花巻レポートの2回目です。

9月14日(月)、「道の駅はなまき西南 賢治と光太郎の郷」さんをあとに、レンタカーを花巻高村光太郎記念館さんに向けました。ものの10分ほどで到着(これから彼の地を訪れる皆さん、ぜひセットでお立ち寄り下さい)。
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翌日行われる市民講座「光太郎の父 高村光雲の彫刻に触れる」で講師を仰せつかっており、市の担当者の方との打ち合わせです。

と、その前に展示を拝見。何度もご紹介していますが、光太郎の父・高村光雲作の木彫「鈿女命」が、光雲四男の故・藤岡孟彦氏子息の貞彦氏から寄贈され、展示されています。

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像高33㌢、小さなものではありませんが、さりとて大きい、というわけでもありません。
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寄贈というお話があって、昨年の12月に横浜の藤岡氏のお宅に参上し、拝見して以来でした。

衣の襞や帯の緒、髪の生え際などの処理の仕方が、他の光雲彫刻とよく似た特徴を表しています。しかし、細かな仕上げが為されて居らず、やはり習作か制作途中かという感じです(銘も入っていませんし、台座は荒彫りのただの円盤です)。

今回、像の向かって左から見て、さらにその感が強くなりました。言い方が悪いかも知れませんが、ある意味、逃げています。問題は像の右手。

010光雲作の天鈿女命像は他に類例が確認できていませんが、光雲の残した下絵帖の中にはその姿が描かれています。その下絵と実際の像を見比べると、決定的な違いがあります。

下絵は左手を掲げ、像は逆に右手、という違いもあるのですが、そこは問題ではなく、掲げた方の手がどうなっているか、です。

下絵では掲げた手が体から離れています。で、この通りに彫るとなると、手に持った細い榊の枝を360度全方向から彫らねばなりません。これはきつい作業です。ちょっとでも力加減を誤れば、ポキッといってしまいます。ところが、光雲の技倆をもってすれば、やってやれないことではありません。実際、観音像などで、手に持った細かな持物(じもつ)を体から離し、360度全方向から彫った作は実在します。

しかし、体にくっつけてしまった方が断然楽ですね。見えている面だけ彫ればいいし、ポキッと行ってしまう危険性も格段に低くなります。

で、今回の像は下絵と異なり、榊が頭にくっついています。さらには下絵では両手に榊の枝を持っていますが、像は右手だけ。左手は手ぶらです。そこで、「逃げている」と言えるわけです。

そうは言っても、全体的にはなまなかの者には不可能な精緻な彫りが施されていることは間違いありませんが。

そう考えると「習作」というより、弟子達に示した「お手本」なのかもしれません。技倆がそれほどでもない弟子でも作れるように、あえて難易度を下げているのかも、というわけです。おそらくそうした目的で作られたであろう木彫も現存しています。

ただし、当方、彫刻は専門ではありませんので、専門家の(特に実技家の)方のご意見を伺いたいものです。

さて、展示ですが、像以外に光太郎の署名による箱書きが為された箱、さらに当方がお貸しした光雲作の木彫の写真(光雲令孫の故・髙村規氏撮影)も並んでいます。
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本来なら、こういった彫刻の実物をお借りして展示できればなお良いのでしょうが……。写真のキャプション、さらに展示の説明パネルは当方が執筆させていただきました。
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展示を拝見後、市の担当の方と打ち合わせ、さらにプロジェクタでパワーポイントのスライドショーを試写したりもしました。

それも無事終わり、隣接する高村山荘へ。光太郎が戦後の七年間、蟄居生活を送った山小屋です。
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二重の套屋(とうおく)の中に、ボロボロの山小屋。もう何十回目かの訪問ですが、何十度来ても、そのたび胸に迫るものがあります。

この日はこれで撤収し、宿泊先の大沢温泉さんへ。大沢温泉さん編は明日のこのブログでレポートします。

翌日、8時半過ぎに再び記念館さんへ。会場設営後、10時から講座でした。講座の会場は第一展示室。光太郎のブロンズ彫刻がずらっと並んでいるスペースです。
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お聴き下さったのは20名ほど。浅沼隆さんはじめ、生前の光太郎をご存じの地元の方々や、以前の講座にもご参加下さった皆さんもいらっしゃり、心強い限りでした。

内容的には光雲の人となり、彫刻の代表作などの紹介、さらに同じ彫刻の道に進んだ光太郎との比較、光雲の弟子達などについてお話しさせていただきました。特に光太郎との比較の部分では、漠然とは分かっていたつもりでしたが、改めて発表用にいろいろ考えてみると、今まで見えなかった部分も見え、自分でも勉強になりました。こういう場合の通例ですが。

11月に都内で高村光太郎研究会が予定されており、そちらで発表をすることになりまして、ある意味手抜きですが、今回の講座の内容を元に発表しようと考えております(スライドショーやレジュメがほぼほぼそのまま使えますし(笑))。そこで、発表内容の詳細はそちらが終わりましたらまたこのブログにて記述いたします。

スライドショーを使ってのお話終了後、ギャラリートーク的に、実際に「鈿女命」を見ながら解説。
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その後、NHKさんのインタビュー。翌朝のローカルニュースで、講座の件ではなく展示の方が取り上げられました 

高村光太郎の父 光雲の木彫

戦中から戦後にかけて7年間を花巻で過ごした、詩人で彫刻家の高村光太郎の父で、明治を代表する彫刻家の高村光雲が制作したとされる木彫が花巻市に寄贈され、初めて展示されています。
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花巻市の高村光太郎記念館で展示されているのは光太郎の父、高村光雲が制作したとされる木彫「鈿女命像」です。光雲の孫が花巻市に寄贈し、初めて公開されました。木彫はサクラの木を一木造りしたもので、日本の神話に出てくる「天鈿女命」をモチーフにしたものです。高さは30センチあまりで、「天鈿女命」が「天岩戸」に隠れた天照大御神を誘い出すため、踊りを披露している様子が表現されています。
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72歳の女性は「静かなようで躍動感があり、力を感じます」と話していました。
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高村光太郎連翹忌運営委員会の小山弘明代表は、「光雲は近代を代表する彫刻家で、長男の光太郎が目指した方向性との違いを明らかにしていくうえで価値の高い作品である」と話していました。
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この木彫は今月23日まで高村光太郎記念館で展示されています。
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というわけで、展示は来週23日(水)まで。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

子供は伸び伸び育てるのがいいのです。無理に型に押しこめては縮んでしまうでしょう。
談話筆記「高村光太郎先生説話 三」より
昭和24年(1949) 光太郎67歳

山小屋近くの山口小学校の職員室で教員相手に語った雑談の一部です。浅沼校長(上記浅沼隆さんのお父様)、こんな雑談も筆録していました。

結局、父の跡継ぎ、二代目光雲となることを拒否し、家督相続も放棄した光太郎。そしてそれを許した光雲は、「無理に型に押しこめ」ず、「縮んでしまう」ことを避けたという意味で、本当に素晴らしい父だったと思います。