カテゴリ: 彫刻/絵画/アート等

4月23日(日)の朝、前日行われた第113回碌山忌のため訪れていた信州を後に、千葉の自宅兼事務所へ向かいました。その帰り道、都内で高速を下り、連翹忌の集い会場の日比谷松本楼さん地下にある駐車場に車を置いて、銀座まで歩きました。

目指すは五丁目の大黒屋さん。こちらの6・7階ギャラリーで開催されていた染色工芸家の志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会「五月のウナ電」最終日でした。
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五月のウナ電」は、昭和7年(1932)、雑誌『スバル』に発表された詩で、当時の電報のスタイルを使って書かれています。
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ヘラクレス座の電報局から地球の鳥獣草木に届いた電報という設定で、差出人はヘラクレス神なのでしょうか。初夏5月、それぞれの生命を謳歌せよ、的な文面です。

一見、のどかな詩に見えますが、この詩の書かれた当時の光太郎、大変な時期でした。前年あたりから智恵子の心の病が誰の目にも明らかになり、この詩の書かれた直後には睡眠薬アダリンを大量に服用しての自殺未遂を起こします。また、世相も風雲急。やはり前年には柳条湖事件、満州事変、この年に入ると上海事変、血盟団事件、傀儡国家の満州国建国、そして五・一五事件。翌年には日本が国際連盟から脱退、ドイツではナチス政権樹立……。

志村ふくみ氏による詩の解説がこちら。
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ふくみ氏のエッセイ集『白夜に紡ぐ』(平成21年=2009 人文書院)には、この詩に強く惹かれ、和紙を貼ったパネルに詩を写し、裂を貼ってみたお話や、詩の解釈等をめぐって交わされた、当会顧問であらせられた故・北川太一先生とのやりとりなどが詳しく語られていますし、智恵子の心の病や世相などにも触れられています。

そのパネルが会場内に展示されていました。許可を頂いて撮影。
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照明の関係で、横に縞模様のように線が走っていますが、実際の作品にはこうしたむらはありません。

また、今回の展示に合わせて新たに作られた複製パネルも。
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文字の部分は印刷だそうですが、貼られている裂は印刷ではなく裂そのものです。

こちらを和綴じの装幀で製本したもの。
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それぞれオンデマンドで販売されているそうで。
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また、会場内には、お弟子さんたちの遊び心あふれる「ウナ電」。
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この現物を1枚、戴いてしまいました。多謝。
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やはり貼られている裂は印刷ではなく裂そのものです。

その他、着物や小物、大小様々な裂などの展示。実に見応えがありました。

ふくみ氏は東京会場にはいらしていませんでしたが、令嬢の洋子氏、令孫にしてアトリエシムラさん代表取締役の昌司氏、お弟子さんたちと、しばしお話をさせて戴きました。単なる光太郎ファンの当方が予想外に歓待されてしまい、戸惑いつつも(笑)。

ところで、染織工芸と光太郎智恵子、浅からぬ縁があります。

油絵制作に自信が持てず断念した智恵子は、機織りや草木染めにも挑戦し、光太郎ともども、「草木染」の命名者でもある染織工芸家・山崎斌(あきら)と交流がありました。昭和13年(1938)に智恵子が歿した際、山崎は光太郎に弔電を送っています。

ソデノトコロ一スジアヲキシマヲオリテアテナリシヒトイマハナシハヤ
(袖のところ一筋青き縞を織りて貴なりし人今は亡しはや)

山崎曰く「アヲキシマ――とは、故人が特にその好みから、袖口の部分に一筋の青藍色を織らせた着衣をされてゐた追憶」。「貴(あて)なり」は古語で「品のある美しさ」といった意です。

これに対する光太郎の返歌。

ソデノトコロ一スジアヲキシマヲオリテミヤコオホヂヲカマハズアリキシ
(袖の所一筋青き縞を織りて都大路を構はず歩きし)

ある種、奇抜ともいえる柄の着物を着て歩いていた智恵子の追憶です。

再び山崎曰く「故人が見え、高村氏が見え、涙が流れた」。

また、「草木染」といえば、イギリスの染織工芸家、エセル・メレ作のホームスパン。戦前に智恵子がメレの個展で見て欲しがり、東京と花巻、二度の戦災をくぐり抜けて奇跡的に残ったものです。これを通して光太郎は岩手のホームスパンの祖・及川全三とも親しくなりました。
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当方、そのあたりは詳しくないのですが、山崎、及川、エセル・メレ、志村ふくみ氏、それぞれ何処かで繋がっているのではないでしょうか。そんなことを考えつつ、花巻高村光太郎記念館でも「五月のウナ電」展ができれば面白いな、などと思った次第です。

さて、同展、東京展示は会期終了ですが、来月、京都での展示があります。会場は岡崎のものがらさん。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

きのふ青踏の講演会にいつてみました。母と妹をひつぱつてゆきました。 あまり外形にかゝづらはつた議論ばかり多くて何にもなりませんでした。


大正2年(1913)2月16日 内藤鋠策宛書簡より 光太郎31歳

前年からこの年にかけ、智恵子がその表紙絵を描いた『青鞜』(光太郎、「青踏」と誤記しています(笑))発行元の平塚らいてう率いる青鞜社の講演会。東京基督教青年会館で開催された「青鞜社第一回公開講演会」ですが、何と1,000人もの聴衆が詰めかけたとのこと。演壇に立ったのは、らいてう、生田長江、岩野泡鳴、馬場孤蝶、岩野清子、そして伊藤野枝(ちなみに村山由佳氏による野枝の評伝小説『風よ あらしよ』、集英社さんが文庫化なさいました。光太郎智恵子も登場します。お買い求め下さい)。

母と妹をひつぱつて」行ったのは、青鞜社の予告で、野次馬的な男性を排除するため、必ず女子同伴で来るよう指示されていたためです。智恵子はまだ新潟旅行中だったのかもしれません。

それにしても光太郎の評、手厳しいものですね。

4月22日(土)は、光太郎の親友・碌山荻原守衛の113回目の忌日「碌山忌」で、信州安曇野の碌山美術館さんにお邪魔しておりましたした。

途中で昼食を摂りながらなどでしたが、中央高速が激混みで、千葉の自宅兼事務所から5時間以上かかりました。
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コロナ禍のため中止されていた記念講演会は昨年から復活したものの、昨年はまだコロナ禍前に行われていたコンサートや偲ぶ会などは行われませんでした。今年はそれらも復活。コロナ禍前の形が完全復活しました。
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昨年、クラウドファンディングにより補修された、昭和33年(1958)竣工の本館的な碌山館。
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補修といっても、あからさまに直しました、というのが見えず、自然な感じでした。しかし、中に入ると、壁などが実にきれいになっていて、おお、という感じでした。
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ちなみに以前にもご紹介していますが、こちらの入り口裏側の壁には光太郎の名も刻まれています。開館前に亡くなった光太郎ですが、準備段階でいろいろアドバイスをしたりということがあったためです。
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第1展示棟では、常設展示で光太郎ブロンズも数点、第2展示棟では、柳敬助展。
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柳は守衛、光太郎、共通の友人の画家で、明治44年(1911)には妻の八重ともども、光太郎に智恵子を紹介する労を執ってもくれました。

休憩室的なグズベリーハウス。こちらも補修が入っていました。
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令和2年(2020)に発売された守衛絶作「女」のミニチュア
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コロナ禍前に当方が寄贈した切手系。
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午後1時半、近くの研成ホールにて、東京藝術大学教授の布施英利氏による記念講演「荻原守衛の彫刻を解剖する」。ちなみにこちらでは平成28年(2016)に当方も講演をさせていただきました。
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布施氏、美術解剖学がご専門ということで、守衛の遺したスケッチ・デッサンや「女」などを検証。実に正確に描かれたり作られたりしている部分と、かなりのデフォルメが為されている部分とがある、といったお話で、非常に興味深く拝聴いたしました。
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特に「女」。
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何らの不自然さも感じられず、純粋な写実と思い込んでおりましたが、実際の人体と比較すると、異様に頭部が大きく、腕も長く、乳房の位置などもおかしいとのこと。それを感じさせない守衛の技倆には舌を巻かされます。同様のことはミケランジェロやロダンの彫刻にもよくある話なのですが、「女」もそうだったのかと、目からウロコでした。

さらに、遺されたデッサンによると、「女」の最初の構想は、腕を斜め上に伸ばしているポーズだったのではないかといった考察も。

その後、車で移動して午後4時から守衛の墓参。
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例年、お坊様には午前中に来ていただいて読経してもらうそうですが、今年は一般の墓参の時に。

また美術館さんに帰り、この日最後の行事、「偲ぶ会」の準備。その頃にはとっぷり日も暮れ、寒くなって参りまして、会場のグズベリーハウスの薪ストーブに火が入りました。
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午後6時、開会。参加者全員で光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)を群読。その後、懇親会的な。
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過日、当会主催で執り行いました第67回連翹忌の集い同様、4年ぶりということで、皆さん、またこうして集まれたことを心から喜んでいるという風でした。もちろん当方もですが。来年以降も継続して行われ続けてほしいものです。

以上、信州安曇野レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

早くお帰りになつて下すつた方が 其はうれしいに極つてますけれども 御都合があるのもかまはず 無理にお帰りになつては却て私が すまない気がします 私はほんとに安らかな心持ちであなたを遠くおもひ抱いて居りますから


大正2年(1913)1月28日(推定) 長沼智恵子宛書簡より 光太郎31歳

現存が確認できている、結婚前に書かれた智恵子宛唯一の書簡から。全文はこちら

智恵子は新潟の旗野家に長逗留していました。吉田東伍ゆかりの旗野家の長女・ヤヱ(八重)は日本女子大学校で智恵子と同級、妹のスミ(澄/澄子)も女子大学校卒でした。

取り上げるべき事項が多く、5件まとめてご紹介します。

まず、光雲の「老猿」が出品されている、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催中の「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」関係で2件。

日曜美術館 選 重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史

NHK Eテレ 2023年4月23日(日) 9:00~9:45

明治以降に制作された日本近代美術を代表する重要文化財の絵画や彫刻。どのような評価を経て、指定されるに至ったのか?誰もが知る傑作の、知られざる物語をひもときます。

文化財保護法に基づいて国がその価値を認めて指定する重要文化財。美術工芸分野の重要文化財件数は1万件を超える。しかしそのうち明治以降の絵画・彫刻・工芸はわずか68件に過ぎない。時代が浅く、絶対的な評価が固まり切れない中で重要文化財に指定された作品たちはどのような評価を経て、指定されるに至ったのか?誰もが一度は目にしたことのある傑作中の傑作、その知られざる物語をひもとく。

出演者
【司会】小野正嗣,柴田祐規子,【出演】東京国立近代美術館副館長…大谷省吾

4月2日(日)に初回放映のあったものの再放送です。通常、この番組の再放送は次週の夜20:00~なのですが、4月9日(日)は統一地方選挙の特番がEテレさんでも為され、そのため「選」と題して通常枠で再放送です。

同じく「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」を取り上げ、4月19日(水)に放映されたBS日テレさんの「ぶらぶら美術・博物館」では、予想通り(予告編、番組解説欄で触れられていませんでして)光太郎の父・光雲作の「老猿」はスルーされてしまい残念でしたが、こちらでは「老猿」が長めの尺で取り上げられました。
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ちなみに「ぶらぶら美術・博物館」でも、会場内のフォトスポットにプリントされた「老猿」、それから会場内での通りすがりに「老猿」(笑)。
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もう1件、同展がらみで。

東京サイト「重要文化財の秘密」

地上波テレビ朝日 2023年4月27日(木)  13:45~13:49

今後ますますの進化が期待される日本の首都・東京。この世界屈指の巨大都市の知られざる魅力を発見し、暮らしに役立つ最新情報をお届けします。

東京国立近代美術館は企画展「重要文化財の秘密」を開催中。シカゴ万博に出品された高村光雲の「老猿」など、重要文化財に指定されるまでの美術史の秘密に迫っています。

ナビゲーター 林家きく姫
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こちらは番組説明欄に「老猿」。ありがたし。ただし、5分間番組ですが。

続いては、光太郎と宮沢賢治の関係で。やはり再放送です。

業の花びら 〜宮沢賢治 父と子の秘史〜

NHK BSプレミアム 4月23日(日) 10:30~12:00

宮沢賢治の詩碑文にと父が推したのは、「雨ニモマケズ」ではなく「業の花びら」という詩だった。なぜその詩だったのか。ディレクター今野勉が迫る「賢治・もう一つの顔」。

岩手県花巻市郊外に建つ、詩人・童話作家の宮沢賢治の記念詩碑。碑文は有名な「雨ニモマケズ」だが、賢治を最も理解していた父が推したのは「業の花びら」という詩だったという。なぜ「業の花びら」だったのか。賢治の素顔を追い続けてきたディレクター今野勉は、賢治の“業”への強いこだわりに注目。対立の最中に父子で出かけた関西旅行、“業”をテーマにした童話「二十六夜」の謎に迫る。今明かされる、賢治・もう一つの顔。

【語り】森田美由紀

3月24日(金)に初回放映がありました。「雨ニモマケズ」詩碑文の揮毫が光太郎であることが紹介され、碑文の朗読の際には光太郎の筆跡をテロップに使って下さいました。
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そして戦災で焼け出された光太郎を花巻に招いてくれた、賢治の父・政次郎と賢治の関係性。ちょうど来月には映画「銀河鉄道の父」(門井慶喜氏原作)が封切られますし、タイムリーですね。

花巻といえば、こちら。

ミステリー「花ふぶき女スリ三姉妹のみちのく温泉デラックス無銭ツアー」

BS松竹東急(無料放送) 2023年4月22日(土) 15:00~17:00

逮捕も覚悟で一世一代の大仕事! 先祖代々のスリ一家に育った三姉妹、美恵・佳恵・沙恵は父譲りの妙技でスリを働いていた。そんな三人が、温泉とスリの旅にみちのくへ向かう。三人を見張る老刑事堀田もその後を追った。旅先で沙恵は松岡というエリート風の青年に出会い一目惚れ。その彼が会社の重要書類を盗まれて困っていると知り、沙恵たち三人は、川田たち三人のスリグループから、書類を取り返そうとする…。

【公開・放送年】 1988年
【出演者】 叶和貴子、美保純、宮下順子、佐野浅夫、美木良介、八名信夫、宮尾すすむ、
      ビートきよし(ツービート)、猪野修平、美角友亮、不破万作

初回放映が昭和63年(1988)、地上波テレビ朝日さん系列での「火曜スーパーワイド」枠でした。そこで、その後も再放送が繰り返し行われていたと推定されますが、このブログでは初のご紹介です。

サブタイトルの「みちのく温泉」から、「大沢温泉さんとか岳温泉さんとか、そのあたりがロケ地かな?」と思って、公式サイトを見たところ、下の画像。
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「こ、これは!」でした。「何が?」と突っ込まれそうですが、キャストの方々ではなく、後の壁と窓です。

「この壁と窓、高村山荘(光太郎が昭和20年=1945秋から丸7年間暮らした山小屋)だ!」。調べてみました。すると、この手の2時間ドラマのロケ地をまとめたサイトで、たしかに高村山荘でロケが行われていたことが判明。上の画像で気がついた自分を自分でほめたくなりました(笑)。これまで知らなかったというのは減点対象ですが(笑)。

ちなみに「業の花びら」にも出てくる賢治詩碑、賢治記念館、光雲が主任となって制作された上野の西郷隆盛像などでもロケが敢行されていました。

ちなみに「みちのく温泉」はやはり光太郎御用達の花巻温泉さんでした。

さて、2時間ドラマでもう1件。こちらは毎年のように再放送が為されており、このブログで何度もご紹介しています。

ミステリー・セレクション・湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿1 露天風呂に浮かぶ遺体の謎…22年ぶりの兄妹対面で起こった兄殺し欲望渦巻く故郷で迎えた驚愕の結末とは!!

