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まずは『福井新聞』さんの記事から。

日本の地名を込めた詩集発刊 「後世伝える」福井の詩人・金田久璋さん発起人、142人が作品

005 地名は土地の風土や歴史、文化を色濃く映すとされる。市町村合併やほ場整備によって古来の地名が失われゆく中、津々浦々の地名が入った詩のアンソロジー「日本の地名詩集―地名に織り込まれた風土・文化・歴史」が発刊された。日本地名研究所(川崎市)所長の民俗学者で詩人の金田久璋さん(78)=福井県美浜町=が発起人となり、福井県の13人を含む全国142人の詩人が作品を寄せた。
 山や谷、川、田畑など土地の形状に由来する地名は多く、田の神や山の神を敬う自然崇拝の習俗に関わる地名もある。日本人の名字の8割方は地名にちなむといわれる。
 「地名は歴史や文化、民俗、地理学のインデックス(索引)で、地域風土のアイデンティティー」と金田さん。自由な感性で詩に織り込まれた地名を「“現代の歌枕”の形で後世に伝えたい」と考え、地名詩集を発案。沖縄・奄美から北海道まで地域別に章立てして編集した。
 福井県関係では、妙金島や坂東島など九頭竜川沿いの地名を少年期の思い出と交錯させた黒田不二夫さんの「紫の稜線」、父の転勤などで住まいを転々とした先の地名や最寄りの駅名を連ねて人生の履歴書とした千葉晃弘さんの「住所」、JR北鯖江駅に行き交う人の哀歓をつづった上坂千枝美さんの「夕暮れのタウントレイン」など、地名や駅名を人生模様と重ねた詩が並ぶ。
 朝倉氏一族の盛衰に思いをはせた渡辺本爾さんの「一乗谷に在りし」、漁師町の暮らしや「ぼてさん」の商いを描いた龍野篤朗さんの「四か浦の道」、三株田や千株田、楔(くさび)田など農耕に由来する土地の呼び名を織り交ぜた山田清吉さんの「だんだんたんぼ」からは歴史や地勢、人の営みが目に浮かぶ。
 岩手の五輪峠の風景をつづった宮沢賢治の詩や、戦禍から立ち上がる沖縄の姿を描いた山之口貘の詩をはじめ、高村光太郎や谷川俊太郎、西脇順三郎ら日本を代表する詩人の作品も収録。古里やゆかりの地の地名がふんだんに盛り込まれている。
 金田さんは「詩作において地名は記憶に残るトポス(主題)。集まった詩は実に多彩で、地名の豊穣(じょう)さを示している。地名に親しみ、長く伝えるためにぜひ読んでほしい」と話す。
 金田さんと共に編者を務めた出版社コールサック社代表で詩人の鈴木比佐雄さんは後書きで「地名を入れた詩作は、地名に秘められた先祖や民衆の歴史と文化の深層を呼び起こす」と述べている。
 216ページ。コールサック社刊、1980円。

