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1月13日(土)、世田谷文学館さんにお邪魔しました。
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こちらで開催中の「コレクション展 衣裳は語る――映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」拝見のためです。
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会場内部は撮影禁止でした。

映画史上に残る数多くの映画で衣裳デザインを担当された故・柳生悦子氏の原画を中心とした展示で、約3,000点の寄贈を受けたうちの厳選されたものが並んでいました。
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お目当ては昭和42年(1967)封切りの松竹映画「智恵子抄」衣裳デザイン原画。光太郎役の丹波哲郎さんのものが1点、岩下志麻さん演じる智恵子のものが約30点。
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上記はX(旧・ツイッター)に上げられた同館のポスト(ツイート)です。それぞれにいろいろと書き込みがしてあり、こりゃ現物を見ないとしょうがないなと思って参じた次第です。

で、書き込みも細かく読んで参りました。映画の「原作」という位置づけになっている佐藤春夫の『小説智恵子抄』や、当会の祖・草野心平が書いた随筆の一節、それからそれぞれの衣裳に於ける注意事項等がびっしり。驚きました。

上記画像を事前に見て、そうだろうな、と思っていたのですが、左上から始まって右下まで、シーンの順に並んでいます。光太郎と出会う前の若き日の智恵子から、最晩年まで。当然と言えば当然ですが、結婚前の恋愛時代の衣裳は華やかなものが多く、結婚後、特に心を病んでからのそれはシックな感じに移っていきます。

驚いたのは、一番左下のエプロン。同一のものがあと2ヶ所でも描かれていますが。
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雑誌『婦人之友』第18巻第7号(大正13年=1924 7月)に掲載された「変つた形のエプロン二種」という記事に写真と型紙(尺貫法で書かれています)が載った、実際に智恵子が自作し着用していたエプロンほとんどそのままです。
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こういう形のエプロンが一般的だったわけではないようで、『婦人之友』には「高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。」と書かれていますし、少し調べてみてもこういう形のエプロン画像は見かけません。

ということは、柳生氏、大正時代の『婦人之友』のこの記事を読まれたのだと思われます。舌を巻きました。

録画して置いた映画「智恵子抄」を見返してみましたところ、ちゃんとこのエプロンを着用しているシーンがありました。
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「いや、こういうエプロン、一般的に使われていたよ」というような情報、資料をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

他の映画等のデザイン原画も拝見。ジャンルが実に多岐に亘っているのに驚きました。「裸の大将」「若大将」「風林火山」「八つ墓村」「戦国自衛隊」「敦煌」などなど。

残念ながら図録は作成されておらず、このコレクションに特化した書籍がもしかしたらあるかな、と思ったのですがありませんでした。ぜひとも3,000点をカラーで収録し、出版していただきたいものです。

会期は3月31日(日)まで。同時開催で「江口寿史展 ノット・コンプリーテッド」も2月4日(日)まで開催されています。ぜひ足をお運びください。
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【折々のことば・光太郎】

毎日荒地を掘り起して畑を作つてゐます。実にその仕事が爽快で朝起きるが待ち遠しいやうです。

昭和21年(1946)4月23日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村で、数え64歳にして生まれて初めて本格的に農作業に取り組み始めました。嬉々として取り組んでいる様子がうかがえますね。

昨秋から始まっている展示です。年末年始休館が明けて今日再開します。

コレクション展 衣裳は語る──映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事

期 日 : 2023年10月7日(土)~2024年3月31日(日)
会 場 : 世田谷文学館 東京都世田谷区南烏山1-10-10
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 毎週月曜日 1月8日(月・祝)、2月12日(月・祝)は開館、翌日休館
料 金 : 一般 200円 大学・高校生 150円 65歳以上・小中学生 100円

 1950年代から80年代まで、数々の映画で衣裳デザインを担当した柳生悦子(やぎゅう・えつこ 1929~2020)。舞台衣裳デザインの道を志していた柳生は東京美術学校在学中から映画美術監督・松山崇に師事、美術助手として映画制作に携わります。『ロマンス娘』(東宝 1956年)で映画衣裳を手がけるようになり、以降「三人娘」「若大将」「社長」「クレージー」ものなどの東宝の人気シリーズから音楽映画、文芸作品、時代劇、戦争、SF映画などあらゆるジャンルの映画衣裳デザイナーとして活躍していきます。85年の『Mishima』(日米合作映画・日本未公開)、88年の『敦煌』(大映・電通)まで作品数は100本以上に上ります。
 現在でこそ映像作品におけるコスチューム・デザインは作品を成り立たせる重要な要素として認識されていますが、柳生がキャリアをスタートした1950年代から60年代の映画界はモノクロからカラー、ワイド画面への転換期と軌を一にし、登場人物たちの色調やスタイルを全体バランスの中で考える専門職としての衣裳デザイナーの必要性がようやく認められはじめた時期でもありました。柳生は手さぐりの中で、映画全体と調和する「グッド・デザイン」とは何かを追求し続けました。
 世田谷文学館は柳生の生前、約3000点に及ぶデザイン画の寄贈を受けました。本展は、歳月を経てなお色彩鮮やかなデザイン画の数々を中心に構成し、映画衣裳デザイナーのパイオニア・柳生悦子の仕事をご紹介いたします。約400点の衣裳デザイン画を閲覧できるデジタル展示とともにお楽しみください。
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昨年末にX(旧ツイッター)世田谷文学館さんの公式アカウントに出た投稿で、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」岩下志麻さんが演じられた智恵子役の衣裳に関する展示も為されているということを知った次第です。
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手許の資料とつつきあわせてみますと、何点かは「ああ、このシーンでの衣裳か」という感じでした。
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ちなみに光太郎役は丹波哲郎さんでした。
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改めてお着物をよく見てみますと、意外と凝った柄になっていますね。しかしそれが違和感を感じさせず、非常に自然です。柳生さんという方、存じませんでしたが、いい仕事をなさっていましたね。
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ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

苦しめる間は必ず進みます。これでもういいと思つた時はお仕舞です。


昭和21年(1946)3月19日 浅見恵美子宛書簡より 光太郎64歳

なるほど。

制作にちょっとだけ関わらせていただきました。

千葉県立図書館さんのサイトから。

千葉県誕生150周年記念「房総文学カード」(第2弾)の配布について

 第1弾に好評をいただいた「房総文学カード」。その第2弾を、今月25日より配布します。千葉県ゆかりの文学作品をとりあげ、作者やその舞台となった地に関する情報を満載したカードで、QRコードから作品を読むこともできます。第2弾も選べる5種類。ぜひ集めてみてください。
 チラシはこちら(PDF:244KB)

配布期間  令和5年10月25日(水)~なくなり次第終了
配布場所  千葉県立図書館3館(中央・西部・東部図書館)カウンター
枚  数  初刷限定各150枚
問い合わせ
千葉県立東部図書館 読書推進課 〒289-2521 旭市ハの349
TEL 0479-62-7070 FAX 0479-62-7466 E-mail:elib-kouza@mz.pref.chiba.lg.jp
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トータルナンバー008が「高村光太郎 智恵子抄 九十九里エリア 九十九里町」。現物がこちらです。名刺サイズで両面印刷。
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千葉県立図書館さん、中央、西部、東部3館中の、当方が自宅兼事務所をかまえる香取市に隣接する旭市にある東部図書館さんで企画されました。同館にて6月に文学講座「高村光太郎・智恵子と房総」講師を仰せつかったご縁で、使用する画像について御相談をうけました。

ちなみにカードと共に図書館だより的なリーフレット「知識は旅をする」第78号も一緒にお送り下さいました。6月の講座の様子がレポートされています。
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「先生のユーモアある語り口にしばしば笑いも起き」……当人はいたって真面目に話していたつもりなのですが(笑)。

また、没後90年ということで、光太郎と縁の深かった宮沢賢治についても言及されています。
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で、文学カード。「九十九里町の『智恵子抄』詩碑の写真とかでいいんじゃないですか?」とも申し上げましたが、九十九里で半年あまり療養生活を送った智恵子の紙絵を使いたい、ということで、花巻高村光太郎記念会さん所蔵の紙絵を紹介いたしました。

今回が第2弾ということで、第1弾は9月に発行されていました。
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ラインナップ、一応活字にしておきます。

第1弾
 001 芥川龍之介「海のほとり」 九十九里エリア:一宮町
 002 伊藤左千夫「野菊の墓」 東葛・湾岸エリア:松戸市ほか
 003 佐藤春夫 「犬吠岬旅情のうた」 香取・東総エリア:銚子市
 004 田山花袋 「ある日の印旛沼」 印旛エリア:印西市・佐倉市ほか
 005 長塚節  「炭焼のむすめ」 南房総・外房エリア:鴨川市
第2弾
 006 大町桂月 「鹿野山」 内房エリア:君津市
 007 若山牧水 「水郷めぐり」 香取・東総エリア:香取市
 008 高村光太郎「智恵子抄」 九十九里エリア:九十九里町
 009 原民喜  「千葉海岸の詩」 東葛・湾岸エリア:千葉市
 010 宮本百合子「漁村の婦人の生活」 南房総・外房エリア:南房総市


著作権の切れているものを対象にしているそうで、各カードにはQRコードが印刷され、青空文庫さんにアクセス出来るようになっています。
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右は第2弾のPR画像。赤い変なの(笑)は、千葉県のゆるキャラ・「チーバくん」です。左側の真横から見ると、何と千葉県の形をしているというすぐれもの。よく間違われるのですが、決してメタボ犬ではありません。そもそも「犬」ではありません。「不思議ないきもの」です。

カードのイメージとしては永谷園さんの「東海道五十三次カード」だそうで(若い人には「何のことやら?」かもしれませんが)、今後も順次追加されていく予定とのことです。

そこで光太郎の再登板もあり得るというお話で、ありがたいかぎりです。

それぞれ千葉県立図書館さん3館で無料配布中。ぜひゲットして下さい。

【折々のことば・光太郎】

目下小生新らしい丈夫な壕を造りかけてゐます。一人でやるので中々はかどりません。艦載機の銃撃に備へるためです。


昭和20年3月24日 舟川栄次郎宛書簡より 光太郎63歳

駒込林町の光太郎アトリエ兼住居、3月10日の東京大空襲では大きな被害を免れましたが、その後も断続的に空襲が続き、結局、4月13日の空襲で跡形もなく焼け落ちてしまいます。

その前に掘った防空壕に彫刻刀や砥石、布団類などを入れて置いたのですが、その中にかつて智恵子が欲しがって入手した、英国の染織工芸家、エセル・メレ作のホームスパンの毛布が含まれていました。この毛布はその後の8月10日にあった花巻空襲もくぐり抜け、奇跡的に現存します。
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昨日のこのブログ、国会図書館さんで調べた『婦人之友』の記事について触れましたので、ついでにそのあたりをもう少し。

先月の調査の際に見つけたのですが、同誌の第18巻第7号(大正13年=1924 7月)の記事です。タイトルが「変つた形のエプロン二種」。「恵美子」という署名で書かれており、同誌の記者が執筆したもののようですが、「二種」のうちの一つが、なんと智恵子デザイン、製作のエプロンです。

 高村光太郎氏の御宅に伺つたとき、手を拭きながら出ていらしつた夫人が、ほんとうに面白い前掛をかけてゐらつしやいました。何だかわからない厚地の渋い茶色に印度更紗を取り合せてある、めづらしい形ちのものでした。早速拝借して来たのがこの写真のものです。
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 布地(きれぢ)はお酒をしぼる時に使つた袋なのです。色も厚さも丁度ズツクのやうで、これに古代更紗でふちが取つてあるのです。エプロンの中央には随分大きなポケツトがついて居ります。このポケツトは大変役にたつので、お炊事の時に一寸ふきんをはさんでおいたり、お仕事の時は、鋏や絲など失(なく)しやすいものを入れておいたりすることが出来ます。而もその形が如何にも大まかなので、よく全体の調和を保つてゐるのです。
 何でも有り合せの布(きれ)を利用して、うまく配合させると、中々面白いものになります。夫人がもう一つ見せて下すつたのは形は同じで、キヤラコの地に、水色の四角な輪を散つてゐる麻布(あさぎれ)を取り合せてありました。大変すゞしさうに見えました。雑ぱくな仕事着よりずつと趣味が豊かで上品なかんじがいたします。一寸したお客様の時なら着たまゝで出てもさしつかへはないでせう。
 作り方は左の図をごらんになればすぐわかります。これは頸(くび)にかける紐が輪になつてゐますが、髪が崩れる恐れがありますから、紐の中央を裁(き)つてホツク止めにするか、紐の一方の端だけはなしておいてこれにスナツプをつけ、胸の三角形の所にとめ合せるやうに工夫したらよいでせう。着物の場合、袂(たもと)は左右についてゐるひもでしつかり結ぶと大丈夫となります。
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 赤ちやんのあるお母様にまたこのエプロンは大変便利ではありませんか。哺乳の度(たび)に、いちいち取り外さなくてもよいのですから。
 全体の巾(はば)や長さは着る方の身体によつて適当にして頂きます。たゞ御参考までに大体の出来上り寸法をかき入れてみました。


原文は総ルビですが、分かりにくいと思われるもの以外は外しました。あきらかな誤字は正してあります。

何だか現代でも売っていそうなデザインですね。大正末といえば、まだ婦人は和装が中心だったのではないかと思われ、家事の際にはエプロンより割烹着的なものが多かったのではないでしょうか。その時代にこのエプロン、斬新だったかもしれません。

素材が「お酒をしぼる時に使つた袋」ということで、智恵子は福島の実家・長沼酒造から持ち帰ったのではないでしょうか。となると、麻や絹ではなく、コットンでしょう。もう一つの同型のものはキャラコと書かれていて、これも綿布の一種ですね。

ところで、型紙の図。単位が記されていませんが、尺貫法で書かれているようです。たて「247」は247㌢=2㍍47㌢では長すぎますね(笑)。といって、247㍉=24.7㌢では赤ちゃんのよだれかけです(笑)。「247」は2尺4寸5分=約74.2㌢でしょう。そこで、全て㍉に換算してみました。
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紐の長さは書いてありませんが、適当に、ということでしょう。まぁ、体型によっても変わるでしょうし(笑)。

