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兵庫県から演劇の出演者募集情報です。

エレベーター企画 EVKK 6月公演の出演者を募集します

エレベーター企画は、設立当初から作品のために必要な俳優を求める「プロデュース形態」をとる、俳優と作品が互いに活きる創造活動をめざしています。今回、下記6月公演の出演者を募集いたします。

EVKK 2023年6月公演 武庫川KCスタジオオープニングプログラム 売り言葉
作 野田秀樹  演出 外輪能隆(EVKK)

2017年に大阪、2019年に東京、三度目の『売り言葉』を兵庫・武庫川の新しい劇場「KCスタジオ」で上演します。出演者は2名、多くのセリフと出演シーンがあります

公演期間 2023/6/15(木)-18(日) 武庫川KCスタジオ 阪神 武庫川駅徒歩8分

募集人員 女優2名(役柄の想定で、18歳以上、30歳代くらいまでの方を募集します)
選考方法 書類選考後、選考会を行います。
応募方法 下記項目及び写真2枚(全身・上半身)をメールにて送付下さい
 (1) 氏名・ふりがな
 (2) 生年月日
 (3) 電話番号
 (4) メールアドレス
 (5) 現在の所属団体(劇団・事務所など)
 (6) 自己pr/特技
 (7) 稽古可能期間、及び稽古可能日・時間について
 (8) その他留意事項
締め切り 2023/4/2(日)書類必着
選考会  2023/4/9(日)に大阪市立芸術創造館で選考会を実施します

演出助手・公演制作も同時に募集しています

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平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主演・大竹しのぶさんで初演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。南青山スパイラルホールさんでの初演では黒子(くろこ)も登場していました。

光太郎から智恵子へのモラハラ的な対応が続いたことで、智恵子が毀れてしまったという解釈で、光太郎智恵子を扱う演劇等のうち、光太郎ディスり度が最も高いものの一つです。平成15年(2003)、新潮社さんから出版された野田氏の脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められこともあり、プロアマ問わず全国で取り上げられています。

コロナ禍前の令和元年(2019)には、当会で把握したものだけで、全国で6つもの劇団/個人の方が上演して下さいました。この頃になると単純に上演するだけでなく、レトロな古民家を会場にしたり、本来一人芝居の脚本として書かれたものを二人で演じる演出にしたり(今回募集をなさっているエレベーター企画さんがそうでした)と、さまざまな工夫が見えました。

今回、募集をかけられているエレベーター企画さん。要項にもあるとおり、平成29年(2017)には大阪市立芸術創造館さんで、令和元年(2019)で北池袋新生館シアターさんを会場に、それぞれ「売り言葉」公演をなさっていて、今回が3度目だそうです。
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「我こそは」という方、ぜひどうぞ。ただし、基本的に一人芝居であるため、セリフの量が膨大ですので「我こそは」と思うにはかなりの覚悟が必要です。

気骨ある方の応募があり、公演が成功裡に終わることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

東京は小生に堪へられぬ地と相成候。東京などに居る芸術家は無神経者か大馬鹿者と被存候。貴兄にも田舎に画室を建てられん事をおすゝめ申上候。


明治44年(1911)4月9日 南薫造宛書簡より 光太郎29歳

北海道移住を計画し、彼の地に渡る約1ヶ月の書簡です。地方移住がトレンドの現代を先取りしたような言ですね。結局、光太郎の移住は失敗に終わるのですが……。


 




キーワード「高村光太郎」で新着情報の検索をかけている中で、ヒットしました。

明治期に光太郎も中心人物として参加した芸術運動「パンの会」会場となり、婚約前の光太郎智恵子が訪れて、ハイカラな「氷菓」を食し、そしてコロナ禍前には光太郎を偲ぶ連翹忌の集いの会場として使わせていただいていた、日比谷松本楼さんでの求人情報です。

転職情報サイト「マイナビ転職」さんから。

明治から続く老舗洋食レストラン「松本楼」のサービスを提供していただく仲間を募集します

本店レストランやブライダル&バンケット、各支店など、様々な活躍の場で上質のサービスを提供しませんか?

