カテゴリ:その他 > 光太郎没後年譜

今日は、8月から10月の光太郎関連の動きを振り返りますが、やはり7月で書き落としていましたので、そちらから。

7月(日付不明) 花巻高村光太郎記念館さんから、『光太郎 1883―1956』が刊行されました。同館展示品などの写真集です。

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8月1日(月) 文京区のケーブルテレビ区民チャンネルさんで、「ぶんきょう浪漫紀行 高村光太郎」の後編が初放映されました。

同日、岩手日日新聞社さんから、観光PR誌『岩手大陸』第3号が発行され、花巻高村光太郎記念館さんが大きく紹介されました。

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8月2日(火) コールサック社さんから、曽我貢誠氏他編『少年少女に希望を届ける詩集』が発行されました。光太郎詩「道程」「冬が来た」も収められています。

8月9日(火) 宮城県女川町のフューチャーセンターcamassを会場に、「第25回女川光太郎祭」が開催されました。当方の記念講演に始まり、地元や遠方の皆さんによる詩の朗読、当会顧問・北川太一先生の講話などが行われました。

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8月10日(水) 講談社文芸文庫の一冊として、室生犀星著『我が愛する詩人の伝記』が復刊されました。光太郎アトリエ訪問記も掲載されています。

8月10日(水)~28日(日) 埼玉東松山市立図書館で、「高村光太郎資料展~田口弘氏寄贈資料による~」が開催されました。21日(日)には、田口弘氏によるご講演もありました。

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8月11日(木)~9月11日(日) 美術館「えき」KYOTOにおいて、「世界の巨匠たちが子どもだったころ」展が開催され、光太郎の姉・さく(咲子)の日本画が展示されました。

8月14日(日) 『朝日新聞』さんの一面コラム「天声人語」で、終戦記念日にからめ、光太郎に触れて下さいました。

8月17日(水) 日本ヴォーグ社さん刊行の雑誌『手づくり手帖』第10号に載った、色彩アートセラピスト・江崎泰子氏による「巻頭特別エッセイ 色はこころの表現」で、智恵子の紙絵について触れられました。

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8月20日(土)~28(日) 花巻市の宮沢賢治記念館で、「「雨ニモマケズ」展」が開催され、光太郎が揮毫した「雨ニモマケズ」詩碑の碑文の書が展示されました。

8月28日(日)~9月2日(金) 千代田区の神保町シアターで、「一周忌追悼企画  伝説の女優・原節子」の一環として、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」が上映されました。

9月10日(土)~10月23日(日) 石川県立美術館にて企画展「近代美術の至宝 明治・大正・昭和の巨匠」が開催され、光太郎のブロンズ「手」が出品されました。

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9月11日(日) 福島市子どもの夢を育む施設こむこむ館で、「アナウンサーたちが言葉で綴る物語の世界 第20回定期朗読ステージ 季節はめぐり…そして今~朗読集団「原 國雄とその仲間たち」~」が開かれ、「智恵子抄」が取り上げられました。

9月16日(金) 茨城県守谷市の茶房かやの木で、「おとばな結成3rd記念コンサート フルートとギターと語りのコンサート『おとばなノスタルジア館』」が開催、光太郎詩「レモン哀歌」が取り上げられました。

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9月17日(土) 岡山県赤磐市中央公民館で、「第14回おかやま県民文化祭参加事業 岡山県生涯学習大学連携公開講座「高村光太郎と智恵子の運命」」が、三浦敏明氏 (東洋大学名誉教授)を講師に開催されました。

9月17日(土)~10月10日(月) 津市の三重県総合博物館において、「新 津市誕生10周年特別展覧会「過去から未来へ~津のあゆみ~」展が開かれ、光雲作の木彫「魚籃観音立像」が出品されました。

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9月17日(土)~11月6日(日) 東京ステーションギャラリーさんで、企画展「動き出す!絵画 ペール北山の夢 ―モネ、ゴッホ、ピカソらと大正の若き洋画家たち―」が開催され、光太郎油彩画「上高地風景」「佐藤春夫像」が出品されました。

9月18日(日) 福島二本松の智恵子生家近くで、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子純愛通り記念碑第8回建立祭 坂本富江さんの絵で語る智恵子の生涯」が開催されました。

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9月21日(水) 花巻市の宮沢賢治詩碑前広場に於いて、「賢治祭パート2 《追悼と感謝をこめて》」が開催され、「宮沢賢治と高村光太郎」の題で、当方が講話をさせていただきました。

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9月22日(木)~12月25日(日) 静岡県三島市の大岡信ことば館さんで開催の「谷川俊太郎展 ・本当の事を云おうか・」で、光太郎から谷川氏に宛てられた昭和29年(1954)の葉書が展示されました。

9月24日(土) 福島二本松の安達文化ホールで、「【高村智恵子生誕130年記念事業】原節子主演「智恵子抄」フィルム上映会」が実施されました。

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同日、いわき市のいわき芸術文化交流館「アリオス」では、国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター (FURE)さん主催の「シンポジウム in いわき ほんとの空が戻る日まで~ふくしま浜通り地方の復興・再生~」が開催されました。

さらに同日、銀座CHEEPA'S CAFEで、テルミン奏者大西ようこさん他による「ぷらイム in チーパズカフェ 2 ~ アトムも来るよ! ~」公演があり、初代鉄腕アトムの声を演じられた清水マリさんによる「智恵子抄」朗読もプログラムに入りました。

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9月25日(日) 『読売新聞』さんの土曜版の連載「名言巡礼」で、岡山赤磐出身の詩人にして光太郎と交流の深かった永瀬清子が取り上げられ、光太郎との関わりについても言及されました。

9月26日(月) 品川郷土の会会長を務められ、智恵子終焉の地・南品川ゼームス坂病院跡の「レモン哀歌」詩碑建立に尽力された、土屋恒行氏が亡くなりました。

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10月1日(土) 株式会社アールビーズさん発行のランニング愛好家向け雑誌『ランナーズ』10月号、「熊出没の青森鹿角は駅伝の故郷 武田千代三郎と乙女の像の因縁」という記事で、「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」にふれられました。

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同日、青森県十和田市の『広報とわだ』では、「特集「十和田湖・奥入瀬渓流」」を組み、光太郎に言及しました。

さらに同日、荒川区のムーヴ町屋で、第20回TIAA全日本作曲家コンクール入賞者披露演奏会が開催され、野村朗氏作曲「連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六首」より」が、森山孝光氏(Br)、森山康子氏(pf)で演奏されました。

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10月2日(日)~11月27日(日) 二本松市の歴史民俗資料館及び智恵子記念館で、「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」が開催されました。関連行事的に、2日(日)には高村光太郎研究会員・大島裕子氏による「記念講演会  『智恵子抄の世界』―智恵子生誕130年に伝えたいこと―」、さらに智恵子を偲ぶ第22回レモン忌も開催されました。

同日、郡山市の市民文化センターで、市制施行90周年・合併50年を記念して同市出身の湯浅譲二氏が作曲した「あれが阿多多羅(あだたら)山」が初演されました。

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さらに同日から11月1日(火)にかけ、鎌倉市のギャラリー笛さんにおいて、展示「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その五 鎌倉における光太郎と喜八」が行われました。

10月5日(水) 二本松市智恵子の生家に於いて、「福島現代美術ビエンナーレ 2016 - 氣 indication -。」の一環として、画家・小松美羽さん、詩人・和合亮一氏のコラボによるアクションペインティングと朗読が行われました。

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10月10日(月) 二本松市市民交流センターにおいて、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'16」が始まりました。昨年からのカウントで、第5回が「セザンヌとポスト印象派」、講師は後藤學氏 (喜多方美術館館長)でした。第6回は11月20日(日)、宮川菊佳氏 (ギタリスト)で、「美の同志 高村光太郎~クラシックのギターと共に~」。第7回の「平塚らいてうと青鞜社」(福島大学名誉教授・澤正宏氏)/第8回 「参加者による高村智恵子を語るつどい」(12月18日(日))で終わりました。

10月10日(月)~11月23日(水) 二本松市霞ヶ城公園に於いて、「第62回 菊の祭典 二本松の菊人形」が開催され、光太郎智恵子の人形も展示されました。

10月15日(土) 麗人社さん発行の雑誌『美術屋・百兵衛 2016年秋号 vol39 岩手県特集』で、「彫刻家・高村 光太郎」10㌻が掲載されました。

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10月20日(木) 響林社さんからwisさんの朗読によるCD、<声を便りに>オーディオブック 「智恵子抄(抄) 高村光太郎 ― 十七編抜粋 ―」がリリースされました。

10月23日(日) 俳優の平幹二朗さんが亡くなりました。平さんは、昭和42年(1967)、松竹映画「智恵子抄」(中村登監督、主演・岩下志麻さん、丹波哲郎さん)にご出演。光太郎の親友、石井柏亭の役でした。また、平成12年(2000)には、津村節子さんの小説を原作とした舞台「智恵子飛ぶ」で、ズバリ光太郎役を演じられました。

