カテゴリ: 智恵子

新刊です

レジェンド文豪のありえない話

2020年1月1日 株式会社ダイアプレス 定価891円+税

総勢六十余名の神をも恐れぬご乱痴気!
酒癖、絡み症、女癖、我執…。文壇の先生方は一癖二癖、三癖が普通。そのくせ弱くて「死にたい…」とぽつり。そんな先生方の哀しくも過激でおもしろすぎるアンビリーバブルな言行録!!

〇明治の困った文豪たち
・坪内逍遥 ・夏目漱石 ・正岡子規 ・森鴎外 ・幸田露伴 ・広津柳浪 ・尾崎紅葉
・国木田独歩 ・樋口一葉 ・島村藤村 ・田山花袋 ・徳田秋声 ・泉鏡花 ・与謝野晶子

〇大正の小粋な文豪たち
・有島武郎 ・永井荷風 ・石川啄木 ・萩原朔太郎 ・芥川龍之介 ・谷崎潤一郎
・直木三十五 ・菊池寛 ・武者小路実篤 ・志賀直哉 ・内田百閒 ・室生犀星
・岡本かの子 ・佐藤春夫

〇昭和の微妙な文豪たち
・宮沢賢治 ・井伏鱒二 ・横山利一 ・江戸川乱歩 ・夢野久作 ・川端康成 
・梶井基次郎 ・小林多喜二 ・林芙美子 ・堀辰雄 ・中原中也 ・中島敦 ・ 坂口安吾
・檀一雄 ・太宰治 ・幸田文 ・大岡昇平 ・織田作之助 ・埴谷雄高 ・安部公房
・三島由紀夫


〇コラム
・明治文豪相関図 ・大正文豪相関図 ・昭和文豪相関図 ・文豪たちがしたためた恋文
・文豪たちのエロ妄想 ・文学と性表現 ・文豪たちのこだわり ・戦後小説と文壇の流れ

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「文豪」たちの、どちらかというと人間くさいエピソードの数々を、一般向けに堅苦しくなく紹介するものです。光太郎は目次の大項目に入っていませんが、コラム「文豪たちがしたためた恋文」で、大正2年(1913)、結婚前の智恵子に宛てた光太郎からの書簡が紹介されています。また、佐藤春夫ら、交流のあった「文豪」の項で名前が挙げられていたり、「相関図」に組み込まれていたりします。

肩のこらない書きっぷりですが、どうしてどうして意外と鋭い指摘(光太郎に関しては「狂気を孕んだ愛」の一言)や、ある種のタブーへの挑戦的な部分(狂信的ファンの間では神格化されている宮沢賢治が、実は春画コレクターだったことの紹介など)もあり、一種の「文春砲」のような(笑)。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

恋愛だけには人工的な理性が加はらない。昔からたつた一つ、人間の姿が生き生きして出て来るものは恋愛である。恋愛と云ふものは罪悪だとか、人間の精力をつぶして了ふとか、危険なものだとか、盲目なものだとか云ふ風に解釈するのは皆功利的な解釈の仕方である。

談話筆記「恋愛――結婚の話――」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

こう語った頃、光太郎は智恵子との恋愛の真っ最中で、密かに上高地への婚前旅行を共謀していた時期でした。

昨日のこのブログで、智恵子を主人公とした野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」が、智恵子の故郷・福島二本松で上演されることをご紹介しました。今年はなぜか「売り言葉」が人気で、各地で上演が相次いだのですが、さすがにもう今年は打ち止めだろうと思っていたところ、まだありました。昨日になって気がつきました。 

演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉

期 日 : 2019年12月21日(土)/12月22日(日)
会 場 : 
フジハラビル(アートギャラリーフジハラ) 大阪市北区天神橋1-10-4
時 間 : 12/21 11:00/15:00/19:00  12/22 11:00☆/16:00☆
      ☆……アフタートーク有り
料 金 :  一般 2,500 円  U23 1,500 円  U18 1,000 円 ※全席自由席
      ※当日料金は各500円増 
出 演 : 雀野ちゅん(うんなま)
演 出 : 下野佑樹

“智恵子抄”を題材に、高村光太郎の妻・智恵子の狂気を野田秀樹氏独自の視点と愛情で描いた作品。
2002初演(作・演出:野田秀樹 主演:大竹しのぶ)
今回の演出では、智恵子が自殺未遂をした際の情景から得た着想を元に、舞台全面をカンバスに仕立て上げ、そこに智恵子の半生を塗り重ねていく。000

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ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私くらゐの年配の読書人で、かつてドストエフスキイに捉へられ、魅惑せられ、魂を奪はれ、それから脱することの困難さと残り惜しさとを経験しなかつた者は少いであらう。此の渾沌たる魂の深淵をくぐりぬける事によつて人は霊につながる心の鍛錬をうける。

散文「『ドストエーフスキイ全集』推薦の言葉」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

書評とはかくあるべし、というお手本のような文章ですね。豊富な語彙、その的確な用法、そして対象へのリスペクト。見倣いたいものです。

智恵子の故郷、福島二本松で智恵子の顕彰活動に当たられている智恵子のまち夢くらぶさんから情報を頂きました。 

林亜佑美 一人芝居 売り言葉

期 日 : 2019年12月22日(日)
会 場 : 
二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町2丁目3-1
時 間 : 第1回 13:00~  第2回 18:00~
料 金 : 一般 前売1,500円 当日1,800円  学生・地元の方は無料(各回先着50名のみ)
出 演 : 林亜佑美

安達郡油井村(現二本松市)で生誕した高村光太郎の妻智恵子。洋画家や紙絵作家として活躍し、夫の光太郎が彼女の死後に発表した詩集「智恵子抄」で知られる。今回、野田秀樹氏が脚本を書き上げた「売り言葉」を林亜佑美が一人芝居で演じる。


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林亜佑美さんという方、当方、寡聞にして存じませんでした。ネットで調べてみましたところ、「女子プロレスラー」の「林亜佑美」さんがヒットしまして、別人だろうなと思ったのですが、なんとご当人でした。また、昨年、神田神保町でも「売り言葉」を上演なさったとのことで、これも存じませんでした。

平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。以前にも書きましたが、今年は「売り言葉」の当たり年です。把握しているだけで、既に4件の公演が各地で行われました

evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。000
サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
thee第13回公演『売り言葉』。
劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。

今回は智恵子の故郷・二本松での公演ということで、地元の方にぜひ観ていただきたいものです。


ところで、ご案内下さった智恵子のまち夢くらぶさん、『智恵子講座'19文集』という冊子もお送り下さいました。タイトルの通り、今秋開催された「智恵子講座2019」など、同会の活動の報告的なものです。

同会、上記「売り言葉」の後援団体にも名を連ねています。地元での智恵子顕彰、その火を絶やさないようにと、いろいろやってくださっている点には頭が下がります。今後も継続してよろしくお願いしたいところです。

さて、「売り言葉」、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

文芸上の変革について考へるにボードレールの「悪の華」の出現ほど決定的な、又旧套掃滅のめざましい例は少い。「悪の華」は詩の世界を全く覆滅した。詩の概念を本質的に変革した。

散文「近代詩の祖ボードレール」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「ボードレール」を「高村光太郎」、「悪の華」を「道程」と読み替えてもいいような気がします。

今月7日から始まった、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示「光太郎からの手紙」につき、『朝日新聞』さんが岩手版で報じて下さっています。 

岩手)光太郎からの手紙展 花巻高村記念館

 終戦後の7年間、岩手県花巻市太田の山荘で暮らした彫刻家で詩人の高村光太郎が書いた手紙を集めた企画展「光太郎からの手紙」が同市の高村光太郎記念館で開かれている。新しく見つかった、山荘で暮らしていた頃にファンに返信したはがきも展示されている。
 宮沢賢治との縁で戦火の東京から花巻へ疎開後、7年間を山荘で暮らした光太郎。企画展では1945(昭和20)年の花巻疎開直前から、56(昭和31)年に東京のアトリエで亡くなるまでに書いたはがき28点と書簡11点などを集めた。
 山荘時代の光太郎を物心両面で支えた花巻の佐藤隆房医師(宮沢賢治の主治医)とやりとりした手紙が中心で、賢治との縁、虫雑草との戦いや食生活、十和田湖の乙女の像創作前後のことなど、山居7年から最晩年までの足跡や思いをたどることができる。
 このうち56年3月27日、東京に戻って病の床に伏していた光太郎が代筆で佐藤医師に宛てた手紙では「手許でみたくなりましたので」と、預けていた亡妻智恵子の切り絵を送るよう依頼している。光太郎が亡くなったのは6日後の4月2日。花巻高村光太郎記念会によると「現在知られている中では光太郎が差し出した最後の手紙」だという。
 企画展は来年1月27日まで。12月28日~1月3日は休館。(溝口太郎)



佐藤隆房


今月7日のこのブログの記事で「どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。」と書きましたが、画像の書簡がまさにそうでした。しかも、現時点では「最後の手紙」となります。

これまでに確認できていた「最後の手紙」は、昭和31年(1956)3月1日付けで、智恵子の姪にして看護師の資格を持ち、智恵子の最期を看取った宮崎春子にあてた現金書留でした。

このごろいたみが少しつよいので閉口しています、 金同封します、 光太郎 宮崎春子様

「いたみ」は結核によるもので、光太郎はそのために翌月2日に歿しました。

春子は、30歳で早世した智恵子の妹・ミツの娘。前述の通り、昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院し、同13年(1938)、同院で亡くなった智恵子の付き添いを務めました。有名な智恵子の紙絵の制作現場を目撃した、ほぼ唯一の人物です。

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昭和20年(1945)には、光太郎が間を取り持って、詩人の宮崎稔と結婚。花巻郊外太田村の光太郎が暮らした山小屋も訪問しています。ところが、夫の稔は昭和28年(1953)に胃潰瘍で死亡。子供2人を抱えて途方に暮れる春子に、光太郎は経済的援助を惜しみませんでした。

で、今回展示されている上記画像のものは、さらに下って亡くなる6日前のものです。さすがにその時点では長い文面を自ら書き記す力はほとんど残っていなかったようで、借りていた貸しアトリエの大家である中西富江に代筆して貰っています。しかし、翌日には体調が少しだけ戻ったようで、散文「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚を自ら書いていますが。ちなみに短い日記は3月30日まで書いています。

 拝啓
  御無沙汰いたしておりますが お変り御座いませんか
  大変突然ですが 御預り願つておりました
  智恵子の紙絵を御送附いただきたく思います
  手許で見たくなりましたので…
  永い間、御預りいただいてゐましたこと深謝にたへません。
  鉄道便箱づめにして御送り下さい。同封の送料で何卒よろしくお願いします。

   三十一年三月二十七日
                    高村光太郎
                    代筆中西富江
  佐藤隆房様

宛先は佐藤隆房。昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が8月10日の花巻空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れ に光太郎を住まわせてくれた人物です。花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

「紙絵」云々は、昭和20年(1945)3月、空襲がひどくなって、それまで駒込林町の光太郎自宅兼アトリエ(4月13日の空襲で全焼)に保管されていた千点を超える智恵子紙絵を、山形の詩人・真壁仁、茨城取手の宮崎稔、そして花巻の佐藤の元に分散疎開させたことにかかわります。従来、当会の祖・草野心平の勧めもあって、光太郎最晩年に、再び光太郎の元に戻ったとされてきましたが、今回の手紙が書かれたのが亡くなる6日前。果たして間に合ったのでしょうか。

それにしても、おそらく光太郎最後の手紙に、最愛の妻・智恵子の名、そして智恵子がこの世に残した生きた証である紙絵の件が記されたことには、感動を禁じ得ません。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

結局詩人の天から与へられた智慧といふものは、三歳の童子の持つやうな直覚的な智慧なんでそれが尊いのである。

談話筆記「童心と叡智の詩人――北原白秋の業績――」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳

白秋の亡くなった日に語られ、翌日の『読売報知新聞』に載った談話の一節。ベクトルは異なれど、論理的な思考から言葉を紡ぐのではなく、「直覚的な智慧」から詩作を行ったという意味では相通じていた朋友・白秋への手向けの言葉です。

今日から花巻高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎からの手紙」が始まります。

それに合わせて、地方紙『岩手日報』さんが以下の記事を載せて下さいました。 

光太郎 ファンへ「礼状」 花巻・記念館であすから展示007 (2)

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、ファンへつづったはがきが7日から、花巻市太田の高村光太郎記念館(藤原睦館長)で展示される。神奈川県横須賀市の高橋光枝さん(85)が花巻市に寄贈した。1945(昭和20)年から7年間、現在の同市太田で山居生活を送った光太郎が、高橋さんのファンレターへ返信した。光太郎を顕彰する関係者によると、ファンへの返信は珍しく、残りの生涯への決意を示す貴重な資料と評価される。
 「小生の作ったものが若い人達(たち)の心に触れたといふお話をきくと(中略)大変はげまされます」「この山にいて小生死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります」。味のある筆跡で光太郎の思いが記されている。
 同館の冬季企画展「光太郎からの手紙」は来年1月27日まで。午前8時半~午後4時半。入場料は一般350円、高校・学生250円、小中学生150円。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。


