カテゴリ: 日記

先週末に『光太郎資料』第38集を発送い000たしましたところ、お礼状やらメール、お電話やらたくさんいただいております。ありがとうございます。こちらが勝手に送りつけているものに対し、かえって恐縮しております。
 
光太郎作詞の国民歌謡「歩くうた」に関してレポートを載せたところ、「子供の頃、歩きながら歌っていた歌で、光太郎作詞とは知らなかったので、驚きだ」というようなお話もありました。
 
中には37集を含めて追加でご用命いただいたり、執筆依頼なども舞い込んできたりしました。なにやらいわゆる「釣り」=フィッシング詐欺のようで気が引けるのですが、せっかくのお声がけですので応えさせていただきます。
 
その他、光太郎智恵子光雲に関わるイベントや企画展、出版等のご予定がございましたら、出来る限り協力させていただきますのでお声がけください。
 
明日はそういった件で当方自宅兼事務所に「宇宙人」がお見えになります。詳細は明日以降のブログにて。

当方が編集、刊行しております冊子、『光太郎資料』の第38集。連翹忌の名簿に名前のある方、全国の光太郎智恵子光雲に関係しそうな文学館、美術館、図書館等への発送を完了しました。
 
9/5のブログでも御紹介しましたが、元々は北川太一先生が、昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、不定期で刊行されていたもので、その名跡をお譲り頂き、当方が編集、刊行しております。題字は北川先生の時代のものをスキャンして使っています。
 
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刊行といっても、殆ど手作業です。原稿の作成はパソコン(北川先生の時代はワープロが導入された最後の頃を除き、鉄筆にガリ版だったので、雲泥の差だとは思いますが)。印刷は4月に刊行した第37集はパソコンのプリンタでプリントアウトしましたが、インクの消費量とそれに要する時間が膨大で、今回は印刷のみ地元の印刷業者に頼みました。丁合(ちょうあい…… 印刷された用紙を一冊になるようページ順に集める作業)と綴じ込みは自宅での手作業です。したがって、乱丁、落丁があるかも知れません。不良品はお取り替えいたします。
 
大正末から昭和初年、草野心平が刊行し光太郎も時々寄稿した伝説の詩誌『銅鑼』などもガリ版刷りでした。また、昭和37年、光太郎の七回忌に合わせてやはり草野心平が刊行した光太郎詩集『猛獣篇』もガリ版刷り(草野の覚書によれば逆に丁合や製本は業者に頼んだようですが)。光太郎に関しては豪華な製本よりこうした手作業が伝統です。
 
内容的には以下の通りです。

 「光太郎遺珠」から
別に高村光太郎研究会刊行の『高村光太郎研究』に年1回連載させていただいている「光太郎遺珠」。『高村光太郎全集』補遺作品集ですが、見つかったものから順にどんどん採録しているので内容的にはバラバラです。そこで、テーマや関連事項ごとに分類、再構築し、画像や関連資料を交え、紹介するものです。今回は「新詩社・『スバル』・パンの会・そして『白樺』」と題し、後々まで続いたそれらに関わった人々-与謝野夫妻、水野葉舟、伊上凡骨、木村荘太、森鷗外、武者小路実篤、木下利玄他-に関わるものを集めました。
 
 光太郎回想・訪問記
同時代の人の眼から見た光太郎、ということで集成しようと思っています。今回はパンの会の頃の光太郎が登場する木村荘太の自伝的小説「魔の宴」から。
 
 光雲談話筆記集成
大正から昭和初期にかけ、光太郎の父、光雲がさまざまな書籍、新聞等に幕末から明治初年の懐古談を発表しています。それらも集成していこうと考えています。今回は『漫談 江戸は過ぎる』(昭和4年 萬里閣書房)より「歳の市の話」。
 
 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行
光太郎関連の資料を収集する中で、光太郎や智恵子、光雲ゆかりの地の古い絵葉書が少なからず手に入っています。それらの画像と共に、その地の概要、光太郎や智恵子・光雲との関わりなどを紹介していきます。今回は十和田湖とその周辺。ただ、失敗したな、と思ったのですが、十和田湖周辺は昔の絵葉書と現在で、あまり変わっていないようです。
 
 音楽・レコードに見る光太郎
光太郎が歌曲として作詞した詩、光太郎の詩に曲を付けた楽曲、光太郎・智恵子を題材とした音楽などを紹介します。第37集と今回で、光太郎作詞、飯田信夫作曲の国民歌謡「歩くうた」(昭和16年=1941)を取り上げました。DTMソフトで入力した楽譜も掲載しています。
 
 高村光太郎初出索引(二)
光太郎の文筆作品、装幀、絵画、題字等について、初出(と思われる)掲載誌を五十音順にソートし、索引の形にしました。第37集であ行、今回はか行。
 
手許にまだ残部があります。欲しいという方はご連絡ください。送料のみ(クロネコメール便で80円)頂く形でお分けいたします。

追記 クロネコメール便はサービス終了、クロネコDM便に移行し、送料160円となりました。

先日、『水滸伝』にからめて、光太郎の周囲は多士済001々、ということを書きました。それは、現在製作中の冊子『光太郎資料38』で、そういった感じの内容の部分があり、そこからの連想なのです。
 
『光太郎資料』。元々は北川太一先生が、昭和35年(1960)から平成5年(1993)にかけ、不定期で刊行されていたものです。結局、36号で休刊という形になっていました。初期の頃はガリ版刷りで、先生が高校に勤務されていた頃の教え子の方々、北斗会の皆さんがお手伝いなさって作られていました。
 
内容は多岐に亘り、一度目の『高村光太郎全集』の補遺、没後年譜、索引類、同時代の光太郎評、その他さまざまな光太郎関連資料が載せられていました。それらの成果は後に文治堂書店から刊行された『高村光太郎資料』全六巻や、二度目の『高村光太郎全集』、それから『連翹忌五十年』という書籍などに反映されています。
 
その伝統ある『光太郎資料』の名跡をお譲り頂き、幸い「好きにやってよい」というお墨付きも頂きましたので、もちろんアドバイスを賜りながらですが、本年4月に『光太郎資料37』を刊行いたしました。内容としては、以下の通りです。
 
 よろこびを告ぐ 『光太郎資料』の新生について  北川太一
 「光太郎遺珠」から   欧米留学をめぐって
 光太郎回想・訪問記   高村光太郎 父光雲をいたわる神々しい姿 大悟法利雄
 光雲談話筆記集成    『明治会見記』より
 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  月寒牧場(北海道・札幌)
 音楽・レコードに見る光太郎  歩くうた(一)
 高村光太郎初出索引(一)
 編集後記
 
メインは「「光太郎遺珠」から」。以前にも書きましたが、二度目の『高村光太郎全集』完結後、さらに見つかった光太郎作品を「光太郎遺珠」として紹介し続けています。しかし、年1回、見つかったものから順にどんどん載せていますので、内容的にはバラバラです。そこで、テーマや関連事項ごとに分類、再構築し、画像や関連資料を交え、紹介するものです。
 
さて、『光太郎資料38』を今、製作中です。とりあえず、年2回の刊行ということにしました。編集の手間だけを考えれば季刊程度は可能なのですが、非売ですので、制作費や郵送料等すべて持ち出し、出せば出すほど赤字という状態となり、年2回が限界です。そこで、1回は連翹忌に合わせて4月2日、もう1回は智恵子の命日、レモン忌に合わせて10月5日の発行と設定しました。次号のラインナップは以下の通りです。
 
 「光太郎遺珠」から        新詩社・『スバル』・パンの会・そして『白樺』
 光太郎回想・訪問記       「魔の宴」(抄)その一 木村荘太
 光雲談話筆記集成        『漫談 江戸は過ぎる』より(一)
 昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  十和田湖とその周辺(青森)
 音楽・レコードに見る光太郎   歩くうた(二)
 高村光太郎初出索引(二)
 編集後記
 
前振りが長くなりましたが、メインの「「光太郎遺珠」から」で、新詩社、雑誌『スバル』や『白樺』、そしてパンの会関連の新資料をまとめました。そこで関わってくる人々がやはり多士済々、錚々たるメンバーなので、梁山泊に思い至ったのです。
  
この38号は連翹忌の御案内を差し上げている方には当方から発送します。また、37号もそうしましたが、光太郎と関連のありそうな全国の文学館、美術館、大きな図書館などにも勝手に送ります。この「勝手に送る」というのが北川先生の頃からの伝統でして、それを踏襲しています。
 
それ以外に37、38とも、欲しいという方はご連絡ください。送料のみ頂く形でお分けいたします。

先日、久しぶりに新刊書店に行きました。長距離の移動中、車内で読むための書籍を買うのが目的でした。
 
そういうための書籍としては、光太郎関連から離れた推理小説、時代小説、そして歴史小説を選びます。今回は歴史小説、北方謙三氏の『岳飛伝』第二巻を買いました。中国の通俗小説『水滸伝』を元にした北方氏の連作「大水滸伝シリーズ」の最新刊です。

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この連作は、90年代末に『小説すばる』で連載が始まった『水滸伝』全19巻、その続編の『楊令伝』全15巻、そしてその続編として『岳飛伝』が現在も連載中で、つい最近単行本の2巻目が発売されました。さらに言うなら、流行の言い方を使ってシーズンゼロ(メインの話の前史)的な『楊家将』全2巻、『血涙』全2巻もあり、膨大な量になっています。このシリーズが実に面白い。カビの生えた言い方ですが「血湧き肉躍る」という表現がぴったりします。
 
当方、その他の歴史小説としては、新選組もの、武田家や真田家に関するものなどが好きで、よく読んでいます。共通点としては、「群像ドラマ」であるということ。これがどういうことかというと、一人のカリスマ的なヒーローを描いたものではないということです。もちろん、中心になる人物はいるのですが、その周囲に実に多彩な人々が集まって、すごい人物相関図が出来上がっているというパターンが好きなのです。
 
新選組で言えば、局長・近藤勇の元に、土方歳三、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一、井上源三郎、藤堂平助、原田左之助、島田魁、山崎蒸……武田家で言えば、武田信玄の元に、山本勘助、真田幸隆、真田昌幸、馬場信春、板垣信方、甘利虎泰、飯富虎昌、武田信繁、高坂昌信、武田勝頼…… 。
 
そうした意味での圧巻は北方氏の描く『水滸伝』の連作です。腐りきった北宋を倒すため、城塞・梁山泊に集まった108人の英雄、豪傑が描かれます。武術に長けた者、用兵を得意とする者、知略で勝負する者、諜報活動に命をかける者、その他一芸に秀でた者……。武に長けた者たちも、槍、剣、弓、棒、戟、体術、斧など、それぞれ得意とする武器が異なったり、一芸に秀でた者たちは、物流、造船、鍛冶、土木工事、医術、建築、馬の飼育、はては書や印鑑製作、料理など、実に多彩な分野でそれぞれの得意技を生かして活躍したりています。まさに多士済々ですね。
 
さて、長々こんな話を書いてきましたが、その意図はもうお判りでしょうか。当方が言いたいのは、「すぐれた人間の元には、すぐれた人間が集まる」ということで、これは光太郎の世界にも当てはまります。
 
