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今年もまた3.11がやって参りました。あの日から13年です。

昭和6年(1931)8月から9月にかけての約1ヶ月、新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を書くために、光太郎は宮城県石巻から岩手県宮古までの三陸海岸を主に船で旅しました。その行程に含まれていた宮城県女川町の海岸公園に、四基からなる光太郎文学碑が建立されたのが平成3年(1991)。地元ご在住の画家・貝(佐々木)廣氏が中心となり、全ての費用を町内外の方々からの「100円募金」で賄いました。

翌年8月9日(昭和6年に光太郎が三陸に向けて東京を発った日)、その文学碑前で第一回女川光太郎祭が開催。碑文の揮毫など建立に協力なさり、当会顧問であらせられた北川太一先生がご講演。その他、光太郎詩文の朗読、地元の合唱団による光太郎短歌に曲を付けた合唱曲演奏などが行われました。以来、毎年8月9日に貝(佐々木)氏を中心に女川光太郎祭が開催され続けていました。

そして平成23年(2011)3月11日。東日本大震災に伴う大津波が女川の町を呑み込みました。
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貝(佐々木)氏も還らぬ人となってしまいました。
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氏の奔走で建立された光太郎文学碑も被災。4基中の2基は海底に沈み、失われました。建立当時に日本一の大きさと言われたメインの碑は倒壊、何とか陸上に引き上げられたものの、その後長らくそのままでした。
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令和2年(2020)に、碑は再建。コロナ禍のため中止を余儀なくされていた女川光太郎祭も、昨年復活しました。

震災後の女川町での大きな動きの一つとして、「いのちの石碑」の建立が挙げられます。町内21箇所の津波到達地点より高い場所に避難の目印となるよう建てられたもので、震災の年に当時の女川第一中学校に入学した生徒さんたちが発案しました。
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建立資金の1,000万円は、光太郎文学碑に倣い、募金で集められました。
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令和3年(2021)には予定の全21基が設置完了しました。
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今年3月6日(水)の『読売新聞』さん。全国の「自然災害伝承碑」を取り上げた記事の中で、「いのちの石碑」についてもご紹介下さいました。長大な記事ですので、抜粋で。

全国に2000基超…「伝承碑」から学ぶ大災害の教訓

 東日本大震災から間もなく13年になる。元日には能登半島地震があり、最近は千葉県東方沖でも地震が続いている。寒波の後に初夏のような陽気になり、大雪に大雨、雪崩も起きる。異常気象や災害の激甚化を肌で感じることが増えているように思えてならない。
 日本は昔から自然災害が多かった。われわれの先祖は災害を忘れないよう、その教訓を後世に残そうとしてきた。過去に災害が起きた場所の地名にも先人の教訓が込められていることは、過去にこのコラムでも取り上げたが、もっとわかりやすく災害の教訓を今に伝える遺産がある。全国各地に建つ、過去の風水害や地震を伝える伝承碑(自然災害伝承碑)だ。

きっかけは西日本豪雨で撮られた1枚の写真
  国土地理院は5年前から、新たな地図記号を制定して、自治体などに呼びかけて、伝承碑を地図に掲載する取り組みを続けている。登録された伝承碑は今年2月末で全国598市区町村の2085基に達した。
  どこに、どんな伝承碑があるのかは、誰でも見ることができる。
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地理院地図とともに全国の自然災害伝承碑を見る
  国土地理院がこの取り組みを始めたきっかけは、2018年の西日本豪雨の際、広島県坂町で撮影された1枚の写真だった。土砂に押しつぶされた家で災害救助活動を行う大阪府警の警察官を見下ろすように建っていたのは、高さ3メートルの伝承碑。明治40年(1907年)7月15日、旧坂村を土石流が襲い、「人々不暇逃避(人々は逃げる暇もなく)」46人の命が奪われたことを伝えていた。
 西日本豪雨では、碑が建つ坂町の小屋浦地区に避難勧告が出されたにもかかわらず、地区の住民の避難率は、坂町全体の半分程度にとどまった。多くの住民は石碑の存在は知っていたが、漢文で記された内容を把握していた人は少なかったという。
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 国土地理院で地図掲載の取り組みを進めている環境地理情報企画官の吉武勝宏さんは、「地元の伝承碑の存在を知ることは、身近な災害の危険を知る助けになる。ハザードマップなどと合わせて地図を見ることにより、さらに理解が深まる」と話す。地図を見ていくと、それぞれの伝承碑に込められた先人の警告や、われわれがそれを生かしているかどうかも垣間見ることができる。とても2000基は紹介できないが、伝承碑から何がわかるかを北から見ていこう。
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(略)
 繰り返し津波被害にあった東北地方太平洋沿岸には多くの伝承碑が建ち、岩手県田野畑村のように、明治29年(1896年)の明治三陸地震と昭和8年(1933年)の昭和三陸地震、そして東日本大震災の伝承碑が並び建つところもある。
 明治、昭和の三陸地震で2度とも集落が全滅した岩手県宮古市重茂姉吉地区の住民は、大津波記念碑に記された「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、 此処ここ より下に家を建てるな」という教訓を守ってきたため、東日本大震災では家屋に被害が出なかった。
 東日本大震災関連では、東北地方の太平洋沿岸を中心に128基の伝承碑が建てられている。高さ14.8メートルの津波に襲われた女川町では、女川第一中学校(現・女川中)の生徒らが地域住民の協力を得て、町内で確認できた津波到達点21か所に「大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください」などの教訓を記した「女川いのちの石碑」を建てた。
  全国の伝承碑で最も新しい災害に関する伝承碑は宮城県丸森町などにある令和元年の東日本台風に関するものだ。今後は地球温暖化の影響で、これまでは少なかった東北での豪雨・台風災害にも警戒が必要になるだろう。
(略)
 全国の伝承碑に込められた共通の思いは、過去の記録を継承していくことは防災意識を高め、忘れたころにやってくる天災への備えになる、ということだ。あなたの身の回りにも、まだまだ草むらに埋もれた伝承碑があるかもしれない。

ただ、逆に「「災禍を思い出したくない」「地価が下がってしまう」といった住民の声に配慮して、登録を見送っている自治体もある」とのこと。

難しい問題ですね。

難しい問題といえば、震災後の女川町での大きな動きのもう一つ、女川原発の再稼働。『朝日新聞』さん、今朝の「天声人語」。

(天声人語)311への手紙

宮城県女川町を見下ろす丘の上で、これを書いています。いかがお過ごしですか? あの日と同じように、さっきまで小雪が風に舞っていました。あなたたちを忘れぬようにという空からのメッセージでしょう▼東日本大震災の1カ月後に、ここから見た光景を思い出します。視界いっぱいのがれき。3階建てのビルの屋上に自動車が場違いに転がっています。あなたをさらった津波が残したのでしょう。街全体が沈み、道は海の中へ続いているかのようです。女川原発は、最悪の事態をなんとか免れました▼原発に重大事故が起きたら車で避難を。車のない人は、県や自治体が用意したバスなどが来るまで待って――。震災後につくられた各地の避難計画はそう言います。国も内容を了承しました▼計画を発動しなければならない時、どんな光景が目の前に広がっているか。そうした対応が可能か。自治体も、国も、裁判所も、知らないはずがありません。たった13年前のことです。能登半島でも道が崩れ、救援が立ち往生するさまを見ました▼なぜでしょう。あなたたちの命の代わりに学んだはずのことが、なぜこんなふうになってしまうのでしょう。女川原発は秋にも再稼働するそうです。復興の街を風がただ吹きぬけてゆきます▼いや問うべき相手はあなたでなく、遺(のこ)された私たち自身でしたね。震災後の社会をつくったのは私たちなのですから。それでは、またお便りします。この丘からならば、きっと届くと信じています。

またお便りします」の文面が、最悪の内容にならないよう、祈らずには居られません。

【折々のことば・光太郎】

二日には書初めをやりませう。廿九日には畠山さんに進呈するため半切大の紙に「天地寿」と書きました。


昭和21年(1946)12月31日 宮崎稔宛書簡より 光太郎64歳

「畠山さん」は光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村在住の日本画家・畑山崇山。子息の崇一は光太郎の影響で詩作にも取り組みました。
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3.11の今日、「天地寿」と本当に言える日が来ることを願って已みません。

11月8日(水)、『毎日新聞』さんの山梨版記事から。光太郎の花巻郊外旧太田村隠棲、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)についてです。

山は博物館 光太郎「岩手の山」に自ら流刑 己の戦争詩に「暗愚」見る

 岩手県花巻市のJR花巻駅から西へ9キロ余り。彫刻家で詩人としても知られる高村光太郎(1883~1956年)は太平洋戦争後、太田村(現花巻市)の外れの「岩手の山」で7年間、おんぼろ小屋に一人で住んだ。東京にいた時、戦争を支持する詩を多数発表した自らに「暗愚」を見いだし、流刑を意味する「流謫(るたく)」を科した。
 戦争詩を最初に書いたのは、日本が日中戦争を始めた1937年と言われる。「事変(じへん)二周年」で<植民地支那にして置きたい連中の貪慾(どんよく)から君をほんとの君に救ひ出すには、君の頭をなぐるより外ないではないか>と戦争を正当化。精神の支柱は、欧米のアジア支配からの解放だった。太平洋戦争開戦の「十二月八日」は<東亜(とうあ)を東亜にかへせといふのみ。彼等(かれら)の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ>と主張。光太郎にとってこの戦争は「大東亜戦争」だった。
 44年の詩集「記録」には「特別攻撃隊の方々に」「海軍魂を詠ず」「戦に徹す」などを載せた。
 45年4月、東京のアトリエが空襲で焼け、翌月、宮沢賢治の縁で花巻町(同)に疎開。敗戦後の11月、太田村の小屋に落ち着いた。鉱山などで使い古した建物を移築したため、粗末で当初は電気も通じておらず、まるで炭焼き小屋と同情された。光太郎は62歳で、当時は老人とみられた年齢。肺を病み、しばしば吐血して心配されたが、以前から土に根差した文化を理想とし、地方暮らしは希望していたものだった。
 そのころ、戦争協力者への糾弾は文学にも広がり、光太郎も対象になった。知人へのはがきには、詩集の「『記録』は大本営を過信した小生の不明の記録となりました」との記述がある。
 47年7月号「展望」に、転機となる詩20編の「暗愚小傳(しょうでん)」を発表。自分の精神史を告白した。「真珠湾の日」で<天皇あやふし。ただこの一語が私の一切を決定した>とあるように、戦争支持のもう一つの柱は天皇崇拝だった。「山林」では<おのれの暗愚をいやほど見たので、自分の業績のどんな評価をも快く容(い)れ、自分に鞭する千の非難も素直にきく>と吐露した。
 これに収めなかった詩で、中国の抗日戦争の指導者だった蒋介石に対する「蒋先生に慙謝(ざんしゃ)す」では<天皇の名に於(お)いて強引に軍が始めた東亜経営の夢はつひに多くの自他国民の血を犠牲にし、あらゆる文化をふみにじり、国力つきて破れ果てた。わが同胞の暴逆むざんな行動を仔細(しさい)に知つて驚きあきれ、わたくしは言葉も無いほど慙(は)ぢおそれた>。そして「ブランデンブルグ」で<岩手の山におれは棲(す)む。おれは自己流謫のこの山に根を張つて>と言い切った。
 鋳金家で弟の豊周(とよちか)は著書で「本気でむきになって、自分を島流しにした。国家に協力し、いかにうかつだったかを思い、自分の暗愚を感じていた」と振り返った。光太郎は50年発表の詩集「典型」の序文でも「私の愚鈍な、あいまいな、運命的歩みに、愚劣の典型を見るに至つて戦慄(せんりつ)をおぼえずにゐられなかつた。詩は悪罵せられ、軽侮せられ、処罰せられ、たはけと言はれつづけて来たもののみ」と、嫌悪感を繰り返し表した。
 本職は彫刻だが、岩手にいる間は彫塑、木彫とも1点の作品も発表しなかった。一般財団法人「花巻高村光太郎記念会」事務局長補佐の高橋卓也さん(46)は「一般に、自ら与えた罰は流謫と言われるが、実はそれより重い罰を彫刻の封印という形で科し、苦しんだ」と指摘する。
 だが、彫刻刀はよく研ぎ、材料の木も乾燥させていた。それでもだ。モチーフを欲する「人体飢餓」で<渇望は胸を衝(つ)く。氷を噛(か)んで暗夜の空に訴へる。雪女出ろ。この彫刻家をとつて食へ。とつて食ふ時この雪原で舞をまへ。その時彫刻家は雪でつくる。汝(なんじ)のしなやかな胴体を>ともだえた。
 知人の手記によると、「岩手山の肩の強さに魅力があり、粘土で手の上で作ってみた」と話していた。高橋さんは「手慰みだろう」と推察する。弟は、光太郎が晩年「気もちが楽しいと木彫が出来る。腹が立つと詩が出来る」とつぶやいたエピソードを紹介し「兄が好んで試みた木彫の小品は、心が豊かな時でなければ、また心に他念が混入してゐる時などでは出来るものではない」と振り返った。
 光太郎が彫刻の封印を解いたのは52年。10月に帰京し、青森県の依頼で十和田湖畔に建立する像の制作に取りかかった。仕事が終われば戻るつもりで、「小屋はそのままに」と言い残したが、53年10月の「乙女の像」除幕後に急に体が弱り、帰れないまま2年半後に死去した。死後、いろりの灰の中から土で作ったウサギの頭が出てきた。小屋は「高村山荘」として保存されている。
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◇亡き妻に思いはせ
  戦後、小屋で独居の高村光太郎は、寂しくないかと心配されたが、1938年に他界した妻の「智恵子がいるから大丈夫」と答えていた。<智恵子はすでに元素にかへつた。わたくしは心霊独存の理を信じない。智恵子はしかも実存する。私の肉に居る智恵子は、そのままわたくしの精神の極北>と、50年の詩文集「智恵子抄その後」の「元素智恵子」で書いた。
 小屋から西へ徒歩5分に、高さ約30メートルの小さい山がある。東京方面の南側に景色が開け、光太郎はここに登っては妻の名を呼んでいたと、地元住民に語り継がれてきた。花巻高村光太郎記念会の高橋卓也さんは「絶叫していたという人もいれば、ほがらかな感じだったという人もいる」と話す。 同書の「裸形(らぎょう)」で<つつましくて満ちてゐて、星宿のやうに森厳で山脈のやうに波うつていつでもうすいミストがかかり、その造型の瑪瑙(めのう)質に奥の知れないつやがあつた。智恵子の裸形をこの世にのこしてわたくしはやがて天然の素中(そちゅう)に帰らう>と予言した。そこへ、十和田湖畔の像制作の依頼が舞い込んだ。現地視察に同行した建築家は「『智恵子を作ろう』と、ひとりごとのようにいわれた」と書いている。モデルを頼んで裸像を作ったが、出来上がった顔は智恵子だった。 智恵子は紙絵を多数残し、高橋さんは「光太郎先生は死期が近付くと、作品を預けていた知人に『返してほしい』とお手伝いさんに電報を打ってもらい、永眠に間に合った」と話す。
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なかなかよくまとまっていますね。

光太郎が蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村、そして「乙女の像」のたつ十和田湖、11月も半ばとなったこの時期、初雪の便りが届く頃です。もう既に降っているかも知れません。そしてこの後、厳冬期ともなれば雪に閉ざされます。

冬空の下、北の大地に粛々と生きた老詩人に思いを馳せていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

数日中に小生 岩手県花巻の方へまゐる事になりました、暫く滞留するつもりで居ります。

昭和20年(1945)5月15日 伊藤海彦宛書簡より 光太郎63歳

実際には「数日中」ではなく、この日の夜行で上野駅から花巻へと旅立ちました。朝から列車待ちの行列に並び、乗車出来たのは夕方でした。翌朝、雨で煙る花巻駅に着き、宮沢賢治の実弟・清六に迎えられました。

10月24日(火)、『毎日新聞』さんの奈良版記事から。飛鳥時代、「蝦夷(えみし)」と呼ばれた東北方面の人々と都のあった飛鳥との関わりについてです。

「万葉古道」を尋ねて 交流・別れ・流浪/127 山田道/4 蝦夷の民、飛鳥京目指す

 大和政権が律令による中央集権化を進めた7世紀ごろ、国への反抗、服従を繰り返した最北の民・蝦夷(えみし)が、恭順の意思を示すため、山田道を飛鳥の京(みやこ)を目指してやって来た。
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 この連載で万葉時代に入れている時期だ。蝦夷は、「日本書紀」には景行紀から持統紀までに登場。斉明紀(7年間)には32カ所に蝦夷の字が出る。始まりは、6世紀半ば、大和朝廷が地方豪族を任じた国造(くにのみやつこ)の支配地域から外れた東北地方以北の住民を、政権の側から呼んだ名だった。蝦夷の地は、新潟、宮城両県の中部を結ぶ線の北だが、境界は時代により変化している。
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 581(敏達天皇10)年2月の「書紀」の記述は、蝦夷と国の関係を示す。
  「蝦夷数千、辺境に寇(あたな)ふ(害意を示す)」。首領らを呼び「詔(みことのり)して」今「(景行天皇の世のように)元悪を誅(ころ)さむとす」と言うと首領らは「恐懼(かしこ)みて(恐れ敬い)」、「泊瀬(はつせ)(桜井市)の中流(川の中)に下て、三諸岳(みもろのおか)(三輪山)に面(むか)ひて、水を歃(すす)りて盟(ちか)」った。「臣等蝦夷、今より以後子子孫孫」、「天闕(みかど)に事(つか)へ奉らむ」。
 敏達天皇の訳語田(おさだの)幸玉宮は磐余(いわれ)にあった。蝦夷は、東国からの街道が通じていた名張を経て初瀬の谷の道を下ったのだ。
 次は蝦夷との緊張を示す。
 647(大化3)年、「渟足柵(ぬたりのき)(新潟市付近)を造りて、柵戸(きのへ)(屯田兵)を置く」。 
 万葉歌に出る北限地周辺の一つに、東山道は巻十四「東歌」にある「陸奥國」の「安達太良(あだたら)の嶺」(福島県)(3428)がある。高村光太郎の詩集「智恵子抄」が名を広めた。北陸道は、佐渡島の対岸にある神の山「弥彦(いやひこ)」(新潟県弥彦村)(巻十六 3883)。 福島県の南側は防人たちの出身地だ。
 蝦夷の生活、姿の描写も「書紀」にある。 659(斉明天皇5)年7月、遣唐使は「道奥(陸奥)の蝦夷男女二人」を伴い、唐第3代の高宗に見せた。
 高宗が「此等(これら)の蝦夷の國」の位置を問うと、使者は「國は東北に有り」、蝦夷には「三種有り。遠き者をば、都加留(つかる)(津軽)と名(なづ)け、次の者をば麁(あら)蝦夷と名け、近き者をば熱(にき)蝦夷と名く」と答えた。2人は熱蝦夷で毎年、朝廷に「入(まい)り貢(たてまつ)る」。蝦夷の「國」には「五穀」は無く「肉(しし)を食(くら)ひて存活(わたら)ふ」。家屋は「無し。深山の中にして、樹の本に止住(す)む」。
 高宗は初めに「日本國の天皇(すめらみこと)」の平安を尋ね、「日本」の国号の最古の使用例の一つとされるが、誤写の可能性も指摘される。それまで中国書で日本は「倭国」であり、日本人も自ら倭と呼んでいた。
 皇帝は2人の蝦夷を見て「身面(むくろかほ)の異(け)なるを見て、極理(きはま)りて(この上なく)喜び怪む(不思議だ)」と珍しがったが、2人は倭人の生活圏に一番近い蝦夷だった。同行させたのは倭国が多様で大きいと示したかったのだろう。わざと異装をさせていたのではないか。蝦夷の地は倭国の外と意識されていたことも分かる。2人は飛鳥に寄っただろうし、7世紀、東国から飛鳥京に行くには、山田道を通った。 西日本で稲作が広がった弥生~古墳時代の紀元前5~紀元6、7世紀、北海道は稲作をせず、狩猟、漁、採集を中心とした続縄文文化の時代だった。同文化は後期(3~6世紀ごろ)には、東北地方北部にも渡り広まる。 稲作は、弥生時代前期に本州日本海側北端の津軽に伝わった後、中期以降は衰退、7世紀末頃までその状態が続く。
 唐に行った蝦夷の説明と続縄文文化の特徴は重なる部分がある。
 「夷」は中国では、東方の未開蛮族を指す。蝦夷は蔑称だが、強さも意味した。「乙巳(いっし)の変」(645年)で殺された蘇我入鹿の父親で、自宅に火をかけて死んだ大臣の名は蝦夷だ。「壬申(じんしん)の乱」(672年)の大海人皇子方の「豪傑」の一人に鴨君蝦夷がいる。
 斉明紀には、「渡嶋(わたりのしま)の蝦夷」が出る。「渡嶋」は北海道とみられるが、斉明4年には「阿倍引田臣比羅夫、肅愼(みしはせ)を討ちて、生羆(ひぐま)二つ・羆の皮七十枚を獻(たてまつ)る」。ヒグマは北海道に生息し本州にはいない。
 「書紀」は蝦夷と肅愼を区別した。
 斉明6年3月にも、阿倍臣に肅愼国を討たせた。臣が「陸奥の蝦夷」を船に乗せて行くと、「渡嶋の蝦夷」が海辺に居て「肅愼が我らを殺そうとする」と助けを求めた。戦いとなり「賊破れて己が妻子を殺す」。5月には一転して「石上(いそのかみの)池(いけ)の邊(ほとり)」(天理市)で「肅愼四十七人に饗(あへ)たまふ(饗応した)」。
 「書紀」は、蝦夷と肅愼の関係には触れていない。現在のアイヌ文化の形成は13世紀以後とされる。 7世紀、飛鳥に来た蝦夷はどんな文化、歴史を持っていたのか。以上のように、なお不明な点が多い。

