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社会教育系イベント、対象が花巻市民等限定ですが……。

新花巻発見探訪ツアー「太田・湯口地区」

 コミュニティ会議の地域振興部会が主催する「新花巻発見探訪ツアー」の参加者を募集します。この事業は花巻市内各地の史跡・名勝や施設等を訪れ、私たちが暮らす花巻の郷土史や風土を学びます。
 今回の訪問地は、高村光太郎が山居7年を過ごした高村山荘や日本三清水と言われる清水寺がある太田地区と、仏教学者として知られる多田等観ゆかりの円万寺がある湯口地区を巡ります。

○期 日   9 月 22 日(木) 小雨決行
○訪問先  花巻市太田、湯口地区
○対象者
 花南地区に在住もしくは勤務する市民で、史跡・名勝に関心があり学ぶ意欲がある方
○集 合   08:30 花南振興センター(受付、体調チェック票提出)
○日 程
  08:45  花南振興センター出発
  09:00  高村光太郎記念館
   高村山荘、智恵子展望台、雪白く積めり詩碑を見学
  11:00  清水寺
   観音堂、山門、千体薬師堂、慈眼水堂を見学
  12:30  花巻市自然休暇村広場(昼食)
  13:30  円万寺
   観音堂、八坂神社、一燈庵を見学
  14:15  山の駅 昭和の学校(施設見学)
  15:20  道の駅 はなまき西南(休憩)
  16:00  花南振興センター到着予定
 ※天候や現地の状況によって日程を変更する場合があります。
○服 装  動きやすい服装、履きなれた靴、帽子
○持ち物  マスク、昼食、飲み物、おやつ、雨具、タオル、敷き物、筆記用具など
○参加料  1,200 円(入館料 3 館分、保険代)
 ※貸切バス代はコミュニティ会議が負担します。
○定 員  25 人(先着順)
○受 付  8 月 22 日(月)午前 9 時から受付開始。花南振興センター窓口へ直接
    もしくは花南地区コミュニティ会議(電話 24-4415、平日の 9 時~17 時)
     へお申込み願います。
 なお、感染症の拡大状況によっては事業を延期もしくは中止することが
 ありますので予めご了承ください。
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光太郎ゆかりの地を巡る史跡探訪ツアー。

まずは昭和20年(1945)秋から丸七年間、光太郎が蟄居生活を送った旧太田村の山小屋(高村山荘)と、隣接する髙村光太郎記念館さん及びその周辺。

続く清水寺さんは、光太郎が何度か足を運んだ寺院です。円万寺さんは、光太郎と交流のあった僧侶にしてチベット仏教学者の多田等観が堂守を務めていたところ。長い急坂を上った先にありますが、光太郎も上りました。

山の駅 昭和の学校さんにも行かれるのですね。さらには道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんにも。

地元の方々が対象ですが、以外と地元民が地元のことを詳しくは知らないというケースは往々にしてありますね。当方もそうです。ここにこんなものがあると知らなかったとか、存在は知っていてもどんな背景があるのか、細かな見どころ等々。もう3年前になりますが、当方が講師を務めさせていただき、花巻市、それから隣接する北上市をバスで廻った「岩手花巻高村光太郎記念館講座 詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」の際にも、参加者の皆様からそうした声が聞かれました。

残暑も一段落という感じで、ただ、台風等が心配ですが、実りあるツアーとなるよう祈念いたしております。

各地自治体さんの社会教育担当の方々、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

晴れる、 春子さん子供二人つれてくる、モチ ワカサギをもらふ、 NHKの人くる、一月三日詩朗読の由(石黒達也) 「新潮」の野平氏くる、原稿に書き足して渡す(13枚)、 便 創元社の林氏くる、ウエルハーラン詩集出来、三冊持参、印税はマカベ氏宛のことをたのむ、 〈豊周夫妻くる〉

昭和28年(1953)12月26日の日記より 光太郎71歳

001たまたまでしょうが、千客万来(笑)。ただ、この頃、この日ほどではなくとも、起居していた中野の貸しアトリエにはほぼ毎日、誰かしらが訪れていました。

春子さん」は、智恵子の最期を看取った智恵子の姪。「詩朗読」はラジオ放送。俳優の「石黒達也」はたびたび光太郎詩の朗読を担当していました。「原稿」は翌年2月の『新潮』に載った散文「日本芸術院のことについて-アトリエにて1-」。「ウエルハーラン詩集」は、濁点が脱落していまして、『ヴェルハアラン詩集』。戦前に光太郎が訳した、ベルギー詩人・ヴェルハーレンの詩――さまざまな雑誌等に寄稿したもの――を、山形出身の詩人・真壁仁(「マカベ氏」)が編集しました。光太郎、あまり出版に乗り気でなく、印税もいらない、真壁にやってくれ、と、まぁ何とも気前のいいことで(笑)。そして実弟の豊周夫妻も。おそらく豊周が仲介した「倉田雲平胸像」がらみの用件と思われます。

岩手県盛岡市からイベント情報です。

館長講座2022 作り手の視点 第2回「岩手の美術教育」

期 日 : 2022年8月27日(土)
会 場 : 岩手県立美術館 岩手県盛岡市本宮字松幅12-3
時 間 : 14:00-15:30(開場13:30)
料 金 : 無料

当館の藁谷収館長が専門の彫刻を中心に「作り手の視点」で語る美術講座。彫刻作品の制作の裏側や美術教育などをテーマとして、全4回シリーズでお話しします。当日、直接ホールにお越しください。参加無料、申込不要です。

第2回 「岩手の美術教育」
 疎開した彫刻家高村光太郎と美術評論家森口多里の交流が始まり、岩手美術研究所、岩手県立美術工藝学校、盛岡短期大学美術工藝科、岩手大学特設美術科へと発展的に継承された岩手の美術教育は、多くの美術に関わる人材を輩出してきました。これまでの検証と、今後の展望を紐解きます。

講 師 : 藁谷収(わらがいおさむ) [当館館長]
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藁谷館長、平成31年(2019)の同講座「岩手の近代彫刻Ⅱ」、同30年(2018)の「岩手大学教育学部出前講座「彫刻ってこう観るの!? 光太郎の作品から入る近代芸術の世界」」でも、光太郎と岩手について語って下さいました。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

運送屋七尺石膏像を持ちくる、十和田関係の費用旅費日当等全部払(42,000)


昭和28年(1953)11月4日の日記より 光太郎71歳

七尺石膏像」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の石膏原型。鋳造を担当した伊藤忠雄の工房から帰ってきた、というわけですね。現在は光太郎の母校・東京藝術大学さんに収められています。七尺像ということでなかなか大変なのですが、ぜひ展示する機会を設けてほしいものです。

費用旅費日当等」は運送屋さん関係と思われます。

まず状況をわかりやすくするために、地方紙『陸奥新報』さん記事から。

教科書掲載の作家紹介/県近代文学館

 県近代文学館で特別展「教室で出会った文学」(9月19日まで)が開かれている。国語の教科書に掲載されるさまざまな文学作品は、子どもが文学の世界に触れる入り口でもあり、大人には懐かしい青春の思い出。同展は多くの教科書で取り上げられてきた森鷗外、夏目漱石、石川啄木、宮澤賢治、与謝野晶子、芥川龍之介、高村光太郎の7氏を第1部で、太宰治、三浦哲郎、寺山修司ら本県出身作家を第2部で紹介している。また黒石高校情報デザイン科の協力を得て作家たちのイメージイラストも展示されるなど、夏休みに子どもたちが楽しむことができる内容となっている。
 第1部では、森鷗外の「中村範宛書簡」や石川啄木の「金田一京助宛葉書」、宮澤賢治の「雨ニモマケズ手帳(複製)」、芥川龍之介の「自筆短冊」、高村光太郎の「桂月メダル」などが、貴重な初版本や当時掲載された雑誌などとともに展示。本県との意外な関わりを記した紹介文も目を引く。中でも与謝野晶子のコーナーでは、板柳町の歌人・安田秀次郎らの招きで、夫・鉄幹(寛)と夫婦で本県を訪れた際に書いた自作短歌の屏風(びょうぶ)も展示。見分けが付きにくいほどよく似た夫婦の直筆による多くの歌が詠み込まれており、貴重な展示物となっている。安田は、夏目漱石とも書簡のやり取りがあり、同書簡は本展が初公開。独自の町人文化が栄えた板柳町をはじめとする本県と、中央で活躍する文人との交流の深さが、第1部の展示から想像できる。
 第2部では、新課程の教科書に登場する本県出身作家に着目し、関連資料や最新の教科書などを展示。同館が調査した結果、圧倒的な数を誇ったのは、やはり太宰治で特に「走れメロス」は中学校の教科書すべてに掲載されているため、全国の中学生のいわば必読の書とも呼べる作品となっている。
 特別展では、来館者全員に黒石高校情報デザイン科作成のポストカードがプレゼントされるほか、夏休み期間中には小・中・高校生を対象にした「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」を実施。他にも「あおもり文学ゼミ『教室で出会った作家と青森』」、朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」などのイベントが行われる。入館無料。問い合わせは同館(電話017-739-2575)へ。

というわけで、同展の詳細。

令和4年度特別展「教室で出会った文学」

期 日 : 2022年7月16日(土)~9月19日(月)
会 場 : 青森県近代文学館 青森県青森市荒川藤戸119-7
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 7月28日(木) 8月25日(木) 9月14日(水)
料 金 : 無料

 学校で使用する国語の教科書には様々な文学作品が掲載され、時代とともに掲載される作品も変化してきました。その中で、今も昔も多くの人に親しまれている作品や作家が存在します。
 今回の特別展では、青森県出身者という視点から離れ、教科書に作品が掲載され続けてきた7人の作家❶森鷗外(もり・おうがい)❷夏目漱石(なつめ・そうせき)❸石川啄木(いしかわ・たくぼく)❹宮澤賢治(みやざわ・けんじ)❺与謝野晶子(よさの・あきこ)❻芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)❼高村光太郎(たかむら・こうたろう)を大きく取り上げ、青森県との意外な関わりについても紹介します。
 また、太宰治、三浦哲郎、寺山修司といった、教科書に作品が掲載されている青森県出身作家の関連資料や最新の教科書も展示します。

主な展示資料
 森鷗外   「中村範宛書簡」 「舞姫」初出雑誌 等
 夏目漱石  「安田秀次郎宛書簡」 前期3部作・後期3部作(初版含む初期の本)等
 石川啄木  「金田一京助宛葉書」3通(実物展示は7/16~8/24)等
 宮澤賢治  「雨ニモマケズ手帳(複製)」 『春と修羅』初版本 等
 与謝野晶子 「安田秀次郎宛書簡」 「自作短歌屏風」等
 芥川龍之介 『羅生門』再版本 『傀儡師』『芋粥』初版本 自筆短冊 等
 高村光太郎 『道程』初版本 「桂月メダル」(レリーフ) 自筆色紙 等
 教科書掲載の太宰治、三浦哲郎、寺山修司関連資料と、新課程の教科書 等
 その他、初版本や初出雑誌、自筆資料等、多数展示します。
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関連行事

来館者にポストカードプレゼント
 今回の特別展のポスター及びちらしのイメージは黒石高等学校情報デザイン科に制作していただきました。来館者の方々に、黒石高等学校情報デザイン科制作のイメージが印刷されたポストカードをプレゼントします。
※イメージを複数制作していただいたため、各作品を使用したポストカード(数種類)をご用意しています。
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第2回あおもり文学ゼミ「教室で出会った作家と青森」 令和4年7月31日(日曜日)
 今回の特別展で取り上げる7人の作家について紹介し、青森との意外な関わりを解説する講座です。
 時間:14時00分から15時00分
 会場:青森県立図書館4階研修室
 講師:青森県近代文学館室長
 参加無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

朗読劇「教室で出会った太宰作品メドレー」 令和4年8月21日(日曜日)
 津軽地方を中心にドラマリーディング(朗読劇)上演活動を続けている声優劇団「津軽カタリスト」が、教科書に掲載されてきた「走れメロス」や「葉桜と魔笛」等、太宰治の作品の朗読劇を行います。
 時間:14時00分から15時20分
 会場:青森県立図書館4階集会室
 当日はYouTube( 津軽カタリストのチャンネル )でLIVE配信も行います。
 観覧無料 事前申込不要 当日は会場へ直接お越しください。

夏休み企画「太宰治と文豪の秘密ガイドツアー」
 夏休み期間中(7月22日~8/23日)、毎日3回ずつ、対象年齢に合わせた展示の解説を行います。
 小学生 10時~  中学生 14時~  高校生 16時~
 ※この時間以外にも、ご希望に応じて解説いたします。
 ※保護者や教職員、一般の方もご参加いただけます。

というわけで、主に若い世代を対象とした感じですが、はるか昔に「教室」を巣立たれた皆様もぜひどうぞ(笑)。

光太郎に関しては、まず『道程』初版本。大正3年(1914)、200部ほど自費出版で作られ、光太郎によれば、嘘かまことか、書店を通じてきちんと売れたのは七冊だけだったそうで、現在残っているものは、光太郎が友人知己に献呈したものがほとんどと考えられます(当方も一冊持っていますが)。それでも残本が多く、中身はそのままに奥付と外装を換えて何度か刊行されました。国会図書館さんのデジタルデータで公開されているものは、大正4年(1915)の改装本です。オリジナルの形で残っているものは、刊行後に関東大震災や太平洋戦争があったことを考えると、数十冊あるかないかと思われます。
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「桂月メダル(レリーフ)」。昭和28年(1953)10月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に配付されたもの。小品ではありますが、完成作としては光太郎最後の彫刻作品です。
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それから、「自筆色紙」。こちらは詳細不明です。やはり「乙女の像」の関連で、現地の関係者に揮毫して贈呈したものかな、と思われます。

それから「等」。光太郎本人の書ではありませんが、詩「道程」を大書した作品が展示されている模様です。
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ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

十和田休屋によき敷地を見つけて台石建設の万般の手筈を終わりし由、

昭和28年(1953)8月19日の日記より 光太郎71歳

「乙女の像」についてです。原型は既に完成していましたが、設置場所は宙に浮いた格好になっていました。というのも、元々この事業に関わっていた地元の怪しげなボスと旧厚生省の外郭団体のドンが、プロジェクトから外される形となり、その腹いせに当初建設予定地の子の口(ねのくち)への設置はまかり成らん、と、横槍を入れてきたためです。いつの時代にもこういう輩がいるのですね(笑)。

それに対し、像を含む公園全体の設計を担当した建築家・谷口吉郎、光太郎の身の回りの世話等も行っていた詩人の藤島宇内が再度十和田湖に出向き、現在の設置場所である休屋御前ヶ浜にいい感じの場所を見つけ、交渉を済ませてきたというわけです。

昨日に続き、花巻ネタです。

一昨日のNHKさん盛岡放送局のローカルニュースから。

街にベゴニアを 花巻農業高校の生徒と親が飾り付け

  まちを訪れる人を花で迎えようと、花巻農業高校の生徒と親などがベゴニアの花を駅や観光スポットに飾りました。
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花巻農業高校はこの取り組みを毎年、この時期に行っていて、まちの名物にもなっています。平成5年から始まり、ことしで30回目となりました。
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高校ではことしも3年生と親などあわせて50人余りが集まり、赤や白、ピンクの花をつけたベゴニアおよそ500株をプランターに植え、トラックに積み込んで市内の駅や観光スポットなどに運びました。
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ベゴニアは生徒たちが育てたもので、180個余りのプランターに植えられて市内の観光スポット13か所に飾られました。
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このうち「高村光太郎記念館」では、入り口にある案内板の下に並べられました。
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また観光客が多く利用するJR新花巻駅にも飾られました。花はこのあと11月はじめごろまで咲いて観光客を迎えます。
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3年生の女子生徒は「2月に種をまき、丁寧に育ててきた花を見て観光客が興味をもってもらえればと思います」と話していました。
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参加した父親の1人は「今まではコロナで外出を控える人も多かったですが、これから少しずつ外に出る機会が増えると思います。生徒が一生懸命、育てた花なので、きれいだなと思ってくれるとうれしいです」と話していました。
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頭が下がります。

花巻農業高校さんといえば、宮沢賢治が奉職していた花巻農学校の後身。そうした意味では賢治の没我利他的精神が根付いているのかも知れません。

また、コロナ禍前は、旧太田村で毎年5月15日(昭和20年=1945、光太郎が疎開のため花巻に向けて東京を発った日)に行われていた高村祭で、同校鹿踊り部の生徒さんたちが勇壮な舞を披露して下さっていました。
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またよろしくお願いしたいものです。

【折々のことば・光太郎】

盛岡の学校に祝電

昭和28年(1953)3月13日の日記より 光太郎71歳

盛岡の学校」は、岩手県立美術工芸学校。現在の岩手大学さん、岩手県立大学盛岡短期大学部さんなどにその流れが受け継がれています。光太郎と親交のあった美術史家・森口多里が校長を務め、同じく光太郎と親交のあった舟越保武、深沢省三・紅子夫妻などを教授陣に迎え(光太郎を名誉教授に、という話もありましたが光太郎自身が辞退しました)、岩手の美術教育振興に多大な足跡を残しました。

花巻郊外旧太田村在住時代の光太郎、たびたび同校を訪れて講演等を行ったり、都合が許せば卒業式などにも列席したりしていました。再上京後もそのつながりは続き、この日は卒業式へのメッセージの電報を送信しました。

