カテゴリ:彫刻/絵画/アート等 > デザイン

facebookを開いていたところ、気になる広告が。
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地図柄ケースが続々登場! 全国1000都市からあなたの街を探してみよう!」だそうで。

展開しているのはクロスフィールドデザインさんという会社で、商品名は「Crossfield(クロスフィールド)」。

普段は情報ツールとして接している「地図」。そこには暮らす人や旅した人の様々な思い出が交差して詰まっています。人それぞれ、好きな街や懐かしい街への思いを身近なグッズとして近くに感じてほしい。そんな気持ちからクロスフィールドはラインアップを広げていきます。」ということで、日本全国の主要都市約1,000の地図をあしらったスマホケースだそうです。
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光太郎智恵子ゆかりの地について、探してみたところ、ありました、ありました(笑)。
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光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市。それから智恵子のふるさと、福島県二本松市

花巻疎開前に光太郎のアトリエ兼住居があった文京区千駄木。23区内はかなり細かい区割りになっています。
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それから古地図も(右上)。1860年の江戸だそうで、安政7年、途中で改元があって万延元年です。光太郎の父・光雲は嘉永5年(1852)の生まれですから、その頃ですね。

千葉県では、大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った犬吠埼を含む銚子市。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年余り療養した九十九里
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光太郎最後の大作「十和田湖湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖はないかと思って探しましたが、残念ながら十和田は市街のみが印刷されていて、郊外の十和田湖までは範囲に入っていませんでした。

ぜひご自分の街、気になる街をお探し下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后畑仕事。 ジヤガイモ六うねばかりいける。紅丸。人糞をほどこしたものの上へわらや木の葉まじりの土をかぶせその上へ中くらいのイモは丸のまま、大なるは半切にして置き、土をかぶせる。灰を少しかけて置く。

昭和21年(1946)4月28日の日記より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋生活、いよいよ本格的に農作業の始まりです。

フェイスブックで広告が出ていまして……

レモン哀歌 ロングスリーブTシャツ

突っ込みどころ満載のワンフレーズシリーズです。

アイテム本体 ロングスリーブTシャツ 5.6オンス
素材・材質  綿100%(ミックスグレーのみ:綿90%・ポリエステル10%)

定価2,340円+税(一部カラーでは、発色をよくするために下地に白インクを用いるので価格が高くなります。)
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ロングスリーブTシャツの他に、パーカー、半袖Tシャツなども。また、「ガリリと噛んだ」レモン哀歌以外にも、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」シリーズも。
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こちらは「SUZURI」さんというサイトでの提供商品。少し前にご紹介したサコッシュなどもそのようですが、個人でデザインし、作成・販売が出来る「無料オリジナルグッズ」的なもののようです。

突っ込みどころ満載」、確かにその通りですね(笑)。突っ込まれる勇気のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后二時花巻病院の災害時に敢闘せし職員の表彰式に出席 昨日書きたる詩を朗読す。

昭和20年(1945)9月5日の日記より 光太郎63歳

災害」は8月10日の花巻空襲、「昨日書きたる詩」は「非常の時」です。

光太郎の疎開に一役買った佐藤隆房が院長を務めていた総合花巻病院では、医療従事者達が自らの危険を顧みず負傷者の救護に当たり、のちにその話を聞いた光太郎はその奮闘を讃え、詩「非常の時」を贈りました。今年、その内容がコロナ禍に立ち向かう医療従事者にかぶるということで、今年また注目を集めました。

レジ袋有料化に伴い、マイバッグ持参の習慣がついた方も多いのではないでしょうか。

そこでおそらく新製品と思われるバッグ系。もちろんここで紹介するので光太郎がらみです(笑)。

まずエコバッグ

文学作品エコバッグ 道程モチーフ

高村光太郎の詩集『道程』の一節、「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」をイメージしたデザインです🚶🏻‍♂️🛤 シンプルで使いやすさ抜群🌟

サイズは、縦33㎝×横28㎝。ファッション誌3冊程度が楽々入るサイズです📚 持ち手も肩にかけられる便利な長さ♪お値段は書店様によって異なりますが、約100円〜150円のお得な価格で多く販売いただいております!是非シリーズコンプしてください♡

発売元/文学の雑貨  
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「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」を英訳した「No way before me./A way behind me.」という文字がプリントされています。

他に、「ウォールデン 森の生活モチーフ」、「赤毛のアンモチーフ」、「銀河鉄道の夜モチーフ」、「ハムレットモチーフ」、「こころモチーフ」。それぞれかなりシャレオツですね。
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取り扱い店舗の一覧はこちら

続いて、一回り小さく、肩に斜めがけするタイプのサコッシュ

高村光太郎/智恵子抄/山麓の二人/わたしもうぢき駄目になる/サコッシュ

素材:綿100% キャンバス 280g/㎡
本体サイズ(mm) 300 × 230 紐の長さ(mm)  1,050 容量  0.7L
価格 ナチュラル/ライトグレー ¥2,530  ブラック ¥2,770
発売元/イニミニマニモ
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発売元のイニミニマニモさん、以前にもTシャツでご紹介していました。

その後も新商品を色々出されているようで、「山麓の二人」バージョン以外に「文学者ボックスロゴ 高村光太郎」バージョン、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る-座右の銘-」バージョンで、サコッシュ、トートバッグ、Tシャツ、パーカーなど、多くのラインナップが用意されています。中には持ち歩いたり身につけたりするにはちょっと勇気が要るかな、というものも(笑)。
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勇気のある方、ぜひお買い求め下さい(笑)。

【折々のことば・光太郎】

仕事しつつ自ら己れを見るにいかにしても天才とは見がたきのみか器用ともゆるしがたし。是非もなき事なれど口惜しからでやは。さもあらばあれ、勉めて止まず、倦まず撓まずすゝみゆかば遂には彼岸に達し得ん。否達せしめからざるべからず。

明治36年(1903)4月11日の日記より 光太郎21歳

光太郎の自己に厳しい性分は若い頃から如実だったのですね。

最近手に入れた古いものシリーズです。

講談社さんで2000年代はじめまで発行されていた雑誌というかムックというか、『きものと着つけ』。「'96」となっていますが、平成7年(1995)の発行です。どうも年刊だったようですね。

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女優の故・池内淳子さん監修ということで、「「智恵子抄」の詩を加賀友禅に」というコーナーが11ページにわたって掲載されています。加賀友禅の作家さん6名が、「智恵子抄」所収の詩からインスパイアされた着物を制作、池内さんがそれを見て回るというコンセプトです。

作家さん6名が2点ずつ、うち1点は共通課題で詩「人に」をお題に「いのち」と題する作品、そして6名それぞれが別々の詩をテーマに制作。特にコンテストとかいうわけではありませんが、ある意味、競演ですね。

柿本市郎氏で「ゆき(「深夜の雪」より)、浅野富治男氏は「裾野(「山麓の二人」より)。
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中町博志氏が「桜若葉(「あどけない話」より)」、白坂幸蔵氏の「松風(樹下の二人)より」。
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由水煌人氏作「やすらぎ(「郊外の人に」より)、毎田健治氏による「千鳥(「風にのる智恵子」より)」。
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画像は省略しますが、それぞれの詩も載せて下さっています。

華やかな中にも漂う気品、凛々しさ、清楚な感じ、優美さ、しかしどことなく感じられる哀愁、透明感、清澄さ……すみません、ボキャブラリーが貧弱でうまく表現できません(笑)。

同じようなコンセプトで行われたであろう展覧会と思われるものの図録も持っています。こちらは数年前に入手しました。題して「智恵子のきもの」。

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こちらは京友禅の作家さんたちのグループ「彩遊」さん8名によるもので、会場は高島屋百貨店。ただ、奥付が無く、いつのものかわかりません。写真(光太郎令甥の写真家、故・髙村規氏撮影)の感じから、やはり80から90年代のように思われますが。また、高島屋さんも何処の店舗だったのか不明です。ネットで調べても情報が出て来ませんでした。

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特定の詩をイメージしたものではなく、「智恵子抄」全体へのオマージュ、ということのようです。智恵子の紙絵ふうのデザインが採られている作品もあります。図録には作家で『智恵子飛ぶ』という小説も書かれている津村節子さんによる解説文[「智恵子の紙絵」も掲載されています。

こちらの作も、それぞれにあでやかに、たおやかに、そしてきりりと上品な風合いがエレガント、さらには天真爛漫な感じも受けますし、京友禅ということで雅やかとも言えるような気がします。

この手の二次創作、最近はあまり見かけないように思われ、残念です。まぁ、景気の動向等にも左右されましょうし、今後の日本経済の動向にも期待したいところですね。

【折々のことば・光太郎】

日本固有の服装と、西洋服との両方があれば、それで二重の喜びになる。西洋婦人の持たない喜びになる。

散文「美術家の眼より見たる婦人のスタイル」より
 明治43年(1910) 光太郎28歳

雑誌『婦人くらぶ』に掲載された文章の一節です。明治末、ようやく婦人たちが洋装をはじめた頃のもので、和装を捨て去る必要はないし、逆に和装にこだわるべきでもなく、併用しましょうという提言です。

和装が廃れつつある現代、「二重の喜び」「西洋婦人の持たない喜び」、多くの皆さんに味わってほしいものです。といっても、なかなか和装はハードルが高くなってしまった感は否めませんが……。当方もしばらく着物に袖を通していません。

新潮社さんのオンラインショップで見つけました。おそらく新たにラインナップに加わったのかな、と。 

ブックカバーにも便箋にも。使い方はあなた次第の5枚セットです!

新潮社に所縁のある模様+文豪トートと同じイラストの5種類の包装紙を封入。使い方しおり付きです!

・緑の孔雀:
 1914(大正3)年から刊行された第一期新潮文庫の見返しにあしらわれていたマーク。
・金の潮:
 「潮」の文字を図案化したマーク。
 1922(大正11)年、12,016点の応募作品の中から、高村光太郎らの審査員によって選ばれた。
・水色の木と鳥:
 1933(昭和8)年から刊行された第三期新潮文庫の裏表紙にあしらわれていたマーク。
・灰色のぶどう:
 戦後の1947(昭和22)年に復刊された第四期新潮文庫の本扉にあしらわれていたマーク。
・黄色の文豪イラスト:
 芥川龍之介、川端康成、太宰治、夏目漱石、松本清張、三島由紀夫。
 イラストレーター柳智之 による書き下ろし。

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1922(大正11)年、12,016点の応募作品の中から、高村光太郎らの審査員によって選ばれた。」という「「潮」の文字を図案化したマーク」。最後の画像に使われているものです。

筑摩書房さん『高村光太郎全集』別巻の光太郎年譜、大正11年(1922)の項に、光太郎らによる審査という記述がなく、この件は存じませんでした。

また、「こんなデザインがあったのか」という感じでしたが、改めて手元にある新潮社さんの古い出版物を調べてみたところ、随所に使われていました。これまで気に留めていませんで、汗顔の至りです。

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左から、昭和8年(1933)発行の新潮文庫『大正詩選』検印紙。同じ検印紙は昭和2年(1927)の『昭和詩選』、同4年(1929)の『現代詩人全集第九巻』にも使われていました。さらに『大正詩選』では、上記包装紙の別バージョンにあしらわれている「木と鳥」が裏表紙に。

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左から二番目は、昭和28年(1953)刊行の『高村光太郎詩集』(伊藤新吉編)裏表紙。

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右から二番目で、昭和30年(1955)に出た新潮文庫『詩集 天上の炎』検印紙。ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンのもので、光太郎訳です。光太郎の表記では「ヴェルハアラン」ですが。

一番右は、光太郎遺著の一つ、『アトリエにて』(昭和31年=1956)カバー。

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戦後もしばらく使われていたのですね。

さて、「新潮社オリジナル包装紙」、なかなかシャレオツです。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

翁と亡父光雲との対話を傍聴してゐる時は面白くたのしかつた。亡父は耳が相当に遠かったし、翁は純朴な東北弁まる出しであつたから、話は時々循環してその尽くる所を知らなかつた。今や、翁も父も此世に亡い。

散文「『青沼彦治翁遺功録』序」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

青沼彦治は宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で酒造業を営んでいた素封家。その銅像制作が大正14年(1925)、光雲に依頼され、光太郎が原型制作に当たりました。像は戦時中の金属供出のため現存しませんが、光太郎らの名が刻まれた当時のプレートを貼った台座は残っています。

