一昨日、昨日と、1泊2日で花巻、盛岡を廻っておりました。レポートいたします。

12月4日(金)、新幹線を新花巻駅で降り、迎えの車に乗って、まずは花巻市役所さんへ。市の主催で来年度に計画されているイベントや展示の打ち合わせを行いました。市民講座の講師、展示の監修等を仰せつかりまして、ありがたいかぎりです。

再び市の公用車に乗せていただき、花卷高村光太郎記念館さんへ。
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まだ積雪には至っていませんでしたが、気温はかなり低い状態でした。

こちらでは昨日から、花巻市内五つの文化施設で「イーハトーブの先人たち」をテーマとした共同企画展の一環、「光太郎と佐藤隆房」が始まっています。一昨日は内覧ということで、地元紙の取材も入っており、対応しました。
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光太郎の花巻疎開に尽力し、郊外旧太田村に移る前の1ヶ月程、光太郎を自宅離れに住まわせてくれ、その後も援助を惜しまなかった佐藤隆房元総合花巻病院長と光太郎の交流を紹介する展示です。
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隆房は光太郎歿後、財団法人高村記念会を設立、初代理事長となり、それは子息の故・進氏に引き継がれました。
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左上画像は光太郎が1ヶ月暮らした佐藤家離れの2階。ここを光太郎は「潺湲(せんかん)楼」と名付けました。「潺湲(せんかん)」は「水のせせらぎ」。すぐそばに豊沢川の清流があることに由来します。右画像は佐藤家を訪れた際に光太郎が愛用していたという椅子です。

佐藤が絵を描き、光太郎が賛を書いたものが四点。
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「天しろし」
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「ひかりをつゝむ」
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「孤坐」
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「人は野をおもひ山をおもふ」

いつもながらに味のある書です。

そのうちに地元紙に報道が出るはずですので、またその際にご紹介します。

花巻高村光太郎記念会として来年度に行う企画展示の打ち合わせ等を行い、こちらを後にしました。

その後、車で送っていただき、盛岡へ移動。こちらでは、「ゆかりの盛岡から高村光太郎を知る会」の会合。コロナ禍の為中止となりましたが、今年の5月に岩手県公会堂で、同会主催の講座「光太郎の食卓から」が開かれる予定で、当方も一役買うはずでした。下記は幻の要項です。
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この講座では、盛岡でイタリアンの「アッカトーネ」さん、さらに「光太郎山荘」ならぬ「敲太楼山荘」さんのオーナーソムリエ・松田宰氏にもお話をいただく予定でした。

そこで、この日は松田氏の料理に舌鼓を打ちつつ、会合。当初はお店で開催のはずでしたが、三密を避けるため、農林会館という建物の会議室で行いました。
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テイクアウト的なこういう状態でしたが、実に美味でした。

この日は中の橋地区のホテルブライトイン盛岡さん(アッカトーネさんの向かいです)に宿泊。昨日のブログにも同じ画像を使いましたが、翌朝、部屋の窓から取った岩手山。
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南隣は啄木・賢治青春館さん。
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北隣は盛岡てがみ舘さんの入っているプラザおでってさん。さらに道路を渡ると旧岩手銀行赤レンガ館さん。
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部屋で朝食を摂った後、ロビーで地元紙『盛岡タイムス』さんの取材を受けました。来年元日の同紙で、光太郎を大きく取り上げて下さるそうで、そのためです。てがみ館さんで直筆原稿が常設展示されている光太郎詩「岩手山の肩」(昭和22年=1947)をメインとするとのことでした。その後、連れだっててがみ館さんへ。
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現在、盛岡とその周辺の古絵葉書などを中心とした「なつかしの盛岡」展が開催中です。光太郎も見た風景ということで、興味深く拝見しました。
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「岩手山の肩」原稿はこちら。
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006紙面は来年、送って下さるそうです。ちなみに紙面を送って下さる、と言えば、明日、12月7日(月)だかの『朝日新聞』さんの夕刊でも光太郎を大きく取り上げて下さるそうで、岩手行きの前に電話取材等に対応しました。品川のレモン哀歌詩碑などに関わるようです。やはり紙面を送って下さるそうで、そのうちにご紹介します。

その後、記者さんと別れ、当方は盛岡駅前の岩手県立図書館さんで調べ物。光太郎が題字を揮毫し、昭和二、三十年代に刊行されていた地方紙『花巻新報』を閲覧してきました。

当会発行の冊子『光太郎資料』で、光太郎が作詞、邦楽奏者の杵屋正邦が作曲し、昭和26年(1951)に花巻で日本舞踊を振り付けて上演された「初夢まりつきうた」について書いたのですが、まだ不分明な点が多く、その補完が主目的でした。すると、やはり当たりで、いろいろと分かりまして、次号の『光太郎資料』にその辺を書こうと思っております。

また、それ以外にも光太郎が昭和25年(1950)に花城農業高校(現・花巻農業高校)で行った講演の長い筆録も掲載されていたのを発見した他、『高村光太郎全集』未収の談話筆記等多数見つかりました。

コロナ禍のため、長時間の滞在が出来ないという制約があり、1時間あまりで撤収しましたが、他にも目星を付けている蔵書がありますので、またいずれ、と思っております。

というわけで、有意義な岩手紀行でした。

おまけ。東京駅から高速バスに乗り、千葉の自宅兼事務所最寄りのバス停・JR佐原駅で降りたところ、田舎の駅で普段はあり得ない人山の黒だかり、もとい黒山の人だかり。何事だ、と思ったら、JR東日本さんの超豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」が停車していました。そういえばちょっと前にこっちの方に来ると新聞で予告されてたっけ、と思いあたりました。
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赤いのはお出迎えでやって来た、千葉県のゆるキャラ・チーバくんです。ちょんまげは当地の偉人・伊能忠敬がらみですね。
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0001泊2日コースで、2名1室最高50万円、最低でも37万円。一人旅だとそれぞれ75万円と55万5千円に跳ね上がります。当方には一生無理でしょう(笑)。ちょっと前に、元宝塚の遼河はるひさんと、深夜ドラマ「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 で智恵子役をなさった紺野まひるさんが2泊3日コースを体験乗車するというテレビ番組を拝見し、バーチャル体験はしましたが。

ちなみに現在の2泊3日コース、岩手も通るルートで運行されています。こちらは2名で55万円から75万円、1名だと82万5千円から112万5千円だそうで(笑)。

【折々のことば・光太郎】

花巻着(午前七時過) 宮沢家に入る、 雨、


昭和20年(1945)5月16日の日記より
光太郎63歳

4月13日の空襲で駒込林町(現・文京区千駄木)のアトリエ兼住居を焼け出され、しばらくは近くにあった妹の婚家で過ごしていましたが、そこも他の被災者で手狭になり、宮沢賢治の実父・政次郎、実弟・清六、そして佐藤隆房等の誘いで花巻へ疎開。上野駅を発ったのが前日の夕方でした。光太郎が「TRAIN SUITE 四季島」などを見たら、腰を抜かすのではないでしょうか(笑)。

究極の雨男・光太郎、花巻に着いた時も雨でした。その魂を背負ってしまった当方も究極の雨男となり、昨日も関東に帰ってきたら雨でした(笑)。