カテゴリ: 東北

宮城県から生涯教育系講座の情報です。

現代の詩と詩人

期 日 : 2022年10月8日(土) 11月12日(土) 12月10日(土)
      宮城県仙台市青葉区中央1丁目1-1 仙台ターミナルビル5F(エスパル本館)
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 3カ月3回8,580円(入会金別)
講 師 : 宮城教育大学名誉教授 渡辺善雄氏

茨木のり子は川崎洋と詩誌『櫂』を創刊し、谷川俊太郎、大岡信、吉野弘らと戦後詩の新しい流れを作りました。この講座では茨木のり子を中心に、茨木が『うたの心に生きた人々』(ちくま文庫)や『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)で論じた金子光晴、山之口貘、石垣りん、高村光太郎、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋らを取り上げます。戦争、貧乏、酒、恋愛などに翻弄される詩人たち。その哀歓を詩と逸話によって語ります。
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内容的には7月から9月まで行われていたものが再度開催されるようです。それだけ人気が高かった講座なのでしょう。

詩人・茨木のり子を中心に、茨木が評論等で取り上げた金子光晴山之口貘、石垣りん、与謝野晶子、黒田三郎、川崎洋、そしてわれらが光太郎についても触れて下さるそうです。

ところで、探し方が悪いからなのかもしれませんが、以前はもっとたくさん各地で行われていたこの手のカルチャー講座が少なくなったように感じます。コロナ禍も影響しているのかもしれません。教室閉鎖といった記述も見られますし……。

それだけに貴重な機会です。お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夕方細田明子さん婚約者(医師)と同道くる、五月廿五日披露会によばれる、諾、

昭和29年(1954)4月18日の日記より 光太郎72歳

細田明子さん」は、光太郎が戦前から行きつけにしていた荒川区三河島のトンカツ屋「東方亭」の息女です。光太郎は彼女が幼い頃から娘のようにかわいがり、詩「少女に」(昭和16年=1941)、「女医になった少女」(昭和24年=1949)などの詩のモデルとしました。
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詩の題名通り女医となった明子さん、この年、結婚なさり、光太郎披露宴に招待しました。光太郎、一度は承諾したものの、結局、体調がすぐれず欠席することとし、5月15日には記念帖を進呈しました。
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曰く

心臓をわるくしてゐてお祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎

一昨日のこのブログサイトで、智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館のイベント情報(紙絵の実物公開/生家二階部分の特別公開等)についてご紹介しましたが、追加情報です。

昨日になって、二本松市さんのサイトに以下の告知が出ました。『広報にほんまつ』さんにはその情報が出ていませんでした。

智恵子記念館開館30周年記念事業のご案内 「智恵子“幻”の花嫁衣裳」特別展示

今年度は智恵子記念館開館30周年を迎えるにあたり、高村智恵子ゆかりの品として、初公開となる「智恵子“幻”の花嫁衣裳」を展示いたします。

智恵子が纏うはずであった花嫁衣裳を、夫・高村光太郎が著した「智恵子抄」の詩などと共にご覧ください。

展示期間・時間
 10月27日(木曜日)~11月8日(火曜日)
 午前9時00分から午後4時00分
 ※10月30日(日曜日)は智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール表彰式が実施されるため、午前12時30分から午後4時00分のみ公開となります。
 展示場所 智恵子の生家内
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市のサイトには、現物の画像は出されていません。「是非デザインをご想像の上お越し下さい」だそうで。

当方も現物は見たことがありません。しかし「初公開」とありますが、開館当初の一時期、公開されていたことがあったのではないかと思われます。平成6年(1994)、講談社さん発行の女性誌『SOPHIA』1994年3月号に載った「ソフィア・スペシャル 高村智恵子の結婚の條件〈シリーズ=時代を道づれにした女〉」という16ページある記事に、生家座敷で撮影されたカラーの大きな画像が出ていますし、同10年(1998)に日テレさん系で放映された「知ってるつもり!?」の智恵子の回で同様の映像が使われました。
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まぁ、二本松市さんが「是非デザインをご想像の上お越し下さい」とおっしゃってますので、画像は出しませんが(笑)、実に豪華な作りの目にもあでやかな着物です。他の智恵子愛用品(琴や機織り台、蓄音機など)は寄贈されて常設展示されていますが、この着物は所有権が市に移っていないのか、あるいは市の所蔵にはなっているものの、常設で出すと染色の劣化が進むので通常は展示していないのか、そんなところだろうと思います。画像があまり世に出ていないことを考えると、可能性が高いのは前者の方でしょうか。

ところで、智恵子の結婚話。

以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類では、明治45年(1912)頃、智恵子に二本松の医師・寺田三郎との縁談が持ち上がり、光太郎はそれを受けて詩「人に」(原題「N――女史に」)で「いやなんです あなたのいつてしまふのが――」「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳い、それを読んだ智恵子が、実家に帰ってすったもんだの末に縁談の破棄を認めさせ、光太郎の元に走った(光太郎が滞在していた犬吠埼まで追いかけていった)とされています。

ところが最近、この年には寺田は既に妻帯しており、子まで為していたということが明らかになりました。どうも関係者の記憶違いがあったようです。おそらく、寺田との縁談は確かにあったのでしょうが、もっと前。しかし光太郎が「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳ったのは、間違いなくこの年ですので、他の縁談があったのか、それとももしかすると、煮え切らない光太郎に対して智恵子が「嫁に行く」と嘘をついたのかも知れません。そうだとすると、光太郎、まんまと智恵子の手練手管にはまったわけですね(笑)。しかし、今となっては真相は闇の中です。

というわけで、智恵子生家/智恵子記念館、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

NHKの録音班三人くる、30分第一回分を吹込、これは20日の事、

昭和29年(1954)4月10日の日記より 光太郎72歳

ラジオ連続講座「美の世界」の収録です。2回に分けての放送で、初回が「破壊と美」、第2回が「都市美について」の副題でした。残念ながらこの録音はNHKさんに残っていないようです。

智恵子の故郷・福島二本松市の広報誌『広報にほんまつ』10月号から。

まず、「二本松ふるさと人物史」という連載の第6回の扱いで、智恵子が大きく紹介されています。
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それから、智恵子生家/智恵子記念館さんで毎年恒例の、秋のイベントの案内。智恵子紙絵の実物公開(普段は複製が展示されています)、通常は立ち入りできない生家二階部分の特別公開の件です。
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紙絵の実物展示が10月8日(土)~11月13日(日)、二階部分の特別公開が10月27日(木)~11月8日(火)だそうです(水曜休館)。例年は期間中の土日・祝日の実施だったと記憶していますが、今年は平日も行うのですね。

記念館の開館30周年だそうで、記念バッヂの無料配付も。これは心が動きます(笑)。

さらに智恵子顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座2022」。
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当方もたびたび講師を仰せつかってきましたが、今年は同会代表・熊谷健一氏が全3回の講師を務められるそうで。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

逆に残念なお知らせも。

10月5日の智恵子忌日(レモンの日)に合わせ、その前後の日曜日に開催されていた(ここ数年はコロナ禍のため中止)智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集い。主催なさっていた「智恵子の里レモン会」さんの渡辺秀雄代表が亡くなり、それに伴って会が解散ということになったそうです。当方、会員ではありませんでしたが、その通知、画像で頂きました。
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そこで、「レモン忌」の集いは無くなることに……。残念です。どなたか代わって主催を引き受けて下って、復活することを希望します。

【折々のことば・光太郎】

北川太一氏くる、生きた鯉2尾持参、明日の誕生日の祝の由、


昭和29年(1954)3月12日の日記より 光太郎72歳

当会顧問であらせられた故・北川太一先生。光太郎の誕生日祝いは欠かしませんでした。この年は生きた鯉。どうやって入手されたのか、光太郎にどうしてほしかったのか(食べるとか飼うとか)、そして光太郎が実際にどうしたのか、謎です。生きた鯉を貰っても困ると思うのですが……。北川先生ご存命中に訊いておけばよかったと反省しきりです。

ちなみに光太郎から北川先生宛の葉書には、以下の記述があります。

先日は見事な生きた鯉を二尾もいただいてまことに感謝しました、遅ればせながら。

昭和40年(1965)封切りの日本映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督、山岡久乃さん主演)。智恵子の故郷・福島県二本松市に隣接する本宮町(現・本宮市)を舞台にしています。東宝系で上映されましたが、製作は東宝さんではなく、「本宮方式映画製作の会」。当時としては画期的なシステムでした。現代のクラウドファンディングのように基金を募り、地域密着型の映画を作る、と、それが「本宮方式」。現代ではよくあるスタイルですが、その手のものの嚆矢として映画史に残る作品です。
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元々、本宮町では映画を教育に活用することが盛んで、町内の「本宮映画劇場」に小中学生が授業の一環として移動し、良質な映画を観るということをやっていたそうです。ところがそうした機会に子供たちに見せるに相応しいソフトが少ない→それなら自分たちで作ってしまおう、という流れでした。そこでキャストも地元の皆さんが大挙して動員されています。エキストラ的な出演だけでなく、準主役の少年も地元の素人でした。それだけに演技演技していなくて自然です。
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もちろん本職の俳優さんも。山岡さん以外には宇野重吉さん、吉行和子さん、殿山泰司さん、奈良岡朋子さん、大方斐紗子さんなどが脇を固めていました。
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さすがに皆さんお若いですね(笑)。

ただ、そういうコンセプトですから、ど派手なアクションシーンもなく、当時流行のエログロナンセンスなどももってのほか、もちろん怪獣も宇宙人も登場しません。したがって、その地味さのあまり、全国規模ではヒットしたとは言い難い結果でした。今で言う「親ガチャ」やネグレクトなども扱われ、内容的には心打たれるものですが……。

そうした「映画の街」としての歴史を語り継いでいこうと、本宮市ではNPO「本宮の映画文化を継承する会」が立ち上げられ、「こころの山脈」を含む内外の映画(意外と新しい話題作も)の上映を行う(しかも無料!)「カナリヤ映画祭」が行われています。当方、平成27年(2015)の第3回の際にお邪魔し、「こころの山脈」を拝見しました。

その後、「こころの山脈」が上映される年とそうでない年があり、また、ここ数年はコロナ禍。昨年は「こころの山脈」上映で9月に予定されていたのが中止となり、「やっぱりな」と思っていたところ、実は12月に延期で実施されていましたが、そちらには気づきませんでした。

さて、今年。

第10回カナリヤ映画祭

期 日 : 2022年10月2日(日)
会 場 : サンライズもとみや 本宮市矢来39-1
時 間 : 9:40~18:10
料 金 : 無料

上映作品
 10:10~ 「映画大好きポンポさん」(アニメーション) 日本/2021年 90分
 12:40~ 「Infection PiLia ~悩まされる現代~」
 本宮高等学校チームNEXUX/2022年 10分
 13:10~ 「夢」 本宮高等学校チーム叶える/2022年 10分
 14:20~ 「こころの山脈」 日本/1965年 104分
 16:20~ 「杜人」 日本/2022 101分

講演 『こころの山脈』を生んだ本宮の映画文化 新潟大学教授 柳沼宏寿氏 13:20~

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ところで書き忘れていましたが、「こころの山脈」、単に本宮町が舞台というだけでなく、光太郎の「智恵子抄」もモチーフとして使われています(そこでこのブログサイトでご紹介しているわけですが)。

阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら、産休補充教師の本間秀代(山岡久乃さん)が、教え子の清(当時の本宮小学校五年生)に「智恵子抄」の一節を語って聴かせるという場面。第10回カナリヤ映画祭のプロモーション動画に、ちょうどそのシーンが使われていました(2:07頃から)。

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上記はそのシーンのスチール写真です。

さらに、今年は第10回記念ということで、「こころの山脈」DVDの販売も為されるそうです。

というわけで、第10回カナリヤ映画祭、お近くの方(遠くの方も)、コロナ感染には十分お気を付けつつ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后三井銀行にゆき、納税等用をすませる、浅草にまはり映画を一館みる、大黒屋にて天丼、十一時かへる、


昭和29年(1954)3月11日の日記より 光太郎72歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、昭和27年(1952)に再上京する前、花巻郊外旧太田村蟄居時代も、折に触れて花巻町中心街で賢治実弟の清六らと一緒に、映画をよく観ていました。再上京後はさらにその頻度が増えています。この日観た作品は不明ですが、前月にはフランスのコメディー映画「Les Belles de Nuit」(夜ごとの美女)を鑑賞。ただし「あまりよしと思はず」と日記に書きましたが。

「こころの山脈」、光太郎にも観せたかったものです。

ゲームとのタイアップ企画です。

宮沢賢治×高村光太郎×文豪とアルケミスト スタンプラリー(「賢治フェスティバル×文豪とアルケミスト」タイアップ)

期 日 : 2022年10月1日(土)~10月30日(日)
会 場 : 
 宮沢賢治童話村(メイン会場) 花巻市高松26-19
  開館時間 : 午前8時30分 ~ 午後4時30分
  (ライトアップ開催日は「賢治の学校」の閉館時間を7時まで延長します)
  料  金 : 一般350円 高校生・学生250円 小中学生150円

 宮沢賢治記念館 花巻市矢沢1-1-36
  開館時間 : 午前8時30分 ~ 午後5時(最終入館4時30分)
  料  金 : 一般350円 高校生・学生250円 小中学生150円

 宮沢賢治イーハトーブ館 花巻市高松第1地割1-1
  開館時間 : 午前8時30分 ~ 午後5時(最終入館4時30分)
  料  金 : 無料

 高村光太郎記念館 花巻市太田3-85-1
  開館時間 : 午前8時30分 ~ 午後4時30分
  料  金 : 一般350円 高校生・学生250円 小中学生150円

「文豪とアルケミスト」のキャラクターとして宮沢賢治・高村光太郎が登場している縁で、賢治フェスティバルと「文豪とアルケミスト」のタイアップ企画が実現。宮沢賢治関連施設と高村光太郎記念館を巡って、描き下ろしポストカードと童話村の森ライトアップ缶バッジをゲットしよう! 各館には等身大スタンディも!ぜひ全館巡ってみてください。スタンプラリーを通して、賢治と光太郎の郷「花巻」を再発見してみませんか?
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【企画1】宮沢賢治×高村光太郎×文豪とアルケミスト スタンプラリー

(1)はじめに入館した施設の受付でスタンプカードを入手
(2)対象4館のうち、メイン会場「宮沢賢治童話村」と、サブ会場3館のうち2館のスタンプを集めて景品と交換
(3)残り1館も回って、スタンプカードを完成させよう!

  注)高村光太郎記念館には、公共交通機関で行くことはできません。
  往復タクシー&光太郎記念館入館券セットのお得なプランで、目指せコンプリート!
  申込先 花巻観光協会(電話:0198-29-4522)
  料金 6.000円

・花巻市内の温泉施設や花巻駅周辺にお泊まりの方は、観光タクシープラン「どんぐりとやまねこ号」午前コースのご利用もおすすめです。

・スタンプカードは、宮沢賢治童話村「賢治の学校」・宮沢賢治記念館・高村光太郎記念館ではチケット購入の際、受付にてお渡しいたします。イーハトーブ館は入館料無料のため、売店に申し出てください。
・景品の交換も各館の受付(イーハトーブ館は売店)にて行います。
・景品交換には、宮沢賢治童話村のスタンプが必須となります。童話村を除いた3館のみのスタンプでは景品交換の対象となりませんのでご注意ください。
・景品の在庫が無くなった場合は、住所・氏名をお伺いし、後日郵送いたします。
・各館ごとに検温・記帳をお願いしております。ご協力をお願いいたします。
・新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、会場・内容・期間等が変更となる可能性があります。

【企画2】「文豪とアルケミスト」パネル展
スタンプラリーのメイン会場「宮沢賢治童話村」では文豪とアルケミストのパネル展を行います。スタンプラリーと合わせてお楽しみください。

【企画3】「文豪とアルケミスト」描き下ろしクリアファイル販売
賢治フェスティバル×文豪とアルケミストのタイアップを記念して、描き下ろしイラストを使用したオリジナルクリアファイルを販売します!
賢治と光太郎が童話村の森ライトアップを楽しんでいる描き下ろしイラストは、文アルファンの方だけでなく、童話村の森ライトアップのお土産品としてもぴったりです。ぜひお買い求めください!