「蝦夷」というと、平安初期の阿弖流為と坂上田村麻呂との戦いや、さらに平安末期の前九年・後三年の役などが有名ですが、それらより遡る飛鳥時代、蝦夷とヤマト王権との関わりを追っています。

それ以前から、ヤマト王権と小競り合いがあった蝦夷のうち、降伏したり捕虜になったりした者たちは「俘囚」として全国各地に強制的に移住させられるなどしていました。西日本でも蝦夷風の蕨手刀が出土するのがその証左。ちなみに鬼婆伝説で有名な観世寺さん(智恵子生家近く)で「鬼婆の出刃包丁」として伝えられ、展示されているのは蕨手刀です。

それでも「まつろわぬ」者たちも存続し、阿弖流為の乱に繋がりますし、処遇改善を求める俘囚の反乱なども頻発、平将門の挙兵もそうした流れの中に位置づける説もあります。遣唐使に連れられて海を渡ったという「蝦夷男女二人」も俘囚でしょう。

飛鳥京を経て唐の都・長安に渡った蝦夷。もしかすると「飛鳥には空が無い」「長安にも空が無い」とつぶやいたかも知れません。1,300年後に「東京に空が無い」と語った智恵子、蝦夷の血を色濃く受け継いだであろうその出自から、「あどけない話」が読み取れる気もします。無理くりですが(笑)。さらに言うなら、若い頃から北方の風土に惹かれ続け、ついに晩年には花巻郊外に隠棲した光太郎にも蝦夷の血が受け継がれていたのかも知れません。いっそう無理くりですが(笑)。

飛鳥時代ついでに奈良時代がらみで。

テレビ番組の再放送情報です。

再 興福寺 国宝誕生と復興の物語 つなぐ!天平の心

NHK BSプレミアム 2023年11月14日(火) 23:00〜00:00

平家南都焼き討ちに負けるな!大修理始まる奈良の象徴五重塔に匠がしかけた驚きの技!運慶が学んだ阿修羅の秘密!無著と法相六祖と天平彫刻を徹底比較!大迫力ドローン映像。

奈良興福寺が守り続けてきた天平の心と国宝の数々を探る▽秘仏続々登場!北円堂運慶作の弥勒・無著・世親や南円堂康慶作の観音・法相六祖▽古代と中世のハイブリッド?五重塔が美しい理由▽高村光太郎たたえた天平彫刻の写実と歴代美術史家が絶賛した無著像のリアルを徹底比較▽康慶の仏像に異を唱えた藤原氏!その革新性とは▽東大大学院日本建築研究の海野聡と奈良博彫刻担当の山口隆介が天平の心と中世の職人と仏師の思いに迫る

【出演】興福寺貫首 森谷英俊 奈良国立博物館学芸部主任研究員 山口隆介 
    東京大学大学院工学系研究科准教授 海野聡
【語り】柴田祐規子 【朗読】小澤康喬
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BS8Kさんで今年2月に初回放映があった番組で、2KのBSプレミアムさんでも3月と7月に放映がありました。

光太郎の評論美の日本的源泉」(原題は「日本美の源泉」)が使われます。
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ぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

只今はとりあへず妹の家に立退いてゐますが五月中旬には岩手県花巻町の宮沢賢治さんの実家にまゐります。一時そこに滞在して木彫材料を得て仕事する気でゐます。これからは諸方を行脚いたします。


昭和20年(1945)4月30日 西出大三宛書簡より 光太郎63歳

4月13日の空襲でアトリエ兼住居を失った光太郎。その月のうちには花巻への疎開を決意していました。

前年には陸軍軍医学校での講習を受ける為に上京していた賢治の主治医だった佐藤隆房に花巻疎開を勧められていましたし、焼失してしまったと思われるものの、宮沢家からの誘いの書簡等もあったと思われます。

3件ご紹介します。

まず、昨日もお伝えした青森県十和田市の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」について。地方紙『東奥日報』さんが報じて下さいました。

十和田湖・乙女の像70歳、感謝込めきれいに

003 十和田湖畔休屋(青森県十和田市)の御前ケ浜に立つ乙女の像の除幕式から70周年を迎えた21日、湖のシンボルに感謝の意を表そうと、地元の休屋町内会が像や周辺の清掃活動を行った。
 地域住民のほか、十和田湖を世に広く紹介した文人・大町桂月や乙女の像の研究に携わる市民団体有志ら約20人が参加。観光客でにぎわう前の午前7時半から30分余り、像や台座などを雑巾で水拭きし周辺の敷石にブラシをかけた。
 雨の中の作業となったが、同町内会の金村金作会長(74)は「乙女の像は十和田湖一番の名物なので、末永く大事にしたい」と話した。
 都内在住で、夫と観光に訪れた小田奈緒子さん(70)は清掃活動のことを知り「像は力強いという印象。地元の方は誇りを持っているのでしょうね」と話していた。
 乙女の像は、大町桂月、県知事・武田千代三郎、法奥沢村長・小笠原耕一ら十和田湖の「三恩人」の功績をたたえ、湖の国立公園指定15周年を記念し建てられた。1953年10月21日、制作者の彫刻家高村光太郎らが参加して除幕式が行われた。

あと30年経てば、100周年なのですね。光太郎自身は像を題材にした詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」で、「いさぎよい非情の金属が青くさびて/地上に割れてくづれるまで/この原始林の圧力に堪へて/立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。」と謳いましたが。

続いて、智恵子の故郷・福島県の『福島民報』さん。「福島県 今日は何の日」というコラム的な連載です。

福島県 今日は何の日 10月19日 2002(平成14)年10月20日 ねんりんピック開幕 福島市で開会式

002 第15回全国健康福祉祭ふくしま大会(うつくしまねんりんピック2002)が開幕した。総合開会式は福島市の県営あづま陸上競技場で常陸宮ご夫妻をお迎えして行われた。
 テーマは「ほんとうの空に響け ねんりんの輪」。全国47都道府県と12政令指定都市選手団が入場行進、ウエルカムコンサート、マーチングバンドなどが行われた。
 全国から60歳以上の約9800人が参加、3日間にわたって県内10市13町1村を会場にスポーツや文化の23種目で熟年の力と技を競った。 

『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとうの空」(正確には「ほんとの空」ですが)の語、福島では折あるごとに使われていますが、同じ「福島県 今日は何の日」によれば、県と県観光連盟が「観光ふくしま」のキャッチフレーズとして「“ほんとの空”があるふくしま」を制定したのが昭和54年(1979)。意外と古い話でした。

その後、平成2年(1990)には、5年後に開催された第50回国民体育大会のスローガン(合言葉)が「友よ ほんとうの空に とべ!」となっています。その流れでねんりんピックでも「ほんとうの空に響け」としたのでしょう。

今後も使い続けていただきたいところですが、出来れば正確に「ほんとの空」の方で、と存じます。

最後にテレビのローカルニュース。FNN系の福テレさん、10月15日(日)の放映でした。

安達太良山の雄大な自然に抱かれ”ととのう” 絶景サウナと極上水風呂<岳温泉 陽日の郷 あづま館>

 2022年10月には客室がリニューアルした、福島県二本松市にある岳温泉「陽日の郷あづま館」 洋室の「東扇」は、木のぬくもりあふれる、広々としたスタイリッシュな空間。窓からは、安達太良山を望むことができる。この「あづま館」に、日々の疲れを癒してくれるサウナがリニューアルオープンした。
 施設最上階の7階に、サウナフロアがリニューアル。サウナプラン利用者限定で、特別なサウナを楽しむことができるという。サウナは「空サウナ」と「山サウナ」の2タイプで、貸し切りもできるという。
◆一日最大4組限定・朝夕付ビュッフェプラン 一泊24200円~
 昼も夜も景色を楽しめる「山サウナ」は、被災地で採れた木材を使用。樽型のバレるサウナで、森を眺める1台と空間を楽しむ1台、計2台を完備。自然を存分に感じることができる。
 「空サウナ」では、全面ガラス張りの開放的な空間が広がり、“ほんとうの空”を見渡すことができる。サウナヒーターは東北初導入のikiヒーター。選べるアロマオイルをかけロウリュウを満喫。
 火照った体のクールダウンは「インフィニティ水風呂」へ。自然と一体化したような気分で、絶景を眺めながらととのうことができる。
 サウナを出た後には、ラウンジでレモンサワーやビールが飲み放題。
 この極上のサウナが利用できる一日一組限定の日帰りプランや宿泊プランなど、詳しくは「陽日の郷 あづま館」のホームページをご覧ください。
<陽日の郷 あづま館> 二本松市岳温泉1-5 https://azumakan.com/
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「空サウナ」、いい感じですね。

十和田湖、そして岳温泉、それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

御著“生ける魂”を拝受、忝く存じましたが、昨夜何げなく繙読いたしましたところ、身につまされるやうな事ばかりにて、貴下の衷情に思をはせ、殆ど涙を流しながら読了しました。 殊に最後の章に至つて同感に堪へず、巻をふせて長大息いたしました、小説をよんでこんなに感動したのはめづらしい事でした、

昭和18年(1943)5月24日 中山義秀宛書簡より 光太郎61歳

中山義秀は智恵子と同じ福島中通りの西白河郡大屋村(現・白河市)出身の小説家。『生ける魂』はこの年刊行された中山の小説で、『智恵子抄』から詩篇を引用しつつ、亡妻との思い出にふれています。そういう内容だから、ということもあるのでしょうが、光太郎が小説をこれほど賞めたのは珍しいことでした。

掲載日順にまず『毎日新聞』さん。俳人・坪内稔典氏による「季語刻々」という連載コラム、8月11日(金)掲載分です。

季語刻々 立山の秋に腰掛けかりんとう 鶴濱節子

「立山の秋に腰掛け」が雄大でいいなあ。かりんとうが実にうまそう。句集「始祖鳥」(2012年)から。この作者、私の近所に住むが、かつていっしょに立山に登った。俳句仲間に山好きがいて彼に先導されての登山だった。以来、節子さんは山ガールだ。「安達太良(あだたら)の智恵子の空へ登山道」も彼女の作。今日は山の日。

メインは立山連峰の句ですが、最後に智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の句。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語が使われた光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)へのオマージュですね。

続いて『山形新聞』さん。8月13日(日)の一面コラムです。

談話室

▼▽「新鮮なものになるとまったくうまい」。明治生まれの詩人・高村光太郎はこう綴(つづ)る。果物や野菜、肉魚ではなくビールの話である。注ぎたてのグラスをぐっと干す。酷暑で、夜ごと欲しくなるという方は多いだろう。▼▽いつ飲んでもうまいが最初の一杯の喉越しは格別だ。高村は一口目の感動を「いつでも初めて気のついたような、ちょっと驚きに似た快味をおぼえる」と記す。そんな爽快感を大勢で味わえるイベントが先日、山形市で開かれた。山形一小旧校舎が会場の「ビアナイト」だ。▼▽こだわりグルメの店もあったが、この日の主役は県内にある複数の醸造所が手がけるクラフトビール。中には県の花・紅花を使った山形らしさ満開の地ビールもあった。若い人のビール離れが言われているが、会場では友人同士や会社の同僚といった感じの若者が多かった。▼▽大量生産とは異なる個性的な味や香りがクラフトビールの魅力だろう。加えて多彩なラベルが目を引く。「取りあえずビール」ではない楽しさがいい。高村は1、2本でやめておくのが良さそうとも書いている。味わいを追求するには度を超えないこと。助言は今に通じる。

引用元は昭和11年(1936)に雑誌『ホーム・ライフ』に発表された随筆「ビールの味」。以前も抜粋でご紹介しましたが、再掲します。

小さなコツプへちびちびついで時間をとつて飲んでゐるのは見てゐてもまづさうだ。(略)ビールは飲み干すところに味があるのだから飲みかけにすぐ後からまたつがれてしまつては形無しである。(略)ビールの新鮮なものになるとまつたくうまい。麦の芳香がひどく洗練された微妙な仕方で匂つて来る。どこか野生でありながらまたひどくイキだ。さらさらしてゐてその癖人なつこい。一杯ぐつとのむとそれが食道を通るころ、丁度ヨツトの白い帆を見た時のやうな、いつでも初めて気のついたやうな、ちよつと驚きに似た快味をおぼえる。麦の芳香がその時嗅覚の後ろからぱあつと来てすぐ消える。すぐ消えるところが不可言の妙味だ。(略)二杯目からはビールの軽やかな肌の触感、アクロバチツクな挨拶のやうなもの、人のいい小さなつむじ風のやうなおきやんなものを感じる。十二杯目ぐらゐになるとまたずつと大味になつてコントラバスのスタツカートがはひつて来る。からだがきれいに洗はれる。(略)何でもさうだがビールも器物で味が違ふ。錫の蓋のついたいはゆるシユタインで飲むとコクが出る。薄手の大きいギヤマンもよし、キリコもいい。いつも無色透明なのがいい。一番飲み心地のいいコツプの大きさは四分の一リツトルくらゐであらう。ビールはうまいが、本当の味は一二本で止めて置く所にあり相だ。(略)
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全文を読みたい方は、令和3年(2021)、平凡社さん刊行のアンソロジー『作家と酒』をどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

ちゑ子は一時よくなりかけたのに最近の陽気のせゐか又々逆戻りして、いろいろ手を尽したが医者と相談の上やむを得ず片貝の田舎にゐる妹の家の母親にあづける事になり、一昨日送つて来ました。小生の三年間に亘る看護も力無いものでした。鳥の啼くまねや唄をうたふまねをしてゐるちゑ子を後に残して帰つて来る時は流石の小生も涙を流した。


昭和9年(1934)5月9日 水野葉舟宛書簡より 光太郎52歳

昨日ご紹介した書簡と前後してしまいました。

九十九里浜に預けられた智恵子、その当日から「千鳥と遊ぶ智恵子」だったとは驚きです。

昨日は都内に出て、「ろうどくdeおもてなし 七夕公演~会えば何かがはじまる~【夜公演】」及び「三枝ゆきの・末永全 二人芝居 『カラノアトリエ』『トパアズ』」と、ハシゴして参りました。レポートしたいところですが、本日は福島県川内村にて「第58回天山祭り」があり、もう出かけねばなりません。

それぞれのレポートは明日以降ゆっくり書くこととし、本日はサクッと書けるところで地方紙記事系のネタを2本。

まずは『岩手日報』さん。花巻高村光太郎記念館さんでのテーマ展『山のスケッチ』について報じて下さいました。

高村光太郎が見た自然美体感 花巻・記念館でテーマ展

 花巻市太田の高村光太郎記念館でテーマ展「山のスケッチ」が開かれている。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が花巻疎開の際に目にした花や山菜のスケッチ複製のほか、詩の直筆原稿も初公開。展示品を通して、光太郎が目にした自然の美しさを感じることができる。
 直筆原稿と水彩画、スケッチの精密複製など計11点と写真パネルを展示。スケッチは、散文「山の春」に登場する草花が中心で、ショウジョウバカマなど柔らかなタッチの作品だ。ゼンマイは繊細な筆遣いで、創作活動に生かすための精緻さが見て取れる。
 8月31日まで。午前8時半から午後4時半。一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。問い合わせは0198・28・3012へ。
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もう1件、『福島民報』さんから。

論説 【トクヨと智恵子】顕彰・交流の広がりを

  「日本女子体育の母」と呼ばれる二階堂トクヨは若いころに本県で学び、教え、二本松市出身の洋画家高村智恵子の少女時代に師弟の絆を結んだ。トクヨが創立した日本女子体育大学は今年10月、100周年の記念式典を催す。出身地の宮城県大崎市では顕彰する取り組みが進んでいる。改めて2人の歩みに光を当て、交流拡大につなげたい。
 トクヨは1880(明治13)年に生まれ、福島民報社初代社長の小笠原貞信の養女となって本県尋常師範学校(現福島大)で勉学に励んだ。卒業後、油井小の教員を務め、在籍していた6歳下の智恵子と親交を深めた。後年、トクヨが英国留学に旅立つ際、智恵子は夫となる高村光太郎と港で見送り、留学中の恩師に着物を送ったという。
 英国で女性の健康と体育の重要性を深く学び、日本の女子体育の道を切り開いていく。1922(大正11)年、東京に二階堂体操塾を創設し、女性の体育指導者の育成に努める。門下から陸上女子800メートルで日本女性初の五輪メダリストとなった人見絹枝が羽ばたいた。塾は専門学校、短大を経て日本女子体育大学となり、著名な選手と多くの指導者を輩出している。
 故郷の大崎市三本木地区で2016(平成28)年、有志らが「日本女子体育の母 二階堂トクヨ先生を顕彰する会」を発足させた。収集資料や研究成果を会報などで紹介し、生家のあった場所に案内板を設置した。地元の小学校で「二階堂トクヨ杯」のなわとび大会を開くなどして、功績を伝えている。
 本県でも智恵子との絆を入り口に、時代の先駆者となった生き方や思いを広く知ってほしい。二本松市智恵子記念館には智恵子が福島高等女学校(現橘高)時代に書いた手紙が展示されている。達筆の文面に「小笠原先生」としてトクヨが登場する。若き智恵子のユーモアと親しみがにじみ、ほほえましい。
 二本松市の「智恵子のまち夢くらぶ」をはじめ、郷土の偉人に熱い思いを寄せる人々がそれぞれの地元にいる。今年は高村光太郎の生誕140年にも当たり、関連する企画が各地で催されている。トクヨと智恵子への関心が高まり、ゆかりの地の顕彰・交流や相互研究がさらに深まるよう期待したい。

旧安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校で智恵子の恩師だった、二階堂トクヨの顕彰活動が起こっているそうで。

トクヨと智恵子についてはこちら。
福島民報あぶくま抄「女子体育の母」。
大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~」第二章。

ゆかりの地の顕彰・交流や相互研究がさらに深まるよう期待したい」。まさにそのとおりですね。

【折々のことば・光太郎】

いつぞやわざわざあなたが来て下さつて御話をきいてゐるうちに自然とその気になつて御承諾いたし、承諾した以上はどうしてもやらうと存じ、あれから一度「大調和」主催の講演会といふものに試みに出てみましたが、十分間位話すのがやつとの事にて、それも意味が本当には伝はらず、思ふ事と口から出る言葉とが甚だしく齟齬し、結局小生はとても講演は出来ない人間と思ひきめてしまひました。幸ひ今の処演説する必要の無い仕事を職業としてゐるわけで、此点大いに安心してゐる次第なのです。


昭和2年(1927)6月9日 石井鶴三宛書簡より 光太郎45歳

石井鶴三は彫刻家。光太郎と親しかった画家の石井柏亭の実弟です。この頃、自由学園さんで美術教師を務めていました。そこで、同校で光太郎に講演をしてくれるよう依頼、光太郎も一旦は引き受けたものの、結局、断っています。

当方も、あちこちで講演や市民講座講師等をする機会が多く(今日もこれから川内村で講演ですが)、いつも「意味が本当には伝はらず、思ふ事と口から出る言葉とが甚だしく齟齬」しているな、と感じています。人前でしゃべるのに抵抗はありませんが、自信もない、という感じです。光太郎もそうだったのではないかと思われます。

ただ、それが戦時中になると一転、かなり積極的に講演に取り組むようになっていきます。

明日開幕の企画展等、2件。いずれも東北地方での開催です。

今泉篤男と美術 ひたすらに己の眼と言葉を信じ 美術評論家・美術館人として歩んだ生涯

期 日 : 2023年7月8日(土)~8月20日(日)
会 場 : 米沢市上杉博物館 山形県米沢市丸の内一丁目2番1号
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日 (月曜日が休日の場合はその直後の平日)
料 金 : 一般490(390)円 高大生340(270)円 小中生240(190)円
      ※( )内は20名以上の団体

今泉篤男(いまいずみあつお 1902~1984 米沢市出身)は、戦前から評論活動をスタートし、国内外の美術工芸に関する幅広い分野を対象とした美術評論家です。一方で、東京国立近代美術館初代次長、京都国立近代美術館初代館長を勤めた美術館人でもありました。国立美術館の仕事のほか、資生堂ギャラリーをはじめとする多くの美術館運営に関わり、評論家としては1950年代に日本の「近代絵画」をめぐる問題提起が「今泉旋風」を巻き起こすなど、今日でも美術界全体に今泉の足跡をみることが出来ます。本展では、今泉篤男の遺した多彩な仕事を、ゆかりの作家の作品と今泉の言葉を通して紹介します。

展示構成
第一章 生い立ち 米沢・山形での学生時代 第二章 東京帝国大学~留学 初期の評論活動
第三章 美術批評家 今泉篤男の誕生    第四章 美術館人として 美術評論家として
第五章 工芸への情熱           第六章 ゆかりの作家たちと郷里へのまなざしと

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今泉は光太郎とも親しく、光太郎は戦時中の昭和19年(1944)には雑誌『美術』に載った「回想録」を今泉に口述したりしています(掲載は翌年)。

そこで、光太郎の木彫「鯰」のうち、竹橋の国立近代美術館さん所蔵のもの(大正15年=1926)が出張。
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他に濱田庄司、椿貞雄、梅原龍三郎、安井曾太郎、平櫛田中、バーナード・リーチら、光太郎と関わりのあった面々の作も。さらにルノワールや加守田章二(高村光太郎受賞者)なども。

もう1件。同日開幕で、光太郎の父・光雲の木彫が出ます。

皇室の名宝と秋田~三の丸尚蔵館 収蔵品展~

期 日 : 前期 2023年7月8日(土)~8月2日(水)
      後期 2023年8月5日(土)~9月3日(日)
会 場 : 秋田県立近代美術館 秋田県横手市赤坂字富ヶ沢62-46
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 8月3日(木)、8月4日(金)
料 金 : 一般 ¥1200 (1000) 高・大学生 ¥1000(800)  中学生以下無料
      ※( )内は前売り、20名以上の団体

