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これまでもたびたびご紹介してきた、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」関連。まずは秋田の地方紙『秋田魁新報』さんの一面コラム、3月13日(土)の掲載分。

北斗星

「私たちは小さな集落なのでコミュニティーの絆は強い。でも津波の力はさらに強かった」。東本大震災から約1年後、宮城県女川町竹浦(たけのうら)地区の女性が、現地を激励に訪れた仙北市民たちに語った▼精神的な強さと津波の物理的な強さ。本来は比較できないものだからこそ、生活を壊されたつらさと当時の恐怖感が伝わってきた。海面から高さ十数メートルの斜面に立つ木に、買い物かごが引っ掛かっていた。津波の爪痕だった▼三陸海岸南部にある女川町では震災で800人以上が犠牲になった。町東部の竹浦地区住民ら約100人が震災後の半年間、仙北市で避難生活を送った。この縁で交流が続いていた▼町内には2013年から、津波被害のあった所に高さ約2メートルの「いのちの石碑」が順次建てられている。当時の中学生たちの発案で、これまでに18基がお披露目された。「見上げればがれきの上にこいのぼり」。竹浦地区の1基に刻まれた句である▼他の地区の石碑には「夢だけは壊せなかった大震災」「取り戻せ自然豊かな女川を」など復興への強い願いが記された。石碑は全て震災での津波到達地点より高い位置にある。津波が再び襲った際、「ここより上に逃げて」という指標だ▼震災犠牲者や町外転出者のため、町人口は震災前の約1万人から4割ほど減った。そんな中でも「非常時に助け合うため、普段から絆を強くする」。各石碑の句の下には、命を守る対策としてそんな言葉が共通して刻まれている。

竹浦地区の碑は、旧女川中学校校庭に続き、2番目に建てられたものです。

3.11当日の、KHB東日本放送さんのローカルニュースでも、宮城県内各地での様子を伝える中で、「いのちの石碑」が取り上げられました。

東日本大震災から10年 県内各地で鎮魂の祈り

  石巻市の佐藤美香さんは、日和幼稚園の送迎バスに乗っていた当時6歳の娘、愛梨ちゃんを亡くしました。

佐藤美香さん(46)「娘と会えなくなってから、1日1日が重なっていく一方で、その重なった月日が10年。娘とともに一緒にこれからも歩んでいきたいと思っています」

女川町では、今も行方が分からない妻を捜す男性の姿がありました。

高松康雄さん「今どこにいるの?っていうことと、家族みんな元気にしているし、孫も元気にしているから心配しないでくれと」

また、町内の高台では当時中学生だった世代が、町内21カ所に石碑を建てる「いのちの石碑プロジェクト」を進めていて、11日は黙祷の後、清掃を行いました。
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伊藤唯さん「文章とかも読んでいただきたい文章が書いてあるので、奇麗な状態のまま1000年先まで残っていれば良いなと思って、その気持ちで拭かせていただきました」
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石巻市の管野一之さんは、母・たえ子さんを津波で亡くしました。津波で長く行方不明だった母の姉、阿部きうさん(当時99歳)の身元が特定され、去年7月、遺骨の引き渡しを受けました。今では姉妹が同じ寺に眠っています。

管野一之さん「お互いに喜んでいると思います。行方不明で見つけてくれたという形で」新型コロナの影響で、去年は津波被害を受けた沿岸15の自治体のうち、14の市と町が追悼式典を中止しましたが、今年は松島町と利府町を除く13の市と町が式典を開きました。

村井知事「復旧復興をやる上で、時に被災者の皆さんと意見がぶつかる時もありました。楽しいことよりも辛いことが多かったわけですが、10年経って一定の街づくりができたという意味では頑張ってきて良かった」

名取市閖上では、津波の犠牲となった閖上中学校の生徒14人の遺族が中心となり、追悼イベントを開きました。

今年は亡くなった人へのメッセージを乗せた371個の風船が大空へ。犠牲になった大切な人や失われた故郷に思いをはせ、震災の教訓を未来へつなぎます。
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所変わって、大阪。国立民族学博物館さんで開催中の特別展で、「いのちの石碑」が紹介されているようです。

ラジオ関西さんの報道から。

災害復興で再発見された地域文化を継承する特別展「復興を支える地域の文化―3・11から10年」 国立民族学博物館

015 東日本大震災の発生から10年。災害からの復興を支える地域文化の活動を通し、その大切さと次の世代への継承について考える特別展「復興を支える地域の文化―3・11から10年」が大阪府吹田市の国立民族学博物館で始まった。2021年5月18日(火)まで。

 2011年3月の東日本大震災では、多くの文化財や地域に根付く伝統芸能も被害を受けた。避難生活を余儀なくされ地域コミュニティーの存続が危ぶまれる中、人々はがれきの残る場所や仮設住宅でまつりを開催し、伝統芸能を奉納したという。地域文化とはその土地で受け継がれてきた生活の記憶であり、有形・無形様々、その土地ではあたり前のものもある。一方で変化が大きい現代では容易に忘れ去られてしまうという危機に直面している。特別展では、震災後に再開された郷土芸能が人々の生活を後押しし、復興への支えになっていることや、被災した文化財などの修復作業、そして災害によって再発見された地域文化も紹介する。

 宮城県石巻市では文化財収蔵庫も津波の被害を受けた。その修復作業には東北の大学生たちも参加した。木製の「カマガミサマ」は水を使うことができず刷毛で泥を落とした。塩水に浸かった手押しポンプ車は、その濃度によって対処の方法が変わるため、塩水のサンプルをみんぱく(国立民族学博物館)に送り、指示を受けながらクリーニングに当たった。学生たち自身も被災しており、作業が学生たちのケアにもなったという。

 地域文化の存在は、その地域では日常であり、ほとんど意識されていないこともある。震災によって「貴重な文化」とわかったケースもあった。捕鯨に使われていた道具やその地域ならではの「言葉」だ。震災後、山積みになっていたものが「資料」なのか「ごみ」なのか、聞き取りからわかった。

 特別展では日本で起きたほかの災害にも目を向ける。2004年の新潟県中越地震では、被災した土蔵から見つかった歴史資料が、幕末に徳川家から贈られたものだとわかった。越後縮の商いに関するもので、十日町の越後縮が将軍家に納められていたことが実証された。「きものの町・十日町」の再発見につながったという。

 日本は災害が多い。各地に建立された石碑や震災の記憶を伝える紙芝居など、防災の観点から未来に伝える取り組みも紹介する。最大14.8メートルの津波被害を受けた宮城県女川町では町内にある21の浜に「女川いのちの石碑」が建つ。これは東日本大震災の直後に現在の女川中学校に入学した子どもたちが、将来の津波被害を最小限にとどめようと募金活動を行うなどして建てられたもの。子どもたちは東京への修学旅行で企業を回り、協力を呼び掛けたという。

 国立民族学博物館の日高真吾教授は「地域文化はあまりに身近で意識することが少ない。東日本大震災から10年の今、復興に欠かせない地域文化の役割と大切さを感じてほしい。そのあとでもう一度展示を改めてみると、また違ったものが見えると思います」と話す。

探し方が悪いのか何なのか、なかなか公式サイトにたどり着けなかったのですが、見つけました。

特別展「復興を支える地域の文化―3.11から10年」

期 日 : 2021年3月3日(水)~5月18日(火)
会 場 : 国立民族学博物館 阪府吹田市千里万博公園10-1
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週水曜日
料 金 : 一般880円(600円) 大学生450円(250円) 高校生以下無料

2011年の東日本大震災では、復興の原動力としての「地域文化」に大きな注目がよせられました。本展示では災害からの復興を支える地域文化をめぐる活動について、東日本大震災から10年が経つ今、あらためて振り返ります。また、豊かな社会の礎となる地域文化の大切さとその継承について考えていきます。
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東日本大震災から10年が経ち、10年ということで、ここ数年よりもいろいろな場面で震災について取り上げられる機会が増えました。被災者の方々にとっては、10年だろうと何年だろうと変わらない、という思いはあるのでしょうが、震災の記憶が薄れつつある被災地以外の人々にとっては、改めて震災について思い出す契機にはなったのではないかと思います。

ただ、懸念されるのは、それが一過性のもので終わること。福島の原発がらみの復興はまだまだ道半ば、いや、半ばまでも達していないかもしれません。明日はそのあたりを。

【折々のことば・光太郎】

夜星うつくし。木星、金星未明の頃大きく輝く。


昭和22年(1947)2月25日の日記より

金星はともかく、木星を見てそれが木星だと気付くのは、なかなか天体に詳しくなければ不可能だと思います。当方には分かりかねます。

一度、花巻高村光太郎記念館さんで、市民講座「夏休み親子体験講座 新しくなった智恵子展望台で星を見よう」の講師を務めさせて頂き、光太郎の詩文に書かれた天体や天文現象についてまとめたのですが、一緒に講師を務められた地元の天文サークルの方は、光太郎の天文知識に舌を巻いていました。

ちなみに10年前の3.11。停電で灯りの消えた東北では、恐ろしい程の美しい星空だったという話は有名ですね。

「事件」です。

『毎日新聞』さんの大阪版から

御堂筋、花の怪 銅像に謎の「飾り」出現

 大阪市のメインストリート・御堂筋に並ぶブロンズ彫刻群に6月以降、色とりどりの花飾りが付けられている。誰が、何のためにやったのか分からず、管理する大阪市は撤去に乗り出した。飾りはそれぞれデザインが異なり、花が枯れると交換されるなど手が込んでおり、地元ではその遊び心を歓迎する声も。2011年には、彫刻群が突然、何者かによって赤い服を着せられた「事件」もあり、9年ぶりのミステリーに関係者は首をひねっている。

 「御堂筋彫刻ストリート」と呼ばれる南北約2キロのエリアで、御堂筋の両側にある歩道に計29体の人物像が並ぶ。ロダンや高村光太郎など著名作家の作品もあり、地元企業の寄付などで09年までに設置された。

  大阪市都市計画課によると、花飾りは6月上旬、市民からの連絡で初めて確認された。像の破損などはなく、全部で何体に付けられたかは不明という。 毎日新聞の記者が8~9月に確認したところ、大阪メトロ淀屋橋駅から本町駅までの区間にある10 体に付けられていた。一部の飾りは花が古くなると、数日後に新しい花に替えられていた。

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記事にあるとおり、大阪のメインストリート・御堂筋には「御堂筋彫刻ストリート」ということで、内外の彫刻作品が多数設置されています。「市民や国内外からの来訪者に親しまれるアメニティ豊かな芸術・文化軸として整備していくため、沿道企業等からの寄付により、世界的にも一級品である彫刻を設置」というコンセプトだそうです。