この葉書の寄贈については、『朝日新聞』さんが岩手版で先月14日、全国版でも同21日に報じて下さっています。『岩手日報』さんは、企画展の開催に合わせ、この時期に記事にしたとのこと。

先日、電話取材があり、全文の読み(光太郎の筆跡に慣れていない人には、「触れた」などが読みにくいようで)や、こういう内容だよ、といった点をお答えしました。かなり根掘り葉掘り訊かれたのでずいぶん詳しく回答しましたが、記事になってみるとそれがあまり反映されて居らず、短い記事でした(笑)。まぁ、新聞紙面はスペースが限られていますので、ニュースが多い時には個々の記事が短くなり、そうでない時は普段は記事にならないようなことも扱われる(『朝日』さんの全国版に載った時がそうなのだと思います)、という相対的な面がありますので、致し方ないでしょう。

ちなみに終末近くの「味のある筆跡で」は当方の発言です。

さて、企画展「光太郎からの手紙」。記念館さんから連絡があり、概要をお聞きしました。それによると、上記葉書以外は、昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れに光太郎を住まわせてくれた佐藤隆房に宛てたものだそうです。

花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

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後ろで立っているのが賢治実弟の清六、前列左から、賢治の父・政次郎、佐藤隆房邸に厄介になる前に半月ほど光太郎を住まわせてくれていた元旧制花巻中学校長・佐藤昌、光太郎、佐藤隆房、賢治の妹・クニ、清六夫人・愛子、賢治の母・イチ、賢治の妹・岩田シゲです。

で、光太郎から隆房宛で葉書30通ほど、封書が10通ほどを展示するとのこと。基本、『高村光太郎全集』に掲載されているものですが、『全集』掲載時、葉書や封書の現物から引き写したのではなく、『岩手日報』から採録した場合があり、そうした際にありがちな誤読、写し間違いがあるようです。また、どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。あとでデータを送ると言われていますので、その際に精査しようと思っております。

それから関連資料として、昭和25年(1950)11月、当時の水010沢町(現・奥州市)公民館で1日だけ開催された「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。

奥州市立水沢図書館さんに現物が保存されており、平成27年(2015)に拝見に伺いましたが、その後、光太郎遺品の中にも同じものがあったのが見つかり、今回、初めて展示されます。

当時、水沢に疎開していた日本画家の夏目利政が、この展覧会の開催に尽力しました。夏目は明治42年(1909)、駒込動坂町の自宅に智恵子を下宿させてくれた人物です。

日本女子大学校を同40年(1907)に卒業した智恵子は、卒業後も女子大学校が運営する寮に住み続けていましたが、突如その寮が閉鎖されることになりました。途方に暮れる智恵子に手をさしのべたのが、やはり女子大学校の卒業生で福島出身の幡ナツ(旧姓・小松)。自分が住んでいた夏目の家に智恵子を斡旋してくれました。下の写真は夏目家で撮影されたもの。夏目は写っていませんが、左端がナツの夫・幡英二、一人おいて智恵子、右端がナツです。幡夫妻はその後、福島市で現在も続く明治病院さんを開院しました。

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その夏目は水沢に疎開していて、近くに光太郎も疎開していると聞き、コンタクトを取ったわけです。自分と知り合う前の智恵子を知っている人物と出会い、光太郎は驚いたそうです。

で、「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。夏目が描いた智恵子の絵が表紙を含め、三葉載っています。佐藤隆房に宛てた光太郎の手紙の中に、この展覧会について言及しているものがあり、関連資料として展示するとのことです。

高村光太郎記念館さんでは、佐藤に宛てたものの他にも大量に光太郎書簡類をお持ちですが、今回は上記の高橋光枝さんに宛てたもののみが新発見ということで出す以外、展示しないそうです。「多方面にわたると焦点がぼやける」そうで。で、「今回は」ということでして「次回」も構想に入れ、次のこうした機会には佐藤に宛てたもの以外を出そうと考えているとのことでした。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩は決してただの大袈裟な概念によつてのみは出来ない。自己の実感として真実に身についたところから詩は生れる。一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活からでも生れる。

散文「『職場の光』詩選評 三」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

なるほど、光太郎の詩には「一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活」を題材にしたものも数多くあります。ただ、それを詩にするためには「詩精神」=「物の中心をつかむ心の眼」が必要だとも述べています。

演劇の公演情報です。 

二兎社公演43 私たちは何も知らない

期日・会場

 
埼玉公演 2019年11月24日(日) 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ 


 東京池袋公演 2019年11月29日(金)~12月22日(日) 東京芸術劇場

 
東京亀戸公演 2019年12月28日(土) 亀戸文化センター


 兵庫公演 2020年1月4日(土) 兵庫県立芸術文化センター


 長野公演 2020年1月8日(水) まつもと市民芸術館


 三重公演 2020年1月10日(金) 三重県総合文化センター


 愛知豊橋公演 2020年1月13日(月・祝) 穂の国とよはし芸術劇場PLAT


 滋賀公演 2020年1月18日(土) 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール


 愛知名古屋公演 2020年2月1日(土) ウインクあいち


 石川公演 2020年2月8日(土)・9日(日) 能登演劇堂

 『ザ・空気』( 2017 )『ザ・空気 ver.2』( 2018 ) と、観客が「今、日本で起きていること」をリアルに体感する話題作を立て続けに発表してきた永井愛が、一転、明治〜大正期に発行された雑誌『青鞜』の編集部を舞台にした青春群像劇を書き下ろします。

 
 平塚らいてうを中心とする「新しい女たち」の手で編集・執筆され、女性の覚醒を目指した『青鞜』は、創刊当初は世の中から歓迎され、らいてうは「スター」のような存在となる。しかし、彼女たちが家父長制的な家制度に反抗し、男性と対等の権利を主張するようになると、逆風やバッシングが激しくなっていく。やがて編集部内部でも様々な軋轢が起こり―


作・演出   永井愛
出 演   朝倉あき(平塚らいてう) 藤野涼子(伊藤野枝) 大西礼芳(岩野清)
      夏子(尾竹紅吉) 富山えり子(保持研) 須藤蓮(奥村博)
      枝元萌(山田わか)  


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智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』をめぐるドラマですね。残念ながら智恵子の名はキャストに入っていませんが、智恵子と交流のあった平塚らいてう尾竹紅吉、その他青鞜社の面々が登場します。

各地で上演されますので、お近くの公演にぜひどうぞ。



【折々のことば・光太郎】

彼は多くの人の期待と予望とを背負ひながら死んでしまつた。神秘の扉はしまつてしまつた。彼にかはる者は無い。無いとなると世界中に無い。実に言ひやうもなく惜しい。

散文「岸田兄の死を悼む」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

「岸田兄」は岸田劉生。光太郎が最も高く評価した画家の一人です。

まず、現在発売中の『週刊新潮』さん2019年11月7日号。

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グラビアページで「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されています。

智恵子の故郷、福島二本松に聳える安達太良山の山小屋「くろがね小屋」さんの紹介です。

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「ほんとの空」の語が使われる光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)も取り上げられています。ありがたし。


その二本松市の『広報にほんまつ』11月1日号。「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の金賞受賞作品が紹介されています。

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5年生の部の作品は、智恵子の母校・油井小学校の児童さん。先輩・智恵子の生家をモチーフにして下さいました。

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背景の「ほんとの空」が実にいい色合いですね。


テレビ放映でも、「ほんとの空」系が。

秘湯ロマン #413 「福島県 岳温泉・土湯温泉」

テレ朝チャンネル2(CS) 2019年11月2日(土) 15時15分~15:40 

福島県の秘湯

岳温泉「ながめの館 光雲閣」
福島県・安達太良山麓に湧く秘湯・岳温泉。雪の山々をする一望する絶景のお湯には、不思議な魅力が。

あだたら山奥岳の湯
岳温泉の奥まったところ、周囲はスキー場という雪深い一画にある立ち寄り湯。お湯は少し熱めの42度。かつて高村光太郎が「ほんとの空」と詠った安達太良山の澄み切った空の下で絶景温泉を満喫します。岳温泉の源泉は標高1500メートルの山の中にあるため、温泉街まで8キロもの距離を「引き湯」されています。


土湯温泉「山水荘」
吾妻連峰に抱かれた土湯温泉では、かわいいこけしと、湯量豊富な広い風呂がお出迎え。


川上温泉
土湯温泉から、渓谷をさらに遡った山あいにあるのが、奥土湯の秘湯・川上温泉。創業400年を超える、趣のある純和風の老舗旅館です。「万人風呂」と名付けられた内湯は、縦10メートル、横4メートルという大きさ。露天風呂の脇に大きな洞窟があります。半分露天、半分洞窟ということで、その名も「半天岩窟風呂」と名付けられています。湯船は青森ヒバでできていて、宿のご主人によれば、木造りの露天風呂としては、県内有数の大きさだそうです。

出演 秦瑞穂


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昨年、地上波テレビ朝日さんで放映されたものの再放送だそうです。

基本、このブログではCS放送の番組はご紹介していませんが、今回はちょうど無料放映の日にあたっていますので、BSの受信設備が有れば視聴可能です。

テレビ放映といえば、安達太良山系ではありませんが、以下も。

まず、過日ご紹介したNHKさんの「ブラタモリ#146「草津温泉~最強の湯力とは?~」。先月オンエアの予定でしたが、台風関連の報道のため、明日に変更になっています。再放送は5日(火)23時50分~です。

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それから、同じく過日ご紹介したNHK Eテレさんで放映の「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」。再放送が3日(日)20時00分~です。


岡山県井原市の田中美術館さんで開催中の田中回顧展「没後40年 平櫛田中 美の軌跡」とのタイアップで、田中代表作の一つ、「鏡獅子」をメインに扱っています。


田中の師・光雲についても言及して下さいました。しかし、一昨年、テレビ東京さん系で放映された「美の巨人たち」でもそうでしたが、光雲の後ろに写っている学生服姿の光太郎についてはスルー(笑)。

ちなみに田中は明治39年(1906)に渡米する光太郎に、禅宗の教義書『無門関』を餞別に贈り、それは光太郎の座右の書ともなりました。

ロダンの影響や、「鏡獅子」以外の作品についても言及。


ビデオ出演を含め、ゲストも多彩でした。


メインコメンテーターは大分大学の田中修二教授。その他、当方もお世話になっております小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明学芸員、「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎の曾孫・尾上右近さん、田中の弟子(つまり光雲の孫弟子)の橋本堅太郎氏。


橋本氏は、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」の004作者です。ここでほんとの空に話を戻すあたり、当方もなかなかやりますね(笑)。ちなみに明日から一泊でまた東北出張。この像も拝見して参ります。


さて、『週刊新潮』さん、それからご紹介したテレビ番組、それぞれぜひご覧下さい。



【折々のことば・光太郎】

私は彫刻こそ余り出品しませんが、詩歌の類を十数年来発表してゐて、今更批評をいやがる程初心でもないのです。作品を発表して批評を聞くのは褒貶共に面白いものであり、且つ素より自他双方の研究となります。

散文「小倉右一郎氏に」より 大正15年(1926) 光太郎44歳 

小倉右一郎は、光太郎と同じく東京美術学校卒の彫刻家。光太郎より2歳年長で、文展(文部省美術展覧会)審査員などを務めました。


その小倉が、光太郎の審査を伴う展覧会には出品しないという方針を皮肉った文章――自作を批評されるのを嫌がるケツの穴の小さい奴だ、的な――に対しての反論です。

10月6日(日)、朝4:30に千葉の自宅兼事務所を出まして、1泊2日の東北周遊へ。

まずは前日が忌日だった智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催される、智恵子の故郷・福島二本松。いつもは愛車を駆って馳せ参じていますが、今回はその日のうちに岩手花巻まで行く都合上、公共交通機関を利用しました。

会場は智恵子生家に近い、ラポートあだちさん。

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千葉を出た時はちょっとした雨でしたが、こちらは曇り空。かすかに雲間に青空がのぞいていました。

午前10時、開会。まずは第一部の開会行事。

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ステージ上の智恵子肖像に献花・献果。果実はもちろんレモンです。

参会者(40名ちょっと)全員で、光太郎詩「風にのる智恵子」を群読。

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主催されている智恵子の里レモン会、渡辺会長のご挨拶。

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渡辺会長、過日の千葉大停電の際には、お見舞いということで早々に二本松銘菓・玉嶋屋さんの羊羹をお送り下さり、当方、大感激でした。

レモン会さんが設立30周年ということで、その関係のお話も。

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全員で記念撮影をした後、第二部の記念講演。このブログにたびたびご登場いただいているテルミン奏者・大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」。

