カテゴリ: 音楽/演劇等

最近手に入れた古いものシリーズ、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(中村登監督 岩下志麻さん主演)関連です。

まず、カセットテープ。
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「女優 岩下志麻 美しさと妖しさと 2」という題名。「美しい映画音楽と共に語る名作の精粋」だそうで、岩下さんがご出演なさったドラマ・映画の原作等を、そのドラマ・映画の音楽に乗せて岩下さんが朗読するというコンセプトでした。

ジャケットの隅に「品質保証 1969」とあり、昭和44年(1969)のリリースかと思いましたが、取り上げられている「草燃える」は昭和54年(1979)のNHK大河ドラマでしたので、それ以後の制作です。ちなみに「草燃える」での岩下さんは北条政子役でした。

他の作品はすべて映画で、「雪国」(昭和40年=1965)、「古都」(昭和38年=1963)、そして「智恵子抄」(昭和42年=1967)。すべて中村登監督作品です。

「智恵子抄」では、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)、「値ひがたき智恵子」(同)、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)。合間に映画「智恵子抄」の脚本をアレンジしたミニドラマ的なものも挿入されています。史実とは異なりますが、昭和13年(1938)、歿する直前の智恵子が病院を抜け出し、光太郎と共に暮らした駒込林町のアトリエ兼住居へ勝手に帰ってきて……
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この映画、一度拝見しましたが、このシーンの岩下さんの鬼気迫る演技は圧巻でした。光太郎役は丹波哲郎さんでしたが、テープでは岩下さんの一人芝居で構成されています。

これ以外にも、まったく同じ音源を使ったカセットテープがリリースされていました。題して「カセット文芸シリーズ 智恵子抄 婉という女」。こちらはかなり前に入手していました。
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こちらも正確な発行年は分かりませんが、JANバーコードが印刷されていることから、こちらの方が新しいのかな、という気がします。ちなみにカップリングの「婉という女」は昭和46年(1971)公開の今井正監督作品です。

もう1点、映画「智恵子抄」のスチール写真。これ以外に、岩下さんのサイン入りを含め、20数種類、この映画のスチール写真をコツコツ集めましたが、新たに一枚加わりました。
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史実ですと、昭和8年(1933)、光太郎智恵子が東北から北関東の温泉巡りをした途中の会津磐梯山でのエピソード。シナリオは以下。クリックで拡大します。
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詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で謳われた、「わたしもうぢき駄目になる」と呟く場面です。

こういうものにどの程度の価値があるのだ? と問われると、何とも答えに窮するところですが、さりとて散逸するに任せるのも忍びなく……。

最近手に入れた古いものシリーズ、とりあえず明日まで続けます。

【折々のことば・光太郎】

夜久しぶりにみみずくの声をきく。しやがれ声なり。春以来きかざりき。


昭和21年(1946)9月20日の日記より 光太郎64歳

ミミズクの声も、田舎あるあるです(笑)。

『朝日新聞』さん。2面に連載されている「ひと」というコラムがあるのですが、昨日の同欄でフルート奏者の吉川久子さんが取り上げられました

(ひと)吉川久子さん 47都道府県の子守歌を動画配信したフルート奏者

004 子守歌には、その土地の気候や音、方言、風俗といった独特の文化が息づいている。その魅力をフルートの音色に乗せて、お母さんやおなかにいる赤ちゃんに届けたい。こんな思いから、2017年に全国ツアーを始めた。
   三重、千葉、秋田、山梨など10県を回ったところで、コロナ禍により中断を余儀なくされた。そこで、47都道府県に伝わる子守歌を演奏した動画の配信を始めた。曲の歴史を調べると、各地の多様な文化に驚かされた。
 「寝ない子には人さらいがくるよ」。そんな内容の子守歌を祖母や母親が歌ってくれたというおぼろげな記憶が、ライフワークとなるきっかけになった。
 東京都世田谷区生まれ。小学生のころは鳥のさえずりや人の笑い声、救急車のサイレンまでリコーダーでまねた。卒業祝いに買ってもらったのがフルートだった。
 音楽大学で学び、プロへの夢を抱きつつレコード会社で働いていたころから、マタニティーコンサートを続けてきた。それから35年、演奏会は1500回を超えた。娘連れの母親から「この子がおなかにいる時も聴きに来ました」と声をかけられる。
 癒やされるのは親子ばかりではない。「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた。子守歌を聴いて童心に戻ってくれたらと願っている。

吉川さん、かつて「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいました。平成25年(2013)には「こころに残る美しい日本のうた 智恵子抄の世界に遊ぶ」。平成27年(2015)には「作曲:野村朗・フルート:吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~」。さらに同年、「智恵子抄」限定でなく、宮沢賢治系や東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」などを含め、東北全般への思いを込めた「こころに残る美しい日本のうた 東北、その豊穣の大地に遊ぶ」。また、平成26年(2014)の第58回連翹忌で演奏をお願いしました。

昨年からはコロナ禍でコンサート開催が減ったことで、動画配信に力を入れられ、記事にもあるとおり47都道府県の「子守歌」にチャレンジなさっています。当方、Facebookで繋がっており、新しい配信があるたび通知が入り、ヘッドホンでBGMとして聴きながらこのブログを書いたりしております。

最新の配信がこちら。「おしんの子守歌」だそうで。
「中国地方の子守歌」を演奏したとき、初老の男性がむせび泣いた」。やはり音楽には人の心を揺さぶり、癒やす力が厳然としてあるのだと思います。こんな時だからこそ、それがさらに増幅するのかもしれません。

吉川さん、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

朝は日がさしたれど、朝食中に雪となる。やや大きめの雪さかんに降り、木々につもる。

昭和21年(1946)4月15日の日記より 光太郎64歳

4月中旬なのに、ですね。

演劇公演の情報です 

チエコ

期 日 : 2021年1月28日(木)~2月1日(月) 1月31日(日)は生配信
会 場 : 両国・エアースタジオ   墨田区両国2丁目18-7ハイツ両国駅前地下1階
時 間 : 1/28 18:00~ 1/29 15:00~ 18:00~ 1/30~2/1 13:00~ 15:00~ 18:00~
料 金 : 公演チケット¥3,000 配信チケット¥2,500 
出 演 : 坂口実成夢 雛衣 山端零 宇木達哉 霧嶋あさと 砂浜みまれ 林田葵 阿部優華
      神野祥 二木将 早川真矢 楓明堂ふみたろう 三上夏生 渡辺広大
脚 本 : 野口麻衣子
演 出 : 野地伸吾
主 催 : 劇団空感エンジン
協 力 : RMP アミティープロモーション WESSAP オムニア
      サンミュージックアカデミー 
ゆーりんプロ

詩人・高村光太郎とその妻智恵子の愛の物語。智恵子の死後、智恵子抄を作ろうと、友人の草野心平と中原綾子を呼び、智恵子の思い出を振り返る。
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同じ脚本の公演が平成25年(2013)平成30年(2018)にも同じ会場であり、それぞれ拝見して参りました。奇を衒わない正統派の脚本で、非常にわかりやすい舞台でした。

登場人物は7人。光太郎、智恵子、光太郎実弟の豊周、智恵子を看取った姪の春子、当会の祖・草野心平、光太郎に心酔していた歌人の中原綾子、智恵子の親友・田村俊子。それぞれがそれぞれの立場で喜怒哀楽し、結局、ハッピーエンドにはならないのですが、さりとてお涙頂戴の安っぽいメロドラマでもなく、ある意味爽やかな印象でした。

主催者側で対策は講じているようですが、移動中も含め、コロナ禍には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。また、1月31日(日)には生配信もあるそうで、そちらもどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

鼻緒をつくつてゐる。布をさきて三ツあみにして芯をつくり、新聞紙で巻き、之に色の布をかぶせて縫ひ、下駄にすげる。

昭和21年(1946)3月21日の日記より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋生活では、こんなものも自作していたのですね。

テレビ放映情報です

プレイバック日本歌手協会歌謡祭

BSテレ東 2020年1月14日(木) 17時58分~18時50分

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!今回は感謝を込めて、貴重な想い出シーンをお届けします!

「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「いつもの小道で」梓みちよ・田辺靖雄 「モンパリ」真帆志ぶき 「ガード下の靴みがき」宮城まり子 「幸せは樹のように」宮城まり子 「悪魔がにくい」セルスターズ 「秋葉の火祭り」野澤一馬 「山の人気者」ウイリー沖山 「子供ぢゃないの」弘田三枝子 「人形の家」弘田三枝子 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「僕は泣いちっち」守屋浩 「しらけ鳥音頭」小松政夫 「親父の名字で生きてます」小松政夫

おそらく、1月1日(金)に放映された「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」のダイジェスト版ではないかと思われます。

梓みちよさん、宮城まり子さん、弘田三枝子さん、守屋浩さん、小松政夫さん、皆さん、昨年亡くなった方々ですね。そして二代目コロムビアローズさんも。

元日の12時間歌謡祭では、ご生前の映像。ナレーションは追悼的なもので、新しいテイクでした。
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さらに初代ローズさんとの競演の映像、そして初代ローズさんが二代目ローズさんを悼むインタビュー。
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005二代目ローズさん、享年78歳。いつまで生きれば「早い」と言われないのか、正解はないのでしょうが、初代ローズさんは昭和8年(1933)1月4日のお生まれで、88歳。10歳年下の二代目に先立たれ、お力落としのご様子が伝わってくるインタビューでした。

「智恵子抄」、二代目ローズさんの追悼的な意味合いもあったのでしょうか、1月6日(水)にはラジオ福島さんの「スマイル」という番組で、翌7日(木)にはNHKラジオ第一さんの「武内陶子のごごカフェ3時台 カフェトーク/ごごカフェご当地紅白歌合戦」で、それぞれ流れました。東日本大震災からもうすぐ10年ということもあり、「復興の願いをこめて」という意味合いもあったようです。
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「智恵子抄」、末永く愛され続けてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

土間の北側に雪吹き入る。壁などに点々と雪がつく。椽の下より雪吹き上げる。


昭和21年(1946)2月4日の日記より 光太郎64歳

「椽」は「たるき」、一般には「垂木」と書きます。光太郎の小屋には天井板は張られておらず、杉皮の屋根が内側からもむき出しでした。「壁などに点々と雪」、外壁ではなく、屋内です……。
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テレビ放映の情報です。

まずは過日、訃報が伝えられた二代目コロムビア・ローズさんのご生前の映像が使われる番組を

日本歌手協会新春12時間歌謡祭 第二部

BSテレ東 2021年1月1日(金)  15時00分~18時00分

今年も12時間一挙放送! 170曲以上の名曲の数々、豪華歌手の夢の競演!


曲目1「さらば赤城よ」東海林太郎 「夢淡き東京」藤山一郎 「夜霧のブルース」ディック・ミネ 「ダンスパーティーの夜」林伊佐緒 「玄海ブルース」田端義夫 「ドミノ」ペギー葉山 「柿の木坂の家」青木光一 「小島通いの郵便船」一条貫太 「月がとっても青いから」菅原都々子 「連絡船の唄」市川由紀乃
曲目2「仕方ないのさ」青山新 「長良川悲恋」大城バネサ 「愛し君へ」中川昌也 「鳳仙花」小沢あきこ 「人形の家」弘田三枝子 「VACATION」伊東ゆかり 「こんにちは赤ちゃん」梓みちよ 「ヘイ・ポーラ」田辺靖雄・九重佑三子 「ガード下の靴みがき」大石まどか
曲目3「アルペン・ミルクマン(山の人気者)」関大八 「悪魔がにくい」セルスターズ 「ハチのムサシは死んだのさ」セルスターズ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「東京のバスガール」初代&二代目コロムビア・ローズ 「東村山音頭」下谷二三子 「巴里の空の下 セーヌは流れる」かいやま由起
曲目4「枯葉」美川憲一 「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾 「知床旅情」加藤登紀子 「帰ってこいよ」松村和子 「帰れないんだよ」津軽ひろ子 「南部蝉しぐれ」福田こうへい 「大漁唄い込み」原田直之 「花笠音頭」大塚文雄 「相馬盆踊唄」原田直之・大塚文雄・福田こうへい
曲目5「チャンチキおけさ」三城ゆり子 「名月赤城山」小野由紀子 「のぞみ(希望)」琴けい子 「筑波の寛太郎」福田こうへい 「埼玉県のうた」はなわ 「空港」星星 「東京音頭」三沢あけみ 「さくら貝の歌」倍賞千恵子 「武田節」彩青 「旅姿三人男」白根一男
曲目6「椰子の実」ボニージャックス 「長良川艶歌」五木ひろし 「千曲川」五木ひろし
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続いて、光太郎智恵子には直接関わりませんが……

【連続テレビ小説】エール 総集編003

前編 NHKBSプレミアム 2020年12月29日(火) 7時30分~8時53分
   地上波NHK総合 2020年12月31日(木) 14時00分~15時23分

「エール」の感動をもう一度! 裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)、二人が音楽と出会い、運命に導かれるように結婚し、ともに歩み始めるまでを一挙に見せます!

福島で呉服屋の長男として生まれた裕一(石田星空)は、父三郎(唐沢寿明)のレコードを聴いて西洋音楽を好きになる。豊橋では双浦環(柴咲コウ)の歌を聴いた音(清水香帆)が歌手を夢見る。裕一は作曲の才能を藤堂先生(森山直太朗)に見いだされる。裕一(窪田正孝)は銀行に就職するが、国際コンクールで裕一の曲が受賞したことがきっかけで音(二階堂ふみ)と文通が始まる。そして出会った二人は…


出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 柴咲コウ 古田新太 菊池桃子 光石研 三田和代 志村けんほか

後編 NHKBSプレミアム 2020年12月30日(水)  7時30分~8時58分
   地上波NHK総合   2020年12月31日(木) 15時28分~16時56分

戦争で大切な人たちを失った裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)は、仲間たちとともに平和を願い、新しい時代にエールを送る曲を生み出してく。

日本が戦争に突入し、裕一(窪田正孝)は戦時歌謡でヒットを曲を作り、次第に戦争に巻き込まれていく。そして慰問に訪れたビルマで恩師藤堂先生(森山直太朗)に再会する。しかし、裕一の目の前で藤堂は戦死。戦争の真実の姿を目撃した裕一は作曲できなくなってしまう。戦後、音(二階堂ふみ)は再び歌手への夢を追い始める。劇作家の池田(北村有起哉)がどうしても裕一にラジオドラマの曲を作曲してほしいと依頼する。

出演 窪田正孝 二階堂ふみ 中村蒼 山崎育三郎 森山直太朗 松井玲奈 佐久本宝 森七菜 仲里依紗 野間口徹 野田洋次郎 三浦貴大 中村ゆり 志田未来 北村有起哉 古田新太 菊池桃子 吉岡秀隆ほか

福島出身の作曲家・古関裕而を主人公・古山裕一(窪田正孝さん)のモデルとした「エール」総集編。後編の方で、戦時体制に飲み込まれ、国民を鼓舞する数々の戦時歌謡を発表、戦後になって激しい自己嫌悪と贖罪の念に囚われる古山、それから歌い手であった山崎育三郎さん演じる佐藤久志(二本松の南・本宮町出身の伊藤久男がモデル)らの姿が描かれます。やはり戦後、花巻郊外旧太田村の粗末な山小屋に7年間の蟄居生活を送った光太郎の姿にダブります。

ちなみに山崎さん、平成29年(2017)にWOWOWプライムさんで放映されたドラマ「宮沢賢治の食卓」では、光太郎とも交流があった藤原嘉藤治の役でした。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜はじめて小屋でねる。寒くなし。


昭和20年(1945)11月17日の日記より 光太郎63歳

この日から、約7年間に亘る山小屋生活が始まりました。「寒くなし」。いや、粗壁に障子、天井板も張っていない杉皮葺きのあの小屋では、11月中旬には既に寒かったと思います。ただ、冬をこよなく愛した光太郎には苦にならなかったのでしょう。
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最近いただいた書籍、2点ご紹介します。