大阪名所の一つで、これまでもたびたび新聞等で取り上げられ、このブログでご紹介しています。
まちあるき「御堂筋は名彫刻の宝庫だ(東側コース)~グレコも高村光太郎も~」。
「(勝手に関西遺産)ほんまもん 29体どうぞぅ」。
光太郎智恵子関連新聞記事等。
乙女の像。
「御堂筋の彫刻の奥ゆかしさ」。
新聞各紙から。
新聞各紙から。

光太郎作の「十和田湖畔の裸婦群像の為の中型試作」も「みちのく」というタイトルで設置されています。その名の通り、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の約2分の1スケールの試作です。試作ですが、十和田湖に設置された完成作、これより小さい小型試作を含めた3種類のうち、最も智恵子の顔に近いと言われています。当方、2度、拝見してきました

その「みちのく」も「被害」に。
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しかしこれらの花輪、実に手が込んでいますね(笑)。像の黒とリンドウの紫の対比が実に美しい(笑)。

これも記事にありますが、平成23年(2011)にも、これらの像に赤い服が着せられるという「事件」が起き、やはり「みちのく」もやられました。
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この時は、地元の皆さん、現代アートのインスタレーション的なイベントの一環かと思ったとのことでした。

ちなみに本家十和田湖の「乙女の像」は、掲げた左手に、智恵子が愛したレモンが持たされたということがあったそうです。

これらを「作者に対する冒涜」ととらえるか、「オマージュ」や「リスペクト」の表出と解釈するか、あるいは「おもろいからええんちゃう?」と見るか、皆さんはいかがでしょうか?


【折々のことば・光太郎】

十月になると、もう涼しくなりますし、空もよくなりますね。いまは日中、まだ暑いですからね。
談話筆記「高村光太郎先生説話 七」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋近くの山口小学校の職員室で、9月末に語った雑談の一節です。

夏の暑さにことのほか弱かった光太郎、秋の到来を待ちわびていたようです。

雑誌の新刊です。

2020年4月25日 角川文化振興財団 定価950円(税込)

角川『短歌』は、1954年創刊の短歌総合誌。「自分だけのこの想い」を伝える究極の定型韻文詩・短歌の奥深さと楽しさをご堪能ください。

目次
グラビア うたの館めぐり さかい利晶の杜 与謝野晶子記念館 今野寿美
     「明星」のビジュアルデ・ザイン
特集 日常・社会はどう歌うか
特集 「明星」創刊120年
なぜ「明星」はうまれたか? 明治のロマンの豊饒を形象した「明星」……松平盟子
「明星」の意義と対外的評価 一世紀の後……内藤 明
プロデューサー鉄幹の思想とメディア戦略〈星の子〉は「太陽」とたたかうために生まれた……太田 登
与謝野鉄幹と正岡子規 わがままな自我への反感……大辻隆弘
浪漫主義と自然主義とは何だったのか 「明星」における「浪漫主義」と「自然主義」……田口道昭
女うたの夜明けと現在へのつながり 「暗示の、ひらめきだつたのです」……今野寿美
「明星」が輩出した歌人たち
《与謝野晶子》 「身体」と「恋」と「京」……米川千嘉子
《石川啄木》 「血に染めし」から「はたらけど」へ―「明星」と石川啄木……池田 功
《吉井勇、北原白秋》 北原白秋、吉井勇―歌つくりと歌よみと……細川光洋
《森鷗外、上田敏》 「明星」の魂の父と母 森鷗外と上田敏……渡 英子
《山川登美子》 山川登美子―「明星」というるつぼで……古谷 円

「短歌を語る」 尾崎左永子 聞き手:中川佐和子
季節の歌 五月 さいとうなおこ 選
コラム うたの名言……佐佐木幸綱
エッセイ
「みじかすぎるうた」第5回…上野 誠
「かなしみの歌びとたち ―近代の感傷、現代の苦悩―」 第五回 与謝野寛と自然主義…坂井修一
「啄木ごっこ」第19回……松村正直

 

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お目当ては、「特集 「明星」創刊120年」。松平盟子様はじめ、明星研究会の皆さんがご執筆なさっています。

光太郎の本格的な文学活動の出発点となった雑誌『明星』、ということで、光太郎の名も挙げて下さっています。ただ、光太郎はその後、軸足を短歌ではなくしてしまったので、晶子や啄木、吉井勇らと異なり、「「明星」が輩出した歌人たち」の章では、項目とはなっていませんが。

グラビアページは、大阪の「さかい利晶の杜 与謝野晶子記念館」さん。平成27年(2015)のリニューアルオープンで、当方、旧与謝野晶子記念館の時代には行ったことがありますが、新装後は未踏。いずれそのうち、と思っております。

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それから、「「明星」のビジュアル・デザイン」というグラビアも。

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上記リンクの公式サイトから注文できます。ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

裏の山へ植林に行くようなお気持で行つてらつしやい。

雑纂「歓送の辞――永瀬清子の「アジア諸国会議」行に―― 」全文
昭和30年(1955) 光太郎73歳

永瀬清子岡山赤磐出身の女流詩人。光太郎は詩集「諸国の天女」(昭和15年=1940)に序文を書いてやるなどしています。

「アジア諸国会議」は、正確には「アジア諸国民会議」。インドのニューデリーで開催され、植民地主義、原水爆問題など、アジアに共通する問題について意見交換する趣旨だったそうです。永瀬は「詩人」としてではなく、「婦人団体代表」ということでの参加でした。

かつて自らが留学のために洋行してから約半世紀。その頃と比べものにならないほど近くなった「外国」。そういった感覚が「裏の山へ……」という一言に表されているようです。

追記 新型コロナウイルス対策のため、本公演は中止となったそうです。


大阪から朗読系の情報です。 

「声に出してみる美しい日本語」ワークショップ・公演

大阪を代表する劇作家・演出家で、テレビのコメンテーターやエッセイスト、NHKアニメ「リトルチャロ」の原作者としても知られるわかぎゑふ氏による朗読ワークショップ。舞台で思い切り声を出してみたい人、演劇的体験をしてみたい人の最初の一歩として、取り組みやすい朗読を体験してみませんか。正しい姿勢や、声の出し方、日常生活にも役立つしゃべり方の基礎などを楽しく学び、最後には舞台で発表を行います。本番ではプロの俳優らと同じ舞台に!ぜひご参加ください!!

ワークショップ


 期 日 : 2020年2月21日㈮ 25日㈫ 28日㈮ 3月4日㈬ 7日㈯ 8日㈰ 12日㈭ 14日㈯ 17日㈫
       19日㈭ 21日(リハーサル)
 会 場 : 枚方市市民会館小ホール
 時 間 : 平日19:00~21:00 土曜14:00~16:00 日曜13:00~16:00
 料 金 : 無料
 資 格 : 市内在住・在職・在学の中学生以上 40人(応募多数の場合は抽選)
        練習日程の内最低5日間の稽古とリハーサル・本番に必ず参加できる方

公 演

 期 日 : 2020年3月21日(土) 22日(日)
 会 場 : メセナひらかた会館多目的ホール 大阪府枚方市新町2-1-5
 時 間 : 3/21 夜  3/22 昼
 
 作・構成・演出 : わかぎゑふ
 出 演 : うえだひろし(リリパットアーミーⅡ) 内山絢貴(劇団五期会) 辰寿広美
       森崎正弘(MousPieceーree) 是常祐美(シバイシマイ)
 演目(予定) : 「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治) 「竹」(萩原朔太郎)
          「道程」(高村光太郎)ほか


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ワークショップに参加し、その後、プロの皆さんと一緒に公演に臨む、というコンセプトのようです。

ただ、公演の方が時間、料金等、調べてみましたが不明です。わかりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

動物園の動物は皆確に動物であつてしかもその動物ではない。駝鳥は駝鳥でなく獅子は獅子でない。

散文「動物園の根本的改造」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

雑誌『文藝春秋』に載った散文です。当時の動物園のあり方を「動物に就て違つた概念を教へこみ、自然を安直に観察させ、事実をいい加減に考へる習癖をつけさせる」と批判しています。

「駝鳥」は、詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)、「獅子」は「傷をなめる獅子」(大正14年=1925)を、それぞれ踏まえています。

   ぼろぼろな駝鳥


何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。007

動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。


   傷をなめる獅子

獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。

そのたてがみはヤアヱのびん髪、014
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。

獅子はもう忘れてゐる、
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。

肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走つた。

今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる

演劇公演の情報ですが、状況をわかりやすくするため、『朝日新聞』さん大阪版の記事から。

大阪)大阪女優の会が活動区切りとなる朗読劇、9日から

 反戦と非核を訴えてきた「大阪女優の会」が9~11日、活動の区切りとなる朗読劇を大阪市で開く。2003年に結成を呼びかけた関西芸術座の河東(かとう)けいさん(93)が66年の女優生活をかけて「最後」の舞台に挑む。
 きっかけは、2003年3月の米国によるイラク侵攻だ。これに怒った河東さんら関西の演劇人が劇団の枠を超えて集まり、同年8月に大阪市の劇場で第1回公演を開いた。それから毎夏、非暴力を訴える舞台を重ねてきた。
17回目の今夏は、30~90代の女優15人が朗読劇「あの日のこと」を上演する。
 劇は、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年12月8日のラジオ放送を軸に進む。「アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」という大本営発表から「輝かしい大戦果」まで刻々と発表されるニュースに人々は何を思ったのか。
 「天地が開けたほどの開放感」(吉本隆明)、「新しい神話の創造が始つた」(火野葦平)、「一死報国の時が来た」(青野季吉)、「世界は一新せられた」(高村光太郎)……。
 当時の著名人の日記などを収めた「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」(方丈社)から抜き出してきたセリフからは、高揚感と陶酔感とが少数の怒りや胸騒ぎを圧していく風景が立ちあがってくる。
 興奮の行く末は「空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの8日間」(小学館)からの引用としてあらわれる。45年8月6日の原爆投下後の広島をさまよった女性は、圧死した母のかたわらで「お母ちゃんとネンネする」と泣いて死んでいく幼子の姿に絶望的な怒りを書き記す。
 演出と構成を手がけた棚瀬美幸さん(43)=東大阪市=は「開戦の日の爽快感が広島の日につながっていった」と話す。
 河東さんは、開戦の興奮と原爆の絶望との間に無数にあったであろう平凡な日常を生きる主婦を演じる。
 手術を終えたばかりで認知症も進みつつある河東さんは今年6月末、ライフワークだった小林多喜二の母を演じる公演を閉じた。一方、今回の出演には「会が17年目ということは、ちっとも日本が平和にならへんということやね。ますますやらなあかんね」と続行に意欲たっぷりだ。
 会の副代表として河東さんに伴走してきた金子順子さん(67)=大阪市=は「河東の体調を考えて今回で一区切りとするが、演劇人としての河東にはやるべきことがいっぱいある。河東を生かし、受け継ぐ形を考えたい」と話している。
 9日(14時と19時)、10日(13時と17時)、11日(11時と15時)、大阪市中央区のドーンセンター。一般2千円、大学・専門学生1千円、高校生以下500円。大阪女優の会(06・6392・7581)へ。(下地毅)

