智恵子の故郷、福島県二本松市の広報紙『広報にほんまつ』の5月号、智恵子の名が18回も出てきました(笑)。

まずは1月に亡くなった同市名誉市民にして、光太郎の父・光雲の孫弟子にあたられた彫刻家・橋本堅太郎氏の遺作となった智恵子像「今ここから」除幕について。智恵子の名がまず2回。
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次に、同市で智恵子顕彰にあたられている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子抄総選挙」の件で、7回。
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続いては、「高村智恵子生誕祭」。特に式典等があるわけではないのですが、智恵子生家で紙絵の制作体験と、裏手の記念館で通常は複製が展示されている紙絵の真作の展示と、これをもって「生誕祭」と称しています。このところ、それぞれ年中行事となっています。なぜか生家2階部分の限定公開は別枠です。
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005ここで「智恵子」が8回。ここまでで累計17回。最終18回目は、裏表紙のカレンダー欄に1回。これで18回です。

それから、ついでというと何ですが、「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」(「あどけない話」昭和3年=1928)と謳われた、日本百名山の一座・安達太良山の山開きの件も紹介されていました。

ただ、以前は必ずといっていいほど「ほんとの空」の語を配して下さっていたのですが、このところお見限りのようで(笑)。
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また、昨年に続き、コロナ禍のため山頂イベントは中止だそうです。残念ですが致し方ありませんね。

公式フライヤーはこちら。こちらも「ほんとの空」の語はなし。
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おそらく画像は一昨年のものと思われます。この中に当方もいるかも知れません(笑)。またこの頃のように、山頂での山開きがにぎわってほしいという願いが込められているのでしょう。まさしく当方もそうであってほしいと祈るばかりです。

【折々のことば・光太郎】

十一時頃分教場行、郵便物。 ひるかへると、あとからワタルさんに案内されて水沢の大川英八といふ(画家か)人子息と共に来訪、濁酒一升もらふ。フナ雀やき少〻、いろいろ話。

昭和22年(1947)8月11日の日記より 光太郎65歳

「ワタルさん」は、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山小屋近くの住民、「大川英八」は画家で、橋本八百二の師にあたる人物。萬鉄五郎とも交流があったそうです。

「雀やき」の語で、「えっ?」と思いました。当方自宅兼事務所のある千葉県香取市佐原地区の名産品だからです。ちなみに友人(地元の名士ですが)がこの手の店を経営していたりします。「雀やき」と言っても、雀を焼くわけではなく(京都伏見では本当に雀を焼いた料理があるそうですが)、川魚です。名の由来は諸説あるようですが、電線に並んでとまっている雀の姿に似ているためとか、江戸時代のお殿様が雀と勘違いしたからとか、いろいろ言われています。
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一度、青森の方にお送りしたことがあります。半分は「えっ、雀?」という反応を期待してのことでしたが、まんまとその通りのリアクションで、してやったり、でした(笑)。

それにしても光太郎の日記に出てくるということは、昔は意外と一般的だったのかな、と思いました。また、日記のこの部分をして、「光太郎は山小屋生活で雀まで食べていた」と勘違いしないで下さい(笑)。