カテゴリ: 音楽/演劇等

北海道からイベント情報を2件ご紹介します。

「モンクール読み語りライブ 〜「詩」を想い、そして 思い出す日。20」

日 時 : 2014年6月29日(日) 開場12時頃/開演13時
場 所 : 詩とパンと珈琲 モンクール 
       札幌市中央区北3条西18丁目2-4 北3条ビル1F(南向き)
料 金 : 投げ銭
特 集 : 高村光太郎・城理美子
主 催 : ヨミガタリを楽しむ会
 
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朗読系のイベントのようです。光太郎を取り上げてくださる由、ありがたいかぎりです。
 




高村智恵子紙絵複製展

日 時 : 2014年5月23日(金) ~7月28日(月) の土・日・月
場 所 : ギャラリー日の丘 北斗市三ツ石347 0138-75-3557
 
明治・大正期の詩人高村光太郎の妻智恵子の切り絵を貼り重ねた作品複製約40点を展示する。
 
『北海道新聞』さんのイベント情報で見つけました。「智恵子の切り絵を貼り重ねた作品複製」という部分、意味がよくわからないのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月5日

明治45年(1912)の今日、『読売新聞』に智恵子を紹介する記事「新しい女(一七) 最も新しい女画家」が掲載されました。
 
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前月に第1回与謝野晶子からはじまった連載の17回目で、他に田村俊子、相馬黒光、松井須磨子、長谷川時雨などが取り上げられ、翌年には単行本にもなりました。
 
かなり好意的に紹介されています。一部抜粋します。
 
『好きなのは、やはりゴオガンのです』話す時、その声は消えるやうに低くなる、『このごろ描きましたのは――』と立つて壁によせかけた小さな板を裏返して『ぢきこの近くなのです』、見ると、木立の間から畠を越えて夕空が明るくのぞかれる、木の葉といひ草の葉といひ、女とは思はれぬほどつよくそして快く描いてある、ふとセザンヌの雨の画を思ひだしたので、そのことをいふと『えゝセザンヌもほんとにようございますわね』と子どもらしく口を開いて目をほそめた、

昨日は浅草に行き、過日のブログにてご紹介した「東日本大震災復興支援チャリティ朗読会 届けよう笑顔!~東北に初夏の風~ レジェンド・太宰治」。を拝聴して参りました。
 
街自体にあまり用事がなく、久しぶりの浅草訪問でした。
 
東京メトロ銀座線の浅草駅から吾妻橋のたもとあたりで地上に出ると、まず目に入ったのはそびえ立つ東京スカイツリー。駅前には人力車に乗った新郎新婦。いい感じですね。その後、会場のアミューズミュージアムに行くため、浅草寺方面へ。そこは観音堂のすぐ隣です。混雑しているとわかっていながら、やはり正面から、と思い、雷門をくぐって仲見世通りを歩きました。

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明日また詳しくレポートしますが、観音堂前の手水舎には光雲作の銅像、「沙竭羅龍王像」があります。そこを右折して二天門を出れば会場のアミューズミュージアム。また時間が早いので、場所だけ確認して逆方向の奥山方面に進みました。こちらにも光太郎ゆかりの場所がありますが、そちらのレポートも明日。
 
さて、アミューズミュージアム。公式サイトによれば「布文化と浮世絵の美術館、和のセレクトショップ、ライブスペースが一体となった複合型アートビル」とのことで、朗読会の前に美術館部分を拝見しました。
 
レトロな道具類、古布の端切れ、青森南部地方の「南部菱刺し前かけ」、考古資料まで並んでいました。上の方の階は浮世絵関連で、現物の他、「浮世絵シアター」で俳優の小倉久寛さんナレーションの動画も放映されていました。
 
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屋上は展望スペース兼喫煙所。足下に浅草寺が俯瞰できます。振り返ればスカイツリーも。
 
 
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さて、いざ、会場の6階ホールへ。いよいよ朗読会開始です。
 

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いきなり光太郎の「智恵子抄」より。中村雅子様、塙野ひろ子様、須賀雅子様、宮崎泉様、4名の出演者の皆さんがお一人ずつご登場、5篇の詩を朗読なさいました。
 
 「樹下の二人」「あどけない話」「山麓の二人」「レモン哀歌」「亡き人に」。福島関連の詩が3篇含まれていたのは、「東日本大震災復興支援チャリティ朗読会」と謳われている関係でしょうか。
 
また、全員、コスチュームのどこかしらにさわやかなブルーを配していらしたのも、偶然ではなく、サブタイトルの「届けよう笑顔!~東北に初夏の風~」ということで、初夏の青空をイメージなさっていたのではないかと思いました。

その後は太宰治の短編小説を4篇、お一人1篇ずつ朗読なさいました。皆さん、現役や元アナウンサー、劇団四季ご出身などの方々ということもあり、メリハリのついた非常に聴きやすい朗読。聞きほれてしまいました。
 
トリを務められた中村雅子様は、驚いたことに原稿なし(音楽演奏でいえば暗譜)でのご朗読。すばらしいですね。
 
最後は聴衆を巻き込んでの歌、「雨のち晴レルヤ」でした。
 
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プログラム的にも長すぎず、短すぎず、何よりお美しいすてきな皆様の素晴らしい朗読で、非常によかったと思いました。
 
終演後、出演者の皆様にご挨拶させていただき、さらに例によって連翹忌の営業をして参りました。どなたかお一人でも来年の連翹忌にご参加いただければ、朗読を披露していただきたいと考えております。
 
先程も書きましたが、周辺での光太郎光雲関連スポットも廻ってきましたので、明日はそのレポートを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月25日

昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエにブリヂストン美術館の映画撮影班が入り、美術映画「高村光太郎」の撮影が行われました。
 
十和田湖畔の裸婦像制作のシーンが撮影されました。
 
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来月開催される音楽イベントを二つご紹介します。 

第九回 邦楽器とともに 新しい日本歌曲の夕べ ~再演作品を揃えて

日時 2014年6月2日(月) 18:30~
料金 3,500円
曲目 出演 
 「冬の雅歌」〜句集「途上」より〜  高原桐[詩] 松村百合[曲]
     伊藤香代子[ソプラノ] 松尾慧[篠笛] 三森未來子[チェロ] 大上茜[琵琶]
 「七夜月」「花のみちゆき」-「恋ひ歌」三章より-  伊豆裕子[詩] 小山順子[曲]
    山本有希子[ソプラノ] 福永千恵子[十七絃] 野澤徹也[三絃]
 「天女」  太田眞紗子[詩] 小室美穂[曲]
    林廣子[ソプラノ] 松尾慧[篠笛]
 「宵待人」 木下宣子[詩] 池上眞吾[曲]
    武田正雄[テノール] 池上眞吾[筝] 平野裕子[十七絃] 田嶋謙一[尺八]
 「荒涼たる帰宅」 高村光太郎[詩] 田丸彩和子[曲]
    福嶋勲[バリトン] 設楽瞬山[篠笛・尺八] 岩佐鶴丈[薩摩琵琶]
 「アダジオ」 齋藤磯雄[詩](フランソワ・コペ原詩)千秋次郎[曲]
    関根恵理子[ソプラノ] 重成礼子、木村麻耶[筝]
 「しだれ桜ー紫の上ー」 藤井慶子[詩] 高橋久美子[曲]
    百合道子[メゾソプラノ] 松尾慧[篠笛] 久保田晶子[琵琶]
 「鑿(のみ)と桜」 山根研一[詩] 中島はる[曲] 
  
  森田澄夫[テノール] 砂崎知子[筝] 田辺頌山[尺八]
 
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同じ波の会さん主催で昨年も「荒涼たる帰宅」が演奏されたコンサートがありました。
 
 
もう一件、直接は光太郎と関わりませんが、連翹忌ご常連の作曲家・仙道作三氏によるものです。 

ひとりオペラ「与謝野晶子みだれ髪」(全2幕8場)

日時 2014年6月7日(土)昼:午後3時30分開演・夜:午後7時開演(各30分前開場)
主催 命と愛のメッセージ委員会 センドー・オペラ・ミュージカル・カンパニー
料金 前売4,000円、当日4,500円
出演 山口佳子(ソプラノ) 矢島祐果(朗読) 水村浩司(Vn) 白佐武史(Vc)
   菊地邦茂(Pf) 斉藤裕子(Perc)
作曲・演出・指揮 仙道作三
台本 持谷靖子

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作曲の仙道氏は、オペラ「智恵子抄」も作曲なさっています。この「与謝野晶子みだれ髪」は平成20年(2008)の初演だそうです。
 

与謝野晶子は光太郎と縁が深く、当方、このところ晶子に対する関心も高まってきており、聴きに行くことにしました。
 
それぞれ上記主催団体リンクから申し込めますので、001よろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月21日
平成9年(1997)の今日、日本コロムビアからCD「ボニージャックスの日本の唱歌」がリリースされました。
 
光太郎作詞、飯田信夫作曲の戦時歌謡「歩くうた」が収録されています。
 

朗読のイベント情報です。 

東日本大震災復興支援チャリティ朗読会 届けよう笑顔!~東北に初夏の風~レジェンド・太宰治

 時 : 2014年 5月24日(土) 1回目 午後1時~、 2回目 午後4時~
 場 : アミューズミュージアム(東京都台東区浅草2-34-3) 6Fイベントホール
 金 : 前売り:2000円  当日:2200円 (全席自由、税込価格)
 目 : 太宰治「燈籠」「リイズ」「饗応夫人」「黄金風景」
      高村光太郎「智恵子抄」より
 演 : 塙野ひろ子  須賀雅子  宮崎泉  中村雅子(順不同)
問 合 : 「笑顔を届けよう実行委員会」代表 中村雅子さん
       電話090-1606-9822(9時~18時)
       アミューズ ミュージアム 03-5806-1181(10:00〜18:00)
 
「女性4人のプロの語り手がお届けする東日本大震災支援復興チャリティ朗読会 ≪届けよう笑顔!東北に初夏の風≫ 。
今回は初めて浅草で行わせていただくことになりました!
今年生誕105年を迎える太宰治作品を中心に、津軽弁あり、詩あり、歌あり・・
東北に思いをよせたプログラムでお送りいたします。
収益金は、「ふくしまキッズ実行委員会」に寄付させていただきます。
公演をご覧いただくことがチャリティにつながります!
皆さま是非お越しください。」
 タイトル・・「届けよう笑顔!~東北に初夏の風~」
 
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いつも同じようなことを書いていますが、こうした取り組みで光太郎智恵子の世界を取り上げて下さるのは、非常にありがたいことです。
 
当方、午後1時の回を申し込みました。皆様もぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月9日
 
明治44年(1911)の今日、札幌に着きました。
 
札幌郊外、月寒の農商務省の牧場が目的地でした。ここで古い日本美術界と縁を切って、酪農をやりながら芸術制作をする生活を考えていましたが、現実にはそんな生活など夢でしかないと思い知らされ、中旬にはすごすごと帰京しています。
 
くわしくはこちら
 
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福島二本松からイベント情報です。

第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程

後 援 : 二本松市他
期 日 : 2014年5月18日(日) 午後2時~
会 場 : 二本松市コンサートホール 二本松市亀谷1-5-1
料 金 : 前売2,000円 当日2,500円 
 込 : 熊谷さん 0243-23-6743
出 演 : 菅原美智子(ラジオ福島アナウンサー) 宮川菊佳(ギタリスト)
      河田富士雄(ナレーター)
 
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5月20日が智恵子の誕生日ですが、それを記念してのイベントです(一昨年も同様のイベントがありました)。「今年、平成26年(2014)は、「道程」100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年です」と、当方がさんざん騒いだためか、それらの記念事業という冠をつけて下さいました。
 
ギターの宮川さんは、連翹忌や女川光太郎祭のご常連。継続して光太郎智恵子関連のイベントに取り組まれていて、頭の下がる思いです。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月30日

昭和22年(1947)の今日、雑誌『農民芸術』に散文「玄米四合の問題」が掲載されました。
 
「玄米四合」というのは、光太郎もその発見の場に立ち会った宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の一節です。そこに表された賢治の精神を評価しつつ、光太郎はその度を過ぎたストイックな面には同意しませんでした。
 