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というわけで、調べてみました。

 

あきらめない、夏"  2019 大阪女優の会 VOL.17朗読劇「あの日のこと」~『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』『空が、赤く、焼けて』より~

日 時 : 2019年8月9日(金)14時/19時 10日(土)13時/17時 11日(日)11時/15時
会 場 : 大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)1階
       大阪市中央区大手前1丁目3番49号
料 金 : 一般 2,000円  大学・専門学生 1,000円 高校生以下 500円

2003年アメリカによるイラク攻撃が始まり、多くの演劇人が反対の声を上げました。これを機に「大阪女優の会」を立ち上げ、過去の戦争を風化させないためにも「演劇は非戦の力」として、毎年“あきらめない夏”の公演を続けています。
17年目となる今回は、太平洋戦争が始まる日に立ち会った著名人の言葉を集めた『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』、広島原爆の翌日から8日間を記した『空が、赤く、焼けて―原爆で死にゆく子たちとの8日間』から、「言葉」をキーワードに描く朗読劇です。戦争へ向かう空気、そしてその終末に、人はどのように感じていたのか、そこからつながる現代・未来へ向けた私たちの取り組みです。

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元ネタが、方丈社さん編刊の『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』と、奥田貞子さん著、小学館さん刊行の『空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの8日間』。前者には、光太郎の翼賛詩が収められており、今回の公演でも取り上げられるようです。

今日、8月6日は広島原爆の日、9日は長崎、そして15日は終戦記念日。この時期にあの悲惨な過ちを繰り返さないためのメッセージとして、こうした取り組みが行われることは非常に意味深いものと存じます。

ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

不可避の道をゆくのみ     短句揮毫  戦後

光太郎が戦時中に大量に書いた空虚な翼賛詩文を読み、多くの前途有為な若者が死地へと旅立っていきました。その反省から、花巻郊外旧太田村のあばら屋(高村山荘)で、戦後の7年間、蟄居生活を送った光太郎。それが「不可避の道」ということです。

しかし、戦時中は戦時中で、大量の翼賛詩文を書き殴るのが「不可避の道」だと捉えていたはずですし、さらに遡れば、妻・智恵子を心の病に追いやった俗世間と没交渉の芸術精進の日々、父・光雲との対立を余儀なくされた留学からの帰朝直後のデカダンの日々なども、それぞれその時点では「不可避の道」だったと思われます。

一昨年、日本橋の三井記念美術館さんで始まり、岐阜県現代陶芸美術館さん、山口県立美術館さん、富山県水墨美術館さんを巡回した展覧会の最後の開催地、大阪での開催です。うっかりご紹介するのを失念しており、始まってしまっています。

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これまでの巡回各館同様、光太郎の父・高村光雲の木彫「布袋像」が出品されています。他の出展作はこちら。七宝の並河靖之・濤川惣助のダブルナミカワ、牙彫には安藤緑山、陶芸に宮川香山、木彫では光雲の朋友・石川光明など、人気作家がズラリ。さらに現代作家による超絶技巧の作も多数。  

驚異の超絶技巧! 明治工芸から現代アートへ

期 日 : 2019年1月26日(土)~4月14日(日) 
会 場 : あべのハルカス美術館  大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16階
時 間 : 火~金 10:00~20:00   月土日祝 10:00~18:00
料 金 : 一般 1,300(1,100)円  大学・高校生 900(700)円
      中学・小学生 500(300)円 ( )内団体料金
休 館 : 2月18日(月)、3月4日(月)、18日(月)

本物と見まがう野菜や果物、自在に動く動物や昆虫、精緻な装飾や細かなパーツで表現された器やオブジェ…。近年注目の高まる明治工芸と、そのDNAを受け継ぐ現代の作家たちによる超絶技巧の競演をご覧いただきます。人間の手が生み出す奇跡のような技術に加え、洗練された造形センスと機知に富んだ、驚異の美の世界をお楽しみください。

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関連行事

超絶!フォトジェニック・ナイト 2月16日(土)・3月16日(土) 各日 18:00~20:00

閉館後の展示室内で自由に写真撮影ができます。気に入った作品とコラボした超絶フォトで、狙おう、インスタ映え!  ※本展観覧券が必要です。ストロボ、三脚や自撮り棒などのご使用はご遠慮ください。
  

ハルカス大学連携講座「金属に託す瞬間の美 超絶技巧への挑戦」 2月17日(日)14:00~15:00

本展出品作家で、蒲公英(たんぽぽ)や桜などの繊細で儚い自然を金工で表現する、若き超絶技巧の担い手、鈴木祥太さん。制作にかける想いと、技の秘密を語っていただきます。 
 講 師  鈴木 祥太氏(本展出品作家、金工)
 会 場 あべのハルカス23階 セミナールーム
 定 員  40名(事前申込制、先着順)
 聴講は無料ですが、本展観覧券(半券可)が必要です。
お申し込みは、ハルカス大学webサイト(
http://harudai.jp/)、お電話(06-6622-4815)、もしくはハルカス大学受付(あべのハルカス23階キャンパスフロア)にて承ります。定員になり次第締め切ります。
 

スペシャル・トーク「日本美術応援団 驚異の超絶技巧を応援する! in 大阪」 2月17日(日)14:00~15:30

本展監修者で「日本美術応援団」団長の山下雄二氏と、団員の山口晃氏(美術家、本展チラシ挿画担当)が、熱き超絶技巧愛を語る!展覧会が100倍面白くなる対談です。
 出 演 山下裕二氏(本展監修者、明治大学教授)  山口晃氏(美術家)
 会 場 あべのハルカス25階 会議室   定 員 270名
 聴講料 1,500円(一般観覧券とオリジナルポストカード付き・税込)
※トークチケットは、11月16日(金)~1月25日(金)まで、下記にて販売します。定員に達し次第終了。ポストカードは当日会場にてお渡しします。【チケット販売所】ローソンチケット(Lコード:53513)

 
この他に、2月6日(水)には出展作の多くを所蔵されている清水三年坂美術館さんの村田理如氏の講演もありました。


「超絶技巧」系、数年前から人気のジャンルで、またいずれ同様の企画が組まれるような気がしますが、今回のものはこの大阪展が最後となります。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

私は緑色を好む。それで紺青の空と海とに挟まれた陸上の濃緑色の展望を見て喜ぶ。
散文「三陸廻り 十 宮古行」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

十回にわたって『時事新報』に連載された「三陸廻り」の最終回から。釜石の先にあるオイデ崎付近の海上を行く船から、リアス海岸の岸壁に密生する広葉樹の原生林を見ての感懐です。

若き日の智恵子がエメラルドグリーンを好んだのは比較的有名な話ですが、光太郎も緑色が好みだったのは意外といえば意外でした。もっとも、ここで言う緑色は、色としての緑というより、大自然の象徴としての樹木という意味なのかもしれません。

昨日開幕しました。

明治維新150年 NHK大河ドラマ特別展「西郷(せご)どん」

期    日  : 2018年7月28日(土)~9月17日(月・祝
会    場 : 大阪歴史博物館 大阪市中央区大手前4丁目1-32 
時    間 : 9時30分~17時
料    金 : 大人1,300円(1,170円) 高校生・大学生900円(810円)
         ※( )内は20名以上の団体割引料金
休 館 日 : 火曜日 ただし8月14日(火)は開館

大阪歴史博物館では、平成30年7月28日(土)から9月17日(月・祝)まで、6階特別展示室において、明治維新150年 NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」を開催します。
明治維新から150年、平成30年(2018年)のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」です。
明治維新のヒーロー・西郷隆盛には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生涯は謎に満ちています。薩摩(鹿児島県)の下級藩士の家に生まれた西郷隆盛(小吉、吉之助)は、両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働きます。やがて薩摩藩主の島津斉彬(なりあきら)に目を留められた西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走し、薩摩のキーパーソンとなっていきます。多感な青年期を経て、3度の結婚、2度の島流し。極貧の下級武士に過ぎなかった素朴な男は、勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、徳川幕府を転覆させます。類まれな「勇気と実行力」で明治維新を成し遂げた西郷ですが、最後は明治新政府と闘い、命を散らすことになります。
この展覧会では、NHK大河ドラマ「西郷どん」と連動し、西郷隆盛ゆかりの品や、同時代の歴史資料などを紹介、西郷の人間像と彼が生きた時代を浮き彫りにします。

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出品目録によれば、東京芸術大学さんで開催されていた東京展で出品された、光太郎の父・高村光雲が主任として制作に当たった西郷隆盛銅像の、顔がない「のっぺらぼう」写真は残念ながら展示されないようですが、他の西郷隆盛銅像に関する資料が出品されています。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩は無限なものだから何処からでも生れる。花園の花からでも、造花屋の花からでも、瓢箪からでも、吐月峰からでも。詩の言葉は原稿用紙の罫の間からも生れるだらう。典謨訓誥からも生れるだらう。街路に落ちてゐる生きた言葉からは確に生れる。感ずる心がなければ言葉は符牒に過ぎない。路傍の瓦礫の中から黄金をひろひ出すといふよりも、むしろ瓦礫そのものが黄金の仮装であつた事を見破る者は詩人である。

散文「生きた言葉」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

いわゆる美辞麗句を好まなかった光太郎らしい言です。

大阪から演劇の公演情報です

売り言葉

期   日 : 2017年8月25日(金)~27日(日)
会   場 : 大阪市立芸術創造館 大阪府大阪市 旭区中宮1丁目11−14
時   間 : 25日(金)20:00[S]  26日(土)12:00[A]/15:30[B]/20:00[A]
         27日(日)12:00[B]/15:30[S]
料   金 : 前売/2,500円、当日/3,000円(全席自由席)
主   催 : evkk(エレベーター企画)
出   演 : 一人芝居バージョン[S] >25日(金)20:00、27日(日)15:30  澤井里依  
         複数バージョン[A] >26日(土)12:00、26日(土)20:00
          佐々木穂香、澤井里依、他
         複数バージョン[B] >26日(土)15:30、27日(日)12:00
          宮下牧恵、澤井里依、他