日比谷公園内に店舗を構え、110年以上の歴史を重ねながら国内外のお客様に愛されてきた洋食レストラン「日比谷松本楼」。その歴史に裏打ちされた数々の料理、そしてそれを提供するサービススタッフのホスピタリティに対するファンも多く、自粛要請期間が明けてからは多くのお客様にご利用いただいています。今回は2022年4月より再開した各支店を含め、松本楼のサービスを多くの方に提供するスタッフを募集します!

創業は明治36年。日本でも有数の歴史を重ねてきた老舗レストラン・日比谷松本楼。多くの文化人をはじめとするお客様からの支持を受けながら、110年以上の歴史を重ねてきた実績は私たちの誇りです。

2021年に三井不動産との資本業務提携を結んだことで、今まで以上に安定した経営基盤の構築を実現。より安心して働ける環境が整ったことにより、さらなるサービスクオリティの向上に努めるようになりました。

これまで私たちが世代や国内外を問わず、多くのお客様から厚い支持を寄せられている背景には、会社全体でみんな一緒に協力しながら、お客様に喜んでいただけるサービスを提供する文化があります。

当社は人数がそこまで多いわけではないため、みんな顔と名前がわかるほどお互いが近い関係があります。だから担当フロアや部署が異なっていても、ちょっと大変だなと思ったらすぐにヘルプに入る。そんなチームワークの良さが私たちの最大の武器とも言えるのです。

ちなみに本店においては、日比谷公園のイベントにも積極的に参加。特に盆踊り大会(今年度は中止)は私たちが主催者となり、みんなが一丸となって成功に向けて力を発揮しています。

──来る2023年、松本楼は創業120年を迎えます。この新しい時代を迎えるにあたり、あなたと一緒に次の歴史をつくりたいと思います。

ご応募、お待ちしております。
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仕事内容
日比谷本店のレストランフロアをはじめ、あなたの希望する活躍の場で松本楼のサービスを提供していただきます★チームワークを発揮して働けます。具体的には以下の担当部署にて、それぞれのサービスを提供していただきます。原則として経験・スキルを考慮した上であなたの希望を優先します。

◎「ボア・ド・ブローニュ」
 ・オープン前の準備
 ・オーダーテイク001
 ・料理や飲み物の配膳
 ・会計業務 など
◎宴会サービス
 ・小規模個室から大宴会場でのサービス業務
 ・レストランウエディングなどでのサービス業務
◎各支店 ※店長候補として配属します
 ・ホールおよび会計業務
 ・売上や予算管理
 ・スタッフのシフト管理
 ・宴会のご案内 など
その他、キッチンカーの運営に携われる機会もございます。

対象となる方
★未経験・第二新卒歓迎★明るく楽しい雰囲気づくりが得意な方!何かしらのサービス経験をお持ちの方は即戦力としてお迎えします!

募集要項
 雇用形態 正社員
 勤務時間 10時~21時 【シフト制(実働7時間45分)】配属先部門によって異なります
 勤務地  ◎転勤なし
  本店:東京都千代田区日比谷公園1-2 
  東京ビッグサイト店:東京都江東区有明3-11-1 東京ビッグサイト 1F レストラン街
  東大工学部2号館店:東京都文京区本郷7-3-1 東京大学 工学部2号館1階
  学習院大学店・目白倶楽部:東京都豊島区目白1-5-1 学習院大学 中央教育研究棟12階
  立教大学セントポールズ会館店:
東京都豊島区西池袋3-34-1 立教大学 セントポールズ会館1階
  東京女子医大店・グリーンテラス:
東京都新宿区河田町8-1 東京女子医科大学総合外来センター3階
  杏林大学病院店・ガーデンテラス:
東京都三鷹市新川6-20-2 杏林大学医学部付属病院 外来棟6階
  横浜ジョイナス店:神奈川県横浜市西区南幸1-5-1 ジョイナス地下1階

給与
【月給】30万円~40万円+賞与年2回
 ※前職給与・経験・スキル・年齢等を考慮のうえ、決定します。
 ※賞与は業績に応じて支給します。
 ※試用期間3ヶ月あり(待遇面の変更はなし)
 ※上記には月42時間分の固定残業代(70,200円~)を含み、超過分は別途支給いたします。
 初年度の年収  400万円~550万円002
 昇給・賞与  昇給/年1回
 賞与/年2回  ※業績による
 諸手当  交通費全額支給
 休日・休暇  週休2日制(シフト休/月8日以上休み)
 有給休暇  慶弔休暇
 ★希望が通れば、日曜日や祝日も休暇取得可能です!
 福利厚生 各種社会保険完備
 健康診断(年1回) 国内研修 社割あり
 ⇒自社レトルト製品を社販価格で購入可能!自分用・ギフト用など、気軽に利用している社員が多数います!