私の見るところでは宮澤賢治の食生活は確に彼の身を破り彼の命数を縮めた。宮澤賢治に限らず、かういふ最低食生活をつづけながら激しい仕事をやつてゐたら、誰でも必ず肋膜にかかり、結局肺結核に犯されて倒れるであらう。「玄米四合ト味噌ト少シノ野菜」の問題は重大である。
 
そして、こんなことも。
 
私は玄米四合の最低から、日本人一般の食水準を高めたい。牛乳飲用と肉食とを大いにすすめたい。日本人の体格を数代に亘つて改善したい。
 
戦後間もない時期、精神論ではなく合理的、科学的に考えていた光太郎に敬意を表します。
 
しかし、「メタボ」や「ダイエット」の語が氾濫するこの国の現状を見たら、賢治や光太郎はどう思ふのでしょうか……。

昨日は福島市に行って参りました。
 
福島駅前の福島ビューホテルさんにて、光太郎の詩に曲を附けて歌っているシャンソン歌手、モンデン・モモさんの「福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を福島の皆様方へ~」があり、そちらを聴きに行って参りました。
 
そちらが午後4時開演だったので、少し早めに福島市に入り、花見山公園に行ってみました。ここは、元々は阿部さんという農家の方が、さまざまな花を植えていた個人の山で、「花を見せてほしい」という要望が強くなって開放するようになったという、ちょっと変わった経緯のある公園です。近年は旅番組等でも取り上げられ、この季節、人気のスポットになりました。
 
平日だからそれほど混んでいないだろう、とたかをくくっていたら、とんでもありませんでした。まず現地まで車で行けません。案内に従って、2㎞ほど離れた阿武隈川沿いにある親水公園に駐車、そこからシャトルバスです。着いてみると、県外ナンバーの大型観光バスがずらっと30台以上。そういえば、途中の磐越道や東北道でやけにバスが多かったと思ったら、行き先はここだったのです。
 
あまり時間がなかったので、ざっと歩いただけになってしまいましたが、それにしても、花、花、花。

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関東では盛りを過ぎた桜や連翹が満開でした。さらに木瓜(ぼけ)や桃、木蓮、菜の花なども。あらためてゆっくり行ってみようと思いました。
 
さて、駅前に戻り、モモさんのコンサート。
 
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いつものように砂原嘉博さんのピアノ伴奏に乗せて、お家芸のシャンソン、それから「花」にまつわる歌の数々などを披露されました。
 
モモさんオリジナルの「花見山伝説」という歌も。これは以前に花見山を訪れ、二代目園主の阿部一郎さん(昨年逝去されたそうです)との出会いから生まれた歌だそうです。
 
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さらに光太郎がらみの「樹下の二人」「道程~冬が来た」も演奏されました。
 
それから、モモさんのニューアルバム「土地 人 伝説」がリリースされ、そちらもゲットしてきました。
 
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モモさんの活動拠点、出雲や福島に関わる歌、光太郎智恵子、平塚らいてうや宮澤賢治へのオマージュなどで構成されています。お買い求めはこちらから。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月17日000

昭和2年(1927)の今日、光太郎による書き下ろし評伝『ロダン』が刊行されました。
 
版元はアルス。北原白秋の弟・鉄雄が創立した出版社です。モノクロですが、図版も豊富に使われ、当時としては豪華な作りです。翌年には同じアルスからペーパーバックの普及版も刊行されています。
 
「ロダンの一生に於ける悲しい記憶の一つである。」として、昨日ご紹介したカミーユ・クローデルに触れている箇所もあります。

福島市在住の詩人、伊武トーマさんからの情報提供です。   
 
まずは先月末のニュース。

飯舘の支援継続誓う 東京で児童、感謝の歌声

 東京電力福島第1原発事故で大きな被害を受けた飯舘村を支援する団体・個人の有志による「飯舘村を支援する集い―陽はまた昇る」は22日、東京・神田で開かれ、までいライフをスローガンに復興を目指す同村へのさらなる支援を誓った。
 発起人を代表して飯舘村までい大使の佐川旭さんがあいさつした後、菅野典雄村長が「原発事故から何を学び次の世代にバトンタッチするか。それは成熟社会の中での成長、暮らし方を考えるべきということ」と述べ、これまでの支援に感謝した。出席者を代表し赤坂憲雄学習院大教授、田中俊一原子力規制委員長らがあいさつした。
 集いには、同村の草野、飯樋、臼石の3小学校の4~6年生の児童も出席し、同村の子どもたちのために作られた曲「ときよめぐれ(までいのロンド)」を元気よく歌った。最後には出席者全員で村民歌「夢大らかに」を合唱し、心を一つにした。
(2014年3月23日 福島民友トピックス)
 
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伊武さん、原発事故で全村避難の続く飯舘村の復興支援のため、「ときよめぐれ(までいのロンド)」という歌を作詞されたとのこと。作曲は山根明季子さん。

 
昨年、福島市で演奏された際の記事がこちら。 

明るい未来歌う MFJ音楽祭 追悼と平安祈る

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を願う音楽が鳴り響いた。10日に福島市音楽堂で開かれたミュージック・フロム・ジャパンの「2013年音楽祭・福島」。被災者に寄り添い、本県の明るい未来を祈る楽曲が次々と披露され、県民を励ました。
 飯舘村の小学生が歌った「ときよめぐれ(までいのロンド)」は、村民が1日も早く村に帰れるように-との思いが込められている。〈未来の子よ はばたけ〉。福島市の詩人伊武トーマさんによる前向きな歌詞が子どもたちの明るい歌声に乗り、会場を温かく包んだ。
 舞台に立った臼石小4年の細杉利樹君は「飯舘のことを忘れないでほしいとの気持ちで歌った」と話した。草野小4年の佐藤由美さんは「たくさんの人に聴いてもらい、うれしい」と涙を浮かべた。
 福島市出身の詩人長田弘さん、郡山市出身の作曲家湯浅譲二さんが作った「おやすみなさい」も感動を呼んだ。犠牲者の追悼と平安の祈りが詰まった曲で、会場に駆け付けた2人にはひときわ大きな拍手が送られた。
 他に、俳人黛まどかさん作句、嶋津武仁さん(福島大教授)作曲の「飯舘の四季・四句」、詩人若松丈太郎さん(南相馬市)作詞、佐々木冬彦さん作曲の「ひとであるあかしとして」などが演奏された。
 飯舘村から福島市に避難している看護師相良久美子さん(51)は「村の子どもたちが元気に頑張っている様子が伝わってきて、感動した」と話していた。
 音楽祭に先立ち、村の小学生を対象とした雅楽のワークショップが開かれた。
(『福島民報』  2013/02/11 12:27 )
 
一昨年になりますが、何と、ニューヨークでも演奏されたそうです。

飯舘村の子どもたちに歌を NYのコンサートで初披露

 日本の現代音楽普及に努める団体「ミュージック・フロム・ジャパン」(理事長・三浦尚之福島学院大教授)のコンサートが19日、前夜に引き続きニューヨーク市内のホールで開かれ、東京電力福島第1原発事故で全村が避難生活を余儀なくされている福島県飯舘村の子どもたちのために作られた歌が初めて披露された。
 「ときよめぐれ(までいのロンド)」(伊武トーマ作詞・山根明季子作曲)で、ニューヨーク育英学園合唱団の児童約25人が、自分たちで考えた振り付けも交えピアノの伴奏で歌った。子どもたちに悲しみを乗り越え、羽ばたいていくよう呼び掛ける内容。
2012/02/20 11:30   【共同通信】
 
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「までい」とは、NHKキャスター大越健介さんのブログによれば、以下の通りです。
 
4月末に訪れた飯舘村の村長室は、「までい」という聞き慣れない言葉であふれていた。机に積み重ねられた書類の中に、壁に張られたポスターの中に。
「までい」とは、福島県のこのあたりの方言だそうだ。菅野典雄村長は、「漢字で書くと、『真手い』という字があたるのかなあ」と語る。真心をもって手で大事にくるむような気持ち、くらいの意味だという。
飯舘村は、「までい」な村づくりを合言葉にしてきた。人の絆を大事にし、ゆったりした田舎暮らしを楽しむ村にしようと。しかし、その取り組みが軌道に乗りかけた時、原発事故によって村の暮らしは大きく捻じ曲げられた。
 
その「までい」を盛り込んで作られた伊武さん作詞の「ときよめぐれ(までいのロンド)」。歌詞は以下の通りです。

 
前を向いて 歩いてゆこう000
道に花が 咲いている
にぎりしめた こぶしをひらき
めぐれめぐれ ときよめぐれ
てのひらの 花よ咲け
ふるさとの道に

顔を上げて 立ち止まってみよう
空に鳥が 飛んでいる
このかなしみを ときはなち
めぐれめぐれ ときよめぐれ
未来の子よ はばたけ
ほんとうの空に

手に手をとって 輪になって踊ろう
あなたがいる わたしがいる
いのちのリズム きざんで
めぐれめぐれ ときよめぐれ
名もなき花よ ひらけ
までいの里に
 
ある意味お約束ですが、光太郎の詩「あどけない話」中の「ほんとの空(ほんとうの空)」の語が使われています。
 
音楽や詩、こうしたものは一種無用のものかもしれません。無くても生きていけるものですから。しかし、こうして人々の心に訴えかけ、復興支援に一役かっています。ほんとかどうかよくわかりませんが、「歌う」の語源は「訴える」の古語「訴ふ」だという話を聞いたこともあります。
 
今後とも、歌を通し、詩を通じての復興支援、続けていっていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月12日

明治25年(1892)の今日、東京日本橋の「綱島亀吉」から、錦絵「楠公銅像之図」が発行されました。
 
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光雲が制作主任となり、東京美術学校総出で皇居前広場に作られた楠木正成の銅像です。竣工は明治26年(1893)。つまりこの錦絵、正式な像の完成除幕より早く発行されています。気の短い江戸っ子気質の表れでしょうか。
 
人々の服装が何ともレトロでいい感じですね。当方、額に入れて書斎のインテリアにしています。

女優の松本典子さんの訃報が各種メディアに出ました。

松本典子さん死去

松本 典子さん(まつもと・のりこ=俳優、劇作家000清水邦夫さんの妻、本名清水和子〈しみず・かずこ〉)26日、間質性肺炎で死去、78歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は夫邦夫さん。連絡先は彩の国さいたま芸術劇場(048・858・5500)。
 東京生まれ。59年劇団民芸に入団。「にんじん」「三人姉妹」などに主演。76年、夫らと演劇企画グループ「木冬社」を結成。「楽屋」「夢去りて、オルフェ」など多くの清水戯曲で、硬質な強さの中に悲しみをたたえた女性像を切れ味鋭いせりふ術で演じ、演出も手掛けた。「タンゴ・冬の終わりに」などで87年芸術選奨文部大臣賞。79年、84年の2回、紀伊国屋演劇賞個人賞を受けた。
 
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松本さん、平成3年(1991)に、木冬社の舞台「哄笑―智恵子、ゼームス坂病院にて―」で智恵子役を演じられました。001
 
作・演出はご主人の清水邦夫氏。光太郎役は小林勝也さんでした。
 
同4年(1992)には清水氏の『清水邦夫全仕事 1981~1991』(河出書房新社・絶版)に脚本が載り、その翌年には再演もされています。
 
右の画像が初演パンフレット、下が再演パンフレットです。
 
時に昭和11年(1936)、智恵子が入院していた南品川のゼームス坂病院裏の教会(おそらく架空)を舞台に、虚と実がないまぜになった不思議なドラマです。
 
当方、この舞台は観ておりません。再々演を期待していたのですが、残念です。
 
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月30日

大正2年(1913)の今日、福島・会津東山温泉から、光雲らに宛てて絵葉書を出しました。
 
この際、光太郎が逗留していたのは、現在も続く老舗の宿・新滝。明治初年には、かの新選組副長・土方歳三もここで傷を癒しました。
 
現在判明している送り先は光雲、編集者の前田晁、親友で作家の水野葉舟、歌人で編集者の内藤鋠策。まだ他にもあるかも知れません。

福島の原発被害からの復興支援の合い言葉として、「智恵子抄」中の詩「あどけない話」に使われている「ほんとの空」の語がよく使われています。または「う」が入って「ほんとうの空」。
 