青沼と光雲の会話の様子、ほほえましいものがあります。「時々循環して」、「あるある」ですね(笑)。

智恵子の故郷、福島・二本松からのニュースです。 

アマビエ夏マスク新作6種、17日発売 富樫縫製と民報印刷

 二本松市の富樫縫製と福島市の民報印刷は、夏向きの「アマビエマスク」の新作を十七日、発売する。販売する施設のある地域の特徴に合った色やデザインを採り入れた六種類の「ご当地マスク」で、数量限定となる。
 新作は落ち着いた色合いの二種類の「雅」、水色にアマビエを白抜きした「空」と黄色に白抜きの「レモン」、ピンクに白抜きの「桃」と白地に桃を持ったアマビエをデザインした「ピーチ」。
 「雅」は福島市のコラッセふくしま内の県観光物産館、高村光太郎の詩集「智恵子抄」からヒントを得た「空」と「レモン」は二本松市の道の駅安達上下線、「桃」と「ピーチ」は桃の産地で知られる国見町の道の駅国見あつかしの郷でそれぞれ販売する。今後、取扱店を増やす方針。
 デザインは民報印刷が担当した。一枚千百円(税込み)。
 富樫縫製の富樫三由社長は「新デザインのアマビエマスクで地域の活性化も応援する。今後もご当地マスクのアイデアがあれば取り組みたい」と話す。

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見ると疫病予防になるというアマビエ。全国的に新商品ブームなのでしょうか。なぜかコロナ禍拡大後、二本松の道の駅「安達」智恵子の里さんで、いろいろなアマビエグッズが新しくラインナップに加わっていましたが、ついにアマビエと光太郎智恵子のコラボが実現しました(笑)。「空」と「レモン」……無理くり感が否めないような気もしますが、良しとしましょう(笑)。

花巻高村光太郎記念館さんの「正直親切」マスクともども、よろしくお願いいたします。

7/22追記 アマビエマスク、お父様(故・大山忠作画伯)が二本松ご出身の一色采子さんからの情報で、「日本橋の福島物産館ミデッテにある」というお話でした。



【折々のことば・光太郎】

彫刻は空間を見るんですネ。像が一人のときは真中が主になるが、二人以上の群像になると、二人の間にできるスキ間に面白味があるんですよ。

雑纂「高村氏制作の苦心語る “見て貰えば判ります”
 像の意味は言わぬが花」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

一昨日、昨日に引き続き、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」序幕に際して。今日の分は除幕式前日、仕掛け人の一人、佐藤春夫と光太郎へのインタビューの一節です。

国際ファッション専門職大学教授・髙橋幸次氏によれば、光太郎彫刻は単体の物でも、周囲の空間との関係性を非常に重視した構造になっているとのことで、群像となると、さらにその傾向が強くなるのでしょう。もっとも、現存が確認できている光太郎彫刻で群像といえるのは、「乙女の像」と木彫の白文鳥(昭和6年=1931頃)のみですが。

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このところ、2週間おきぐらいにこの手の投稿をしているような気がしますが、光太郎の名がでた新聞雑誌の記事を数本。

まずは『毎日新聞』さん高知版。11月11日(日)の掲載です。 

支局長からの手紙:僕の後ろに道は /高知

 久しぶりのいい知らせでした。弊社003主催の毎日農業記録賞で、高知市の農業、吉村忠保さん(46)が中央審査委員長賞に輝きました。46回目となる今年、一般部門には218編の応募があり、4段階にわたる審査を経て、吉村さんの「つなぐということ~中山間地域からの情報発信」が最優秀賞に。食用の花「エディブルフラワー」に着目し、軌道に乗せるまでの経緯をつづりました。応募の時点から優れた内容だと思っていましたが、全国トップの賞、さらに農林水産大臣賞までとは想像しませんでした。
 「ひと」で紹介するため、土佐山弘瀬の自宅を訪ねました。高知市に移り住んだ者にとって、土佐山地区の険しさには驚かされます。市街地からほんの30分走っただけでまるで秘境。山が迫り、巨岩の転がる谷が広がります。そんな鏡川沿いの自宅で吉村さん夫妻が出迎えてくれました。
 エディブルフラワーは生食のため、できるだけ農薬の使用を控える必要があります。先輩農家を訪ね、工夫を重ねてようやく栽培できるようになったそうです。しかし売れません。直売所に持って行っても「花が食べれるがかえ?」と聞かれるばかり。それでも日曜市に店を構え、シェフなどの間に少しずつ広まっていきました。
  「自分たちが作ったものを『可愛い』『面白い』とお客さんが買ってくれる。喜んでもらえる顔を見ることが何よりうれしい」。2人はホームページで積極的に情報を発信し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も駆使して販売網を広げています。お小遣いを握りしめた女の子が、日曜市で買ってくれたことが忘れられないと言います。
 吉村さんには多くの顔があります。かつて役場に勤務し、村議やサラリーマンの経験もあるそうです。現在は農業だけで生計を立てており、高知市中心部の農協特産センター「とさのさと」の出荷者協議会会長としても活躍します。本業とは別にアマチュア劇団で舞台監督の顔もあるそうです。
 そんな経歴をお聞きし、失礼ながら「こういう人こそが新しいことに挑戦するのだろう」と感じました。好きな言葉を伺うと、「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」とおっしゃいます。ご存じ、高村光太郎の詩です。本人も自覚しているのだ、と心の中で拍手を送りました。
 そんな吉村さんには大切な助っ人がいます。摘み取った花を加工し、SNSに写真をアップし、商談会や日曜市にいつも同行する妻の奈々さん(40)です。吉村さんが「奈々なしではできない」と言うほどのおしどり夫婦ぶりです。受賞作では女性を農業経営に参画させる必要性、女性ならではのセンスの重要性も説きました。
 地元のテレビ番組でも取り上げられ、エディブルフラワーは大きな注目を集めています。しかし市場規模はまだ小さく、吉村さんでさえ収入全体の3分の1を占める程度だと言います。今後の目標を伺うと、「加工用のユズ、直売所向けの野菜と合わせ、全体の出荷額を上げていきたい。農業は面白い。それをぜひ伝えたいのです。障害のある子どもたちが生き生きと畑で働いている姿を見たことがあります。そんなこともいつかやってみたい」。道は切り開いていくもの。その言葉に実感がこもっています。 【高知支局長・井上大作】

毎日農業記録賞は、「農」「食」「農に関わわる環境」への関心を高めるとともに、それそれに携わる人たち、これから携わろうとする人たちを応援する賞だそうです。

何と言っても「食」は人間生活の根本にかかわる事柄ですし、「食」に直結する「農」に携わる皆さんには、本当に頭が下がります。


続いて同じ『毎日新聞』さんの石川版、11月22日(木)。 

沢知恵さん、詩人・永瀬清子を歌う ハンセン病療養所が結ぶ2人 24日、金沢 /石川

 金沢市で少女時代を過ごした詩人、永瀬清子(1906~95年)の作品を、歌手の沢知恵さん(47)が歌うライブが24日午後2時から、金沢市柿木畠のジャズ喫茶「もっもっきりや」 である。2人に面識はないが長く瀬戸内のハンセン病療養所に通い、詩を通じて入園者と交流したという共通点がある。沢さんは「金沢が育てた永瀬の世界に触れてもらえたら」と語る。
 永瀬は岡山県赤磐市出身で、幼少期から16歳までを金沢で過ごした。高村光太郎らと共に、宮沢賢治の遺稿から「雨ニモマケズ」を見い出した逸話が知られる。第二次世界大戦末期、戦火を逃れ東京から赤磐に戻ってからは、約40年間にわたり、 岡山県・長島にあるハンセン病療養所に通って入園者に詩を指導した。
  一方、沢さんは牧師の父に連れられ、生後6カ月で香川県・大島のハンセン病療養所「 大島青松園」を訪問。子供を持つことを禁じられた入園者たちに我が子のように可愛がられたという。東京芸術大在学中に歌手デビューし、2001年から毎夏、青松園でコンサートを開催。同園のハンセン病回復者で、高見順賞を受賞した詩人の故・塔和子と交流を深めた。14年に「高齢の回復者の最期の時に寄り添いたい」と千葉県から岡山市に引っ越し、大島と長島に通う。 沢さんは、「誰もが尊重され、自分の人生を全うできる世の中であってほしい」と願ったという永瀬の詩を「歴史文化に培われた金沢の繊細さと、岡山のどっしりした面がある。 震えるような感性の言葉がちりばめられている」と評する。
 24日のライブはピアノ弾き語りで、塔の作品も歌う。ゲスト出演は親交のあるフォークシンガー、中川五郎さん。

岡山県赤磐市出身の女流詩人で、昭和15年(1940)刊行の詩集『諸国の天女』の序文を光太郎に書いてもらうなどしている永瀬清子の紹介に、光太郎を使って下さいました。


お次は『福島民友』さん。11月23日(金)の記事です。 

包装紙完成「ほんとの空は希望のブルー」 12月から小売店活用

 県産品の風評払拭(ふっしょく)に向け、NPO法人ふくしま飛行協会などが開発していた包装紙のデザインが完成した。同NPOの斎藤喜章理事長が22日、県庁で鈴木正晃副知事に報告し「風評払拭の新たな手段としていきたい」と語った。
 包装紙は約1万部作製。お歳暮シーズンに合わせ、12月1日からJAふくしま未来、県生活協同組合連合会などの県内小売店で活用される。青を基調としたインパクトのある包装紙が県内外にお歳暮と一緒に届くことで、風評払拭と県産品の魅力拡大を狙う。
 デザインは福島ガイナの村上愛美造形部クリエーターが担当。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青をイメージして蒼龍を描き、福島市の書道家半沢紫雪さんが「ほんとの空は希望のブルー」と揮毫(きごう)した。
 報告を受けた鈴木副知事は「さまざまな方の協力を得て完成した素晴らしいデザイン」と取り組みに感謝した。同NPOの甚野源次郎顧問、JAふくしま未来の菅野孝志組合長、県生活協同組合連合会の佐藤一夫専務理事、村上さん、半沢さんが一緒に訪れた。
 包装紙のデザインは29日の福島民友新聞社などに全面広告で掲載される。

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今年6月に、「ほんとの空」をイメージした包装紙を開発するという記事が出まして、それが完成したそうです。「蒼龍」というより「恐竜」という気がしますが(笑)。


さらに11月26日(月)の『福島民報』さん。11月18日(日)に開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」の模様が報じられています。

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写真は優秀賞に輝いたいわき市の吉岡玲子さん。「人類の泉」(大正2年=1913)を朗読なさいました。


最後に雑誌『月刊絵手紙』さん。12月号の連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」。昭和28年(1953)の講演会筆録「美と真実の生活」から。

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昭和26年(1951)、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に逼塞していた当時の写真が添えられています。


高村山荘といえば、隣接する花巻高村光太郎記念館さんで、来月から新たな企画展が始まります。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

批評の照射は批評家の放出する光線の仕業である。その光線が在来通りならば照射されるものも亦在来の映像を露呈する。その光線が未知のものであれば、其処に未見の存在が現出する。批評家とはこの世の未知をおびき出していち早く存在の新生面を人間界に齎すもののことである。

散文「富士正晴詩人論集序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

なるほど、眼の曇った批評家にかかれば、作家の新しい面などには眼が向きません。的確な批評というものの必要性は、光太郎の言う通りですね。

とは言う条、批評のための批評、何とか新しい事を言わねばと無理くりひねり出した批評、批評という名の自己顕示、自分の事を棚に上げての批判のみに終始する批評などは、勘弁してほしいものです。

昨日に引き続き、いただきものです。  

続装丁家で探す本 追補・訂正版

2018年6月20日 かわじもとたか著 杉並けやき出版発行 星雲社発売 定価6,000円+税

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むかしの装丁家だから活字で残したい−。装丁家430人の装丁本9100冊の情報を掲載。「ブログで探す装丁本」「田村泰次郎「肉体の門」の装丁家たち」など、装丁家について記した装丁挿話も収録。両開き本。【「TRC MARC」の商品解説】


労作です。光太郎を含む近現代の芸術家たちが誰のどんな本の装幀を手がけたのか、そのリストがメインです。その数429名、9,000冊余のデータが記され、456ページです。さらにそれと別にエッセイ的な「装丁挿話」167ページが掲載されています。

