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ちょいちょい話題にしておりました花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎、海を航る」。市のHPで詳細が公開されましたので、ご紹介します。

令和4年度高村光太郎記念館企画展「光太郎、海を航る」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月30日(金)
会 場 : 花巻高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田第3地割85番地1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 会期中無休
料 金 : 一 般 350円/高校生・学生 250円/小・中学生 150円

彫刻家で詩人として知られる高村光太郎は、明治39(1906)年から明治42(1909)年にかけてアメリカ、イギリス、フランスに留学しました。留学中、光太郎は現地の美術学校で彫刻やデッサンを学ぶ一方、農商務省の海外実業練習生として欧米の様々な応用芸術を調査していました。

本企画展では、留学中に差し出された手紙や執筆した散文を中心に紹介し、渡航で乗船した貨客船など、当時の海外渡航事情に関連した資料を併せて展示します。
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フライヤー裏面に紹介されている絵葉書は、一昨年、都内の方から寄贈されたものです。寄贈受け渡しの際には当方も同席、現物を拝見しましたが、驚きました。

まず、明治42年(1909)のものですから、100年以上経っている訳で、その点が一つ。そして何と言っても、宛先。光太郎実弟・道利宛なのですが、確認出来ている限り、道利宛の書簡はこれが初めての発見でした。

道利は光太郎のすぐ下の弟。高村家次男です。三女・しづと双子でした。光太郎より3歳年下の明治19年(1886)生まれなので、智恵子と同年です。
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左画像では、左から道利、しづ、光雲、光雲に抱かれているのは三男・豊周、そして光太郎。右画像は道利です。

光太郎もかなり変わった人物でしたが、道利は光太郎以上の変人と言われていました。東京外語学校を卒業したのですが、軍人になることを志望。しかし、父・光雲に反対されます。明治42年(1909)、留学から帰朝した光太郎が見るに見かね、翌年、神田淡路町に開設した画廊・琅玕洞の名目上の店主に据え、店番をやらせます。ところが道利は商売に対する熱意はまるでなく、あまっさえ、訪れた客に「あなたにこの絵の価値は分かりませんよ」などと言ったり、閉店時間になれば客がいようがいまいが照明を落としてしまったりしていました。そんなことも一因で、琅玕洞は経営が行き詰まり、わずか一年で譲渡されることになってしまいます。

さらに道利は、ドイツ語の個人教授をしていた近所に住む歌手・関鑑子と結婚したいと申し出ますが、これも光雲に却下されます。すると、半ば自暴自棄となり、大正10年(1921)、ふいっと渡欧してしまいました。しばらくは手紙が届いていたそうですが、やがて音信不通に。それが、光雲没後の昭和10年(1935)になって、フランスの日本大使館から、慈善病院のようなところに入院しているが、日本に送還するので引き取って欲しい、と高村家に連絡があり、光太郎が神戸まで迎えに行ったそうです。帰国後は豊周が家督を継いだ光太郎実家に住み、豊周から頼まれた翻訳などをしていたのですが、昭和20年(1945)、自宅敷地内に作った防空壕に誤って転落、それが元で亡くなりました。

寄贈された光太郎からの絵葉書。光太郎が欧米留学の最後に、ミケランジェロやダ・ヴィンチなどの作品を見ておこうと、約1ヶ月歩いたイタリア旅行中のものです。写真は、ローマのフォロ・ディ・トライアーノ。西暦紀元112年建設の公共広場です。

道利の住所は「横須賀要塞砲兵第二聯隊第三中隊四給養班」となっています。従来、道利が軍隊にいたという記録は確認できていません。徴兵されていたか、また「給養班」は将兵の食事を作る部署で、アルバイト的にここで働いていたのかも知れません。そういうことが可能だったのかどうか、当時の軍制に詳しい方、御教示いただければ幸いです。

寄贈されたこの絵葉書のお披露目が中心の企画展ですが、その他にも光太郎の海外留学等に関する資料がならびます。「そちらの所蔵品のうち、これこれを展示したらどうですか」という提案をさせていただきましたし、「こんなものを持っていますからご自由にお使い下さい」と、当方手持ちの資料もお送りしました。どの程度それが並ぶかわかりませんが、開幕の頃、行って観て参ります。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

余の作ピアノの手の鋳金持参の人あり、八王子の人といふ、余の作と確認す。誰かにかしたもの也。

昭和28年(1953)4月22日の日記より 光太郎71歳

問題のブロンズはこちらです。
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大正7年(1918)の作。ブロンズの代表作「手」と同時期のものです。

一昨日、横浜及び都内を歩いておりました。

まず、横浜の日本郵船歴史博物館さん。こちらでは、過日ご紹介した企画展「郵船文芸譚 -機関誌 『海運報國』をひもとく-」が開催されており、雑誌『海運報国』には光太郎も複数回寄稿していますので、光太郎関連の展示も為されているのではと思って拝見に伺いました。

10年前にもお邪魔し、その際は常設展示のみだったように記憶していましたが、それにしても10年経つか、と、ちょっぴり感慨にひたりました。
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常設展示の一角に、企画展「郵船文芸譚 -機関誌 『海運報國』をひもとく-」のコーナーという形でしたが、残念ながら、光太郎に関する展示はありませんでした。
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『海運報國』は文芸誌的な要素も含んでいました。このころ日本郵船の嘱託だった内田百閒の随筆をはじめ、船旅の思い出、海にまつわる掌編や、新造船披露航海の感想文など、作家や著名人による寄稿が誌面を飾りました。」という触れ込みだったので、そういうことなら光太郎は外せないだろ、と思っていたのですが……。

とりあげられていた文士等は、日本郵船さんの嘱託だった内田百閒をはじめ、宮城道雄、米川正夫、吉屋信子、岩田豊雄、津田青楓、西条八十、林芙美子、鈴木信太郎、辰野隆、小堀杏奴、深尾須磨子、田中貢太郎。それはそれで興味深く拝見しましたが……。

なぜここに光太郎の名がないのか、次のような理由が考えられます。

① 担当された方が光太郎の名を誌面に見つけたものの、「高村光太郎? 誰、それ? 知らん!」とスルー。
② 担当された方が誌面に光太郎の名を見つけたものの、「こいつは3流だから」とパス。
③ 担当された方が誌面に光太郎の名を見つけられなかった。
④ その他。


①、②であってほしくないものです(笑)。最も考えられるのは③かな、と。

ただ、④の可能性もなきにしもあらず。例えば、光太郎、『海運報国』には確認出来ている限り4回寄稿していますが、そのうち3回、「乏しきに対す」(第3巻第7号  昭18=1943 7/15) 、「決戦時生活の基礎倫理」(第4巻第1号  昭19=1944 1/15)、「神裔国民の品性」(第4巻第2号  昭19=1944 2/15)は、コッテコテの大政翼賛文。おそらく最初の寄稿の「海の思出」(第2巻第10号 昭17=1942 10/15)    は、戦争とはほとんど関係ないものの、日本郵船さんの船名を誤記していることなどが無視された原因かも知れません。

光太郎、明治42年(1909)5月、3年余に及ぶ欧米留学を切り上げ、イギリスのテムズ河口から日本郵船さんの「阿波丸」 に乗り込んで、帰国の途に就きました。当時書かれた文章にはちゃんと「阿波丸」と書かれています。ところが、約30年後に書かれた「海の思出」では「松山丸」と書いてしまいました。日本郵船さんには「松山丸」という船舶もありましたが、欧州航路で使われたものではありません。

ちなみに下記は光太郎が乗った「阿波丸」。最近手に入れた古絵葉書です。
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常設展示の方で、この手の昔の航路について、その歴史や背景などが詳しく説明されており、そちらも興味深く拝見いたしました。

上記絵葉書等、7月16日(土)から花巻高村光太郎記念館さんで開催される企画展「光太郎 海を航る」(仮称)で展示予定です。同展、今日付の『広報はなまき』で告知されているかな、と思ったのですが、ありませんでした。何だかなぁ……という感じですが……。また詳細が出ましたらご紹介します。

KIMG6381横浜を後に、都内へ。続いて向かったのは、九段下の昭和館さん。こちらは「昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活上の労苦を伝える実物資料を展示」ということで、主に戦時中のいろいろな品々を全国から寄贈を募り、展示している施設です。ただ、現在は映像、図書のみ寄贈を受け付けているそうです。

時間の都合もあり、展示は拝見しませんで、図書室に向かいました。こちらの図書室、なかなかのものです。開架でもかなりの数の図書がありますし、閉架(書庫)の蔵書数もすごいようです。そして、検索システムが素晴らしい!

特に利用者登録も必要なく、自宅兼事務所のPCからアクセスし、「フリーワード」の項に「高村光太郎」と入力、検索をかけると、目次に光太郎の名が記された資料がダーッと出て来ます。それだけなら他の館でもそうなのですが、こちらのシステムは、おのおのの図書の目次が詳細に表示されるのです。さらに「フリーワード」で入力した「高村光太郎」の文字がハイライト表示で、長い目次の中でもすぐに見つけられます。その意味では国会図書館さんの「デジタルコレクション」とよく似ています。ここまでやってくださると、研究者にとっては「ありがたい」の一言です。
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007ただ、国会図書館さんのそれとは異なり、デジタルデータでそのページを閲覧することは出来ませんので、出向いて閲覧するという訳です。そこで、事前に調べた結果、残念ながら『高村光太郎全集』未収録の光太郎本人の文筆作品等は見つかりませんでしたが、光太郎について書かれた諸家の文章等で未知のものがあり、閲覧、さらにコピーを取って参りました。

中には光太郎の似顔絵が入ったものも。昭和16年(1941)ですから、光太郎59歳。当時の光太郎にしては少し髪が多すぎるようにも思えますが(笑)。

昭和館さん、他にも映像・音響室なども充実しているようですし、通常の展示ももちろん拝見しようと思いますので、また機会を見つけて足を運ぼうと思いました。何かお調べになりたいという方、ぜひ当たってみて下さい。

一昨日は、もう1箇所廻ろうかとも思っていたのですが、またじわりとコロナ感染者数が上がってきましたし、加えて殺人的な暑さ。またの機会に致します。

【折々のことば・光太郎】

夜十時頃水谷八重子、草野心平、松竹の人三人くる、「智恵子抄」の事については再考を求める、十二時過辞去、承諾保留、


昭和28年(1953)4月18日の日記より 光太郎71歳

e28cae2a水谷八重子」は初代・水谷八重子。光太郎は遠く大正9年(1920)に、子役時代の水谷が出演した舞台「青い鳥」(メーテルリンク作)を観ています。その後、友人の田村松魚に送った葉書には「チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよいと抱いてやりたい気のする子でした」と書いています。

智恵子抄」は、光太郎とも交流のあった劇作家・北条秀司の脚本。結局、光太郎生前には舞台化は実現せず、初演は光太郎歿後の昭和32年(1957)でした。光太郎、自分が俳優によって演じられるのに難色を示したようです。光太郎訳は新派の大矢市次郎でした。

北条の「智恵子抄」は、水谷/大矢の後、富司純子さん/故・高島忠夫さん有馬稲子さん/故・高橋昌也さんでも公演がなされました。そして昨秋、「朗読劇 智恵子抄」として、一色采子さん、横内正さんでも。

また後ほど詳しくご紹介しますが、「朗読劇 智恵子抄」は、今秋、再演が決定しました。光太郎役は松村雄基さんだそうです。

まだ詳細情報が出ていないのですが、来月中旬の「海の日」に合わせ、花巻高村光太郎記念館さんで企画展示「光太郎 海を航る」(仮称)が開催されます。光太郎が明治末に約3年半の欧米留学をしたことに焦点を当てたもので、同館に寄贈された留学先から日本の家族に送られた絵葉書のお披露目的な意味合いもあります。詳細が出ましたら、またご紹介します。

そこで、光太郎の欧米留学(米英仏伊)、移動に使った船などについて、解説パネルを1週間で書けという依頼(半命令(笑))があり、鋭意執筆中です。10年前に高村光太郎研究会という学会で「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」という発表をさせていただき、翌年刊行の機関誌『高村光太郎研究』に同題の論考を載せていただいたので、そのあたりをベースに、という依頼でした。

10年前のこのブログにも要旨を載せてありますので、ご高覧下さい。

光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-③。
光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-④。
光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-⑤。
光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-⑥。
光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-⑦。
光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-⑧。


「新発見随筆「海の思出」」というのは、昭和17年(1942)の雑誌『海運報国』に載った比較的長いもので、筑摩書房『高村光太郎全集』には漏れていました。この中で光太郎、幼少期の海にまつわる思い出や、欧米留学時に載った船などについて、様々な事柄を語っています。これにより、それまでに知られていた文章等には記述がなかった様々な事実が明らかになりました。詳細は上記リンクから。

前置きが長くなりましたが(ここまで前置きだったのです(笑))、「光太郎 海を航る」の説明パネルを書くに当たって、またネットでいろいろ調べていましたところ、横浜の日本郵船歴史博物館さんでこんな企画展が先月から開催されていることを知りました。

企画展 郵船文芸譚 -機関誌 『海運報國』をひもとく-

期 日 : 2022年5月21日(土)~9月25日(日)
会 場 : 日本郵船歴史博物館 神奈川県横浜市中区海岸通3-9
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)
料 金 : 一般400円 65歳以上・中高生250円 小学生以下無料

『海運報國』は、郵船海運報国会という日本郵船と表裏一体の組織が刊行した機関誌で、現代の社内報と同じ位置づけであったと考えられます。創刊は昭和14(1939)年5月、月一回の発行で毎号100ページ前後にまとめられました。戦時色が深まる中、目次には社会情勢を反映したタイトルが並びます。一方、『海運報國』は文芸誌的な要素も含んでいました。
このころ日本郵船の嘱託だった内田百閒の随筆をはじめ、船旅の思い出、海にまつわる掌編や、新造船披露航海の感想文など、作家や著名人による寄稿が誌面を飾りました。社員による投稿も短歌、俳句、詩、研究論文や趣味の話まで、号を重ねるごとに賑わいを見せました。
本展は『海運報國』の特に文芸誌的な側面に焦点をあて関連資料とともに展観いたします。一見交わることがなさそうな「郵船」と「文芸」、この二つの接点を見出していただければ幸いです。
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船旅の思い出、海にまつわる掌編」には、光太郎の「海の思出」も含まれるわけで、もしかすると執筆者紹介的なコーナーなどで光太郎や「海の思出」に関するパネル展示があるかも知れません。

また、『海運報国』への光太郎の執筆は他にもあります。確認出来ている限りでは、以下の通りで、すべて散文です。

第2巻第10号 昭17(1942)/10/15  「海の思出」
第3巻第7号  昭18(1943)/7/15     「乏しきに対す」
第4巻第1号  昭19(1944)/1/15     「決戦時生活の基礎倫理」
第4巻第2号  昭19(1944)/2/15     「神裔国民の品性」

「海の思出」以外の3篇は、「戦時色が深まる中、目次には社会情勢を反映したタイトルが並びます。」とあるそのものです。

来週というか今週というか、3日後くらいに他にも都内で調査に訪れようと思っている場所がありますので、横浜まで足を延ばして来ようと思っております。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夕方中西さん宅にスツポン問屋の村上氏料理人をつれてくる、柳沢博士らと会食、生血とキモをのむ、

昭和28年(1953)3月25日の日記より 光太郎71歳

中西さん」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため借りていた貸しアトリエの大家で、同じ敷地内でした。

柳沢博士」は柳沢文正。医師で、柳沢成人病研究所の所長でした。「スツポン問屋の村上氏」は、おそらく現在も続く上野の「村上スッポン本舗」さんの関係と思われますが、詳細不明です。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