マイナビ転職編集部より
 日比谷公園でレストラン事業を展開し、来年で創業120年を迎える松本楼。夏目漱石や高村光太郎、孫文などの著名人をも魅了した味とホスピタリティあふれるサービスは、今も世代を超えた支持を集めている。その松本楼の最大の強みは、そこで働く人たちのチームワークにある。連携しながらサービスの本質を極め、さらなる成長を目指したい方には理想的な職場だろう。未来志向の方は、ぜひ応募を検討していただきたい。

毎年4月2日の光太郎忌日、松本楼さんで開催していた連翹忌の集い。コロナ禍のため一昨年の第64回以来、開催できていません。来年こそは、と思っておりますが、またしてもBAナントカ変異株により、じわりじわりと感染が増加中。ほんとうにいいかげんにしてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

石塚友二氏等三人くる、デツサン一枚かす、南北と揮毫 雑誌表紙用、


昭和28年(1953)5月12日の日記より 光太郎71歳

石塚友二」は編集者。「南北」は石塚が関わって、この年9月に発刊した雑誌です。「デツサン」は生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のために描かれたもの。
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左は創刊号、右は昭和31年(1956)の第7輯。デッサンは同一ですが、光太郎揮毫の題字が異なります。こんな字も、なかなか書けそうで書けない字だと思います。

光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻にあり、光太郎や宮沢賢治もたびたび宿泊したゆかりの宿、大沢温泉さん。当方も花巻に宿泊する際は、真っ先にここに予約。取れなかった場合などに他を当たるという習慣になっています。

先月、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)に行った際にゲットしてきたパンフレット類から。
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すべて光太郎の名を挙げて下さっています。

その大沢温泉さんで、求人です

株式会社 大沢温泉山水閣フロント係 募集要項

募集要項
 仕事詳細
  *山水閣のフロント業に従事いたします。001
  <主な業務>
  ・お客様のお出迎え、受付、案内業務
  ・各種会議、研修会場のセッティング
  ・予約受付、会計清算業務
  ・その他 付随する業務
 職種 ホテル業務
 雇用形態 正社員
 勤務地(住所) 岩手県花巻市湯口字大沢181
 屋内の受動喫煙対策 あり(禁煙)
 特記事項 館内に喫煙場所あり
 勤務時間 変形労働時間制
  変形労働時間制の単位 1年単位
  就業時間1 7時30分〜19時00分
  就業時間2 9時00分〜20時30分
  就業時間3 8時00分〜19時00分
 最寄り駅 JR東北本線 花巻駅
 最寄り駅から就業場所までの交通手段 車 所要時間20分
 給与・年収 155,000円〜180,000円(月額)
 休日・休暇
  年間休日数 96日 週休二日制 シフト制。月7日の休日を基本とする。
  他に年公休12日有(繁忙期以外で、日程相談のうえ取得)
  6ヶ月経過後の年次有給休暇日数 10日
 資格
  (普通免許自動車免許:通勤用) 普通自動車運転免許 あれば尚可(AT限定可)
 スキル・経験 必要な経験・知識・技能等 不問
 企業の特徴
  豊沢川の渓流沿いに立地し、山水閣、自炊部、菊水館と三つの異なる施設からなる。
  大浴場が五つありお風呂巡りができる。宮沢賢治、高村光太郎ゆかりの温泉でもある。
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企業情報
 会社名 株式会社 大沢温泉
 本社所在地 岩手県花巻市湯口字大沢181
 設立日 昭和22年
 資本金 3,240万円
 代表者 役職 代表取締役社長 
 代表者名 高田 貞一
 従業員数 企業全体75人 うち女性40人 うちパート10人
 事業内容 温泉旅館業
 各種保険 雇用保険,労災保険,健康保険,厚生年金

