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4件ほどご紹介します。

にほんごであそぼ「福島のわっぱめし」

NHK Eテレ 2021年3月2日(火) 06:35〜06:45 再放送 17:00〜17:10

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。今日は…文楽「あどけない話」高村光太郎、あいだのじいさん「わっぱめしのあいだ」、童謡「マーチング・マーチ」、ひこうき山陽のごとくごとく「さざえ堂」、歌舞伎/天地の見得〜応用編〜「さるかに合戦」、うた「日本全国むかし歩き」

【出演】美輪明宏,神田山陽(三代目),竹本織太夫,鶴澤清介,中村勘九郎,中村勘太郎,中村長三郎,おおたか静流,ラッキィ池田,中尾隆聖 ほか


平成31年(2019)にも「文楽「あどけない話」」がラインナップに入った回がありました。
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その際の映像を使い廻すのか、新作なのか、不明ですが……。

その他、「わっぱめし」やら「さざえ堂」やら、福島特集的な感じのようですね。

続いて、やはり福島。

福島をずっと見ているTV・選(74)「復興からその先へ〜川内村の夏〜」

NHK Eテレ 2021年2月28日(日) 00:30〜01:15

震災からわずか1年で、全村避難していた住民に「帰村宣言」を出した川内村。それから6年。村が1年で一番盛り上がるお盆の3日間に密着。2018年9月23日放送回。

帰還率が73%(震災前:3000人/2018年:2200人)と周りに比べて突出している川内村。しかし帰村者の9割が50才以上で、子どもはわずか。そんな村が一年で一番盛り上がるのがお盆。恒例行事の「盆野球」「盆ダンス」、「成人式」も開かれ、村出身の若者が数多く帰って来る。この夏、村に暮らす人、村外から通いで働く人、お盆だけ帰省する人、それぞれにとっての村の未来を見つめる。

【ゲスト】猪苗代湖ズメンバー/ミュージシャン…渡辺俊美,【司会】箭内道彦,【アナウンサー】合原明子,【語り】相沢舞


こちらは完全に再放送です。初回放映は平成30年(2018)でした。
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川内村では、当会の祖・草野心平を名誉村民にしてくださっており、心平の別荘・天山文庫が取り上げられています。
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川内村といえば、当方も親しくさせていただいております遠藤雄幸村長が、今夜(正確には明日未明)、TV出演なさいます。

朝まで生テレビ!

地上波テレビ朝日 2021年2月27日(土)  01:2504:25

東日本大震災・福島原発事故から10年。今、福島は?廃炉作業は?10年目にして明かされる事実、10年目に浮かび上がる課題は?…事故の教訓と課題を、当時事故処理にあたった政治家と福島の県民を交え討論。そして「2050脱炭素社会」への取り組みは?「原発推進派VS再生可能エネルギー推進派」の二局対立の現状をどう克服するのか。福島の教訓は生かされるのか。日本のエネルギー政策を徹底討論!

【司会】田原総一朗 【進行】村上祐子・斎藤康貴036

パネリスト
 柴山昌彦(自民党・衆議院議員、前文部科学大臣)
 菅直人(立憲民主党・衆議院議員、元内閣総理大臣)
 細野豪志(無所属・衆議院議員、元原発事故収束担当大臣)
 飯田哲也(NPO環境エネルギー政策研究所所長)
 遠藤雄幸(福島・川内村村長)
 木幡ますみ(福島・大熊町議会議員)
 澤田哲生(東京工業大学先導原子力研究所助教)
 竹内純子(国際環境経済研究所理事)
 三浦瑠麗(国際政治学者、政府『成長戦略会議』民間議員)
 吉野実(テレビ朝日報道局原発担当)

やはり3.11で大きな被害を受けた宮城県女川町、光太郎ゆかりの町を舞台にしたドラマも放映されます。

宮城発地域ドラマ ペペロンチーノ

NHK BSプレミアム 2021年3月6日(土) 22:30~23:30

あの日から10年。人生はシンプルで難しい。

イタリアンレストランを津波で失い、失意のなかアルコールに溺れたオーナーシェフの小野寺潔(草彅剛)。その後、潔は新しく店を建て直し、震災から10年の3月11日に友人を招きある宴席を企画する。潔は突然の招待に戸惑う友⼈たちに、その意図を語り始めるー。そして、宴会が進むなか、発災から10年間のそれぞれの秘めた物語が浮かび上がってくる・・・。苦難があっても前向きに人生を送れるかもしれない。そんな思いになれる極上の群像劇。

出演 草彅剛 吉田羊 國村隼 矢田亜希子 富田望生 一色洋平 齊藤夢愛 蒼波純 古川凜 他

作 一色伸幸  音楽 世武裕子  制作 NHK仙台放送局

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予告動画を見て驚きました。昨年は新型コロナの影響で女川光太郎祭が中止となり、女川には一昨年夏以来行っておりません。どうもその間に、女川駅裏に高層住宅が何棟か建ったようで、だいぶ風景が変わっているようです。

町の復興は進めど、人の心はなかなかそうもいかない、というわけで、平成31年(2019)に、やはり女川を舞台に制作されたドラマ「女川いのちの坂道」も、そうした内容になっていました。今回の草彅剛さん演じる主人公も、だいぶダメダメ男として描かれる部分があるようです。それも、むべなるかな、ですが……。

それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后勝治さん自転車で村役場にゆかれ、戦災者としての余への配給もの、アルマイト鍋一個フライパン一個うけとり来らる。


昭和21年(1946)10月11日の日記より 光太郎64歳

「アルマイト」。「懐かしい、いやぁ、死語だなぁ」と思ったら、さにあらず、まだまだ現役でいろいろ販売されているようです。

⼭形⼤学さん主催の⾼校⽣朗読コンクール。東北6県(青森・秋田・岩手・宮城・山形・福島)在住の高校生、または各県内の高校に在学中の高校生(高等専門学校生は1~3年生)を対象にしています。毎年、東北ゆかりの作家の作品を課題にし、宮沢賢治、井上ひさしなどに混じって、光太郎も取り上げられました。平成27年(2015)年開催の第8回で、課題は「智恵子抄」でした。予選、本選があり、本選はホールを使って大々的に行われていました。

今夏、「大学ジャーナル」さんというサイトに、今年度の第13回の応募案内が出ました。それによると久々に光太郎の「智恵子抄」が課題ということで、「おお、これはありがたい」と思ったものでした。

ところが、その後、いつまでたっても主催する山形大学さんのサイトには詳細な情報が出ませんで、「あ、こりゃ、コロナ禍で中止になったんだろうな」と思っておりました。

すると、今月に入って同大の学長定例記者会見が行われ、その中に「第13回⼭形⼤学⾼校⽣朗読コンクール審査結果発表」も含まれていました。「えっ、やったの?」という感じでした。
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「どういうことだ」と思っていたら、昨日、『毎日新聞』さんの山形版に関連記事が出ました。

山大高校生朗読コン 山形東・吉田さん2位「気持ち伝わるように」/山形

000 山形大は、東北6県の高校生の文化交流を目的に同大が開催している「山形大学高校生朗読コンクール」で、県立山形東高2年の吉田遥さんが、予選を通過した14人のうち、上位3人に与えられる学長賞で2位に輝いたと発表した。
 コンクールは2008年度に始まり、今年で13回目。東北にゆかりのある作家が課題文となる。今年は、高村光太郎とその妻智恵子(福島県出身)の出会いから恋愛時代や結婚、智恵子の発病から死へと続く物語の「智恵子抄」だった。 選考基準は、内容を理解しているかや話し方など。今年度は東北地方の23の高校から84人が応募した。
 記念品の盾と賞状を受け取った吉田さんは「2人の気持ちが聞いている人に伝わるように心がけた。今後も聞いていたいと思ってもらえる朗読をしていきたい」。同大の玉手英利学長は「テキストは同じだが一人一人違った色合いがある。多くの人に聞いてもらえたら」と話した。本選出場者の朗読は同大のユーチューブチャンネルで視聴できる。

そこで、YouTubeを拝見。
これを見てようやく腑に落ちました。例年のようにホールを使って大がかりにではなく、録音審査での実施だったそうで。上記のプレスリリースもよく読めば小さく書いてありました。
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課題文は「智恵子抄」中の随筆「智恵子の半生」(昭和15年=1940)の一節。詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の制作背景的な部分で、「あどけない話」自体も引用されている箇所でした。
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動画の最後は審査に当たられた山本陽史教授の講評的なご挨拶。
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曰く「東北は10年前の震災を乗り越えて来て、今年は世界中がコロナ禍で大変な思いをしている。そんな時に「言葉」の力で分断をくい止めて、皆さんが繋がっていけるよう……」なるほど、その通りですね。

また、こうした活動を通し、多くの方々に光太郎智恵子の世界がもっと広まっていってほしいものだと、いつもながらに思います。

【折々のことば・光太郎】

朝六時、詩碑に詣づ。

昭和20年(1945)8月1日の日記より 光太郎63歳

「詩碑」は花巻桜町に立つ宮沢賢治の「雨ニモマケズ」碑です。昭和11年(1936)、花巻からの依頼で光太郎が筆をふるい、同詩の後半部分を揮毫しました。除幕式の際には智恵子が入院中ということもあったのでしょう、光太郎は不参加。代わって当会の祖・草野心平が赴きました。

かつて自分が文字を書いた碑を初めて眼にしたその心境は、いかばかりだったのでしょうか。
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光太郎ゆかりの地を扱うテレビ番組が目白押しです。ただし、光太郎の名が出てくるかどうか……というところですが。


まず、花巻。 

ブラタモリ#150 花巻~花巻はなぜ宮沢賢治を生んだ?~

NHK総合 2019年12月7日(土)  19時30分~20時15分

「雨ニモマケズ」「銀河鉄道の夜」…多くの名作を生んだ賢治を育んだ花巻の秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす▽地質・鉄道・音楽…賢治とタモリさんの共通点は?

「ブラタモリ#150」で訪れたのは岩手県の花巻市。花巻で生まれ育った宮沢賢治は、ここで何を見て、何を感じたのか?そして名作はどのようにして生まれたのか?▽賢治が農業技術の改良を目指した理由は、東北の地質にあり?▽花巻にいろんな種類の石が集まる理由とは?幼少期の賢治が遊んだ河原でタモリさんも石拾い!▽「銀河鉄道の夜」のモデルになった列車ってどんな形?▽晩年の賢治がつくった「花壇」に込めた思いとは!?

出演 タモリ 林田理沙  語り 草彅剛


メインは宮澤賢治。光太郎と交流があり、その没後には光太郎や当会の祖・草野心平によって世に知られるようになり、それに恩義を感じた父・政次郎らが、光太郎の花巻疎開のお膳立てをしてくれました。

番組では、光太郎が実際に乗った花巻電鉄も大きく取り上げられます。


同じく花巻を含む岩手県内。 

じゅん散歩 岩手

地上波テレビ朝日 各回9:55~10:25

2019年12月2日(月)  「岩手県・盛岡」を散策 ▽レトロ建築が並ぶ「みちのくの城下町」▽“東京駅の兄"明治期の赤レンガ銀行▽伝統工芸品・南部鉄器3年待ちの工房へ

2019年12月3日(火) 「岩手県・花巻」を散策▽菊池雄星&大谷翔平選手の母校!花巻東▽りんご&郷土の味いろいろ 人気直売所▽純ちゃん挑戦!地元名物「わんこそば」

2019年12月4日(水) 「岩手県・中尊寺 平泉」を散策▽源義経&弁慶終焉の地の名物和菓子▽年間200万人来訪!世界文化遺産・中尊寺巡り▽金箔3万枚!金色に輝く金色堂

2019年12月5日(木) 「岩手県・花巻 賢治巡り」▽宮沢賢治の故郷でゆかりスポット散策▽地元土産で人気!特大「最中」▽所蔵4千点!宮沢賢治記念館の直筆原稿

2019年12月6日(金) 「岩手県・盛岡町家」を散策▽明治期の商家が立ち並ぶ町家通り▽伝統建築を改装した町家観光施設▽午後3時からのちょい呑み「もっきり」

出演 高田純次

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来週の放映はすべて岩手。編集の都合なのか、盛岡、花巻、平泉を行ったり来たりの放映です。木曜の放映がやはり賢治がらみです。


続いて、昨日もご紹介した宮城県女川町。 

歌のあとさき「中村雅俊~希望編」

NHK BSプレミアム 2019年12月5日(木)  17時45分~18時00分

歌手の人生を歌とインタビューで紐解く「歌のあとさき」。俳優でありながら、歌手としても多くのヒット曲を生み、今も第一線で歌い続ける「中村雅俊」を取り上げる。

中村の故郷、宮城県女川町は、東日本大震災で被災、復興支援に駆け付けた中村は、学生時代に女川の風景を歌った「私の町」で人々を激励した。続いて発表した「君がいてくれたら」でこれまで出会った全ての人に感謝をこめる。俳優として18年の朝ドラ「半分、青い。」で好演したことをきっかけに初の座長公演も行った中村は、自分と同世代の人を元気づける曲「だろう!」を発表。俳優、歌手として自らを奮い立たせる。

出演 中村雅俊  語り 石澤典夫

これに先立ち、2日(月)には「旅立ち編」、3日(火)が「飛翔編」、4日(水)で「転機編」が放映されますが、番組説明で「女川町」の語が出てくるのは5日(木)だけでした。


さらに、十和田湖。 

夢釣行 ▽十和田湖の彩りを映す可憐なヒメマス~紅葉燃ゆる陸奥ルアーゲーム~

BS日テレ 2019年12月1日(日) 17時00分~17時30分

釣り人の夢は尽きることがありません。幻の魚に出会うこと、大型の魚を狙うこと、旅先の風土や人々に触れること…。そして、心震わせる出来事が、また次の夢へとつながっていきます。この番組では、自然や人々との出会いに満ちた「夢の釣り旅」を追います。

紅葉燃ゆる陸奥の景勝地、十和田湖。秋深まるこの時期、産卵のために浅場を回遊するヒメマスをミノーイングで誘い出す。可憐なトラウトの躍動を天然色の世界に堪能する。

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もう1件。 

その他の人に会ってみた★人気アイドル密着!王林が謎の号泣&十和田湖の(秘)スポット

地上波TBS 2019年12月3日(火) 23時56分~24時55分

この番組は、世の中にあふれる様々なアンケート調査や統計で 「その他」 の項目に含まれるような、その世界での所謂 「王道の選択」 をしなかった異色の経歴の持ち主を “その他さん” と称し、その生き様を追う人物調査バラエティ。

MC を務めるのは、数々の番組で司会を務め、独自の視点で切り込むスタイルが好評の東野幸治。毎回様々なゲストとともに、“その他さん” の人生の選択に驚き、そして時には心温まるエピソードも !? 人とは違う道を選んでいるからこその興味深いエピソードが盛りだくさんの “その他さん” が登場する。

青森のアイドルから全国区に!りんご娘・王林に密着▽銀座で会った初タピオカ女子&潔癖症の美女&吉村宅での謎のパーティー▽十和田湖で会ったエリート官僚が驚きの転身

人気観光地・十和田湖周辺のその他さん
 ◇女性デザイナーが考案「KUMADAKO」とは? ◇エリート官僚が驚きの転身!ホテルの定額サービスとは? ◇願い事が叶う!十和田湖の(秘)パワースポットとは?