平成19年(2007)に正編が刊行され、今回その続編ということですが、こうしたリストを一冊にまとめたものの類例がないということで、貴重な資料です。

光太郎に関しては、協力させていただきました。筑摩書房さんの『高村光太郎全集』別巻に、光太郎のそれのリストが載っていますので、その情報を提供しました。しかし、『高村光太郎全集』のリストは、「装幀・題字」で、書籍全体の装幀ではなく、題字のみ光太郎の揮毫というものも一緒に掲載されています。そこで、明らかにそういうものは除かれています。ただ、書籍によっては光太郎の関与の度合いが不明のものも多く、装幀まで手がけているのか、題字揮毫のみなのか不明というものも実は多く存在します。

著者のかわじ氏と書簡やメールのやりとりをした中で、とにかく日本では装幀者の扱いが低い、と言うことを嘆かれていました。正編の方の「TRC MARC」さんの商品解説では、「個人名の付いた美術館で何故装丁本を集めないのか? 図書館では何故、装丁家で本が探せないのか?」とありますが、まさにそのとおりですね。

昨今は少しずつ状況が改善されてきているようで、たとえば神奈川近代文学館さんのサイトの蔵書検索ページでは、雑誌を除く図書で「装幀・挿画者名」での検索が可能になっていますし、日本近代文学館さんのサイトの検索ページでも、個々の図書の注記欄に「装幀・誰々」と記述があればフリーワード検索で引っかかります。また、各地の文学館さんでも装幀に的を絞った企画展等が散見されます。しかし、確かにまだまだですね。

ちなみに光太郎に関しては、昭和48年(1973)、春秋社発行の『高村光太郎 造型』(『高村光太郎選集』別巻)に、その時点で把握されていた光太郎装幀、題字揮毫の書籍の図版が全て掲載されていますし、平成12年(2000)に静岡アートギャラリーさんで開催された「高村光太郎の書 智恵子の紙絵」展で、光太郎装幀、題字揮毫の書籍を多数展示して下さいました。

どうも当方の感覚としては、全体の装幀を手がけたものと、題字揮毫のみのものと、厳密に区別する必要性をあまり感じません。ただ、光太郎にしてみれば、題字を揮毫してあげたのに、装幀全体は気に入らない、みたいなケースはあったかもしれません。カラフルな表紙の色と、光太郎の枯淡的書体が合っていないと感じる書籍も実在します。

いずれにせよ、かわじ氏の提唱される「装幀者の地位向上」的な動きは、もっとあっていいと思われます。

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【折々のことば・光太郎】

人物がよく把握されており、瑣末的技巧におちいらず、彫刻としての構造も堅固であり、動勢も強く、全体としての魅力に富み、生きている。この生命観がその頃の一般彫刻に欠けていたのである。

散文「荻原守衛 北條虎吉肖像」より 
昭和26年(1951) 光太郎69歳

盟友・荻原守衛の作品評ではありますが、結局、光太郎自身が目指す彫刻の在り方が表現されているような気がします。

こういうケースは結構あるように思われます(文学系でも)。

昨日に引き続き、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻からの情報です。

地元紙『岩手日日』さんから。 

地域の魅力 色鮮やかに ギャラリーBun 多田さんがポスター展 花巻

 花巻市の元教諭で絵画サークル講師多田民雄さん(83)の作品展は、同市円万寺のアートスペース・ギャラリーBunで開かれている。地域の自然や名物に目を向け、色鮮やかなポスターに仕上げた20点を展示。多くの市民らが会場に足を運び、花巻の魅力を再確認している。25日まで。
 同市高松にアトリエを持つ多田さんが、なめとこ山や胡四王山などを描いた「イーハトーブの山々」シリーズなどを出品。ほかに高村光太郎記念館や花巻人形、早池峰神楽などを題材とした作品も並ぶ。サイズは変形10号、ポスターカラーを用いて描かれている。
 このうち「花巻で良かった」は、マルカンビル大食堂のソフトクリームを紹介した一枚。名物の10段巻きに客の満足顔を重ねた仕上がりがほほ笑ましく、ひときわ鑑賞者の目を引いている。
 多田さんは同市高松生まれで、花巻中学校に15年間勤めるなど、長年古里の教育に尽力。花巻への愛着もひとしおで、「病気をした時に先輩教師に冬のくらかけ山に連れて行ってもらい、大自然に感動した。若い頃は自分のことばかりだったが、今は周囲に生かしてもらっているという思いが強い」と、地元に寄せる思いを語っている。
 午前11時~午後5時。火、水曜休廊。問い合わせは同ギャラr-=0198(23)7275まで。

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まったく花巻は絵になる場所や風物の宝庫です。

記事にあるマルカン大食堂のソフトクリーム、当方も一度、作法に従い割り箸で頂きました(笑)が、「ハンパない」の形容がぴったりです。

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上記は、昨年創刊された花巻の情報誌『まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんから。


郊外旧太田村の、光太郎曰く「ここの疎林がヤツカの並木で、/小屋のまはりは栗と松。」(詩「案内」昭和24年=1949)という、緑に囲まれた山小屋(高村山荘)、高村光太郎記念館も、非常に絵になるビュースポットですね。

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ぜひ足をお運びください。

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【折々のことば・光太郎】

彼の群像のグルウピング、彼の人物のポオズの動勢。さういふものが皆彫刻家たる私を打つ。彼の画を見るといつでも強い電撃のやうなものを、私自身の彫刻本能にうける。あんな美しい感じの彫刻を一つでも作りたいと思ふ。

散文「ブレエクのイマジネエシヨン」より
 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「ブレエク」は、ウィリアム・ブレイク。18~19世紀の英国人画家です。ダンテの『神曲』の挿画を描いたことで知られています。

おそらく光太郎が傾倒したロダンも、大作「地獄の門」制作に際して参照したのではないでしょうか。

昨日まで「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」関連の記事を書き続けましたが、もう一日、福島関連で。植樹祭とは別件ですが。

地元紙『福島民友』さんの記事です。 

プライドブルー...『ほんとの空』イメージ 6次化商品用デザイン

 NPO法人ふくしま飛行協会は本年度、「プライドブルー」と称した包装紙デザインを開発する。本県の「ほんとの空」などをイメージしたブルーで、県内の6次化商品のラッピングに用いて県産品の風評払拭(ふっしょく)やブランド力向上を目指す。10月にデザインを発表する。同NPOの斎藤喜章理事長は「県内にはいい商品がたくさんある。パッケージの面でお手伝いしたい」と話している。
 斎藤理事長が8日、福島民友新聞社を訪れ、明らかにした。県のふるさと・きずな維持・再生支援事業の採択を受けた「ジュエリーふくしま」事業の一環として取り組む。
 プライドブルーは包装紙デザインの総称で、商標登録して県民が誰でも使用できるようにする方針。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青が、県民にとって誇りであることなどから名称を決めた。
 同NPOは3日に開いた総会で本年度事業計画を決めた。ジュエリーふくしま事業のほか、市内の小、中学校を上空から撮影し、ふくしまスカイパークの展示場に地図とともに掲示する事業などにも取り組む。また役員改選で、斎藤理事長と猪口春生副理事長、レッドブル・エアレース・チャンピオンシップに参戦している室屋義秀副理事長、大竹隆監事を再任した。任期は2年。
 斎藤理事長は「昨年は室屋選手が大活躍した。航空教室など家族で楽しめる事業も行っていきたい」と語った。甚野源次郎顧問、山本俊平理事補も訪れた。


農林水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を「6次産業」と呼び、そこで生産されるものを「6次化商品」というようです。先週のこのブログでご紹介した安達東高の生徒が作る蜂蜜「あいさつ坂」や、それを使った新商品「安達ハチミツと有機レモンのドレッシング」などもその一例でしょうか。

その「6次化商品」などの包装紙用のデザインに、「ほんとの空」をイメージした「プライドブルー」だそうで、広まってほしいものですね。

デザインはこれから作成され、10月(奇しくも智恵子忌日・レモンの日も10月です)に発表されるようですが、続報に注意していたいと思います。

ちなみに記事の最後の方にレッドブル・エアレース・チャンピオンシップの室屋義秀選手の名が。室屋選手、選手活動だけでなくNPOの役員も務められていたとは存じませんでした。先月末に行われた今年の千葉大会は、残念ながら途中棄権の扱いになってしまいましたが、捲土重来を期してほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

思出は人を古風にする。ああどんなにわかわかしい熱情を以て二十六年前の私達がこれ等の芸術家及び芸術について語り合つたことかと言つてみたい。

散文「二十六年前」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

「私達」は、このところこのコーナーでご紹介している、バーナード・リーチと光太郎です。「これ等の芸術家」は、オーガスタス・ジョン、モネ、ロダン、セザンヌなど。明治末のロンドンで、芸術論を闘わせた若き日々を懐かしんでいます。

昨日のこのブログでは、光太郎自身の書を集めた企画展について触れましたが、光太郎の詩文は、現代の書家の方々もいろいろと取り上げて下さっています。ただ、なかなかネット上に情報がなかったりで、あまり紹介できていません。会期が終わってから、会場風景的に「今回の出品作、高村光太郎の詩の一節です」といったブログ的なものは多いのですが……。

そんな中で、岡山市で開催中の催し。

中村文美作品展〜琥珀の文箱に文字を集めて

期 日  : 2018年1月31日(水) ~ 2月11日(日)
会 場  : CAFE×ATELIER Z 岡山県岡山市南区浜野2-1-35
時 間  : AM11:00〜PM7:00 最終日PM6:00まで
休廊日  : 2/5(月)・6(火)

本と文字。一度は目にしたあの物語を「書」で。
映像や絵画を超えるほどのイマジネーション。
文字とはこんなにも、物語の世界を豊かに表現できるのか…。
”読む”文字から”見て感じる”文字へ。
新しい愉しみ方を体感してください。

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上記画像(ダイレクトメールだそうで)にも使われていますが、光太郎の「冬が来た」(大正2年=1913)が取り上げられています。他に宮沢賢治、ヴェルレーヌなどの詩文も。

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中村文美さんは、広島県福山市ご在住の書家。調べてみましたところ、一昨年の『朝日新聞』さん広島版の記事がヒットしました。

ひとin【福山】 中村文美さん 書家 ◇「書とアート 感性重ねて」

 直径約2・5メートルの円の周囲に002倉敷帆布を巻き、中央上部に船で使う八点鐘がつるされている。「八」の右を大きく波打つように伸ばした「八点鐘」の文字を揮毫しただけでなく、海風と太陽、波がモチーフのデザインにも関わった。
 「海へ続く道の始まり。今年はアートにふれる瀬戸内国際芸術祭もあるので、わくわくした気持ちを込めました」
 書道は小学1年生で始めた。大学時代から取り組むかな書を中心に、伝統的な書の分野で活躍してきた。同じ音(おん)を表すのでも多種の文字のある変体仮名や、重ねたり、くねらせたりもする行の書き方など、表現方法は奥深い。
 大阪市内で20~24日に開かれた第70回日本書芸院展で若手作家10人の1人に選ばれ、「平家物語」をテーマにしたかな書など3作品を出品した。生まれ育った福山市沼隈町の谷には平家の伝説が残る。「古里に縁深い平家物語は私にとって大きなテーマ」。そして平家の谷から瀬戸内海に流れる水にも創作意欲をそそられ、「水」という文字を取り込んだ絵のような前衛的な作品を発表している。
 昨年6月、創作仲間の染色家とパリで2人展を開いた。かな書と「水」の文字を象形化したデザインの扇子、日本画とかな書のびょうぶなど約50作品を展示した。訪れたフランス人から「日本の伝統の匂いがする」と声をかけられ、驚いた。
 書の伝統を尊敬している。「それが私のベース。書とアートを分けるのではなく、伝統の上に自分の感性を重ねています」

 岡山大学大学院修了。福山市沼隈町にアトリエ「すゞり」を構え、「玉葉書道会」主宰。2013年にふくやま美術館で個展「水の音(ね)」を開催、「鞆の浦deアート」展にも毎回出品している。

(2016年04月26日)


こういう方に取り上げていただけると、実にありがたいところです。情報を得るのが遅れ、昨日、中村さんご本人によるギャラリートークだったそうで、申し訳なく存じます。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】003

彫刻家の作る真の肖像彫刻の微妙さは、造型と自然との最も幸福な結合であり、造型の中に自然そのものがあり、自然と見えるものが即ち造型の美である融合の妙趣を持つのである。