まず、文芸同人誌『青い花』第95号。詩人で朗読等の活動もなさっている宮尾壽里子様から。
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これまでも光太郎智恵子に関するエッセイや論考等を同誌にたびたび寄稿なさっていて、今号もエッセイ「巴里 パリ PARIS(三)」が掲載されています。
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昨年の6月、フランスに行かれたそうで、そのレポートです。明治41年(1908)から翌年にかけ、光太郎が暮らしたカンパーニュ・プルミエルのアトリエや、詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)に謳ったノートルダム大聖堂などが取り上げられています。

奥付がこちら。
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もう1冊、作曲家の仙道作三氏から『音響詩人 宮沢賢治』。氏は平成元年(1989)、オペラ「智恵子抄」なども作曲なさっています。
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音楽家の眼から見た賢治、というコンセプトで、特にコロナ禍の今こそ賢治作品だ、的な。光太郎智恵子にもちらっと触れて下さっています。
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装画はお嬢さんでパーカッショニストの仙道さおりさん。コロナ禍の今、ということでアマビエ様です。
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奥付はこちら。
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それぞれご入用の方、奥付画像をご参照の上、ご対応下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前、西鉛奥の部落からマタギが来る、熊の膽をかつた事のある人。熊の話などきく。

昭和20年(1945)8月3日の日記より 光太郎63歳

「西鉛」は、6月に滞在した西鉛温泉。その際に知り合ったマタギが、光太郎疎開先の宮沢家に訪ねてきたということでしょう。マタギや熊、そして鉛温泉は賢治の童話「なめとこ山の熊」にも登場します。

一週間後の8月10日には、花巻空襲。7月からたびたび空襲警報のサイレンが鳴ったことが日記に記されていますが、まだ呑気に構えていました。バッハの「ブランデンブルグ」レコード(賢治の遺品でしょうか)を聴いたり、賢治実弟の清六らと映画鑑賞に出かけたり……。

⼭形⼤学さん主催の⾼校⽣朗読コンクール。東北6県(青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島)在住の高校生、または各県内の高校に在学中の高校生(高等専門学校生は1~3年生)を対象にしています。毎年、東北ゆかりの作家の作品を課題にし、宮沢賢治、井上ひさしなどに混じって、光太郎も取り上げられました。平成27年(2015)年開催の第8回で、課題は「智恵子抄」でした。予選、本選があり、本選はホールを使って大々的に行われていました。

今夏、「大学ジャーナル」さんというサイトに、今年度の第13回の応募案内が出ました。それによると久々に光太郎の「智恵子抄」が課題ということで、「おお、これはありがたい」と思ったものでした。

ところが、その後、いつまでたっても主催する山形大学さんのサイトには詳細な情報が出ませんで、「あ、こりゃ、コロナ禍で中止になったんだろうな」と思っておりました。

すると、今月に入って同大の学長定例記者会見が行われ、その中に「第13回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール審査結果発表」も含まれていました。「えっ、やったの?」という感じでした。
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「どういうことだ」と思っていたら、昨日、『毎日新聞』さんの山形版に関連記事が出ました。

山大高校生朗読コン 山形東・吉田さん2位「気持ち伝わるように」/山形

000 山形大は、東北6県の高校生の文化交流を目的に同大が開催している「山形大学高校生朗読コンクール」で、県立山形東高2年の吉田遥さんが、予選を通過した14人のうち、上位3人に与えられる学長賞で2位に輝いたと発表した。
 コンクールは2008年度に始まり、今年で13回目。東北にゆかりのある作家が課題文となる。今年は、高村光太郎とその妻智恵子(福島県出身)の出会いから恋愛時代や結婚、智恵子の発病から死へと続く物語の「智恵子抄」だった。 選考基準は、内容を理解しているかや話し方など。今年度は東北地方の23の高校から84人が応募した。
 記念品の盾と賞状を受け取った吉田さんは「2人の気持ちが聞いている人に伝わるように心がけた。今後も聞いていたいと思ってもらえる朗読をしていきたい」。同大の玉手英利学長は「テキストは同じだが一人一人違った色合いがある。多くの人に聞いてもらえたら」と話した。本選出場者の朗読は同大のユーチューブチャンネルで視聴できる。

そこで、YouTubeを拝見。
これを見てようやく腑に落ちました。例年のようにホールを使って大がかりにではなく、録音審査での実施だったそうで。上記のプレスリリースもよく読めば小さく書いてありました。
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課題文は「智恵子抄」中の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)の一節。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の制作背景的な部分で、「あどけない話」自体も引用されている箇所でした。
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動画の最後は審査に当たられた山本陽史教授の講評的なご挨拶。
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曰く「東北は10年前の震災を乗り越えて来て、今年は世界中がコロナ禍で大変な思いをしている。そんな時に「言葉」の力で分断をくい止めて、皆さんが繋がっていけるよう……」なるほど、その通りですね。

また、こうした活動を通し、多くの方々に光太郎智恵子の世界がもっと広まっていってほしいものだと、いつもながらに思います。

【折々のことば・光太郎】

朝六時、詩碑に詣づ。

昭和20年(1945)8月1日の日記より 光太郎63歳

「詩碑」は花巻桜町に立つ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑です。昭和11年(1936)、花巻からの依頼で光太郎が筆をふるい、同詩の後半部分を揮毫しました。除幕式の際には智恵子が入院中ということもあったのでしょう、光太郎は不参加。代わって当会の祖・草野心平が赴きました。

かつて自分が文字を書いた碑を初めて眼にしたその心境は、いかばかりだったのでしょうか。
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昨日、歌手の二代目コロムビア・ローズさんが8月に亡くなっていたというニュースが出ました。

真っ先に報じた『デイリースポーツ』さん

二代目コロムビア・ローズさん8月に死去していた…15年から闘病

008 「智恵子抄」「二十四の瞳」などのヒット曲を持ち、1964年の第15回NHK紅白歌合戦にも出場した、歌手の二代目コロムビア・ローズ(本名・宗紀子)さんが、今年8月16日に心不全のため神奈川県大和市内の病院で死去していたことが7日、分かった。78歳だった。米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていたが、近年は体調を崩し帰国。入退院を繰り返していた。葬儀・告別式は、親族らによる密葬で執り行われた。
 昭和の音楽史の1ページを飾ったスター歌手が、また1人天国へと旅立った。
 関係者によると、米・ロサンゼルスを拠点に音楽活動を行っていた二代目コロムビア・ローズさんは、体調を崩したことから2015年夏に帰国。日本で闘病生活を送っていた。その後は入退院を繰り返していたが、今年8月16日に心不全のため、その生涯に幕を閉じたという。
 体調を崩す直前の2014年11月に日本で出演した「第41回日本歌手協会音楽祭」が、最後のステージとなった。その時はデビュー曲「白ばら紅ばら」、初代コロムビア・ローズと一緒に「東京のバスガール」を元気に歌唱した。
 二代目ローズさんは1942年4月29日生まれ。初代の引退により行われたオーディションで1位となり、62年8月に「白ばら紅ばら」でデビュー。同年11月に初代のヒット曲「東京のバスガール」をリリースし、初代の名を継ぐ人気スターとなった。64年には高村光太郎の詩集をモチーフにした「智恵子抄」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。その後も文芸路線の「二十四の瞳」がヒットした。
 また歌手活動と平行し大学で児童心理学を学び、卒業後は海外に留学。その後はロサンゼルスに拠点を置き、音楽活動に加え後進の指導などを行っていた。年に数回来日しコンサートや「NHK歌謡コンサート」などの音楽番組に出演。なお、二代目ローズさんが最後に出演した14年のステージの模様は、21年元日のBSテレ東「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」の中で追悼企画として放送される。

初代が追悼「年上の私よりも先に逝くだなんて…」

 二代目と長きにわたり親交があった初代コロムビア・ローズは「二代目を選ぶ時、一番声がきれいな子として選んだのが彼女でした。ロスにいた時も『お姉さま元気?』とよく電話をいただいた。先日もふと会いたいな~と思っていたのに、まさか10歳近く年上の私よりも先に逝くだなんて…。心が清らかでやさしい芸能人らしくない子。私より数倍しっかりした女性でした。本当にお疲れさま。ゆっくり休みなさいね」と話した。

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ローズさんというと真っ先に出てくる「智恵子抄」。昭和39年(1964)1月のリリースで、かなりのヒット曲となり、ローズさん、この年の紅白歌合戦にこの曲でご出演なさいました。作詞は智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町ご出身の故・丘灯至夫氏、作曲は故・戸塚三博氏でした。
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翌年にはこのトリオで「二十四の瞳」をリリース。B面が「智恵子のふるさと」でした。
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平成11年(1999)には「智恵子抄」と「智恵子のふるさと」を一本にまとめたカセットテープも発売されました。
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「智恵子抄」のヒットを受け、昭和39年(1964)8月にはソノシートブックが発行されています。題して『智恵子のふるさとを訪ねて◆コロムビア・ローズ愛唱歌集◆』。ちなみに「智恵子抄」は二本松で、現在も防災無線の正午の音楽にも使われています。
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昭和30年代の二本松とその周辺の風景がふんだんに掲載されており、貴重な資料でもあります。
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当時は人手に渡っていた智恵子生家。二本松駅も。
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霞ヶ城址の智恵子抄詩碑。
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阿武隈河畔と岳温泉の鏡ヶ池。
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安達太良山。

「智恵子抄」のヒットにより、観光客増加に貢献ということで、ローズさん、丘氏、戸塚氏へ市から表彰がなされた場面も。
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大隣寺さんにある二本松少年隊の墓、そして昭和9年(1934)に智恵子が療養していた千葉九十九里浜も。

ローズさん、最近、テレビで見かけないとは思っていましたが、アメリカご在住ということで、時折帰国なさってコンサートテレビの歌謡番組などにご出演されるというスタイルだったため、まさか日本で闘病生活をなさっているとは思いませんでした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

午前北上川畔イギリス海岸といへる河原に千代田さんとゆく、焚火などす、


昭和20年(1945)7月3日の日記より 光太郎63歳

「イギリス海岸」は、宮沢賢治が名付けました。ここで亡き賢治を偲んだのでしょう。「千代田さん」は、光太郎同様に宮沢家に疎開していた編集者で、戦後には吉本隆明とも交流がありました。

「智恵子抄」系の音楽情報を2件。

まずはテレビ放映情報です

無料 米津玄師 MV特集

エムオン!HD(CS 203ch) 2020年12月6日(日) 22時00分~23時30分

『米津玄師特集』…8月にリリースしたアルバム『STRAY SHEEP』が大ヒット記録している米津玄師。映画監督の是枝裕和がミュージックビデオの監督を務めた楽曲「カナリヤ」など、彼のミュージックビデオを放送!

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このブログでは、CS放送は基本的に紹介していないのですが、月に1度(第1日曜日前後)の無料放送の日の番組ですので、ご紹介します。

細かな曲目が挙げられていませんが、おそらく米津さん最大のヒット曲、「Lemon」もラインナップに入っていると思われます。2ヶ月程前の同様の放映ではそうでした。以前にも書きましたが、米津さんご自身、この曲は光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)へのオマージュ的な要素もあるとのこと。

MVはYouTube等でも視聴可能ですが、容易にDVDにダビングできるのがテレビ放映の長所。この手の音楽番組、愛車でドライブのお供に活躍しています。ただ、米津さんのものは、2ヶ月程前に録画したものの、ダビングの際にハイビジョンモードとかの余計な設定にしてしまったら、カーナビのDVDプレーヤーで再生出来ませんでした。今回は通常モードでやってみます。

もう1件、9月に発売されたCDをご紹介します

ハーモニカ~心に届く郷愁の音色~

2020年9月24日 コロムビア 税込定価9,900円

宮田東峰が率いてハーモニカの普及に尽力し貢献してきた歴史的バンドのミヤタ・ハーモニカ楽団による楽しい合奏と、長年にわたり“歌うハーモニカ”とも呼ばれ多方面で活躍しプロ活動を続けている達人、大石昌美による名演奏集。青春時代の懐かしい思い出を蘇えらせてくれる心のメロディー“全100曲”をお届けします。
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Disc1 古関裕而&古賀メロディー
 1 船頭可愛や / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 2 高原列車は行く / 大石昌美(オーケストラ)
 3 長崎の鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 君の名は / ミヤタ・ハーモニカ楽団002
 5 夢淡き東京 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 三日月娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 月のキャンプ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 あこがれの郵便馬車 / 大石昌美(オーケストラ)
 9 雨のオランダ坂 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 フランチェスカの鐘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 影を慕いて / 大石昌美(オーケストラ)
 12 丘を越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 13 人生の並木路 / 大石昌美
 14 湯の町エレジー / 大石昌美(オーケストラ)
 15 誰か故郷を想わざる / 大石昌美(オーケストラ)
 16 新妻鏡 / 大石昌美(オーケストラ)
 17 青春日記 / 大石昌美
 18 男の純情 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 青い背広で / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 三百六十五夜 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc2 日本の抒情メロディー
 1 荒城の月 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 2 真白き富士の根 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 出船 / 大石昌美(ピアノ伴奏)004
 4 青葉の笛 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 5 美しき天然 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 浜千鳥 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 浜辺の歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 宵待草 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 船頭小唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 10 山は夕焼け / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 箱根八里 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 12 椰子の実 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 里の秋 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 紅葉 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 15 平城山(ならやま) / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 16 みかんの花咲く丘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 朧(おぼろ)月夜 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 十五夜お月さん / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 叱られて / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 月の砂漠 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
Disc3 懐かしのメロディー
 1 逢いたかったぜ / 大石昌美(ギター伴奏)
 2 高原の旅愁 / 大石昌美(オーケストラ)
 3 異国の丘 / 大石昌美(ギター伴奏)
 4 上海の花売娘 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 悲しき竹笛 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 恋の曼珠沙華 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 7 リンゴの唄 / 大石昌美(ギター伴奏)
 8 純情二重奏 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 人妻椿 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 東京の屋根の下 / 大石昌美(ギター伴奏)
 11 別れの磯千鳥 / 大石昌美(ギター伴奏)
 12 一杯のコーヒーから / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 13 港シャンソン / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 14 別れのブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 東京ラプソディ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 東京ブギウギ / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 17 旅の夜風 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 私は街の子 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 ひばりの渡り鳥だよ / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 20 人生劇場 / 大石昌美(オーケストラ)
Disc4 思い出のメロディー
 1 青い山脈 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 あざみの歌 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 3 山小舎の灯 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 雨に咲く花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 哀愁波止場 / 大石昌美(オーケストラ)
 6 あの丘越えて / 大石昌美(オーケストラ)
 7 おんなの宿 / 大石昌美(オーケストラ)
 8 未練の涙 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 若い君 若い僕 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 10 ほんきかしら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 11 津軽のふるさと / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 北帰行 / 大石昌美(ギター伴奏)
 13 愛の讃歌 / 大石昌美(ピアノ伴奏)
 14 智恵子抄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 林檎の花咲く町 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 16 花咲く乙女たち / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 17 東京の人さようなら / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 18 新宿ブルース / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 19 絶唱 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 20 東京だョおっ母さん / 大石昌美
Disc5 青春のメロディー
 1 高校三年生 / 大石昌美(オーケストラ)
 2 若いふたり / 大石昌美(オーケストラ)
 3 アンコ椿は恋の花 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 4 十七才は一度だけ / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 5 女学生 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 6 涙の連絡船 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 7 学園広場 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 8 さよなら列車 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 9 青葉城恋唄 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 10 なごり雪 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 11 神田川 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 12 岬めぐり / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 13 北国の春 / 大石昌美
 14 マリモの唄 / ミヤタ・ハーモニカ楽団
 15 襟裳岬 / 大石昌美(オーケストラ)
 16 贈る言葉 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 17 時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 18 少年時代 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)
 19 酒よ / 大石昌美(ギター伴奏)
 20 乾杯 / 大石昌美(ピアノ・ギター伴奏)