音楽ユニット「ぷらイム」としてご一緒に活動されているギターの三谷郁夫氏とともに、演奏や掛け合い漫才のような楽しいトークを交え、しかし内容的には昭和16年(1941)のオリジナル『智恵子抄』をわかりやすく、しかも深く考察されたお話でした

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当方、お二人の背景のスクリーンに投影されるスライドショーの担当で、タブレットを操作しつつ拝聴しました。時折、次ぎに行くタイミングを間違え、怒られました(笑)。


第三部は昼食を頂きながらの懇親会。連翹忌スタイルで、スピーチが入ります。

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智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も数多く遺した故・大山忠作画伯のご息女にして、女優の一色采子さん。二本松観光大使も務めていらっしゃいます。

お父様の作品を集めた二本松駅前の大山忠作美術館さんで、今週末から始まる「新五星山展」のPR。

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名前に「山」のつく五人の日本画家の作品を集めた展覧会です。今回は横山大観、山口蓬春、杉山寧、横山操、そして大山画伯。「今回は」というのは、前回があったわけで、「新」がつかない「五星山展」が(東山魁夷、高山辰雄、平山郁夫、加山又造、大山忠作)平成25年(2013)に開催されています。思えば一色さんとのお付き合いはここから始まりまして、もう五年経つか、という感じです。今回、一色さんがギャラリートークを務められるということで、来月初めにお伺いすることにしました。

スピーチの合間に一色さんといろいろお話させていただきました。渡辺えりさんと共演なさった昨年の舞台「喜劇 有頂天団地」の件、渡辺さん作の舞台「私の恋人」を拝見した際「一色さんによろしく」と伝言された件、それから今年5月の「第35回アイメイトチャリティーコンサート」の件、そして拝見・拝聴に伺うはずが愛車の故障で断念した先月の「にほんまつart fes」の件などなど。何と今回一色さんが二本松に来られる途中で愛車が故障ということで、難儀されたそうです(笑)。


書家の菊地雪渓氏。今年の連翹忌でもご披露いただきました、「智恵子抄」から六篇を書かれ、第38回日本教育書道藝術院同人書作展会長賞を受賞された書をご持参。

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仙台ご在住でたびたび「智恵子抄」を取り上げて下さっている朗読家・荒井真澄さん。

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このあと、荒井安達駅から仙台駅までご一緒させていただきました。普段は味気ない一人旅の当方が、すてきな女性と二人、夢のような時間でした(笑)。

最後に有志の方々が二本松のソウルソングである二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(昭和39年=1964)を熱唱。

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来年の再開を約して閉会となりました。

参会後、レモン会の方が車を出して下さり、大西さんとそのご一行、荒井さんと共に智恵子の生家/智恵子記念館へ。

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この時期には、普段は非公開の智恵子の居室を含む2階部分、そして智恵子紙絵の複製でない実物が期間限定公開されています。

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2階にはなぜか顔ハメが(笑)。

さらに裏山の「愛の小径」へ。ここを訪れた光太郎を智恵子が案内して歩いたという証言が残されています。

稲荷八幡神社さんには、大正5年(1916)、帰省中だった智恵子の筆になる「熊野大神」碑。

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堂々とした書ですね。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)詩碑(「詩碑」というより光太郎詩をモチーフにしたオブジェ、という感じですが)、さらに「樹下の二人」(大正12年=1923)詩碑。

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さらに展望台まで足をのばし、「あれが阿多多羅山」、「あの光るのが阿武隈川」、智恵子生家、そして「ほんとの空」などを展望。
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その後、レモン会の方に安達駅まで送り届けていただき、鉄路を乗り継いで花巻へ。花巻篇は明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

常に物の中心を掴む事、むしろ常に物の中心を掴まうとする内心の生活、此が大切なのだ。此所からいろんな貴重なものが発足するのだ、此所を発足点にしないと、千差万別の途に迷ふ事となる。

散文「所謂好趣味の人たる勿れ」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

ここで光太郎が否定しているのは、外面的な観察、半端な知識の摂取に終始することです。

明日、10月5日は智恵子の命日・「レモンの日」です。偲ぶ集い「レモン忌」は明後日、智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちさんで開催されます。

さて、二本松で智恵子の顕彰活動を進めている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。

智恵子講座2019

期  日 : 2019年10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
会  場 : 福島県男女共生センター 福島県二本松市郭内一丁目196-1
参加費 : 全4回 4,000円 1回のみ1,000円
申  込 : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743
内容等 : テーマ「高村智恵子の言葉を読み解く」
10/14 10:00~12:00 第1回講座 講師 木戸多美子さん(詩人)
11/17 10:00~12:00 第2回講座 講師 坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)
    午後「智恵子のまち夢くらぶ発会15周年記念祝賀会・
好きです智恵子純愛通り発表コンサート」
12/15 10:00~15:30 第3回講座 講師 澤正宏さん(福島大学名誉教授)
            午後は第4回講座「参加者による智恵子を語るつどい」

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昨年は智恵子没後80周年だったということで、講座ではなく記念事業として「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」、「全国『智恵子抄』朗読大会」、「智恵子カフェ」が開催されまして、講座としては一昨年以来の2年ぶりの開催。講師陣、以前の智恵子講座でもお馴染みの皆さんです。

智恵子ファン、光太郎ファンの皆さん、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

綺麗な絵や、うまいところを描いた絵が必ずしも悪いばかりだとは云はないが、綺麗であつたり、道具建てばかりうまくとも、内容が現はされてゐない絵には決して味がない。

談話筆記「絵を買ふ人に」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

絵に限らずすべての芸術に当てはまることがらですね。

智恵子を偲ぶ「レモン忌」。第25回となり、今年も智恵子の故郷・二本松市(旧安達町)で開催されます。智恵子命日「レモンの日」は前日の5日ですが、そこに最も近い日曜日、という設定で開催されています。

第25回レモン忌

期   日 : 2019年10月6日(日)
会   場 : ラポートあだち 福島県二本松市油井字濡石16
時   間 : 10:00~14:00
料   金 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858


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過去の様子はこちら。

第24回(2018年)

例年通りですと、午前中に献花、献果(レモン)、参会者全員での詩の朗読などの式典、記念講演、正午頃から昼食を兼ねての懇親会というパターンです。

今年の記念講演は、テルミン奏者の大西ようこさん。

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筋金入りの智恵子ファンで、これまでに連翹忌レモン忌で演奏を披露して下さったり、各地で光太郎智恵子をモチーフとしたコンサート等を開催なさったりしています。

「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」。
「テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り智恵子抄」。


ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

また、会場から徒歩10分ほどの智恵子生家では、普段非公開の2階部分の特別公開、隣接する智恵子記念館では智恵子紙絵の実物展示(通常時は複製)が行われています。レモン忌参加者は入場無料です。併せてどうぞ。

ちなみに当方、昨年に引き続き、パワーポイント担当です(笑)。

ついでにご紹介しますが、翌日、10月7日(月)は、光太郎第二の故郷・花巻と、隣接する北上市を巡る市民講座の講師です。タイトルが「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」(笑)。

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花巻・北上の光太郎がらみの石碑廻りのバスツアーです。対象が花巻市内ご在住かご勤務の方ということで、特にこのブログではご紹介しませんでした。

詳しくは終了後にレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

紐育で厭な感じを受け、倫敦で余りに呆気なき広告を見た目で巴里の市街を見ると、恰も眠より醒めた様な感がある。広告の総て面白く綺麗に出来て居るので、広告を見て歩いても面白い。

談話筆記「巴里式屋外広告」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

『読売新聞』に載った、3年半にわたる留学から帰国した翌年の、屋外広告に関するインタビュー記事です。ニューヨークは「コテコテ広告がしてあ」って、「滅茶苦茶で、恰も日本と同様」、「配合(とりあはせ)が俗悪な為に悪い感じを与へる」。ロンドンは「驚く可(べき)地味」、「余りにヂミな為に是で広告の効力があるかと疑はれる位」。そして上記のパリへとつながります。なるほど、パリではロートレックやミュシャの手になる美しいポスターが街を飾っていました。

日本を含め、100年経ってもそれぞれの国の様子はあまり変わっていないような気がします。

昨日は埼玉県和光市に行き、オペラ歌手・和田タカ子さん主催のトークイベント「オペラ勧進 歌と芸術よもやま話 「智恵子抄」を読み解いてみませんか」を拝聴して参りました。

会場は東武東上線和光市駅近くの音楽レストラン クロシェット ドゥ ボワさん。

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月に1回、オペラにまつわる様々なお話を和田さんがなさる催しで、今回が134回目だそうです。ギャラリーは20名ほど。当方以外は常連さんのようでした。

和田さん、仙道作三氏作曲、山本鉱太郎氏脚本、当会顧問・北川太一先生監修の「オペラ智恵子抄」に4回出演されたそうで、その関連のお話もなされました。それに関連して、光太郎令甥の故・髙村規氏の思い出なども。

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本題は智恵子の人となり、芸術的足跡。一般の方にもわかりやすいよう、お手持ちの書籍の図版などを示されつつ、語られました。

和田さん、過日、NHKBSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」」をご覧になって、いろいろ思うところがあり、今回、智恵子を取り上げられたとのこと。

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智恵子色覚異常説についても言及されました。当方にも振られたのでお話しさせていただきました。オンエア後のレポートにも書きましたが、番組内で「智恵子は色覚異常だった」とほぼ断定していたのは問題です。

智恵子色覚異常説の根拠は主に二点。一つは、智恵子が福島高等女学校時代の親友・上野ヤスに「自分は色覚異常だ」と語ったというエピソード。もう一つは、結局、油絵画家として大成できなかったという状況証拠です。その他、智恵子がエメラルドグリーンを好んで多用していたのを色覚異常に結びつけようとする向きもありますが、これは牽強付会と言わざるを得ないでしょう。

反証はいくらでも上げられます。まず、上野ヤス以外に智恵子から色覚の件を話されたという人物がいないこと。色覚に関し智恵子がきちんと医師の診断を受けた記録がないこと。智恵子の血縁に色覚異常者がいたという記録もないこと(100%遺伝ですので、特に血縁男性に同じ症状が出ていなければおかしいのです)。女性の場合は発症率が500人に1人と、非常に低いこと。そして何より、晩年の紙絵。あの色鮮やかな作品の数々には、異常性が感じられません。

この世界、結構そういう例があるのですが、誤った伝聞や判断、証拠不十分の仮説が「定説」となってしまうのが恐ろしいと感じています。

例えば……002

・智恵子が『青鞜』の表紙絵に描いたのはスズランである。
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 「アマドコロ」という全く別の植物です。

・智恵子は、故郷で医師との縁談が進んでいた。
   ↓
 相手とされる医師はその時点で既に結婚していました。

・智恵子の心の病は脳梅毒によるものである。
   ↓
 光太郎智恵子ともその検査を受け、陰性と診断されています。

・宮澤賢治の「雨ニモマケズ」中の「ヒドリノトキハ」を「ヒデリ
  ノトキハ」と改竄したのは光太郎で、そのために花巻の賢治 詩碑に「ヒデリ」と刻まれている。
   ↓
 光太郎が碑文を揮毫する以前から「ヒデリノトキハ」の形で流布していました。

・花巻郊外の料亭で光太郎が出刃包丁で座卓に大きく文字を刻みつけた。
   ↓
 店の主人が正体不明の老人を、あれはきっと高村光太郎だろう、と思ったに過ぎません。

・光太郎は「うつくしきもの三つ」という書を残している。「三つ」うちの一つは……。
   ↓
 「満つ」の「満」を変体仮名的にカタカナで「ミ」と書いたものです。

・靖国神社の狛犬は光太郎が原型を作成した。
   ↓
 全くの別人の作です。どこから光太郎の名が結びつけられたのかも不明です。


他にもありますが、きりがないので……。


閑話休題。和田さん、ご自身オペラ歌手ですが、最近はプロデュースの方面でご活躍なさっています。そうした中で、オペラの普及のためにということで、「オペラ勧進」。

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今後とも、ご活躍を祈念いたしております。

オペラの「智恵子抄」、仙道氏以外にも原嘉壽子さんという方も作曲なさり(台本・まえだ純氏)、昭和60年(1985)に初演がなされました。当方、NHKさんのFM放送で拝聴しました。

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なかなかオペラでの上演は難しいかもしれませんが、合唱曲、独唱歌曲などにもなっていますし、インストゥルメンタルでも「智恵子抄」へのオマージュ的な取り組みがなされています。

もっともっといろいろな方に、それぞれの味付けで取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩歌の城に詩は住まず、 そこに住むのは家老ばかり、 とうの昔に町へ出て 殿さま御帰還あそばさず。

詩断片「偶作(詩歌の城に)」異稿全文
 大正12年(1923) 光太郎41歳

他の詩を書いた原稿用紙の欄外に走り書きされ、赤鉛筆で抹消されています。のち、『現代詩人全集第九巻』(昭和4年=1929)に収められた際、後半2行が「威儀三千は家老に問へ 詩だけはただの親父にきかう」と改められました。

