カテゴリ: 音楽/演劇等

落語の公演情報です。

彌生・初演の会 =お楽しみ宿題三題噺=

期 日 : 2024年3月23日(土)
会 場 : 一般社団法人落語協会 東京都台東区上野1-9-5
時 間 : 開場 17:10 開演 17:30
料 金 : 1,500円

番組
|、宿題三題噺 林家たま平
|、名人傳   鈴々舎馬桜
|、相撲風景  林家たま平
|、心眼    桂右團治

馬桜:名人傳は、創作落語になるか?「浜野矩髄」に成ります。

@終演後、反省会を兼ねた懇親会が有ります。参加費:3000円前後 村役場です。

宿題三題は、2月24日の初演の会で題を頂きます。

メール予約:baorin@reireisha.com

鈴々舎馬桜師匠の「名人傳」が、光太郎の父・光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)からのインスパイアだそうです。

『光雲懐古談』、真面目な話が根幹ですが、ユーモア溢れる話も多く、そうした意味では落語のネタとして格好の素材です。

平成27年(2015)、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館 一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」。当時のプロデューサー氏が『光雲懐古談』を読み、その落語的面白さに惹かれて制作されました。ナレーションに俳優の石橋蓮司さんを起用し、落語っぽい語りが挿入され、いい感じでした。

元々、光雲は語り上手で知られていました。『光雲懐古談』中にまるまる一節が使われているところが複数箇所ありますが、「国華倶楽部」「国醇会」などで講話をする機会も多く、宴席などではその話芸があまりに巧みで、芸者衆などが光雲の周りにばかり集まり、美術学校の同僚たちが「高村さんとはもう飲みに行かない」とやっかんだというエピソードも伝わっています。

また、『光雲懐古談』以外に、同じ昭和4年(1929)に刊行された『漫談 江戸は過ぎる』(河野桐谷編 万里閣)などにも光雲による実に面白い談話が多数掲載されており、当方編集当会刊行の『光太郎資料』にて少しずつご紹介しています。

000今回は『光雲懐古談』中のエピソードを使っての新作落語。馬桜師匠のフェイスブック投稿から。

今日の一句
|、春深し面白すぎの懐古談
*はるふかしおもしろすぎのかいこだん

夕飯迄の時間を読書に当てる、拾い読みしていたものを始めからじっくり読む。
『高村光雲懐古談』面白い。そして為になる。
改めて感心する。幕末から明治維新の頃の浅草の様子が良く解る。
そして、仏師の修業過程が良く解ります。
噺の裏付けできちんと読み直そうと思ったのですが、違う題材でも一席出来そうな・・・。
初演の会で『高村光雲』と云う噺にこさえてますが・・・
皆さんのその目と耳で確かめて下さい!!
ご予約メール待ってます。

初演の会の準備。
高村光雲が作った上野恩賜公園の西郷隆盛の銅像を造る裏話を・・・
落語家から観たその騒動?を 探ってます。
ただ その裏付けとして、明治の歴史を改めて勉強のし直しです。
憲法発布で西郷が罪一等を減じられて、「維新の功績」を見直されて銅像を!
声が上がり、日本全国から募金をつのり出来上がった様です。
『高村光雲懐古談』を読み直しましたが・・・江戸っ子なんですね。
寄席に行って講釈や落語も聴いた。と云う前提で噺が出来上がりつつあります。

実際、光雲は(息子の光太郎もですが)三遊亭圓朝のファンでした。そこで、少なからず影響を受けていたのではないかと思われます。

ちなみにオリジナルの昭和4年(1929)版『光雲懐古談』には、「ふどう売りもの――落語になる話――」という、まさに落語を意識した項もあったりします。戦後の復刻版ではカットされていますが。

当方、予約いたしました。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生も元気で新年を迎へました。現実の世情は目で見る通りですが、本来大いに好季節に向はねばならぬ次第、あとは国民一人一人の叡智如何による事です。

昭和22年(1947)1月5日 小盛盛宛書簡より 光太郎65歳

昭和22年(1947)となりました。この稿、慣例により年齢は数え年で表記していますので、年明けとともに光太郎65歳です。

001実は(実はと言うほどでもありませんが(笑))、今日、3月13日は光太郎の誕生日です。生誕141年となりました。

誕生日と言えば、光雲の誕生日。フェイスブックやX(旧ツィッター)上では、3月8日に「今日誕生日の偉人」的な書き込みで光雲の名が書き込まれていて閉口しております。実際には2月18日ですので。ではなぜそういうズレが生じているかというと、光雲の生まれた嘉永5年(黒船来航の前年です)は当然、旧暦だったわけで、それを新暦に換算すると2月18日は現在の3月8日になるとのこと。こういう換算はいかがなものかと思います。

たとえば「忠臣蔵」。赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄15年(1702)12月14日。そこで現代でも12月14日前後にテレビ等で「忠臣蔵」関連の放映が為されていますが、これを新暦に換算すると1703年1月30日になります。そこで、1月30日前後に「忠臣蔵」特集を組んだとしたら「はぁ?」ですよね。

あくまで光雲の誕生日は2月18日でお願いしたいところです。

まず都内から演奏会情報です。

朝岡真木子歌曲コンサート 第7回

期 日 : 2024年3月20日(水・祝)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演(13:30開場)
料 金 : 一般 4,500円 学生券2,000円(全席自由)

曲 目 
 「さくらの はなびら」 詩:まど・みちお 
 「風のこころ」 詩:大竹典子
 「影」「夢のわかれ」 詩:西岡光秋
 「冬が来た」 詩:高村光太郎
 「雪 詩」 詩:野原ゆき
 「わらううた」 詩:渡部千津子
 組曲「万葉の愛」 万葉集より
 組曲「きらめきの中へ」 詩:星乃ミミナ
 ソプラノとバリトンのための「薔薇の園」 詩:岡崎カズヱ
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 竹下裕来(ソプラノ)
 前澤悦子(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ) 川出康平(テノール)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)
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光太郎詩をテキストに「組曲 智惠子抄」を作曲なさった作曲家・朝岡真木子氏の作品集が演奏されるコンサートです。ピアノは朝岡氏ご自身。昨年の第6回もお邪魔しました。

今回は、昨秋開催された「福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~」で初演された「冬が来た」がプログラムに入っています。歌唱はバリトンの馬場眞二氏だそうです。

もう1件。こちらはサブタイトルに光太郎詩「あどけない話」由来の「ほんとうの空」の語を冠してくださっています。以前にも書きましたが、東日本大震災後、「ほんとうの空」の語が使われるようになりました。

第17回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に -

期 日 : 2024年3月21日(木)~3月24日(日)
      3月21日(木) 中学校部門 
      3月22日(金) 高等学校部門
      3月23日(土) 小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月24日(日) 各部門金賞受賞団体による本選、表彰式
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1
時 間 : 各日、開場9:30 開演10:00
料 金 : 各部門予選  前売り 2,000円 当日 2,500円 
      本選     前売り 2,500円 当日 3,000円
      4日間通し券 前売りのみ 8,000円

 声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。
 全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催、今大会で第17回目を迎えました。
 本大会の特色として、伴奏楽器及び伴奏の形態が自由で多様な合唱音楽を追求、部門、年代を越えて演奏し合います。また、海外の合唱グループも公募し、音楽を通じて交流を図ります。
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ただ、苦言を呈させていただければ、毎年そうなのでもうしょうがないのかも知れませんが、出演団体は事前に公表されるものの、演奏曲目が公表されません。それを出すとまずいということもないと思いますし、「あの曲が演奏されるなら聴きに行こう」と考える向きもいらっしゃらないとは限りません。ぜひこの点、改善していただきたいところなのですが……。

ちなみに出演団体といえば、今年は智恵子の母校・福島高等女学校の後身である県立橘高校さんが出演なさいます。かつてこの大会や全日本合唱コンクール等でご常連でしたが、最近あまり聞かないな、と思っていたのですが。

それぞれぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今日は大晦日でございますが此辺は旧暦の為め村の人も見えず、ひどく静かで、ただ雪が霏々と降つて居ります。小屋の周囲は三尺近くつもり、殆ど交通杜絶で郵便も自然遅れます。


昭和21年(1946)12月31日 三輪吉次郎宛書簡より 光太郎64歳

終戦直後の山村ではまだ旧暦でいろいろやっていたようですね。もっとも、現代でも年中行事等は旧暦で、というケースはまだ多いかも知れません。

都内から朗読公演情報です。

天野まり単独公演 ソレを、私は恋と呼ぶ。/智恵子抄

期 日 : 2024年3月17日(日)
会 場 : 秋葉原コンシールシアター 東京都台東区台東3-5-10
時 間 : 14:00〜15:00 オンラインライブ配信公演、アーカイブ配信公演あり
料 金 : 会場生観劇チケット料金¥5,000 オンライン料金¥3,000

出 演 : 天野まり

劇団コンシールの専用イベントスペース「秋葉原コンシールシアター」での特別公演「天野まり単独公演」を開催致します。
・ソレを、私は恋と呼ぶ。
・智恵子抄

※演目は変更の可能性があります。

会場に足を運べないお客様の為のライブ配信公演と、公演期間が終わっても観劇できるアーカイブ公演もアリ!!
※演目は変更の可能性があります。
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詳細が今一つよく分からないのですが、とりあえず。

【折々のことば・光太郎】

食餌衛生を努めて合理的にやつて居り、七十歳以後の製作精力の涵養に心懸けて居ります。七十代こそ小生の製作最盛期と信じて居ります。


昭和21年(1946)11月23日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

実際、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を、中野の貸しアトリエで制作し始めたのは数え70歳の昭和27年(1952)でした。しかし、「最盛期」というにはほど遠く、蠟燭が消える前の一瞬の煌めきのような感じでした。

今日はまた、その中野の貸しアトリエ保存のための会合で上京して参ります。ついでというと何ですが、原宿で「星センセイと一郎くんと珈琲」、銀座で「近代木彫の系譜Ⅰー 高村光雲の流れ ー」を拝観して参ります。

先月封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞に載った評をご紹介します。

『北海道新聞』さん。

映画「風よ あらしよ」柳川監督 声上げる大切さ今も■女性の自由と自立 命懸けた伊藤野枝

005 大正期の女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳の評伝小説が原作の「風よ あらしよ」が札幌・シアターキノで上映されている。2022年に放送されたNHKドラマの劇場版で、わずか28年の生涯を激しく生き抜いた野枝を演じるのは吉高由里子。吉高が主演した連続テレビ小説「花子とアン」でディレクターを務めた柳川強が演出を手がけた。
 家を支えるためだけの結婚を蹴り上京した野枝は、平塚らいてう(松下奈緒)の言葉に感銘を受け、青鞜社に入る。女学校時代の教員・辻潤(稲垣吾郎)と結婚するも、やがて関係は破綻。無政府主義者大杉栄(永山瑛太)と出会い、生涯のパートナーとして関係を深めていく。
 大杉の妻や愛人との四角関係など〝自由奔放〟な側面が強調されがちだが、原作では野枝が、困ったときに助け合う「共助」の思想を掲げていたことが描かれる。柳川は「彼女の思想は、新自由主義の台頭によって社会の分断が進み、人とのつながりが持ちづらくなっている現代社会にリンクする。映画でもこの点を大切にしたいと思った」と語る。
 大学時代に、宮本研による戯曲「ブルーストッキングの女たち」を見て以来、野枝にひかれ続けていたという。女性が声を上げることが今以上に難しかった時代に臆することなく貧困や男女不平等など社会矛盾に異を唱え、個としての自由や自立を訴えた野枝。彼女を演じるのは「吉高さんしか思い浮かばなかった」と明かす。かれんでキュートなイメージが強いが、「野枝を激情型の人物像にするのは簡単なんだけど、それは彼女の一面でしかない。人との距離感をすっと縮めることができる人という野枝のイメージが吉高さんに重なりました」。
 1923年(大正12年)の関東大震災直後の混乱に乗じて多くの朝鮮人や、社会主義者、アナキストらが虐殺された。大杉と野枝も、大杉のおいで当時6歳だった橘宗一とともに憲兵の甘粕大尉(音尾琢真)らに殺され、遺体は井戸に投げ込まれた。
 映画は井戸の底から空を見上げるシーンで始まり、終わる。柳川は「100年前の出来事だけれど、当時の空気感は今とそんなに違わない。個人の自由が権力や集団に阻害されるとき、個人として声を上げるのは確かに難しい。でも、そうありたいと思い続けることはできる。そのきっかけになればうれしい」と話す。
 2023年、2時間7分。脚本は矢島弘一。シネマアイリス(函館)、シネマ・トーラス(苫小牧)、大黒座(浦河)でも上映予定。
004
『東京新聞』さん。

映画「風よ あらしよ 劇場版」 伊藤野枝の生涯描くNHKドラマを再編集 時代が野枝に追いついてきた

006 100年前の日本で女性解放運動の第一線に立ち、近年、再評価が進む伊藤野枝(のえ)(1895~1923年)。波乱の生涯を描くNHKドラマを再編集した映画「風よ あらしよ 劇場版」が公開中だ。
 手掛けたのは柳川強。沖縄返還やアイヌ民族といった骨太の題材をドラマにしてきた演出家は、野枝の魅力をこう語る。「今よりよっぽど男尊女卑の考え方が強かった時代に、世間の目をものともせず声を上げる。その奔放さに引かれた」
 野枝(吉高由里子)は福岡県の貧しい家に生まれた。「元始、女性は太陽であった」と男社会に疑問を突きつけた青鞜社の平塚らいてうに憧れ、親の決めた嫁ぎ先を飛び出す。無政府主義者・大杉栄(永山瑛太)のパートナーとなった末に、28歳の若さで憲兵に殺害されてしまう。
 映画はその歴史を追いつつ子育てや料理、掃除といった日常も丁寧にすくい上げる。「主義主張よりも、生活の中にこそ、にじむものがある」と柳川。「主義者」につきまとう先鋭的なイメージではなく、根底にある素朴な「助け合いの精神」に光を当てる。
 柳川と吉高は、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で組んだ。原作は村山由佳の同名小説。柳川は言う。「#MeToo運動など、『声を上げる』という動きは今とリンクしている。時代が野枝に追いついてきたのかもしれない」 

映画では村山由佳氏の原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されていますが、智恵子が表紙を描いた『青鞜』創刊号がモチーフとして随所に使われ、光太郎智恵子と交流のあった人々が多数登場、なかなかの見応えです。

公開終了してしまった上映館も多いのですが、これからというところもあります。まだという方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生は胎教を信ずる者です。もし赤さんが出来たのなら日常の精神と行ひとをつとめて清浄に、敬虔な日を送るべきです。


昭和21年(1946)10月24日 宮崎春子宛書簡より 光太郎64歳

春子は智恵子の姪にして、その最期を看取った元看護師です。前年に光太郎の仲介で、詩人の宮崎稔と結婚しました。翌年には男の子が無事誕生。宮崎夫妻は何と「光太郎」と命名してしまいました。

テレビ放映情報、2件ご紹介します。

中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を、朗読や映像資料を使い、コンパクトに解説します 第4回

地上波NHKEテレ 2024年3月2日(土) 02:55〜04:35

中学・高校で学ぶ文学作品の魅力を10分間でコンパクトに解説します。作品の朗読に加え歴史的な文書や絵画、再現映像などを豊かな映像資料を通じ、作品をより深く理解できる番組です。

朗読は、元NHKアナウンサーの加賀美幸子さんです。この番組は2006年から2008年にかけて制作されましたが、今回、最新の映像技術で、高画質のハイビジョン映像にリマスター、精細な映像でお楽しみください。今夜は、初恋・道程・サーカス(中原中也)・武蔵野・故郷(魯迅)・たけくらべ・明治文学史・日記・手紙・走れメロスの10本です。

出演者 【朗読】加賀美幸子

説明欄にあるとおり、平成18年(2006)~平成20年(2008)に制作された「10min.ボックス古文・漢文/現代文」全40本が、ほぼ作品の年代順で4回に分けて一挙放映されます。

2月28日(水)※27日深夜 午前3:05~4:45  Eテレ 
 ・竹取物語・土佐日記(紀貫之)・伊勢物語・枕草子(清少納言)・源氏物語(紫式部)
 ・説話・平家物語・徒然草(兼好法師)・狂言・漢文(1)故事成語

2月29日(木)※28日深夜 午前2:40~4:20  Eテレ 
 ・漢文(2)漢詩・漢文(3)論語・おくのほそ道(松尾芭蕉)・雨月物語(上田秋成)
 ・日本永代蔵(井原西鶴)・曽根崎心中(近松門左衛門)・落語・万葉集・大鏡
 ・古今和歌集

