カテゴリ: 智恵子

昨日、「智恵子抄」系 のオンライン講座と音楽ライブをご紹介しましたので、「智恵子抄」つながりで。

まず、智恵子の故郷・福島県二本松市に隣接する大玉村、先月の『広報おおたま』さんから。

おおたまいどばた会議 with地域おこし協力隊 大玉村地域おこし協力隊の小川・遠藤による村民の方々とのトーク・セッション 大玉村が映し出す姿 第4回毛利良之さん(yy vineyard)「大玉村のテロワールを」

1.二拠点生活とワイン作り
 奥さんの故郷である大玉村に家を建てたのは2012年のこと。毛利さんにとって故郷と言える場所がなかったため、福島にいる親戚の存在は大きく、震災によって被害を被ってしまった福島への思いが強くなったのがきっかけだそうです。横浜との二拠点生活をしながら、自然豊かな大玉村で農作物を作る楽しさに触れ、もともと好きであったワインを2016年から大玉村で作り始めました。
2.OOtama blue誕生と苦悩
 ワインが初めてできたのは2022年。高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる有名なフレーズの青い空からブランド名を「OOtama blue」と名付けたそうです。しかし、自然相手には思い通りにいかないことが多く、昨年はハクビシンに実を食べられ、今年は高温障害、病虫害により実が萎縮してしまったそうです。だからこそ、ワインができた時の喜びは大きく、たりがいを感じていると話しています。
3.これからのOOtama blue
 現在、約700本のブドウの木を育て、年間1000本のワインボトルを生産することを目標に励まれています。ワインは100%ブドウの果汁からできており、OOtama blueでは大玉村の土地の味(テロワール)ともいえます。OOtama blueが大玉村の特産品となり、大玉村の魅力をさらに幅広く伝えていきたい。そして、村民の方にも大玉村にはOOtama blueがあるよと言ってもらえるようになりたいと話しています。
対談を終えて
 毛利さんはよく大玉村が全国的に認知され、大玉村に住んでいることを誇りに思える人が多くなれるようにしたいと話されています。これまでNPOの活動で多くの地域と交流をし、「地域おこし」に関わっている大先輩である毛利さんの言葉には重みがあり、私は常に勉強させられてばっかりです。OOtama blueは桜が咲く頃に出来上がります。ぜひみなさんも生まれ育った大玉村のテロワールを感じてみてください。
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ワイナリーyy vineyardさんのサイトはこちら。「OOtama blue」についてはこちら。

もう1件、今度は万年筆です。「日本全国お取り寄せ手帖」さんというサイトから。

創業100年の老舗が福島の美しい星空を表現「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」

 今回、編集長アッキーが気になったのは、万年筆などの筆記具を中心にノートや便箋、カードなど、ペンとノートのある暮らしを彩る福島の「文房具のお店 Pentonote」。まもなく創業100年という株式会社文化堂 代表取締役社長の中野義久氏に商品の人気の秘密を取材陣がうかがいました。

―会社の沿革を教えてください。
中野 創業は1926年、会社設立は1953年です。父が他界し、私が代表になったのは2010年11月ですが、就任して4ヶ月後に東日本大震災がありました。当時、建物の被害はあまりなかったのですが、去年の3月の地震で建物が被災し、現在取り壊して再建中です。2回の大きな地震には耐えましたが、3回目でとうとう駄目になってしまいました。
 再建にあたってクラウドファンディングを行いました。今、街中ではないところに仮店舗として営業しています。これまでは商店街に属していましたが、現在は郊外で営業しているため、わざわざ足を運んでもらう理由が必要でした。そこでベーグル屋を立ち上げ、ベーグル目的のお客さんが店舗にも来ていただくことを目指しました。ベーグルは2ヶ月前ぐらいからオンラインでも販売しています。

―創業から100年、会社として変わらない思いはございますか。
中野 老舗と言われますが、今の時代、商売として老舗が有利ということはありません。ただ、100年築いてきた信用はあります。その信用を伸ばしていくことは大事だと考えています。

―万年筆はどういった方が購入されていますか。
中野 50年くらい前は営業マンが万年筆を持ち歩いて販売することもあるくらいメジャーでしたが、今は万年筆を好きな人だけが使うようになりました。手書き離れが進んだ後に、あらためて手書きの良さが再認識され、ブームとまではいかないですが、万年筆が好きな人たちが増えています。購入される年代で多いのは30~40代の女性です。青やピンクなどたくさんの色のインクを出したことで興味を持っていただくことが増えました。

―今回発売された「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」はどういった商品ですか。
中野 地元・福島の星空をイメージしています。吾妻山の浄土平からは「ほんとの星空。」が見えます。夜も終わり、朝が漂い始める頃、黒が薄まり青になっていく、その時の空のインクを作ってみようと思いできたのが「ほんとの星空。」です。福島の美しい景色を多くの方に届けたいという思いを込めました。低重心タイプで、重心が下にあるとその重さで力を入れないで書くことができるのも特徴です。万年筆は5万円ぐらいまでは小刻みに構造にグレードがあります。5万円を超えてくると、装飾へのこだわりで価格が変わってくるので、この商品の構造のグレードは最高級です。
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―どういった方に使っていただきたいですか。
中野 こちらはヘビーユーザー向けの商品です。普通の万年筆を使っていた人がよりよい書き心地を求めて購入されることを想定しています。

―今後のビジョン、展望などをお聞かせください。
中野 メーカーとしてオリジナル商品を作っていきたいと考えています。Webサイトやインスタを運営していると、オリジナル商品の強みを感じます。一方、福島へのこだわりはあまり考えておらず、文房具としての機能性とデザイン性、個性を重視した商品を構想中です。
 実店舗では、来年の5月に新しい建物が完成します。県庁通り商店街にあるので商店街のイベントや弊社のイベントができるよう、1階部分は半分ぐらいイベントスペースとして設けています。街や商店街の盛り上がりをイベントスペースを通じて、作っていければと思っています。
 ECに関しては、商品の使い方や詳しい説明など、お客様が知りたいことをブログ記事にしています。最近はYouTubeも始めたので、お客様の層を広げていきたいと考えています。

―貴重なお話をありがとうございました。

「ほんとの星空。「紡ぐ」万年筆」
価格:¥55,000(税込)
店名:文房具のお店 Pentonote
電話:024-573-1590(10:00~17:00 土日祝除く)
定休日:インターネットでのご注文は24時間365日受付
オンラインショップ:https://pentonotelife.com/

※紹介した商品・店舗情報はすべて、WEB掲載時の情報です。変更もしくは販売が終了していることもあります。

<Guest’s profile>
中野義久(株式会社文化堂 代表取締役)
1979年生まれ、福島県福島市出身。株式会社文化堂 代表取締役
県庁通商店街振興組合 理事長 株式会社建堂工業 代表取締役 趣味:ゴルフ・麻雀・筋トレ

サイトを覗いてみましたところ、万年筆以外にインクも「ほんとの星空。」ブランドで販売されていました。
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ワインといい、万年筆といい、なかなかシャレオツですね。こういったもののお好きな方、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

一昨二十四日の午後は此の部落のおつさんはじめ青年達の慰労会があり、数十人の饗宴が田頭さんといふ家に開かれ、小生も招待せられてさされる盃を皆うけてのみ、いささか酒の手並をあらはしました。


昭和21年(1946)6月26日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村に移り住んで初めての村民たちとの飲み会。欧米留学中や在京時の文壇画壇の仲間たちとのそれと異なる、単なる近所の人々との飲み会というのも、生涯初だったのではないかと思われます。





新潟県から市民講座の情報です。

二葉アーツスクール2023「めだかの学校 高村光太郎にとっての新潟」

期 日 : 2023年12月23日(土)
会 場 : ゆいぽーと(新潟市芸術創造村・国際青少年センター)
      新潟市中央区二葉町2丁目5932番地7
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

講 師 : 山浦健夫氏(美術史家)

「めだかの学校」は、ゆいぽーとの自主事業として2018年の開館年にスタートしました。施設の前身である旧二葉中学校の学び舎としての特性を活かし、広く市民に開かれた生涯学習の場として親しまれています。新潟の文化や歴史など独自なテーマ設定と多彩な講師陣が人気を集める連続講座です。

高村光太郎(1883~1956)は彫刻家であり詩人であった。特に詩集『智恵子抄』はあまりにも有名である。その智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたことは、知られていない。また、光太郎が実業家で文人の渡辺湖畔(1886~1960)の招きで佐渡にわたり作品をのこしたり(大正7年10月)、長岡へも父光雲の遺作展(昭和12年5月)や鯉の制作で何度も訪ねたことも知られていない。今年は高村光太郎の生誕140年にあたる。新潟県に関わるこれらのエピソードをあわせて紹介したい。
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全4回の講座で今回が最終回。これまでに光太郎と縁のあった彫刻家・武石弘三郎や東京美術学校で同級生だった藤田嗣治らについての講座が持たれていました。

そして光太郎。案内にある通り、光太郎、そして智恵子も何度か新潟に足を運んでいます。

智恵子が光太郎と結婚する前に現在の阿賀野市に滞在していたこと」は以下。
探検バクモン「男と女 愛の戦略」。
スキーと智恵子。
『文豪たちのラブレター』。
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渡辺湖畔(1886~1960)」についてはこちら。
新潟よりいただきもの。
『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』。
平塚市美術館「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」レポート。
碌山美術館夏季特別企画『生誕140周年高村光太郎展』。
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そして「長岡」関連。
長岡市駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年  駒形コレクションの原点」。
新潟長岡レポート 駒形十吉記念美術館「駒形十吉生誕120年 駒形コレクションの原点」他。
和歌山県立近代美術館 小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」/駒形十吉記念美術館「2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力」。
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002他にも智恵子の祖父・長沼次助が南蒲原郡田上町の出身で、杜氏として赴いた二本松に居着いて長沼酒造を興したことなども新潟との関わりですね。

平成23年(2011)、田上町郷土研究会さん発行の『郷土たがみ』第22号に掲載された松井郁子氏「高村智恵子と幕末の起業家長沼次助について」によれば、次助の血縁に連なる方々が田上町にご健在とのことです。ただ、さらに遡ればご先祖は元々は福島の須賀川の出だったそうですが。福島と新潟、現代も磐越道で繋がっていますが、昔は阿賀野川を使った水運などで交流が深かったようです。

こういった光太郎智恵子と新潟との関わり、確かに地元ではかえってあまり知られていないのでしょう。

これを機に新潟の皆さんに広く光太郎智恵子の世界に興味関心を抱いていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

まだ山の分教場に厄介になつてゐますが、いよいよ此の十七日から小屋に移住します。毎日通つて大工仕事をやつてゐます。道具類から造つて仕事を進めるので中々大変です。墨壺、錐、水平器などといふにびに皆自製です。机もつくり、お膳もつくり、重箱も戸棚も床の間も井桁も下水も雨戸も自分でつくります。


昭和20年(1945)11月16日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

いよいよ花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での7年間に及ぶ生活が始まります。

どちらかというと女性向け、新刊のムックです。

&Me-time  &Premium特別編集 私の好きな、ひとりの時間。

2023年12月5日 マガジンハウス編・刊 定価1,880円

「ひとりの時間」をどんなふうに過ごしていますか? 本を読んだり、音楽を聴いたり、気の向くままに散歩してみたり、どこかへふらりと旅に出てみたり。「ひとりの時間」は、楽しむことができる人にとっては、心地のいい贅沢な時間。心を鎮め、自分の内面とじっくり向き合うことは、自分が本当に大切にしたいものに気づくきっかけになるはずです。過ごし方、暮らし、旅、映画、音楽、本まで、「ひとりの時間」や「静かに過ごす時間」にまつわる記事を1冊にまとめました。
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目次
Making Me Time あの人の、ひとりの時間のつくり方、楽しみ方。
 佐竹彩 三國万里子 上白石萌歌 松下萌黄 岡本佳樹 山田みどり 服部あさ美
 宮田・ヴィクトリア・紗枝
Why Do We Need Me Time? なぜ、ひとりの時間は必要なのでしょうか?
 吉本ばなな
Movie ひとりの時間を豊かに感じる映画。
 高崎卓馬
Lifestyle ひとり、心地よく暮らす住まい。
 吉原ゴウ 桐野恵美 
Travel 私を変えた、ひとり旅。
 タカコ・ノエル 黒島結菜 吉田恵里香 宇賀なつみ チェルシー舞花 木本梨絵
 佐久間由衣
Workstyle ひとりだからできたこと。
 曽我貴彦 宮後優子 倉橋孝明
Miri Masuda 益田ミリの、ひとりの時間。
What were in Their Minds? あの人が、ひとりで考えたこと。
 ヘンリー・D・ソロー スーザン・ソンタグ 森茉莉 篠田桃紅 星野道夫
My Peaceful Time 私の、静かな時間の過ごし方。
 加山幹子 宮田・ヴィクトリア・紗枝 関田四季 大塚寧々 花楓 溝口実穂 高橋周也
 村田明子 山根佐枝 白石聖 山口恵史
Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。
 篠田桃紅 いわさきちひろ パブロ・ピカソ 熊谷守一 高村智恵子
Soothing Stories 心を鎮める読書案内。
 高山なおみ
Peaceful Home 静かな暮らし。
 高木由利子 山下りか 濱田敦司 藤井繭子
Sounds of the Nature 自然の音を聴く。
 泊昭雄 大森克己 在本彌生 野川かさね 藤田一浩
Soothing Tunes 週末を静かに過ごすための音楽。

同じマガジンハウスさんから発行されている雑誌『& Premium』の増刊的な位置づけのようです。「私の好きな、ひとりの時間」をテーマに、これまでの本誌に載った記事からピックアップして1冊にまとめたと思われます。書き下ろし的な部分もあるかもしれませんが。

智恵子が取り上げられている「Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。」は『& Premium』の第97号(令和3年=2021)に掲載されました。
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そちらをお読みになっていない方など、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨十八日は午前中挨拶まはり。午後小屋にゆきて火を焚いて一人障子張りにかかり、屋根に音を立てて落ちる栗をやいてたべました。静寂きはまりなく神気澄みて無上の歓喜をおぼえました。


昭和20年(1945)10月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

2日前、花巻郊外旧太田村に移住し、近くの(といっても1㌔弱離れていますが)分教場に寝泊まりしながら山小屋の造作にかかっていました。ちょうど光太郎の大好物だった栗の実の落ちる頃で、早速、囲炉裏の火で焼いて食べたとのこと。

当方も会員に名を連ねております「高村光太郎研究会」。年に1回、研究発表会を行っており、そこで発表した事柄などを各発表者が論文的な文章にまとめ、これも年1回発行されている機関誌『高村光太郎研究』に載せる、と、活動はこれだけなのですが、その研究発表会が下記の通り催されます。会員外の方も参加自由です。ちなみに組織としての研究会のHP等は存在しません。

第66回高村光太郎研究会

期 日 : 2023年11月25日(土)
会 場 : アカデミー茗台 東京都文京区春日2‐9‐5
時 間 : 13:30~17:00(終了後懇親会あり)
料 金 : 500円(懇親会費別)

研究発表
 「米原雲海と口村佶郎――新出“手”書簡の後景――」 前田恭二氏
 「西洋・東洋・時代を超えて 高村光太郎・智恵子が求めたもの」 北川光彦氏
 「智恵子、新たな横顔」 小山弘明

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発表者お一方め、前田恭二氏は武蔵野美術大学さんの教授です。発表題にある「新出“手”書簡」というのは、このブログで令和2年(2020)に4月にご紹介した、『高村光太郎全集』等に漏れていた、大正8年(1919)1月25日発行の雑誌『芸術公論』第3巻第1号に掲載の光太郎による「手紙」と題する散文と思われます。また、これも発表題中の「口村佶郎」はその「手紙」を送られた相手です。前田氏、当方の投稿を御覧下さったか、あるいは独自にこの文章に辿り着かれるかしたのでしょう。口村佶郎と、光太郎の父・光雲高弟の一人、米原雲海とのからみについて発表されるようで、これは聞き逃せません。

口村佶郎、『高村光太郎全集』にその名が見あたらないのですが、「龍皚」というペンネームを使っており、「口村龍皚」としては『高村光太郎全集』第21巻所収の山川丙三郎宛書簡二三九〇にその名が書かれていました。明治45年(1912)3月、精神学院発行の雑誌『心の友』第8巻第3号に口村の文章が掲載されており、目次では「佶郎」、本文は「龍皚」となっており、同一人物であることが判明しました。

お二人目の発表者は、当会顧問であらせられた北川太一先生のご子息・光彦氏。「西洋・東洋・時代を超えて 高村光太郎・智恵子が求めたもの」だそうで。

最後におまけで当方も。「智恵子、新たな横顔」と題しました。同じような題で、平成26年(2014)10月、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「第20回レモン忌」において講演をさせていただきました。その際には、平成2年(1990)、北川太一先生編集になる『アルバム高村智恵子――その愛と美の軌跡――』(二本松市教育委員会)刊行後に発見された智恵子資料(文筆、絵画、写真など)を紹介しました。今回はさらにその後の約10年で発見された新資料等をまとめてみました。

ただ、全てこのブログで少しずつご紹介してきた事柄ではありますので、下記リンクをお読みいただければ済んでしまうのですが(笑)。まぁ、一部は現物も持参します。
 明治35年(1902)智恵子高等女学校時代の写真
 明治40年(1907)智恵子が描いた? 絵葉書
 明治42年(1909)の智恵子を描いたカット
 明治44年(1911)『青鞜』表紙絵
 明治44年(1911)『西洋料理法』装幀
 大正元年(1912)『青鞜』同人 小磯俊子による智恵子評
 大正2年(1913)油絵「樟」モデルの木
 大正12年(1923)『女性日本人』へ寄稿
 大正12年(1923)『婦人之友』が取材
 大正末~昭和はじめ 智恵子愛用の毛布
 昭和3年(1928)『美術新論』に写真掲載

会員外の方も参加自由です。事前予約等も不要です。ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】000

御高配により西鉛温泉にまゐり、もつたいない程の病後静養にひたり居候 一週間ほど滞在完全に健康をとりもどしたき念願に有之日々目に見えて体力増進の確信を得申候 清六さんに案内せられて此の仙境に在る事東京の事態を思へば夢のやうに感ぜられ身の幸福を天地に感謝致し居候


昭和20年(1945)6月20日 
佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

5月16日に花巻の宮沢家に疎開し、翌日から結核性の肺炎でダウンした光太郎、予後を養うため、花巻南温泉峡の一番奥にあった西鉛温泉秀清館(宮沢賢治の母の実家が経営)で一週間の湯治をしました。当時としては珍しい四階建ての日本家屋で、建築設計も行っていた光太郎、その造作に感心しきりでした。残念ながらこの建物は現存しません。