続いて『毎日新聞』さん福井版。

日本地名研究所所長 金田久璋さん(78) 類似に着目、民俗学で活用 /福井

無題 地域での信仰の代表的な聖地とされるおおい町大島の「ニソの杜(もり)」などを調査、研究してきた民俗学者であり、詩人でもある。特に地名は、民衆の信仰をひもとくかぎとなることが多く、注目し続けてきた。
 そんな中、142人の詩人による地名にまつわる詩の編者を務めた「日本の地名詩集――地名に織り込まれた風土・文化・歴史」(コールサック社)が9月、出版された。「詩の世界は曖昧模糊(あいまいもこ)となりやすいが、具体的な地名が出てくることによって、ひとつの作品としてリアリティーが出てくる。地名に寄せる思いも表れてくる」と話す。
 この詩集には、宮沢賢治、高村光太郎、谷川俊太郎らの作品を盛り込んだほか、北陸の詩人らが九頭竜川、一乗谷(以上福井県)、手取湖、男川、女川(以上石川県)、刀利(とうり)(富山県)など地元の地名を読み込んだ詩も掲載した。
 金田さんは研究で、「田の神」を祭る石川・奥能登の「アエノコト」と福井・越前平野の「アイノコト」は、越前側を先行事例として共通性を見いだした。饗之事神田(あえのことしんでん)という関連の地名が越前町にあったことや、この地名と同じ文字が朝倉氏の文書にも出てくることから、どちらも民俗学者の柳田国男氏が考えたように酒食でもてなす饗応(きょうおう)の行事であることを裏付けた。
 金田さんは9歳で父を亡くし、高校卒業後すぐに家族を支えるため就職した。その中で、周囲が認める民俗学の実績を積んできた。民俗学で重要なのは、伝承者から証言を得たり、資料を入手したりする「採訪(さいほう)」という。「私の場合、郵便局で働き、接客するなど人間関係で苦労してもまれ、まず先にあいさつをすることなど、コミュニケーション能力が身についた。大事なのは、伝承者のお年寄りに、相づちをうつなどして話を引き出すこと。いかにいい恩師や友人らと出会えるかも大切なことで、自分は恵まれた」と振り返る。
 詩など文学の世界と民俗学は関連すると考えている。「詩は、比喩などダブルイメージを大切にする。まったく結びつかないように見えるものを結びつける 。民俗学で論文を書くときは、文学的なことは極力、排除するが、詩を書くことで、一見すると無関係な二つのものに類似や法則を見いだす『類化性能』が養われると思う。普通の人が関心がなかったことに着目し、気付かなかったことに気付くことがとても大事なのです」と民俗学の研究に臨む姿勢を語った。
人物略歴 金田久璋さん. 美浜町生まれ・在住。敦賀高卒業後、郵政職員。民俗学者の谷川健一氏に師事。国立歴史民俗博物館共同研究員、日本国際文化研究センター共同研究員など歴任。著書に「森の神々と民俗」など。2019年5月から日本地名研究所所長。


というわけで、光太郎作品を含むアンソロジー『日本の地名詩集――地名に織り込まれた風土・文化・歴史』。版元のコールサック社さんから刊行されている雑誌『コールサック』に、広告が大きく出ていました。
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日本の地名詩集――地名に織り込まれた風土・文化・歴史

2021年8月25日 金田久璋・鈴木比佐雄編 コールサック社 定価1,980円(税込)

地名にはその地域の風土・文化・歴史や古代からの重層的な世界を喚起させる重要な役割がある。詩人はこだわりのある場所から「地霊」又は「地の精霊」(ゲニウス・ロキ)を感受してそれを手掛かりに実は魅力的な詩を生み出す。(略)故郷にまつわる地名の様々な記憶や伝承や山里の暮らしなどは、その土地や場所で生きるものたちにとって、地域社会を持続するための真の智恵の宝庫になりうるはずだ。(鈴木比佐雄 解説文より)無題2

目次
第一章 沖縄・奄美の地名  第二章 九州の地名
第三章 中国・四国の地名  第四章 関西の地名
第五章 中部の地名     第六章 関東の地名
第七章 東北・北海道の地名


光太郎詩は、「第七章 東北・北海道の地名」中に、「樹下の二人」(大正12年=1923)が掲載されています。「あれが阿多多羅山、/あの光るのが阿武隈川。」のリフレインで、確かに「地名」が詠み込まれていますね。

上記新聞記事にもあるように、単に詩集としてのみでなく、民俗学的なアプローチもなされているようです。

興味のおありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】002

午后藤島宇内氏来訪、ラジオ機をかついでくる。創元社よりのもの。食品いろいろもらふ。尚出版の事もきく。

昭和26年(1951)5月4日の日記より
 光太郎69歳

藤島宇内は、当会の祖・草野心平の『歴程』などに依った詩人です。翌年の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作に際しては、青森県とのパイプ役の一人となり、さらに光太郎上京後には、中野のアトリエに足繁く通って、身の回りの世話等をしてくれました。