3月1日(金)※29日深夜 午前2:55~4:35  Eテレ
 ・羅生門(芥川龍之介)・トロッコ(芥川龍之介)・オツベルと象(宮沢賢治)
 ・山月記(中島敦)・短歌・俳句・戦争と平和の詩・坊っちゃん(夏目漱石)
 ・こころ(夏目漱石)・舞姫(森鴎外)

3月2日(土)※1日深夜  午前2:55~4:35  Eテレ  
 ・初恋(島崎藤村)・道程(高村光太郎)・サーカス(中原中也)・武蔵野(国木田独歩)
 ・故郷(魯迅)・たけくらべ(樋口一葉)・明治文学史・日記・手紙・走れメロス(太宰治)

個々の動画はNHKさんのサイトから試聴できてしまうのですが、40本の一挙放映ということで、録画しておけば永久保存版ですね。

それぞれの中で朗読をされているのは、元NHKアナウンサーの加賀美幸子氏。さすがの朗読ぶりです。
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加賀美氏、平成27年(2015)の「世界・日本名作集よりリーディング名作劇場「キミに贈る物語」~観て聴いて・心に感じるお話集~」、一昨年の「財団法人ロマン・ロラン研究所設立50周年記念 古都・京の記憶に残すべき 戦時の日仏交流―関西日仏学館―〈トークと詩の朗読〉」などでも光太郎詩文の朗読をなさいました。

後半では、雑誌『美の廃墟』に載った初出発表形102行の冒頭部分も。
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その他、制作の背景ということで、光太郎の人となりについてコンパクトに解説。
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さらに、複数の一般の方々による朗読も。なかなか見応え、聴き応えがある10分です。

全40本中には、「舞姫」(森鷗外)、「オツベルと象」(宮沢賢治)など、光太郎と交流のあった面々も。
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宮沢賢治といえば、こちらの放映もあります。やはり深夜というか未明ですが。

宮沢賢治の食卓【若き日の宮沢賢治の知られざる日々を鈴木亮平が熱演!】 #01◆幸福のコロッケ◆

地上波フジテレビ  2024年2月27日(火) 02:55~04:00

宮沢賢治の青春時代を描いた人気漫画をドラマ化!賢治の愛した食や音楽とともに贈る涙必至の感動作。

東京に家出をしていた質店の長男・宮沢賢治(鈴木亮平)は妹・トシ(石橋杏奈)の病気の電報を受け、岩手・花巻に帰郷する。母・イチ(神野三鈴)や弟妹たちには歓迎されるも、厳格な父・政次郎(平田満)とはなかなかうまくいかない。食、音楽、文学とあらゆることに興味のある賢治だが、自分を熱くするものを見つけられずにいた。そんなある日、農家の吉盛(柳沢慎吾)一家に出会う。

出演者 鈴木亮平 石橋杏奈 山崎育三郎 市川実日子 柳沢慎吾 井之脇海 神野三鈴 平田満
【原作】魚乃目三太(少年画報社刊「思い出食堂」より) 
【脚本】池田奈津子 
【音楽】サキタハヂメ 
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WOWOWプライムさんで平成29年(2017)に全5回で放映されたドラマです。ラインナップは以下の通り。

第一話 「幸福のコロッケ」 53分

第二話 「夢のシチュウビーフ」 49分
トシの計らいで稗貫農学校の教師になった賢治。意気揚々と学校に出勤するが勘助(犬飼直紀)をリーダーとするはねっ返りの生徒たちに手を焼いてしまう。女学校で出会った音楽教師・嘉藤治(山崎育三郎)やトシからアドバイスをもらい、生徒たちと少しずつ距離を近づけていく中、賢治は新しい農作物の可能性や西洋文化を感じてもらおうと、生徒たちをシチュウビーフが食べられる洋食店に連れ出す。

第三話 「恋の鶏南蛮蕎麦」 49分
小学校教員・ヤス(市川実日子)との運命の出会いをした賢治。彼女のことが気になる中、音楽を楽しむ機会に乏しい花巻の人たちのために、嘉藤治と一緒にレコードコンサートを開催する。そこに訪れたヤスも、賢治の純粋な感性と人柄に惹かれていく。ヤスの実家のそば屋で逢う瀬を重ねる2人。一方、次のレコードコンサートにはトシの過去の失恋相手・遠藤(竹財輝之助)が来ることが分かり、焦った賢治は……。

第四話 「別れの焼きリンゴ」 50分
逢う瀬には必ず焼きリンゴを一緒に食べて親密さを深めていく賢治とヤス。そんな矢先、ヤスに父・紀一郎(おかやまはじめ)から縁談の話が舞い込む。それを聞いた賢治は嘉藤治にも背中を押され、身を固める覚悟を決める。一方、空気のきれいな別邸・桜亭に居を移し体の回復に専念していたトシだが、その病状は日々悪化していた。そのことを知った賢治の心は千々に乱れ……。

最終話 「天上のアイスクリーム」 55分
トシの薄幸を思うがあまりヤスとの別れを決断した賢治だったが、そのことを知ったトシは、自分の犠牲にならないでほしいと賢治に詰め寄り、ヤスには翻意を願った。それでも決心を変えない賢治は、トシを少しでも励まそうと嘉藤治や生徒たちと協力をして町ぐるみの収穫祭の準備を進めていたが、無情なる天の差配に見舞われる。そしてトシの回復も、もはや見込めぬものへとなってゆき……。


第一話のみ無料放映でしたので拝見しました。鈴木亮平さんの賢治、なかなかでした。今回、地上波フジテレビさんでの放映。おそらく全5話を放映して下さるのではないかと期待しております。これも録画しておけば永久保存版ですね。

原作は魚乃目三太氏の描かれた漫画。の二篇があり、続篇では賢治と光太郎の出会いのシーンなどがありますが、正篇の方には光太郎は登場しません。ドラマは正篇の方からの抜粋で構成されており、光太郎は登場しないのですが、これを機にまた話題になって続篇もドラマ化されることを期待しています。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今十月十日は父の十三回忌日にあたりますので、今朝記念のため、先日宮崎さんのきた時、貴家よりいただきました栗の実の中で一番大きなのを数個保存してありましたので、それを小屋の西側の日当たりのよい所を掘り起こして播種し、棒杭を樹てて其旨墨書しました。数年後には此の栗が結実するかと思ふと愉快です。


昭和21年(1946)10月10日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳
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この栗の木、大木といっていいほどに育ったのですが、残念ながら枯死してしまい、倒壊の危険があるということで平成29年(2017)頃に伐採されてしまいました。

光太郎が墨書した標柱の現物は花巻高村光太郎記念館さんに現存、現地には石に文字を写したコピーが建てられ、これも現存しています。
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またしても紹介すべき事項が山積して参りましたので複数件まとめてご紹介します。無理くりですが「オンライン系」というくくりで。

まずは動画投稿サイトYouTubeさんに今月初めにアップされた動画。名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏作曲の「連作歌曲「智恵子抄」〜その愛と死と〜」です。


初演は平成25年(2013)ですから、もう10年以上経ちますね。その後、野村氏プロデュースで楽譜やCDが発売されたり、氏の地元・名古屋都内、智恵子の故郷・二本松などでの演奏会で取り上げられたりしました。さらにバリトン歌手の新井俊稀氏ドイツをはじめ各地で演奏なさったり、CD化されたりなさっています。

YouTube上ではこれまでも各曲ごとの動画はありましたが、今月、全曲まとめてのアップ。演奏は野村氏プロデュースの演奏会等でいつも担当されるお二人、森山孝光氏(バリトン)、康子氏(ピアノ)御夫妻です。

野村氏のお言葉。

 彫刻家で詩人の高村光太郎は、詩集「智恵子抄」で愛する妻、智恵子を詠い、「永遠の愛の姿」と賞賛されました。しかし、本当の愛は、智恵子を失った後に結実しました。
 智恵子を亡くした後の光太郎は、終戦後、岩手県花巻市郊外の山小屋にたった一人で篭って、7年もの間隠棲するのですが、心に智恵子を住まわせ、毎日智恵子に話しかける日々であったことが、詩「案内」に語られています。
 だんだんと智恵子の心が壊れていく様を悲しく見守る光太郎を表現した第1曲「千鳥と遊ぶ智恵子」、「東京に空がないと言う」という有名な詩句を含む第2曲「あどけない話」、智恵子が病没する瞬間を描いた悲痛な絶唱、第3曲「レモン哀歌」、その後の歳月を表現した短いピアノの第4曲「間奏曲」、心に住む智恵子に話しかける晩年の光太郎を描いた第5曲「案内」の5曲を、連作歌曲「智恵子抄」として皆様にお届けいたします。
 特に、「案内」の最後の場面で、「智恵さん」と2度、歌われる部分に、私は自分の全ての想いを託しました。1度目はもう手の届かない智恵子に、2度目は心に住む智恵子に、万感を込めて呼びかけるのです。
 私はある日、この作品の録音を持って、光太郎が暮らした山小屋「高村山荘」にでかけました。山荘の裏山を登ると、光太郎が「見晴し」と称した小高い展望台があり、まさに「案内」の中で「智恵さん」と呼びかける、その場所でした。静かな晩夏の真昼。「智恵さーん、智恵さーん」と歌われる呼びかけは山麓にこだまし、やがて天にのぼっていくように思われました。
 願わくば、この作品に出会われた皆様の心にも、なにものか熱いものが届かんことを! 切に!

もう1件、というか2件というか、美術系のオンライン講座です。

知っておきたい!日本の美術 ~高村光雲「老猿」/~高村光太郎「手」

主 催 : NHKカルチャー梅田教室
配 信 : 2024年2月6日(火)~4月7日(日)
時 間 : 90分
講 師 : 大阪国際大学教授 村田 隆志
料 金 : 2,750円(税込み)

 本講座は録画済の動画を視聴する講座です。 
 美しい自然と四季折々の美に恵まれた日本は、長い歴史の中で多くの美術品を伝えてきました。特に、大阪を中心とする関西圏は古来文化の中心地だったために、多くの作品が伝えられています。この講座では、日本が世界に誇る「これだけは知っておきたい」日本美術の名品をご紹介しながら、鑑賞ポイントもお知らせします。
 「感動」は心を若く保つ、最良の方法です。日本美術の名品に大いに感動してください。
 この講座は、自宅でパソコンやタブレット、スマホなどで受講していただくオンライン講座です。Zoomを使ったもので、ご受講に不安がある方は、お問い合わせ下さい。

光太郎の父・光雲作の「老猿」篇と、光太郎の代表作「手」篇で2件です。
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「手」篇、なぜかサムネイル画像が光太郎ではなく川合玉堂の絵になっているのですが……。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

「日本の山水」忝拝受しました。装幀が大変よいのと版画が美しいので、たのしく拝見いたしました。近頃もらつた本の中で一番美しい、注意の行届いた本と思ひました。

昭和21年(1946)9月22日 井上康文宛書簡より 光太郎64歳

『日本の山水』は冨岳本社から刊行された光太郎詩を含むアンソロジー。恩地孝四郎の装幀で、畦地梅太郎、前川千帆らの木版画が挿画として使われています。
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終戦から1年経ち、ようやくこうした出版も再び可能になったわけで、光太郎も喜んでいます。

参加者募集型の朗読系イベント情報を2件。

まずは和歌山県から。

和み朗読サロン

期 日 : 2024年2月22日(木)
会 場 : カルチャーべルーム 和歌山市杉ノ馬場1-44ベルネットビル2F
時 間 : 14時40分~15時30分
料 金 : 1,500円

高村光太郎の「智恵子抄」を朗読します。和み朗読教室は、和み楽しく学べる教室です。朗読がはじめてという方、大歓迎! 聞き参加可能です。 高村光太郎の世界を一緒に感じてみませんか?
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「和み朗読教室」という団体さんがいろいろワークショップをなさっている中の一環のようです。ただし、朗読してみたいという方の参加申し込みは先週〆切りでした。それでもまだ空きがあるかもしれませんし、聞くだけの参加も可能とのことです。

もう1件、都内からこちらは朗読者とスタッフの募集。

4/19(金)上野水上音楽堂でイベント開催決定!出演者・スタッフ大募集!朗読の祭典を一緒に作りませんか?

募集要項
【ソロ部門】
 ・出演時の朗読時間は8分程度
 ・オーディション参加費:2,000円

【群読部門】
 ・2~4名のチームでお申し込みください
 ・出演時の朗読時間は15分程度
 ・オーディション参加費:4,000円

 ※オーディション参加者(チームメンバー)は、合否に関わらず当日イベントの入場無料!
 ※出演決定者には、当日スタッフとして簡単なお手伝いもお願いいたします。

【当日スタッフのみでの参加者】
 ・イベントを楽しみながら一緒に盛り上げてくださる方を募集します!
  (応募フォームからお申し込みください)
 ・入場無料でイベントをお楽しみいただけます。交通費支給(上限3,000円)。

応募方法
 ②このポストをいいね&リポスト
 ③課題3作品から1作品選んで朗読を録音
 ④応募フォームよりお申し込み&課題音源投稿
 ⑤お申し込みから1週間以内に参加費をお振込みください
【銀行口座】
 GMOあおぞらネット銀行(金融機関コード:0310) 支店名 法人営業部(支店コード:101)
 普通 1507296 口座名義 朗読らいおん合同会社 ロウドクライオン(ド

課題・審査基準
【課題】
 ①「月夜とめがね」小川未明(指定の抜粋部分)
 ②「走れメロス」太宰治(指定の抜粋部分)
 ③「人類の泉」高村光太郎
   (群読部門はチーム全員で群読してください)

【審査基準】
 ・本番を想定し朗読が聴こえる最低限の声量
 ・テーマ「いのち」への思いが伝わる読み
 ・ステージでの朗読経験の有無は問いません

【注意事項】
 ・課題音源は.wav形式または.mp3形式にてご提出下さい。
 ・本番で読む作品は青空文庫掲載作品に限ります。「いのち」というテーマから、
  ご自身(チームメンバー)の自由なイメージで2次審査開始時までに選書して下さい。
 ・出演者には、イベントで選書の理由についてインタビューします。
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本番は4月だそうですが、その参加者募集ということです。課題三作品に『智恵子抄』所収の光太郎詩「人類の泉」(大正2年=1913)が入っています。群読でやるというのも面白そうですね。

我こそは、と思う方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

まつたく毎日訪問客に責められてゐます。一昨日一人、昨日一人、今日四人といふやうなわけです。そして一日中の一番よい時間を取られるのであとは何も出来ません。夜は早くねて朝四時頃起き、朝食を早くすませて、九時前に一仕事する外ありません。今さうやつてゐます。 一聯の長い詩が出来さうです。

昭和21年(1946)9月20日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村。光太郎は隠棲のつもりでも、光太郎を慕う人々が放っておいてくれないという状況、結局、厳寒期を除いてずっと続きました。

「一聯の長い詩」は、翌年の雑誌『展望』に発表した連作詩「暗愚小伝」でしょう。

今週、花巻に行って参りましたが、現地で仕入れたりした情報等を。

まず、コンサート系です。

VALENTINE CONCERT 朗読と音楽で楽しむお茶時間 高村光太郎『智恵子抄』より

期 日 : 2024年2月23日(金)
会 場 : 喫茶店 ココ・タベルバ・ラパン 岩手県花巻市若葉町3丁目14-30
時 間 : 13:00 開場 13:30 開演
料 金 : 1,500円(1ドリンク・お菓子付き)

出 演 : 朗読 牧野幹  フルート 牧野詩織  ピアノ 菅原千恵子

2/23(金祝)ココ・タベルバ・ラパンにて、VALENTINE CONCERTがあります💕

ラパンのレジ前でおなじみ!「やつかのもり」さんのお菓子や、とりあえずココ・クレバで読み聞かせをしてくださっている牧野幹さんも登場します✨

牧野詩織さんのフルートと菅原千恵子さんのピアノも楽しみです~🎶
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朗読をなさる牧野幹さんという方、「光太郎を知る会」のメンバーのお一人で、フライヤーを直接いただきました。フルートの牧野詩織さんという方は、お嬢さんだそうです。

もう1件、テレビ放映情報を。

又吉・せきしろのなにもしない散歩 #99

BSよしもと(無料) 2024年2月21日(水) 19:00~19:30

ピースの又吉直樹と作家のせきしろの二人が、五七五の定型にとらわれず自由な表現をする【自由律俳句】を生み出していく。東北各地を歩きながら様々な人やモノと出会う中で、二人のここでしか見られない独特のかけ合いや、新たな俳句を生み出す姿は必見です。