 
3/20(木)から昨日までの4日間、福島市音楽堂で、第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会が開催されました。こちらもサブタイトルが「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」。

 
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「アンサンブル」ですので、基本的に少人数での演奏。要項によれば2名以上16名以下での演奏という規定でした。
 
福島県は「合唱王国」と言われ、各種の全国コンクールで上位入賞を果たす団体が多いことで有名です。智恵子の母校、福島高等女学校の後身・県立橘高校合唱団も全国大会上位常連です。平成21年(2009)から23年(2011)には、委嘱作品で、光太郎の詩に作曲家の鈴木輝昭氏が曲を付けた「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」から自由曲を選び、全国大会上位入賞を果たしています。

その福島県が主催して、毎年この時期に行われているのが「声楽アンサンブルコンテスト」。第1回は平成20年(2008)でした。
 
平成23年(2011)は、東日本大震災直後ということあり、中止。昨年からサブタイトルに「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が使われるようになりました。福島の皆さんの切実な思いが込められているように感じられます。
 
当方、地元・千葉で混声合唱をやっているのですが、実はこうした経緯、最近まで知りませんでした。汗顔の至りです。
 
さて、昨日までの「第7回声楽アンサンブルコンテスト」。高等学校部門、中学校部門、一般部門が1日ずつ開催され、最終日には各部門上位団体による本選という流れでした。結果、上位5位までに、福島からの出場団体が4組入っています。ホームタウンデシジョンというわけではないはず。「合唱王国」の面目躍如、そして「ほんとの空」を求める切実な思いの表れなのでしょう。
 
彼らの歌声によって、一日も早く「ほんとの空」が戻ることを願います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月24日

大正14年(1925)の今日、詩「傷をなめる獅子」を書きました。
 
翌月の雑誌『抒情詩』に発表され、さらに光太郎没後の昭和37年(1962)、草野心平が鉄筆を執って作ったガリ版刷り詩集『猛獣篇』に収められました。
 

  傷をなめる獅子000
 
獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。
 001
そのたてがみはヤアヱのびん髪、
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。
 
獅子はもう忘れてゐる、003
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。
 
肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走った。
 
今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる。

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福島からコンサートの情報です。 

福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を愛する福島の皆様方へ~

期 日 : 2014年4月16日(水) 
会 場 : 福島ビューホテル 3階 安達太良の間 JR福島駅西口
時 間 : 
16:00~17:30
料 金 : 
無料
  : 「智恵子抄」「シャンソンメドレー」「花見山伝説」「百万本のバラ」他

ピアノ 砂原嘉博

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このブログで何度もご紹介している、「智恵子抄」等の光太郎詩篇にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんのコンサートです。
 
「智恵子抄」以外にも福島市の花見山を謳った「花見山伝説」などの曲も。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月22日

昭和30年(1955)の今日、平凡社刊『書道全集 第七巻 中国・隋、唐Ⅰ』の月報に「黄山谷について」を発表しました。
 
「黄山谷(こうさんこく)」は、中国北宋の進士、黄庭堅(こうていけん)の号。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。
 
光太郎は山谷の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁に複製を貼り付け、毎日眺めていたとのことです。そういえば、どことなく光太郎の書にも通じる雰囲気が見て取れます。
 
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3月も下旬となりました。
 
来月に行われるイベント情報を少しずつご紹介します。 まず、「智恵子抄」の詩に曲を付けた連作歌曲を発表された、野村朗氏関連です。

第15回 TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会

2014年4月12日(土) 13:30開演(13:00開場 13:10表彰式)
 
東京・日暮里サニーホールコンサートサロン  全席自由 前売2,000円 当日2,500円
 
島田康子 作曲/郵便馬車 演奏:島田康子(ピアノ)

内匠悠歌 作曲/ハザードシンボル(警告) 演奏:内匠悠歌(ピアノ)
関口ちあき 作曲/真珠はパリ色の夢を見ている 演奏:関口ちあき(ピアノ)
馬場洋子 作曲/鼓動 演奏:馬場洋子(ピアノ)
中堀海都 作曲/Cracked 5-2-in the garden for flute and cello/Deliberation 3 for cello solo 演奏:未定
中村昭彦 作曲/A Mysterious Bell ~木管五重奏のための「神秘的な鐘」~ 演奏:木村美紗季(フルート、ピッコロ)河村玲於(オーボエ)清水理絵(クラリネット)城田美咲(ホルン)栗林愛理(ファゴット)
田島眞理 作曲/自作主題による6つの変奏曲 ~ フルートとピアノのための/坂輪綾子の詩による4つの歌曲 Ⅰ.きんのゆびわ Ⅱ.黒ねこ Ⅲ.竹藪 Ⅳ.眠りの森 演奏:田島眞理(ピアノ)新山麻美(フルート)室井葉子(ソプラノ)北澤幸(メゾ ソプラノ)
野村朗 作曲/歌曲「レモン哀歌」(詩:高村光太郎)/ 間奏曲/ 歌曲「案内」(詩:高村光太郎) 演奏:森山孝光(バリトン)森山康子(ピアノ)

沈 佳女 作曲/サーカス 演奏:山本直輝(チェロ)中江早希(ソプラノ)
 
 
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野村氏については、このブログでも何度かご紹介いたしました。
「連作歌曲智恵子抄」、何度か演奏されていますが、今回も同じく森山孝光さん・康子さん御夫妻による演奏です。こちらのお二人は、曲のバックボーンをよく理解されていて、非常に素晴らしい演奏を披露してくださいます。
 
ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月20日

昭和19年(1944)の今日、詩集『智恵子抄』の第13刷が発行されました。
 
オリジナルの『智恵子抄』、最後の版です。この後、太平洋戦争の激化に伴い、戦後まで版を絶ちます。初版は昭和16年8月。それ以来、3年足らずで13刷まで刊行されました。戦時中の物資欠乏を考えれば、驚異的な数字です。もっとも、1回に何部印刷されたのかは不明ですが、それにしても13刷。同時期の他の書籍では、ほとんどありえなかったのではないでしょうか。
 
冒頭の詩「人に」の最初のフレーズ、「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」が、戦地に赴く若者の後ろ姿に重ねて読まれた、という説もあります。

東京渋谷にある名画座系の映画館、シネマヴェーラ渋谷さんにて、今週土曜日から「日本のオジサマ 山村聰の世界」という特集が組まれます。

日本のオジサマ 山村聰の世界

俳優にして監督、総理大臣から情けないオジオジサンまで。
山村聰の全貌に迫る!
 
上映予定作品一覧(全18本)
 
 『女優須磨子の恋(16mm)』
 『流星(デジタル)』
 『お国と五平(35mm)』
 『蟹工船(35mm)』
 『黒い潮(16mm)』
 『智恵子抄(35mm)』 3月08日(土) 03月11日(火)
 『夜の蝶(35mm)』
 『穴(35mm)』
 『夜の配役(35mm)』
 『鹿島灘の女(35mm)』
 『闇を横切れ(35mm)』
 『河口(35mm)』
 『背徳のメス(35mm)』
 『家庭の事情(35mm)』
 『河のほとりで(35mm)』
 『からみ合い(35mm)』
 『あの人はいま(35mm)』
 『傷だらけの山河(35mm)』
 
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というわけで、昭和32年(1957)公開の熊谷久虎監督作品「智恵子抄」がラインナップに入っています。山村さんは光太郎役、智恵子役には原節子さんでした。
 
今年1月には、鎌倉の川喜多映画記念館さんで上映されました。その時は「~永遠の伝説~ 映画女優 原節子」というイベントがあって、その中での上映でした。
 
今回のシネマヴェーラ渋谷さんは、山村さんの出演作品の特集です。
 
山村さんというと、当方は子供の頃にテレビで見ていた初期「必殺シリーズ」での殺しの元締め役(「必殺仕掛人」・音羽屋半右衛門、「助け人走る」・清兵衛)のイメージが強いのですが、シネマヴェーラ渋谷さんのラインナップ解説を見ると、本当にいろいろな役柄をなさっていたんだな、という感じです。

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山村さんと光太郎の関連は、映画「智恵子抄」だけではありません。山村さんがまだ若手俳優だった戦前から戦時中、ラジオ放送で何度も光太郎詩の朗読をなさっていました。戦時中には「シンガポール陥落」「山道のをばさん」といった戦意昂揚の詩を朗読しています。他に尾崎喜八や野口米次郎、西条八十、坂本越郎、佐伯郁郎などの戦争詩の朗読もされていました。
 
そういう時代だったので、そのこと自体を云々するつもりはありません。
 
「智恵子抄」が映画化されたのは昭和32年(1957)。その前年には経済企画庁の経済白書「日本経済の成長と近代化」に、有名な「もはや戦後ではない」の語が記されました。そういう時期に、かつてその戦争詩を朗読した光太郎の役を演じられた山村さんの胸中はいかばかりであったのでしょうか。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月3日

昭和21年(1946)の今日、『週刊朝日』に談話筆記「光太郎の言葉」が掲載されました。
 
「老詩人高村光太郎氏が傾倒する『ロダンの言葉』にならって、雪深き岩手なる『光太郎の言葉』を、彼を愛する人々に伝へよう。」という前書きが付されていました。

東京・府中市でのイベントです。

府中グリーンプラザ 名作映画会

~日本映画を芸術に昇華させた巨匠10人の監督特集~ 
映像の魔術師・市川 崑と文芸作品の映画化で評価の高い中村 登
 
「鍵」(1959年作品/107分/大映/カラー)
枕美派文学の巨匠・谷崎潤一郎が晩年に発表した同名小説を市川崑監督が映画化
監督:市川 崑 原作:谷崎潤一郎
出演:京 マチ子、叶 順子、仲代達矢、中村鴈治郎、北林谷栄、菅井一郎 ほか

「智恵子抄」(1967年/125分/松竹/カラー)
「東京には空がない」という智恵子 崩れ行くその妻を支えた詩人高村光太郎の愛の物語
監督:中村 登
出演:岩下志麻、丹波哲郎、平 幹二朗、中山 仁、南田洋子、岡田英次 ほか
 
日  時: 2014年3月13日(木)・14日(金)
「鍵」…9:30/14:00
「智恵子抄」…11:40/16:00
 
会  場:府中グリーンプラザ 2階 けやきホール(府中市府中町1丁目1番地の1)

入場料: 一般 1,100円 (当日1,200円) シニア・高校生以下 900円 (当日1,000円)
 
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昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」が公開されます。岩下志麻さんの鬼気迫る演技が見どころです。
 
販売用の映像ソフト化がされていない作品ですので、こうした機会でもないと観られません。
 
ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月23日

昭和14年(1939)の今日、詩「レモン哀歌」を書きました。
 
   レモン哀歌                                     001
 
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズいろの香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう
 
智恵子の臨終は前年10月5日。
 
以前にも書きましたが、終わり2行の「写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」というのはおそらくフィクションです。2月のこの時期に桜は咲いていませんので。雑誌『新女苑』の4月号に載るということで、桜がモチーフに使われているのです。
 
こういう点などをことさらにあげつらい、『智恵子抄』は虚構だ、と決めつける論もあります。また、この臨終の場面が「お涙ちょうだいのクサい芝居みたいだ」とこき下ろされることもあります。
 
しかし、どうでしょう。二人の生涯を俯瞰した時、それを「虚構」「クサい芝居」で片付けていいものでしょうか。それではいけない、というのが正直な感想です。そこには当事者にしかわからない、本当に数々のドラマの積み重ねがあったわけですから。といって、逆に「たぐいまれなる崇高な純愛のドラマ」と、諸手を挙げて肯定するのもどうかと思いますが。
 
おそらく雑誌『新女苑』が発行された4月には、実際に「写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置」いていたと考えたいものです。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月19日

