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先月封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞に載った評をご紹介します。

『北海道新聞』さん。

映画「風よ あらしよ」柳川監督 声上げる大切さ今も■女性の自由と自立 命懸けた伊藤野枝

005 大正期の女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳の評伝小説が原作の「風よ あらしよ」が札幌・シアターキノで上映されている。2022年に放送されたNHKドラマの劇場版で、わずか28年の生涯を激しく生き抜いた野枝を演じるのは吉高由里子。吉高が主演した連続テレビ小説「花子とアン」でディレクターを務めた柳川強が演出を手がけた。
 家を支えるためだけの結婚を蹴り上京した野枝は、平塚らいてう(松下奈緒)の言葉に感銘を受け、青鞜社に入る。女学校時代の教員・辻潤(稲垣吾郎)と結婚するも、やがて関係は破綻。無政府主義者大杉栄(永山瑛太)と出会い、生涯のパートナーとして関係を深めていく。
 大杉の妻や愛人との四角関係など〝自由奔放〟な側面が強調されがちだが、原作では野枝が、困ったときに助け合う「共助」の思想を掲げていたことが描かれる。柳川は「彼女の思想は、新自由主義の台頭によって社会の分断が進み、人とのつながりが持ちづらくなっている現代社会にリンクする。映画でもこの点を大切にしたいと思った」と語る。
 大学時代に、宮本研による戯曲「ブルーストッキングの女たち」を見て以来、野枝にひかれ続けていたという。女性が声を上げることが今以上に難しかった時代に臆することなく貧困や男女不平等など社会矛盾に異を唱え、個としての自由や自立を訴えた野枝。彼女を演じるのは「吉高さんしか思い浮かばなかった」と明かす。かれんでキュートなイメージが強いが、「野枝を激情型の人物像にするのは簡単なんだけど、それは彼女の一面でしかない。人との距離感をすっと縮めることができる人という野枝のイメージが吉高さんに重なりました」。
 1923年(大正12年)の関東大震災直後の混乱に乗じて多くの朝鮮人や、社会主義者、アナキストらが虐殺された。大杉と野枝も、大杉のおいで当時6歳だった橘宗一とともに憲兵の甘粕大尉(音尾琢真)らに殺され、遺体は井戸に投げ込まれた。
 映画は井戸の底から空を見上げるシーンで始まり、終わる。柳川は「100年前の出来事だけれど、当時の空気感は今とそんなに違わない。個人の自由が権力や集団に阻害されるとき、個人として声を上げるのは確かに難しい。でも、そうありたいと思い続けることはできる。そのきっかけになればうれしい」と話す。
 2023年、2時間7分。脚本は矢島弘一。シネマアイリス(函館)、シネマ・トーラス(苫小牧)、大黒座(浦河)でも上映予定。
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『東京新聞』さん。

映画「風よ あらしよ 劇場版」 伊藤野枝の生涯描くNHKドラマを再編集 時代が野枝に追いついてきた

006 100年前の日本で女性解放運動の第一線に立ち、近年、再評価が進む伊藤野枝(のえ)(1895~1923年)。波乱の生涯を描くNHKドラマを再編集した映画「風よ あらしよ 劇場版」が公開中だ。
 手掛けたのは柳川強。沖縄返還やアイヌ民族といった骨太の題材をドラマにしてきた演出家は、野枝の魅力をこう語る。「今よりよっぽど男尊女卑の考え方が強かった時代に、世間の目をものともせず声を上げる。その奔放さに引かれた」
 野枝(吉高由里子)は福岡県の貧しい家に生まれた。「元始、女性は太陽であった」と男社会に疑問を突きつけた青鞜社の平塚らいてうに憧れ、親の決めた嫁ぎ先を飛び出す。無政府主義者・大杉栄(永山瑛太)のパートナーとなった末に、28歳の若さで憲兵に殺害されてしまう。
 映画はその歴史を追いつつ子育てや料理、掃除といった日常も丁寧にすくい上げる。「主義主張よりも、生活の中にこそ、にじむものがある」と柳川。「主義者」につきまとう先鋭的なイメージではなく、根底にある素朴な「助け合いの精神」に光を当てる。
 柳川と吉高は、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で組んだ。原作は村山由佳の同名小説。柳川は言う。「#MeToo運動など、『声を上げる』という動きは今とリンクしている。時代が野枝に追いついてきたのかもしれない」 

映画では村山由佳氏の原作にある光太郎智恵子登場シーンは残念ながら割愛されていますが、智恵子が表紙を描いた『青鞜』創刊号がモチーフとして随所に使われ、光太郎智恵子と交流のあった人々が多数登場、なかなかの見応えです。

公開終了してしまった上映館も多いのですが、これからというところもあります。まだという方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生は胎教を信ずる者です。もし赤さんが出来たのなら日常の精神と行ひとをつとめて清浄に、敬虔な日を送るべきです。


昭和21年(1946)10月24日 宮崎春子宛書簡より 光太郎64歳

春子は智恵子の姪にして、その最期を看取った元看護師です。前年に光太郎の仲介で、詩人の宮崎稔と結婚しました。翌年には男の子が無事誕生。宮崎夫妻は何と「光太郎」と命名してしまいました。

3月となり、そろそろ受験シーズンも終わりに近づきつつありますね。

そんな中、先月25・26日に行われた国公立大学の2次試験のうち、京都大学さんの前期日程文系国語の問題に光太郎の文章が出題されました。

昭和15年(1940)11月に書かれ、翌年元日発行の雑誌『知性』第4巻第1号に発表された「永遠の感覚」の全文です。
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小問が5問設定され、全て記述式。字数制限はありませんが、解答欄のスペースから適度な長さで書け、ということですね。

大手予備校河合塾さんによる解答例。

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同じく代々木ゼミナールさん。
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駿台予備校さん。
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来年度以降の受験生向けでしょうか、「問題分析」も。

駿台予備校さん。
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河合塾さん。
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ちなみにこの問題、随筆扱いで、文学的文章としての出題でした。筑摩書房さん『高村光太郎全集』では第5巻、すなわち美術評論の巻、それから光太郎生前にはやはり評論集的な位置づけの『美について』(昭和16年=1941、道統社)に収められているのですが。しかし同じくこの文章を収めた『高村光太郎選集 第Ⅴ巻』(昭和26年=1951)は副題が「随想 上」で、まぁ、どちらとも取れるかなというところです。

それにしても、泉下の光太郎、このような形で自分が書いた文章が俎上に乗せられていることに苦笑しているかもしれません(笑)。

【折々のことば・光太郎】

何か揮毫する事はいつでもしますが、紙が乏しいです。和紙が不自由ですから紙さへお送りあれば書きます。


昭和21年(1946)10月18日 寺神戸誠一宛書簡より 光太郎64歳

自身では書家を名乗ったことはありませんが、特に戦後になって花巻郊外旧太田村に移ってから、頼まれて書を揮毫する機会が大幅に増えました。そして書けば書くほど、その腕前が上がっていったようです。

しかし戦後の物資不足が解消していなかったこの時期、やはりきちんとした紙は不足していまして、時に粗悪なボール紙や障子紙に揮毫することもありました。

昨日は現代アート系で『智恵子抄』オマージュ、レモンの描かれた作品をご紹介しましたが、本日は智恵子の故郷・福島二本松からグルメ系で。

地方紙『福島民友』さん、2月21日(水)の掲載記事です。

高村智恵子にちなんだ「れもん味噌」 甘くてさっぱりした新商品

 二本松市振興公社は詩人・彫刻家高村光太郎の妻で、光太郎の詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる二本松市出身の洋画家高村智恵子にちなんだ新商品「れもん味噌(みそ)」(350円)を発売した。
 防腐剤などを使っていない広島県安芸津町産のレモンを使用し、少し甘くてさっぱりとした味が特徴。とんかつやカキフライ、なす焼きや魚の塩焼きなどのほか、おにぎりに塗ってもおいしいという。
 二本松市の道の駅安達では、れもん味噌を使った新メニュー「れもん味噌添え大葉とチーズのチキンかつ丼」(800円)を上り線で、「れもん味噌添えアジフライとカキフライ定食」(800円)を下り線で販売している。問い合わせは二本松市振興公社(電話0243・61・3100)へ。
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同じ件でさらに一般社団法人にほんまつDMOさんのサイトにも告知が。

智恵子をイメージした、レモン商品第5弾が登場!

 道の駅安達で、高村智恵子をイメージさせるレモンを使った商品の第5弾が14日、登場しました。広島県産レモンと地元の味噌を組み合わせた「れもん味噌」で、ちょっと甘くてさっぱりした爽やかな風味が特長。上下線の食堂では同日かられもん味噌を使った定食もメニュー化しています。
 智恵子抄の「レモン哀歌」に智恵子と光太郎の純愛がつづられていることから、智恵子の里にある同駅はレモンサブレやレモンケーキ、レモンライスの素など、レモンにこだわったオリジナル商品を販売しています。
 れもん味噌は75g入り、350円。トンカツや魚フライをはじめ、おでん、青菜和え、おにぎりなどと相性抜群で、幅広いメニューに活用できます。また、食堂でもサービスが始まり、上り線は大葉とチーズのチキンカツ、下り線はアジフライとカキフライの各定食にれもん味噌を添えて提供しています。問い合わせは道の駅安達(電話0243-61-3100)へ。
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確かに揚げ物に添えるとさっぱりしそうですね。

他のレモン系グルメ商品はこちらをご参照ください。

【折々のことば・光太郎】

山林では今茸の出さかりで路傍の草むらにいろいろの食茸が面白いほど出て居り、それをとつて朝のみそ汁などに入れます。智恵子が居たらと時々思ひます。

昭和21年(1946)10月11日 秋広あさ子宛書簡より 光太郎64歳

もう少し経つと「智恵子はしかも実存する。/智恵子はわたくしの肉に居る。」(詩「元素智恵子」昭和24年=1949)という境地に達するのですが……。

紹介すべき事項が山積しておりまして、せっかく情報をご提供いただいても取り上げるのが遅くなってしまい、申し訳なく存じます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案に携わられ、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチンフラワーさんで毎月15日に販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。
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メニューは「ちらし寿司」「白米ご飯」「豚肉とじゃがいもの炒め」「焼き鮭」「切り干し大根とふのりの酢の物」「長芋の塩昆布和え」「塩麹卵焼き」「豆銀糖とりんご」「お新香」だそうで。

基本的には日記等から光太郎が実際に作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。

やつかの森LLCさん、この他にもいろいろと活動に当たられています。

先月22日には光太郎が山小屋(高村山荘)で7年間の蟄居生活を送った旧太田村の上太田山関振興会館さんで、出前講座 「光太郎のハイカラ料理を知ろう」。

花巻市では、各種市民団体や、学校さんや企業さんなどで特定の内容の講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現する「出前講座」というシステムがあるそうです。やつかの森LLCさん、昨年10月にもやられていました。

先月の様子がこちら。
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やはり光太郎グルメ系で実際に調理。
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「食」からのアプローチは、偉人を身近に感じる一つの手だてですね。

さらに今月16日には、花巻南高校さんを会場に行われた岩手県高教研国語部会中部支部の研修に呼ばれ、お話をなさったそうです。対象は高校の国語の先生方が中心で、他に南高文芸部の生徒さん、家庭クラブ顧問の先生も参加されたとのこと。
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タイトルは「こうたろう散歩道 山小屋暮らしの高村光太郎」。光太郎のプロフィール、宮沢賢治とのかかわり、旧太田村での生活などをお話しされたとのこと。

意外といえば意外でしたが、岩手の高校の国語の先生方の中にも、光太郎詩「雪白く積めり」(昭和20年=1945 高村山荘敷地内に詩碑あり)をご存じなかった方がけっこういらしたとのこと。まぁ地元でも専門外であればそんなものなのかも知れませんが。

やけに長い尺を与えられたそうで、寸劇を入れたり、やつかの森LLCさんお得意の食事方面のお話をされたりもなさったとのことでした。
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今後とも多方面でご活躍いただきたく存じます。

【折々のことば・光太郎】

小生多分来月三日か四日頃又お邪魔に参上、今度は七日頃まで御厄介に相成度存じ居ります。その間に一度お風呂もいただきたくお願申上げます。

昭和21年(1946)9月29日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

旧太田村から花巻町中心街に出る際には、山小屋に移る直前の前年9月から10月にかけ、厄介になっていた総合花巻病院長・佐藤隆房宅の離れ(潺湲楼)に宿泊するのが通例でした。

この頃は山小屋に風呂が無く、佐藤邸で入浴するのを楽しみにしていた部分も。佐藤邸が花巻の桜町なので、光太郎は巫山戯て「桜温泉」と呼んだそうです。

先週封切りの映画「風よ あらしよ 劇場版」に関し、新聞等で告知などが為されていましたのでご紹介します。

『神奈川新聞』さん。

映画批評 「風よ あらしよ 劇場版」

 2022年にNHKで放送されたドラマの劇場版。吉川英治文学賞を受賞した村山由佳の原作小説からほとばしる、100年前の女性解放運動家・伊藤野枝の熱量を、吉高由里子(写真)が見事に演じ切った。
 1923年、関東大震災後の混乱に乗じて何人もの社会活動家が殺された。野枝もその一人で、パートナーで無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と、わずか6歳だった大杉のおいと共に陸軍憲兵隊に連行され殺害された。遺体は無残にも古井戸に投げ込まれ、その暴挙が発覚したのは死後何日もたってのことだった。世にいう甘粕事件だ。
 その生涯は常に声を上げ続けたものだった。「元始、女性は実に太陽であった」と宣言した平塚らいてう(松下奈緒)に感銘を受け、青鞜社に入社。「新しい女」の自覚を胸に、女性の地位向上を訴えた。自分が見て、聞いたことを自分の言葉で書き、世間に見向きをされない時も諦めなかった。
 事件当時、野枝は28歳の若さ。男尊女卑の風潮が色濃い中で、「女だから」というだけで自由に生きられない世の中に、幼い頃から疑問を抱き続けた野枝。どんなに無念だったろうか。
 今の世に野枝が生きていたら、と思わずにいられない。女性の人生における選択は格段に増えた。だが、野枝が訴えた「誰もが自由に生きられる社会」は実現しているだろうか。大きな問いを突き付けられた。
演出/柳川強 製作/日本、2時間7分
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『毎日新聞』さん。

「風よ あらしよ 劇場版」 惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯

 毎週公開される新作映画、どれを見るべきか? 見ざるべきか? 毎日新聞に執筆する記者、ライターが一刀両断。褒めてばかりではありません。時には愛あるダメ出しも。複数の筆者が、それぞれの視点から鋭く評します。筆者は、勝田友巳(勝)、高橋諭治(諭)、細谷美香(細)、鈴木隆(鈴)、山口久美子(久)、倉田陶子(倉)、渡辺浩(渡)、木村光則(光)、屋代尚則(屋)、坂本高志(坂)。
 大正時代に因習や社会情勢に異議を申し立て、大杉栄とともに惨殺された女性解放運動家、伊藤野枝の生涯を描く。2022年にNHK BSで放送されたドラマを再編集した。
 貧しい農家で育った野枝(吉高由里子)は平塚らいてうが主宰する雑誌「青鞜」に参加、「婦人解放」を唱える。やがて元教師の夫、辻潤(稲垣吾郎)と別れ、無政府主義者の大杉(永山瑛太)と暮らし始める。
 波乱に満ちた生涯を物語に詰め込むのに、きゅうきゅうとした感は否めないが、平塚やダダイストの辻、大杉ら、野枝に影響を与えた人物、野枝の自由への渇望や思想形成の過程をきっちり押さえた。大杉の奔放な女性関係なども描き、距離を置いて人物にフォーカスした演出にも好感。当時の社会規範や権力の暴走を明確にすることで、今に通じるエッセンスも際立った。何度か取り上げられた題材だが、野枝の内面を分かりやすく描写するなど、より知ってもらいたいという意図も明白。芯の強い野枝を吉高が精緻に演じた。原作は村山由佳の同名小説。柳川強が演出。2時間7分。東京・新宿ピカデリー、大阪・シネ・リーブル梅田ほか。

ここに注目
 人間としての懊悩(おうのう)や葛藤のドラマを期待すると拍子抜けだが、歴史上の人物の生涯を分かりやすくまとめ、入門編としては好適。「女性であるというだけで我慢を強いられ搾取される」という野枝の主張は、現代にそのまま響く。当時としては過激な思想を貫いた強さに、改めて驚かされる。

『週刊実話』さん。

やくみつる☆シネマ小言主義~『風よ あらしよ 劇場版』/2月9日(金)より全国順次公開

原作/村山由佳『風よ あらしよ』(集英社文庫刊)
出演/吉高由里子、永山瑛太、松下奈緒、美波、玉置玲央、山田真歩、朝加真由美、山下容莉枝、渡辺哲、栗田桃子、高畑こと美、金井勇太、芹澤興人、前原滉、池津祥子、音尾琢真、石橋蓮司、稲垣吾郎
製作・配給/太秦

 男尊女卑の風潮が色濃い大正時代。福岡の田舎の貧しい家で育った伊藤野枝(吉高由里子)は親が決めた結婚を拒み、逃げるように上京する。
 その後、平塚らいてう(松下奈緒)の「元始、女性は太陽であった」という言葉に感銘を受けた野枝は、手紙を送り、女流文学集団「青鞜社」に参加。当初、詩歌が中心だったが、いつしか伊藤が中心となり、社会矛盾に異議を唱える婦人解放運動団体へと発展していく。
 2014年に放映されたNHK朝の連続テレビ小説『花子とアン』のヒロインである翻訳者、今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部、そして、女性解放運動家・伊藤野枝を描いた本作。すべて吉高由里子主演です。
 垢抜けないフツーの女の子が、さまざまな出会いを通して自身のアカデミックな才能を開花させていく物語がこれで3作揃った感があり、吉高由里子と言えば「反骨心あふれる女性の半生」が代名詞になる可能性がありますね。
 自分は不勉強で伊藤野枝という女性解放運動家を知りませんでした。彼女は、平塚らいてうの「元始、女性は太陽だった」という言葉に感銘を受け、「青鞜社」に入って「女はこうあるべきだ」という因習に真正面から立ち向かいます。
 日本を代表する無政府主義者、大杉栄のことは、教科書的な知識として知っていました。しかし、大杉栄のパートナーだった伊藤野枝まで大杉とともに、あらぬ疑いで憲兵に捕まり、28歳の若さで惨殺されていたことに衝撃を受けました。
 この事件が起きたのはちょうど100年前のことです。

吉高由里子の熱演は確かだが…
 パンフレットにあった原作者の村山由佳さんの言葉には『(声をあげれば)世界は、変わる。かつて野枝たちが身をもって証明したのに、100年の間に元に戻ってしまっただけだ』とありました。
 当時に比べたら女性の社会進出ははるかに進んだでしょう。けれども、いまだに性加害があったりと、100年経っても女性の地位はまだこんなレベルかと伊藤野枝は失望するだろうか。あるいは、ここまで進んだかと肯定的に捉えるのか。
 一周回った今、伊藤野枝が現代のこの社会をどう思うだろうかと自問自答したくなる映画です。
 さて、本作の評価を一身に背負っているのは主演の吉高由里子に間違いないと思うのですが、実は自分が星1つ減じてしまったのもその点。彼女を起用した意図は理解できます。
 この華奢な体のどこにそんな反骨パワーが潜んでいたのかと、観客に感じさせようという人選でしょう。
 本作の見どころの一つに、民衆を前に「女性の不平等」について演説するシーンがあります。懸命に声を張り上げているのですが、この声のトーンで、聴衆の1人だった革命家の大杉栄に衝撃を与えられるのかと、どうしても思ってしまうんですよ。
 「線の細さ」と「アナーキーな言動」とのギャップを強調すればするほど、映像としての無理感が否めないのではないか。吉高由里子が熱演なだけに、痛し痒しですね。