今回は岩手県花巻市をブラリ旅。果たしてどんな自由律俳句が生まれるのか!? マルカンビル大食堂、高村光太郎記念館 ほか

【出演者】又吉直樹(ピース)、せきしろ(構成作家) ほか
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盛岡の回だったかを1度拝見したことがあるのですが、毎回東北でロケが行われているというのは存じませんでした。

で、今回は花巻市。調べてみたところ、花巻は2回目だそうです。最初は昨年8月の第74回で、宮沢賢治記念館さん、光太郎もよく行ったやぶ屋さんなどを廻られたとのこと。気づきませんでした。
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で、今回は郊外旧太田村の高村光太郎記念館さん。
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それから隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間、蟄居生活を送った山小屋)。
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そしてマルカンさん。
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マルカンさんはともかく、光太郎記念館はなかなか全国放映の番組で取り上げられることが少ないので、ぜひご覧下さい。

ところでこの番組、又吉直樹氏と構成作家のせきしろ氏が自由律俳句を詠むという文学的テイストの番組です。そこで文学館系もよくロケ地になっています。ということは、今後、二本松の智恵子生家/智恵子記念館さん、十和田湖畔の観光交流センターぷらっとさんなどにも行っていただきたいものです。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生もあなたのsituationの好転の一日も早く来るやうに此所で祈ります。意識せられなくともさういふ時こそあなたの内部を豊饒にし、逞しくする何事かがあなたに加へられてゐるのだと思ひます。


昭和21年(1946)9月18日 福永武彦宛書簡より 光太郎64歳

福永武彦は小説家・詩人・仏文学者。この頃、北海道帯広で英語教師をしていた福永は、結核に罹患したことが元で、最初の妻・原條あき子との間で不和が生じていました。そのあたりを愚痴ったと思われる福永からの書簡への返信の一節です。

先週封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞等で告知などが為されていましたのでご紹介します。

『神奈川新聞』さん。

映画批評 「風よ あらしよ 劇場版」

 2022年にNHKで放送されたドラマの劇場版。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の原作小説からほとばしる、100年前の女性解放運動家・伊藤野枝の熱量を、吉高由里子(写真)が見事に演じ切った。
 1923年、関東大震災後の混乱に乗じて何人もの社会活動家が殺された。野枝もその一人で、パートナーで無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と、わずか6歳だった大杉のおいと共に陸軍憲兵隊に連行され殺害された。遺体は無残にも古井戸に投げ込まれ、その暴挙が発覚したのは死後何日もたってのことだった。世にいう甘粕事件だ。
 その生涯は常に声を上げ続けたものだった。「元始、女性は実に太陽であった」と宣言した平塚らいてう(松下奈緒)に感銘を受け、青鞜社に入社。「新しい女」の自覚を胸に、女性の地位向上を訴えた。自分が見て、聞いたことを自分の言葉で書き、世間に見向きをされない時も諦めなかった。
 事件当時、野枝は28歳の若さ。男尊女卑の風潮が色濃い中で、「女だから」というだけで自由に生きられない世の中に、幼い頃から疑問を抱き続けた野枝。どんなに無念だったろうか。
 今の世に野枝が生きていたら、と思わずにいられない。女性の人生における選択は格段に増えた。だが、野枝が訴えた「誰もが自由に生きられる社会」は実現しているだろうか。大きな問いを突き付けられた。
演出/柳川強 製作/日本、2時間7分
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『毎日新聞』さん。

「風よ あらしよ 劇場版」 惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯

 毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
 大正時代に因習や社会情勢に異議を申し立て、大杉栄とともに惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯を描く。2022年にNHK BSで放送されたドラマを再編集した。
 貧しい農家で育った野枝(吉高由里子)は平塚らいてうが主宰する雑誌「青鞜」に参加、「婦人解放」を唱える。やがて元教師の夫、辻潤(稲垣吾郎)と別れ、無政府主義者の大杉(永山瑛太)と暮らし始める。
 波乱に満ちた生涯を物語に詰め込むのに、きゅうきゅうとした感は否めないが、平塚やダダイストの辻、大杉ら、野枝に影響を与えた人物、野枝の自由への渇望や思想形成の過程をきっちり押さえた。大杉の奔放な女性関係なども描き、距離を置いて人物にフォーカスした演出にも好感。当時の社会規範や権力の暴走を明確にすることで、今に通じるエッセンスも際立った。何度か取り上げられた題材だが、野枝の内面を分かりやすく描写するなど、より知ってもらいたいという意図も明白。芯の強い野枝を吉高が精緻に演じた。原作は村山由佳の同名小説。柳川強が演出。2時間7分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。

ここに注目
 人間としての懊悩(おうのう)や葛藤のドラマを期待すると拍子抜けだが、歴史上の人物の生涯を分かりやすくまとめ、入門編としては好適。「女性であるというだけで我慢を強いられ搾取される」という野枝の主張は、現代にそのまま響く。当時としては過激な思想を貫いた強さに、改めて驚かされる。

『週刊実話』さん。

やくみつる☆シネマ小言主義~『風よ あらしよ 劇場版』/2月9日(金)より全国順次公開

原作/村山由佳『風よ あらしよ』(集英社文庫刊)
出演/吉高由里子、永山瑛太、松下奈緒、美波、玉置玲央、山田真歩、朝加真由美、山下容莉枝、渡辺哲、栗田桃子、高畑こと美、金井勇太、芹澤興人、前原滉、池津祥子、音尾琢真、石橋蓮司、稲垣吾郎
製作・配給/太秦

 男尊女卑の風潮が色濃い大正時代。福岡の田舎の貧しい家で育った伊藤野枝(吉高由里子)は親が決めた結婚を拒み、逃げるように上京する。
 その後、平塚らいてう(松下奈緒)の「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受けた野枝は、手紙を送り、女流文学集団「青鞜社」に参加。当初、詩歌が中心だったが、いつしか伊藤が中心となり、社会矛盾に異議を唱える婦人解放運動団体へと発展していく。
 2014年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』のヒロインである翻訳者、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部、そして、女性解放運動家・伊藤野枝を描いた本作。すべて吉高由里子主演です。
 垢抜けないフツーの女の子が、さまざまな出会いを通して自身のアカデミックな才能を開花させていく物語がこれで3作揃った感があり、吉高由里子と言えば「反骨心あふれる女性の半生」が代名詞になる可能性がありますね。
 自分は不勉強で伊藤野枝という女性解放運動家を知りませんでした。彼女は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽だった」という言葉に感銘を受け、「青鞜社」に入って「女はこうあるべきだ」という因習に真正面から立ち向かいます。
 日本を代表する無政府主義者、大杉栄のことは、教科書的な知識として知っていました。しかし、大杉栄のパートナーだった伊藤野枝まで大杉とともに、あらぬ疑いで憲兵に捕まり、28歳の若さで惨殺されていたことに衝撃を受けました。
 この事件が起きたのはちょうど100年前のことです。

吉高由里子の熱演は確かだが…
 パンフレットにあった原作者の村山由佳さんの言葉には『(声をあげれば)世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明したのに、100年の間に元に戻ってしまっただけだ』とありました。
 当時に比べたら女性の社会進出ははるかに進んだでしょう。けれども、いまだに性加害があったりと、100年経っても女性の地位はまだこんなレベルかと伊藤野枝は失望するだろうか。あるいは、ここまで進んだかと肯定的に捉えるのか。
 一周回った今、伊藤野枝が現代のこの社会をどう思うだろうかと自問自答したくなる映画です。
 さて、本作の評価を一身に背負っているのは主演の吉高由里子に間違いないと思うのですが、実は自分が星1つ減じてしまったのもその点。彼女を起用した意図は理解できます。
 この華奢な体のどこにそんな反骨パワーが潜んでいたのかと、観客に感じさせようという人選でしょう。
 本作の見どころの一つに、民衆を前に「女性の不平等」について演説するシーンがあります。懸命に声を張り上げているのですが、この声のトーンで、聴衆の1人だった革命家の大杉栄に衝撃を与えられるのかと、どうしても思ってしまうんですよ。
 「線の細さ」と「アナーキーな言動」とのギャップを強調すればするほど、映像としての無理感が否めないのではないか。吉高由里子が熱演なだけに、痛し痒しですね。

やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。

辛口の部分もありますが、やくさん、概ね好意的な評ですね。

Youtube上に予告編もありました。


ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

しかし生命の信念は死とは別個の心事です。人悉く死す。しかも生命の感宇宙に充満せり。

昭和21年(1946)9月11日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

共通の知人であった詩人の逸見猶吉が、関東軍報道隊員として派遣されていた満州から復員できずに客死したという報に対しての返信の一節です。逸見は亡くなったけれど、我々の心に生き続けるよ、というところでしょうか。

同様に、関東大震災直後のドサクサで抹殺された野枝の残したメッセージ、今も現代の我々に語りかけてくれているわけですね。

PXL_20240209_233655421昨日は車で10分程のところにある隣町の映画館で映画「風よ あらしよ 劇場版」を拝見して参りました。

元々、NHK BSプレミアムさんで一昨年に放映された全3回のドラマを再編したもので、オンエアを拝見しましたし、録画も保存してあるのですが、大スクリーンで見るのもいいだろうと思い、拝見した次第です。やはりテレビ画面で見るのとでは大違いでした。

智恵子と入れ替わりの時期に青鞜社に入り、智恵子の先輩にして主幹だった平塚らいてう(松下奈緒さん)から『青鞜』を引き継ぐ伊藤野枝(吉高由里子さん)を主人公とし、光太郎と交流のあった辻潤(稲垣吾郎さん)や大杉栄(永山瑛太さん)らとのからみで、その激動の半生を描く映画です。原作は令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』
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原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されています。

公式パンフをゲット。通常の映画ですと公式パンフはB5版くらいでカラフルな表紙のリーフレット、30ページ前後という感じですが、今回のものは一見して映画パンフに見えません。四六判の通常の書籍のようなスタイルです。頁数も66ページあります。そこで最初、売店ですぐに見つけられませんでした(笑)。ちなみに定価1,000円(税込)です。
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目次
 ディレクターズメッセージ 柳川強
 序説
 物語
 インタビュー 吉高由里子 伊藤野枝を演じて、1から10のこと
 登場人物
 無政府の事実 伊藤野枝
 伊藤野枝略年譜
 スタッフ
 わたしたちが人の「弱さ」にいまどうやって立ち向かうのか、問いかける作品 田中ひかる
 伊藤野枝のアジテーション ブレイディみかこ
 伊藤野枝のまなざしの先には 加藤陽子
 戦いと恋と 大杉豊
 原作者・村山由佳の言葉


執筆陣も豪華ですね。ブレイディみかこ氏は野枝と同郷、大杉豊氏は筑波大学教授にして大杉栄の令甥です。さらに野枝自身の文章「無政府の事実」(大正10年=1921)も掲載されています。

大河ドラマ「光る君へ」で紫式部役を熱演されている吉高由里子さんへのインタビューも読み応えがありました。「辻さんもらいてうさんも同じパターンなんですけど、憧れから野枝が押しかけて、付き合っているうちに、野枝のエネルギーと気持に火がついて、そのうちに野枝のすごい行動力で、2人を追い越しちゃって、という部分があって、それに対しては2人とも悔しかったんだろうなと思います」など、的確に捉えられています。

実際、追い越されてしまった二人、辻潤と平塚らいてう、稲垣吾郎さんと松下奈緒さんのそうした場面での演技は素晴らしいものでした。

そして公式パンフ大トリに掲載されている原作者・村山由佳氏の言葉が特に刺さりました。曰く「あれから百年が経った。私たちはすっかり牙を抜かれてしまった。選挙へ行こうと口にする人に対して、たかが一票では世界は変わらないと嗤う。戦争を止めようと声をあげる人に向かって、現地に行って叫ばなければ意味がないと嘲る。(略)意味なら、ある。世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明してくれたのに、百年の間に多くのことが元に戻ってしまっただけだ。」。

百年」は、関東大震災直後のドサクサで、野枝と大杉、そして大杉の甥の橘宗一少年が憲兵大尉・甘粕正彦らによって虐殺されてから100年です。

以前にもご紹介しましたが、この事件を受けて智恵子は2ヶ月後の雑誌『婦人之友』に次の一文を寄せました。
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この言葉も染みます。

100年後の我々が歴史に何を学ぶか、考えさせられる映画です。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今「宮沢賢治文庫」の装幀をやつてゐますがこれが又ひどくむつかしくて案をかへる事十三、四回、試作二十五、六枚に及びました。明日はきめてしまふつもりです。

昭和21年(1946)9月7日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

「宮沢賢治文庫」は、賢治実弟の清六と共に編んだ日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』。
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当方手持ちの全6巻は、現在、花巻の高村光太郎記念館にて展示中です。

映画の公開情報です。

風よ あらしよ 劇場版

公 開 : 2024年2月9日(金)~ 全国順次公開
上 映 : 新宿ピカデリーほか
出 演 : 吉高由里子(伊藤野枝) 永山瑛太(大杉栄) 松下奈緒(平塚らいてう)
      美波(神近市子) 玉置玲央(村木源次郎) 山田真歩(堀保子)
      朝加真由美(辻美津) 山下容莉枝(渡辺八代) 栗田桃子(保持研
      高畑こと美(尾竹紅吉) 福田ユミ(中野初) 成田瑛基(奥村博史)
      金井勇太(和田久太郎) 芹澤興人(久板卯之助) 永瀬ゆずな(大杉魔子)
      音尾琢真(甘粕正彦) 石橋蓮司(渡辺政太郎) 稲垣吾郎(辻潤)ほか
演 出 : 柳川強
脚 本 : 矢島弘一
音 楽 : 梶浦由記

 関東大震災後の混乱のさなか、ひとりの女性が憲兵に虐殺された。女性解放運動家の伊藤野枝。貧しい家で育った野枝は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受け、結婚をせず上京。自由を渇望し、バイタリティ溢れる情熱で「青鞜社」に参加すると、結婚制度や社会道徳に異議を申し立てていく。伊藤野枝を演じたのは吉高由里子。平塚らいてうに松下奈緒。また野枝の第一の夫、ダダイスト・辻潤を稲垣吾郎が、また後のパートナーとなる無政府主義者・大杉栄を永山瑛太が演じる。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の評伝小説『風よ あらしよ』を原作に、向田邦子賞受賞の矢島弘一が脚本を担当する。本作の演出を務めた柳川強は「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の波乱万丈の人生を描いたNHK連続テレビ小説「花子とアン」のディレクターも務めており、本ドラマでも主演を演じきった吉高由里子とは9年ぶりのタッグを組んだ。ひとりの女性の短くも激しい生涯から100年経ったいま――なにがかわり、なにが残されているのか。

 「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」事が正しく美しいとされた大正時代。男尊女卑の風潮が色濃い世の中に反旗を翻し、喝采した女性たちは社会に異を唱え始めた。
 物語の主人公は、福岡の片田舎で育った伊藤野枝。貧しい家を支えるための結婚を蹴り上京する。平塚らいてうの言葉に感銘を受け手紙を送ったところ、青鞜社に入ることに。青鞜社は当初、詩歌が中心の女流文学集団であったが、やがて伊藤野枝が中心になり婦人解放運動に発展していく。野枝の文才を見出した第一の夫、辻潤との別れ、生涯のパートナーとなる無政府主義の大杉栄との出会い、波乱万丈の人生をさらに開花させようとした矢先に関東大震災が起こる。そして混乱のさなか、理不尽な暴力が彼女を襲うこととなる……。
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令和2年(2020)に刊行された村山由佳氏の長編小説『風よ あらしよ』を原作に、一昨年、NHK BSプレミアムさん(当時)で放映された全3回のドラマを再編、「劇場版」として公開するものです。

村山氏の原作には登場する光太郎と智恵子、残念ながら登場しませんが、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)が重要なモチーフとして繰り返し使われています。
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松下奈緒さん扮する平塚らいてうや、永山瑛太さんの大杉栄はじめ、登場人物の中には光太郎智恵子と交流のあった人々も多数。
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主役の伊藤野枝を演じられたのは、今年の大河ドラマ「光る君へ」で「まひろ」こと紫式部を熱演されている吉高由里子さん。吉高さんといえば、当方、光太郎とも面識のあったと思われる村岡花子を演じられた「花子とアン」の印象が非常に強いのですが、紫式部、伊藤野枝、村岡花子と、時代背景は違えど、共通する情熱やしたたかさを持ったある種たくましくもたおやかな部分もあり、なおかつ悪く云えば生意気な女性のイメージですね。吉高さんはこうした女性を演じられたら一級品ということでしょう。