BS-TBS 2023年4月25日(火) 09:59~12:00

高校生の娘と中学生の息子を持つシングルマザー・桜庭さやかは、ベテランバスガイド。しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱい仕事へと飛び出していく。今回のツアーは、猪苗代湖〜安達太良山〜会津若松を巡り、山形へと向かう旅。大盛り上がりのサンライズ商店街御一行様を前にさやかの名調子が冴える。ツアー客の中にはフラワーショップを営む佐野雄二と香織の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で22年ぶりに兄・修一に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その兄が安達太良山で死体となって発見される。

出演者 萬田久子、葛山信吾、酒井美紀、石橋保、大浦龍宇一、未來貴子、伊藤洋三郎、
    斉藤暁、徳井優、竜雷太(他)
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安達太良山が第一の事件現場という設定で、「智恵子抄」にもちらりと触れられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

随分御無沙汰しました。お葉書拝見しました。僕はこの頃一人の人間に頭を傾け尽してゐたので、みんなに失敬してゐました。

大正2年(1913)1月9日 内藤鋠策宛書簡より 光太郎31歳

頭を傾け尽してゐた」という「一人の人間」は、智恵子。「恋は盲目」といいますからね(笑)。

まずは染色工芸家の志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会。サブタイトルに光太郎詩の題名を持ってきて下さいました。

志村ふくみ・志村洋子 作品展示販売会「五月のウナ電」

東京展示
 期 日 : 2023年4月21日(金)~4月23日(日)
 会 場 : 銀座大黒屋ギャラリー 東京都中央区銀座5-7-6 銀座大黒屋ビル6・7階
 時 間 : 11:00~18:00(最終日のみ16:30まで)
京都展示
 期 日 : 2023年5月19日(金)~5月21日(日)
 会 場 : ものがら 京都市左京区岡崎円勝寺140番地 ポルト・ド・岡崎1階
 時 間 : 11:00~18:00(最終日のみ16:30まで)

京都・ものがら/銀座・大黒屋ギャラリーにて志村ふくみ・志村洋子 作品展示販売会を行います。皆さまのお越しを心よりお待ちしています。

〈出品:着物、帯、ショール、掛け軸、額装、コラージュパネル 等〉

忘れられない思い出があります。東日本大震災が起こってからは、連日のように原発のニュースが流されていました。そんなある日、母はケンタウルス星から「ウナ電」が届いたと言って「五月のウナ電」という高村光太郎の詩を読んでくれました。昔の電報はカタカナで内容が印刷してあるので、文章は読みづらいのですが、そこに書かれている言葉に目を見張りました。光太郎の死から70年近く経った現在、「五月のウナ電」は私たちに向けた緊急の警告である事を実感致します。警告文は人間以外の万物に宛てられたものです。人間に希望を見出せなかった光太郎の真意に寄り添いながら、作品の数々をお目に掛けたいと思います。今回の展覧会は着物や帯だけでなく、高村光太郎の「五月のウナ電」の言葉をお届けしたいと思っています。皆様のお越しを心よりお待ちしています。
志村ふくみ   志村洋子  (文責)
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「五月のウナ電」(昭和7年=1932)、全文はこちら。平成27年(2015)に、ふくみ氏が文化勲章を受章なさった時の記事で、全文を引用しました。

その際にもご紹介したふくみ氏のエッセイ集『白夜に紡ぐ』(平成21年=2009)から。

 いつの頃か、私はどこかの雑誌にのっていたこの詩につよく心ひかれて、ノートに写していた。そしていつかどんな形かで、この詩を自分の手で飾りたい、と思っていた。十数年経ったこの頃またまた読みかえし、思い切って和紙を貼ったパネルに筆でカタカナを書いてみた。全くぶっつけ本番に。そしたら文字が踊るようで、ゼンマイはうずまくし、ウソヒメやホホジロがうたい出すし、トチノキは蠟燭をたてるし、人間なんかにかまわずにみんながうたい出した。私はうれしくなって、ところどころの隙間に小さな裂をチョンチョン貼ってこの詩を飾った。

ここに語られているのが、まさに上記の画像(今回の展示のフライヤー的に使われています)のものなのではないかと思われます。

ふくみ氏、その後、当会顧問であらせられた故・北川太一先生を紹介され、この詩の背景等を教わったことも書かれています。

今回の展示では、これそのものの販売はないのでしょうが、もし複製でもあれば、ぜひ入手したいものです。

当方、こちらの会期中である4月22日(土)、信州安曇野の碌山美術館さんでの「碌山忌」に参列します。当日は彼の地に宿泊し、翌日の帰りがけ、通り道ですので覗いてみようと思っております。

光太郎の親友だった碌山荻原守衛を偲ぶ「碌山忌」。詳細は以下の通り。

第113回碌山忌

2023年4月22日(土)
 10:00~/13:00~ミュージアム・トーク
 10:30~12:00 コンサート
 13:30~15:00 記念講演会 於:研成ホール
 「荻原守衛の彫刻を解剖する」 布施英利氏(東京芸術大学美術学部芸術学科教授)
 16:00~ 墓参
 18:00~ 偲ぶ会
当日は入館無料 ぜひおでかけください♪
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こちらもご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

ちなみに同館、夏には光太郎展を開催して下さいます。詳細はまた後ほど。

【折々のことば・光太郎】

別封でお送りいたしました 裏絵のはエヂプトの瓦の模様です 詩のやうなものは大変乱暴なものですから、もし下らないと思つたら止して下さい 詩の月旦のやうな事が僕に出来るものですか。とても駄目です。あれは外の人に願ひます

大正元年(1912)10月中旬 内藤鋠策宛書簡より 光太郎30歳

裏絵」は、内藤主宰の雑誌『抒情詩』のためのもの。この年11月の第1巻第2号に掲載されました。
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この頃、この手のカットなどにエジプト風のモチーフが多用されています。この時点では既に没していた守衛が、かつて留学中にエジプト芸術の魅力について光太郎にレクチャーしていました。そこからの流れなのでしょうか。

詩のやうなもの」は、同じ号に載った「夜」「或問」の二篇です。「月旦」=「論評」。確かに光太郎、この時期には同時代の詩人の作品をあれこれ論ずることはほとんどしていません。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展が始まります。

山口山の木工展

期 日 : 2023年4月20日(木)~5月15日(月)
会 場 : 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円
      高村山荘は別途料金

高村光太郎は、高村山荘の裏山一帯を山口山(やまぐちやま)と呼んでいました。
奥州市胆沢に「木工房さとう」を構え、木のおもちゃやカラクリ作品などを製作しているさとうつかさ氏。今回は高村光太郎や宮沢賢治をモチーフに取り入れ、山口山(高村山荘周辺)の木材を一部使用した作品を展示します。

(2)展示作品
 ・高村光太郎と智恵子をイメージした壁掛けオブジェ
 ・高村光太郎の山小屋暮らしをイメージしたカラクリオブジェ
 ・セロ弾きのゴーシュをモチーフとした楽器のカラクリオブジェ
 ・宮沢賢治をモチーフとしたやじろべえ
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以前はこうした地元の作家さんなどの作品展示は、敷地内の「森のギャラリー」(旧高村記念館)で行われていましたが、企画展示室を使うのですね。

あたたかみあふれる木工作品、いい感じのようです。当方、今回は関わっていないのですが、月末には拝見に行って参ります。皆様も是非どうぞ。

花巻高村光太郎記念館さんとえば、隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間蟄居生活を送った山小屋)で、光太郎忌日・連翹忌の4月2日(日)、地元の方々が光太郎を偲ぶ詩碑前祭を行って下さいました。光太郎顕彰にあたっているやつかの森LLCさんのサイトから、画像をお借りしました。
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以前、公開で行われていた市街松庵寺さんでの光太郎法要は、非公開でお寺さんとして執り行ったそうです。

4月2日(日)といえば、智恵子の故郷・二本松でもイベントがあったとのこと。直接、光太郎智恵子とは関わらないのですが、二本松に「さつき山公園」というのがあり、そのオープニングイベントだそうで。

「風信子(ヒヤシンス)」さんという歌い手さんのユニットがステージに立ち、「本当の空を忘れないで」という歌などをご披露。YouTubeに動画が上がっています。


「本当の空」は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」由来なのでしょう。動画キャプションに「2023年4月2日に二本松市さつき山公園で開催されました「さつき山公園まつり」で歌わせて頂きました。4月2日…高村光太郎さんの連翹忌(レンギョウキ)に、智恵子さんが愛した二本松の本当の空の下で、光太郎さんが愛したレンギョウに囲まれて歌わせて頂きましたこの日を一生忘れません。」とありました。

ありがとうございました。

【折々のことば・光太郎】

私はあなたの大事なお姉様を如何なる場合でも傷つけることはございません 世の中に伝はつてゐるきたならしい噂をも耳にはして居ります しかしそれに対しては 噂をする者等こそ自身を愧ぢよとおもつて居るばかりでございます


大正元年(1912)10月7日(年代推定) 長沼セキ宛書簡より 光太郎30歳

セキは智恵子の直ぐ下の妹。どうも結婚前の光太郎智恵子の良からぬ噂を耳にし、光太郎を問い詰める的な手紙を送った、その返答のようです。

テレビ番組の放映情報を2件。

まずは銅像系です。

アートフルワールド 〜たぶん、すばらしき芸術の世界〜 #47 いま会いに行ける銅像

BSフジ 2023年4月15日(土) 13:30~13:55

「世界はアートに満ちている。」をテーマに、アートの世界を様々な視点から紹介し、その多種多様な楽しみ方も合わせてお伝えする。

 街を歩いていると、ふと出会い、注目をして歩くと実にさまざまな場所にいる「銅像」。身近にあるけど、よく知らない、知るほどに謎が深まる「銅像」の世界を紐解いていく。
 今回、アートの冒険に出かけるのは女優の坂東希。長年、銅像を研究しているスペシャリストと共に、皇居外苑にある東京三大銅像と言われている銅像や、日本彫刻界の重鎮が制作した銅像など都内にある様々な銅像を巡る。
 さらに、当時の彫刻家たちに多大な影響を与えた「考える人」で有名なオーギュスト・ロダンなどについても話を伺う。

出演者 坂東希
ナレーション 松本穂香
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光太郎の父・光雲が主任となり、東京美術学校として制作を請け負った「楠木正成像」が取り上げられます。他に、光太郎が終生敬愛し続けたロダンの作品も。

もう1件、光雲の「老猿」が出品されている、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催中の「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」に関して。

ぶらぶら美術・博物館<重要文化財の秘密>東京国立近代美術館

BS日テレ 4月19日(水) 22:00~22:54

史上初!全作品が重要文化財の豪華展覧会▽問題作が傑作になるまで…横山大観の大作「生々流転」、油絵で最初に重要文化財指定された高橋由一「鮭」ほか、名作の秘密に迫る。

誰もが一度は目にしたことがある古今東西の名画・彫刻・文化財を、時空を超えた“ライブなお散歩感覚”で体験します。作品の背景・エピソードを知れば、美術博物は身近で楽しいものに!名解説者・山田五郎、おぎやはぎと一緒にぶらぶらしよう!

出演者 山田五郎 おぎやはぎ(小木博明、矢作兼) 高橋マリ子
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ただ、気になるのは予告編に「老猿」がいなかったこと。紹介欄にも「高村光雲」「老猿」の文字はありませんでした。
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とりあえずは拝見しようと思います。皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今は宅にゐますがヨミウリの三階の展覧会などで忙がしがつてゐます


大正元年(1912)10月(推定) 内藤鋠策宛書簡より 光太郎30歳

ヨミウリの三階の展覧会」は、10月15日開幕の「ヒユウザン会第一回展覧会」。反文展の新しい芸術家たちの旗あげとして注目されました。光太郎は油絵4点を出品しています。また、パンフレットには、詩「さびしきみち」を書き下ろしました。
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『毎日小学生新聞』さんに連載されている、マルチアーティスト・井上涼氏の漫画「井上涼の美術でござる」。一昨日掲載分が「高村光雲の巻」でした。
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基本ストーリーは「忍者Bと忍者Cが、世界の芸術家に会いに行き、毎回ドタバタに巻き込まれながら、芸術家の波乱万丈な人生を紹介します」。平成31年(2019)2月には光太郎の巻もありました。

今回は「彫刻を作るため、モデルの猿を探している光雲。忍者Bと忍者Cがモデル探しをお手伝いすることに。モデルを引き受けてくれた猿は何だか凶暴そうで……」。国指定重要文化財の「老猿」制作にまつわるお話。光太郎も登場します。「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」により、ちょっとした「老猿」ブームですので、タイムリーですね。もっとも、毎日新聞社さんが同展の主催に名を連ねているという、大人の事情もあるようですが(笑)。

元ネタは昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』中の「栃の木で老猿を彫ったはなし」。この中で、モデルとして借りてきた猿が、隣の寺院の納所(なっしょ=庫裡)でお坊さんの調理したハツタケを盗み食いしてしまったエピソードが語られています。しかし井上氏、「ハツタケ」を「タケノコ」と勘違いして記憶されていたようで(笑)。当方もこの手の記憶違いをよくやらかしますが(笑)。
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2月には、NHK Eテレさんで放映されている井上氏制作のアニメーション「びじゅチューン」をまとめた『びじゅチューン!DVD BOOK 7』が刊行され、表紙が「老猿」でした。

タブロイド判見開き2ページで、オールカラー。漫画の合間に「老猿」や「西郷隆盛像」の写真入り説明が入ります。毎日新聞社さんの関連会社まいにち書房さんのサイトで一部公開されている他、PDFファイルが50円で販売中。

紙版の『毎日小学生新聞』さんは、公共図書館等で置いてある場合があります。当方、隣町の図書館で拝見しました。

ぜひお読み下さい。

【折々のことば・光太郎】

犬吠でひどい風雨にあひました 昨夕帰つて来ましたら東京の静かなのに驚きました 潮の音がないのがつまりません


大正元年(1912)9月5日 前田晁宛書簡より 光太郎30歳

この葉書の発見により、智恵子と愛を誓い合った銚子犬吠埼からの帰京が9月4日だったことが判明しました。光太郎が一人で帰って来たのか、智恵子と共にだったのかは、依然として謎ですが。

千葉県から企画展の情報です。

末盛千枝子と舟越家の人々 ―絵本が生まれるとき―

期 日 : 2023年4月15日(土)~6月25日(日)
会 場 : 市原湖畔美術館 千葉県市原市不入75-1
時 間 : 平日 10:00 - 17:00 土・祝前日 9:30 - 19:00 日・祝 9:30 - 18:00
休 館 : 月曜日[祝日の場合は翌平日]
料 金 : 一般:1,000( 800 )円  大高生・65 歳以上:800( 600 )円
      ( )内は 20 名以上の団体料金

何を美しいと思うか。

日本を代表する彫刻家・舟越保武の長女に生まれ、上皇后陛下美智子さまの講演録の編集者としても知られる末盛千枝子。「絵本は子どもだけのためのものではない」との思いのもと、人生の悲しみや希望、美しさを伝える多くの絵本を世に送り出し、東日本大震災では被災地の子ども達に絵本を届ける活動を立ち上げました。
本展では、末盛がさまざまな人々との出会いと協働によって生み出した珠玉の絵本の原画や貴重な資料とともに、彼女を育んだ芸術家一家――彫刻家の父・保武、弟・桂、直木、自らの句作を断念し彫刻家の妻として生きた母・道子をはじめとする舟越家の人々の作品の数々を一堂に展観、その波乱に富んだ人生と仕事の全容に光を当てます。

プロフィール
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末盛千枝子[1941-]
1941年東京生まれ。高村光太郎により「千枝子」と名付けられる。 4歳から10歳まで父の郷里・盛岡で過ごす。慶応義塾大学卒業後、絵本の出版社に勤務。「夢であいましょう」等で知られる NHKディレクターと結婚、2児の母となるが、夫の突然死のあと、最初に出した絵本『あさ・One morning』でボローニャ国際児童図書展グランプリを受賞。1988年、 すえもりブックスを立ち上げ、独立。まど・みちおの詩を美智子さまが選・英訳された『どうぶつたち THE ANIMALS』やご講演をまとめた『橋をかける 子供時代の読書の思い出』など、話題作を次々に出版。1995年、古くからの友人と再婚。2002年から2006年まで国際児童図書評議会(IBBY)の国際理事をつとめ、2014年には名誉会員に選ばれる。2010年、岩手県に移住。2011年から10年間、「3.11 絵本プロジェクトいわて」の代表を務めた。
主な著書に『人生に大切なことはすべて絵本から教わったI、 II』(現代企画室)、『ことばのともしび』(新教出版社)、 『小さな幸せをひとつひとつ数える』(PHP研究所)、 『「私」を受け容れて生きる』(新潮社)、『根っこと翼・皇后美智子さまという存在の輝き』(新潮社)などがある。

舟越保武[1912-2002]
岩手県一戸町に生まれる。県立盛岡中学校在学中に高村光太郎訳の「ロダンの言葉」に感動し彫刻に惹かれたことをきっかけに、彫刻家を志す。1939年東京美術学校彫刻科を卒業。この頃から、独学で石彫の直彫りをはじめ、その後第一人者となる。聖女像などキリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした作品も多数制作。1967年から東京藝術大学教授を勤め多くの彫刻家を育てた。1987年に脳梗塞で倒れ半身不随となった後も彫刻を続け、死の直前まで作品を作り続けた。高村光太郎賞(1962)、中原悌二郎賞(1972)、芸術選奨文部大臣賞(1978)など受賞、1999年文化功労者受章。「何を美しいと思うか 」と絶えず家族に示し、芸術の厳しさを体現した父・保武は、末盛の価値観、生き方に大きな影響を与える。本展では、保武と家族全員がカトリックの洗礼を受けるきっかけにもなった生後8ヶ月で病死した長男・一馬を描いたパステル画、末盛の幼少期の彫像、代表作である《長崎26殉教者記念像(ヘスス像)》、ハンセン病患者に尽くし自らも病に倒れた《ダミアン神父》とそれぞれのデッサン、すえもりブックスより出版した絵本『ナザレの少年―新約聖書より―』の原画 、右半身が麻痺した後に左手で創作した《ゴルゴダ》やデッサンを展示する。

舟越桂[1951-]
舟越保武、道子の次男として岩手県盛岡市に生まれる。父・保武の影響で子供のころより彫刻家になるだろうと予想する。1975年、東京造形大学彫刻科卒業、東京藝術大学大学院に進学し彫刻を専攻する。大学院在学時、トラピスト修道院のために初の本格的な木彫作品となる《聖母子像》(1977)を制作。1986~87年、文化庁芸術家在外研修員としてロンドンに滞在。性別を感じさせない半身の人物像を特徴としており、2004年からは、両性具有の身体と長い耳をもった像「スフィンクス・シリーズ」を手がけている。これまでの参加した主な国際展に「ヴェネチア・ビエンナーレ」(1988)、「サン・パウロ・ビエンナーレ」(1989)、「ドクメンタ9」(1992)など。タカシマヤ文化基金第1回新鋭作家奨励賞(1991)、中原悌二郎賞(1995)、平櫛田中賞(1997)、毎日芸術賞(2009)などを受賞。11年には紫綬褒章を受章。近年の主な個展に「舟越桂 私の中のスフィンクス」(兵庫県立美術館など4会場を巡回、2015-16)、「舟越桂 私の中にある泉」(2020-21)。本展では、すえもりブックスで出版された『児童文学最終講義』(猪熊葉子著)の表紙となった《 冬の本 》、絵本『おもちゃのいいわけ』にもなった家族のためにつくった木っ端のおもちゃ、東日本大震災の時に被災地に持参した彫刻《立ったまま寝ないのピノッキオ》と伝統手摺木版画で刷られた「ピノッキオ」の絵巻物、東北での体験から生まれた《海にとどく手》など10数点を展示する。

舟越直木[1953-2017]
舟越保武、道子の3男として東京に生まれる。1978年、東京造形大学絵画科卒業。1983年には、みゆき画廊において、絵画作品による初個展を開催する。以降もギャラリーQなどで個展を開催。1980年代後半からは彫刻に転向。その後は、なびす画廊、MORIOKA第一画廊、ときの忘れもの、GALLERY TERASHITA、ギャラリーせいほうなどで個展を開催した。節足動物の足を思わせるような長く、かつ緩やかなカーブを描いた線からなる作品や、人間の心臓を暗示させるハート形をした作品、単純化された人間の輪郭を想起させる作品などの抽象彫刻や、繊細な色彩感覚をもって対象物の存在感そのものを描き出すドローイングなどで知られる。本展では、直木の初期から晩年までの代表作を展示する。