光太郎のこの前後の創元社との関わりは、2点ほど。前年に『現代詩講座』の一部を執筆した他、この年9月には選詩集『高村光太郎詩集』を心平の編集で出版しています。

かつぐほど大きかったらしいラジオ、それらの稿料、印税的な意味合いだったのでしょうか。パシリにされた(笑)藤島に同情します。

まずは『北海道新聞』さん。一昨日の掲載でした。

卓上四季 土壇場の美

日本は建国以来、国運上の危機に不世出の大人物が現れるという。その一人が、土壇場に押し詰められたような推古天皇の時代の聖徳太子であると高村光太郎が「美の日本的源泉」に書いている▼とりわけ「日本美顕揚の御遺蹟は大和法隆寺に不滅の光を放つ」と称賛。金堂壁画は「大陸文化を摂取しながら日本独特の美の源泉を濁らしめず」と評価した。瀬戸際が浮き彫りにする人の真価だ▼それに比べて見苦しい身の処し方である。きのう議員辞職願が認められた菅原一秀前経済産業相のことだ。地元で祝儀などの名目で現金を配った疑いが報じられていた。東京地検特捜部は近く、公職選挙法違反の疑いで略式起訴する方針という▼起訴相当とした検察審査会の議決を受けた東京地検特捜部の再捜査期限が迫っていた。疑惑発覚から1年半余り。追い込まれた土壇場での辞職願だった▼菅原氏は「おわび申し上げる」というだけで説明は不十分と言わざるを得ない。国会の場で説明を尽くすべきだった▼本人は返上の意向だが、賞与にあたる期末手当の満額支給も批判の的に。過去の公選法違反事件で辞職が情状酌量による公民権停止の期間短縮につながった例もある。この期に及んでの辞職理由も説明が欠かせまい。土壇場の語源は江戸期の罪人が自らの墓穴を掘ってできる土盛り場にある。進退窮まる場面で遁走(とんそう)するようではあまりに醜い。

引用されている「美の日本的源泉」は、「日本美の源泉」の原題で、『婦人公論』の昭和17年7月号から12月号に連載された評論です。戦後、中央公論社刊の『高村光太郎選集』に収める際、光太郎の意志で改題されました。「青空文庫」さんに入っていますので、ぜひお読み下さい。引用箇所は、連載の第2回にあたる「法隆寺金堂の壁画」から採られています。
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書かれたのが戦時中、しかもミッドウェー海戦での大敗直後なので、「土壇場」の一語や、「危い、きはどい時機」、「其の禍」あたりにはそうした背景が反映されています。

コラムの後半部分で述べられている人物については、論評するのも馬鹿馬鹿しいほどなので、割愛します。一言だけ言わせていただければ、「コロナ禍」という「土壇場」、「危い、きはどい時機」に、いったい何を考えているんだか……ですね。

もう1件、光太郎には触れられていませんが、『福井新聞』さん。やはり一昨日です。

越山若水

小浜市出身の詩人で児童文学者の山本和夫さんは太平洋戦争の開戦と同時期に、ビルマ(現ミャンマー)に向かう。旧日本陸軍の報道班員で戦意高揚を求められながらも、持ち前のヒューマニズムにあふれる手記を著している▼報道班員には作家、画家らが選ばれ、同じ班員に坂井市三国町出身の小説家で詩人、高見順もいた。班員の手記をまとめ出版された「大東亜戦争 陸軍報道班員手記 ビルマ戡定(かんてい)戦」に、山本さんの「金のパゴダ」がある▼「ビルマ人の魂の故郷はパゴダである」と書き出す。パゴダは英語で仏塔のことだ。美しく輝く金の寺塔を眺めつづる。「私は戦争の破壊と悲惨のみを見に来たのでは決してない。私は日本人あるひは東洋の人の美しさを見に来てゐるのだ。私は次の時代に茂るであらう愛と平和の芽生えを見に来てゐるのだ」▼戦争末期には、朝ドラ「エール」の主人公だった古関裕而もビルマに派遣されており終戦後、自責の念にかられている。山本さんも同じく苦悩の末、児童文学の世界の扉を開く▼ミャンマーでは国軍によるクーデターから4カ月が過ぎたが、打開策は見えない。山本さんは戦後、自著の「燃える湖」で主人公の山村少尉に訴えさせている。「平和な日本を築いてくれ。おれはそういう時代がくるのを確信する」。没後25年の山本さんの願いがミャンマーにも届いてほしい。