MC 東野幸治  進行 江藤愛(TBSアナウンサー)
ゲスト 王林(りんご娘)  吉村崇(平成ノブシコブシ)


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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。ちらっとでもいいので映してほしいものです。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩の本質は意味にもなく、声調にもなく、音韻にもなく、語彙にもない。それらのものは唯詩を形づくる素材であり、手段であり、方式であり、媒体であり、部品である。詩の本質は、その詩全体が人を打つて来る不可避不可抗の感動力であつて、これはもともと無形、無名のものである。指示し得ないけれども人の心に実存する以心伝心の磁力である。

散文「詩の本質」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

早世した宮澤賢治なども、もしこの文章を読んだら「そうそう」と首肯しそうだな、と思いました。











昨日から東北二県を回っておりまして、現在、帰りの新幹線はやぶさ号車中です。

昨日は智恵子の故郷・福島県二本松で、智恵子を偲ぶ「レモン忌」に参加、今日は光太郎第二の故郷とも言うべき岩手花巻とさらに隣接する北上で、光太郎ゆかりの石碑をめぐる市民講座の講師でした。

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詳しくは帰りましてからレポートいたします。

昨日に引き続き、新聞各紙から。特に東北の地方紙です。

まずは『山形新聞』さんの社説。

土門拳生誕110年 今に生きる「鬼の仕事」

 酒田市出身の写真家土門拳は今年、生誕110年を迎えた。戦後にリアリズム写真を提唱し、数多くのテーマに取り組んで膨大な作品を残した。日本人の心を探求し、妥協を許さぬ姿勢から「写真の鬼」とも呼ばれる。節目の年に人物や業績を見直し、酒田から発信したい。
 同市の土門拳記念館では生誕110年に合わせた企画展「鬼が撮った日本」を9月23日まで開催している。生誕100年の際に土門を取り上げた「別冊太陽」(平凡社)の内容に沿って生涯をたどるものだ。土門の写真作品121点、絵18点、書18点を紹介している。
 写真集「風貌」からは作家の志賀直哉や三島由紀夫、版画家棟方志功ら著名人の肖像写真を展示。土門は撮りたい相手の資料を集めて徹底的に人物像に迫り、撮影現場では詩人高村光太郎が「土門拳のレンズは人や物の底まであばく」と評した執念で撮り続けた。洋画家梅原龍三郎は怒って籐(とう)椅子をアトリエの床にたたきつけたというエピソードが残る。
 「筑豊のこどもたち」は福岡県の閉山した炭鉱を取材し、ざら紙に印刷した100円の廉価な写真集。窮状を社会に訴えて反響を呼び、ベストセラーになった。収録した「母のない姉妹」「弁当を持ってこない子」などを展示している。
 後遺症に苦しむ被爆者たちを取材した写真集「ヒロシマ」からは「胎児で被爆した少年梶山健二君の死」「十三年寝たきりの人」など。生々しい写真は衝撃を与えたが、悲劇を繰り返さないようにと進んでカメラの前に立つ被爆者に、土門は何度も目頭を熱くしながらシャッターを切ったという。
 土門は「日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も、文化も、そして日本人をも理解できると考えたのである」(「仏像巡拝」)と書いている。ライフワークとなった「古寺巡礼」をはじめ日本の伝統美に挑み、大きな業績を残した。企画展では「永遠を生きる仏像」「古寺巡礼の名建築」「室生寺にはじまり、室生寺におわる」といったタイトルごとに見応えのある写真が並ぶ。
 写真家として駆け出しの時代の仕事にも触れることができる。早稲田大政治経済学部の卒業アルバムは、学生たちに溶け込んで私生活をリアルに深く楽しく描写した。お茶の水女子大の前身である東京女子高等師範学校文科の卒業アルバムも手掛け、こちらも展示した。
 土門拳は1909(明治42)年、現在の酒田市相生町で生まれた。幼い頃に一家で東京に移り住み、57(昭和32)年、約40年ぶりに酒田山王祭りの取材で故郷を訪れた。74年には酒田市の名誉市民第1号に。土門は自身の全作品を郷里に贈りたいと語り、記念館は一人の作家をテーマにした世界でも珍しい写真専門の美術館として83年に開館した。
 土門は写真技術と強靱(きょうじん)な精神力、行動力で独自の世界を切り開き、脳出血の病に襲われても撮影を続けた。映像技術が進化した今でも作品の価値が損なわれることはない。レンズを通して現実を直視し、より正しい方向に向けようとした姿勢は、混迷する現代にこそ求められているのではないか。業績を多くの人に知らせる努力を続けたい。
(2019/08/19付)


光太郎関連の写真のうち、重要なものを撮っている土門拳。

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左は確認できているものとしては唯一、光太郎が木彫作品を彫っているところ。昭和15年(1940)のカットです。右は現物が失われてしまった塑像「黄瀛の首」。同じ彫刻の写真は何点か残っていますが、土門撮影のものがもっともよく撮れています。

また、昭和27年(1952)には、土門が写真を撮り、光太郎、志賀直哉、高見順らが解説を書いた『日本の彫刻Ⅱ飛鳥時代』という大判の写真集が美術出版社から刊行されています。


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その前年、土門は花巻郊外太田村に逼塞していた光太郎の元を訪れ、その暮らしぶりをパパラッチ(笑)。土門の写真を賞めていたものの、自分が写真に撮られることは好まなかった光太郎は、閉口したようです。くわしくはこちら


続いて、『福島民報』さん。

安達太良登山楽しむ ほんとの空プログラム

 自然の中で子どもたちの好奇心や探究心を育む、福島民報社の「ふくしま ほんとの空プログラム」安達太良山トレッキングは十八日、二本松市の安達太良山で開かれた。
 県内各地から二十五人が参加した。安達太良マウンテンガイドネットワークの案内で夏の登山を楽しんだ。一行はロープウエーで八合目の山頂駅に移動し、薬師岳を登り山頂を目指した。
 登山道ではさまざまな木々や草花、青い空と雄大な安達太良連峰の景色を眺めた。好天に恵まれ、山頂では猪苗代湖や磐梯山を望みながらおにぎりや弁当を食べた。下山後にガイドネットワーク代表の加藤正広さんが「秋や冬など他の季節も楽しめるので、また安達太良山に来てほしい」と参加者に呼び掛けた。
 プログラムは県教委、二本松市などの後援。花王、城南信用金庫、スパリゾートハワイアンズ、全日本空輸、大王製紙、テーブルマーク、トイコー、ヒカリレンタ、ヒューマンサポートの協賛。


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一昨年から同社の主催で開催されている「ふくしま ほんとの空プログラム」。さまざまな体験活動が用意されていて、たくましい子供の育成につながりそうです。この後も、9月14日(土)に「猪苗代湖の水をきれいにしよう<日帰り>」、9月21日(土)~23日(月・祝)が「田舎は最高!体験交流しよう<2泊3日>」、10月27日(日)で「希望の桜をみんなで植えよう!<日帰り>」といったプログラムが用意されています。智恵子が愛した「ほんとの空」の下、見聞を広めて欲しいものです。


最後は『石巻かほく』さん。

被災地でJICA研修 3カ国の海図作製者が安全対策学ぶ 石巻、女川

 独立行政法人国際協力機構(JICA)の外国人研修員が20日、東日本大震災の被災地石巻市と女川町を訪問した。JICAと海上保安庁が主催する海図作製研修の一環。インドネシア、ミャンマー、タイから来日した6人が震災の被害と復興状況を確認し、災害対策などに理解を深めた。
 石巻市内では、甚大な被害を受けた南浜地区を訪問。災害伝承施設「南浜つなぐ館」の敷地で、石巻観光ボランティア協会の語り部から、震災前と直後の南浜地区の様子を写真で確認したほか、被災状況や復興の進捗(しんちょく)状況の説明を受けた。南浜を襲った津波が高さ約7メートルを示す看板に、驚く研修員もいた。
 女川町では、魚市場や町内各地の「いのちの石碑」などを見学したほか、JR女川駅前の商店街で語り部の話に耳を傾けた。
 研修員は全員、母国の海図作製機関で働いている。インドネシア人のイクサン・デヤスマラさん(25)は「母国もスマトラ沖地震などで津波の被害を受けている。帰国後、災害時も安全に航行できる海図を作製したい」と話した。
 同じインドネシア人のエディチオ・ドゥイ・クルニアワンさん(31)も「実際に来て津波の高さ、災害の大きさに驚いた。帰国後は避難訓練や、海の近くの住人への防災教育などをしていきたい」と語った。
 研修員は、6月に来日。別府港(大分県)での港湾測量実習、駿河湾(静岡県)での洋上実習などを経て、12月に帰国する。

光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」の活動、海外にも広まってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

僕ら、文学はどういうわけだかどうしても書きたくなるんだね。

対談「芸術よもやま話」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

亡くなる前年、対談相手は当会の祖・草野心平でした。「文学」は「文学者」という意味でしょう。心平はこの発言に対し、「それは宿命ですね。(笑声)しょうがない。(笑声)」と返しています。まったくそうなのでしょう。

このブログでご紹介すべき事項が多く、東北発の地方紙掲載ニュースをまとめて2件、ご紹介します。ネタに困っている時期ですと分割するのですが(笑)。

まずは光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖から。

二紙での報道が確認できておりまして、最初に『東奥日報』さん。

手作りパンフで十和田市紹介/三本木小児童/十和田湖畔で配布、歌や踊り披露も

 青森県十和田市の三本木小学校(坂本稔校長)の4年生97人が21日、同市奥瀬十和田湖畔休屋で地元のPR活動を行った。児童たちは、市の観光名所や特産物などを紹介するオリジナルパンフレットの配布、地域の踊りなどの披露で古里の良さをアピールした。
 児童は3班に分かれ、乙女の像や商店周辺、遊覧船発着場所の桟橋前広場でパンフレットを配布。受け取った県外客は「うれしい」「感動しちゃった」と笑顔で、手作りパンフレットをじっくりと眺めていた。
 桟橋前広場では、郷土を題材にした同校オリジナルソング「たからもの」を全員で合唱した。観光客たちは、カメラで撮影したり、手拍子をしたりして児童の元気な歌を満喫。流し踊り「三本木小唄」の披露では、見物客を誘い込んで一緒に踊りを楽しんだ。児童代表の大西花奈さん(10)が「また十和田に来て、良いところやおいしい食べ物を楽しんでください」とあいさつすると、盛んに拍手が送られた。
 PR活動について、丸井沙弥子さん(9)は「パンフレットを渡して十和田の魅力を紹介できた」、起田武君(9)は「恥ずかしがらずに伝えられた」と胸を張った。合唱や踊りについては、瀬川湧生(ゆうせい)君(9)が「踊りの輪に入れるよう誘い一緒に踊ってくれてうれしかった」といい、高渕鈴華(すずは)さん(9)は「(合唱では)盛り上がってくれてみんなも笑顔になれた」と満足そうに話した。

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同じ件で、『デーリー東北』さん。

観光客に十和田湖の名所や名産品PR/十和田・三本木小

 十和田市立三本木小(坂本稔校長)の4年生97人が21日、十和田湖畔で観光客らにふるさとの魅力を伝える活動を展開した。児童たちは三本木小唄を一緒に踊ったり、観光パンフレットを配ったりして、地元が誇る観光地の魅力をPRした。
 同校は「ふるさと力日本一」を教育目標に掲げ、郷土学習に力を入れている。2016年には、児童が考えた地域の宝物が登場する歌「たからもの」を制作し、翌年から4年生が湖畔で披露するなど、地元のPR活動を展開している。
 この日は、乙女の像と商店前、桟橋前に分かれ、道行く人に観光パンフレットを配布し、観光名所や名産品などを紹介。その後、十和田湖遊覧船の帰着に合わせ、外国人観光客らと一緒に三本木小唄を輪になって踊ったほか、高らかに歌を披露し、もてなした。
 江渡美莉亜さん(9)は「静岡県から来た人に十和田の自然の美しさを伝えた。踊りや歌は少し恥ずかしかったけど、喜んでもらえてうれしい」と声を弾ませた。
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微笑ましいニュースです。


続いては、仙台発で『河北新報』さん。

古里・女川の支援続ける洋画家佐藤幸子さん 来月3日から仙台で個展 ◎キャンバスに広がる希望 三陸の海、日の出力強く

 河北美術展顧問で日展会友の洋画家佐藤幸子さん(78)=仙台市青葉区=の油絵展「希望と共に」が7月3日、青葉区の仙台三越本館7階アートギャラリーで始まる。宮城県女川町で育ち、東日本大震災の津波で実家を失った佐藤さんが、被災地に希望を届けたいと4年ぶりの個展に願いを込める。9日まで。
 佐藤さんは現在、自宅アトリエでキャンバスに向かい、花をモチーフに最後の作品作りに絵筆を握る。これまで描いた三陸の海の風景も合わせ約35点を展示する予定で、うち「照耀(しょうよう)松島」は100号の大作。松島湾の日の出を力強く描き、2018年の日展で22回目の入選を果たした。
 「明るく希望あふれる作品を目指した。震災から8年が過ぎたが、立ち直れずにいる人にも見てもらえたらうれしい」と語る。
 他に中学生の時に女川の入り江を描いた水彩画「海」を展示し、21歳で山道に咲くヤマブキを情熱的な色使いで描いた油絵「萌(も)える」もパネルで紹介。思い出の作品で60年を越える画業を振り返る。
 佐藤さんは女川の子どもたちに毎年クリスマスカードを送るなど、古里の支援を続けている。震災後は絵
の収益を図書購入費として贈ったり、3校を再編した女川小を慰問して児童と交流したりした。「大変な思いをした子どもたちに逆に励まされた。再び絵が描けるのか悩んだ時期もあったが、創作の意欲をもらっている」と感謝する。
 個展の収益の一部は、女川の中学生が始めた津波の教訓を後世に伝える「いのちの石碑プロジェクト」に寄付される。

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昭和6年(1931)に紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑を建立、さらに毎年女川光太郎祭を開催して下さっている女川町がらみです。

佐藤さんは女川ご出身ということで、記事の最後にあるとおり、収益の一部は「いのちの石碑」プロジェクトに寄付されるとのこと。光太郎文学碑の精神を受け継ぐ活動ですので、ありがたいかぎりです。

殺伐としたニュースが多い中、このようなニュースで日本中が埋め尽くされれば、と思います。


【折々のことば・光太郎】

御質問の第二十一世紀を迎へる迄に世界平和の日が来り得ると思ふかどうか、といふ事については、遺憾ながら、来ないであらふと思ふ方に私は傾いてゐます。世界平和の日を懇望するにつけても、人類進化の遅々たるを痛感します。人種同志の偏見に勝ち得る人類総体のもう一段の進化にはどの位の年月を要するでせう。一寸想像もつきません。

アンケート「世界平和の日」全文 大正15年(1926) 光太郎44歳

残念ながら、光太郎の予想は当たってしまいました。22世紀を迎えるまでに、世界平和の日は来るのでしょうか。大阪で開催されていたG20が閉幕しましたが、その報道に接するにつけ、それも望み薄だろうと思われます。

インターネットを使うと、全国の各市区町村などの広報誌が閲覧できます。このブログでも、光太郎智恵子ゆかりの市区町村のそれからネタにさせていただくことがしばしばです。

概ねこの手の広報誌は月刊、各月1日発行というところが多く、月初めには光太郎智恵子ゆかりの市区町村のサイトをチェックしています。ある意味、自分の住む市の広報誌より細かく目を通しているかも知れません(笑)。

今月は豊作でした(笑)。

北から順に、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市の『広報はなまき』。

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表紙が、先月15日に行われた第62回高村祭の様子。なかなかインパクトがありますね。

続いて、毎年8月9日に、女川光太郎祭を開催して下さっている宮城県女川町の『広報おながわ』。平成から令和となり、平成のアーカイヴ的な「あの日あの時 女川町史」というコーナーがあります。今月号は「平成3年 高村光太郎文学碑完成」。

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東日本大震災の大津波で倒壊した光太郎の文学碑――女川光太郎祭開催のきっかけとなった――が紹介されています。震災後に設置が始まり、現在もその活動が続く「いのちの石碑」に連なる、百円募金活動で建立された件にもふれられています。


さらに、智恵子の故郷・福島県二本松市の『広報にほんまつ』。直接、光太郎智恵子に関わるイベントではありませんが、「智恵子が愛したほんとの空の下で、バーベキューランチを楽しみながら、さわやか交流会を開催します♪」だそうで(笑)。参加しよう! と思ったら当方のごときは対象外でした(笑)。

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ところで、全国のそれを全て調べたわけではありませんが、この手の広報誌、タイトルのほとんどが「広報」プラス「ひらがなで市町村名」となっています。何かそういう法令でもあるのでしょうか? ご存じの方、ご教示いただければ幸いです。


【折々のことば・光太郎】

亡妻智恵子の実家が街道つづきの漆原という部落にあつたが、私も祖母から其時の戦争話をきいた事がある。今は何もなく、丘を埋める桜の花が満開で、うしろの空の阿多多羅山に雪が残つている。「阿多多羅山の山の上に、毎日出てゐる青い空」が今日も見えるようだ。

散文「二本松霞ヶ城」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

この年発行の『週刊読売』に掲載された文章の一節です。2ページ見開きのグラビア「古城にうたう」と題したコーナーで、二本松霞ヶ城址の写真も掲載されていました。それを見ての感想的な。

「戦争」は戊辰戦争です。

いずれも小ネタ的な感じですが、4件ほどご紹介します。

遠くへ行きたい「元世界王者内藤大助もノックアウト!岩手の若きチャンプ達」 岩手県一関~花巻

地上波日テレ 2019年4月28日(日)  6時30分~7時00分

元ボクシング世界チャンピオンの内藤大助が様々な分野の若きチャンピオンに会いに岩手県を旅する。▽1.絶景渓谷“厳美渓”に130年続く名物“空飛ぶだんご”▽2.岩手発祥“わんこそば”の小学生チャンピオンが魅せる驚異のすすり▽3.1300年の伝統芸能“鬼剣舞”の危険な技に挑戦!▽4.絶品!バケツでジンギスカン▽5.世界チャンプを生んだ高校ボクシング部員と拳の語らい▽6.浴槽から湧き出る!?レトロな温泉

旅人 内藤大助

最後の「レトロな温泉」というのが、光太郎もたびたび宿泊し、堪能した鉛温泉藤三旅館さんの、白猿の湯です。番組公式サイトから。

「花巻温泉郷」の「鉛温泉 藤三旅館」は600年の歴史を持つ温泉だ。レトロで風情ある温泉の名物は自噴天然岩風呂「白猿の湯」。湯口はなく、浴槽の底から湯が湧き出てくるという。そのため風呂はかなり深く、立って入るのが流儀だ。内藤は温泉につかりながら、若者たちに熱いパワーをもらった、平成最後の「遠くへ行きたい」を振り返る。

その他、宮沢賢治御用達で、やはり光太郎も足を運んだ花巻市街のそば屋「やぶ屋」さんも登場します。

岩手といえば「わんこそば」。内藤は「やぶ屋 花巻総本店」で、わんこそばに挑戦することに。笹川博之さんによると、わんこそばは花巻が発祥なのだそう。店内には勢いよくそばをすする先客たちが。小学生の菊池陸くん、高橋世良くん、板橋暖人くんの3人組で、「元祖わんこそば全日本大会 小学生の部」で2年連続で優勝したチャンピオンだという。内藤は世良くんと3分1ラウンド勝負で、わんこそば対決をすることに。勝敗はいかに?