販売場所 宮沢賢治童話村「賢治の学校」、高村光太郎記念館
価格:400円 (1人5枚まで)

というわけで、ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画です。

これまでも全国の文学館さん等で同様の企画がありました。こういうと何ですが、花巻市さんは意外と保守的で、この手のイベントにはあまり乗り気ではないだろうと感じておりました(そこで当方もお勧めはしてきませんでした)が、実現しました。

メイン企画はスタンプラリー。賢治系の3館はほぼかたまって存在していますので、その気になれば東北新幹線新花巻駅から歩いてでも廻れます。
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ただ、高村光太郎記念館さんだけは、3館とは市街地を挟んで真逆の位置。かつてあった路線バスも途中までしか行けなくなってしまいましたし、本数も多くありません。だからといって、賢治系3館のみではなく、光太郎記念館にもぜひ足を運んでいただきたいところです。
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最寄りのバス停は岩手県交通さん「太田線」の「清風支援学校前」。ここから光太郎記念館まで徒歩1時間位です(笑)。しかも1日2往復、さらに土日・祝日は運行なし(笑)。まぁ、何と言っても旧太田村、光太郎が戦時中の翼賛活動を反省して蟄居のため自らを幽閉した場所ですから。
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または同じく岩手県交通さんの「湯口線」(昔の花巻電鉄の名残です)。「神明前」か「クレー射撃場前」が最寄りで、記念館までは徒歩1時間ほど。平日土日休日でダイヤが異なります。こちらの方が太田線より本数はありますが、歩く距離は長いような気がします。
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いずれも在来の東北本線花巻駅発。東北新幹線の新花巻駅ではありませんのでご注意を。新花巻から花巻までは、JR釜石線(こちらも本数が少ないのですが)でつながっています。

また、各バス停から歩くとしたら、熊に注意です(笑)。冗談ではありません。

ちなみに花巻駅から光太郎記念館までは、通常のタクシーだと片道3,000円台だったような記憶があります。そう考えると上記のタクシープランの方がお得ですね。

当方はほとんどレンタカーです(1度だけ自家用車で千葉から行ったことがありましたし、時折、地元のお世話になっている皆さんに泣きついて車を出していただいたり、公務の際には花巻市さんで車を出して下さったりすることもありますが)。レンタカー営業所は東北新幹線新花巻駅前に、ニッポンレンタカーさんとトヨタレンタリースさんがあります(在来線花巻駅周辺にはありません)。「私、ペーパードライバーで運転が怖い」という方もいらっしゃるかも知れませんが、花巻は大都会のように車も走っていませんので(笑)大丈夫です(別に花巻をディスっているわけではありませんのでよろしく)。

というわけで、ぜひ足をお運びください。また、スタンプラリーのポイントにはなっていませんが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんなどにもお立ち寄り下さると、なお幸いです。

【折々のことば・光太郎】

盛岡の美校卒業式に祝電を送る、「岩手の美世界の美となれ」


昭和29年(1954)3月5日の日記より 光太郎72歳

「盛岡の美校」は岩手県立美術工芸学校。校長の森口多里をはじめ、深沢省三・紅子夫妻舟越保武など、旧知の面々が教員として在籍していたため、旧太田村の山小屋に蟄居中(昭和20年=1945~昭和27年=1952)は、実際に時折訪れて生徒に講話をしたりしていました。光太郎自身も名誉教授就任を打診されましたが断っています。

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京後も、節目節目には祝電等を寄せました。前年の祝電についてはこちら

光太郎第二の故郷・岩手花巻がらみで、光太郎に関わる雑誌記事を2件ご紹介します。

まず、『日本古書通信』さん9月号。稀覯本コレクターにして秀明大学さん学長であらせられる、川島幸希氏の寄稿『近代作家の資料⑦ 宮沢賢治の詩稿付特製本』が掲載されています。
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題名にある「宮沢賢治の詩稿付特製本」は、宮城県で開かれた古書入札会に出たもので、昭和14年(1934)刊行の十字屋書店版『宮沢賢治全集』第三巻。それに先立つ昭和9年(1934)に文圃堂から出た最初の『宮沢賢治全集』(光太郎も編者の一人として名を連ねました)の紙型を転用したものです。題字も文圃堂版のために書かれた光太郎の揮毫が使い廻されています。
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こちらの見返しに、賢治の草稿の一部が貼り付けてあるというのです。そして、全集編纂に協力したという菊池暁輝宛の献呈署名。賢治は既に歿しており、実弟の清六の筆跡です。
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表紙には宮沢家の家紋。奥付には「宮沢家蔵版」と印刷され、検印の下には「特製第9号」の文字とゴム印。

川島氏、以前に同じ本の中島健蔵宛、やはり賢治の草稿が貼られたものをご覧になったことがあったそうです。また、谷川徹三(谷川俊太郎氏父君)宛のものも存在したとのこと。中島、谷川とも『宮沢賢治全集』編纂者です。そこで、これらの特製本は全集完成の礼として、清六が編纂者等に贈ったものではないか、というわけです。

編纂者としてクレジットされているのは中島、谷川以外に、清六、当会の祖・草野心平、光太郎、賢治の親友・藤原嘉藤治、森荘已池、横光利一の計8人。第1~8号はそれらの人びとに贈られ、菊池は編纂者ではありませんが、協力者ということで、「第9号」という推理です。有り得ますね。

その通りだとすれば、光太郎の手許にもあったはずなのですが、たとえそうだったとしても、昭和20年(1945)4月13日の空襲で、光太郎自宅兼アトリエと共に灰燼に帰してしまった可能性が高いように思われます。もし残っているとすれば、とんでもないものですが……。光太郎が誰かに貸し、その人物がいわゆる「借りパク」でもしていたら、残っているかもしれませんが……。光太郎の周辺で、一番借りパクをしそうなのは当会の祖・心平ですが(笑)、心平にも同じものが贈られたのであれば、その必要はありませんし。

しかし、ロマンのある話です。

もう1件。今年から季刊になった(以前は隔月刊)『花巻まち散歩マガジン machicoco(マチココ)』さん。通巻第32号です。
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平成29年(2017)の創刊号以来の連載「光太郎レシピ」。道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」同様、メニューの考案、調理等に当たられているのはやつかの森LLCさんです。

今号は「そば粉のガレットロール」。
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料理好きな方、ぜひ挑戦してみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后宮崎丈二氏くる、「魴鮄」の木彫持参、現存のこと分る、友人の道具屋所有の由、

昭和29年(1954)3月4日の日記より 光太郎72歳

この木彫「魴鮄(ほうぼう)」は大正13年(1924)の作。昭和2年(1927)の大調和美術展、昭和4年(1929)の荻生会主催美術展覧会に出品されたりもしました。その後、買い手がついて光太郎の手から離れました。

昭和20年(1945)の「回想録」に以下の記述があります。

私の乏しい作品も方々に散つて、今は所在の解らないものが多い。『魴鮄』など相当に彫つてあるので、時々見たいと思ふけれども行方不明である。何か寄附する会があつて、そこに寄附して、その会に関係のある人が買つたといふ話だつたが、その後平尾賛平さんが買つたといふ事も聞いたが、どうなつたか分からない。

平尾賛平はレート化粧品を商標とした平尾賛平商店の主。おそらく二代目で、東京美術学校に奉職する前の光雲に援助などもしていました。

その「魴鮄」を持ち込んだ宮崎丈二は、光太郎と交流のあった詩人。光太郎歿後の昭和37年(1962)に、この「魴鮄」を謳った詩を発表しています。

  蘭と魴鮄

花を開き初めた春蘭が
葉を垂れてゐる鉢の傍へ
高村光太郎作魴鮄を置いて眺める010
これはいゝ
思はず自分はさう云ひながらも
この心に叶つた快さを
どう説明していゝかは知らない

魴鮄はその面魂(つらだましい)を
それに打ち込んだ作者をさながらに現して
むき出しにしてゐる
ぎりぎりの簡潔さ しかも余すところなく
きつぱりとそのかたちに切られて
そして今こゝに
蘭の薫を身に染ませて

宮崎と親しく、光太郎アトリエにも出入りしていた北海道の材木商・浅野直也がこの後、「魴鮄」を入手、光太郎歿後の各種展覧会に出品されました。しかし、昭和41年(1966)、西武百貨店SSSホールで開催された「高村光太郎と智恵子展――詩情に生きる〈美と愛〉」以後、出品の記録が見あたりません。未だ現存しているのでしょうか。そうとすればぜひ見てみたいものです。

芸術の秋となりまして、このブログサイトにて紹介すべき事項がかなりたまって参りました。本日は光太郎第二の故郷・岩手花巻発の情報を5件ほどまとめて。

時系列順に、まず9月12日(月)、IBC岩手放送さんローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで現在開催中の企画展示「光太郎、海を航る」についてです。

光太郎の海外留学時代の足跡たどる ゆかりの地で企画展/岩手・花巻市

 日本を代表する詩人で彫刻家の高村光太郎の海外留学時代の足跡をたどる企画展が、ゆかりのある岩手県花巻市で開かれています。
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 高村光太郎は東京美術学校=現在の東京藝術大学を卒業後、1906年からアメリカ、イギリス、フランスの3か国へ留学しています。
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光太郎が晩年を過ごした花巻市にある「高村光太郎記念館」では、企画展「光太郎、海を航る」が開かれていて、初公開となるイタリアから弟に宛てた絵はがきや解説付きのパネルなどが展示されています。
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およそ3年余りの海外生活は光太郎の価値観を大きく変え、旧態依然とした日本美術界に不満を持つようになります。会場にはこのほかにも留学時代を思う直筆の短歌や世界的な視野に立った芸術評論の原稿なども展示されています。
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企画展「光太郎、海を航る」は9月30日まで花巻市の高村光太郎記念館で開かれています。

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続いて9月15日(木)、市発行の『広報はなまき』さん。「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載で花巻高村光太郎記念館さんの収蔵品をご紹介下さいました。
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こちらの書幅は、企画展示「光太郎、海を航る」の方ではなく、常設展示室の方に出品されていたと思います。

同じく9月15日(木)、一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。今月分の画像を送っていただきました。
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すりリンゴ入り蒸しパン、白六穀御飯、鶏肉カレー炒め、茄子の串焼き、大根菜の炒め、かぼちゃサラダ、塩麹卵焼き、きゅうりの糠漬け、フルーツ(ぶどう)だそうです。

メニューの考案などにあたられている「やつかの森LLC」さん、9月12日(月)には、花巻市の社会教育施設「まなび学園」さんで活動されている「わかくさ女性学級」での出前講座。「高村光太郎の山荘~ハイカラ料理を知ろう」と題し、光太郎が郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた頃の様子を寸劇にしたり、光太郎の「食」について紹介したりなさったそうです。こちらでも光太郎ゆかりのお弁当。
愛ちゃんの栗拾い
開会あいさつ
光太郎と菅原先生
山の少女朗読
かぼちゃのエピソード
ランチボックス
ランチボックス盛り付け
最後に『読売新聞』さん岩手版の記事。9月17日(土)の掲載でした。

賢治自筆「雨ニモマケズ」…記念館で手帳展示、県内6年ぶり

 花巻市の宮沢賢治記念館で、賢治が代表作の詩「雨ニモマケズ」を書き残した自筆手帳が16日、公開された。県内での展示は6年ぶりで、10日間限定の25日まで。貴重な手帳を一目見ようと多くの人が訪れている。
 手帳の大きさは縦13・1センチ、横7・5センチで、黒革で覆われている。165ページにわたり、文学作品の下書きやメモ、経典などが記され、「雨ニモマケズ」は51ページから60ページに書かれている。
 詩は、賢治が花巻の実家で闘病中だった1931年11月3日に書かれたものと推察されており、2年後の33年9月、賢治は37歳で生涯を閉じた。手帳は賢治の没後、東京都の喫茶店「モナミ」で高村光太郎や草野心平らを中心に開かれた追悼会で、弟・清六氏が持参した賢治愛用のトランクから見つかった。
 同館の牛崎敏哉学芸員は「本来人に見せるものとして書いたわけではない賢治の晩年の願いや祈りが込められている」と指摘する。
 初日の16日は、来館者が手帳に顔を近づけながら鉛筆の文字を観察する姿が見られた。手帳を見るために静岡県藤枝市から訪れた公務員名手小枝さん(55)は「当時この手帳を手にとって詩を書いたと思うと感慨深い。汗などもきっとにじんでいるのでしょう」と話していた。
 19日は、清六氏の孫・宮沢和樹氏による講演も行われる。開館は午前8時半~午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小・中学生150円。問い合わせは同館(0198・31・2319)へ。
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岩手めんこいテレビさんのローカルニュースでも取り上げられていました。

賢治直筆『雨ニモマケズ』手帳公開 2016年以来2回目の限定公開<岩手・花巻市>

 普段は見ることができない宮沢賢治が手帳に書いた直筆の「雨ニモマケズ」。岩手県花巻市の宮沢賢治記念館では、開館40周年を記念して9月16日からこの手帳が公開されています。

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 2022年で開館40周年を迎えた花巻市の宮沢賢治記念館で、16日から始まった特別展示の目玉は、賢治直筆による『雨ニモマケズ』が書かれた手帳です。この手帳は、賢治生誕120周年にあたる2016年に一度だけ公開されたもので普段はお目にかかる事は出来ません。2021年、東北を中心とした大型観光キャンペーンの期間中に公開される予定でしたが延期となっていました。
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 この他にも貴重な作品が数々展示されていて訪れた人を楽しませていました。
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 大阪から来た人「(雨ニモマケズ)はイメージ残ってるので本物が見れて嬉しいです。直筆よね、貴重な経験だと思います」
 これらの貴重な作品は、9月25日まで展示されています。

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こちらには光太郎の名は出ませんでしたが、手帳の「発見」の現場となった、賢治歿後の昭和9年(1934)、新宿モナミで開かれた賢治追悼の会の写真がパネル展示されているのがわかりました。『読売』さん記事はこのあたりを参考になさったのでしょう。光太郎は前列左から4人目です。
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さて、花巻。秋のいい季節となります。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

盛岡大慈寺小学校長さん佐藤氏くる、


昭和29年(1954)1月15日の日記より 光太郎72歳

光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた頃からの知り合いだった、盛岡の小学校長・佐藤憲政が、中野の貸しアトリエを訪問しました。このように、花巻や盛岡の人々が、上京したついでに光太郎の元を訪れるケースはあとを断ちませんでした。それだけ慕われていたということなのでしょう。

テレビ放映情報、2件ご紹介します。

ドラマ 風よあらしよ(3)

NHK BSプレミアム/BS4K 2022年9月18日(日) 22:00〜22:50 
再放送 NHK BSプレミアム 9月21日(水) 23:00~23:50

自由を強く求める野枝と大杉は、“同志”として人生をともに歩む覚悟を決める。そして、平等で公正な社会を作ろうと、“言葉”を武器に理不尽な権力に立ち向かっていくのであった。波乱万丈の人生を更に開花させようとした矢先、関東大震災が勃発。世の中はますます混乱に陥り、野枝や大杉たち無政府主義者にも疑いの目が向けられ…そして、理不尽な暴力が彼女たちを襲ってしまう。

【出演】吉高由里子,永山瑛太,美波,玉置玲央,山下容莉枝,音尾琢真,石橋蓮司
【原作】村山由佳,【脚本】矢島弘一
【音楽】梶浦由記

全3回の最終話です。

9月11日(日)放映の第2話では、主人公の伊藤野枝(吉高由里子さん)、智恵子がその創刊号表紙絵を描いた『青鞜』を、智恵子の先輩で智恵子を『青鞜』に誘った平塚らいてう(松下奈緒さん)から引き継いだものの、ほどなく廃刊となったあたり。年代的には大正初めでした。
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また、光太郎とも交流のあった夫・辻潤(稲垣吾郎さん)との別れ。
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そしてアナキスト・大杉栄の元に走った野枝。
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しかし、「自由恋愛」を標榜する大杉には、妻(山田真歩さん)も、愛人(神近市子=美波さん)も……。
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そしていよいよ最終回となります。

まず、大杉が神近市子に刺される「日蔭茶屋事件」あたりから始まるのでしょう。その後、大杉らの無政府主義運動の興隆と、その衰退。
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この頃、やはりアナキズムに染まっていた当会の祖・草野心平らの関係もあり、光太郎は大杉らの活動を支援しようとしていました。原作の村山由佳さんの小説『風よ あらしよ』には、ブロンズ彫刻の代表作「手」(大正7年=1918)の寄贈を申し出る(史実です)光太郎が登場しますが、おそらくドラマでは割愛されるでしょう。