山本和夫、光太郎と交流があり、山本の『武漢攻略戦記 山ゆかば』(昭和14年=1939)の題字を光太郎が揮毫していますし、山本が編んだアンソロジー『野戦詩集』(昭和16年=1941)に対する好意的な論評も書きました。こちらは『高村光太郎全集』解題では、当会の祖・草野心平主宰の雑誌『歴程』を初出としていますが、それ以前に『読売新聞』に発表され、『歴程』に転載されたことが判明しています。
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当方、寡聞にして戦後の山本の活動ぶりは存じませんでしたが、花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居した光太郎や、それからコラムにも名が出ている作曲家・古関裕而同様、悔恨の日々を送ったとのこと。失礼ながら、「山本和夫」、全国区では忘れられかけている名だと存じますが、故郷・福井で、顕彰の機運を高めていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

終日雪ふる。時々霏々としてふり、遠方がけむるやうに見える。一尺近くつもる。寒さ加はる。

昭和22年(1947)12月4日の日記より 光太郎65歳

12月あたまにして、既にこの状況。やはり厳しい暮らしでした。

智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』を一つのモチーフとし、福井県を舞台とする谷崎由依氏の小説『遠の眠りの』。じわじわと話題になっているようで、最近、新聞雑誌各紙誌でよく書評を見かけます。

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まず、『毎日新聞』さん。 

今週の本棚 中島京子・評 『遠の眠りの』=谷崎由依・著 因習から逃れる「女という難民」

 大正の終わりごろ、福井の小さな村を舞台に、物語は始まる。本が好きでたまらない貧しい農家の娘、絵子(えこ)は、渡し舟に乗って、裕福な旅館の家の娘、まい子に本を借りに行く。
 主人公の絵子はユニークな少女だ。本に魅せられ、物語に心奪われた彼女は、旧弊な家父長制の軛(くびき)から逃れて町に出る。おりしも「昭和のほんとうにはじまっていく年」、「人絹」工場の女工となるのだ。それから絵子は町に初めてできた百貨店に転職することになる。百貨店の食堂で給仕をしながら、ついには百貨店付属の「少女歌劇団」の、座付き作家になるのである。
 この時代、頭を使って考えること、学問することは男子にしか許されていない。しかし、絵子は本を読むことによって自らを教育し、「文字から成る書物の冷静な思考」を、つまり考えるための言葉を獲得する。
 少女の成長物語のようなやわらかい表情を見せながら、そのじつ、小説は、ある時代を克明に描き出していく。都市生活者、工場労働者が大量に生まれ、正絹が人絹に取って代わられ、人も物も移動するようになり、百貨店が生まれ、都市生活者向け商品が生まれ、大衆が生まれた。労働運動が生まれる時代であり、また、戦争の時代でもあった。
 絵子は工場で知り合ったアクティビストの吉田朝子から、雑誌『青鞜(せいとう)』を教えられ、「すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる」という与謝野晶子による発刊の辞に、心揺さぶられる。
 福井の百貨店に実在したという少女歌劇団に舞台を移すと、物語は大胆に跳躍する。自身も「少女」であるような絵子が脚本係となり、エキゾチックな顔立ちをし、人には性別を隠しながら舞台に立つ妖艶なキヨという「まぼろしの少女」との交流が描かれる。果たして「少女」とはいったい、何者なのか。そして「少女」が成長した先にある「女」とはいったい何者なのか。
 歌劇団の「お話係」である絵子には、女たちの声が響いている。恋する男のために秘密の布を織りあげるまい子や、労働運動に身を投じる朝子だけではなく、歌劇団の少女たち、売られるようにして嫁に行った妹、子どもが生まれないのでいつまでも婚家で居場所を持てない姉、人絹工場の女工たち、ありとあらゆる女たちの声が、まさに糸のように紡がれ撚(よ)り合わさり、「お話」が織り上げられていく。絵子が作ったその「お話」、脚本は、<遠(とお)の眠りの>と名づけられて型破りな演劇となる。それは「女という難民」の物語だと絵子は思う。因習から逃れ出たいと、命からがら逃げてきた、あるいは逃げている女たちの物語だと。
 難民というイメージは、小説の中で別のエピソードから侵入してくる。シベリアからウラジオストク経由で福井の敦賀港にたどり着いたポーランドの孤児難民たちの物語が挿入されるのだ。この史実に基づく話から生まれ出るのが、歌劇団の花形「女優」キヨである。
 「女」の物語であり、「難民」の物語である小説は、大正・昭和という時代設定でありながら、なんと現代に直接響いてくることか。
 芝居の題でもあり、小説のタイトルでもある「遠の眠りの」は、正月によい初夢がみられるようにと、まじないのように唱える回文歌からとられている。「長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな」。 かつてもいまも、なにかから逃れ出たいと願う女たち(あるいは女ではないものたち)にとって、それはほのかに希望をくれる歌にも聞こえてくる。