舟越道子[1916-2010]
北海道釧路市に生まれる。旧姓、坂井。女子美術専門学校、文化学院で学び、1940年に舟越保武と結婚。当時すでに自由律俳句の世界で知られた存在であったが、保武の強い希望により、句作を断念、家族を支えた。55年後の1995年、俳句雑誌に「坂井道子はどこへ」という記事が掲載されたことにより、母・道子が文学に憧れただけの少女ではなかったことを子どもたちは知ることとなる。市川浩の哲学との出会いをきっかけに句作を再開、句文集や詩集も刊行した。芹沢銈介に染織を、難波田龍起に洋画を学び、絵画の個展も毎年開催した。

舟越苗子[1943-]
舟越保武、道子の次女として東京に生まれる。アメリカのウエストバージニア州立大学Concord College で絵画、彫金を学び 1966 年に卒業。ニューヨーク、アート・ステューデント・リーグでデッサンを学び、メイン州の工芸学校で彫金を学ぶ。ベルギー、ブリュッセルに滞在、フランス語を学ぶ。テレビ番組(海外局、および海外向け)で日本取材班の通訳・コーディネーターとして働く。父・母の最晩年の介護を担当 した 。 本展ではドローイングを出品する。

茉莉 ・ アントワンヌ ・ 舟越[1946-]
舟越保武、道子の3女として岩手県盛岡で生まれる。1969 年、慶應大学文学部卒業。以来、主にパリとブリュッセルで暮らす。ドキュメンタリー作家の夫ジャン・アントワンヌの日本をテーマにしたフィルム(日本の歴史シリーズ、日本の伝統工芸作家、井上靖、安藤忠雄、堤清二などの紹介)の制作を担い、現在は、フジサンケイ・パリに勤務、高松宮記念世界文化賞、ロン・ティボー国際音楽コンクールを担当する。本展ではシルクスクリーンの作品を出品する。

舟越カンナ[1960-]
舟越保武、道子の4女として東京に生まれる。桐朋学園演劇科卒業。末盛の手がけた絵本『あさ One morning』『冬の日 One Evening』『冬の旅 One Christmas』『そらに In The Sky』では言葉を担当、「まだ、絵本は子どもだけのものとお思いですか」というコピーはカンナの作。アーティスト、絵本作家。本展では、「うしろすがた」シリーズの中から家族を描いた作品を出品する。
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絵本編集者・末盛千枝子氏を中心に、父君で光太郎と親交が深かった彫刻家の舟越保武、同じく彫刻の道に進んだ桂氏をはじめとする弟妹の皆さんなど、タイトル通り「末盛千枝子と舟越家の人々」の展覧会です。

プロフィール欄にある「高村光太郎により「千枝子」と名付けられる」の経緯は、平成28年(2016)に刊行された末盛氏の御著書『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』に詳しく語られています。

 私の父は旧制中学のとき、高村さんの訳した『ロダンの言葉』という本を読んで彫刻家になろうと決心したのだった。そして、私が東京練馬のアトリエ長屋で生まれた時、父は数え年で二十九歳だったが、全く面識のない高村さんを突然訪ねて、
「彫刻家になろうとしている舟越保武というものです。娘が生まれたのですが、名前をつけていただけないでしょうか」
 と頼んだそうだ。困惑されたに違いないが、高村さんはその無謀な願いを聞き入れてくださり、
「女の名前は智恵子しか思い浮かばないけれど、智恵子のような悲しい人生になってはいけないので字だけは替えましょうね」
 と言って千枝子と名付けて下さったのだと、小さいときから繰り返し、聞かされてきた。


末盛氏のお生まれは昭和16年(1941)、『智恵子抄』が刊行された年です。

その後、同20年(1945)には光太郎が花巻に疎開、同じ頃、舟越一家も盛岡に。戦後、舟越は岩手県立美術工芸学校教授となり、光太郎も同校の顧問格となって、親しく交わるようになります。その頃、幼かった末盛氏は光太郎と会われています。鮮明な記憶ではないようですが、やはり『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘―』から。

 父はときどき盛岡に出てこられる高村さんにお会いする機会が増え、自分の彫刻を見てもらいに作品を持って花巻をお訪ねすることもあったようだ。
 そして、時には私を連れて盛岡駅に高村さんを見送りにいくというようなことがあったという。父が「この子があのときに名前を付けていただいた千枝子です。三年生になりました」と申し上げると、高村さんは私の頭をなでて、「おじさんを覚えておいてくださいね」と言われたそうだ。父は、そのことを何回も話してくれた。


しかし、「千枝子」と名付けられたことに対し、ご本人はいろいろ複雑な思いを抱えながら成長されたそうで、そのあたりは同書をご覧下さい。

関連行事が以下の通り予定されています。

オープニング・トーク「舟越家の芸術」

期 日 : 2023年4月15日(土)
会 場 : 市原湖畔美術館 千葉県市原市不入75-1
時 間 : 13:00~14:45
料 金 : 1,000円(別途要入館料)
出 演 : 末盛千枝子 中谷ミチコ(アーティスト) 北川フラム(市原湖畔美術館長)

申込み多数のため、会場参加の受付は締め切りました。トークの録画を4月23日にHPで無料公開しますので、ご理解くださいますようお願い申し上げます。

末盛千枝子講演会「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」

期 日 : 2023年4月16日(日)
会 場 : 市原湖畔美術館 千葉県市原市不入75-1
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 1,000円(別途要入館料
出 演 : 末盛千枝子

編集者として最初に手がけた絵本がボローニャ国際児童図書展グランプリ、ニューヨークタイムズ年間最優秀絵本賞を受賞、自ら出版社を立ち上げ、美智子さまの講演録を手がけ、ゴフスタインやターシャ・テューダーなど数々の話題作を出版してこられた末盛千枝子さん。しかしその人生は多くの困難に満ちたものでした。夫の突然死、息子の難病と障害、そして移住した岩手での震災……。どんな困難に遭っても、運命から逃げず歩み続けてこられた末盛さんに、自らの人生と世界中の素晴らしい人たち、絵本との出会いを語っていただきます。

当方、講演会の方に申し込みました。

末盛氏とは、平成25年(2013)、代官山で開催された「読書会 少女は本を読んで大人になる」で初めてお会いし、翌年、花巻郊外旧太田村の高村山荘(光太郎が蟄居生活を送った山小屋)敷地内での第57回高村祭でご講演いただきました。それ以来、ほぼほぼ10年ぶりとなります。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

めつたに海に来ない僕にはこの連中のやつてる事が非常に英雄的に見える いつも海に来ると海の重量を考へる


大正元年(1912)8月31日 前田晁宛書簡より 光太郎30歳

昨日のこの項でご紹介した書簡の続きです。昨日分は絵葉書の宛名面下部の文面、今日の分は写真面に書き込まれています。
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銚子犬吠埼に絵を描きに来た光太郎。この後、それを追って智恵子が現れます。

紹介すべき事項が多く、美術展関連で2件まとめて。

まずはテレビ放映情報。竹橋の東京国立近代美術館さんで開催中の「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」が大きく取り上げられます。

日曜美術館 重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史

NHK Eテレ 2023年4月2日(日) 09:00〜09:45  再放送 4月23日(日) 09:00〜09:45

明治以降に制作された日本近代美術を代表する重要文化財の絵画や彫刻。どのような評価を経て、指定されるに至ったのか?誰もが知る傑作の、知られざる物語をひもときます。

文化財保護法に基づいて国がその価値を認めて指定する重要文化財。美術工芸分野の重要文化財件数は1万件を超える。しかしそのうち明治以降の絵画・彫刻・工芸はわずか68件に過ぎない。時代が浅く、絶対的な評価が固まり切れない中で重要文化財に指定された作品たちはどのような評価を経て、指定されるに至ったのか?誰もが一度は目にしたことのある傑作中の傑作、その知られざる物語をひもとく。

出演者
【司会】小野正嗣,柴田祐規子,【出演】東京国立近代美術館副館長…大谷省吾
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予告編、最後の締めは光太郎の父・光雲作の「老猿」。本編をぜひご覧下さい。

同展、主催に入っている毎日新聞社さんでCMも作って下さっています。3月17日(金)、BSイレブンさんで放映された「アートミステリー 国立西洋美術館誕生秘話 ~モネを救え~」を拝見していたところ、流れました。こちらはつかみが「老猿」。
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もう1件、今日開幕の展覧会情報です。

「買上展」藝大コレクション展2023

期 日 : 2023年3月31日(金)~5月7日(日)
会 場 : 東京藝術大学大学美術館 東京都台東区上野公園12-8
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし、5/1は開館)
料 金 : 一般1,200円(1,100円)、大学生500円(400円)
       ( )は前売り料金 高校生以下及び18歳未満は無料

「買上」とは、東京藝術大学が卒業および修了制作の中から各科ごとに特に優秀な作品を選定し、大学が買い上げてきた制度です。遡って、前身である東京美術学校でも卒業制作を買い上げて収蔵する制度がありました。本学が所蔵する「学生制作品」は1万件を超えますが、本展ではその中から約100件を厳選し、東京美術学校時代から現在にいたる日本の美術教育の歩みを振り返ります。

第1部 巨匠たちの学生制作
 明治26年(1893)に最初の卒業生を送り出して以来、東京美術学校では卒業制作を中心に自画像などを含めた学生たちの作品を教育資料として収集してきました。本展では、卒業後に日本近代美術史を牽引した作家たちを各分野から選りすぐり、その渾身のデビュー作が一堂に会します。

第2部 各科が選ぶ買上作品
 東京藝術大学では昭和28年(1953)より買上制度がはじまり、卒業していく学生たちを勇気づけてきました。今年で創設70年を迎えるこの制度は、現在では多くの科で首席卒業と位置づけられています。近年は先端芸術表現、文化財保存学、グローバルアートプラクティス、映像研究など研究領域も広がり、表現方法も多様化してきています。今回、各科による選定意図などを添えて展示することで、各科が特に優秀と認めてきた買上作品の傾向が浮かび上がることでしょう。

出展作家
第1部
 横山大観   児島虎次郎  萬鉄五郎  下村観山   和田三造   高村豊周
 板谷波山   橋口五葉   金観鎬   白浜徴    山本鼎    吉村忠夫
 菱田春草   南薫造    松田権六  西郷孤月   朝倉文夫   伊原宇三郎
 和田英作   小村雪岱   山口蓬春  小林万吾   富本憲吉   吉田五十八
 北蓮蔵    岡本一平   山本丘人  平福百穂   近藤浩一路  山崎覚太郎
 津田信夫   藤田嗣治   東山魁夷  石田英一   建畠大夢   小磯良平
 中沢弘光   小絲源太郎  赤松麟作  李叔同    吉村順三   高村光太郎
 中村岳陵   高山辰雄   松岡映丘  広島新太郎  六角大壌   青木繁
 北村西望   平山郁夫   熊谷守一  今和次郎

光太郎彫刻は、日蓮像の「獅子吼」。明治35年(1902)、東京美術学校彫刻科をいったん卒業した際の卒業制作です。
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「いったん卒業」は、この後も研究科に残り、さらに留学前年の明治38年(1905)には、根底から勉強し直そうと、西洋画科に再入学したためです。西洋画科ではやはり買い上げ作品が展示される岡本一平や藤田嗣治などが同級生でした。ただし、こちらは中退の扱いで、翌年には留学に出ています。

さらに光太郎実弟にして、鋳金分野の人間国宝となった豊周の作品も出ます。豊周は同校鋳金科を卒業し、母校で永らく教壇に立ちました。

「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」と併せ、こちらもぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

About the matter of your letter of the other day, I must think over them a little more. For my HOKKAIDO affairs do not finish all yet. I hurried back to Tokio at that time because of the fire. Perhaps, I go round there once more this summer.


明治44年(1911)7月3日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎29歳

邦訳は以下の通り。

いつかの君の手紙のことはもう少し考える必要がある。僕の北海道の件はまだ終わったわけではないからだ。あの時は火事のため急いで東京に帰って来たので、恐らく、この夏もう一度行くだろう。

酪農で生計を立てつつ、彫刻や絵を制作する夢を抱いて北海道に渡り、札幌郊外月寒の牧場まで行ったものの、1ヶ月足らずですごすごと東京に舞い戻りました。
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火事」は道内20数カ所で起こった山火事や大火。確かに現地の人々は大変だったのでしょうが、光太郎はどうもそれを言い訳にしている部分があるように感じます。結局、少しの資本ではどうにもならず夢は夢でしかないというわけで。

リーチにはこの夏もう一度北海道へ、と語っていましたが、この後、確認できている限り、光太郎が北海道の土を踏むことは二度とありませんでした。

テレビ放映情報です。2夜連続の放映で、2夜めの方の予告に光太郎の名。

興福寺 国宝誕生と復興の物語 発見!天平の美

NHK BSプレミアム 2023年3月27日(月) 18:00~19:00

奈良の象徴五重塔が120年ぶり大修理!阿修羅作った奈良時代の先進性!川端康成・白洲正子・堀辰雄絶賛の国宝仏!天平の心守る考古学の大発見!迫力・ドローン映像

日本一国宝彫刻の指定が多く不死鳥のごとく何度もよみがえった奈良興福寺。 今も奈良市一高い国宝五重塔が大修理へ! 阿修羅と五重塔の美の秘密、ふだん目にしない寺の奥深くまで8Kカメラで記録! ドローンとクレーンで興福寺の宝を徹底解剖し美と千三百年の歴史を味わう。そして、空前絶後の奈良時代の最新写実技法をAIが解き明かす! 国宝北円堂の非公開の法要を超高精細カメラと5.1サラウンドで体感。天平の心をつなぐ礎石の謎に挑む!

出演者
法相衆大本山興福寺貫首…森谷英俊,東京大学大学院工学系研究科准教授…海野聡,奈良国立博物館学芸部主任研究員…山口隆介,奈良大学総合研究所特別研究員…関根俊一ほか

【語り】柴田祐規子 【朗読】小澤康喬

興福寺 国宝誕生と復興の物語 つなぐ!天平の心

NHK BSプレミアム 2023年3月28日(火) 18:00~19:00

平家南都焼き討ちに負けるな!大修理始まる奈良の象徴五重塔に匠がしかけた驚きの技!運慶が学んだ阿修羅の秘密!無著と法相六祖と天平彫刻を徹底比較!大迫力ドローン映像

奈良興福寺が守り続けてきた天平の心と国宝の数々を探る▽秘仏続々登場!北円堂運慶作の弥勒・無著・世親や南円堂康慶作の観音・法相六祖▽古代と中世のハイブリッド?五重塔が美しい理由▽高村光太郎がたたえた天平彫刻の写実と歴代美術史家が絶賛した無著像のリアルを徹底比較▽康慶の仏像に異を唱えた藤原氏!その革新性とは▽東大大学院日本建築研究の海野聡と奈良博彫刻担当の山口隆介が天平の心と中世の職人と仏師の思いに迫る

出演者
【出演】興福寺貫首…森谷英俊,奈良国立博物館学芸部主任研究員…山口隆介,東京大学大学院工学系研究科准教授…海野聡
【語り】柴田祐規子 【朗読】小澤康喬

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BS8Kさんで今年1月と2月に放映された番組を、通常のBS放送で放映します。奈良興福寺さんの建築や仏像の謎に迫るドキュメンタリーです。「高村光太郎がたたえた天平彫刻の写実」ということで、軽く光太郎の詩文が引用されるのでしょう。

光太郎、興福寺さんの仏像に関しては、まず評論で、昭和17年(1942)に帝国教育会出版部刊行の『日本美術の鑑賞 古代篇』(北川桃雄・奥平英雄編)に「興福寺十大弟子」を、同19年(1944)に創芸社刊行の『名品手帖』(大口理夫編)へ「十大弟子」を寄稿しています。それぞれ戦時中の出版にもかかわらず、図版入りのハードカバーです。
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また、遡って大正15年(1926)には、「十大弟子」という詩も発表しています。

    十大弟子

 見知らぬ奈良朝の彫刻師よ、
 いくらおん身がそしらぬ顔を為すようとも、
 私はちやんと見てしまつたよ。

 おん身がどうして因陀羅の雲をつかんで来たかを、
 どうして燃える火を霧と香ひとでつつんだかを、
 どうして万象の氤氳(いんうん)を唯識(ゆいしき)の陰に封じこめたかを、
 どうして千年の夢を手の平にのせたかを、

 おん身は流言をそこら中に放つて、
 霊感虚実の丸太鉄砲を遠くに仕掛けるが、
 ああ、私は見たよ、
 おん身の眼を。

 きのふ街の四辻に立つて、
 大真面目に賤(しづ)の奴(やつこ)と話をしてゐたおん身の眼を。
 
 虚空の音楽に耳をかさず、
 ただ現前咫尺に鯰を估(う)る
 生きた須菩提(すぼだい)と話をしてゐたおん身の眼を。


いずれも興福寺さん所蔵の「乾漆十大弟子立像」についてのもの。光太郎、何度か奈良に足を運び、この群像を実際に眼にしています。

番組ではこれらからの引用があるのではないかと思われます。あるいは、その他、東大寺さん、新薬師寺さん、唐招提寺さんなどの諸仏に触れた評論等も多く、そのあたりかもしれません。

テレビ放映と言えば、同じくNHK BSプレミアムさんで3月24日(金)に放映された「業の花びら 〜宮沢賢治 父と子の秘史〜」。

昭和11年(1936)、花巻の羅須地人協会跡に除幕された宮沢賢治「雨ニモマケズ」碑の碑文を光太郎が揮毫したことを紹介して下さいましたし、光太郎揮毫の文字をテロップに使って、「雨ニモマケズ」後半部分の朗読が流れました。
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メインの賢治詩「業の花びら」についての考察の部分は、それほど賢治に詳しくない当方としては、論評しようがありませんが。
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残念ながらネット配信は為されていないようですし、再放送を期待します。