高村光太郎の妻・智恵子の物語。裕福な家庭に生まれた彼女は、東京で高村光太郎と出会い、結婚。才気煥発な智恵子だったが、ふたりの関係は少しづつ変わってゆく。光太郎が芸術家として前進する一方、自分の絵は認められることはなかった。『智恵子抄』に描かれた「あなた」であらんとするため、必死でもがく智恵子-本当に、私はこんなにも綺麗に死ぬことが出来るのかしら。

作・野田秀樹 演出・外輪能隆 上演時間・約1時間30分(休憩なし)

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「売り言葉」は、平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、主役・大竹しのぶさんで初演されました。登場人物は智恵子のみの一人芝居です。

翌年に新潮社から出版された野田さんの脚本集『二十一世紀最初の戯曲集』に収められ、その後、プロアマ問わず、多くの公演で取り上げられています。

モラハラともいえる光太郎の芸術至上主義の犠牲となった智恵子、という観点で、徐々に壊れていくその描写が秀逸でした。

今回、「複数バージョン」という試みが為されるそうで、元来が一人芝居であるものを、どう複数で演じるのか、興味のあるところです。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

生きた言葉の美しさ。 利害を絶した天の声こそ まことに此世をせいせいさせる。  
 商量思念に我を持つ言葉は 結局あはれな陳列物。 自然と涌いてあやまたない、 さういふ言葉を語る人に 雲のやうな無限がある。

詩「或会議に列して」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

「或会議」は、光太郎も議員として出席した第一回中央協力会議。大政翼賛会中央本部で開催されました。終了後、同じく議員だった菊池寛、尾崎士郎と行った座談会の筆記が雑誌『モダン日本』に掲載されています。冒頭の光太郎の発言。

今日あたり聴いてゐて、人のしやべる欲望の物凄さを感ずるですね。自分でしやべつてゐて、頭がわるくなつてしまふのか、同じことを五人も六人も話したことを忘れて、やつぱりちつともやめないんですね。

それが「商量思念に我を持つ言葉」「結局あはれな陳列物」ということなのでしょう。何だか、どこぞの国の国会や閉会中審査なる会議のようですね(笑)。

しかし、三人とも、議長を務めた後の内務大臣、海軍大将の末次信正については賞賛しています。

尾崎 しかし僕はあの議長は非常に立派だと思つたですね。あの人が変つたら、何か感じが少し変りは
    しない
かと思ふ。(略)僕はちょっと眠つちやつたけれども、気がつくと、末次さんが眼をギ
    ラギラしてやつてゐ
るので、何か壮烈な感じがしたですね。
菊池 長くなつた人なんか遠慮しないで「簡単に願ひます」なんてやつてゐた。
尾崎 はつきり処理しながら、なかなか思ひやりもあつて、情義兼ね備はつてゐるね。
高村 ゆつたりやつてゐるから、面白いですね。

当方も人前で話す機会が結構あるのですが、「自然と涌いてあやまたない、 さういふ言葉」を心がけようと思います。

大阪は堺、光太郎の父・光雲がらみの企画展です。

河口慧海生誕150年記念事業「慧海と堺展」

期 日 : 平成28年10月26日(水曜)~12月4日(日曜)
会 場 : 町家歴史館 清学院   堺市堺区北旅籠町西1丁3-13 10時~17時
      町家歴史館 山口家住宅 堺市堺区錦之町東1丁2-31   10時~17時
      堺市博物館        堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁大仙公園内
  9時30分~17時15分
料 金 : 清学院 100円(65歳以上の方、障害のある方、中学生以下無料)
      山口家住宅 200円(65歳以上の方、障害のある方、中学生以下無料)
      堺市博物館 一般200円 高大生100円 中高生50円
 (65歳以上の方、障害のある方無料)

007 河口慧海(かわぐち えかい・1866年~1945年)の生誕150年となる本年、生誕の地である堺で、慧海の人と事績、ひいては慧海を生んだ堺の地に焦点をあてた記念事業を開催します。
 慶応2年(1866年)、堺山伏町(現在の堺区北旅籠町西3丁)に生まれた河口慧海は、仏教の原典を求めて日本人で初めてヒマラヤを越えて当時鎖国下のチベットに入った人物として知られています。帰国後刊行された『チベット旅行記』は、仏教学者だけではなく、民族学者、探検家にも高く評価され、英訳も出版されました。
 展示は、「慧海と堺展」と題して、10月26日(水曜)から12月4日(日曜)まで、清学院・山口家住宅・堺市博物館で行われます。主な展示品は、チベット探検時の日記や愛用の辞書、慧海の求めに応じて近代彫刻史の巨匠 高村光雲が制作した「釈迦牟尼(しゃかむに)仏像」、慧海を生涯支えた堺の親友 肥下徳十郎(ひげ とくじゅうろう)宅に伝わった「くり抜き日記帳」などです。
 講演会・シンポジウムと合わせて、河口慧海と慧海を生んだ堺を身近に感じていただければと思います。

関連行事

講演            奥山直司氏(高野山大学教授)・高山龍三氏
パネルディスカッション 奥山直司氏、高山龍三氏、吉川和子氏

平成28年11月3日(木曜・祝日) 午後1時30分~午後3時30分
会場 さかい利晶の杜(堺区宿院町西2丁1番1号)

光雲作の「釈迦牟尼仏」は、堺市博物館さんでの公開だそうです。

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日本人で初めてチベットに入った僧侶・河口慧海は、高村家の近くに住んでいた時期もあり、光雲や光太郎と交流がありました。

光雲は今回展示される「釈迦牟尼仏」や「大黒天像」などを慧海の求めに応じて制作。同様の仏像は仙台の福島美術館さんにも収蔵されています。

光太郎も戦時中に慧海自身の坐像の制作に携わりました。ただしこちらは作品の現存が確認できていません。おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼失したと考えられます。


さて、ぜひ足をお運び下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

あらためてわがあなうらを見にければ蓮のうてなもなにもなかりきうたもなかりき

昭和23年(1948) 光太郎66歳

古代インドでは、仏像を作る習慣はありませんでした。西方のヘレニズム文化の影響を受け、いわゆるガンダーラ地方あたりで初めて仏像が作られる紀元前2世紀頃まで、仏教では仏像の代わりに法輪や菩提樹の木、そしてその足跡を石に刻んだ仏足石などによって、象徴的に釈迦信仰が行われていました。

仏足石の中には、「足下二輪相」というスタイルがあり、法輪をかたどった丸い紋様が刻まれているものがあり、その紋様は蓮の花にもよく似ています。この歌はそういった背景を持っています。

「あらためて自分のあなうら(足の裏)を見ても、蓮のうてな(台)も、何も無い。歌も無い。」といったところでしょうか。

ところでこの歌、『高村光太郎全集』では短歌の項に掲載されていますが、短歌ではありません。指折り数えてみると五・七・五・七・七・七と、七が一つ多いのです。この形式を「仏足石歌」と呼びます。オリジナルは奈良・薬師寺の仏足石歌碑。ここにこのスタイルの21首の歌が刻まれており、『古事記』、『万葉集』、『播磨国風土記』に類例が認められます。『高村光太郎全集』では、解題の部分に仏足石歌体である旨の記述が為されています。

こうした古歌の形式にも通じていたさしもの光太郎も、自分の足の裏を見てもお釈迦様のような蓮華紋はついていなかったようです(笑)。当方にもついていません(笑)。

大阪から演劇公演の情報です。
期  日 : 2015/12/11(金) ~ 2015/12/13(日) 
会  場 : 
ABCホール 大阪市福島区福島1丁目1番30号
主  催 : 劇団レトルト内閣

出  演 :
よしもとともしよ、福田恵、川内信弥、Q本かよ、たはらもえ、山浦徹(化石オートバイ)、森田祐利栄(エイチエムピー・シアターカンパニー)、平本茜子(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)、Maa(teamおしとやか。/pat'Z)、鎌谷潤吉(僕らの陰謀)、山田麻結、小佐田貢、福良千尋、田中尚樹(劇団そとばこまち)、北代祐太(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)、野村亮太、古川寛、藤原奈津子、田辺学(カンセイの法則)、佐々木ヤス子、もえこぴーなっつ、sax/武井努、piano/西島芳、bass/井上歩、drums/原口裕司

脚  本 : 三名刺繍
演  出 : 三名刺繍
料  金 : 3,500円 ~ 3,800円  (前売り3,500円 当日3,800円) 5歳未満は入場不可
サ イ ト : 
http://www.retoruto.com/ ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。

タイムテーブル:
12月11日(金) 19:30
12月12日(土) 15:00/19:00★
12月13日(日) 13:00/17:00☆
★の回はアフターイベント『リーマン俳優こみたおのリーマン講座「まことに神の造りしサラリーマン」』開催
☆の回はアフターイベント『安定志向のネタ披露「安定志向 M-1への道程」』開催

“あなたが黙つて立つてゐると まことに神の造りしものだ”
稀代の詩人として名を馳せた芸術家、高村光太郎。
女流洋画家を志した光太郎の妻、智恵子。
ふたりの愛は詩集『智恵子抄』に綴られ、今なお読み継がれている。
「チエコショウ?名前くらいは知ってるわ」
21世紀のある日、夫は妻に詩集を贈り、妻はその詩にメロディーをつけた。
綴られた言葉は歌になり、時をこえて問いかける―
“あなたが今いるその場所から、ほんとの空は見えていますか?”
劇団レトルト内閣、原点回帰のエレガンスロック音楽劇。
日本史上最も有名なラブストーリー・智恵子抄。

スタッフ :
照明/奥野淳也 舞台監督/奥田宏人 舞台監督補佐/土井隆(劇団そとばこまち)
舞台美術/サカイヒロト 音響/八木進(baghdad cafe') 効果映像/ハシモトシンゴ(paravora)
制作協力/宮崎由美(スタッフステーション) 意匠指導/東學(一八八) デザイン/川内信弥
衣装/Q本かよ・山田麻結・野元楓 写真撮影/一宮辰徳 映像撮影/武信貴行


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だいぶ宣伝にも力を入れているようで、劇団としての「やる気」が感じられます。

