カテゴリ: 音楽/演劇等

第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の中学、高校部門が今月25(土)、26日(日)に盛岡市の岩手県民会館で行われます。
 
合唱楽譜の発行、販売を専門にしているパナムジカさんのサイトに、コンクール情報として、参加校と演奏曲目の一覧が書かれています。
 
それによると、高校Aの部(8~32人)で、光太郎作詞、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」から自由曲を選んだ学校が2校ありました。
 
北海道帯広三条高校合唱部さんが「レモン哀歌」、神奈川の清泉女学院高等学校音楽部さんが「亡き人に」。それぞれ難曲ですが、さすがに全国まで駒を進める学校ですので、しっかり歌いこなせているのでしょう。入賞してほしいものです。
 
以前にも書きましたが、この「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」は、智恵子の母校・福島高等女学校の後身である福島県立橘高校合唱団による委嘱作品です。同校合唱団は、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、平成21年(2009)から3年間、全日本合唱コンクール全国大会に出場し、上位入賞しています。昨年には楽譜が刊行され、他校でも取り上げるようになったということでしょう。
 
ちなみに橘高校さん、やはり今回の全国大会に出場します。同じく鈴木輝昭氏の作曲で、大岡信作詞の「肖像」が自由曲です。
 
智恵子の後輩、といえば、日本女子大附属高校コーラスクラブ さんも出場します。自由曲は、やはり鈴木輝昭氏の作曲、与謝野晶子作詞の「絵師よ」。
 
昨日の『朝日新聞』さんに、この全国大会の特集記事が載りました。中高・大学一般合わせて出場122団体のうち、4つがピックアップされ、紹介されています。
 
高校の部では、初出場の京都女子高さん。開催地である岩手出身の宮澤賢治作詞「無声慟哭」(西村朗作曲)が自由曲ということです。「無声慟哭」は賢治の妹・トシ(やはり智恵子の後輩です!)の死に際して作られたもので、「レモン哀歌」と並び称される有名な挽歌です。
 
記事から一部引用させていただきます。
 
 部員たちの楽譜を見せてもらうと、意味の解釈がびっしりと書いてある。「無声慟哭」は、宮沢賢治が、愛していた妹を亡くした悲しみや葛藤を表現した詩だ。5日間、昼休みも話し合いを重ね、難解な詩を解釈。意味を意識しながら歌うようにしている。
 豊かな表情で表現することにも、力を入れているといい、「一つ一つの歌詞に合わせた表情を心がけたい」とアルトパートリーダーの成田千夏さん(17)。
 
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大切なことですね。合唱ですから、音程やハーモニー、リズム、ディナミークといった音楽としての要素がしっかりしていなければ仕方がありませんが、それと同じくらい、歌詞をどう伝えるか、ということも大切だと思います。
 
ここまで書いて想い出しました。当方、学生時代から合唱を続けています(社会に出てからサボっていた時期もありましたが)。学生時代に歌った曲の中に、故・伊藤海彦氏作詞の「島よ」(大中恩作曲)、「季節へのまなざし」(荻久保和明作曲)があり、当時、やはり詩の解釈に随分こだわりながら歌ったなあ、と。
 
そこで、過日、鎌倉のギャラリー笛さんにお邪魔した際、偶然にも伊藤氏の夫人にお会いすることができ、驚くと同時に感激いたしました。当方にとっての伊藤氏は、光太郎と交流のあった詩人というだけでなく、「島よ」「季節へのまなざし」の伊藤氏なのです。
 
閑話休題。全日本合唱コンクール全国大会、各校ともがんばってほしいところです。特に北海道帯広三条高校合唱部さん、清泉女学院高等学校音楽部さん(そういえば、清泉さんも鎌倉でした)には、しっかりと光太郎詩のこころを表現していただきたいものです。
 
ちなみに一般公開もされるはずですので、岩手方面の方、足をお運び下さい。25,26両日とも9:45開演だそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月22日
 
昭和24年(1949)の今日、智恵子の母・センが、千葉県九十九里で歿しました。
 
智恵子に負けず劣らず、波乱の生涯でした。センは智恵子の祖母・ノシが智恵子の祖父・次助と結婚した際の連れ子。智恵子の父・斎藤今朝吉と結婚し、智恵子をもうけてから夫婦で長沼家の養子に入りました。
 
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8人の子供のうち、智恵子を含む5人に先立たれ、1人は音信不通。さらに長沼酒造の隆盛と破産……。しかし、晩年は五女セツのもとで落ち着いた生活を送り、光太郎からの心遣いもあり、それなりに幸福だったと思われます。
 
下記画像は昭和3年(1928)夏、箱根で撮られた一葉。光太郎智恵子夫妻と、センです。
 
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昨日は福島の相馬方面へ行って参りました。
 
第一の目的は、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサートです。題して「浜根由香 東北を謳う」
 
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第二の目的については、また明日書きます。
 
目的地は福島県南相馬市。福島第一原発のある大熊町の北ですが、先月、国道6号線の通行止めが解除されたので、アクセスが容易になりました。そのあたりについても明日書きます。
 
 
会場は南相馬市民文化会館ゆめはっと。瀟洒な建物です。中に入って驚きました。渡辺えりさんの「天使猫-宮澤賢治の生き方-」のポスターが。そういえば、福島公演の会場がこちらでした。紹介しておきながらすっかり忘れていました。
 
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 いいコンサートでした。
 

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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる、光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したもの。箏・唄ともに浜根さんの独奏です。当方、ホールで箏の独演を聴いたのは初めてでしたが、マイク等一切使わず、生の演奏だったので驚きました。もっとも、ホールが小ホール的な「多目的ホール」というところでしたが、それだけに臨場感がすごく感じられました。
 
2曲目が「遠野」。柳田国男の『遠野物語』の一節に唯是震一氏が作曲したもの。三弦(三味線)と唄で、やはり浜根さんの独奏でした。最近、京極夏彦さんリメイクの『遠野物語』を読んだので、興味深く聴きました。
 
3曲目に、宮城道雄作曲の「瀬音」。浜根さんと、お弟子さんの中島裕康さんのデュエットです。唄はなく、浜根さんが箏、中島さんが十七絃。箏はリードギター、十七絃はベースギターのようだと思って聴きました。
 
プログラム最後、4曲目で、浜根さん編曲のメドレー「赤とんぼ・もみじ・小さい秋みつけた」。樋口雅礼瑤さんが加わって、お三方での合奏でした。ちょうど秋。いい感じでした。
 
その後、浜根さんと、今回のコンサートを企画された地元南相馬の佐藤英明さんのトーク、そしてアンコール的にプログラム外に3曲演奏がありました。佐藤さんの唄でサザンの「希望の轍」、インストゥルメンタルで「大きな古時計」、「少年時代」。会場の皆さんも、存分に楽しまれたようでした。
 
先日もご紹介しましたが、ライブ録音が手に入ります。復興支援も兼ねているそうです。是非お買い求めを。
 
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南相馬という街、原発事故前の常磐線が全線健在だった頃に列車で通過したり、すぐ南の小高町に行ったりしたことがありましたが、南相馬自体には初めて行きました。コンサート開演より早く着いてしまったので、歩いてみましたが、なかなかいい感じの街でした。当方の大好きなレトロな建物が残っています。
 
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特に、コンサート会場・ゆめはっとのすぐ隣が「野馬追通り銘醸館」という施設で、ミニテーマパークのようになっており、みどころです。何棟かある建物自体も明治、大正、昭和戦前のものです。
 
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「昭和蔵」という建物は、内部に昭和30~40年代が再現されていました。
 
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先述の通り、国道6号の通行止めが解除となり、アクセスが便利になりました。ぜひ足をお運び下さい。
 
明日は隣接する相馬市などのレポートを書きます。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月20日002
 
昭和31年(1956)の今日、龍星閣から光太郎著『赤城画帖』が刊行されました。
 
光太郎没年の追悼出版的なものですが、元は明治37年(1904)に、群馬の赤城山を訪れた光太郎が描いた画帖です。
 
鉛筆スケッチ28枚、さらに明治期に赤城を詠んだ短歌が多数収録されています。解説はスキーヤーの猪谷六合雄。光太郎が赤城で定宿としていた猪谷旅館の子息です。
 
右の画像が『赤城画帖』。白っぽいのは、例によってパラフィン紙をかけてあるせいです。
 

福島いわきからイベント情報です。まもなくの開催です。 
主 催 : いわき賢治の会
期 日 : 2014年10月25日(土)
会 場 : いわき芸術文化交流館アリオス音楽小ホール 福島県市平字三崎1番地の6
開 場 : 13時30分
開 演 : 14時
料 金 : 1,000円 (学生500円)
 
第1部 : レー講演
 小野 浩 宮沢賢治学会会員市暮らの伝承郷館長
 安斉 重夫 宮沢賢治学会会員鉄の彫刻家ーハーブ賞奨励賞受賞
 安斉 ツ子 宮沢賢治学会会員

第2部 : サロン
 い賢治の会会員
 賢治の 精神歌」 の練習

第3部 : 賢治のズム フルー演奏
 市島 徹氏
 東京音楽大学卒小林研一郎指揮仙台フルとコンの夕べ出演
 福島高専吹奏楽部の指導者
 ・星めの歌
 ・ポラーの広場の
 ・ポランの広場  他

第4部 : 朗読劇 あの時の言葉
 箱崎 耕平 絵本と朗読の会会長
 箱崎 典子 絵本と朗読の会事務局長
 緑川明日香 声の表現舎プア代表朗読家
 小野 浩
 
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第4部の朗読で、光太郎作品も扱われるとのことです。
 
先月発足したという、「いわき賢治の会」の小野浩会長からの情報です。小野氏は元いわき市立草野心平記念文学館学芸員で、昨年、二本松の智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'13」の講師も務められました。
 
新聞報道も送って下さいました。
 
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ちなみに小野氏の他に講演をなさる安斉重夫氏。一昨年上演された渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」「天使猫」のパンフレットに文章を寄せられていました。
 
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実は当方、今日も福島(相馬方面)に行っていたのですが、また次の週末も行くことになりそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月19日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻町で「花巻賢治子供の会」の公演を観ました。
 
同会は光太郎と交流のあった故・照井謹二郎氏が登久子夫人と共に昭和21年(1946)に子供達による劇団として設立したもの。賢治童話を上演し続けました。そもそもの始まりは、花巻郊外太田村山口の山小屋(高村山荘)に独居していた光太郎を慰安する目的だったようですが、光太郎に激賞され、本格的に公演を行うようになったそうです。

昨日は東小金井にて音楽ユニットotoyomiさんのコンサートを聴いてまいりました。
 
題してotoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』。いいコンサートでした。
 
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ユニットのメンバーは、朗読・歌が宝木美穂さん、テルミンで大西ようこさん、マリンバの今井万里子さん。そこにゲストで和太鼓・江上瑠羽さんが加わった美女4人のステージでした。
 
 二部構成で、第一部が「智恵子抄」。大西さんの構成、清道洋一氏作曲のオリジナル作品で、『智恵子抄』中の詩10篇+αを、テルミン、マリンバ、和太鼓の伴奏で、宝木さんが歌ったり語ったりさらに踊ったりという流れでした。
 
詩は「人に」、「樹下の二人」、「あなたはだんだんきれいになる」、「あどけない話」、「人生遠視」、「風にのる智恵子」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「値ひがたき智恵子」、「レモン哀歌」、「亡き人に」。フィナーレには短歌も使われました。
 
先日行われた、やはり大西さんご出演の「もうひとつの智恵子抄」は、曲間に語り、というかレクチャーを交えながらの構成でしたが、今回は始めから終わりまでぶっ通しで行う、ある種、音楽劇のような感じでした。
 
宝木さんの熱演、そして伴奏お三方の、それぞれの楽器の特徴を最大限に生かしての熱のこもった演奏。素晴らしいものでした。清道氏の作曲も、緊張感のある導入、そして中盤の夢幻界をさまよう智恵子の表現ではテルミンの不気味な感じが効果的に使われ、終盤の智恵子逝去に際しては逆にさわやかな曲想と、工夫が凝らされていました。
 
今日が命日である智恵子への、よい供養となったと思います。
 
「もうひとつの智恵子抄」レポートの時にも書きましたが、残された光太郎、『智恵子抄その後』、十和田の裸婦像といったあたりでの続編を期待します。
 
第二部はうってかわってア・ラ・カルト的な楽しいステージでした。宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにした「ふたつの子守唄」、ステージに画像を映し小林煌氏の木版画をインスパイアした「ととんととん」。江上さんの和太鼓VS今井さんのスネアドラムで「太鼓バトル」、やはり清道さんアレンジのジャジーな「山寺の和尚さん」、そして震災復興支援ソング「花は咲く」otoyomi アレンジヴァージョン。
 
4人のみなさんが、ほんとうに楽しんで演奏されている様子が伝わってきて、これぞ「音楽」と感じました。
 
 
当方も本日、ステージに立ちます。といっても音楽ではなく、智恵子の故郷・二本松で行われる第20回レモン忌で、記念講演を仰せつかっております。参加者の多くが智恵子の顕彰活動に携わったりされている地元の方ですので、ここ10年ほどの間に新たに見つかった智恵子資料-写真、絵画、書簡など-を紹介する予定です。
 