それにしても、写真は智恵子が使っていたものを借りてきて撮影したそうで、「おお」という感じでした。これを装着した状態の智恵子の写真が載っていれば、なおよかったのですが……。

ところで、エプロンというと家事のイメージ。「智恵子」「家事」といえば、1ヶ月位前でしょうか、有名なフェミニズム系のセンセイ(昔よくテレビでジェンダー論を吠えていた女性の方です)が「光太郎は炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」的な発言をなさっていました(そのセンセイ、昔から「智恵子抄」を眼の敵にされているのですが)。しかし、「ちょっと待てよ」です。

たしかに光太郎の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)には、次の一節があります。

彼女も私も同じ様な造型美術家なので、時間の使用について中々むつかしいやりくりが必要であつた。互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓してしまふ。さういふ日々もかなり重なり、結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず、おまけに私が昼間彫刻の仕事をすれば、夜は食事の暇も惜しく原稿を書くといふやうな事が多くなるにつれて、ますます彼女の絵画勉強の時間が食はれる事になるのであつた。

しかし、同じ文章には

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。

とあり、「炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」とは言えますまい。

また、本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居近所の住民の目撃証言で、光太郎が買い物カゴを下げて歩いているのはよく見かけたが、智恵子の買い物姿は見たことがない、といったものもあります。「やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず」と云いつつも、かなり分担は為されていたのではないかと思われ、やはり「炊事掃除洗濯を全部智恵子に押し付けた」は言い過ぎのような気がします。

ま、この辺りを論じ始めるときりがありませんし、いずれにしても当人達にしか分からない、いわば真相は「闇の中」なのですが……。

さて、「智恵子のエプロン」。型紙を御参考に、この方面で腕に覚えのある方、ぜひ作ってみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

東京はあのやうな始末故ちゑさんも今暫くそちらにて静養の方よろしきかと存候間何分御願申上候

大正12年(1923)10月6日 長沼セン宛書簡より 光太郎41歳

東京はあのやうな始末」は、この年9月1日の関東大震災に関わります。光太郎アトリエ兼住居は無事でしたが。智恵子は震災当日も実家に帰っていまして、もう少しそちらに置いてくれという依頼です。

ハンドメイド系の通販サイトから最近見つけた商品を2点。

レモンのイヤリング

チェコガラスビーズでできたレモンのイヤリングです。

レモンのお色は高村光太郎の『智恵子抄』から、「レモン哀歌」をイメージした「トパアズ」と、梶井基次郎の『檸檬』をイメージした「イエロー」の2種類、金具はゴールドとシルバーの2種類、計4種類をご用意しました。ご注文の際はよくご確認下さい。

A1:トパアズ×ゴールド ¥ 600  A2:トパアズ×シルバー ¥ 600
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B1:イエロー×ゴールド ¥ 600  B2:イエロー×シルバー ¥ 600
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「トパーズ」ではなく「トパアズ」として下さっているのが心憎いところです。

もう1件。

【レモン哀歌ネックレス】天然石きらめく物語アクセサリー

 高村光太郎が妻・智恵子を偲んで書いた「レモン哀歌」は、永遠の愛の詩です。「愛し合うすべての人々が幸福でありますように」。そんな思いで作ったネックレスです。
 みずみずしいレモンクオーツをトップに付けました。ラフカットなので不規則にきらめきます。「自分らしく」と励ましてくれるシトリンを3粒並べ、レモン果汁の香気を表現しました。
 きらめく雫のようなアクアマリンを、レモンクオーツの隣に付けました。幸せな結婚の象徴でもあり、自由の象徴であるアクアマリンは、心の闇に入りこんでしまったときでも、一筋の光を見せてくれる石です。
 青白いオーロラのような石は、レインボームーンストーン。小さな奇跡に巡りあわせてくれるロマンティックな石です。
 長さ調節できるアジャスターには、「希望の石」アマゾナイトを付けました。

チェーン(真鍮) 約36cm  長さ調節アジャスター 約3cm

★ラッピングについて
 「レモン哀歌」についての文章と天然石の紹介を書いた、小さな本にお入れします(無料)。
★天然石について
 石の形状や大きさ、色味は写真とは異なることがありますが、ひとつとして同じものがない天然石の味わいと思って頂けると幸いです。また、天然のクラックやキズが見られる石がありますことをご了承ください。
~天然石の紹介~
◆レモンクオーツ
 レモンの香気のようなみずみずしい水晶で、水晶特有の冷涼感と温かみがあります。この石を見ていると、窓からの陽射しで朝目覚めたときの、何もかも新しく生まれ変わっているような清々しさを感じます。フレッシュな明るさをもつ石ですが、包みこむような優しさと安心感もあります。
◆シトリン
 柔らかな太陽の光のような石で、日光浴をしているときの体に染みいる温かさを放つ石です。「自分らしく」と元気づけてくれ、心に明るく朗らかな光をもたらしてくれます。瞬間々々の充実感や満足感、無理のない自分らしさや自信、問題を乗りこえ前進していく勇気を与えてくれます。
◆アクアマリン
 穏やかに打ち寄せる波や、きらめく雫を思わせる、みずみずしい石で、感情の滞りを洗い流して心を癒してくれます。自由を象徴する石でもあり、何事にも囚われない水のような柔軟性や、相手を受け容れる大らかさをもたらし、壁のないコミュニケーションを助けてくれます。そのため「幸せな結婚」を象徴する石でもあります。また、アクアマリンは「夜の女王」とも呼ばれるように、暗がりできらめきを増すという特徴がありますが、この優しいきらめきは、心の闇に入りこんでしまったときでも、一筋の光を見せてくれる気がします。
◆レインボームーンストーン
 朧月のような、神秘的な美しさをもつ石で、インスピレーションを高め、小さな奇跡と思える出来事や出会いに導いてくれるといわれています。
◆アマゾナイト(ペルー産)
 希望や幸運を呼び込んでくれるといわれています。明るい青緑色がアマゾンの川や森を思わせることから、石名が付けられたそうです。心が安らぐ色をしていますが、原始の川や森に木漏れ日が差すような明るさも。
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画像を見るとけっこう以前から売られているようですが(2016年という文字が見えますので)、つい最近検索網に引っかかりました。

「こんなのもあるよ」という情報、お待ちしております。作家さんご本人でも、それ以外の方でも。できるかぎり紹介させていただきます。

【折々のことば・光太郎】

あなたが外国へ向はれてからもうまる三年たちました。 そして私はまだあの成瀬先生の胸像をいぢつて居ります。 学校の方の人々のよく忍耐して待つてゐて下さるのを ありがたいと思つてゐます。 しかし私が今こんなに長くかかつてやつてゐるのは 私としては 無意味ではないのです。この胸像は私の彫刻製作上の一転機をつくるものと信ぜられるのです。私はこの三年間 煉瓦をつむやうに研究して来ました。そして心の全く澄んで 静かな時だけ此の彫刻に手をつけました。雑念の心を乱すやうな時は幾日でも手をつけずに 只見てばかりゐました。


大正11年(1922)3月11日 小橋三四子宛書簡より 光太郎四十歳

010小橋三四子は日本女子大学校での智恵子の先輩。同じく柳八重らとともに、光太郎と智恵子の出会いをお膳立てしてくれた一人です。その小橋らを通じて、同校の創設者にして大正8年(1919)に亡くなった成瀬仁蔵の胸像制作の依頼がありました。依頼は成瀬が没する直前で、3年経ってもまだ出来ていないという報告です。

しかし、3年どころではなく、結局、この胸像が完成するのは昭和8年(1933)。造っては毀しの繰り返しで実に14年もかけました。光太郎、この胸像には書簡に書かれているようなものすごい思い入れがあったようです。後から注文があった松方巌胸像、黒田清輝胸像の方が先に完成してしまいました。もっとも、それらは注文主が待ってくれなかったのかもしれませんが。

この像、現在も同校の成瀬記念講堂に据えられています。下の画像は同校創立90周年記念のテレホンカードです。平成3年(1991)頃のものでしょう。
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新刊です。

おとなのスケッチ塗り絵 花と叙情の詩文集

2023年5月21日 絵・名司生 エムディエヌコーポレーション発行 定価1,200円+税

スケッチするように塗り絵を楽しむ「おとなのスケッチ塗り絵」。最新作の『花と叙情の詩文集』は、日本文学をテーマにしました。

美しい日本語で紡がれた日本文学。シリーズ24作目は名作として長く読み継がれている文学作品をテーマにしました。「植物」「動物」が登場する一編を取り上げ、その情景をイメージして図案化。物語のワンシーンを切り取ったような叙情的で美しいイラストが特徴です。金子みすゞ、高村光太郎、海達公子、宮沢賢治、萩原朔太郎といった日本を代表する作家たちの作品から選出。一度は読んだことがある名作ばかりなので、読書をした当時の記憶や気持ちを思い出しながら塗り絵が楽しめるでしょう。

塗り絵の対向ページには、作家や作品の紹介と参考にした一編を掲載しています。塗り絵は、自律神経を整えたり認知機能を高めたりするのに有効なアイテム。手を動かすことで脳に刺激をあたえますが、とくに「昔の思い出などを想像しながら塗る」という行為が、脳の働きを活性化するそうです。

011イラストは同シリーズで人気の『おとなのスケッチ塗り絵 万葉の花』を担当したイラストレーターの名司生さん。本のイメージを大切にオリジナルの世界観で描きました。イラストにはかわいい妖精たちも登場するので注目してください!

目次
 準備するもの
 塗り方のテクニック[基本]
 塗り方のテクニック[応用]
 [花と叙情の詩文集 塗り絵集]
  01 チューリップ(三好達治)
  02 芙蓉の花(野口雨情)
  03 金雀枝(野口雨情)
  04 学校(室生犀星)
  05 月草(室生犀星)
  06 藤の花(海達貴文)014
  07 ばら(海達公子)
  08 秋の朝(海達公子)
  09 水ヒアシンス(北原白秋)
  10 曼珠沙華(北原白秋)
  11 どんぐりと山猫(宮沢賢治)
  12 冬が来た(高村光太郎)
  13 六月の雨(中原中也)
  14 春と赤ン坊(中原中也)
  15 梅(八木重吉)
  16 星とたんぽぽ(金子みすゞ)
  17 げんげの葉の唄
(金子みすゞ)
  18 こころ(萩原朔太郎)
  19 桜の森の満開の下
(坂口安吾)

この手の書籍、最近流行りですね。こちらも「シリーズ24作目」だそうで。

認知症予防などにも使われているようで、一昨年亡くなった義母も、ディサービスの施設でこの手の塗り絵をやっていました。

前半が手本のページ。オールカラーです。書籍自体が大判なので(25.0㌢×25.0㌢)、スキャンできませんでした。右ページが光太郎「冬が来た」のページです。左は宮沢賢治「どんぐりと山猫」。
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後半ページがワークシート的な。切り取って手本ページを見ながら塗れるように、キリトリ線が印刷してあります。簡略な作品解説も。
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手本ページの美しい絵を見ているだけで心が和まされます。

ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

又あの愛らしいみち子さんの方は 初め木炭でいろいろ素描を試み今早朝の時間を以て八号のカムバスへ油画に致して居ります あの無邪気な晴朗とした面影を捉へたいと念じて居ります


大正7年(1918)8月23日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

渡辺湖畔は新潟佐渡島の素封家にして与謝野夫妻の新詩社同人だった歌人。「みち子さん」はこの年4月、3歳で早世した渡辺の娘。光太郎が写真を元に肖像画を描きました。
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親としては涙無しには見られなかったのではないかと思われます。

一昨日の『福島民報』さんから。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使って下さいました。

心地よい光探る 光の在り方の研究拠点完成 福島県二本松市 照明デザイナー東海林さん建設

 福島県二本松市の安達太良高原に、人の心を優しく包む光の在り方を研究する拠点が完成した。福島市出身の照明デザイナー・東海林弘靖さん(64)=東京都=が自然の光を存分に取り入れられる景観にほれ込んで建てた。太陽や月、星が照らし出す自然の移り変わりを体感し、データ化して分析する。2025年の大阪・関西万博の照明デザインを手がける東海林さん。古里の「ほんとの空」から本当に心地よい光を見つけ出し、世界に伝える。
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安達太良高原に完成した光の観測拠点と東海林さん

 新型コロナウイルス感染拡大の影響でリモートワークを進めていた2020(令和2)年、母が暮らしている県内に仕事の拠点を作ろうと考えた。子どものころに福島市でホタルを追った記憶、ほの暗いかやぶき建築の風景などを胸に、「空」をキーワードに適地を探した。伸びやかな空が広がり、自然光にあふれる安達太良高原に決めた。魅力的な温泉にも引かれた。
 完成した施設は鉄筋コンクリート造りの高床式平屋で延べ床面積は37平方㍍。二本松市岳東町の標高585㍍の地点にある。縦2・4㍍、横3・2㍍の大きなガラス窓からは安達太良の山並みが一幅の絵画のように見える。室内の浴槽には月の光を映すことができ、まきストーブを置いて炎のゆらぎも人の心に響く光として捉える。
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安達太良高原の自然光の移り変わりを体感できる室内

 外壁の東西南北と空の計5方向に向けて照度の計測装置を取り付けた。明るさの推移を自動で記録する仕組みだ。さらに小型カメラのライブ映像をオンラインで確認できる。人の心や身体に癒やしや勇気を与える光について、感覚だけでなく、こうしたデータを積み上げながら科学的にも研究する。
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観測拠点付近から見た安達太良山。早朝、昇る太陽に赤く照らされる

