岡山県から展覧会情報です。 

期 日 : 2020年9月9日(水)~9月21日(月)
会 場 : 丸善岡山シンフォニービル店ギャラリー 岡山市北区表町1-5-1 
時 間 : 10:00~20:00

9月9日(水)より「高田博厚とパリの仲間たち展」を開催いたします。日本を代表する彫刻家、高田博厚の彫刻・パステル画などの作品を、高村光太郎・浜口陽三・シャガール・ビュッフェ・ミュシャなど同時代を生きた国内外の作家の作品と共に展示販売いたします。9月21日(月)までです。
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基本、高田博厚がメインの展示即売会です。早世した碌山荻原守衛を除き、ほぼ唯一光太郎が親しく交わり激賞した同時代の彫刻家で、今年生誕120年。各地で回顧展等が開催されていますし、今後も予定されています。

ところがこちらは高田作品のみならず、光太郎のそれも出品されているとのこと。問い合わせてみましたところ、彫刻ではなく書と版画が出ているそうです。
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書は色紙で、「書はわたしの安全辨」と書かれたものだとのことです。大正12年(1923)の詩「とげとげなエピグラム」中に、「詩はおれの安全辨」の一節があり、それが元ネタです。純粋造型たるべき彫刻に物語性や自己の喜怒哀楽が入り込むのを嫌った光太郎が、そういったものは文筆作品(特に詩)で表現し、彫刻の純粋性を護ろうとした意図を表す語です。

右画像は10数年前に市場に出ていた揮毫ですが、これそのものなのか、同じ句が書かれた別物なのかなどは不明です。

版画は木版で、明治43年(1910)、鉄幹与謝野寛の歌集『相聞』の挿画として制作されたもの。同書の後記に光太郎から鉄幹宛の書簡が引用されています。
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木版の方は、恥かしながら『幼き QLAUAPATRAT』と申したく候。『クラウアパトラ』は通称クレオパトラの本名に候。女王の位につきたるが十七歳の時。此は其よりづつと以前、アントニイが始めて会ひたる幼年の頃のつもりに候。

光太郎の木版は、明治44年(1911)に自宅兼アトリエ竣工通知に送った葉書、大正12年(1923)の関東大震災後に智恵子の実家・長沼酒造の清酒「花霞」を取り寄せて、にわか酒屋を始めた際に作ったラベルや引札、昭和24年(1949)刊行の詩集『典型』題字など、他にも存在しますが、それらは文字中心で、絵画の木版で確認できているものはこれだけです。ただし、書籍の表紙画で、もしかすると木版かも、というものはありますが。

画像はモノクロですが、現物は赤と青の二色刷とのこと。しかし、だいぶ褪色しているそうです。

ちなみに『相聞』にはもう一枚、おそらく鉛筆での素描「埃及彫刻」も載っています。「埃及」は「エジプト」。光太郎によるエジプト風の絵はこの時期、他にも見られます。前述の碌山荻原守衛がエジプト彫刻にかなり魅せられていましたので、その影響もあるかも知れません。

近くなら見に行くところですが、このコロナ禍の時期でもありますし、ちと難しいところです。お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

一般大衆の常識向上無くしては一切の事望み難し。

アンケート「昭和二十二年に望む事」より
昭和22年(1947) 光太郎65歳

実質的に次期首相を決めるための自民党総裁選挙が告示されました。何だか相変わらずの派閥の論理やらで決まりそうな気配にげんなりです。大本命というか、既に出来レースで決まっているであろう官房長官は、現政権の方向性を継続、などとのたまっていますが、令和二年の我々一般大衆は、立憲主義、国民主権、三権分立、平和主義、そして国民の政治への期待や信頼を破壊するような動きには断固としてNOを突きつけなければいけないと思います。