10月25日(火)~2017年2月13日(月) 盛岡市の盛岡てがみ館さんで、第51回企画展「文豪たちの原稿展」。現在も開催中、光太郎原稿「國民まさに餓ゑんとす」他が展示されています。

10月26日(水)~12月4日(日) 堺市博物館さん他3会場で、「河口慧海生誕150年記念事業「慧海と堺展」」が開催され、光雲木彫「釈迦牟尼仏」が出品されました。

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10月30日(日) 集英社さんから、原田マハさん著『リーチ先生』が刊行されました。光太郎の親友だった陶芸家、バーナード・リーチを描く小説で、光太郎、光雲、豊周も登場し、活躍します。

明日は、残る11・12月を振り返ります。


【折々の歌と句・光太郎】

吾山にながれてやまぬ山みづのやみがたくして道はゆくなり
昭和24年(1949) 光太郎67歳

個人的に、光太郎短歌・俳句等の中で、最も好きな作品です。晩年となり、「行雲流水」の境地に達し、しかし、流されるのではなく、あくまで求道者たらんとするその姿勢。ここに光太郎の真骨頂があるように思われます。

昨日に引き続き、今年一年の回顧を……と、その前に、後ろを振り返ってばかりもいられません、未来の話を(笑)。

テレビ放映情報です。

のんびりゆったり路線バスの旅スペシャル▽拡大版!ちょっといい景色へ 徳島・福島

NHK総合 2016年12月30日(金)  8時20分~9時34分

大河ドラマ「真田丸」のお局役で話題となった峯村リエさんと、バス旅の常連となった野間口徹さんが東北・福島を!鈴木砂羽さんと浅利陽介さんが四国・徳島を路線バスで巡りました。今回は、その拡大版を放送します!旅のテーマは「ちょっといい景色」。今回は、男性が女性をエスコートして、オススメの景色に案内します。なんと、福島から富士山が見える!?徳島が誇るドキドキの景色とは?そしてゴールで見る感動の景色とは?

出演 鈴木砂羽,浅利陽介,野間口徹,峯村リエ,
語り 高木渉,島本須美

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今月15日の夜、「拡大版」ではない放映があり、その際は当方、用事があって出かけており、愛車を運転中で、カーナビのテレビで流れていました。

「おー、福島かぁ」と思ったら、何と智恵子の故郷二本松。慌てて車を駐めました。その際にスマホでナビ画面を撮影。

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秋の菊人形期間中にロケが行われていて、智恵子人形がばっちり写りました。

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帰ってからネットで調べてみると、番組紹介の欄に「二本松」の文字がなかったので、放映前に気付かなかったと判明しました。当然録画もしておらず、「再放送してくれないかな」と思っていたところ、再放送ではありませんが、「拡大版」の放映があり、ラッキーでした。

さらに、光太郎と縁の深かった草野心平ゆかりの地・川内村も訪れたとのことでした。

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今度はしっかり録画しようと思っております。

それにしても旅人の峯村リエさん、大河ドラマ「真田丸」での大蔵卿局のイメージしかなく、かなりのお歳なのかと思っていました。しかし、失礼ながらこの放映を見ると、かわいらしい感じで、意外でしたが、それもそのはず、実は当方と同い年でした(笑)。

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それはさておき、もう1件。 

ぶんきょう浪漫紀行 高村光太郎(前編・後編)

東京MXテレビ 2017年1月1日(日)  9時30分~10時00分

区内の史跡や名所、ゆかりの人物などについて紹介する歴史番組です。


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ぶんきょう浪漫紀行」。もともと、文京区さんで、区内対象のケーブルテレビの番組として制作され、今年7月(前編)と8月(後編)に初回放映がありました。当会顧問・北川太一先生や、現在の髙村家当主・達氏とお姉様の朋美様などのご出演です。

それが地上波・東京MXテレビさんで放映されます。都内及び隣接県の一部でしか視聴できませんが、該当地域の方、ぜひご覧下さい。


さて、今度こそ、昨日に引き続き、今年一年の回顧を。今日は5月~7月ですが、昨日の分に抜けがあり、その増補から。

4月15日(金) 株式会社ビューティービジネスさんの美容専門雑誌『PROFESSIONAL TOKYO』95号「智恵子抄」が発行されました。同日、ナカニシヤ出版さん刊行の藤田尚志・宮野真生子編『愛・性・家族の哲学① 愛 結婚は愛のあかし?』で、『智恵子抄』にふれてくださいました。

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4月15日(金)~10月13日(木) 岩手花巻の宮沢賢治イーハトーブ館さんで、「宮沢賢治生誕120年記念事業 賢治研究の先駆者たち⑥ 黄瀛展」が開催され、光太郎に関わる資料も多数展示されました。

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5月8日(日) 中央区の第一生命ホールにて、合唱団CANTUS ANIMAEさんの第20回定期演奏会があり、安藤寛子さん作曲の「智恵子の手紙」 が委嘱初演されました。

5月12日(木)~6月9日(木) 文京区のアカデミー文京で、生涯学習講座「智恵子はるか―高村光太郎・その愛と美―」全6回が、早稲田大学名誉教授・榎本 隆司氏を講師に開催されました。

5月14日(土) 岩手花巻で高村光太郎記念館講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」が行われ、光太郎が旧太田村の山荘に移るまでの1ヶ月あまりを過ごした佐藤隆房邸の公開などが行われました。

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同日、愛知小牧のメナード美術館さんで、「版画と彫刻コレクション 表現×個性」が開幕しました。7月10日(日)迄の会期で、光太郎の木彫「栄螺」と「鯰」が展示されました。

5月15日(日) 岩手花巻郊外の高村山荘敷地で、第59回高村祭が開催されました。記念講演は、光太郎の従妹のご子息、加藤千晴氏でした。

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同日、福岡県筑後市のサザンクス筑後を会場に、「ぱふぉーまんす集団センゲキ第16回公演「ELEGANCE FIGHT~元始、女性は太陽であった~」の公演がありました。河口智美さんという方が智恵子役を演じられました。

5月20日(金)~22日(日) 福島二本松の智恵子の生家で、「高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ」が開催され、地元愛好家による琴の演奏が披露されました。

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5月21日(土)~27(金) 北九州市小倉北区の小倉昭和館さんで行われた「名画をフィルムで ~原節子特集~」の一環として、昭和32年(1957)制作の東宝映画「智恵子抄」(原節子さん主演)の上映がありました。

5月22日(火) NHKラジオ深夜便の公開収録「公開復興サポート 明日へ」が福島郡山で行われ、「智恵子抄」の朗読がなされました。オンエアは5月30日(月)でした。

5月26日(木) コールサック社さんから佐藤竜一氏著『宮沢賢治の詩友・黄瀛の生涯―日本と中国 二つの祖国を生きて』。が刊行されました。平成6年(1994)に日本地域社会研究所さんから刊行された『黄瀛―その詩と数奇な生涯』の増補改訂版です。

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6月4日(土) 横浜市戸塚区のSala MASAKAで、ピアニスト荒野愛子さんらによる「Aiko Kono Ensemble Sala MASAKA × PETROF 特別コンサート」があり、「『智恵子抄』による ピアノとクラリネットための小曲集」が演奏されました。

同日、岩手盛岡の姫神ホール(盛岡市渋民公民館)に、「啄木生誕130年・盛岡市玉山村合併10周年 2016啄木祭 ~母を背負ひて~」が挙行され、渡辺えりさんによる記念講演「わたしと啄木・賢治・光太郎」がありました。その後、渡辺さんから花巻高村光太郎記念館さんに、光太郎が渡辺さんのお父様に宛てた書簡等が贈呈されました。

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6月2日(木) 『読売新聞』さんに「タイムトラベル 高村智恵子記念詩碑 夫婦愛を刻む「レモン哀歌」という記事が掲載されました。

6月18日(土)~8月7日(日) 北海道立函館美術館さんで、「開館30周年特別展 画家の詩、詩人の絵―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく Poetry of the painter,Paintings of the poet」が開催されました。昨年、神奈川平塚市美術館さんを皮切りに始まり、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さん、姫路市立美術館さん、足利市立美術館さんと巡回した展覧会で、こちらが最終開催地でした。

6月24日(金) 生前の光太郎と交流のあった埼玉県東松山市の元教育長・田口弘氏が、同市に光太郎から贈られた書や書簡など約100点を寄贈なさいました。

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7月1日(金) 名古屋市瑞穂文化小劇場で「2016年度 国際芸術連盟作曲賞&音楽賞 受賞記念コンサート」が開かれ、野村朗氏作曲の連作歌曲「智恵子抄」が、バリトン:森山孝光氏、ピアノ:森山康子氏によって演奏されました。

7月11日(月) 上にも書きましたが、文京区のケーブルテレビで、「ぶんきょう浪漫紀行 高村光太郎(前編)」の初回放映がありました。

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7月13日(水) 盛岡少年刑務所で、「第39回高村光太郎祭」が開催され、受刑者による光太郎詩の群読、当方の講演などが行われました。

