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書道関係のシンポジウム、オンラインでの開催です。

近代書壇の誕生―東アジア三地域の比較から―

期 日 : 2021年8月21日(土)
時 間 : 10時~16時30分 Zoomによるオンライン開催
料 金 : 無料
問 合 : 筑波大学芸術系 菅野智明研究室 TEL/FAX 029-853-2715

この度、近代東アジア書壇研究プロジェクト(代表者 菅野智明)では、下記の要領にて国際シンポジウム「近代書壇の誕生―東アジア三地域の比較から―」を開催いたします。
奮ってご参加ください。

書壇と称される書家たちのつながりは、それぞれの書家たちが結成・所属した種々の組織・団体を基盤とするところがあります。近代になると、書家たちは多岐にわたる組織・団体を活発に設立させますが、その動向は日本のみならず朝鮮や中国にも顕著で、地域によって独自色がうかがわれます。

このシンポジウムは、2018年に開催いたしましたシンポジウム「近代東アジアの書壇」の続弾として企画したもので、国立故宮博物院(台北市)の陳建志氏、国立中央博物館(ソウル市)の金昇翼氏の基調講演に加え、プロジェクトメンバー5名の研究発表と討議で構成いたしました。

今回は、前回のシンポジウムを踏まえつつ、近代に誕生した書壇そのものの研究に加え、それを生み出す背景にも留意しつつ、日本・朝鮮・中国の三地域における書壇形成のあり方を眺望しようと思います。

発表には日本語・韓国語・中国語それぞれの通訳があります。

プログラム:
研究発表 10時~12時
① 清末民初における書画社団の規約について 髙橋佑太(筑波大学准教授)
② 近代日本人書家の朝鮮書芸との邂逅 金貴粉(津田塾大学研究員)
③ 大阪市立美術館蔵「天発神讖碑」の一考察 下田章平(相模女子大学准教授)
④ 大字仮名表現における安東聖空と正筆会の役割 髙橋利郎(大東文化大学教授)
⑤ 中村不折と高村光太郎に見る六朝書道 矢野千載(盛岡大学教授)

基調講演 13時~15時
① 曾熙と向燊(1905-1929) 陳建志 氏(国立故宮博物院助理研究員)
② 韓国近代書画壇の形成と書画家たちの実相 金昇翼 氏(国立中央博物館学芸研究士)

討議 15時15分~16時30分
司会 菅野智明(筑波大学教授) 
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主催は筑波大学内の「近代東アジア書壇研究プロジェクト」さん。以前は同大の東京キャンパスにて、対面式での開催でした。

「中村不折と高村光太郎に見る六朝書道」を発表される盛岡大学の矢野氏は、ご自身も書家であらせられ、いつも達筆のお手紙を頂戴し、悪筆で鳴らす当方としては常に恐縮しております。

矢野氏、以前にも同会主催のシンポジウムで、光太郎書についての発表をなさいました。平成27年(2015)の国際シンポジウム「書の資料学 ~故宮から」では「高村光太郎書「雨ニモマケズ」詩碑に見られる原文および碑銘稿との相違について」、平成30年(2018)にはシンポジウム「近代東アジアの書壇」で「高村光太郎と近代書道史 ―父子関係と明治時代の書の一側面―」。後者は、当方、拝聴に伺いました

今回は、「中村不折と高村光太郎に見る六朝書道」。矢野氏、今年4月、高村光太郎研究会発行の『高村光太郎研究』第42号に「高村光太郎と中村不折の書道観―明治・大正の六朝書道を中心として―」という論文を発表されており、興味深く拝読致しました。

「六朝書道」は、中国の六朝時代(3世紀~6世紀)の、主に石碑に彫られた楷書を範とするもので、日本では飛鳥時代に伝来し、一時、影響があった後、明治になって再び脚光を浴びた書体です。

日下部鳴鶴、巖谷一六らの書家がまずこの魅力に飛びつき、少し遅れて中村不折。不折は慶応2年(1866)、江戸に生まれた画家です。幼少期に維新の混乱を避けるため信州に移住、明治21年(1888)、23歳で再上京、小山正太郎の不同舎に入門します。後輩には光太郎の親友・荻原守衛がいました。その後、正岡子規と出会い、子規の紹介で新聞の挿絵を描いたり、子規と共に日清戦争に従軍し、森鷗外と知遇を得たりしています。ちなみに守衛や鷗外の墓碑銘、守衛のパトロンだった新宿中村屋さんのロゴなども、不折の書(やはり六朝風)です。

その後、島崎藤村『若菜集』、夏目漱石『吾輩は猫である』、伊藤左千夫『野菊の墓』などの装幀、挿画に腕を揮いました。前後してフランスに留学(明治34年=1901)、光太郎も学んだアカデミー・ジュリアンに通ったり、ロダンを訪問し署名入りのデッサンをもらったり、荻原守衛と行き来したりしています。帰国は同38年(1905)で、翌年から欧米留学に出る光太郎とはすれ違いでした。
 
帰国した年から太平洋画会会員、講師格となり、日本女子大学校を卒業して同40年(1907)頃に同会へ通い始めた智恵子の指導にも当たりました。その際、比較的有名なエピソードがあります。人体を描くのにエメラルドグリーンの絵の具を多用していた智恵子に、中村が「不健康色は慎むように」と言ったというのです。しかし智恵子は中村に反発するように、さらにエメラルドグリーンの量を増していったとのこと。ただ、当時のエメラルドグリーンは非常に毒性の強い成分が含まれ、そのために不折は智恵子を諫めたのではないかとする説もあります。

さて、光太郎。不折と直接の面識があったかどうか、当方は存じません。ただ、自身も書をたしなんだ光太郎、不折らの「六朝書」には眉を顰めていたようです。

世上では六朝書が大いに説かれ出して、私も井上霊山とかいふ人の六朝書に関する本を案内にして神田の古本屋で碑碣拓本の複製本を買つたりした。六朝書の主唱者中村不折や碧梧桐の書にはさつぱり感心せず、守田宝丹に類する俗字と思つてゐた。不折はあの千篇一律の字を看板や、書物の背や、幅や、雲盤や、屏風や、到るところに書き散らしたので、鼻についてうんざりした。
(「書についての漫談」昭和30年=1955)


