カテゴリ: 智恵子

光太郎智恵子が登場しているとは存じませんで、新刊、といっても5ヶ月近く経ってしまいましたが……。

風よ あらしよ

2020年9月25日 村山由佳著 集英社 定価2,000円+税

【祝!本の雑誌が選ぶ2020年度ベスト10第1位】

どんな恋愛小説もかなわない不滅の同志愛の物語。いま、蘇る伊藤野枝と大杉栄。震えがとまらない。
姜尚中さん(東京大学名誉教授)

ページが熱を帯びている。火照った肌の匂いがする。二十八年の生涯を疾走した伊藤野枝の、圧倒的な存在感。百年前の女たちの息遣いを、耳元に感じた。
小島慶子さん(エッセイスト)

時を超えて、伊藤野枝たちの情熱が昨日今日のことのように胸に迫り、これはむしろ未来の女たちに必要な物語だと思った。
島本理生さん(作家)

明治・大正を駆け抜けた、アナキストで婦人解放運動家の伊藤野枝。生涯で三人の男と〈結婚〉、七人の子を産み、関東大震災後に憲兵隊の甘粕正彦らの手により虐殺される――。その短くも熱情にあふれた人生が、野枝自身、そして二番目の夫でダダイストの辻潤、三番目の夫でかけがえのない同志・大杉栄、野枝を『青鞜』に招き入れた平塚らいてう、四角関係の果てに大杉を刺した神近市子らの眼差しを通して、鮮やかによみがえる。著者渾身の大作。

[主な登場人物]
伊藤野枝…婦人解放運動家。二十八年の生涯で三度〈結婚〉、七人の子を産む。
辻 潤…翻訳家。教師として野枝と出会い、恋愛関係に。
大杉 栄…アナキスト。妻と恋人がいながら野枝に強く惹かれていく。
平塚らいてう…野枝の手紙に心を動かされ『青鞜』に引き入れる。
神近市子…新聞記者。四角関係の果てに日蔭茶屋で大杉を刺す。
後藤新平…政治家。内務大臣、東京市長などを歴任。
甘粕正彦…憲兵大尉。関東大震災後、大杉・野枝らを捕縛。

【著者略歴】
村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て作家デビュー。1993年『天使の卵――エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞、2003年『星々の舟』で直木賞、2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞を受賞。
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【目次】
 序  章 天地無情
 第  一  章 野心
 第  二  章 突破口
 第  三  章 初恋
 第  四  章 見えない檻
 第  五  章 出奔
 第  六  章 窮鳥
 第  七  章 山、動く
 第  八  章 動揺
 第  九  章 眼の男
 第  十  章 義憤
 第十一章 裏切り
 第十二章 女ふたり
 第十三章 子棄て
 第十四章 日蔭の茶屋にて
 第十五章 自由あれ
 第十六章 果たし状
 第十七章 革命の歌
 第十八章 婦人の反抗
 第十九章 行方不明
 第二十章 愛国
 終  章 終わらない夏
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『青鞜』社員でもあった、伊藤野枝の評伝小説です。序章は大正12年(1923)9月、関東大震災の場面。その後、第一章からは明治28年(1895)の野枝の誕生以後をほぼ時系列を追って展開します。

野枝はとにかく向学心に燃え、貧しい家庭に生まれながらも周囲を強引に説得し、上野高等女学校に進学、卒業時に無理矢理意に沿わない結婚を強いられるも婚家を飛び出し、女学校の教師だった辻潤と結ばれ、『青鞜』に参加。発起人の平塚らいてうが編集から離れると、それを引き継ぎます。するとアナキスト・大杉栄と知り合い、たちまちその魅力に惹かれ、辻と別れて大杉の元へ。しかし大杉は「自由恋愛」を標榜し、野枝以外にも二人の女性との関係を続けます。そのうちの一人、神近市子に大杉が刺され(いわゆる「日蔭茶屋事件」)、一命を取り留めた大杉とともに無政府主義運動にのめり込む野枝。やがて関東大震災、そして、そのどさくさで大杉もろとも憲兵隊に拘引され……。

何というか、「火の玉」のような女性です。永遠の厨二病的な傾向や、自分もそうされてきたにも関わらず、我が子に対するネグレクト(結局、そういう部分は連鎖するのでしょうか)、そして辻や大杉らとの四角関係、五角関係など、決して手放しでほめられる生き方をしていなかった部分も多いのですが、確かにその生の軌跡には鮮やかな、そして烈しい光芒……。

野枝が『青鞜』に加わったのは、智恵子が『青鞜』から離れたあとで、おそらく直接の面識はないものと思われます。そこで、この小説が出ていたのは存じておりましたが、智恵子は登場しないだろうと思い、購入せずにいました。ところが、そうでないと知り、慌てて購入して読んだ次第です。

第七章 山、動く」で明治44年(1911)の『青鞜』発刊前後も描かれており、数え26歳の智恵子。
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「明」は「はる」と読み、らいてうの本名です。「智恵」が智恵子。智恵子の戸籍名はカタカナで「チヱ」ですが、この頃、多くの女性が勝手に漢字を当てたり、「子」をつけたりした名を自称しています。与謝野晶子も本名は「しよう」。旧仮名遣いですので拗音でも「よ」は大きな「よ」、したがって読み方は「しょう」。そこで「晶」の字をあて、「子」をつけて「晶子」、さらに訓読みにして「あきこ」です。

閑話休題。感心したのは、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏により明らかにされた、智恵子の手になる『青鞜』表紙絵が、ウィーン分離派の作家、ヨーゼフ・エンゲルハルトの寄木細工を模写したものであること、そうした転用が普通であったことがしっかり記されている点。こうした最近の研究成果を取り入れていらっしゃる村山さん、さすがです。どうも「老大家」と称される人々の御著書には、そうした姿勢が欠けています。

第十九章 行方不明」には、光太郎も登場していました。
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当会の祖・草野心平や、親交の深かった彫刻家・高田博厚などの影響もあったのではないでしょうか、光太郎、大正後半から昭和初めにかけては、プロレタリア文学者と言えるような立ち位置にいました。大杉の義弟・近藤憲二の主宰する『労働運動』編集部に、ブロンズの代表作「手」を寄贈しようとしたエピソード。大正10年(1921)の、知る人ぞ知る話です。

光太郎が歿した直後(昭和31年=1956)、近藤は『クロハタ』に「高村光太郎氏のこと」と題する追悼的な一文を寄せ、この時の模様を語っています。当会発行の冊子『光太郎資料43』に載せましたが、全文は以下の通り。
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000村山さん、この文章にも目を通されているようです。光太郎の言った「ぼく、高村光太郎」などの言葉がそのまま引用されていますので(あるいは近藤が他でも同じエピソードを書いているのかも知れませんが)。

おそらく、野枝はじめ他の人物についても、多くの資料を読み込まれて書かれた小説なのでしょう。そういう部分では、非常に好感が持てますね。ただし、本文650ページ超、重量約620㌘。手に持って読むと、軽く筋トレにもなります(笑)。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

西公園駅から二ツ関まで無理な位こんだ電車に乗る。


昭和21年(1946)9月9日の日記より
 光太郎64歳

電車」は花巻電鉄。「二ツ関」は「二ツ堰」の誤記です。「馬面電車」と呼ばれた狭軌の車輌、普通に乗っていても向かいの座席に坐っている人と膝が当たるという状態ですので、座れずに立って乗る人が多数いたらひどい混雑だったでしょう。下の画像、中央で立っているのが光太郎、昭和28年(1953)のものです。
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智恵子の故郷、福島県二本松で智恵子の顕彰活動をなさっている智恵子のまち夢くらぶさんの会報的な『智恵子講座2020文集』が届きました。

基本、11月に行われた「智恵子講座2020」(当初、今月20日にも予定されていましたが、そちらは中止になったようです)に参加した方々の感想集的なものですが、それ以外の会の活動報告的な内容、それらが取り上げられた地方紙のコピーなども載っています。
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寄せられた原稿をそのままコピーして綴ったものですので、手書きの原稿も多数。

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この手作り感があたたかみを感じさせます。

当方も講師として参加させていただきましたので、何か書くようにというお達しがあり、講座終了後に宿泊した岳温泉の「あだたらの宿扇や」さんに関して。
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扇やさんでは、新たに入手された光太郎書と智恵子の紙絵の実物が飾られており、さらに展示はされていないものの、光太郎の生写真なども所蔵されています。

実際に見てみるまでは不確かな情報でしたので、講座の中ではその件には触れませんでした。そこで、この場を借りて紹介し、二本松の皆さんにぜひご覧頂きたいと思った次第です。

来年は『智恵子抄』初版の発刊(昭和16年=1941)から80周年の記念の年(ということはイコール太平洋戦争開戦80周年でもありますね。幼稚なネトウヨが大喜びしそうで今から憂鬱です(笑))なので、夢くらぶさんとしても、さまざまなイベントを考えられているようです。その計画案も載っていました。
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『智恵子抄』、それから『智恵子抄その後』(昭和25年=1950)等所収の詩の人気投票的な「「智恵子抄」総選挙」、「「智恵子抄」安達太良キャンプ」(この中でまた講座の講師をやれといわれております)、そして第2回「「智恵子抄」朗読全国大会」(第1回の模様はこちら)などなど。

それぞれまた詳細が出ましたらご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

夜度々おきる、 暁天に廿八九日の細き弦月を見る。甚だ凄し。


昭和20年(1945)11月2日の日記から 光太郎63歳
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田舎では今でもそうですが、月明かりのない夜は本当に真っ暗です。ましてや終戦直後の花巻郊外旧太田村、夜の闇はまさに「漆黒」だったことでしょう。

すると、いきおい、光太郎の目は夜空に向けられたのだと思われます。日記には天体に関する記述が頻出しています。東京住まいの長かった光太郎には、光害のほとんどない場所で見る月や星の美しさは、実に新鮮だったのでしょう。

12月7日(月)、『朝日新聞』さんの夕刊に掲載された記事をご紹介します。執筆された記者さんからちらっと電話取材を受けまして、掲載紙を送って下さいました。自宅兼事務所でも同紙を購読しているのですが、夕刊は契約していませんので、ありがたく存じました

品川区の大井町を紹介する、まるまる1ページとった大きな記事です。大井町といえばゼームス坂病院。智恵子終焉の地で、跡地には光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を刻んだ碑が建っています。
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(まちの記憶)大井町 東京都品川区 物語生む、にぎわいの交差点

 交差点の歩道橋を、日傘を差した若い女が軽やかに渡っていく。らせん階段を下り、目の前のさびれた古道具屋の中へ。女はガラス製の舶来骨董(こっとう)「なみだ壺(つぼ)」を手に取り、自分の目元に近づけ、店主の中年男にほほ笑む――。
 1983年公開の映画「時代屋の女房」は、早世した夏目雅子の美しさと演技力が際立つ作品だ。原作者で、82年の直木賞に輝いた村松友視さん(80)は当時42歳。小説の舞台に、出版社員だった30歳前後の時に暮らした東京都品川区の大井町を選んだ。
 「隣の駅の大森がしゃれた屋敷街なら、大井町はパチンコ屋とか映画館とかが軒を連ねて雑然としていた。僕のアパートも、洋館風なのに壁一面が鏡張りの和室があって魑魅魍魎(ちみもうりょう)の棲家(すみか)の気配(笑)。物語の一つでも書かなきゃと思わせる街でした」
     *
 時代屋は、大井町駅から徒歩数分の「三ツ又」交差点に実在した古道具屋で、村松さんも通勤の際はその前を行き来していた。映画製作ではロケ現場になったが、しばらくして取り壊され、現在の駐車場になって久しい。
 一方、道を隔てた向かいにあり、映画にも映り込む「三ツ又地蔵尊」はいまも健在だ。小さな三角地帯には病魔や難産の「身代わり地蔵」がまつられ、通りすがりに拝む人々は多い。品川区立品川歴史館の学芸員、冨川武史さんは「三ツ又は、740年近い歴史を持つ池上本門寺の参拝客が行き交った『池上通り』など、さまざまな方面への交差点。地域の信仰の中心になっていたはず」と語る。
     *
 三ツ又から沿岸部へ向かって国道15号を越え、京浜急行線を過ぎると旧東海道にぶつかる。一番宿としてにぎわった品川宿から川崎へ向かう途中、現在の南大井にあるのが「鈴ケ森刑場跡」だ。1651(慶安4)年から約220年間に、膨大な罪人が処刑された。みせしめに残忍な刑が執行された一方、悲恋のヒロイン八百屋お七を題材とした歌舞伎など、芸術作品を生み出した場でもあった。
 村松さんも、刑場近くの土地に生きる人々の心情に迫る小説を書いた。1981年の直木賞候補作「泪(なみだ)橋」。刑場まで数百メートルの、立会川にかかる「浜川橋」の別名で、罪人はこの橋で、見送りに来た家族との今生の別れに涙した。
 小説は橋の近くで長年暮らす老人2人が、偽名の男女をかくまう物語。村松さんも大井町にいたころ、過激派の学生を1週間ほど泊めたことがある。追われる身となった人々に、理由も聞かず手を差し伸べる老人たちの「不思議なやさしさ」が描かれる。
     *
 ■刑場跡地、無縁仏が夢枕に
 江戸時代の死刑囚がはりつけや火あぶりなどに処せられた鈴ケ森刑場。その跡地は旧東海道と第一京浜が交わる三角地「大経寺」の境内にあり、史跡巡りの人気スポットだ。ただし敷地は大正期以降の国道建設で縮小、無縁仏が眠る一帯ならではの逸話が残る。
 1954年夏、第一京浜の拡幅工事の際、たくさんの人骨が出土した。作業員が形をとどめる二つの頭蓋骨(ずがいこつ)=写真=をその場に放っておくと、住職の妻の夢枕に2人の男が立ち、「暑いので水をかけて」と頼んできた。妻が応じた3日後、2人は再び夢にあらわれ、2羽の鳳凰(ほうおう)と化して天高く舞い上がったという。その後、頭蓋骨は手厚く回向され、一連の物語が広く伝えられたと当時の新聞は報じる。「そのころに、大きな供養が催されたと聞く。立ち寄られる際は、ぜひ手を合わせてお参りを」と現住職の狩野豊明さん(39)。
 ◆品川区立品川歴史館(03・3777・4060)には水琴窟がある。JR大森駅徒歩10分、大井町駅からバス「鹿島神社前」下車1分。開館状況はホームページで。
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 創作意欲をかき立てる街の力は、病んだ心にも作用したのだろうか。
 詩人で彫刻家だった高村光太郎の妻、智恵子は1935(昭和10)年2月に大井町駅北東のゼームス坂病院へ入院した。38年10月、肺結核により52歳で亡くなるまで、色紙を切り貼りする「紙絵」作りに没頭し、千点以上を残した。食事に出たアジの干物や病室に届いた果物などをモチーフにはさみで直接切り出し、完成すると見舞いにくる光太郎だけに見せた。
 智恵子は若き日、油絵に打ち込んだが、現存するのは3点。生家の破産などを経て自殺を図った40代半ば以降、統合失調症を悪化させていく。出身地の福島県二本松市で活動する市民団体「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷健一代表(70)は「病気で普通に暮らせなくなっても創作技術や美意識は衰えず、素晴らしい紙絵として実を結んだ。真の芸術家と仰ぐ光太郎に高く評価され、人生最大の喜びを感じていたはず」と語る。
 故郷から遠く離れた大井町で智恵子が逝った縁を後世に伝える碑が95年、地元住民で作る「品川郷土の会」の尽力で病院跡地に完成した。黒い御影石には光太郎が妻の臨終をうたった「レモン哀歌」が刻まれ、今も足元に黄色いレモンが供えられている。
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■昭和の姿、ジオラマで再現
 幼いころに綱渡りの曲芸を見た駅前広場、親に「行くな」と固く禁じられた闇市の跡、初めてドライカレーを食べた喫茶店――。
 品川区二葉1丁目に住む元学習塾経営者の石井彰英さん(65)が、生まれ育った大井町駅付近の昭和30~50年代をジオラマで再現したのは3年前のことだ=写真は夜の大井町駅前。それまでも神奈川の江ノ島電鉄沿線や北鎌倉駅周辺などを、趣味で製作してきた。大井町の再現に挑んだのは「今は治安が良くなり、便利で暮らしやすくなったが、あのころの猥雑(わいざつ)さが失われて面白みがなくなった」と思うからだ。そこで古い町並みの写真を集め、90代の人から直接話を聴き、参考にした。「懐かしんでもらうのと同時に、ジオラマの中に溶け込んで一緒に遊んでほしい」と臨場感あふれる動画を編集し、同世代の音楽仲間の協力を仰いでオリジナルの曲もつけた。ホームページ「大井町の語り部」の中で公開している(http://oikataribe.jpn.org/diorama別ウインドウで開きます)。
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一昨年、花卷高村光太郎記念館さんで開催された企画展「光太郎と花巻電鉄」の際に、光太郎が暮らした頃の花巻とその周辺のジオラマを作成された石井彰英氏についても書かれています。元々、花巻ジオラマをお願いしたのは、先に作成された大井町のジオラマでゼームス坂病院を取り上げて下さったいたためです。