続いては、当会の祖・草野心平がらみで。

校歌を訪ねて「第104回 福島県川内村立 川内小学校」

BS-TBS 2019年5月2日(木)  18時24分~18時30分

誰にでもある小学校や中学校の校歌の思い出。この番組は東日本大震災の被災県を中心に小中学校の校歌を紹介します。
今回ご紹介する学校は、福島県川内村立川内小学校。学校が建つ川内村は、東日本大震災による原発事故で全村避難となった地域。幸い放射線量が少なかったため、翌年には川内村で学校生活を再開できました。そんな川内小学
校の校舎は木のぬくもりが温かい、平屋のオシャレな校舎。児童たちも隠れ家的スペースの「デン」や、畳敷きの「図書室」などお気に入りの場所で楽しく学校生活を送っています。また川内小では他県との交流も盛んで、長崎大学や北海道の士別市の学校などお互いに行き来して交流を深めています。番組では、そんな川内小での学校生活や、他県との交流、そして将来の夢について児童たちにインタビュー。また川内小学校の校歌を、全校児童による斉唱でお届けします。



心平が愛したカエルにちなみ、心平を名誉村民として下さった川内村の川内小学校さんが取り上げられます。この番組、これまでにも同じ川内村の川内中学校さんや、「いのちの石碑」の活動で光太郎と関わる宮城県の女川中学校さんなどが取り上げられています。


川内中学校さんの校歌は心平の作詞ですが、小学校さんの方は、丘灯至夫作詞。やはり福島出身で、二代目コロムビア・ローズさんが歌った「智恵子抄」の作詞者です。


続いても福島系です。 

新 鉄道・絶景の旅 「仙台~三春~いわき みちのく桜紀行」

BS朝日 2019年5月2日(木)  19時00分~20時54分

春のみちのくを満喫!東北屈指の桜の名所めぐり▽8000万年もの歳月をかけて築かれた大自然の造形美!あぶくま洞を探検▽桜の絶景駅▽ビックリ仰天!桁違いの超~デカ盛りメニューを発見▽ビール焼きそば?▽郷土名物!ふくしまブルブル?▽激安!アイスバーガーの元祖…青春の味!?▽三春名物!ピーマン味噌で食べる?三角油揚げ▽白石名物!うーめん?▽地味に有名?評判の駅弁▽鉄道遺産・レンガの油庫▽東北本線▽磐越東線   

船岡の一目千本桜▽二本松・合戦場の枝垂れ桜▽三春の滝桜▽名山!安達太良連峰&蔵王連峰▽色彩のハーモニー!枝垂れ桜&春モミジ▽花の楽園!菜の花で描く…ハートマーク

ナレーター 林家たい平

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昨年5月に初回放映があり、再放送です。

智恵子の故郷、二本松が大きく取り上げられます。ただし、光太郎智恵子の名は出てきませんでした。

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二本松駅のシーンでは、そうというナレーションはありませんでしたが、光太郎の詩碑が映りました。

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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節を刻んだ詩碑で、建立は昭和51年(1976)です。その他、二本松城、合戦場のしだれ桜などが紹介されます。


最後は光太郎の姉貴分・与謝野晶子がらみ。

高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?▼中国画家の水墨画…コウエツ…高額鑑定

BS-TBS 2019年5月2日(木)  21時00分~21時54分

高島礼子が日本全国の蔵へ!埋もれた家宝捜索の旅。  江戸時代勝山藩の城下町として栄えた岡山県真庭市勝山。 創業200年を超える老舗酒蔵に残されていたのは、 与謝野晶子の歌。そして、清末期・中国の画家の水墨画! 驚きの高額鑑定が!  人口1000人の日本一美しい村・新庄村。 4軒の蔵を大捜索!「村に1軒しかない宿に、蔵に眠る品々を集めて飾りたい!」 という依頼にチーム高島が全力で協力! 見つかったのはベロアイの器…アメリカ製の・・・!?  福岡県朝倉市。 30年手つかずの蔵!家主も知らない蔵の中を徹底捜索!  築220年のお宅で出会ったコウエツナナシュとは? 父から受け継いだ品に驚きの評価!

出演 高島礼子 「蔵」のスペシャリスト一級建築士の渡辺義孝さん 「くらや」の鑑定士・山岡真司さん

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今月4日放映の同じ岡山県真庭市編では、光太郎の朋友だった陶芸家バーナード・リーチの作品が取り上げられました。その際は情報を得るのが遅れ、事前にこのブログでご紹介できませんでしたが……。


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今回は「与謝野晶子の歌」だそうで、晶子も鉄幹ともども各地を旅し、行った先々でいろいろ書き残したりしていますので、期待できそうです。


それぞれぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

むやみに計画を壮大にしてそのために神身を労し過ぎ、仕舞に何のために苦しんではゐるのか分らなくなり、果ては絶望的破壊的な考へ方まで抱くに至るやうな例もままあるのは気の毒である。分相応より少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと私は信じてゐる。

散文「開墾」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)前に、僅かばかりの畑を作って農耕に従事したことを指します。僅かばかりの畑が、自分一人でやって行くには分相応というわけで。

農耕に限らず、全ての仕事に当てはまるような気もしますね。ただ、こういう言い訳をして可能性に蓋をしてしまうのもどうかとも思いますが。

最近の新聞各紙から、光太郎智恵子がらみの記事を紹介いたします。

まず、4月12日(金)の『東奥日報』さん。

十和田湖遊覧船が今シーズンの運航開始

 昨年11月から冬期間の運航を休止していた十和田観光電鉄(青森県十和田市)の十和田湖遊覧船が12日、湖畔休屋で運航を再開した。初日は台湾人観光客や招待客らが双胴船「第3八甲田」に乗り込み、雪残る山々のパノラマ、青みを増す初春の湖水に見入った。
 再開したのは休屋を発着し、御倉半島と中山半島を巡る約50分のコース。招待客が乗った午前11時45分発の53便ではセレモニーを行い、観光シーズン開幕を祝った。船は湖畔の「乙女の像」や、湖上に浮かぶ「恵比寿大黒島」といった名所近くを周遊した。
 別便で遊覧した台湾人の施正忠さん(50)は「雪のある景色がとても美しい。満足している」と笑顔をみせた。十鉄によると、2018年度の乗船客は、欠航が多かった影響で前年比約9千人減の11万人。うち外国人観光客は1万1千人と1割を占める。
 同社の白石鉄右エ門社長は「今年の目標は12万人。船の魅力を国内、外国のお客さまに合わせて伝えていきたい」と意欲を語った。
 19日からは休屋~子ノ口航路も再開し、11月まで1日最大18便を運航する。料金は大人1400円、子ども700円(団体割引あり)。

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カルデラの外輪山にあたる湖周囲の山々には、まだ雪。これから桜の季節なのでしょう。ぜひ足をお運びください。


お次は『福島民友』さん。翌4月13日(土)の記事です。

「桜生かし」まちづくり 二本松で全国シンポ、意見交わす

 全国の桜の保存団体や樹木医らが集う「全国さくらシンポジウム」は11、12の両日、二本松市で開かれた。県内外から約700人が参加し、「ほんとの空に さくら舞う」をテーマに桜を生かしたまちづくりや地域の振興について考えた。
 シンポジウムは、桜の名所づくりや花を核に自然豊かな地域づくりに取り組む日本花の会(萩原敏孝会長)と、同市の行政、観光団体などでつくる実行委員会の主催。本県では1988(昭和63)年の三春町に次いで2度目。
 芥川賞作家の玄侑宗久さんが「桜~『無常』と『あはれ』の花」と題して記念講演した。玄侑さんは、日本人が桜を好む理由について「物事の両極端を受け入れるのが日本人の心情。すぐに散りゆく無常さと花開いた際の『あはれさ』を1本の木で体験できる」と語った。
 パネル討論も行われた。日本花の会の和田博幸さんを進行役に、にほんまつ観光協会長の安斎文彦さん、県樹木医会の鈴木俊行さんらが桜を核にした二本松の魅力発信、桜の保存活動などについて意見交換した。
 最終日の12日は、参加者が二本松の桜の名所などを巡った。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採った復興の合い言葉「ほんとの空」を冠した「全国さくらシンポジウム」関連です。


同じく4月13日(土)の『日刊ゲンダイ』さん。ネットで見た記事ですが、紙面に掲載されたのかどうか。とりあえず引用させていただきます。

雄星に大谷に佐々木 なぜ岩手が“怪物”を3人も輩出できたのか

 単なる偶然なのか、それとも必然なのか。
 先日、岩手・大船渡高校の佐々木朗希(3年)がU18高校代表合宿で高校生史上最速の163キロをマーク。新たな怪物誕生にメディアは大騒ぎした。佐々木が誕生した岩手は大谷翔平(エンゼルス)と菊池雄星(マリナーズ)の出身地。わずか10年で3人の“怪物”を輩出したことになる。
「岩手の人沈深牛の如し 両角の間に天球をいだいて立つ かの古代エジプトの石牛に似たり 地を往きて走らず企てて草卒ならず ついにその成すべきを成す」
 詩人の高村光太郎は著書「岩手の人」で、岩手県民をこう表現した。牛のように慌てず一歩一歩前に進み、事を成し遂げる気質をつづったのだ。
■県民性、食文化、部活動
 県民性研究の第一人者で、㈱ナンバーワン戦略研究所所長の矢野新一氏は「普段は物静かながら、何かの瞬間に大きな力を発揮する傾向がみられる」と、こう続ける。
「岩手の県民性を実証する企画をテレビでやったことがある。リンゴをたくさん入れた紙袋を持ち、信号待ちしているときに、わざと転んでリンゴをこぼす。すると、のんびり信号待ちしていた人たちが一斉に走って来て、散らばったリンゴを拾い始めたのが印象的でした。岩手では外国人観光客のために作ったおもてなし対策の『10手』が盛り上がっている。何かの目標に向かって一生懸命になり、力を発揮する。長い冬は家にこもるという生活から時代が変化し、県全体に活気が出てきている点も見逃せない」
 食生活にもヒントがありそうだ。
 2016年度の総務省家計調査によると、岩手はわかめ、こんぶの消費量が全国1位。魚介類もよく食べる。ほうれんそう、大根が1位で、にんじん、ごぼうも上位。果物消費もトップだ。さらに、東北に限れば豆腐の消費量も1位。かつては多くの家庭で豆腐作りをやっていた名残という。
 横浜創英短期大学名誉教授の則岡孝子氏(管理栄養士)がこう言う。
「岩手の人たちはオールマイティーの栄養素を食事から取り入れているのでしょう。海のもの山のもの、寒い地域のものなど、栄養バランスが優れていると思います。スポーツ選手の筋肉の発達において、魚介類、豆腐などに含まれるタンパク質と、魚介類などに含まれるビタミンB6、B12を合わせて取ることで、よりタンパク質の代謝が良くなる。ビタミンB6、B12は体に保存できないだけに、タンパク質と一緒に摂取できるのはプラスです。野菜や果物はビタミンや食物繊維、海藻類は食物繊維やヨウ素が多く含まれるため、新陳代謝が高まり、より多くのエネルギーを発揮する効果がある。さらにカルシウム、鉄分が骨や体の成長を促します」
 スポーツへの関心も高い。
 岩手は全国高体連加盟登録状況によると、体育系の部に登録する生徒の加入率(平成30年8月)が60.8%で全国1位。男子中学生100人あたりの軟式野球部員は全国2位。男子高校生100人あたりの硬式野球部員数は全国5位だ(17年度)。
 岩手県教育委員会事務局・保健体育課統括課長の清川義彦氏は「中高の部活動はもちろん、スポーツに取り組む子供、指導者が一生懸命取り組むという土壌ができつつあるのではないか」と分析。岩手県内の高校野球の監督は、「昔から根気強く、純朴で真面目な生徒が多い。寒い時季にも熱心に運動に取り組み、競技力を高め、体をつくっていく取り組みが積み重なった結果だと思う」と話す。
 さまざまな要素が重なった結果、ダイヤモンドの原石が誕生したようなのだ。

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こちらは光太郎詩「岩手の人」(昭和24年=1949)が引用されています。この詩、岩手のスポーツ界が語られる際によく使われます。今年、釜石市などで開催されるラグビーW杯関係で『岩手日報』さん、平成28年(2016)の岩手国体にからめて『盛岡タイムス』さん、同年、競歩でリオ五輪に出場した花巻出身の高橋英輝選手を紹介する『岩手日日新聞』さん、やはり大谷選手がらみの『岩手日報』さん一面コラム「風土計」

なぜ岩手に”怪物”が現れるのか、ということで、いろいろ考察されていますが、当方は、歴史的に見て、やはり「蝦夷(えみし)」のDNAが色濃く残っているからではないかと考えます。平安時代の阿弖流為(アテルイ)はもちろん、源義経をかくまって鎌倉と対立した奥州藤原氏にも蝦夷の血が流れていましたし、下って室町時代のコシャマインや江戸時代の沙牟奢允(シャクシャイン)などのアイヌの首長ら、まつろわぬ人々のエネルギーというか、血に刻まれた反骨心というか、そういったものが21世紀になっても形を変えて現れているように思われますが、どうでしょうか。そうした岩手人の魂を光太郎は詩「岩手の人」に表したようにも思えます。


最後に昨日の『東京新聞』さん。一面コラム「筆洗」で、ノートルダム大聖堂の火災を取り上げ、光太郎に触れて下さいました。

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 「宿命」。古い塔内の暗い片隅の壁にそう深く刻まれていたそうだ。どうやら中世の人間が書いたものらしい▼その文字を見つけたのは作家のビクトル・ユゴーである。「宿命」の言葉に刻んだ人間の悲痛さを感じ取ったという。どういう人間が書いたのか。そこから着想を得て執筆したのが宿命に翻弄(ほんろう)される人々を描いた小説『ノートル=ダム・ド・パリ』(一八三一年)。塔とはパリのノートルダム寺院である▼ユゴーが見た言葉も消えうせたか。世界遺産ノートルダム寺院の大聖堂の大火である。尖塔(せんとう)や屋根が崩落するなど、甚大な被害が出た。市民の悲痛な顔。「宿命」と呼ぶには受け入れがたい現実である▼<あなたを見上げたいばかりにぬれて来ました、あなたにさはりたいばかりに、あなたの石のはだに人しれず接吻(せっぷん)したいばかりに>。パリ時代、大聖堂に毎日通ったという高村光太郎の「雨にうたるるカテドラル」。荘厳なる美と歴史。十二世紀着工の大聖堂はパリ市民のみならず、人類全体の宝であった。それが失われた▼修復工事中の失火が原因とみられている。フランス革命にも二度の世界大戦にも難を逃れた大聖堂が失火で炎上したとはなんという皮肉な宿命なのか▼喪失感の中にも再建の声が出ている。人類の宝であるなら人類全体で手を貸したい。再建と復活。それが大聖堂のこれからの宿命と信じる。


人類の宝であるなら人類全体で手を貸したい。」そのとおりですね。


【折々のことば・光太郎】

雪中生活の鮮新さ、小屋を取り巻く潮騒のやうな風声の物凄さ、皆生れて初めての体験です。この王摩詰が詩中の天地に、今日の場合、安全に生きてゐられるありがたさと済まなさとを痛感してゐます。勉強あるのみ。

散文「消息 一」より 昭和20年(1945) 光太郎63歳


太平洋戦争が終結し、この年の秋、光太郎は鉱山の飯場小屋を譲り受けて、花巻郊外太田村に住み着きました。当初は、青年時代から絶えず希望していた、人里離れた自然に囲まれての生活の実現という、ある意味無邪気な夢想という面があり、そこで、王摩詰が語られています。王摩詰(王維)は唐代の詩人。西安郊外の輞川(もうせん)に隠遁し、芸術三昧の生活を送りました。

そして迎えた初めての厳冬。万年筆のインクも凍るマイナス20℃の寒さ、胸の高さまで積もる豪雪、吹雪の夜にはあばら屋の隙間から舞い込んで寝ている布団にうっすらと積もる雪……。それがやがて、戦時の翼賛活動で多くの若者を死に追いやったという反省に、光太郎を誘って行くのです。

2月も後半となりまして、当方自宅兼事務所のある千葉県は、まだ寒さが残るものの、そちこちで春の気配が漂っています。愛犬の散歩中、今年初めて冬眠から覚めたカエルに遭遇しましたし、裏山では梅が満開です。