ちなみに当方、一度だけスッポンの生き血、賞味したことがあります。生き血といっても血液をそのまま呑むのではなく、日本酒に溶かしたものでした。

まず状況をわかりやすくするために、一昨日の『東京新聞』さんの記事から。

千葉県の成田、匝瑳、八街を結んだ「軽便鉄道」とは 600ミリ線路を小型機関車が走る 8日まで成田市で展示

 現在の千葉県成田と匝瑳(そうさ)、八街(やちまた)の3市を結ぶ鉄道が、明治末期から昭和初期にかけて存在した―。知られざる交通インフラに光を当てた「三里塚を全国区にした『幻の軽便鉄道』展」が成田市の三里塚コミュニティセンターで、8日まで開かれている。企画したのは、同市周辺の有志でつくる「軽便鉄道を考える会」。代表の岡野肇さん(69)は「現在、鉄道駅がない富里市や多古町にも鉄路が敷設されていた」と話す。
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 鉄道は軍用から県営に引き継がれ、1911(明治44)年に成田―三里塚駅、三里塚―多古駅が開業した。14(大正3)年には富里駅を経由する三里塚―八街駅、26(同15)年に多古―八日市場駅(匝瑳市)がつながり、成田―八日市場駅が約30キロ、成田―八街駅が約20キロの路線になった。
 当初は多古―八日市場駅を除く全路線が標準ゲージ(線路幅)の1067ミリを大きく下回る600ミリで、小型の蒸気機関車が客車をけん引した。民営移行後の27(昭和2)年に成田―三里塚駅で標準ゲージが採用され、桜の名所だった三里塚と東京間に臨時の直通列車が走るほどのにぎわいを見せたが、日中・太平洋戦争の激化に伴い、鉄を供出するため、全路線が44年までに姿を消した。
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 企画展では、沿線風景や列車の古写真、時刻表などを紹介。地元にとって、この鉄道がいかに大切で繁栄をもたらしていたかをよみがえらせる。会員が手作りした機関車や、高速化を図って八街線を走行したガソリンカーの模型は、段ボールが材料とは思えない硬質感を持ち、富里付近のジオラマとともに飾られている。
 実物の枕木も興味深い。素材は鉄。岡野さんは「路線は戦地で鉄道を敷設する陸軍の『鉄道連隊』の演習線を元に巡らされた。線路との組み立てと、輸送を容易にするため、枕木を鉄製にしている」と指摘する。
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 企画展の副題は「三里塚の春は大きいよ」。高村光太郎(1883~1956年)の詩「春駒」の一節から借りた。小説家平林たい子(1905~72年)が自叙伝的作品「砂漠の砂」で、小型機関車がこの路線を走った様子を描写している場面もあり、三里塚は文学上の舞台として、しばしば扱われたという。
 午前9時~午後5時。無料。

明治末から戦時中にかけ、現在の成田駅から八街市、さらに途中、成田市のはずれの三里塚(現在の成田空港付近)で分岐し、九十九里浜に面した匝瑳市までの区間を走っていた成田鉄道をメインにした展示が行われている、というわけです。
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サブタイトル的に、光太郎詩「春駒」(大正13年=1924)の一節からの引用で「三里塚の春は大きいよ!」。明治末の『明星』以来の親友だった作家・水野葉舟が三里塚に住んでいて、光太郎は複数回この地を訪れています。後述しますが、三里塚記念公園には、「春駒」を刻んだ詩碑が建てられています。おそらく、光太郎も問題の路線に乗ったのでしょう。

三里塚の春は大きいよ! 三里塚を全国区にした『幻の軽便鉄道』展

期 日 : 2022年4月23日(土)~5月8日(日)
会 場 : 三里塚コミュニティセンター 千葉県成田市三里塚2
時 間 : 9:00~17:00
料 金 : 無料
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「三里塚の春は大きいよ」これは高村光太郎の『春駒』のなかの一節です。このように著名な文人にも愛された三里塚の発展には軽便鉄道の力が欠かせないものでした。はじまりは明治43年。三里塚に駐屯していた陸軍鉄道連隊の演習用として敷かれたもので、翌44年に成田-三里塚と三里塚-多古間、大正3年に三里塚-八街間も開通しています。当初は軍用鉄道でしたが、次第に地域交通の要としての役割を担うようになっていきます。昭和に入ると国有鉄道と同等のレール幅に拡幅され、上野や両国から直通列車が運行されるようになりました。乗客のお目当てはもちろん「三里塚の春」。三里塚は、桜の名所として全国にその名を轟かせたのです。昭和19年に太平洋戦争当時の南方占領地の鉄道開発のために資材転用され、姿を消してしまいましたが、鉄道の名残はまだまだ各所に見られます。
この企画展では、当時の繁栄ぶりが分かる資料や写真、枕木をはじめとした鉄道用品、ジオラマなど、貴重な資料が一堂に会します。かつての「大きな三里塚の春」を思い浮かべながらご鑑賞ください。


成田は隣町ですので、昨日、早速行って参りました。
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それほど広くない会場に、さまざまな展示物がみっしりと。

かつてあった富里駅付近のジオラマ。
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かつて走っていた機関車等の模型。段ボール製だそうですが、なかなかどうして精巧です。
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レールや枕木。
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パネル展示。
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元々が陸軍の鉄道連隊により、鉄道敷設演習で作られた路線だったというのが驚きでした。それが千葉県、さらに民間に払い下げられたとのこと。そしてその終焉も軍の関係で、撤去した資材を南方の占領地に運び、現地で活用しようとしたためというのもさらに驚きでした。

しかし、そんな計画がうまくいくはずもなく……。
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現役で運行されていた当時、出征兵士を見送るこんな風景も各所で見られたようで……。
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さらに、他の路線等についても展示が為されていました。
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光太郎や「春駒」に関する展示もあればなおよかったのですが、残念ながら、それはありませんでした。

帰りがけ、すぐ近くの三里塚記念公園に。このあたり一帯、元々は宮内庁の御料牧場でして、その歴史を偲ぶということで「記念」です。光太郎詩「春駒」も、御料牧場の馬を謳ったものでした。
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マロニエの並木を過ぎると、記念館。入場無料です。
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こちらでは、牧場関連の展示、さらにこの地に骨を埋めた水野葉舟、葉舟を訪ねてやってきた光太郎、さらにやはり成田で最期を迎えた木村荘太(明治末、光太郎と吉原の娼妓・若太夫をめぐって三角関係となった作家)などについても展示が為されています。
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園内の「春駒」詩碑を見に行こうとしたのですが、やんごとなき方々のための貴賓館で、萱葺きの葺き替え作業を行っており、その一角が立ち入り禁止でした。
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竹矢来の隙間から撮った「春駒」詩碑(右)。
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左は水野葉舟歌碑。光太郎が揮毫する予定でしたが、最晩年で健康がすぐれず断念、代わりに久保田空穂が筆を執りました。

さて、軽便鉄道等ご興味のある方、ぜひ足をお運び下さい。鉄道自体はもう無くなっていますが、代わりに運行されるようになった路線バスが健在です。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、粘土をつけ始める、一尺五寸、


昭和27年(1952)11月17日の日記より 光太郎70歳

一尺五寸」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のための小型試作です。こののち、手の試作、中型試作と進みます。
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一昨日の『岩手日日』さんから。

「馬面電車」廃線50年 最終運行時の写真や新聞記事展示

 花巻市でかつて運行されていた花巻電鉄が全路線廃線になってから、今年で50年目を迎えた。同市中北万丁目の菅原唯夫さん(72)は、「花巻電鉄を思い出してもらおう」と、同市椚ノ目のデイサービスセンターグリーンホーム落合に花巻電鉄の写真や廃線を知らせる当時の新聞記事を展示している。同施設には花巻電鉄に乗車経験がある利用者が多くおり、地域住民の足として親しまれた「馬面(うまづら)電車」の思い出話に花を咲かせている。
 花巻電鉄は1915(大正4)年に開業。72年に廃線になるまで市民や温泉客の足として親しまれ、花巻ゆかりの詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)も買い物や静養先の温泉に向かう移動手段として利用していたという。
 菅原さんは、花巻に残る貴重な文化遺産を紹介する「Act21」を主宰。花巻電鉄の関係者から譲り受けた写真などの資料を保管し、これまでにも花巻電鉄に関する展示会を開催している。
 施設内に並べているのは写真と新聞記事など約60点。写真では最終運行日の様子や旧市内の路線を走る花巻電鉄、当時の切符、解体される車両、電車内の人々など花巻電鉄の歴史を今に伝えている。同施設では今月末ごろまで展示する予定。
 利用者(93)は「鉛温泉に行く時によく乗っていたので、とても懐かしい。電車が坂道を登らなくて、乗客で押したことを覚えている」と当時を思い返していた。
 菅原さんは「70歳以上なら乗ったことのある人は多いはず。花巻電鉄の記憶を残していかなければいけない。施設の展示が終わったら、材木町公園などでも展示して市民に歴史を伝えていきたい」と話している。
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かつて花巻を走っていた花巻電鉄。記事に有る通り、光太郎もよく乗車していました。2路線あったうち、鉛温泉さん、大沢温泉さんなど花巻南温泉峡へ向かっていた軌道線(鉛線)は、昭和44年(1969)に廃線、花巻温泉郷方面への鉄道線(温泉線)は同47年(1972)2月に廃線となりました。

菅原唯夫さんは、花巻電鉄の歴史などについて造詣が深く、花巻高村光太郎記念館さんで開催された企画展「光太郎と花巻電鉄」の際にお力添えいただきましたし、BSテレ東さん(当時はBSジャパン)で放映された「空から日本を見てみよう+ 岩手県花巻温泉~遠野」などにもご出演なさっています。

また、当方が存じ上げている限り、平成27年(2015)と、鉛線廃線50周年の令和元年(2019)にも、今回と同様の写真展を開催なさいました。

今後とも、ハート花巻だけでなくぜひ色々なところで開催を続けていただきたいものです(光太郎にからめて(笑))。

ところで、今日から当方、花巻に行って参ります。メインの目的は、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「第二弾・高村光太郎の父・光雲の鈿女命(うずめのみこと) 受け継がれた「形」」の拝見。及びその関連行事として当初予定されていた当方の講座が、コロナ禍のためリモート配信ということになり、その収録のためです。で、今回は妻を連れて参ります。同居していた妻の母が昨年暮れに亡くなり、それまで数年間、介護で大変だったので、その慰労を兼ねてです。

妻は隠れ鉄子でして、材木町公園に静態保存されている花巻電鉄の馬面電車車輌(もろに光太郎が乗ったもの)を見せてやろうと思っております。もっとも、妻の「鉄分」は、「しなの鉄道さんの「ろくもん」に乗りたい!」とか「「ななつ星in九州」っていいよね」とかの種別なので、興味を示すかどうか怪しいところですが(笑)。

【折々のことば・光太郎】

七時45分のラジオ朝の放送に豊周の声をきく、録音はよし。


昭和27年6月8日の日記より 光太郎70歳

「豊周」は、光太郎実弟にして、家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を嗣いだ髙村豊周です。のちに鋳金分野の人間国宝となりました。この時期は金沢美術工芸学校教授を務めるかたわら、日展惨事などの任にもあたっていました。おそらくラジオはこの年開かれた豊周の第一回個展に関わるのではないかと推測されます。

昭和20年(1945)に信州へ疎開した豊周一家を見送って以来、光太郎は豊周には会っていませんでした。久々にラジオを通して聴いた弟の声は、どのような感懐をもたらしたでしょうか。

昨日の『上毛新聞』さんから。

古道保全へ調査 赤城、榛名で日本山岳会 歴史や価値、成果公開

 日本山岳会群馬支部(根井康雄支部長)は、赤城山と榛名山で使われていた古道を調査し、インターネット上で公開する。同会が創立120周年を迎える2025年に向け、21年度から全国規模で始めた山岳古道調査プロジェクトの一環。古くから山岳信仰の対象とされてきた両山を歴史や文化、地理的側面から調べ、古道の保全につなげる。結果は今年夏にもウェブ公開し、観光や教育など他分野で活用してもらう。
 同会によると、40年ほど前に文化庁が手掛けた「歴史の道」事業が古道調査として知られるが、対象は平地の街道が中心だった。各地で個人や団体による調査が行われてきたものの、全国の多くの山岳古道を調べるのは初とみられる。
 調査対象の古道については、既に赤城山や榛名山などを含む全国59カ所を選定済みで、3月末までに120カ所を決める。調査が終わった古道から順次、道の成り立ちや変遷、文化的価値などをウェブサイトで公開し、最終的には書籍化も予定する。
 本県では同支部が21年6月、古道調査のモデルを示すため、全国の他地域に先んじて赤城山での調査を開始した。21年度内に赤城、榛名の両山とも、山頂へ向かう6ルートを調べる。赤城山は前橋市のほか、渋川や桐生、沼田の各市から、榛名山は高崎市を中心に渋川市、東吾妻町から登るルートを想定する。
 22年度以降は、戊辰(ぼしん)戦争で官軍が通ったとされる尾瀬を越えて福島県へと続く会津街道、中之条町の四万温泉から新潟県へと抜ける古道などを調査対象とする。
 赤城、榛名の古道はいずれも麓から山頂近くの神社に向かっており、山岳信仰と密接に関係するのが特徴。山ごもりを通じて悟りを得る修験道を実践する山伏も通ったとされる。戦後も利用されていたというが、高度経済成長期に自動車が普及したことで使われなくなった。
 赤城山の古道では、三夜沢赤城神社の北側に櫃石(ひついし)という巨大な石があり、古墳時代に祭祀(さいし)場として使われるなど信仰の名残がある。赤城山を愛した文人の高村光太郎や志賀直哉らも、古道を利用した可能性があることから、山岳信仰や歴史、文化的な価値にも光を当てる。
 現地調査では、古い文献や地図の情報を基に、スマートフォンで得られる衛星利用測位システム(GPS)データ、コンパスと照らし合わせながら古道を見極めている。道の形がはっきりしない場所も多いため、植物の生え方、地形、石積みといったかすかな痕跡を考慮に入れ、総合的に判断しているという。
 根井支部長は「古道調査を通じていにしえの人々の思いを掘り起こし、貴重な歴史的遺産として後世に伝えていきたい」と話している。
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光太郎の名を挙げて下さいました。

光太郎は赤城山を非常に愛し、生涯に何度も訪れています。明治37年(1904)には、5月から6月にかけてと、7月から8月にかけての2回、計40日ほどを赤城に過ごしています。この際には親友だった水野葉舟も同行していました。また、あとから合流した与謝野鉄幹ら新詩社同人のガイド役も買って出ています。
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その2年後、明治39年(1906)から、約3年半の欧米留学。帰国直後の同42年(1909)にも赤城山に登りました。

また、昭和4年(1929)にも、草野心平、高田博厚らを引き連れて登っています。この時同行した詩人の岡本潤の回想に拠れば、光太郎は下駄履きで登っていったとのこと。ちなみに前橋駅で落ち合った萩原朔太郎は登らなかったそうです。そして確認できている限り、最後の赤城行は昭和6年(1931)。この際には父・光雲も一緒でした。
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それら赤城行の際に拠点としたのが、猪谷旅館。ここが実家の猪谷六合雄は日本スキー界の草分けで、さらに子息の千春氏は光太郎が歿した昭和31年(1956)、コルチナ・ダンペッツォ五輪で、日本人初の冬季五輪メダリストとなりました。
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こちらが猪谷旅館。当方手持ちの古絵葉書です。

『上毛新聞』さんで「赤城山を愛した文人の高村光太郎や志賀直哉らも、古道を利用した可能性がある」としているのは、おそらく明治37年(1904)のことでしょう。約40日の滞在で、周辺をかなりくまなく歩いたようです。この際に光太郎が描いたスケッチ帖が、光太郎歿後になって『赤城画帖』の題で龍星閣から刊行され、それを見ると、いかにも古道、というような場所でのスケッチも含まれています。
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また、明治38年(1905)3月の『明星』には、赤城山を舞台にし、『伊勢物語』を下敷きにして歌物語風に構成した連作短歌「毒うつぎ」を発表しましたし、翌月に同じ『明星』に載った戯曲「青年画家」も、ヒロインは赤城山出身の女性という設定です。

地元で土地勘のある方々が読めば、『赤城画帖』、「毒うつぎ」とも、「ああ、この場所だ」というのがよく分かるような気がします。

下記は猪谷旅館発行の地図。おそらく細い線で書かれているのが「古道」なのではないでしょうか。
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光太郎もこの手の地図を懐に、赤城の山々を歩いたのでしょう。

ちなみに赤城山中には氷室があったそうで、光太郎はそこの番人だった「大さん」という不思議な老人と意気投合したとのことです。

上記地図は、高村光太郎研究会員・佐藤浩美氏著『光太郎と赤城―その若き日の哀歓―』(平成18年=2006、三恵社)から採らせていただきました。佐藤氏、さらに続編とも言うべき『忘れえぬ赤城―水野葉舟、そして光太郎その後―』(平成23年=2011、同)も書かれていて、この地と光太郎の関連を知るには好個の書です。
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今回の日本山岳会さんの調査により、さらに詳しく光太郎の足取り等が明らかになるといいのですが……。

【折々のことば・光太郎】

晴れる、前の田の刈入はじまり。


昭和26年(1951)10月7日の日記より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、稲刈りは10月初旬なのですね。当方自宅兼事務所のある千葉県北東部は早場米が中心で、8月末には稲刈りです。