その他・PR
 雇用期間 雇用期間の定めなし
 求人に関する特記事項 従業員食堂あり 1食@100円
 年齢 年齢制限あり 年齢制限範囲〜61歳
 年齢制限該当事由 定年を上限
 年齢制限の理由 定年年齢62歳の為労働基準法第61条の深夜業務
 備考 月平均労働日数 22.4日
 賞与 賞与制度の有無 あり007
 賞与(前年度実績)の有無 あり
 賞与(前年度実績)の回数 年2回
 賞与金額 計 1.50ヶ月分(前年度実績)
 利用可能託児施設 なし
 転勤の可能性の有無 なし
 再雇用制度 あり
 上限年齢 上限 65歳まで
 育児休業取得実績 なし008
 通勤手当 実費支給(上限あり)月額17,700円

応募方法
 選考プロセス 面接(予定1回)
 採用人数 1人
 募集理由 増員
 応募資格 不問

家庭やら何やらのしがらみが一切なければ、当方も応募するところですが……。


【折々のことば・光太郎】

天の奇巧を弄ぶこそいとをかしけれ。

明治37年(1904)3月31日の日記より 光太郎22歳

この年の3月31日は十二支十干の「甲子(きのえね)」。この日が雨だとその後長雨になり、晴れればそのまま晴天が続くという俗信があるそうで、その点についての記述です。

おおいなる自然現象の不思議、ひいては詩「道程」(大正3年=1914)にも謳われた「自然」への畏敬の念が既に読み取れます。

たまたまネットで検索中に見つけた情報です 

大正から昭和を生きた画家・高村智恵子と、夫で彫刻家の高村光太郎を主人公にすえた10分の短編映画の助演を探しております。

監督・脚本はカンヌ短編映画祭・ベネチア映画祭・ロシアのアムール秋映画祭・武蔵野市後援映画・埼玉県主催絵映画を担当してきた高村狐堂。今作も、国内外の映画祭に応募予定です。また、現在月に1本短編映画を作っており、継続的に座付き役者として活動できる方を特に望んでおります。

【あらすじ】
 明治から昭和を生きた、画家・高村智恵子と彫刻家・高村光太郎(二人とも実在の人物)。大恋愛のすえに結婚した二人は幸福な人生を送るかに見えた。将来を嘱望された智恵子と光太郎の未来は明るいはずで、お互いの個展も決まっていた。
 しかし……。結婚してすぐ、暗雲が垂れ込めていく。家に光太郎の友人たちが訪ねてくる。自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。光太郎は、智恵子のサポートもあり次々と個展を成功させる。一方で家事炊事全般をやらされた智恵子は創作に手がつかなくなり、創作欲をもてあまして心を病むようになっていった。
 智恵子には大河ドラマ『いだてん』でも有名になった二階堂トクヨという親友がいた。その親友からは「実家に帰りなさい」「ひとり身になって絵を描き続けなさい」と助言される。智恵子は帰郷しようとするが、実家は破産・一家離散してしまう。智恵子の精神は限界に達し、精神病院に入院することになる。
 光太郎は病院に通うが、ついに智恵子は死んでしまう。光太郎はその臨終の席で、智恵子に檸檬を渡すのだった。光太郎はその時の記憶を『レモン哀歌』にしたため、世間からも好評をうける。一番喜んでほしかった智恵子は、もうそばにいないけれども。
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【募集内容】
・光太郎の友人・師匠役
・募集年齢:18歳~50歳頃
・報酬:軽食支給
・撮影日程:9月15日(火)19時~21時
・撮影場所:馬込駅徒歩10分の古民家

【応募方法】
・件名:『高村光太郎映画(仮)』/友人役応募/(応募者のお名前)
①年齢、身長、特技、趣味、出演経歴
②バストアップと全身写真
③ご自宅最寄り駅
④FACEBOOK・ツイッター・インスタ・TIKTOK・17ライブ・ショールーム・CHECKなどのURL。
⑤(あれば)映画および映像作品の、WEB上の映像リンク 
⑥オーディション方法
 ライン通話かZOOMで15分ほど。あるいは山手線の駅・会議室にて審査。
 日程は別途連絡いたします。
⑦エキストラ(台詞あり・なし)(役名あり・なし)での出演可能か。
 脚本上の別役対応可能か。

