合った宿です。光太郎智恵子ゆかりの宿としてテレビ番組等で紹介されたこともたびたびでした。

光太郎が「智恵子抄」を執筆した宿、と紹介されることもありました。ただ、確かに犬吠から帰った直後に「智恵子抄」に収められた「或る宵」「梟の族」「郊外の人に」などの詩を発表していますが、これらをこの宿で書いたという事実は確認出来ていません。
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建物は建て替わり(明治期の生け簀の跡などは現存)、経営も代わって(現在の母体は日本ビューホテル株式会社さん)、宿の名も元々漢字だった「暁鶏館」から平仮名交じりの「ぎょうけい館」となりはしましたが、連綿と歴史を刻んで来られました。

当方、宿泊したことはありませんが、何度も訪れ、食事はさせていただいたりしました。

しかし、1月16日(月)のチェックアウトをもって、およそ150年の歴史に幕を閉じられるとのこと。残務整理等のため、1月31日(火)までは業務を続けるそうですが。
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既にレストランは営業を終了しています。

特に言及はされていないのですが、やはりコロナ禍によるところが大きいのではないのでしょうか。コロナのため全国的に大ホテルさんの営業停止が続いていますし。

どこか他の会社さんで営業を引き継いで「暁鶏館(ぎょうけい館)」の名を残していただければ、と思うのですが、難しいのでしょうね。

かえすがえす残念です。

続いて、まったくの別件ですが、テレビ放映情報です。

徹子の部屋 渡辺えり

004地上波テレビ朝日 2023年1月10日(火) 13:00~13:30

演劇の道一筋50年、渡辺えりさんがゲスト。高校卒業後は地元・山形に残ってほしかった父の反対を押し切り上京。当時、娘を心配した父からは毎日手紙が…。それほど娘を溺愛した父が昨年95歳で亡くなった。病室で最期に対面した後は葬儀までバタバタと進んだ。突然のことで気が動転する自分をなだめ、全てを取り仕切ってくれたのは弟だったという。実は父が他界する直前に足を剥離骨折した渡辺さん。自分のことまで気遣ってくれた親族のありがたさが身に沁みたと語る。

出演 黒柳徹子 渡辺えり

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ゲストの渡辺えりさん、昨年亡くなったお父さまについてのお話もなさるそうです。お父さまの渡辺正治氏、戦中、戦後と、光太郎と交流がおありでした。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃奥平さんくる、岩国のハスをもらふ、 ヒゲソリ、洗髪、 藤島さんくる、詩朗読の話、
昭和30年(1955)12月31日の日記より 光太郎73歳

昭和30年(1955)も暮れて行きました。光太郎の生命の炎、あと3ヶ月と少しです。

いわゆるコレクション展で、光太郎木彫2点が出ています。

メナード美術館開館35周年記念展 所蔵企画 35アーティストvol.Ⅱ

期 日 : 2023年1月6日(金)~4月2日(日)
会 場 : メナード美術館 愛知県小牧市小牧5-250
時 間 : 午前10時から午後5時
休 館 : 月曜日(1月9日は開館)、1月10日
料 金 : 一般 900円 (700円) 高大生 600円 (500円) 小中生 300円 (250円)
      ( )内は20名以上の団体

開館35周年記念展の第2弾「35アーティストvol.Ⅱ」では、当館を代表する作家35人のなかから9人の作品をご紹介いたします。大胆な筆づかいと色彩による作品を描いたゴッホ、北斎の娘で美人画の名手とうたわれた葛飾応為(後期展示のみ)、戦後の日本洋画壇をけん引した梅原龍三郎、詩人としても知られる彫刻家の高村光太郎らの作品をご覧いただきます。さらには、9人を軸にゆかりのある作家たちの作品をともに展示し、より当館のコレクションをお楽しみいただけるものとなっています。

主な出品作家
フィンセント・ファン・ゴッホ、ジェームズ・アンソール、尾形光琳(前期展示)
葛飾応為(後期展示)、安田靫彦、梅原龍三郎、国吉康雄、高村光太郎、鈴木五郎ほか


初公開コレクション
ノーマン・ロックウェル《牛乳配達夫とカップル(パーティー出席者たち)のための習作》
土佐光芳《三十六人歌合帖》、鈴木五郎《石との融合 五利部椅子》


その他の出品作家          
ピエール=オーギュスト・ルノワール ポール・ゴーギャン フェルナン・クノップフ
エドヴァルド・ムンク ピエール・ボナール ジュール・パスキン 
ノーマン・ロックウェル ポール・デルヴォー アレクサンダー・カルダー
本阿弥光悦(前期展示)  俵屋宗達(前期展示) 烏丸光広(後期展示) 葛飾北斎(後期展示)
小林古径 前田青邨 安井曽太郎 岸田劉生 前田寛治 高田博厚 佐藤忠良
など

というわけで、光太郎木彫「栄螺」(昭和5年=1930)と「鯰」(同6年=1931)が展示されています。
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「栄螺」は平成15年(2003)に、約70年ぶりにその存在が確認され、大きく報じられました。
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その後、同館が買い取り、時折展示して下さっています。光太郎彫刻の中では、一つのエポックメーキングとなった作品です。これを作る前と後で、彫刻の概念そのものに大きな変化があったとのこと。

「鯰」は、複数作られたもののうち、新潟の素封家・松木喜之七に贈られたものです。松木は鯉の木彫を光太郎に依頼し、光太郎も何とか彫り上げようとしましたが、どうしても自分で納得の行く作が出来ず、代わりに、とこの鯰を進呈しました。しかしその後、松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにも拘わらず「根こそぎ動員」に遭って出征、台湾沖で戦死してしまいました。光太郎は依頼に応えられなかったことを深く悔んだようです。
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光太郎木彫が見られる機会はそう多くありません。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜になつてから山口の浅沼菊蔵さん、重次郎さん細君忠善さん細君、佐々木といふ人とくる、昌歓寺に観音像との事、約束しがたき事告げる


昭和30年(1955)12月5日の日記より 光太郎73歳

山口」は昭和20年(1945)から同27年(1952)まで光太郎が蟄居生活を送っていた岩手県花巻郊外旧太田村山口地区。「昌歓寺」は太田村の古刹で、蟄居中に光太郎も何度か足を運んでいます。

そちらに新たに十一面観音像を奉納、その制作をお願いしたいという依頼はこれ以前からあり、おそらく来訪した面々は、見舞いがてらの催促だったように思われます。結局、それは実現出来ず、光太郎歿後になって光太郎の父・光雲の弟子筋に当たる彫刻家・森大造が光太郎の代わりに制作に当たりました。この像は同寺に現存しています。

大阪・堺から、昨日始まった展示情報です。

伊東静雄没後70年記念展示「手紙にみる伊東静雄」

期 日 : 2023年1月5日(木)~3月30日(木)
会 場 : 堺市立美原図書館 大阪府堺市美原区黒山167-14
時 間 : 火曜日から金曜日 午前10時から午後8時
      土曜日・日曜日・祝日 午前10時から午後6時
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

美原区に住んでいた浪漫派の詩人・伊東静雄の没後70年を記念して、中原中也や高村光太郎から送られた手紙の写真などを展示します。展示内容は途中で入替を行います。
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伊東静雄は光太郎より一世代後の明治39年(1906)生まれの詩人。わずかながら光太郎と交流があったようです。

今回の展示では光太郎から伊東宛の葉書の写真が展示されているようで、この一通が、伊東宛の唯一確認出来ているものです。筑摩書房さん『高村光太郎全集』には洩れていましたが、全集完結後に当会顧問であらせられた北川太一先生と当方の共編で刊行した『光太郎遺珠』に収めました。所蔵は伊東の故郷・長崎県の諫早市立図書館さんでした。

今回の開催案内には、他に萩原朔太郎、中原中也から伊東宛の葉書画像も出ていました。
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光太郎からのものは、伊東の詩集『夏花』の受贈礼状。昭和15年(1940)3月29日付けです。宛名面の伊東の住所が「堺市三国ヶ丘町」となっており、案内文の「美原区に住んでいた」というまさにその時期だったわけですね。

『夏花』に関しては、全く同じ日に詩人の富士正晴に送った葉書でも言及が見られます。曰く「昨日伊東氏より「夏花」をいただき喜びました、本も美しいと思ひました」。富士も大阪在住で、伊東と親しかったようです。

お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

后高見順氏文芸編集委員4人来訪、談話、筆記、


昭和30年(1955)11月15日の日記より 光太郎73歳

高見順は伊東と同世代の詩人。光太郎は高見のためにその詩集『樹木派』(昭和25年=1950)の題字揮毫をしてやったことがありました。

談話」は高見との対談ということで、翌年元日発行の雑誌『文芸』に「対談現代文学史(8)その頃を語る」の題で掲載されました。

毎年恒例となっていますが、昨日は初日の出を拝みに、九十九里浜に行っておりました。

以前は昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が療養していた現在の九十九里町の片貝海岸まで足を伸ばしておりましたが、そちらは近年、複雑な形の巨大防潮堤が出来てしまい、味気ない感じになってしまいましたので、昨年からは自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市でご来光を拝んでいます。

ついでに言うと、17歳で逝ってしまった愛犬が健在だった頃は毎年連れて行きましたが、一人で行くようになって3回目でした。現在も居る愛猫ではこんな際のお供は務まりません(笑)。

今年は、昨年行った足川浜というところからさらに南の海岸で。昨年の場所は車を駐めたり出したりで少し苦労しましたので。今年はそのあたりスムーズに動ける場所を探し出しました。それでもそれなりの人出でした。
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現地に着いた午前6時過ぎ。すでに東の空は茜色。
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西高東低の冬型の気圧配置で、太平洋上には低気圧があるため水平線上には雲がかかっていましたが、その上は快晴状態。なかなかいい条件でした。

それから、ここ数年で最も気温が高かったように感じました。それを裏付けるように、海面には海霧。幻想的でした。
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それでもやはり寒いのは寒いので、流木を集めて焚き火。
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この場所から右手の方。遙か遠く霞んでいる辺りが智恵子が療養していた片貝方面です。
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さて、6時50分過ぎ、雲の上に太陽が姿を現しました。
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人々の間からは歓声も。

コロナ禍やウクライナ侵攻、むちゃくちゃな日本の政治状況など、今年は解決して良い年となるようにと祈らざるを得ませんでした。

さて、夜。BS朝日さんで放映された「暦に集う ダイヤモンド富士」を拝見。
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昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため光太郎が訪れ、それを記念して昭和62年(1987)には光太郎文学碑も建立された山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。冬至の前後には富士山頂から日が昇る「ダイヤモンド富士」現象が見られる場所です。
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おそらく冬至の頃にロケが行われたのでしょう。アマチュアカメラマンの方々にお話を聞いていました。
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三田寛子さんによるナレーションでは昭和17年(1942)にこの地を訪れた光太郎が「こんなに立派な富士山は初めてだ」と感嘆したということに触れて下さいました。しかし、すぐ近くの光太郎文学碑は映されませんでした。

日テレさん系のニュースでも取り上げられました。光太郎の名は出ませんでしたが。

新年への願い込め…富士山の山頂から昇る“ダイヤモンド”初日の出 山梨・富士川町

 1日、山梨県富士川町では富士山の山頂から昇る初日の出に多くの人が新年への願いを込めました。
 山梨県富士川町の高下地区では毎年この時期、富士山頂から朝日が昇るダイヤモンド富士を見ることができます。
 1日は多くの人が訪れ初日の出を見ようとその瞬間を待ちました。
 そして午前7時26分ごろ、訪れた人は太陽と富士山が作る幻想的な光景に新年への願いを込めていました。
 訪れた人「20歳になって初めて見た初日の出だったのでよかった」
 訪れた人「自分は営業の仕事をしているが、去年の成績よりもことしは上を目指したい」
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かえすがえす、良い年になってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

長岡輝子さんくる、ブドウ酒2本もらふ、朗読について、


昭和30年(1955)11月3日の日記より 光太郎73歳

女優の故・長岡輝子さんが、中野の貸しアトリエを訪問なさったとのこと。長岡さんといえば、岩手のご出身で、同郷の宮沢賢治作品の朗読などでも有名な方でした。また、お父さまが光太郎と交流のあった渡辺えりさんは、長岡さんの舞台をご覧になって演劇の世界に進むことを決意されたそうです。