そして運命の日、大正12年(1923)9月1日。
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関東大震災のドサクサで、大杉、野枝、そして二人の子供と間違われた大杉の甥・橘宗一少年が、憲兵大尉・甘粕正彦(音尾琢真さん)の手にかかり……。
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野枝の加入とほぼ入れ違いに青鞜社を去った智恵子でしたが、まんざら知らない仲だったわけでもなかったと思われます。この年11月の『婦人之友』第17巻第11号に掲載された「暴力は臆病の変形――甘粕事件に関する感想」と題された智恵子のアンケート回答。

 おはがき延着のためたぶんもう遅れた事と存じますし、また感想をのべるとしては事件の結審までみてからのことです。尤もその刑法上の処罰の如何等のことはさして私の注意をひいてゐる問題ではありません。ただ殺人に関する同胞の心理上のある一点に、大きな疑問をもつてゐるからです。
 もとより、かかる事件の忌はしい事は、法律にもとるからばかりでありますまい。また動機の如何もつまりは打算の問題です。われわれが死せるものに生命を与へ得ない限り、これに手を触れる事はゆるされない。他人の生命に手をかけるなんて、何といふ醜悪な考でせう。暴力こそ臆病の変形です。


激しい怒りと嫌悪感が溢れ出ていますね。

同じ号には光太郎の文章も。それ以前から続いていた連載「愛の言葉」で、ロダンやメーテルリンクの短い翻訳を紹介してきていましたが、この号ではロマン・ロランでした。

 凡そ此世で、真摯な精神に遭遇して、其と最も内奥の思想を共にし、又同胞の様な関係を結ぶ幸運を持つた時、此関係は神聖である。試練の時などに此が破棄せらるべきでない。されば吾人の心の上に何の権威もない輿論の横暴な強要に従ふ為、其事を言明するのを臆病にも止める者は卑怯である。

光太郎自身の言葉ではありませんが、おそらく智恵子の回答と歩調を合わせています。智恵子が光太郎に合わせたかもしれませんが。

さて、もう1件。当会の祖・草野心平自身が出演します。

NHK特集「ジョバンニの銀河 1983」

NHK BSプレミアム 2022年9月20日(火) 18:10~19:00

詩人・童話作家の宮沢賢治の作品世界を、科学や音楽などさまざまな面から多角的に探る。後半は代表作「銀河鉄道の夜」を、賢治が愛した鉱物写真などを背景に幻想的に描く。

無名のまま亡くなった宮沢賢治だが、没後50年の時にはすでに作品が世界中で翻訳されるまでに人気が高まっていた。故郷の花巻市に開館した宮沢賢治記念館を舞台に、賢治が好んだ科学の実験や作詞作曲した音楽の演奏、各国語による詩や童話の朗読を紹介し、その魅力を探る。詩人の草野心平や入沢康夫も登場。後半の「銀河鉄道の夜」では、朗読に鉱物の結晶写真やパウル・クレーの絵が重なり、不思議な世界がひろがる。

【出演】草野心平,シャスティーン・ヴィデーウス,板谷英紀,入沢康夫,王敏,山内逸郎,斎藤文一,リード・バトラー,ロバート・ホワイト,ミキ・エレナ・戸田,
【朗読】三田和代
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昭和58年(1983)に放映されたもののアーカイブ放送のようです。心平が歿したのは昭和63年(1988)ですから、最晩年の姿ですね。また、平成30年(2018)に亡くなった入沢康夫氏もご出演。

ぞれぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

快晴、 朝九時中西さん宅でお雑煮、子供さん3人、夫人、桑原氏と同席、後写真撮影、 静かにしてゐる、


昭和29年(1954)1月1日の日記より 光太郎72歳

昭和29年(1954)の年が明けました。光太郎の生命の炎、あと2年と少しです。

「中西さん」は起居していた貸しアトリエの大家さん。「桑原氏」は美術評論家の桑原住雄です。

社会教育系イベント、対象が花巻市民等限定ですが……。

新花巻発見探訪ツアー「太田・湯口地区」

 コミュニティ会議の地域振興部会が主催する「新花巻発見探訪ツアー」の参加者を募集します。この事業は花巻市内各地の史跡・名勝や施設等を訪れ、私たちが暮らす花巻の郷土史や風土を学びます。
 今回の訪問地は、高村光太郎が山居7年を過ごした高村山荘や日本三清水と言われる清水寺がある太田地区と、仏教学者として知られる多田等観ゆかりの円万寺がある湯口地区を巡ります。

○期 日   9 月 22 日(木) 小雨決行
○訪問先  花巻市太田、湯口地区
○対象者
 花南地区に在住もしくは勤務する市民で、史跡・名勝に関心があり学ぶ意欲がある方
○集 合   08:30 花南振興センター(受付、体調チェック票提出)
○日 程
  08:45  花南振興センター出発
  09:00  高村光太郎記念館
   高村山荘、智恵子展望台、雪白く積めり詩碑を見学
  11:00  清水寺
   観音堂、山門、千体薬師堂、慈眼水堂を見学
  12:30  花巻市自然休暇村広場(昼食)
  13:30  円万寺
   観音堂、八坂神社、一燈庵を見学
  14:15  山の駅 昭和の学校(施設見学)
  15:20  道の駅 はなまき西南(休憩)
  16:00  花南振興センター到着予定
 ※天候や現地の状況によって日程を変更する場合があります。
○服 装  動きやすい服装、履きなれた靴、帽子
○持ち物  マスク、昼食、飲み物、おやつ、雨具、タオル、敷き物、筆記用具など
○参加料  1,200 円(入館料 3 館分、保険代)
 ※貸切バス代はコミュニティ会議が負担します。
○定 員  25 人(先着順)
○受 付  8 月 22 日(月)午前 9 時から受付開始。花南振興センター窓口へ直接
    もしくは花南地区コミュニティ会議(電話 24-4415、平日の 9 時~17 時)
     へお申込み願います。
 なお、感染症の拡大状況によっては事業を延期もしくは中止することが
 ありますので予めご了承ください。
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光太郎ゆかりの地を巡る史跡探訪ツアー。

まずは昭和20年(1945)秋から丸七年間、光太郎が蟄居生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)と、隣接する髙村光太郎記念館さん及びその周辺。

続く清水寺さんは、光太郎が何度か足を運んだ寺院です。円万寺さんは、光太郎と交流のあった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務めていたところ。長い急坂を上った先にありますが、光太郎も上りました。

山の駅 昭和の学校さんにも行かれるのですね。さらには道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんにも。

地元の方々が対象ですが、以外と地元民が地元のことを詳しくは知らないというケースは往々にしてありますね。当方もそうです。ここにこんなものがあると知らなかったとか、存在は知っていてもどんな背景があるのか、細かな見どころ等々。もう3年前になりますが、当方が講師を務めさせていただき、花巻市、それから隣接する北上市をバスで廻った「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の際にも、参加者の皆様からそうした声が聞かれました。

残暑も一段落という感じで、ただ、台風等が心配ですが、実りあるツアーとなるよう祈念いたしております。

各地自治体さんの社会教育担当の方々、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

晴れる、 春子さん子供二人つれてくる、モチ ワカサギをもらふ、 NHKの人くる、一月三日詩朗読の由(石黒達也) 「新潮」の野平氏くる、原稿に書き足して渡す(13枚)、 便 創元社の林氏くる、ウエルハーラン詩集出来、三冊持参、印税はマカベ氏宛のことをたのむ、 〈豊周夫妻くる〉

昭和28年(1953)12月26日の日記より 光太郎71歳

001たまたまでしょうが、千客万来(笑)。ただ、この頃、この日ほどではなくとも、起居していた中野の貸しアトリエにはほぼ毎日、誰かしらが訪れていました。

春子さん」は、智恵子の最期を看取った智恵子の姪。「詩朗読」はラジオ放送。俳優の「石黒達也」はたびたび光太郎詩の朗読を担当していました。「原稿」は翌年2月の『新潮』に載った散文「日本芸術院のことについて-アトリエにて1-」。「ウエルハーラン詩集」は、濁点が脱落していまして、『ヴェルハアラン詩集』。戦前に光太郎が訳した、ベルギー詩人・ヴェルハーレンの詩――さまざまな雑誌等に寄稿したもの――を、山形出身の詩人・真壁仁(「マカベ氏」)が編集しました。光太郎、あまり出版に乗り気でなく、印税もいらない、真壁にやってくれ、と、まぁ何とも気前のいいことで(笑)。そして実弟の豊周夫妻も。おそらく豊周が仲介した「倉田雲平胸像」がらみの用件と思われます。

光太郎がその人生の大半を過ごした地・東京市本郷区(現・東京都文京区)。

そちらに本部を置く文京建築会さんで、平成23年(2011)から「文京・見どころ絵はがき大賞」を開催していらっしゃいます。当方、寡聞にして存じませんでした。

まず、過去11年間の優秀作品を展示している受賞作品展が、盛岡市の深沢紅子野の花美術館さんで、先月から開催中です。文京区さんと盛岡市さん、そういえば友好都市的な関係でした。

文京・見どころ絵はがき大賞 2011-2021 受賞作品展

期 日 : 2022年8月6日(土)~9月25日(日)
会 場 : 深沢紅子 野の花 美術館 1階ロビー 盛岡市紺屋町4-8
時 間 : 10:00~17:00 (最終日は15時迄)
休 館 : 月曜日(祝祭日の場合はその翌日)
料 金 : 無料(他展示は有料)

盛岡市と友好都市でつながる東京都文京区で、“あなたが見つけた文京の見どころ”をテーマに毎年開催の人気コンテストです。今回は、その「文京・見どころ絵はがき大賞」(主催:文京・見どころ絵はがき大賞実行委員会)のこれまでの歴代受賞作品を展示。はがきの中に、それぞれの方の思い出が詰まっています。力作多数。入場無料となっております。どうぞお気軽にお立ちよりください。

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今年度の大賞展作品募集も行われています。

第11回 文京・見どころ絵はがき大賞

大募集中です! ふるってご応募ください!

「文京・見どころ絵はがき」を作って送ってください。今回の締め切りは9月30日(金)当日消印有効です。文京区長賞、郵便局長賞、林丈二賞、(友好都市)盛岡市長賞、テーマ賞など様々な賞を予定しております!!

※今年のテーマ部門は「文京の樹」

【応募期間】  ~ 9月30日(金)消印有効
【応募方法】 官製はがき大サイズ(10cm×14.8cm) 
       スケッチ・イラスト・写真など表現は自由
       100字以内の文章をはがきの表または裏にそえてください。
       文京区に興味のある方ならどなたでも年齢を問わず応募できます。
【表彰対象】 文京区内の見どころを発見し、その価値が十分に表現された絵はがき作品
【応募先】  〒112-0003 東京都文京区関口1丁目43番5号B1F
         文京春日郵便局留 文京建築会行
       住所、氏名、年令を明記ください。
【表彰式】  2022年12月17日(土)13:00~16:00
       文京シビックセンター26階 スカイホール
【展覧会】  2022年12月17日(土)~20日(火)10:00~18:00
       文京シビックセンター1階 ギャラリーシビック
       ※最終日は17:00まで
【問合せ先】 文京・見どころ絵はがき大賞実行委員会
       email:ehagaki@bunkyo-arch.org
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残念ながら旧駒込林町光太郎(現・文京区千駄木)にあった光太郎アトリエ兼住居は戦災で焼失してしまいましたが、光太郎実家隣の旧安田楠雄邸など、光太郎がいた当時の俤はまだまだ残っています。

絵心のある方、文京区愛に溢れる方、ぜひご応募を。

【折々のことば・光太郎】

西山勇太郎氏風間氏と同道くる、写真撮影、 椛澤さんくる、 藤島さんくる、廿八日午后五時築地万安にて委員会解散式をやること、会費2000円のこと藤島さんより話、

昭和28年(1953)12月23日の日記より 光太郎71歳

西山勇太郎氏」は詩人。辻潤や萩原朔太郎とも交流がありました。光太郎歿後には光太郎若き日のスケッチ帖『赤城画帖』を編集、『智恵子抄』版元の龍星閣から出版しています。

風間氏」は風間光作。やはり詩人で、光太郎に自著の題字揮毫をしてもらったりした他、光太郎歿後には「高村光太郎詩の会」を立ち上げ、顕彰活動にあたりました。

椛澤さん」は椛沢佳乃子(ふみ子)。茶道家で、戦時中からの光太郎ファン。駒込林町のアトリエ兼住居、戦後の花巻郊外太田村の山小屋などもたびたび訪れていました。

藤島さん」は藤島宇内。当会の祖・草野心平の『歴程』に依った詩人でしたが、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に際し、「在京建設委員」として青森県との交渉役等を精力的にこなしました。「委員会解散式」もこれに関わります。

この日の写真が、風間が発行していた『高村光太郎詩の会会報 第66号』(昭和44年3月)に掲載されています。
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左から椛沢、風間、光太郎、藤島です。

新聞2紙から。

まず智恵子の故郷・福島の『福島民報』さん、昨日の一面コラム。

あぶくま抄 路傍の花(9月6日)

二本松市岳温泉の医師で九十歳の鈴木孝雄さんはこの夏、自宅近くの野に咲く花を写真と短文で紹介する「路傍の花-安達太良山東麓 岳台地を歩く-」を出版した。三年かけて約二百種を撮った。ほんとの空の下にそっと息づく生命を慈しむ▼新年を祝うフクジュソウ、春夏のシャクナゲ、安達太良の象徴として歌に詠まれるマユミ…。朝夕の散歩中、足元にほころぶかれんな姿に引かれ、カメラを向ける。診療実務を退いた後、患者の楽しみにと、クリニックのホームページに載せた企画を一冊にまとめた▼「ミヤコザサ線」と呼ばれる植生の境界が岳台地を通る。最高積雪が五十センチとなる地点を南北に結ぶ。この線を境に、雪の少ない太平洋側にミヤコザサ、雪の多い日本海側にチマキザサが生える。岳では、両側の植生が見られることを知った。身近な自然の面白さに取りつかれ、観察を続ける▼岳温泉文化協会が二十年以上にわたり刊行している会報を、会長として本にするのが次の目標だ。ヒメボタルやモリアオガエルの研究など、地域の宝を掘り起こす多彩な成果に光を当てる。年齢を重ねて、ますます盛んな好奇心と探究心が古里の道端を照らす。

何とも地元愛溢れる活動に頭が下がります。安達太良山の山の上に毎日広がる「ほんとの空」とともに、東京にいても草花を愛し続けた智恵子も、泉下で眼を細めているような気がします。

続いて『夕刊フジ』さん。

夫婦で歩いた山から望む「ほんとの空」 高村光太郎『智恵子抄』福島県二本松市・智恵子の杜公園

000 ほんとの空、を見たくなった。
 〈智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ(中略)阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ〉
 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の有名な詩「あどけない話」。最初に知ったときは、郷愁をうまく表現したなぁ、とのんきな感想を抱いた。
 でも、先立たれた妻を追想しながら光太郎が編んだ『智恵子抄』を通読すると、少し印象が変わる。夫婦で愛を育む一方で、智恵子は画家として挫折し、生活苦や闘病などを経て、次第に精神を病んでいった。光太郎はこの詩を紹介しつつ、智恵子は年に3、4カ月は帰郷していたと記す。なぜなら〈田舎の空気を吸って来なければ身体がもたない〉から。「ほんとの空」は、それほど切実な欲求だったのだ。
 阿多多羅山は、福島・中通りにそびえる安達太良山のこと。酒造りを営んでいた智恵子の生家が二本松市に残っている。訪ねてみると、記念館が併設されていて、智恵子が病床で制作した切紙絵などを鑑賞できた。
 生家から安達太良山は見えない。案内図をもらって、近くにある鞍石山への遊歩道をたどってみる。夫婦二人でそこを散策するシーンを描いた「樹下の二人」という詩を参照しながらのんびり歩く。
  〈がらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう〉
 東京生まれの光太郎も、智恵子を癒してくれる自然を愛しんでいた。都会へ戻ることをこんなふうに書くほどに。〈私は又あした遠く去る、あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ〉
 鞍石山は「智恵子の杜公園」として整備されていて、「樹下の二人」の詩碑も発見。頂上付近の展望台からは安達太良山が望めた。〈あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生れたふるさと…〉
 空を見上げて深呼吸。二人の別天地を少しだけ近く感じられたひととき。だがしかし、私も無頼の都へ帰らねば。

一昨年に始まったコロナ禍のため、各種イベント等の中止が相次ぎ、当方も2年近く二本松方面に行っておりません。何とかこの秋には、と思っているのですが……。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