今日10月5日は智恵子の命日「レモンの日」です。忌日として「レモン忌」という場合もあります。漢字で「檸檬忌」とすると梶井基次郎の忌日(3月24日)となりますのでご注意願います。

10月2日付の『しんぶん赤旗』さん。歌人の寺井奈緒美氏の連載で「レモン忌」としてご紹介下さいました。

くねくねTANKAロード 40 レモン哀歌 高村光太郎

007 古典音痴の私が歌碑や句碑を巡り、くねくね遠回りしながら歌のヒントを探すエッセー。10月5日は詩人・彫刻家の高村光太郎の妻・智恵子の忌日「レモン忌」。東京・品川のゼームス坂病院跡地にある「レモン哀歌」の碑を訪れた。
〈そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で〉
   *……*
冒頭だけでも美しく、完成された詩だ。光太郎は歌人でもあり『智恵子抄』にこんな歌がある。
〈光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき〉
 「此所」とは、千駄木にあった二人のアトリエのことだ。ちょうど詩人・室生犀星の散歩コースの途中にあったらしく、『我が愛する詩人の伝記』の中で「白いカーテンの時は西洋葵(あおい)の鉢が置かれて、花は往来のほうに向いていた。あきらかにその窓かざりは往来の人の眼を計算にいれた、ある矜(ほこり)と美しさを暗示したものである」と描写している。下宿住まいだった犀星としては、嫌でも目に入ってくるこの愛の巣を苦々しく思っていたようで、智恵子の印象についても、訪問者を瞬間に見破りバカにしているような「ツメタイ眼」だったと記していて、ひがみっぽい文章に笑ってしまう。
 しかし、犀星が嫉妬する気持ちもわかる。光太郎はニューヨーク、パリへの留学経験があり文芸誌『スバル』で活躍。智恵子も『青鞜』の表紙絵を手がけ、「あたらしい女」として注目された。長男ながら家を継がず子を持たず、智恵子の晩年まで入籍せず事実婚状態だったことも当時では珍しかったと思う。
   *……*
 先月最終回だったテレビドラマ「こっち向いてよ向井くん」を思い出す。自立していたい女性たちが抱く婚姻制度や性役割へのモヤモヤが描かれていて、目が離せなかった。光太郎と智恵子も人がうらやむような「あたらしい」関係に見えるが、因習にとらわれない「たぐいなき夢」を実現するには葛藤もあったようだ。ドラマの主人公・向井くんの「役割を生きない方がずっと難しくない?」というせりふが印象深い。
 翻訳の仕事や木彫小品でも稼げる光太郎に対し、いくら頑張っても経済的に自立した画家の役割を得られない智恵子は、精神を病んでいった。 
 光太郎の「牛」という詩がある。
〈牛はただ為(し)たい事をする/自然に為たくなる事をする/牛は判断をしない/けれども牛は正直だ〉
 人の関係性に完成はない。不格好でも、モヤモヤに正直に牛歩のごとく進んでいきたい。
・唐揚げのレモン係と「そろそろ」と切り出す役はあなたでしたね 奈緒美


きれいにまとめて下さいました。多謝。

智恵子の故郷・福島二本松では、かつて存在した顕彰団体「智恵子の里レモン会」さん主催で「レモン忌」の集いが行われていましたが、会の解散で消滅。代わりに、というわけではありませんが、二本松市として今年から「レモン祭」と称し、智恵子生家・智恵子記念館でさまざまなコンテンツを用意しています。そのうち、生家のライトアップに関して予告記事が出ています。地元紙『福島民友』さん。

智恵子の生家、夜に浮かぶ 10月5日の命日にライトアップ

009 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館で「蘇る智恵子~生家のライトアップ~」と題した初のイベントが行われる。ライトアップ時は生家を無料開放する。時間は午後5時~同8時。
 「高村智恵子レモン祭」(5日~11月19日)の一環として同館が実施する。当日は生家に智恵子のシルエットを浮かび上がらせるほか、生家内や庭園で竹灯(あか)りや和紙ランプシェードによる演出を行う。
 同レモン祭期間中は、通常は非公開の智恵子の生家2階の特別公開(7日~11月5日の土、日曜日、祝日)や奇跡といわれる智恵子作の実物紙絵の展示(5~17日)、「みんなで作るシンメトリー展・作製編」(5日~11月19日)を行う。
 智恵子の生家・記念館の入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

今日、それから11月6日(月)~19日(日)に行われるライトアップでは智恵子のシルエットを浮かび上がらせるそうで、その画像がどうしてもう出ているのか不思議なのですが、試しにやってみた際のものなのかもしれません。一般社団法人にほんまつDMOさんのSNSにも上がっていました。
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というわけで、本日のレモンの日(レモン忌)、それぞれの場所で智恵子に思いを馳せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

書かない方がよかったやうな原稿をかいてしまつて何だかさびしい感じがします、あの日婦人公論にみな渡しました、


昭和15年(1940)11月5日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎58歳

原稿」は翌月の『婦人公論』に載った随筆「彼女の半生-亡き妻の思ひ出」。翌年には「智恵子の半生」と改題、詩集『智恵子抄』に収められます。

30枚程のものですが、取りかかってから稿了までかなりかかりました。智恵子との日々を文章にまとめてしまうことに少なからず抵抗があったようです。そう思って読むからかも知れませんが、普段の光太郎の文章の持つ理路整然とした感じはなく、思いつくままに後から後から書き足していった感が感じられます。そして行間から嗚咽が聞こえてきそうです。

「青空文庫」さんで全文が読めます。ぜひどうぞ。

智恵子の故郷・福島二本松。智恵子生家/智恵子記念館さんでは、智恵子忌日の今月5日(木)から「高村智恵子レモン祭」ということで、さまざなまコンテンツが用意されていますが、それ以外の件を。

まず、『読売新聞』さん福島版から。

レモンサワーの素人気 二本松「奥の松酒造」 1か月半で3500本達成

 二本松市の「奥の松酒造」が7月に売り出した「二本松のレモンサワーの 素もと  すっかいがな」が、印象的な名前と爽快な酸味で人気を呼んでいる。発売7か月で3500本を売る目標を、1か月半で達成した。市の補助金を活用して開発した新商品で、21日に市役所で報告会が開かれた。
   「すっかいがな」は、地元の方言で「すっぱいもの」を意味する。濃縮レモン果汁や同社のかすとり焼酎が原料で、アルコール度数は25%。炭酸水と1対3の割合で割って飲むのがおすすめという。
 50万円を上限に事業費の3分の2を支援する市新事業チャレンジ補助金を活用し、同社がにほんまつ観光協会と協力して開発に取り組んだ。レモンサワーにしたのは、詩人・高村光太郎が同市出身の妻・智恵子を詠んだ詩「レモン哀歌」にもちなんでいる。
 この日、市役所を訪れた奥の松酒造の遊佐丈治社長は「猛暑も売り上げ好調の追い風となった」と喜び、三保恵一市長は「ふるさと納税の返礼品にすることも検討する」と応じた。
 市内の「道の駅『安達』智恵子の里」など、県内各地で販売中。500ミリ・リットル入りの瓶で、希望小売価格は税込み1430円。
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奥の松酒造さんの「すっかいがな」、発売当初に「ほう、こんなの出たんだ」と気づいてはいましたが、「レモン哀歌」がらみとは明言されていませんでした。「何だ、やっぱりそうだったんかい」という感じです。

続いて地元紙『福島民報』さん。智恵子生家/智恵子記念館さん最寄り駅のJR東北本線安達駅関係です。

30日から「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」

 「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」は30日、福島県二本松市のJR安達駅東西自由通路西口1階コンコースで始まる。1917(大正6)年の開業から2016(平成28)に新駅舎に引き継がれるまでの歴史を写真などで振り返る。
 あだち観光協会の主催。和紙産業と駅誘致の経緯に始まり、駅の発展、出征、無人化反対運動と大規模な町民旅行などの写真パネル約30点を展示。観光協会が保管している旧駅舎の切符売り場、当時使われていた用品などもある。
 29日に内覧会を開いた。加藤和信協会長が「安達駅は地域の大きな核であり、ますますにぎやかになっていくよう努める」とあいさつした。地元関係者が「懐かしい」などと熱心に見入った。同展は観覧無料で10月29日まで。10月9日午後1時30分から会場でトランペットとピアノの「ほんとの空」コンサートを催す。
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「いにしえの安達駅 旧駅舎98年の歩み展」および「ほんとの空コンサート」についてはこちら
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「ほんとの空コンサート」、トランペッターのNoby氏、もう10年前になりますが、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているモンデンモモさんのコンサート等でご一緒しました。ピアノは一昨年に設置された駅ピアノを使うようです。

「芸術の秋」となり、紹介すべき事項が溜まりつつあるので、もう1件。二本松市の『広報にほんまつ』今月号から。

智恵子講座2023 「智恵子抄」全作品を熟読するパート2~その背景と意味を読み解く~

美と愛に生涯を捧げた高村光太郎と智恵子。2人の波乱万丈の生涯を赤裸々に表現した「智恵子抄」。その核心に肉迫します。

会 場 市民交流センター  
講 師 智恵子のまち夢くらぶ代表 熊谷健一 氏
定 員 20人
参加料 3,000円(全3回分、テキスト代含む)
申込方法 下記までお申し込みください。
◎問い合わせ・申し込み…智恵子のまち夢くらぶ事務局☎(23)6743(受付:9:00~18:00)
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「智恵子講座」。以前は外部から講師を招いてということで、当方も何度か務めさせていただきました。このところ、主催の智恵子のまち夢くらぶさん熊谷代表が講師となって開催されています。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今月十日に父の七回忌、智恵子の三回忌を一しよに法要しました。五日には小生だけお墓まゐりしました。智恵子の事を友達はよくおぼえてゐてくれました。

昭和15年(1940)10月30日 長沼セン宛書簡より 光太郎58歳

千葉九十九里浜在住だった智恵子実母宛です。

10月5日(木)が智恵子の命日「レモンの日」ということで、その故郷、福島県二本松市での顕彰事業もろもろが、今年から「レモン祭」と名付けられました。新しい取り組みも含まれています。

高村智恵子レモン祭

期 日 : 2023年10月5日(木)~11月19日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井漆原町35
休 館 : 水曜日(祝日の場合は翌日)
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円
      子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

■みんなで作るシンメトリー展 ~作製編~
 智恵子も数多く生んだシンメトリー作品を、オリジナルで作成できます。
 作成いただいた方には、粗品(今季限定)をプレゼントいたします。
 皆様の作品は、ひとつの作品に仕上げ、次回自主事業開催時に展示いたします。
 実施期間 10月5日(木)~11月19日(日)

■蘇る智恵子 ~生家のライトアップ~
 智恵子の命日に生家がライトアップされます。
 ライトアップを堪能するとともに、智恵子への哀悼の意を表しませんか?
 実施期間 10月5日(木) 午後5時~午後8時 11月6日(月)~19日(日) 開館時間内

■智恵子の生家 2階公開
 公開日
 10月7日(土)~9日(月)、14日(土)~15日(日)、21日(土)~22日(日)、28日~29日(日)
 11月3日(金)~5日(日)

■奇跡といわれる「紙絵」の実物展示
 展示期間 10月5日(木)~17日(火)
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例年行われている智恵子居室を含む生家二階部分の公開、智恵子紙絵の実物展示に加え、新たな取り組みとして、生家のライトアップ、シンメトリー紙絵の制作体験が盛り込まれました。

心を病んで入院していた智恵子によって南品川ゼームス坂病院で作られたシンメトリーの紙絵はこんな感じです。
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光太郎の回想が残っています。

模様の類は紙を四つ折又は八つ折にして置いて切りぬいてから紙をひらくと其処にシムメトリイが出来るわけである。さういふ模様に中々おもしろいのがある。はじめは一枚の紙で一枚を作る単色のものであつたが、後にはだんだん色調の配合、色量の均衡、布置の比例等に微妙な神経がはたらいて来て紙は一個のカムバスとなつた。十二単衣に於ける色襲ねの美を見るやうに、一枚の切抜きを又一枚の別のいろ紙の上に貼はりつけ、その色の調和や対照に妙味尽きないものが出来るやうになつた。或は同色を襲ねたり、或は近似の色で構成したり、或は鋏で線だけ切つて切りぬかずに置いたり、いろいろの技巧をこらした。此の切りぬかずに置いて、其を別の紙の上に貼つたのは、下の紙の色がちらちらと上の紙の線の間に見えて不可言の美を作る。(「智恵子の切抜絵」昭和14年=1939)

下の紙の色がちらちらと上の紙の線の間に見え」るという「切りぬかずに置いて、其を別の紙の上に貼つたの」は、たとえばこれ。
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智恵子の並々ならぬ造型感覚が見て取れますね。

こうしたシンメトリーの紙絵(もうちょっとシンプルなものだったとは思いますが)、智恵子が心を病む前から手がけていたという証言が残っています。光太郎智恵子と親しかった詩人の尾崎喜八の回想から。

智恵子さんは後の紙絵の大家で、立派な工芸家だと思いますがとっても折り紙がお上手だったんです。我々が作る幼稚な折鶴とか云ったものでなく、とってもすばらしいもので、それをもうすでにいわゆる、そのシンメトリカルに紙をたたんでシンメトリカルに切ると、あるきそくに立派な模様ができる。ああいうものをすでにやっていらした。それを三つになる女の子のために作って下さった。オバチャマに頂いた、とそれをもって帰って来た事があります。(「尾崎喜八氏聞き書き―智恵子三十年忌―」  請川利夫著『高村光太郎論』昭和44年=1969所収)

三つになる女の子」は、尾崎の長女・榮子さん。平成28年(2016)までご健在で、当方も智恵子の思い出を聴かせていただいたことがあります。大正14年(1925)のお生まれでしたので、「三つ」ということは、数えなら昭和2年(1927)、満なら同3年(1928)、いずれにしてもまだ智恵子の心の病が誰の目にも顕在化する以前です。

それにしても、ゼームス坂病院で作られた智恵子のシンメトリーの紙絵、まさに光太郎の云う通り「紙は一個のカムバスとなつた」状態ですね。複数のシンメトリー作品を組み合わせたものなど、まさにこの紙絵が奇跡と云われる所以の一つでしょう。

残念ながら智恵子を偲ぶレモン忌の集いは、主催されていた智恵子の里レモン会さんが解散してしまったため無くなりましたが、当方も期間中に一度足を運ぼうと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

先年智恵子が造つて置いてくれた梅酒をのみました、感慨無量です、彼女はまだ生きてゐます、


昭和15年(1940)3月29日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎58歳

『智恵子抄』所収の詩「梅酒」の光景です。光太郎手控えの草稿に依れば、この書簡の2日後に書かれています。

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 死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
 十年の重みにどんより澱んで光を葆み、
 いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。
 ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
 これをあがつてくださいと、
 おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
 おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
 もうぢき駄目になると思ふ悲に
 智恵子は身のまはりの始末をした。
 七年の狂気は死んで終つた。
 厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
 わたしはしづかにしづかに味はふ。
 狂瀾怒濤の世界の叫も
 この一瞬を犯しがたい。
 あはれな一個の生命を正視する時、
 世界はただこれを遠巻にする。
 夜風も絶えた。

今日、9月1日は大正12年(1923)に起こった関東大震災からちょうど100年。

『朝日新聞』さんでは、「(関東大震災100年)帝都被災、おののく文豪たち」と題し、光太郎の名はありませんでしたが、光太郎と交流のあった与謝野晶子、室生犀星、芥川龍之介らの文章等を紹介していました。それぞれ震災時の様子が生々しく記されたもので、貴重な証言記録です。
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光太郎が震災時の様子を書いたレポート類は確認出来ていません。しかし、直後には智恵子ともども震災に触れた提言を発表しています。

光太郎のものは、11月に雑誌『女性』第4巻第5号に載ったアンケート回答「アメリカ趣味の流入を防げ――帝都復興に対する民間からの要求――」、同月『報知新聞』に連載された散文「美の立場から」(『中央建築』第2巻第5号 大正13年=1924に転載)がありました。いずれも留学中には都市計画にも多大な興味を持ち、自身で建築設計も行った光太郎ならではのものです。こちらをご覧下さい。

心を病む前の智恵子の提言も、2篇確認出来ています。

まず、やはり11月の雑誌『女性』に光太郎のそれと共に載ったアンケート回答「建設の根源は此処に在り――帝都復興に対する民間からの要求――」。

 期間を画して、一都市が思ひきり一掃されるとすれば、この激震の予想を、考量のすべてに入れる事はむしろ、当然すぎる事とおもふ。
 首都のあらゆるものが、僅か一世紀にも満たず煙りと消え、陰惨な墓場と化するやうなミゼラブルに、今後われわれは堪へようとするのか。国が歴史を持つやうに、都市の姿にも代々の人々の、堅実な精神と叡智との堆積が聳え輝くやう、そして世紀より世紀へ、累畳(るいでう)されなければ、われわれは文明に恥づべきである。
 ゴシツクやルネサンスが、永遠への、偉大な精神的観念に裏づけられる事なくして、あの優美と崇高の生ける姿を現はし得たであらうか。たとへサンマルコやサンピイトロの寺院また数々のフランスの本寺などが、われらの都に花さく夢想はしなくとも、せめてこの都をして永久に生かしめる確信によつて、すべての火は内に燃ゆべきであらう。少くともわれわれの全生命を傾けた、はるかな時代への忠実な寄与として、来るべきものを鼓舞し高め、更によき生命の胚胎の園生(そのふ)とするだけの覚悟がなくては。この考へが人々のこころに潜力となり地盤となつて、芽生えをもつ。
 眼をあげて高きものへの、趣味と憧憬(どうけい)とその不撓の力とをもつて、石をとれ、岩石を彫刻せよ。剛堅にしてしかも温かい生命を蔵する石材によつて、焼け失せ蝕まぬわが首都の衣裳となさしめよ。そして山嶽の威風と優美と、森林の荘厳と軽快と、大洋の自由と勢力とを理想せよ。
 如何に経済と機械と能率との問題に尽きてゐる事務的な、会社、商会、諸官省にしても、あの無味乾燥な、人をして重苦しい憂鬱の虜(とりこ)とするやうな洋風建築が、どこ迄もどこ迄も拡がつてゆく安価な木造家屋。失はれたわれらの東京の建築に、不朽のものとして真に哀惜に堪へないものが、幾何(いくら)そこにあつたであらう。恵まれない優越国の都であつた。
 今日創造される都市として、必然的な基本設備である上下水道、公園、街路、運河、筑港、交通機関、種々の区画、配置、防備其の他の設計については、もとより間然されないであらう。ただけちな制限を費用をおかずに遠大を期されたい。
 すべてを破滅し尽した今、われわれの偉大な理想へのよき機会を逸してはならない。建築に対する新らしい道程は開かれてゐる。急がずあせらず、自然界の生長の如く、微細に入念にそして大胆に、生命の奥底に仕事を育たしめよ。