光太郎がリーダーとか統領という訳ではありませんでしたが、光太郎の周囲にも、きら星の如く実に様々な分野の人々が集まりました(光太郎自身がマルチな才能の持ち主だったこともあるのですが)。
 
彫刻の荻原守衛・高田博厚、詩人の草野心平・宮澤賢治、画家の岸田劉生・梅原龍三郎、小説家では森鷗外・武者小路実篤、歌人では与謝野夫妻・石川啄木、脚本家に小山内薫・岸田国士、編集者の松下英麿・前田晁、美術史家である今泉篤男・奥平英雄、女優の花子・水谷八重子。その他にも版画彫師の伊上凡骨、チベット仏教の河口慧海、歌舞伎役者の市川左団次、舞踊家の藤間節子、大倉財閥の大倉喜八郎、歌手の関種子、建築家の谷口吉郎、青森県知事津島文治(太宰治の実兄)、朗読の照井瓔三、日本女子大を創設した成瀬仁蔵、バーナード・リーチや詩人の黄瀛(こうえい)など、外国人も。そういう意味では智恵子もそうですし、北川太一先生もそうです。『高村光太郎全集』の「人名索引」を眺めれば、さながら梁山泊の面々のようです。
 
かえりみるに、現在、連翹忌に関わっていただいている皆さんも多士済々。北川太一先生の元にやはりきら星の如く、色々な分野の方々に集まっていただいております。実は、連翹忌の参加者名簿を繙く都合がありまして、見てみたところ、そのように感じました。ここもさながら梁山泊だな、と思ったわけです。
 
しかし、まだまだ世の中には独自に光太郎・智恵子・光雲を追究してらっしゃる方もいらっしゃるでしょうし、これからこの世界に入りたいという方もいらっしゃるでしょう。そういう方々のネットワーク作りに貢献できれば、と思っております。

女川レポートの最終回です。
 
8月10日(金)、石巻の宿を出て、再び女川に向かいました。佐々木(貝)廣さんの御霊前に焼香と、女川港の現状を観るためです。
 
前日の女川・光太郎祭参加の際に、女川港も通りましたが、今日はバスを止め、歩きました。

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一面、更地のようになっていますが、かつてはここが繁華街でした。そうといわれなければとても信じられないと思います。横倒しになったビルが三棟、そのままになっているのが名残です。今さらながらに津波の膨大な力に驚きました。

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4基あった光太郎碑のうち、2基だけはかろうじて残っています。メインの大きな碑は仰向けに倒れています。公園だったこの一帯は地盤が1㍍以上沈下したということで、満潮時には海水が周りを覆い、近づけません。おそらく文学碑としては日本最大、といわれていただけに、かえって動かそうにも簡単には動かせないようです。

メインの碑の真下にあった短歌「海にして……」を活字で刻んだ小さい碑は無くなっています。

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詩「霧の中の決意」を刻んだ碑は、ほぼ元の通り残っていました。

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それとセットになっていた詩「よしきり鮫」を刻んだ碑も行方不明とのこと。北川先生曰く、「よしきり鮫だけに、海へ帰ったんでしょう」。
 
前日の光太郎祭の中で、女川町長・須田善明氏があらたに公園を作り、そこに今ある碑を設置し直す予定とおっしゃっていました。震災の爪痕を風化させないためにも、そうしてほしいものです。横倒しになったビルのうち、元の交番だった建物も残すという話が持ち上がっているようです。地元の人々にとっては、辛い記憶の残るモニュメントとなると思いますが、やはりこういうことも大事なことだと思います。

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その後、仮設商店街に行きました。仮設住宅は当方の住まう千葉県香取市にも作られましたが、仮設商店街というのは初めてでした。

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港の周辺は壊滅状態でしたが、仮設住宅や仮設商店街には人々のエネルギーが溢れ、改めて人間の素晴らしさを感じました。しかし、そこにいる人々は皆、多かれ少なかれ痛手を負っているわけで、でも、そこから立ち直り、進んでいこうとなさっているわけです。
 
我々一般庶民に出来ることは小さなことだと思いますが、被災地のためにできること、やらなければいけないこと、もう一度考えてみたいと思います。
 
話は変わりますが、今日は国会図書館に行ってきました。地下鉄丸ノ内線の国会議事堂前駅で降り、議事堂の裏を通って図書館に向かいつつ、議事堂の中で政争に明け暮れているセンセイ達を思い、腹が立ちました。もっと他にやるべき事があるんじゃないの? と。
 
おそらく一年後にまた女川を訪れることになると思います。一年後の女川がどうなっているのか、無論、復興していて欲しいと願っています。
 
以上、女川レポートを終わります。

8月9日、宮城県の女川町で行われました第21回女川・光太郎祭。北川太一先生が高校教諭をなさっていた頃の教え子の方々・北斗会さんで手配して下さいまして、石巻グランドホテルさんに宿泊致しました。
 
夕食の際にはサプライズが用意してありました。北川先生の米寿の御祝。これまでも北斗会の皆さんは、北川先生の還暦、古希、喜寿などの御祝いを企画なさってきており、北川先生が最近はあまり外に出られないということもあって、今回、それを兼ねることにしたそうです。教え子の皆さんも、教え子とは言う条、年かさの方はもう70代。北川先生とは60年以上のおつきあいです。それほどの長いおつきあいがあるというのも素晴らしいことですね。

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女川・光太郎の会の皆様、本宮寛子氏、ギタリストの宮川菊佳氏も交え、楽しい一時となりました。
 
翌朝、早くに目が覚めてしまいまして、石巻の街を散策してみました。石巻は昭和6年、光太郎が紀行文「三陸廻り」の連載第一回を記した地です。やはりあちこちに震災の爪痕がまだ残っています。

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ビートたけしさん、木村拓哉さんが出演されていたトヨタのReBORNキャンペーンCMに使われた石ノ森萬画館。石巻出身の漫画家、石ノ森章太郎さんの記念館です。いまだ休館中でした。

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歩道橋には何やら青いプレートが。

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近づいてみると、この高さまで津波が来たという標識でした。

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橋の欄干もひん曲がっています。

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しかし、さすがに震災からもうすぐ1年半。復興は進んでいるようです。ReBORNのCMでは辺り一帯が廃墟でゴーストタウンのようになっているのかな、と思いましたが、そんなことはなく、街には普通の生活が見られました。もっとも、もともとの石巻の姿をよく知りませんし、1年半経って、瓦礫の撤去が進んだために却って被害の後がよく分からないのかも知れません。人々の生活にしても、旅人の自分には見えない所での苦労はまだまだたくさんあることと思います。
 
朝食後、再びバスで女川に向かいました。かつて光太郎碑が建っていた港の辺りを見に行くのがメインです。そのあたりはまた明日。

8月9日、宮城県の女川町で行われました第21回女川・光太郎祭に参加して参りまして、昨夜、帰宅いたしました。今日から数回、レポートさせていただきます。
 
朝7時、池袋駅前からマイクロバスに乗り込み、いざ出発。今回は北川太一先生が久々に参加なさるということで、先生が高校で教鞭を執ってらした頃の教え子の皆さんの会である北斗会の方々のお世話になりました。バスも北斗会で手配して下さいました。北川先生は奥様、息子さんとご一緒に仙台まで新幹線。宿泊予定の石巻グランドホテルで合流しました。
 
一路、女川へ。光太郎祭自体は午後1時開始でしたが、我々は3時からの第二部に参加致しました。
 
会場は町立野球場に作られた仮設住宅敷地内の坂本龍一マルシェ。坂本さんが資金を提供して作られた巨大テントです。

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女川町長・須田善明氏のご挨拶の後、北川先生のご講演。演題は「かさねて最後の詩「生命の大河」について」。北川先生、以前は毎年女川・光太郎祭でご講演をされていましたが、ここ数年は体調の問題もあり、ご欠席なさっていました。しかし、かつての光太郎祭を中心となって運営されていた佐々木(貝)廣氏が昨年の大震災で津波に呑まれて亡くなり、女川を訪れてご焼香したいというご希望で、今回のご講演が実現しました。

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内容は、先生のご盟友・故吉本隆明氏、ヴァレリー、サルトル等の言と光太郎の詩をからめ、震災、原発問題にゆれる社会への提言といったものでした。

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その後、オペラ歌手の本宮寛子さんの歌。本宮さん、以前のブログにも書きましたが、平成3年に女川で開かれた詩碑除幕記念のオペラ「智恵子抄」上演以来、女川のご常連です。

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4時過ぎに閉会となり、またマイクロバスで石巻へ。明日は石巻での様子をレポートいたします。

女川港のかつて繁華街だったあたりを訪れました。

横倒しになったビルが三棟、光太郎碑も仰向けになっています。

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しかし、高台に上がれば、仮設住宅や仮設店舗には人々のエネルギーが溢れています。人間って、素晴らしいものですね。

明日以降、撮影した画像を交え、詳しくレポートいたします。


今日は宮城県女川町での第21回光太郎祭に来ています。

今しがた終わりました。これから石巻グランドホテルに向かいます。北川太一先生、女川光太郎の会の皆さんと懇親会です。

詳しくは帰ってからレポートいたします。

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昨日、yahoo!のテレビ番組検索でヒットした情報をお伝えします。
 
実は、オンエアの日付を昨日と勘違いし、昨日、慌てて載せたのですが、よく見てみると来週でした。

木曜ドラマ9「ビギナーズ!」 第1話

地上波TBS系 2012年7月12日(木) 21時00分~22時06分
 
俺たち、ヒーローになる予定っ!絶対服従24時間監視下の全寮制警察学校を舞台に今注目度No.1の若手キャストが集結した青春ラブコメドラマ!

番組内容
幼い頃、白バイでマラソンの伴走をする警察官だった父の姿を見て育った志村徹平(藤ヶ谷太輔)は、マラソンランナーになる事が夢だったが、父親の失職・失踪と自身のケガをきっかけに自堕落な生活の一途をたどり、地元では名の知れた不良になってしまう。 そんな徹平が幼馴染の雄一の強い誘いも影響して、高校卒業後、なんと警察官になる道を選ぶ。 奇跡的に採用試験に合格した徹平はこの夏警察学校に入校することになるが…


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どこが光太郎関係だ? と思ったら、出演者の欄に、以下の記述がありました。

出演者
志村徹平…藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2) 立花団司…北山宏光(Kis-My-Ft2) 桃江比呂…剛力彩芽
山根省吾…柄本時生 杉山清貴…小柳友 石岡太一…石井智也 新島千晶…岡本あずさ
福原陽子…水沢エレナ 峰百合…青山倫子 恩田雄一…森廉 桃江明美…河合美智子
高村光太郎…鹿賀丈史(特別出演) 福田清志…柳沢慎吾 桃江好則…宮川一朗太
志村恭一郎…国広富之 竜崎美咲…石田ひかり 桜庭直樹…杉本哲太

「何だそりゃ?」と思って番組公式サイトを調べたところ、鹿賀丈史さん演ずる「高村光太郎」は警察学校の校長という設定でした。まさか、単なる同姓同名というだけの設定でもないとは思いますが……。


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とりあえず来週からのオンエアをチェックしてみたいと思います。

追記 結局、風間さんが演じた「高村光太郎」は光太郎と何の関わりもなかったようで……もしかすると、全何回かの中でちょっとだけでも光太郎がらみのエピソードはあったのかもしれませんが……。