やくみつる
漫画家。新聞・雑誌に数多くの連載を持つ他、TV等のコメンテーターとしてもマルチに活躍。

辛口の部分もありますが、やくさん、概ね好意的な評ですね。

Youtube上に予告編もありました。


ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

しかし生命の信念は死とは別個の心事です。人悉く死す。しかも生命の感宇宙に充満せり。

昭和21年(1946)9月11日 小盛盛宛書簡より 光太郎64歳

共通の知人であった詩人の逸見猶吉が、関東軍報道隊員として派遣されていた満州から復員できずに客死したという報に対しての返信の一節です。逸見は亡くなったけれど、我々の心に生き続けるよ、というところでしょうか。

同様に、関東大震災直後のドサクサで抹殺された野枝の残したメッセージ、今も現代の我々に語りかけてくれているわけですね。

ネタ不足となってきまして、では「自分でネタを作ってしまえ」と(笑)、いわゆる「漢字ナンクロ」を自分で作ってみました。

きっかけは昨年10月に発行された漢字ナンクロの専門誌『別冊漢字館 Vol.112』。「特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎」というわけで、昨年生誕140周年だった光太郎にちなむ漢字ナンクロを3問掲載して下さいました。

それを実際に解いてみて、さらに他の光太郎にからまない問題も一通り解き、すると、ふと思いました。「これなら俺にも作れるんじゃね?」(笑)。

で、出来たのが下記です。

まずは昭和3年(1928)の光太郎詩「あどけない□」。「□」は問題の一部ですので「□」です。
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空欄になっている10文字の漢字を埋めて下さい。光太郎智恵子ファンの皆様には簡単ですね(笑)。

その同じ番号の漢字を下記に埋め、残り34文字も考えて下さい。
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判った漢字は下記のチェックリストにも埋めていきましょう。
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そして「9」、「12」、「24」……と埋めていくと、光太郎智恵子に関わる単語(固有名詞ですが)が現れます。

014最近はこの手のアプリもあって、それだと選択肢があってPCやスマホ上でピッピッピと選んで埋めていける感じなのですが、このサイトはそういうテクノロジーに対応していませんので、すみませんが、上記3枚の画像をプリントアウトし、鉛筆片手にチャレンジして下さい(笑)。

「簡単に作れるだろう」と高をくくっていたら、そうでもありませんでした。単純にマス目に熟語等を埋めるだけなら意外に簡単なのですが、それでは問題として成立しません。問題として成立させるためのルールというか縛りというか、いろいろハードルがありまして。

その1、一つの漢字を複数回使う。「11」~「44」は最低2回、使っています。1回しか出てこない文字は問題にせず、ヒントを兼ねて最初に埋めておくというルールです。「1」~「10」には1回しか出てこないものもありますが、最初の「あどけない□」の詩の中にも使われているので、そこは勘弁して下さい(笑)。

その2、常用漢字以外は避ける。今日の記事、下の方に出てくる「瀝」などというような漢字は使っていませんので、御安心を(笑)。

その3、黒マスが上下左右に隣り合っていてはいけない。これは通常のクロスワードパズルなどでも同じですね。ただ、アプリではこのルールは適用されていませんし、紙版でも「スケルトン」というタイプの問題だとそうではないのですが。

その4、最初に埋めておく漢字が上下左右に隣り合っていてはいけない。これはかなり高いハードルでした。そのために次のその5との兼ね合いが難しゅうございました。

その5、一般的ではない語は避ける。苦言を呈させていただければ専門誌やアプリではこの点のハードルが低く設定されています。物書きの端くれの当方も「こんな言葉知らねーよ」というのがけっこう使われていまして。そこで、そういう文句が出ないようにと考えて作りました。しかし、一度完成したところで妻に解いてもらったところ、「こんな言葉知らねーよ」が続出(笑)。駄目出しをくらったのは「城代家老」「紫禁城」「大本営」などなど。「この程度の言葉知らんのか」と言うと後が怖いので(笑)それはぐっと飲み込み、その周辺の部分は変えました。それでもまだ無理くり感のある語はどうしても残っています。すみません。

013その6、全ての白マスがつながっていなくてはならない。二度目に完成した後、見直してみたら、左下5分の1くらいの部分が黒マスに遮断され、孤島になっていました。右のような感じで。このルールはマストではないのかな、とも思ったのですが、やはり美しくないので変えました。

そんなこんなで三度目の正直(笑)。明日から世間的には三連休と言うことで、多少はお時間おありのことと存じます。ぜひチャレンジしてみて下さい。

ただし、誠に申し訳ありませんが、正解した方の中から抽選で××名様に……とはいきませんのでよろしく(笑)。

【折々のことば・光太郎】

おハガキ二枚届き、本当に安心しました。 滴瀝をまだ書かない事に気づきました。今日明日にも書きます。

昭和21年(1946)8月30日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

「滴瀝」は光太郎の親友で、この頃病床にあった水野葉舟の歌集。その題字の揮毫を頼まれていました。戦前の昭和15年(1940)に出た版の題字も光太郎が書きました。
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終戦直後の昭和20年(1945)秋から、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京した昭和27年(1952)秋まで、光太郎がまる7年間暮らした、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。主にその当時を紹介する高村光太郎記念館さんも隣接し、ぜひ皆様に足をお運びいただきたいスポットです。

しかし、いかんせん交通の便がよろしくありません。昔は市の中心街から路線バスが通じていましたが廃線。通常のタクシーですと片道数千円。当方はほぼほぼ毎回(来週もですが)レンタカーです。

そこで、花巻市の老舗タクシー会社、文化タクシーさんが「どんぐりとやまねこ号」という最大9人乗りのジャンボタクシーを運行して下さっています。現在は高村山荘や宮沢賢治記念館さんもコースに入った「どんぐり号」が午前中、南部杜氏伝承館・酒匠館さん、宮沢賢治童話村さんなどを廻る「やまねこ号」が午後、その2コースを「どんぐりとやまねこ号」として1日で運行されています。
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以前、妻と二人で花巻に行った際は、午前中に当方が高村光太郎記念館さんで市民講座講師、その間に妻が「どんぐり号」を利用という荒技(笑)もやりました。

さて、同じ文化タクシーさんで最近、「観光ジャンボタクシー 花巻市周遊 高村光太郎ゆかりの地コース」を設定して下さいました。車両は「どんぐりとやまねこ号」と同じレトロジャンボタクシーで、高村山荘・高村光太郎記念館さん及び近くの音羽山清水寺(光太郎もたびたび訪れた古刹)のみを廻るコースです。
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発着場所は東北本線花巻駅、東北新幹線新花巻駅、さらに花巻空港も選べるそうで。所要時間は約1時間30分となっていますが、出発時間も含めかなり融通が利くようです。また、予約が重なった場合には通常のワゴン車での対応となる感じでしょう。料金は1台借り切って15,600円だそうで、1人2人での使用だと割高ですが、大人数でなら元は取れそうです。また、他にも色々なコースが設定されています。

グループで行かれるという方、ぜひ利用をご検討下さい。

【折々のことば・光太郎】

冬は雪にこそ埋れて居れ、身神の充実はさは夏の比ではありません。アトリエを建てて冬期凍結の虞なく彫刻の出来る日をひたすら待望いたして居ります。フランスあたりなら、きつと請求すれば政府で建ててくれるに違ひないのですが、此の国の有様ではやむを得ません。


昭和21年(1946)8月22日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

結局、後に自ら戦争責任への処罰として彫刻制作は封印するのですが、移住1年目のこの頃はまだ太田村にアトリエ建設という夢は捨てていなかったようです。

一昨日の『東京新聞』さん、社説欄に光太郎の名が。

<社説>週のはじめに考える 「おまかせ」が過ぎると012

 正直、「回っていない方」にはあまり明るくないのですが、白木のカウンターでいただくような高級な寿司(すし)店でよく採用されているのが、「おまかせ」という注文の仕方です。注文といっても、おまかせですから、どんな寿司が、どんな順番で出てくるかは寿司職人の胸一つ。旬を考え、ネタを吟味し、客の食べるペースにも気を配って「はい、トロです」などと順次、供してくれる仕組みです。
 こうした「おまかせ」を創始したのは、戦前戦後と東京で活躍した藤本繁蔵という寿司職人だといいます。何年か前のNHKの特集番組で初めて知ったのですが、白木のカウンターの採用も、この人を嚆矢(こうし)とするとか。高級寿司店ばかりを渡り歩いて「天才」の名をほしいままにし、多くの著名人らの舌もとりこにした伝説の職人だったようです。
◆「自分で決める」から解放
 その「おまかせ」は寿司を出す順番、いわば構成の妙も含めて職人の力量が問われるわけですが、味覚も食材の知識も覚束(おぼつか)ない者にとっての“利点”は「自分で決める」からの解放かもしれません。「こんなものを頼んだら季節外れだと笑われないか?」などとびくつかずにすみますから、心穏やかに、職人が技を凝らした一貫一貫を味わえるというものです。
 寿司だけでなく、和洋中どの料理にもある「コース」も同じ。いちいち何を、どんな順番で注文するか自分で決めなくてよい。それが客をして「コース」を選ばせる理由の一つではないでしょうか。
 考えてみると、外食に限らず、私たちは暮らしのいろんな場面で「おまかせ」に浸っています。極端なことを言えば、自動ドアだってそうですが、デジタル時代の当節はなおさら。リポートなどの作成で頼りにする人も増えているらしい生成AI(人工知能)こそ、「おまかせ」の極致でしょう。
 もっと身近なところでは、例えば道案内です。特に地理的に詳しくない場所に行く時など、経路の選択は、ほぼ全面的にスマホなどの地図アプリに「おまかせ」という人が今や多数派かと。代表詩の『道程』で<僕の前に道はない>とうたった高村光太郎は、既に目の前の画面にある道を従順に進む<僕>たちを見て、さて、泉下で何を思っているでしょう。
◆まれに見る「選挙イヤー」
 道の選択といえば、今年、2024年は、まれに見る「選挙イヤー」です。台湾総統選は今月、既に終わりましたが、2月にインドネシア大統領選、3月にロシア大統領選があり、4月には韓国、4~5月にはインドで総選挙が予定されています。そして11月には米大統領選が。結果いかんでは、動揺が世界中に及ぶでしょう。
 そして、わが国でも今年は、衆院の解散・総選挙の可能性が高いとみられています。派閥パーティーの裏金問題で大揺れ、岸田内閣の支持率も急落する中、自民党は9月末で任期満了の総裁選を前倒しし、「党の顔」をすげ替えた上で総選挙に臨むのではないか-といった観測も飛び交っています。
 その場合、懸念されることの一つが、低投票率。ただでさえ衆院選は過去4回連続で60%に届かなかったのに、裏金問題などで増大した政治不信がさらに足を引っ張る恐れがあります。でも、国の進む道を左右する大事な選択の機会です。ここは、さすがに「おまかせ」はまずい。寿司でいうなら、自分の胃袋とよくよく相談し、本当に自分が食べたいネタを自分で決めなくてはなりません。
 「政治的無関心」とは、日本や世界の命運を誰かに「おまかせ」にすることでしょう。確かに、政治的な出来事をフォローし、考えを深めるのは面倒といえば面倒です。でも、恐れるのは、その面倒を省き「おまかせ」に慣れきってしまううちに、自分で考え、自分で決めるという回路が錆(さ)びついてしまわないか、という点です。
◆錆びつく思考回路、記憶
 元日に発生した能登半島地震でもそうでしたが、災害時には携帯電話が使えなくなることが少なくない。しかし、やっと公衆電話をみつけ、いざかけようとしたら、家族や友人の電話番号を覚えていないことにはたと気づく…というのは、いかにも現代人に起こりそうなことでしょう。そう。電話番号の記憶をスマホに「おまかせ」にするうち、私たちの記憶は錆びついてしまうのです。
 さて正月も暮れていきますが、年始につきものの「福袋」こそ、「おまかせ」の典型でしたね。中身が分からない点がみそですが、あれは価格より価値の高い商品が入っているのが前提で、だからこその「福」のはず。でも選挙の場合は違います。「おまかせ」の袋から「福」が出てくることはまずないと考えるべきでしょう。

何が出てくるかのワクワク感や、ルーティンにこだわっていては得られない意外性といったものを楽しみたいのなら「おまかせ」も悪くはないと思います。また、いろいろ考えて組み合わせるのが面倒だったり、お店の人に手間をかけるのが申し訳ないと思ったりの場合。例えば当方、コンサート等によく持参するのですが、アレンジフラワーやら花束やら。また、お菓子の詰め合わせなどもそうでしょう。既成のものを頼んでしまった方が自分にとっても、お店にとっても、圧倒的に楽ですね。

しかし、後半にあるとおり、政治の世界での「おまかせ」は駄目ですね。ところがそれがまかり通っているのが現状でしょう。「「○○党」という字しか書けない」と公言し、思考停止に陥っている輩の何と多いことか。

それにしても、最後の方に挙げられたスマホの電話帳の例にはドキリとさせられました。といって、今さら紙のアドレス帳というわけにもなかなかいきませんし……。

たしかにこうした現代人のライフスタイル、泉下の光太郎はどう見るかと考えさせられますね。

【折々のことば・光太郎】

御帰還後も御無事でお過ごしの事と存じます、ますます御元気で進んでください。小生東北の山間で頗る元気に健康にやつて居ります。


昭和21年(1946)7月29日 大木実宛書簡より 光太郎64歳

大木は大正2年(1913)生まれの詩人。光太郎は戦時中の昭和18年(1943)、大木の第三詩集『故郷』の序文を頼まれて書いています。

この時期の「帰還」はイコール「復員」だろうと思って調べたところ、やはりそうでした。何と召集されたのは結婚3ヶ月後だったそうでした。

大木や、当会の祖・草野心平などは無事だったクチですが、光太郎と交流があった文学者たちの中には、高祖保など戦場の露と消えた人々も。そういう報せも届き始めていたと思われます。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報を2件。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さん販売の豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日の限定販売で、メニューは光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究、現代風にアレンジし、彼の地で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの考案です。

今月15日分がこちら。
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小豆飯、ゆかりご飯、ブリの醤油麹焼き、豚肉のトマトケチャップ炒め、キャベツの煮浸し、かぼちゃ煮、塩麹入り卵焼き、干し柿入り甘酒ゼリー、大根の漬物だそうです。今月はご飯が2種類でボリューミーですね。しっかりデザートもついています。

もう1件、全く別件です。

昨年11月2日(木)、花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展示「光太郎と吉田幾世」の関連行事としまして、同題の市民講座を当方が致しました。その動画が今月いっぱいYouTube上に上げられるそうです。
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会期中にあがるのかな、と思っていたのですが、このタイミングでの公開。まぁ担当各所もいろいろお忙しいと存じますので、いたしかたありますまい。

当方としては自分がべしゃっくっている動画はあまり見たくないのですが、テロップを付けていただき、誤字脱字等ないか確認してくれということでしたので拝見しました。もうちょっとしっかりしゃべれよ、という感じです。

三本に分割されています。リンクを貼り付けておきますのでよろしくお願い申し上げます。
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」①
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」②
 令和5年度高村光太郎記念館講座「光太郎と吉田幾世」③

【折々のことば・光太郎】

里から此の小屋に来るまでの道路に熊の出るやうな所はありませんが、小屋のあるところよりも奥へゆくと出るやうです。去秋茸取りの人達が逃げて帰つてきた事があります。小生猟師から熊膽を求めました。


昭和21年(1946)5月6日 喜田聿衛宛書簡より 光太郎64歳

昨年の花巻は熊の出没がものすごく、市街地でもたびたび目撃情報がありました。当方もレンタカー運転中にちらっと見かけたような気がしています。先週は隣接する北上市のショッピングセンターに冬眠しそこねたと思われる子熊が侵入とのことで、ニュースになりました。

花巻郊外旧太田村の山小屋付近、現在も熊が生息していますが、かえって光太郎がいた頃はあまり里には降りてこなかったようです。この頃の方が共存が図れていたということなのでしょうか。

今年1年の振り返り、最後です。

10月2日(月)
『しんぶん赤旗』さんの歌人の寺井奈緒美氏の連載「くねくねTANKAロード」が「レモン哀歌 高村光太郎」でした。

10月5日(木)
当会より『光太郎資料』第60集を発行しました。
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10月5日(木)~11月19日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館 さんで「高村智恵子レモン祭」が開催され、生家二階部分の特別公開及びライトアップ、紙絵実物展示、紙絵制作体験など様々なコンテンツが用意されました。

10月5日(木)~11月30日(木)
岩手県花巻市の花巻高村光太郎記念館さんで「令和5年度高村光太郎記念館企画展 光太郎と吉田幾世」が開催されました。関連行事として11月2日(木)、当方による同題の市民講座が開催されました。
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10月6日(金)~11月28日(火)1ab34b95-s
鎌倉市の笛ギャラリーさんで「高村光太郎と尾崎喜八 詩と友情 その10」展が開催されました。11月11日(土)には関連行事として朗読会が行われました。

10月7日(土)
札幌市資料館さんで「第31回 葦の会 朗読会」が開催され、佐藤春夫著『小説智恵子抄』の一節の朗読も為されました。

10月7日(土)~12月24日(日)
和歌山市の和歌山県立近代美術館さんで小企画展「原勝四郎と同時代の画家たち」が開催され、光太郎油彩画「佐藤春夫像」が展示されました。

10月9日(月)
福島県二本松市の市民交流センターさんで「智恵子講座2023」の第一回が開催されました。主催は智恵子のまち夢くらぶさん。講師は同会代表・熊谷健一氏。同じく熊谷氏による第二回、第三回が11月19日(日)、12月17日(日)、同じ会場で開催されました。
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10月12日(木)~12月17日(日)
愛媛県西条市の五百亀記念館さんで「開館10周年記念企画展 秋川雅史彫刻展~彫り奉らん~」が開催され、テノール歌手にして木彫にも取り組まれている秋川雅史氏作の楠正成像模刻の他、氏のコレクションから光雲木彫数点が展示されました。
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10月13日(金)
岩波書店さんから谷川俊太郎氏選『永瀬清子詩集』が岩波文庫の一冊として刊行されました。随所で光太郎に触れられています。

10月14日(土)~11月26日(日)
石川県金沢市の石川県立美術館さんと国立工芸館さんで「第38回国民文化祭 第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023 皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川-麗しき美の煌めき-」が開催され、光雲、山崎朝雲、由木尾雪雄の合作「萬歳楽置物」、光雲と竹内久一の合作「鶴亀置物」が展示されました。
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10月16日(月)~11月7日(火)
埼玉県東松山市の東松山市民文化センターさんで「彫刻家 高田博厚展2023」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

10月17日(火)
東京都中野区のオルタナティブスペースRAFTさんで「くつろぎの朗読会」が開催され、朗読家・出口佳代さんによる「智恵子抄」朗読がプログラムに入りました。
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10月19日(木)
東京都渋谷区のHakuju Hallさんで「Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴」が開催され、藤木大地氏による加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」が演奏されました。

同日、株式会社ワークスさん発行、一般社団法人パズル検定協会さん監修の『別冊漢字館 Vol.112』が「特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎」を組んで下さいました。
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10月25日(水)
千葉県立図書館さん3館(中央・西部・東部図書館)において「千葉県誕生150周年記念 房総文学カード 第2弾」の配付が開始されました。「高村光太郎 智恵子抄 九十九里エリア 九十九里町」がラインナップに入っていました。

10月27日(金)~11月15日(水)
東京都荒川区のギャラリーHIGURE17-15casさんで、「『消えないし、 』展 O JUN 船木美佳 ー戦時下資料ラボー」が開催されました。現代アート作家のO JUN氏、船木美佳氏による光太郎詩を含む翼賛詩歌をモチーフとしたものでした。11月14日(火)に船木氏の故郷・福岡に本社を置く『西日本新聞』さんで紹介されましたが、会期終了前日で、このブログではご紹介しませんでした。この場を借りて取り上げさせていただきます。
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10月29日(日)
岡山市の岡山シンフォニーホールさんで「岡山市民合唱団鷲羽 第50回記念定期演奏会」が開催され、上月明氏作曲「智恵子抄 三章」(岡山市民合唱団鷲羽 第50回定期演奏会記念作品)が演奏されました。
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10月29日(日)、11月26日(日)
富山県高岡市の市民大学たかおか学遊塾さんで市民講座「高村光太郎『智恵子抄』を語り合おう」が開催されました。講師は茶山千恵子氏でした。