せっかくいい取り組みをしていても、事前にこれといった宣伝もないケースが多く見られます。ブログなどで、「光太郎智恵子をとりあげました」とレポート的な記述があり、「ああ、こんな公演があったんだ」と気がつき、しかし、同じブログを遡って調べても、「光太郎智恵子をとりあげます」という事前の告知が書いていない、ということが何度かありました。だからといって、「やる気」のなさの表れというわけでもないのでしょうが、できるかぎりのことはしてほしいものです。

閑話休題。題名の「まことに神の造りしをんな」というのは、「智恵子抄」中の「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)という詩から採ったものでしょう。
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   あなたはだんだんきれいになる

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修行によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。

この詩はまだ智恵子の心の病が顕著になる前の作。福島の長沼家も健在でした。

智恵子歿後の昭和15年(1940)に書かれた随筆「智恵子の半生」(原題「彼女の半生」)で、光太郎自身が引用、解説しています。

 彼女は裕福な豪家に育つたのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかつた。私が金に困つて古着屋を呼んで洋服を売つて居ても平気で見てゐたし、勝手元の引出に金が無ければ買物に出かけないだけであつた。いよいよ食べられなくなつたらといふやうな話も時々出たが、だがどんな事があつてもやるだけの仕事をやつ003てしまはなければねといふと、さう、あなたの彫刻が中途で無くなるやうな事があつてはならないと度々言つた。私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとズボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。「あなたはだんだんきれいになる」といふ詩の中で、

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属

と私が書いたのも其の頃である。


二人の生活は、赤貧洗うが如しというほどではなかったにしろ、少なくとも智恵子は着飾ることは無くなりました。

そんな智恵子をして、「あなたはだんだんきれいになる」と謳う光太郎。たしかに智恵子は世間一般の女性よりも、服装その他に頓着することはなかったのかもしれませんが、ここに後の大きな悲劇につながる危険性が見て取れるような気がします。

それを題名に持ってくるあたり、単なる二人の純愛物語、という作りではないのでしょう。といって、PVや公式サイトで見る限り、リスペクトの要素も見て取れますので、期待したいと思います。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月21日

平成12年(2000)の今日、鳥取県立図書館で「高村光太郎の書――用と美の間(あわい)」展が開幕しました。

日本教育大学協会全国書道教育部門、全国大学書道学会、全国大学書写書道教育学会の三学会合同大会を記念する催しでした。関連行事として当会顧問・北川太一先生の記念公演「光太郎の人と書論」が、24日、鳥取県民文化会館で開催されました。

昨日、智恵子の故郷、福島・二本松の景観について書きました。そこで、景観つながりで、『朝日新聞』さんの大阪版に載った記事を紹介します。  

(葦)御堂筋の彫刻の奥ゆかしさ 神田誠司

 御堂筋で見かける彫刻のことが以前から気になっていた。歩道にひとつ、少し歩くとまたひとつ。立ち止まってよく見ると、「考える人」で知られるオーギュスト・ロダンや、高村光太郎の作品があったりするのだ。
 調べてみると、南北に走る御堂筋の淀屋橋から南約2キロ区間の両側に計29点の彫刻がすえつけられている。大阪のシンボルロードにふさわしい魅力ある空間にしようと、市が沿道企業などに作品の寄贈を呼びかけ、1992年から設置をはじめたものだった。
 光太郎やロダンに限らず、国内外の著名作家の作品ばかりだが、「ひっそりと置いてあるので気づかない人も多い」(市都市景観担当課長)。4年前、一夜のうちに何者かが19点に赤い服のような布を着せかけた「赤い服事件」で存在を知った方も多いかも知れない。
 台座などに寄贈した企業名の表示はない。そこが奥ゆかしくていい。足を止めて見入っていると、街の喧騒(けんそう)が消えていく心地がする。片道ならゆっくり歩いても30分ほど。あなたも気に入る作品に出会えるかも知れない。
(神田誠司編集委員)


何度かこのブログもご紹介してきた、大阪市のメインストリート・御堂筋に立ち並ぶ彫刻群についてです。

光太郎作の通称「乙女の像」の中型試作も「みちのく」の題で設置されています。

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この像、正式な名称としては「十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦群像中型試作」というべきですが、これでは長すぎますし、「乙女の像」としてしまうと、十和田湖畔に立つオリジナルとは違うものですので(ほぼ2分の1スケールです)、それもまずい、というわけで「みちのく」です。

現在、十和田では「乙女の像」という愛称が一般的ですが、「みちのく」という別称もかなり古くから使われていました。

例えばこちら。昭和31年(1956)4月15日発行の雑誌『サンデー毎日』。光太郎の追悼記事に載った写真です。

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記事本文にも「十和田湖畔に建てるブロンズの裸婦像「みちのく」を制作」とあります。

他にも、同じ頃出た雑誌『家の光』でも同様に「みちのく」の語を使っています。

今年4月に十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんで刊行された『十和田湖乙女の像ものがたり』執筆中にこのあたりも調べたのですが、「みちのく」の別称の最も早い使用例と思われるのは、像の完成前、昭和28年(1953)7月1日発行の『毎日グラフ』に載った光太郎のアトリエ訪問記の題名で、「”みちのく”の女神」となっているものです。また、歿後の昭和35年(1960)に国立近代美術館で開かれた「四人の作家」展で、これらの像が「みちのく」の題で出品されたりもしました。

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その由来ははっきりしませんが、「みちのく」十和田に建てられ、「みちのく」福島出身の智恵子の顔を持つと言われ、「みちのく」岩手に7年あまりを過ごした光太郎の作であり、大町桂月ら「みちのく」十和田湖の開発・宣伝に功績のあった人々の功労記念碑であること、この像の建立に関わった「みちのく」の人々の「みちのく」への思いが込められた像としての愛称、といえるでしょう。

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ちなみに十和田湖の像の台座に使われている石も、「みちのく」岩手産の石です。従来、この像を含む周辺一帯の設計をした建築家・谷口吉郎が「福島産の折壁石」とあちこちに書き記してしまったため、福島産と思われてきましたが、折壁石というブランド名は岩手県東磐井郡室根村(現・一関市)の折壁地区で採れたことに由来します。ところがネット上ではいまだに「福島産」となっているページが多く、閉口しています。
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話がそれましたが、「みちのく」を含む大阪御堂筋の彫刻群、ぜひ一度、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月1日

昭和47年(1972)の今日、雑誌『ユリイカ』が、「復刊3周年記念大特集 高村光太郎」を組みました。

「大特集」とうたうだけあって、180ページ超を費やしています。

高田博厚、岡本潤、真壁仁、北杜夫、中村草田男、金子光晴、難波田龍興ら、光太郎と直接関わりのあった、今は亡き人々の論考やエッセイが満載です。

延々と東北レポートを書いているうちに、他に紹介しなければならないイベント情報や報道、新刊情報、テレビ放映情報などが溜まってしまいました。

まずは映画関連。 
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期間 : 2015年4月25日(土)~6月12日(金)
会場 : シネ・ヌーヴォ 大阪市西区九条1-20-24 TEL 06-6582-1416

戦前から戦後にかけて昭和と共に生きた女優・原節子。小津安二郎、成瀬巳喜男はもとより今井正、黒澤明、木下惠介など日本映画の巨匠の作品に数多く出演し、日本映画の黄金時代を支えた屈指の大女優。日本人離れした類い稀な美貌と共に、生涯独身を通し、「永遠の処女」と呼ばれた。今年は、1935年の映画デビューから80年、そして1962年の最後の出演作から53年を迎える。「20世紀の映画スター・女優編」(2000年/キネマ旬報)で日本女優の第1位に輝くなど、日本・世界で今尚新たなファンを獲得し続けている原節子出演作品を一挙上映する過去最大の大特集。 日本映画屈指の伝説の美女が、いま再び、銀幕に降臨する!!


全42作品のうち、熊谷久虎監督作品「智恵子抄」(昭和32年=1957 97分)が、先週から上映されています。


智恵子抄
1957年/東宝/97分/35mm/白黒
  監督:熊谷久虎/原作:高村光太郎/脚本:八住利雄/撮影:小原譲治/美術:清水喜代志/音楽:団伊玖磨 出演:原節子(高村智恵子)、山村聡、柳永二郎、三好栄子、津山路子、太刀川洋一

◆詩人・彫刻家の高村光太郎の詩集『智恵子抄』を映画化。智恵子の童女の如き純真な愛に出会い、光太郎は生きる喜び、愛の幸せに包まれるが、仕事と家庭の板ばさみか
ら、やがて智恵子は心を病んでいき…。原が愛と狂気に揺れる智恵子を演じ切った感動作。

上映日程007

5/22(金) 12:25~
5/23(土) 21:05~
5/24(日) 12:35~
5/25(月) 14:55~
5/26(火) 10:40~
5/27(水) 17:55~

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この昭和32年(1957)原節子版、昭和42年(1967)の岩下志麻さん主演の「智恵子抄」ともども、時折上演されています。こういう機会がもっと増えてほしいものですが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月25日008