どんどん変貌していく「まち」。しかし、そこに刻みつけられた「記憶」、しっかり残していくことは大切なことだと思います。そのために、こうした記事や、石井氏のジオラマなど、好個の取り組みかと存じます。

明日は花巻に関し、同様の内容で。

【折々のことば・光太郎】

宮沢邸焼けあとの壕より余のもの大半出る。リユツクもある。馬車にて桜の農家に持ちゆけり、蔵の火きえる。


昭和20年(1945)8月12日の日記より 光太郎63歳

花巻空襲から2日後です。「蔵」は疎開していた宮沢家の蔵です。「余のもの大半」の中には、先頃、花巻高村光太郎記念館さんで展示されたホームスパンの毛布なども含まれていました。在りし日の智恵子にせがまれて購入したもので、不思議な縁を感じます。

11月16日(月)、岳温泉さんをあとに、愛車を国道4号に進入。目指すは道の駅「安達」智恵子の里さん。今回の宿泊が、いろいろ物議を醸しているGoToトラベルの対象で、地域共通クーポンなるものを渡されまして、その消費のためです。

ちなみにGoToトラベル、別に最初から利用しようと思っていたわけではなく、ネットで宿泊の予約をしたら勝手に付いていた、という感じです。当方のような個人事業主的な人々は、こうした地方出張の際にもGoToトラベルを利用しているでしょうし、どうも政府の言う「観光に貢献」、コロナ感染拡大を恨めしく思う人々の「このご時世に呑気に観光かい」的な論調、どちらも的外れのように感じています。

閑話休題、道の駅に到着。
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玉嶋屋さんの羊羹、浪江焼きそばなどを買い込み、さらにこんなものも。
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7月のブログでご紹介した「アマビエ夏マスク」。まだ完売していませんでした。「智恵子抄」からヒントを得た「レモン色」(笑)。マスクで腰の負担が軽減されるのか? と疑問に思いましたが、特殊な水着の素材をマスクに転用したそうで、そのためこんなパッケージになっているようです。

しかし、こういうものの常で、もったいなくて使えません(笑)。だったら保存用と使う分と二つ買え、と突っ込まれそうですが、特殊素材の品で、一つ1,000円以上ですので……。

奥の智恵子コーナー、健在でした。
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その後、智恵子生家・智恵子記念館へ。岳温泉さんから下山する途中は霙(みぞれ)まじりでしたが、このころには快晴。「ほんとの空」となっていました。
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まずは生家を拝見。
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約一年ぶりですが、何回目かはもう忘れました(笑)。50回は来ていないとは思いますが、20回やそこらではきかないような気がします。

それだけ来ていながら、これまで気がついていなかったことがありました。なんと、展示されている箪笥に木彫の蝉があしらわれているというのです。前日、当方が講師を務めさせていただいた智恵子講座2020をご聴講くださった、都内からお越しのかたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)からお聞きしました。木彫の蝉といえば、光太郎の代表作の一つ。ただ、「光太郎のものではなさそうでした」というお話でした。それでも自分の眼で確認しないと気が済みません。二本松にも光太郎の木彫の蝉がたしかにあったという、かなり信頼出来る情報を以前に得ていましたし。

たまたま市役所の方がいらっしゃり、当方の身分を明かして座敷に上がらせていただきました。本来、この日は月曜日だったので、特別公開の日ではなかったのですが、他にお客さんもいませんでしたし(のちに当方と入れ違いに大型バスのご一行が見えましたが)、ラッキーでした。
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しかし、やはり光太郎の蝉とはだいぶ趣が異なっていました。残念。ただ、こうした意匠はあまり一般的ではないような気もします。それにしても、これまで数十回来ていながらまったく気付かなかったというのも汗顔の至りです。

その後、裏手の智恵子記念館へ。
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こちらでは、智恵子の紙絵の、複製でない実物10点が公開中です。泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんとこちらと、2日続けて別々の場所で紙絵の真作を拝見するとは、なんとも贅沢でした(笑)。

また、「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品も展示されていました。
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こうした活動が、子供たちが光太郎智恵子の世界に興味を持つきっかけになればと願ってやみません。

生家、記念館を後に、すぐそばの戸田屋商店さんへ。
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こちらの女将さんは、彼の地で、レモン忌をはじめとする智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子の里レモン会」のメンバーです。

以前と比べ、だいぶ店内がスッキリしていました。逆に、書籍のコーナーなどは充実。
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すると、売り物ではなく、展示しているものの中に、古い新聞の切り抜きの束が。

「これ、何ですか?」と言いつつ、手にとって見せていただくと、連載小説ではなく、連載評伝といった塩梅の、「真説 智恵子と光太郎」。
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100回分近くあったでしょうか。書かれたのは安斎宗司という方で、女将さんのお話では、二本松の人で、もう亡くなっているとのこと。帰ってから調べましたら、郷土史家的な方で、戊辰戦争などについてのご著書も出版されていました。

ざっと読ませていただきましたが、智恵子の生涯や、没後の地元での顕彰活動などについて書かれていました。単行本化などが為されず、当方、全く存じませんでした。おそらく福島の地方紙か、全国紙の福島版かに連載されたようです。

いつのもの、というのが女将さんもよく憶えていないそうでしたが、各回の裏面を見ますと、「南海の江夏」とか、「映画『日本の首領(ドン)』」などといった記述があり、これも帰ってから調べてみましたところ、該当するのは昭和52年(1977)でした。

中には、当方も見た記憶がないような写真も。
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もしかすると、エピソード的にも未知の内容が含まれているかも知れませんし、ぜひ単行本化してほしいものですが、難しいでしょうか。

その後、二本松産のリンゴを購入。道の駅には青森産のものしか置いておらず、これもラッキーでした。
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そして、帰途につきました。実り多い1泊2日でした。

以上、二本松レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

荷葉氏とはもと何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべしと思へば一の紹介も有たずして甚だ唐突の書状は差し出したるなり。

明治36年(1903)3月30日の日記より 光太郎21歳

「荷葉氏」は山岸荷葉(かよう)。光太郎より7歳年長の小説家です。演劇評もしていたため、歌舞伎界に顔が利くというので、昨日ご紹介した尾上菊五郎像を作るため、写真を借りる伝手(つて)にしようとしたわけです。

何等のよしみもなく一面識もなき我ながら芸術の為めとあらばさほどの欠礼はゆるさるべし」当方も「あるある」です。これも昨日の記事に書いたように、「光太郎の写真もあるはずですので探して下さい」的な(笑)。

昨日から1泊2日で、智恵子の故郷・福島は二本松に行っておりまして、さきほど千葉の事務所兼自宅に帰投いたしました。実りの多い2日間でした。3回に分けてレポートいたします。

メインの目的は、二本松市で行われた「智恵子講座2020」。第2回の講師を拝命したもので。今年は新型コロナのためにこの手の仕事が中止や延期のオンパレードで、9月の花巻に続き、これでようやく2回目でした。

いつもですと、二本松は日帰りということが多いのですが、今回は現地調査を兼ねまして、1泊。本当は前日から宿泊したかったのですが、土曜日ということもあったのでしょうか、目的の宿がとれませんで、講座修了後に宿泊することとし、夜明け前に千葉を出ました。

この日は快晴でした。途中の安達太良SAからみた安達太良山。「ほんとの空」をバックに、さらに紅葉も彩りを添え、実に綺麗でした。
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午前9時過ぎ、講座会場の福島県男女共生センターに到着。
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二本松霞ヶ城のすぐそばで、窓からお城と安達太良山がよく見えます。SAでは気付きませんでしたが、安達太良山頂はすでに冠雪していました。
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地元の方々を中心に、20名弱の方が聴講して下さいました。内容的には光太郎の歩みを2時間程でご紹介。
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終了後、主催の「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表ご夫妻、それから、ご聴講下さった、都内からお越しの「かたりと」のお二人(津軽三味線の小池純一郎氏、奥様で朗読家の北原久仁香さん)と、霞ヶ城へ。
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例年ですと菊人形の時期ですが、今年はやはりコロナ禍のため、規模を縮小して入場無料の「菊花展」という形で行われていました。
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紅葉も実にいい感じ。
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元は智恵子生家にあったという藤による藤棚。久しぶりに拝見しました。
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智恵子抄詩碑。こちらも数年ぶりに拝見。
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ここまでは、以前にも何度か登ってきたことがあったのですが、今回初めて、さらに先の天守台まで足を伸ばしました。
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地元では初日の出を拝むスポットとしても人気だそうで、なるほど、眺望が素晴らしい場所です。
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見上げれば、「ほんとの空」。
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この後、宿泊する安達太良山中腹の岳温泉さんに。以下、明日。

【折々のことば・光太郎】

疑問、疑問、是れ人世の声なるか。人生れて心あり、疑無きを得ざるなり。已に疑つて此を解かんとす。疑は疑を呼び、惑はまた更に惑を生む。あゝ人生の疑問いつの世か果して之を解き尽すべき。

明治36年(1903)3月21日の日記より 光太郎21歳

このコーナー、当分の間、日記から言葉を拾います。

現存が確認出来ている光太郎日記の最古のもの。「彫塑雑記」と題され、最初のうちは単なる日記の枠を超えた、随想的な記述が目立ちます。「疑問、疑問、是れ人世の声なるか。」まさに「若きウェルテル」ならぬ「若き光太郎」の魂の叫びです。

新刊です

分離派建築会 日本のモダニズム建築誕生

2020年10月20日 田路貴浩編 京都大学学術出版会 定価4,400円+税

内容紹介
我々は起つ。/過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために——東京帝国大学工学部建築学科を卒業した石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、山田守、矢田茂の6人は、「分離派建築会」を結成、様式に目をむけてきた建築界に抗って、彼らは建築における「芸術」を目指した。自由な芸術を求めた彼らがふたたび様式に美を見出すまでの過程を、32の論考であらゆる角度から描き出す。

目次
はじめに [田路貴浩]
I Secessionから分離派建築会へ
 分離派の誕生——ミュンヘン、ベルリンそしてウィーン[池田祐子]
 オットー・ヴァーグナーの時代の建築芸術——被覆とラウム、そして、生活へ[河田智成]
 分離派と日本 分光と鏡像——雑誌『青鞜』創刊号表紙絵をきっかけに[水沢 勉]
 はじめに
 1 『青鞜』創刊号表紙絵の基本データ
 2 イメージ・ソース
 3 もう一つの「湖水の女」の表紙絵
 おわりに
 青島とドイツ表現主義[長谷川 章]
II 結成、または建築「創作」の誕生
 分離派建築会と建築「創作」の誕生[田路貴浩]
 一九一〇年前後の美術における「創作」意識[南明日香]
 分離派建築会の「建築・芸術の思想」とその思想史的背景
——和辻哲郎との照応関係から[飯嶋裕治]
 分離派への道程——世代間の制作理念からの再考─足立裕司
III 〈構造〉対〈意匠〉?
 日本における初期鉄筋コンクリート建築の諸問題[堀 勇良]
 分離派登場の背景としての東京帝国大学[加藤耕一]
 東京帝国大学における建築教育の再読——学生時代における建築受容の様相[角田真弓]
 「構造」と「意匠」および建築家の職能の分離[宮谷慶一]
IV 大衆消費社会のなかでの「創作」
 ゼツェッシオン(分離派)の導入[河東義之]
 博覧会における建築様式——分離派建築会の前後[天内大樹]
 「文化住宅」にみる住宅デザインの多様性の意味[内田青蔵]
 大大阪モダニズムと分離派——街に浸透する美意識[橋爪節也]
V 建築における「田園的なもの」
 「田園」をめぐる思想の見取り図─杉山真魚
 瀧澤眞弓と中世主義——《日本農民美術研究所》の設計を通して─菊地 潤
 堀口捨己の田園へのまなざし─田路貴浩
 堀口捨己と民藝——常滑陶芸研究所と民藝館を糸口に─鞍田 崇
VI 彫刻へのまなざし
 大正〜昭和前期の彫刻家にとっての建築[田中修二]
 「リズム」から構想された建築造形[天内大樹]
 山田守の創作法——東京中央電信局および聖橋の放物線の出現とその意味[大宮司勝弘]
 石本喜久治の渡欧と創作——あるいは二〇世紀芸術と建築の接近[菊地 潤]
VII 「構成」への転回
 創作活動の展開[蔵田周忠]
 分離派建築会から型而工房へ[岡山理香]
 創造・構成・実践——山口文象と創宇社建築会の意識について[佐藤美弥]
 「新しき社会技術」の獲得へ向けて
——山口文象の渡独とその背景をめぐって[田所辰之助]
 表現から構成へ——川喜田煉七郎におけるリアリティの行方[梅宮弘光]
VIII 散開、そして「様式」再考
 古典建築の探究から様式の超克へ——森田慶一のウィトルウィウス論をとおして[市川秀和]
 オットー・ワグナー十年祭と岸田日出刀の様式再考
——「歴史的構造派」という視座をめぐって [勝原基貴]
 堀口捨己による様式への問いと茶室への遡行 [近藤康子]
 自由無礙なる様式の発見——板垣鷹穂・堀口捨己・西川一草亭 [本橋 仁]
おわりに
 分離派建築会以後——「創作主体」の行方[田所辰之助]
あとがき
索引
001
「分離派」は、19世紀末、ミュンヘン、ウィーン、ベルリンをそれぞれ拠点として起こった芸術運動です。フランスのアール・ヌーボーやアンデパンダンの影響を受け、保守的なミュンヘン芸術家組合からの「分離」を図った芸術家たちがまずミュンヘンでその動きを興し、それがウィーン、ベルリンに波及しました。最も有名なのがウィーン分離派。かのグスタフ・クリムトや、エゴン・シーレがその中心でした。

分野としては、絵画、工芸、建築などと多岐に亘ります。ジャポニスムの影響も夙に指摘されていますが、逆に日本に与えた影響はあまり大きくなかったというのが定説のようです。

ただ、建築の方面では、大正9年(1920)、東京帝国大学(現・東京大学)工学部建築学科卒の建築家たちが、ウィーン分離派の動向に感銘を受けて建築の芸術性を標榜し、「分離派建築会」を結成しました。メンバーは堀口以外に石本喜久治、瀧澤眞弓、森田慶一、山田守、矢田茂ら。