昨日ご紹介した、宮城県女川町の「いのちの石碑」の件について、もう少し書こうと思っておりましたが、予定変更です。そちらの件は明日に廻します。

本日ご紹介するのは、光太郎第二の故郷とも云うべき岩手花巻で、光太郎顕彰活動にあたられている、やつかの森LLCさんの活動です。

まず、いわて花巻空港さんでのミニ展示。地方紙『岩手日日』さんから。

太郎もめでた美しき風景 やつかのもり 詩と写真展示

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の顕彰活動に取り組む花巻市の合同会社やつかのもり(藤原正代表)は、展示会「高村光太郎と花巻」を同市東宮野目のいわて花巻空港ターミナルビルで開いている。光太郎が終戦後に7年過ごした高村山荘(同市太田)周辺を撮影した写真や、光太郎の詩をしたためた書作品など約20点を並べている。30日まで。
 光太郎の詩には、同山荘周辺の景色の美しさが描写されている。同展では、同社が2019~21年ごろに同山荘周辺で撮影した紅葉や雪景色などの風景写真と、「冬が来た」「牛」などの詩、同市四日市の安部勝衛さん(83)による書「岩手の人」を展示。光太郎の花巻での暮らしを紹介するパネルも設置した。
 藤原代表(70)は「光太郎の愛した風景を、詩に触れながら楽しんでもらいたい」と話している。
 開催時間は午前7時15分~午後7時30分(最終日は2時)。

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やつかの森LLCさんから送られてきた画像。
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正面
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紅葉
いい感じですね。写真は、写真集『山からの贈り物 やつかの森の四季』から採られたもののようです。また、後のパネルが木目を生かしたものであるのもいいと思います。昔ながらの白いペンキを塗ったベニヤに、丸い穴を無数に開けたタイプの無機質なものなどでは、せっかくの作品が生きません。

同じくやつかの森LLCさんが、昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんのテナント「ミレットキッチン花(フラワー)」さんとのコラボで展開している光太郎ランチ。毎月15日のみ限定販売されている豪華弁当で、かつて光太郎が作ったメニューを現代風にアレンジしています。

今月分がこちら。
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小豆ご飯・牛カレー炒飯、ふろふき大根、鱈のムニエル、卵焼き、稗入り里芋と小松菜の和え物、舞茸の天婦羅、お新香、林檎のケーキだそうで。

末永く続いてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

よみうり本社より山村亀二郎氏といふ人、支局の人と同道来訪、賞金十万円現金と、パーカー万年筆一本もらふ。


昭和26年(1951)5月31日の日記より 光太郎69歳

賞金」は、詩集『典型』による第2回読売文学賞のものです。光太郎、のちにこの十万円を、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校と、地元青年団にそっくり寄附してしまいました。

パーカー万年筆」、もちろん健在なのでしょうが、ある意味、懐かしいですね。

先月16日に始まった、花巻高村光太郎記念館さんの企画展「光太郎の三陸廻り」について、8月12日(木)の地方紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。

浮かぶ往時の情景 高村記念館 光太郎三陸紀行を紹介

000 花巻ゆかりの彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、三陸沿岸各地を旅して執筆した紀行文「三陸廻(めぐ)り」にまつわる資料を紹介する企画展が、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 一旅行者として、各地の自然や様子、旅で感じたことなどをありのままにつづった文章をパネル展示しているほか、関連資料も並べ、光太郎の多才さや当時の三陸の姿を知ることができる。30日まで。
 「三陸廻り」は、かつて存在した日刊紙「時事新報」から光太郎が依頼を受け、1931(昭和6)年8月上旬から約1ヵ月かけ宮城県石巻市から岩手県宮古市までを船旅し、執筆。同年10月3~27日に、同市に全10回掲載された。文量は1回原稿4~5枚ほどで、挿絵も光太郎が描いた。
 会場では、各回の文章と挿絵(複製)を、現在の各地の様子を撮影した写真とともに紹介。補足資料として、石巻市街全図(1931年)や三陸沿岸市街絵はがき、三陸汽船航路図絵(1940年)、初公開となる「汽車ぎらい宿屋ぎらい」(1946年)の直筆原稿もある。
 第1回「石巻」では、「日和山(ひよりやま)は河口を扼(やく)する昔からの物見台である。松と桜とに装われた此小丘陵の突端に立つと、眼下にひろく、さすがに争われない北上川の人工的河口が甚だ怪奇なガニ股をひろげている」などと記され、どの回も風景が浮かび上がってくるように表現されている。
 第3回「金華山」では、父光雲(1852~1934年)と金華山とのつながりにも触れている。
 花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐企画担当は「光太郎が花巻に疎開するより前に岩手に来ていたことはあまり知られていない。旅行記には趣深い表現や鋭い視点での感想も残され、光太郎の才能の豊かさを感じ取っていただけるのではないか」と来館を呼びかけている。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。入場料は一般350円、高校・学生250円、小学生150円。問い合わせは同館=0198(28)3012=へ。

この記事が出たのが3日前。ところが、昨日、記事にもある高橋氏から連絡があり、「今日から今月いっぱい臨時休館」とのこと。

「はぁ?」と思い、市のHPで確認してみたところ、以下の通りでした。

新型コロナウイルス感染拡大による市関連施設の利用制限ガイドライン 岩手緊急事態宣言の発令に伴い、8月14日から8月31日まで、市関連施設の利用制限を「レベル4」で運用します(8月13日更新)

 本ガイドラインでは、感染拡大状況に応じた市関連施設の利用制限を示しています。(8月13日掲載)
 県では、県内における新型コロナウイルス感染症が拡大していることに鑑み、新たな感染を強力に抑え込むため、8月12日に「岩手緊急事態宣言」を発令しました。
 市では、同宣言の発令に伴い、8月14日から8月31日まで、市関連施設の利用制限を「レベル4」で運用することとしましたのでお知らせします。
 なお、今後の感染状況によっては、期間の延長、ガイドラインの変更や、施設によってはガイドラインと異なる利用制限をすることもありますのでご了承願います。

レベル1 市内・県内の感染者は無い状況が続いた場合
 レベル1へ移行す目安としては、市内・県内の感染者は0が続き、首都圏等で感染が少ない場合)

レベル2 市内・県内の感染者は減少している場合
 レベル2へ移行する目安としては、市内の感染者は0が続き、県内の感染者は一ケタ以下が続き、首都圏等で感染が減少している場合

レベル3 市内で感染拡大の恐れがある場合 県内で感染拡大の恐れがある場合 市内において感染が若干あり、県内において感染が減少していない、または二ケタ以上の感染者がある場合
 県内または隣接県において感染が拡大し、市内においても感染が拡大する可能性が高いと判断される場合には、スポーツ施設について、岩手県内規模での開催に限ること、または大会の中止を依頼することもある

 レベル4【現在適用しているレベル】
 緊急事態宣言が岩手県に発令された場合 県内・市内で感染が拡大している場合 市内で感染者が連続して発生している場合
 詳しくは、添付ファイルをご覧ください。

で、「レベル4」が発令され、花巻高村光太郎記念館、宮沢賢治記念館、宮沢賢治イーハトーブ館、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、宮沢賢治童話村など、すべて31日(火)まで休館だそうです。
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元々、企画展「光太郎の三陸廻り」は30日(月)までの予定でしたが、休館回復後、会期を延長するのか、それともこのまま終了とするのか、そのあたりは未定とのことでした。

あちら方面へお出かけの予定のある方、ご注意下さい。

まだ始まって一ヶ月足らずですので、休館回復後の会期延長を希望しますが、どうなりますことやら……。第一、31日(火)で「レベル4」が解除されるかどうかも不透明ですし……。

これだけ感染拡大が続く中、花巻市の決定は、ある意味、「英断」と言えるのかも知れませんが、それにしても、「いつまでこの状態が続くんだ」と思わざるを得ませんね……。

【折々のことば・光太郎】

右鼻孔に出来た腫物面疔になる虞あり、ズルフアミン剤が欲しと思ふ。


昭和23年(1948)8月3日の日記より 光太郎66歳

「面疔(めんちょう)」は、黄色ブドウ球菌の感染によって起こる皮膚感染症。化膿性で、進行すると脳膜炎に移行すると、昔は恐れられていました。

この後、光太郎、大事には至りませんでしたが、10日ほど腫れが引かず、閉口したようです。

『福島民報』さんの記事で、智恵子の故郷、福島二本松からの情報です。

周遊観光タクシーが20日から半額 来年2月末まで 福島県二本松市

 夏の観光シーズンに合わせ、福島県二本松市内の名所を巡る「にほんまつ周遊観光タクシー」が20日から通常の半額で利用できる。二本松地区ハイヤータクシー経営者協議会の企画で来年2月末まで。
 JR二本松駅と岳温泉発着で市内を巡る15コースを想定している。4人乗りの小型の場合、二本松駅発着で霞ケ城公園、智恵子の生家、市内各蔵元を巡る「ほろ酔いコース」は、通常1万円が5000円に、岳温泉発二本松駅着で東北サファリパーク、霞ケ城公園、安達ケ原などを巡るルートは通常1万2000円が6000円になる。
 問い合わせ、予約はタクシーを運行する昭和タクシーか、丸やタクシーへ。

二本松市さんのサイトに、パンフレットが出ています。
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昨年も同様のキャンペーンを打っていましたが、好評につき、今年も実施、というところでしょうか。現地では、路線バスも無くはないのですが、やはり玄関横付けで廻れるタクシーの方が楽でしょう。

公共交通機関を利用してあちら方面に行かれる際には、ぜひご利用下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる前藤島宇内氏の「谷間より」といふ題簽を二枚書き封書にする。


昭和23年(1948)6月8日の日記より 光太郎66歳

藤島宇内は、当会の祖・草野心平の『歴程』に拠った詩人です。『歴程』同人の中では、戦後、いち早く光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れています。

その後も、昭和27年(1952)になって、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作の際には、青森県とのパイプ役の一人となり、さらに光太郎上京後には、中野のアトリエに足繁く通い、身の回りの世話等をしてくれました。
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7月12日(月)、宿泊させていただいた大沢温泉さんを後に、レンタカーで下山、旧太田村の高村光太郎記念館さん及び隣接する高村山荘(光太郎が暮らした山小屋)に向かいました。
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明日、7月16日(金)から、企画展「光太郎の三陸廻(めぐ)り」が始まるということで、展示の準備等、進んでいるかな、と思って行ったのですが、まだ展示用のパネル等が届いたところという状況で、箱に入ったままでした。

ただ、チラシは頂いて参りました。
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それから、昨夜、メールの添付ファイルで、会場内の様子の画像を送っていただきました。
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昭和6年(1931)、新聞『時事新報』に全10回で掲載された、光太郎の紀行文「三陸廻り」。パネルで全文と、関連する画像等を展示しています。当方がお貸しした古絵葉書も使っていただいたようで。
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光太郎が訪れた昭和6年(1931)の宮城県石巻の地図。複製だそうですが。
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上半分は、こちらも当方がお貸ししたもので、光太郎が「三陸廻り」の旅で利用した三陸汽船の航路を描いた鳥瞰図。金子常光の手になるもので、大正15年(1926)発行です。下半分は、女川あたりでしょうか、現在の様子を撮影したもののようです。
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右の方に写っているのが、光太郎のエッセイ「汽車ぎらひ宿屋ぎらひ」(昭和21年=1946)直筆原稿。

三陸沿岸を含め、甚大な被害をもたらした東日本大震災から10年が経ち、また、三陸を舞台とするNHKさんの朝ドラ「おかえりモネ」が放映されるなどしていますので、タイムリーな企画といえるのではないでしょうか。

「おかえりモネ」。坂口健太郎さん演じる医師の名が「菅波光太朗」。どこかで本家・光太郎(笑)とリンクするシーンがほしいものです。
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ちなみに、ドラマの中で主人公・永浦百音(清原果耶さん)の実家があるという設定の「亀島」は、実際に気仙沼の湾に浮かぶ「大島」がモデルとされています。

光太郎、「三陸廻り」の旅では、大島には上陸しませんでしたが、三陸汽船の船で、島をかすめて航行、紀行文にも「大島」の語が。
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十一時半、船が気仙沼湾の大島の瀬戸をぬけて御崎(おさき)を出はずれ、漁火(いさりび)のきらめく広田湾を左に見て外洋の波に乗る頃、むつとする動物的空気の塊に肌が触れる。殆ど無風。何かが来たと思ふまもなく船は二、三秒でガスに呑まれる。まだ頂天の星の光はおぼろに見えるが、四辺は唯この青くさい不透明な軟かい物質の充満だ。

この濃霧を、光太郎は短歌でも謳いました。上記企画展チラシに引用されています。

黒潮は親潮をうつ親しほは狭霧(さぎり)を立てて船にせまれり

これを刻んだ碑が、大島の東側、南北に垂れ下がる唐桑半島の突端に建てられています。

他に、記念館さんでは、最近入手したという、昭和25年(1950)、光太郎が盛岡で講演を行った際の資料等(写真、チラシ、参会者の書いた感想帖など。展示はされていません)を拝見し、必要な部分のコピーをいただいて参りました。

いただいて、といえば、記念館女性職員の方が写真撮影されて作られたフォトブック『山からの贈り物 山口山の四季』。記念館/山荘附近の自然を写したものです。多謝。
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その後、隣接する高村山荘へ。
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コロナ禍のため、訪れる方が減少。すると、逆に、熊の出没が増えているそうです。つい最近も一頭、罠にかかったそうですが、他の個体もいるらしいとのこと。

当方が訪れた前日、山荘套屋の腰板がベリッとはがされたそうで……。
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はがされた部分、裏手に置いてあったのですが、この時だけ元の位置に持ってきて撮影しました。

そんなわけで、裏山の智恵子展望台、奥の旧記念館(現・別館的な森のギャラリー)方面へは、立ち入り禁止となっていました。
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記念館、山荘を後に、昨年オープンした「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんへ。
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光太郎の食卓カレンダー」などが販売されている光太郎グッズコーナー、それからMLBで活躍中の大谷翔平選手、菊池雄星選手の母校である花巻東高校さんのコーナーも。
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光太郎グッズコーナーでは、上記『山からの贈り物 山口山の四季』の姉妹編とも言うべきフォトブック『光太郎の風景2020・秋』を購入しました。こちらも素晴らしいものです。
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光太郎、賢治についてのパネル展示が為されているインフォメーションスペース。
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地元の書家の方が書かれた、光太郎詩「おそれ」(大正元年=1911)の一節。
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いい感じですね。

この後、「光太郎の食卓カレンダー」などを手がけられた、やつかの森LLCの皆さんと昼食。実に有り難いことに、当方の歓迎の意味もあって、BBQ。当方、肉食系男子ですので、実にありがたし(笑)。
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恐縮しつつも遠慮無くがっつりいただきました(笑)。

さて、高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎の三陸廻(めぐ)り」、明日から8月30日(月)までの会期です。コロナ感染及び熊の出没には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。また、道の駅も比較的近くですので、こちらにもお立ち寄りいただければ幸いです。

【折々のことば・光太郎】

二時頃より円万寺神楽なるもの神楽堂にあり、群衆多く集まる。各部落より一群つつ仮装などして参詣に来り、歌舞す。


昭和23年(1948)4月25日の日記より 光太郎66歳

僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務めていた、花巻郊外旧湯口村(光太郎の居た太田村の隣村)の円万寺観音堂での一コマです。

多田は京都の西本願寺に入山、その流れで明治45年(1912)から大正12年(1923)まで、チベットに滞在し、ダライ・ラマ13世からの信頼も篤かったそうです。その後は千葉の姉ヶ崎(現市原市)に居を構え、東京帝国大学、東北帝国大学などで教鞭も執っています。昭和20年(1945)、戦火が烈しくなったため、チベットから持ち帰った経典等を、実弟・鎌倉義蔵が住職を務めていた花巻町の光徳寺の檀家に分散疎開させました。

円万寺神楽は現在も受け継がれ、国指定の無形民俗文化財に登録されています。

昨日まで一泊二日で、花巻に行っておりました。3回に分けてレポート致します。

東北新幹線を新花巻駅で下車、予約しておいたレンタカーを借り、まずは新花巻駅近くの花巻市博物館さんへ。こちらでは、テーマ展「鉄道と花巻—近代のクロスロード—」が開催中です。
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近代の花巻における鉄道開発や、それに関わった人物等を紹介し現代へと繋がる交通の拠点都市として発展した花巻の近代鉄道史を紐解く、というコンセプトで、「序章 舟運から鉄道へ」、「第1章 花巻近代鉄道史の夜明け~東北本線~」、「第2章 内陸から沿岸へ~岩手軽便鉄道~」、「第3章 温泉へ行こう~花巻電鉄と新温泉~」、「終章 賑わうまちと新花巻駅開業」の五部構成でした。

