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十和田市郷土館企画展 新収蔵資料展開催 新たに収蔵品となった資料を公開

 十和田市郷土館で1月9日から3月21日迄の期間、企画展「新収蔵資料展」を開催することとなった。
 十和田市郷土館は重要な歴史的文化遺産の収集、保存及び展示を行い、郷土の歴史にちて理解を深めるために昭和43年に設置が決まった。
 市民から全面的な協力を得て資料を収集している郷土館として収蔵品は1万点を超え、平成24年に現在の場所(道の駅奥入瀬ろまんパークを過ぎて西コミュニティセンター(旧十和田湖支所)を左折)に移転した。
 主に考古・歴史・民俗の3分野の展示を行っている。
 《考古》明戸遺跡、寺上遺跡等から発見された縄文時代の土器、石器、土偶、ヒスイ等を中心に展示。土器を実際に触れるコーナーもあり、復元された土器から時代の流れや、当時の流行りなども想像できる。
 《歴史》中世から近現代までの時代の変化を知ることが出来る。苫米地家から寄贈された兜・陣笠・古文書や滝沢家から寄贈された古文書等を展示。軍馬補充部資料も豊富で馬具や当時の日記等もある。
《民俗》昔の生活用品や麻布や絹織り用の器具や製品、漁業や林業等で使われていた道具も展示。昔の農家を再現したコーナーもあり、バッコウやマンガ等の農具を展示している。
 また、十和田湖を愛した文豪、佐藤春夫氏「十和田湖上口吟」が飾られている。佐藤氏は詩人、作家として著名で、三本木高校の校歌を作詞したことが縁となり、十和田湖・奥入瀬渓流の景観に感動したとされる。その後、十和田国立公園指定15周年記念事業にも参加。旧知の仲であった高村光太郎を功労者顕彰記念碑(乙女の像)の制作者となるよう尽力。
 資料展は収蔵品数が豊富で歴史を振り返りながら楽しめる。入場は無料。午前9時から午後5時までの開館で、月曜休館となっている。お問い合わせは...0176‐72‐2340迄
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調べたところ、詳細は以下の通りでした。

十和田市郷土館企画展「新収蔵資料展」

期 日 : 2021年1月9日(土)~3月21日(日)
会 場 : 十和田市郷土館 十和田市大字奥瀬字中平61-8
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

市民の皆様から寄贈いただいた資料など、新たに郷土館の収蔵品になった資料を一同に集め公開します。ぜひご来館ください。
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佐藤春夫の「十和田湖上口吟」は、昭和27年(1952)6月、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作の下見のため十和田湖を訪れた光太郎に随伴した際に作られた詩です。

佐藤の『小説高村光太郎像』(昭和32年=1957)から。

 湖畔と湖上とを二日がかりに隈なく周遊して、十和田は晩春首夏、新緑と残紅との最も絢爛な季節であつた。
(略)
 高村氏は湖上でもしきりに感歎の声を上げて、この清澄な水底に水に浸み入る太陽を反射してきらりと光る金色の女体を横臥させて沈めてみたらといふやうな奇想もあつたらしいが「子の口」の地を見つけてここに台座七尺といふ大作をしやうと乗気になり県庁では附近に地を相してアトリエを建ててもよいと言つてゐたが、制作にはやはり田舎は不便だからと、あれほどの執着を見せてその後は例の月光堂やら、離れの書斎などもできてゐた太田村山口の山居をも捨てて、東京に出ようと、思ひがけない決意の程をも見せて一切は急速に確実に決定した。
(略)
 わたくしも、最初の遊覧では僅に奥入瀬だけを歌ひ得て、ただ風景に圧倒されて歌ふすべも知らなくかつ親しみにくかつた十和田湖を、わたくしも今度は、はじめて歌へるやうな親しみを湖上の船で感じ、わたくしは早速に、はじめの二三行を捉へたものであつた。
 その夜わたくしは枕頭で湖上吟を推敲してどうやらまとめることのできたのを手帳に浄写して置いた。
 翌日みんな集つての食事の席で、食後こつそりとこれを隣席の大先輩に示して久しぶりに高教を仰いだ。ほんの即興詩だといふのを、即興詩と呼び捨てるには惜しい構成のしつかりしたものと気に入つてもらへた。おそらく前日来の上機嫌でこの好評を嬴(かちえ)たものと思ふ。
(略)
 さうして感心してゐるわたくしの方へ、おもむろに笑顔を向けながら、佐藤君には今度湖上での名吟ができてゐるのだ。と記者に言つてから、再びわたくしを顧み、どうですあれを見せてやりませんか。言はれてわたくしは自分の部屋に近いのを幸と、座を飛び出してノートを持ち出して来た。高村氏は例の大きな手をひろげてそれを受け取り、003
   ここにして
   わがこころ
   放たれて
   禽(とり)となり
   水潜(みづかつ)ぎ
   魚となり
   湾(わた)に住む
   岸べには
   うちけむる
   ななかまど002
   橅(ぶな) 桂(かつら)
   さみどりの
   したたりて
   瑠璃に溶け
   咲き残る
   躑躅花(つつじばな)
   照り映えて
   十和田湖に
   逝く春は
   絢爛(きららか)に
   ささらなみ
   風光り

 しづかに調子づいて読み終つてから、一行に棒書きにだらだらと書き流してしまつてはいけないのだよ、とノートを記者たちの前へ突き出して見せ、そら、ね、かういふ短い句を、かういふふうにずらつと頭をそろへて並べたところに湖上の水面を見せてゐるのだから。とわたくしのため、記者にねんごろな説明をしてやるのであつた。


引用が長くなりましたが、こういう背景で作られた詩です。色を変えた部分を、のちに色紙に揮毫したものと思われます。

ちなみに「ささらなみ」の部分、原文では「漣」と「⺡(さんずい)」に「奇」で「ささらなみ」とルビが振ってあるのですが、「⺡(さんずい)」に「奇」の字がどうしてもみつかりません。色紙の方では「さゝ羅なミ」となっています。

さて、お近くの方、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

夜ホタルとぶ  昭和21年7月19日の日記より 光太郎64歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、現在でも蛍が生息しています。当方も平成29年(2017)の7月に、その幻想的な光を見ました。

千葉の自宅兼事務所の近くでも、20年くらい前までは蛍が普通に見られたのですが、農業用水の岸をコンクリートで固めてしまって以来、見られなくなりました。残念です。