散文「素材と造型」より
 
昭和15年(1940) 光太郎58歳

河出書房から刊行された『芸術論 第二巻 芸術方法論』の為に書き下ろされた評論で、掲載誌では58ページある長い文章です。

古今の芸術家について解説した文章では、同じ程度やさらに長いものもありますが、方法論としての評論では、最長のものの一つで、造型作家としての光太郎の骨格がいかにしっかりしたものであったかが如実に表されています。

筑摩書房さんの『高村光太郎全集』第5巻に収録されています。ぜひ全文をお読み下さい。

昨日に引き続き、新刊情報です。

岩波茂雄文集 第3巻

2017年3月27日 岩波書店 植田康夫/紅野謙介/十重田裕一 編  定価4,200 円+税

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全3巻 内容見本より
 一九一三年、神田高等女学校にて教鞭をとっていた岩波茂雄は、その職を辞して神保町の地に古書店を開業しました。出版業の道を歩み始めてのちは、「文化の配達人」を志し、岩波文庫の発刊、講座や全集の刊行などを通して、理想の出版を追い求めました。日中戦争開戦の翌年、一九三八年には、軍国主義化の時局を深く憂いながら、岩波新書を創刊しています。言論弾圧の風潮が高まるさなかでも、その志に変わりはありませんでした。四五年には、敗戦を「天譴」と受けとめ、文化国家再建のために雑誌『世界』を創刊しました。
 日々の仕事のなかで、茂雄は何を思い、いかなる信念を抱いて、出版の未来を展望していたのでしょうか。中学時代の請願書から無条件降伏に触発された最晩年の手記まで、生涯に書き遺したさまざまな文章を年代順に集成します。本文集は、一出版人の軌跡であり、近代日本の学術と文芸をめぐる一つの精神の記録でもあります。

第3巻内容
 創業から三十年を迎えた岩波書店は、戦況の悪化に伴う物資の不足と言論統制のもとで、厳しい経営状況へと追い込まれていく。四四年にはすべての雑誌が休刊、四五年半ばには出版活動の休止を余儀なくされた。戦後の荒廃と混乱のなかで、敗戦を「天譴」と捉えた茂雄は、再出発にあたりどのような決意を抱いていたのか。

目次
 Ⅰ 戦時体制下の出版人 一九四二―四四年
 Ⅱ 貴族院議員となる 一九四五年
 Ⅲ 「文化の配達夫」 一九四六年
 Ⅳ 年代不詳
  解題  主要参考文献一覧  付録  解説 年譜


というわけで、岩波書店さんの創業者、岩波茂雄の全集、その3巻目(最終巻)です。

光太郎と岩波書店さんの縁は深く、昭和8年(1933)には「岩波講座世界文学」シリーズの『現代の彫刻』をまるまる一冊執筆し、6人の共著『近代作家論』ではベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの評伝を寄せています。昭和30年(1955)には美術史家の奥平英雄編で『高村光太郎詩集』が岩波文庫のラインナップに組み込まれた他、光太郎歿後、『ロダンの言葉抄』(同35年=1960)、『芸術論集 緑色の太陽』(同57年=1982)も同文庫で刊行されました。また、同社刊行の雑誌『図書』にも寄稿しています。

そうした縁から、岩波茂雄は光太郎に寄稿以外にもいろいろ依頼をしています。

まず、社章。同社のハードカバーには001、必ず背の下部に印刷されています。ミレーの「種まく人」をモチーフにしたものです。

岩波茂雄の言によれば、

ミレーの種蒔きの画をかりてマークとしたのは、私が元来百姓であって労働は神聖なりという感じを特に豊富に持って居り、従って晴耕雨読の田園生活が好きであるという関係もあり、詩聖ワーズワースの ”低く暮らし、高く思う”を店の精神としたためです。なお文化の種をまくというようなことに思い及んでくれる人があれば一層ありがたい。

とのことです。

同社のホームページには、「「種まく人」のマークについて」ということで、

創業者岩波茂雄はミレーの種まきの絵をかりて岩波書店のマークとしました。茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身で、「労働は神聖である」との考えを強く持ち、晴耕雨読の田園生活を好み、詩人ワーズワースの「低く暮し、高く思う」を社の精神としたいとの理念から選びました。マークは高村光太郎(詩人・彫刻家)によるメダルをもとにしたエッチング。

とあります。

光太郎によるメダルというのがこちら。昭和8年(1933)頃の制作と推定されています。撮影は光太郎令甥の故・髙村規氏です。

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しかし、これは不採用だったと、光太郎自身が語っています。

戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。

と、まぁ、ここまではいいのですが、この後、事態は急転直下します。

ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎の作ったメダルに対し岩波茂雄がダメ出しをして不採用、使われている社章は別の「誰か」が描いたものだというのです。

しかし、同社のホームページにはそのあたりの記述がありません。そこで考えられるのは、「誰か」が誰だか、同社でも不明であるということ。しかし、ブロンズに鋳造されたメダルの現物は同社に残されており(上の画像)、こちらは光太郎作とはっきりわかっていて、さらに岩波茂雄によるダメ出しがあったという事実も忘れ去られ、そんなこんなで、「光太郎の意匠」となってしまっているのではないのでしょうか。

平成5年(1993)、同社から刊行(非売)された『写真で見る岩波書店80年』の扉にも、このメダルの写真がドーンと使われています。

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本来はボツ作品なのですが……(笑)。


さて、寄稿以外の岩波茂雄による光太郎への依頼、もう1件ありまして、そちらについて調べるために『岩波茂雄文集 第3巻』を購入したのですが、もう、今日の記事が長くなってしまったものですから、明日に回します。このブログ、執筆にあまり時間をかけますと、エラーが生じます。ご寛恕のほど。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は遠くを見ながら言ふ、 阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。
詩「あどけない話」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

人口に膾炙しているという意味では光太郎詩の代表作の一つ「あどけない話」。89年前の明日(5月11日)に書かれた詩です。

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故後、福島の復興への合い言葉的に、広く使われるようになった「ほんとの空」の語は、これが出典です。

この詩に関しては繰り返し述べてきたので、さらに繰り返しません。繰り返しませんが、福島に「ほんとの空」が一日も早く戻ることを願ってやみません。

ほぼ毎日、インターネットで24時間以内に更新された新情報をいろいろ調査をしています。

先日、そのうち「智恵子抄」をキーワードに検索をしていたところ、デザインTシャツ等の通販を行っているClubTさんという業者さんのサイトが網に引っかかりました。おそらく新商品なのでしょう。

愛 ハート 福島 二本松 NIHONMATSU  ( i love  福島 二本松 NIHONMATSU  ) ー片面プリント トートバッグS(ターコイズ)

二本松市(にほんまつし)、福島県中通りの北に位置する市。「智恵子抄」に詠われた安達太良山と阿武隈川で知られる。国道4号 国道349号 国道459号 二本松城 - 別名は霞ヶ城、県立霞ヶ城公園にあり、江戸期には二本松藩(丹羽氏)の居城。国史跡。十万三千石。戊辰戦争での悲話、二本松少年隊も有名。

2,305円(税込2,489円)
【発送まで】5営業日程度(土日祝のぞく)
【ボディ】12ozキャンパス
【品番】TM761-ENT
【素材】綿100%

※サイズは横300mm×縦200mm、奥行きが100mmです。

いい感じのバッグですね。

調べたところ、同じClubTさんのサイト内で、いろいろ見つかりました。

同じロゴを使った商品は、バッグ以外にも、Tシャツ、トレーナー、パーカー、スマホケース、エプロン、さらには赤ちゃんのロンパースや、わんこの服までいろいろ取りそろっていました。色もさまざまです。

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すると、どうも日本全国の市町村が網羅されているようで、花巻やら十和田やらのバージョンもいろいろあるようでした。

そして、今日付で、東京電力福島第1原発事故により出ていた居住制限、避難指示解除準備の両区域に対する避難指示が解除された浪江町。町役場さんや、今日付で休校となる浪江高校さんは二本松に移転していましたし、仮設住宅の多くが二本松に建てられています。

その浪江町バージョンはこちら。

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商品説明には「大堀相馬焼きの徳利とぐい飲みに、福島県の象徴の起き上がりこぼしを浪江町民に見立てて絆を表現しました。バックの青空は、お世話になっている二本松の安達太良の智恵子の空と請戸の海をイメージしました。」とありました。うるっときてしまいました。



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なかなかこれを着て歩くのは勇気がいるような気がしますが、イベントなどの際にスタッフで揃えて、というのは有りかもしれませんね。


上記いろいろ、ご購入をご検討ください。


【折々のことば・光太郎】

予約された結果を思ふのは卑しい。  正しい原因に生きる事、 それのみが浄い。
詩「火星が出てゐる」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

大きな決断を迫られるシチュエーションで、ついつい楽な未来をイメージし、無意識のうちにそちらの方へと梶を切ってしまうということが、往々にしてあると思います。

そうではなくて、「思いこんだら試練の道を」。実際に光太郎の人生はそういう状況に満ちていました。見習いたいものです。

十和田湖ネタが続いていますので、もう1件。特産のヒメマス関連で、先週土曜、地元紙『東奥日報』さんに載った記事です。

「十和田湖ひめます」認証店ロゴ決まる

 十和田湖国立公園協会(中村秀行理事長)は3日、「十和田湖ひめます」のロゴマークを発表した。十和田湖ひめますブランド推進協議会が昨年10月に認定した、良質なヒメマス料理を提供する青森県十和田市と秋田県小坂町の「十和田湖ひめます認証店」41店舗に、ステッカーやのぼりとして掲示される。
 ロゴマーク制作は、同協会が同協議会から委託を受けて実施。認証店の投票により決定した。ロゴは、十和田湖を表現した円の中に2匹のヒメマスが元気に跳びはねる様子を表現。それぞれ十和田湖に接する十和田市と小坂町を意味し、乙女の像をも表している。水の波紋は遊覧船をイメージした。十和田市出身の高橋一典さんがデザインした。
 同日、十和田湖畔休屋の十和田湖冬物語の会場で、中村理事長が認証店を代表して木村満さんにステッカーとのぼりを贈呈した。
 「十和田湖ひめます」は2015年1月に地域団体商標に登録され、同協議会などがブランド確立への取り組みを進めている。


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なるほど、向かい合って三角形を構成するフォルムが光太郎最後の大作・乙女の像からのインスパイアというわけですね。

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ヒメマスは、当方が十和田での定宿としている十和田湖山荘さんで食膳に出して下さいます。クセのないさっぱりした味わいです。

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乙女の像の歴史についての展示がある、湖畔の観光交流センター「ぷらっと」さんでは、水槽で展示。

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乙女の像ともども、愛され続けてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

彼は万物と共に踊り 彼は万物を見 また万物を所有する 彼は絶えず悩み、絶えずのり越す ――偉大の生れる時だ

詩「万物と共に踊る」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

「万物」の中には、最愛の智恵子も含まれるのでしょう。

まずは先週の『日本経済新聞』さんに載った記事から。「ご当地NewFace」という日本各地で発売されたその土地ならではの新製品を紹介するコーナーに載りました。 

Tシャツに福島の山 【福島】

FRIDAY SCREEN(福島市、090・9308・9461)の「福島の山 TEE」
福島県民にとって身近な山々を描いたご当地Tシャツ。製作したのは福島市のデザインユニットの2人で「福島を広くPRしたい」と、普段でも着られるように簡素で印象的なデザインにした。絵柄は「智恵子抄」に登場する安達太良山、民謡で親しまれる磐梯山、日本百景にも指定されている霊山の3種類。《1枚3500円。販売中》

調べてみると、以前から販売されており、地元紙『福島民友』さんでも既に今年5月に報じていました。ただし、「智恵子抄」「高村光太郎」といった当方の検索ワードが入っていなかったので、見落としていました。 

「福島の山」モチーフのTシャツ3種類を販売

 福島の地域資源の発掘と発信をしているクリエーターの鈴木孝昭さんとテキスタイルアーティスト坂内まゆ子さんによるユニット「FRIDAY SCREEN(フライデイ スクリーン)」は磐梯山、安達太良山、霊山のイラストをそれぞれプリントしたオリジナルTシャツ「福島の山TEE」を販売している。
 身近な山をモチーフにしたTシャツを作ろうと、昨年6月に安達太良山を題材にして製作、販売。今年4月21日から新たに磐梯山と霊山を描いた商品を作り、発売した。
 サイズはGS~Lの5種類で、価格はいずれも1枚3500円(税込み)。イラストの色は安達太良山がえんじ、磐梯山が紺、霊山が深緑。福島市の衣料品店「CLASSICS」と伊達市のりょうぜんこどもの村のミュージアムショップで販売している。同店のウェブサイトでも購入できる。