井上霊山」は書家、「碧梧桐」は俳人の河東碧梧桐、「守田宝丹」は現在も続く薬舗・守田治兵衛商店の創業者にして書画もよくした人物(「宝丹」は主力商品の名にも用いられています)。

 漢魏六朝の碑碣の美はまことに深淵のように怖ろしく、又実にゆたかに意匠の妙を尽してゐる。しかし其は筆跡の忠実な翻刻といふよりも、筆と刀との合作と見るべきものがなかなか多く、当時の石工の技能はよほど進んでゐたものと見え、石工も亦立派な書家の一部であり、丁度日本の浮世絵に於ける木版師のやうな位置を持つてゐたものであらう。それゆゑ、古拓をただ徒に肉筆で模し、殊に其の欠磨のあとの感じまで、ぶるぶる書きに書くやうになつては却て俗臭堪へがたいものになる。今日所謂六朝風の書家の多くの書が看板字だけの気品しか持たないのは、もともと模すべからざるものを模し、毛筆の自性を殺してひたすら効果ばかりをねらふ態度の卑さから来るのである。さういふ書を書くものの書などを見ると、ばかばかしい程無神経な俗書であるのが常である。最も高雅なものから最も低俗なものが生れるのは、仏の側に生臭坊主がゐるのと同じ通理だ。かかる古碑碣の美はただ眼福として朝夕之に親しみ、書の淵源を探る途として之を究めるのがいいのである。
(「書について」昭和14年=1939)

古拓をただ徒に肉筆で模し、殊に其の欠磨のあとの感じまで、ぶるぶる書きに書く」というのが、矢野氏に拠れば、不折の書を指しているのではないかとのことでした。おそらく、今回の発表でもこうしたお話が、作例などと共に紹介されるのではないかと思われます。

ところで、今回のシンポジウム、「近くなったら紹介しよう」と思っておりましたところ、8月14日(土)が申し込み締め切りでした。申し訳ありません。ただ、どうしても、という方、上記の問い合わせ先までご連絡してみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

伊藤昭氏又帰つて来て切符を紛失、学校に落ちてゐぬかと探し居るとの事。金持たぬ様子なので切符代300円持つていつてもらふ。


昭和23年(1948)8月5日の日記より 光太郎66歳

昨日のこの項でご紹介した、福島二本松で「智恵子の里レモン会」を立ち上げた故・伊藤昭氏。やっちまいました(笑)。安達駅から往復で買った乗車券の復路分を失くしたそうで、泊めて貰った山口小学校でも結局見つからず、光太郎に借金して帰ったそうです。福島に戻ってからすぐに為替を送って返済したとのこと。当方も気をつけようと思いました(笑)。

新刊です。

書の風流 近代藝術家の美学

2021年1月31日 根本知著 春陽堂書店 定価2,200円+税

様々なジャンルの芸術家の代表的な書をビジュアルに見せながら、彼らの美学を論じる!

本書に登場する藝術家は、自身の専門分野以外に、「書」にも勤しんだ。それは、展覧会で審査されるものではないから、 まさに「風流」だった。さらには自身の藝術から抽出された美学をもって筆をとったため、どの人物の書も実に個性的だった。 よって本書では、その美学を一つずつ浮き彫りにすることを目標にした(「はじめに」より)

著者紹介
根本 知(ネモトサトシ)(著/文)
書家。平成25年、大東文化大学大学院博士課程修了。博士号(書道学)取得。 現在、大東文化大学文学部書道学科、放送大学教養学部人間と文化コース、大東文化大学第一高等学校、 日本橋三越カルチャーサロンなどで教鞭を執る。 テレビ・雑誌でも活躍中。
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目次
 はじめに
 松田正平 書と原点
   松田正平の評価 犬馬難鬼魅易 書について
 「書く」と「掻く」
 熊谷守一 書と心象
  身の丈に合うことば 守一の生活 小さなもの音
  守一の絵とフォーヴ へたも書のうち
 柳宗悦 書と用
  民藝について 独走と作為 「こと」と「もの」
  他力道 用の美について 書の模様化
  柳宗悦の書の原点
 白井晟一 書と常
  簡素な美 特異な工夫 戦争と原爆の図
  原爆堂計画 縄文的なるもの
  ヤスパースと原爆堂
 内側に満ちる光
 中川一政 書と遅筆
  一政の絵について 一政の読みやすい書
  一政の書に対する姿勢 一政と金冬心 自分のための技術 ムーヴマン 一政の眼
 高村光太郎   書と造型
  光雲と智恵子 姿勢は河の如く、動勢は水の流の如く 造型美論 書について
 武者小路実篤 書とことば
  「新しき村の精神」 「天に星 地に花 人に愛」 「自然は不思議」
  「君は君 我は我なり されど仲よき」
「龍となれ 雲自づと来たる」 戦後の書壇について
 おわりに

基本、書道論です。しかし、取り上げられている人々は、光太郎を含め、いわゆる「書家」ではありません。武者小路を除いて(武者も文人画的なものをよく描いていましたが)、全員が美術家です。そして程度の差こそあれ、それぞれに優れた書も残したことで有名。そこで、彼等の美術造型意識が、ある種の「余技」的な書作品にどう反映されているか、といった論考です。したがって、彼等の書そのものより、その背景がどうであったのかといった点に主眼が置かれ、いっぷう変わった書論集となっています。

おどろいたのは、光太郎ともども熊谷守一と中川一政が取り上げられていること。この三人、昨年開催予定だったもののコロナ禍で中止となった、富山県水墨美術館さんでの「「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」ともろにかぶります。やはり美術界から書をよくした人物というと、この3人は外せないのかな、という感じですね。

ちなみに富山の展覧会、来年度以降に開催の方向、と、公式HPに出ました。まだ確定ではないようですが、当方としましても、諸方への作品の借り受けや図録の編集など、数年越しに関わっていた展覧会ですし、何より、ぜひ皆さんに光太郎書の優品の数々(本邦初公開のものも多数展示予定でした)をご覧頂きたいので、立ち消えにならないようにと願うばかりです。
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2021/3/26追記 「「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」展は2021年10月8日(金)~11月28日(日)に、仕切り直して開催されることとなりました。

閑話休題。本書で取り上げられている人物は、熊谷、中川以外にも、光太郎と浅からぬ縁。柳宗悦と武者は光太郎の朋友でしたし、建築家の白井晟一は高村光太郎賞造型部門の受賞者です。