10月31日(火)
愛知県名古屋市のメニコンHITOMIホールさんで「藤木大地カウンターテナー・リサイタル」が開催され、藤木大地氏による加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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11月1日(水)
文藝春秋さん発行の月刊文芸誌『文學界』2023年11月号に近現代史研究者の辻田真佐憲氏による「花巻に高村光太郎の戦争詩碑を訪ねる」という記事が載りました。

同日、岩手県花巻市の宮沢賢治イーハトーブ館さんでトークリレー「高村光太郎生誕140周年記念事業 続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」が開催されました。メインパネラーは宮沢賢治実弟・清六の令孫にして林風舎代表取締役の宮沢和樹氏、パネリストは生前の光太郎をご存じの皆さんなど、コーディネーターは当方でした。
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11月2日(木)
散文「智恵子の半生」の一節と詩「レモン哀歌」が課題文で録音審査による開催だった「第16回山形大学高校生朗読コンクール」の審査結果発表がありました。

11月4日(土)
東京都中央区の王子ホールさんで「福成紀美子ソプラノリサイタル~作曲家 朝岡真木子とともに~」公演があり、朝岡真木子氏作曲の「冬が来た」が初演されました。歌唱は福成紀美子氏、ピアノは朝岡氏でした。
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11月5日(日)
千葉県木更津市の木更津市中央公民館さんで「第116回 房総の地域文化講座 没後100年、画家・柳敬助の生涯」が開催され、光太郎についても触れられました。講師は渡邉茂男氏 (君津市文化財審議会委員)でした。

11月8日(水)
『毎日新聞』さんの連載「山は博物館」で「光太郎「岩手の山」に自ら流刑 己の戦争詩に「暗愚」見る」が掲載され、光太郎がメインで取り上げられました。
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11月12日(日)~11月20日(月)
京都市の複数の寺院を会場に「京都非公開文化財特別公開」が行われ、一念寺さんでは光太郎の書が展示されました。
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11月15日(水)~2024年1月14日(土)
東京都港区の大倉集古館さんで「大倉組商会設立150周年記念 偉人たちの邂逅―近現代の書と言葉」展が開催され、光雲作の「大倉鶴彦翁夫妻像」が展示されました。

11月16日(木)
茨城県水戸市の水戸市立東部図書館さんで朗読会「あなたに贈る読みがたりーいい夫婦の日ー」が開催され、「あどけない話」の朗読がありました。
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11月23日(木)~11月30日(木)
大阪市の竹井事務所さんで「古美術上田 EXHIBITION」が開催され、光太郎ブロンズ「手」の展示即売が行われました。

11月24日(金)
作家の伊集院静氏が亡くなりました。平成30年(2018)に文藝春秋さんから刊行された『文字に美はありや』で光太郎の書について取り上げて下さった他、小説でも光太郎詩を引用したりなさっていました。

11月25日(土)
東京都文京区のアカデミー茗台さんで「第66回高村光太郎研究会」が開催されました。
研究発表は前田恭二氏「米原雲海と口村佶郎――新出“手”書簡の後景――」、北川光彦氏「西洋・東洋・時代を超えて 高村光太郎・智恵子が求めたもの」、当方の「智恵子、新たな横顔」でした。

11月26日(日)
千葉市の千葉アートサロンさんで「潮見佳世乃 CD発売記念LIVE 歌物語×JAZZ」が開催されました。第1部が「歌物語 智恵子抄」でした。
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11月29日(水)
東京都渋谷区の渋谷区文化総合センター大和田伝承ホールさんで「弓田真理子ソプラノ・リサイタル~歌声をあなたのもとに~」が開催され、甲田潤氏作曲「冬の朝のめざめ《智恵子抄》より」が演奏されました。

12月1日(金)
メディア業界紙「文化通信」を発行する文化通信社が主催する「ふるさと新聞アワード」の第3回の受賞記事が決まり、『いわき民報』元日号掲載で光太郎にも触れられた「草野心平生誕120周年記念特集」が「ひと」(一部「もの」)部門で優秀賞を受賞、表彰式が行われました。

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12月4日(月)
東京都渋谷区の渋谷区文化総合センターさくらホールさんで「男声合唱のためのウルトラセブン 楽譜出版記念コンサート」が開催され、蒔田尚昊氏作曲「『智惠子抄』より あどけない話」がテノール歌手・加耒徹氏の歌唱で演奏されました。

12月6日(水)
山形県北村山郡大石田町の大石田町町民交流センター虹のプラザさんで「第3回読書会「声に出して読みたい日本語 part2」が開催され、光太郎詩「道程」が取り上げられました。
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12月10日(日)
文治堂書店さんからPR誌『とんぼ』第17号が発行されました。評論家の芹沢俊介氏の追悼文、文治堂さんから詩集も覆刻されている光太郎と交流のあった詩人・野澤一が暮らした甲州四尾連湖のレポート、当方の『連翹忌通信』などが載っています。

12月16日(土)
東京都台東区のやなか音楽ホールさんで「歌曲個展+5 ドイツロマン派の歌曲――残照の時――」の公演があり、根本卓也氏作曲「組曲『智恵子抄』(新作初演)」の演奏がありました。ご出演はソプラノ・坂口真由氏、バスバリトン・牧山亮氏、ピアノ・蓜島啓介氏でした。
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12月18日(月)
地上波NHK Eテレさんで「にほんごであそぼ 健康」の放映があり、俳優の津田健次郎さんによる「レモン哀歌」朗読がありました。再放送は12月21日(木)、12月23日(土)でした。

12月22日(金)~2024年2月12日(月)
石川県七尾市の石川県七尾美術館さんで「彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜」展が開催され、光雲作の「聖観音像」が出品されました。
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12月23日(土)
新潟市のゆいぽーとさんで市民講座「二葉アーツスクール2023 めだかの学校 高村光太郎にとっての新潟」が開催されました。講師は山浦武夫氏でした。

同日、光太郎第二の故郷・岩手県の地方紙『岩手日日』さんに以下の記事が載りました。

賢治没後90年・光太郎生誕140年 人間味伝わる話題を

 宮沢賢治没後90年の今年は取材を通じて知らなかった賢治の一面に触れた。今春公開の映画「銀河鉄道の父」は父政次郎とその家族を通じて賢治の人生を描いた物語。家業を継ぐのを拒否し謎の商売を始めようとしたり、宗教に生きると言って家出したりと人間味にあふれる賢治を、舞台あいさつに立った成島出監督は「天真爛漫(らんまん)」と表現した。
 命日に営まれる賢治祭では生前に録音してあった父政次郎の肉声を聴いた。イメージよりも少し高い声でとうとうとお経のことを説き、賢治の弟・清六の孫に当たる宮澤和樹さんは「こういうお父さんに育てられたからこそ賢治があると思う」と語った。
 清六を頼って花巻に疎開した詩人で彫刻家の高村光太郎も生誕140年の節目の年だった。サンタクロースに扮(ふん)して子供を喜ばせたり、訪ねてきた女学生に足を崩してくつろぐよう勧めたりする光太郎の思いやりにあふれたエピソードを生前親交のあった人たちが披露し、主催した太田地区振興会の平賀浩会長は「後世に語り継がれる一材料になれば」と願った。
 今も昔も変わることのない人間味を伝えられる話題を届けていきたい。


さらに同日、新宿区のK’s cinemaさんで、映画「火だるま槐多よ」が封切られました。タイトルは光太郎詩「村山槐多」から採られ、劇中でも抜粋して朗読されました。
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12月25日(月)
東洋館出版社さんから山本茂喜氏著/野宮レナ氏イラスト『大人もときめく国語教科書の名作ガイド』が刊行されました。第5章 「そんなにもあなたはレモンを待っていた~文豪もときめきがお好き~」中に「1 愛する人に捧げます/「レモン哀歌」」という項が含まれました。

また、この項でその都度ご紹介はしませんでしたが、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さん販売の豪華弁当「光太郎ランチ」。メニューは光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジし、彼の地で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの考案です。令和2年(2020)からの毎月15日に限定販売、今年も継続されました。
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同じく花巻市のワンデイシェフの大食堂さんでは、やつかの森LLCさんによる「こうたろうカフェ」の出店も5回、なされました。こちらも光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジした料理が振る舞われました。
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というわけで、いろいろあった1年でした。新型コロナウイルス感染症が感染症法上の位置づけで「5類感染症」に変更された影響もあり、さまざまなイベントやコンサート、企画展示等が旧に復した感があり、ありがたいところです。しかし、「高村光太郎? 誰、それ?」、「高村光雲? 知らんなぁ」、「高村智恵子? 聞いたことない」という状況になるとこうは行きませんので、そうならないよう来年以降も微力ながら努力いたします。ご協力の程、よろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

雪はまだとけず、降雪も三日に一日位は降ります。雪をかいて道をつけると又忽ち埋れます。雪解は三月末でせう。


昭和21年(1946)2月28日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で暮らし始めた初めての冬。まだまだ物珍しいことが多かったようです。

今年1年の回顧、3回目です。

7月2日(日)
NHK Eテレさんで「日曜美術館「クォ・ヴァディス」の秘密〜シュルレアリスム画家北脇昇の戦争」の放映があり、光太郎の戦後の花巻郊外旧太田村での生活が紹介されました。
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7月7日(金)
東京都杉並区の座・高円寺さんで、「ろうどくdeおもてなし 🌟七夕公演🌟~会えば何かがはじまる~【夜公演】」が開催され、唐ひづる氏・葉月のりこ氏による「高村光太郎「智恵子抄」より『千鳥と遊ぶ智恵子』『僕等』『おそれ』」朗読劇がプログラムに入っていました。
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7月7日(金)~7月9日(日)
東京都中野区のBook Trade Cafe どうひんさんで「三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』」の公演がありました。光太郎智恵子を登場人物とした二人芝居でした。

7月8日(土)
福島県双葉郡川内村の村民体育センターさんで、当会の祖・草野心平を偲ぶ第58回天山祭りが開催されました。当方による記念講演「草野心平と高村光太郎 魂の交流」がありました。
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7月8日(土)~8月2日(水)
秋田県横手市の皇室の秋田県立近代美術館さんで「名宝と秋田~三の丸尚蔵館 収蔵品展~」前期展示が開催され、光雲の木彫「文使」が展示されました。

7月8日(土)~8月20日(日)
山形県米沢市の米沢市上杉博物館さんで「今泉篤男と美術 ひたすらに己の眼と言葉を信じ 美術評論家・美術館人として歩んだ生涯」展が開催され、光太郎木彫「鯰」が展示されました。
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7月8日(土)~9月2日(土)
名古屋市のSee Saw gallery + hibitさんで「谷澤紗和子個展 彼方の手に触れる。」が開催され、智恵子紙絵オマージュの作品が展示されました。

7月13日(木)~10月1日(日)
宮城県宮城郡松島町の瑞巌寺宝物館 さんで「一関恵美 墨画展〈千貫乃風 sengan no kaze〉」が開催され、光雲作の「聖観音像」を描いた作品が展示されました。
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7月15日(土)
東京都文京区の宝生能楽堂さんで「第二回 掬月会」公演があり、テノール歌手の紀野洋孝氏、伴奏(箏)福田恭子氏による別宮貞雄作曲歌曲集《智恵子抄》より「晩餐」の演奏がありました。

7月19日(水)~11月5日(日)
東京都千代田区の半蔵門ミュージアムさんで「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家 大観・玉堂・青邨・蓬春」展が開催され、光雲が主任となって制作された「西郷隆盛像」を描いた絵画が出品されました。
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7月21日(金)~9月10日(日)
長野県安曇野市の碌山美術館さんで「夏季特別企画 生誕140周年高村光太郎展」が開催され、同館所蔵の光太郎ブロンズ全て及び関連資料等が展示されました。

7月21日(金)
僧侶、教育評論家の無着成恭氏が亡くなりました。「奪われた自由 高村光太郎 ぼろぼろな駝鳥」を含む『無着成恭の詩の授業』(昭和57年=1982)という御著書がおありでした。
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7月24日(月)
作家の森村誠一氏が亡くなりました。「レモン哀歌」をモチーフの一つとした『新・人間の証明』という御著書がおありでした。

7月27日(木)~10月1日(日)
山口県山口市の中原中也記念館さんで「特別企画展 草野心平生誕120年 草野心平と中原中也」展が開催され、光太郎に関わる資料も展示されました。
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7月28日(金)
東京創元社さんから柳川一氏著の小説『三人書房』が刊行されました。光太郎も登場します。

7月29日(土)
横浜市イギリス館さんで「元井美智子自作自演コンサート2023」が開催され、箏曲奏者・元井美智子氏による「智恵子抄より」がプログラムに入りました。
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7月31日(月)
NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」で俳優の高杉真宙氏による詩「あどけない話」の朗読が為されました。再放送が8月5日(土)、再編集されたものが9月18日(月)、9月21日(木)、9月23日(土)に放映されました。

8月1日(火)
埼玉県東松山市さんの『広報ひがしまつやま』の8/1号、イラストレーター・絵子猫さんによる連載「絵子猫さんのアイテム探し」で高田博厚作の光太郎胸像が取り上げられました。
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8月1日(火)~8月3日(木)
岩手県花巻市の生涯学園都市会館で「高村光太郎記念館夏休みワークショップ 紙絵をつくろう!」が開催されました。作品の展示は12/20(水)~1/21(日)、花巻高村光太郎記念館さんにおいてでした。

8月8日(火)~8月27日(日)
岡山市の岡山県立美術館さんで特別展「美をたどる 皇室と岡山~三の丸尚蔵館収蔵品より」後期展示が開催され、光雲作の木彫「松樹鷹置物」が展示されました。
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8月9日(水)
宮城県牡鹿郡女川町のまちなか交流館さんで、第32回女川光太郎祭が開催されました。コロナ禍を経ての4年ぶりの通常開催でした。

8月15日(火)
宮部修氏著『父、高祖保の声を探して』が思潮社さんから刊行されました。光太郎にも触れられています。
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8月21日(月)
講談社さんから安西水丸氏著『安西水丸が遺した最後の抒情漫画集 陽だまり』が刊行されました。表題作で光太郎詩がモチーフとして使われました。

8月22日(火)~10月9日(月)
東京都台東区の東京国立博物館さんで「日本初のチベット探検―僧河口慧海の見た世界―」展示があり、光雲作の「檀木釈迦如来立像」と、光雲と豊周の合作「誕生釈迦仏立像」が出品されました。
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8月24日(木)
岩手県立花巻南高等学校文芸部さんから『門 ⅩⅦ』が発行されました。2月に花巻で行われた宮沢和樹氏(賢治実弟清六令孫  林風舎代表取締役)と当方との公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」のレポート、旧太田村の高村山荘、高村光太郎記念館さん訪問記などが掲載されています。

8月31日(木)
絵手紙の普及に努めた書家の小池邦夫氏が亡くなりました。複数のご著書で光太郎書について言及された他、主宰されていた『月刊絵手紙』で、平成29年(2017)6月号から令和2年(2020)3月号まで「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載を執筆なさいました。

9月1日(金)
亜紀書房さんから森まゆみ氏著『聞き書き・関東大震災』が刊行されました。光雲、光太郎に触れられています。
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9月1日(金)~9月27日(水)
千葉県富里市の富里市立図書館で「第47回千葉県移動美術館~読書へのいざない~」が開催され、光太郎ブロンズ「手」が展示されました。

9月2日(土)~10月15日(日)
東京都港区の泉屋博古館東京さんで「特集展示 住友コレクションの近代彫刻」が開催され、光雲木彫「楠木正成銅像頭部木型」が出品されました。

9月4日(月)
NHkさんのラジオ第2で「声でつづる昭和人物史〜賢治を語る1」のオンエアがあり、昭和25年録音の光太郎の肉声が流れました。

9月7日(木)
仙台に本社を置く地方紙『河北新報』さんの一面コラム「河北春秋」で、光太郎の短句「いくらまはされても針は天極をさす」「正直親切」がメインで取り上げられました。

同日、作曲家の西村朗氏が亡くなりました。平成20年(2008)、「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」を作曲され、広く歌われています。

9月9日(土)~11月19日(日)
東京都中央区のアーティゾン美術館さんで「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展が開催され、旧ブリヂストン美術館さん制作の『美術映画 高村光太郎』『美術家訪問 第7集』の光太郎が撮影された動画2本が上映されました。また、ブロンズ「手」の出品もありました。
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9月11日(月)
地上波NHK Eテレさんで「にほんごであそぼ 服装」の放映があり、俳優の津田健次郎さんによる「あなたはだんだんきれいになる」朗読がありました。再放送は9月14日(木)、9月16日(土)でした。

9月15日(金)
 岩手県花巻市の広報誌『広報はなまき』、9月15日号に、連載「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」では花巻高村光太郎記念館さん所蔵の光太郎書「大地麗」が、「いいトコ発見! 地域おこし協力隊」という記事では同隊員・森川沙紀さんによる『The Onsen of Hanamaki 花巻温泉』が、それぞれ取り上げられました。
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9月16日(土)~10月9日(月)
横浜市の横浜市民ギャラリーさんで「新・今日の作家展2023 ここにいる―Voice of Place」が開催され、現代アート作家・来田広大氏による映像作品《東京には空がない (Rooftop Drawing)》が出展されました。

42d74902-s9月28日(木)~12月26日(火)
北海道小樽市の似鳥美術館さんでトピック展「岸田劉生とその時代」が開催され、光太郎ブロンズ「十和田湖畔の裸婦像のための手」と書が2点展示されました。

9月30日(土)
澤正宏氏編『草野心平研究資料集』第1回配本 全3巻がクロスカルチャー出版から刊行されました。光太郎にも触れられています。

9月30日(土)~12月17日(日)
新潟県長岡市の駒形十吉記念美術館さんで「2023年第3回展 茶の湯を楽しむ-併設展 墨の魅力」が開催され、光太郎書「ちちよけふ子は長岡のはつなつにいとどこほしくおん作を見し」が展示されました。

数多くの方々がそれぞれの分野で光太郎智恵子、光雲を取り上げて下さり、いつもながらに感謝感激雨あられです。

明日はこの項最終回、10月から今月までを取り上げます。

【折々のことば・光太郎】

昨夕小正月用のお酒一升配給あり、コタツで晩酌、狐の声をききながら鼠と遊びました。耳づくは此処でもボロスケボオボオとなきます。


昭和21年(1946)2月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での独居生活、冬場は訪れる人も少なく、ことに夜間はまったくの一人。その点は気楽ではあったとは思われますが。

今年1年を振り返る企画、今日は4,5,6月分です。

4月2日(日)
千代田区の日比谷松本楼さんで第67回連翹忌の集いを開催いたしました。コロナ禍を経て4年ぶりの開催となりました。
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同日、高村光太郎研究会から『高村光太郎研究』第44号が、高村光太郎連翹忌運営委員会から『光太郎資料』第59集がそれぞれ発行されました。
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同日、NHK Eテレさんの「日曜美術館」で「重要文化財の秘密 知られざる日本近代美術史」の放映があり、光雲作の「老猿」が取り上げられました。再放送が4月23日(日)でした。
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4月5日(水)
大阪府豊中市の文化芸術センターさんで「Raffiné 春の音楽祭 in Osaka~心に響く名曲の調べ~」が開催されました。詩人の宮尾壽里子さんによる自作の「智恵子抄より~光太郎 智恵子へのオマージュ」朗読がプログラムに入りました。
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4月9日(日)
マルチアーティスト・井上涼氏が『毎日小学生新聞』さんに連載されている漫画「井上涼の美術でござる」が「高村光雲の巻」でした。

4月15日(土)
BSフジさんの「アートフルワールド 〜たぶん、すばらしき芸術の世界〜」の第47回「いま会いに行ける銅像」の放映があり、光雲作の「西郷隆盛像」「楠正成像」に触れられました。再放送が4月29日(土)でした。
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4月20日(木)~5月15日(月) 
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「山口山の木工展」が開催されました。 木工房さとうのさとうつかさ氏による光太郎をモチーフとした木工作品等が展示されました。
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4月21日(金)~4月23日(日)
東京都中央区の銀座大黒屋ギャラリーさんで「志村ふくみ・志村洋子 作品展示販売会 五月のウナ電」が開催され、光太郎詩「五月のウナ電」をモチーフとした染色作品が出品されました。京都展が5月19日(金)~5月21日(日)でした。