本展では、伊藤若冲や琳派を中心とした江戸時代の絵画や近代絵画の名品など、皇室ゆかりの名宝をご覧いただくとともに、秋田県出身の平福百穗が結成した「金鈴社」のメンバーの作品など、秋田県ゆかりの絵画や美術工芸品(明治時代の七宝や彫刻、金工品)を展示します。あわせて、明治天皇や秩父宮雍仁親王による秋田県訪問の様子を納めた写真をパネル展示し、皇室と秋田県のつながりをご覧いただきます。
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皇居内の三の丸尚蔵館さんが改修中のため、出開帳的な。これまでも各地で行われてきていますし、今年はこの後も、光雲作品が出るそれが岡山と石川でも予定されています。

秋田で出品される光雲木彫は「文使」(明治33年=1900)。ただし前期(7/8~8/2)のみです。

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当時の皇太子(後の大正天皇)ご成婚に際し逓信省から献上されたもので、台座部分には螺鈿と蒔絵の装飾も施されているなど、入魂の作です。

光太郎、光雲共に木彫作品を直に見られる機会はそう多くありません。この機会にぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彫刻界の対人関係などにあまり頭を使はない方がいいかと思ひます。さういふ事は皆一場の喜劇に過ぎません。


昭和2年(1927)5月6日 山本稚彦宛書簡より 光太郎45歳

山本の父・瑞雲は光太郎の父・光雲の高弟の一人。稚彦自身も彫刻家となりました。光太郎同様、二代目的な部分でいろいろあったのでしょうか。

山形大学さんで毎年行っている、高校生朗読コンクール。毎年違った東北ゆかりの文学作品を課題とし、かつては本選が大ホールを使って公開されていました。「東日本大震災により地域が分断された東北に、文化によるネットワークを構築することを目的」というコンセプトを付与していた時期もありました。

確認できている限り、過去2回、「智恵子抄」を課題として下さいました。平成27年(2015)の第8回、それから令和2年(2020)の第13回です。第13回はコロナ禍の始まった年で、この年から予選・本選とも録音審査ということになり、ホールでの公開はなくなりました。

今年も録音審査で行われるそうで、4月にはプレスリリースが出、昨日、YouTube上に解説動画がアップされました。今年も「智恵子抄」(散文「智恵子の半生」)を課題として下さるとのこと。

第16回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール出場者募集

・ 第16回山形大学高校生朗読コンクールの出場者を募集します。
・ 令和5年度は予選・本選とも録音審査により開催します。
・ 基盤共通教育「イベントマネジメントとプレゼンでみがく社会人基礎力」を受講する本学学生が、本コンクールの企画・運営を授業の一環として行います。

概要
 山形大学は、東北6県の高校生の文化交流を支援することを目的に、第16回山形大学高校生朗読コンクールを開催します。
 令和5年度は、予選・本選とも録音審査により開催し、予選課題は、福島県出身の妻・智恵子との思い出を綴った高村光太郎の作品「智恵子抄」を取り上げます。
 本コンクールの企画・運営は、基盤共通教育「イベントマネジメントとプレゼンでみがく社会人基礎力」を受講する本学学生が授業の一環として行い、予選・本選の録音審査は、山形大学教員で構成した審査委員会が行います。
 昨年度に開催した第15回山形大学高校生朗読コンクール本選(録音審査)の出場者の朗読を、YouTube山形大学公式チャンネルにより一般公開中です(令和5年6月30日(金)まで公開予定)。
 本コンクールは、例年たくさんの高校生に応募していただいており、昨年度は13校から48名の応募がありました。今年度も東北地方の多くの高校生の応募をお待ちしております。

 詳しくは、こちら(リリースペーパー)をご覧ください。

予選について
・課題文「智恵子抄」(高村光太郎)の朗読データを提出する録音審査により開催します。
・応募方法等の詳細は別紙チラシをご参照ください。

本選について
・予選審査を通過した高校生10名程度が出場できます。
・本選の上位3名を山形大学学長賞として表彰し、記念品を進呈します。
・本選の朗読は、YouTube山形大学公式チャンネルにより公開します(令和6年6月30日(日)まで公開予定)。
・本選出場者の氏名、所属高校、学年及び録音データを一般公開しますので、その旨ご了承の上でご応募ください。

開催日程
6月23日(金)迄  予選課題録音データの提出締切(当日消印有効)
7月28日(金)頃  予選審査の結果と合わせて予選通過者へ本選を通知
8月25日(金)迄  本選課題録音データの提出締切
9月29日(金)頃  本選結果の通知

参考
第15回高校生朗読コンクール本選(令和5年6月30日(金)まで公開)
YouTube山形大学公式チャンネル < https://youtu.be/koj77gA-kws >
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解説動画がこちら。


なかなかよくまとまっています。

応募資格が「高等学校、中等教育学校に在学中の生徒又は高等専門学校(1年生から3年生まで)に在学中の学生で、下記①、②のいずれかの条件を満たす者。①東北6県に在住 ②東北6県の学校に在学」だそうです。奮ってご応募下さい。

それにしても、本選は以前のように大ホールで公開審査という方が盛り上がると思います。今年度分の計画段階ではまだコロナ禍がどうなるか……という判断があったのかもしれませんし、録音審査の方がやりやすい、というのもあるのかもしれませんが……。また、実際に朗読する方としても、大きな会場で大勢のギャラリーを前に、というのはちょっと……というのがあるかもと思いますが、それでもやはり……という気がします。

【折々のことば・光太郎】

智恵子のお父さんの三回忌の法要で急に出懸けました。 君の処の花を思ひながら野山の美しい緑を見てゐます。帰途此の温泉に一寸立寄りました。


大正9年(1920)5月10日 水野葉舟宛書簡より 光太郎38歳

此の温泉」は現在の福島市郊外の穴原温泉。下の画像は当方手持ちの古絵葉書です。
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同日、田村松魚に宛てた絵葉書はこの吉川屋のもので、おそらくここに泊まったのでしょう。

その前に訪れた智恵子の故郷・安達郡油井村(現・二本松市)の印象が、「智恵子抄」中の詩「樹下の二人」に謳われました。ただ、「樹下の二人」では「この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理」とあり、季節が合いません。この矛盾に関し、当会顧問であらせられた故・北川太一先生曰く「ここには幾度かの訪問の印象が重複しているのであろう」とのことです。

昨日は3.11でした。あの日から12年……。

あの日、津波に呑まれて亡くなった、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町で光太郎文学碑の建立に尽力され、「女川光太郎祭」を主催なさっていた貝(佐々木)廣氏を偲ばせていただきました。

12年前の春に自宅兼事務所に植えた桜の樹。3.11には咲いているものを、と思い、早咲きの品種にしました。今年も満開です。ついでにいうとその隣のミモザも。
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さらについでにいうと、連翹(光太郎終焉の地・中野の貸しアトリエに咲いていて、「連翹忌」命名の由来となった連翹の子孫です)やユキヤナギもぽつぽつ咲き始めました。
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春ですね。

『毎日新聞』さん、今朝の紙面から。俳人・坪内稔典氏による「季語刻々」という連載コラムです。

季語刻々 春の水小さき溝を流れけり 高村光太郎

小さな溝を流れている水、その水を春の水だと思うと、流れのさま、水音、水の色などにまさに春を感じるのだ。そして、小さな何げない溝がとってもすてきな場所に転じる。作者は詩人、彫刻家のあの光太郎である。上手な句とはいえないが、数多い「い段」の音が響いて流れが速いことを感じさせる。雪解けの水がさらさらと流れているのだろう。<坪内稔典>

明治42年(1909)、欧米留学末期のイタリア旅行中に詠まれた光太郎のこの句、このコラムで取り上げられるのは2回目です。最初に紹介されたのは平成29年(2017)でした。

もう1件、和歌山県の地方紙『日高新報』さんの一面コラム。昨日の掲載分です。メインは光太郎を敬愛していた宮沢賢治ですが、光太郎もちらっと。

日高春秋 詩の言葉が持つ強い力

年度末が近づくと、毎年発行されている日高地方小中学生の詩集が本社に届けられる。例年文芸欄で、原則として全文を順次紹介している◆日本では近世まで詩といえば漢詩を指し、現代のような詩は近代以降、高村光太郎や萩原朔太郎、中原中也らが隆盛させた。11日で東日本大震災から12年が経ったが、岩手県が生んだ童話作家の宮沢賢治は詩人でもあった◆今年で没後90年。生前出版された詩集「春と修羅」には、彼がイーハトーブと名づけた岩手県の荒々しく美しい自然、ひたむきに取り組んだ農作業、教員を務めた花巻農学校の生徒たちへの想いが表現されている◆卒業シーズンになると思い出す彼の詩がある。表題は「生徒諸君に寄せる」。「諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な清潔な風を感じないのか」「新しい時代のコペルニクスよ」「新しい時代のダーウィンよ」「新たな詩人よ/雲から光から嵐から/新たな透明なエネルギーを得て/人と地球にとるべき形を暗示せよ」◆言葉には力がある。心を動かすという力だ。人の心が動けば、深い部分で物事を変えられる。論旨ではなく、言葉そのものがダイレクトに人の心を打つのが詩という自由な表現だ◆日高地方小中学生の詩集「子ども日高」は、もう20年以上読み続けてきた。当然だが一つとして同じものはない。言葉を操り始めて間もない小学生の作品には、初めて出会うものたちへの驚きがストレートにあふれている。中学生の作品は、その年代ならではの、大人が及ばない鋭敏で繊細な感性と発想で見事に構成され、読む人の心に若い情熱を伝えてくる◆若い世代の力の片鱗を感じるのは、頼もしく心躍ることだ。宮沢賢治が「新たな詩人」にエールを送ったように。

「岩手」、「3.11」といえば、昨日のWBCで先発し、見事に4回途中1失点8奪三振の快投を見せた日本代表の佐々木朗希投手

『スポーツ報知』さんのサイトから。

東山紀之、世界デビューの佐々木朗希に万感…「3・11に佐々木朗希投手が投げることに大変な意味があります」

004 俳優の東山紀之が12日、MCを務めるテレビ朝日系「サンデーLIVE!!」(日曜・午前5時50分)に生出演した。
 番組では、「カーネクスト2023 WBC東京プール」で11日に日本が1次ラウンド(R)第3戦のチェコ戦に臨み、ロッテの佐々木朗希投手)が快投で世界デビューを果たしたことを報じた。
 初回に失策絡みで1失点したが、3回2/3で被安打2、8奪三振。東日本大震災から12年たったその日にWBCでは日本人最年少での勝利投手となり、故郷・岩手に、被災地に勇気を与えた。打線は同じく岩手出身のエンゼルス・大谷翔平投手が打球速度約191キロの弾丸適時二塁打を放ち、3連勝に貢献。12日のオーストラリア戦に勝てば、B組1位での準々決勝進出が決まる。
 東山は3連勝の侍ジャパンを「大谷選手を始め、すべての選手が躍動しています」と絶賛。11日のチェコ戦をドームで観戦したことを明かし、佐々木の投球を「160キロ台の速球がビシビシ決まった」と感嘆していた。
 さらに「3・11のこの日に佐々木朗希投手が投げることに大変な意味があります」とし「震災を経験されて。地元の人に伺うと風化していくのが一番恐ろしいので、佐々木投手が投げるたびに風化させない思いが強くなると思います」とコメントしていた。

御存じの方は御存じでしょうが、佐々木投手、あの日、お父さまとお祖父さま、お祖母さまを津波で亡くされています。その13回忌に、何よりのご供養となったように、テレビ中継を見ながら感じました。

これからも、被災地の、そして日本全体に希望を届ける牽引役として頑張っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

来月は僕も“LES IMPRESSIONS DES WONNAS”といふ長い詩を出すつもりです。或る人にデヂケエトするのです。


明治43年(1910)3月10日 長田秀雄宛書簡より 光太郎28歳

前年の欧米留学からの帰朝以来、旧態依然の日本美術界への失望は、光太郎をしてデカダン生活に追い込みます。吉原河内楼の娼妓・若太夫にのめり込み(「或る人」は若太夫です)、鬱屈した心境を詩に吐き出します。「LES IMPRESSIONS DES WONNAS」は、翌月の雑誌『スバル』に「LES IMPRESSIONS DES OŨONNAS」と解題されて発表されました。4篇の詩から成る連作です。

テレビ放映情報を2件。光太郎智恵子に触れられるかどうか、微妙ですが……。

ドキュメント72時間「福島 真冬の山小屋にて」

地上波NHK総合 2023年2月10日(金) 22:45~23:15

福島・安達太良山の標高1350m地点にある築60年の山小屋。山頂を目指す登山者たちが、体を休め、緊張から解放されるひとときを過ごす。山小屋には温泉があり、宿泊も可能。休憩がてら装備を整え、登頂を目指す4人組。ふもとから食材を持ち込み自炊を楽しむ男性。毎年、ここで忘年会を開くグループもいる。2022年の暮れ。あえて厳しい雪山を登り、ここを訪れる人たち。その胸のうちに3日間、耳を傾ける。

【語り】田畑智子
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定点観測的にロケの場所を決め、そこで丸3日間、72時間の取材を行って、そこを訪れる人々の人間模様を描くというコンセプトの番組です。松崎ナオさんによるテーマソング「川べりの家」が染みます。


今回の舞台は、智恵子が「ほんとの空」があると言った、福島二本松の安達太良山。その山頂に近い山小屋・くろがね小屋です。「ほんとの空」「智恵子抄」「光太郎智恵子」といった話が少しでも出てくるとよいのですが……。

もう1件。

宮川一朗太のおっ!さんぽ #42

BSJapanext(無料) 2023年2月13日(月) 19:58〜21:00

俳優・宮川一朗太が、おっさんの嗅覚をいかして北海道・東北地方の知られざる魅力を掘り起こします!その地でしか味わえない極上グルメに、息を飲む絶景など、旅気分をゆったり楽しめる60分!
俳優・宮川一朗太が岩手・花巻市をお散歩!
▼花巻名物・10段ソフトクリーム!
▼銀河鉄道のハンカチ?職人の技を見学!
▼宮沢賢治が愛した湯治屋「大沢温泉」

出演者 宮川一朗太
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光太郎第二の故郷・岩手花巻が舞台。マルカン大食堂の10段巻きソフトクリームが紹介されます。また、当方も定宿にしている(来週の「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」の際にも泊まります)大沢温泉さん。「宮沢賢治が愛した湯治屋」ということで、賢治には触れられるようですが、光太郎もたびたび訪れたことに触れていただきたいものです。ただ、光太郎は通常の温泉旅館的な山水閣さん、現在は宿泊棟としては休業中の菊水館さんに宿泊したことは確認できていますが、自炊部(湯治屋)さんがメインとなるとどうかな、という気はしますが……。

ちなみにこの番組、昨年には智恵子の故郷・二本松を取り上げ、岳温泉さんなどが紹介されましたが、光太郎智恵子の名は出てきませんでした。

とりあえず、ぜひそれぞれ、ご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

If you will not take me, I must greatly disapoint myself. I must have no work, no study, no hope, no pleasure. My coming to this country must end by all in vain.


明治39年(1906)4月(推定) ガットソン・ボーグラム宛書簡より
 光太郎24歳

留学に際し、東京美術学校教授・岩村透に書いてもらった複数のアメリカの彫刻家への紹介状を携えていった光太郎ですが、彼らは歓待はするものの、雇うとは言ってくれませんでした。

そこで光太郎、メトリポリタン美術館でその作品を目にし、「ほう」と思ったボーグラムへ体当たり的に雇ってくれと書簡を送りました。ボーグラムはこれ以前に光太郎の先輩に当たる彫刻家・本保義太郎を助手として雇っていたことがあって、光太郎もそれを知っていました。同じ書簡には本保の名も書かれています。

上記の必死の訴えが功を奏し、光太郎は週給6ドルで採用されましたが、「弟子」という位置づけではありませんでした。そのためか、4ヶ月ほどでやめています。ただ、10月から通い始めたアート・ステューデント・リーグではボーグラムが教鞭を執っていまして、喧嘩別れ的な感じではなかったと思われます。

紹介すべき事項が多いので、4件まとめます。

まずは『岩手日日新聞』さん。花巻市東和町で開催中の「器とたのしむ光太郎ランチ」展の件。

光太郎ランチの原画紹介 東和・土沢カフェくるみ【花巻】

  彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が食べたレシピを色鉛筆画で紹介する絵本「器と楽しむ光太郎ランチ」の原画展は、花巻市東和町の土沢カフェくるみで開かれている。同市星ヶ丘の西堀みちよさん(66)が制作した色彩豊かな原画が並び、光太郎の食卓に光を当てている。21日まで。
 西堀さんはmichinoのペンネームで活動。これまで一般に作品を公開したことがなかったが、絵本を発行する花巻市のやつかのもりから依頼を受けて、初めて絵本の原画を制作した。
 展示されているのは原画と花をモデルにした絵画など19点。原画は昨年6月から制作しており、1月から12月までのその月に光太郎が食べた食事を描いている。西堀さんによると、道の駅西南で販売されている手作り弁当「光太郎ランチ」を食器に移し替え、絵のモデルにしたという。
 グリンピースご飯、ヨモギの天ぷら、そば粉のパンケーキなど緻密に再現され、光太郎の日記などから抜粋された食に関する一節も紹介されている。
 西堀さんは「彫刻が好きで高村光太郎のことは知っていたが、こんなレシピが残っているなんて担当するまで知らなかった。(原画は)料理が映えるように、自宅にあるさまざまな食器を利用した。多くの人に見ていただきたい」と笑顔を見せる。
 鑑賞無料。時間は午前10時から午後5時まで。問い合わせは土沢カフェくるみ=080(3334)3003=へ。
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続いて、八戸に本社を置く『デーリー東北』さん。光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」もコースに入り、十和田湖周辺で今年から始まったウォーキングイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」について。ただし、「乙女の像」には触れられていませんでしたが……。

歩いて食べて十和田湖畔巡り ONSEN・ガストロノミーウォーキング

 温泉地を舞台に地域の食や自然、歴史と文化が体感できるコースを歩くイベント「ONSEN・ガストロノミーウォーキング in カミのすむ山 十和田湖」が12日、十和田湖畔周辺で開催された。青森県内外から約60人が参加し、各所に設定されたポイントに立ち寄り、湖畔の景観や食事を楽しんだ。
 ONSEN・ガストロノミーウォーキングは滞在型、体験型観光の推進や温泉地の活性化に向け、全国各地で行われている。十和田市版DMO(観光地域づくり推進法人)十和田奥入瀬観光機構が主催し、一般社団法人ONSEN・ガストロノミーツーリズム推進機構が協力した。
 十和田神社、石川啄木の碑などの観光スポットをつなぐ約6キロのコースと、地酒や地元産食材の料理を提供するポイントを設定。参加者は自分たちのペースで巡り、十和田バラ焼き、そばかっけを味わったり、同市無形文化財の民俗芸能「晴山獅子舞」を観賞したり、地域の魅力に触れた。ゴール後は食材や菓子、指定の4施設で使える入浴券を受け取った。
 黒石市から訪れた歯科助手高田絵梨さん(43)は姉妹2人で参加。「人混みもなくゆっくり楽しめた。疲れないコース設定で、もう少し距離があっても良かった」と語った。
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続いて『毎日新聞』さん。文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」がらみ。

森鷗外記念館 直筆原稿や書簡、新発見資料を公開

 森鷗外の没後100年を記念し、東京都の文京区立森鷗外記念館で特別展「鷗外遺産」が開かれている。伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らからの書簡など、近年見つかった資料が初めて一般公開されている。来年1月29日まで。
 「渋江抽斎」の原稿は1916年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほぼ直しがなく、50回は加筆や修正がある。「推敲(すいこう)の跡に注目してほしい」と山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授。
 16歳の時、東大医学部で受けた講義をまとめた冊子「筋肉通論」も新資料として展示される。54歳の時の「渋江―」の筆跡と見比べたい。
   鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通の一部。漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、小山内薫らからで、美術、演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期で15人からの18通を展示する。
 詩人で彫刻家の高村光太郎の17年の手紙には「御引用になつた様なムチヤクチヤな事を考へた事もありません」とある。光太郎が「誰にでも軍服を着せてサアベルを挿させて息張らせれば鷗外だ」と述べたと鷗外が思い込んだ。手紙はその誤解を解こうと書かれた。
 作家の永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する「三田文学」の構想を鷗外に報告している。 監修を務めた須田喜代次・大妻女子大名誉教授は「鷗外がどんな文化的風土で生きていたかが分かる。直筆の力を感じてほしい」と語る。
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最後に再び『朝日新聞』さん。作家の澤田瞳子さんによる『平櫛田中回顧談』の書評です。