図録は発行されていませんで、代わりに、『花巻市博物館だより』№63というリーフレットから。
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展示品目録。こまごまとした出品物が大半で、点数は非常に多くなっていました。
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空襲での東京駒込林町のアトリエ焼失に伴い、昭和20年(1945)5月、宮沢賢治実家に疎開、同年秋から昭和27年(1952)まで郊外旧太田村での山居生活、そして翌年初冬には短期間の太田村「帰省」(後述のブリヂストン美術館さん制作の映画はこの際に撮影)を果たした光太郎。その間に重要な「足」となった花巻電鉄について、特に興味深く拝見しました。

平成30年(2018)には、花巻高村光太郎記念館さんで、「光太郎と花巻電鉄」という企画展も開催されました。その際に当方がお貸しした古絵葉書など、かぶる展示もありましたが、そうでないものも多数。逆に、「光太郎と花巻電鉄」の際に出たものが、こちらには並んでいないというケースも。同じ花巻市の施設なので、もう少し連携するなりすれば、と思いましたが、そのあたりは縦割り行政的なものの弊害なのでしょう。

例えば、昭和29年(1954)、ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」。もちろん光太郎が中心の映画ですが、東北本線の列車や、花巻電鉄が走行しているところの遠景、それから光太郎が花巻電鉄に乗車しているシーンなどが含まれています。その部分だけでも取り出して放映したり、それが無理でも静止画でパネル展示にしたりといったことは不可能ではないはず。
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それから、ジオラマ作家・石井彰英氏作製のジオラマ。こちらは「光太郎と花巻電鉄」の際に作っていただいたものですが、現在も花巻高村光太郎記念館さんで展示中です。
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これを、期間内だけでもこちらに運ぶことも不可能ではないはず。

また、花巻高村光太郎記念館さんの物販コーナーでは、石井氏がご自身でジオラマの細部を撮影され、お仲間の皆さんと音楽やナレーションを入れた「高村光太郎ジオラマDVD」も販売中。それをこちらに持ってきて放映したり売ったりすることも出来なくはないでしょう。

いろいろ権利の問題などで、面倒な手続きが必要かもしれませんが、そもそもそういう発想自体が欠けているのでは、と思うことがしばしばあります。

閑話休題。花巻電鉄といえば、今回の展示に合わせ、ほぼ実寸大の模型が製作され、ロビーに置かれています。「馬面電車」、「ハーモニカ電車」などと称された、デハ3型です。
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これなども、今後、何かの機会に活用していただきたいものです。

それから、お子さん向けに、車輌のペーパークラフト。こちらは無料で配付されているようです。
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自由にカラーリング出来るようになっており、コンテストのような企画が行われています。「花巻市博物館長賞」に輝くと、「商品」がもらえるそうで。「賞品」ではないのかな、と思うのですが(笑)。

さて、同展、8月29日(日)までだそうです。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午前十時半学校にゆく。今年はじめてなり。箱を持ちゆき郵便物を入れ置くやうたのむ。子供達持参は中止のやうのべる。余が二三日おきにゆく事。


昭和23年(1948)4月19日の日記より 光太郎66歳

「学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった、太田小学校山口分教場(のち、山口小学校に昇格)。「今年」は「今年度」という意味でしょう。

郵便はその分教場までしか届けてもらえず、光太郎が自分で取りに行ったり(同時に差し出し分を預かってもらいました)、教師や児童が届けてくれたりしていました。

中には、光太郎がお駄賃にと、雑誌や食べ物をくれるので、それを目当てに、という子供もいたようで、光太郎、そういう気配を感じ取ったようです。

昨日に引き続き、岩手花巻からの情報です。

テーマ展「鉄道と花巻—近代のクロスロード—」

期 日 : 2021年6月26日(土)~8月29日(日)
会 場 : 花巻市博物館 岩手県花巻市高松第26地割8-1
時 間 : 8:30~16:30
休 館 : 期間中無休
料 金 : 小、中学生 150円(100円) 高、学生 250円(200円)
      一般 350円(300円) ( )内は20名以上の団体割引料金

近代の花巻における鉄道開発や、それに関わった人物等を紹介し現代へと繋がる交通の拠点都市として発展した花巻の近代鉄道史を紐解きます。

主な内容 
「舟運から鉄道へ」「東北本線の開通」「岩手軽便鉄道の誕生」
「花巻電鉄と新温泉開発」

☆関連事業 7月17日(土) 講演会 7月31日(土) 学芸員講座 ギャラリートーク等
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元々、昨年開催予定だったものですが、コロナ禍のため一旦中止となり、仕切り直しての開催です。

昭和20年(1945)5月、宮沢賢治実家に疎開、同年秋から昭和27年(1952)まで郊外旧太田村での山居生活、そして翌年初冬には短期間の太田村「帰省」を果たした光太郎、その間に重要な「足」となった花巻電鉄も取り上げられます。
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展示品のうち、「岩手軽便鉄道沿線名所図絵」という古い鳥瞰図が、『広報はなまき』6月15日号に紹介されました。
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さらに、同館の「先人コーナー」。

先人コーナー展示替えのお知らせ

花巻市博物館では、花巻ゆかりの先人を紹介するコーナーを設けています。昨年度は、小原樗山、山室機恵子、工藤善太郎の3人を紹介しましたが、今年度は多くの先人のうち、渕澤能恵、佐藤隆房、薄衣八百藏の3人を取り上げました。

佐藤隆房(1890-1981)
佐藤隆房は、明治23年(1890)栃木県那須郡(現・那須町)に生まれました。大正12年(1923)、33歳の若さで「花巻共立病院」(現・総合花巻病院)を設立、外科医長を兼ねて初代院長に就任します。
慈善活動にも力を入れ、昭和8年(1933)の三陸大津波の際は救護班を沿岸に送り、昭和20年の花巻空襲の際にも陣頭指揮を執り、負傷者の救護を行いました。文化・芸術にも造詣が深く、宮沢賢治や高村光太郎など、花巻ゆかりの文化人たちとの交流がありました。
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光太郎の花巻疎開に尽力し、旧太田村の山小屋に移る直前の約1ヶ月、光太郎を自宅離れに住まわせてくれた佐藤隆房が新たにラインナップ入り。

来月には「菊池捍生誕150周年記念 旧菊池捍邸内覧会とゆかりの人々展」に行って参りますので、こちらも廻ってこようと思っております。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

午前書初。正信偈の中から選んで(「顕真実」3「金剛心」1)四枚書く。


昭和23年1月2日の日記より 光太郎66歳

正月二日に書き初めを行うのが、光太郎のルーティーンでした。「正信偈」は「しょうしんげ」。親鸞 の著した『教行信証』中の「正信念仏偈」を指します。

「顕真実」三枚中の一枚は、花巻高村光太郎記念館さん、一枚は大沢温泉さんに所蔵されています。「金剛心」も花巻高村光太郎記念館さんに納められていますが、元は光太郎に山小屋の土地を提供した駿河重次郎に贈られ、駿河はその書を拡大コピーした石碑を自宅前に立てました。
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直接、光太郎智恵子らには関わりませんが……一昨日の『福井新聞』さん記事から。

東日本大震災の津波で流された旧JR女川駅を精密復元 福井県の模型作家

 福井県福井市在住のミニチュア模型作家タカマノブオ(本名高間信夫)さん(58)が、東日本大震災で津波により流された旧JR女川駅(宮城県女川町)の模型を制作し現地に贈った。被災者を元気づけようと、同町で模型展を開いたのが縁。高間さんは「町の玄関口である駅舎での楽しかった思い出を懐かしんで、笑顔になってもらえたら」と願いを込めている。
 高間さんは、アニメや映画に登場する建物の模型を制作する作家として活動している。
 福井地震から70年を迎えた2018年6月、当時の被害を伝える新聞記事を読み、東日本大震災の被災地で展示会を開こうと思い立った。地震や水害など災害に苦しんだ福井という街に住むだけに、東北地方の被害が人ごとでないと感じたという。「模型を見て、ほんのひとときでも笑顔になってもらいたい」との思いで今年3月、仙台市と女川町で模型展を開いた。
 女川町での開催へ協力を得ていた関係者から昨秋、「女川町にまつわる建物の模型を作ってほしい」との依頼を受けた。当初は「惨劇を今すぐにでも忘れたいと思う人もいるであろう中、模型を制作していいのか」と迷ったという。しかし「駅には誰もが楽しい思い出があるはず」と思い直し、旧女川駅の復元模型の制作を決めた。
 約1カ月間かけて図面を作り、今年1月から制作を開始。より正確に再現しようと連日、現地の人たちと連絡を取り意見を求めた。
 模型は45分の1の縮尺。土台は約60センチ四方で、駅舎の高さは22センチ。瓦屋根一つ一つなど駅舎の外観や内部が精密に作られているのはもちろん、駅の前に駐車するタクシーや駅舎内の自動販売機なども作り、当時と同じ位置に設置している。
 記憶をたどって懐かしんでもらおうと、震災前にSLホエール号がJR石巻線の小牛田―女川間を記念走行したことを表すプレートを、模型の背面下に備え付けた。
 完成した模型は今月初めに送り、13日に東北電力女川原発・地域総合事務所へ届いた。今後、同発電所や町内の行事などで展示される予定。
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画像と動画を見て、「おお、懐かしい!」と思いました。

平成3年(1991)に建立された光太郎文学碑を見るため、同6年(1994)頃、当時は高速道路等も未整備で、公共交通機関で女川に参りました。光太郎智恵子の足跡を辿る旅の一環で、栃木の那須や福島二本松を廻ったあとで、小牛田から女川行きの石巻線に飛び乗ったのがもう宵の口。ワンマンカーで料金後払い、いざ、女川駅に着いて支払おうとしたら、財布には万札しかなく、運転手さんに「えー、お釣りありませんよ」と言われました。「じゃ、そこらで崩してきます!」というわけで、一旦駅から出て細かいお金を作って支払った記憶があります。

その際に駆け下りた階段。
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「ああ、こんなだった」と、涙が出そうになりました。その夜は女川の旅館に飛び込みで一泊、翌朝、光太郎文学碑を拝見しました。

その他、駅の正面玄関など。
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こちらは現在の女川駅に掲示されている、震災前の写真です。
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記事にもあるとおり、タカマさん、これまでに仙台と女川で展示会を開催されたそうで、そちらはアニメ等に登場する建物だったとのことですが、そうなると、我が町のモニュメントを、というのは人情ですね。

震災から10年、もう、あの日々は戻ってきませんし、タカマさんもおっしゃるように「惨劇を今すぐにでも忘れたいと思う人」にとっては、辛い記憶を呼び覚まされるかもしれませんが、美しい回想、楽しい思い出も、きっと甦るはず。

今後のこの模型の有効活用を願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

夕方六時頃夕食にしてもらひ、食後すぐ出かけて清六さん方にゆき、清六さんの案内にて郡農会にゆく。「レコードコンサート」、会衆三、四十人。電圧低きためか、レコードの音あまり良からず。久しぶりにブランデンブルグをきく。

昭和22年(1947)10月13日の日記より 光太郎65歳

花巻郊外旧太田村の山小屋を1週間程あけ、花巻町桜町の佐藤隆房邸に厄介になっていた時の記述です。

「清六さん」は賢治実弟の宮沢清六。「ブランデンブルグ」はJ・S・バッハの名曲ですね。光太郎はことのほかこの曲を好み、花巻郊外旧太田村の山小屋周辺を歩いている時に、幻聴でこの曲を聴いたというエピソードがありますし、後に詩「ブランデンブルグ」(昭和23年=1948発表)も書いています。

東京都中央区観光協会さんのサイトから。

日本橋から青空を取り戻せ。国と都の合同プロジェクト、高速道路地下化計画が始動!

 今から約400年前、江戸開幕とともに架けられた日本橋。五街道の起点と定められて以来、日本の中心であり、繁栄を象徴してきました。現在の橋は石橋になって3代目。明治44年に完成したアーチ型の美しい花崗岩の橋で、翼が生えた大きな麒麟と獅子のブロンズ像が見事です。橋のふもとには観光船乗り場、魚河岸記念碑、高札場レリーフ、徳川慶喜の筆による橋銘板、日本国道路元標や日本橋由来記など見所一杯。訪れる人が絶えません。

 1964東京オリンピックの開催が決まっていた日本は高度成長期の真っ最中。当時の交通事情は極端に悪く、羽田空港からメイン会場の代々木まで2時間以上かかっていました。特に日本橋付近の渋滞はひどくて平均時速は15~20キロのノロノロ運転。とても外国からゲストを迎えられる状態ではありません。新たに高速道路が必要。でも工期は5年だけ。用地を買収していては、とてもオリンピックに間に合いません。そこで、考えられたのが全体の85%以上を川や道路の上を通すという「空中道路」です。こうして日本の中心、日本橋の上を無粋な高速道路が走ってしまいます。皇居の前にも高速道路を通そうとしたそうですが、さすがにこれは却下されました。本当に、なんでもありだったんですね。

 そして、57年後、奇しくも次の東京オリンピック・パラリンピックの開催年に日本橋に青空を取り戻そうという計画、別名、智恵子プロジェクトが動き出しました(東京には空がないという。ほんとの空が見たいという。あたたら山に毎日出ている青い空がほんとうの空だという。「智恵子抄」 高村光太郎)
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赤線の部分、江戸橋から神田橋出入り口まで日本橋川上の約1.1キロの高速道路を地下化。
 2021年1月26日、首都高速道路(株)は江戸橋と常盤橋出入り口を廃止すると発表しました。廃止日時は5月10日。首都高速道路日本橋地区地下化事業の実施に伴う廃止で、2035年までに地下トンネルが開通し、2040年までに現高架橋が撤去されて、日本橋に青空を回復する予定です。
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日本橋川を活かした「東洋のヴェネチア」を目指したことがありました。
  明治時代に入ると、日本橋は巨大な東京港を臨む水運都市の核に位置付けられました。そのリード役を果たしたのが渋沢栄一と三井財閥で、今も日本橋に建つ三越と三井本館がそのシンボルです。イタリアのヴェネチアを手本に日本橋川沿いには多くの洋風建築物が建てられ、特に第一国立銀行、三井銀行など独特の味わいを持った和洋折衷の疑洋風建築の人気は高く、多くの錦絵に描かれています。

明治の文化人たちは鎧橋にパリのセーヌ河を感じました
 前方に見える鎧橋(日本橋より数百M隅田川寄り)の左側たもとに開業した西洋料理屋、メイゾン鴻の巣にパリのセーヌ河の香りを感じた作家や詩人たちが集います(パンの会:小山内薫、北原白秋、永井荷風、谷崎潤一郎、武者小路実篤、島崎藤村他そうそうたるメンバー多数)。あまりの喧騒に警官が出動したこともあったそうです。高村光太郎が智恵子に出会ったのはこのメイゾン鴻の巣でした。
 かっては水都の景観が眺められた日本橋。関東大震災、空襲、それに続く高度成長期と1964東京オリンピック前の交通インフラ工事でほとんどの川や建物が消滅してしまったため、今では東洋のヴェネチアの片りんも残っていません。
 日本橋1丁目再開発と日本橋青空化プロジェクトがきっかけとなって、日本橋は水辺と親しむ街に変わっていくことでしょう。
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なるほど、という感じですね。

引用部分、最後のあたりに「パンの会」会場となったメイゾン鴻乃巣についての記述がありますが、「高村光太郎が智恵子に出会ったのはこのメイゾン鴻の巣でした」というのは大間違いですのでよろしく。ついでにいうなら、上の方で「あどけない話」(昭和3年=1928)が引用されている中の「ほんとうの空」という部分は「ほんとの空」です。

首都高速道路株式会社さんのサイトも確認してみました。すると、「START」というプロジェクト名で概要が説明されていました。「Safety(安全・安心) 未来にも走り続けられる安心・安全」の「S」、「Technology(技術) 交通機能を確保しながら地下化する技術」で「T」、「Activation(活性化) 景観形成・都市再生による日本橋エリア活性化」から「A」、「Renewal(更新事業)道路構造物を長期にわたり健全に保つ」ということで「R」、そして最後の「T」は「Tunnel(トンネル) 神田橋・江戸橋JCTの地下をつなぐ」だそうです。動画もアップされていました。
こちらには「智恵子プロジェクト」の語は見つかりませんで、正式名称ではないようです。

当方、都心に出る際は高速バスを利用することが多く、この地下化計画が為されている区間を通る路線です。いつも「なんだかなぁ」と思いつつ、日本橋の上を通過していました。
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ちなみに麒麟や獅子などの日本橋の装飾彫刻は、光太郎の父・光雲が主任となって制作された皇居前広場の「楠木正成像」の鋳造を手がけた岡崎雪声の娘婿・渡辺長男の作品(明治44年=1911)です。鋳造は岡崎が担当しました。