全国のみなさん、今日は智恵子の命日「レモンの日」です。智恵子に思いを馳せて下さい。よろしくお願いいたします。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月5日
 
平成14年(2002)の今日、NHKラジオ第2放送で「NHKカルチャーアワー文学と風土 東京文学探訪~大正・昭和を見る、歩く」が始まり、第1回として「原始の太陽 高村光太郎と智恵子を結びつけた場所*千駄木・西日暮里界隈」がオンエアされました。
 
先ほどから書いている通り、今日は智恵子の命日「レモンの日」ですが、それについては昨年の今日、書きましたので別のネタで攻めます。
 
一般向けの教育番組で、講師は元近畿大学教授の井上謙氏でした。この番組では、翌年の第23回「想い遙かに 高村光太郎・智恵子が眠る染井霊園あたり*巣鴨・駒込界隈」でも光太郎智恵子がメインで取り上げられました。
 
テキストも発行されました。古書市場で入手可能です。
 
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福島からコンサート情報です。 

浜根由香 東北を謳う

期 日 : 2014年10月19日(日)
会 場 : 南相馬市民文化会館 ゆめはっと多目的ホール
時 間 : 開場 13:30  開演 14:00
料 金 : 
前売2,500円 当日3,000円
出 演 : 
浜根由香 樋口雅礼 中島裕康
 
  : 遠野(柳田国男作 唯是震一作曲) 樹下の二人(高村光太郎詩 小山清茂作曲)他
 
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純邦楽です。曲目にある「樹下の二人」は箏曲と唄によるもので、以前にもご紹介しました箏曲奏者・下野戸亜弓さん友渕のりえさんなどもレパートリーにされています。というか、元々この曲は友渕さんによる委嘱作品です。
 
会場は福島の南相馬。東日本大震災による被害の最も大きかった自治体の一つです。そこでこのコンサート、復興支援も兼ねているそうで、収益金は市社会福祉協議会に寄付されるそうです。
 
チラシの裏面には、震災関連の記述も。
 
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一口1,000円で協賛される方には、当日のライヴ音源CDが送られるそうです。
 
こういう形での復興支援もあるのですね。

追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
 
さて、別件で飛び込みのテレビ放映情報です。ただし、北海道限定のようです。 

旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記

HBC北海道放送(Ch.1) 2014/10/5(日) 午前6:00~6:30
 
“旅の達人"阿藤快さんが『歴史の里』を訪れ、様々な歴史や文化の名残に触れていきます。もちろん、当地の銘菓や郷土料理も鋭い嗅覚で見つけ出し味わっていきます。
 
【みちのく阿武隈の歴史と味を探訪】  今回、訪れるのは福島県二本松市。  夫の高村光太郎が出版した詩集「智恵子抄」で知られる妻、日本の洋画家、高村智恵子ゆかりの地で、造り酒屋であった生家の裏には彼女の油絵や紙絵が展示されている「智恵子記念館」を訪れます。室町時代に築城された、日本100名城の一つ、二本松城もご紹介します。
 
元々はBS日テレさんで制作していた番組のようで、一昨年あたりに本放送があったようです。
 
北海道のみなさん、ぜひご覧下さい。
 
ちなみに10月5日といえば、「レモンの日」。智恵子の命日です。HBC北海道放送さん、それに合わせてこの放送日程を組んだのでしょうか?
 
さらに言うなら、この日(ってもう明日ですが)は二本松で智恵子命日の集い「レモン忌」も開催され、当方、記念講演をします。
 
今日は武蔵小金井にテルミン奏者・大西ようこさんらのユニットotoyomiさんのコンサート「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」を聴きに行って参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月4日
 
明治30年(1897)の今日、智恵子の弟・啓助が誕生しました。
 
智恵子は明治19年(1886)の生まれですので、11歳下になりますが、長男だったため、後に長沼酒造を継ぎます。しかし、啓助の代で破産。その後は上京してダフ屋や廃品回収業のようなこともやり、それでも困ったときには光太郎に金の無心をしましたが、昭和10年(1935)、数え39歳で頓死しました。ある意味、かわいそうな人物です。

お父さまが光太郎と面識がおありだったこともあり、連翹忌にもよくご参加下さっている渡辺えりさん率いる劇団「おふぃす3○○(さんじゅうまる)」さんの公演です。
 
2012年、下北沢の座・高円寺での初演以来の再演、今回は全国11ヶ所を巡回します。 
【盛岡】10月19日(日)         盛岡劇場メインホール  14時
【東京】10月23日(木)~28日(火)シアター・トラム
【石巻】11月1日(土)         石巻特設会場  時間未定
【兵庫】11月3日(月・祝)       兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホール  17時
【石川】11月5日(水)         北國新聞赤羽ホール   19時
【山口】11月8日(土)・9(日)      山口情報芸術センター 8日(土)14時 / 9日(日)14時
【宮崎】11月11日(火)          三股町立文化会館ホール  19時
【愛知】11月24日(月・休)        長久手市文化の家・森のホール  18時
【福島】11月27日(木)          南相馬市民文化会館  19時
【宮城】11月28日(金)          日立システムズホール仙台・シアターホール 19時
【山形】11月30日(日)          シベールアリーナ 13時/17時
 
作・演出 渡辺えり
 
キャスト 大沢 健 大和田美帆 土屋良太 谷川昭一朗 宇梶剛士 大塚加奈子 有賀太朗 藤本沙紀
      川口龍 十倉彩子 渡辺えり 他
 
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教師時代の宮澤賢治を主人公に、理想と現実のはざまで苦悩・葛藤する姿が描かれています。そんな賢治を温かく見守る弟の清六や妹のトシ、逆に非難・嘲笑する人々、そして賢治を取り巻く「イーハトーヴ」の大自然とのからみなどが、猫の大群を擁した幻想的な賢治童話に乗せて展開されます。渡辺さんは賢治童話「貝の火」に出てくる子ウサギ、宇梶剛士さんはなんと岩手山の役もなさいます(笑)。
 
こちらは一昨年の公演のパンフレットです。
 
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光太郎は登場しませんが、ストーリーの中で何度も「高村光太郎先生」として語られます。
 
山形出身の渡辺さんは、東北への強い思い入れをお持ちのようで、この「天使猫」、そして光太郎を主人公とした「月にぬれた手」を、東北で上演したいと、常々おっしゃっていました。そこで、今回、初日は盛岡ですし、千秋楽は山形。宮城や福島での公演もあります。
 
各会場、盛況となることを祈念いたします。
 
また、「月にぬれた手」の東北公演も実現してほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月3日
 
昭和10年(1935)の今日、中原綾子の詩集『悪魔の貞操』が刊行されました。
 
光太郎が題字と序詩「「悪魔の貞操」に題す」を書きました。002
 
   「悪魔の貞操」に題す
 
 心法の高圧を放電するもの、
 思ひもかけぬ交互無縁の片言隻語、
 言語道断の真空界にひらめくものは、
 千古測りがたい人間真理。
 すさまじいかな此書。
 
原題は「「悪魔の貞操」に寄す」でしたが、のち、雑誌に再録された際に改題されました。
 
はじめ、光太郎は序詩として、『智恵子抄』にも収められた「人生遠視」を中原に送りましたが、中原側からのクレームで変更になりました。
 
   人生遠視
 
 足もとから鳥がたつ
 自分の妻が狂気する
 自分の着物がぼろになる
 照尺距離三千メートル
 ああこの鉄砲は長すぎる
 
たしかにこんな詩を送られても困りますね。
 
この年二月の中原宛の書簡にはこのように記されています。
 
先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだらうとも考へました、何となしに懸念のあるものを折角のあなたの詩集のあたまに印刷するのもいかがと思ひますから、此は撤回いたします、 そのうち何かお送りいたします、
 
この時期は、ちょうど智恵子を南品川のゼームス坂病院に入院させた時期で、光太郎は確かに大変な時期でした。智恵子の狂躁状態、それに伴う自分の苦労などを、中原に宛てた複数の書簡に書いています。それにしても、他人の詩集の序詩に「自分の妻が狂気する」はいくらなんでも……と思います。そうした当たり前のことに考えが至らないほど、光太郎も追い詰められていたのかも知れません。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団「青年団」さんの公演です。

青年団第73回公演 『暗愚小傳』

東京公演 2014年10月17日(金)- 10月27日(月) 14ステージ
会場 吉祥寺シアター 武蔵野市吉祥寺本町1-33-22 

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀夏子 森内美由紀 木引優子
伊藤毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤滋
 
青年団さんのHPによれば、初演は昭和59年(1984)。その後、何度か再演され、今回は10年ぶりの上演だそうです。
 
当方、実際の上演は見たことがありませんが、DVDとシナリオが手元にあります。
 
10年前の公演から採ったDVDで、紀伊國屋書店さんから発行されたもの。紀伊國屋さんにはもう在庫がないようですが、amazonやネットオークションで時折見かけます。
 
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シナリオは平成8年(1996)に晩聲社から刊行されました。題名は『平田オリザ戯曲集③ 火宅か修羅か 暗愚小傳』。
 
今回の公演では、今月の東京を皮切りに、兵庫、香川でも行われるそうです。各会場の詳細な時間、料金等は青年団さんサイトをご参照下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月2日
 
昭和63年(1988)の今日、豊島区民センターで高村光太郎研究会主催のシンポジウム「高村光太郎 欧米の影響について」が開催されました。
 
発表者は故・長谷川泉氏、渡邊澄子氏、そして当会顧問・北川太一先生でした。

このブログでたびたびご紹介している、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」。福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルに光太郎詩「あどけない話」から「ほんとの空」の語を採っています。白石美帆さん他のご出演です。
 
各地の自治体が中心となり、上映が繰り返されています。この20日には、滋賀県の守山市で開催された「じんけんフェスタしが2014」で上映されました。今後も全国で上映されますのでご紹介します。 

町別啓発学習会 テーマ ~あなたの思いをわたしのものに~

2014/9/27 午後7時~
内野公民館曲淵分館  福岡県福岡市早良区大字曲渕700-1
講師 早良区生涯学習推進課 人権教育推進 木村哲也氏
 

本庄市人権教育研修会

2014/10/01(水)13:30~15:20 河内生活改善センター 埼玉県本庄市児玉町河内670-10
10/08(水)  〃        児玉文化会館(セルディ)   〃     金屋728-2
10/15(水)  〃        共和公民館        〃     蛭川915-5

地区別人権学習会

2014/10/27(月) 午後2時~3時45分 豊受公民館   群馬県伊勢崎市馬見塚町1296
2014/10/28(火)     〃     茂呂公民館     〃    美茂呂町3032-7
2014/10/29(水)     〃     赤堀公民館     〃    西久保町2-81 
2014/11/06(木)     〃     南公民館      〃    上泉町619-1
2014/11/07(金)     〃     境剛志公民館    〃    境下武士862-3
2014/11/17(月)     〃     北公民館      〃    平和町27-32
 
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福島の現状、震災から3年半が経過しても、やはり厳しいものがあります。光太郎の「道程」が引用されているということで、先日、NHKEテレで放映されたETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」を拝見しました。
 
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震災当初の放射能汚染、さらには、昨年の夏に実施した福島第一原発での大規模ながれき撤去で飛散した放射性物質が、約20㎞離れた南相馬市の水田の米を汚染した可能性が高い、それを国や東電は地元に説明せず、今年に入ってようやく報道された、などという話も紹介されました。それでも自分たちの生まれ育ったふるさとで、米作りに取り組み続ける人々の姿が描かれていました。
 
プラス、風評被害まであったものではたまりません。そうした風潮を戒める人権啓発のための作品「ほんとの空」上映です。
 
こうした取り組みが全国的にもっともっと広まってほしいものですし、「ほんとの空」、テレビでの全国放映もしていただきたいものです。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月24日002
 
昭和9年(1931)の今日、JOBKから朗読番組「文化ラヂオ・プログラム」第五回「高村光太郎詩集より」が放送されました。
 
詩は「沙漠」「牛」他六篇。朗読は声楽家の照井栄三でした。この頃から、光太郎の詩がラジオでたびたび取り上げられるように成っていきます。照井の他に丸山定夫、映画「智恵子抄」で光太郎役だった山村聰などが朗読を担当しています。

照井は「瓔三」の名でも活動していました。

 
 

昨日は東京国分寺にコンサートを聴きに行って参りました。
 
「Prhymx(ぷらイム)」というユニット――テルミン奏者の大西ようこさんのお話とテルミン、三谷郁夫さんが聞き手、歌、朗読、ギターを務められての、題して「もうひとつの智恵子抄」。すばらしいコンサートでした。
 
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会場は、民家でした。外観は普通のマンションのような建物ですが、一歩足を踏み入れると、別世界。富士吉田にあった築300年以上の古民家の部材を移築したとのことで、いい感じでした。50畳近くあるのでしょうか、大広間的な空間が、音楽サロンとして活用されているそうです。
 
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プログラム的には、アンコールを含め、全10曲の演奏。その合間に大西さんと三谷さんのトークが入るという流れでした。
 
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曲目としては、既製のものがほとん000どで、9曲目の田中修一さん作曲「三つの情景」のみ、「智恵子抄」からのインスパイアということでしたが、既製の曲もそれぞれに「智恵子抄」の雰囲気にぴったり合っていました。カッチー二の「アヴェ・マリア」など、当方も大好きな曲です。
 