詩人としての魂を、浮世離れしたお城のようなところに閉じこめ、花鳥風月を愛でてばかりいるようではだめだ、もっと世の中を見ろ、ということでしょうか。この時期、プロレタリア詩の方向に傾きつつあった心境が垣間見えます。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断 東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」を拝見しました。

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全体的にはなかなかのクオリティでした。

健康系の番組ですので、心を病んだ智恵子がメイン。そこから様々な知恵を学び取ろうというコンセプトです。

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再現ビデオの部分は、予想通り平成27年(2015)にNHKさんの地上波総合テレビで放映された、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」からの使い回しでした。しかし、久しぶりに見て、やはり感動してしまいました(笑)。そういえば、MCの渡邉あゆみさん、当時「ヒストリア」でも司会でした。

龍星閣版『智恵子抄』初版の映像も「ヒストリア」からの転用。したがって、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。

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コメンテーターとしてご出演なさった、『詩人の妻 高村智恵子ノート』(昭和58年=1983 未来社)の著者・郷原宏氏をはじめ、医学系の専門家の方々による分析や説明など、「なるほど」という点が多く、その点がすばらしいと思いました。

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智恵子の故郷・福島二本松、戦後に光太郎が逼塞した花巻郊外旧太田村、そして光太郎最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖などの映像もふんだんに使われていました。

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また、光太郎彫刻や智恵子の紙絵、古写真、ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」から光太郎の動画なども使われ、手間がかかっている丁寧な作りだと感心しました。

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当会顧問・北川太一先生ご所蔵の、智恵子から母・センに宛てた書簡(昭和6年=1931)も。

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同じく北川先生ご所蔵の、結婚前の光太郎から智恵子へのラブレター(大正2年=1913)は紹介されませんでした。

しかし、一点、苦言を呈させていただくと、「智恵子が色覚異常であった」と、ほぼ断言していた点。

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確かにそういう説はあります。その根拠は、智恵子が福島高等女学校時代の親友だった上野ヤスにそう語ったことがある、という証言です。あとは状況証拠的に、結局、油絵で大成できなかったことや、画学生時代に人と違う色遣いを好んでいたという証言、それから光太郎の残した「彼女は色彩について実に苦しみ悩んだ。」(「智恵子の半生」昭和15年=1940)、「その油絵にはまだ色彩に不十分なもののある事は争はれなかつた。その素描にはすばらしい力と優雅とを持つてゐたが、油絵具を十分に克服する事がどうしてもまだ出来なかつた。」(同)という回想がある程度です。

智恵子が色覚について医師の診断を受けたという記録は見あたりません。また、番組でも解説されていましたが、女性の場合は発症率が非常に低い(番組では500人に1人としていました)のです。色覚異常はほぼ100%遺伝によるもので、女性の場合、両親双方から遺伝因子を受け継がないと発症しません。となると、智恵子の父母弟妹などにもその症状が現れているはずなのですが、そうした記録も見あたりません(もっとも、智恵子以外は自覚することができなかったのかもしれませんが)。

そう考えると、智恵子が色覚異常だったと断定するのは早計だと思われます。

ただ、その後の専門家の方の解説が非常に興味深いものでした。人類に一定の割合で色覚異常が発現するのは、狩りをしていた太古の時代の名残だろうというのです。

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保護色で目くらましをはかる獲物や、人類の天敵たる肉食獣を発見しやすいそうで。これは存じませんでした。

後半は、やはりパラアート的な部分、アートセラピーなどの関連で智恵子の紙絵が紹介されました。

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智恵子同様、切り絵に取り組んでいる患者さんもご出演。興味深く拝見しました。

ラストは「乙女の像」。

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8月1日(木)、午前8:00から9:00、同じNHK BSプレミアムさんで再放送があります。ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私はふざけた事は大厭ひなんですけれど、上品なユーモアは好きです。変なあくどい漫画は、手許にあれば裂き捨てる位なんですが、気品高きものは、飽かず眺めます。

談話筆記「悪趣味を排す」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

漫画とは同列に扱えないとは思いますが、後の智恵子の紙絵も、「上品なユーモア」「気品高きもの」として、「飽かず眺め」たことでしょう。

以前もちらっとご紹介しましたテレビ放映情報です。

偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」

NHK BSプレミアム 2019年7月25日(木) 20時00分~21時00分  再放送 8月1日(木) 8時00分~9時00分

健康のヒントは歴史にあり!歴史上の人物の日常生活や病歴、さらには健康へのこだわりから、現代の私たちが元気で長生きするためのヒントを探ります。

太平洋戦争前夜の1941年、一冊の詩集「智恵子抄」がベストセラーとなった。彫刻家・高村光太郎が、画家を目指す妻・智恵子との出会いから死別までの27年間の愛の軌跡をつづった純愛詩集だ。そこには、夫・光太郎をこよなく愛しながらも数奇な運命に見舞われた智恵子の、心と体が発するSOSが記されていた!そして、ついに心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?時代を超えた純愛物語!

【出演】 関根勤 カンニング竹山 榊原郁恵
【解説】 郷原宏 河村正二 宮崎良文 池淵恵美
【司会】 渡邊あゆみ

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当会顧問・北川太一先生がお持ちの、智恵子から母・センに宛てた書簡が紹介されるそうで、その他、NHKさんですのでCMが入りませんから、正味1時間、けっこうみっしり詰まった内容になるかと存じます。

スタジオゲストの郷原宏氏は、昭和58年(1983)に、未来社から『詩人の妻 高村智恵子ノート』という書籍を刊行された方で、平成27年(2015)にBSフジさんで放映された「発掘!歴史に秘めた恋物語~高村光太郎と智恵子~決して女神でない」にもご出演なさいました。

NHKさんというと、やはり平成27年(2015)に、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を放映して下さいましたが、その際の映像がいろいろと使い回しされるようです。

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今回の予告編に出たこちら。左は「ヒストリア」の再現Vに出演された鈴木一真さんと前田亜希さん。右の『智恵子抄』は、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。昨年放映された「民謡魂 ふるさとの唄 福島県二本松市」でも使われました。どうもNHKさん内部でアーカイブ的な映像として登録されているようです。

こちらも前田亜希さんですね。

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番組内容紹介にある「心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?」の「○○○」、最初は「レモン」かな、と思っていました。昭和13年10月5日(水)、南品川ゼームス坂病院で、光太郎が持参したレモンをがりりと噛んで、一瞬、意識が正常に戻って逝ってしまった智恵子。そこで、レモンには精神を落ち着かせる効用が……的な話になるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。

予告編に拠れば「○○○」は「アート」。なるほど、最近はやりのパラアート的な部分、アートセラピーなどの分野で智恵子の紙絵が取り上げられることも多いので、そっちか、という感じでした。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

自分の彫刻がもう一ぺん生きかえつて来たのを、大変ありがたいと思つて感謝しております。

談話筆記「裸婦像完成記念会挨拶」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

智恵子の顔を持つ、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の完成記念会での挨拶から。

よくあるたとえの、ローソクの火が燃え尽きる前に一瞬輝きを増す、まさしくそれが起こったわけで、同じ挨拶で光太郎が述べたとおり、像の制作中はそれまで悩まされていた結核性の喀血も不思議と止んだそうです。

まじめな論文などでは許されないのでしょうが、あの世から智恵子が力を貸してくれた、的な、そんな解釈をしたくなります。

過日ご紹介した、智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰を続けられている智恵子のまち夢くらぶさんの山梨、静岡方面への研修旅行がつつがなく終わったそうで、同行された太平洋美術会の坂本富江さんから、静岡の地元紙『沼津朝日』さんのコピーが届きました。

高村夫妻顕彰団体が一小を訪問 智恵子の絵画作品に登場の木を見学

 詩人で彫刻家の高村光太郎の妻として知られる高村智恵子の足跡をたどって、智恵子の出身地、福島県二本松市の市民団体が17日、一小を訪れた。
 画家として活動していた智恵子は、光太郎と婚約した年の1913年、沼津にあった親友宅に滞在し「樟(くす)」と題する油絵を描いた。これは3点しか現存しない智恵子の作品の一つで、現在は山梨県北杜市の清春白樺美術館に収蔵されている。
 二本松市で智恵子・光太郎夫妻の顕彰活動を行っている団体「智恵子のまち夢くらぶ」は、毎年開催している夫妻の足跡をたどる旅の一環として、今年は智恵子ゆかりの沼津を選んだ。
 会員13人が山梨県で「樟」の実物を鑑賞した後、絵のモデルとなった木を見るため、一小を訪れた。同校校庭には江戸時代初期の沼津藩主大久保忠佐の墓である道喜塚(どうきづか)があり、その隣の大木が絵のモデルとなった。
 夢くらぶの熊谷健一代表はモデルの木を見学した感想として「美術館で見た原画は、図録で見るよりもはるかに良かった。モデルの木は大火でも生き残っただけあって、たくましい生命力を感じる。この木を智恵子が描いた意味合いを感じ取れた」と話す。
 今年の訪問先として「樟」ゆかりの地を提案した菅野ミチ子さんは、夢くらぶの会員になった理由として、「以前、観光客に智恵子のことを訪ねられたことがあったが、答えられませんでした。地元のことなのに勉強不足だと思い、学ぶために参加しました。」と話す。
 智恵子の生涯を研究している画家でエッセイストの坂本富江さん(東京都板橋区在住)の著書が今回の旅のきっかけとなった。『スケッチで訪ねる「智恵子抄」の旅 高村智恵子52年間の足跡』という題で、2015年に発売された増補改訂版では「樟」のモデル探しの旅が新たに付け加えられた。今回の来訪に案内人として付き添った坂本さんは「本がつないだ縁だと思っています。この機会を通して沼津も知ってもらえて嬉しい」と話している。

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「一小」というのは、沼津市立第一小学校さんです。

以前にも書きましたが、坂本さん、記事にあるとおり、現存が確認できている3点しかない智恵子の油絵のうちの1点「樟」に描かれている木が沼津一小さんに現存することをつきとめられました。

智恵子の福島高等女学校時代の親友・上野(旧姓・大熊)ヤスが沼津に転居しており、大正2年(1913)、そちらを訪れて描きました。ヤス自身は沼津で結婚後、夫の転勤で外地に渡ったそうですが、その頃、智恵子のすぐ下の妹で、智恵子と同じ日本女子大学校、さらに東京女子高等師範学校を卒業したセキが、漱石門下の小宮豊隆と不倫の関係となり、小宮の子を沼津のヤスの家で出産。ヤスの母親が親身になって世話をしてくれました。智恵子の沼津訪問もその関係です。その後、セキは渡米、生まれた子は里子に出されました。

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前列右端が智恵子、後列右から2人目がヤスです。

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「樟」の絵。以前は欅(けやき)と思われていました。

上記『沼津朝日』さんに載った写真を拡大すると……。

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たしかにこの木なのでしょう。

今後も枯れることなく、健在でいてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

健康の大切な事を真実に知る事。女学生時代に過度の運動をせぬ事。如何なる境遇にあつても自己の健康を護る事に本気になる事。旧時代の女性が健康を気にする程度の消極的な事でなく、もつと積極的、内面的、叡智的に。

アンケート「新時代の女性に望む資格のいろいろ」より
 大正15年(1926) 光太郎44歳

大正8年(1919)には、智恵子が順天堂病院に入院。これは子宮後屈症の手術のためでした。どうもこの際に、女学生時代の乗馬が原因と診断されたらしく、そのことが念頭に置かれた発言に思われます。

その他にも結婚後、常に健康を害していた智恵子。後屈症の手術直後には湿性肋膜炎(おそらく結核性)で入院していますし、大正11年(1922)には盲腸炎にも罹患しています。

ちなみにまた稿を改めてご紹介しますが、同じ「新時代の女性に望む資格のいろいろ」というアンケートには、智恵子も回答を寄せています。

智恵子の故郷・福島二本松からのイベント情報です。

第1回二本松市田舎暮らし体験ツアー

期 日  : 2019年6月22日(土)・23日(日)
場 所  : 福島県二本松市 
料 金  : 4,000円(宿泊費、初日昼食・夕食、2日目朝食・昼食代)
定 員  :  6名
問 い 合 わ せ   : 二本松市役所総務部秘書政策課 TEL 0243-24-7120/FAX 0243-22-7023
           Email energy@city.nihonmatsu.lg.jp
詳 細  : 
 <6月22日(土)>
  12:00 昼食(日程説明) ※ふくしま農家の夢ワイン㈱
  14:30 農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  18:00 先輩移住者・地元の方との夕食交流会
  20:00 宿泊
 <6月23日(日)>
  9:00  農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  11:30 昼食(ツアーの振り返り)
  13:00 二本松市内観光
  14:25 二本松駅着 
         

二本松市は、高村光太郎が「智恵子抄」の中で、妻・智恵子のあどけない話として「あだたら山の上に出ている青い空がほんとの空」だと伝えている『ほんとうの空』がある市として知られています。
二本松藩・丹羽家10万石の城下町として歴史を刻んできたエリア、安達太良山の麓にある岳温泉・安達太良高原エリア、東の阿武隈山系に連なる里山の恵み豊かな中山間地域エリアに分かれており、豊かな自然が住む人、訪れる人々をやさしく包んでくれます。
今回のツアーは、阿武隈山系に連なる地域で有機農業を営んでいる方々が、農業後継者と一緒に有機農業を営んでみたい方を募集するために企画したものです。農業を新たに始める方のサポート体制も整っておりますので、是非足を運んでみてください。お待ちしております!