 東海林さんは福島高、工学院大工学部卒、同大学院修了。2000(平成12)年に都内に照明デザイン会社LIGHTDESIGNを設立し、社長を務める。大阪・関西万博では会場デザインプロデューサー補佐・照明デザインディレクターを担う。
 新たな拠点には各分野の専門家や幅広い友人らを招き、社員らとともに創造的な討論の場としても活用する。「人にとって心地よい明かりを古里の空で考えていく。この素晴らしい景観の中に身を置くことで、さまざまな気付きを得たい」と語った。
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観測拠点付近から望む昼の安達太良山。雪の山並みの上に真っ青な冬空が広がる

照明デザインという概念、近年、注目度が増していますね。「人の心に響く光」「人の心や身体に癒やしや勇気を与える光」、いいですね。

【折々のことば・光太郎】

黒檜大沼の山水をおもへば身の都門にあるを忘れ果て候


明治38年(1905)7月13日 猪谷千代宛書簡より 光太郎23歳

猪谷千代は、光太郎がたびたび訪れた上州赤城山の猪谷旅館の女将。その弟がスキー選手・猪谷六合雄で、さらに六合雄の子息が日本人初の冬季五輪メダリスト・猪谷千春氏です。

「黒檜」は赤城山系の最高峰、「大沼」は「沼」というより「湖」、カルデラ湖です。このほとりに猪谷旅館がありました。
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光太郎は、『明星』の面々(与謝野鉄幹、水野葉舟、伊上凡骨ら)、後には当会の祖・草野心平や彫刻家の高田博厚などを案内して訪れています。

智恵子にとってのソウルマウンテンが安達太良山だったのに対し、赤城山が光太郎のソウルマウンテンだったのでしょう。

先月刊行の新刊です。著者は元文藝春秋副社長の西川清史氏。

文豪と印影

2021年12月15日 西川清史著 左右社 定価2,200円+税

秘蔵写真多数! 170の印影から見える130人の文豪の素顔
かつて本には「検印」が捺され、 作品を書き上げたあと文豪たちの「一番最後の仕事」は自分の本にハンコを捺すことだったーー。
病床でも「印譜」を見たいと話した夏目漱石や、遺書にも「印鑑」について記した芥川龍之介。 大好きな荷風にとっておきの「印鑑」を贈った谷崎潤一郎に、「検印」の小説を書いた菊池寛など 130人の文豪たちの170の印影をエピソードとともに収録。
「ハンコ文化」が失われつつある今、「ハンコと文豪」の切ってもきれない関係に迫る。

※検印:書籍の奥付に著者が発行部数を検する(印税計算の基準数を証する) ために押す印。
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目次
はじめに 森鷗外 芥川龍之介 坂口安吾 太宰 治 川端康成 大岡昇平 三島由紀夫 葛西善藏 コラム ハンコの誕生は恐るべき昔 檀一雄 大原富枝 舟橋聖一 原田康子 米川正夫 壺井榮 五味康祐 三浦哲郎 小島政二郎 立野信之 中里介山 新田次郎 吉川英治 海音寺潮五郎 子母澤寛 永井龍男 福原麟太郎 福田恆存 高濱虛子 薄田泣菫 井上靖 直木三十五 幸田露伴 嘉村礒多 正宗白鳥 牧野信一 金子光晴 内田魯庵 金田一京助 山崎豊子 松本清張 久生十蘭 上林暁 安倍能成 田宮虎彦 阿部次郎 三浦朱門 石川達三 尾崎士郎 谷川俊太郎 今日出海 高見順 火野葦平 荻原井泉水 日夏耿之介 岡本綺堂 大佛次郎 安岡章太郎 正岡子規 島木健作 丹羽文雄 和田芳恵 土岐善麿 森田草平 永井荷風 谷崎潤一郎 泉鏡花 野村胡堂 木下杢太郎 齋藤茂吉 高村光太郎 久保田万太郎 稲垣足穂 横光利一 林芙美子 武田泰淳 中原中也 織田作之助 夏目漱石 島崎藤村 室生犀星 岡本かの子 與謝野晶子 志賀直哉 武者小路実篤 北原白秋 佐藤春夫 宇野浩二 國木田獨歩 井伏鱒二 コラム 印表をじっくり味わおう 村松梢風 安藤鶴夫 岸田國士 津村節子 倉橋由美子 椎名麟三 中野好夫 川口松太郎 水上勉 伊藤整 有吉佐和子 三好達治 梶井基次郎 小林秀雄 横溝正史 山田風太郎 丸谷才一 中勘助 内田百閒 徳田秋聲 江戸川乱歩 吉井勇 司馬遼太郎 菊池寛 廣津和郎 石川淳 宮本百合子 開高健 中野重治 山本周五郎 石原慎太郎 獅子文六 池波正太郎 柴田鍊三郎 吉行淳之介 堀辰雄 大江健三郎 幸田文 瀧井孝作 花田清輝 澁澤龍彥 佐多稲子 あとがき

基本、書籍奥付に貼られた検印紙に捺された印章を紹介するものです。検印紙の制度については、本書「はじめに」に詳しく語られています。

 出版社が著者に支払う印税(著作権使用料)に正確を期すためである。出版社は著者に対して、千部印刷して売りに出せば千部分の、一万部売りに出せば一万部分の印税(定価の一割前後)を支払わねばならない。その売り出し部数に正確を期すために検印制度が導入されたわけである。つまり、出版社が千部と言っておきながら、ちゃっかり二千部を売りに出していたりすることがないようにという、実に散文的な事情で誕生した制度なのである。

なるほど。

光太郎の日記にも、検印紙に捺印しまくって手が痛くなった的な記述が散見されます。

しかし、中には悪徳出版社もあったようで、光太郎とも交流のあった式場隆三郎によれば……

 いつか私の本で、検印紙を半分に切ってはったものがあった。つまり著者に知らせた二倍の部数が、でていたのを知った。また無検印の本が、かなり出ていたことがある。もっとひどい出版社では、検印を偽造して、何千部かさばいていたことがわかった。

文士たちも自衛策を講じます。

 そこで著者はそんじょそこらにはないハンコを誂えるようになった。ハンコはどんどん洗練され、審美的な色彩を帯びてくる。印影まで含めて作品なのだ、とでもいうように。

というわけで、「洗練され、審美的な色彩を帯び」た「そんじょそこらにはないハンコ」の数々が、本書では紹介されています。

必ず肖像写真と印影の画像が載っていますが、人によってページ数、内容が異なります。1ページだけの者、数ページ費やして複数の印影が紹介されている者などなど。
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われらが光太郎は見開き2ページ。
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昭和15年(1940)、詩人の宮崎丈二を通じて依頼した、中国の斉白石制作の印が紹介されています。また、印とは関係がないのですが、稲垣足穂の回想文からの抜粋。

百数十名の印影、見ているだけで楽しいものです。ただ、危惧も感じます。

光太郎の印は、検印紙だけでなく、色紙揮毫、書籍の見返しに書いた献呈署名などにも使われています。そこで、この印まで含めての偽物が作られ、売りに出ていることがあるのです。まあ、当方など、よく見れば偽物特有の卑しさが溢れていてわかるのですが、騙される人もいるでしょう。

他の作家でも、各種の揮毫などにここで紹介されている印を使っている場合があるとしたら、この書籍を参考に偽物制作にかかる不届き者がいるのではないかと、心配になります。まあ、偽物特有の卑しさに気づかず買ってしまうのは自業自得かも知れませんが、それが悪徳業者を潤す結果になるのはいただけませんね。

何はともあれ、『文豪と印影』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

盛岡放送局より鈴木寛アナウンサー来訪、新年の放送につき依頼、此は断る、

昭和26年(1951)12月6日の日記より 光太郎69歳

「鈴木寛アナウンサー」は、正しくは「鈴木豊アナウンサー」。この際にはラジオ出演を断った光太郎ですが、その後、鈴木の上司の放送課長に懇願され、根負けして二日後に録音に応じています。

この前後、昭和24年(1949)と昭和27年(1952)に収録・放送されたものは、その内容が分かっているのですが、この時のものはどんな話だったのか不明です。

最近流行りの個人開設型ネットショップ。中小企業さん、個人商店さん、ベンチャーさん、それから純粋な個人の方も出店しています。

そのうちのBASE(ベイス)さんというサイトに登録されているnepop_bungakuさんというショップ(ブランド名 written by me.)で、流行りの「文豪」ものグッズを出品されていますが、光太郎もラインナップに入れて下さいました。

『智恵子抄』文学トートバッグ / アイボリー / 文豪シリーズ⁑高村光太郎

近代の詩人 高村光太郎が妻智恵子について綴った『智恵子抄』より、『レモン哀歌』をイメージしたデザインのトートバッグです。

シンプルでさわやかなレモンのイラストに詩の原文と英訳をあしらい、レトロガーリーな雰囲気に。

人を選ばないナチュラルなアイボリーカラーです。『シンプルなのに人と被らない』デザインがお好みの方に♡

「わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ」「写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光るレモンを今日も置かう」

¥1,990 ※こちらの価格には消費税が含まれています。1回のご注文毎に送料¥550が掛かります。
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『レモン哀歌』文学スマホケース / 文豪シリーズ⁑高村光太郎

近代の詩人 高村光太郎が妻智恵子について綴った『智恵子抄』より、『レモン哀歌』をイメージしたデザインのスマホケースです*

ヴィンテージ風のレトロなブルーギンガムチェックとさわやかなレモンのイエローがキュート。どこか懐かしい雰囲気が推しポイントです。マットな質感で高級感も。

他と被らないデザインとモチーフで新しい文学の世界を味わってღ

♥対応サイズ→iphone8 / iphone7/iphoneX/iphoneXS

¥2,500 ※こちらの価格には消費税が含まれています。 1回のご注文毎に送料¥550が掛かります。
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他に、夏目漱石『吾輩は猫である』、太宰治『女生徒』バージョンも。

当方、早速、「『智恵子抄』文学トートバッグ」を注文してしまいました(笑)。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午前、花巻より彫刻家佐藤清三郎氏来訪、瑞雲の弟子。


昭和23年(1948)11月2日の日記より 光太郎66歳

「佐藤清三郎」は、正しくは「佐藤精三郎」。「瑞圭」と号した彫刻家です。光太郎の父・光雲の高弟の一人、山本瑞雲に師事し、「瑞」の一字を貰いました。大正5年(1916)、花巻の出身だそうで、あちらには作品が結構残っているようですし、さらに花巻で弟子も育てたとのこと。

その名は『高村光太郎全集』に2回出て来ますが、以前は読み飛ばしており、そういう人物だと存じませんでした。昨年、花巻高村光太郎記念館さんで開催された市民講座「光太郎の父 高村光雲の彫刻に触れる」で講師を仰せつかった際、光雲について述べる中で、光雲の弟子や孫弟子についても「光雲の系譜を継ぐ彫刻家たち」ということで触れたのですが、瑞圭の系譜については脱漏してしまいまして、汗顔の至りです。

地方紙『宇部日報』さん、先週の記事です。山口市の中原中也記念館さんの企画展「書物の在る処――中也詩集とブックデザイン」について。

中原中也記念館で企画展「中也詩集とブックデザイン」 装丁家や出版の背景などを紹介

 中原中也(1907~37年)の詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」と3冊の翻訳詩集を中心に、装丁家や出版の背景などを紹介する企画展「書物の在る処―中也詩集とブックデザイン」が、山口市湯田温泉1丁目の中原中也記念館で開かれている。9月26日まで。
 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が装丁した「山羊の歌」の校正刷りや紙型、大正~昭和初期に刊行された個性豊かな詩集のブックデザインなど約100点が展示されている。
 中也の第2詩集「在りし日の歌」のブックデザインは、中也の友人で美術評論家、装丁家の青山二郎(1901~79年)が手掛けた。柳のカットと手書きの文字を生かした大胆なデザインが特徴で、青山の装丁作品の中でも傑作とされている。会場には、色彩豊かな額縁文様、愛らしい木彫りのはんこを使ったパターンなど独特の手法を用いて生み出された青山の装丁作品が多数飾られているほか、青山の日記や中也が青山に贈った詩を通じて2人の交流を紹介している。
 特別コーナーには、現代に生きる詩人やアーティストが中也の2冊の詩集をそれぞれの視点で捉えてデザインした詩集が展示されている。
 学芸員の菅原真由美さんは「電子書籍が普及する中、本の持つ存在感やたたずまいを感じてもらい、デザインを楽しむ中で詩への興味を広げてもらえたら」と話していた。
 時間は午前9時~午後6時。月曜休館。一般330円、学生220円、70歳以上、18歳以下無料。
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ところが、この記事が出た直後、コロナ禍のため9月13日(月)までの休館が発表されました。ただ、同展、会期は9月26日(日)までの予定ですので、再開後も観覧可能でしょう。

似たような件ですが、岩手花巻の高村光太郎記念館さん、8月14日(土)から休館となり、当初予定では今日までのはずでしたが、休館期間が9月12日(日)まで延長、と発表されています。休館前に開催されていた企画展「光太郎の三陸廻り」は、最初の計画では昨日までの予定でしたが、そのまま終了なのか、期間を延長するのか、未定のようです。

本当に、早いところコロナ禍の収束・終息することを願わずにはいられません。

【折々のことば・光太郎】

弘さんはマヒタケを昨日とり、それを町に売りにゆきたるものといふ。百匁30円の割でうれりとの事。一個一貫目のマヒタケあり。300円になりしといふ。

昭和23年(1948)10月2日の日記より 光太郎66歳

「弘さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に住んでいた青年です。

「一貫目」といえば、約4㎏。そんな巨大な舞茸が採れていたとは、うらやましい限りです(笑)。

山口県から企画展情報です。

特別企画展「書物の在る処――中也詩集とブックデザイン」

期 日 : 2021年7月29日(木)~9月26日(日)
会 場 : 中原中也記念館 山口県山口市湯田温泉一丁目11-21
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 月曜日(祝祭日の場合は翌日) 毎月最終火曜日
料 金 : 【一般】 330円 【大学・高校専門学校の学生】220円 
      18歳以下、70歳以上無料