同日、『朝日新聞』さんの「各駅停話」というコラムが「新御徒町駅 幻の高村光雲の大仏」でした。

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7月15日(金)~11月23日(水) 高村光太郎記念館さんで、「高村光太郎没後六〇年・高村智恵子生誕一三〇年 企画展 智恵子の紙絵」が開催され、智恵子紙絵の実物の展示が行われました。

7月16日(土)~9月19日(月) 群馬県立館林美術館さんで、「再発見!ニッポンの立体」展が開催されました。光太郎彫刻「手」、「裸婦坐像」、「大倉喜八郎の首」、光雲彫刻「西王母」「江口の遊君」が展示されました。

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7月16日(土)~18日(月) 青森十和田湖畔で、「十和田八幡平国立公園十和田八甲田地域指定80周年記念 第51回十和田湖湖水まつり」が開催され、例年通り「乙女の像」のライトアップが為されました。

7月17日(日) 福井県鯖江市文化の館で、朗読イベント「復刻智恵子抄」が開催されました。同日、福島安達太良山頂で、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子抄」朗読会も行われました。

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7月20日(水) 彩流社さんから北野麦酒氏著『永遠なれ! レトロスペース・坂会館』が刊行されました。第2章が「坂館長が見た「智恵子抄」の智恵子の幻のヌード写真」、第7章が「ヌード写真の智恵子」となっています。

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7月23日(土)~8月28日(日) 信州安曇野碌山美術館さんで「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」が開催されました。8月7日(日)には関連行事として当方の記念講演「高村光太郎作《乙女の像》をめぐって」が行われました。

7月25日(月) JR東日本企画主催の「交通広告グランプリ2016」で、「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」という題で、光太郎詩「あどけない話」をモチーフに使った「福島県の作品が特別賞に当たる「JR東日本賞」を受賞しました。
 
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7月29日(金) 花巻高村光太郎記念館さんで、テルミン奏者・大西ようこさん、ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんによるロビーコンサートが行われました。こうした試みは同館初でした。


本当は8月までカバーする予定だったのですが、力尽きました(笑)。明日に回します。


【折々の歌と句・光太郎】

何となく沈みがちなる我胸をわれもえしらず年くれてゆく
明治34年(1901) 光太郎19歳

「え……ず」は「……することが出来ない」という意味です。自分の胸の内を自分でも知ることが出来ない、という煩悶の中、年が暮れて行くというわけですね。若き日にありがちな悩みだと思います。

このブログにて毎年恒例の一年間を振り返るコーナーをはじめます。

1月1日(金) 元旦早々、『岩手日報』さんの一面コラム「風土計」にて、光太郎・光雲に触れて下さいました。3/4(金)の同欄でも光太郎智恵子に触れて下さいました。

同日、文芸評論家の佐伯彰一氏が肺炎のため亡くなりました。『日米関係の中の文学』(昭和59年=1984 文藝春秋社)というご著書で、光太郎に触れて下さっていました。

1月4日(月) 『日本経済新聞』さんの連載コラム、「生きる命 十選 掌編の試み」で、光雲作の重要文化財「老猿」が取り上げられました。

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1月22日(金) 目黒区のライブハウス アピア40で、『智恵子抄』の朗読と音楽のコラボを含むコンサート「言葉と音の交差点」が開催されました。

1月25日(月) 池袋新文芸坐で、昭和32年(1957)公開、故・原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」が上映されました。

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1月31日(日) 名古屋の電気文化会館 ザ・コンサートホールで開催された「Gruppo Giglio Vol.8」で、作曲家・野村朗氏の新作、連作歌曲「智恵子抄巻末の短歌六編より」が、バリトン・森山孝光氏、ピアノ・森山康子氏の演奏で初演されました。

2月5日(金)~2月28日(日) 青森県十和田湖畔休屋地区で、「光と雪のページェント 十和田湖冬物語2016」が開催されました。期間中、例年通り光太郎作の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップがなされました。

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2月6日(土) 福島県二本松市の智恵子生家で昨年から実施されている、2階の智恵子の部屋限定公開が開始されました。2月、4月、5月、10月、11月の土・日・祝日に実施されました。

2月13 日(土) ~3月27 日(日) 姫路市立美術館さんで、企画展「画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」が開催され、光太郎油彩画「日光晩秋」(大正3年=1914)、「静物」(同)、「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)が展示されました。

2月15日(月) 名古屋学芸大学教授で、かつて高村光太郎談話会を主宰されていた大島龍彦氏が亡くなりました。ご著書に、『智恵子抄の新見と実証』(新典社 平成20年=2008)、『『智恵子抄』の世界』(同 平成16年=2004 奥様の裕子様と共編著)などがありました。

2月17日(水) 月刊『美術手帖』2016年3月号で、特集「超絶技巧!!宮川香山と明治工芸篇」が組まれ、光雲の項も設定されました。

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2月18日(木) 光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八の息女で、ご自身も光太郎智恵子にかわいがられたという尾崎実子さんが亡くなりました。

2月24日(水) 平凡社さん刊行の雑誌『こころ vol29』、「特別企画 再録・『心』名作館」という項に、光太郎詩「人体飢餓」が収められました。

2月27日(土) 『岩手日日新聞』さんに、「光太郎の新たな資料 住民との集合写真 安藤さん(太田)、市に寄贈」という記事が載りました。昭和27年(1952)頃に、花巻郊外太田村で撮影されたと見られる光太郎も写っている写真が、花巻高村光太郎記念館さんに寄贈された、という内容でした。

3月1日(火)~5月15日(日) 滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUMさんの企画展「かざり -信仰と祭りのエネルギー」で、神奈川横浜伊勢佐木町の日枝神社例大祭で街を練り歩く、光雲の手になる「火伏神輿」及び「獅子頭」が展示されました。

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3月5日(土) 愛知大学車道キャンパスコンベンションホールを会場に、国立大学法人福島大学さん、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさん主催のシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―震災・原発事故から5年を迎える福島を考える―」が開催されました。

3月5日(土)・3月19日(土) 葛飾区のプラネタリーアム銀河座で、「3月のプラネタリウム 智恵子抄と春空」が上映されました。

3月6日(日) 大田区民ホール・アプリコにて、朗読劇「レモン哀歌」が上演されました。

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3月15日(火) 青森の地方紙『デーリー東北』さんの一面コラム「天鐘」が、光太郎に触れて下さいました。

3月16日(水) 江東区深川江戸資料館において、「朗読人の四季~2016春」が開催され、杉山典子さんによる光太郎『智恵子抄』よりの朗読がありました。

3月18日(金)~7月10日(日) 鎌倉市川喜多映画記念館さんの特別展「鎌倉の映画人 映画女優 原節子」が開催され、東宝映画「智恵子抄」関連の資料の展示、さらに7/8(金)~10(日)には同作品の上映も行われました。

3月24日(木) 秋田県生涯学習センター講堂で、生涯学習講座「平成27年度あきたスマートカレッジ連携講座 支え合う文学者たち」の第3回「『歴程』高村光太郎・宮沢賢治・草野心平・黄瀛(同人)」が、県生涯学習センター シニアコーディネーター北条常久氏を講師に行われました。

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3月25日(金) 新潮社さんから、光太郎と交流が深かった彫刻家・舟越保武のご息女・末盛千枝子さんの『「私」を受け容れて生きる―父と母の娘』が刊行されました。末盛さんの「千枝子」というお名前は、光太郎が名付け親となってつけられたそうです。同日、武蔵野美術大学さんから、昨年開催された「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture」展(光太郎作「白文鳥」「手」が出品)の関連行事としての「国際シンポジウム The Study of Modern Japanese Sculpture」記録が刊行されました。

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3月26日(土) 千代田区の宮内庁三の丸尚蔵館で、「古典再生――作家たちの挑戦」展が開かれました。光雲作品「猿置物」「養蚕天女」が出品されました。

3月29日(火)・30日(水) 名古屋市でHITOMIホールプリズムステージ「智恵子抄~朗読と音楽が紡ぐ、純愛~」公演が行われました。

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3月29日(火)~31日(木) 東京都北区の北とぴあ カナリアホールにて、劇団東京イボンヌ第3回企画公演「コンサートと無伴奏 ~永遠の愛~」が上演されました。伊達裕子 さん、浅川荘子さんによる「【朗読】~「智恵子抄」より~ 」がプログラムに入っていました。

3月31日(木) 岩手花巻の太田地区振興会さんから、「大地麗(だいちうるわし)」が刊行されました。戦中戦後の光太郎の思い出を、地元の皆さんが記した記録集です。

4月2日(土) 第60回連翹忌を、日比谷松本楼さんで開催いたしました。同日、高村光太郎研究会から雑誌『高村光太郎研究』第37号が刊行されました。また、岩手花巻でも詩碑前祭と、花巻としての連翹忌が開催されました。