さて、「興福寺 国宝誕生と復興の物語」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

僕は北海道へ行く。『琅玕洞』はよす。つぶす。又今にやればやる。芸術家もよす。つぶす。又今にやればやる。

明治44年(1911)4月5日 津田青楓宛書簡より 光太郎29歳

「琅玕洞」は、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界と距離を置くため、前年に光太郎が設立した画廊。新しい芸術の拠点として、心ある人々には好意をもって迎えられましたが、経営的にはまるで成り立たず、手放すことにしてしまいました。そして北海道に移住して酪農で生計を立てながら芸術を生み出そうとします。

昨日ご紹介した山脇信徳宛書簡は、それほど親しかったわけではない相手ですので、理路整然とその経緯を説明していましたが、気の置けない留学仲間だった津田青楓宛には激情をぶつけるような文面、筆跡です。
高村光太郎氏津田青楓宛て書簡②(裏)

動画配信サイトYouTubeでのオンラインシンポジウムです。

ミュージアム運営を変える新しいお金の潮流

期 日 : 2023年3月28日(火)
時 間 : 13:00~16:20 見逃し配信有り
料 金 : 無料

新型コロナウイルスの影響や社会情勢の変化が、エネルギーや資材費の高騰を引き起こしている状況の中、博物館や美術館も持続可能な運営を行なっていくために、資金獲得の視点を欠かすことはできません。館の活動を継続・発展していくためには何を考え、実行していかなければいけないのか。本シンポジウムでは、3つのセッションを通じて、お金の側面からみた博物館運営のあり方について掘り下げていきます。館の運営に携わる現場の方々から文化庁における博物館行政の第一人者、資金調達の専門家まで幅広いステークホルダーの皆さまをお招きし、博物館の目指すべき姿について議論を交わしていきます。

こんな方におすすめ
 クラウドファンディングに興味のある方
 クラウドファンディングの実行を考えている方
 博物館・美術館に関わっている方
 芸術関連団体に所属している方
 文化芸術の保存・振興に関心のある方

視聴方法
本セミナーはオンラインでのライブ配信となります。配信ツールとしてはYouTubeを利用します。オンライン配信動画視聴方法につきましては、お申し込みいただいた方へのみ、YouTubeの配信URLをメールにてご案内します。
参加申込URL:https://cfevent.readyfor.jp/culture/230328
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スケジュール
 Session1 / 13:00-14:00 ミュージアムのファンドレイジングの現在地とこれから
  「文化芸術に関する多様な資金の活用状況」に関する基調講演
  博物館におけるファンドレイジング活動の現状と今後の展望
  登壇者
   中尾智行  文化庁博物館振興室 博物館支援調査官
   鎌倉幸子  かまくらさちこ株式会社代表 / 認定ファンドレイザー
   本川 博人  男鹿水族館GAO 館長
   廣安ゆきみ  READYFOR株式会社 文化部門長 / リードキュレーター

 Session2 / 14:10-15:10 「新しい」に挑戦するミュージアム
  
クラウドファンディングを実施した熊本市現代美術館の岩崎氏、
  碌山美術館の武井氏を迎え、それぞれの館の運営を維持・向上させていくための
  手段について具体的事例をもとにお話をお伺いしていきます。
  また、公立と私立の館の運営の違いや比較を通じて、共通する課題を明らかにします。
  登壇者
   岩崎千夏 熊本市現代美術館 副館長
   武井敏  碌山美術館 学芸員
   佐藤妙  READYFOR株式会社 文化部門 キュレーター
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 Session3 / 15:20-16:20 実践に学ぶ|地方公立館のクラウドファンディングの裏側
  公立館でのクラウドファンディングの舞台裏
  公立館ならではのプロジェクトの進め方やハードル
  クラウドファンディングがもたらした効果

  登壇者
   大久保卓  入間市博物館 文化財担当主幹
   島宗美知子 公益財団法人帆船日本丸記念財団 学芸課長補佐
   廣安ゆきみ READYFOR株式会社 文化部門長 / リードキュレーター

光太郎の親友だった彫刻家・荻原守衛を顕彰し、光太郎ブロンズ彫刻も多数所蔵、展示して下さっている信州安曇野の碌山美術館さん。昭和33年(1958)の竣工で、ロマネスク様式の教会風の碌山館(本館)が老朽化ということで、昨夏、クラウドファンディングにチャレンジ。目標額を大幅に上回る資金が集まり、秋以降、改修工事が進められました。

碌山美術館さんクラウドファンディング。
碌山美術館さんクラウドファンディング目標額到達。
新聞各紙から。
碌山美術館さんクラウドファンディング関連。

その実践例ということで同館学芸員の武井敏氏によるプレゼンが為されます。他館さんの報告や識者による提言等、盛りだくさんの内容となっています。「館」ではない文化芸術団体さん等にも参考となる内容でしょう。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

北海道で地面の中から自分の命の糧を貰ひます。そして、今の日本の芸術界と没交渉な僕自身の芸術を作ります。地球の生んだ芸術を得ようとします。そして、此が一面今の社会に対する皮肉な復讐です。僕は日本の東京の為めにどの位神経に害を与へられたか知れません。


明治44年(1911)4月8日 山脇信徳宛書簡より 光太郎29歳

昨日のこの項でご紹介した部分の続きです。北海道に移住し、酪農で生計を立てながら芸術を生み出そうという計画を表明しています。この後、実際に北海道に渡るのですが……。

今日開幕です。光太郎の父・光雲が主任となって制作された鋳銅聖観音像のライトアップも為されます。
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上の画像は昨年秋のライトアップ時。愚妻がお友達と京都に行くというので撮ってきてもらいました。

春のライトアップ2023

期 間 : 2023年3月24日(金)~4月2日(日)
時 間 : 17時45分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑、国宝三門楼上、女坂、国宝御影堂、阿弥陀堂
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)
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みどころ

友禅苑
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、 華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、 補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。
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国宝 御影堂
寛永16(1639)年、徳川家光公によって建立されました。間口45m、奥行き35mの壮大な伽藍は、お念仏の根本道場として多くの参拝者を受け入れてきました。
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国宝 三門 回廊公開は春季9年ぶり
元和7(1621)年、徳川秀忠公が建立した高さ24m、幅50mの日本最大級の木造二重門。悟りの境地に到る「空門」「無相門」「無願門」の三解脱門を表すことから三門といいます。
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関連行事
聞いてみよう!お坊さんのはなし テーマ『機をはからう』~その身そのまま、あなたのままで~

正座じゃないといけないの?手の合わせ方が分からない。仏教は難しそう…。お坊さんの話を今まで聞いたことがない。どのようなお方も大歓迎です! 気軽に御影堂へいらしてください。気さくなお坊さんたちが皆さまを温かくお出迎えいたします。お話の後、木魚にふれ「南無阿弥陀仏」とお称えする、木魚念仏体験がございます。日常から離れた心静かなひとときをお坊さんと味わってみませんか?

開始時間:18:00~ 18:45~ 19:30~ 20:15~(各回お話15~20分、木魚念仏体験5~10分程度)
知恩院七不思議のひとつ「鴬張りの廊下」をモチーフにした缶バッジを参加者全員に差し上げます!(無くなり次第終了)
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月かげプレミアムツアー
ライトアップ拝観エリアすべてを僧侶と一緒に巡る特別ツアーです。御影堂内陣や大方丈などの通常非公開部もご案内!1時間半たっぷりと知恩院の魅力をご体感いただけます。
 日程:毎夜開催
 開始時間:17:45~/19:30~
 所要時間:1時間半程度
 定員:各回25名様程度
 料金:お1人様3,000円(小・中学生1,500円)
 ライトアップ拝観料込み。料金は拝観受付にてお支払いください。
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特別展示 Tradition : Redefined
3月25日(土) / 26日(日)
『千代紙 色とデザイン』RE:KAO
「椿柄」を十四色という多色で手摺りされた千代紙。今回は屏風に仕立てました。
3月31日(金) / 4月1日(土) / 4月2日(日)
『花明 Ceramic × Scissors』林侑子・陶芸家
「白磁」をハサミで切る独自の技法土鋏(つちばさみ)。磁器と鋏で「花明かり」を作り出す。

『鬼より強い守り神』吉田瑞希・陶芸家
「鍾馗(しょうき)」という中国から日本に伝わってきた、屋根に佇む魔除けの神様。

場所 友禅苑 茶室「白寿庵」・茶室「華麓庵」
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ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

自分は芸術家です。芸術三昧のうれしさと、芸術的全生活の貴さとは既に味ひもし知りもしてゐました。しかし日本に帰つた時日本の社会状態をつくづく見るに及んで此を吾人に近くしてみたいといふ考を起しました。此が動機で琅玕洞も造りました。其他種々の計画でまだ実行されなかつたのも沢山あります。芸術家にこんな事をさせたのは今の社会です。僕は我慢に我慢をしてやつてゐました。然るに此頃つくづく其の馬鹿げてゐた事を感じました。そこで美術国たる日本に全然背中を向けるのです。日本の恩を蒙りたくなくなりました。

明治44年(1911)4月8日 山脇信徳宛書簡より 光太郎29歳

山脇信徳は画家。明治42年(1909)の第3回文部省美術展覧会(文展)にコテコテの印象派風の絵画「停車場の朝」を出品しました。これを光太郎は是とし、石井柏亭などは「日本の風景にこんな色彩は存在しない」とディスり、所謂「地方色論争」が巻き起こりました。さらにそれが光太郎の評論にして我が国最初の印象派宣言とも言われる「緑色の太陽」につながります。

さて、その山脇に宛てた書簡から。芸術後進国・日本を啓蒙しようと、画廊・琅玕洞を開いたりしたことについて、芸術家自身がそんなことをすべきでなかったし、結局うまくゆかなかったとしています。

昨日は都内に出ておりました。

主たる目的は、銀座王子ホールさんでの「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」拝聴でしたが、その前に竹橋の東京国立近代美術館さんで「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」を拝見。
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名品の数々がこれでもかこれでもかと並んでおり、予想通り、クラクラしました(笑)。

やはり当方にとって一番の目玉は、光太郎の父・光雲の「老猿」。トーハクさんその他で何度も見ている作品ですが、何度見ても見飽きることがありません。
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マルチアーティスト・井上涼さんが「黙すれど語る背中」と評されましたが、その通りですね。

トーハクさんでの展示より、間近で観ることができました。毛並みの一筋一筋、手に持った猛禽の羽根など、それを彫る光雲の息づかいも聞こえてきそうです。
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台座にあたる岩の部分は仏像彫刻の様式が色濃く残っており、やはり仏師なんだなぁと。

材はトチノキ。当初、光雲はもっと白いと思っていて、白猿を彫るつもりでいましたが、栃木鹿沼の山から入手したあとに意外と赤いことに気付き、年老いた猿に変更したとのこと。ちなみに当初は「老猿」ではなく、「猿」一文字でした。

光太郎の親友だった碌山荻原守衛の「北条虎吉像」。碌山美術館さん蔵の石膏原型です。ブロンズ彫刻の場合、文化財指定は鋳造されたものではなく、原型で指定されることがありますので。
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そのあたりで「大人の事情」があるのでしょう、同じ守衛の「女」は今回の展示には出ないそうです。

その他の作品、特に光太郎や光雲とつながりの深かった作家の作品、光太郎や光雲とのつながりなどについても紹介したいところですが、それを書き始めると10日ぐらいかかりそうなので、割愛します。

続いて常設的な「MOMATコレクション」を拝見。こちらには重要文化財指定はされていないものの、負けず劣らずの逸品がズラリ。

光太郎の「手」
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光太郎生前に鋳造された3点のうちの一つ。有島武郎旧蔵のもので、木彫の台座は光太郎の手になるもの。有島や、有島から受け継いだ秋田雨雀の名が記されています。仮に今後、「手」が文化財指定されるとしたら、これが指定されるような気がしています。「北条虎吉像」や「女」のように石膏原型が、ということになると、光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の弟子筋に当たり、光太郎作品の鋳造を多く手がけ、やはり人間国宝だった故・斎藤明氏旧蔵の石膏原型があるにはあるのですが、それがいつどのように取られた型なのかなど、当方、寡聞にして不分明です。
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さらに光太郎が敬愛してやまなかったロダンの「トルソ」、そして守衛の「女」(鋳造)。
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さらに守衛の「坑夫」。パリ留学中、光太郎がこれを見せられ、ぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言した作品です。光太郎、グッジョブ(笑)。
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「重要文化財の秘密」の図録をゲット。この手の図録には珍しくハードカバーでした。それだけに3,300円とお高め(笑)。重量が1.3㎏を超えていました(笑)。昼食はコンビニのパンで済ませても、迷わずこれを買うのが当方です(笑)。
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展示入れ替えのため、昨日の時点では出ていなかった作品(黒田清輝「湖畔」など)、「大人の事情」で今回は展示されない作品(「女」の石膏原型や竹内栖鳳「斑猫」など)の図版もしっかり掲載されていますし、詳細な作品解説、論考も3本(大谷省吾氏「重要文化財の「指定」の「秘密」」、同じく「東京国立近代美術館における近代日本美術展をふりかえる」、花井久穂氏「「唯一」と「複数」――近代の美術/工芸)の重要文化財指定をめぐって」)。

ぜひ足をお運びいただき、図録もお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

浜町の下宿は馬鹿に気持が可い。大工の神さんの内職の様だ。生活に秩序がついた様な気がする。

明治43年(1910)12月(推定) 水野葉舟宛初刊より 光太郎28歳

この月から翌月にかけ、わずか2ヶ月足らずですが、日本橋浜町31番地の「松葉館」という下宿で独り暮らしをしました。

本日開幕、銀座の画廊での展示です。

高村光太郎と3人の彫刻家 佐藤忠良・舟越保武・柳原義達

期 日 : 2023年3月20日(月)~4月6日(木)
会 場 : ギャラリーせいほう 東京都中央区銀座8丁目10-7
時 間 : 11:00~18:30
休 館 : 日曜・祝日休廊  土曜不定休
料 金 : 無料

日本の近代彫刻の歴史はロダンの影響をうけた荻原守衛と高村光太郎からはじまる。高村光太郎訳「ロダンの言葉」(1916年)は当時の若い芸術家に多大な影響をあたえた。ロダンから出発し独自の造形を確立することになる3人の彫刻家を紹介します。

高村光太郎 1883 - 1956
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佐藤忠良 1912 – 2011

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舟越保武 1912 - 2002
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柳原義達 1910 - 2004
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光太郎のブロンズが数点。画像で見えるのは、「裸婦坐像」(大正6年=1917)、「野兎の首」(昭和20年代)、「十和田湖畔の裸婦群像のための中型習作」(昭和28年=1953)。他にも出ているかもしれません。

そして、光太郎のDNAを受け継ぐ、次世代の彫刻家である佐藤忠良舟越保武柳原義達の作品も。それぞれの個性、逆に4人に通底して流れる普遍的な「生命へのオード」的なものなどに注目して観ると面白いでしょう。

当方、明日、銀座王子ホールさんでの「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」を拝聴に上がりますので、こちらも廻ろうかと思いましたが、残念ながら日曜・祝日休廊とのこと。

代わりに、というわけでもありませんが、竹橋の国立近代美術館さんでの「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」を拝見してこようと思っております。時間があれば常設の「MOMATコレクション」も。こちらでは光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)や、なぜか「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」に出ていない、荻原守衛の「女」(明治43年=1910)も展示されています。

【折々のことば・光太郎】

僕は何も為ないで暮してゐる。暮せないのに暮してゐる。どうにか暮さうと考へながら暮してゐる。


明治43年(1910)10月16日 津田青楓宛書簡より 光太郎28歳
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留学仲間だった画家で京都在住の津田青楓に宛てた、自画像入りの葉書。

昨日も書きましたが、前年に欧米留学から帰って、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界とは距離を置くことを決意しましたので、彫刻を作っても発表する機会は無し、自分で売りさばくことも無名の自分には不可能、という状況でした。

現在、都内竹橋の東京国立近代美術館さんでは、光太郎の父・光雲の代表作「老猿」も展示されている「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」が開催中ですが、「文化財」つながりで2件。

まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。地元紙『岩手日日』さんから。

有形文化財登録へ 花巻・旧菊池家住宅西洋館 文化審答申

 国の文化審議会(佐藤信会長)は、17日に開かれた同審議会文化財分科会で、登録有形文化財(建造物)に、花巻市御田屋町にある「旧菊池家住宅西洋館」を登録するよう文部科学大臣に答申した。老朽化を理由に一度は解体の話が持ち上がったが、関係者の尽力で保存がなされ、今に伝えられる大正期の洋風住宅。関係者は今後の保存活用に向けた活動の弾みになると答申を喜ぶ。
 旧菊池家住宅西洋館は、花巻出身で全国各地の農業試験場長などを務めた菊池捍(まもる)が1926年に建てた木造一部2階建ての自宅。
 瓦ぶきの半切妻屋根で、長い板材を横に重ねた外壁と縦長窓を並べた外観に、正玄関と通用玄関があり、生活空間と応接空間を分ける武家屋敷の間取りを持ちながらも、洋風天井で全て開戸、しっくい壁と、和洋折衷の独特な雰囲気を醸し出す。宮沢賢治の寓話「黒ぶだう」の舞台となったとも考えられている。
 2005年には老朽化から取り壊しの話が持ち上がり、保存運動が活発化した。07年には市の建造物評価委員会が「保存すべき建物」と結論づけ、市民有志の守る会が発足したが、市の財政支援が見込めないことから解散。盛岡市の医師が10年に購入し、市文化財保護審議会委員で長年調査や保存運動に携わってきた木村清且さん(72)に管理を託した。
 屋根瓦や内装を改修して活用方法を探り、21年には建物の継続的な保存・活用とゆかりの先人の顕彰活動を目的に発足した市民有志で組織する保存・活用委員会(木村清且委員長)が、一般公開と先人を紹介する展示を企画した。
 木村さんは文化財として認められたことを受け、「やっとここまできたという気持ち。先人が生きた証しであり、賢治の世界に迷い込んだような建物。先人の思いを掘り下げ、歴史をくみ上げて賢治の世界を醸し出すようなまちづくりにつなげたい」と話している。
 同市内の登録有形文化財(建造物)は花巻温泉旧松雲閣別館(湯本)が登録されており今回の登録を含め2件、県内では102件となる。
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同じ件でIBC岩手放送さん。