詩集には美しくデザインされた本が数多くあります。詩人たちは詩集を通じて自らの作品世界を表現するために、装幀にさまざまな工夫を凝らしてきました。
中原中也の詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』、3冊のランボー翻訳詩集もまた、高村光太郎、青山二郎、秋朱之介(あきしゅのすけ)らといった、個性豊かな装幀家、出版人の手によってかたちづくられました。それらの佇まいには中也と装幀家それぞれの思いが映し出されています。
本展では、中也と装幀家たちとの関わりや彼らの美意識、そして大正から昭和初期にかけて出版された詩集のブックデザインを紹介します。
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関連行事等

特別コーナー「中也の詩集をいま作るなら……」
昭和初期に出版された中原中也の2冊の詩集『山羊の歌』と『在りし日の歌』。これらが現代に出版されるなら、どのような装幀の詩集になるでしょうか?現代に生きる装幀家、詩人、アーティストが中也の詩の世界を新たな視点で捉え、今なお色あせることのないその魅力と現代性を、“詩集”という形によって表現し、その作品を展示します。
【参加メンバー】岡本啓(詩人)、カニエ・ナハ(詩人、ブックデザイナー)、佐野裕哉(グラフィックデザイナー)、ゾエ・シェレンバウム(アーティスト)、鈴木啓二朗(アーティスト)、秦博志(資料修復家)[50音順、敬称略]

オンライン座談会「中也詩集を装幀して」
8月7日(土)13:30~15:30
「中也の詩集をいま作るなら……」の参加メンバーのうち4名が、中也の詩集を装幀してみて感じたことや制作の裏話、ブックデザインについて思うことなどを語ります。要予約

オンラインワークショップ「青山二郎の装幀術にまなんでみる」
8月22日(日)13:30~15:30(予定)
講師 カニエ・ナハ(詩人、ブックデザイナー)
定員 15名程度(要申込・先着順)
対象年齢 小学生以上(低学年は保護者等にサポートがあると好ましい)
用意するもの ハサミ、糊、ペン(筆ペン)等
開催方法 Zoomを利用してオンラインで開催


元々、昨年開催されるはずだったようですが、あはりコロナ禍で延期となったとのこと。

自著をはじめ、生涯にかなりの数の装幀を手がけた光太郎。中也の『山羊の歌』(昭和9年=1934)のそれも光太郎です。
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もちろん題字の揮毫も光太郎。美しい、という感じの書体ではありませんが、光太郎にしか書けない味わい深い文字です。

そこで、キャプションにあるように、中也は「高村さんのような字が好きなんだ、あれはいい字だよ」と語ったとのこと。当方に言わせれば、中也は中也で、実に「いい字」を書いていたのですが……。
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『山羊の歌』をはじめ、中也著書の装幀に的を絞った企画展。関連行事等も充実しています。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

富蔵さんが、余のアトリエ建築につき骨折りたい意見ある由をきかせる。木材なども今買つた方が後よりもやすからんといふ。考へて置く事にする。大体は今とりかかる気の無き旨答へておく。


昭和23年(1948)6月15日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋。村人たちや花巻町の人々が、再三、光太郎にアトリエを建ててあげようとしました。しかし、当の光太郎は、なかなか乗り気になりません。やはり戦時中の翼賛活動を恥じての「自己流謫」中、ということで、きちんとした彫刻制作は封印する、という厳罰を自らに課していたためです。

facebookを開いていたところ、気になる広告が。
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地図柄ケースが続々登場! 全国1000都市からあなたの街を探してみよう!」だそうで。

展開しているのはクロスフィールドデザインさんという会社で、商品名は「Crossfield(クロスフィールド)」。

普段は情報ツールとして接している「地図」。そこには暮らす人や旅した人の様々な思い出が交差して詰まっています。人それぞれ、好きな街や懐かしい街への思いを身近なグッズとして近くに感じてほしい。そんな気持ちからクロスフィールドはラインアップを広げていきます。」ということで、日本全国の主要都市約1,000の地図をあしらったスマホケースだそうです。
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光太郎智恵子ゆかりの地について、探してみたところ、ありました、ありました(笑)。
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光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市。それから智恵子のふるさと、福島県二本松市

花巻疎開前に光太郎のアトリエ兼住居があった文京区千駄木。23区内はかなり細かい区割りになっています。
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それから古地図も(右上)。1860年の江戸だそうで、安政7年、途中で改元があって万延元年です。光太郎の父・光雲は嘉永5年(1852)の生まれですから、その頃ですね。

千葉県では、大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った犬吠埼を含む銚子市。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年余り療養した九十九里
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光太郎最後の大作「十和田湖湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖はないかと思って探しましたが、残念ながら十和田は市街のみが印刷されていて、郊外の十和田湖までは範囲に入っていませんでした。

ぜひご自分の街、気になる街をお探し下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后畑仕事。 ジヤガイモ六うねばかりいける。紅丸。人糞をほどこしたものの上へわらや木の葉まじりの土をかぶせその上へ中くらいのイモは丸のまま、大なるは半切にして置き、土をかぶせる。灰を少しかけて置く。

昭和21年(1946)4月28日の日記より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋生活、いよいよ本格的に農作業の始まりです。

フェイスブックで広告が出ていまして……

レモン哀歌 ロングスリーブTシャツ

突っ込みどころ満載のワンフレーズシリーズです。

アイテム本体 ロングスリーブTシャツ 5.6オンス
素材・材質  綿100%(ミックスグレーのみ:綿90%・ポリエステル10%)

定価2,340円+税(一部カラーでは、発色をよくするために下地に白インクを用いるので価格が高くなります。)
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ロングスリーブTシャツの他に、パーカー、半袖Tシャツなども。また、「ガリリと噛んだ」レモン哀歌以外にも、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」シリーズも。
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こちらは「SUZURI」さんというサイトでの提供商品。少し前にご紹介したサコッシュなどもそのようですが、個人でデザインし、作成・販売が出来る「無料オリジナルグッズ」的なもののようです。

突っ込みどころ満載」、確かにその通りですね(笑)。突っ込まれる勇気のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午后二時花巻病院の災害時に敢闘せし職員の表彰式に出席 昨日書きたる詩を朗読す。

昭和20年(1945)9月5日の日記より 光太郎63歳

災害」は8月10日の花巻空襲、「昨日書きたる詩」は「非常の時」です。

光太郎の疎開に一役買った佐藤隆房が院長を務めていた総合花巻病院では、医療従事者達が自らの危険を顧みず負傷者の救護に当たり、のちにその話を聞いた光太郎はその奮闘を讃え、詩「非常の時」を贈りました。今年、その内容がコロナ禍に立ち向かう医療従事者にかぶるということで、今年また注目を集めました。

レジ袋有料化に伴い、マイバッグ持参の習慣がついた方も多いのではないでしょうか。

そこでおそらく新製品と思われるバッグ系。もちろんここで紹介するので光太郎がらみです(笑)。

まずエコバッグ

文学作品エコバッグ 道程モチーフ

高村光太郎の詩集『道程』の一節、「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」をイメージしたデザインです🚶🏻‍♂️🛤 シンプルで使いやすさ抜群🌟

サイズは、縦33㎝×横28㎝。ファッション誌3冊程度が楽々入るサイズです📚 持ち手も肩にかけられる便利な長さ♪お値段は書店様によって異なりますが、約100円〜150円のお得な価格で多く販売いただいております!是非シリーズコンプしてください♡

発売元/文学の雑貨  
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「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」を英訳した「No way before me./A way behind me.」という文字がプリントされています。

他に、「ウォールデン 森の生活モチーフ」、「赤毛のアンモチーフ」、「銀河鉄道の夜モチーフ」、「ハムレットモチーフ」、「こころモチーフ」。それぞれかなりシャレオツですね。
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取り扱い店舗の一覧はこちら

続いて、一回り小さく、肩に斜めがけするタイプのサコッシュ

高村光太郎/智恵子抄/山麓の二人/わたしもうぢき駄目になる/サコッシュ

素材:綿100% キャンバス 280g/㎡
本体サイズ(mm) 300 × 230 紐の長さ(mm)  1,050 容量  0.7L
価格 ナチュラル/ライトグレー ¥2,530  ブラック ¥2,770
発売元/イニミニマニモ
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発売元のイニミニマニモさん、以前にもTシャツでご紹介していました。

その後も新商品を色々出されているようで、「山麓の二人」バージョン以外に「文学者ボックスロゴ 高村光太郎」バージョン、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る-座右の銘-」バージョンで、サコッシュ、トートバッグ、Tシャツ、パーカーなど、多くのラインナップが用意されています。中には持ち歩いたり身につけたりするにはちょっと勇気が要るかな、というものも(笑)。
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勇気のある方、ぜひお買い求め下さい(笑)。

【折々のことば・光太郎】

仕事しつつ自ら己れを見るにいかにしても天才とは見がたきのみか器用ともゆるしがたし。是非もなき事なれど口惜しからでやは。さもあらばあれ、勉めて止まず、倦まず撓まずすゝみゆかば遂には彼岸に達し得ん。否達せしめからざるべからず。

明治36年(1903)4月11日の日記より 光太郎21歳

光太郎の自己に厳しい性分は若い頃から如実だったのですね。

最近手に入れた古いものシリーズです。

講談社さんで2000年代はじめまで発行されていた雑誌というかムックというか、『きものと着つけ』。「'96」となっていますが、平成7年(1995)の発行です。どうも年刊だったようですね。

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女優の故・池内淳子さん監修ということで、「「智恵子抄」の詩を加賀友禅に」というコーナーが11ページにわたって掲載されています。加賀友禅の作家さん6名が、「智恵子抄」所収の詩からインスパイアされた着物を制作、池内さんがそれを見て回るというコンセプトです。

作家さん6名が2点ずつ、うち1点は共通課題で詩「人に」をお題に「いのち」と題する作品、そして6名それぞれが別々の詩をテーマに制作。特にコンテストとかいうわけではありませんが、ある意味、競演ですね。

柿本市郎氏で「ゆき(「深夜の雪」より)、浅野富治男氏は「裾野(「山麓の二人」より)。
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中町博志氏が「桜若葉(「あどけない話」より)」、白坂幸蔵氏の「松風(樹下の二人)より」。
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由水煌人氏作「やすらぎ(「郊外の人に」より)、毎田健治氏による「千鳥(「風にのる智恵子」より)」。
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画像は省略しますが、それぞれの詩も載せて下さっています。

華やかな中にも漂う気品、凛々しさ、清楚な感じ、優美さ、しかしどことなく感じられる哀愁、透明感、清澄さ……すみません、ボキャブラリーが貧弱でうまく表現できません(笑)。

同じようなコンセプトで行われたであろう展覧会と思われるものの図録も持っています。こちらは数年前に入手しました。題して「智恵子のきもの」。

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こちらは京友禅の作家さんたちのグループ「彩遊」さん8名によるもので、会場は高島屋百貨店。ただ、奥付が無く、いつのものかわかりません。写真(光太郎令甥の写真家、故・髙村規氏撮影)の感じから、やはり80から90年代のように思われますが。また、高島屋さんも何処の店舗だったのか不明です。ネットで調べても情報が出て来ませんでした。

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特定の詩をイメージしたものではなく、「智恵子抄」全体へのオマージュ、ということのようです。智恵子の紙絵ふうのデザインが採られている作品もあります。図録には作家で『智恵子飛ぶ』という小説も書かれている津村節子さんによる解説文[「智恵子の紙絵」も掲載されています。

こちらの作も、それぞれにあでやかに、たおやかに、そしてきりりと上品な風合いがエレガント、さらには天真爛漫な感じも受けますし、京友禅ということで雅やかとも言えるような気がします。

この手の二次創作、最近はあまり見かけないように思われ、残念です。まぁ、景気の動向等にも左右されましょうし、今後の日本経済の動向にも期待したいところですね。

【折々のことば・光太郎】

日本固有の服装と、西洋服との両方があれば、それで二重の喜びになる。西洋婦人の持たない喜びになる。

散文「美術家の眼より見たる婦人のスタイル」より
 明治43年(1910) 光太郎28歳

雑誌『婦人くらぶ』に掲載された文章の一節です。明治末、ようやく婦人たちが洋装をはじめた頃のもので、和装を捨て去る必要はないし、逆に和装にこだわるべきでもなく、併用しましょうという提言です。

和装が廃れつつある現代、「二重の喜び」「西洋婦人の持たない喜び」、多くの皆さんに味わってほしいものです。といっても、なかなか和装はハードルが高くなってしまった感は否めませんが……。当方もしばらく着物に袖を通していません。

新潮社さんのオンラインショップで見つけました。おそらく新たにラインナップに加わったのかな、と。 

ブックカバーにも便箋にも。使い方はあなた次第の5枚セットです!

新潮社に所縁のある模様+文豪トートと同じイラストの5種類の包装紙を封入。使い方しおり付きです!