現物が残っています。
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新刊紹介です。

齋藤孝の小学国語教科書 全学年・決定版

2022年1月20日 齋藤孝著 致知出版社 定価2,600円+税

子供たちに一生の宝となる日本語力を身につけ、知性を身につけてもらう。それこそが次の世代にできる最高の贈り物である――。

そんな信念のもと、著者が渾身の思いを込めて作った理想の小学国語教科書。手に取られた方はその分厚さに驚かれ、子供には難しいのではと感じられるかもしれません。しかし子供が難しく感じないようにという大人の一方的な配慮で作られた教科書からは、古典などの硬い読み物が減り、子供の国語力もどんどん低下してしまっているのが現状です。

一方、「国語力を向上させる最も効果的な学習は名文に親しむこと」という方針に沿い本書に収録したのは、夏目漱石や芥川龍之介、シェイクスピアなど文豪の名作、『源氏物語』『徒然草』などの古典、宮沢賢治や金子みすゞの詩歌、坂本龍馬が姉に綴った手紙、松任谷由実、米津玄師などの歌詞まで約百三十作品。すべての漢字に読み仮名を振り、語彙力や漢字力を鍛えるとともに、設問や丁寧なポイント解説を加えることで、読解力や考える力が身につく内容になっています。

約五百五十頁もある教科書を小学校六年間で読み切ったという体験はその後の人生を歩んでいく支えともなることでしょう。大人の学び直しにもおすすめしたい、全国民に贈る教科書です。
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目次

 音読力をつけよう
  「いろはにほへと ちりぬるを」−いろは歌
  「あめんぼ あかいな アイウエオ」−五十音 北原白秋
  「青いお空の底ふかく、海の小石のそのように」−星とたんぽぽ 金子みすゞ
  「私は不思議でたまらない」−不思議 金子みすゞ
  「われは草なり 伸びんとす」−われは草なり 高見順
  「どっどど どどうど どどうど どどう」−風の又三郎 宮沢賢治
  「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く」−枕草子 清少納言
  「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」−道程 高村光太郎
 速音読トレーニング
  「つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが…」−注文の多い料理店 宮沢賢治
  「めんどなさいばんしますから、おいでんなさい」−どんぐりと山猫 宮沢賢治
  「眼や額からぱちぱち火花を出しました」−セロ弾きのゴーシュ 宮沢賢治
  「百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中」−名人伝 中島敦
  「一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」−羅生門 芥川龍之介
  「ではおれがいいことを一つ教えてやろう」−杜子春 芥川龍之介
  「知らざあ言って聞かせやしょう」−白浪五人男 河竹黙阿弥
  「月日は百代の過客にして」−おくのほそ道 松尾芭蕉
  「山路来て 何やらゆかし すみれ草」−俳句松尾芭蕉
  「瘦蛙 まけるな一茶 是に有」−俳句小林一茶
  「菜の花や 月は東に 日は西に」−俳句与謝蕪村
  「ふるさとの 訛なつかし 停車場の」−短歌石川啄木
 感性を磨こう詩・歌
  「蜂と神さま」 金子みすゞ
  「リンゴ」 まど・みちお
  「ひばりのす」 木下夕爾
  「倚りかからず」 茨木のり子
  「表札」 石垣りん
  「母音−ある寂しい日私に与えて」 新川和江
  「糸」 中島みゆき
  「やさしさに包まれたなら」松任谷由実
  「秋桜」 さだまさし
  「ヨイトマケの唄」 美輪明宏
  「猫」 萩原朔太郎
  「およぐひと」 萩原朔太郎
  「月夜の浜辺」 中原中也
  「汚れつちまつた悲しみに…」 中原中也
  「生徒諸君に寄せる」 宮沢賢治
  「あすこの田はねえ」 宮沢賢治
  「落葉」 新美南吉
  「初恋」 島崎藤村
  「初恋」 村下孝蔵
  「百年後」 タゴール
 国語の世界を味わおう(1)日本文学・歌・評論
  「野ばら」 小川未明000
  「鼻」 芥川龍之介
  「女生徒」 太宰治
  「駈込み訴え」 太宰治
  「銀の匙」 中勘助
  「風琴と魚の町」 林芙美子
  「檸檬」 梶井基次郎
  「レモン哀歌」 高村光太郎
  「檸檬」 さだまさし
  「Lemon」 米津玄師
  「渋江抽斎」 森鷗外
  「歴史」 宮本浩次
  「草枕」 夏目漱石
  「陰翳礼讃」 谷崎潤一郎
  「四規七則」 千利休
  「茶の本」 岡倉覚三
  「新茶」 岡本かの子
  「画」 正岡子規
  「子規の画」 夏目漱石
  「平家物語」
  「耳なし芳一」 小泉八雲
  「怪談牡丹灯籠」 三遊亭圓朝
  「余が言文一致の由来」 二葉亭四迷
  「福翁自伝」 福沢諭吉
  「氷川清話」 勝海舟
  「夢酔独言」 勝小吉
  「論語物語」 下村湖人
  「論語」
  「論語と算盤」 渋沢栄一
  「おもろさうし」 沖縄古代民謡
  「アイヌ語のおもしろさ」 知里真志保
  「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴降る降るまわりに』」作者不詳 知里幸恵・訳
  「方言」 ありがとう/おめでとう/がんばる/さようなら
 国語の世界を味わおう(2)世界の名作文学
  「赤毛のアン」 L・M・モンゴメリ
  「シャネル−人生を語る」 ポール・モラン
  「変身」 カフカ
  「ドン・キホーテ」 セルバンテス
  「レ・ミゼラブル」 ヴィクトル・ユーゴー
  「ファウスト」 ゲーテ
  「ベートーヴェンの生涯」 ロマン・ロラン
  「オイディプス王」 ソポクレス
  「罪と罰」 ドストエフスキー
  「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー
  「真夏の夜の夢」 シェイクスピア
  「ヴェニスの商人」 シェイクスピア
  「ロミオとヂュリエット」 シェイクスピア
  「ハムレット」 シェイクスピア
  「オセロー」 シェイクスピア
  「マクベス」 シェイクスピア
  「リヤ王」 シェイクスピア
  「第一之書 ガルガンチュワ物語」ラブレー
  「百年の孤独」 ガルシア=マルケス
  「真の独立への道」M・K・ガーンディー
 自分の気持ちを伝えよう(1)手紙・日記
  「にあんちゃん」 安本末子
  「字のない葉書」 向田邦子
  「息子・野口英世あての手紙」 野口シカ
  「ゴッホの手紙」
  「姉・坂本乙女あての手紙」坂本龍馬
  「わがいのち月明に燃ゆ」 林尹夫
  自分の気持ちを伝えよう(2)演説・宣言
  「ジュリアス・シーザー」シェイクスピア
  「北条政子の詞−『吾妻鏡』より」 北条政子
  「ゲティズバーグ演説」 リンカーン
  「我々の自由への行進は後戻りできない」 ネルソン・マンデラ
  「国連本部でのスピーチ」 マララ・ユスフザイ
  「そぞろごと」 与謝野晶子
  「元始女性は太陽であった。−青鞜発刊に際して」 平塚らいてう
 言葉の魅力を味わおう 和歌・漢詩
  「百人一首」
  「古今和歌集仮名序」 紀貫之
  「万葉集」
  「独楽吟」 橘曙覧
  「静夜思」 李白
  「春暁」 孟浩然
  「偶成」 西郷隆盛
  「春望」 杜甫
  「将に東遊せんとして壁に題す」 釈月性
  「雑詩 十二首(其の一)」 陶淵明001
 考える力をつけよう哲学
  「ソクラテスの弁明」 プラトン
  「方法序説」 デカルト
  「善の研究」 西田幾多郎
  「ツァラトゥストラ」 ニーチェ
  「パンセ」 パスカル
 もう一段上の日本語力
  「あさきゆめみし」 大和和紀
  「源氏物語」 紫式部
  「簡潔の美」 上村松園
  「葵上」 三島由紀夫
  「貧窮問答歌」 山上憶良
  「枕草子」 清少納言
  「徒然草」 兼好法師
  「土佐日記」 紀貫之
  「更級日記」 菅原孝標女
  「風姿花伝」 世阿弥
  「うひ山ぶみ」 本居宣長
  「独行道」 宮本武蔵
  「五輪書」 宮本武蔵
  「柴五郎の遺書」 石光真人・編
  「直訴状」 田中正造
  「国語の自在性」 西田幾多郎
 おわりに
 主要参考・引用文献
 コラム
  聞き上手になろう
  説明上手になるには
  新聞って面白いよ
  コメント力をつけよう

NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」の監修もなさっている齋藤氏、類著も多いのですが、「決定版」と謳われています。

光太郎作品は2篇、ともに詩で「道程」(大正3年=1914)、「レモン哀歌」(昭和14年=1914)。「レモン哀歌」に関しては、前後にレモンをモチーフにした他の作品を配しています。 梶井基次郎の小説「檸檬」(大正14年=1925)の全文、続いて「レモン哀歌」が挟まり、さだまさしさんの「檸檬」(昭和53年=1978)と来て、米津玄師さんの「Lemon」(平成30年=2018) 。

その意図はこういうことだそうで……
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確かにレモンという果実には「人間の情緒に深く訴えかける不思議な魅力」がありますね。同じ柑橘系でも「蜜柑哀歌」や「ゆず哀歌」ではさまになりませんし、ましてや他の果物では……。林檎あたりはまだポエムになりそうですが、例えばスイカ。「かなしく白くあかるい死の床で」智恵子がスイカにかぶりついたらギャグでしかありませんし、スイカを丸善の棚に置いたり、聖橋から投げたりしたら、超迷惑です(笑)。意味が解らない方は、ぜひ本書をお読み下さい(笑)。

【折々のことば・光太郎】

松雲閣別館。 昨夜はビールの御馳走になる。 ひる頃真壁氏との対談(朝の訪問三十日)録音をすます。放送局より謝礼をもらふ。


昭和27年(1952)3月27日の日記より 光太郎70歳

松雲閣別館」は、花巻温泉に現存します。「真壁氏」は詩人の真壁仁。「朝の訪問」は当時、NHKラジオで放送されていた番組です。この際の録音がNHKさんに残っており、市販CD化もされましたし、平成28年(2016)には「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス」という番組でオンエアされました。

青森からオープンキャンパスの情報です。

弘前学院大学日本語・日本文学科 2021年度第3回オープンキャンパス(来校型)

期 日 : 2021年9月26日(日)000
会 場 : 弘前学院大学 青森県弘前市稔町13-1
時 間 : 午前の部 10:00~12:00
      午後の部 13:00~15:00
料 金 : 無料

弘前学院大学では、新型コロナウイルス感染症予防及び熱中症対策を講じたうえで、来校型オープンキャンパスを実施いたします。
当日はご来場頂く皆様の健康と安全面に考慮し、会場を学科別に、参加人数を各学科20名以内(高校3年生限定)に制限し、完全予約制での開催とさせて頂きます。
002コロナウイルス感染症拡大の状況を鑑み、「緊急事態宣言及び蔓延防止対象地区」からの参加につきましては、オンライン型へのお申込みをお願いいたします。

参加申込みは「LINEアプリ」から行います。まずは、弘前学院大学公式LINEをお友達登録して下さい。

午前の部
 ・文学部 英語・英米文学科
   学部・学科紹介
   学部企画「Shakespeareに親しんでみよう」
 ・文学部 日本語・日本文学科
   学部・学科紹介
   学部企画
    「詩の世界-宮沢賢治・草野心平・高村光太郎について-」
   在学生による学科の魅力紹介001
   キャンパスライフ・トーク
午後の部
 ・社会福祉学部 社会福祉学科
   学部・学科紹介
   学部企画「先輩に聞く」
 ・看護学部 看護学科
   学部・学科紹介
   学部企画
   「自分で包帯法をマスターしてみよう!」
   看護棟の見学

文学部 日本語・日本文学科さんで、東北ゆかりの三詩人、光太郎、賢治、心平が取り上げられます。青森といえば、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」があり、光太郎とも縁の深い土地です。また、当会の祖・心平についても扱っていただけるそうで、有り難く存じます。

参加される高校生諸君には、三詩人の織り成した詩的世界について、興味を抱いていただければと存じます。

【折々のことば・光太郎】

朝日新聞への詩清書、 昭和23年(1948)12月23日の日記より 光太郎66歳

「朝日新聞への詩」は「新年」と題したものでした。おそらく翌年元日あたりに掲載予定だったのでしょうが、GHQの検閲を通らなかったと見え、お蔵入りとなりました。

    新年1008

 新年といふ何か一つのエフエメエルに
 われらが又もかける喜は四度目だが、
 やつぱり新しくことほがう、
 ことほぐ事はそこらにそこらにまるで見あたらず、
 つめた生活を更につめられ、
 暫時は自由も棚上げといふ国情は
 むしろ手ごたへある応答だ。
 新年には手製の大きな凧をあげて
 あのトウのうなりのひびきをきかう。
 新年にはよくまはる羽根でもついて
 ともかく空を仰いで遊ばう。
 さうして祈らう。
 世界に戦争の来ませんやうに、
 天変地異の起きませんやうに、
 われら一人一人が人間であり得ますやうに、
 一人一人が天のかけらを持ち得ますやうにと。


社におくられた原稿では6、7行目「暫時は自由も棚上げといふ国情は/むしろ手ごたへある応答だ。」に赤でチェックが入り、「やめる」と書き込まれているそうです。終戦後でも、そういった意味では何もかも自由というわけではありませんでした。

カタカナの部分は共に仏語で、「エフエメエル」は「ephemere」で「はかない」といった意、「トウ」はおそらく「全部」とか「みんなの」を表す「tout」と思われます。

こういう雑誌が刊行されていることを存じませんでした。小学館さん発行の隔月刊誌『小学8年生』。「8年生? 何かの間違いじゃないのか?」と思ったのですが、「時計などに表示されるデジタル数字の「8」は、0~9のどんな数字にも変身します。つまり、2~6年生まで、すべての小学生が、学年にとらわれず楽しく学べる学習雑誌の名前にふさわしい数字なのです。」だそうで、かつて刊行されていた『小学二年生』から『小学六年生』までを統合したものようです(『小学一年生』は健在)。
001
「文豪探偵の事件簿」という連載小説があり、現在店頭発売中の2021年10・11月号は、サブタイトルが「山の中の芸術家」。そう、光太郎です。
002 004
全体で8ページ、最終ページが光太郎の人物紹介となっていますが、メインの7ページは、菊池良氏によるジュブナイルです。菊池氏、聞いた名前だな、と思って調べましたところ、ベストセラーになった『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(平成29年=2017 宝島社)のご著者でした。「なるほど」と合点がいきました。

ストーリーは、古今東西の文豪が住む架空の街「かきものシティ」で、文豪たちから寄せられた相談に乗る「探偵くん」の物語。今号の「文豪」は光太郎なのですが、例外的なパターンのようで、休日だった「探偵くん」が、自分から山中に住む光太郎を訪ねるという話になっています。

ジュブナイルと侮るなかれ。詩「道程」(大正3年=1914)、評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)、そして再び詩の「山のともだち」(昭和27年=1952)を効果的に使い、光太郎の人となりを鮮やかに描き出しています。

   山のともだち003

 山に友だちがいつぱいいる。
 友だちは季節の流れに身をまかせて
 やつて来たり別れたり。
 カツコーも、ホトトギスも、ツツドリも
 もう“さようなら”をしてしまつた。
 セミはまだいる、
 トンボはこれから。
 変らないのはウグイス、キツツキ、
 トンビ、ハヤブサ、ハシブトガラス。
 兎と狐の常連のほか、
 このごろではマムシの家族。
 マムシはいい匂をさせながら
 小屋のまはりにわんさといて、
 わたしが踏んでも怒らない。sho8_2110-11_05
 栗がそろそろよくなると、
 ドングリひろいの熊さんが
 うしろの山から下りてくる。
 恥かしがりやの月の輪は
 つひにわたしを訪問しない。
 角の小さいカモシカは
 かわいそうにも毛皮となつて
 わたしの背中に冬はのる。

「山のともだち」は、雑誌『婦人の友』が初出で、この頃(昭和27年=1952)ともなると、拗音、促音の文字サイズを除き新仮名遣いです。草稿も初め旧仮名遣いで書かれていましたが、新仮名遣いを書き添えてあります。

イラストは徳永明子氏。ある意味、偏屈だった光太郎をかわいらしいおじいちゃんに描いて下さいました。ありがとうございます(笑)。この方、ブックデザインのお仕事をたくさんなさっており、お名前は寡聞にして存じ上げませんでしたが、「ああ、この本も」という感じでした。

特に小学生のお子さん、お孫さんのいる方(そうでない方も)、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

風呂焚。夜に入りてより入浴、初めての風呂使用。月を見ながら湯にひたる。

昭和23年(1948)11月13日の日記より 光太郎66歳

花巻町の宮沢家や、花巻病院長・佐藤隆房、そして蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の村人たちの厚意で贈られた風呂が完成し、初の入浴。

この風呂桶は現存し、平成29年(2017)、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展「光太郎と花巻の湯」で展示されました。しかし、せっかく造ってもらった風呂でしたが、薪を大量に消費せねばならず、結局、あまり使われませんでした。

昨日の『朝日新聞』さん、投書欄から。

(声)若い世代 詩を通して考える大切さ実感

 学校の「いじめ問題を考える週間」は有意義なものだった。私は図書委員として、詩の朗読を校内放送で行った。私が選んだのは高村光太郎さんの「最低にして最高の道」。
 一見すると、いじめ問題と関係ないように感じるかもしれない。しかしこの詩は、人間が生じさせる怒りや憎しみなどにとらわれず、楽しく幸せに生きよう、という意味が込められていると思っている。
 詩を選ぶにあたり、「いじめ、友情って何なんだろう」と様々なことを考えた。いじめは、人間のわずかな感情のもつれから引き起こされる。つらいことがあるけど、他者を認め、まっすぐな気持ちで受け止めれば最高の道になると、高村光太郎は言っているような気がする。そんな気持ちがあれば、いじめも解決できると思う。今回、詩を通して深く考えることの大切さを実感した。
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真っ直ぐで初々しい、いい文章ですね。