ちなみに「光る君へ」で、大河史上、一、二を争うゲス野郎ともいえる藤原道兼を演じられている玉置玲央さん、「風よ あらしよ」では逆に大杉率いるアナーキスト一派の「良心」ともいうべき村木源次郎役です。当初は「源兄(げんにい)」と呼ばれ、子供たちにも慕われていた村木ですが、大杉・野枝夫妻の没後には大杉の「ああいう奴がほんもののテロリストになる」という予言の通りになっていきます。時間軸としてそのあたりまでは描かれないのですが。

というわけで、「風よ あらしよ 劇場版」、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

本当に辻潤と四人で一度でものまなかつたのが心残りです。辻潤の江戸ツ子気質の性根から来てゐる行動の末々を本当に分つてゐる人は少ないでせう。


昭和21年(1946)8月1日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎64歳

光太郎は野枝の最初の夫、辻潤とも交流がありました。

大正13年(1924)刊行の陶山篤太郎詩集『銅牌』の序文を光太郎が書き、英訳を辻が手がけています。また、昭和14年(1939)に刊行された西山勇太郎詩集『低人雜記』では、光太郎が題字を、辻が序文を担当しました。後の西山宛の光太郎書簡には辻の名が頻出します。また、昭和29年(1954)に刊行された『辻潤集』全二巻の編集委員には、光太郎も名を連ねました。

西山は辻と交流の深かった詩人です。光太郎はこの頃、西山の主宰していた雑誌に、戦時中に餓死した辻の追悼文を依頼され、乗り気だったのですが、結局実現しなかったようです。それが書かれていればもう少し詳しく辻と光太郎の関係性が分かったところですが。

「四人」は光太郎、辻、西山、もう一人はおそらく西山や光太郎と親しかった風間光作と思われます。

ちなみに辻潤、「風よ あらしよ」では稲垣吾郎さん。登場当初はりりしく颯爽としていましたが、次第にダメ男ぶりを遺憾なく発揮していきます。
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まず、新刊書籍の紹介を。2ヶ月ほど経ってしまっていますが。歌集です。

燃える花

2023年11月15日 沢本ひろみ著 文芸社 定価1,000円+税

「古と今は変はりて変はらざり 逢瀬の後は後朝のメール」「『レモン哀歌』の一語一語は哀しみと愛の重さで胸にしたたる」「軒借りて過ぐるを待ちぬ時の雨 嵯峨の紅葉は濡れまさりつつ」──鋭い感性と溢れる思いで読んだ短歌の数々を、〈黎明〉〈友〉〈初恋〉〈京の旅〉〈母〉〈愛〉など、カテゴライズしてまとめた。短歌による自分史ともいえる、素の作者が詰まった一冊。

著者プロフィール
本名・宮崎裕巳。東京都出身。早稲田大学教育学部卒業。都立高校の国語科教師として長年勤務し、後、私立高校でも教鞭を執る。2021年11月より「塔」短歌会に所属。東京都在住。
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目次
 黎明
  自然/音楽/文学/日本舞踊/房総にて/蓼科にて/諸々
 友
 初恋―初夏の陽―
 ヨーロッパ旅行
  パリ/グラナダ/アテネ/ドイツ
 京の旅
 恋―触れられぬ背―
 歌舞伎
  鷺娘/吉野山/梅川忠兵衛/紅葉狩/船弁慶/市川海老蔵丈/歌舞伎見物
 母
 愛 ―燃える花―
 後書き


内容説明欄に「『レモン哀歌』の一語一語は哀しみと愛の重さで胸にしたたる」と、光太郎がらみの歌が一首引かれていますが、これ以外にも二首、光太郎や智恵子抄からのインスパイアが。ありがたし。

「後書き」から。

 私が短歌に心を惹かれたのは、高校生の時です。現代文の授業で近代の短歌を学習し、その時初めて与謝野晶子や若山牧水、石川啄木などの歌と出会いました。目を瞠るような思いで読んだのをよく覚えています。五七五七七という制限された枠組みの中に秘めている豊かな世界に魅了されました。
 同じ頃に詩や小説にも目が啓き、様々な文学に親しんで過ごす内に、少しずつ歌を作り始めたのは、自然な成り行きであったかもしれません。


その後社会人となられ、一時期短歌の世界から離れられていたのが、ふとまた作歌を始められたとのこと。ところがいわゆる「現代短歌」にはある種の違和感を感じられているそうです。

 現代の歌はことごとく写実的な日常詠でなくてはならないのか。それ以外の歌は受け入れられないのか。私は悩みました。
 そんな私の中に、かつて心を躍らせて読んだ明治の歌人達の歌が甦りました。「哀しい」「さびしい」「恋しい」等の語をためらわずに用い、時には自分の感情をたたきつけるように直截に表現した歌。(略)多彩な人々が、自由に個性的に詠んだ歌の世界は、私に小さな勇気をくれました。
 
そこで、時代遅れかもしれないスタイルで、切実な思いやらを自分らしく自由に言葉にすることを心がけているとのことです。

腑に落ちました。いいな、と思える歌が多く、なぜそう感じたかというと、当方もよく眼にする「明治の歌人達の歌」に範を採られているからなのですね。

ちなみに与謝野夫妻の『明星』が本格的な文学活動の出発点だった光太郎も、生涯に1、000首近い短歌を詠んでいます。詩と異なり、手控えの原稿に残すことをしなかったので、未知のものも続々見つかり続けています。高村光太郎研究会さんから4月発行予定の『高村光太郎研究』に、昨年新たに見つけたもの三首を紹介する予定です。

さて、取り上げるべき事項がまた山積して参りまして、『智恵子抄』がらみで近々開催される朗読会の件もご紹介しておきます。

大人のための朗読会

期 日 : 2024年2月4日(日)
会 場 : 佐野市立図書館 栃木県佐野市大蔵町2977
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

高村光太郎作「レモン哀歌 他」、森鴎外作「高瀬舟」、太宰治作「貨幣」の朗読を行います。
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もう1件、『毎日新聞』さんの京都版に、舞鶴市での朗読会の案内も出ていました。ただしこちらはネットで調べてもそれ以上の情報が出て来ませんで……。

第140回かざはな朗読会 

2月2日(金)13時半、舞鶴市溝尻の市勤労者福祉センター。舞鶴今昔物語より「消えた温泉」など、宮沢賢治作「雪渡り」、高村光太郎作「智恵子抄」より。参加無料。主催は朗読愛好会かざはな。

以上、よろしくお願いします。

【折々のことば・光太郎】

痩せてバツタのやうな此の部落の子供達は見かけよりも健康で、元気で、毎日午前十時半の体操の時間には角力やリレー競争で運動会のやうな騒ぎです。分教場の生徒(尋常科)男女合せて三十八名、皆性質のよい、素直な、ハキハキした子供達です。これで田植や草刈には一ぱしの役をつとめて居ます。小生の小屋へもよく野菜や漬物などを持つて農家から使ひに来ます。「コレ、ケル」といひます。「コレヲ進上」といふ意味です。


昭和21年(1946)7月17日 和田豊彦宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村、山小屋近くの山口分教場の子供たちについて。戦後となりましたが、教育基本法はまだ施行前で「尋常科」の呼称が残っていたのでしょう。和田は光太郎もたびたび寄稿した『週刊少国民』の編集に当たっており、送られてくる同誌を子供たちに貸してやって……という話の流れです。

新聞記事から、またまた紹介すべき事項が溜まってまいりましたので、2件まとめて。

まずは『毎日新聞』さん。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の盟友にして、この国で初めて光太郎を正面から捉えた評論集を刊行した、故・吉本隆明氏がらみです。

エッセー『隆明だもの』刊行 漫画家・ハルノ宵子さん 人間・吉本隆明、衝撃の実像

012 漫画家のハルノ宵子、といえば戦後を代表する思想家・吉本隆明(たかあき)の長女、多子(さわこ)さんのペンネームだが、その人が昨年末にエッセー『隆明(りゅうめい)だもの』(晶文社)を出した。驚くのは、これが知られざる吉本家の内情を明かした一種の暴露本なのである。
 「あとがき」で「吉本主義者の方々の、幻想粉砕してますね」と自ら評し、帯に「吉本家は、薄氷を踏むような“家族”だった」ともある。つづられる吉本と妻の和子(ともに2012年死去)の夫妻間の激しい葛藤、この両親と、著者および妹で作家の吉本ばななさんとの親子間の複雑な心理劇は、全共闘世代の「教祖」といわれ、絶大な影響力を持った吉本の実像として確かにショッキングだ。
  晩年に取材する機会を持った記者もそうだが、吉本と関わった多くの人々が、論争的な著作からすると意外な親しみやすい人柄にひかれた。今でいう「略奪愛」で結ばれた妻と、2人の娘に恵まれた家庭は、はた目には仲むつまじいものとしか見えなかった。
 ところが、本書によると吉本自身が「だいたい10年に1度」「不安定で、攻撃的なサイクル」に入る人であり、和子は「家族皆が振り回された」激しい性格だったという。「父(吉本)が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった」からだとも書いてある。
013 この点について聞くと、ハルノさんは「家では母がすごい力を持っていましたからね。洗濯や料理も進んでやった父ですが、母の気持ちを真っ向から受け止めたり、包容したりする力はない人でした。母は心を支えてほしかったのだと思いますが」よと話す。
 本書は、刊行継続中の『吉本隆明全集』(全38巻・別巻1)の月報に掲載された文章を軸に、ばななさんとの姉妹対談、編集者によるインタビューで構成されている。対談でもハルノさんは「本当いうと、彼(吉本)は結婚すべき人格ではないような気がするんですよね。つまり、妻を支えてとか、そういう意味ではまったく期待できないですね」と手厳しく語っている。
 ハルノさんは1980年代に漫画家としてデビューするものの、妹が独立すると、母が体調を崩したこともあり、やがて家事や、多忙な父のマネジャー役を引き受けざるを得なくなった。しばしば両親の争いの板挟みにもなった。対談でも母の「怖さ」が繰り返し話題になるが、何かにつけてハルノさんを頼りにした母との関係は「共依存だった」とも表現する。
 あまりに個性的な 家族の中で一人、犠牲を強いられたともいえるが、本のトーンは決して暗くない。ユーモアを含んだ柔らかい文体や自作のイラストの効果もあるが、著者の冷静な批評的まなざしに負うところが大きい。そこに自然な愛情や敬意もにじみ出る。「結果的に、家に縛られているうちに面白いものを見せてもらったということになりますかね。状況を楽しむしかなかったですから」と笑顔で語る。
014 父母の葛藤は「一つの家の中に2人の表現者がいる難しさ」だったのではないかという。もともと小説を書いていて結婚後に筆を断った和子は、晩年に俳句を始めている。この見方は、詩人・彫刻家の高村光太郎が画家の智恵子と築いた家庭内の男女の緊張に注目した吉本の評論『高村光太郎』(57年)を思い起こさせ、興味深い。
 他にも、吉本が96年に伊豆の海で遊泳中に溺れた事件を境に「眼(め)も脚も急激に悪くなって」いく様子など、家族でなければ知り得ない生々しい証言は多い。亡くなる4、5カ月前、自宅で大きな音がしたので確かめると、既に視力や運動能力が衰えた身なのに外出の服装をして「玄関の石のたたきに父が転がっていた」という場面に、胸をつかれる読者もいるだろう。
 書名のいわれを尋ねると、「(書家・詩人の相田みつをの)『にんげんだもの』から」。なるほど「ヨシモトリュウメイも一人の人間だった」ということか。吉本の等身大の姿を語ってやまないこの本は、今後の「吉本伝」作家にとって必読の、また頼もしい文献となるに違いない。


『隆明だもの』、店頭で手にとって立ち読みしたのですが、直接光太郎智恵子に触れている部分は見あたりませんでした。まぁ立ち読みであって精読はしていませんから見落としがあるかも知れませんが。

しかし吉本氏夫妻の関係性が光太郎智恵子のそれを彷彿とさせられる、という記者氏の感想。なるほどと思いました。夫婦同業の苦労は、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた津村節子氏などもたびたび言及されており(夫は故・吉村昭氏)、その仕事内容がクリエイティブであればあるほど、そうした傾向が強くなるんだろうなと思います。

続いて『山形新聞』さん。彼の地ご出身で、亡きお父さまが光太郎と交流がおありだった劇作家・女優の渡辺えりさんの連載エッセイです。

渡辺えりのちょっとブレーク (224)希望の年を願って

 新しい年が明けた。しかし、能登半島地震の被害はすさまじく、羽田の飛行機事故も痛ましく、波乱の年明けとなった。山形の皆さまは大丈夫だったでしょうか?
 高齢者の避難が困難な現実を目の当たりにし、日頃からご近所の様子などが分かるよう、交流を欠かさないことが大切だと感じた。私が子ども時代の山形市村木沢を思い出す。毎日、いろり端で青菜漬けをつまみながら緑茶をすすり、よもやま話に花を咲かせていた年配の方たちの笑顔が浮かぶ。避難の際の高齢者の保護を考えなくてはいけない。
 年末はロックライブで叫び、31日の大みそかは新宿・京王プラザホテルの宿泊客限定コンサートでシャンソンを歌った。そして今月は、私が演劇の舞台を創作して50年になる記念に劇中歌の中からえりすぐった20曲をレコーディングしている。年末年始は「歌」の仕事が続いた。
 また、うれしいニュースがある。今年5月に山形公演が決まったことだ。コロナ禍に書いた2人芝居を大幅に直し、高畑淳子さんと共演する。昨年の2本立て公演「ガラスの動物園」「消えなさいローラ」と同様に私が演出する。今回は作品も私が書く。コントラバスとバンドネオンの生演奏に加え、歌も披露する。1時間40分の短い作品だ。高畑さんと私は同じ年。ジャンルの違う演劇を続けてきた2人が、ユーモアたっぷりにさまざまな人生を演じる。山形市のやまぎん県民ホールで上演するので、ぜひいらしてください。
 そして今、人形劇「星の王子さま」の脚本を執筆している。結城座という江戸時代から続く人形劇の劇団の新作を依頼された。結城座さんとのコラボは今回で3作目。今年9月の公演だが、オリジナルの人形も制作するため、1月末が締め切りなのだ。
 私ならではの「星の王子さま」を作ろうと考えている。あまりに有名な作品だが、平和を願いながら星空の中で行方不明となったサンテグジュペリの精神を大切に脚色していくつもりだ。
 コロナ禍で中止になっていた学校公演も始まる。山形でも上演させていただきたい作品だ。高村光太郎もファンだった結城座。人形を使いながら、せりふをしゃべる技術の高さを見てほしい。世界にない手法の人形劇だ。
 2月4日は、天童市民文化会館でコンサート「世界は日の出を待っている~渡辺えり 平和への歌声」を開催する。地元で長年活躍しているビッグバンドからの依頼で歌う。「世界は日の出を待っている」は、関東大震災が起きた1923(大正12)年に作られた曲で、春の訪れとともに世界平和を祈っている。同市制施行65周年記念のコンサートとなる。「久しぶりに温泉に入れるのでは?」と期待している。
 そして、仕事で年末年始に会えなかった母ちゃんとも会えるはず。5月17日は父の命日。山形公演の準備で命日に故郷に帰れるのも、皆さまのおかげと父の愛情だと思っている。
 山形の皆さまにとって今年が光に満ちた希望の年でありますように。お互いに持ちつ持たれつ、支え合って生きていきましょう。今年もよろしくお願いします。(俳優・劇作家、山形市出身)
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あいかわらずバイタリティーにあふれていらっしゃいます(笑)。

今年は「江戸糸あやつり人形芝居 結城座」さんとのお仕事もなさるそうで、「高村光太郎もファンだった結城座」とのご紹介。

ファンだったかどうか当方は存じませんが、確かに光太郎、詩の中で座長の九代目結城孫三郎を登場させています。昭和5年(1930)、雑誌『詩・現実』に発表した「のつぽの奴は黙つてゐる」。特異な詩です。

    のつぽの奴は黙つてゐる

『舞台が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割かた持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちやあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は来てるでせうな。喜壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。万能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい気な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の余興は、結城孫三郎の人形に、姐さん連の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
ステユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ、スピーチ。
老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。

