これまでもたびたびご紹介してきた、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」関連。まずは秋田の地方紙『秋田魁新報』さんの一面コラム、3月13日(土)の掲載分。

北斗星

「私たちは小さな集落なのでコミュニティーの絆は強い。でも津波の力はさらに強かった」。東本大震災から約1年後、宮城県女川町竹浦(たけのうら)地区の女性が、現地を激励に訪れた仙北市民たちに語った▼精神的な強さと津波の物理的な強さ。本来は比較できないものだからこそ、生活を壊されたつらさと当時の恐怖感が伝わってきた。海面から高さ十数メートルの斜面に立つ木に、買い物かごが引っ掛かっていた。津波の爪痕だった▼三陸海岸南部にある女川町では震災で800人以上が犠牲になった。町東部の竹浦地区住民ら約100人が震災後の半年間、仙北市で避難生活を送った。この縁で交流が続いていた▼町内には2013年から、津波被害のあった所に高さ約2メートルの「いのちの石碑」が順次建てられている。当時の中学生たちの発案で、これまでに18基がお披露目された。「見上げればがれきの上にこいのぼり」。竹浦地区の1基に刻まれた句である▼他の地区の石碑には「夢だけは壊せなかった大震災」「取り戻せ自然豊かな女川を」など復興への強い願いが記された。石碑は全て震災での津波到達地点より高い位置にある。津波が再び襲った際、「ここより上に逃げて」という指標だ▼震災犠牲者や町外転出者のため、町人口は震災前の約1万人から4割ほど減った。そんな中でも「非常時に助け合うため、普段から絆を強くする」。各石碑の句の下には、命を守る対策としてそんな言葉が共通して刻まれている。

竹浦地区の碑は、旧女川中学校校庭に続き、2番目に建てられたものです。

3.11当日の、KHB東日本放送さんのローカルニュースでも、宮城県内各地での様子を伝える中で、「いのちの石碑」が取り上げられました。

東日本大震災から10年 県内各地で鎮魂の祈り

  石巻市の佐藤美香さんは、日和幼稚園の送迎バスに乗っていた当時6歳の娘、愛梨ちゃんを亡くしました。

佐藤美香さん(46)「娘と会えなくなってから、1日1日が重なっていく一方で、その重なった月日が10年。娘とともに一緒にこれからも歩んでいきたいと思っています」

女川町では、今も行方が分からない妻を捜す男性の姿がありました。

高松康雄さん「今どこにいるの?っていうことと、家族みんな元気にしているし、孫も元気にしているから心配しないでくれと」

また、町内の高台では当時中学生だった世代が、町内21カ所に石碑を建てる「いのちの石碑プロジェクト」を進めていて、11日は黙祷の後、清掃を行いました。
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伊藤唯さん「文章とかも読んでいただきたい文章が書いてあるので、奇麗な状態のまま1000年先まで残っていれば良いなと思って、その気持ちで拭かせていただきました」
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石巻市の管野一之さんは、母・たえ子さんを津波で亡くしました。津波で長く行方不明だった母の姉、阿部きうさん(当時99歳)の身元が特定され、去年7月、遺骨の引き渡しを受けました。今では姉妹が同じ寺に眠っています。

管野一之さん「お互いに喜んでいると思います。行方不明で見つけてくれたという形で」新型コロナの影響で、去年は津波被害を受けた沿岸15の自治体のうち、14の市と町が追悼式典を中止しましたが、今年は松島町と利府町を除く13の市と町が式典を開きました。

村井知事「復旧復興をやる上で、時に被災者の皆さんと意見がぶつかる時もありました。楽しいことよりも辛いことが多かったわけですが、10年経って一定の街づくりができたという意味では頑張ってきて良かった」

名取市閖上では、津波の犠牲となった閖上中学校の生徒14人の遺族が中心となり、追悼イベントを開きました。

今年は亡くなった人へのメッセージを乗せた371個の風船が大空へ。犠牲になった大切な人や失われた故郷に思いをはせ、震災の教訓を未来へつなぎます。
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所変わって、大阪。国立民族学博物館さんで開催中の特別展で、「いのちの石碑」が紹介されているようです。

ラジオ関西さんの報道から。

災害復興で再発見された地域文化を継承する特別展「復興を支える地域の文化―3・11から10年」 国立民族学博物館

015 東日本大震災の発生から10年。災害からの復興を支える地域文化の活動を通し、その大切さと次の世代への継承について考える特別展「復興を支える地域の文化―3・11から10年」が大阪府吹田市の国立民族学博物館で始まった。2021年5月18日(火)まで。