「最低にして最高の道」、昭和15年(1940)の詩です。003

   最低にして最高の道
 
 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。

光太郎詩の中では意外と有名、というか、コアなファンの多い詩といえるかもしれません。二次創作等で扱われるケースも少なくありません。

例えば、沖縄出身のJ-POPシンガーMATSURIさん。テレビ東京さん系で今春放映された連続ドラマ「私の夫は冷凍庫に眠っている」の主題歌「金魚すくい」で注目されたシンガーです。昨年、KAITOさんのという方の作曲になる「最低にして最高の道」をリリースされ、琉球放送(RBC)さんのバラエティー番組「Aランチ」のエンディング曲に採用されたそうです。


クラシック系でも、土屋光彦氏という方が曲を付けられ、平成27年(2015)、「新しい歌を求めて ~大久保豊典が歌う土屋光彦歌曲の夕べ~」というコンサートで披露されています。

エッセイストの松浦弥太郎氏には、『最低で最高の本屋』という御著書があります。タイトルからして「最低にして……」オマージュですね。松浦氏、平成16年(2004)の雑誌『ku:nel』には、この詩にからめたエッセイ「岩手・花巻の高村山荘を訪ねる」も書かれています。
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それから、平成29年(2017)テレビ朝日さんで放映の5分間番組「気づきの扉」では、松浦氏と「最低にして……」のエピソードが紹介されました。

その他、さまざまな朗読系CD等にも、けっこう採られています。

……という、「最低にして最高の道」ですが、元々は昭和15年(1940)9月の雑誌『家の光』第16巻第9号、「国のために私利を捨てん」という欄に掲載されました。

最愛の妻、智恵子を喪くして約2年。かつて智恵子と二人で実践していた、俗世間とは極力交わらず、芸術精進に明け暮れる生活が、智恵子の心の病を引き起こした一因となり、さらにそれを続けていては自分もおかしくなってしまうという危機感から、一転して社会と関わりを持とうと「改心」したことが宣言されています。しかし、その社会は泥沼の戦時体制に入っており、日中戦争は膠着状態、局面打破をはかって翌年には太平洋戦争に突入する、その前夜です。

したがって、「みんなと一緒に」挙国一致体制を支持し、神国日本に勝利をもたらそう、と、そうしたキナ臭い背景のある詩でして、当方、あまり好きになれません。そういった裏の作詩事情を抜きにして読めば、それなりによい詩だとは思うのですが……。

後に昭和17年(1942)には、光太郎の第三詩集『大いなる日に』に収録されました。
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第一詩集が、自らの道を進むことを高らかに謳った『道程』(大正3年=1914)、第二詩集が、かの『智恵子抄』(昭和16年=1941)、そして第三詩集が、すべて翼賛詩の『大いなる日に』。ちなみに第四詩集は光太郎詩集の中で最も陰惨というか、愚劣というか、年少者向けの翼賛詩を集めた『をぢさんの詩』(昭和18年=1943)、第五詩集も翼賛詩のみの『記録』(昭和19年=1944)。

こうして見ると、「最低にして最高の道」が、一つの大きなターニングポイントとなったことがよくわかります。『智恵子抄』末尾に近い「梅酒」(昭和15年=1940)では、「狂瀾怒濤の世界の叫も/この一瞬を犯しがたい。/あはれな一個の生命を正視する時、/世界はただこれを遠巻にする。」と謳っていたのが、やがてそうならなくなり、「狂瀾怒濤の世界の叫」にどっぷりはまっていくわけです。

「最低にして最高の道」。「進め一億火の玉だ」「欲しがりません勝つまでは」といった文言を使わなくても、そういった内容を表せてしまう、光太郎の詩才には舌を巻かざるを得ませんし、こうした作詩背景を無視すれば、確かに現代にも通じる詩ではありますね。上記の投書にあるように「他者を認め、まっすぐな気持ちで受け止めれば最高の道になる」というわけで。

文学作品は、自分なりの読解の仕方があっていいのだ、という論の、一つの証左となるような気もします。

【折々のことば・光太郎】

夕方佐藤弘さん花巻より帰途立寄らる。酢一升ミカキニシン三袋買つてきてくれる。酢は五十円にあがり居れり。秋には二十円なりき。


昭和23年(1948)2月28日の日記より 光太郎66歳

「佐藤弘さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に入った青年。光太郎がパシリにしていました(笑)。

終戦から2年半経ちましたが、まだまだ物価のインフレーションなどでの混乱は、収まっていませんでした。

昨日の『福島民報』さんから。

【にほんまつ検定】身近な産業に関心を

 二本松商工会議所は初のご当地検定「にほんまつ検定」の問題を募集している。歴史や文化だけでなく、会社自慢なども可能なのが特徴だ。子どもに古里への関心と郷土愛を高めてほしいとの願いを込めた。問題を通して地元の企業や産業の発信にもつながる。広がりを期待する。
 検定問題の応募は商工会議所の観光振興委員会が二十日まで受け付けている。歴史、文化・芸能、産業、食、観光、言葉、自然、地理、スポーツなどが対象でジャンルを問わない。四者択一の形式とする。応募作を基に委員会が問題を作成し、子どもが取り組みやすいよう「二本松の提灯祭り」などに合わせた検定実施を検討している。
 委員会は作問例を挙げている。「二本松市名誉市民ではない人は誰?(答え・高村光太郎)」「二本松市でお祭りの際などによく作られる郷土料理はどれ?(答え・ざくざく汁)」といったオーソドックスな問題から「二本松御苑は提灯祭りの時に毎年若宮地区で出店を出しているが、一番人気の商品は何か?(答え・デニッシュバー)」など地域の生活や出来事に密着した問題も募るとしている。
 松坂豪智委員長は「検定を受けた子どもが家庭で親に尋ねれば、親も調べるようになる。まず地元の人間が知ることが大切」と話す。提灯祭りの七町の太鼓台が奏でる多彩な祭りばやしの名前や特徴など、答えは学校の授業では分からない。古里に興味を持ち、地域の話題に詳しい子どもが鼻を高くできる問題になるだろう。
 商工会議所が実施するからには、家具や菓子など、二本松が誇る産業の問題も多く組み込んでほしい。名品の製法や匠の技は、日本が誇る「手わざ」に関心を持つきっかけになる。酒造業や醸造業に関する問題も、伝統産業や発酵文化への理解を深める。街に並ぶさまざまな店の自慢の一品なども面白い。
 ものづくり振興の観点からは、工業系の問題をぜひ入れたい。身近な工場でつくられる製品の特徴や、それらが県外・海外に輸出され多くの人の役に立っているのを知ることは、地元企業への就職意欲を高めるに違いない。工業に欠かせない数学の素養では、江戸・明治期に算術の問題図を記して市内の神社や寺に奉納された「算額」という歴史的な遺産があり、問題の素材になりそうだ。
 足元にある知識や素材を掘り起こし、毎年新しい検定問題を作っていけば、時代に合わせて長く魅力を放つ企画になるだろう。
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最初に見出しを見て、「おお、二本松でもご当地検定をやったのか」と思いましたが、さにあらず。これから実施するので、その問題募集だそうで。

そこで問題の例として光太郎の名。ありがとうございます(笑)。調べたところ、同市の名誉市民は、次の通りでした。光太郎の孫弟子にして、霞ヶ城の二本松少年隊像二本松駅前安達駅前の智恵子像などを作られた故・橋本堅太郎氏。女優・一色采子さんのお父さまにして、智恵子をモチーフにした絵も複数描かれた故・大山忠作画伯。そして、放射線医学の世界的権威、故・高橋信次氏。ちなみに福島出身の文化勲章受章者は5人。そのうち2人、大山画伯と高橋氏が二本松名誉市民ということで、二本松率が高いのは驚きです。余談ですが(笑)5人の中には当会の祖・草野心平も含まれます。

各地で、官民問わずご当地検定がいろいろ為されていますね。光太郎第二の故郷ともいうべき岩手花巻で昨年実施された「はなまき通検定」では、光太郎がらみの問題が複数出題されました。また、実施後だいぶ経ってから気づいたので、このブログではご紹介していませんでしたが、群馬県のNPOが主催している「赤城山検定」でも、光太郎の名が、複数年、複数級(3級:入門編、2級:上級編、1級:達人編)の問題に散見されます。
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そして、平成30年(2018)、やはり二本松で開催された「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」。当方も問題作成にあたりました。

探せばもっといろいろあるのでしょう。

さて、「にほんまつ検定」、ぜひとも光太郎智恵子がらみの設問をお願いしたいところですね。続報が出ましたらまたご紹介します。

【折々のことば・光太郎】

不在中、バケツの中に松茸入れてあり。 夕方サダミさん立寄り、ウエツコをもらふ。「御霊前へ」二包みお渡しす。(二百円)。 夜松茸ウエツコ油いため。中〻美味なり。

昭和22年(1947)10月15日の日記より 光太郎65歳

一週間程山小屋をあけて、花巻町中心街に滞在し、帰って来た時の記述です。松茸を置いて行ってくれた村人がいた、と、何とも気前のいいことで(笑)。「ウエツコ」は岩手の方言でシメジのことです。

まずは4月14日(水)付けの地方紙『岩手日日』さんの記事。

賢治の世界観触れる 新入社員が施設見学 観光協会セミナー

  花巻観光協会主催の新入社員セミナーが13日、花巻市内で開かれ、会員企業に入社した新入社員らが市内の観光施設を見学。宮沢賢治の世界観や食文化など多彩な花巻の魅力に触れた。
 市内2事業所から22人が参加。宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、花巻新渡戸記念館、ワインシャトー大迫、成島毘沙門堂、高村山荘・高村光太郎記念館などを訪ね、花巻おもてなし観光ガイドの会の高橋孝子会長から、各施設の概要や見どころを聴き、昼食にはわんこそばも体験した。
  このうち宮沢賢治童話村では、賢治童話の世界が体感できる「賢治の学校」や、 賢治童話に登場する植物、動物、星、鳥、石について学ぶことができる7棟のログハウス「賢治の教室」などを見学。花巻温泉に今春入社した滝沢市の髙橋桃子さん(18)は「自分も楽しめたので、お客さまに聞かれたときには、この楽しさを伝えられるようにしたい」と話していた。
 セミナーは、花巻を訪れた人が必要とする観光情報などについて対応できる人材育成が目的。講師を務めた観光ガイドの髙橋会長は「花巻を訪れた観光客がまた来たい、行って良かったと思えるガイドを心掛けている。セミナーの参加者一人ひとりがその担い手になってくれればうれしい」と話していた。 19日と26日にも同様の日程でセミナーを開く予定。
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途中入社の方とかもいらっしゃるかも知れません。だから「新社会人」ではなく「新入社員」の語になっているような気がします。ただ、画像で見る限りは皆さんお若い方ばかりですね。

皆さんには、賢治や光太郎の世界について広める役割を期待したいところです。

花巻ではこんな取り組みも。花巻市さんのホームページから。

【令和3年4月1日から】教育旅行で花巻市内に宿泊していただくと、花巻市所管の対象施設を無料でご利用いただけます

花巻市外の学校が、学校行事の一環として花巻市内の宿泊施設での宿泊を伴う教育旅行を実施し、同教育旅行期間中に花巻市が所管する対象施設を利用した際、学校の児童、生徒、学生及びその引率者を対象とし、市施設入館料等を全額免除いたします。
 
実施期間 令和3年4月1日(木曜)から11月30日(火曜)まで
対象施設一覧(全10施設)
 宮沢賢治記念館 宮沢賢治童話村 花巻新渡戸記念館 萬鉄五郎記念美術館
 高村光太郎記念館 花巻市博物館 石鳥谷歴史民俗資料館 花巻市総合文化財センター
 大迫郷土文化保存伝習館 石鳥谷農業伝承館
ご利用の際の条件等
【利用対象者】学校行事の一環として花巻市内の宿泊施設での宿泊を伴う教育旅行を実施する花巻市外にある学校の児童、生徒、学生及びその引率者。(学校:小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校及び専修学校)
【宿泊施設】市内の旅館業法第3条第1項に規定する許可を受けた者又は住宅宿泊事業法第2条第4項に規定する住宅宿泊事業者が営む施設に宿泊すること。
【その他】施設予約及び旅行日程表の提出が事前に行われていること。

▽手続きの流れ、連絡先等につきましては、下記チラシをご覧ください。
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ある意味、英断ですね。ダンピングのような気がしないでもありませんが、リピーターとして再度訪れてくれたり、口コミで各施設の評判を広めてくれたりすれば、採算は取れるのかな、とも思われます。

全国の学校関係者の皆さん、旅行業に携わる方々、ご一考を。

ところで、最近の高村光太郎記念館さん周辺の風景、4月13日(火)に送られてきた画像でご紹介します。
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例年5月15日(光太郎が花巻に向けて疎開に出発した日を記念して)に開催されてきた、高村祭は、昨年に引き続き、やはりコロナ禍のため中止となりましたが、感染防止に努めつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

畑に蟲多く、大根苗、ホウレン草その他半分以上くはれて消える。


昭和22年(1947)6月21日の日記より

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋前に開墾した畑の様子です。本格的に農業を初めて2回目の夏、それでもまだこんな状況だったのですね。

昨日は、大学入試共通テストについて書きましたが、先月5日には、一般の方対象に、花巻観光協会さん主催のご当地検定「はなまき通検定」が行われました。その際に出題された問題が、同会のサイト上で公開されましたのでご紹介します。

問題は全50問で、そのうち、直接光太郎に関わる問題が3問含まれていました。このブログをいつも読んで下さっている皆さんには、お茶の子さいさい(死語ですね(笑))の設問でしょう。

【問題35】
昭和16年(1941 年)に出版された、高村光太郎が夫人智恵子に対する思慕や二人の生き方の希望などを表現した作品集のタイトルは次のうちどれか。
1 智恵子抄
2 智恵子抄その後
3 案内
4 道程

【問題36】
高村光太郎が高村山荘で生活するなかで、唯一彫刻刀を使い便所の明り取りとしてくり抜いたといわれる文字は次のうちどれか。
1 道
2 智
3 高
4 光

【問題37】
高村光太郎記念館の近くにある「雪白く積めり」の詩碑を鋳金した人間国宝の鋳金家、高村豊周と高村光太郎の関係として正しいものは次のうちどれか。
1 高村光太郎の弟
2 高村光太郎の甥
3 高村光太郎の息子
4 血縁関係はない

念のため、正解を記しておきますと、【問題35】は「1 智恵子抄」、【問題36】が「4 光」、そして【問題37】で「1 高村光太郎の弟」ですね。
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3枚目の画像、左から光太郎の父・光雲、豊周、そして光太郎です。

また、「光太郎」の語は含まれていませんが、こんな問題も。

【問題 6】
令和2年8月7日にオープンした花巻市内にある「道の駅」は次のうちどれか。
1 道の駅とうわ
2 道の駅石鳥谷
3 道の駅はなまき西南
4 道の駅はやちね

正解は「道の駅はなまき西南」。愛称が「賢治と光太郎の郷」ですね。
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この「はなまき通検定」、6年ぶり4回目の実施だそうです。初回は平成24年(2012)、この際は68人が受検し、合格者わずか1人という超難関。翌年の2回目では難易度を見直したところ、89人受検で59人合格。第3回は平成27年(2015)に実施され、56分の7の合格だったとのこと。そして今回は、42名の方がチャレンジし、合格は22名だったそうです。全50問(1問2点、100点満点)で、合格基準は80点以上とのことでしたが、やはりそう簡単ではなかったようですね。

ちなみに当方、光太郎に関わる問題以外は、宮沢賢治関連、温泉関連などはほぼほぼ大丈夫でしたが、次のような問題はお手上げでした(笑)。

【問題17】
毎年2月11日に花巻市で開催されている「わんこそば全日本大会」の横綱歴代最高杯数は次のうちどれか。
1 158杯
2 208杯
3 258杯
4 408杯

ちなみに正解は「3 258杯」だそうで(笑)。

こうした取り組みもいわゆる「町おこし」に有効でしょう。全国自治体等の社会教育等担当の方、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】003

ツマゴをはいてゆく。雪相当につもりてツマゴを没す。あるきにくし。

昭和21年3月11日の日記より 光太郎64歳

「ツマゴ」は藁で編んだ雪靴。光太郎が暮らした花巻郊外旧太田村山口地区でも、現在では作れる人があまりいなくなってしまった由、聞いたような記憶があります。

画像は翌年、令甥の髙村規氏に送ったはがき。ツマゴが描かれています。

昨日、それから今日と、2021年度大学入学共通テストが行われています。昨日行われた社会科の「倫理」の問題で、光太郎が取り上げられました。

第2問 Ⅲ 下の会話は、近現代を担当した3班の高校生Eと先生が、大正期に描かれた次のポスターについて交わしたものである。

021先生:このポスターのテーマは「今日もまた流會(りゅうかい 流会)か」です。決められた時間に人が集まらず、会議が開けない当時の状況を風刺したものです。
 E:風刺したということは、時計の時間を守って行動することが近代になって奨励されたのに、そうしない人たちもいたってことですね。
先生:現代では、時計によって計測される時間は、誰にとっても同じ速さで直線的に進んでいくもの、と考えられています。ただ、こうした時間意識とは異なる時間の考え方は、今回1班がまとめた、中世の道元の場合のように、他の時代にも存在します。
 E:時計の時間を生活の基準にしようとする近代以降の社会のあり方が、当たり前ではないということですね。
先生:当時の生活文化が垣間(かいま)見えるこのポスターからも、近代以降の時間意識を考えることがかのなのです。皆さんが当たり前だと思っている
時間理解を改めて考え直すことで、現代に生きる私たちの生活のあり方をといなおすこともできるのではないでしょうか。

