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昨日、十和田湖の遊覧船の会社が破産というニュースを紹介しました。
 
すると、青森の地方紙「デーリー東北」さんに以下のコラム(朝日新聞さんでいえば「天声人語」欄にあたる部分でしょう)が載りました。 

天鐘(2012/08/20掲載)

詩人で評論家の大町桂月が初めて青森県を訪れたのは1908(明治41)年8月下旬のこと。五戸町出身の鳥谷部春汀の誘いがきっかけ。14日間滞在し、地元の人々の案内で十和田湖などを探訪した▼湖上遊覧も楽しみ、神秘の湖の美しさに息をのむ。旅を終え、桂月は春汀が編集長を務める雑誌「太陽」に紀行文「奥羽一周忌記」を寄せた。それが十和田湖を世に知らしめ、後の国立公園の指定に道を開くことになる▼彫刻家で詩人の高村光太郎も湖上遊覧で十和田湖に魅せられた人物。52(昭和27)年、国立公園指定15周年を記念する像の制作を依頼され、詩人で小説家の佐藤春夫とともに現地を訪れた▼光太郎は湖上遊覧の後、「裸婦像でいいか」と周囲に漏らす。湖面に映る自らの姿をヒントに、向かい合う2人の女性像の構想を固めた。そして翌年完成したのが、十和田湖のシンボル、乙女の像だ▼エンジン付きの遊覧船が十和田湖に進水したのは、ちょうど100年前の8月。以来、修学旅行生や海外からの旅行客を乗せ、絶景を味わう役割を果たしてきた。しかし、近年は観光客の激減に見舞われている▼先日、遊覧船を運航する2社のうち1社が経営破綻し、民事再生法の適用を申請した。営業を続けながら再建を目指すという。特定の企業の問題にとどまらず、十和田湖が直面する課題が凝縮されているのではないか。時代に合った魅力ある観光はどうあるべきかが問われている。
 
「時代に合った魅力ある観光」、その通りですね。最近はわざわざ船に乗ろう、という人は少ないのではないでしょうか。当方も、子供が小さかった頃は各地の観光地でよく船に乗りましたが、一番最近船に乗ったのは? と訊かれると正確にいついつ、と答えられません。おそらく、数年前に千葉の富津から横須賀の久里浜までフェリーに乗ったのが最後と思われますが、何年前だったか、はっきりしません。十和田湖に行った時も(一人旅でしたが)「遊覧船? 高いからパス」という感覚でした。
 
交通機関としての船は、航空機や鉄道にスピードの点で勝負になりません。しかし、時間に余裕がある旅であれば、船を使うのも一興かと思います。こういうスピード時代だからこそ、かえってそれに逆行するのも面白いのではないでしょうか。最近、光太郎の船旅についていろいろ調べているもので、特にそう感じます。
 
以下、昭和6年に書かれた光太郎の「三陸廻り」の一節です。
 
私は今でも船のある処は時間の許す限り船に乗る。船と海との魅力は遼遠な時空の故郷にあこがれる私の生物的本能かも知れない。曾て海からはひ上つて来た私の祖先の血のささやきかも知れない。船の魅力は又闇をわけて進む夜の航海に極まる。其は魂をゆする。
 
今度十和田湖に行く機会があったら、船に乗ってみようと思っています。
 
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昭和三十年代と思われる絵葉書のセットの袋に印刷されていた十和田湖周辺地図です。
 

昨日、光太郎が留学から帰国する際に乗った日本郵船の阿波丸の絵葉書を紹介しました。
 
ついでに同じ店から同時に購入した古い絵はがきを紹介しましょう。
 
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東京・上野の写真です。人力車が走っているところがすごいですね。左の建物が、大正3年(1914)に光太郎・智恵子が結婚披露宴を行った精養軒です。現在も老舗の西洋料理店として健在ですね。
 
ちなみに一見カラー写真に見えますが、「手彩色」といって、モノクロの写真に手作業で着色してあります。
 
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もう一枚、昭和3年(1928)、有名な詩「ぼろぼろな駝鳥」に歌われた上野動物園の駝鳥です。といっても、この個体を見て作られたのかどうかは不明ですが。こちらは手彩色ではなく、ちゃんとしたカラー写真です。したがって比較的新しいものかと思いますが、それでも「東京市発行」となっていますし、横書きで右から左に「(鳥駝)うてだ」と歴史的仮名遣いになっています。戦前のものでしょう。
 
以前のブログにも書きましたが、光太郎・智恵子ゆかりの地などの古い絵葉書を結構入手しました。二人が見たであろう風景に近い時代のもの、というわけで、それなりに貴重な資料だと思っています。

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