4月5日(火) NHK文化センター水戸教室の生涯学習講座「日本の詩をよむ-人と作品の魅力 ~高村光太郎と室生犀星~」が始まりました。9/6(火)までの全6回で、講師は日本文藝家協会会員  成井惠子氏でした。

4月6日(水) 昭和29年(1954)にラジオ番組「私の見たこと、聞いたこと」で、光太郎談話の聞き手を務めたラジオパーソナリティー・秋山ちえ子さんが亡くなりました。


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4月9日(土)~6月12日(日) 「画家の詩、詩人の絵 ―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく―」展が、栃木足利市立美術館さんに巡回になりました。

4月11日(月) 千葉市美浜文化ホールで、第1回「朗読と音楽の刻(とき)・虹」〜朗読とピアノとオカリナのコラボレーション〜が開催され、「智恵子抄」も取り上げられました。

4月16日(土)・17日(日) 青森県十和田市十和田湖観光交流センター「ぷらっと」及び市民交流プラザ「トワーレ」において、劇団エムズ・パーティーさんによる「十和田湖乙女の像のものがたり」朗読劇」が上演されました。

4月17日(日) 福島二本松で、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「第11回好きです智恵子青空ウォーク~桜章~」が開催されました。

4月30日(土) 言視舎さんから、福井次郎氏著『映画「高村光太郎」を提案します 映像化のための謎解き評伝
が刊行されました。

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4月(日付不明) 長野で『豊科近代美術館友の会会報』が刊行されました。幅谷啓子氏による「昭和6年に出した2枚のハガキ」という記事で、光太郎から在仏の高田博厚宛の外信葉書二通が初めて紹介されました。


続きはまた明日。


【折々の歌と句・光太郎】

秩父かぜ吹いても枯れし古しきみ御墓(みはか)掃くとてひとりし泣かる
明治35年(1902) 光太郎20歳

「秩父かぜ」は「秩父颪(おろし)」ともいい、秩父山塊から埼玉や東京に吹く木枯らしです。「しきみ」は「樒」、その枝を仏前に供える木ですね。具体的な背景が不明ですが、親しかった人物の墓参を題材にしているようです。

上記で今年1月から4月までの回顧録を記載しましたが、たった4ヶ月でも関係する方々の訃報が多く、改めて残念に思いました。色即是空、諸行無常とは申しますが……。

一昨日からの続きで、今年あった光太郎智恵子、光雲をめぐる主な出来事を振り返ります。今日は9月から12月。

書籍等の刊行日は、奥付記載の日付を採りました。実際に店頭に並んだ日とずれている場合があります。


9月2日(水) 名古屋市のメニコンアネックスにおいて、舞踊公演「智恵子抄~故郷 福島への想い~ パート1  あわい 愛~」が開催されました。10月5日(月)、「智恵子抄~故郷 福島への想い~ パート2  あわい 淡~」が追加公演されました。

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9月5日(土) 岐阜県関市中池公園内旧徳山村民家において、語り人あきと弦術師aokiによるユニット梅弦が「梅弦ワンマンコンサート」を開催、「智恵子抄」の朗読を行いました。
 同日、二本松市の現代詩研究会から文芸同人誌『現代詩研究 第75号』が発行されました。智恵子のまち夢くらぶ会長・熊谷健一氏の「「高村光太郎留学の地芸術の都パリ研修」報告」が収められました。
 さらにこの日、元女優の原節子さんが老衰のため死去しました。95歳。昭和32年、東宝映画「智恵子抄」(熊谷久虎監督)で智恵子役を演じました。

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9月8日(火) 女優の宝生あやこさんが老衰で死去、97歳。昭和42年、松竹制作の映画『智恵子抄』で智恵子の母、長沼センを演じました。

9月12日(土) 筑波大学東京キャンパス文京校舎において、国際シンポジウム「書の資料学 ~故宮から」が開催されました。第3部・討議で矢野千載氏(盛岡大学教授)による「高村光太郎書「雨ニモマケズ」詩碑に見られる原文および碑銘稿との相違について」の提言がありました。


9月13日(日) 山形市中央公民館多目的ホールにおいて、「山形大学特別プロジェクト いま、言葉を東北の灯(ともしび)に 第8回山形大学高校生朗読コンクール」が開催されました。課題は「智恵子抄」でした。
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9月18日(金)~22日(火) 福島県いわき市のワタナベ時計店特設ギャラリー「ナオ ナカムラ」において、「毒山凡太朗+キュンチョメ展覧会今日も きこえる」 が開催されました。共に映像作品を主とする現代アート作家で、東日本大震災に伴う福島第一原発の事故を、光太郎詩「あどけない話」にからめたメッセージ性溢れるものでした。

9月18日(金)~12月20日(日) 栃木県佐野市の佐野東石美術館で、「木彫の美―高村光雲と近現代の彫刻―」展が開催され、光雲木彫「牧童」「狛犬」が展示されました。

9月19日(土) 晶文社から『吉本隆明全集10[1965‐1971]』が刊行されました。春秋社版『高村光太郎選集』の解題として書き継がれた光太郎論を収録しています。

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9月19日(土)~11月8日(日) 神奈川県平塚市美術館に於いて企画展「画家の詩、詩人の絵―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」が開催されました。光太郎油彩画「静物(瓶と果物)」「渡辺湖畔の娘道子像」が展示されました。

9月19日(土)~11月29日(日) 和歌山県高野山霊宝館において、光雲作の金剛峯寺秘仏本尊薬師如来像の頭部試作品が展示されました。

9月20日(日) 二本松市智恵子の生家近くの智恵子純愛通り石碑前で、智恵子純愛通り記念碑第7回建立祭が開催されました。地元小中高生による朗読等が行われました。

9月26日(土) FTV福島テレビで「いっしょに歩こう―ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか⁉初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅」が放映されました。出演、タレント・白鳥久美子さん他。智恵子生家等で撮影が行われました。10月3日、BSフジで全国放映されました。

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10月1日(木) NHK出版より『NHKテレビテキスト 趣味どきっ! 女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門』が刊行されました。11月放映の同名のテレビ番組テキスト。「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×高村智恵子」が収められました。
 同日、無明舎出版から成田健著『「智恵子抄」をたどる』が刊行されました。地方紙『北鹿新聞』に連載されたものの単行本化です。
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10月2日(金) 光太郎詩に自作の曲を附けて歌うモンデンモモの東北ツアー「モンデンモモ日本を歌う!/モンデンモモ 智恵子抄を歌う!」が始まりました。2日(金)、秋田県鹿角市旧関善酒店特設ステージ、3日(土)、二本松市鐵扇屋酒蔵。これに合わせてCD「モンデンモモの智恵子抄」がリリースされました。

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10月3日(土) 『産経新聞』にコラム「日本の書〈37〉近代篇⑨高村光太郎「うつくしきものみつ」」が掲載されました。

10月4日(日) 二本松市らぽーとあだちにて、第21回レモン忌が開催されました。智恵子の里レモン会主催。特別講演は児童文学者・金田和枝さん。

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10月4日(日)~11月1日(日) 和歌山県の高野山金剛峯寺で、 金堂御本尊の秋の特別開帳が行われました。春に続き、秘仏である光雲作の薬師如来坐像の特別公開がありました。

10月9日(金) 京都外国語大学国際交流会館において、「日本ソロー学会創立50周年記念2015年度全国大会」が開催されました。記念シンポジウムで立正大学教授・齊藤昇氏「ソロー・野澤一・高村光太郎」の発表がありました。

10月9日(金)~11月10日(火) 光太郎の実妹・しづの孫にあたる山端通和夫妻が経営する鎌倉市の笛ギャラリーで「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その四」が開催されました。光太郎書作品、書簡等が展示されました。

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10月9日(金) 平成28年2月22日(月)迄の予定で、花巻高村光太郎記念館の企画展示「高村光太郎山居七年」(後期)が始まりました。太田村時代の光太郎の書、遺品等の展示です。

10月10日(土) 青幻社から『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』が刊行されました。平塚市美術館他で開催された同名の企画展の図録を兼ねています。

10月11日(日) 名古屋市のドルチェ・アートホールNagoyaで「作曲野村朗・フルート吉川久子 智恵子抄の世界を遊ぶ ~その愛と死と~」が開催されました。

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10月12日(月) 二本松市市民交流センターで、智恵子のまち夢くらぶ主催の「智恵子講座'15」が始まりました。第1回は智恵子の里レモン会会長・渡辺秀雄氏「長沼家の家族とふるさと二本松」。

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10月14日(水) 秋田公立美術大学サテライトセンターで、公開講座【明治の彫刻と工芸性】が開催されました。光雲に触れました。講師は同大教授・志邨匠子氏でした。

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10月17日(土) 文治堂書店から、北川太一先生著『いのちふしぎ ひと・ほん・ほか』が刊行されました。著者自選の随想集。随所で光太郎に触れています。

10月17日(土) 神奈川県立近代美術館鎌倉館で「鎌倉からはじまった 1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」がはじまりました。平成28年1月31日(日)まで。同館閉鎖に伴う最後の企画展で、光太郎ブロンズ「裸婦坐像」、油彩画「上高地風景」が展示されました。