文部省芸術課長宇野俊夫氏くる、芸術院会員のこと、再考受諾の話ありたれど理由を話して断る、領解してかへる、

昭和28年(1953)12月19日の日記より 光太郎71歳

芸術院会委員への推薦を光太郎が断ったことに関わります。この日訪れた役人はいったん了承して帰りましたが、結局これで万事終了とは成りませんでした。

クラシック歌曲系の演奏会情報です。

曽部遼平 増田達斗 リートデュオリサイタル

一関公演
 期 日 : 2022年9月11日(日)
 会 場 : 一関文化センター 中ホール 岩手県一関市大手町2-16
 時 間 : 13時30分開場 14時00分開演
 料 金 : 一般2,000円 高校生以下500円 (全席自由) 一般は当日500円増

豊橋公演
 期 日 : 2022年9月23日(金・祝)
 会 場 : 穂の国とよはし芸術劇場プラット 愛知県豊橋市西小田原町123番地
 時 間 : 18時00分開場 18時30分開演
 料 金 : 一般3,000円 高校生以下2,000円 (全席自由)
 出 演 : 曽部遼平[テノール]  増田達斗[ピアノ]
 曲 目 : F. シューベルト《白鳥の歌》D.957 野ばら D.257
       山田耕作 赤とんぼ  三善晃 秋の風
       増田達斗 あどけない話 (詩 高村光太郎)
       他
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ピアニスト・作曲家の増田達斗 氏という方が作曲された「あどけない話」がプログラムに入っています。

いつも書いていますが、こうした二次創作-音楽でも、文学でも、造形作品でも-光太郎智恵子の作品等に新たな命を吹き込んでいただき、感謝いたしております。

なぜ岩手と愛知? と思ったら、歌唱の曽部氏が岩手、増田氏が愛知のご出身だそうで。ただ、フライヤーには11月に東京公演、12月に埼玉公演とありますが。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

朝十時過車で山口まで、 スルガさんひるめしをつくりくれる、小屋で久しぶりにて飯をくふ、持参のビール一本、古テガミ等入用のものを見つけ出す、 午后四時過車で志戸平にかへる、


昭和28年(1953)11月30日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに帰った花巻ですが、郊外旧太田村山口集落の山小屋には起居せず、大沢温泉さん、志戸平温泉さん(この日も)、花巻温泉さんなどを泊まり歩いていました。

先週のNHK盛岡局さんローカルニュースから。花巻高村光太郎記念館さんで現在開催中の企画展示「光太郎、海を航る」についてです。

高村光太郎 海外留学中に送ったハガキなどを展示 花巻市

 詩人で彫刻家の高村光太郎がアメリカやヨーロッパに留学中に出されたハガキなどを展示する企画展が花巻市で開かれています。
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 高村光太郎は20代の時におよそ3年間、アメリカやイギリスそれにフランスに留学し、彫刻やデッサンなどを学びました。
 花巻市にある高村光太郎記念館で開かれている企画展には、高村光太郎が留学中に家族や知人に送ったはがきや執筆した直筆の原稿など20点が展示されています。
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 このうち明治42年の4月に光太郎の弟、道利にあてた絵はがきは今回、初めて公開され、旅行で訪れたイタリア・ローマの芸術や文化の高さに驚いた様子が記されています。
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 また明治41年1月に、当時パリに住んでいた画家の白瀧幾之助に宛てた絵はがきには、新年のあいさつなどが書かれています。
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 このほか昭和16年の芸術評論「ミケランジェロの彫刻写真に題す」の直筆の原稿4枚なども展示されています。
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 仙台市から訪れた人は「ヨーロッパでの生活の中で、日本を客観的に見ることができたのではないか」と話していました。
 花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「欧米で実際に何を見て、聞いて暮らしていたのかを展示を通じて感じてもらいたい」と話していました。
 企画展は来月30日まで開かれています。

少し前ですが、市の『広報はなまき』7月15日号で、道利宛の葉書について紹介されていました。
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ついでに当方によるレポートもご覧下さい。

ニュースで述べられた通り、会期は9月30日(金)までです。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小春日和、映画班の人達四人同道、電車車中の撮影、二ツ堰より山口まで車、村長さん宅着 スルガさん宅エン側にて重次郎さん等と撮影、田圃の中、林間、小屋等撮影、 四時頃小学校行 村人の歓迎会あり、


昭和28年(1953)11月26日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに、花巻郊外旧太田村に帰りました。

半分はブリヂストン美術館の美術映画「高村光太郎」の撮影のためでもありましたが、当初の構想では、冬期には東京中野の貸しアトリエで、気候のいい時期には旧太田村の山小屋と、二重生活を目論んでいたようです。

美術映画「高村光太郎」から。
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テレビ放映情報です。

徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #22

BSJapanext 2022年8月29日(月) 19:58〜21:00

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回の「はなうた旅」の舞台は宮城県。演歌歌手の徳永ゆうきが女川町を旅します。
▼ダンボールで作ったランボルギーニ!?
▼三陸の海の素材を使った石鹸とは?
▼絶品!銀鮭のフルコースに舌鼓!

出演者 徳永ゆうき

6月に放映された#12では、智恵子の故郷・福島県二本松市が取り上げられ、智恵子についても言及していただきました。

今回の舞台は、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町。
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昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で、紀行文「三陸廻り」を連載するために三陸一帯を旅した光太郎。女川にも宿泊しました。それを記念して、平成3年(1991)には光太郎文学碑が建立され、翌年からは毎年8月9日に女川光太郎祭が開かれています(一昨年からコロナ禍のため中止)。

平成23年(2011)の東日本大震災では甚大な被害となり、その後、津波からの避難のランドマーク「いのちの石碑」が、光太郎文学碑の精神を受け継いで全額寄付金で建立されました。活動の中心メンバーの一人、鈴木智博さんは、かつて複数回、女川光太郎祭で光太郎詩文の朗読をなさって下さっていました。

その女川町でのロケということで、光太郎文学碑、いのちの石碑、ちらっとでもご紹介いただければ幸いです。

番組紹介文にあるのは「ダンボールで作ったランボルギーニ!?」。
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「絶品!銀鮭のフルコース」。
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ちなみにこの銀ザケ、女川の出島にお住まいの漁師にして女川光太郎の会会長・須田勘太郎さんから毎年のようにクール宅急便で送っていただいております。
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ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

大沢より映画班の人車でくる、それにて大沢山水閣泊り、 入浴、今日の湯はあつし、

昭和28年(1953)11月25日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに帰った岩手花巻。

「映画班の人」はブリヂストン美術館の美術映画「高村光太郎」制作スタッフです。光太郎の帰郷に便乗したか、撮影のために帰郷したか、ニワトリが先か卵が先か何とも云えませんが、翌日から撮影も行われました。

新刊、というより稀覯書の覆刻、さらに2ヶ月ほど経ってしまっていますが……。

石川善助詩集『亜寒帯』復刻版

2022年6月27日 石川善助著 モリナカヒデキ編 あるきみ屋 定価990円(税込み)

詩集『亜寒帯』は1936年に刊行された石川善助の唯一の詩集であり遺稿詩集です。編纂は逸見猶吉、草野心平、宍戸儀一。装幀は亀山巖。1970年に名著刊行会から再刊されて以来、52年ぶりに北海道の小さな版元から復刻されました。

石川善助は1901年仙台市国分町の生まれ。さまざまな職業に就きながら詩作や民話研究に励んだ後、27歳の時に上京しました。小森 盛、高村光太郎、草野心平、尾形亀之助、佐藤惣之助ら多くの詩人と知り合い、とくに草野心平とは自宅に居候するほど親交がありました。また、宮沢賢治とはお互いに才能を認め合う仲で、善助の死後、追慕を綴った賢治の手紙が残されています。

善助は1932年に酒に酔った帰り道に誤って線路脇の側溝に転落し、31歳の若さで生涯をとじました。生前に詩集は刊行されませんでしたが、友人たちによって没後4年目に詩集『亜寒帯』が刊行されました。序文は高村光太郎。

<彼は徹頭徹尾北方人であり、北方の持つ峭厲と皓旰と、規矩と結晶性と、海中火山のやうな晦冥と三貫島のやうな孤僻とを具備してゐた。〜詩集『亜寒帯』序文より〜>

本書は北海道根室市のあるきみ屋によって原本に近い形で、2022年、善助の命日である6月27日に復刻されました。合わせて、宮沢賢治「石川善助に」、「宮沢賢治と児童文学」編者執筆、郡山弘史「亜寒帯の詩人」、「石川善助と草野心平」編者執筆を収録。さらに別冊で詩集「亜寒帯」用語の手引きと、石川善助作・童話「海豹と市長」が付いています。

仙台市太白区の愛宕神社の山門脇には詩碑「化石を拾ふ」が広瀬川を見下ろすように今も立っています。
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石川善助(明34=1901~昭7=1932)。当方は光太郎との絡みで存じていましたが、一般にはほとんど忘れられつつある名ではないかと存じます。

光太郎が序文を書き、没後に刊行された唯一の詩集『亜寒帯』が覆刻されました。おそらく商業ベースでは採算が取れるかどうかと云う出版と存じますが、敢行なさった版元の英断には敬意を表します。

死後、地元の友人が編集・発行した随筆集『 鴉射亭随筆 』に寄稿された宮沢賢治の「石川善助に」を収録、さらに編者・モリナカヒデキ氏による、石川と賢治や当会の祖・草野心平との関係に触れた解説つきだそうです。

また、附録として石川の童話「海豹と市長」、用語解説集が付いているとのこと。
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ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

午前九時35分常盤線花巻行、 みちのく号、草野君、難波田君同車、食堂にてビール、 夕方七時花巻着、清六さん等出迎にゐる、

昭和28年(1953)11月25日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京して以来、およそ1年2ヶ月ぶりに岩手に帰りました。このあと、12月5日まで滞在します。

当初の構想では、冬期には東京中野の貸しアトリエで過ごし、気候のいい時期には花巻郊外旧太田村の山小屋と、二重生活を目論んでいたようです。

山口県の周南市、下松市、光市をエリアに発行されている日刊紙『日刊新周南』さんに連載されている、周南文化協会会長・西﨑博史氏のエッセイ。8月18日(木)掲載分で光太郎智恵子に触れて下さいました。

季節の中で 葉月(二)

 ふるさとでお盆を迎えた人も多いでしょう。コロナ禍で遠出を自粛していた人たちは行動制限がない中で、3年ぶりに帰省して家族との再会を楽しみました。
 中島みゆきは自ら作詞、作曲した『帰省』でこんな言葉を綴っています。「束の間 人を信じたら もう半年がんばれる」。ふるさとの自然に育まれ、人は成長します。進学や就職、結婚でふるさとを離れて新たな生活を始め、社会の厳しさも知ります。
 年に二回、8月と1月。疲れた心身を癒してくれるのがふるさとの温かさです。家族や旧友との語らいが何とも心地好いです。前置きは要りません。同窓会もそうです。学生時代は話したこともない同級生ともすぐ打ち解けます。時の経つのを忘れて話に花が咲きます。同じ時間を共有したからでしょう。同級生っていいなと思えます。
 「夏が過ぎ 風あざみ」で始まる井上陽水の『少年時代』は、新聞社の読者ランキング、陽水の聴きたい曲で断トツ1位。「八月は夢花火 私の心は夏模様」で結ばれます。子どもの頃の日々が走馬灯のように思い出されます。陽水は1948年8月生まれ。まさに団塊の世代。福岡の炭鉱町で育ち、父と同じ歯科医を目指して失敗、シンガーソングライターとして大成しました。
 私は1950年8月生まれ。8月生まれの人には親近感を覚えます。馬が合うというのでしょうか。価値観を同じくして共感できる仲間が多いです。「人」という文字は支えられた形でできています。「人間」は人の間と書きます。人と交わることで学んで磨かれていきます。ネット社会で情報は一挙に増えましたが、人間がもたらす情報ほど豊かなものはありません。言葉を交わすことで相手の興味も、関心も分かります。表情一つで心の動きが読み取れます。それらの情報を基に心地好い会話を楽しみます。この齢になると、何が欲しい、どこに行きたい、ではなく、気の置けない友との語らいが何よりのご馳走です。
 詩人も望郷の詩を詠みます。「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの」「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ」。金沢で寂しい少年時代を過ごした室生犀星の『小景異情』の一節。彼も故郷を懐かしみます。東京で暮らした高村光太郎の妻、智恵子にとっての「ほんとの空」は「阿多多羅山の山の上に出てゐる青い空」。福島の二本松で育った智恵子の心の風景です。
 故郷の自然と人に力を得て、また半年がんばれます。

光太郎智恵子ファンの皆様には言わずもがなでしょうが、智恵子没後の昭和15年(1940)に書かれ、それを読んだ龍星閣主・澤田伊四郎が『智恵子抄』出版を思い立つ契機となった、光太郎の随筆「智恵子の半生」から。

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。彼女はよく東京には空が無いといつて歎いた。

この後で、詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が引用され、さらにこう続きます。

私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた。
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盆暮れと年に二回、数日間ずつの一般的な帰省でなく、智恵子の場合は「一年に三四箇月」。まぁ、それだけ「新鮮な透明な自然への要求」が強かったということでしょう。そして昭和4年(1929)、二本松にあった実家の造り酒屋が破産し、一家が離散、帰るべき家と「ほんとの空」を喪った智恵子が心を病んでしまったのは、ある意味、当然の帰結かも知れません。

二本松といえば、昨日ご紹介した、智恵子顕彰をなさっていた故・渡辺秀雄氏。氏の胸の中にも、安達太良山の上の青い空が、常に広がっていたのではないでしょうか……。

【折々のことば・光太郎】

夕刊新聞に芸術院会員決定といふ事出てゐる、第二部文学部、甚だ迷惑を感ず、

昭和28年(1953)11月14日の日記より 光太郎71歳

文学部門での日本芸術院会員への推薦、光太郎は歯牙にも掛けず辞退します。しかし芸術院では辞退という事態を想定していなかったため、この後、一悶着、二悶着となっていきます。

000福島県二本松市で、智恵子顕彰団体「智恵子の里レモン会」会長を務められていた、渡辺秀雄氏が亡くなりました。昨日、ご葬儀(家族葬)だったそうです。

レモン会さんでは、10月5日の智恵子忌日「レモンの日」に合わせ、それと最も近い日曜日という期日設定で、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集いを主催なさっています。ただ、一昨年、昨年と、コロナ禍のため中止となり、最後に開催されたのは令和元年(2019)でした。したがって、当方、最後にお会いしたのもその時。コロナ禍となって以後、最後にお会いしたのがコロナ禍前、という方の訃報がこのところ相次いでおり、一層胸を痛めております。

その際の画像。会の冒頭近く、主催者挨拶をされる渡辺氏。
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その前年。
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智恵子の里レモン会さんは、昭和63年(1988)、晩年の光太郎と交流のあった故・伊藤昭氏が立ち上げられ、一度消滅したものの、平成17年(2005)に渡辺会長の下で復活。以来、先述の通り、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の運営を続けて来られました。

渡辺氏個人は、レモン会さんの活動以外に、同じ二本松でやはり智恵子顕彰をされている「智恵子のまち夢くらぶ」さんにも協力を惜しまず、同会主催の「智恵子講座」の講師「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」審査員、「智恵子抄」出版80周年記念文集へのご寄稿などもなさいました。

また、当会主催の連翹忌にもたびたびご出席下さいましたし、平成27年(2015)に光太郎第二の故郷・岩手花巻郊外旧太田村の高村山荘前で行われた「第58回高村祭」では、当方が講演を仰せつかると、福島から駆けつけて下さいました。翌朝、宿で見たローカルニュースに「福島から訪れた人」という肩書きで氏のインタビューが流れ、笑えたのが今となってはいい思い出ですし、様々な機会での氏の魅力溢れるお人柄に触れたことを思い起こすと、滂沱禁じ得ません……。
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謹んでご冥福をお祈り申し上げます

【折々のことば・光太郎】006

十和田の像は冬中雪囲ひの由、


昭和28年(1953)11月11日の日記より 光太郎71歳


十和田の像」は、前月に除幕された生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。設置当初の数年間は、豪雪による被害が恐ろしいということで、冬期間、右のような状態にしていたそうです。

その後、ここまでやらなくても大丈夫ということがわかり、雪囲いはやめました。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まず、毎月恒例の光太郎ランチ。一昨年から道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当です。