そういった意味でも興味深い一書でした。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

学校のうしろに一軒、家を建てかけてゐる。村人多数にて萱ぶき屋根の萱をふいてゐる。棟の方に萱の束を並べてゐるのが見える。春昼の普請風景のどかに見える。

昭和21年(1946)5月5日の日記より 光太郎64歳

萱(茅)葺き屋根、いいですねぇ。……と、光太郎も思ったことでしょう(笑)。

ハードカバーの文庫化です

文字に美はありや。

2020年11月10日 伊集院静著 文藝春秋(文春文庫) 定価720円+税

文字に美しい、美しくないということが本当にあるのか――。
そんな疑問を抱いた著者が、「彼を超える書家はあらず」と言われた〝書聖〟王羲之に始まり、戦国武将や幕末の偉人、作家や芸人ら有名人から書道ロボットまで、国内外を問わず歴代の名筆をたどり、独自の視点で考察する。

取り上げた人物たち
王羲之 鑑真 空海 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 世阿弥 千利休 一休宗純 松尾芭蕉 宮本武蔵 大石内蔵助 水戸黄門 吉田松陰 高杉晋作 土方歳三 近藤勇 坂本龍馬 西郷隆盛 勝海舟 夏目漱石 正岡子規 谷崎潤一郎 永井荷風 井伏鱒二 太宰治 高村光太郎 古今亭志ん生 立川談志 ビートたけし ほか
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元版は平成30年(2018)に同社から刊行されています。
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さらに遡れば、元々は雑誌『文藝春秋』の連載で、光太郎の項「猛女と詩人の恋」は平成26年(2014)10月号に掲載されました。
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木彫「白文鳥」(昭和6年=1931)を収めるための袱紗(ふくさ)にしたためられた短歌、詩「道程」(大正3年=1914)の草稿が取り上げられています。また、書論「書について」(昭和14年=1939)にも言及されています。

新刊書店で平積みになっています。ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

今作りをるものは今の我にてともかくも作りをるものゝこれ亦一二週乃至一二ヶ月も立たば忽ち顧るにも堪へぬものとやなりもせん 此をおもへば我ながらあまりの甲斐なさに口惜しなどいふもおろかなる。


明治36年(1903)4月8日の日記より 光太郎21歳

伸び盛り、というわけですね。「今」の作品は「今」の精一杯のものとしながらも、少し経てばそれ以上のものが出来るはずだ、と、現状に満足しない姿勢には好感が持てます。

当方も加入しております高村光太郎研究会発行の、機関誌的な年刊誌『高村光太郎研究』の41号が届きました。

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内容的には上記画像の通りですが、一応、文字に起こします。

高村光太郎が彫刻や詩の中に見つけた「生命(いのち)」とは―画竜点睛、造型に命が宿るとき― 北川光彦
高村光太郎の書について「普遍と寛容」 菊地雪渓
光太郎遺珠⑮ 令和元年 小山弘明
高村光太郎没後年譜 平成31年1月~令和元年12月  〃
高村光太郎文献目録 平成31年1月~令和元年12月 野末明
研究会記録・寄贈資料紹介・あとがき  〃

北川氏、菊地氏の稿は、昨秋開催された第64回高村光太郎研究会でのご発表を元にされたもの。

北川氏は、当会顧問であらせられた故・北川太一先生のご子息で、ご本業は理系の技術者です。そうした観点から、光太郎の「生命」に対する捉え方が、芸術的な要素のみにとどまらず、科学、哲学、宗教的見地といった様々な背景を包摂するものであるといった内容となっています。いわば彫刻、詩、書など、総合的芸術家であった光太郎のバックボーン、「思想家」としての光太郎に光を当てるといった意味合いもあるように感じました。

菊地氏は、昨年の「東京書作展」で大賞にあたる内閣総理大臣賞を受賞なさったりしていらっしゃる書家。光太郎詩文も多く書かれている方です。図版を多用し、光太郎書の特徴を的確に論じられています。光太郎の書はこれまでも高い評価を得ていますが、ただ「味がある」とかではなく、どこがどういいのか、それが技法的な面からも詳細に語られ、眼を開かれる思いでした。当方、富山県水墨美術館さんで開催予定の企画展「画壇の三筆 熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」に関わらせていただいているため、特に興味深く拝読しました。

拙稿2本のうち、「光太郎遺珠」は当方のライフワーク。平成10年(1998)に完結した筑摩書房さんの『高村光太郎全集』に漏れている光太郎文筆作品等の紹介です。詳細は長くなりますので、明日、紹介します。「没後年譜」は、このブログで昨年末に「回顧2019年」として4回にわたってまとめたのを骨子としています。

研究会主宰の野末氏による、「文献目録」はこの1年間に刊行された書籍、雑誌等の紹介、「研究会記録」は昨秋の第64回高村光太郎研究会に関わります。

頒価1,000円です。ご入用の方、仲介は致しますので、ブログコメント欄からご連絡下さい。非表示設定も可能です。


【折々のことば・光太郎】

小生は歌を日本ソネツトと目してゐます。従つてその形式を尊重します。

アンケート「新年に当り歌壇に与ふる言葉」より
 昭和6年(1931) 光太郎49歳

「歌」は短歌です。「ソネツト」は「ソネット」、14行で書かれる欧州の伝統的定型詩です。短歌でも独特の秀作をかなり残した光太郎。古臭いものとして排除しなかった裏には、こうした考えがありました。

書道関係のシンポジウムです。 

シンポジウム「近代東アジアの書壇」

期   日 : 2018年9月8日(土)
会   場 : 筑波大学東京キャンパス文京校舎122講義室 東京都文京区大塚3-29-1
時   間 : 13時~16時30分
料   金 : 無料
主   催 : 近代東アジア書壇研究プロジェクト

第1部 基調講演 13:05~14:05  朝鮮における書画の位相と近代画壇  喜多恵美子氏(大谷大学教授)

第2部 登壇者発表 14:15~15:30
 書画協会の結成とその活動について  
   金貴粉(大阪経済法科大学研究員)
  清末民初の上海における書画団体の動向 ―豫園書画善会を中心に―
   髙橋佑太(二松学舎大学専任講師)
  日本の中国書画碑帖コレクション形成の要因について ―「収蔵集団」を起点として―
   下田章平(相模女子大学専任講師)
  高村光太郎と近代書道史 ―父子関係と明治時代の書の一側面―
   矢野千載(盛岡大学教授)