作詞者・作曲者等明記されていませんが、「Disc4 思い出のメロディー」に「智恵子抄」。おそらく二代目コロムビア・ローズさんによる、丘灯至夫作詞、戸塚三博作曲の、昭和39年(1964)にヒットした「智恵子抄」でしょう。

「Disc1 古関裕而&古賀メロディー」。先週放映が終わったNHKさんの連続テレビ小説「エール」で取り上げられた楽曲が多く、タイムリーだなと感じました。

「エール」といえば、劇中でも使われ、最終回のスペシャルコンサートで薬師丸ひろ子さんが熱唱された「高原列車は行く」は、「智恵子抄」と同じ丘灯至夫の作詞です。残念ながらドラマには丘らしき人物は登場しませんでしたが。
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モデルになった「高原列車」は「磐梯急行電鉄(通称・沼尻鉄道)」だそうで、これは昭和8年(1933)、心を病んだ智恵子の療養のため、東北、北関東の温泉巡りをした折、磐梯山の川上温泉にも立ち寄り、その際に利用したと考えられます。
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ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

オルガンの低音部のEに故障を生じかけた。湿気を防ぐに由なき日本室にこんなものを置くのは、東京の動物園に河馬を放飼する様なものだ。

明治43年(1910)9月13日の日記より 光太郎28歳

音楽といえば、光太郎、オルガンやマンドリンの演奏はある程度出来たようですし、留学前にはヴァイオリンも習っていました(あまりものにならなかったようですが(笑))。「こんなものを置くのは」って、置いたのは自分だろ? と突っ込みたくなります(笑)。

注目すべきは「東京の動物園に河馬を放飼する様なもの」。のちの「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)に見られる発想がすでにここに記されています。

同じ年には「智恵子は東京に空が無いといふ」の、「あどけない話」が書かれており、駝鳥にとっての動物園=智恵子にとっての東京という構図も成り立つかもしれません。

こういう映画があったというのを存じませんでした。

一昨日の『デイリースポーツ』さんから

「利用したことのない新幹線駅」にもドラマがある…新花巻駅誕生の「逆転劇」描いた映画が公開へ

002 岩手・新花巻駅に東北新幹線が止まる運動に奔走した地元住民を描いた映画「ネクタイを締めた百姓一揆」が6日から東京・UPLINK渋谷で劇場公開される。「請願駅」が東北新幹線の駅となるまでの14年間の実話を元にした作品だ。東京初公開を前に、地元関係者に話を聞いた。
 新花巻駅は、1971年10月に当時の国鉄が発表した東北新幹線基本工事計画では予定されていなかった。本作は「花巻市に駅の設置を」という市民運動が起こり、決定事項を覆して85年3月に開業するまでの「逆転劇」を描いた群像劇となる。
 新花巻駅設置運動史「耐雪花清(たいせつかせい)」という冊子がある。当時、花巻市役所職員として、運動史の編纂に加わった藤戸忠美さんに話をうかがった。
 「昭和46年当時、花巻市民には『新幹線が止まって当然』という思いがありました。岩手県では、盛岡と最南端の一関の中間地点にある花巻は国鉄の乗降客で盛岡に次いで県内2位であり、温泉などの観光地であることや、宮沢賢治の生誕地であったり、高村光太郎が晩年7年間を過ごしたこともあったので、新幹線が止まるものだと疑ってもいなかった。ところが、決まったのは隣の北上だった。隣町に負けたという悔しい思いがあり、花巻市民として動き出したのです」
 そう振り返る藤戸さんは、運動の中心人物を挙げた。藤戸さんは「小原甚之助さんという市民会議の議長さんです。情熱家で、花巻に新幹線の駅ができないことについて『子孫に対して申し訳ない』という思いを持たれていた。運動のスタート当時は、行政より市民の方が燃えていました」と証言する。
 新花巻駅は東北新幹線と在来線の釜石線との交差地点に設けられた接続駅。JR東日本によると、2019年度の1日平均乗車人員は891人。新幹線駅の1日平均乗車人員は900人ということで、ほぼ全国平均的な数字となる。利用者はやはり観光客が多いのだろうか。花巻市観光課の駒木裕也さんに話をうかがうと、「花巻温泉郷」の存在を挙げた。
 「花巻温泉郷は12の温泉からなり、その泉質も雰囲気もさまざまです。また、宮沢賢治や萬鉄五郎を始めとした著名な先人を輩出し、高村光太郎や新渡戸稲造ゆかりの地として知られ、偉人たちの足跡をたどることができるスポットが数多くあります」
 とはいえ、今年はコロナ禍によって観光地は全国的に打撃を受けた。花巻の場合はどうだったのか。
 「花巻は東北最大の温泉宿泊地であるため、特に宿泊施設に与える影響は相当に大きなものがあります。このため、市では独自に利用助成制度を創設しました。Go Toトラベル事業の効果もあり、9月・10月については、昨年と同様あるいはそれ以上にお客様にお泊まりいただいた状況となっておりますが、今後の情勢を引き続き注視していかなければならないと思っております」
 今回の作品公開について、駒木さんは「花巻に所縁のある方はもちろん、花巻にお越しいただいたことのない方も、本作品を通じて、故郷を思い出したり、舞台となった場所を訪れてみたいと感じていただけましたら」と歓迎。「新花巻駅は文化や産業の結節点としても重要な役割を果たしています。来年にはJR東日本の東北デスティネーションキャンペーンも予定されており、地域にとってなくてはならない存在になっています」とアピールした。
 岩手県在住の河野ジベ太監督は「実在する新幹線の1つの駅にまつわる物語ですが、同時に昭和に整備されてきた様々なインフラに込められた普遍的な物語でもあります。今の私たちにとって当たり前の便利な日本は、かつての人々の熱い思いによって実現されてきたものです」と指摘。「激動の70年代、理想と現実、人と人の思いが真っ向からぶつかった時代。不器用に間違えて回り道してぶつかって、それでもくじけず前を向くエネルギーを大切にしようと思いながら脚本を書きました。おじさんたちの映画なのに青春映画のようになっているのはきっと新しいことに挑戦したときに人は誰でも若者のようなエネルギーを持つからだと思います」とコメントを寄せた。
 ツイッターには「#利用したこと無い新幹線駅」というハッシュタグがある。投稿者が乗降したことのない駅名を列挙していて、新花巻も名を連ねている。だが、そうした「通過駅」の1つ1つにもドラマがあるのだ。
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調べてみましたところ、公式サイトがありました。それによれば映画は2017年の制作。地元・花巻はじめ各地でぽつぽつと上映会が開かれてきた他、平成30年(2018)には「門真国際映画祭2018」に参加、最優秀脚本賞を受賞しているそうです。で、都内での劇場公開が今日からだそうで

ネクタイを締めた百姓一揆

期 日 : 2020年11月6日~11月12日(木)
会 場 : UPLINK渋谷 東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階
時 間 : 11/6・7・9・10 13:15~ 11/8・12 13:10~ 11/11 17:40~
料 金 : 一般¥1,900/シニア(60歳以上)¥1,200/ユース(19歳~22歳)¥1,100
      アンダー18(16歳~18歳)¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800
      UPLINK会員¥1,100(土日祝¥1,300)ユース会員(22歳以下)¥1,000

岩手県に実在する東北新幹線・新花巻駅設置を巡る14年間の物語を、地元在住有志が一切の妥協なく撮り切った長編巨大群像劇。計画にない駅は、出来るのか。時代に翻弄される国鉄を背景に描かれるそれぞれの想い、圧巻の147分。

上映前・後舞台挨拶開催決定!!
11/6(金)【上映前舞台挨拶】登壇者:菅原修(国会議員ミツヅカ役)、菅原季咲良(録音)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/7(土)【上映後舞台挨拶】登壇者:小原良猛(タニカワ産業役兼プロデューサー)、堀切大地(エキストラ)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/8(日)【上映後舞台挨拶】登壇者:小原良猛(タニカワ産業役兼プロデューサー)、河野ジベ太(監督)(約5分)

11/11(水)【上映後トークショー】登壇者:久場寿幸、曽我真臣(共に「カメラを止めるな!」等俳優)、河野ジベ太監督(約15分)

※敬称略
※ゲストは予告なしで急遽変更になる場合や中止になる場合がございますので、ご了承ください。



上記予告編だけでもかなりのストーリーがつかめますね。まさに「長編巨大群像劇」というにふさわしそうです。かなり笑えますが(笑)。新花巻駅は、東京駅や上野駅を除いた東北新幹線の駅の中で、当方が最も多く利用している駅ですが、その背景にこういうことがあったというのも全く存じませんでした。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

東京よりもこつちの方がよい、ただ山荘は越冬設備ができていないので一週間ほど大沢温泉に泊り山荘を整理して再び東京に行きたいと思う

談話筆記「庭木に思い出新た」全文 昭和28年(1953) 光太郎71歳

昭和28年11月27日『河北新報』夕刊に載った「庭木に思い出新た 高村翁岩手の山荘に帰る」と題した記事に附された談話です。記事本文は以下の通りでした。

【花巻】昨秋岩手県稗貫郡太田村の山荘を下山して東京に戻った高村光太郎翁は二十年ぶりにノミをとった苦心の作“乙女の像”もでき上り目的の十和田湖畔に建て、一段落したというので二十五日詩人草野心平氏を伴って再び岩手県入りした。高村翁は相変らずカーキー色の詰えり服といった無造作な姿で部落内にあいさつ回りをし、さらに同村山口小学校児童たちの歓迎会にのぞんだりし、いつもながらの地元民の温情に目を細めて喜んだ。山荘に落着いた翁は庭にある植木をなつかし気になでながらつぎのように語った。

この年、10月21日に「乙女の像」除幕式のため青森十和田湖を訪れた光太郎は、25日にいったん帰京し、1か月後の11月25日から12月5日まで、旧太田村等に滞在しました。宿泊は山小屋ではせず、大沢温泉、志戸平温泉、花巻温泉松雲閣でした。滞在中の前半にはブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」の撮影がありました。記事にある「同村山口小学校児童たちの歓迎会」の模様が映画にも写されています。
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当初の計画では、冬期は東京、それ以外は太田村と、二重生活を送る心づもりもあったのですが、健康状態がそれを許さず、結局、これが最後の太田村滞在となりました。

このころの光太郎、新幹線など想像すら出来なかったことでしょう。

今月2日、政府は秋の褒賞受賞者を発表しました。このうち、当方の気付いた範囲では、光太郎関連のお仕事をなさったお二人の方が、ともに学術研究、芸術などの分野で活躍した人に贈られる紫綬褒章を受章されました。

まず、俳優の中井貴一さん。『毎日新聞』さんから

俳優・中井貴一さんに紫綬褒章 「自分の人生、間違いばかりではなかった」

9 社会派ドラマからコメディーまでこなす幅広い演技力で、40年近く日本の芸能界を支えてきた。紫綬褒章の知らせに「必死に一つの事を継続する。その結果が今回のご褒美につながったのかと、自分の人生、間違いばかりではなかったと安堵(あんど)しております」とコメントを寄せた。

 1981年のデビュー以来、多くの映画やテレビドラマに出演。数々の映画賞に彩られた俳優人生だが、「振り返ればアッという間。最近でも己の進歩の無さに愕然(がくぜん)とする事も多々あります」と謙虚に見つめる。新型コロナウイルス禍では「人の心までもが侵される事が、最も恐れるべき事」とし、「我々の仕事を通して少しでも安らぎにつながるよう、愚直に生きてまいりたい」と決意をつづった。
 父は37歳で死去したスター俳優、佐田啓二さん。「この褒章は無念にも早逝(そうせい) した父と供に受けさせていただきたい」と敬愛の念をにじませた。

中井さん、平成17年(2005)にキングレコードさんから発売されたCD「日本の詩歌 高村光太郎」で光太郎詩25篇の朗読をなさっています。
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久々に聴いてみましたが、張りのある伸びやかなお声で、丁寧に読まれています。キングさんのサイトで調べたところ、廃盤となってしまっているようですが、通販サイトなどではまだ入手出来るようです。ぜひお買い求めを。

それから中井さん、直接、光太郎には関わりませんが、昨日もこのブログで触れた、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の復興を描いた平成28年(2016)の映画「サンマとカタール~女川つながる人々」では、ナレーションを担当なさいました。
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こちらはDVD化され、やはり通販サイト等でまだ入手可能のようです。

続いて演出家の鵜山仁さん。『朝日新聞』さんから

「多様性を発展させたい」 演出家・鵜山仁さん

AS20201101001419_comm 「舞台演出はひとりでは何もできない職業。スタッフ・キャストが集まる現場を代表していただけるのだと思う」。受章の知らせを受け、稽古場で接してきた人々の顔が浮かんだ。
 所属する文学座で38年にわたって「グリークス」などの多彩な作品を手がけ、こまつ座では「父と暮せば」「人間合格」など幾多の井上ひさし戯曲に向き合った。過去に芸術監督も務めた新国立劇場の「リチャード二世」で先月、12年かけて全5作を上演したシェークスピア歴史劇シリーズが完結。「長年継続していくと作品が違う形で見えてくる」。慶応大では合唱に打ち込み、オペラの演出も多い。
 コロナ禍の中で演出作の公演中止が相次ぎ、演劇の存在意義を改めて考えた。「一色に染まらず、違う物の見方や問題提起を打ち出せるかが勝負。多様性を発展させていければと思っています」

鵜山さん、平成23年(2011)に、光太郎を主人公とした渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」の演出を手がけられました。脚本は昨年、ハヤカワ演劇文庫の一冊として上梓されています。
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初演は東日本大震災直後ということもあり、予定の回数を上演できませんで、翌年、再演されました。当方、そちらを拝見。その際のパンフレットには、鵜山さん、「再演にあたって」という文章を寄せられています。
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主人公の光太郎を演じられた金内喜久夫さんは今年お亡くなりになりましたが、空の上から鵜山さんのご受賞を喜ばれているのでは、と存じます。

というわけで、お二人の受賞、まことに喜ばしく存じますし、今後のさらなるご活躍にも期待したいところです。

ところで、こうした褒賞、さらにはやはりこの時期の文化勲章や文化功労者、叙勲なども、「総合的、俯瞰的に人選」し、あがってきた推薦名簿などからも認定を拒否して名前を除外することもあるのでしょうか(笑)。

【折々のことば・光太郎】

どういふ風な人達を私が嫌ふかはお解りの事と信じてゐます。

散文「どういふ風な人達を私が嫌ふか」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

雑誌『秀才文壇』第20年第9号に、「芸術家書簡集」の総題で、武者小路実篤、萩原朔太郎ら24名の書簡が紹介されている中の一篇です。

内容的には、大正元年(1912)に第一回展覧会を開催し、翌年、同人間の意見の相違から解散したヒユウザン会(のちフユウザン会)と、光太郎、岸田劉生らによってその後結成された生活社に関わり、大正2年(1913)の書簡からの引用と思われます。宛先はおそらく『秀才文壇』編輯に携わっていた、美術にも造詣の深かった野口安治でしょう。

芸術上の考え方については、光太郎、妥協を許さず、「こういう人達とは一緒にやっていけない」と判断すると、ばっさり切り捨てる傾向がありました。同じヒユウザン会に所属しながら『高村光太郎全集』にほとんど名前が見あたらない人々が、そういう人達なのでしょう。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「エール」。作曲家・古関裕而をモデルとするドラマです。コロナ禍で収録が中断、再放送が為されていましたが、先月半ばから再開しました。