賢治の寓話の舞台にも 旧菊池家住宅西洋館(花巻市)など国登録有形文化財に

 大正時代に建設された花巻市の旧菊池家住宅西洋館など岩手県内で2件が新たに国の登録有形文化財に登録されることになりました。
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 花巻市御田屋町にある旧菊池家住宅西洋館は、1926(大正15)年に建設された洋風建築が特徴で、宮沢賢治の寓話「黒ぶだう」の舞台となったとも考えられています。
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 部屋は和室主体となっていますが洋風の天井で、全て開き戸と和洋折衷の貴重な建造物とされています。
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 明治前期に建設された遠野市の旧高善旅館は民俗学者・柳田國男が定宿としていて、通り土間など遠野の典型的な町屋として貴重な建造物とされています。
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 2階には床構え付の客室もある近代和風旅館のつくりです。今回の2件を含め、岩手県内の登録有形文化財は102件となります。

旧菊池家住宅西洋館、おそらく昭和21年(1946)、花巻郊外旧太田村に隠棲していた光太郎がこの家を訪れ、ピアノ演奏を聴いたというので、一昨年にお邪魔しました。確かに面白い建築でした。

『岩手日日』さんの記事にあるとおり、花巻市内では登録有形文化財(建造物)指定は、花巻温泉旧松雲閣別館に続き、2件目。こちらは光太郎が何度も宿泊した建物で、市内2件の指定がいずれも光太郎がらみの建造物ということになり、喜ばしい限りです。

松雲閣別館の方は、今一つ活用が為されていないようですが、旧菊池家住宅西洋館の方は、さまざまな機会に利用し、町おこしに貢献していただきたいものです。

ところで、今回の答申では、智恵子の故郷・福島二本松市街の「檜物屋酒造店旧店蔵」も登録されました。「文庫蔵」と「仕込蔵」の2件です。檜物屋酒造店は明治7年(1874)の創業。智恵子の祖父・長沼次助が油井村に長沼酒造を興したのは明治16、17年(1883、84)頃。同じ酒造業同士、つながりはあったでしょう。
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上の画像は、かなり後になりますが昭和12年(1937)の『大日本職業別明細図』から。この時点では長沼酒造は破産しているのですが、なぜかまだ智恵子の弟・啓助の名で出ています。

ちなみに檜物屋酒造店さんは健在で、銘酒「千功成」は数々の賞に輝いています。公式サイトでは「智恵子の里は 酒の里 ほんとうの空 ほんとうの酒」と謳ってくださっています。
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もう1件、杉並区さんのサイトから。

4年度の区指定文化財が決まりました(5年3月15日)

 区では、昭和58年度から文化財指定を行っています。令和4年度は、歴史資料1件、考古資料1件を指定しましたのでご紹介します。

(1)【区指定有形文化財(歴史資料)】尾崎喜八関係資料(ガラス乾板附ネガフィルム)747点
本資料は、大正末期から昭和戦前期にかけて杉並区に住んだ詩人・尾崎喜八が杉並区内外の風景・人物などを撮影したガラス乾板とネガフィルムです。
 同資料からは、尾崎の嗜好や生活環境、交友関係などが窺えると同時に、カメラが希少な時期に撮影された区内外の写真は全体として貴重であり、農村の面影を残す当時の区内の自然や生活風景も収められています。
 写真を自らの創作の背景を説明する手段としても利用した尾崎の乾板は、尾崎自身や作品の理解に資する資料であり、詩人・尾崎喜八を考察する上で欠く事の出来ない貴重な資料です。
【所在】郷土博物館(杉並区大宮1丁目20番8号)

昨年12月から先月にかけ、杉並区立郷土博物館さんで開催された企画展「生誕130年 詩人・尾崎喜八と杉並」で一部が展示された、尾崎喜八撮影の古写真が区の文化財に指定されたとのこと。同区在住当時の尾崎が撮った戦前の写真が中心でしょう。ビジュアル的に当時の様子をつかむには、写真は最適ではありますが、写真を文化財指定するという区の英断には頭が下がります。
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気になるのは「杉並区内外の風景・人物などを撮影」となっていること。となると、尾崎は駒込林町の光太郎アトリエでも数葉の写真を撮影しており、それも含まれるのかな、と思いました。

この写真も尾崎の撮影です。
駒込林町アトリエ
また、光太郎のポートレートも。
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ともに昭和8年(1933)2月のものです。

それから、下記は尾崎一家と光太郎。
喜八撮影
これには尾崎自身が写っており、当時、セルフタイマーというものは無かったのではないかと思われ、そうすると他の人物の撮影ということになりますが、どうなのでしょう。カメラの歴史に詳しい方、御教示いただければ幸いです。

また、4月2日(日)日比谷松本楼さんで開催予定の第67回連翹忌の集いに、尾崎令孫の石黒敦彦氏もご参加下さり、写真の一部をご持参、展示して下さるそうなので、訊いてみようかとは思っております。

さて、文化財指定。

形有るものはすべていずれその形を失うものではあります。だからと言って、失われるに任せるのではなく、少しでも失われるまでの時間を延ばすことは可能なわけで、そうした意味では文化財指定は有効な手段の一つでしょう。

そして、指定して終わりではなく、先述しましたが、指定後の有効活用も重要ですね。今回指定されたもろもろも、そうなっていって欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

あゝ彫刻が作りたい。


明治43年(1910)10月10日 長田秀雄宛書簡より 光太郎28歳

「じゃあ、作れよ」とツッコミたくなりますが、ことはそう簡単ではありません。前年に欧米留学から帰ってからの光太郎、父・光雲を頂点とする旧態依然の日本彫刻界とは距離を置くことを決意しましたので、作っても発表する機会は無し、自分で売りさばくことも無名の自分には不可能、という状況でした。

光太郎の生涯にたびたび訪れた、彫刻制作空白の時期、その最初のものです。








昨日ご紹介した、竹橋の東京国立近代美術館さんで明日から始まる「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」展につき、主催に名を連ねている『毎日新聞』さんに予告報道が出ています。

東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密 東京で17日から 問題作が傑作へ、変遷たどる

 「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」が17日から東京国立近代美術館(東京都千代田区)で始まる。重要文化財に指定されている明治以降の絵画・彫刻・工芸51点による豪華な展覧会だ。本展を企画した同館の大谷省吾副館長が見どころを解説する。
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 東京国立近代美術館は1952(昭和27)年12月1日に開館し、さきごろ開館70周年を迎えた。本展はこれを記念し、ほぼ同時期の55年から近代美術の指定が始まった重要文化財に焦点を当てるものである。2023年3月現在、重要文化財に指定されている明治以降の絵画・彫刻・工芸は全部で68件だが、本展はそのうち51点を集めた、これまでに類のない展覧会である。とはいえ、ただの名品展ではない。本展は重要文化財イコール名品として手放しで礼賛するのではなく、「なぜ、これが重要文化財なの?」と考えてもらうことを真のねらいとしている。
 重要文化財の指定基準のひとつに「各時代の遺品のうち製作優秀で我が国の文化史上貴重なもの」というのがある。だが「優秀」で「貴重」とする評価の基準は何だろう? 明治以降の美術は、それ以前からの伝統的な美意識と、新たに西洋から伝えられた美術との間でさまざまな葛藤を経ながら展開してきたし、近代美術とは本質的に、それ以前のものの見方を批判的に乗り越えようとしながら新しいものを作り出そうとしてきたから、評価の基準も単純ではないのだ。だから本展のキャッチコピーに“「問題作」が「傑作」になるまで”とあるように、重要文化財に指定された個々の作品が、発表当時はどのような批評を受け、それが時代の変遷とともにどのように評価を変え、そしてどのような理由で重要文化財に指定されるに至ったのかを検証していくと、さまざまな面白いことがわかってくる。以下、主要な作品をいくつかご紹介したい。
  横山大観「生々流転」は、描かれてから今年でちょうど100年になる。発表された展覧会の初日に関東大震災が起きたが、作品は幸いに救い出された。全長40メートルに及ぶ大作で、重要文化財に指定されたのは67年。描かれてから44年後のことで、史上最速の重要文化財指定作品である。
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 この作品と同じ年に、洋画で最初に重要文化財に指定されたのが高橋由一の「鮭」である。この67年とは、翌年が明治100年にあたり、日本中で明治文化の見直しが行われていた時期だった。日本の伝統的な画法では表現できなかった立体感や質感の描写が、西洋からもたらされた技法によって可能となったことへの素直な驚きと喜びが見てとれる。
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 この年、やはり明治時代の名品として指定の候補に挙げられながら、選に漏れて保留となったのが黒田清輝「湖畔」と高村光雲「老猿」だった。
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この2点が重要文化財に指定されるのは、意外にもごく最近、99年のことである。どうして67年当時、選に漏れたのか。99年に指定されたときは、どんな理由だったのか。それらを調べていくと、近代日本美術の評価の基準が時代とともに更新されてきたことが見えてくる。そしてその背景には、近代日本美術史研究の深まりがあることも理解できるだろう。 さまざまな価値観が交錯しているからこそ、近代日本美術は面白い。その魅力をぜひご堪能いただきたい。

音声ガイド、新井さんが初挑戦
 音声ガイドナビゲーターは、ナビゲーター初挑戦のフリーアナウンサー・新井恵理那さんと、声優・小野大輔さんが務める。貸出料金650円(税込み)。
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図録 通販サイトでも
 会場特設ショップのほか、本日より通販サイト「まいにち書房」(https://www.mainichi.store/)でも公式図録を予約販売する。出品作品はもちろん本展不出品の重文指定品を含む全68件のカラー図版と作品解説を収録した充実の一冊。発送は22日以降。送料別。図録はA4変型判。1冊3300円(税込み)

「老猿」の重文指定についての裏話は存じませんでした。そのあたり、図録所収の論考等で触れられているのではないかと思われます。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

日本に住んで居るといふ外は 僕と日本とは今の処没交渉です。Ah!


明治43年(1910)5月12日 南薫造宛書簡より 光太郎28歳

旧態依然の日本美術界(その頂点の一つが、父・光雲)と距離を置き、独自の道を行こうとする意志の表出です。しかしそれは、茨の道でした。

都内から企画展情報です。

東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密

期 日 : 2023年3月17日(金)~5月14日(日)
会 場 : 東京国立近代美術館 千代田区北の丸公園3-1
時 間 : 9:30-17:00(金曜・土曜は9:30-20:00)
休 館 : 月曜日(ただし3月27日、5月1日、8日は開館)
料 金 : 一般 1,800円(1,600円) 大学生 1,200円(1,000円)
      高校生 700円(500円) ( )内は20名以上の団体料金

東京国立近代美術館は1952年12月に開館し、2022年度は開館70周年にあたります。これを記念して、明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、重要文化財に指定された作品のみによる豪華な展覧会を開催します。とはいえ、ただの名品展ではありません。今でこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表された当初は、それまでにない新しい表現を打ち立てた「問題作」でもありました。そうした作品が、どのような評価の変遷を経て、重要文化財に指定されるに至ったのかという美術史の秘密にも迫ります。

重要文化財は保護の観点から貸出や公開が限られるため、本展はそれらをまとめて見ることのできる得がたい機会となります。これら第一級の作品を通して、日本の近代美術の魅力を再発見していただくことができるでしょう。

1.史上初、展示作品すべてが重要文化財
明治以降の絵画・彫刻・工芸の重要文化財のみで構成される展覧会は今回が初となります。明治以降の絵画・彫刻・工芸については、2022年11月現在で68件が重要文化財に指定されていますが、まだ国宝はありません。本展ではそのうち51点を展示します。

2.「問題作」が「傑作」になるまで 指定の歩みから浮かび上がる近代日本美術史
明治以降の作品が最初に重要文化財に指定されたのは1955年。以降、いつ、何が指定されたかをたどっていくと、評価のポイントが少しずつ変わってきているように見えます。それはすなわち、近代日本美術史の研究の深まりの反映でもあるでしょう。

3.東京国立近代美術館所蔵の重要文化財全17件を公開
10年前の開館60周年記念展「美術にぶるっ!」展では当館の所蔵品・寄託作品計13点の重要文化財をまとめて展示しましたが、今回はその後に指定された作品や国立工芸館の鈴木長吉《十二の鷹》、そして2022年11月に新たに指定された鏑木清方《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》三部作も加えた17件を、初めてまとめて公開します(会期中展示替えがあります。鏑木清方三部作の展示期間は3月17日~4月16日です)。作品保護のため、会期中一部展示替えがあります。
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関連イベント(講演会)

本展出品作品の所蔵館の方および日本近代の絵画・彫刻・工芸の専門家による講演会です。各美術館・博物館のコレクション形成史をメインに、本展の出品作品にも触れながらお話しいただきます。

3月25日(土)
 第一部 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:伊藤嘉章(愛知県陶磁美術館総長、町田市立博物館長)
 第二部 15:30-16:30(開場は15:10)
  登壇者:貝塚健(公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館 特命事項担当学芸員)
4月8日(土)
 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:大谷省吾(東京国立近代美術館副館長)
   UDトーク対応(字幕表示あり) 協力:国立アートリサーチセンター
4月15日(土)
 第一部 14:00-15:00(開場は13:40)
  登壇者:古田亮(東京藝術大学大学美術館教授)
 第二部 15:30-16:30(開場は15:10)
  登壇者:舟串彩(公益財団法人永青文庫学芸員)
■会場 東京国立近代美術館 地下1階講堂
■定員 各回140名(先着順)
■参加方法
各日12:00より、1階インフォメーションカウンターにて整理券を配布します。
3月25日、4月15日は一部のみ、二部のみの参加も可能です。一部と二部どちらも参加希望の方は、それぞれの参加券をお受け取りください。

というわけで、現在68件が重要文化財に指定されている明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、51点が展示される展覧会です。

そこで、光太郎の父・光雲作の「老猿」(東京国立博物館所蔵)も出ます。
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「老猿」を所蔵しているトーハクさんでは、昨年、「国宝 東京国立博物館のすべて」展が開催され、こちらでは膨大な所蔵品の中から国宝89件すべてが展示されました。同時開催の常設展示ではこの「老猿」も展示されており、SNS上では「国宝も素晴らしいが、常設の「老猿」も超インパクト」的なコメントが目立ちました。

他にも教科書や何かでお馴染みの作品がズラリ。出品目録はこちら

それぞれ、様々な機会に別個に見ることはあっても、まとめて見られる機会はめったにありませんね。当方、拝見に伺う予定ですが、おそらく頭がクラクラしそうです(笑)。
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ところで、素朴な疑問。上記画像にもある岸田劉生の「麗子微笑」など、一連の「麗子像」のタイトルを「智恵子抄」と勘違いしている人が実に多いのです。
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なぜなんでしょうね?

閑話休題、「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

Mr.Ogihara, a friend of mine, is dead suddenly. I am here by by his tomb. You cannot imagine how I am sad! April 26th


明治43年(1910)4月26日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎28歳

昨日のこの項でも書きましたが、親友だった碌山荻原守衛が突然没したのが4月22日。旅行中の奈良でそれを知らせる電報を受け取った光太郎、信州穂高の守衛の墓に馳せ参じました。

それを知らせるバーナード・リーチ宛の葉書。普段、端正な文字を書く光太郎が、この時はまるで殴り書きのような筆跡。大文字と小文字が入り乱れ、むちゃくちゃです。それだけに激しい動揺が伝わってきます。文言的にも「君には僕がどれほど悲しんでいるか解るまい!」。まるで八つ当たりです。
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昨日も引用した、水野葉舟の「日記の中より(故荻原守衛氏に対する記憶)」から。

 その高村君が留守に寄られた時にこのやうな挿話があつた。これはほんの一つの挿話に過ぎぬが自分はそれを聞くと鋭く胸に映るものがあつた。
 その挿話といふのは斯うである。丁度二十二日の午前一時か二時の頃高村君が宿屋の室で寝て居た。すると誰かがそつと障子を開けて入つて来た。と思ふと床(とこ)の上から非常な力で圧されて苦しくつてたまらなかつた。と思ふと目が覚めた。深更であつたが両側の室にはまだ燈火がついて居た。
 丁度その時刻に荻原氏は死んだのであつた。後になつて考へると実に恐くつてたまらぬ、実に今度こそ非常な経験をしたものだと言つたさうだ。
 奈良から帰つた高村君は信州に行つた。その途から自分に当てられた端書及び帰つて来てからの端書にも、非常に興奮して居る様子であつた。自分は平常沈んだ心の静かなこの友人が、このやうに興奮したので自分にも重いものを負つて居るやうに心を動かされた。


奈良の宿屋でのエピソード、現在確認できている限り、光太郎自身は書き残していません。それを自ら公表するのも不謹慎だと思ったのでしょうか。

ところで、守衛の「北条虎吉像」も重要文化財指定を受けていますので、上記「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」に展示されます。

昭和48年(1973)竣工で、智恵子の紙絵を原画として使用した巨大壁画をもつ神戸文化ホールさんにつき、仙台に本社を置く『河北新報』さんが取り上げています。
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東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)さんの移転にともなう跡地利用等の問題の参考に、というコンセプトの記事ですが。