問8 下線部ⓓに関連して、次の文章は、詩人の高村光太郎が芸術作品の永遠性について論じたものである。その内容の説明として最も適当なものを下の①~④のうちから一つ選べ。

 芸術城でわれわれが常に思考する永遠という観念は何であろう。……或(あ)る一つの芸術作品が永遠性を持つというのは、既に作られたものが、或る個人的観念を離れてしまって、まるで無始の太元(たいげん)*から存在していて今後無限に存在するとしか思えないような特質を持っている事を意味する。夢殿**の観世音菩薩像は誰かが作ったという感じを失ってしまって、まるで天地と共に既に在ったような感じがする……真に独自の大きさを持つ芸術作品は……いつの間にか人心の内部にしみ渡る。真に大なるものは一個人的の領域から脱出して殆(ほとん)ど無所属的公共物となる。有りがたさが有りがたくなくなるほど万人のものとなる。
 * 無始の太元:いくら遡(さかのぼ)ってもその始点を知り得ない根源
** 夢殿:法隆寺東院の本堂のこと

① 芸術作品の永遠性は、作品を無始の太元からあったものであるかのように感じさせる一方で、その作者の存在を強く意識させる。
② 芸術作品の永遠性は、作品を無始の太元からあったものであるかのように感じさせる一方で、その作品もいずれは消滅するものであることを予感させる。
③ 永遠性を有する芸術作品は、誰かの創作物であるという性質を失うとともに、人々の心の中に浸透していくこともない。
④ 永遠性を有する芸術作品は、誰かの創作物であるという性質を失うとともに、限りない過去から悠久の未来にわたって存在すると感じさせる。
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正解は④ですね。
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①だと、「その作者の存在を強く意識させる。」が誤り。②は、「その作品もいずれは消滅するものであることを予感させる。」という記述がありません。③では「人々の心の中に浸透していくこともない。」が誤りですね。

正解の④「永遠性を有する芸術作品は、誰かの創作物であるという性質を失うとともに、限りない過去から悠久の未来にわたって存在すると感じさせる。」から、当方は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を連想します。下の画像は昔のテレホンカードです。
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この像は、まだ光太郎作という意識が根強く残っていますが、問題文に使われた光太郎の「永遠の感覚」(昭和16年=1941)にある「既に作られたものが、或る個人的観念を離れてしまって、まるで無始の太元(たいげん)から存在していて今後無限に存在するとしか思えないような特質」を持ち、「一個人的の領域から脱出して殆(ほとん)ど無所属的公共物とな」って、「有りがたさが有りがたくなくなるほど万人のもの」となったといっていい例ではないかと思われます。

そういう意味では、光太郎の父・光雲が主任となって制作された「楠木正成像」や「西郷隆盛像」なども。ただ、これらより、「まるで天地と共に既に在ったような感じがする」自然との一体感という意味では「乙女の像」の方が、より強く「永遠性」を具現しているように思われます。
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おそらく光太郎自身、「乙女の像」制作に当たっては、「或る個人的観念を離れてしまって、まるで無始の太元(たいげん)から存在していて今後無限に存在するとしか思えないような特質」を持つ「まるで天地と共に既に在ったような感じがする」ものを作ろう、と意識したのではないかと思われます。そしてそれはかなりの程度、成功したのではないでしょうか。どうも光太郎びいきの当方には、そうとしか思えません(笑)。

さて、大学入学共通テスト。コロナ禍の中での実施ということで、受験生の皆さんにとっては二重に大変だったと思います。また、コロナ禍のため、追試験に廻らざるを得ないという受験生もいるのでしょう。皆さんに、望ましい春が来ることを祈ります。

【折々のことば・光太郎】016

午前十一時頃か、日本読書組合常務理事野口正章氏といふ人来訪。一時過ぎまで談話、昨日宮沢氏実家を訪問せられし由にて清六氏の手紙持参。全集について十字屋の全集出版を十分尊敬して組合にては唯それをうけつぐ程度にする事に賛成、十分信用を重んじて行動するやうに告げる、無断にて新聞広告を出しぬけに出すやうな事の非を告げる。


昭和21年3月4日の日記より 光太郎64歳

賢治の実弟・清六と光太郎が編集し、装幀・題字も光太郎が手がけた日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治全集』に関してです。

11月18日(水)、地方紙『岩手日日』さんの記事から

目指せ「はなまき通」 ご当地検定へ事前講習会【岩手】

 花巻観光協会主催のご当地検定「はなまき通検定」に向けた事前講習会は14日、花巻市交流会館で開かれた。受検申込者が観光ガイドを講師に花巻の民俗芸能やイベント、先人などに関して知識を深めた。
 2014年度以来、4回目となる今回の検定は45人が受検予定。希望者対象の事前講習会には午前、午後の部合わせて33人が受講を申し込み、うち午前の部は26人が参加した。
 初めに19年に211万人余りとなった観光客入り込み数、81万5700泊余りの宿泊客数の推移などを同協会職員が説明後、花巻おもてなし観光ガイドの会の高橋孝子会長が講師となって講習を進めた。
 高橋会長は検定テキストを基に花巻の歴史や花巻八景、早池峰神楽や鹿(しし)踊り、わんこそばのほか、宮沢賢治や高村光太郎などの先人についても解説。特に賢治に関しては生い立ちから亡くなる当日の様子まで詩や童話の作品を交えて詳細に伝えた。
 改めて勉強するため検定に再挑戦するバスガイドの伊藤美雪さん(27)=北上市=は「ある程度分かっているつもりでも知らないことが多く、受講して良かった。最期まで自分のことより人のためを考えていた賢治さんの話には涙が出そうになった」と話した。
 今回の検定は「初級編」として12月5日に予定され、花巻市内を中心に近隣地域、県外からも受検する。4択式の50問を出題し、100点満点で80点以上が合格になる。
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はなまき通検定」、「2014年度以来、4回目となる」そうですが、存じませんでした。

実施要項等調べてみましたところ、以下の通りでした。すでに募集期間を過ぎていますが、こういうイベントもあるんだな、ということで。

『はなまき通検定』実施のお知らせ

◆はなまき通検定とは?
花巻に関する知識の深さを認定する検定試験です。この検定を通じて、花巻の良さを再認識していただくとともに、観光に従事する方だけではなく市民皆で観光客をおもてなしできるよう、花巻の知識を習得していただくことを目的に実施します。今回は初級編の検定となります。

◆はなまき通検定の概要
日時:令和2年12月5日(土)午前10時~午前10時50分(50分間)
場所:花巻市交流会館(岩手県花巻市葛3-183-1)
検定料:500円(検定当日に会場にてお支払い)
受験資格:年齢・住所等の制限なくどなたでも
定員:申込先着70名 

◆合格特典
合格者全員に合格証と合格記念ピンバッジを進呈いたします。

◆お申込みについて
お申込み期間:令和2年10月9日~令和2年10月23日(金)
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記事にあった「検定テキスト」、PDFファイルでリンクが貼られていました。全72ページ、かなりの分量で、内容的に多岐にわたっていますし、各項目の掘り下げもかなり深いと感じました。

光太郎の項も5ページにわたっていて、花巻とは直接関わらない部分まで詳述。たしかに、なぜ光太郎が花巻に住むことになったのか、その背景を知るためには必要なのかもしれません。下記画像、クリックで拡大します。

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その他の項目の中にも、光太郎の名がちょいちょい出ています。

しかし、これで「今回は初級編」だそうですから、「中級編」や「上級編」になったらどんだけ~? という感じですね(笑)。

全国の自治体の社会教育等担当の方、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

写真より制作することを考へれば実物を写生するなどわけも無く出来ざるべからざるやの感あり。

明治36年4月6日の日記より 光太郎21歳

五代目尾上菊五郎の肖像彫刻制作について。未だ「卵」ながら、彫刻家としての矜恃が感じられます。

新刊情報です

散策&観賞 岩手(南部地域)編 ~修学旅行に行く前に読む本~

2020年10月1日 ユニプラン編集部編 株式会社ユニプラン 定価510円+税

歴史と雄大な自然に包まれた岩手県から、花巻・遠野・奥州・平泉といった南部地域にある約20件の観光・学習施設を掲載。

中尊寺をはじめとした魅力的な定番スポットを豊富な写真ともに紹介しています。
さらに、岩手県にまつわるコラムも充実。
歴史や文化(平泉文化/遠野物語など)、ゆかりの人物たち(宮沢賢治/高村光太郎/石川啄木)のコラム8件を掲載しており、地域への理解を深めて頂こうとしています。
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目次
 序
 岩手県の風土 岩手県全図 中尊寺境内図 平泉・奥州詳細図
 一関・平泉
  厳美渓  猊鼻渓  達谷窟毘沙門堂  平泉文化史館  中尊寺
  毛越寺  高館義経堂  平泉文化センター  岩手サファリパーク
  平泉文化(奥州藤原氏のおこり/平泉文化の特徴/藤原三代の文化遺産)
 奥州
  高野長英記念館  奥州市伝統産業会館  後藤心平記念館
 花巻
  宮沢賢治記念館  高村光太郎記念館・高村山荘
  宮沢賢治(宮沢賢治のプロフィール/賢治の作品)  光太郎の軌跡
 遠野
  遠野市立博物館  とおの物語の館  伝承園
  遠野物語  東北の民間信仰  石川啄木
 陸中海岸南部
  碁石海岸  東日本大震災津波伝承館「いわてTSUNAMIメモリアル」
  リアス海岸の形成  プレートテクトニクス
 問合わせ先


ユニプランさんというのは、修学旅行の班別自主研修教材・地図・しおり等を多く手がけていらっしゃる京都の出版社です。

コロナ禍の影響で、じわりと東北、特に岩手への修学旅行が増えているそうで、県内の学校さんで花巻温泉さんを拠点にするところが増えているという報道がありましたが、県外からもあるそうです。先日、花巻高村光太郎記念館さんで伺ったところ、山形の中学校さんが100名ほどでいらしたそうで。

そういう流れを受けての岩手県南部ガイドです。同社刊行の東北編としての栄えある第1弾のようです。

花巻高村光太郎記念館さん、隣接する光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)も取り上げて下さり、ありがたいかぎりです。上記表紙にも写真が載っています。
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さらに花巻と光太郎との関わりについても書いて下さっていて、理解が深められるようになっています。戦時の翼賛活動を恥じての蟄居、という記述がないのが残念ですが。
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岩手県、さすがにコロナ感染ゼロはとぎれましたが、それでも感染リスクの少ない地域であることは変わりなく、さらに感染ゼロがとぎれたために、かえって神経質にならなくとも、というところでしょうか。

それから、上記目次を見ると、この地域、あらためてこんなにも見どころが多いかという感じもしました。といっても、やはりクラスターが起こらないようにしていただきたいものですし、むずかしいところですね。


【折々のことば・光太郎】

ほんとうだと思っていても、それが間違いのときは、すぐに改めればいいのです。嘘が得だとか、ほんとうのことが得だとか、ということなしに従うのがいいのです。
談話筆記「高村光太郎先生説話 八」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

修学旅行ではありませんが、光太郎の住む花巻郊外太田村山口地区へ、校外学習的にやってきた新制花巻高等学校(昭和28年に花巻北高・南高に分離)の生徒たちに語った講話の一節です。会場は山小屋近くの山口小学校でした。

戦時中の翼賛活動を念頭に置いての発言でしょう。ある意味「君子は豹変す」を地で行っています。しかし、ただ単に間違いは改めるべき、だけでなく、「ほんとうのことが得」、つまり「改めた方が得」、という考えではなしに、と付け足しているところがすごいと思います。当時の高校生たち、何を感じ取ったでしょうか。

修学旅行なり、校外学習なり、校内にいてはわからないさまざまな見聞を広めるいい機会です。花巻では、生前の光太郎をご存じの方々もまだご存命。そこで、「光太郎はこんな人だった」というお話を、修学旅行なりで若い世代に伝えるような取り組みがあってもいいのかな、という気がします。

新刊書籍です。 

2020年6月20日 渡邊毅著 ナカニシヤ出版 定価3,000円+税

道徳教育の教材として偉人伝を用いることの効果は大で、その証を渉猟するなかで、道徳教育思想史を併進して眺めることとなる。
本書人名索引に登場する数、研究者を除いて850余名。各々とその関係者である。道徳教材として偉人から学ぶ教育的効用を述べることが本義であることは勿論、その歴史資料渉猟の結果を眺めるだけで道徳教育思想史が学べる。

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目次
 はじめに
 凡例
 第一章 道徳教育における人物伝教材の有効性
  はしがき
  第一節 先行研究の検討
  第二節 人物伝教材による教育的効果
  第三節 活用の歴史から検証する人物伝教材の有効性
  第四節 江戸時代の人物伝教材とその教育
  第五節 戦前期の人物伝教材とその教育
  むすび
 第二章 国定修身教科書における人物伝教材
  はしがき
  第一節 〝共通の価値〟を示す郷土の偉業 宮古島の人々 「博愛」(第四、第五期)
  第二節 工藤少年の〝手本〟 工藤俊作と上村彦之丞 「博愛」(第二~第四期)
  第三節 一夜の感動が大著を生む 本居宣長 「松阪の一夜」(第五期)
  第四節 徳望と度量を備えた英雄 西郷隆盛 「度量」(第三、第四期)
  第五節 「忠誠心」は普遍的道徳的価値 楠木正成 「忠孝」(第二、第三期)
  第六節 慈愛と権威とを有する天使 昭憲皇太后 「皇后陛下」(第二期)
  第七節 師への敬愛を教える 上杉鷹山と細井平洲 「先生をうやまへ」(第四期)
  第八節 摂生を心がけ学問に励む 伴信友 「身體」(第二~第四期)
  第九節 下言容れ採用 松平定信 「きそくをまもれ」(第四期)
  第十節 近世万葉学の金字塔 鹿持雅澄 「雅澄の研究」(第五期)
  第十一節 国家維新作用をなした作品 北畠親房 「日本は神の国」(第五期)
  第十二節 世界で注目を集める報徳思想 二宮尊徳 「学問」「勤勉」「孝行」他
       (第一~第五期)
  むすび
 第三章 偉人に学び生きた偉人たちの群像
  はしがき
  第一節 天下万民のために忠節を尽くす ―諸葛孔明と管仲・楽毅
  第二節 義のため直言をはばからず ―韓退之と孔子
  第三節 正気によって苦境を乗り越える ―藤田東湖と文天祥
  第四節 偉人の志をわが志としてなされた世界的発明 ―御木本幸吉と二宮尊徳
  第五節 永遠に後世に伝えられる二人の偉人物語  ―ヘレン・ケラーと塙保己一
  第六節 古人の求めたる所を求めよ ―松尾芭蕉と西行
  第七節 僕の後ろに道は出来る ―高村光太郎とオーギュスト・ロダン
  第八節 風に立つライオンたち ―柴田絋一郎とアルベルト・シュバイツァー
  むすび
 第四章 人物伝教育を推進する学校
  はしがき
  第一節 毎朝校舎に響く賀茂真淵の教え 静岡県浜松市立県居小学校
  第二節 橋本左内の生き方に倣い〝立志〟を教える 福井県福井市明道中学校
  第三節 師弟とともに吉田松陰に学び合う学校 山口県萩市立明倫小学校
  第四節 三百数十年のときをへて「藤樹学」を教える 滋賀県高島市立青柳小学校
  第五節 「先人教育」を推進する町、そしてその学校  岐阜県恵那市立岩邑小学校
  第六節 「われらのてほん 尊徳先生」と教える学校 神奈川県小田原市立桜井小学校
  第七節 地域の偉人たちに興味を持つ園児たち 水天宮保育園(福岡県久留米市)
  むすび
 あとがき
 初出一覧
 註
 索引

著者の渡邊毅氏は、元中学校教諭にして現皇學館大学教育学部教育学科准教授。「現場」でのご経験から、「徳育の王道は、人物伝による教育である」(「はじめに」)という結論を得たそうで(異論もありましょうが)、そのため、人物伝教育の歴史や、光太郎やロダンを含む取りあげるべき偉人の例などをまとめた書籍です。

ちなみに義務教育に於ける「道徳」は、「特別の教科」として、小学校では平成30年度から,中学校では平成31年度から位置づけられるようになりました。それ以前は、「各教科、道徳、特別活動」という枠組みで、「道徳」は「教科」には入っていませんでした。それが「教科」に含まれることとなり、評価の対象にもなっています。ただ、「特別の」ですので、通常の教科のような3段階、5段階の評価ではないようですが。

それに伴って、以前は「副読本」という位置づけだったテキストが、「教科書」となり、そうなると、各学校や教員が独自の教材を使用することは難しくなっているのでは、という気もします(特に教育界が保守的な都道府県――昔は「西のA県、東のC県」と言われていましたが、今はどうなのでしょうか――では)。

ところで、光太郎、「副読本」の時代から取りあげられていましたし、現行の「教科書」でも題材になっているようです。


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『道徳教育における……』でもそうですが、明治末から大正初め、ロダンの薫陶を受け、この国に近代彫刻を根付かせるため、「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」と意気込んで奮闘した頃の光太郎が取りあげられます。

たしかにこの時期の光太郎の姿は、若い世代に共感を持って受け入れられる部分はあるでしょう。しかし、光太郎の真価は果たしてそこなのでしょうか? 仮に当方が中学校で光太郎を扱う道徳の授業をやれ、といわれたら、そこではなく、戦時中、ズブズブの翼賛活動に身を投じて多くの前途有為な若者を死に追いやり、しかし、戦後になってそれをきちんと懺悔した、という部分を扱いたいと思います。