本書はその「分離派建築会」についてのもので、現在、パナソニック汐留美術館さんで開催中の「分離派建築会100年展建築は芸術か?」とリンクしている部分もあるのかな、という感じです。

その分離派建築会の話に入る前段で、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏がウィーン分離派と日本との数少ない関連の例として、智恵子による雑誌『青鞜』表紙絵について玉稿を寄せられています。題して「分離派と日本 分光と鏡像——雑誌『青鞜』創刊号表紙絵をきっかけに」。氏と連絡を取ったところ、贈って下さいまして、恐縮の至りです。

平成29年(2017)に水沢氏、智恵子による女神像的な『青鞜』創刊号の表紙絵(中央下画像)、ウィーン分離派のヨーゼフ・エンゲルハルトという画家の寄木細工作品(左下画像)を模写したものであることを突き止められました。詳しくはこちら
009 008 007
その件を中心に、さらに同じ『青鞜』で同一の図題ながら、若干の変更が見られるバージョン(右上画像・『青鞜』第2巻第8号 大正元年=1912)についても言及されています。

また、エンゲルハルトの寄木細工は、元々、セントルイス万博(明治37年=1904)に出品されたものですが、昭和18年(1943)に書かれたエンゲルハルトの回想文には、「いまニューヨークのある邸宅に飾られています」とのこと。未だ現存しているとすれば、是非見てみたいものです。

010その他、相模女子大学教授・南明日香氏の「一九一〇年前後の美術における「創作」意識」では、日本に於ける文芸・美術雑誌が分離派建築会に与えた影響といった観点から『早稲田文学』、『方寸』、『白樺』などに注目、それらに寄稿していた光太郎に触れられています。

これも寡聞にして存じませんで、汗顔の至りでしたが、『早稲田文学』の明治43年(1910)8月号に、神田淡路町に光太郎が開いた画廊・琅玕洞の内部を描いた正宗得三郎の挿画が載っていた由。また、左上の人物は光太郎と思われます。

ちなみに南氏、従来不明だった光太郎のさまざまな翻訳の原典を、多数突き止められている方です。

さて、『分離派建築会 日本のモダニズム建築誕生』。なかなか高価な書籍ですが、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

私の行く道は寂しいけれども、清らかで、恍惚と栄光とに満ちてゐます。


散文「手紙」より 大正8年(1919) 光太郎37歳

今年発見した、ブロンズ彫刻「手」についての新発見の文章から。

大正8年(1919)といえば、智恵子もまだ健康を害しておらず、光太郎自身、彫刻家として脂ののった時期。そこで「恍惚と栄光とに満ちてゐます」。ただ、智恵子と二人、俗世間とは極力交渉を断とうとしていた時期でもあり、「寂しいけれども」なのでしょう。

大正元年(1912)の『第一回ヒユウザン会展覧会目録』に発表された詩「さびしきみち」を彷彿とさせられます。

  さびしきみち

かぎりなくさびしけれども
われは
すぎこしみちをすてて011
まことにこよなきちからのみちをすてて
いまだしらざるつちをふみ
かなしくもすすむなり

―― そはわがこころのおきてにして
またわがこころのよろこびのいづみなれば

わがめにみゆるものみなくしくして
わがてにふるるものみなたへがたくいたし
されどきのふはあぢきなくもすがたをかくし
かつてありしわれはいつしかにきえさりたり
くしくしてあやしけれど
またいたくしてなやましけれども
わがこころにうつるもの
いまはこのほかになければ
これこそはわがあたらしきちからならめ
かぎりなくさびしけれども
われはただひたすらにこれをおもふ

―― そはわがこころのさけびにして
またわがこころのなぐさめのいづみなれば

みしらぬわれのかなしく
あたらしきみちはしろみわたれり
さびしきはひとのよのことにして
かなしきはたましひのふるさと
こころよわがこころよ
ものおぢするわがこころよ
おのれのすがたこそずいゐちなれ
さびしさにわうごんのひびきをきき
かなしさにあまきもつやくのにほひをあぢはへかし

―― そはわがこころのちちははにして
またわがこころのちからのいづみなれば

全編かな書き。これは一字一句を自らの内部に刻みつけるように書いたから、とする説が有力です。

智恵子の故郷、福島二本松から市民講座の情報です

智恵子講座2020

期 日 : 2020年11月3日(火・祝) 11月15日(日) 11月23日(月・祝) 12月20日(日)
会 場 : 福島県男女共生センター 福島県二本松市郭内一丁目196-1
時 間 : 11/3のみ14:00~ 他は10:00~
料 金 : 通しで4,000円 各回1,000円
主 催 : 智恵子のまち夢くらぶ
申 込 : 熊谷 090-7075-6743



テーマ 「高村光太郎の人生と芸術」
彫刻家であり詩人で智恵子の夫の高村光太郎。十和田湖畔の裸像や詩集「智恵子抄」「道程」は余りにも有名。智恵子と共に美と愛を貫いたその人生と芸術に迫ります。 参加者に「智恵子抄」をプレゼント。

講師
11/3   西浦基  (高村光太郎研究会)
11/15 小山弘明 (高村光太郎連翹忌運営委員会代表)
11/23 熊谷健一 (智恵子のまち夢くらぶ代表)
12/20 澤正宏  (福島大学名誉教授) 
004
というわけで、当方も講師に名を連ねさせていただいております。当方はパワーポイントのスライドショーを使い、光太郎の生涯を総合的、俯瞰的に紹介する予定です。

コロナ禍でいろいろ中止になるイベントが多い中、貴重な機会です。1回のみの参加も可。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

教わつてできたものではなく、こつちが圧倒される、賢治の詩を本当に読める人は偉いものだ

講演筆録「岩手は日本の背骨 後編 ノロイが堅実」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

9月28日の地方紙『花巻新報』第115号に掲載された文章から。9月21日、賢治祭に因んで花巻文化劇場で開催された講演の筆録です。2回に分けての掲載で、10月7日発行の第116号に掲載された後編のみ、『高村光太郎全集』第20巻に収められていますが、それに先立つ前編を数年前に発見しました。

ある種、難解なところもある宮沢賢治の詩。わかったつもりでいる人が多いけれど、上っ面だけの理解にとどまっているのではないか、という箴言ですね。

地方紙『福島民友』さんの記事から

高村智恵子の紙絵、実物10点展示 11月24日まで二本松の記念館

000 二本松市出身の洋画家高村智恵子が病床で制作した紙絵の実物展示は11月24日まで、同市智恵子記念館で開かれている。紙の色合いや質感といった本物だからこそ分かる作品の魅力を味わえる。
 智恵子は精神を病み、入院先のゼームズ坂病院での2年間の闘病生活で千数百点の紙絵を制作した。作品は智恵子の才能が開花したなどと高く評価された。同館では高村家から譲渡を受けて24点を収蔵している。
 紙絵の紙質が悪く、照明などで劣化しやすいため同館は通常、複製を展示する。このため本物に触れる機会を―と年2回、収蔵品の中から10点を選び、実物を展示。今回は「青い魚と花」や「菊」「小鉢」が展示され、来館者が「奇跡」ともいわれる智恵子の紙絵に触れている。
 開館時間は午前9時~午後4時30分(最終入館は同4時)。水曜休館。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

記念館に隣接する智恵子の生家では、智恵子の居室を含む2階部分の特別公開も実施中。『民友』さんでは過日、その件を報じて下さいましたが、今度は記念館での紙絵実物展示の件。一度に紹介してしまえばいいような気もしますが、もしかすると当ブログ同様、「ネタは小出しにする」ということなのかもしれません(笑)。
015
以前にも同じようなことを繰り返し書いていますが、実物の紙絵は厚さ1㍉にも満たない中で、紙の重なりが微妙な立体感を生み出しています。これは精巧な複製であっても表現できないことで、やはり実物を見ていただきたく存じます。

実物展示は11月24日(火)まで(水曜休館)。併せて生家2階の公開にも足をお運び下さい。ただ、そちらは土日祝日のみですのでご注意下さい。


【折々のことば・光太郎】

自然に帰れ、芸術は絶対である、純一である。

散文「貧弱なる個性の発露」より 明治45年(1912) 光太郎30歳

心を病み、夢幻界の住人となった智恵子の紙絵。究極の自然に帰った芸術と言えるような気がします。

先週の『福島民友』さんから。過日ご紹介した智恵子の生家2階部分の特別公開に関して報じて下さっています。

高村智恵子の居室特別公開 二本松の生家、当時の様子のままに

 二本松市出身の洋画家高村智恵子の生家を復元した智恵子の生家は10日、普段は見学できない智恵子の居室がある2階の特別公開を始めた。福島高等女学校を卒業するまで過ごした智恵子の少女期に思いをはせることができる。
 智恵子は、銘酒「花霞」を醸造した造り酒屋に生まれた。家族や使用人と共に暮らした家の2階のうち9畳と4畳半の2部屋を使っていて少女期はもちろん、夫で詩人、彫刻家の高村光太郎と結婚した後も帰省するとこの部屋で過ごしたといわれている。
 9畳の居室には、九谷焼で作られた電灯のローゼットが展示され、智恵子が中庭の花を眺めていたとされる連子窓も当時のまま。女学校で答辞を述べるなどした智恵子の暮らしぶりがしのばれる。
 特別公開は11月23日までの毎週末と祝日に行われている。時間は午前9時~午後4時。入館料は高校生以上410円、小中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。
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九谷焼で作られた電灯のローゼット」は、天井に電灯を取り付ける器具。カバー部分が陶器製で、花柄があしらわれています。このブログ内で画像を探したのですが見つけられず(既に20,000枚を超えていますので(笑))、坂本富江さん著『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』から画像等拝借します。
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これを取り外しての展示なのかなどは不明なのですが……。

花巻高村光太郎記念館さんで、チラシをゲットして参りました。
008
隣接する智恵子記念館での紙絵実物展示(通常時は複製のみ)についても案内が。

裏面は周辺地図等。
009
毎年恒例とはなっていますが、やはり貴重な機会です。ぜひ足をお運びください。当方は来月、行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

書を持っていると、そのことをいいことにしているような人には書きません。
談話筆記「高村光太郎先生説話 三四」より
昭和27年(1952) 光太郎70歳

浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年=1995)掲載の「高村光太郎先生説話」からの抜粋、今日で終わりです。

故・浅沼氏は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの山口分教場が小学校に昇格した際、校長として赴任してきました。当時同校の児童だった子息の隆氏は今も光太郎の語り部としてご活躍されています。浅沼校長は折に触れ、光太郎の語った言葉を筆録していました。

最後の「三四」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京する直前のものです。「記念に何か書いてくれ」という要望が多かったのですが、「自分の書を持っていることを自慢するような魂胆の人には書かないよ」と、ちょっとドキッとさせられる発言ですね。

先日もちらっと書きましたが、智恵子の故郷・福島県二本松でのイベントです 

当商工会議所では、あだたら商工会と合同で霞ヶ城公園菊花展の開催期間に合わせ、全市内を対象としたスタンプラリーを実施します。岳温泉宿泊券や家電製品、地場産品など豪華賞品が抽選で当たりますので、奮ってご応募下さい。新型コロナウイルス感染症拡大の影響に苦しんでいる地元のお店を利用して応援しよう!!

開催期間 令和2年10月1日 (木)~11月30日 (月)

応募方法
期間中、参加店で500円以上お買い物をして、応募はがきにスタンプ(参加店番号)を押してもらって下さい。参加店のスタンプが5つ集まったら、応募はがきに必要事項を明記のうえ、63円切手を貼ってご応募下さい。

注意事項010
スタンプの押印は1回のお買い物につき、応募はがき1枚に限定されます。
同一店舗のスタンプが2つ以上あった場合は、無効となります。
1人何通でも応募できます。
参加店はこのポスターが目印です!!

応募締め切り 令和2年12月2日(水) 当日消印有効

抽選日 令和2年12月下旬(予定) ※厳選に抽選します

当選発表 賞品の発送をもってかえさせて頂きます。

参加店等詳細については、下記をご覧下さい。

000

地方紙『福島民友』さんに記事が出ていました 

【二本松】買い物してスタンプGET! 124店舗参加、抽選で賞品

001 二本松商工会議所とあだたら商工会は1日、二本松市の参加店でスタンプを集めると総額100万円の賞品が抽選で当たる「オールにほんまつスタンプラリー2020」を始めた。11月30日まで。
 新型コロナウイルス感染症の影響を受ける会員事業所を支援するため、あだたら商工会合併15周年記念と銘打ち実施、小売店や飲食店など124店舗が参加した。市、福島民友新聞社などの後援。
 スタンプは500円以上の買い上げで一つ押印し、利用者は5店舗分を集めると抽選に応募できる。賞品は岳温泉ペア宿泊券(2組)や加湿空気清浄機(1組)など。12月2日(当日消印有効)まで受け付けた後、同月下旬に抽選会を開く。
 スタート後初の週末となった3日、参加店は買い物客でにぎわった。
 時計や眼鏡、装飾品販売を手掛けるリュクレ石沢でも多くの買い物客が訪れ、支払いの際に店員らからスタンプを押してもらっていた。
 問い合わせは二本松商議所(電話0243・23・3211)か、あだたら商工会(電話0243・23・5854)へ。

智恵子生家/智恵子記念館に隣接する戸田屋商店さん、道の駅「安達」智恵子の里さんなども参加なさっています。
002
その他、参加店一覧はこちら。クリックで拡大します。
008
当方、来月には二本松に参りますので、スタンプを集めるつもりでおります。「コードレススティックサイクロン掃除機」に触手が非常に動いています(笑)。

皆様もふるってご応募下さい。

【折々のことば・光太郎】

結局、平凡なことですが、「正直」というのを採りました。正直は一番根本になると思いますし、正直はそのときは損なようでも、永い間には得になるのです。それに「親切」を加えました。そういうわけで、あの書「正直親切」をあげた次第です。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二九」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花卷郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校で開催された学芸会に呼ばれ、児童たちに語った言葉の一節です。校訓として贈った「正直親切」の語について、解説しました。
011
この文字を刻んだ碑は、山口小学校跡、光太郎も通った東京の第一日暮里小学校さん、埼玉東松山の新宿小学校さんにそれぞれ建てられています。

コロナ禍のため、不要不急の外出はまだ避けていますし、公共交通機関を使っての遠出も少なくなりましたので、そのお供として持参する頭を使わなくて済む時代小説、推理小説等を購入しなくなり、新刊書店に行く機会がめっきり減りまして、出版事情に疎くなっている部分があります。

で、近々、花卷に参りますので、お供の書籍を探そうと久々に行った新刊書店で見つけた新刊……といっても発売から3ヵ月経っていました 

2020年7月3日 中川越著 海竜社 定価1,400円+税
001
夏目漱石、太宰治、宮沢賢治、与謝野晶子、ドストエフスキーなどの文豪や、ダーウィン、ゴーギャン、良寛、渥美清などの世界・日本の偉人たち。彼らは、親しい人に手紙でどんな言葉を書き送ったのでしょうか?
本書では、恋人、妻や夫、家族、弟子や師匠などに宛てた愛情あふれる手紙を紹介。「さすが!」と驚嘆する卓越した表現があるかと思うと、ときには率直で心を射貫く言葉があったり、やきもちや未練がバレバレの憎めないセリフがあったりと、引き込まれる文章が満載です。
本書で「相手の心をつかむ言葉」を学ぶもよし、文豪・偉人の意外な素顔を楽しむもよし、手紙を通じて彼らの人生を共有し、励まされるもよし! 楽しみ方はいろいろです。