平成12年(2000)の今日、藍川由美さんのCD「「國民歌謡~われらのうた~國民合唱」を歌う」がリリースされました。
 
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このアルバムには光太郎作詞、飯田信夫作曲の「歩くうた」(昭和15年=1940)が収められています。故・小沢昭一さんやボニージャックスさんなども「歩くうた」を収めたCDアルバムをリリースされていますが、藍川さんは、当時の楽譜のままを忠実に演奏されている点が特徴です。
 
藍川さんは東京芸術大学出身の声楽家。ジャンルを超え、明治~昭和の日本歌曲をよく取り上げていらっしゃいます。藍川さんの公式ホームページはこちら
 
この他にも藍川さんには「華燭 藍川由美丘灯至夫をうたう」というアルバムもあり、昭和39年(1964)に二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」が収められています。
 
丘灯至夫は作詞家。舟木一夫さんの「高校三年生」、テレビアニメ「ハクション大魔王のうた」等で有名です。

 
さて、来月、藍川さんのコンサートがあり、その中では光太郎作詞の「こどもの報告」が歌われる予定です。作曲は箕作秋吉です。 

「日本のうた編年体コンサート」⑫ 文部省『日本國民歌』と日本放送協會『國民歌謠』

日 時  2014年3月30日(日) 19:00開演
会 場  東京文化会館小ホール 東京都台東区上野公園5 上野駅[JR公園口]から徒歩約1分
出 演  藍川由美 (歌)/蓼沼明美 (ピアノ)/片山杜秀 (話)
入場料  3,000円(全席指定)/学生券:1,000円 (当日扱いのみ)
問い合わせ:オフィス小野寺  03-6804-8444
 
 
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作詞・作曲とも当時の錚々たるメンバーですが、現在では忘れ去られている歌が多いと思います。こうした歌曲が存在したということを、きちんと記録に残して行くことも大切なことではないでしょうか。ただし、「これぞ日本人の魂」的なアプローチは慎むべきかと思いますが。
 
「こどもの報告」については、当方刊行の冊子『光太郎資料』第41集(4月2日・連翹忌の日に発行予定)で取り上げています。ご希望の方はコメント欄等からご連絡下さい。

もう1件、やはり来月行われるコンサート情報です。

金田潮兒教授 歌曲コンサート ~定年退職記念~ 学芸の森より 愛etc…

日 時  2014年3月3日(月) 16:00開演
会 場  東京学芸大学内 芸術館 学芸の森ホール 東京都小金井市貫井北町4−1− 1
   東京学芸大学芸術・スポーツ科学系 音楽・演劇講座 作曲研究室
料 金 : 無料

司会進行:山内雅弘(作曲研究室主任)
歌:鎌田直純 大野徹也 横山和彦 嶋﨑裕美 小林大作 石﨑秀和(以上声楽研究室教員)
ピアノ:亀澤奈央 小田切舞美 守谷温子(以上本学卒業生 賛助出演)
尺 八:福田輝久(特別出演)
ヴァイオリン:濱川夏楠(本学学部4年)
女声アンサンブル:鈴木菜穂子 糸塚奈保子 川井愛梨 千葉なつみ(以上本学大学院生)

問い合わせ: 042-329-7569(作曲研究室・山内) 042-329-7572(声楽研究室・小林) 
 
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金田潮兒氏は作曲家にして東京学芸大学教授。
 
「高村光太郎詩集「智恵子抄」より『いやなんです』」という曲がラインナップに入っています。
 
こうした方面で光太郎が取り上げられるのも大事なことだと思っています。ありがたいかぎりです。

気がつけば1月も明日で終わりです。そこで、来月行われるイベントをご紹介します。 
 
岩手は盛岡での演劇公演です。

宮沢賢治没後80年記念事業・畑中美耶子『モリーオ童話館』100回記念事業 第12回おでってリージョナル劇場  「泣きビッチョ光太郎」~昭和21年の星めぐり~

作:上田次郎 演出:坂田裕一、中村一二三 作曲:田口友善  
      
~あらすじ~      
時代は、昭和20年戦争末期から戦後。宮沢家に疎開していた高村光太郎を中心に、賢治を慕う大勢の人々が、「雨ニモマケズ」の教科書改ざん騒動を足がかりに、歌あり踊りありのドタバタな楽しい舞台を繰り広げる。      
      
【会 期】 平成26年2月21日(金)~平成26年2月23日(日) ◆4回公演      
                ①2/21(金)開場18:30 開演19:00
                ②2/22(土)開場13:30 開演14:00
                ③2/22(土)開場18:00 開演18:30
                ④2/23(日)開場13:30 開演14:00      
【会 場】 プラザおでって 3階おでってホール (盛岡市中ノ橋通1-1-10)
【入場料】 (前売)大人1,500円 大学生以下1,000円
        (当日)大人1,800円 大学生以下1,300円 (期日指定・全席自由)
【主 催】 盛岡市・公益財団法人盛岡観光コンベンション協会      
【提 携】 いわてアートサポートセンター      
【後 援】 岩手日報社、NHK盛岡放送局、IBC岩手放送、テレビ岩手、めんこいテレビ、 
      岩手朝日テレビ、エフエム岩手、岩手ケーブルテレビジョン、
      朝日新聞盛岡総局、
毎日新聞盛岡支局、読売新聞盛岡支局、
      産経新聞盛岡支局、盛岡タイムス社、 河北
新報社盛岡総局、岩手日日新聞社、
      ラヂオもりおか、月刊アキュート、 マ・シェリ、
情報誌游悠      
【プレイガイド】 プラザおでって、盛岡市民文化ホール、 盛岡劇場、都南文化会館、
         カワトク      
【お問い合わせ】 (公財)盛岡観光コンベンション協会 企画管理部 019-604-3300
 
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「泣きビッチョ」とは「泣き虫」といった意味でしょうか。
 
主演? の畑中美耶子さんという方は、盛岡で宮澤賢治作品の朗読等に取り組まれている方です。
 
明日詳しく紹介しますが、同じプラザおでって内の「盛岡てがみ館」さんでは、25日から「第43回企画展 高村光太郎と岩手の人」が開催されます。日程が重なっていればgoodだったのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月30日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から「光雲懐古談」が刊行されました。
 
光太郎の父・光雲が語った自己の半生、同時代の美術界の様相などをまとめたものです。
 
前半は「昔ばなし」。後書きによれば、大正11年(1922)に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したとあります。
 
後半は「想華篇」。やはり光雲が、美術界の社交機関「国華倶楽部」で語った内容や、雑誌に発表された談話などの集成です。
 
前半の「昔ばなし」の部分のみ、その後何度も版を改めて刊行されています。
 
オリジナル萬里閣書房版の題字は光太郎、装幀は豊周。幕末から明治にかけての、当時の美術界の様子や、それにとどまらず、世相、江戸の街の様子などなど、多岐にわたる内容で、非常に貴重な回想です。また、光雲の軽妙洒脱な語り口も優れています。
 
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さて、前半の「昔ばなし」編。先述のとおり、後書きによれば、大正11年に光太郎の朋友・田村松魚が、光太郎とともに光雲の懐古談を聞き、それを筆録したとのこと。他に同席者は居なかったそうです。
 
その後再刊された各種の版についている解説等、すべてこれを鵜呑みにしていますが、どうも事実とは異なる部分があるようです。
 
『光雲懐古談』にさかのぼる昭和2年(1927)に春陽堂から刊行された『漫談明治初年』という書籍があります。「同好史談会」という団体の編纂ということになっていますが、中心は市島春城。春城による「はしがき」には以下のような記述があります。
 
 吾等は近年十数の同人と同好史談会と云ふを設け、折々会して維新当時の事につき互ひに知ることを語り合ひ、往々他から故老を招待してその談話を聴き、時には会員を諸方に派して故老の談話を筆記せしめたりして、其筆記が今は漸く積んで堆を為すに至つた。(略)春陽堂主人聞きつけてぜひ出版せよと勧めらるゝので、先づ明治十年頃までのものを選んで刊行することにした。
 
この『漫談明治初年』の中に、光雲の談話筆録も多数収録されているのですが、『光雲懐古談』の昔話と重複しています。部分によっては「国醇会講話」という説明も見えます。「国醇会」とは日蓮宗の運動家・田中智学を中心とする会でした。
 
光太郎アトリエや光雲邸で、田村と光太郎のみが聴いたはずの談話と、一字一句違わない談話が2年前に刊行された『漫談明治初年』に載っており、しかもそれが国醇会で語ったという説明がある。どう考えても矛盾していますね。
 
田村が光雲の懐古談を聞いて筆録したのはおそらく事実でしょう。しかし、刊行にあたって、田村が聴いた以外の談話も使用されていると考えるのが自然だと思います。あるいは『漫談明治初年』に収録されているのとほぼ同じ内容の話を聴いた田村が、それなら『漫談明治初年』に書かれている部分をそっくり引用してしまえ、と考えたのかも知れません。
 
または田村も「同好史談会」の構成員で、光雲に話を聴くのは会の事業だったのかもしれません。
 
いずれにせよ、「『光雲懐古談』の「昔ばなし」編は、田村松魚が、光太郎とともに光太郎アトリエや光雲邸で懐古談を聞き、それを筆録したものである」と断言するのは危険ですのでよろしくお願いします。

昨日は、茨城は笠間に行って参りました。笠間といえば茨城県の中央部、笠間稲荷神社と陶芸の笠間焼で有名な街です。
 
一番の目的は映画鑑賞でした。他にも日動美術館というところに行って参りましたが、そちらは明日書きます。
 
当方が観てきた映画は、昨年、岡倉天心を主人公として製作され、全国各地で順次公開されている「天心」という映画です。ただ、大手配給会社によるものではないので、どこでも観られるわけではなく、当方生活圏内では公開されていません。昨年のうちに都内か横浜あたりで観ようと思っていたのですが、なかなか日程が合わず、昨日になってしまいました。
 
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岡倉天心といえば、明治新政府の文明開化政策の一環としての廃仏毀釈、西洋化による日本伝統文化の衰退を憂い、アーネスト・フェノロサともども仏教美術の保存に尽力した人物です。また、東京美術学校開設に奔走し、光雲を美校に招聘したほか、光太郎在学中には校長も務めていました。
 
昨年、福島二本松「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座’13」で講師を務めさせていただき、その辺りに関して講義をいたしましたので、ぜひ観たいと思っておりました。
 
天心は美校辞職(罷免)後、日本美術院を創立、日本伝統美術の保護とさらなる進化に取り組みます。しかし、天心とその薫陶を受けた画家たち―横山大観ら―の新しい試みは「朦朧体」と揶揄されなかなか受け入れられず、現在の北茨城市五浦(いづら)に「都落ち」し、苦闘の日々を送りました。
 
その天心を主人公とした映画、というわけです。公式サイトはこちら
 
キャストは天心役が竹中直人さん、横山大観に中村獅童さん、菱田春草の平山浩行さん、下村観山で木下ほうかさん、木村武山を橋本一郎さん、狩野芳崖には温水洋一さんなど。
 
美術学校時代のシーンで、光太郎や光雲が登場するかと期待していたのですが、残念ながらそれはありませんでした。美校時代のエピソードは少なく、五浦に移ってからの苦闘の日々がメインだったので、いたしかたありません。
 
ところでこの映画、「復興支援映画」と謳っています。東日本大震災では、天心が建てた五浦の六角堂が津波に呑まれてしまうなど、茨城県にもかなりの被害がありました。同作品公式サイト内には以下の記述があります。
 
本作品は、明治にあって日本の美を「再発見」し、新しい美を生み出そうと苦闘する天心と 若き画家たち - 横山大観・菱田春草・下村観山・木村武山 - らとの葛藤と師弟愛をテーマとして描くべく、今から3年ほど前に企画がスタートいたしました。
 
そして忘れもしない 2011年3月11日14時46分18秒「東日本大震災」が発生。千年に一度とされる大地震と津波は、多くの方々の「家」や「命」を奪い去りました。
 
茨城県でも沿岸部を中心に甚大な被害を受け、天心が思索に耽った北茨城市・五浦海岸の景勝地にある貴重な文化遺産の「六角堂」も流出、海中に消失しました。
 
主なロケ地である茨城県の被災に、本作品も一時は映画化を危ぶまれましたが、一日も早い 復興を願う県内の行政・大学・企業・美術界・市民団体などで構成される「天心」映画実行委員会 が発足し、本作品映画化のプロジェクトが再始動いたしました。
 