4月22日(土)
碌山美術館さんから同館編『三つの碌山館-荻原守衛顕彰110年のあゆみ-』が刊行されました。随所で光太郎に触れられています。
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4月22日(土)~6月11日(日)
長野県諏訪市のサンリツ服部美術館さんで「近代・モダン 新しい時代の絵画をもとめて」展が開催され、光雲作の木彫「鍾馗像」が展示されました。

4月23日(日) 
神戸市の神戸文化ホールさんで「合唱コンクール課題曲コンサート2023~藤木大地を迎えて~」で、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」がテノール歌手・藤木大地さんの歌唱で演奏されました。
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4月23日(日)~6月30日(金)
千葉県旭市の千葉県立東部図書館さんで資料展示「高村光太郎 生誕140周年」が行われ、光太郎著書、関連書籍等の展示が行われました。関連行事的に当方の市民講座「高村光太郎・智恵子と房総」が6月25日(日)に行われました。
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4月27日(木)~5月21日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで「高村智恵子生誕祭」が開催され、生家二階部分の特別公開、紙絵実物展示、紙絵制作体験などが行われました。

4月29日(土)~5月4日(木)
千葉県松戸市の戸定が丘歴史公園内『松雲亭』で「千葉県150周年記念 文学で千葉を旅するカフェ」が開催され、「智恵子抄」朗読等が行われました。
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4月30日(日)
徳間書店さんから時代小説作家・山田風太郎の名著を漫画化した『追読 人間臨終図巻 芸術家編』が刊行されました。サメマチオ氏画。光太郎の項を含みます。

5月1日(月)
詩人の平田好輝氏が亡くなりました。氏には『高村光太郎試論 智恵子と光太郎』(昭和48年=1973 東宣出版)というご著書がおありで、連翹忌にもたびたびご参加下さいました。

同日、三重県の紀北民俗研究会さんから『奥熊野の民俗』№16が発行されました。太田豊治氏による「詩人 東正佳さんを知る」で、光太郎に触れられています。
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5月14日(日)~5月23日(火) 
東京都杉並区のラピュタ阿佐ヶ谷さんで「昭和の銀幕に輝くヒロイン 第105弾 岩下志麻」が開催され、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」もラインナップに入りました。

5月20日(土)
東京都目黒区の中目黒GTプラザホールさんで「東京インターアーツ目黒 第20回記念公演 和草(にこぐさ)コンサート」が開催され、故・中島はる氏作曲の、ピアノと箏、尺八の伴奏による独唱歌曲「智恵子抄」全4曲がプログラムに入っていました。
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5月27日(土)
岩手日報社さんから『北の文学 第86号』が発行されました。小説部門の優秀作に選ばれた瀬緒瀧世(せお・たきよ)さんの「fantome(ファントーメ)」に光太郎が登場しました。

6月3日(土)
兵庫県西宮市の兵庫県立芸術文化センターさんで「初夏にうたう ~日本歌曲の夕べ~」が開催され、新井俊稀氏の歌唱で「あどけない話」(野村朗氏作曲)が演奏されました。
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6月10日(土)
文治堂書店さんからPR誌『とんぼ』第16号が発行されました。中西利一郎氏追悼文、当方の連載「連翹忌通信」などが掲載されました。

6月16日(金)~6月18日(日)
兵庫県尼崎市の武庫川KCスタジオ公演さんで「武庫川KCスタジオ オープニングプログラム EVKK6月『売り言葉』」の公演がありました。野田秀樹氏作の智恵子を主人公とした一人芝居でした。
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6月17日(土)
東京都武蔵野市の三鷹古典サロン裕泉堂さんで「憧れ本読書会 #29 高村光太郎『智恵子抄』」が開催されました。講師は吉田裕子氏でした。

6月17日(土)~8月31日(木)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「テーマ展『山のスケッチ』」が開催されました。
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6月20日(火)
岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センターさんから『賢治学+ (第3集) 』が発行されました。中里まき子氏、エリック・ブノワ氏「講演録「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」」が収められています。

6月21日(水)
高村光太郎研究会にご所属されていた西浦基(にしうら・はじむ)氏が亡くなりました。『雨男 高村光太郎』(平成21年=2009 東京図書出版会)、『高村光太郎小考集』(平成30年=2018 牧歌舎)と、2冊のご著書がおありでした。

6月24日(土)
東京都練馬区の光が丘美術館さんで「齊藤恵ソロコンサート にほんのうた」が開催され、別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」全曲の演奏がありました。
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同日、名古屋市の熱田文化小劇場さんで「歌とピアノとヴァイオリン ~そよ風にのせて vol.17~」が開催され、朝岡真木子氏作曲「組曲 智恵子抄」がプログラムに入りました。

6月25日(日)
福村出版さんから立元幸治氏著『デュオする名言、響き合うメッセージ 墓碑を歩き、人と出会う、言葉と出会う』が刊行されました。「僕の前に道はない[岡本太郎、高村光太郎]」という項を含みます。
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6月30日(金)
河出書房新社さんからfd652e74健太郎氏著河出新書『自称詞〈僕〉の歴史』が刊行されました。「高村光太郎の〈僕〉」という項を含みます。

6月(日不明)
千葉銀行さんが展開するシニア世代向け会員制サービス「ひまわり倶楽部」の会報的な『ひまわり倶楽部』2023年6月号に劇作家・女優の渡辺えりさんによる「さんぶの里紀行」が掲載され、九十九里浜の智恵子抄詩碑などが紹介されました。

5月8日(月)から新型コロナウイルス感染症は、感染症法上の位置づけが「5類感染症」に変更され、まだまだ予断は許しませんが、各種イベント等はコロナ禍前の水準に近く開催されるようになりました。それに伴って連翹忌の集いも再開し、美術館さん/文学館さんでの企画展示等、各種コンサートや朗読会等も行われ、有り難いかぎりでした。

明日は7~9月を振り返ります。

【折々のことば・光太郎】

何しろ文化の仕事はせつかちには出来ません。気永に、落ちついて、しつかり、たゆまずやる外ありません。


昭和21年(1946)2月16日 島貫太吉宛書簡より 光太郎64歳

戦後の混乱期の中での発言ですが、コロナ禍を経た現代にも通じる内容ですね。

今年も残すところ1週間足らずとなりました。毎年恒例の1年間回顧を始めます。まずは1~3月、と、その前に、昨年のこの項で洩れていた、昨年末の件から。

2022年12月19日(月)
角川書店さんから青柳碧人氏著短編小説集『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』が刊行されました。「姉さま人形八景」で光太郎智恵子が登場します。
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2022年12月30日(金)
朝日新聞出版さんから平田オリザ氏著『名著入門 日本近代文学50選』が刊行されました。「第五章 戦争と向き合う文学者たち」中に「『智恵子抄』高村光太郎」を含みます。

さて、ここから今年。

1月4日(水)~2月5日(日)
金沢市の石川県立美術館さんで「かねは雄弁に語りき 石川県立美術館の金属コレクション」が開催され、光太郎実弟・豊周の鋳金「朱銅三筋文花入」が展示されました。
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1月5日(木)~3月30日(木)
堺市立美原図書館さんで「伊東静雄没後70年記念展示 手紙にみる伊東静雄」が開催されました。光太郎から伊東宛の書簡(複製)が展示されました。

1月6日(金)~4月2日(日)
愛知県小牧市のメナード美術館さんで「メナード美術館開館35周年記念展 所蔵企画 35アーティストvol.Ⅱ」が開催され、光太郎木彫「栄螺」と「鯰」が出品されました。
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1月7日(土) 
青土社さんから鳥居万由実氏著『「人間ではないもの」とは誰か-戦争とモダニズムの詩学-』が刊行されました。「自己と他者が出会う場所――高村光太郎」という章を含みます。

1月7日(土)~2月28日(火)
千代田区の日比谷図書文化館さんで「龍星閣がつないだ夢二の心―『出版屋』から生まれた夢二ブームの原点―」が開催され、『智恵子抄』に関わる展示も為されました。
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1月16日(月)
明治7年(1874)創業で、光太郎智恵子が大正元年(1912)に滞在した千葉県銚子市犬吠埼の老舗宿「ぎょうけい館」(旧・暁鶏館)が廃業しました。

1月19日(木)
思潮社さん創業者にして評論家の小田久郎氏が亡くなりました。平成7年(1995)、『戦後詩壇私史』で光太郎に触れて下さっていました。

1月20日(金)~1月22日(日)
東京都八王子市の東京造形大学さんで「ZOKEI展 東京造形大学卒業研究・卒業制作展/ 東京造形大学大学院修士論文・修士制作展」が開催されました。長田ひかり氏の作品が「智恵子抄」オマージュの「白い病室」でした。
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1月20日(金)~2月19日(日)
那覇市の沖縄県立博物館・美術館さんで「美ら島おきなわ文化祭2022関連特別展 宮内庁三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室の美と沖縄ゆかりの品々」が開催され、光雲と山崎朝雲の合作「萬歳楽置物」が展示されました。
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1月21日(土)~1月31日(火)
鎌倉市の鎌倉芸術館さんで「没後35年 高田博厚展」が開催され、光太郎胸像を含む高田のブロンズ彫刻等が展示されました。

1月25日(水)
宮沢賢治研究家の天沢退二郎氏が亡くなりました。光太郎に言及した著書等もおありでした。

1月26日(木)
光太郎終焉の地、中野の貸しアトリエを所有する中西家当主・中西利一郎氏が亡くなりました。最晩年の光太郎について多くの証言を残して下さいました。

2月5日(日)
横浜能楽堂で「企画公演 能役者 鵜澤久」が開催されました。「舞囃子 智恵子抄」がプログラムに入りました。
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同日、農文協さんからコーラ小林さん・編 中島陽子さん・絵の絵本『イチからつくる コーラ』が刊行されました。光太郎詩「狂者の詩」に触れられています。

2月8日(水)
平凡社さんから和田博文氏著『日本人美術家のパリ 1878-1942』が刊行されました。「高村光太郎「根付の国」と、欧米の日本美術」という章を含みます。
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2月11日(土・祝)〜4月9日(日)
岐阜県現代陶芸美術館さんで「超絶技巧、未来へ 明治工芸とそのDNA」展が開催され、光雲木彫「白衣観音像」が出品されました。巡回が以下の通りでした。
 長野県立美術館 2023年4月22日(土)〜6月18日(日)
 あべのハルカス美術館 2023年7月1日(土)〜9月3日(日)
 富山県水墨美術館 2023年12月8日(金)〜2024年2月4日(日)
 山口県立美術館(予定) 2024年9月12日(木)~11月10日(日)
 山梨県立美術館(予定) 2024年11月20日(水)~2025年1月30日(木)

2月14日(火)
花巻市のなはんプラザにおいて公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」が行われました。対談者は宮沢賢治実弟・清六の令孫にして林風舎代表取締役の宮沢和樹氏と当方でした。
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2月16日(木)
横浜市の横浜みなとみらいホールで「藤木大地&みなとみらいクインテット マチネ」公演があり、加藤昌則氏作曲「レモン哀歌」がプログラムに入りました。新潟公演が5月3日(水)、奈良公演が5月21日(日)でした。

2月18日(土)
兵庫県姫路市の御国野公民館で市民講座「高村光太郎 智恵子抄を中心に」が開催されました。講師は元賢明女子学院短期大学教授・森本穫氏でした。
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2月18日(土)~4月25日(火)
山梨県南巨摩郡身延町の身延山久遠寺霊宝館さんで「身延山霊宝展」が開催され、光雲木彫「聖観音菩薩像」が展示されました。

2月19日(日) 
NHK BS8Kさんで「興福寺 国宝誕生と復興の物語 つなぐ!天平の心」の放映があり、光太郎にも触れられました。BSプレミアムでの再放送が3月28日(火)、7月23日(日)、11月14日(火)に行われました。
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2月21日(火)~6月12日(月)
盛岡市の盛岡てがみ館さんで「第67回企画展 いわての芸術家の手紙」が開催され、光太郎書簡も展示されました。
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2月23日(木)
新宿区の 東京オペラシティリサイタルホールさんで「紀野洋孝テノール・リサイタル」が開催され、別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智惠子抄(改訂新版)」が演奏されました。3月6日(月)には大分市のiichiko音の泉ホールで大分公演がありました。

2月27日(月)
小学館さんから井上涼+NHK びじゅチューン!制作班さん編『びじゅチューン!DVD BOOK 7』が刊行されました。光雲作木彫「老猿」をテーマとした「老猿は主役じゃなくても」を含みます。
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3月1日(水)~6月4日(日)
福井市の福井県ふるさと文学館さんで「コレクション展 新収蔵 津村節子展 津村節子という生き方」が開催され、小説『智恵子飛ぶ』関連の展示もなされました。

3月4日(土)
京都市のCaffe flookさんにおいて「東日本大震災復興支援ライブ 琵琶もの語り」が開催された。筑前琵琶奏者・宇佐美周子氏による光太郎詩「雪白く積めり」が演目に入っていました。
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3月5日(日)
岡山市天神山文化プラザさんで「佐々木英代の日本のうた講座【最終話】第30話 岡山の作曲家と歌手の選んだ名曲編」の公演があり、テノール歌手の松本敏雄氏が青木省三作曲の「智恵子抄三章」を演奏しました。

3月13日(月)
大阪市の大槻能楽堂さんで「至高の華 ~舞と語り~」公演があり、「舞踊詩劇 智恵子抄」が演目に入れられました。出演は梅若実桜雪さん、藤間勘十郎さん、高橋惠子さん他でした。
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同日、日本郵便株式会社東北支社さんが「オリジナル フレーム切手 高村光太郎と花巻」の販売を開始しました。光太郎生誕140年の誕生日に併せての発売でした。

3月14日(火)
札幌市の岩本珈琲さんで「マンスリー朗読ライブ VOL.26 智恵子抄を語る」公演がありました。出演は石橋玲さん(朗読)、つくねさん(音楽)でした。
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3月15日(水)
花巻市の有限事業組合machi R&Eさんから地域情報誌『花巻散歩マチココ』第34号が発行されました。平成29年(2019)4月以来続いていた連載「光太郎レシピ」が今号を以て最終回となりました。

3月17日(金)~5月14日(日)
千代田区の東京国立近代美術館さんで「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」展が開催され、光雲作の「老猿」が展示されました。
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3月20日(月)~4月6日(木)
東京都中央区のギャラリーせいほうさんで「高村光太郎と3人の彫刻家 佐藤忠良・舟越保武・柳原義達」展が開催され、光太郎のブロンズが数点出品されました。

3月21日(火)
東京都中央区の王子ホールさんで「朝岡真木子歌曲コンサート第6回」が開催されました。朝岡さん作曲の「組曲〈智惠子抄〉」より「千鳥と遊ぶ智恵子」「値ひがたき智恵子」がメゾソプラノ歌手・清水邦子さんの歌唱、朝岡さんのピアノで演奏されました。
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同日、ムジカフエンテさんからCD「清水邦子が歌う 組曲『智惠子抄』」がリリースされました。メゾソプラノ歌手・清水邦子さんの歌唱、朝岡さんのピアノで録音されています。映画監督の水谷俊之氏、それから当方がライナーノートを書かせていただきました。

3月22日(水)
集英社さんから佐高真氏著『反戦川柳人 鶴彬の獄死』が刊行されました。「藤沢周平の斎藤茂吉批判」という項で、光太郎に触れられました。
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同日、評論家の芹沢俊介氏が亡くなりました。昭和57年(1982)には、筑摩書房さんから『高村光太郎』という書籍を刊行なさっています。

3月23日(木)
女優の奈良岡朋子さんが亡くなりました。昭和50年(1975)にラジオの文化放送さんで放送された「青春劇場 日本抒情名詩集」で、「智恵子抄」から数編の朗読をなさった他、「智恵子抄」をモチーフの一つとした映画「こころの山脈」(昭和40年=1965)にご出演なさいました。
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3月24日(金)
岡山県赤磐市教育委員会さんから光太郎も登場する『マンガふるさとの偉人 詩人永瀬清子物語 わがたてがみよ、なびけ』が刊行されました。シナリオ・和田静夫氏、マンガ・藤井敬士氏でした。

3月28日(火)
作曲家の坂本龍一氏が亡くなりました。NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」番組内でくりかえし使われた光太郎作詞「道程」を作曲、演奏なさいました。
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3月31日(金)~5月7日(日)
東京都台東区の東京藝術大学大学美術館さんで「買上展 藝大コレクション展2023」が開催され、光太郎のブロンズ「獅子吼」、光太郎実弟・豊周の鋳金作品が出品されました。
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3月(日付不明)
花巻市さんから『The Onsen of Hanamaki 花巻温泉』が刊行されました。市の地域おこし協力隊で活動されている森川沙紀氏の手になるもので、光太郎が亡くなる2ヶ月前の昭和31年(1956)に語った談話筆記「花巻温泉」の全文と、その英訳が載せられています。

当方の勝手な判断で、主要な事項(と思われるもの)のみ紹介させていただいております。「この頃、こんなイベントもあったよ」「光太郎について書かれているこの本の紹介が無いぞ」というようなことがありましたら、コメント欄等から御教示いただければ幸いです。

【折々のことば・光太郎】

書きたい詩はたくさんありながら夜間が使へないので遅々としてはかどりません。

昭和21年(1946)2月15日 水原宏宛書簡より 光太郎64歳

前年秋から暮らし始めた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。昭和24年(1949)、見かねた村人たちが電線を引っ張ってあげるまで電気が通じていませんでした。

このところ少し前に刊行された書籍の紹介を続けて参りましたが、本日ご紹介するのは今月出た新刊です。

大人もときめく国語教科書の名作ガイド

2023年12月25日 山本茂喜 著 野宮レナ イラスト 東洋館出版社 定価1,350円+税

大人になった今だからこそ味わいたい、国語教科書の知られざる魅力

子どもの頃に誰もが読んだ国語教科書は、古今東西の名作を集めた珠玉のアンソロジーだった!長らく国語教育に携わった著者独自の審美眼で選んだ「大人もときめく」作品の数々。定番教材から知る人ぞ知る教材まで、授業では教わらなかった読み方や作品背景、よもやま話が満載。もう一度教科書作品を読み直したくなること不可避な、あの頃に戻れるブックガイド。

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目次
 はじめに
 第1章 「そのとき、胸の中で何かがはじけた」~初恋の日に戻れたら~
  1 初恋が心の中ではじけるとき/「赤い実はじけた」
  2 傷つきやすいあの子の思い出/「赤い実」
  3 雪国のラブロマンス/「わらぐつの中の神様」
  4 初恋の相手は先生だった? /「一房の葡萄」
  5 人生を照らす光の戯れ/「バッタと鈴虫」
  番外編 初恋は林檎の香り/「初恋」
 第2章 「あなたの指をお染めなさい」~扉の向こうは不思議なときめき~
  1 心の窓に映るもの/「きつねの窓」と「めもあある美術館」
  2 蝶なの? それとも…… /「白いぼうし」
  3 幻燈会の夜に/「雪わたり」と「やまなし」
  4 文豪の熱烈なラブレター/「杜子春」
 第3章 「ごん、お前だったのか」~愛おしい動物たちのお話~
  1 届かなかった思いとは/「ごんぎつね」
  2 究極の愛の形? /「スーホの白い馬」
  3 無償の愛ってなに? /「幸福の王子」
  4 穴に落ちた小さな命「ろくべえ まってろよ」
  5 大空翔る「えらぶつ」よ/「大造じいさんとがん」
  6 象たちの死が訴えるもの/「かわいそうなぞう」と「そしてトンキーも死んだ」
  7 きつねざくらが咲くとき/「チロヌップのきつね」
 第4章 「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」~遠ざかる思い出はセピア色~
  1 蝶は見つめていた/「少年の日の思い出」
  2 光り輝くマロニエの木/「モチモチの木」
  3 雪の夜にやってくるもの/「かさこじぞう」
  4 コスモスに託した思い/「一つの花」
 第5章 「そんなにもあなたはレモンを待っていた」~文豪もときめきがお好き~
  1 愛する人に捧げます/「レモン哀歌」
  2 あなたの魂、私があがなう/「銀の燭台」
  3 瞳に映った私の姿/「白」と「どろんこハリー」
  4 ベルリンの雪に消えた愛/「舞姫」
 おわりに