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内容的には直接光太郎智恵子に関わるわけではないのでしょうが、「ほんとの空」の語を持ち出されると、紹介せざるを得ません(笑)。

有機農業に関心がおありの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

従つてわたくしには世上に於ける名誉がありません。しかし実力はあります。わたくしの彫刻は尠くとも根帯の無い砂上の家ではありません。外面的に見ても、わたくしは自分の彫刻が世界の芸術的市場に持ち出されて差支無いのみならず、必ず確固たる市価を得べきものだといふ事を疑ひません。

雑纂「高村光太郎彫刻会」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

同じ文章に拠れば、ニューヨークで個展を開きたい、しかし金がない、ひいては彫刻を買ってほしい、だそうで。どの程度本気だったのか、何とも難しいところですが、賛助員には、金子堅太郎子爵をはじめ、水野勝興(親友・水野葉舟の父で日本勧業銀行監査役)、正木直彦(東京美術学校校長)、与謝野寛、武者小路実篤、岸田劉生、バーナード・リーチ、そして明治39年(1906)にニューヨークで世話になったガットソン・ボーグラムなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。

結局、入会者が少なく、ニューヨークでの個展は実現しませんでしたが、ブロンズの「手」(大正7年=1918)、「裸婦坐像」(同6年=1917)などの代表作が作られました。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん。会員以外の方にも門戸を開いての研修旅行だそうです。

高村智恵子油絵「樟の樹」を訪ねる 山梨静岡の旅

期     日  : 2019年6月16日(日)・17日(月) 午前5時出発
集     合  : 智恵子の生家駐車場 福島県二本松市油井
料     金  : ¥40,000
コ   ー   ス   : 韮崎大村美術館―清春白樺美術館―富士川町高村光太郎文学碑
         河口湖畔(宿泊)
―忍野八海―沼津第一小学校―小田原城址公園
申 し 込 み  : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

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韮崎市の韮崎大村美術館さんでは、明治末に智恵子と同じく太平洋画会で智恵子と共に学んでいた亀高文子の絵画、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が展示されているそうです。

清春白樺美術館さんは、山梨県北杜市。光太郎もサテライトメンバーだった白樺派の面々の作品に混じり、3枚しか現存が確認されていない智恵子の油絵のうちの1枚、「樟」が所蔵されており、現在、展示中だそうです。

そちらからほど近い、山梨県南巨摩郡富士川町。昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のために光太郎が訪れたことを記念して建てられた文学碑があります。光太郎の自筆筆跡を拡大して刻んだ「うつくしきものみつ」の碑です。

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冬至の頃にはここから見える富士山頂と昇る朝日が重なる「ダイヤモンド富士」が観測できるスポットとしても人気です。一昨年、当方が訪れた際には、昭和17年(1942)に光太郎が訪ねていった井上家の建物も健在でした。

沼津第一小学校さんには、先述の智恵子の油絵「樟」に描かれた木が健在とのこと。当方、こちらには行ったことがありません。

時間と興味のある方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私は彫刻をあらゆる光線の下でつくるやうにしてゐる。最も不利な光線といはれるところでも作る。人工的に甘やかされたアトリエの室内光線でのみ製作するのはあぶない。いちばんいいのは外光の下で仕事することだ。このことはエジプト、ギリシヤの昔から抽象派の今日に至るまで変らない。

散文「焼失作品おぼえ書 1 ――アトリエにて9――」より
 昭和31年(1956) 光太郎74歳

明治末、留学からの帰朝後に作った父・光雲の肖像は、まだこういう点に思いいたらず、失敗したと自分では言っています。

昨日、山開きの情報と合わせて紹介すべきでしたが、智恵子の故郷・福島二本松の「ほんとの空」の下に聳える安達太良山に関して、追補です。

まず、二本松市さんの『広報にほんまつ』今月号。三保恵一市長のメッセージ。光太郎智恵子に触れて下さっています。  

市民が主役。~市長からの手紙~ 第65回安達太良山山開き

 待望のシーズン到来!「安達太良山山開き」が行われます。
 安達太良山は「日本百名山」「花の百名山」の一つであり、その山容から「乳首山」と慕われ、これまで神聖で清浄な信仰の山として、また、万葉集や高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」がある恋の山として、多くの人々に愛されてきました。
 山頂から見渡す三百六十度の大パノラマ。磐梯山、吾妻連峰、遠くは蔵王・那須・飯豊連峰を望むことができます。
 初夏には、新緑の中に清楚で純白のこぶしの花や、つつじ、シャクナゲなど、花が咲き薫り、五葉松や貴重な高山植物を眺め、野鳥がさえずり、雪どけ水を集めて流れる清冽な流れ、数々の滝を見ながら、悠久より続く美しい空間。
 喧騒とは無縁の神秘的な静かな空間の中で、しばし時の流れが止まってしまう。
 雪渓の残雪を一歩一歩踏みしめ山頂に立った時の感激。安達太良山の自然のぬくもり優しさに包まれ、新たな明日への活力につながり、素晴らしい至福のとき。
 変化に富んだ山でもあり、登山やトレッキングのメッカとして、女性、中高年者をはじめ、誰もが気軽に登れる山であります。
 山々の頂に憩いあり!
 安達太良山のきれいな稜線、端正なたたずまい。時に荒々しく、時に幻想的。安達太良山の多彩な美しさに、古来、私たちは、感動し、元気づけられてきました。
 安達太良山は、私たちの誇りであり、私たちが守り、次世代に引き継いでいかなければならないと思っております。
 美しい安達太良山を愛する皆さんの交流がさらに深まることを希望しており、多くの人々が頂上を目指し、雄大な自然を満喫されることを願っております。

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地元愛がひしひし伝わってくる文章ですね。


山開きが近いせいでしょうか、NHK BSプレミアムさんで、過去の放映の再放送も。 

にっぽん百名山・選「安達太良山」

NHK BSプレミアム 2019年5月13日(月) 19:30~20:00

3月、雪の残る福島・安達太良山(1700m)で、ウサギやリスなど春を待つ生き物の息吹に触れ、山のいで湯を堪能。さらに「霧氷」など雪山ならではの風景に出会う。

雪山の初級コースとして人気の福島・安達太良山(1700m)。早春3月、出発はあだたら高原スキー場の登山口から。雪の残る森を進み、鳥の巣作り、ウサギの足跡、リスの食べかすなどを次々と発見。山小屋で一泊し、源泉かけ流しの温泉と満天の星空を楽しむ。山頂までの斜面では雪山ならではの風景である霧氷を堪能。山頂からは磐梯山、吾妻連峰など東北の名峰を望む。また雪山で温泉の通り道を守る人々の営みを紹介する。

出演 五十嵐潤    語り 鈴木麻里子 高塚正也

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初回放映は昨年4月。ロケは3月で、まだ山頂付近は雪に覆われていた時期でした。番組冒頭近くで、光太郎智恵子について触れて下さいました。

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基本、登山系の番組ですので、山岳ガイド・五十嵐潤さんのナビゲートによる1泊2日の行程が紹介されます。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

だが、パリでそういう詩を読みはじめたら、実に身近な感じにうたれた。なにか苦しくなるようだ。決して日本の変な調子をつける詩のような変てこなものではない。もっと直接なもので、これならいいと思い、こういうものなら書くべきだと思つた。

談話筆記「遍歴の日」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

そういう詩」とは、明治末のパリで、フランス語の習得のために与えられたボードレールやヴェルレーヌなどの詩です。与えた先生はマリー・ノードリンガーという、プルースト研究家の女性でした。

日本の変な調子をつける詩」は、文語定型のいわゆる「象徴詩」です。そして明治42年(1909)に帰国すると、三木露風や北原白秋らが「てこなもの」ではない詩を書き始めており、それらにも影響されたと語っています。

毎年お伝えしていますが、今年もやって参りました。今年のキャッチコピーは「ほんとの空の下 心の晴れ渡る、感動深呼吸」だそうで。言わずもがなではありますが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語が使用されています。 

第65回安達太良山山開き 

2019年5月19日(日曜日)

山頂イベント
 ○10時~   山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 ○11時~   安全祈願祭
 ○11時20分~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
            (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)
 ※山頂の天候次第で、途中で中止や、予定していた時間も変更になる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止
   奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、奥岳登山口 
  (レストラ
「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

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シャトルバスが運行されます。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

アメリカでは部屋に鍵を使うのが習慣であつて、また使わなければ危なくて仕様がない。その習慣をパトニーの下宿でやつたら、おかみさんが掃除ができないので弱つて、不思議がつた。ロンドンでは鍵をかけない習慣だという。
談話筆記「青春の日」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

明治末の留学生活の回顧ですが、現在でもそうなのでしょうか?

智恵子の故郷・福島二本松、智恵子生家のある旧安達町の道の駅「安達」智恵子の里さんでのイベントです。

みんなで愛のメッセージを書こう! 5月20日は、高村智恵子の誕生日です。

期   日 : 2019年5月18日(土)~5月31日(金)
会   場 : 道の駅「安達」智恵子の里下り線 銘産コーナー
             福島県二本松市米沢字下川原田105-2

レモンの木を、みんなのメッセージでいっぱいにしてたくさん実らせましょう!
参加のお客様にレモン飴をプレゼント☆ メッセージは、6月まで展示致します。みなさん、ぜひ参加して下さいねヽ(^。^)ノ

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道の駅「安達」智恵子の里さんは、全国的にも珍しい上下線に分かれている道の駅です。国道4号線の広い道路をはさんで、東京方面が上り線、仙台方面が下り線となっています。国道の下を通る立体交差があり、それぞれがつながってはいます。

で、上記は下り線側の「銘産コーナー」さんの新着情報としてサイトにアップされていました。同じ下り線側ですと、フードコート的なコーナーの一角には、光太郎智恵子の顔ハメがあったりもします。

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さらに、智恵子生家/智恵子記念館さんの割引チケットも販売中。通常大人410円のところが300円、小人200円は150円と、かなりの値引率です。こちらは上り線側の地域物産コーナーさん、和紙伝承館さんでの販売だそうです(5月末まで)。

また、智恵子がらみの新商品の開発や販売にも力を入れている様子。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

或日、実家の裏山の松林を散歩してそこの崖に腰をおろし、パノラマのやうな見晴らしをながめた。水田をへだてて酒造りである実家の酒倉の白い壁が見え、右に「嶽(だけ)」と通称せられる阿多多羅山(安達太良山)が見え、前方はるかに安達ヶ原を越えて阿武隈川がきらりと見えた。

散文「「樹下の二人」」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

雑誌『婦人公論』の第37巻第10号に載ったものの一節です。この号には「自選自解現代詩人代表作品集」と題し、光太郎以下佐藤春夫、室生犀星、草野心平らの作品17篇と、それぞれの詩を作者自身が解説した短い文章が載っています。

で、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」のリフレインで有名な、大正12年(1923)作の「樹下の二人」に添えられた文章から引用しました。詩の制作は大正12年(1923)ですが、モチーフとなった光太郎の二本松(旧油井村)訪問は、大正9年(1920)のことでした。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島二本松から。参加申し込み受付は既に終わっているのですが、こういうイベントもあるんだ、ということで。 

2019全国さくらシンポジウムin二本松~ ほんとの空に さくら舞う ~

期   日 : 2019年4月11日(木) ・12日(金)
会   場 : 二本松市民会館 福島県二本松市榎戸1丁目92番地 他

時   間 : 4/11(シンポジウム)13:30~17:00  4/12(現地見学会)8:30~12:30
料   金 : 無料
主   催 : 日本花の会

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プログラム

4月11日(木) シンポジウム
 会場 : 二本松市民会館(福島県二本松市榎戸1-92)
  ◆オープニングアトラクション 13:30~14:00
   樋口 達哉 (オペラ歌手・二本松市観光大使)
  ◆開会セレモニー 14:00~14:30
  ◆記念講演 14:30~15:30
     演題 : 桜 ~「無常」と「あはれ」の花  講師:玄侑 宗久 (作家)
  ◆パネルディスカッション 15:40~16:40
     テーマ : 「ほんとの空に さくら舞う」桜の郷二本松を目指して
     コーディネーター : 公益財団法人日本花の会 主幹研究員 和田 博幸
     パネリスト : にほんまつ観光協会、合戦桜のしだれ桜 保存会、福島県樹木医会
  ◆次回開催地紹介・代表者あいさつ 16:40~17:00   岐阜県恵那市
  ◆閉会