光太郎、留学中に都市計画にも興味を持ち、その分野にも一家言ありました。もし存命なら、どう考えたでしょうね。

【折々のことば・光太郎】

朝晴れ、後曇り、涼、 暁方は毛布にては冷えるので掛蒲団をかける。

昭和21年(1946)9月2日の日記より 光太郎64歳

岩手の山懐では、9月ともなるとそうなのですね。

一昨日の『福島民友新聞』さんから。 

【二本松】 観光タクシー料金半額へ コロナ禍需要掘り起こす

 二本松市は早ければ8月中旬にも、同市の観光名所を巡る観光タクシーが通常料金の半額で利用できるサービスを始める。新型コロナウイルス感染症の影響を受ける同市の観光需要を掘り起こし、地域経済の活性化につなげる。

 観光タクシーは昭和タクシーと丸や交通が運行する。市内や会津、磐梯吾妻スカイラインなどを巡る多彩なコースがあり、料金は通常の運賃よりも割安に設定されている。
 市は、2社でつくる市ハイヤータクシー経営者協議会に助成することで、料金半額を進める。
 半額サービスは市内を巡る通年利用の10コースを想定。小型(4人乗り)の場合、霞ケ城公園や智恵子の生家記念館などを巡るJR二本松駅発着の「智恵子抄探訪」は5000円、両施設に加え、二本松万古焼や二本松少年隊の墓所がある大隣寺といった名所を回る岳温泉発着の「安達太良浪漫街道A―2」が1万円などで利用できる。
 感染症に伴う観光関連の緊急経済対策で市はこのほか、同市で教育旅行や合宿を行う小、中学、高校、大学などに対し、バス運賃を助成する。助成額はいずれも上限額で、県外の団体が宿泊の場合に6万円、日帰り3万円、県内団体が宿泊で3万円、日帰り1万5000円。

調べてみましたところ、記事にある昭和タクシーさんのサイトに案内が出ていました。

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画像では10,000円となっていますが、ここに助成が入って半額の5,000円となるそうです。

「智恵子抄探訪コース」に限らず、記事にある小型タクシー以外にも、ジャンボタクシー、マイクロバスもチャーターできるとのこと。そちらにもおそらく助成金が出て、安くなるのでしょう。

いずれも鉄道で現地まで行って、そのあと、という感じの利用になるかと思われます。

ジャンボタクシーというと、花巻の「どんぐりとやまねこ号」に近いのかな、という気がします。ぜひ定着させて欲しいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩といふものは書かれてゐる表面は小さくても、その小さな表面は、言はばその奥をのぞくことのできる窓のやうなもので、書く人は無意識でも、読む人の心には、その小さな隙間から、その詩の奥にひろがる生活や情念や気分や思想の傾向や為人までが直感せられる。

散文「『職場の光』詩選評 七」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

そういうわけで、詩には余計な説明は不要、という話の流れです。

だからといって「説明」をせず、それでいて「小さな隙間から、その詩の奥にひろがる生活や情念や気分や思想の傾向や為人までが直感」できないような「現代詩」とかいうものの、何と多いことか……となげかわしく思います。

富士急行株式会社さんの出したプレスリリース(報道機関に向けた、情報の提供・告知・発表)です。 

ロープウェイから望む光の天の川「あだたらイルミネーション」 8月1日(土)より開催

 あだたら高原リゾート(福島県二本松市)では、2020年8月1日(土)~9月22日(火祝)の期間、毎夏恒例のイルミネーションイベント「あだたらイルミネーション」を開催致します。
 この「あだたらイルミネーション」は、暗く静まり返ったスキー場の斜面に5色50万球ものイルミネーションが約240メートルに渡って輝く“光の天の川”を中心に、花や動物たちをモチーフにした様々なイルミネーションオブジェが光り輝くイベントで、満天の星空と相まって、夏の夜の森に幻想的な光景が広がります。また、開催期間中はロープウェイも運行するため、車窓から眼下に広がるまばゆいイルミネーションを眺めつつ、福島市から郡山市にかけての見事な夜景を一望することもできます。
 また、今年初の試みとして、期間中ロープウェイの往復乗車券をご購入いただいた方先着1,000名に、『光る切符』をプレゼントいたします。安達太良山とロープウェイ、イルミネーションがデザインされたこの『光る切符』は、蓄光塗料を使って印刷されており、暗い場所に持っていくと、イラストが白く浮かび上がります。
 夏の夜を彩る「あだたらイルミネーション」にご期待ください。

【あだたらイルミネーション開催概要】
■開催期間  2020年8月1日(土)~9月22日(火祝)
        ※8月31日(月)以降は、金・土・日曜日・祝日のみの営業となります。
■開催場所  あだたら高原リゾート
■営業時間  19:00~21:00 
        ※強風・雷など、天候状況により休業する場合があります。
■乗車料金  大人(中学生以上)  往復乗車券 1,300円
        小人(4歳~小学生)  往復乗車券  800円
        ※ロープウェイ所要時間約10分、定員6名。
■標  高  山麓駅950m、山頂駅1,350m
■お問合せ  富士急安達太良観光株式会社 TEL:0243-24-2141

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【『光る切符』について】

初の試みとなる1,000枚限定の特別往復乗車券です。
■販売数量 先着1,000枚限定
■価  格 1,300円
■販売場所 あだたら山ロープウェイ山麓駅
■サ  イ  ズ 100mm×148mm(はがきサイズ)

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大好評、絶景の露天風呂 「あだたら山 奥岳の湯」も営業中!

 標高約950mに位置する「あだたら山 奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と詠ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんで頂くことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。

【施設概要】
所 在 地:福島県二本松市奥岳温泉
営 業 日:年中無休 ※メンテナンス休業あり
営業時間:10時00分~18時00分
施設内容:収容可能人数80人(男女各40人)
内湯(9㎡)、露天風呂(20㎡) ※男女別
利用料金:大人 650円 /小人(4才~小学生)450円
p H 値:2.5(強酸性)  
泉  質:単純酸性温泉
適 応 症:神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性消化器病・冷え性・疲労回復
健康増進・慢性皮膚病

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あだたらイルミネーション」。おおむね毎年この時期に催されています。コロナ禍で各種イベント等の中止や延期が相次いでいますが、こちらは実施。もちろん感染対策等は徹底して、ということなのでしょうが。


ちなみにこの時期、例年行われていた年中行事的なもので、今年は中止となったものは、以下。

福島川内村 天山祭り  当会の祖・草野心平を顕彰する祭典でした。
青森十和田湖畔 湖水まつり 光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップがなされていました。
  追記 時期と形を変えて実施だそうです。8月28日(金)~8月30日(日)です。

宮城女川町 女川光太郎祭  光太郎詩文の朗読や当方の連続講演などが行われていましたが、今年は規模を縮小し、光太郎文学碑(再建されたそうで、この件はまた改めてご紹介します)への献花のみとするはずだったところ、隣接する石巻でコロナ感染が発生、女川にも濃厚接触者が……ということでそれも無くなりました。
山形大学第13回高校生朗読コンクール  毎年、東北ゆかりの作家の作品が課題に選ばれており、平成27年(2015)の第8回に続き、今年は光太郎の「智恵子抄」が課題でしたが、どうやらこれも中止のようです。同大のサイトに詳細情報が出ませんので。
・第73回全日本合唱コンクール  ほぼ毎年のように、光太郎詩に曲をつけた作品を演奏する団体がありました。

いつも書いていますが、早期のコロナ禍収束・終息を切に望みます。このまま秋以降の各種イベントもどんどん無くなるようでは、本当に困りますので……。


【折々のことば・光太郎】

人間はけつして一様なものでないから、正直にその感じを出したら、ずゐぶん千差万別のおもしろいものが見られる筈なのである。

散文「『職場の光』詩選評 六」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

一般読者の投稿詩に対する苦言です。ステレオタイプの型にはまりすぎている、ということで。「活きた眼を働かせ、生きた心を動かして、初めて物を見るやうな気持で毎日の生活をそれぞれの角度から味つたら、きつと机上では得られないやうな貴重な詩的記録が書けることと思ふ。出来るだけ詩人かぶれをしないやうに、直接の表現を心がけるといい。」とも書いています。

昨日の朝、停電が起こりまして、未だに復旧しておりません。そこで今日もスマホからの投稿です。

停電前に入手しました資料をご紹介します。

JR 東日本さんの車内誌、『トランヴェール』。新幹線等の座席に備え付けのフリーペーパーです。どなた様も一度は眼にされたことがおありでしょう。フリーペーパーと侮るなかれ、なかなか充実の内容が毎号目白押しですね。

今月号は「武田勝頼、埋もれた英雄の真実」という特集がメインですが、巻頭の作家・沢木耕太郎氏によるエッセイ「旅のつばくろ」で、二本松および岳温泉が取り上げられています。

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在来線の東北本線の二本松で降りると、駅前には智恵子の像が建っている。そう、あの高村光太郎が、安達太良山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だという、と詠った妻の智恵子の像だ。

この像は光太郎の父・光雲の孫弟子にあたる橋本堅太郎氏の作で、「ほんとの空」と題されているものです。紙面にはその画像も大きく掲載されています。

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ただ、像の紹介は話の枕で、この後は岳温泉の話となります。それにしても智恵子像「ほんとの空」の写真を大きく載せてくださったのは有難い限りです。

それから後ろの方の「地・温泉」というコーナーでは、戦後の花巻郊外旧太田村で暮らしていた光太郎がよく訪れた大沢温泉さんが取り上げられています。光太郎には触れられていませんが。

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さて、『トランヴェール』、JR 東日本管内で新幹線などに乗られる方はぜひお持ち帰りください。当方はネットオークションで入手しました。そういう手もありますので、ご参考までに。

昨日、元のYAHOO!ブログからこちらに移転しました。とりあえずエラーもなく、元のデータは移行できましたので、胸をなで下ろしております。ただ、過去記事を見ますと文字や画像のサイズなどが結構むちゃくちゃになっているものもあり、少しずつ修正していこうと思っております。また、自分のブログ内にリンクを貼った箇所がかなりあり、12月まではそれでいいのですが、以後、リンクの期限切れとなるので、そちらも併せて直していく予定です。


ただ、2600件余の記事を修正せねばならず、それから、このライブドアさんのブログの編集画面、使い方が分からない箇所などがあり、今日の投稿にしてもそうですが、しばらく見づらい状態になるかと存じますが、よろしくお願い申し上げます。


さて、今日のタイトルの花巻関連、ということで。


まず、11日(日)の地方紙『岩手日報』さんの記事から。

花巻電鉄、雄姿見て 廃線50年記念し写真展

 花巻市中北万丁目の農業菅原唯夫さん(70)は同003市材木町の市民の家で、大正から昭和にかけて花巻を走っていた花巻電鉄の花巻西鉛線廃線50周年を記念した写真展を開いている。市街地と温泉街を結んだ東北初の路面電車。形から「馬面(うまづら)電車」と親しまれていた当時の様子を紹介している。

 路面電車は1915(大正4)年運行開始。花巻西鉛線(西花巻麟西鉛温泉間)は69年、花巻温泉線(花巻麟花巻温泉間)は72年に廃線となった。

 写真展では約250点を展示。乗車する詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)や、花巻西鉛線の最終営業日に住民らが駅のホームで電車を見送る写真などが並ぶ。

 貨車に木炭や硫黄を積んだ写真や、車両内がぎゅうぎゅう詰め状態だったことから、路面電車は住民にとって欠かせない存在だった。

 菅原さんは「花巻電鉄があったことを市民に知ってもらいたい。市の観光資源として、どのように継承していくか来場者の意見を聞かせてほしい」と訴える。

 20日まで。午前9時~午後5時。入場無料。期間中は材木町公園内で保存している当時の電車「デハ3」の乗車体験もできる。問い合わせは菅原さん(090・9532・7434)へ。


続いて仙台に本社を置く『河北新報』さん。

「馬面」花巻電鉄 旅情誘う 廃線50年で乗車会

 花巻市街地と花巻南温泉郷を結び、1969年まで運行されていた花巻電鉄鉛線の車両を保存展示する岩手県花巻市の材木町公園で、体験乗車会が開かれている。廃線から50年になるのに合わせ、地元の郷土史家菅原唯夫さん(70)が市に呼び掛けて実現した。20日まで。

 花巻電鉄で唯一現存する車両だが、台座として使われている枕木の傷みが激しく、荷重のかかる車内の一般公開は5年ぶりとなる。

 向かい合って座ると、膝と膝がくっつくほど狭い車内を見学した花巻市の会社員田口建二さん(50)は「今の時代にこれで温泉に行けたら面白いでしょうね」と話した。

 花巻電鉄は県道の一部を借用してレールを敷設したために最大幅員が1.6メートルしか確保できず、車両は独特の細長い形状となった。その見た目から「馬面(うまづら)電車」の愛称で市民に親しまれた。

 1915(大正4)年に営業運転が始まり、湯治客や沿線住民の足として利用された。宮沢賢治や高村光太郎が利用したことでも知られる。

 公園内の公共施設「市民の家」では、菅原さんが収集した花巻電鉄にまつわる写真展も開かれている。午前9時~午後5時、入場無料。連絡先は菅原さん090(9532)7434。


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昭和40年代まで、長年、市民の足として親しまれ、花巻町やその郊外旧太田村に蟄居していた光太郎もしばしばりようした花巻電鉄の写真展だそうです。会場はJR東北本線花巻駅西の材木町公園にある「市民の家」。元花巻町役場だった建物を移築したもので、ここの2階で光太郎が講演を行ったこともあります。また、同公園内には、光太郎も乗ったデハ3型の車両も静態保存されていまして、そちらの内部公開もあるとか。



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ぜひ足をお運びください。


続いて、定期購読させていただいている、『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さん。第15号が昨日届きました。


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花巻高村光太郎記念館さんの女性スタッフの協力で為されている「光太郎レシピ」。「赤魚のムニエルと白瓜の雷干し」がメインです。さらに、花巻高村光太郎記念会事務局長にして横笛の達人・高橋邦広氏のご紹介。

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さらにテレビ放映情報。花巻がらみを3件ご紹介します。

わがまま!気まま!旅気分

BSフジ 2019年8月17日(土) 6時00分~6時55分

盛岡や花巻周辺を台湾で人気のユーチューバー三原慧悟さんと岩手めんこいテレビ・滝澤アナが2人旅。わんこそば挑戦や温泉など岩手の魅力満載。三原さんの動画撮影にも密着


旅人は台湾で大人気のユーチューバー三原慧悟さんと岩手めんこいテレビ・滝澤悠希アナウンサー。  花巻空港で台湾からの旅行客をお出迎えする地元の皆様に出会う。三原さんに気付いた旅行客の反応は?  花巻温泉を訪れた2人は名湯や敷地内の滝で癒やされる。 盛岡で2人はわんこそばに挑戦。 2日目は冷麺作りの体験や、つなぎ温泉を満喫。 小岩井農場では、アクティビティや農場グルメを堪能する。

<出演者> 三原慧悟 滝澤悠希(岩手めんこいテレビ・アナウンサー)


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出川哲朗の充電させてもらえませんか? 釜石から花巻大沢温泉まで130キロSP

地上波テレビ東京 2019年8月17日(土)  18時30分~20時54分

行くぞ!銀河鉄道の旅!釜石から花巻・大沢温泉まで130キロ!あ~ニッポンの原風景が美しすぎてヤバいよヤバいよSP

釜石大観音前から出発!釜石は、出川の大伯父が社長を務めていた日本製鉄の製鉄所や、曽祖父が「銀河鉄道の夜」のモデルとなる鉄道(岩手軽便鉄道)の社長を務めたゆかりの地。 ゲストの陣内智則と合流し、電動バイクで出発すると銅像を発見。出川の大伯父の銅像ではないかと興奮する。陣内と別れ、翌朝ゲストの石原良純と合流する。宮沢賢治記念館に行きたいという良純の願いを叶えるため、3人は記念館に向かう。出川は、大谷翔平と菊池雄星を輩出した高校をどうしても見たいと回り道。結果、遠回りしたことで良純と出川は言い争いバトルに。果たして無事ゴールの花巻・大沢温泉にたどり着けるのか?
出演者 出川哲朗 陣内智則 石原良純



光太郎も愛した大沢温泉さんが終点とのことですが、宮沢賢治がらみの内容がかなり扱われるようです。あの出川さんのひいおじいさんが岩手軽便鉄道の社長だったとか、意外な話になりそうです。出川さんの大伯父の銅像というのも、光太郎の「三陸廻り」(昭和6年=1931)に記述のあるもののような気がします。出川さん、そういう家系の出だったのですね。


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ゲストの石原良純さんと出川さん、賢治のコスプレに挑戦。しかし出川さんは、賢治というより笑ゥせぇるすまん(笑)。