ま、この国の公教育では、こうした部分はある種のタブーとなっているようですので、ほぼほぼ無理でしょうが……。

閑話休題、『道徳教育における……』、ネット通販で入手可です。是非お買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

新しい人が現はれるたびに詩は必ず一つの冒険を行ふ。

散文「島田正詩集『結婚』序」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

島田は北海道出身と思われる詩人ですが、詳細がよく分かりません。光太郎歿後に光太郎の序文なるものを載せた詩集も刊行していますが、そちらはどうも眉唾ものの序文のようでして……。

詳しい経歴等、ご存じの方はご教示いただけると幸いです。

2件、ご紹介します。

まず、光太郎の師・与謝野夫妻関連。

英雄たちの選択「100年前の教育改革~大正新教育の挑戦と挫折~」

NHKBSプレミアム 2019年8月21日(水)  20時00分~21時00分

目前に迫る2020年の教育改革。子供の自発的学習を促すアクティブ・ラーニング等が、教育現場を大きく変えようとしている。今から100年前、それを先取りするような改革があった。大正新教育運動だ。与謝野晶子など名だたる芸術家や教師たちが、草の根から子供中心の教育を掲げて活躍した。しかし、運動は20年ほどで下火に。大正新教育は、何を目指し、なぜ挫折したのか?現代にも通じる教訓を徹底討論で明らかにする。
【司会】磯田道史 杉浦友紀 
【出演】高橋源一郎 小針誠 山辺恵理子
【語り】松重豊

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大正10年(1921)、与謝野夫妻や西村伊作らによって創設された文化学院さんが取り上げられます。光太郎は西村とも親しく、その求めに応じてゲストティーチャーとして学院に招かれたことがあるはずです。また、日中ハーフの詩人・黄瀛は、光太郎が保証人となって学院に入学するなどしています。


もう1件。女川光太郎祭を開催して下さっている宮城県女川町がらみで。

伊達な旅紀行 いいトコ!みやぎ

BS-TBS 2019年8月26日(月)  18時24分~18時30分

週に一度は伊達な旅。いいトコ!みやぎへさあ出かけましょう。女川町は自然に囲まれた港町。東日本大震災で、町は甚大な被害を受けましたが、住みよい町として整備されました。そんな女川町で新しいスタートに挑戦している方がいます。今回は、女川町・出島へ移住された方をご紹介。

声の旅人・ナレーション 山本里菜(TBSアナウンサー)

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出島(いずしま)は女川湾の入り口に浮かぶ島で、女川光太郎の会・須田勘太郎会長がお住まいです。いずれ行ってみようと思いつつ果たせないでいるのですが、やがて本土と橋でつながる計画が進行中だとか。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

わかつたなんて思うのはまちがいで……。わかつたと思つた人はそこでおしまいですね。
対談「先生山を下る」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

日々これ精進、ということでしょう。

ぼちぼち受験シーズンも終わりに近づきつつあります。千葉県では、公立高等学校入試のうち、「後期選抜」が2月28日(木)に実施され、昨日、合格発表がありました。

で、社会の問題。光太郎の父・光雲に触れられました。

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4択の問題ですし、意外と正答率は高いのではないかと思われますが、どうでしょうか。中学生諸君、鷗外と漱石は迷うかもしれませんが、滝廉太郎はバッハやベートーヴェンと並んで音楽室に肖像画が掲げられているように思います。なぜか音楽室の肖像画にある日本人作曲家というと、山田耕筰、中山晋平、滝廉太郎のトリオですね(笑)。

一昨年には、群馬県の高校入試でやはり光雲がらみの問題が出ました。その際にも引用しましたが、文部科学省で定めている「中学校学習指導要領」の社会編、歴史的分野で掲げている目標を抜粋します。

(2) 国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を,その時代や地域との関連において理解させ,尊重する態度を育てる。

ちなみに現行の中学校社会の教科書、主に8社で発行されているようですが、8社中6社で「文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物」の一人として光雲をとりあげています。


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ここに光太郎の名が無いのが、残念ですが……。


【折々のことば・光太郎】

太古、人間の手が道具といふものを初めて作り出して以来、手は人類文化一切の工作者となつた。顕微鏡でなければ歪みの見えない程の精密工具の扱ひにしても、高速度工具鋼の処理にしても、結局は其以上に高度な手の神経が其を統轄するのである。

散文「手」より 昭和13年(1938) 光太郎56歳

0.01ミリとかの単位で製品を研磨する職人さんの話など、時折テレビ等で見かけます。

光太郎や光雲の木彫なども、そうした「手」の感覚から産み出されたものなのでしょう。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

青森の地方紙『デーリー東北』さんに一昨日載った記事です。  

「十和田かるた」で市内PR 高清水小の児童が初制作

 「俳句日本一」を目指した教育活動を推進している十和田市立高清水小(原田克人校長)の全校児童29人は、観光地や特産品など市内の魅力を詰め込んだ「十和田かるた」を初めて制作した。昨年9月に実施した市内各地を徒歩やバスで巡る学校行事「十和田ウォーク」を通じ、五七五調の読み札と対応する絵札が完成。子どもたちの豊かな感性が際立つ作品となっており、同市の魅力発信に一役買いそうだ。
 同校では、これまで児童が地域や個人的な出来事を作品にしたかるたを制作。本年度は市全体を対象に拡大した。
 絵札には、十和田湖のシンボル「乙女の像」や女流騎手が的を射る「桜流鏑馬やぶさめ」、伝統工芸品の「きみがらスリッパ」「南部裂織」、特産品の「十和田湖ひめます」などが描かれた。
 制作に取り組んだ須田山遥さん(6年)は「な」の読み札を「長芋の とれる畑の 背に紅葉」とし、「ナガイモは市の名産。収穫時には葉が色づくので思いついた」と説明した。
 松田佳大けいた君(同)は「し」を「市役所の 上から見下ろす 空と山」と詠んだ。「展望フロアから見た青と緑の景色がきれいだった」とアピールした。
 原田校長は「子どもたちの感覚には驚かされるばかり。楽しみながら取り組んでいるので良かった」と述べた。
 同校は本年度、かるたを計4セット作り、地元の保育所などに配布。2019年度も増刷し、市の関係機関に配布する予定だ。

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いい話ですね。こういう活動を通じ、上からの押しつけではなく、楽しみながら「郷土愛」といったものが育まれていくのだと思います。

ちなみに「乙女の像」にはどんな句が添えられているのか、気になるところです(笑)。


【折々のことば・光太郎】

日本の古い銘木の緑茶のうまさを何に比べよう。この世の飲みものの中のあらゆる味を思ひ出してもこれに勝るものはない。リキュウル、否。灘の銘酒、否。ブウルゴオニユの古葡萄酒、否。ダアジリンの紅茶、否。それらのものの秀れた味は珠玉のやうだが、なほこの濃緑の奥深さを持つものは断じて無い。
散文「新茶の幻想」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

昭和10年(1935)5月の作。この年の今頃、智恵子がその終焉の地となった南品川ゼームス坂病院に入院しまして、とりあえず光太郎の生活は落ち着きを取り戻した時期です。そこで、紹介した一節の前に、茶が好きだった智恵子の回想が書かれ、末尾には「智恵子は今どうしてゐるだらう。千羽鶴は折れたか、茶の味は忘れたか。」と記されました。

この文章、長らく初出掲載誌が不明でしたが、同年6月30日発行の『週刊朝日』第27巻第31号に掲載を確認しました。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

福島大学うつくしまふくしま未来支援センターさんの主催で、光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」を冠した東日本大震災からの復興支援シンポジウムです。これまでに京都東京愛知いわき新潟南相馬、そして仙台でそれぞれ開催されてきました。 

ほんとの空が戻る日まで~被災地が進めるこれからの教育~

日  時  : 平成30年9月25日(火)13:00~16:00
場  所  : コラッセふくしま 4階多目的ホール(福島市三河南町1番20号)
参加対象  : 一般市民、教育関係者、行政職員、大学関係者、団体職員 他
参加定員  : 100名程度
参  加  費  : 無料
主  催  : 国立大学法人福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
共  催  : 福島県教育委員会

うつくしまふくしま未来支援センターは、福島県教育委員会との共催により、9月25日に福島市にてシンポジウムを開催いたします。
本シンポジウムでは、東日本大震災で甚大な被害を受けた県内の被災地で行われている新しい教育についてご紹介し、今後の教育・人材育成について参加者と共に考え、復興に活かすことを目的としています。
詳細は下記および別紙チラシをご覧ください。皆様からのご参加をお待ちしております。

[基調講演]13:15〜14:00
ふくしまイノベーション・コースト構想を通じた人材育成について
「福島への思いを育む教育を目指して」 
(一財)福島イノベーション・コースト構想推進機構 コーポレート部門教育・人材育成部人材育成支援課長 飯田喜之 氏

[パネルディスカッション]14:15〜16:00
「被災地が進めるこれからの教育」
 ファシリテーター 三浦浩喜(福島大学理事・副学長)
 コメンテーター 飯田喜之(基調講演講師)
 パネリスト 岩崎秀一氏・丹野純一氏・天野和彦氏・谷信孝氏

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単発で終わらず、継続して取り組まれているのがすばらしいと思います。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

ホヰツトマンは「詩」が如何にして純粋に人間生活の処女地から全く新鮮に、全く独立に形成され得るかを示した詩人であつて、詩の因習と既成概念との奴隷であつた世人に理解されなかつたのも無理はない。彼は徹頭徹尾詩人である。詞句の錬金家としてのみの文化末期の詩人でなくて、詩人は予言者だといふ意味に於ける新興文化の先駆者としての詩人である。

散文「ウオルト ホヰツトマン」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

光太郎の考える、詩人としての一つの理想形が語られています。大正3年(1914)、美辞麗句ばかりの文語定型詩全盛の時代に、詩集『道程』で口語自由詩を確立させた光太郎も、当初は「詩の因習と既成概念との奴隷であつた世人に理解されなかつた」といえましょう。

2日続けて都内に出ておりました。

まず一昨日、光太郎の母校である荒川区立第一日暮里小学校さんへ。この春卒業の6年生に、ゲストティーチャーとして光太郎の話をさせていただきました。同校では代々6年生が、「先輩 高村光太郎に学ぶ」というテーマで、光太郎に関する調べ学習を行っています。

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1月にも同校に参りまして、やはり6年生の図工の授業を拝見しました。光太郎のブロンズ代表作「手」にちなみ、卒業記念に自分の「手」を粘土で制作するというものでした。

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その際の作品が完成しており、廊下に展示されていました。

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力作ぞろいでした。いい記念になるでしょう。

それから、「先輩 高村光太郎に学ぶ」ということで、やはり一人一人が作成したレポートも完成していました。

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ざっと拝見しましたが、それぞれに異なる切り口で調べたことをまとめていて、こちらも力作ぞろいでした。これだけのものを作るとなると、指導に当たられた先生方も大変だったろうと思われました。

来週22日が卒業式だそうで、最後に光太郎についての話をしてくれ、とのことで、前述の「手」の制作の際にもゲストティーチャーを務められた、太平洋美術会・高村光太郎研究会に所属されている坂本富江さんともどもお招きを頂きまして、6年生の教室で、児童の皆さんの前に立たせていただきました。

まずは当方。持ち時間が15分くらいということでしたし、既に児童の皆さんはそれぞれに光太郎について詳しく調べてレポートも完成しているので、今さら光太郎は何年何月に生まれ、こんな業績を残し……といった話をしても仕方がないと思い、パワーポイントの短いスライドショーを作り、クイズ形式で進めさせていただきました。題して「知ってトクする 光太郎クイズ」(笑)。

光太郎の偉人らしからぬ意外な一面、子供にも親しみを持てそうなエピソードなどを問題にし、最後は同校の校訓でもある「正直親切」――元々は、光太郎が戦後の7年間を過ごした花巻郊外太田村の山口小学校に校訓として贈ったものですが――にからめてまとめました。児童の皆さん、なかなかに食いついてくれました(笑)。

続いて、坂本さんにバトンタッチ。坂本さんは、以前に智恵子の母校、二本松市立油井小学校さんでも披露なさった自作の紙芝居を使われました。

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その後、児童の皆さんから、光太郎に関する質問を受け付ける時間。すると、小学生と侮るなかれ、鋭い質問が出ました。例えば、光太郎木彫の「白文鳥」(昭和6年=1931頃)の「解釈」。

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こちらは光太郎が「作品」としてきちんと制作した木彫のうち、ほぼ最後のもの。このころから智恵子の心の病が顕在化し、その看病に追われたり、危なくて彫刻刀を出しておけなかったりといった理由から、木彫の制作が途絶します。そこで、「文学的」解釈として、この一対の文鳥は、光太郎智恵子の「肖像」でもあるのでは、という説が唱えられています。児童の皆さん、何かの資料でそういう話を読まれたのかも知れませんし、逆にそういう予備知識なしの直感的な感想かも知れませんが中々鋭い意見が出て、たじたじとさせられました。

「片方が片方をにらんでいるように見える」とか「片方が片方をうらやんでいる、またはねたんでいるように見える」だそうで、どうでしょうか、と。なるほど、そういわれてみると、そうも見えます。

光太郎は、この時期の彫刻では「物語性」を可能な限り排除し、純粋な造形美のみを表現する方向で取り組んでいました。学生時代に手がけた塑像などでは、いわくありげなポーズや謎めいた題名で、「物語性」を前面に押し出していましたが、それではいけない、と方向転換しています。

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しかし、心のどこかでは、この白文鳥一対は自分たち夫婦、という意識はぬぐえなかったのではのではないでしょうか。だから、児童の皆さんが感じたように、「片方が片方をにらんでいるように」とか「片方が片方をねたんでいるように」見えてしまうのかもしれません。

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ただ、この「白文鳥」、二体をどう配置するかによって、見え方がかなり異なってきます。昨今は、小さい雌を左、大きな雄を右に、上記のように配置することが多いのですが、それが正しいのかどうか、何とも言えません。

光太郎生前唯一の彫刻個展、昭和27年(1952)の中央公論社画廊での「高村光太郎小品展」図録ではこんな感じ。左右が逆ですね。こう配置すると、2羽がしっかりと寄り添っているように見えませんか。

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それから光太郎が歿した翌年(昭和32年=1957)の「高村光太郎遺作展」図録では、こうなっています。

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この配置だと、大きい方の雄は、たしかにあらぬ方を向いているように見えますね。これが無意識のうちに表された光太郎自身の智恵子へのスタンスという見方、あながちこじつけともいえないかもしれません。児童の皆さん、そこまで理論的に考えているわけではなさそうでしたが、逆に感覚的にそう捉えていたのでしょう。そういう見方も有りだよ、という話はしておきました。

来週卒業していく6年生の皆さんですが、光太郎智恵子への関心、これで終わってしまうことなく、今後とも持ち続けていってほしいと思いますし、彼等から学んだなにがしかを、今後の人生行かして行ってほしいものです。


つづいて昨夜、錦糸町のすみだトリフォニーホールさんで開催された演奏会「第29回 21世紀日本歌曲の潮流」を拝聴して参りました。

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以前から光太郎詩に曲をつけた作品を発表なさっている、名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏の「樹下の二人」が演奏されました。

この曲は、昨年、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「震災復興応援 智恵子抄とともに~野村朗作品リサイタル~」において、メゾソプラノの星由佳子さん、ピアノで倉本洋子さんによる演奏で初演されましたが、今回は以前から野村氏の「連作歌曲 智恵子抄」を演奏されている、バリトンの森山孝光さん、ピアノで森山康子さんご夫妻による演奏でした。

女声と男声の違いもありましたし、それからおそらくキーも変えてあったようで、またかなり違った印象でした。現代音楽というと、他の作曲家の方の作品でそういうものがありましたが、ひねった和音構成や変拍子などを多用し、めまぐるしく転調させたり、あえて無調にしたりするなど、先鋭的な作品が多い印象ですが、野村氏のそれはメロディーラインの美しさを前面に出す、いわば直球勝負。素人の当方には、そちらの方が心地よく感じられました。もっとも、いつも安心して聴いていられる森山ご夫妻の力量に負う部分も多いのですが。

野村氏、体調を崩されているとのことで、昨夜は会場にはいらっしゃらず、森山ご夫妻もお二人の出番の終了後にすぐお帰りになったとのことで(岐阜にご在住です)、終演後にお会いできなかったのが残念でしたが、野村氏、何とか連翹忌には復調して参加したいとおっしゃっていましたので、そうなることを願っています。


【折々のことば・光太郎】

強引さがない。よく禅僧などの墨せきにいやな力みの出てゐるものがあるが、さういふ厭味がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。

散文「黄山谷について」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

「黄山谷」は中国北宋時代の書家・黄庭堅。光太郎が最も愛した書家の一人です。書に限らず、詩歌や彫刻でもそうですが、光太郎の芸術評は同時に自らが求めるそのものの在り方を端的に示しています。まさに光太郎の書も、このようなものでした。

また、昨夜聴いた野村氏作曲の「樹下の二人」にも通じるところがあるように思われました。

今月一日に行われた、平成30年度埼玉県公立高等学校入学者選抜の国語の問題文に、光雲・光太郎父子が登場しました。ちなみに昨年は群馬県の社会の問題に光雲が出題されています。

いきなりの大問1、文学的文章の長文読001解問題で、出典は一昨年、集英社さんから刊行された原田マハさん著『リーチ先生』です。明治41年(1908)、イギリス留学中の光太郎と知り合い、その影響もあって日本への憧れが昂じ、来日した英国人陶芸家のバーナード・リーチを主人公とする小説です。

物語は、大正9年(1920)までの滞日中、そして帰国後の3年間、リーチの助手を務めたという設定の、架空の陶芸家・沖亀乃介を主人公とし、彼の存在以外はおおむね史実に添った内容となっています。光太郎、光雲、そして光太郎実弟の豊周も登場します。