『平櫛田中回顧談』 平櫛田中〈著〉 本間正義〈聞き手〉 小平市平櫛田中彫刻美術館〈監修〉 近代美術界の逸話惜しげもなく

005 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)と聞いて、「あの彫刻家の」とすぐ思い至る方は、残念ながらそう多くはあるまい。ただ舞台をよくご覧になる方であれば、東京の国立劇場ロビーに飾られている田中の代表作「鏡獅子」をご覧になった折がおありかもしれない。
  本書は1965(昭和40)年、当時93歳の田中の口述を、美術評論家・本間正義が筆録したもの。ゆえあって未刊行とされていた原稿が、田中の生誕150年を機に約半世紀を経て出版された奇縁の回顧談である。
 田中は大阪での修業を経て1897(明治30)年に上京、高村光雲の門下となった。光雲同様に師と仰いだ岡倉天心や深い縁を結んだ禅僧・西山禾山(かさん)、はたまた「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎などの思い出は活気に満ち、近代美術界の激動を眩(まばゆ)いほどに蘇(よみがえ)らせる。興味深いのは、当時の美術界の内幕までが垣間見えることで、たとえばある時、兄弟子・米原雲海の作品が宮内省に買い上げられたはいいが、実は子どもが犬にまたがった様を彫り出したその作は、鼻を削(そ)ぎ過ぎたために後から部材を接いでいた。「湿気がある頃になると取れるかもしれないぞ」という米原の困惑は、当人には申し訳ないがつい口元が緩む。
 田中は100歳を超えてもなお、いつでもすぐ作品に取りかかれるよう、手元に膨大な木材を蓄えていた。そんな彼ならではの材木や道具、伝統技法に関する逸話も読みどころの一つ。中に節がある木材の見分け方、樟(くす)や桐(きり)、榧(かや)といった木材ごとの長所と短所など、随所にちりばめられた実作者ならではの観察にはつい驚きの声が漏れる。
 岡倉天心にまつわる複数の艶事(つやごと)、「悲母観音」で知られる日本画家・狩野芳崖の死を巡る経緯など、なかなか他では読めぬエピソードが惜しげもなく披瀝(ひれき)される一方で、個々の田中作品の制作譚(たん)が豊富な図版とともに紹介される。
 日本美術界に新たな光を当てる貴重な一冊である。
    ◇
ひらくし・でんちゅう 1872~1979。彫刻家。東京芸術大教授を務める。1962年、文化勲章を受章。

以上、4件。ブログのネタがない時であれば、4日に分けてご紹介するところですが、まだまだ紹介すべき事項がたくさんありまして(10日先まで書く内容が決まっています(笑))、嬉しい悲鳴です。

【折々のことば・光太郎】

午后、東方亭の幸子さんくる、掃除のため毎週金曜日午后一時頃来て二時ばかり働いてもらふ相談、アルバイト1日400円、(お年玉1,000)


昭和30年(1955)1月4日の日記より 光太郎73歳

東方亭」は荒川区三河島にあったトンカツ屋。光太郎戦前からの行きつけの店でした。そこの長女・明子は医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)を書いたりしました。

幸子さん」は次女。肺結核のため力仕事がほぼ不能となったため、起居していた貸しアトリエの清掃等を頼むことにしました。

アルバイト」という語と概念、すでにこの頃にはあったのですね。

3件ご紹介します。

まず、もう今夜のオンエアですが……。

バナナマンのせっかくグルメ★日村が夏の長野へ!ギャル曽根に飯尾&ケンコバも爆食

地上波TBS 2022年7月31日(日) 18:30~20:54 

日村は長野市で夏の大自然とブランド豚ステーキ&特大㊙ハンバーグに感動★熊本阿蘇でギャル曽根あか牛爆食★バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバ岩手花巻で自由気まま旅

【日村さん長野市で夏の大自然&絶品飯を満喫!】
 ★味の深みがスゴイ!こだわりスープの絶品ラーメン
 ★とにかく柔らかい!ブランド豚の極上ステーキ
 ★人気ステーキハウスの炭火焼き特大㊙ハンバーグ×白米に興奮
 ★超老舗みそ専門店で絶品スイーツを堪能
 ★長野市の有名企業×せっかくグルメのコラボグッズを視聴者プレゼント!応募方法は放送内で発表するのでお見逃しなく!
【バナナマンと仲良し!飯尾&ケンコバが岩手県花巻へ】
 ★食通の二人も唸った!旨辛ニララーメン&極上ホルモン&人気町中華チャーハン
 ★温泉入浴…睡眠…軽いルール違反…制御不能の自由旅にバナナマンも爆笑!
【ギャル曽根さん熊本阿蘇でのグルメ探し続編!】
 ★老舗の極上あか牛グルメを興奮気味に爆食!
出演者
 ★MC:バナナマン(設楽統・日村勇紀)
 ★スタジオゲスト:鷲見玲奈・山下健二郎(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)
 ★ロケゲスト:飯尾和樹、ケンドーコバヤシ、ギャル曽根

この番組、バナナマンの日村さん、それからゲストの皆さんが日本各地を訪れ、地元の方々のお薦め情報をもとに地元グルメを堪能するというコンセプトです。

ずんの飯尾さん、ケンドーコバヤシさんが花巻に。
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メインは市街地の中華系のようです。
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飲食店以外に、円万寺観音堂さん。光太郎とも親しかった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務め、光太郎も足を運んだ場所です。
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さらに光太郎や宮沢賢治も愛した大沢温泉さん。
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続いて、8月2日(火)。

開運!なんでも鑑定団【お宝は世界を救う!美人画大作&最高峰焼き物に驚き値】

地上波テレビ東京 2022年8月2日(火) 20:54〜21:54

■盲目の子どもたちに光を…お宝は世界を救う!?<美人画大作>に衝撃値■茶人が特別に注文!?…最高峰<中国焼き物>に驚き鑑定額■福島出張鑑定…仰天<ペコちゃん人形>■

依頼人は認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長を務めており、途上国の目の不自由な子供たちを助けるべく、日本から治療費を送る活動をしている。ご自身も8歳の時に失明し、その後盲学校の教師となった。1964年の東京パラリンピックで盲人卓球に出場し、なんと金メダルを獲得したことも! お宝は支援者の方から「NPO法人で役立ててほしい」と頂いたもの。とても大事にしてきたが、途上国の子供たちの目を助けるため手放すことを決意した。果して売却額は!?

出演者
 【MC】今田耕司、福澤朗  【ゲスト】マルシア
 【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
 【出張鑑定】出張鑑定 in福島県・二本松市  【出張リポーター】原口あきまさ
 【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな

鑑定士軍団
 中島誠之助(古美術鑑定家) 北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
 安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主) 川上紳一(岐阜聖徳学園大学教授)
 山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役) 森由美(陶磁研究家)
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「出張鑑定」が智恵子の故郷・福島二本松だそうです。このコーナー、最初に街の紹介が入りますので、光太郎智恵子、ほんとの空といった紹介がなされてほしいものです。

ちなみに平成28年(2016)12月には、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市で出張鑑定の収録が行われ、当方、拝見に伺いまして、客席に座っている姿が映りました(笑)。

もう1件、同日の放映。ただし再放送です。

再 福島をずっと見ているTV(99)「ここで生きていくことが、“復興”」

NHK Eテレ 2022年8月2日(火) 14:30~15:00

福島県川内村。原発事故で一時は全村民が避難したが、いち早く帰村を推し進めた結果、もといた住民の8割が戻ったことでも知られている場所だ。いまここで、古民家を利用し、新たな交流拠点を作ろうと奮闘しているのが、志賀風夏さん(川内村出身)。年齢も性別も関係なくみんなが集まれる場所を作りたいという志賀さんは「在りし日の“村の良さ”を取り戻したい」と語る。真の復興とは何なのか、風夏さんの姿を通じて考えていく。

出演者
【司会】箭内道彦,【出演】横田龍儀,【アナウンサー】合原明子,【語り】相沢舞
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初回放映が7月27日(水)でして、拝見しました。舞台は双葉郡川内村。当会の祖・草野心平が愛した村で、心平を名誉村民に認定して下さっています。
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冒頭近く、心平を祀る天山祭、今年7月9日(土)の映像。
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そして、志賀風夏さん。
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心平の別荘「天山文庫」、併設されている「かわうち草野心平記念館」の管理人さんです。
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志賀さん、平成30年(2018)にも、この番組で取り上げられました。

元々、川内村のご出身で、進学のため村を離れたもののUターン。亡きお父さまの跡を継いで陶芸家としてもご活動。さらにこの秋には古民家を改装してカフェを開かれるということで、村外のボランティアの方、村内の小学生親子などを巻き込んでの活動に密着取材。
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その信念は、番組サブタイトルにもなっているとおり、「ここで生きていくことが、“復興”」。頭が下がります。

スタジオゲストは、横田龍儀さん。ミュージカル「刀剣乱舞」などでご活躍中だそうですが、川内村のご出身、さらに何と、志賀さんの同級生だったとのこと。
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横田さんは横田さんで、自分がメジャーになることで、復興に関する発言に重みが増すので、それを目指しているそうです。そういうアプローチもあるのですね。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

瀬川幸蔵氏くる、阿部さんのリンゴをもらふ、夕方一緒に新宿、ビール、トンカツにて別れる、

昭和28年(1953)9月26日の日記より 光太郎71歳

「瀬川幸蔵氏」は、花巻町中心街在住の人物。光太郎の花巻郊外旧太田村での蟄居中にも交遊がありました。詳細は不明ですが、やはり光太郎と親しかった花巻の阿部博が作ったリンゴを土産に上京、中野のアトリエに光太郎を訪ねました。他にも花巻町や旧太田村の人々は、けっこう上京するたび光太郎のもとを訪れています。いかに光太郎が愛されていたかの証左ですね。

まず、仙台に本社を置く『河北新報』さん、先週土曜日の記事です。

小学生に人気「守ろう! みんなの東北」完結 地域課題学ぶ漫画シリーズ

 東日本大震災からの復興、人口減少…。東北が抱える難題がモンスターになった―。漫画で地域を学ぶ「守ろう! みんなの東北」全4巻がこのほど完結した。東北の小学生の間で人気が高まっているシリーズはどのように生まれたのか。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)
   主人公は岩手県遠野市に暮らす小学6年の石澤研治(ケンジ)。ある日、大きな地震により、異世界の東北に迷い込む。現実世界の東北の人たちの怒りや不満、不安から生まれたモンスター(「もんのけ」と呼ばれる)がケンジに東北の諸課題を突きつけ、対応を迫るというファンタジーアドベンチャーだ。
 巨大なこけしのもんのけは「なぜ人間は昔ほどこけしを買わぬ? 作らぬ?」「よいのか!? 東北の文化が消え去っても」と詰め寄る。ケンジがインターネットを活用した魅力発信など、自分たちにもできることを提示すると、もんのけは笑顔になって消える。
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 発行したマイクロマガジン社(東京)の第一編集部リーダー岡野信彦さん(53)は「これまで地域学習漫画は郷土の文化や特産品の紹介にとどまっていた。本作は社会問題に踏み込んでいるのが特徴だ」と話す。
 各巻のテーマは「自然と伝統文化」「復興と気候」「人口減少とお祭り」「東北の未来」。東京電力福島第1原発事故で国内外でいまだ残る風評被害をどう払拭するか。再生可能エネルギーの推進と自然環境の保護をどう両立するか。大人も明快な答えを出せない大きなテーマをあえて選び「視野を広げるきっかけにしてほしい」と狙いを語る。
 読者と想定するのは地域探究学習が始まる小学5、6年。2010、11年度に生まれた子どもだ。「東北の未来をつくるのは震災を経験していない世代。風化させず、まずは事実を知ってもらいたい」と岡野さん。
 1巻の冒頭、巨大地震に襲われたケンジが冷静に避難行動を取り「東北で育った子どもはみんな知っている。地震の恐ろしさや『防災』の大切さを!」と語る場面は印象的だ。復興をテーマにした2巻では、女川中(宮城県女川町)の卒業生らが津波の記憶を後世に伝えるため「女川いのちの石碑」を21基建立した取り組みを紹介する。
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 人口減を扱う3巻では「おぬしらも大人になれば東北を出て行くのだろう?」ともんのけに問われ、子どもたちの意見は分かれる。考えの違いを受け入れる大切さが込められており、岡野さんは「自分だったらこうしたい、こうした方が面白いという風に、ケンジたちと一緒に考えながら読んでほしい」と期待する。
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 昨年9月に1巻を発売。3カ月おきに続編を出し、今年6月の4巻で完結した。各巻の初版は8000部。図書館の蔵書検索サイト「カーリル」によると、東北の135館が所蔵する(7月現在)。21年度の青森県推奨図書に選ばれ、学級文庫にも多く採用されており、順番待ちができている学校もあるという。
 仙台市図書館で借りた市内の小学5年女子は「キャラクターがかわいくて、一気に読めた。東北の伝統工芸が危なくなっているのは初めて知った」と話した。
 A5判、全カラー。各巻1100円。東北の地域活性化のための調査研究などを行う公益財団法人「東北活性化研究センター」(仙台市)が監修した。

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[マイクロマガジン社]1984年設立。人気作「転生したらスライムだった件」に代表されるライトノベルや絵本を中心に出版。2007年に始まった「これでいいのか地域批評シリーズ」は全国各地の県民性や課題をまとめる。「まんが地域学習シリーズ」1作目の本作の舞台に東北を選んだのは「課題先進地」であることに加え「地域批評の反応、売れ行きが良かったから」だという。

『守ろう! みんなの東北』全4巻。第2巻の「復興と気候編」で、宮城県女川町に21基建てられた、津波からの避難のランドマーク「いのちの石碑」が紹介されています。同じ女川町の光太郎文学碑(平成3年=1991建立)に倣って、1,000万円といわれた設置費用を募金でまかなったというプロジェクトです。中心人物の一人、鈴木智博さんは、かつて複数回、光太郎を偲ぶ女川光太郎祭にご参加下さり、光太郎詩文の朗読をなさっていただきました。
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このシリーズの何巻目かに「いのちの石碑」が紹介されているという情報は得ていたのですが、何巻目だかがわからず、書店で探してもみたのですが見つからず、というわけで未入手でしたが、『河北新報』さんの記事で第2巻だったとわかり、早速Amazonさんで購入しました。

守ろう! みんなの東北 ②復興と気候編

2021年12月9日 原作 青木健生 漫画 藤原ちづる 監修 東北活性化研究センター
マイクロマガジン社 定価1,000円+税

もうひとつの東北を舞台に、子どもたちが現実の東北で起きているさまざまな社会問題を探究する、まんが地域学習シリーズ第二弾! 今回は、復興と気候編! 子どもたちは次々とおそいかかる『地域問題』をどう解決するのか? キミならどうする?

現実の東北とそっくりだけど東北とは違う不思議な世界、バケモノが暮らす「もうひとつの東北」に飛ばされた、岩手の少年・石澤研治、青森の少女・玉神むつみ、福島の少女・花咲ななえの3人は、現実の東北の怒り・不安・不満によって生み出された「もんのけ」が突きつけてきた難題を見事解決してみせた。だが、彼らの「もうひとつの東北」をめぐる冒険はまだまだ始まったばかり。舞台は岩手を飛び出し、宮城、そして山形へ!  

行く先々で研治たちの前に新たな「もんのけ」が立ちふさがる。彼らが突きつけるのは東北にまつわるまた別の難題。研治たちは「もんのけ」の怒りにどう向きあっていくのか? 宮城、山形、秋田から新たな仲間を加え、東北を救う冒険の第2章がいま、スタートする! 

様々な問題を考えながら、東北の未来を考えてみませんか! ?
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東北6県の抱える課題、そしてそれらを解決していこうという地道な取り組みなどがわかりやすく語られ、これは日本全国の子供たちに読んでほしいものだな、と感じました。

お子様、お孫さんをお持ちの方、ぜひどうぞ。また、学校関係、図書館関係の方々も、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

来週金曜頃松方三郎氏くる由、


昭和28年(1953)6月20日の日記より 光太郎71歳

松方三郎氏」は、日本電報通信社(現・電通)取締役にして、登山家、ジャーナリストでもありました。父は明治の元勲・松方正義。かつて光雲・光太郎父子がその像を制作しています。実兄は松方幸次郎。上野の国立西洋美術館さんの礎となった「松方コレクション」を集めた人物です。

実際、翌週の金曜には、光太郎が起居していた中野の貸しアトリエに松方がやって来ましたが、その用件は光太郎日記には記されていませんでした。それにしても、光太郎人脈の広さの一端が垣間見えます。

テレビ放映情報、2件ご紹介します。

まず、智恵子の故郷・福島二本松。

徳永ゆうきの一期一会はなうた旅 #12

BSJapanext 2022年6月13日(月) 19:00~21:00

実力派演歌歌手の徳永ゆうきが北海道・東北地方の7道県をおさんぽ! その土地にゆかりのある方と一緒に北国の絶景やグルメ・工芸品等を巡ります。旅先を訪れる際にはその場所にまつわる”はなうた”を歌いながら、別れ際にはお世話になった方々へ歌をお届けします♪ みるだけでなく、聞いても楽しい旅番組です!

今回は二本松市を徳永ゆうきがを旅します。絶景!二本松城から眺める安達太良山。名菓「玉羊羹」の製造工程を見学。世界が認める日本酒に大興奮!

出演者 徳永ゆうき 箭内夢菜
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4月に昭和42年公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)を放映して下さったBS松竹東急さん同様、この春に開局し、全番組無料放映のBSJapanextさんの番組です。

智恵子の名は番組紹介にありませんで、羊羹の玉嶋屋さん、酒蔵の奥の松酒造さんなどを訪れるようですが、2時間の番組ですので、どこかしらに智恵子がからむような気はしています。

ご出演は演歌歌手にして鉄道マニアとしても知られる徳永ゆうきさん、そして郡山ご出身の箭内夢菜さん。6月6日(月)放映の#11が、やはりこのお二人で猪苗代町編でした。同時期のロケだったのでしょう。
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ぜひご覧下さい。

もう1件、再放送です。

再 ふるカフェ系 ハルさんの休日▽岩手・花巻〜宮沢賢治が愛した花壇をめでるカフェ

NHK Eテレ 6月12日(日) 18:30~18:55  6月14日(火)13:30~14:00

岩手県花巻市の宮沢賢治ゆかりのカフェへ。それは庭にある花壇!賢治が晩年に設計した花壇には色とりどりの美しい花。賢治がよく訪れたという木々の建築をリノベーション。

宮沢賢治の世界を感じながら、素朴な味わいの郷土料理も堪能できる、くつろぎのカフェ。ここでしか見られない貴重なものが、賢治の花壇。不思議な文様のレンガの花壇は、賢治が晩年に設計したもので、○○仕込み。花を愛で、賢治を想う和風建築のカフェは、室内もすごい。賢治の妹ゆかりのオルガンや、さまざまな木々で作られた床の間の設えや意匠も見どころがいっぱい。そして若い人の感覚を取り入れたリノベーションも必見です!

【出演】渡部豪太 花巻市のみなさん

6月9日(木)の初回放映を拝見いたしました。
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宮沢賢治ゆかりのカフェということで、まずは賢治が命名したイギリス海岸からスタート。
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マルカンさんも登場。
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そして、今回の舞台、茶寮かだんさん。おそらく戦中戦後に光太郎も目にした建物です。
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まずは店主の一ノ倉さんのレクチャー。
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カフェですので、料理も堪能。
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その後、屋外に出、賢治設計の花壇を見ていると……
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なるほど。

再びカフェ内部に。
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当方、平成30年(2018)に訪れた際は、この部屋で珈琲を頂きました。

するとそこへ……
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マルカンさんのリノベも手がけられている小友氏。こちらのオープンの際にもアドバイザー的なことをなさったそうで。

最後は店主・一ノ倉さんの感懐。空き家となっていた豪邸、荒れていた花壇を改修し、カフェとして再生、さらにご自分で農業もされているというご苦労を……
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頭が下がりました。

渡部さん演じるハルさんも……
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本放送をご覧になっていない方、こちらもどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

羽田によかず、リーチ今日来たりしと見え、夜の録音ニュースにて声をきく、

昭和28年81953)2月17日の日記より 光太郎71歳

「リーチ」は陶芸家のバーナード・リーチ。明治末、ロンドン留学中の光太郎と親しくなり、それが直接のきっかけで来日、白樺派の面々とも交流を持ちました。戦前は日本、イギリス、そして中国などを行ったり来たりしていましたが、昭和10年(1935)に帰国後はしばらく母国にとどまり、この時が18年ぶりの来日。翌年まで日本に滞在しました。

光太郎、この後、リーチの宿泊先を訪ねていきますし、中央公論社主催の座談会で、リーチ、柳宗悦、濱田庄司らと旧交を温めます。

久々にテレビ放映情報です。

まず、光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手・花巻から。

ふるカフェ系 ハルさんの休日▽岩手・花巻〜宮沢賢治が愛した花壇をめでるカフェ

NHK Eテレ 2022年6月9日(木) 22:30~22:55  
再放送 6月12日(日) 18:30~18:55  6月14日(火)13:30~14:00

岩手県花巻市の宮沢賢治ゆかりのカフェへ。それは庭にある花壇!賢治が晩年に設計した花壇には色とりどりの美しい花。賢治がよく訪れたという木々の建築をリノベーション。

宮沢賢治の世界を感じながら、素朴な味わいの郷土料理も堪能できる、くつろぎのカフェ。ここでしか見られない貴重なものが、賢治の花壇。不思議な文様のレンガの花壇は、賢治が晩年に設計したもので、○○仕込み。花を愛で、賢治を想う和風建築のカフェは、室内もすごい。賢治の妹ゆかりのオルガンや、さまざまな木々で作られた床の間の設えや意匠も見どころがいっぱい。そして若い人の感覚を取り入れたリノベーションも必見です!