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10月23日(金) 講談社から清家雪子さん著の漫画『月に吠えらんねえ』第4巻が刊行されました。「第十七話 あどけない話」が収められました。

10月24日(土)~12月23日(水) 秋田県横手市の雄物川郷土資料館で、第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編~あの人はこんな字を書いていました~」が開催され、同市出身の画商・旭谷正治郎に宛てた全集等未収録の光太郎書簡が展示されました。

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10月24日(土) 平成28年3月13日(日)迄の予定で、埼玉県加須市のサトヱ記念21世紀美術館において、「生誕130年記念 斎藤与里展~巨匠が追い求めた永遠なる理想郷~」が始まりました。光太郎の戯画が描かれた与里書簡など、ヒユウザン会展関連の資料も多数展示されました。

10月27日(火) 平成28年2月15日(月)迄の予定で、盛岡市の盛岡てがみ館で第48回企画展「宮沢賢治を愛した人々」が開催され、同館所蔵の光太郎書簡5通が展示されました。

10月29日(木)・30日(金) 神戸アートビレッジセンター KAVCホールにおいて、舞踊「Tubular Bells」の公演が行われました。「智恵子抄」をイメージし、智恵子と彼女の幻影を対比的に描かれました。

10月29日(木)~31日(土) 世田谷区「劇」小劇場で、「J-Theater日本人作家シリーズ ドナルカ・パッカーン第一回公演2015年秋 「暗愚小伝」」が開催されました。作・平田オリザ氏。

11月2日(月) 女優の加藤治子さんが心不全のため死去しました。92歳。昭和37年、文化放送からオンエアされたラジオドラマ「智恵子抄」で、智恵子役を演じました。

11月3日(火) NHKEテレで、「趣味どきっ! 女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」の第五回「高村光太郎×高村智恵子」が放映されました。ナビゲーター、書家・石川九楊氏、女優・羽田美智子さん。再放送、11月5日(木)、11月10日(火)。

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11月8日( 一橋大学一橋講堂、シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで-福島の復興と地方創生-が開催されました。

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11月14日(土) 十和田市主催で、友好都市花巻を訪れる「花巻探訪ツアー」が開催され、十和田市民が花巻高村光太郎記念館、高村山荘などを訪れました。
 同日、東京美術学校西洋画科で光太郎と同級生だった画家・藤田嗣治を描いた映画「FOUJITA」が封切られました。小栗康平氏監督、オダギリジョーさん主演。光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が劇中で使用されました。

11月15日(日) 二本松市の福島県男女共生センターで、智恵子のまち夢くらぶ主催の「智恵子講座'15」の第2回が開催されました。講師は福島県中国交流史学会長、元福島女子高教頭・小島喜一氏、題は「油井小学校と福島高等女学校の先生達」。

11月17日(火)~12月20日(水) 愛知県碧南市003藤井達吉現代美術館で、企画展「画家の詩、詩人の絵―絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」が開催されました。9月~11月の平塚市美術館に続いての巡回で、平塚で展示された2点に加え、光太郎油彩画「日光晩秋」も展示されました。

11月21日(土) 文京区アカデミー音羽で第60回高村光太郎研究会が開催されました。発表は佛教大学総合研究所特別研究員・田所弘基氏「高村光太郎の戦争詩――『詩歌翼賛』を中心に――」、高村光太郎研究会員・西浦基氏「「画家アンリ・マティス」高村光太郎訳」。

12月11日(金)~13日(日) 大阪市ABCホールに於いて、劇団レトルト内閣 第24回本公演「まことに神の造りしをんな―智恵子抄―」が公演されました。作・三名刺繍氏。

12月20日(日) 二本松市の福島県男女共生センターで、智恵子のまち夢くらぶ主催の「智恵子講座'15」の第3、4回が開催されました。題はそれぞれ「松井昇と太平洋画会研究所」(講師、太平洋美術会員・坂本富江さん)、「成瀬仁蔵と日本女子大学校」(講師、当方)でした。

12月24日(木) 浪曲師の国本武春さんが亡くなりました。55歳。NHK Eテレで放映中の「にほんごであそぼ」で、「うなりやベベン」として、たびたび光太郎詩に曲をつけた作品を披露なさいました。


というわけで、今年一年、実にいろいろなことがありました。いろいろな方が、いろいろな分野で光太郎智恵子、光雲を取り上げて下さり、ありがとうございました。

来年以降も引き続き、この世界がもっともっと広がっていくことを願ってやみません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月31日

昭和39年(1964)の今日、東京宝塚劇場で開催された「第15回NHK紅白歌合戦」で、二代目コロムビア・ローズさんが「智恵子抄」(作詞・丘灯至夫、作曲・戸塚三博)を歌いました。

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二代目コロムビア・ローズさん。昭和37年に「白ばら紅ばら」でデビュー、「智恵子抄」でブレイクし、紅白歌合戦出場を果たしました。当時は紅白に出る、というのは大変なことでした。現在は米国・ロサンゼルスにお住まいで、時折日本に帰ってきてテレビ出演等をされています。

今年3月には、「コロムビア・ローズ三代そろい踏み」 ということで、中野サンプラザで開かれたコンサート「コロムビア大行進2015」で、初代、三代目のコロムビア・ローズさんと共演なさいました。

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さて、このブログ、一昨年は【今日は何の日・光太郎】、昨年は【今日は何の日・光太郎 補遺】、そして今年は【今日は何の日・光太郎 拾遺】ということで、まる3年間、光太郎・智恵子・光雲に関し、「その日」にあった出来事を紹介して参りました。

どうにもネタが見つからず、周辺人物の話になったり、日常の些細な出来事を取り上げたりもしましたが、365日×3年間=1,095件をご紹介する事ができました。

さすがにこれ以上は無理です。来年以降は別の方向性で行きますので、お楽しみに。

昨日からの続きで、今年あった光太郎智恵子、光雲をめぐる主な出来事を振り返ります。今日は5月から8月。

書籍等の刊行日は、奥付記載の日付を採りました。実際に店頭に並んだ日とずれている場合があります。

5月6日(水) 大田区のライブハウス・風に吹かれてに於いて、シンガーソングライター潮見佳世乃さん演奏の「歌物語コンサート 智恵子抄」が開催されました。

5月15日(金) 岩手花巻の高村山荘敷地で第58回高村祭が開催されました。特別講演は当方の「高村光太郎と花巻・山口」でした。

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同日、山荘に隣接する花巻高村光太郎記念館の企画展示「高村光太郎山居七年」(前期)が始まりました。太田村時代の光太郎の書、遺品等の展示でした。9月28日(月)まで。

また、花巻高村光太郎記念会より佐藤隆房編著『高村光太郎山居七年』が復刻されました。元版は昭和37年(1962)でした。

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やはり同日、日本古書通信社から月刊で発行されている『日本古書通信』第1030号で、廣畑研二氏「幻の詩誌『南方詩人』」の連載が始まりました。鹿児島の詩誌『南方詩人』に関しての調査で、これまで知られていなかった光太郎の翻訳等が掲載されていたことが報じられました。8月15日発行の第1033号まで連載されました。

5月17日(日) 仙台市Jazz Me Blues Nolaにおいて、「無伴奏ヴァイヲリンと朗読「智恵子抄」」の公演が行われました。ヴァイオリン・佐藤実治氏、朗読・荒井真澄さんでした。

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5月25日(月) 幻戯書房から奥田万里氏著『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』が刊行されました。「パンの会」会場にもなったメイゾン鴻乃巣店主・奥田駒蔵評伝。随所で光太郎に触れています。

5月25日(月)~8月16日(日) 武蔵野美術大学美術館に於いて「近代日本彫刻展 −A Study of Modern Japanese Sculpture−」が開催されました。1月~4月、英国ヘンリー・ムーア・インスティテュートにて開催されたものの日本巡回。日本展では、木彫「白文鳥」、東京国立近代美術館及び台東区朝倉彫塑館所蔵の、二種類のブロンズ彫刻「手」(ともに光太郎自身が台座を木彫で制作したもの)が展示されました。ブロンズ部分を取り外して撮影された珍しい写真を含む図録が刊行されました。

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5月27日(水)~31日(日) 千葉県流山市の生涯学習センターで「後閑寅雄喜寿チャリティ書画展」が開催されました。「参考借用陳列敬仰作品」に、明治末と推定できる光太郎の未知の短歌が記された短冊(神田玉川堂さんの所蔵)が出品されました。

5月31日(日) NHKEテレで「日曜美術館 一刀に命を込める 高村光雲が生きた道」が放映されました。再放送、6月7日(日)。

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6月6日(土) 福島二本松市の智恵子生家で、智恵子の部屋を含む通常非公開の2階部分限定公開が始まりました。8月23日(日)まで、10・11月と平成28年2月の土日祝日に実施されました。