昨日に続き、骨董市ネタです。
 
数年前のことでした。市に参加しているある店の店頭に、額に入れられた「光太郎の葉書」が並んでいました。葉書ですので表裏になっていますが、裏面(文面)の方がこちらに向けてあり、表面(宛名面)の方はコピーで横に並べてあります。
 
山梨出身のマイナーな詩人・野沢一(はじめ)にあてたもので、『高村光太郎全集』には2通、山梨県立文学館所蔵のものが掲載されています。実際に同館でそれを見たこともありました(細かな文面までは頭に入っていませんでしたが)。そこで、「野沢宛か、あってもおかしくないな。」と思いました。書かれている内容も野沢の質問に対しての解答になっており、筋が通っています。筆跡も問題なさそうです。
 
値段を訊いてみると、「額付きで5万円」とのこと。まあ、妥当な値段です。さすがに財布に5万円は入っていませんし、こんな所ではカード払いなど不可能です。しかし、会場になっている神社の近くにコンビニがあったので(今は閉店してしまいましたが)、そこのATMから下ろせば何とかなります。その時点では、もう半分以上買う気になっていました。
 
もう少し確認しようと、店主に頼み、額から出して貰い、手に取ってみました。すると、額のガラス越しの時には感じなかった違和感。形的には見慣れた光太郎の筆跡ですが、どうにも筆跡に力がないのです。うまくいえませんが、光太郎の筆跡に接した際に感じられるオーラのようなものが漂ってこない、ということです。この時点で、だいぶ疑いが濃くなりました。
 
裏返して宛名面を見てみると、更におかしなことが。消印がないのです。消印がないということは、投函されていないということですね。なぜ投函されていないのか、と考えれば、答えはこれが偽物だから、です。
 
消印がないからといって、一概に偽物とは言えません。実際、消印がない本物も存在します。直接手渡したか、他の何かと一緒に封書や小包にして送ったかであれば、消印はなくてもおかしくはないので。しかしこの葉書は筆跡が弱すぎる。結局買うのはやめました。
 
逆に、消印が押してある偽物も見たことがあります。というか、現在も他の方のブログで、我が家の家宝です、みたいに紹介されています。これはどうみても筆跡が違うし、内容もおかしいし、何より光太郎の住所が間違っています。ここまで来ると程度が低すぎてすぐわかります。ただ、どうして消印が押してあるのかは謎ですが。
 
家に帰って、調べてみたところ、例の葉書に書かれていた内容は、現存する野沢宛2通の内の1通と同じでした。誰かが未使用の古い葉書に光太郎の筆跡を巧妙に真似て、書き写したということでしょう。偽物は今までに何点か見ましたが、筆跡を真似る技術では、これが一番でした。ある意味、すごい才能です。でもいかんせん、書かれた文字に「力がない」。それでも形はそっくりです。こういう才能をもっと他の部分で使うことはできないのでしょうか……。悲しくなります。
 
手前ミソになりますが、だまされなかった自分の眼力をほめたくなりました。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」という番組、よく見ているのですが(ちなみに5月のオンエアで光雲の弟子筋にあたる木彫家の作品が出ており、興味深く拝見しました)、「鑑定士」と称する人がよく「力がない」ということを言っています。この経験をするまで、「ほんとかよ」と思っていました。しかし、わかるものなんですね。実感しました。

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明治古典会七夕古書大入札会、冊子の目録が届きました。頒価2500円ですが、以前、大口の買い物をしたということで、無料で頂きました。ありがたいことです。

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「たかが目録が2,500円?」というなかれ。A4判280余頁、カラー図版多数の豪華なものです。この時代の文学者の位置づけ的なものも表れ、後に「平成24年頃にはこの作家が人気が高かったんだ」という資料にもなります。
 
時間があったので、近代文学関連のみ最低入札価格の高額ランキングを調べてみました。あくまで業者が設定した最低入札価格ですので、実際にいくらで落札されるかは不明です。ことによると応札なし、ということもあり得ます。また、今年の出品物に限っての話ですので、ご了承下さい。これがイコール現代の作家の人気ランキングというわけではないということです。出品物の状態にも左右されますし、たまたまエントリーのない作家もいますから。
 
150万円以上に設定されているのは次の通りでした。
 
 岩波茂雄宛宮澤賢治書簡 500万003
 永井荷風草稿 400万
 更級源蔵宛高村光太郎書簡9通 署名本9冊付 350万
 芥川龍之介未定稿 300万
 森鷗外書巻「古稀庵記」 220万
 正岡子規宛夏目漱石書簡 200万
 斎藤緑雨採集草稿 樋口一葉・幸徳秋水関連 200万
 夏目漱石 我輩ハ猫デアル① 150万
 野呂邦暢草稿 150万
 
やはり書籍は「猫」1点だけでした。他は肉筆物です。堂々の1位は、賢治の書簡。夭折ということで、賢治の書簡は非常に少ないのでこの値段もうなずけます。宛先も岩波書店の社長で、メジャーどころですし。
 
光太郎の書簡が第3位ですが、9通セット、署名本9冊付と言うことで、一種の人海戦術のようなものですね。それを言ったら野呂の草稿も約150枚で150万ですから、もっと短いものだったらランク外です。
 
「猫」①以外、書籍だけに限定して高額商品を調べたところ、以下の通りでした。何冊もセットで出ているものは除きました。ただし、「猫」は元々全三巻ですので除いていません。
 
 宮澤賢治 『春と修羅』① 78万002
 中原中也 『山羊の歌』 60万
 宮澤賢治 『春と修羅』② 50万
 北原白秋 『邪宗門』署名入り 50万
 上田敏 『海潮音』40万
 夏目漱石 『我輩ハ猫デアル』② 40万
 与謝野晶子 『みだれ髪』 40万
 高村光太郎 『道程』 40万
 神崎武夫 『寛容』 40万
 太宰治 『駈込み訴へ』 40万
 福永武彦 『福永武彦詩集』40万
 
同じ「猫」でも、40万の出品もあります。白秋の『邪宗門』は署名入りという付加価値があります。光太郎『道程』は同率第5位ですね。金額がすべてではありませんが、光太郎ファンとしては、やはり嬉しいものです。それだけ認められている、ということですから。
 
「高村光太郎? 何それ? 全然人気がないからもう値段つかないよ」という時代が来ないでほしいと祈ります。祈るだけでなく、「光太郎はこんなに素晴らしい」ということをアピールし続けたいと思います。
 
それにしても、こういうものをポンと買えるのはどういう人なんだろうと、興味がありますね。こういうものを購入する方にお願いしたいのは、「死蔵しないでほしい」ということです。こういうものは日本国民共有の文化遺産ととらえ、研究等の用に役立てるべきだと思います。金額や希少価値にのみ拘泥して何ら世の役に立てず金庫にしまわれてしまっては、それこそ宝の持ち腐れです。活用されてこその宝です!

新着情報です。
 
2012年7月6日(金)~8日(日)の3日間、東京神田の東京古書会館で、年に一度開かれる古書籍業界最大のイベントの一つ、「明治古典会七夕古書大入札会」が開かれます。
 
古代から現代までの希少価値の高い古書籍(肉筆ものも含みます)ばかり数千点が出品され、一般人は明治古典会に所属する古書店に入札を委託するというシステムです。毎年、いろいろな分野のものすごいものが出品され、話題を呼んでいます。光太郎関連も毎年のように肉筆原稿や書簡、署名入りの書籍などが出品されており、目が離せません。
 
さて、今年の「明治古典会七夕古書大入札会」、昨日、出品目録がネット上にアップロードされました(これも今か今かと心待ちにしていました)。冊子の目録もおっつけ届くはずです(簡易版の目録は先週届いています)。ちなみに冊子の目録、ご希望の方は明治古典会加盟の古書店に請求すれば手に入ります(2,500円のはずです)。当方、何度か取引があった本郷の文生書院様にお願いしてあります。
 
光太郎関連、今年は例年にましてたくさん出品されています。

最低入札価格が設定されており、人気の商品はここからどんどん値が上がっていきます。
 
驚いたのは、詩集『道程』のカバー付きが出たこと。状態にもよりますが、カバー無しであれば10万円位で時々出ますが、カバー付きはここ数十年で、公の市場には数回しか出ていないはずです(当方もカバー無しは一冊持っています)。最低入札価格が40万円ですが、おそらくここから跳ね上がるでしょう。ただ、「背少傷(背の部分にそれとわかる傷があって痛んでいる)」ということなので、驚く程の値段にはならないかも知れません。稀覯本コレクターの方々は、本当に状態を気にしますので。

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それにしても、以前と比べると古書価もぐっと下がりました。やはり長引く不況の影響なのでしょう。試みに昔の目録を調べてみました。バブル真っ盛りの平成2年頃の目録では最低入札価格の記載がなく、比較できませんが、既にバブルがはじけた後の平成9年の目録と比較しても、明らかに値が下がっています。
 
例えば、宮澤賢治『春と修羅』。平成9年の最低入札価格は105万なのに対し、今年は2冊出品されていて、50万と78万。与謝野晶子の『みだれ髪』は、平成9年に100万だったのが、今年は40万。状態にもよるので、単純な比較はできませんが。ちなみに当方の記憶に間違いがなければ、『春と修羅』はバブルの頃には250万位の値がついたはずです。
 
『道程』も「40万」と聞くと「安いな」という感覚です。10数年前、カバー付きを持っているという古書店主と話をした時に「150以下では手放せないね」と言っていたのが記憶に残っていますので。もっとも40万から値が上がると予想しています。いくらになるのか興味深い所です。
 
しかし、こうした書籍系の値は下がっているものの、ここ数年、肉筆系の出品物は以前にも増して充実しているなと感じます。やはり古書店側も書籍系の値が下がっているためにいろいろ考えてこういうものを積極的に掘り出しているのではないでしょうか。ただし、落とし穴もありますね。今回の光太郎関連の出品物の中にも、いけないものが混ざっています。差し障りがあるので特定はしませんが。
 
さて、7月6日(金)~8日(日)の3日間のうち、6日、7日が一般公開。とても手の出る値段ではないので、入札はしませんが、目の保養のためどちらかの日に観に行ってみようと思っています。

長いこと研究に取り組んでいると、いろいろなことがあります。
 
いろいろな人との出会いがあったり、思わぬところでいろいろなことを依頼されたり、そういう部分が何年も経ってから違う形になってあらわれたり、面白いものです。
 
資料の収集に関してもそうですね。
 
つい先程、何の気なしに部屋の整理をしていたら、PCデスクの足下の棚から、10年近く前に使っていたMO(マグネット・オプティカル・ディスク)が出てきました。専用のリーダーが必要だったり、かさばったりで、最近はコンパクトなUSBメモリに押されて姿を消しつつありますが、これが出た当時は驚異でした。その前からあったCD-RWなどはデータの出し入れが面倒でしたし、外付けハードディスクを持ち歩くという発想もほとんどありませんでしたから。第一、フロッピーディスクがまだまだ現役でした。
 
容量が230MBというのが笑えます。今はUSBメモリでもGB単位です。「DOS/V」とか「PC-98」などの文字も入っており、歴史を感じます。

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さて、何が入っているか、さっぱり覚えていません。早速開いてみましたところ、「光太郎」というフォルダがあり、画像ファイルがたくさん入っています。思い出しました。10年近く前、当時の職場のPCで休憩時間等にインターネットを見ていて、 気になる画像などみつけると「あとで詳しく調べよう」と思って保存していましたのですが、忘れていました。
 