ナニコレ珍百景 歩道橋に大量のツバメの巣&巨大岩と一体化した家SP

地上波テレビ朝日 2019年8月18日(日)  18時30分~19時58分

★岩手・花巻…今はなき昭和のモノだらけ!?古すぎる小学校▼石川・輪島…岩を突き抜けた滝&巨大岩の下で岩と一体化した家…住人は?▼福島…歩道橋の下はツバメのマンション!?200以上の巣▼茨城・古河…大物芸能人の番組のような飲食店に衝撃ドッキリ大作戦▼埼玉・富士見…路肩の白線がクネクネ波うっている謎の道路▼東京・杉並…何のため?真下を向いたカーブミラー▼福島…女子中高生の姉妹と仲良しすぎる家族〔変更あり〕

放送11年間あの珍百景は今
成長に仰天&感動の子ども珍百景続々▼千葉…逆さ言葉が得意な小学生は今▼神奈川…連続逆上がりが得意な5歳の女の子は今▼岡山・倉敷…外国人に英語で観光案内する小学生▼千葉…アリジゴクの定説を覆す大発見をした小学生は今

家族じまん珍百景
おばあちゃんとだけ電話で話す犬▼顔がハートになった犬▼ムーンウォークする犬▼うちわで踊るリス▼釣竿で遊ぶネコ▼おもてなしポーズ犬〔変更あり〕

出演者 名倉潤・堀内健・原田泰造(ネプチューン)  森葉子(テレビ朝日アナウンサー)  キムラ緑子、松村沙友理&賀喜遥香(乃木坂46)
ナレーター 奥田民義、広居バン


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大沢温泉さんと、さらに奥の鉛温泉さんの中間にある「昭和の学校」さんが取り上げられるようです。こちらは廃校になった旧前田小学校さんの校舎を利用し、昭和のレトログッズを展示しているミュージアムです。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

こころつねにあたらしく日々発見に満つ  

           短句揮毫 昭和24年(1949) 光太郎67歳

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蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の太田中学校に贈った書です。前半部分は後に盛岡少年刑務所にも贈りました。

このブログもリニューアルしたということで、「こころつねにあたらしく」やって行こうと思っております。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「光太郎と花巻電鉄」。以前にもご紹介しましたが、ジオラマを造られた品川ご在住の石井彰英氏が、ご自身でジオラマの細部を撮影され、お仲間の皆さんと音楽やナレーションを入れた「高村光太郎ジオラマDVD」が完成しました。

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花巻高村光太郎記念館さんで、定価1,000円での販売中。

ナレーションとテロップの原稿を当方が執筆いたしまして、そうした関係でスタッフに名を連ねさせていただき、現物を50枚下さいまして、愛車に積んで持って帰りました。

オープニング。

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バックに横笛の達人、花巻高村光太郎記念会・髙橋事務局長の演奏。

光太郎が戦後の7年間を暮らした山小屋(高村山荘)の映像、最初は当時の古写真だったものが、ジオラマの映像に切り替わり、いつのまにか光太郎も登場。

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その後、ここにたどり着くまでの光太郎、そして智恵子の紹介を兼ね、花巻以外の各地の紹介。

南品川・ゼームス坂病院。智恵子終焉の地です。石井氏が以前に作られたもので、これがご縁で花巻高村光太郎記念館さんに氏をご紹介しました。

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福島二本松、智恵子の生家。

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東京千駄木の光太郎アトリエ。

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安達太良山。バックに「あどけない話」(昭和3年=1928)の朗読。

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そして、花巻。

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光太郎の足跡が残っている場所を主にしていただきました。

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もちろん、花巻電鉄の車両も走り回っています。

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それから、光太郎が疲れを癒した郊外の温泉地の数々。

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そして、旧太田村。光太郎の山小屋や、近くの山口小学校など。

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石井氏曰く「牧歌的」だそうですが、人々の息づかいまで聞こえてきそうです。

本編のあとには、エンドロールを兼ねて、「制作日誌」。

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ロケハンの際の画像もふんだんに使われ、現在も残る建造物がどうジオラマになったかという対比がされ、面白い工夫です。

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花巻高村光太郎記念館さんで、定価1,000円での販売中。ご入用の方は、お問い合わせ下さい。

それから、9月9日(日)、神奈川県鎌倉市で、上映会が催されるそうです。石井氏が以前に作られた、北鎌倉のジオラマを撮影されたものも同時上映とのこと。当方もお邪魔して参ります。ご興味のある方、リンクからお問い合わせ下さい。


【折々のことば・光太郎】

われわれはもう一度新しい意味の素朴を発見して更に詩の樹液を更新したい。ことに日本語といふ素朴の性質を十分に新しい面から究明して、未知のしかも身近な美を此の世に生かしたい。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

「未知のしかも身近な美」というのがいいですね。美は到るところにあると考えていた光太郎ならではの言です。

光太郎第二の故郷・岩手花巻の高村光太郎記念館さんでの企画展です。 

光太郎と花巻電鉄

期 日 : 2018年7月14日(土)~11月19日(月)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田第3地割85番地1
時 間 : 午前8時30分から午後4時30分まで
料 金 : 小中学生 150円(100円) 高等学校生徒及び学生 250円(200円)
      一般 350円(300円)
 ( )は20名以上の団体
休館日 : 会期中無休

光太郎が市街地へ日用品の買い出しや、静養先だった温泉への移動手段としていたのは、東北各地の都市に先駆けて大正初期から電車を運行していた『花巻電鉄』でした。都会育ちの光太郎にとって、山での暮らしは東京とは比べようが無いほど不便でしたが、山をおりれば路面電車で市街へ移動できる、『田舎』と『都会』が絶妙に隣り合う環境であったと言えるでしょう。
この企画展では、光太郎にゆかりある市内各所を資料やエピソードを交えて紹介しながら、それらを花巻電鉄が結ぶ情景を温かみあるジオラマで展示します。

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メインは、品川区大井町ご在住の石井彰英氏による、光太郎が暮らしていた頃の戦後の花巻とその周辺を表現したジオラマ。上記チラシにも使われています。すばらしい作品です。

かつて智恵子終焉の地・南品川ゼームス坂病院を含む昔の大井町のジオラマを作成された石井氏に、花巻とその周辺のジオラマ作成をお願いしようと、高村光太郎記念館さんのスタッフ氏と一緒に工房を訪れたのが一年前の今頃。快諾を頂き、9月には、当方の運転するレンタカーで現地花巻をロケハン。その後、いろいろな方にご協力いただき、完成しました。

学術的なそれではないので、デフォルメがなされていますが、その場所ごとの感じは非常に良く再現されていると思われます。

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地元の方や、花巻に詳しい方なら、上記画像でそれぞれの場所がどこかとおわかりになるのではないでしょうか。

その他、花巻電鉄に関わる資料なども展示されます。何点か、当方手持ちの資料もお貸ししました。チラシにも使われている古絵葉書、光太郎が居住していた頃の時刻表など。

それから、ジオラマを元にした石井氏製作のDVDも販売される予定です。石井氏曰く「観に来られた方が、ジオラマを自宅に持って帰ることはできないので、映像として持って帰っていただきたい」とのことです。以前に伺った話では、そう高価な価格には設定しないとのこと。

ぜひ足をお運びください。当方は初日とその前日に1泊2日で行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

日本に遺つてゐる造型芸術の中で、埴輪ほど今日のわれらにとつて親しさを感じさせるものはない。埴輪ほど表現に民族の直接性を持つてゐるものはない。それはまるで昨日作られたもののやうである。

散文「野間清六編「埴輪美」序」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

日中戦争開戦直前ということで、若干のきな臭さを感じる一節ですが、時代は違えど古代エジプトの彫刻などのプリミティブな美にうたれていた光太郎らしく、埴輪の持つ素朴な美を讃えています。「それはまるで昨日作られたもののやうである。」、いいですね。

また後ほど詳しくご紹介いたしますが、来月14日(土)から、光太郎第二の故郷・岩手花巻の高村光太郎記念館さんの企画展「光太郎と花巻電鉄」が開催されます。かつて花巻を二本の路線が走っていて、光太郎もたびたび利用した花巻電鉄にスポットを当てた企画展示です。

目玉は光太郎が暮らしていた頃の戦後の花巻を表現したジオラマ。もちろん、花巻電鉄の電車も走ります。製作は品川区大井町ご在住のジオラマ作家・石井彰英氏にお願いしました。

以前に石井氏から智恵子終焉の地・南品川ゼームス坂病院を含む昔の大井町のジオラマを撮影したDVD「小さなパラダイス 昔の大井町あたり」をいただき、そのクオリティに感銘、高村光太郎記念館さんで花巻電鉄に関する企画展も考えているというので、それなら石井氏にジオラマを作っていただこうと、ご紹介した次第です。

昨年9月には、現地花巻でのロケハン。その前後からたびたび石井氏の工房にお邪魔し、全体の配置やどんな建造物を入れるかなどの相談に乗らせていただきました。高村光太郎記念館さんや、隔月刊のタウン誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』の北山編集長などにもご意見を伺い、ほぼ1年かけて、ついに完成。昨日、石井氏の工房から花巻に搬出されました。

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パネルは4分割されており、まず花巻町中心街。学術的な実測に基づく設計ではありませんので、かなりデフォルメされていますが、各建造物(光太郎にゆかりのあったものをピックアップしました)の大まかな位置関係はほぼ正確です。

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この線路をミニチュアの電車が走ります。石井氏苦心の作です。

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向かって左の方に、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)を含む旧太田村。

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その上に、大澤温泉さんや鉛温泉さんなどの花巻南温泉郷。少し離れて花巻温泉さんも。

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全部あわせると、畳一畳をゆうに超える大きさです。人形は500体超、樹木は300本以上。自動車はシボレーやフォードなどのものを海外から取り寄せられたそうです。

遠く花巻から搬出のためのワゴン車。

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あいにくの雨でしたので、濡れないよう注意を払いつつ、5階の工房から下ろして積み込みました。

これ以外にも、石井氏はご自分の作品をビデオ撮影されてDVDにまとめられることをなさっており、そちらに登場する東京千駄木の光太郎アトリエ、福島二本松の智恵子生家・長沼酒造なども。

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こちらも別個に展示して下さるとのことです。

こちらもまた後ほど詳細をご紹介しますが、DVDは記念館さんでも販売して下さるそうで、ぜひお買い求め下さい。ミュージシャンでもある石井氏とそのお仲間さんたちによるオリジナルの光太郎智恵子トリビュート音楽、花巻高村光太郎記念会・高橋邦広事務局長の篠笛演奏がバックに使われています。ナレーションやテロップは当方が執筆させていただきました。

街の喧噪、牛馬のいななき、鳥のさえずり、そして人々の息づかいまで聞こえてきそうな作品です。7月14日(土)~11月19日(月)までと、長めの期間設定になっています。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

私はまるで自分とちがふ軌道を運行する此の力ある巨星の立派な芸術を見る事に、今は深い興味と予期とが持てるやうになつた事を自らよろこんでゐる。
散文「旧友石井柏亭氏」より 昭和7年(1932) 光太郎51歳

明治末、光太郎と「地方色」論争を起こし、その結果「日本初の印象派宣言」とも言われる評論「緑色の太陽」を書かしめた画家・石井柏亭へのエールです。青年期は自らの考えに合わない絵画や彫刻には一切の価値を認めないというスタンスだった光太郎も、さすがに壮年期に入り、丸くなったようです(笑)。

東京メトロさん主催のイベント情報です。

沿線の街の魅力を発信する散策型スタンプラリー「新発見!駅から始まるさんぽ道2nd Season」を実施!このスタンプラリーは、昨年度から実施し、多くのお客様にご好評いただいた「新発見!駅から始まるさんぽ道」の第2弾として実施され、毎月、期間内に3か所のスタンプポイントをめぐりスタンプを集めると達成したコース数に応じて素敵なプレゼントに応募ができます。 今月は、千代田線「西日暮里」駅周辺の見どころポイントをご用意! 初めて訪れる駅や街はもちろん、馴染みの街の新たな魅力を発見できるかも!

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今月は、東京メトロ千代田線西日暮里駅周辺だそうで、スタンプポイントにはなっていませんが、同駅近くの荒川区立第一日暮里小学校さんの正門前に立つ、光太郎文学碑がコースに入っています。

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以前にもご紹介しましたが、この碑は、昭和60年(1985)の建立。昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くにあった太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉「正直親切」が刻まれています。明治23年(1890)から同25年(1892)にかけ、数え八歳から十歳の光太郎が、同校尋常小学校の課程に通っていたことに由来します。

現在でも同校は学校便りのタイトルに「正直親切」を使って下さるなど、「卒業生」光太郎の顕彰にも取り組んで下さっています。

考えてみますと、23区内にある光太郎の文学碑といえるものは、これと、それから品川のゼームス坂病院跡にある「レモン哀歌」詩碑の二つだけ(個人の方が個人の敷地に建てた、というようなものがあるかもしれませんが)。

さて、東京メトロさんのスタンプラリー。月ごとにコースが定められ、獲得したポイントに応じて賞品が当たる仕組みになっています。1コース達成でレジャーシートが500名様、これはともかく、3ヶ月で3コース達成だと、50名様に東京メトロ沿線ホテルランチお食事券5,000円分。これは当たると大きいですね(笑)。詳しくは上記リンクから。


この機会にぜひ日暮里の光太郎碑、ご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

彫刻の本質たる造形性は人間そのものの本能の慾求から発してゐる事を思へば、如何なる時代の変化はあつても、人間が人間としてのこる限り、彫刻のこの本質本流が消滅し得るものとは考へられない。

散文「彫刻の方向」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

そうした根源的な芸術に関わる者としての矜恃、使命感が感じ取れる一文です。

昨日のこのブログでは、岩手の地方紙『岩手日日』さんから、光太郎に触れた最近の記事をご紹介しましたが、もう1件ありました。

レトロ車両でのんびり ジャンボタクシーコース、名称変更 雨ニモマケズ詩碑を追加

 【花巻】懐かしの車両でのん001びりどうぞ―。レトロジャンボタクシーで花巻市内を巡る花巻観光協会(佐々木博会長)の観光ツアーが、名称やコースを変更し、2017年度から「どんぐりとやまねこ号」として再出発した。これまでコースになかった雨ニモマケズ詩碑を新たに加えるなど、古里の偉人・宮沢賢治ゆかりの地を拡充。午前か午後の半日運行と午前、午後を合わせた1日運行の3コースで、花巻の見どころを楽しんでもらう。
 半日運行のうち、午前はJR花巻駅東口を8時15分、花巻温泉郷を8時30分~9時15分に出発し高村光太郎記念館、雨ニモマケズ詩碑、宮沢賢治記念館を経て、正午ごろにJR新花巻駅に到着。午後はJR新花巻駅を1時に出て花巻新渡戸記念館、宮沢賢治記念館、ワインシャトー大迫、早池峰と賢治の展示館を経由して4時30分ごろにJR新花巻駅、4時40分ごろにJR花巻駅東口、4時50分~5時35分ごろに花巻温泉郷に到着する。
 午前と午後を合わせた1日運行のコースでは、午後に設定されている宮沢賢治記念館を宮沢賢治童話村に変更する。昼食は各自自由。半日、1日運行いずれのコースも、観光地や観光施設では20~40分の滞在時間を設ける。料金は施設利用料や入館料を含め3歳以上1人に付き、半日運行のコースで各2000円、1日運行のコースで3500円。利用には予約が必要で、各コース2人以上の乗車で運行する。
 車両は文化タクシー所有で、1920年代に活躍した英国アスキス社製「ザ・マスコット」の復刻版。突き出たボンネットや木製の窓枠など懐かしさ漂う外観が特徴だ。友人と3人で乗車した京都市の会社員樋口かえでさん(23)は「こうしたレトロな車に乗るのは初めて。料金が安く、運転手さんとの会話も楽しい。有意義な時間を過ごすことができた」と話す。
 今年度は、昨年度までの「あったかいなはん花巻号」から名称変更したほか、午前か午後だった賢治記念館を双方に盛り込むなどニーズを踏まえてコースを見直した。同協会では「賢治のイメージを色濃くしたコース設定。特に新しく盛り込んだ雨ニモマケズ詩碑は車でないとなかなか行きにくい。ぜひ利用してほしい」としている。
 予約の申し込みなど、問い合わせは花巻観光協会=0198(29)4522=へ。


一般社団法人花巻観光協会さんで運営されているジャンボタクシー。以前から運行されていましたが、けっこうシステムやコース、利用料金の変更があります。郊外旧太田村の花巻高村光太郎記念館さんが、コースに入ったり入らなかったりでした。