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6月9日(火) 静岡沼津の地方紙『沼津朝日』に「沼津に足跡残す高村智恵子 ゆかりの大熊家の所在知りませんか 智恵子が描いた一枚の絵 エッセイストがモデルの木を探す」という記事が掲載されました。坂本富江さんによる沼津での大正年間の智恵子足跡調査を報じています。

6月16日(火) 『朝日新聞』の東北版に「戦争協力、自ら罰した光太郎」と題する記事が掲載されました。同紙北上支局長・石井力氏の執筆でした。

6月17日(水)~21日(日) 東京芸術劇場ギャラリー1に於いて、「心のアート展 創る・観る・感じる パッション――受苦・情念との稀有な出逢い」が開催されました。東京精神科病院協会主催。智恵子の紙絵(複製)、書簡類などの関連資料が展示されました。図録には北川太一先生の「智恵子の場合」が収められました。

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7月1日(水) 青森県十和田市の広報紙『広報とわだ』に「特集 十和田湖再発見」が組まれ、「十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)」について詳しく紹介されました。

7月7日(火) 虹の会より文芸同人誌『虹』第6号が刊行されました。豊岡史朗氏「〈高村光太郎論〉晩年」が収められました。

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7月26日(日) 仙台に本社を置く東北の地方紙『河北新報』に「戦災の記憶を歩く 戦後70年 ⑧高村山荘(花巻市) 戦意高揚に自責の念」という記事が掲載されました。

7月29日(水) 十和田湖畔の観光交流センターぷらっとにおいて、「「乙女の像」でつながる花巻市太田地区のみなさんと十和田湖関係者との交流会」が開催されました。十和田市と花巻市が友好都市交流を行っている縁で、光太郎が戦後の七年間を暮らした旧太田村の太田地区振興会が十和田湖を訪問、十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会さんなどがこれを迎えました。

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7月30日(木) 晶文社から、森まゆみ氏著『「谷根千」地図で時間旅行』が刊行されました。古地図や絵図などを読み解くことで、光太郎ら千駄木周辺で生きた人々の息遣いをたどるというコンセプトでした。
 同日、文芸同人誌『青い花』第四次81号が発行されました。宮尾壽里子氏「「第59回連翹忌」に参加して」を収めています。

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8月3日(月) BSフジで「発掘!歴史に秘めた恋物語〜高村光太郎と智恵子〜決して女神でない」が放映されました。ゲストコメンテーターは、詩人・郷原宏氏、女優・石田えりさん。北川太一先生、智恵子の里レモン会副会長・根本豊徳氏らがビデオ出演しました。

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8月7日(金) 紅書房から星野晃一編『多田不二来簡集』が刊行されました。詩人・多田不二のもとに寄せられた、光太郎からの5通を含む各界著名人194名からの書簡集です。

8月9日(日) 宮城県女川町きぼうのかね商店街で、第24回女川光太郎祭が開催されました。町内外の人々による朗読、当方による記念講演、北川太一先生の講話などが行われました。

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8月18日(火)~31日(月) 千葉県勝浦市芸術文化交流センター・キュステにおいて、第39回千葉県移動美術館「高村光太郎と房総の海」が開催され、千葉県立美術館所蔵の光太郎ブロンズ6点が展示されました。

8月19日(水) 『東京新聞』の千葉中央版に「〈九十九里の赤とんぼ 千葉の戦後70年〉智恵子が愛した砂浜 句に込めた平和への思い」が掲載されました。

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8月24日(月)~10月30日(金) ノエビア銀座ギャラリーにて、銅版画家山本容子さんの「山本容子のアーティスト図鑑」展が開催されました。雑誌『本の話』(文藝春秋)の表紙画として作成されたアーティストの肖像画32点が並び、光太郎と智恵子のそれも展示されました。

8月28日(金) 書肆心水から『異貌の日本近代思想1』が刊行されました。「高村光太郎……美と生命/日本美の源泉」を含みます。


明日は最終回的に、9月から12月篇をお届けします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月30日

平成9年(1997)の今日、元花巻高村記念会事務局長、浅沼政規が交通事故で歿しました。

浅沼は宮澤賢治の教え子で、戦後、光太郎がいた頃の太田小学校山口分教場(のち山口小学校に昇格・下記参照)の校長先生でした。その分教場を光太郎は「風の又三郎の舞台のよう」と言っていました。氏には『高村光太郎先生を偲ぶ』(平成7年=1995 ひまわり社)などの貴重な光太郎回想があります。

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ご子息の隆氏は今も山荘近くにお住まいで、花巻の財団法人高村記念会理事として、毎年5月15日の高村祭開催に尽力されています。

早いもので、今年もあと残すところ3日となってしまいました。

今日から3日間、4ヶ月ずつ区切って、今年あった光太郎智恵子000、光雲をめぐる主な出来事を振り返ります。書籍等の刊行日は、奥付記載の日付を採りました。実際に店頭に並んだ日とずれている場合があります。

1月2日(金) 台東区東京国立博物館内の黒田記念館が、約三年間かけての耐震工事を終え、リニューアルオープンしました。二階黒田記念室入り口には、昭和7年、光太郎作の黒田清輝胸像が再び据えられました。

1月10日(土) NHKEテレにて、「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回吉本隆明」が放映されました。当会顧問・北川太一先生がビデオ出演し、吉本と光太郎について語りました。再放送、17日(土)。

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1月16日(金)~19日(月) 兵庫県伊丹市立演劇ホールAI・HALLにて、劇団青年団主催の演劇公演「暗愚小伝」が行われました。作・平田オリザ氏。光太郎が主人公。前年10月の東京公演の地方巡回でした。22日(木)~24日(土)、香川善通寺市四国学院大学ノトススタジオに巡回公演されました。

1月17日(土)~3月22日(日) 福島県いわき市立草野心平記念文学館で、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎往復書簡にみる交友」が開催されました。戦後、光太郎と心平の間に交わされた四十通余りの往復書簡、心平「高村光太郎病床日記」他が展示されました。

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全く同一の日程で、群馬県立土屋文明記念文学館において、第87回企画展「近代を駆け抜けた作家たち~文豪たちの文字は語る~」が開催され、光太郎書も展示されました。2月15日(日)、記念講演会「編集者の仕事とは」。講師・石原正康氏(幻冬舎取締役兼専務執行委員編集本部本部長)。

1月28日(水)~4月19日(日) 英国リーズ市ヘンリー・ムーア・インスティテュートにおいて、武蔵野美術大学との共催による「A Study of Modern Japanese Sculpture」が開催されました。光太郎彫刻「白文鳥」「手」、他に、橋本平八、佐藤朝山、水谷鉄也、宮本理三郎の作品が展示されました。

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1月31日(土) 東洋出版社から『未来を拓く 学校の力 地域と学校の心触れ合う教育活動』が刊行されました。全国連合退職校長会編。光太郎が卒業生である荒川区第一日暮里小学校の元校長・天野英幸氏「バトンを繋ぐ」を収めます。学校図書館の活用により、6年生の総合的な学習の時間に於ける、先輩・光太郎についての調べ学習や、全校生徒による光太郎詩の群読などについて述べられています。

2月9日(月) NHKBSプレミアムで、「にっぽん百名山 安達太良山」が放映され、「智恵子抄」に触れられました。再放送、15日(日)、19日(木)。

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2月11日(水) NHK総合テレビで「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されました。北川太一先生、作家・津村節子氏、太田村時代の光太郎を知る高橋愛子さんらがビデオ出演しました。司会、渡邊あゆみさん。再現ドラマの部分は、光太郎役を鈴木一真さん、智恵子役を前田亜希さんが演じました。再放送、2月18日(水)、11月4日(水)。

2月14日(土) ネイチュアエンタープライズから山岳雑誌『岳人』第813号が刊行されました。特集「言葉の山旅 山と詩人 上高地編」。当方執筆の「高村光太郎と智恵子の上高地」を含む他、草野心平、尾崎喜八等にも触れています。

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2月20日(金) 八木書店から日本近代文学館編『近代文学草稿・原稿研究事典』が刊行されました。「第四部 作家的事例」で、群馬県立女子大学教授・杉本優氏が光太郎の項を担当しました。

2月21日(土)〜4月12日(日) 山口県立美術館で、「特別展 超絶技巧!明治工芸の粋」が開催されました。前年4月から日本橋三井記念美術館他で開催された展覧会の地方巡回。光雲作「西王母」「法師狸」の木彫二点が展示されました。郡山市立美術館(4月21日(火)~6月14日(日))、富山県水墨美術館(6月26日(金)~8月16日(日))、岐阜県現代陶芸美術館(9月12日(土)~12月6日(日))にも巡回しました。

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2月21日(土)〜5月17日(日) 京都市の清水三年坂美術館で、企画展「明治の彫刻」が開催され、光雲木彫「聖観音像」「月宮殿天兎」「老子出関」「西行法師」が展示されました。

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2月25日(水) ハーツ&マインズから品川区の地域情報誌『月刊おとなりさん』第380号が刊行されました。「特集 智恵子 愛と芸術の生涯」を収めています。