存続求める根強い声<Re 杜のまち 他都市の「跡地」(中)神戸・文化ホール>

 仙台市青葉区から移転することが決まっている東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用に注目が集まる。杜の都を象徴する定禅寺通から消えるにぎわいの拠点。「その後」を一体どうするのか。公的施設の老朽化に直面し、まちの再構築に取り組む他都市に学ぼうと、広島、神戸、秋田3市の現場を歩いた。
 視線の先に巨大なアジサイの壁画が現れた。高村智恵子作の紙絵がモチーフで、高さ10メートルを超える。9月で開館50年を迎える神戸市の神戸文化ホールの象徴だ。
 年間45万人が利用する音楽や演劇の拠点だが、2017年に移転話が浮上。市は「30年度以降」をめどに、中心地のJR三ノ宮駅前に大・中ホールを移す。ただ跡地は建物を解体するか、残すかも含めて検討が始まっていない。
 訪れたのは1月下旬。地域の人が跡地についてどう考えているかを聞こうと、向かいのラーメン店に入った。ホール利用者やコンサートの観客が大勢来店するそうで、店の休みは休館日に合わせている。
 「ホールのように人が集まる施設であればいいが、どうなるのだろう」。父の代から約20年、この地で営業する大谷祐己さん(40)は影響を測りかねていた。
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■にぎわいづくりに軸足
 市は移転理由の一つに施設の老朽化を挙げる。18年には劣化した天井の板が落下するなどしたため、3カ月の休館に追い込まれた。
 運営する市民文化振興財団常務理事の須藤晃司さん(55)は「幸いけが人はいなかったが、移転するまで気を抜けない」と言う。
 海外オーケストラの公演会場だった文化ホールでは近年、兵庫県内に大型ホールが複数できたこともあって、中高生の部活動や市民サークルが成果を発表する機会が増えた。
 隣の公園は演奏会の時、練習や昼食の場所として定着した。「移転する都心部に、こういう所があるだろうか」。須藤さんは不安を口にした。
 移転先の環境はどうか。大ホールが移る中央区役所などの跡地は、建物の解体工事が進んでいた。西側の土地には中ホールが移転する。ともに交通量の多い国道2号に面した一等地。屋外で練習するのは難しいだろうと率直に感じた。
 市は新ホールを「国際都市にふさわしい芸術文化施設」と位置付け、新バスターミナルや商業施設、オフィス棟、図書館、ホテルとの複合施設にする方針。
 「ホール移転は都心部再整備の目玉。来た人が周辺も歩く回遊性を持たせたい」。市文化交流課の担当者の説明を聞き、移転計画は街中のにぎわいづくりに軸足を置いていると思った。
 市の方針に、県内の文化芸術団体の関係者らでつくる市民団体「神戸をほんまの文化都市にする会」(神戸市)は異を唱える。
 代表の竹山清明さん(77)は「中途半端に造っても大阪に都市間競争で勝てない。文化芸術活動を活発にするため、現ホールを改修して、市民向けに開放するべきだ」と存続を求める。
 都心部のにぎわいか、市民や生徒らの活動の場の確保か-。
 神戸文化ホールの移転計画は、まちづくりの重要な課題を示している。50年の歳月が培った文化は地域に根付く。仙台市青葉区の東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用を検討する際も、その視点を忘れてはならない。

[神戸文化ホール]2017年に大規模改修ではなく、建て替えを前提に検討する方向性をまとめた。現在の大ホール(2043席)と中ホール(904席)をJR三ノ宮駅前の再整備地区に移転し、多目的の大ホール(約1800席)と音楽や演劇に対応する中ホール(約700席)とする。市が21年8月に改定した整備計画で、跡地活用の記載は「全市的な視点により再整備の検討を進める」などにとどまる。

色即是空、諸行無常。形あるものはいずれ無に返るものではありますが……。

ところで、別件ですが、智恵子つながりでテレビ番組の再放送情報。もう今夜のオンエアです。

おかしな刑事〜居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2023年3月7日(火) 19:00〜20:54

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ。

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者
伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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初回放映時のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。

つい先月20日にも地上波テレ朝さんで再放送があったばかりですが……。ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

僕は来月あたり船にのりこんで帰途につくかも知れない。金の都合で一寸わからない。

明治42年(1909)4月27日 水野葉舟宛書簡より 光太郎27歳

その言葉通り、5月15日にはいったんパリからロンドンに渡り、テームズ河口から日本郵船の阿波丸に乗って帰国の途に就きます。

モデルの指の動き一つすらその真意を了解不可能な西欧に居続けるより、早く帰って日本に新しい芸術を根付かせる魁けたらんという決意、さらには徴兵検査を先延ばしにしていたことも理由の一つです。

3月2日(木)付けの『読売新聞』さん東京版から。

光太郎先輩「手」作ったよ 卒業前の小6夢を実現 荒川の母校

000 荒川区立第一日暮里小学校6年の児童が、同小OBで詩集「智恵子抄」などで知られる詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)によるブロンズ像の「手」をモチーフにした作品づくりに挑戦した。卒業を間近に控えた子供たちは、紙粘土などを使って思い思いに将来の夢や目標を形に表現していた。
 現在の台東区で生まれた高村は1890年に同小に転入し、卒業までの約2年間を過ごした。同小は創立100周年を迎えた1985年、高村が晩年暮らした岩手県の小学校に贈った「正直親切」と言う言葉を校訓に採用しており、東側の校門前には校訓を彫った記念碑も建てられている。
 同小では毎年3学期に「先輩光太郎に学ぶ」と題し、6年生の児童が高村の生涯や作品を調べる卒業学習に取り組んでいる。「手」は高村が欧米留学から帰国後の18年に制作したもので、児童らは昨年9月に東京国立近代美術館(千代田区)で見学していた。
 2月27日に行われた作品づくりには児童24人が参加。手の形に曲げたアルミの棒に紙粘土で肉づけするなどし、約3時間かけて完成させた。人さし指で天を示す形に「部活動で活躍したい」という思いを込めたりし、多彩な作品がそろった。
 何かをつかもうとする形に仕上げたという小沢羽子(はね)さん(12)は将来、保育士になりたいといい、「困難なことがあっても努力を続け、夢をつかみたい」とできばえに満足そうだった。


記事には記述がありませんが、同小に隣接する太平洋美術会さん(かつて智恵子が所属し、油絵を学びました)がご協力なさり、指導に当たられたとのこと。「おお、まだ続けて下さっているのか」と思いました。平成30年(2018)、この授業を見学させていただきましたので。ちなみにこの年には別の授業でゲストティーチャーを務めさせていただいたりもしました。

調べてみましたところ同小の学校便り「正直親切」の今月号にも紹介されていました。ところが昨年、一昨年のそれには記述が見当たらず、やはりコロナ禍の影響もあって数年ぶりの実施だったのかなと思いました。

記事にある「「先輩光太郎に学ぶ」と題し、6年生の児童が高村の生涯や作品を調べる卒業学習」。「手」の制作もその一環ですが、調べ学習でのレポートの制作もすばらしいものがあり、今後も継続していただきたいものですし、全国の学校さんで参考にしていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

金が無くなつたから帰つて来たり。帰つて来たら君の葉書が来て居た。


明治42年(1909)4月26日 津田青楓宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行、さすがに懐が保たなかったようです。

新刊です。

びじゅチューン!DVD BOOK 7

2023年2月27日 井上涼+NHK びじゅチューン!制作班 小学館発行 定価2,970円(税込)

アーティストの井上涼が、古今東西の有名な美術作品をモチーフに作詞、作曲、歌唱、アニメーション制作のすべてを手がけるユニークなテレビ番組「びじゅチューン!」(NHK Eテレ)。「鶴下ウェイ」から「検証・モネの筆」まで最新の17曲を収録した、待望のDVDBOOK第7弾が登場!

●DVD
「書記に必要なギャルの精神」「スタイリングbyキトラ」などの人気作品を含む新曲全17曲を、スタジオ解説・うた(コーラス・バージョン)・カラオケ付きで収録。

特典映像1 ワンポーズクリエイターR外山晴菜による振り付け映像「おどってみよう!『老猿は主役じゃなくても』

特典映像2 『MIXびじゅチューン!』3タイトル 「西暦1500年をつなげる」「春は世界にあふれてる」「シルクロードをたどる」

●BOOK
収録曲の制作のひみつ、テーマになった美術作品解説を掲載。井上涼の手書きの創作企画書や、細かな作り込みの裏話など、徹底取材に基づく情報がズラリ。さらに、コーラスの解説記事、「おどってみよう!ポイント解説」、「MIXびじゅチューン!」収録密着取材記事など特集も盛りだくさん。

もくじ
 01. 鶴下ウェイ
 02. 書記に必要なギャルの精神
 03. 玉虫の家庭教師が玉虫厨子
 04. スパイゴッデス
 Making of びじゅチューン!① 「MIXびじゅチューン!」収録現場に潜入!
 05. アルノルフィーニ夫妻のベルト防衛戦
 06. 焔のお習字教室
 07. 銅鐸仮面舞踏会
 08. 葉が地に着くその前に
 Making of びじゅチューン!② 吉岡弘行さんに聞きました! 音楽とコーラスのひみつ
 09. 海の幸のチューン
 10. 猫の手もアダムの手も借りたい 
 11. バベルの塔にカフェOPEN
 12. 老猿は主役じゃなくても
 おどってみよう! ワンポーズクリエーター外山晴菜レッスン♪
  「老猿は主役じゃなくても」ふりつけガイド

 13. スタイリングbyキトラ
 14. 染める蛇使い
 15. 土偶迷路
 16. 窓ごしの孔雀明王
 17. 検証・モネの筆
 井上涼のことば
 作品が収蔵されている〈美術館・寺院・博物館〉ガイド 美術作品を観に行こう!
ふろく
 びじゅチューン! キャラクター大集合図鑑シート

〈 編集者からのおすすめ情報 〉
大人気「びじゅチューン!DVDBOOK」シリーズ、待望の第7弾!今回の特典付録は、びじゅチューン!のキャラが大集合した図鑑シート。大人も子どももぜひ手にとってくださいね!
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NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」で放映された作品をまとめたDVDブック、第7弾です。

昨年1月に初回放映のあった「老猿は主役じゃなくても」が収録され、しかも表紙を飾っています。
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DVDでは、テレビ版本編に加え、特典映像的に「おどってみよう! 老猿は主役じゃなくても」。
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BOOKには本編の解説や、「おどってみよう! 老猿は主役じゃなくても」の振り付けガイド。

さらに特典付録は「びじゅチューン! キャラクター大集合図鑑シート」。
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「老猿」、そして平成30年(2018)に放映され、『びじゅチューン! DVDBOOK 5』に収められている「指揮者が手」の「手」も。
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さらにAmazonさんで購入すると、Amazonさん限定特典で「オリジナルビッグぬりえシート」も付いてきます。
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ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

幾年もの間写真に見てゐた「カペラ、シスチイナ」のミケランジエロの例の壁画を今朝はじめて見た。たゞ驚いて仕舞つた。今日一日実に愉快に日が送れる。

明治42年(1909)4月7日 水野葉舟宛書簡より 光太郎27歳

「カペラ、シスチイナ」はシスティーナ礼拝堂、「ミケランジエロの例の壁画」は「天地創造」。「壁画」というより天井画ですが。
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日本人で実物を見たのは、光太郎が初めてに近いのではないかと思われます。

10日前に始まっていました。光太郎の父・光雲作の木彫観音像が出品されています。

身延山霊宝展

期 日 : 2023年2月18日(土)~4月25日(火)
会 場 : 身延山久遠寺宝物館 山梨県南巨摩郡身延町身延3567
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 木曜日 
料 金 : 一般300円 大・高200円 中・小100円(20名以上で団体割引)
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今回の展示では身延文庫に収蔵される日蓮宗寺院にて信仰される菩薩や守護神の絵画や仏像を中心に紹介しています。

主な展示作品
・聖観音菩薩像 高村光雲 作  ・鬼子母神画像 伝 加藤清正 筆  ・観音鷹図 宮崎重政 筆
・観音図 萩尾九皐 筆  ・開運妙力大善神像  ・仁王尊像 林如水 作 等
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右の御手は観世音菩薩の定印の一つにして、光太郎がブロンズの「手」、さらに生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」で表した「施無畏印」となっていますね。

お近くの方(遠くの方も)、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

フイレンツェほど美しき町は世に少かるべし。僕は今フイレンツェにあり。数年以前より書物に見、写真にて見たるフイレンツェにあり。夢の如し。


明治42年3月31日 水野葉舟宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行。ヴェネツィアからパドヴァを経由してフィレンツェに入りました。

新刊、400ページ超の労作です。

日本人美術家のパリ 1878-1942

2023年2月8日 和田博文著 平凡社 定価5,000円+税

19世紀後半から20世紀前半にかけ、黒田清輝や藤田嗣治など多くの日本人美術家がパリを訪れた。彼らの活動の記録から、当時の美術界の動向や異国の地での葛藤を明らかにする。

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目次

プロローグ 「芸術の都」パリへ
Ⅰ 世紀末のパリ、東京美術学校西洋画科、パリ万国博覧会
 1 洋画の曙――黒田清輝と久米桂一郎
 2 ラファエル・コラン――印象派の陰に隠れた外光派
 3 天真道場から東京美術学校西洋画科・白馬会へ
 4 日清戦争後の帝国意識と、美術に要請された競争力
 5 一九〇〇年パリ万国博覧会が開幕する
 6 鏡としてのナショナル・ギャラリー――和田英作の「素人」意識
 7 高村光太郎「根付の国」と、欧米の日本美術
 8 オテル・スフローのパンテオン会、グレの巴会
 9 カンパーニュ・プルミエール街、マダム・ルロワの下宿
 10 模写で行う名画展覧会、裏返される裸体画
 11 ルノワールと山下新太郎、ロダンと荻原守衛
 12 イタリアの教会芸術、イギリスの水彩画
Ⅱ ポスト・インプレッショニスムと第一次世界大戦
 1 パリの白樺派と、幻に終わったロダン展覧会
 2 ルノワールとポスト・インプレッショニスム
 3 マティス、セザンヌ、ゴッホ、モネと、アヴァンギャルドの擡頭
 4 アカデミーからアトリエへ――満谷国四郎と安井曾太郎
 5 クローズリー・デ・リラ、シテ・ファルギエール、テアトル街
 6 ルーヴル美術館の採光、カモンド・コレクションの開場式
 7 ブルターニュで追体験するゴーギャン、ヴェトイユで想起するモネ
 8 ヨーロッパの美術館――イタリア、イギリス、スペイン
 9 東京の美術館建設問題と裸体画問題
 10 第一次世界大戦勃発とパリからの避難者
 11 戦時ヨーロッパからの通信――黒田重太郎・長谷川昇・寺崎武男
 12 リヨンで模写した青山熊治、赤十字に志願した川島理一郎
Ⅲ 「黄金の二〇年代」と日本人のコレクション
 1 第一次世界大戦後のパリと、日本人美術家数の増加
 2 公文書が語る美術家数の変化、クラマールの中山巍と小島善太郎
 3 サロン・ドートンヌで日本部が開設される
 4 カモンド・コレクションの印象派、ペルラン・コレクションのセザンヌ
 5 模写で探る画家の秘密、模写が可能にした展覧会
 6 オテル・ドルーオの競売、松方幸次郎のコレクション
 7 児島虎次郎が蒐集した大原美術館の収蔵品
 8 遠ざかる印象派と、晩年のモネを訪ねた正宗得三郎・黒田清
 9 フォービズムの波と、マティスの深い色彩
 10 佐伯祐三、愛娘と共にフランスに死す
 11 石黒敬七が日本語新聞を創刊する――『巴里週報』『巴里新報』Ⅰ
Ⅳ エコール・ド・パリ、モンパルナスの狂騒、日本人社会
 1 エコール・ド・パリと、その周縁の美術家たち
 2 モンマルトルからモンパルナスへ――「芸術の都」の中心地
 3 単独者への道――パリの美術家・美術学生七万人の中で
 4 ルーヴル美術館が藤田嗣治の作品を所蔵する
 5 日本人美術家数の増加と、日本人同士の交流
 6 在巴日本美術家展覧会――『巴里週報』『巴里週報』Ⅱ
 7 ツーリズムの季節と、日本イメージ――『巴里週報』『巴里新報』Ⅲ
 8 福島コレクションのピカソ、ドラン、マティス
 9 内紛と分裂――巴里日本美術協会(福島派)と仏蘭西日本美術家協会(薩摩派)
 10 ブルターニュの長谷川路可、プロヴァンスの林倭衛
 11 ヴェネツィアとフィレンツェ――中世のルネサンス美術
Ⅴ 世界恐慌から一九三〇年代へ
 1 恐慌前夜――好景気と   絵画価格の高騰
 2 ロマン・ロランの胸像を制作した高田博厚、ドランと画架を並べた佐分真
 3 システィーナ礼拝堂で大の字になった佐伯祐三、列車に乗り遅れた岡田三郎助
 4 モンパルナスから日本人美術家の姿が消えた
 5 異郷の日本人の光と闇――貧困と客死
 6 ローマとベルリンの日本美術展覧会――横山大観・速水御舟・平福百穂
 7 パリの日本現代版画展――ジャポニスム脱却の試み
 8 ルオーがパリの福島繁太郎宅で、自作に筆を入れる
 9 フランスの個人コレクション、日本の個人コレクション
 10 美術館問題、西洋近代絵画展覧会、模写の活用
 11 日本の美術界の衝撃――エポック・メーキングな福島コレクション展
 12 シュールレアリスム、巴里・東京新興美術同盟、巴里新興美術展覧会
Ⅵ 戦争の跫音とパリ脱出
 1 スペイン内戦、ドイツ軍の無差別爆撃、ピカソの「ゲルニカ」
 2 武者小路実篤の絵行脚、伊原宇三郎のゴッホ所縁のイーゼル
 3 欧州旅行の発着点ナポリ、有島生馬が見た日伊文化交流
 4 一九三〇年代末の巴里日本美術家展覧会と長期滞在者
 5 ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリア
 6 第二次世界大戦勃発と、ルーヴル美術館の美術品避難
 7 パリ陥落と日本人の脱出、パリに留まった日本人
エピローグ 二〇一二年のパリから
パリ在留日本人数と日本人美術家等数(1907~1940年)
関連年表
主要参考文献
人名索引

Ⅰ 世紀末のパリ、東京美術学校西洋画科、パリ万国博覧会」中に「7 高村光太郎「根付の国」と、欧米の日本美術」という項がある他、随所で光太郎に言及されています。

また、光太郎と同時期に留学していた面々や、日本で光太郎と交流の深かった美術家たちにも触れられています。

パリというトポスにおける編年体的な俯瞰の方法で、流れがつかめますし、流れの中での光太郎の位置づけという意味では、眼からウロコの部分もありました。一人の作家を「点」で捉えるのではなく、その作家を含む「線」を意識することの重要さを改めて感じています。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