アンケート回答と言いつつ、かなりの長文です。震災発生時、智恵子は福島の実家に帰省中で、その後も東京は大変な状況だったこともあり、しばらく帰って来ませんでした。そこで、この文章、光太郎の代筆ではとも思ったのですが、読点の打ち方など、明らかに光太郎のそれとは異なります。建築についての提言内容などが光太郎の考えともかぶっているのは、光太郎の影響と思われますが。

もう一篇、おなじく11月の雑誌『婦人之友』に載ったアンケート回答「暴力は臆病の変形――甘粕事件に関する感想――」。

 おはがき延着のためたぶんもう遅れた事と存じますし、また感想をのべるとしては事件の結審までみてからのことです。尤もその刑法上の処罰の如何等のことはさして私の注意をひいてゐる問題ではありません。ただ殺人に関する同胞の心理上のある一点に、大きな疑問をもつてゐるからです。
 もとより、かかる事件の忌はしい事は、法律にもとるからばかりでありますまい。また動機の如何もつまりは打算の問題です。われわれが死せるものに生命を与へ得ない限り、これに手を触れる事はゆるされない。他人の生命に手をかけるなんて、何といふ醜悪な考でせう。暴力こそ臆病の変形です。
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言わずもがなですが、震災直後のドサクサに紛れ、憲兵大尉・甘粕正彦が、無政府主義者・大杉栄とその妻・伊藤野枝、そして甥っ子の橘宗一少年を惨殺した事件に関わります。野枝は智恵子とほぼ入れ違いに『青鞜』メンバーとなりましたし、光太郎は大杉等の活動に理解を示し、シンパに近い立ち位置でした。

ちなみに、ちなみに甘粕の妻・ミネは智恵子と同郷。それだけでなくミネの叔母・服部マスは智恵子の先輩にして恩師でしたが、智恵子がそれを知っていたかどうか……。

昨年ドラマ化もされた村山由佳氏の小説『風よ あらしよ』などの影響で、もう少し大杉・野枝夫妻らの殺害について各種メディアで紹介されるかと思っていましたが、そうでもありません。いわゆる朝鮮人虐殺や「福田村事件」などについてはそれなりに取り上げられていますが(どこかの知事は相変わらずだんまりを決め込むようですけれど)。

100年経っても、防災に対する意識、大災害後の心構え等、学ぶべき点はたくさんありますね。

【折々のことば・光太郎】

智恵子入院後やはり同じ容態のやうです、十日毎に病院へ会計に参りますが家族の者は面会せぬ方がよいといふのでもう二十日以上もあひません。


昭和10年(1935)3月22日 齋藤セツ宛書簡より 光太郎53歳

セツは智恵子実妹。前年、九十九里浜で半年あまり智恵子を引き取ってくれていました。九十九里へは毎週のように見舞いに行っていた光太郎ですが、この書簡にあるように「家族の者は面会せぬ方がよい」と言われ(それを免罪符にしてしまっていたような気もしますが)、ゼームス坂病院へは会計に行くだけのことが多かったのは事実です。

当時としては最先端の精神科医療をうたっていた同院、その入院費用には前年に亡くなった光太郎の父・光雲の遺産が役立ちました。

紹介すべき事項が多すぎて、もう始まってしまっていますが、智恵子の故郷・福島二本松からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/29(土)開幕! インスタ映えメニューが多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2023年7月29日(土)~9月18日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。
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 今年で12年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションが光り輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、昨年好評だった「夏の大三角形」「カシオペア座」などに加え、「てんびん座」「さそり座」「いて座」といった夏の星座が新たに加わりスケールアップした星座のイルミネーションです。そのほか、「ADATARA LOVE」をテーマにした「ハートのオブジェ」や「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。

また、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 さらに、食堂「富士急レストハウス」では夏ならではのメニューが多数登場いたします。昼には、暑い日にぴったりのピリッと辛い「冷やし担々麺」や、かき氷がたっぷりのった「かき氷そば」、雪のようなふわふわ食感のあだたらスノーアイス」など、ひんやり冷たいメニューが充実。また、おやつにおすすめなのが「岳」の文字型をした「岳チュロス」。その新シリーズとして、今夏「空チュロス」が登場いたします。夜には、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながらスイーツを味わえます。

 この夏は、標高1,700mと夏でも涼しく、日本百名山の一つに数えられる安達太良山の絶景と幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

「あだたらイルミネーション」概要
 ・開催期間 2023年7月29日(土)~9月18日(月祝)  
  ※8月28日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
 ・営業時間 19:00~21:00  
  ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
 ・料金  入場料:中学生以上700円、小学生以下500円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,500円、小学生以下1,000円
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■LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】
 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。

・開催日 8月12日(土)、15日(火)、19日(土)、26日(土)、9月2日(土)、
     9日(土)、16日(土)、17日(日)
・時間 18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金 4,000円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法 各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定
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■夏の爽やかメニューが多数登場!
 富士急レストハウスでは、暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。ピリッと辛い「冷やし担々麺」や、かき氷がたっぷりのった「かき氷そば」、雪のようなふわふわ食感の「あだたらスノーアイス」、「あだたらかき氷ソフト」、「あだたらソーダ」もご賞味いただけます。
 さらに、今春に販売開始した人気の文字型チュロス「岳チュロス」に、新たに「空チュロス」も仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!
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■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。

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個人的には「空チュロス」が非常に気になります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ちゑ子は追々よろしくなりましたが此頃お目にかかりたいやうに申して居ります。まだ頭が疲れて居る様子で外出が出来ませんので母上に勝手ながら一二泊のおつもりでおいで願へれば幸に存じます、


昭和8年(1933)5月11日 長沼セン宛書簡より 光太郎51歳

前年の睡眠薬アダリン大量摂取による自殺未遂から身体的には恢復し、心の病の方も小康状態でした。智恵子の実家、二本松の長沼酒造は既に破産、一家はちりぢりになっており、母のセンはこの頃、世田谷に逼塞していました。「ほんとの空」を見ることが叶わなくなったのが、心の病の大きな要因の一つだったと思われます。

昨日のこのブログ、国会図書館さんで調べた『婦人之友』の記事について触れましたので、ついでにそのあたりをもう少し。

先月の調査の際に見つけたのですが、同誌の第18巻第7号(大正13年=1924 7月)の記事です。タイトルが「変つた形のエプロン二種」。「恵美子」という署名で書かれており、同誌の記者が執筆したもののようですが、「二種」のうちの一つが、なんと智恵子デザイン、製作のエプロンです。

 高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。何だかわからない厚地の渋い茶色に印度更紗を取り合せてある、めづらしい形ちのものでした。早速拝借して来たのがこの写真のものです。
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 布地(きれぢ)はお酒をしぼる時に使つた袋なのです。色も厚さも丁度ズツクのやうで、これに古代更紗でふちが取つてあるのです。エプロンの中央には随分大きなポケツトがついて居ります。このポケツトは大変役にたつので、お炊事の時に一寸ふきんをはさんでおいたり、お仕事の時は、鋏や絲など失(なく)しやすいものを入れておいたりすることが出来ます。而もその形が如何にも大まかなので、よく全体の調和を保つてゐるのです。
 何でも有り合せの布(きれ)を利用して、うまく配合させると、中々面白いものになります。夫人がもう一つ見せて下すつたのは形は同じで、キヤラコの地に、水色の四角な輪を散つてゐる麻布(あさぎれ)を取り合せてありました。大変すゞしさうに見えました。雑ぱくな仕事着よりずつと趣味が豊かで上品なかんじがいたします。一寸したお客様の時なら着たまゝで出てもさしつかへはないでせう。
 作り方は左の図をごらんになればすぐわかります。これは頸(くび)にかける紐が輪になつてゐますが、髪が崩れる恐れがありますから、紐の中央を裁(き)つてホツク止めにするか、紐の一方の端だけはなしておいてこれにスナツプをつけ、胸の三角形の所にとめ合せるやうに工夫したらよいでせう。着物の場合、袂(たもと)は左右についてゐるひもでしつかり結ぶと大丈夫となります。
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 赤ちやんのあるお母様にまたこのエプロンは大変便利ではありませんか。哺乳の度(たび)に、いちいち取り外さなくてもよいのですから。
 全体の巾(はば)や長さは着る方の身体によつて適当にして頂きます。たゞ御参考までに大体の出来上り寸法をかき入れてみました。


原文は総ルビですが、分かりにくいと思われるもの以外は外しました。あきらかな誤字は正してあります。

何だか現代でも売っていそうなデザインですね。大正末といえば、まだ婦人は和装が中心だったのではないかと思われ、家事の際にはエプロンより割烹着的なものが多かったのではないでしょうか。その時代にこのエプロン、斬新だったかもしれません。

素材が「お酒をしぼる時に使つた袋」ということで、智恵子は福島の実家・長沼酒造から持ち帰ったのではないでしょうか。となると、麻や絹ではなく、コットンでしょう。もう一つの同型のものはキャラコと書かれていて、これも綿布の一種ですね。

ところで、型紙の図。単位が記されていませんが、尺貫法で書かれているようです。たて「247」は247㌢=2㍍47㌢では長すぎますね(笑)。といって、247㍉=24.7㌢では赤ちゃんのよだれかけです(笑)。「247」は2尺4寸5分=約74.2㌢でしょう。そこで、全て㍉に換算してみました。
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紐の長さは書いてありませんが、適当に、ということでしょう。まぁ、体型によっても変わるでしょうし(笑)。

それにしても、写真は智恵子が使っていたものを借りてきて撮影したそうで、「おお」という感じでした。これを装着した状態の智恵子の写真が載っていれば、なおよかったのですが……。

ところで、エプロンというと家事のイメージ。「智恵子」「家事」といえば、1ヶ月位前でしょうか、有名なフェミニズム系のセンセイ(昔よくテレビでジェンダー論を吠えていた女性の方です)が「光太郎は炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」的な発言をなさっていました(そのセンセイ、昔から「智恵子抄」を眼の敵にされているのですが)。しかし、「ちょっと待てよ」です。

たしかに光太郎の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)には、次の一節があります。

彼女も私も同じ様な造型美術家なので、時間の使用について中々むつかしいやりくりが必要であつた。互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓してしまふ。さういふ日々もかなり重なり、結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず、おまけに私が昼間彫刻の仕事をすれば、夜は食事の暇も惜しく原稿を書くといふやうな事が多くなるにつれて、ますます彼女の絵画勉強の時間が食はれる事になるのであつた。

しかし、同じ文章には

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。

とあり、「炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」とは言えますまい。

また、本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居近所の住民の目撃証言で、光太郎が買い物カゴを下げて歩いているのはよく見かけたが、智恵子の買い物姿は見たことがない、といったものもあります。「やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず」と云いつつも、かなり分担は為されていたのではないかと思われ、やはり「炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」は言い過ぎのような気がします。

ま、この辺りを論じ始めるときりがありませんし、いずれにしても当人達にしか分からない、いわば真相は「闇の中」なのですが……。

さて、「智恵子のエプロン」。型紙を御参考に、この方面で腕に覚えのある方、ぜひ作ってみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

東京はあのやうな始末故ちゑさんも今暫くそちらにて静養の方よろしきかと存候間何分御願申上候

大正12年(1923)10月6日 長沼セン宛書簡より 光太郎41歳

東京はあのやうな始末」は、この年9月1日の関東大震災に関わります。光太郎アトリエ兼住居は無事でしたが。智恵子は震災当日も実家に帰っていまして、もう少しそちらに置いてくれという依頼です。

一昨日は智恵子の故郷、福島二本松に聳え、「智恵子抄」にも謳われている安達太良山の山開きでした。報道をご紹介します。

まずFTV福島テレビさんのローカルニュース。

「いい思い出に」日本百名山・安達太良山で4年ぶり山開き 約4000人が登山を楽しむ

 日本百名山の一つの安達太良山は、毎年5月の第3日曜日に山開きをしている。山開きをした21日は、約4000人の登山客が訪れた。山頂では関係者が、山の事故が無いように今シーズンの安全を祈願した。
 通常どおりに山開きが開かれたのは4年ぶりで、登山客は山頂からの美しい眺望を楽しんでいた。登山客は「とても良い登山でした。孫たちも途中疲れたって言っていたんですけど、最後まで頂上まで登れて楽しかったみたいです。良い思い出になりました」と話した。
 福島県警察本部によると、2023年に入り県内では19件の山岳遭難が発生していて、入山する際には登山届の提出や十分な食料や水分などを備えるよう注意を呼びかけている。
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同じくTUFテレビユー福島さん。

安達太良山で4年ぶり山開き 観光大使なすびさんも参加

 本格的な夏山シーズンがやってきます。21日、福島県の安達太良山で山開きが行われ、大勢の登山客が山頂を目指しました。
  岳温泉観光協会・二瓶明子会長「多くの方々が安達太良山を目的に遠いところから来ているので、コロナの事は気にせずに思う存分安達太良山を楽しんでもらえるのかなと思う」
 今年は4年ぶりに通常の山開きとなった安達太良山。登山のスタートとなる「あだたら高原スキー場」のロープウェイ乗り場には、朝から多くの登山客が訪れました。
 21日の福島県内は晴れて登山日和となり、登山客は、残雪や安達太良山の自然を楽しみながらそれぞれのペースで山頂を目指していました。
 山頂では、先着順に山開きを記念したペナントが配られたほか、県内出身のタレントで、安達太良山の観光大使のなすびさんも登山に参加し、山頂を訪れた登山客と写真を撮るなどして交流しました。
 登山客「すごい天気も良くて気持ちよく登れた」
 登山客の子ども「(登るのが)辛いけど、高さがそんなに無かったからこれは楽だった」
 23日は尾瀬で、5月28日には磐梯山で山開きが行われることになっていて、福島県内はこれから本格的な夏山登山シーズンを迎えます。
 岳温泉観光協会・二瓶明子会長「安心安全に登れる山ではありますが、事故も時々起こるので、安全に次の目的地にたどり着くまで気を緩めることなく安達太良山を楽しんでもらいたい」
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続いて新聞系。まずは『福島民友』さん。

爽やかな薫風...4000人が山頂目指す 安達太良山で山開き

 福島県二本松市などにまたがる日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の山開きが21日、同山頂付近で行われ、約4000人の登山者が爽やかな薫風を受けながら山頂を目指した。山頂では安全祈願祭に加え、記念ペナントの配布や「ミズあだたらコンテスト」など山頂行事全てが4年ぶりに通常開催された。
 登山者は山頂に達すると「やったー」と叫び、壮大な眺めを写真に収めるなどした。東京都内から家族で訪れた根本結衣さん(10)は「岩登りが楽しかった。まだ疲れていない」と余裕の表情を浮かべた。親戚と登頂した田村市の会社員大河原循子さん(58)は「登山者同士であいさつして、気持ちよく登れた」と笑顔で話した。
 安全祈願祭には観光関係者や登山者に加え、安達太良山観光大使でタレントのなすびさん(福島市出身)も出席し、無事故を願った。
 ミズあだたらコンテストには49人が参加し、登山に適した格好かどうかを競った。2度目のミズに輝いた桑折町の公務員平野恵梨華さん(30)は「選ばれてびっくり」と話し、準ミズの本宮市の中村嶺那さん(9)=岩根小4年=は「安達太良山は校歌にも登場する好きな山」と喜んだ。
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『福島民報』さん。

日本百名山の安達太良山で新緑満喫 4年ぶりに通常規模の山開き 福島県内外から4000人

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)は21日、山開きした。福島県内外からの登山者約4千人が新緑を満喫し、山頂付近の残雪を踏みしめながら山頂を目指した。山頂付近での記念ペナント配布とミズあだたらコンテストが復活し、4年ぶりの通常開催となった。
 山頂で神事を執り行い、安達太良連盟会長の三保恵一二本松市長らが登山者の安全を祈願した。先着3千人に記念ペナントを配布した。奥岳登山口では限定50個の缶バッジを販売した。
 山頂に着いた登山者は仲間と記念撮影をするなどして雄大な景色を満喫していた。福島市出身のタレントで安達太良山観光大使のなすびさんも大使として初めて山開きに参加した。
 安達太良山の中腹にある山小屋「くろがね小屋」が建て替えのため休業していることを受け、岳温泉の安達太良自然センターは、くろがね小屋前に試験的に1日限定で携帯トイレを設けた。
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さらに仙台に本社を置く『河北新報』さんも。

青空広く、山頂で達成感 安達太良山で山開き

 日本百名山の一つとして知られ、二本松市などにまたがる安達太良山(1700メートル)で21日、山開きがあった。晴天に恵まれ、県内外の登山愛好家らでにぎわった。
 登山者はロープウエーで山頂駅に向かい、汗を拭いながら約1時間半かけて尾根などを歩いた。周囲から突き出ていることから「乳首(ちちくび)山」とも呼ばれる山頂に着くと、美しい風景を写真に収めた。
 山頂付近では先着3000人に記念ペナントが配布され、安全祈願祭が開かれた。登山に適した格好を審査基準とするコンテストもあった。新型コロナウイルス禍の影響で中止や規模縮小していた山頂イベントの通常開催は2019年以来、4年ぶりとなった。
 姉2人と山頂からの眺望を楽しんだ仙台市宮城野区の会社員大内みな子さん(68)は「遠くに磐梯山がうっすらと見えて良かった。疲れもあるが、達成感が上回る」と満足そうに話した。
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最後に、二本松市長・三保恵一氏のツイート。「智恵子抄」「ほんとの空」の語を使って下さっています。ありがとうございました。
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当方も登ったコロナ禍前の令和元年(2019)には約9,000人の人出でしたが、この日は約4,000人だそうで、半減してしまいましたが、来年以降またじわじわと増え続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

暖炉には薪が音を立てゝ燃えてゐます 外はまつくらですが クリスマスにふさはしい霙がふつてゐます やがて雪になるでせう 明日の朝世界が真白な景色につゝまれてゐるかも知れないと思ふと子供のやうなうれしさを感じます 私は雪が犬の子のやうに好きですから 雪がつもるとすぐ外へ出て歩き廻ります