・緑の孔雀:
 1914(大正3)年から刊行された第一期新潮文庫の見返しにあしらわれていたマーク。
・金の潮:
 「潮」の文字を図案化したマーク。
 1922(大正11)年、12,016点の応募作品の中から、高村光太郎らの審査員によって選ばれた。
・水色の木と鳥:
 1933(昭和8)年から刊行された第三期新潮文庫の裏表紙にあしらわれていたマーク。
・灰色のぶどう:
 戦後の1947(昭和22)年に復刊された第四期新潮文庫の本扉にあしらわれていたマーク。
・黄色の文豪イラスト:
 芥川龍之介、川端康成、太宰治、夏目漱石、松本清張、三島由紀夫。
 イラストレーター柳智之 による書き下ろし。

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1922(大正11)年、12,016点の応募作品の中から、高村光太郎らの審査員によって選ばれた。」という「「潮」の文字を図案化したマーク」。最後の画像に使われているものです。

筑摩書房さん『高村光太郎全集』別巻の光太郎年譜、大正11年(1922)の項に、光太郎らによる審査という記述がなく、この件は存じませんでした。

また、「こんなデザインがあったのか」という感じでしたが、改めて手元にある新潮社さんの古い出版物を調べてみたところ、随所に使われていました。これまで気に留めていませんで、汗顔の至りです。

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左から、昭和8年(1933)発行の新潮文庫『大正詩選』検印紙。同じ検印紙は昭和2年(1927)の『昭和詩選』、同4年(1929)の『現代詩人全集第九巻』にも使われていました。さらに『大正詩選』では、上記包装紙の別バージョンにあしらわれている「木と鳥」が裏表紙に。

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左から二番目は、昭和28年(1953)刊行の『高村光太郎詩集』(伊藤新吉編)裏表紙。

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右から二番目で、昭和30年(1955)に出た新潮文庫『詩集 天上の炎』検印紙。ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンのもので、光太郎訳です。光太郎の表記では「ヴェルハアラン」ですが。

一番右は、光太郎遺著の一つ、『アトリエにて』(昭和31年=1956)カバー。

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戦後もしばらく使われていたのですね。

さて、「新潮社オリジナル包装紙」、なかなかシャレオツです。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

翁と亡父光雲との対話を傍聴してゐる時は面白くたのしかつた。亡父は耳が相当に遠かったし、翁は純朴な東北弁まる出しであつたから、話は時々循環してその尽くる所を知らなかつた。今や、翁も父も此世に亡い。

散文「『青沼彦治翁遺功録』序」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

青沼彦治は宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で酒造業を営んでいた素封家。その銅像制作が大正14年(1925)、光雲に依頼され、光太郎が原型制作に当たりました。像は戦時中の金属供出のため現存しませんが、光太郎らの名が刻まれた当時のプレートを貼った台座は残っています。

青沼と光雲の会話の様子、ほほえましいものがあります。「時々循環して」、「あるある」ですね(笑)。

智恵子の故郷、福島・二本松からのニュースです。 

アマビエ夏マスク新作6種、17日発売 富樫縫製と民報印刷

 二本松市の富樫縫製と福島市の民報印刷は、夏向きの「アマビエマスク」の新作を十七日、発売する。販売する施設のある地域の特徴に合った色やデザインを採り入れた六種類の「ご当地マスク」で、数量限定となる。
 新作は落ち着いた色合いの二種類の「雅」、水色にアマビエを白抜きした「空」と黄色に白抜きの「レモン」、ピンクに白抜きの「桃」と白地に桃を持ったアマビエをデザインした「ピーチ」。
 「雅」は福島市のコラッセふくしま内の県観光物産館、高村光太郎の詩集「智恵子抄」からヒントを得た「空」と「レモン」は二本松市の道の駅安達上下線、「桃」と「ピーチ」は桃の産地で知られる国見町の道の駅国見あつかしの郷でそれぞれ販売する。今後、取扱店を増やす方針。
 デザインは民報印刷が担当した。一枚千百円(税込み)。
 富樫縫製の富樫三由社長は「新デザインのアマビエマスクで地域の活性化も応援する。今後もご当地マスクのアイデアがあれば取り組みたい」と話す。

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見ると疫病予防になるというアマビエ。全国的に新商品ブームなのでしょうか。なぜかコロナ禍拡大後、二本松の道の駅「安達」智恵子の里さんで、いろいろなアマビエグッズが新しくラインナップに加わっていましたが、ついにアマビエと光太郎智恵子のコラボが実現しました(笑)。「空」と「レモン」……無理くり感が否めないような気もしますが、良しとしましょう(笑)。

花巻高村光太郎記念館さんの「正直親切」マスクともども、よろしくお願いいたします。

7/22追記 アマビエマスク、お父様(故・大山忠作画伯)が二本松ご出身の一色采子さんからの情報で、「日本橋の福島物産館ミデッテにある」というお話でした。



【折々のことば・光太郎】

彫刻は空間を見るんですネ。像が一人のときは真中が主になるが、二人以上の群像になると、二人の間にできるスキ間に面白味があるんですよ。

雑纂「高村氏制作の苦心語る “見て貰えば判ります”
 像の意味は言わぬが花」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

一昨日、昨日に引き続き、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」序幕に際して。今日の分は除幕式前日、仕掛け人の一人、佐藤春夫と光太郎へのインタビューの一節です。

国際ファッション専門職大学教授・髙橋幸次氏によれば、光太郎彫刻は単体の物でも、周囲の空間との関係性を非常に重視した構造になっているとのことで、群像となると、さらにその傾向が強くなるのでしょう。もっとも、現存が確認できている光太郎彫刻で群像といえるのは、「乙女の像」と木彫の白文鳥(昭和6年=1931頃)のみですが。

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このところ、2週間おきぐらいにこの手の投稿をしているような気がしますが、光太郎の名がでた新聞雑誌の記事を数本。

まずは『毎日新聞』さん高知版。11月11日(日)の掲載です。 

支局長からの手紙:僕の後ろに道は /高知

 久しぶりのいい知らせでした。弊社003主催の毎日農業記録賞で、高知市の農業、吉村忠保さん(46)が中央審査委員長賞に輝きました。46回目となる今年、一般部門には218編の応募があり、4段階にわたる審査を経て、吉村さんの「つなぐということ~中山間地域からの情報発信」が最優秀賞に。食用の花「エディブルフラワー」に着目し、軌道に乗せるまでの経緯をつづりました。応募の時点から優れた内容だと思っていましたが、全国トップの賞、さらに農林水産大臣賞までとは想像しませんでした。
 「ひと」で紹介するため、土佐山弘瀬の自宅を訪ねました。高知市に移り住んだ者にとって、土佐山地区の険しさには驚かされます。市街地からほんの30分走っただけでまるで秘境。山が迫り、巨岩の転がる谷が広がります。そんな鏡川沿いの自宅で吉村さん夫妻が出迎えてくれました。
 エディブルフラワーは生食のため、できるだけ農薬の使用を控える必要があります。先輩農家を訪ね、工夫を重ねてようやく栽培できるようになったそうです。しかし売れません。直売所に持って行っても「花が食べれるがかえ?」と聞かれるばかり。それでも日曜市に店を構え、シェフなどの間に少しずつ広まっていきました。
  「自分たちが作ったものを『可愛い』『面白い』とお客さんが買ってくれる。喜んでもらえる顔を見ることが何よりうれしい」。2人はホームページで積極的に情報を発信し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も駆使して販売網を広げています。お小遣いを握りしめた女の子が、日曜市で買ってくれたことが忘れられないと言います。
 吉村さんには多くの顔があります。かつて役場に勤務し、村議やサラリーマンの経験もあるそうです。現在は農業だけで生計を立てており、高知市中心部の農協特産センター「とさのさと」の出荷者協議会会長としても活躍します。本業とは別にアマチュア劇団で舞台監督の顔もあるそうです。
 そんな経歴をお聞きし、失礼ながら「こういう人こそが新しいことに挑戦するのだろう」と感じました。好きな言葉を伺うと、「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」とおっしゃいます。ご存じ、高村光太郎の詩です。本人も自覚しているのだ、と心の中で拍手を送りました。
 そんな吉村さんには大切な助っ人がいます。摘み取った花を加工し、SNSに写真をアップし、商談会や日曜市にいつも同行する妻の奈々さん(40)です。吉村さんが「奈々なしではできない」と言うほどのおしどり夫婦ぶりです。受賞作では女性を農業経営に参画させる必要性、女性ならではのセンスの重要性も説きました。
 地元のテレビ番組でも取り上げられ、エディブルフラワーは大きな注目を集めています。しかし市場規模はまだ小さく、吉村さんでさえ収入全体の3分の1を占める程度だと言います。今後の目標を伺うと、「加工用のユズ、直売所向けの野菜と合わせ、全体の出荷額を上げていきたい。農業は面白い。それをぜひ伝えたいのです。障害のある子どもたちが生き生きと畑で働いている姿を見たことがあります。そんなこともいつかやってみたい」。道は切り開いていくもの。その言葉に実感がこもっています。 【高知支局長・井上大作】

毎日農業記録賞は、「農」「食」「農に関わわる環境」への関心を高めるとともに、それそれに携わる人たち、これから携わろうとする人たちを応援する賞だそうです。

何と言っても「食」は人間生活の根本にかかわる事柄ですし、「食」に直結する「農」に携わる皆さんには、本当に頭が下がります。


続いて同じ『毎日新聞』さんの石川版、11月22日(木)。 

沢知恵さん、詩人・永瀬清子を歌う ハンセン病療養所が結ぶ2人 24日、金沢 /石川

 金沢市で少女時代を過ごした詩人、永瀬清子(1906~95年)の作品を、歌手の沢知恵さん(47)が歌うライブが24日午後2時から、金沢市柿木畠のジャズ喫茶「もっもっきりや」 である。2人に面識はないが長く瀬戸内のハンセン病療養所に通い、詩を通じて入園者と交流したという共通点がある。沢さんは「金沢が育てた永瀬の世界に触れてもらえたら」と語る。
 永瀬は岡山県赤磐市出身で、幼少期から16歳までを金沢で過ごした。高村光太郎らと共に、宮沢賢治の遺稿から「雨ニモマケズ」を見い出した逸話が知られる。第二次世界大戦末期、戦火を逃れ東京から赤磐に戻ってからは、約40年間にわたり、 岡山県・長島にあるハンセン病療養所に通って入園者に詩を指導した。
  一方、沢さんは牧師の父に連れられ、生後6カ月で香川県・大島のハンセン病療養所「 大島青松園」を訪問。子供を持つことを禁じられた入園者たちに我が子のように可愛がられたという。東京芸術大在学中に歌手デビューし、2001年から毎夏、青松園でコンサートを開催。同園のハンセン病回復者で、高見順賞を受賞した詩人の故・塔和子と交流を深めた。14年に「高齢の回復者の最期の時に寄り添いたい」と千葉県から岡山市に引っ越し、大島と長島に通う。 沢さんは、「誰もが尊重され、自分の人生を全うできる世の中であってほしい」と願ったという永瀬の詩を「歴史文化に培われた金沢の繊細さと、岡山のどっしりした面がある。 震えるような感性の言葉がちりばめられている」と評する。
 24日のライブはピアノ弾き語りで、塔の作品も歌う。ゲスト出演は親交のあるフォークシンガー、中川五郎さん。

岡山県赤磐市出身の女流詩人で、昭和15年(1940)刊行の詩集『諸国の天女』の序文を光太郎に書いてもらうなどしている永瀬清子の紹介に、光太郎を使って下さいました。


お次は『福島民友』さん。11月23日(金)の記事です。 

包装紙完成「ほんとの空は希望のブルー」 12月から小売店活用

 県産品の風評払拭(ふっしょく)に向け、NPO法人ふくしま飛行協会などが開発していた包装紙のデザインが完成した。同NPOの斎藤喜章理事長が22日、県庁で鈴木正晃副知事に報告し「風評払拭の新たな手段としていきたい」と語った。
 包装紙は約1万部作製。お歳暮シーズンに合わせ、12月1日からJAふくしま未来、県生活協同組合連合会などの県内小売店で活用される。青を基調としたインパクトのある包装紙が県内外にお歳暮と一緒に届くことで、風評払拭と県産品の魅力拡大を狙う。
 デザインは福島ガイナの村上愛美造形部クリエーターが担当。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青をイメージして蒼龍を描き、福島市の書道家半沢紫雪さんが「ほんとの空は希望のブルー」と揮毫(きごう)した。
 報告を受けた鈴木副知事は「さまざまな方の協力を得て完成した素晴らしいデザイン」と取り組みに感謝した。同NPOの甚野源次郎顧問、JAふくしま未来の菅野孝志組合長、県生活協同組合連合会の佐藤一夫専務理事、村上さん、半沢さんが一緒に訪れた。
 包装紙のデザインは29日の福島民友新聞社などに全面広告で掲載される。

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今年6月に、「ほんとの空」をイメージした包装紙を開発するという記事が出まして、それが完成したそうです。「蒼龍」というより「恐竜」という気がしますが(笑)。


さらに11月26日(月)の『福島民報』さん。11月18日(日)に開催された「高村智恵子没後80年記念事業 全国『智恵子抄』朗読大会」の模様が報じられています。

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写真は優秀賞に輝いたいわき市の吉岡玲子さん。「人類の泉」(大正2年=1913)を朗読なさいました。


最後に雑誌『月刊絵手紙』さん。12月号の連載「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」。昭和28年(1953)の講演会筆録「美と真実の生活」から。

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昭和26年(1951)、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に逼塞していた当時の写真が添えられています。


高村山荘といえば、隣接する花巻高村光太郎記念館さんで、来月から新たな企画展が始まります。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

批評の照射は批評家の放出する光線の仕業である。その光線が在来通りならば照射されるものも亦在来の映像を露呈する。その光線が未知のものであれば、其処に未見の存在が現出する。批評家とはこの世の未知をおびき出していち早く存在の新生面を人間界に齎すもののことである。

散文「富士正晴詩人論集序」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

なるほど、眼の曇った批評家にかかれば、作家の新しい面などには眼が向きません。的確な批評というものの必要性は、光太郎の言う通りですね。

とは言う条、批評のための批評、何とか新しい事を言わねばと無理くりひねり出した批評、批評という名の自己顕示、自分の事を棚に上げての批判のみに終始する批評などは、勘弁してほしいものです。

昨日に引き続き、いただきものです。  

続装丁家で探す本 追補・訂正版

2018年6月20日 かわじもとたか著 杉並けやき出版発行 星雲社発売 定価6,000円+税

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むかしの装丁家だから活字で残したい−。装丁家430人の装丁本9100冊の情報を掲載。「ブログで探す装丁本」「田村泰次郎「肉体の門」の装丁家たち」など、装丁家について記した装丁挿話も収録。両開き本。【「TRC MARC」の商品解説】


労作です。光太郎を含む近現代の芸術家たちが誰のどんな本の装幀を手がけたのか、そのリストがメインです。その数429名、9,000冊余のデータが記され、456ページです。さらにそれと別にエッセイ的な「装丁挿話」167ページが掲載されています。

