3.11 女川レポートの2回目です。

10年前、津波に呑まれて還らぬ人となった、女川光太郎の会事務局長であらせられた貝(佐々木)廣さんの奥様・英子さんの元を辞し、女川町総合体育館を目指しました。町主催の追悼式出席のためです。
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午後2時40分開式。初めはNHKさんで放映されていた政府主催追悼式の模様をリモート中継。
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地震発生の午後2時46分、黙祷。その後、菅総理の式辞や、天皇陛下のお言葉なども中継されました。

中継を切って、本会場独自のプログラムに移行。須田善明女川町長の式辞、来賓やご遺族代表の言葉に続き、献花。やはりまず須田町長から。
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ちなみに、この日はとてもお忙しいので話はできないだろうと思っていたのですが、たまたま当方が会場入りした時に入り口にいらしたので、少しお話しをさせていただきました。

代表献花のあと、一般の献花。そのまま流れ解散。
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その後、女川駅方面を散策しました。
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駅に着きましたところ、何やら運動会の万国旗のように、黄色い布。
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一枚一枚にメッセージが書かれていました。
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帰ってから調べてみましたところ……。

復興とコロナ終息願い 宮城・女川町に黄色いハンカチ600枚  KHB東日本放送ニュース

宮城県女川町では、復興などを願って黄色いハンカチを掲げる準備が進められています。

女川町民の有志でつくる女川裏方一座は、2年前から震災の風化を防ごうと、3月11日にJR女川駅で黄色いハンカチを掲げています。

今年は鎮魂や復興への思いのほか、新型コロナウイルスの終息への願いが綴られた約600枚のハンカチが用意され、ロープにつなげていく作業が行われました。

女川裏方一座・加納純一郎代表「見える形で3.11を残しておきたいし、見えることで改めて皆さんが立ち止まる。3.11に立ち止まる目的で始めています」

黄色いハンカチは、11日の午前9時から日没まで掲げられ、当日、会場でメッセージを書くこともできます。
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幸せ願い黄色いハンカチ 女川駅前 石巻かほく

021 JR女川駅前には11日、女川町の復興への願いや古里に対する思いをつづった幸せの象徴・黄色いハンカチ約600枚が掲げられた。
 町民有志らで組織する「女川裏方一座」が企画し、十数人が参加した。
 40センチ四方の黄色いハンカチには、震災後に多く使われた「絆」や「希望」をはじめ、「みんなに感謝」「幸せいっぱいになりますように」「早くコロナが終息して みんなが笑顔で過ごせる日々が戻ってきますように」といった言葉が記された。
 今年で4回目(初回は2018年8月)を数えた。ハンカチの枚数は年々増え、ロープも昨年の4本から5本になった。有志らは笑顔で作業に取り組み、紙ランタンを並べてハートマークも作った。
 加納純一郎座長(70)は「震災からの復興は、まだ道半ば。来年以降も続けていきたい」と話した。

当方が訪れた時は、もう夕方に近かったのですが、それでも黄色いハンカチ、青空をバックに映えていました。
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駅前の商業施設「シーパルピア」さん。
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その一角にある「桜咲く地蔵」。津波で幹の半分を持って行かれたものの、一度は花を咲かせ、その後枯れてしまった桜の木から彫り出したお地蔵様です。
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「きぼうの鐘」。現在の女川光太郎祭の会場「まちなか交流館」さんのすぐそばにあります。

震災前の女川駅があったあたりで、駅前のシンボルだったカリヨンの四つの鐘のうち、津波の後に一つだけ見つかったもの。震災後しばらくは、高台の仮設商店街「きぼうの鐘商店街」(かつての女川光太郎祭会場)に置かれていましたが、そちらが閉鎖となり、元の位置に移転しました。

そして、光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」。現在、18基が建てられているうちの、町中心部に最も近い場所にある一つです。すぐ下には魚市場があります。
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昨日もちらっとご紹介した、3月11日、テレビ東京さん系で放映の「池上彰の災害サバイバル〜地震・台風…明日から役立つ10ヵ条〜」でも、ここの碑が取り上げられました。
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碑を建てた中心メンバーの、震災当時の中学生だったお二人、それから阿部一彦先生。
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池上さん、この方たちのお話を聞いて、うるうるしていました。

この場所の直ぐ下にある水産加工場で働いていた中国からの研修生20数名が、ここに避難して助かりました。しかし、ここまで誘導してきた女川町民の方は、さらに助けるべき人がいないかと、また下まで戻り、津波に呑まれて亡くなったそうです……。この話、中国のメディアでも大きく取り上げられたとのこと。

その後、宿泊先の、駅裏にあるトレーラーハウスホテル「エル・ファロ」さんへ。
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各棟、車輪がついており、トレーラーで牽引できるというすぐれものです。
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チエックイン後、再び女川駅へ。駅舎2階部分の温泉入浴施設「ゆぽっぽ」さんで疲れを癒やしました。
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内部は震災に関するちょっとしたミュージアム的な展示も。
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それから、以前はなかったのですが、浴場内部には、震災前のなつかしい女川の姿を撮った写真。
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もはや見ることの出来ない風景ですが、新しい町に生まれ変わった女川が、この頃のように、いや、それ以上に賑わうことを願ってやみません。

以上、女川レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

雪ふりつもる。花巻の雪を満喫。


昭和22年(1947)2月15日の日記より 光太郎65歳

前日から、この年初めて郊外旧太田村から、花巻電鉄に乗って花巻町訪問。かつて1ヶ月滞留した佐藤隆房邸離れに4泊させて貰いました。