大正7年(1918)12月25日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

30年近く後、花巻郊外旧太田村で1年の3分の1は雪に包まれる生活を送ることになろうとは、この時点ではまったく考えていなかったでしょう。

昨日は智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

智恵子生家/智恵子記念館さんを会場に、市の主催として昨日まで「高村智恵子生誕祭」が約1ヶ月間開催されており、さらに昨日は地元の智恵子顕彰団体・智恵子のまち夢くらぶさん主催による「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」も行われるということで、参上した次第です。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って、片道3時間ちょっと。9時過ぎに到着しました。
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光太郎令甥の故・髙村規氏揮毫の「智恵子純愛通り」碑前で、「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」開会式。智恵子生家/智恵子記念館とさらに周辺の智恵子ゆかりの場所等を巡り、さらに光太郎詩碑の前で参加者が朗読をする、という内容です。似たような内容では以前も行われていましたが、今年から「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」と名付けたとのこと。参加者十数名でした。
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さっそく、碑のすぐ近くの智恵子生家、智恵子記念館へ。
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平常は非公開にしている生家二階部分の公開、昨日が最終日でした(また秋には実施されるはずですが)。
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何度も訪れているので、「また来ましたよ」と胸の内で智恵子の御霊にごあいさつ。
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一階部分では、これも昨日最終日だった「上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験」コーナー。
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道の駅「安達」智恵子の里内の二本松和紙伝承館さんの方がインストラクターで、和紙を切り貼りしてうちわを作れるそうで。こちらのうちわ一本、お土産に戴いてしまいました。

その後、車両3台に分乗して、附近のゆかりの場所巡り。

智恵子の母校、油井小学校さん。
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樹木のうち何本かは智恵子在学中(明治26年=1893~明治34年=1901)当時からあったそうで。

ちなみに以前に見つけて購入した明治末~大正初めの様式の古絵葉書。写っている松が上の画像の松です。
油井小学校
JR東北本線安達駅。一昨年除幕された、故・橋本堅太郎氏遺作の智恵子像「今 ここから」。
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一帯は現在、大規模区画整理中で、それが終わると像の正面、視線の先に安達太良山が望めるように設計されているそうです。

智恵子の実家・長沼家の菩提寺である満福寺さん内の長沼家墓所。
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酒造業を興した智恵子の祖父母、さらに発展させた両親、長沼酒造を嗣いで、しかし破産に導いてしまった弟・啓助、そして福島高等女学校在学中に夭折した末妹・チヨの墓石が並んでいます。花立てのうちの一基には「高村ちゑ」の名。智恵子の寄進です。
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ゆかりの地としてラストに生家裏手の鞍石山。光太郎詩「樹下の二人」詩碑が建っています。この詩碑も建立40周年だそうで。どうも元々光太郎の生誕100周年記念という意味合いもあって建てられたのではないでしょうか。

その詩碑の前で、参加なさった皆さんによる光太郎詩の朗読。
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さらに去る4月2日(日)の連翹忌の日に、二本松の「さつき山公園」というところであったイベントで光太郎智恵子がらみの「本当の空を忘れないで」という歌を披露されたユニット風信子(ヒヤシンス)さんのヴォーカリスト・村上有理香氏は、朗読に加えて「本当の空を忘れないで」をア・カペラで歌って下さいました。素晴らしい!
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ちなみにこの場所から見えた安達太良山頂とほんとの空。まだ雪が残っていました。昨日は山開きでしたが、麓から山頂が見えるということは、まずまずの天候だったようです。

最後は生家近くのかねすい智恵子の湯さんで昼食をいただき散会。その後、当方は引き続き現地調査を行い(国立国会図書館さんのデジタルデータリニューアルに伴い「むむむっ」という情報を得まして――ただし、ガセネタで、空振りでしたが(笑))、帰途に就きました。

地元紙『福島民報』さん、『福島民友』さんともに取材に来られていまして、いずれ報道が為されると存じます。ネットで拝読できる状況になれば、ご紹介します。

【折々のことば・光太郎】003

今年は世界の一隅に行はれてゐた殺戮がとにかく中止となつただけでも本当に心安らかな気持でゆかれるやうになりました どうかしても少し人間同士が了解し合ひ相愛し合つて 汚い私我を棄てゝ大きな宇宙の一つの精神に奉仕しつゝ生活してゆけるやうになりたいものと考へてゐます 少しでも其の為めになるやうに微少の自分も力を尽してゆきたいと念じてゐます 光りかゞやくものを人間の間に生みたいものとおもひます


大正7年(1918)12月25日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

世界の一隅に行はれてゐた殺戮」は、第一次世界大戦です。「も少し人間同士が了解し合ひ相愛し合つて 汚い私我を棄てゝ大きな宇宙の一つの精神に奉仕しつゝ生活してゆけるやうになりたい」、昨日、帰りがけの車中でウクライナ大統領ゼレンスキー氏の広島訪問の中継を見つつ、同じようなことを考えました。

しかしこう言っていた光太郎、約20年後の第二次世界大戦の際には、がっつり戦争に加担することになります。「光りかゞやくものを人間の間に生みたい」じゃなかったのか! です。

まずは地方紙『福島民友』さん、昨日の一面コラム。

編集日記 智恵子の生誕祭

「我(わ)が長沼智恵子などは、男をも凌(しの)ぐ新しさを持って、花のやうな未来を楽しんでゐる」。油井村(現二本松市)出身の画家高村智恵子は独身時代の1912年、大手新聞で「最も新しい女画家」と紹介された▼この評判に、夫の芸術家高村光太郎は後年、妻は無口で非社交的だったと「智恵子回想」で当惑気味に記した。ただ、この年26歳の智恵子は女性雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙を描き、東京・上野の絵画展に出展するなど、充実した活動を送っていたのは確かだ▼その後、彼女は貧しい結婚生活の中で病を重くし、画家として世に出ることはなかった。今も広く知られるのは詩集「智恵子抄」のヒロイン、詩集を著した光太郎の妻として。そう考えるとやるせない▼智恵子の誕生日5月20日に合わせ二本松市の智恵子の生家と記念館で「生誕祭」が開かれている。そこで26歳の智恵子と出会える。青鞜の新年会の集合写真の真ん中で、彼女は編集長の平塚らいてうらを従えるように存在感を発揮している▼今や「女流」の言葉は消え、県内でも若手アーティストたちが個性を発揮する。そんな「花のような未来」を切り開いた一人が智恵子だった。写真の彼女を見ると、その思いが強くなる。

「大手新聞」は『読売新聞』。明治45年6月5日に連載「新しい女」の第17回として、以下の文章が載りました。
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△最も新しい女画家 日本の洋画界は日に日に新しい方へ新しい方へと進んで行く、印象派、後期印象派――未来派はまだ現はれないが、ホイツスラアはもうズツト古くなつて、ゴオホやゴオガンが、そこらこゝらに大胆な色彩と運筆とを競つてゐる。然し、それは男だけで、女には吉田ふじを、吉田ゆき子など油を溶くもののあるはあるが、皆忠実な『写す人』に過ぎない、この中にあつて我が長沼智恵子などは、男をも凌ぐ新しさを持つて、花のやうな未来を楽しんでゐる
△郊外の新屋 府下高田村雑司ヶ谷七百十九、鬼子母神境内の墓地を過(よぎ)つて埃の白い街道を左へ郊外の閒(しづ)かさを飽迄も吸つた新築の家、夫(それ)は六畳と四畳半と丈の、小さくて明くて、サツパリとしてそれ自らが画室の様だ、こゝに妹と二人で住んでゐる、室の一隅には露西亜更紗の三尺四方ばかりの上にプリミチブな泥人形やハリコ人形などが赤く青く白く黒く黄いろく散らかしてあり、床の間には古い印度瓶へ自分でエヂプト風の図案(デツサン)を描き、それに挿した芍薬の花が、もう萎れている、その傍にはやゝ大きな額縁が二つ、自由な意匠の小さな壺が三つ四つ、窓の前の卓子(テーブル)にはグラス函入の絹鞠が光り、その下の机には巻紙に何やら細かく書きかけてある、絵の具箱、カンバス――このほかには箪笥もなく鏡台も見えない、かうした周囲を背景にして、素袷の襟を搔きあはせつゝ赤白の碁盤縞の布をかけたチヤブ台の前に坐つた二十四歳の、新しい女の芸術家を、まづ想像して見たまへ
△女子大学出 女史の故郷は岩代国二本松、家は酒商、同胞(きようだい)は八人、三十六年に上京し女子大学校附属の高等女学校を卒業後すぐ同大学の家政科に進んだ、コクメイな家政科の学課が気分に合はなかつかことは言ふまでもないが、父は父として愛する娘を『女』にすることを誤まるまいとした。然し金はありあまるほどなので、四十二年に卒業して後は好きな画を描いて過すことを拒みはしなかつた。それで太平洋画会へ入つたが、辺り近所でモデルと首つ曳きでコツコツとやつてゐるのを見るとバカらしくてたまらない、四五十人の間にあつて女史のカンバスにだけはいつも自分の『心もち』が表はれた、然しその自由な形、自由な筆は、決して近ごろの流行に始まつたのではない、子どもの時、好んで土蔵の壁や石板へ『へのへのもへじ』や『てんぐ』を書いたものだが、其罪のないプリミチブな処こそ今もなほ尊く思はれるといふ
△ケチな芸術に非ず 『好きなのは、やはりゴオガンのです』話す時、その声は消えるやうに低くなる、『この頃描きましたのは――』と立つて壁によせかけた小さな板を裏返して『ぢきこの近くなのです』、見ると、木立の間から畠を越えて夕空が明るくのぞかれる、木の葉といひ草の葉といひ、女とは思はれぬほどつよくそして快く描いてある、ふとセザンヌの雨の画を思ひだしたので、そのことをいふと『えゝセザンヌもほんとにようございますわね』と子どもらしく口を開いて目をほそめた、好んで行くのは浅草の池の辺(ほとり)あの活動写真の小舎(こや)などの毒毒しい色彩がたまらないさうな、けれども売らなければ食へないといふのではない、そんなケチな芸術ではない、また世の中に知られようとも思はない、自分の芸術は自分のための芸術なのである、それで展覧会へも出品したことはなかつた、この春はじめて太平洋画会へ出品したが、『紙雛』の一枚は、すぐ売れてしまつた、美術界には盲はゐない、然し自分では『ホンノ小さな板ツぺらなのですの、』と嬉しいとも何んとも思はないらしかつた、やがて手づから台所へ行つて運んだ茶盆の上には赤と青との太い線を引いた茶碗と土瓶とが午後の光に浮かぶやうにのせられてあつた


全体のトーンとしては、好意的ですね。『青鞜』の面々に対しては非難囂々だったこの当時、珍しい評です。ところどころ史実と異なるところがあるのですが。

また、『福島民友』さんにある「青鞜の新年会の集合写真」はこちら。
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場所は大森の富士川という料亭。中央が智恵子、右から小磯俊子、平塚らいてう、保持研、左端が荒木郁子。なるほど、『福島民友』さんにあるように「真ん中で、彼女は編集長の平塚らいてうらを従えるように存在感を発揮してい」ますね(笑)。当方の考えとしては、こうした会合に智恵子が顔を出すことが稀だったので、そのため特別待遇で最前列中央に据えられたのではないかと思うのですが。

この写真、『青鞜』の明治45年1月号に掲載されました。同じ号には新年会のレポートも載りました。智恵子に関わる部分はこちらに抜粋してあります。

ところで最近、この時代の智恵子評で、これまでの光太郎智恵子関連書籍に載っていなかったと思われるものを見つけました。上記写真右端の小磯俊子が書いたものと思われます。智恵子だけでなく、らいてう、荒木郁子、尾竹紅吉らについても述べられていて、「青鞜の女」という題にまとめられています。掲載誌は『女子文壇』第8巻第10号、大正元年(1912)10月号です。
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智恵子に関する部分はこの通り。

 夢から出て夢を通り夢に入る。さう云つた様な永沼さんといふ人。
 永沼智恵子――かう書いて私は永から手を出さうか智から手をつけて見様(みやう)か迷つて仕舞ふ様なまぼろしの女、其の人の話をじつと聞いて居ると、何処からどう声が出てどう通つてどう耳に流れ込むのか判然しない様な調子で話されてぶつつり、かと思ふとぼうつと尾が切れて仕舞ふ。暗い時に、人の居ない処で、かう云ふ声でかう云ふ調子で話しかけられたら、気の弱い女はふるへ上るかもしれない。
 綿をまるめてぶつつけたやうに、フワリとぶつかつて後(のち)は、ヒトダマの消える様に消える永沼さんと云ふ人は、すべての人をうつゝにおびき出す魔女の様だ。
 無気味で手の出しにくひ小さい目と、植木鉢をさかさまにして、その上に石をのせたのをかぶつて居る様な髪の後形(うしろかたち)とが、自身の性格の、いつはりなきあらはれぢやあるまいか。
 夏の真昼になまぬるいサイダーを歯の奥でかみしめる時、其の目とその髪型とを思ひ出さずには居られない。


語尾がはっきりしないしゃべり方だったけれど、それが不思議な魅力でもあったという智恵子の特徴がよく表されていますね。

既にお気づきと思いますが、智恵子の旧姓「長沼」が「永沼」と誤記されています。そのため、これまでに刊行された光太郎智恵子関連書籍に洩れていたのではないかと思われます。もっとも、よくよく探せば何処かには引用されていたかもしれません。どうも当方、この世界に入って最初の頃に読んだ文献は細かいところまで覚えていないきらいがありまして……。「これ、この本のここに載ってるよ」というのがありましたら御教示いただけると幸いです。

ところでこの文章、国会図書館さんのデジタルデータリニューアルに伴い、発見しました。正攻法ではなく搦め手からの発見です。ひねこびた性格の当方ですので、「昔から誤記や誤植はあったはず」と、光太郎智恵子の名、考えられる誤植のパターンで検索をかけた中で、「永沼智恵子」と入れてみたら見事にこれがヒットしたのです。

実は他にもありまして、「高村智恵子」ではなく「高村智慧子」で検索してみたところ、驚くべき発見もありました。大正12年(1923)6月1日発行の『女性日本人』第4巻第6号です。
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この号には「女性の好む男と男性の好む女のタイプ」というアンケートが掲載され、生田花世ら12名が回答を寄せていますが、智恵子のこの文章はそれに回答できなかった詫びで、巻末の「おたより」欄に別途掲載されています。たったこれだけの短いものですが、智恵子の遺した文章は絶対数が少ないので、これだけでも大きな発見といえます。

ちなみに智恵子は前年11月の同誌第3巻第9号に「哀憐な美しさを見ます」「芝居好きの婦人と読書好きの婦人と」の2本のアンケート回答を寄せていて、そちらは既刊の光太郎智恵子文献に掲載されています。ただ、これも当該号の目次欄では片方が「高村智慧子」と誤植されていました。

過日もお伝えしましたが、これまで広く紹介されていなかった智恵子写真や智恵子装幀の書籍などを見つけることもでき、ここにきて新たな智恵子の姿がまた見えてきたような気がします。

さて、「智恵子生誕祭」、さまざまなコンテンツが用意されています。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

「アルス」昨夜拝見。大変きれいに出来ました。お喜びを申上げます。「ランスの本寺」の訳文の文章の拙いのに心を痛めてゐます。ロダンに済まない気がしてなりません。どうかして其の償ひをしたい気がしてゐます。あゝ済まない、済まない。あの美しい文章がこんなになるとは何といふ事だらう。 あんまり字句に忠実すぎて却て堅くなり過ぎました。自分の馬鹿。


大正4年(1915)4月5日 北原白秋宛書簡より 光太郎33歳

アルス」は白秋が出していた雑誌で、この月に創刊されました。光太郎はロダンの翻訳「ランスの本寺」を寄稿していますが、それが納得行かなかったようで……。

その後の『アルス』に載せ続けた訳などを集成し、翌年には訳書『ロダンの言葉』が刊行されます。

先月2日、3回連続でコロナ禍により中止していた光太郎忌日・連翹忌の集いを4年ぶりに執り行いました。初めてご参加下さった方も多く、また少し輪を広げることができたかな、と感じました。

そうした中で、集まった方々の光太郎智恵子愛に啓発というか、触発というか、そんな感じで新たにいろいろなさった方の活動をご紹介します。

まず詩人の吹木文音氏(連翹忌にはご本名でご参加)。玉稿の載った同人誌をご送付下さいました。福島の「北方詩の会」さんで刊行されている『北方』。季刊のようで、今年1月の190号と4月の191号をお送り下さいました。
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002光太郎智恵子がらみですと、191号に「憧憬 智恵子の彩り」という散文。連翹忌の集いの様子にも触れて下さった上で、簡にして要を得た智恵子評伝。曰く「容姿、造作、衣服に止(とど)まらない、人間性から輝き出す真の彩り。憧れの智恵子に倣って、私も磨いてゆきたいと思う」。

また、190号に載った「白河の関に寄せて」という散文でも「高村光太郎の「智恵子抄」で「ほんとの空」と謳われた安達太良山の向こうの青空を求めて旅する人は、今も後を絶ちません」のひと言。ちなみに吹木氏ご自身は栃木県にお住まいですが。

奥付画像を貼っておきます。ご入用の方はご参考までに。

吹木氏、智恵子を主人公とした小説なども書いてみたい、的なこともおっしゃっています。期待大ですね。

もうお一方、茶山千恵子氏。富山県ご在住、彼の地で演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている方です。大学が家政科食物栄養専攻だそうで、料理の腕前もプロフェッショナル。ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっています。

で、今月14日から、月に一度、「光太郎ランチ」だそうで。
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元ネタが、岩手花巻で光太郎の顕彰活動をいろいろやられているやつかの森LLCさんで一昨年発行された「光太郎の食卓カレンダー」。かつて『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載されていた「光太郎レシピ」をカレンダーにしたものです。

発行当時、これをごっそり戴いたので、SNSで「ご入用の方、送料のみでお頒けします」的な書き込みをしたところ、茶山氏も食いついてこられ(笑)お買い求め下さいました。で、今年の連翹忌でやつかの森LLCの方々とお会いになって許可を取り、再現なさるそうです。ただ、今月分は既に予約がいっぱいだとのことですが。

これを饗しながら、光太郎智恵子についてもレクチャーをして下さるようで、有り難いかぎりです。茶山氏のレポート等が届きましたらまたご紹介します。

以前も連翹忌の集いを通してお知り合いになった方々がタッグを組んで新たな活動を始められたりということが多々ありました。遠く昭和の世にもそういうことがあり、埼玉県東松山市に光太郎胸像を含む高田博厚の作品群を並べた「彫刻プロムナード」が出来たのも、同市教育長であらせられた故・田口弘氏が連翹忌の席上で高田と意気投合したのがそもそもの始まりと聞いています。そうした例はたくさんあったのでしょう。

そして今後もそうした例がふえることを願って已みません。やはり人々が直接顔を合わせ、その上で共鳴し合ったり、新たな出会いを通して新たな方向性が見えてきたりといったことがあるはずです。そういうきっかけを作れる場としての連翹忌の集いでありたいと思う今日この頃です。

【折々のことば・光太郎】

「道程」をみてくれた相で恐縮した 本来なら贈るのだがどうもあんまり不満足な作ばかりなのでつひ止して居た 「道程」はまだ駄目だ ただ此からやつと行ける道が見えただけだ まだ道程にも上つて居ない事が解つた あれを出した為めに自由になつた気がするだけはよかつた

大正3年(1914)12月27日 柳敬助宛書簡より 光太郎32歳

この月22日に行われた智恵子との結婚披露宴出席の礼状を兼ねた書簡から。10月に刊行した詩集『道程』に触れています。

智恵子との結婚も果たし、まさしく「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という心境だったのでしょう。しかし、それはある意味、「茨の道」でもあったのですが……。

どうでもいいことではありますが、このブログ、12年目に突入しました。昨日まで11年間、1日も休まずに更新しています。どこまで続くか自分でも楽しみです(笑)。

閑話休題。智恵子の故郷、福島県二本松市での智恵子生誕祭。さまざまなコンテンツの総称です。

『広報にほんまつ』さんの今月号から。
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先陣を切って始まった、紙絵の実物展示に関し、地元紙『福島民友』さんが報じています。

智恵子の紙絵実物を展示 二本松、記念館で生誕祭

005  二本松市の智恵子の生家・智恵子記念館は27日、同市出身の美術家高村智恵子の誕生日の5月20日にちなんだ恒例イベント「生誕祭」を始めた。5月21日まで、紙絵の実物展示や智恵子の居室特別公開など多彩に繰り広げている。
 実物展示は年2回行われ、今回は「菊」「白い小鉢」「花パターン」など10点を5月7日まで公開している。また女流画家を目指すなど自分を貫く生き方をした智恵子のエピソードを紹介、来館者にメッセージを書いてもらう企画も行っている。
 生家では29日からの大型連休中と土、日曜日に、普段公開していない智恵子の居室を特別公開する。5月13、14、20、21日には同市の伝統工芸「上川崎和紙」を使い、しおりなどを作る制作体験も行われる。
 開館時間は午前9時~午後4時半(最終入館は同4時)。水曜日休館(3日は開館)。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

もう1件、若干先の話ですが、やはり『広報にほんまつ』さんから。

智恵子のまち夢くらぶ主催 高村智恵子生誕祭 智恵子を偲ぶ鎮魂の集い

期 日 : 2023年5月21日(日)
会 場 : 智恵子純愛通り記念碑前(雨天時は智恵子の生家前)
時 間 : 9:00~14:00
料 金 : 一般 2,000円 中高生1、000円(昼食、入館料、保険含む)

内 容 
 第1章 智恵子ゆかりの地を巡る
 第2章 「樹下の二人」詩碑建立40年記念朗読会 参加者による一人一作品の朗読
 第3章 高村光太郎生誕140年記念「智恵子と光太郎を語る昼食会」 かねすい智恵子の湯

問い合わせ 智恵子のまち夢くらぶ 0243-23-6743

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こちらのイベントは市の主催ではなく、地元で智恵子顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。

ふるってご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

Please acept my little book which has just been published. These are poems ; not so-colled poems. I simply hope that I live and breathe in them.