作者の原田さん、この『リーチ先生』で、昨年、第36回新田次郎文学賞を受賞なさいました。

さて、埼玉の高校入試問題。web上に問題模範解答が公開されていますが、『リーチ先生』の本文自体は「掲載許諾申請中」だそうです。しかし、問題文から、どの箇所が抜粋されたか推定できました。まず、リーチが来日直後、まだ欧州にいる光太郎からの紹介状を手に、駒込林町の光太郎実家に光雲を訪ねるというくだりです。

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問1は、光雲のセリフから。「困ったやつ」は光太郎です(笑)。「誰や彼や」の中には、この小説の主人公、亀之介も含まれます。亀之介もひょんなことから知り合った光太郎の紹介で、光雲の元で書生をしているという設定で、このシーンがリーチと亀之介の初対面です。

ちなみに正解は「エ」。「ア」~「ウ」の気持ちも、全くなかったとは言い切れませんが(笑)。

続いて問2は、ある意味、無謀にも来日したリーチの心情に関して。



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問3は、主人公亀之介の何げない行動か002ら、その心情を問う問題。

リーチが光雲邸を訪れた翌日、光雲に東京美術学校へ連れられていった帰路、通訳として同行した亀之介との会話のシーンからです。

亀之介はかつて横浜の食堂で働いており(そこで光太郎と知り合いました)、船員たちとの会話から自然と英語を身につけていました。そして美術家を目指し、光雲の元に書生として厄介になりますが、専門の美術教育を受けたわけではなく、ある意味、恵まれた環境で学ぶことが出来ている美校生たちへのコンプレックスが、ぬぐいがたく存在しました。

そんな亀之介の鬱屈や屈託を察したリーチは、亀之介を励まします。


それを受けて、問4。


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正解は「イ」。

この後、亀之介はリーチの通訳兼助手として、ともに陶芸の道に進み、リーチの母国・イギリスのセント・アイヴスまでリーチについていくことになります。そして、陶芸家としての才を花開かせて行く、というわけです。


大問1、最後に表現上の003特色を問う問5。「適切でないもの」「二つ」というところがミソですね。解答用紙に枠が印刷されているはずですので、一つしか選ばないうっかり者はそういないと思いますが、「適切でないもの」を見落とし、あてはまるものを選んでしまうのは、中学生レベルではありがちです。

もし「しまった、自分がそうだった、どうしよう」という中学生さんがいましたら、大丈夫です。他にもけっこういますから(笑)。

ちなみに正解は「ウ」と「オ」です。「オ」は引っかけですね。全体のテーマは「芸術に対する熱い思い」ですが、この場面ではそれはそれほど語られていません。よく読めば、具体性に欠ける無理矢理設定した選択肢だというのは読み取れます。


それにしても、一昨年に刊行されたばかりの『リーチ先生』が問題文に使われるというのは、少し驚きました。

中学生諸君、入試も終わって時間が出来たところで、もう少し落ち着いたら、ぜひ全文を読んでほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

その気魄は内潜的である。その風趣は清潔である。煩瑣感が些かも無く、洗練された単純感が全体を貫く。

散文「東大寺戒壇院四天王像」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

昨日ご紹介した「戒壇院の増長天」を含む、奈良東大寺の戒壇院の四天王像に関するものです。古代の作品の評ながら、光太郎が目指した彫刻、それに限らずすべての芸術のありようを示しているように思われます。

昨日は午前中、荒川区立第一日暮里小学校さんにお邪魔しておりました。

たびたびこのブログでもご紹介させていただいておりますが、同校は、明治23年(1890)から同25年(1892)にかけ、数え八歳から十歳の光太郎が、同校尋常小学校の課程に通っていた、母校です。その縁から、卒業生・光太郎について調べ学習をしたり、詩の暗唱をしたりと、顕彰に取り組んで下さっています。

昨日は、卒業間近い6年生の児童さんたちが、図工の特別授業で「手」の彫刻に取り組み、アシスタントとして、同校に隣接する太平洋美術会研究所の方々がお手伝いに入られました。その中に、連翹忌御常連で、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を著された坂本富江さんもいらっしゃり、お誘い下さいました。同会は、智恵子が日本女子大学校卒業後に通っていた太平洋画会を母胎としています。

千葉の自宅兼事務所から、少し早めに都心に到着しましたので、同校最寄りの西日暮里駅ではなく、一つ手前の日暮里駅で下車。歩きました。そのルートで行くと、太平洋美術会さんが途中にあります。ウィンドウに、光太郎智恵子に関する記述。ありがたや。
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少し行くと、第一日暮里小学校さんの「さくら門」。こちらに光太郎自筆の書から文字を採った「正直親切」の碑があります。
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「正直親切」という文言は、昭和26年(1951)、蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くにあった太田小学校山口分教場が山口小学校に昇格した際、校訓として贈った言葉ですが、第一日暮里小さんでは、昭和60年(1985)、創立百周年記念に、この言葉を刻んだ碑を建立しました。

以来、同校では「正直親切」を校訓とし、学校だよりの題名にも使って下さっています。

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ちょうど先週の今日、埼玉県東松山市立図書館さんの「田口弘文庫 高村光太郎資料コーナー」オープン記念の講演をさせていただきましたが、その中で、同市元教育長で戦時中から光太郎と交流のあった故・田口弘氏のお骨折りで、同市立新宿小学校さんにも「正直親切」碑が建てられていること、この第一日暮里小学校さんのこともお話しいたしました。

そうしたら思いがけず第一日暮里小さんにお邪魔することとなり、驚きました。これも田口氏のお引き合わせかも知れません。 

「さくら門」と反対側の「ひぐらし門」が通用門的な入り口で、そちらに廻りました。こちらにも「正直親切」のタペストリー。
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ちょうど坂本さんもいらしたところで、二人で校内へ。当方、こちらの校内には初めて入りました。昇降口を入ってすぐ、光太郎コーナーが設けられていました。

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校長室に通され、お茶をいただきました。そのうちに他のアシスタントティーチャーの皆さんもいらっしゃいましたので、図工室に移動。皆さん、太平洋美術会さんの方でした。当方、詳しい話を聞かずに行っておりまして、こんなにたくさんアシスタントがいらっしゃるとは思っておりませんでした。

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授業は3コマ連続でとってあるそうで、流れの確認。

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やがて6年生の児童さんたちが入室し、授業開始。都心の学校でも少子化の影響はあるのでしょう、各学年単学級、6年生は20数名でした。

課題は卒業制作という一面もある、「手」の制作。光太郎について学んできた6年生は、光太郎代表作のブロンズ「手」(大正7年=1918)の実物も見ているそうで、これもまた光太郎がらみの内容というわけです。

8つほどの大きめの作業机に、児童さん3名くらいずつ座り、各テーブルに太平洋美術会さんの方がついてアドバイスするという流れでした。まず画用紙に自分の手の形をトレースし、目印となるポイントを線で結び、アルミの針金で芯の制作。そして粘土を貼り付けていくということで、かなり本格的です。

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当方は合間に担任の先生、学校司書の先生から、同校の光太郎に関する取り組みについて教えていただきました。

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A4判十数枚にわたるレポート。一人一冊、こういったものを作るそうです。

図書室も拝見。一角に「高村光太郎文庫」。なかなか充実しています。一昨年亡くなられた金田和枝さんの『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』など、学級の人数分そろっている書籍もあり、これだと一人一冊に行き渡ります。当会顧問・北川太一先生のご著書などもずらり。

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当方が執筆した『図書館教育ニュース』第1300号付録の冊子が掲示されていました(笑)。


平成25年(2013)に千葉市美術館さん、岡山井原市立田中美術館さん、愛知碧南市藤井達吉現代美術館さんを全国巡回した「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展の図録も10冊ほどありました。こちらは会期中に売り切れてしまい、現在では状態のいいものにはプレミアが付いています。

そうこうしているうちに、児童さんの作業もどんどん進捗。予定の3コマで全員が今日の作業を終えました。乾燥させた後、後日、着色するそうです。
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昨日の授業にしても、普段の取り組みにしても、なかなかすばらしいものです。今後も継続していただきたいと存じました。

また、光太郎智恵子とゆかりのある学校さんなどにも、こうした動きが広がっていってほしいものだと思いました。


【折々のことば・光太郎】

何が彫刻かといふ事は説明しにくい問題であるが、彫刻の概念がいかやうに変革されていつても残るところの彫刻的本質は、畢竟するに触覚を基本とするところの量の空間的関係にあり、小は根付彫刻から大はスフインクスに至るまで、最も写実的な作品から最も抽象的な作品に至るまで、此の触覚感からの出発、もしくは触覚感への重点無くしては彫刻はあり得ない。

散文「現代の彫刻」より 昭和8年(1933) 光太郎51歳

第一日暮里小学校6年生の児童さんたちも、少しはこういった感覚を実感できたのではないでしょうか。

新刊です。

高校国語科授業の実践的提案

2017年11月10日 三浦和尚著 三省堂書店 定価2,200円+税

長年、国語(科)教育の「実践」と「研究」の「橋渡し」に取り組んできた筆者による、日常的営みとしての授業研究への実践的な提案。筆者による実際の授業実践・研究の動画4本をインターネットで配信する。

目次
はじめに
Ⅰ 【総論】授業研究のねらいと方法
Ⅱ 【提案授業1】豊かな文学世界の享受と言葉の力の獲得
-芥川龍之介「蜜柑」(高校一年)-
Ⅲ 【提案授業2】文学として味わう「古文」(伊勢物語)
-現代語訳・課題の在り方を中心に-
Ⅳ 【提案授業3】味読・批評を見通した評論の学習指導 
-松沢哲郎「想像する力」の実践を通し て-
Ⅴ 【提案授業4】 高村光太郎「レモン哀歌」の指導
 -詩の「楽しみ方」を求めて-
Ⅵ 【実践報告】小説教材を導入に生かした学習指導 
-「藪の中」「新聞記事」(高二)の場合-
Ⅶ [講演記録]国語科学習指導における発問の意義と課題
あとがき
初出一覧

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高等学校の国語科教員向けの、授業実践記録集です。「智恵子抄」中の絶唱、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)を扱った授業の記録を含みます。著者の三浦氏は愛媛大学名誉教授・特命教授・副学長ということで、附属高校さんの2年生を対象にした授業実践の記録が掲載されています。帯や版元サイトの紹介文に、授業の実際をインターネットで配信中とあったので、早速拝見しました。

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IDとパスワードの入力を要求してきますが、同書に掲載されています。ID:sanseido-kokugo    パスワード:90VXnQSW07 です。生徒さんたち、公開研究授業でビデオ撮影ありということで緊張しているようです(笑)。

版元の三省堂さんで発行している国語の教科書『高等学校 国語総合』[改訂版]に、「レモン哀歌」が掲載されているようです。ちなみに東京書籍さん刊行の中学校用3年生用教科書『新しい国語 3』にも「レモン哀歌」が採用されています。中学生には中学生なりの、高校生には高校生なりの読み取りが可能でしょう。ただ、21世紀の若者には、肺結核による死、というのはイメージが涌きにくいようです。


もう1冊、日本絵手紙協会さん発行の『月刊絵手紙』12月号。今年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という新連載(全1ページ)が始まり、定期購読しております。11月号は年賀状特集号ということで当該欄がお休みでしたが、今号から復活。

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今号は、散文「書について」(昭和14年=1939)から。花巻高村光太郎記念館さん所蔵の、光太郎愛用の硯箱一式の写真が添えられています。

同館では来月9日から、市内4つの文化施設との共同企画展「ぐるっと花巻再発見! イーハトーブの先人たち」の一環としての「高村光太郎・書の世界」展が開催されます。下記は花巻市さんの『広報はなまき』11月15日号から。

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同館では、常設展示でも光太郎の書を多数展示していますが、それ以外にも所蔵作品が多数有り、それらの中からセレクトして展示するとのこと。

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どういった作品が出されるか、現在問い合わせ中です。詳細が分かりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

激烈なる近世の生存の競争は、既に一般の世人をして其の日常生活に於て、昔日の如き美術的享楽を専らにする事能はざるに至らしめたり。

散文「英国に於る応用彫刻に就て」より 明治41年(1908) 光太郎26歳

このコーナー、筑摩書房『高村光太郎全集』の第一巻から始め、これは、と思う光太郎の言葉をご紹介しています。昨日までで詩の巻の第三巻までを終わり、今日から評論の巻、第四巻に入ります。

明治39年(1906)から同42年(1909)にわたった光太郎の海外留学。当初は自費でのそれでしたが、光太郎の父・光雲の奔走で、農商務省海外実業練習生の資格が付与され、月額60円が給付されることになりました。その義務として提出した、家具などの応用彫刻のレポートの冒頭です。

産業革命も一段落し、機械工業による大量生産品の使用が一般的となった現状への警句です。

昨日の『朝日新聞』さんに載った訃報です。

西郷竹彦さん死去

 西郷竹彦さん(さいごう・たけひこ、本名・隆俊=たかとし、文芸教育研究協議会会長)12日、急性肺炎で死去、97歳。葬儀は家族のみで営む。喪主は妻京子さん。同協議会が7月29日に神戸市で開く「文芸研神戸大会」の中で、「偲(しの)ぶ会」を催す予定。著書に「西郷竹彦文芸・教育全集」など。

『東京新聞』さんにも、ほぼ同一の訃報が掲載されたようですが、他紙はネット上では見あたりませんでした。

当方、氏の御著書を一冊持っており、朝刊を広げてお名前を訃報欄で目にし、「あらららら……」と思った次第です。

それが黎明書房さんか004ら平成5年(1993)刊行の『名詩の美学』。小中高の教科書に採用されたものを中心に、光太郎を含む30余名の近現代詩人の作品を取り上げ、「美の構造仮説にもとづく解釈」(「はじめに」より)が為されています。

どちらかというと国語教員向けに書かれたようで、カバーには「小・中・高における詩の「読解鑑賞指導」の限界を明らかにし」という文言も記されています。版元の黎明書房さんは、教育関係図書の出版で実績を持っています。西郷氏ご自身、訃報にあるとおり、文芸教育研究協議会会長であらせられ、鹿児島県立短期大学文学科で教鞭を取られていました。

しかし、純粋に教員向けかというとそうでもなく、授業指導のあり方を提案するとかではないので、いわゆる「教育書」の範疇には入りません。個々の詩の作品論集成です。

光太郎詩は「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)が扱われています。題して「たがいに異質な感情の止揚――高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」」。

終末部分を引用させていただきます。

 この詩の美の構造を図式的に表現するならば、次のようになるだろう。
 怒りの口調に悲しみの心を述べる。悲哀の姿に滑稽をさえ感じさせ、さらに滑稽であることでいっそうのみじめさ、哀れさをひきおこさせる。卑属にまみれた姿の中に超俗の姿を、また失われた聖なるものの姿を垣間見せる。美をねがい救いを求め、理想にあこがれる姿に愚と聖を同時にとらえ、小さな素朴の中に無辺大の夢を追う。つまり駝鳥にして駝鳥にあらざるもの――人間――をともに描き出す。
 ここに、この詩の美の構造を見ることができる。たんに〈怒り〉〈憤怒〉〈批判〉〈抗議〉とのみ見てはならない。

なるほど。

調べてみましたところ、「増補版」が平成23年(2011)の上梓、まだ在庫があるようです。目次は以下の通り。

 序 現実をふまえ、現実をこえる世界―佐藤春夫「海の若者」
 1 矛盾するイメージの二重性―井伏鱒二「つくだ煮の小魚」
 2 美の典型をとらえる―村野四郎「鹿」
 3 一瞬にして永遠なる世界―三好達治「大阿蘇」
 4 イメージの筋が生みだすもの―小野十三郎「山頂から」
 5 現実と非現実のあわいの世界―中原中也「一つのメルヘン」
 6 象徴化されていくプロセス―萩原朔太郎「およぐひと」
 7 日常性に非日常を見る―長谷川龍生「理髪店にて」
 8 心平詩〈つづけよみ〉―草野心平「天」「作品第拾捌」「海」
 9 否定態の表現―中野重治「浪」
 10 たがいに異質な感情の止揚―高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」
 11 現実が虚構である世界―丸山 薫「犀と獅子」
 12 無意味(ナンセンス)の意味―谷川俊太郎「であるとあるで」
 13 自他合一の世界―安水稔和「水のなかで水がうたう歌」
 14 一即一切・一切即一―高見 順「天」
 15 自己の存在証明―石原吉郎「木のあいさつ」
 16 天を見下ろす逆説―山之口 貘「天」
 17 自己分裂・喪失の悲喜劇―藤富保男「ふと」
 18 根拠なき推理の生む虚像―藤富保男「推理」
 19 生命の芽ぶくドラマ―安東次男「球根たち」
 20 まとめられぬまとめ―詩の美のかぎりない多様さ
 21 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その1「烏百態」
 22 二相ゆらぎの世界(宮沢賢治)―その2「永訣の朝」
 補説 西郷文芸学の基礎的な原理―主として「話者の話体と作者の文体」について

ぜひお買い求めください。


なお、当方、もう一冊、氏の名が「監修」でクレジットされている書籍も持っています。しかし、重大な瑕疵のあるものですのでご紹介は控えさせていただきます。ただし、その瑕疵に西郷氏は関わっていません。あくまで出版社としての矜恃を持たない間抜けな版元のボーンヘッドで、監修者としての氏が実に気の毒に思われます。

閑話休題。改めまして、謹んで西郷氏のご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

憤りか必至か無心か、 この人はただ途方もなく 無限級数を追つてゐるのか。
詩「刃物を研ぐ人」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