何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考へてゐる。

詩は昭和5年(1930)の作ですが、語られている場面はそれより2年前の昭和3年(1928)4月16日、東京会館で開催された、父・光雲の喜寿記念祝賀会です。

昨年、雑誌『美術新論』第3巻第5号(昭和3年=1928 5月)にその際の写真が掲載されているのを見つけ、智恵子も写っていたことに仰天しました。結婚後の智恵子が写った写真は10葉たらずしか確認できていませんでしたので。
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2週間ほど後に、渡辺さんとお会いする予定がありますので、結城座さんのお話を伺っておこうと思います。

明日以降、これも溜まってしまった新刊書籍等を紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

彫刻家にとつては何といつても彫刻材を入手した時ほど心からうれしい事はありません。実に愉快に存じます。


昭和21年(1946)7月29日 東正巳宛書簡より 光太郎64歳

東正巳は三重県在住だった詩人、編集者。光太郎は東を通じて西村之雄という人物から椿の木材を入手し、その礼状の一節です。しかし、結局、花巻郊外旧太田村での7年間で、作品として発表した彫刻は一点も作られませんでした。

ネット上で見つけたイベント情報を2件。

まずはオンライン講座です。

心に響くオンライン朗読サロン(3回)

期 日 : 2024年1月26日(金)、2月9日(金)、3月1日(金)
主 催 : NHKカルチャー西宮ガーデンズ教室
方 式 : Zoomによるオンライン
時 間 : 各回とも13:30~15:00
料 金 : 8,910円

講 師 : 朗読家・神戸女学院大学非常勤講師 川邊暁美

ご自宅で安心!マスクを外してのびのび楽しみましょう♪

世界でたった一つのあなたの音色である「声」の表現力に磨きをかけ、美しい日本語をあなた自身の声で味わう、心豊かなひとときをご一緒しませんか。呼吸・発声・発音・の基本から思いの伝わる表現技術まで、朗読スキルも学んでいただきながら、様々なジャンルの文章表現を楽しんでいただきます。初めての方も経験者の方も、伸びやかに声を響かせて思い思いの音色を奏でましょう。

【各回の内容】
1/26 作品の息遣いを声で伝える『智恵子の紙絵』高村光太郎
2/9 声の5要素を自在に使う 作品に合わせた表現方法 『十三年』山川方夫
3/1 好きな作品をもちより発表会、講師から個別アドバイス
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『智恵子抄』は詩だけでなく、散文や短歌も収録されており、今回テキストとされるのは散文の「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)と思われます。案内では「智恵子の紙絵」となっっていますが、「智恵子の切抜絵」ではイメージが湧きにくいということでしょうか。

もう1件、音楽ライブ情報です。

黄昏に旅情歌を歌う

期 日 : 2024年1月26日(金)
会 場 : ヤナカフェ西東京 東京都西東京市柳沢2-13-9
時 間 : 16:00~17:00
料 金 : 2,000円(ワンドリンク付)

出 演 : 岡雅子(テイチクエンタテインメント) 


美味しく香り高い珈琲 紅茶をマスターがご用意してお待ちしています。終了後はそのままお食事お酒、お茶をヤナカフェでどうぞ。

セットリスト
宗谷岬 銀色の道〜北上夜曲 岬めぐり 智恵子抄 案山子 津軽海峡・冬景色
東京の灯よいつまでも 椰子の実 愛媛・瀬戸内始まりの「ふるさと」 昴
アンコール 高校三年生
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「智恵子抄」がラインナップに入っていますが、おそらく智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町出身の丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲で、二代目コロムビア・ローズさんが歌われた「智恵子抄」(昭和39年=1964)でしょう。リリースされてちょうど60周年ですね。

ただし、「ご予約満席」だそうです。それでもキャンセル等有るかもしれませんし、こういうイベントがあったという記録のためにもご紹介しておきます。

【折々のことば・光太郎】

たちまち雪が消えて春がいちめんに小屋のまはりにみちました。ゼンマイ、ワラビをはじめとして木の芽、草の芽、葉に先だつ木々の花、不思議な形態の美を持つ山草の花。目がまはるやうです。


昭和21年(1946)5月10日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎64歳

昨日ご紹介した書簡と前後しますが、花巻郊外旧太田村にようやくやってきた遅い春を心から喜んでいます。都会生活が長かった分、山村の春は新鮮に感じられたことでしょう。

1月13日(土)、世田谷文学館さんにお邪魔しました。
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こちらで開催中の「コレクション展 衣裳は語る――映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」拝見のためです。
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会場内部は撮影禁止でした。

映画史上に残る数多くの映画で衣裳デザインを担当された故・柳生悦子氏の原画を中心とした展示で、約3,000点の寄贈を受けたうちの厳選されたものが並んでいました。
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お目当ては昭和42年(1967)封切りの松竹映画「智恵子抄」衣裳デザイン原画。光太郎役の丹波哲郎さんのものが1点、岩下志麻さん演じる智恵子のものが約30点。
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上記はX(旧・ツイッター)に上げられた同館のポスト(ツイート)です。それぞれにいろいろと書き込みがしてあり、こりゃ現物を見ないとしょうがないなと思って参じた次第です。

で、書き込みも細かく読んで参りました。映画の「原作」という位置づけになっている佐藤春夫の『小説智恵子抄』や、当会の祖・草野心平が書いた随筆の一節、それからそれぞれの衣裳に於ける注意事項等がびっしり。驚きました。

上記画像を事前に見て、そうだろうな、と思っていたのですが、左上から始まって右下まで、シーンの順に並んでいます。光太郎と出会う前の若き日の智恵子から、最晩年まで。当然と言えば当然ですが、結婚前の恋愛時代の衣裳は華やかなものが多く、結婚後、特に心を病んでからのそれはシックな感じに移っていきます。

驚いたのは、一番左下のエプロン。同一のものがあと2ヶ所でも描かれていますが。
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雑誌『婦人之友』第18巻第7号(大正13年=1924 7月)に掲載された「変つた形のエプロン二種」という記事に写真と型紙(尺貫法で書かれています)が載った、実際に智恵子が自作し着用していたエプロンほとんどそのままです。
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こういう形のエプロンが一般的だったわけではないようで、『婦人之友』には「高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。」と書かれていますし、少し調べてみてもこういう形のエプロン画像は見かけません。

ということは、柳生氏、大正時代の『婦人之友』のこの記事を読まれたのだと思われます。舌を巻きました。

録画して置いた映画「智恵子抄」を見返してみましたところ、ちゃんとこのエプロンを着用しているシーンがありました。
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「いや、こういうエプロン、一般的に使われていたよ」というような情報、資料をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

他の映画等のデザイン原画も拝見。ジャンルが実に多岐に亘っているのに驚きました。「裸の大将」「若大将」「風林火山」「八つ墓村」「戦国自衛隊」「敦煌」などなど。

残念ながら図録は作成されておらず、このコレクションに特化した書籍がもしかしたらあるかな、と思ったのですがありませんでした。ぜひとも3,000点をカラーで収録し、出版していただきたいものです。

会期は3月31日(日)まで。同時開催で「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」も2月4日(日)まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
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【折々のことば・光太郎】

毎日荒地を掘り起して畑を作つてゐます。実にその仕事が爽快で朝起きるが待ち遠しいやうです。

昭和21年(1946)4月23日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村で、数え64歳にして生まれて初めて本格的に農作業に取り組み始めました。嬉々として取り組んでいる様子がうかがえますね。

昨日は約1ヶ月ぶり、おそらく今年最後の上京をしておりました。レポートいたします。

まずは虎ノ門の大倉集古館さん。
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こちらでは先月から「大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉」が開催中です。
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基本、大倉財閥創業者の大倉喜八郎・喜七郎父子の本人たち、それから交流のあったさまざまな人々の書が中心の展示でした。

しかし、受付カウンター脇、展示ナンバー1が光太郎の父・光雲作の木彫「大倉鶴彦翁夫妻像」(昭和2年=1927)。「鶴彦」は喜八郎の号です。

残念ながら撮影禁止。さらに発行されていた図録にも画像が載っていませんでした。特別展示的な扱いなのでしょうか。下記は過去の他の展覧会の図録から。
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像高約50センチ。実に緻密な作りです。二人の着物に大倉家の家紋までうっすら彫り込んであるのには舌を巻きました。また、座布団など、まさに座布団としか思えません。

この像を拝見するのは20数年ぶり2度目。初回は他の光雲作品数十点と共に見たため、この像だけの印象というのがあまり残っておらず、その意味ではいい機会でした。

生きている人物の肖像をやや苦手としていた光雲が、喜八郎の顔の部分は光太郎に塑像で原型を作らせ、それを元に木彫に写すという、何度か行われた手法で作られているため、出品目録では光雲・光太郎の合作ということになっています。

光太郎の喜八郎原型はこちら。粘土を焼いてテラコッタにし、さらにそこからブロンズに写され、同型の物は全国に存在します。左上と下がテラコッタ、右上はブロンズです。テラコッタは左耳の部分が欠けてしまいました。
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ロダン風の荒々しい光太郎の原型も、光雲が木に写すと柔和な感じに。光太郎はそれが気に入らなくて八つ当たりみたいな詩「似顔」(昭和6年=1931)も書きましたが、記念像として注文主がいる作品ではしかたありますまい。

ところで、夫人の方は光太郎が原型を作ったという記録が見あたりません。どうなっていたのでしょうか。詳しい方、御教示いただければ幸いです。

その他、出品目録は以下の通り。残念ながら他に直接光雲、光太郎に関わる展示品はありませんでした。それでもなかなかの優品揃いでしたが。
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その後、新宿へ。

JR新宿駅東南口を出てすぐのK’s cinemaさんで一昨日封切られた映画「火だるま槐多よ」を拝見。
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「槐多」は光太郎と交流のあった画家、村山槐多。タイトルの「火だるま」は光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)からの引用です。赤い絵の具「ガランス」を愛した槐多を「火」として表した光太郎、それほど深い関わりではありませんでしたが、鋭く本質を見抜いていたことがうかがえます。

といっても、槐多の伝記映画ではなく、槐多の絵、それから槐多は詩も書いていましたので、その詩と、まぁいわば槐多ワールドを映画で表現するといった趣。ある意味、現代アートのインスタレーションに近い感じでした。槐多本人がこの映画を観たら、「美しい」と言ったような気はします。

したがって、ストーリーはあるものの、緻密な伏線が張られて山あり谷あり、ラストに向けて伏線が回収されてどんでん返しが複数回、最後に大団円、というタイプの作りではありません。困ってしまった映画評論家のセンセイは「映像美を楽しもう」的な評でごまかしています(笑)。

公式パンフ(1,000円)。佐藤寿保監督と、佐野史郎さんら主要キャストの皆さんのサイン入りでした。
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光太郎詩「村山槐多」の全文も収録されています。
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映画の中では抜粋で引用されていました。

また、槐多に惚れ込んだ窪島誠一郎氏の文章も掲載されています。当方、窪島氏が設立し槐多の作品を多数展示していた信濃デッサン館さんを訪れたことが複数回ありますが、その後、同館閉鎖後、令和2年(2020)に「KAITA EPITAPH 残照館」としてリニューアルされてからはまだ行っていません。すぐ近くに亡父の実家があるのですが、交流もほぼ無くなってしまいまして……。いずれ近いうちに、とは思っております。

映画「火だるま槐多よ」、K’s cinemaさんでは1月12日(金)までの上映、その他、年明け早々には大阪や槐多と縁の深い長野で封切られますし、順次全国で公開されます。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨夜は猛烈な吹雪で小屋の中へも吹き込みました。今日は吹雪はやみ、細雪がちらちらしてゐます。


昭和21年(1946)2月4日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。屋根は杉皮葺きで天井板は張らず、壁は粗壁、窓は障子。吹雪の際には寝ている布団にもうっすら雪が積もる程でした。

来年の話ではありますが、もう2週間足らず後ですので……。

モンデンモモ ニューイヤーコンサート2024

期 日 : 2024年1月5日(金)
会 場 : 紅葉丘文化センター 東京都府中市紅葉丘2丁目1番地
時 間 : 15:00頃
料 金 : 無料(当日午前中から整理券配付のようです)

歌い始めがどんなふう?ってすごくその年を表しますね 来年2024年の歌い初めはこんな風〜 いつもミュージカルやお芝居のお稽古にお世話になっている地元の文化センターからオファーいただきました 各ジャンルの作品精一杯お届けしてみますね

出演
 歌 お話 モンデンモモ   ピアノ おのゆみ

予定曲目
 愛の賛歌 アヴェマリア オペラ夕鶴より さよならのアリア みだれ髪 レモン哀歌
 百万本のバラ さよならはダンスの後に 天城越え ラ・クンパルシータ 私はマリア
 古代への旅 他 

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「智恵子抄」をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのコンサートです。

「レモン哀歌」がプログラムに入っています。平成6年(1994)にリリースされたCD「REQUIEM」に収録されていた曲ですから、もう30年歌い継がれていることになりますね。

最近は鳥取やら島根やら、あちらの方での活動が中心となりつつあるようですが、ご自宅は東京都府中市で、そちらでの開催です。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

砥石の凍結の危険のため彫刻も大工仕事も出来ないのが残念です。


昭和21年(1946)2月4日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

厳寒期にはマイナス20℃にもなる花巻郊外旧太田村の山小屋。砥石は水で濡らして使用するため、その水がしみ込んで凍結すると膨張し、砥石自体が割れてしまいます。

新作映画の情報です。

火だるま槐多よ

上 映 : 東京都  K’s cinema    12/23(土)~
      神奈川県 横浜シネマリン  2/10(土)~
      栃木県  宇都宮ヒカリ座  1/26(金)~2/1(木)
      長野県  千石劇場     1/5(金)~1/18(木)
           上田映劇     2/16(金)~
      愛知県  シネマスコーレ  時期調整中
      大阪府  第七藝術劇場   1/6(土)~
      京都府  アップリンク京都 1/19(金)~
出 演 : 遊屋慎太郎 佐藤里穂 工藤景 涼田麗乃 八田拳 佐月絵美 田中飄 佐野史郎
監 督 : 佐藤寿保

映画『火だるま槐多よ』は、22 歳で夭逝した天才画家であり詩人の村山槐多(1896~1919)の作品に魅せられ取り憑かれた現代の若者たちが、槐多の作品を彼ら独自の解釈で表現し再生させ、時代の突破を試みるアヴァンギャルド・エンタテインメント。タイトルの由来は、槐多の友人・高村光太郎の詩「強くて悲しい火だるま槐多」である。

あらすじ
 大正時代の画家・村山槐多の「尿する裸僧」という絵画に魅入られた法月薊(のりづき・あざみ)が、街頭で道行く人々に「村山槐多を知っていますか?」とインタビューしていると、「私がカイタだ」と答える謎の男に出会う。その男、槌宮朔(つちみや・さく)は、特殊な音域を聴き取る力があり、ある日、過去から村山槐多が語り掛ける声を聴き、度重なる槐多の声に神経を侵食された彼は、自らが槐多だと思いこむようになっていたのだった。
 朔が加工する音は、朔と同様に特殊な能力を持つ者にしか聴きとれないものだが、それぞれ予知能力、透視能力、念写能力、念動力を有する若者4人のパフォーマンス集団がそれに感応。彼らは、その能力ゆえに家族や世間から異分子扱いされ、ある研究施設で”普通”に近づくよう実験台にされていたが、施設を脱走して、街頭でパフォーマンスを繰り広げていた。研究所の職員である亜納芯(あのう・しん)は、彼らの一部始終を観察していた。
 朔がノイズを発信する改造車を作った廃車工場の男・式部鋭(しきぶ・さとし)は、自分を実験材料にした父親を殺そうとした朔の怒りを閉じ込めるために朔のデスマスクを作っていた。薊は、それは何故か村山槐多に似ていたと知り…

村山槐多(むらやま・かいた)
 1896~1919大正時代の日本の画家で、詩人、作家でもある。
 従兄の山本鼎(画家)に感化され画家を志し、中学生(旧制)の頃より美術、文学に異彩を発揮。ガランス(深紅色)を多用した独特の生命力に溢れた絵画は、二科展、日本美術院展などに入選し、異色作家として注目されたが、破滅的な放浪生活の末、流行性感冒で1919年2月20日死去。
 絵画の主要作に「カンナと少女」「湖水と女」「尿する裸僧」など。詩集に「槐多の歌へる」(遺稿集)など。小説に「悪魔の舌」など
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光太郎と交流のあった鬼才の画家・村山槐多をモチーフとした作品です。ただし、槐多自身を主人公としているわけではなく、槐多の精神に感応した現代の若者がさまざまな事件に巻き込まれ……というストーリーのようです。