続いて、『日本経済新聞』さん。 

遠の眠りの 谷崎由依著 戦争の時代に少女が紡ぐ夢 《評》文芸評論家 井口 時男

 タイトルは宝船とセットでよい初夢を見るためのまじないの歌「長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り舟の音のよきかな」から。冒頭ちかく、貧しい農家の少女・絵子(えこ)が子守しながら夕霧ただよう小舟の上で口ずさむ。
 長く暗い夜の永遠かと思われるほどの深い眠り、その眠りがなぜか破られ、目覚めるのだが、それでも舟に揺られるようにたゆたう夢見の心地よさはなお続いているかのようだ。しかも上から読んでも下から読んでも同じ回文なので、たしかに終(おわ)りは初めにかえり、夢と目覚めはまたくりかえす。ふしぎな歌だ。
 父親に厳しくしかられて衝動的に家を飛び出した絵子は、人絹工場の低賃金女工になり、次に福井市に開業したばかりの百貨店の店員になり、そこに創設された少女歌劇団の脚本係になる。その意味では、本を読むのが好きで夢想がちな一人の少女の覚醒と自己実現の物語である。だが、作者の工夫はもっと複雑で繊細だ。
 時代は大正末から昭和の敗戦まで。農村の貧困、恐慌、労働運動、さらに戦争の時代へ、といった現実を踏まえながら、作者の筆は、重苦しい現実の中に徐々に夢と幻想の粒子を忍びこませていく。それは緻密に計算された仕掛けであり、知的で清潔な作者の文体にふさわしく、また絵子の心意のあり方にもふさわしい。
 絵子の一見過激な軌跡は、主体的な行動というより、強いられた受動的な選択の結果である。彼女は人絹工場の寮で古雑誌「青鞜」の女性解放の言葉に感動するが、自分にはうす暗い片隅で手織りの絹のうすもののような夢を紡いでいる方が似合うことも知っている。
 恐慌から戦争へと続く過程で、時代そのものが暗い夜の悪夢みたいな様相を呈してくるのにつれて、小説の夢幻的色彩が強くなる。その中心には、正体を隠して少女歌劇団に入団した美しいボーイソプラノの少年がいる。「ボーイソプラノがこんなにも美しいのは、それが消えゆくものだからだ。」
 眠って夢を見るための歌なのになぜ「みな目覚め」なのだろう、という絵子の問いに、少年の兄は、「行って、帰ってくるためだろう」と答えている。ふしぎな歌に対するふしぎな答えだ。