2013年には生誕150年・没後100年を迎える岡倉天心が終生愛した茨城の美しい自然を織り込んだ 映画「天心」は、茨城を日本をそして世界を「元気」にすることをめざします。
 
そんなわけで、渡辺裕之さん(九鬼隆一)、本田博太郎さん(船頭)、キタキマユさん(菱田春草の妻)など、茨城出身の俳優さんが多く出演なさっています。他には神楽坂恵さん、石黒賢さんなどなど。

当方が観に行ったのは、笠間市のショッピングセンター内の「ポレポレホール」。笠間は木村武山の故郷です。現在、関東で公開されているのはここだけのようで、ロビーには映画で実際に使われた小道具類が並んでいました。
 
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忘れ去られつつある伝統を継承しつつ、さらに新しい美を生み出そうと苦闘する登場人物たちの描写には感銘を受けました。特に肺を病んでの病床で「仁王捉鬼図」「悲母観音」を描き続けた狩野芳崖、失明の不安を抱え、さらに生活の困窮にさらされながら「賢首菩薩」の制作に取り組んだ菱田春草のエピソード。それぞれを演じた温水洋一さん、平山浩行さんの鬼気迫る演技は白眉でした。
 
そういう意味では光雲や光太郎も苦闘の時代が長く、相通じるものがあるように思いました。
 
少し不満だったのは、春草の「黒き猫」や「落葉」といった当方の大好きな作品が扱われなかったこと、それからなぜか天心の盟友として日本美術院創設に関わり、春草や大観の直接の師だった橋本雅邦がまったく登場しなかったこと。まぁ、いろいろ権利の問題等も絡むのかも知れませんが。
 
映画「天心」、大規模ではありませんが、全国で公開が続きます。ぜひご覧下さい。
 
明日は同じ笠間の日動美術館をレポートします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月27日

昭和27年(1952)の今日、『毎日新聞』で評論「日本詩歌の特質」の連載が始まりました。

足立区西新井を拠点に活動されているシンガーソングライター・北村隼兎(はやと)さんから、自作のCDをいただきました。題して「詩と旋律の日本文学」。リリースされたのはごく最近、というわけではなさそうです。
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曲目は以下の通り。
 
1.「月夜の浜辺」中原中也
2.「サーカス」中原中也
3.「山麓の二人」高村光太郎
4.「黒手帳」宮沢賢治
5.心よ(インスト)
6.「八木重吉詩集」八木重吉


というわけで、光太郎の「山麓の二人」が入っています。
 
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北村さんとは昨年の10月、福島二本松で開かれた智恵子忌日の集い「レモン忌」で初めてお会いしました。その際には「レモン哀歌」と「あどけない話」をギター弾き語りで披露なさいました。
 
今回の「山麓の二人」、また、他の詩人の詩に曲をつけた作品も含め、軽妙かつ力強く、非常にいい感じです。
 
附属のブックレットに書かれた北村さんの言葉から抜粋させていただきます。
 
新しい世界は新しい媒体の中で成り立ち、006
古いモノは選別されてゆく。
 
誰がどんな想いで
過去を未来へ繋げてゆくのか?
 
私は私の出来うる形でそれを繋げてゆこうと
想っています。
 
そして百年後、
先人達の詩とメロディとが1セットで
まだこの地球上に残っていたとしたら、
 
このうえないほどしあわせなことだろうなぁ
 
百年前の言葉に旋律をつけるという行為は
自分の存在しない百年後を想う機会となりました。
 
当方もよく、100年後にも光太郎智恵子の名がメジャーであり続けてほしいと思います。そのためには後世の人間が次の世代へと引き継ぐ努力をしなければなりません。そしてそれは一人や二人の力でできることでもありません。どうぞお力添えを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月17日

昭和14年(1939)の今日、『読売報知新聞』および『朝日新聞』に、「文部科学省選定日本国民歌」のうちの、光太郎作詞・箕作秋吉作曲の「こどもの報告」が完成したという記事が載りました。
 
確認できている限り、光太郎が歌曲の歌詞として作った2作目です。1作目は昭和12年(1937)の「わが大空」。作曲は坂本龍一氏などの師にあたる松本民之助です。
 
「文部省選定日本国民歌」は、他の詩人(歌人)・作曲家による5曲とともに6曲でワンセットとなり、演奏会やラジオ放送で扱われ、さらにはレコード化もされました。しかし6曲ともあまり評判がよくなく、いつの間にか忘れ去られてしまいました。
 
そのあたりの経緯は当方が編集・刊行しています『光太郎資料』という冊子にて詳述しております。次号は4月2日、連翹忌に刊行予定で、現在、鋭意作成中です。ご連絡いただければ送料のみにておわけします。

光太郎と交流の深かった草野心平関連の情報です。
 
まず、過日のこのブログでご紹介した福島県立光南高校演劇部さんによる演劇公演「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」について、『東京新聞』さんが報道しました。

福島事故後の生活 演じきる 矢吹の高校生 長生で上演

 福島県矢吹町の県立光南高校演劇部が十三日、東京電力福島第一原発事故後の生活を描いた演劇「この青空は、ほんとの空ってことで、いいですか? 第2章 ばらあら、ばらあ」を長生村の文化会館で上演した。(内田淳二)
 
 事故から間もなく三年となる福島でいまも約十五万人が避難するなど被災地の苦しみや閉塞(へいそく)感について、大勢の観客が舞台を通じて思いをはせた。
 登場人物は旅に出た高校の演劇部員たち六人。目的地の海にたどりつけないまま、雑談や仲たがい、仲直りをする様子を等身大で生き生きと演じた。
 何げない会話の中にも「ガイガーカウンター」「リンゴの風評被害」といった言葉が登場。いまだに収束しない原発事故が生活に影を落とすが、高校生たちは福島県いわき市出身の詩人、草野心平の言葉に導かれるように元気を取り戻す。
 劇中で引用されたのは「カエル語」で書かれた詩。日本語訳は「幸福といふものはたわいなくつていいものだ」と始まる。
 公演は有志でつくる「ほんとの空」上演実行委員会(森山佳代委員長)が企画した。
 家族で観劇したいすみ市の会社員男性(39)は「福島の人たちがもやもやしたものを抱えていることがよく分かった。それでも生きることが大事だというメッセージを感じました」と話した。
 
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BS朝日1 2014年1月21日(火)  21時00分~21時54分
 
詩人・草野心平が愛した風景とは?故郷の福島県小川町や川内村に残る、美しい里山や、心平が名付けた紅葉の溪谷、カエルの生息地などを作家・島田雅彦が旅します。
福島県いわき市出身の詩人・草野心平は、自然をモチーフにして多くの詩を書きました。その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感があったと言われ、故郷を詠んだ詩を数々残しています。また心平は福島県川内村にある天然記念物の平伏沼でモリアオガエルに出会い、毎年のように訪ねました。福島第一原発から30キロ圏内の川内村では、故郷を想う心平の詩や言葉が心の支えとなっています。
 
出演者 島田雅彦(作家・法政大学教授) 
ナレーター 村上祐子(テレビ朝日アナウアナウンサー)
朗読 森下桂吉(テレビ朝日アナウアナウンサー)

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番組公式サイトによれば再放送とのことで、どうも昨年に本放送があったようです。その時点では気づきませんでした。
 
中央の画像には、川内村で行われている草野心平を偲ぶ集い、かえる忌の会場となっている小松屋旅館さんの主、井出茂氏が写っています。囲炉裏も小松屋さんのそれです。

光太郎がらみの話も出るかと思われます。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月16日

明治28年(1895)の今日、智恵子の妹、ヨシが誕生しました。
 
ヨシは昭和2年(1927)、数え33歳の若さで歿しています。ヨシの没年令に関しては、『高村光太郎全集』等に所載の年譜等、数え29歳と誤って表記されています。

今朝の『朝日新聞』千葉版に以下の記事が載りました。
 
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一昨年、福島県立県立あさか開成高校演劇部さんにより、「第一章」が渋谷、横浜で上演されました。「ほんとの空」ということで、光太郎の「あどけない話」がモチーフに使われていました。


 
それが反響を呼び、漫画化もされ、日本文教出版さんのサイト内で電子ブックとして配信されています。
 
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今回は「第二章」ということで、光太郎智恵子より草野心平をモチーフにしているようです。
 
以下、『朝日新聞』デジタル版から。

福島県立光南高等学校演劇部公演 福島の高校生の生の声を聴く

3・11-福島第一原発の事故。目に見えずとも、放射性物質は確実にそこにあるという現実の中、口に出せない生徒たちの声をつむいだ芝居「この空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が誕生。この公演は、2012年に東京、神奈川で上演され話題を呼んだ第一作の「第二章」。草野心平の詩「ごびらっふの独白」を引用し、夕焼け空の向こうに明日を見出す物語。上演後のトークを通して、高校生たちの「今」の思いに寄り添う。

 
もうすぐ震災から3年。しかし、まだまだ東北は復興途上です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月8日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋を訪ねてきた小学校の教師4人の持参した詩集『典型』にサインをしました。
 
『高村光太郎全集』第13巻所収の日記です。
 
一月八日 月
朝晴 午后雪 稍温 ねてゐ(る)うち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。
 
『典型』は前年秋に刊行された詩集です。

昨日に続き鎌倉ネタです。
 
鎌倉は鶴岡八幡宮にほど近いところに川喜多映画記念館さんがあります。こちらで現在、「~永遠の伝説~ 映画女優 原節子」という企画展示および映画上映を行っています。
 
同館サイトから。
 
『ためらふ勿れ若人よ』でデビューとなった15歳の新人女優は、役名の一部から「原節子」と名付けられました。類まれなる美貌でたちまち注目を浴び、16歳で日独合作映画『新しき土』のヒロインを演じ、映画は大ヒットを記録します。戦後は『わが青春に悔なし』、『東京物語』などに出演、日本映画界を代表するスター女優として、多くの名作を残します。しかし、昭和37年『忠臣蔵』への出演を最後に、表舞台には一切出ることなく、その存在は永遠の伝説として人々の心に深く刻み込まれました。
 本企画展は、写真家・秋山庄太郎、早田雄二によるポートレートや映画資料などの展示、出演作品や『新しき土』関連映像の上映を中心に、鎌倉にゆかりの深い大女優・原節子の軌跡を辿ります。今も多くの人々を魅了し続けるその美しさを、名作の数々とともにぜひご覧ください。
 
原節子さんといえば、伝説の映画女優ですね。同じく伝説的な映画監督・小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男らの作品に出演しています。引退後は一切メディアに出ず、鎌倉で暮らされているそうです。
 
その原節子さんが智恵子役、光太郎役に山村聰さんを配した熊谷久虎監督作品「智恵子抄」が、光太郎の歿した翌年の昭和32年(1957)に封切られました。
 
川喜多映画記念館での「~永遠の伝説~ 映画女優 原節子」の一環として、「智恵子抄」も上映されます。
 
期間は来年1月7日(火)~9日(木)。7日は午前10:30からと、午後2時からの2回、8日と9日は午後2時からの1回のみの上映です。
 
昨日ご紹介した神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催中の「ロダンからはじまる 彫刻の近代」と併せて是非ご覧下さい。
 
ちなみに原節子さんの映画「智恵子抄」、20年ほど前にVHSテープで市販されました。現在は版を絶っており、時折中古市場でかなりプレミアの付いた価格で売りに出ています。
 
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その他、当方、こつこつと集めたポスター、パンフレット、チラシ、シナリオ、スチール写真、記事の載った当時の雑誌などを持っています。その一部を、一昨年、群馬県立土屋文明記念文学館で開催された企画展「『智恵子抄』という詩集」の際にお貸しし、展示されました。年配のお客様には「あらー、原節子よー」ということで、好評だったそうです。
 