したがって、光太郎も登場しないと思います。ただ、過去に槐多が見た風景、的なシーンがあればそこに光太郎の姿があるかもしれませんが。





タイトル「火だるま槐多よ」は、光太郎詩「村山槐多」(昭和10年=1935)から。

   村山槐多

 槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
 又がたがた下駄をぬぐと、
 今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
 風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
 黒チョオクの「令嬢と乞食」。

 いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
 五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
 強くて悲しい火だるま槐多
 無限に渇したインポテンツ。

 「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
 「居るよ。」
 「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

 眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
 自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

昭和10年(1935)というと、大正8年(1919)の槐多死去から15年以上経っています。光太郎、翌年にはやはり数十年前に亡くなった碌山荻原守衛をテーマにした詩「荻原守衛」を書きました。なぜこの時期に相次いで古い友人たちを唐突とも思えるタイミングで詩に謳ったのか、不思議です。

ところで、X(旧ツイッター)上で、「火だるま」がトレンド入りしていました。
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てっきりこの映画のからみかと思い、「おお!」という感じでしたが、さにあらず。実はこういう件で、笑いました。
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笑っている場合ではないのかもしれませんが(笑)。

X(旧ツイッター)といえば、当会アカウント、「映画「火だるま槐多よ」公式」さんがフォローして下さいました。ありがとうございます。
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というか、さっさとブログで紹介しろよ、ということでしょうか(笑)。

閑話休題。多くないのが残念ですが、ぜひお近くの上映館にてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生の戦時中の詩について摘発云々の事はいささかも驚きません。先方の解釈次第にて如何やうにでも取扱はれるがいいと思つてゐます。小生の詩は多く戦争によつて触発された人間美をうたつたものですが此際解明などしたくもありません。


昭和20年(1945)12月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

この年12月8日、日本共産党が開いた「戦争犯罪人追及人民大会」で、光太郎もリストアップされたことに関わると思われます。結局、光太郎は公的には戦犯として訴追されることはありませんでした。しかし、自分の詩を読んで戦場で散華していった多くの前途有為な若者たちがいたことを知るにつけ、私的に自らを罰する方向に梶を切っていきます。そうなるまでまだ少し時間を要しますが。

都内から演奏会情報です。

歌曲個展+5 ドイツロマン派の歌曲――残照の時――

期 日 : 2023年12月16日(土)
会 場 : やなか音楽ホール 東京都台東区谷中3-23-8
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 一般3,500円 学生2,000円 全席自由

曲 目 : 
 リヒャルト・シュトラウス
  4つの最後の歌 Vier Letzte Lieder
 フーゴ・ヴォルフ
  ミケランジェロの詩による3つの歌曲 Drei Lieder nach Michelangelo
 ヨハネス・ブラームス
  4つの厳粛な歌 作品121 Vier ernste Gesänge Op.121
 ロベルト・シューマン
  暁の歌 作品133 Gesänge der Frühe Op.133(ピアノ独奏)
 根本卓也
  組曲『智恵子抄』(新作初演)

出 演 :
 ソプラノ 坂口真由  バスバリトン 牧山亮  ピアノ 蓜島啓介

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当方は寡聞にして存じ上げませんが、根本卓也氏という作曲家の方による組曲「智恵子抄」がプログラムに入っています。氏のHPには「こちらは、以前《亡き人に》という題で発表した重唱曲に、ソプラノ・バスバリトン・ピアノそれぞれのソロ曲を一曲ずつ足す形で組曲にしました。詩は全て高村光太郎の『智恵子抄』から採っています。」とのこと。そういえば昨年でしたか、他の演奏会で正規のプログラムではなくアンコールで「亡き人に」が演奏された、的な記述をSNSで見たような気がしています。

それから「おやっ」と思ったのが、「ミケランジェロの詩による3つの歌曲」。ロダンと共に光太郎が終生敬愛し続けた、あのミケランジェロが詩を書いていたというのは存じませんでした。

ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。残念ながら当方、この日は法事が入っておりまして伺えませんが。

【折々のことば・光太郎】

午後二時頃分教場に到着、今晩は分教場に宿泊、明日よりだんだんに小屋の整備にかかります。


昭和20年(1945)10月17日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎63歳

約1ヶ月厄介になった、花巻病院長・佐藤隆房宅を出て、旧太田村山口地区に入りました。既に村民らの手で鉱山の飯場小屋が移設されていましたが、内部の造作等は未完成で、ここからまた1ヶ月は旧太田小学校山口分教場に寝泊まりしながら自分で大工仕事をしました。ちなみに光太郎に太田村移住を勧めたのは、山口分教場の教師・佐藤勝治でした。

ここから7年間に及ぶ太田村での暮らし。当初は若い頃からの夢だった北方の僻村での生活の実現、文化集落の建設といった無邪気な夢想の部分がありましたが、自らの戦争責任の省察が進むとともに、徐々に「自己流謫」(流謫=流罪)へと変容していきます。

山形県から朗読イベントの情報です。

第3回読書会「声に出して読みたい日本語 part2」

期 日 : 2023年12月6日(水)
会 場 : 大石田町町民交流センター虹のプラザ 山形県北村山郡大石田町緑町28
時 間 : 午前10時~11時30分
料 金 : 無料

コロナ禍により長期間お休みしていた読書会を今年度から再開しています! ベストセラー『声に出して読みたい日本語』に紹介されている有名な作品を、みなさんで一緒に読んでみませんか。 今回の読書会では、気軽に音読をしながら、宮沢賢治の童話や川端康成の小説の一部、高村光太郎の詩を味わいます。

『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝著、草思社刊)で紹介されている文学作品の一部を取り上げ、参加者で感想を交わしながら読みあいます。図書館担当者から作者や本の紹介等もあります。

 ・宮沢賢治 風の又三郎ほか「どっどどどどうどどどうどどどう」
・川端康成 伊豆の踊子ほか「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に」
・高村光太郎 道程「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
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『声に出して読みたい日本語』(平成13年=2001 草思社)は、NHKさんの「にほんごであそぼ」の監修もなさり、昨年ご紹介した『齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版』など、この手の書籍等を随分出されている齋藤孝氏の編著です。当方、CDブック版(平成15年=2003)を持っています。
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平成3年(1991)、NHKさんで放映された単発の2時間ドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で光太郎役を演じられた小林薫さん(智恵子役は佐久間良子さんでした)が「道程」を朗読されています。

同町、朗読に力を入れているようで、12月14日(木)には「宮沢賢治 朗読の夕べ」なども企画されています。
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お近くの方等、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

火事のあとは少しずつ整理され、そちこちに小屋が建てられ始めました。高台から眺めると白い屋根や羽目板が目立つて来ました。


昭和20年(1945)9月12日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

「火事」は8月10日の花巻空襲によるものです。疎開していた宮沢賢治実家も燃え、光太郎は現在の市役所近くの佐藤昌宅を経て、宮沢家の人々が避難していた羅須地人協会のあった桜町に近い佐藤隆房邸に寄寓していました。

昨日は千葉市に行っておりました。同市ご在住のジャズシンガー・潮見佳世乃佳世乃さんの「CD発売記念LIVE 歌物語✖️JAZZ」拝聴のためです。

会場は県庁近くの千葉アートサロンさん。ライヴハウス的なスペースと、他のフロアにはギャラリーもあるようで。昭和の香りが色濃く漂う外観で「おお」と思いました(笑)。
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潮見さんのライヴは過去3回拝聴しましたが、最後はやはり千葉市で令和3年(2021)6月でしたので約1年半ぶり。今回を含め、すべて潮見さんのレパートリーの一つ「歌物語 智恵子抄」がプログラムに入ったものでした。今回は「CD発売記念」ということでしたが、CDは「智恵子抄」ではなく、「歌物語 遠野物語」。最初のMCはその「盤宣」でした。
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潮見さん、他にも「歌物語」と銘打ったレパートリーをたくさんお持ちです。そのシリーズ、亡くなったお父さまの高岡良樹氏が始められたもので、お父さまもかつて「歌物語 智恵子抄」を演(や)られたそうです。そちらは当方聴けませんでしたが。

潮見さんの「歌物語 智恵子抄」、伴奏は平成27年(2015)に大田区大森で初めて拝聴した際はフォークギターとキーボード、令和3年(2021)の熱海での公演ではベードルのピアノ、直後の千葉市ではピアノプラス箏でした。今回はピアノに尺八。「不易と流行」と申しますが、変えない部分と変えていく部分と、しっかり考えられているようです。
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ピアノは熱海での公演と同じく沢村繁さん。尺八が大河内淳矢さん。
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やはり「和」のテイストが入ると「智恵子抄」の世界観がより鮮烈になる気がします。
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「智恵子抄」に入る前に、「智恵子抄」以外の光太郎詩の朗読がありました。季節柄、ということでしょう、「美しき落葉」(昭和19年=1944 戦時中にしては珍しく翼賛的な内容をほぼ含まない詩です)と「冬が来た」(大正2年=1913)。
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そして「智恵子抄」。基本的な構成はこれまでとおそらく同一でした。語りだけ、メロディー付きとバリエーションに富み、構成的にもドラマチックです。取り上げられた詩は以下の通り。

「樹下の二人」(大正12年=1923)
「あどけない話」(昭和3年=1928)
「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)
「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)
「値ひがたき智恵子」(昭和12年=1937)
「山麓の二人」(昭和13年=1938)
「レモン哀歌」(昭和14年=1939)
「亡き人に」(同)

このうち、「千鳥……」と「風にのる……」は二つの詩の詩句を行ったり来たり。

第一部が「歌物語 智恵子抄」で、第二部はお召し物もがらっと変えて「レフト・アローン」などジャズのスタンダードナンバー等でした。潮見さん、「智恵子抄」とジャズはよく合う、とおっしゃって、毎回そうなさっていますが、確かにそうですね。
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インストで大河内さんと沢村さんによる「ルパン三世 PART2」オープニングテーマも。盛り上がりました。

やはり音楽はいいものですね。自分も趣味でやっていた音楽活動、いろいろ忙しくて止めてしまいましたが、また余裕が出来たら始めようかと思いました。

お三方、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

本阿弥光悦は京都の鷹ヶ峯で当時の最高文化の部落を作りました。形は違ひますが、小生の企てもいく分似たところがあります。


昭和20年(1945)8月24日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

花巻郊外太田村への移住について。この段階では、若い頃から北方の僻地で生活することを夢みていたことが実現できる喜びが大きかったようです。実際にその生活を始めてから、自らの戦争責任への省察が始まります。

紹介すべき事項がまだまだ溜まっておりまして、演奏会情報3件、一気に紹介させていただきます。

潮見佳世乃 CD発売記念LIVE 歌物語✖️JAZZ  1部「智恵子抄」 2部JAZZ

期 日 : 2023年11月26日(日)
会 場 : 千葉アートサロン 千葉市中央区市場町2-6
時 間 : 開場14:30 開演15:00
料 金 :  前売券 4,000円(1drink付) 当日券 4,500円(1drink付)

今月11月26日(日)歌物語「遠野物語」CD発売記念コンサートを千葉アートサロンにて開催いたします。歌物語アルバムリリースは、私にとって格別な思いです。感謝の思いを込めて、一部では、歌物語「智恵子抄」二部では、JAZZ LIVEをお届けします。メンバーは、ピアノ沢村繁さん。そして、尺八大河内淳矢さん。嬉しいことに、ご用意できるチケット少なくなっております。お申し込みの際は、お早めに❤️ あたたかい応援をよろしくお願い致します。
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JAZZシンガーの潮見佳世乃さん、お父さまの故・高岡良樹氏が始められた「歌物語」というジャンルを引き継がれています。様々な文芸作品等をそれぞれ数十分のステージで、歌や語りで紡ぐというものです。今回はCD「遠野物語」発売記念ということですが、なぜか「遠野物語」ではなく「智恵子抄」。

過去3回拝聴しました。
潮見佳世乃さん「歌物語コンサート「智恵子抄」」。
神奈川・静岡レポート その3 「潮見佳世乃起雲閣コンサート 歌物語×JAZZ」。
潮見佳世乃歌物語コンサート「智恵子抄・羽衣伝説」レポート。

毎回少しずつ変化(進化)が見え、またお邪魔いたしますが、楽しみにしております。

続いて都内から。

弓田真理子ソプラノ・リサイタル~歌声をあなたのもとに~

期 日 : 2023年11月29日(水)
会 場 : 渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール 東京都渋谷区桜丘町23-21
時 間 : 14:00開演(13:30開場)
料 金 : 全席自由 4,000円

出 演 : 弓田真理子(sp) 東由輝子(pf)
プログラム :
 Ⅰ.イタリアの風
  オペラ《リナルド》より Lascia ch'io pianga ヘンデル
  Il bacio アルディーティ
  Nella Fantasia モリコーネ
  Time To Say Goodbye サルトーリ
 Ⅱ.日本の四季
  さくら横ちょう 別宮貞雄
  ひぐらし 團伊玖磨
  霧と話した 中田喜直
  冬の朝のめざめ《智恵子抄》より 甲田潤
 Ⅲ.ピアノ・ソロ
  《バラード1番》ト短調 作品23 ショパン
 Ⅳ.木下牧子作品集
  湖上 竹とんぼに おんがく さびしいカシの木 ほんとに きれい
 Ⅴ.オペラ・アリア
  《魔笛》より 愛の喜びは露と消え モーツァルト
  《コジ・ファン・トゥッテ》より 私の愛する人、許しkてください モーツァルト
  《メリー・ウィドウ》より ヴィリアの歌 レハール

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甲田潤氏という方の作曲された「冬の朝のめざめ」がプログラムに入っています。「《智恵子抄》より」とあるので、組曲の中の一曲なのでしょうか。比較的新しい作品と思われますが、存じませんでした。

もう1件、何と、同じ会場です。ただ、ホールが複数あるのでそれは別ですが。

男声合唱のためのウルトラセブン」 楽譜出版記念コンサート

期 日 : 2023年12月4日(月)
会 場 : 渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール 東京都渋谷区桜丘町23-21
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 全席指定 ¥4,000(税込)

「ウルトラ音楽の父」と呼ばれる冬木透氏の作品の中から、今回初めて「ウルトラセブン」が合唱譜「男声合唱のためのウルトラセブン」となって出版されることを記念したコンサートの開催が決定しました。
本邦初演の「男声合唱によるウルトラセブン」を冬木透作品の原点、蒔田尚昊の聖歌、歌曲と共にお楽しみください。

<第一部>
 ガリラヤの風かおる丘で きみの笑顔により添って Ave Maria Ave Maris Stella 
 『智惠子抄』より あどけない話  ほか(蒔田尚昊作品)
<第二部>
 ウルトラセブンの歌 ウルトラ警備隊 ゾフィーのバラード ウルトラ母のバラード
 ワンダバ・メドレー 怪獣のレクイエム ウルトラマン賛歌 希望の塔デュアダバダン
  ほか(冬木透作品)

冬木透氏。クラッシック系の作曲の際には「蒔田尚昊」、映画・テレビ関係での作曲では「冬木透」と、お名前を使い分けていらっしゃいます。

第一部が「蒔田尚昊」クレジットの作品群で「『智惠子抄』より あどけない話」がプログラムに入っています。歌唱はバリトンの加耒徹氏。たまたまでしょうが、加耒氏、他の作曲家の方々(加藤昌則氏松岡みち子氏)が光太郎詩に曲を付けた歌曲もあちこちで歌われています。

第二部は「冬木透」としてのウルトラ系。合唱での演奏のようです。ワクワクしますね(笑)。
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同様に「智恵子抄」と「ウルトラ」とのコラボのコンサート、一昨年にもあったのですが、コロナ禍真っ最中でオンライン配信でした。

それぞれ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

花巻は小さい町で、其処へ東京から疎開者が二千人も来てゐるさうで町は満員、空家もなく、物資も不足のやうです。今は静かな平和なところですが、程なく此処も戦場となるでせう。


昭和20年(1945)7月2日 椛澤ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

疎開者が二千人」というのが本当だったとしたら、すごい数字ですね。終戦まであと1ヶ月半ですが「程なく此処も戦場となる」という予感は残念ながら的中してしまいます。

昨日は北鎌倉に行っておりました。

光太郎の直ぐ下の妹・しづの令孫夫妻がやられているカフェ兼ギャラリー「笛」さんで、「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展示と、関連行事としての朗読会にお邪魔。
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まずは展示を拝見。光太郎、そして光太郎と交流が深く、晩年は笛さんの近くに居住していた尾崎喜八に関わるさまざまです。
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光太郎から尾崎の結婚祝い(新婦は光太郎の親友・水野葉舟息女)に贈られたブロンズの「聖母子像」(ミケランジェロ模刻)も。
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一度火災に遭って、現在は読めなくなってしまった台座裏面の但し書きの画像。
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店名の由来となった世界各国のさまざまな笛。店主の山端氏が集められ、ご自身で演奏もなさいます。
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午後3時、朗読会の開始です。

