昨日の関東は、およそ1週間ぶりに晴れました。既に近畿・東海までは入梅しており、先週の様子では、関東も実は梅雨入りしてるんじゃないの? と思っておりましたが、まだ梅雨の走りだったようでした。今日も晴れています。
久しぶりの好天に誘われて、昨日は自宅兼事務所から車で15分ほどの水郷佐原あやめパークに行って参りました。市立の水生植物園です。かつてはずばり「水生植物園」という名称でしたが、平成29年(2017)、園内の一部リニューアルと同時に改称されました。「佐原」は合併前の市名です。ときおり、テレビの旅番組系などでも「さはら」と平気で読んでいてムカッとしますが、「さわら」です。沙漠ではなく真逆の水郷地帯です(笑)。
利根川が運んできた土砂が堆積して出来た大きな中州(地元民は「新島(しんしま)」または単に「島」と呼んでいます。もとは「十六島」とも呼ばれていました)にあり、広大な敷地内にハナショウブを中心とした花々が植えられています。ハナショウブの見頃はこれからで、今週末からは「あやめ祭り」と称し、様々なイベントも。そうなると入園者数も増加しますので、その前に行っておこうと思った次第です。600円→800円と、入園料金も上がりますし(笑)。
ちなみにハナショウブとアヤメは、似て非なる植物です。こちらではハナショウブが中心ですが、「ハナショウブパーク」ではわかりにくいので、「あやめパーク」なのでしょう。
早咲きのものは、既にいい感じに咲いていました。
ハスやスイレン(この二つも、似て非なる植物です)も。
さらに、こちらはそろそろ見頃が終わりという感じでしたが、薔薇。
平成3年(1991)から同11年(1999)まで、『朝日新聞』さんの千葉版に連載されたものに加筆訂正、千葉県内の文学史跡がほぼほぼ網羅されています。光太郎智恵子に関しても、九十九里、成田三里塚、銚子犬吠埼と、三箇所で言及。その部分では、特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、光太郎と交流の深かった面々が、千葉にどんな足跡を残しているかをもっと知りたいと思い、大枚500円(笑)をはたいて購入しました。
すると、自宅兼事務所のある佐原の項で、光太郎と親しかった北原白秋の詩碑が、あやめパーク内に建っているという記述。地元でありながら、これは存じませんでした。元々手元に『北総の文学碑』という、佐原周辺限定で文学碑の数々を紹介した書籍もあったのですが、そちらには記述がありませんでした。
それもそのはず、『北総の文学碑』は昭和61年(1986)の刊行、白秋碑の建立はそのあとの平成2年(1990)でした。
というわけで、白秋詩碑。実は10年程前にもここを訪れていながら、その際には気づきませんでした(笑)。
昭和4年(1929)刊行の詩集『海豹と雲』に収められた、「水村の春」という詩の一節が刻まれていました。下記の色を変えた部分です。先に書いておきますが「田螺」は「タニシ」です。念のため。
「青空文庫」さんから取らせていただきました。この詩は、「水郷の早春」という小題でまとめられた四篇のうちの一つでした。碑陰記には「水郷をうたつた白秋の長詩水村の春十六島の一節」とあります。白秋で「水郷」というと、故郷の福岡柳川が思い浮かびますが、「水郷の早春」中の「朝靄の中」には「ここは潮来の出はづれ、沼から沼へとかよふ水路だ。」というフレーズがあり、柳川ではなく、「ちばらぎ」の水郷であることは明白です。「潮来」は茨城県に属し、あやめパークのある佐原の新島地区と隣接、同じように水路が張り巡らされています。同じ水郷風景と云うことで、白秋も親近感を抱いたかも知れません。
また、『海豹と雲』には、「早春 香取神宮」という詩も収められていますが、「香取神宮」も佐原です。ちなみに香取神宮には、光太郎の彫刻のモデルを務めた歌人・今井邦子の歌碑、香取神宮の一の鳥居がある利根川河畔のかつての河岸(かし=船着き場)には、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の歌碑が、それぞれ建てられています。