さらに共同通信さんの配信により、物語の舞台の福井県の『福井新聞』など、複数の地方紙に載った評。 

『遠の眠りの』谷崎由依著 女という難民たちの苦難

 女はずっと難民だったのだと、この小説を読んで気づいた。ひとりの人間としてまともに扱われず、歴史の中に埋もれていった女たちの嘆き、憤り、諦め。その重みを背負い、引き受けて、この小説は在る。女たちの悲しみの布を織り継ぐように。女という難民が乗る小舟を漕ぐように。
 医学部入試における女性差別問題や、性暴力加害者への相次ぐ無罪判決、就活女子学生に対するセクシュアルハラスメント…。現代日本で起きているこうした出来事に接するたび、女の苦難は連綿と続いているのだと思い知る。本書は「いま」につながっているのだ。
 谷崎由依の小説『遠の眠りの』の舞台は、大正期から昭和20年にかけての福井。冒頭、主人公の絵子が、幼い妹を負ぶって狐川の水辺に立つ。絵子は対岸へ行くため、おばちゃんが漕ぐ渡し舟に乗る。
 対岸の家に住むのは、友人のまい子だ。2人が会う部屋には古い手織機がある。まい子の家は旅籠屋だが、まい子自身は手機(てばた)の織り子になりたいと思っている。
 川と舟と織物。この小説の重要なモチーフが、最初のシーンに盛り込まれている。そして、なぜだかとても、懐かしい場面でもある。
 絵子は貧しい農家の生まれだが、本を読むのが大好きな少女である。しかし家には本がないし、貸本屋から借りるお金もない。それで絵子は、小学校で同じ組だったまい子に本を借りるようになった。
 だが繁忙期の農家の娘には、本を読む時間はない。なぜ弟ばかりが魚が与えられ、勉強させてもらえるのか。どうして女は好きな本を自由に読むことさえ許されないのか。「女は、男の子を産んで育てて、その子の将来に託すようにしか夢を描くことを許されない。そのようにしてしか生きることができない」。そう気づいた絵子は両親に逆らう。
 父親に殴られ、家を追い出される絵子。謝って許しを請えば戻れたかもしれない。だが絵子はそうしなかった。絵子のはるかなる“旅”がスタートする。
 まい子の家に転がり込んだ後、人絹工場の寮に住み、「女工」として働き始める。賃金を得るようになった絵子は本を買う。イプセン、トルストイ、ゾラ…。さらに同じ女工の朝子から雑誌を手渡される。『青鞜』という名のそれは既に廃刊していたが、絵子には十分、新鮮だった。絵子はイプセンに、平塚らいてうや与謝野晶子に、そして何より、朝子に感化されてゆく。
 やがて、街で開業した百貨店「えびす屋」(「だるま屋」がモデルだろう)に雇われ、えびす屋専属の少女歌劇団の「お話係」となる。歌劇団では舞台に立つのは少女ばかりだが、その中でひときわ輝き、美声を誇るキヨは、実は少年だった。絵子はキヨに強く惹かれるようになってゆく。
 『遠の眠りの』とは、絵子が少女歌劇団のために書き下ろした演劇のタイトルでもある。それは女たちの物語だ。人として扱われず、影となって働いてきた女。夫の暴力を受けてきた女。子を産めなかった女。女工だった女。そんな女たちが小舟に乗り、逃げようとしている。「難民船に、それはそっくりだった。女という難民たちだった」
 絵子も、まい子も、朝子も、みな難民だった。それぞれ闘い、ぼろぼろになっていた。
 終盤、朝子が絵子に「生き延びましょう」と言う。「生き延びて、逃げ切りましょう。―わたしたちが、わたしたちのようでいられる世のなかが訪れるまで」
 いま、そうした世の中になっているだろうか。おそらく、まだだ。だから谷崎は読者に呼びかける。「生き延びましょう」と。
(集英社 1800円+税)=田村文


最後に『週刊新潮』さん。 

世の中の何かがおかしいという違和感をうまく言葉にできない人へ

 逃亡奴隷の少女の不思議な冒険を描いたピュリッツァー賞受賞作『地下鉄道』の翻訳者としても知られる谷崎由依。『遠の眠りの』は、昭和初期の福井を舞台にした長編小説だ。地元で親しまれている百貨店に宝塚のような少女歌劇団があったという実話が着想のきっかけ。タイトルの由来は〈長き夜の、遠の眠りのみな目覚め、波乗り舟の、音のよきかな〉。よい初夢が見られるおまじないで、回文になっている。

 主人公の絵子は貧しい農家に生まれた。家に本は一冊もないが、友達に借りて読むことを楽しみにしている。ある日、女の子だからという理由で読書の時間を奪われた絵子は、溜まりに溜まった不満を爆発させて父の怒りを買い、村を出る羽目に陥ってしまう。そして中心街にある人絹工場で働くことになる。そこでも女工の賃金が誤魔化されていることを発見して社長の逆鱗に触れた絵子が〈木枠を組んだ糸巻きみたいにあっけない、人間の命運をつかさどっているのは、機械仕掛けの動力なのだ〉と思うくだりは印象深い。つまり、自分の意志ではなく社会のシステムによって、苦しい境遇に追い込まれていることに気づくのだ。