  昭和初期の書道団体 ―正筆会を例に―
   髙橋利郎(大東文化大学教授)

第3部 討議 15:40~16:30
 司会 菅野智明(筑波大学教授)


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矢野氏はご自身も書家であらせられ、いつも達筆のお手紙を頂戴し、悪筆でならす当方としては恐縮しております。

平成27年(2015)にも、同じ筑波大学さんの文京校舎で開催されたシンポジウム「書の資料学 ~故宮から」で、「高村光太郎書「雨ニモマケズ」詩碑に見られる原文および碑銘稿との相違について」という発表をなさいました。

その際には別件の用事があって欠礼いたしましたが、今回は拝聴に伺う予定です。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩が言葉にたよる芸術である以上、語感については十分な心づかひが必要である。語感は半分は生まれつきだが、又半分は修練と感得によつて其の美に到り得る。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

「修練と感得」に努めようと思います。

昨日、当方も講師を務めさせていただく朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾千葉教室の講座「愛の詩集<智恵子抄>を読む」をご紹介させていただきましたが、同じ朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾の札幌教室さんでも、光太郎に関連する講座がありますのでご紹介します。 

書道史アラカルト ―書と書道

期  日 : 2018年5月19日(土)
        札幌市中央区北2条西1丁目 朝日ビル4階
時  間 : 10:00-11:30
講  師 : 北海道書道展会員 中野層翠
料  金 : 2,052円

「アララギ」創始者の歌人斎藤茂吉は書を002よく書いていました。また、詩人で彫刻家の高村光太郎には「書について」という文章があり、書に造詣が深かったことがわかります。二人をはじめとする近代の文人が、書にどう親しみ、書をどのように捉えていたのか、彼らの言葉を通して考察してみます。そして、それが現代の書の見方・あり方につながっていることを確認したいと思います。

講師紹介 中野層翠 (ナカノ ソウスイ)
夕張市出身。北海道学芸大学卒業。札幌開成高校校長など歴任。道展運営委員長等で活躍。当センター「総合書道」コースの創案者。札幌市民芸術賞受賞。


もう1件、よみうりカルチャー宇都宮さんでも、書道系で光太郎。こちらは実作です。 

近代詩文を書く

期  日 : 2018年4/19、5/17、6/21、7/19、0018/30、9/20 
       すべて第3木曜日 途中受講可 見学・体験可
会  場 : よみうりカルチャー宇都宮 
        宇都宮市宮園町4-1 東武宮園町ビル5F
時  間 : 14:00~16:00
講  師 : 書道・絵手紙恒水会主宰 千金楽 恒水
料  金 : 受講料14,256円 設備費926円

近代詩とは、明治時代に伝統の束縛から脱して、欧米の詩体にならい、新時代 の思想感情を自由に歌った詩とあります。高村光太郎、与謝野鉄幹・晶子・三好達治、金子みすずなどなど、心を動かされる心を動かされる詩文を、漢字仮名交じり書で楽しみます。基本の筆使いから文字表現、心構えへと学んでいきます。
筆、墨、紙の織り成す文字空間に癒されてください。

情報を得るのが遅くなりまして、すでに全6回中の1回が終わっています。面目ありません。


こうしたカルチャースクール系、調べてみるといろいろあるのですね。今後はこういった情報にも注意しようと思います。


【折々のことば・光太郎】

美術館は世上に勢力ある愚昧な誤謬を見破る烱々たる眼光を持たなければその甲斐がない。
散文「美術館の事その他」昭和16年(1941) 光太郎59歳

この年、当時の東京市は、「皇太子継宮明仁親王殿下御誕生記念日本近代美術館」事業を決定し、計画案を発表しました。明仁親王殿下は今上天皇。昭和8年(1933)のお生まれですが、なぜか8年経っての誕生記念事業でした。

具体的には「建設費約七百万円、敷地坪数四千坪乃至七千坪、建坪二千坪、延坪五千七百坪の建築を予定し、明治以降現代及将来に亘る美術及美術工芸品を蒐集陳列し、わが近代美術の精華を顕揚すると共に国民文化の向上に資し、日本美術の健全な進展に貢献せんとするものである」とのこと。ルーブル的な巨大美術館を建設する計画でした。しかし、太平洋戦争開戦によりこの計画は頓挫します。

この計画に意見を求められた光太郎が『朝日新聞』さんに発表した文章の一節です。「明治以降現代及将来に亘る美術及美術工芸品を蒐集陳列」、「わが近代美術の精華を顕揚」とあることに対し、その肩書や経歴に重きを置いて、展示物を決めるような愚を犯すなかれ、という話の流れです。

現代に於いても、美術館さんには「世上に勢力ある愚昧な誤謬を見破る烱々たる眼光」が要求されますね。

新刊情報です。

文字に美はありや。

2018年1月12日  伊集院静著  文藝春秋  定価1,600円+税

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文字に美しい、美しくないということが本当にあるのだろうか、というきわめて個人的な疑問から歴代の名筆、名蹟をたどっていくものである。(本文より)
歴史上の偉大な人物たちは、どのような文字を書いてきたのか。
1700年間ずっと手本であり続けている”書聖”の王羲之、三筆に数えられる空海から、天下人の織田信長、豊臣秀吉や徳川家康、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の立役者たち、夏目漱石や谷崎潤一郎、井伏鱒二や太宰治といった文豪、そして古今亭志ん生や立川談志、ビートたけしら芸人まで。彼らの作品(写真を百点以上掲載)と生涯を独自の視点で読み解いていく。2000年にわたる書と人類の歴史を旅して、見えてきたものとは――。この一冊を読めば、文字のすべてがわかります。
「大人の流儀」シリーズでもおなじみの著者が、書について初めて本格的に描いたエッセイ。

目次
 なぜ文字が誕生したか/龍馬、恋のきっかけ/蘭亭序という名筆、妖怪?/桜、酒、春の宴/
 友情が育んだ名蹟/始皇帝VS毛沢東/木簡からゴッホの郵便夫へ/
 紀元前一四〇年、紙の発明/書に四つの宝あり/猛女と詩人の恋/弘法にも筆のあやまり/
 美は万人が共有するものか/二人の大王が嫉んだもの/我一人行かん、と僧は言った/
 素朴な線が、日本らしさへ/信長のモダニズム・天下取りにとって書とは?/
 数奇な運命をたどった女性の手紙/秘伝の書、後継の書/
”風流”とは何ぞや/
 芭蕉と蕪村、漂泊者のまなざし/ユーモアと葛藤/戯作者の字は強靭?