「刃物」は彫刻刀や鑿の類、「刃物を研ぐ人」、「この人」は光太郎自身です。

まさに飽くなき美の探求、そこに生涯をかける意志の表出ですが、それはどこまでいっても終わりのない道程でもあります。人生もとっくに後半生に入っていることを自覚し、残された時間で自分はどこまで進めるだろう、という、青年期の単なる無邪気な夢の追求では済まされない、悲壮感も読み取れます。

そしてそっくり我が身にも……と感じる今日この頃です(笑)。

神奈川県相模原市にある相模女子大学さんの行事です。

5/14(日)オープンキャンパスを開催します

5/14(日)10時~15時、本学キャンパスにおいてオープンキャンパスを開催します。
本学の学びや模擬授業、学科説明、学科企画、入試制度説明、編入学ガイダンス、カフェテリア体験など実施します。
また、オープンキャンパスに3回参加すると本学学園キャラクター「さがっぱ・ジョー」のぬいぐるみストラップがもらえるイベントも実施します!
新緑のキャンパスで、皆様のご参加を心よりお待ちしております。

日程 : 2017年5月14日(日)
時間 : 10:00 ~ 15:00 予約不要
会場 : 相模女子大学 神奈川県相模原市南区文京2-1-1
内容 : 本学の学び 学科説明 個別学科相談 個別入試相談 保護者向け大学紹介 奨学金について知ろう!
       編入学ガイダンス 先輩と話そう(Q&A) カフェテリア体験 キャンパスツアーなど

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模擬授業メニュー

日本語日本文学科  【高村光太郎『レモン哀歌』を読み解く】
 今日社会が若い世代に求める能力は「読解力」と言われています。実は文化遺産としても優れた文学作品を多角的に読み解くことで、読解力は向上します。本模擬授業では近代の有名な詩を取り上げて、その実践を試みます。(45分)

英語文化コミュニケーション学科  【英語で外国人観光客に道案内をしましょう】
子ども教育学科  【子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題 】
メディア情報学科 
 【親子で体験するメディア情報学科  香水とメディアについて考えましょう!】
生活デザイン学科  【フォトショップで間違い探しゲームをつくってみよう】
社会マネジメント学科  【若者の消費者トラブル防止!のためにできること 】
人間心理学科  【音楽のもつ癒しの力】
健康栄養学科  
【カスタード・プディングをつくりながら卵・砂糖の調理性を学びましょう】
管理栄養学科  【栄養とは何か? ―食べることの意味を考える― 】
食物栄養学科  【何をどれだけ食べればいいの? ―実習で学ぶ栄養指導の基礎―】


とうわけで、日本語日本文学科さんで、光太郎詩「レモン哀歌」が取り上げられます。ありがたいところです。

「レモン哀歌」は、現在、東京書籍さんで発行している中学3年用の国語教科書「新しい国語」に掲載されています。現在の高校3年生が中3だった頃にも載っていたはずで、当時を思い起こしながら、そして、当時とまた違った受け止め方ができるはずですので、そういったことを考えながら臨んでほしいものです。

少子化の影響で、一部を除き、各大学さんとも、入学者の確保に四苦八苦という部分があるでしょう。こうした時こそ、各大学の自力の見せ所ですね。

また、彫刻、絵画、装幀、書、詩、短歌、評論、翻訳、建築など、非常に幅広く業績を残した光太郎について、各分野でもっともっと取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

青空は底がぬけて居るといふ。 なるほど見てゐると 真剣すぎるほどはるかなものだ。
詩「夏書十題 青空」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

すっかり初夏ですね。梅雨入り前のこのひととき、まだ蒸し暑さもピークには達さず、よく晴れた日の青空ははるかに高く感じます。

ただ、紫外線がきつくなってきました。当方、日光アレルギーがあり、これからが大変です。

昨日、卒業式に関する話題を載せました。各学校では卒業シーズンでもありますが、来年度入学生の入試シーズンでもありますね。

今月7日に行われた群馬県公立高等学校入試の社会の問題で、光太郎の父・光雲の「老猿」が問題に出されました。

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模範解答として提示されている正解は、以下の通り。

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(例)とありますので、「西洋の技法」以外でも○となるのでしょう。「写実的な作風」とか。そのあたりは採点者向けのマニュアルに記されているはずです。「写実的な作風」と書いて×になったら、当方は暴れます(笑)。

しかし、中学生には難問かな、という気もします。おそらく、中学校の社会の授業で、ここまで掘り下げて扱うことは稀でしょうから。ただ、鋭い生徒は、大問としての設定「「世界の中の日本」というテーマで調べたことをまとめ……」という部分、そして文明開化に湧いた「明治」という時代などから類推することができたのではないでしょうか。

光雲は、おそらくどの教科書会社でも取り上げていると思います。しかし、ただ、「明治の文化、岡倉天心、横山大観、黒田清輝、高村光雲、夏目漱石、森鷗外、与謝野晶子……暗記しろ」ではなく、それぞれの人物の生き様まで(せめて概略でも)、授業で扱ってほしいものです。


文部科学省で定めている「中学校学習指導要領」の社会編、歴史的分野で掲げている目標を抜粋します。

(2) 国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を,その時代や地域との関連において理解させ,尊重する態度を育てる。

(3) 歴史に見られる国際関係や文化交流のあらましを理解させ,我が国と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えさせるとともに,他民族の文化,生活などに関心をもたせ,国際協調の精神を養う。

さらに、それぞれの「解説」。

(2)に関しては、

 歴史を具体的に理解させるためには,歴史の展開の中で大きな役割を果たした人物や各時代の特色を表す文化遺産を取り上げることが大切であることを述べている。
 人物の学習については,歴史が人間によってつくられてきたものであることを踏まえて,国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物を取り上げ,主体的に社会を変革しかつ歴史の形成に果たした役割について学ぶことが大切である。その際,人物の活動した時代的背景と地域とを関連させながら,その果たした役割や生き方を具体的に理解させる必要がある。

とあり、(3)の解説は、

 「歴史に見られる国際関係や文化交流のあらましを理解させ」る学習については,国際化の進展の著しい社会に生きる生徒に,他民族の文化や生活などに関心をもたせ,我が国と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えさせて,国際協調の精神を育成することが求められる。

となっています。

これらを踏まえると、上記の「老猿」関連の設問、的確な問題ですね。

それにしても、改めて「学習指導要領」を見てみると、かなりいいことが書いてあります。「我が国と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えさせるとともに,他民族の文化,生活などに関心をもたせ,国際協調の精神を養う。」など、まさしくその通りです。


中学校ではありませんが、それと真逆の、「よこしまな考え方を 持った在日韓国人・支那人」などと書かれたヘイト文書を平気で保護者に配布し、「竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国・ 韓国が心改め、歴史教科書でウソを教えないようお願いいたします!」と、運動会で選手宣誓させている教育機関があるなど、論外ですね。だいたいそういうよこしまな人物に限って「教育勅語」をありがたがる、というのも不思議です(笑)。


【折々のことば・光太郎】

教養主義的温情のいやしさは彼の周囲に満ちる。 息のつまる程ありがたい基督教的唯物主義は 夢みる者なる一日本人(ジヤツプ)を殺さうとする。

詩「白熊」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

明治39年(1906)から翌年にかけて、ニューヨークで暮らした体験を下敷きにしています。週給7ドルで、彫刻家ボーグラムの助手を務め、休日に訪れるブロンクス・パークの動物園で目にする、やはり異邦から来た象や白熊に、全ての面で「合理的」な事柄を優先するアメリカ社会になじめない自分を仮託しています。

この詩は、単に「敵国」を非難しているという理由から、後に編まれた翼賛詩集『記録』(昭和19年=1944)に再録されました。

いただきものの紹介です。

まずは花巻高村光太郎記念館さんから、筑波大学附属駒場中学校総合学習報告書『東北地域研究』のコピーをいただきました。

同校では3年生が、「総合的な学習」の時間に、「東北地域研究」という取り組みをおこなっていて、グループごとに校外学習や学習成果発表会なども実施されているそうです。『東北地域研究』はそのレポートです。

そのうち、23班の生徒さん達が、「岩手の文学」をテーマとし、花巻高村光太郎記念館さんも訪れたとのこと。

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レポートを読むと、単なる物見遊山に終わることなく、しっかりとテーマを絞っての校外学習がなされていたようですね。

明治大正昭和の激動の時代を生きた光太郎の生き様に、現代の若者達も、さらに多くのことを学んでほしいと思います。


同様にいただきものでもう一点、智恵子の故郷・福島二本松で顕彰活動を続けられている智恵子のまち夢くらぶ さんから『智恵子講座’16文集』が届きました。

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これは、昨年と今年、2年間にわたって「高村智恵子に影響を与えた人々」のメインテーマの元に開催された市民講座の記録です。会員、会友の皆さん、各回に講師を務められた方々の文章などが載っています。

当方も講師を仰せつかったため、何か書け、とのことで、今年このブログに毎日載せた【折々の歌と句・光太郎】中の、『智恵子抄』に収録されていない、智恵子を詠んだ短歌をご紹介させていただきました。

また、地方紙に載った講座を含む会の活動を紹介する記事のコピーも附いており、こんなに報道されていたんだ、という感じでした。ネットでは全ての記事が網羅されているわけではありませんので、読めない記事も多いのです。

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こうした地道な活動により、光太郎智恵子の名が次世代へと受け継がれて行くという面があります。今後も継続していただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

夜の空気かすかにふるへ電線のうなりもきこゆ酔ひたる耳に

明治43年(1910) 光太郎28歳

木枯らし吹く冬の夜、といった感がありますね。

今年8月に、コールサック社さんから刊行された『少年少女に希望を届ける詩集』。女川光太郎祭にもご参加下さった、詩人の曽我貢誠氏らの編集で、「いまを生きる多感な少年少女へ、そっとエールをおくりたい。」というコンセプトのもと、広く募集した書き下ろしの詩作品などと、光太郎などの物故詩人の詩で構成されています。

これまでも新聞各紙で取り上げられた他、9月にはNHKさんの朝のニュース番組「おはよう日本」中の、関東甲信越向けのコーナーで紹介されました

 
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一昨日の『朝日新聞』さんの秋田版でも、この詩集について報じられました。編者のお一人、曽我氏が秋田ご出身だそうで、そのからみです。 

秋田)悩む子へ希望の詩 旧河辺町出身の元教師まとめる

 いじめ、不登校……、生きることに悩010む子どもたちに希望の言葉を届けたい。旧河辺町(現秋田市)出身の元中学教師で詩人の曽我貢誠(こうせい)さん(63)=東京都在住=の呼びかけで、「少年少女に希望を届ける詩集」(コールサック社)が編まれた。「親たちにも、子どもとのコミュニケーションの材料にしてほしい」と曽我さんは話す。
 「あなたの最も柔らかくしなやかな心の奥深くから詩的な言葉を発して頂けませんか」。昨年秋から、曽我さんがネットや各地の詩の会で呼びかけたところ、約170人から詩や文章が寄せられた。詩人の谷川俊太郎さん、作家の浅田次郎さんらも詩を提供した。
 さらに、曽我さんは「思春期の若者を力づけられるような」という観点から、高村光太郎、武者小路実篤、宮沢賢治、金子みすゞ、島崎藤村ら物故詩人の作品も加えた。そして、いじめを乗り越えたり、身近な人の死を経験したりした、有名、無名の200人の心の底からの言葉が1冊の本となり、今年8月に発行された。
 県出身の作家、西木正明さんは「今、日本が不景気だ少子化だなどと騒いでいるのはちゃんちゃらおかしくなる。地球上にはまだまだたいへんな地域があるわけですから、我々はもっと広い視野を持って生きて行かなければならないと思っています」(「真の冒険者は臆病な人である」)。
 「夜回り先生」として知られる元高校教諭で教育評論家の水谷修さんは「君のことを知ったその瞬間から、君は私のかけがえのない仲間、私の子ども。君が死んでしまったら、私はどうすればいいのですか。」(「生きよう」)と記した。
 中学教師を35年勤めた曽我さんは「小学校高学年から高校生ぐらい向けの、悩める子どもたちの助けになるような教材が、すぽっと抜け落ちている」と感じていた。この一冊が、教育現場や家庭でそんな役割を果たして欲しいと願う。
 詩集はA5判、319ページで1500円(税別)。問い合わせはコールサック社(03・5944・3258)へ。


光太郎の詩は「道程」と「冬が来た」。どちらも大正3年(1914)、100年以上前の作品ですが、きっと現代を生きる少年少女の心の琴線にもふれるものと思われます。

版元のコールサック社さんのサイトや、アマゾンさんから購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

相倚りて笑みて黙(もだ)して事もなくたのしかりしを罪とし言ふや

明治36年(1903) 光太郎21歳

……というような、楽しい青春時代を送っている少年少女たちばかりではありません。「原発いじめ」などの問題もありますし……。

光太郎詩が、悩める若者たちへのエールとなれば、と思います。

先週の『朝日新聞』さんの記事から。

「菌」「賠償金あるだろ」原発避難先でいじめ 生徒手記

 福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)が、いじめを受けて不登校になった問題で、男子生徒の代理人弁護士が15日、生徒の手記を公表した。「賠償金あるだろと言われ、抵抗できなかった」などと心情をつづっている。市教委は学校の対応の遅れを陳謝した。
 記者会見した黒沢知弘弁護士によると、手記は小学6年生だった昨年7月に書かれたもの。いじめで子どもが亡くなるという報道があることから、「いじめがなくなってほしい」「多くの子どもたちに少しでも励みになれば」と男子生徒自身が公開を決心したという。
 生徒と家族は東日本大震災後の2011年8月に福島県から横浜市に自主避難。直後から転校先の市立小学校で、名前に「菌」を付けて呼ばれるなど、複数の児童からいじめを受け始めた。
 「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」。手記は当時をそう振り返った。
 市教委の第三者委員会の調査によれば、小学5年の5月、加害児童ら10人ほどと遊園地やゲームセンターなどに行くようになり、遊興費のほか、食事代や交通費も含めて1回5万~10万円の費用を10回近く負担した。児童2人に、一緒に遊ぶためのエアガンを買ったこともあった。男子生徒は親の現金を持ち出していた。黒沢弁護士によると、総額150万円に上るという。
 「お金もってこいと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけど、ていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった」「ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」
 事態に気づいた複数の保護者が同月中に、男子生徒と金品のやり取りがあるようだと学校に連絡した。同月末には男子生徒の保護者が「帽子がなくなった。隠されたのではないか」と学校に問い合わせた。
 学校も調査を始めたが、生徒はこう書いた。「いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった」「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」
 黒沢弁護士によると、生徒は小学校を卒業し、今はフリースクールに通う。「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。心境をそう書いている。(永田大)
     ◇
■被害生徒の手記(抜粋)
「(加害側の)3人から…お金をもってこいと言われた」
「○○(加害側の名)からはメールでも言われた」
「人目がきにならないとこで もってこいと言われた」
「お金もってこいと言われたとき すごいいらいらとくやしさがあったけど ていこうするとまたいじめがはじまるとおもって なにもできずに ただこわくてしょうがなかった」
「ばいしょう金あるだろと言われ むかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」
「○○○(加害側の名) ○○(加害側の名)には いつもけられたり、なぐられたり ランドセルふりま(わ)される、かいだんではおされたりして いつもどこでおわるか わかんなかったのでこわかった」
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」
「いままでいろんなはなしをしてきたけど (学校は)しんようしてくれなかった」
「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」
「いままでなんかいも死のうとおもった。でもしんさいでいっぱい死んだから つらいけどぼくはいきるときめた」
     ◇
 〈いじめ問題に詳しい教育評論家・武田さち子さんの話〉 いち早くいじめと認識し重大事態として調査すべき事案で、いじめ防止対策推進法への認識が不十分だ。「お金を渡せばいじめられない」と考えてしまう被害者の立場に立って対応する姿勢が不可欠だった。福島から来た子どもたちがいじめられやすいことは各地で話題となり、気をつけなければいけないこともわかっていたはずだ。「放射能がうつる」「自主避難者が多額の賠償金をもらっている」などと間違ったことを大人たちが口にしたことが、加害児童に伝わった可能性もあり、その責任も忘れてはいけない。


この事件についての報道を読んで思い出したのが、2012(平成24年)、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。劇中に光太郎の詩「あどけない話」が使われ、このブログでも何度かご紹介してきました。

この事件とよく似た内容が扱われています。

【あらすじ】
■向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障がいのある人に対してイライラを募らせ、夫の勇に、引っ越したいと訴える。
■弓枝の一人息子の輝は、外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き、「みんな不法滞在なんだから送り返せばいい」と言う。
■輝は同じ年頃の少年・龍太と意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと、龍太の母の美里が、故郷・福島の草木染めの布を持ってくる。最初は喜ぶ弓枝だったが…。
■学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけた。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。帰宅した輝は弓枝を責め、家を飛び出す。
■輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦・ロークとノイのところにいた。二人と話すうちに、自分が偏見を持っていたことに気づく輝と勇。その様子を笑顔で見つめる弓枝は、ふと台所の隅に、自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
■ノイから草木染めを譲ってもらった弓枝は、美里の家を訪ね、自分の気持ちを伝えようとするが…。


主人公、向井弓枝役は白石美帆さん。その息子の中学生・輝役が、浦上晟周君。現在、NHKさんで放映中の大河ドラマ「真田丸」で、真田信繁(幸村)の嫡男・大助役を熱演中です。

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ビデオ「ほんとの空」、昨年、公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんからお借りして拝見しましたが、この年代の少年は成長が早く、真田大助と輝少年が同一人物だということに、最近まで気がつきませんでした。