こうしたものに限らず、当方手持ちのものは、各種企画展、イベントなどにお貸しすることは可能ですので、必要とあらばお声がけ下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月24日

昭和16年(1941)の今日、大政翼賛会会議室で催された文学者愛国大会に出席、日本文学者会設立委員に任じられました。
 
翌年設立された日本文学報国会につながって行く流れです。 

名古屋在住の作曲家、野村朗氏からいろいろいただきました。
 
氏は「智恵子抄」などの光太郎の詩に曲を付けた歌曲作品をいくつか作曲なさっています。

 
愛知碧南の藤井達吉現代美術館で現在開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、11月9日に行われた「連作歌曲「智恵子抄」全曲演奏会」のパンフレットと、当日の模様を撮影したDVD。
 
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早速拝見しました。
 
新曲として、「歌曲 「冬の言葉」」がラインナップに加わっていました。原詩は昭和2年(1927)の作。「智恵子抄」に含まれるものではありません。
 

   冬の言葉007

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは萬物の木地。

天はやつぱり高く遠く
樹木は思いきつて潔らかだ。

蟲は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躪する。

冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。

君等のいぢらしい誇りをすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。
 
金銭はむかし貴族を滅却した。
君達は更に金銭を泥土に委せよと。

冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは萬物の木地。

冬は鉄碪(かなしき)を打つて又叫ぶ、
一生を棒にふつて人生に関与せよと。
 
パンフレットに記された野村氏の言葉から。
 
 新作歌曲「冬の言葉」は、智恵子のこころが壊れて行く直前の作で、「人間の生き方」を問う作品です。人工透析を40年近く続けつつ作曲活動と市立大学法人職員の業務とを続けてきた私にとって、私の「生きる信念」と相通じるものがあり、強く励まされました。そして、光太郎が晩年、7年間の隠棲により「身をもって示した」ものも、この詩の中に予言されているように思います。願わくば、皆さんもご自身に問いかけてみて下さい、「一生を棒にふって人生に関与せよ」と。
 
その後は、以前にも演奏された「連作歌曲 「智恵子抄」」。「千鳥と遊ぶ智恵子」「あどけない話」「レモン哀歌」「間奏曲」「案内」の5曲でした。
 
演奏は3月に野村氏の地元・名古屋でのリサイタル、5月に東京日暮里であったリサイタルと同じ、森山孝光様、康子様でした。相変わらず熱のこもった好い演奏でした。
 
こういう形で光太郎智恵子の世界を広めていただけるのも非常にありがたいことです。
 
野村氏からは、もう一つ、素敵なものをいただきました。明日のこのブログでご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月11日

平成3年(1991)の今日、水道橋の宝生能楽堂でNHK能楽鑑賞会が催され、舞囃子「智恵子抄」が上演されました。
 
演者は観世流の皆さんでした。

俳優のすまけいさんの訃報が出ました。 

「アングラの帝王」俳優すまけいさん死去 78歳

1960年代にベケット劇などを斬新な翻案・演出で演じて「アングラの帝王」と呼ばれ、映画「男はつらいよ」シリーズやドラマなどでも名脇役として活躍した俳優のすまけい(本名・須磨啓〈すま・けい〉)さんが7日、肝臓がんのため死去した。78歳だった。通夜は12日午後6時、葬儀は13日午前11時から東京都新宿区上落合3の4の12の最勝寺で。喪主は妻洋子さん。
 
 国後島生まれ。芸術劇場を経て66年、新宿のジャズ喫茶などを拠点に俳優の故・太田豊治さんと「すまけいとその仲間」を結成。東京の小劇場でベケット「ゴドーを待ちながら」、オールビー「動物園物語」などを翻案した舞台を上演し、話題を集めた。72年に解散後は一時舞台から遠ざかったが、85年にこまつ座「日本人のへそ」で復帰。映画やドラマにも多数出演した。
 
 99年に膀胱(ぼうこう)がん、01年脳梗塞(こうそく)を発症。闘病しつつ俳優活動を続け、今年3月に千葉市で演じた朗読「天切り松 闇がたり」が最後になった。紀伊国屋演劇賞個人賞、ブルーリボン賞助演男優賞などを受賞した。
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すまさんといえば、平成6年(1994)に、テレビ東京系で放映された単発ドラマ「日本名作ドラマ 智恵子抄」で、光雲役でご出演されました。
 
こうしたドラマ・映画などでの光雲の描き方は、木彫界の巨匠として、また、光太郎にとっては非常に厳格な父親として描かれるのがほとんどで、重厚な雰囲気の俳優さんが多くキャスティングされていました。
 
ところがすまさん演じる光雲は、少し違っていました。いい意味で「軽い」のです。酒に酔って、智恵子役の南果歩さんの唄う「会津磐梯山」に合わせて踊り、泥酔して眠ってしまうシーンが印象的でした。といって、しょうもない人物というわけではなく、世間的には巨匠であっても、息子夫婦を思う気持ちは人一倍という感じで描かれていました。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月10日

昭和9年(1934)の今日、光太郎が題字を揮毫した中原中也の第一詩集『山羊の歌』が刊行されました。
 
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昨日は、茨城県つくば市に行き、先月のブログでご紹介した「語りの会「いっきゅう組」 発表会2013」を聴いて参りました。

 「いっきゅう組」さんは、文学座所属の俳優・声優の塾一久氏が講師を務める朗読サークルで、年2回ほど発表会を行っているとのこと。昨日は、つくば西武6階のつくば西武ホールが会場でした。
 
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前半はサークルの皆さんによる朗読で、この中に「智恵子抄」が含まれており、「巻末のうた六首」に始まって、戦後の作まで、上記の通りの作品が取り上げられました。
 
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それぞれに工夫された朗読で、感心しました。やはり詩は文字として視覚的に捉えるだけでなく、音声として聴覚的に捉えることも大切だと改めて思いました。
 
日本語の場合、漢字の読み方がやっかいです。どう考えても一つしかないという場合はともかく、そうでない場合があります。
 
先頃、当方がアドバイザーとして関わらせていただいたNHKさんの「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」放送終了後、ディレクターの山中氏から電話がありました。放映の中のVTRで、朗読された花巻時代の光太郎の詩「案内」の一節についてでした。
 
うしろの山つづきが毒が森。
 
この「毒が森」を「ぶすがもり」と読んだところ、やはり朗読を長年やっているという視聴者の方から問い合わせがあり、あれは「どくがもり」ではないか? というのだそうです。
 
正解は「ぶすがもり」です。現地では間違いなく「ぶすがもり」という地名で読んでいます。元々毒草のトリカブトの別称が「附子(ぶす)」で、「不美人」という意味の「ブス」という語は、「附子(トリカブト)を食べて苦悶するような顔」というところから生まれたと聞いたことがあります。そこで正式な訓読みとして登録されていませんが「毒」の字を「ぶす」と読むケースは結構ありますね。
 
その後、北川太一先生ともこの件でお話をしましたが、北川先生の見解は少し違っていました。すなわち、原文にルビがなければ光太郎がどう読んでいたか分からないし、地名が「ぶすがもり」であっても、朗読の際には語感を大切にしたいというなら「どくがもり」と読んでもかまわないのではないか、ということでした。なるほど、と思いました。たしかにありえない、という読み方でなければ可でしょうし、そこに工夫の余地もあるのかな、などと思いました。ただ、地名などの固有名詞はやはり現地の読み方に従うべきかな……と思いますが。
 
実は安達太良山も現地では「あたらやま」と発音していますが、光太郎詩「樹下の二人」では「あたらやま」とルビが振られています。残された詩稿にはルビがありませんが、詩集『智恵子抄』ではそうなっています。もっとも、このルビもくせ者で、散文を含め、どこまで光太郎がルビに関与しているか何とも言えない場合があります。ただ、『智恵子抄』に関しては、改版のたびに光太郎が納得いかない部分に手を入れているので、このルビには光太郎の意志が介在しているはずです。
 
光太郎詩を歌曲にしている方々、シャンソン歌手のモンデンモモさんや作曲家の野村朗さんなどから同じような質問をよく受けます。その都度「こうでしょう」と自分の思うところを伝えてきましたが、今後は少し方向転換します。比較的自由に読んでいいですよ、ということで。
 
昨日のいっきゅう組さんの朗読を聴いていて、この件を思い出しました。
 
というのは、「郊外の人に」という詩で智恵子をして「愛人」と書いているのですが、これを昨日の朗読では「めでびと」と読んでいたのです。確かに「あいじん」と読むと不倫というイメージがどうしてもつきまといますね。浮気相手のことを「愛人」というようになったのはいつ頃のことなのか、この詩が書かれた大正元年(1912)頃はそういう意味があったのか、そういったことは分かりませんが、少なくとも現代においては「あいじん」というといいイメージはありません。そこでいっきゅう組さんでは「めでびと」と読まれていたのでしょう。こういうのはありだと思いました。
 
他にもそういう箇所がいくつかあり、おそらくメンバーのみなさんでいろいろ検討なさったんだろうな、と想像いたしました。
 
さて、後半は「映像ナレーター」という肩書きでラジオやテレビにもご出演なさっているという佐藤美生さん、そしていっきゅう組主宰の塾一久氏の朗読、さらには落語までありました。こちらも素晴らしいものでした。それでいて入場無料。得をした気分でした。
 
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いつも同じようなことを書いたり喋ったりしていますが、一昨日の末盛千枝子さんのイベントなども含め、光太郎智恵子の世界を取り上げて下さるのはありがたいことです。どんなに優れた芸術作品でも、後の時代の人間がその価値を正しく受け止め、さらに次の世代へ伝えていく努力をしなければ、やがて歴史の波に飲み込まれ忘れ去られてしまいますので。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月8日

昭和16年(1941)の今日、第2回大政翼賛会中央協力会議に出席しました。
 
その会議中に太平洋戦争開戦の詔勅が出され、会議は繰り上げ終了。用意した光太郎の議案「工場施設への美術家の動員」は上程されずに終わりました。

注文していた楽譜が届きました。  

「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」

作詞 高村光太郎  作曲 鈴木輝昭
2013/12/10(奥付記載) 音楽之友社 定価 2,000円+税
 
高村光太郎の詩集『智恵子抄』による女声合唱とピアノのための作品。智恵子の死の瞬間を詠った〈レモン哀歌〉に始まり、智恵子の死後を連綿と綴った〈亡き人に〉〈裸形〉へと続く全3曲から成る組曲。
「音楽は、調的な背景を媒質として成立しているが、その中にあって狂気を含む逸脱した音群、劇性の強い増幅された表現が色濃く投影される。また、冒頭ピアノによって提示される上行音形は、組曲全体の気配を象徴する統一主題として、持続の中で反復、循環して語られる」(作曲者)
福島県立橘高等学校により委嘱、初演された。(指揮=大竹隆/ピアノ=鈴木あずさ)
(同社サイトから)
 
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作品紹介にあるとおり、福島県立橘高等学校合唱団による委嘱作品です。以前にも書きましたが、橘高校さんは、智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
これも以前にも書きましたが、同校合唱団は、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、平成21年(2009)から3年間、全日本合唱コンクール全国大会に出場し、上位入賞しています。
 
第62回大会 平成21年(2009) 高等学校部門Bグループ 自由曲「レモン哀歌」 金賞
第63回大会 平成22年(2010) 高等学校部門Bグループ 自由曲「裸形」 銀賞
第64回大会 平成23年(2011) 高等学校部門Bグループ 自由曲「亡き人に」 銀賞
 
全国大会に出場するだけでも大変だと思いますが、なおかつ上位入賞を続けているというのはものすごいことだと思います。その後も橘さんは、光太郎がらみの曲ではありませんが、昨年、そして今年も同大会で銀賞に輝いています。
 
それぞれのライブ録音が、ブレーン株式会社発行のCDで発売されています。
 
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また、同じく橘高校さんの演奏で、ライブではないホールでの録音によるテイクを収めたCD「鈴木輝昭 合唱の地平」も、日本アコースティックレコーズさんからリリースされています。
 