こちらがその画像です。

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なるほど、シンプルな中にもインパクトがあり、激しい自己主張はないものの、印象に残りますね。

販売元のFRIDAY SCREENさんのサイトはこちら


先週、上記記事が『日経』さんに載ったのと前後して、ネット上のTシャツ通販サイト「Tシャツトリニティ」さんに、やはり光太郎がらみの新製品が紹介されました。

商品名が「高​村​光​太​郎​/​智​恵​子​抄​/山​麓​の​二​人​/​わ​た​し​も​う​ぢ​き​駄​目​に​な​る」。「イ​ニ​ミ​ニ​マ​ニ​モ」さんというショップの商品です。

半袖のTシャツが2種類。黒一色と、白黒のツートンです。ともに1枚3,200円(税込)。

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それぞれフロントに「――わたしもうぢき駄目になる」の文字がプリントされています。光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で、心を病んだ智恵子が繰り返し発するセリフです。この元ネタをご存じない方にとっては、何のことやら? という感じでしょうが、このシュールさが魅力のような気がします。

同じシリーズで長袖のスウェット(税込4,000円)、トートバッグ(同2,300円)も販売中です。

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ところで、Tシャツといえば、花巻の高村光太郎記念館さんでも、オリジナルのTシャツを販売しています。

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こちらは背中にこのようなロゴが。

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光太郎の「光」の字が反転しています。元ネタはこちら。

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戦後の7年間を暮らした花巻郊外太田村の山小屋脇に立てられたトイレ棟「月光殿」。その壁に明かり取りのために光太郎が彫った「光」一字です。左の画像は表から、右はトイレの内部からのものです。ある意味、これも「彫刻」と呼んでもいいような気もします。同館では看板やスタッフの皆さんの名刺など、さまざまなところでこれをロゴとして使っています。

Tシャツは数種類の色があり、価格は忘れましたが、いずれそう高価なものではなかったと思います。


いろいろご紹介しましたが、ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

秋雨やめしが喰へぬと友の文       明治43年(1910) 光太郎28歳

「友」は画家の津田青楓です。青楓、別に歯が痛いとか、内臓を患ったとかではなく、芸術家として生きていく困難さという意味での「めしが喰へぬ」でしょう。

今年4月に発行された季刊誌です。情報を得るのが遅くなり、最新号ではなくなってしまいましたが、バックナンバーとして販売されていたものをこのほど入手しました。 
2016年4月15日 株式会社ビューティービジネス 税込定価1,800円

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この雑誌は、「PROFESSIONAL」というタイトルのとおり、美容関係のプロフェッショナル向けの専門誌です。毎号一つのテーマを設定し、一人のモデルさんをメイクアップ、イメージフォトグラフを多数撮影し、掲載するというスタイル。したがって、どちらかというと写真集に近いアーティスティックな誌面です。

第95号、全98ページ中の大半、12ページから87ページまでが「智恵子抄 人類の泉」。光太郎詩「人類の泉」(大正2年=1913)を引用しつつ、そこからインスパイアされた60葉を超えるイメージフォトグラフが添えられています。

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モデルはmiuさんという方。「智恵子抄」ということで、最近流行の「昭和顔」に見えます。これもメイクのなせる技でしょうか?

巻末近くにヘアメイク担当の石井順子さんへのインタビュー、大妻女子大学文学部教授・須田喜代次氏による「人類の泉」解説が、それぞれ2ページずつ掲載されています。

音楽や演劇、絵画に舞踊、能や落語など、これまでも実に色々な分野で「智恵子抄」オマージュの二次創作がなされていますが、こういうアプローチもあるんだと、感心いたしました。

まだ在庫があるようで、ネットで購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

高飛ぶと足をかまへて稲子麿翅(つばさ)薄きに哭く閑暇(ひま)もなし

明治37年(1904) 光太郎22歳

「稲子麿」はイナゴを擬人化した語。源俊頼によって書かれた歌論書『俊頼髄脳』などに用例があります。こうした古典に関する光太郎の知識には驚くばかりですが、当時としては常識だったのでしょうか?

宮沢賢治の生誕120周年記念事業の一環として、日本郵便株式会社東北支社さんから、オリジナルフレーム切手「宮沢賢治生誕120 年」が発売されました。

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82 円切手×10 枚で、うち1枚、光太郎がその碑文を揮毫した「雨ニモマケズ」詩碑をあしらったものが含まれています。

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定価1,500円。一部の簡易郵便局を除く、岩手県奥州市、北上市、花巻市、西和賀町、金ヶ崎町の全郵便局(計70 局)で販売する他、明日からは日本郵便さんのサイトで通販が開始されます。

ぜひお買い求めを。


それから、岩手花巻宮沢賢治記念館さんで開催中の特別展「「雨ニモマケズ」展」、21日(日)に、光太郎と親しかった賢治の実弟・清六氏の令孫・宮沢和樹氏によるギャラリートークが開催されました。『毎日新聞』さんで、光太郎にからめて取り上げて下さいました。 

宮沢賢治記念館で40人が聴き入る 弟の孫・和樹さん /岩手

 宮沢賢治記念館では21日、賢治の弟清六さん(1904〜2001年)の孫、宮沢和樹さん(52)が講演会を開いた。生前に清六さんが宮沢さんに語った「雨ニモマケズ」の魅力について、参加した約40人が聴き入った。
 手帳の51〜60ページにある「雨ニモマケズ」の詩。祖父の清六さんは「東ニ病気ノコドモ アレバ 行ッテ看病シテ ヤリ」から続く54〜57ページが最も大切な部分だと、強調していたという。困っている人がいれば、東西南北どこにでも駆け付けて助けたいと思う、賢治の心が表現されている。
 宮沢さんは「この『行ッテ』が重要なんです」と説明。「賢治は、知識や知恵をもてあそぶのではなく、実際に行動して物事を変えていく姿勢が大事だと考えていた」と解説した。
 清六さんは、花巻に私塾を開設して農民に技術を講義するなどした賢治の人柄を慕っていた。賢治の死後、彫刻家の高村光太郎らと作品の編集に奔走したという。宮沢さんは「周りの支えがあってこそ、今の賢治があることも忘れないでほしい」と話した。【二村祐士朗】


和樹氏、こうした機会には、必ずと言っていいほど光太郎に言及して下さるので、ありがたい限りです。


【折々の歌と句・光太郎】

かの雲を我は好むと書き終へしボオドレエルが酔ひざめの顔
明治42年(1909) 光太郎27歳

「ボオドレエル」は、フランスの詩人、シャルル・ボードレール。光太郎は留学中に詩の心を彼の作品から学んだといいます。

台風9号が通過した関東地方、昨日も激しい夕立がありました。やんだ後に日が差してきたので、虹でも見えるかなと思って自宅兼事務所の一番高い部屋(なんちゃって三階)から東の空を見ると、虹ならぬ彩雲(環水平アーク)が見えました。デジカメで写真も撮ったのですが、色がうまく写りませんでした。残念。

雑誌の新刊です。 

手づくり手帖 Vol.10 特集「秋色の手づくり」

2016年8月17日 日本ヴォーグ社 定価2,250円+税

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色彩アートセラピスト・江崎泰子氏による「巻頭特別エッセイ 色はこころの表現」で、智恵子の紙絵について触れられています。

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「アートセラピー」は「芸術療法」と訳され、精神医療の現場で行われていますが、現在はそれに限らず、一般の人々のストレスケアとしても注目されているとのこと。氏は特に「色」に着目したそれを展開されているそうです。

氏がこの道に入るきっかけの一つとなったのが智恵子の紙絵だそうで、初めて展覧会で智恵子の紙絵を見た際の衝撃などが綴られています。

後の方のページには、他の記事を含め、本文と関連する書籍等の紹介欄があり、筑摩書房から平成5年(1993)に刊行された文庫版の『智恵子紙絵』が取り上げられています。

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現物はこちら。

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「版元品切れ」となっていますが、古書市場ではまだ出回っています。美しい本なので、再版を期待したいところですが。


智恵子の紙絵、といえば、智恵子生誕130年ということで、現在、信州安曇野の碌山美術館さん、奥州花巻の高村光太郎記念館さんで、それぞれ現物が展示されています。また、秋には智恵子の故郷・福島二本松でも。

こうした書籍、展覧会などなど、もっともっと取り上げていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

さいかちのかぶとの角を手に持ちて友も見つつしおどろきてあらん

大正13年(1924) 光太郎42歳

「さいかち」は樹木の種類。その樹液はカブトムシの好物だそうです。

昨日の『福島民友』さんから。 

福島県の作品が「JR東日本賞」 交通広告グランプリ2016

005 県は25日、ジェイアール東日本企画主催の「交通広告グランプリ2016」で、県の作品が特別賞に当たる「JR東日本賞」を受賞したと発表した。同日、都内で表彰が行われ、県広報課の早川真也主任主査が賞状を受けた。
 作品は高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「ほんとの空」を背景にイメージ。「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」や「福島にも様々な人が暮らしています」「光の部分、影の部分。避難区域以外のほとんどの地域は日常を歩んでいます」「お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね」「みなさんからの応援に感謝します」などの文言を配置し、メッセージ性を強調した。電通とクリエイティブディレクターの箭内道彦さん(郡山市出身)が協力。JR東日本管内などの32駅に掲示された。
 早川主任主査は「改めて福島に関心を持つきっかけになってくれたらうれしい。大勢の人が足を運び、ありのままの福島を感じてもらいたい」と喜びを語った。


「交通広告グランプリ」とは、公式サイトによれば、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から開催された「秀作車内ポスター展」まで遡ります。 同展は東京近郊の国鉄・私鉄・都電に掲出された車内ポスターの中から選ばれた優秀作品が一堂に会する、当時としては大規模な広告展示会でした。さらに、「国鉄広告展」、新幹線の車内や駅を対象とした「新幹線広告展」が相次いでスタート。

それらを段階的に統合する形で、平成元年(1989)、㈱ジェイアール東日本企画主催による「JR東日本ポスターグランプリ」が誕生。平成18年(2006)より名称を「交通広告グランプリ」と変更し、JR東日本の他、つくばエクスプレス、りんかい線、ゆりかもめ、JR貨物に掲出された作品も審査の対象としているそうです。

福島県の作品は「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」という題で、「JR東日本賞」を獲得。「ほんとの空」をイメージしたという、ミントブルーからだんだん淡い水色へ遷るグラデーションをバックに、会津の赤べこ、そしてコピー文「福島の未来は、日本の未来。あたたかなみなさんからの応援に感謝します。原発の廃炉は、長い作業が続きます。これからもどうぞよろしくお願いします。ほんとにありがどない。 福島県」。シンプルな中に、さまざまなメッセージ、そして郷土福島を愛する心が伝わってくる作品です。

また、記事にはありませんが、駅ポスター部門の優秀作品賞に、ふくしまデスティネーションキャンペーンの「会いに行こう。福島」が選ばれています。


受賞作品の展示会が、来月末、JR東京駅近くで開催されます。事前申し込みが必要らしいので、早めにご紹介します。 

交通広告グランプリ2016 受賞作品展示会

期  日 : 2016年8月23日(火)、24日(水)
時  間 : 10:00~18:00
会  場 : サピアタワー ステーションコンファレンス東京 4F 401、402A~D
        東京都千代田区丸の内1-7-12
申込方法 : 申込用紙をダウンロードしてご記入の上、ファクシミリにて
       (株)ジェイアール東日本企画交通広告グランプリ事務局宛にお申込み下さい。
        FAX03-5447-0967

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他にもauの三太郎や、ムササビ(モモンガ?)に扮したスキージャンプの高梨沙羅選手(ANA)など、楽しい作品がいっぱいです。また、『福島民友』さんの記事と照らし合わせると、公式サイトでは受賞作も作品の一部のみの公開になっているようで、全体像はこちらでないと確認できないようです。

ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

天上にひびきどよもす夏の日の歌のうたひ手さびしき小蝉

大正13年(1924) 光太郎42歳

明日あたり、いよいよ関東も梅雨明けだそうです。蝉の天下の到来ですね。

日本郵便東北支社さんから、智恵子の故郷、二本松のオリジナル切手に関するプレスリリースが出ました。 

オリジナル フレーム切手「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊」の販売開始

日本郵便株式会社東北支社(宮城県仙台市青葉区、支社長 本間 幸仁)は、下記のオリジナルフレーム切手の販売を開始します。
このオリジナル フレーム切手は、約4,500 本もの桜が咲き競う「霞ヶ城公園」や福島県緑の文化財に登録されている「合戦場のしだれ桜」など福島県二本松市の桜を題材としたもので、下記の郵便局(一部の簡易郵便局は除く)で限定販売します。

1  切手の概要
 名   称
 : ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅 あだたら桜回廊
 販売開始日 : 2016 年4 月1 日(金)
 販 売 数 : 1,200 シート
 販売郵便局 : 福島県福島市 二本松市 本宮市 伊達市 川俣町 桑折町 国見町
         大玉村の全郵便局
 計90 局
         一部の簡易郵便局、震災の影響で営業を休止している郵便局を除きます
 シート構成  :  1 シート 82 円切手×10 枚
 販   価  :  1 シート 1,300 円 シート単位で販売します。

2  切手デザイン 
別紙のとおり 二本松市を代表する桜の名所や、二本松観光協会が主催している「二本松の四季」観光フォトコンテストの入選作品などを切手の題材として選定しました。

3 その他
4月5日(火)から日本郵便株式会社Webサイト郵便局のネットショップでもお取扱いします。
http://www.shop.post.japanpost.jp/)販売価格のほかに郵送料等が加算されます。

【お客さまのお問い合わせ先】
〔商品内容に関すること〕 
 日本郵便株式会社 東北支社 郵便・物流営業部(物販・広告担当) 022-267-7666
 月~金9:00~17:00(土日祝日を除く)
〔販売に関すること〕上記に記載の「販売郵便局」窓口

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調べてみましたところ、「あだたら桜回廊」シリーズのフレーム切手は、平成22年(2010)からほぼ年1回のペースで発行されていました。

平成24年(2012)に発行された「あだたら桜回廊Ⅲ」では、智恵子の母校・油井小学校の桜が用いられていました。今日の今日まで知りませんでした。

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一昨年に発行されたものから、バックシート(台紙)部分に「ほんとの空に 咲き誇る 桜をめぐり ぶらり旅」のコピー文が入りました。こちらは当方、以前に「二本松の菊人形」を観に行った際に購入しました。

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昨年のものにも同じコピー文。こちらも存じませんでした。

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「ほんとの空」の語が入っているとなると、手に入れなければ気が済みません(笑)。通販等で探してみようと思っております。

皆様もぜひお買い求め下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

一枝のさくら手折りて肩になどかざすをとめを見ればたふとし

大正10年(1921) 光太郎39歳

駒込林町の光太郎智恵子が暮らしたアトリエに面した本郷保健所通りにも、桜が植わっていたそうです。「ほんとの空」の語が出て来る詩「あどけない話」にも、「桜若葉の間に在るのは、/切つても切れない/むかしなじみのきれいな空だ。」というフレーズがあります。

アトリエ近くの丸善インキ工場で働く女工達を謳った「小娘」、「丸善工場の女工達」という詩が、少し前に書かれています。短歌の「をとめ」は、その辺りなのかな、とも思われます。

今月17日に、以下の切手が発行されました。

特殊切手「日本の山岳シリーズ 第6集」

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日本郵便株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 髙橋 亨)は、日本各地の様々な名山を題材としたシリーズの第6弾として、特殊切手「日本の山岳シリーズ 第6集」を発行します。
今回の切手デザインは、春・夏の山を題材としています。

発行する郵便切手の内容

名  称 日本の山岳シリーズ 第6集
発行日 2015(平成27)年4月17日(金)
種 類 82円郵便切手

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1シート10枚(縦2枚×横5枚) イメージ 4

(1) 利尻山(りしりざん)・北海道 009
(2) 安達太良山(あだたらやま)・福島県
(3) 至仏山(しぶつさん)・群馬県

(4) 白馬三山(しろうまさんざん)・長野県
(5) 立山・富山県
(6) 槍ヶ岳(やりがたけ)・長野県

(7) 八ヶ岳・山梨県
(8) 富士山・山梨県
(9) 北岳・山梨県
(10) 宮之浦岳(みやのうらだけ)・鹿児島県
 シート余白:シバザクラのイメージ
 ※県名は山を撮影した場所です。

売 価 1シート820円
版式刷色 オフセット6色
発行枚数 1,000万枚(100万シート)

切手デザイナー 丸山 智
助言・監修 日本山岳協会顧問(前会長) 田中 文男
写真撮影・提供
 (1) 後藤昌美 (2) 田中正秋 (3)、(7) 縄手英樹 (4) 宮本孝廣 (5) 溝口けんじ  (6) 鈴木克洋
 (8) 西垣良次 (9) 深澤武 (10) 日下田紀三 


販売場所 全国の郵便局等 日本郵便株式会社Webサイト内「切手SHOP」のほか郵便振替による通信販売も行います。


というわけで、智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山がデザインされた切手も含まれています。

日本郵便株式会社さんのサイトでの説明は以下の通り。

(2)安達太良山(あだたらやま)・福島県
安達太良山は福島県中北部にある火山です。更新世(約200万年前~約1万年前)末期の火山活動で東斜面に僧悟台(そうごだい)、勢至平(せいしだいら)などの溶岩台地、西斜面に沼の平(ぬまのひら)火口がつくられました。磐梯(ばんだい)朝日国立公園に含まれ、緩やかな山容のため登山・トレッキングに人気があります。

「高村光太郎の詩集『智恵子抄』で有名」の一言が入っていれば、完璧ですね(笑)。

昨日、他の用事もあって郵便局に行った際、購入してきました。皆様もぜひどうぞ。

ちなみに今日は、光太郎の親友だった碌山荻原守衛の命日、碌山忌ということで、上記切手の(6) 槍ヶ岳(やりがたけ)の麓、信州安曇野の碌山美術館さんに行って参ります。今日は全国的に晴れ間が広がるそうなので、上記切手の(7) 八ヶ岳・山梨県 (8) 富士山・山梨県 (9) 北岳・山梨県もよく見えると思います。また、信州の桜もまだ見頃のはず。楽しみです。

碌山忌関連行事は同館において、以下の時間で行われます。

10:30 ミュージアム・トーク
11:00 墓参
13:00~15:00 碌山忌コンサート
15:00 ミュージアム・トーク
15:30~16:50 碌山忌記念講演会 「荻原守衛の書簡をめぐって」 
         講師・仁科惇 信州大学名誉教授 美術史家 当館顧問
17:00~17:35 碌山研究発表    「新井奥邃と荻原守衛」 講師:武井敏 当館学芸員
18:00~ 碌山を偲ぶ会 会場:グズベリーハウス(会費1,000円)


さらに春期企画展ということで、以下も始まりました。

光太郎荻原守衛の軌跡をみる-書簡・日記・蔵書-

会  期:4月21日(火)~5月24日(日) 会期中休館日 4月27日(月)
会  場:第二展示棟

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こちらも楽しみです。010

さらに、毎年、碌山忌に行った際には、この地域にある光太郎と交流のあった人物に関わる美術館、文学館等も訪ねることにしており、今年は下諏訪町の今井邦子文学館に寄ろうと考えています。

詳しくは帰ってからレポートいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月22日

昭和33年(1958)の今日、信州穂高町(現・安曇野市)に碌山美術館が開館しました。

やはり碌山忌に合わせての開館だったのですね。

右はメインの建物の「碌山館」。入り口脇の壁には、「碌山の芸術を守り支えた先人の名を刻む」という石のプレートがはめ込まれており、光太郎の名も刻まれています。

一昨日、昨日と、十和田湖ネタで攻めましたので、もう1日。

以前にご紹介した、光太郎作の十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)をあしらった十和田市のご当地ナンバープレートが今月から交付開始という報道が出ました。 

ご当地ナンバー「十和田湖と乙女の像」/十和田市が交付始める

 十和田市は2日から、「無題十和田湖と乙女の像」をデザインした原動機付き自転車用オリジナルご当地ナンバープレートの交付を始めた。交付第1号となったのは、同市法量家ノ前の山一清一さん(61)。同市役所で小山田久市長から「十和田市 A・・1」のプレートを受け取った。
 市は昨年、新市10周年記念事業として、ご当地ナンバーのデザインを公募。全国から寄せられた31点の中から、十和田湖と外輪山、湖畔のシンボル「乙女の像」をあしらったデザインを決めた。
十和田湖や奥入瀬渓流でボランティアガイドをしている山一さんは、「乙女の像など、一目で十和田のことが分かる良いデザインだと思う」と話し、「どうせなら1番がほしいと思っていたので、ラッキーです」とにっこり。
小山田市長は「このナンバーを付けて、古里を誇りに思い、また愛してもらいたい」と話した。市納税課によると、初日は5人に6枚のプレートを交付した。

東奥日報 2月4日(水)

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十和田市がオリジナルナンバーを交付

 十和田市が合併10周年を記念して作製した原動機付き無題2自転車用オリジナルナンバープレートの交付が2日、同市役所で始まった。申請者第1号は、十和田湖や奥入瀬渓流でボランティアガイドを務める山一清一さん(61)。「1番が欲しいと思っていたのでうれしい」と喜んでいる。
 ナンバープレートは、十和田湖と湖畔を象徴する乙女の像をデザイン。全国から応募があった31件の中で、グラフィックデザイナーの塩崎榮一さん(大阪府)の案が選ばれた。
この日、同市役所では交付開始と同時に山一さんが申請書を提出し、小山田久市長からナンバープレートを受け取った。山一さんは「十和田湖や奥入瀬渓流のPRになるいいデザイン。このナンバープレートを付けることで、十和田湖などに関心を持つ人が増えれば」と笑顔。小山田市長は「いろいろな場面で多くの人の目に留まる。観光PRの弾みになれば」と、効果に期待を寄せていた。
6日までは市役所本館1階の住民税課で、9日以降は同課のほか十和田湖支所でも受け付ける。問い合わせは十和田市役所税務課=電話0176(51)6765=へ。

【写真説明】小山田久市長(右)からナンバープレートを受け取る山一清一さん=2日、十和田市役所


このナンバープレート、ぜひ欲しいものです(笑)。

ところで、交付第一号の山一清一さん。たびたびご紹介しています十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会のメンバーで、ベテランのガイドさんです。

一昨年にはテレビ東京系BSジャパンさんの「にっぽん原風景紀行 第230景 稲生川に息づく開拓の歴史~青森県・十和田市」にご出演、奥入瀬渓流や稲生川で、女優の西原亜希さんをご案内なさっていました。

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さらに当方、昨年の今頃、「十和田湖冬物語2014」にお邪魔した際に、2日間にわたって車であちこちご案内いただきました。その山一さんが第一号の交付ということで、いい意味で笑えました。

乙女の像ナンバープレートは、十和田市のサイト、さらにブログにも紹介記事が載っています。また、同じ十和田市のブログ、それから十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイトでは、開催中の「十和田湖冬物語2015」の記事も載っています。リンクをはってありますので、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月10日

明治37年(1904)の今日、日本政府からロシア政府への宣戦布告がなされ、日露戦争開戦となりました。

2日前にはロシア旅順艦隊に対する奇襲攻撃があり、実質的な戦闘状態に入っていましたが、正式な宣戦布告は10日です。

数え22歳の光太郎、東京美術学校の彫刻科を卒業した後も研究科に残って彫刻修行を続けていました。同じ2月にロンドンで刊行されていた雑誌『ステュディオ』でロダンの「考える人」の写真を初めて見て、衝撃を受けています(実物は数年後にパリで初めて見ました)。

戦後の昭和22年(1947)に書いた連作詩「暗愚小伝」の中では、この頃のことをこう謳っています。
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    彫刻一途

日本膨脹悲劇の最初の飴、
日露戦争に私は疎(うと)かつた。
ただ旅順口の悲惨な話と、
日本海々戦の号外と、
小村大使対ウヰツテ伯の好対照と、
そのくらゐが頭に残つた。
 私は二十歳をこえて研究科に居り、