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4月12日(金) 現地見学会
 さくら色に染まる街へ。2つのコースをご用意しました。
 ●コース① 霞ヶ城公園→智恵子の生家→万燈桜→道の駅「安達」
 ●コース② 安達ヶ原ふるさと村→中島の地蔵桜→合戦場のしだれ桜
       →道の駅「さくらの郷」
 ※参加費無料。
 ※各コースとも募集定員40名様(最少催行人員20名様)。
 ※両コースとも8:30に霞ヶ城公園集合。
 ※解散時間は、コース①は12:00、コース②は12:30の予定です。
 ※天候や道路状況により行程に変更が生じる場合があります。予めご了承ください。


おそらく全国から参加される方がお集まりになると思われます。智恵子の故郷、「ほんとの空」のある街の魅力をぜひ堪能し、それぞれの地元でその情報を広めていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

日本でも人は猛暑のさなかにモオニングを着たり背広を着たり、つめ襟を着たりする。又それに順応するやうに人は錬成せられる。わたくしのやうな者はその錬成に於ける落伍者である。

散文「一夏安居の弁」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

「一夏安居」は仏教用語で「いちげあんご」と読みます。「夏安居」で、「僧が、夏(げ)の期間、外出せずに一所にこもって修行をすること」という意味で、「一」がつくと「90日間」というスパンが付加されます。

まあ、光太郎は敬虔な仏教徒だったわけではありませんので、それになぞらえ、不要不急の外出を避け、夏の暑さに弱い身を養う習慣だというわけです。

クールビズという習慣が広まる前は、まさに「猛暑のさなかにモオニングを着たり背広を着たり、つめ襟を着たり」という不合理があたりまえでしたね。ところが、クールビズはクールビズで、運用が難しいようです。4月からクールビズ期間という事業所もあるのですが、今日あたりは寒いのでネクタイを締めていた方が合理的です。しかし、「ネクタイを締めている職員とそうでない職員が混在していてはおかしい」のだそうで、ネクタイ禁止とのこと。結局、横並びでなければ気が済まない民族なのでしょうか。

智恵子の故郷・福島二本松。市内各所に桜の名所が点在しています。

同市の『広報にほんまつ』今月号から。

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「ほんとの空に さくら舞う」。このコピーをテーマに冠した「2019全国さくらシンポジウムin二本松」が、4月11日(木)に開催されますが、そちらの情報は明日ご紹介します。

今日は智恵子の生家・智恵子記念館さんでの「高村智恵子生誕祭」。智恵子の誕生日は5月20日ですが、4月、5月と2ヶ月かけて、さまざまな企画が予定され、一部既に始まっています。

高村智恵子生誕祭

智恵子の生家 2階特別公開
 期  日 : 2019年4月6日(土)~5月6日(月)の土日・祝日
 場  所 : 二本松市智恵子の生家
           福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 午前の部 9時00分から12時00分
            午後の部 13時00分から16時00分
 料  金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円  
        子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
         ※団体料金は20名以上の利用 智恵子記念館観覧料も含みます

智恵子の「紙絵」の実物展示
 期  日 : 2019年4月27日(土)~5月28日(火)
 場  所 : 二本松市智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 午前9時~午後4時30分
 料  金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円
        子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
         ※団体料金は20名以上の利用  智恵子生家観覧料も含みます
 休 館 日  : 水曜日
 奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。


上川崎和紙で作ろう切り絵体験
 期  日 : 2019年5月11日(土) 12日(日) 18日(土) 19日(日)
         25日(土) 26日(日)
 場  所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」 福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 9:00~16:00 ※所要時間は10~20分程度 お一人様1回限り、
                 材料がなくなり次第終了
 料  金 : 無料 (入館料に込み)
 内  容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・
          しおりの制作
 問  合  : 智恵子記念館☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154
 

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公共交通機関を利用される場合、臨時バスが出ています。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

わたくしの体細胞の無限の先祖は、おそらく少くとも海抜一万尺以上の高原地帯の乾いた空気の中の生活に順応するやうに長い間馴らされてゐたものと見える。
散文「七月の言葉」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

夏の高温と湿度を極端に苦手としていた光太郎。中央アジアの乾燥帯あたりを夢見ていたのでしょうか。

合唱系の情報を2件。

鹿児島高等学校音楽部 第71回全日本合唱コンクール全国大会出場記念 特別演奏会

期    日 : 2019年3月17日(日)
会    場 : かごしま県民交流センター 県民ホール 鹿児島県鹿児島市山下町14
時    間 : 14:00開場  14:30開演
料    金 : 無料

本校音楽部の全日本合唱コンクール全国大会出場を記念して、特別演奏会を開催します。
コンクールの自由曲「レモン哀歌」、合唱劇「星の王子さま(冒頭15分)」など、感謝の気持ちを込めて歌います。
皆様ぜひお越しください。

客演/桃坂 寛子(ピアノ)
賛助出演/丸山 真也(本校2016年度卒業・東京藝術大学2年)・aiwendil(インターカレッジ男声合唱団)

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昨秋、長野市で開催された第71回全日本合唱コンクール全国大会高等学校部門に、九州代表として出場した鹿児島高等学校音楽部さんの演奏会です。自由曲で西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」を演奏されましたが、そちらもプログラムに入っています。

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もう1件。毎年ご紹介していますが。
会    場 : 福島市音楽堂大ホール 福島県福島市入江町1-1 
時    間 : 9:30開場  10:00開演
料    金 : 3/21~23 2,500円    3/24 3,000円

声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催し、今大会で12回目を迎えます。

3月21日(木・祝) 中学校部門
3月22日(金)           高等学校部門
3月23日(土)   小学校・ジュニア部門、一般部門
3月24日(日)   本選

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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節から採られ、福島では復興の合い言葉となっている「ほんとうの空」(光太郎詩では「ほんとの空」)の語が、サブタイトルに使われています。当初は単なる合唱アンサンブルコンテストでしたが、平成23年(2011)のやはりこの時期に計画されていた第4回大会が東日本大震災によりやむなく中止となり、平成25年(2013)の第6回大会から、震災からの復興を祈念する意味もあって「ほんとうの空」の語がサブタイトルに盛り込まれるようになりました。

毎年そうなのですが、出演団体は発表されるものの、それぞれの演奏曲がわかりません。改善していただきたいところなのですが……。


【折々のことば・光太郎】

古代仏画にある暈繝彩色の叡智に驚く。もう一度あの色調の深さを生かさねばなるまい。もう一度あの超現実的真理の現実性を把握せねばなるまい。今日の日本画の稀薄さを救ふためには。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

最近になって評価が高まってきた伊藤若冲や曾我蕭白などの作画を見たら、光太郎はどんな感想を持っただろうと思います。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

『週刊朝日』さんの先週号。情報を得るのが遅れ、慌てて買いに行ったら店頭ではもう今週号に切り替わっており、しかたなくネット通販で手に入れました。

「文語の湯宿」という連載が為されており、その第63回だそうで、光太郎智恵子がメインに取り上げられています。

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「湯宿」は、栃木県の那須塩原温泉に今も健在の柏屋旅館さん。昭和8年(1933)に、光太郎智恵子が滞在しています。 

【文豪の湯宿】 高村光太郎・智恵子が新婚写真を撮影した、最後の2人旅

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「高村光太郎・智恵子」の「柏屋旅館」(栃木県・塩原温泉 塩の湯)だ。
 因習を嫌った高村光太郎と智恵子は大正3年の結婚披露宴以降も入籍を拒んできた。だが、昭和6年に精神を病んだ智恵子が、その翌年に睡眠薬自殺未遂を起こすと、光太郎は全精力を智恵子の回復のために注いだ。昭和8年8月23日に入籍したのも智恵子を守るためだった。
  入籍の翌日から2人は、墓参りを兼ねて智恵子の故郷に近い東北地方の温泉をめぐる3週間の療養の旅に出る。福島・宮城の湯治場を回り、9月4日には旅程の最後となる栃木県塩原温泉・柏屋旅館に到着した。2人はその翌日、智恵子の母・長沼セン宛てに絵葉書を送っている。
 <(塩原塩ノ湯柏屋にて)帰りかけに塩原へよりました 智恵>
  十数日間の滞在中、宿の下を流れる鹿股川で、2人は写真屋に記念写真を撮ってもらっている。数少ない貴重なツーショット写真となった。
  9月18日、療養の旅を終え帰宅したが、智恵子の病状は<上野駅に帰着した時は出発した時よりも悪化していた>(「智恵子の半生」)。
  光太郎の必死の看病にもかかわらず智恵子は、昭和13年に結核で死去。塩原は最後の2人旅となった。(文/本誌・鈴木裕也)
■柏屋旅館(かしわやりょかん)  栃木県那須塩原市塩原364

よくまとまっています。

「新婚」といっても、文中にあるとおり、正式な入籍に対しての「新婚」で、光太郎智恵子、事実婚の開始は大正3年(1914)に上野の精養軒で行った結婚披露よりさらに遡ります。当時の(現在でもそうだそうですが)フランスでは事実婚のまま入籍しないカップルが多いとのことで、それにあやかったのでしょう。この時期に正式に入籍したのは、やはり文中にあるとおり、心の病が顕在化した智恵子の身分保障のためでした。智恵子もそうでしたが、既に光太郎自身も結核に冒されており、万一、自分の方が先に逝くことになったら……という配慮です。

そして、智恵子の愛した「ほんとの空」のある東北方面の温泉地で療養すれば、智恵子の心の病も快方に向かうのではないかという淡い期待の元、昭和8年(1933)8月24日からおそらく9月中旬まで、二人は4ヵ所の温泉地を廻りました。

まず、福島の裏磐梯川上温泉。ここにはこの湯治旅行で最も短く、一泊しかしませんでしたが、この際に、「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインで有名な詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)が着想されました。

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013続いて向かったのは、宮城県蔵王山中の青根温泉。二人が泊まった湯元不忘閣さんは今も健在です。青根に「一週間ばかり滞在」したという二人は、8月末か9月の頭に、次なる投宿地、福島土湯温泉に向かいました。土湯では旅館街から山奥に入った不動湯に宿泊しました。この旅館は平成25年(2013)に火災焼失、現在は焼け残った露天風呂を使い、日帰り入浴施設として再オープンしています。

そして、不動湯に9月4日まで滞在した二人は、福島市方面に山を下ります。おそらく東北本線を使って移動。翌5日に塩原温泉から、智恵子の母・センに宛てて、『週刊朝日』さんに紹介されている連名の絵葉書を送っています。

塩原では、柏屋旅館に投宿。柏屋は、塩原の中でも鹿股川の渓谷沿いの「塩の湯」というエリアにあり、塩原温泉の中心街からは離れて位置しています。いったいに、この湯治行では、一件宿だったり、温泉街のはずれだったりのいずれも静かな宿が選ばれました。症状の思わしくない智恵子や、他の湯治客への配慮でしょう。

そして、『週刊朝日』さんにも載った、右の写真が撮られました。これが確認できている限り、智恵子最期の写真です。

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上は戦後すぐと思われる柏屋さんのパンフレット、それから戦前と思われる絵葉書です。絵葉書には、上記ツーショット写真にも写っている橋が。残念ながらこの橋は戦時中に金属供出に遭い、現存しません。

9月19日には、二人で撮った写真を使った絵葉書を、やはり連名でセンに送っています。

 しばらく方々を歩いてゐましたが先日帰宅しました、秋になりましたがお変りありませんか、当方無事、

文面は光太郎の筆跡で、差出人欄の「智恵」署名のみ智恵子の手になると思われます。そうとすれば、現存が確認できる智恵子最後の筆跡です。

19日の時点で「先日」と書かれているので、そう遠くない9月中旬の帰京だったのでしょう。『週刊朝日』さんには「9月18日、療養の旅を終え帰宅した」とありますが、こちらでは正確な帰京の日付を特定できていません。何か新資料でもあったのでしょうか? 柏屋の後に、二人が他の温泉宿に寄ったという記録が見あたらないので、ここには10日ほども滞在したと考えられます(今後、書簡等の発見で、新事実が出て来るかも知れませんが)。

「文豪の湯宿」、ぜひ単行本化していただきたいものですね。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は私との不如意な生活の中で愛と芸術との板ばさみに苦しみ、その自己の異常性に犯されて、刀折れ矢尽きた感じである。精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつたのだ。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」、恐ろしいまでに的確な、しかし哀しい比喩です。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

直接的には光太郎智恵子と関わりませんが……。  

恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~

期    日 : 2019年2月26日(火)~5月6日(月)
会    場 : 田端文士村記念館  東京都北区田端6丁目1-2
時    間 : 10:00~17:00
料    金 : 無料
休 館 日  : 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日と水曜日が休館)
          祝日の翌日(祝日の翌日が土・日曜日の場合は、翌週火曜日が休館)