目次
 はじめに
 第一章 恋愛の決めゼリフ
  パズルの最後のワン・ピースを手に入れた島崎藤村
  ピュアーにまっすぐプロポーズした芥川龍之介
  ラブレターの最高傑作を欄外に書いた太宰治
  いたずらなお願いで楽しく困らせた立原道造
  斬新な理由で恋文の筆を止めた内田百閒
  いつになく遠回しな言い方を避けた竹久夢二
  愛の楽章を文章で奏でたベートーヴェン
  箇条書きの質問形式で求愛した平塚らいてう
 第二章 夫婦愛の決めゼリフ
  二人称代名詞一語を名詩に変えた南極越冬隊員の妻
  身勝手な言い訳で呆れさせたゴーギャン
  惚れた弱みを隠すぞぶりでたっぷり甘えた国木田独歩
  遠隔愛撫の方法を知っていた徳富蘆花
  届きにくい反省を努めて届けたドストエフスキー
  空白の十年を美しく諦めた九条武子
  一日千秋の思いを笑話に託した和辻照(和辻哲郎夫人)
 第三章 友愛の決めゼリフ
  哀切な近況報告を美しく通知した梶井基次郎
  友情色に恋愛色が混ざる言葉を告白した武者小路実篤
  失礼なあいさつで親愛を深めた夏目漱石
  傷心への寄り添い方を知っていた宮沢賢治
  言葉の霊力を信じた「日本語の番人」新村出
  嫉妬と祝福を同時に感じ苦悶した若山牧水
  友と恋人を等価値と知らせた永井荷風
 第四章 家族愛の決めゼリフ
  〈母宛〉いちばん大事なことしか書かなかった渥美清
  〈子宛〉千尋の谷に突き落とす覚悟を報知した福沢諭吉
  〈子宛〉たどたどしく詩的に懇願した野口シカ(野口英世の母)
  〈父宛〉興奮を伝え元気を証明したダーウィン
  〈妻宛〉不機嫌を報告し溺愛をあらわにした森鷗外
  〈甥宛〉大愚をやさしく説き処世訓とした会津八一
  〈弟宛〉放蕩は死を招く凶器と警告した良寛
 第五章 師弟愛の決めゼリフ
  高らかに女々しく恋慕した萩原朔太郎
  貶めて紹介し優遇を求めた芥川龍之介
  ビスケット話で親愛をたっぷり送った夏目漱石
  太宰に厳しく弟子には優しかった志賀直哉
  けなされた人の心理に優しく寄り添った正岡子規
  詩作の秘密をていねいに詩的に説いたリルケ
  軽妙な俳味を披露し心中を食い止めた夏目漱石
 第六章 別離の決めゼリフ
  別れた妻の再婚と幸福を願った伝四郎
  別れたくて別れたくなかった北原白秋
  愉快な悪口で鬱憤を晴らした八重次(永井荷風の元妻)
  あっさりと謝り肩すかしを食らわせた与謝野晶子
  冷厳な決別の中に永遠の愛をひそませた高村光太郎
 人物一覧/引用・参考資料

著者の中川越氏、昨年刊行された『すごい言い訳!―二股疑惑をかけられた龍之介、税を誤魔化そうとした漱石―』も書かれていて、装幀や構成がよく似ているので同じシリーズかと思っていましたが、『言い訳』は新潮社さん、こちらは海竜社さんと、版元が違っていました。

店頭で見つけた時、「あ、中川さんの新著か、光太郎に触れてくれているだろうな」と思いつつ、手に取りました。光太郎で「愛の手紙」となると、大正2年(1913)の、結婚前の智恵子に送った手紙か、昭和9年(1934)、九十九里浜で療養していた智恵子に送ったハガキが紹介されているだろうと予想していました。しかし、目次を見ても「第一章 恋愛の決めゼリフ」に光太郎の名が無く、「第二章 夫婦愛の決めゼリフ」にもありません。第三章以下は「友愛」「家族愛」「師弟愛」……あまり光太郎には関係がなさそうで、実際やはり光太郎の名は見えず。「あれっ、今回は光太郎はスルーか?」と思ったところ、最後の最後、大トリが光太郎でした。

002「冷厳な決別の中に永遠の愛をひそませた高村光太郎」。目次を見て、「おお、これを持ってくるか」という感じでした。

「手紙」ではなく、昭和29年1月に雑誌『婦人公論』に発表された詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」です。

  十和田湖畔の裸像に与ふ

 銅とスズとの合金が立つてゐる。
 どんな造型が行はれようと
 無機質の図形にはちがひがない。
 はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
 きたならしさはここにない。
 すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
 天然四元の平手打をまともにうける
 銅とスズとの合金で出来た
 女の裸像が二人
 影と形のやうに立つてゐる。
 いさぎよい非情の金属が青くさびて
 地上に割れてくづれるまで
 この原始林の圧力に堪へて
 立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」をモチーフにした詩で、像が亡き智恵子の顔を持つことから、亡き智恵子への「別離」の「手紙」とも読めますね。


003
光太郎と交流のあった詩人・伊藤信吉は、その著書『詩のふるさと』(昭和43年=1968 新潮社)の中で、「投げつけるようなこの言葉は哀惜の反語である。同時に生涯の愛の表現を完了したことの嘆息である。」としています。言い得て妙、ですね。

この詩を引用する前の部分で、智恵子との日々についても、『智恵子抄』所収の詩を引用しつつ、アウトラインが紹介されています。

『愛の手紙の決めゼリフ』、こうした書籍の通例ですが、光太郎智恵子と交流の深かった面々も多数登場します。平塚らいてう、武者小路実篤、宮沢賢治、森鷗外、与謝野晶子など。

ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

人をよく知り、世界をよく知ると、自分の国ばかりほめたりしません。心の広い立派な人になります。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二七」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花卷郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校で行われた、稗貫郡PTA講演会で語った一節です。かつて自らもその愚に囚われていた自国第一主義、国粋主義への警句ですね。

昨日に引き続き、智恵子の故郷、福島二本松ネタで。

まずは例年行われている、生家の2階部分の特別公開について、『広報にほんまつ』さんから

智恵子の生家2階特別公開

通常、非公開としている生家2階の一部を公開します。また、立ち入りを制限している座敷等を開放します。ぜひ、足をお運びいただき、当時、智恵子が暮らした旧長沼家の雰囲気を堪能してください。

会 期 10月10日(土)~11月23日(月・祝)のうち土日祝日の16日間 9:00~16:00
※2階を除く智恵子の生家・智恵子記念館は、通常通り平日も開館しています。(水曜日休館)
入館料金 
 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 
 子ども(小・中学生) 個人:210円 団体:150円
※団体料金は20人以上の利用で該当します。
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳または療育手帳をお持ちの方は、無料です。(手帳をご提示ください。)
・来館の際にはマスクの着用と検温の実施にご協力ください。
・来場者が多い場合には、皆さまに安全で安心して観覧していただくため、人数制限をさせていただく場合があります。
◎問い合わせ… 智恵子記念館☎(22)6151文化課文化振興係 ☎(55)5154 Fax(23)1326

008

それから、広報には記載がなかったのですが、隣接する智恵子記念館では、智恵子の紙絵の実物の公開も始まります(通常は複製の展示のみ)。今日、10月8日(木)~11月24日(火)までだそうです。

続いて、夏場にも行われていた観光タクシーの半額キャンペーン。地方紙『福島民友』さんの記事から

【二本松】秋の二本松、名所巡りやすく 観光タクシー通常の半額

 秋の観光シーズンに合わせ、二本松市では10月、公共交通機関が充実され、市内を訪れる行楽客に錦秋に彩られた二本松の魅力を味わってもらう。
 市内の観光名所を巡る「観光タクシー」を通常の半額で利用できるサービスを開始。観光タクシーの料金は一般利用の運賃よりも割安に設定されているが、その半額を二本松市が助成してさらに利用しやすくする。
 JR二本松駅と岳温泉を発着で市内を巡る10コースを想定。小型(4人乗り)の場合、二本松駅発着で霞ケ城公園や智恵子の生家記念館などを巡る「智恵子抄探訪」は5千円(通常1万円)、岳温泉発着で両施設に加え、東北サファリパークなどを訪れるのが6千円(同1万2千円)など。
 運行する昭和タクシーと丸や交通に予約する。二本松駅の乗降客は、駅構内のタクシー運転手に相談してもらえば対応する。来年2月28日まで。
 予約、問い合わせは昭和タクシー(電話0243・22・1155)か、丸や交通(電話0243・22・2744)へ。

他に、こんな記事も

【二本松】安達太良山の紅葉楽しんで 二本松駅と岳温泉、奥岳を結ぶ臨時バス

000 秋の観光シーズンに合わせ、にほんまつ観光協会と福島交通は3日から11月3日までの土、日曜、祝日に限り、安達太良山の紅葉を楽しむ行楽客のために、JR二本松駅と岳温泉、奥岳登山口を結ぶ臨時バス「奥岳臨時便」を運行する。
 臨時便は、同駅~岳温泉~奥岳登山口で運行する1便と、岳温泉~奥岳登山口を結ぶ往復計4便。
 運賃(中学生以上)は、二本松駅~奥岳登山口が800円、同駅~岳温泉が500円、岳温泉~奥岳登山口が300円。
 問い合わせは同協会(電話0243・24・5085)か、同社二本松営業所(電話0243・23・0123)へ

コロナ感染には十分気をつけつつ、ぜひご利用下さい。

さらに、市内各所の店舗が参加してのスタンプラリー(
総額100万円の賞品が抽選で当たるそうで)も開催中。そちらについてはまた改めてご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

今月はまたフランスでも革命記念日があり、お祭りの月です。フランスも盛んです。街の道に舞台を作って、そこで楽隊が音楽を始めます。また、踊りも始まります。フランスでは誰でもが楽器をやれるというほどに、大衆のものになっています。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二四」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

「今月」は7月です。およそ40年前、パリで過ごした日々を懐かしみ、もう一度行きたいと思い続けながら40年、しかしもう二度と行けないだろうという寂しさも裏側に隠されているような気がします。

一昨日、10月5日(月)は智恵子忌日「レモンの日」でした。例年ですと、それに最も近い日曜日というわけで、今年なら10月4日(日)に、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集いが開催されるはずでしたが、やはりコロナ禍のため中止……。

しかし、「レモンの日」に合わせて智恵子の故郷・福島の地方紙『福島民友』さんが長い記事を掲載して下さいました

【高村光太郎の詩集】智恵子抄 心にずっと...古里の『ほんとの空』

「これがほんとの空だよ」
 こんなテレビCMが2007(平成19)年1~3月に放映されたのを覚えているだろうか。
 女優の宮崎あおいさんが出演したNTTドコモ東北の人気シリーズの第3弾。水面がきらめく阿武隈川の悠久の流れと、青空に稜線(りょうせん)が映える安達太良山の遠景を一緒に望める二本松市の智恵子大橋で、携帯電話を手にする愛らしい姿が記憶に残る。
000 「ほんとの空」。今では本県の豊かな自然を表す言葉だが、本来は安達太良山上空に広がる青空を指す。同市出身の洋画家高村智恵子の死後、夫で詩人、彫刻家の高村光太郎が著した詩集「智恵子抄」に収録された「あどけない話」に由来する。東京での暮らしに疲れた智恵子が古里への思いを吐露した時に言った。

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空がみたいといふ。
 (中略)
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。

古里に深い愛
 智恵子抄は、光太郎が亡き妻への鎮魂の思いを込め1941(昭和16)年出版した。智恵子との純愛が詩と散文でつづられ、この中で光太郎は、彼女が一年のうち3、4カ月は郷里に帰っていたことを述懐し、病気をしても実家に帰省することで平癒したと書いている。その彼女が東京と古里の違いを表現したのが青い空。あどけない話からは、智恵子が古里を深く愛していたことが感じ取れる。
 光太郎はほんとの空をどんな思いで見たのだろうか。
 同じ智恵子抄の詩「樹下の二人」には「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」の歌が添えられており、詩の舞台がどこかという論争もあった。しかし研究が進み旧油井村(二本松市油井)の智恵子の生家に近い鞍石山に落ち着いた。
 光太郎と智恵子は1919(大正8)年、彼女の父長沼今朝吉の一周忌法要に参列するため、彼女の生家から山向かいの長沼家菩提寺(ぼだいじ)「満福寺」まで、鞍石山の山道を歩いている。
 智恵子の顕彰活動を展開するレモン会長の渡辺秀雄さん(88)=二本松市=は、寺の近くに住む知人が祖母から聞いたという話を紹介してくれた。「棒を持った大柄な人(男性)がいて驚いた。しゃがんでいたので気付かなかったが、洋服を着た女の人がすっと立ち上がったからまたびっくりした」と。それがその時の光太郎と智恵子だった。

赤子のように
 鞍石山には智恵子の杜(もり)公園が整備され、二人が歩いた道程のうち生家から山頂までが「愛の小径(こみち)」と命名された。光太郎の気持ちを感じてみようと、その道を妻と一緒に歩いてみた。
 公園入り口の急な石段を上ると、稲荷八幡神社に出る。境内には智恵子が「熊野大神」と揮毫(きごう)した石碑がある。境内奥の道に進むと、木立が優しく包んでくれた。木々の息吹を感じながら歩く緩やかな坂道は、優しい気持ちになる。少し疲れた様子の妻に歩調を合わせた。二人で雑談を交わしながら歩いたはずの光太郎も、病気がちの智恵子を気遣い、ゆっくりと歩を進めたに違いないと想像できた。
 鞍石山の頂上に、光太郎の直筆を刻んだ「樹下の二人」詩碑がある。木々の青葉の向こうに遠く安達太良山が望める。振り返ると阿武隈川もわずかに眺めることができた。

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 (中略)
 ここはあなたの生れたふるさと、
 この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。

 思い詰めると他の一切を放棄しても悔やまない性格で、自分への愛と信頼の深さが乳飲み子のよう。これが光太郎の智恵子像。その異常なまでの純真さにひかれた。この実感が樹下の二人の詩を生んだ。
 造り酒屋に生まれ、何不自由ない生活を送った智恵子が、光太郎と結婚し明日の食べ物にも困る苦しい生活を強いられた。光太郎の創作に邪魔にならないよう、自分の芸術活動を削り家事に尽くした。誰もが清純で純愛に生きた女性だと理解する。
 でも渡辺さんは「智恵子は恋の駆け引きができた人」と話す。渡辺さんによると、光太郎が千葉県の犬吠埼に写生に出掛けた時、智恵子は妹らと3人で追い掛け、滞在先を突き止めると、妹たちに「帰っていいよ」と言った。渡辺さんは「妹をだしに使った」と考えていて「光太郎の気持ちをつなぐ作戦だった」と指摘する。智恵子の意外な一面に驚かされた。
 智恵子は亡くなる数時間前、光太郎が持参したレモンを喜んで食べた。だから10月5日は「レモン忌」。きょうは82回目の智恵子の命日だ。智恵子抄を開いてゆかりの地を探してみるのもいい。

 【アクセス】智恵子の生家・智恵子記念館と、智恵子と光太郎が歩いた「愛の小径」がある智恵子の杜公園へは、車の場合、東北道二本松インターチェンジから国道4号を経由して約10分。鉄道、バスの場合は、JR二本松駅から八軒まで約10分。
          ◇
 【高村智恵子】1886~1938年。明治時代末期から大正時代にかけての、当時としては珍しい女流洋画家で、1911(明治44)年創刊の平塚らいてうらによる婦人運動の雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙絵を描いたことでも知られる。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)と結婚後も油絵などの創作活動を続けた。病に侵されてからは病院で千数百点に上る紙絵を制作、智恵子の名を広く知らしめた。
          ◇
 【智恵子の生家、智恵子記念館】油井村漆原(現・二本松市油井)の造り酒屋で生まれた智恵子。生家は、屋号が「米屋」で、清酒「花霞」を醸造した。生家は智恵子の父の死後、事業の不振などで廃業したが、明治初期に建てられた当時の面影をそのままよみがえらせ、一般公開している。10日~11月23日の毎週土、日曜と祝日は智恵子の部屋がある2階が特別公開される。生家の裏庭には今、酒蔵をイメージした智恵子記念館がある。奇跡といわれる智恵子の美しい紙絵や当時の女性としては珍しい油絵などを展示する。8日~11月24日には「青い魚と花」など紙絵の実物が公開される。
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冒頭に紹介されているNTTさんのCM、以前のこのブログでご紹介しましたが、動画と画像をコピペしておきます。