 水戸黄門と印籠と赤穂浪士の陣太鼓/平登路はペトロ、如庵はジョアン/
 丁稚も、手代も筆を使えた/
モズとフクロウ/親思うこころ/一番人気の疾馬の書/
 騎士をめざした兵たち/
幕末から明治へ、キラ星の書/苦悩と、苦労の果てに/
 一升、二升で酔ってどうする/
禅と哲学の「無」の世界/生涯”花”を愛でた二人の作家/
 山椒魚と、月見草の文字/
書は、画家の苦難に寄り添えるのか/書は万人のものである/
 困まった人たちの、困まった書/
文字の中の哀しみ


月刊誌『文藝春秋』さんの平成26年(2014)1月号から昨年の4月号まで連載されていた、「文字に美はありや」の単行本化です。

平成26年(2014)10月号の「第十話 猛女と詩人の恋」で光太郎に触れて下さいまして、同じ題で収録されています。ちなみに「詩人」は光太郎ですが、「猛女」は智恵子ではなく、同じ回で光太郎と共に取り上げた光明皇后です。

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雑誌初出時の図版はカラーでしたが、単行本化されたものはモノクロ写真となっており、その点は残念ですが、オールカラーにすると定価を跳ね上げざるを得ないので、いたしかたないでしょう。

光太郎の書は、画像にもある木彫「白文鳥」(昭和6年=1931)を収めるための袱紗(ふくさ)にしたためられた短歌、詩「道程」(大正3年=1914)の鉛筆書きと見られる草稿が取り上げられています。また、光太郎の書論「書について」(昭和14年=1939)も紹介されています。

通常、雑誌連載を単行本化する際には、加筆がなされるものですが、光太郎の章では逆に連載時の最後の一文がカットされています。曰く「智恵子への恋慕と彼の書についてはいずれ詳しく紹介したい。」おそらく伊集院氏、連載中にはもう一度光太郎智恵子に触れるお考えもお持ちだったようですが、それが実現しなかったためでしょう。どこか他のところででも、がっつり光太郎智恵子の書について語っていただきたいものです。

他に、光太郎智恵子と交流のあった人物――夏目漱石、中村不折、熊谷守一、谷崎潤一郎ら――、光太郎が書論で紹介した人物――王羲之、空海、良寛ら――についても触れられており、興味深く拝読しました。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

書などといふものは、実に真実の人間そのもののあらはれなのだから、ことさらに妍を競ふべきものでなく、目立つたお化粧をすべきものでもない。その時のありのままでいいのである。その時の当人の器量だけの書は巧拙にかかはらず必ず書ける。その代り、いくら骨折つても自分以上の書はかけない。カナクギ流でも立派な書があるし、達筆でも卑しい書がある。卑しい根性の出てゐる書がいちばんいやだ。

散文「書についての漫談」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

光太郎最晩年、最後の書論の一節です。彫刻に関しては、壮年期を除いて個展開催に興味を示さなかった光太郎ですが、最晩年には書の個展を本気で考えていました。それだけ自信もあったのでしょう。

新刊情報です。

一昨年、NHK Eテレさんでオンエアされた「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」にて講師を務められ、光太郎の書もご紹介下さった、書家の石川九楊氏の著作集全12巻が、ミネルヴァ書房さんから刊行中です。

石川氏、光太郎の独特な書を高く評価して下さっていて、さまざまな著作で光太郎書を取り上げられています。昨年刊行された『石川九楊著作集Ⅵ 書とはどういう芸術か 書論』、『石川九楊著作集Ⅰ 見失った手 状況論』でも、光太郎に触れる部分がありました。

さて、同じ著作集の第九巻、『石川九楊著作集Ⅸ 書の宇宙 書史論』。 版元のサイトでは3月刊行となっていましたが、amazonさんなどでは今月刊行の扱いになっています。やはり光太郎に触れる部分が含まれています。定価は9,000円+税だそうです。

目次

序 書に通ず

第一部 書とはどういう芸術か
 第一章 書は筆蝕の芸術である003
 第二章 書は文学である
 第三章 書の美の三要素――筆蝕・構成・角度
 第四章 書と人間
第二部 早わかり中国書史
 第一章 古代宗教文字の誕生――甲骨文・金文
 第二章 文字と書の誕生――篆書・隷書
 第三章 書の美の確立――草書・行書・楷書
 第四章 書の成熟とアジア――宋・元・明の書
 第五章 世界史の中の中国書――清の書
第三部 早わかり日本書史
 第一章 日本の書への道程
 第二章 日本の書の成立
 第三章 新日本の書――漢字仮名交じり書の誕生
 第四章 鎖国の頹*廃と超克
第四部 書の現在と未来を考える
 第一章 西欧との出会い――近代の書
 第二章 文士の書と現代書
 第三章 戦後書の達成
 第四章 書の表現の可能性

