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第87回展覧会「名作を伝える-明治天皇と美術 後期展示 明治天皇のまなざし

期 日 : 2020年11月14日(土)~12月13日(日)
会 場 : 三の丸尚蔵館 東京都千代田区千代田1-1
休 館 : 毎週月・金曜日 11月23日(月・祝)は開館、翌24日(火)休館
時 間 : 午前9時~午後3時45分
料 金 : 無料 

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明治天皇は、その御世を通して、博覧会や美術展覧会に度重ねて行幸され、美術の振興に深く心を寄せられました。このような行幸に際しては、多くの作品の御買上げが行われています。その一方で御下命による美術品製作も行われ、様々な作家たちが活躍の場を得ることにもなりました。御買上げや御下命の品々には、伝統的な様式と技法による作品のほか、西洋から取り入れた表現技法である写真や油彩画も含まれ、新しい技術、表現の試みにも広く関心を寄せられた明治天皇の眼差しを感じとることができます。
また、明治21年(1888)には明治宮殿が完成、翌年には大日本帝国憲法が発布されるなど、国家の体制が確立していく中、美術の奨励と保護のため、明治23年には帝室技芸員の任命が始まります。その後、明治30年代にかけて、天皇の勅裁のもと、宮内省が製作を主導することで明治期を代表する記念碑的な名作が幾つか生み出されました。これらの御下命製作が行われた背景には、明治の優れた技を次の時代に伝えようとした意図がうかがえます。皇室は、美術品製作に直接に関わることで、その伝統を繋ぐ、大きな役割を果たされてきたのです。
本展では当館に引き継がれた作品の中から、明治10年代から30年代にかけての御下命による作品や博覧会等での御買上げ品を中心に紹介します。皇室が護り育み、伝えてきたこれらの名作の数々から、明治美術の多彩な魅力を楽しんでいただければ幸いです。

出品作品
水晶玉蟠龍置物    精工社 明治12年(1879)
稲穂に群雀図花瓶       濤川惣助、泉梅一 明治14年(1881)
行書七言絶句「金闕暁開晴日紅」    日下部鳴鶴 明治14年(1881)頃
草書七言絶句「王家楷則定何如」    日下部鳴鶴 明治14年(1881)頃
塩瀬友禅に刺繍海棠に孔雀図掛幅    西村總左衛門(12代) 明治14年(1881)
塩瀬友禅に刺繍薔薇に孔雀図掛幅    西村總左衛門(12代) 明治15年(1882)
磐梯山破裂之図    山本芳翠 明治21年(1888)
琉球東城旧跡之眺望    山本芳翠 明治21年(1888)
熊坂長範          森川杜園 明治26年(1893)
還城楽       森川杜園 明治26年(1893)
矮鶏置物          高村光雲 明治22年(1889)
百布袋之図       河鍋暁雲 明治27年(1894)
岩倉公画傳草稿絵巻 第14・17巻    田中有美 明治23年(1890)頃
三條実美公事蹟絵巻 第24巻       田中有美 明治34年(1901)
明治12年明治天皇御下命人物写真帖『皇族 大臣 参議』大蔵省印刷局 明治13年(1880)頃
明治12年明治天皇御下命人物写真帖『皇族』『諸官省』大蔵省印刷局  明治13年(1880)頃

というわけで、光太郎の父・光雲の木彫「矮鶏置物」が出ます。こちらは一昨年に同じ会場で開催された 第82回展覧会 「明治美術の一断面-研ぎ澄まされた技と美」でも展示されました。制作やお買い上げの経緯等、その際のブログに書きましたのでご一読を。
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光雲木彫を見られる機会はあまり多くありません。ぜひこの機会にどうぞ。ただし、コロナ感染には十分ご注意を。

【折々のことば・光太郎】

まことに母の尊(たふと)さはかぎり知れない。母の愛こそ一切(いつさい)の子たるものの故巣(ふるす)である。即ち人たるものの故巣(ふるす)である。

散文「母」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

これで終わっていれば、「なるほど」なのですが、書かれた時期が時期だけに、「されば皇国の人の子は皇国の母のまことの愛によつて皇国の民たる道を無言の中にしつけられる。」といった一節もあり、残念です。