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ガラケーが一周回って逆に新鮮ですね(笑)。

智恵子生家裏山の
「愛の小径」、「熊野大神」碑、「樹下の二人」碑など、昨年のレモン忌の後に歩きました。レポートはこちら。レモン忌は中止となってしまいましたが、来月には市民講座(上記CMにも出演されている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催)講師をやることになっており、久々に行って参ります。

レモン忌を主催されている智恵子の里レモン会・渡辺会長の談話がいいですね。「智恵子は恋の駆け引きができた人」(笑)。千葉銚子の犬吠埼についても触れて下さり、ありがたく存じます。はじめに智恵子が妹・セキ、友人・藤井ユウとともに泊まったのが御風館、元々光太郎が滞在していて、のちに智恵子も同宿したのは暁鶏館です。

智恵子生家2階部分の公開等については、明日のこのブログにてご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】

山口はなかなかいいところです。人里からあまり遠くもないし、そばだと困りますが、ちょうどいいところで、とてもいい感じです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二三」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

「山口」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花卷郊外旧太田村山口地区。たしかに「山奥」というほどの場所ではありませんでした。

おそらく光太郎、ここにも「ほんとの空」があると感じていたのではないでしょうか。

テレビ番組の再放送をご紹介します

にほんごであそぼ「過ちて…」

NHK Eテレ 2020年10月7日(水) 6時35分~6時45分/17時00分~17時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。今日は…野村萬斎/過ちて改めざる これを過ちという「論語」、名台詞かるた・ひつじのメェ~台詞/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、あいだのじいさん「車のサイドミラーのあいだ」、うた「たのしやかぶき~夏祭~」

出演
美輪明宏 野村萬斎 中村勘九郎 中村勘太郎 中村いてう 中村仲助 池田鉄洋 万作の会
中尾隆聖 ほか

9月23日(水)に本放送がありました。
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光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の書き出し「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。まずは「名台詞かるた」というコーナーで。

続いて「ひつじのメェ~台詞」というコーナーでも。
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ひつじ役は俳優の池田鉄洋さんなのですが、なぜひつじなのか、よくわかりません(笑)。

続いてBS放送で、昨年、初回放映があったものです

偉人たちの健康診断 選「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」

NHK BSプレミアム 2020年10月8日(木)  23時45分~24時45分

太平洋戦争前夜の1941年、一冊の詩集「智恵子抄」がベストセラーとなった。彫刻家・高村光太郎が、画家を目指す妻・智恵子との出会いから死別までの27年間の愛の軌跡をつづった純愛詩集だ。そこには、夫・光太郎をこよなく愛しながらも数奇な運命に見舞われた智恵子の、心と体が発するSOSが記されていた! そして、ついに心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは? 時代を超えた純愛物語!

出演 関根勤 カンニング竹山 榊原郁恵
解説 郷原宏 河村正二 宮崎良文 池淵恵美
司会 渡邊あゆみ
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全体としては非常にいい作りになっていたのですが、「智恵子が色覚異常であった」と、ほぼ決めつけてしまっていたのが残念でした。

再現ドラマなどの部分は、当方も制作のお手伝いをさせていただき、平成27年(2015)にNHKさんの地上波総合テレビで放映された「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」とのシェアで、前田亜季さんが智恵子役でした。
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ぞれぞれご覧になっていない方(既にご覧になった方も)、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

「詩を見てください」とよく頼まれます。しかし、僕は見ないことにしています。利己的で自分を認めてほしいというのかもしれません。「どこかに紹介してください」という虫のいい話をする人もいます。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二〇」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

素人の詩など読んでいる暇はない、というより、静かに暮らしている山小屋まで押しかけてくる厚かましさへの辟易でしょう。

智恵子の故郷・福島は二本松がらみです。

まず、彼の地で智恵子顕彰に取り組んでいらっしゃる智恵子の里レモン会さんから会報が届きました。
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表紙の集合写真を含め、昨年10月の智恵子を偲ぶ第25回レモン忌のレポートが中心です。

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今年はコロナ禍のため中止だそうで、実に残念です。4月の連翹忌の集いも中止にいたしまして、その頃はレモン忌では皆さんに会えるだろう、と思っていたのですが……。

来年以降に期待します!

ついでといっては何ですが、地方紙『福島民友』さんの記事をご紹介します。光太郎智恵子には直接関わりませんけれど

魅力的オリジナル商品 道の駅安達「智恵子の里」・二階堂貴子さん

004【二本松】特産物や名所など訪問先の魅力と出合える道の駅。その中で上下線ともに施設があるのは珍しい。上り線に紙すきが体験できる和紙伝承館、下り線に広い芝生広場などがあり、それぞれ異なる楽しみ方もできる。

 「行きたいと思う魅力にしたい」。オリジナル商品の開発に取り組み、年に5、6品を送り出す。

 今月には2商品を発売した。その一つが「野菜チップス」。7種の野菜を素揚げし、純米大吟醸の酒かすで作った「酒塩」で味を調えた。売れ行きは好調。「人に贈りたいと思ってもらえるよう味にこだわる。ぜひ食べてみて」。

 市内には安達とふくしま東和、さくらの郷と道の駅が三つある。これらを巡るスタンプラリーも開催中。「施設ごとに地域の特色があり、その魅力を確かめてほしい」とアピールした。

8月30日(日)の掲載でした。智恵子生家/智恵子記念館にほど近い道の駅安達「智恵子の里」の近況ですね。先月のこのブログでご紹介した「コロナに負けず! 地域元気回復! 豪華景品が当たる!にほんまつグルッと一周スタンプラリー」の件にも触れられています。


さらについでといっては何ですが、もう1件、その前日のやはり同紙から

伝統の「上川崎和紙」で自分の卒業証書 安達中3年生が紙すき

003 安達中3年生は26日、二本松市・道の駅安達「智恵子の里」内の市和紙伝承館で、千年以上の歴史を持つ地元の工芸品「上川崎和紙」で卒業証書を作る手すき体験に取り組んだ。

 同校は地元の伝統技術に親しむことを目的に毎年、3年生が自分の卒業証書を制作する。本年度は109人で、このうち3年2組の27人は、市和紙伝承館の地域おこし協力隊の菅野公幸さんの指導で、紙すきに挑戦。

 砕いたコウゾが入れられた水槽ですき桁を揺すり和紙をすいた。紙に厚みを出すため生徒たちは紙を3度すいて1枚の卒業証書の紙に仕上げた。

 上川崎地区から通う生徒(14)は「一生の思い出になる卒業証書なので緊張して最初は失敗したけど、最後は上手にできた」と笑顔を見せた。その上で「多くの人に紙すきを体験し、上川崎和紙を知ってほしい」とアピールした。

上川崎和紙を使っての卒業証書づくり、地域の伝統工芸の伝承にもつながるわけで、いい取り組みですね。

11月には彼の地で市民講座の講師を仰せつかっており、久しぶりに行って来る予定です。今後、新たにパンデミック的な事態にならぬことを心から祈念いたしております。


【折々のことば・光太郎】

世界はうつくし   短句揮毫 昭和22年(1947) 光太郎65歳

005埼玉県東松山市の教育長を務められていた故・田口弘氏旧蔵(現在は同市に寄贈)の色紙から。

昭和22年8月23日、花巻郊外旧太田村の山小屋で揮毫されたもの。田口氏はこれに先立つ同19年(1944)、南方への出征に際して駒込のアトリエを訪問、同じ句と「うつくしきもの満つ」の揮毫を貰い、さらに 日章旗へ署名をしてもらったそうです。しかし、南方戦線で氏の乗った輸送船が撃沈され、三点の書は海の藻屑となってしまいました。戦後、無事復員された氏が太田村の山小屋を訪ね、再度揮毫をして貰ったうちの一点です。
 詩の題名としては「美」を漢字で書いた「世界は美し」という詩(昭和16年=1941)があるのですが、ひらがなで「うつくし」と書いたものは他に類例を確認できていませんので、短句として登録しました。
 戦時中と、戦後になってから、それぞれの時点で光太郎がどういう思いで「世界はうつくし」と書いたのか、実に興味深いところです。

昨日は青森十和田湖での「第55回十和田湖湖水まつり2020」についてご紹介しましたが、同じくランタン打ち上げを伴うイベントです。 

期 日 : 2020年9月5日(土)、12日(土)、19日(土)、22日(火祝)
会 場 : あだたら高原リゾート レストハウス前 福島県二本松市奥岳温泉
時 間 : 18:00 受付開始 19:30 ランタン配布・説明 20:00 ランタンリリース
      20:30 終了予定
料 金 : スカイランタン1基 3,000円(税込)

 今回初の試みとなるこのイベントは、50万球のイルミネーションが煌めくあだたら高原の夜空に、願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる来場者参加型のイベントで、イルミネーションの輝きと相まって、ここでしか見られない幻想的な光景が広がります。
 使用するランタンは、株式会社スターリーナイトカンパニー(本社:兵庫県神戸市)が開発したもので、四角柱の和紙の中に特殊仕様の風船が入っており、さらにその中にLEDが入っています。風船に充填されたヘリウムガスで空高くまで浮かび上がりますが、糸と重りをつけており、回収できるため環境にも優しく、火を使わないことから安全性も高いランタンです。
 初秋の夜を彩る「スカイランタン」と「イルミネーション」の競演にご期待ください。

参加方法 予約制(各実施日前日までに予約申込。各日先着50名様限定)
申込先  富士急安達太良観光株式会社 TEL:0243-24-2141(9:00~17:00)

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案内にあるとおり、 8月1日(土)より開催されている「あだたらイルミネーション」とのタイアップ企画です。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠して下さり、ありがたく存じます。

コロナ禍による鬱勃たる気分、こうしたイベント等を通して晴らしていただきたいものですね。

明日も二本松/安達太良山ネタで。


【折々のことば・光太郎】

本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。

講演会筆録「炉辺雑感」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

「彫刻は、蝉なら蝉を創るにしても一遍蝉から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蝉が模写にもおもちやにもならず、本当の蝉となることができる。」と続きます。

光太郎、万物の造型を貫く天然自然の理法、そういうものに思いを馳せなければ、彫刻は不可能だといいます。

「本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少なくないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない」そうで。

智恵子の故郷、福島は二本松からキャンペーン情報です。 

開催期間 : 2020年8月8日(土)~2020年10月11日(日)
応募期間 : 2020年10月20日(火)まで

参加方法
 道の駅安達智恵子の里上り線 道の駅安達智恵子の里下り線 
 道の駅ふくしま東和 
道の駅さくらの郷 安達ヶ原ふるさと村 
 上記の各施設で、1会計につき500円以上のご利用でスタンプがもらえます。
 ※コンビニは除く

 スタンプラリー応募には、上記の施設のスタンプ3コ以上の押印が必要です。
 (道の駅ふくしま東和と道の駅さくらの郷は必須となります)

景品
 パーフェクト賞 170名様 スタンプ5コ/岳温泉宿泊券など
 がんばったで賞 80名様  スタンプ3コ以上/二本松市特産品など
 応募者の中から抽選により賞品をプレゼントします。
 発表は、当選通知または賞品の発送をもってかえさせていただきます。

応募方法
 スタンプが集まりましたら、応募票に必要事項を記入し、各施設窓口で確認を受けスタッフにお渡しください。各施設の確認を受けていない応募票は無効とさせていただきます。

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二本松市内4カ所の道の駅と、安達ヶ原ふるさと村さんの5カ所で500円以上の買い物をしてもらえるスタンプを、専用の用紙で集めて回るというものです。

チラシの周辺観光施設等紹介には、智恵子生家/智恵子記念館や、その裏手の鞍石山などの案内も。

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ご都合のつく方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

この四五年、夏になるときつと繰返し読む書物が二つあります、一つは『維摩経』。鬱蒼とした此の思想の森林を縦横に歩き廻る快味は比類少なく、殊に其のてきぱきした問答からは凉風がまき起るのを感じます。

散文「維摩経、自選日記」より 大正13年(1924) 光太郎41歳

「維摩経」は全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗仏教の「空」の思想を説いた仏典です。

「凉風がまき起る」なら読んでみようかな、という気にもなりますね。というか、この紹介の仕方が絶妙というべきですか。

もう一冊挙げているのは、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「自選日記」。光太郎の訳が『白樺』などに掲載され、大正10年(1921)には単行書として刊行されました。ここではその原典を指しているのでしょう。

全国31局のコミュニティFM局でオンエアされているラジオ番組で、「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組があるそうです。

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そちらで、「智恵子抄」へのオマージュ的な「ほんとうの空・青い空」というラジオドラマが放送されるそうです。ネット局によって放送日時が異なりますが、8月17日(月)~8月23日(日)にかけてとのこと。


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画像クリックで拡大します。


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オンラインでも、ウェブサイト/スマホアプリの「ListenRadio(リスラジ)」を使えば聴取可能のようです。

ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

日本画なんか日本で威張つてゐるけれども、向ふの絵の側に持つていつて見ると、影法師で、薄つぺらで、見られやしない。さういふことがわかつて来て、それで本格的な絵ができて来る。

座談会筆録「菊池寛・尾崎士郎・高村光太郎文化鼎談」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

6月18日の収録です。この日に行われた大政翼賛会中央協力会議に各界代表として出席し、発言した菊地・尾崎と共に行った座談会の筆録から。

光太郎の日本画嫌いは筋金入りで、他にも同様の発言は多々見られます。実際、戦後になると、東山魁夷ら新しい日本画家は、西洋画に伍する新しい日本画の創出に腐心したわけで、その意味では光太郎の予言通りになったということになります。

J-POPアーティスト米津玄師さんのニューアルバムが発売されます。 

2020年8月5日(水) ソニーミュージック

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通常盤 CD only ¥3,000+税  おまもり盤 初回限定CD+ボックス+キーホルダー ¥4,500+税
アートブック盤 初回限定CD+Blu-ray or DVD+アートブック ¥6,800+税


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CD
 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

Blu-ray・DVD(「アートブック盤」のみに収録)
 LIVE VIDEO 米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃
  01. Flamingo / 02. LOSER / 03. 砂の惑星 / 04. 飛燕 / 05. かいじゅうのマーチ /
  06. アイネクライネ / 07. 春雷 / 08. Moonlight / 09. fogbound / 10. amen / 11. Paper Flower /
  12. Undercover / 13. 爱丽丝 / 14. ピースサイン / 15. TEENAGE RIOT / 16. Nighthawks /
  17. orion / 18. Lemon / EN1. ごめんね / EN2. クランベリーとパンケーキ / EN3. 灰色と青

MUSIC VIDEO
 01. Lemon / 02. Flamingo / 03. TEENAGE RIOT / 04. 海の幽霊 / 05. パプリカ / 06. 馬と鹿


問題は(って、問題があるわけではないのですが(笑))、「Lemon」。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。


ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

唯のほほんとした明るさでは困るが内に確かな覚悟を持つた上、百難を踏み越える心の明るさをほのぼのといつも身につけてゐることは、今日のやうな時代には殊に望ましい。その明るさはおのれ自身を好ましいものにさせると同時に、その周囲にゐるものをまで何となく心ゆたかにさせる。真の明るさは無敵である。

散文「『職場の光』詩選評 十二」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「今日のような時代」は戦時中という意味ですが、コロナ禍の現在にも通じるような気がします。

先週金曜日、それから昨日と、隣町の成田市立図書館さんに行っておりました。同館では今月からほぼすべてのサービスが復旧、国会図書館さんのデジタルデータ閲覧が可能となったためです。同データ、「図書館送信資料」ということで、自宅のPCでは見られない資料も、提携しているこうした大きめの公立図書館さん等で閲覧が可能です。国会図書館さん自体も再開はしましたが、入館は事前に抽選などと面倒な状態ですし、何より都内はまだコロナが怖いので、成田に行きました。

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デジタルデータでは、『高村光太郎全集』及びその補遺たる「光太郎遺珠」未収録だった戦前の光太郎短歌について、さらに光太郎に関する回想文(今秋発行予定の『光太郎資料』掲載のため)などについて閲覧、コピーをとってきました(そのあたり、おいおい紹介していきます)。

ついでに、新聞のコピーも。少し前の話になりますが、『毎日新聞』さん夕刊に詩人の和合亮一氏が月イチで連載されている「詩の橋を渡って」。5月28日(木)掲載分です。『毎日新聞』さん、当方、購読はしていません。こうした場合、朝刊なら市内のファミレスに行って購入(なぜかコンビニには置いてありませんで)、夕刊はそちらでも販売していないので、翌日以降、当方居住地の市立図書館さんでコピーをしていました。しかし、居住地の市立図書館さんは未だに閲覧やコピー等のサービスが再開して居らず、これも成田頼みとなりました。ちなみに毎日さんのサイトでは有料会員限定閲覧可です。

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詩の橋を渡って 生の喜び 真っすぐに

 東京の空はいつもこまぎれ

 それでもお前は 生きてる喜びつげる
 この小さな空は私だけの空

 世界を襲った新型コロナウイルスの猛威により、社会や命の意味をすぐ隣にあるものとして考えざるを得なくなった気がする。不要不急の外出は避けて、人と交わらない努力をして暮らしていった日々。「3密」や「ステイホーム」「巣ごもり」などのキーワードが頻出してそれに示されるかのようにして、お互いに警戒しながらじっと耐える日々を送った。緊急事態宣言が全面的に解除となっても、油断は許されない。
 家の中でずっと本を開いていた。読書に没頭することで支えられる何かを追い求めたいと思った。思えば九年前の東日本大震災の折に、原発が爆発した後で放射能の心配からやはり外出は出来なかったが、その時と同じような静けさと寂しさを強く感じた。人間が恋しいという感情に似ている。ブッシュ孝子の詩集『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』(新泉社)を読み、毎日に緊張し続けていた心が揺すぶられた思いがした。

 「素直なことばで/本当のことだけを語りたい」。このフレーズは初めて詩を書いた日に記したものである。詩人は二八歳でがんで亡くなった。これは闘病中に記された唯一の詩集である。逝去する五カ月前から書き始められた詩が収められている。一つ一つに生き様を教えられるかのような気がした。この詩句も初めの日に記している。「美しい言葉が次々と浮かび出て/眠れぬ夜がある/新しい詩が次々と生れでて/ 眠れぬ夜がある」。
 病の進行の不安にさいなまれながらも、こんなふうに創作の泉と出合っている姿がある。詩を書く人のみならず言葉を文学を愛する者の原点を見た思いである。読み耽(ふけ)りながら、心の中にせせらぎが生まれているような気がした。ウイルスに脅(おび)える日常に心がすっかりと渇いてしまっていることに初めて気づかされたのである。問いたくなった。詩を書くこと、生きることを願う気持ちが真っすぐに伝わる詩を、私は今書いているだろうか。

 「東京の空はいつもこまぎれ」。病室から見える都会の空の印象。高村光太郎の「 智恵子抄」の詩の一節「智恵子は東京に空が無いという」を思わせる。「 それでもお前は 生きてる喜びつげる/この小さな空は私だけの空」。室内に籠もる暮らしの中で窓が映す建物の影の間の空に生の喜びを見つけるまなざしがある。小さな風景と共に限られた歳月を生きる。「この空だけは誰にもあげない」。 真っすぐな眼(め)の先に詩と命の宿りを信じた。
 「かかえきれない歳月が/春の嵐に吹きつけられ/ きょうもまた傷口をひろげる」。たかとう匡子の新詩集『耳凪(な)ぎ目凪ぎ』(思潮社)。それでありそれではない何かを描き出すかのようにして日々の光景が独特の技法で描かれる。コロナ禍、東日本大震災、熊本の地震……、春の訪れと共に近年に経験した厄災。神戸の詩人がとらえた今が見える気がした。「鳥が石になり魚が砂になった過酷な時代/ といった詩人がいた」。言葉の警鐘が鳴る。=和合亮一(詩人)=毎月第4木曜掲載

ブッシュ孝子さん。懐かしい名前を目にしたな、という007のが第一印象でした。学生時代にその唯一の著書にして遺稿詩集の『白い木馬』(サンリオ出版 昭和49年=1974)を古本屋で購入、拝読したからです。ブッシュさんと言っても、元々日本の方で、「ブッシュ」はドイツ人の旦那さんの姓です。やはり昭和49年(1974)、ガンのため28才の若さで亡くなっています。

購入したきっかけは、萩原英彦氏という作曲家の方が、ブッシュさんの詩に曲をつけた合唱組曲「白い木馬」を作られ、それを聴いて「ああ、これ、いいな」と、そういうわけでした。

しかしなぜ、今、ブッシュ孝子さん? と思ったら、『白い木馬』が再刊、というか、未発表の作品も収録、『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は ブッシュ孝子全詩集』として新たに刊行されていました。今000年4月のことです。寡聞にして存じませんでした。解説は若松英輔さんだそうで。

’70年代に注目された詩人が、21世紀に入って20年経とうとする現在、こうして再評価されるというのも稀有な例かと存じます。まぁ、それだけいいものだというのは有るのですが、やはり、優れた作品を次の世代に受け継ごうという、関係者の皆さんや、作品に惚れ込んだ方々のご努力の賜といえましょう。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、「どんなにすぐれた芸術家の作品であっても、次の世代の者がそれを後世に受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に呑み込まれ、忘れ去られてしまう」と、いつも語られ、当方もその受け売りをあちこちで話したり書いたりしていますが、まさにそういうことなんだな、と、改めて思いました。


【折々のことば・光太郎】

彫刻はむずかしいもので、中にあるものが出て来なければ、おみやげ人形と同じだ。
座談会「高村先生を囲んで」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外旧太田村での蟄居生活を打ち切り、上京する直前に、親しかった村人たちと送別会を兼ねた酒宴が行われ、その席上での発言です。

「中にあるものが出て来なければ」。造形芸術に限らず、詩でも同じですね。

最近手に入れた古いものシリーズです。

大正8年(1919)12月発行、『福島高等女学校同窓会報告』第拾四号。76ページある冊子です。「同窓会報告」と言っても、イベントとして旧交を温める「同窓会」の報告ではなく、組織としての「同窓会」の活動報告等です。

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同校は、智恵子の母校。明治34年(1901)、生まれ育った安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校高等科を卒業し、第3学年に編入しました。この時、智恵子数え16歳です。卒業は同36年(1903)3月、卒業式では総代として答辞を読みました。4月には上京して日本女子大学校普通予科に進学しています。

智恵子に関して何か記述があるのでは、と思い、購入しました。すると、智恵子の書いた文章などは載っていませんでしたが、同窓会員の名簿に智恵子や妹たちの名。

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智恵子は高村姓で記載されていました。この時点では入籍していない(入籍は統合失調症が昂進した昭和8年=1933)事実婚だったのですが、雑誌等に寄稿した智恵子の文章等、やはり高村姓となっており、不思議ではありません。「同」は「明治36年=1903卒」という意味での「同」です。

上の画像で、右から2人目~4人目、「長沼ミツ」、「関本ヨシ」、「長沼セツ」が、智恵子の妹たちです。

智恵子が長女でミツは三女。智恵子の6歳下です。ミツの「同」は「明治42年=1909卒」の意。智恵子より早く大正2年(1913)に結婚しましたが、夫のDVがひどく、大正7年(1918)には二人の子を連れて実家に帰っています。したがって、旧姓の「長沼」で名簿に載っていました。二人の子のうち、上の子が、のちに南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期(昭和13年=1938)を看取った春子。戦後になって、光太郎が間を取り持ち、詩人の宮崎稔と結婚しました。ミツ自身は結核を患い、大正11年(1922)に数え31歳の若さで歿しています。

ヨシは四女。明治28年(1895)生まれで智恵子より9歳下です。高等女学校は大正2年(1913)に卒業しています。智恵子の幼なじみ・関本ツギの弟の雄助と大正6年(1917)に結婚しましたが、こちらも昭和2年(1927)、数え33歳の若さで亡くなっています。産後の肥立ちが悪かったそうです。ちなみに筑摩書房『高村光太郎全集』他に掲載されている家系図では、ヨシの歿年齢を「29歳」としていますが、誤りです。計算が合いません。

五女はセツ。大正7年(1918)の卒業名簿に名がありました。のち斎藤新吉と結婚、昭和4年(1929)の長沼家破産後、千葉九十九里に落ち着き、母・センを引き取った他、同9年(1934)には半年余り、智恵子を自宅で療養させていました。

長女の智恵子以外にも、三女から五女まで、皆福島高等女学校の卒業だったのですね。この件は初めて確認できました。ちなみにセツの下にさらに六女のチヨがいたのですが、こちらは同校在学中に髄膜炎で急逝しています(大正8年=1919)。したがって同窓会名簿には載っていません。

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ここで疑問が一つ。「次女はどうした?」。次女のセキは、智恵子より2歳下。智恵子と同じく日本女子大学校を卒業しています。ただ、智恵子は家政学部でしたがセキは教育学部でした。さらに言うなら、日本女子大学校を卒(お)えてから、東京高等女子師範学校の保育実習科に編入したらしく、明治45年(1912)の卒業生名簿にその名が見えます。ところが福島高等女学校の同窓会名簿にはその名がありません。

考えられる理由は二つ。

一つは、除籍されてしまった可能性。セキは大正4年(1915)、半ば逐電するように渡米しました。その背景には、漱石門下の小宮豊隆と不倫の関係となり、子をなしてしまったということがあります。その子は智恵子の同級生だった上野ヤス(旧姓・大熊、上記画像に名を載せました)の婚家(静岡沼津)で産み、里子に出されたそうです。そうした経緯から、除籍処分となった可能性が考えられます。智恵子に『青鞜』の表紙絵を依頼した女子大学校の一年先輩・平塚らいてうも、やはり漱石門下の森田草平との心中未遂事件が元で、女子大学校同窓会の桜楓会から除籍されています(のちに復権)。

もう一つの可能性は、姉妹の中でセキだけが他の高等女学校に進んだということ。こちらの方が確率は高いのかな、という気がします。ただ、当時、県内の高等女学校は福島にしかありませんでしたので、そこでないとすると日本女子大学校の附属高等女学校ではないかと考えられます。そしてそのまま女子大学校に進んだ、と。平塚らいてうもそのコースでした。

このあたり、情報をお持ちの方はコメント欄等よりご教示いただければ幸いです。

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こちらは明治41年(1908)頃の、平穏だった時期の長沼一家。この幸福そうな様子が長続きしなかったのかと思うと、胸が痛みますね……。


【折々のことば・光太郎】

わたつみに敵をうつ  短句揮毫  昭和19年(1944) 光太郎62歳

平成16年(2004)頃、都内ご在住の藤尾正人氏のお宅に拝見にあがりました。氏が海軍に出征される際、日章旗に寄せ書きをして貰ったうちの一人が光太郎で、この一言を書いてくれたそうです。

詳しくはこちら

幸い、氏は無事に復員できましたが、同じように光太郎の元を訪れてから出征し、還らぬ人となった若者も多数いたわけで、そういった意味では光太郎の「負の遺産」の代表例です。

智恵子の故郷、福島・二本松に聳える安達太良山。やはり新型コロナの影響で、今年はいろいろと例年どおりではありません。

二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』の7月号、5月17日(日)に行われた第66回山開きについて報じています。 

第66回安達太良山山開き 神事で登山客の安全を祈る

 今年の安達太良山山開きは、規模を縮小し、5月17日、あだたら高原スキー場ランデブーで神事のみが行われました。
 この日は、福島県で新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が解除された後の初めての日曜日で、例年に比べると登山客の姿は少なかったものの山登りを楽しむ姿が見られました。


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新聞報道はこちら

もう1件。「オンライン」やら「リモート」やらが流行ですが、安達太良山でも。 

安達太良山好き必見!5月にオンラインで開催した「スナックひかりと」、第2回は千功成とくろがね小屋のコラボです⛰✨

先代からの思いを引き継いで完成した銘柄「甑峰」について、山小屋の仕事について… 一緒に楽しくトークしましょう🥰

▽ゲスト 檜物屋酒造 社長・杜氏 齋藤一哉さん くろがね小屋小屋番 田畠翔さん
▽MC 二本松市地域おこし協力隊 丸田陽加里(ひかりママ)
▽日時 7/10(金)19:30〜21:30
▽定員 40名(先着順で受付いたします)
▽ご参加にあたって(必ずお読みください)
・参加者は「檜物屋酒造のお酒」もしくは、二本松の酒造産のお酒を出来るだけご用意して飲み会にご参加ください。
・Zoomオンラインでの開催です。先着40名様に当日、飲み会IDとパスワードをお送りします。
・ご利用環境等は参加者ご自身にて設定してください。設定等のお問い合わせはご遠慮ください。
・参加者はオンライン飲み会のマナーを厳守の上、ご参加ください。

▽お申し込み 
下記フォームよりお申し込みください。 https://forms.gle/ddADPMTk1uysjWRn7

▽「スナックひかりと」とは?
地元の人と「ヨソモノ」の交流の場を作りたい!という思いから、岳温泉で地域おこし協力隊として活動する、お酒好きのまるちゃんこと丸田ひかりがママをつとめる一日限定スナック。今年2月に第1回を開催しましたが、コロナウイルスの影響で現在開催を延期しています。5月にオンラインで大七酒造とコラボトークを行いました。

▽ひかりママからメッセージ
コロナウイルスの影響でFace to Faceのコミュニケーションが難しい状況ですが、逆に普段話せない人とも繋がることができるのが、オンラインの良いところでもあります。ぜひこの機会に二本松の魅力をよりディープに知っていただくと共に、アットホームな人との繋がりを感じられるイベントにできれば嬉しいです😊

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ご興味のある方、ぜひどうぞ。

上記、岳温泉観光協会さんのサイトで見つけた情報ですが、同じサイト内でこんなページも。 

智恵子抄に詠われた「ほんとの空」がクリームソーダになりました😊💕

どこまでも続く青空と雲をイメージして作られています☁チーズケーキ工房カフェ風花にてぜひお試しください🥤✨

阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
 高村光太郎「智恵子抄」より

ほんとの空と言われる、安達太良の空。そんな空をイメージしたソーダができました。どこまでも青い空を映したような「あおぞらソーダ」爽やかなアップルソーダです。バニラアイスはまるで空に浮かぶ雲のよう。溶かしながら色の変化も楽しめます。植物由来の着色料を使った青色です。

甘酸っぱいクランベリーソーダを使った「ゆうぐれソーダ」も😘

カフェ・テイクアウト両方で販売中です🥤

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チーズケーキ工房カフェ風花」さんは、岳温泉か003ら土湯温泉さん方面に向かう「ミドルライン」(国道459号線)沿い。岳温泉さんの中心街からはやや離れた場所です。住所は二本松市大関438-7。

秋には市民講座の講師を仰せつかっていますので、二本松に参ります。その際にでも堪能してこようと存じます。


【折々のことば・光太郎】

動勢  短句揮毫 昭和初期 光太郎45歳頃

筑摩書房さん『高村光太郎全集』、それからその補遺たる「光太郎遺珠」、ともに「短句」という項を設けています。主に書作品として色紙などに揮毫されたものから採っています。

基本方針としては、単語一語のみのものは除外、詩文から抜粋したものも除外、その色紙なら色紙にしか書かれていないというものを登録しています。

ただ、この「動勢」は例外としました。単語一語のみですが、この「動勢」という語、『ロダンの言葉』の翻訳に際し、仏語の「mouvement」の訳語として光太郎が創出した語です。「動き」、「流動感」といった意味と、彫刻の周囲を回ることで刻々変化する輪郭線を表すのにも使われています。

右は光太郎の実弟・豊周と親しかった染色工芸家・広川松五郎の旧蔵で、広川が軸装したものです。

イラストレーター・ただまひろさんのツイート「『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』」が話題になっています。

Yahoo!さんのニュースサイトから。 

飲み会に部活?『世界がもとに戻ったらしたいこと』ツイートに反響、自粛の我慢を希望へ変換

『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』と題した漫画のツイートが、大きな話題となったイラストレーター・ただまひろさん(@mappy_pipipi)。同ツイートは31.1万のいいねを集めたほか、「コロナが終息したら、みんなは何したい?」という問いかけに応えたユーザーから、多くの「したいこと」が寄せられ、1000件以上のコメントが付いた。この漫画に込めた思い、自粛生活を送るユーザーへのメッセージを聞いた。

■31.1万の“いいね”集めた漫画、大反響の裏に「みんなの我慢」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』をツイートしようと考えたきっかけは?

