都下小金井市の古書店・えびな書店さんの新蒐品目録が届きました。同店、以前にもご紹介しましたが、美術系が中心で、書籍も扱っていますが、どちらかというと肉筆などの一枚物に力を入れられています。
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今号では、光太郎の肉筆色紙表装済みが出ています。
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003短歌で、「熊いちこ奥上州の山そはにひとりたうへてわれ熊となる」と書いてあります。伝統的な書き方として、濁点は省略。したがって、「いちこ」が「いちご」、「山そは」で「山そば(山岨)」、「たうへて」は「たうべて(食うべて=「食べて」の意)」です。

大正13年(1924)10月、雑誌『明星』(第二期)の第5巻第5号に「工房より」の題で発表した50首のうちのひとつです。『明星』では「山そは」は「山峡(やまかい)」となっていますが、光太郎自らが校訂をしたとされている、昭和4年(1929)刊行の『現代日本文学全集 第三十八篇 現代短歌集 現代俳句集』に再録した際に「山岨」と改訂されています。

この色紙が書かれたのも、おそらくそれほど離れた時期ではなく、大正末から昭和初め頃と推定されます。筆跡的にもその頃の特徴が表れていますし。

光太郎、明治末から戦時中にかけ、断続的に何度も上州の温泉地めぐりをしています。それもどちらかというと、人里近い温泉街は避け、山間の「秘湯」と言われるようなところを多く廻りました。『明星』にこの歌を発表した大正13年(1924)も、6月に奥上州の温泉地に行ったことが年譜に記されています。ただ、この際は具体的な行き先が不明です。

「熊いちご」は野いちごの一種。ヘビイチゴと似ていますが、もっと丈が高くなるそうです。

それにしても、惚れ惚れするような筆跡ですね。戦後の花巻郊外旧太田村での、彫刻刀で彫り込むような書と違い、あまり気負いなく、さらさらっと書いているようにも見えますが、それでも文字の配置、改行の仕方など、独特の優れた空間認識が見て取れます。

ついでというと何ですが、もう1点。少し前、今年1月にネット上に出たものですが、札幌の古書店・弘南堂さんの目録から。
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弟子屈に住んでいた詩人の更科源蔵旧蔵の、寄せ書き帳。昭和2年(1927)作の連作詩「偶作十五篇」中の2篇が書かれています。上の方が「木を彫ると心があたたかくなる 自分が何かの形になるのを 木はよろこんでゐるやうだ」、下の頁は「急にしんとして 山の匂のしてくる人がある」。

おそらく上記の「熊いちご」と、そう離れていない時期の揮毫と思われます。この書もいつまでも眺めていられそうです。

「ここにこういう光太郎の書の優品があるよ」といった情報、御教示いただけると幸いです。ただ、偽物が多いのも事実で、悩ましいところですが……。

【折々のことば・光太郎】

夜土間で紙に排便。外は雪にて出られず。排便はそのまま外に持ち出す。

昭和22年(1947)12月11日の日記より 光太郎65歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、便所は別棟で、小屋の外にありました。積雪のひどいときには、こうせざるを得なかったわけですね。

光太郎の蟄居生活、よく、「気ままでのんびりした一人暮らし」、「戦争協力への反省をしていることをアピールするポーズ」的に評したものを見かけます。豪雪の夜、土間の片隅で紙に排便をしている老いた巨軀を想像すると、当方にはそういう表現はできませんね。