昨日は埼玉県に行っておりました。2回にわけてレポートいたします。

メインの目的は、東松山市で開催中の「高田博厚展2020」拝観及び関連行事としての講演会拝聴でした。

彫刻家・高田博厚(明33=1900~昭和62年=1987)は、夭逝した碌山荻原守衛を別として、光太郎がほぼ唯一認めていた同時代の彫刻家でした。それもまだ海のものとも山のものともつかぬ本格的デビュー前からその才を見抜き、昭和6年(1931)の高田渡仏に際しては、「高田博厚渡仏後援彫刻頒布会」を立ち上げ、その趣意書で広く援助を募るなどしました。そして実際に高田は国際的な彫刻家として大成しました。
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光太郎が歿した翌年の昭和32年(1957)に帰国した高田は、当会の祖・草野心平、当会顧問であらせられた故・北川太一先生らと手を携え、光太郎顕彰活動にも取り組みました。そして光太郎を偲ぶ連翹忌会場で、やはり光太郎と交流があり、同市の元教育長を永らく努められた故・田口弘氏と意気投合。同市で展覧会を開いたり、彫刻を寄贈したりしました。それが現在の東武東上線高坂駅前の光太郎胸像(昭和34年=1959)を含む「彫刻プロムナード」として結実しています。

そうした縁から、鎌倉のアトリエにあった高田の遺作、遺品類などが同市に寄贈され、そのコレクションを根幹とした企画展示が毎年為されています。ただ、昨年は同市では台風19号による浸水被害等が深刻な状況で、中止となりました。

メイン会場は市役所向かいの総合会館1階。2年ぶりにお邪魔しました。
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鎌倉のアトリエから譲り受けた作品が中心。一角にはアトリエの一部を再現したコーナーも。
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具象彫刻の王道、といった感があります。

光太郎胸像は寄贈された中に含まれていませんで、高坂駅前の彫刻プロムナードに関するパネル展示で触れられていました。
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その後、第二会場的な「ギャラリー&カフェ亜露麻」さんへ。車で5分ほどでした。こちらでは高田の素描が展示されています。
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亜露麻さん、1階はおしゃれなカフェ、2階がギャラリーとなっていました。
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光太郎にしても、ロダンにしてもそうですが、卓越した彫刻家で素描が下手、ということはあり得ませんね。高田も例外ではありませんでした。

メイン会場の市総合会館に戻り、午後2時から、4階のホールで関連行事としての講演会。講師は高田の彫刻のモデルを務められた元NHKアナウンサー・室町澄子さんでした。本来、昨年行われるはずでしたが、先述の通り台風19号により中止となっていました。
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中止といえば、10月2日(金)には、同じく関連行事で、やはり室町さんや当方がパネリストのシンポジウムも開かれる予定でしたが、こちらはコロナ禍のため中止。来年に期待したいところです。

ちなみに室町さんは昨年、ご自身がモデルを務められた高田の彫刻と素描、それ以外にもアトリエでご覧になって気に入った素描、計7点を同市に寄贈なさいました。平時は1階で展示されていますが、昨日は講演会場の4階に運び上げられていました。
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森田市長のご挨拶に続いて、最初の60分ほど、室町さんがピンで、モデルを務められたきっかけとなった高田の番組出演や、その後の高田との交流などについて。
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その後、寄贈に対する表彰状の贈呈。
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さらに、森田市長と対談形式で30分ほど。
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印象的だったのは、ご自身の彫刻が、初めは「私にそっくりだ」と感じられたのに、制作が進むにつれて、だんだん自分に似なくなっていったというご感想。それに対し高田は、「10年後、20年後のあなたの顔と比べてご覧なさい」的なことを言ったそうです。光太郎も散文「彫刻十個條」で、「似せしめんと思ふ勿れ。構造乃至肉合を得ばおのづから肖像は成る。通俗的肖似をむしろ恥ぢよ。」と書いていまして、それを連想させられました。似ているか似ていないかは問題ではないのだ、ということです。ただ、だからといって何でもありというわけではなく、対象とした人物の精神性、内面、そういったものをきちんと表現すべしということでもありましょう。

同じことは高田作の光太郎胸像にも言えるようにも感じています。8月末に安曇野市の豊科近代美術館さんで拝見してきましたが、写真のように似ているわけでなくとも、光太郎そのもの、という感をあらためて抱かされました。

オフィシャルなプログラムは、ここまで。

この後、関係者のみにクローズド的に声がけがなされた、ノンフィクション作家・神山典士氏のトークイベントがありました。
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さらに会場を移して夕食を兼ねた懇親会。思いがけず旧知の方々にお会いできたり(特に今年は連翹忌の集いもコロナ禍で中止しましたのでなおさらでした)、新たに色々な方とつながりが出来たりと、実に有意義でした。

明日は、東松山に行く前に立ち寄った場所についてレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

天文学者が空をのぞいて計算を行ひ物理学者が原子を砕いて物質を変へ、彫刻家が木石を刻んで形象を起し、画家が絵具を費消して幻像をゑがく。いづれも一歩でも未知の世界に踏み入りたいばかりの人間の行状と思ひます。

アンケート「a.画家が描くといふ事を如何にお考へになりますか b.画家に何を要求なされますか」より  昭和14年(1939) 光太郎57歳


設問「a」に対する回答です。設問「b」へは「従つて画家に要求するところはやはり一歩でも未知の世界をひらいてくれる事です。」となっています。

設問が画家を指定してのものなので、画家が中心となっていますが、彫刻家は彫刻家で同じように木石を刻みつつ「一歩でも未知の世界」を追求すべしということですね。

高田博厚もこうした光太郎の精神を受け継いだと言えるのではないでしょうか。