【出演】渡部豪太 花巻市のみなさん

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この番組、昨年は智恵子の故郷、福島・二本松の古民家カフェを取り上げて下さり、つい先日も再放送がありましたが、今回は花巻に出没。渡部豪太さん扮する古民家カフェブロガー・真田ハルが全国の古民家カフェを廻るというコンセプトです。一応、ドラマ仕立てではありますが、カフェのオーナーさんや地元の皆さんがご本人役で出演されたり、なぜか古建築等の専門家の方などが毎回都合よくお店にいたり……(笑)。

4月から新シリーズが始まり、だいたい毎回拝見していますが、それぞれの古建築はもちろん、建物を残そうとする地元の人々の思いなどが素晴らしいと思いますし、渡部さん演じるハルさんの「ゆるさ」もいい感じです。

今回取り上げられるのは、「茶寮かだん」さん。花巻の中心街に位置しますが、たまたま昭和20年(1945)の花巻空襲の被害を免れました。光太郎も戦中戦後によく歩いた一角ですので、おそらく目にした建物でしょう。ただし、光太郎がいた頃は普通の民家でしたが。

このブログでご紹介し続けている『花巻まち散歩マガジンMachicocoマチココ』さんに連載されている「光太郎レシピ」の撮影にも使われましたし、当方も一度お邪魔しました。ただ、その際は真冬で、賢治設計の花壇は雪に埋もれていましたが。

さて、もう1件。「ふるカフェ系 ハルさんの休日」は「ゆるい」感じですが、こちらはどうも真逆で朝っぱらから「強烈」そうです(笑)。

おんがく交差点【熱唱!渡辺えり】

BSテレ東 2022年6月11日(土) 8:00~8:30

芝居が人生!ご飯は歌で食べた?
ゲストは渡辺えりさん!俳優・劇作家・演出家として有名だが、実は歌手としても活躍!
東京キューバンボーイズやアコーディオンのcobaと共演、ピアソラ生誕100周年公演も!
原点はコタツの上で歌う「荒城の月」!幼い頃は、近所で歌ってご馳走を食べて育った?
小学校に入ると、イジメに遭って『布団の中の王様』に…。救いになったのが…お芝居!
小学5年の時、自作の演劇「光る黄金の入れ歯」でブレイク!なのにズルいと言われた?
両親は役者の道に大反対!高校卒業後は家出同然で上京…でもお芝居で納得してくれた?
今回は『ひと味違う伴奏』で戯曲の歌を披露!大谷さんは「Shall we ダンス?」劇中曲!
そして、渡辺えりさんと『歌うヴァイオリン』がベット・ミドラーの名曲でコラボする!!

♪ゲストの1曲
「りぼんの歌」 作詞 渡辺えり 作曲 近藤達郎 
♪ヴァイオリンの小径
「ゴールドルンバ(ドニー青木のテーマ)」映画「Shall we ダンス?」より 作曲 周防義和 編曲 小林 哲
渡辺えり×歌うヴァイオリン コラボレーション
ベット・ミドラーの名曲を渡辺えりさんが日本語に訳した特別バージョンで共演!!
♪コラボレーション
「ザ・ローズ」 作詞・作曲 アマンダ・マクブルーム 訳詞 渡辺えり 編曲 萩森英明/山田武彦

出演者
【MC】 春風亭小朝(落語家) 大谷康子(ヴァイオリニスト)
【ナレーション】 加藤円夏
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先月17日に、光太郎と交流のあったお父さま・渡辺正治氏を亡くされたえりさんですが、収録はその前だったように思われます(違っていたらすみません)。

番組説明では山形のご両親のお話もされるやに紹介がありますので、どんなお話になるか、期待しております。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

今日、十和田湖彫刻に反対のテカミ始めてくる、

昭和28年(1953)1月20日の日記より 光太郎71歳

始めて」は「初めて」ですね。光太郎以外も含め、意外とこの時代の文章ではこの二つの混同が目立ちます。

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」、既に報道等で裸婦像であることは明かされていて、そのため「そんなものはけしからん」ということだったのでしょうか。

或いは、考え過ぎかも知れませんが、次のようなことも考えられます。

「乙女の像」は元々、十和田湖周辺の国立公園指定15周年の記念として、十和田湖の景勝美を世に広めた桂月と、道路整備等に腐心した元青森県知事・武田千代三郎および地元の村長・小笠原耕一の「十和田の三恩人」を顕彰するものでした。肝煎りは当時の青森県知事にして太宰治実兄の津島文治でしたが、津島がその構想を打ち出す前から、旧厚生省の外郭団体のドンと、地元のボス的な怪しげな人物がタッグを組んでそうした活動を進めていました。ドンは記念碑の碑文まで既に書いていたそうです。

そこへ持ってきて津島というトンビに油揚げをさらわれた格好になり、怒ったドン、あからさまな嫌がらせをしてきます。「乙女の像」当初予定だった子の口地区への設置は認められない、当時から繁華街だった休屋地区なら認めよう、というのです。青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫はこれに激怒、昭和32年(1957)刊行の『小説高村光太郎像』には次のように書かれています。

勢力争ひの軋轢に得たりとばかり飛び込んだらしい半官半民の協会のボスが自分の権力を見せびらかす仕事だと思はれる節が歴々としてあつたので地方官庁がそれに対抗できないのも口惜しいし、高村氏には気の毒なと思つて怒は心頭に燃えた。

ところが光太郎自身は……

これは芸術の尊厳のために正しく大声叱呼して糾明すべきだとわたくしは心外に堪えないのに、当の制作者は、佐藤君ならさぞ怒るでせうねと人ごとらしくすまして、ロダンにもさういふ場合はあつたし、どこに置いても結局大して変わりもないのだからと、(略)事を好まぬこの人本来の和霊のせいで、当人の言ふとほり、終始行きとどいた配慮の下に制作者をいたはつた知事を、難局に立たせたくなかつたといふ心づかいであつたと見るべきであらうか。

結局、設置場所は休屋地区でも一番奥の、人気(ひとけ)のない浜辺となりました。休屋地区には当時、パチンコ屋などもあり、そんな所に建てられてはとんでもない、と、佐藤などは考えたようですが、それは杞憂に終わりました。

さて、話を戻しますが、光太郎の元に届いた反対の手紙。もしかすると、横槍を入れてきたドンなどの意を汲んだ手下からのものだった可能性も捨てきれないな、と思うわけです。考えすぎでしょうか。

BSテレビの再放送情報、放映順に2件ご紹介します。

ゆるっと山歩に行こう▽登山を始めたい方必見!絶景やグルメも堪能!

BS朝日 2022年3月26日(土) 14:55〜15:54

登山初心者の女優・酒井美紀と、ゴリ(ガレッジセール)が、山のスペシャリストと共に山頂を目指す!景色はもちろん、山での歩き方や服装など登山初心者に向けた情報も満載。

酒井美紀(女優)が登るのは、福島県にある安達太良山(あだたらやま)。「日本百名山」に選ばれている標高1700mの美しい山で、中高年の方でも登りやすい、登山初心者にはうってつけの山!一方、ガレッジセールのゴリが登るのは、山梨県にある標高1785mの三ツ峠山。通常は3時間程度で登山が可能で、麓には宿泊も可能な温泉付きの施設もあり、登山初心者に人気の山。さあ、ゆるっと山歩(さんぽ)してみよう!

出演者 酒井美紀、ゴリ(ガレッジセール)、栗山祐哉(上級登山インストラクター)、鈴木優香(山岳収集家)、吉野時男(グルメハイカー)、北村春夏(歴史ハイカー)

初回放映は昨年11月でした。
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前後半2本立てで、前半の登山挑戦者は、女優の酒井美紀さん。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)に謳われた、智恵子の故郷・福島二本松に聳える安達太良山に挑みます。

安達太良山が選ばれたのには理由(わけ)があり……。
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そうなると、安達太良山は…………。
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なるほど。

さらに山岳ガイドさんもご同行。
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「山岳収集家」という肩書きを、当方、初めて目にし、「?」と思いましたが……。
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だ、そうです。

出発地点は、奥岳登山口。ここから歩いて山頂まで登っても、朝出れば夕方には帰り着けるのですが、「登山初心者」ということで、ロープウェイで一気に8合目まで。
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すると、山頂駅からはおよそ1時間半。ただ、コロナ禍前の山開きの日は大混雑でしたし、雪融け水で登山道が泥の河と化している箇所も多く、もう少し時間がかかる状態でした。

さて、山頂駅のすぐ近くで……。
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光太郎智恵子、ばっちり紹介してくださいました。多謝。

ただし、この日は……。
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その後、山頂付近で山グルメを堪能し……。
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いよいよ登頂。ドローン空撮なども効果的に使っていました。
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さらに足を伸ばして、沼の平。
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番組後半、ガレッジセール・ゴリさんの山梨県三ツ峠山編(こちらは「登山初心者」といいつつ、けっこう過酷でした)をはさみ……。
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最後に、再び酒井さん。後日譚として、「山岳収集」の伏線が回収されて、番組終了。
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もう1件、同じ日の放映です。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2022年3月26日(土) 19:30〜19:55

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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こちら、初回放映は昨年7月でした。その後、くり返し再放送がありましたが、初回放映を含め、すべて深夜から未明のオンエアでした。で、今回、初めてゴールデンタイムでの放映です。

じつは公式サイトで全編見られてしまうのですが、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」などの「美景」、テレビの大画面で観るのをお薦めします。ちなみにこの番組、3月6日(日)オンエアの最新作は、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(それなりの観光地ですので)及び、光太郎智恵子ゆかりの銚子犬吠埼(光太郎智恵子にはふれられませんでしたが)でした。そちらも公式サイトからご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后「森英介之墓」等揮毫。


昭和27年(1952)7月22日の日記より 光太郎70歳

森英介」(大6=1917~昭26=1951)は米沢出身の詩人。生前に刊行された(正確にはぎりぎり間に合わず亡くなりましたが)唯一の詩集『火の聖女』には、光太郎が序文を寄せています。この詩集は活字工として働いていた森が自ら紙型を組み、印刷まで完了しましたが、その刊行を見ることなく、森はその直後に胃穿孔で急逝してしまいました。
 
墓標の文字を遺族から依頼された光太郎は、哀惜の意を込めて正面に刻まれた「森英介之墓」、向かって左側面の「智応院正行日重居士」(戒名)を揮毫しました。
 
当方、20数年前、開通間もない山形新幹線に乗って、米沢までこの墓標を見に行きました。市内相生町の善立寺さんというお寺にひっそりと佇んでいましたが、今もそのまま残っているのではないかと思います。おそらく地元の方も光太郎の文字がここにあるというのは、ほとんどご存じないのではないでしょうか。
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5件ご紹介します。

まず、今日の放映。

にほんごであそぼ「日本全国いいとこコンサート in 福井」

NHK Eテレ 2022年1月16日(日) 15:30〜16:15

日本各地の“いいとこ”を訪ねるコンサート、今回は福井県です。福井の名産にちなんだコーナーや会場のみんなで作るコーナー、番組の人気曲や冬の歌をお楽しみください。

曲は「小さき者へ」「日本全国むかし歩き」「うなりやベベンの魚づくし」「ベベンの冬が来た」「スキー」「北風小僧の寒太郎」「切れ者寿限無」「恋そめし 福井方言バージョン」「でんでらりゅうば」「ベベンのたいづくし」ほか。“越前ガニコンビ”によることばあそびクイズや、観客の皆さんに聞いた身近にあるたのしみを紹介するコーナーもお楽しみください。福井県坂井市YURI文化情報交流館(ハートピア春江)で収録

【出演】おおたか静流,柳家わさび,ラッキィ池田 ほか

光太郎詩「冬が来た」(大正3年=1914発表)に、浪曲師の故・国本武春さんが「うなりやベベン」名義で曲を付け、自らも歌っていらした「ベベンの冬が来た」が演奏されます。
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明日以降、分割して放映され、「ベベンの冬が来た」は、第3回の放映分に含まれます。

にほんごであそぼ「日本全国いいとこコンサート in 福井」(3)

NHK Eテレ 2022年1月19日(水) 08:2508:35  再放送 17:00~17:10

日本語の豊かな表現に慣れ親しむ番組。今週は、福井県からコンサートをお届け!今回は…「ベベンの冬が来た」高村光太郎「冬が来た」より 作曲:うなりやベベン、「スキー」作詞:時雨音羽 作曲:平井康三郎 編曲:ASU、「北風小僧の寒太郎」作詞:井出隆夫 作曲:福田和禾子 編曲:ASU。ほかに「切れ者寿限無」「超切れ者寿限無」。福井県坂井市 文化の森・YURI文化情報交流館ハートピアホールで公開収録


続いて、2時間ドラマの再放送です。

ミステリー・セレクション・湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿1 露天風呂に浮かぶ遺体の謎…22年ぶりの兄妹対面で起こった兄殺し 欲望渦巻く故郷で迎えた驚愕の結末とは!!

BS-TBS 2022年1月17日(月) 09:59〜11:55

高校生の娘と中学生の息子を持つシングルマザー・桜庭さやかは、ベテランバスガイド。しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱい仕事へと飛び出していく。今回のツアーは、猪苗代湖〜安達太良山〜会津若松を巡り、山形へと向かう旅。大盛り上がりのサンライズ商店街御一行様を前にさやかの名調子が冴える。ツアー客の中にはフラワーショップを営む佐野雄二と香織の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で22年ぶりに兄・修一に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その兄が安達太良山で死体となって発見される。

【出演】 萬田久子、葛山信吾、酒井美紀、石橋保、大浦龍宇一、未來貴子、伊藤洋三郎、斉藤暁、徳井優、竜雷太(他)
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初回放映は平成21年(2009)でした。最初の事件現場が安達太良山、という設定で、「智恵子抄」が枕に使われます。ロープウェイ山頂駅近くの薬師岳パノラマパーク周辺などでロケを敢行。
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事件の鍵を握るフラワーショップ経営者役の酒井美紀さん、昨年、BS朝日さんで放映された「ゆるっと山歩(さんぽ)に行こう ▽登山を始めたい方必見!絶景やグルメも堪能!」にもご出演、この際、初めて山頂まで登られたということでしたが、当然「湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿」のことも思い出されたことでしょう。

もう1件、安達太良山関連。

MY BEST WAY #124福島県・1泊2日ドライブ 後篇

BSテレ東 2022年1月18日(火) 20:49〜20:54

毎週、女性タレントがお気に入りのドライブコースを紹介します。旬なドライブスポットやサービスエリアのオススメグルメなど、ドライブに行きたくなる情報をお届けします。

今回、塩川菜摘さんがご案内するのは、福島県猪苗代町です。まず、国内で4番目の大きさを誇る「猪苗代湖」で、志田浜から雄大な景色や、観光船のはくちょう丸とかめ丸を眺めました。その後、雄大な安達太良山を一望することが出来る「東北道 安達太良SA下り」に立ち寄り、「あだたらラーメンミニ醤油ヒレカツ丼セット」を味わいました。
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基本、猪苗代湖ですが、東北自動車道安達太良SAも紹介されるとのこと。下記画像は一昨年、当方の撮影です。
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たしかに雄大な眺めですね。

こちらには光太郎智恵子、「智恵子抄」に関わる案内板もあるのですが、それが紹介されてほしいものです。ただ、5分間番組ですので、微妙なところですが……。
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最後に1件、岩手県での限定放映ですが、ご紹介しておきます。

わが町バンザイ【花巻市】

IBCテレビ 2022年1月19日(水) 19:00〜19:57

花巻市の西南地区をぶらり旅。道の駅で偶然の出会い!吉本新喜劇の横地眞平さんと一緒に水耕栽培の巨大ハウスを訪問!パクチーのお味は…?「たばこや」さんで編み物を?!地元で人気の焼肉店で絶品ホルモン&ラーメンに舌鼓!訪問した美容室で繰り広げられる爆笑トーク!花巻市の魅力を再発見する行き当たりばったり旅!

出演者 神山浩樹、甲斐谷望(IBCアナウンサー)
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一昨年7月の放映回「花巻南温泉峡」では、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)、さらに隣接する花巻高村光太郎記念館さんを大々的に取り上げて下さいました。今回も高村山荘が映るようですし、「道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)」さんが取り上げられ、インフォメーションスペースの光太郎、賢治に関わる展示が紹介されるそうです。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

三時半の電車、二ツ堰より山口行のトラツクに乗せられる。開拓事務所に醤油の荷を運ぶトラツク。小屋に早くつく。


昭和26年(1951)11月17日の日記より 光太郎69歳

花巻町に買い出しに行った帰り、花巻電鉄の二ツ堰駅から、思いがけずトラックに乗せてもらったとのこと。おそらくたまたま通りかかったか、駅周辺に停まっていたトラックの運転手が、約4kmあるので、「高村先生、乗ってくなんしょ(乗って下さい)」と声をかけたのでしょう。

そしてやはりおそらく、遠慮して断った光太郎を、半ば無理矢理乗せてくれたのではないでしょうか。そこで「乗せられる」。そうだとすれば、微笑ましいエピソードですね。

まさか、荷台に乗せられたわけではないとは思いますが(笑)。

2件ご紹介します。

まずは2時間ドラマの再放送。

おかしな刑事8 居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査!東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

地上波テレビ朝日 2022年1月10日(月) 13:54〜15:48

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者 伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、
     木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか

初回放映は平成23年(2011)、その後、年に1、2回、くり返し再放送されています。つい先週も系列のBS朝日さんで放映があったばかりです。
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事件関係者の一人が二本松出身という設定で、『智恵子抄』詩篇がモチーフとして使われています。
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番組後半には、二本松ロケのシーンも。
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ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

もう1件、くり返しご紹介している「いのちの石碑」関連です。東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられた高村光太郎文学碑(平成3年=1991建立)の精神を受け継ぎ、宮城県女川町内に「千年後のいのちを守るために」と建てられ続け、昨秋、当初予定の21基目が除幕された「いのちの石碑」

25歳〜情熱の起点〜

地上波テレビ朝日 2022年1月12日(水) 23:10〜23:15

世界を舞台に活躍する各界のトップランナーに注目。25歳という年齢・時期が彼らにとってどんな意味を持つのか?未来を切り開こうとする挑戦者たちの人間像に迫ります!

小学6年生の時、東日本大震災を経験。宮城県・女川町21カ所の津波の最高到達点付近に「いのちの石碑」を建てる…山下脩さんにとって“25歳”という年齢はどんな意味を持つのかをインタビュー!

ナレーション 内藤剛志
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「いのちの石碑」中心メンバーのお一人、山下脩さんがご出演。現在、23歳だと思われますが、高校生の頃から海上保安官を目指す、ということで、メディアに取り上げられていました。その夢が叶い、現在は気仙沼海上保安署に勤務されているそうです。

こちらもぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ねてゐるうち八時頃東京より面白クラブといふ雑誌の記者遠藤氏といふ人来訪、智恵子の事をいろいろたづねらる、伊丹監督の細君が智恵子に似てゐると語らる。

昭和26年(1951)10月21日の日記より 光太郎69歳

伊丹監督」は、伊丹万作でしょう。「面白クラブ」は『面白倶楽部』、光文社さんの刊行でした。おそらく光太郎訪問記が載ったのではないかと思われますが、未確認です。

明治大学さん主催の市民講座です。

公開講座「映画で旅する昭和 よみがえる風景の記憶」

期 日 : 2022年1月13日(木)~2月10日(木) 毎週木曜日
会 場 : 明治大学駿河台キャンパス 東京都千代田区神田駿河台1-1
時 間 : 13:00~14:30
料 金 : 通常会員料金 13,200円 明大カード・福利厚生会員料金 11,880円
      学生・生徒・教職員会員料金 6,600円 法人会員料金 10,560円
講 師 : 中村実男 (ナカムラ ミツオ) 元明治大学商学部教授


映画は「風景の記憶装置」です。失われた昭和の風景が、画面のなかで登場人物と共に息づいています。本講座では、数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷をたどります。第1回・第3回・第5回では、2019年度の春期講座の続編として、北海道・東北、鎌倉・京都、四国・九州・沖縄を取り上げます。第2回では浅草に加えて、木場、千住、四つ木など、隅田川・荒川以東の東京下町を初めて取り上げます。第4回では、戦前の「特急三百哩」から昭和50年の「新幹線大爆破」まで、昭和の「鉄道映画」の系譜をたどります。紹介する主な作品は下記の通りです。

01/13 映画のなかの北海道・東北
    夕陽の丘、幸福の黄色いハンカチ、駅 STATION、馬、警察日記、北上夜曲、
    乱れる、乱れ雲、智恵子抄、ほか
01/20 映画のなかの東京下町
    綴方教室、稲妻、洲崎パラダイス、下町、抱かれた花嫁、東京さのさ娘、
    見上げてごらん夜の星を、ほか
01/27 映画のなかの鎌倉・京都
    祇園の姉妹、山の音、夜の河、舞妓はん、古都、ツィゴイネルワイゼン、
    寅次郎あじさいの恋、早春物語、ほか
02/03 鉄道映画の世界
    特急三百哩、点と線、天国と地獄、大いなる旅路、特急にっぽん、喜劇急行列車、
    新幹線大爆破、洋画のなかの鉄道、ほか
02/10 映画のなかの四国・九州・沖縄
    陸軍、長崎の鐘、二十四の瞳、空の大怪獣ラドン、永遠の人、張込み、旅の重さ、
    男はつらいよ ハイビスカスの花、ほか
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講師の中村氏は、都市交通論、都市交通史、都市史などがご専門とのことで、「数多くの映画を通して、昭和の街と風景の変遷」をたどるというコンセプト。

第一回「映画のなかの北海道・東北」中に、「智恵子抄」。昭和32年(1957)、東宝さんが山村聰さん、原節子さん主演で製作した熊谷久虎監督作品の方か、昭和42年(1967)、松竹さんの丹波哲郎さん岩下志麻さん主演、中村登監督作品の方か、あるいはその両方か判然としませんが。

ご興味のある方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

夜六時半公民館の賢治子供の会の劇を見る、


昭和26年(1951)10月19日の日記より 光太郎69歳

「花巻賢治子供の会」は、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏が昭和22年(1947)に立ち上げ、第一回公演は光太郎の山小屋前の野外で行われました。以後、花巻町や太田村で光太郎の指導を仰ぎながら、賢治の童話を上演し続けました。会の命名も光太郎だそうです。賢治実弟・清六息女の潤子さんなどもメンバーでした。