今月からは、名称自体も以前の「あったかいなはん花巻号」から「どんぐりとやまねこ号」に変更。午前中運行の「どんぐり号」と午後出発の「やまねこ号」に別れ、「どんぐり号」の方に花巻高村光太郎記念館さんが入っています。また、光太郎が揮毫した市内桜町の「雨ニモマケズ」碑が新たにコースに組み込まれたそうです。午前午後、通しで利用すれば「どんぐりとやまねこ号」ということになるとのこと。

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高村光太郎記念館へは、試験的に運行を復活させていた岩手県交通さんの路線バスが3月でやはり廃線となってしまいましたので、こちらの利用が便利かと思われます。ただ、滞在40分というのが少し短いような気はしますが……。


花巻観光協会さんといえば、先日、花巻にお邪魔した折、新花巻駅の観光案内所で、同会から昨年11月に発行された無料の観光ガイドブック『花巻へ行こう ようこそ、イーハトーブの世界へ』をゲットしました。

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高村光太郎記念館さんが紹介されいる他、「湯っくり、湯ったり。温泉満喫の旅へ。」という記事で、光太郎も愛した花巻の温泉各所を紹介。

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これらの温泉と、光太郎との関わりをまとめた企画展「光太郎と花巻の湯」、花巻高村光太郎記念館さんで開催中です。

やはり岩手の地方紙『岩手日報』さんも取り上げてくださいました。同社のweb版にはアップされていないようですが、LINEアカウントとしてヒットしました。

光太郎と温泉のつながり紹介 花巻で企画展

 花巻市太田の高村光太郎記念館で14日、春季企画展「光太郎と花巻の湯」が始まった。彫刻家で詩人の光太郎(1883~1956年)は戦禍を逃れ東京から疎開し晩年の7年を花巻で過ごした。持病の神経痛を癒やした花巻の温泉地を描いたエッセーや戦前の絵はがきなどを紹介している。
 展示の目玉は光太郎の住居に併設された風呂小屋で実際に使われた「鉄砲風呂」。48年に宮沢賢治の弟清六さんが贈ったものだが、地元の子どもたちが井戸から水を運ぼうと申し出ても拒否。効率が悪く迷惑をかけるのも心苦しいと、風呂おけは結局ほとんど使わず、温泉に出掛けたとされる。
 同展は6月26日まで(休館なし)の午前8時半~午後4時半。一般550円、高校・学生400円、小中学生300円。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

時間湯のラツパが午前六時を吹くよ。 朝霧ははれても湯けむりははれない。 湯ばたけの硫気がさつとなびけば 草津の町はただ一心に脱衣する。

詩「草津」 昭和2年(1927) 光太郎45歳

昨日ご紹介した「大涌谷」と2篇で「名所」の総題がつけられて発表されました。光太郎、たびたび草津温泉にも足を運んでいました。

ご当地ソングならぬご当地詩、ということで、草津では囲山公園にこの詩を刻んだ碑が建っています。平成2年(1990)の建立で、光太郎自筆の原稿から写した金属パネルを自然石にはめ込んでいます。推敲の跡がそのまま残っており、言葉に鋭敏だった光太郎の詩作態度がよくわかります。パネル制作は光太郎の実弟・豊周の弟子だった故・西大由氏でした。

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また、湯畑の周囲を囲む石柵には、「草津に歩みし百人」ということで、錚々たるメンバーの名が。もちろん光太郎も入っています。

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昨日に引き続き、智恵子の故郷、福島は二本松からのイベント情報です。 

あだたらイルミネーション

平成28年5月14日(土)~6月5日(日)の期間、イルミネーションが煌めく「あだたらイルミネーション」を開催します。 天の川をモチーフにしたゲレンデいっぱいに広がるイルミネーションがロマンチックな光景を生み出します。

期 間 : 2016年5月14日(土)~6月5日(日)
場 所 : あだたら高原スキー場 アンドロメダコース内
入場料
 : 無料
内 容 :  高速6人乗り「あだたら山ロープウェイ」から眺めるイルミネーションです。
         LEDが奏でる幻想的な夏の風景をお楽しみください。
その他
 :  無料駐車場があります。
 
期間中ロープウェイ運行
運行時間  19:00~21:00(上り最終 20:30/下り最終 20:50)
 ロープウェイ特別料金(往復)  大人(中学生以上)1,200円   小人(4歳~小学生迄)700円
天候状況により、安全のため運休する場合があります。

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通常、イルミネーションというと冬場のものですが、ここ、安達太良山ではこの時期に開催されます。

昼間は「ほんとの空」、夜はイルミネーション。さらに昨年暮れ、日帰り温泉入浴施設「あだたら山 奥岳の湯」もオープンしました。

これはぜひ期間中に一度行かなければ、と思っております。皆様もどうぞ。


もう1件、急に情報が入りましたのでご紹介します。

明日(4/30)、テレビ朝日系で、安達太良山、さらに光太郎智恵子が暮らした東京・千駄木が一つの番組で紹介されます。  

朝だ!生です旅サラダ

2016年4月30日(土)  8時00分~9時30分 テレビ朝日 

番組内容
海外の旅
 セレブが集う憧れのドバイを、最年少ガールズ・吉倉あおいが巡ります!トム・クルーズ主演映画「ミッション:インポッシブル」に登場した世界一高いタワーに始まり、近未来を思わせる都市に圧倒されます!さらに、世界最大級の砂漠を四駆で走るロマンチックなツアーにも参加!

ゲストの旅
 金子貴俊さんが、春の長崎を食べ歩き!中華街で老舗の長崎皿うどんを堪能し、念願の小籠包作りに挑戦!?さらに、長崎和牛ステーキをいただき、海を見晴らす展望風呂でかっちゃんのお株を奪う温泉リポート!?さらに、幻のトマトを求め、軍艦島近くにある島へ行くと…。

俺のひとっ風呂
  「開放感抜群の露天風呂」を目指して福島県へ。安達太良山の中腹にある温泉街から鎌ヶ池公園へと続く坂道は、桜のトンネルができる“桜坂"が。美しい桜の道を歩いた後は、温泉街で愛され続ける「ソースかつ丼」に舌鼓!そして、いよいよ目的の温泉へ…。


ヒロドが行く!日本縦断コレうまの旅
  ヒロド歩美アナウンサーが、美味しいプレゼントを求めて直撃取材! 今回は注目のエリア「谷根千」へ。谷中・根津・千駄木を巡り、辿り着いた絶品グルメ!さらに、プレゼントソムリエ・ヒロドの意外なアイデアで、究極の逸品に!?

生中継のコーナー
 ラッシャー板前が、新潟県胎内市の素敵なお花畑から!!日本一を誇る花と地元発祥のグルメを紹介し、最後は絶景を見るため空へ!?

出演者
神田正輝、向井亜紀、勝俣州和、三船美佳、ラッシャー板前、吉倉あおい(旅サラダガールズ)、ヒロド歩美(ABCアナウンサー)、金子貴俊

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それぞれ光太郎智恵子に触れられるかどうか……というところですが、とりあえずご紹介しておきます。


【折々の歌と句・光太郎】

牛五百山崕(やまそば)かげに我とありわがごと痩せず眼うるまず
明治37年(1904) 光太郎22歳

こちらも昨日に引き続き、安達太良山ならぬ上州赤城山での作です。

「わがごと」は「わがごとく」=「私のように」。「眼」は「まなこ」と読むべきでしょう。

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こちらも昨日同様、昭和初期の絵葉書です。

今日の『福島民友』さんの記事です。 

「ロープウェイ」運行開始 安達太良山の自然を満喫

 二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光000(稲葉通彦社長)が安達太良山麓で運行する「あだたら山ロープウェイ」は23日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月6日まで。初日は同市が今春から展開するインバウンド(訪日旅行)事業で訪れた台湾からのツアー客も利用し、残雪の安達太良山の自然を満喫した。
 ロープウエーは麓から山頂駅までを約10分間で結び、雄大な眺望が満喫できる。高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」とされた青く澄みきった空や絶景の大パノラマも楽しめる。
 運行は午前8時30分~午後4時30分。料金は往復で中学生以上1700円(税込み)、4歳~小学生1300円(同)。ロープウエーの乗り場近くには昨年12月、日帰り温泉施設「あだたら山奥岳の湯」もオープンした。料金は中学生以上600円(税込み)、4歳~小学生400円(同)。営業時間は午前10時~午後5時。
 安達太良山は5月15日が山開きで、ロープウエーを利用すれば標高1700メートルの山頂までは約1時間30分。山開き前日の5月14日~6月5日は、スキー場のゲレンデにイルミネーションを施す「あだたらイルミネーション」が行われる。


単純に「ロープウェイが運行再開」でなく、光太郎・智恵子の名を出して下さり、ありがたいかぎりです。

「あだたら山ロープウェイ」さんのサイトはこちら。「光太郎と智恵子について」というリンクも作って下さっています。感謝。

記事にあるとおり、安達太良山ではイルミネーションが来月14日から、山開きが15日に行われますが、また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

われおろか春ゆくさきの野にまどふ路かへたまへ水はあふれぬ
明治34年(1901) 光太郎19歳

四月も末となり、春は往く、という感じになって参りました。

昨日、青森県十和田市で開催された「乙女の像のものがたり」朗読会について書きました。その流れで十和田からの報道を2件、ご紹介します。

また十和田湖・奥入瀬観光ボランティアガイドの会さんの方からメールを戴き、添付されていました。地方紙『デーリー東北』さんの記事です。 

観光推進へ連携確認 TMG48とはなまきコンシェル 交流会互いに活動紹介

 岩手県花巻市の観光案内に取り組む市民団体「はなまきコンシェル」の6人が17日、十和田市を訪れ、地元の女性グループ「TMG48(トワダもてなしガールズ)」と交流した。互いの活動や観光スポットなどを紹介し合い、両市の観光推進で連携することを確認した。

 両市は、十和田の開拓を先導した新渡戸家ゆかりの友好都市であるほか、十和田湖畔の「乙女の像」を制作した高村光太郎が花巻に住んでいた縁もある。
 今回の来訪は、TMG48が昨年、花巻市のわんこそば大会に出向き、交流の話が持ち上がったのがきっかけ。同日、乙女の像の朗読劇が十和田市で上演されるのに合わせ、花巻側から研修を兼ねて訪れた。
 交流会は市内の店舗で開催された。TMG48の前田美保子代表ら6人と特産野菜キャラ「十和田ねぎん」が歓迎。官庁街通りでの「さくら案内所」の運営や各種イベントの受け付けなど活動内容を説明し、馬産地にちなんだかぶり物「ウマジン」も紹介した。
 前田代表は「活動を通して私たちも十和田のことをいろいろ覚えた。一緒に楽しむ友達の輪が広がっている」と強調した。
 はなまきコンシェルは帽子やマントを身に着けて宮澤賢治になった気分で写真を撮るサービスなどを披露した。互いの地域に伝わる昔話も披露し、“お国自慢”で盛り上がった。
 はなまきコンシェルの高橋孝子さんは「同じような活動があって親近感がわいた。今後も情報を交換し交流を深めたい」と話していた。
(2016/04/20)
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記事にもあるとおり、「はなまきコンシェル」の皆さん、「乙女の像のものがたり」朗読劇をご覧下さったとのこと。

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こうした民間レベルでの草の根交流も大切なことと存じます。当方、「はなまきコンシェル」さんという団体は存じませんでしたが、今年も複数回花巻に出向きますので、その際にお会いできるかも知れません。


もう1件。仙台に本社を置く『河北新報』さんの記事がネットで閲覧できました。 

<十和田湖>遊覧船1社体制でシーズン開幕

 青森、秋田両県にまたがる十和田湖で6c2092aa15日、観光シーズンの幕開けを告げる遊覧船の運航が始まった。競合する2社のうち1社が事業を廃止し、今年からは1社体制になる。

 十和田観光電鉄(青森県十和田市)が奥入瀬渓流に近い子ノ口(ねのくち)地区と乙女の像がある休屋地区を結ぶコース、休屋地区発着の周遊コースを運航する。所要時間はそれぞれ約50分で、11月14日まで1日最大計18便が出る。
 十和田湖の国立公園指定80周年を迎え、今年は7月に休屋地区で記念式典やマラソン大会がある。参加者の輸送にも遊覧船を活用し、湖の魅力を発信する。

 遊覧船を巡っては、経営破綻した青森市の会社の船を引き継いだ十和田湖遊覧船企業組合が2014年8月に運航を再開。労使対立などから今年2月に事業を廃止した。10年前、30万人以上いた利用客はここ数年、10万人台前半まで減った。

 初日は悪天候で予定した計11便が欠航した。十和田観光電鉄の白石鉄右エ門社長は「1社になっても湖観光のシンボルである遊覧船の位置付けは変わらない。年間12万5000人の利用を目標に安全運航に努める」と語った。料金は大人1400円、小学生700円。連絡先は同社0176(75)2909。
(2016/04/16)

十和田湖といえば、遊覧船。当方も2回、載せていただきました。新幹線や飛行機、車などのスピード社会にある意味逆行するゆったりのんびり感もまたいいものです。

しかし、現状としてはいろいろ厳しいようです。

記事に有るとおり、一昨年には2社が運行していたのですが、もう片方の会社はどうも当初からいろいろあやしいところがあり、結局、廃業してしまいました。現行の十和田湖観光電鉄さんには、地道に頑張っていただきたいものです。

昨夜、テレビ東京系の経済番組「カンブリア宮殿」で、当方の住む千葉県のローカル線「いすみ鉄道」さんを取り上げていました。題して「本当の価値で客を集めろ!赤字鉄道の感動再生術」。国鉄民営化後に第三セクターとして存続したものの、人口減などで利用客数が激減、廃線の危機まで落ち込んだ同線の業績が、様々なアイディアでV字回復、という話でした。

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ローカル鉄道と遊覧船では立ち位置に異なる点も多々ありましょうが、こうしたノウハウは遊覧船にも活かせないかな、と思いました。

ちなみに明日から、青森と八戸から十和田湖へのバスが運行されるそうです。いよいよ十和田も観光シーズン本格化。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

花に立つ人よふたたび傘とぢず蝶の片羽(かたは)に小雨そぼふる
明治34年(1901) 光太郎19歳

蝶の姿も普通に見られるようになりました。また、当方自宅兼事務所の庭では、ハナミズキの花が盛りを迎えつつあります。

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今日、4月2日は、光太郎忌日・連001翹忌です。昭和31年(1956)に亡くなった光太郎を偲ぶため、翌昭和32年(1957)に第1回連翹忌が、光太郎終焉の地・中野の中西家アトリエで行われました。

発起人は実弟の豊周、草野心平、佐藤春夫ら。彼等によって、光太郎が愛し、その葬儀の際に棺に飾られたアトリエの庭に咲いていた連翹(レンギョウ)にちなみ、「連翹忌」と名付けられました。

その第1回は、いくつか置かれたリンゴ箱に板を渡し、テーブルクロス代わりの白い布を敷いただけの即席の会場だったそうです。

爾来、場所を変えながら一度も途切れることなく連綿と続き、平成11年(1999)の第43回からは、明治末から大正初年、光太郎智恵子がデートをし、また、芸術家達の集まりであった「パンの会」の会場としても使われた日比谷松本楼さんで行っています。

今年は60回の節目の連翹忌です。午後5時半から、松本楼さんで集いを持ちます。土曜ということもあり、昨日の時点で、ここ数年で最も多い77名の皆様のご出席申し込みがありました。生前の光太郎をご存じの方も10名近く。それから新規の方も多く、泉下の光太郎も喜んでいることでしょう。

様子は明日以降のブログにてレポートいたします。

同じく今日、光太郎が戦中戦後の足かけ8年を過ごした花巻でも、花巻としての連翹忌が行われます。午前9時からは光太郎が独居生活を送った山小屋(高村山荘)敷地内で詩碑前祭、午後1時からは、光太郎が毎年のように智恵子や光雲の法要を行ってもらっていた、花巻市街の松庵寺さんで、花巻としての連翹忌です。

こちらも報道されれば、明日以降のブログでご紹介します。

さて、その高村山荘へのアクセスですが、花巻駅からの路線バス(岩手県交通さん)が、昨日から復活しました。かつては定期便で運行されていたものが、廃線となりました。それが昨秋、試験運行と言うことで復活。ただし、10,11月の2ヶ月間の限定でした。

すると、花巻市さんの広報紙『広報はなまき』の今月号に、以下の記事が載りました。 

県交通路線バス情報 太田線の増便

昨年度に引き続き、太田線の花巻駅から高村山荘までの区間を増便する試験運行が実施されます。
【運行期間】 4月1日(金曜日)~11月30日(水曜日)
【問い合わせ】  本庁都市政策課(0198-24-2111内線562) 県交通株式会社花巻営業所(0198-23-1020)