テルミンの演奏は、初めて生で聴き、非常に興味深く拝聴しました。というか、テルミンの実物(右の画像)を見たのも初めてでした。どうしてこれで微妙な音程や深い曲想が表現できるのか、まったく不思議です。
 
三谷さんはギターを弾きつつ歌い、朗読をなさり(まさに「弾き語り」ですね)、いい声だな、と感じました。ラフマニノフのピアノ協奏曲に乗せての朗読がありました。「智恵子抄」にはラヴェルやドビュッシーなどのフランス近代もの、またはショパンなどを使う方が多いのですが、ラフマと「智恵子抄」という取り合わせも違和感がありませんでした。
 
そして曲間のトーク。大西さんが光太郎智恵子についてよく調べられていて、感服しました。ご来場の方々は、みなさん光太郎智恵子についてあまり詳しくない方だと拝察されましたが、そういう方々にもわかりやすく、興味深いお話だったのではないでしょうか。
 
おおむね智恵子の生涯を追ったお話でしたが、智恵子の統合失調症が顕在化し、ゼームス坂病院に入院というあたりまででした。智恵子の死、『智恵子抄』の刊行、残された光太郎、『智恵子抄その後』、十和田の裸婦像といったあたりでの続編を期待します。
 
また、昨日の演奏曲目から抜粋されたCDも販売されていまして、1枚購入して参りました。是非お買い求めを。
 
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来月には、やはり大西さんの参加されている別のユニット、「otoyomi/おとよみ」さんによる「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄」が開催されます。
 
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以下、コピペです。
 
 ■日時:2014年10月4日(土)13:30~、17:00~二回公演
 ■場所:現代座会館  JR武蔵小金井駅下車
 ■出演:otoyomi
    宝木美穂[朗読・歌]  大西ようこ[テルミン]  今井万里子[マリンバ]
 ■ゲスト:江上瑠羽[和太鼓]
 ■作曲:清道洋一 「智恵子抄」楽曲書き下ろし      
 ■入場料:<前売>一般:3,000円 中学生以下:1,500円
               <当日>一般:3,500円 中学生以下:2,000円
               ※前売は前日10/3(金)23:00締切。それ以降のお申込みは当日料金となります。
               ※未就学児のご入場はご相談ください。
   
 お問い合わせ・お申し込みはこちら
 MAIL:
otoyomi@hotmail.co.jp
 TEL :080-5910-1310 (B-project) 
 お名前・ご連絡先・公演時間・枚数をお知らせください。
 
 
よく同じことを方々で書いたり喋ったりしていますが、どんなにすばらしい芸術作品でも、我々のちの世の人間が、その価値を正しく理解し、次の世代へと受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に埋もれてしまいます。そういう意味で、音楽や舞台芸術、美術作品、文筆作品などの二次創作で、偉人たちの業績をオマージュすることも非常に有効で、こうした取り組みは、実にありがたい限りです。
 
全国の表現者のみなさん、どんどん光太郎智恵子の世界を取り上げて下さい。ただし、健全なリスペクトの念を忘れずに。また、ご連絡いただければ、こちらで紹介したり、できるだけのサポートをしたりということも可能です。あくまで健全なリスペクトの念を持つであろうものに限りますが。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月21日
 
昭和30年(1955)の今日、光太郎終焉の地、中野のアトリエで、家政婦の堀川スイ子を雇いました。
 
堀川は中野家政婦会からの派遣。光太郎が亡くなるまで約半年間、アトリエ所有者の中西家のみなさん共々、光太郎の身の回りの世話をしました。
 
光太郎歿後の昭和34年(1959)、筑摩書房から刊行された草野心平編『高村光太郎と智恵子』という80余名の回想録がありますが、堀川も「高村先生の思ひ出」と題する一文を寄せています。なかなか心打たれる文章です。

元女優・参議院議員の山口淑子さんの訃報が出ました。 

山口淑子さん死去 女優「李香蘭」、参院議員として活躍

『朝日新聞』 2014/09/14
 
 戦時中は女優・李香蘭として日中両国の歴史に翻弄(ほんろう)され、戦後はワイドショーの司会や参議院議員としても活躍した山口淑子(やまぐち・よしこ、本名大鷹淑子〈おおたか・よしこ〉)さんが7日、心不全で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 
 1920年、旧満州生まれ。13歳の時、奉天放送局にスカウトされ、歌手デビューした。日本人だったが、中国語が堪能で、中国人に受け入れられやすいように「李香蘭」という芸名が付けられた。
 38年、国策会社の満州映画協会(満映)の専属になる。「親日的な中国人女優」として、日本の植民地経営のスローガンだった「日満親善」「五族協和」を体現するヒロインを次々演じた。とりわけ長谷川一夫と共演したラブロマンス「白蘭(びゃくらん)の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」は大陸3部作として大ヒットした。
 一方で歌手としても人気を集めた。41年に東京・有楽町の日劇で開かれたコンサートでは観客の行列が建物を何重にも取り巻き、警官隊が出る騒ぎに。「夜来香」「蘇州夜曲」などのヒット曲が生まれた。
 その間、一貫して日本人であることを明かさなかったため、終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。
 戦後は山口淑子として日本映画に登場。50年、谷口千吉監督「暁の脱走」や黒澤明監督「醜聞〈スキャンダル〉」などに出た。ハリウッドにも進出し、「東は東」や「東京暗黒街・竹の家」などにシャーリー・ヤマグチ名で出演した。
 51年、彫刻家イサム・ノグチさんと結婚したが、4年あまりで離婚。ブロードウェーのミュージカル出演中に知り合った外交官の大鷹弘さんと58年に再婚、一度は芸能界から引退した。
 69年にテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会者として本格的に復帰。中東やベトナムなどの紛争地域に出向き、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長や日本赤軍の重信房子最高幹部らを精力的に取材した。
 その後、政治家に転身。74年の参院選全国区に自民党から立候補し当選した。環境政務次官、参議院外務委員長などを歴任した。
 

右は昭和26年(1951)の雑誌『毎000日グラフ』の表紙を飾った山口さんです。 
 
光太郎と山口さん、直接の面識はなかったようですが、筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』に、山口さんの名が2回出てきます。
 
まずは昭和27年(1952)10月に美術雑誌記者の国安芳雄と行った対談「心境を語る」。当時の山口さんの夫で、彫刻家のイサム・ノグチの話が出た流れで、次のような部分があります。
 
高村  日本タイムスを今までとつていたのだけれど、あれに出ていた野口さんの展覧会の写真はとても面白いものをとつていたのです。「独り者」という焼物ですが、ペチヤンコのせんべいぶとんからフーッというような顔を出して、その書いてある評が面白い。世界中で一番あわれな顔をしていると書いてある。なるほどそういう顔だつた。大いに山口淑子と結婚しない前の自分を思い出して書いたのでしょう。
国安  山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。
高村  あれはぼくはいいと思うのですよ。だから彫刻家の野口さんが結婚したのはもつともだと思う。あれは彫刻的な顔ですもの。あれは辰野隆博士のところに、女優の連中が五、六人集つて何だかの話をさせられたのでしよう。その時の写真が出て、辰野さんをまん中に女優の首が五つばかり並んでいる。それをずつと見て来たら、一人非常に違うのがいる。それはまるで彫刻にしたらいい顔だ。名前を見たら山口淑子となつている。それであれは草野(心平)くんが山へ来たときだが、その話をしたのです。そうすると草野くんが、本気なら連れて来るかとか何とかいつていた。連れて来られては大へんだから、今ここではできないから、ただそういつたのですが、それを芸術新潮の人が聞いて、ぼくに「彫刻家が見た山口淑子」という感想を書いてくれというのです。それでまた考えちやつたのですが、ニユーヨークだの方々でとつた写真を一たば送つて来た。それがあまりよく写つているので、初めの新聞で見たのと違う感じを受けた。新聞ではこまかいところが写つていない。ぼうつとしているのがとてもいい顔だつた。あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。けれどもあれはプラスチツクな顔ですよ。
 
「芸術新潮」の人というのは、詩人の藤島宇内のようです。昭和23年(1948)11月に藤島に宛てたはがきに、「彫刻家が見た山口淑子」という感想」についての件が記されています。
 
おてがみと写真などいただきました、御申越の原稿は暇があれば書かうと思ひますが今月中はとてもダメなのでもつとあとになるでせう。「彫刻になる顔」とでもするか、「山口淑子の首」とでも題しませうか。
 
このはがきの前に、山口淑子の顔の感想を書くことについて、「涼しくなつたら或は試みるかもしれません」と書いた書簡も藤島に送られているのですが、そちらは残念ながら失われています。
 
で、結局は「あまりこまかに写つているのを見ると何も書けなかつた。」ということで、これは幻のエッセイになってしまったわけです。
 
しかし、先の対談で、国安が「山口淑子の顔を何かで先生がほめていましたね。」と発言しています。これが草野や藤島あたりからの伝聞なのか、それとも何かで読んだのか、そのあたりがはっきりしません。可能性があるのは、昭和25年(1950)7月の『新潮』に載った草野心平の「高村光太郎」という長い山小屋訪問記です。
 
 高村さんはたって、ラジオのスイッチをひねった。(略)女のひとたちの座談会だった。その女の声で想い出したのか、
「山口淑子ね。矢張りあんな顔してんのかしら。ほんものが写真のようだったら、あの顔、つくりたいな。」
 忘れていたが、いつか高村さんが手紙できいてきたことがあった。或る婦人雑誌での座談会で私が辰野隆さんや山口淑子といっしょだったことから、その記事を見た高村さんが、本ものが写真のようであるかどうかをきいてきたのだった。
 
先の対談の内容とも一致します。
 
さらに、藤島がその晩年に書いた回想にも山口さんに関する話が出て来ます。平成7年(1995)新潮社の「とんぼの本」の一冊として刊行された『光太郎と智恵子』所収の「十和田湖の裸像」です。
 
高村さんはしばしば私に「こさえてみたい彫刻」のプランを話していた。テーマは三つあって、マッカーサー、山口淑子、智恵子だった。占領軍司令官マッカーサーは顔が彫刻向きだし、高村さんの好きなミケランジェロがローマ法王の依頼によってつくったその像は似ていないと非難されたが、すぐれた彫刻の永遠性によって実物を克服したことがヒントになっていた。山口淑子さんの場合は顔が彫刻向きであるほかに、日本と中国の戦争のはざまを生きぬいてきたその半生の苦難に高村さんは心を惹かれていた。
 
昭和27年(1952)に十和田湖畔の裸婦像制作のため上京する前の話、先のはがきの頃なのでしょう。しかし、文筆での山口さんに関するエッセイ同様、彫刻の山口さんの像も実現しませんでした。
 
 
山口さんと光太郎の関わりはもう1点あります。
 
光太郎が十和田湖畔の裸婦群像制作のため上京し、借りたのが、中野に今も残る新制作派の水彩画家、故・中西利雄のアトリエでした。中西は昭和23年(1948)に歿していますが、そのアトリエを、光太郎が借りる以前にイサム・ノグチも借りていた時期がありました。それが山口さんと結婚した昭和26年(1951)頃だったとのことで、山口さんもこのアトリエに足を踏み入れています。先の藤島宇内の「十和田湖の裸像」には以下の記述が。
 
青森県側は、八甲田山中の蔦温泉にアトリエを建てたら、といったが、これは論外。東京にアトリエを見つけることで合意した。帰京すると早速、私は菊池(一雄)さんに相談してアトリエを探した。菊池さんは、東京中野区に、亡くなった水彩画家中西利雄さんのアトリエがあるという。しばらく前、イサム野口(アメリカの彫刻家)・山口淑子夫妻が借りていたが、いまは空いているとのことだ。私が菊池さんの紹介で訪ねると、中西未亡人はよろこんで承諾してくれた。
 
ノグチはその後、鎌倉の北大路魯山人のもとに移り、陶芸を学んでいます。光太郎と国安芳雄の対談にある「「独り者」という焼物」はこの時期のものでしょう。
 
 
さらにもう一点。
 
冒頭の訃報で「終戦時には、日本に協力した中国人として処罰されそうになった。裁判で日本人であることを証明して謝罪。46年、日本への帰国が許された。」とありますが、この時に便宜を図ったのが、中国国民党の将校だった黄瀛。中国人の父と日本人の母を持ち、光太郎や心平、宮澤賢治と親しかった詩人でもありました。
 
孫引きで申し訳ありませんが、平成6年(1994)、日本地域社会研究所刊行、佐藤竜一著『黄瀛―その詩と数奇な生涯―』に引用された、矢野賢太郎「黄瀛先輩との交流」から。
 
 或る日黄君のところに川喜多(長政)氏と李香蘭が訪ねてきて同席しましたが、李香蘭は中国人で漢奸だと云うことでどうしても日僑管理処から帰国許可が出ず困っていたのを日本人であることを黄君が証明したのでやっと帰れるようになったそのお礼を申述べに来たのです。
 それでは一曲所望したい、あなたの一番思い出の深いのをと云う黄君の求めに応じて、彼女は夜来香を歌ってくれました。
 