新刊系2冊ご紹介いたします。

まずは山梨県の中央線社さんから発行されている同人誌『中央線』の第79号。
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文芸誌というわけではなく、広く社会評論なども掲載されており、「総合同人誌」と銘打たれています。主に山梨県にご在住だったり、同県ご出身だったりという方々が寄稿されているようです。韮崎市ご出身で、平成27年(2015)にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智博士の玉稿も掲載されています(というか、大村氏が「発行人」ということになっています)。また、当方、4年近く同県に居住していたことがあり、執筆者の皆さんのお名前を見て、「ああ、甲州特有の苗字だな」などと思いました。
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閑話休題、やはり韮崎市ご出身で、太平洋美術会(智恵子が籍を置いていた太平洋画会の後身)に所属されている坂本富江氏による「甲州の森の詩人 野澤一という人」が掲載されています。

野澤一は、現在の笛吹市出身の詩人で、市川三郷町の四尾連(しびれ)湖畔に山小屋を建て、独居自炊の生活を送った時期もありました。光太郎に私淑し、ほぼ一方的に光太郎へ膨大な書簡を送り続け、光太郎もその得意な才に注目し「大龍の訪れ」と評しました。戦後になっての光太郎の花巻郊外旧太田村の山小屋での蟄居生活、他にもそういう人物はいましたが、野澤の影響もあったのではないかと思われます。

坂本氏の稿は、そうした野澤と光太郎の関わりなどを論じたものとなっています。地元の皆さんに、地元出身ながら忘れられかけている先駆者の業績を紹介するという意味で、意義あるものと思われます。

奥付画像を載せておきますので、ご興味のおありの方、連絡先まで。
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もう一冊、新刊、というより復刊です。

着眼と考え方 現代文解釈の方法〔新訂版〕

2022年12月10日 遠藤嘉基/渡辺実 著 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 定価1,500円+税

伝説の参考書『現代文解釈の基礎』の姉妹編、待望の復刊! 70の文章を読解し、言葉を「考える」ための、一生モノの力を手に入れよう。解説 読書猿。

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元版は、昭和35年(1960)。さらに今回の底本となった新訂版は昭和54年(1979)、中央図書出版さんから刊行されています。

元々は高校生向けの現代文参考書と思われますが、「日本語の教養を身につけたい全ての人へ」というキャッチコピーで、文庫判で覆刻したものです。昨年には姉妹編の「着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕」が覆刻されて、意外と話題になったようで、二匹目のドジョウを狙ったと見えます。

光太郎の「気について」という散文が取り上げられています。昭和14年(1939)、雑誌『蛮』に掲載され、2年後に評論集『美について』に収録されました。そこで、本書では「美について」の題で掲載されていますが、正しくは「気について」です。「気」は、「気韻生動」などの「気」です。

類題の形を取り、全文(200字余りの短いもの)を5つに分けてバラバラに配置し、正しい順番に並べ替えよ、ということになっています。原題が「気について」であるということがわかっていれば、容易に正解にたどり着けます。しかし、提示されている題は「美について」。これだとちょっと迷いますね。それを狙ってあえて「美について」の題にしたのか、それとも単なる誤植の類なのか、著者のお二方が既に鬼籍に入っており、確かめようがありませんが。

元版が60年以上前ですが、大学入試共通テスト対策等にもまだ充分使えそうですし、筑摩書房さんの狙い通り、一般の読者にも有益な書物といえるような気がします。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

神経痛少〻いたむ。多くベッドにゐる、 家政婦さんよくはたらく、


昭和30年(1955)9月23日の日記より 光太郎73歳

「家政婦さん」はこの2日前から来てくれるようになった堀川スイ子。その前に雇っていた家政婦さんが今一つだったそうで、新しく雇い、今度は光太郎のお気に召したようで、その最期までを看取ってくれました。

翌年、光太郎が歿した直後に発行された『文芸 臨時増刊 高村光太郎読本』に、堀川による「高村先生の思ひ出」という飾らない文章が掲載されています。

共に小説家の故・吉村昭氏と奥様の津村節子氏の偉業を讃え、津村氏の故郷・福井県の福井県ふるさと文学館さんと、吉村氏を顕彰する荒川区吉村昭記念文学館さんが、「おしどり文学館協定」を結んだのが平成29年(2017)。1周年を迎えた平成30年(2018)には、合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されました。その際には津村さん代表作の一つである小説『智恵子飛ぶ』に関する展示も行われました。

今年は5周年ということで、記念イベント等が両館で行われていますが、その一環として福井会場の方で『智恵子飛ぶ』関連の展示が始まります。

特集展示 津村節子「智恵子飛ぶ」~芸術家夫婦を描いて~

期 日 : 2022年12月23日(金)~2023年3月15日(水)
会 場 : 福井県ふるさと文学館タイムリースポット 福井県福井市下馬町51-11
時 間 : 平日 9:00~19:00 土・日・祝 9:00~18:00
休 館 : 月曜日(祝日の場合は翌日) 12月29日(木)~1月3日(火)
料 金 : 無料

平成29年11月5日に、吉村昭記念文学館と福井県ふるさと文学館は、おしどり文学館協定を締結しました。この協定に基づき、展示等を開催します。荒川区とゆかりの深い芸術家夫婦の高村光太郎と高村智恵子の葛藤を描いた津村節子『智恵子飛ぶ』を紹介します。
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小説『智恵子飛ぶ』は平成9年(1997)、講談社さんの刊行。平成12年(2000)には文庫化も為されています。津村氏は同作で芸術選奨文部大臣賞を受賞されました。

智恵子の生涯を描いた長編小説ですが、光太郎智恵子と同じく夫婦同業の芸術家夫妻であった津村氏ならではの視点で、智恵子の苦悩や、苦悩だけでない喜び、しかし刀折れ矢尽きて毀れてしまった智恵子の姿がかくあったろうと思わせられる描写がされています。

やはり平成12年(2000)には、智恵子役・片岡京子さん、光太郎役が故・平幹二郎さんで舞台化(新橋演舞場さん)。翌年の京都公演では、光太郎役は近藤正臣さんでした。

004ついでというと何ですが、つい最近、新橋演舞場さんでの初演の際の台本を入手しました。この手のものは公刊されるわけではなく、スタッフやキャストの皆さんに配られるもの。そこでそれらの方などが売りに出さない限り市場に出回ることはありません。案の定、ちょい役で出演されていた女優さんの名が表紙にうっすらと鉛筆で書き込まれていました。

驚いたのは書き込みの多さ。その女優さん、ご自分の登場シーンのみならず、おそらく同じ事務所の先輩女優さんと思われる方のシーンでもマーカーを引いたり、鉛筆で書き込みをしたりなさっていました。また、稽古の途中でセリフや動きが追加・変更されたり、場面の順番が入れ替わったりということが随分とあったようで、それらの訂正や、追加で配られたと思われるコピーの貼り付けなどもかなりの箇所で為されており、一つの舞台を作り上げるにも並々ならぬ苦労があったんだな、というのが偲ばれました。

ちなみにこの手の台本類、やはり舞台のもの、映画のもの、テレビドラマのもの等々各種取り添えております。展示等で必要な場合にはお声がけ下さい。

閑話休題、福井県ふるさと文学館さんの展示、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

賢治全集推せん文2枚清書、


昭和30年(1955)8月20日の日記より 光太郎73歳

「賢治全集」は筑摩書房版。翌年から刊行が始まりました。光太郎は装幀、題字揮毫も手がけています。

岩手から学会情報です。

岩手大学人文社会科学部【宮沢賢治いわて学センター】第16回研究会

期 日 : 2022年12月22日(木)
会 場 : 岩手大学学生センターA棟1階G19教室 岩手県盛岡市上田3-18-8
       & オンライン(WebExウェビナー使用)
時 間 : 17:00~18:00
料 金 : 無料

講 師 : エリック・ブノワ 氏(ボルドー・モンテーニュ大学教授/フランス文学)
      中里まき子氏(岩手大学人文社会科学部准教授/フランス文学)
演 題 : 高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら

 講師は、本学部と交流協定を結んでいるフランスのボルドー・モンテーニュ大学教授のエリック・ブノワ氏(フランス文学)と本学部准教授の中里まき子氏(フランス文学)です。
 主たるトピックは、昨年中里氏がブノワ氏の協力を得てフランスのボルドー大学出版から上梓なさった、高村光太郎『智恵子抄』の仏訳版 Poèmes à Chieko についてです。まず、中里氏による日本語での講話、次にブノワ氏によるフランス語の講話(通訳は中里氏)という構成となります。
 今回はコロナ禍下ではありますが、講師方のご希望により、対面とオンライン併用のハイフレックス形式での開催となります。会場へ直接お越しいただく場合もオンラインでの申込が必要となりますので、下記、ご確認宜しくお願い申し上げます。皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
 なお、コロナ禍拡大の影響により、オンラインのみの開催となる可能性もあります。その節は速やかに大学および学部HPやML等でお知らせいたします。悪しからずご了解ください。

☞【登録リンク】
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仏訳智恵子抄『 Poèmes à Chieko』は、昨年4月に刊行されました。それを記念して、今回と同じく訳者の中里まき子氏、エリック・ブノワ氏によるご発表「『智恵子抄』仏訳(TAKAMURA Kôtarô, Poèmes à Chieko)の刊行をめぐって」が、日本比較文学会東北支部さんの「第23回比較文学研究会」の中で、昨年7月に行われています。

今回はさらに宮沢賢治もからめてのお話になるとのこと。オンラインでの試聴も可だそうです。ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

<夕方モデルさんくる 結婚後はじめて、元気なり、>


昭和30年(1955)8月19日の日記より 光太郎73歳

「モデルさん」は旧姓藤井照子。昭和27年(1952)から翌年にかけ、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のモデルを務めました。結婚を機にモデル業はやめ、品川の方に住んでいたようです。以前から書いていますが、いまだご存命なのかどうか、不明です。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。


昨日開幕した杉並区立郷土博物館さんの企画展「生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並」を拝見して参りました。尾崎喜八は杉並に暮らしたこともあり、光太郎と交流の深かった詩人です。

同館には平成29年(2017)、『高村光太郎全集』に漏れていた光太郎書簡を拝見するため訪れましたので、2度目でした。

最寄りの光太郎京王井の頭線永福町駅。光太郎のDNAを受け継いだ彫刻家・佐藤忠良の作品。
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徒歩十数分で同館に到着。
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豪農の家だったところに建てられており、長屋門は昔のまま、裏手には母屋も。
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敷地内の本館は近代的な建築です。
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観覧料100円を払って、早速拝見。
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当然、尾崎の生涯についての展示がメインで、著書や草稿、遺品、尾崎の写った写真パネル、写真が趣味だった尾崎が写した写真パネルなどなど。著書も数十冊をずらっと並べると圧巻の見映えでした。

そして交流のあった人々ということで、光太郎との関わり。光太郎が尾崎の結婚祝いに贈ったミケランジェロの模刻「聖母子像」、光太郎から尾崎宛の葉書(昭和21年=1946)も展示されていました。驚いたことに、帰ってから調べましたところ、この葉書は『高村光太郎全集』に漏れていたものでした。尾崎宛書簡は全集に10通ほど掲載されており、そのうちの1通だろうとたかをくくっていたのですが、違いました。

それから、尾崎が撮影した光太郎写真、尾崎一家(妻・實子――光太郎の親友・水野葉舟の息女、長女・榮子)と光太郎の写真(いずれも駒込林町の光太郎アトリエ兼住居で撮影)。集合写真は4人が写っている部分を引き伸ばした形でよく拝見しますが、元版は背景の光太郎アトリエの窓や二階の出窓などがしっかり写っていて、驚きました。最近、建築としての光太郎アトリエに興味を惹かれているもので。
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他に光太郎とも交流のあった人々についての展示も興味深く拝見しました。尾崎岳父にして光太郎の親友・水野葉舟、思想家の江渡狄嶺、彫刻家の高田博厚、「ロマン・ロラン友の会」で一緒だった片山敏彦、当会の祖・草野心平など。

意外だったのは、上井草にホームグラウンドがあったプロ野球の球団「東京セネタース」との関わり。球団歌の作詞をしたり、選手や監督とも個人的な交流があったりしたとのこと。これは存じませんでした。

図録が刊行されていました。A4判48ページで600円。入館料100円といい、実に良心的です(笑)。しかし600円と侮るなかれ、充実の内容です。
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ぜひ足をお運びの上、お買い求め下さい。会期は来年2月19日(日)となっています。