夜となく昼となく心をつくして
彫刻修業に夢中であつた。
まつたく世間を知らぬ壷中の天地に
ただ彫刻の真がつかみたかつた。005
 父も学校の先生も職人にしか見えなかつた。
職人以上のものが知りたかつた。
まつくらなまはりの中で手さぐりに
世界の彫刻をさがしあるいた。
いつのことだか忘れたが、

私と話すつもりで来た啄木も、
彫刻一途のお坊ちやんの世間見ずに
すつかりあきらめて帰つていつた。
日露戦争の勝敗よりも
ロヂンとかいふ人の事が知りたかつた。


「ロヂン」とは仏語表記の「Rodin」を英語風に読むとそうなるということで、この頃は正確な発音さえ判っていなかったということです。

この時期、というかしばらく後までの光太郎、この詩にある通り、社会問題にはほとんど関心を示さず、ひたすら芸術精進、という感じでした。後に、そうした態度が智恵子の統合失調症発症につながったという反省から、一転して社会と積極的に関わろうとするようになります。それが泥沼の十五年戦争の時期と重なっていたのが、大きな悲劇でした。

画像は掲載誌の『展望』から採りました。「対照」とすべき箇所が「対称」となっています。遺された詩稿でも「対称」となっており、もともと光太郎が間違っていました。このミスは昭和25年(1950)に刊行された詩集『典型』でも修正されず、同27年(1952)の『高村光太郎選集Ⅱ』でようやく訂正されました。

昨日のこのブログで、光太郎の父・高村光雲作の楠正成像(楠公銅像)をあしらったご当地キティグッズ、東京限定楠正成公バージョンをご紹介しました。
 
以前にもちらっと書きましたが、光太郎がらみでも、ご当地キティグッズがありますので、ご紹介しておきます。「ご当地」的には十和田湖。十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)をモチーフにした「十和田湖限定乙女の像バージョン」です。
 
まず、ハンドタオル。
 
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続いて「ご当地方言ぷっくりシール」。
 
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この中で2枚、乙女の像があります。
 
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 「けやぐ」というのは「友達」の意だそうです。
 
それから、ストラップ。
 
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この3点は、現地で手に入れてきました。
 
他に、インターネットで入手したものがこちら。
 
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シャープペンシルにボールペン、ファスナーマスコット000です。ストラップを含め、付いているマスコットは全て同一ですね。
 
今年は、十和田市の原付ナンバープレートの図柄に、乙女の像が使われたデザインが採用されたりもしました。
 
楠公銅像同様、乙女の像も、愛されていることの表れだと思います。
 
また、来春には十和田奥入瀬観光ボランティアの会さんから、『乙女の像のものがたり』という書籍が刊行されます。北川太一先生や、故・高村規氏の聞き書きも収録、当方も、一部を執筆させていただきました。編集も最終段階だそうです。
 
ところで、ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン、他にもラインナップがありました。他の方のブログ等から引用させていただきますが、一番上のハンドタオル以外のハンドタオル、同じ図柄を使った平成22年(2010)のカレンダーなど。こちらは未入手でして、今後も探してみます。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月21日
 
昭和49年(1974)の今日、水野葉舟選集刊行会から、小品集『草と人』が刊行されました。
 
オリジナルは大正4年(1915)、植竹書院の刊行。光太郎が序文や挿画を担当しています。昭和49年版は、葉舟生涯の小品からの選集で、光太郎に触れた作品も多く収録されました。

昨日のこのブログ、皇居前広場に立つ楠正成像(楠公銅像)についてでした。昨日書きましたとおり、売店で、楠公銅像をあしらったA4判クリアファイルを購入しましたが、そのかたわらにこんなものも並んでいて、買ってしまいました。
 
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サンリオさんのキャラクター、キティちゃんのハンドタオルです。
 
ご当地キティということで、日本各地の観光地などでその土地々々の風物をあしらったキティちゃんグッズが売られていますが、楠公銅像のバージョンがあったとは知りませんでした。
 
また、ボールペンとシャープペンシル、それからストラップもありました。
 
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また、帰ってからネットで調べてみると、ファスナーマスコットもあり、ネットで購入しました。
 
楠公銅像、一種の東京のシンボルとして愛されている事の証左でしょうが、高村光雲も、あの世で苦笑しているのではないかと思います。
 
同じ光雲作、そして共に「東京三大銅像」に入っている上野の西郷隆盛像バージョンもあるかと思って調べてみました。しかし、西郷さんについては鹿児島限定でのバージョンがありますが、上野の西郷さんとしてのキティちゃんグッズは無いようです。上野限定はパンダがモチーフ。ぜひ、上野西郷バージョンを作っていただきたいものです。
 
では、光太郎がらみでのキティちゃんグッズは、というと、こちらもちゃんと存在しまして、明日のこのブログにてご紹介します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月20日
 
昭和4年(1929)の今日、岸田劉生が歿しました。
 
「麗子」像の連作などで有名な岸田劉生。数え39歳の早逝でした。
 
大正期の『白樺』や、フユウザン会、生活社を通じ、劉生と光太郎は深いつながりを持っていました。そのためその逝去の報には、哀惜の意を隠せません。
 
12月22日の『読売新聞』に載った光太郎の「岸田劉生の死」から、書き出しの部分を抜粋します。
 
 今夜は本当に悲しい。寝耳に水だ。昭和四年十二月二十日、朝の新聞で、岸田劉生の危篤の報道を読み、程経て既に彼が午前零時半に死んだのだといふ事を知つた。つい此間、ブルデルの死を聞いて遺憾やる方無い思をしたが、その「死」がこんなにつけつけと物凄く吾等の身近の天才の上にまで侵入して来ようとはまさか思ひも寄らなかつた。私は食後の洗面所で立ちながら言つた。「岸田劉生が死んだのかな」さう口に出して言つたら急に胸がいつぱいになつた。走馬燈のやうにいろんな事が頭に出て来てをさまりがつかない。今夜「読売」に頼まれて此一文を書かうとしても、唯徒らに取りとめもなくさまざまの思ひが湧き起るのみだ。
 此頃では人が天才といふ言葉を大変嫌ふやうだが、いくら嫌つても天才といふもののある事を打消すわけにはゆかない。ただ稀有(けう)なだけだ。画家岸田劉生は私達の身近に親しく見る事の出来たその稀有な天才の見本だ。此は二十年も前から口にしてゐた事だが今でも此言を取消すわけにゆかない。岸田劉生を除いては今日、吾が日本に天才らしい画家を一人ぐらゐしか私は知らない。彼だけは私の見る所、無條件に天才であつた。
 
続いて、翌年2月の雑誌『みづゑ』に載った「岸田兄の死を悼む」から抜きます。
 
 岸田劉生の死ほど最近私の心を痛打したものは無い。昔荻原守衛が死んだ時もかなりの打撃をうけたが、この方はむしろ多分に友情的の分子が含まれてゐたと思ふ。友情といふ方面から言へば、最近、岸田兄と私とは以前ほどの私交的関係を持たず、文通すら殆ど絶えてゐたし、僅かに「大調和展」の会員であつた関係上、その会合などの時に旧交を温めた程度の交友状態に過ぎなかつたのであるが、私が岸田劉生に対する尊敬と評価とひそやかな景慕とは二十年来渝る事無き、言はば公人としての公けな心根であつた。そして心の奥の方では、いつも、私自身がもつと成長し、もつと成熟し得る時が来たら、又再び以前のやうに近しい、しかし以前よりも平淡な、水のやうに何でもない程親しい友交を獲たいと念願し、遠く望んでゐた事であつたのである。さういふ事は今はすべて空しくなつた。
(略)
 彼は多くの人の期待と予望とを背負ひながら死んでしまつた。神秘の扉はしまつてしまつた。彼にかはる者は無い。無いとなると世界中に無い。実に言ひやうもなく惜しい。
 
 
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上の画像は、大正8年(1919)、『白樺』10周年記念に撮られた一枚です。前列右から3人目が岸田、後列左から3人目が光太郎です。

一昨日、新宿文化センターにて、中村屋サロン美術館開館記念講演会「中村屋サロンの芸術家たち」を拝聴して参りましたが、その後、同じ新宿区の神楽坂に寄ってから帰りました。
 
神楽坂というと、「一見さんお断り」の高級料亭、というイメージですが(笑)、そういう分野ではなく、ギャラリーです。以下の展覧会が催されています。

えがく展 7人の絵描きと10冊の本

会 期 : 2014年11月29日(土)~12月14日(日)
会 場 : ギャラリー「ondo kagurazaka」新宿区矢来町123 第一矢来ビル1階かもめブックス
時 間 : 月~土 10:00~22:00  日 11:00~20:00
 
11月29日(土)に開店をむかえる「かもめブックス」の中に開かれるギャラリー「ondo kagurazaka」。
そのこけら落とし展として開催される本展示は、大阪・東京から7名の作家が参加し、本の中に眠る美しい文章からインスピレーションを受け、絵で表現します。
テーマとなった文章は「石川啄木・宮城道雄・夏目漱石・高村光太郎・島崎藤村・夢野久作・上村松園・種田山頭火・田山花袋・太宰治」の本から選びました。
 
参加作家
 東京より……松園量介・竹谷満・日笠隼人
 大阪より……wassa・三尾あすか あづち・山内庸資
 
12月6日(土)、7日(日)の2日間、参加作家によるライブペイントや似顔絵など、かもめブックス店内でアートイベントを開催します。
 
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というわけで、行って参りました。
 
東京メトロ東西線神楽坂駅2番出口(矢来口)を出て、左折。かもめブックスさんという書店兼カフェがあり、その奥がギャラリー「ondo kagurazaka」さんです。「一見さんお断り」の高級料亭ではありませんが、実におしゃれです。さすが神楽坂。
 
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先週、麻布十番で観てきた「装幀画展Ⅱ~文学とアートの出逢い~」は、「装幀」として描かれ、本の選択も各作家さんにまかされていましたが、こちらはブックデザインというわけではなく、それぞれの本からのインスパイアというか、オマージュというか、そういったイラストでした。本の選択はギャラリーさんの指定だそうで、10冊の本に対し、7人のイラストレーターの皆さん(20~30代の若手)が1枚ずつ出品しています。即売も行っています。
 
光太郎に関しては、『智恵子抄』。さらにその中に収められている詩「あなたはだんだんきれいになる」がお題でした。
 
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会場内にはお題に出された書籍も並んでいました。
 
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『智恵子抄』を選んでいただいて、ありがたい限りです。
 
日曜を除き、夜10時までオープンしています。一つのフロアに書店とカフェとギャラリーが同居していて、珈琲でも飲もうかと思ったのですが、帰りの高速バスの時間の関係で、ゆっくりできなかったのが残念でした。ぜひ足をお運びいただき、当方の代わりにゆっくり珈琲でもご堪能下さい(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月3日001
 
昭和12年(1937)の今日、山形の銀行家・長谷川吉三郎にはがきを書きました。
 
文面は以下の通りです。
 
拝復 昨日見事な林檎たくさんいただきありがたく存じ上げました。今日おてがミ及書留小包にて軸其他たしかに落手、先日の色紙が立派に表装せられたのに驚きました、 おてがミの趣は承知いたしました、不日お手許に御返送申上る心組で居ります、 とりあへず御返事まで 艸々
 
「色紙」は、この少し前に丑年生まれの長谷川の依頼でかいた右の画像のものです。それを長谷川が表具屋さんに軸装してもらい、さらに光太郎に箱書きを依頼した、その返答が上記の葉書です。
 
ちなみに長谷川は牛の彫刻も光太郎に依頼しましたが、光太郎、そちらは断っています。翌年に歿する智恵子がゼームス坂病院に入院中で、創作意欲を欠いている部分があったようです。
 
牛の色紙軸装は「長谷川コレクション」の代表作の一つとして、山形美術館に現存し、時折、他館の企画展に貸し出しています。

昨日は港区麻布十番に行って参りました。
 
詳細がよくわからなかったので、事前にご紹介しませんでしたが、以下の展覧会が開催中です。

装幀画展Ⅱ~文学とアートの出逢い~

会 期 : 2014年11月19日(水)~11月30日(日)
会 場 : パレットギャラリー 港区麻布十番2-9-4
時 間 : 11:00~19:00
 
本の装幀は、文学を彩る美術として、古くから多くの人に愛され続けています。
23人の作家が自由に好きな本を選び、その装幀画を描いていただきました。
展示では、原画とともに装幀カバーに仕立てた文庫本を展示します。
個性あふれる作品と文学とのコラボレーションを楽しんでいただけたら幸いです。
 