ほんとうに人と人との縁というものは、不思議なものです。
 
申し遅れましたが、山口さんのご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月17日
 
昭和8年(1933)の今日、上野松坂屋で、光雲作の、朝鮮の京畿道京城府に建立された博文寺本尊釈迦如来像の開眼供養が行われました。
 
博文寺はこの前年に建立された、初代韓国統監・伊藤博文を祀る寺院です。
 
当方、この開眼供養の時の写真と、それを報じるリーフレットを持っています。翌年には歿する光雲の最晩年の写真です。
 
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◎博文寺本尊佛開眼式
日鮮融和の大道場として故伊藤博文公に縁故ある官民有志の発起で、昨年十月に京城に落成を見た曹洞宗春畝山博文寺に納められる本尊佛は、過般来斯界の権威高村光雲翁が製作中であつたが、此程漸く等身大に及ぶ釈迦如来像を完成、十七日午前十時より伊藤公記念会主催で上野松坂屋で開眼供養を行つた。
写真は、完成した如来像と参列の高村光雲、今井田朝鮮政務総監、児玉秀雄伯

滋賀県からイベント情報です。 

じんけんフェスタしが2014

日時  平成26年(2014年)9月20日(土曜日) 10時00分~16時00分
     (全体開場9時00分、大ホール開場9時30分)
場所  守山市民ホール(滋賀県守山市三宅町125番地)   
主催  滋賀県  滋賀県人権啓発活動ネットワーク協議会
後援  守山市 守山市教育委員会
テーマ うたの力と人権   スローガン 支えあい、助けあい、認めあい
 
守山市民ホールの敷地、施設をフルに使って、さまざまなことが行われるようです。
 
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その中で、小ホールに「人権啓発ビデオコーナー」が設けられており、以前にご紹介しましたが兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品が上映されるようです。
 
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制作元のサイトから、あらすじを抜粋します。
 
 向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇に訴える。
 
 弓枝の一人息子の輝は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えていて友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持つている弓校と勇の話を聞き輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。
 
 輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だつたが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。
 
 学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者、千代子とタイ人ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。
 
 輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□―クとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知つた輝は、廊下の鉢植えを割つたことを謝り、勇も偏見を持つていたと告げる。握手をする勇と□―ク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
 
 ノイから 草木染めを譲つてもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが……。
 
 
福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが光太郎詩「あどけない話」から採った「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
地方のテレビでオンエアされたり、やはり地方のイベントで上映されたりし続けています。じわりじわりと世の中に滲透していってほしいものです。そのためにも全国ネットでのテレビ放映が望まれます。当方も未見です。
 
さて、「じんけんフェスタしが2014」。滋賀県域のみなさん、ぜひ足をお運びの上、「ほんとの空」をごらん下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月9日
 
昭和51年(1976)の今日、JR東北本線二本松駅に、光太郎詩「あどけない話」の一節を刻んだ詩碑が建立されました。
 
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二本松霞ヶ城の石垣を模した駅の外壁に、黒御影のプレートが嵌め込まれ、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ/高村光太郎」と刻まれています。光太郎自筆原稿からの採字です。
 
碑にはこころもち傾斜がついており、かつてはよく晴れた日には上記画像のように、「ほんとの空」が反射して青く見えました。現在はバス停の屋根が映ってしまい、こうは見えません。残念です。

やはり先月発売の雑誌から。 

山口百恵「赤いシリーズ」DVDマガジン vol.12

2014/08/12 講談社 定価1,514円+税
 
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'70年代に大人気だった、山口百恵さんと三浦友和さんによる「赤いシリーズ」。隔週火曜日発売で、全38巻、各巻に3話ずつ収録されたDVDがついているというものです。
 
この中で、やはり毎号「プレイバック 百恵の言葉」というコーナーがあり、当時のインタビューなどから百恵さんの言葉を紹介しています。この号のテーマは「愛読書」。昭和51年(1976)3月の『平凡パンチ』、同じ年4月の『週刊プレイボーイ』に載ったインタビューから、当時の百恵さんの愛読書を紹介しています。構成、文は中川右介さん。
 
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百恵さんが真っ先に挙げたのは、「智恵子抄」でした。
 
智恵子が狂っても死ぬまで愛した高村光太郎の愛に感動するのヨ。ああいう愛は、現代にはもうありませんネ。
 
私は智恵子のように深く愛されたいし愛したい。ただただそう願っているんです。
 
愛、愛というけれど、光太郎は口では愛を語らないけど、一歩さがったところで智恵子を見守っている。そんな愛ってステキ
 
やはり昭和51年(1976)刊行の『山口百恵の本 もう一つ百恵』(集英社)という本の中には、「詩情の世界 百恵の智恵子抄」という8ページの記事が載っています。
 
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百恵さんが犬吠埼、二本松と、「智恵子抄」ゆかりの地を歩くというもので、故・髙村規氏の写真が使われています。
 
この中では、こんな発言も。
 
私は中学1年の時、はじめて「智恵子抄」を手にし、その後、何度も何度も読み返し、胸を熱くさせてきました。
 
当時の智恵子は非社交的だったといわれています。私に似ていると思いませんか。
 
光太郎は智恵子のことをこういっています。「自分のつくったものを熱愛の目をもって見てくれるひとりの人があるという意識ほど美術家にとって力となるものはない」と。私には、とてもよくわかるんです。私の歌も結果的にはたくさんのファンのためのものとなることもあるでしょう。けれども歌う心はそのひとりの人に聞いてもらいたいだけで、すでにいっぱいなのだから……。
 
DVDマガジンの「プレイバック 百恵の言葉」を書かれた中川氏は、こうした百恵さんを「恐るべき17歳」と評しています。
 
それにしても、百恵・友和コンビでの「智恵子抄」というのも、見てみたかったと思います。
 
DVDマガジン、ネットで取り寄せることも可能ですし、大きめの書店なら、最新号でなくとも店頭に並んでいます。ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月6日
 
昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、詩人の竹内てるよが訪ねてきました。
 
光太郎は戦前から戦中にかけ、何度も竹内の詩集の題字を揮毫していましたが、実際に会うのはこの時が初めてだったそうです。

昨日の『朝日新聞』さんに、第37回全日本おかあさんコーラス全国大会の模様を紹介する大きな記事が出ました。
 
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こちらは全日本合唱連盟さんの主催で、8月23日(土)24日(日)の2日間、新潟市のりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館で行われました。
 
調べてみたところ、東京代表の団体が、光太郎がらみの曲を演奏してくださったとのこと。
 
以下、朝日さんの東京版、先月末の記事から。

東京)2団体がひまわり賞 おかあさんコーラス

 新潟市中央区の新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあで開かれていた第37回全日本おかあさんコーラス全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催、キユーピー協賛)に24日、都内から4団体が東京支部代表として出場。「女声合唱団ジュディ」「舫(もやい)の会女声合唱団」が優秀賞にあたる「ひまわり賞」を受賞し、「グローリア女声合唱団」「アンサンブル ウィスタリア」が「おかあさんコーラス賞」を受けた。
 「ジュディ」と「舫の会」はいずれも指揮者の岸信介さんが指導。信長貴富作曲「世界中の女たちよ」の中からそれぞれに選曲し、反戦のメッセージを発信した。
 「ジュディ」の37人は、息子の死体を捜す母は私でありあなただと歌う曲「たくさんの私」に、戦争の残酷さを浮き彫りにした。福嶋浩美代表(55)は「女性でなければわからない悲しみや、平和を祈る気持ちを、全世界に発信したいと思って歌いました」。
 「舫の会」の75人は、白い総レースのドレスをまとい、「温かいシチュー」を披露した。鍋をかき回し、温かいシチューをつくって、男たちを戦いに行かせないようにしよう――そう世界中の女性たちに呼びかける歌詩を、力強いハーモニーでダイナミックに歌った。茂木やゑ代表(72)は「今、どうしても伝えておきたい、という思いがあって。たくさんのおかあさんたちに、この歌を歌い継いでほしいと願いながら、歌いました」と話していた。
 「グローリア女声合唱団」は2回目の全国大会。18人とは思えない豊かな声量で、美しいハーモニーを響かせた。佐藤賢太郎作詩作曲の「女声合唱とピアノのための合唱組曲『文学へ』」から「ぼうず」「君が見た空」の2曲を披露。百人一首を使ったかるた遊び「坊主めくり」がテーマのコミカルな「ぼうず」も、高村光太郎の「智恵子抄」がテーマで旋律が美しい「君が見た空」も、きれいに合わせるのが難しかったという。田中美知子代表(71)は「全国大会では初めて発信する曲なので、歌ってみたいと思ってもらえるよう頑張りました」と話した。
 藤澤幸義子さん指揮の「ウィスタリア」は初出場。団員13人は木下牧子作曲の「にじ色の魚」「鷗(かもめ)」を、戦争で死んだ若者たちを思う女性の視点に立ってしっとりと歌った。「声高に叫ぶのでなく、静かに平和を願う母なる思いを表現しました」と藤田久美子代表(55)。
2014.08.25
 
佐藤賢太郎氏作詞作曲の「女声合唱とピアノのための合唱組曲『文学へ』」、一昨年に発表されたものだそうですが、楽譜が市販されておらず、今回の報道があるまで存じませんでした。ただ市販されていませんが、PDFで見ることができます。ただし「No copy」の文字が出るのでそのままプリントアウトすることは不可能です。正式な楽譜は佐藤氏に申し込んで取り寄せるという形なのでしょう。またmp3で演奏を聴くこともできます。
 
歌詞は光太郎の「あどけない話」をベースに佐藤氏が作詞したものです。「高村光太郎作詞」というわけではないので、今まで見落としていました。
 
ゆったりとしたテンポで、記事にもある通り、メロディーラインの綺麗な曲です。安達太良山の上に広がる雄大な「ほんとの空」が目に浮かぶような曲です。
 
組曲としての他の曲は『枕草子』へのトリビュート「朝の藤棚」、『小倉百人一首』に題をとった「ぼうず」、松尾芭蕉へのオマージュ「旅に」となっています。
 
全国の女声合唱団の皆様、レパートリーに加えられてはいかがでしょうか。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月4日
 
昭和8年(1933)の今日、智恵子ともども栃木県塩原温泉を訪れました。
 
昭和8年というと、智恵子の統合失調症がかなり進んでいた時期です。光太郎は智恵子の故郷近辺の温泉巡りでもすれば少しは病状が好転するかと考え、智恵子を連れて旅に出ました。昨年焼失した不動湯温泉、裏磐梯などを廻り、その最後に訪れたのが塩原です。しかし、9月中旬に東京に戻ったときには、智恵子の症状はさらに悪化していたそうです。
 
下記は塩原で撮られた一枚。現在伝わっている、智恵子最後の写真です。
 
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去る8月9日、宮城県は女川町で、第23回女川光太郎祭が開催されました。
 
いくつかのメディアで報道されていますので、ご紹介します。

女川・仮設商店街で「光太郎祭」 町の“文化遺産”しのぶ

 女川町を訪れ、詩や紀行文を残した詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第23回光太郎祭(女川・光太郎の会主催)が9日、同町浦宿浜の仮設商店街「きぼうのかね商店街」で開かれた。

 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営員会の小山弘明代表が連作詩「暗愚小伝」を題材に、生い立ちや家庭環境などを解説した。

 光太郎の会の須田勘太郎会長は「光太郎の詩文は町の文化遺産。当時の女川をしのびながら詩を詠んでほしい」とあいさつ。遺影に献花した後、地元の小学生らが女川を題材にした「よしきり鮫」などの詩を朗読した。

 文芸評論家で高村光太郎記念会の北川太一事務局長の講演、歌やギター演奏の披露もあった。

 祭りは、光太郎が三陸の旅に出発した1931年8月9日にちなみ、92年から毎年開催。91年に女川港に建てられた三つの文学碑は東日本大震災で二つが倒壊し、一つは行方不明になっている。
 
『石巻かほく』2014.08.15
 
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光太郎の詩の世界に浸る 第23 回「女川・光太郎祭」

 彫刻家・詩人として知られる高村光太郎が、時事新報の委嘱で三陸地方へと旅立った8 月9 日、きぼうのかね商店街で第23回「女川・光太郎祭」が開催されました。
 この旅行中に光太郎は女川へも立ち寄り、「三陸沿岸では一番新しい、一番きれいな水揚げ場だ。(中略)女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている。」と評しています。
 この日はあいにくの雨模様でしたが、しっとりとしたギターの音色をバックに詩が朗読され、参加者は光太郎の目にした女川を想い、詩が描きだす独特の世界に浸りました。
 