応募先:kodo0918@yahoo.co.jp

まずはご応募いただければ幸いです。
みなさまからのご応募、心よりお待ちしております。

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 スタッフ経歴
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脚本 - 高村 狐堂 Kodo Takamura
監督、脚本家。
・2019年イルミナシオン映画祭最終選考(別名義)脚本
・NHK創作ドラマ賞佳作(別名義)脚本
・カンヌ短編映画祭『FALL』脚本
・(上記とは別監督)カンヌ短編映画祭『茶色い水』脚本
・沖縄県主催映画『光の跡地』特別賞受賞 脚本監督(NHKにて5回放映)
・ロシアのアムール秋映画祭『歪な体温』脚本
・実在のバンドと手を組んだ音楽長編映画『かさぶた』脚本・助監督
・東北映画祭『311の娘たち』脚本・監督
・クロアチア映画祭長編映画『311の子どもたち』脚本監督
・茨城県自治体との共催中編映画『真夏の通り雨』脚本(2020年撮影)
・埼玉県内の全自治体との共催映画『うたたね』脚本(2020年撮影)
・青森県自治体との共催長編映画『セブンズドア』脚本(2021年撮影)

こういう募集もあるのですね。高村狐堂さんという方、当方は存じませんでした。高村姓ですが、光太郎血縁ではなく、おそらくペンネームなのではないでしょうか。

光太郎には、彫刻の上では師匠という師匠は居ませんでした(少年期であれば父・光雲やその高弟たちがそれにあたるかもしれませんが)し、二階堂トクヨは智恵子の親友ではなく恩師、さらに光太郎が開いた個展は生前には一度きり、それも最晩年になのですが、まぁ、そのあたりは演出上の脚色ということなのでしょうか。

そうした点はともかく、「自分で酒や料理を用意しようという光太郎だったが、「そんなものは奥さんに任せておけ」「なんのために結婚したんだ」と言うばかり。光太郎は「僕は、彼女を幸せにしたくて、彼女の絵が好きだから結婚したんだから、僕の酒ごときで煩わせたくない」と反論するが、時代と世間はそれを許さなかった。」という切り口、これまでも為されてきてはいますが、やはりあまり状況は変わっていない現代においても、十分に訴えかける部分があると思います。

我こそは、という方、ぜひご応募を。


【折々のことば・光太郎】

本当は技巧がよければ良い程いゝんですがね。所がそれが本当の技巧にならない時もあるし……然し又技巧を全く止して考へてみることも出来ないから一寸解らない、僕は非常に技巧が練達したと言はれて居る人のを見て拙く感ずる。
座談会筆録「第二回研究部座談会」より
昭和15年(1940) 光太郎58歳

彫刻に関して、光太郎は小手先の技巧を駆使するやり方を認めていませんでした。といっても、技巧全般を無視するというわけではなく、最低限の技巧はベースとしてあるべきで、その後の処理ですね。技巧を見せることに終始しては本末転倒、内側から溢れ出る生命感みたいなものが、技巧を超えて表現されていなければならない、というわけでしょう。

現在発売中の『週刊ポスト』さんの11月13日号。16ページにわたり、「【大特集】三行広告 その奥深き世界を歩く」という記事が組まれています。

「三行広告」とは、主にスポーツ新聞などに掲載されるちょっと怪しい求人情報などの広告を指すことが多いのですが、ここではもう少し範囲を広げ、尋ね人や葬儀告知、純粋な広告なども扱っています。

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後半8ページは「【実録】本当にあった三行広告のドラマ」という見出しです。松下幸之助が考えたまだベンチャー企業だった時代のナショナルの広告、グリコ森永事件で犯人との取引連絡に使われたダミーの広告、『毎日新聞』さんに実際に載ったゴルゴ13への「仕事」の依頼広告――13年式G型トラクター買いたし――(実は宣伝)などに交じって、光太郎の出した広告も取り上げられています。

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左上には中野のアトリエで「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作中の光太郎。

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こちらが光太郎の部分です。

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問題の広告は、一昨年、このブログの【今日は何の日無題・光太郎】で取り上げました。大正3年(1914)の『時事新報』に載った、彫刻のモデルを募集する広告(右の画像)です。「三行じゃなくて、二行広告じゃないか」という突っ込みはやめましょう(笑)。