今月分がこちら。
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赤飯、小豆餅、牛すき煮、じゃがいも甘辛煮、鰹フライ、白菜と南瓜の花の酢の物、塩麹卵焼き、お新香、デザートだそうで。酢の物がさっぱりしていて美味しかったそうです。西瓜が夏らしく、また彩りも添えていますね。

3枚目の画像、背景は道の駅のインフォメーションコーナーで開催されている、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画「器と楽しむ光太郎ランチ」です。

花巻からもう1件、日帰りツアー的な案内です。

花巻電鉄の軌跡 廃線跡の今

期 日 : 2022年8月28日(日)
料 金 : 5,000円

【8/28(日)限定!】
JR花巻駅、花巻温泉郷から出発し、現在は廃線の「花巻電鉄」跡を巡るガイド付きツアーです。当時の様子を写真で振り返り、現在の様子を写真に収めていただくフォトツアーです。

【乗車場所】JR花巻駅東口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

【下車場所】JR花巻駅東口、JR新花巻駅西口、花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、廣美亭、台温泉バスロータリー、新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、志戸平温泉(ホテル志戸平・游泉志だて)、松倉温泉風の季

09:20 花巻駅東口
09:40 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
10:10 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
花巻電鉄【花巻温泉駅跡】(15分)
花巻電鉄【花巻温泉線廃線跡スポット】(60分)
源氣屋にて白金豚ランチ(50分)
花巻電鉄【中央花巻駅跡、西花巻駅跡、西公園跡、稲荷前駅跡、馬面電車、花巻駅跡】(100分)
15:00 JR花巻駅東口
15:20 JR新花巻駅西口
15:40 花巻温泉(佳松園・ホテル紅葉館・ホテル花巻・ホテル千秋閣)、
     台温泉バスロータリー、廣美亭
16:10 新鉛温泉愛隣館、鉛温泉バス停前、山の神温泉(優香苑・清流館)、
     大沢温泉山水閣、渡り温泉(ホテルさつき・別邸楓)、
     志戸平温泉(ホテル志戸平・志だて)、松倉温泉風の季
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昭和20年(1945)から27年(1952)にかけ、当時の花巻町および郊外太田村で暮らした光太郎が生活の足として使った花巻電鉄。左上は光太郎も乗ったデハ3型、静態保存されているものです。その廃線跡を廻るツアーとのこと。「廃線」と聴くだけでロマンを感じますね。廃線にならずに済んでいればそれにこしたことはなかったのかもしれませんが……。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后新宿三越にゆき書棚をかふ、


昭和28年(1953)11月3日の日記より 光太郎71歳

およそ1週間前には丸井で本棚を購入しましたが、さらに三越でも(笑)。

どれがどうと特定出来ませんが、このあたりかな、というのが下の画像です。
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「踏んだり蹴ったり」とはこのことか、という感じです。

青森県十和田市の国道103号十和田湖畔子ノ口-宇樽部の3.5キロが、大雨による土砂崩れで全面通行止めとなっているそうです。

RAB青森放送さん、昨日のローカルニュース。

十和田湖観光に影響 子ノ口~宇樽部 通行止め

 先週の大雨の影響で土砂崩れが発生し十和田湖周辺の道路は通行止めが続いており観光に影響が出ています。
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 十和田市では12日の夕方から激しい雨が降り、十和田湖の子ノ口交差点から宇樽部までの国道103号が土砂崩れで通行止めになりました。
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 13日の午後には通れるようになりましたが同じ場所で土砂崩れが発生しその日の夕方から再び通行止めが続いています。
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 十和田湖には休屋地区の乙女の像などに行く予定だった観光客が訪れていましたが通行止めのため子ノ口で引き返していました。
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★観光客
乙女の像があるのでいけるかなと思ったんですけどもうそこで通行止めなのでしょうがないので子ノ口に来ました」
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「(通行止めは)途中で標識でわかりました 行きたいところに行けないのはちょっと残念かなと思いますね」
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 子ノ口にある「みずうみ亭」には売店や食堂を利用する人がいつもの年の半分ほどしかいないということです。
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★みずうみ亭 勝田和彦 社長
「この大雨の被害さえなければほんらいは押すな押すなの観光客でにぎわっている時期ですのでこの時期に通行止めなんてあるとがっかりです」
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 県はきょう午前から土砂の撤去作業を行っていますが通行再開のめどは立っていません。

ATV青森テレビさん。

大雨でルート寸断・十和田湖観光に影落とす

8月、津軽地方を中心に降った記録的な大雨は、青森県南地方にも被害をもたらしました。十和田湖周辺ではその前の週にも大雨被害が発生し観光に大きな影響が出ています。
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「夏の観光シーズンを迎えている十和田湖。ですがこちら、奥入瀬渓流とを結ぶ道路は今も通行止めが続いていて、多くの人の足に影響を及ぼしています」
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8月12日夜の雨で十和田湖畔では土砂が道路に流出し、現在も2か所で通行止めが続いています。このため青森市から休屋地区へ行くには、新郷村などを経由する必用があり、客足が遠のく原因になっていると言います。
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※十和田奥入瀬観光機構地域事業部 安藤巖乙(あんどう・いわお)部長
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「(この週末は)かなりお客さん多い時期だったので問い合わせは多かったですね。(十和田湖に)どうやって行ったらいいですかという問い合わせが多かったです」
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そして去年の倍の乗客を見込んでいた遊覧船は、8月3日と先週の2度の大雨でさらに大きな影響を受けています。
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※十和田観光電鉄 湯瀬功一(ゆぜ・こういち)さん
「お盆の帰省客にも期待していましたので少しずつ増えてきているという実感がありましたけれども、一番痛いのは土砂崩れと大雨の影響でしょうね」
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大雨被害でアクセスが不便になったことで、関係者は日程がタイトな団体客が敬遠すると見ていて、今後その影響は拡大しそうです。
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もう3年目となるコロナ禍の影響もあり、その上、今回の豪雨被害。衷心より御見舞い申し上げます。日本中、どこの観光地も程度の差こそあれ、似たような状況なのかな、という気もしますが……。

一日も早く平穏な毎日が来ることを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

汽車でめざめ、十時45分上野着、 伊藤氏藤島氏と地下で生ビール、モデルと別れる、伊藤氏と別れ、藤島氏とタキシで中野まで、十二時過ぎかへる、 小憩、 夫人にみやげもの進呈、

昭和28年(1953)10月25日の日記より 光太郎71歳

10月21日に行われた、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に伴う青森行から、寝台車で帰京しました。「夫人」は貸しアトリエの大家・中西夫人です。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手県花巻市で、光太郎の語り部として活動されていた高橋征一さんが亡くなりました。

昭和20年(1945)、空襲で東京駒込林町のアトリエ兼住居を焼け出された光太郎は、5月、花巻の宮沢賢治の実家に疎開。終戦となっても帰京せず、逆に花巻郊外の旧太田村に鉱山の飯場小屋を移築してもらって住み始めます。

その山小屋近く(といっても1㎞弱)の太田小学校山口分教場(のち山口小学校)に通っていた児童の一人が、高橋さん。昭和25年(1950)の同校学芸会の際に撮られたこの写真で、右から二人目に写っています。
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コロナ禍前の令和元年(2019)5月に、旧太田村で開催されたの第62回高村祭のローカルニュースから。

その前年に開催された第61回高村祭では、他の3人の方々とともに太田村在住時の光太郎の思い出を語って下さいました。聞き手は当方でした。4人のうち、高橋愛子さんも既に亡くなっています。
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高橋さん、平成28年(2016)に花巻市太田地区振興会さんから刊行された『高村光太郎入村70年記念 ~思い出記録集~ 大地麗』の編集にあたられたり、同じ年には花巻高村光太郎記念館さんで無料配付されていたリーフレット『たかしとせいいち ぼくたちが出会った光太郎先生』で、上記写真左端の浅沼隆さんと共に、光太郎の思い出を証言して下さったりも。
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その他、折々の新聞記事などでも、高橋さんの証言が紙面を飾っています。

河北新報「戦災の記憶を歩く 戦後70年 ⑧高村山荘(花巻市) 戦意高揚に自責の念」。
新聞各紙から。
「とうほく名作散歩 詩集典型 岩手県花巻市 光太郎牛の如き魂刻む」。

さらに昭和51年(1976)、読売新聞社盛岡支局発行の『201人の証言 啄木・賢治・光太郎』でも。
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同書から、最上部画像の光太郎サンタについて。
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戦前には、「芸術家あるある」で「俗世間とは極力交わらない」、戦時中には歪んだ愛国意識で国民を鼓舞し死地に追いやった光太郎。戦後、老境に入ってようやく自然に世間と交われるようになった、その頃をご存じの高橋さん……。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

夕方リーチ、石川欣一氏等くる、リーチとアトリエで一寸話、明日出発して東北旅行の由、
昭和28年(1953)10月3日の日記より 光太郎71歳

「リーチ」は陶芸家のバーナード・リーチ。明治41年(1908)、英国留学中の光太郎と知り合ったのがきっかけで、来日。戦前は日本、イギリス、そして中国などを行ったり来たりしていましたが、昭和10年(1935)に帰国後はしばらく母国にとどまり、この年、久しぶりに来日し、光太郎らと雑誌で座談を行ったりもしました。そしてこの日が、光太郎とリーチ、今生の別れとなりました。

サイクルスポーツ愛好家の方々向けのキャンペーンです。

ツール・ド × Volcano to Seaふくしま

火山から太平洋へ 山、里、海がつなぐ絶景ルート
 福島市・二本松市・伊達市・相馬市エリアで3ヶ月限定でお届けします! 絶景と歴史が織り成すコースを走れる、このエリア。ルートには吾妻山・安達太良山の紅葉、伊達氏の歴史、朝日が綺麗な松川浦など、各市の魅力を詰め込んでいます。さらに、エリア内には飯坂・土湯・高湯・岳の4つの温泉地や豊富な果物・海産物など疲れを癒す要素もたくさん!100kmを超える2コースの走破を目指し、福島市・二本松市・伊達市・相馬市を満喫してください。

キャンペーン期間:2022年 7月30日(土)~10月31日(月)

サイクリング専用アプリツール・ドを使って走る!
 このキャンペーンに欠かせないのが、サイクリング専用アプリツール・ド! コースMAPで進行方向を確認できたり、途中の「ご当地スポット」にチェックインできたり、オリジナルフォトフレームが付いた記念写真を撮れたり、ゴール後に完走特典をGETするための完走証明をしたり。 このアプリを使えば、サイクリングの楽しさが広がること間違いなし。

0041コースを完走すればVolcano to Seaふくしまfinisherに認定!
 コースのいずれかを完走した方は、Volcano to Seaふくしまfinisherの証オリジナル手ぬぐいをプレゼントします。お帰りの際はゲットした手ぬぐいを持って、温泉へお立ち寄りください。
 ※各コース、先着200名様ずつとなります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※完走したコースそれぞれで手ぬぐいをお渡しします。

2コースを完走すればVolcano to Seaふくしまマイスターに認定!005
 キャンペーン期間中に「Volcanoコースいずれか1コース」と「Seaコースいずれか1コース」の合計2コースを完走した方をVolcano to Seaふくしまマイスターと認定します。Volcano to Seaふくしまマイスターの名に相応しく、オリジナル猪革キーホルダーと認定証を進呈します。
 ※先着100名様となります。
 ※なくなり次第、終了となりますので予めご了承ください。
 ※認定証は全員に発行します。

Volcano to Seaふくしまを走って記念を残そう!
 Volcano to Seaふくしまfinisherボードにチェキを貼ってSIGN ON!!

豪華賞品が当たるフォトコンテストを開催!
 「ふくしま」をテーマにした思い出の写真を大募集。#ボルふくをつけてSNS(twitter/instagram)に投稿するだけで、地元のお土産をGETできるかも!?

コース
 安達太良山を一望できるスカイピアあだたらからスタート。クライマックスは磐梯吾妻スカイラインのヒルクライムです。コース近辺には岳温泉、高湯温泉、土湯温泉など県内自慢の温泉地もぜひお楽しみください。スポットや拠点などで福島の新鮮なフルーツをはじめとした農産物などもお土産にいかがでしょうか。
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コースストーリー
1 スカイピアあだたら 眺望の温泉保養館008
 安達太良山を間近に『本当の空』を眺めながら日帰り温泉を楽しめます。同じ敷地内にスケートボード、スラックライン、ボルダリングが楽しめる『スカイピアあだたらアクティブパーク』があります。汗を流した後にゆっくりと日帰り温泉は如何でしょうか。
2 道の駅安達
 「智恵子抄」でおなじみの安達太良山を一望できる「北と南の玄関口」
007 ドライバーの快適な休憩施設や、道路利用者と地域との情報発信や地域連携の機能が満載されています。地元の朝採り野菜や1,000年の伝統を今に伝え手漉き創作和紙が体験して楽しめる「二本松市和紙伝承館」などがあります。平成25年にオープンした下り線の道の駅には、焼き立てのパンがいつでも楽しめる「二本松ベーカリー」、ゆったりした時間と空間が楽しめる「カフェ」や広い芝生の休憩スペースもあります。
3 アンナガーデン 福島の街を一望する丘の上に、ヨーロッパの雰囲気漂う街並みが広がる
 吾妻連峰の山麓に位置する個性豊かでこだわりの逸品を扱う店舗が並び、美酒・美食・ショッピングなどを楽しめます。
4 道の駅ふくしま ふくしまの魅力が凝縮
 2022年4月27日にオープンしたふくしまの新しい道の駅です。ここでは、農作物を代表とする特産物の購入はもちろん、それらを利用したレストランも並んでいます。サイクリングの休憩地点としてもよし、福島周辺の観光情報も詰まっているためその前後の観光拠点としてもおすすめです。
5 高湯温泉観光協会 白濁の湯で癒す温泉地
 東北初の「源泉かけ流し宣言」をした高湯温泉の情報発信拠点。併設の「共同浴場あったか湯」では露天風呂で日帰り入浴が楽しめる。
6 浄土平ビジターセンター 雄大な自然の玄関口
 浄土平周辺の自然を模型やパネル写真等を通して紹介する施設。自然観察会やトレッキングなどの行事も随時行っている。
7 スカイピアあだたら
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Volcanoコース 120km(道の駅ふくしま発着)
1 道の駅ふくしま 2 高湯温泉観光協会 3 浄土平ビジターセンター 4 スカイピアあだたら
5 道の駅安達 6 アンナガーデン 7 道の駅ふくしま


Seaコース110km(相馬市千客万来館発着)
1 相馬市千客万来館 2 浜の駅松川浦 3 不動尊公園 4 まちの駅やながわ
5 道の駅伊達の郷りょうぜん 6 まきばのジャージー 7 相馬市千客万来館

Seaコース110km(まちの駅やながわ発着)
1 まちの駅やながわ 2 道の駅伊達の郷りょうぜん 3 まきばのジャージー
4 相馬市千客万来館 5 浜の駅松川浦 6 不動尊公園 7 まちの駅やながわ

専用アプリを使って、福島県内4つのコースを自転車で走り抜けよう、ということですね。ただ、4コースではありますが、「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」、「Sea(海)コース~相馬・伊達~」、ともに2箇所ずつ「拠点」が設けられ、どちらの拠点からスタートしてもOK、スタートと同じ拠点へゴールするというルールで、実質2コースです。

このうち「Volcano(火山)コース~福島・二本松~」は、安達太良山、道の駅「安達」智恵子の里などが含まれています。

それにしても、火山あり、海ありと、改めて福島県の魅力が感じられますね。自転車愛好家の皆様、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小笠原耕三は耕一の誤とわかり、メダルの内山さんに速達ハガキを出し、三を一に直してもらふやうたのむ、


昭和28年(1953)9月29日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の完成作となった小品「大町桂月メダル」。翌月行われた「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」除幕式に際し、関係者に記念品として配付されたものです。

桂月の肖像と、桂月以下、「十和田の三恩人」の名が刻まれましたが、このうち道路整備等に腐心した元法奥沢村長・小笠原耕一の名が、誤って「耕三」と光太郎に伝えられ、その通り陽刻してしまいました。正しくは「耕一」だとわかり、すでに鋳造師の元に送られていた粘土原型を、慌てて直してもらったとのこと。