【ただまひろさん】私にできることは、「自粛しよう」と注意喚起するよりも、漫画を読んでくれた方にこの先の楽しいことを想像してもらい、それを実現するために今がんばろうと感じてもらうことだと思い、公開しました。

――漫画の中には11個の「したいこと」が描かれていますが、どんなことを意識して制作したんですか?

【ただまひろさん】「したいこと」はもっといっぱいあると思いますが、自分がしたいことや、周りの人がしたいと言ってることを選びました。またイラストについても、読者の方が自分に当てはめて読めるように、一つのキャラクターを使うのではなく、いろんな人を描きました。

――“いいね”はもちろん、多くの人が自分のしたいことを書いてリプライしています。

【ただまひろさん】想像以上のたくさんの「したいこと」があって、今みんなが我慢してるんだと改めて感じました。みんなのしたいことを絶対できるようにするために、今一人一人ががんばらないといけないと思います。

――ただまひろさんは、イラストレーターのほかにクレープ屋でも働かれているとか。やはり、コロナの影響を感じますか?

【ただまひろさん】そうですね。今何も影響がないという人はいないと思います。いつまで続くのかわからない状態でストレスが溜まりますが、誰かのせいにはしたくないなと思っています。

■バイト先のクレープ屋にもコロナの影響、「誰かのせいにはしたくない」
――今回にしても、クレープ屋のお客さんを描いた漫画にしても、絵や言葉にとても温かみがありますね。描く際に心がけていることは何でしょうか?

【ただまひろさん】ありがとうございます。ちょっと笑えてホッとするものを目指してるので嬉しいです。一人一人思うことは似ていたとしても、まったく同じわけではありません。自分は良かれと思って描いたとしても、誰かを傷つけてしまうかもしれない。そういうことがなるべく無いように心がけています。

――多くの反響がありましたが、SNSで作品を発信することの良い点、また大変だと思うことはありますか?

【ただまひろさん】良い点は、実際に会ったことがない人にも作品を見てもらえたり、自分では想像できなかった考えを知れる点です。誰でも見られて何でも言えるのが良いところですが、それが大変な面でもあると思います。

■嘆いてもどうしようもない、「家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジ」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』の最後には「したいことを楽しみに過ごそう!」とありますが、まさにゴールデンウイークも自粛生活となっています。ユーザーへ何か伝えたいことは?

【ただまひろさん】私も、旅行や帰省など色々と計画を立てていました。もう近場にも行けない状態ですので、家でお菓子作って食べて筋トレしての繰り返し...の予定です。どこにも行けないのを嘆いていてもどうしようもないので、今は家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジするほうがいいと思います。

――ちなみに、ただまひろさんの一番したいことは?

【ただまひろさん】まずは帰省して両親や祖父母に会いたいです。あとは友だちと集まって、ごはんや飲み会をパーッとやりたいです!

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したいことを楽しみに過ごそう!」というポジティブな考え方がいいですね!

当方も、「① 集まって、飲み会したい」、「③ お祭りに行く」、「④スーパー銭湯とサウナに行きたい」、「⑥ 旅行する」、「⑪ 普通の生活を送りたい」あたりはまさに当てはまります。

それ以外に是非やりたいこと、というか、今、やれなくて困っていることなのですが「図書館系で調べものをしたい」と思っています。

少し前に、このブログで紹介すべきネタが不足している、と嘆いたところ、メールで情報提供があったり、ネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報があったりしています。で、その情報について詳しく調べたり、ご教示いただいた資料を閲覧したりしたいのですが、主要な図書館系はどこも休館中……。困っています。

例えば、当方と同じ千葉県ご在住で、連翹忌にもよくご参加いただいている方から、ご自宅近くだという千葉県文書館さんの情報をご提供いただきました。こちらは「県の行政文書や古文書などの資料を収集保存し、その活用を図るとともに、県の行政に関する情報を提供する施設」だそうですが、こちらにローカルテレビ局・チバテレさん制作の「房総プロムナード」という番組がDVDで保存されていて、視聴できるというのです。

同番組、現在は制作は終了しているようですが、'90年代末、'00年代くらいのものは、時折、再放送されています。ご教示いただいたのは、それより古いもので、2本。まず、昭和52年(1977)制作の「文学散歩 九十九里の浜」。こちらに当時存命だった智恵子の妹・斎藤セツが出演しているというのです。セツは昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼家の破産後、あちこち転々としたのち、九十九里に夫や子ども、そして母・センと共に落ちつき、昭和9年(1934)には、半年余り、心を病んだ智恵子を引き取っていました。その智恵子の思い出を語っているということで、これはぜひ見てみたいと思っております。写真はいくつかの資料に載っているのですが、動画となると、見たことがありません。ちなみに下記は昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)のパンフレットから。

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また、平成2年(1990)制作の「文学散歩 ~九十九里町~」。こちらには、智恵子が療養していた斎藤家(田村別荘)が紹介されているとのこと。やはり「智恵子抄」の故地、という扱いです。この建物は移築・保存されていたのですが、平成11年(1999)、感情的な行き違いが元で、突如、取り壊されてしまって今は見ることが出来ません。


それから、他の方からの情報提供で、どうも『高村光太郎全集』未収録の短歌が載っているらしい雑誌についても教えていただきましたし、先述の通りネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報もあります。

そうした場合、平時であれば国会図書館さん、日本近代文学館さん、神奈川近代文学館さんなどに出向いて調べるのですが、三館とも休館中です。

昨日の政府見解では「図書館や公園の再開は容認」ということですが、個々の館の対応等まだ不透明ですし、たとえ再開しても、そこまで行くためには公共交通機関を利用しなければならず、結局はまだ当分無理でしょう。国会図書館さんのデジタルデータは、自宅兼事務所のPCで見られるものもありますが、当方が必要とする情報はほぼ「国立国会図書館内限定」か「図書館送信資料」。後者であれば隣町の成田市立図書館さんで見られますが、こちらも休館中(GW中、臨時に開館という話でしたが、PCの置いてあるフロアは閉鎖)……。

まったく、困っています。

それから、自分で自分に腹が立っていることが一つ。

当会として年2回発行しております『光太郎資料』、次号(智恵子命日の10月5日発行予定)の執筆にかかっているのですが、そのために必要な資料(光太郎と交流のあった詩人・風間光作執筆の回想)が見あたらなくなってしまっています。読んだ記憶が確かにあるので、書庫の蔵書のどこかに転載されているはずなのですが、いったいどの本に載っていたのか、忘れてしまいました。

言い訳させていただければ、書庫はこういう状況でして……。

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4畳半の部屋ですが、三方が作り付けの書棚(20年ほど前、現在の自宅兼事務所を新築した際に造ってもらいました)、それ以外にも通常の本棚を置いてあります。書棚は天井が吹き抜けですのでやけに高く、9段、天板の上まで使っているので10段です。蔵書がどれだけ冊数があるのか、数えるのは早々にやめてしまいました(笑)。書物以外に、上記の図書館さん系で取ってきたコピーなども多数。何処に何が書いてあるかほぼ頭に入っているのですが、どうしても今探している文章が見つかりません。

元は戦時中の雑誌に載っていたことが分かっていますので、やはり平時であれば、国会図書館さん等に出向いてすぐコピーが取れますが、いかんせん、主要な図書館さん系はこぞって休館中……。まいっています。

そんなわけで、「世界がもとに戻ったらしたいこと」、当方は、まず「図書館系で調べものをしたい」です。やっぱり、変わり者なのでしょうかね(笑)。

さて、皆さんの「世界がもとに戻ったらしたいこと」は何でしょうか? そして、ただまひろさんのツイートにある通り、「「したいことを楽しみに過ごそう!」ですね。


【折々のことば・光太郎】

美しきものをおさむ   短句揮毫  昭和24年(1949) 光太郎67歳

東北大学総長を務めた結核学者・熊谷岱蔵の描いた画帖を収める箱のための箱書きとして揮毫しました。

上記当方書庫、6:4、いや、7:3くらいで古書の方が多いと思います。中には100年以上前のものも。となるとかなりボロボロだったりもしますが、そこに描かれている内容は、光太郎の詩文をはじめこれもまた、まごうかたなき「美」です。

新型コロナの影響で、イベントの中止や延期が相次いでおりますが、「高村智恵子 生誕祭」、とりあえず二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』今月号に予告が出ています。 

高村智恵子 生誕祭

智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。智恵子の世界を身近に感じてみませんか。

上川崎和紙で作ろう智恵子の紙絵 
智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵から、上川崎和紙を使用したハガキ・しおり作成ができます。   
開催日時 5月16日(土) 17日(日) 23日(土) 24日(日) 30日(土) 31日(日)
     9:00~16:00(生家・記念館の開館時間内)
場 所 智恵子の生家「奥座敷」
内 容 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵・上川崎和紙を使用したハガキ・しおりの制作
     ※所要時間は10~20分程度
     ※料金は入館料に含まれます。

智恵子作「紙絵」実物展示公開
奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。
展示期間 5月26日(火)まで

展示場所 智恵子記念館

◎ 問い合わせ…智恵子記念館    ☎(22)6151 Fax(22)6151
            文化課文化振興係 ☎(55)5154 Fax(23)1326



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例年ですと、4月からの智恵子の生家二階部分の公開も、「高村智恵子 生誕祭」の一環としての実施でしたが、今年はやはり新型コロナの影響で、様子を見ながら小出しにしているという感じでしょうか。上記紙絵体験も、場合によっては中止ということも考えられます。

中止といえば、同じ『広報にほんまつ』には、安達太良山の山開き、山頂でのイベントが中止という記事も出ていました。

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ただ、例年山頂で行っている登山002者の安全を祈願する安全祈願祭は、奥岳登山口で10時から関係者のみで行うと、二本松観光連盟さんのサイトにありました。それから、これも例年楽しみにしている方が多い、ペナントの配付に関しては、「山開き当日以降、各登山口で随時配布予定です。(状況により変更となる場合あり)」だそうです。

日本山岳・スポーツクライミング協会や日本勤労者山岳連盟など山岳関係の4団体が、「事態の収束まで山岳スポーツ行為を厳に自粛してほしい」と呼び掛ける声明を、先月下旬に発表したことを受けての措置でしょう。

美しいポスター、フライヤーまで完成していて、誠に残念ですが、仕方ありませんね。

ちなみに昨年の様子はこちら

コロナ騒ぎの終息が少しでも早く訪れることを、本当に心待ちにしております。


【折々のことば・光太郎】

美に生く   短句揮毫   戦後期?

彫刻や絵画による造型の美、主に詩による言葉の美、そしてその二つの美を融合させた「書」と、生涯「美」を追い求め続けた光太郎ならではの一言ですね。

一昨日の『しんぶん赤旗』さんの日曜版。「たび」という連載で、福島二本松の智恵子生家とその周辺が大きく紹介されました。

たび ほんとの空がある 智001恵子の生家 福島・ 二本松

 福島二本松(にほんまつ)市を訪れました。市内油井(ゆい)の旧奥州街道沿いに、彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~1956)の妻であり、詩集『智恵子抄』で知られる高村智恵子の生家と記念館があります。
 智恵子は福島県安達(あだち)郡油井村の大きな造り酒屋の長女として生まれ、油井小、福島高女を経て東京の日本女子大学に進学。生家の表玄関には屋号の「米屋」と酒の銘柄「花霞(はながすみ)」の看板が掲げられ、軒には新酒の醸成を伝える杉玉が下がっています。「昭和4(1929)年に長沼家が破産し人手に渡った家屋や土地を、平成初めに旧安達町が買収し、明治初期の建物を修復・保存しました」と市教育委員会文化課・池田高広さん。
 智恵子が愛聴したベートーベンの「田園」が流れる屋内は、1・2階合わせて18間もある重厚な町屋造りです。智恵子の居室は2階の2間でした。智恵子が実際に使っていた琴や蓄音機、はた織り機もあります。
 日本女子大在学中に油絵を描き始めた智恵子は卒業後、太平洋画会研究所に通い、洋画家を目指しました。光太郎と出会ったのもこのころです。
 記念館展示で特に目をひくのは、智恵子が描いた油絵「花(ヒヤシンス)」「静物」、デッサン画「男性裸像」「ミロのビーナス像」です。智恵子が統合失調症を発症し、東京のゼームス坂病院に入院したのは1935年。38年に  同病院で肺結核で死去するまで、千数百点の紙絵を制作しました。記念館は実物24点を所蔵。「通常は複製の展示ですが、春と秋期間限定で実物を10点ずつ展示します」と池田さん。
 記念館の脇道から石段を上り稲荷八幡神社へ。境内に「熊野大神」と刻まれた石碑があります。毛筆の才もあった智恵子が書いた文字です。さらに智恵子と光太郎お気に入りの散策路だった鞍石山(くらいしやま)山頂への道を登りました。一帯は「智恵子の杜公園」です。
 西に標高1700㍍の安達太良山(あだたらやま)、南に阿武隈(あぶくま)川を望む高台があります。「あれが阿多多羅山(あたたらやま)/あの光るのが阿武隈川」。光太郎の詩「樹下の二人」の舞台になった場所です。帰郷するたびに智恵子を癒やしたのが、安達太良山の上に広がる空でした。
 二本松駅前の老舗うなぎ屋で「ランチうな丼」を食べ、安達太良山麓の岳(だけ)温泉に1泊しました。
 ツルシカズヒオ
おことわり 新型コロナウイルス感染拡大防止のために、各地で外出自粛が呼びかけられています。本欄は「緊急事態宣言」発令前に取材したものです。


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同紙では、よく智恵子の生家周辺を紹介して下さっています。平成30年(2018)6月17日には「山の季 ほんとの空」という題名で、安達太良山。同年9月30日には同じ「たび」の連載で「智恵子の生家と「ほんとの空」」。それぞれ大きな記事でした。