【折々のことば・光太郎】

午后四時半中西夫人くる、桑原さん澤田さん草野さんくる、支度して五時過退院、ハイヤー2台、 伊藤信吉氏奥平さんアトリエにくる、 無事に過ごす、横臥 玉ずしの夕食、

昭和30年(1955)7月8日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核の悪化で4月末に赤坂山王病院に入院しましたが、退院。しかし、治癒したわけではなく、逆に治癒の見込みも薄く、といって、今すぐどうこうというわけでもないので、それなら高い入院費を払い続けるより、自宅療養に切り替えることにしました。この後は「チーム光太郎」ともいうべき医師団が代わる代わる往診に訪れます。

信州安曇野の碌山美術館さん。光太郎の親友・碌山荻原守衛の個人美術館ですが、光太郎のブロンズ作品も多数所蔵、入れ替えながら展示して下さっています。

今年7月から8月にかけ、昭和33年(1958)竣工の本館(碌山館)修復のためのクラウドファンディングが行われました。当初目標額は700万円。それがあっという間に達成され、セカンドゴールの1,200万円、サードゴールの1,800万円も次々にクリア。最終的には、1,088名の方から総額23,702,000円が集まったそうです。

この秋から早速改修工事が始まり、それもほぼ終わったようです。

地元紙『信濃毎日新聞』さん、11月17日(木)の記事。

美術館を守ろう CFで広がる支援の輪、改修や展示充実に 中信の文化施設で予想超える反響

 中信地方の美術館が施設を維持・管理していくために行ったクラウドファンディング(CF)に県内外から多くの支援が寄せられている。新型コロナ下で集客が安定せず、美術館の経営が厳しさを増す中、文化施設を後世に残したいという趣旨に大勢が賛同。関係者らは予想を超えた反響を喜び、施設を守っていく決意を新たにしている。
 安曇野市出身の彫刻家、荻原碌山(ろくざん)(本名守衛(もりえ))の作品を展示する同市穂高の碌山美術館で今月上旬、国登録有形文化財「碌山館」の改修工事が始まった。壁の剥離やひびを直し、扉や雨どいを修繕する。工事は12月中に完了する見込みで、碌山館の展示物は一時的に美術館の別の建物に移している。
 碌山館は1958年4月に開館。教会風のれんが造りで市内観光の見どころの一つとなっていたが、壁にひびが入ったり、雨漏りしたりするなど傷みも目立っていた。新型コロナの感染拡大で来館者が減少し、自己資金での修繕は難しいとみて、7月15日から8月末までCFで改修工事の資金を募った。
 目標の700万円は開始2週間で突破し、8月末までに県内外の1088人から2370万円余が集まった。「結婚式の前撮り写真を撮影した思い出の場所」「なくならないでほしい」など多くのメッセージも寄せられた。中には支援金を手渡しに訪れる人もいたという。
 碌山館はもともと、地元住民らの寄付によって建てられた。学芸員の武井敏さんは想定を超える支援に感謝しつつ「この場所と雰囲気を守っていかねばならないと感じた」と気を引き締める。残った資金は別の建物の改修などに充てる方針という。
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 同市穂高有明の絵本美術館「森のおうち」は、4月20日から5月末にかけてCFで運営資金を募集。入館者数の減少に加え、併設して営業している結婚式場や宿泊施設の収入も落ち込んだことから、施設を存続させるため広く協力を求めた。絵本作家いせひでこさんや作家の柳田邦男さんらも応援メッセージを寄せ、県内外の513人から目標の800万円を超える1400万円が集まった。
 資金は人件費や光熱費など運営資金の他、施設の魅力向上に使う。展示品を並べるショーケースを新調し、美術館のじゅうたんを張り替え、敷地内に桜の木を植えることも計画する。学芸員の米山裕美さんは「皆さんに支援をいただける施設なんだと実感し、励みになる」と話した。
 展示内容の充実にCFを活用する施設もある。木曽町新開に19日にオープンする公設民営の「ふるさと体験木曽おもちゃ美術館」は、館内で遊べるおもちゃを拡充する費用として9月20日にCFを開始。当初目標の300万円は10月中に超え、今月5日までに413万円余が集まった。
 木製の積み木やパズルなどベースとなる備品は町が購入するが、指定管理者として施設を運営する同町のNPO法人「ふるさと交流木曽」は、「木曽らしい体験ができるプログラムを充実させたい」と判断。地元特産の野菜や果物をかたどった木のおもちゃ、木曽五木を加工したおもちゃなどを新たに製作する。星野太郎副館長は「子どもたちに木曽町特産の木になじんでもらい、町の魅力や文化も伝えていきたい」と話している。

で、今月初め、「返礼品」が届きました。寄付のコースによって、あらかじめこれこれ、と指定出来るシステムで、当方が申し込んだのは鋳金製のペーパーウェイト。材質は錫で、同館のワークショップで扱われているものです。その他、ポストカードと無料入館券。
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煉瓦造りのロマネスク風の碌山館がモチーフ。いやぁ、実にシャレオツですね。

ところで同館、12月21日(水)~12月31日(土)まで冬期休館だそうです。で、来年1月1日(日)から再び開館とのこと。1月の方が寒い気がするのですが(笑)。

きれいになった同館、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

后関先生くる、退院の話相談


昭和30年(1955)7月2日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核の悪化で4月末に赤坂山王病院に入院しましたが、退院の話。しかし、治癒したわけではなく、逆に治癒の見込みも薄く、といって、今すぐどうこうというわけでもないので、それなら高い入院費を払い続けるよりは、自宅療養に切り替えてはどうかという話でした。

ちなみに光太郎の生命の炎、燃えつきるまであとちょうど9ヶ月でした。

都内で光太郎にもからむ内容の企画展です。

企画展「生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並」

期 日 : 2022年12月17日(土)~2023年2月19日(日)
会 場 : 杉並区立郷土博物館 東京都杉並区大宮1丁目20番8号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日・毎月第3木曜日(祝日と重なった場合は開館、翌日休館)
      12月28日~1月4日
料 金 : 100円(中学生以下、障害者手帳を提示する方および付き添いの方は無料)

詩人・尾崎喜八(1892年~1974年)は、白樺派から出発し、杉並で「自然と文学」の金字塔となる作品を多く遺しました。大正12年(1923年)の関東大震災後に作家・水野葉舟(みずのようしゅう)の親友であった農業思想家・江渡狄嶺(えどてきれい)の導きで現在の高井戸東に新居を構えた尾崎は、翌春、水野の娘・實子(みつこ)と結婚してそこに暮らしました。のち、昭和19年(1944年)まで、現在の南荻窪、善福寺と戦前の杉並に住み、野鳥研究家・中西悟堂(なかにしごどう)とは自然・野鳥を、詩人・片山敏彦(かたやまとしひこ)とは海外の新しい文学を探求して、『山の絵本』などの博物誌を書きました。また、ノーベル賞作家ロマン・ロランと交友してその文化使節を杉並に迎えるなど、世界文学とのつながりを持ちました。

本展では、寄贈を受けた資料の中から、尾崎がガラス乾板・写真に残した100年近く前の杉並の農村風景や生態系の様子とともに、深い交流のあった高村光太郎ら文学者とのかかわりなどを紹介します。
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関連行事 石黒敦彦氏講演会 
 第1回 「詩人・尾崎喜八」 令和4年12月18日(日曜日)
 第2回 「口語自由詩と昭和の杉並・武蔵野」 令和5年1月15日(日曜日)
 時 間 午後2時 から 午後4時 まで
 対 象 中学生以上の方
 場 所 郷土博物館
 講 師 石黒敦彦氏(尾崎喜八孫・東京工芸大学講師)

詩人・尾崎喜八はおそらく『白樺』を通じて光太郎の知遇を得たのではないかと思われますが、光太郎の親友だった水野葉舟の娘・實子と結婚し、さらに光太郎と深く交流するようになったようです。光太郎は結婚祝いにミケランジェロの模刻「聖母子像」を夫妻に贈りました。

令嬢の故・榮子さん。当方、2度ほどお会いしましたが、生前の智恵子をご存じでした。令孫の石黒敦彦氏はご健在で、連翹忌の集いにもたびたびご参加下さっています。

石黒氏の依頼で、少しだけ協力させていただきました。尾崎一家を高井戸に招いた思想家・江渡狄嶺と光太郎のからみについて。光太郎は江渡が拓いた農場に建てられた霊堂「可愛御堂」の設計を担っていまして、そのあたりについて資料を提供しました。

光太郎、葉舟、尾崎、江渡、さらにそこにロマン・ロランつながりで片山敏彦や渡仏前の高田博厚なども加わった人脈が形成されており、非常に興味深いところです。

当方、初日の12月17日(土)に伺う予定です。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃理髪くる、350円払、


昭和30年(1955)5月20日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核悪化による、赤坂山王病院入院中の一コマです。入院はしたものの、危篤状態というわけでもなく、調子のいい時には床屋さんを呼んで理髪してもらったりもしていたようです。

昨日は、日本詩人クラブさんという団体の2022年12月例会にお招きいただき、都内に出ておりました。基本、クローズドのイベントでしたので、このブログではご紹介していませんでしたが。

会場は新宿区の早稲田奉仕園さん。
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キリスト教系の施設ですが、この中にリバティホールというスペースがあり、そちらで。下記は開会前です。
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講演を仰せつかりまして、約60分、喋らせていただきました。
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日本詩人クラブさんでは、ほぼ毎月、「例会」を催され、その都度さまざまなテーマを設定なさっています。今年5月は西条八十を取り上げ、9月には「国際交流」とのことでインドの詩人の方をお招きしたということでした。

で、12月例会は光太郎。会員であらせられる曽我貢誠氏、宮尾壽里子氏がご推挙下さって、当方が講演をすることに。以前からそういうお話があったのですが、コロナ禍の関係で延び延びとなって、本来は『智恵子抄』発刊80周年に当たる昨年のはずだったようですが。

まぁ1年遅れではありましたが『智恵子抄』、そして太平洋戦争開戦の12月8日の翌々日ということもあり、さらに今年起こって今も続くロシアによるウクライナ侵攻にもからめまして、演題を「2022年の高村光太郎――ウクライナ、そして『智恵子抄』――」とさせていただきました。初版『智恵子抄』の刊行が太平洋戦争開戦前夜の昭和16年(1941)8月、収録詩の最後のあたりは泥沼化していた日中戦争との絡みも語られており、『智恵子抄』と戦争は切っても切り離せない関係にあります。

自分ではあまり見たくないのですが(笑)、YouTubeにアップされています。以前も書きましたが、人前でしゃべるのは抵抗はありませんがさりとて自信もありません。

後半は「高村光太郎「智恵子抄」朗読ドラマ――発刊80周年を過ぎて振り返る」。会員の皆さん、すなわち詩人の方々が演じられました。
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脚本は宮尾氏(上記画像左端)。以前から朗読のお仲間と同様の公演を何度かなさっていて、それをアレンジしたという感じでした。

プロの役者さんや朗読家の方ではなく、詩人の皆さんが演じられたわけですが、日頃から「言葉」に対して鋭敏な感覚を持たれているご一同、なるほどねと思わされるステージでした。こちらもYouTube動画に当方の講演の後に収録されています。当方の講演よりそちらをご覧下さい(笑)。

それにしても、詩人の皆さんがこういう団体を結成され、詩作だけでなくいろいろな活動を行われているということを、当方、お話を頂くまでよく存じませんでした。2月24日(木)に始まったロシアによるウクライナ侵攻に対しても、翌3月には早速反対声明を発表なさっていますし。そのあたりを踏まえ、日中戦争・太平洋戦争中に、光太郎はじめ、殆ど全てといっていい詩人達が犯した戦争推進協力の過ちを繰り返さないよう、まぁ、それ以前にそういう状況にしないためにも、詩人の皆さんの出来ることをなさって下さいとお願いして参りました。言わずもがな、かも知れませんが。

戦争と光太郎については、また近々、このブログで取り上げます。以上、レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

からだのいたみまだあり、中腰の位置の時痛し、


昭和30年(1955)5月5日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核による赤坂山王病院への入院が前月30日。入院はしても積極的な治療ができるわけでもなく、こういう状況でした。光太郎余命あと1年足らずです。

一昨日、昨日に続き、新刊系のご紹介を、と思っておりましたが予定変更で、演劇の公演情報です。気づくのが遅れ、5公演中1公演が終わっていました。

青年団第96回公演『日本文学盛衰史』北海道・岩手公演

原作:高橋源一郎 作・演出:平田オリザ

文学とは何か、人はなぜ文学を欲するのか、人には内面というものがあるらしい。そして、それは言葉によって表現ができるものらしい。しかし、私たちは、まだ、その言葉を持っていない。この舞台は、そのことに気がついてしまった明治の若者たちの蒼い恍惚と苦悩を描く青春群像劇である。