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高村山荘まで行くのは日に2往復ですが、タクシーだと片道3,000円以上。ありがたいところです。また、途中の「花巻清風支援学校前」までしか行かないバスもありますが、そこからでも高村山荘まで直線距離で3㌔㍍ほど。のんびり歩くにはいい距離かも知れません。途中には光太郎ゆかりの石碑なども点在しています。

ぜひあちら方面に行かれる場合にはご利用下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

夕月や満山の花仙に入る        明治33年(1900) 光太郎18歳

当方、日比谷松本楼さんでの連翹忌の前に、駒込染井霊園にある光太郎の墓参を致します。こちらはソメイヨシノ発祥の地。また、日比谷松本楼さん周辺も桜が見事なはずです。満開であろう桜の中で、光太郎を偲ばせていただきます。

昨日、たまたま街の郵便局とスーパーに行った際、最寄りのJR佐原駅近くの踏切を通りました。すると、ホームに蒸気機関車・D51が停車しているのが見えました。

JR東日本千葉支社さんのイベントで、成田線の佐原-銚子の間を、D51が来週末に運行されることは存じていましたが、そのための試運転だったようで、それが昨日とは知りませんでした。

そこで、車を置いて、入場券を買い、駅に入って見てみました。下記はガラケーのカメラで撮影しました。

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当方、鉄道マニアではありませんが、この機関車、光太郎を乗せた客車を牽引して走った可能性もあるので、興味深く拝見しました。

3年前にも同様のイベントがあって、その際には、蒸気機関車C62-20号機がやってきました。この時は東日本大震災からの復興イベント的な意味合いでした。当地もそれなりの被災地でしたので。こちらは昭和24年(1949)から、永らく青森機関区や仙台機関区に配属されていたもので、花巻郊外太田村に暮らしていた光太郎が、盛岡などに出かける際に利用した可能性がありました。

今回やってきたのはD51-498号機。こちらは昭和28年(1953)12月に、平機関区に転属されたそうです。既に十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を作り終えた光太郎が、前月には一時的に東京中野のアトリエから花巻郊外太田村に帰り、この月に再び中野に戻っています。もしかすると、その際にこの機関車の牽引する客車に乗ったかも知れません。そう思うと感慨深いものがありました。

客車もレトロで、いい感じです。

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「オハ47」という型番で、ネットで調べてみたところ、「スハ43」という方の客車を改造したものだそうで、「スハ43」は昭和20年代の製造。もしかしたら光太郎が乗った車両も含まれているかも知れません。

最後尾にはディーゼル機関車。佐原→銚子間はD51、逆の銚子→佐原間はディーゼルが先頭になります。こちらは1970年代のものだそうで、若干新しいもののようです(当方、鉄道マニアではありませんので、詳しいことはよくわかりません。間違っていたらごめんなさい)。

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小さな男の子が、駅員さんの帽子を借りて記念撮影。微笑ましいですね。

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さて、本番の運行は来週末です。以下、JR東日本千葉支社さんのサイトから。 

房総観光キャンペーン ~ちょっとひと息、房総休日。~第3弾! あのSLデゴイチが、再びやって来る!

「房総観光キャンペーン~ちょっとひと息、房総休日。~」の開催を記念して、SL(D51)が房総を走ります。SLの運転に合わせ、各種イベントやびゅう旅行商品をご用意し、お客さまをおもてなしします。

⑴ 運転日・運転区間
運 転 日  2016 年1月29日(金)・30日(土)・31日(日)(往復運転)
運転区間
 DL佐原
        銚子   ⇒      笹川      ⇒   佐原
 (時 刻)  (10:27 発)  (11:07 着)(11:22 発)  (12:10 着)
 SL銚子
        佐原   ⇒      笹川      ⇒   銚子
      (14:16 発)  (14:46 着)(15:12 発)  (15:50 着)
 編成  DE10+旧型客車6両+D51
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←佐原方面(DL佐原)                (SL銚子)銚子方面→


⑵ 出発セレモニー
「SL銚子」「DL佐原」の運転を記念して、出発セレモニーを実施します。
開 催 日 2016 年1月29 日(金)
開催場所 銚子駅、笹川駅、佐原駅

⑶ 地元のおもてなし・イベント
銚子駅、笹川駅、佐原駅にて地元物産展等のおもてなしイベントを実施します。お子さま向けのお楽しみ企画もご用意しております。

⑷ 北総に笑顔の花を咲かせよう
「SL銚子」「DL佐原」を沿線にお住まいの方々が地元ならではのおもてなしでお出迎えします。SLに向かって手を振る、叫ぶ、地元の踊りを披露する、仮装する、横断幕を掲げる等、思い思いの表現でおもてなしします。
開 催 日 2016 年1月29 日(金)・30 日(土)・31 日(日)
場 所 佐原駅~銚子駅間の沿線


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ちなみにこちらは昨日の『毎日新聞』さんの千葉版。 

「デゴイチ」29〜31日運行 火入れ式で安全祈願 成田線佐原−銚子間 JR千葉支社 /千葉

 房総への観光客誘致キャンペーンの一環として、JR東日本千葉支社は29〜31日、成田線佐原−銚子間で蒸気機関車(SL)を走らせる。運行に先立ち、JR銚子駅で21日、安全を祈願する「火入れ式」があった。
 運行されるのは「デゴイチ」の愛称で知られるD51形498号。1940年に製造され、72年に引退したものの、88年から各地のイベントで再び活躍している。この日の火入れ式では、雷(らい)神社(旭市)の宮司による神事があり、運転席の釜にたいまつを入れて点火すると、黒光りするSLは低い音を立てて黒い煙を上げた。
 成田線でのSL運行は3年ぶり。住民による歓迎イベントや特産品販売も予定されている。藤森伸一支社長は「沿線を笑顔で明るくし、観光活性化の一助になるよう安全第一で運行したい」と述べた。
 運行ダイヤは3日間とも、銚子発午前10時27分と佐原発午後2時16分の1往復。銚子からの往路はディーゼル車がけん引する。22〜23日と25〜27日には、本番と同じダイヤの訓練運転もある。座席指定のみの乗車券は完売しているが、宿泊とのパック商品は発売中で、千葉支社ホームページに案内が掲載されている。【武田良敬】

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ぜひ、足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

笛吹けば汽車が答へぬ春の旅     明治42年(1909) 光太郎27歳

汽車がらみの作品を探したところ、こんな俳句がありました。ただし、日本での作ではなく、欧米留学の終わり近く、パリからスイス経由でイタリアを旅行した際の作です。

前後の作からわかりますが、旅芸人の一座と同じ列車に乗ったようで、芸人の吹く笛と呼応するように汽車の汽笛が鳴った、というシチュエーションでしょう。

昨日同様、十和田湖でのイベント情報です。 

「みなとオアシス十和田湖認定4周年」記念イベント ワンコインで十和田湖 湖上遊覧一周ツアー

日 時 : 2015年7月20日 (月)祝日 “海の日”  午前9時~11時30分頃(約2時間半)
内 容 : 遊覧船での十和田湖一周湖上遊覧
      ※ 定期航路にないコースも運航(北岸、西岸を含む)
料 金 : 500円(当日、受付でお支払いください) 
       小学生以下は無料。ただし保護者同伴でご乗船下さい。
申 込
 : 往復はがきに住所氏名年齢電話番号を記入し、2015年7月5(日)午後5時(必着)
当選については返信がきにてご連絡いたします。はがき一枚で、二名様までご応募できます。
募集人員  200名 (応募者多数の場合は抽選によって決定いたします)
申 込 先 〒018-5501 青森県十和田市大字奥瀬湖畔休屋 486一般社団法人十和田湖国立公園協会内 湖上遊覧一周ツアー係 電話 0176-75-2425 FAX 0176-70-6002
URL http://www.towadako.or.jp/


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通常の遊覧船クルーズが、十和田観光電鉄さんの「十和田湖遊覧船」で1,400円、十和田湖遊覧船企業組合さんの「りんごのマークのゆうらん船」で1,100円。500円なら半額以下ですね。湖上から見る「乙女の像」も乙なものですし、通常の遊覧船コースに入っていない区域にも船が入ります。

昨年の様子がこちら。佐藤春夫作詞で、「乙女の像」を謳ったご当地ソング「湖畔の乙女」が地元合唱団の皆さんにより演奏されたそうです。今年もこういう企画があるのかどうか不明ですが。

前日と前々日は昨日ご紹介した「第50回十和田湖湖水まつり」。あわせて足をお運び下さい。青森、八戸、三沢など県内主要都市からのバス等については、十和田湖国立公園協会さんのサイトをご覧ください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月3日

平成13年(2001)の今日、茨城県取手市の埋蔵文化財センターで企画展「取手ゆかりの人びとの書」が開幕しました。

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取手には、戦前から光太郎と交流があり、戦後になって光太郎の仲立ちで、智恵子の最期を看取った智恵子の姪の長沼春子を娶った詩人の宮崎稔が住んでおり、その関係です。

やはり光太郎と交流のあった稔の父・仁十郎は取手の素封家にして文化人。日本画家・小川芋銭との交流もありました。

8月25日には、当会顧問・北川太一先生の講演「高村光太郎と取手」が関連行事として行われました。

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こちらは市の広報誌。当方も写っています(笑)。

今週金曜日、5月15日に岩手花巻で行われる第58回高村祭につき、高村山荘・高村光太郎記念館さんのサイトに案内がアップされました。

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毎年、高村祭当日はJR東北本線花巻駅(東北新幹線新花巻駅ではありません)から無料のシャトルバスが出ていますが、今年は2本出ます。鉄道でお越しの方、花巻市街にご宿泊の方、ご利用下さい。かつてあった路線バスは廃線になっています。

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発車は花巻駅西口。改札があるのは東口ですのでご注意下さい。東口改札から出て左にゆくと、西口に通じる地下道があります。

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敷地内の高村光太郎記念館は、当日は入館無料。先月末にリニューアルオープンした新しい記念館も、ぜひご覧下さい。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月11日

平成3年(1991)の今日、岩手県北上市の飛勢(とばせ)城址に、光太郎詩「ブランデンブルグ」の一節を刻んだ碑が除幕されました。

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この日、市内で6つの文学碑が除幕されました。若山牧水、子日庵一草、寺山修司、浜夢助、豊田玉萩、そして光太郎です。全国の各市町村に1億円が公布された、いわゆる竹下内閣の「ふるさと創生事業」によるものでした。

詩「ブランデンブルグ」は、J・S・バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」に題を採ったもので、昭和22年(1947)の作。この年、花巻町で行われた稗貫郡農会でのレコードコンサートでこの曲を聴いた印象が元になっています。太田村の山小屋の近くを歩きながら、この曲が幻聴のように聞こえていた、というエピソードも伝わっています。

昭和25年(1950)には、光太郎は黒沢尻町(現・北上市)の文化ホールで講演を行い、その際にこの詩を朗読したとのこと。そのためにこの詩の一節が採られています。

高くちかく清く親しく、
無量のあふれ流れるもの、
あたたかく時にをかしく、
山口山の林間に鳴り、
北上平野の展望にとどろき、
現世の次元を突変させる。

あちこち出かけてのレポートを書いているうちに、光太郎智恵子の名がちらっと出た新聞記事が何件か、たまってしまいましたので、まとめてご紹介します。
 
まずは『岩手日報』さんの一面コラム。 

風土計 2015.4.22

 高村光太郎は「木彫ウソを作った時」と題した随筆に、「あの木彫りのウソは実物のウソよりも、もっとほんとにウソのようだ」と書いた
▼しゃれっ気たっぷりの文章にある「木彫りのウソ」とは、東京・亀戸天神社の鷽替(うそかえ)神事に登場する柳の木で作ったウソ。店先で「ヒューヒュー」と声がするので近づくと、ウソという鳥が「思いきった直立の姿勢」で止まり木にいた
▼その姿に重なったのが鷽替のウソだ。自分でも彫ってみようと1羽を求め、ためつすがめつ眺めては特徴を事細かに記したのが、くだんの随筆。仕上げた作品は毎日懐に入れ持ち歩いた。健康だった智恵子も欲しいとせがんだという
▼県内の今年の桜は記録的な早咲きとなったが、ウソの亜種の冬鳥アカウソに花芽を食われた木々が多いようだ。小社に近い盛岡市内丸の岩手公園もまだら加減だが、おかげで彼らは栄養を蓄え、無事に旅立ったと心を慰めるのも一興だろう
▼鷽替神事は「学問の神様」菅原道真に由来して、ウソは「幸運を招く鳥」。ウソを嘘(うそ)にかけ、木のウソを新しいものと「取り(鳥)替える」ことで旧年のうそを清算、吉を招くとされる
▼花見には少し寂しい風景も、被災からの復興に幸多い未来を約してくれたと思えば違って見えるというもの。食い逃げは、うそでもしないでね。


「あの木彫りのウソ」はこちら。大正14年(1925)の作です。

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続いて同じ日の『東京新聞』さんのコラム。

本音のコラム 渦中の人 斎藤美奈子

 何事も渦中にいるときは「いま何が起きているのか」がわからないことが多い。「戦時下の日本では異常なことが起きていたのだ」と人々が知ったのは敗戦後だった。
 「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(「道程」一九一四年)や「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ」(「あどけない話」『智恵子抄』一九四一年所収)など、国語の教科書にも載っている詩で知られる高村光太郎は、日本文学報国会詩部会会長を務めるなど、戦時中は熱心な戦争協力詩人だった。
 「つひに太平洋で戦ふのだ。/詔勅をきいて身ぶるひした」「身をすてるほか今はない。/陛下をまもらう。/詩をすてて詩を書かう」とは「真珠湾の日」(『暗愚小伝』所収)という詩の一節。これは戦後(一九四七年)に書かれた詩なのでまだ自省的だが、戦意高揚をあおる戦中の詩はそりゃ強烈だった。
 光太郎に限らず戦争に協力した文学者は少なくない。彼らは当時「何が起きているのか」がわからなかったのだろう。
 ひるがえって現在はどうか。自民党の情報通信戦略調査会がNHKとテレビ朝日の幹部を呼びつけ、事情を聴くという異常な事態。これが報道の自由の侵害、言論統制の一環でなくてなんだろう。このままでは戦中に逆戻り? いやいやいや、私たちすでに渦中にいるのである。


題名の「渦中の人」は、すなわち私たちということですね。決してそうではないことを祈りますが、国会に法案提出されてさえいない事項をアメリカで確約してくる総理が支配している国ですから、何とも言えませんね……。


最後に『福島民友』さん。

安達太良山の自然満喫 ロープウエー運行再開

 二本松市奥岳温泉の富士急安達太良観光(稲葉通彦社長)が安達太良山麓で運行する高速ゴンドラ「あだたら山ロープウェイ」は25日、グリーンシーズンの運行を開始した。運行は11月8日まで。初日からツアー客も訪れ、雪が残る安達太良山の自然を満喫した。
 これまでの「あだたらエクスプレス」から名称を改めた。麓から山頂駅までを約10分間で結ぶ。地上とは違った雄大な眺望が満喫できるほか、高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」と歌われた青く澄みきった空や、絶景の大パノラマも楽しめる。
 東京から訪れた女性は「登山はしなかったが、雪の上で登山家になったつもりで記念撮影した。近くでは桜も見ることができ、二つの世界を楽しめた」と話した。
 (2015年4月26日 福島民友トピックス)

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山開きの記事も付いています。そちらに関しては、後ほど詳しくご紹介します。



【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月1日

昭和2年(1927)の今日、茨城県大洗で山村暮鳥詩碑の除幕式に参加しました。

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画像は当時の『読売新聞』。「水戸市」となっているのは、「磯浜町」の誤りで、現在の大洗町になります。

キャプションに光太郎の名。写真が不鮮明で、どれが光太郎かよくわかりませんが。

光太郎と暮鳥、それほど深い接点はなかったようですが、詩碑の除幕式には参加しています。

以下、暮鳥の歿した大正13年(1924)12月、地方紙「いはらき」に載ったという光太郎の文章。

 山村暮鳥さんとは数年前上野池の端の電車の中で初めに会ひ、又それが最後の事になつてしまひました。
 あんなに人なつこかつたこの詩人に其後会ふ機会をつくらなかつた事を残念に思つてゐます。常に遠くから親密の情は捧げてゐたくせに。
 晩年の彼の詩の深さにはうたれます。

この文章が載った「いはらき」が未見です。したがって、掲載年月日も不明。昭和10年(1935)刊行の『暮鳥研究』第一輯に転載されたということで、筑摩書房『高村光太郎全集』では、そちらを底本としています。

「いはらき」は水戸の茨城県立図書館にマイクロフィルムが所蔵されているのですが、そちらは欠号が多く、この文章は発見できませんでした。

情報をお持ちの方は、こちらまでご教示いただければ幸いです。

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