著者の山本氏、中高の国語科教諭を経て、現在は香川大学さんの名誉教授であらせられるそうです。「国語教科書はすぐれたアンソロジー」とし、小学校用から高校用まで、かつての教科書に掲載されていた(今も掲載されている)文学作品のうち、「「ときめき」を感じる」ものをセレクトし、作品の一部抜粋とあらすじ紹介、作品解説、さらに山本氏によるそれぞれの作品をテーマとした短歌が添えられています。

小中校生の頃には十分にわからなかったそれぞれの作品の世界観も、大人になってから読み返すと「なるほど、そういうことだったか」と、新たな発見に繋がるでしょう、というわけですね。

また、版元のサイトにこんな記述。「たとえタイトルやあらすじを忘れていても、「クラムボン」や「エーミール」などの言葉が引き金となって、当時の思い出がよみがえってくることがあるのではないでしょうか。」なるほど、「あるある」ですね(笑)。

版元サイトと言えば、本書のイラストを担当された野宮レナ氏による漫画が掲載されています。
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で、光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)。「レモン哀歌」を含む第5章の章題が「「そんなにもあなたはレモンを待っていた」~文豪もときめきがお好き~」と、「レモン哀歌」冒頭の一文を使って下さいました。

過日ご紹介した『賢治学+(プラス)【第3集】』所収の中里まき子氏、エリック・ブノワ氏による講演録「高村光太郎と宮沢賢治の喪のエクリチュール:『智恵子抄』仏訳体験に触れながら」同様、賢治の002「永訣の朝」との対比など、的確に論じて下さっていますし、智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」や、当方もお世話になっています信州安曇野の碌山美術館さん等にも触れられています。

ちなみに「レモン哀歌」、現在でも東京書籍さんで発行されている中学校3年生用の教科書『新しい国語 3』に掲載されています。これは今後とも外さずに採択され続けてほしいものですね。

というわけで、『大人もときめく国語教科書の名作ガイド』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

人家まで三丁位は離れてゐる此の小屋に雪をふんで鼠がもう来たのには驚きました。どうして探知するのでせう。


昭和21年(1946)1月18日 水野葉舟宛書簡より 光太郎64歳

前年秋から暮らし始めた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)。鼠たちはこの後も奇妙な同居人(人ではありませんが)として居座り続けます。

翌年に詠まれた短歌に曰く

わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり

光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋(高村山荘)にほど近い道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで毎月15日に限定販売中の豪華弁当「光太郎ランチ」。道の駅テナントのミレットキッチン花(フラワー)さんの商品で、光太郎の日記などを元に、光太郎が作った料理や使った食材などを研究し、現代風にアレンジしています。

今年最後の販売が12月15日(金)。メニューの考案等に当たられているやつかの森LLCさんから画像が届きました。
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今月のメニューは「青豆入り麦飯」、「白六穀御飯」、「牛かつ」、「里芋とイカの煮付け」、「大根のバター炒め」、「キャベツの甘酢和え」、「チョコレートムースとりんご」、「塩麹入り卵焼き」、「お新香」。彩り的にも何となくクリスマスっぽい感じですね。

作りたてが味わえて、このボリュームで800円。さまざまな物品等の価格高騰の折、予算内におさめるのがなかなかに大変なようです。おそらく地産地消的な部分で食材の仕入れ価格も都会よりは安く抑えられるから可能なのでしょう。

概ねすぐに完売するそうですが、来年以降も愛され続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

何と申上げてよいか分からぬやうな新年がまゐりましたが、ともかくも無事に越年して新春を迎へた事はやはりうれしい気がいたします 謹んで御慶申納めます。今年こそ最悪の年だらうと言はれてゐますがどうか国民が間違を起さずにそれを乗り切つてくれるやうにと思つて居ります。


昭和21年(1946)1月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎64歳

前年の敗戦から4ヶ月。新しい年がやってきましたが、GHQの占領方針なども一般国民には不透明な中、この国は何処に向かうのだろうという不安を抱えての新年スタートでした。

もうすぐ令和6年となりますが、違った意味でこの国は何処に向かうのだろうという不安を感じざるを得ないこの年末です。

どちらかというと女性向け、新刊のムックです。

&Me-time  &Premium特別編集 私の好きな、ひとりの時間。

2023年12月5日 マガジンハウス編・刊 定価1,880円

「ひとりの時間」をどんなふうに過ごしていますか? 本を読んだり、音楽を聴いたり、気の向くままに散歩してみたり、どこかへふらりと旅に出てみたり。「ひとりの時間」は、楽しむことができる人にとっては、心地のいい贅沢な時間。心を鎮め、自分の内面とじっくり向き合うことは、自分が本当に大切にしたいものに気づくきっかけになるはずです。過ごし方、暮らし、旅、映画、音楽、本まで、「ひとりの時間」や「静かに過ごす時間」にまつわる記事を1冊にまとめました。
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目次
Making Me Time あの人の、ひとりの時間のつくり方、楽しみ方。
 佐竹彩 三國万里子 上白石萌歌 松下萌黄 岡本佳樹 山田みどり 服部あさ美
 宮田・ヴィクトリア・紗枝
Why Do We Need Me Time? なぜ、ひとりの時間は必要なのでしょうか?
 吉本ばなな
Movie ひとりの時間を豊かに感じる映画。
 高崎卓馬
Lifestyle ひとり、心地よく暮らす住まい。
 吉原ゴウ 桐野恵美 
Travel 私を変えた、ひとり旅。
 タカコ・ノエル 黒島結菜 吉田恵里香 宇賀なつみ チェルシー舞花 木本梨絵
 佐久間由衣
Workstyle ひとりだからできたこと。
 曽我貴彦 宮後優子 倉橋孝明
Miri Masuda 益田ミリの、ひとりの時間。
What were in Their Minds? あの人が、ひとりで考えたこと。
 ヘンリー・D・ソロー スーザン・ソンタグ 森茉莉 篠田桃紅 星野道夫
My Peaceful Time 私の、静かな時間の過ごし方。
 加山幹子 宮田・ヴィクトリア・紗枝 関田四季 大塚寧々 花楓 溝口実穂 高橋周也
 村田明子 山根佐枝 白石聖 山口恵史
Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。
 篠田桃紅 いわさきちひろ パブロ・ピカソ 熊谷守一 高村智恵子
Soothing Stories 心を鎮める読書案内。
 高山なおみ
Peaceful Home 静かな暮らし。
 高木由利子 山下りか 濱田敦司 藤井繭子
Sounds of the Nature 自然の音を聴く。
 泊昭雄 大森克己 在本彌生 野川かさね 藤田一浩
Soothing Tunes 週末を静かに過ごすための音楽。

同じマガジンハウスさんから発行されている雑誌『& Premium』の増刊的な位置づけのようです。「私の好きな、ひとりの時間」をテーマに、これまでの本誌に載った記事からピックアップして1冊にまとめたと思われます。書き下ろし的な部分もあるかもしれませんが。

智恵子が取り上げられている「Celebrities in Peace あの人が愛した、静かな時間。」は『& Premium』の第97号(令和3年=2021)に掲載されました。
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そちらをお読みになっていない方など、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨十八日は午前中挨拶まはり。午後小屋にゆきて火を焚いて一人障子張りにかかり、屋根に音を立てて落ちる栗をやいてたべました。静寂きはまりなく神気澄みて無上の歓喜をおぼえました。


昭和20年(1945)10月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

2日前、花巻郊外旧太田村に移住し、近くの(といっても1㌔弱離れていますが)分教場に寝泊まりしながら山小屋の造作にかかっていました。ちょうど光太郎の大好物だった栗の実の落ちる頃で、早速、囲炉裏の火で焼いて食べたとのこと。

光太郎第二の故郷・岩手県花巻市で光太郎顕彰活動にあたられているやつかの森LLCさん。同市土沢にあるレストラン・ワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としておおむね月に一度出店なさっています。一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムなので「ワンデイシェフ」というわけです。

11月28日(火)に「こうたろうカフェ」出店があったということで、画像等送っていただきました。
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光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、光太郎に親しんでもらおうという取り組みです。

今回のメニューは下記画像の通り。
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「新米ご飯」、「キャッシュトースト」、「鮭のムニエル」、「野菜畑のローストチキンテリーヌ」、「ごぼうチップス」、「ミネストローヌスープ」、「シュークルート風浅漬け」、デザートに「焼き林檎のアイスクリーム添え」(林檎は光太郎の暮らした山小屋近くの林檎園のもの)、「アメリカンコーヒー」だそうで、いつもながらバラエティーに富んでいますね。早めのクリスマスバージョンというコンセプトだそうです。

予約ががっつり入り、過去最高の42食、スタッフ分を併せて51食分を作られたとのこと。今年は鮭が不漁ということで、中々手に入るめどが立たず苦労なさったそうでした。

いつも書いていますが、「食」へのこだわりも一方ならぬものがあった光太郎、その方面からのアプローチも大切なことです。

現地ではこれから雪深い季節となるため、「こうたろうカフェ」としての出店はしばらくお休み、次回は3月だそうです。その間にこれまで(5月から計7回行われたそうで)の検証と今後のメニュー作りに当たられるとのことですが、もう予約が入っているそうで、盛況ぶりが何よりです。

再開後のさらなる飛躍を期待します。

【折々のことば・光太郎】

太田村には今小屋が建ちつつあります。うしろに山を負ひ、前に山清水がわき、畑と林とに囲まれたところ。開墾が楽しみです。明日又検分にゆきます。人情実に純朴。ほんとの日本の山村です。稗とおジヤガを主食として小生もやります。山羊を飼つて栄養と肥料をとります。山には兎が多く、これから茸で一ぱいのやうです。


昭和20年(1945)9月15日 小盛盛宛書簡より 光太郎63歳

約1ヶ月後の10月17日に太田村に移り、しばらく山口分教場の宿直室に寝泊まりしながら小屋の造作を整え、独居生活を始めます。

山羊を飼ったり兎を捕ったりということは実現しませんでしたが、野菜類の自給自足(ほぼ、ですが)、茸や山菜などの採集は実際に行われました。

一週間前になりますが、埼玉県東松山市で市民講座の講師を務めさせていただきました。クローズドのものでしたので事前にご紹介しませんでしたし、速報する必要もないので取り上げてきませんでしたが、この辺でレポートしておきます。

主催は同市の「きらめき市民大学」さん。シニアの方々対象の生涯学習施設です。
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外部講師等を招いての座学的な講義のプログラムがあり、講師としてお招きいただいた次第です。今回で4回目でした。初回は令和元年(2019)、その後コロナ禍があり、2回目3回目は昨年(年度をまたぎました)。

生徒さんは入れ替わっていますので、毎回ほぼ同じ内容です。題して「高村光太郎と東松山」。
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光太郎自身は同市に足跡を残したことが確認できていませんが、同市の元教育長であらせられた故・田口弘氏が光太郎と交流が深く、さらにそこに氏と意気投合した高田博厚がからんで、光太郎関連のもろもろが同市に残されていますので、そのあたりがメイン。

1時間半の持ち時間で、前半は光太郎の人となりのダイジェスト、後半に田口氏を中心にした同市と光太郎の関わりをお話しさせていただきました。
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無題3 無題4
「きらめき市民大学」さん、座学以外に生徒の皆さんがグループを組んでの課題研究的なことにも取り組んでいらっしゃいます。そのレポートをまとめた冊子が作られており、昨年度の分をいただきました。
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「歴史・郷土文化A班」という方々(お一人、連翹忌の集いにもご参加下さっています)による「高田博厚と高坂彫刻プロムナード」というレポートが載っており、当方のお話しした内容とかぶるいろいろが。さらに高田に関しては実に詳細に調べられていて、興味深く拝読しました。

同市、埼玉県でも秩父山塊の麓に位置する街で、自然は豊かですが「首都圏」とは言い難く、おそらく大きなカルチャーセンター等は市内や近隣には無いのだと思われます。しかしニーズはあるわけで、その受け皿として「きらめき市民大学」。

やはりカルチャーセンター等のない地方都市だと、公立図書館さんや公民館さんなどが主体となっての各種講座等が開かれる場合がありますが、その頻度は限られるようです。「きらめき市民大学」さんの場合は基本的に週1回で年に40日程度。「課題研究」に関してはおそらく開講日でなくとも自主的に活動にあたられることもあるのではないかと思われます。

そんなこんなで「きらめき市民大学」さん、今年、全国市民大学連合さんから「優良市民大学」に認定されたとのこと。全国約400の市民大学について調査、検討し、全国で先導的な市民大学25校のうちの1つとしてだそうです。すばらしいと思います。

各地の社会教育担当の皆さん、御参考までに。

【折々のことば・光太郎】

今居る校長先生のお宅は花巻第一の好風景の地なので離れ難い気がします。旧お盆の数日間は月がよかつたので、夏の夜の月明下の北上山脈や早池峰の絶景を満喫しました。


昭和20年(1945)8月28日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳
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8月10日の花巻空襲で疎開先の宮沢賢治実家を焼け出され、現在の市役所近くの佐藤昌宅に厄介になっていた時の書簡の一節です。画像にあるスケッチが添えられていました。

作家の伊集院静氏が亡くなりました。

共同通信さん配信記事。

伊集院静さんが死去 作家、エッセー「大人の流儀」

002 「機関車先生」などの小説やエッセー「大人の流儀」シリーズで人気の作家の伊集院静(いじゅういん・しずか、本名西山忠来=にしやま・ただき)さんが24日死去した。73歳。山口県出身。告別式は近親者で行う。肝内胆管がんのため治療中だった。
 プロ野球選手を目指したが、肘を痛めて立教大の野球部を退部。卒業後は広告代理店勤務を経てフリーの演出家に。多くのテレビCMに関わり松任谷由実さん、松田聖子さんのコンサートを演出。「伊達歩」名義で近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」など歌謡曲の作詞も手がけた。
 1981年に短編小説「皐月」で作家デビュー、92年に「受け月」で直木賞を受けた。「機関車先生」で柴田錬三郎賞、直木賞の選考委員も務めた。エッセーも人気で、2011年の「大人の流儀」に始まるシリーズは、ベストセラーとなった。16年紫綬褒章。
 芸能界やスポーツ界、経済界の著名人らと交友した。1984年に結婚した俳優の夏目雅子さんが翌年急死。92年に俳優の篠ひろ子さんと結婚した。

同じく時事通信さん。

伊集院静さん死去 「大人の流儀」直木賞作家、73歳

003 エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静(いじゅういん・しずか、本名西山忠来=にしやま・ただき)さんが24日、死去した。
 73歳だった。葬儀は近親者で行う。10月に肝内胆管がんを公表し、治療のため執筆活動を休止していた。
 山口県防府市出身。立教大文学部を卒業後、広告代理店を経てCMディレクターとして活動した。1981年、小説「皐月(さつき)」で作家デビュー。91年に「乳房」で吉川英治文学新人賞、92年に「受け月」で直木賞、94年に「機関車先生」で柴田錬三郎賞を受賞した。「乳房」や「機関車先生」などは映画化もされた。
 自由な生きざまや文学観から「無頼派作家」とも呼ばれた。豊かな人生経験を基にした「大人の流儀」シリーズは2011年以降、コンスタントに刊行され、累計200万部を超えるベストセラーとなった。
 作詞家としても活躍し、歌手の近藤真彦さんが歌った「ギンギラギンにさりげなく」などがヒット。近藤さんの「愚か者」は87年に日本レコード大賞を受賞した。16年に紫綬褒章受章。
 私生活では、84年に俳優の夏目雅子さんと結婚したが、夏目さんは白血病で翌年死去。92年に俳優の篠ひろ子さんと再婚した。

伊集院氏、平成26年(2014)には書道に関する『文藝春秋』さんの連載、「文字に美はありや」で光太郎の書について取り上げて下さいました。

木彫「白文鳥」(昭和6年=1931)を収めるための袱紗(ふくさ)にしたためられた短歌、詩「道程」(大正3年=1914)の鉛筆書きと見られる草稿が取り上げられています。また、光太郎の書論「書について」(昭和14年=1939)も紹介されています。
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その後、連載まとめてを単行本化したものが平成30年(2018)に文藝春秋さんから刊行。令和2年(2020)には文庫化も為されました。
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通常、雑誌連載の単行本化の際には加筆がなされるものですが、光太郎の章では逆に連載時の最後の一文がカットされています。曰く「智恵子への恋慕と彼の書についてはいずれ詳しく紹介したい。」それが果たされなかったようで、何とも残念です。

また、小説『イザベルに薔薇を』(ハードカバー・平成30年=2018、文庫・令和2年=2020、いずれも双葉社さん刊)では、詩「道程」(大正3年=1914)を引用して下さっています。
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ご自身の体験等踏まえられたと思われる、ギャンブラー的な破天荒な若者を主人公とした小説です。

詳しく調べれば他にもあるかもしれません。

謹んでご冥福をお祈りします。

【折々のことば・光太郎】

よほど縁があると見えて又花巻で焼かれました。八月十日ひる。花巻町に空襲あり、火災発生。町の重要部分被爆。宮沢氏邸も全焼。従つて小生も罹災。荷物半分ほど焼失を免る。目下元中学校長先生佐藤昌氏邸に避難。絶景一望の一室に起居す。


昭和20年(1945)8月19日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

その直前には広島、長崎への原爆投下もありましたし、光太郎が疎開していた岩手花巻では、終戦5日前に空襲。光太郎がかつて紀行文「三陸廻り」執筆のため訪れた女川気仙沼、宮古でも同じ日に空襲がありましたし、前日にはやはり「三陸廻り」に描かれた釜石は空襲プラス艦砲射撃で壊滅状態でした。

10日の花巻空襲の際には、光太郎と縁の深かった花巻病院長佐藤隆房らが負傷者の救護に奔走。光太郎はその敢闘をたたえ、詩「非常の時」を贈りました。

寒がりの当方としてはあまり来てほしくないのですが、来ちゃった感がありますね、冬。昨日あたりは関東では小春日和でしたが。

『東京新聞』さん、11月13日(月)のコラム。

筆洗

 「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず」-。吉田兼好が『徒然草』にこんなことを書いている▼いやいや、春が終われば夏、夏の後に秋がくるのはあたりまえでしょと言いたくもなるか。兼好さんが強調するのは四季の移ろいとはそんなにはっきりしたものではなく、「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ…」なのだという。つまり、春の中に夏の気配があり、夏のころから秋が忍び込んでいる。季節とはそういう微妙な変化なのだと▼兼好法師に逆らう気はないが、微妙な変化とは言いにくい今年の冬の訪れだろう。強い寒気が流れ込んだ影響で、週末あたりから急に冷え込んできた。東京でも昨日、冬の訪れを告げる北風の「木枯らし1号」が観測された▼11月に入っても最高気温が20度を大きく超える日が続いたのに、この寒さに毛布をあわてて引っ張りだした。夏から一気に冬へ、とはおおげさだが、秋が感じにくかった分、冬に寝込みを襲われた気分になる▼週末に訪れた京都では今年、紅葉が遅れていると地元の方がおっしゃっていた。季節の急な移ろいに紅葉の足並みがついていけないようである▼冷え込みに思い出すのは高村光太郎の詩か。「きっぱりと冬がきた(中略)。きりきりともみ込むやうな冬がきた」。体調管理にはお気を付けいただきたい。小欄、きっぱりと風邪をひいた。