『広報おながわ』 2014.09.01
 
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女川「光太郎祭」で講演

 女川町でこのほど、詩人・高村光太郎の顕彰式典「光太郎祭」が開かれた。83年前に詩人が三陸へ向けて東京を出発したこの日に式典を開催して今年で23回目。連作詩「暗愚小伝」について講演があり、戦争協力に及んだ詩人の軌跡に約50人が耳を傾けた。
 式典は、仮設商店街にテントを張って開かれた。文学碑3基の大きな写真が囲むステージで、研究者の小山弘明さん(49)が「暗愚小伝」を読み解く。
 小学校時代をこう描く。「身を捧げるといふことの どんなに貴いことであるかを、先生はそのあとでこんこんと説いた。みんな胸をふくらませてそれをきいた」。小山さんは「このような教えが『三つ子の魂百まで』と言うように、戦争協力につながっていったのではないか」と解説した。
 光太郎研究の大家、北川太一さん(89)も式典に出席して、「戦争中の自分を『暗愚』と名付けたことは大事」と指摘した。「今また戦争に巻き込まれるかもしれない雰囲気が漂っている」と現代に重ねた。
 光太郎は1931年8月9日、三陸へ向けて東京を出発し、女川港で作品を残した。町で養鶏業を営んでいた画家の貝廣(かい・ひろし)さんがそれを知り、有志と共に町内外の3721人から寄付金を集め、91年に女川港のそばに文学碑を建てた。
 その後、毎年8月9日に碑の前で顕彰式典を開いている。公費に頼らない手弁当の式だ。貝さんは東日本大震災の津波で命を落とした。64歳だった。貝さんの妻や友人は遺志を継ぎ、中断させずに震災の年も式を開催した。津波で被災した碑は今、再建の日を待っている。
 毎回、町の人々が詩の朗読も行う。今回は高校生らと一緒に女川小学校6年生も参加。「道程」を千葉あいかさん(11)、「花のひらくやうに」を鈴木明梨さん(11)、「山のともだち」を成田千夏さん(12)が読み上げた。「みんなが真剣に聞いてくれたので良かったです」と鈴木さん。
 ギター奏者の宮川菊佳さんやオペラ歌手の本宮寛子さんも出演。本宮さんは強い風雨の音をかきけすようにソプラノを響かせた。
 
『朝日新聞』 2014.09.02
 
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『広報おながわ』は月刊ですので、9月1日にでるだろうと思っていたところビンゴでした。すると、翌日には『朝日』さんの宮城版に載ったようです。この手の地方でのイベントは、少し経ってから報道されることが多いものです。『石巻かほく』さんは約1週間後に掲載されました。
 
『朝日』さんからは、今年3月に表参道で行われた「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」/トークイベント、同じく6月の二本松の智恵子のまち夢くらぶさんの女川訪問の際にお世話になった、石巻支局の小野智美さんが取材にいらしていました。そのわりに記事にならなかったので、ボツかな、と思っていましたが、昨日、大きく取り上げて下さったようです。
 
8月25日、BS日テレさんの「深層NEWS」という番組に、女川の須田善明町長がご出演なさったので、拝見しました(光太郎がらみの話はありませんでした)。その中で、「人口減少率日本一」というお話が出て、驚きましたが、その後、女川再生に向けてのコンパクトな街づくり的な構想について語られていました。「光太郎ゆかりの町」的な側面でも進めて行っていただきたいものです。
 
ついでに書くと、8月30日のBS朝日さんの「いま日本は」という番組では、レギュラーコメンテーターの中村雅俊さんによる女川訪問、「中村雅俊が巡る被災地の未来 故郷・女川 おもいで旅(1)」が放映されました。女川光太郎祭の会場でもある「きぼうの鐘商店街」でのロケもありました。(2)があるはずなのですが、まだ放映予定が出ていません。
 
また、BS12(トゥエルビ)さんの「未来への教科書~For Our Children~」という番組(8月中に4回放映されました)で、仮設住宅に暮らしていく中で放課後に勉強する場を失ってしまった子供たちのために始められた事業・女川向学館が取り上げられ、中学生が英語で自分達の故郷・女川町をプレゼンテーションするという活動が紹介されていました。
 
さらについでに書くと、地上波NHKさんで、近々、以下の放映があります。 

特集 明日へ−支えあおう−「妻を探して海へ」

NHK総合 2014年9月7日(日)  10時05分~10時53分
去年秋、宮城県女川町のバス運転手・高松康雄さんは地元のダイバー高橋正祥さんを訪ねた。「妻をこの手で探したい」。勤め先の銀行で津波にあった妻は行方不明、手元に残るのは地震直後に妻から届いた「かえりたい」というメールだけだ。57歳になる高松さんは、高橋さんと厳しい訓練を重ねて潜水免許を取得。この夏、妻を探すため初めて海に潜る。手がかりは見つかるのか。訓練開始から1年、高松さんの妻への思いに密着する。

被災地からの声「宮城県女川町」

NHK総合 2014年9月8日(月)  26時15分~26時38分 =9月9日(火)2時15分~2時38分
被災地で出会った方々に、「いま一番言いたいこと」をうかがい、その思いをスケッチブックに書いてもらった上で、思いの丈を語っていただきます。今回は、宮城県女川町でお聞きした声をお届けします。
 
 
こういう番組を通し、女川の現状、町民のみなさんの今の思い等、しっかり受け止めて行きたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月3日
 
昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、和賀郡藤根村(現北上市)の高橋峯次郎が訪れ、平和観音堂についての相談をしました。
 
高橋は光太郎と同年の明治16年(1883)生まれの元小学校教師。自らも日露戦争への従軍経験を持ち、その後は永らく教師を務めましたが、その間の教え子約500人が出征、約130人が遺骨で帰ってきたそうです。その霊を弔うため、寄付も集めず自費で観音堂の建設を発願、光太郎に本尊の彫刻を依頼しに来ましたが、あいにく光太郎は彫刻を封印している最中でした。代わりに光太郎は自作の詩「観自在こそ」を揮毫、高橋に贈りました。その書は石に刻まれ、現在も北上市後藤の、高橋の建てた観音堂境内に残っています。
 
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詩は以下の通り。
 
観自在こそ たふとけれ 
まなこひらきて けふみれば
此世のつねの すがたして
わがみはなれず そひたまふ
 
平安時代に流行った「今様」の形式による観音讃仰の内容です。高橋は「文字で表された仏様」と感激したそうです。
 
ちなみに高橋の元には、教え子たちからの7,000通を超える軍事郵便が届き、平成13年(2001年)には、それを紹介する岩手めんこいテレビさん制作の「土に生きる ~故郷 ・家族、そして愛~」が放映され、反響を呼びました。
 
500人もの教え子を戦地に送り、その3分の1が骨になって帰ってきたという過酷な体験から生まれた観音堂。「わが詩を読みて人死に就けり」と書いた光太郎にも、高橋の思いが我がことのように身に染みたのでしょう。高橋と光太郎、一個人によるものではありますが、どこぞの何とか神社などとは違う、これこそ戦没者追悼の顕現ですね。

昨日の続きです。
 
8/30(土)、四ッ谷の紀尾井ホールにて、合唱の演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」を聴いて参りましたが、今日はまず会場に入る前の話から。
 
四ツ屋駅から紀尾井ホールを目指して歩いていたところ、ホールの建物のすぐ隣に、こんな看板を見つけました。
 
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「尾張名古屋藩屋敷跡」は関係なく、左の方です。「ああ、ここが福田家さんか!」と驚きました。
 
福田家さんは、戦前から続く料亭で、昭和20年(1945)に紀尾井町に移転したとのこと。ここで(もっとも、建物は当時のものではなく、近代的なビルになってしまっていますが)、昭和27年(1952)の10月に、光太郎と元陸軍少尉にして栄養学者の川島四郎、詩人の竹内てるよとの座談会「高村光太郎先生に簡素生活と健康の体験を聞く」が行われ、翌年1月の『主婦之友』に掲載されました。
 
さらにその前後の同誌に載った「編輯室便り」から。
 
  美しき因縁
 
「この世は美しいよ。やつぱりいゝことはするもんだなあ」
 と感激性のH記者。老詩人高村光太郎先生を囲む座談会から先生を送つて帰社するなりひどく感心した様子で語り出した――
 座談会は、千代田紀尾井町の福田家といふ旅館で開いたが、座に着いた高村先生
「僕の山の家へね、食糧不足のころ、二度も沢山の食物を送つてくれた人があるんです。紀尾井町の福田さん……この家ぢやないかな」
 と感慨深さう。
 女中さんに聞いてみると、やつぱり先生の推察どほり、贈主は、この五月に亡くなつた先代主人福田マチさんだつた。
 福田さんは隠れた篤行で、これまでもしばしば話題になつた人、新聞か雑誌で高村先生の御生活を読んだことから、慰問品を送つたものらしい。
「お礼も云はず失礼したが……」
 高村先生は滅多に書かれない筆をとつて、福田家さんのために「美ならざるなし」と色紙に認め、心からほつとした面持。
 偶然選んだ会場ながら、思はぬ美しい因縁話で、かくはH記者を感心させた次第だつた。
 
 
その際に光太郎から贈られた色紙がこちらです。
 
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上記記事、画像とも福田家さんで非売品として出した『福田マチ』(昭和28年=1953)という書籍から採りました。
 
見知らぬ光太郎に援助をした福田家さんの女将も偉いと思いますが、何年も経って、それを忘れないでいた光太郎も偉いと思います。実は光太郎に食糧を送ったという人はかなりの数に上ります。
 
そういう縁のある福田家さんが、コンサート会場紀尾井ホールのすぐ隣でした。
 
さて、「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」。光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲になる「女声合唱とピアノのための 冬が来た」については昨日書きましたので、他の演奏について。
 
昨日も書いた通り、カワイ出版さん、ジョヴァンニレコードさんの協賛、協力により、若手作曲家に作曲の場を提供し、一流合唱団の初演と楽譜出版を同時に行い、さらにライヴ録音がCD化されるという企画です。今回は、4篇の合唱組曲と、編曲が1篇、初演されました。
 
三好さんのもの以外に初演された合唱組曲は以下の通りです。
 
宮岡絵美作詞、増井哲太郎作曲 混声合唱とピアノのための「平行世界、飛行ねこの沈黙」
水無田気流作詞、田中達也作曲 男声合唱とピアノのための「シーラカンス日和」
工藤直子作詞、名田綾子作曲  混声合唱とピアノのための「いのち」

何度か書いていますが、当方、混声合唱をやっております。所属する団は、指導者が大中恩先生の弟子で、千葉県のアンサンブルコンテストで銀賞をいただいたこともあり、そこそこ本格的にやっています。しかし当方は不真面目な団員で、週1の練習の時にしか楽譜を引っぱり出さず、しかも楽譜を見ながら歌う習慣が身についてしまっており、「次の本番は暗譜」と言われるとお手上げです(笑)
 
そういう立場で聴くと、それぞれ一流合唱団( CANTUS ANIMAEさん、なにわコラリアーズさん、松原混声合唱団さん)の演奏でしたので、素晴らしいものがあり、真剣に音楽に向き合っていない我が身が恥ずかしくなりました。
 
特によかったのが、名田綾子さん作曲の混声合唱とピアノのための「いのち」、終曲の「もしも」。「のはらうた」のシリーズなどで有名な、工藤直子さんの詩です。
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 ここに こうしている
 「わたし」のままで いたい
 もしもいま いなくなるとしたら
 星のように月のように
 ほんのり光っていたい
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 あちこちを みまわして
 すこし あわててみたい
 もしもいま いなくなるとしたら
 最後に わけしりぶって 
 少し笑っていたい
 
 もしもいま いなくなるとしたら
 空にむかって 大地にむかって
 呼びかけていたい
 
   あなたにあえてよかった
   生まれてきてよかった
   あなたに会えてよかった
   生まれてきてよかった
 
さらに北川昇さん編曲の「花は咲く」 。東日本大震災復興支援ソングということで、繰り返しNHKさんで流れています。当方も何種類かの編曲で何度も歌いました。今さらどのように料理するのだろうと思っていたら、なんとア・カペラ(無伴奏)での編曲でした。歌うはこの日の出演合唱団全員と、三好さんを含む作曲、指揮、伴奏などを務めた方々、総勢百数十人。これも感動でした。
 
周囲には聴きながら涙している人もいらっしゃいました。当方も、あの日、津波に呑まれて亡くなった女川光太郎の会の故・貝(佐々木)廣さんを思い出し、目がうるみました。さらに、先頃亡くなった高村規氏、昨年亡くなった鋳金家の齋藤明氏にも思いを馳せました。
 
そんな思いで帰宅したところ、高村規氏の親族の方からお葉書が届いておりました。ご親族として規氏、さらに元歌手の亜留さんのご逝去が続いたことへの思い等、綴られていました。
 
規氏葬儀の御様子、さらににもはや引退されて公人ではなかった亜留さんの訃報、このブログで紹介すべきか非常に迷いましたが、ご存じなかった方、ご存知でも葬儀等に足を運べなかった方のためにも書くべきと判断し、書かせていただきました。情報の発信というのも、なかなか難しいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月1日
 
明治44年(1911)の今日、智恵子が表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が創刊されました。
 
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昭和57年(1982)、暁教育図書さん刊行の『日本女性の歴史 大正の女性群像』という書籍から画像を採らせていただきました。
 
103年前ですが、いま見てもつくづく素晴らしいデザインですね。

昨日は、四ッ谷の紀尾井ホールにて、合唱の演奏会「The Premiere Vol.3 〜夏のオール新作初演コンサート〜」を聴いて参りました。
 
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実にいい演奏会でした。
 
「The Premiere」は、今回で3回目だそうで、カワイ出版さん、ジョヴァンニレコードさんの協賛、協力により、若手作曲家に作曲の場を提供し、一流合唱団の初演と楽譜出版を同時に行い、さらにライヴ録音がCD化されるという企画です。今回は、4篇の合唱組曲と、編曲が一篇、初演されました。
 
初演された合唱組曲4篇のうちの一つが、光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲「女声合唱とピアノのための 冬が来た」でした。
 
