facebookを開いていたところ、気になる広告が。
006

地図柄ケースが続々登場! 全国1000都市からあなたの街を探してみよう!」だそうで。

展開しているのはクロスフィールドデザインさんという会社で、商品名は「Crossfield(クロスフィールド)」。

普段は情報ツールとして接している「地図」。そこには暮らす人や旅した人の様々な思い出が交差して詰まっています。人それぞれ、好きな街や懐かしい街への思いを身近なグッズとして近くに感じてほしい。そんな気持ちからクロスフィールドはラインアップを広げていきます。」ということで、日本全国の主要都市約1,000の地図をあしらったスマホケースだそうです。
007
光太郎智恵子ゆかりの地について、探してみたところ、ありました、ありました(笑)。
000 001
光太郎第二の故郷ともいうべき、岩手県花巻市。それから智恵子のふるさと、福島県二本松市

花巻疎開前に光太郎のアトリエ兼住居があった文京区千駄木。23区内はかなり細かい区割りになっています。
002 003
それから古地図も(右上)。1860年の江戸だそうで、安政7年、途中で改元があって万延元年です。光太郎の父・光雲は嘉永5年(1852)の生まれですから、その頃ですね。

千葉県では、大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った犬吠埼を含む銚子市。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が半年余り療養した九十九里
005 004
光太郎最後の大作「十和田湖湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖はないかと思って探しましたが、残念ながら十和田は市街のみが印刷されていて、郊外の十和田湖までは範囲に入っていませんでした。

ぜひご自分の街、気になる街をお探し下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后畑仕事。 ジヤガイモ六うねばかりいける。紅丸。人糞をほどこしたものの上へわらや木の葉まじりの土をかぶせその上へ中くらいのイモは丸のまま、大なるは半切にして置き、土をかぶせる。灰を少しかけて置く。

昭和21年(1946)4月28日の日記より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村の山小屋生活、いよいよ本格的に農作業の始まりです。