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しかし、東北や北陸などの雪国では、まだまだ雪深い状態のようですね。青森に住む友人からのLINEでは、「雪で庭がない」とありました(笑)。

雪国からの新聞記事等を3件。

まずは『福島民報』さん。同社の主催で一昨年に始まった、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語を冠したイベント「ふくしま ほんとの空プログラム」関連です。  

多彩な雪遊び満喫「ほんとの空プログラム」 郡山湖南

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 豊かな自然環境で子どもの好奇心や探究心を育む
活動「ふくしま ほんとの空プログラム~雪まみれになって遊ぼう!!」は十日、郡山市湖南町のホールアース自然学校福島校などで開かれた。
 県内外から集まった小学生とプログラムサポーターのタレント長沢裕さん(伊達市出身)が参加した。旧福良小の校庭でソリ滑りや雪だるま作り、雪に寝そべり人の形を作るなど雪遊びを満喫した。雪合戦では雪玉を投げ合い、白熱した戦いを繰り広げた。参加者全員で力を合わせて、かまくらを作り、白銀の世界を楽しんだ。
 餅つき体験も催され、子どもが餅をついた。出来上がった餅は雑煮に入れたり、あんこ、きな粉などにあえたりして味わった。
 長沢さんは「最初は寒くて動けるかなと思ったが、みんなと大自然の中でいっぱい走って叫んで遊ぶことができて楽しかった」と笑顔を見せた。
 プログラムは福島民報社の主催、オーデン、花王、城南信用金庫、常磐興産、大王製紙、テーブルマーク、日本シビックコンサルタント、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会の協賛。


続いて、青森。『東奥日報』さん。開催中の「十和田湖冬物語2019」について。 

昼は雪遊び、夜はイルミネーションの幻想世界 「十和田湖冬物語」24日まで

 十和田湖畔休屋地区で連日多彩なイベントが繰り広げられる「十和田湖冬物語」。光に彩られた白銀の世界で、カップルや家族連れがキャッチフレーズ通り、冬と遊んでいる。会期は24日まで。


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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップ、幻想的ですね。昨年お邪魔した際は、像の周辺は地吹雪で、遭難するかと思いましたが(笑)。


最後に『新潟日報』さん。同紙は一面の題字(会津八一揮毫)の脇に、新潟ゆかりの詩人・堀口大学の短句を載せる「堀口大学 文化の記憶」というコーナーがあり、2/14掲載分が、詩「光太郎詩人の写真に題す」 の一節でした。

堀口大学 文化の記憶

深雪(みゆき)の中のこの老詩人 ひとり暮しはおさびしからう 深雪の中のこの老詩生

末行「妻子かかへて凍えてゐるに」に続く詩「光太郎詩人の写真に題す」。老詩人は高村光太郎、老詩生は大学。光太郎は岩手山中で独り暮らしていた。


この詩は全4行の短い詩です。堀口自身の回想が残っています。雑誌『短歌研究』第十三巻第五号(短歌研究社 昭和三十一年五月)に載った「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」より。

 終戦後、疎開先の岩手の山奥での憔悴の見える高村さんの雪中の写真を見て、その頃妙高山麓の雪にうもれて難儀していた私は『光太郎詩人の写真に題す』という詩を書き、雑誌にのせたり、自分の詩集に収録したりした。
   深雪の中のこの老詩人
   一人暮しはお淋しからう
   深雪の中のこの老詩生
   妻子かかへて凍(こご)えている
 この詩には、戦後の高村さんの自虐とも言いたいほどな修道僧のような生活ぶりに対する、私なりのクリティックを托したつもりであったが高村さんの目には触れずにしまったようだ。

詩は昭和22年(1947)、柏書院刊の『雪国にて』という詩集に収録されています。

堀口大学(明25=1892~昭56=1981)は詩人、フランス文学研究者。はじめ、与謝野鉄幹・晶子の新詩社に拠って短歌に親炙、慶應義塾大学文学部予科に入学後、『三田文学』に寄稿するなどしました。同い年で同門の佐藤春夫とは、終生、交友を持ち、光太郎とも新詩社で知り合いました。

明治44年(1911)から大正6年(1917)にかけ、元長岡藩士で外交官だった父に従い、中南米、欧州十カ国ほどを転々とし、滞仏中には、画家のマリー・ローランサンとのラブロマンスもあったといいます。また、「白い手の記憶――高村光太郎の思い出――」によれば、海外から光太郎に、ロダン関係の新聞記事や文献などを送ったそうです。帰国後は詩作、仏文学の翻訳で活躍。戦時中から戦後しばらくは新潟県妙高山麓の実家に疎開。昭和25年(1950)に疎開から引き揚げて以降は、神奈川県湘南の葉山町に終生在住しました。

時期的に見て、堀口が見たという光太郎の写真は、『週刊朝日』の昭和21年(1946)の2月24日号あたりに載ったものかな、という気がします。

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左が光太郎が暮らしていた花巻郊外旧太田村の山小屋。今もこの季節、こんな感じなのでしょう。


しかし、雪国もそろそろ春の気配が見えてくる頃だと思います。雪国の皆さん、雪に負けずにがんばって下さい。


【折々のことば・光太郎】

毛皮を身に纏ふ事は元来人間のからだと調和しない。極寒の地に於ける実用のみがその美をゆるす。エスキモオの毛皮はいつでも美しい。暖帯地方の都会風俗にあらはれる毛皮は必ず一種のグロテスクさとさもしさとを示し、ダイヤモンドを五本の指に光らすのと似たいやささへ伴ふ。

散文「毛皮」より 昭和7年(1932) 光太郎50歳

十数年後、自らもエスキモーのようにカモシカの毛皮を身に纏うことになるとは、さしもの光太郎も本気では考えていなかったことでしょう。


第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

昨年、全国公開されたドキュメンタリー映画「映画「一陽来復 Life Goes On」。一昨年、岩手、宮城、福島の3県を中心にロケが行われ、東日本大震災からの復興の様子を追ったものでした。

昨年11月に、DVDが発売されまして、先月入手しました。もう少し早くご紹介するつもりが、他にも色々書くべきことが多く、今日になってしまいました。 

一陽来復 Life Goes On

2018/11/16 TBSサービス 定価 3,800円+税

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昨年5月に映画館で拝見して参りましたが、その本編には未収録の未公開映像も入っています。

当会の祖・草野心平が愛し、心平を名誉村民として下さり、今も心平を偲ぶ「天山祭」を開催して下さっている、福島県川内村がメインの舞台の一つとなっています。震災後しばらくは、福島第一原発のメルトダウンにより、全村非難を強いられた村です。

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原発事故にもめげず、無農薬のお米を作り続ける秋元美誉(よしたか)さん。川内村編は、秋元さんのさまざまなご苦労がメインの内容です。

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秋元さんと昵懇の、村商工会長・井出茂さん。かつては心平を偲ぶ「かえる忌」を、経営なさっている小松屋旅館さんで開催なさっていました。

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上記は、震災後、川内村で栽培が進んだブドウ畑です。ブドウは土壌や大気中の放射線を吸収しないそうで。

遠藤雄幸川内村長、婦人会の皆さんなど、天山祭やかえる忌でお世話になった面々もご出演。

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天山祭会場にして、心平の別荘であった天山文庫もちらっと映りました。

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川内村以外では、北から行くと、岩手県釜石市。地域にコミュニティーとしての神社や祭りの様子、震災後、いち早く再開した居酒屋さんなど。

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宮城県では、南三陸町。自らも津波の被害を受けながら、避難所や、その後も地域のさまざまな活動の拠点として建物を提供なさっているホテル観洋さん。右下は従業員の方による「語り部」活動です。

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こちらを会場に開催されている、そろばん教室で学ぶ5歳の女の子(映画のポスター等にも大きく使われました)とそのお母さん。お父さんは、津波の犠牲になりました……。

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同じ宮城県の石巻。

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3人のお子さんを津波で亡くしたご夫婦がメインです。木工職人であるご主人は、震災後、地域の集会所的な建物を作ったり、小学校に寄贈する本棚を作ったりなさっています。

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その本棚に入る本は、アメリカ人ご夫婦からの寄贈。

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ご夫婦のお嬢さんは、石巻の小中学校でALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー=外国語指導助手)として働いていましたが、やはり津波に呑み込まれ、亡くなっています。はじめは日本に来るのがつらかったというご夫妻も、同様の思いをなさった方同士、石巻の皆さんとすっかり仲良しに。


福島では、南相馬。ご自宅の敷地が、浪江町との境界線上にある牧牛家の方。

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国の殺処分の指示に抵抗し、牛を育て続けています。どうも、震災の翌年公開の園子温監督映画「希望の国」で、故・夏八木勲さんが演じられた主人公は、この方もモデルの一人なのかな、と思われました。当方、一度、この牧場の前を通りました


釜石や石巻には光太郎の足跡も残っていますし、石巻に隣接する女川町では、毎年、女川光太郎祭が開催されており、他人事とは思えませんでした。


ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

しかし又製作する者は殆ど毎日新らしく蘇ります。「皮を脱がない蛇は死ぬ」とニイチエの申した通り、毎日がいつも新しい毎日であります為、この長い年月が更に古い気を起こさせません。

散文「故成瀬校長の胸像に就て一言」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

大正8年(1919)に、智恵子の母校・日本女子大学校に依頼された、同校創業者の成瀬仁蔵胸像が、なかなか完成しないことへの釈明の文章から。その長い間にも、自分は進化し続けているので、待ってほしい、という趣旨です。結局、像の完成は昭和8年(1933)でした。

「一陽来復 Life Goes On」に出演された震災被災者の皆さんも、意味は違えど、「毎日新らしく蘇り」、「毎日がいつも新しい毎日であり」、一歩一歩進んでこられたのでしょう。その歩みを応援し続けたいと思います。

新刊書籍です。 

一九四〇年代の〈東北〉表象 文学・文化運動・地方雑誌

2018/10/10 高橋秀太郎 森岡卓司編 東北大学出版会 定価5,000円+税

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一九四〇年代、東北に疎開した文学者、新聞・雑誌などのローカルメディア、そして各地に展開された文化運動が、それぞれに照射した「地方」の姿を追う。
 
《目 次》
序  地方文学研究と近代日本における〈東北〉表象 森岡卓司
1章 島木健作の「地方」表象 山﨑義光
2章 戦時下のモダニズムと〈郷土〉ー雑誌『意匠』・沢渡恒における「東北」 仁平政人 
3章 『文学報国』『月刊東北』における地方/東北表象の消長 高橋秀太郎
  [コラム1] 金木文化会と太宰治 仁平政人
4章 提喩としての東北ー吉本隆明の宮沢賢治体験 森岡卓司
5章 〈脱卻〉の帰趨ー高村光太郎に於ける引き延ばされた疎開 佐藤伸宏
6章 更科源蔵と『至上律』における地方文化 野口哲也
  [コラム2] 石井桃子と「やま」の生活ー宮城県鶯沢での開墾の日々 河内聡子
7章 皇族の東北訪問とその表象ー宮城県公文書館所蔵史料にみるイメージの生成 茂木謙之介
8章 「北日本」という文化圏ー雑誌『北日本文化』をめぐって 大原祐治
あとがき 高橋秀太郎


主に東北地方の大学で教鞭を執られている研究者の方々による共著です。

光太郎に関しては、東北大学文学研究科教授の佐藤伸宏氏による「5章 〈脱卻〉の帰趨ー高村光太郎に於ける引き延ばされた疎開」で、戦後の花巻郊外旧太田村に逼塞した時期が論じられています。意外とこの時期の詩作品に関する論考等は少なく、しかし、人間光太郎の完成型を見るためには外せない時期と思われ、貴重な論考です。

5章でのさらに詳細な目次は以下の通り。

一 高村光太郎の疎開/二 詩「「ブランデンブルグ」」の成立/三 戦争詩と大地性/
四 光太郎に於ける詩の「転轍」――「脱卻」の帰趨

さらに「6章 更科源蔵と『至上律』における地方文化」(都留文科大学文学部教授・野口哲也氏)でも、更科と交流の深かった光太郎についてかなり詳しく言及されています。

是非お買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

もつと野暮な、もつと骨のあるもの、文学はほんとはその骨髄にそれがなけりやならぬ。さういふことをこれからも誰かやらなきやならないけれど、もう果してさういふ人が出てくるかどうか……。

談話筆記「「夜明け前」雑感」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

谷崎潤一郎の「細雪」と対比し、藤村の「夜明け前」には、そうしたエッセンスがあった、と光太郎は言っています。

一昨日、上野の東京藝術大学大学美術館さんで、「NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」」展を拝見したあと、京浜東北線で大森に向かいました。

その前に、「西郷どん」展を拝見したので、銅像の「西郷どん」にもご挨拶。それから、「西郷どん」展を見る前でしたが、最近、ロダンがらみで横浜美術館さんで開催中の「ヌード NUDE  ―英国テート・コレクションより」や、DVD「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を拝見したりしましたので、国立西洋美術館前の「地獄の門」も。

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特に「接吻」の部分を、しみじみと観て参りました。

さて、大森。東口から歩いてすぐの西友大森店さん5階の映画館・キネカ大森さんに参りました。こちらで一昨日、映画「一陽来復 Life Goes On」の上映が始まりました。もっとはやく他館で観るつもりでいましたが、何やかやで一昨日になってしまいました。

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東日本大震災の被災から立ち直ろうとする人々を描いたドキュメンタリーで、益田祐美子プロデューサー、尹美亜監督など、平成28年(2016)に封切られた同様の映画「サンマとカタール~女川つながる人々」とスタッフがかなり重複しています。いわば姉妹編といったところでしょうか。

「サンマとカタール」は、光太郎が昭和6年(1931)に『時事新報』の依頼で紀行文執筆のために訪れ、それを記念する文学碑が建てられ、そして「女川光太郎祭」を毎年開いて下さっている宮城県女川町が舞台でしたが、「一陽来復Life Goes On」は、岩手、宮城、福島で5ヶ所の被災地を取り上げています。すなわち、岩手県釜石市、宮城県の南三陸町と石巻市、福島県では浪江町、そして川内村。

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基本、これら5ヶ所の人々の、最近の様子のレポートです。

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このうち福島の川内村は、いわき出身の当会の祖・草野心平が生前にたびたび訪れ、名誉村民に指定して下さっています。そこで、夏には心平を偲ぶ「天山祭」、秋には「かえる忌」(昨年は中止となりましたが)が行われ、「かえる忌」では当方、心平と光太郎の交流について、講話をさせていただいたことものあります。

川内村で米作りを続けられている秋元さん夫妻、それから「かえる忌」を主催なさっている天山心平の会会長にして、川内村商工会長の井出茂氏がご出演。

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消防団の訓練に秋元さんの作った米を使ったおにぎりを差し入れる婦人会の皆さんの中にも、「かえる忌」で見知った顔がありました。それから遠藤川内村長もちらっとご登場。ちなみにナレーションは藤原紀香さんと山寺宏一さんですが、画面には一般の方しか出てきません。

他の地域の登場人物の皆さんも、それぞれの事情や想いをかかえつつ、ときにくじけそうになりながらも、前を向いて歩く姿が描かれていました。


上記動画で流れますが、テーマソングは松任谷由実さん作曲の「春よ、来い」。この映画のための井内竜次氏によるヴォカリーズアレンジバージョンです。ラストシーン、満開の桜のドローン撮影をバックにこれが流れ、思わずうるっと来てしまいました。号泣しているお客さんもいらっしゃいました(笑)。

終演後、大森での初日ということで、尹美亜監督と、出演なさっていた南三陸のホテル観洋さんの女将・阿部憲子さんによる舞台挨拶。舞台挨拶はこれが最後とのことでした。

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全国での上映、じつはほぼ終わってしまっているのですが、キネカ大森さんをはじめ、まだところどころで公開がありますし、「サンマとカタール」同様、テレビ放映やDVD化されることを期待しております。


【折々のことば・光太郎】

ミケランジエロは何をおいても美に生きた。彼ほど美の力を深く感じ、美が人間を救ふものだと信じてゐた者はあまりなかつたやうに思へる。

散文「ミケランジエロ ブオナローテイ」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

光太郎自身も、「美が人間を救う」と信じ、手探りを続けた生涯だったように思われます。

テレビ放映情報です。 

三宅裕司のふるさと探訪~こだわり田舎自慢~▽福島県二本松市の旅

BS日テレ 2018年3月6日(火) 21時00分~22時00分

この番組は、東京で暮らす地方出身の方や、地方で暮らす皆さんから番組あてに寄せられた“こだわり田舎自慢"を確かめるべく、三宅裕司が日本中を訪れます。その土地の人の温かさや美味しい料理、素敵な景色などに触れながら、時には毒舌、時には爆笑ののんびり・ふれあい旅。

…今回は福島県二本松市。子供の頃からある丸い羊羹! 提灯祭りに食べる「ざくざく」? 稚児舞台の絶景!

