昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で紀行文を書くために、三陸一帯を約1ヵ月、主に船で移動した光太郎。女川にも立ち寄ったということで、それを記念して平成3年(1991)に光太郎文学碑が建立され、翌年からは「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町。今年の女川光太郎祭は、残念ながらコロナ禍の影響で中止となりましたが、町立の女川つながる図書館さんで、光太郎に関する展示をなさって下さいます

詩人・光太郎と賢治 ~えにしをめぐる~

期 日 : 2020年8月7日(金)~8月13日(木)
会 場 : 女川つながる図書館 女川町生涯学習センター内 
          宮城県牡鹿郡女川町女川浜字女川178番地 KK-8街区1画地
時 間 : 平日 10:00~20:00  土日祝 10:00~17:00
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

女川町とゆかりの深い詩人・彫刻家・歌人・画家であった高村光太郎氏とお互いに影響を受けあった宮沢賢治氏を取り上げ、光太郎と賢治の詩作や生き方を通して、心のふれあいを中心に展示いたします。

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同館では、昨年は「詩人・彫刻家高村光太郎と女川」と題し、同様の展示をなさって下さいました。レポートはこちら

大々的なものではないようですが、こうした地道な工夫が必要なのだと存じます。

お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

もう東京へ帰る気持はありません。却つて東京の友人達をこつちに呼んで、大いに新しい地方文化の建設をやりたいと思つてゐますよ。

談話筆記「高村光太郎氏の疎開生活」より 昭和21年(1946) 光太郎64歳

雑誌『雄鶏通信』に載ったもので、花巻郊外旧太田村の山小屋での、もっとも早い時期のレポートの一つです。この時期には帰京するつもりは無かったのですね。

コロナ禍で、東京一極集中の弊害がまた炙り出されていますが、文化方面であれば地方分散もそう難しくないように思われます。ただ、受け入れ先の地方に、それなりの「底力」がなければ不可能なのでしょうが……。