[書の宇宙]
 第一章 「言葉」と「文字」のあいだ――天への問いかけ/甲骨文・金文
 第二章 「文字」は、なぜ石に刻されたか――人界へ降りた文字/石刻文
 第三章 「書」とは、どういうことなのか――書くことの獲得/簡牘
 第四章 石に溶けこんでゆく文字――風化の美学/古隷
 第五章 石に貼りつけられた文字――君臨する政治文字/漢隷
 第六章 「書聖」とは、何を意味するのか――書の古法(アルカイック)/王羲之
 第七章 書かれた形と、刻された形と――石に刻された文字/北朝石刻
 第八章 書の典型とは何か――屹立する帝国の書/初唐楷書
 第九章 「誤字」が、書の歴史を動かす――言葉と書の姿/草書
 第一〇章 書の、何を受けとめたのか――伝播から受容へ/三筆
 第一一章 書の、何が縮小されたのか――受容から変容へ/三蹟
 第一二章 和歌のたたずまい――洗練の小宇宙/平安古筆
 第一三章 書の文体(スタイル)の誕生――書と人と/顔真卿
 第一四章 書史の合流・結節点としての北宋三大家――文人の書/北宋三大家
 第一五章 中華の書は、周辺を吞みこんでゆく――復古という発見/元代諸家
 第一六章 書くことの露岩としての墨蹟――知識の書/鎌倉仏教者
 第一七章 書であることの、最後の楽園――文人という夢/明代諸家
 第一八章 紙は、石碑と化してゆく――それぞれの亡国/明末清初
 第一九章 万世一系の書道――変相(くずし)の様式/流儀書道
 第二〇章 いくつかの、近世を揺さぶる書――近代への序曲/儒者・僧侶・俳人
 第二一章 書法の解体、書の自立――さまざまな到達/清代諸家①
 第二二章 篆・隷という書の発明――古代への憧憬/清代諸家②
 第二三章 篆刻という名の書――一寸四方のひろがり/明清篆刻
 第二四章 新たな段階(ステージ)への扉――書の近代の可能性/明治前後

 [書の終焉――近代書史論]
 序
 書――終焉への風景
 Ⅰ
  明治初年の書体(スタイル)――西郷隆盛
  世界の構図――副島種臣
  写生された文字――中林梧竹
  異文化の匂いと字画の分節――日下部鳴鶴
 Ⅱ
  「龍眠帖」、明治四十一年――中村不折
  再構成された無機なる自然――河東碧梧桐
  最後の文人の肖像――夏目漱石
  ことばと造形(かたち)のからみあい――高村光太郎
  短歌の自註としての書――会津八一
 Ⅲ
  位相転換、その結節点――比田井天来
  主題への問い――上田桑鳩
  諧調(グラデーション)の美学――鈴木翠軒
  〈動跡〉と〈墨跡(すみあと)〉への解体――森田子龍
  文字の肖像写真(ポートレート)――井上有一
 Ⅳ
  日本的様式美の変容――小野鵞堂・尾上柴舟・安東聖空・日比野五鳳
  現代篆刻の表出――呉昌碩・斉白石・河井荃廬・中村蘭台二世

凡 例
解 題
解 説 実感的書論(奥本大三郎)


「書の終焉――近代書史論」中の、「ことばと造形(かたち)のからみあい――高村光太郎」は、完全に光太郎の項ですが、それ以外にも、「文士の書と現代書」などの部分で、光太郎に触れられているはずです。

最新刊は別巻Ⅱの『中國書史』。これが第11回配本で、最終巻の別巻Ⅲ『遠望の地平 未収録論考』が出れば完結です。このブログでご紹介した巻以外にも、光太郎に触れられている部分がありそうな気がしますので、完結後に大きな図書館で全巻を見渡してみようと思っております。


光太郎書といえば、花巻高村光太郎記念館さんの、今年度の企画展。秋には昨年に引き続き、智恵子紙絵。そして冬には光太郎書を扱うそうです。同館には光太郎書の所蔵が非常に多く、常設展示では展示しきれません。そこで、普段、展示に出していない書にも陽の目をあてようというコンセプトになるようです。

秋の智恵子紙絵ともども、詳細が決まりましたら、またお伝えします。


【折々のことば・光太郎】

私は原理ばかり語る。 私は根源ばかり歌ふ。 単純で子供でも話す言葉だ。 いや子供のみ話す言葉だ。

詩「発足点」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

空虚な美辞麗句の羅列や、もってまわったまだるっこしい物言いでなく、だから光太郎の詩はいいのだ、と、当方は思います。

日本絵手紙協会さん発行の雑誌『月刊絵手紙』の今月号です。これまでもたびたび光太郎智恵子を取り上げてくださっていますが、今号も「すべては「詩魂」ありてこそ 高村光太郎の書」という題で、10ページの特集を組んでくださっています。

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文章は同会主宰の小池邦夫氏。郵研社さん刊行の『小池邦夫絵手紙講演集in忍野』からの転載です。「書とは人間最後の芸術――高村光太郎」と題し、光太郎の書を語られています。

花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、同館に所蔵・展示されている光太郎の書、スナップ写真、遺品等の画像がふんだんに使われています。

一般書店での販売は行っておらず、同会サイトからの注文となります。税込み822円+送料100円。お手頃価格です。

完売のものを除き、バックナンバーも入手可能です。光太郎智恵子に関する号は以下の通り。

No.81  2002年9月号   高村智恵子紙絵
No.103 2004年7月号  武者小路実篤/高村光太郎
No.118 2005年10月号 高村光太郎の絶筆
No.142 2007年10月号 高村光太郎の書
No.174 2010年6月号  李朝の木偶・明治の書・光太郎と智恵子・冬青・水上勉

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また、来月号から、「高村光太郎のことば」という連載が始まるそうで、早速年間購読の手続きをいたしました。ありがたいかぎりです。

皆様もぜひお買い求めください。


【折々のことば・光太郎】

つきあたると坂になるから、 あの上から又下町の灯を見て来ようとつい思ふ。 平和な間にこそ可憐な姿は見て置かうと。

詩「平和時代」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「坂」は、住居兼アトリエのあった本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)の団子坂です。約18年後には戦火に包まれ、アトリエや、坂の上にあって光太郎もたびたび訪れた森鷗外の旧宅「観潮楼」なども灰燼に帰しました。そしてそこから見えた「下町」一帯も。

明日は憲法記念日。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とする第9条があるにもかかわらず、緊張が高まっています。真逆のことを考えている国が近くにあったり、我が国でもこの理念をなし崩しにしようとする輩が跳梁跋扈していたり……。

「平和な間にこそ可憐な姿は見て置かう」と考えるような世の中はごめんですね。

書家、石川九楊氏。昨年、NHK Eテレさんでオンエアされた趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」 にて講師を務められ、光太郎の書もご紹介下さいました。

その石川氏の全集ともいうべき『石川九楊著作集』全12巻がミネルヴァ書房さんから刊行中です。そして次回配本が第6巻で、『書とはどういう芸術か 書論』。やはり光太郎にも触れて下さっています。