昭和28年(1953)の今日、日比谷公会堂で米国の黒人歌手、マリアン・アンダーソンのコンサートを聴きました。

NHKが招聘し、東京、大阪、広島、名古屋と巡回し、再び東京に戻って5月22日、25日と公演がありました。

伴奏はクルト・ウェス指揮のNHK交響楽団。ブラームス、フォーレ、ヴェルディ、サン・サーンス、ドビュッシーなどの作品や黒人霊歌がプログラムに入っていたそうです。

『朝日新聞』のデジタル版に、以下の記事が出ました。御堂筋彫刻ストリートに関してです。よくわからないのですが、関西地区では紙面にも載ったのでしょうか。

(勝手に関西遺産)ほんまもん 29体どうぞぅ

彫刻ストリート
 オーギュスト・ロダンといえば、世界で最も有名な彫刻家ではないか。日本一は高村光太郎か。印象派の画家ルノワールが、病気で手が不自由になった後、彫刻に力を入れたなんて話、知ってました? そんな貴重な作者らの彫刻作品がそろって、御堂筋沿いにあるのです。
 どうせコピーでしょって? それが本物なのです。
 1991年、大阪市が音頭をとって寄付を募り、沿道の企業などがこぞって設置した。他にもヘンリー・ムーア、舟越保武(やすたけ)などなど。最近、個人から寄付されたものもあり、現在は29体が並ぶ。
 グレードを統一するため、専門家による設置検討委員会が、一流の候補作家リストを作った。テーマは「人間讃歌(さんか)」、モチーフは人体、素材はブロンズに絞った。
 委員長を務めた木村重信・大阪大名誉教授(88)は語る。「御堂筋は日本のシャンゼリゼ。人体という以上、等身大でなくては。小さかったら見栄えがしないですよ」。彫刻ストリートは、大阪の誇りなのだ。
 ただし。作品には、女性のヌードが多い。約半数がまったくの裸。シャツを脱ごうとしているようなポーズも。誰もの目に入る屋外に生(なま)っぽい裸があるので、正直言って、ちょっと引いてしまった。実際、これまでにそんな批判もあったようだ。
 市の都市計画局に尋ねると「人間讃歌がテーマなので人体が中心になり、優れた作品を選ぶと裸体が多くなる」との回答。「公共空間にあることには様々な意見があるかもしれないが、ご理解いただきたい」
 御堂筋の彫刻をめぐっては、3年前の夏、有名なある「事件」があった。一夜にして19体が赤い服を着せられていたのだ。犯人はいまだ不明。もちろん意図もわからないが、痛快な気持ちになる。
 余談だが、服といえば、着衣までブロンズでできた超リアルな彫刻が、御堂筋から西に300メートルほど離れた靱(うつぼ)公園にある。米国の彫刻家の作品で、布の質感まで再現し、着色までされているのは驚きだ。
 裸か着衣か。初めはそればかり気にして見ていたが、実は結局、一番気に入ったのは素っ裸の作品だった。ふくよかでおおらかな、ボテロの「踊り子」。頭でっかちで見ると、損をする。当たり前のことに気づかせてくれた彫刻群を、「関西遺産」に推したい。(安部美香子)
 
■大阪市のガイドツアー講師 伊藤義麿さん(76)
 20年ほど前、仕事で御堂筋の日本生命を訪れ、ブールデルの彫刻を見ました。ロダンの弟子だが日本では知名度が低い。コピーかと思ったら本物。極めて高い見識で選ばれたものだ、と驚きました。私の父は1920年代、パリに学んだ美術評論家の柳亮(やなぎりょう)です。父の親友で、ブールデルの弟子にあたる清水多嘉示(たかし)の作品もある。貴重さが意外に知られていないので、もっと大事にしてほしいですね。
 
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先月行われたまちあるき「御堂筋は名彫刻の宝庫だ(東側コース)~グレコも高村光太郎も~」を受けての記事らしく、その際にガイドを務められた伊藤義麿氏の談話も載っています。
 



 
新聞といえば、『伊豆新聞』なる地方紙に以下の記事が出ました。明日のイベントなのですが、掲載されたのが昨日で、もう間がありませんが、とりあえずご紹介します。

講演と朗読会15日に開催 熱海・起雲閣で、ピアノ、合唱も

 NPO法人地球環境フォーラムと文学と朗読の会・天海地が共催する「講演と朗読会」(エフエム熱海湯河原協賛)が15日午後1〜午後5時、熱海市昭和町の起雲閣で開かれる。入場無料。
 第1部(講演の部)は、独立行政法人・海洋研究開発機構の岩瀬良一さんが「地震について」を演題に講演する。
 第2部(朗読の部)は天海地の会員が「高村光太郎・智恵子・2人の愛のかたみ」 「源氏物語・桐壺・序編」などを朗読する。
 特別出演として朗読家飯島晶子さんが「恋する伊勢物語・初冠・筒井筒・東下りの段」を読み上げる。
 ピアノ演奏や合唱なども予定している。終了後は近隣の店で、懇親夕食会(有料)も開催予定。
 問い合わせは天海地の空麦秋代表〈携帯070(5543)6295〉へ。
 
 いろいろと光太郎智恵子を取り上げて下さり、ありがとうございます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月14日
 
昭和21年(1946)の今日、詩「雲」を執筆しました。
 
    雲
 
あの雲を見たまへ。
地面からたつ水蒸気の冷えてできた
小さな、小さな水玉の集団があの雲だ。
大空のあそこからあそこまで、006

なんといふ大きなかたまりだらう。
なんというりつぱさだらう。
見てゐるうちに形をかへて
ぐんぐんと進んでゆく。
太陽に色どられた空中のパレット。
光とかげとの運動会。
雲には雲の規律があり、
山にかかる形や位置まで
ちゃんと天気の予報をする。
小さな、小さな水玉が
あんな大きな力を出す。
あの雲を見たまへ。
雲はいいなあ。
おもしろいなあ。
 
画像は昭和6年(1931)、『時事新報』に連載した紀行文「三陸廻り」の挿画で「雲のグロテスク」。光太郎自筆のペン画です。

5月29日、大阪府堺市の覚応寺にて執り行われた第32回白桜忌。当日は報道関係者がいらしていたので、ニュース等になっていないかと検索したところ、翌日朝のNHKさんのローカルニュースで報道されたらしいことがわかりました。  

与謝野晶子 命日に法要

明治から昭和にかけて活躍した歌人・与謝野晶子の命日のきのう、出身地の堺市にある寺で法要が営まれました。
与謝野晶子は明治11年に現在の堺市堺区の菓子店を営む家に生まれ、当時の代表的な歌人として歌集「みだれ髪」など数々の作品を残しました。
ことしは没後72年にあたり、命日のきのう、晶子ゆかりの寺として知られる堺区の覚応寺で法要が営まれました。
晶子のファンなどおよそ80人が参列し、晶子に思いを寄せて詠んだ短歌や俳句を披露しました。
ことしは晶子が日露戦争に従軍する弟を思って作ったとされる詩「君死にたまふことなかれ」が詠まれて110年の節目で、地元のコーラス隊がこの詩を合唱しました。
このあと晶子の研究を続けている元大学教授の女性が講演し、「この寺には晶子が書いた手紙が残されており、晶子が若いころから情熱的な恋愛をしていたことがうかがえる」などと人物像について語りました。
法要の実行委員会の代表の阿部恵子さんは「晶子は堺が生んだ財産です。2度と現れないようなスケールの大きな自立した女性でした。
晶子のすばらしさを伝えていきたいです」と話していました。
 
 
暗いニュース、腹立たしい報道が多い中、花巻の高村祭などもそうですが、こうした文化活動、地域の地道な取り組みなどにももっともっと光を当てていただきたいものですね。
 
ちなみに本日発行の花巻市の広報紙『広報はなまき』に、高村祭の模様が報じられています。  

光太郎への思い いつまでも

本市ゆかりの彫刻家で詩人の高村光太郎を顕彰する「第57回高村祭」が5月15日、太田の高村山荘詩碑前で開かれました。
光太郎の遺影に献花と献茶が行われた後、参加者全員で詩碑に刻まれた「雪白く積めり」を朗読。続いて地元小中学生や高校生などが楽器演奏や合唱、詩の朗読を披露し、訪れた市民など約700人とともに光太郎の生涯に思いをはせました。
特別講演では、光太郎を名付け親に持つ編集者の末盛千枝子さんが、光太郎との縁、命名のエピソードなどを語りました。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月1日
 
明治45年(1912)の今日、雑誌『青鞜』に、智恵子の散文、「マグダに就て」が掲載されました。
 
『青鞜』において、智恵子が描いた2種類の表紙絵が繰り返し使われましたが、意外なことに文章はこの1篇のみです。
 
「マグダ」とは、ズーダーマン作・島村抱月訳の戯曲「故郷」の主人公。文芸協会の第三回公演として、松井須磨子により演じられました。

5月29日、午後1時半。与謝野晶子ゆかりの堺市覚応寺にて、晶子命日の集い・第32回白桜忌が開催されました。
 
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昨年も書きましたが、やはり寺院での開催と言うことで、本格的な読経があったりと、仏教色の強い催しですが、地元の方々による献歌などやコーラスなどもあり、堺の人々が晶子顕彰に力を入れている様子に感心させられました。われらが光太郎に関しては、東京出身とはいえ、東京都民に「おらが光太郎」という意識はほとんどないと思います。
 
後半は与謝野夫妻の研究者・逸見久美先生のご講演、「想い出すままに……与謝野晶子・寛の研究より」でした。失礼ながら、先生は大正時代のお生まれですが、まだまだエネルギッシュにご活躍なさっています。勉誠出版さんで編刊されている『鉄幹晶子全集』は、本文篇は完結したものの、まだ続くそうです。
 
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しかし、その先生がお若い頃には、与謝野晶子を研究対象にするなど、いかがなものかという空気があったそうです。まるで安藤緑山の牙彫などの明治工芸のようだな、と感じました。さらにそれより昔、それこそ『みだれ髪』のころには破廉恥極まりないといった評もされていたわけで、そう考えると、時代と共に評価が変わって行くのだなと実感させられました。光太郎智恵子の世界は、この後、どのように評価されて行くのでしょうか。
 
やはり周辺人物との関わりの中での光太郎像といった点にも、もっと目を向けなければ、と思うので、与謝野夫妻にももう少し目を向けようと思いました。
 
終了後、楽屋(?)で逸見先生にご挨拶、先月の連翹忌にご参加下さった御礼を申し上げ、来年もご参加下さるお約束を取り付けました。その後、高村光太郎研究会の西浦基氏にまた車を出していただき、南海線の堺東駅まで送っていただいて、帰路につきました。非常に有意義な大阪行きでした。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月31日
 
昭和23年(1948)の今日、花巻郊外太田村の山小屋の畑にキュウリの種を蒔きました。

昨日、大阪は堺市で行われました与謝野晶子命日の集い、第32回白桜忌に行って参りました。今日明日と2回に分けてレポートします。
 
一昨日、当方の住む千葉県香取市から夜行高速バスに乗って大阪を目指しました。千葉交通さんのバスで、銚子発大阪なんば高速バスターミナル行きです。この便は京都まで利用したことが3回ほどありますが、終点の大阪まで乗ったのは初めてでした。時間はかかるのですが、経費節減のためです。
 
事前に調べたところ、終点のなんば高速バスターミナルは御堂筋に近いことがわかりました。御堂筋といえば、つい先だってのブログでもご紹介しましたが、「御堂筋彫刻ストリート」ということで、内外の彫刻作品が多数設置されています。光太郎作「十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作」も、通称の「みちのく」という名で並んでいます。約20年ぶりに見に行ってみました。
 
場所は地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅近く。高速バスターミナルからは、歩いていけない距離ではありませんが、時間の都合もあり、地下鉄を使いました。
 
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続いて鉄道を乗り継いで、JR阪和線堺市駅へ。次なる目的地は駅前にある堺市立文化館。こちらは「与謝野晶子文芸館」と「アルフォンス・ミュシャ館」が併設されています。こちらで高村光太郎研究会会員で、大阪在住の西浦基氏と合流、展示を拝見しました。
 