高橋源一郎氏の小説『日本文学盛衰史』を下敷きに、日本近代文学の黎明期を、抱腹絶倒のコメディタッチでわかりやすく綴った青春群像劇。初演時に大きな反響を呼び、第22回鶴屋南北戯曲賞を受賞した作品の待望の再演となる。笑いの中に「文学とは何か」「近代とは何か」「文学は青春をかけるに値するものか」といった根本的な命題が浮かび上がる、どの年代でも楽しめるエンタテイメント作品。
[上演時間:約2時間40分(予定)・途中15分の休憩あり]
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原作:『日本文学盛衰史』(講談社文庫刊)
高橋源一郎の長編小説。『群像』に1997年〜2000年にかけて連載。
日本近現代文学の文豪たちの作品や彼らの私生活に素材を取りつつ、ラップ、アダルトビデオ、伝言ダイヤル、BBSの書き込みと「祭」、たまごっち、果ては作者自らの胃カメラ写真までが登場する超絶長編小説。第13回伊藤整文学賞受賞作。

大空公演
 期 日 : 2022年 12月8日(木)
 会 場 : 大空町教育文化会館 北海道網走郡大空町女満別西3条4丁目1-11
 時 間 : 18:30~
 料 金 : 前売券(全席指定) 一般=2,000円  高校生以下=1,000円

幕別公演
 期 日 : 2022年 12月11日(日)
 会 場 : 幕別町百年記念ホール 北海道中川郡幕別町字千住180-1
 時 間 : 15:00~
 料 金 : 前売券(全席指定) 一般=3,500円  高校生以下=1,000円

富良野公演
 期 日 : 2022年 12月13日(火)
 会 場 : 富良野演劇工場 北海道富良野市中御料
 時 間 : 19:00~
 料 金 : 予約(全席自由)一般=3,000円 演劇工房会員=2,500円 小中高生=1,500円

江別公演
 期 日 : 2022年 12月15日(木)
 会 場 : えぽあホール 北海道大麻中町26-7
 時 間 : 19:00~
 料 金 : 予約(全席自由)一般=3,500円 学生=2,000円 小中高生=招待(要予約)

盛岡公演
 期 日 : 2022年 12月18日(日)
 会 場 : 盛岡劇場メインホール 岩手県盛岡市松尾町3番1号
 時 間 : 14:00~
 料 金 : 前売券(全席指定)一般=4,000円 U-25チケット=2,000円

初演は平成30年(2018)。原作は高橋源一郎氏。夏目漱石、島崎藤村、田山花袋、石川啄木、芥川龍之介、北原白秋ら、近代の文豪達の群像劇だそうで、光太郎も登場人物の一人に名を連ねています。

ただ、光太郎が登場人物の一人である旨が前面に押し出されておらず、今回も気づくのが遅れましたし、調べたところ「豊岡演劇祭2022」の一環として、9月には兵庫公演も行われていました。また、同じく9月には青年団さんではなく京都市の演劇セミナーでも取り上げられています。

それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后草野君、関先生、岡本先生来り、病院行をすすめられ、山王病院といふに卅日入院ときまる、一日1,500円の由、


昭和30年(1955)4月28日の日記より 光太郎73歳

「関先生」「岡本先生」は共に医師。他の複数の医師ともども、いわば「チーム光太郎」を組み、光太郎の診療に当たっていました。

「智恵子抄」その他の光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさん。今年も「智恵子抄」がらみのコンサート等を京都都内で開催されてきましたが、今度は鳥取だそうです。

Art train 2022『藝術列車』プレイベントVol. 0.5

期 日 : 2022年12月4日(日)
会 場 : 日南町総合文化センター 鳥取県日野郡日南町霞785
時 間 : 12:30~
料 金 : 1,000円

日南町発の芸術の祭典が始まります。ピアノ・二胡 ・朗読とチェロ演奏・ビジュアル華道・パントマイム・シャンソン・イタリアオペラ・歌舞踊・神楽 など、 様々な藝術とのコラボレーションステージも予定しています。ユーチューブでのライブ配信も行います。
https://www.youtube.com/watch?v=2T0Df090SHk

第1部
 二胡演奏/山本佑佳 ヴィジュアル華道/Rosalia Belmondo パントマイム/魁士
 ピアノ演奏/中島巌 ヤングアーティストバレエ/岩佐久美子バレエスクール
 朗読とチェロで親しむ『徒然草』/和貝晴美・なりかわあきよ
第2部
 舞踊音楽劇 文藝ビジュアル『智恵子飛ぶ』
  歌舞踊/モンデンモモ ピアノ/田中幸子 チェロ/なりかわあきよ

第3部
 「シャンソン」 歌唱/松尾芳紀・森岡優子 ピアノ/田中幸子
 「わが太陽! カンツォーネ イタリアオペラの輝き」
   歌唱/若井健司 ピアノ/大山まゆみ

 ここに『たたら物語』生まれる!!
  歌舞踊/モンデンモモ ピアノ/中島巌 二胡/山本佑佳 日南神楽神光社
  華道/Rosalia Belmondo 
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お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

誕生日、 椛澤さんくる、クツ下、抹茶をもらふ、 カマクラの吉野秀雄さん夫人くる、ソーセージをもらふ、いろいろの話、 秋田の大野さんといふ女性くる、 奥平さんくる、ゐなりずしをもらふ、桑原さん加はり、三人と夜九時頃まで話、すしをくふ、ケーキをくふ、


昭和30年(1955)3月13日の日記より 光太郎73歳

明治16年(1883)生まれの光太郎、この日で満72歳となりました(すぐ上に「光太郎73歳」と書いているのは、数え年です)。しめしあわせてのことではないのでしょうが、ほぼ臥床している光太郎の見舞いを兼ねて、多くの人が誕生祝いに訪れました。

椛澤さん」は茶道家。「吉野秀雄さん夫人」は吉野登美子。元八木重吉夫人でしたが、八木が早逝した後、歌人の吉野秀雄と再婚しました。「奥平さん」と「桑原さん」は美術史家。「秋田の大野さん」だけは詳細が不明です。

プレゼントをいろいろもらい、しっかりバースデーケーキも食べたのですね(笑)。

新聞報道を2件、ともに現在開催中の企画展示を紹介するものです。

まず、福岡は北原白秋生家・記念館さんの「北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~」。『読売新聞』さんの福岡版から。

北原白秋没後80年記念、ゲーム「文豪とアルケミスト」とタイアップ企画展…柳川・生家にキャラ等身大パネルも

 柳川市出身の詩人・北原白秋の没後80年を記念し、人気オンラインゲームとタイアップした特別企画展「~白秋と若き文士たち~」が、同市の北原白秋生家・記念館で開かれている。来年3月末まで。
 ゲームは「文豪とアルケミスト」で、本の中の世界を破壊する「 侵蝕(しんしょく)者」と、アルケミスト(錬金術師)の力でこの世に転生した文豪たちが戦う内容。ゲームを配信する合同会社「EXNOA」(東京)の協力で企画展が実現した。
 白秋の青春時代にスポットを当て、ゲームに登場する白秋や吉井勇、高村光太郎、室生犀星(さいせい )、萩原朔太郎(さくたろう)の等身大キャラクターパネルを展示。5人の作品や交流を、与謝野鉄幹が結成した新詩社の機関誌「明星」、青年文学者らの懇談会「パンの会」、白秋主宰の文芸雑誌「 朱欒(ザムボア)」の三つの時代に分けて紹介している。
 同館は「芸術の自由と享楽の権利を 謳歌(おうか)した若き文士たちの作品を、白秋生家のたたずまいとともに楽しんでほしい」と来場を呼びかけている。
 来館者には非売品のしおりをプレゼントするほか、クリアファイルやポストカードといったゲームとのコラボグッズも販売している。
 また、来年1月末まで「交声曲『海道東征』」展も同時開催している。「海道東征」は、晩年の白秋が病魔と闘いながら、1940年の皇紀2600年を祝って作った長編詩。「海ゆかば」などで知られる 信時潔(のぶとききよし)が、合唱や管弦楽のための交声曲として作曲を手がけた。
 展示会では、関連書籍やレコード、白秋が晩年まで愛用した机や原稿、仕事着など約30点が並ぶ。12月4日には柳川市内で初の演奏会が予定されている。
 開館時間は午前9時~午後5時。入館料は大人600円、高校・大学生450円、小中学生250円。問い合わせは同館( 0944・72・6773 )へ。
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続いて、文京区立森鷗外記念館さんで開催されている「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」。共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載されたようです。神奈川近代文学館さんで開催されていた「没後50年 川端康成展 虹をつむぐ人」展のレポートと2本立てでしたが、そちらは割愛します。

【逍遥の記(4)】肉筆の圧倒的な訴求力示す 災厄を力にした川端、来信から描く鷗外の輪郭

16歳と54歳の筆跡
 文京区立森鷗外記念館の特別展「鷗外遺産」も内覧会で見た。54歳のときに新聞連載として発表した伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らから鷗外に送られた書簡など、近年続々と見つかっている新資料多数が初めてまとまった形で公開されている。
 「渋江抽斎」の原稿は16年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほとんど直しがなく、50回には目立った加筆や修正がある。記者会見した山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授は「推敲の跡に注目してほしい。49回の方は新聞掲載後、事実の誤りが見つかり増補訂正されています」と解説してくれた。

 東大医学部の学生だった16歳のとき、生理学の講義を受けてまとめた冊子「筋肉通論」も新資料である。端正で几帳面な文字が印象的だ。54歳の「渋江抽斎」と16歳の筆跡を見比べることができるのも楽しい。人間性の深化は文字にどう表れているか。 鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通のうちの一部。夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、高村光太郎、小山内薫…。差出人の名前を見ていくと、詩や短歌、俳句、美術や演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期合わせて15人からの18通を展示する。
 永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する雑誌「三田文学」の準備の様子を報告している。荷風は鷗外を師と仰ぎ尊敬していた。
 「雑誌体裁は凡(すべ)て短篇、(中略)寄稿者の署名は表題の下に印刷せず、文章の終りに廻(まわ)して見るつもり」「広告は凡て奥付ばかりに致したく」「兎(と)に角(かく)一号だけは、全く理想的に見本として発行致し度(た)き考(かんがえ)に御座候(ござそうろう)」とつづっている。
 多くの人からの鷗外宛て書簡を読んでいると、彼がどんな人間に囲まれ、どんなふうに交流しながら生きていたのかが分かる。鷗外の外側から、鷗外の輪郭が浮かんでくるようだ。 

 二つの展覧会に共通するのは、肉筆の訴求力だ。書いた人の心情やその時の情景にまで思いが及ぶ。想像は時空を超える。
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それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后永瀬清子さんくる、来月インド行の由、


昭和30年(1955)2月25日の日記より 光太郎73歳

永瀬清子は現在の岡山県赤磐市出身の詩人。光太郎とは戦前から交流がありました。永瀬が光太郎の借りていた貸しアトリエを訪れたのは、前年に続き二度目。「インド行」は、ニューデリーで開催され、植民地主義、原水爆問題など、アジアに共通する問題について意見交換する趣旨だった「アジア諸国民会議」に「婦人団体代表」として永瀬が参加したことを指します。

この日、永瀬に贈ったはなむけの言葉が、永瀬の主宰していた地方詩誌『黄薔薇』のこの年4月号に掲載されました。曰く「裏の山へ植林にいくようなお気持ちでいつてゐらつしやい」。なかなかそうも行かないと思うのですが(笑)。

昨日は、第65回高村光太郎研究会ということで、都内に出ておりました。同会、コロナ禍のため3年ぶりの開催となりました。

会場は文京区のアカデミー千石さん。
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ご発表はお二方。

『高村光太郎小考集』という書籍の御著者・西浦基氏。千葉県職員であらせられる安藤仁隆氏。
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西浦氏は「彫刻家・高村光太郎」と題し、様々な私見やヨーロッパで撮影された画像等ご紹介しつつ、光太郎の造型について語られました。
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安藤氏は、「旧居アトリエと智恵子抄ゆかりの田村別荘(その変遷と間取りについて)」。まず旧本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)の光太郎住居兼アトリエについて、建築の方面からの実に詳細なアプローチ。光太郎自身が書き残した図面や文章、周辺人物の回想、さらに戦前の航空写真などから、建築系のソフトやCG等も駆使され、住居兼アトリエの姿を浮き彫りにされました。
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同様に、昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が療養のため半年余り滞在した千葉県九十九里浜の「田村別荘」についても。
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安藤氏、既に今年4月に発行された同会から発行された『高村光太郎研究(43)』に、二つの建物についての論考を発表なさっていますが、さらに詳細な点が解明されていました。

