定期購読しております隔月刊誌『花巻まち散歩マガジン Machicoco(マチココ)』さんの第20号が届きました。

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平成29年(2017)の創刊以来、花巻高村光太郎記念館さんのご協力で為されている連載「光太郎レシピ」。今号は「山菜ミズのたたきとウコギのホロホロかけご飯」。美味しそうです。

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「ミズ」はイラクサ科ウワバミソウ属。よく似た名の「ミズナ」とは別物で、きれいな沢沿いなど湿った場所に生える山菜です。当方も花巻でよく饗されます。

花巻郊外旧太田村における光太郎の好物の一つで、昭和22年(1947)にはずばり「山菜ミヅ」という詩も書いています。

   山菜ミヅ

 奥山の渓流に霧がこもつて
 岩の間にミヅが生える。山菜づくし
 ウハバミとまではゆかないが
 大きなシマヘビがぬらぬら居る。
 岩手の人はこの不思議な山菜を
 暗いうちから一日がかりで採つてくる。
 山の匂が岩手の町にただよつて
 ミヅは吸物となり煮びたしとなり
 なんだかしらないどろどろな
 白緑いろのソースとなる。
 岩手の人は夏がくると
 何よりさきにミヅを思ひ出す。
 ぬめりがあつてしやきしやきして
 どこかひいやり涼しくて
 風雅なやうで精気絶倫。
 配給などとけちは言はず002
 山の奥にはウハバミサウが
 ぬるぬるざわざわ生えてゐる。

右の画像は光太郎の残した「ミズ」のスケッチです。書き込みは以下の通り。

ミズ 西鉛温泉ニテ 昭和二十年六月二十日  
○花 淡緑  ○根もと 淡紅  ○葉 鮮緑
 ウラ 白緑  ○総丈 一尺五寸位 


花巻郊外旧太田村に移る前、花巻町中心街の宮沢賢治実家に厄介になっていた頃、結核性の肺炎で1ヶ月臥床した予後を養うため滞在した西鉛温泉で書かれたものです。


さて、『マチココ』さん。第20号記念と言うことで、特集は「20歳のころ」。花巻のさまざまな皆さんにインタビューか寄稿してもらうかしたようで、20余名の方々の「20歳のころ」が掲載されています。

で、花巻高村光太郎記念会の高橋事務局長をはじめ、花巻高村光太郎記念館さんのスタッフの皆さんの「20歳のころ」も多数掲載されています。それぞれ「なるほどね」という感じでした。

『マチココ』さん、オンラインで定期購読の手続きが可能です。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

第一次大戦当時のスペイン風邪みたいに、例えば、アブストラクトが、全世界をふきまくるのではありますまいか。

座談会筆録「敗けた国の文化――東西美術・工芸の交流――」より
昭和28年(1953) 光太郎71歳

昨今のコロナ禍にともない、約100年前のスペイン風邪のパンデミックがまた脚光を浴びていますね。光太郎自身は罹患しませんでしたが、光太郎が将来を嘱望していた画家の村山槐多はスペイン風邪で死亡しています。また、光太郎の師・与謝野寛、晶子夫妻は家族が次々感染、大変な思いをしたそうです。

「アブストラクト」は「抽象芸術」。彫刻でも絵画でも主に具象を主戦場としてきた光太郎ですが、その勢いは無視できないものとなっていたようです。

それにしてもその例えが、40年近く前のスペイン風邪。よほど印象に残っていたのでしょう。