先週土曜日の『朝日新聞』さんの一面コラムで、最近の「エール」について記述がありました

天声人語 朝ドラの凄惨

朝ご飯を食べながら読んでいる方もいるだろうと思いながらいつもコラムを書いている。残酷な描写はできるだけ避けているが、あえて書く場合もある。戦争の悲惨さを伝えたいときだ▼NHK連続テレビ小説「エール」の作り手も同じことを考えたのではないか。今週放映された太平洋戦争の戦闘場面はあまりに凄惨(せいさん)だった。主人公の作曲家、古山(こやま)裕一が慰問先のビルマで銃撃に巻き込まれ、兵士たちの死を目の当たりにする▼古山のモデルは作曲家の古関裕而(こせきゆうじ)で「六甲おろし」「長崎の鐘」などで知られる一方、戦中は多くの軍歌を作った。ドラマで戦場の主人公は、戦争の現実を「何も知らなかった」と半狂乱にになる。自分の曲が若者を戦争に駆り立て、命を奪ったと悩む▼実際の古関は実践には巻き込まれなかったが、慰問などで3度従軍し襲撃を受ける寸前まで行った。自分の曲を口にしながら戦った人のことを思い「胸が痛む」と語ったこともある。ただドラマのように激しく自分を責めたのかは、自伝では判然としない▼芸術家や文学者、マスコミの戦争協力は何度も反芻(はんすう)せねばならないテーマだ。自責の念にさいなまれた人も、そうでなかった人もいる。ドラマは、もしかしたら古関の内面にあったもの、あるいはこうあってほしかった古関の姿を描こうとしているのではないか▼フィクションはときに歴史の本質に迫る力を持つ。戦後の古関は人々に希望を与える曲を作り続けた。来週以降どう描かれるかが楽しみだ。
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先週から今週にかけての「エール」、戦争を真っ正面から描き、実にいろいろ考えさせられました。窪田正孝さん演じる主人公・古山裕一の姿に、光太郎がダブるようでした。

裕一のモデルだった古関は音楽、光太郎は詩文と、ジャンルこそ違えど(光太郎にも戦時歌謡の作詞が数曲ありますが)、国民の士気を鼓舞するための作品を大量に世に送り出した点は同じです。
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そして裕一は、ビルマ(現在のミャンマー)へ。そこで、森山直太朗さん演じるかつての恩師と再会します。恩師は予備役の将校として駆りだされていました。
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即席の楽団を編成し、慰問演奏会を開こうとするものの、敵襲。銃弾を受けた恩師は裕一の腕の中で息絶えます。
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ちなみにこの戦場のシーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でした。
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そして終戦。さらに裕一の元に、ショッキングな知らせ。二階堂ふみさん演じる妻の音(おと)の主宰する音楽教室の元生徒で、裕一を慕っていた近所の少年が戦死とのこと。少年は「若鷲の歌」に触発されて予科練に入隊していました。
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このあたり、光太郎が戦後に書いた連作詩「暗愚小伝」の構想段階で書かれた断片「わが詩をよみて人死に就けり」を彷彿とさせられます。

自責の念から作曲が出来なくなった裕一に、 北村有起哉さん演じる劇作家の池田(菊田一夫がモデルですね)が詰め寄ります。
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こうして生まれたのが、「鐘の鳴る丘」。史実では、もっと早く作曲を再開しているのですが、このあたりはドラマ上の演出ということで。
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さらには「長崎の鐘」、夏の甲子園のテーマ曲「栄冠は君に輝く」と繋がっていくのですね。

智恵子を既に喪い、独り身の光太郎は、戦後、花卷郊外旧太田村の粗末な山小屋で7年間の蟄居生活を送り、それを「自己流謫(るたく)」と称しました。「流謫」は「流罪」に同じ。公的には戦犯とされなかった光太郎でしたが、自らを罰したのです。

詩作は続けましたが、自ら「私は何を措いても彫刻家である」と宣言していた彫刻は封印。考え得る最も過酷な罰だったのではないでしょうか。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」で、その封印を解くまでに7年。長かったのか、短かったのか……。

戦時中、翼賛活動に関わったすべての芸術家が、心の中ではすべてそうだったと思いたいものです。

ちなみに先述の通り、「エール」のビルマでの戦闘シーン、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市での撮影でしたが、まだ戦前だった先月の放映では、自宅兼事務所から車で5分ほどの寺院でのロケがありました。音の妹・梅(森七菜さん)と、のちに夫となる五郎(岡部大さん)のシーンです。のべ3日間、使われました。
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こちらがその寺院、妙光山観福寺さん。
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こちらは平成26年(2014)のやはり朝ドラ「花子とアン」(吉高由里子さん主演、そういえば窪田正孝さんもご出演なさっていました)でもたびたび使われましたし、本堂は平成25年(2013)の大河ドラマ「八重の桜」(綾瀬はるかさん主演)で、京都の会津藩本陣・金戒光明寺として使われました。

郷土の偉人・伊能忠敬の参り墓(地元の遺族がお参りするための墓。正式な墓は都内です)などもあり、いいところです。昨日ご紹介した、新たに重要文化財に指定される犬吠埼などとも同じ圏内、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】009

日本の芸術といへば外国人はすぐに浮世絵とか三味線といつたものを連想する、珍しいもの、変つたものだけが日本の芸術だと思つてゐる

談話筆記「(日本の芸術といへば)」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

日本にも素晴らしい芸術がたくさんあるんだ、と、まあその通りですね。

ここで終わっていればいいのですが、この後、「これだから日本の国威が外国に宣揚されないのです、もつと日本芸術の本当の厚みとか深さといふものを彼等に知らせて精神的な圧力を加へてやりたい、このために日本芸術による国威を海外に示したいものだ」と続き、やはり戦時だなぁ、と思わせられます。

10月4日(日)、北鎌倉の笛さんに伺う前、同じ鎌倉市内の川喜多映画記念館さんで「【特別展】生誕100年 激動の時代を生きた二人の女優- 原節子と山口淑子」を拝見しました。
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原節子さんは、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(熊谷久虎監督)で、智恵子役を演じられました。光太郎役は山村聰さんでした。

山口淑子さんは、光太郎終焉の地・中野の貸しアトリエを光太郎の前に借りていた彫刻家イサム・ノグチの妻。戦後、大陸で日本に協力した中国人・李香蘭として処罰されそうになった際、日本人であることを証明して助命に寄与したのが、当時、中国国民党の将校だった黄瀛。中国人の父と日本人の母を持ち、光太郎や草野心平、宮澤賢治と親しかった詩人でもありました。また、光太郎自身も、写真で見た山口さんの風貌に、彫刻を作りたいと感じていたそうです。

そのお二人の企画展ということで、興味深く拝見。

原さんの「智恵子抄」に関しては、縦に二枚つなげる立看用のポスターが展示されていました。展示の撮影は禁止だったので、下の画像、当方手持ちの同じものです。
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南品川ゼームス坂病院で紙絵を制作する智恵子です。そういえば昨日は智恵子忌日・レモンの日でした。

ちなみに自宅兼事務所には、これ以外にもポスター、プレスリリース、チラシ、シナリオ、パンフレット、スチール写真、当時の雑誌など、小規模な「原節子と「智恵子抄」展」が開催できるくらいの数があります。やるというならお貸ししますので、関係の方、ご検討下さい。

「智恵子抄」は、同館で今月末から来月はじめにかけ、上映されます。
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ところで、原さんといえば、現在NHKさんで放映中の連続テレビ小説「エール」。昨日の放映分に原さんの名前が出て来ました。

昭和18年(1943)、作曲家・古関裕而をモデルとする主人公・古山裕一(窪田正孝さん)の元へ、映画プロデューサーが訪ねてきまして、映画の主題歌を作曲してほしいと要請。
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この映画、実在のもので、原さんがご出演なさっています。監督は渡辺邦夫。配給は東宝でした。
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内容的にはざっくり言うと、上記プロデューサーのセリフ通りです。

で、主題歌が「若鷲の歌」。下記画像はおそらく明日か明後日の放映分の「エール」。先月の番宣番組から採りました。
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「エール」については、また改めて光太郎の翼賛詩文とのからみで記事を書きたいと思っております。

川喜多映画記念館さんでの展示では、残念ながらこの「決戦の大空へ」についてはほとんど触れられていませんでした。ただ、原さんにとっての「黒歴史」だから隠蔽、というわけではなく、同様の国策映画「新しき土」(昭和12年=1942)、「ハワイ・マレー沖海戦」(昭和17年=1942)については詳しく扱われていました。

山口淑子さんの「李香蘭」時代の活動を含め、国策映画、恐ろしいものだと感じました……。

ところで、先週の「エール」には、こんなシーンもありました。
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二階堂ふみさん演じるヒロインが、軍需工場などの慰問演奏を行う「音楽挺身隊」に参加し、しかし呑気に考えていたところ、投げつけられたセリフです。

音楽、それから映画、そして詩歌や小説、さらには絵画彫刻などの造形芸術も、「軍需品」だったわけで……。そういう時代に戻してはならないと、改めて感じました。

さて、川喜多映画記念館さんでの展示、12月13日(日)までです。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

僕は個人に寄付するのは好みません。特定の人にだしたくないのです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二二」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

詩集『典型』が読売文学賞に選ばれ、その賞金10万円をまるまる寄付してしまった光太郎。ただし、個人に対しては行わず、山小屋近くの山口小学校、地元青年会などに寄付しました。

今日の朝刊に、元歌手の守屋浩さんの訃報が出ていました

守屋浩さん死去 「僕は泣いちっち」

 守屋浩さん(もりや・ひろし、本名邦彦〈くにひこ〉=歌手)19日、前立腺がんで死去、81歳。葬儀は近親者で営んだ。
 59年発売の「僕は泣いちっち」が大ヒットし、60年から4年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。ホリプロ(当時は堀プロダクション)の第1号タレントで、76年に引退した後は、同社(当時はホリプロダクション)の取締役宣伝部長に就いた。2年前に前立腺がんであることがわかり、静岡県伊東市
の施設で療養していた。
朝日新聞 2020/09/24


芸能関係者は一般紙よりスポーツ紙の方が詳しく出ますので、調べてみると
、『日刊スポーツ』さんがかなり詳しく報じていました

ホリプロ第1号タレント守屋浩さんが死去 81歳

017 1959年発売「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られ、歌手として活躍した守屋浩(もりや・ひろし)さんが19日に前立腺がんで亡くなっていたことが23日、分かった。81歳だった。
 守屋さんは57年にウエスタンバンド「スイング・ウエスト」にバンドボーイとして加入。58年に同バンドのリーダーだった堀威夫氏(87)からボーカルに抜てきされた。初ステージで一躍女性ファンの注目を浴びて人気メンバーとなった。
 59年に「泣かないで帰ろう」でソロデビューし、同年「僕は泣いちっち」が大ヒットしたことで、60年に同曲で紅白歌合戦に初出場。そこから4年連続で出場を果たした。映画にも20作以上出演した。
 大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントでもあった。60年に堀氏が立ち上げた「堀プロダクション」(現・ホリプロ)に所属。76年に引退後はホリプロ社員に転身し、宣伝部長などを歴任。榊原郁恵(61)深田恭子(37)綾瀬はるか(35)石原さとみ(33)らを発掘した、現在にも続く同社の柱事業「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の立ち上げに携わり、第1回実行委員長を務めた。
 ホリプロによると、2年前に前立腺がんが発覚。自宅のある静岡県伊東市内の施設で療養していたが、19日午後6時30分に亡くなったという。22日に近親者のみで家族葬を執り行った。

◆守屋浩(もりや・ひろし)1938年(昭13)9月20日生まれ。1959年「泣かないで帰ろう」でデビュー。ホリプロ第1号タレント。76年に引退し、ホリプロ社員に転身した。

守屋さん、昭和39年(1964)に、クラウンレコードから「磐梯山の智恵子」という曲をリリースなさいました。モチーフは「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインが印象的な光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)です。
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B面は苅田千賀子さんという方の「智恵子」。こちらは「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)からのインスパイア。
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作詞は坂口紀さん、作曲は瓜生田和孝さん。ともに当時、東大生だったそうです。残念ながらそれほどヒットしなかったようで、YouTubeなどには見あたりませんでした。

昭和39年(1964)というと、二本松市民のソウルソング、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)も同じ年です。たまたま同じような企画がかち合ってしまったらしいのですが、その件について当時の『週刊朝日』が報じています。

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ちなみにこの号、表紙は水泳の故・木原光知子さん。裏表紙はこの年開催の東京オリンピックを見据えてカラーテレビの広告でした。時代を感じますね(笑)。
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それにしても守屋さん、引退後にスカウト系の方に行かれていたというのは存じませんでした。それから、離婚されたということで訃報に記述がありませんが、佐藤春夫作詞による、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を題材にした「湖畔の乙女」を歌われた本間千代子さんは元の奥様だったとのこと。奇縁を感じます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

宮沢賢治さんはノーベル賞を受けられてもいいほどの人です。日本から文学方面のノーベル賞候補者をあげようという場合、宮沢さんを推薦しようと考えています。
談話筆記「高村光太郎先生説話 十」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

9月21日(月)は、賢治の命日ということで、本来であれば花巻で賢治祭が開催されているはずでしたが、例によってコロナ禍で中止だそうで……。

ノーベル賞、故人には贈られないという規定がありますが、光太郎、それを知らなかったのか、あるいはその規定が出来たのはこの後だったのか、そのあたりは判然としませんが……。

昨日の『沖縄タイムス』さんの記事から

沖縄の実力派アイドルら舞台躍動 魅力オンラインでの生配信、笑顔届ける

 「GFO(GiRLS FES OKiNAWA)」が12日、那覇市のOutput(アウトプット)であった。無観客、オンラインでの生配信ライブで県内女性アイドルグループや歌手、ダンスクルーら4組が画面越しのファンに笑顔とクオリティーの高いパフォーマンスを届けた。(学芸部・西里大輝)
 
 「RYUKYU IDOL」のまいちゆう(26)、こうあ(17)、まり(22)、はるぱん(18)、しゅり(19)の5人はスマイル満開で、オリジナル曲「ミライ」など計9曲を40分間ノンストップで歌い、ステージを躍動。沖縄発アイドルの実力を見せつける。
 続くMATSURI(18)は透明感のある歌声と確かな歌唱力で存在感を示す。詩人・高村光太郎の詩をアレンジしたオリジナル曲「最低にして最高の道」は切ない語り口で心を揺さぶった。
 静かな余韻は、hanaとmionの激しいダンスで一転する。レゲエや洋楽、K・POPの曲を息の合ったキレのある動きでエモーショナルに踊りきり、ライブに熱気をもたらす。
 最後は「Lollipop(ロリポップ)」の比嘉琉那(17)と花城奈央(15)が「Alright」「Let’s」などノリノリのダンスチューンでステージを彩る。笛を吹き、タオルを回してのコール&レスポンス。爽やかさな笑顔でファンの声援に応えた。
 GFOはテレビ番組のディレクターでイベントプロデューサーの金城光生(てるみち)によるプロジェクト。県内で活躍するガールズユニットや女性シンガーらのライブを定期的開催し、魅力を発信してきた。金城プロデューサーは「みんな実力が高く、金の取れるパフォーマンスをしている。そのことを知ってほしい」とし、今後も若いアイドルのステージを提供していきたいと力を込めた。
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017MATSURIさんという方が、光太郎詩「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)に曲を付けた歌を歌われたそうです。

この詩、光太郎詩の中ではそれほど有名な作品ではありませんが、クラシック系の歌曲にもなっていたり、朗読CD(小林稔侍さん森田成一さんなど)にも収められたりしています。また、今年はコロナ禍のため中止となりましたが、毎年5月の花巻高村祭でも、花巻高等看護学校の生徒さんが、やはりこの詩に曲を付けた歌を斉唱なさったりもして下さっています。

さて、MATSURIさんの「最低にして最高の道」。動画投稿サイトYouTubeにアップされていました。最初、『沖縄タイムス』さんの記事を読んだ時、サムネイルの画像がグループアイドル系さんが歌って踊って的な(一番上の画像)だったので、「最低にして……」もシャカシャカ系かと思っておりましたが、さにあらず。しっとり系のバラードでした。記事にも「切ない語り口で心を揺さぶった」とありましたね。

動画ありのバージョン。
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動画無しのバージョンもあり、カバー動画を募集しているそうです。



