作家の半藤一利氏が亡くなりました。共同通信さんの配信記事から。

作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳

017 「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日午後、東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。関係者への取材で分かった。90歳。東京都出身。
 東京大を卒業して文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長を歴任、1994年から著述に専念した。
 編集者として坂口安吾らを担当し、歴史研究に開眼。終戦時の軍部関係者らを集めた座談会「日本のいちばん長い日」は、雑誌「文芸春秋」の記事となった後に単行本化され、映画化された。
 憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続け、2015年に菊池寛賞を受けた。

御著書の中で、光太郎智恵子に関わる項も設けて下さっていました。

平成18年(2006)刊行の文春新書『恋の手紙 愛の手紙』(文藝春秋)。
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日本史上の有名人30名ほどの「手紙」から見える様々なドラマを紹介するものです。「第三章 家族を想う」中の「「智恵さん、智恵さん」の高村光太郎」という項で、光太郎から智恵子への手紙が二通、取り上げられています。

一通は結婚前の大正2年(1913)1月、新潟出身の友人・旗野スミ(「すみ」「澄」あるいは「澄子」とも表記)の実家に滞在していた智恵子に宛てた、長文の手紙。全文はこちら。画像はこちら。結婚前に智恵子に宛てた手紙で、唯一現存が確認出来ているものであるため、この手の書籍でたびたび取り上げられています。もう一通は、心を病んだ智恵子が療養していた千葉九十九里浜の妹の家に送った葉書。全文、画像はこちら。章題の「智恵さん、智恵さん」は、この葉書の一節です。

無題 (復元済み)手紙の紹介だけでなく、光太郎智恵子の人となり、『智恵子抄』についても簡略にまとめられています。

もう一冊。平成27年(2015)、ポプラ社さん刊行のエッセイ集『老骨の悠々閑々』。「茶碗のかけらの様な日本人」という項で、光太郎詩「根付の国」(明治44年=1911)を取り上げ、そこから夏目漱石、樋口一葉、芥川龍之介らにからめた日本人論を展開されていました。

探せばもっと光太郎智恵子に言及された御著書が出版されているかも知れませんが、当方手持ちの氏の御著書は以上2冊でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々のことば・光太郎】

雪かきのつづきをやり、又山の南面傾斜の松の根方の雪なきところに休みて日光をあび、烟草一本。日光浴数分。日ざしはあたたかなり。

昭和21年(1946)3月1日の日記より 光太郎64歳

花巻郊外旧太田村でも、さすがに3月となると、春の息吹が感じられたのですね。