店主の山端氏は、尾崎のエッセイ「音楽への愛と感謝」から、光太郎との出会いを語る部分を。奥様は光太郎詩「こころに美をもつ」(昭和17年=1942)と「深夜の雪」(大正2年=1913)で。
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ご常連の方、尾崎令孫の石黒敦彦氏、奥様のはとこに当たられる、高村豊周令孫も。
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当方は光太郎が戦後になって「智恵子抄」収録詩を朗読した肉声の入ったCDを持参、皆さんに聴いていただきました。

最後に再び山端氏。光太郎詩「山からの贈物」(昭和24年=1949)。
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その後、歓談タイム。「山からの贈物」ということで、鎌倉の山の方で採れたという巨大なトウガンなどが振る舞われました。
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展示の方は、11月28日(火)までの火・金・土・日曜日に見られます。
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「あじさい寺」として有名な明月院さん(尾崎家の墓所もあるそうで)の裏手です。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】19258d8f-s

炭化沈香木 一寸珍に候へば少々進じまゐらせ候 茶にでもお使ひ下さらば幸甚


昭和20年(1945)4月 山端敏夫宛書簡より

「沈香(じんこう)」は香木の一種です。東南アジア原産で、おそらく日本では産出しないものでしょう。木彫の材としても使われます。

その沈香の炭を進呈するよ、茶を点てる時にでも使って下さい、と。宛先は「笛」店主山端氏の奥様の御尊父(光太郎の妹・しづの四男)です。この書簡、今年は出ていませんでしたが、昨年は展示されていました。

なぜ炭? というと、4月13日の空襲で焼けたということでしょう。光太郎、転んでもただでは起きません(笑)。

ありがたいことに光太郎詩文の朗読に取り組んで下さる方々が少なからずいらっしゃいます。その系の情報を3件ばかり。

まず、6月に応募についてご紹介した「第16回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール」。『智恵子抄』から随筆「智恵子の半生」の一節(詩「あどけない話」を含む部分)と、詩「レモン哀歌」が課題文でした。予選を経て本選が終わり、入賞者が発表されました。

高村光太郎の名作 東北6県の高校生 朗読を競う ~第16回山形大学高校生朗読コンクール審査結果発表~

 山形大学は地域社会との連携をより深める事を目的に、東北6県の高校生の文化交流を支援するため、第16回山形大学高校生朗読コンクールを開催しました。
 令和5年度も録音による審査によって開催しました。東北4県の高校26校177名の高校生により競われた予選審査を通過し、本選に出場した15名の高校生は高村光太郎の名作「智恵子抄」を朗読しました。
 上位3名を山形大学学長賞として選出し、他の本選出場者も入選として表彰しました。
 本選の模様は、山形大学公式YouTubeチャンネルにより一般公開します。
 なお、本コンクールの企画運営は基盤共通教育「イベントマネジメントとプレゼンでみがく社会人基礎力」(担当教員:山本陽史)の受講学生が行い、YouTubeの動画撮影・編集は山形大学放送研究会の学生に御協力いただき開催いたしました。
 詳しくはこちら(リリースペーパー)をご覧ください。
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入選された皆さんの朗読を収録した動画がアップされています。
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さすがに177名もの応募者の中から選ばれた朗読ですので、皆さん、聴いていて心地よい感じです。

参加なさった高校生の皆さん、さらにはコンクールの企画運営に当たられた大学生の皆さんの中から、光太郎智恵子の世界に興味を抱き、さらに発展した活動等に結びつけられる方が出てくると、望外の喜びです。

ところで朗読の動画というと、やはり光太郎詩文を朗読してYouTube等にあげられている方がたくさんいらっしゃいます。それはそれでありがたいのですが、審査や監修を受けず個人的にやられているということもあるのでしょう、中にはむちゃくちゃなものもあって残念です。以前にも書きましたが、朗読以前に漢字の勉強しようよ、みたいな。明らかにおかしな漢字の読み方をしているものが少なからずありますし、ひどいものになるとタイトルバックの詩の題名の漢字が思いっきり間違っていたり……。このあたりは当方も気をつけたいところですが……。

閑話休題。続いて朗読会のお知らせです。

あなたに贈る読みがたりーいい夫婦の日ー

期 日 : 2023年11月16日(木)
会 場 : 水戸市立東部図書館 茨城県水戸市元吉田町1973-27
時 間 : 午前11時~11時30分
料 金 : 無料

高村光太郎作「あどけない話」等、夫婦に関する作品を図書館スタッフが朗読します。
問合せ先 水戸市立東部図書館 029-248-4051

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もう1件。

「ならしの」ミニ朗読会~想いを込めてお届けする~

期 日 : 2023年11月25日(土)
会 場 : 東習志野コミュニティセンター 千葉県習志野市東習志野3-1-20
時 間 : 13:30~15:00 
料 金 : 無料

「はらぺこあおむし」エリック・カール 「日本の女」向田邦子 「智恵子抄」より高村光太郎 「よだかの星」宮沢賢治 「仙人」芥川龍之介 「伊豆の踊り子」川端康成 「連れあい」内海隆一郎

主催 習志野朗読サークル「茜」

光太郎作品のうち、やはりこうした場合に人気なのは「智恵子抄」ですね。

ついでに、というと何ですが、少し前にご紹介しました北鎌倉のカフェ兼ギャラリー「笛」さんで開催中の「回想 高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」の関連行事としての朗読会が11月11日(土)です。カフェ常連の皆さんの皆さんなどによる朗読でしょう。昨年から始まり、2回目となります。今年は当方の勝手な計画で(笑)、光太郎肉声の朗読も聴いていただこうかと思っております。

3件の朗読会、お近くの方等、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

此辺が焼けたら小生も何処かの山へ行つて炭を焼かうと考へてゐます、

昭和20年(1945)3月27日 安齋正治宛書簡より 光太郎63歳

最近のこの項でくり返し書いていますが、3月10日の東京大空襲では機銃弾の被害程度で焼けずに済んだ光太郎アトリエ兼住居、4月13日の空襲で全焼します。5月には宮沢賢治の父・政次郎の招聘で花巻の宮沢家に疎開、戦後も帰京せず、花巻郊外太田村の山小屋に隠棲することになるのですが、そのイメージがこの頃には既にあったことが窺えます。

11月2日(木)、岩手花巻から帰りましたが、席の暖まる暇もなく吹っ飛び歩いております(笑)。このブログで紹介すべき事項が山積しておりまして、2件分、レポートいたします。

11月4日(土)、銀座王子ホールさんで「福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~」を拝聴。
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ソプラノ歌手・福成紀美子氏のリサイタルですが、プログラムはすべて朝岡真木子氏作曲の歌曲。
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ピアノ伴奏(最近は「伴奏」という言い方もあまりしなくなってきているのですが)もすべて朝岡氏。さらに第2部では福成氏が師とあがめるテノールの下野昇氏も加わられました。
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下野氏、何とおん歳87歳だそうでした。とてもそう思えない若々しい、しかし若造には出せない円熟味のあるお声での歌唱でした。

ほぼほぼ現代の詩人の皆さんの詩に曲をつけられたものでしたが、野上彰の詩や与謝野晶子の短歌もテキストに使われ、そして第1部のトリが光太郎の「冬が来た」(初演)。

つぱりと冬がた 八つ手の白い花もえ 公孫樹のも箒(はう)になつた」と、「き」を多用して冬の硬質な空気感を表現しようとした光太郎。朝岡氏の曲も僅か数秒のピアノの鋭い前奏でその感じがよく表されていましたし、その後の展開にも光太郎の世界観が滲み出ていました。ある種、行進曲風な部分などもあり、本郷区駒込林町団子坂上の木枯らし吹きすさぶ冬の街路を大股に闊歩する光太郎の姿が浮かんでくるような……。また、福成氏の歌唱も「きつぱり」感満載でした。

他の曲では、構成の妙を感じました。第1部だと「冬が来た」を含め、「四季折々」的に組んだ箇所、第2部では楽しい「食べ物シリーズ」。一人の詩人によるものでなくても充分にこういうことが可能なんだ、と思いました。

終演後。
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全て終わった後のホワイエ。
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今後も光太郎詩に曲を付け続けていっていただきたいものです。

ちなみに朝岡氏の組曲「智恵子抄」を歌われ、CD(手前味噌で恐縮ですが当方がライナーノートの一部を書かせていただきました)もリリースされた清水邦子氏もいらしていましたし、別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」を、ご自身のリサイタルを含め複数の演奏会で積極的に演目に入れられたり、CDをリリースされたりなさっているテノールの紀野洋孝氏もいらっしゃいました。というか、何と当方のすぐ後のお席に座られていました。清水氏が気がつかれて、「紀野さんがいらしてますよ」。「ありゃま」でした(笑)。

昨11月5日(日)、千葉県木更津市へ。同市中央公民館で開催された「第116回 房総の地域文化講座 没後100年、画家・柳敬助の生涯」を拝聴して参りました。同市に隣接する君津市出身の画家で、家族ぐるみで光太郎夫妻と交流の深かった柳敬助を取り上げる講座でした。
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講師は渡邉茂男氏 (君津市文化財審議会委員)。
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柳の生涯に関しては、アウトライン的なところは頭に入っていましたが、詳しくは存じませんで、「へー、なるほど」の連続でした。光太郎智恵子と知り合う以前の話や、熊谷守一や新井奥邃など、光太郎とも関わりのあった人物とやはり交流があったという件など。

光太郎智恵子にも随所で触れて下さいました。
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日本女子大学校での智恵子の先輩・橋本八重と結婚し、付き合いが悪くなった(?)柳を非難するというか、揶揄するというか、そんな詩「友の妻」も光太郎は発表しました。執筆は明治45年(1912)7月21日、『スバル』への寄稿は大正に改元された後の8月でした。
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光太郎はこの時点では既に柳夫妻から智恵子を紹介されていました。しかし、父・光雲の庇護下を離れて独立独歩でやっていこうと決意したころなので、貧窮するに決まっている生活に智恵子を巻き込む気にはならず、結婚までは考えていなかったと思われます。それが変わるのは、8月末から9月頭、銚子犬吠埼に写生旅行に来ていた光太郎を智恵子が急襲(笑)してからです。その意味では、「友の妻」は、「俺は柳みたいに結婚してデレデレしないぞ」という意思表明だったかもしれません。ちなみに同じく明治45年(1912)に書かれた小品「泥七宝」の中にも「妻もつ友よ/われを骨董のごとく見たまふことなかれ/ひとりみなりとて」という一節があります。これも柳にあてたものでしょう。

その他、柳・光太郎共通の親友、碌山荻原守衛についてもかなり詳しく。
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なかなかに充実した内容でした。

柳自身は、大正12年(1923)に若くして病死。その年に日本橋三越で開催された回顧展の開幕日が関東大震災と重なり、多くの作品が焼失しました。そのためもあり、現在では忘れ去られつつある画家の一人です。

講師の渡邉茂男氏 (君津市文化財審議会委員)、来春『不運の人ー柳敬助の評伝ー』という書籍を刊行なさるそうです。まとまった柳の評伝はこれまで一冊もないとのことで(確かに見かけた記憶がありません)、これはぜひゲットしなければ、と思っております。

さて、関係の皆様の今後の活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

静かな駒込林町も今日は空襲の主戦場となり四辺姿をあらためるほどの状態となりました。それにつけ所持のいろいろのものを諸方の友人知人の許に分散いたしたく近日のうちに智恵子の切抜絵を貴下にお贈りして御所有願ひたく御迷惑ながら御承引願上げます。自宅に置いて煙にしてしまふのも心無きわざと思ひますので此事切にお願いたします。


昭和20年(1945)3月10日 真壁仁宛書簡より 光太郎63歳

3月10日といえば、いわゆる東京大空襲の日です。この日の空襲では駒込林町は大きな被害を逃れましたが、その後も空襲は断続的に続き、光太郎自宅兼アトリエは4月13日の空襲で灰燼に帰します。

そうなる前にと、智恵子の紙絵、光雲遺作、そして自分の作品も一部、郊外に住むほうぼうの友人知己のもとに疎開させることにしました。結果的には正しい判断でした。

招待状を頂いており馳せ参じる予定なのですが、このサイトでご紹介するのを失念していました。というか、紹介したつもりでいたら「しまった、書いてなかった!」状態でした。すみません。

福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~

期 日 : 2023年11月4日(土)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演(13:30開場)
料 金 : 4,500円(全席自由)

予定プログラム : 朝岡真木子作曲作品
 秋です      詩:西岡光秋
 しだれ桜     詩:岡崎カズヱ
 露草 〈初演〉      詩:こわせ・たまみ
 海の待宵草    詩:こわせ・たまみ
 きつねのよめいり 詩:野上彰
 金木犀の秋〈初演〉詩:冨永佳与子
 冬が来た〈初演〉    詩:高村光太郎
 組曲「みだれ髪」〈改訂初演〉短歌:与謝野晶子
 さんまのうた   詩:大竹典子
 だんごむし    詩:矢崎節夫
 うめぼし     詩:浅田真知
 黒豆のなっとう  詩:中野惠子
 おにぎりのうた  詩:柏木隆雄
 わすれない    詩:星乃ミミナ    ほか

出 演 :
 福成紀美子(ソプラノ)、朝岡真木子(作曲・ピアノ)
 特別ゲスト 下野 昇(テノール)
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作曲家・朝岡真木子氏。平成13年(2001)、組曲「智恵子抄」のうち「人に」「あどけない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」の4曲を作曲され、初演。令和元年(2019)に「値ひがたき智恵子」を加えて完成版として初演。共にソプラノの伊藤晶子氏の歌唱でした。

昨年には同組曲を含む楽譜集『朝岡真木子歌曲集2』が刊行され、メゾソプラノの清水邦子氏が全曲演奏、さらに今年に入ってCD化もなされました。その前後、清水氏や他の方の歌唱で、様々な機会に抜粋の演奏がくり返されていますし、今年の第67回連翹忌の集いでも「人に」を清水氏の歌唱、朝岡氏のピアノでご披露いただきました。連翹忌と言えば、渡辺えりさんの無茶振りで(笑)えりさんの朗読のBGMも朝岡氏にお願いしました。

その朝岡氏が新作として「冬が来た」を作曲なさり、今回のコンサートで初演が為されます。ありがたし。歌唱は福成紀美子氏、ピアノはこうした場合にほとんどそうですが、朝岡氏ご自身です。

もう明日になってしまいましたが、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

思ひきつて静養にゆかれた事をよろこびます、十分効果のあるまで落ちついて滞在せられるやうに申進めます、小生は地下霊泉の信仰者で、地底ふかき所から自然が人間に贈るこの無類の霊気は必ず人の身体と精神とを健康に導くものと確信してゐます、


昭和19年(1944)12月4日 宮崎稔宛書簡より 光太郎62歳

健康を害して福島の湯岐温泉に湯治に出かけた宮崎に宛てた書簡から。光太郎の温泉好きは若い頃からでしたが、単に「温泉はいいですよ」ではなく「小生は地下霊泉の信仰者で、地底ふかき所から自然が人間に贈るこの無類の霊気は必ず人の身体と精神とを健康に導くものと確信」。笑えます。

当方も昨日まで花巻南温泉峡・大沢温泉さんに2泊し、光太郎も浸かった露天風呂を朝に晩に堪能して参りました。帰って来てもそれほど疲労を感じていないのは温泉の効用かも知れません。

その花巻レポート、明日は書かせていただきます。

岡山県から演奏会情報です。

岡山市民合唱団鷲羽 第50回記念定期演奏会

期 日 : 2023年10月29日(日)
会 場 : 岡山シンフォニーホール 大ホール 岡山県岡山市北区表町1丁目5-1
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 前売1,500円 当日2,000円

曲 目 : 
 Ⅰ.混声合唱とピアノのための「信じる」 谷川俊太郎作詞 松下耕作曲
   指揮・大森紀美子 ピアノ・平わか
 Ⅱ.「智恵子抄 三章」岡山市民合唱団鷲羽 第50回定期演奏会記念作品 
   高村光太郎作詞 上月明作曲 指揮・上月明 ピアノ・松原久美子