作曲されたKAITOさんという方が歌われているバージョンも。



詩としての「最低にして……」は、挙国一致体制を支持し、聖戦完遂、神国日本に勝利をもたらそう、手を貸してくれと、そういうきな臭い背景のある翼賛詩なのですが、そういう背景を抜きにして読めばそれなりにいい詩です。

逆に言うと、「八紘一宇」だ、「大東亜共栄」だ、「進め一億火の玉だ」といった言葉を使わなくともそういう意図を表してしまえる光太郎の詩才に舌を巻かされますが……。

残念ながらCDにはなっていないようで、CD化を希望します。

【折々のことば・光太郎】

木彫のものはオノでわって、ストーブにくべてしまいました。石膏などであったら、一撃を加えて跡形もなくなってしまいます。そんなものでしたから、いまに残っている作品は少ないのです。これは僕のひとつの病気とでもいうものだったんでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 九」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

気に入らない制作はどんどん壊す。芸術家あるある、ですね(笑)。クオリティーを保つためには必要なことなのかも知れません。

さらに言うなら、昭和20年(1945)の空襲で、残っていた作品のほとんども焼けてしまいました。

コロナ禍ということで、アートの世界にもリモートやらテレやらの流れが取り入れられています。

そんな中、東京都としての、「アートにエールを!東京プロジェクト」という芸術文化活動支援事業が展開されています。「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に伴い、活動を自粛せざるを得ないプロのアーティストやスタッフ等が制作した作品をWeb上に掲載・発信する機会を設けることにより、アーティスト等の活動を支援するとともに、在宅でも都民が芸術文化に触れられる機会を提供するものです。」だそうで。
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Web上に掲載・発信を希望する人は、専用サイトから登録を行い、動画等を投稿、何でもかんでもアップされるわけではなく、審査に通れば配信されるというシステムのようです。「個人型」と「ステージ型」があり、「個人型」は自主制作した動画を応募、出演料が支払われるそうです。「ステージ型」は劇場・ホール等を利用した無観客や入場制限のある公演等の制作及び配信の支援だとのこと。

で、「個人型」の方で、光太郎のエッセイ「人の首」(昭和2年=1927)からインスパイアされた作品が配信されています

Rising Tiptoe出演者有志 人の首

今作は高村光太郎のエッセイ「人の首」を題材としています。
「見る」をテーマに、現代の社会情勢を風刺した新しい作品として仕上げました。
コロナ禍にありこれまで以上に人を「見る」ようになった私たちも実は常に人から「見られ」続けているという不条理作品となっています。
通常は舞台での会話劇として上演しますが、今回は客席にてそれぞれがソーシャルディスタンスを守りながら現代社会を反映した作品に挑戦します。

Rising Tiptoe出演者有志
 出演 : おおばゆか 岡庭菜穂 小田切沙織 中島多朗
 撮影・舞台監督 : 服部寛隆
【協力】脚本提供 : 宇吹萌(Rising Tiptoe)



出演されている方のブログがこちら

光太郎の「人の首」は青空文庫さんで読めます。傑出した彫刻家としての見方というのはこういうものなのか、と感心させられる文章です。

このブログでは、基本、個人の方がご自分のサイトに上げたり、動画投稿サイトなどにアップしたりした動画等はご紹介しませんが、今後、こうしたリモート○○、テレ××の世界、一つのジャンルとして定着して行くのかも知れませんね。

余談ですが、今日から1泊2日で岩手花巻に行って参ります。花巻高村光太郎記念館さんで4日から開催されている展示「光太郎の父 光雲の鈿女命(うずめのみこと)」の関連行事としての市民講座で、講師を務めて参ります。今年度に入って、コロナ禍のためこの手の仕事は軒並み中止や延期で、実に久しぶりです。

【折々のことば・光太郎】

人は満ちたりたと思ったときには進歩がありません。環境のよいところでは、なかなか進歩しません。むしろ少々困るときや恵まれないときに勤勉になるし、そこからよい考えもよい方法も工夫されていきます。環境の悪いところにいながら、たゆまず努めて、よいものを作りだしていく。そこに大きな力が生まれます。

談話筆記「高村光太郎先生説話 一」より
 昭和23年(1948) 光太郎66歳

浅沼政規著『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年=1995)からの転載です。故・浅沼氏は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの山口分教場が小学校に昇格した際、校長として赴任してきました。当時同校の児童だった子息の隆氏は今も光太郎の語り部としてご活躍されています。

浅沼校長は折に触れ、光太郎の語った言葉を筆録し、長短併せてその数30数編に及びます。「一」は山口小学校のPTA結成会での光太郎のスピーチ的なもの。

何だか今のコロナ禍を予言しているようにも読めますが、戦時中の耐乏生活、戦後の太田村の山小屋での厳しい生活を念頭に置いての発言でしょう。

たまたまネットで検索中に見つけた情報です 

大正から昭和を生きた画家・高村智恵子と、夫で彫刻家の高村光太郎を主人公にすえた10分の短編映画の助演を探しております。

監督・脚本はカンヌ短編映画祭・ベネチア映画祭・ロシアのアムール秋映画祭・武蔵野市後援映画・埼玉県主催絵映画を担当してきた高村狐堂。今作も、国内外の映画祭に応募予定です。また、現在月に1本短編映画を作っており、継続的に座付き役者として活動できる方を特に望んでおります。

【あらすじ】
 明治から昭和を生きた、画家・高村智恵子と彫刻家・高村光太郎(二人とも実在の人物)。大恋愛のすえに結婚した二人は幸福な人生を送るかに見えた。将来を嘱望された智恵子と光太郎の未来は明るいはずで、お互いの個展も決まっていた。
 しかし……。結婚してすぐ、暗雲が垂れ込めていく。家に光太郎の友人たちが訪ねてくる。自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。光太郎は、智恵子のサポートもあり次々と個展を成功させる。一方で家事炊事全般をやらされた智恵子は創作に手がつかなくなり、創作欲をもてあまして心を病むようになっていった。
 智恵子には大河ドラマ『いだてん』でも有名になった二階堂トクヨという親友がいた。その親友からは「実家に帰りなさい」「ひとり身になって絵を描き続けなさい」と助言される。智恵子は帰郷しようとするが、実家は破産・一家離散してしまう。智恵子の精神は限界に達し、精神病院に入院することになる。
 光太郎は病院に通うが、ついに智恵子は死んでしまう。光太郎はその臨終の席で、智恵子に檸檬を渡すのだった。光太郎はその時の記憶を『レモン哀歌』にしたため、世間からも好評をうける。一番喜んでほしかった智恵子は、もうそばにいないけれども。
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【募集内容】
・光太郎の友人・師匠役
・募集年齢:18歳~50歳頃
・報酬:軽食支給
・撮影日程:9月15日(火)19時~21時
・撮影場所:馬込駅徒歩10分の古民家

【応募方法】
・件名:『高村光太郎映画(仮)』/友人役応募/(応募者のお名前)
①年齢、身長、特技、趣味、出演経歴
②バストアップと全身写真
③ご自宅最寄り駅
④FACEBOOK・ツイッター・インスタ・TIKTOK・17ライブ・ショールーム・CHECKなどのURL。
⑤(あれば)映画および映像作品の、WEB上の映像リンク 
⑥オーディション方法
 ライン通話かZOOMで15分ほど。あるいは山手線の駅・会議室にて審査。
 日程は別途連絡いたします。
⑦エキストラ(台詞あり・なし)(役名あり・なし)での出演可能か。
 脚本上の別役対応可能か。

応募先:kodo0918@yahoo.co.jp

まずはご応募いただければ幸いです。
みなさまからのご応募、心よりお待ちしております。

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 スタッフ経歴
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脚本 - 高村 狐堂 Kodo Takamura
監督、脚本家。
・2019年イルミナシオン映画祭最終選考(別名義)脚本
・NHK創作ドラマ賞佳作(別名義)脚本
・カンヌ短編映画祭『FALL』脚本
・(上記とは別監督)カンヌ短編映画祭『茶色い水』脚本
・沖縄県主催映画『光の跡地』特別賞受賞 脚本監督(NHKにて5回放映)
・ロシアのアムール秋映画祭『歪な体温』脚本
・実在のバンドと手を組んだ音楽長編映画『かさぶた』脚本・助監督
・東北映画祭『311の娘たち』脚本・監督
・クロアチア映画祭長編映画『311の子どもたち』脚本監督
・茨城県自治体との共催中編映画『真夏の通り雨』脚本(2020年撮影)
・埼玉県内の全自治体との共催映画『うたたね』脚本(2020年撮影)
・青森県自治体との共催長編映画『セブンズドア』脚本(2021年撮影)

こういう募集もあるのですね。高村狐堂さんという方、当方は存じませんでした。高村姓ですが、光太郎血縁ではなく、おそらくペンネームなのではないでしょうか。

光太郎には、彫刻の上では師匠という師匠は居ませんでした(少年期であれば父・光雲やその高弟たちがそれにあたるかもしれませんが)し、二階堂トクヨは智恵子の親友ではなく恩師、さらに光太郎が開いた個展は生前には一度きり、それも最晩年になのですが、まぁ、そのあたりは演出上の脚色ということなのでしょうか。

そうした点はともかく、「自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。」という切り口、これまでも為されてきてはいますが、やはりあまり状況は変わっていない現代においても、十分に訴えかける部分があると思います。

我こそは、という方、ぜひご応募を。


【折々のことば・光太郎】

本当は技巧がよければ良い程いゝんですがね。所がそれが本当の技巧にならない時もあるし……然し又技巧を全く止して考へてみることも出来ないから一寸解らない、僕は非常に技巧が練達したと言はれて居る人のを見て拙く感ずる。
座談会筆録「第二回研究部座談会」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳

彫刻に関して、光太郎は小手先の技巧を駆使するやり方を認めていませんでした。といっても、技巧全般を無視するというわけではなく、最低限の技巧はベースとしてあるべきで、その後の処理ですね。技巧を見せることに終始しては本末転倒、内側から溢れ出る生命感みたいなものが、技巧を超えて表現されていなければならない、というわけでしょう。

新着情報系、無くはないのですが、一旦休止しまして、2~3日、「最近手に入れた古いもの」をご紹介します。

本日は、昭和43年(1968)発行のソノシート。

発端は、当会会友にして劇作家・女優の渡辺えりさんがご出演なさったテレビ番組「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~ 渡辺えり×石原正康」。8月22日(土)、BS朝日さんでオンエアされました。

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渡辺さん、お父様が光太郎と交流があり、幼い頃から光太郎の詩を聞かされて育ったとのことです。そしてご実家に飾られていた光太郎の肖像写真を、実のおじい様だと思いこんでいたそうで(笑)。ご自身も光太郎を主役とした演劇「月にぬれた手」を作られたり、連翹にも足繁くご参加下さったりしています。

そのお父様の件が話題になるかな、と思って拝見していましたところ、案の定でした。

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渡辺さん、お父様と光太郎の件は、これまでもさまざまなメディア等で語られていました。

ところが、今回の番組では、それに加えてまったく別の文脈から光太郎の名。それは……

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小学生の頃から、沢田研二さんの大ファンだったそうで……

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「あれする」というのは、「応募券的なものを集めて送る」という意味のようです。

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「ソノシート」とか「ちっちゃいプレーヤー」とか、1960年代「あるある」ですが、若い人はおわかりになるかどうか(笑)。

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「声」は、沢田さんの声です。

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するとここで、光太郎。

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なるほど。

この話は初めて伺いまして、気になって調べてみました。

すると、「某製菓」は「明治製菓」さん。昭和43年(1968)頃にザ・タイガースさんのソノシートがもらえるというキャンペーンを展開していたそうです。ソノシートは5種類、ザ・タイガースさんのメンバーが5人でしたので(岸部一徳さんがリーダーでしたね)、それぞれが「主役」のもの1種類ずつだったようです。

沢田さんは「あなたにささやくジュリー」。音声が動画サイトYouTubeにアップされていました。



光太郎の件は、0:42あたりから。

さて、そうなると、このソノシート自体も手に入れたいと思い、探してみましたら、意外にあっさり見つかりました。

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B面が「お部屋でおしゃべりタイガース」。5人のメンバー総出演です。おそらく5種類共通なのでしょう。こちらも聴いてみましたが、残念ながら誰が誰だか分かりません(笑)。渡辺さんなら、「あ、これがジュリーよ!」とすぐわかるのでしょうが(笑)。さらにおそらく当時の明治製菓さんのCMソングも入っていました。

そしてA面が「あなたにささやくジュリー」。

いやー、レトロです(笑)。

それにしても、タイガースさんより少し後の、西城秀樹さん野口五郎さんなどにも光太郎がらみのお仕事がありましたが、昔の歌手の皆さんはそうだったのですね。まあ、昔に限らず、そういうテイストが桑田佳祐さん米津玄師さんあたりに受け継がれているのかも知れませんが。

明日も「最近手に入れた古いもの」シリーズで行かせていただきます。


【折々のことば・光太郎】

人が見てゐなければどんな事でもする。法律に触れなければどんな不都合でもはたらく。露見しないうちはどんな賄賂でもとる。此の一聯の卑屈な、被圧迫民的、劣等感所有者的、素町人的な非倫理的根性が国民の間に瀰漫してゐるうちは、文化について云々する事すら馬鹿げてゐると思ふほどやり切れない気持に時々襲はれる。

散文「倫理の確立」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

現代においても状況は殆ど変わっていないような……。いや、「法律に触れなければ」でなくて「法律に触れようが」だったり、「法律に触れるなら法律の方を変えて」だったりする分、悪質化しているのかも知れません。

神奈川県鎌倉市にある川喜多映画記念館での特別展情報です。 

期 日 : 2020年9月11日(金)~12月13日(日)
会 場 : 鎌倉市川喜多映画記念館 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目2番地12号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館、翌平日を休館日とします
料 金 : 一般400円(280円) 小・中学生200円(140円)( )内は20名以上の団体料金

 2020年は、伝説的な存在として人々の記憶に留まり続ける二人の女優─原節子(1920年6月17日~2015年9月5日)と山口淑子(1920年2月12日~2014年9月7日)─の生誕100年にあたります。
 デビューから間もない1936年に日独合作映画のヒロインに抜擢され、一躍スターとなった原節子は、戦時中は国策映画、戦後は一転して民主主義映画のシンボルとして、国民的な人気を誇りました。そして、小津安二郎をはじめ巨匠たちと組んで大女優としての地位を確立したのち、若くして表舞台を去り、スクリーンにその輝きを残したまま、鎌倉の地で静かに余生を送りました。
 一方の山口淑子は、満州事変から日中戦争へと続く植民地支配下の中国に生まれ育ち、1938年に日本の国策映画会社・満映から《李香蘭》の名でデビュー、歌手として女優として、東アジアの大スターの座に君臨しました。終戦後、日中両国の間に挟まれ命からがら日本に戻った彼女は、国際派女優として、その後は司会者や政治家として、常に世界を見据えた視点で幅広い活躍を続けました。
 その生き方も、女優としてのイメージも大きく異なる二人ですが、本展では、同じ年に生まれ、ともに激動の時代を生き抜いた二人の女優の姿を、貴重な資料を通して振り返ります。

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関連行事

植木金矢作品展 映画女優・原節子を描く

10月8日(木)~11日(日)003
10:00/11:00/13:00/14:00/15:00
昭和28年、チャンバラ時代活劇「風雲鞍馬秘帖」で子供たちの心を虜にして以降、生涯にわたって多くのファンを魅了し続けた鎌倉在住の劇画家・植木金矢さん(享年97)。一周忌にあたる10月11日にあわせて作品展を開催します。植木さんは晩年、女優の中では「原節子」を最も多く描きました。植木さんが作品に込めた思いをぜひご覧ください。