3月1日(日) 『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第四十三号』が発行されました。佛教大学総合研究所特別研究員・田所弘基氏「高村光太郎の短歌と美術評論 ―留学直後の作品を中心に―」を収めています。

3月10日(火) 十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会編刊『十和田湖乙女の像のものがたり』が刊行されました。平成25・26年度、十和田市づくり市民活動支援事業の助成により、建立から60年を経た「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の背景を多方面からまとめたもの。当方が監修と一部執筆を担当させていただきました。

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3月12日(木) 現代企画室から『少女は本を読んで大人になる』が刊行されました。クラブヒルサイド+スティルウォーター編。平成25年から翌年にかけ、全10回で行われた読書会「少女は本を読んで大人になる」の筆記を元にしたもの。彫刻家・舟越保武の長女、末盛千枝子さんの「高村光太郎著 『智恵子抄』を読む」を含みます。

3月20日(金) 日本近代文学館から『日本近代文学館年誌―資料探索 第10号』が発行されました。上智大学教授小林幸夫氏「〈軍服着せれば鷗外だ〉事件 ―森鷗外「観潮楼閑話」と高村光太郎」を含みます。

3月21日(土)~6月21日(日) 宮内庁三の丸尚蔵館において、「第68回展覧会 鳥の楽園-多彩,多様な美の表現」が開催され、光雲木彫「松樹鷹置物」「矮鶏」が展示されました。

4月1日(水) 東京国際芸術協会から、野村朗氏作曲『連作歌曲智恵子抄~その愛と死と~』楽譜集が刊行されました。森山孝光、康子夫妻演奏による同曲のCDも同日発行されました。

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4月2日(木) 第59回連翹忌が、日比谷松本楼に於いて開催されました。

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この日、『光太郎資料43』が参加者に無料配布されました。当会の刊行です。

また、高村光太郎研究会より『高村光太郎研究36』が刊行されました。北川太一先生「高村光太郎・最後の年 1月⑵」、山田吉郎氏「高村光太郎と雑誌『創作』―自選短歌を中心に」、坂本富江さん「詩人野澤一という人―そして高村光太郎との関係性―」、当方執筆の「光太郎遺珠⑩」「高村光太郎没後年譜」、野末明氏「高村光太郎文献目録」「研究会記録・寄贈資料紹介・あとがき」。

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同日、文治堂書店から、北川太一先生の『ヒユウザン会前後―光太郎伝試稿―』が刊行されました。『高村光太郎研究』連載の単行本化です。

やはり同日、岩手花巻でも、旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)近くで詩碑前祭、松庵寺にて花巻連翹忌が開催されました。

さらに同日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山・金剛峯寺で、開創千二百年記念大法会が始まりました。これまで開帳された記録が残っていない、高野山の総本堂、金堂の本尊・薬師如来像(光雲作)の特別開帳が行われました。5月21日(木)まで。

この日はいろいろ重なり、港区の増上寺でも、新たに宝物展示室がオープンしました。光雲が監修に名を連ね、東京美術学校が制作した英国ロイヤルコレクション所蔵の「台徳院殿霊廟模型」(徳川二代将軍・秀忠霊廟)が展示されています。明治43年、ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品されたものです。

4月16日(木) 墨田区すみだトリフォニーホールに於いて「第25回 21世紀日本歌曲の潮流」が開催され、森山孝光、康子夫妻により、野村朗氏作曲『連作歌曲智 恵子抄~その愛と死と~』が演奏されました。

4月20日(月) 小学館より石川拓治氏著『新宿ベル・エポック 芸術と食を生んだ中村屋サロン』が刊行されました。中村屋創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻、碌山荻原守衛を中心とし、光太郎にも触れています。

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4月22日(水) 碌山美術館より『荻原守衛書簡集』が刊行されました。守衛の書簡約百五十通、光太郎を含む守衛宛の書簡が、原本が残る物は全て写真付で収められています。

4月28日(火) 花巻高村光太郎記念館がリニューアルオープンしました。平成25年5月から、元の花巻市歴史民俗資料館を改装し、暫定オープンしていたものが、全面的な改修工事を行い、展示室面積はおよそ2倍となりました。

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4月30日(木) 邑書林からわたなべじゅんこ氏著『歩けば俳人』が刊行されました。光太郎を含む十五名の文化人の俳句に言及しています。

明日は、5月~8月の出来事を。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月29日

平成16年(2004)の今日、東海テレビ・フジテレビ系で放映されていた昼の帯ドラマ「愛のソレア」が最終回を迎えました。

荻野目慶子さん主演。東海テレビさん制作のいわゆる「ドロドロの昼ドラ」です。昭和30~50年代を舞台とし、随所に光太郎の詩が用いられました。

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当方も所属している「高村光太郎研究会」という会があります。そちらの機関誌的な雑誌『高村光太郎研究』が、年刊で発行されています。発行日は毎年、光太郎忌日・連翹忌の日に設定しています。

こちらが昨年刊行の第35号です。

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第36号の刊行が近づいて参りまして、当方の連載「光太郎遺珠」、それから今年から担当することになった「高村光太郎没後年譜」の校正稿が送られて来、昨日、朱筆を入れたものを主宰の野末明氏に返送しました。そちらが2校ということで、これで校了です。

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以前にもご紹介しましたが、「光太郎遺珠」は、筑摩書房の『高村光太郎全集』が平成10年(1998)に完結した後、さらに見つかり続ける光太郎智恵子の作品を網羅するものです。

今回載せるものは以下の通りです。

まず、短歌が一首。昭和26年(1951)のもので、もともと与謝野晶子の没後十周年記念講演会に際し、電報として贈られた片仮名書きものが『高村光太郎全集』に収められていますが、雑誌『スバル』に漢字ひらがな交じりで掲載された形を見つけましたので、そちらを載せました。

それから戦後の談話筆記。花巻郊外太田村の山口小学校長だった浅沼政規が、PTAの会合、講演会などで語った光太郎の言葉を記録していたものです。浅沼は最晩年の光太郎に校閲を求め、活字にすることを希望していましたが、光太郎の健康状態がそれを許さず、その時点ではその話は流れました。平成7年(1995)に浅沼が花巻で私刊した『高村光太郎先生を偲ぶ』という書物に掲載されていますが、広く世に知らしめるため、子息の浅沼隆氏に承諾を得、掲載させていただきます。ただ、量が多いので、今年から3~4カ年計画です。

雑纂として、新聞記事に付された光太郎のコメントが3件。日本女子大学校創設者・成瀬仁蔵の胸像制作を依頼された際のものと、太平洋戦争直前、大政翼賛会第一回中央協力会議に出席する際のコメント、そして十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)除幕のため、昭和28年(1953)秋に青森入りした際の談話です。

乙女の像に関しては、制作にかかる前の構想スケッチ、その完成記念会での挨拶に用いたメモ書きも載せました。

書簡が13通。昨年開催された盛岡てがみ館さんでの企画展「高村光太郎と岩手の人」、山形の最上義光歴史館さんの企画展「第6回 市民の宝モノ2014」、鎌倉の笛ギャラリーさんでの「回想 高村光太郎 尾崎喜八詩と友情」に出品されたものや、『朝日新聞』さんの岩手版で発見が報じられたもの、などです。

さらに座談会が一篇。戦時中のものです。

書簡に関しては新しい発見をどんどん載せていますが、その他はページ数の都合により、数年前に発見したものを順次小出しにしている状態です。


「高村光太郎没後年譜」は昨年1年間の光太郎がらみの出来事――このブログでご紹介してきたようなこと――を時系列でまとめたものです。やはりページ数の都合があり、大きな出来事しか載せられないのが残念ですが、なるべく記述を簡潔にし、できるだけ多くの項目を設定しました。

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『高村光太郎研究』第36号、4月2日の第59回連翹忌の席上で販売開始、頒価は1,000円です。上記以外に北川太一先生の玉稿なども載るはずです。ご入用の方は、こちらまでご連絡下さい。後ほど郵送いたします。

併せて連翹忌の参加者も募っております。よろしくお願いいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月28日

昭和4年(1929)の今日、萬里閣書房から河野桐谷(こうのとうこく)編 『漫談 江戸は過ぎる』が刊行されました

540頁にわたる大冊ですが、「維新の巻」「江戸の巻」の二部に分かれ、30余人の談話から構成されています。

「はしがき」によれば「五六年前から、田中智学先生、高村光雲先生等の下に、江戸文化研究の座談会を月一回開いて、それが国醇会の名の下に今でも継続してゐる。」とあります。

光雲談話は「江戸の巻」の半分以上を占め、題目は「歳の市の話」「両国の夕凉み」「浅草の話(上)」「浅草の話(下)」「新落語 喜の字」。いずれも幕末から明治初年の回想譚ですが、その記憶力には舌を巻かされます。光太郎の生まれ育った背景、その思想上のバックボーンを 知る上で、貴重な記録です。

左の画像は函、右の画像は表紙と背です。題字揮毫は光雲です。

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上記の『高村光太郎研究』とは別に、当会で刊行している『光太郎資料』という冊子がありますが、そちらで「光雲談話筆記集成」という項を設け、こちらの内容も少しずつご紹介しています。