大正3年(1914)10月20日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎32歳

邦訳は以下の通り。

今度公刊された僕の小さな本を受け取って下さい。これらは僕の詩です。世に言う詩ではない。僕はこれらの中に生き、呼吸したいと願う。

「僕の小さな本」は、光太郎第一詩集『道程』です。奥付では25日発行となっていますが。
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智恵子系のイベント情報等、3件まとめてご紹介します。

まずは智恵子の故郷、福島二本松から、「智恵子生誕祭」。期間中、さまざまなプログラムが用意されており、その総称です。

高村智恵子生誕祭

期 日 : 2023年4月27日(木)~5月21日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:30
休 館 : 5月10日(水) 5月17日(水)
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料金

 智恵子の生家 二階特別公開
  公開日 4月29日(土) ~5月7日(日) 5月13日(土)・14日(日)・20日(土)・21日(日) 

 「紙絵」実物展示
  展示期間 4月27日(木)~5月7日(日)
  展示場所 智恵子記念館展示室
 
 上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験
  開催日 5月13日(土)・14日(日)・20日(土)・21日(日)
  開催場所 智恵子の生家

 智恵子の生き方を想う~自分らしく生きるために~
  “自分を貫く”人生を送った智恵子のように、皆様自身の“自分を貫く”生き方について
  考えてみませんか。館内のカードに自由にご記入下さい。
  開催日 4月27日(木)~5月21日(日)
  開催場所 智恵子記念館

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ちなみに智恵子の誕生日は明治19年(1886)5月20日です。

続いて、千葉から。朗読のイベントです。

【千葉県150周年記念】文学で千葉を旅するカフェ

期 日 : 2023年4月29日(土) 4月30日(日) 5月3日(水) 5月4日(木)
会 場 : 戸定が丘歴史公園内『松雲亭』 千葉県松戸市松戸714-1
時 間 : 各日11:00~ 13:00~
料 金 : 1,000円(チケット代、飲み物付き)

千葉県誕生150年と言う記念すべき年を祝し、県内各地を舞台にした文学作品(抜粋)の朗読とカフェを楽しんで頂く企画です。座敷用ローチェアのご用意もございます。事前にチケットをご購入の上、ご参加ください。(チケットのお申し込みは090-8101-9347まで)

朗読作品は、司馬遼太郎「北斗の人」、太宰治「黄金風景」、乙川優三郎「地先」、高村光太郎「智恵子抄」、田山花袋「弟」等です。
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最後に都内から。

ニヒル牛・旅の本展

期 日 : 2023年4月22日(土)~5月18日(木)
会 場 : ニヒル牛 東京都杉並区西荻南4丁目31−10
時 間 : 12時~20時
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

2000年6月1日に開店した、石川浩司プロデュースのアートギャラリー雑貨店です。誰かにとって唯一の宝物が隠れている店。世界にひとつしかない手作りの物、かっこいい物はもちろんだけど、少しいびつだったり間抜けだったりする愛しい物達、それを見つけた瞬間のわくわくとした幸福に、出会える店が出来たらとニヒル牛は考えました。

今年も始まっております。ニヒル牛・旅の本展!ニヒル牛のGWはもちろんこれ!! 楽しい旅本、探しにいらして下さい。
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こちら、ギャラリーで、自主制作的な書籍を販売されているようです。

20冊ほどのラインナップの中に、「たむら来夢(うこわや)」さんという方の『2022年潜在意識を探る旅(二本松・桑名)』、750円。
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表紙は明治45年(1912)1~3月、雑誌『青鞜』に使われた智恵子によるアマドコロの表紙絵(かつては「スズラン」とされていましたが)があしらわれています。内容的にも智恵子に詳しく触れられているようで。

会場のニヒル牛さんによる評が「読み始めてすぐ、旅一番の目的がだめになるのに困惑したり、高村智恵子の性格にびっくりさせられたり。相変わらず、ハラハラドキドキが連続の旅本です。そしてタイトルの意味は?!」だそうで。

ちょっと気になりますので、会場に足を運んで購入してこようと思っております。

他のイベント共々、みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

私は今クリストフを訳しながら激昂してゐます。クリストフの心理状態をよく了解出来るからだとおもひます。私は此を訳す事を喜んでゐます 其の純仏蘭西な魂も私を躍らせます。


大正2年(1913)2月22日 『フユーザン』掲載書簡より 光太郎31歳

クリストフ」はロマン・ロラン作の「ジャン・クリストフ」。この年、同作の光太郎による日本初の翻訳が「反逆-ジヤン クリストフより-」の題で、雑誌『フユーザン』に3回に分けて掲載されました。

智恵子の故郷・福島県二本松市の『広報にほんまつ』、今月号から。

このところ、毎年4月号は「安達太良の ほんとの空に さくら舞う」の見出しで市内の桜を特集しています。「ほんとの空に さくら舞う」は、令和元年(2019)に同市で開催された「2019全国さくらシンポジウム」のキャッチフレーズでした。
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智恵子生家/智恵子記念館も行程に入っている臨時の市内循環バス「春さがし号」(明後日から運行)の案内なども。

時刻表等は以下の通りです。
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新幹線等で訪れられる方は、これを使うのも一つの手ですね。

もう1件、日本税理士会連合会さんの監修、株式会社ぎょうせいさんの発行になる『月刊税理』の今月号。中央大学法科大学院教授の酒井克彦氏の連載「酒井教授の百名山おぢ散歩」(見開き2ページのコラム的な)が「第12回 安達太良山」で、光太郎智恵子に触れて下さっています。多謝。
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010ぎょうせいさんの公式サイト、Amazonさん等で、今月号のみ購入可能です。ただ、この後引用されている『智恵子抄』中の詩の制作背景等、ちょっと勘違いされているのですが……。

また後ほど詳しくご紹介いたしますが、二本松では今月末から恒例の「高村智恵子生誕祭」として、通常非公開となっている智恵子生家の2階部分の限定公開や、智恵子記念館では智恵子紙絵実物の展示もありますし、来月には安達太良山の山開き、さらに地元で智恵子顕彰をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベント等も計画されています。

まずは桜。もう関東では終わってしまっている感がありますが、東北はこれから盛りなのでしょう。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

来月末には僕の城郭も略ぼ竣工するだらう。


明治45年(1912)4月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎30歳

僕の城郭」は、駒込林町25番地の、住居兼アトリエ。光太郎自身が設計しました。安藤仁隆氏により、その詳細な図面等が復元され、イギリス風の建築であったことなど、かなり詳細な部分が解明されています。
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「智恵子抄」がらみの演奏会等情報を2件。

まずは都内から。

朝岡真木子歌曲コンサート第6回

期 日 : 2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演
料 金 : 全席自由 4,500円

曲 目 
 「春を待つ歌」(新作初演) 詩:こわせ・たまみ 
 「わたしは魔女」( 〃 ) 詩:こわせ・たまみ
 「わたしが一番きれいだったとき」「吹抜保」 詩:茨木のり子
 「そのとき十八の春」「梅干し」 詩:岡崎カズヱ
 「きつねのよめいり」 詩:野上彰
 「春満開」 詩:柏木隆雄
 「海の宵待草」 詩:こわせ・たまみ
 「さくらと はなびら」 詩:まど・みちお
 組曲〈あなたへ〉より「あこがれ」「あなたへ」「夢とおく」 詩:星乃ミミナ
 組曲〈智惠子抄〉より「千鳥と遊ぶ智恵子」「値ひがたき智恵子」 詩:高村光太郎
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 品田昭子(ソプラノ)
 福成紀美子(ソプラノ) 前澤悦子(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)

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作曲家・朝岡真木子氏の歌曲作品のコンサートです。

昨年9月、旧東京音楽学校奏楽堂さんにおいて行われた「清水邦子リサイタル 清水邦子が贈る朝岡真木子の世界」で演奏された「組曲 智惠子抄」から抜粋で「千鳥と遊ぶ智恵子」と「値ひがたき智恵子」が演奏されます。歌唱は同じく清水邦子氏、ピアノは朝岡氏ご本人です。

昨年11月には、今回と同じ王子ホールさんで「えつ子とまき子のコンサート 2022秋」が開催され、その際にはやはり清水氏が「組曲 智惠子抄」から抜粋の「あどけない話」と「レモン哀歌」を歌われました。

清水氏、すっかり「智恵子抄」の世界に嵌ってしまわれ、「組曲 智惠子抄」のみを収めたCDをリリースされます。ちなみに当方、ライナーノートを書かせていただきました。また改めてご紹介いたしますが、今回のコンサート会場で販売されるようです。また、日比谷松本楼さんで行う4月2日(日)の第67回連翹忌の集いにも朝岡氏、清水氏がご参加下さり、「組曲 智惠子抄」から抜粋で演奏をしていただきますし、会場内でCDの販売も行います。

もう1件。こちらはサブタイトルに光太郎詩「あどけない話」由来の「ほんとうの空」(本当は「ほんとの空」ですが……)の語を冠してくださっています。

第16回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に -

期 日 : 2023年3月16日(木)~19日(日)
      3月16日(木)中学校部門 3月17日(金)高等学校部門
      3月18日(土)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月19日(日)各部門金賞受賞団体による本選、表彰式
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1
時 間 : 各日、開場9:30 開演10:00
料 金 : 各部門予選  前売り 1,500円 当日 2,000円 
      本選     前売り 2,500円 当日 3,000円
      4日間通し券 前売りのみ 8,000円

このコンテストは、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」に焦点をあて、全国からトップレベルの声楽アンサンブルグループが福島に集い、日本の合唱レベルの向上を図るとともに、音楽文化の振興発展に寄与し、歌うことの楽しさを全国に発信するコンテストです。
青く澄みわたる“ふくしまの空”に、皆さんの心のハーモニーを響かせてください。
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この大会、平成20年(2008)から行われているものですが、平成23年(2011)の第3回大会は東日本大震災のため中止。復活した翌年の第4回大会から、サブタイトルに復興の思いも込めてでしょう、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」と冠して下さるようになりました。

その後、令和元年(2019)に第12回大会までは順調に開催。だんだん規模も大きくなり、海外からの参加やゲスト団体によるスペシャルコンサート、参加団体での交流会なども催されていました。ところが令和2年(2020)の第13回大会はコロナ禍のため中止、令和3年(2021)の第14回大会は無観客で規模を縮小して実施、昨年の第15回大会は、またもや直前に福島で起こった地震のため中止……。紆余曲折を経て今回に至ります。

コロナ禍からの復興という意味合いも含め、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」を実現させてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

驚きて走せ帰りたり。今より信州に遺骨を訪ふつもり、そんな事でもせずては荻原君の死んだのが本当に思へず、奈良の感興もめちやめちやなり


明治43年(1910)4月25日 水野葉舟宛書簡より 光太郎28歳

光太郎の親友・碌山荻原守衛の死はこの年4月22日。光太郎はこの時、奈良に旅行中でした。もう一人の親友、水野葉舟も後から奈良で合流する予定でした。

その葉舟の回想「日記の中より(故荻原守衛氏に対する記憶)」から。

 明治四十三年四月二十三日。この日は自分たちにとつて、記憶すべき日となつた。荻原氏の逝かれたのは、後で聞いたのではたしか其の前日であつたと思ふが、自分が此の意外な報道を見たのは此日であつた。
 この朝、自分は平常のやうに目を覚した。この頃は自分の心の中(うち)に、奈良旅行の計画と、その為めに順序を立てゝある仕事とで、占領され尽して居た。
(略)
 この旅に一緒に行かうと約束をした高村光太郎君は、一週間も前に、既に東京を発つてしまつた。自分はたゞ自分の仕事の上で気が急けるばかりで、早くこの旅に出たいといふばかりで、その朝も眠りから覚めたのであつた。
 で、起きると枕元に置いてある新聞を取つて広げて見た。すると荻原守衛氏逝くと書いた標題が目に入(い)つた。
 自分はまだ寝起きの極めてぼんやりした心持に、尚ほ微かに茫然とした。実に思はざる事だ!……
 暫くその標題を見詰めて居たが「偽だ!」と言ふやうな心持が、反抗的に胸に起つた。急いで、ありたけの新聞を広げて見たが、どれにも、明かに氏の逝かれたと言ふ事が書かれてあつた。とも角この三四十時間前に、此一芸術家が此世から去たと言ふ事が事実であつたらしい。
 自分はすぐ床を出た。そして書斎に入つて来ると、前夜までに仕かけた仕事が、ちやんと机の上に置いてある、それを見ながら、その前に坐ると、たゞ寞然と考へた。「荻原氏が死んだ!」と、はてしもなく考へた。
 先づ、第一に胸に起つたのは、奈良に行つて居る高村君はこの報道を聞くとすぐ引き返して来るだらう。吾々の奈良行きもこれで駄目だ……と言ふ事だつた。この考へがすぐ胸に来た。続いて、心が次第に氏の死なれたと言ふ事に集つて来た。
 道を歩いて居る人が倒れた。今迄、自分の目の前に確実(たしか)な足どりで道を歩いて居た人が、ばたりと倒れた。それと同時に、その人の思想も、手も、口も力が落ちた。自分は今、此偶然で、且驚く可き事実を眼前に見て居る。心が漸く沈んで深い暗いものに対して居るやうに思はれて来た。


予期せぬ急逝の報に接した場合の混乱がよく表されていますね。自分の生活は昨日までとまったく同じ延長線上にあるのに、他人の身の上に理不尽とも思える死が突然襲ってくる、という……。

当方も、1月に突然母を亡くしまして、同じような感懐を持ちました。

昭和48年(1973)竣工で、智恵子の紙絵を原画として使用した巨大壁画をもつ神戸文化ホールさんにつき、仙台に本社を置く『河北新報』さんが取り上げています。
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東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)さんの移転にともなう跡地利用等の問題の参考に、というコンセプトの記事ですが。

存続求める根強い声<Re 杜のまち 他都市の「跡地」(中)神戸・文化ホール>

 仙台市青葉区から移転することが決まっている東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用に注目が集まる。杜の都を象徴する定禅寺通から消えるにぎわいの拠点。「その後」を一体どうするのか。公的施設の老朽化に直面し、まちの再構築に取り組む他都市に学ぼうと、広島、神戸、秋田3市の現場を歩いた。
 視線の先に巨大なアジサイの壁画が現れた。高村智恵子作の紙絵がモチーフで、高さ10メートルを超える。9月で開館50年を迎える神戸市の神戸文化ホールの象徴だ。
 年間45万人が利用する音楽や演劇の拠点だが、2017年に移転話が浮上。市は「30年度以降」をめどに、中心地のJR三ノ宮駅前に大・中ホールを移す。ただ跡地は建物を解体するか、残すかも含めて検討が始まっていない。
 訪れたのは1月下旬。地域の人が跡地についてどう考えているかを聞こうと、向かいのラーメン店に入った。ホール利用者やコンサートの観客が大勢来店するそうで、店の休みは休館日に合わせている。
 「ホールのように人が集まる施設であればいいが、どうなるのだろう」。父の代から約20年、この地で営業する大谷祐己さん(40)は影響を測りかねていた。
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■にぎわいづくりに軸足
 市は移転理由の一つに施設の老朽化を挙げる。18年には劣化した天井の板が落下するなどしたため、3カ月の休館に追い込まれた。
 運営する市民文化振興財団常務理事の須藤晃司さん(55)は「幸いけが人はいなかったが、移転するまで気を抜けない」と言う。
 海外オーケストラの公演会場だった文化ホールでは近年、兵庫県内に大型ホールが複数できたこともあって、中高生の部活動や市民サークルが成果を発表する機会が増えた。
 隣の公園は演奏会の時、練習や昼食の場所として定着した。「移転する都心部に、こういう所があるだろうか」。須藤さんは不安を口にした。
 移転先の環境はどうか。大ホールが移る中央区役所などの跡地は、建物の解体工事が進んでいた。西側の土地には中ホールが移転する。ともに交通量の多い国道2号に面した一等地。屋外で練習するのは難しいだろうと率直に感じた。
 市は新ホールを「国際都市にふさわしい芸術文化施設」と位置付け、新バスターミナルや商業施設、オフィス棟、図書館、ホテルとの複合施設にする方針。
 「ホール移転は都心部再整備の目玉。来た人が周辺も歩く回遊性を持たせたい」。市文化交流課の担当者の説明を聞き、移転計画は街中のにぎわいづくりに軸足を置いていると思った。
 市の方針に、県内の文化芸術団体の関係者らでつくる市民団体「神戸をほんまの文化都市にする会」(神戸市)は異を唱える。
 代表の竹山清明さん(77)は「中途半端に造っても大阪に都市間競争で勝てない。文化芸術活動を活発にするため、現ホールを改修して、市民向けに開放するべきだ」と存続を求める。
 都心部のにぎわいか、市民や生徒らの活動の場の確保か-。
 神戸文化ホールの移転計画は、まちづくりの重要な課題を示している。50年の歳月が培った文化は地域に根付く。仙台市青葉区の東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用を検討する際も、その視点を忘れてはならない。