光太郎智恵子に関わるテレビ番組の再放送情報を、2件。

放映順に、まずは7月19日(月)に初回放映があったものです。

ニッポン美景めぐり 十和田・奥入瀬

BSフジ 2021年11月7日(日)  03:00~03:30 

日本の美しい景観を求めて、俳優・和合真一がカメラ片手に日本各地をめぐる旅番組。
今回の旅先は、青森県の十和田市。十和田ビジターセンターで十和田湖の歴史を学ぶ。名産のひめます料理やご当地グルメを味わう。美しい景勝地、奥入瀬渓流を散策。大自然が生んだニッポンの美景をご紹介。

旅人:和合真一 ナレーター:服部潤
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十和田湖と奥入瀬渓流が扱われ、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も。
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春先のロケだそうですが、ひんやりとした空気感が感じられました。

続いて、ドラマです。10月31日(日)に本放送がありました。

プレミアムドラマ山女日記3 「あどけない空・安達太良山」

NHK BSプレミアム 2021年11月7日(日) 16:15~17:05

会社勤めを辞め、北アルプス山麓で登山ガイドとして成長を続ける独身女性・柚月。彼女の元には今日も人生の苦悩を抱えた様々な依頼客が訪れる―。人気山岳ドラマのシーズン3。

柚月(工藤夕貴)の元に、会社員時代に親友だった向井英子(小林綾子)から帽子の制作依頼が届く。柚月はうれしくて、仕上げた帽子を手に英子が夫の宏治(湯江タケユキ)と暮らす福島の二本松を訪れる。宏治は震災で傾いた老舗和菓子店を営む両親を助けるため会社を辞めて英子と息子を連れて実家にUターンしていた。久々の再会に胸を躍らせて和菓子店を訪れた柚月。しかし、待ち受けていたのは英子のひどく冷たい態度だった。

【出演】工藤夕貴 若村麻由美 中村俊介 本仮屋ユイカ 湯江タケユキ 高橋長英 小林綾子 田中健
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今回の主な舞台は、智恵子故郷の二本松に聳える安達太良山。

その前に、二本松市街でもロケが為されました。
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主人公の登山ガイド・柚月(工藤夕貴さん)の、昔の親友・英子(小林綾子さん)が、夫の実家の老舗羊羹屋「玉福屋」で働いているという設定です。
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「玉嶋屋さんじゃん!」と叫んでしまいました。玉嶋屋さんは実在の老舗羊羹屋さんです。CGか何かで看板や暖簾などを合成しているのか、ロケのために付け替えたのか。羊羹作りのシーンなども、実際の店内を使っているようでした。

ドラマの「玉福屋」は、東日本大震災で経営が厳しくなり、英子の一家が都内からUターンして手伝っているという設定でした。ただし、英子の夫の宏治(湯江タケユキさん)は、より収入を得るため、実家の羊羹屋ではなく、土木業についています。店は宏治の父(高橋長英さん)と、英子で製造販売を切り盛り。宏治はそのことに負い目を感じています。宏治の母は認知症で施設通い、宏治たちの一人息子は小学校を不登校気味……。

そんなこんなで、英子も屈託を抱え、店まで会いに来た柚月につい冷淡な対応を取ってしまいます。さすがに悪いと思ったのか、長野に帰ろうとする柚月を二本松駅で呼び止め……。
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右下に停まった「玉福屋」の軽ワゴンの前、「智恵子抄」詩碑が映っています。

英子の悩みを聞こうとする柚月、二本松霞ヶ城に英子を連れ出し……。
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故・橋本堅太郎氏作の二本松少年隊像。

二人は天守台まで登って……。
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深田久弥の『日本百名山』を、ほぼ暗記している柚月、同書にも取り上げられている光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を口ずさみます。

英子の悩みの概要を聞いた柚月、二本松にもう一泊することにし、翌日、英子を安達太良山登山に誘います。「行ってこい」と、実はいい人の義父に後を押され、英子は初めての安達太良山登山。これまで、そういう余裕もなかったようでした。
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ロープウェイを使うコースではなく、あえて奥岳登山口からくろがね小屋を経て、歩いて山頂まで。苦労しつつも、たまたま行き会った大阪のおばちゃん登山者(お約束で「飴ちゃん」をくれます)などにも励まされ、登頂成功。

そして山頂のシーンで、改めて「あどけない話」。
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それぞれに悩みを抱える宏治や息子の姿も。
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いろいろ苦しい状況に、「自分が頑張らなきゃ」と、自らを追い込んでいた英子、もっと周りに頼ろうと気づきます。
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下山はロープウェイを使うルートで、山頂駅近くのこの場所も。
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めでたしめでたし。

ただし、毎回ゲスト出演者に関しては、一話完結で「めでたしめでたし」ですが、柚月とその周辺はそうではないようで、次回以降に引っ張られます。これもお約束ですね(笑)。

御覧になっていない方、ぜひどうぞ。

ちなみに、安達太良山、明日、11月5日(金)、やはりNHK BSプレミアムさんで再放送がある「新日本風土記 お風呂の旅」でも、くろがね小屋が取り上げられます。残念ながら光太郎智恵子、ほんとの空、といった話にはなりませんが。

【折々のことば・光太郎】

夜胸をむす。むしてる時は快し、


昭和26年(1951)4月17日の日記より 光太郎69歳

むす」は「蒸す」。具体的にどうやっていたのかよく分からないのですが、宿痾の結核性の肋間神経痛治療のため、蒸していたとのこと。お湯に浸した蒸しタオル等を当てていたのかもしれません。

4件ほどご紹介します。

にほんごであそぼ「福島のわっぱめし」

NHK Eテレ 2021年3月2日(火) 06:35〜06:45 再放送 17:00〜17:10

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。今日は…文楽「あどけない話」高村光太郎、あいだのじいさん「わっぱめしのあいだ」、童謡「マーチング・マーチ」、ひこうき山陽のごとくごとく「さざえ堂」、歌舞伎/天地の見得〜応用編〜「さるかに合戦」、うた「日本全国むかし歩き」

【出演】美輪明宏,神田山陽(三代目),竹本織太夫,鶴澤清介,中村勘九郎,中村勘太郎,中村長三郎,おおたか静流,ラッキィ池田,中尾隆聖 ほか


平成31年(2019)にも「文楽「あどけない話」」がラインナップに入った回がありました。
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その際の映像を使い廻すのか、新作なのか、不明ですが……。

その他、「わっぱめし」やら「さざえ堂」やら、福島特集的な感じのようですね。

続いて、やはり福島。

福島をずっと見ているTV・選(74)「復興からその先へ〜川内村の夏〜」

NHK Eテレ 2021年2月28日(日) 00:30〜01:15

震災からわずか1年で、全村避難していた住民に「帰村宣言」を出した川内村。それから6年。村が1年で一番盛り上がるお盆の3日間に密着。2018年9月23日放送回。

帰還率が73%(震災前:3000人/2018年:2200人)と周りに比べて突出している川内村。しかし帰村者の9割が50才以上で、子どもはわずか。そんな村が一年で一番盛り上がるのがお盆。恒例行事の「盆野球」「盆ダンス」、「成人式」も開かれ、村出身の若者が数多く帰って来る。この夏、村に暮らす人、村外から通いで働く人、お盆だけ帰省する人、それぞれにとっての村の未来を見つめる。

【ゲスト】猪苗代湖ズメンバー/ミュージシャン…渡辺俊美,【司会】箭内道彦,【アナウンサー】合原明子,【語り】相沢舞


こちらは完全に再放送です。初回放映は平成30年(2018)でした。
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川内村では、当会の祖・草野心平を名誉村民にしてくださっており、心平の別荘・天山文庫が取り上げられています。
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川内村といえば、当方も親しくさせていただいております遠藤雄幸村長が、今夜(正確には明日未明)、TV出演なさいます。

朝まで生テレビ!

地上波テレビ朝日 2021年2月27日(土)  01:2504:25

東日本大震災・福島原発事故から10年。今、福島は?廃炉作業は?10年目にして明かされる事実、10年目に浮かび上がる課題は?…事故の教訓と課題を、当時事故処理にあたった政治家と福島の県民を交え討論。そして「2050脱炭素社会」への取り組みは?「原発推進派VS再生可能エネルギー推進派」の二局対立の現状をどう克服するのか。福島の教訓は生かされるのか。日本のエネルギー政策を徹底討論!

【司会】田原総一朗 【進行】村上祐子・斎藤康貴036

パネリスト
 柴山昌彦(自民党・衆議院議員、前文部科学大臣)
 菅直人(立憲民主党・衆議院議員、元内閣総理大臣)
 細野豪志(無所属・衆議院議員、元原発事故収束担当大臣)
 飯田哲也(NPO環境エネルギー政策研究所所長)
 遠藤雄幸(福島・川内村村長)
 木幡ますみ(福島・大熊町議会議員)
 澤田哲生(東京工業大学先導原子力研究所助教)
 竹内純子(国際環境経済研究所理事)
 三浦瑠麗(国際政治学者、政府『成長戦略会議』民間議員)
 吉野実(テレビ朝日報道局原発担当)

やはり3.11で大きな被害を受けた宮城県女川町、光太郎ゆかりの町を舞台にしたドラマも放映されます。

宮城発地域ドラマ ペペロンチーノ

NHK BSプレミアム 2021年3月6日(土) 22:30~23:30

あの日から10年。人生はシンプルで難しい。

イタリアンレストランを津波で失い、失意のなかアルコールに溺れたオーナーシェフの小野寺潔(草彅剛)。その後、潔は新しく店を建て直し、震災から10年の3月11日に友人を招きある宴席を企画する。潔は突然の招待に戸惑う友⼈たちに、その意図を語り始めるー。そして、宴会が進むなか、発災から10年間のそれぞれの秘めた物語が浮かび上がってくる・・・。苦難があっても前向きに人生を送れるかもしれない。そんな思いになれる極上の群像劇。

出演 草彅剛 吉田羊 國村隼 矢田亜希子 富田望生 一色洋平 齊藤夢愛 蒼波純 古川凜 他

作 一色伸幸  音楽 世武裕子  制作 NHK仙台放送局

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予告動画を見て驚きました。昨年は新型コロナの影響で女川光太郎祭が中止となり、女川には一昨年夏以来行っておりません。どうもその間に、女川駅裏に高層住宅が何棟か建ったようで、だいぶ風景が変わっているようです。

町の復興は進めど、人の心はなかなかそうもいかない、というわけで、平成31年(2019)に、やはり女川を舞台に制作されたドラマ「女川いのちの坂道」も、そうした内容になっていました。今回の草彅剛さん演じる主人公も、だいぶダメダメ男として描かれる部分があるようです。それも、むべなるかな、ですが……。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后勝治さん自転車で村役場にゆかれ、戦災者としての余への配給もの、アルマイト鍋一個フライパン一個うけとり来らる。


昭和21年(1946)10月11日の日記より 光太郎64歳

「アルマイト」。「懐かしい、いやぁ、死語だなぁ」と思ったら、さにあらず、まだまだ現役でいろいろ販売されているようです。

⼭形⼤学さん主催の⾼校⽣朗読コンクール。東北6県(青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島)在住の高校生、または各県内の高校に在学中の高校生(高等専門学校生は1~3年生)を対象にしています。毎年、東北ゆかりの作家の作品を課題にし、宮沢賢治、井上ひさしなどに混じって、光太郎も取り上げられました。平成27年(2015)年開催の第8回で、課題は「智恵子抄」でした。予選、本選があり、本選はホールを使って大々的に行われていました。

今夏、「大学ジャーナル」さんというサイトに、今年度の第13回の応募案内が出ました。それによると久々に光太郎の「智恵子抄」が課題ということで、「おお、これはありがたい」と思ったものでした。

ところが、その後、いつまでたっても主催する山形大学さんのサイトには詳細な情報が出ませんで、「あ、こりゃ、コロナ禍で中止になったんだろうな」と思っておりました。

すると、今月に入って同大の学長定例記者会見が行われ、その中に「第13回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール審査結果発表」も含まれていました。「えっ、やったの?」という感じでした。
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「どういうことだ」と思っていたら、昨日、『毎日新聞』さんの山形版に関連記事が出ました。

山大高校生朗読コン 山形東・吉田さん2位「気持ち伝わるように」/山形

000 山形大は、東北6県の高校生の文化交流を目的に同大が開催している「山形大学高校生朗読コンクール」で、県立山形東高2年の吉田遥さんが、予選を通過した14人のうち、上位3人に与えられる学長賞で2位に輝いたと発表した。
 コンクールは2008年度に始まり、今年で13回目。東北にゆかりのある作家が課題文となる。今年は、高村光太郎とその妻智恵子(福島県出身)の出会いから恋愛時代や結婚、智恵子の発病から死へと続く物語の「智恵子抄」だった。 選考基準は、内容を理解しているかや話し方など。今年度は東北地方の23の高校から84人が応募した。
 記念品の盾と賞状を受け取った吉田さんは「2人の気持ちが聞いている人に伝わるように心がけた。今後も聞いていたいと思ってもらえる朗読をしていきたい」。同大の玉手英利学長は「テキストは同じだが一人一人違った色合いがある。多くの人に聞いてもらえたら」と話した。本選出場者の朗読は同大のユーチューブチャンネルで視聴できる。

そこで、YouTubeを拝見。
これを見てようやく腑に落ちました。例年のようにホールを使って大がかりにではなく、録音審査での実施だったそうで。上記のプレスリリースもよく読めば小さく書いてありました。
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課題文は「智恵子抄」中の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)の一節。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の制作背景的な部分で、「あどけない話」自体も引用されている箇所でした。
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動画の最後は審査に当たられた山本陽史教授の講評的なご挨拶。
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曰く「東北は10年前の震災を乗り越えて来て、今年は世界中がコロナ禍で大変な思いをしている。そんな時に「言葉」の力で分断をくい止めて、皆さんが繋がっていけるよう……」なるほど、その通りですね。

また、こうした活動を通し、多くの方々に光太郎智恵子の世界がもっと広まっていってほしいものだと、いつもながらに思います。

【折々のことば・光太郎】

朝六時、詩碑に詣づ。

昭和20年(1945)8月1日の日記より 光太郎63歳

「詩碑」は花巻桜町に立つ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑です。昭和11年(1936)、花巻からの依頼で光太郎が筆をふるい、同詩の後半部分を揮毫しました。除幕式の際には智恵子が入院中ということもあったのでしょう、光太郎は不参加。代わって当会の祖・草野心平が赴きました。

かつて自分が文字を書いた碑を初めて眼にしたその心境は、いかばかりだったのでしょうか。
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光太郎ゆかりの地を扱うテレビ番組が目白押しです。ただし、光太郎の名が出てくるかどうか……というところですが。


まず、花巻。 

ブラタモリ#150 花巻~花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?~

NHK総合 2019年12月7日(土)  19時30分~20時15分

「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」…多くの名作を生んだ賢治を育んだ花巻の秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽地質・鉄道・音楽…賢治とタモリさんの共通点は?

「ブラタモリ#150」で訪れたのは岩手県の花巻市。花巻で生まれ育った宮沢賢治は、ここで何を見て、何を感じたのか?そして名作はどのようにして生まれたのか?▽賢治が農業技術の改良を目指した理由は、東北の地質にあり?▽花巻にいろんな種類の石が集まる理由とは?幼少期の賢治が遊んだ河原でタモリさんも石拾い!▽「銀河鉄道の夜」のモデルになった列車ってどんな形?▽晩年の賢治がつくった「花壇」に込めた思いとは!?

出演 タモリ 林田理沙  語り 草彅剛


メインは宮澤賢治。光太郎と交流があり、その没後には光太郎や当会の祖・草野心平によって世に知られるようになり、それに恩義を感じた父・政次郎らが、光太郎の花巻疎開のお膳立てをしてくれました。

番組では、光太郎が実際に乗った花巻電鉄も大きく取り上げられます。


同じく花巻を含む岩手県内。 

じゅん散歩 岩手

地上波テレビ朝日 各回9:55~10:25

2019年12月2日(月)  「岩手県・盛岡」を散策 ▽レトロ建築が並ぶ「みちのくの城下町」▽“東京駅の兄"明治期の赤レンガ銀行▽伝統工芸品・南部鉄器3年待ちの工房へ

2019年12月3日(火) 「岩手県・花巻」を散策▽菊池雄星&大谷翔平選手の母校!花巻東▽りんご&郷土の味いろいろ 人気直売所▽純ちゃん挑戦!地元名物「わんこそば」

2019年12月4日(水) 「岩手県・中尊寺 平泉」を散策▽源義経&弁慶終焉の地の名物和菓子▽年間200万人来訪!世界文化遺産・中尊寺巡り▽金箔3万枚!金色に輝く金色堂

2019年12月5日(木) 「岩手県・花巻 賢治巡り」▽宮沢賢治の故郷でゆかりスポット散策▽地元土産で人気!特大「最中」▽所蔵4千点!宮沢賢治記念館の直筆原稿

2019年12月6日(金) 「岩手県・盛岡町家」を散策▽明治期の商家が立ち並ぶ町家通り▽伝統建築を改装した町家観光施設▽午後3時からのちょい呑み「もっきり」

出演 高田純次

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来週の放映はすべて岩手。編集の都合なのか、盛岡、花巻、平泉を行ったり来たりの放映です。木曜の放映がやはり賢治がらみです。


続いて、昨日もご紹介した宮城県女川町。 

歌のあとさき「中村雅俊~希望編」

NHK BSプレミアム 2019年12月5日(木)  17時45分~18時00分

歌手の人生を歌とインタビューで紐解く「歌のあとさき」。俳優でありながら、歌手としても多くのヒット曲を生み、今も第一線で歌い続ける「中村雅俊」を取り上げる。

中村の故郷、宮城県女川町は、東日本大震災で被災、復興支援に駆け付けた中村は、学生時代に女川の風景を歌った「私の町」で人々を激励した。続いて発表した「君がいてくれたら」でこれまで出会った全ての人に感謝をこめる。俳優として18年の朝ドラ「半分、青い。」で好演したことをきっかけに初の座長公演も行った中村は、自分と同世代の人を元気づける曲「だろう!」を発表。俳優、歌手として自らを奮い立たせる。

出演 中村雅俊  語り 石澤典夫

これに先立ち、2日(月)には「旅立ち編」、3日(火)が「飛翔編」、4日(水)で「転機編」が放映されますが、番組説明で「女川町」の語が出てくるのは5日(木)だけでした。


さらに、十和田湖。 

夢釣行 ▽十和田湖の彩りを映す可憐なヒメマス~紅葉燃ゆる陸奥ルアーゲーム~

BS日テレ 2019年12月1日(日) 17時00分~17時30分

釣り人の夢は尽きることがありません。幻の魚に出会うこと、大型の魚を狙うこと、旅先の風土や人々に触れること…。そして、心震わせる出来事が、また次の夢へとつながっていきます。この番組では、自然や人々との出会いに満ちた「夢の釣り旅」を追います。

紅葉燃ゆる陸奥の景勝地、十和田湖。秋深まるこの時期、産卵のために浅場を回遊するヒメマスをミノーイングで誘い出す。可憐なトラウトの躍動を天然色の世界に堪能する。

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もう1件。 

その他の人に会ってみた★人気アイドル密着!王林が謎の号泣&十和田湖の(秘)スポット

地上波TBS 2019年12月3日(火) 23時56分~24時55分

この番組は、世の中にあふれる様々なアンケート調査や統計で 「その他」 の項目に含まれるような、その世界での所謂 「王道の選択」 をしなかった異色の経歴の持ち主を “その他さん” と称し、その生き様を追う人物調査バラエティ。

MC を務めるのは、数々の番組で司会を務め、独自の視点で切り込むスタイルが好評の東野幸治。毎回様々なゲストとともに、“その他さん” の人生の選択に驚き、そして時には心温まるエピソードも !? 人とは違う道を選んでいるからこその興味深いエピソードが盛りだくさんの “その他さん” が登場する。

青森のアイドルから全国区に!りんご娘・王林に密着▽銀座で会った初タピオカ女子&潔癖症の美女&吉村宅での謎のパーティー▽十和田湖で会ったエリート官僚が驚きの転身

人気観光地・十和田湖周辺のその他さん
 ◇女性デザイナーが考案「KUMADAKO」とは? ◇エリート官僚が驚きの転身!ホテルの定額サービスとは? ◇願い事が叶う!十和田湖の(秘)パワースポットとは?