なぜか誤りの「耕三」バージョンが世に出ています。試鋳されたものが出回ってしまったのでしょうか。

3件ご紹介します。

まず、もう今夜のオンエアですが……。

バナナマンのせっかくグルメ★日村が夏の長野へ!ギャル曽根に飯尾&ケンコバも爆食

地上波TBS 2022年7月31日(日) 18:30~20:54 

日村は長野市で夏の大自然とブランド豚ステーキ&特大㊙ハンバーグに感動★熊本阿蘇でギャル曽根あか牛爆食★バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバ岩手花巻で自由気まま旅

【日村さん長野市で夏の大自然&絶品飯を満喫!】
 ★味の深みがスゴイ!こだわりスープの絶品ラーメン
 ★とにかく柔らかい!ブランド豚の極上ステーキ
 ★人気ステーキハウスの炭火焼き特大㊙ハンバーグ×白米に興奮
 ★超老舗みそ専門店で絶品スイーツを堪能
 ★長野市の有名企業×せっかくグルメのコラボグッズを視聴者プレゼント!応募方法は放送内で発表するのでお見逃しなく!
【バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバが岩手県花巻へ】
 ★食通の二人も唸った!旨辛ニララーメン&極上ホルモン&人気町中華チャーハン
 ★温泉入浴…睡眠…軽いルール違反…制御不能の自由旅にバナナマンも爆笑!
【ギャル曽根さん熊本阿蘇でのグルメ探し続編!】
 ★老舗の極上あか牛グルメを興奮気味に爆食!
出演者
 ★MC:バナナマン(設楽統・日村勇紀)
 ★スタジオゲスト:鷲見玲奈・山下健二郎(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)
 ★ロケゲスト:飯尾和樹、ケンドーコバヤシ、ギャル曽根

この番組、バナナマンの日村さん、それからゲストの皆さんが日本各地を訪れ、地元の方々のお薦め情報をもとに地元グルメを堪能するというコンセプトです。

ずんの飯尾さん、ケンドーコバヤシさんが花巻に。
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メインは市街地の中華系のようです。
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飲食店以外に、円万寺観音堂さん。光太郎とも親しかった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務め、光太郎も足を運んだ場所です。
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さらに光太郎や宮沢賢治も愛した大沢温泉さん。
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続いて、8月2日(火)。

開運!なんでも鑑定団【お宝は世界を救う!美人画大作&最高峰焼き物に驚き値】

地上波テレビ東京 2022年8月2日(火) 20:54〜21:54

■盲目の子どもたちに光を…お宝は世界を救う!?<美人画大作>に衝撃値■茶人が特別に注文!?…最高峰<中国焼き物>に驚き鑑定額■福島出張鑑定…仰天<ペコちゃん人形>■

依頼人は認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長を務めており、途上国の目の不自由な子供たちを助けるべく、日本から治療費を送る活動をしている。ご自身も8歳の時に失明し、その後盲学校の教師となった。1964年の東京パラリンピックで盲人卓球に出場し、なんと金メダルを獲得したことも! お宝は支援者の方から「NPO法人で役立ててほしい」と頂いたもの。とても大事にしてきたが、途上国の子供たちの目を助けるため手放すことを決意した。果して売却額は!?

出演者
 【MC】今田耕司、福澤朗  【ゲスト】マルシア
 【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
 【出張鑑定】出張鑑定 in福島県・二本松市  【出張リポーター】原口あきまさ
 【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団
 中島誠之助(古美術鑑定家) 北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
 安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主) 川上紳一(岐阜聖徳学園大学教授)
 山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役) 森由美(陶磁研究家)
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「出張鑑定」が智恵子の故郷・福島二本松だそうです。このコーナー、最初に街の紹介が入りますので、光太郎智恵子、ほんとの空といった紹介がなされてほしいものです。

ちなみに平成28年(2016)12月には、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市で出張鑑定の収録が行われ、当方、拝見に伺いまして、客席に座っている姿が映りました(笑)。

もう1件、同日の放映。ただし再放送です。

再 福島をずっと見ているTV(99)「ここで生きていくことが、“復興”」

NHK Eテレ 2022年8月2日(火) 14:30~15:00

福島県川内村。原発事故で一時は全村民が避難したが、いち早く帰村を推し進めた結果、もといた住民の8割が戻ったことでも知られている場所だ。いまここで、古民家を利用し、新たな交流拠点を作ろうと奮闘しているのが、志賀風夏さん(川内村出身)。年齢も性別も関係なくみんなが集まれる場所を作りたいという志賀さんは「在りし日の“村の良さ”を取り戻したい」と語る。真の復興とは何なのか、風夏さんの姿を通じて考えていく。

出演者
【司会】箭内道彦,【出演】横田龍儀,【アナウンサー】合原明子,【語り】相沢舞
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初回放映が7月27日(水)でして、拝見しました。舞台は双葉郡川内村。当会の祖・草野心平が愛した村で、心平を名誉村民に認定して下さっています。
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冒頭近く、心平を祀る天山祭、今年7月9日(土)の映像。
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そして、志賀風夏さん。
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心平の別荘「天山文庫」、併設されている「かわうち草野心平記念館」の管理人さんです。
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志賀さん、平成30年(2018)にも、この番組で取り上げられました。

元々、川内村のご出身で、進学のため村を離れたもののUターン。亡きお父さまの跡を継いで陶芸家としてもご活動。さらにこの秋には古民家を改装してカフェを開かれるということで、村外のボランティアの方、村内の小学生親子などを巻き込んでの活動に密着取材。
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その信念は、番組サブタイトルにもなっているとおり、「ここで生きていくことが、“復興”」。頭が下がります。

スタジオゲストは、横田龍儀さん。ミュージカル「刀剣乱舞」などでご活躍中だそうですが、川内村のご出身、さらに何と、志賀さんの同級生だったとのこと。
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横田さんは横田さんで、自分がメジャーになることで、復興に関する発言に重みが増すので、それを目指しているそうです。そういうアプローチもあるのですね。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

瀬川幸蔵氏くる、阿部さんのリンゴをもらふ、夕方一緒に新宿、ビール、トンカツにて別れる、

昭和28年(1953)9月26日の日記より 光太郎71歳

「瀬川幸蔵氏」は、花巻町中心街在住の人物。光太郎の花巻郊外旧太田村での蟄居中にも交遊がありました。詳細は不明ですが、やはり光太郎と親しかった花巻の阿部博が作ったリンゴを土産に上京、中野のアトリエに光太郎を訪ねました。他にも花巻町や旧太田村の人々は、けっこう上京するたび光太郎のもとを訪れています。いかに光太郎が愛されていたかの証左ですね。

特に何もなければ、新刊書籍の紹介を今日から4連発で。この系統はつい後回しになってしまい、溜まってしまいました。

まずは岩手から届いたミニブック。

michino絵本 器と楽しむ光太郎ランチ

2022年7月 企画デザイン/文/写真/発行 やつかの森LLC 色鉛筆画/MICHINO
 料理制作/ミレットキッチン花 定価700円(税込み)


癒しの時間

色鉛筆で花の絵を描くMICHINOさん。光太郎の魅力を発信する「光太郎ランチ」の応援団になっていただきました。

毎月「光太郎ランチ」弁当を買って来て器に盛り付ける。MICHINO風楽しみ方。1年間描き続け、その絵が素敵な本になりました。心癒やされる時間をぜひどうぞ。

お申し込み先 やつかの森LLC FAX 0198-29-2672 kotarocafe30@gmail.com
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現在、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで開催中の同名の展示を、一冊の絵本にしたものです。道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品群。
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メニュー及び光太郎の日記等から抜粋された食に関する一節が左側のページ、右ページには地元ご在住のMICHINOさんという方の描いた色鉛筆画。12回分が掲載されています。合間には、「光太郎ランチ」実物の写真や、花を描いたMICHINOさんの色鉛筆画など。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、花巻市街のマルカンさんで販売中ですし、FAX、メールでも注文可。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后週間サンケイより吉岡達夫氏ら三人来たり写真をとつてゆく、

昭和28年(1953)9月1日の日記より 光太郎71歳

「週間」は「週刊」の誤り。光太郎、ときどきやらかします(笑)。「写真」はこちらの記事のためのもの。この年9月27日号に掲載されました。
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昨日の新聞二紙から。

まず、「土用丑の日」だったということで、『朝日新聞』さんの土曜版から、鰻の蒲焼きについての記事。かなり長いので全文は引用しませんで、後半のみを。前半では、土用丑の日に夏ばてを防ぐため、栄養価の高いうなぎを食べる慣習について、平賀源内がうなぎ屋のために考案し、広まったという『定説』について。「裏付けとなる文献が、今のところ見つかっていない」ということで、肯定する根拠も、さりとて否定する根拠もないそうです。さらに、隅田川下流域の「江戸前うなぎ」がブランド化していった歴史、調理方法の変遷など。

そして、後半。「江戸前うなぎ」の名店の一つで、光太郎も通った「駒形前川」さんに取材。こちらは令和元年(2019)の『週刊ポスト』さんでも、光太郎にからめて紹介されていました。光太郎の父・光雲が生まれた嘉永5年(1852)に出た「江戸前大蒲焼」番付にも載った店です。また、光雲といえば、光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)に、前川さんが登場します。

(はじまりを歩く)江戸前うなぎ 東京都 白米とみりん、客層を広げる

 昼下がりの「駒形前川」。7代目主人の大橋一仁さん(43)が、かっぽう着姿で取材に応じてくれた。もとは川魚問屋だったが、220年ほど前、初代がうなぎ料理を始めた。「目の前が大川だから、前川。浅草へ遊びに行く人が舟で乗り付け、腹ごしらえする店だったみたいです」
 しょうゆとみりんを煮詰めた「生(き)だれ」。生だれをつぎ足し、つぼに入っているのが「母(ぼ)だれ」。これが代々続く秘伝のタレだ。「生だれと母だれ、なめると味が全く違う。母だれには、積み重なってきたうなぎのうまみがつまっている」という。
 うなぎをつぼにつけるのは、さばいて、串をうち、素焼きにして、蒸しに入れ、余分な脂を落とした後の工程だ。うなぎの身が、新しい良質な脂とうまみをつぼに落とし、同時に、母だれの熟成したうまみをたっぷり吸い込んで、再び焼かれる。
 老舗の蒲焼きが、甘くないのに、うまい理由は、ここにあった。

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 先代たちの歴史は「選択」の連続だった。関東大震災、東京大空襲では、つぼを大八車に載せて逃げた。店が焼失しても、ゼロから再出発した。2011年3月、東日本大震災の大きな揺れが店を襲ったその時も、一仁さんの父で6代目の一馬さんは、客や従業員の安否を確かめながら、つぼのことを鬼気迫る表情で案じていた。一馬さんは病気で他界し、7代目となった一仁さんが、長引くコロナ禍と向き合ってきた。
 店の伝統を裏付けるような資料を残す余裕は、先代たちになかったようだ。だからこそ、番付「江戸前大蒲焼」の存在は「色んな人にうちを知ってもらえて、ありがたい」。
 江戸前うなぎに「蒸す」という調理工程が加わった背景には、江戸時代後期のコレラの流行がある、と一仁さんは考えている。「より衛生的で安全な提供方法を考えた結果、先人は蒸すことを選択した。天然か、養殖かも、選択の一つ。守るべきこと。変えるべきこと。いつの時代も、両方を考えないといけない」
 江戸時代に花開いたうなぎ文化もいま、岐路に立たされている。稚魚や親ウナギの保全、人工孵化(ふか)や完全養殖。絶滅危惧種となってしまったニホンウナギと共存するための、新たな選択肢が模索されている。
 かつては筒を沈めるだけで、ウナギがとれたという隅田川。今でも釣りスポットとして人気だが、ネット上で「隅田川の魚は食べても美味だ」と薦める人は見かけない。
 目の前の水辺にいたヘンな魚を、焼いて食べたら、うまかった。しょうゆ、山椒、みりん、ご飯をつけたらもっとうまかった。そんなシンプルな話だったのだ。ある時までは。

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「駒形前川」は、池波正太郎、高村光太郎、山田耕筰といった文化人がひいきにしていた。現在は千葉県銚子市の問屋から天然に近い環境で育てた養殖うなぎ「板東太郎」などを仕入れている。雷門通りにある「やっこ」も、ジョン万次郎や勝海舟が訪れた名店だ。
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当方自宅兼事務所のある千葉県香取市。利根川の水運の要所として、江戸時代から続く古い街並みも残る観光地です。やはり利根川の関係で鰻も昔からの名物で、旧市街には江戸時代創業のうなぎ屋さんが数店。さらに住宅街である自宅兼事務所近くにはその支店も。

以前は、遠隔地の友人、仕事の打ち合わせに訪れた方などが訪ねてきた際には、そうした店にご案内することも少なくなかったのですが、最近はとんと足が遠のいています。とにかく美味ではありますが、やはり価格の問題がありまして……。以前は二千円ほどで食べられましたが、最近は四千円台と記憶しております。記事にもあった資源としての減少の問題が大きいのでしょう。

ちなみに今年の土用丑の日は、2回。昨日と、8月4日(木)も該当します。光太郎父子に愛された「駒形前川」さん、ぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり昨日の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」という連載です。

「福島県 今日は何の日」 1990(平成2)年7月23日 国体スローガン 友よ、ほんとうの空にとべ!

 1995年に開催した第50回国民体育大会のテーマ(愛称)が「ふくしま国体」、スローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」に決定した。
 テーマは美しい自然など本県の持つ特性を県名に込め、平仮名で柔らかく表現した。スローガンの「ほんとうの空」は「智恵子抄」などによって県内外に知られており、本県の全体的な印象として定着していると判断した。
 4月中旬からスローガンとテーマを公募し、テーマに1万7664点、スローガンに1万4250点が寄せられた。
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平成7年(1995)の「ふくしま国体」。このテーマに「ほんとうの空」の語が使われたことで、以後、福島の形容詞として、「智恵子抄」由来の「ほんとの空」、その変形種「ほんとうの空」の語が広く使われるようになっていきました。ただ、平成23年(2011)の東日本大震災による福島第一原子力発電所のメルトダウン以後、また違った意味が付加されるようになってしまったのは残念ですが……。

ちなみに「ふくしま国体」のテーマソング、佐藤信氏作詞、林光氏作曲の「ほんとうの空へ」は、現在でも時折コンサート等で演奏されています。
「林光ソングをうたい継ぐ(5)~ほんとうの空へ(1990年代)」。
合唱団じゃがいも第48回定期演奏会 林光さん没後10年を偲んで。
こちらも末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

山口小学校長浅沼氏今朝来訪の由、又午后くるとの事、 午后東方亭主人くる、トマトをもらふ、 山口小学校長くる、自園の桃をもらふ、


昭和28年(1953)8月24日の日記より 光太郎71歳

山口小学校」は、かつて光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった小学校。そこの先生方や子供たちとは深い交流がありました。校長・浅沼政規は光太郎に関する貴重な回想を数多く残しました。子息の浅沼隆氏は、現在も光太郎の語り部として花巻で活動されています。

東方亭」は、戦前からの光太郎行きつけのトンカツ屋。荒川区の三河島に店がありました。

まず状況をわかりやすくするために、地方紙『陸奥新報』さん記事から。

教科書掲載の作家紹介/県近代文学館

 県近代文学館で特別展「教室で出会った文学」(9月19日まで)が開かれている。国語の教科書に掲載されるさまざまな文学作品は、子どもが文学の世界に触れる入り口でもあり、大人には懐かしい青春の思い出。同展は多くの教科書で取り上げられてきた森鷗外、夏目漱石、石川啄木、宮澤賢治、与謝野晶子、芥川龍之介、高村光太郎の7氏を第1部で、太宰治、三浦哲郎、寺山修司ら本県出身作家を第2部で紹介している。また黒石高校情報デザイン科の協力を得て作家たちのイメージイラストも展示されるなど、夏休みに子どもたちが楽しむことができる内容となっている。
 第1部では、森鷗外の「中村範宛書簡」や石川啄木の「金田一京助宛葉書」、宮澤賢治の「雨ニモマケズ手帳(複製)」、芥川龍之介の「自筆短冊」、高村光太郎の「桂月メダル」などが、貴重な初版本や当時掲載された雑誌などとともに展示。本県との意外な関わりを記した紹介文も目を引く。中でも与謝野晶子のコーナーでは、板柳町の歌人・安田秀次郎らの招きで、夫・鉄幹(寛)と夫婦で本県を訪れた際に書いた自作短歌の屏風(びょうぶ)も展示。見分けが付きにくいほどよく似た夫婦の直筆による多くの歌が詠み込まれており、貴重な展示物となっている。安田は、夏目漱石とも書簡のやり取りがあり、同書簡は本展が初公開。独自の町人文化が栄えた板柳町をはじめとする本県と、中央で活躍する文人との交流の深さが、第1部の展示から想像できる。
 第2部では、新課程の教科書に登場する本県出身作家に着目し、関連資料や最新の教科書などを展示。同館が調査した結果、圧倒的な数を誇ったのは、やはり太宰治で特に「走れメロス」は中学校の教科書すべてに掲載されているため、全国の中学生のいわば必読の書とも呼べる作品となっている。
 特別展では、来館者全員に黒石高校情報デザイン科作成のポストカードがプレゼントされるほか、夏休み期間中には小・中・高校生を対象にした「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」を実施。他にも「あおもり文学ゼミ『教室で出会った作家と青森』」、朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」などのイベントが行われる。入館無料。問い合わせは同館(電話017-739-2575)へ。