[神戸文化ホール]2017年に大規模改修ではなく、建て替えを前提に検討する方向性をまとめた。現在の大ホール(2043席)と中ホール(904席)をJR三ノ宮駅前の再整備地区に移転し、多目的の大ホール(約1800席)と音楽や演劇に対応する中ホール(約700席)とする。市が21年8月に改定した整備計画で、跡地活用の記載は「全市的な視点により再整備の検討を進める」などにとどまる。

色即是空、諸行無常。形あるものはいずれ無に返るものではありますが……。

ところで、別件ですが、智恵子つながりでテレビ番組の再放送情報。もう今夜のオンエアです。

おかしな刑事〜居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2023年3月7日(火) 19:00〜20:54

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ。

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者
伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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初回放映時のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。

つい先月20日にも地上波テレ朝さんで再放送があったばかりですが……。ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

僕は来月あたり船にのりこんで帰途につくかも知れない。金の都合で一寸わからない。

明治42年(1909)4月27日 水野葉舟宛書簡より 光太郎27歳

その言葉通り、5月15日にはいったんパリからロンドンに渡り、テームズ河口から日本郵船の阿波丸に乗って帰国の途に就きます。

モデルの指の動き一つすらその真意を了解不可能な西欧に居続けるより、早く帰って日本に新しい芸術を根付かせる魁けたらんという決意、さらには徴兵検査を先延ばしにしていたことも理由の一つです。

今日は3月3日、桃の節句ですね。

智恵子の故郷、福島二本松の『広報にほんまつ』今月号から。

ひとつひとつに想いを込めてつくる つるし雛かざり

 子ども達の健やかな生長を願って手作りでひとつひとつ作られるつるし雛。市内各所で「おひなさま」や「つるし雛かざり」が飾られます。

 大平地区で活動している「ゆんたく」。平成22年に「手芸サークルをやりたいね」と話していたところ、翌年3月に東日本大震災が発生。大平地区にも多くの方が避難するようになりましたが、その年の秋に、浪江町の方も一緒に「手芸ボランティアサークル『ゆんたく』」として活動を始めました。
 活動としては、手芸のほか、社会福祉協議会の配食サービスに併せてプレゼントをしたり、地元の小学生に「ぞうりストラップ」をプレゼントしたりと、自分たちも楽しみを持ちながら「半分ボランティア半分たのしみ」として活動しています。
 つるし雛かざりは、半年ほど掛けて作っていきます。毎月集まって作り方を学び、翌月までに、宿題のようにつるし雛作りを進めてきます。
 桜まつりや曼珠沙華まつりの時期には、安達ヶ原ふるさと村の古民家にも、このつるし雛が飾られ、訪れる観光客の皆さんの目を楽しませてくれています。
 今年のテーマは「智恵子の折り鶴」。毎年テーマを決めていて、多い人では、今年で12個目のつるし雛かざりになります。大平住民センターでは、廊下や階段に、見る人を圧倒するほどたくさんのつるし雛が飾られます。
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今年のつるし雛かざりのテーマは?
 今年のテーマは、震災からの復興と新型コロナウイルスの収束を願って「智恵子の折り鶴」です。智恵子が病院で多くの紙絵を作成していた時、夫の光太郎は病院に多くの折り紙を差し入れ、また、智恵子もたくさんの鶴を折りました。そんな智恵子が愛した二本松、青い空を大平からご覧ください。
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楽しいところは?
 みんなで集まる機会があるのがよいところだと思います。コツコツと裁縫をしながらも、和気あいあいとした雰囲気でやっています。ひとりだとなかなかできないと思いますが、みんなでやるから何とかできています。つるし雛のほかにバッグなんかも楽しく作っています。
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難しかったところは?
 コロナの影響で、活動自体が難しい時期もありました。それでも、集まりを2部制にしてみたり、いろんなコロナ対策をしてみたりして、続けています。
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見てもらいたいところは?
 毎年、その年のテーマに向かって頑張って作っています。そうしてできあがったつるし雛をみなさんに見てもらうことが楽しみです。

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二本松市内では、各所でつるし雛かざりが為されているそうですが、そのうち、智恵子生家/智恵子記念館さんにほど近い大平地区の大平住民センターさんでは、「智恵子の折り鶴」をテーマにしたつるし雛かざりだそうです。

南品川ゼームス坂病院での智恵子、有名な紙絵制作を始める前、最初は折り鶴作りから始めたそうです。光太郎の随筆「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。

 精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。そのうち、鶴の外にも紙燈籠だとか其他の形のものが作られるやうになり、中々意匠をこらしたものがぶら下つてゐた。すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙づつみを渡して見ろといふ風情であつた。紙包をあけると中に色がみを鋏で切つた模様風の美しい紙細工が大切さうに仕舞つてあつた。其を見て私は驚いた。其がまつたく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であつたからである。私の感嘆を見て智恵子は恥かしさうに笑つたり、お辞儀をしたりしてゐた。

他にも道の駅「安達」智恵子の里さん、安達ヶ原ふるさと村さんなどでも、それぞれに地元の皆さんが手間をかけて作られたつるし雛かざりが展示されているとのこと。
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ぜひ足をお運び下さい。

ちなみに自宅兼事務所の雛かざり。自分のために出してあると勘違いしているやつが毎年よじ登ります(笑)。
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【折々のことば・光太郎】

旅は面白きものなり。僅か日の一旬あまりに過ぎざるに我の見、遇ひ、考へ、感じたる事の何ぞ多き。 今日羅馬に来れり。此処に暫く停まらん。


明治42年(1909)4月4日 山下新太郎宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行中、留学仲間の画家・山下新太郎に宛てた絵葉書から。

新知見を得られる旅の醍醐味を見事に言い表していますね。




まず、『夕刊フジ』さん。2月14日(火)掲載の「週末、山へ行こう 「ほんとの空」求め福島の名峰へ 安達太良山 標高1700メートル」という記事の続編で、2月21日(火)の掲載でした。

週末、山へ行こう 雪原の先に「ほんとの空」求めて再び登山口へ 初心者でもチャレンジできるといわれている雪山 安達太良山 標高1700メートル

 2月の初め、再び安達太良山(あだたらやま)の奥岳登山口に立っていた。
 天気予報をいくつも確認し、一番天気が良さそうな日を選び、日帰りで歩くことにしたのだ。前回登れなかったのが悔しかったわけじゃない。単純に、智恵子さんの「ほんとの空」…「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空」を見てみたいと思ったのだ。
 青空が広がっているけれど、思ったより風が強いなと思いながら歩き始めた。やわらかな日差しで体がじわじわと温まっていく。勢至平にたどり着き、前方を見ると山のあるところに白い雲が広がっているのが気にかかる。しかし雪原を歩くのは気持ちいい。
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 前回お世話になったくろがね小屋を過ぎ、山頂への登りにとりかかる。だいぶ雲が多めになってきたけれど、前回よりずっと視界はよいし、先行者の踏み跡もついている。山頂直下、峰ノ辻に到着すると山頂の山並みが間近に見渡せる…が、うっすらガスに覆われている。目印の竹竿(ざお)や、方向を確認しながら慎重に進む。稜線(りょうせん)に出ると一気に風が強くなった。ゆっくりと進み、最後に岩の塊を登ると、小さな石の祠(ほこら)と、風情ある山名の看板が転がっていた。
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 快晴なら360度の展望が楽しめるそうだが、今日は全方向乳白色。風もだいぶ強いので、写真を撮ってそそくさと退散。再び峰ノ辻に下り立って振り返ると、山頂付近は厚い雲に覆われ、ときどき日が差して幻想的だった。一方、下る方向を眺めると青空が広がり、眼下に町並みも見渡せた。
 雪山初心者にもチャレンジできる山…とはいわれているけれど、山頂直下はなかなか手ごわかった。雪山における「初心者向け」はホントに「条件がそろっている」ことが前提なんだなあ。ひとつでもそろわなければ初心者向けではないのだと実感する。
 青空だけどだいぶ風が強く、寒くなってきたな…と思いながら来た道を下り、奥岳登山口へ到着。登山口の日帰り入浴施設で温まった。
 智恵子さんの言う「ほんとの空」には今回も出合えなかった。…いや違うな、前回と今回、安達太良山を歩きながら見た空が「ほんとの空」だったのか。青い空はまた来たときに見ればいい。
* * *
 登山にあたっては登山道の状況、バスの運行状況などを最新のデータでご確認ください。山行中は、歩行時に他の登山者との間隔をあけるなど新型コロナウイルス感染予防を心がけましょう。
■安達太良山(冬)おすすめルート 奥岳登山口…くろがね小屋…峰ノ辻…安達太良山…往路を戻る…奥岳登山口 歩行時間 約7時間/難易度★★★★(最高難易度★★★★★)
■コースガイド あだたら高原スキー場のある奥岳登山口から勢至平、くろがね小屋を経由して山頂へ。勢至平はのびやかな斜面で、安達太良山の頂上付近が眺められる。峰ノ辻から先は風が強く地面が露出しているところもある。山頂からは来た道を戻る。※くろがね小屋は改装工事のため2023年3月までの営業。
■おすすめシーズン 雪山登山が楽しめるのは12月からゴールデンウイーク頃まで。アイゼンやピッケル、スノーシューなど雪山専用の装備が必要。
■西野淑子(にしの・としこ)広く山歩きを楽しむライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。著書に「東京近郊ゆる登山」(実業之日本社)、『関東周辺 美味し愛しの下山メシ』(山と溪谷社)など。NHK文化センター「東京近郊ゆる登山講座」講師。

1枚目の画像、十分に「ほんとの空」だと思いますが……。

続いて『神戸新聞』さん。一面コラムでやはり「ほんとの空」。2月24日(金)の掲載分です。

正平調

昨年秋、知人に誘われて大阪に避難するウクライナ人家族の部屋を訪れた。支援物資を運び、近況を聞く。通訳はスマホのアプリ。手土産に洋菓子を持参した◆両親と長女の3人と一緒にテーブルを囲むと、誰も座っていない席にもコーヒーと菓子が並べられた。祖国に残った30代の息子らの無事を祈り、毎日食事やお茶を用意するそう◆日本にも「陰膳」という風習があります。心配ですね。そう告げると母親が大きくうなずく。そして青空を背に家族5人がそろって写る写真を見ながら、そっと口にした。「来年には帰りたい」◆ロシアのウクライナ侵攻から1年。あの家族のように、戦火を逃れて欧州の各国へ北米へ、アジアへと渡った人たちにとって、とても長く感じられた1年だっただろう。帰りたい、帰れない、でも帰りたい◆〈智恵子は東京に空が無いという/(中略)阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出ている青い空が/智恵子のほんとの空だという〉(高村光太郎)。麦畑が広がる大地と青空の国で生まれ育ち、働き、家族と暮らし、老いていくはずだった人たち。ほんとの空を見られる日が一日も早く訪れますように◆昨年春、本紙に掲載された川柳より。〈ロシアにもウクライナにも春よ来い〉。西の空へ願い、祈る。

1日も早く、ウクライナの皆さんにも「ほんとの空」を取り戻してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

ヹニスのゴンドラに乗りて遊び居り候。サンマルコ寺院の美しさ、この水の街の面白さ、帰るを忘れ申し候。


明治42年(1909)3月29日 与謝野寛宛(推定)書簡より 光太郎27歳

水の都、ヴェネツィア。いいですねぇ(笑)。

『夕刊フジ』さん、2月14日(火)掲載の記事です。

週末、山へ行こう 「ほんとの空」求め福島の名峰へ 安達太良山 標高1700メートル

 日本百名山に数えられる、福島を代表する山のひとつ、安達太良山。古くは万葉集に詠われた山であり、麓から見える山姿も美しい。
  1年を通じて多くの登山者でにぎわう人気の山だ。中腹には温泉のある山小屋「くろがね小屋」が建ち、小屋泊まりで山行を楽しめるのも魅力。冬もスキー場のロープウエーが運行していることもあり、雪山登山を楽しむ人が多い。
 安達太良山の名前を知ったのは、高村光太郎の詩集『智恵子抄』だ。光太郎の妻、智恵子が「ほんとの空」がある場所と言ったのが、阿多多羅山(あたたらやま)の山の上。美しく切ない詩とともに「あだたらやま」の名前が心に刻まれた。いつか登ってみたい、ほんとの空を見てみたいと思っていた。
 1月、安達太良山に行く機会を得た。天気のよさそうな日を選んで、くろがね小屋泊まりの1泊2日。今年3月までで改装のため休業となる人気の山小屋だが、運よく予約ができたのだ。ワクワクしながら電車とバスを乗り継ぎ、奥岳登山口に到着した。うっすら曇り空、雪を踏みしめながらゆっくりと歩く。ほとんど人とすれ違うこともなく、くろがね小屋に到着。天気がよければ山頂を往復しようと思ったが、風も強く視界もいまひとつ。小屋で何度も温泉につかってのんびり過ごす。まろやかな肌触り、ほんのり匂う濁り湯でよく温まる。
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 「明日も天気はよくなさそうです」と小屋番さんが申し訳なさそうに言う。登れないくらい天気が悪ければ、無理せずここから下ればいい。くろがね小屋に泊まれただけでもよしとしよう。温泉は本当に心地よいし、夕食のカレーもおいしかった。「山頂に行かず、ここに泊まりにくるためだけに登ってくる人もいるんですよ」という小屋番さんの言葉に納得する。
 翌朝、小屋番さんの予告どおりの強風とガス。前日の夕方の悪天候よりは多少ましかもしれないと歩いてみたが、前夜の強風と雪で踏み跡はなく、視界も悪い。1時間歩いて撤収!
 来た道を戻っていくと、山麓は恨めしいほどの青空。しかし振り返ると山は真っ白い雲に覆われていた。また登りに来なさいと山に誘われているのだろう。そう思うことにして登山口に向かった。(続く)
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 登山にあたっては登山道の状況、バスの運行状況などを最新のデータでご確認ください。山行中は、歩行時に他の登山者との間隔をあけるなど新型コロナウイルス感染予防を心がけましょう。
■安達太良山(冬)おすすめルート 奥岳登山口…くろがね小屋…峰ノ辻…安達太良山…往路を戻る…奥岳登山口 歩行時間 約7時間/難易度★★★★(最高難易度★★★★★)
■コースガイド あだたら高原スキー場のある奥岳登山口から勢至平、くろがね小屋を経由して山頂へ。勢至平はのびやかな斜面で、安達太良山の頂上付近が眺められる。峰ノ辻から先は風が強く地面が露出しているところもある。山頂からは来た道を戻る。※くろがね小屋は改装工事のため2023年3月までの営業。
■おすすめシーズン 雪山登山が楽しめるのは12月からゴールデンウイーク頃まで。アイゼンやピッケル、スノーシューなど雪山専用の装備が必要。
■西野淑子(にしの・としこ) 広く山歩きを楽しむライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。著書に「東京近郊ゆる登山」(実業之日本社)、『関東周辺 美味し愛しの下山メシ』(山と溪谷社)など。NHK文化センター「東京近郊ゆる登山講座」講師。

光太郎智恵子、『智恵子抄』と、ご紹介下さりありがたく存じます。

2月10日(金)、NHKさんで放映された「ドキュメント72時間」では、くろがね小屋でのさまざまな人間模様が紹介されましたが、残念ながら光太郎智恵子関連の話にはなりませんでした。

テレビ放映といえば、年に数回再放送されているものですが、明日、やはり安達太良山、智恵子抄、光太郎智恵子がらみがあります。

おかしな刑事8 「居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査!東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」

地上波テレビ朝日 2023年2月20日(月) 13:54〜15:48

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者
伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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事件関係者の一人が、智恵子の故郷・二本松出身という設定で、安達太良山、岳温泉、智恵子生家などでのロケが敢行されました。

ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

昨夕六時半無事巴里着、「ホテル、スフロー」に一泊して、今日より兎も角も畑正吉君に同宿致す事と致し 今日此処に引移り申候。気候も倫敦と大差無之候。

明治41年(1908)6月12日 高村光雲宛書簡より 光太郎26歳

およそ1年を過ごしたロンドンを後に、留学の最終目的地、パリに。この後のパリでの1年間は、光太郎の芸術的方向性を決定づけることになっていきます。

昨日もご紹介した国立国会図書館さんのデジタルコレクションがリニューアルされた件。自宅兼事務所のPCから閲覧出来る資料数が飛躍的に増大し、『高村光太郎全集』に漏れていた光太郎文筆作品が大量に見つかっています。

すると、智恵子についても驚くべき発見が2件ありました。

まず明治44年(1911)、博文館から出版された『家庭の友 西洋料理法』という書籍。著者は智恵子の母校・日本女子大学校の教授の手塚かね子という人物です。その手塚による序文に次の一節が。

本書の装幀は、女子大学校卒業生にして、専心絵画の研究に身をゆだねられまする長沼ちゑ子女史の巧妙なる図案に成つたものでございます。こゝに厚く感謝の意を表します。

なんとまぁ、結婚前の智恵子がこの書籍の装幀を手がけたというのです。これはこれまでに全く把握していない情報でした。

智恵子による書籍の装幀は、明治40年(1907)、日本女子大学校の同窓会(イベントとしての、ではなく組織としての)である桜楓会から刊行された『三つの泉』という書籍が先例としてありますが、確認出来ているものはそれだけでした。表紙絵を描いたというだけであれば、雑誌『青鞜』も含まれますが。

ところが『家庭の友 西洋料理法』の国会図書館さんのデジタルデータ、元本の破損がひどいらしく、肝心の表紙のデータが掲載されていません。が、他のサイト等で探したところ、不鮮明ながら表紙の画像を見つけることが出来ました。
西洋料理法 家庭の友
なるほど、という感じですね。