第1曲「冬が来る」、第2曲「冬が来た」、第3曲「孤独で何が珍しい」、第4曲「冬の奴」の4曲からなる組曲です。
 
先述のとおり、昨日、楽譜が発売されましたが、終演後はごった返すと思い、会場に着き次第、購入しました。
 
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開演前に見たところ、やはり変拍子の多用など、いかにも現代音楽風ですが、メロディーラインの美しさは楽譜を見ただけで分かりました。実際の演奏を聴いて、やはりそう思いました。現代音楽では、調性やら主旋律やらが存在しないとか、不協和音の連続とか、実験的なものが多かったりするのですが、そういう感じではなく、非常に聴きやすい作りでした。
 
それにしても、当方の若い頃は、カワイ出版さんから合唱の楽譜を出すというのは、高田三郎、大中恩、三善晃といった大御所、というイメージでした。そう考えると隔世の感があります。
 
演奏が始まる前に、指揮の藤井宏樹氏によるMCで、作曲者・三好さんへのインタビューがありました。
 
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他の方々が、現代詩人の詩をテキストとして使用している中、なぜ光太郎なのか、という問いに対し、既製の女声合唱のイメージ-ふわっとしたきれいなもの-というイメージを毀す、「かっこいい」女声合唱の作品を作りたいと思い、そのためにあえてある意味硬質な言葉を使う光太郎を選んだとのことです。
 
女声アンサンブルJuriさんによる演奏も、そうした意図をくんだいい演奏だったと感じました。
 
特に第2曲「冬が来た」では、冒頭がア・カペラで「きっぱりと」と始まり、その後も「きっぱりと冬がた/八つ手の白い花もえ/公孫樹のも箒(ほう)になった/りともみ込むやうな冬がた」と多用される「き」の子音「K」。「ドイツ語か」と突っ込みたくなりましたが、おそらく光太郎も、硬い「き」音の連続で意識して韻を踏み、冬の厳しさを表現しているはずですので、そういう点でもよく理解された作曲、演奏でした。
 
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終演後、ホワイエで三好さんと少しお話をさせていただきました。例によって連翹忌の営業も。来年の連翹忌にはぜひいらしていただきたいものです。
 
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こちらが「光太郎を取り上げて下さってありがとうございます」的なことを申し上げると、「勝手に曲を着けてしまってすみません」とのこと。光太郎作品は法的に著作権が切れていますので、そこにリスペクトの要素がありさえすればどのように料理するのも勝手です。中には冒瀆のような扱い方があり、時おり憤慨しているのですが、今回のような取り上げ方をされれば、泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。
 
他団体の演奏、会場周辺のことなどについて、まだ書きたいことがあるのですが、長くなりましたので、明日に廻します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月31日
 
明治32年(1899)の今日、光雲がパリ万博出品監査委員を拝命しました。
 
パリ万博は翌1900年。今朝のNHKさんの「日曜美術館」は、ガラス工芸のガレとドーム兄弟のライバル関係を取り上げるものでしたが、このパリ万博での対決も扱われていました。光雲に思いを馳せながら拝見しました。

今のところ把握している9月のイベント情報、最後です。
 
まずは名古屋で活動されている名古屋・高村光太郎談話会さんの勉強会

名古屋・高村光太郎談話会 第5回勉強会

日時:2014年9月27日(土)15:30~18:00 ※先着順にて受付中
場所:サクラ カフェ、Uライブラリー 名古屋市千種区橋本町1-64  052-789-1110
  地下鉄東山線・名城線「本山」下車、②番出口から北へ「セブンイレブン」から右に入って徒歩2分
 ※近隣にコインパーキングがあります(有料)。
 ※年内は、同じ場所で第4土曜日の午後に開催の予定です。よろしくお願いいたします。
内容:①智恵子抄―ある愛のかたち⑤
     ―詩「或る夜のこころ」と「おそれ」について―
    大島龍彦(名古屋学芸大学教授・文学博士)
   ②「清浄なるスイスからイタリアを旅して」
     西浦  基(『雨男 高村光太郎』著者、高村光太郎研究会会員)    
   ③質疑応答・フリートーク
参加費:500円(お茶代込)
定員:15名 
 
 
同じく名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏関連。

第16回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会

2014/09/28(日) 13:30 開演
東京・日暮里サニーホール コンサートサロン
入場料 全席自由 前売2,000円 当日2,500円
お問い合わせ
 •メールアドレス:info@tiaa-jp.com
 •電話番号:03-3809-9712

  
プログラム:
末岡武彦 作曲/無伴奏チェロ ソナタ 演奏:杉田一芳(チェロ)
乙川利夫 作曲/ギターソナタ 第1番 ホ短調 Op.1 演奏:乙川利夫(ギター)
上江洲知恵 作曲/リードオルガンのための「つくり主を賛美します」による前奏曲 リードオルガンのための「聖なるかな」による前奏曲とその変奏曲 演奏:上江洲知恵(ピアノ)
小倉謙一 作曲/四季 演奏:小倉謙一(ピアノ)
下里博之 作曲/空想による舞曲 1.飛べない天使 2.機械仕掛けの街にて 二つの幻影 1.白い幻影 2.黒い幻影 演奏:下里 博之(ピアノ)
森円花 作曲/ソナタ 独奏チェロのための 演奏:森田啓佑(チェロ)
川田佳誠 作曲/Gothic... For Flute trio (ゴシック。。。フォー フルートトリオ) 演奏:石川楓(フルート) 中條里美(フルート) 橋口こず恵(フルート)
森川弘基 作曲/ヴィオラとピアノのためのソナタ「幻想と霧」 演奏:上野恵(ヴィオラ) 森千登世(ピアノ)
くどうゆうた 作曲/E・B・Aの動機による現代組曲 より「サングリアに恋して」 そらのあなたへ 思考力・判断力・表現力 演奏:北濱侑樹(フルート) くどうゆうた(ピアノ)
三浦良明 作曲/歌曲「向こう岸」 演奏:宮崎美翔(ピアノ) 片山沙也夏(ソプラノ) 田上絢子(アルト)
野村朗 作曲/連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「すずしきうなじ」(三好達治 詩) 連作歌曲「ひとを恋ふるうた」より 歌曲「片恋」(北原白秋 詩) 歌曲「冬の言葉」(高村光太郎 詩) 演奏:森山孝光(バリトン) 森山康子(ピアノ)
大野雅夫 作曲/弔魂詩 演奏:新潟モンテヴェルディ室内合唱団 指揮:大野雅夫
 小野龍一 作曲/Speech(スピーチ) 演奏:小林修子(ヴァイオリンⅠ) 石井智大(ヴァイオリンⅡ) 松岡百合音(ヴィオラ) グレイ理沙(チェロ) 平塚拓未(コントラバス)
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月29日
 
大正8年(1919)の今日、数寄屋橋の有楽座で、倉田百三作の演劇「出家とその弟子」を観ました。
 
光太郎が観たのは、劇団・創作劇場による初演興業でした。

東京国分寺でのコンサートです。
 
ただし、チケットは完売だそうです。

「もう一つの智恵子抄」

期 日 : 2014年9月20日(土)
時 間 : 15時開演(14時半開場、17時終演予定)
会 場 : 小俣邸  国分寺市泉町3-26-6TEL:042-325-0969
      アクセス JR中央線西国分寺駅より徒歩5~6分駐車場はありません。
       玄関の杉玉が目印。当日は看板が出ています。
       ※演奏会場には、靴を脱いでお上り頂きます。
       ※スリッパはございませんので、靴下ご注意ください。
出 演 : ぷらイム(Prhymx)お話・テルミン:大西ようこ聞き手・歌・朗読・ギター:三谷郁夫
入場料 : 3,000円(前売)/3,500円(当日)
       ※前売は前日9/19(金)正午締切。
       ※それ以降のお申込みは当日料金となります。
プログラム : 三つの情景(Trois Scènes pour Thérémine et Guitare):田中修一他
チケット・お問い合わせ : 彩企画(大西) 080-5436-0828 theremin-japan@ezweb.ne.jp
 
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智恵子はなぜ人でなくなってしまったのか?
そんな智恵子をなぜ光太郎は「だんだん美しくなる」と詠ったのか?
そんな『智恵子抄』の謎と真実に迫り、また裏話も楽しんでいただきます。
ご案内役は、大西ようこ、三谷郁夫。
勿論、ぷらイムの演奏もお楽しみいただきます^^
限定30名ですので、お申し込みはお早めに。(完売だそうです)
会場となる小俣邸は、知る人ぞ知る、住宅街の中にある隠れ家的音楽サロン。家の殆どの部材は、富士吉田にあった300年以上前の古民家から移築された物です。玄関をくぐるとそこは異空間の古民家。骨董好きのご亭主による設えは、どこを見ても情趣豊かな遊び心に溢れています。
宝探しの積もりで、会場もお楽しみください。

 
テルミン奏者の大西ようこさん、ギターの三谷郁夫さんのお二人による演奏会です。
 
会場が定員30名ということで、既にチケットは完売だそうですが(当方も買いました)、報道関係の方などもお読みいただいているかと存じますので、ご紹介しておきます。
 
また近くなりましたら詳しく書きますが、同じ大西ようこさんと、マリンバ奏者の今井万里子さん、和太鼓奏者の江上瑠羽さん、そして朗読の寶木美穂さんによる「音楽と朗読・歌で綴る智恵子抄」というコンサートが、10月4日(土)に武蔵小金井で開催されます。
 
大西ようこさん、過日の髙村規氏のご葬儀でお見かけしました。ご焼香なさる際に、どこかでお会いした方だな、と思ったのですが、ネットの画像でお顔を拝見していた次第です。
 
お仲間の寶木さんのブログによれば、二本松まで取材に行かれたり、大西ようこさんが、智恵子抄研究家? というくらい文献を読み込まれたりなさっているそうですので、期待しております。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月27日
 
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、新制盛岡高校の女生徒10人ほどが訪れました。
 
小屋が狭いので、1㎞ほど離れた小学校に移動、そこで雑談をしたり、光太郎が自作の詩の朗読をしたりと、愉しい時間を過ごしたようです。

気がつけば8月も最終週。9月のイベント情報を少しずつご紹介します。
 
渋谷の映画館、「シネマヴェーラ渋谷」さんでの特集上映です。 
昨年、東京フィルメックス、ヴェネチア、ベベルリンにおいて回顧上映され、再評価の声が高まる中村登監督の全貌に迫る!

8/16 ~ 9/12「甦る中村登」特集がシネマヴェーラ渋谷で上映されます。2013年ヴェネチア国際映画祭、東京フィルメックス、2014年ベルリン国際映画祭で上映された「夜の片鱗」「土砂降り」「我が家は楽し」の他、全24作品の特集上映です。
 
『智恵子抄(35mm)』 (125分)
公開:1967年
主演:岩下志麻、丹波哲郎、佐々木孝丸、田代信子、中山仁、加藤嘉、宝生あやこ、島かおり、岡田英次、南田洋子、平幹二朗、北見治一、小林博、岩本多代、金子信雄、石立鉄男、内藤武敏、小畠絹子
 
心を病んでゆく妻・智恵子への高村光太郎の愛を丁寧に描いた、同名詩集の二度目の映画化作品。智恵子役の岩下志麻は、鬼気迫る名演で数々の賞を受賞した。芥川比呂志による詩の朗読も心に沁みる感動作であり、米アカデミー賞にノミネートされた文藝映画。
 
上映日程 
 9月6日(土) 11:00 15:00 19:00
 9月9日(火) 11:00 15:00 19:00
 9月12日(金) 11:00 14:55 18:50
 
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昭和42年(1957)公開の松竹映画、「智恵子抄」が上映されます。まだご覧になったことのない方、この機会にぜひ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月24日
 
昭和52年(1977)の今日、光太郎のきょうだいの最後の一人、植物学者・藤岡孟彦が歿しました。
 
明治25年(1892)、高村家四男として生まれた孟彦は養子に出て藤岡姓となりました。ご子息光彦氏はご健在で、連翹忌にもご参加下さっています。過日の高村規氏ご葬儀でもお元気そうでした。

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

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こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
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つい先だって、光太郎の令甥にあたられる高村規氏の訃報をのせましたが、お身内がまた亡くなられました。
 
規氏の妹さんの珊子さん(こちらはご存命です)のお嬢さんで、亜留さん。したがって、光雲の曾孫、豊周の孫、規氏の姪に当たられる方です。亜留さんからみれば、光太郎は大伯父です。8月14日、子宮頸がんで亡くなられたそうです。
 
昭和60年(1985)に高村亜留として歌手デビュー。アルバム2枚とシングル2枚を発表されました。そのお名前をご記憶の方もいらっしゃるでしょう。御結婚なさって、歌手を引退、茨城の方でお住まいだったとのことです。

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2014/09/01追記 「茨城の方でお住まい」というのは誤りでした。ご親族の方からご教示いただき、川崎にお住まいだったそうです。
 
当方、デビュー当時の『FOCUS』を持っております。「一途なとこがソックリね」――曾祖父は光雲、光太郎が大伯父という歌手、高村亜留」という記事が掲載されています。光太郎作の十和田湖畔の裸婦群像中型試作を前にしたお姿が載っています。ちなみに背景に写っている掛け軸も光太郎画、光雲の木彫も見えます。
  