平成19年(2007)に正編が刊行され、今回その続編ということですが、こうしたリストを一冊にまとめたものの類例がないということで、貴重な資料です。

光太郎に関しては、協力させていただきました。筑摩書房さんの『高村光太郎全集』別巻に、光太郎のそれのリストが載っていますので、その情報を提供しました。しかし、『高村光太郎全集』のリストは、「装幀・題字」で、書籍全体の装幀ではなく、題字のみ光太郎の揮毫というものも一緒に掲載されています。そこで、明らかにそういうものは除かれています。ただ、書籍によっては光太郎の関与の度合いが不明のものも多く、装幀まで手がけているのか、題字揮毫のみなのか不明というものも実は多く存在します。

著者のかわじ氏と書簡やメールのやりとりをした中で、とにかく日本では装幀者の扱いが低い、と言うことを嘆かれていました。正編の方の「TRC MARC」さんの商品解説では、「個人名の付いた美術館で何故装丁本を集めないのか? 図書館では何故、装丁家で本が探せないのか?」とありますが、まさにそのとおりですね。

昨今は少しずつ状況が改善されてきているようで、たとえば神奈川近代文学館さんのサイトの蔵書検索ページでは、雑誌を除く図書で「装幀・挿画者名」での検索が可能になっていますし、日本近代文学館さんのサイトの検索ページでも、個々の図書の注記欄に「装幀・誰々」と記述があればフリーワード検索で引っかかります。また、各地の文学館さんでも装幀に的を絞った企画展等が散見されます。しかし、確かにまだまだですね。

ちなみに光太郎に関しては、昭和48年(1973)、春秋社発行の『高村光太郎 造型』(『高村光太郎選集』別巻)に、その時点で把握されていた光太郎装幀、題字揮毫の書籍の図版が全て掲載されていますし、平成12年(2000)に静岡アートギャラリーさんで開催された「高村光太郎の書 智恵子の紙絵」展で、光太郎装幀、題字揮毫の書籍を多数展示して下さいました。

どうも当方の感覚としては、全体の装幀を手がけたものと、題字揮毫のみのものと、厳密に区別する必要性をあまり感じません。ただ、光太郎にしてみれば、題字を揮毫してあげたのに、装幀全体は気に入らない、みたいなケースはあったかもしれません。カラフルな表紙の色と、光太郎の枯淡的書体が合っていないと感じる書籍も実在します。

いずれにせよ、かわじ氏の提唱される「装幀者の地位向上」的な動きは、もっとあっていいと思われます。

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【折々のことば・光太郎】

人物がよく把握されており、瑣末的技巧におちいらず、彫刻としての構造も堅固であり、動勢も強く、全体としての魅力に富み、生きている。この生命観がその頃の一般彫刻に欠けていたのである。

散文「荻原守衛 北條虎吉肖像」より 
昭和26年(1951) 光太郎69歳

盟友・荻原守衛の作品評ではありますが、結局、光太郎自身が目指す彫刻の在り方が表現されているような気がします。

こういうケースは結構あるように思われます(文学系でも)。

昨日に引き続き、光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻からの情報です。

地元紙『岩手日日』さんから。 

地域の魅力 色鮮やかに ギャラリーBun 多田さんがポスター展 花巻

 花巻市の元教諭で絵画サークル講師多田民雄さん(83)の作品展は、同市円万寺のアートスペース・ギャラリーBunで開かれている。地域の自然や名物に目を向け、色鮮やかなポスターに仕上げた20点を展示。多くの市民らが会場に足を運び、花巻の魅力を再確認している。25日まで。
 同市高松にアトリエを持つ多田さんが、なめとこ山や胡四王山などを描いた「イーハトーブの山々」シリーズなどを出品。ほかに高村光太郎記念館や花巻人形、早池峰神楽などを題材とした作品も並ぶ。サイズは変形10号、ポスターカラーを用いて描かれている。
 このうち「花巻で良かった」は、マルカンビル大食堂のソフトクリームを紹介した一枚。名物の10段巻きに客の満足顔を重ねた仕上がりがほほ笑ましく、ひときわ鑑賞者の目を引いている。
 多田さんは同市高松生まれで、花巻中学校に15年間勤めるなど、長年古里の教育に尽力。花巻への愛着もひとしおで、「病気をした時に先輩教師に冬のくらかけ山に連れて行ってもらい、大自然に感動した。若い頃は自分のことばかりだったが、今は周囲に生かしてもらっているという思いが強い」と、地元に寄せる思いを語っている。
 午前11時~午後5時。火、水曜休廊。問い合わせは同ギャラr-=0198(23)7275まで。

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まったく花巻は絵になる場所や風物の宝庫です。

記事にあるマルカン大食堂のソフトクリーム、当方も一度、作法に従い割り箸で頂きました(笑)が、「ハンパない」の形容がぴったりです。

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上記は、昨年創刊された花巻の情報誌『まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんから。


郊外旧太田村の、光太郎曰く「ここの疎林がヤツカの並木で、/小屋のまはりは栗と松。」(詩「案内」昭和24年=1949)という、緑に囲まれた山小屋(高村山荘)、高村光太郎記念館も、非常に絵になるビュースポットですね。

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ぜひ足をお運びください。

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【折々のことば・光太郎】

彼の群像のグルウピング、彼の人物のポオズの動勢。さういふものが皆彫刻家たる私を打つ。彼の画を見るといつでも強い電撃のやうなものを、私自身の彫刻本能にうける。あんな美しい感じの彫刻を一つでも作りたいと思ふ。

散文「ブレエクのイマジネエシヨン」より
 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「ブレエク」は、ウィリアム・ブレイク。18~19世紀の英国人画家です。ダンテの『神曲』の挿画を描いたことで知られています。

おそらく光太郎が傾倒したロダンも、大作「地獄の門」制作に際して参照したのではないでしょうか。

昨日まで「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」関連の記事を書き続けましたが、もう一日、福島関連で。植樹祭とは別件ですが。

地元紙『福島民友』さんの記事です。 

プライドブルー...『ほんとの空』イメージ 6次化商品用デザイン

 NPO法人ふくしま飛行協会は本年度、「プライドブルー」と称した包装紙デザインを開発する。本県の「ほんとの空」などをイメージしたブルーで、県内の6次化商品のラッピングに用いて県産品の風評払拭(ふっしょく)やブランド力向上を目指す。10月にデザインを発表する。同NPOの斎藤喜章理事長は「県内にはいい商品がたくさんある。パッケージの面でお手伝いしたい」と話している。
 斎藤理事長が8日、福島民友新聞社を訪れ、明らかにした。県のふるさと・きずな維持・再生支援事業の採択を受けた「ジュエリーふくしま」事業の一環として取り組む。
 プライドブルーは包装紙デザインの総称で、商標登録して県民が誰でも使用できるようにする方針。詩人・彫刻家の高村光太郎が二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」に登場する「ほんとの空」の青が、県民にとって誇りであることなどから名称を決めた。
 同NPOは3日に開いた総会で本年度事業計画を決めた。ジュエリーふくしま事業のほか、市内の小、中学校を上空から撮影し、ふくしまスカイパークの展示場に地図とともに掲示する事業などにも取り組む。また役員改選で、斎藤理事長と猪口春生副理事長、レッドブル・エアレース・チャンピオンシップに参戦している室屋義秀副理事長、大竹隆監事を再任した。任期は2年。
 斎藤理事長は「昨年は室屋選手が大活躍した。航空教室など家族で楽しめる事業も行っていきたい」と語った。甚野源次郎顧問、山本俊平理事補も訪れた。


農林水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を「6次産業」と呼び、そこで生産されるものを「6次化商品」というようです。先週のこのブログでご紹介した安達東高の生徒が作る蜂蜜「あいさつ坂」や、それを使った新商品「安達ハチミツと有機レモンのドレッシング」などもその一例でしょうか。

その「6次化商品」などの包装紙用のデザインに、「ほんとの空」をイメージした「プライドブルー」だそうで、広まってほしいものですね。

デザインはこれから作成され、10月(奇しくも智恵子忌日・レモンの日も10月です)に発表されるようですが、続報に注意していたいと思います。

ちなみに記事の最後の方にレッドブル・エアレース・チャンピオンシップの室屋義秀選手の名が。室屋選手、選手活動だけでなくNPOの役員も務められていたとは存じませんでした。先月末に行われた今年の千葉大会は、残念ながら途中棄権の扱いになってしまいましたが、捲土重来を期してほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

思出は人を古風にする。ああどんなにわかわかしい熱情を以て二十六年前の私達がこれ等の芸術家及び芸術について語り合つたことかと言つてみたい。

散文「二十六年前」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

「私達」は、このところこのコーナーでご紹介している、バーナード・リーチと光太郎です。「これ等の芸術家」は、オーガスタス・ジョン、モネ、ロダン、セザンヌなど。明治末のロンドンで、芸術論を闘わせた若き日々を懐かしんでいます。

昨日のこのブログでは、光太郎自身の書を集めた企画展について触れましたが、光太郎の詩文は、現代の書家の方々もいろいろと取り上げて下さっています。ただ、なかなかネット上に情報がなかったりで、あまり紹介できていません。会期が終わってから、会場風景的に「今回の出品作、高村光太郎の詩の一節です」といったブログ的なものは多いのですが……。

そんな中で、岡山市で開催中の催し。

中村文美作品展〜琥珀の文箱に文字を集めて

期 日  : 2018年1月31日(水) ~ 2月11日(日)
会 場  : CAFE×ATELIER Z 岡山県岡山市南区浜野2-1-35
時 間  : AM11:00〜PM7:00 最終日PM6:00まで
休廊日  : 2/5(月)・6(火)

本と文字。一度は目にしたあの物語を「書」で。
映像や絵画を超えるほどのイマジネーション。
文字とはこんなにも、物語の世界を豊かに表現できるのか…。
”読む”文字から”見て感じる”文字へ。
新しい愉しみ方を体感してください。

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上記画像(ダイレクトメールだそうで)にも使われていますが、光太郎の「冬が来た」(大正2年=1913)が取り上げられています。他に宮沢賢治、ヴェルレーヌなどの詩文も。

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中村文美さんは、広島県福山市ご在住の書家。調べてみましたところ、一昨年の『朝日新聞』さん広島版の記事がヒットしました。

ひとin【福山】 中村文美さん 書家 ◇「書とアート 感性重ねて」

 直径約2・5メートルの円の周囲に002倉敷帆布を巻き、中央上部に船で使う八点鐘がつるされている。「八」の右を大きく波打つように伸ばした「八点鐘」の文字を揮毫しただけでなく、海風と太陽、波がモチーフのデザインにも関わった。
 「海へ続く道の始まり。今年はアートにふれる瀬戸内国際芸術祭もあるので、わくわくした気持ちを込めました」
 書道は小学1年生で始めた。大学時代から取り組むかな書を中心に、伝統的な書の分野で活躍してきた。同じ音(おん)を表すのでも多種の文字のある変体仮名や、重ねたり、くねらせたりもする行の書き方など、表現方法は奥深い。
 大阪市内で20~24日に開かれた第70回日本書芸院展で若手作家10人の1人に選ばれ、「平家物語」をテーマにしたかな書など3作品を出品した。生まれ育った福山市沼隈町の谷には平家の伝説が残る。「古里に縁深い平家物語は私にとって大きなテーマ」。そして平家の谷から瀬戸内海に流れる水にも創作意欲をそそられ、「水」という文字を取り込んだ絵のような前衛的な作品を発表している。
 昨年6月、創作仲間の染色家とパリで2人展を開いた。かな書と「水」の文字を象形化したデザインの扇子、日本画とかな書のびょうぶなど約50作品を展示した。訪れたフランス人から「日本の伝統の匂いがする」と声をかけられ、驚いた。
 書の伝統を尊敬している。「それが私のベース。書とアートを分けるのではなく、伝統の上に自分の感性を重ねています」

 岡山大学大学院修了。福山市沼隈町にアトリエ「すゞり」を構え、「玉葉書道会」主宰。2013年にふくやま美術館で個展「水の音(ね)」を開催、「鞆の浦deアート」展にも毎回出品している。

(2016年04月26日)


こういう方に取り上げていただけると、実にありがたいところです。情報を得るのが遅れ、昨日、中村さんご本人によるギャラリートークだったそうで、申し訳なく存じます。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】003

彫刻家の作る真の肖像彫刻の微妙さは、造型と自然との最も幸福な結合であり、造型の中に自然そのものがあり、自然と見えるものが即ち造型の美である融合の妙趣を持つのである。

散文「素材と造型」より
 
昭和15年(1940) 光太郎58歳

河出書房から刊行された『芸術論 第二巻 芸術方法論』の為に書き下ろされた評論で、掲載誌では58ページある長い文章です。

古今の芸術家について解説した文章では、同じ程度やさらに長いものもありますが、方法論としての評論では、最長のものの一つで、造型作家としての光太郎の骨格がいかにしっかりしたものであったかが如実に表されています。

筑摩書房さんの『高村光太郎全集』第5巻に収録されています。ぜひ全文をお読み下さい。

昨日に引き続き、新刊情報です。

岩波茂雄文集 第3巻

2017年3月27日 岩波書店 植田康夫/紅野謙介/十重田裕一 編  定価4,200 円+税

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全3巻 内容見本より
 一九一三年、神田高等女学校にて教鞭をとっていた岩波茂雄は、その職を辞して神保町の地に古書店を開業しました。出版業の道を歩み始めてのちは、「文化の配達人」を志し、岩波文庫の発刊、講座や全集の刊行などを通して、理想の出版を追い求めました。日中戦争開戦の翌年、一九三八年には、軍国主義化の時局を深く憂いながら、岩波新書を創刊しています。言論弾圧の風潮が高まるさなかでも、その志に変わりはありませんでした。四五年には、敗戦を「天譴」と受けとめ、文化国家再建のために雑誌『世界』を創刊しました。
 日々の仕事のなかで、茂雄は何を思い、いかなる信念を抱いて、出版の未来を展望していたのでしょうか。中学時代の請願書から無条件降伏に触発された最晩年の手記まで、生涯に書き遺したさまざまな文章を年代順に集成します。本文集は、一出版人の軌跡であり、近代日本の学術と文芸をめぐる一つの精神の記録でもあります。