MC 東野幸治  進行 江藤愛(TBSアナウンサー)
ゲスト 王林(りんご娘)  吉村崇(平成ノブシコブシ)


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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。ちらっとでもいいので映してほしいものです。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の本質は意味にもなく、声調にもなく、音韻にもなく、語彙にもない。それらのものは唯詩を形づくる素材であり、手段であり、方式であり、媒体であり、部品である。詩の本質は、その詩全体が人を打つて来る不可避不可抗の感動力であつて、これはもともと無形、無名のものである。指示し得ないけれども人の心に実存する以心伝心の磁力である。

散文「詩の本質」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

早世した宮澤賢治なども、もしこの文章を読んだら「そうそう」と首肯しそうだな、と思いました。











昨日から東北二県を回っておりまして、現在、帰りの新幹線はやぶさ号車中です。

昨日は智恵子の故郷・福島県二本松で、智恵子を偲ぶ「レモン忌」に参加、今日は光太郎第二の故郷とも言うべき岩手花巻とさらに隣接する北上で、光太郎ゆかりの石碑をめぐる市民講座の講師でした。

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詳しくは帰りましてからレポートいたします。

昨日に引き続き、新聞各紙から。特に東北の地方紙です。

まずは『山形新聞』さんの社説。

土門拳生誕110年 今に生きる「鬼の仕事」

 酒田市出身の写真家土門拳は今年、生誕110年を迎えた。戦後にリアリズム写真を提唱し、数多くのテーマに取り組んで膨大な作品を残した。日本人の心を探求し、妥協を許さぬ姿勢から「写真の鬼」とも呼ばれる。節目の年に人物や業績を見直し、酒田から発信したい。
 同市の土門拳記念館では生誕110年に合わせた企画展「鬼が撮った日本」を9月23日まで開催している。生誕100年の際に土門を取り上げた「別冊太陽」(平凡社)の内容に沿って生涯をたどるものだ。土門の写真作品121点、絵18点、書18点を紹介している。
 写真集「風貌」からは作家の志賀直哉や三島由紀夫、版画家棟方志功ら著名人の肖像写真を展示。土門は撮りたい相手の資料を集めて徹底的に人物像に迫り、撮影現場では詩人高村光太郎が「土門拳のレンズは人や物の底まであばく」と評した執念で撮り続けた。洋画家梅原龍三郎は怒って籐(とう)椅子をアトリエの床にたたきつけたというエピソードが残る。
 「筑豊のこどもたち」は福岡県の閉山した炭鉱を取材し、ざら紙に印刷した100円の廉価な写真集。窮状を社会に訴えて反響を呼び、ベストセラーになった。収録した「母のない姉妹」「弁当を持ってこない子」などを展示している。
 後遺症に苦しむ被爆者たちを取材した写真集「ヒロシマ」からは「胎児で被爆した少年梶山健二君の死」「十三年寝たきりの人」など。生々しい写真は衝撃を与えたが、悲劇を繰り返さないようにと進んでカメラの前に立つ被爆者に、土門は何度も目頭を熱くしながらシャッターを切ったという。
 土門は「日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も、文化も、そして日本人をも理解できると考えたのである」(「仏像巡拝」)と書いている。ライフワークとなった「古寺巡礼」をはじめ日本の伝統美に挑み、大きな業績を残した。企画展では「永遠を生きる仏像」「古寺巡礼の名建築」「室生寺にはじまり、室生寺におわる」といったタイトルごとに見応えのある写真が並ぶ。
 写真家として駆け出しの時代の仕事にも触れることができる。早稲田大政治経済学部の卒業アルバムは、学生たちに溶け込んで私生活をリアルに深く楽しく描写した。お茶の水女子大の前身である東京女子高等師範学校文科の卒業アルバムも手掛け、こちらも展示した。
 土門拳は1909(明治42)年、現在の酒田市相生町で生まれた。幼い頃に一家で東京に移り住み、57(昭和32)年、約40年ぶりに酒田山王祭りの取材で故郷を訪れた。74年には酒田市の名誉市民第1号に。土門は自身の全作品を郷里に贈りたいと語り、記念館は一人の作家をテーマにした世界でも珍しい写真専門の美術館として83年に開館した。
 土門は写真技術と強靱(きょうじん)な精神力、行動力で独自の世界を切り開き、脳出血の病に襲われても撮影を続けた。映像技術が進化した今でも作品の価値が損なわれることはない。レンズを通して現実を直視し、より正しい方向に向けようとした姿勢は、混迷する現代にこそ求められているのではないか。業績を多くの人に知らせる努力を続けたい。
(2019/08/19付)


光太郎関連の写真のうち、重要なものを撮っている土門拳。

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左は確認できているものとしては唯一、光太郎が木彫作品を彫っているところ。昭和15年(1940)のカットです。右は現物が失われてしまった塑像「黄瀛の首」。同じ彫刻の写真は何点か残っていますが、土門撮影のものがもっともよく撮れています。

また、昭和27年(1952)には、土門が写真を撮り、光太郎、志賀直哉、高見順らが解説を書いた『日本の彫刻Ⅱ飛鳥時代』という大判の写真集が美術出版社から刊行されています。


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その前年、土門は花巻郊外太田村に逼塞していた光太郎の元を訪れ、その暮らしぶりをパパラッチ(笑)。土門の写真を賞めていたものの、自分が写真に撮られることは好まなかった光太郎は、閉口したようです。くわしくはこちら


続いて、『福島民報』さん。

安達太良登山楽しむ ほんとの空プログラム

 自然の中で子どもたちの好奇心や探究心を育む、福島民報社の「ふくしま ほんとの空プログラム」安達太良山トレッキングは十八日、二本松市の安達太良山で開かれた。
 県内各地から二十五人が参加した。安達太良マウンテンガイドネットワークの案内で夏の登山を楽しんだ。一行はロープウエーで八合目の山頂駅に移動し、薬師岳を登り山頂を目指した。
 登山道ではさまざまな木々や草花、青い空と雄大な安達太良連峰の景色を眺めた。好天に恵まれ、山頂では猪苗代湖や磐梯山を望みながらおにぎりや弁当を食べた。下山後にガイドネットワーク代表の加藤正広さんが「秋や冬など他の季節も楽しめるので、また安達太良山に来てほしい」と参加者に呼び掛けた。
 プログラムは県教委、二本松市などの後援。花王、城南信用金庫、スパリゾートハワイアンズ、全日本空輸、大王製紙、テーブルマーク、トイコー、ヒカリレンタ、ヒューマンサポートの協賛。


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一昨年から同社の主催で開催されている「ふくしま ほんとの空プログラム」。さまざまな体験活動が用意されていて、たくましい子供の育成につながりそうです。この後も、9月14日(土)に「猪苗代湖の水をきれいにしよう<日帰り>」、9月21日(土)~23日(月・祝)が「田舎は最高!体験交流しよう<2泊3日>」、10月27日(日)で「希望の桜をみんなで植えよう!<日帰り>」といったプログラムが用意されています。智恵子が愛した「ほんとの空」の下、見聞を広めて欲しいものです。


最後は『石巻かほく』さん。

被災地でJICA研修 3カ国の海図作製者が安全対策学ぶ 石巻、女川

 独立行政法人国際協力機構(JICA)の外国人研修員が20日、東日本大震災の被災地石巻市と女川町を訪問した。JICAと海上保安庁が主催する海図作製研修の一環。インドネシア、ミャンマー、タイから来日した6人が震災の被害と復興状況を確認し、災害対策などに理解を深めた。
 石巻市内では、甚大な被害を受けた南浜地区を訪問。災害伝承施設「南浜つなぐ館」の敷地で、石巻観光ボランティア協会の語り部から、震災前と直後の南浜地区の様子を写真で確認したほか、被災状況や復興の進捗(しんちょく)状況の説明を受けた。南浜を襲った津波が高さ約7メートルを示す看板に、驚く研修員もいた。
 女川町では、魚市場や町内各地の「いのちの石碑」などを見学したほか、JR女川駅前の商店街で語り部の話に耳を傾けた。
 研修員は全員、母国の海図作製機関で働いている。インドネシア人のイクサン・デヤスマラさん(25)は「母国もスマトラ沖地震などで津波の被害を受けている。帰国後、災害時も安全に航行できる海図を作製したい」と話した。
 同じインドネシア人のエディチオ・ドゥイ・クルニアワンさん(31)も「実際に来て津波の高さ、災害の大きさに驚いた。帰国後は避難訓練や、海の近くの住人への防災教育などをしていきたい」と語った。
 研修員は、6月に来日。別府港(大分県)での港湾測量実習、駿河湾(静岡県)での洋上実習などを経て、12月に帰国する。

光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」の活動、海外にも広まってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

僕ら、文学はどういうわけだかどうしても書きたくなるんだね。

対談「芸術よもやま話」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

亡くなる前年、対談相手は当会の祖・草野心平でした。「文学」は「文学者」という意味でしょう。心平はこの発言に対し、「それは宿命ですね。(笑声)しょうがない。(笑声)」と返しています。まったくそうなのでしょう。

このブログでご紹介すべき事項が多く、東北発の地方紙掲載ニュースをまとめて2件、ご紹介します。ネタに困っている時期ですと分割するのですが(笑)。

まずは光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖から。

二紙での報道が確認できておりまして、最初に『東奥日報』さん。

手作りパンフで十和田市紹介/三本木小児童/十和田湖畔で配布、歌や踊り披露も

 青森県十和田市の三本木小学校(坂本稔校長)の4年生97人が21日、同市奥瀬十和田湖畔休屋で地元のPR活動を行った。児童たちは、市の観光名所や特産物などを紹介するオリジナルパンフレットの配布、地域の踊りなどの披露で古里の良さをアピールした。
 児童は3班に分かれ、乙女の像や商店周辺、遊覧船発着場所の桟橋前広場でパンフレットを配布。受け取った県外客は「うれしい」「感動しちゃった」と笑顔で、手作りパンフレットをじっくりと眺めていた。
 桟橋前広場では、郷土を題材にした同校オリジナルソング「たからもの」を全員で合唱した。観光客たちは、カメラで撮影したり、手拍子をしたりして児童の元気な歌を満喫。流し踊り「三本木小唄」の披露では、見物客を誘い込んで一緒に踊りを楽しんだ。児童代表の大西花奈さん(10)が「また十和田に来て、良いところやおいしい食べ物を楽しんでください」とあいさつすると、盛んに拍手が送られた。
 PR活動について、丸井沙弥子さん(9)は「パンフレットを渡して十和田の魅力を紹介できた」、起田武君(9)は「恥ずかしがらずに伝えられた」と胸を張った。合唱や踊りについては、瀬川湧生(ゆうせい)君(9)が「踊りの輪に入れるよう誘い一緒に踊ってくれてうれしかった」といい、高渕鈴華(すずは)さん(9)は「(合唱では)盛り上がってくれてみんなも笑顔になれた」と満足そうに話した。

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同じ件で、『デーリー東北』さん。

観光客に十和田湖の名所や名産品PR/十和田・三本木小

 十和田市立三本木小(坂本稔校長)の4年生97人が21日、十和田湖畔で観光客らにふるさとの魅力を伝える活動を展開した。児童たちは三本木小唄を一緒に踊ったり、観光パンフレットを配ったりして、地元が誇る観光地の魅力をPRした。
 同校は「ふるさと力日本一」を教育目標に掲げ、郷土学習に力を入れている。2016年には、児童が考えた地域の宝物が登場する歌「たからもの」を制作し、翌年から4年生が湖畔で披露するなど、地元のPR活動を展開している。
 この日は、乙女の像と商店前、桟橋前に分かれ、道行く人に観光パンフレットを配布し、観光名所や名産品などを紹介。その後、十和田湖遊覧船の帰着に合わせ、外国人観光客らと一緒に三本木小唄を輪になって踊ったほか、高らかに歌を披露し、もてなした。
 江渡美莉亜さん(9)は「静岡県から来た人に十和田の自然の美しさを伝えた。踊りや歌は少し恥ずかしかったけど、喜んでもらえてうれしい」と声を弾ませた。
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微笑ましいニュースです。


続いては、仙台発で『河北新報』さん。

古里・女川の支援続ける洋画家佐藤幸子さん 来月3日から仙台で個展 ◎キャンバスに広がる希望 三陸の海、日の出力強く

 河北美術展顧問で日展会友の洋画家佐藤幸子さん(78)=仙台市青葉区=の油絵展「希望と共に」が7月3日、青葉区の仙台三越本館7階アートギャラリーで始まる。宮城県女川町で育ち、東日本大震災の津波で実家を失った佐藤さんが、被災地に希望を届けたいと4年ぶりの個展に願いを込める。9日まで。
 佐藤さんは現在、自宅アトリエでキャンバスに向かい、花をモチーフに最後の作品作りに絵筆を握る。これまで描いた三陸の海の風景も合わせ約35点を展示する予定で、うち「照耀(しょうよう)松島」は100号の大作。松島湾の日の出を力強く描き、2018年の日展で22回目の入選を果たした。
 「明るく希望あふれる作品を目指した。震災から8年が過ぎたが、立ち直れずにいる人にも見てもらえたらうれしい」と語る。
 他に中学生の時に女川の入り江を描いた水彩画「海」を展示し、21歳で山道に咲くヤマブキを情熱的な色使いで描いた油絵「萌(も)える」もパネルで紹介。思い出の作品で60年を越える画業を振り返る。
 佐藤さんは女川の子どもたちに毎年クリスマスカードを送るなど、古里の支援を続けている。震災後は絵
の収益を図書購入費として贈ったり、3校を再編した女川小を慰問して児童と交流したりした。「大変な思いをした子どもたちに逆に励まされた。再び絵が描けるのか悩んだ時期もあったが、創作の意欲をもらっている」と感謝する。
 個展の収益の一部は、女川の中学生が始めた津波の教訓を後世に伝える「いのちの石碑プロジェクト」に寄付される。

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昭和6年(1931)に紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑を建立、さらに毎年女川光太郎祭を開催して下さっている女川町がらみです。

佐藤さんは女川ご出身ということで、記事の最後にあるとおり、収益の一部は「いのちの石碑」プロジェクトに寄付されるとのこと。光太郎文学碑の精神を受け継ぐ活動ですので、ありがたいかぎりです。

殺伐としたニュースが多い中、このようなニュースで日本中が埋め尽くされれば、と思います。


【折々のことば・光太郎】

御質問の第二十一世紀を迎へる迄に世界平和の日が来り得ると思ふかどうか、といふ事については、遺憾ながら、来ないであらふと思ふ方に私は傾いてゐます。世界平和の日を懇望するにつけても、人類進化の遅々たるを痛感します。人種同志の偏見に勝ち得る人類総体のもう一段の進化にはどの位の年月を要するでせう。一寸想像もつきません。

アンケート「世界平和の日」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳

残念ながら、光太郎の予想は当たってしまいました。22世紀を迎えるまでに、世界平和の日は来るのでしょうか。大阪で開催されていたG20が閉幕しましたが、その報道に接するにつけ、それも望み薄だろうと思われます。

インターネットを使うと、全国の各市区町村などの広報誌が閲覧できます。このブログでも、光太郎智恵子ゆかりの市区町村のそれからネタにさせていただくことがしばしばです。

概ねこの手の広報誌は月刊、各月1日発行というところが多く、月初めには光太郎智恵子ゆかりの市区町村のサイトをチェックしています。ある意味、自分の住む市の広報誌より細かく目を通しているかも知れません(笑)。

今月は豊作でした(笑)。

北から順に、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市の『広報はなまき』。

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表紙が、先月15日に行われた第62回高村祭の様子。なかなかインパクトがありますね。

続いて、毎年8月9日に、女川光太郎祭を開催して下さっている宮城県女川町の『広報おながわ』。平成から令和となり、平成のアーカイヴ的な「あの日あの時 女川町史」というコーナーがあります。今月号は「平成3年 高村光太郎文学碑完成」。

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東日本大震災の大津波で倒壊した光太郎の文学碑――女川光太郎祭開催のきっかけとなった――が紹介されています。震災後に設置が始まり、現在もその活動が続く「いのちの石碑」に連なる、百円募金活動で建立された件にもふれられています。


さらに、智恵子の故郷・福島県二本松市の『広報にほんまつ』。直接、光太郎智恵子に関わるイベントではありませんが、「智恵子が愛したほんとの空の下で、バーベキューランチを楽しみながら、さわやか交流会を開催します♪」だそうで(笑)。参加しよう! と思ったら当方のごときは対象外でした(笑)。

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ところで、全国のそれを全て調べたわけではありませんが、この手の広報誌、タイトルのほとんどが「広報」プラス「ひらがなで市町村名」となっています。何かそういう法令でもあるのでしょうか? ご存じの方、ご教示いただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

亡妻智恵子の実家が街道つづきの漆原という部落にあつたが、私も祖母から其時の戦争話をきいた事がある。今は何もなく、丘を埋める桜の花が満開で、うしろの空の阿多多羅山に雪が残つている。「阿多多羅山の山の上に、毎日出てゐる青い空」が今日も見えるようだ。

散文「二本松霞ヶ城」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

この年発行の『週刊読売』に掲載された文章の一節です。2ページ見開きのグラビア「古城にうたう」と題したコーナーで、二本松霞ヶ城址の写真も掲載されていました。それを見ての感想的な。

「戦争」は戊辰戦争です。

いずれも小ネタ的な感じですが、4件ほどご紹介します。

遠くへ行きたい「元世界王者内藤大助もノックアウト!岩手の若きチャンプ達」 岩手県一関~花巻

地上波日テレ 2019年4月28日(日)  6時30分~7時00分

元ボクシング世界チャンピオンの内藤大助が様々な分野の若きチャンピオンに会いに岩手県を旅する。▽1.絶景渓谷“厳美渓”に130年続く名物“空飛ぶだんご”▽2.岩手発祥“わんこそば”の小学生チャンピオンが魅せる驚異のすすり▽3.1300年の伝統芸能“鬼剣舞”の危険な技に挑戦!▽4.絶品!バケツでジンギスカン▽5.世界チャンプを生んだ高校ボクシング部員と拳の語らい▽6.浴槽から湧き出る!?レトロな温泉

旅人 内藤大助

最後の「レトロな温泉」というのが、光太郎もたびたび宿泊し、堪能した鉛温泉藤三旅館さんの、白猿の湯です。番組公式サイトから。

「花巻温泉郷」の「鉛温泉 藤三旅館」は600年の歴史を持つ温泉だ。レトロで風情ある温泉の名物は自噴天然岩風呂「白猿の湯」。湯口はなく、浴槽の底から湯が湧き出てくるという。そのため風呂はかなり深く、立って入るのが流儀だ。内藤は温泉につかりながら、若者たちに熱いパワーをもらった、平成最後の「遠くへ行きたい」を振り返る。

その他、宮沢賢治御用達で、やはり光太郎も足を運んだ花巻市街のそば屋「やぶ屋」さんも登場します。

岩手といえば「わんこそば」。内藤は「やぶ屋 花巻総本店」で、わんこそばに挑戦することに。笹川博之さんによると、わんこそばは花巻が発祥なのだそう。店内には勢いよくそばをすする先客たちが。小学生の菊池陸くん、高橋世良くん、板橋暖人くんの3人組で、「元祖わんこそば全日本大会 小学生の部」で2年連続で優勝したチャンピオンだという。内藤は世良くんと3分1ラウンド勝負で、わんこそば対決をすることに。勝敗はいかに?


続いては、当会の祖・草野心平がらみで。

校歌を訪ねて「第104回 福島県川内村立 川内小学校」

BS-TBS 2019年5月2日(木)  18時24分~18時30分

誰にでもある小学校や中学校の校歌の思い出。この番組は東日本大震災の被災県を中心に小中学校の校歌を紹介します。
今回ご紹介する学校は、福島県川内村立川内小学校。学校が建つ川内村は、東日本大震災による原発事故で全村避難となった地域。幸い放射線量が少なかったため、翌年には川内村で学校生活を再開できました。そんな川内小学
校の校舎は木のぬくもりが温かい、平屋のオシャレな校舎。児童たちも隠れ家的スペースの「デン」や、畳敷きの「図書室」などお気に入りの場所で楽しく学校生活を送っています。また川内小では他県との交流も盛んで、長崎大学や北海道の士別市の学校などお互いに行き来して交流を深めています。番組では、そんな川内小での学校生活や、他県との交流、そして将来の夢について児童たちにインタビュー。また川内小学校の校歌を、全校児童による斉唱でお届けします。



心平が愛したカエルにちなみ、心平を名誉村民として下さった川内村の川内小学校さんが取り上げられます。この番組、これまでにも同じ川内村の川内中学校さんや、「いのちの石碑」の活動で光太郎と関わる宮城県の女川中学校さんなどが取り上げられています。


川内中学校さんの校歌は心平の作詞ですが、小学校さんの方は、丘灯至夫作詞。やはり福島出身で、二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」の作詞者です。


続いても福島系です。 

新 鉄道・絶景の旅 「仙台~三春~いわき みちのく桜紀行」

BS朝日 2019年5月2日(木)  19時00分~20時54分

春のみちのくを満喫!東北屈指の桜の名所めぐり▽8000万年もの歳月をかけて築かれた大自然の造形美!あぶくま洞を探検▽桜の絶景駅▽ビックリ仰天!桁違いの超~デカ盛りメニューを発見▽ビール焼きそば?▽郷土名物!ふくしまブルブル?▽激安!アイスバーガーの元祖…青春の味!?▽三春名物!ピーマン味噌で食べる?三角油揚げ▽白石名物!うーめん?▽地味に有名?評判の駅弁▽鉄道遺産・レンガの油庫▽東北本線▽磐越東線   

船岡の一目千本桜▽二本松・合戦場の枝垂れ桜▽三春の滝桜▽名山!安達太良連峰&蔵王連峰▽色彩のハーモニー!枝垂れ桜&春モミジ▽花の楽園!菜の花で描く…ハートマーク

ナレーター 林家たい平

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昨年5月に初回放映があり、再放送です。

智恵子の故郷、二本松が大きく取り上げられます。ただし、光太郎智恵子の名は出てきませんでした。

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二本松駅のシーンでは、そうというナレーションはありませんでしたが、光太郎の詩碑が映りました。

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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ詩碑で、建立は昭和51年(1976)です。その他、二本松城、合戦場のしだれ桜などが紹介されます。


最後は光太郎の姉貴分・与謝野晶子がらみ。

高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?▼中国画家の水墨画…コウエツ…高額鑑定

BS-TBS 2019年5月2日(木)  21時00分~21時54分

高島礼子が日本全国の蔵へ!埋もれた家宝捜索の旅。  江戸時代勝山藩の城下町として栄えた岡山県真庭市勝山。 創業200年を超える老舗酒蔵に残されていたのは、 与謝野晶子の歌。そして、清末期・中国の画家の水墨画! 驚きの高額鑑定が!  人口1000人の日本一美しい村・新庄村。 4軒の蔵を大捜索!「村に1軒しかない宿に、蔵に眠る品々を集めて飾りたい!」 という依頼にチーム高島が全力で協力! 見つかったのはベロアイの器…アメリカ製の・・・!?  福岡県朝倉市。 30年手つかずの蔵!家主も知らない蔵の中を徹底捜索!  築220年のお宅で出会ったコウエツナナシュとは? 父から受け継いだ品に驚きの評価!