記事では昭和30年(1955)に雑誌『新潮』に載ったエッセイ「モデルいろいろ」からの引用もなされています。ただ、発表年を「1970年」としているのは大間違いですが……。また、見出しに「女性たちが殺到した」とあるのも大げさかな、という気がします。

広告ではありませんが、大正13年(1924)の8月、『東京朝日新聞』には、光太郎のこんな文章が載りました。アンケートに近いものですが、「もでる」とひらがな表記になっていたりするので、談話筆記かも知れません。


   探してゐるもの

 私のやうな貧乏な無風流漢には趣味ある探しものなど、めつたにありません。唯年中探し求めてゐるのはよいもでるです。職業的の人を好まないため、却々(なかなか)むづかしい事です。
 自分のいいと思つた人を誰でも頼める特権があつたらなあと時々おもひます。


さらに同じ年の11月には、アンサー報告的な文章も載りました。「探してゐるもの 探し当てた報告」というコーナーです。


   いゝモデル

 此間私が職業的ならぬモデルを常に探してゐるといふ事を申して以来、夫(それ)に就いて私に同情を寄せてくれる人の多いのを喜んでゐます。首ぐらゐならば随分無理な時間の都合をして来てくれる友人も出来、又未知の青年や婦人から全身のモデルになつてもいゝといふ意を通ぜられてもゐます。大変勇気を得ましたが今後も絶えず探してゆかうと思つてゐます。


モデルの需要と供給に関しては、光太郎に限らず多くの美術家が頭を抱えていたようで、光太郎の盟友・岸田劉生なども、知人を片っ端からモデルにしたがり、「岸田の首狩り」と揶揄されたり、顰蹙を買ったりしたそうです。

この辺りを書きはじめると、きりがないので、最後に光太郎の詩でオチをつけます。大正14年(1925)の作です。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。


  首狩000

首が欲しい、
てこでも動かないすわりのいい首、
どこからともなく春蘭のにほふ首、
ふうわりと手に持てる首、
銀盤にのせて朝の食卓に献ずる首、
まるでちがつた疾風(はやて)の首、
夢をはらんで理知に研がれた古典の首、
電気に充ちて静まり返つた嵐の前の首、
メフヰストをなやます美女の首、
だがやつばり男の首、
ただぽつかりと置ける首、
それでゐて底の知れない無垢の首、
合口をふところにして
又今日も市井のざわめきにまぎれこまう。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月3日

昭和21年(1946)の今日、花巻町羅須地人協会跡に立つ、光太郎が碑文を揮毫した宮澤賢治「雨ニモマケズ」詩碑の誤りを訂正、追刻しました。

花巻高村光太郎記念会会長の佐藤進氏著『賢治の花園―花巻共立病院をめぐる光太郎・隆房―』(地方公論社 平成5年=1993)から。

 昭和二十一年十月二十三日付の手紙で高村先生は父に詩碑の加筆について、次のように書き送ってくれました。

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 以前よりの懸案ではありましたが、賢治さんの詩碑に脱字があったり誤字があったりしているので、これを改めたいとお願いしたところ、高村先生が詩碑に直接加筆され追刻することになり、その心ぐみでそろそろ寒くなった東北の十一月の一日に山から出かけ、私の家に来ました。
 一日おいた三日の朝です。東北の十一月、既に肌寒く、吐く息が白々と見える冴えた冷い朝でした。高村先生に清六さんと父と私とがお供をして桜の詩碑に行きました。着いてみると、先にこの賢治の詩碑を彫った石工の今藤清六さんが、先に来て、詩碑の前に板をさしわたした簡単な足場を作っておき、そのかたわらで焚火をしていました。
 先生はおもむろに碑を眺め、やがて足場に上り、今、加筆をはじめようとしています。
 万象静寂の中に、人も静まり気動かず、冷気肌をおおい、立ち上る煙のみがその静寂を破っているばかりです。先生は筆を取り、『松ノ』『ソノ』『行ツテ』を加筆し、『バウ』を『ボー』とわきに書き替えました。つづいて裏に父が「昭和二十一年十一月三日追刻」と書き入れました。
 高村先生の父にあてた十一月六日付の葉書きは次の通りです。

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賢治詩碑の誤字脱字については、以下をご参照下さい。

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