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始まってしまっている展覧会です。

五百亀記念館開館10周年記念企画展 秋川雅史彫刻展~彫り奉らん~

期 日 : 2023年10月12日(木)~12月17日(日)
会 場 : 五百亀記念館 愛媛県西条市明屋敷238番地2
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日、祝日の翌日
料 金 : 無料

西条市出身のテノール歌手、秋川雅史氏が音楽活動のほか彫刻の分野においても才能を発揮し、制作に挑み続ける初期の作品から最新作までを紹介。また、彫刻師・近藤泰山及び地元で活躍する石水信至、杉森哲明両彫刻師の作品、さらに伊曽乃神社祭礼絵巻の特別展示を行い「西条祭りとだんじり」をもう一つのテーマに地元色豊かに空間を彩ります。

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フライヤーに使われている彫刻は、秋川氏が一昨年、二科展入選を果たされた受賞作。皇居前広場に建つ光太郎の父・光雲作の楠正成像模刻です。今年5月には、上野の森美術館さんで開催された「第4回日本木彫刻協会展」で展示が為されました。その他、これまでの秋川氏の作品がメインです。

で、公式サイトなどにその記述がないので気づかずにいましたが、秋川氏が蒐集された彫刻コレクションも展示されており、光太郎の父・光雲、そして高弟の一人・平櫛田中の作も出ているそうです。

光雲の作はおそらく「寿老舞」。令和元年(2019)、秋川氏がテレビ東京さん系の「開運! なんでも鑑定団」に鑑定依頼をなさった作です。その後、平塚市美術館さん他を巡回した「リアル(写実)のゆくえ 現代の作家たち 生きること、写すこと」展に出品されました。
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お近くの方(遠くの方も)ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

幸ひ無事元気でゐます、屋根瓦を五六枚やられた程度ですみました、昨夜も相当賑やかな事でしたが罹災者の事を考へて終夜火事で明るい路上をうろついてゐました、そのうち太陽が煙の中へ臙脂色に登つて来ました、実に不思議な色でした。此家もそのうちにはやられる事と思つて今所持の物を諸方に分散する事を始めました。


昭和20年(1945)3月10日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎63歳

いわゆる東京大空襲の日の書簡です。「屋根瓦を五六枚やられた」のは機銃掃射によるものと思われます。これを機に、智恵子紙絵、光雲遺作、それから自分の作品の一部を郊外に住む友人等の元に疎開させました。

疎開させた光雲作品には光太郎が最も高く評価していた「洋犬の首」が含まれていました。
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光太郎が生まれるずっと以前、少年時代の光雲が横浜で見た西洋犬に衝撃を受け、帰ってすぐ記憶の確かなうちに彫ったという習作です。後の光太郎の木彫に通じるテイストが溢れています。

昨日も書きましたが、結局、4月13日の空襲で光太郎自宅兼アトリエは全焼します。

愛媛松山からの情報です。  

現代作家人形展 ARTISTIC DOLLS EXHIBITION 2015

会 期 : 2015年1月8日(木)~1月18日(日) 水-定休
時 間 : 午前11:00~午後7:00
会 場 : ギャラリー リブ・アート 愛媛県松山市湊町4丁目12-9メゾンM2ビル3F
 
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2015年新春を寿ぐ恒例の<現代作家人形展>今年も好評開催中です。今回は、愛媛県内から5人、同じく県外から5人の作家さんをお迎えしいつもよりさらに賑やかでエネルギーあふれる展示になっています。みなさま、是非ともお見逃しなく。
 
 
人形作家・高橋満利子さんの作品で、「智恵子抄」が展示されているそうです。
 
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背景の「レモン哀歌」「千鳥と遊ぶ智恵子」のパネルは、御主人で書家の高橋正治さんによるものだそうです。
 
音楽、演劇、アート……いろいろな分野の方が、光太郎智恵子の世界からインスパイアされた作品を発表されています。ありがたいかぎりです。
 
拝見したいところですが、四国はやはり遠いので、残念ですが行けません。近隣の方はぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月14日000
 
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、詩人の伊藤信吉に宛てて葉書を書きました。
 
一月四日付のおてがみ届きました。 丁度新潮社からもてがみが来ましたが、それには小生の通知への返事はなく、編集者に神保光太郎氏、尾崎喜八氏は如何ですかと問合せてきました。よつて、両氏はあまり近すぎてどうかと思ふといふ旨と、小生の前便通り、貴下にお願ひしては如何といふ事を申送りました。 今年は相当の寒さで〇下二十度位になります。雪がきれいです。
 
新潮社云々は、この年、秋に刊行された新潮文庫版『高村光太郎詩集』に関わります。65年経ちますが、まだ版を重ねています。絶版にはしないでほしいものです。
 
伊藤はこの後、昭和28年(1953)に、同じ新潮社の「世界名詩選集」の一冊、『高村光太郎詩集』の編集にもたずさわりました。

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