今回の事件同様、輝少年の通う中学校に福島から避難してきた転校生が来て、「原発いじめ」にあいます。さすが真田大助、輝少年はいじめに加担せず、とめようとする方に廻ります。というか、輝少年自身も少し変わり者、ということで同級生から距離を置かれているという設定ですし、輝少年、マンションの隣室に引っ越してきた外国人夫婦に対する差別意識は隠しませんが……。すると、白石美帆さん演じる母親が、転校生の少年の母親から貰った草木染めの布を、パート先の同僚の「放射能がうつるかもよ」の一言で気味悪がり、棄ててしまいます。そしてゴミ捨て場で、棄てられた布を転校生の少年が発見し、話がややこしくなります……。

その他、高齢者や障害者、同和地区に対する差別なども描かれ、考えさせられる内容です。


これまでも、各地の自治体さんや学校さんなどで上映されましたし、地方テレビでの放映もありました。今年も人権週間(12月4日(日)~10日(土))が近いということもあり、岐阜市や岐阜県垂井町、徳島市などで上映されるようです。


先週の『高知新聞』さんには、このビデオを観た方からの投書が載りました。

声ひろば 2016年11月18日 壁と橋

 「壁」と「橋」。先日行われたアメリカ大統領選における二人の主張でした。結局、「壁」を前面に出したトランプ氏が次期大統領に選ばれました。
 私は子どもたちの学習支援、生活支援を中心とした仕事をしています。選挙結果が出る前日、高知県人権啓発センターから「ほんとの空」(兵庫県人権啓発協会企画)というDVDをお借りして子どもたちに見せました。
 小学校低学年から中学生までの子どもたちがそれぞれ、何かしらの気持ちを抱いたに違いありません。見終わった後、障害者に対する理解を深める学習の時間をとりました。
 私たちの誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解していますが、自分に関わる出来事以外となると、ひとごとのように感じたりするものです。
 知らず知らずに偏見や差別意識、排除する気持ちをもち、自分の中に「壁」を作ってしまうのです。しかし、そこからは他者理解や友好、平和は生まれてきません。トランプ氏の主張する「壁」は、人権意識につながるのか疑問です。
 DVDを見ながら「Change,Change,Change(変えるんだ、変わるんだ、きっと変わる)」と、前回選挙で主張したオバマ大統領の能動的でパワフルなメッセージを思い出し、橋を架けることの大切さを感じました。



まさにその通りですね。

先週、福島第一原発のある福島相双地域に行って参りまして、さまざまな困難に立ち向かう人々の姿を拝見してきたところで、原発いじめの問題……。情けないやら、腹が立つやら、です。

タイムリーな内容ですので、「ほんとの空」上映、もっともっと広がってほしいものですし、テレビでも全国ネットで放映していただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

女等(をみなら)は埃(あくた)にひとし手をひけばひかるるままにころぶおろかさ

明治42年(1909) 光太郎27歳

日本女性の主体性のなさを嘆く内容です。が、いじめに加担したり、風評に流されたり、政治屋の甘言に惑わされたりといった、全ての愚かな人々への警句と読み取りたいところです。

一昨日の『日本経済新聞』さんの教育面に載った記事です。 

キャンパス新発見 日本女子大 建学の精神伝える講堂 1階700席、最近まで活用

 日本女子大学目白キャンパス(東京・文京)の正門をくぐると、右手に教会を思わせる木造の建物が見えてくる。成瀬仁蔵による建学の精神を今に伝える成瀬記念講堂だ。
 1901年(明治34年)、成瀬は大隈重信、渋沢栄一、広岡浅子ら多くの支援者を得て日本女子大学校を創立する。5年後には講堂が完成。2階に書架を備え、「日本唯一の婦人図書館」として一般開放を考えていたという。
 しかし相次ぐ災害が講堂を襲う。14年には火災が発生し、図書館計画が頓挫。関東大震災ではレンガが崩れるなど大きな被害に見舞われた。その後の修復工事で木造に改築された。
 講堂内部は創建当時の姿を今に伝えている。特徴的なのは天井部分。広い天井と独特なはりの形は西洋の教会のよう。日本では珍しいハンマービーム工法と呼ばれる建築方法だ。演台の上にある成瀬の胸像は高村光太郎の作。ステンドグラスも当時のままだ。貴重な建築物として、東京都文京区の有形文化財に指定されている。
 講堂には1階に約700席、2階に約400席があり、1階部分は最近まで式典や講演などで使っていた。歴代校長・学長が受け持つ授業もここで行われたという。創立者が書いた建学の理念を示す言葉が飾られるなど、「宗教色がない学校の校風を醸成する場でもあった」(成瀬記念館学芸員の岸本美香子さん)。
 現在は耐震工事を控えて一般公開はしていないが、講堂のすぐ近くにある成瀬記念館では創立者の生涯を常設展示している。4月8日までは「女子大学校創立の恩人―広岡浅子展」を開催中。NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデルとなった広岡が成瀬宛に出した書簡や、写真などを展示している。記念館は一般の人も見学できる。

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というわけで、NHKさんの「あさが来た」にからめ、光太郎作の成瀬仁蔵胸像が納められた成瀬記念講堂が紹介されています。

以前にも書きましたが、この像は成瀬が亡くなる直前の大正8年(1919)に、光太郎に制作が依頼されました。ところが像はなかなか完成せず、結局、14年かかって、昭和8年(1933)にようやく完成。別に光太郎がサボっていたわけではなく、試行錯誤の繰り返しで、作っては毀し、毀しては作り、光太郎自身の芸術的良心を納得させる作ができるまでにそれだけかかったということです。

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画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

いい加減なところで妥協して「はい、完成」とはしない、こうした光太郎の制作態度は、智恵子の絵画制作にも影響を与えたかも知れません。心を病む直前の智恵子も、取りかかった絵画を結局完成させられなかったことがたびたびあったということです。そしてそれが智恵子の場合、どんどん自信の喪失に繋がっていったようです。

さて、「あさが来た」。先頃、新キャストの発表が行われました。その中で、智恵子と同じ家政学部の1級上でテニス仲間、のちに『青鞜』を主宰し、智恵子にその表紙絵を依頼した平塚らいてうが登場することが明らかになりました。演じるのは元AKB48の大島優子さんです。実際のらいてうによく似ていますね。

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残念ながら「長沼智恵子」の名はありませんでしたが、ちょい役でもいいので、智恵子らしき人物程度でも登場して欲しいものです。

また、以前のこのブログで、日本女子大学校名物で、寮では智恵子が一番に乗りこなしたという自転車について書きました。やはり予想通り今週の放映で、自転車の話になるようです。ただ、あさ、女子大学校ではなく、大阪の銀行の前で練習していますね。

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本篇が駄目なら、スピンオフで、と期待していましたが、やはり先頃発表されたスピンオフ(4/23・BSプレミアム)の内容は、三宅弘城さん演じる加野屋で中番頭を務める亀助が主人公の物語で、女子大学校創立前の話だそうです。


ところで、すでに何度か登場していますが、若い頃の光雲と縁の深い女性も、重要な役どころで出ています。明日はその辺を。


【折々の歌と句・光太郎】

雨降れば羅馬はくらし桃の花       明治42年(1909) 光太郎27歳

「羅馬」は「ローマ」の漢字表記です。

ローマを含むイタリアでは、昨日、3月8日は「ミモザの日」だったそうです。男性が日ごろの感謝の意を込めて、女性にミモザの花を贈る習慣があるとか。

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当方自宅兼事務所の庭のミモザも咲き始めました。

昨日は、同時に「国際女性デー」でもあったそうです。国連主導で、女性の平等な社会参画などが呼び掛けられています。そう考えると、100年以上前の日本で、すでにそうした動きを進めていた広岡浅子や平塚らいてうの先駆性は、やはり凄いことだったのだと思います。

12/20(日)に、智恵子の故郷・二本松で当方が講師として行った市民講座「智恵子講座’15 高村智恵子に影響を与えた人々 成瀬仁蔵と日本女子大学校」の内容を換骨奪胎してお届けしております。

今回は、日本女子大学校の同窓会である桜楓会の中心にいたメンバーについて。やはり光太郎智恵子と浅からぬ縁のある人物がいろいろいます。

小橋三四子(みよこ 明治16=1883~大正10031=1922)。国文学部卒、一回生です。

卒業後、桜楓会の機関誌『家庭週報』の編集に携わりました。その後もその経験を生かし、女性編集者として活躍し、『読売新聞』記者を経て、雑誌『婦人週報』を創刊します。広岡浅子の薫陶を最も強く受けた一人で、浅子の随筆集『一週一信』の編集にも携わっています。

光太郎と智恵子を結びつけるのにも一役買っています。智恵子は明治末頃、いろいろな先輩芸術家に話を聴くと云うことを繰り返していましたが、その中で、雑誌『スバル』に「我が国初の印象派宣言」とも云われる評論「緑色の太陽」を発表した光太郎にも眼をつけ、小橋に相談。小橋はさらに同じ国文学部一回生だった柳八重に話を持って行きます。八重の夫・敬助は、画家で、明治39年(1906)、アメリカ留学中に光太郎と知遇を得ていました。

そういうわけで、柳八重(旧姓・橋本 明治16=1883004~昭和47=1972)。小橋とともに『家庭週報』の編集に携わり、やはりその後も女性編集者として活躍しました。

明治44年(1911)末、小橋から頼まれた八重は、駒込林町の光雲宅に居候していた光太郎のもとに、智恵子を伴います。これが光太郎智恵子、二人の運命的な出会いでした。

その後も、夫・敬助と共に大正3年(1914)、上野精養軒で開かれた光太郎智恵子結婚披露宴に出席していますし、夫婦ぐるみでの交際が続きました。

光太郎智恵子、それぞれが八重に宛てた書簡が複数残っています。以下は結婚披露直後のもの。

拝啓 この間はお忙かしい中をおいで下さつて恐入りました それに美しいブーケ迄頂戴して本当にうれしくおもひました まだあの蘭がにほつて居ます 長沼さんはあなたにはじめて紹介されたのが知り合ひの初めなので何だか特別ニあなたにお礼を申さねばならない様な気がします 今度は結婚といふ事についていろんな事を考へました 此から少しは落ちついて製作の出来る様になればいいと思つて居ます 何れ又お目にかかつて御礼を申し上げますが取りあへず手がみにて 二十七日 高村光太郎 柳八重子様
(大正3年=1914 12月27日 光太郎から八重)

 お目出度う存じます
 どうぞ相変りませず御願ひ申上げます
 旧冬私ども結婚の節は御多用の御内をお揃で御臨席下されましてありがたく存じました また其折は結構なお祝ひを頂戴いたし御礼を申上げます その御礼をも申上げませんうちまたこの程わざわざ御光来被下重ねがさね恐れ入りました あのバタは新らしくてほんとにバタらしいにほひです ありがたう存じあげます そのうち是非御伺ひ申上様と存じて居ります 御主人様御母上様にも何卒よろしく御願ひ申上げます 先づは幾重の御礼かたがた御わびまで早々申上ました
智恵
 柳八重子様
  どうぞまた御ゆるりと御越を願ひます
(大正4年=1915 1月3日 智恵子から八重)

微笑ましいですね。


今回、市民講座の講師を仰せつかって、小橋と八重、二人についても改めて調べたところ、こんな評を見つけました。

 柳八重子、(旧橋本)(三十一)は国文科一回の出で、今は西洋画家柳氏の令閨である。在学中校内評判の美文韻文家として、其艶麗な筆は今も尚ほ母校の語り草になつてをる。
 小林(注・小橋の誤り)三四子(三十)八重子と同期同科の卒業生で、桜楓会から発刊する家庭週報に毎号掲げる論文の巧みなのは、校中に比較する者なく、前者の美文に対し後者の論文は供に双璧の噂さ専らにて、尚ほ永く人の記憶に残るであらうとのこと。
(平元兵吾著『八大学と秀才』 大正元年=1912より)005

二人が編集に携わり、さらに智恵子も詩文を寄稿している『家庭週報』についても、こんな評がありました。

 特に注意すべきは桜楓会家庭週報が単に卒業生五名の手によりて毎週発刊せられつゝあることにして、欧米の諸大学に於ては日刊をも発行し居るのに比すれば敢て珍しき事にはあらずと雖も、我帝国大学にすら学生の手になる日刊は愚か週刊すらなきに比すれば、才媛諸子の活動寔に敬服の外なし、況や其内容も整頓し、記事の明確なる等到底之が斯の如き少数女性の経営に成るものと信ずること能はざるの観あり、想ふに本邦に於て女子の経営する週報は実に之を以て嚆矢となす、
(雑誌『新日本』第四号 明治39年=1906 7月 「女子大学校と其桜楓会の活動」芙蓉子 より)

画像は『家庭週報』の広告です。

さらに井上秀(明治8年=1875~昭和38年=1963)も006外せません。

井上は、日本女子大学校第四代校長を務めました。在任期間は昭和6年(1931)~同21年(1946)です。家政学部一回生で、卒業後、欧米留学を経て明治43年(1910)から女子大学校教授を務め、桜楓会初代幹事長でもありました。

京都府立第一高女で、広岡浅子の娘・亀子(朝ドラ「あさが来た」では「千代」)と同窓。その関係で浅子に女子大学校進学を強く勧められました。入学時には既に既婚、子供もいたということです(そういう女性も特に珍しくはなかったと云うことですが)。小橋と共に浅子の薫陶を最も強く受けた一人です。

光太郎が成瀬仁蔵胸像を制作中に、アトリエを訪問していますし、昭和13年(1938)10月の智恵子葬儀に際し、女子大学校代表として参列してもいます。

智恵子の葬儀後の、光太郎から井上宛の書簡も残っています。

拝啓 先般妻智恵子死去の節は御多忙中を御会葬下され千万忝く存上候
このたびは智恵子の同期生諸姉を始め大方の御哀悼を辱うし難有事と存居候ところ中陰の期も追々すゝみ候については一々御答礼可仕筈に候へ共本人の素志もあり母校たる御校へ些少ながら金三百圓御寄附いたして一々の答礼に代へ度本来小生出頭可仕なれど略儀を以て右為替同封致候間御受納下され度奉願候
         敬具
     昭和十三年十一月三日                    高村光太郎
    日本女子大学校長 井上秀子様

光太郎との関わりは、戦後まで続いています。光太郎最晩年、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京してから、井上が光太郎に講演の依頼をし、実現しています。

 今、井上先生が僕についてエラク能書を申し上げたが、こんなに思われているとは考えなかつた。有り難いんだが。また面はゆい気もする。どうか皆さん、余り期待しないで聞いて下さい。期待しすぎると、期待はずれということがある。陰で考えるとそう悪くないが本物を見るとつまらない、こなければよかつた(笑)……こんなことになるかも知れない。

 元来、僕はしやべるのが苦手で、あまり人前ではしやべらないことにしている。それがこうしてのこのこ出て来なければならなかつたのは、亡くなつた妻の母校の校長さんをしておられた井上先生に頼みに来られたからである。井上先生に頼まれたんでは仕方がない。絶体絶命である。悪るい人がいてくれたもんだと思う。(笑)しかし考えてみればこれも縁で。機縁を尊ばなければならぬ。機縁を尊び、いたるところに種をまいてゆく。とすれば、しやべるということもまた一つの菩薩行であろう。自分も一生懸命勉強するが、人にも勉強させる。自分の勉強したところを独り占めしないで、人にも話す、自分の見出したもの、得たもの、或いは自分の苦しみや喜びを人にも訴える、これも人間の務ぢやないかと思う。僕は矢張り話す機会を与えて下さつた井上先生に感謝しなければならない。
(「炉辺雑感」 昭和28年=1953 6月1日発行『女性教養』第173号。「本稿は昭和二十八年二月二十八日 中山文化研究所婦人文化講座の講演筆記であります。」の前書きがある。)


もう一人、仁科節。智恵子の一学年下にあた007 (2)る国文学部五回生で、小橋や八重ののちに『家庭週報』編輯に携わりました。光太郎による成瀬仁蔵胸像制作に際し、実質的に光太郎とのパイプ役を務めたようです。その関係で駒込林町アトリエを訪問し、その様子は『家庭週報』に3回ほどレポートされています。

そのうち、昭和4年(1929)6月の第990号には、駒込林町のアトリエの写真も掲載されています。現存するアトリエ外観の写真は少なく、貴重なカットです。

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繰り返しご紹介していますが、現在NHKさんで放映中の朝ドラ「あさが来た」。日本女子大学校設立に尽力し、開校後も学生や卒業生と交流が深かった広岡浅子が主人公です。今回ご紹介した小橋三四子や井上秀は、特に浅子と縁の深かった人物。おそらく「あさが来た」にも登場するでしょう。期待しています。


次回は最終回として、智恵子と縁のあった東北出身の同校卒業生をご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月26日

平成21年(2009)の今日、地上波テレビ朝日系で「はぐれ刑事純情派 最終回スペシャル さよなら安浦刑事!命を懸けた最後の大捜査!  福島二本松、岳温泉に消えた、“母と呼べない息子”の連続殺人トリック! 人情刑事・安浦、衝撃の過去が明らかに!」が放映されました。

昭和63年(1988)に連ドラとして放映が始まり、平成17年(2005)で一旦終了。「必殺シリーズ」で伝説の殺し屋・中村主水を演じた故・藤田まことさんが、一転してヒューマニティーあふれる役どころで新境地を開きました。その後、スペシャル版として4本が制作された人気ドラマの最終回でした。

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悪人たちの罠に嵌り、殺人事件の容疑者にされた実は無実の青年――安浦刑事と旧知の仲――が、故郷の二本松に潜伏したという設定で、二本松でのロケが敢行されました。

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智恵子生家も登場。

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山手中央署の刑事さんたち、何故か観光スポットのみで聞き込み捜査(笑)。

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二本松市や岳温泉観光協会さんのバックアップなので(笑)。

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クライマックスは岳温泉に近い岳ダムでした。

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