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晶子文芸館は3階。晶子の自筆資料、著書、遺品などが並び、パネルで年譜や解説がなされていました。
 
昨秋、山梨県立文学館さんの企画展「与謝野晶子展 われも黄金の釘一つ打つ」を拝見して参りましたが、そちらと同一の出品物もあり、懐かしく感じました。
 
また、「コーナー展示」ということで、現在は「与謝野晶子と石川啄木」という一角もありました。啄木も光太郎同様、新詩社で与謝野夫妻に世話になっていますし、光太郎とも面識がありました。
 
啄木が早逝してだいぶ経ってから、昭和6年(1931)に啄木ゆかりの函館に旅行した晶子の歌「なつかしき函館に来て手に撫づる亡き啄木の草稿の塵」が展示されており、感動しました。
 
4階はミュシャ館。アルフォンス・ミュシャは、チェコ出身のアール・ヌーボーの画家で、日本でも根強い人気があります。当方、自宅兼事務所の執務室に複製を飾っています。
 
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調べてみたところ、『高村光太郎全集』で、一ヶ所だけミュシャの名が出て来ました。明治44年(1911)の『白樺』に載った「消息――『白樺に』――」と題する散文です。
 
 ――「白樺」毎号ありがたく存じます。世間の例にならつて「六号」を拝読しました。中にMuchaの事がありましたね。此はフランスの画かきで、重に装飾画をかく奴です。此奴の画いたサラ、ベルナアルのLorenzaccioやLa Samaritaineの「アフイシユ」は有名なものです。写生画や模様や図案を集めた本があります。かなり高価です。京都の田中喜作君が持つて居ませう。心づいたまま一寸。
 
光太郎、「此奴」呼ばわりしています(笑)。
 
続いて、晶子文芸館にほど近い堺女子短期大学さんに行きました。こちらには晶子の詩碑が建っています。
 
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智恵子がその表紙絵を描いた『青鞜』創刊号(明治44年=1911)に寄せた有名な詩「そぞろごと」の一節が刻まれています。『青鞜』主幹の平塚らいてうは、届いたこの原稿を読み、いたく感動したとのこと。もしかすると智恵子あたりも心揺さぶられたのではないかと想像されます。
 
さらに西浦氏に車を出していただき、晶子生家跡に行きました。
 
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晶子の生家、鳳家は紀州街道沿い、大道筋という昔のメインストリートにあった「駿河屋」という菓子店でした。建物は現存しませんが、跡地に碑が建っています。これも有名な「海こひし潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家」の歌が刻まれています。
 
さらに近くに大道筋の説明板もあり、何気なく見てみると、光太郎が在学中、東京美術学校の校長だった正木直彦の名が記されていました。正木もこの界隈の出身とのことで、それは知らなかったので、驚きました。
 
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白桜忌は午後1時半からということで、まだ時間があったため、光太郎とは直接関係ありませんが、堺市内の名所巡りを少し。
 
千利休の屋敷跡、面積的には世界最大の墳墓、大仙古墳(伝・仁徳天皇陵古墳)など。

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しかし、大仙古墳は上空からは見えないので、その規模がよくわかりませんでした。
 
函館五稜郭は近くに五稜郭タワーがあり、足下に五稜郭の全貌が見えるようになっていて、特徴的な星形がよくわかります。
 
そういう展望塔のようなものがあればいいのに、とも思いましたが、さすがに天皇陵を足元に見るというのは不敬、という考えなのかも知れません。
 
その後、昼食に「美々卯」さんという店でうどんすき、「かん袋」さんという甘味処で氷くるみ餅を御馳走になりました。どちらも凄いボリュームで、味もよし、大満足でした。
 
いよいよ白桜忌会場の覚応寺さんに向かいました。続きは明日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月30日006

昭和25年(1950)の今日、朝日新聞社から木村艸太著『魔の宴』が刊行されました。
 
木村艸太(荘太)は武者小路実篤の「新しき村」などに参加した作家。光太郎とも親しかった画家・木村荘八の実兄です。明治末に吉原の娼妓・若太夫をめぐって光太郎と恋のさや当てから決闘未遂騒ぎまで発展しました。
 
『魔の宴』は木村の自伝的小説で、光太郎と三角関係となった「パンの会」当時の話など、当時を知る上で、一級の回想です。

今日は大阪に行っておりました。与謝野晶子の忌日、第32回白桜忌の集いが堺市の覚応寺というところで行われ、そちらに参加、また、その前に堺市を中心にいろいろと廻って参りました。
 
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詳細は明日以降レポートいたします。000
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月29日

平成10年(1998)の今日、郡山市民文化センター展示室において、企画展「智恵子 その愛と光彩 高村光太郎の彫刻と智恵子の紙絵展」が開幕しました。
 
この郡山展を皮切りに、翌年にかけ、岩手、広島、東京、北海道、島根を巡回し、好評を博しました。
 
当方、東京展(大丸ミュージアム)を観て参りました。

大阪からイベント情報です。  

まちあるき「御堂筋は名彫刻の宝庫だ(東側コース)~グレコも高村光太郎も~」

御堂筋は日本が誇る名彫刻の宝庫であることをご存知ですか?「大阪あそ歩」で、じっくりと鑑賞歩きをしてみましょう、まず、御堂筋東側。ブールデルの妻の像「休息する女流彫刻家」と「腕を上げる大きな女」、グレコの「坐る婦人像」、高村光太郎の「みちのく」、ルノワールの(そう、あの画家の)「ヴェールを持つヴィーナス」、佐藤敬助お淀井俊夫も・・・・!!!美術評論家柳亮を父にして育った伊藤義麿が直接ご案内します。
 
<コース>
北から南へ。ブールデル~グレコ~中村晋也~高村光太郎~佐藤敬助~朝倉響子~桜井祐一~ブールデル~淀井俊夫~船越保武~メッシー~ルノワール~チャドウィック~(地下鉄心斎橋駅)
 
実施日時 2014年5月20日(火) 13:30~
集合場所 地下鉄御堂筋線淀屋橋駅北改札口前
所要時間 約2~3時間
参 加 費 1500円(小学生以上) ※集合時に支払い。お釣りのないようにしてください。
定   員 15名
問合せ先 大阪あそ歩委員会050-3672-8327(申込専用、平日13時-17時)
申込方法 ホームページから
 
大阪市の中心街を通る御堂筋には、「御堂筋彫刻ストリート」ということで、内外の彫刻作品が多数展示されています。今回のイベントは、その東側の彫刻を観て廻る、というもののようです。
 
光太郎の「みちのく」。これは十和田湖畔の裸婦群像のための中型試作(昭和28年=1953)です。他に一昨日の花巻高村祭でご講演なさった末盛千枝子さんのお父さま、舟越保武の作品「道東の四季 春」も入っています。
 
また、今回は御堂筋東側だけのようですが、西側にはロダンや佐藤忠良など、やはり光太郎と縁の深い彫刻家の作品も並んでいます。ぜひ一度、足をお運び下さい。
 
ちなみに御堂筋の彫刻といえば、3年前、一夜にして19体の彫刻にそれぞれ測ったようにぴったりの赤い服が着せられる、という「事件」がありました。

誰が何のため…一夜で銅像19体に赤い服

2011年7月27日 スポニチアネックス
 
大阪市の目抜き通り、御堂筋の歩道に設置されたブロンズ製の人物彫刻29体のうち19体に、洋服をかたどった赤い布が着せられる不可思議な現象が起きた。24日夜から25日未明にかけての数時間で何者かが取り付けたとみられる。“真夏の浪速のミステリー”に市の担当者は「何の目的があってのことか、さっぱり分かりまへん」と戸惑いを見せている。

 御堂筋はキタ(梅田周辺)とミナミ(難波周辺)の2大繁華街を通るメーンストリート。市は92年以降、淀屋橋交差点から心斎橋交差点の間に文化・芸術面のモデルとして銅像設置を進めてきた。現在はロダン作「イヴ」や高村光太郎作「みちのく」など29体が並ぶ。これらの一部に何者かが一夜のうちに“赤い服”を着せた。

 19体は約1キロの間に並んでいる。それぞれ胴や肩の部分をビニールひもで縛られ、ワンピースやドレスなどに見えるように形を整えて、体形にフィットするように寸法も合わせてあった。

 市によると25日午前9時ごろ、通勤中の人から通報を受けた。市は、いたずらとみて大阪府警東署に事実関係を伝えた。彫刻本体に傷や破損、落書きなどはなかったため、被害届は提出していない。

 市はその後、3人がかりで約1時間かけて布を撤去。彫刻を管理する市計画調整局の開発調整部都市景観担当課は「最初はきちょうめんに脱がせていたがうまく脱げないので、途中でカッターを買って裂いた。それでも1時間かかったので、着せた人はだいぶ手間がかかったんちゃいますか」と話す。

 誰が、何のためにやったのかは不明。同課は「大阪のいたずらにしてはオシャレですわな。正直意味がよう分からん」。標的になった19体はすべて女性像でもなく、残り10体の中にも女性像はあることから「何の基準で19体を選んだのかすら分かりません」と首をひねるばかり。

 同課によると過去、スプレーなどによる落書き被害などがあったほか、今年4月には銅像1体が台座から切り離されて歩道に放置される事件があった。ただ、「今回のように像自体に害がないのは初めて」という。目撃者もおり「何かのイベントでやってるのかと思った」と話している。

 ≪平松市長「罪問わないので名乗り出て」≫大阪市の平松邦夫市長は26日の記者会見で「罪は問わないので、どういう人たちがやったのか知りたい」と“犯人”に名乗り出るよう呼び掛けた。「怒られるかもしれないが、現物を見たかった」とも述べた。赤い布を着せた行為については「何かメッセージがあるように見える。たぶん単独では無理」と推理。「毎回この彫刻がキャンバスになると思われるのは困る」とした上で「(市は)ほかにもアートなどのやり方(場)を用意している。そこで一緒にやりませんかと言いたい」と語った。
 
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この「事件」、その後どうなったのでしょうか。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月17日

昭和17年(1942)の今日、日本文芸家協会が解散しました。
 
太平洋戦争まっただなかです。他にも文筆家の団体がたくさんあったのですが、軒並み解散し、光太郎が詩部会会長となる日本文学報国会に吸収されて行きます。「バスに乗り遅れるな」という合い言葉があったそうです。美術関係も美術報国会という団体に一元化されるなど、どんどん国民総動員の動きが加速していきました。恐ろしい時代です。