お大事にどうぞ(笑)。

11月10日(金)、『産経新聞』さん大阪版、俳人の坪内稔典氏によるコラム。

モーロクらんらん(31) 冬構え001

 暦の上では8日が立冬だった。今日は冬の3日目だが、さて、冬の備えはできているだろうか。冬への備えを季語では「冬支度」「冬用意」「冬構え」などと言う。これらの語、冬はちゃんと構えて、あるいは十分に用意して迎えるべきものだ、ということを示している。
 ところが近年、この冬を迎える気持ちが緩んでいる。暖冬が続き、防寒用具などが整ってきたせいだろうが、たとえば「冬隣(ふゆどなり)」という季語がよく使われるようになっている。
 かつて春を待つ喜びを「春隣」と言ったが、その言い方を冬にも転用したのが「冬隣」だ。最新版の歳時記『角川俳句大歳時記』はこの転用を容認し、「春夏秋冬みな隣をつけ」ると言い、「冬隣の場合、寒く厳しい冬に対して身構える緊張感が伴う」と解説している。
 その解説の通りだと、「冬支度」でいいではないか。あるいは、「冬構え」のほうがぴったりだ。「冬隣」だと元になった「春隣」の気分がどうしても漂う。つまり、冬を喜ぶ気分になる。
 たしかに喜んで冬を待つ気分はあるだろう。スキーが好き、あるいはコタツを囲む暮らしへのあこがれなどは「冬隣」的かも。でも、冬は冬らしく、春は春らしくなければせっかくの季節感がだらしなくなる。つまり、「春隣」を「冬隣」へ転用することに私は反対だ。精神とか感受性がこうした転用から緩むのではないだろうか。
 「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食(えじき)だ」「しみ透(とお)れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のやうな冬が来た」。以上は高村光太郎の詩「冬が来た」の一節。やや物騒だが、冬はこの詩のようなものだろう。

日本華道社さん発行の月刊誌『ざ・いけのぼう』12月号。「特集・はなのおはなし」という連載から。

特集四季の花詩~《冬》~

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冷たく厳しい冬が強くしてくれる

 高村光太郎は東京美術学校を卒業後、海外へ留学。帰国してから約5年の間に書いた詩を時系列にまとめ、第一詩集として『道程』(大正3/1914年)を出版しました。「冬が来た」は「一九一三年」の項にあり、光太郎30歳、愛妻・智恵子と結婚する前の年の作品のようです。
 「公孫樹の木も箒になった」と表現された冬の景色。夏は緑、秋は黄色の葉が生い茂っていた公孫樹の木から、葉がすっかり落ちてしまった様子は、私たちに寒々とした冬を思い起こさせます。
 強い言葉で冷たく厳しい冬を表現し、「人にいやがられる」と語っていますが、詩の後半は厳しい冬を歓迎し、高揚する思いが歌われています。 
 寒い冬に対して、光太郎は他の季節にはない特別な力を感じていたのかもしれません。冬の厳しさが、自分を強く鍛えてくれるように思い、「僕に来い」と呼び掛けたのでしょう。冬の激しいエネルギーを自らの糧とし、どんな苦境も強く生き抜いていくという強い意志を感じます。


同じ項には北原白秋の「雪に立つ竹」も紹介されています。

同誌、華道家元池坊さんの機関誌のような感じですが、一般にも販売されていまして、Amazonさん等でも入手可能です。ぜひお買い求めを。
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花巻高村光太郎記念館さんの紹介も載せて下さっています。そこで写真を借りたいということで花巻市役所さんに連絡が行き、ついでに本文の内容も問題ないか見てほしい、ということになったそうで、すると市役所さんから当方に校訂依頼が回ってきました。

というわけで、あちこちで「冬が来た」「冬が来た」「冬が来た」……(笑)。寒さに弱い当方、これから数ヶ月は気の重い日々です。温暖な房総で暮らしているくせに、と、北国の皆さんには怒られそうですが(笑)。

【折々のことば・光太郎】

「宮沢賢治詩集」をやはり青磁社からたのまれています。賢治さんの実家に居る事とて編纂には便利です。未発表の詩も発見されたのでそれも入れます。

昭和20年(1945)7月13日 椛澤ふみ子宛書簡より 光太郎63歳

花巻の宮沢家に疎開していた折の書簡から。終戦後の翌年から刊行が始まる『組合版 宮沢賢治文庫』の編集作業、戦時中から既に行っていたのですね。

道の駅はなまき西南愛称・賢治と光太郎の郷)さんに入っているテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが、光太郎の日記などを元に現代風にアレンジしたメニューを組み、毎月15日に限定販売されている豪華弁当・光太郎ランチ。メニュー考案等に当たられているやつかの森LLCさんから今月分の画像を送っていただきました。
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今月のメニューは「アマランサスご飯」「大根餅」「牛すき煮」「魚のムニエル」「白菜と菊花のお浸し」「キャベツのオイスターソース炒め」「りんご入りさつまいも巾着」「塩麹入り卵焼き」「お新香」。ちゃんと栄養バランスも考えた上で、いい感じの品々が詰め合わさっています。

やつかの森LLCさん、これ以外の活動として、不定期に(おおむね月イチで)花巻市東和町の「ワンデイシェフの大食堂」さんに「こうたろうカフェ」としてご出店なさっていますが、今月は1週間後の11月28日(火)だそうです。

「食」からの光太郎へのアプローチ、これもまた一つの方法ですね。光太郎自身、昭和27年(1952)に行われた座談会「簡素生活と健康」では「食べ物はバカにしてはいけません。うんと大切だということです」と発言しています。

そちらもこんな料理を饗しましたというご報告を頂きましたらご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

御申越の詩集について左の通り略定めました。 ○書名 詩集「花と実と」(或は「花と実」) ○頁数 十二行詰六〇頁程 ○篇数 三〇篇ほど ○内容 草木の花、果実、蔬菜、穀類などを短章の詩にうたひたり。日本の山野に取材せるもの多し。

昭和20年(1945)7月4日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎63歳

終戦直前のこの時期、こんな詩集を出すことを構想していました。戦争の敗色濃厚ということもあり、もはや翼賛詩は阿呆らしくて書けないという感じだったかも知れません。「果実、蔬菜、穀類など」を謳うとのことでしたが、この後の花巻空襲、終戦の玉音放送、花巻郊外旧太田村への移住などのバタバタで、結局この詩集の計画は頓挫しました。入れる予定だった詩篇は断片的に残ってはいますが。

これが実現していたら、「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」などのよいネタになったことでしょう。

11月8日(水)、『毎日新聞』さんの山梨版記事から。光太郎の花巻郊外旧太田村隠棲、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)についてです。

山は博物館 光太郎「岩手の山」に自ら流刑 己の戦争詩に「暗愚」見る

 岩手県花巻市のJR花巻駅から西へ9キロ余り。彫刻家で詩人としても知られる高村光太郎(1883~1956年)は太平洋戦争後、太田村(現花巻市)の外れの「岩手の山」で7年間、おんぼろ小屋に一人で住んだ。東京にいた時、戦争を支持する詩を多数発表した自らに「暗愚」を見いだし、流刑を意味する「流謫(るたく)」を科した。
 戦争詩を最初に書いたのは、日本が日中戦争を始めた1937年と言われる。「事変(じへん)二周年」で<植民地支那にして置きたい連中の貪慾(どんよく)から君をほんとの君に救ひ出すには、君の頭をなぐるより外ないではないか>と戦争を正当化。精神の支柱は、欧米のアジア支配からの解放だった。太平洋戦争開戦の「十二月八日」は<東亜(とうあ)を東亜にかへせといふのみ。彼等(かれら)の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ>と主張。光太郎にとってこの戦争は「大東亜戦争」だった。
 44年の詩集「記録」には「特別攻撃隊の方々に」「海軍魂を詠ず」「戦に徹す」などを載せた。
 45年4月、東京のアトリエが空襲で焼け、翌月、宮沢賢治の縁で花巻町(同)に疎開。敗戦後の11月、太田村の小屋に落ち着いた。鉱山などで使い古した建物を移築したため、粗末で当初は電気も通じておらず、まるで炭焼き小屋と同情された。光太郎は62歳で、当時は老人とみられた年齢。肺を病み、しばしば吐血して心配されたが、以前から土に根差した文化を理想とし、地方暮らしは希望していたものだった。
 そのころ、戦争協力者への糾弾は文学にも広がり、光太郎も対象になった。知人へのはがきには、詩集の「『記録』は大本営を過信した小生の不明の記録となりました」との記述がある。
 47年7月号「展望」に、転機となる詩20編の「暗愚小傳(しょうでん)」を発表。自分の精神史を告白した。「真珠湾の日」で<天皇あやふし。ただこの一語が私の一切を決定した>とあるように、戦争支持のもう一つの柱は天皇崇拝だった。「山林」では<おのれの暗愚をいやほど見たので、自分の業績のどんな評価をも快く容(い)れ、自分に鞭する千の非難も素直にきく>と吐露した。
 これに収めなかった詩で、中国の抗日戦争の指導者だった蒋介石に対する「蒋先生に慙謝(ざんしゃ)す」では<天皇の名に於(お)いて強引に軍が始めた東亜経営の夢はつひに多くの自他国民の血を犠牲にし、あらゆる文化をふみにじり、国力つきて破れ果てた。わが同胞の暴逆むざんな行動を仔細(しさい)に知つて驚きあきれ、わたくしは言葉も無いほど慙(は)ぢおそれた>。そして「ブランデンブルグ」で<岩手の山におれは棲(す)む。おれは自己流謫のこの山に根を張つて>と言い切った。
 鋳金家で弟の豊周(とよちか)は著書で「本気でむきになって、自分を島流しにした。国家に協力し、いかにうかつだったかを思い、自分の暗愚を感じていた」と振り返った。光太郎は50年発表の詩集「典型」の序文でも「私の愚鈍な、あいまいな、運命的歩みに、愚劣の典型を見るに至つて戦慄(せんりつ)をおぼえずにゐられなかつた。詩は悪罵せられ、軽侮せられ、処罰せられ、たはけと言はれつづけて来たもののみ」と、嫌悪感を繰り返し表した。
 本職は彫刻だが、岩手にいる間は彫塑、木彫とも1点の作品も発表しなかった。一般財団法人「花巻高村光太郎記念会」事務局長補佐の高橋卓也さん(46)は「一般に、自ら与えた罰は流謫と言われるが、実はそれより重い罰を彫刻の封印という形で科し、苦しんだ」と指摘する。
 だが、彫刻刀はよく研ぎ、材料の木も乾燥させていた。それでもだ。モチーフを欲する「人体飢餓」で<渇望は胸を衝(つ)く。氷を噛(か)んで暗夜の空に訴へる。雪女出ろ。この彫刻家をとつて食へ。とつて食ふ時この雪原で舞をまへ。その時彫刻家は雪でつくる。汝(なんじ)のしなやかな胴体を>ともだえた。
 知人の手記によると、「岩手山の肩の強さに魅力があり、粘土で手の上で作ってみた」と話していた。高橋さんは「手慰みだろう」と推察する。弟は、光太郎が晩年「気もちが楽しいと木彫が出来る。腹が立つと詩が出来る」とつぶやいたエピソードを紹介し「兄が好んで試みた木彫の小品は、心が豊かな時でなければ、また心に他念が混入してゐる時などでは出来るものではない」と振り返った。
 光太郎が彫刻の封印を解いたのは52年。10月に帰京し、青森県の依頼で十和田湖畔に建立する像の制作に取りかかった。仕事が終われば戻るつもりで、「小屋はそのままに」と言い残したが、53年10月の「乙女の像」除幕後に急に体が弱り、帰れないまま2年半後に死去した。死後、いろりの灰の中から土で作ったウサギの頭が出てきた。小屋は「高村山荘」として保存されている。
001
◇亡き妻に思いはせ
  戦後、小屋で独居の高村光太郎は、寂しくないかと心配されたが、1938年に他界した妻の「智恵子がいるから大丈夫」と答えていた。<智恵子はすでに元素にかへつた。わたくしは心霊独存の理を信じない。智恵子はしかも実存する。私の肉に居る智恵子は、そのままわたくしの精神の極北>と、50年の詩文集「智恵子抄その後」の「元素智恵子」で書いた。
 小屋から西へ徒歩5分に、高さ約30メートルの小さい山がある。東京方面の南側に景色が開け、光太郎はここに登っては妻の名を呼んでいたと、地元住民に語り継がれてきた。花巻高村光太郎記念会の高橋卓也さんは「絶叫していたという人もいれば、ほがらかな感じだったという人もいる」と話す。 同書の「裸形(らぎょう)」で<つつましくて満ちてゐて、星宿のやうに森厳で山脈のやうに波うつていつでもうすいミストがかかり、その造型の瑪瑙(めのう)質に奥の知れないつやがあつた。智恵子の裸形をこの世にのこしてわたくしはやがて天然の素中(そちゅう)に帰らう>と予言した。そこへ、十和田湖畔の像制作の依頼が舞い込んだ。現地視察に同行した建築家は「『智恵子を作ろう』と、ひとりごとのようにいわれた」と書いている。モデルを頼んで裸像を作ったが、出来上がった顔は智恵子だった。 智恵子は紙絵を多数残し、高橋さんは「光太郎先生は死期が近付くと、作品を預けていた知人に『返してほしい』とお手伝いさんに電報を打ってもらい、永眠に間に合った」と話す。
002
なかなかよくまとまっていますね。

光太郎が蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村、そして「乙女の像」のたつ十和田湖、11月も半ばとなったこの時期、初雪の便りが届く頃です。もう既に降っているかも知れません。そしてこの後、厳冬期ともなれば雪に閉ざされます。

冬空の下、北の大地に粛々と生きた老詩人に思いを馳せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

数日中に小生 岩手県花巻の方へまゐる事になりました、暫く滞留するつもりで居ります。

昭和20年(1945)5月15日 伊藤海彦宛書簡より 光太郎63歳

実際には「数日中」ではなく、この日の夜行で上野駅から花巻へと旅立ちました。朝から列車待ちの行列に並び、乗車出来たのは夕方でした。翌朝、雨で煙る花巻駅に着き、宮沢賢治の実弟・清六に迎えられました。

過日立ち寄った日本橋の丸善さんではズドンと平積みになっていました。

味つけはせんでええんです

2023年10月20日 土井善晴著 ミシマ社 定価1,600円+税

「なにもしない」料理が、地球と私とあなたを救う。

AIの発達、環境危機、経済至上主義…基準なき時代をどう生きるか? 人間とは、自由とは、幸せとは。「料理」を入り口に考察した壮大な著!

土井節炸裂、一生ものの雑文集。『ちゃぶ台』の名物連載、ついに書籍化。

レシピとは人の物語から生まれたお料理のメモ。他人のレシピは他人の人生から生まれたもの。でも本来、料理は自分の人生から生まれてくるものです。それがあなたの料理です。つたなくっても、自信がなくっても、私はいいと思います。「味つけせんでええ」というのは、それを大切にすることだと思っているのです。一生懸命お料理すればそこにあなたがいるのです。お料理するあなたが、あなたを守ってくれるのです。――「まえがき」より
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目次002
 まえがき
 1 料理という人間らしさ
 2 料理がひとを守ってくれる
 3 偶然を味方にする――「地球と料理」考
 4 味つけはせんでええんです
 5 料理する動物
 6 パンドラの箱を開けるな!

料理研究家の土井善晴氏によるエッセイ集。元々は『生活者のための総合雑誌 ちゃぶ台』(ミシマ社)に連載されたものの加筆・修正だそうです。

第1章「料理という人間らしさ」で、光太郎詩「火星が出てゐる」(大正15年=1926)が引用されています。長い詩なので第一連のみですが。

 要するにどうすればいいか、といふ問は、
 折角たどつた思索の道を初にかへす。
 要するにどうでもいいのか。
 否、否、無限大に否。002
 待つがいい、さうして第一の力を以て、
 そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
 予約された結果を思ふのは卑しい。
 正しい原因にのみ生きる事、
 それのみが浄い。
 お前の心を更にゆすぶり返す為には、
 もう一度頭を高く上げて、
 この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
 あの大きな、まつかな星をみるがいい。

土井氏、この中の「予約された結果を思ふのは卑しい。」に着目され、「結果ではなく今という人生の道中に目的があるのです」と書かれています。そしてそれが料理法にも及んでいくことになります。

テレビ番組の収録にからめ……

 料理するとき、材料を見て、なにをつくろうかと思うわけです。たとえ、自分のレシピであっても数字を参考にすると、私が台本に書かれていることを読むのと同じで、文言に囚(とら)われて感性がオドオドして、働かなくなるのです。
 それって、何も考えなくてよいから、楽ちんなんですね。おいしいレシピどおりにつくるという結果だけを目的にすると、機械的な作業になって、自分の作る料理でも、無関心、無責任でいられるんです。


それじゃつまらん、ということでしょう。

ところが予定通り、レシピ通りにいかないこともあるわけで……

 「あーしたらこうなる」という化学の論理は、自然に生かされる私たちの生活にも、人間関係にも、料理にも当てはまりません。自然も人生も複雑で、そんなに単純にうまくいくはずがないことは、よくわかっているはずです。

だから料理の現場にAIの導入などもってのほか、という方向に話が進みます。そして題名の通り「味付けはせんでええんです」。

事細かに「このメーカーのこの調味料をこう使って、隠し味に××を忍ばせ、火加減はこのくらいで何分何十秒……」という方法は否定されます。逆に大胆に味付けは最低限だけ、あとは食べる人が自分の好みに合わせて塩胡椒(「智恵子抄」ではありません(笑))をふったりしてくれればよい、的なことまでおっしゃっています。和食の理念でもありますね。素材の味を生かすこと。

ストンと落ちました。当方、ケチャップやらマヨネーズやらの調味料でギトギトになったものは大嫌いです。市販のハンバーガーなどは食べられません。コンビニやサービスエリアなどでフランクフルトやアメリカンドッグ等を買う際も、店員さんが辛子とケチャップを付けて下さろうとすると「いりません」。

さらに土井氏曰く、

日本人の清潔感とは、「なにもない」を好むことのあらわれです。なにもないところに、ごく小さな変化が表れるとき、私たちはそれに気づくことができるのです。ですから、味つけは飾りであり、ときに邪魔にさえなるのです。

器に盛られたお料理を見て、季節を喜び、箸でつまんで想像して口に入れるんですね。自分の想像を超えておいしければうれしくなるでしょう。自分で感じとるから、一層おいしくなって楽しめるのです。


だから料理店などでは、シェフ氏やら板前さんやらウェイター・ウェイトレスさんやらが「食材のいわく因縁、つくり方を丁寧に、ときに小さなガッツポーズを入れながら解説」などしなくてよろしい、というわけです。そういうのは「だからうちのシェフはすごいのだ、心して味わえ」と言っているようなものとのこと。これも客が水戸黄門の印籠よろしく「ほおお!」となることを期待しての行動とすれば、「火星が出てゐる」の「予約された結果を思ふのは卑しい。」にも通じ、その通りだと思いました。

同書に挟まっていた、版元のミシマ社さんのリーフレット『ミシマ社通信』。
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土井氏同様、なかなか気骨のある出版社さんのようです(笑)。

さて、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

わざわざお使でお見舞下され忝く存じます、今焼跡でお話しいたして居るところです、御丹精の青いもの筍など何よりありがたく、又雑誌も拝受、お礼までいただき恐縮しました。

昭和20年(1945)4月17日 羽仁もと子宛(推定)書簡より 光太郎63歳

本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居は4月13日の空襲で全焼しました。そのことを伝え聞いた婦人之友社で火事見舞いの使者として社員(?)を派遣、前月の『婦人之友』への光太郎寄稿の原稿料、さらに野菜や筍を貰った礼状です。

アトリエ兼住居が全焼ということで、手元に紙もなく、何とまあ焼け跡に落ちていたコンクリートブロックの破片に上記の文面を書いて(筆記用具は持っていたのか、借りたかしたのでしょう)、使者に託しました。同誌の4月号(奥付は4月1日ですが、実際の発行はかなり後)に載ったものからの引用ですが、コンクリートブロックに書かれた現物が現残していたら不謹慎かも知れませんが実に面白いと思います。