ご本人のインタビューでは光雲や光太郎を「何にでも一途なところが似てるな!」、お母さんの珊子さんの談話は「やり始めたら人が何といおうと猪突猛進というのは高村の血筋ですね」だそうです。
 
2014/09/01追記 『FOCUS』の写真、「親族の間ではあまり好まれない画像」だそうで、削除しました。
 
昭和36年(1961)のお生まれだそうですので、誕生日が来ていれば53歳……若すぎるご逝去です。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月18日
 
昭和61年(1986)の今日、草野心平が郵便局発行の「高村智恵子生誕百年記念」はがきの解説文、「智恵子生誕百年に寄せて」を執筆しました。
 
第一部「智恵子のふるさと」(半沢良夫画)、第二部「高村智恵子紙絵」、おのおの額面40円の官製絵葉書5枚ずつ、計10枚のセットで発売されました。題字も心平の筆です。
 
「…これ、智恵子の形見…」といって夜の道で高村さんに渡された紙包みを、ホテルの部屋でひらくと、それはカーネーションの紙絵だった。私はそれを南京に持ち帰って、ウチの壁に飾ってゐた。そして敗戦につぐゴタゴタから、残念・無念いまは手元にはない。
けれども高村智恵子といふ全く特異としか言ひやうのない美しい存在の記憶は年を経る度に新鮮になる。無論紙絵の造形美は智恵子さん以外、他に類例を見ないものだが、二十代に描かれた樟の大木の油絵の一作を私は見たことがある。セザンヌを遠く聯想させるその作品は、この道一ト筋に進んでいったらどんな大物になっただらうか、内心ワクワクしたことを憶えてゐる。
智恵子さんのヂカの憶え出は沢山。大晦日にアトリヱに泊めてもらって元日のお雑煮。その他。その他。嗚呼。
 
短い文章ですが、智恵子を偲ぶ心情が切々と伝わってきます。
 
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新刊です。
2014/8/1 新潮社(新潮文庫) 嵐山光三郎編 定価693円
 
『文人』シリーズの著者が、食に拘る作家18人の小説と随筆34編を厳選したアンソロジー。

これは旨い! 森鷗外、幸田露伴、正岡子規、泉鏡花、永井荷風、斎藤茂吉、種田山頭火、高村光太郎、萩原朔太郎、内田百閒、芥川龍之介、宮沢賢治、川端康成、稲垣足穂、林芙美子、堀辰雄、坂口安吾、檀一雄。食にまつわる短編と随筆。『文人』シリーズの嵐山光三郎が34編を厳選。
 
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昨年、同じく新潮文庫・嵐山氏の『文士の料理店』をご紹介しました。そちらと、それから旧著の『文人悪食』(ともに光太郎が扱われています)などは、嵐山氏の文章によるものでしたが、こちらは鷗外、子規らの「食」に関する作品を集めたアンソロジーです。
 
光太郎の作品は、詩「米久の晩餐」、同じく「梅酒」、随筆「こごみの味」が採られています。
 
少し安易かな、という気がしなくもありませんが、やはり原典を読むというのは大事なこと。ぜひお買い求め下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月13日
 
昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、実弟の藤岡孟彦に葉書を書きました。
 
孟彦は高村家四男として産まれましたが、藤岡家の養子になりました。植物学を専攻し、現在も続く茨城県の鯉淵学園で教鞭を執っていました。ご子息・光彦氏は健在で、毎年、連翹忌にご参加下さっています。
 
文面は以下の通り。
 
 此間は折角来られたのに大したお構ひも出来ず失礼しました、それでも此処の様子を見てもらつて本望でした、
 まだ今後何処へゆくか分りませんが当分はここにゐるつもり、後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも知れません。
 東京へは十月にゆき、半年ほど滞在の筈です。
 
「東京」云々は、十和田湖畔の裸婦群像制作を指します。像の完成後はまた岩手に帰るつもりでいたことがうかがえます。それどころか、さらに北海道への移住も考えていたようです。
 
しかし、健康状態がそれを許さず、裸婦像除幕後、短期間、岩手に帰ったものの、東京で療養せざるを得ない病状で、結局、東京で亡くなることになります。

神戸からイベント情報です。 

平成26年度兵庫県舞台芸術団体フェスティバル「群読・青春詩歌の響き」-高村光太郎「道程」から100年-

期 日 : 2014年8月23日(土) 
開 演 : 18:00  (開 場 17:30) 
会 場 : 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
主 催 : 劇団自由人会   兵庫県劇団協議会 
 
構成・演出  ふるかわ照 
演奏  真山ゆかこ   木村知之

問い合わせ先   劇団自由人会 :078-784-3701 
 
入場無料(自由席)※要予約
【申込方法】劇団自由人会(078-784-3701)まで、お電話ください。
申込締切:8月21日(木)5:00PMまで
※お電話のみでの受付です。
※未就学児童の入場はご遠慮ください。
 
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神戸電子専門学校声優タレント学科の学生さんも出演されるようです。
 
今年は「道程」100周年。少しずついろいろなところでクローズアップされています。ありがたいかぎりです。
 
上記バナーにある「幻の102行」は、雑誌『美の廃墟』に発表されたオリジナル「道程」の意ですね。以前、こちらで全文を載せました。お読み下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月7日
 
昭和39年(1964)の今日、『週刊朝日』第69巻第33号に「レコード界の智恵子合戦 歌謡曲は清潔ムードから文芸ブームへ?」が掲載されました。
 

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この年1月に、コロムビアから二代目コロムビア・ローズさんの歌で「智恵子抄」、7月にはクラウンから苅田千賀子さん「智恵子」/守谷浩さん「磐梯山の智恵子」がリリースされたことを受けての記事です。
 
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ちょうど50年前。時代を感じます。
 
ちなみに表紙はこちら。
 
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この年、秋に開催される東京オリンピックに出場、400mメドレーリレーで4位に入賞する水泳選手、故・木原美知子さんです。今の浅田真央さんや福原愛さんなどのようなアイドルアスリートのはしりでした。

『毎日新聞』さんの岡山版でしょうか。「高村光太郎」の検索ワードでヒットしました。

<朗読劇>永瀬清子の半生 自然や暮らし、平和願う心織り交ぜ 岡山の竹入さんが脚本「鬣よなびけ」 9日、津山で公演 /岡山

『毎日新聞』 2014年8月5日(火)16:16
 赤磐市(旧熊山町)出身の詩人、永瀬清子(1906~95)の詩を基にした朗読劇「鬣(たてがみ)よなびけ 永瀬清子物語」の公演が9日午後3時から、津山市山下の津山文化センターである。永瀬の詩を愛する岡山市のライター、竹入光子さんが脚本を担当。数々の名作と、その背景となった永瀬の半生を伝える。【五十嵐朋子】
 
 朗読劇は竹入さんが25編以上の詩と短章を引用・抜粋して構成し、2幕8場に仕上げた。永瀬について取材する記者が物語の進行役を担うなど、演劇の要素も織り交ぜる。
 
 永瀬が終戦後、故郷の熊山に戻り、農業をしながら詩作に励んだ40代の頃を中心に描く。それまで夫の仕事の都合で東京などに住み、高村光太郎や草野心平といった詩人たちと交流もあった。熊山に戻り、文学界と距離ができたが、創作欲はむしろ旺盛に。敬愛した詩人・童話作家、宮沢賢治にならって「農村芸術」を志し、自然や暮らしの中で心を動かされる一瞬一瞬を書き留めた。
 
 一方で、永瀬は社会的な活動にも精力的だった。朗読劇では、米国のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸の被ばく(1954年)に危機感を得た「滅亡軌道」、戦争に向かう社会の狂気を見据える「有事」など、平和を願う詩も盛り込んでいる。
 
 竹入さんは「永瀬さんの宇宙観が広がったのが熊山。弱いもの、はかないものを大事にしていた」と話す。生前の永瀬に詩を教わったこともあるといい、「一つか二つしか詩を知らない人にも、永瀬さんの生き方が分かるように構成した」と思い入れを語った。
 
 昨年2月に岡山市で初演し、「県北でも上演を」との依頼を受けた再演。永瀬の詩の朗読のために結成した「白萩の会」のメンバーたちが出演する。劇団や朗読グループで活動経験のある人が多く、朗々とした声を響かせる。特別出演に俳優の真実一路さん(東京都)を迎える。全編を通し、歯科医でチェロ奏者の三船文彰さん(中区)の独奏が彩りを添える。三船さんは「永瀬さんに敬意を表し、詩の良さを引き出したい」と話している。
 
 学生1000円、一般1800円。収益金は永瀬の生家保存に役立てる。問い合わせは主催の津山文化振興財団(0868・24・0201)。
 
 
このイベントが、直接、光太郎と関わるわけではなさそうですが、以前、命日である紅梅忌のイベントに参加させていただいた、岡山出身の詩人・永瀬清子をメインに据えた朗読劇のようです。
 
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主催の津山文化振興財団産のサイトがこちら。岡山では地元出身の詩人ということで、顕彰活動がしっかり行われており、素晴らしいと思います。
 
 
「地元での顕彰活動」といえば、同じく9日(土)に、宮城女川で、第23回女川光太郎祭が開催されます。当方、昨年から記念講演を仰せつかっており、明後日から女川入りします。
 
昨年の様子がこちらですが、仮設の商店街を会場に、こじんまりと行っています。ネットでも特に案内等が見つかりません。
 
おそらく、昨年同様であれば、午後2時くらいから、女川町浦宿浜の「きぼうのかね商店街」で行われます。この世界の第一人者・北川太一先生のご講演もあるそうです。
 
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月6日
 
明治27年(1894)の今日、木彫「紅葉と宝珠」を制作しました。
 
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現存する光太郎彫刻作品の中で、最も古いものと認定されています。「明治廿七年八月六日三枚仕上リ モミヂ 光太郎 十二才」の墨書署名が書かれています。一枚の板の表裏に彫られたもので、「宝珠」の方は翌七日仕上がりと書かれています。
 
戦後になって鎌倉の古道具屋から出て来たとのことですが、十二歳の少年の作にしては巧みすぎ、本当に光太郎の作か、と疑われましたが、間違いなく光太郎の作でした。
 
現在は東京芸術大学が所蔵、昨年全国巡回開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」にも出品されました。

東京は紀尾井町からコンサートの情報です。 
日  時  2014年8月30日(土) 18時00分開演 (開場 17時30分)
会  場  紀尾井ホール(JR・丸ノ内線・南北線「四ツ谷駅」麹町口徒歩 6 分)
チケット  3,000円(全席自由) ※未就学児童入場不可
問 合 せ   高三(たかさん) tel:03-6807-6088
 
増井哲太郎 × CANTUS ANIMAE
指揮:雨森文也
混声合唱とピアノのための「平行世界、飛行ねこの沈黙」
作詩:宮岡絵美
 
三好真亜沙 × 女声アンサンブルJuri
指揮:藤井宏樹
女声合唱とピアノのための「冬が来た」
作詩:高村光太郎
 
田中達也 × なにわコラリアーズ
指揮:伊東恵司
男声合唱とピアノのための「シーラカンス日和」
作詩:水無田気流
 
名田綾子 × 松原混声合唱団
指揮:清水敬一
混声合唱とピアノのための「いのち」
作詩:工藤直子
 
北川昇 × 出演合唱団による合同演奏
「花は咲く」  ※編曲初演
作詞:岩井俊二 作曲:菅野よう子
 
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新進作曲家四氏の合唱曲新作が披露されるコンサートです。光太郎作詞、三好真亜沙さん作曲の「冬が来た」が女声合唱でプログラムに入っています。
 
光太郎の詩による合唱曲は意外と少ないので、ありがたい限りです。
 
ちなみに今回、他の曲を演奏される松原混声合唱団さんは、合唱団京都エコーさんとのコラボでアルバム「私が歌う理由(わけ)」を平成17年(2005)にリリースされていて、その中に光太郎作詞、清水脩作曲「混声合唱組曲 智恵子抄巻末のうた六首」が入っています。
 
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今回の曲目も、ライブCD、楽譜が発行されるようですので、楽しみです。
 
当方、チケット購入いたしました。皆さんもぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月1日
 
大正2年(1913)の今日、日本洋画協会から、雑誌『現代の洋画』第17号「後期印象派」が刊行されました。
 
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雑誌なのですが、表紙に「木村荘八 高村光太郎 岸田劉生 共著」のクレジットが入っており、実際、執筆者はこの三人だけです。
 
光太郎は翻訳を三篇寄せています。「ポール・ゴーガン」「画論(アンリ・マティス)」「トウルーズ・ロートレク」です。ただし、それぞれ『スバル』や『早稲田文学』に一度発表したものの再録です。
 
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うっかり気がつきませんでしたが、青森十和田湖で先週開催された「「みなとオアシス十和田湖認定3周年」記念イベント ワンコインで十和田湖 湖上遊覧一周ツアー」の模様が、地元紙『デーリー東北』さんで報じられていました。

普段と違う魅力満喫 十和田湖遊覧ツアー

『デーリー東北』2014年7月23日(水)
 