 やがて絵子は新しく開業した百貨店に食堂の給仕兼「少女歌劇団」のお話係として雇われる。劇団の看板女優キヨは、女のふりをした少年だった。舞台という空間にしか存在しない〈まぼろしの少女〉であるキヨだからこそ演じられる芝居を絵子が書き上げるところがいい。婚家で不自由な暮らしを強いられながらも優しかった姉、好きな布を手で織ることを夢見ていた幼なじみ、「青鞜」を愛読し理想を行動に移す女工仲間、文字を教えてくれた近所のお婆……システムによって抑え込まれた女たちの声から紡ぎ出された物語。絵子と同じように、世の中の何かがおかしいという違和感をうまく言葉にできず〈一緒に考えてくれる本〉を求めている人に届いてほしい。

[レビュアー]石井千湖(書評家)

他にも、月刊誌の『新潮』さん、『群像』さんにも評が出ているようですが、割愛します。

各評にある通り、物語は大正の終わりから始まります。『青鞜』が、すでに廃刊となっていたにも関わらず、何人かの登場人物の心の支えとなったという設定です。平成28年(2016)、NHKさんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の、高畑充希さんが演じた主人公のモデルとなった大橋鎭子などは、ほぼリアルタイムで『青鞜』の影響を受けたようですが、地方では遅れて『青鞜』に刺激された女性達も実際に多かったようです。

さて、『遠の眠りの』、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

喜びと悲しみ、意欲と望とが常に相剋してゐるこの世の生活では、永久に若々しい魂の情熱を失はない人々の道は、決して静かな滑らかな、平坦なものではありません。

散文「与謝野寛氏と江渡狄嶺氏の家庭」より
 大正15年(1926) 光太郎44歳

「永久に若々しい魂の情熱を失はない人々」は、直接的には与謝野夫妻を指します。同時に光太郎自身もそうでありたい、そうであるべき、という意図が見え隠れします。たとえその道が「滑らかな、平坦なもの」ではないとしても。

強引ですが、上記『遠の眠りの』のヒロイン、絵子などもそのような人物として描かれています。

福井から、光太郎と交流の深かった彫刻家・高田博厚を取り上げる企画展情報です。

没後30年記念 高田博厚展 対話から生まれる美

期 日 : 2017年9月16日(土)から11月5日(日)
会 場 : 福井市立美術館  福井市下馬3-1111
時 間 : 午前9時 ~ 午後5時15分(入館は午後4時45分まで)
休 館 : 月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(日曜日を除く)
料 金 : 一般1,000円、高校・大学生500円、小中学生200円

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福井市ゆかりの彫刻家・高田博厚(19001987)が、この世を去り今年は30年となります。高田の生涯を彩る多くの師友との交流は、人間の本質を追求し続けた彼の思索と創作の支えともなりました。本展では初期から晩年までの代表作に加え、彼が影響を受けた人々や交流のあった人々の作品を併せて展覧し、その生涯と創作の軌跡、さらに彼の芸術の魅力に迫ります。