11月1日(水)に開催されました「トークリレー続高村光太郎はなぜ花巻に来たのか そして太田山口へ」の件が岩手で報道されましたのでご紹介します。

『岩手日日』さん。

光太郎の思い出後世に 生誕140年記念トークリレー 花巻・太田地区振興会

 太田地区振興会(平賀仁会長)は1日、高村光太郎(1883~1956年)の生誕140年を記念しトークリレー「続・光太郎はなぜ花巻に来たのか」を行った。7人のパネリストが、1952年10月までの7年間を花巻市太田山口で暮らした光太郎のエピソードの数々を披露し、聴講者の関心を誘った。
 今年2月に開催した光太郎が太田に疎開するまでのいきさつやエピソードをひもといた講演会に続く企画。高村光太郎連翹忌運営委員会代表の小山弘明さんの進行で、メインパネリストに林風舎代表取締役の宮沢和樹さん、パネリストに高村山荘がある太田地区に住む人と、太田以外で光太郎と関わりのある人を迎え、2部構成で光太郎との思い出や関わりを聴いた。
 小学1年生の頃に初めて光太郎と会った浅沼隆さん(82)は、秋の学芸会に来賓として参加した光太郎がステージに上がった時には背広姿から赤い衣装を着て白いひげを着けたサンタクロース姿に変わっていたことを紹介。「白い大きな袋に駄菓子をたくさん入れて持ってきて皆に配った。(見たことのない姿に)みんなびっくりして大喜びだった」と振り返った。
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『岩手日報』さん。

高村光太郎 記憶をつなぐ 生誕140年記念トークイベント

 花巻市の太田地区振興会(平賀仁会長)は1日、同市高松の宮沢賢治イーハトーブ館で、彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~1956年)の生誕140年記念事業としてトークイベントを開いた。
 約60人が来場。光太郎と縁がある市民ら6人、高村光太郎連翹忌運営委員会代表の小山弘明さん(59)=千葉県=と賢治の実弟・清六さんの孫の宮沢和樹さん(59)が登壇した。
 光太郎は宮沢家を頼りに疎開。花巻高村光太郎記念会理事の浅沼隆さん(82)の父親は、住民との交流の場になった旧山口小学校長を務めた。自身も交流し「背が高く体格が良かった。封筒入りの菓子をくれた」と振り返った。
 盛岡一高時代、文芸部員として山小屋(高村山荘)を訪れた菊地節子さん(88)は「マロングラッセに村の人が関心がないことや、牛の尻尾を煮る西洋料理について話す姿が印象的で(当時の)日本人は食に関心がなさ過ぎると話していた」と笑いを誘った。
 宮沢さんは、音楽好きだった光太郎に触れ「賢治はレコードを多く買うほどクラシック好きで、共通する部分だ」と述べた。小山さんは「今の若い人に賢治と光太郎の精神を伝えていくべき」と力を込めた。

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生前の光太郎をご存じの方々の証言はもちろん、報道された以外にも、いろいろな話が聴け、貴重な機会でした。今回のパネラーの方々のうち、直接的には光太郎との交流は無かった皆さんも、海外向けを含め、様々な機会で光太郎について広める活動に当たられていて、有り難い限りです。

当方としましても、交流の輪が広げられたことで、新たな情報の収集につながることを期待しております。それらが入りましたらまたおいおいご紹介して参ります。

【折々のことば・光太郎】

尚厄介とは存じますが近く宮田さんの奥さんと娘さんがそちらに参られる幸便に託して、小生作のブロンズ「手」、木彫「蓮根」、智恵子の切抜絵壹包(箱入)をお届けいたします故お持ち下さるやうお願いいたします、


昭和20年(1945)4月1日 真壁仁宛書簡より 光太郎63歳

真壁仁は山形在住だった詩人。激化する空襲のため、父・光雲や自分の彫刻作品、智恵子の紙絵などはほうぼうに疎開させました。紙絵は山形の真壁、茨城取手の素封家・宮崎仁十郎、そして花巻の佐藤隆房(賢治の主治医)の元に。

ところがそれらを疎開させるにしても、鉄道便などもむちゃくちゃな状態で、このように人に頼んで持って行ってもらったりということが多かったようです。「宮田さん」は彫刻家の宮田喜代三。品々を託された宮田の妻は真壁との面識はなく、山形でそれらを渡す際「ほんとに真壁さん?」と何度も確かめたそうです。それにしても紙絵や木彫はともかく、ブロンズの「手」はおそらく10㌔㌘くらいあるのではと思われ、大変だったことでしょう。

毎年この時期はそうですが「芸術の秋」ということで、紹介すべき事項が山積しています。日程的なことを考えつつ紹介する順番を勘案しているのですが、時に失念したりもしまして申し訳なく存じます。

また、ある程度共通性のある事項はまとめてご紹介しています。ネタのない時期は1件ずつご紹介するところですが……。

今日は地方紙記事から。

まず、もうすぐ閉幕の展覧会の評。10月25日(水)に共同通信さんが配信し、全国の多くの地方紙さん等に掲載されました。

【3分間の聴・読・観!(15)】芸術に命吹き込む瞬間を捉える 意志ある表現と緊迫感

 アーティゾン美術館(東京都中央区)の「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」で、作品を生み出す芸術家たちの強い個性と人間味に感じ入った。作家その人と制作現場を目にすることで理解も楽しみも広がる。
 展示の「第1章」は同美術館の前身であるブリヂストン美術館が1950~60年代に製作した「美術映画シリーズ」と、絵画やブロンズ像など作品の展示で構成されている。登場するのは梅原龍三郎、前田青邨、鏑木清方、高村光太郎、川合玉堂、坂本繁二郎ら、そうそうたる顔ぶれだ。
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 制作現場の映像に、一人一人の手指の滑らかさや力の強弱が見て取れた。創造に向かうまなざしだけでなく、合間にお茶を口に含んだり近所の人と道であいさつを交わしたりする姿、アトリエ内外の景観も収められている。記録映画プロデューサー高場隆史らによる貴重な映像記録と言っていい。
 梅原たち6人それぞれを主役にした映画は1本当たり10分前後から最長で約17分間。会場では繰り返し上映されており、私は2度、3度と鑑賞した。6、7人ほどの美術家を数分間にまとめた「美術家訪問」シリーズも見ることができる。
 とりわけ鏑木清方の絵筆にフォーカスした映像の緊迫感に引きつけられた。しならせた筆先から描線がほどき出る感覚と言えばいいだろうか。清方が引く糸のように細い線が人物に命を吹き込んでいく。芸術は人間の意志と五感を掛け合わせて生まれるものだと得心した。
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 方や、能舞台で「石橋(しゃっきょう)」を舞う喜多六平太を前に、素早く手を動かして何枚もスケッチをする前田青邨の姿も映画らしい捉え方だろう。作品の誕生をカラーで追っている。
 同展では写真家安齊重男が撮影した猪熊弦一郎、堂本尚郎ら現代美術家の制作風景、パフォーマンスなどの写真を「第2章」として展示している。「現代美術の伴走者」を自任した安齊がシャープに切り取った個性は皆、鮮やかだ。同展は11月19日まで。

9月9日(土)に始まった、京橋のアーティゾン美術館さんでの「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」。昨日も前を通ったのですが、当方は9月10日(日)に拝見して参りました。そのレポートはこちら。先月は『朝日新聞』さんに、やはり光太郎の名を出しつつの展評が出ています。

続いて、青森の『東奥日報』さん。一面コラムに、上記アーティゾン美術館さんの「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」で創作風景動画が公開されている光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」70周年をご紹介下さっています。

東奥春秋 1000年の大計

 「円錐(えんすい)空間にはまりこんで(中略)立つなら幾千年でも黙って立ってろ」。詩人・彫刻家の高村光太郎がそう思いを込めたブロンズ像。傍らの碑に刻まれた詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」を久しぶりに読み、像を見上げ、改めて新鮮な感動を覚えた。「幾千年でもか」と。
 ブロンズ像はもちろん、乙女の像のこと。先日、除幕から70周年を迎えた。その日の朝、像が建つ御前ヶ浜には、清掃に精を出す地域住民の姿があった。「除幕式の日も雨だった」と、あいにくの雨も意に介さず。やや前傾姿勢で向かい合う2体の像と、像を慕う住民の思いが湖畔の風景に溶け込んでいた。
 十和田湖地域の未来像を描く官民合同の検討が始まった。宿泊施設を誘致し、国立公園ならではの感動体験を提供するモデル事業への採択を目指す。同湖の国立公園指定から今年で87年。「十和田湖1000年会議」という名称に、湖畔再生の大計を建てる意気込みが漂う。
 「ここでしかできない暮らしを築いた上で、観光で人がくる体制をつくりたい」。初回の会議ではそんな声があったという。「幾千年でも」は、十和田湖の美しさに魅せられた彫刻家から会議に与えられた課題かもしれない。カルデラ湖の円錐空間の秋は深まりゆく。


像の清掃が行われたのは、70年前に除幕式が行われた当日の10月21日(土)でした。
012
最後に、光太郎と交流があった臼井吉見が執筆し、光太郎も登場する大河小説『安曇野』関連で。

『中日新聞』さん。

臼井吉見「安曇野」知って 「大河に」市がパンフ1万部作成

 安曇野市は、同市堀金出身の作家臼井吉見(1905〜87年)の小説「安曇野」(筑摩書房)の概要を紹介するパンフレットを1万部作り、26日に市役所で配布を始めた。現在絶版のこの小説の魅力を市民に伝え、市が目指す「安曇野」を原作としたNHK大河ドラマ化への機運を高める。
 この小説は、東京で中村屋を創業した相馬愛蔵・黒光夫妻、彫刻家荻原守衛(碌山)、教育者井口喜源治、社会運動家木下尚江という郷土ゆかりの5人の群像を中心に明治30年代から昭和までの社会、文化、思想を描く長編大河の全5部作。現在は図書館などでしか読めないが「市と筑摩書房で復刻版を検討している」(太田寛市長)という。
 小説の知名度向上のために初めて作ったパンフはA4判8ページ。「NHK大河ドラマ化実現へ奮闘中」「完結まで10年 原稿用紙5600枚」「登場人物はなんと総勢2000人」など目を引くキャッチコピーが表紙を飾る。あらすじ、主要な登場人物の相関図のほか、中村屋サロン美術館(東京・新宿)や碌山美術館、臼井吉見文学館など関連施設の案内も載る。裏表紙も面白い。板垣退助、森鷗外、太宰治、バーナード・リーチ…と登場人物の一部の名前がずらーっと並ぶ。
 大小の字ばかりの表紙、裏表紙という思わず手にしたくなる装丁や、キャッチコピーも自ら考えた政策経営課の寺島直樹さん(37)は「難解ともされる小説の中身を分かりやすくまとめた。郷土にこれだけの先人が居て、時代を生きたことをより多くの皆さんに知ってもらえたら」と話している。
 支所や市内外の美術館、博物館、イベントでも順次配布する。本年度内に小説を紹介するホームページも公開する。(問)同課=0263(71)2401
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『信濃毎日新聞』さん。

“安曇野”の名を広めた小説「安曇野」 パンフレット完成

 安曇野市は26日、市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」を紹介するパンフレットが完成したと発表した。完結から約50年がたち入手が難しくなる中、安曇野の地名を普及させるきっかけとなった同小説に光を当てる。市役所や市内外の美術館、博物館などで配る。
 同小説は、全5部作(原稿用紙約5600枚)で1974(昭和49)年に完結した。明治から昭和にかけて活躍した、荻原碌山(ろくざん)(守衛(もりえ))や新宿中村屋を創業した相馬愛蔵・黒光夫妻らの群像を描き、登場人物は2千人を超える。
 パンフレットはA4判、8ページ。小説のあらすじや主要な登場人物の相関図、市内ゆかりの施設を紹介している。市は同小説のNHK大河ドラマ化を目指しており、来年3月までに小説の紹介サイトを開設予定。太田寛市長は「安曇野という言葉を広めた小説を知ってほしい」としている。
008
問題の(別に問題はないのですが(笑))パンフレットがこちら。『中日』さん、『信毎』さん、ともに光太郎の名がありませんが、パンフにはしっかり載っています。
001
大河ドラマ誘致の一環ですね。実現するといいのですが……。というか、大河ドラマ「高村光太郎」も見てみたい気もします(笑)。

他に11月1日(水)の「トークリレー続高村光太郎はなぜ花巻に来たのか そして太田山口へ」の件も報道されていますが、そちらはまた後ほど。

【折々のことば・光太郎】

いよいよ緊迫して来ましたが、これからこそ国民の力の真価が出るわけです、夢想の剣の清冷な心境で御一人のめぐりに人垣をつくり、各自十全に戦ふ時です、

昭和20年(1945)2月17日 宮崎稔宛書簡より 光太郎63歳

敗戦のおよそ半年前。「夢想の剣の清冷な心境で御一人のめぐりに人垣をつくり」……。真剣にそう考えていたのでしょうか……。

智恵子の故郷、福島から写真コンテストの応募案内です。キャッチコピーが「“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」す。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。

第7回 ふくしま星・月の風景 フォトコンテスト作品募集

“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。
 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

 2023年11月5日(日)締切です!

作品テーマ 福島県内で撮影された、星・月の風景
※星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
※月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、"星や月を感じられる"風景写真を広く対象とします。

【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。(カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)

応募締切 2023年11月5日(日) ※消印有効

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号
郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

審 査 員
【全体審査】
 鈴木 一雄 氏 (自然写真家/福島県出身)
 渡部 潤一 氏 (天文学者・名誉館長/福島県出身)
 郡山市ふれあい科学館長

選 賞
【大賞】1点(副賞5万円) 
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度  
【入賞】30点程度
※表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

応募規定/応募形式
・カラープリント 四つ切(254×305mm)、ワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
※今回から応募はプリントのみの受付となります。
※トリミングの有無を応募用紙に記入してください。
※画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。

・応募点数に制限はありません
※発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストで発表の場合、当該コンテストの規定等をご確認の上で応募ください。

・応募者のプロ・アマを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側にセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
・写真展での展示(今後予定している巡回展を含む。)
・主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
・科学館事業における写真使用
・今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のための印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
選出作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ウェブサイトなどで氏名とともに発表いたします。また、令和5年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景 Vol.7」に掲載します。

※選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

個人情報の取り扱い
応募に際していただいた個人情報は、郡山市ふれあい科学館が管理し、本コンテストの実施運営に関わる作業のみを目的として使用いたします。個人情報は、契約に基づく委託先を別として断りなく第三者には提供いたしません。

審査結果を発表する際には、表彰者の賞名、作品、作品タイトル、氏名、住所(市町村まで)を公表いたします。

主 催 郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
協 賛 (株)シグマ (株)ケンコー・トキナー
後 援 福島県 一般社団法人郡山市観光協会 福島民報社 福島民友新聞社 
    朝日新聞福島総局 毎日新聞福島支局 読売新聞東京本社福島支局 NHK福島放送局
    福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島 ラジオ福島
    ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
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前回の第6回は令和2年(2020)に募集でしたので、約3年ぶりとなります。その際までは、漫画家の故・松本零士氏が名誉館長でしたので、審査員に名を連ねられていました。

当方、平成28年(2016)開催の第4回の際は、郡山で入賞作品展を拝見して参りました。

かなりのハイレベルですが、腕に覚えのある方、ぜひ福島の「ほんとの空」(ただし「星・月の風景」ですから基本的に夜間でしょうが)の素晴らしさを広めるためにも、お力をお貸し下さい。

【折々のことば・光太郎】

それでは二十六日にはそのつもりで居ります、暗いうちから支度しようと思つてゐます、電車の都合ではここから上野駅まで歩かねばならないかも知れません、話はただ平常思つてゐることをとりとめもなく話す外ありません、


昭和19年(1944)3月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎62歳

宮崎の父で、素封家だった仁十郎が檀家総代を務めていた、茨城取手の長禅寺で行われた講話に関わります。
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長禅寺には戦時中、錬成所という社会教育のための機関が置かれていたとのことで、ここで光太郎の講話が行われました。聴衆は40名程。それを聞いた稔の姪の話では「母というのはいいものだ」というような話があったということです。

光太郎第二の故郷、岩手花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。活動報告をお送り下さいまして、そこからご紹介させていただきます。

グルメ系で、花巻市土沢地区にある「ワンデイシェフの大食堂」さんでの取り組み。同店は一般の皆さんが店の調理場を借りてランチを作り、それを販売するというシステムです。やつかの森LLCさんでも、不定期ながらおおむね月に一度、「こうたろうカフェ」としてランチをご提供。

一昨日が「こうたろうカフェ」で、その画像等が届きました。
メニュー看板
メニュー表 (2)
本日のランチ
香茸おこわ、鶏もも肉 リンゴのソテー
ハムのトッピング
洗い場基本的には、日記等から読み取れる、光太郎が自分で作ったメニューや使った食材などを現代風にアレンジして、ということですが、かなり本格的ですね。メニューは画像にもありますが、文字起こししますと、以下の通り。

 ・香茸おこわ
 ・ピザトースト
 ・鶏もも肉のマスタード焼き
 ・青菜のエチュベ
 ・しめじの菊花和え
 ・赤ささげ豆煮
 ・南瓜の野菜スープ
 ・お新香
 ・栗入り小豆寒天
 ・アメリカンコーヒー


季節感もたっぷりです。

以下、画像が添えられていたメール本文からコピペ。

・鶏もも肉のマスタード焼き 粒マスタードに蜂蜜を入れてます。
・付け合わせは、マカロニポテトサラダ、ハムのせ
・りんごは、バターで焼くと甘くなっておいしいです。
・青菜のエチュベは、ほうれん草、小松菜、豆苗、キャベツのバター味の蒸し煮です。
・バターナッツカボチャは、スープに合います。サツマイモ、玉ネギ、ササゲ、ベーコンなど具沢山です。
・香茸おこわは、香りが良くて、初めの方も沢山いらっしゃいました。
・煮豆は、程よい甘味に仕上げてます。
・シメジの和え物は、和風だしで菊花の食感と香りを楽しみます。
・ピザトーストは、アンチョビソースをベースにして、パプリカと紫玉葱のスライス、こんがりチーズの上に塩ゆでしたむきエビをのせて焼きました。
・仕上げにイタリアンパセリを添えます。
・デザートは、ほんのり甘く煮た栗をあずき寒天に閉じ込めました。コーヒーに合います。
・太田産の食材を使い、秋を満喫していただければ幸いです。お腹いっぱいのこうたろうカフェのランチでした!