光太郎と深い関わりのあった与謝野晶子の忌日・白桜忌が開催されます。

第32回 白桜忌

晶子の命日(5月29日)をしのび、晶子ゆかりの寺・覚応寺において白桜忌が開催されます。
逸見久美氏による講演、堺市更生保護女性会コーラス部による合唱を予定しています。

【日 時】5月29日(木曜)午後1時30分から
【場 所】覚応寺(阪堺線「神明町」下車 東へ約100メートル 堺市堺区九間町東3-1-49)
【参加費】1,000円
【主 催】白桜忌実行委員会
【プログラム】
◇講演会「想い出すままに -与謝野晶子・寛の研究より-」
〈講師〉逸見 久美
◇合唱「君死にたまふことなかれ」他
〈出演〉堺市更生保護女性会コーラス部
【問合せ】白桜忌実行委員会 電話:072-258-0948
 
白桜忌には昨年、はじめて参加させていただきました。今年はどうしようかと思っていたところ、記念講演の講師が、今年の連翹忌にご参加下さった逸見久美先生とのことで、これは行くしかない、と思っております。
 
昨年は京都嵯峨野大覚寺新たに見つかった光雲の木彫を観るのを兼ねての強行日程でしたが、今年は他用がないので、堺で晶子生家跡などを見て回ろうと思います。
 
白桜忌、特に事前申し込み等は不要です。ぜひ足をお運びください。000
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月13日
 
平成18年(2006)の今日、仙台文学館で開催されていた「高村光太郎智恵子展―その芸術と愛の道程―」の関連イベントとして、北川太一先生の記念講演「高村光太郎のみちのく」が行われました。
 
おまけ
当ブログ、閲覧数40,000件を超えました。ありがとうございます。

大阪市の映画館、シネ・ヌーヴォさんで表記のイベントが開催中です。

5月25日~6月21日まで、1950~60年代の中村登監督作品を24本、入れ替えつつ1日に3~6本上映しています。
 
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このブログでもたびたび紹介してきました昭和42年(1967)公開、岩下志麻さん主演の「智恵子抄」もラインナップに入っています。
 
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6月7日に1回目の上映が終わってしまいましたが、今日から4日間、以下の日程で再上映されます。

2013年6月12日(水) 11時50分~  13日(木) 10時00分~  14日(金) 13時35分~  15日(土) 16時40分~
 
急なご紹介で申し訳ありません。昨日、ネットで調査中に知ったもので……。関西方面の方、ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月12日

平成13年(2001)の今日、宮沢賢治の弟・清六が歿しました。
 
賢治の8歳下の実弟として、明治37年(1904)に生まれた清六は、昭和20年(1945)に空襲で東京を焼け出された光太郎を花巻に招き、その後も何かと光太郎のために世話を焼いてくれました。また、光太郎と一緒に賢治全集の編集にも当たりました。

大阪・堺発の新着情報です。 

「町家歴史館 清学院」で河口慧海がインドから持ち帰った白檀の香木で高村光雲が彫った大黒天像を初公開

 仏教の原典を求めて日本人で初めてヒマラヤを越えてチベットに入った、堺出身の河口慧海(1866年から1945年)が、インドから持ち帰った白檀(びゃくだん)の香木で、近代彫刻界の巨匠・高村光雲(1852年から1934年)が彫った「荒作大黒天(あらづくりだいこくてん)」を、「町家歴史館 清学院」で初公開します。
大黒天像は、大阪府大東市在住で新潟県妙高市・赤倉温泉出身の北村哲朗さんが所蔵されているもので、慧海は大正末頃から戦前にかけて毎年夏になると、赤倉温泉で朝晩湯につかりながら、仏典の研究を続けたと言われています。赤倉温泉で慧海は、彫刻界の巨匠・高村光雲や日本画家の松林桂月(1876年から1963年)とも親しく交わりました。
今回公開される大黒天像は、慧海や光雲と親交のあった北村さんの祖父、故北村岩次郎氏が、二人に依頼して、慧海がインドから持ち帰った白檀の香木を使って光雲が彫ったものです。慧海が名付けた「荒作大黒天」という銘にふさわしく、鑿(のみ)痕も荒々しい個性的な作風です。
同時に、慧海が赤倉温泉で揮毫(きごう)した直筆の扁額「観自在」や、河口慧海と高村光雲、松林桂月の交友をしのばせる写真パネル等も展示します。
 
展示名称 小さな特別展示 「河口慧海と高村光雲」
 
開催期間 平成25年6月1日から6月30日(火曜休館)

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河口慧海。文中にもあるとおり、日本人で初めてチベットに入った僧侶です。戦時中、光太郎が河口の坐像(戦災で消失)などを制作していたことは知っていました。制作中の写真も残されています。

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しかし、寡聞にして光雲ともつながりがあるのは存じませんでした。
 
今回展示される光雲作の大黒天、きれいに仕上げる通常の光雲彫刻と大きく異なり、粗彫りのままです。類例が全くないわけではありませんが、このレベルの粗彫りは非常に珍しいものです。江戸時代の円空の作品を彷彿とさせますね。
 
また京都/堺でセットにして観てこようかな、と思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月3日

大正11年(1922)の今日、智恵子の妹・ミツが歿しました。

その遺児・春子は智恵子の父・今朝吉の養女となり、のちに看護婦となって晩年の智恵子を看取ります。

京都・大阪レポートの2回目です。
 
午前中、京都大覚寺の「大覚寺の栄華 幕末・近代の門跡文化」展を観て、一路、大阪は堺に向かいました。京都から新大阪まで新幹線、その後、地下鉄と路面電車を乗り継ぎ、堺市の覚応寺さんというお寺に向かいました。こちらで昨日、与謝野晶子の命日・白桜忌が行われました。
 
 
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左の画像はパンダ顔の路面電車、阪堺電気軌道阪堺線。歴史は古く、明治末には走っていたとのことで、晶子も使ったのではないでしょうか。当方、天王寺から乗りましたが、どこまで乗っても200円。これにはちょっと驚きました。
 
会場の覚応寺さんに行くには神明町という駅で降りましたが、あと3駅行くと、晶子生家跡のある大小路駅でした。昨日は強行日程だったので行きませんでしたが、また日を改めて周辺を散策してみようと思っています。
 
右上の画像は白桜忌会場となった覚応寺さんと道をはさんだ向かいにある西本願寺堺別院さん。味のある建物だな、と思っていたら、案の定、明治の昔に堺県庁として使われていたとのこと。
 
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さて、覚応寺さん。明治期のここの住職が晶子と鉄幹を引き合わせたということで、ここで白桜忌が開かれているそうです。境内には有名な晶子短歌「その子はたち櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」を刻んだ碑がありました。
 
会場は本堂。大阪在住の高村光太郎研究会会員・西浦氏も到着。受付を済ませて入ると、正面に晶子遺影、サイドには与謝野夫妻直筆の短冊や晶子肖像画などが飾られていました。
 
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午後1時半の開会。お寺での開催ということで、覚応寺院主さんの読経や晶子実家鳳家の方による代表焼香があったりと、宗教色の強いものでした。ただ、それだけでなく、地元の方々による献茶、献歌、献句、そしてコーラスもありました。曲は晶子に関わるもの3曲。「茅渟の海」「ミュンヘンの宿」そして「君死にたまふことなかれ」。堺の人々が晶子顕彰に力を入れている様子に感心させられました。
 
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その後、国立台湾大学日本語文学系教授にして与謝野晶子倶楽部副会長の太田登氏による講演「晶子における現在的意味を考える-堺の晶子から世界の晶子へ-」と続きました。
 
現在の近隣諸国とのぎくしゃくした国際情勢をふまえ、主に大正期の著述から世界平和を訴えていた晶子の姿、その思想的水脈としてのトルストイとの関連などのお話でした。
 
下の画像は太田氏の新刊「与謝野晶子論考-寛の才気・晶子の天分-」。白桜忌に合わせて昨日の刊行で、版元の八木書店出版部さんが会場内で販売していましたので購入しました。与謝野夫妻と光太郎との関わりについてはまだまだ調べなければならないことがあるので、その手引きとしたいと思います。
 
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その後、西浦氏に車で南海電鉄の堺東駅まで送っていただき、帰途につきました。強行日程でしたが実りの多い京阪訪問でした。
 
しかし、来月にはもう一度京都に行く用事が出来てしまいました。詳細はまた後ほど。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月30日

昭和21年の今日、農民芸術社から雑誌『農民芸術』が刊行されました。

光太郎は宮沢賢治に関する散文「第四次元の願望」を寄せています。

昨日、神田の古書店八木書店様からメールマガジンが届きました。
 
その中に光太郎とも縁の深かった与謝野晶子の忌日、白桜忌(はくおうき)の案内が書かれていました。八木書店様には出版部もあり、逸見久美氏、太田登氏などの鉄幹・晶子論を刊行されている関係だと思いますが、後援として名前を連ねています。 

白桜忌002

晶子の命日(5月29日)をしのび、晶子ゆかりの寺・覚応寺において白桜忌が開催されます。
【日時】5月29日(水曜)午後1時30分
【場所】覚応寺(阪堺線「神明町」下車 東へ徒歩約1分)
【参加費】1,000円
【主催】白桜忌実行委員会
【プログラム】
〈講演〉「晶子における現代的意味を考える -堺の晶子から世界の晶子へ-」
(講師)太田 登(天理大学名誉教授・国立台湾大学日本語文学系教授)
〈合唱〉「君死にたまふことなかれ」他
(出演)堺市更生保護女性会コーラス部
【問合せ】白桜忌実行委員会  電話 072-258-0948
 
「白桜忌」という名は、昭和17年(1942)に刊行された晶子の遺稿歌集『白桜集』に由来するのだと思います。この『白桜集』、光太郎が序文を書いていますし、他に初出ではありませんが、光太郎の詩「与謝野夫人晶子先生を弔ふ」も掲載されています。
 
さて、5月29日。たまたまですが、少し前からこの日は大覚寺さんで新たに見つかった光雲の木彫三点を観ようと、京都に行く計画を立てていました。
 
もう一件、こちらは先方の都合でどうなるかわかりませんが(返答待ち)、京都で別件の調査が入るかもしれません。ただ、京都と堺ならそれほど離れていないと思うので、余裕があれば白桜忌にも行ってみようかと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 5月23日

昭和36年(1961)の今日、山形県酒田市の本間美術館で「高村光太郎の芸術」展が開幕しました。

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