これはぜひ現物を入手しなくては、と思っております。

もう1件。新たな、というか、これまで未知だった智恵子の写真も見つかりました。しかも撮影年月日、撮影場所が特定出来るものです。

こちらは智恵子ではなく光太郎で検索をかけた際にたどりついたもので、昭和3年(1928)5月発行の雑誌『美術新論』に載ったもの。
美術新論 3(5)(19)
キャプションの通り、光太郎の父・光雲の喜寿を祝う祝賀会での撮影、日付はこの年4月16日、場所は日比谷に現在も健在の東京会館さんです。
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美術新論 3(5)(19)-2
戦前に亡くなった智恵子の写真はこれまで30葉見つかっていたかどうか、それも少女時代のものが多く、結婚後のものは10葉足らずでしたので、仰天しました。

ちなみにこの日の様子を、光太郎は昭和5年(1930)になって「のつぽの奴は黙つてゐる」という特異な詩に書き表しています。

   のつぽの奴は黙つてゐる

『舞台が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割かた持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちやあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は来てるでせうな。喜壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。万能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい気な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の余興は、結城孫三郎の人形に、姐さん連の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
ステユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ、スピーチ。
老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。

何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考へてゐる。

世間的には成功者、上級国民となった父と、未だ世間には知られざる自分との対比、かつて大正初期には「僕の前に道はない/僕の後に道は出来る」と高らかに謳い、その決意は変わらねど、しかし成功にはほど遠い自らへの怒り、そして自分を認めない俗世間へのアイロニー……。

そんな生活に耐えかねた小柄な智恵子、実家の破産や生涯の仕事と定めた油絵への絶望もあり、この頃から徐々に心が毀れて行きます……。そうしたことに思いを馳せながら上記写真を見ると、感慨深いものがありますね。

というわけで、今後もさらに調査を継続します。

【折々のことば・光太郎】

后北川太一氏くる デユボンネ2本、バースデーケーキをもらふ、一緒にくふ、 辞去後椛沢さんくる、花もらふ、夕方まで、 夜食赤飯(中西さんより)その他野菜煮、

昭和31年(1956)3月13日の日記より 光太郎74歳

光太郎満73歳の誕生日、そして生涯最後の誕生日でした。

昨年暮れに出た、小説の新刊です。

名探偵の生まれる夜 大正謎百景

2022年12月19日 青柳碧人著 角川書店 定価1,600円+税

歴史的偉業の裏に「事件」あり。文豪たちによる大正浪漫ミステリ。

大正七年の秋、与謝野晶子は大阪で宙に浮かんでいた。夫である鉄幹と共に通天閣の足元に広がる遊園地「ルナパーク」を訪れたものの、夫の言葉に血がのぼり彼を置き去りにひとりでロープウェーに乗ったのだ。電飾まぶしい遊園地を見下ろし、夫婦というものの不確かさを嘆く晶子。そのとき突然ロープウェーが止まり、空中で動かなくなって……。(「夫婦たちの新世界」)

遠野には河童や山男など不思議なものがたくさん潜んでいるという。隣村を目指して朝もやの中を歩いていた花子は、「くらすとでるま…」という不思議な声を聞く。辺りを見回すと、そこには真っ赤な顔の老人がいた。かつて聞いたむかしばなしに出て来る天狗そっくりの老人から逃げ出そうとする花子だったが、今度は黒い頭巾に黒い蓑をまとった怪しい男から「面白い話を聞かせてくれないか」と尋ねられ……。(「遠野はまだ朝もやの中」)
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ほか全8篇。

目次
 カリーの香る探偵譚
 野口英世の娘
 名作の生まれる夜
 都の西北、別れの歌
 夫婦たちの新世界
 渋谷駅の共犯者
 遠野はまだ朝もやの中
 姉さま人形八景

『むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。』、『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』などがベストセラーとなった、青柳碧人氏の小説です。

8篇のオムニバスで、基本、大正時代が舞台。一部、登場人物がかぶりますが、8篇とも中心になる人物は異なります。

最終章「姉さま人形八景」で、我らが光太郎智恵子が登場します。この章のみ、昭和も舞台としており、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)からスタート。ところが言わば倒叙法で、どんどん時代が遡っていきます。そこで、章内のチャプターの番号も「八」から始まり、「七」「六」「五」……と逆転しています。

章題にもなっている一体の古びた「姉さま人形」が、それぞれの想いを乗せて8人(組)の人々の手から手へと受け継がれて来たというストーリーで、最終(物語冒頭)の昭和31年(1956)には放浪の画家・山下清。清は新宿中村屋の相馬黒光から、以下、時計の針がどんどん戻りながら、「姉さま人形」を受け継いだ人々の物語が紡がれます。伊藤野枝有島武郎に波多野秋子、松井須磨子、光太郎智恵子、平塚らいてう尾竹紅吉。らいてうは冒頭に山下清と共に登場しており、最後に伏線回収というわけです。

その他の章でも、光太郎智恵子ゆかりの人物などがずらり。第一章「カリーの香る探偵譚」は、新宿中村屋が舞台の一つで、光太郎の親友だった碌山荻原守衛は既に亡くなっているという設定ですが、守衛を援助していた相馬愛蔵・黒光夫妻が主要登場人物です。第五章「夫婦たちの新世界」には光太郎の師・与謝野夫妻、第七章「遠野はまだ朝もやの中」で宮沢賢治

さらに、中村彝、ラース・ビハーリー・ボース、江戸川乱歩、岩井三郎(明智小五郎のモデル)、野口英世、星一(星新一の父)、芥川龍之介、鈴木三重吉、島村抱月、吉岡信敬、中山晋平、坪内逍遙、松下幸之助、上野英三郎、ハチ公、仕立屋銀次、南方熊楠、柳田国男……なんとも豪華なキャストです。

「大正謎百景」の副題通り、それぞれの章に「謎」や事件が描かれますが、血腥い事件ではないので、よい子の皆様にもお勧めです(笑)。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

奥平さん夕方来る、セキの発作のためねてゐて話せず、ぢきかへる、 夕食ハマグリ等、パン、

昭和31年(1956)3月3日の日記より 光太郎74歳

いよいよ余命1ヶ月となりました。未だ食慾はあるものの、時折、会話が困難となる日もありました。「奥平さん」は親しかった美術史家の奥平英雄です。

智恵子がらみの最近の地方紙記事を2件。

まずは共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載された記事です。

東京舞台さんぽ 「レモン哀歌」詩碑のある大井町

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883〜1956年)の「レモン哀歌」は、妻智恵子をしのんで編んだ詩集「智恵子抄」の中の1編。国語の教科書に取り上げられるなど、広く知られた近代詩の一つだ。東京都品川区のJR大井町駅近くにある詩碑を訪ねた。(共同通信=近藤誠)
 駅の東口から出て、北東にゆるゆると下るゼームス坂通りをしばらく進み、小道で左折すると、レモン哀歌の碑に出合う。晩年の智恵子はこの地にあったゼームス坂病院で療養生活を送り、38年に52歳で死去した。
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 「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で」。智恵子の臨終を詠んだ詩が刻まれた碑は、推定される智恵子の背丈に合わせ、地元有志によって建てられた。手向けられたレモンが、晩秋の陽光を受けて輝いていた。
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 病院の名前にも関連するゼームス坂は、幕末に来日し、明治維新後はお雇い外国人として旧日本海軍の指導に尽力したという英国人J・M・ゼームスが暮らしたことから名付けられた。
 もとは浅間坂と呼ばれる急坂で地元の人々が大変苦労して歩いていたが、坂の途中に住んでいたゼームスが私財を投じて緩やかな坂に改修した。いつとなく、親しみと感謝を込めてゼームス坂と呼ばれるようになったという。現在ゼームス邸跡にはマンションが立っている。
 JR大井町駅の西側に店を構える「お江戸鎧せんべい岩本米菓」では、2019年からレモン哀歌にあやかったおかき「品川浪漫 レモン愛菓」を販売している。一口頬張ると香ばしい米のおいしさと、爽やかなレモンの風味が広がる。
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 【メモ】詩人の萩原朔太郎(1886〜1942年)は25年に群馬県から上京、大井町で生活を始めた。大井町緑地児童遊園には詩集「青猫」をモチーフとした「花子と太郎」像が設置されている。
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訪れたことのない方、ぜひ一度、足をお運びいただき、智恵子に思いを馳せていただきたいものです。

続いて智恵子の故郷・福島県の『福島民友』さんから。

ほんとの空...古里の情景たっぷり 来春開校・二本松実業高の校歌

 県教委が8日発表した二本松実業高(二本松市)の校歌には、豊かな歴史と文化があり、美しい自然を持つ二本松市の風景が表現されている。同校は県立高校改革の一環で二本松工と安達東が統合して来春開校する。
 校歌は、両校の伝統を受け継ぎながら、機械システム科や生活文化科など専門的な知識を学ぶ学校の生徒として、地域社会と共に未来へ向けて歩んでいく生徒を表現した。
 歌詞は校歌制作委員会が決定し、「安達太良山」「阿武隈川」「睡蓮(すいれん)」など、二本松市の景色をイメージさせる言葉が登場する。4番まであり、「現在(いま)を生きる これからの人」、「創ろう未来 つなごう心」など前向きな言葉を共通の歌詞に仕上げた。
003 作曲は、富岡小、富岡中の校歌の作詞作曲などを担当した福島市ゆかりの音楽家・大友良英氏が手がける。
 ◇二本松実高校歌◇
  1番
 空の青さに 陽(ひ)の光
 榎戸(えのきど)の丘 一瞬(とき)の風
 力漲(みなぎ)り 舞う砂けむり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 遥(はる)かな夢を ほんとの空に

  2番
 白く聳(そび)える 故郷(ふるさと)の
 安達太良山の 季節(とき)の雲
 掌(てのひら)見つめ 歯を食いしばり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 明日(あす)を探して ほんとの空に
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  3番
 瞳に映る 煌(きら)めきは
 阿武隈川の 悠久(とき)の色
 その身に宿る 手業の実り
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 希望を胸に ほんとの空に

  4番
 睡蓮(すいれん)の花 微笑(ほほえ)ほほえんで
 霞(かすみ)が池に 青春(とき)の影
 まっすぐな道 どこまでも往(ゆ)き
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 生きた証(あかし)を ほんとの空に

4番まである校歌歌詞、すべての結びに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を配して下さいました。現在の二本松工業高校さん、安達東高校さん両校の生徒さんから校歌に入れてほしい言葉を募り、両校の先生方で作る校歌制作委員会が作詞されたそうです。

そして作曲が何と「あまちゃん」や「いだてん」の大友良英氏。スカ調のにぎやかな校歌になるんじゃないかと、余計な心配をしてしまいます(笑)。是非とも野球の甲子園に出場していただき、この校歌を全国に響かせていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、


昭和30年(1955)8月26日の日記より 光太郎73歳

『家の光』は光太郎もたびたび寄稿していた雑誌。版元の家の光協会は全国農業協同組合、現在のJAグループさんの関連団体でした。

そこで校歌ならぬ団体歌のような「家の光つどいの歌」のレコードを制作、そちらには光太郎は関わっていませんが、B面に光太郎詩「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)と、竹内てるよの「わたくし」の朗読をプレスしました。
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上記画像、当方が入手した現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の作詞者、作曲者、歌手などなど。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

当時流行っていた「ピクチャーレコード」という種類のSP盤ですが、レトロな感じが実にいいですね。

昨年上演されたものの、芸術祭参加作品としてパワーアップしての再演だそうです。

朗読劇『智恵子抄』

東京公演
 期 日 : 2022年11月10日(木)
 会 場 : 三越劇場 東京都中央区日本橋室町1-4-1
 時 間 : 14:30~ / 17:00~
 料 金 : 4,000円(全席指定)

福島公演
 期 日 : 2022年11月13日(日) 
 会 場 : 二本松市安達文化ホール 福島県二本松市油井字濡石1-2
 時 間 : 14:30~
 料 金 : 3,000円(全席指定)
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原作 : 高村光太郎の詩集「智恵子抄」
脚本 : 北條秀司  
構成・演出 : 成瀬芳一
 
配役 : 高村光太郎 松村雄基  高村智恵子 一色采子  柳敬助・草野心平 二反田雅澄
     柳八重 小川絵莉
 
<ヴァイオリン>桐山なぎさ   <チェロ>阿部雅士

【ストーリー】
 長沼智恵子は、福島県二本松の近在の酒造りの家の長女として生れ、土地の高等女学校を卒業してから東京目白の日本女子大学校家政科に入学、洋画に興味を持ち始め、卒業後東京に留まり油絵を学んだ。そして同級生の柳八重の紹介で高村光太郎を知り、激しい恋心を抱くようになった。一方光太郎は、明治の名工高村光雲の長男として生れ、父の伝統を受けて彫刻家となったが、新進詩人としても華やかな存在だった。彼は放蕩無頼の芸術家達と交わり、自堕落な生活を送っていたが、智恵子を知ってからは、彼女の清らかな美しさに洗い清められ、以前の退廃生活から救い出されていた。
 智恵子の愛によって清められた光太郎は美の世界にとびこみ、彫刻の道に骨身をけずり、妻に迎えた智恵子との愛の歓喜を歌った詩がほとばしるように生まれた。
 その後智恵子の実家は凋落し、家屋敷が人手に渡った。芸術的精神と物資に恵まれない家庭生活との板挟みとなるような月日が二人に重くのしかかっていた。智恵子は訪ねて来た八重に、画を捨てて世話女房になって高村をたすける事を告げたが、同時に幻聴が襲って来る悩みも打ち明けた。
 その後無残にも智恵子は精神分裂症になりはてていた。
 静養のため九十九里浜に転地した智恵子の症状はややもち直したが、その後南品川のゼームズ坂病院に入院した智恵子の病状は悪化していった。昭和13年光太郎の献身的な介抱むなしく、智恵子の肉体は遂にこの世を去った。
 昭和20年、戦争で東京の住居を焼かれ、心に智恵子を抱きながら光太郎は、岩手花巻の山中に山小屋を作り、一人で生活していた……。

智恵子役は昨年に引き続き、一色采子さん。お父さまの故・大山忠作画伯が智恵子と同郷の二本松ご出身で、智恵子をモチーフにした絵を複数残されています。

昨年の公演についてはこちら。
 「朗読劇 智恵子抄」。
 「朗読劇 智恵子抄」稽古拝見。
 「朗読劇 智恵子抄」銀座公演。
 「朗読劇 智恵子抄」関連。
 「朗読劇 智恵子抄」二本松公演報道。

一色さん以外のキャストは昨年と一新、さらに今年は劇伴を生演奏で行うと云うことで、ヴァイオリンとチェロの方が加わられるそうです。

一色さんからご案内を頂いております。
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コピーだとは存じますが、こう云われてしまうと参上せざるを得ないかな、というわけで(笑)、東京公演の方で申し込みました。

二本松公演に関しては、地元紙『福島民友』さんが報じています。

夫婦愛をドラマチックに 二本松、11月に朗読劇「智恵子抄」上演

004 詩人、彫刻家の高村光太郎の詩集「智恵子抄」を舞台にした朗読劇「智恵子抄」の二本松公演は11月13日午後2時30分から、高村智恵子の古里・二本松市の安達文化ホールで開かれる。
 朗読劇は、劇作家の北條秀司(1902~96年)が智恵子抄を基にまとめた戯曲が原作。構成・演出の成瀬芳一さんが「樹下の二人」や「あどけない話」など数編を織り交ぜ、光太郎と智恵子の夫婦愛を描いた。
 智恵子役は同市ゆかりの俳優一色采子さんが演じ、光太郎役を松村雄基さん、智恵子の同級生柳八重役を小川絵莉さん、いわき市出身の詩人草野心平役などを二反田雅澄さんが務める。
 二本松公演は、智恵子抄出版80年を記念した昨年に続き2度目。今年は、一色さんを除きキャストを一新したほか、劇伴にバイオリンとチェロの生演奏を採用した。一色さんは「光太郎が松村さんになり、昨年とは異なる智恵子を演じられると思う。新しい仕掛けもあり、よりドラマチックな舞台になる」とPRする。
 チケットは全席指定で3千円。市文化課や安達公民館、市民交流センターで取り扱う。問い合わせは主催・製作の新派アトリエの会(電話090・1617・3675)へ。

都内、二本松、いずれかに皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

〈(五月中旬来外出せず)〉

昭和29年(1954)8月29日の日記より 光太郎72歳

何気に書かれた一言ですが、宿痾の肺結核のため、もう三ヶ月以上、ほぼ臥床している毎日。この後もしばらくは起居していた中野の貸しアトリエから一歩も踏み出さない生活が続きます。ただ、翌年になると少し回復し、近所の散歩程度は出来るようになりました。

昨日は智恵子の故郷、福島二本松に行っておりました。二本松の秋の風物詩・菊人形と、智恵子生家で期間限定公開中の智恵子の花嫁衣装などを拝見して参りました。

花嫁衣装が既に出ているものだと勘違いしており、今月初めにも行きまして、着いてから誤りに気づいたという間抜けぶりでしたが(笑)、その際は、大山忠作美術館さん、JR東北本線安達駅に昨年除幕された智恵子像「今 ここから」などを拝見し、また、8月に亡くなった智恵子顕彰団体・智恵子の里レモン会長であらせられた故・渡辺秀雄氏の墓参なども行いましたので、それはそれで有意義でしたが。

途中の東北自動車道安達太良SAにて。
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前回訪問時はどんよりした天気だったため見られなかった「ほんとの空」、今回も「雲一つない快晴」とはいきませんでしたが、それなりに。
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続いて二本松市街の霞ヶ城へ。こちらが菊人形会場です。
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「ほんとの空」をバックにした紅葉もいい感じでした。

菊人形はコロナ禍のため一昨年は中止、昨年は規模を大幅に縮小しての開催、今年は3年ぶりに通常に戻った感じでした。今年のテーマは「竹取物語」。
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人形を拝見しつつ、何だか、智恵子は光太郎のもとにやってきたかぐや姫のような存在だったのでは……と思ってしまいました。無理くりですが(笑)。

人形以外に近郷近在の団体、個人が部門別に競う作品展的な展示等も例年行われています。
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その中で、当方にタダ券をくださった、元・智恵子の里レモン会の方の作品も、見事入賞されていました。素晴らしい。
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その他、大河ドラマ便乗(笑)。
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ドラマで野添義弘さんが演じていらした安達盛長は、奥州藤原氏攻めの後、陸奥国安達郡を所領としましたので、それもありかな、と。

会場すぐ裏手には、「智恵子の藤棚」。もと、智恵子生家の庭にあったものだそうです。
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さらに上っていけば光太郎詩碑もあるのですが割愛し、菊人形会場をあとに、旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館さんへ。
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生家一階の座敷で、早速、お目当ての花嫁衣装を拝見。特別公開中で、二階のみならず一階も歩いて廻れます。
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何とも色鮮やかな打掛です。縁起物の鶴亀や松竹梅の模様は金糸銀糸などをふんだんに使った刺繍。
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雑誌に載った写真や、テレビで流れた映像では見たことがありますが、初めて実物を拝見し、眼福でした。智恵子実家の長沼酒造倒産後、金目の物は散逸し、廻り廻って現在は地元の呉服店さんが所有しているとのこと。以前は「これは何処に行っちゃったんだろう」と思っていましたが、こうして現存していたのは喜ばしい限りです。