そこで今日、改めて見たところ、なんと、『全集』『遺珠』未登録の書簡(はがき)の画像がありました。いろいろな図書館等に出向いたり(昨年は葉書一通を見に、滋賀県の彦根まで行きました)、いろいろな資料を取り寄せたりして世に知られていない作品を見つけていますが、本当に自分の足下にそれがあったか、と思うと複雑な気持ちです。
 
今度こそ詳しく調査し、来年4月発行の「遺珠⑧」に載せます。

現に知られている光太郎作品のうち、どういった書物にどんな形で発表されたかがわかっていないものが数多く存在します。
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作品自体はのちに光太郎の詩集や散文集に収められたり、手許に原稿が残っていたりして、こういうものだ、とわかっているのに、それがまず最初にどういった書物にどんな形で発表されたかがわかっていない、ということです。
 
中には書き下ろしということもあると思われますが、時期的に見てそうではないだろうというものがほとんどで、こういったものの初出掲載誌をつきとめるということにも取り組んでいます。
 
そこで、今回もお願いですが、以下の作品について、「××という雑誌に発表されたはずだ」「自分が持っている○○という新聞に載っている」といった情報があれば御教示いただきたく存じます。
 
まずは詩です。
小娘                       大6
(奇麗にお化粧した)    大6
序曲        大9/2/9『自選日本現代名詩集』?
(詩歌の城に)      大12
象の銀行                 大15/2/7作
秋を待つ                 大15/9/27作 『群像』?  『地上楽園』第3巻第10号(S3)に『群像』より転載の記述
大きな嚔                 大15/11/20作
二つの世界              昭2/3/12作
不平な人に               〃
あけぼの                  〃
煩瑣派                    総題「エピグラム」昭2/4/15作
卑近美派                  〃
(うやうやしいのは)     総題「偶作」昭3/5/12作
(御岳山の行者は)       〃    
或る日      昭3/9/28作   昭4/2『現代文芸』6巻2号?   素人社?
触知       昭3/11/14作
存在                       昭3/11/30作
或る筆記通話           昭4/9/7作
非ユークリッド的    昭4/9/27作
秋が来たんだ           昭4/10/7作
春の一年生    昭5/5/2作 冨山房教科書?
レオン ドウベル    昭6/12/12作
潮を吹く鯨               昭13/4/8 『グラフィック』?   創美社?
米のめしの歌           昭14/1/6作
上海陸戦隊をおもふ   昭14/6/26作 『我が家』?
五月のうた              昭15/4/1作
雷電の夜                 昭15/6/27作
帝都初空襲              昭17/4/20作
粛然たる天兵          昭18/10/7作 『満州良男』?
全学徒起つ              昭18/10/24作 『立教大学新聞』?
海上日出                  昭18/12/14作 『海の村』?
古代の如く              昭19/5/10作 『壁詩』?
新春に面す              昭19/12/19 『農業新聞』?
皇国骨髄の臣           昭20/1/2 『陸軍画報』(2015/2追記 掲載誌入手できました)
おほぞらのうた       昭20/2/22作 『富士』?
試金石                     昭22/11/22作 『週刊朝日』?
クチバミ                  昭25/6/5作
 
つづいて散文です。
家                                            大10/5作
追憶-山村暮鳥-                     大13/12  新聞『いはらき』?
八十島稔詩集『紅い羅針盤』      昭2作?
揺籃の歌            昭11/8/26作
戦時の文化           昭16/12/13
美術立国            昭21/8/9作 メモ「盛岡美術連盟へ」
五十沢二郎著「歴史教室」推薦文 昭22/3/10作
展覧会に寄する言葉                  昭23/10/27作 『新岩手日報』?
信親と鳴瀧                                昭25/8/26作 『智恵子抄その後』?
十二月十五日                            昭25/12/16作 『いわてじん』?
美ならざるなし                           昭26,7頃
教材社「児童の図画工作」推薦文  昭27/10/4作
工房にて                                   昭27/12/17作 メモ「共同通信社へ」

「小娘」「象の銀行」などは光太郎の詩の中でもかなりメジャーなものなのですが、最初にどこに発表されたのか、未だに不明です。他にもかなり多いのですが、これでも『全集』完結後の「光太郎遺珠」の中で、『全集』の段階で不明・不詳だった初出掲載誌の情報が詩、散文併せて20篇あまり判明したことを報告しています。
 
光太郎はいわゆる商業資本の総合雑誌などにもそれなりに寄稿していますが、地方で発行された同人誌的なものや、まったく畑違いの雑誌などにも寄稿することが多く、なかなか全貌がつかめません。
 
「これがわかったからどうなんだ」と言われると身も蓋もありませんが、人脈的にこういうところにつながっていたんだとか、こういう雑誌に発表されたからこういう内容なんだ、というようなことがわかり、それはそれで重要なことだと思います。
 
というわけで、「××という雑誌に発表されたはずだ」「自分が持っている○○という雑誌に載っている」といった情報があれば御教示いただきたく存じます。

世に知られていない作品をどうやって見つけるか、という話を延々と続けてきました。今日はお願いです。
 
八方手を尽くしていろいろと見つけ続けていますが、中には存在がわかっていながら見つからないものもかなりあります。ソースは『高村光太郎全集』の年譜や解題に書かれている情報、北川太一先生や他の方に聞いて知った情報、古い雑誌に書かれていた情報などです。
 
  ①翻訳「ロダンと言ふ人」明治43年1月 雑誌『秀才文壇』掲載   (見つかりました)
  ②書簡「あめりかよりの書簡二通」明治44年2月? 雑誌『秀才文壇』掲載
  ③散文「感想断片」明治45年4月?  雑誌『秀才文壇』掲載
  ④散文?「皮肉屋と言ふ事は卑怯者と同じだ」大正2年4月? 雑誌『新文林』忠誠堂
  ⑤翻訳「フアン ゴツホの手紙(三)」同
  ⑥詩?「その午後に」大正2年5月 雑誌『水鴬』創刊号
  ⑦表紙画 雑誌『鉄針』大正3年1月 俳句雑誌
  ⑧散文?「文章座右銘」大正2~3頃 雑誌『中央文学』聖書の文句を仏蘭西語で紹介
  ⑨翻訳「テーンの芸術論」大正10年4月
  ⑩散文?「口語歌をどう見るか」『芸術と自由』 大正14年8月 一巻八号 (見つかりました アンケートでした)
  ⑪翻訳「栗色の顔をした野の若者よ」昭和2年1月 雑誌『太陽花』第2巻第1号 太陽花詩社 ホイットマン詩
  ⑫題字 雑誌『巨木』昭和3年6月
  ⑬散文?「生活の光彩」昭和15年5月 雑誌『オール女性』第8巻第2号
  ⑭題字 雑誌『詩層』昭和18年   (見つかりました)
  ⑮題字 雑誌『山脈』昭和24年頃
 
題名や掲載誌名、時期には多少のずれがあるかも知れませんし、結局掲載されずに終わったとか、単純な勘違いとかいうこともあるかもしれませんが、上記に関して何か情報のある方は御教示いただければ幸いです。
 
⑪の、翻訳「栗色の顔をした野の若者よ」に関し、信じられないようなエピソードがありますので、ご紹介します。数年前、掲載誌の雑誌『太陽花』第2巻第1号が、横浜・港の見える丘公園にある神奈川近代文学館に所蔵されていることをつきとめ、意気揚々と閲覧に行きました。所定の続きをし、係員の方に書庫から出してきていただき、手に取りました。まずは目次のページを見ますと、確かに「栗色の顔をした野の若者よ」高村光太郎訳という記述があり「よし!」と心の中で快哉を叫びました。ところが、ページを繰っても見つかりません。よく見ると、なんと、問題の「栗色の顔をした野の若者よ」が載っているはずのページだけが破り取られているのです。諦めきれず、係員の方に破れているページだけ他に保管していないかなど聞いてみましたが無駄でした。こういうこともあるんですね……。
 
ちなみに当方の生活圏にある銚子市青少年文化会館のロビーに、郷土の偉人を紹介するコーナーが作られています。その中で銚子出身の詩人・宮崎丈二も取り上げられており、光太郎から宮崎宛の書簡が4通ほど展示されています。その中の一通は『全集』第21巻に収められた大正15年(1926)11月16日付けの書簡番号2426ですが「太陽花への原稿を忘れないうちにあなたまでお届けして置きます。なるたけ短いものを選びました。」という一節が。しかも封筒には(原稿在中)の文字まで。まさしくこの「栗色の顔をした野の若者よ」の原稿とともに送られた書簡と思われます。銚子市青少年文化会館、時折用事があっていくのですが、そのたびこの書簡を見て神奈川近代文学館での苦い体験を思い出します。

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こうした因縁もあり、「栗色の顔をした野の若者よ」、絶対に見つけてやる!と心に誓っています。
 
2014/4追記 上記光太郎書簡の展示は2014/4現在、無くなっていました。
 
上記で挙げた他の作品も是非見つけたいと思っていますので、ご協力よろしくお願いいたします。

世に知られていない作品104をどうやって見つけるか、の3回目です。
 
昨日は書籍の形で世に出ているデータベースと照合するという話でした。今日はコンピュータを利用してのデータベースとの照合をテーマとします。
 
インターネットの普及により、全国各地の図書館や文学館それぞれの所蔵資料が居ながらにして検索できます。そのシステムも進化し続けており、以前は限られた情報しか得られなかったものが、詳細な情報まで得られるようになったケースも多くあります。
 
特に国立国会図書館さんでは所蔵資料のデジタル化が進み、戦前の書籍、雑誌などはほとんどデジタルデータでの閲覧となっています。以前は普通の図書館のように、申し込んだ書籍そのものを渡され自分で手に取って見ていたのですが、今は館内に設置されたパソコンの画面で目的の書籍を閲覧する、というシステムです。この変更、一長一短なのですが、すくなくともデータの検索の部分では長足の進歩を遂げました。「国立国会図書館デジタル化資料」というサイトを使えば、かなり詳しく検索が可能です。ただし、ほとんどの資料は館内限定閲覧の扱いですので、実際に国会図書館に行かないと見られません。同じ国会図書館のサイトでも「近代デジタルライブラリー」というサイトでは、自宅のパソコンで閲覧が可能です。ただ、こちらは見られる資料の数に限りがあります。それでも閲覧可能な点数がどんどん増え続けていますが。

他にもいろいろな図書館、文学館などで所蔵資料の検索、閲覧が可能です。また、必要な部分をプリントアウトして送ってもらうということも可能な場合があります。
「日本近代文学館」 http://www.bungakukan.or.jp/
「神奈川近代文学館」 https://www.kanabun.or.jp/guide-opac/
「群馬県立土屋文明記念文学館」 http://jmapps.ne.jp/tsuchiyakan/
「日本現代詩歌文学館」 http://opac.shiikabun.jp/opw/OPW/OPWMAIN.CSP?DB=LIB
「CiNii Books」 http://ci.nii.ac.jp/books/
 