出演 高島礼子 「蔵」のスペシャリスト一級建築士の渡辺義孝さん 「くらや」の鑑定士・山岡真司さん

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今月4日放映の同じ岡山県真庭市編では、光太郎の朋友だった陶芸家バーナード・リーチの作品が取り上げられました。その際は情報を得るのが遅れ、事前にこのブログでご紹介できませんでしたが……。


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今回は「与謝野晶子の歌」だそうで、晶子も鉄幹ともども各地を旅し、行った先々でいろいろ書き残したりしていますので、期待できそうです。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞に何のために苦しんではゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応より少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

散文「開墾」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)前に、僅かばかりの畑を作って農耕に従事したことを指します。僅かばかりの畑が、自分一人でやって行くには分相応というわけで。

農耕に限らず、全ての仕事に当てはまるような気もしますね。ただ、こういう言い訳をして可能性に蓋をしてしまうのもどうかとも思いますが。

最近の新聞各紙から、光太郎智恵子がらみの記事を紹介いたします。

まず、4月12日(金)の『東奥日報』さん。

十和田湖遊覧船が今シーズンの運航開始

 昨年11月から冬期間の運航を休止していた十和田観光電鉄(青森県十和田市)の十和田湖遊覧船が12日、湖畔休屋で運航を再開した。初日は台湾人観光客や招待客らが双胴船「第3八甲田」に乗り込み、雪残る山々のパノラマ、青みを増す初春の湖水に見入った。
 再開したのは休屋を発着し、御倉半島と中山半島を巡る約50分のコース。招待客が乗った午前11時45分発の53便ではセレモニーを行い、観光シーズン開幕を祝った。船は湖畔の「乙女の像」や、湖上に浮かぶ「恵比寿大黒島」といった名所近くを周遊した。
 別便で遊覧した台湾人の施正忠さん(50)は「雪のある景色がとても美しい。満足している」と笑顔をみせた。十鉄によると、2018年度の乗船客は、欠航が多かった影響で前年比約9千人減の11万人。うち外国人観光客は1万1千人と1割を占める。
 同社の白石鉄右エ門社長は「今年の目標は12万人。船の魅力を国内、外国のお客さまに合わせて伝えていきたい」と意欲を語った。
 19日からは休屋~子ノ口航路も再開し、11月まで1日最大18便を運航する。料金は大人1400円、子ども700円(団体割引あり)。

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カルデラの外輪山にあたる湖周囲の山々には、まだ雪。これから桜の季節なのでしょう。ぜひ足をお運びください。


お次は『福島民友』さん。翌4月13日(土)の記事です。

「桜生かし」まちづくり 二本松で全国シンポ、意見交わす

 全国の桜の保存団体や樹木医らが集う「全国さくらシンポジウム」は11、12の両日、二本松市で開かれた。県内外から約700人が参加し、「ほんとの空に さくら舞う」をテーマに桜を生かしたまちづくりや地域の振興について考えた。
 シンポジウムは、桜の名所づくりや花を核に自然豊かな地域づくりに取り組む日本花の会(萩原敏孝会長)と、同市の行政、観光団体などでつくる実行委員会の主催。本県では1988(昭和63)年の三春町に次いで2度目。
 芥川賞作家の玄侑宗久さんが「桜~『無常』と『あはれ』の花」と題して記念講演した。玄侑さんは、日本人が桜を好む理由について「物事の両極端を受け入れるのが日本人の心情。すぐに散りゆく無常さと花開いた際の『あはれさ』を1本の木で体験できる」と語った。
 パネル討論も行われた。日本花の会の和田博幸さんを進行役に、にほんまつ観光協会長の安斎文彦さん、県樹木医会の鈴木俊行さんらが桜を核にした二本松の魅力発信、桜の保存活動などについて意見交換した。
 最終日の12日は、参加者が二本松の桜の名所などを巡った。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採った復興の合い言葉「ほんとの空」を冠した「全国さくらシンポジウム」関連です。


同じく4月13日(土)の『日刊ゲンダイ』さん。ネットで見た記事ですが、紙面に掲載されたのかどうか。とりあえず引用させていただきます。

雄星に大谷に佐々木 なぜ岩手が“怪物”を3人も輩出できたのか

 単なる偶然なのか、それとも必然なのか。
 先日、岩手・大船渡高校の佐々木朗希(3年)がU18高校代表合宿で高校生史上最速の163キロをマーク。新たな怪物誕生にメディアは大騒ぎした。佐々木が誕生した岩手は大谷翔平(エンゼルス)と菊池雄星(マリナーズ)の出身地。わずか10年で3人の“怪物”を輩出したことになる。
「岩手の人沈深牛の如し 両角の間に天球をいだいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり 地を往きて走らず企てて草卒ならず ついにその成すべきを成す」
 詩人の高村光太郎は著書「岩手の人」で、岩手県民をこう表現した。牛のように慌てず一歩一歩前に進み、事を成し遂げる気質をつづったのだ。
■県民性、食文化、部活動
 県民性研究の第一人者で、㈱ナンバーワン戦略研究所所長の矢野新一氏は「普段は物静かながら、何かの瞬間に大きな力を発揮する傾向がみられる」と、こう続ける。
「岩手の県民性を実証する企画をテレビでやったことがある。リンゴをたくさん入れた紙袋を持ち、信号待ちしているときに、わざと転んでリンゴをこぼす。すると、のんびり信号待ちしていた人たちが一斉に走って来て、散らばったリンゴを拾い始めたのが印象的でした。岩手では外国人観光客のために作ったおもてなし対策の『10手』が盛り上がっている。何かの目標に向かって一生懸命になり、力を発揮する。長い冬は家にこもるという生活から時代が変化し、県全体に活気が出てきている点も見逃せない」
 食生活にもヒントがありそうだ。
 2016年度の総務省家計調査によると、岩手はわかめ、こんぶの消費量が全国1位。魚介類もよく食べる。ほうれんそう、大根が1位で、にんじん、ごぼうも上位。果物消費もトップだ。さらに、東北に限れば豆腐の消費量も1位。かつては多くの家庭で豆腐作りをやっていた名残という。
 横浜創英短期大学名誉教授の則岡孝子氏(管理栄養士)がこう言う。
「岩手の人たちはオールマイティーの栄養素を食事から取り入れているのでしょう。海のもの山のもの、寒い地域のものなど、栄養バランスが優れていると思います。スポーツ選手の筋肉の発達において、魚介類、豆腐などに含まれるタンパク質と、魚介類などに含まれるビタミンB6、B12を合わせて取ることで、よりタンパク質の代謝が良くなる。ビタミンB6、B12は体に保存できないだけに、タンパク質と一緒に摂取できるのはプラスです。野菜や果物はビタミンや食物繊維、海藻類は食物繊維やヨウ素が多く含まれるため、新陳代謝が高まり、より多くのエネルギーを発揮する効果がある。さらにカルシウム、鉄分が骨や体の成長を促します」
 スポーツへの関心も高い。
 岩手は全国高体連加盟登録状況によると、体育系の部に登録する生徒の加入率(平成30年8月)が60.8%で全国1位。男子中学生100人あたりの軟式野球部員は全国2位。男子高校生100人あたりの硬式野球部員数は全国5位だ(17年度)。
 岩手県教育委員会事務局・保健体育課統括課長の清川義彦氏は「中高の部活動はもちろん、スポーツに取り組む子供、指導者が一生懸命取り組むという土壌ができつつあるのではないか」と分析。岩手県内の高校野球の監督は、「昔から根気強く、純朴で真面目な生徒が多い。寒い時季にも熱心に運動に取り組み、競技力を高め、体をつくっていく取り組みが積み重なった結果だと思う」と話す。
 さまざまな要素が重なった結果、ダイヤモンドの原石が誕生したようなのだ。

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こちらは光太郎詩「岩手の人」(昭和24年=1949)が引用されています。この詩、岩手のスポーツ界が語られる際によく使われます。今年、釜石市などで開催されるラグビーW杯関係で『岩手日報』さん、平成28年(2016)の岩手国体にからめて『盛岡タイムス』さん、同年、競歩でリオ五輪に出場した花巻出身の高橋英輝選手を紹介する『岩手日日新聞』さん、やはり大谷選手がらみの『岩手日報』さん一面コラム「風土計」

なぜ岩手に”怪物”が現れるのか、ということで、いろいろ考察されていますが、当方は、歴史的に見て、やはり「蝦夷(えみし)」のDNAが色濃く残っているからではないかと考えます。平安時代の阿弖流為(アテルイ)はもちろん、源義経をかくまって鎌倉と対立した奥州藤原氏にも蝦夷の血が流れていましたし、下って室町時代のコシャマインや江戸時代の沙牟奢允(シャクシャイン)などのアイヌの首長ら、まつろわぬ人々のエネルギーというか、血に刻まれた反骨心というか、そういったものが21世紀になっても形を変えて現れているように思われますが、どうでしょうか。そうした岩手人の魂を光太郎は詩「岩手の人」に表したようにも思えます。


最後に昨日の『東京新聞』さん。一面コラム「筆洗」で、ノートルダム大聖堂の火災を取り上げ、光太郎に触れて下さいました。

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 「宿命」。古い塔内の暗い片隅の壁にそう深く刻まれていたそうだ。どうやら中世の人間が書いたものらしい▼その文字を見つけたのは作家のビクトル・ユゴーである。「宿命」の言葉に刻んだ人間の悲痛さを感じ取ったという。どういう人間が書いたのか。そこから着想を得て執筆したのが宿命に翻弄(ほんろう)される人々を描いた小説『ノートル=ダム・ド・パリ』(一八三一年)。塔とはパリのノートルダム寺院である▼ユゴーが見た言葉も消えうせたか。世界遺産ノートルダム寺院の大聖堂の大火である。尖塔(せんとう)や屋根が崩落するなど、甚大な被害が出た。市民の悲痛な顔。「宿命」と呼ぶには受け入れがたい現実である▼<あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、あなたにさはりたいばかりに、あなたの石のはだに人しれず接吻(せっぷん)したいばかりに>。パリ時代、大聖堂に毎日通ったという高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」。荘厳なる美と歴史。十二世紀着工の大聖堂はパリ市民のみならず、人類全体の宝であった。それが失われた▼修復工事中の失火が原因とみられている。フランス革命にも二度の世界大戦にも難を逃れた大聖堂が失火で炎上したとはなんという皮肉な宿命なのか▼喪失感の中にも再建の声が出ている。人類の宝であるなら人類全体で手を貸したい。再建と復活。それが大聖堂のこれからの宿命と信じる。


人類の宝であるなら人類全体で手を貸したい。」そのとおりですね。


【折々のことば・光太郎】

雪中生活の鮮新さ、小屋を取り巻く潮騒のやうな風声の物凄さ、皆生れて初めての体験です。この王摩詰が詩中の天地に、今日の場合、安全に生きてゐられるありがたさと済まなさとを痛感してゐます。勉強あるのみ。

散文「消息 一」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳


太平洋戦争が終結し、この年の秋、光太郎は鉱山の飯場小屋を譲り受けて、花巻郊外太田村に住み着きました。当初は、青年時代から絶えず希望していた、人里離れた自然に囲まれての生活の実現という、ある意味無邪気な夢想という面があり、そこで、王摩詰が語られています。王摩詰(王維)は唐代の詩人。西安郊外の輞川(もうせん)に隠遁し、芸術三昧の生活を送りました。

そして迎えた初めての厳冬。万年筆のインクも凍るマイナス20℃の寒さ、胸の高さまで積もる豪雪、吹雪の夜にはあばら屋の隙間から舞い込んで寝ている布団にうっすらと積もる雪……。それがやがて、戦時の翼賛活動で多くの若者を死に追いやったという反省に、光太郎を誘って行くのです。

2月も後半となりまして、当方自宅兼事務所のある千葉県は、まだ寒さが残るものの、そちこちで春の気配が漂っています。愛犬の散歩中、今年初めて冬眠から覚めたカエルに遭遇しましたし、裏山では梅が満開です。

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しかし、東北や北陸などの雪国では、まだまだ雪深い状態のようですね。青森に住む友人からのLINEでは、「雪で庭がない」とありました(笑)。

雪国からの新聞記事等を3件。

まずは『福島民報』さん。同社の主催で一昨年に始まった、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語を冠したイベント「ふくしま ほんとの空プログラム」関連です。  

多彩な雪遊び満喫「ほんとの空プログラム」 郡山湖南

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 豊かな自然環境で子どもの好奇心や探究心を育む
活動「ふくしま ほんとの空プログラム~雪まみれになって遊ぼう!!」は十日、郡山市湖南町のホールアース自然学校福島校などで開かれた。
 県内外から集まった小学生とプログラムサポーターのタレント長沢裕さん(伊達市出身)が参加した。旧福良小の校庭でソリ滑りや雪だるま作り、雪に寝そべり人の形を作るなど雪遊びを満喫した。雪合戦では雪玉を投げ合い、白熱した戦いを繰り広げた。参加者全員で力を合わせて、かまくらを作り、白銀の世界を楽しんだ。
 餅つき体験も催され、子どもが餅をついた。出来上がった餅は雑煮に入れたり、あんこ、きな粉などにあえたりして味わった。
 長沢さんは「最初は寒くて動けるかなと思ったが、みんなと大自然の中でいっぱい走って叫んで遊ぶことができて楽しかった」と笑顔を見せた。
 プログラムは福島民報社の主催、オーデン、花王、城南信用金庫、常磐興産、大王製紙、テーブルマーク、日本シビックコンサルタント、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の協賛。


続いて、青森。『東奥日報』さん。開催中の「十和田湖冬物語2019」について。 

昼は雪遊び、夜はイルミネーションの幻想世界 「十和田湖冬物語」24日まで

 十和田湖畔休屋地区で連日多彩なイベントが繰り広げられる「十和田湖冬物語」。光に彩られた白銀の世界で、カップルや家族連れがキャッチフレーズ通り、冬と遊んでいる。会期は24日まで。


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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップ、幻想的ですね。昨年お邪魔した際は、像の周辺は地吹雪で、遭難するかと思いましたが(笑)。


最後に『新潟日報』さん。同紙は一面の題字(会津八一揮毫)の脇に、新潟ゆかりの詩人・堀口大学の短句を載せる「堀口大学 文化の記憶」というコーナーがあり、2/14掲載分が、詩「光太郎詩人の写真に題す」 の一節でした。

堀口大学 文化の記憶

深雪(みゆき)の中のこの老詩人 ひとり暮しはおさびしからう 深雪の中のこの老詩生

末行「妻子かかへて凍えてゐるに」に続く詩「光太郎詩人の写真に題す」。老詩人は高村光太郎、老詩生は大学。光太郎は岩手山中で独り暮らしていた。


この詩は全4行の短い詩です。堀口自身の回想が残っています。雑誌『短歌研究』第十三巻第五号(短歌研究社 昭和三十一年五月)に載った「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」より。

 終戦後、疎開先の岩手の山奥での憔悴の見える高村さんの雪中の写真を見て、その頃妙高山麓の雪にうもれて難儀していた私は『光太郎詩人の写真に題す』という詩を書き、雑誌にのせたり、自分の詩集に収録したりした。
   深雪の中のこの老詩人
   一人暮しはお淋しからう
   深雪の中のこの老詩生
   妻子かかへて凍(こご)えている
 この詩には、戦後の高村さんの自虐とも言いたいほどな修道僧のような生活ぶりに対する、私なりのクリティックを托したつもりであったが高村さんの目には触れずにしまったようだ。

詩は昭和22年(1947)、柏書院刊の『雪国にて』という詩集に収録されています。

堀口大学(明25=1892~昭56=1981)は詩人、フランス文学研究者。はじめ、与謝野鉄幹・晶子の新詩社に拠って短歌に親炙、慶應義塾大学文学部予科に入学後、『三田文学』に寄稿するなどしました。同い年で同門の佐藤春夫とは、終生、交友を持ち、光太郎とも新詩社で知り合いました。

明治44年(1911)から大正6年(1917)にかけ、元長岡藩士で外交官だった父に従い、中南米、欧州十カ国ほどを転々とし、滞仏中には、画家のマリー・ローランサンとのラブロマンスもあったといいます。また、「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」によれば、海外から光太郎に、ロダン関係の新聞記事や文献などを送ったそうです。帰国後は詩作、仏文学の翻訳で活躍。戦時中から戦後しばらくは新潟県妙高山麓の実家に疎開。昭和25年(1950)に疎開から引き揚げて以降は、神奈川県湘南の葉山町に終生在住しました。

時期的に見て、堀口が見たという光太郎の写真は、『週刊朝日』の昭和21年(1946)の2月24日号あたりに載ったものかな、という気がします。

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左が光太郎が暮らしていた花巻郊外旧太田村の山小屋。今もこの季節、こんな感じなのでしょう。


しかし、雪国もそろそろ春の気配が見えてくる頃だと思います。雪国の皆さん、雪に負けずにがんばって下さい。


【折々のことば・光太郎】

毛皮を身に纏ふ事は元来人間のからだと調和しない。極寒の地に於ける実用のみがその美をゆるす。エスキモオの毛皮はいつでも美しい。暖帯地方の都会風俗にあらはれる毛皮は必ず一種のグロテスクさとさもしさとを示し、ダイヤモンドを五本の指に光らすのと似たいやささへ伴ふ。

散文「毛皮」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

十数年後、自らもエスキモーのようにカモシカの毛皮を身に纏うことになるとは、さしもの光太郎も本気では考えていなかったことでしょう。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

昨年、全国公開されたドキュメンタリー映画「映画「一陽来復 Life Goes On」。一昨年、岩手、宮城、福島の3県を中心にロケが行われ、東日本大震災からの復興の様子を追ったものでした。

昨年11月に、DVDが発売されまして、先月入手しました。もう少し早くご紹介するつもりが、他にも色々書くべきことが多く、今日になってしまいました。 

一陽来復 Life Goes On

2018/11/16 TBSサービス 定価 3,800円+税

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昨年5月に映画館で拝見して参りましたが、その本編には未収録の未公開映像も入っています。

当会の祖・草野心平が愛し、心平を名誉村民として下さり、今も心平を偲ぶ「天山祭」を開催して下さっている、福島県川内村がメインの舞台の一つとなっています。震災後しばらくは、福島第一原発のメルトダウンにより、全村非難を強いられた村です。

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原発事故にもめげず、無農薬のお米を作り続ける秋元美誉(よしたか)さん。川内村編は、秋元さんのさまざまなご苦労がメインの内容です。

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秋元さんと昵懇の、村商工会長・井出茂さん。かつては心平を偲ぶ「かえる忌」を、経営なさっている小松屋旅館さんで開催なさっていました。

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上記は、震災後、川内村で栽培が進んだブドウ畑です。ブドウは土壌や大気中の放射線を吸収しないそうで。

遠藤雄幸川内村長、婦人会の皆さんなど、天山祭やかえる忌でお世話になった面々もご出演。

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天山祭会場にして、心平の別荘であった天山文庫もちらっと映りました。

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川内村以外では、北から行くと、岩手県釜石市。地域にコミュニティーとしての神社や祭りの様子、震災後、いち早く再開した居酒屋さんなど。

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宮城県では、南三陸町。自らも津波の被害を受けながら、避難所や、その後も地域のさまざまな活動の拠点として建物を提供なさっているホテル観洋さん。右下は従業員の方による「語り部」活動です。

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こちらを会場に開催されている、そろばん教室で学ぶ5歳の女の子(映画のポスター等にも大きく使われました)とそのお母さん。お父さんは、津波の犠牲になりました……。

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同じ宮城県の石巻。

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3人のお子さんを津波で亡くしたご夫婦がメインです。木工職人であるご主人は、震災後、地域の集会所的な建物を作ったり、小学校に寄贈する本棚を作ったりなさっています。

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その本棚に入る本は、アメリカ人ご夫婦からの寄贈。

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ご夫婦のお嬢さんは、石巻の小中学校でALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー=外国語指導助手)として働いていましたが、やはり津波に呑み込まれ、亡くなっています。はじめは日本に来るのがつらかったというご夫妻も、同様の思いをなさった方同士、石巻の皆さんとすっかり仲良しに。


福島では、南相馬。ご自宅の敷地が、浪江町との境界線上にある牧牛家の方。

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国の殺処分の指示に抵抗し、牛を育て続けています。どうも、震災の翌年公開の園子温監督映画「希望の国」で、故・夏八木勲さんが演じられた主人公は、この方もモデルの一人なのかな、と思われました。当方、一度、この牧場の前を通りました


釜石や石巻には光太郎の足跡も残っていますし、石巻に隣接する女川町では、毎年、女川光太郎祭が開催されており、他人事とは思えませんでした。


ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

しかし又製作する者は殆ど毎日新らしく蘇ります。「皮を脱がない蛇は死ぬ」とニイチエの申した通り、毎日がいつも新しい毎日であります為、この長い年月が更に古い気を起こさせません。

散文「故成瀬校長の胸像に就て一言」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

大正8年(1919)に、智恵子の母校・日本女子大学校に依頼された、同校創業者の成瀬仁蔵胸像が、なかなか完成しないことへの釈明の文章から。その長い間にも、自分は進化し続けているので、待ってほしい、という趣旨です。結局、像の完成は昭和8年(1933)でした。

「一陽来復 Life Goes On」に出演された震災被災者の皆さんも、意味は違えど、「毎日新らしく蘇り」、「毎日がいつも新しい毎日であり」、一歩一歩進んでこられたのでしょう。その歩みを応援し続けたいと思います。

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