『福井新聞』さんの記事から。

高田博厚の生涯たどる 福井市美術館16日から企画展

 少年時代を過ごした福井で文学、哲学、芸術に目覚め、渡仏して近代日本彫刻を代表する作家となった高田博厚(1900-87年)。没後30年を記念し、評論家、思想家としても数々の著作を残し、日本、欧州で一流の文化人と交わったスケールの大きな生涯を、代表作や影響を受けた巨匠の名品とともに展観する企画展「高田博厚展―対話から生まれる美」(福井新聞社共催)が16日から、福井市美術館で開かれる。
  石川県七尾市生まれの高田は、2歳のときに福井県出身だった父の弁護士開業のために福井市に移り住み、18歳までを過ごした。学校の勉強よりも哲学や文学、美術書に熱中する早熟な生徒だった。
  上京後は彫刻家、詩人の高村光太郎と親しく交わり、独学で彫刻を始めた。31年に妻と4人の子どもを東京に残して渡仏。近代彫刻の巨匠ロダン、ブールデル、マイヨールの作品を目の当たりにし、10年間彫刻をやってきた自負は砕け散ったという。
  だが文豪ロマン・ロランをはじめ哲学者アラン、詩人のジャン・コクトーら知識人の輪に招き入れられ、友情に支えられた。高田は彫刻に没頭し、他者、自己との対話を通じて感性を磨き、思索を巡らせた。やがて、彼らの内面や精神の面影までも照らし出すような肖像彫刻を制作するようになる。結局パリ滞在は第2次世界大戦をまたぎ、27年間に及んだ。
  展覧会は福井・東京時代からパリ時代、帰国後の東京・鎌倉時代へと生涯をたどる5章構成。肖像、人体像を中心とした収蔵品に借用品を加えた計65点と、晩年を過ごした鎌倉市などから借り受けた愛蔵品、アトリエにあった制作道具なども並べる。
  パリ時代に手掛けた傑作トルソー「カテドラル」(1937年)や、ロランやアラン、ガンジーら交流のあった人々の肖像彫刻をはじめ、若き日の高田に衝撃を与えたロダンの「ロダン夫人」(1882年、大原美術館寄託)やマイヨールのトルソー「ヴィーナスの誕生」(1918年、群馬県立近代美術館蔵)などの名品も併せて展示。高田の像の特異性を浮き彫りにする構成となっている。
  洋画家岸田劉生の元を訪ねた際に持参した18歳のときの油彩画「自画像」(1918年、個人蔵)や、貴重なドローイングも並べる。福井市美術館の鈴木麻紀子学芸員は「西洋彫刻の精神性を理解し、モデルの内面の本質に迫ることを重視した高田は、『似ていなければ、彫刻に似せていけばいい』とまで言い切り、自分の表現を求めた。福井にこんなスケールの大きな作家がいたことを知ってほしい」と話している。
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 11月5日まで。一般千円、高校・大学生500円、小中学生200円。10月1、7、14、22日は午後2時から作品解説会がある。10月28日には高村光太郎と妻智恵子、高田の人間模様を描いた朗読劇を3回上演する。問い合わせは福井市美術館=電話0776(33)2990。


というわけで、高田の企画展というだけでは紹介しないのですが、光太郎智恵子にかかわる朗読劇があるとのことで、取り上げさせていただきました。ただ、ネットで調べても詳細な情報が未掲載です。

詳しく分かりましたらまたご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】 

午前二時に私はかへる。 電信柱に自爆しながら。

連作詩「暗愚小伝」中の「暗愚」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

戦争が烈しくなってきてからの回想です。午前二時にどこから帰るのかというと、「場末の酒場」からだそうです。「金がはいるときまつたやうに/夜が更けてから家を出た」そうです。「心にたまる膿のうづきに/メスを加へることの代りに」飲んだくれていたとのこと。

大量の翼賛詩を書き殴りながら、戦況は日に日に悪化。学徒出陣の若者などが、出征前に光太郎に会いに来たりということも少なからずありましたが、中には戦死してしまった人もいたわけで、負い目を感じながらも国民を鼓舞することをやめられなかった、己の「暗愚」が描き出されています。

福井県鯖江市からのイベント情報です。

夢みらい館・さばえフェスタ ~女と男 つなげよう ひろげよう 新たな明日へ~

◆日時◆ 2014年2月23日(日) 8:30~15:00

◆内容◆
 8:30 開場
 9:30 オープニング
  式典
  各サークル・団体発表

13:30 講演「『智恵子抄』をめぐる物語」
講師 荒井 とみよ 氏   鯖江市出身、元・大谷大学教授
※詩人・高村光太郎は、狂った妻を介護した夫でした。
その記録ともいえる『智恵子抄』は今の私たちに何を語りかけるのでしょうか。

・パネル作品展示(終日)
・バザー(なくなり次第終了します。)
 
◆お問い合せ◆
 夢みらい館・さばえ(鯖江市三六町1丁目4-20) TEL 0778-51-1722  FAX 0778-51-7830
 
 
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お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月16日

昭和22年(1947)の今日、花巻座でフランス映画を観ました。
 
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花巻座
 
日記の記述によれば、題名は明記されていませんが、キャストがシャルル・ボワイエとダニエル・ダリューだったとのこと。
 
ここから調べてみると、昭和11年(1936)制作の「うたかたの恋」ではないかと思われます。この映画は戦前の日本では検閲により公開禁止、戦後、昭和21年(1946)になって公開されました。
 
ちなみにこの時、賢治の弟で、光太郎と親しかった宮澤清六も一緒に映画を観ています。

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