また、古書店の在庫目録、新刊書籍の情報などもかなり詳しい検索、一部は閲覧が可能になっており、有効に活用できます。
「日本の古本屋」 https://www.kosho.or.jp/
「googlebooks」 http://books.google.co.jp/
 
さらに新聞記事のデータベース。これは個人で申し込むことも可能ですが、やはり図書館等に出向いて利用するのが賢い方法だと思います。
「朝日新聞 聞蔵ビジュアル」 http://database.asahi.com/index.shtml
「読売新聞 ヨミダス歴史館」 http://www.yomiuri.co.jp/database/
 
この分野は日々進化を続けており、有用なサイトを見つけ出す能力も問われます。
 
しかし、こうした便利なシステムの無かった時代に『全集』の編集に取り組まれ、多くの作品を網羅なさった北川太一先生をはじめとする先人の皆様のご努力には、頭の下がる思いです。

昨日のブログで、世に知ら1007れていない作品の見つけ方-他の人が作成したデータベースとの照合ということを書きました。
 
それではどういうデータベースと照合するのか、ということになりますが、大きく分けて2種類あります。1種類目は書籍の形で世に出ているもの、2種類目はコンピュータを利用してのデータベースです。
 
今回は1種類目の書籍の形で世に出ているものについて説明しましょう。
 
まず、居ながらにして手に入るものとしては、古書店の目録があります。全国の古書店の中には、独自の在庫目録を定期的に発行し、顧客に頒布してくれるところが多数あります。また、一軒の古書店だけではなく何軒かで合同の目録を作成したり、デパートなどでの古書市としてやはり何店か合同で目録を発行したりしているところもあります。そういうところは1、2度大きな買い物をすれば、新しい目録ができたら無料で送ってくれます。それから、『日本古書通信』という月刊誌があるのですが、そちらにも古書店の目録が掲載されていたり、「目録希望の場合は切手××円分送って下さい」といった広告が載っていたりし、非常に有益な雑誌です。
 
そんなこんなで、当方の自宅には月に10冊位の古書目録が送られてきます。こうした目録には「雑誌○○ 大正×年△月 高村光太郎「□□」掲載」などという情報が書かれており、この中でかなり光太郎関連の世に知られていない作品を見つけることができています。ただ、値のはるものもあり、全てを購入するわけにもいきません。そのため、『○○』という雑誌が所蔵されている図書館等を調べ、目的の号を見つけるのです。その際には後で述べる2種類目のコンピュータを利用してのデータベースを活用します。
 
古書目録の他に、いろいろな雑誌の総目録も利用価値の高いデータベースです。例えば、実際に当方が使ったものとしては、国書刊行会から出ている『美術関係雑誌目次総覧 明治・大正・昭和戦前篇』という全三巻の労作があります。これで「高村光太郎」の項を調べると、何年何月に発行された何々という雑誌に何々という作品が載っている、ということが書かれているのです。こうした書籍は雑誌ごとのものもかなり刊行されています。当方、大きな図書館等でこの手の書籍を閲覧し、情報を得るということをよくやっています。ただ、「索引」的な部分が充実していないもの-単に目次だけを羅列しているもの-はこの場合、あまり使えません。ひどいものになると古い雑誌の目次のページだけを画像ファイルにして一冊の本にしただけのものなどもあり、当然文字も読みにくく、もう少し考えてほしいな、と思います。
 
こういった情報の活用能力-受け取る側も、発信する側も-も、いわゆる「IT(information technology)」ということになるのでしょう。発信する側は、受け手がどのような情報を求めているのかを考え、受け取りやすい情報を提供すること、受け取る側はそれこそ情報の洪水の中から、いかに有益な情報にたどり着くか、これからの世の中は、こういった部分が大事だと思います。
 
といいつつ、このブログもどの程度「受け手がどのような情報を求めているのかを考え」ているか、と問われると、自信はないのですが……。
 
明日は2種類目のコンピュータを利用してのデータベースについて説明します。

昨日までのブログで、当方の研究の根幹の一つ、光太郎作品の集成に関わる「光太郎遺珠」を紹介しました。以前にも書きましたが、平成10年に『高村光太郎全集』の増補版全21巻+別巻が完結した後、さらに発見された作品集です。
 
現在、「光太郎遺珠」は野末明氏主宰の高村光太郎研究会が発行する年刊の雑誌『高村光太郎研究』に連載させていただいておりますが、しばらくはその形を取らせていただくことになると思います。まだまだ世に知られていない光太郎作品がたくさんあるはずですので。10ヶ月後の来年4月に出す予定の「光太郎遺珠」⑧、すでに編集が進んでおり、現時点で散文が3篇、書簡が13通(少し前に12通と書きましたが、さらに1通増えました)、雑纂が3篇。他に『高村光太郎全集』解題の補遺(『全集』刊行の時点で判明していなかった初出掲載誌の情報等)もあり、これだけでほぼいっぱいいっぱいのページ数です。
 
したがって、今後見つかるものは、書簡などの短いものであれば何とか収めますが、長いものは22ヶ月後、再来年発行の「光太郎遺珠」⑨に収めるつもりでいます。というか、すでに座談会筆録の長いものが2篇、それから関係各位との交渉が済んでいないため手をつけずにいる講演会筆録もあり、それらだけでも⑨のページが埋まる分量です。どうも長いスパンになりそうです。
 
さて、そういった世に知られていない作品をどうやって見つけるか、何回かに分けて説明しましょう。他の作家、詩人等について研究されている方は当方の手法が参考になるかと思いますし、逆に「こんな方法があるぞ」というのがあれば御教示いただければ幸いです。
 
まずは、言い方は悪いのですが「採集」の済んでいる作品の把握。これをしっかりやっておかないと、光太郎作品を見つけた際、それが既に知られている「採集」済みのものなのか、まだ世に知られていないものなのか、判断が付きません。幸い、『全集』別巻にはジャンルごとの「作品題名索引」が載せられていますし、「年譜」の項にはその年に発表・制作された作品のリストが載せられています。それにあたれば、光太郎作品を見つけた際、それが既に知られている「採集」済みのものなのか、まだ世に知られていないものなのか、判断が付きます。
 
当方はさらに一歩突っ込んで、パソコンで自分なりの索引を作成しました。作品の題名、掲載誌名、雑誌等であればその号数、発表年月日、ジャンル、『全集』「遺珠」の収録巻、その他の備考などの項目で、掲載誌ごとにまとめています(これは今年から当方が発行を引き継いだた冊子『光太郎資料』に少しずつ掲載を始めました)。パソコンデータの強みは「検索」機能が充実していること。データの打ち込みにはかなり時間を要しましたが、その分、検索は一瞬でできるようになりましたので、これは大きいと思います。例えば送られてくる古本屋の在庫目録に「雑誌「○○」 大正×年△月 高村光太郎「□□」掲載」などと書かれていたりするのですが、雑誌名の「○○」や作品名「□□」で検索をかけると、それが既に知られている「採集」済みのものなのか、まだ世に知られていないものなのか、ぱっとわかるというわけです。ただ、いろいろ落とし穴もあるので、そのあたりは後に詳述します。 

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要するに、他の人が作成したデータベース(古書店の目録など)との照合によって、自分のデータベースにないものを見つけるという作業が基本です。では、どういうデータベースと照合するのか、といったあたりを次回で紹介したいと思います。

「光太郎遺珠」(全集等未収録作品集)の内容を紹介する最後です。 

「光太郎遺珠」⑦

平成24年4月2日 高村光太郎研究会編『高村光太郎研究33』所収
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散文「曽遊紀念帖」                                                          明45『旅行』
〃 「西洋画所見十二」                                                      大元『読売新聞』
〃 「詩華集『航海』読後感」                                              昭4『詩集』
〃 「勉強したい 中央協力会議員として(今回限りだが)」           昭15 『読売新聞』
〃 「文部省へ 美の問題の統一」                                         昭16   〃
〃 「国民は誓ふ」                                                          昭18 『読売報知新聞』
〃 「日本美創造の征戦 米英的美意識を拭ひ去れ 」                     〃    〃
〃 「火を噴く“神州の怒り”往け・不退転の道 逞しき素朴美で敵殲滅」昭19『朝日新聞』
〃 「街の健康さ」                                                           〃    〃
〃 「人事を越ゆ神事 日本精神の極致顕現」                              〃    〃
〃 「神風」                                                                  〃  『週刊少国民』
〃 「賞を受けて」                                                           昭26 『読売新聞』
書簡3290伊藤隆三郎宛                  大14
〃3291 八束清宛                            〃   
〃 3292  〃                                  〃
〃 3293  〃                             昭2
〃 3294  〃                               〃
〃 3295 稲垣足穂宛                   昭15
〃 3296 昭森社宛                         〃
〃 3297 角田健太郎宛                  昭16(推定)
〃 3298 高祖保宛                         昭19
〃 3299 森谷均宛                         昭22
〃 3281 武者小路実篤宛              昭23
アンケート「何故詩を書くか」                                昭6 『時間』
雑纂「高村光雲死亡広告」                              昭9 『東京朝日新聞』
〃 「(日本の婦人の頭脳が)」                   大10 『読売新聞』
〃 「(“誓”は立派なものでした)」            昭15 『朝日新聞』
〃 「瀧の流れと同じ気持」                          昭27 『読売新聞』
〃  中西家アトリエでのメモ                      昭30
表紙『デツサン』第三輯表紙                          大15 『デツサン』
〃 『詩之家』第七年第三号表紙                   昭6 『詩之家』
『高村光太郎全集』解題等補遺・訂正
 
今年4月に世に出ました。こちらも野末明氏主宰の高村光太郎研究会発行『高村光太郎研究33』に載っています。ご入用の方は仲介しますのでお声がけ下さい。
 
昨年と今年は、新聞から見つけた作品が多いのが特徴です。そういう関係のデータベースを活用した結果です。そのあたりの新資料の見つけ方について、今後のブログで紹介してみようと思っています。

話があちこち飛んで申し訳ありません。ブログ始めて1ヶ月経ちましたが、読み返してみると本当に行き当たりばったり書いているな、という感じで反省しきりです。とりあえず今日明日で残っているこれまでに世に出した「光太郎遺珠」(全集等未収録作品集)の内容を紹介します。


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 「光太郎遺珠」⑥

平成23年4月2日 高村光太郎研究会編『高村光太郎研究32』所収 

詩 「カジノ・フオリイはいいな」                             昭5 『カジノ・フオーリー』
散文「美術家の眼より見たる婦人のスタイル」           明43 『婦人くらぶ』
〃 「維摩経、自選日記」                                            大13 『東京朝日新聞』
〃 「探してゐるもの」                                                 〃    〃
〃 「いゝモデル」                                                        〃    〃
アンケート「私が一番深く印象された月夜の思出 紐育の満月」  大11 『主婦之友』
書簡3271佐々木繁(喜善)宛                                         明44
〃 3272 水野葉舟宛                                                    〃
〃 3273 吉村行夫宛                                                   大11
〃 3274 与謝野晶子宛                                                大13 『女子作文新講』
〃 3275 宛先不明                                                      大14 『東京朝日新聞』
〃 3276 三田悊宛                                                      昭21
〃 3277  〃                                                              〃
〃 3278   〃                                                               〃
〃 3279 東正己宛                                                       〃
〃 3280 野田宇太郎宛                                                昭24
〃 3281 森口多里宛                                                   〃
〃 3282  〃                                                              昭25
〃 3283  〃                                                              昭26
〃 3284  〃                                                              〃
〃 3285  阿部徹雄宛                                                    〃
〃 3286  〃                                                              〃
〃 3287  〃                                                              〃
〃 3288  〃                                                              昭27
〃 3289 佐藤治助宛                                                     〃
座談 「新女性美の創造」                                             昭16 『読売新聞』
雑纂 高村智恵子死亡広告                                             昭13 『東京朝日新聞』
〃  中西家アトリエでのメモ                                      昭29
『高村光太郎全集』『光太郎遺珠』解題等補遺・訂正
 