いつの時代も恋は人々の心を大きく揺さぶり、人生を左右する一大事です。幸、不幸を往来するのは恋の宿命ですが、それゆえに恋の数だけドラマも生まれます。 本展では芥川文・平塚らいてう・林芙美子・佐多稲子など、 田端ゆかりの女性たちに焦点を当て、それぞれの恋愛事情を様々な資料から紹介します。

佐多稲子×窪川鶴次郎  板谷まる×板谷波山  林きむ子×林柳波  池田蕉園×池田輝方  
山田順子×竹久夢二・徳田秋声  林芙美子×手塚綠敏  芥川文×芥川龍之介  平塚らいてう×奥村博史

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関連行事

講演会 「芥川龍之介さんとわたし」 
講師 : 伊藤比呂美   3/16(土)14:00開演   定員 : 100名(応募多数の場合は抽選)
現代詩から古典やお経の現代語訳まで、常に新しい分野を開拓する詩人・伊藤比呂美が、初めて「芥川龍之介」について語ります。

3月ひととき散歩 「田端の女性たち~文学への情熱と苦悩~」
ご案内 : 当館研究員  3/17(日)13:00開演  当日先着80名(直接当館にお越し下さい)
文壇が男性主流の時代に、様々な逆境を越えて活躍した林芙美子、佐多稲子など田端ゆかりの女性作家の活動を中心にご紹介します。1時間ほど館内で講義をした後、1時間ほど旧居跡などを散歩します。天候により講義のみになることがあります。


日本女子大学校家政学部でで智恵子の一級上でテニス仲間、卒業後に『青鞜』の表紙を智恵子に依頼するなどした平塚らいてうがラインナップに入っています。らいてうも恋多き女でしたが、相方として取り上げられるのは、終生の伴侶となった「若いツバメ」こと画家の奥村博史です。

芸術界全体があまり広くなかったこの時代、他に取り上げられる人々のうちの何人かも、回り回って光太郎智恵子・光雲と関わりがあったりします。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。

散文「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

田端文士村に集った人々もそうですが、それより若干早く、日本橋周辺で気焔を上げていた光太郎ら「パンの会」のメンバー、そしてそこから生まれた「ヒユウザン会(のちフユウザン会)」の造形作家たち。日本の芸術界全体が若かった頃に花開いた動きでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

智恵子の故郷、福島二本松でその顕彰活動に取り組む智恵子のまち夢くらぶさんの主催による「高村智恵子没後80年記念事業」。これまでに「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」、「全国『智恵子抄』朗読大会」などが行われましたが、その最後のイベントです。  

高村智恵子没後80年記念事業 智恵子カフェ

期 日 : 2018年12月16日(日)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時 間 : 午後1:00~
料 金 : 一般 1,000円  中高生600円
申 込 : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

内 容 : 
 第一部 紙芝居 「夢を描いた人 ~高村智恵子の生涯」
  読み聞かせ 坂本富江さん(太平洋美術会・高村光太郎研究会)
 第二部 智恵子カフェ
  智恵子スイーツパーティー 智恵子抄しゃべり場

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第一部が紙芝居だそうです。制作、そして演じられるのは坂本富江さん。明治末、智恵子が学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術会に所属され、これまでも智恵子の生涯を描いた紙芝居を二本松で上演なさっている他、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』というご著書もあり、今年は智恵子生家での個展も開かれました。

第二部は智恵子カフェということで、市内外のメーカーさんが作った智恵子の名を冠したスイーツを食べつつ、智恵子についての思いを語り合うそうです。

「ほんとの空」の下、安達太良山も雪化粧に被われているようです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

小生当市美術学校へ入りてより毎日先生と喧嘩腰にて勉強致し居り、面白き事かぎり無く候。小生は俗悪なる一種の亜米利加趣味を嫌ふこと甚だしく候。

散文「紐育より 五」より 明治39年(1906) 光太郎24歳

「美術学校」はアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク。現存します。入学前に約3ヶ月、助手として雇ってくれたガットソン・ボーグラムが教鞭を執っていました。他の生徒から人種差別的な嫌がらせに遭い、怪しげな柔道技でやっつけたというエピソードも残っています。生徒だけでなく、先生とも丁々発止だったのですね。

昨日は護国寺で「第63回高村光太郎研究会」、今日は日比谷で「第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観~明治・大正・昭和を貫いたもの」ということで、2日連続で都内に出ねばならず、それぞれ午後からなので、この際、ついでにいろいろ片付けてしまおう、と、都内あちこち歩き回っております。

昨日は、まず、駒場の日本近代文学館さん。来年1月に埼玉県東松山市で、光太郎と、同市に縁の深い彫刻家・高田博厚、さらに同市元教育長で、昨年逝去された田口弘氏の三人の交流について市民講座を持つことになり、そのための調べ物でした。


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「津村節子展」の方は、平成11年(1999)、智恵子を主人公とした小説『智恵子飛ぶ』を書かれた津村節子さんのご主人、故・吉村昭氏の文学館ということで、津村さんの故郷・福井県ふるさと文学館さんとの共同開催となっています。

津村さんのこれまでを回顧するコンセプトで、幼少期の通信簿や日記、長じて文学活動を始めてからの作品掲載誌、原稿、御著書、取材メモ、その他身の回りの品々など、様々な展示品が並んでいました。『智恵子飛ぶ』関連も。

図録が発行されており、購入して参りました。B5判63ページ、カラー画像も多く、津村さんご本人や、吉村氏、さらに加賀乙彦氏の文章が掲載されており、それがなんとたったの350円。超お買い得でした。


トピック展示の方は、9月に「前期」を拝見して参りましたが、先週から「後期」ということになっており、若干の展示替えがありました。

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特に興味を引いたのが『智恵子飛ぶ』のための取材メモ。曰く、

 昭和十六年私が女学校に入学した年の十二月八日太平洋戦争 智恵子抄を読んだのはその二年ほどあと 私は昭和三年に生れ 満州事変、日中戦争、太平洋戦争
 個人の自由はない 目的は一億一身勝利のみ 人間らしい感情を持つことは罪悪だった。
 世俗に背を向け尊敬と信頼と愛を抱き合いお互いの芸術の道に精進し共に伸びて行こうとする共棲生活に憧れ強い印象を受ける。
(略)
 しかし、なぜこのような理想的な二人の生活が破局に至ったのか。

その問いに、津村さんなりの答を出したのが、『智恵子飛ぶ』だったわけですね。

これからも、ご健筆を祈念いたします。

ところで、昨日は関連行事として、竹下景子さんによる『智恵子飛ぶ』の朗読会があったのですが、先述の通り、第63回高村光太郎研究会とかぶっていましたので、申し込みもしませんでした。その点は非常に残念でした。

「津村節子展」は12月19日(水)まで、トピック展示は来年1月16日(水)までです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

自然は極微の細胞にすら宇宙の大と威厳とを示顕してゐることを思へば、心を空しくして詩に斯の如く精進するものの必ず到るべき天地はおのづから開かれるであらう。

散文「菊池正詩集「北方詩集」序」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

『北方詩集』、元版は樺太在住の著者による非売私家版の詩集です。のちに内地でも刊行されましたが、そちらも稀覯書籍です。

先週17日の新聞に、智恵子の母校・日本女子大学さんの元学長・青木生子さんの訃報が出ました。

朝、購読している『朝日新聞』さんの社会面で見つけました。 

青木生子さん死去001

 青木生子さん(あおき・たかこ=元日本女子大学長・理事長、日本上代文学)14日死去、97歳。葬儀は近親者で営む。12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の同大目白キャンパスで大学葬を行う予定。


『毎日新聞』さんの方が、よりくわしく業績等記述されているので、そちらも。 

<訃報>青木生子さん97歳=日本女子大元学長・国文学者

 青木生子さん97歳(あおき・たかこ=日本女子大元学長・国文学者)14日、死去。葬儀は近親者で営み、12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の日本女子大・成瀬記念講堂で大学葬を開く。時間などは未定。
 東北大など卒。万葉集の研究で知られ、女子教育論も手掛けた。著書に「日本古代文芸における恋愛」「万葉挽歌論」など。93年に勲三等宝冠章。

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青木さん、ご専門の上代文学以外でも、日本女子大さんに関する御著書が複数あり、当方、一冊持っています。平成2年(1990)、講談社さん刊行の『近代詩を拓いた女性たち 日本女子大に学んだ人たち』。同大の教養部での特別講義の筆録をもとにしたもので、智恵子にも一章割かれています。

基本的な論調は「伝説化された智恵子ではなく、できるだけ生身の人間としての智恵子を、女性として身近に引き寄せながら、彼女の生き方にまなざしを注いでみたいと思います」ということで、同大の同窓会誌である『家庭週報』などの記事を引用するなど、刊行当時としては、智恵子に関するあまり知られていなかった資料が提示されていました。

智恵子以外には、山川登美子、上代たの、平塚らいてう、丹下うめ、大村嘉代子、宮沢トシ(賢治の妹)、網野菊、原口鶴子、高良とみ、茅野雅子が取り上げられています。

残念ながら絶版となっていますが、古書サイト等で入手可能です。


ところで、同じ日の『朝日新聞』さんに、以下の記事も載りました。 

さくらさんへ、明るく別れの歌 ありがとうの会003

 8月に53歳で亡くなった漫画家さくらももこさんをしのぶ「さくらももこさん ありがとうの会」が16日、東京都港区の青山葬儀所で開かれ、約1千人が参列した。笑いを届け続けたさくらさんの意向で、会は「明るくなごやか」がテーマに。参列者はさくらさんの名前にちなんで桜色の小物を身に着けた。
 アニメ「ちびまる子ちゃん」で主人公まる子を演じる声優のTARAKOさんは、まる子の声で「天国へ行くあたしへ。そっちでもたまに、まる子描いてよね」と語りかけた。さくらさんから手紙で歌詞が届き、作曲を依頼された際のエピソードを披露したのは歌手の桑田佳祐さん。「またいつかお会いしましょう」と述べ、2人で共作したアニメのエンディングテーマ曲「100万年の幸せ ‼」を歌った。


亡くなった際には失念していましたが、さくらさん、明治大学教授の斎藤孝氏とのコラボで、平成15年(2003)、集英社さんから『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』という書籍を刊行されています(著者名は斎藤氏のみのクレジット)。こちらも残念ながら絶版です。

基本、児童書ですが、古今東西の「名文」50余篇を紹介し、斎藤氏の解説に、まる子を主人公とした四コマ漫画が添えられています。で、光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)が取り上げられています。004

   あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。

 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽な生きものが

 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんな
を取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると

 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。



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この書籍、手許にありながらその存在を忘れており、さくらさんが亡くなってしばらくしてから思い出し、このブログでご紹介するタイミングを失って、「しまった」と思っていたところでした。

それが、青木さんの訃報と同じ日にさくらさんのお別れ会の記事が出、「このタイミングで紹介するしかない」と思い、本日、記述いたしました。何か不思議な縁を感じます。ともあれ、お二人のご冥福をお祈り申し上げます。



【折々のことば・光太郎】

感じてゐながら言葉でそれを捉へる事のむつかしさを詩を書くほどのものは皆知つてゐる。よほど素直な心と、美を見る感覚との優れてゐるものでなければ此の境にまでは到り得ない。

散文「八木重吉詩集序」より 昭和18年(1953) 光太郎61歳

昭和2年(1927)に数え30歳で早世した八木重吉は、それが出来ていた稀有な詩人の一人、というわけでしょう。光太郎ファンの当方にとっては、光太郎、あなたもですよ、と言いたくなりますが(笑)。

この前年、草野心平らの尽力で、山雅房から『八木重吉詩集』が刊行されましたが、さらに八木の未亡人・とみ子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。光太郎はそれに向けて上記の一節を含む序文を執筆、さらに題字候補ということで3種類の揮毫をとみ子に送りました。

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八木の詩の題名から採った「麗日」二種、やはり八木の詩「うたを味わう」中の短章の題名から採った「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ味のある筆跡ですね。

結局、戦局の悪化等もあり、この時点では決定版的八木詩集は刊行できず、序文、題字揮毫ともお蔵入りとなりました。

ネット上に、謎のゆるキャラが……。

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「ちえこちゃん」だそうです。

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Twitterの「ちえこちゃん@福島県二本松市」というアカウントです。

福島県二本松市のご当地キャラ【ちえこちゃん】公式アカウントです。二本松市、智恵子の里・安達の各種イベントに参加したいと思いますので、末永く応援よろしくお願いします。」だそうです。

二本松市さんのサイトを調べても、記述がありません。今後紹介されるのか、それとも千葉県船橋市の「ふなっしー」のような「非公認ご当地キャラ」なのか、何とも不明です。

11月3日(土)、二本松市の智恵子の生家/智恵子記念館でデビューしたそうですが、今後も彼の地の各種イベントに参加したいとのことで、いずれお会いする機会もあるかと存じます。