トークイベント「李香蘭と川喜多長政を繋いだ“中華電影”」
10月17日(土) 『萬世流芳』上映後  ゲスト:刈間文俊さん(東京大学名誉教授)
満州に設立された映画会社「満映」からデビューした李香蘭と、上海に誕生した「中華電影」の最高責任者だった川喜多長政。同じ時代に中国の異なる土地で映画作りに携わっていた2人を結び付けたのは、両映画会社が共同製作した『萬世流芳』(1942 年)でした。トークイベントでは、長年にわたり中国映画の研究に従事されている刈間文俊さんに、当時の歴史的背景と中国の映画事情、李香蘭と川喜多長政の関わりについてお話しいただきます。
料金:(『萬世流芳』鑑賞料金含む)一般1,600円、小・中学生800円


トークイベント「晩年の李香蘭、山口淑子」
10月18日(日)『私の鶯』上映後   ゲスト:高橋政陽さん(テレビ朝日前記者)
奉天での幼少期、中国人として過ごした北京時代、思いがけない女優デビューとスターへの階段、敗戦と引揚げの混乱、戦後日本映画界での活躍、結婚と別れ、女優引退と外交官の妻としての日々、やがて司会者としてのテレビ復帰と政治家としての活躍…。文字通り激動の時代を生きた山口淑子さんの実人生の歩みとその人柄を、親交のあったジャーナリストである高橋政陽さんにお話しいただきます。
料金:(『
私の鶯』鑑賞料金含む)一般1,600円、小・中学生800円

トークイベント「原節子と『新しき土』」
10月31日(土)14:00~  ゲスト:石井妙子さん(ノンフィクション作家)
経済的な理由から女優になり、まだ間もない原節子にとって、スター女優への 道を決定づけた作品『新しき土』。日独の政治的な思惑が絡み合った本作において、原節子はどのような役割を果たしたのでしょうか。また、映画の宣伝のため半年にわたった欧米旅行は、彼女にどのような影響をもたらしたでしょうか。トークイベントでは、評伝「原節子の真実」で新潮ドキュメント賞を受賞し、最近では「女帝 小池百合子」の著者としても大きな話題を呼んだ石井妙子さんに、若き原節子と『新しき土』の関わりを紐解いていただきます。
料金:一般1,200円、小・中学生600円 チケット発売日:9月19日(土)

映画上映
東京物語(1953年/135分/松竹/白黒/DCP) 
 9/15(火)・17(木)・19(土) 10:30  9/16(水)・18(金)・20(日) 14:00
麦秋(1951年/124分/松竹/白黒/DCP)
 9/16(水)・18(金)・20(日) 10:30  9/15(火)・17(木)・19(土) 14:00
新しき土(1937年/日本=ドイツ/白黒/106分/ブルーレイ)
 10/27(火)・31(土) 10:30       10/28(水)・30(金)・11/1(日) 14:00
智恵子抄(1957年/東宝/白黒/97分/35mm)
 10/28(水)・29(木)・30(金)・11/1(日) 10:30 10/27(火)・29(木) 14:00
醜聞〈スキャンダル〉(1950年/松竹/白黒/104分/35㎜)
 11/23(月・祝)26(木)・28(土) 10:30 10/25(水)・27(金)・29(日) 14:00
白痴(1951年/松竹/カラー/166分/35㎜)
 11/25(水)・27(金)・29(日) 10:00  
 10/23(月・祝)・26(木)・28(土) 14:00
私の鶯(1944年/99分/東宝+満映/白黒/35mm)
 10月15日(木)14:00、16日(金)10:30 18日(日) 14:00
萬世流芳(1942年/151分/中華聯合製片+中華電影+満映/白黒/ブルーレイ)
 10月16日(金)14:00、17日(土)13:00
青い山脈/続・青い山脈【特別上映】
 (1949年/93分・84分/東宝=藤本プロ/白黒/35mm)
 11月10日(火)10:00、11日(水)14:00、12日(木)10:00、13日(金)14:00、
 14日(土)10:00、15日(日) 14:00
暁の脱走(1950年/116分/新東宝/白黒/35mm)
 11月10日(火)14:00、11日(水)10:30、12日(木)14:00、13日(金)10:30、
 14日(土)14:00、15日(日)10:30

《展示解説》/《上映解説》
展示の見どころと上映作品の解説を、学芸員が映像資料室内で実施します。(要特別展観覧料)
《展示解説》9/12(土)・10/24(土)・11/21(土)各日14:00~(約40分)
《上映解説》9/20(日)・10/4(日)・11/27(金)・12/4(金)各日午後の上映終了後(約30分)


昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」で智恵子役を演じられ、平成27年(2015)に亡くなった原節子さん、そして光太郎が入居する前の終焉の地・中野の貸しアトリエを借りていた彫刻家、イサム・ノグチの妻であった山口淑子さん(平成26年=2014没)。お二人を顕彰する展示/イベントです。

同館では、原さんに関しては、亡くなった翌年の平成28年(2016)にも「特別展:鎌倉の映画人 映画女優 原節子」を開催し、当方、拝見して参りました。「智恵子抄」の立看ポスターなどが展示されていましたし、その際にも「智恵子抄」の上映がありました。

それにしてもお二人が同年(大正9年=1920)の生まれで、今年が生誕100年とは存じませんでした。上記の通り亡くなったのは比較的最近ですので、お二人ともご長寿だったわけですね。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

お互いに日本を彫刻国として立派に作り上げる事に努力せねばなりません 日本は其に値する資格が十分にあると存じます

雑纂「(私信より)」全文 昭和15年(1940) 光太郎58歳

光太郎、日本人の「美」に対する意識や、古代から作り上げられてきた彫刻作品のレベルの高さなどは世界的に見ても遜色がないと考えていました。実際、それは否定できないでしょう。

ただ、そうした優位性に対する意識が翼賛思想に結びついてしまったのは残念なことですが……。

J-POPアーティスト・米津玄師さんのニューアルバム「STRAY SHEEP」を購入しました。

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ブルーレイ/DVD、アートブックなどの付録がいろいろ選べるさまざまな「○○盤」が出ていますが、CDのみの通常盤を買いました。

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米津さんご自身が、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっている「Lemon」をはじめ、「カムパネルラ」、そして表題作の「迷える羊」など、近代文学の香りがプンプンします。

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念のため書いておきますが、「カムパネルラ」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の登場人物、「迷える羊(STRAY SHEEP)」は夏目漱石の「三四郎」で、ヒロインの美禰子が口にするセリフです。さらに遡れば元ネタは「聖書」ですが。また、蛇足ながら美禰子のモデルは、智恵子に『青鞜』の表紙絵を依頼した日本女子大学校の先輩・平塚らいてうとも言われています。

その他、ドラマやCMのタイアップソングが多いので、いつの間にか耳にしていた曲がいろいろ収録されており、コアなファンの皆さんにとっては「何を今さら」なのでしょうが、当方など、「ああ、この曲も米津さんだったか」というものが複数ありました。

 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

アルバム全体を貫く一本の芯のようなものと、それぞれ違った彩りを見せる各曲のテイストと、そのあたりのバランスが絶妙だな、と感じます。そういう意味では、優れた詩人の「詩集」にも通じるところがあるのではないでしょうか。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

このさき、どうして金をとつて勉強していゝか、初めて世の中へ抛り出されて途方に暮れながら、第五街の下宿の窓から、街路の突き当たりに、まんまろく出た満月を見て、故郷の父母弟妹のことを思ひ、止度(とめど)なく涙の出たのを忘れません。

アンケート「私が一番深く印象された月夜の思出 文芸家三十六氏の回答」より
大正11年(1922) 光太郎40歳

雑誌『主婦之友』第六巻第十二号掲載。アンケート全体の題名以外に、各回答者の回答に小題が別に付けられています。光太郎の項は「紐育の満月」。明治38年(1905)、3年半にわたる海外留学の、最初に落ち着いたニューヨークでの思い出です。

無理くりですが、米津さんの歌の歌詞になりそうなシチュエーションですね(笑)。

J-POPアーティスト米津玄師さんのニューアルバムが発売されます。 

2020年8月5日(水) ソニーミュージック

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通常盤 CD only ¥3,000+税  おまもり盤 初回限定CD+ボックス+キーホルダー ¥4,500+税
アートブック盤 初回限定CD+Blu-ray or DVD+アートブック ¥6,800+税


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CD
 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

Blu-ray・DVD(「アートブック盤」のみに収録)
 LIVE VIDEO 米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃
  01. Flamingo / 02. LOSER / 03. 砂の惑星 / 04. 飛燕 / 05. かいじゅうのマーチ /
  06. アイネクライネ / 07. 春雷 / 08. Moonlight / 09. fogbound / 10. amen / 11. Paper Flower /
  12. Undercover / 13. 爱丽丝 / 14. ピースサイン / 15. TEENAGE RIOT / 16. Nighthawks /
  17. orion / 18. Lemon / EN1. ごめんね / EN2. クランベリーとパンケーキ / EN3. 灰色と青

MUSIC VIDEO
 01. Lemon / 02. Flamingo / 03. TEENAGE RIOT / 04. 海の幽霊 / 05. パプリカ / 06. 馬と鹿


問題は(って、問題があるわけではないのですが(笑))、「Lemon」。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。


ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

唯のほほんとした明るさでは困るが内に確かな覚悟を持つた上、百難を踏み越える心の明るさをほのぼのといつも身につけてゐることは、今日のやうな時代には殊に望ましい。その明るさはおのれ自身を好ましいものにさせると同時に、その周囲にゐるものをまで何となく心ゆたかにさせる。真の明るさは無敵である。

散文「『職場の光』詩選評 十二」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「今日のような時代」は戦時中という意味ですが、コロナ禍の現在にも通じるような気がします。

都内からコンサート情報です。 

期 日 : 2020年8月10日(月・祝)
会 場 : 浜離宮朝日ホール 東京都中央区築地5-3-2
時 間 : 14:00~16:00 開場13:30
料 金 : 一般5,500円 学生席2,700円 全席指定

出 演 : 小林沙羅(Sp)  河野紘子 (Pf)  見澤太基 (尺八)  澤村祐司 (箏)

曲 目 :
 武満徹 : 小さな空 (詩:武満徹)
 山田耕筰 : この道 (詩:北原白秋)
 山田耕筰 : 赤とんぼ (詩:三木露風)
 山田耕筰 : ペチカ (詩:北原白秋)
 中田章 : 早春賦 (詩:吉丸一昌)
 越谷達之助 : 初恋 (詩:石川啄木)
 武満徹 : 死んだ男の残したものは (詩:谷川俊太郎)
 中村裕美 : 「智恵子抄」より (詩:高村光太郎)
          或る夜のこころ  あなたはだんだんきれいになる  亡き人に
 早坂文雄 : うぐひす (詩:佐藤春夫)
 瀧廉太郎 : 荒城の月 (詩:土井晩翠)
 宮城道雄 : せきれい (詩:北原白秋)
 宮城道雄 : 浜木綿 (詩:宮城道雄)
 井上武士 : うみ (詩:林柳波)
 橋本国彦 : お六娘 (詩:林柳波)
 橋本国彦 : 舞 (詩:深尾須磨子)
 小林沙羅 : ひとりから (詩:谷川俊太郎)

CDアルバム「日本の詩」制作のきっかけとなったのは、2018年8月浜離宮朝日ホールでのランチタイムコンサートでした。私にとって、そして日本語を母国語とする私たちにとって、日本の歌は魂に結びついたとても大切なものなのだということを、強く感じたのでした。今回、アルバム「日本の詩」発売記念リサイタルを、浜離宮朝日ホールで開催できる日を、心から楽しみに思っています。 3月に開催予定だったこのリサイタルが延期となり、演奏会のない毎日を過ごす中で、どれだけ音楽が、歌が、私にとって大切なものであったか、生で演奏会を開き、お客様と一緒に時間と空間を共有する事がどれだけ掛け替えのない事であったのかを、改めて感じます。8月10日に演奏会を開催する事ができ、お客様皆さまとお会いできる事を心から願っています。 皆さまどうぞご自愛ください。そしてコンサート会場でお会いしましょう!8月10日のコンサートが、祈りと感謝と喜びに満ちたコンサートになりますように。

本公演は2020年3月12日(木)に予定されておりました公演の振替となります。当初、中止となった公演のチケットをお持ちの方はそのままご入場いただけますとご案内いたしましたが、ソーシャル・ディスタンスの観点により、お座席の間隔を空けての実施となりましたので、3月の公演チケットではご入場いただけません。3月のチケットをお持ちの方は払戻手続きの上、新たに本公演のチケットをお買い求め下さい。

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上記説明にある通り、昨秋リリースされた3rdアルバム「日本の詩(うた)」のリリース記念として、3月に開催予定だった公演が新型コロナの影響で延期となったものです。光太郎詩に曲をつけられたものも、「或る夜のこころ」はCDにも入り、福島県棚倉町でのNHKさんの「クラシック倶楽部 小林沙羅&山本耕平 デュオ・リサイタル」公開収録でも演奏されましたが、それ以外に「あなたはだんだんきれいになる」と「亡き人に」もラインナップに入っています。作曲は中村裕美さんという方です。



ご都合の付く方、コロナ対策を充分になさった上で、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

愛こそは詩を生む母胎である。感情に甘えてはいけないが―。

散文「『職場の光』詩選評 十」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

小林さんの演奏された「或る夜のこころ」。『智恵子抄』所収の詩篇が元ですが、大正元年(1912)、智恵子への揺れ動く「こころ」を謳った詩です。光太郎数え30歳、遅まきながら初めての真摯な恋愛「感情」に「甘え」ることなく、必死で抑えようとして抑えられない、そういった苦悶も見て取れます。

今年四月に亡くなった、大林宣彦監督の遺作が公開されます。 

監督 : 大林宣彦
脚本 : 大林宣彦 内藤忠司 小中和哉
出演 : 厚木拓郎 細山田隆人 細田善彦 吉田玲 成海璃子 山崎紘菜 常盤貴子他
音楽 : 山下康介
製作 : 「海辺の映画館―キネマの玉手箱」製作委員会
配給 : アスミック・エース
封切 : 2020年7月31日(金)より全国順次公開

尾道の海辺にある唯一の映画館「瀬戸内キネマ」が、閉館を迎えた。嵐の夜となった最終日のプログラムは、「日本の戦争映画大特集」のオールナイト上映。上映がはじまると、映画を観ていた青年の毬男(厚木)、鳳介(細山田)、茂(細田)は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、スクリーンの世界にタイムリープする。

江戸時代から、乱世の幕末、戊辰戦争、日中戦争、太平洋戦争の沖縄……3人は、次第に自分たちが上映中の「戦争映画」の世界を旅していることに気づく。そして戦争の歴史の変遷に伴って、映画の技術もまた白黒サイレント、トーキーから総天然色へと進化し移り変わる。

3人は、映画の中で出会った、希子(吉田)、一美(成海)、和子(山崎)ら無垢なヒロインたちが、戦争の犠牲となっていく姿を目の当たりにしていく。3人にとって映画は「虚構(嘘)の世界」だが、彼女たちにとっては「現実(真)の世界」。彼らにも「戦争」が、リアルなものとして迫ってくる。

そして、舞台は原爆投下前夜の広島へ――。そこで出会ったのは看板女優の園井惠子(常盤)が率いる移動劇団「桜隊」だった。3人の青年は、「桜隊」を救うため運命を変えようと奔走するのだが……!?