最も驚いたのは詩「カジノ・フオリイはいいな」の発見です。光太郎は発表した詩のほとんどすべてを自分の手許に手控え原稿として残しているので、新たな詩はもう見つけられないだろう、見つかるとすればごく若い時期の作品か、即興的にその場で作って人に書いて渡したものだろうと思っていました。ところがこれはきちんと雑誌に発表されたもので、光太郎がうっかり控えるのを忘れたか、あるいは即興的に作ったので控えるまでもないと思っていたのか、今となっては謎です。

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また、書簡に関しては岩手の方で新たな書簡発見がニュースになり、その関係で三田悊宛、阿部徹雄宛をまとめて公にできました。関係者の方々には深く感謝いたしております。

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こちらも、野末明氏主宰の高村光太郎研究会が発行する年刊雑誌『高村光太郎研究』に連載させていただいております。ご希望の方は仲介致しますのでお声がけ下さい。

引き続き、『高村光太郎全集』補遺となる「光太郎遺珠」の収録作品をご紹介します。 

「光太郎遺珠」⑤

平成22年4月2日 高村光太郎研究会編『高村光太郎研究31』所収 
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散文「飛行機の美」                                                 昭18 『飛行日本』
翻訳「日本の国民性に就いて考ふ」バーナード・リーチ     大4 『智仁勇』
書簡3261 島村盛助宛                                           明45
〃 3262 萬造寺齊宛                                             大13
〃 3263 八束まさ子・八束清宛                                 昭4
〃 3264 萬造寺齊宛                                             昭7
〃 3265   〃                                                     昭11
〃 3266   〃                                                      〃
〃 3267 林一郎宛                                                昭15
〃 3268 小田島孤舟宛                                          昭22
〃 3269     〃                                                       〃
〃 3270 川路柳虹宛                                             昭26
短句1篇                                                              昭16頃
題字 「竹内てるよ詩文集『曙の手紙』題字」                  昭5
座談 「現代女性美を語る 各専門家の見た美人の標準」 昭4 『アサヒグラフ』
 〃  「菊池寛・尾崎士郎・高村光太郎文化鼎談」            昭16  『モダン日本』
『高村光太郎全集』『光太郎遺珠』解題等補遺・訂正       
参考資料 「伊上凡骨氏遺作 凡骨版画展覧会」            昭9
 
この年は長文の座談を二篇載せました。「現代女性美を語る」の方は、当時のミスコンテストの講評で、面白い内容です。座談や講演の筆録はもっと他にもたくさん見つかっているのですが、どうしても長文になってしまい、雑誌連載という形を取っている以上、1人で多くのページを割けませんから小出しにしている状態です。
 
こちらも、野末明氏主宰の高村光太郎研究会が発行する年刊雑誌『高村光太郎研究』に連載させていただいております。ご希望の方は仲介致しますのでお声がけ下さい。

筑摩書房さん『高村光太郎全集』の補遺として、当方がまとめ続けている「光太郎遺珠」の内容紹介4回目です。 

「光太郎遺珠」④

平成21年(2009)4月2日 高村光太郎研究会編『高村光太郎研究30』所収 
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短歌「北国の……」                                     昭和初期
散文「『青沼彦治翁遺功録』序」               昭11 『青沼彦治翁遺功録』
〃 「『職場の光』詩選評」                         昭17~18 『職場の光』
〃 「高村光太郎氏の疎開生活」                  昭21 『雄鶏通信』
〃 「若鮎短評」                                           〃   『水脈』
〃 「葡萄の房に寄せて」                             昭23  『詩文化』
〃 「高村光太郎講演会」                             昭25  『きたかみ文学散歩』(平16より)
アンケート「近頃の私の愉しみ 葉書回答」       昭23 『新女苑』
対談「芸術と生活(追補)」                       昭28
書簡3242 伊藤隆三郎宛                              大3
〃 3243 小橋三四子宛                           大7
〃 3244   〃                                              大8
〃 3245   〃                                              大8
〃 3246 郡山弘史宛                                     昭2(推定)
〃 3247 長沼重隆宛                                     昭6
〃 3248 藤本韶三宛                                     昭14
〃 3249   〃                                              〃
〃 3250 篠原眞男宛                                     昭15
〃 3251 藤本韶三宛                                     〃
〃 3252 内山義郎宛                                     昭19
〃 3253 千ヶ崎悌六宛                                  〃
〃 3254 保田與重郎宛                                  昭22
〃 3255 羽仁賢良宛(推定)                        昭23
〃 3256 神山裕一宛                                      〃
〃 3257 野末亀治宛                                      昭24
〃 3258 坂本明子宛                                      昭25
〃 3259 朝日新聞社宛(推定)                    昭27
〃 3260 関覚二郎宛                                      昭30頃
題字「雑誌『南北』季刊 題字・装画」           昭28~
『高村光太郎全集』解題補遺
 
この年は長文の散文類が数多く見つかりました。地方での出版物や同人誌的なものからの採集が多かったのが特徴です。
 
この年から「光太郎遺珠」は、野末明氏主宰の高村光太郎研究会が発行する年刊雑誌『高村光太郎研究』に連載させていただいております。ご希望の方は仲介致しますのでお声がけ下さい。

しばらくは光太郎関連のイベント等ないようですので、現在書き続けているこの項目、かたをつけてしまおうと思っています。 筑摩書房さん『高村光太郎全集』の補遺として、当方がまとめ続けている「光太郎遺珠」の内容紹介3回目です。 

「光太郎遺珠」③

平成20年(2008)4月2日 高村光太郎談話会 小山弘明編
 
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散文「有機的な文化の起る為に」                                 昭9 『生誕』
 〃 「若さ」                                                      昭3 『新制女子国語読本 第二修正版 巻五』
 〃 「『画工志願』読後感」                                          昭8 『ヱツチング』
 〃 「決戦時生活の基礎倫理」                                       昭19 『海運報国』
 〃 「神裔国民の品性」                                                  〃    〃
 〃 「モニユマンの除幕式」                                            昭28  『東奥日報』
 〃 「「十和田記念碑」除幕式における高村光太郎先生のお話」  〃  『教育広報』
雑纂「高村氏制作の苦心語る」                                         〃  『東奥日報』
アンケート「我が好む演劇と音楽」                                        明44 『女子文壇』
 〃 「■花、土地、人」                                                    大7 『文章倶楽部』
 〃 「本年(昭和三年)の計画・希望など」                   昭3    〃
 〃 「名士回答 私が父の愛を最も深く感じた時の思ひ出」     昭6 『婦人世界』
短評「梶浦正之詩集『梶浦正之詩抄』」                         昭15 『梶浦正之詩抄』
書簡3229 前田晃宛                                                         明44
 〃 3230   〃                                                              〃
 〃 3231   〃                                                              〃
 〃 3232   〃                                                              〃
 〃 3233   〃                                                            大元
 〃 3234   〃                                                             〃
 〃 3235   〃                                                            大2
 〃 3236 河野慎吾宛                                                   大7
 〃 3237 笹本寅宛                                                      昭2
 〃 3238 今井武夫宛                                                    〃
 〃 3239 中込純次宛                                                   昭4
 〃 3240 田中冬二宛                                                   昭18
 〃 3241 中山義秀宛                                                    〃
題字「瀧川富士夫詩集『夜道』扉」                                     昭8
 〃 「水野葉舟歌集『滴瀝』題字」                                   昭15
 〃 詩集『典型』扉案                                                      昭25
『高村光太郎全集』解題補遺  
                            
この年はアンケートを含め、散文類が数多く見つかりました。昨日も書きましたが、こういったものをどうやって見つけるのか、後ほどその方法も書いてみたいと思っています。
 
前田晃宛の書簡がまとまって見つかりましたが、この発見は山梨県立文学館様のご厚意によります。このうちの書簡3234により、大正元年、智恵子との結婚前に千葉の犬吠埼で過ごした有名なエピソードがありますが、これまで不明だった帰京の日が9月4日であることが判明しました。
 
また、書簡3241は、以前から知られていた中山義秀のエッセイ「庵の主」(『高村光太郎資料第六集』文治堂書店 昭和52年所収)に、この葉書に関する回想が記されています。
 