というわけで、同展の詳細。

令和4年度特別展「教室で出会った文学」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月19日(月)
会 場 : 青森県近代文学館 青森県青森市荒川藤戸119-7
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 7月28日(木) 8月25日(木) 9月14日(水)
料 金 : 無料

 学校で使用する国語の教科書には様々な文学作品が掲載され、時代とともに掲載される作品も変化してきました。その中で、今も昔も多くの人に親しまれている作品や作家が存在します。
 今回の特別展では、青森県出身者という視点から離れ、教科書に作品が掲載され続けてきた7人の作家❶森鷗外(もり・おうがい)❷夏目漱石(なつめ・そうせき)❸石川啄木(いしかわ・たくぼく)❹宮澤賢治(みやざわ・けんじ)❺与謝野晶子(よさの・あきこ)❻芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)❼高村光太郎(たかむら・こうたろう)を大きく取り上げ、青森県との意外な関わりについても紹介します。
 また、太宰治、三浦哲郎、寺山修司といった、教科書に作品が掲載されている青森県出身作家の関連資料や最新の教科書も展示します。

主な展示資料
 森鷗外   「中村範宛書簡」 「舞姫」初出雑誌 等
 夏目漱石  「安田秀次郎宛書簡」 前期3部作・後期3部作(初版含む初期の本)等
 石川啄木  「金田一京助宛葉書」3通(実物展示は7/16~8/24)等
 宮澤賢治  「雨ニモマケズ手帳(複製)」 『春と修羅』初版本 等
 与謝野晶子 「安田秀次郎宛書簡」 「自作短歌屏風」等
 芥川龍之介 『羅生門』再版本 『傀儡師』『芋粥』初版本 自筆短冊 等
 高村光太郎 『道程』初版本 「桂月メダル」(レリーフ) 自筆色紙 等
 教科書掲載の太宰治、三浦哲郎、寺山修司関連資料と、新課程の教科書 等
 その他、初版本や初出雑誌、自筆資料等、多数展示します。
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関連行事

来館者にポストカードプレゼント
 今回の特別展のポスター及びちらしのイメージは黒石高等学校情報デザイン科に制作していただきました。来館者の方々に、黒石高等学校情報デザイン科制作のイメージが印刷されたポストカードをプレゼントします。
※イメージを複数制作していただいたため、各作品を使用したポストカード(数種類)をご用意しています。
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第2回あおもり文学ゼミ「教室で出会った作家と青森」 令和4年7月31日(日曜日)
 今回の特別展で取り上げる7人の作家について紹介し、青森との意外な関わりを解説する講座です。
 時間:14時00分から15時00分
 会場:青森県立図書館4階研修室
 講師:青森県近代文学館室長
 参加無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」 令和4年8月21日(日曜日)
 津軽地方を中心にドラマリーディング(朗読劇)上演活動を続けている声優劇団「津軽カタリスト」が、教科書に掲載されてきた「走れメロス」や「葉桜と魔笛」等、太宰治の作品の朗読劇を行います。
 時間:14時00分から15時20分
 会場:青森県立図書館4階集会室
 当日はYouTube( 津軽カタリストのチャンネル )でLIVE配信も行います。
 観覧無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

夏休み企画「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」
 夏休み期間中(7月22日~8/23日)、毎日3回ずつ、対象年齢に合わせた展示の解説を行います。
 小学生 10時~  中学生 14時~  高校生 16時~
 ※この時間以外にも、ご希望に応じて解説いたします。
 ※保護者や教職員、一般の方もご参加いただけます。

というわけで、主に若い世代を対象とした感じですが、はるか昔に「教室」を巣立たれた皆様もぜひどうぞ(笑)。

光太郎に関しては、まず『道程』初版本。大正3年(1914)、200部ほど自費出版で作られ、光太郎によれば、嘘かまことか、書店を通じてきちんと売れたのは七冊だけだったそうで、現在残っているものは、光太郎が友人知己に献呈したものがほとんどと考えられます(当方も一冊持っていますが)。それでも残本が多く、中身はそのままに奥付と外装を換えて何度か刊行されました。国会図書館さんのデジタルデータで公開されているものは、大正4年(1915)の改装本です。オリジナルの形で残っているものは、刊行後に関東大震災や太平洋戦争があったことを考えると、数十冊あるかないかと思われます。
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「桂月メダル(レリーフ)」。昭和28年(1953)10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもの。小品ではありますが、完成作としては光太郎最後の彫刻作品です。
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それから、「自筆色紙」。こちらは詳細不明です。やはり「乙女の像」の関連で、現地の関係者に揮毫して贈呈したものかな、と思われます。

それから「等」。光太郎本人の書ではありませんが、詩「道程」を大書した作品が展示されている模様です。
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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十和田休屋によき敷地を見つけて台石建設の万般の手筈を終わりし由、

昭和28年(1953)8月19日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」についてです。原型は既に完成していましたが、設置場所は宙に浮いた格好になっていました。というのも、元々この事業に関わっていた地元の怪しげなボスと旧厚生省の外郭団体のドンが、プロジェクトから外される形となり、その腹いせに当初建設予定地の子の口(ねのくち)への設置はまかり成らん、と、横槍を入れてきたためです。いつの時代にもこういう輩がいるのですね(笑)。

それに対し、像を含む公園全体の設計を担当した建築家・谷口吉郎、光太郎の身の回りの世話等も行っていた詩人の藤島宇内が再度十和田湖に出向き、現在の設置場所である休屋御前ヶ浜にいい感じの場所を見つけ、交渉を済ませてきたというわけです。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/31(土)開幕! 今年で開催10周年!カラフルなインスタ映えメニューも多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。

 今年で11年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションで輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、わし座・こと座・はくちょう座で構成される「夏の大三角形」や「北斗七星」、「カシオペア座」といった夏の星座をイルミネーションで楽しめるほか、ここでしか見ることができない光り輝く二本松のマスコットキャラクター「菊松くん」のフォトスポットや昨年から黄色の輝きがさらにパワーアップした「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。また、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながら楽しめるひんやりメニューも登場いたします。
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 さらに、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 夜だけではなく昼から来ても楽しめるあだたら高原リゾートでは、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」がトッピングされた「とろんたま入り台湾風まぜそば」や、かき氷のようでかき氷ではない、アイスクリームともまた違う、雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」など、夏にぴったりのメニューが新登場。ぜひ、ご賞味ください。

 あだたら高原リゾートでは、ご来場いただく全てのお客様に安心してお楽しみいただけるよう、新型コロナウイルス感染症対策を徹底しております。この夏は、阿武隈の山々を見渡す絶景の大パノラマと幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

【「あだたらイルミネーション」概要】
・開催期間  2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)
 ※8月29日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
・営業時間  19:00~21:00
 ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
・料金
  入場料:中学生以上600円、小学生以下400円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,400円、小学生以下900円
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LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】

 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。
・開催日 8月6日(土)、13日(土)、20日(土)、27日(土)、
     9月3日(土)、10日(土)、17日(土)、18日(日)
・時間  18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金  3,500円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法  各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定​
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■インスタ映え間違いなしの光るメニューが登場!    
 「富士急レストハウス」では、イルミネーション期間中限定で、「光るかき氷」と「光るドリンク」を販売いたします。「光るドリンク」には安達太良山の夜空に輝く星座をイメージした「スターライト(バラフライピーシロップ入)」が新登場!キラキラと光り輝く様子はイルミネーションをさらに華やかに彩ること間違いなしです。
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■インスタグラム写真投稿キャンペーン開催!
 公式インスタグラム(@ adatara_illumination)をフォローの上、指定ハッシュタグ「#あだたらイルミ2022の思い出」をつけ、場内で撮影したイルミネーションの写真を投稿していただいた方の中から抽選で、地元特産品をセットにした賞品やリフト券&温泉入浴券セットをプレゼントいたします。この機会に、ぜひご参加ください。
【A賞】岳温泉十二支めぐり&温泉の素3種(5名様)
【B賞】桃の恵みジュース&温泉の素3種&あだたら山ピンバッチ(5名様)
【C賞】スキーリフト券&奥岳の湯入浴券セット(5組10名様)
◎賞品概要
「岳温泉十二支めぐり」は、岳温泉観光協会が企画・作成したもので、温泉街にある十二支の石柱をめぐり、ポストカードに版画を写して温泉街を巡ることができます。温泉の素は、岳温泉街にある佐藤物産館オリジナルの入浴剤で、「岳の湯」をはじめ「大玉の湯」など福島県内の温泉が再現されています。JAふくしま未来の「桃の恵み」は、桃の旨味をそのまま閉じ込めた果汁100%ジュースで、桃の名産地福島だからできた商品です。あだたら山ピンバッチは、あだたら高原リゾートオリジナル商品で、ロープウェイ山麓駅のレストハウス(売店)、「あだたら山奥岳の湯(売店)」のみでしか購入できない限定品になります。
 
■夏の爽やかメニュー多数登場!
 「富士急レストハウス」では、7月16日(土)より暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。辛いものがお好きな方に向けて、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」が辛い麺と絡み合う「とろんたま入り台湾風まぜそば」や麻婆豆腐がたっぷりのった「麻婆そば」、かき氷のようでかき氷ではない、かといってアイスクリームとも違うまるで雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」が新登場。お好みのソース(ストロベリー、ピーチ、チョコ)をかけて、お召し上がりください。
 さらに、昨年の夏に販売しご好評をいただいた、梅の酸味が食欲をそそる「梅とチキンのさっぱり冷やしうどん」や見た目も鮮やかでボリューム満点の「具だくさんの冷やし鶏塩ラーメン」もご賞味いただけるほか、「あだたらかき氷ソフト」と「あだたらソーダ」に今夏桃フレーバーが仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!ぜひ、この機会にご賞味ください。
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【昼から来ても楽しめる魅力がいっぱい!】
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
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ここまで「ほんとの空」の語を連発されては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

群像の人くる、迎の車で西銀座「出井」といふ料亭で、金子光晴、三好豊一郎氏と三人詩の座談会、

昭和28年(1953)8月13日の日記より 光太郎71歳

「出井」はつい先頃まで健在だった割烹料亭です。この日の座談会の模様は、この年11月の雑誌『群像』に「現代詩について」の題で掲載されました。

7月16日(土)付『福島民報』さんから。

【写真展138億光年宇宙の旅】③人類宇宙探査の集大成

004 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で十六日開幕する写真展「138億光年 宇宙の旅」は、高精細の天体写真で星空の美しさを伝える。監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)が見どころを寄稿した。

「ほんとの空がある」
 高村光太郎の妻・智恵子が、住んでいた東京にはなくて、故郷の二本松市だけに「ほんとの空」があると語った言葉から生まれた、『あどけない話』という詩である。福島にはまだ「ほんとの空」が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない。東京では星座も結べないほど星が見えないが、福島では市街地を離れれば、まだまだ満天の星が見られるからだ。
 そんな「ほんとの空」のある福島には星を見に来る人も多いが、この夏は拍車がかかるかもしれない。最新の宇宙の写真展が福島市で開催されるからだ。展示されるのは、本紙のみんぽうジュニア新聞などでもしばしば紹介してきた驚くべき宇宙画像の数々。それらは現代の最新の観測装置群、例えばNASA(National Aeronautics and Space Administration、アメリカ航空宇宙局)のハッブル宇宙望遠鏡や数々の惑星探査機、日本の国立天文台がハワイに設置しているすばる望遠鏡や、欧米と共にチリに建設したアルマ望遠鏡など、世界中の最新鋭の望遠鏡群が撮影した画像だ。
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 百三十八億光年かなたの、宇宙の果てのかすかな銀河から、太陽系の惑星までさまざまな時間・空間スケールの異なる天体が並ぶ。美しさと鑑賞性を重視し、選び抜かれた画像群だ。宇宙から見た地球や立体的なオーロラなどの自然現象、人類の存在を示す夜景や人工建設物の造形、探査機が明らかにした驚くべき惑星の素顔の数々、そして何よりも芸術のような深宇宙の天体群の数々。可視光だけでなく、目に見えないエックス線から紫外線、赤外線までカバーして作られた疑似カラー合成画像は、美しさだけでなく、人類の宇宙探査の集大成でもある。
 これら深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば幸いである。

 わたなべ・じゅんいち 1960(昭和35)年、会津若松市生まれ。会津高、東京大理学部天文学科卒。東京大の大学院、東京天文台を経て、国立天文台上席教授を務めている。専門は太陽系小天体(すい星、小惑星、流星など)の観測的研究。国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星のカテゴリーをつくり、冥王星をその座に据えた。2018(平成30)年から国際天文学連合副会長を務めている。61歳。

写真展「138億光年 宇宙の旅」についても、同紙から。

論説 【宇宙の旅写真展】地球いとおしむ機会に

 百億光年以上も離れた星々に間近に接し、想像力は果てなく広がる。きょう十六日から八月二十一日まで福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開かれる写真展「138億光年 宇宙の旅」は、人類の英知を集めた最新画像で見る人を無限の時空へいざなう。地球や自らの存在を考える貴重な機会になる。
 写真展は、日本を代表する天文学者で国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)が監修した。米国航空宇宙局(NASA)をはじめ、世界の宇宙望遠鏡、惑星探査機などが捉えた写真百二十五点を大型の高品位銀塩プリントで紹介する。激しく噴き上がる太陽のプロミネンス(紅炎)、わし星雲の「創造の柱」と呼ばれる神秘的な領域など、多様な天体の姿が見られる。百三十億光年以上の距離にある銀河の写真も公開される。
 地球を捉えた写真の数々にも注目したい。月の地平線から浮かび上がる「地球の出」は、水と生命を湛[たた]える麗しさに息をのむ。地球は今、気候変動による環境破壊が進む。感染症や戦火にも脅かされている。持続可能な存在にするための国際目標(SDGs)がうたわれている。写真を通して県民が自分事と捉え、SDGsへの意識を日常の行動につなげるきっかけになればと願う。
 渡部さんは十五日付本紙への寄稿で、「福島にはまだ『ほんとの空』が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない」と思いを伝えている。美しい満天の星空を末永く守るためにも、一人一人の心がけは欠かせない。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機はやぶさ2が小惑星りゅうぐうから持ち帰った砂などの試料に、「生命の源」ともいわれるアミノ酸が含まれていると分かり、世界を驚かせた。会津大や複数の県内企業がはやぶさ2のプロジェクトに深く関わっている。会場では、はやぶさ2の二分の一模型や、県内企業が手がけた人工クレーターをつくる衝突装置なども紹介される。未知の領域に挑む県人の潜在力も感じてほしい。
 渡部さんは「深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば」とも期待した。人種や国籍を問わず、誰もが同じ奇跡の上にあると知れば、互いを慈しむ心は深まる。未知なる宇宙の深淵[しんえん]に触れ、現在と、これからの地球を見渡す視界も広げたい。

同展詳細はこちら。

写真展 138億光年宇宙の旅-驚異の美しさで迫る宇宙観測のフロンティア-

期 日 : 2022年7月16日(土)~8月21日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 7/25(月)・8/8(月)
料 金 : 一般 1,200円 中高生 900円 小学生 600円

関連行事<講演会>
 講師 渡部潤一(国立天文台 上席教授)
 日時 7/23(土)13:30~15:00
 場所 2階会議室
 定員 200名(先着順)※定員になり次第締め切り
 申込 メールにて jigyo@fukushima-minpo.co.jp
    ※郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえお申込みください。
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コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃平凡社の美術全集よりくる、エジプト彫刻のグラビヤ解説4枚20日〆切、