ところで、光太郎アトリエといえば、今回会場のアカデミー千石さんのロビーで、こんなものをゲットしました。「谷根千ゆかりの文人まっぷ」。文京区立本郷図書館さんの制作です。
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A4判を3枚、横につなげた判型で、その表裏両面に印刷されていますから、全6ページ。2ページずつ、地図、谷根千ゆかりの文人たち紹介、彼らの生没年表となっていました。

光太郎智恵子、光雲も。
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アカデミー千石さんのような文京区内の区立施設には、ほぼ必ず置いてあるのではないでしょうか。ご入用の方、探してみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

宮崎丈二氏檜材(小)持参、


昭和30年(1955)2月23日の日記より 光太郎73歳

肺結核のため、ほとんど臥床していた光太郎ですが、木彫作品用の木材を手配を頼んでいました。結局、それを使って木彫作品が作られることはありませんでしたが。光太郎自身も無理だろうとわかっていたように思われるのですが、それでも入手するあたり、彫刻家としての「業(ごう)」のようなものを感じます。

宮崎丈二」は詩人。宮崎の親友で、光太郎が起居していた貸しアトリエを、宮崎と共に何度か訪れた浅野直也という人物が材木商でしたので、入手経路はその関係と思われます。

光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の故郷である、長野県安曇野市の『広報あづみの』の11月23日号。先月、地元紙で報じられた小説「安曇野」のNHK大河ドラマ化誘致の件について、大きく取り上げられています。
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小説『安曇野』は、光太郎とも交流のあった同市出身の臼井吉見が昭和40年代に執筆した長編小説で、守衛を含む安曇野の人々が中心に描かれ、守衛との絡みで光太郎も登場します。ぜひ実現していただきたいところですが……。

そういえば、以前、碌山美術館の方に「「おひさま」の時には観光客が激増したなぁ」というお話を伺いました。「おひさま」は、井上真央さん主演で平成23年(2011)に放映された朝ドラで、やはり安曇野が舞台の一つでした。
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「夢よもう一度」ということでしょうか。

しかし、大河ドラマといえば、平成28年(2016)の「真田丸」も前半は長野県が主要な舞台でしたから、「長野県ばっかりズルい」となりかねませんが……。
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まあ、この手の招致活動は数年越しになることが多いので、今後の推移を見守りたいと存じます。

【折々のことば・光太郎】

筑摩書房の人くる、「文学アルバム」有島武郎篇のため、「手」の写真を使ふこと承諾、本納寺を教へる、


昭和30年(1955)2月21日の日記より 光太郎73歳

007「文学アルバム」は、筑摩書房で刊行していた『日本文学アルバム』。翌年の光太郎歿後には光太郎篇も刊行されました。

その有島武郎篇に、有島旧蔵の光太郎ブロンズ「手」の写真を載せたいという申し出。そちらは現在、竹橋の東京国立近代美術館さんに収蔵されていますが、この当時、有島と交流の深かった秋田雨雀を通じて雑司ヶ谷の本納寺に納められていました。

ちなみに11月20日(日)の『日本経済新聞』さん、この「手」の写真をズドンと中央に配し、「パンの会 文学との響き合い(下) 高村光太郎、作家の主観を重視」という記事を掲載して下さいました。「美の粋」という連載の一環です。余裕があれば、来週、ご紹介します。

11月20日(日)、兵庫県神戸市の神戸聖愛教会さんで開催された「やすらぎコンサートin神戸 癒しの響き 鐘シンフォニー(和編鐘)への誘い」というコンサートに応援出演、光太郎智恵子について軽く話させていただきました。レポートいたします。

神戸へは、空路を使いました。自宅兼事務所は千葉県ですが、少し北上すると茨城県。その茨城県の南部に自衛隊さんの百里基地と滑走路等を共有している茨城空港があり、そちらから神戸便が出ています。空港までは車で45分ほど、フライト時間は1時間ちょっと。鉄道で神戸となると、まず自宅兼事務所から東京駅まで出るのが2時間近くかかりますので、空路の方が断然早いわけです。
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駐車場はターミナルビルの目の前、しかも無料! ありがたし!!

自衛隊さんと共用なので、ターミナルビルの脇にはこんな展示も。先月、空港の下見に行きまして、その際に撮ったものですが、空自さんで使っていたF4ファントムです。これで神戸まで飛べれば更に早いのですが(笑)。
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1ヶ月前に航空券の手配をした際、すでに「残席2」。「えっ?」と思ったら、それもそのはず、空港近隣にある公立中学校さん(それも2校)の修学旅行とかち合っていました。最近は公立中でも飛行機の旅なのですね。
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搭乗した機体がこちら。
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あっという間に神戸空港に着きました。

そこから鉄道で市街へ。下記は車窓から撮った神戸港です。
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光太郎、確認出来ている限り、生涯に2度、神戸港を訪れています。

最初は明治42年(1909)、3年半にわたる欧米留学を終え、ロンドンから日本郵船の阿波丸に乗って、神戸港に降り立った時です。

一九〇九年(明治四十二年)七月に阿波丸は神戸についたが、船が波止場に横づけになつたか、はしけで上陸したか、忘れてしまつた。父が一人で迎へに来てゐた。私は船中無一文で、洗濯代も払へずにゐたのを、父に払つてもらつたことをおぼえてゐる。紐育、サザンプトン、テームズ河口等をはじめ、コロンボ、香港等の港を見てきた眼には、神戸港はただ乱雑な、けち臭い船着場にしか見えなかつた。船から上つて薄ぎたない船宿の一室に案内され、一休みしてその晩の夜汽車ですぐ東京に向つたやうに思ふ。(「父との関係」 昭和29年=1954)

神戸港を「ただ乱雑な、けち臭い船着場」とディスっていますが、明治末はまだそんな感じだったのでしょう。下記はその頃と思われる当方手持ちの古絵葉書です。
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2度目に光太郎が神戸を訪れたのは、昭和10年(1935)。神戸港に、すぐ下の弟・道利がフランスから送還されてくるのを迎えに、です。道利は父・光雲に、軍人志望、さらに結婚も反対されて自暴自棄となり、勝手にヨーロッパに渡って音信不通となっていましたが、体調を崩して、フランスの慈善病院に収容されていました。そのころと思われる古絵葉書。瀟洒なビル等も出来ていました。
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コンサート会場に行く前に、寄り道。大倉山の神戸文化ホールさん。昭和48年(1973)の竣工だそうです。
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こちらの側面外壁に、智恵子の紙絵をあしらった巨大壁画が。
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右上は心を病んだ智恵子が、南品川ゼームス坂病院で作った紙絵の一つで、これが原画です。紫陽花は神戸市の花だそうで。

ホール建設の際の神戸市長が、光太郎と交流のあった彫刻家・柳原義達と同級生。市長から相談を受けた柳原が、それなら、と、この紙絵を原画に使うことを提案したそうです。そこで当時の髙村家当主だった光太郎令甥にして写真家の故・髙村規氏に相談が持ちかけられ、規氏も写真技術を駆使して協力。仲介したのはやはり光太郎と交流のあった美術史家・土方定一でした。さらに土方の推薦した画家・田中岑(たかし)が色彩監督となって、規氏の写真から愛知県の瀬戸で色彩タイルを1,000枚以上焼成し、貼り付けたとのこと。その辺りの経緯は平成21年(2009)の『日本古書通信』に載った規氏の回想「髙村規の語る戦後の写真」に述べられています。阪神淡路大震災でも、この壁画には奇跡的に損傷がなかったことなども。
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壁画の真下の植え込みには、智恵子と田中の名を刻んだプレートと、さらに光太郎詩碑。
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当会の祖にして光太郎智恵子と親しかった詩人・草野心平の筆になる『智恵子抄』中の「晩餐」(大正3年=1914)の一節「われらのすべてに 溢れこぼるゝ ものあれ われらつねに みちよ」が刻まれています。心平を担ぎ出したのも、土方なのではないかと思われます。土方は心平主宰の『歴程』に依った詩人でもありましたので。或いは規氏→心平というホットラインも考えられます。

さて、その後、新神戸駅近くの神戸聖愛教会さんへ。さすが神戸、巨大な教会で驚きました。さらに驚いたことに、こちらの牧師さん、光太郎第二の故郷・花巻のご出身だそうで、ひとしきり花巻談義に花が咲きました。
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こちらの2階にある礼拝堂がコンサート会場です。
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有機音(ゆきね)さんの和編鐘、地元の朗読家・大山りえさんの朗読がメインでした。

リハーサル風景。
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有機音さん、様々な事象からインスパイアを受けて曲作りをなさる方で、津田梅子オマージュの曲も作られ、今回のプログラムにも。そこで津田梅子を主人公とした小説『ハドソン河の約束―米国女子留学生による近代女子教育への挑戦―』の御著者、こだまひろこ氏のトークもあり、地元のカリヨン演奏家・則定まりさんとそのお仲間の方々によるリコーダー演奏もありました。カリヨン演奏もあるのかな、と思っていたのですがそれはありませんでした。
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そしてプログラムの最後が、有機音さんの演奏と大山さんの朗読による「組曲 愛はすべてをつつむ」からの抜粋。その前座として、当方のトーク。上の方に書きました光太郎智恵子と神戸との関わりを中心に語りました。

ステージというか、祭壇というか、とにかく正面脇の壁面に大型モニター画面があって、HDMIケーブルで繋げるというので、パソコンを持参、画像を映させていただきました。文化ホールの壁画はその日撮った画像をすぐ取り込みました(笑)。

その後の演奏と朗読の際にも、光太郎智恵子の写真を映しっぱなしにさせていただきました。
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そんなこんなでコンサート終了。

教会独特の音響効果、さらに和編鐘という楽器がものすごく残響時間が長く、実に不思議な空間が現出されたように思われました。

ところで「宣伝せよ」という有機音さんの厳命があったので(笑)、事前にお近くに住まわれている知り合いに片っ端から案内を送ったところ、連翹忌にご参加下さっている大阪市ご在住の女性がお友達とご一緒に聞きに来て下さいましたし、20数年前、当方がまだ勤め人だった頃の親しかった同僚(神戸市ご在住)も駆けつけて下さいました。20数年ぶりに会え、感激でした。

また、やはり神戸ご在住で、令和元年(2019)、福島県いわき市立草野心平記念文学館さんで開催された 「居酒屋「火の車」一日開店」の際にご一緒させていただいた料理研究家の中野由貴さんは、他のイベントの先約があって無理、と御返事を頂いていたのですが、なんとそちらに行かれる前、こちらの開演前に会場にいらして下さり、お土産まで頂戴してしまいました。ありがたし。

そんなこんなで、人と人とのご縁、的なものの大切さをしみじみ感じる神戸行でした。

以上、神戸レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

食事後理髪にゆく、 帰宅後太田村の昌歓寺住職神武男氏くる、子息同伴、

昭和30年(1955)2月12日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核も小康状態を見せ、久しぶりに床屋へ。ただし4月末にはまた重症化し、入院することになってしまいます。

昭和20年(1945)から同27年(1952)まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の昌歓寺さんから、親しかった住職・神武男が訪問。久闊を叙しました。

昨日から神戸に来ております。和編鐘奏者・有機音さんを中心とした「やすらぎコンサートin神戸鐘シンフォニーへの誘い」というコンサートで、光太郎智恵子について喋らせていただきました。
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詳しくは帰りましてから。


3年ぶりの開催です。

第65回高村光太郎研究会

期 日 : 2022年11月26日(土)
会 場 : アカデミー千石 東京都文京区千石1‐25‐3
時 間 : 14:00~17:00
料 金 : 500円 

研究発表
 「彫刻家 高村光太郎」 西浦基氏

 「旧居アトリエと智恵子抄ゆかりの田村別荘(その変遷と間取りについて)」
   安藤仁隆氏

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当方も加入しております高村光太郎研究会主催の研究会で、コロナ禍前は年に一度開催されていました。昔は年に数回ということもあったようで、65回目のようです。

発表されるのはお二方。

西浦基氏は『高村光太郎小考集』という書籍の御著者。

安藤仁隆氏は、一昨年の研究会でご発表の予定でしたが、コロナ禍のため中止となり、今回にスライド。今年同会から発行された『高村光太郎研究(43)』に、「光太郎・智恵子が暮らした旧居アトリエの建築について」及び「智恵子抄ゆかりの「田村別荘」(その変遷と間取りについて)」という論考2本を執筆されていて、そちらを元にされたご発表でしょう。