このように新しく見つけた資料と古い資料が有機的に結びついた時は、非常に嬉しいものがあります。
 
今回紹介した「光太郎遺珠」③、残部がけっこうあります。ご希望の方はお声がけ下さい。

昨日に引き続き、平成18年4月に刊行いたしました『光太郎遺珠』の内容を紹介いたします。
 
書簡
 3102 与謝野寛宛     明37/10     3103 金谷商店御一同宛 明39/3
 3104 中山商店 金谷宛  明39/9     3105 加藤景雲宛    明40/8
 3106 南薫造宛      明40/10(推定)  3107 津田青楓宛    明42/3
 3108 森林太郎(鷗外)宛 明44/1             3109 生田葵山宛    明45/6
 3110 『生活』消息    大2/6                  3111 『生活』消息    大2/7
 3112 野田守雄宛     大3/7                3113 安田秀二郎宛   大4/1
 3114 田村松魚宛     大4(推定)       3115 萬造寺齊宛    大5/1(推定)
 3116 田村松魚宛     大5/8      3117 野田守雄宛    大7/1
 3118 小橋三四子宛    大8/3         3119 竹村俊郎宛    大8/4
 3120 田村松魚宛     大8/4      3121 野田守雄宛    大8/12
 3122 田村松魚宛     大8/12       3123 田村松魚宛    大9/2
 3124 野田守雄宛     大9/5      3125 入江新八(田村松魚)宛  大9/5
 3126 宮芳平宛      大9/8(推定)  3127 泉浩郎宛      大14/1
 3128 林一郎宛      大14/3       3129 千石喜久宛     大15/6
 3130 林一郎宛      昭2/4       3131 福田正夫宛    昭2/11(推定) 
 3132 今井武夫宛     昭2/12        3133 今井武夫宛     昭3/3
 3134 新島栄治宛     昭3/3(推定)  3135 今井武夫宛      昭3/6
 3136 南江二郎宛     昭3/9      3137 南江二郎宛      昭4
 3138 杉浦杜夫宛     昭5/5      3139 佐伯郁郎宛      昭7/4
 3140 佐伯郁郎宛     昭8/7      3141 松井好夫宛      昭10/1(推定)
 3142 新井徹宛      昭10/4       3143 竹下彦一宛      昭10/11
 3144 後藤真太郎宛    昭12/12     3145 佐伯郁郎宛      昭14/6
 3146 伊東静雄宛     昭15/3       3147 昭森社宛       昭15/7
 3148 西倉保太郎宛    昭16/1       3149 佐伯郁郎宛      昭18/12
 3150 臼井喜之介宛    昭19/2       3151 野村沢子宛      昭19/3
 3152 臼井喜之介宛    昭19/4       3153 清水房之丞宛     昭20/3
 3154 清水房之丞宛    昭20/5       3155 清原誠治宛      昭20/11(推定)
 3156 松本政治宛     昭21/1       3157 新岩手婦人編集部宛  昭21/1
 3158 国安芳雄宛     昭21/1       3159 清水房之丞宛     昭21/5
 3160 松本政治宛     昭21/8       3161 東正己宛       昭21/8
 3162 東正己宛      昭22/7       3163 渡邊正治宛      昭22/11
 3164 永瀬清子宛     昭23/1       3165 永瀬清子宛      昭23/3
 3166 八森虎太郎宛    昭23/5       3167 永瀬清子宛      昭23/6
 3168 粕谷正雄宛     昭23/11      3169 肥後道子宛     昭24/6
 3170 八森虎太郎宛    昭24/9        3171 永瀬清子宛     昭24/9
 3172 東正己宛      昭24/10      3173 粕谷正雄宛     昭24/10
 3174 吉田孤羊宛     昭24/11      3175 吉田孤羊宛     昭24/11
 3176 立花貞志宛     昭24/11      3177 粕谷正雄宛     昭24/12
 3178 粕谷正雄宛     昭25/2      3179 佐伯郁郎宛     昭25/4
 3180 和田豊彦宛     昭25/6      3181 池田克己宛     昭25/7
 3182 新井克輔宛     昭25/9      3183 池田克己宛     昭25/10
 3184 三宅正太郎宛    昭25/11       3185 新岩手日報社宛   昭25/12
 3186 三宅正太郎宛    昭25/12       3187 松本政治宛     昭26/3
 3188 鎌田敬止宛     昭26/4       3189 鎌田敬止宛     昭26/4
 3190 式場隆三郎宛    昭26/4       3191 式場隆三郎宛    昭26/7
 3192 宮澤清六宛     昭26/8       3193 式場隆三郎宛    昭26/8
 3194 宮澤清六宛     昭26/8       3195 式場隆三郎宛    昭26/9
 3196 宮澤清六宛     昭26/9       3197 式場隆三郎宛    昭26/9
 3198 吉田孤羊宛     昭26/11      3199 佐久間晟宛    昭26/12
 3200 高藤武馬宛     昭28/7          
題字等
 『土』第廿七輯      昭13
 詩集『典型』自筆装幀原画 昭25
参考作品
 ロダン翁の事 口述    大6
 新女性美の創造      昭16
 高村先生を囲んで     昭27
智恵子書簡
 67 岡田八千代子宛    大4/10
全集解題補遺
 『高村光太郎全集』刊行時に不明だった初出掲載誌、翻訳原典情報等
 
御覧の通り、8年間でおよそ100通の書簡が新たに発見されました。
 
 
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書簡3108 森林太郎(鷗外)宛
 
実はこの後、今年発行の「光太郎遺珠⑦」に到るまでにさらに100通、都合により「光太郎遺珠」に掲載していない田村松魚宛の書簡が約50通、さらに来年4月発行予定の「光太郎遺珠⑧」に載せる予定のものが既に12通。光太郎がいかに筆まめだったかが分かります。今後、どれだけの書簡が出て来るか想像もつきません。
 
「うちにも光太郎の書簡がある」「『××』という本に光太郎の書簡が引用されている」「○○記念館に光太郎の書簡が展示されている」といった情報があったら、是非お知らせ下さい。
 
また、昨日も書きましたが、これらを読んでみたいという方はご一報ください。

「お前はいったいどういう活動に取り組んでいるんだ?」ということをよく訊かれますので、紹介します。
 
基本は「光太郎の事績をまとめること」です。「光太郎という人物はこんな業績を残した」ということをできうる限り正確に、漏れなく、後世に伝えていかなければならないと考えています。
 
そのために、まずは光太郎本人が書き残したものの集成。光太郎の文筆作品については平成十年に完結した筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』増補決定版全二十一巻・別巻一が最も信頼できるテキストです。一部、座談会や短い談話等は『高村光太郎全集』には収録されず、文治堂書店刊行の『高村光太郎資料』第三巻(昭47=1972)、第六巻(昭52=1977)がこれを補っています。
 
しかし、その後も光太郎文筆作品は続々と見つかり、北川太一先生と当方によってそれらの集成がなされ続けています。平成十一年から十七年までは『全集補遺』という題でワープロ印刷の小冊子として、連翹忌で配布。平成十八年にはそれらを一冊にまとめ、さらに新発見の文筆作品を所収し、『光太郎遺珠2006・4』(「遺珠」①)がハードカバーの厚冊で高村光太郎記念会から限定二百部で刊行されました。ちなみにこれは光太郎没後五十年記念を兼ねたものです。「遺珠」とは「拾われないで残っている珠」転じて「世人に知られていない傑作の詩文」(『広辞苑』)という意味で、北川先生の命名です。
その後も続々見つかる全集等未収録作品に対し、北川先生のご助言を頂きながら当方が編集にあたり、「光太郎遺珠」の題名を踏襲して、毎年の連翹忌の日に世に出しています。

平成19年・20年(2007・2008)は大島裕子氏編の「没後年譜」と合わせ、高村光太郎談話会から小冊子の形で刊行(「遺珠」②・③)。平成21年2009)からは野末明氏の高村光太郎研究会刊行の雑誌『高村光太郎研究』の中の連載とさせていただいており(「遺珠」④~⑦)、今後もこの形を続けるはずです。これらはすべて国会図書館、神奈川近代文学館他で閲覧が可能です。当然、『全集』未掲載のものですので青空文庫等では閲覧は不可能です。

『高村光太郎全集』が完結したのが平成10年(1998)。ちょうどその頃からインターネットが急速に発展し、さまざまな情報が得られるようになったことが大きく作用しています。
 
ここでは「遺珠」に収めた作品の全文を紹介するのは不可能ですので、目次のみ数回に分けて掲載します。「光太郎にこんな作品があったのか」「是非読んでみたい」という方はお知らせください。 

「遺珠」① 

 平成18年(2006)4月2日 高村光太郎記念会 北川太一・小山弘明編

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俳句4句            明42 津田青楓宛書簡より
短歌3首            大8 逸見久美編『与謝野寛晶子宛書簡集成』第二巻より
 〃 1首           昭5 木彫「栄螺」袋
散文「日本画はめちやめちや」  大元 『やまと新聞』第8525号
 〃 「辞書を喰ふ女優」    大8 『活動旬報』第1巻第1号
 〃 「外国映画と思想の輸入」 大9 『活動倶楽部』第3巻4月号
 〃 「創刊に寄する諸家の言葉」昭12 『詩報』第1年第1号
 〃 「詩集"陽とともに"を読む」 昭15 『石狩平原』第1巻第1号
 〃 「仕事場にて」      昭15 『新女苑』第4巻第5号
 〃 「「動力時代」読後小感」 昭15 竹中祐太郎詩集『動力時代』
 〃 「ことばの美に就いて」  昭18 『さいかち』第15巻第1号
 〃 「新しい女性美」     昭18 『青年』第28巻第1号女子版
 〃 「島田正詩集『結婚』序」 昭21 島田正詩集『結婚』
 アンケート「初めて蓄音機を聞いた時」 大11 『新家庭』第7巻第6号
 〃  「山と海」          昭5 『アスレチツクス』第8巻第8号
 〃  「上州とし聞けば思ひ出すもの、事、人物」        昭10『上州詩人』第17号
雑纂「HENRI-MATISSEの画論(一)前書き」 明42『スバル』第1年第9号
 〃 「略歴」                     昭4『現代日本詩集現代日本漢詩集』
 〃 「前田鉄之助詩集『父童子自然』と諸家の言葉」   昭8 『詩洋』第10年6月号
 〃 「高村光太郎作 木彫小品・色紙・短冊頒布」    昭13 『大熊座』第1年春期版
 〃 「回顧三十年感謝晩餐会御挨拶(速記)」      昭17 『図書』第83号
 〃 「細田明子結婚記念帳に」             昭29 『細田明子結婚記念帳』
短句8篇                        昭和期
対談「「朝の訪問」[未放送]」             昭24
翻訳「J・K・HUYSMANSの『巴里の写生』(四)[○旋頭歌]」 明43『スバル』第2年第2号
 
この後、書簡、題字等、参考作品、智恵子書簡、全集解題補遺と続きますが、長くなるので明日に回します。
 
手許に若干の残部があります。ご希望の方には送料のみにてお分けいたしますのでお声がけ下さい。

花巻行レポートの3回目です。
 
高村記念会の浅沼氏のご厚意で、本宮さんともども車で大沢温泉さんまで送って頂きました。大沢温泉さんは花巻西方の山間にある温泉で、豊沢川の清流に面し、高村山荘からは10㎞弱。光太郎もたびたび泊まった温泉です。
 
佐藤隆房著『高村光太郎山居七年』(高村記念会 初版昭和37年 増補版同47年)に「先生の温泉行はたびたびでした。東京や盛岡から来るお客さんの中には、自動車で先生を温泉に案内して一緒に泊まるものもありますし、先生も旅の後などには、温泉で休養をとることを楽しんだようです。」という一節があります。大沢温泉さん以外にも、花巻にはたくさんの温泉があり、光太郎の日記や書簡などから、志戸平温泉さん、鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さんなども利用していたことが分かります。

光太郎が暮らしていた頃には花巻電鉄というローカル線があり、花巻温泉行きの路線(鉄道線)と、大沢温泉さん、志戸平温泉さん、鉛温泉さんなどの花巻南温泉峡に向かう路線(軌道線)の二本がありました。光太郎は花巻市街に出る時にこの軌道線をよく利用しており、大沢温泉さんに行く時もこれに乗った話が、やはり『高村光太郎山居七年』に記されていますし、昭和28年(1953)に撮影されたブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」にも光太郎がこの電車に乗っているカットがあります。
 
大沢温泉さんは、通常の温泉旅館的な「山水閣」、長期の湯治客のための「自炊部」、築百六十年という趣のある別館「菊水館」の三つに分かれています。このうち光太郎が最もよく利用したのが山水閣、次いで菊水館だったそうです。山水閣はその後リニューアルされて近代的な建物になりましたが、リニューアルの際に、光太郎がよく泊まった部屋は間取りもできるだけ当時に近く、また、欄間や柱などの部材も当時の物を再利用し、「牡丹の間」と名付け、光太郎ゆかりの部屋として、一種の貴賓室のような扱いにしているそうです。今回、本宮さんが泊まったのがこの牡丹の間。当方、図々しくも部屋の中を見せていただきました。当方が泊まったのは-というかこのところ花巻行の際に定宿としているのが-菊水館です。
 
さらに宮澤賢治も幼い頃よくこの大沢温泉さんに来たそうで、写真も残っています。山水閣では賢治や光太郎など、ゆかりの人々の書や写真パネルなどを廊下に設けた展示コーナーに並べています。光太郎に関しては直筆の書「顕真実」、花巻鳥谷崎神社に建てられた碑の拓本などが展示されています。

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温泉はアルカリ性の泉質で、ものすごく肌がすべすべになり、女性には喜ばれるかもしれません。大沢温泉さんのパンフレットには「光太郎は花巻を愛し、大沢温泉を『本当の温泉の味がする』と喜びました」とありますし、再三引用する『高村光太郎山居七年』には、光太郎の語った内容として「大沢温泉は川向きの室で、夜になると豊沢川の流れの音がするし、カジカの鳴声もするし、閑静で、考えごとの仕事などにとてもよい」と記されています。
 
当方、この部分を読んで、「光太郎がいた頃はカジカがいたんだ。すごいなあ」と思っていました。カジカガエルというと、深山幽谷というイメージでしたので、21世紀の現在にはもういないだろうと頭から決めてかかっていました。実際、これまで大沢温泉でカジカの声を聞いたことはありませんでしたし。しかし、今回、露天風呂に浸かっていると、何とカジカの鳴き声が聞こえるではありませんか! 実際のカジカの声を聞いたのは生まれて初めてでした。考えてみれば、当方、大沢温泉さんには雪の季節にしか泊まったことがなく、カジカは冬眠中だったわけすね。
 
みちのく花巻。光太郎や賢治ゆかりの地としての文化遺産の側面と、こうした自然豊かな面をこれからも大切にしていっていただきたいものです。
 
のんびり一泊し、帰って参りました。とても有意義な花巻行でした!

