今年1月にご逝去された、日展彫刻家にして光太郎の父・光雲の孫弟子にあたられた橋本堅太郎氏の遺作「今ここから」が、3月28日(日)、JR東北本線安達駅前に除幕されました。

画像は三保恵一二本松市長さんのツィートから。
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除幕前の3月18日(木)、『福島民報』さんの記事。

【橋本氏の功績】遺作にも古里への思い

 二本松市ゆかりの彫刻家で文化功労者の橋本堅太郎さんの遺作となるブロンズ像の除幕式が二十八日、市内で行われる。同郷の画家の高村智恵子を題材にしており、二本松市が生んだ偉大な芸術家二人が共鳴する意義深いモニュメントが誕生する。
 一月三十一日、九十歳で亡くなった橋本さんの功績は枚挙にいとまがない。日展を舞台に木彫作品を発表し、一九九六(平成八)年に日本芸術院賞を受賞、日本芸術院会員に推戴された。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の五部門で構成する国内最大の公募展・日展の理事長を九年間にわたり務めた。本県の美術振興にも情熱を注ぎ、県展の審査を長く担当した。
 JR安達駅近くに設置される智恵子の像は二本松市の依頼を受け、制作にかかった。家族によると、昨年十一月に集中的に取り組んだ。祖母から伝え聞いた智恵子の印象を膨らませ仕上げたという。直後に療養生活を強いられ、退院さえかなわず不帰の人となった。遺作と呼ぶにふさわしい、まさに渾身[こんしん]の思いがこもった一点だ。智恵子が愛した安達太良山を背景にすることを思うと、なお感慨深い。
 会津若松市の鶴ケ城に二〇一三年(平成二十五)年に設置された「八重之像」も古里への思いが結実した作品だ。NHK大河ドラマ「八重の桜」の放映が決まると、数人の彫刻家が制作を思案していることを聞き及んだ。「八重さんだけは必ず自分の手で作る」と心に決めたそうだ。
 建立予定地に何度も足を運び、構想を固めていった。橋本さんへの報酬はなく、制作実費を市と市内経済界、住民有志が寄せ合うという画期的なプロジェクトでもあった。新島(山本)八重を顕彰する貴重な像が、一人の作家の信念で会津に残されている。
 最初にお目にかかったのは一九八四(昭和五十九)年、福島市の中合で開かれた父・高昇さんとの親子展だ。当時、東京学芸大の教授でもあり、学究肌のもの静かな振る舞いが忘れられない。敬愛する奈良、京都にある古仏の話も取材の際、たびたびうかがった。プロ野球のファンで応援するチームが躍動するや、子どものように破顔した。
 東京都小平市の平櫛田中[でんちゅう]彫刻美術館で九月から作品展を開くことが既に決まっていた。東京芸大で師事した恩師の記念館であり、故人にとって無念の極みだろう。木の風合が生かされた木彫の作品群が並ぶはずだ。県内で鑑賞できる数々の名作とともに、巨星が残した美の軌跡を末永くしのびたい。

除幕を報じた『福島民友』さんの記事。

「市民に夢を」安達駅に智恵子像 彫刻家・橋本堅太郎氏遺作

002  二本松市名誉市民で1月31日に死去した文化功労者、彫刻家橋本堅太郎氏の遺作となった智恵子像「今ここから」が二本松市のJR安達駅西口に設置された。28日、現地で除幕式が行われ、市民にお披露目された。
 智恵子像は高さ約1.8メートル。同市出身の洋画家高村智恵子の青年期の清純なイメージを着物姿のブロンズ像に仕上げた。市が同駅の東口整備と新駅舎の完成を記念して、橋本氏にシンボル像の制作を依頼。昨夏から制作が始まったが、今年1月初めに石こう像が完成した時に橋本氏の体調が悪化し、他界した。
 作品は、新しい駅舎の完成を機に未来に向かって発展してほしいという願いや、駅という場から旅の始まりなどの意味が、夢や希望にあふれる青年期の智恵子の姿と重ねて命名された。橋本氏は生前、「市民や駅利用者に夢を与える作品にしたい」と話していたという。
 三保恵一市長や橋本氏の妻芳子さんらが除幕。出席者が橋本氏をしのびながら完成を祝った。
 三保市長は「今ここから市民の幸せな人生、新たなまちの発展を願う」とあいさつした。芳子さんは式後、「(除幕式に出席できずに)主人は無念だと思う。二本松には作品がたくさんあり、ここに来ると主人がまだいるように思える」と話した。

橋本氏、ご自身は東京のお生まれですが、お父さまが二本松ご出身ということで、福島との関わりは深いものがあり、県内各地に作品が設置されています。以前にも書きましたが、安達駅の一つ手前の二本松駅前には、平成21年(2009)制作のやはり智恵子像「ほんとの空」。
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昨年の3.11には、浪江町に東日本大震災犠牲者追悼のための「母子像」が除幕されています。
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それから、上記『福島民報』さんの記事にある、「八重の桜」の新島八重像(平成25年=2013)。

さらには二本松霞ヶ城箕輪門前の二本松少年隊群像。
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他にもいろいろあるのでは、と思われます。

ご遺作が智恵子像、というところにも不思議な因縁を感じますね。近いうちに拝見に伺おうと思っております。皆様もあちら方面にお越しの際にはぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

みぞれ止まず。風も相当につよし。冷。


昭和22年(1947)4月23日の日記より 光太郎65歳

青森に住んでいる学生時代の友人が、「GWまでは冬用タイヤを交換できない」と言っていましたが、岩手の山村でもそうなのですね。