建築に造詣の深い同氏、タイトルの通り、旧本郷区駒込林町にあって、昭和20年(1945)の空襲で焼け落ちた光太郎アトリエ兼住居、そして昭和9年(1934)に智恵子が療養のため半年余り滞在した千葉県九十九里浜の「田村別荘」について、実に詳細な調査を行われています。最近もまた、新たな発見があったとお知らせいただきました。

研究会への参加はご自由に、です。組織としての会に加入せずとも、発表の聴講のみも可能です。ぜひご参加を。

【折々のことば・光太郎】

タバコ買ひに一寸外出、 
昭和30年(1955)2月9日の日記より 光太郎73歳

宿痾の肺結核のため、前年から臥床していることが多く、一時は外出もままなりませんでしたが、この時期は小康状態。おそらく前年5月以来の外出でした。

しかし、その用事が「タバコ買ひ」。肺結核なのに、自殺行為ですね……。

追記 関係者にコロナ感染が出たため、延期だそうです。

大阪府から公演情報です。

至高の華 ~舞と語り~

期 日 : 2022年11月27日(日)
会 場 : 大槻能楽堂 大阪府大阪市中央区上町A-7
時 間 : 14:00~
料 金 : S席 8000円 A席 6000円

演 目 : 語り「初代 梅若実」 桂南光(新作落語 本邦初演)
      舞踊詩劇「智恵子抄」 梅若実桜雪/藤間勘十郎/高橋惠子 ほか
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新作落語と舞踊詩劇の二本立て。梅若実桜雪氏は人間国宝の能楽師、藤間勘十郎氏は舞踊家。「高橋惠子」さんは、「あの高橋惠子さん?」と思ったら、あの高橋惠子さんでした。梅若氏と藤間氏が光太郎智恵子として舞われ、高橋さんが朗読なさるのでしょう。何とも豪華なトリオですね。
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『毎日新聞』さん大阪版に案内記事が出ていました。

語り、舞 至高の一時 27日・大槻能楽堂 新作口演と舞踊詩劇 /大阪

 能の人間国宝、梅若桜雪(ろうせつ)さんの舞と落語家、桂南光さんの語りを中心とした特別公演「至高の華~舞と語り」が27日午後2時、大阪市中央区上町の大槻能楽堂で開かれる。落語作家、小佐田定雄さんの新作「初世梅若実」を南光さんが口演し、能と日本舞踊のコラボレーションによる舞踊詩劇「智恵子抄」を桜雪さんらが上演する。
 「初世梅若実」は維新の激動で能が衰微した明治初年、東京に残って孤塁を守り、その後の能楽発展の礎を築いた桜雪さんの曽祖父・初世実(1828~1909年)の生涯を描いた物語。ユーモア主体の落語ではなくストーリー中心の「語り」として小佐田さんが書き下ろし、桜雪さんの謡の門弟でもある南光さんが初演する。
 「智恵子抄」は詩人の高村光太郎が、心を病み52歳で早世した妻・智恵子への思いをつづった詩集を舞台化。女優、高橋恵子さんの朗読や能の謡、邦楽の演奏などに合わせて光太郎を桜雪さん、智恵子を日本舞踊宗家藤間流八世宗家の藤間勘十郎さんが舞う。2006年の初演以来、上演を重ねており、今回が令和初演になる。

近くなら拝見に伺いたいところですが……。

お近くの方(遠くの方でも)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

原稿少し、原稿を書くと神経痛いたむ、


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神経痛」は結核性の肋間神経痛です。ペンを執るだけで痛むというのですから、かなりの重症です。ただ、それも波があり、翌月にはおよそ半年ぶりに外出もできるようにはなりました。

紹介すべき事項が多いので、4件まとめます。

まずは『岩手日日新聞』さん。花巻市東和町で開催中の「器とたのしむ光太郎ランチ」展の件。

光太郎ランチの原画紹介 東和・土沢カフェくるみ【花巻】

  彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が食べたレシピを色鉛筆画で紹介する絵本「器と楽しむ光太郎ランチ」の原画展は、花巻市東和町の土沢カフェくるみで開かれている。同市星ヶ丘の西堀みちよさん(66)が制作した色彩豊かな原画が並び、光太郎の食卓に光を当てている。21日まで。
 西堀さんはmichinoのペンネームで活動。これまで一般に作品を公開したことがなかったが、絵本を発行する花巻市のやつかのもりから依頼を受けて、初めて絵本の原画を制作した。
 展示されているのは原画と花をモデルにした絵画など19点。原画は昨年6月から制作しており、1月から12月までのその月に光太郎が食べた食事を描いている。西堀さんによると、道の駅西南で販売されている手作り弁当「光太郎ランチ」を食器に移し替え、絵のモデルにしたという。
 グリンピースご飯、ヨモギの天ぷら、そば粉のパンケーキなど緻密に再現され、光太郎の日記などから抜粋された食に関する一節も紹介されている。
 西堀さんは「彫刻が好きで高村光太郎のことは知っていたが、こんなレシピが残っているなんて担当するまで知らなかった。(原画は)料理が映えるように、自宅にあるさまざまな食器を利用した。多くの人に見ていただきたい」と笑顔を見せる。
 鑑賞無料。時間は午前10時から午後5時まで。問い合わせは土沢カフェくるみ=080(3334)3003=へ。
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続いて、八戸に本社を置く『デーリー東北』さん。光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」もコースに入り、十和田湖周辺で今年から始まったウォーキングイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」について。ただし、「乙女の像」には触れられていませんでしたが……。

歩いて食べて十和田湖畔巡り ONSEN・ガストロノミーウォーキング

 温泉地を舞台に地域の食や自然、歴史と文化が体感できるコースを歩くイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」が12日、十和田湖畔周辺で開催された。青森県内外から約60人が参加し、各所に設定されたポイントに立ち寄り、湖畔の景観や食事を楽しんだ。
 ONSEN・ガストロノミーウォーキングは滞在型、体験型観光の推進や温泉地の活性化に向け、全国各地で行われている。十和田市版DMO(観光地域づくり推進法人)十和田奥入瀬観光機構が主催し、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が協力した。
 十和田神社、石川啄木の碑などの観光スポットをつなぐ約6キロのコースと、地酒や地元産食材の料理を提供するポイントを設定。参加者は自分たちのペースで巡り、十和田バラ焼き、そばかっけを味わったり、同市無形文化財の民俗芸能「晴山獅子舞」を観賞したり、地域の魅力に触れた。ゴール後は食材や菓子、指定の4施設で使える入浴券を受け取った。
 黒石市から訪れた歯科助手高田絵梨さん(43)は姉妹2人で参加。「人混みもなくゆっくり楽しめた。疲れないコース設定で、もう少し距離があっても良かった」と語った。
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続いて『毎日新聞』さん。文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」がらみ。

森鷗外記念館 直筆原稿や書簡、新発見資料を公開

 森鷗外の没後100年を記念し、東京都の文京区立森鷗外記念館で特別展「鷗外遺産」が開かれている。伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らからの書簡など、近年見つかった資料が初めて一般公開されている。来年1月29日まで。
 「渋江抽斎」の原稿は1916年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほぼ直しがなく、50回は加筆や修正がある。「推敲(すいこう)の跡に注目してほしい」と山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授。
 16歳の時、東大医学部で受けた講義をまとめた冊子「筋肉通論」も新資料として展示される。54歳の時の「渋江―」の筆跡と見比べたい。
   鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通の一部。漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、小山内薫らからで、美術、演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期で15人からの18通を展示する。
 詩人で彫刻家の高村光太郎の17年の手紙には「御引用になつた様なムチヤクチヤな事を考へた事もありません」とある。光太郎が「誰にでも軍服を着せてサアベルを挿させて息張らせれば鷗外だ」と述べたと鷗外が思い込んだ。手紙はその誤解を解こうと書かれた。
 作家の永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する「三田文学」の構想を鷗外に報告している。 監修を務めた須田喜代次・大妻女子大名誉教授は「鷗外がどんな文化的風土で生きていたかが分かる。直筆の力を感じてほしい」と語る。
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最後に再び『朝日新聞』さん。作家の澤田瞳子さんによる『平櫛田中回顧談』の書評です。

『平櫛田中回顧談』 平櫛田中〈著〉 本間正義〈聞き手〉 小平市平櫛田中彫刻美術館〈監修〉 近代美術界の逸話惜しげもなく

005 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と聞いて、「あの彫刻家の」とすぐ思い至る方は、残念ながらそう多くはあるまい。ただ舞台をよくご覧になる方であれば、東京の国立劇場ロビーに飾られている田中の代表作「鏡獅子」をご覧になった折がおありかもしれない。
  本書は1965(昭和40)年、当時93歳の田中の口述を、美術評論家・本間正義が筆録したもの。ゆえあって未刊行とされていた原稿が、田中の生誕150年を機に約半世紀を経て出版された奇縁の回顧談である。
 田中は大阪での修業を経て1897(明治30)年に上京、高村光雲の門下となった。光雲同様に師と仰いだ岡倉天心や深い縁を結んだ禅僧・西山禾山(かさん)、はたまた「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎などの思い出は活気に満ち、近代美術界の激動を眩(まばゆ)いほどに蘇(よみがえ)らせる。興味深いのは、当時の美術界の内幕までが垣間見えることで、たとえばある時、兄弟子・米原雲海の作品が宮内省に買い上げられたはいいが、実は子どもが犬にまたがった様を彫り出したその作は、鼻を削(そ)ぎ過ぎたために後から部材を接いでいた。「湿気がある頃になると取れるかもしれないぞ」という米原の困惑は、当人には申し訳ないがつい口元が緩む。
 田中は100歳を超えてもなお、いつでもすぐ作品に取りかかれるよう、手元に膨大な木材を蓄えていた。そんな彼ならではの材木や道具、伝統技法に関する逸話も読みどころの一つ。中に節がある木材の見分け方、樟(くす)や桐(きり)、榧(かや)といった木材ごとの長所と短所など、随所にちりばめられた実作者ならではの観察にはつい驚きの声が漏れる。
 岡倉天心にまつわる複数の艶事(つやごと)、「悲母観音」で知られる日本画家・狩野芳崖の死を巡る経緯など、なかなか他では読めぬエピソードが惜しげもなく披瀝(ひれき)される一方で、個々の田中作品の制作譚(たん)が豊富な図版とともに紹介される。
 日本美術界に新たな光を当てる貴重な一冊である。
    ◇
ひらくし・でんちゅう 1872~1979。彫刻家。東京芸術大教授を務める。1962年、文化勲章を受章。

以上、4件。ブログのネタがない時であれば、4日に分けてご紹介するところですが、まだまだ紹介すべき事項がたくさんありまして(10日先まで書く内容が決まっています(笑))、嬉しい悲鳴です。

【折々のことば・光太郎】

午后、東方亭の幸子さんくる、掃除のため毎週金曜日午后一時頃来て二時ばかり働いてもらふ相談、アルバイト1日400円、(お年玉1,000)


昭和30年(1955)1月4日の日記より 光太郎73歳

東方亭」は荒川区三河島にあったトンカツ屋。光太郎戦前からの行きつけの店でした。そこの長女・明子は医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を書いたりしました。

幸子さん」は次女。肺結核のため力仕事がほぼ不能となったため、起居していた貸しアトリエの清掃等を頼むことにしました。

アルバイト」という語と概念、すでにこの頃にはあったのですね。

光太郎の父・光雲が監督となって制作された聖観音像もライトアップされる、京都東山知恩院さんのライトアップ。一昨日から始まっています。

秋のライトアップ2022

期 間 : 2022年11月12日(土)~12月3日(土)
時 間 : 17時30分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       三門周辺、友禅苑、女坂、国宝御影堂、阿弥陀堂(外観のみ)
       経藏(外観のみ・11年ぶりの公開)、大鐘楼
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
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主な見どころ

友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、 華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、 補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。
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大鐘楼
大鐘は高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70トン。
寛永13(1636)年に鋳造され、日本三大梵鐘の1つとして広く知られています。僧侶17人がかりで撞く除夜の鐘は京都の冬の風物詩として有名です。
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経蔵
内部の天井や柱、壁面は狩野派の絵師の手によって荘厳されています。また、徳川2代将軍秀忠公の寄附によって納められた『宋版一切経』約6千帖を安置する八角輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、『一切経』を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれています。 ※ライトアップの拝観は11年ぶり
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昨日から、妻がお友達と京都に行っておりまして、「では、知恩院さんのライトアップ観に行って、聖観音像の写真を送ってくれ」と頼んでおいたところ、届きました。
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池の水面にも映り込む紅葉、風情がありますね。