泉下の光太郎や智恵子が苦笑しているような気もします(笑)。


【折々のことば・光太郎】

おのれに無いものは断乎としてそこに無い。此は強い魂の特長である。世に多い詩工の事は知らず、およそ此を土台にしないで、どんな詩人の業が確かであらう。
散文「廣田末松遺稿詩集「午前の歌」跋」より
 昭和5年(1930) 光太郎48歳

この年1月、25歳の若さで早世した詩人・廣田末松――己の「弱さ」を自覚していたその木訥篤実な性格、そして性格そのままの素直な作風の詩作品を、光太郎は愛しました――の、おそらく唯一の詩集に寄せた跋文から。

「おのれに無いもの」を、さも有るが如く書き記す似非詩人=「世に多い詩工」への批判も兼ねています。

昨日ご紹介した、東京都荒川区の吉村昭記念文学館さん。平成18年(2006)に亡くなった、荒川区ご出身の作家・吉村昭氏の顕彰施設ですが、氏の奥様、津村節子氏の郷里・福井の福井県ふるさと文学館さんと昨年、「おしどり文学館協定」を締結、このたび、合同企画展が開催されています。小説『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)で芸術選奨文部大臣賞を受賞され、一昨年には文化功労者にも選ばれた津村さんにスポットをあてたものです。  

おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」

期   日  : 平成30年10月26日(金)~31年1月23日(水)
場   所  : 福井県ふるさと文学館 福井県福井市下馬町51-11 福井県立図書館内
時   間  : [火~金]9:00~19:00  [土・日・祝]9:00~18:00
料   金  : 無料 
休 館 日 : 月曜日(祝日の場合は翌日) 11/22 12/20 12/29~1/3 

 県ふるさと文学館では、文壇のおしどり夫婦といわれた吉村昭氏と本県出身の津村節子氏のそれぞれの出身地に建つご縁に基づき、昨年11月に荒川区立ゆいの森あらかわ吉村昭記念文学館と全国初の「おしどり文学館協定」を締結しました。
 1周年を記念し、福井県と荒川区において、合同企画展と記念講演会をそれぞれ行います。
 

関連イベント

記念講演会「津村・吉村文学の魅力」
 日 時:平成30年10月28日(日)14:00~15:30
 会 場:福井県立図書館多目的ホール
 講 師:出久根達郎氏(直木賞作家)
 定 員:150名(申込順、参加無料)
 申 込:電話、FAX、メールにて、または直接ふるさと文学館窓口
      TEL:0776-33-8866 FAX:0776-33-8861
      E-mail:
bungakukan@pref.fukui.lg.jp
 その他:手話通訳、音声の文字表示を行います。

津村節子氏撮り下ろしインタビュー特別上映会
 表 題:「津村節子氏人生を語る~これまでの歩み そして明日への思い~」
 日 時:平成30年10月26日(金)~10月28日(日) 
     各日10:00~、13:00~、15:30~(約20分)
 会 場:福井県ふるさと文学館 映像ルーム
 定 員:各回40名(当日受付、参加無料)

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ところで、「おしどり文学館」ということであれば、花巻高村光太郎記念館さんと、二本松市智恵子記念館さんも、そのような協定を結べば、それで一つの宣伝にもなりますし、展示の共同開催、資料の相互貸借などなど、いろいろ便利だと思うのですが、どうも行政がからむと、そうした部分、腰が重いのが現状です。

閑話休題、福井展、お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩とは決して別の世界があつて、その世界に我々を誘ひ出すものでなく、事実の中の事実が正しい言葉に具体された時、それが即ち詩なのだといふ確信を終に失ひ得ない自分は、此等の諸篇の中に立派な詩を見出して喜ぶ。

散文「更科源蔵詩集「種薯」感想」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

北海道弟子屈で開拓にあたりながら詩を書いた更科源蔵の詩集への讃辞です。

他者への評でありながら、光太郎詩論が端的に語られています。

第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界~高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩~」が開催中の荒川区ゆいの森あらかわ内の吉村昭記念文学館さんで、それとは別個の展示が始まっています。  

おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子展 生きること、書くこと」

期   日  : 平成30年10月20日(土曜)~12月19日(水曜)
場   所  : 吉村昭記念文学館 東京都荒川区荒川二丁目50番1号 ゆいの森あらかわ内
時   間  : 午前9時30分から午後8時30分まで
料   金  : 無料 
休 館 日 : 11月15日(木) 12月7日(金)

平成29年11月5日に、吉村昭記念文学館と福井県ふるさと文学館はおしどり文学館協定を締結しました。荒川区出身の作家、吉村昭氏と、妻で福井県出身の作家、津村節子氏の「おしどり夫婦」になぞらえ、両館が協力して相互に魅力を高めていくため、締結したものです。協定の締結1周年を記念して、福井県と合同で企画展を開催します。

昭和40年に「玩具」で芥川賞を受賞して以来、力強く生きる女性の姿を書き続けてきた作家、津村節子。今年で90歳を迎え、現在も精力的に執筆活動を行う津村氏の約60年に及ぶ創作活動を、自筆原稿や取材メモ、愛用品などを通して紹介します。

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関連イベント

◆記念講演会「果てなき往復書簡―一編集者から見た吉村昭・津村節子」
 日程:11月4日(日曜)14時~16時(開場は13時30分)
 講師:山口昭男氏(岩波書店前代表取締役社長)
 参加費:無料   定員:100名※申込順   会場:ゆいの森あらかわ1階ゆいの森ホール

◆朗読会「智恵子飛ぶ」
 日程:11月23日(金曜・祝)14時~15時30分(開場は13時30分)
 出演:竹下景子氏(俳優)
 参加費:無料   会場:ゆいの森あらかわ1階ゆいの森ホール
 定員:100名(応募多数の場合は抽選。11月4日(日曜)までにお申込下さい。当選者のみ、11月17日(土曜)までに葉書でお知らせします。)

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◆文学館学芸員による展示解説
 日 時  :11月3日(土曜)15時~ 15時30分  12月5日(水曜)15時~15時30分
参加費:無料  定 員  : 15名※申込順   会 場  :ゆいの森あらかわ3階企画展示室

イベント申込方法
ゆいの森あらかわホームページ(イベント予約)、ゆいの森あらかわ1階総合カウンター、FAX(03-3802-4350)でお申込み下さい。
イベント名(展示解説の場合は、参加希望日)・参加者の氏名(2人まで)・代表者の住所と電話番号を、ゆいの森あらかわへ。

なんとまあ、竹下景子さんが、津村さんの代表作の一つである『智恵子飛ぶ』から朗読をなさるそうです。



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上記会場は、荒川区の吉村昭記念文学館さん。平成18年(2006)に亡くなった、荒川区ご出身の作家・吉村昭氏の顕彰施設です。亡くなる直前、吉村氏は、区の財政負担を考慮し、単独の文学館ではなく図書館等の施設と併設することを条件に文学館の設置を承諾なさったということで、ゆいの森あらかわさんの中にオープンしました。

そして奥様の津村節子さんの出身地・福井の福井県ふるさと文学館さん。おしどり夫婦それぞれゆかりの文学館ということで、昨年、「おしどり文学館協定」を締結、展示の共同開催、資料の相互貸借を行うそうで、今回もその一環です。

荒川区・福井県合同企画展ということで、もう一方の福井県ふるさと文学館さんでも「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されます。明日はそちらをご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

此の北地に闘つてゐる人のまぎれのない声は、どんなジヤスチフイケイシヨンがあらうとも結局まだ中途に立つてゐる私などの腹わたに強くこたへる。私は其をまともに受ける。かういふ強さは、ひねくれた強さでないから、痛打を受ける事が既に身になる。

散文「猪狩満直詩集「移住民」に就て」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

猪狩満直は、福島いわき出身の詩人。同郷の草野心平の詩誌『銅鑼』同人でした。『移住民』は、前年に北海道阿寒に移っての開墾生活を題材としています。

明治末に、やはり北海道移住を志した光太郎。あまりの無計画で、ひと月ですごすご逃げ帰りました。そうした負い目が読み取れますね。

昨日は、都内2ヶ所を廻っておりました。

まず、日暮里の太平洋美術会研究所さん。明治40年(1907)からのおそらく数年間、智恵子が通った太平洋画会の後身です(智恵子が通っていた頃と、場所は変わっていますが)。

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こちらで、智恵子の名も載った昔の名簿的なものが出てきたというので、拝見させていただこうと、参上した次第です。隣接する第一日暮里小学校さんでの特別授業などで知遇を得ていた、同会の松本氏が対応して下さいました。

こちらがその名簿。昭和に入ってから書かれたものでした。

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智恵子の名は、昭和7年(1932)の「第二回卒業者」という中にありました。「千恵子」と誤記されていましたが、「高村光太郎夫人」と薄く書き込みがしてありました。さらに「明治三十八年通学」「こゝに記載」「卒業者とする」などの書き込みも。何をもって同会の卒業という扱いにしたのか、なぜ昭和7年の項に名前があるのかなど、詳しいことは不明とのことでした。

ちなみに智恵子が同会に通い始めたのは日本女子大学校を卒業した明治40年(1907)とされています。明治38年(1905)は、まだ女子大学校に在学中でした。しかし、もしかすると、在学中に松井昇などの手引きで、同会に通い始めたことも考えられなくはないな、と思いました。ただ、名簿が書かれたのが昭和に入ってからなので、智恵子が通っていたのはその時点で20年以上前。関係者の記憶や記録があやふやだったための誤記とも考えられます。

当方がお伺いするということで、松本氏、光太郎に関する資料も引っ張り出していて下さいました。明治から大正にかけての雑誌『秀才文壇』。国会図書館さんには所蔵がなく、駒場の日本近代文学館さん、横浜の神奈川近代文学館さんでは、とびとびにしか所蔵されていないため、光太郎が寄稿しているはずの号がこれまで未見でした。

以前に、当会顧問・北川太一先生から、「光太郎にこういう文筆作品があるはずだから見つけるように」と渡されたリストに、『秀才文壇』に掲載されたはず、というもののタイトルが複数記されていました。しかし、これまで折に触れて捜していましたが、見つからないでいたものです。

その『秀才文壇』がドンと出てきたので、驚愕しました。なんとまあ、編集長の野口安治が、松本氏の御曾祖父にあたられるそうで、こちらに所蔵されているとのこと。

そして、ありました!

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ロダンの秘書だった、ジュディト・クラデルが書き、光太郎が訳した「ロダンといふ人」。明治43年(1910)の『秀才文壇』に3回にわたって掲載されたのですが、筑摩書房『高村光太郎全集』刊行時点では、そのうちの第3回のみしか見つけられず、第1回、第2回が漏れています。それがあったので、驚愕した次第です。

また、野口に宛てたと推定される、大正6年(1917)の年賀状も紹介されていました。「賀正」一言の簡素なものでしたが、これも『高村光太郎全集』に未収のものでした。

他にも色々ありそうなので、自宅兼事務所に帰って早速調べた内容と、さらなる調査を依頼する文言を書いて、松本氏に手紙を書きました。今後に期待しております。


そんなこんなで太平洋美術会研究所さんを後にし、次なる目的地、谷中の台東区立朝倉彫塑館さんへ。先月から特別展「彫刻家の眼―コレクションにみる朝倉流哲学」が始まっています。

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こちらでは、こちら001の所蔵の、光太郎ブロンズ彫刻代表作「手」が展示されています。3点しか確認できていない、大正期の鋳造、さらに台座の木彫部分も光太郎の手になる物の一つです。

同館では他館の様々な企画展等に貸し出していて、他の場所で何度も見た作品ですが、こちらで見るのは初めてでした。また、以前に伺ったときにはなかった新商品ということで、「手」のポストカード(100円)が販売されていまして、思わず10枚も買ってしまいました(笑)。

その他、光太郎とも交流のあった大工道具鍛冶・千代鶴是秀の手になる刃物類などがたくさん並んでおり、興味深く拝見しました。「用の美」がにじみ出ている実用的なものもそうですし、遊び心溢れる非実用的な魚の形のものなど、そのどれもこれもですが、特に切り出し刀は「切れる」というのが見ただけで分かります。朝倉や、光雲弟子筋の平櫛田中などが惚れ込んだというのもうなずけました。

こちらは12月24日(月)までの長い会期となっています。ぜひ足をお運びください。

今日はこの後、信州安曇野碌山美術館さんでの開館60周年の記念行事に行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

「故郷図絵集」をよんで其の中にある一脈の「荒さ」に強く心をひかれました。この荒さといふ事に就ては或は自己流の説明を要するかも知れませんが、とにかくオリヂナルのものに必ず潜む「あらたへ」の感じです。芭蕉が持つてゐて其の弟子達に少いものです。荒々しい文字に必ずしもあると言へないところのもの、オリヂナルならざるものには絶無の或る感じです。

散文「所感の一端――室生犀星詩集「故郷図絵集」――」より
昭和2年(1927) 光太郎45歳

「故郷図絵集」は、この年刊行された室生犀星の詩集。「あらたへ」は、織り目の粗い粗末な織物のことです。

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