出演:三宅裕司    ナレーター:屋良有作

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智恵子の故郷、福島二本松が扱われます。番組紹介の中に、光太郎智恵子の名がありませんが、話の枕にでも取り上げていただきたいものです。


もう1件。 

プレミアムカフェ 名作紀行 (1)寺山修司 (2)石川啄木 (3)高村光太郎

NHK BSプレミアム 2018年3月7日(水)  9時00分~10時25分  
再放送  24時45分~26時10分(=3月8日 午前0時45分~2時10分)

(1) 名作をポケットに 寺山修司   田園に死す 旅人:萩原朔美 語り:本和之 (初回放送:2002年)
(2) 名作をポケットに 石川啄木   一握の砂   旅人:谷啓 語り:久保田茂 (初回放送:2002年)
(3) 名作をポケットに 高村光太郎 智恵子抄   旅人:山本容子 語り:山本和之 (初回放送:2001年)

“NHK BSの あの番組をもう一度見たい!”
そんなアナタの思いにこたえて、過去のBSの名番組をゲストと共に楽しむのがプレミアムカフェ。
皆さんも、是非リクエストして下さい!

スタジオゲスト 澤口たまみ   スタジオキャスター 渡邊あゆみ

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こちらは平成13年(2001)6月11002日に初回放映があったものの再放送です。これは存じませんでした。

ナビゲーター役は銅版画家の山本容子さん。智恵子をモチーフにした者を含む『婦人公論』の表紙絵を集めた『女・女』(平成16年=2004 中央公論社)、同25年(2013)には雑誌『本の話』の表紙絵集『山本容子のアーティスト図鑑 100と19のポートレイト』(文藝春秋社)を上梓なされ、同27年(2015)には、銀座のノエビア銀座ギャラリーさんで「山本容子のアーティスト図鑑」展を開催。こちらは拝見して参りました

初回放映を見ていないので、「智恵子抄」ゆかりの地のうち、どこが紹介されるか不明ですが、流れ的に青森の寺山修司、岩手の石川啄木と来ていますので、やはり福島だろうかと思いますが、何とも言えません。

右の山本さんの作品は九十九里浜、上記番組公式サイトからの画像は「レモン哀歌」で、東京品川ですが。

いずれにせよ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

人は其の与へられた形式以外の眼を以て自然を観る事が出来ず、出来てもそれを再現するものではないといふ不文律を心の中につくつてしまふのである。
散文「本邦肖像彫刻技法の推移」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

飛鳥時代以来、千数百年の長きにわたって日本で「彫刻」といえば仏像が中心であったことを指しています。

今年も3.11が近づいて参りました。そういうわけで、東日本大震災からの復興を描いたドキュメンタリー映画をご紹介いたします。 

一陽来復 Life Goes On

公  開  日 : 2018年3月3日(土)より 全国ロードショー
上映会場 : ヒューマントラストシネマ有楽町名古屋ミッドランドスクエアシネマ ほか
監  督 : 尹美亜 
制  作 : 平成プロジェクト
製  作 : 心の復興映画製作委員会
上映時間 : 81分

ナレーション  : 藤原紀香/山寺宏一

一陽来復の春、すべての人に知ってもらいたい鎮魂と再生の物語

季節は移り、景色も変わる。人々の暮らしも変わった。
6年間の日常の積み重ねから発せられる言葉と、明日に向けられたそれぞれの笑顔。
2011年3月11日の東日本大震災から6年あまり。震災によって甚大な被害を受けた宮城県石巻市・南三陸町、岩手県釜石市、福島県川内村・浪江町の各地では、多くの人が喪失感や葛藤を抱えながら、新しい一歩を踏み出している。

3人の子供を失った場所に、仲間のための集会スペースを作った夫婦。津波の後にもたらされた海の恵みに気づき、以前とは異なる養殖を始めたカキ漁師。震災を風化させないために語り部となったホテルマン。写真の中で生き続けるパパと、そろばんが大好きな5歳の少女。全村非難の村で田んぼを耕し続けた農家。電力会社との対話をあきらめない商工会会長。被爆した牛の世話を続ける牛飼い。
カメラは「復興」という一言では括ることのできない、一人ひとりの確かな歩みを自然豊かな風景とともに映し出す。

東北の各地で生まれている小さな希望と幸せ

本作品では、岩手・宮城・福島の被災3県で生きる市井の人々の姿を通じて東北、引いては日本の現在を包括的に捉えた初のドキュメンタリー。多岐にわたる登場人物やストーリーの根底には生命の賛歌が流れている。
監督は、NHKドキュメンタリー番組制作や『サンマとカタール 女川つながる人々』などのプロヂューサーを経て、本作が初監督となるユンミヤ。「東日本大震災の衝撃と悲しみは世界中の人々に伝播したが、その後生まれたたくさんの小さな希望や幸せを伝えたい」という一心で東北の各地に通い、取材を続けた。また、東北に縁が深く、継続的な復興支援活動で知られる藤原紀香と山寺宏一がナレーションを務める。

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映画『一陽来復 Life Goes On』予告篇【2018年3月3日(土)劇場公開】



映画『一陽来復 Life Goes On』オープニング映像(本編冒頭2分半)特別公開!



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光太郎智恵子とは関わりませんが、当会の祖・草野心平を名誉村民に認定していただき、心平を偲ぶ「かえる忌」を開催して下さっている福島県川内村も舞台の一つとなっています。

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そして、「かえる忌」主宰の、天山心平の会会長にして、川内村商工会長の井出茂氏がご出演。

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さらに、プロデューサーの益田祐美子氏は、同じく被災地の復興を描いた一昨年公開の映画「サンマとカタール」でもプロデューサーを務められていましたし、監督の尹美亜氏は制作プロデューサーでした。「サンマとカタール」は、光太郎が昭和6年(1931)に『時事新報』の依頼で紀行文執筆のために訪れ、それを記念する高村光太郎文学碑が建てられ、そして「女川光太郎祭」を毎年開いて下さっている宮城県女川町が舞台でした。


震災からもうすぐ7年。現地では、着実に復興への歩みは進んでいますが、まだまだ復興完了にはほど遠い状態です。しかし、記憶の風化との闘いという新たな問題も。

こうした現状を知るためにも、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

およそ本源に立つ者の直接性は人を仮借しない。一撃の下に人を捉へる。

散文「本面について」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

「仮借」はこの場合、「許す、見逃す」の意。ここでは能面の逸品が持つおそろしいまでの造形性を例えての言です。

被災地に生き、復興への歩みを進める人々も「本源に立つ者」と言えるのではないでしょうか。

昨日から一泊二日で、秋田の小坂町、青森で十和田湖、そして岩手花巻を回りました。先ほど帰途につき新幹線🚄車中でこれを書いております。
詳しくは明日以降レポート致しますが、秋田の小坂では、新たに町に寄贈された光太郎から出版社・龍星閣(詩集『智恵子抄』版元)社主の澤田伊四郎に宛てた書簡の調査をして参りました。既に『高村光太郎全集』に掲載されているものが三十数通、そして掲載されていないものも同じくらい。これには驚きました。来月11日から、小坂町立総合博物館郷土館さんの企画展で一部が展示されます。

続いて十和田湖へ。「十和田湖冬物語」を拝見。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップなど、拝見しました。

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昨夜は小坂町に宿泊。そして今日は岩手花巻。郊外旧太田村の高村光太郎記念館さん他を回りました。

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どこもさすがに雪深い状況でしたが、行く先々で関係の方々に大変お世話になり、スムーズに動くことができました。感謝。

明日以降、詳しくレポート致します。

テレビ番組3本、ご紹介します。 

にっぽん百名山「安達太良山」(再放送)

NHKBSプレミアム 2018年1月17日(水)  10時30分~11時00分 

福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明 
語り 山崎岳彦 吉川未来

初回放映は平成27年(2015)でした。光太郎智恵子が2分間取り上げられます。

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ぜんぶ、温泉。「岩手・花巻を浴びる」(再放送)

NHKBSプレミアム 2018年1月17日(水) 19時30分~20時00分 
             1月24日(水)6時30分~7時00分 

温泉を目で、耳で、心で楽しむ!ヘッドホンをつければ臨場感倍増!?岩手県、湯治の一軒宿が点在する温泉郷・花巻。温泉マニア(伊武雅刀)目線のカメラが見たものは…

露天の雪景色やお湯しぶき、湯船の底から上がってくる足元湧出のあぶく。昭和の香りいっぱいのレトロな湯治棟。南部藩の殿様ゆかりのわらぶき屋根。地元のみなさんから問わず語りに飛び出すふだん着のお国言葉。刺さるような寒さや初めて作る自炊せんべい汁、高い吹き抜け天井のもと、立ったまま入る深~い風呂。温泉分析書を熟読し、裸になって大地の恵みをただただ、堪能。みんなまとめてホット・スプリング・ハズ・カム!

語り 伊武雅刀

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昨年、初回放映がありました。光太郎の名は出ませんでしたが、共に光太郎がたびたび宿泊した、大沢温泉さん、鉛温泉さんがたっぷり紹介されます。宮沢賢治には触れられます。

ごごナマ おしゃべり日和 「渡辺えり マルチな女優が本音で語り尽くす!」

NHK総合 2018年1月17日(水)  13時05分~14時00分 

1時台のゲストは渡辺えりさん。多彩な分野で活躍するえりさん。“女性演出家”の先駆けともいえる存在!しかし、成功を収めるまでには想像を絶する試練が!▽広すぎる交遊録!衝撃エピソード満載!▽渡辺えりさんが本音で語り尽くす!秘話が続々、目からウロコの1時間。

MC 船越英一郎 美保純 阿部渉
ゲスト 渡辺えり


やはりNHKさんで現在放映中の「大河ファンタジー 精霊の守り人~最終章~」などでご活躍中の渡辺えりさんですですが、舞台演出家としてもご活躍。光太郎を主人公とした「月にぬれた手」という舞台も手がけられました。

根底には、戦中戦後、光太郎と交流があったお父様の影響がおありだそうで、これまでもテレビ番組新聞雑誌等、ご講演などで、お父様と光太郎の関わりをご披露なさっています。平成28年(2016)には、お父様が光太郎から贈られた署名本や書簡を、花巻高村光太郎記念館さんにご寄贈下さいました。最近はお加減のよろしくないお父様の代参で、連翹忌にご参加下さっています。

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そういうお話が出るかどうか、というところです。「ごごナマでは光太郎に触れて下さい」とメールしておいたのですが……。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

ジヤズのシンコペエシヨン的リトムはついに正系音楽の中にまで強力な浸潤を作るに至つたが、一方正系音楽の音楽意識はジヤズそのものの上に強力な精神化の逆作用を行はずには居なかつた。

散文「七つの芸術」中の「四 音楽について」より
 昭和7年(1932) 光太郎50歳

この後、勃興して間もないユーロジャズについて述べています。音楽評論家の受け売りでないとすれば、舌を巻く先進性です。音楽にも造詣が深かった光太郎、まさしく総合的な芸術家でした。

テレビ放映情報です。 

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ 2017年10月4日(水)  12時00分~13時58分

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!! 

原  作 内田康夫
出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか

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光太郎彫刻の贋作をめぐる殺人事件という設定で、初回放送は平成18年(2006)でした。年に1~2回、BSフジさんで再放送されています。

タビフク。#63「十和田湖・奥入瀬」小島藤子&宮崎香蓮

地上波TBS 2017年10月4日(水) 25時58分~26時28分=10月5日(木)午前1時58分~2時28分

プライベートでも仲の良い二人が究極のおしゃれ女子タビに。世界で二つしかない神秘の二重カルデラ湖「十和田湖」そして奥入瀬渓流へ小島藤子&宮崎香蓮がおしゃれ女子タビ。
素敵な日本の風景、極上のホテルルーム、あこがれのおしゃれ女子女子たちとまばゆいファッション・・・オンナの子の憧れがいっぱいにつまった番組。高精彩の4Kカメラにより撮影されています。残念ながら現在の地上波TVでは2Kフルハイビジョンでの放送となりますが、それでも映像の美しさは格別です。ぜひ極上の日本の風景をお楽しみください。

出   演   者 小島藤子&宮崎香蓮
番組案内役 タビフク。コンシェルジュ 季葉(きわ)

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖と、奥入瀬渓流が取り上げられます。予告編では、「乙女の像」は写っていませんでしたが、ぜひとも写っていてほしいものです。

プレミアムカフェ 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 北陸甲信越ほか

NHKBSプレミアム 2017年10月2日(月) 9時00分~11時02分
                 再放送 24:45~26:50(10月3日午前0:45~)

ハイビジョン特集 列島縦断 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 秋編 第1回 北陸甲信越 東北(初回放送:2005年):2004年の「関口知宏 最長片道切符の旅」でフォロー出来なかったJR路線を、“乗り潰す”旅の後半総集編。第1回は、福井県の九頭竜湖から宮城県の女川まで。

出演 関口知宏  語り 中川緑  スタジオゲスト 紀行作家・芦原伸  
スタジオキャスター 渡邊あゆみ

プレミアムカフェ 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 東北編

NHKBSプレミアム 2017年10月3日(火) 9時00分~11時00分
                 再放送 24:30~26:30(10月4日午前0:30~)

ハイビジョン特集 列島縦断 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 秋編 第2回 東北編(初回放送:2005年)2004年の「関口知宏 最長片道切符の旅」でフォロー出来なかったJR路線を、“乗り潰す”旅の総集編。今回は、宮城県の女川から青森県の三厩まで。

出演 関口知宏  語り 中川緑  スタジオゲスト 紀行作家・芦原伸  
スタジオキャスター 渡邊あゆみ

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2日連続の放送。光太郎を偲ぶ「女川光太郎祭」が毎年行われている、宮城県女川町が双方のちょうどつなぎ目です。初回放映が平成16年(2004)ですので、東日本大震災前。かつての女川の街並みが写ってほしいものです。


さて、先週ご紹介しました、テレビ朝日さんの「あなたの駅前物語 【二本松駅前/福島県】提灯祭りの駅前」。

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残念ながら、駅前の智恵子像と光太郎詩碑は取り上げられませんでしたが、安達太良山と阿武隈川の風景をバックに、二本松を紹介する俳人・黛まどかさんのナレーションで、「智恵子抄」に触れて下さいました。曰く「詩人で彫刻家の高村光太郎が詠んだ安達太良山と阿武隈川をはじめ、雄大な自然と文化の薫りが二本松の誇りです。」

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メインは10月4日(水)~6日(金)に開催される提灯祭り。300年以上も続いている祭りだそうで、智恵子もきっと見たことでしょう。

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ラストは「ほんとの空」をバックに黛さんの句。

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テレビ朝日さんのアーカイブサイトで、10月5日(木)まで公開されています。ご覧下さい。


二本松といえば、明日は智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」の集いが開催され、また行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

ちよびちよびちよびちよび、 ぴいひよう、ぴいひよう、 こつちおいで、こつちおいで、こつちおいで、 こひしいよう、こひしいよう、 ぴい。 おや、さうなんか、クロツグミ。

詩「クロツグミ」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

クロツグミは広く日本に分布する渡り鳥です。その鳴き声をオノマトペで表していますが、途中から「こつちおいで」「こひしいよう」と聞こえたというのです。花巻郊外太田村の山小屋での独居生活も約3年が経過。青年期から憧れていた自然に包まれての生活ではありましたが、智恵子逝きてすでに10年、光太郎自身の心の叫びなのかも知れません。

全国に47の教室を展開するNHK文化センターさんの講座で、光太郎が取り上げられます。ともに東北で、仙台といわきです

「多様性を発展東北ゆかりの作家たち

会 場 : NHK文化センター仙台教室006
       仙台市青葉区立町27-21
        仙台橋本ビルヂング2F
期 日 : 2017/10/3~12/19の第1・3火曜 (全6回)
時 間 : 15:30~17:00
講 師 : 宮城教育大学名誉教授 渡辺善雄
料 金 : 受講料(税込み)16,848円
       資料がある場合は別途コピー代

太宰治、石川啄木、斎藤茂吉らは東北出身です。島崎藤村は教師として仙台に赴任し、高村光太郎は花巻に疎開しました。東北の風土を背景に、どのような文学が形成されたのか考えます。

宮澤賢治の世界 交友編

会   場 : NHK文化センターいわき教室012
        いわき市平字小太郎町3-4
         NHKいわき放送会館
期   日 : 2017/10/16(月)・11/13(月)・12/11(月)
         (全3回)
時   間 : 13:00~14:30
講   師 : いわき賢治の会会長/賢治学会会員 小野浩
料   金 : 会員 6,091円  一般(入会不要) 6,739円
         資料代別途

賢治の生涯は37年間でしたが、生前、詩人・童話作家として評価されず、中央で活躍する場はありませんでした。当時、賢治の才能を絶賛していたのが草野心平でした。
さらに心平の詩友・黄瀛(こう・えい)、そして高村光太郎。賢治と3人の交友を学びます。


小野氏は連翹忌ご常連。いわき市立草野心平記念文学館にお勤めで、昨日ご紹介した二本松市の「智恵子講座」でも講師を務められたことがあります。その他、あちこちのイベントでご一緒させていただいております。



それぞれ残席がまだあるとのこと、お近くの方、ぜひどうぞ。


ちなみに、賢治といえば、明日のテレビ放映で賢治や光太郎が愛した花巻の大沢温泉さんが取り上げられます。

朝だ! 生です旅サラダ013


地上波テレビ朝日 2017年9月30日(土)
                                   8時00分~9時30分

◇内容I ゲストの旅
 和歌山出身の田中理恵さんが念願の白浜へ!海と温泉のリゾート地・白浜で、初めての白良浜&(秘)グルメ&パワースポットを楽しんだ後、海と一体に見えるお風呂の絶景に感激!さらに、レジャーランドで人気のパンダ&イルカを満喫…そして感涙!?
◇内容Ⅱ 海外の旅
 様々なルーツを持つ人々が暮らす多民族国家・シンガポールで、世界の文化を楽しみます!カラフルで可愛い“プラナカン"文化やアラブ街、インド街を巡ります。また、夜だけ営業するナイトサファリを体験!ヒョウ、ライオンなど、夜行性の動物たちが活発に動く姿に感激!
◇内容Ⅲ 俺のひとっ風呂
 「宮沢賢治の愛した湯治宿」を目指します!カッパ伝説の町・遠野からスタートし、カッパ釣りに挑戦!?ミネラル分の豊富な水を与えられて育つブランドポークを味わい、目的の湯治宿へ!川のせせらぎを聞きながら、宮沢賢治も浸かったという露天風呂を楽しみます。
◇内容Ⅳ ヒロドが行く!日本縦断コレうまの旅
 “くいだおれの街"大阪の最終回!今回は、夜の街でコレうま探し!美食家が集まる大人の隠れ家に、ヒロド驚愕!繁華街・北新地なども巡り、プレゼントに選んだのは!?
◇内容Ⅴ 生中継のコーナー
 ラッシャー板前が、福井県・越前町からリポート!「太アナゴ&越前さかなまつり」をご紹介!