昨年11月、BSイレブンさんで放映された「京都紅葉生中継2021 古都を照らす希望の光〜曼殊院の紅葉を堪能!」という番組から。
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まずは事前に撮影しておいた昼間の映像等。
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そして「生中継」。
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光雲の手になる作である解説もあり、ありがたく存じました。

他の場所も。
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例年、そうですが、期間中にさまざまなイベントも企画されています(最上部リンクご参照)。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】001

難波田さんくる、夫人よりガウンをもらふ、手製の由、


昭和29年(1954)12月30日の日記より
 光太郎72歳

難波田さん」は難波田龍起、かつて駒込林町にあった光太郎アトリエ兼住居のすぐ裏手に住んでいた画家です。光太郎に私淑して美術の世界に入り、詩作にも取り組みました。

難波田夫人も、光太郎終焉の地となった中野の貸しアトリエを訪問したことがありました。その夫人から贈られたという手製のガウン、1年ほど後の写真ですが、これかな、という気がします。

昨日開幕でした。

ニッポンの油絵 近現代美術をかたち作ったもの

期 日 : 2022年11月12日(土)~12月25日(日)
会 場 : 和歌山県立近代美術館 和歌山市吹上1-4-14
時 間 : 9時30分−17時
休 館 : 月曜日
料 金 : 一般520(410)円 大学生300(260)円 ( )内20名以上の団体料金
      高校生以下、65歳以上、障害者、県内に在学中の外国人留学生は無料
*11月19日(土)、20日(日)は「関西文化の日」として入館無料
*11月22日(火)は「和歌山県ふるさと誕生日」として入館無料
*11月26日、12月24日(毎月第4土曜日 ) は「紀陽文化財団の日」として大学生無料
*12月4日(毎月第1日曜日)は入館無料

 「油絵」は、日本の近現代美術史のなかで重要な位置を占めています。近代美術館である当館がコレクションの柱としている「和歌山ゆかりの作家たち」のなかにも、日本で最初期の洋画家となった神中糸子をはじめ、油絵に向き合うことから彫刻を含む自身の創作を始めた保田龍門、油絵を自らの表現方法として選び、生涯描き続けた石垣栄太郎、川口軌外、村井正誠など、重要な作家たちが含まれます。
 いまでは多くの人にとって見慣れた技法になっている油絵ですが、広く普及したのは、明治維新後に殖産興業のための技術として美術学校で教えられ、展覧会などの発表の場が設けられてからです。油絵の多彩な表現は、西洋のものの見方や、新しい思潮に裏打ちされており、それらへの憧れや共感とともに多くの若い画家たちを魅了しました。
 本展ではまず、ひとりひとりの画家が、どのように油絵と出会い、油絵によって学び、表現する者として成長していったかを作品を通して見ていきます。画家たちのまなざしは油絵を生み出した海外の表現に向かい、ひるがえって日本美術とは何であるかを問うことにもなりました。
 また、油絵具の素材としての魅力そのものにも注目したいと思います。油絵具には独特の艶と透明感があり、筆触や盛り上げを残すこともできる強い物質性を持っていることが特徴です。多くの新しい画材が開発された現代でも、絵具の層を重ねて表現する深み、ゆっくりと固まる絵具の性質を生かした表現など、油絵は材料の多様性のなかに埋もれることなく存在感を放っています。
 日本の近代美術の中に油絵がなかったなら、今日の美術表現はずいぶん違ったものになっていたでしょう。本展は、当館のコレクションを中心に、およそ100点で構成します。油絵を通して、日本の近現代美術の魅力を再発見していただく機会ともなれば幸いです。
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001上記はプレスリリースの画像。ここに紹介されていませんが(100点ほどの出品だそうで)、同館所蔵の光太郎の油絵「佐藤春夫像」(大正3年=1914)も出ているとのこと。

同館、当方の把握している限り、何だかんだで2~3年に1度は、この絵を出品して下さっています。一昨年に開催された「コレクションの50年」展、令和元年(2019)で「 時代の転換と美術「大正」とその前後」展、平成28年(2016)には「動き出す!絵画 ペール北山の夢―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」。同展は全国巡回でしたが、巡回先にも貸与して下さっていました。

佐藤春夫は和歌山出身ですので、同館が入手なさったのでしょう。そして、死蔵とせずにこうしていろいろな機会に出して下さるのは有り難い限りです。

現存が確認できている光太郎の油絵は、10点ちょっとしかありません。この機会をお見逃し無く。

【折々のことば・光太郎】

豊周と規君くる、規君写真をとる、弟に研石をたのむ、白ブドウ酒一本もらふ、

昭和29年(1954)12月23日の日記より 光太郎72歳

光太郎に代わって髙村家を嗣いだ実弟の豊周には、研石(砥石)の入手を頼んでいます。まだ木彫をやりたいと思っていたのでしょうか。

豊周子息で、のち写真家となった故・規氏。この年、日本大学芸術学部写真学科に入学していました。この日はカメラを持参し、光太郎を撮影しました。

規氏の回想「写真家の目と駒込林町の家 高村規の語る戦後の写真(2)」(『日本古書通信』第952号 平成20年=2008 11月)より。

002 大学一年だった僕もカメラを持ってついて行った。そのときに撮った写真が、智恵子さんが織った布地で作ったチャンチャンコを着て微笑んでいる光太郎だった。
(略)
 光太郎から「今度出す本(『全詩集大成現代日本詩人全集』昭和三十年三月・創元社)の口絵に使いたいんだけどいいかしら」と電話をもらった。そんな電話にも驚いたし、写真を始めて一年足らずの僕の写真が初めて印刷されることがうれしかった。
(略)

 昭和三十一年四月二日未明、光太郎が亡くなった。(略)相識の写真の相談が始まった。北川太一さんが本棚から最近出た本をいくつかだしてきたらしい。その本の口絵の写真を見ながら、草野心平さんをはじめとした葬儀委員の方々が、「その写真は光太郎さんが気に入ってたからこれがいいのでは、ただ写したのが誰だかわからないね」と話していた。肩越しに覗いたらアトリエで撮った僕の写真だった。「僕のです」と話したら草野さんが「これに決まりだ」と言い出した。

神戸から演奏会情報です。

やすらぎコンサートin神戸「癒しの響き 鐘シンフォニー(和編鐘)への誘い」

期 日 : 2022年11月20日(日)
会 場 : 日本基督教団神戸聖愛教会 兵庫県神戸市中央区生田町1丁目1-27
時 間 : 15:00~17:00
料 金 : 前売 3,000円 当日 3,500円

出 演 : 有機音(ゆきね 和編鐘)  大山りえ(朗読)  
      則定まり & Fresh Green Sleeves(カリヨン・リコーダー)
      こだまひろこ(ウィメンズコミュニティ代表)
      小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)

曲 目 : 1部 鐘シンフォニー
       春と修羅 水の源 和編鐘・有機音 朗読・大山りえ
       トーク「津田梅子について」 こだまひろこ
       強く、美しく 和編鐘・有機音
      2部 響きあう
       トーク&リコーダー演奏 則定まり & Fresh Green Sleeves 
       トーク「光太郎智恵子と神戸」 小山弘明
       智恵子抄より 「愛はすべてをつつむ」抜粋版
        和編鐘・有機音 朗読・大山りえ   

今社会の動きに、疲れていませんか?? 和編鐘は癒しの鐘です。皆さんの様々な重荷をおろして響きの世界で心を安らげてください。全身の緊張がとれ、リフレッシュしますよ。音に包まれる癒しの時をぜひ!!!
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というわけで、出演させていただきます。有機音さんの演奏と、大山りえさんの朗読の前座で(笑)、せっかく神戸ですので、光太郎智恵子と神戸との関わりを中心に語る予定です。

そもそもなぜ当方が名を連ねているかというと、やはり「智恵子抄」朗読を伴った有機音さんのコンサートに2回(代々木能舞台さん/矢来能楽堂さん)お邪魔し、「ではそのうち光太郎智恵子について語って下さい」とのことで実現しました。

有機音さん、先月、NHK BSプレミアムさんで放映された「Core Kyoto」という番組にご出演。その回は「古都の祈りの鐘~こころ清める 音の宇宙~」というサブタイトルでした。
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和編鐘、そして有機音さんの紹介。
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「私のやり方」とは……
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これは確かに独特ですね。

そして……
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ちなみに京都下鴨神社さんでの奉納演奏の際のロケだそうです。

「自然を師としなさい」と語ったロダンに私淑した光太郎の精神にも通じるような気がしますね。

お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

よみうり記者来て新年の詩依頼、廿五日〆切、承諾す、

昭和29年(1954)12月17日の日記より 光太郎72歳

新年の詩」は、翌年元日の『読売新聞』に掲載された「新しい天の火」。宿痾の肺結核のため、外出もままならない状態でしたが執筆依頼を受けました。詩作は約10ヶ月ぶり。散文は意外と書いていましたが。

昨日は日本橋三越さん内の三越劇場さんにて、朗読劇『智恵子抄』東京公演を拝見して参りました。
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昨年も上演され、銀座ブロッサムさんでの公演に参上しましたが、今年はキャストも代わり、さらに劇伴がチェロとヴァイオリンの生演奏ということで、改めてパワーアップヴァージョンを拝見。
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当方、三越劇場さんは初めてでした。昭和2年(1927)の竣工と云うことで、レトロかつモダンな造り。テレビ東京さんの「新美の巨人たち」で取り上げられたほど特別なホールです。

開演前。
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PXL_20221110_050424776天井にはステンドグラス、壁面下部は天然大理石、上部は漆喰でしょうか。柵などはロココ調の装飾が見事です。

ステージはまるで額縁のように縁取られ、底部には三越さんの象徴とも云うべきライオン。一階正面玄関の有名なライオン像はロンドン・トラファルガー広場のライオン像の模刻で、普通のライオンですが、こちらは「ヴェネツィアの獅子」のような有翼の獅子です。一瞬、翼があるので日本橋欄干の渡辺長男による彫刻のように麒麟かと思ったのですが、ライオンでした。

材質的にはは石膏に着色しているようでした。気になったのでネットで調べてみましたが、作者に言及しているサイトは見つけられませんでした。

さて、開幕。
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オリジナルの脚本は、昭和32年(1957)、光太郎と交流のあった北条秀司が書いたもので、その年、初代水谷八重子さんによって上演されたもの。
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その後、水谷さんの再演がなされ、さらに藤純子さん(現・富司純子さん)、有馬稲子さんによる公演もありました。その都度、他の演目との兼ね合いなどで長かったり短かったりでした。

昨年の公演から、成瀬芳一氏構成と云うことで、オリジナルの脚本を75分ほどで上演出来るように改めたもので上演されています。ただ、今回の上演に当たっても、細部に少し手を入れられたそうですが。

キャストは、昨年に引き続き智恵子役に一色采子さん。こういうと失礼ながら、昨年は昨年で素晴らしかったのですが、今回はさらに智恵子になりきっていらしたと感じました。光太郎は昨年の横内正さんから松村雄基さんにバトンタッチ。若返った感じでした。
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さらに二反田雅澄さん、小川絵莉さんがそれぞれ複数の役を演じられました。終盤、お二人が光太郎蟄居先である花巻郊外旧太田村の村人役をなさいましたが、なんともナチュラルな東北弁。あれ? 東北のご出身なのかな、と思ったのですが、調べてみたところ、小川さんは東京、二反田さんにいたっては大阪のお生まれだそうで、驚きました。さすがプロですね。

そしてチェロとヴァイオリンのお二方。実にいい感じに雰囲気を作って下さっていました。

下記は終演後。
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明後日には、智恵子の故郷、福島二本松の旧安達町での公演もあります。楽屋口で一色さんに「二本松公演も頑張って下さい」とお声がけして、会場を後に致しました。

ところで、「朗読」「智恵子抄」というと、ついでのようになってしまって申し訳ありませんが、明日、京都でこんなイベントがあるとのこと。気づくのが遅れ、明日になってしまいました。

茶子 TeaTime 小さな朗読会 ~2022 秋~

期 日 : 2022年11月12日(土)
会 場 : 本屋ともひさし 京都市下京区烏丸通五条下る大坂町405
時 間 : 13:20~
料 金 : 500円

出 演 : Tea Time 茶子

小さな朗読会を開催します! 智恵子抄を8本程選ばせて頂きました。高村光太郎氏と智恵子さんの世界観をぜひお楽しみ下さい。
無題
ぽつりぽつりではありますが、いろいろなところで光太郎智恵子の世界を取り上げて下さり、有り難いかぎりです。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃鯉淵より孟彦くる、生徒さんら6人つれてくる、暫時談話、


昭和29年(1954)11月14日の日記より 光太郎72歳

鯉淵」は茨城県の鯉淵学園、現在も鯉淵学園農業栄養専門学校として続いています。「孟彦」は光太郎実弟にして藤岡家へ養子に行った光雲四男です。鯉淵学園に勤務していました。

この頃、離れて暮らしていた弟妹の訪問が相次ぎます。すぐ下の弟・豊周が「兄貴もそろそろやばいかも」という連絡を廻したのではないかと思われます。どっこいこの後もまだ1年半近く、光太郎の命の炎は燃え続けましたが。





光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海による仁王像の立つ信州善光寺さんがらみのテレビ番組を2件。

ブラタモリ#222 善光寺〜善光寺はなぜ多くの人を引きつける?〜

地上波NHK総合 2022年11月12日(土) 19:30~20:15

「ブラタモリ#222」で訪れたのは長野県の善光寺。旅のお題「善光寺はなぜ多くの人を引きつける?」を探る▽ご本尊は絶対秘仏…驚きの御開帳システムとは▽衝撃の創建物語!聖徳太子が阿弥陀如来にフラれ、皇極天皇が地獄から救い出されて…▽上杉、武田、織田、徳川、豊臣…名だたる武将に愛された数奇な運命▽扇状地と断層が生んだ奇跡の立地とは?▽善光寺名物・七味誕生秘話▽ピンチをチャンスに?出開帳で日本中が大熱狂!