で、今回の楽譜出版。あらためて上記CDを、楽譜を見ながら聴いてみました。
 
はっきり言って、非常に難易度の高い組曲です。同社サイトでは「[対象]中学生・高校生・一般合唱団」となっていますが、この曲の演奏、一般のアマチュア合唱団にはまず無理ですね。
 
細かくみていきます。
 
1曲目、「レモン哀歌」。女声四部です。通常、女声合唱はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの三部ですが、ソプラノがⅠ、Ⅱに分かれています。さらに歌い出しは5拍子ですが、途中でめまぐるしく拍子が変わり、2拍子から6拍子までが混ざり合っています。
 
2曲目、「亡き人に」。ドッペルコールです。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトでワンセットとして、それが二組、さらにパート内で2部に分かれ、最大7声になっている箇所があります。また、「レモン哀歌」ほどではないものの、やはり変拍子があります。
 
3曲目、「裸形」。これも四部。「♯」「♭」「♮」が雨あられで、一貫した「調」が存在しないという感じです。やはり変拍子も雨あられで、なんと2.5拍子とか3.5拍子、さらには1.5拍子という小節があります。
 
3曲ともソプラノの最高音はb(シの♭)。五線を突き抜けています。ポリフォニー(パート間で異なるリズム)、2度や7度のぶつかる音程はあたりまえに出てきます。逆に平易な当たり前の和音だったり、全くのユニゾン(全てのパートが同じ音程)の箇所もあったりして、そのギャップがまた効果的です。
 
これほどの曲をしっかり歌え、全国上位入賞を果たした橘高校合唱団さん、本当に凄いと思いました。
 
一般のアマチュア合唱団は無理だと思いますが、プロの方々、アマでもコンクール全国大会を目指しているような団体の皆様、レパートリーに加えてみてはいかがでしょうか。
 
 
音楽ネタついでに、テレビ放映情報です。

クラシック倶楽部 第82回 日本音楽コンクール~作曲部門~

NHKBSプレミアム 2013年12月6日(金)  6時00分~6時58分
 
第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽59作品の応募の中から7作品が本選に進出▽2013年10月30日 東京オペラシティコンサートホール

番組内容

第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽佐原洸/引地誠/今野哲也/杉本友樹/中村ありす:RCH(NH2)COOH for Clarinet in B♭ & Piano forte/松波匠太郎:DISSOLUTION for Flute,Clarinet,Horn and Piano/網守将平:Drunky Jet Addiction -for 6 players-

出演者

  • 佐原洸,引地誠,今野哲也,杉本友樹,中村ありす,松波匠太郎,網守将平,ソプラノ…佐竹由美,テノール…布施雅也,指揮…安良岡章夫,小鍛冶邦隆,演奏…アール・レスピラン

過日、このブログでご紹介した「第82回日本音楽コンクール本選会」の録画です。
 
今野哲也氏の「『智恵子抄』への月影─「慈悲深き箴言」を擁する」もエントリーされましたが、残念ながら1~3位には入りませんでした。12/6は抜粋で放送されるようです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月1日

昭和30年(1955)の今日、雑誌『新潮』のために散文「生命の創造」を書きました。

女優の渡辺えりさんからお葉書をいただきました。新春コンサートのご案内です。
 
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渡辺さん、このブログで何度もご紹介させていただいておりますが、お父様が光太郎と交流があった方で、えりさんご自身、幼い頃からそのお父様の薫陶を受け、光太郎を敬愛なさっています。
 
先日、当方が花巻に行った折、えりさんがご両親と一緒に花巻にいらしたと聞きました。お父様、しばらく入院なさっていたとのことですが、めでたくご退院ということで、十和田から花巻と、光太郎ゆかりの地をご両親と旅されたそうです。花巻高村記念会高橋氏曰く、お父様も実にお元気だったとのこと。
 
以下、えりさんのブログにリンクします。
 
 
その後もえりさん、名古屋の高校で講演をなさったそうで、その中で光太郎にも触れられたそうです。ありがとうございます。
 
そしてご案内をいただいたコンサート。もしかしたらMCで光太郎がらみのお話があるかも知れません。
 
もうお一人、光太郎の詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさん。「モモの智恵子抄2013秋」ということで、二本松、福島市、そして原宿でコンサートをなさいました。
 
当方、このところ地方出張が多く(また明日から愛知です)、日程が合わずに参上できませんでしたが、成功裏に終わったようで何よりでした。
 
以下、モモさんブログから。
 
 
ちなみにモモさんのピアノ伴奏を務めていらっしゃるピアニストの砂原嘉博さん、以前に渡辺えりさんのピアノ伴奏もなさったことがあるそうで、世間は狭いものだと思いました。
 
お仲間の皆さんがそれぞれに活躍なさっています。こちらも頑張らねば、と決意を新たにいたしました。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月21日

昭和28年(1953)の今日、『昭和文学全集008 第二十二巻 高村光太郎集 萩原朔太郎集』の印税として、角川書店から1,570,205円の小切手を受け取りました。
 
現在でも150万円といえば大金ですね。ましてや昭和20年代の150万円というと、現在の価値に換算したらどのくらいになるのでしょうか。
 
実は晩年の光太郎、この手の収入がかなりありました。しかし生活は質素。そこも光太郎の偉いところだと思います。
 
ちなみにこの書籍の月報には前年、十和田湖上で撮った光太郎スナップが載っています。いい写真です。

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文学作品の朗読が静かなブームのようですね。あちこちの朗読イベントで光太郎作品が取り上げられています。
 
先日、このブログでご紹介した「声の会」さんのイベントが終了。同会のHPに詳しく様子がレポートされています。
 
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これからあるイベントが2件。 

”大人向け古典講座” 朗読 耳から味わう日本文学の傑作

予備校講師・カルチャースクール講師などを務められている「国語教師」吉田裕子さんの講座です。
 
以下、吉田さんのサイトから。
 
長年愛されてきた文学作品は、その内容だけでなく、言葉自体、強い魅力を持っています。声に出してこそ、その力が感じられることもあるでしょう。古典講座を数多く開催してきた講師が、「朗読」という形での作品表現に挑戦いたします。ぜひ作品との新鮮な出会いをお楽しみください。

・日時 2013年12月7日(土)10:30~12:00 
・会場 御殿山コミュニティセンター(吉祥寺駅徒歩6分)
・定員 15名
・参加費 500円

【朗読予定の作品】
 芥川龍之介「蜘蛛の糸」「蜜柑」  与謝野晶子『みだれ髪』ほか短歌 
 高村光太郎「智恵子抄」 三浦哲郎「とんかつ」 枕草子
方丈記 平家物語 おくの細道
 
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語りの会「いっきゅう組」 発表会2013 テーマ「愛とミステリー」

アニメ「攻殻機動隊」などでご活躍中の俳優・声優の塾一久氏による朗読イベントです。
 
・日時 2013年12月7日(土)14:00~ 
・会場 つくば西武ホール つくばエクスプレスつくば駅すぐ 西武デパート6F
・入場無料
 
1 智恵子抄より 詩16編 歌6首:高村光太郎
2 日本ミステリー「アパートの貴婦人」:赤川次郎
  海外ミステリー「ばっちゃまの話」:ルイーズ・マードリック
3 文藝百物語より 7編:森真沙子ほか
4 ゲストコーナー (お楽しみ^^)
5 塾一久による 短編ミステリーと落語「芝浜」
 
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この手のイベントを企画されている方、ご連絡いただければこのブログにてご紹介させていただきます(内容にもよりけりですが)。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月18日

大正6年(1917)の今日、光太郎が敬愛していた彫刻家、オーギュスト・ロダンが歿しました。

広島からイベント情報です。

あきクラシックコンサート vol.141 メイドインジャパン

   2013年12月7日(土) 14:00開演
   広島市安芸区民文化センター・ホール
   無料
 
出演
 工谷明子・平福知夏・佐々木有紀・浦池佑佳・飯島聡志
 林皐暉・大田響子・大下由紀江・三島良子
 
第1部 
組曲「四季」全曲 / 滝廉太郎
「野薔薇」、「からたちの花」 / 山田耕筰
「平城山」、「うぬぼれ鏡」、幻想曲「さくらさくら」 / 平井康三郎
 組曲「あんこまパン」全曲 / 伊藤康英
第2部 
「秋の野」、「紫陽花」、「ファンタジア第一番」 / 團伊玖磨
「はなやぐ朝に」、「木菟」 / 中田喜直
「サッちゃん」、「いぬのおまわりさん」、「サッちゃんの家」 / 大中恩
「ぼろぼろな駝鳥」 / 弘田龍太郎

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プログラム最後の「ぼろぼろな駝鳥」が光太郎作詞です。この曲が現代の演奏会で演奏されるのは非常に珍しいと思います。008
 
「現代の」と書きましたが、作曲の弘田龍太郎は生年・明治25年(1892)、没年・昭和27年(1952)。童謡「春よ来い」などを作曲しています。この「ぼろぼろな駝鳥」の正確な作曲年がわからないのですが、昭和18年12月にニッチク(現・コロムビア)からSPレコードがリリースされていますので、その頃のものでしょう。
 
同じ「ぼろぼろな駝鳥」でも、昭和8年(1933)に橋本国彦によって作曲されたものは、現在でも楽譜・CDが入手可能なのですが、弘田龍太郎のものは楽譜・CDとも当方不分明です。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月14日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋に村の青年達が集まって、「ヤトジ」を作ってくれました。
 
「ヤトジ」とはこの地方の方言ではないでしょうか。家の周囲に作る雪囲いです。

過日のブログでご紹介しましたピアニスト・荒野(こうの)愛子さんのCD「『智恵子抄』によるピアノとクラリネットのための小曲集」が届きました。
 
早速聴いてみました。
 
「ピアノとクラリネットのための小曲集」ということで、当然ですが全てインストゥルメンタルです。ピアノは荒野さん、そこに新實(にいのみ)紗季さんのクラリネットが入ります。曲は全て荒野さんのオリジナルです。曲目は以下の通り。
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 1. アトリエにて
 2. 人類の泉
 3. 深夜の雪
 4. 僕等
 5. 樹下の二人
 6. あどけない話
 7. 分岐
 8. 風にのる智恵子~千鳥と遊ぶ智恵子
 9. 値ひがたき智恵子
 10. 同化
 11. 終曲Ⅰ--亡き妻智恵子
 12. 終曲Ⅱ--夜風も絶えた
 
以下、あくまで当方の個人的感想です。全体に切ない感じのメロディーラインで統一されていますが、決して暗い雰囲気ではなく、一種の清澄さを感じます。宗教曲にも通じるような。詩の「言葉」に頼らず、音楽のみで表現するのはかなり難しいと思いますが、あえてそれに挑戦したところにピアニストとしての荒野さんの矜恃が感じられましたし、実際、それが成功していると思います。
 
「あどけない話」を聴けば、安達太良山の山の上に広がる智恵子の「ほんとの空」が目に浮かびますし、「風にのる智恵子~千鳥と遊ぶ智恵子」では、九十九里浜の千鳥の鳴き声がピアノで表現されています。荒野さんのピアノに寄り添うような新さんのクラリネットも澄んだ音色で、音楽世界の幅を広げています。
 
ぜひお買い求めを。荒野さんのブログから註004文できます。

 
【今日は何の日・光太郎】 11月7日

明治8年(1875)の今日、光太郎の両親・光雲とわかが結婚しました。
 
その前年に年季奉公が明けて独立した光雲ですが、この年数えで24歳でした。わかは光雲の師・東雲の妹の日本橋小舟町の穀物問屋・金谷善蔵に嫁いでいたおきせの養女(わかは実父の呉服商・金谷浅吉が亡くなり、子供がなかった浅吉の弟・善蔵の養女となりました)。この年、善蔵が病没、店も閉めることとなり、不憫に思った光雲がわかを見そめたというところです。光雲より6歳下の数え18歳でした。

今日は「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展の最後の巡回先、愛知県碧南市藤井達吉美術館にての開会式・内覧会(一般公開は明日から)に行って参ります。帰りは夜中となりそうなので、日付が変わった未明のうちに今日の分を書いてしまいます。
 