第3巻内容
 創業から三十年を迎えた岩波書店は、戦況の悪化に伴う物資の不足と言論統制のもとで、厳しい経営状況へと追い込まれていく。四四年にはすべての雑誌が休刊、四五年半ばには出版活動の休止を余儀なくされた。戦後の荒廃と混乱のなかで、敗戦を「天譴」と捉えた茂雄は、再出発にあたりどのような決意を抱いていたのか。

目次
 Ⅰ 戦時体制下の出版人 一九四二―四四年
 Ⅱ 貴族院議員となる 一九四五年
 Ⅲ 「文化の配達夫」 一九四六年
 Ⅳ 年代不詳
  解題  主要参考文献一覧  付録  解説 年譜


というわけで、岩波書店さんの創業者、岩波茂雄の全集、その3巻目(最終巻)です。

光太郎と岩波書店さんの縁は深く、昭和8年(1933)には「岩波講座世界文学」シリーズの『現代の彫刻』をまるまる一冊執筆し、6人の共著『近代作家論』ではベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの評伝を寄せています。昭和30年(1955)には美術史家の奥平英雄編で『高村光太郎詩集』が岩波文庫のラインナップに組み込まれた他、光太郎歿後、『ロダンの言葉抄』(同35年=1960)、『芸術論集 緑色の太陽』(同57年=1982)も同文庫で刊行されました。また、同社刊行の雑誌『図書』にも寄稿しています。

そうした縁から、岩波茂雄は光太郎に寄稿以外にもいろいろ依頼をしています。

まず、社章。同社のハードカバーには001、必ず背の下部に印刷されています。ミレーの「種まく人」をモチーフにしたものです。

岩波茂雄の言によれば、

ミレーの種蒔きの画をかりてマークとしたのは、私が元来百姓であって労働は神聖なりという感じを特に豊富に持って居り、従って晴耕雨読の田園生活が好きであるという関係もあり、詩聖ワーズワースの ”低く暮らし、高く思う”を店の精神としたためです。なお文化の種をまくというようなことに思い及んでくれる人があれば一層ありがたい。

とのことです。

同社のホームページには、「「種まく人」のマークについて」ということで、

創業者岩波茂雄はミレーの種まきの絵をかりて岩波書店のマークとしました。茂雄は長野県諏訪の篤農家の出身で、「労働は神聖である」との考えを強く持ち、晴耕雨読の田園生活を好み、詩人ワーズワースの「低く暮し、高く思う」を社の精神としたいとの理念から選びました。マークは高村光太郎(詩人・彫刻家)によるメダルをもとにしたエッチング。

とあります。

光太郎によるメダルというのがこちら。昭和8年(1933)頃の制作と推定されています。撮影は光太郎令甥の故・髙村規氏です。

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しかし、これは不採用だったと、光太郎自身が語っています。

戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。

と、まぁ、ここまではいいのですが、この後、事態は急転直下します。

ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎の作ったメダルに対し岩波茂雄がダメ出しをして不採用、使われている社章は別の「誰か」が描いたものだというのです。

しかし、同社のホームページにはそのあたりの記述がありません。そこで考えられるのは、「誰か」が誰だか、同社でも不明であるということ。しかし、ブロンズに鋳造されたメダルの現物は同社に残されており(上の画像)、こちらは光太郎作とはっきりわかっていて、さらに岩波茂雄によるダメ出しがあったという事実も忘れ去られ、そんなこんなで、「光太郎の意匠」となってしまっているのではないのでしょうか。

平成5年(1993)、同社から刊行(非売)された『写真で見る岩波書店80年』の扉にも、このメダルの写真がドーンと使われています。

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本来はボツ作品なのですが……(笑)。


さて、寄稿以外の岩波茂雄による光太郎への依頼、もう1件ありまして、そちらについて調べるために『岩波茂雄文集 第3巻』を購入したのですが、もう、今日の記事が長くなってしまったものですから、明日に回します。このブログ、執筆にあまり時間をかけますと、エラーが生じます。ご寛恕のほど。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は遠くを見ながら言ふ、 阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。
詩「あどけない話」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

人口に膾炙しているという意味では光太郎詩の代表作の一つ「あどけない話」。89年前の明日(5月11日)に書かれた詩です。

東日本大震災に伴う福島第一原発の事故後、福島の復興への合い言葉的に、広く使われるようになった「ほんとの空」の語は、これが出典です。

この詩に関しては繰り返し述べてきたので、さらに繰り返しません。繰り返しませんが、福島に「ほんとの空」が一日も早く戻ることを願ってやみません。

ほぼ毎日、インターネットで24時間以内に更新された新情報をいろいろ調査をしています。

先日、そのうち「智恵子抄」をキーワードに検索をしていたところ、デザインTシャツ等の通販を行っているClubTさんという業者さんのサイトが網に引っかかりました。おそらく新商品なのでしょう。

愛 ハート 福島 二本松 NIHONMATSU  ( i love  福島 二本松 NIHONMATSU  ) ー片面プリント トートバッグS(ターコイズ)

二本松市(にほんまつし)、福島県中通りの北に位置する市。「智恵子抄」に詠われた安達太良山と阿武隈川で知られる。国道4号 国道349号 国道459号 二本松城 - 別名は霞ヶ城、県立霞ヶ城公園にあり、江戸期には二本松藩(丹羽氏)の居城。国史跡。十万三千石。戊辰戦争での悲話、二本松少年隊も有名。

2,305円(税込2,489円)
【発送まで】5営業日程度(土日祝のぞく)
【ボディ】12ozキャンパス
【品番】TM761-ENT
【素材】綿100%

※サイズは横300mm×縦200mm、奥行きが100mmです。

いい感じのバッグですね。

調べたところ、同じClubTさんのサイト内で、いろいろ見つかりました。

同じロゴを使った商品は、バッグ以外にも、Tシャツ、トレーナー、パーカー、スマホケース、エプロン、さらには赤ちゃんのロンパースや、わんこの服までいろいろ取りそろっていました。色もさまざまです。

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すると、どうも日本全国の市町村が網羅されているようで、花巻やら十和田やらのバージョンもいろいろあるようでした。

そして、今日付で、東京電力福島第1原発事故により出ていた居住制限、避難指示解除準備の両区域に対する避難指示が解除された浪江町。町役場さんや、今日付で休校となる浪江高校さんは二本松に移転していましたし、仮設住宅の多くが二本松に建てられています。

その浪江町バージョンはこちら。

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商品説明には「大堀相馬焼きの徳利とぐい飲みに、福島県の象徴の起き上がりこぼしを浪江町民に見立てて絆を表現しました。バックの青空は、お世話になっている二本松の安達太良の智恵子の空と請戸の海をイメージしました。」とありました。うるっときてしまいました。



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なかなかこれを着て歩くのは勇気がいるような気がしますが、イベントなどの際にスタッフで揃えて、というのは有りかもしれませんね。


上記いろいろ、ご購入をご検討ください。


【折々のことば・光太郎】

予約された結果を思ふのは卑しい。  正しい原因に生きる事、 それのみが浄い。
詩「火星が出てゐる」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

大きな決断を迫られるシチュエーションで、ついつい楽な未来をイメージし、無意識のうちにそちらの方へと梶を切ってしまうということが、往々にしてあると思います。

そうではなくて、「思いこんだら試練の道を」。実際に光太郎の人生はそういう状況に満ちていました。見習いたいものです。

十和田湖ネタが続いていますので、もう1件。特産のヒメマス関連で、先週土曜、地元紙『東奥日報』さんに載った記事です。

「十和田湖ひめます」認証店ロゴ決まる

 十和田湖国立公園協会(中村秀行理事長)は3日、「十和田湖ひめます」のロゴマークを発表した。十和田湖ひめますブランド推進協議会が昨年10月に認定した、良質なヒメマス料理を提供する青森県十和田市と秋田県小坂町の「十和田湖ひめます認証店」41店舗に、ステッカーやのぼりとして掲示される。
 ロゴマーク制作は、同協会が同協議会から委託を受けて実施。認証店の投票により決定した。ロゴは、十和田湖を表現した円の中に2匹のヒメマスが元気に跳びはねる様子を表現。それぞれ十和田湖に接する十和田市と小坂町を意味し、乙女の像をも表している。水の波紋は遊覧船をイメージした。十和田市出身の高橋一典さんがデザインした。
 同日、十和田湖畔休屋の十和田湖冬物語の会場で、中村理事長が認証店を代表して木村満さんにステッカーとのぼりを贈呈した。
 「十和田湖ひめます」は2015年1月に地域団体商標に登録され、同協議会などがブランド確立への取り組みを進めている。


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なるほど、向かい合って三角形を構成するフォルムが光太郎最後の大作・乙女の像からのインスパイアというわけですね。

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ヒメマスは、当方が十和田での定宿としている十和田湖山荘さんで食膳に出して下さいます。クセのないさっぱりした味わいです。

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乙女の像の歴史についての展示がある、湖畔の観光交流センター「ぷらっと」さんでは、水槽で展示。

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乙女の像ともども、愛され続けてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

彼は万物と共に踊り 彼は万物を見 また万物を所有する 彼は絶えず悩み、絶えずのり越す ――偉大の生れる時だ

詩「万物と共に踊る」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

「万物」の中には、最愛の智恵子も含まれるのでしょう。

まずは先週の『日本経済新聞』さんに載った記事から。「ご当地NewFace」という日本各地で発売されたその土地ならではの新製品を紹介するコーナーに載りました。 

Tシャツに福島の山 【福島】

FRIDAY SCREEN(福島市、090・9308・9461)の「福島の山 TEE」
福島県民にとって身近な山々を描いたご当地Tシャツ。製作したのは福島市のデザインユニットの2人で「福島を広くPRしたい」と、普段でも着られるように簡素で印象的なデザインにした。絵柄は「智恵子抄」に登場する安達太良山、民謡で親しまれる磐梯山、日本百景にも指定されている霊山の3種類。《1枚3500円。販売中》

調べてみると、以前から販売されており、地元紙『福島民友』さんでも既に今年5月に報じていました。ただし、「智恵子抄」「高村光太郎」といった当方の検索ワードが入っていなかったので、見落としていました。 

「福島の山」モチーフのTシャツ3種類を販売

 福島の地域資源の発掘と発信をしているクリエーターの鈴木孝昭さんとテキスタイルアーティスト坂内まゆ子さんによるユニット「FRIDAY SCREEN(フライデイ スクリーン)」は磐梯山、安達太良山、霊山のイラストをそれぞれプリントしたオリジナルTシャツ「福島の山TEE」を販売している。
 身近な山をモチーフにしたTシャツを作ろうと、昨年6月に安達太良山を題材にして製作、販売。今年4月21日から新たに磐梯山と霊山を描いた商品を作り、発売した。
 サイズはGS~Lの5種類で、価格はいずれも1枚3500円(税込み)。イラストの色は安達太良山がえんじ、磐梯山が紺、霊山が深緑。福島市の衣料品店「CLASSICS」と伊達市のりょうぜんこどもの村のミュージアムショップで販売している。同店のウェブサイトでも購入できる。


こちらがその画像です。

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なるほど、シンプルな中にもインパクトがあり、激しい自己主張はないものの、印象に残りますね。

販売元のFRIDAY SCREENさんのサイトはこちら


先週、上記記事が『日経』さんに載ったのと前後して、ネット上のTシャツ通販サイト「Tシャツトリニティ」さんに、やはり光太郎がらみの新製品が紹介されました。

商品名が「高​村​光​太​郎​/​智​恵​子​抄​/山​麓​の​二​人​/​わ​た​し​も​う​ぢ​き​駄​目​に​な​る」。「イ​ニ​ミ​ニ​マ​ニ​モ」さんというショップの商品です。

半袖のTシャツが2種類。黒一色と、白黒のツートンです。ともに1枚3,200円(税込)。

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それぞれフロントに「――わたしもうぢき駄目になる」の文字がプリントされています。光太郎詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で、心を病んだ智恵子が繰り返し発するセリフです。この元ネタをご存じない方にとっては、何のことやら? という感じでしょうが、このシュールさが魅力のような気がします。

同じシリーズで長袖のスウェット(税込4,000円)、トートバッグ(同2,300円)も販売中です。

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ところで、Tシャツといえば、花巻の高村光太郎記念館さんでも、オリジナルのTシャツを販売しています。

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こちらは背中にこのようなロゴが。

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光太郎の「光」の字が反転しています。元ネタはこちら。

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戦後の7年間を暮らした花巻郊外太田村の山小屋脇に立てられたトイレ棟「月光殿」。その壁に明かり取りのために光太郎が彫った「光」一字です。左の画像は表から、右はトイレの内部からのものです。ある意味、これも「彫刻」と呼んでもいいような気もします。同館では看板やスタッフの皆さんの名刺など、さまざまなところでこれをロゴとして使っています。

Tシャツは数種類の色があり、価格は忘れましたが、いずれそう高価なものではなかったと思います。


いろいろご紹介しましたが、ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

秋雨やめしが喰へぬと友の文       明治43年(1910) 光太郎28歳

「友」は画家の津田青楓です。青楓、別に歯が痛いとか、内臓を患ったとかではなく、芸術家として生きていく困難さという意味での「めしが喰へぬ」でしょう。

今年4月に発行された季刊誌です。情報を得るのが遅くなり、最新号ではなくなってしまいましたが、バックナンバーとして販売されていたものをこのほど入手しました。 
2016年4月15日 株式会社ビューティービジネス 税込定価1,800円

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この雑誌は、「PROFESSIONAL」というタイトルのとおり、美容関係のプロフェッショナル向けの専門誌です。毎号一つのテーマを設定し、一人のモデルさんをメイクアップ、イメージフォトグラフを多数撮影し、掲載するというスタイル。したがって、どちらかというと写真集に近いアーティスティックな誌面です。

第95号、全98ページ中の大半、12ページから87ページまでが「智恵子抄 人類の泉」。光太郎詩「人類の泉」(大正2年=1913)を引用しつつ、そこからインスパイアされた60葉を超えるイメージフォトグラフが添えられています。

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モデルはmiuさんという方。「智恵子抄」ということで、最近流行の「昭和顔」に見えます。これもメイクのなせる技でしょうか?