さて僕がLondonからParisに来て既に半年はたつた。仏蘭西といふ国の真価が外見よりも遙かに大なのににも驚いたし、一般の国民が他国に比して確かに一歩進んだ地盤に立つて居るのにも感心した。仏蘭西に斯かる文芸の出来るのも不思議は更に無い。よく人が仏蘭西の美術も漸く衰へて、此から遠からず世界の美術の中心が亜米利加の方へ移るだらうなどゝいふが、其の言の誤つて居るのは来てみると直ぐに解る。仏蘭西の美術は漸く衰へる所では無い。此れから益々発展しやうとして居るのだ。


明治42年(1909)1月(推定) 水野葉舟書簡より 光太郎27歳

光太郎のフランス、パリへの認識がよく表されています。

昨日は茨城県県央部に行っておりました。

そもそもは、草花好きで御朱印マニアの妻が「水戸偕楽園の梅が見たい」「近くの常盤神社さんの御朱印が欲しい」と言い出したためでしたが、「そういえば笠間で波山展をまだやってたっけな」と思い、「じゃあ行くか」、でした。

「笠間」は茨城県陶芸美術館さん。「波山展」は、「生誕150年記念 板谷波山の陶芸」展。昨秋、六本木の泉屋博古館東京館さんでの巡回を拝見したのですが、光雲・光太郎の彫刻も出ていますし、もう一度見ておくか、と思った次第です。

道々、カーナビのテレビでNHK Eテレさんの「日曜美術館」を拝見。たまたまですが、昨日の放映は「完璧なやきものを求めて 板谷波山の挑戦」。妻に予習をさせました(笑)。ちらっと光雲にも触れて下さっていました。再放送が2月19日(日)、20時からです。ご覧下さい。
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さて、まずは妻のリクエストに応え、水戸の偕楽園さんに。水戸藩ゆかりの庭園で、梅園が有名です。事前にネットで調べていったところ「三分咲き」ということでしたが、品種によっては満開に近いものも。
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ただ、全体としては、まだ蕾を固く閉じているものが多く、これが全部満開になったらものすごいだろうな、という感じでした。そうなると人でも倍増でしょうし、その意味ではよかったかもしれません。

隣接する常盤神社さん、さらにそう遠くないところにある常陸国三の宮の吉田神社さんをまわって御朱印をゲットし、笠間市へ。
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サブタイトルが「帝室のマエストロによる至高のわざ」。以前の巡回先でのそれと異なっていましたが、出品作はほぼ同一、光雲の「瓜生岩子像」、「三猿置物」、光太郎の「手」もちゃんと出ていました。また、それらが東京展の際より近い距離で見られ、ラッキーでした。
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そして何より、波山作品の数々。以前にも書きましたが、焼き物そのものにはあまり興味はないものの、波山作品、特に波山独特の葆光(ほこう)彩磁は別物で、いつまでも見ていられます。

こちらの会期は2月26日(日)までで、これで昨年から続いていた巡回はすべて終了です。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨夜学校にゆきたる処、先週製作中の試験にて特待生となりたる事を知り候へば、一寸書き入れ候。此は「スカラアシツプ」と申すものにて、明年度の一年間は無月謝にて入校を許すもの、日本の特待生と畧同一に候。但し米国の此学校にては、此特待生、二等賞にて、一等賞は現金七十五弗を与へる規則に候。一等賞は小生の友達が取り、小生は二等賞にて特待生を取つた訳に候。 どうも、眼色毛色のちがつた外国人が突然入学して、一年間位にては、一等を取る事はむづかしき様に候。併し公平の不公平のといふ事は、馬鹿々々しき言ひ草なれば、何うでもよろしく候。但し七十五弗取れたら、早速船賃が出来たものをと思はれ候、特待生では、来年紐育に居らぬ身には、何にもならず。

明治40年(1907)4月(推定) 東京美術学校校友会宛書簡より
光太郎25歳

「学校」は、「アート・ステューデント・リーグ」。一等賞が取れなかったことを、自分の技倆不足ではないと確信しているあたり、ものすごい自信ですね。

イベント等が少なくネタ不足の状態ですので、昨日から、逆にネタが多すぎて書く余裕が無かった昨秋のレポートをまとめています。

今日は昨年11月10日(木)、中央区日本橋の三越さん本店内にある三越劇場さんで、一色采子さん、松村雄基さん主演の「朗読劇 智恵子抄」を拝見した前後。周辺の光太郎・光雲ゆかりの場所についてです。

千葉の田舎にある自宅兼事務所から都心までは、高速バスで行くことが多いのですが、本数も限られていますし、時折、高速道路の渋滞に巻き込まれ、遅延が生じます。そこで余裕を持って出て、早く着いたら着いたで目的地周辺で時間を潰すというのが習い性となっています。

この日はまず、小網町方面へ。八重洲地下街のバスターミナルからてくてく歩き、10分少々。日本橋川にかかる鎧橋に到達。
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橋のすぐ近く、現在の小網町安田ビルさんのある場所が、かつて「メイゾン鴻乃巣」というカフェでした。光太郎も主要メンバーだった芸術至上主義運動「パンの会」の集いがたびたび開かれた店です。ただ、「パンの会」は広く招待状を発送し、大々的に行う「大会」と、中心メンバーのみが集う「例会」があり、こちらでは「大会」はなかったようです。
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ビルの前に説明板。光太郎の名も記されています。
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以前にもこの場所を訪れたことがありましたが、やはり感慨深いものがあります。

ちなみに智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』のメンバーだった尾竹紅吉は、ここでカクテル「五色の酒」をあおり、それを『青鞜』誌上にレポートしたところ、「女だてらに!」と、今で言う「炎上」状態。そういう時代でした。

近くには、都心にもかかわらず、空襲の被害を免れたと思われる建物もちらほら。
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その後、三越本店さんへ。三越さんも関東大震災後の昭和2年(1927)建築の部分が残っており、現役の百貨店でありながら重要文化財に認定されています。以前にも書きましたが、当方、学生時代の4年間、三越さんで配送のアルバイトをしていましたので、親しみを感じます。

「朗読劇 智恵子抄」開演までまだ時間がありましたので、屋上へ。こちらには喫煙コーナーがあるので、煙草吸いには貴重なスポットです(笑)。

どうも知る人ぞ知る、のようですが、屋上には庭園も。
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そしてその一角に、三井家ゆかりの三囲(みめぐり)神社さん。
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通常、非公開でこの日も見ることは叶いませんでしたが、光雲作の「活動大黒天」が安置されています。
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戦時中に建立された石碑には光雲の名が。
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「活動大黒天」、いつかはこの目で見たいものです。

この後、館内の三越劇場さんで「朗読劇 智恵子抄」を拝見しました。その際のレポートがこちら

帰りがけ、中央ホールも廻りました。こちらには佐藤玄々作の木彫「天女(まごころ)像」。佐藤は光雲の高弟・山崎朝雲に師事していましたので光雲の孫弟子にあたり、光太郎とも交流がありましたが、師の元を離れ、「朝山」の号を「玄々」と改めました。
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毀誉褒貶いろいろある像ですが、ど迫力、という意味では他の追随を許さないと思います。

というわけで、都心での光太郎・光雲ゆかりの地廻り。皆様もお時間のあるときにぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

I am sorry i cannot write you in full pages; but you may write me in the same way again; it is as you said, very good idea for studying English. Now, I hope you will be strong, energetic, faithful and noble every day, Your Brother Mitsutaro.


明治39年(1906)12月24日 高村豊周宛書簡より 光太郎24歳

留学先のニューヨークから、実弟にして当時旧制中学校生だった豊周にあてた書簡から。

英語のよい勉強になるから、お互いに英文で手紙をやりとりしようというわけで、いい兄貴ですね。「 I hope you will be strong, energetic, faithful and noble」、自分自身に言い聞かせているようにも感じられます。














どうもこの時期は関連するイベント等が少なく、ネタ不足です。まぁ10年以上このブログを続けていますと、この時期そうなることはわかっていますので、そうなった場合に備えてストックしておいたネタを、今日明日で使います。

今日は光太郎の父・光雲ゆかりの千葉県市川市の中山法華経寺さんを訪れたレポート。訪れたのは昨年10月、同じ市川市の市川市文学ミュージアムさんで開催されていた「月に吠えらんねえ展<ようこそ!おもひ まぼろし ことだまの街へ>」を拝観した後でした。その季節は逆に紹介すべきネタが多すぎて、特に速報性の必要ないネタはネタ不足になった際に使おうと、ストックしていたわけです。

こちらには、光雲原型の日蓮上人銅像が平成25年(2013)に奉納されており、そちらを拝見しようと伺いました。ちなみに同型の像は鎌倉の長勝寺さん、石川県の実相寺さんにも納められていまして、探せばさらに他にもありそうです。

中山法華経寺さんには自家用車で参りまして、駐車場は境内裏手でした。三門(山門)脇に目指す日蓮上人像が見えたのですが、それを横目に通り過ぎ、駐車場へ。裏から参拝するというのも何ですが、仕方がありません。

「中山」といえば「中山競馬場」。指呼の距離なので、このあたり一帯、もっとごみごみしているのかなと想像していたのですが、あにはからんや静謐な一角でした。
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国指定重要文化財の五重塔などを見つつ、広い境内を進みました。

本堂にあたる祖師堂は改修工事中でした。
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境内に茶店などが軒を連ねており、いずれかのお店で飼われているのでしょうか、丸々としたにゃんこ(笑)。
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やけに友好的でしたので、なでてあげました(笑)。

さて、裏から三門をくぐり、改めて正面から撮影。大正15年(1926)の建築だそうで、それほど古いわけではありませんが実に立派です。
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そのかたわらに、目指す日蓮上人像。なかなかの迫力です。
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台座正面のプレートには「光雲原作」の文字。「高村」の文字が無いのが何だかなぁという感じでした。裏手の碑陰記的なプレートにも「高村」の文字は入っていません。そのあたり、権利関係などどうなっているのかなと思いました。

再び三門をくぐり、祖師堂に参拝して帰りました。

銅像フェチの方、古刹マニアの方、光雲ファンの方、日蓮信奉者の方、その他、ぜひ足をお運び下さい。

明日は、急ぎ紹介すべき事項がなければ、都内中央区日本橋付近のレポートを。

【折々のことば・光太郎】

君は「ホームシツク」を起しちやいけないと言ふけれど、いけないと言つても起つて来れば仕方がないが人間の弱みですよ。何ぼ僕でもメソメソしてゐるのでは無いが、時々シンから底からぼんやりして、何事も思はず、時間と空間とを忘れて、東京にゐて僕の家にゐて、親や兄弟の声の聞える自分の室にゐて、君なんかと話をしたり、油土をいぢつたりした事を、想ひ出すのではない、其の時になつて仕舞ふ事があります。恁ういふ時が又何とも言はれない程楽しいので、言はば眼の覚めてゐる夢ですね、確に父や母の声が聞えますし、面影が眼に浮んで来て、丁度其時の衣服の縞柄、色工合まで間違つてゐないと思はれる。こんな心の状態は僕は今まで知らなかつた。


明治39年(1906) 月日不明 水野葉舟宛書簡より 光太郎24歳

留学先のニューヨークから、日本にいた親友の水野葉舟に送った書簡の一節です。明治末期には既に「ホームシック」という言葉、概念があったのですね。

昨年10月末、『日刊スポーツ』さんに載った記事です。光太郎の父・光雲に言及されています。「何だかなぁ……」という内容ですので、これまで紹介してこなかったのですが、このところネタ不足なもので……。

「政治家と銅像」 森元首相、菅前首相の建立計画に微妙な違和感…なぜ?

 この秋、森喜朗元首相(85)と菅義偉前首相(73)の銅像の建立計画が相次いで明らかになりました。森氏は「スポーツ界における偉大な功績を顕彰しよう」と政財界、スポーツ界の15人が発起人となって募金活動が行われ、菅氏は600件、2100万円の寄付が集まり、胸像と台座は完成。来春、除幕式が行われる予定です。2人が健在のためでしょうか。銅像となることに微妙に違和感があります。政治家と銅像について考えてみました。

 東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件が拡大し、組織委員会会長だった森氏も参考人として任意の聴取を受ける事態となっているためか、森氏の胸像建立計画の詳細は明かされていません。一口5000円の募金活動は5月にスタートし、案内状は「先生が残された多くの功績、そのお教えは、スポーツ界のみにとどまりません。多くの方々から尊敬され慕われている先生の顕彰事業を行うため」とうたっています。

 菅氏の銅像は、郷里の秋田県湯沢市の有志が進め、既に高さ1・2メートルの胸像、同じく1・2メートルの台座が完成しています。湯沢高校の同級生で事務局長を務める伊藤陽悦さん(元市議会議長)は「普通は実物の1・2〜1・3倍くらいの大きさにするそうですが、小柄な方(165センチ)なので1・5倍にしました」と、大きな胸像にした理由を明かします。この秋に台座を設置し、胸像は来年4月に菅氏を招いて行う除幕式でお披露目となる予定です。「胸像だけで800万円。台座と整地費用など合わせ、1500万円です」と伊藤さんは打ち明けます。

 銅像は、その功績をたたえ、後世に伝えるため、建立されます。失言は数知れず、組織委員会会長もその発言により辞任した森氏と、わずか1年で退陣に追い込まれた菅氏。違和感を覚えるのは、2人が健在で、記憶がまだ生々しいからでしょうか。「銅像には、死後、つくられる遺像と、生前につくられる寿像があります。顕彰を目的とした銅像の建立が行われるようになった明治時代から寿像はつくられており、別におかしくはありません」と話すのは「銅像時代 もうひとつの日本彫刻史」の著者・木下直之静岡県立美術館館長(東大名誉教授=日本美術史)です。

 伊藤博文、大隈重信、板垣退助ら寿像は多く、板垣は夫妻で除幕式に参列しています。近年でも田中角栄元首相、渡辺美智雄元蔵相、原健三郎元衆院議長らの銅像は寿像です。政治家に限らず、渋谷の忠犬ハチ公像も初代は寿像で、ハチは除幕式に参列しました。
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 では、もやもやとした違和感の正体は何なのでしょうか。全国の個人顕彰銅像のデータベース化を目指している「日本の銅像探偵団」の遠藤寛之団長によると、政治家の銅像は少なくなっているそうです。歴代首相では1980年代までの首相は中曽根康弘氏を除き、就任早々の女性スキャンダルで参院選に大敗し、69日で退陣した宇野宗佑氏を含めて銅像になっています。しかし、90年代以降は在職中に病に倒れ、宿願の沖縄サミットを前に死去した小渕恵三氏だけです。
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 国会議員は在職が50年を超えると、特別表彰され、引退時または死亡時に名誉議員の称号が贈られ、国会内に胸像が設置されるのが慣例とされてきました。88年に死去した三木武夫氏の胸像は慣例通り90年に衆院正面玄関ホールに建てられましたが、その後、有資格者となった桜内義雄氏(00年引退、03年死去)原健三郎氏(00年引退、04年死去)中曽根康弘氏(03年引退、19年死去)の胸像はつくられていません。衆院事務局は「機運があれば、議院運営委員会で協議することになるが、今のところ、ありません」と話します。国会改革の一環として2000万円かかるとされる胸像の制作には異論が出るようになり、与野党合意が得られなくなったためです。
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 個人顕彰の銅像の減少と、日本経済の「失われた20年」は重なっているようです。「バブル期までは寿像を自分の会社の中に建てる社長がいましたが、少なくなりました。銅像制作会社から個人の銅像の受注は減っていると聞いています。増えているのは町おこしのキャラクター銅像で、個人顕彰から町おこしにシフトしている。偉人像でも握手ができる坂本龍馬とか、町おこしにつながるつくりが多くなっています」(遠藤団長)。

 木下館長は「昔と一番違うのは場所です。昔は駅前や公園に建てることが許されましたが、今は公有地、公的な空間に建てることに批判が起こる。政治家の評価の問題も絡み、一番難しい問題です。アニメや漫画のキャラクターは、公共空間の中に立って、まだ多くの国民に共有されますが、個人の銅像は居場所がなくなっている。銅像は除幕式のときに一番光が当たり、後は基本的に放置される存在です。そんな物を建てる必要性はどんどん小さくなっている。今どき個人を顕彰するのに、銅像という形を取ることはひどく時代遅れで、銅像の時代はもう終わっているんじゃないかと思います」と話します。

 菅氏の胸像は当初、湯沢駅前の公園に設置する計画でしたが、「公的な場所は難しい」(伊藤さん)として、公園に隣接する私有地16平方メートルを購入しました。森氏の胸像はどこに建立されるか明かされていませんが、うわさに上る新秩父宮ラグビー場など公的な空間の場合、反対の声が広がりそうです。