【出演】 タモリ 野口葵衣 【語り】草彅剛
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同じ日にもう1件。

土曜スペシャル いい旅・夢気分 2022秋 〜紅葉めざして乗り継ぎ旅SP〜

地上波テレビ東京 2022年11月12日(土) 18:30〜20:54

にっぽん全国、その季節に「一番行きたい名所」「一番見たい絶景」「一番食べたい料理」を求めて、鉄道や路線バスを乗り継ぎながら、絶景の紅葉を目指し旅します。絶景の紅葉と旬の料理、一度は泊まりたい極上宿をご紹介しながら、親しい間柄だからこそ聞ける本音など、出演者の素顔も垣間みることのできるTHE旅番組「いい旅・夢気分」!

① 今回は8月に解散したバス旅Zの名コンビ田中要次と羽田圭介がマドンナ神田愛花と共に岩手・盛岡〜秋田・田沢湖をめざし、みちのく湯めぐり旅を満喫します。時間に追われていた「バス旅Z」では堪能できなかった「紅葉」と「渓谷」散策を楽しみ、秘湯の温泉や山の幸に舌鼓!ゆったりとした旅に「バス旅Z」の思い出話に花が咲かせたかと思いきや、バスに乗り遅れる珍ハプニングも!果たして無事ゴールできるのか⁉

② SixTONESの髙地優吾とじゅんいちダビッドソンは群馬・みなかみ町へ!
キャンプ・バイクの共有の趣味を持つ二人は紅葉のピークを迎えた「谷川岳ロープウェイ」で絶景を堪能。温泉ソムリエの資格を持つ髙地の希望で温泉天国・群馬のいで湯を路線バスに乗り継ぎながらハシゴ!さらに地元・みなかみの食材を集め、紅葉のグランピングを満喫。簡単にできるキャンプ㊙技や料理も公開!二人の本音と素顔は必見です!

③ 島崎和歌子、相田翔子、鈴木蘭々のプライベートでも仲良しな平成の元アイドル3人組は信州の秋を大いに満喫する旅に!善光寺の参道と紅葉の散策路での食べ歩き、小布施で旬の栗と信州そばに舌鼓!湯田中では古き良き温泉街で信州の秋の味覚の珍しいスイーツを発見!昔の思い出話にも花を咲かせ女子旅ならではの旅を満喫!志賀高原では、紅葉のじゅうたんと感動のラストが!周辺のオススメ紅葉絶景露天風呂も紹介します!

出演者
【岩手県・盛岡市〜秋田県・田沢湖】田中要次、羽田圭介、神田愛花
【群馬県・みなかみ町】髙地優吾(SixTONES)、じゅんいちダビッドソン
【長野県・長野市〜小布施〜湯田中〜北志賀高原】島崎和歌子、相田翔子、鈴木蘭々

ナレーター:宮崎美子

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それぞれ、仁王像について少しでも触れていただけるとありがたいのですが……。

「少しでも」と言えば、過日ご紹介したやはりテレビ東京さんの「土曜スペシャル 千原ジュニアのタクシー乗り継ぎ旅12 秋田〜青森・世界遺産」。光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ、青森十和田湖、しかも「乙女の像」すぐ近くの十和田神社さんがチェックポイントの一つということで、「乙女の像」の紹介もあるかなと思って拝見しましたが、残念ながら「乙女の像」、紹介はなく、写り込んだのもほんの一瞬でした。

出演された千原ジュニアさんと勝村政信さん、十和田湖畔を徒歩で秋田側から青森側に入られ、その後、「乙女の湖道」から十和田神社さんまで約1㌔歩かれましたが、その間がビデオの早廻しとなり、約4秒(笑)。「乙女の像」の脇も通られましたが、この場面、コマ送りにしてもブレています。
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この間、コンマ1秒以下(笑)。ま、しかたありますまい。ちなみに平成29年(2017)にオンエアのあった「ブラタモリ #81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~」では、「乙女の像」、約2秒間の出演でした(笑)。

このシーン以前の、秋田田沢湖の「たつこ像」は、それなりに紹介されていました。
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「たつこ像」は、昭和43年(1968)、光太郎と交流のあった舟越保武の作品。よく「乙女の像」と混同されて閉口しているのですが……。像全身が金色であるのは、「乙女の像」に、最初、金メッキを施して湖中へ沈めるという光太郎の構想があったものの、結局は実現しなかったことを受け、その代わりに、という理由もあります。

同じ番組での十和田神社さん。
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さて、上記「ブラタモリ#222 善光寺〜善光寺はなぜ多くの人を引きつける?〜」及び「土曜スペシャル いい旅・夢気分 2022秋 〜紅葉めざして乗り継ぎ旅SP〜」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

校閲を全部終り、まとめる、「あとがき」だけのこる、

昭和29年(1954)11月12日の日記より 光太郎72歳

現在も版を重ねている岩波文庫版『高村光太郎詩集』関連です。これが、自ら校閲した最後の著書となりました。

大分県から演奏会情報です。

「智恵子抄」~智恵子と高村光太郎の生涯をたどって~

期 日 : 2022年11月17日(木)
会 場 : iichiko音の泉ホール 大分県大分市高砂町2番33号
時 間 : 19:00~
料 金 : 無料

出 演 : 上田雅美(ソプラノ) 中村弘人(テノール) 中村仁 (テノール)
      星野美由紀(ピアノ)

歌曲の会特別企画演奏会ということで、第1部は「日本抒情歌曲への誘い」と題して山田耕筰や中田喜直といった作曲家の作品と、第2部では清水脩作曲の歌曲集「智恵子抄」(全曲)を演奏いたします。智恵子への愛を綴った詩に「取り付かれた」清水作品を3人で歌いあげていきます。どうぞお聴きください。
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大分県民芸術文化祭」参加事業の一つだそうです。001

故・清水脩氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」全12曲が演奏されます。抜粋で演奏されることは多いのですが、全曲まとめてというのは、少なくともここ10年ほどの間では無かったように思われます。

清水氏、光太郎生前の昭和30年(1955)からこの歌曲集の作曲を始め、まず「あどけない話」など6曲(うち3曲はオケ伴)。続いて「あなたはだんだんきれいになる」他二曲が昭和34年(1959)、そして「晩餐」等2曲が昭和46年(1971)に加えられ、全12曲となりました。楽譜は昭和53年(1978)に音楽之友社さんから刊行されています。

アナログレコード、CDも抜粋のものが多くありますが、昭和47年(1972)、中村健氏の歌唱による全12曲収録のLPが日本ビクターさんからリリースされています。同じ音源と思われるCDも平成3年(1991)に発売されています。
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清水氏、これ以外にも男声合唱、混声合唱、さらには箏曲でも、「智恵子抄」詩篇に曲を付けた作品を複数作られていて、これだけ多く光太郎詩に曲を付けられたのは、ジャンルは違いますがシャンソン系のモンデンモモさんと清水氏とお二方だけです。

今回の演奏会では、ご出演されるお三方の歌い手さんが分担なさって全12曲を歌われるとのこと。なるほど、そういうのもありかな、と思いました。

そして何と入場無料。お近くの方(遠くの方でも)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小山書店の小山久二郎氏くる、「天平の彫刻」をもらふ、


昭和29年(1954)11月8日の日記より 光太郎72歳

天平の彫刻」は正しくは「天平彫刻」。光太郎が一部を執筆したもので、元版は戦時中の昭和19年(1944)に刊行されましたが、戦災で倉庫が焼け、ほとんど出回りませんでした。戦後になって昭和23年(1948)に復刊、さらにこの年、新たに図版を数多く入れた版が刊行されています。

既知のものですが、光太郎書簡が展示されます。

茨城大学五浦美術文化研究所所員企画展2022 「つなぐ人 つなぐ文―手紙に「見る」そのひとらしさ―」

期 日 : 2022年11月8日(火)~11月21日(月)
会 場 : 茨城大学図書館本館1階展示室 茨城県水戸市文京2-1-1
時 間 : 10:00~16:45
休 館 : 11月13日(日) 11月19日(土) 11月20日(日)
料 金 : 無料

その人らしさが表れる手紙。手紙は当事者間でやり取りするものですから、本来なら本人以外は見ることができないものです。本展は、横山大観、木村武山など五浦ゆかりの画家や大観が認めた小川芋銭、高村光太郎などの手紙に表れる「そのひとらしさ」に触れてみようという企画です。彼らの手紙は草書や変体仮名が使われ、しかも筆を走らせているため、知識がないと「読めない」です。でも、「線」や「書きぶり」を見ることはできます。太さ、細さ、強さ…様々な表現に感じられる「そのひとらしさ」を体験して「読まない」鑑賞をしてみませんか。

ぜひお誘いあわせの上、ご来場ください。

※事前予約が必要です。入場申込 からお申し込みください。)。
※新型コロナウイルス感染症の影響を鑑み、例年より規模を縮小しての開催といたします。
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関連企画

「つなぐ人 つなぐ文―手紙に「見る」そのひとらしさ―」記念講演会
 会  場 : 茨城大学 図書館 本館3階 ライブラリーホール
 会  期 : 令和4年11月12日(土)
 開演時間 : 13:25~15:50
 講演1 「小川芋銭の芸術」 小泉晋弥(茨城大学名誉教授・美術評論家)
  大観はなぜ、芋銭を日本美術院同人に推挙したのか、
  その問いから、明治から大正にかけての日本画の展開を考えてみます。
 講演2 「光太郎と宮崎稔」 安裕明(茨城県立多賀高等学校講師)
  高村光太郎と小川芋銭を繋いだ宮崎稔。取手の宮崎仁十郎、稔父子を通じ、
  芋銭と光太郎の交流についてお話しします。

  ※開場は13:10~となります
  ※事前予約が必要です。参加申込 からお申し込みください。
  ※先着順となりますので、予めご了承ください。

展示される光太郎書簡は、昭和17年(1942)2月28日付のもの。茨城取手の詩人・宮崎稔に送られた葉書です。宮崎は戦後、光太郎の仲介で、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・春子と結婚しています。
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光太郎が落款等に愛用していた、齋白石制作の印について述べられており、興味深い内容です。また、内容のみならず、味わい深いその文字も魅力的ですね。

関連企画の講演会でも、宮崎と光太郎について触れられるようです。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

麻布中学生20人相模湖にて遭難のラジオ、


昭和29年(1954)10月8日の日記より

この頃の光太郎日記には、ほとんど社会情勢などに関する記述がないのですが、この日は別でした。後に「内郷丸遭難事件」と呼ばれるようになる事故で、新制麻布中学校の生徒22名が、相模湖で載っていた遊覧船の沈没により亡くなったという痛ましいものです。前途有為な少年たちの死ということで、よほど印象に残ったのでしょう。

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