石川九楊著作集Ⅵ 書とはどういう芸術か 書論

2016年12月25日 ミネルヴァ書房 本体9,000円+税

序 書とはどういう芸術か——筆蝕の美学
はじめに
序 章 書はどのようなものと考えられて来たか
第一章 書は筆蝕の芸術である——書の美はどのような構造で成立するか
第二章 書は筆・墨・紙の芸術である——書の美の価値はなぜ生じるのか
第三章 書は言葉の芸術である——書は何を表現するのか
第四章 書は現在の芸術でありうるだろうか——書の再生について

書——筆蝕の宇宙を読み解く
第一講 書の表現の根柢をなすもの——筆蝕についてⅠ
第二講 反転しあう陰陽の美学——筆蝕についてⅡimg_0_m
第三講 垂線の美学——書と宗教
第四講 整斉、参差、斉参——旋律の誕生
第五講 書のなかの物語——旋律の展開
第六講 折法の変遷と解体——リズムについて
第七講 表現行為としての書——書と織物
第八講 書のダイナミックス——筆勢について
第九講 結字と結構——書と建築
第十講 ムーブメントとモーション——書と舞踊
第十一講 甲骨文、金文、雑体書——書とデザイン
第十二講 余白について——書と環境

九楊先生の文字学入門
はじめに
第一講 表 現
第二講 動 詞——筆蝕すること
第三講 場
第四講 主 語
第五講 述 語
第六講 単 位——筆画
第七講 変 化
第八講 接 続——連綿論
第九講 音 韻——筆蝕の態様
第十講 形 容
第十一講 接 辞
第十二講 構 文
講義レジュメ

凡 例
解 題
解 説 弁証法の美学——書の表現をささえるもの(高階秀爾)

007このシリーズは、単行本化されたものをまとめたもののようで、この巻は736ページもあり、3冊のご著書がまとめられています。すなわち表題作の『書とはどういう芸術か 筆触の美学』(平成6年=1994 中公新書)、『書―筆蝕の宇宙を読み解く』(平成17年=2005 中央公論新社)、『九楊先生の文字学入門』(平成26年=2014 左右社)。

当方、全て読んだわけではないのですが、このうちの表題作『書とはどういう芸術か 筆触の美学』は、かつて店頭で見つけ、光太郎に言及されていたので購入しました。

曰く、「彫刻家・高村光太郎などの場合には、ペンもまた鑿であり、端正な瞠目するような詩稿を残している。」「高村光太郎の書は、単なる文士が毛筆で書いた水準をはるかに超えた、もはや見事な彫刻である。」などなど。


調べてみましたところ、7月には同じシリーズの第1巻『見失った手 状況論』が刊行されており、そちらには平成5年(1993)新潮社刊の、『書と文字は面白い』が収録されており、やはり光太郎に触れられています。こちらは当方、文庫版(平成8年=1996)で読みました。

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こちらは2ページにわたり「高村光太郎」という項があって、このように述べられています。

高村光太郎の書は、近代・現代の作家、詩人、歌人などの書の中で異彩を放っている。表現上、いわゆる作家、芸術家の書の範疇(はんちゅう)には属さず、また、いわゆる書家の「現代書」とも異なっている。
(略)
「精神」や「意思」だけが直裁に化成しているような姿は、他に類例なく孤絶している。

けだし、そのとおりですね。ただ、強いて類例を挙げるとすれば、その精神性などの部分で色濃く影響を受けた、草野心平の書が、光太郎のそれに近いかもしれません。


『石川九楊著作集』、おそらく他の巻を含め、他の部分でも、光太郎に言及されている箇所がまだあると思われます。とりあえず、はっきり光太郎に言及されているとわかっているもののみご紹介しました。また情報が入りましたらご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

百燭に雉子の脂のぢぢと鳴る     昭和20年(1945) 光太郎63歳

花巻郊外太田村の山小屋で迎える最初の冬に詠まれた句です。最初の数年間は、電気もない生活で、夜はランプや蝋燭で過ごしていました。

先ほど、1泊2日の行程を終えて、福島相双地区より帰って参りました。充実の2日間でして、レポートは明日以降、ゆっくり書かせていただきます。

今日は新刊書籍の紹介を。

日本の書

2016年11月1日 手島𣳾六氏著 産経新聞出版 定価1,852円+税

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書には日本人の「心」と「技」が宿っている。

聖徳太子の書から、空海、西行、定家、 一休、白隠、良寛、吉田松陰、 西郷隆盛、高村光太郎、魯山人、川端康成……。

古今の能書42作品を、わが国を代表する現代書家が、 美しい図版とともに丁寧に紹介。A5判・上製・オールカラー!

【登場する人物】
 ■第一章 古代篇
 聖徳太子、光明皇后、最澄、空海、嵯峨天皇、橘逸勢、菅原道真、小野道風、藤原佐理、
 藤原行成、紀貫之、西行
 ■第二章 中世篇
 藤原定家、伏見天皇、親鸞、日蓮、道元、大燈国師、一休
 ■第三章 近世篇
 近衛信尹、本阿弥光悦、小堀遠州、荻生徂徠、白隠、池大雅、仙厓、良寛、吉田松陰
 ■第四章 近代篇
 三輪田米山、西郷南洲、中林梧竹、副島蒼海、日下部鳴鶴、比田井天来、尾上柴舟、
 豊道春海、會津八一、高村光太郎、北大路魯山人、小倉遊亀、川端康成、手島右卿

《古来、自然に富んだ清明な気候風土に住む日本人は緻密な観察と工夫によって独自の文化を作り上げてきた。つまり、季節感と心が一体となって独自の美しい書を醸成してきたのである。それ故、日本の書は「清明の中にある」と言っても過言ではあるまい。書の妙技、巧拙を含め「清明」にこそ日本の書の真髄が宿っていると言えよう。》(序文より)


平成24年(2012)から今年にかけ、『産経新聞』さんに連載されていた同名のコラムの単行本化です。

光太郎の項は、昨年10月3日に掲載されました。昭和に入ってからの光太郎の揮毫「うつくしきものみつ」についてです。

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昨年、NHKさんで放映された生涯教育番組「趣味どきっ! 女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」」の中で、書家の石川九楊氏がしみじみと述べられていましたが、光太郎の書は、鑿や彫刻刀でぐいぐい刻んで行くような書です。

やはりそうした解説になっています。

他にも古今の名書がオールカラーで紹介され、眺めていると不思議と心落ち着けられる書籍です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