◆中最も身近な銅像といえば、二宮金次郎です。二宮尊徳を祭る報徳二宮神社によると、金次郎像は今、少子化による小学校の統廃合で、再びピンチを迎えているそうです。勉強熱心で、手伝いをいとわない金次郎は小学生が目指すべき人物として、1924年(大13)から小学校に建つようになりました。しかし、戦争で供出され、残ったのは2体だけ(報徳二宮神社と明星学苑)という悲しい歴史があります。わが母校も来年4月、統合されます。電話したところ、「経年劣化しており、撤去することになりました」と言っていました。
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■伊藤博文、台座だけの像も
 首相経験者ではトップの伊藤博文(10体)には、ほかに台座だけが残る受難の像もあります。1904年(明37)、神戸・湊川神社に建立された銅像で、05年、日露戦争で日本が勝ったにもかかわらず、講和条約で賠償金が得られないことが判明すると、民衆の不満が爆発。「女遊びが好きな伊藤には(遊郭がある)福原がふさわしい」と、像を引き倒し、福原まで引きずり回して小便をかけるという事件が起こりました。伊藤は「神戸には2度と行かない」と激怒したといいます。09年に伊藤が暗殺されると、同情の声が高まり、11年に神戸・大倉山公園に再建されました。しかし、戦争で物資が窮乏した43年、金属供出で銅像は姿を消しました。9・15メートル四方、高さ5・7メートルの巨大な台座だけが残っています。
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■1位は坂本龍馬
 「日本の銅像探偵団」の調べでは、二宮金次郎、空海、日蓮の銅像は集計し切れないほど多く、全国に1000体以上あると推定されています。このため、探偵団では、この3人は「殿堂入り」とし、「銅像建立数ランキング」の1位は銅像33体、FRP(繊維強化プラスチック)像9体、計42体の坂本龍馬としています。2位の松尾芭蕉は銅像37体、FRP像1体で、銅像に限定すると、芭蕉が上回ります。龍馬は2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送前後に制作されたFRP像が多く、芭蕉を超えました。探偵団では高知・桂浜の龍馬像、仙台城跡の伊達政宗像、東京・上野の西郷隆盛像、東京・渋谷のハチ公像、札幌・羊ケ丘のクラーク像を「日本5大銅像」(銅像ファイブ)と名付けています。
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■「サザエさん」「こち亀」は富山・高岡製
 銅像はかつて高村光雲、朝倉文夫、北村西望ら近代日本を代表する彫刻家も手掛けましたが、現在はほとんど銅像会社の制作です。特に富山県高岡市が盛んで、9割は高岡製といわれています。菅氏の胸像も高岡で創業したメーカーの制作です。高岡は前田利長が1609年(慶長14)に鋳物師を移住させて以降、鋳造が盛んで、明治時代に入ると、銅像制作が始まりました。屋外銅像第1号の金沢・兼六園の日本武尊像(1880年建立)も高岡製です。鳥取県境港市の水木しげるロード、東京・桜新町のサザエさん一家、亀有の「こち亀」ファミリー、四つ木の「キャプテン翼」、鳥取県北栄町のコナン通り、新潟市の水島新司まんがストリート、熊本県の「ワンピース」麦わらの一味など、高岡生まれです。
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詩人の皆さんには申し訳ありませんが、「ポエム」という語が「脳内お花畑」とほぼ同義に使われるようになってしまったのと同様に、「銅像」という存在が「ヒヒオヤジの自己顕示欲、ないしは取り巻きのゴマスリの象徴」という意味に近くなってしまっているようで、嘆かわしい限りです。

かつては光太郎や光雲、海外ではロダンなどが、造形的にも優れたあまたの像を制作したのも、「今は昔」という感がありますね。現代でもまだ芸術的良心、対象へのリスペクトのこもったすばらしい銅像も無くはないのですが……。

【折々のことば・光太郎】

亜米利加といふ国は一大怪物なりとか申候へど、美術上より考へても一の大きな?に候。この蕨の手が広がつたらどうなる事やら。


明治39年(1906)7月9日 川崎安宛(推定)書簡より 光太郎24歳

アンディ・ウォーホルら、いわゆるアメリカンアートの旗手が世界を席巻するのは半世紀以上後。当時のアメリカはまだまだ芸術的には後進国でした。それでも旧態依然の日本よりはだいぶ進んでいたようですが。官費留学でないものの常として、まずアメリカで経済的にめどを付けてから欧州へ、というのがお決まりのコースで、光太郎もそれに倣いましたが、次第にアメリカにいる意味に疑問を感じてきたようです。

一昨日の『福島民報』さんから。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使って下さいました。

心地よい光探る 光の在り方の研究拠点完成 福島県二本松市 照明デザイナー東海林さん建設

 福島県二本松市の安達太良高原に、人の心を優しく包む光の在り方を研究する拠点が完成した。福島市出身の照明デザイナー・東海林弘靖さん(64)=東京都=が自然の光を存分に取り入れられる景観にほれ込んで建てた。太陽や月、星が照らし出す自然の移り変わりを体感し、データ化して分析する。2025年の大阪・関西万博の照明デザインを手がける東海林さん。古里の「ほんとの空」から本当に心地よい光を見つけ出し、世界に伝える。
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安達太良高原に完成した光の観測拠点と東海林さん

 新型コロナウイルス感染拡大の影響でリモートワークを進めていた2020(令和2)年、母が暮らしている県内に仕事の拠点を作ろうと考えた。子どものころに福島市でホタルを追った記憶、ほの暗いかやぶき建築の風景などを胸に、「空」をキーワードに適地を探した。伸びやかな空が広がり、自然光にあふれる安達太良高原に決めた。魅力的な温泉にも引かれた。
 完成した施設は鉄筋コンクリート造りの高床式平屋で延べ床面積は37平方㍍。二本松市岳東町の標高585㍍の地点にある。縦2・4㍍、横3・2㍍の大きなガラス窓からは安達太良の山並みが一幅の絵画のように見える。室内の浴槽には月の光を映すことができ、まきストーブを置いて炎のゆらぎも人の心に響く光として捉える。
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安達太良高原の自然光の移り変わりを体感できる室内

 外壁の東西南北と空の計5方向に向けて照度の計測装置を取り付けた。明るさの推移を自動で記録する仕組みだ。さらに小型カメラのライブ映像をオンラインで確認できる。人の心や身体に癒やしや勇気を与える光について、感覚だけでなく、こうしたデータを積み上げながら科学的にも研究する。
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観測拠点付近から見た安達太良山。早朝、昇る太陽に赤く照らされる

 東海林さんは福島高、工学院大工学部卒、同大学院修了。2000(平成12)年に都内に照明デザイン会社LIGHTDESIGNを設立し、社長を務める。大阪・関西万博では会場デザインプロデューサー補佐・照明デザインディレクターを担う。
 新たな拠点には各分野の専門家や幅広い友人らを招き、社員らとともに創造的な討論の場としても活用する。「人にとって心地よい明かりを古里の空で考えていく。この素晴らしい景観の中に身を置くことで、さまざまな気付きを得たい」と語った。
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観測拠点付近から望む昼の安達太良山。雪の山並みの上に真っ青な冬空が広がる

照明デザインという概念、近年、注目度が増していますね。「人の心に響く光」「人の心や身体に癒やしや勇気を与える光」、いいですね。

【折々のことば・光太郎】

黒檜大沼の山水をおもへば身の都門にあるを忘れ果て候


明治38年(1905)7月13日 猪谷千代宛書簡より 光太郎23歳

猪谷千代は、光太郎がたびたび訪れた上州赤城山の猪谷旅館の女将。その弟がスキー選手・猪谷六合雄で、さらに六合雄の子息が日本人初の冬季五輪メダリスト・猪谷千春氏です。

「黒檜」は赤城山系の最高峰、「大沼」は「沼」というより「湖」、カルデラ湖です。このほとりに猪谷旅館がありました。
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光太郎は、『明星』の面々(与謝野鉄幹、水野葉舟、伊上凡骨ら)、後には当会の祖・草野心平や彫刻家の高田博厚などを案内して訪れています。

智恵子にとってのソウルマウンテンが安達太良山だったのに対し、赤城山が光太郎のソウルマウンテンだったのでしょう。

1月ももう終わりですが、今年のカレンダーを新たにゲットしました。

We Love Towada 2023 卓上カレンダー

青森県十和田市の春夏秋冬をイラスト化したWe Love Towada カレンダー2023卓上カレンダーです。

こちらのカレンダーは、ハガキサイズの月めくり卓上タイプで、青森県十和田市出身のデザイナー藤森加奈江さんがデザインしたものです。

お買い求めは、道の駅とわだや十和田市内各所、とわこみゅオンラインショップでご購入できます。

価格 ¥1,100円 (税込)
※オンラインで購入の場合は、別途送料300円加算されます。

販売場所
・とわこみゅオンラインショップ (販売中) → 購入ページはこちら
・道の駅とわだ (1月上旬から予定)
・十和田市観光物産センター(1月上旬から予定)
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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」がデザインされています。

まず表紙的な1枚。下部中央やや右の位置に。
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1月も小さく右の方に。
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2月は像のシルエットが大きく。
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7月は像がメインです。
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4回も使っていただき、ありがたし。

他に、奥入瀬渓流、北里大学さん、官庁街通りなどの風景や、イベントとしての桜流鏑馬、夏の花火大会などがあしらわれています。

オンラインでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

何卒御養生十分被遊たく存上候 東山の翠微鴨川の清流朝夕の御薬と存じまゐらせ候

明治30年(1897)頃8月9日 高村光雲宛書簡より 光太郎15歳頃

この項、今日より書簡から抜粋します。

現在確認できている3,500通余りの光太郎書簡のうち、最も古いと推定されるものから。封筒が欠けているのですが、京都に出張中の父・光雲に宛てたものです。光雲、どうも出張先で体調を崩したらしく、それを気遣う文面となっています。光太郎、この頃はまだ孝行息子でした。

昨夕気がつきまして、昨日までの会期でした。残念です。ただ、「WEB開催」という形で続いてはいますのでご紹介します。

ZOKEI展 東京造形大学卒業研究・卒業制作展/ 東京造形大学大学院修士論文・修士制作展

期 日 : 2023年1月20日(金)~1月22日(日)
会 場 : 東京造形大学 東京都八王子市宇津貫町1556
時 間 : 10:00~17:00
料 金 : 無料

WEB開催 : 2023年1月22日(日)~3月31日(金)


ZOKEI展は、当該年度に本学を卒業予定の学部4年生、並びに修了予定の大学院修士課程2年生が、本学での教育研究の集大成として卒業研究・制作/修士論文・制作を一堂に出展・展示する展覧会であり、本学キャンパスにて作品をご観覧いただけます。

また、WEB展示は3月31日まで開設しています。「会場で見た作品をもう一度見たい」という方も、「WEB展示でじっくり見たい」という方も、期間中何度もお楽しみ頂けます。ぜひご高覧ください。
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デザイン学科グラフィックデザイン専攻領域の長田ひかり氏の作品が、「智恵子抄」オマージュの「白い病室」。
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高村光太郎が、妻 智恵子への思いを綴った数々の詩 智恵子の死の床である病室にはこれまで綴った高村の詩が 2人の人生のように編まれ、絡まり、繋がり、囲んでいただろう」だそうで。

インスタレーションの空間そのものが、智恵子終焉の地・南品川ゼームス坂病院の一室をイメージしているようです。そこに材質がよく分からないのですが、パーテーション用の有孔ボードでしょうか、おそらく黒っぽい糸で「智恵子抄」収録詩篇のいくつか(画像にあるのは「冬の朝のめざめ」「人に」)が刺繍のように表されているようです。ところどころに赤い糸、それが文字から文字へと繋がっているのが見て取れます。

福島二本松の智恵子生家も会場になった「重陽の芸術祭2017」で、生家二階の智恵子居室などに展示された清河あさみ氏の作品「わたしたちのおはなし」を彷彿とさせられました。

昨年の「VOCA展2022 現代美術の展望-新しい平面の作家たち-」で佳作賞を受賞なさった谷澤紗和子氏の「はいけい ちえこ さま」などもそうですが、現代アートの皆さん、意外と光太郎智恵子の世界観からのインスパイアが多いようです。明治大正期、時代を突き抜けてとんがっていた光太郎智恵子だけに、現代アートの方々もシンパシーを感じるのでしょうか。そこにリスペクトの精神さえあれば、ありがたいかぎりです。

しかし、ぜひ現物を拝見したかったものです。この展示が為されていると知っていれば、大船での高田博厚展の帰りに八王子を廻ったのですが……。

上記リンクからWEBでご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

尾崎喜八夫妻くる、アイス等、 よし田女将くる、春山菜 谷口、藤島両氏くる〈み津枝さんくる〉

昭和31年(1956)3月26日の日記より 光太郎74歳

危篤状態に陥り、一週間記載されなかった日記が復活しました。おそらく日記の中断中からでしょうが、光太郎危篤の報を受け、この後も親族や旧知の面々が続々と見舞いに訪れます。

昨日は鎌倉市大船の鎌倉芸術館さんで、「没後35年 高田博厚展」を拝見して参りました。
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夭折した碌山荻原守衛を除き、戦前に光太郎が親しく交わった唯一の彫刻家である高田。晩年に鎌倉の稲村ヶ崎にアトリエを構えていた縁での開催です。

会場に入る前に、既に高田作品。おそらくこちらに常設展示されているものでしょう。
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受付で出品目録を頂きました。
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思っていたより展示点数が多いので、驚きました。

まずは肖像彫刻群。
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武者小路実篤、萩原朔太郎など、光太郎とも交流のあった面々の姿も。

続いて、高田の代名詞ともなっているトルソの数々。
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ともに360°から鑑賞可能。

光太郎胸像は別室で、こちらはガラスケース入りでした。
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昭和35年(1960)の連翹忌で披露されたもので、同型のものは全国に存在します。キャプションに誤字が多いのが残念でしたが……。

何と、高田旧蔵の光太郎ブロンズ作品も展示されていました。大正15年(1926)作の「大倉喜八郎の首」。元々、光雲に木彫による肖像制作の依頼があり、その原型として光太郎が塑造を作ってテラコッタにしたものから、光太郎歿後に実弟の豊周が鋳造し、親しかった人々に配付されたものです。こちらも同型のものが多数存在します。
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その他、高田の素描、ロダンなどの高田旧蔵品、光太郎も写った写真パネルなども。
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なかなか充実した展示でした。

昨夜、NHKさんの首都圏ニュースで開幕が報じられました。

彫刻家 高田博厚 没後35年記念し展示会 鎌倉

 日本とフランスを拠点に創作活動を行った彫刻家、高田博厚の没後35年を記念した展示会が、晩年を過ごした神奈川県鎌倉市で開かれています。
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 高田博厚は日本とフランスを拠点に創作活動を行った彫刻家で、昭和62年に亡くなるまでのおよそ20年間を鎌倉市で過ごしました。
 鎌倉市の鎌倉芸術館では、高田博厚の没後35年を記念した展示会が開かれ、市に寄贈された肖像や胴体の彫刻作品など、およそ80点が展示されています。
 このうち、代表作の「カテドラル」は、戦争の砲弾で傷ついたフランスの大聖堂を女性の胴体として表現した、高さおよそ55センチの彫刻作品です。
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 また、肖像彫刻には、交友のあったフランスの小説家、ロマン・ロランや、詩人で彫刻家の高村光太郎のブロンズ作品が並び、訪れた人がじっくりと鑑賞していました。
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 訪れた横浜市の70代の男性は、「以前から著作を読んでいた高田さんのすばらしい作品を身近に見ることができてうれしいです。とてもいい時間になりました」と話していました。
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 鎌倉市文化課の竹下歩実さんは、「高田作品を一堂に会して展示していますので、作品のポーズの違いなどさまざまな差異を楽しんでもらいたいです」と話していました。
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 この展示会は、鎌倉芸術館で今月31日まで開かれています。

ちょうど当方が訪れたとき、カメラをセッティングし、撮影のための打ち合わせをなさっているところでした(笑)。

会期があまり長くないのですが、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

はれる、まだ温、風はやむ、 朝ねてゐる時呼吸はやくなる、左右にねると直る、

昭和31年(1956)3月18日の日記より 光太郎74歳

宿痾の肺結核、とうとう呼吸困難の状態を引き起こしました。翌日から3月25日まで、1週間は日記も書けない状態だったようで、記載がありません。

神奈川県鎌倉市から、企画展情報です。

没後35年 高田博厚展

期 日 : 2023年1月21日(土)~1月31日(火)
会 場 : 鎌倉芸術館 神奈川県鎌倉市大船6-1-2
時 間 : 午前10時から午後5時まで
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

 本市ゆかりの彫刻家・高田博厚の没後35年を記念し、高田博厚展を鎌倉芸術館において開催します。高田博厚は、昭和41年に鎌倉市に住居とアトリエを構え、昭和62年に亡くなるまで多くの彫刻作品を創作した彫刻家です。
 本展覧会では、多くの優れた作品を生み出した高田博厚の生涯を、3つの時代(渡仏前、パリ時代、東京・鎌倉時代)に分け、それぞれの時代の作品を展示することで、作品の変遷を辿ります。中でも、生涯を通じて多数制作されたトルソを主に、高田の言葉と共に紹介することで、彼のトルソに対する想いや、個々の作品の細やかな違いを楽しめる他、作風に影響を与えたロダン等、他作家の彫刻作品も展示します。
 ロダン、ブールデル、マイヨールらヨーロッパ近代彫刻家についての研究を通じ、彫刻についての思索を深め、高い精神性が込められた作品を数多く残した、高田博厚の世界をぜひお楽しみください。
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早世した碌山荻原守衛を除き、戦前の光太郎が唯一深い交流を持っていた彫刻家・高田博厚。光太郎の援助もあって昭和6年(1931)に渡仏し、以後、光太郎と直接会うことは叶いませんでしたが、光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に帰国するや、光太郎顕彰活動の一端を担ってもくれました。

帰国後にアトリエを構えていた鎌倉で開催される歿後35年記念展だそうで、光太郎胸像(昭和34年=1959)も展示される予定です。同型のものは各地に存在しますが。
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『毎日新聞』さんの神奈川版に、予告記事が出ていました。光太郎の名も出して下っています。

高田博厚の世界たどる 没後35年展、鎌倉で21日から 胴体彫刻など50点/神奈川

002 晩年を鎌倉市で過ごした彫刻家、高田博厚(1900~1987年)の没後35年展が21日から鎌倉芸術館ギャラリーで開かれる。生涯を通じて多く制作されたトルソ(胴体彫刻)のほか、西田幾多郎、萩原朔太郎らの頭像、デッサンなど約50点が展示される。
 高田は石川県生まれ。幼いころから、語学に優れ、文学や芸術に親しんだ。18歳で上京後、高村光太郎の勧めで彫刻を学び、31歳でフランスに渡った。作家のロマン・ロランや画家のポール・シニャックらと交流。第二次世界大戦中も帰国せず、新聞記者として活動し、パリ外国人記者協会の要職を勤めた。
 展示では、渡仏前▽パリ時代▽東京・鎌倉時代――の3期に分け、作品の変遷をたどる。胴体部分をクローズアップしたトルソを中心に「君は指で思索する」とロマン・ロランに称賛された高田博厚の世界が楽しめる。31日まで。無料。


ロダンやマイヨールの作も並ぶということですし、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后内田文子さん指圧の女性同伴くる、指圧をうける、


昭和31年(1956)2月8日の日記より 光太郎74歳

昭和30年代、40年代、故・浪越徳治郎氏の「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の名言と共に展開された普及活動もあって、指圧は民間療法として流行していました。

しかし、余命2ヶ月となった光太郎には焼け石に水だったようです。

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