ただし、キャプションは問題があります。以前にも書きましたが、智恵子と地元医師との縁談があったのはどうも明治45年(1912)ではないようで、その時点では問題の地元医師は既に妻帯、子まで為していました。この打掛が間違いなく明治45年(1912)に仕立てられたものだとすれば、縁談の相手は別の人物と云うことになると思われます。

「明治45年(1912)、地元医師との縁談」というのは、以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類で定説のようになってしまっており、一度そうなるとなかなか訂正されないという一つの類例ですね。

ところで、現在、生家の庭に据えられている灯籠のうちの一つも、一度人手に渡ったものが平成29年(2017)に二本松市に寄贈という形で戻ってきたりもしていますし、さらに遡れば、平成4年(1992)に生家が修復整備された際に戻ってきた品々(一階座敷の仏壇に納められた仏像など)もあり、まだ近隣には長沼家ゆかりの品が残っているのかも知れません。

それを言い出すと、以前から生家で展示されている智恵子愛用の機織り機や蓄音機、琴、鳥籠など、どういう経緯でここに納められているのか、それぞれにドラマがあったことと思われ、改めて関係の皆さんのご苦労が偲ばれました。
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さらに特別公開の二階へ。二階は智恵子や、おそらく妹たちの居室、さらに光太郎が訪れた際に泊まった部屋です。
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小さな畳は掘りごたつの炉の跡。

智恵子居室の電灯には、陶器製のローゼット。
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当時としては高級品、これが使われていたのはこの部屋だけだそうで。当方、何度もこの部屋を訪れていますが、いつもこれを撮影するのを忘れていて、初めて撮りました(笑)。

二階部分(というか一階も)への立ち入り、花嫁衣装の公開、ともに11月8日(火)までです。同じ敷地内の智恵子記念館での、智恵子紙絵実物展示は11月13日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

夕方小雨、雷雨あり、落雷と見えて二三強し それ以後停電、十時現在まだ電灯つかず、

昭和29年(1954)8月29日の日記より 光太郎72歳

最近はほとんど無くなったように思われますが、昔は落雷による停電が頻繁にありましたね。

ちなみに光太郎、世の中で最も恐ろしいと思っていたものの一つが雷でした。昭和15年(1940)には、ずばり「雷ぎらひ」というエッセイまで書いています。

そちらに曰く「私は生来の雷ぎらひである。どういふわけといふ理由も何もないが、あの比例外れな、途方もない、不合理極まる大音響が第一困る。これはまるで前世紀の遺物ではないか。イグアノドン、マストドンの夢ではないか」。そして落雷が近づくと、自分で電気のブレーカーを落とし、足袋のコハゼをはじめ、一切の金属を身体から遠ざけ、脚に滑り止めのゴムをはめた籐椅子に座り、難しい書物を読んで意識をそちらに向けて恐怖を紛らわしたそうです(笑)。

数え72歳だったこの頃はどうだったのでしょうか。

昨日は、智恵子の故郷である福島県二本松市に行っておりました。コロナ禍前には年に数回お邪魔していたのですが、イベント等もあまり行われなくなって足が遠のいておりました。そこで一昨年の11月以来、およそ2年ぶりでした。レポートいたします。

愛車を駆って午前10時過ぎには二本松市到着。まずJR東北線二本松駅前の市民交流センターさんへ。3階の大山忠作美術館さんで、コレクション展的な「心惹かれた人を描く」が開催中です。
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女優・一色采子さんのお父さまでもあらせられた文化勲章受章者の故・大山忠作画伯。二本松ご出身ということで、同郷の智恵子をモチーフに描かれた作品も複数有ります。そのうちの一枚「智恵子に扮する有馬稲子像」がフライヤーの表(おもて)面。それ以外に智恵子そのものを描いた「霧〈高村智恵子〉」、幼き日の一色采子さんがモデルの「童女」(フライヤー裏面右上)なども出ていました。

同じ交流センター3階の逆サイドでは、「第27回 智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品展も開催されていました。
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智恵子を題材にした作品も。ありがたし。
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続いて、すぐ目の前の二本松駅へ。

昭和51年(1976)設置の光太郎詩碑。「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節が刻まれています。
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曰く「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」。よく晴れた日には傾斜のついたこの碑面に青空が映るのですが、残念ながら昨日はどんよりと曇り(笑)。

すぐそばの智恵子像「ほんとの空」。昨年亡くなった彫刻家・橋本堅太郎氏の平成21年(2009)の作です。
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その後、車で一つ先の安達駅に。こちらには同じ橋本氏の遺作となった智恵子像「今 ここから」が昨年、除幕されました。先述の通り、しばらく二本松に足を運んでいなかったもので、当方、初見でした。
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二本松駅前では洋装だった智恵子、こちらでは単衣(ひとえ)の着物姿です。袷(あわせ)ではボテッとしてしまう、と、生前の橋本氏が語られたそうで。

駅構内には、智恵子生家の大きな写真。以前に来た時にはなかったような……。
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さらに「駅ピアノ」。時間もありませんでしたし、暗譜ですらすら弾ける腕前でもないので(笑)、写真を撮るにとどめました。
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来た道を少し戻って、智恵子生家/智恵子記念館さんへ。こちらで智恵子の里レモン会の方と待ち合わせ。
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当方、てっきり智恵子の花嫁衣装の展示と、二階部分の特別公開が始まっていると思いこんでいましたが、そちらは10月27日(木)からでした。自分でブログに紹介しておきながら勘違いしていました。アホですね(笑)。

それでも、生家裏手の記念館さんでの紙絵実物公開は始まっており、拝見しました。
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また、記念館開館30周年記念の缶バッヂ(先着順)もゲット。
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花嫁衣装を見るため、月末にもう一度訪れようと思いましたが、その時までこれが残っていないかもしれないので、ラッキーでした。

記念館の展示を見てから、生家内部へ。
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PXL_20221009_022331779意外と来館者が多くいらしていました。バスツアーの団体さんという感じでもなく、御家族連れ的な方々が数組。ありがたいことです。

その後、レモン会の方に案内していただき、8月に亡くなられたレモン会会長であらせられた故・渡辺秀雄氏のお墓参りに。智恵子生家/智恵子記念館と同じ旧安達町にある、安達太良山円東寺さんにお墓がありました(「安達太良山」が山号です)。

同行して下さったレモン会の方によると、氏はクリスチャンであらせられたそうですが、仏教寺院にお墓。ちゃんと戒名も刻まれていましたが、それでもやはりクリスチャン風にちょっと変わったものでした。香華を手向け、手を合わせ、在りし日の氏を偲ばせていただきました。

レモン会の方と別れ、二本松市街へ。二本松城で開催されている菊人形の無料券をいただきましたが、駐車場がかなりの混雑で、申し訳ありませんがパスしました。そのまま市外を通り過ぎ、安達太良山中腹の岳温泉さんへ。
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一昨年泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんへ。こちらのフロントには、オーナーの方が入手された光太郎の書、智恵子の紙絵(複製ではなく真作)などが展示されているのですが、女将さんから、「新たに光太郎先生の写真なんかも増やしましたので、ぜひご覧ください」と連絡を頂いていたので、伺った次第です。

ところが折悪しく、女将さんは不在。それでも展示は拝見出来ました。
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なるほど、光太郎の写真が増えていました。戦後の7年間、蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)でのショットです。このネガもこちらで入手されているので、そこからプリントなさったのでしょう。
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さらに、智恵子の紙絵真作も一点増えていました。
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下記は一昨年にも展示されていたのですが。
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これらが常設で見られるというのはいいですね。

扇やさんをあとに、素泊まりで滞在する際に必ず行く食堂で昼食。そこも3年半ぶりくらいでした。

食べ終わると、猛烈な眠気。歳をとるごとに長距離の運転も負担に成りつつあります(笑)。思い切って駐めた車中で1時間ほど仮眠しました。日帰り温泉にでもつかろうかとも考えていたのですが、ここで温泉に入ったら、バタンキュー(死語ですね(笑))帰れなくなってしまいますので断念し、帰途に就きました。

そんなこんなの二本松。上記の通り、花嫁衣装の拝見のため、月末にもう一度行ってこようと思っております。
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皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

中西夫人に此頃は買物を頼む、 夜在宅、 〈相当いたむ〉


昭和29年(1954)5月9日の日記より 光太郎72歳

相当いたむ」のは、結核性の肋間神経痛。そのため、日々の買い物も、起居していた貸しアトリエの大家(おおや)の「中西夫人」に頼むようになりました。

そのためのメモが中西家に大量に現存しています。

最新号ではないのですが……。

『財界ふくしま』2022年9月号

2022年8月4日 ㈱財界21発行 定価682円+税

■シリーズ第3弾 板倉病院の〝負の連鎖〟が止まらない
■2022首長選レポート 中島村長選情報
■特別インタビュー 近内幸雄いしかわ医研代表/長谷川祐一県薬剤師会長
           橋本克也須賀川市長/小野利廣県経営者協会連合会長
           志賀博之福島さくら農業協同組合代表理事組合長
           舟見敬成県理学療法士会長
           原喜代志会津よつば農業協同組合代表理事組合長
■2022インタビュー 本多洋八いわき信用組合理事長
          石川俊石川建設工業(株)代表取締役社長
■編集長インタビュー/管野啓二JA福島五連会長
■連載⑪/ふくしまから地球文明の未来を
 時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち、そして現在日本の看護を支える
 「令和の瓜生岩子」―新島八重、高村智恵子、田部井淳子、そして福井トシ子―
 森田実 政治評論家・ 東日本国際大学名誉学長
■連載/県内大学リレー寄稿「フクシマの未来像」瀬川洋(学)晴川学舎奥羽大学歯学部長
■連載/世界のフクシマ県人会 ワペンスキー英子北加福島日系人会長
■連載/森林(もり)とともに85年―福島・日本の未来へのメッセージ―
 國井常夫元全国森林組合連合会会長(現・西白河地方森林組合組合長)
■連載④/一千年の時を刻む薬師如来―仏都会津の慧日寺御本尊を復元―
 五十嵐源市元磐梯町長
■特別座談会/「再生可能エネルギーが築く未来社会」
 足立淳星のや竹富島ファシリティマネージャー
 柴幸秀ゼネラルヒートポンプ工業(株)専務取締役
 白石昇央(株)エナジア代表取締役
■首長メッセージ/大玉村、平田村、湯川村、会津坂下町、柳津町
■特集/2022参院選
■ざいかい短信 新地町長選
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東日本国際大学名誉学長・森田実氏による連載「ふくしまから地球文明の未来を」。近現代の「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」を紹介なさっています。その中で、智恵子も取り上げて下さいました。

最初の部分。
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特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、こういう風に取り上げられるとついつい購入してしまうかなしい性(さが)の当方です(笑)。

他に「八重の桜」の新島八重、登山家の故・田部井淳子さん、そして日本看護協会会長・福井トシ子さん。たしかに「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」と言えましょう。そういう土壌が福島には何かあるのでしょうか。当方の存じ上げる福島の女性の皆さんも、皆、素敵な方々です(ヨイショ(笑))。

さて、今日はその福島に行って参ります。二本松の智恵子生家/智恵子記念館を中心に(智恵子の花嫁衣装も観て参ります)、8月22日に亡くなられた智恵子の里レモン会長であらせられた渡辺秀雄氏の墓参など。時間が許せば岳温泉や安達太良山も(登りはしませんが)と考えております。

追・花嫁衣裳の特別公開、と思っていましたが、公開はまだでした。自分でブログに紹介しておきながら日程を勘違いしていました(笑)。

【折々のことば・光太郎】

久しぶりにタバコ一服、メマヒす、


昭和29年(1954)5月6日の日記より 光太郎72歳

肺結核による肋間神経痛は数年前からでしたし、さらにこの時期は息切れ等で苦しんでいたのですが……。

今日10月5日(水)はレモンの日。昭和13年(1938)の今日、智恵子が南品川ゼームス坂病院で、いまわの際に光太郎が持参したレモンをがりりと噛んだことに由来します。

かつて数々の女優さんが演じてきたそのシーン。

昭和32年(1957)、東宝映画「智恵子抄」で、原節子さん。
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その10年後、昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」では、岩下志麻さん。
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テレビでは、平成3年(1991)、NHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、佐久間良子さん。
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テレ東さんでも、平成6年(1994)に「日本名作ドラマ 智恵子抄」。南果歩さんが演じられました。
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それから、ドラマではありませんがNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」(平成27年=2015)。再現Vのパートで前田亜希さん。
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智恵子役といえば、平成21年(2009)、日テレさん系の深夜ドラマ「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 での紺野まひるさんが、個人的には非常にいいと思ったのですが、ドラマの演出上、レモンを噛む智恵子臨終のシーンはありませんでした。
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さて、真面目な話も(ここまでが不真面目だったわけではありませんが(笑))。

最近、こんな絵葉書を入手しました。

明治40年(1907)、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会(イベントとしての同窓会ではなく、組織としての)である桜楓会発行のもので、エンボス加工(レリーフのように図柄を盛り上げた印刷)が為されており、カラーですし、当時としては高級なもののようです。
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「Souvenir Post Card. The Ofukai Bazar 1907-」「桜楓会バザー記念」の文字。このバザーというのが、日本女子大学校の名物行事の一つでした。その際に来場者にお土産として配付されたものでしょうか。

平成2年(1990)、二本松市教育委員会刊行の『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』(当会顧問であらせられた北川太一先生編)所収の智恵子年譜に拠れば「当時のバザー、学芸会の装飾、背景などは、智恵子によるものが少なくない」とのこと。すると、この絵葉書も原画は智恵子が描いたものなのかもしれません。

傍証は、図柄。書籍が描かれていますが、背の部分に「三つの」という金文字が見えます。どうやらこの書籍は『三つの泉』ではないかと推定出来ます。

『三つの泉』は、明治39年(1906)、日本女子大学校で、皇族等を招いて大々的に開催された「秋期文芸会」(今で言う学園祭的な行事)を記念して、翌年(上記絵葉書と同じ年です)に、やはり桜楓会から刊行されたものです。
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こちらはその表紙、中のカット(右上、写真の周りの縁取り)を智恵子が描いたことが既にわかっています。

となると、上記絵葉書もやはり智恵子が原画を描いたと考えるのが妥当なような気がします。花の描き方も、『三つの泉』のカットと共通するような……。

作者のサインがありませんので断言できないのですが……。

これが智恵子の手になるものだということが証明出来る、光太郎智恵子、あるいは周辺人物の回想文や書簡などが出て来ることを望みます。

さて、今日は「レモンの日」。皆様方には、ぜひ智恵子という鮮烈な生き方をした人物を、それぞれの場で偲んでいただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

筑摩書房の人くる、全集用の写真をかし又色紙一枚かく、「いろはにほへと」とかく、

昭和29年(1954)4月23日の日記より 光太郎72歳

全集」は『現代日本文学全集』。第24巻が「高村光太郎 萩原朔太郎 宮沢賢治集」でした。「いろはにほへと」の書は、光太郎の部の最初に印刷されています。
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一昨日のこのブログサイトで、智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館のイベント情報(紙絵の実物公開/生家二階部分の特別公開等)についてご紹介しましたが、追加情報です。

昨日になって、二本松市さんのサイトに以下の告知が出ました。『広報にほんまつ』さんにはその情報が出ていませんでした。

智恵子記念館開館30周年記念事業のご案内 「智恵子“幻”の花嫁衣裳」特別展示

今年度は智恵子記念館開館30周年を迎えるにあたり、高村智恵子ゆかりの品として、初公開となる「智恵子“幻”の花嫁衣裳」を展示いたします。

智恵子が纏うはずであった花嫁衣裳を、夫・高村光太郎が著した「智恵子抄」の詩などと共にご覧ください。

展示期間・時間
 10月27日(木曜日)~11月8日(火曜日)
 午前9時00分から午後4時00分
 ※10月30日(日曜日)は智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール表彰式が実施されるため、午前12時30分から午後4時00分のみ公開となります。
 展示場所 智恵子の生家内
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市のサイトには、現物の画像は出されていません。「是非デザインをご想像の上お越し下さい」だそうで。

当方も現物は見たことがありません。しかし「初公開」とありますが、開館当初の一時期、公開されていたことがあったのではないかと思われます。平成6年(1994)、講談社さん発行の女性誌『SOPHIA』1994年3月号に載った「ソフィア・スペシャル 高村智恵子の結婚の條件〈シリーズ=時代を道づれにした女〉」という16ページある記事に、生家座敷で撮影されたカラーの大きな画像が出ていますし、同10年(1998)に日テレさん系で放映された「知ってるつもり!?」の智恵子の回で同様の映像が使われました。
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まぁ、二本松市さんが「是非デザインをご想像の上お越し下さい」とおっしゃってますので、画像は出しませんが(笑)、実に豪華な作りの目にもあでやかな着物です。他の智恵子愛用品(琴や機織り台、蓄音機など)は寄贈されて常設展示されていますが、この着物は所有権が市に移っていないのか、あるいは市の所蔵にはなっているものの、常設で出すと染色の劣化が進むので通常は展示していないのか、そんなところだろうと思います。画像があまり世に出ていないことを考えると、可能性が高いのは前者の方でしょうか。

ところで、智恵子の結婚話。

以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類では、明治45年(1912)頃、智恵子に二本松の医師・寺田三郎との縁談が持ち上がり、光太郎はそれを受けて詩「人に」(原題「N――女史に」)で「いやなんです あなたのいつてしまふのが――」「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳い、それを読んだ智恵子が、実家に帰ってすったもんだの末に縁談の破棄を認めさせ、光太郎の元に走った(光太郎が滞在していた犬吠埼まで追いかけていった)とされています。

ところが最近、この年には寺田は既に妻帯しており、子まで為していたということが明らかになりました。どうも関係者の記憶違いがあったようです。おそらく、寺田との縁談は確かにあったのでしょうが、もっと前。しかし光太郎が「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳ったのは、間違いなくこの年ですので、他の縁談があったのか、それとももしかすると、煮え切らない光太郎に対して智恵子が「嫁に行く」と嘘をついたのかも知れません。そうだとすると、光太郎、まんまと智恵子の手練手管にはまったわけですね(笑)。しかし、今となっては真相は闇の中です。

というわけで、智恵子生家/智恵子記念館、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

NHKの録音班三人くる、30分第一回分を吹込、これは20日の事、

昭和29年(1954)4月10日の日記より 光太郎72歳

ラジオ連続講座「美の世界」の収録です。2回に分けての放送で、初回が「破壊と美」、第2回が「都市美について」の副題でした。残念ながらこの録音はNHKさんに残っていないようです。

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