「太田」は光太郎が7年間暮らした旧太田村(現・花巻市太田)です。

驚いたのは、平日昼間にもかかわらず、用意した32食分があっという間に完売とのこと。大都会、あるいは地方でも有名観光地とか利便性の良い商業施設内とかならいざ知らず、失礼ながら、そういう場所ではありません。「こういうことを始めます」とお知らせを頂いた今春、これまた失礼ながら「あんな立地のところで成り立つんだろうか?」と心配したのですが、杞憂に終わったようです。常連さんもついたそうですし。

それもこれも料理のおいしさ、さらに価格の点(ワンデイシェフの大食堂さんの共通取りきめで1,000円)もあるのでしょう。

もう1件、やつかの森LLCさんの活動。「出前講座」だそうです。

花巻市では、各種市民団体や、おそらく学校さんや企業さんなど、講座を受けたいという場合に「この人の、あるいはこのグループのこういう講座を開いてほしい」と要望を出せば、それが実現するというシステムがあるそうで、それが「出前講座」です。

依頼主はどういう団体か当方は存じませんが「わかくさ新緑の会」という方々だそうで、テーマは「高村光太郎のハイカラ料理を知ろう」とのこと。

調理法の講座というわけではなく、料理はあらかじめ、やつかの森LLCさんと以前にもコラボなさった盛岡郊外の紫波郡矢巾町にあるTOM CREPERIE&DELIさんがご用意。

メニュー
トム特製ランチ
やつかの森LLCさんは、寸劇の形で旧太田村時代の光太郎をご紹介なさったそうです。
勝治先生と吉田幾世
洗い場 洗い場
1697594767302
郵便荷物届ける女先生
洗い場 洗い場
現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」にもからめて下さったそうです。

バイタリティー溢れる各方面でのご活動、頭が下がりますし、光太郎の世界をご紹介下さり、有り難く存じます。偉人の顕彰といっても、何も小難しい文章を書いたり何だりではなく、こういう切り口も大いにありだな、と存じます。全国の各種顕彰活動に携わる皆さん、御参考までに。

【折々のことば・光太郎】

八木重吉さんの詩集決定版のやうなものがあなたの手で編まれ、書物展望社から出る運びとなられた由、およろこび申上げます、題字も書きませう、お示しのどちらの題名がよいか小生も迷ひます、

昭和18年(1943)12月27日 八木登美子宛書簡より 光太郎61歳

八木重吉は光太郎より15歳年下の詩人。昭和2年(1927)に結核のため、早世しました。その遺稿を未亡人・登美子が戦時中も守り続け、昭和17年(1942)は光太郎や八木と親しかった草野心平らの尽力で『八木重吉詩集』が刊行されましたが、誤植等が多く、改めて登美子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。

登美子はその題字揮毫を光太郎に依頼し、それに対する返答です。この時登美子が題名の候補として挙げたのが「麗日」「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ重吉の詩の題名ですが、どちらかを詩集の題名にも使おう、というわけでした。

光太郎は二種類とも揮毫し、登美子に送りましたが、やはり戦時中ということもあり、個人での出版は不可能で、光太郎の揮毫はお蔵入りとなりました。現物は神奈川近代文学館さんに収蔵されています。

岩手から市民講座の案内です。手前味噌で恐縮ですが……。

高村光太郎生誕140周年記念事業「続 光太郎はなぜ花巻に来たのか」

期 日 : 2023年11月1日(水)
会 場 : 宮沢賢治イーハトーブ館 ホール 岩手県花巻市高松1-1-1
時 間 : 14:00~16:30
料 金 : 無料
      ※ 先着200名限定、満席となり次第入場不可 整理券の発行は行いません。

花巻市太田・山口での7年間の生活について、見た事、伝え聞いた事について語り合いながら、光太郎の生き様について紐解いてみる。
第一部は太田地区の皆さんから、第二部は地域外の方々から光太郎観について伺いながら、光太郎ファンの幅広い拡大につなげる。

メインパネラー
 宮沢和樹氏 「林風舎」代表取締役 賢治実弟・宮沢清六令孫

パネラー 
 浅沼隆氏  高村光太郎記念会理事 太田の高村山荘近くに居住 花巻農学校卒
 寺沢三夫氏 花巻地方農業共済組合総代並びに総代長を歴任
 照井康徳氏 高村光太郎山口会会長 花巻農学校卒
 阿部彌之氏 「宮沢賢治」花巻市民の会元会長 「宮沢賢治学会」元副代表
 菊池節子氏 俳句結社「藍生」「樹氷」会員
 森川沙紀氏 花巻市地域おこし協力隊員

コーディネーター
 小山弘明  高村光太郎連翹忌運営委員会代表

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主催は、かつて光太郎が戦後の7年間を過ごした旧太田村(現・花巻市太田)の太田地区振興会さん。今年2月、やはり同会主催で行われた宮沢和樹氏と当方の公開対談「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」が好評だったとのことで、第二弾です。

今回は生前の光太郎をご存じの方々などにお集まりいただき、いろいろと語っていただきます。当方はコーディネーターということで、皆様からお話を引き出す役です。

今回もご登壇いただく浅沼隆氏を含め、やはり生前の光太郎の思い出を語って貰う座談会が、平成30年(2018)5月、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内で当時行われていた「高村祭」の中で催されまして、司会を務めさせていただきました。
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その際にお話を伺った高橋愛子さん高橋征一さんは既に亡くなられました。

それからつい最近、今回のパネラー候補のお一人だった平賀タエさんという方が亡くなったそうです。平賀さんは、愛子さんと同級。御年91歳であらせられました。光太郎に山小屋の土地を提供した駿河重次郎の長女で、光太郎の日記にも「たえ子」として30回近く名が出て来る方でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、11月1日(水)、平日昼間ですが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。現在、会場の宮沢賢治イーハトーブ館さんでは賢治がらみで「ますむらひろし『銀河鉄道の夜 四次稿編』複製原画展」も開催中です。併せてどうぞ。
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また、翌日の11月2日(木)には、現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展示「光太郎と吉田幾世」の関連行事として、同館で当方ピンでの同名の講座も予定されています。というわけで、当方2日連続です(笑)。

【折々のことば・光太郎】

辻詩の集といふのは小生まだ見ませんが、へんな誤植のあつた事はほんとにお気の毒に存じます、詩の誤植は殊に閉口にて殆ど全篇を傷ける事になります、小生なども常に新聞雑誌でこの誤植になやまされて居ります。


昭和18年(1943)11月10日 上田静栄宛書簡より 光太郎61歳

007「辻詩の集」は『辻詩集』。光太郎が詩部会長となった日本文学報国会の編集で刊行されたアンソロジーで、多くの詩人の翼賛詩が集められました。なぜかこの手のアンソロジーには必ずと言っていいほど採られている光太郎の作は載っていませんが。

誤植は本当に恐ろしいと思います。

当方も最近、よくやります。上述の「光太郎と吉田幾世」講座のレジュメ、花巻市役所さんに送ったところ指摘があり、「地方」を「痴呆」としていました(笑)。「痴呆はお前だ!」とツッコミが入りそうです(笑)。

また、過日発行した『光太郎資料』60集でも、「当会」とすべきところを「倒壊」(これもなかなか笑えます)、「特異な」が「得意な」(こちらは「あるある」ですが)。これも指摘されて初めて気づいた有様で……。一応、それぞれプリントアウトして確認しているのですが、ふっと集中力の途切れた時に視線がそこを通り過ぎると、見落とすのですね。そうでなければ「痴呆」や「倒壊」はありえません。気をつけます。

3件ご紹介します。

まず、昨日もお伝えした青森県十和田市の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について。地方紙『東奥日報』さんが報じて下さいました。

十和田湖・乙女の像70歳、感謝込めきれいに

003 十和田湖畔休屋(青森県十和田市)の御前ケ浜に立つ乙女の像の除幕式から70周年を迎えた21日、湖のシンボルに感謝の意を表そうと、地元の休屋町内会が像や周辺の清掃活動を行った。
 地域住民のほか、十和田湖を世に広く紹介した文人・大町桂月や乙女の像の研究に携わる市民団体有志ら約20人が参加。観光客でにぎわう前の午前7時半から30分余り、像や台座などを雑巾で水拭きし周辺の敷石にブラシをかけた。
 雨の中の作業となったが、同町内会の金村金作会長(74)は「乙女の像は十和田湖一番の名物なので、末永く大事にしたい」と話した。
 都内在住で、夫と観光に訪れた小田奈緒子さん(70)は清掃活動のことを知り「像は力強いという印象。地元の方は誇りを持っているのでしょうね」と話していた。
 乙女の像は、大町桂月、県知事・武田千代三郎、法奥沢村長・小笠原耕一ら十和田湖の「三恩人」の功績をたたえ、湖の国立公園指定15周年を記念し建てられた。1953年10月21日、制作者の彫刻家高村光太郎らが参加して除幕式が行われた。

あと30年経てば、100周年なのですね。光太郎自身は像を題材にした詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」で、「いさぎよい非情の金属が青くさびて/地上に割れてくづれるまで/この原始林の圧力に堪へて/立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」と謳いましたが。

続いて、智恵子の故郷・福島県の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」というコラム的な連載です。

福島県 今日は何の日 10月19日 2002(平成14)年10月20日 ねんりんピック開幕 福島市で開会式

002 第15回全国健康福祉祭ふくしま大会(うつくしまねんりんピック2002)が開幕した。総合開会式は福島市の県営あづま陸上競技場で常陸宮ご夫妻をお迎えして行われた。
 テーマは「ほんとうの空に響け ねんりんの輪」。全国47都道府県と12政令指定都市選手団が入場行進、ウエルカムコンサート、マーチングバンドなどが行われた。
 全国から60歳以上の約9800人が参加、3日間にわたって県内10市13町1村を会場にスポーツや文化の23種目で熟年の力と技を競った。 

『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとうの空」(正確には「ほんとの空」ですが)の語、福島では折あるごとに使われていますが、同じ「福島県 今日は何の日」によれば、県と県観光連盟が「観光ふくしま」のキャッチフレーズとして「“ほんとの空”があるふくしま」を制定したのが昭和54年(1979)。意外と古い話でした。

その後、平成2年(1990)には、5年後に開催された第50回国民体育大会のスローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」となっています。その流れでねんりんピックでも「ほんとうの空に響け」としたのでしょう。

今後も使い続けていただきたいところですが、出来れば正確に「ほんとの空」の方で、と存じます。

最後にテレビのローカルニュース。FNN系の福テレさん、10月15日(日)の放映でした。

安達太良山の雄大な自然に抱かれ”ととのう” 絶景サウナと極上水風呂<岳温泉 陽日の郷 あづま館>

 2022年10月には客室がリニューアルした、福島県二本松市にある岳温泉「陽日の郷あづま館」 洋室の「東扇」は、木のぬくもりあふれる、広々としたスタイリッシュな空間。窓からは、安達太良山を望むことができる。この「あづま館」に、日々の疲れを癒してくれるサウナがリニューアルオープンした。
 施設最上階の7階に、サウナフロアがリニューアル。サウナプラン利用者限定で、特別なサウナを楽しむことができるという。サウナは「空サウナ」と「山サウナ」の2タイプで、貸し切りもできるという。
◆一日最大4組限定・朝夕付ビュッフェプラン 一泊24200円~
 昼も夜も景色を楽しめる「山サウナ」は、被災地で採れた木材を使用。樽型のバレるサウナで、森を眺める1台と空間を楽しむ1台、計2台を完備。自然を存分に感じることができる。
 「空サウナ」では、全面ガラス張りの開放的な空間が広がり、“ほんとうの空”を見渡すことができる。サウナヒーターは東北初導入のikiヒーター。選べるアロマオイルをかけロウリュウを満喫。
 火照った体のクールダウンは「インフィニティ水風呂」へ。自然と一体化したような気分で、絶景を眺めながらととのうことができる。
 サウナを出た後には、ラウンジでレモンサワーやビールが飲み放題。
 この極上のサウナが利用できる一日一組限定の日帰りプランや宿泊プランなど、詳しくは「陽日の郷 あづま館」のホームページをご覧ください。
<陽日の郷 あづま館> 二本松市岳温泉1-5 https://azumakan.com/
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「空サウナ」、いい感じですね。

十和田湖、そして岳温泉、それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

御著“生ける魂”を拝受、忝く存じましたが、昨夜何げなく繙読いたしましたところ、身につまされるやうな事ばかりにて、貴下の衷情に思をはせ、殆ど涙を流しながら読了しました。 殊に最後の章に至つて同感に堪へず、巻をふせて長大息いたしました、小説をよんでこんなに感動したのはめづらしい事でした、

昭和18年(1943)5月24日 中山義秀宛書簡より 光太郎61歳

中山義秀は智恵子と同じ福島中通りの西白河郡大屋村(現・白河市)出身の小説家。『生ける魂』はこの年刊行された中山の小説で、『智恵子抄』から詩篇を引用しつつ、亡妻との思い出にふれています。そういう内容だから、ということもあるのでしょうが、光太郎が小説をこれほど賞めたのは珍しいことでした。

何とも意外な系統の雑誌で光太郎特集を組んで下さいました。

別冊漢字館 Vol.112

2023年10月19日 株式会社ワークス発行 一般社団法人パズル検定協会監修 定価560円(税込)

特集 ある芸術家の愛と哀 高村光太郎
 アメリカ・フランスに留学し、ロダンに傾倒した彫刻家の高村光太郎。詩人としてもすぐれた作品を数多く残し、特に妻・智恵子との日々を描いた『智恵子抄』は、時代を超えて愛され続けています。今回の特集は、今年で生誕140周年を迎えた日本の芸術家『高村光太郎』です。
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表紙を見てわかるとおり、漢字ナンクロの専門誌です。「ナンクロ」は「ナンバークロスワードパズル」の略で、熟語の一部を構成する複数のマスに書かれているナンバーが同じであれば同一の漢字が入る、というのが基本ルールです。

例えば表紙のこの部分。17のマスにはどうやら「会」が入りそうです。「会談」「会合」「入会地」……。すると下の方の「立×○」は「立会○」。となると「立会人」で、11のマスは「人」かな……というふうに埋めてゆくものです。
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この手のパズルが全45問掲載されています。おおむね見開き2頁で1問。一部、片袖折を使って見開き4頁という巨大なものも。

これでどうやって光太郎特集を組むのかと思ったら、45問中の3問で、みごとに光太郎にからめて作成されていました。

第35問が「正統派ナンクロ」。詩「道程」を使って、枠外にボナンザ(ヒント)。それで全66文字中の18文字がわかりますので、あとはそれを手がかりに……というわけです。
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第34問は、「スケルトン風」。こちらは埋まるべき熟語がいくつか提示されており、それを糸口に、という構成です。「智恵子」やら「白樺」やらを配し、「いやー、うまいな」と感じました。
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上記2問、まだ暇がなくて取り組んでいませんが、次にご紹介する第33問のみ、解いてみました。こちらは「大マス入り」だそうで。「なんじゃ、そりゃ?」と思ったら、「中央の大マス「高村光太郎」は、いずれか1文字が隣り合うマスとつながって熟語になります」とのこと。つまり、こういうことですね。
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「高村」の「村」と、右下の2マスで「村役場」となるわけです。こういうタイプもあるんだ、と感心しました。ただし、上記2問と異なり、ヒントはこの部分だけです。

この第33問だけ、解いてみました。悪戦苦闘すること約50分で完成。「中級」と謳われており、50分というのは早いのか遅いのか、何ともわかりませんが。ものすごく難しい漢字は使われていませんでした。しかし、熟語としては広辞苑レベルの辞書でないと載ってないんじゃないの? というものもあったり、もっと長い熟語の一部として含まれるけど、この二文字だけでは使わないぞ、というのもあったりして苦労しました。また、この2文字とこの3文字で5字熟語にするかぁ? というものも。50分かかった負け惜しみですが(笑)。

そして、全3問とも、「全部解けたら、チェック表から抜き出した文字で、高村光太郎と縁のある3つの言葉を言葉を作って下さい」。
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第34問と第35問はまだ手をつけていないのでわかりませんが、第33問では、できあがる3つの言葉も上手くつながっていまして、舌を巻かされました。光太郎は「○×▲」の「●□」に「■△」した、という感じです。詳しく見ていませんが、懸賞もついており、この部分を書いて応募するのでしょう。

問題の難易度等に応じていろいろコースがあるようで、最高は「現金10,000円」。その他「万能電気鍋」だの「防災多機能ラジオ」だのに混じって、岩波文庫版『高村光太郎詩集』も。思わず「いらねーよ!」と呟いてしまいました(笑)。すみません(笑)。
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というわけで、ぜひお買い求めの上、チャレンジしてみて下さい。当方の行った新刊書店さんでは、平積みになって置いてありました。

【折々のことば・光太郎】

おてがみで御申越の玉子の事はむしろ子供達におあげ下さい。今日は大人よりも子供等を一層大切にせねばなりません。次代の為にはすべてを捧げるやうにしたいと思つてゐます。


昭和17年(1942)5月15日 石黒しづえ宛書簡より 光太郎60歳

戦時下での食料不足の折、「卵を送りましょう」という申し出に対しての断りです。遠慮する理由がいいですね。壮年期から老境の光太郎、こうした若い世代への心遣いは一貫して持ち続けました。

個人でも自分の好きなイラストや写真を使って作成できる「フレーム切手」。各地の自治体の外郭団体さんなどがこぞって「ご当地もの」的に発行なさっています。

今年3月には、光太郎第二の故郷・岩手花巻で「高村光太郎と花巻」が発行されましたし、それ以外にも光太郎智恵子、光太郎の父・光雲にかかわるものがぽつりぽつり発行されてきました。

で、今月、新たに発売のものを2種、ご紹介します。

まずは光雲がらみ。

オリジナル フレーム切手「上野恩賜公園 開園150周年記念」の販売開始

日本郵便株式会社東京支社(東京都江東区、支社長 木下 範子)は、オリジナル フレーム切手「上野恩賜公園 開園150周年記念」を販売します。

商品名 上野恩賜公園 開園150周年記念
販売/受付開始日   2023年10月19日(木)
販売/受付開始日(Web) 2023年10月25日(水)午前 0時15分
申込受付数 2,200シート
販売郵便局 東京都内一部の郵便局(計17局)

10月19日(木)から、上野恩賜公園にて開催される「上野恩賜公園開園150周年 総合文化祭」に合わせ、10月21日(土)及び10月22日(日)の午前10時より上野恩賜公園内のパンダポスト付近にて、郵便局特設ブースを開設して販売を行います。
※開設時間は、状況に応じて変更となる場合がございます。

商品内容 フレーム切手 1シート(84円切手×10枚)
商品属性 店頭販売商品
販売単位 シート単位で販売します。
販売価格(税込) 1シート 1,330円
送料 「郵便局のネットショップ」でお取扱いする場合は、販売価格のほかに郵送料等が加算
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まず、台紙の部分に、パンダのシャンシャンと共に、光雲が主任となって東京美術学校総出で作られた「西郷隆盛像」がどーんと。さらに84円切手としても西郷像のものが1枚。
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いい感じですね。光雲作品があしらわれているという意味では、信州善光寺さんご開帳記念のそれと似ています。

ところで、販売告知中に「10月19日(木)から、上野恩賜公園にて開催される「上野恩賜公園開園150周年 総合文化祭」」という文言があり、「へー、そんなのやるんだ」と思い、調べてみました。

公式サイトによると、公園内でさまざまなコンテンツやイベント。中にはやはり西郷像に関わると思われるガイドツアーなども。
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お近くの方、ぜひどうぞ。

オリジナルフレーム切手、もう一種。

オリジナル フレーム切手「自然を愛し水と緑が薫るまち 信州 安曇野」 の販売開始

日本郵便株式会社信越支社(長野県長野市、支社長 菊地 元)は、下記のオリジナル フレーム切手の販売を開始します。このオリジナル フレーム切手は、下記の郵便局(一部の簡易郵便局は除く)で限定販売します。

長野県安曇野市を題材に、安曇野市の四季折々の美しい自然や風景を表現したフレーム切手を作成しました。

商品名 自然を愛し水と緑が薫るまち 信州 安曇野
販売/受付開始日 2023年10月16日(月)
販売/受付開始日(Web) 2023年10月25日(水)午前 0時15分
申込受付数 600
販売郵便局 長野県松本市、安曇野市、大町市、北安曇郡の全郵便局および東筑摩郡の一部の郵便局(計76局) 一部の簡易郵便局は除きます。

商品内容 フレーム切手 1シート(84円切手×10枚)
商品属性 店頭販売商品
販売単位 シート単位で販売します。
販売価格(税込) 1シート 1,330円
送料 「郵便局のネットショップ」でお取扱いする場合は、販売価格のほかに郵送料等が加算
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安曇野、ということで、同地のランドマークの一つ、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・碌山美術館さん。
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本館的なロマネスク様式の碌山館。内壁には「碌山の芸術を守り支えた先人の名を刻む」という石のプレートがはめ込まれており、守衛を援助した新宿中村屋相馬黒光、実兄・荻原本十、友人の戸張孤雁、そして光太郎の四人の名が刻まれています。

ちなみに碌山館、11月5日(日)に一夜限りのライトアップが為されるそうです。
016
さて、オリジナル フレーム切手二種、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

今晩は智恵子の命日で智恵子と一緒に配給のビールをのんだところです。静かなさびしい晩です。物音一つしません。おけらもまだ鳴きません。寝たくないやうな晩です。

昭和17年(1942)5月5日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎60歳

「命日」といっても月命日ですね。「智恵子に配給のビールを供へた」ではなく「智恵子と一緒に配給のビールをのんだ」。なにげな表現に光太郎の切ない心情が見て取れます。

以前にも書きましたが、陰膳のようにビールをコップ二つに注いでおくと、いつのまにかそちらも無くなっているという回想を残しています。絶対、自分で飲んで居るんですけれど(笑)。

それにしてもまだビールの配給も為されていたのですね。

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