出演者 神田正輝 向井亜紀 勝俣州和 三船美佳 ラッシャー板前 森川侑美(旅サラダガールズ)
      ヒロド歩美(ABCアナウンサー) 田中理恵(体操・元日本代表)

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

東洋の美はやがて人類の上に雨と注ぎ、 東洋の詩は世界の人の精神の眼にきらめくだらう。 夏の雲のやうに冬の星のやうに、 朝の食卓の白パンのやうに、 夜の饗宴のナイフのやうにフオクのやうに。

詩「東洋的新次元」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

戦時中、翼賛詩として「西洋」に対峙する「東洋」を礼賛していた光太郎ですが、自らの戦争責任にいたいする深い反省を経たあとは、よりグローバルな視点から「東洋」の発展を願う方向に転じています。

テレビ番組の放映情報です。

鉄道・絶景の旅 「あったか料理!名湯!人情!雪景色のみちのく紀行」

BS朝日 2017年1月10日(火)  19時00分~20時54分

日本国内の人気鉄道路線とその車内外からの絶景、名所、食事処、温泉宿など、沿線の魅力を余すところなく紹介。鉄道ファンならずとも楽しめる鉄道紀行番組の決定版!

八戸名物!朝市▽版画家・棟方志功ゆかりの地▽奥入瀬渓流&十和田湖▽雪見の露天風呂▽石川啄木の故郷で文学の原点にふれる▽縄文時代の暮らし体験▽雪景色を施した岩手山

みちのくの名湯を満喫!▽人情と味覚を満喫!日本一元気な朝ご飯▽みちのく・岩手に受け継がれる伝統文化!▽様々な飛行機がズラリと並ぶ三沢航空科学館▽岩手の郷土料理「ひっつみ」とは?▽雪のベールが色を添える広大な陸奥湾▽ユニーク!けつめい茶のワッフル&ラテ▽青森の冬の風物詩!オオハクチョウ▽八甲田山の険しくも美しい山並み▽小川原湖・しじみすいとん▽あったか鍋と陸奥湾の幸▽IGRいわて銀河鉄道▽青い森鉄道

ナビゲーター 峠恵子(ナレーション・挿入歌歌唱)

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検索ワード「十和田湖」でひっかかりました。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されるといいのですが……。

続いてもBS朝日さん。5分間番組ですが、こちらはキーワード「高村光太郎」「二本松」でヒットしました。

暦を歩く #99「冬の詩人」(福島県二本松)

BS朝日 2017年1月15日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」
「冬の詩人」と呼ばれる高村光太郎。冬を人生の困難な時期にたとえ、そこに強く立ち向かう詩を多く詠みました。福島県二本松出身の女性、智恵子と出会い、作風が大きく変わります。冬は立ち向かうものではなくなり、愛する人と二人で過ごす冬をやさしく歌い、「あたたかい雪」という言葉まで使うようになりました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

無法な雷(らい)は今も鳴る 細かい文明の情緒を踏みつけて鳴る 野蕃なる自然よ
詩「泥七宝(二)」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

この頃から詩の中に「自然」の語が目立つようになります。後の「道程」で「ああ、自然よ」と謳われた「自然」。ちまちまこせこせした面倒くさい人間社会の対極として位置づけられているようです。

いただきものの紹介です。

まずは花巻高村光太郎記念館さんから、筑波大学附属駒場中学校総合学習報告書『東北地域研究』のコピーをいただきました。

同校では3年生が、「総合的な学習」の時間に、「東北地域研究」という取り組みをおこなっていて、グループごとに校外学習や学習成果発表会なども実施されているそうです。『東北地域研究』はそのレポートです。

そのうち、23班の生徒さん達が、「岩手の文学」をテーマとし、花巻高村光太郎記念館さんも訪れたとのこと。

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レポートを読むと、単なる物見遊山に終わることなく、しっかりとテーマを絞っての校外学習がなされていたようですね。

明治大正昭和の激動の時代を生きた光太郎の生き様に、現代の若者達も、さらに多くのことを学んでほしいと思います。


同様にいただきものでもう一点、智恵子の故郷・福島二本松で顕彰活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶ さんから『智恵子講座’16文集』が届きました。

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これは、昨年と今年、2年間にわたって「高村智恵子に影響を与えた人々」のメインテーマの元に開催された市民講座の記録です。会員、会友の皆さん、各回に講師を務められた方々の文章などが載っています。

当方も講師を仰せつかったため、何か書け、とのことで、今年このブログに毎日載せた【折々の歌と句・光太郎】中の、『智恵子抄』に収録されていない、智恵子を詠んだ短歌をご紹介させていただきました。

また、地方紙に載った講座を含む会の活動を紹介する記事のコピーも附いており、こんなに報道されていたんだ、という感じでした。ネットでは全ての記事が網羅されているわけではありませんので、読めない記事も多いのです。

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こうした地道な活動により、光太郎智恵子の名が次世代へと受け継がれて行くという面があります。今後も継続していただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

夜の空気かすかにふるへ電線のうなりもきこゆ酔ひたる耳に

明治43年(1910) 光太郎28歳

木枯らし吹く冬の夜、といった感がありますね。

今朝は、地震で目が覚めました。当方自宅兼事務所のある千葉県北東部では震度4でしたが、揺れの時間がやけに長く感じました。

マグニチュードは7.4。まず福島県に津波警報が発令され、その後、宮城県にも。8時過ぎの時点で、仙台港には1㍍40㌢の津波が到達、と報じられています。

福島、女川、茨城東海の各原発、特に大きな被害はないようですが、一時、「福島第三原発で、燃料棒貯蔵プールで冷却用の電源が停止」というニュースもありました。第三原発というのは存在しないので、変だな、と思っていましたが、のちに「第二原発3号機」と訂正されました。報道もかなり混乱していたようです。6時台の段階では、テレビ局によって各地の津波到達予想時刻がかなり異なってもいました。

3.11の悪夢が頭をよぎりましたが、第二原発は8時前に復旧したそうです。しかし、地元の皆さんの恐怖はいかばかりであったろうと、胸が痛みます。そろそろ9時。まだ完全に安心、というわけではありませんが。


さて、昨日の『朝日新聞』さんの記事。

復興へ 葉加瀬太郎さん「ひまわり」の歌詞アイデア募集

 東日本大震災からの復興を後押しする「復興支援音楽祭 歌の絆プロジェクト」(主催・三菱商事、福島放送、朝日新聞社)が来年3月、福島県郡山市で開かれる。出演するバイオリニスト葉加瀬太郎さんは、音楽祭で披露する自曲「ひまわり」につける歌詞のアイデアを被災地の子どもたちから募ることを決め、20日から呼びかけを始めた。

 「ひまわり」は震災時のNHK連続テレビ小説「てっぱん」のテーマ曲。「東北のため、日本のための応援歌」と位置づけ、コンサートでも必ず弾いてきた。
 応募できるのは岩手、宮城、福島の3県出身か在住の小中高校生。「ふるさと」をテーマに、歌詞、作文、詩など形式自由。寄せられたアイデアをもとに、作詞家の松井五郎さんが作詞する。葉加瀬さんは「未来への希望を持てるような曲にしたい」と話す。
 住所、氏名、フリガナ、連絡先、年齢、学校名、学年を明記の上、〒963・8535 郡山市桑野4の3の6 福島放送「復興支援音楽祭歌詞アイデア募集係」へ。ホームページ(http://www.kfb.co.jp/fukko/別ウインドウで開きます)からも可(21日10時以降)。締め切りは12月31日。問い合わせは電話(024・933・5856、平日9時半~17時半)かメール(himawari-kashi@kfb.co.jp)。抽選で10組20人に音楽祭の招待券を、10人に葉加瀬さんのサイン入りCDを贈呈する。



昨日もご紹介しましたが、「原発いじめ」といった問題も、ここに来てクローズアップされている状況です。ぜひとも、福島で復興の合い言葉として広く使われている、光太郎詩「あどけない話」に出て来る「ほんとの空」の語を入れていただきたいものです。

そして、もういい加減、こうした恐怖を与えるシステムへの依存、やめにしませんか? と問いたいところです。


追記 今日の地震に関し、東日本大震災の時の画像を使ってデマを流している馬鹿者がいるそうです。情けないやら、憤りを感じるやら……。この手の悪質なデマに踊らされないように注意して下さい。

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【折々の歌と句・光太郎】

山の石落ちて時あり座をうつす自然のちから我にせまりぬ
明治39年(1906) 光太郎24歳

大いなる自然の力にはあらがえません。大きな地震のたびにそう思わざるを得ません。いかにその自然と共存していくかを真剣に考えなければいけないと思います。

福島からイベント情報です。

シンポジウム in いわき ほんとの空が戻る日まで~ふくしま浜通り地方の復興・再生~

期  日 : 2016年9月24日(土)
会  場 : いわき芸術文化交流館「アリオス」4階小劇場 いわき市平三崎1-6
後  援 : 復興庁福島復興局 福島県 いわき市 双葉地方町村会 NHK福島放送局 福島民報社
      福島民友新聞社
プログラム :
開  会  13:30~14:00
第Ⅰ部   14:00~15:00 
 講演「大震災被災地復興・再生への広域支援~阪神淡路大震災を経験して~」
 公立大学法人兵庫県立大学 総合教育機構防災教育研究センター准教授 紅谷昇平氏
第Ⅱ部   15:15~17:00 パネルディスカッション
「ふくしま浜通り地方復興・再生への広域支援 ~これからの支援のあり方を考える~」
天野和彦氏(FURE特任准教授) 紅谷昇平氏 小松知未氏(FURE特任准教授) 國井政範氏(いわきし総合政策部政策企画課復興支援担当課長) 平岩邦弘氏(双葉町復興推進課長) 下枝浩徳氏(双葉郡未来会議事務局副代表)
参加費 : 無料
問い合わせ : 国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター 024-504-2865

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光太郎詩「あどけない話」出典の「ほんとの空」の語を冠したFUREさん主催による同様のシンポジウムは、これまでにも京都東京名古屋で開催されてきました。今回は地元福島での開催です。

今日で東日本大震災から5年半となりました。しかし、岩手、宮城、福島3県の仮設住宅の入居者は8月末現在、8万9172人だそうで、まだまだ復興完了にはほど遠いのが現状です。

今回のシンポジウムでは、原発事故による被害を経験している自治体の復興担当者によるパネルディスカッションもあり、ぜひとも他地域の方々に聴いていただきたい内容です。もっとも、利権に目がくらんで無謀な原発再稼動推進に走っている輩は、あえてこういう声を聴かないようにしているのでしょうが……。


【折々の歌と句・光太郎】

芝居町丸にいの字の番傘と蛇の目といそぎ秋の雨ふる
明治38年(1905) 光太郎23歳

「丸にいの字」は歌舞伎の紀伊國屋一門の定紋です。関係者の持ち物か、芝居小屋で貸し出したものか、小粋な眺めですね。

しばらく秋雨前線が日本付近に停滞するようです。豪雨被害のあった地域を思うと、心が痛みます。特に震災の爪痕まだいえぬ地域の皆さん、お大事に。

まずは福島。

智恵子の故郷、福島二本松に聳える安達太良山で日曜日に行われた朗読イベントについての報道です。 

顕彰団体が詩朗読 智恵子生誕130年を記念 二本松

 福島県二本松市出身の洋画家高村智恵子を顕彰している智恵子のまち夢くらぶは17日、安達太良山(1700メートル)8合目の薬師岳で詩人高村光太郎が妻智恵子を詠んだ詩集「智恵子抄(ちえこしょう)」の朗読会を開いた。
 智恵子生誕130年と光太郎没後60年を記念して開催した。
 参加者約15人はあいにくの梅雨空から姿をのぞかせた山頂を背に、智恵子抄の一節「レモン哀歌」「樹下の二人」「あどけない話」「風にのる智恵子」などをそれぞれ読み上げた。小野町出身の丘灯至夫さんが作詞した歌謡曲「智恵子抄」を合唱した。
(『福島民報』)
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安達太良山で「智恵子抄」朗読会 心の目で青い空を

 二本松市出身の洋画家・紙絵作家高村智恵子の顕彰に取り組む同市の智恵子のまち夢くらぶは17日、同市の安達太良山で、夫光太郎の詩集「智恵子抄」の朗読会を開いた。参加者が「樹下の二人」「あどけない話」などを朗読した。
  智恵子生誕130年・夫光太郎の没後60年記念事業。あどけない話に「阿多多羅(安達太良)山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ」という一節があることから、初の朗読会が企画された。
  約15人が参加。薬師岳の「この上の空がほんとの空です」と書かれた標柱の前で朗読会を開いた。熊谷健一代表が「曇り空だが、心の目で青い空を見てほしい」とあいさつ。全員で「智恵子抄」の歌を合唱した後、順番に朗読した。
  暗唱で「あの頃」を朗読した郡山市の日高計子さん(73)は「この詩からは智恵子の芯の強さがうかがえる」と話した。
(『福島民友』)
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夢くらぶさん、地味な活動ですが、こういうことが大事なのだと思います。

続いて青森。やはり先週末に行われた第51回十和田湖湖水まつりの報道です。 

十和田湖畔休屋で湖水まつり開幕

 第51回十和田湖湖水まつり(主催・同まつり実行委員会)が16日、青森県十和田市の十和田湖畔休屋で始まった。訪れた人たちがイベントや乙女の像のライトアップ、花火などを楽しんだ。
 休屋の太陽広場では「チームわんぱくとわだっこ」がよさこい演舞を披露。十和田湖自然ガイドクラブの人たちは、いつも早朝案内している1時間の湖畔散策を午前と午後の2回行い、周辺の歴史や見どころを観光客に紹介した。
 午後6時からは乙女の像がライトアップされ、幻想的な姿を見せた。夕方、強い雨が降ったものの、花火大会も無事行われ、1860発が打ち上げられた。
(『東奥日報』)
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十和田湖湖水まつり開幕

 国立公園指定80周年を迎えた十和田八幡平に夏の訪れを告げる、第51回「十和田湖湖水まつり」が16日、3日間の日程で、十和田湖畔休屋で開幕した。夜にはあいにくの雨の中、約2千発の花火が湖上から打ち上げられ、湖上を彩った。
 花火は午後8時にスタート。上空を雲が覆い、鮮やかな大輪とはならなかったが、水中花火が湖面に映えると歓声が上がった。遊覧船から眺める人もいて、十和田湖ならではの風情を満喫した。
 日中は広場で地元チームがよさこい演舞を披露するなど、湖畔は終日、大勢の人でにぎわった。
(『デーリー東北』)
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ここで、十和田湖関連のテレビ放映情報を。 

ミステリアス・ジャパン【恐山に並ぶ霊場・十和田湖 ~青森・十和田市~】

BSジャパン 2016/07/24(日)  10時30分~11時00分

日本各地にある、歴史に埋もれた謎の断片、密かに語られてきた妖しき伝承…それらを紐解いた先に見えてくるものとは…?ミステリアスな世界にいざないます。

舞台は、国の特別名勝、天然記念物に指定される美しい十和田湖で有名な青森県十和田市。県内指折りの観光地だ。しかし、そんな風光明媚な十和田湖は、恐山と並び称される霊場であることをご存じだろうか?湖には龍神伝説があり、水神信仰の聖地として崇められてきた。そんな伝説を伝えるのが、荘厳な十和田神社と、湖畔にそびえる赤色の断崖絶壁。今回は、十和田湖に伝わる神秘的な霊場の龍神伝説を紐解いていく。