さて、花巻行レポートの二回目です。
 
スポーツキャンプむら屋内運動場での高村祭を後にし、岩手高村記念会の高橋様とともに、山荘に向かいました。ここを訪れるのは10回目ぐらいですが、今回は特別に山荘内部に入れて頂けるとのこと。
 
ご存じない方のために申し上げておきますが、山荘とは、光太郎が昭和20年(1945)から7年間暮らした小屋です。山荘というしゃれた名前は名ばかりで、屋根は杉皮葺きで天井はなく、壁は隙間だらけの粗壁、今回初めて知りましたが、土台も柱をしっかり地面に埋めてあるわけではなく、大きめの石の上に置いてある状態です。光太郎が暮らしていた頃、冬場は隙間から雪が舞い込み、寝ている布団にもうっすら積もったというのですから、恐ろしい環境です。今でも周囲に人家はなく、電気も昭和24年(1949)までは引かれておらず、水は当然のように井戸。もっとも、山の麓なので少し掘ればすぐ水は湧くと言うことですが、逆に光太郎自身「水牢」と表現した程に湿気がひどかったそうです。
 
そのまま剥き出しにしておいては早晩朽ち果てるだろうということで、昭和33年(1958)には套屋(とうおく……上にかぶせた建物)が作られ、そちらも傷んできて昭和52年(1977)には鉄骨造りの第二套屋が建てられました。現在、見学者は第二套屋の内部に入り、第一套屋の外側からガラス越しに山荘を見る形になっています。似ているものを挙げろ、といわれれば、昨年世界遺産になった中尊寺金色堂を見学するイメージでしょうか。

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で、今回は高村記念会の特別なお計らいで、山荘の内部に入れて頂きました。もちろん初めての体験です。靴を脱ぎ、かつては畳が3枚敷かれていたという板敷きに上がりました。部屋としては意外と広い感じもしますが、この一間だけです(もっとも、昭和26年=1951には2間×3間の別棟-こちらは少し離れた場所に移動-が付け足されましたが)。また、当時の写真で見ると、壁際には書物がうずたかく積み上げられ、やはり最低限の居住空間でしょう。当時の書物は今でも作り付けの棚や床に置かれた茶箱の中などに無造作に置かれています。他にも雑多な生活用品の数々、囲炉裏のつけ木まで残っているのには驚きました。

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高村記念会の高橋氏曰く、やはり湿気のため、第一套屋の傷みがひどく、根本的に改修をしたいとのことでした。この小屋で劣悪な環境にめげず、光太郎は自らの戦争責任を恥じ、さらにそれまでの人生を振り返り、いつもどこかしらに無理があった社会との関わりを反省し、積極的にかつ自然な形で山口地区の人々との交流を持ちました。ここにいたって初めて光太郎はヒューマニストとしての姿を確立します。そうした巨星・光太郎を偲ぶよすがとして、永久に保存してほしいものです。
 
その後、近くに建つ記念館を拝見しました。こちらには光太郎の遺品や作品の数々が展示されていますが、内部をリニューアルし、以前は展示していなかったものも新たに出したとのことで、早速、初めて見る書簡なども見つけました。のちほどデータを送って下さると言うことで、楽しみにしています。
 
記念館には偶然、本宮寛子さんもいらしていて、以後、行動を共にさせて頂きました。聞けば当方と同じ光太郎ゆかりの大沢温泉さんにご宿泊とのこと。やはり高村記念会の浅沼氏(光太郎がここで暮らしていた頃の旧山口小学校長・故浅沼政規氏のご子息で、御自身もよく光太郎に郵便物を届けに行かれたそうです)のご厚意で、車で大沢温泉さんまで送って頂きました。非常に有り難い限りでした。
 
次回は大沢温泉をレポートいたします。

昨日は花巻の高村祭に参加、先程帰宅いたしました。三回に分けてご報告いたします。
 
まず今回は高村祭そのものに関して。
 
そもそも高村祭とは何ぞや? なぜ5月15日なのか? ということになりますが、事の起こりは昭和20年(1945)。4月13日の空襲で、東京千駄木にあった光太郎のアトリエは焼け落ちてしまいました。光太郎はしばらくは近所の姻戚に身を寄せていましたが、花巻の宮澤家からの誘いで、花巻に疎開することにしました。そのために東京を発った日が5月15日。その日から約七年半、光太郎は生活の拠点を花巻に置いたのです。
 
はじめは花巻市街の宮澤家に身を寄せた光太郎ですが、その宮澤家も終戦間際の8月10日にあった空襲で焼け、その後は元花巻中学校長・佐藤昌氏のお宅や、花巻病院長・佐藤隆房氏のお宅にそれぞれ1ヶ月ほど滞在、10月になって花巻西方の太田村山口(現・花巻市太田)に移り住みます。その後七年間、山口地区での生活を続けるのです。このあたりの経緯は佐藤隆房著『高村光太郎山居七年』(財団法人高村記念会・初版昭和37年=1962、増補版同47年=1972)などに詳しく描かれています。
 
光太郎と山口地区の人々とは心温まる交流を続け、地区の人々や元花巻病院長・故佐藤隆房氏を中心に作られた財団法人高村記念会が中心となり、光太郎没後、昭和33年から光太郎の遺徳を偲ぶ日として、5月15日を高村祭と定め、花巻市や観光協会などの共催を得て続けられ、今年で55回目の高村祭ということになりました。
 
例年は光太郎が起居していた小屋に近い屋外で行われるのですが、今年はあいにくの雨。廃校となった旧山口小学校が建っていた場所に作られたスポーツキャンプむら屋内運動場での開催となりました。
 
プログラムに拠れば、光太郎遺影への献花・献茶、主催者挨拶 、地元の太田小学校・西南中学校・花巻農業高校・花巻高等看護専門学校の児童生徒による楽器演奏・合唱、光太郎詩の朗読などがありました(実は当方、朗読の途中で会場にたどり着きました)。

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その後は特別講演。講師は盛岡大学・同短期大学部学長、国際啄木学会会長の望月善次氏。演題は「光太郎と啄木・賢治」ということで、同じ時代を生きた岩手ゆかりの三人のつながりを分かりやすく語られました。
 
昼食をはさんでアトラクション。トップバッターは連翹忌常連のオペラ歌手・本宮寛子さんでした。今年の連翹忌で岩手高村記念会の皆さんから是非にというお誘いを受けてらしたそうです。「赤とんぼ」はじめ4曲、それからオペラ「智恵子抄」の一節などもご披露されました。続く地元の方が、光太郎作詞の国民歌謡「歩くうた」を歌われたのには驚きました。

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会場内には何気に貴重な資料が展示されていました。光太郎がデザインの案を出した校章を染め抜いた旧山口小学校の幔幕、やはり光太郎がデザインの案を出したという山関青年会の旗など。ちなみにこの幕と旗、光太郎の詩集『典型』が読売文学賞に選ばれた際の賞金を光太郎が寄贈し、出来たものだそうです。(このあたりの経緯は浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』平成7年=1995 ひまわり社 などに詳しく語られています)

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こうした地域に密着した活動がなされているのは、本当に有り難いことです。今回の世話役的な方々も、お名前を聞けば光太郎日記に出て来る誰々さんのご子息とか、子供の頃に実際に光太郎にかわいがってもらった方とか、そういう方々がこうして光太郎顕彰の活動に粉骨砕身されている姿には感動を覚えます。
 
二本松での智恵子顕彰活動もそうですし、穂高での碌山忌もそうですが、やはりそれぞれの地元の方々の力というのは大きいと思います。我が連翹忌、東京で行っていますが、東京だと光太郎の地元という意識が薄く、本当に光太郎と密接なつながりがあった人々や、当方のような光太郎ファンでなければ顕彰活動に積極的に取り組むという気風がありません。言い方は悪いのですが、東京はたくさんの偉人を輩出しているのに対し、二本松といえば智恵子、穂高といえば荻原守衛、そして花巻といえば宮澤賢治と光太郎、そういう限定が好い意味で作用していると思います。東京といえば光太郎とはとてもいえませんし、もっと限定して文京区といっても森鷗外やら夏目漱石やらいろいろ出て来てしまいますし……。
 
とにもかくにも花巻の高村祭、今後とも盛況のうちに続いていくことを願ってやみません!

今日は岩手花巻に来ています。000

光太郎が昭和20年(1945)から7年間をすごした旧太田村山口地区にある高村山荘で、毎年、光太郎を偲ぶ高村祭が行われており、そちらに参加させて頂いております。

今夜は郊外の山中、大沢温泉さんに泊まります。こちらも光太郎ゆかりの宿。

詳しくは明日、帰ってからご報告致します。

ブログ、開設したばかりで最近の報告が追いつきません。
 
4月14日(土)、まずは横浜のそごう美術館さんに行って参りました。お目当ては企画展「宮澤賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」(会期は4/22までで、もう終わってしまっています)。


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現在は福島のいわき市立美術館で巡回開催中(6/17まで)。
 
赤羽末吉、いわさきちひろ、武井武雄、司修、ますむらひろしなど、後世のアーティスト達が表現した賢治の世界がメインでしたが、そこに光太郎の書も展示されました。岩手花巻、羅須地人協会の跡地に建つ「雨ニモマケズ」を刻んだ詩碑の元になった光太郎の揮毫です。
 
光太郎と賢治、二人が直接会ったのは大正15年の秋、おそらく一度しかありません。しかし、お互いにお互いの芸術世界を激賞していました。そうした縁もあり、賢治没後の昭和11年(1936)に建てられた碑の揮毫を光太郎が引き受けたのです。
 
当方、碑は何度も見ましたし、拓本も持っているのですが、やはり元の筆跡はまた違った感じがしました。

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それにしても光太郎の筆跡のすばらしさ。この揮毫に限らず、光太郎書の全般にいえることですが、どれもものすごい芸術的な書、というわけではなく、当たり前の書法で当たり前に書いています。しかし、そこから漂う「品格」「気」とでもいうのでしょうか、それは絶対に真似の出来ないものだと思います。

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