昭和28年(1953)8月7日の日記より 光太郎71歳

この年9月5日発行の『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』のための原稿です。

光太郎はプリミティブなエジプト彫刻の美を愛しました。欧米留学中の明治40年(1907)から翌年にかけ、ロンドン滞在中に大英博物館でエジプト彫刻をよく観ていたそうです。

それにしても、突然、書け、といわれても書けてしまうあたり、舌を巻かされます(笑)。
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7月15日(金)、花巻高村光太郎記念館さん、そして高村山荘を後に、再び花巻市街へ。今回は、宿泊する大沢温泉さんにチェックインする前に、少し調べ物を、という計画を立てておりました(直前になってそう決めたのですが)。

そこで、花巻市立図書館さんへ。
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まず「郷土資料室」という部屋があり、光太郎関連で目新しい発見がないか、チェック。残念ながら、コピーを取る必要のあるものは発見出来ませんでした。

続いて「新聞資料室」。戦中・戦後の光太郎が花巻町及び郊外旧太田村にいた時期の新聞で、『高村光太郎全集』に洩れている光太郎の談話や講演筆記などが載っていないか、というわけです。ところが、光太郎がいた時期の新聞はあまりありませんでした。最も調べたいと思っていた『花巻新報』(題字揮毫、光太郎)は、光太郎帰京後の昭和30年代からのものしか所蔵されていません。それでも光太郎関係の記事は散見されるのですが、それらは既知。

しかし『岩手日報』は、昭和28年(1953)からのものが所蔵されており、そちらを拝見。光太郎、昭和27年(1952)には、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京していますが、昭和28年(1953)11月から12月にかけ、一時的に郊外旧太田村に帰っていますので、その頃の記事を調べました。

すると……
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まず光太郎が太田村に帰ってくると聞きつけた記者が、東京中野の貸しアトリエを訪問しての記事。光太郎を「六十九歳」としているのは誤りで、この時、満で70歳、数えで71歳です。光太郎の談話が笑えますね(笑)。1年ちょっとぶりに太田村に帰るということで、ウキウキしていたのかもしれません。

そして、花巻駅に下り立ったという記事。
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続いて太田村の山小屋に帰って。この時の記事が一番面積を取っていました。
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さらに、再上京についても。
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光太郎の言葉と、地の文と、もっと明確に分けて書けよ、と突っ込みを入れたくなりましたが、貴重な記録ではあります。

意外だったのは、「十和田湖畔の裸婦群像」を「みちのく」と表記していること。「乙女の像」という通称も既に使われていましたが(当初は通称というより、「仁王像」「騎馬像」のようなカテゴリを表す普通名詞でしたが、その後、「乙女の像」といえば十和田湖、となっていった感じです)、「みちのく」という愛称も既に広く使われていたのは発見でした。

それにしても、一芸術家が帰村したのしないの、また上京してしまったのと、いちいち大きく取り上げるあたり、時代背景というものもありましょうが、いかに花巻や太田村の人々に光太郎が愛されていたかの証左だな、とも感じました。また、光太郎の談話からは、逆に光太郎がどれだけ花巻や太田村を愛していたのかも読み取れますね。

この日は(というか、この日も)、花巻南温泉峡・大沢温泉さんに宿泊。
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直近2回(昨年12月今年3月)は、一人旅ではなかったため、ちょっと高級な山水閣さんに泊まりましたが、今回はホームグラウンド的な自炊部さんに。
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ちょっと高級な山水閣さんは、それはそれでいいのですが、やはり自炊部さんのこの狭さ風情がたまりません(笑)。

現代の『岩手日報』さん。花巻東高校出身の大谷翔平選手が一面トップ(笑)。
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現代の岩手人はとにかく大谷ラブなのでしょう。

そして露天風呂。
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KIMG6508何らのしがらみも無ければ、ここ(自炊部)で暮らしたいくらいです(笑)。

ちなみに廊下には、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎、海を航る」のポスターを貼って下さっていました。ありがたし。

翌日、レンタカーを新花巻駅前の営業所に返し、新幹線で盛岡へ。盛岡駅前の営業所返却にすればよかったかなとも思いましたが、今回はなかなか旅の行程を決めるのに手間取り、そうなってしまいました。

盛岡では岩手県立図書館さんへ。昨日に続き、郷土資料や昔の新聞で調査です。花巻市立図書館さんには揃っていなかった『花巻新報』もこちらではコンプリートされており、昨日同様、昭和28年(1953)の光太郎帰村前後を調べました(それ以前の号は一昨年に調査済み)。

すると、花巻市立図書館さんでコピーを取った『岩手日報』同様、やはり帰村の件が記事になっていました。
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「来春六月にはまた帰るよ」といって、再上京した光太郎。他の文献等でも、この時期、東京と岩手での二重生活を目論んでいたことが記されていましたが、それが裏付けられました。しかし、その念願は叶わず、結局は東京で療養生活を送ることになってしまい、再び岩手の土を踏むことはありませんでした。

「九州に建てる胸像」は、未完成のまま絶作となった「倉田雲平胸像」です。

また、同じく昭和28年(1953)9月の、宮沢賢治を追悼する賢治祭の記事。
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太田村在住中には、ほぼ欠かさず出席し、講話や講演を行っていた光太郎ですが、この年は上京していたため欠席。しかし、当会の祖・草野心平にメッセージの原稿を預け、心平が代読していました。『花巻新報』にこれが載っていたという情報は得ていませんでしたので、こりゃ新発見だろう、と期待しましたが、帰ってから調べましたところ、『高村光太郎全集』第8巻に「一言」の題名で載っていました。どうも心平が原稿を保存していて、全集編集に当たった当会顧問であらせられた故・北川太一先生に渡したようです。『花巻新報』に載っていたのがわかった、という意味では新事実と言える事柄ですが。

それから、岩手で出版された書籍等から、光太郎関連のいろいろな記述等を見つけました。高橋峯次郎関係、宮静枝関係など。

また、光太郎作の彫像「大倉喜八郎の首」についても、当方の知らなかった事実(とおぼしき事柄)が判明しました。
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この像、大正15年(1926)の作ですが、しばらく光太郎の手許を離れていて、昭和24年(1949)、盛岡在住だった彫刻家、堀江赳から光太郎に返却されました。なぜ堀江が持っていたのか、その経緯を当方は知らなかったのですが、『北の文学』という地方同人誌の第3号(昭和32年=1957)に、そのいきさつが記されていました。古館勝一という人物の書いた「高村光太郎ノート」という随筆とも評論ともつかない文章でしたが、それによれば堀江が戦時中に駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪れた際、空襲を危惧していた光太郎が、何か作品を預かってくれと言うので、堀江が「では、これを」と預かったそうです。

上記画像はブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」の一コマ。太田村の山小屋で光太郎が「大倉喜八郎の首」を手に取っているシーンです。昭和28年(1953)の帰村は、この映画の撮影のためという側面もありました。

上記『岩手日報』記事中の光太郎談話に「山口部落の人々には驚いた。残して行った作物を留守中ちゃんと置いてある。誰も持って行かない。」とあります。「作物」は「さくもつ」と読めば「農作物」ということになりますが、それでは意味が通じません。「さくぶつ」と読んで、小屋に置きっぱにしていった「大倉喜八郎の首」や、書の作品、と読めば意味が解ります。そういうことなのではないでしょうか。

さて、こうした図書館等での調査、当方は3~4時間が限界です。それ以上続けると、集中力が途切れ、大事な記述等を見落とします。集中に優れた人は丸一日でも大丈夫なのでしょうが(笑)。そこでこの日も正午過ぎに調査終了。まだ『新岩手日報』やら、当たるべき資料が結構あるので、またの機会と致します。

以上、長々書きましたが、岩手レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

岩手の佐藤ひろしさん椛澤佳乃子さんくる、一緒に新宿、火の車、吾妻橋ビヤホール、江戸ツ子天ぷらにゆき東京駅で別れる、


昭和28年(1953)7月12日の日記より 光太郎71歳

佐藤ひろしさん」は、旧太田村の光太郎の山小屋近くの開拓地に入植していた青年で、かつては光太郎の山小屋を毎日のように訪れ、光太郎のパシリ的なこともやっていました(笑)。口さがない人々は「金魚のフン」と蔑んでいましたが、光太郎はこの青年を随分とかわいがっていました。

誤解を招く書き方ですが「岩手の」が修飾しているのは「佐藤弘さん」のみで、「椛澤佳乃子さん」は東京在住。ただ、旧太田村の山小屋もたびたび訪れていましたので、佐藤青年とも顔なじみだったようです。

7月15日(金)、道の駅はなまき西南さんを後に、車で10分ほどの花巻高村光太郎記念館さんへ。
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玄関前には、花巻農業高校生徒さん、保護者の皆さんにより寄贈されたベゴニアのプランター。ありがたし。
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こちらでは、7月16日(土)から企画展「光太郎、海を航る」が始まるということで、前日ですが、準備は終了していたため拝見して参りました。

メインは一昨年、都内の方から寄贈された、光太郎から3歳下の実弟・道利に宛てた絵葉書。明治42年(1909)、留学の最後に敢行したイタリア旅行中、ローマで投函されたものです。

今伊太利旅行中。今日羅馬に来りたり。古羅馬の偉大なりしを想見して驚かざるを得ず。

 四月四日  羅馬にて  高村光太郎          光

最後の「光」はサインです。
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解説パネルは、例によって当方が書かせていただきました。

同時期のもの、ということで、当方手持ちの絵葉書もお貸ししました。
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明治41年(1908)、当時滞在していたロンドンから、パリにいた留学中間で画家の白瀧幾之介に送ったものです。共通の友人として、碌山荻原守衛や、後に妻の八重ともども、光太郎と智恵子を結びつけた画家の柳敬助の名も記されています。

新年の御慶申納候 僕の処へも荻原君から手がみがあつた。柳君の最近の手がみにある番地は矢張り618w.114stとある。此でいいのだらう。  二日 光太郎

さらに、館蔵の書幅。
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戦後の筆跡ですが、明治39年(1909)、海外留学へと旅立った船上で詠んだ短歌「海にして太古の民の驚きをわれふたたびす大空のもと」が書かれています。枯淡というか、深奥というか、戦後に光太郎がたどり着いた境地がにじみ出ている書だと思います。

肉筆物では、草稿も。
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「ミケランヂエロの彫刻写真に題す」。昭和16年(1941)8月20日(龍星閣版『智恵子抄』初版と同日)アトリヱ社刊、天田文雄編の写真集『ミケランヂエロ MICHAEL ANGELO』のために書かれたものです。

当方手持ちの同書をお貸ししまして、ガラスケースに展示。
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左は『世界美術全集17 ルネサンスⅡ 西洋十六世紀』(昭和26年=1951 3月25日、平凡社刊。下中彌三郎編)。旧太田村の山小屋(記念館さんの敷地内)で、光太郎により執筆された「ミケランヂェロ・ブオナローティ」を収める他、ミケランジエロ作品の写真版17葉の解説も、かつてイタリア各地でそれらを実際に見た光太郎が執筆しました。
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ガラスケースは一つだけ。何やら展示の準備を始めたところ、もう一つ使う予定だったケースにカビが発生していたそうで……。そこで壁面での展示が中心です。解説パネルも文字が多く、一般の方には取っつきにくいように感じます。上記『世界美術全集17』の図版などもパネルにしてくれと頼んだのですが……。
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その他、もう一つのガラスケースに入れるはずだった、留学に関わる土地や船舶の古絵葉書などは、ディスプレイで投影。
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全体にはちょっと地味というか、寂しいというか……。もう一つガラスケースを何とか手配して、展示品を増やして下さいとお願いしてきましたが、どうなることやら、です。

隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間を暮らした山小屋)へ。
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北東北はまだ梅雨明けと発表されておらず、千葉の自宅兼事務所ではとっくに終わった紫陽花も咲いていました。
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山小屋内部。
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何十回目かの訪問ですが、来るたびに粛然とした気持にさせられます。

この後、市街に戻り、花巻市立図書館さんへ。光太郎が居た当時の新聞などの資料を渉猟して参りました。続きは、また明日。

【折々のことば・光太郎】

午前静子くる、ジユバン、アメなどもらふ、染井墓まゐりにゆく由、


昭和28年(1953)7月10日の日記より 光太郎71歳

静子」は光太郎のすぐ下の妹。上記の道利とは双子でした。道利は昭和20年(1945)、光太郎実家の庭に掘った防空壕に転落した事故が元で死亡。既に染井霊園の高村家墓所に入っていました。

昨日まで、1泊2日で岩手県に行っておりました。レポートいたします。

1日目、7月15日(金)。東北新幹線新花巻駅に降り立ち、例によってレンタカーを借りました。まず向かったのは、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さん。北東北はまだ梅雨明けが発表されていないということで(関東も「戻り梅雨」的様相ですが)、この日も結構降っていました。
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こちらのインフォメーションコーナー的な一角。
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過日、近くにガソリンスタンドをオープンさせた冨士見総業さんが、光太郎賢治関連書籍などをごそっと寄贈なさいました。なかなかできることではありませんね。
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書棚が3つ、約470冊、10万円相当だそうで。書棚にはガラスの戸が付いており、夜間は施錠するそうですが、日中は自由に取り出して読めるようになっています。

光太郎関連。
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図書館さんのように貸し出しをするわけではないので、ここで読むにはどうなのかな、というものもありますが、図版の多い書籍なども含まれ、いいのではないでしょうか。
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書棚の隙間には、光太郎を描いたイラストも(写真を撮り忘れましたが、賢治も)。
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こちらの元ネタは、この写真です。
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宮沢賢治関連の書籍。光太郎関連よりも賢治関連の方が、さまざまな書籍等が出ていますので、やはりスペース的に光太郎関連の倍以上。
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シリーズ物で、光太郎・賢治関連もラインナップに入っているものなども。
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これから学校さんは夏休みに入っていきますし、ぜひ小中学生さんたちにも活用していただきたいものです。

その隣では、地元ご在住のMICHINOさんという方の色鉛筆画で「器と楽しむ光太郎ランチ」。こちらの道の駅のテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんで、毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」を洒落た器に盛りつけて描いた作品です。
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食欲をそそられます(笑)。

実物の写真等も。
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この日は15日で、「光太郎ランチ」の販売日でした。そこで、一つ、確保していただいておりました。
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この日のメニューは、「ごま飯・おにぎり」、「赤魚塩麹焼き」・「ズッキーニグラタン」、「野菜サラダ」、「スナップエンドウの卵とじ」、「塩麹卵焼き」、「お新香」、「茹でトウモロコシ」、「梅干し寒」。彩りも鮮やかですし、栄養バランスもしっかり考えられていますね。

と、まぁ、「賢治と光太郎の郷」という愛称通りに、さまざまな取り組みをなさっている道の駅はなまき西南さん。今後も地元の皆さん、さらに市外の方々にも愛されていってほしいものだと思いました。

この後、近くの花巻高村光太郎記念館さん、そして光太郎が7年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)へ。以下、明日。

【折々のことば・光太郎】

鶴千代是秀翁くる、 藤島さんくる、 澤田伊四郎氏土方氏くる、土方氏の出版の序文の事、転載承諾、


昭和28年(1953)7月8日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」原型が完成し、ほっと一息、と思いきや、千客万来です(笑)。

鶴千代是秀」は「千代鶴是秀」の誤りです。伝説的道具鍛冶で、光太郎とは戦前からの付き合い。かつて光太郎も是秀作の彫刻刀を使っていまして、昨年、東京藝術大学さんで開催された「髙村光雲・光太郎・豊周の制作資料」展に出品されました。
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是秀の娘婿・牛越誠夫は石膏取り職人で、「乙女の像」の石膏取りを行っています。

藤島さん」は詩人の藤島宇内。再上京後の光太郎の身の回りの世話等をよくしてくれました。

澤田伊四郎氏」は、『智恵子抄』版元・龍星閣主。「土方氏」は彫刻家・土方久功。「転載」は、この年1月の『朝日新聞』に光太郎が寄せた土方の個展評「現代化した原始美-土方久功彫刻展-」を、龍星閣から出版する土方の著書『文化の果てにて』の序文として転用するということです。

昨日から
の日程で花巻に来ております。

本日から始まる花巻高村光太郎記念館さんの企画展示「光太郎、海を航る」の展示内容確認がメインです。開会前でしたが、昨日の内に確認して参りました。

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その前後、道の駅はなまき西南さん、花巻市立図書館さんにも足を運び、宿泊はいつものように大沢温泉♨さん。

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今日は盛岡まで足を伸ばして、調べものをして帰ります。

詳しくは帰りましてから。

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