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直接、光太郎には関わらないのではないかと思われますが、戦時中、ラジオで光太郎の翼賛詩を朗読していた丸山定夫率いる移動演劇団「桜隊」が、映画のクライマックスで描かれます。桜隊は広島の原爆で被災、大怪我を負った丸山は終戦の翌日に息を引き取りました。映画では窪塚俊介さんが丸山を演じられています。

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今月初めにNHKさんのBS1で放映された追悼番組「BS1スペシャル▽映画で未来を変えようよ~大林宣彦から4人の監督へのメッセージ」を拝見しました。それによれば、他の作品でも「戦争」にこだわってきた大林監督、広島尾道での幼少期のご経験が原体験となっていたようです。

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当時の例にもれず「軍国少年」だった監督。しかし、やがて戦局の悪化と共に……。

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こうした原体験、さらにプロデューサーであらせられる奥様から聞いた、東京大空襲の惨状。それらがこれまでの作品に投影されていたそうで。

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そして「海辺の映画館―キネマの玉手箱」。そうした部分の集大成ともいえる内容です。

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病をおして制作に執念を燃やした大林監督。

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006亡くなったのは、コロナ禍で延期されたこの映画の元々の公開予定日でした。監督からのメッセージ、正しく受け止めなければなりますまい。

ちなみに以前にも書きましたが、当会会友・渡辺えりさんもご出演。えりさんのお父様は、戦時中、中島飛行機(現・SUBARU)の武蔵野工場で働いていらして、丸山も朗読した光太郎の「必死の時」をそらんじることで、空襲の恐怖におびえる気持をまぎらわせたそうです。

新型コロナ感染には充分お気を付けた上で、ぜひ足をお運び下さい。



【折々のことば・光太郎】
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各人皆自己の内に神が宿つてゐることを信ずべきだ。精神ある者にとつては目に触るるもの皆詩である。

散文「『職場の光』詩選評 二」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

雑誌『職場の光』は、えりさんのお父様のような、戦時中「産業戦士」と呼ばれた工場労働者向けの雑誌。大日本産業報国会の発行でした。「産報文芸」という、読者の投稿ページがあり、詩の項の選者を光太郎が務めました。これまでに十二回分の選評を確認しまして、うち、五回分は草稿からの採録で『高村光太郎全集』に掲載、他の七回分は掲載誌を発見し「光太郎遺珠」に掲載しました。一般読者が書いた投稿作品の選評ですが、光太郎自身の詩論が色濃く反映されています。

本日も「最近手に入れた古いもの」シリーズです。

本日はアナログレコード。昭和38年(1963)リリースの「高石かつ枝愛唱集」。

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過日ご紹介した「野口五郎 増刊号」同様、LPレコードです。レーベルはコロムビアさん。

全8曲中の「初恋」という歌が、「智恵子抄」、安達太良山、阿武隈川、そういった内容になっています。

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作詞は丘灯至夫。智恵子の故郷・二本松にほど近い小野町の出身です。二代目コロムビア・ローズさんのヒット曲にして、二本松市民のソウルソング「智恵子抄」も丘の作詞でした。

ところが「智恵子抄」は昭和39年(1964)のリリースで、それより1年早く、この「初恋」を含む「高石かつ枝愛唱集」が出ています(「初恋」はシングルカットされていません)。いわば「智恵子抄」の原型のような感じですね。

「初恋」、平成22年(2010)発売の「青春スター~ときめきのヒロイン~3 高石かつ枝 旅の夜風」というCDに収録されており、以前に入手しているので、聴いたことはあったのですが、やはりオリジナルのレコードがほしい、と思って購入しました。

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それから昨日気付きましたが、Youtubeにもあがっていますね。


ところで、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」への讃歌として昭和28年(1953)に佐藤春夫が作詞し、本間千代子さんの歌でレコード化された「湖畔の乙女」(昭和39年=1964)という歌があります。当初は本間さんではなく、高石さんの歌でレコーディングまで済んでいたのが、高石さんの移籍(コロムビア→クラウン)に伴い、歌手が変更になったとのこと。



どちらもコテコテの「懐メロ」という感じですね。コテコテついでに(笑)二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」も貼っておきます。



ところで高石さん、「おとめの像」(昭和39年=1964)という歌も歌われています。こちらは十和田湖の乙女の像ではなく、北海道稚内にたつ「九人の乙女の像」(昭和20年=1945 8月20日に樺太の真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑)をモチーフとした歌です。像(レリーフ)は、光太郎のDNAを受け継ぐ彫刻家の一人、本郷新が制作に当たりました。

NHKさんの朝ドラ「エール」で、この手の(現在のところ、もう少し前の時代ですが)懐メロに光が当たっています。ある部分では「文化遺産」的な要素もあるわけで、いずれは「保存」とか「伝承」とか「××遺産」とかいう話になっていくのでしょうか。


【折々のことば・光太郎】

美いづくにありや 美腹中にあり 
短句揮毫 戦後期 光太郎65歳頃

花巻温泉で色紙に揮毫した句です。

新型コロナの影響で、各種イベント等の中止や延期が相次ぎ、またしてもネタ不足に陥っています。

そこで、少し前にもこれでしのぎましたが、「最近手に入れた古いもの」シリーズ。特に急ぎの情報が入らなければ、しばらく続けます。

今日ご紹介するのは、昭和6年(1931)5月1日発行『童謡詩人』(大分市大道町五丁目  童仙房内 新興日本童謡詩人会 編輯兼発行者後藤楢根)復刊第一号通巻第二十五冊。


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こちらに、筑摩書房さん『高村光太郎全集』、その補遺たる「光太郎遺珠」ともに未掲載の光太郎の文章が載っていました。題して「藻汐帖所感」。過日ご紹介したブロンズ彫刻の代表作「手」に関する散文「手紙」(大正8年=1919)と同様のケースです。


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若干長いのですが、全文をご紹介します。

 童謡は深く到つた詩人であつてはじめて書ける。童子の無心の作に、時に魂をうつものゝある事は事実であるが、此は問題外とせねばならぬ。此は自然に於ける風の声、水の音と等しい芸術以外の神韻である。童子は間も無くその天籟を失ふ。地上に落ちる。落ちる事が即ちわれわれの問題圏内に突入する事である。

われわれ」は繰り返し記号「〱」を使用していますが、横書きのこのブログでは表記できません。

ここにあるように、子供が時折、大人をはっとさせるような言語表現をすることがありますが、それを「天才詩人」としてしまうのは危険です。まだ言語体系がしっかり身についていない子供だからこそ、大人が思いつかないような比喩やオノマトペなどを自然と口にするのであって、意識してのものではないからです。光太郎、その点、よくわかっていますね。

 天性的に、生涯、童子の性情を失ひ切らぬ者がある。かゝる種類の詩人こそ、天成の童謡詩人で、童謡とは本来斯の如き詩人にのみ許された詩の一ジヤンルであつて、斯の如き詩人以外の詩人の筆のすさびに成る、童子の発想法を模倣した片言まじりの詩の如きは、極言すれば童謡の冒涜に過ぎない。

ここで具体名は書かれていませんが、他の文章では「童子の性情を失ひ切らぬ」詩人の例として、光太郎は盟友・北原白秋の名を挙げています。

 元来童子は成人しようとする猛烈な意慾を持つて居り、決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。常に年齢以上の智慧と知識と情感とにあこがれ、一日も早く人生の全幅にその視野をさらさうとしてゐるものである。その全力を傾けて自然と人生とに間断無き探求をつゞけてゐるのが、あの童子特有の「なぜ」であり、「それから、それから」である。この張り切つた力の間からこそ童子の天籟たるあの自作童謡も生れる。
 童子は決して、詩人が童子の稚態を模倣揣摩したやうな、力をぬいた童謡をありがたいとは思はない。さういふものを弄ぶ事はあらう。けれどしんから其に喜を感じはしない。全力をあげて詩人自身が詩人自身の生活を生きる時、その裸心から生れたやうな詩にのみ真の満足を得る。尠くともさういふ童子のみがたのもしい。
 詩人の境地も亦一度天籟を失ふ。落ちる。落ちてから詩人の真の鍛錬がはじまる。心と技との鍛錬である。この鍛錬に耐えた詩人はつひに再び童子の前に恥ぢなくてもいゝ境涯を獲得する。転落以前の天籟に比して、この以後の境涯こそ人間にとつて一層親密であり一層喜の大なるものである。

当方、子供の頃、子供におもねるような易しい絵本は嫌いでした。子供心に「子供と思ってなめるなよ!」という反発心があったのです。まさに光太郎の言う通り「決して単なる甘やかされた言葉に真の満足を感ずるものではない。」というわけで、少し難しくても、しっかりと内容のあるものが好きでした。今でもよく覚えているのは、4、5歳の頃好きだったスサノオとヤマタノオロチの神話の絵本です。

それから、文章ではありませんが、ミニカー。子供向けにデフォルメされたそれには見向きもしませんで、精巧な何十分の一スケールといった本物そっくりのものを好んでいました。

これら、異論はありましょうが。

 平木二六君の「藻汐帖」を通読して感ずるものは、其が徒に童子の言葉をかりて童子の心を迎阿するやうな詩でない事である。此は確に平木君のつきつめた詩であり、しかも其が同時に童子の心を含むものである事である。童子は此等の詩によつて甘やかしてもらへないであらう。けれど童子は此等の詩によつて叡智の満足を得るであらう。又は叡智に滴る詩情への促歩を感ずるであらう。平木君の此等の詩の謡はれてゐるミリユウは平木君独特の俳諧的風趣、田園侘住居的情趣に満ちてゐる。此は平木君の生活自身から必然に生れたのであつて、容易く第三者の容喙し得ないところである。平木君は更に廣い人生に果敢の歩を進めてゐる。「藻汐帖」一巻は此気稟高き詩人の或る期間に於ける好個の記念となるに違ひない。私はかゝる境涯を既に持ち得た者の今後の前進をたのしく見守つてゐる者である。

ここからが本題で、題名にある『藻汐帖』。平木二六(じろう 本名は同じ字で「にろく」)という詩人の詩集です。その名は『高村光太郎全集』にありませんで、当方、寡聞にして存じませんでしたが、室生犀星に師事した詩人だそうです。『藻汐帖』は、『童謡詩人』巻末に広告が載っており、それによれば『童謡詩人』とおなじ童仙房から昭和5年(1930)に刊行されています。副題的には「平木二六童謡集」とのこと。

ミリユウ」は「環境」を意味する仏語「milieu」です。

(作品について一言すると、材題のひろく感情移入の強い第一部のものも面白いが、第二部の日常茶飯詩に深い、巧みな表現があり、更に第三部の幽遠な俳諧に至つてはまつたくユニツクな境地を拓いてゐる。
   霜に割れる
   谺
   月に
   届く
 といふ「寒村餅搗図」の如きその好適例である。)

これで全文です。

この手の光太郎の評論、実によく対象の本質を捉え、的確に表しています。書評とはかくあるべし、ですね。

『童謡詩人』、主宰していたのは後藤楢根なる人物。こちらも『高村光太郎全集』人名索引にはその名が無く、未知の人物でした。大分で教師の傍ら児童文学作家としても活躍していたそうです。同誌には三木露風、与田準一らも寄稿していたとのこと。

光太郎の寄稿もこの「藻汐帖所感」のみではなく、昭和4年(1929)11月20日号にも「佐藤実遺稿童謡集『茱萸原』読後」なる短評を寄せていました。そちらは『高村光太郎全集』第20巻に既収です。もしかすると、まだ未知の文章が『童謡詩人』の他の号に載っているかも知れません。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

無二無三の道  短句揮毫 昭和15年(1940)頃 光太郎58歳頃

言い換えれば、唯一の道、でしょう。己の進むべきベクトルをこう表現できるというのも、ある意味、凄いことかなと思います。ただ、この後は太平洋戦争という魔物が口を開けて待っていたのですが……。

『日本農業新聞』さんの一面コラムに、光太郎の短歌。6月25日(木)の掲載です。 

四季 厄災の中で詩歌がどれほど心を慰めてくれることか 000

厄災の中で詩歌がどれほど心を慰めてくれることか。岩波文庫別冊『声でたのしむ 美しい日本の詩』で、改めて実感した▽編者は最高の“ 目利き”の大岡信、谷川俊太郎ご両人で、肝は〈声でたのしむ〉。谷川さんは末尾で「つい百年前まで詩は吟じるのが当たり前だった」と説く。確かに声を出すのと、ただ字面を目で追うのとは感じ方、体感する言の葉の響きが違う▽和歌から近・現代詩まで幅広い。珠玉作をいくつか。〈うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがり情悲しも独りおもへば〉( 大伴家持)。〈海にして太古の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと〉(高村光太郎) 。〈マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや〉(寺山修司)。既に万葉の時代に情を〈こころ〉と読む。光太郎の歌は青年の大志と不安を指す。寺山の〈身捨つる祖国〉の大胆な表現に驚く▽ちょうど「青嵐(せいらん)」の時分で詩は茨木のり子「六月」がいい。〈どこかに美しい人と人との力はないか〉と問い〈したしさとおかしさとそうして怒りが鋭い力となってたちあらわれる〉と結ぶ。与謝野晶子の〈君死にたまふことなかれ〉。副題は「 旅順口包囲軍の中に在る弟を歎(なげ)きて」。代表的な反戦歌でもある▽朗読こそが詠み人の魂に近づく道かもしれない。

引用されている光太郎の短歌は、明治39年(1906)、3年半にわたる欧米留学の旅立ちに際し、横浜港から乗船したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアン船上で詠んだものです。引用元の『声でたのしむ 美しい日本の詩』の編者のお一人・故大岡信氏が、『朝日新聞』さん紙上で連載されていた「折々のうた」の、記念すべき第一回に取り上げられもしました。

光太郎自身は、「此の歌、余の代表作の如く知人の001間に目され、屡〻(しばしば)揮毫を乞はる。余も面倒臭ければ代表作のやうな顔をしていくらにても書き散らす。余の短冊を人持ち寄らば恐らくその大半は此の歌ならん。雑誌『キング』第5巻第9号 昭和4年=1929と書いていますが、なかなかどうしてやはり「秀歌」といっていいものだと思います。

ちなみに『声でたのしむ 美しい日本の詩』、このブログではご紹介しませんでしたが、岩波書店さんから今年初めに刊行されています。

是非お買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

上州と聞けば赤城山 高橋成重、萩原恭次郎

アンケート「上州とし聞けば思ひだすもの、事、人物」全文
 昭和10年(1935) 光太郎53歳

雑誌『上州詩人』第17号に掲載されました。「高橋成重」は、高橋元吉が一時期使っていた筆名「高橋成直」の誤植です。

昨日ご紹介したアンケート「山と海」でも、山としては何度も訪れた赤城山を挙げ、海ではアセニアン船上での太平洋航海を語っています。

昨日の『朝日新聞』さん、高知版から。 

高知)「客が一人でも上映」 山の中の映画館・大心劇場

 ウグイスのさえずりが里山に響く。周囲1キロに000集落もない。「山の中の映画館」と呼ばれる「大心(だいしん)劇場」(高知県安田町内京坊)を館主の小松秀吉さん(68)は38年間、続けてきた。なぜ、そんな不便な場所で営業を続けるのか。
 ――開館のきっかけは
 父親が約2キロ先の街中で、1954年から映画館を経営していた。テレビの普及で利用客が減り、休館状態となった。当初は取り壊す予定だったが、父親が自宅の敷地内に移築すると決断した。82年に「大心劇場」の名で開館。30歳だった自分が館主となった。
――なぜ移築したのですか
 昭和の映画館を残すのと、映画館が好きな息子の私のためという二つの思いが、父親にあったのだろう。以前の映画館では、3歳のころからステージや客席が遊び場。中学、高校時代は夏、冬休みにアルバイト感覚で、自分でフィルムを借りて上映していた。大阪の大学に進学後も、映画館巡りは欠かさなかった。
 ――よく開館に踏み切った
 最初は、昭和の映画館を体感できる博物館を始めるつもりだった。映写機やスクリーン、昭和の映画のポスターも200枚は集めていたから。旅先でここを知った旅行客に寄ってもらえるかもって。でも、県内で次々と単館の映画館が姿を消すのを見ちゃうとね。設備がそろっているのに、なぜ上映しないのかと、思うようになった。
 ――経営はどうでしたか
 当初は父親の印鑑の営業などを手伝い、上映で赤字が出てもその収入で補?(ほてん)した。10年ぐらい前から黒字になり、次回のフィルム代くらいは出るようになった。
 ――どうやって黒字に
 人とのつながりだ。大学時代に映画館ともう一つ夢中になったのがギターの弾き語り。「豆電球」の名前で地域の秋祭りなどで歌っている。そこで知り合った人に映画館を紹介する。そのうち、来館者が県内外に100人できた。
 家族経営なのでかかるのは電気代やフィルム代。一週間の上映で100人入れば黒字。客が足らないと「あんたが100人目よ」と100人の誰かに連絡すると、本当に来てくれる。
 ――音響がいいと聞きました
 フィルム映写機のドキュメンタリー映画「旅する映写機」で取材を受けた時、音響スタッフが館内のスピーカーや新しいアンプなどを使ってドルビーデジタルサラウンドを出せるよう再構築してくれた。館は木造で音の反響が柔らかい。大音量で音が外に漏れても文句をいう家はない。
 ――新型コロナウイルスの影響で休業3カ月後の今月、再開。最初の上映映画は「上を向いて歩こう」でした
 お客の顔を見ると本当にうれしかった。(坂本)九ちゃんの歌が流れた時は、涙も出たし、これからも上映する覚悟が持てた。知らない者同士が、同じ空間の中で映画から一人ひとり力をもらう。映画館の醍醐(だいご)味やね。(今林弘)
     ◇
 こまつ・しゅうきち 高知県安田町出身。映画館とその隣で喫茶「豆でんきゅう」を経営。大心劇場(0887・38・7062)は、懐かしい日本映画を中心に1作品約1週間の期間で1日2回(午後1時、7時)、月2作品を上映。客席84席。次回上映は6月27日~7月4日の「智恵子抄」。詳細はホームページ(http://wwwc.pikara.ne.jp/mamedenkyu/別ウインドウで開きます)。