巻末近くにヘアメイク担当の石井順子さんへのインタビュー、大妻女子大学文学部教授・須田喜代次氏による「人類の泉」解説が、それぞれ2ページずつ掲載されています。

音楽や演劇、絵画に舞踊、能や落語など、これまでも実に色々な分野で「智恵子抄」オマージュの二次創作がなされていますが、こういうアプローチもあるんだと、感心いたしました。

まだ在庫があるようで、ネットで購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

高飛ぶと足をかまへて稲子麿翅(つばさ)薄きに哭く閑暇(ひま)もなし

明治37年(1904) 光太郎22歳

「稲子麿」はイナゴを擬人化した語。源俊頼によって書かれた歌論書『俊頼髄脳』などに用例があります。こうした古典に関する光太郎の知識には驚くばかりですが、当時としては常識だったのでしょうか?

雑誌の新刊です。 

手づくり手帖 Vol.10 特集「秋色の手づくり」

2016年8月17日 日本ヴォーグ社 定価2,250円+税

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色彩アートセラピスト・江崎泰子氏による「巻頭特別エッセイ 色はこころの表現」で、智恵子の紙絵について触れられています。

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「アートセラピー」は「芸術療法」と訳され、精神医療の現場で行われていますが、現在はそれに限らず、一般の人々のストレスケアとしても注目されているとのこと。氏は特に「色」に着目したそれを展開されているそうです。

氏がこの道に入るきっかけの一つとなったのが智恵子の紙絵だそうで、初めて展覧会で智恵子の紙絵を見た際の衝撃などが綴られています。

後の方のページには、他の記事を含め、本文と関連する書籍等の紹介欄があり、筑摩書房から平成5年(1993)に刊行された文庫版の『智恵子紙絵』が取り上げられています。

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現物はこちら。

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「版元品切れ」となっていますが、古書市場ではまだ出回っています。美しい本なので、再版を期待したいところですが。


智恵子の紙絵、といえば、智恵子生誕130年ということで、現在、信州安曇野の碌山美術館さん、奥州花巻の高村光太郎記念館さんで、それぞれ現物が展示されています。また、秋には智恵子の故郷・福島二本松でも。

こうした書籍、展覧会などなど、もっともっと取り上げていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

さいかちのかぶとの角を手に持ちて友も見つつしおどろきてあらん

大正13年(1924) 光太郎42歳

「さいかち」は樹木の種類。その樹液はカブトムシの好物だそうです。

昨日の『福島民友』さんから。 

福島県の作品が「JR東日本賞」 交通広告グランプリ2016

005 県は25日、ジェイアール東日本企画主催の「交通広告グランプリ2016」で、県の作品が特別賞に当たる「JR東日本賞」を受賞したと発表した。同日、都内で表彰が行われ、県広報課の早川真也主任主査が賞状を受けた。
 作品は高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「ほんとの空」を背景にイメージ。「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」や「福島にも様々な人が暮らしています」「光の部分、影の部分。避難区域以外のほとんどの地域は日常を歩んでいます」「お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね」「みなさんからの応援に感謝します」などの文言を配置し、メッセージ性を強調した。電通とクリエイティブディレクターの箭内道彦さん(郡山市出身)が協力。JR東日本管内などの32駅に掲示された。
 早川主任主査は「改めて福島に関心を持つきっかけになってくれたらうれしい。大勢の人が足を運び、ありのままの福島を感じてもらいたい」と喜びを語った。


「交通広告グランプリ」とは、公式サイトによれば、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)から開催された「秀作車内ポスター展」まで遡ります。 同展は東京近郊の国鉄・私鉄・都電に掲出された車内ポスターの中から選ばれた優秀作品が一堂に会する、当時としては大規模な広告展示会でした。さらに、「国鉄広告展」、新幹線の車内や駅を対象とした「新幹線広告展」が相次いでスタート。

それらを段階的に統合する形で、平成元年(1989)、㈱ジェイアール東日本企画主催による「JR東日本ポスターグランプリ」が誕生。平成18年(2006)より名称を「交通広告グランプリ」と変更し、JR東日本の他、つくばエクスプレス、りんかい線、ゆりかもめ、JR貨物に掲出された作品も審査の対象としているそうです。

福島県の作品は「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」という題で、「JR東日本賞」を獲得。「ほんとの空」をイメージしたという、ミントブルーからだんだん淡い水色へ遷るグラデーションをバックに、会津の赤べこ、そしてコピー文「福島の未来は、日本の未来。あたたかなみなさんからの応援に感謝します。原発の廃炉は、長い作業が続きます。これからもどうぞよろしくお願いします。ほんとにありがどない。 福島県」。シンプルな中に、さまざまなメッセージ、そして郷土福島を愛する心が伝わってくる作品です。

また、記事にはありませんが、駅ポスター部門の優秀作品賞に、ふくしまデスティネーションキャンペーンの「会いに行こう。福島」が選ばれています。


受賞作品の展示会が、来月末、JR東京駅近くで開催されます。事前申し込みが必要らしいので、早めにご紹介します。 

交通広告グランプリ2016 受賞作品展示会

期  日 : 2016年8月23日(火)、24日(水)
時  間 : 10:00~18:00
会  場 : サピアタワー ステーションコンファレンス東京 4F 401、402A~D
        東京都千代田区丸の内1-7-12
申込方法 : 申込用紙をダウンロードしてご記入の上、ファクシミリにて
       (株)ジェイアール東日本企画交通広告グランプリ事務局宛にお申込み下さい。
        FAX03-5447-0967

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他にもauの三太郎や、ムササビ(モモンガ?)に扮したスキージャンプの高梨沙羅選手(ANA)など、楽しい作品がいっぱいです。また、『福島民友』さんの記事と照らし合わせると、公式サイトでは受賞作も作品の一部のみの公開になっているようで、全体像はこちらでないと確認できないようです。

ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

天上にひびきどよもす夏の日の歌のうたひ手さびしき小蝉

大正13年(1924) 光太郎42歳

明日あたり、いよいよ関東も梅雨明けだそうです。蝉の天下の到来ですね。

一昨日、昨日と、十和田湖ネタで攻めましたので、もう1日。

以前にご紹介した、光太郎作の十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)をあしらった十和田市のご当地ナンバープレートが今月から交付開始という報道が出ました。 

ご当地ナンバー「十和田湖と乙女の像」/十和田市が交付始める

 十和田市は2日から、「無題十和田湖と乙女の像」をデザインした原動機付き自転車用オリジナルご当地ナンバープレートの交付を始めた。交付第1号となったのは、同市法量家ノ前の山一清一さん(61)。同市役所で小山田久市長から「十和田市 A・・1」のプレートを受け取った。
 市は昨年、新市10周年記念事業として、ご当地ナンバーのデザインを公募。全国から寄せられた31点の中から、十和田湖と外輪山、湖畔のシンボル「乙女の像」をあしらったデザインを決めた。
十和田湖や奥入瀬渓流でボランティアガイドをしている山一さんは、「乙女の像など、一目で十和田のことが分かる良いデザインだと思う」と話し、「どうせなら1番がほしいと思っていたので、ラッキーです」とにっこり。
小山田市長は「このナンバーを付けて、古里を誇りに思い、また愛してもらいたい」と話した。市納税課によると、初日は5人に6枚のプレートを交付した。

東奥日報 2月4日(水)

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十和田市がオリジナルナンバーを交付

 十和田市が合併10周年を記念して作製した原動機付き無題2自転車用オリジナルナンバープレートの交付が2日、同市役所で始まった。申請者第1号は、十和田湖や奥入瀬渓流でボランティアガイドを務める山一清一さん(61)。「1番が欲しいと思っていたのでうれしい」と喜んでいる。
 ナンバープレートは、十和田湖と湖畔を象徴する乙女の像をデザイン。全国から応募があった31件の中で、グラフィックデザイナーの塩崎榮一さん(大阪府)の案が選ばれた。
この日、同市役所では交付開始と同時に山一さんが申請書を提出し、小山田久市長からナンバープレートを受け取った。山一さんは「十和田湖や奥入瀬渓流のPRになるいいデザイン。このナンバープレートを付けることで、十和田湖などに関心を持つ人が増えれば」と笑顔。小山田市長は「いろいろな場面で多くの人の目に留まる。観光PRの弾みになれば」と、効果に期待を寄せていた。
6日までは市役所本館1階の住民税課で、9日以降は同課のほか十和田湖支所でも受け付ける。問い合わせは十和田市役所税務課=電話0176(51)6765=へ。

【写真説明】小山田久市長(右)からナンバープレートを受け取る山一清一さん=2日、十和田市役所


このナンバープレート、ぜひ欲しいものです(笑)。

ところで、交付第一号の山一清一さん。たびたびご紹介しています十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会のメンバーで、ベテランのガイドさんです。

一昨年にはテレビ東京系BSジャパンさんの「にっぽん原風景紀行 第230景 稲生川に息づく開拓の歴史~青森県・十和田市」にご出演、奥入瀬渓流や稲生川で、女優の西原亜希さんをご案内なさっていました。

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さらに当方、昨年の今頃、「十和田湖冬物語2014」にお邪魔した際に、2日間にわたって車であちこちご案内いただきました。その山一さんが第一号の交付ということで、いい意味で笑えました。

乙女の像ナンバープレートは、十和田市のサイト、さらにブログにも紹介記事が載っています。また、同じ十和田市のブログ、それから十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんのサイトでは、開催中の「十和田湖冬物語2015」の記事も載っています。リンクをはってありますので、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月10日

明治37年(1904)の今日、日本政府からロシア政府への宣戦布告がなされ、日露戦争開戦となりました。

2日前にはロシア旅順艦隊に対する奇襲攻撃があり、実質的な戦闘状態に入っていましたが、正式な宣戦布告は10日です。

数え22歳の光太郎、東京美術学校の彫刻科を卒業した後も研究科に残って彫刻修行を続けていました。同じ2月にロンドンで刊行されていた雑誌『ステュディオ』でロダンの「考える人」の写真を初めて見て、衝撃を受けています(実物は数年後にパリで初めて見ました)。

戦後の昭和22年(1947)に書いた連作詩「暗愚小伝」の中では、この頃のことをこう謳っています。
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    彫刻一途

日本膨脹悲劇の最初の飴、
日露戦争に私は疎(うと)かつた。
ただ旅順口の悲惨な話と、
日本海々戦の号外と、
小村大使対ウヰツテ伯の好対照と、
そのくらゐが頭に残つた。
 私は二十歳をこえて研究科に居り、

夜となく昼となく心をつくして
彫刻修業に夢中であつた。
まつたく世間を知らぬ壷中の天地に
ただ彫刻の真がつかみたかつた。005
 父も学校の先生も職人にしか見えなかつた。
職人以上のものが知りたかつた。
まつくらなまはりの中で手さぐりに
世界の彫刻をさがしあるいた。
いつのことだか忘れたが、

私と話すつもりで来た啄木も、
彫刻一途のお坊ちやんの世間見ずに
すつかりあきらめて帰つていつた。
日露戦争の勝敗よりも
ロヂンとかいふ人の事が知りたかつた。


「ロヂン」とは仏語表記の「Rodin」を英語風に読むとそうなるということで、この頃は正確な発音さえ判っていなかったということです。

この時期、というかしばらく後までの光太郎、この詩にある通り、社会問題にはほとんど関心を示さず、ひたすら芸術精進、という感じでした。後に、そうした態度が智恵子の統合失調症発症につながったという反省から、一転して社会と積極的に関わろうとするようになります。それが泥沼の十五年戦争の時期と重なっていたのが、大きな悲劇でした。

画像は掲載誌の『展望』から採りました。「対照」とすべき箇所が「対称」となっています。遺された詩稿でも「対称」となっており、もともと光太郎が間違っていました。このミスは昭和25年(1950)に刊行された詩集『典型』でも修正されず、同27年(1952)の『高村光太郎選集Ⅱ』でようやく訂正されました。

昨日のこのブログで、光太郎の父・高村光雲作の楠正成像(楠公銅像)をあしらったご当地キティグッズ、東京限定楠正成公バージョンをご紹介しました。
 
以前にもちらっと書きましたが、光太郎がらみでも、ご当地キティグッズがありますので、ご紹介しておきます。「ご当地」的には十和田湖。十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)をモチーフにした「十和田湖限定乙女の像バージョン」です。
 
まず、ハンドタオル。
 
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続いて「ご当地方言ぷっくりシール」。
 
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この中で2枚、乙女の像があります。
 
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 「けやぐ」というのは「友達」の意だそうです。
 
それから、ストラップ。
 
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この3点は、現地で手に入れてきました。
 
他に、インターネットで入手したものがこちら。
 
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シャープペンシルにボールペン、ファスナーマスコット000です。ストラップを含め、付いているマスコットは全て同一ですね。
 
今年は、十和田市の原付ナンバープレートの図柄に、乙女の像が使われたデザインが採用されたりもしました。
 
楠公銅像同様、乙女の像も、愛されていることの表れだと思います。
 
また、来春には十和田奥入瀬観光ボランティアの会さんから、『乙女の像のものがたり』という書籍が刊行されます。北川太一先生や、故・高村規氏の聞き書きも収録、当方も、一部を執筆させていただきました。編集も最終段階だそうです。
 
ところで、ハローキティ十和田湖限定乙女の像バージョン、他にもラインナップがありました。他の方のブログ等から引用させていただきますが、一番上のハンドタオル以外のハンドタオル、同じ図柄を使った平成22年(2010)のカレンダーなど。こちらは未入手でして、今後も探してみます。
 
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追記:左上のハンドタオルはメルカリでゲットできました。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月21日
 
昭和49年(1974)の今日、水野葉舟選集刊行会から、小品集『草と人』が刊行されました。
 
オリジナルは大正4年(1915)、植竹書院の刊行。光太郎が序文や挿画を担当しています。昭和49年版は、葉舟生涯の小品からの選集で、光太郎に触れた作品も多く収録されました。

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