 2011年3月の東日本大震災では、多くの文化財や地域に根付く伝統芸能も被害を受けた。避難生活を余儀なくされ地域コミュニティーの存続が危ぶまれる中、人々はがれきの残る場所や仮設住宅でまつりを開催し、伝統芸能を奉納したという。地域文化とはその土地で受け継がれてきた生活の記憶であり、有形・無形様々、その土地ではあたり前のものもある。一方で変化が大きい現代では容易に忘れ去られてしまうという危機に直面している。特別展では、震災後に再開された郷土芸能が人々の生活を後押しし、復興への支えになっていることや、被災した文化財などの修復作業、そして災害によって再発見された地域文化も紹介する。

 宮城県石巻市では文化財収蔵庫も津波の被害を受けた。その修復作業には東北の大学生たちも参加した。木製の「カマガミサマ」は水を使うことができず刷毛で泥を落とした。塩水に浸かった手押しポンプ車は、その濃度によって対処の方法が変わるため、塩水のサンプルをみんぱく(国立民族学博物館)に送り、指示を受けながらクリーニングに当たった。学生たち自身も被災しており、作業が学生たちのケアにもなったという。

 地域文化の存在は、その地域では日常であり、ほとんど意識されていないこともある。震災によって「貴重な文化」とわかったケースもあった。捕鯨に使われていた道具やその地域ならではの「言葉」だ。震災後、山積みになっていたものが「資料」なのか「ごみ」なのか、聞き取りからわかった。

 特別展では日本で起きたほかの災害にも目を向ける。2004年の新潟県中越地震では、被災した土蔵から見つかった歴史資料が、幕末に徳川家から贈られたものだとわかった。越後縮の商いに関するもので、十日町の越後縮が将軍家に納められていたことが実証された。「きものの町・十日町」の再発見につながったという。

 日本は災害が多い。各地に建立された石碑や震災の記憶を伝える紙芝居など、防災の観点から未来に伝える取り組みも紹介する。最大14.8メートルの津波被害を受けた宮城県女川町では町内にある21の浜に「女川いのちの石碑」が建つ。これは東日本大震災の直後に現在の女川中学校に入学した子どもたちが、将来の津波被害を最小限にとどめようと募金活動を行うなどして建てられたもの。子どもたちは東京への修学旅行で企業を回り、協力を呼び掛けたという。

 国立民族学博物館の日高真吾教授は「地域文化はあまりに身近で意識することが少ない。東日本大震災から10年の今、復興に欠かせない地域文化の役割と大切さを感じてほしい。そのあとでもう一度展示を改めてみると、また違ったものが見えると思います」と話す。

探し方が悪いのか何なのか、なかなか公式サイトにたどり着けなかったのですが、見つけました。

特別展「復興を支える地域の文化―3.11から10年」

期 日 : 2021年3月3日(水)~5月18日(火)
会 場 : 国立民族学博物館 阪府吹田市千里万博公園10-1
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週水曜日
料 金 : 一般880円(600円) 大学生450円(250円) 高校生以下無料

2011年の東日本大震災では、復興の原動力としての「地域文化」に大きな注目がよせられました。本展示では災害からの復興を支える地域文化をめぐる活動について、東日本大震災から10年が経つ今、あらためて振り返ります。また、豊かな社会の礎となる地域文化の大切さとその継承について考えていきます。
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東日本大震災から10年が経ち、10年ということで、ここ数年よりもいろいろな場面で震災について取り上げられる機会が増えました。被災者の方々にとっては、10年だろうと何年だろうと変わらない、という思いはあるのでしょうが、震災の記憶が薄れつつある被災地以外の人々にとっては、改めて震災について思い出す契機にはなったのではないかと思います。

ただ、懸念されるのは、それが一過性のもので終わること。福島の原発がらみの復興はまだまだ道半ば、いや、半ばまでも達していないかもしれません。明日はそのあたりを。

【折々のことば・光太郎】

夜星うつくし。木星、金星未明の頃大きく輝く。


昭和22年(1947)2月25日の日記より

金星はともかく、木星を見てそれが木星だと気付くのは、なかなか天体に詳しくなければ不可能だと思います。当方には分かりかねます。

一度、花巻高村光太郎記念館さんで、市民講座「夏休み親子体験講座 新しくなった智恵子展望台で星を見よう」の講師を務めさせて頂き、光太郎の詩文に書かれた天体や天文現象についてまとめたのですが、一緒に講師を務められた地元の天文サークルの方は、光太郎の天文知識に舌を巻いていました。

ちなみに10年前の3.11。停電で灯りの消えた東北では、恐ろしい程の美しい星空だったという話は有名ですね。