5月のこのブログでご紹介
させていただいた、高知県安田町のミニシアター、大心劇場さん。コロナがなければ3月に昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を上映して下さる予定でした。今月から営業を再開され、最初は昭和37年(1962)の日活映画「上を向いて歩こう」(舛田利雄監督・坂本九さん主演)を上映。続く再開2本目が、延期措置となった「智恵子抄」だそうです。 

昭和の名作。感動の大公開!! 智恵子抄002

期 日 : 2020年6月27日(土)~7月4日(土)
会 場 : 大心劇場 高知県安芸郡安田町内京坊992-1
時 間 : 1回目昼1時より 2回目夜7時より
料 金 : 1,500円

<監督>中村 登 <原作>佐藤 春夫/高村 光太郎
<出演者>岩下 志麻、丹波 哲郎、ほか
<作品紹介>美しく清らかな純愛をうたう感動無限の最高名篇

画像は3月公開予定時のものです。日程ご注意ください。

光太郎役の故・丹波哲郎さんは、ご自分で最も気に入っていた出演作の一つだそうですし、若き日の岩下志麻さん演じる智恵子の鬼気迫る様子、見応えのある作品です。

また、個人的な理由になりますが、おそらく当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区でもロケが行われており(冒頭近くの「パンの会」のシーン)、感慨深いものがあります。

それにしても、『朝日新聞』さんの記事を読み、経営されている小松秀吉氏の「意気」に感動しました。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

言葉はまた着物の裂れ地と同じく、聯絡や関係が大切なのであつて、一部分のものではない。前後の関係、時間の関係に依つてその美が生れるのだから、その均衡に対する鋭い感じがないと、たていとばかり利いて横糸の弱いものが出来上つたりしてしまふ。

談話筆記「ことばの美に就いて」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

彫刻家としての造型感覚が、言葉を紡ぐ上でも有効に作用していた光太郎ならではのとらえ方ですね。

演劇の公演情報です。新型コロナによる緊急事態宣言もとりあえず解除され、少しずつこうしたものも復活しつつあるようです。 

期 日 : 2020年6月27日(土)・28日(日)
会 場 : パフォーミングギャラリー&カフェ『絵空箱』 
       東京都新宿区山吹町361 誠志堂ビル
時 間 : 27(土)15時/19時 28(日)13時/17時 上演時間90分(休憩込)
料 金 : 3,700円(ワンドリンク付)

高村光太郎の妻 『智恵子抄』の智恵子 そんなあたしは こう生きた……

作:野田秀樹 出演・演出:角田佳代

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「売り言葉」、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主役・大竹しのぶさんで初演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。翌年に新潮社さんから出版された野田氏の脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められた後、プロアマ問わず全国で取り上げられています。昨年は確認できている限り6件の公演がありましたし、今年に入っても、コロナ禍がひどくなる前に、2件の公演がありました。

コロナ禍といえば、今回の公演、だいぶ感染予防等には注意を払って行われるようです。

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まあ、暫くの間は、この手の公演などはこんな感じなのだろうと思います。それでも上演されるだけまだいいかな、と感じます。

少し前、渡辺えりさんと電話でお話する機会があったのですが、3月くらいから演劇公演等は軒並み自粛、特に若い役者さんたちには死活問題だそうで……。

ちなみに当方も講師を依頼されていた市民講座等、上半期はすべて中止or延期となり、まぁ、死活問題とまでは行きませんが、結構困りました。その分、秋口にはかなり依頼が入っています。ただ、それも第二波、第三波によって無くなるかもしれず、何とも言えません。

早く旧に復して欲しいものですが、まだまだ予断を許さない状況が続きそうですね……。


【折々のことば・光太郎】

どんな時にも光を見失はず いたづらに人生に対して駄々をこねず 勇猛に前進する気魄を言葉の節奏に感じました。

散文「詩集“陽とともに”を読む」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

『陽とともに』は、ともに北海道出身の詩人・枯木虎夫と山内栄二の共著詩集です。

「どんな時にも光を見失はず いたづらに人生に対して駄々をこねず 勇猛に前進する気魄」。コロナ禍の今こそ、こうした精神が必要なのかもしれませんね。

栃木県小山市の広報誌『広報おやま』の今月号に、光太郎の名。 

シリーズ小山の歴史199 紀元二千六百年 昭和15(1940)年

 「日本書紀」の記述を西暦におきかえると、神武天皇が東征して大和(やまと)を平定し、橿原(かしはら)宮で即位したのが紀元前660年にあたります。昭和15年は神武天皇の即位以来2600 年にあたる年だとして、奉祝記念行事が行われました。神話に登場する神武天皇が、 建国の神祖として称揚されました。泥沼化した日華事変(日中戦争)で国力を消耗し、 予定されていたオリンピックも万国博も返上した日本が、内外に向け国威発揚を企図したこの「紀元二千六百年奉祝」でした。
 日華事変下の奉祝昭和15年は紀元二千六百年一色に染め上げられた一年でした。「〽金鵄(きんし)輝やく日本の栄えある光身にうけていまこそ祝えこの朝(あした)紀元は二千六百年ああ一億の胸はなる」と、奉祝国民歌「紀元二千六百年」がラジオから流れていました。またこの年、高村光太郎作詞の「歩くうた」も、戦時下に歩くことが奨励され、シンプルな文句をリズミカルな曲で、かなりのヒット曲となりました。神武天皇即位の聖地・畝傍山(うねびやま)(奈良県)の麓の橿原宮では社殿が修復され、「建国奉仕隊」と称する勤労奉仕団が全国からくり出し、その数は延べ百二十万人に達しました。約50万平方メートルの敷地をもつ神宮外苑が造られ、橿原文庫、大和歴史館、総合グラウンド、森林公苑などがここに生まれました。

(以下略)
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長いので全文は引用しませんが、この後、小山市での紀元2600年の様子が少し紹介され、さらに皇居での式典の様子が述べられています。

その枕として、この年のヒットソングというわけで、光太郎作詞、飯田信夫作曲、徳山璉(たまき)歌唱の「歩くうた」が取りあげられています。当時はオリコンチャート○位、といったものはなかったと思われますので、どの程度のヒットだったのかは何ともわかりませんが……。ただ、確認できている限りレコードはインスト版も含め、4種類も発売されています。ま、何はともあれ、光太郎の「負の遺産」の代表格ですね。

作曲者・飯田信夫は、他に同じ徳山が歌った「〽とんとん とんからりと 隣組 」の「隣組」(岡本一平作詞)などでも有名な作曲家です。現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「エール」の主人公、窪田正孝さん演じる古山裕一のモデル、古関裕而とも交流があり、ドラマでも取りあげられた古関作曲による早稲田大学応援歌「紺碧の空」のレコード(戦後の昭和26年=1951)は、飯田が編曲しています。

「エール」といえば、現在は新型コロナの影響なのでしょう、今週からスピンオフ的な回が続いていますが、おそらく、今後、戦時の話となり、古関作曲の「負の遺産」である「露営の歌(〽勝ってくるぞと勇ましく……)」、さらには「若鷲の歌(予科練の歌、〽若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨……)」なども取りあげられるのではないかと思われます。既に伏線は張られているようです。二階堂ふみさん演じる裕一の妻・音の実家「関内馬具店」が軍用の馬具を制作しているという話の流れで、音は間接的に戦争に荷担していることにしこりを感じ、裕一は「でも、馬具が兵隊さんを守ってくれてるんだから……」的なことを言って慰めるシーンがありました。おそらく後の軍歌や戦時歌謡を暗示していたのでしょう。

また、やはり「エール」と言えば、昨日放映のスピンオフ「環のパリの物語」では、「智恵子抄」を連想してしまいました。音の師にして、三浦環をモデルとする双浦環(柴咲コウさん)の若き日の物語。オペラ「蝶々夫人」の主役の座を射止めた環に対し、恋人の売れない画家・嗣人(金子ノブアキさん)は売れない画家のまま……。嗣人は環の成功を素直に喜べず、あまっさえ嫉妬したり、環に歌をやめてくれと身勝手な懇願をしたり……。音楽と絵画、ジャンルは違えど同じ「芸術」という土俵にいる者同士で結ばれてしまったがゆえの悲劇でした。

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無論、すべての芸術家カップルがそうだとは言いませんが、光太郎智恵子の場合も、似たようなことがあったように思われます。彫刻家として、詩人として、徐々に世に認められてゆく光太郎に対し、やはり売れない画家だった智恵子も嫉妬を感じていたことは想像に難くありません。それが心の病を引き起こした要因の一つと言ってしまっても過言ではありますまい。

ちなみに光太郎、明治末に三浦環の公演をその目で観ています。が、そちらは改めてご紹介するとして、今日はこの辺で。


【折々のことば・光太郎】

御企てについての印刷物拝誦、良心と精覈とを以て事に当らば十分意義ある仕事と存じます、しかし経済的に成立せしめるには余程の手腕がいる事と考へられ、御志を壮とします。

散文「創刊に寄する諸家の言葉」全文 昭和12年(1937) 光太郎55歳

昭和12年(1937)8月22日発行『詩報』第一年第一号(二)面に掲載された短文です。『詩報』は「全日本/詩人の新聞」の副題を持ち、のちに光太郎が題字を揮毫した詩集『山川秘唱』(昭和19年=1944)の著者・村上成實が編刊にあたっていました。

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ちなみにこの項、筑摩書房さん『高村光太郎全集』第一巻から言葉を拾い続けて参りましたが(日記、書簡、翻訳、短歌、俳句等は割愛)、少し前に最終巻の別巻まで拾い尽くし、その後、『全集』未収録の座談会筆録、談話筆記を文治堂書店さん『光太郎資料』第三巻、第六巻から拾い、そして、それらの補遺たる『光太郎遺珠』から拾い始めました。したがって、当分の間、『高村光太郎全集』に漏れていた新発見作品から引用していきますのでよろしく(何が「よろしく」なのだかよく分かりませんが(笑))。

今年一月、新国立劇場で上演された「鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演『る・ぽえ』」がDVD化されるそうです。

発売元で、昨年亡くなった滝口幸広さんが出演された「智恵子抄」を含む朗読劇、「僕等の図書室」(平成24年=2012)も手がけられた「る・ひまわり」さんのサイトから。 

『ウエアハウス-double-』『る・ぽえ』DVD発売決定のお知らせ

2020年1月25日(土)~0022月2日(日)に新国立劇場小劇場にて公演された鈴木勝秀×る・ひまわり第3弾公演舞台『ウエアハウス-double-』と『る・ぽえ』のDVD発売が決定しました。
 
6月8日(月)12:00 より、る・ひまわりオンラインショップにて販売いたします。是非、お求めくださいませ。
 
<発売日>
6月8日(月)12:00 より、る・ひまわりオンラインショップにて発売。

『る・ぽえ』DVD
<販売価格> 6,500 円(税別)
<収録内容>本編映像:約91分
      特典映像:約5分(キャスト座談会)
<上演台本・演出>鈴木勝秀
<出演>碓井将大、辻本祐樹、木ノ本嶺浩、林剛史、加藤啓
<内容>
 高村光太郎「智恵子抄」をモチーフにした夫婦の話
 萩原朔太郎「月に吠える」をメインにした多趣味な朔太郎の奇想天外な話
 中原中也の人生と恋愛を通して描くダイアログ
 “詩”を通して描く3人の詩人の物語。

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ご興味のある方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

立派な詩を書くにはもつと自由が許されなければならぬのではないでせうか……

座談会筆録「詩と文学」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

最愛の妻・智恵子が亡くなって2週間後に行われた座談会での発言から。

前年には日中戦争が勃発、光太郎も「智恵子抄」所収の珠玉の詩篇と並行して徐々に翼賛詩に傾倒していった時期で、自分の詩を「戦争詩」とは呼ばないで欲しい、銃後の国民の心構えを謳ったもので「銃後詩」とでも呼んでほしい、などといった発言も見られます。

そうした流れの中で、検閲等のため「負傷兵が倒れてゐるところなんか普通には書いていけない」という現状に対し、上記の発言が為されました。

キーワード検索「乙女の像」でヒットしました。おそらく新商品だと思われます。 

スコップ三味線「乙女の像」(シングル)オリジナル15 鉄製 スコップ三味線ストラッププレゼント中!

〜話題のスコップ三味線〜
1本1本手作りで制作しております。専用スタンド、バチはサービスでお付け致しております。
通信販売はヤフーショッピングでのみ販売中。ご注文はヤフーショッピングよりお願いいたします。

【カラー】
  取っ手:パープル+ブラック
  金具:グリーン+ブラック
  柄:焼き目
  スコップ面:ブルー+絵柄
【サイズ】 約(高さ)100×(最大幅)26cm
【重量】 約2.1kg

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そもそも「スコップ三味線」とは何か? といいますと、津軽三味線の楽曲に合わせて、雪かき用のスコップを三味線に、鉄製の栓抜きをバチに見立て、スコップを叩いて演奏するというジャンルです。

1980年代に生まれ、のちに世界大会まで開かれるようになりました。



エアギターと似た、あくまで「シャレ」の世界ですが、エアギターと異なり、実際に音を出す点はパーカッションに近いのかな、という気がします。したがって、上記画像でペグ(弦を締めたり緩めたりするネジ)も写っていますが、実際に弦は張られていないので、これは無意味な飾りです(笑)。

また商品説明欄に「バチはサービスでお付け致しております」とありますが、つまりそれは栓抜きだろ? と、まぁ、突っ込みどころ満載ですね(笑)。

で、「乙女の像」。最近はただのスコップでなく、デザイン性を重視し、「津軽」、「八甲田」などの「号」をつけたものがいろいろ出ているようです。笑えますね。それにしても光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を使っていただき、ありがとうぞざいます(笑)。

興味のある方、ぜひどうぞ(笑)。


【折々のことば・光太郎】

およそ学の庭にていとも楽くかつは勇しくしかも互の交誼をますます厚くむすばるゝは修学旅行にまさるものあらじ。

雑纂「日光遠足の記」より 明治31年(1898) 光太郎16歳

この年10月の、東京美術学校本科一年彫刻科の修学旅行について書かれた未完の文章の書き出しです。2泊3日の行程で、行き先は日光でした。

全国の学校等、今日から再開というところも多いようですが、今年度は大変ですね。授業の遅れを取り戻すために行事等の削減もかなり進むでしょうし、そうなると子供たちにとっては味気ない学校生活となりかねませんし……。

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