少し前にも書きましたが、新型コロナの影響で、なかなか「ぜひ足をお運び下さい」とは書けないのですが、いずれ騒ぎが終息した後、「ぜひ足をお運び下さい」。


【折々のことば・光太郎】

凡そ何事に限らず随所随時之を筆録し置かざれば年と共に忘却する事あるを免れず。よし忘却する事なしとするも其楽ミや己れ一個人に局して他人に感ぜしむる事あたはず。されば心ある人にして日常の所見所感を筆にのこし置かざる者ある事無し。

雑纂「『大原海岸』あとがき」より 明治38年(1905) 光太郎23歳

『大原海岸』は、母・わかと弟・豊周、同じく孟彦、妹・よしの4人が房州大原(いすみ市)を旅行した際、光太郎が弟妹に命じて紀行文を書かせ、製本したものです。

要するに「日々の記録をとっておくと、備忘のために良いし、たとえ自分が忘れなくても、他人がそれを読めばその時々の感懐が共有できる」ということですね。

もうすぐこのブログも9年目に突入します。そこで、当方も時折上記のようなことを考えます。

例年、この時期と、秋の菊人形の時期に行われている、福島二本松の智恵子の生家、2階部分の特別公開が始まります当方、何度か智恵子の居室を含む2階に上がらせていただきましたが、まさしく智恵子の息吹が感じられる貴重な体験でした。

追記 やはり新型コロナのため、4月13日から約1ヶ月、休館だそうです。

智恵子の生家2階特別公開

期 日 : 2020年4月4日(土)~5月6日(水)の土・日・祝日
会 場 : 智恵子の生家 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 公開期間中無休
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 
      子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

      智恵子記念館との共通観覧券 

智恵子を育んだ「生家」の2階を、特別公開します。智恵子が暮ら した旧長沼家の雰囲気をご堪能ください。5月には生誕祭を予定 しています。

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昨年までは、この時期に「高村智恵子生誕祭」として予告され、生家2階の公開もその一環という位置づけでしたが、今年は新型コロナの影響でしょうか、「生誕祭」については詳細未定のようで、生家2階の公開のみ先行して実施されるようです。ついでにいうなら、昨年まで運行されていた福島交通さんの臨時バス「二本松春さがし号」、今年はやはり新型コロナの影響で中止だそうです。

ちなみに生家2階公開の記事が載った『広報にほんまつ』の今月号、表紙を含め巻頭4ページが「ほんとの空にさくら舞う」と題し、市内の桜の名所の紹介になっています。

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智恵子生家裏の「智恵子の杜公園」006も取り上げられています。光太郎の名も。ありがたや。

「ほんとの空にさくら舞う」は、昨年4月に開催された「2019全国さくらシンポジウムin二本松」のキャッチコピーでしたが、それを転用しているようです。

桜も種類によってはまだまだ楽しめるようですし、生家2階の公開と併せ、「ぜひ足をお運び下さい」といいたいところですが、昨今、なかなか気軽にこの言葉を使えなくなってしまい、実に残念なところです……。


【折々のことば・光太郎】

大した失策をした事もないのですが、宿屋で室を間違へるのが昔からの私の癖で、十数年前、直江津の「いか権」で隣室の人のご馳走を自分の晩食と思つて喰べてしまつたり、東山温泉で芸者とお客とねてゐる室へ飛び込んだ位のところです。

アンケート「旅の失策話」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

いやいや、こういうのを「大した失策」というのですよ、光太郎さん(笑)。

同じアンケートの続きの部分では「一体宿屋の部屋位、人を馬鹿にしたものはないでせう。十六番と十七番を間違へるのに何の不思議がありますか。」と、逆ギレもしています(笑)。

静岡から演劇公演情報です。 

劇団静火実験公演『売り言葉』

期 日 : 2020年2月23日(日)
会 場 : 
人宿町やどりぎ座 静岡市葵区人宿町2丁目5-2 SOZOSYAキネマ館2F
時 間 : 15:00~16:00 19:00~20:00
料 金 : 一般 2,000円 25歳以下 1,000円

作 野田秀樹  演出 大石明世 ​出演 滝沢麻友・山内梓未


劇団静火実験公演 演目は...野田秀樹 作 「売り言葉」!! 是非観劇にいらしてください!

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智恵子を主人公とする野田秀樹さん作の演劇「売り言葉」。初演は大竹しのぶさんにより、平成14年(2002)に行われました。プロアマ問わず人気の演目のようで、昨年は、確認できている限り全国で6件上演され、今年に入っても既に1公演がありました。本来、登場人物は智恵子だけの一人芝居ですが、それを二人芝居にしてみたり、会場を凝った場所にしてみたりと、いろいろ工夫が為されています。

 evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。
 サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
 thee第13回公演『売り言葉』。
 劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。
 林亜佑美 一人芝居 売り言葉 他。
 演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉。
 thee第13回公演『売り言葉』(追加公演)。

これを通じて、光太郎智恵子の世界に興味を持って下さる方が増えることを期待します。

今回、どんな感じでやられるのか、不明ですが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人種の問題は今日まだ理論以上の力を持つ。人類は此の偏見を是非とも何とかせねばならぬ。この偏見が何に因って起るかの真理を糺さねばならぬ。たゞ道徳的なお説教のみでなしに。

散文「ヘルプの生活」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

明治39年(1906)から翌年にかけてのニューヨーク生活回顧録の末尾です。自身の被差別体験を元に、こう結んでいます。

およそ90年前に書かれた警句ですが、90年経っても状況はいっこうに変わっていませんね。

福島からイベント情報です。 

ふくしまイレブンめぐり スタンプラリー2

期 日 : 2020年2月8日(土)~3月15日(日)
会 場 : 福島圏域11市町村の道の駅・直売所
      福島市 二本松市 伊達市 本宮市 白石市 桑折町 国見町 川俣町 大玉村
      飯舘村 米沢市

福島圏域11市町村の道の駅や直売所をめぐるスタンプラリーを開催いたします。

台紙には1市町村で1個のスタンプを押してください。
ただし、福島市(①~③)と二本松市(④~⑦)はいずれか1箇所で押してください。

各スタンプ設置施設や各市町村庁舎等に設置されているチラシ兼台紙を入手して参加ください。
11市町村のスタンプをすべて押された方はA賞に応募できますが、チラシに記載されている情報をもとに12個目のスタンプが置いてある施設を探し当てスタンプを押せれば、パーフェクト賞も受け取ることができます。(先着500名まで賞品が豪華です)
各賞に必要なスタンプが貯まったら、スタンプ設置地点の回収ボックスに投函するか、台紙に切手を貼り郵便で応募ください。

賞品
A賞 スタンプ11個(全市町村制覇)
    5、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
B賞 スタンプ7個以上 
    2、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
C賞 スタンプ5個以上 
    1、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各3名)計33名
パーフェクト賞 スタンプ12個
    パーフェクト達成者全員に粗品をプレゼント。
    また、先着500名には福島圏域11市町村の特産品もプレゼント。

問い合わせ先 福島圏域連携推進協議会事務担当(福島市農業振興課内)
 電話 024-529-7663 (平日8時30分~17時15分)

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福島市とその周辺、16カ所の道の駅や直売所等に設置されたスタンプを集めるスタンプラリーです。隣県の宮城、山形も巻き込んでいます(笑)。大規模ですね。

智恵子の故郷、二本松市には4カ所にスタンプが置かれていますが、うち2カ所は智恵子生家/智恵子記念館さんに近い「道の駅安達智恵子の里」さん。国道4号線をはさんで、上り線側と下り線側で別個の施設となっており、スタンプも2つゲットできます。

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上り線側の紹介には、「高村光太郎の詩「智恵子抄」で有名な安達太良山が一望できます。」の語も。

上下線ともども、これまでもさまざまな光太郎智恵子がらみのイベントの会場となったり、智恵子関連の新商品の開発販売に取り組んで下さったりで、ありがたい限りです。

福島圏域の皆さん、ぜひチャレンジしてみて下さい。


【折々のことば・光太郎】

世の中で一番好きなのは温泉なんです。箱根や伊香保なんぞのやうなのでなく、湧き出してくる野天の湯に浸つてゐたらどんなにいゝかと思ふ。塚原卜伝みたいな家を建てゝ年を取つたらさういふ所へ行き度いと思つてゐる。年を取つたらさうした所へ行くやうな気がする。東京を追ひ出されて――。

談話筆記「〔生活を語る〕」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

およそ20年後にそのとおりになるとは、この時点で真剣にそう考えていたとも思えないのですが、不思議なものです。

新刊です

レジェンド文豪のありえない話

2020年1月1日 株式会社ダイアプレス 定価891円+税

総勢六十余名の神をも恐れぬご乱痴気!
酒癖、絡み症、女癖、我執…。文壇の先生方は一癖二癖、三癖が普通。そのくせ弱くて「死にたい…」とぽつり。そんな先生方の哀しくも過激でおもしろすぎるアンビリーバブルな言行録!!

〇明治の困った文豪たち
・坪内逍遥 ・夏目漱石 ・正岡子規 ・森鴎外 ・幸田露伴 ・広津柳浪 ・尾崎紅葉
・国木田独歩 ・樋口一葉 ・島村藤村 ・田山花袋 ・徳田秋声 ・泉鏡花 ・与謝野晶子

〇大正の小粋な文豪たち
・有島武郎 ・永井荷風 ・石川啄木 ・萩原朔太郎 ・芥川龍之介 ・谷崎潤一郎
・直木三十五 ・菊池寛 ・武者小路実篤 ・志賀直哉 ・内田百閒 ・室生犀星
・岡本かの子 ・佐藤春夫

〇昭和の微妙な文豪たち
・宮沢賢治 ・井伏鱒二 ・横山利一 ・江戸川乱歩 ・夢野久作 ・川端康成 
・梶井基次郎 ・小林多喜二 ・林芙美子 ・堀辰雄 ・中原中也 ・中島敦 ・ 坂口安吾
・檀一雄 ・太宰治 ・幸田文 ・大岡昇平 ・織田作之助 ・埴谷雄高 ・安部公房
・三島由紀夫


〇コラム
・明治文豪相関図 ・大正文豪相関図 ・昭和文豪相関図 ・文豪たちがしたためた恋文
・文豪たちのエロ妄想 ・文学と性表現 ・文豪たちのこだわり ・戦後小説と文壇の流れ

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「文豪」たちの、どちらかというと人間くさいエピソードの数々を、一般向けに堅苦しくなく紹介するものです。光太郎は目次の大項目に入っていませんが、コラム「文豪たちがしたためた恋文」で、大正2年(1913)、結婚前の智恵子に宛てた光太郎からの書簡が紹介されています。また、佐藤春夫ら、交流のあった「文豪」の項で名前が挙げられていたり、「相関図」に組み込まれていたりします。

肩のこらない書きっぷりですが、どうしてどうして意外と鋭い指摘(光太郎に関しては「狂気を孕んだ愛」の一言)や、ある種のタブーへの挑戦的な部分(狂信的ファンの間では神格化されている宮沢賢治が、実は春画コレクターだったことの紹介など)もあり、一種の「文春砲」のような(笑)。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

恋愛だけには人工的な理性が加はらない。昔からたつた一つ、人間の姿が生き生きして出て来るものは恋愛である。恋愛と云ふものは罪悪だとか、人間の精力をつぶして了ふとか、危険なものだとか、盲目なものだとか云ふ風に解釈するのは皆功利的な解釈の仕方である。

談話筆記「恋愛――結婚の話――」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

こう語った頃、光太郎は智恵子との恋愛の真っ最中で、密かに上高地への婚前旅行を共謀していた時期でした。

昨日のこのブログで、智恵子を主人公とした野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」が、智恵子の故郷・福島二本松で上演されることをご紹介しました。今年はなぜか「売り言葉」が人気で、各地で上演が相次いだのですが、さすがにもう今年は打ち止めだろうと思っていたところ、まだありました。昨日になって気がつきました。 

演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉

期 日 : 2019年12月21日(土)/12月22日(日)
会 場 : 
フジハラビル(アートギャラリーフジハラ) 大阪市北区天神橋1-10-4
時 間 : 12/21 11:00/15:00/19:00  12/22 11:00☆/16:00☆
      ☆……アフタートーク有り
料 金 :  一般 2,500 円  U23 1,500 円  U18 1,000 円 ※全席自由席
      ※当日料金は各500円増 
出 演 : 雀野ちゅん(うんなま)
演 出 : 下野佑樹

“智恵子抄”を題材に、高村光太郎の妻・智恵子の狂気を野田秀樹氏独自の視点と愛情で描いた作品。
2002初演(作・演出:野田秀樹 主演:大竹しのぶ)
今回の演出では、智恵子が自殺未遂をした際の情景から得た着想を元に、舞台全面をカンバスに仕立て上げ、そこに智恵子の半生を塗り重ねていく。000

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ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私くらゐの年配の読書人で、かつてドストエフスキイに捉へられ、魅惑せられ、魂を奪はれ、それから脱することの困難さと残り惜しさとを経験しなかつた者は少いであらう。此の渾沌たる魂の深淵をくぐりぬける事によつて人は霊につながる心の鍛錬をうける。

散文「『ドストエーフスキイ全集』推薦の言葉」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

書評とはかくあるべし、というお手本のような文章ですね。豊富な語彙、その的確な用法、そして対象へのリスペクト。見倣いたいものです。

智恵子の故郷、福島二本松で智恵子の顕彰活動に当たられている智恵子のまち夢くらぶさんから情報を頂きました。 

林亜佑美 一人芝居 売り言葉

期 日 : 2019年12月22日(日)
会 場 : 
二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町2丁目3-1
時 間 : 第1回 13:00~  第2回 18:00~
料 金 : 一般 前売1,500円 当日1,800円  学生・地元の方は無料(各回先着50名のみ)
出 演 : 林亜佑美

安達郡油井村(現二本松市)で生誕した高村光太郎の妻智恵子。洋画家や紙絵作家として活躍し、夫の光太郎が彼女の死後に発表した詩集「智恵子抄」で知られる。今回、野田秀樹氏が脚本を書き上げた「売り言葉」を林亜佑美が一人芝居で演じる。


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林亜佑美さんという方、当方、寡聞にして存じませんでした。ネットで調べてみましたところ、「女子プロレスラー」の「林亜佑美」さんがヒットしまして、別人だろうなと思ったのですが、なんとご当人でした。また、昨年、神田神保町でも「売り言葉」を上演なさったとのことで、これも存じませんでした。

平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。以前にも書きましたが、今年は「売り言葉」の当たり年です。把握しているだけで、既に4件の公演が各地で行われました

evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。000
サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
thee第13回公演『売り言葉』。
劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。

今回は智恵子の故郷・二本松での公演ということで、地元の方にぜひ観ていただきたいものです。


ところで、ご案内下さった智恵子のまち夢くらぶさん、『智恵子講座'19文集』という冊子もお送り下さいました。タイトルの通り、今秋開催された「智恵子講座2019」など、同会の活動の報告的なものです。

同会、上記「売り言葉」の後援団体にも名を連ねています。地元での智恵子顕彰、その火を絶やさないようにと、いろいろやってくださっている点には頭が下がります。今後も継続してよろしくお願いしたいところです。

さて、「売り言葉」、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

文芸上の変革について考へるにボードレールの「悪の華」の出現ほど決定的な、又旧套掃滅のめざましい例は少い。「悪の華」は詩の世界を全く覆滅した。詩の概念を本質的に変革した。

散文「近代詩の祖ボードレール」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「ボードレール」を「高村光太郎」、「悪の華」を「道程」と読み替えてもいいような気がします。

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