このところ、展覧会系をご紹介しておりますので、もう1件。 

期 日 : 2020年6月2日(火)~8月23日(日)
会 場 : たましん美術館 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店1階
時 間 : 10:00~18:00
休 館 : 月曜日、展示替え期間(7月6日~7月10日)
      ただし8月10日(月・祝)は開館、8月11日(火)を閉館。
料 金 : 一般500円(400円) 高大生300円(200円)( )内20名以上の団体

令和2年(2020)5月、多摩信用金庫(たましん)は新たに美術館をオープンいたします。たましんが長年貫いてきた多摩地域の文化振興への貢献という姿勢は、ここにきて美術館という形で結実することになりました。

さかのぼれば昭和49年(1973)にたましん旧本店・本部棟ビルが完成した時、同ビル内に「たましん展示室」が併設されました。それから47年の時を経て、立川市の新街区GREEN SPRINGSへの本店・本部棟の移動にともない、新たに誕生するのが「たましん美術館」です。

初年度は、たましんが誇る優れた美術コレクション(たましんコレクション)を一挙にご紹介します。たましんコレクションは大きくは三つのジャンルに分類することができ、ひとつは近代(明治時代以降)の洋画や彫刻の名品。次に中国・朝鮮・日本の貴重な古陶磁。そして多摩地域を中心に活動してきた作家たちの作品となります。その中で、新美術館の幕開けを飾る開館記念展Ⅰでは、たましんコレクションの中から選りすぐった日本近代(明治、大正、昭和)の洋画・彫刻の名品を並べます。

明治最初の洋画団体である明治美術会、ヨーロッパから鮮やかな外光表現を持ち帰った白馬会、アカデミズムに与せず個性の表出を重視した白樺派や草土社、若き才能が集まり切磋琢磨した中村屋サロン、より挑戦的な作風を発表するために官展から脱却して生まれた二科会や独立美術協会などの作家たち、そしてそのどこにも属さない独自性を求めた作家たちの作品も含めて展示いたします。新美術館のこだわりのつまった展示空間で、日本近代美術史の豊かな流れを味わっていただければ幸いです。

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たましん美術館さん。前身は青梅市にあった「たましん御岳美術館」さんと、旧本店にあった「たましん展示室」。平成29年(2017)に、新美術館構想が報じられ、昨秋には「たましん御岳美術館」さんが閉館し、移転が終了したようです。

画像にあるとおり、光太郎ブロンズの代表作「手」(大正7年=1918)が出ます。元々「たましん御岳美術館」さんで展示されていたものです。ただ、新しい鋳造のものだと思われます。

それから、光太郎の親友だった荻原守衛の「女」(明治43年=1910)も画像にありますね。

『読売新聞』さんでは都内版で報じています。 

たましん美術館が開館 立川新街区 高村光太郎作品など

 JR立川駅北口の新街区「グリー001ンスプリングス」で、多摩信用金庫(立川市)が収集してきた美術品などを展示する「たましん美術館」が2日、開館した。
 美術館は、5月中旬に新街区に移転した同金庫本店1階。展示室の広さは207平方メートルで、同金庫が1950年代から収集してきた「日本近代美術」「東洋古陶磁」「多摩の作家」に関する所蔵品約5000点を順次、展示する。
 この日始まった開館記念展「たまびらき」では、詩集「智恵子抄」などで知られる詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)のブロンズ像「手」(高さ37センチ)や、洋画家の岸田劉生りゅうせい(1891~1929年)の油彩画「初冬の田畑」(縦45・6センチ、横53・2センチ)など、日本近代美術の所蔵品計23点を展示している。
 たましん美術館の学芸員、斉藤全人まひとさん(41)は「展示スペースは小さいが、良質なコレクションを地域の人に広く知ってほしい」と話している。今後、所蔵品以外の企画展も開催される予定。
 開館記念展前期は7月5日まで。後期は展示作品を入れ替えて、7月11日~8月23日に開催する。入館料は一般500円、高校、大学生300円、中学生以下無料。原則月曜休館。


暇を見て拝見に伺おうと思っております。皆様もぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

日本人はみんな歌とか俳句とかをやる方がいゝと思ひます。

座談会筆録「大東亜文化建設の課題」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

「五七五七七」あるいは「五七五」という音律の制約、さらに短い中に深遠な心情、情趣を象徴的に含ませなければならない短詩系文学としての短歌や俳句。光太郎自身も優れた作をたくさん残しましたが(このブログの平成28年=2016では【折々の歌と句・光太郎】ということで、366首/句のそれらを紹介しました)。

歌人や俳人からすると、自由詩は「散文を行分けしただけじゃないか」だそうで、確かに悲しいかな、そういう作品も多く存在します(というか、現在氾濫している「詩集」なるもの、ほとんどがそうだと感じます)。しかし自由詩であっても、「内在律」ともいうべきリズム感、象徴性、その他、自由詩でなければ出来ないことがあるはずで、光太郎などはそれを実現できていたと言っていいのではないでしょうか(戦時中の愚にもつかない駄作も多いのですが)。