ナビゲーター 西本智実

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近年、パワースポットとして人気の、「乙女の像」の裏手にある十和田神社がメインで取り上げられますが、「乙女の像」もちらっと映るようです。予告編に映像が入っていました。

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ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

三角の木ぎれ手に持ち墨引きていとしきものか蝉の眼をみれば

大正13年(1924) 光太郎42歳

夏、といえば蝉ですね。光太郎、木彫で蝉を複数制作しましたが、それにまつわる短歌も数多く残しています。しばらく、蝉関連の短歌をご紹介していきます。下記写真は髙村規氏撮影です。

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「あの日」から5年目を迎えました。

「もう5年」、「まだ5年」……感じ方はそれぞれだとは思いますが、前向きに捉えたいと思います。

そこで、甚大な被害を乗り越え、一歩一歩復興へと歩み続けている、宮城県女川町からの情報です。

昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を書くために、光太郎は女川を含む三陸海岸一帯を約1ヶ月旅して歩きました。それを記念して、平成3年(1991)、当時の女川港の海岸公園に光太郎の文学碑が建てられ、翌年からその碑の前で、女川光太郎の会の皆様により、「女川光太郎祭」が開催されるようになりました。
 
連翹忌にもご参加下さり、女川光太郎の会の中心だった貝(佐々木)廣さんが津波に呑まれて亡くなり、石碑も倒壊、繁華街は壊滅状態になるなどしましたが、震災の年から奥様の佐々木英子さんが遺志を継がれ、女川光太郎祭は毎年続いています。

さて、その女川町でのイベントです。こちらも毎年行われてきましたが、今年は5年目の節目の年ということもあり、さらに盛大に開催されるようです。  

夢を叶える町がある 女川町復幸祭2016

開催日 : 平成28年3月26日(土)
 間 : 10:00〜16:00(予定)
会 場 : 女川駅前広場シーパルピア女川周辺
問合せ : 女川町観光協会 TEL:0225-54-4328

 『女川町復幸祭』は、東日本大震災から新生女川へ向けて進む姿を全国の人に見て頂きたいという想いと、『千年に一度の町づくり』への夢と希望を託し、大震災の起こった翌年2012年の3月に初めて開催致しました。
 2016年で5回目を迎える『女川町復幸祭』、今回は2015年12月23日にオープンした駅前プロムナードでの開催となります。
 炭火焼き秋刀魚の無料配布、多数の出店、魅力あるステージ等、一日中楽しめるイベントです。

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会場の「シーパルピア女川」は、昨春のJR石巻線女川駅が復旧したことにともない、新たに駅前に建設中のショッピングモールです。昨年暮れにオープンしましたが、今も拡充が続いています。

そちらのエリアマップがネット上にアップされています。

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故・貝(佐々木)廣氏の奥様・英子さんが店主をなさっている佐々木釣具店さんにもリンクが貼られていました。

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さらに、画家でもあった故・貝氏の紹介も。

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改めてご冥福をお祈り申し上げます。


こうした動きに対し、まるで逆に水を差すように、「東北観光復興元年」などと、まるで説得力のないきれいごとを選挙対策のための思いつきで言っているようなズレたお坊ちゃまの発言が報じられています。だいたい今年を「元年」と位置づけるなら、これまでの5年は何だったんだ? という感じですね。これまでも頑張ってこられた東北の皆さんに、非常に失礼です。地道に努力している皆さんの神経を逆なでして逆効果になるという予測ができない愚かさには、開いた口がふさがりません。さらに復興とか何とか言いながら、その反対側では稼働させてはいけないものをやっきになって再稼働させているこの矛盾……。本当の復興のためには、何を為すべきか、国民一人一人がよく考えたいものですね。


【折々の歌と句・光太郎】

わが心はじめて怖るあめつちに一あり二なき力にふれて

明治38年(1905) 光太郎23歳

この歌の詠まれた経緯は今一つ不明ですが、災害を題材にしているようにも読み取れます。

「あめつち」=「天地」の力には逆らえませんが、その被害を最小限に食い止めることや、ましてやそれに伴う「人災」を無くすことは不可能ではないでしょう。「あの日」から5年目の今日、考えたい課題です。

一昨日の3月5日、葛飾区のプラネターリアム銀河座さんでのプラネタリウム上映「智恵子抄と春空」を拝見して参りましたが、そちらに着く前の話です。

当日は高速バスで東京駅に出、八重洲地下街で昼食を摂りました。その後、JR東京駅の八重洲地下中央口を目指して歩いていると、こちらのイベントに出くわしました。

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「東北復興 報道写真展」。仙台に本社を置く『河北新報』さんの肝煎りで、この時期、毎年行われています。昨年の紙面に載った震災復興関連の主な記事が、5つのテーマでパネル展示されています。

同時開催で「東北復興展」も開催中。今年は大船渡市観光物産協会さんの共催で、同地の名産品などが販売されていました。

「そういえば、今日は愛知大学さんでシンポジウムだったっけ」と思いながら、拝見しました。

翌日、ニュース検索してみました。 

「3間」喪失、肥満増に影響 子どもの空間・時間・仲間

福島民友新聞 3月6日(日)

 福島大は5日、名古屋の愛知大車道キャンパスでシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―震災・原発事故から5年を迎える福島を考える」を開いた。本県の現状に理解を深めてもらう県外シンポジウムは5回目だが、中京圏では初。松本幸英楢葉町長が参加したパネル討論では、地域の絆をいかに構築するかなど、震災と原発事故から得た教訓を来場者に伝えた。
 パネル討論に参加したのは、松本町長のほか、震災発生後からボランティア活動に尽力しているタカラ印刷(福島市)の林由美子会長、震災時に郡山市のビッグパレットふくしまに設けられた県内最大規模の避難所を運営した天野和彦福島大うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)客員准教授、いわき市で避難者の生活状況を調査している土屋葉愛知大准教授ら4人。
 シンポジウムでは子どもをテーマにした鼎談(ていだん)「悲しみ乗り越え前に進む子ども達、進めずにいる子ども達」も行われた。本多環FURE特任教授(こども支援担当)は、本県で震災後に全国平均に比べ不登校や肥満の増加、学力低下の傾向が表れたことについて「震災と原発事故による避難により、子どもたちの生活環境で重要な空間、時間、仲間の『3間(さんま)』が福島県だけ急激に失われたことが原因」との見解を示した。
 本多特任教授は、1980年代にも子どもにとって必要な「時間、空間、仲間」の環境が失われ校内暴力などの荒れた教育環境が表面化したと分析する。
 しかし、それは全国的な現象だったため特定の都道府県が目立つことがなかったが「今回は福島県だけ急激に奪われた」と指摘し、一見すると違う原因があるように見える子どもたちの変化の背景には、共通した教育環境の変化があるとした。
 鼎談では、相馬市出身のシンガー・ソングライター堀下さゆりさん、FUREの中田スウラセンター長と意見交換した。


昨日の『朝日新聞』さんでは、東北地方の首長の皆さんへのアンケート調査が掲載されていました。その中で、「被災地への関心が薄れていると感じるか」との質問にはほぼ全員が「感じる」「時々感じる」と回答されていました。悲しい現実ですね。記憶を風化させないために、まだまだいろいろな取り組みが必要だと思います。復興展やシンポジウムなどもその一つでしょう。ただ、マンネリ化しないことが重要だと思います。

さて、葛飾のプラネターリアム銀河座さんに行く前に、常磐線の南千住駅で途中下車しました。方角的には一緒なので、同駅近くにある円通寺さんという寺院に参拝してから銀河座さんへと、当初からの予定でした。

比較的有名な寺院です。名前は知らなくとも、画像を見れば、ああ、ここか、という方は都内には多いのではないでしょうか。

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本堂の上に、像高12㍍の巨大な観音像。国道4号線沿いですので、非常に目立ちます。この像の原型は光太郎の父・光雲の作です。当方、機会があるたびに光雲作の仏像が納められている寺院を参拝しており、一昨日もその一環でした。

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こちらは幕末の彰義隊隊士の墓などもあります。当方、判官贔屓の傾向が顕著でして、幕末であれば新選組、旧会津藩、彰義隊、遊撃隊などなどの生き様には常々感服しています。

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こちらは移築された、上野戦争で焼け残った寛永寺の黒門。近くまで寄ってみると、弾痕が生々しく残っています。

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さらに戊辰戦争最後の闘い、北海000道函館で、新選組副長土方歳三らと共に闘った松平太郎の墓や、同じく榎本武揚、大鳥圭介、永井玄蕃頭尚志らの追弔碑も。

そこで頭上を見上げれば、再び光雲原型の観音像。

これらの人々、さらには震災で亡くなった多くの皆さんの彼岸での安寧を願い、手を合わせました。

円通寺さんをあとに、国道4号を北上、京成電鉄の千住大橋まで歩き、青砥駅へ。その後、プラネターリアム銀河座さんでの「智恵子抄と春空」拝見、というわけで、時間軸は昨日のブログに戻ります。

もうすぐ3.11。「ほんとの空」が本当に戻り、本当の意味での復興が為される日が来ることを、切に祈ります。


【折々の歌と句・光太郎】

春雨や稍ゝ水たまるかなたらひ          
明治33年(1900)頃 光太郎18歳頃

関東地方は昨夜から雨です。しかしもう冬の氷雨という感じではありません。一雨ごとに春、ですね。

12/20(日)に、智恵子の故郷・二本松で当方が講師として行った市民講座「智恵子講座’15 高村智恵子に影響を与えた人々 成瀬仁蔵と日本女子大学校」の内容を換骨奪胎してお届けしておりますが、今回で終わります。

今回、まずは智恵子と同じく東北出身で、智恵子と深く関わった人々をご紹介します。

服部マス(明治11年=1878~昭和23年=1948)003。智恵子の恩師です。明治30年(1897)、智恵子は故郷・安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校高等科に進みますが、同じ年、福島師範学校を卒業した服部も油井小学校に赴任、智恵子の唱歌の授業を担当しました。明治33年(1900)には二本松小学校に転任しましたが、翌34年(1901)、日本女子大学校が開校するや、退職して国文学部に一回生として入学しました。

マスが三年生になった時、智恵子が福島高等女学校を終えて同校普通予科に入学。これに際し、服部は進学許可を渋る智恵子の両親に説得の手紙を書いたといいます。智恵子の両親も「服部先生が通っている学校なら……」と、進学を認めました。

卒業後は北京予教女学堂、奉天女子師範学堂に勤務。帰国後、大正11年(1922)頃から中華民国留学学生援護機関日華学会理事、中国留 日女子学生寮寮監を務め、「中国人留学生の母」と称されました。


幡ナツ(旧姓・小松 明治19年=1886~昭和37年=1962)。智恵子と同じ家政学部四回生でした。二本松に隣接する本宮町出身で、卒業後すぐ、福島市明治病院長・幡英二と結婚しました。明治42年(1909)、卒業後も智恵子が住んでいた女子大学校楓寮が閉鎖となり、住む所に困っていた智恵子を、自身が下宿していた日本画家・夏目利政宅に住まわせました。

明治45年(1912)、智恵子が福島の明治病院に滞在。ここで絵を描いたそうです。智恵子はこの年、太平洋画会展覧会に油絵「雪の日」「紙ひなと絵団扇」を出品しており、それかもしれません。明治病院さんには、ほぼその当時のまま中庭が残っていて、「高村智恵子ゆかりの中庭」として整備されています。

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左から智恵子、幡英二、ナツ。ナツが抱いているのは長男・研也です。さらにその子息の研一氏は、昨年の智恵子命日の集い、レモン忌にご参加下さいました。

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野村ハナ(旧姓・橋本 明治21年=1888~ 昭和無題43年=1968)。岩手県出身。教育学部二回生(同部は遅れて開設されたため、他学部で云うと七回生に当たります)。智恵子のすぐ下の妹、セキと同級生でしたが、セキより智恵子と仲良くなったと云うことです。帰省や上京の際には、福島の智恵子の実家に寄って泊まることがあったそうです。

同郷の、「銭形平次」シリーズ作者で、音楽評論家でもあった野村胡堂と一大ラブロマンスを経て結婚しました。その際に智恵子がハナの、金田一京助が胡堂の介添えを務めました。胡堂は絵の才能もあり、智恵子がそれを担当するようになる前、女子大学校名物の「文芸会」(文化祭的な)の演劇の背景画を頼まれて描いたそうです。それが智恵子の役目となり、「彼氏の仕事を奪ってしまったわね」と、智恵子とハナは笑いあったとのこと。

また、血のつながりはないそうですが、花巻の宮澤家と遠縁で、赤ん坊の頃の賢治をだっこしたこともあるそうです。


長沼セキ(明治21年=1888~昭和50年頃=1975頃)。智恵子の004すぐ下の妹で、野村ハナと同じく教育学部二回生でした。明治43年(1910)に卒業、大正4年(1915)、児童学研究 の名目で渡米します。その間も郷里に帰らず、東京にいましたが、何をして生活していたのか不明でした。しかし、徐々にわかってきました。

まず、明治45年(1912)7月の、東京高等女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の卒業生名簿にセキの名を見つけました。日本女子大学校を終えたあと、入学し直したようです。

また、同じ年には博文館から発行されていた少女雑誌『少女世界』に少女小説を寄稿しています。同じ雑誌の別の号には、智恵子の絵も掲載されています。

さらに、前後しますが、明治43年(1910)、日本女子大学校の同窓会である桜楓会編集部会報『桜楓会通信』の編輯員に任命、という記録も見つけました。

大正2年(1913)、智恵子の福島高等女学校時代の親友・上野ヤス の婚家(静岡・沼津)で、漱石門下の小宮豊隆(妻子あり)の子を出産。渡米は日本に居づらくなってのことだったと思われます。彼の地で日本人移民と結婚、二子をもうけ、昭和50年(1975)頃歿したそうです。

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セキと野村ハナが一緒に写った写真もありました。中央がセキ、右が野村ハナです。

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宮崎千代(生没年不明)。家政学部一回生。山形米沢出身。弟の省吾は光太郎も参加したヒユウザン会(のちフユウザン会)に所属した画家でした。同じ東北、ということで智恵子と親しくなり、大正3年(1914)、上野精養軒で開かれた光太郎智恵子結婚披露宴に出席しています。智恵子から千代宛の書簡5通が現存しており、貴重な資料です(智恵子書簡は70通たらずしか見つかっていません)。


その他、東北出身ではありませんし、これまでにご紹介して005きた『青鞜』や桜楓会本部ともほとんど関係ない、しかし智恵子と関わった女子大学校出身者をざっと紹介します。

永野初枝 家政学部三回生
 明治42年(1909)、楓寮解散後、一時期、智恵子を自宅に下宿させる。右の画像は『花紅葉』第7号、明治42年(1909)より。

秋広あさ子 中退のため卒業生名簿に記載なし 学部等不明
 明治36年(1903)当時、女子大学校自敬寮で智恵子と同室。智恵子の女子大時代のエピソードの大半は、秋広の回想による。ゼームス坂病院入院前の智恵子を見舞う。昭和21年(1946)、義子と孫が花巻郊外太田村の光太郎を訪問。光太郎晩年まで文通。

旗野八重 国文学部四回生
 歴史地理学者・吉田東伍の姪。智恵子と親しかった。卒業直後、病没。

佐藤澄子 家政学部七回生
 旧姓旗野。八重の妹。在学中、松井昇の助手として勤務していた智恵子に画を教わる。大正2年(1913)、新潟の実家に智恵子を招いて共にスキーに興じた。大正5年(1916)にも智恵子は旗野家別荘に滞在(下写真)。
 のち、立川農事試験場長佐藤氏(姉も女子大学校四回生)と結婚。光太郎詩「葱」のモチーフとなる。智恵子歿後の戦時中には光太郎を援助。

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藤井勇(ゆう) 英文学部四回生
 大正元年(1912)、智恵子、セキとともに、光太郎が滞在していた千葉銚子犬吠埼へ同行。

廣瀬さき 家政学部五回生
 明治39年(1906)、文芸会の背景を描く智恵子の助手を務めた。

内田龍子
  光太郎と交流のあった真壁仁による「高村智恵子の一生」(『高村光太郎と智恵子』  草野心平編 筑摩書房 昭和34年=1959)に、在学中の智恵子と自敬寮で一緒だったとして紹介。卒業生名簿に「内田龍子」名なし。国文学部三回生・山本龍か?


