昨日まで一泊二日で、花巻に行っておりました。3回に分けてレポート致します。

東北新幹線を新花巻駅で下車、予約しておいたレンタカーを借り、まずは新花巻駅近くの花巻市博物館さんへ。こちらでは、テーマ展「鉄道と花巻—近代のクロスロード—」が開催中です。
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近代の花巻における鉄道開発や、それに関わった人物等を紹介し現代へと繋がる交通の拠点都市として発展した花巻の近代鉄道史を紐解く、というコンセプトで、「序章 舟運から鉄道へ」、「第1章 花巻近代鉄道史の夜明け~東北本線~」、「第2章 内陸から沿岸へ~岩手軽便鉄道~」、「第3章 温泉へ行こう~花巻電鉄と新温泉~」、「終章 賑わうまちと新花巻駅開業」の五部構成でした。

図録は発行されていませんで、代わりに、『花巻市博物館だより』№63というリーフレットから。
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展示品目録。こまごまとした出品物が大半で、点数は非常に多くなっていました。
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空襲での東京駒込林町のアトリエ焼失に伴い、昭和20年(1945)5月、宮沢賢治実家に疎開、同年秋から昭和27年(1952)まで郊外旧太田村での山居生活、そして翌年初冬には短期間の太田村「帰省」(後述のブリヂストン美術館さん制作の映画はこの際に撮影)を果たした光太郎。その間に重要な「足」となった花巻電鉄について、特に興味深く拝見しました。

平成30年(2018)には、花巻高村光太郎記念館さんで、「光太郎と花巻電鉄」という企画展も開催されました。その際に当方がお貸しした古絵葉書など、かぶる展示もありましたが、そうでないものも多数。逆に、「光太郎と花巻電鉄」の際に出たものが、こちらには並んでいないというケースも。同じ花巻市の施設なので、もう少し連携するなりすれば、と思いましたが、そのあたりは縦割り行政的なものの弊害なのでしょう。

例えば、昭和29年(1954)、ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」。もちろん光太郎が中心の映画ですが、東北本線の列車や、花巻電鉄が走行しているところの遠景、それから光太郎が花巻電鉄に乗車しているシーンなどが含まれています。その部分だけでも取り出して放映したり、それが無理でも静止画でパネル展示にしたりといったことは不可能ではないはず。
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それから、ジオラマ作家・石井彰英氏作製のジオラマ。こちらは「光太郎と花巻電鉄」の際に作っていただいたものですが、現在も花巻高村光太郎記念館さんで展示中です。
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これを、期間内だけでもこちらに運ぶことも不可能ではないはず。

また、花巻高村光太郎記念館さんの物販コーナーでは、石井氏がご自身でジオラマの細部を撮影され、お仲間の皆さんと音楽やナレーションを入れた「高村光太郎ジオラマDVD」も販売中。それをこちらに持ってきて放映したり売ったりすることも出来なくはないでしょう。

いろいろ権利の問題などで、面倒な手続きが必要かもしれませんが、そもそもそういう発想自体が欠けているのでは、と思うことがしばしばあります。

閑話休題。花巻電鉄といえば、今回の展示に合わせ、ほぼ実寸大の模型が製作され、ロビーに置かれています。「馬面電車」、「ハーモニカ電車」などと称された、デハ3型です。
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これなども、今後、何かの機会に活用していただきたいものです。

それから、お子さん向けに、車輌のペーパークラフト。こちらは無料で配付されているようです。
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自由にカラーリング出来るようになっており、コンテストのような企画が行われています。「花巻市博物館長賞」に輝くと、「商品」がもらえるそうで。「賞品」ではないのかな、と思うのですが(笑)。

さて、同展、8月29日(日)までだそうです。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

午前十時半学校にゆく。今年はじめてなり。箱を持ちゆき郵便物を入れ置くやうたのむ。子供達持参は中止のやうのべる。余が二三日おきにゆく事。


昭和23年(1948)4月19日の日記より 光太郎66歳

「学校」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くにあった、太田小学校山口分教場(のち、山口小学校に昇格)。「今年」は「今年度」という意味でしょう。

郵便はその分教場までしか届けてもらえず、光太郎が自分で取りに行ったり(同時に差し出し分を預かってもらいました)、教師や児童が届けてくれたりしていました。

中には、光太郎がお駄賃にと、雑誌や食べ物をくれるので、それを目当てに、という子供もいたようで、光太郎、そういう気配を感じ取ったようです。