 Ⅲ.第50回記念定期演奏会特別ステージ 
   皆様と共に振り返る「鷲羽」の半世紀~あの名曲を再び
   Memory 浜辺の歌 案山子 ほか

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存じ上げない方ですが、上月明氏という方の作曲で「智恵子抄 三章」。「第50回定期演奏会記念作品」とあるので、委嘱初演なのでしょうか。また、同じ岡山の作曲家・青木省三氏にやはり「智恵子抄 三章」という合唱曲と、それを編曲した独唱曲(平成29年=2017に千葉県の柏で拝聴しました)があるのですが、何か関連はあるのでしょうか。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

尚つひでに「某月某日」を同封いたしました、おんつれづれの時にでも御披見下さい。

昭和18年(1943)7月27日 高祖保宛書簡より 光太郎61歳

『某月某日』は、この年4月に『智恵子抄』版元の龍星閣から刊行された光太郎の随筆集。草野心平主宰の詩誌『歴程』に載った同題の半連載などを集めたものです。
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市民講座のご案内です。

高村光太郎『智恵子抄』を語り合おう 

期 日 : 2023年10月29日(日)、11月26日(日)
会 場 : 市民大学たかおか学遊塾 富山県高岡市末広町1番7号 高岡市生涯学習センター
時 間 : 14:00~16:00 
料 金 : 運営費1,000円 資料代300円(2回分) 合計1,300円
講 師 : 茶山千恵子

高村光太郎の人生に妻の智恵子はどのような影響を与えたのか、『智恵子抄』を読んで語り合いましょう。 10月29日(日) 「智恵子の半生」を朗読し深く読み取る 11月26日(日) 『智恵子抄』誕生秘話

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講師の茶山さん、これまでもたかおか学遊塾さんで同様の講座講師を務められた他、同塾主催のイベント「たかおか学遊フェスタ」で光太郎詩朗読をなさったり、劇団「よろこび」として演劇でも「智恵子抄」を取り上げて下さったりしました。

さらに今年の第67回連翹忌にご参加下さり、その後、ご自宅を開放されて予約制で振る舞う「光太郎ランチ」などの活動にも取り組まれています。ありがたし。

お近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

一寸甲州の方に旅行してゐたところ帰宅、御恵贈のめづらしき蛍烏賊といふもの拝受、まことにありがたく存じました、 暑さにやられて小生殆ど半病人のやうな有様で日を送つて居ります、


昭和17年(1942)8月24日 前田健次郎宛書簡より 光太郎60歳

この年10月、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のため、山梨県南巨摩郡穂積村(現・富士川町)上高下(かみたかおり)地区を訪れました。

黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「日本の母」を顕彰する運動の一環です。軍人援護会の協力の下、各道府県・植民地の樺太から一人ずつ(東京府のみ2人)「日本の母」が選考され、光太郎をはじめ、当代一流の文学者がそれぞれを訪問、そのレポートが『読売報知新聞』に連載されました。さらに翌年には『日本の母』として一冊にまとめられ、刊行されています。
 
井上くまは、女手一つで2人の息子を育て、うち1人は光太郎が訪ねた時点で既に戦病死、しかしそれを誇りとする、この当時の典型的な「日本の母」でした。光太郎はまた、『読売報知新聞』のレポート以外にも、くまをモデルに詩「山道のをばさん」という詩も書いています。
 
昭和62年(1987)には、光太郎が上高下を訪れたことを記念して、光太郎が好んで揮毫した「うつくしきものみつ」という短句を刻んだ碑が建てられています。冬至の前後にはここから「ダイヤモンド富士」が見えるということで、名所となっています。

で、井上家訪問が10月14日。ところが最近発見したこの書簡では8月にも甲州を訪れたと記述があり、その事実はこれまで知られていませんでした。「暑さにやられて小生殆ど半病人のやうな有様」とあるので8月で間違いありません。どうも井上家訪問の下準備的な感じで甲州に行き、現地の軍人援護会などの関係者と打ち合わせをして来たのではないかと思われます。

昨日は都内に出ておりました。

メインの目的は中野区で開催された朗読公演「くつろぎの朗読会」拝聴でしたが、その前に駒場東大前の日本近代文学館さんで調べもの。
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コロナ禍以後、初めてで、数年ぶりでした。

SNSで花巻の方から「ご存じかも知れませんが、ある雑誌の×巻×号に光太郎のアンケート回答が載っている」という情報がもたらされ、当方が作成した光太郎文筆作品リストと照らし合わせてみると記載がなく、またその雑誌はよく行く国会図書館さんに収蔵がないので行った次第です。

ところが、実際に閲覧してみると、「あれ? これ、知ってるぞ」。帰ってから調べてみると、なんとまあ、リストにそのアンケート回答を載せるのを忘れていました。チョンボでした。しかしチョンボに気がつけたのを良しとしましょう。

まぁ、それでも他の雑誌に載った戦後の光太郎訪問記で、「これは」というものが見つかったりもし、無駄足には成らずに済みました。

さらに帰りがけ、受付兼ミュージアムショップで、ポストカードを1枚ゲット。
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光太郎と親しかった木下杢太郎の詩集『食後の唄』(大正8年=1919)をモチーフにしたもの。一番左の画像は杢太郎自身の描いた同書の挿画ですが、杢太郎や光太郎が中心メンバーだった芸術至上主義運動「パンの会」の様子を描いたものです。で、右下の緑色の帽子を被ってこちらを振り向いているチョビひげの人物が、光太郎と言われています。同館のポストカード、光太郎の『有機無機帖』由来のものは存じておりましたが、こちらは「ありゃ、こんなのあったんだ」でした。

その後、中野へ。東中野駅でJRを降りて、昼食を摂りつつぶらぶら歩き、「くつろぎの朗読会」会場のオルタナティブスペースRAFTさんへ。
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江戸川乱歩の短編「火縄銃」との2本立てでしたが、「智恵子抄」の方が長い時間を取って下さいました。
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読み手は声優・ナレーターの出口佳代さんという方。よどみなくしっとりとした大人のお声で、実に聴きやすい朗読でした。

「高村光太郎の智恵子抄を、時系列に沿って、解説をナレーションしながら読んでいきます」という予告が出ていましたが、その通りで、適度に時代背景や事実関係などの解説を交えつつ展開。

朗読された詩は「人に(いやなんです)」、「僕等」、「我が家」、「道程」、「樹下の二人」、「あなたはだんだんきれいになる」、「あどけない話」、「千鳥と遊ぶ智恵子」、「風にのる智恵子」、「レモン哀歌」、そして戦後の「元素智恵子」。それ以外に智恵子書簡も。

クラシック系のCDをBGMに使われていました。バッハのカンタータBWV147「主よ、人の望みの喜びよ」や「G線上のアリア」、サティの「ジムノペディ」、ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」など。選曲も的確でしたし、さらに感心したのは、長めの詩の朗読の際、BGMが終わると同時に朗読も終わるという実にナイスなタイミングの取り方。舌を巻きました。

「智恵子抄」。こういう展開になる、とわかっていても、やはり聴いていてじーんと来てしまいました。

終演後、少しお話をさせていただき、その後、中野の街へ。

中野と言えば、光太郎終焉の地です。会場のオルタナティブスペースRAFTさんから少し南下すると、桃園川緑道。川は暗渠となっており、地上部分は石畳の歩道が延々東西に続いています。西に1㌔ちょっと歩くと、緑道沿いにそこだけ時が止まったかのような建物。
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戦後、水彩画家の中西利夫が自身のために建てたアトリエですが、利夫はこのアトリエをほとんど使うことなく昭和23年(1948)に急逝。その後、貸しアトリエとなり、イサム・ノグチがここを使った後、昭和27年(1952)10月に花巻郊外旧太田村から再上京した光太郎が入りました。ここで生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を制作した光太郎、翌年には一時的に太田村に帰ったものの、もはや健康状態が山での生活に耐えられず、またここに戻り、昭和31年(1956)4月2日早暁、ここでその生涯を閉じました。翌年の第一回連翹忌もここで行われています。

当時中学生で、光太郎にかわいがられた中西家子息・利一郎氏がご存命の頃、3回、中に入れていただきました。その最後の機会は、平成28年(2016)、当方も出演させていただいたATV青森テレビさん制作の「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」という番組のロケの際でしたので、いや、もう7年も経つか、という感じでした。

このアトリエの保存・活用運動が起こっているのですが、その後、どうなっているのか……。
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というわけで、まとまりませんが、都内レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

きたない本ですが「大いなる日に」といふ詩集を出しましたので別便でお贈りいたしました。


昭和17年(1942)4月30日 篠田定吉宛書簡より 光太郎60歳

前年の『智恵子抄』に続く、光太郎第三詩集です(昭和15年=1940の『道程 改訂版』は除く)。それまでとは一変し、翼賛詩一辺倒。さらに翌年には年少者向けの『をぢさんの詩』、そしてその翌年には『記録』と、光太郎黒歴史詩集の出版が相次ぎます。
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画像はこの夏、信州安曇野の碌山美術館さんで開催された「特別企画 生誕140周年高村光太郎展」の際にお貸ししたもろもろのうち黒歴史三点セット。これこそ光太郎詩の真髄、と涙を流して有り難がる愚かとしか言いようのない自称・研究者が居るのには呆れます。

加藤昌則氏作曲の歌曲「レモン哀歌」をレパートリーの一つにして下さっている、カウンターテナーの藤木大地氏。

「レモン哀歌」がプログラムに入ったコンサート/リサイタルがたてつづけに開催されます。

まず、カウンターテナーお三方と、ピアノで加藤氏によるコンサート。

Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴

期 日 : 2023年10月19日(木)
会 場 : Hakuju Hall 東京都渋谷区富ヶ谷1-37-5
時 間 : 19:00 (開演)18:30 (開場)
料 金 : 5,000円(全席指定)

出 演 : 米良美一 藤木大地 村松稔之(以上、カウンターテナー) 加藤昌則(ピアノ)
曲 目 : 
 [村松ソロ]
  J.A.ハッセ:オラトリオ「聖ペトロとマグダラのマリア」より “我が苦しみよ、急げ”
  G.F.ヘンデル:歌劇「リナルド」より “私を泣かせてください”
  G.ロッシーニ:歌劇「タンクレーディ」より “この胸の高鳴りに”
 [藤木ソロ]
  武満徹(詞:谷川俊太郎):死んだ男の残したものは
  寺島尚彦(詞:寺島尚彦):さとうきび畑
  村松崇継(詞:Miyabi):いのちの歌
 [米良ソロ]
  久石譲(詞:宮崎駿):もののけ姫 
  美輪明宏(詞:美輪明宏):ヨイトマケの唄
 [加藤昌則 作品]
  加藤昌則(詞:千家元麿):落葉 [村松]
  加藤昌則(詞:高村光太郎):レモン哀歌 [藤木]
  加藤昌則(詞:山之口貘):ミミコ三部作 [米良]
 [三重唱]
  加藤昌則編:日本の歌メドレー
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実は先々週くらいに取り上げようとしたら、すでにチケット完売(ただ、キャンセル等があるかも知れません)とのことでした。そこで下記の藤木氏単独リサイタルと併せて、今日、ご紹介します。

で、藤木氏の単独リサイタルが2件。名古屋と東京で2日連チャンです。

藤木大地カウンターテナー・リサイタル

期 日 : 2023年10月31日(火)
会 場 : メニコンHITOMIホール 愛知県名古屋市中区葵3丁目21番19号
時 間 : 18:45 (開演)18:15(開場)
料 金 : 一般:¥4,000(前売り)¥4,500(当日)
      高校生以下:¥2,500(前売り・当日ともに)

出 演 : 藤木大地 マーティン・カッツ(ピアノ)
曲 目 : シューベルト:水の上で歌う
      ブラームス:永遠の愛
      フォーレ:月の光
      マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」
      ブリテン:流れは広く
      加藤昌則:レモン哀歌  ほか
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藤木大地カウンターテナー・リサイタル

期 日 : 2023年11月1日(水)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 19:00(開演)18:30(開場)
料 金 : 全席指定:一般 6,500円、U30 2,000円(税込)

出 演 : 藤木大地 マーティン・カッツ(ピアノ)
曲 目 : F.シューベルト:水の上で歌う
      J.ブラームス:永遠の愛
      G.フォーレ:月の光
      R.アーン:わたしの詩に翼があったなら
      G.マーラー:連作歌曲集「さすらう若人の歌」
      V.ウィリアムズ:リンデン・リー
      B.ブリテン:流れは広く
      加藤昌則:レモン哀歌
      R.シューマン:連作歌曲「女の愛と生涯」
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それぞれ、ご都合の付く方、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

この二十二日から少国民文化協会の連中と上州の方へ二三日間まゐります。


昭和17年(1942)3月19日 三ツ村繁蔵宛書簡より 光太郎60歳

上州行きは前年の真珠湾攻撃で戦死した「軍神」岩佐直治中佐顕彰のためでした。3月22日には前橋市群馬会館で開催された「少国民文化宣揚講演会」で岩佐らを謳った詩「特別攻撃隊の方々に」を朗読、翌23日には岩佐の遺族を訪問しています。

その際のレポートを「天川原の朝」として4月6日の『読売新聞』に寄稿。さらに岩佐家訪問の際に贈られたと推定される色紙写真版が翌年に岩佐遺族が私刊した『特別攻撃隊軍神岩佐海軍中佐』に掲載されました。
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現在、京橋のアーティゾン美術館 さんで開催中の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」。につき、『朝日新聞』さんが光太郎の名を出しつつ報じて下さいました。

創造の現場―映画と写真による芸術家の記録 作家から迫る、日本近代美術

 運慶に雪舟、若冲と、いま日本の古美術の人気は高い。草間彌生や奈良美智らの現代美術もしかり。しかし、その間にある日本の近代美術は、どうもいま一つ。では、かつてはそこにどんな視線が注がれていたのか。今展からは、その一端が伝わる。でも主役は、絵画や彫刻ではない。作者たる芸術家たちの姿を捉えた映画や写真なのだ。
 灰が落ちそうなたばこをくわえたまま、左手に持った絵筆をぐいぐい運んでいる。
 1953年から64年にブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)が製作した「美術映画シリーズ」のうち「梅原龍三郎」(53年)に登場する、洋画壇の巨匠の姿だ。
 第1章では、梅原や高村光太郎ら6人の制作や日常の風景を捉えた約9~17分の映画6本と、5~7人の姿を約7~11分に収めた「美術家訪問」全10本を流している。前田正邨の1本を除きすべてモノクロだ。
 梅原の場合は天才性も漂うが、全体としては淡々とした演出で、ナレーションも「高村さん」とニュートラル。それでも熊谷守一は仙人然としているし、日本画家が意外にモダンな画室にいることも。
 「美術家訪問」第1集(54年、公益財団法人石橋財団蔵)の川島理一郎の制作風景では、モデルと描く画家の手による画面構成ながら、奥の鏡に川島の姿が見える、といったベラスケス風のアングルも登場する。
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 全体として感じる温かな視線は、確かな画壇の権威があればこそだろう。登場する作家の作品も並び、部屋の奥には光に満ちた戸外が見える石川寅治「農事忙」(47年、同財団蔵、)など、目にする機会の少ない作品との出あいもある。
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 第2章では、写真家・安齊重男による、田中敦子や草間ら現代作家の肖像写真群を紹介。彼らの作風や写真の画面は、ずっと洗練されている。
 作者と作品は分けるべき、という考えがある。一方で、ピカソや岡本太郎、草間らは作者像が作品と一体化する。近代美術にも当てはまるとすれば、新しいのにどこか古くさいイメージもある近代美術に、作家像から近づく手もあるだろう。今展は、その機会といえる。
▽11月19日まで、東京・京橋のアーティゾン美術館。月曜(休日の際は翌日)休館。


1ヶ月程前に拝観して参りましたが、各作家の息づかい、絵の具の香りまで感じられるような、濃密な空間でした。

11月19日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

隣組お仲間の記念として 謹呈


昭和16年(1941)8月(推定) 増倉清次郎宛名刺より 光太郎59歳

8月20日に刊行された『智恵子抄』を贈り、それに挟んであった名刺に書かれたひと言です。

戦時総動員体制の強化を目的に「隣組」制度が制定されたのは前年。同年、戦時歌謡「隣組」が、東京美術学校で光太郎の同級生だった岡本一平作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱でレコード化されました。飯田と徳山のコンビは、この後、光太郎作詞の「歩くうた」も手がけ、ヒットさせました。

一方の手で『智恵子抄』、もう一方の手で翼賛詩歌、光太郎の大いなる矛盾でしたが、『智恵子抄』刊行後は翼賛一辺倒になっていきます。

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