昨日は演劇公演を見に行っておりました。過日ご紹介した「ひなた村劇団第40回公演「青鞜の女たち」」。4月はじめに申し込んだ時点では満席とのことでしたが、一昨日になって、キャンセルが出たと連絡が入り、伺った次第です。
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会場は、町田市の「ひなた村」さんという、自然体験などのできる施設内に設けられたカリヨンホール。コロナ禍明けやらぬ中ですし、公共交通機関ではなく、愛車を駆って行きました。
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13:00と16:00の2回公演で、当方は16:00の方を拝見。

明治末、智恵子も参加した『青鞜』をめぐる群像劇ということで、同じ趣旨の二兎社さんの公演「私たちは何も知らない」などが頭にあって、女性だけの芝居なのかと思っていました。実際、フライヤーには以下のように印刷されていましたし。
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ところが、さにあらず。この女性たち以外にも、光太郎を含め、それぞれの周辺にいた男性陣もしっかり描かれていました。
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概ね史実に則りつつ、ただし時系列的にはいろいろ改変を加えながら(個々のメンバーの『青鞜』加入時期など)、それぞれの人生を描くといったものでした。
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左から、神近市子、智恵子、平塚らいてう、伊藤野枝。智恵子と野枝は入れ替わりに『青鞜』に参加しましたが、そういった細かな部分は考慮しない、というスタンスの脚本でした。

「ひなた村劇団」さんというのは、「町田市文化事業の一環として町田市青少年施設「ひなた村」で17年間に亘り開催された初心者演劇教室(講師:髙垣葵氏)の卒業生を中心に構成されている町田の市民劇団」(公式HP)だそうで、基本、アマチュアです。

そういうわけで、ちょっとしたトラブルもいろいろありましたが、皆さん、一生懸命演(や)られていました。「活動理念」として、「市民劇団として、子供から大人まで、今まで芝居を見たことのない観客にもわかりやすく楽しめる芝居を提供できるように取り組む」(同)という、それは達成できていたな、という感じでした。

ただ、ストーリー的には、少し手を広げすぎかなという感もありました。与謝野鉄幹と晶子に山川登美子、島村抱月で松井須磨子、岡本一平(東京美術学校での光太郎の同級生です)・かの子、大杉栄には神近市子及び伊藤野枝、平塚らいてう&奥村博史、そして光太郎智恵子……。それぞれのカップル(三角関係も含め)の愛憎や苦悩を細かなエピソードで描き、その分、2時間以上の長い舞台になっていました。

まぁ、それだけに、「新しい女」を目指しながら、皆、それを果たせず挫折した女たち、といった点は強調されましたが。

光太郎智恵子に関しても、大正元年(1912)の犬吠埼(具体的な場所は特定されませんでしたが)でのエピソード以外にも、智恵子が心を病んでからの九十九里浜(こちらも九十九里浜とは明言されませんでしたが)での様子も描かれました。
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まぁ、そうした中で、世間の偏見や因習と戦い続け、刀折れ矢尽きた女たち、的な感じが鮮明に描かれることにはなり、それを狙ったのだろうと思いました。
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8月には、「第29回たちかわ真夏の夜の演劇祭」というイベントに参加なさり、再演されるそうです。
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また近くなりましたら、ご紹介いたします。

それにしても、東京都は新型コロナによる3度目の緊急事態宣言が今日からということで、昨日の会場のひなた村さんも今日から閉鎖だそうです。1日ずれていたために休演にならずにすんで、よかったと思いました。本来、この公演、一年前に予定されていたものでしたので……。まったく、いつまで続くコロナ禍ぞ、という感じですね……。

【折々のことば・光太郎】

井戸の水急にふえる。稍濁る。 後刻水汲みの時、鼠一匹井戸の中に溺れてゐるのを発見、引き上げて南瓜の肥料に埋める。多分薬をくつた鼠ならん。井戸の蓋を必ずする事にする。


昭和22年(1947)7月23日の日記より 光太郎65歳

蟄居していた花巻郊外旧太田村の山小屋での生活、こうしたエピソードからも、壮絶なものだったことがうかがえます。