 
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というわけで、オリジナルの装幀(ブックデザイン)の展覧会です。
 
出典作家・作品は上記画像にも載せましたが、文字にします。その方がネット検索にひっかかりますので。
 
石居麻耶  パパ・ユーアクレイジー(ウィリアム・サローヤン・訳伊丹十三)
岩淵華林  この闇と光(服部まゆみ)
宇野亜喜良 悪魔の辞典(ピアス/西川正身・編訳)000
大竹彩奈  氷点(三浦綾子)
大谷郁代  猫を抱いて象と泳ぐ(小川洋子)
蟹江杏   杏っ子(室生犀星)
財田翔悟  魍魎の匣(京極夏彦)
新藤杏子  春と修羅(宮澤賢治)
高橋千裕  失楽園(ジョン・ミルトン)
田嶋健太郎    智恵子抄(高村光太郎)
立木美江  山月記(中島敦)
中西静香  小さいおうち(中島京子)
中原亜梨沙    金子みすゞ詩集(金子みすゞ)
名古屋剛志    サヨナライツカ(辻仁成)
成田朱希  偽偽満州(岩井志麻子)
新倉佳奈子    草迷宮(泉鏡花)
野村直子  第七官界彷徨(尾崎翠)
深瀬優子  お縫い子テルミー(栗田有起)
まちゅまゆ 鏡の中の鏡(ミヒャエル・エンデ)
宮本順子  宮澤賢治童話集(宮澤賢治)
桃田有加里   供述によるとペレイラは……(アントニオタブッキ)
山科理絵  カイン"自分の弱さに悩む君へ"(中島義道)
山城有未  ZOO1(乙一)
 
 
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芸大日本画科ご出身の、田嶋健太郎氏という方が「智恵子抄」を出展なさっています。ありがたや。
 
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「智恵子抄」というと、大正浪漫ふうの縞の着物に日傘、手にはレモン、といったところがお約束ですが、そういう固定観念にとらわれていないところが、かえっていいと思いました。
 
他の出展作家の皆さんも、それぞれに力のこもった作品です。一人一点、というところで、妥協がないような気がしました。上記リストにある通り、古今東西の作品からのインスパイアとなっている点も良いと思います。
 
いつも同じようなことを書いていますが、数十年後、「高村光太郎? 誰、それ?」、「『智恵子抄』? 知らないなぁ……」ということにならないことを祈ります。
 
今週末まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月27日
 
昭和7年(1932)の今日、東京美術学校講堂で「黒田清輝胸像」が除幕されました。
 
光太郎肖像彫刻、一つの頂点です。
 
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しかし、この年、智恵子が自殺未遂。その後、完全に夢幻界の住人となり、光太郎もその対応に追われ、しばらくは彫刻も非常に寡作の時期が続くことになります。

新聞記事からご紹介します。 

原付ナンバープレートに乙女の像

 十和田市は5日、合併10周年を記念した原動機付き自転車のオリジナルナンバープレートに、十和田湖と湖畔を象徴する乙女の像の図案を決定したと発表した。
 制作者は大阪府のグラフィックデザイナー塩﨑榮一さん。全国から応募があった31件の中から、同市の特色や魅力が端的に表現された図柄として審査会で選ばれた。
 ナンバープレートは、十和田市の魅力を目に見える形で訴える狙いもある。高村光太郎作の乙女の像は建立から60年が経過してなお、誘客に課題を抱える十和田湖観光のPR役に“就任”。市税務課は「新たなナンバープレートで十和田をアピールしてほしい」と期待を込める。
 新ナンバープレートの交付開始は2015年2月2日の予定。問い合わせは十和田市役所税務課=電話0176(51)6765=へ。
『デーリー東北』 2014/11/05
 
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調べてみると、全国的には300ほどの自治体が原付の「ご当地」ナンバーを導入しています。ただし、かなりの割合で、奇妙な「ゆるキャラ」が採用されています。それを付けて走るのも恥ずかしいんじゃないの? と思います。
 
その点、十和田市さんのものはなかなかいい図案ですね。泉下の光太郎は苦笑しているような気がしますが。
 
ちなみに当方の住む千葉県香取市は、地元の偉人・伊能忠敬のデザインです。地元民にしかわからないのでは……と思いますが、地元への愛着を深める、という意味ではいいのかもしれません。
 
近くの佐倉市では漫画家、モンキー・パンチさんが市内在住ということで、ルパン三世の図柄。これはズルい、という気がしますね(笑)。
 
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さて、新聞がらみでもう一件。  

風土計(2014/11/13)

 「威信の青空」。そう呼ぶのがぴったりの中国・北京の数日間だった。アジア太平洋経済協力会議(APEC)の期間中、北京の空は見事に晴れた
▼中国では微小粒子状物質「PM2・5」による大気汚染が深刻。気象当局は、北京は8~11日に重度から中度の大気汚染に見舞われると予報していた。大事な国際会議の空が暗い霧に覆われてはメンツにかかわる
▼このために当局が取った手段がすごかった。工場の操業停止や交通規制はまだ序の口。中国メディアによると、花火や露天のバーベキューを禁止。周辺の農家では食事や暖を取るために薪や石炭を燃やすことさえ禁じた
▼アジアの大国の威信をかけた青空の演出には恐れ入る。その効果だろうか。日本との間にかかっていた深い霧もとれて、2年半ぶりの首脳会談が実現した。2人の表情は晴れやかとはいかなかったが、まずは良しとしよう
▼とはいえ、これはつかの間の青空。高村光太郎の「智恵子抄」風に言えば「ほんとの空が見たいといふ」が隣国国民の思いではないか。両国関係が改善すれば、大気汚染を防ぐ日本の技術協力もさらに進んでいくだろう
光太郎の随筆「触覚の世界」に「彫刻家の触覚は霧を破ろうとする」とある。一番幼稚で根源的な感覚ゆえに触覚は本質をつかむ。政治家にもほしい。
『岩手日報』 2014/11/13
 
『岩手日報』さんの1面コラムです。光太郎第二の故郷ともいうべき岩手の地方紙ということで、時折、光太郎にふれて下さいます。ありがたいことです。
 
もう一件。今月8日の『毎日新聞』さんの社会面コラム「季語刻々」でも、光太郎にふれて下さっています。
 
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「ほんとの空」が広がる智恵子の故郷の山、安達太良山や、十和田ではもう雪が積もったそうです。当方の住む南関東でも初冬の気配が漂って参りました。
 
当方、光太郎と違って、冬の寒さは苦手で000す。「冬は僕の餌食だ」ではなく「僕は冬の餌食だ」状態なのですが、「冬来たりなば春遠からじ」と思いつつ、頑張ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月20日
 
昭和25年(1950)の今日、龍星閣から詩文集『智恵子抄その後』が刊行されました。
 
昨日もご紹介した「元素智恵子」や「裸形」を含む連作詩「智恵子抄その後」を根幹に、戦後に作られた他の智恵子に関する詩篇、散文などを収めています。
 
 

インターネット上で、著作権の切れた文学作品等を公開している「青空文庫」というサイトがあります。ボランティアの方が電子データに入力、そのご苦労には頭が下がります。
 
さて、その「青空文庫」がらみで、株式会社MediBangさんによる、下記のイラストコンテストが作品募集中です。 

第2回 青空文庫 有名小説表紙絵コンテスト

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応募期間 2014年7月31日(木)23:59まで
 
応募資格 特になし。プロ・アマ問わず応募可能。発表済みイラストでの応募も受け付け(但し、応募者自身が権利を有するイラストに限る)。
 
応募形式
 1.画像ファイル形式 jpg、png、gif
 2.規定サイズ(横 × 縦)2100 × 2800ピクセル
 3.必須事項
 表紙イラスト内に作品のタイトル、作品の著者名、通訳者がいる場合は通訳者を含めること。 加えて、イラスト作成者自身の名前を記載。
 
人気の応募書籍はこちら!
 白痴/堕落論 坂口安吾  家/若菜集 島崎藤村  こころ/坊っちゃん 夏目漱石
 たけくらべ 樋口一葉  学問のすすめ 福沢諭吉  ドグラ・マグラ 夢野久作
 三国志/私本太平記 吉川英治  父帰る/恩讐の彼方に 菊池寛
 阿Q正伝/狂人日記 魯迅  金色夜叉 尾崎紅葉  半七捕物帳/百物語  岡本綺堂
 鼻/杜子春  芥川竜之介  人間失格/走れメロス 太宰治
 
コンテスト対象作品の著者一覧                                                   
 アンデルセン ハンス・クリスチャン グリム ヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
 ド・ラ・ラメー マリー・ルイーズ トルストイ レオ  バーネット フランシス・ホジソン・エリザ 
 ルブラン モーリス
 永井 荷風 海野 十三 宮沢 賢治 高村 光太郎 紫式部

                                                                              
受賞作の発表
 応募期間終了後、厳正な選考のうえ、受賞・入選された作品をメディバン本サイトにて発表。
 特賞(最大1本):10万円  優秀賞(最大10本):1万円 入選:1,000円
 参加賞:受賞・入選作以外の応募イラストから1枚あたり100円
 


対象となる光太郎作品は以下の通り。
 
(私はさきごろ)  ヒウザン会とパンの会  ミケランジェロの彫刻写真に題す  黄山谷について  回想録  開墾 顔  気仙沼  九代目団十郎の首  山の秋  山の春  山の雪  詩について語らず  自作肖像漫談  自分と詩との関係  書について  小刀の味  触覚の世界  人の首  蝉の美と造型  装幀について  啄木と賢治  智恵子の紙絵  智恵子の半生  智恵子抄  能の彫刻美  美の日本的源泉  美術学校時代  木彫ウソを作った時  緑色の太陽  珈琲店より
 
正確にいえば、「小説」は一篇もありませんが、まぁ、そのあたりは厳密に考えていないようです。
 
絵心のある方、応募してみてはいかがでしょうか?
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月10日
 
昭和34年(1959)の今日、二玄社から『高村光太郎書』が刊行されました。
 
B4判の大型本で、はじめて刊行された光太郎の書の作品集です。監修は光太郎実弟の高村豊周、編集は光太郎と親交の深かった美術史家の故・奥平英雄氏と、北川太一先生です。
 
特に晩年、独特の境地に至った光太郎の書、67点の写真が掲載されています。また、別冊には、草野心平「光太郎書の三つの時代」、西川寧「高村さんの書」、吉野秀雄「高村光太郎の書」、奥平英雄「書についての回想」が掲載されています。

昨日、名古屋在住の作曲家・野村朗氏から先月、愛知碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として行われたリサイタルのDVD、パンフレットをいただいた件を書きました。
 
氏の「智恵子抄」系リサイタルパンフレットやチラシによく使われているイラストがあります。
 
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智恵子をイメージして描かれたものですが、前々から「なかなかいい絵だな」と思っていました。
 
そう思っていたところ、先般、野村氏から届いた荷の中に、こちらのイラストを描いた方が作られた来年のカレンダーが入っていました。
 
 
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作者はやはり名古屋在住(だと思われます)のイラストレーターで、西尾香美(くみ)さん。

カレンダーは2ヶ月で1枚になっているタイプで、野村氏のリサイタルで取り上げられた日本の詩をモチーフにしたイラストが描かれ、詩の一節が印刷されています。それぞれ素晴らしいイラストです。
 
名古屋イラストレーターズクラブさんのサイトで見ることができますが、ダイレクトにリンクが貼れません。
 
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7・8月のページが「レモン哀歌」。いいですね。
 
 
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名古屋市のセントラル画材さんで扱っており、セントラルアートビル本店画材売り場、及びセントラル出力センターにて1部500円で販売、とのことです。
 
オンラインで入手できないというのがちょっと残念です。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月12日

昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村山口の高橋家で、「法隆寺幻灯会」を行いました。
 
今で言うプロジェクタのように、スクリーンに静止画を映し出す機械として、スライド映写機がありました。そのスライド映写機や、その原型となった機械を「幻灯機」と言っていました。宮澤賢治の童話によく出てきます。
 
光太郎はその幻灯機と、ソフトとして法隆寺に関するフィルムを入手、村人に対して日本美術に関する講話を不定期に行っていた一環として、65年前の今日、「幻灯会」を行いました。

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