邦子や晶子の足跡があることは存じていましたが、白秋も佐原に来ていたんだ、と、それは存じませんで、汗顔の至りです。ただ、手元にある書籍や、ネット上の情報では、それがいつなのかはっきりしません。御存じの方、御教示いただければ幸いです。
さて、「水郷佐原あやめパーク」、もうすぐ園内のハナショウブが満開となります。コロナ感染にはお気を付けつつ、足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】
草野君の詩集の為「蛙(かへる)」といふ題字を書く。
翌年に刊行された『定本 蛙』のためのものです。
同じ蛙でも、白秋の手にかかれば「かはづの啼くはころころ」とかわいらしく、心平が謳えば「ぎゃわろ、ぎゃらろ、ぎゃわろろろろり」(笑)。面白いものです。
それにしても、この字もなかなか書けない凄い字だと思います。「蛙(かへる)」を三つ、絶妙のバランスで並べるこの感覚、脱帽です。心平の原稿の書き方にも影響されているかも知れませんが。
久しぶりの好天に誘われて、昨日は自宅兼事務所から車で15分ほどの水郷佐原あやめパークに行って参りました。市立の水生植物園です。かつてはずばり「水生植物園」という名称でしたが、平成29年(2017)、園内の一部リニューアルと同時に改称されました。「佐原」は合併前の市名です。ときおり、テレビの旅番組系などでも「さはら」と平気で読んでいてムカッとしますが、「さわら」です。沙漠ではなく真逆の水郷地帯です(笑)。
利根川が運んできた土砂が堆積して出来た大きな中州(地元民は「新島(しんしま)」または単に「島」と呼んでいます。もとは「十六島」とも呼ばれていました)にあり、広大な敷地内にハナショウブを中心とした花々が植えられています。ハナショウブの見頃はこれからで、今週末からは「あやめ祭り」と称し、様々なイベントも。そうなると入園者数も増加しますので、その前に行っておこうと思った次第です。600円→800円と、入園料金も上がりますし(笑)。
ちなみにハナショウブとアヤメは、似て非なる植物です。こちらではハナショウブが中心ですが、「ハナショウブパーク」ではわかりにくいので、「あやめパーク」なのでしょう。
早咲きのものは、既にいい感じに咲いていました。
ハスやスイレン(この二つも、似て非なる植物です)も。
さらに、こちらはそろそろ見頃が終わりという感じでしたが、薔薇。
園内を周遊する舟廻りのサッパ舟(有料・500円)。「サッパ」は「笹の葉」の転訛です。舟の形状に由来します。
昨日、こちらを訪れたのは、何も花々を見るためだけではありませんでした。
話せば長いことながら、先週、旧市街の古書店さんに行ったところ(最近、店を閉めていることが多いのですが、前を通りかかったら久々に開いていましたので)、右の書籍があって、購入してきました。江戸川大学教授・鳥海宗一郎氏著『文学の旅・千葉県』(龍書房)。平成15年(2003)の刊行ですので、「古本」というほどの「古本」ではありません。

話せば長いことながら、先週、旧市街の古書店さんに行ったところ(最近、店を閉めていることが多いのですが、前を通りかかったら久々に開いていましたので)、右の書籍があって、購入してきました。江戸川大学教授・鳥海宗一郎氏著『文学の旅・千葉県』(龍書房)。平成15年(2003)の刊行ですので、「古本」というほどの「古本」ではありません。
平成3年(1991)から同11年(1999)まで、『朝日新聞』さんの千葉版に連載されたものに加筆訂正、千葉県内の文学史跡がほぼほぼ網羅されています。光太郎智恵子に関しても、九十九里、成田三里塚、銚子犬吠埼と、三箇所で言及。その部分では、特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、光太郎と交流の深かった面々が、千葉にどんな足跡を残しているかをもっと知りたいと思い、大枚500円(笑)をはたいて購入しました。