出先からケータイで短めに投稿する事も可能なのですが、早めに書いてしまいたい事情もあります。
 
このブログでは光太郎智恵子がらみのさまざまなイベント等をご紹介しています。そのために情報収集はおさおさ怠りなくやっているつもりなのですが、こちらの網の目から漏れる情報も多いようです。
 
終わってしまってからこんなイベントがあったというのをネットで見つけることもしばしばありますし、昨日書いた田沼武能「アトリエの16人」のように、終了間際に気がつく場合もあります。当方の情報収集力もまだまだです。
 
今回もそう。明後日に行われるイベントを昨日になって知りました。反省しきりです。というわけで、間がないのでできる限り早くご紹介します。 

リーディングドラマ「智恵子の空は」

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『朝日新聞さいたま版マリオン』さんの記事から。
 
朗読グループ「声の会」による公演。浅川安子(構成、演出)。音楽、動きなどを取り入れ、高村光太郎の「智恵子抄」をもとに智恵子の生涯を語る。ピアノとクラリネットの演奏も。1000円。要予約。電話中村さん(048・641・6753)。
 
日 時:2013年11月2日(土) 昼の部13:30~ 夜の部18:00~
会 場:彩の国さいたま芸術劇場小ホール(最寄り駅 与野本町)
料 金:1000円 全席自由
 
同会HPによれば、「リーディングドラマ」とは、以下の通りです。
 
 昨今、朗読の持つ力が見直され、朗読劇や朗読構成劇などという名前で舞台上演されることも増えてきました。これは日本語の持つ生命力を目や耳を通して回復させたいというあらわれだと思います。
 私たち「声の会」のリーディングドラマも、朗読に美術や音楽、照明、動きを取り入れ、総合的な舞台表現を目指しています。私たちの発する言葉が、舞台空間をより際だたせることによって、何倍もの力を得て、ストレートに観るものの心に伝わることを切に願うからです。
 
ぜひ行きたいのですが、なにせ急に知ったもので都合がつきません。残念です。

【今日は何の日・光太郎】 10月31日

昭和16年(1941)の今日、牛込矢来町の城西仏教会館で催された「文芸講演と詩朗読の会」で講演をしました。
 
上記と同じ朗読の会ですが、その趣旨は大きく違います。
 
当方、この時のプログラム(B4判二つ折り)を所蔵しています。裏面に書かれた趣意書的なものを引用しましょう。
 
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 変転きはまりない時代に最も肝要にして不動不退転の国民の生活を樹立させる底のものは国家の力であり、国民の固き信念であります。大日本帝国臣民であるわれわれはこの力を充分蓄積し、この固き信念を深く身につけて一旦緩急の際には、すみやかに勇往邁進凛々真摯敢闘の精神を内に充溢しのぞまねばなりません。われわれ青年はすでに銃剣の林を征き砲煙をおかして帝国の威力を世界に轟かして参りました。今日われわれの思はねばならぬ責務の重大は、銃前と云はず銃後と云はず、現代日本の各方面より要望されており、われわれ青年はわれわれ青年の意気と熱情とを以てこれに当るべき秋であります。
 このとき文化面に於て、われわれは青年詩人の新しい声と盛り上がる熱情とをかたむけて新文化銃後翼賛の微力をつくしたいと思ふものであります。たゞならぬ今日のあらねばならぬ方向はこの巨大な歴史的現実の下に厳然として唯一つ存在して居る、捨身即ち祖国を愛する日本民族の血の伝統に生きる事であります。われわれ青年詩人は今こそ現代日本の輿望に応へて詩精神の覚醒と正しい履践をせねばならぬのであります。
 民族が興隆せんとするときには必ず民族の詩は栄えるのであります。現代日本の直面してゐる情勢は新しき東亜の黎明へ、十億の民の共栄へ向つて輝かしい任務を遂行する努力でもありまして、この偉大なる希望のもとにわれわれの血はたぎつてゐるのであります。文字通りわれわれは詩を以て聖業に翼賛し奉る秋であります。大政翼賛会文化部に於てもかゝる時代にかゝる詩の国民に与へる力の重大を惟ひ既に「詩の朗読」の運動が始められて居ります。
 詩と詩人社もこゝに「文芸講演と詩の朗読会」を催して現代青年詩人の志向とその自主的精神を明らかにし詩によつて民族精神の高揚を為す運動の一としたいと考へる次第であります。
 昨秋及今春名古屋に於ける「文芸講演と詩の朗読会」に引続き催される今回の会は現代詩精神社の後援の下に、一つには同人山田嵯峨の大浪漫主義を盛つた詩集「四方天」の出版を記念し、又一つには徳安攻略戦に散華した詩友田中清司を偲ぶために開催されるものであります。したがつて今迄在来の出版記念会や追悼会の旧套を打破する意味も含み、こゝに詩壇新体制確立の為青年詩人を中心に溌剌清新の新風を盛りうる事と信ずるものであります。
 幸ひ詩壇の耆宿高村光太郎氏と詩朗読の先輩照井瓔三氏の賛助御快諾を得ました事はわれわれのもつとも光栄とするところであります。就而此青年詩人の一大快事に御集り願ひ度く御友人御誘ひの上御来場下さいます様御案内申上げます。
 昭和十六年十月   詩と詩人社同人識
 
まるで某半島の某独裁国の「ナントカ日報」という新聞のような感じですね。日本もつい数十年前にはこうだったのです。
 
この時はまだ太平洋戦争開戦前です。しかし既に日中戦争は泥沼化していました。国家総動員法はこれにさかのぼる昭和13年(1938)には制定されており、各種団体は大政翼賛会の旗の下に統合が進み、文学もその例外ではありませんでした。
 
詩人はその作品の執筆や朗読で、国策に協力する事が義務づけられた時代だったのです。
 
「詩と詩人社」は新潟・魚沼に本部を置いた詩人結社です。やはりプログラムの裏に同人の一覧が載っていました。
 
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当方、寡聞にして田村昌由、浅井十三郎、武井京史(「武井京」とあるのは誤り?)山田嵯峨くらいしか知りません。
 
田村にしても前後3回ほど光太郎に詩集の序文を書いてもらっているから知っているようなもの。浅井・武井・山田は昭和18年(1943)に行われ、同社発行の「詩と詩人」に載った座談で光太郎と同席しているから知っているようなものです。
 
それにしても戦死した同人の追悼を兼ねるとか、名簿に「出征中」の文字があるとか、本当に嫌な時代です。詩人が銃を手に取って戦うとか、銃後の者たちもこんなイベントで国策協力とか、そしてそこに光太郎も絡んでいるとか、そんな時代だったわけです。

光太郎の詩に自作の曲を付けて歌われているシャンソン歌手・モンデンモモさん情報です。
 
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「モモの智恵子抄2013秋」ということで、福島と東京、3カ所のツアーが予定されています。
 
2013/11/16(土) 二本松コンサートホール 18:00~ 1500円 問 0243-24-2830 鈴木
2013/11/17(日) 福島市古関裕而記念館  19:00~ 2000円 問 090-4476-0223 白川
2013/11/19(火) 原宿アコスタディオ 19:00~ 3000円 問 080-6772-3746 モンデンビューロ
 
ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月23日

大正12年(1923)の今日、柳八重に手紙を書きました。
 
柳八重は日本女子大学校での智恵子の先輩。その夫・敬助は画家で、光太郎とは留学中から親交がありました。そうした関係もあり、明治44年(1911)の光太郎と智恵子の出会いをお膳立てしたのが八重です。
 
敬助はこの年5月に病没、9月から遺作展が日本橋三越で始まりましたが、その初日に関東大震災が起こり、三越は炎上、多くの作品が灰燼に帰しました。
 
そのことに対してのお悔やみの手紙が、90年前の今日、書かれたというわけです。光太郎の痛恨の意が良く表されています。
 
 暫く御無沙汰しました。
 今度の災厄については市民一同いづれも悲痛な経験を負はされましたが、私自身として、柳君の遺作の事ほど切実に悲しまされた事はありません。身に近く、苦しい気がします。
 あなたの御心持を推察する事は更に強い圧迫です。
 けれど事実は二度とあともどりしない事を思へばどう考へてもどう為ようもなく又どう言ひやうもありません。
 せめて友人間にまだ散らばつてゐる遺作をあなたの許に集め寄せる事が出来れば一つの慰めになるかと思ひました。
 それで柳君帰朝後間もなく(〇九年)かかれた画で私の大事にしてゐた人物画(十号)を柳君にお返し為ようと思つて今日持参しました。此は柳君の精神的一面をよくあらはした好い画で私の愛好措かないものです。どうかアトリエにお置き下さい。額ぶちが手許に無いので額ぶち無しで持参しました。
 いづれ又おめにかかつた時、
   十月二十三日                                     高村光太郎
  柳八重子様
 
敬助の作品は、やはり交流のあった荻原守衛の個人美術館である信州安曇野の碌山美術館などで見ることができます。

ネット検索で見つけました。 

第82回日本音楽コンクール作曲部門本選会

 時 : 2013年10月30日 17:00開演
 場 : 東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
      (東京都新宿区西新宿3-20-2)
料 金 : 2,000円 
 東京オペラシティチケットセンター 03-5353-9999
 チケットぴあ各店、電子チケットぴあ 0570-02-9999
 JTB各支店、JTBトラベランド各店、JTB総合提携店、
  JTBエンタメチケットデスク 0570-030311
 
予選通過作品
 網守将平(あみもり しょうへい)  = Drunky Jet Addiction – for 6 players –
 佐原洸(さはら こう) = Ferrum 
 中村ありす(なかむら ありす)
 = RCH(NH2)COOH for Clarinet in B♭ & Piano forte
 引地誠(ひきち まこと)  = -call- 詩編第44篇より
 今野哲也(こんの てつや) = 『智恵子抄』への月影─「慈悲深き箴言」を擁する
 杉本友樹(すぎもと ゆうき) = Switch Module for ensemble
 松波匠太郎(まつなみ しょうたろう)
 = DISSOLUTION for Flute, Clarinet, Horn and Piano
 
演奏:安良岡章夫、小鍛冶邦隆指揮、アール・レスピラン
 
ラジオのNHK FM、テレビのNHK BSプレミアムでの放送もあるそうです。
 ラジオ 11月18日(月)19:30~21:10
 テレビ 12月6日(金)6:00~6:55
 
さらに12月上旬にはやはりNHK BSプレミアムにてドキュメンタリー番組として取り上げるそうです。ただし、声楽、ピアノなど他にも5部門あり、どなたがクローズアップされるか不明です。
 
今野氏の作品が栄冠に輝くことを期待します。001
 
【今日は何の日・光太郎】 10月21日

昭和28年(1953)の今日、十和田湖畔の裸婦像の除幕式に参加しました。
 
ある意味、光太郎彫刻の集大成といえる大作です。
 
ただし、長いブランクや光太郎自身の健康状態、その他もろもろのマイナス要因も重なり、「傑作」とは言い難いというのが正直なところです。
 
光太郎自身もあまりこの像の出来には満足していなかったようで、サインが入っていません。
 
しかし、そうした点を差し引いても、この彫刻の持つ意味は大きいものがあると思います。
 
ところでこれが「光太郎最後の彫刻作品」と紹介されることがありますが、それは誤りです。
 
未完に終わりましたが、昭和29年(1954)には日華ゴム(のち月星化成、現ムーンスター……運動靴のメーカー)社長の倉田雲平像を手がけていますし、完成品としても裸婦像完成後に「大町桂月記念メダル」という小品を仕上げています。
 
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除幕式の一コマ 左から光太郎、佐藤春夫、谷口吉郎、土方定一、伊藤忠雄
 
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左:光太郎と裸婦像      右:モデルを務めた藤井照子と

数年前、この時のスピーチの載った翌月発行の青森県の『教育広報』を見つけました。筑摩書房の『高村光太郎全集』に収録されていないものでした。現在全国巡回中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」図録に、この全文が載りました。また、最初の会場だった千葉市立美術館では、担当の学芸員氏がこの文章をいたく気に入り、パネルに全文印刷して会場内に展示、さらに図録の見返しに冒頭の一文「人間の心の中を、内部を見る」がキャッチコピー的に使われています。

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