 十和田湖国立公園協会主催の「ワンコインで十和田湖湖上遊覧一周ツアー」が21日に開催され、十和田市や八戸市など県南地域を中心にした約240人が、定期航路からは見ることのできない名所の見学や市内の合唱団の歌声に聞き入るなど、十和田湖の魅力を存分に楽しんだ。
 十和田湖畔休屋の国土交通省「みなとオアシス」認定を記念したイベントで、今年で3回目。御倉半島東側の東湖や秋田県側の和井内といった普段、遊覧船では回らないポイントを楽しんでもらおうと企画した。
 県内外から437件の応募があり、当選した100件の約200人が乗船。出港に先立ち、同協会の中村秀行理事長が「クルージングを楽しみ、口コミで十和田湖の魅力を発信してほしい」とあいさつ。特別ゲストで招かれた十和田市の合唱団「コールアゼリア」と「ポピュラーコーラス十和田」が十和田湖や奥入瀬にちなんだ歌を披露した。このうち、「湖畔の乙女」は文豪佐藤春夫作詞で、歌い継ぐ会が昨年まで湖水まつり開会式で披露し、地域に親しまれてきた歌で、乙女の像への感謝の気持ちをささげた。
 参加者は合唱団の澄んだ歌声やガイドの解説に耳を傾けながら、写真を撮るなどしてゆったりとした湖上遊覧を楽しんだ。
 五戸町に住む祖母前田愛子さん(63)と共に参加した六戸小2年林琉衣さん(8つ)は「楽しかった。合唱もきれいだった」と満足げ。前田さんは「訪れたことのあるキャンプ場や名所を船の上から眺めることができて良かった」と話していた。(三浦千尋)
 
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遊覧船のデッキで澄んだ歌声を響かせたコールアゼリアとポピュラーコーラス十和田
 
湖畔の乙女」は、光太郎と親しかった佐藤春夫が詩を寄託し、当時三本木高校の音楽教師だった長谷川芳美さん(故人)が曲をつけて誕生しました。昭和28(1953)年の除幕式で同校の生徒らによって披露され、10年後にレコード化も実現。東京・新宿の歌声喫茶で歌われるなど全国的な愛唱歌となったものです。
 
「乙女の像」という愛称がついたのは、この歌による部分もあるのでは、という説があります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月28日

昭和27年(1952)の今日、花巻郊外太田村の山小屋の畑に殺虫剤DDTを散布しました。

昨日は福岡のギャラリーでの書展をご紹介しましたが、もう一件、福岡からの情報です。
 
JR博多駅直結の駅ビルJR博多シティ9階の映画館「T・ジョイ博多」さんでの上映。

僕等の図書室~セレクト~

2014年8月9日(土) 15:00開演
 
三上の「桃太郎」(ぼくとしょ1より三上真史、村井良大、井深克彦)
たっきーの「智恵子抄」(ぼくとしょ1より滝口幸広、中村龍介、三上真史)
りゅうの「ピーターパン」(ぼくとしょ2より中村龍介、大山真志、井澤勇貴)
<登壇ゲスト:三上真史、滝口幸広、中村龍介>
 
僕らの図書室」は、通称「ぼくとしょ」。 る・ひまわり企画・制作の朗読劇で、メインの読み手1人とサポート2人の計3人で1つの物語を朗読するスタイル、出演者を「国語の先生」、観客を「生徒」、公演を「授業」としているそうです。
 
一昨年から今年にかけ、東京や大阪で3種類の公演が行われ、そのうち初演の「僕等の図書室~みんなで読書会~」と、2度目の公演「僕等の図書室2~みんなで読書会~」で、「智恵子抄」が扱われています。
 
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その「智恵子抄」を含めた3本を、映像で上映、ということです。
 
こういうイベントを通し、若い世代にも光太郎智恵子の世界を広く知ってもらいたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月26日
 
昭和25年(1950)の今日、書家の太田孝太郎に、詩稿「金田一国士頌」を発送しました。
 
金田一国士(くにお)は、岩手軽便鉄道や花巻温泉を001興した実業家。昭和15年(1940)に亡くなっています。その功績をたたえる石碑を花巻温泉に建てることになり、頌詩制作の依頼が光太郎にありました。それに応え、光太郎は以下の詩を作りました。
 
   金田一国士頌
 
 歳月人を洗ひ
 人ほろびざるは大なるかな
 人事茫々
 ただ遠く後人に貽(のこ)すところのもの
 その人を語る
 開発の雄
 今は亡き彼を懐ふこと多事
 
この詩は書家の太田孝太郎により揮毫、碑はこの年の秋に、花巻温泉で除幕されました。
 
生前に建てられた、数少ない光太郎詩碑の一つです。
 
ちなみに、同じ花巻の「ぎんどろ公園」にある、同じ年に建てられた賢治の「早春」詩碑と、同じ石材から切り出されたのではないか、という説があります。詳細はこちら

賢治と光太郎、花巻を代表する2人の碑が「双子」だというのも、面白いですね。

昨日は東京外苑前のライヴバー、Z.imagineさんに行って参りました。光太郎の詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン歌手、モンデンモモさんのライヴでした。
 
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光太郎詩に曲を付けた「樹下の二人」「梅酒」の他、オリジナル詞の「私の智恵子抄」、それからフォーレの「夢のあとに」に乗せての朗読「あをい雨」、さらに光太郎智恵子の周辺人物、平塚らいてう、宮澤賢治に関する曲などを演奏なさいました。
 
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また、シャンソンや日本の古い歌(「ゴンドラの唄」「宵待草」)、ゲストでモモさんのお知り合いの方もステージに立たれ、もりだくさんの内容でした。
 
光太郎智恵子の世界は、さまざまな分野の表現者の感性に訴えかけるようで、音楽、演劇、絵画、文芸、朗読その他いろいろな二次創作等がなされています。こうした風潮が途切れることなく続いてほしいものです。
 
また、そうした活動に取り組まれている方、ご連絡いただければご紹介しますので、よろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月7日
 
昭和59年(1984)の今日、神田の東京古書会館で明治古典会七夕古書大入札会が開催されました。
 
この年の目録のトップに、光太郎からプロレタリア詩人、中野秀人に宛てた書簡11通が大きく掲載されています。
 
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昭和2年(1927)~5年(1930)、滞欧中だった中野に宛てたエアメール……当時はまだ船便ですね。

光太郎の詩などにオリジナルの曲を附けて歌っているモンデンモモさんから、来月のライヴのご案内をいただきました。

Gマジックライブ VOL8 2014

日 時 : 2014年7月6日(日) 15:00~
会 場 : Z.imagine 港区北青山2-7-17 青山鈴越ビルB1F
      東京メトロ銀座線 外苑前駅 神宮球場方面出口下車 2番・3番出口を出てすぐ
料 金 : ¥3,000(ドリンク別) 学割あり
 
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ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月21日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校校長・浅沼政規と、読売文学賞の賞金の使い道を相談しました。
 
当日の日記から。
 
学校の学芸会用の幕の為に2万円寄附せんと思ふ。校長さんに話す。
 
前の年に刊行した詩集『典型』が、第二回読売文学賞に選ばれたのが前月。その賞金をそっくり寄附してしまおうというわけで、下記の幕ができあがりました。
 
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描かれているのは山口小学校の校章。このデザイン案も光太郎です。
 
浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年 ひまわり社)より。
 
 昭和二十六年、高村先生が読売文学賞の賞金を寄付してくれ、そのお金で式場用の幕を新調することになり、校章の図案を高村先生にお願いすることにしました。高村先生は快く承諾して、図案を作ってくれることになりました。
 お願いしてから何日かあと、高村先生から
「いろいろ考えてみました。花の模様はどこでも採っているのですが、ここではあまり特徴になりません。文字の図案化もただそれだけの意味です。ここの名産とか、特に関係のあることを考えて見ました。その結果、栗の図案を考えてみましたが、どうでしょうか。ここは栗の産地で、たくさん栗の木があり、栗は大きくなり、木は丈夫で堅く強く、実は青いうちはいがで包まれていますが、熟すといがが開き、丸々とした実がつやつや美しく、食べると、なににもましてうまい。うまいものの代名詞ともなっているくらいです。栗の実の雌しべを上向きにし、それを円で囲み、山口と文字を入れます」
 と図に描いてくれました。
「なるほど栗はここの土地に合うし、堅実を表しますので、それにいたしましょう」
 職員とも相談し、図画の得手な菊池高雄先生が図案を描いて、小屋にいって高村先生に見ていただき、それを校章として決定し、幕に染めることになりました。
 式場用幕は五つで、ステージの前上方の垂れ幕の左と右に校章を大きく染めることになりました。
 
山口小学校は廃校となりましたが、この幕は大切に保存されています。

鎌倉から映画の上映情報です。

「智恵子抄」を上映

  映画「智恵子抄」(中村登監督・1967年)の上映会が6月20日(金)、鎌倉生涯学習センターホールで行われる。「鎌倉で映画と共に歩む会」が主催。午前9時15分開場、9時30分開映。入場料は前売900円、当日1千円。
 同作品は松竹大船撮影所でメガホンをとっていた中村監督の手によるもの。詩人で彫刻家の高村光太郎が妻・智恵子との30年に及ぶ愛を綴った詩集「智恵子抄」と佐藤春夫の「小説 智恵子抄」が原作となっている。第40回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。チケットは たらば書房などで販売中。予約や問合わせは【電話】0467・23・3237同会・木口さんへ。
(『タウンニュース』)
 
昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」です。主演は岩下志麻さん、故・丹波哲郎さん。
 
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以下、昭和63年(1988)刊行の雑誌『彷書月刊』第4巻第10号「特集 高村智恵子」に載った岩下さんの回想です。
 
 私が、高村光太郎さんの『智恵子抄』の智恵子を演じさせて戴いたのは昭和四二年ですから、もう随分昔になります。
 中村登監督のもとで、光太郎役は丹波哲郎さんでした。
 その時、はじめて智恵子の切り絵を見せて戴きましたが、優れた色彩感覚、繊細で巧妙な技術、その切り絵から智恵子の純粋な魂の叫びが聞こえてくるような感動で、長い間見とれていたのを今も鮮明に覚えています。又、精神に異常をきたしてしまった智恵子をうたった光太郎の詩の何篇かに心から涙しました。
 『智恵子抄』は、夫婦の愛のあり方、愛についてを改めて考えさせられた作品でもあります。今も、私は“智恵子”と聞くと、病弱で非社交的でやさしいが勝ち気で、単純で真摯で、愛と信頼に全身を投げだしているような智恵子が目の前にいる様で、なつかしさでいっぱいになります。
 それ程、『智恵子抄』は、私にとって心に残っている映画の一つです。
 
販売用のDVD等になっていない作品ですが、このようにポツリポツリとではありますが、上映され続け、ありがたいかぎりです。販売用DVDにしていただけるとありがたいのですが、かえってそうなっていないからこうして上映され続けているのかもしれません。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月11日
 
昭和16年(1941)の今日、詩「荒涼たる帰宅」を書きました。
 

  荒涼たる帰宅
 006
あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人体の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風をさかさにする。
人は燭をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。
 
この年8月に刊行された龍星閣版オリジナル『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定されています。
 
右上はありし日の智恵子と光太郎。昭和3年(1928)、箱根での一コマです。

昨日、東京は日暮里サニーホールにて、仙道作三氏作曲のひとりオペラ「与謝野晶子 みだれ髪」に行って参りました。
 
連翹忌ご常連で、オペラ「智恵子抄」も作られているの作曲家・仙道氏の作品で、5年ぶりの再演とのことでした。
 
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当方、昼の部を拝聴しました。冒頭、晶子の令孫・元文部大臣の与謝野馨氏もいらしており、ご挨拶されました。ご存知の方も多いかと思いますが、氏は下咽頭がんのため喉頭を摘出、政界を引退されました。当初は声が出せなくなってしまいましたが、「気管食道シャント法」と呼ばれる手術を受けて、失った声を取り戻されたとのこと。昨日も、ゆっくりしたしゃべり方でしたが、きちんとご挨拶をなさっていました。
 
さて、演奏開始。狂言回し的な役割の(プログラムでは「朗読」)、矢島祐果さんの語りと、ソプラノ・山口佳子さんの歌で物語が進みます。晶子の代表的な短歌二十余首と、「君死に給ふことなかれ」や、智恵子がその表紙を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)に載った「山の動く日きたる」(「そぞろごと」)などの詩文六篇にそれぞれメロディーがつけられ、不思議な世界が展開されていました。
 
伴奏はピアノトリオにパーカッションが加わった四人。仙道氏自身の指揮でした。通常、オペラというと伴奏はオケで、合唱も入り、というイメージですが、こういう少人数でも立派に成り立つのだなと、感心しました。
 
短歌をオペラに、ということですが、東洋的・日本的な情緒をふんだんに盛り込んだ作曲で、ある意味、能を髣髴とさせられました。
 
光太郎智恵子夫妻にも通じる、鉄幹晶子夫妻の鮮烈な生の営みがうまく表現されていたと思います。
 
文学作品は文学作品としてのみ命脈を保ち続けられるか、というと、なかなかそうでもありません。こうした二次創作――音楽、演劇、映像作品、美術作品など、いわゆるオマージュ、そうしたことも大切なのだなと、あらためて感じさせられました。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月8日

昭和4年(1929)の今日、有楽町のレストラン「モンパリ」で開催された尾形亀之助詩集『雨になる朝』出版記念会に出席、スピーチをしました。

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