すると、自宅兼事務所のある佐原の項で、光太郎と親しかった北原白秋の詩碑が、あやめパーク内に建っているという記述。地元でありながら、これは存じませんでした。元々手元に『北総の文学碑』という、佐原周辺限定で文学碑の数々を紹介した書籍もあったのですが、そちらには記述がありませんでした。
それもそのはず、『北総の文学碑』は昭和61年(1986)の刊行、白秋碑の建立はそのあとの平成2年(1990)でした。
というわけで、白秋詩碑。実は10年程前にもここを訪れていながら、その際には気づきませんでした(笑)。
昭和4年(1929)刊行の詩集『海豹と雲』に収められた、「水村の春」という詩の一節が刻まれていました。下記の色を変えた部分です。先に書いておきますが「田螺」は「タニシ」です。念のため。
一
水車のまはる樋口に
窗障子あくる子のあり。
春はまだしか、芽麦に
はだら雪など光れり。
二
春雨けぶる小がはに
板橋わたす里かや。
この田かの田の下萠え、
簑笠つけて早や鋤く。
三
ひとむら萠えしなづなを
朝出て食(は)むや雌(め)の牛、
沼の田べりはわづかに
降りつぐもののにほへり。
四
かはづの啼くはころころ、
田螺の啼くはころろよ、
ころころ、ころろ、ころころ、
萠え来(こ)よ、春の下(した)ん田(だ)。
五
芽柳もなびくよ。
誰(た)ぞや、こぬかの小雨(こさめ)に
今朝あかあかと火を焚く。
六
春はまだ浅き水田の
根芹は馬に食まれぬ。
ゆきかへりつつ、鋤きつつ、
ひと日は雨に暮れたり。
七
ふたもと高い葉楊、
鍋底こする舟の子、
つん抜け土間の藁家は
燕の飛ぶにまかせぬ。
八
夜明けの靄にめざめて、
渡るは雁か、くぐひか、
早や榜(こ)ぎいでよ、作舟、
沖田あたりは晴れうよ。
九
耕作舟につむもの、
犂、鍬、黒の雌(め)の牛、
娘のあかい細帯。
十
せんだんの実もさみしや。
蓆機織る藁家は、
日がな日ぐらし音して、
日がな日ぐらし雨ふる。
十一
藁すぐる子の目見(まみ)ゆゑ、
沼のあかりがしむかよ。
ときたま鳴けよ、鳰鳥、
昼間の月も渡るよ。
十二
前ゆく蝶のつばさに
土のしめりはながれぬ。
まことに春は田の面の
末より野路(のぢ)ににほひぬ。
「青空文庫」さんから取らせていただきました。この詩は、「水郷の早春」という小題でまとめられた四篇のうちの一つでした。碑陰記には「水郷をうたつた白秋の長詩水村の春十六島の一節」とあります。白秋で「水郷」というと、故郷の福岡柳川が思い浮かびますが、「水郷の早春」中の「朝靄の中」には「ここは潮来の出はづれ、沼から沼へとかよふ水路だ。」というフレーズがあり、柳川ではなく、「ちばらぎ」の水郷であることは明白です。「潮来」は茨城県に属し、あやめパークのある佐原の新島地区と隣接、同じように水路が張り巡らされています。同じ水郷風景と云うことで、白秋も親近感を抱いたかも知れません。
また、『海豹と雲』には、「早春 香取神宮」という詩も収められていますが、「香取神宮」も佐原です。ちなみに香取神宮には、光太郎の彫刻のモデルを務めた歌人・今井邦子の歌碑、香取神宮の一の鳥居がある利根川河畔のかつての河岸(かし=船着き場)には、光太郎の姉貴分・与謝野晶子の歌碑が、それぞれ建てられています。
邦子や晶子の足跡があることは存じていましたが、白秋も佐原に来ていたんだ、と、それは存じませんで、汗顔の至りです。ただ、手元にある書籍や、ネット上の情報では、それがいつなのかはっきりしません。御存じの方、御教示いただければ幸いです。
さて、「水郷佐原あやめパーク」、もうすぐ園内のハナショウブが満開となります。コロナ感染にはお気を付けつつ、足をお運び下さい。
【折々のことば・光太郎】

草野君の詩集の為「蛙(かへる)」といふ題字を書く。
昭和22年(1947) 10月29日の日記より
翌年に刊行された『定本 蛙』のためのものです。
同じ蛙でも、白秋の手にかかれば「かはづの啼くはころころ」とかわいらしく、心平が謳えば「ぎゃわろ、ぎゃらろ、ぎゃわろろろろり」(笑)。面白いものです。
それにしても、この字もなかなか書けない凄い字だと思います。「蛙(かへる)」を三つ、絶妙のバランスで並べるこの感覚、脱帽です。心平の原稿の書き方にも影響されているかも知れませんが。