また、昭和44年(1969)には、新人物往来社から復刻版が出されています。

版元の萬里閣書房は本書以外にも、光雲の『光雲懐古談』(昭和4年=1929)、東野善一郎著『天誅組天誅録』(同)、篠田鉱造著『幕末百話』(同)、子母沢寛著『新選組遺聞』(同)など、江戸時代を回顧する内容の書籍をこの時期に上梓しています。これはこの当時、いわゆる「江戸ブーム」が起こったことが背景にあります。

とうとう大晦日となりました。今年もいろいろありました。その都度、多くの方々にお世話になりました。今年1年をふりかえってみます。
 
メインイベントは4月2日の第58回連翹忌。光太郎忌日の集いということで、全国からたくさんの方々にお集まりいただきました。ありがとうございました。
 
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光太郎が足かけ8年を過ごした花巻でも、花巻連翹忌
  
今年は「道程」100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年の記念の年で、いろいろなイベントなどで、その件に触れて下さいました。
 
イベントも、ここですべてを振り返るわけにもいきませんので、光太郎智恵子をメインにあつかったもののみ、ご紹介します。
 
盛岡てがみ館さんでは、2月から6月にかけ、第43回企画展「高村光太郎と岩手の人」が開催されました。実際に行って参りましたが、なかなかいい企画展でした。
 
同じ盛岡では、やはり2月に演劇「泣きビッチョ光太郎」が上演されました。見に行けなくて残念でした。再演を希望します。演劇系では10月から、劇団青年団第73回公演 『暗愚小傳』。11月には【じゃがいも村プロデュース公演】麦人じか~ん一人語り『智恵子とゐふ女』。12月には微笑企画第4弾「一人芝居 人に~智恵子抄より~」
 
5月には毎年恒例の花巻光太郎祭。今年の記念講演は、光太郎が名付け親となった絵本作家・編集者の末盛千枝子さんでした。
 
8月には、宮城県は女川町で、第23回女川光太郎祭。それに先立つ6月には、福島二本松の智恵子のまち夢くらぶさん一行が、女川をご訪問。『朝日新聞』さんで大きく取り上げていただきました。
 
10月には、二本松で第20回レモン忌。智恵子命日の集いです。今年は当方が記念講演をさせていただきました。同じ10月には、鎌倉の笛ギャラリーさんで、「回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情」展。書家・金子大蔵氏の作品展「第三回金子大蔵書展-近代詩文書の可能性を探る(高村光太郎の詩を書く)」も10月でした。金子氏が、やはり光太郎の詩を題材にしていた金子鴎亭のお孫さんだと、最近まで知りませんでした(汗)。
 
また、10月には十和田湖畔に観光交流センター「ぷらっと」がオープン。光太郎作の「乙女の像」関連の展示に協力させていただきました。
 
音楽系ですと、 「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」が5月にありました。また、テルミン奏者の大西ようこさんが中心となり、9月にはPrhymx(ぷらイム)「もうひとつの智恵子抄」、10月にはotoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』。大西さんは11月の第59回高村光太郎研究会にもご参加下さいました。
 
その他、光太郎智恵子、光雲に少しだけ関わるイベント、書籍の出版、音楽CDリリース、テレビ放映などなど、細かく紹介出来ませんが、いろいろとありました。ありがたいかぎりです。
 
反面、残念だったのが訃報。光太郎の令甥で、高村光太郎記念会理事長だった写真家の高村規氏、令姪のお嬢さんで、歌手だった高村亜留さんが亡くなりました。また、俳優・高橋昌也さん、女優・松本典子さん、作家・渡辺淳一さん、李香蘭こと山口淑子さんも。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
 
最後に、一昨年の大晦日にも同じことを書きましたが、今年1年、皆様からいただいた郵便に貼ってあった切手を切り取り、使用済み切手を収集している団体-公益社団法人日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)さんに寄付、同会サイトに寄付団体として名前を載せていただきました。
 
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昨年も寄贈したのですが、昨年はうっかり差し出し人欄に、高村光太郎連翹忌運営委員会代表として当方の名前を書いたラベルを貼ってしまい、そうすると個人名は掲載しないという同会サイトの方針で、載せていただけませんでした。
 
さて、今年も残すところあと数時間。来年もよろしくお願い申し上げます。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月31日
 
昭和45年(1970)の今日、TBS系テレビで放映されていた「花王愛の劇場 智恵子抄」が最終回を迎えました。
 
光太郎役は故・木村功さん、智恵子役は佐藤オリエさんでした。
 
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上記は番宣用のスチール写真と、角川文庫の佐藤春夫著『小説智恵子抄』カバーです。佐藤さんのお父様は彫刻家・佐藤忠良。光太郎に心酔していた一人でした。
 
さて、昨年は【今日は何の日・光太郎】、今年は【今日は何の日・光太郎 補遺】ということで、365日×2、のべ730日分のエピソードを紹介して参りました。時には苦し紛れのネタもありましたが、つつがなく2年間書き続けることができました。ご愛読ありがとうございました。

昨日の『山陽新聞』さん掲載のコラムです。『朝日新聞』さんでいえば「天声人語」にあたる欄でしょうか。昭和22年(1947)の、花巻郊外太田村山口の山小屋で書いた光太郎日記が引用されています。

[滴一滴]   

 〈一月七日 午前まだあたたか。朝食、粥(かゆ)。セリを入れる。七草粥のつもり。雪に埋れて青いものなし。芹(せり)だけ入れる……夜又寒くなる。雲あれど月あかるし。時々雪ふるらし…〉
 「智恵子抄」などで知られる高村光太郎が、晩年の60代のときにつづった日記の一部である。無駄のない、詩的な響きが心地よい。特段変わりばえのしない一日が、何ともきれいに記されるものだ
 年が改まるこの時季、日記が書店の売り場で“主役”になっている。5年や10年連用できるもの、学校での大切な日などを書き込める小学生向け、献立付きの主婦向けなどさまざまだ。日本人ほど日記を書くのが好きな民族はいない、という説もうなずける
 本紙ちまた欄にも、日記を習慣にしている人の投稿がしばしば登場する。30年、50年と続けている人もいる。もう立派な「自分史」「家族史」だろう
 流儀はさまざまだ。楽しいこと以外は書かない。あるいは誰にも言えない愚痴を文字に託す。毎日欠かさぬのが目標という人もいれば、何日分かのまとめ書きを勧める声もある。記憶をたどり、出来事を思い出そうとする努力は脳を活性化させるという
 ブログなどを楽しむ「ネット派」も隆盛だが、心を静めて向き合う手書きの日記帳にはぬくもりがある。つづる文字もどこか優しい。
 
いかにもいよいよ年の瀬、という内容ですね。
 
そこで、今日、明日と2回にわたって、今年1年を振り返ってみます。
 
今年、平成25年(2013)は、光太郎生誕130年ということで、色々と大きな動きがありました。
 

早速手前味噌で申し訳ありませんが、0064月2日、第57回連翹忌を当会主催にて開催し、多くの方にお集まりいただきました。
 
 
5月には先の日記が書かれた花巻郊外の高村山荘近くに、元の歴史民俗資料館をリニューアルして、高村光太郎記念館が仮オープンしました。元々、昭和41年(1966)、近くにこじんまりした記念館が建てられましたが、そちらが手狭となり、設備も整っていないための措置でした。仮オープンは例年行っている高村祭の日に合わせ、渡辺えりさんに記念講演をしていただきました。007
おかげさまで入場者数も伸び、さらに今年から通年開館。来年以降も本格整備が続きます。ぜひ足をお運びください。
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6月から12月にかけ、『生誕130年 彫刻家高村光太郎展』が、千葉市美術館さん、岡山井原市田中美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんで巡回008開催されました。ひさしぶりの大規模な光太郎展ということで、いろいろなメディアで取り上げて下さり、3館累計でのべ4万人超の方に御来場いただきました。最後の碧南では、会期終了を待たずに図録が完売とのこと。ありがたいやら申し訳ないやらです。

千葉


10月にはNHKさんの「日曜美術館」で光太郎を取り上げて下さいました。題して「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」。 なかなか好評だったようです。
日曜美術館、10月6日の放送。
「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」。
ネタバレ注意、「日曜美術館」。
レモン忌報道/「日曜美術館」。

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それぞれの関係者の皆様、お疲れ様でした。当方も微力ながらそれぞれに関わらせていただき、望外の喜びです。
 
他にも光太郎智恵子・光雲に関わる展覧会、出版、テレビ放映、公演等、たくさんありました。とりあげてくださり、ありがとうございました。
 
明日もこの項、続けます。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月30日

平成3年(1991)の今日、長く北川太一先生のお手伝いをされていた堀津省二氏が亡くなりました。
 
北川太一先生が刊行されていた頃の『光太郎資料』、そこから生まれた何冊かのご著書、当方も活用させていただいて居ります。

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