浅草の千束町の銘酒屋の二階の窓の小春日のいろ

明治42年(1909) 光太郎27歳

今日は福島でも、日向にいると暑さを感じるくらいの小春日和でした。

画像はいわき市の草野心平生家前の、見事なケヤキの大木です。青空に黄葉のコントラストがきれいでした。

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東京から書道関連の学会情報です。 

国際シンポジウム「書の資料学 ~故宮から」

日 時 : 2015年9月12日(土)10:30~17:00
会 場 : 筑波大学東京キャンパス文京校舎134講義室(文京区大塚3-29-1)
主 催 : 「書の資料学」実行委員会
共 催 : 筑波大学
参加費 : 無料 どなたでもご参加いただけます。参加をご希望の方は、事前に住所・氏名・電話番号(またはEメールアドレス)をFAX 029-853-2715へご連絡ください。

プログラム
受付 10:00~ 
開会挨拶 10:30~10:35

第1部 研究発表 10:35~12:05
明末における書体論の諸相 尾川明穂(安田女子大学助教)
松花堂昭乗筆『詠歌大概』(国文学研究資料館蔵)所収秀歌撰について 山口恭子(都留文科大学非常勤講師)
清代書法指南書の受容と展開  髙橋佑太(相模女子大学非常勤講師)

第2部 基調講演 13:00~15:00
『石渠宝笈三編』に見る碑帖と碑学の関係についての初探 何炎泉(国立故宮博物院書画処副研究員兼科長)
書は人を以て伝う―趙孟頫書「絶交書」の考察 陳建志(国立故宮博物院書画処助理研究員)

第3部 討議 15:15~17:00
司会 菅野智明(筑波大学教授)
登壇者 何炎泉 陳建志 家入博徳 矢野千載
登壇者提言
日本書論にみる中国書論の受容 家入博徳(國學院大学兼任講師)
高村光太郎書「雨ニモマケズ」詩碑に見られる原文および碑銘稿との相違について 矢野千載(盛岡大学教授)
           
お問い合わせ:〒305-8574つくば市天王台1-1-1 筑波大学芸術系 菅野研究室 TEL/FAX:029-853-2715


日中両国の研究者による書に関する研究発表、討議です。上記のとおり、盛岡大学の矢野千載(やのせんざい)教授による討議の提言「「雨ニモマケズ」詩碑に見られる原文および碑銘稿との相違について」があります。

宮澤賢治の「雨ニモマケズ」詩碑は、岩手花巻の羅須知人協会跡地に昭和11年(1936)に建てられました。光太郎が遺族の依頼で、「雨ニモマケズ」の後半部分を揮毫したものが刻まれている碑です。

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この碑、それから作品としての「雨ニモマケズ」にはいろいろな問題があります。まず、賢治が手帳に記した段階で、「ヒドリノトキハ」と書いた部分が、現在では(というか、かなり早い時期から)「ヒデリノトキハ」となって流布している点、花巻の詩碑も、賢治の手帳通りではなく、後に光太郎が誤りに気付き、追刻がなされている点などです(それでもまだ手帳通りになっていません)。

「ヒドリ/ヒデリ」については、光太郎を改変の戦犯扱いする説がありますが、誤りです。

詩碑の追刻の件については、以前にこのブログで、昭和31年(1956)、光太郎歿後すぐ刊行された佐藤勝治著『山荘の高村光太郎』の記述を引用し、紹介しました。

また、昭和18年(1943)には、啄木研究家の川並秀雄に、次の書簡を送っています。

 拝復、おてがみありがたく拝読いたしました、これまで其について質問をうけた事がないので、宮澤賢治詩碑碑面の不審がそのままになつてゐました、貴下によつて事情が明瞭になる事をよろこびます、
 宮澤賢治さんのあの手帖は以前に草野心平君から示されて、その時「雨にもまけず」の鉛筆がきをよみ、感動いたしましたが、手帖はやがて国元へかへり、字句は忘れてゐました、
 その後国元の令弟宮澤清六さんから碑詩揮毫の事をたのまれ、同時に清六さんが写し取つた詩句の原稿をうけとりました、小生はその写しの詩句を躊躇なく、字配りもそのまま揮毫いたした次第であります、
 さて後に拓本を見ると、あの詩の印刷されたものにある、「松の」がぬけてゐたり、其他の相違を発見いたし、もう一度写しの原稿をみると、その原稿には小生のバウがボウであり、小生のサウがソウであつた事を又発見しました、
 つまり清六さんが書写の際書き違つた上に、小生が又自分の平常の書きくせで、知らずにかな遣いを書き違へてゐた事になります、甚だ疎漏であつた事を知りましたが、既に彫刻の出来てしまつたあとの事でありましたため、そのままにいたしました、
 碑面の不審は右のやうな当時の事情で起つた次第、よろしく御解明なし置き下さらば、由来がはつきりして今後の研究者の無駄な考慮や疑問がはぶかれる事となりませう、その点をよろこびます、
 貴下の細心な研究精神をまことにありがたき事と存じ、早速右御返事まで申上げました、
                                                                  艸々
  昭和十八年七月十四                    高村光太郎
 川並秀雄様 侍史

これを読むと、『山荘の高村光太郎』の記述ともまた異なり(『山荘の……』では、戦後になって初めて碑文が誤っていることに気付いたように書かれています)、さらに他の人物の回想ではまた違ったニュアンスのエピソードも紹介されていたりします。

今回の矢野氏の「提言」では、こういった話に触れられるのではないかと思われます。

興味のある方、ぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月21日

昭和20年(1945)の今日、花巻郊外太田村に初めて足を踏み入れました。

当日の日記から。

晴、暑  太田村山口行、 朝飯盒にて弁当炊き、八時四十分校長先生同道花巻駅より。信一郎、清一郎君落合ふ。二ツ関下車徒歩五十分。午後勝治君の案内にて地所検分、選定。部落会長宅に挨拶にゆく。小屋を勝治氏に一任。五時十二分二ツ関よりかへる。

8月10日の花巻空襲で、疎開していた宮澤家を焼け出された光太郎、旧制花巻中学校長・佐藤昌の家に厄介になっていました。終戦の2日前、山口分教場の教師だった佐藤勝治に勧められ、太田村移住を計画、この日の下見になったわけです。太田村に住み始めたのは10月17日のことでした。

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