この他にも情報をお持ちの方、こちらまでご教示いただければ幸いです。特に「うちのばあさんが智恵子さんと親しかったので、手紙や写真が残っている」などは大歓迎です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月27日

昭和4年(1929)の今日、『東京朝日新聞』読書欄に散文「ホヰツトマンの「草の葉」が出た」を発表しました。

「ホヰツトマン」はアメリカの詩人、ウォルター・ホイットマン。光太郎は大正10年(1921)、ホイットマンの『自選日記』翻訳を叢文閣から刊行するなど、彼に傾倒していました。

この年11月、長沼重隆訳のホイットマン詩集『草の葉』が刊行され、それを受けて書かれました。書き出しはホイットマンに傾倒していた光太郎らしく、「ブラボオ! と叫びたい事がある」としています。

昨日から1泊2日で秋田横手、岩手花巻を回って参りました。


花巻では昨夜、光太郎ゆかりの食堂で夕食を摂りながら、花巻高村光太郎記念会の方、花巻市役所の方と、いろいろ打ち合わせ。今日は高村光太郎記念館企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見、さらに急遽、花巻市街の光太郎が山荘に移る直前に暮らした佐藤家の離れを見せていただきました。

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新資料がたくさん見つかったり、新しい情報も続々と入ったり、実に有意義でしたし、これからが楽しみです。

これから、といえば、これからまた光太郎智恵子と全くの別件で、出かけねばなりません。

詳細は明日以降、レポートいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月13日

昭和26年(1951)の今日、NHKラジオで放送された「婦人の時間」で光太郎詩が朗読され、光太郎自身も花巻郊外太田村の山小屋でオンエアを聴きました。

草野心平が解説、朗読は俳優の石黒達也でした。

毎日更新しているこのブログですが、このところ、芸術の秋、文化の秋ということで、いろいろなイベントのご紹介や実際に足を運んでのレポートやらで、ネタが尽きません。

その間に、新聞各紙のコラムで光太郎智恵子の名が何度も取り上げられて来ましたが、速報の必要があまりないと判断し、たまったらまとめて紹介しようと思って後回しにしていました。しかし、未紹介の件数を数えてみたら5件もなり、そろそろまとめて紹介しなければ、という状況です。

まず、『山形新聞』さん。

談話室 2015年9月5日

▼▽詩人で彫刻家の高村光太郎は「土門拳のレンズは人や物を底まであばく。レンズの非情性と、土門拳そのものの激情性が、実によく同盟して被写体を襲撃する」と評した。酒田市出身の写真家土門が死去し今月で25年。
▼▽妥協を許さぬ執拗(しつよう)な撮影姿勢には逸話も多い。洋画家梅原龍三郎は怒りに震え、撮影が終わると籐(とう)椅子を床へ叩(たた)きつけた。女優の初代水谷八重子は、毛穴まで写る自分の顔を「嫌だわ」と言いつつ“本物”の写真を撮る土門に感謝していたと、娘の二代目が振り返っている。
▼▽写真集『古寺巡礼』はライフワークの集大成。仏像について土門は「じーっと見ていると、胸をついてくるあるものがある」と書いた。伽藍(がらん)さえ止まってはいなかった。宇治平等院では「茜雲(あかねぐも)を背にたそがれている鳳凰(ほうおう)堂は、目くるめく速さで走っているのに気がついた」。
▼▽酒田市の土門拳記念館では戦後70年の企画展「土門拳が視(み)た昭和」を開催中だ。被爆者にカメラを向け広島の現実に立ち向かった「ヒロシマ」、鉱山の暮らしが伝わる「筑豊のこどもたち」、戦前から戦後の東京や地方…。昭和を凝視した土門の格闘に触れることができる。
(2015/09/10付)

山形出身の土門拳に言及する中で、光太郎を枕に使って下さいました。


続いて、『岩手日報』さん。 

風土計 2015年9月22日

2015.9.227月に亡くなった哲学者鶴見俊輔さんの父祐輔が、岩手2区の衆院議員だったことはあまり知られていない。戦前、岳父後藤新平の生地で当選を重ねた▼この父を鶴見さんは嫌っていたらしい。今の東大で首席になった秀才で「東大を出なければ駄目だ」と言われ続けた。出世ばかりを考えた「親父は浅いねぇ」「つまらんなぁ」と対談で語っている。エリートの父への反発で自分は不良になった▼万引を繰り返したことがばれて、学校で孤立する。遊び相手も話し相手もいない。一人ぼっちの苦しみに耐え抜いたことが「魂の鍛錬」になったと書く。この経験から一人になる、一人で生きることの大切さを説いている▼今は逆に、一人になるのが難しい。スマホがあるから、いつでもどこでも友達とつながる。すぐ返事をしないと無視されたり、仲間外れになる。この5連休、食事の時やトイレでもスマホを手放せない人もいるだろう▼「魂の鍛錬」はできそうにもない。一人になるのは確かに怖いけれど、高村光太郎の詩「孤独が何で珍しい」にある。「孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志のがやがや集まる烏合(うごう)の勢に縁はない」▼連休も後半になった。「国民の休日」という味気ない名のきょうを、スマホから解放される一日にしてもいい。孤独は珍しくないのだから。


さらに『毎日新聞』さん。以前にも続けて光太郎が引き合いに出された、俳句に関するコラム「季語刻々」です。

季語刻々 2015年10月1日000

◇天高し歩くと道が伸びるなり 池田澄子
 季語「天高し」は「秋高し」「空高し」などとも言う。大気が澄み、よく晴れて空が高く感じられることを言う。今日の句、歩くと道がどんどん先へ伸びる感じがするのだ。その道をどんどん歩いて行く。歩くことが爽快なのだ。高村光太郎の詩「道程」の「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」の気分だろう。私も外に出て歩こう。<坪内稔典>

まさしく「天高し」の秋となりました。


それから『産経新聞』さんでは、書道に関するコラム、というより連載記事でしょうか。10月3日に掲載されました。

日本の書 <37> 近代篇⑨ 「うつくしきものみつ」

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長いので引用はしません。


そして『朝日新聞』さん。

ザ・コラム ほんとの空 「住み処」震災が教える価値 上田俊英 

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こちらも長いのですが、光太郎智恵子に絡む箇所のみ書き抜きます。

岩手県田野畑村で、原発誘致に反対していた岩見ヒサさんが亡くなったことをうけて、

見上げると、空は抜けるような青さだ。岩見さんがその美しさに酔ったという「本当の空」である。

さらに後半、

 産業技術総合研究所(産総研)の福島再生可能エネルギー研究所。福島県の復興の拠点として、郡山市に昨春開所した。
 本館に3点の日本画が掛かる。作者は高橋かね子さん。赤城山を北にいただく前橋市で暮らし、昨年末に80歳で亡くなった。長男で産総研地質情報研究部門研究主幹の雅紀さん(52)が今年3月、これらの作品を寄贈した。
 「母は赤城山を背にしたところに住むことに、こだわった。それが一番の幸せだと、ずっと思っていました」
 高橋さんは震災後、福島を描いた。「想 福島の海」(2012年)、「青蒼(せいそう)の海(フクシマ)」(13年)、「安達太良の空」(14年)――。先の2作で画面いっぱいに描かれた女性は視線を落とし、背後に暗い海。それが、「安達太良の空」では明るい空と山々を背に緑の大地に正座し、何かを見つめる。空は、安達太良山をのぞむ地で育った「智恵子抄」の高村智恵子が夫の光太郎に見たいと言った「ほんとの空」か。まなざしの先は将来への希望か。
 高橋さんが所属した日本画院の副理事長で、同じ前橋に住む酒井重良さん(67)はこの絵を見て「女性が浮いているように見える」と言った。高橋さんは「浮いていてもいいんです」と答えたという。ならば、この女性は福島の人びとの精神が「住み処」に降り立った姿なのだろうか。
 命を守る盾となる「住み処」。福島ではいまも10万をこえる人びとが避難を強いられ、そこに降り立てないでいる。

昨年亡くなった高橋かね子さんの「安達太良の空」はこちら。これは完全に智恵子がモデルでしょう。


様々な人々が、いろいろな思いを胸にその日その日を生きています。光太郎智恵子の生きざま、遺したものが、皆さんの生き方の指針となったり、彩りを添えたりすることを願ってやみません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月11日

明治25年(1892)の今日、光太郎の実弟で、藤岡家に養子に行った孟彦が誕生しました。

孟彦についてはこちら

気がつけば9月も下旬です。少しずつ10月に行われるイベントの情報をお伝えします。

まずは「智恵子抄」をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて唄われている、シャンソン系歌手のモンデンモモさん情報。 2日続けての東北ツアーだそうで、1日目は秋田県鹿角市、2日目は福島県二本松市。ともに昔の酒蔵を使って行うそうです

モンデンモモ日本を歌う!

期  日 : 2015年10月2日(金)
時  間 : 18:30~
会  場 : 旧関善酒店 特設ステージ 秋田県鹿角市花輪字上花輪85 0186(23)7799
料  金 : 2,000円
曲  目 : ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
   
    カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
       高村光太郎  あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程
       宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
       与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
       北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
       モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

モンデンモモ智恵子抄を歌う!

期  日 : 2015年10月3日(土)
時  間 : 15:00~ 昼の部 モンデンモモの智恵子抄モノドラマ
        18:30~ 夜の部 モンデンモモ日本の歌アラカルト
会  場 : 鐵扇屋酒蔵 福島県二本松市油井字八軒町45 0243(22)1322
料  金 : 昼夜各2,000円 通しで3,000円
曲  目 : 高村光太郎 あどけない話 レモン哀歌 樹下の二人 千鳥と遊ぶ智恵子 道程 案内 他
       ふるさと 赤とんぼ 月の砂漠 小さい秋見つけた 紅葉 海ゆかば
 
      カチューシャ 小さな喫茶店 一杯のコーヒーから 影を慕いて リンゴの唄
       宮澤賢治  雨ニモマケズ  石川啄木 一握の砂より  与謝野鉄幹 人恋ふる歌
       与謝野晶子 みだれ髪 君死に給ふことなかれ そぞろごと 黄金の釘 われも雛罌粟
       北原白秋 からたちの花  島村抱月 カチューシャの歌
       モンデンモモオリジナル 出逢いと旅立ち花輪線    他 
伴  奏 : たしまみちを (ギター)

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二本松会場の鐵扇屋さんというのは、智恵子生家・智恵子記念館のすぐ近くです。

モモさん、さらに翌日の10/4(日)には、やはり二本松で開催される智恵子命日「レモン忌」の集いにもご参加なさるとのことでした。「レモン忌」については明日、詳細情報を出します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月22日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を、『サン写真新聞』の取材で、写真家の阿部徹雄が訪問しました。

この際の訪問記は翌月の同誌に発表され、光太郎談話も掲載されました。また、平成22年(2010)、この際に撮られた13枚の写真と阿部宛の書簡4通が阿部の遺品の中から見つかりました。書簡は当方編集の「光太郎遺珠」に掲載させていただきましたし、写真は花巻高村山荘で大きく伸ばしたものを展示させていただいています。

テレビ放映情報です。

まずは今夜。智恵子の故郷、二本松市でのロケが行われた番組です。

きらり!えん旅 ~伍代夏子 福島・川俣町 二本松市へ~

NHKBSプレミアム 2015年7月22日(水)  19時30分~20時00分 
再放送 2015年7月28日(火) 18時30分~19時00分  2015年7月29日(水) 11時05分~11時35分

番組内容
歌手の伍代夏子さんがまず訪ねたのは福島県川俣町。名物の川俣シャモを飼育する農家や、避難指示解除準備区域でトルコギキョウを育てる農家に会い、これまでの苦労話を聞いた。続いて訪れた隣の二本松市には、近くの浪江町から原発事故で避難してきた人たち2千人以上が暮らしている。浪江の人たちと二本松の人たちをつないだのが、野菜がいっぱい入った郷土料理「ざくざく」。伍代さんも早速ごちそうになった。

出演者 伍代夏子  語り 冨永みーな

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こちらは2012年に始まって、息の長い番組となってきました。初期の頃に由紀さおりさんによる二本松訪問の様子も放映され、光太郎智恵子がらみの内容となっていました。今回もそうした話が出ることを期待します。


続いて26日の日曜日、通称「乙女の像」の立つ十和田湖が紹介されます。また、大正2年(1913)に光太郎智恵子が婚前旅行で訪れた信州・上高地も。

夏の絶景 いい旅スペシャル

テレビ東京 2015年7月26日(日)  18時30分~20時54分

北海道・知床の滝と雲海、青森の緑溢れる奥入瀬渓流と秘湯、長野の人気の避暑地・上高地と安曇野の夏の絶景をお届け!涼やかな風景を圧倒的な映像美で魅せる旅番組。
出演者

≪旅人≫
北海道 知床   ダイヤモンド☆ユカイ、杉村太蔵、北川弘美
青森県 奥入瀬渓流~八甲田山   林家三平、国分佐智子
長野県 白馬~安曇野~上高地   野口五郎、新田恵利、秋元才加 
ナレーター 広中雅志

旅番組での夫婦共演は初めて!林家三平・国分佐智子夫妻が訪れるのは、青森県奥入瀬渓流~八甲田山。まず向かったのは夏の青森の絶景名所「奥入瀬渓流」。雲井の滝や銚子大滝ほか、300種類以上も自生しているコケの美しい世界も楽しむ。穴場のイタリアンでは青森の味覚を堪能し、さらなる絶景を求めて十和田湖へ。遊覧船からの夏ならではの絶景を堪能し、蔦温泉へ。「1000年の秘湯」と呼ばれる宿で、名曲も生まれた部屋で過ごす。
そして早朝、鏡のように八甲田の山々を映す蔦沼で、日の出の絶景を拝む。さらに足をのばし、八甲田山へ。ロープウェーで山頂に上がり、夏の絶景を望む。さらに散策路を進んで、田茂萢岳(たもやちだけ)湿原へ。八甲田の山々とそれらを映す湿原の水面の絶景に酔いしれる。下山して、萱野高原へ。新緑の絨毯を敷き詰めたような高原から、八甲田の山々を一望する絶景ポイントを巡る。

新御三家の野口五郎と、おニャン子クラブの新田恵利、元AKBの秋元才加の元アイドル3人で巡るのは、人気の避暑地・信州! 白馬では熱気球に乗って、地上30メートルから北アルプスの山々の絶景を楽しむ。 さらに長野オリンピックで日本ジャンプチームが金メダルに輝いた、白馬ジャンプ競技場へ。リフトでスタート地点へ登り雄大な景色を堪能する。
安曇野では、穂高の天然水を使ったそばに舌鼓を打ち、広大な敷地に1日12万トンもの湧水をたたえるわさび農場も訪れる。 そして、緑に囲まれた純白の白骨温泉へ。手つかずの自然の静寂の中で、名湯の源泉かけ流しの贅沢に浸る。 さらに翌日は上高地へ。穂高連峰や焼岳など雄大な自然を望む。

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こちらも、少しでも光太郎智恵子にふれてほしいものです。

ちなみに27日の月曜日にも、BSジャパンさんで「にっぽん!いい旅「夏の青森!完全制覇」」の放映がありますが、こちらは昨年放映されたものの再放送で、「乙女の像」にはふれていなかったと思います。


テレビ放映の場合、事前に細かな内容が告知されないと、実際に視聴するまで光太郎智恵子にふれるかどうかわかりません。そのため、このブログで事前の紹介が漏れるケースが多く、残念に思っております。

7月19日の日曜日には、BSジャパンさんで「美しき日本百景~Beautiful Japan」という番組が「北の春  新緑と清流 ~青森 十和田湖・・奥入瀬~」でした。「乙女の像」にふれるかどうか微妙だな、と思って、このブログでご紹介しませんでしたが、いざ放映されてみると、都合1分間ほどでしたが、像の紹介がありました。

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昨夜はNHK総合さんで「歌謡コンサート」。サブタイトルが「手紙で綴(つづ)る愛の名曲集」。こちらは直前にスタッフさんのブログで光太郎智恵子にふれることが紹介されましたが、ネット上の番組紹介のページではそれはありませんでした。

演奏の合間に、大竹しのぶさんが、さまざまな「手紙」の朗読をなさいました。寺山修司から九條今日子への手紙、南極観測隊員の妻から隊員である夫への手紙、福岡在住の一般女性が最近書いた70年前に戦争で亡くなった夫への手紙などなど。そして「手紙」ではありませんが、『智恵子抄』にも収められた光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」の一節も朗読されました。

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大竹さんといえば、平成14年(2002)に、野田秀樹作の一人芝居「売り言葉」で智恵子を演じられています。昨夜はその大竹さんも歌を披露。中島みゆきさん作詞作曲、研ナオコさんの歌唱でヒットした「かもめはかもめ」のカバーでした。


日々、洪水のように制作され続けるテレビ番組、いちいち事前に細かな内容を告知するのは不可能でしょうが、各局番宣担当の皆さん、できる限りをお願いしたいものです当方もなるべく細かい情報収集に心がけます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月22日

昭和29年(1954)の今日、所得税、地方税を銀行振り込みで納めました。

昭和27年(1952)、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、岩手太田村から上京した光太郎でしたが、住民票はしばらくそのまま太田村に残し、したがって、税金も太田村に納めていました。それもこの年までで、翌年には東京に住民票を戻します。合併による太田村消滅もその理由ですし、もはや自らの命が永くないことを悟っていたようです。

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